314:◆EBFgUqOyPQ 2016/10/18(火) 02:23:41.98 ID:nZ3oq+wSo


モバP「世界中にヒーローと侵略者が現れた世界で」シリーズです


前回はコチラ



***


 いつのころからか、とてもおなかが空いていた。



「第――次、細胞移植実験を始める」

 はじめは、沢山の『みんな』を繋げられた。
 その誰もが、痛い痛いと泣き叫んでいて、切り刻まれて縫い合わされてくっ付けられるたび、そのみんなの数だけ痛みは倍増していく。
 いつも頭の中にはみんなの苦痛が溢れていて、そしてあたしも例外なく体中が痛くていつも泣いていた。

 だけどたくさん繋がれていたから、どれがあたしの目なのかわからなくて、仕方ないから出せる場所からはとにかく出した気がする。
 逆にそれはみんなにとっても例外じゃないから、いろんなところからみんな出していた気がする。

 いつも響くみんなの声であたしの声がよくわからなくなっていく。
 ぞうさん、きりんさん、くまさん、おうまさん、とらさん、みんな、みんなみんなみんなあたしにつながっていて、あたしはどれとも違っていたはずだったのに、いつの間にかみんなと溶け合っていた。
 あたしは『何』だったのか、姿がよく思い出せなくなって、寄り集まったみんなと一緒に溶けていく。
 そしてみんなの中にあたしが溶けきったら、それでこのみんなの痛みからあたしは解放されるのかと、やっと楽になれるのかと思ったら。

 どこかの誰かが、いつもその直前で引き上げるのだ。
 いや、どこかの誰かじゃない、誰もが、みんなが、あたしがいなくなることを拒んでいる。
 そしていつも、どうあがいても、その中心に座らされて新たな『みんな』を歓迎しなければならなかった。
----------------------------------------


それは、なんでもないようなとある日のこと。

~中略~

「アイドルマスターシンデレラガールズ」を元ネタにしたシェアワールドです。
・ざっくり言えば『超能力使えたり人間じゃなかったりしたら』の参加型スレ。



315: 2016/10/18(火) 02:24:24.78 ID:nZ3oq+wSo

『僕は――』

『私は――』

 新たに加わるみんなの名前は、あたしの意識に届く前に溶けて行ってしまう。
 もう溶け合って、姿が見えなくなったみんなもいるけど、あたしはいつになってもそこには行けない。
 後から来たみんなに先を越されて、わたしはずっと一人きりで痛いのを繰り返す。

 どうかみんな、あたしを仲間はずれにしないで。あたしもその『中』にいれて。
 一緒に混じって溶け合って、あたしもあたしだけが感じる痛みから抜け出したいから、だから。

『それはダメだよ。なお』

 あたしが頼んでも、みんなはそう言ってなかまにいれてくれない。
 あたしだけがいたいままで、あたしだけが苦しいままで、みんなも感じているはずの痛みは、あたしだけがあたし一人として受けている。
 心を共有できない悲しみであたしは一人涙するのだ。

 もうこんな『椅子』いらない!
 あたしもみんなと一緒になりたい!

「……実験失敗。この程度の戦闘能力もないのでは駄目だな」

 ぐちゃぐちゃ、ばりばり。
 あたしは壊れる。砕かれて、溶かされて、元に戻って、砕かれて。

「あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!」

 あたしは逃げ出した。でも鎖は相も変わらずその椅子につながっている。



 

316: 2016/10/18(火) 02:25:05.33 ID:nZ3oq+wSo



「これも一応素体は人間だ。であるならば『原罪』は必ずある。

ならばそれを一つ一つ呼び起こしていけばいい」

「暴食の核、移植実験を行う。なお本実験はこのイチノセの指揮の下で行い、緊急時にはコロナ・プロセスによる終了手順に則る」

 随分と久しぶりに、なかまが入ってきた。
 いや、それは仲間なんかじゃない。形はなくて、とても暗くて、誰もが持っているもの。

 空気のようにかたちのないそれは、すぐにあたしの中に充満する。
 みんながそれに晒されるたびに騒ぎ出すのだ。

『お腹空いた』

『ご飯食べたい』

『ああ、痛い。空っぽのお腹がいたいよ』

『もっと、もっと、足りない。足りないの』

 たまらなく、おなかが空いてくる。
 なんだか久しぶりに目を開ける。ああ、まわりはご飯でいっぱいだ。
 あたしは『誰』だっけ。まぁいいや。みんなで食べよう。

『僕はこれ』『私はそれ』『じゃあぼくはこれ』

 みんながみんな、思い思いにご飯を食べる。
 ああ、でも足りない。まだ足りない。あんまりおいしくないけど、この空腹は口の中に唾を出し、文句も言わず食べ続けろとあたしに指示する。
 この目はおいしい。脚はあんまりおいしくない。腸は歯ごたえがあって癖になる。耳は苦手。心臓は特に大好き。

