486: ◆EBFgUqOyPQ 2015/12/08(火) 00:33:12.11 ID:OBJgOl+No


モバP「世界中にヒーローと侵略者が現れた世界で」シリーズです


前回はコチラ

毎回毎回お久しぶりです(白目)

アナスタシア完結編の序編投下します。


奈緒前回のお話 >>6『小怪獣戦争と怖い人
4月なんだよなぁ……


487: 2015/12/08(火) 00:34:43.72 ID:OBJgOl+No
 初めは私はただの感情だった。
 いや、今でも私はただの一感情でしかないと思い、それ以上でも以下でもないと自覚する。
 そんなただの刹那的な心の形が今の状況を形作るなどそれこそ誰も自覚はしなかった、


 私でさえも、彼女でさえも。


 きっかけは、不幸な運命であったのだろう。
 ちょうど『あの日』からほんの数年後に誕生した私の『体』はとてつもなく、途方もない異能を孕んでいた。
 胎児であるのに、それが孕んでいるなんて表現はおかしなものではあるが事実その通りなのだから仕方あるまい。


 とはいってもママのお腹から出る以前に、その力に気づいたとある『神さま』にその力は封印されてしまったのだけれど。
 それでもその封印は完全ではなかった。
 私の体、いや『魂』にとある封印を施した神は『全能神』とか呼ばれることもあるというのに実に情けない話だ。
 ある意味私の存在が『全能神』を全能たらしめない証拠となっているのだから。
 だがまぁ、『全能神』というのは自称ではなく他称であるらしい。
 たとえ本人がそうでなくとも勝手にそう呼ばれている節があるようなので、その過大評価に私はほんの少しの同情を乗せて大目に見てあげることにしよう。

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それは、なんでもないようなとある日のこと。

~中略~

「アイドルマスターシンデレラガールズ」を元ネタにしたシェアワールドです。
・ざっくり言えば『超能力使えたり人間じゃなかったりしたら』の参加型スレ。



488: 2015/12/08(火) 00:35:36.26 ID:OBJgOl+No

 話を戻せば、神の掛けた『封印』は完全なものではなかったのだ。
 当然神はそのことを自覚していたし、神自身もこれ以上どうすることもできなかった。
 だがこうすることこそが現状出来る最善であり、神にとって無知なる私へのささやかな優しさであったのかもしれない。
 神ほどの力の持ち主なら、生まれてくる前に氏産にしたり、私の存在そのものに干渉して『なかったこと』にすることもできたかもしれないのに。
 そうせずに無事私の身体が生まれてきたということは、そうなのだろう。


 だが結局『完全』でないものには、どうしようもない『欠陥』というか回避できない欠点があった。
 神の封印でも抑えきれない力は、その封印によって濾過のような作用が引き起こされ、神の力『天聖気』として私に露出していたのだ。
 故に『神の子』『奇跡の子』などと生まれた当初は小さな村の中では少し話題になった。
 でもそれこそが過ちだった。だからこそ狙われたのだろう。


 異能を欲する組織は星の数ほど存在する。
 悲劇が起きることは必然だった。
 その組織の一つが、私の故郷を焼いて、パパとママを頃し、まだ赤ちゃんの私を連れ去った。

489: 2015/12/08(火) 00:36:13.77 ID:OBJgOl+No

 連れ去られた私は彼らの下で育てられて、兵士として教育された。
 でもいくら教育されたとしても、私にとっては耐えがたいものだったのだ。

 戦い、傷つき、頃し、殺され、蹂躙し、嬲られるこんな世界。

 私には無理だった。
 人は環境によって感情を形成していくと言われているが、それはきっと間違いだ。
 だって私は兵士としての教育を受けても、他人を傷つけたり、傷つけられたりすることが絶対に嫌だということは変わらなかったからだ。
 こんな『力』を持っていても、誰かが傷つく姿を見るのでさえ耐えがたいような、身が砕けるような性格をしていたのだ。

 非情になれない。暴力を容認できない。痛いのは嫌だ。

 私はあまりにも、兵士には向いていなかった。

490: 2015/12/08(火) 00:36:55.34 ID:OBJgOl+No

『まだお前はできてなかったのか』

 兵士としての教育を拒絶する私のもとに、一人の男が訪ねてきた。
 子供である私の身の丈を何倍も超えるような長身に鍛えぬかれた筋肉。
 この人が私の故郷を滅ぼした人だと知ったのは、だいぶ後の話になる。
 そんな親の仇ともいえる人物が、私の元を訪ねてきて一体何の用だというのか?

『ここに一匹の犬がいるだろう』

 そうして私の暮らしていた施設の一室に連れてこられた私は、目の前で小さく震える子犬を視界にとらえた。
 小さく輝くつぶらな瞳は私の方をじっと見ている。
 いかにも弱々しく、このまま放置すればそのまま氏んでしまいそうな子犬。
 私は思わず駆け寄って、その子犬を抱え上げた。

 体毛に包まれた小さな体躯は、ぬくもりを確かに私に伝える。
 それに答えるように私はその子犬を思わずギュッと抱いた。
 この子は私と同じだ。たった一人ぼっち。この酷く醜い狭い世界で私はこの子犬に共感を覚える。
 だからこそ同時に想像する最悪の展開。

 ここには最悪の住人しかいないのだ。
 あの男がこの子犬に大して意味を与えるのならば、想像することなど容易かった。

491: 2015/12/08(火) 00:37:36.04 ID:OBJgOl+No

『―――、その子犬を殺せ』

 言って聞かない子供には、こうした手段が手っ取り早い。
 特に、兵士として百人殺せる人間になれと説くよりも、たった一つ『頃す』と言うことを経験させる方がこの場合では手早く、効果的なのだ。

『拒否は許さない』

 男は有無を言わさない。
 そうであろう。そしてそれでも拒否をすれば、私はきっとひどい目にあわされる。
 下手をすれば、これが最終通告なのかもしれない。
 私はこの子犬を殺さぬ限り、きっと最低限の人間的な暮らしでさえ剥奪されてしまう。

 だが私は男の言うことは聞かなかった。
 誰かを傷つけることなんてしたくない。それをするくらいなら氏んだ方がましだという覚悟さえ幼い私ながらこの時持っていたのだ。
 この子犬を自分で頃すことは、それこそ自己の否定。氏よりも恐ろしい自殺だ。

 この小さな個室の入口の扉の前から、男は私たちを見下ろしている。
 その瞳は影になっていて何を映しているのかわからない。
 だからこそ私は、決して屈しないという幼稚ながらも硬い意志と、腕に抱く子犬を守りきるという使命だけを抱いて男を睨み返した。

『そうか』

492: 2015/12/08(火) 00:38:39.38 ID:OBJgOl+No

 私の拒絶の意志をくみ取った男は、ただ一言そう呟く。
 このまま暴力を振るわれたり、最悪殺されるものだと思っていた私は思わず拍子抜けする。

 だが、当然それで終わらない。いや、もっと最悪があることを私は予想できなかった。

『お前は、殺さなくちゃならない。殺せなくちゃならない』

 男がそう言った瞬間、私の手は自然と動いていた。
 脳がそう指令を出したというわけではなく、まるで勝手に動いていることが当たり前かのように。

 子犬を優しくそっとおろす。再び冷たい床材の上に戻された子犬は弱々しく私を見上げる。
 私はそんな子犬を見下ろし、そっと両手を子犬へと近づけていく。


『いや』


 そんな私の小さな叫びを無視するように、私の手はひとりでに子犬へと向かう。
 そして首輪をはめるように子犬の首に指を回す。


『いやだ……』


 子犬のぬくもりが私に伝わる。先ほどまで抱いていたぬくもりは、指先から腕を伝い、脳へと届く。
 私の脳は子犬の首から手を放すという指令を出しているのに、手は一方的に情報を伝えてくる。


『い、や……』


 徐々に絞まっていく私の指。すでに弱っていた子犬は泣き声すらほとんど上げることができずに、かろうじて苦しそうにもがく。
 それと同時にわたしの気管も徐々に閉まっていくように錯覚する。

493: 2015/12/08(火) 00:39:23.24 ID:OBJgOl+No

 脳に酸素が行き渡らなくなり、意識を手放したくなる。
 だがそれは許されず、自らの支配を離れた両腕も決して止まらない。


『あ……』


 ぬくもりが消えていく。
 子犬の動きはさらに緩慢となり、命が尽きようとしているのが目に見える。
 零れ落ちる。私の手から命が。私の手によって命が潰える。

 その事実に、心が悲鳴を上げた。
 もっとも忌避すべき行為を、今私は行おうとしている。
 自らの意志でなくとも、自らの手で行われるこの行為は私の心を、体を締め上げていく。

