5.春

春三月。

卒業生を送り出した後の学院は新入生を迎える四月まで落ち着いた静けさに包まれます。

探偵学院のおじいちゃんの像を見上げ、あたしは昔を思い出します。

その日も静かな庭に桜の花びらだけが舞い、空に浮かぶ雲はゆったりと流れていました。

あたしが初めてこの像の前に立ったあの日……

あたしは立派な探偵になるという夢を胸に抱いておじいちゃんの学院、ホームズ探偵学院の門をくぐりました。

入学を翌月に控え、手続きを終えたあたしは真新しい制服に袖を通して学院の敷地を歩いていました。

新しい場所での期待と不安でいっぱいの心に、何もかもが輝いて映ります。

おじいちゃんの像は学院の庭の中でもわりあい目立つ所にあるので、あたしはすぐに見つけました。

像の前に立ち、見上げる。

よく晴れた春の青空には桜のはなびらが舞い、大理石のおじいちゃんの顔は心なしかほほ笑んでいるようにも見えました。

その時、あたしはうしろから声をかけられました。
探偵オペラ ミルキィホームズ-スクールデイズ-
49: 2011/03/05(土) 21:22:36.55 ID:tdtToVHc0
女生徒「あなた、一年生?」

あたしはどきっとして振り向きました。

入学式もまだなのに制服を着て学院内を歩いていることをとがめられるような気がしたからです。

シャロ「あの、えっと。あたし、来月ここに入学するんです」

女生徒「そう……」

あたしよりずっと年上に見える彼女はそうつぶやくとあたしの横に立ち、一緒におじいちゃんの像を見上げました。

女生徒「シャーロック・ホームズ、天才的な探偵。私、好きなの」

あたしには突然のその言葉が分かりかねたので彼女の横顔を見つめました。

女生徒「すぐれた才能がありながら、型に収まらない。そんな彼の生き方が、人にはいろんな生き方がある、って言ってるみたいで」

その言葉を聞いた時、あたしはおじいちゃんがよく言っていた言葉を思い出しました。

シャロ「……『人生に正解はない。より正確に言うと、正解は一つじゃない』」

女生徒「あら、いいこと言うわね」

シャロ「この人が言っていたんです」

あたしはおじいちゃんを見上げます。彼女もつられて見上げました。

50: 2011/03/05(土) 21:23:23.15 ID:tdtToVHc0
女生徒「シャーロック・ホームズが? あなた、そんなことよく知ってるわね」

あたしは自分がシャーロック・ホームズの孫であると言ってしまうことに気がひけたのでした。

女生徒「あなたのおかげでとってもいいことが聞けたわ。これでこの像とも別れられるわ……」

シャロ「別れる?」

女生徒「私、今日でここを卒業なの。この像にはほんとに励まされた」

少し強い風が吹き、桜のはなびらを舞いあげる。雲が動く。

彼女は思いついたように言いました。

女生徒「ねえ、あなたのトイズは?」

シャロ「あたしのトイズ……」

あたしのトイズは念動力。けれども、軽いものしか動かせません。その頃のあたしは、そのことを少し引け目に感じていたのです。

シャロ「あたしのトイズは……」

落ちてくるはなびらをくるくると手の上で、宙に舞わせます。

軽い花弁はふわりふわりと翻りました。

シャロ「これだけのトイズです……」

あたしは困ったように笑いました。

51: 2011/03/05(土) 21:24:09.11 ID:tdtToVHc0
すると彼女は意外にも目を輝かせて言うのでした。

女生徒「すごい! とっても素敵なトイズじゃない!」

シャロ「えっ……」

私のトイズをこんなに褒めてくれた人は今までいなかったので、あたしは彼女の反応がすぐには飲み込めませんでした。

シャロ「そんな、全然すごくないです。軽いものしか動かせないし……」

女生徒「そんなことない。とても素晴らしいわ。私にはとてもできないもの。あなただけの、大切な力……」

シャロ「あたしだけの……大切な……」

宙に翻る花弁を見ていると、あたしはなんだか嬉しくなってきて、自然と笑顔になっていました。

女生徒「あなただけのその力、大切にね」

シャロ「はい!」

あたしは心の中でつぶやきました。

おじいちゃん、あたし、がんばるよ。あたしのもってるこの力で……

その時にはすでに、あたしは初め抱いていた新しい生活への不安をすっかり忘れていました。

52: 2011/03/05(土) 21:24:55.52 ID:tdtToVHc0