317: 2016/10/18(火) 02:25:42.41 ID:nZ3oq+wSo

「おええええええええええあああああああ、げほ、あ、あ、あ……」

 いやだいやだいやだいやだいやだ。
 あたしはホントはこんなもの食べたくない。
 食べたものを吐こうとしても、空腹は満たしたものを一片たりとも逃さず、口からは何も出ない。
 そしてまた、吐いた唾さえも舐めとってしまいそうな気になって、近くの肉を口に運んで、食べて、押し込んで。

「実験失敗。拒絶反応でアポトーシスを起こしている。すぐに再生はしているが自分で壊して自分で回復する機能に何の意味があるというのだ。

これはとんだ無駄骨だな……。これで『究極』の一端とは。もともとが陳腐な言葉ではあるが、実にこれでは呆れ果ててしまいそうだよ。

仮に他の『罪』をつけてもあまり意味はなさそうだ。……やはり自発的に目覚めないと駄目か。

……とは言うものの、時間はない。ここらが潮時か。後のことは所長に任せて私はいつも通り失踪するとしよう」

 食べたい、でももう食べたくない。誰か、あたしのこの満たされない『思い』を満たしてほしいの。

 いまのあたしにあるのは心臓下の洞穴とその穴から絶えず響く空腹を喘ぐ絶叫。
 視界不良はずっと続いていて、光が見えない。

 ああ、いつか見たあの光をあたしにください。いい子にしますから、どうか。




 

318: 2016/10/18(火) 02:26:19.49 ID:nZ3oq+wSo



「ええい、どこへ行ったイチノセ博士は!?

データもない?どういうことだ!ふざけるな!追え、所長権限だ!今すぐに!

……ああ!?今度はなんだ?

何!?宇宙管理局の船が接近しているだと?くそ、なぜバレた……?

ああ、くそ。あの博士感付いて真っ先に逃げたか!……ああ、くそが、くそがくそがああああ!!!」

 今日はなぜだか一段と騒がしい。
 今日のご飯はおいしくなかった。そんな気がする。あれ、これは今日のことだったっけ?
 まぁいいや。おなか、すい

「ああああああああああああああああああああ!」

 ああ、いやだ。あたしはおなかなんて空いていない。
 みんなどこ?あたしを一人にしないで!あたしを置いていかないで!

 数刻前に食べたはずの中身が消えてしまった空っぽの胃袋は、狂おしいほどの渇望が沸き上がる。
 体中の黒色は、あたしの体を侵食するように食い込んでいる。
 いつも周りには、こっちを見る誰かの目が数多。
 どれくらい経過したかわからない時間は、あたしの中の孤独と飢餓を化膿させて頭の中にまで蛆のように這いまわる。

319: 2016/10/18(火) 02:27:10.53 ID:nZ3oq+wSo

 いやだいやだ。うるさくしないで。そっとしておいて。
 あたしはもう何も食べたくない。肉も野菜も魚も人間も、もう沢山。

「誰か……助けて」



「突撃用意!」

「……ようこそ。我らの最高傑作のショーへ!」

 あたしの前に誰かが来た。お願い。そっとしておいて。
 お願いだから、あたしの前に『食べられるもの』を出さないで。
 どうせ救われないあたしは、このまま居なくならせて。

 あたしは暗闇に慣れてしまったその瞳を前に向ける。
 みんなが見てる。彼らを見ている。そう、みんな同じ人を見た。
 黒色に塗りつぶされた光彩に走る鈍痛に似た刺激。
 あまりにも眩しくて、おもわず目を閉じてしまいそうになったその姿。

 あたしはそのとき、きっと光を見たのだろう。



 

320: 2016/10/18(火) 02:27:41.15 ID:nZ3oq+wSo



***


 疾走する奈緒の背を追尾してくる髪の蛇頭は幾重にも編み込まれた暴食の触覚だ。
 蛇頭の顎は逃げるその背を捕らえようとする寸前で奈緒の疾走のほうが上回り、直前の床材を砕くに終わる。

 だが執拗に追ってくる蛇頭に切りはない。一つが仕損じれば、別の蛇頭がさらに奈緒の肉体を捕食せんと追い立てる。
 当然奈緒の背後から追うだけでなく、あらゆる方向からも蛇頭は奈緒を攻め立てる。
 時には進行方向正面。時には挟撃。時には上方。そしてさらには全方位から。