『……ああ』

 そして指は最後まで絞まる。それと同時に子犬は抵抗をやめて動きを止めた。
 氏んだ、氏んだ、しんだ、しんだ、シンダシンダシンダシンダシンダシンダシンダシンダシンダシンダシンダシンダコロシタ。



 私が、頃した。

494: 2015/12/08(火) 00:40:14.31 ID:OBJgOl+No

 幼い心はあまりに脆い。私の心は子犬と氏と共に砕かれた。

『ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ』

 なんてことはない、ありふれた顛末。
 この後、『私』と言う感情、それを頃すことによって、精神を保った。
 ある意味私の心はこの時氏んだのだが、身体だけは生きながらえようとしたのだろう。
 本能としての自己防衛。耐えられない感情ならば、その感情ごと封印してしまえばいい。
 私の『やさしい』感情は氏に、そして一人の兵士が完成したのだ。

 今更だがあの時、あの男が私の体を操っていたのだろう。
 この特殊部隊内では、この類の超能力は別段珍しいものではない。
 きっと他人がこの話を聞けば、私のせいじゃないとか慰めてくれるのだろうがそんなことに意味はない。
 どうせ私は遅かれ早かれ壊れていただろうし、そうじゃなくても兵士として使い道がないとわかれば、頭のおかしい研究者らの実験材料になるのがオチとかそんなところだっただろう。
 壊れるよりも、感情に頃して無情になりきることが最善であったのだ。

 それに終わったことだ。これは私の最後の思い出。

 『やさしい』私が壊れる寸前の話なのだ。

 わかっただろうか、私のことが。
 前置きはここまで。じゃあ反撃を始めましょう。

 だって私は、本当は氏んでなどいないのだから。


 

495: 2015/12/08(火) 00:41:02.86 ID:OBJgOl+No


***


 その部屋は、外から差し込む光で十分に見通せるほどに小さな部屋だったが、窓から最も離れた入り口である扉側は光が物足りず薄暗い。
 家具屋に行けば簡素な回転椅子と比べて値段が張るであろう見てくれのいい椅子と、あまり使われていないであろうというような真新しさのある艶を醸す木製の机。
 この部屋がそれなりに、重役の個室であることはその様相から見て取れた。

 故に、扉側の薄暗い位置に立つ白い少女は影に飲まれただでさえ薄い色素がさらに抜け落ちているように見える。
 そのせいで俯く表情は、さらに暗い影を落としていた。

 顔には、後悔。そして反省の色。
 少女の表情から察すれば、彼女がこの部屋に呼び出された側であり、それは決して褒められるなどいい意味で招かれたわけではなさそうだ。

「君は、ここに呼ばれた理由はわかっているかな?」

 窓側には、年配の男性が窓の外を見ながら、少女を向けずに話しかけた。
 その口調は少女を糾弾するようなものではなかったが、威厳のある重みを含んだ口調であった。

「……ダー、私が、昨日引き起こしたこと、ですね」

 少女はうつ組む顔を上げず、ポツリポツリと言葉にする。

「ああ、そうだね。君は昨日、偶然会った凶悪な殺人犯と戦った。

その果てに能力を暴走させ、周囲の建物を全部壊してしまったそうじゃあないか。アナスタシアくん」

496: 2015/12/08(火) 00:41:41.75 ID:OBJgOl+No

 窓の外に目を向けていた男は振り返り、じっとアナスタシアと呼ばれた少女の方を見る。
 逆光によって男の表情はアーニャにはうかがい知ることはできないが、逆にそれが自らの過ちを糾弾してくるような表情をしていると想像を掻きたてる。

「ムニェージャーリ……ごめんなさい」

 脳裏に浮かぶは昨日の記憶。
 義手の女と出会い、そして完膚無きまでに敗亡を喫したことを。

 そしてその先は、周子らからの伝聞でしかないがアーニャ自身が能力を暴走させ、あの倉庫群をすべて残らず壊滅させたというのだ。

 話を聞いた今でもアーニャは信じがたいと思っている。
 ――あの『隊長』ほどならばそれくらいのことは造作もないかもしれないが、この私にそんなことができるわけがない。
 だが実際にあの場、アーニャが初めて日本に立ったあの場所は、今では少女の記憶の風景の一切を留めてはいなかった。

 そして多くの疑問が残る。
 アーニャ自身、能力が暴走することなどこれまで経験したことはなかったし、そんな兆しさえ今までに一度もない。
 『聖痕解放』はこれまでに何度か行ってきたが、倒れるまで続けていたのは昨日のことが二度目である。

 一度目である隊長との戦いのときはこんなことにはならなかったのに、果たして何が起きたのか。
 アーニャにも理解できていない。

497: 2015/12/08(火) 00:42:48.81 ID:OBJgOl+No

 だがそんなことは今考える必要はない。
 今重要なのは、そう言ったものではなくこの事実なのだ。

 アーニャが、能力の舵を取りきれず破壊活動を行ったことである。
 今回は無人の倉庫であったということが幸いし、アーニャによる犠牲者はゼロであった。
 しかし仮にこれが街中、人の多いこの『プロダクション』やその周囲で起きていた場合はどうであろう。

 アーニャの意識無意識関係なく、多くの犠牲者が出ていたのではないか?

 故に今回の件は、これまでの問題のように片付けられる問題ではない。
 外敵による破壊ではない。要は身内の不祥事なのである。

「昨日のことは、我々で片付けておいたから問題にはなっていないさ。

各所には何とか言いくるめたし、公にはただの事故だったということになっている」

 目の前の男性、社長は『プロダクション』の外に出ていることが多く、会社で目にすることはあまり多くない。
 何をしているのかは知らないが、妙なコネクションや影響力を持っているあたり只者ではないのだろう。

 実際、今回のアーニャの事件に関しても各所、ヒーロー同盟やGDFなどの組織にも事実はごく一部、ほんの葉先の一部が知りえることになっている。

498: 2015/12/08(火) 00:43:48.27 ID:OBJgOl+No

「だが事実は事実。

たとえ公には君は何もしていないとしても、謎の女のせいで暴走したとしても、あれを引き起こしたのは君だ。

会社としても、対策は取らざるを得まい」

 そう、事実。
 たとえ大本の原因は他にあったとしても、この事件の発端はアーニャなのだ。
 お咎めなし、というわけにはいかない。

「君に責任はない。

ある意味『相手』が悪かったというのもあるし、それと君とが相対することになると予見できなかった我々のミスだ」

「……ッ」

 この言葉は、アーニャにとっては屈辱である。
 自ら守ると誓ったこの『プロダクション』に守られている事実。そしてあまつさえ、その責任を負うことさえ許されないということ。

 それはあまりにも情けなく、親が子の責任を取るような、自身を軽く見られているということに他ならなかった。

「……『相手』。

あの、人は誰だったんですか?」

 未だ脳裏に焼き付いて消えない歪な貌。
 すらりとした長身に付いた一対に凶悪な義手はアーニャにとって忌むべき相手であり、同時に恐怖を喚起させる対象へとなっていた。

499: 2015/12/08(火) 00:44:46.53 ID:OBJgOl+No

「『カーリー』といえば知っているかな?」

 カーリー、と言われてアーニャはエトランゼのメニューの一つを連想したが、自身で即座に否定する。
 少し脳内を巡らせてみるがやはりその名に覚えはない。
 アーニャは静かに顔を横に振った。

「……そうか。その筋ならある意味であの隊長よりも有名なのだがな。

まぁ、いうなれば天然の悪鬼。カールギルの鬼子、戦場の都市伝説の一つのようなものだよ」

 暴走によって途切れ途切れのアーニャの記憶から呼び起されるのは、おおよそ人間業とは思えない魔技の数々。
 そして何より悪鬼と呼ぶにふさわしき、下賤で極悪、漆黒よりなお暗黒とも呼べるような精神性である。

 これまでにそれなりの数の戦場を経験してきたアーニャであったが、あそこまで常識外れな敵はいなかった。

(あんなに怖い人は……初めて見た)

 突き刺された狂気は、恐怖となってアーニャの中にじっとりとへばり付いている。
 奴のことを考えるだけで恐怖が震えとなって未だ露出する。

500: 2015/12/08(火) 00:45:27.28 ID:OBJgOl+No

 だが次は、こんな失態は犯さないとアーニャは誓う。

(次は……負けません)