女生徒「それじゃあ、私、行くね」

彼女が去ろうとした時、あたしは気になっていた疑問を口にしました。

シャロ「あの!」

女生徒「なに?」

シャロ「……あなたは、どんなトイズをもっているんですか?」

女生徒「私のトイズはね……」

そこで彼女は少し沈黙を置き、そして、いたずらっぽく微笑みながら言いました。

女生徒「今探してるところ、かな?」

そのときのあたしはその言葉の意味がつかめませんでした。

ただ去っていく彼女の背中を、靄のかかった陽光の中、見えなくなるまで見送りました。

卒業式がその翌日だったと知ったのはそれからすぐのことでした。

53: 2011/03/05(土) 21:25:42.08 ID:tdtToVHc0
あれから数年。

あたしはおじいちゃんの像の前に同じように立って、同じように見上げています。

舞うはなびらも、たなびく雲も、立派な探偵になるという夢もあのころのままです。

ただ一つ変わったのは、今のあたしにはこのはなびらを宙に舞わせる力がないということ。

あたしだけの力、大切なトイズの力を失ってしまいました。

もしかしたら、彼女があの日、この像の前を去ったのは、トイズの力を失ったからではないだろうか。

おじいちゃんを見上げて問いかける。

ねえ、おじいちゃん。あの人はトイズを失ってしまったの? いまはどうしてるの?

大理石のおじいちゃんは春の光の中では相変わらずほほ笑んだように見えるのでした。

その時、優しげな落ち着いた女の人の声が私にかけられました。

あたしはあの日と同じように弾かれたように振り向きました。

54: 2011/03/05(土) 21:26:28.55 ID:tdtToVHc0
そこにいたのは、アンリエットさんでした。

アンリエット「どうしたのです、こんなところで」

シャロ「アンリエットさん……」

アンリエットさんはあたしの横に立ち、おじいちゃんの像を見上げました。あの時の彼女のように。

シャロ「思い出していたんです。あたしがここに初めて来た日のことを」

風が桜を散らす。

シャロ「あの日となにも変わってません。立派な探偵になるっていう夢も、この景色も。……でも、あたしはトイズをなくしてしまいました。

    夢に近づくために頑張ろうとしてたのに、いまはむしろあの時より夢から遠ざかってます。

    あの時のあたしが今のあたしを見たらなんて言うだろう……」

アンリエットさんは静かに言いました。

アンリエット「あなたはきっとその日よりも、確実に夢に近づいています」

シャロ「それは違います。トイズもなくしちゃいましたし……」

アンリエット「トイズをなくしてしまっても、あきらめなければ戻るかもしれません。

       もし戻らなくても、他のアプローチの仕方があるはずです」

あたしはおじいちゃんの像を見ました。

55: 2011/03/05(土) 21:27:14.94 ID:tdtToVHc0
そのとき、まるでおじいちゃんがあたしに話しかけたように、その声が頭にはっきりとよみがえったのです。

シャロ「……『人生に正解はない。より正確に言うと、正解は一つじゃない』

    夢も、夢をかなえるための手段も、一つだけじゃない……」

アンリエットさんはあたしにほほ笑みました。

アンリエット「その通りですわ。

       ……それに、あなたがここでの生活で得たものもひとつではありませんわ」

シャロ「得たものですか?」

そのとき、遠くから、ネロ、エリーさん、コーデリアさん、あたしの大事な3人の仲間がこちらに走ってくるのが見えました。

シャロ「ネロー!エリーさーん!コーデリアさーん!」

アンリエット「シャーロック、頑張って夢をかなえてくださいね」

シャロ「はい!」

あの女の人はきっといま、新しい夢や、新しいやり方で、自分の道を進んでいる、そんな気がしました。

これから、あたしも仲間たちと一緒にひとつだけじゃない、あたしの正解を追いかけていくのです。

5.春 おしまい

56: 2011/03/05(土) 21:28:01.65 ID:tdtToVHc0
以上です
最後まで読んでくれた人ありがとう!

58: 2011/03/05(土) 21:28:42.26 ID:vE/LgmEs0
ほのぼのよかった

引用: シャロ「あたしと5つの物語!」