 だが奈緒も捕まるわけにはいかない。半ば意地によって保たれている全力疾走は、獣のそれと同等に近い。
 そしてそんな中でも冷静に戦況を把握しつつ、『単調』な蛇頭の動きを紙一重で躱していた。

「くっそお……しつこいんだよ!」

 脚で床面を蹴り返し方向を反転、そして向かい来る蛇頭を両腕の虎の爪で切り伏せながら悪態をつく奈緒。
 奈緒が蛇頭の本体である『カース』ことウルティマ・イーターの方へと目を向ければ、切り伏せられた蛇の髪は泥となって地面を這って行きウルティマの足元の泥の水溜りへと帰還、そして新たな蛇頭が奈緒の方へと向かってくる様子を目にした。
 その様子から、いくら蛇頭を切り離しても、それは泥となってすぐに主の元へと帰還し再生することを表していた。
 仮に、このサイクルを止めようと思うのならばおそらく浄化の力によって還元される前に泥を蒸発させなければならないだろう。
 だが、それが可能なきらりは奈緒の視界の片隅、壁にもたれかかって気絶している。

「いくら油断してたからって、本当に失敗だよ……。あたしがもっとちゃんと気を張っていれば」

321: 2016/10/18(火) 02:28:12.80 ID:nZ3oq+wSo

 そもそも4人で同時にウルティマに攻撃すれば、このような劣勢にはならなかったかもしれないと奈緒の脳裏によぎる。
 実際、いつものように4人で協力していれば確かにウルティマは強敵であるもののここまでの苦戦は強いられなかったはずだ。

 だが所詮は過ぎたことだ。今この場でウルティマに相対しているのは奈緒だけである。
 きらりと李衣菜はこの同盟本部一階のホールの片隅で戦闘不能になっていた。

 そうした意味で幸いだったのは、動けない二人がウルティマの標的になっていないことである。
 ウルティマの攻撃物量は膨大であり、その獣性は脅威である。だがそれは単純な思考しかできないことであり、一度経験したことには無条件に慎重になってしまうことであった。
 単純に言ってしまえばウルティマにとってきらりと李衣菜は『触れたくない』のである。
 きらりは常時浄化の力を身にまとっているようなものであり、李衣菜は電撃を発することができる。
 触れられない浄化と触れれば自らに降りかかるかもしれない電撃はそれだけでウルティマへの牽制となっていた。

「だからって、事態は好転しないんだけど、も!」

 だが二人が戦えない事実は健在だ。今でこそウルティマの標的は奈緒に絞られているが、いつ他の二人に移るかもわからない。
 奈緒は出来るだけ注意をそらそうと大ぶりの動きをするが、それはただ悪戯に体力を削っているだけかもしれない。
 このままではじり貧なのは奈緒も理解している。ここでウルティマの本体へと切り込むかどうかを思考する。

『奈緒、下だ!』

 視界に映る蛇頭はすべて把握していた奈緒だったが視界の外であるその攻撃は、そのままであったなら一瞬の思考の隙をつき確実に奈緒の懐へと届いていただろう。
 だがその突如耳元に聞こえた声に反応し、その場を飛びのいた奈緒が目にしたのは足元の床を貫いてきた蛇頭が一つ。
 間一髪回避した奈緒は、追尾してくるその蛇頭を蹴り千切り、バックステップの勢いを頃すように床を滑りながら静止した。

322: 2016/10/18(火) 02:28:49.07 ID:nZ3oq+wSo

「夏樹!?無事なのか?」

『まぁ……完全に無事とはいいがたいけど、アタシは十分に健在さ。

そっちの状況は……良くはないか』

 奈緒が視線を横に向ければ、そこには浮遊するアイユニットが存在する。
 それは夏樹の視界でもあるアイユニットの一つであり、夏樹の声を届けることができる唯一の通信機能付きのものである。

「無事じゃないって、そっちはどうなんだ?」

『アイユニットがほとんどやられた。こっちの視界を確保するために手元に一つ、そっちの状況を観察するために忍ばせてるのが一つ、それと今奈緒の隣にあるやつの合計3つだ。

ほんと、こういうことになるんなら予備作ってもらっておけばよかったよ。でもまぁ四の五の言ってらんないけどさ』

 複数のアイユニットから成る夏樹の視界は確かに強力だが、外付けであることは弱点でもある。
 人間の眼球のように体の一部ではないため攻撃されたときに自営の手段がなく、すべて破壊されてしまえばそれこそ戦闘不能と変わりはない。
 よってこれ以上視界を減らすような不用意な行動が夏樹には出来ないことを表していた。
 当然アイユニットからのレーザーはなるべく控えるべきであることもだ。