 心の中でそう誓うアーニャ。だが社長はそんな静かな誓いすら見据えたうえで次の言葉を紡ぐ。

「だが、君はもう彼女のことは気にする必要はない。きっと二度と会うことはないだろうからね」

 社長はそう言って、話題を切り上げる。
 それは暗に、これ以上そのことに関わる必要はないと言われたようなものであった。

「……っ」

 きっとこれ以上聞き出そうとしても、社長は一切教えてくれないだろう。
 それが彼なりの『子ども達』の守り方なのだろうが、アーニャにはそこまでは理解は及ばない。

「あの……モーヌストル、怪物を野放しにしておくということ、ですか?」

 あれは放ってはおけない。
 アーニャは、周子が暴走したアーニャから引き継いで彼女の相手をしたと言うことを聞いており、その後逃げられたと聞く。
 実際に周子の戦いを一度も見たことはアーニャはなかったのだが、それでも『あの』周子から逃げおおせたのだ。

501: 2015/12/08(火) 00:46:10.65 ID:OBJgOl+No

 それだけでも無視できない、とても危険な存在であることがアーニャにはわかる。
 だがそれを社長は言下に放っておけと言うのだ。
 あんな猛獣よりも危険な女を放置しておくということが、アーニャには理解の範疇を超えていた。

「まぁ……あれは突っついた方が損をする、と言う手合いでもあるわけだからねぇ。

とにかく絶対に『あれ』を追おうなんて考えちゃだめだよ。

彼女については、一応私たちで何とか対策は講じておくからさ」

 アーニャは思った。
――その『私たち』には私は入っていない。

 この『プロダクション』を守るために戦っているのに。
 この街を守るために戦っているのに
 それなのに、その守るべき人たちから守られ、自分は何もせずにいる。

 それは今回の不始末を糾弾されるよりも、アーニャの身を苛む。

――私は、皆を守れる力を持っているのに。

 まるでこれでは、暗に役立たずだと罵られているようだ。
 アーニャはそんなことは思ってはいないが、それに近い感情を抱く。
 次こそは、あの義手の女を打倒して見せると、わが身に代えても倒して見せると思う裏腹に、守りたい周囲の人々はそれを制止していた。

502: 2015/12/08(火) 00:47:03.15 ID:OBJgOl+No

 その感情は、かつてのアーニャならば絶対に考えない発想であったのに。

 それは彼女の成長であったのだが、同時にかつてあった『兵士』としての利点を奪っていた。
 なまじ戦えるだけの力があるだけに、その心はねじれを生む。

「それと、たとえ君に責任はないとは言ってもやはりお咎めなしとはいかない」

 言いようもないアーニャの懊悩を遮るように社長は話を戻す。
 そう、お咎めなしとはいかない。

 実際にアーニャは、自らの力を制御できず暴走させ、あの無人の港を壊滅させたのだ。
 その責を、当の本人が負わないというのはおかしな話だ。

 そしてアーニャは先ほどの話の流れから、どのようなことを言い渡されるのかはある程度予想がついていた。
 当然と言えば当然の処置。
 されどそれを言葉にされるということは、アーニャの先ほどの思案がすべてその通りであるという証明であり、事実であると彼女にのしかかる。


――お願い、今、それだけはやめてほしい。

 

503: 2015/12/08(火) 00:47:40.80 ID:OBJgOl+No

 そして社長が言い渡す処置はアーニャにとっても安易に予想できること。それは決して納得のいくということではない。
 もっとも避けたいことが故に、最も容易く予想ができるのだ。
 彼女は齢15にもなる少女であるが、自由意志を持つアナスタシアと言う存在は赤子同然であり、それでいて持っているものが限られていた。

「アーニャ、君はしばらく『ヒーロー』としての活動は控えたまえ。

たまには大人しく、普通の生活だけをしているのも悪くはないんじゃないかな?」

 その言葉はアーニャの予想通りであり、彼女にとっての最悪が社長の口から紡がれた。

「…………」

 アーニャは何も言わない。
 だがアーニャのその表情から社長はある程度の感情を読み取ることができた。

「まぁ永続的なものではないし、完全に『そういったこと』から離れてみるというのもいい機会だよ。

バイトだってあるだろうし、君はもう少し『普通』の生活をしてみるのがいいだろうしねぇ」

 社長はこの会社の責任者としてこの決定を覆すことはできない。
 故に何の慰めにもならないであろうが、こうした言葉しか紡ぐことができなかった。

504: 2015/12/08(火) 00:48:27.04 ID:OBJgOl+No

「ダー……そうですね。

しばらくお休み、します」

 やや間があってから返事をしたアーニャ。
 覇気のないその表情のまま、アーニャは背を向けていた社長室の扉から出ていった。

「本当に、『普通』も大事なんだけどねぇ。

世界は君の思慮よりずっと、広いのだから」

 社長のその小さな呟きも、誰も聞く者はいないければただの独白であった。







 アーニャが社長室から出ると、ちょうどその場にいた者たちからの視線が集まる。
 皆がアーニャと社長がどのような会話をしたのか、どのような結果となったのか気になっていたようだ。

 だがアーニャの表情を見ればそれが芳しくないものであることは、明らかであった。

505: 2015/12/08(火) 00:49:17.78 ID:OBJgOl+No

「だ、大丈夫か?アーニャ」

 そんな様子のアーニャに誰も声をかけないわけにはいかない。
 心配するような目で一番最初にアーニャに近づいたのはピィであった。

「ダー……大丈夫です。

心配かけて、ごめんなさい」

 そう言ってアーニャは小さく頭を下げる。
 しかしその表情は、反省の色ではなく、別のものを映し出していた。

(これは、少しまずいな)

 職業柄ピィはそれなりに人の感情の機微には敏感である。
 さらに言えばアーニャの様子を見れば決して良くない状況であるのが、誰からでも見て取れるほどにはっきりしていた。

「大丈夫なら、いいんだ。

社長からは、何を言われたんだ?アーニャ」

 社長は今回のアーニャの処分については誰にも話しておらず、相談すらしていない。
 社員であるピィやちひろも社長室でどのような会話がされていたのかは全く知らなかった。
 何かしらの処分が言い渡されることは二人とも知ってはいるが、その内容の一端すら知らないのだ。

506: 2015/12/08(火) 00:49:59.49 ID:OBJgOl+No

「……お休み、もらいました」

「お休み?」

「ダー……しばらく、ヒーローの活動は、控えるように。

つまり、お休みをもらいました。シャチョーさんも、そう言ってましたしね」

 そう言って、アーニャは微笑む。
 だが明らかに無理したぎこちない表情筋の動きは、それを誰であろうとアーニャの心理状態を理解できるほどのものであった。

「……そうか。

まぁ、仕方ないか。ヒーローを辞めるようにまで言われなかっただけでも、良しと考えた方がいいのかもな。

しばらくの辛抱だ。その間は、戦いから離れてのんびりと過ごすのがいいかもしれないな」

 ピィは少し目線を下に向けて、アーニャの頭に慰めるように手を置く。
 そんな様子を見て、傍らで見ていたちひろも口を開いた。

「そうですね。しばらくはゆっくりするのがいいかも、しれませんね」

「……ダー、わかりました。

お言葉に甘えて、暫くヒーローは、お休み……しますね」

507: 2015/12/08(火) 00:51:04.04 ID:OBJgOl+No

 アーニャは未だ無理のある表情ではあったが、ピィやちひろにはこれ以上どうすることもできなかった。
 彼女がヒーローをするのは、自分がみんなを守れる力を持っていて、それでみんなを守りたいと思ったから。
 15年生きてきて、初めて抱いた願望であり、それが心の主柱であったのだ。
 それが封じられた今のアーニャの気持ちを、他の誰かにどうすることもできなかった。

「そうだよな……。自分で初めて、願ったことなんだから」

 アーニャのことを考えた拍子に、そんな呟きがピィの口から小さく漏れる。
 意図したものではなく、本人でも気付かないほどに小さな呟きであった。
 だが。



「それは、違うわ」



「え、アーニャ?」

 誰に向けたわけでもないピィの独白に返す言葉。
 それは確かに、アーニャの声であった。

「シトー?どうしましたか?ピィさん」

 だがその声の主は不思議そうな顔でピィを見ている。

「……いや、気のせいだよ」

508: 2015/12/08(火) 00:52:23.97 ID:OBJgOl+No

 どうやらアーニャが発したものではないらしく、ピィは気のせいであったと判断する。
 ピィ自身もよく考えれば、先ほどの声はアーニャにしては流暢であった。

「ところで……なのですが」

「どうしたんですか?アーニャちゃん」

 アーニャの発言に、ちひろが答える。
 その確認ができたことをアーニャは確認し、言葉を続ける。

「ヒーローはお休み、ですが……。

アー、私は、何をすれば、いいのでしょう?」

「なにをって……好きにしていいのよアーニャちゃん」

「そうだな。いい機会だし、何かしたいことはないのか?アーニャ。俺たちでよければ手伝うぞ」

 何をしたらいいのか?アーニャの疑問に対して、ピィたちは答える。
 現状、アーニャの心のケアで何もできることがない以上、それ以外のことで二人はできる限りのことをアーニャにしてやろうと思ったのだ。

「スキに……ですか?

ンー……特にないのですが……」

「特にないって、何かあるだろう?

したかったこととかさ。一つくらい何かさ」

509: 2015/12/08(火) 00:53:07.83 ID:OBJgOl+No

「私に、できることは、戦うことだけです。

そうなると、私がしたいことは……みんなを守ること、ヒーローなのですが。

何もないことは、おかしなこと、ですか?」

「そ……それは」

 そのアーニャの言葉を聞いて、ピィは二の句が継げない。

(これは……普通じゃない)

 アーニャが『プロダクション』にきてそれなりに経ってはいるが、ここにきてようやく、この少女の『歪み』を垣間見たと言っても過言ではない。

 これまでに『戦闘』のこと以外に何も与えられてこなかった少女にとってそれは全てだ。
 それ以外のものを持っていないがゆえの、狭窄した選択肢。
 アーニャは『戦闘』のことが主軸としているため、それを利用した『守る』と言ったような行動しか発想できない。
 いくら新たに物を覚えていっているとは言っても、これまでに形成された価値観は絶対的なものであるのだ。

510: 2015/12/08(火) 00:53:44.08 ID:OBJgOl+No

「そ、そうだ!あのメイド喫茶、えーっと、エトランゼはどうですか?

アーニャちゃん。あそこでバイトしてたでしょう?」

 一瞬で張りつめた空気を戻すように、ちひろが提案する。
 実際ちひろのこの機転は功を奏したようで、アーニャは思い出したような顔をした。

「ダー!そうですね、エトランゼでしばらく、お仕事、しましょう。

ずっと不定期でエトランゼのお仕事、してたので……これもまた、いい機会、ですね」

 することも決まったおかげか、幾分かアーニャの表情も好転している。
 そして善は急げと言わんばかりに、アーニャは出口の扉へと向かう。

「では、イッテキ、ます」

「行ってらっしゃい。アーニャちゃん」

「あ……ああ、そうだな。気を付けて行けよ。アーニャ」

 そうしてアーニャは扉の向こうに消える。
 再び事務所の中は静寂を取り戻した。

511: 2015/12/08(火) 00:54:35.14 ID:OBJgOl+No

 今事務所には、社長以外には二人しかおらず、他の皆はちょうどいなかった。
 故に、ちひろの吐いた溜息ですらピィの耳に届くほどに静かである。

「まったく、一時はどうなることかと思いましたよ。ピィさん」

「……いやー、すみません。ちひろさん」

 地雷を踏んだ自覚はあるようで、ピィは小さく頭を下げる。
 そんなピィを横目に見ながら、ちひろは自分のデスクまで歩いていき、その上にあったドリンクを一本ピィへと放った。

「お?おおっと、ありがとうございますちひろさん」

 なぜドリンクをくれたのかいまいち理解できていないピィであったが、とりあえずドリンクのキャップをひねる。
 そんな様子を見ながらちひろは窓の外を見る。
 すでにアーニャは『プロダクション』を出て、目的地へと向かっているだろう。

「なんというか、この『プロダクション』。いろんな人がいますよね」

「そ、そうですね」

 脈絡のない話をしだすちひろに、ピィはよくわからないまま返事をする。

「未央ちゃんや周子ちゃん、紗理奈さんとかものすごい人たち……というか厄介な人もいっぱいいて、こんな会社ひとつで抱えきれるのかなーなんて思ったりもしたんですけど……。

もしかしたら一番厄介なのは、アーニャちゃんかもしれませんね」

「……」

512: 2015/12/08(火) 00:55:26.87 ID:OBJgOl+No

 ピィはそんなちひろの言葉に何も言わなかった。

 赤ん坊に育てるのは困難だ。何でも吸収するその脳に、刻む情報を取捨選択しなければならない。
 獣を人に育てるのはさらに困難だ。野生と言う価値観を、理性と言う思考回路で抑えることを教え込まなければならない。

 だが機械を人に育てるのは最も困難だ。人の多様性をプログラムするということは、それはもはや神の領域なのだから。

 機械仕掛けの少女は、いまだ人への一歩は踏み出せど、人には成れていなかった。

「したいこと……ね」

 今一度、アーニャの言葉を脳内で反芻しながら、ピィはドリンクを口元へと持っていく。
 その隣でちひろが妙なものを取り出したところでその手は止まってしまったが。

513: 2015/12/08(火) 00:56:12.00 ID:OBJgOl+No

「……その妙に俺に似た人形。なんですかそれ?」

「『ピィ君人形』です。晶葉ちゃんが暇つぶしに作ったみたいで、頭を押すと声が出るんですよ」

ポチッ\オイラはピィ/

「その音声はいろいろまずい気がするんですけど……」

 そんなピィの心配を横目に、ちひろは傍らにあったもう1本のドリンクの蓋を開け、躊躇せずに『ピィ君人形』にかけた。



\オイラはピィ/
\オオオオイラはピィ/
\オオオオイララはピピピィ/

\オオオオイラハハハ、ビィィィイイイイイイイ!!!!!!/

 ドリンクをかけられた『ピィ君人形』は氷が水に変わっていくように融解していく。

「なんてもの飲ませようとしてんだちひろさんーーー!!!」

 ピィは口の付けかけた、手の中のドリンクを床に放り投げる。

514: 2015/12/08(火) 00:56:53.56 ID:OBJgOl+No

「ふがいないピィさんに少しイラついてしまったので、ちょっとしたイタズラです♪」

「ちょっとしたどころの話じゃないよ!こんなの飲んだら口の中焼けただれて2メートルぐらい跳ね上がりますよ!!」

「安心してください。渡したドリンクはちゃんとしたもので安全ですから」

「ほ、本当ですか?」

 ちらりと床に放り投げたドリンク瓶をピィは見る。
 中からこぼれてた薬液は、せっかく新調したばかりの床材を溶かし、シュウシュウと湯気が上がっていた。

「やっぱりダメなやつじゃないかちひろォ!!!」




 

515: 2015/12/08(火) 00:57:38.91 ID:OBJgOl+No


***



 雲は太陽を覆い隠し、街から色彩が奪われている。
 グレースケールの空は、この季節ではありふれたものであり、あらゆる輪郭を不鮮明にしていた。

 アーニャは『エトランゼ』へと向かう道中、そんな何気ない空模様をふと見上げてみた。

「じんわり……です」

 春から夏に移り変わるこの季節としてはありふれた天気であり、やや高めの湿度はさほど不快にはならない。
 そんな曇り空は、アーニャには一つのことを思い出させた。

「カマーヌドゥユシェィ……隊長が来た時も、こんな空でした」

 あの日は、今日とは違い雪雲であった。
 ロシアならばそんな雲も珍しいものではなかったが、日本では気候的に雪の頻度は多くない。
 故に印象に残っているのか、あの日窓越しに見た空のことは妙に覚えていた。

「あの日は……いろいろ、ありました」

 足元に転がっていた小石を蹴り、止めていた脚を再び動かしだす。
 隊長の過去、母親の想い、そして自分自身の願いと決意。

516: 2015/12/08(火) 00:58:38.17 ID:OBJgOl+No

 『プロダクション』に多大な迷惑をかけたことなど、決していい思い出とは言わないがそれでもあの一日はアーニャにとっては重要な一日であったことには間違いない。
 あの日があったからこそ、今アーニャはヒーローを続けているのだ。

 だが今回の件で、アーニャはあまりにも無力であった。
 あの義手の女には決意をあざ笑うかのように踏みにじられた。
 守りたい居場所からは、願いを封じられた。

 無力な自分を呪ったとしても、意味がないことは彼女自身がわかっている。
 今更、社長の下した処分に反抗しようとも思わない。
 アーニャは言われたとおりにヒーローとしての活動を自粛するつもりである。

「私は……戦わないなら、何ができるのでしょう?」

 だが彼女は、いま「したいこと」が思い浮かばないでいた。
 これまで戦うことを強いられてきたアーニャにとって、それ以外には何も持ちえない。
 結局戦いから解放された港でのカースとの戦闘以降も、ずっと戦ってきたのだ。

 戦うことしか知らない少女から『それ』を奪えば、何も残らないのは必然である。

 今『エトランゼ』に向かっているのは、あくまでちひろに提案されたからである。
 アーニャ自身他にすることもないので向かっているおり、実際にやりたいことかと問われれば頷けるものではなかった。