「つまり負傷とかは無いってことなんだよな?」

『ああ、そこについては問題ないよ。まぁアイユニットはわりかしコストが高いらしいから技術部の人たちには迷惑かけることにはなるけどな』

「それこそ、必要経費ってもんだろ。とりあえず無事なら何よりだよ」

323: 2016/10/18(火) 02:29:20.83 ID:nZ3oq+wSo

『とはいっても、これ以上はサポートする程度しかできないから、奈緒には負担をかけることになっちまうな』

「それくらい、問題ないって。というかそれよりも、きらりと李衣菜を何とかできないか?」

 いつまでもお喋りをしていられるほど敵も甘くはない。奈緒は再び迫りくる蛇頭を両手の爪で切り裂きながら夏樹に頼む。
 未だ標的は奈緒に絞られているが、いつその矛先が倒れ伏すきらりと李衣菜に向くかわからない。
 李衣菜は比較的頑丈なので態勢さえ整えれば十分に戦線復帰は可能だろうが、巨腕に好きにされたきらりのダメージはより深刻であろう。
 このままロビー内に放置しておくのは良くないことは明らかであった。

 だからこそ夏樹のワープホールならば二人をこの場から離脱させることは容易であろうと奈緒は提案したのだ。

『わかった!それくらいはできるさ』

 夏樹が答えた瞬間、李衣菜の足元に黒い穴が開く。
 夏樹は天井付近に待機させている一つのアイユニットで李衣菜の位置を把握しており、ワープホールの中に李衣菜が落ちていくのを確認する。

『オッケー!だりーは回収した。次はきらりだ』

 当然きらりの位置も把握しており、夏樹はきらりをこの場から離脱させるべく再びワープホールを生成しようとする。




「ッ!?」
『これは!?」

324: 2016/10/18(火) 02:30:17.39 ID:nZ3oq+wSo

 だがその前に二人を襲ったのは全身に走る悪寒だ。
 背筋に氷柱を入れられたかのように走る感覚は、危機感による警鐘である。
 それは周囲から大量の視線が自分一人に向けられているような、群れを成した獣の群れの標的にさせられているかのような全身を貫く視線。
 そしてそれは紛れもなく現実であり、ウルティマから伸びる黒い影は間違いなくこちらを見ていたのだ。

 奈緒の方を、夏樹の方を、そしてきらりの方を。

『何処ヘ……イクノ? アタシヲ、マタヒトリニスルノ?』

 黒い泥から覗く数多の眼に夏樹の判断は一瞬遅れてしまった。

『しまっ――』

 気が付いた時にはもう遅い。状況を俯瞰していた天井近くの夏樹のアイユニットを取り囲むように迫りくる髪から伸びたいくつもの蛇頭。
 その顎はアイユニットを粉々に破壊するために牙をむき出しにして迫りくる。

『くそっ!』

 蛇頭に囲まれたアイユニットによる苦し紛れに放ったレーザーは、回転しながら取り囲む蛇頭の胴を焼き切った。
 だがすべてを切り裂く前に、届いた一本の牙がアイユニットに掠りその飛行機能に損傷を与える。

『これ、は――』

 そして落ち行くアイユニットが最後に移した光景は、混じりけのない黒色だった。
 いつの間にはロビーの天井に存在していた黒い影から現れたのは同じように漆黒の一匹の獣。
 獣がその大顎を開いて落ち行くアイユニットを追いかけるように丸呑みした。そしてその視界が最後に移したのは光さえ届かない深い闇。

 だがその中身は一色の黒ではなく、ひどくその色は寒々しい。
 わずかな視界の中で夏樹が感じたそれは、『あの』少女の孤独と、耐え難い飢えの一端だった。

325: 2016/10/18(火) 02:30:43.66 ID:nZ3oq+wSo

「ほんとに、なんでこんな!……きらり!」

 夏樹が深淵を覗いている一方で、奈緒は全身に泥の装甲を身にまとう。
 その姿はウルティマが初めにしていた黒い泥を纏った獣の形態と似たものであり、周囲に禍々しさを放っていた。

 奈緒的にはこの姿は狂気に満ちすぎていてヒーロー地味ていないということであまり好きではない。
 だがこの状況で姿形がどうのこうのなど言っていられなかった。『視線』に敏感な奈緒には気づいたことがあったからだ。
 ただあのウルティマの視線が、自分や夏樹のアイユニットだけに向けられているのならまだよかったのだ。
 問題なのはあの瞳が未だ気絶したままであるきらりを標的に定めたことであった。

 それは無抵抗なきらりへと大量の蛇頭が迫っていることを示していた。
 だが当然奈緒の方へも行く手を阻むように雪崩のような蛇の頭が迫り来ている。
 ならばこそ、それさえも突破できるほどの貫通力のある攻撃が奈緒には必要だった。