517: 2015/12/08(火) 00:59:14.50 ID:OBJgOl+No

 アーニャにとっても『エトランゼ』は嫌いな場所ではない。
 みくや他の従業員とも会えるし、あの店の雰囲気をアーニャは気に入っている。
 居心地のいい場所であり、働いていても楽しい場所なのだが何かが違うとアーニャはたまに思うのだ。

「ヤー……わたしは、ここで何をしているのでしょう?」

 気が付けばアーニャはエトランゼへとたどり着いていた。
 湿気た天気ではあるが、そんなものお構いなしのように今日も店内は盛況の様である。

 そしてやはり、ここに立つと感じる心の片隅に沸き立つ小粒の感情。
 ここに私は、場違いだ、と

 アーニャは裏口に回ると、そこにはメイド服姿の小柄な影。
 チーフは白い棒を口に銜えながら休憩を取っていた。

「おや、アーニャじゃないか。こんな時間に珍しい」

 近づいてきたアーニャに気づいたのかチーフは口に銜えていたものを取り出し、視線を向ける。
 口に銜えていたものは赤い口リポップでありおそらく、イチゴ味であろう。

「食べる?」

 チーフは再び口リポップを口に銜えつつ、エプロンのポケットから新たな口リポップを取り出してアーニャに差し出した。
 それをアーニャは無言で受け取り、包み紙を剥いだ。

518: 2015/12/08(火) 01:00:25.90 ID:OBJgOl+No

(……メロン味)

 緑色のガラス玉のようなそれを口に銜えながらアーニャは『エトランゼ』を訪れた理由をチーフに話す。

「ヒーローの活動が、できなくなったので……しばらくは、ここでお仕事、したいです」

「……ははーん、その顔を見るに、何かヘマをやらかしたな」

「シトー……なんで、わかったんですか?」

「まぁ……さっきも言ったけど顔見ればなんとなくわかるさ。客商売だから、感情の機微はそれなりに敏感な方だよ。

その顔で出てもらうのは少し困るし、隠しようがないってなら、悩みも聞くけど?」

 そう言って、エトランゼ裏口の扉にもたれかかるチーフ。
 じっくりとアーニャの目を覗き込みながら、舌の上の口リポップを転がす。

「ヘマ……失敗をしたの、確かです。でも、大丈夫。

少し休めば、元通り、です」

「……なるほど、ね。

とやかくは言わないよ。ここでの仕事を『お休み』って呼び方はちょっと気になるけどね。

ヘルプでの働き方を言い出したのは私だからアレだけど、それだといろいろ不都合あったからちょうどいいし。

暫くのシフト組んじゃうけどいいよね?」

519: 2015/12/08(火) 01:01:02.50 ID:OBJgOl+No

「ダー……はい、アリガトウ、ございます」

 確かにアーニャは落ち込んではいる。
 ヒーロー活動を禁止されていることは、アーニャにとっての悩みであるかもしれないが、ここで話したところで何かが変わるわけではない。
 それをアーニャは知っているからこそ何も言わなかった。

 ガリリと言う音がチーフの口から聞こえる。
 飴玉を砕いた音の後、口に銜えていた口リポップの棒を近くにあるゴミ箱へと投げ入れる。

「じゃあ行くよ。

とりあえず考え事は後にして、しかめっ面から切り替えな」

 チーフはそう言いながら、店内へと手招きした。

***

520: 2015/12/08(火) 01:02:10.99 ID:OBJgOl+No

 エトランゼの更衣室へと入ると、目につくのは壁面に沿うように並べられたロッカーだ。
 一つ一つに名札がつけられているものの、ここで働いているもの全員でこの膨大なロッカーをすべて使いつぶすことはできないようだ。
 名札の付いていないロッカーもちらほらとみられ、チーフに至っては4つ分のロッカーを占有している始末である。

 そんな典型的な更衣室と言う様相のこの室内には二つの影。

「だーかーらーっ、シシャモとカラフトカペリンはまったく違うにゃ!」

「両者とも大して変わらないと思うのだけど……どれ程の差異だというの?」

 そこにいたのはロングのメイド服に身を包んだのあと、大人しめの服装をした眼鏡の少女。

「マーク・パンサーとジャガー横田くらいちがっ……」

「ニェート……そこまでの違いはないと思います、みく」

 いつもとは少し雰囲気の違うネコミミ少女、みくであった。

「む、その声はアーニャン?なんだか数日会ってないだけなのにずいぶん久しぶりな気がするにゃ」

 みくは更衣室の扉の前にいるアーニャの方へと視線を動かしながら、ネコミミをぴょこりと立てる。
 先ほどまで象徴ともいえるネコミミは髪の毛の中に器用に隠していたようだ。

521: 2015/12/08(火) 01:02:52.09 ID:OBJgOl+No

「……ところで、どうしてそんな話を、していたの、ですか?」

 猫のくせに魚嫌いのみくが、魚のことを会話のネタにしていることは珍しい事であった。
 話の流れを掴めないアーニャはその点に疑問を抱く。

「昨晩、夕飯にシシャモを出してみくがそのことについて文句を言ってきたのだけれど……どうしてそんな因果の会話になったのかしら?」

「そもそものあチャンがお夕飯に魚を出すのがいけないのにゃー!!!」

「ンー……やはりこれは、みくがいけない、と思います」

「まさかの方向からの追撃!?なんでにゃ!?」

「ダー……ロシアにいた時でも、カラフトカペリン、食べてました。

ロシアで、カペリン馬鹿にすると、シュクセイされます!」

「なんて独裁国家にゃ!?」

「これで2対1ね。今夜の晩御飯も魚に決定だわ」

「そんな約束してないにゃあ!?」

「みくの食べたシシャモはできそこない、です。本物のシシャモを見せてあげましょう」

「アーニャンは唐突に何キャラにゃ!?」

522: 2015/12/08(火) 01:03:38.71 ID:OBJgOl+No

「お前らいつまで漫才してる気だ!さっさと着替えてこい!」

 ぐだぐだと漫才をしていれば、更衣室の扉からチーフの声。
 それなりに店内は盛況な為、着替えに時間などかけていられないはずなのにいつまでも更衣室から出てこないからしびれを切らしたようであった。

「みくいじりもここまでね。というかみく、まだ着替えてなかったの?」

「ダー……そうですね。ワタシ、もう着替え終わっているのに」

「二人の相手してたからにゃあ!てかアーニャンいつの間に着替えたの!?」

 文句を言いながらメイド服に着替え始めるみく。
 慌てすぎてうまく服が脱げなくなっていたり、眼鏡がひっかかったりしている。

「まだみくは着替えに時間がかかりそうだし、先に行きましょうか。アーニャ」

「ダー、ですね。……先に行ってます。みく」

「うにゃああああ!!!」

 みくを更衣室において出てきたアーニャとのあはホールへと向かう。
 だがその道中、アーニャはふと疑問に思ったことがあった。

523: 2015/12/08(火) 01:04:34.75 ID:OBJgOl+No

「そういえば……みくは今日、ジミ……ですね」

 いつものみくならば好きなようにかわいらしい服を着てくる。
 今日来ていた服が似合っていないというわけではないが、これまで見た服と比べるとかなり地味な服装であった。

「ああ、あれは特別意味なんてないわ。今日はただそういう気分なだけだったみたい」

 その疑問に対して、この場にいないみくに代わってのあが答える。

「でも……まぁ強いて言うのならば、群衆の視線が煩わしかったみたいだわ」

「……視線、ですか?」

「今の世間は雑多な個性を受け入れてくれる。一昔前のこの国の様子とはだいぶ変わっているみたいね。

でも、それでもやはり自分と違う、明確に他と分かつ個性と言うものは自然と目を引くものよ」

 今の世の中は様々な人種を受け入れる土壌ができつつある。
 人外であろうと、特別であろうと、言葉を交わせる程度のことができれば十分に人々は受け入れる。

524: 2015/12/08(火) 01:05:11.73 ID:OBJgOl+No

 だが、それでも自分と明確に違う『他者』に対して、奇異の視線を向けてしまうことは一種の本能である。
 差別しているわけでもない、排斥しているわけでもない、だがそこに悪意はなくとも『目を引く』というのは被対象には負担をかけるのだ。
 一昔前までは外国人と言うだけで向けられていたこの視線は、現在その方向を変えていたのだ。

 みくは獣人である。最近ではちらほらと目にすることも多くなったある意味ポピュラーな『他者』である。
 その耳は特徴的で、彼女のアイデンティティでもある。

 だがそれでも、自分の誇りであっても、視線と言うものは人を疲労させる。
 だからこそ、みくはたまには休みたかったのだ。その視線から逃れ、『普通』の女の子でいたかったのだろう。

「なんて……こんなところね」

 と、そのような推察をしたのあ。
 みくは口には出さないものの、実にわかりやすい性格をしている。

 それでもここまで察することができるのは、のあの観察眼をもってしてなのか、それとも二人の絆によるものなのかだろう。

「みくも……苦労しているんですね」

「それよりも……」

525: 2015/12/08(火) 01:05:53.33 ID:OBJgOl+No

 のあはみくの話題から切り替えるように、視線を横に向ける。
 その視線はみくの心情を推察したように、アーニャの瞳の奥を覗いている。

「正直のところ、あなたの様子の方がおかしいわ。アーニャ。

貴女は隠そうとしていたみたいだけれど、私の瞳はごまかせないわ」

 見抜く。その不可思議な光を放つように見える虹彩はアーニャに威圧感を与える。
 まるですべてを見透かされているような気になってくる。

「イナーシェ……別に、特になにかあったわけでは、ないです……。

少しお休み、もらいました。ヒーローの活動のお休みを」

 アーニャはありのままを応える。
 特にのあに隠すことなどアーニャにはない。そのはずである。

「お休み……ね」

「ダー、そうです。お休み、もらいました。

だから、こうして、エトランゼに……」

526: 2015/12/08(火) 01:06:38.17 ID:OBJgOl+No

「アーニャ、『休み』というものはふつう休むものよ。

わざわざ働きに来ることを休むなんて言わないわ」

「……それは」

「おおよそ何か思うところがあるわね。アーニャ。

休みをもらったのにもかかわらず、エトランゼに働きに来ているということはおそらく……」

 ほんの断片的な情報しか提示しなかったアーニャであったが、そこからのあは推測を立てていく。

「気を逸らすためにここに来たのだろうけど、勤務態度としてはあまり良くないわ。

恐らくヒーロー活動で何かあったのでしょうけど、あまり気負いすぎるのは下策よ」

 のあの観察眼の前では隠す通すことなど無駄であろう。
 アーニャの状況をほぼ完璧に推察したのあは、その上で言葉を紡ぐ。

「この点については、みくを参考にすべきね。

たとえあなたの抱える悩みがあなた自身に起因するものであっても、折り合いのつけようはいくらでもあるもの。

みくのように、一時でも逃避することは決して間違いではないわ」

527: 2015/12/08(火) 01:07:34.77 ID:OBJgOl+No

 アーニャは考える。
 のあの言う通り、いっそすべてあの義手の女のせいにしてしまうのはどうだろうかと。

「ニェート……」

 だがそれは即座に無意味だと判断する。
 確かにあの義手の女は許せないし、今回の件の元凶はあの女ではある。

 しかしこれは、アーニャ自身の問題だ。
 たとえ義手の女を憎んだとしても、それははけ口になるだけで根本の解決にならない。

 このアーニャの悩みは終わったことなのだ。
 守るべき者たちから守られ、その上で自らの行動を封じられた状況はすでに『完了』しており、結論はついている。

 もはや今の『お休み』の状況が解除されるまでは、アーニャのもどかしさは決してなくならないことは、彼女自身でもわかっていた。

528: 2015/12/08(火) 01:08:42.21 ID:OBJgOl+No

「アー……」

 現状を打開できないことだけがわかったアーニャであったが、ここでまた別の疑問を思いつく。

(なぜ私は、みんなを『そんなに』守りたいのだろう?)

 思えば不自然であった。
 確かにみんなが大切であるから守りたいということは間違っていない。
 だが冷静に考えれば守る必要がない人など考えれば『プロダクション』には何人かいる。

 しかも彼女たちは自分よりも何倍も上の力を持っているのだ。
 故にわざわざアーニャが自ら戦う必要なんてなかったのだ。

(だったら私は、戦わなくてもいいはず。

でもみんなを守りたい。その理由はみんなを守るため。

……あれ?)

 自己矛盾が増幅していく。
 アーニャは自らの基盤が不自然に乖離していく気分になる。
 地に足を着けていない、不安定な浮遊感。

529: 2015/12/08(火) 01:09:19.52 ID:OBJgOl+No
 思考は疑問で埋没し、脳内は処理を超えていく中。

「アーニャ」

 のあの呼びかけでアーニャは意識が覚醒する。

「考え事は後にしましょう。これ以上の雑談は、チーフの逆鱗に接触しかねないわ」

「だ、ダー……そうですね。チーフ、怒らせると、怖いですから」

 のあの呼びかけで冷静になったアーニャは、とりあえずの疑問は棚上げしていくことにする。
 今は目の前の仕事に集中しようと、気を引き締める。

「その前に」

 そんなアーニャの前にのあは顔を近づける。

「の、のあ?」

「客の前に出るときに、物を食べているという姿は不相応よ」

 アーニャの口元にのあは手を当てて、くわえていた口リポップを引き抜いた。
 唾液は糸を引きながら、アーニャから飴玉は離れる。


530: 2015/12/08(火) 01:09:58.12 ID:OBJgOl+No

 そのままのあは口リポップを口に含んだ。

「!?」

 さすがにこの突然の行動に驚いたアーニャであったが、のあはそんなことには意を会さずに口に含んだ口リポップをすぐに引き抜いた。
 それなりの大きさを残していたはずの飴玉は、その棒先にはすでに存在してはいなかった。

「これでいいわ」

 のあはそう呟いて、傍らのゴミ箱に口リポップの棒を放る。
 口リポップの棒は放物線を描きながらきれいにゴミ箱の中に着地した。

「いきましょう。アーニャ」

「そ、そうですね。のあ」

 アーニャはのあの奇行に圧倒されながら、その後についていった。
 だがそんな奇行は、幸いアーニャの思考を一度リセットすることには成功していた。


531: 2015/12/08(火) 01:10:51.00 ID:OBJgOl+No


***


「『メイド特製、ちーずハンバーグ』を頼んでくれるなんてお目が高いにゃご主人様!

このハンバーグははじめに一口メイドさんに分けてくれれば、いっしょに『はい、チーズ』で写真を撮ることができるにゃあ!

え?『みくにゃんはいいです』?なんでにゃあ!?」

 エトランゼの店内はいつも通りの賑わいであった。
 そんなふつうの日常のおかげで、アーニャ自身もだいぶ落ち着いてきた。
 ホールに出たばかりの時の不慣れに見えた接客から、いつもの感覚を取り戻してきたようである。

 少し考えごとをしながらでも接客できるようになってきており、先ほどの疑問にも冷静に向き合うことができるようになっていた。

(良く考えてみれば、別に『プロダクション』が特別なだけですね)

 テーブルの上に残った食べ終わった後の皿を持ちながら、アーニャは考える。
 『プロダクション』を守りたいのは事実であるが、守りたいのはそれだけではない。

 アーニャが守りたいのは日常だ。
 来たばかりのアーニャも受け入れてくれたこの街の人々を守りたいと思ったのだ。

 だからこそのヒーロー活動だと、アーニャは納得をする。
 アーニャの居場所は『プロダクション』だけではない。
 この街こそがアーニャの居場所であり、守るべき場所であるとアーニャは思うのだ。

532: 2015/12/08(火) 01:11:33.64 ID:OBJgOl+No

「すみませーん」

 脳内で納得したアーニャに、近くの声から呼ぶ声がする。

「ダー!今行きます」

 プロダクションから出た時には落ち込んでいたアーニャであったがそれも大分回復してきたようである。
 どうにもならない結果にくよくよしているより、実際に何か行動している方が気が晴れるものだということは大方真実であることが見て取れた。

「定番オムライスと、コーラを」

「ダー、かしこ、まりました。ごシュジンさま」

 注文を受けたアーニャはそれを伝えるべく厨房の方へと向き直る。
 脳内で注文を反芻すると同時に、先ほどの思考を思い出す。

(ここも、私の守りたい場所)

 このエトランゼもアーニャを受け入れてくれた場所である。
 アーニャにとってもこの場所も守るべき場所なのだ。

 だがそこでふと、ひとつの妄想、程度の想像がアーニャの脳裏に湧き上がる。

533: 2015/12/08(火) 01:12:27.68 ID:OBJgOl+No

(もしこの時に、エトランゼに誰かが襲撃してきたら?)