「うう――うおらああああ!」

 異形の獣の姿となった奈緒は雄たけびを上げながら、蛇頭の群れへと突進する。
 巨体に似合わぬその速度は、食らいついてくる牙をまるで物ともせず置き去りにして、容易に包囲網を突破した。
 奈緒は全身が凶器と化した暴風となり、千切れ泥へと回帰する蛇頭を置き去りにしながらきらりの前へと躍り出る。

「やらせる、かぁ!」

326: 2016/10/18(火) 02:31:20.49 ID:nZ3oq+wSo

 きらりを標的として向かっている蛇頭は前方のあらゆる方向から食らいつくさんと迫りくる。
 奈緒だけならばどうとでもなるが、後ろにきらりがいるとなれば話は別。放射状に迫ってくる蛇頭の一本でも後ろにいるきらりの元へと届かせるわけにはいかなかった。
 多様な軌道を描いてくる攻撃には、今の奈緒ではあまりにも手数が足りない。

「足りないなら、増やせばいいだろ!」

 思い浮かべるは目の前のウルティマが初めに行っていた泥の腕。
 その巨腕はロビー内の逃げ惑う人々一切を捕縛し、食らいつくそうとした暴食の魔手。
 ゆえに、手形らないのならば増やせばいい。単純明快な答えであり奈緒はつい先ほど見た『手』のイメージを基にこの場を対処できる手数を形作る。

(巨大な手じゃ強力だけど隙が多すぎる。じゃあ小さくて、その分数を足せばいい!)

 異形の獣の姿をした奈緒の纏った泥はさらなる変異を始める。
 背中が泡立ち、鋭利な爪を備えた強靭な腕が新たに4本生成され、奈緒の姿は獣よりもさらに禍々しい六手の魔獣へと変貌した。
 その姿は醜悪であり、まさに鬼とも悪魔とも形容できる魔性の容貌。
 だがこの際見てくれなどにかまっている余裕などない。

「まったく……こんな姿じゃどっちが悪だかわかりゃしないって。

だけど、仲間を守るためなんだから見た目くらい多少は仕方ないよな。だって大切なのは誰かを思う心だって!」

 後ろで倒れ伏せる心優しき少女ならこういうだろう。見た目とか行動とか目に見えるものだけが大切なのではない。本当に大切なのは何かを思う心であり、心があるからこそそれが現実に反映されるのだと。
 ならば奈緒も、今はきらりが大切だからこそ今ここで守っているのだ。そのためならば多少見た目が悪くても、結果が付いてくるのならば問題はないと判断する。
 自分を救ってくれたこの少女をこれで救ってお相子などというつもりもない。
 奈緒がこの場に立つ理由として、きらりが大切な友達であるだけで十分なのだ。

「うおおおお、らああああああぁ!』

327: 2016/10/18(火) 02:32:03.51 ID:nZ3oq+wSo

 異形化した泥は奈緒の雄たけびさえも正しく反響させず獣のようになって伝わっていく。
 新たに増やした腕は、今も休むことなく動き続け依然迫りくる蛇頭を一切余すことなく切り伏せていた。

『そうだ、あたしがみんなに救われた』

 奈緒をあの絶望の底から手を差し伸べて、救ってくれたのは彼女たちだ。
 今があるのは彼女たちのおかげであり、それによって幸せとも言ってもいい平穏を過ごせている。

――だから、奈緒だけで、幸せになんてさせない。

 いつかどこか誰かに耳元でささやかれたその言葉。
 奈緒は全神経を張り巡らせ、一寸の予断も許さない攻防の中で、一つの思想を巡らせる。

『確かにそうだ。あたしだけが幸せになっていいわけがない。

不幸だったんだから、それまでのツケでこれからは幸せ一辺倒なんて、虫のいい話だよな。

だからあたしは思うんだ。みんながいる。平和の中に誰かがいる。あたしは幸せだよ。何物にも代えがたい仲間と、尊敬できる人、いろんなものに恵まれてるから。

あたしは幸せでいっぱいだ。だったら、みんな誰もが幸せじゃなきゃ不都合だろ』

 奈緒はまともな感性を持った少女だ。誰かと比較して自分の優位を悦に浸るような性格でもないし、誰かの不幸を見てあざけるような性悪でもない。
 ならば自然、ほかの誰かも幸せなほうがいいし、自分の幸せが共有できるのならそうするべきだと考える。
 誰かを守るのだって、その誰かの安寧と幸福を守る行為だ。いくら自分の力が醜くても、結果としてそれができるのならば奈緒はそのために尽力する少女だ。