 まるで中学生のような想像。誰もが一度はしたことがあるような空想は、この世の中では全くないと言えない。

(まぁ、あり得ないでしょうけど)

 仮に来たとしても、すぐにそれを沈黙させられる自信がアーニャにはある。
 しかもこの場合はヒーロー活動中ではなく、自分が標的のようなものだ。
 特にお咎めもないでろう。

(この場合なら、仕方ないですね)

 だがそこで、新たな想像がアーニャの脳裏に浮かぶ。

(ここで、私が暴れたらどうなるのだろう)

 逆に、アーニャ自身が襲撃者となってこの場で暴れたらどうなるのだろうか。
 きっと、のあとみくが止めるのだろうとそんな想像をするのだ。
 突如として思いついたこの発想を、アーニャは脳内に思い浮かべた。







    

534: 2015/12/08(火) 01:13:16.02 ID:OBJgOl+No




 だがこれは失敗であった。

 これまでのロシアでの特殊能力部隊では作戦前には脳内でシミュレートすることがよくある。
 それはあくまでイメージでしかないが、それでも実際に行う作戦を脳裏で行うのだ。

 当然その過程で人頃しも伴う。
 脳内で再現された作戦は、意図せずに現実へと影響を与えた。

「……えっ」

 アーニャの手から皿が滑り落ちる。

 たとえ想像上とはいえ、エトランゼに向けられた『敵意』『殺意』はほんの一瞬外へと漏れ出てしまった。
 あまりに不用意すぎるその敵対行為は、まさに虎の尾を踏んだと言っても過言ではない。

 これまでにこの『エトランゼ』は少し変わり者の多いメイド喫茶であるとアーニャは思っていた。
 実際全員の素性をアーニャは知らないし、聞く気もなかった。

 だからこそ勝手な思い込みであったのだ。

『この場に戦えるものはみくと、のあと、私だけだ』と。

535: 2015/12/08(火) 01:14:09.82 ID:OBJgOl+No

「あっ……かはっ」

 うまく呼吸できない。まるで深海に落とされたかのようにアーニャの瞳には光が届かない。
 殺気に当てられた体は思うように動かない。

(ああ……)

―――なんでこんな『化物』がここにもいるんだ?

 アーニャの想像上の中での意図しない殺気。
 その微弱な、プロでさえも気づけないような殺気に対して、店内の何者かは純粋な殺意として返してきた。
 それはあまりにも圧倒的で、途方もない。

(まるで、あの義手の女のような、明らかな敵意)

 決して仕事場の同僚に向けるものではない、自らの場所を侵すものに対しての迎撃行為。

(しかも……何人?)

 その中で、確認できたのは途方もない殺気は、最低限一人。
 周子や、大罪の悪魔にも匹敵するような魔神級の実力者。
 その殺気は、義手の女と対峙した時の比ではないほどであり、脳裏にあらゆる氏を想起させる。

 さらにそれに隠れて複数の『格上』の殺気までいくつかアーニャには確認できる。

 だが、冷静でいられたのはここまでだ。
 圧倒的なアーニャと言う外敵に対する殺気の奔流は、少女の理性では耐えられない。
 これ以上は、アーニャには持たなかった。


  

536: 2015/12/08(火) 01:15:15.16 ID:OBJgOl+No



「あ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」





   

537: 2015/12/08(火) 01:15:42.91 ID:OBJgOl+No





 手に持った皿すら投げ捨て、身に着けた制服も気にせずにアーニャは店内から飛び出した。
 後ろから制止の声が聞こえるが、アーニャの耳には届かない。

 防衛本能は帰巣本能へと帰結し、アーニャは自分の持ちうる可能な限りの速さで、道を駆け抜けていく。
 必然その脚は、自らが住まうアパートへと駆けだしていた。

***

538: 2015/12/08(火) 01:16:19.65 ID:OBJgOl+No

 店内に小さな舌打ちが響く。
 舌打ちの主であるチーフは不機嫌そうに眉間にしわを寄せながらホールの中を見渡す。

「すみませんご主人様。お見苦しいところをお見せしました」

 ころりと表情を変えて客一人一人に頭を下げていくチーフ。
 客の方も状況がよくわかっておらず、チーフの謝罪に応じるしかなかった。

「それと、のあとみく。抜け出すなよ」

「ギクッ!?」

 そろりそろりと裏口へと向かっていたみくは、その声で足を止める。
 のあの方もその場から動いてはいなかったが、すぐにアーニャを追おうとするような雰囲気である。

「それとキヨラも、突然だったとはいえやり過ぎ」

「ごめんなさい。つい反射的に……」

 厨房の方から一人の女性が顔を出す。
 その女性は謝ってはいるものの、特に反省している様子はなさそうではあった。

539: 2015/12/08(火) 01:17:14.78 ID:OBJgOl+No

「まったく……あんなの直接向けられたら誰だって漏らすレベルだって……。

他のみんなもわかったな!」

「「「はーい」」」

 その場にいた何人かのメイドたちが、チーフの声に答えた。
 当然そこで答えた者は、状況を理解しているということなのだろう。

「アーニャに伝えてなかったあたしも悪いが、さすがに『敵意』出さないように気を付けるのは訓練受けてるならガキでもできるだろうに……。

ここであんなことすれば、まぁああなるわ……」

 チーフにも、アーニャの行動がわざとではないことはわかっていた。
 だがあまりにも不用意すぎたその行いは、チーフにはやはり不自然に思えた。

(わざとじゃないとすれば、なんでアーニャは『敵意』を向けたんだ?

『お休み』の原因と何か関連でもあるのか?)

 チーフはアーニャの落とした割れた皿を塵取りと箒で拾いながら考える。
 アーニャの『殺気』の漏れは、結局何が原因かチーフには皆目見当がつかない。

「まぁ……キヨラのあれを感じ取れるほどに敏感な奴は客にはいなかったみたいだし、とりあえずは良しとしましょう」

 この場でアーニャが抱えていた問題を気にしていても仕方ない。
 そう判断したチーフは割れた皿を片付けるべく、店の裏側へと向かう。

540: 2015/12/08(火) 01:17:54.52 ID:OBJgOl+No

「ごめんなさい……私が、軽率だったわ」

 その脚の途中、チーフの背に謝罪の声がかかる。
 チーフが振り向くと、その声の主はのあであった。

 のあの表情はいつも通り読めないものであったが、それでも雰囲気から申し訳なさそうな様子が伝わる。
 その隣にはみくも顔を俯かせながら立っていた。

「はぁ……二人とも仕事を続けろ。何を気に病んでるのか知らないが……」

「アーニャは何か、悩んでいたようだったわ」

 チーフの言葉を遮るようにのあが喋る。
 仕方なくチーフも塵取りの中身をゴミ箱に入れながら小さくため息をついた。

「知ってる。でも問題ないと判断したのは私だ。

責任は私にもある。まぁ次アーニャが来た時には説教だがな」

「チーフの説教を受けるべきは、私よ……。

私が、アーニャの抱えている問題に口を挟んだのよ。アーニャを追い込んだのは……私なのよ」

541: 2015/12/08(火) 01:19:35.52 ID:OBJgOl+No

 のあはアーニャの行動の原因が、先ほどの会話だと思っている。
 アーニャがなぜあのような行動をとったのかはわからなかったが、それでも自分との会話によって引き起こされたものだと思っているのだ。

「だったら、のあも説教だな。アーニャと一緒にだ。

そう思ってるのなら、その後にちゃんとアーニャに謝ればいいさ。

それに正直言わせてもらうが、あれはアーニャが最も軽率だったさ」

 客観的に見れば、いくら知らなかったとはいえ自分でまいた種だ。
 悩んでいておかしな行動をとったのならばともかく、なぜあの場で店に向けて『殺気』を放つ必要があったのかチーフにもさっぱりわからないのだ。

「でも、そんなにアーニャンが悩んでたなんて……

みく、何にも気付いてあげられなくて……」

 のあの隣のみくもそう小さく呟く。

「まったく……みくこそ本当に気にする必要はないな。

エスパーじゃあるまいし、他人の心情を読み取れることは難しいんだ。

本人が何も言わないのなら、他人からはその悩みをどうすることだって出来やしないよ。

どうしてもというなら、次会った時におせっかいでも焼いてやるのがいいさ」

542: 2015/12/08(火) 01:20:31.11 ID:OBJgOl+No

 チーフはそう言いながら、みくの頭に手を乗せる。

「チーフ……。

すごいいいこと言ってる気がするけど、みくと同じくらいの身長じゃああんまり威厳がないにゃあ」

「みく。お前も説教な」

「そんにゃあ!?」

 チーフは笑いながらみくの頭から手を放す。
 そして二人の間を抜けて、ホールの方へと脚を向けた。

「あいにく今日は二人を手を明かせるほどの余裕はない。

だから仕事に戻るぞ二人とも。のあも、さっき私の言った通りだ。気に病むのは後にしな」

「……だけど、本当にアーニャは大丈夫かしら?」

「別に、アーニャだってそこまで子供じゃない。

あまり過保護すぎるのはどうかと思うがな」

 チーフはそう言いながら、みくの首根っこを摘まみつつホールへと向かう。
 のあは、裏口の扉を横目に見つつも、チーフの言う通り仕事に戻ることにした。

543: 2015/12/08(火) 01:21:10.14 ID:OBJgOl+No


***


 どれだけの距離を走ってきたのかわからない。
 アーニャの身体はいまだに恐怖に震えており、殺気は棘のように心に刺さりぬけそうにない。

「……ここは」

 そんな状態の中でも、少しだけ冷静さを取り戻してきたアーニャは周囲を見渡す。
 そこは薄暗い小さな部屋の中で、殺風景だが見覚えのある部屋だった。

「ここは……私の、部屋。

かえってきたの、ですか」

 無意識のうちに、自らが住むアパートに帰ってきていたことを認識したアーニャは息を整える。
 未だにメイド服を着ており、あのまま飛び出してきたことが理解できた。

「アディエジュダ……服、返さないと、ですね」

 そして幾分か落ち着いた心で、これまでのことを思い出す。

544: 2015/12/08(火) 01:22:10.99 ID:OBJgOl+No

「そうでした……。間違えて、敵意を、向けて。

とても、怖い、人が」

 殺気の強さだけなら先日の義手の女すら凌駕していた。
 圧倒的な高密度の敵対意志は、それなりの経験があるアーニャでさえ耐えることができなかった。

「でも……これは、私のせい。

お店を、守るために誰かが私に向けたもの、だから」

 アーニャ自身も今回のことは自身の不用意さが招いたことだということは自覚していた。
 こんな世の中だ。隣の誰かが超人じみた力を持っていることくらい珍しくない。
 そんな中で、殺気など漏らしたのならばあのような結果になることだってあるだろう。

 たとえ元とはいえど、あの『隊長』の下で訓練を受けた者がする失態としてはあまりにお粗末であるとアーニャは痛感する。

「アー……お店の、誰かだったはず。

なら、よかった」

 とはいっても、店に対するアーニャの殺気に反応したということは敵ではないということ。
 そしてその殺気は、義手の女の黒いドロドロとしたものに比べ、まっすぐな外敵に対する排撃の意志をしっかりと含んでいた。

545: 2015/12/08(火) 01:22:46.30 ID:OBJgOl+No

 それは『エトランゼ』を守ろうとする誰かであったことは確実である。
 もしも義手の女のような危険人物が店内に紛れ込んでいたらと思えば、ずっといいのだ。

「そうです。シューコくらい強い人が、お店を守ってくれてるんです。

とても、心強いです」

 今回の件の非は全て自分にある。
 そう思ったアーニャは、座り込んでいた床から立ち上がり窓の外を見た。

「もう夜、ですか。

これじゃあもう、今日は謝りに、いけないですね」

 すでに空には月が昇っていた。
 時間も見ればもう午後の8時過ぎと営業時間も終わっている頃合いであった。

「……突然、飛び出してきましたから、迷惑かけてしまいました」

 正直今回アーニャがしたことは簡単に許されるようなことではない。
 クビになることすらもアーニャは覚悟はしている。

「携帯、電話は……」

546: 2015/12/08(火) 01:24:15.90 ID:OBJgOl+No

 直接店に行くことはできなくとも、電話での連絡はできる。
 アーニャはそう思い、携帯電話を探すが、メイド服のポケットには入っていなかった。

「おいてきて、しまいました……」

 来ていた服はエトランゼのロッカーの中であることをアーニャは思い出す。
 急げばまだエトランゼに誰かいるかもしれないとも考えたが、結局アーニャは足を止めた。

「なんだか、とても、疲れました……」

 先日の義手の女の件に続き、今日の出来事である。
 あまりにも失敗を重ね続けているアーニャは精神的にかなり疲労していたため、その場に座り込む。

「でも、なんでエトランゼに、あんなに強い、人が……」

 アーニャは本来そこまで鈍感ではない。
 みくはともかく、のあはどんな時でも隙がないように、ある程度実力のある人物をアーニャは見分けることができるはずだ。
 たしかに紗理奈や未央のようにそう言った雰囲気を隠す術を持つものもいるだろうが、誰もかれもができるわけではない。

547: 2015/12/08(火) 01:24:54.42 ID:OBJgOl+No

 ましては周子なんかはそういった点に関してはかなり適当である辺り、アーニャが道行く強者をまったく感知できないなんてことはないはずなのだ。

「……日本に来てから、勘が、鈍った?」

 アーニャはふと気が付いた。
 ロシアにいたころであれば、こんなことはありえなかった。

 だが、日本に来てからそういった強者を感じ取れるような勘が鈍っているのだ。
 だからこそ、こっちに来てから『失敗』が増えたのだ。

 もし勘が先日の義手の女の時にあったのならば、絶対にアーニャはあのような無謀はしなかったはずなのだ。

「そんなに、すぐ勘は、鈍るものでしょうか?」

 これまで自覚していなかったとはいえアーニャは客観的な疑問に気付く。
 この勘の鈍りが、つい先日の件くらいのことならまだいい。
 この国の平和に慣れたということなのかもしれない。

548: 2015/12/08(火) 01:25:42.40 ID:OBJgOl+No

 だがこれは、日本に来た当初の、カースとの戦闘の時もそうであったのだ。
 日本での、初めての敗北。
 みくたちがいなかったらどうなっていたのかわからないあの戦闘。

 あの時点で、自らがかなわない相手を相手取っていたとしたら、これは勘が鈍るというには早すぎるのだ。

「あれ?……私は、どうして勘が、鈍った?

ニェート……これは、『勘を鈍らせていた』?」

 無自覚のうちに、アーニャはわざと勘を鈍らせていたのではないか。
 そんな疑念が頭を埋め尽くす。

「ダー……そうです。私は、みんなを守りたかった」

 だから、強者を感じ取らないようにしたのだ。

「みんなが、ヒーローを……私を必要だと、自分が思うために」

 初めから、歪だったのだ。



「だって、……わざわざ、私が率先して誰かを守らなくても……ヒーローはいるから」


  

549: 2015/12/08(火) 01:26:32.26 ID:OBJgOl+No

「そう、街にはヒーローだっている。

『プロダクション』にはもっと強い人がいる。

ましては、エトランゼにすら、わざわざ私が守る必要がないほどに、強い人がいる。

だったら私が、ヒーローをする必要なんてない。

だから、私は気づかないふりをしてきたんだ。

周囲の『ヒーロー』から、意図して視線を外した」

 アナスタシアの行動原理。
 みんなを守りたいから、というのは理由と目的が逆転しているのだ。

 普通ならば、傷ついてほしくないからとか、大切だからとか、そう言ったことが念頭に来るのだ。

 『守りたいから』は理由じゃない。

「そう。私は『守りたかった』、というのが始まりじゃない。

『失いたくなかった』の。この15年を。

戦闘技術の研鑽だけに費やしたこの15年を、平和と言うぬるま湯で無駄にしたくなかったのよ。

私(アナスタシア)」

550: 2015/12/08(火) 01:27:18.63 ID:OBJgOl+No

 背後から聞こえてくる声。

 アーニャはその声を、誰よりも知るその声の主を振り返る。



 そこには窓枠を額とした月夜を背景に、白銀の髪の少女が立っていた。

 何度も見てきたその姿は、座り込むアーニャを月の逆光と共に見下ろす。
 その瞳は、『∞(無限)』が刻まれた赤い瞳。

「だからこそ、それしか持たない私は、15年を失わないために、『ヒーロー』を理由にしてきたの。

だけど、ワタシはそれが耐えがたく許せなかった。

やっと平和に帰ったというのに、戦い続ける私(アナスタシア)が」

551: 2015/12/08(火) 01:28:23.54 ID:OBJgOl+No

 その瞳は『無限の蛇(ウロボロス)』の瞳。
 その瞳の奥を見上げながら、アーニャは尋ねる。


「あなたは……私?」



「そう。私。

ずっと隣にいたでしょう?

ワタシこそが、私(アナスタシア)の初めの願い(ジュラーチ)。

もう、嘘は吐かせない」


 願いは目覚める。
 円環(ウロボロス)は動き始めた。

   

552: 2015/12/08(火) 01:33:50.43 ID:OBJgOl+No
以上です。


期間が空いたことと、スランプではじめと最後の方の文章の質がいまいち違うかもしれませんがすまない……

社長、ピィ、ちひろさん、みく、のあ、清良さんと名前だけ紗理奈、未央お借りしました。

さてこれでまだ序編。あと中編と終編が残っているわけですが、できれば早く投下したいなぁ……(願望)



【次回に続く・・・】




引用: モバP「世界中にヒーローと侵略者が現れた世界で」part12