『だから……みんな幸せになれるなら、そうあるべきなんだ』

328: 2016/10/18(火) 02:32:31.34 ID:nZ3oq+wSo

 そして前方、未だ空腹を喘ぎ狂気に落ちたままのウルティマ・イーターと称される少女を見て小さく問うのだ。

『だってお前、そこは暗いだろ?』

 六手の魔獣は包囲するように迫りくる蛇頭を捌きながら、眼前先の痩せこけた少女をまっすぐ見据える。
 少女の足元に流れ出る黒い泥は抱えた闇そのものだ。
 何よりも深く、そして底なしの狂気を孕んだ深淵の先を奈緒は知っている。
 そこは何よりも暗く深く、そして何物でも満たされない孤独の箱庭であることをだ。

『アタシは、確かに見たよ。あの子の闇を』

 奈緒の隣には追い付いてきた夏樹のアイユニットが漂う。
 天井付近にあったもう一つのアイユニットがウルティマの泥の獣に食われてからしばらく自失していたが回復したらしい。

『凍えるように暗くて、ずっと苦しい。

誰もがそこにいるんだが、誰もあの子を気に掛けない。

誰も反応しない他人なんて、それこそ孤独と一緒だ』

 少女を見ているのは数多の瞳だ。
 だが誰もが見て、囲むだけで触れようとしない。声にも答えずただそこにいるだけだ。
 反応もなく無抵抗に静止しているだけ。ならば少女から動くしかない。

329: 2016/10/18(火) 02:33:09.99 ID:nZ3oq+wSo

『満たされないなら、食べればいい。

誰も一緒じゃないのなら、一緒になればいい。

その果てがあの自傷自食なんだと思う。

あの髪は蛇というよりも他人と一緒になるための捕食器官。そしてあの足元に広がっている泥こそが心であり胃袋、違うか?奈緒』

 夏樹は未だ必氏に複数の手を動かす魔獣に問いかける。
 その異形が奈緒であることは夏樹にはなんとなくわかっていたため、その理由を問うことなく話を進める。

『あんまりこの姿は見られたくなかったんだけど……ありがとな夏樹。

んで、夏樹の考えは多分あってるよ。あの髪の毛はあたしにはないから断定はできないけど、泥についてははっきりといえる。

これはあたし『たち』が溶け出したもので、あたし『たち』そのものだ。カースの感情エネルギーが泥となってるんだから、あたしのこれも感情であり心だよ』

 今、奈緒が身にまとう魔獣の鎧も、奈緒の心が成した一つの心の形だ。
 キメラとして設計された本能が作り上げた合成の獣の貌である。その姿は部品(パーツ)の組み合わせ次第で何百通りもあり様々な怪物の姿となれるだろう。

『だけどあの子にとっては心だけでなく、ため込む場所、胃袋としての役割が強いんだと思う。

だから髪の毛で捕食している間は、身に纏うんじゃなくため込む場所としてあんな感じで『沼』みたいになってるんだ』

 ウルティマの足元で波面を打つ泥の沼はその身に宿る狂気を出力する場であると同時に捕食器官の行く末である。
 あの先こそウルティマを満たすためにかき混ぜられたカオスの瓶であり、ウルティマに届く唯一の道筋だ。

330: 2016/10/18(火) 02:33:40.18 ID:nZ3oq+wSo

『そしてあの子は、多分あたしだ。理由とかは分かんないけど、あの研究所のことだし『こんなこと』があっても不思議じゃないよな。

……だからこそさ、あの子のことをあたしに任せてくれないか?夏樹』

『奈緒?どうする気だ?』

『もしかしたらあたしもあんな風になっていたかもしれない。

みんなに出会わなければ、ずっと一人で満たされないまま食べ続けていたかもしれないんだ。偶然かもしれないけど、みんなに救われたから今のあたしがある。

だったら今度は、あの救われていないあたしに教えてやらなくちゃ。外の光が当たるところに、連れ出してやるんだ』

 あの暗い水底を知っている奈緒だからこそ、その手を差し伸べたいと思うのだ。
 地獄はもう沢山だ。ならば今度は自分がその手を引いてそこから連れ出してやるのだと。

『策はあるのか?奈緒』

『大丈夫。それよりも、その後のことを少し、頼みたいかな』

「ん……?んにゅぅ……」

 そんな時後ろに倒れていたきらりから小さくうめき声が上がる。
 きらりはようやく目を覚ましたようで、周囲を確認しながら目の前の巨大な背中を見上げる。
 きらりの視界に映るのは、六つの腕を備えたこの世の物とは思えぬ醜悪な魔獣。
 だがきらりは一切狼狽えることなく、安心した視線を向けていた。

331: 2016/10/18(火) 02:34:13.25 ID:nZ3oq+wSo

『悪いけどきらり、あたしにはあの子を連れ出してくることはできるけど、癒してやることはできない。

あたしにとっての光は道しるべにはなれるけど、きっとあの子の孤独を満たすことはできないと思う。

万全じゃないだろうけど、頼めるかな?』

「うん、わかったにぃ。奈緒チャンも、頑張って」

 目の前の魔獣から提案される案を、二つ返事で引き受けるきらり。
 今の状況を完全に理解したわけではないが、それでもその声が自分の友達のものであることが十分な理由であった。

『アアアアァ……サミシイ、クルシイ、オナカスイタアアアアア!

ナンデ、ナンデナンデナンデナンデナンデ、アタシヲヒトリニシナイデエエエエエエェ!』

 以前一歩も引かない奈緒にしびれを切らしたウルティマは己の感情を載せて咆哮を上げる。
 爆発的に増大する髪の毛は一本一本が複雑に絡まりあい、八つの蛇頭、否、竜頭となって満たされぬ空腹のためにその大顎を開く。

 そして足元の泥の沼も同様に広がっていき、同盟ロビー全体を漆黒で覆いつくした。

『アタシヲ……満タシテ』

 そして光の差さぬロビーの中、埋め尽くした暗闇が開眼する。
 数多の瞳が揃って渦中にいる奈緒たちの方を見つめていた。

332: 2016/10/18(火) 02:35:09.33 ID:nZ3oq+wSo

『これは……あの時と同じ』

 夏樹はこの光景に見覚えがあった。
 かつてあの忌まわしき研究所で、奈緒を見つけた時のこと。沢山の獣の瞳が此方を睨み、沢山の研究員たちが黒色に飲まれていった。

 そしてこれはこれまでの直接的な攻撃ではなく、本当の意味でウルティマも決着を付けに来ていることは明らかであった。

『知っているよ。そこは寂しくて、苦しくて、絶対に満たされない。

だから、今度はあたしが、お前を『底』から連れ出してやる!」


――わかったよご主人様。ここは任せて。
――その言葉を、その意思を、僕たちは、私たちは待っていた。


 魔獣の腹から、泥をかき分けるように奈緒が飛び出す。
 そしてその場に残った泥の魔獣は形が崩れることなく姿を維持したまま迫りくる八つの竜に相対した。
 魔獣は主をその中に宿さぬまま、機敏に動く。

 まず二本の竜頭を抱える世に掴み脇でへし折り、千切り捨てる。真正面から来た竜頭をその手の狂爪で輪切りにした。
 だが一本の竜頭が魔獣の頭に食らいつき、引き裂こうと力を籠める。

 泥の魔獣は二つに分裂して、その咬合から逃れ、二体の獣人に分裂した泥は動きを揃えるようにその竜頭を蹴り貫いた。

 しかし、遅れて迫る二つの竜頭がそれぞれの獣人の巨躯を貫き、そのまま体を持ち上げた。

『グ、グオオオオオォ!』

333: 2016/10/18(火) 02:35:44.10 ID:nZ3oq+wSo

 体を貫かれた獣人はもがきながら竜頭に爪を立てて、姿を崩す。
 だが巨大な黒い泥に黒い泥に戻ったかに見えた二体の泥の獣人は、そのまま崩れることはなかった。

『『『グ、グルアアアアアアァ!』』』

 獣人の泥は形を崩した後、沸き立ち、その中から大量の獣が這い出てくる。
 その獣たちは各々が竜頭に食らいつき、暴れるその首を多勢によって抑えつけていく。



「うおおおおおお!」

 一方でウルティマの元へと一直線に駆け出す奈緒に立ちふさがるのは、残る二本の竜頭。
 その大顎は、奈緒を一飲みできるほどに巨大であり、一つの竜頭がその大口を開けながら奈緒の前方から迫りくる。

「そこを、どけぇ!」

 奈緒はその大口を回避しつつ、右手に備えた鋭い泥の爪で竜の頬を割きながら前進する。
 だがその攻撃は巨大な竜頭にとっては微々たるものであり、切り裂かれた髪の繊維の断面から、小さな蛇頭が新たに奈緒に向かってきた。

「絡み、付くな!」

 奈緒は自身に纏わりつくように追ってくる蛇頭に対して、弾丸のように回転しながら飛び跳ねる。
 構えた爪は回転によって纏わりつく蛇頭をすべて切り伏せ、着地した時に足元の泥が撥ねた。

――オオオオオオオオォ!

 だが着地の際の一瞬の静止は、相手にとっても十分な隙である。
 巨大な物体が動くことによって風を穿つ音は、唸り声のようで不気味な低音となり響く。
 もう一つの竜頭は真上から奈緒を丸呑みし、そのまま頭を再び天井付近まで持ち上げた。

334: 2016/10/18(火) 02:36:17.10 ID:nZ3oq+wSo

 しかし、髪にはさみを入れるような軽い音と、何かが駆ける音が小さく鳴っている。
 奈緒を飲み込んだ竜頭は動きが不自然になり、その体に数多の亀裂が刻まれていく。

「おらああああああぁ!道を、開けろぉ!」

 そして竜頭の胴を切り裂いて、奈緒が中から飛び出してきた。
 空中に投げ出された奈緒が目指すのは、一点。ウルティマの元である。

『クルナ……来ナイデエエエエ!』

 その両腕に鋭利な爪を備えた奈緒の姿が脅威に映ったのか、ウルティマの口から洩れるのは拒絶の言葉であった。
 ウルティマの足元から数体の獣が飛び上がり、奈緒の進行を阻止しようと迫る。

 だが、奈緒は不意打ちならばいざ知らず、正面からくる攻撃に遅れはとらない。
 空中であろうと関係なく、的確に獣を切り伏せ、その突進を往なし、奈緒の勢いは全く止まらない。

「今、そこに行くぞ!」

『……ヒッ!』

 その爪はウルティマへと迫り、小さく悲鳴を上げる。
 だが奈緒は攻撃することなく、ウルティマのすぐ手前、足元の泥に向かってそのまま飛び込んだ。

335: 2016/10/18(火) 02:36:46.31 ID:nZ3oq+wSo

 本来その泥の沼は、決して深いものではなく水溜りと大差はない。
 しかし、ウルティマの足元だけは例外であり、そこはウルティマの心の源泉であり混沌の中心であった。
 その深度は、底なしの如くであり、満たされた泥は強酸のように取り込んだものを同一化するために溶かし始める。

「まだだ。もっと、もっと深く。もっと先へだ」

 奈緒は全身に泥を身に纏い、ウルティマの泥の中を潜っていく。
 普通ならば取り込んだ異物を溶かし始める暴食の泥だが、奈緒の纏った泥は水と油のように弾き泥の浸食を抑えていた。
 それでも一切呼吸は出来ず、見通しの悪く粘性の高い泥は奈緒の行く手を阻む。

「暗い、冷たい、この泥の先。

あたしは知っている。これらが何でもあり、何でもない、決してあたしを満たさない不純物であることを。

そしてこの先、この最も奥底で、あたしは居続けた。この泥はみんなであり、だれでもなく……そしてあたしだ」

 そして今奈緒が潜っている泥は、思っていたよりも深いことに気づく。
 それは、ウルティマの闇が奈緒よりも深いことを表しており、当時の奈緒を凌駕するほどにウルティマが悪化していることであった。

「……ま、だ……まだ、だ。

深いから、なんだ……酷いからって、どうしたって、いうんだ……。

あたしの孤独より、深くたって……みんながくれた、あたしの幸せより、ぜんっぜん浅いんだよ!」

336: 2016/10/18(火) 02:37:12.78 ID:nZ3oq+wSo

 泥をかき分けた先が、ウルティマの最も深いところに触れる。
 それに気が付いた奈緒は全身の力を振り絞って、体を前に進め、孤独の玉座へと挑んだ。
 だが所詮はここまでの泥はウルティマ『以外』でしかなく、行く手を阻む前座でしかない。
 真に奈緒が相対すべき相手は、この奥であった。

「……っと」

 奈緒の体は、泥の充満した沼から自由に動ける空間に移ったことによって少し体制を崩しつつも、その場の地面に着地する。
 振り返ってみれば、先ほどまで進んでいた泥の沼は存在せず、奥行きのある風景が広がっていた。

 そして奈緒は物音一つしないこの静寂の空間を改めて見渡した。

「……遊園地」

 泥を抜けた先に広がっていたのは、実にありふれたアトラクションが備わった遊園地であった。
 離れた空には巨大な車輪。
 身の丈ほどの大きさのマグカップや作り物の艶を出す回転木馬を備えた円形幕。
 金属柱を組み上げたレールの上で静止したジェットコースターや海原に進みだすことなく左右に揺れるしかない海賊船。
 どこにでもあるような、その言葉を聞けば万人が想起するようなアトラクションが備えられた娯楽の園。

 だが現実の遊園地との差異があり、それは上空に広がる空が今にも落ちてきそうなほどの圧迫感を帯びた赤茶色であることだろう。
 赤く錆びた空と静止したままのアトラクション、そして不気味なほどに劣化していない設備の数々がこの地の静止を物語っている。

「ここが……あの子の心の中なのか?」

337: 2016/10/18(火) 02:37:41.81 ID:nZ3oq+wSo

 ここはウルティマの泥の最奥であり、間違いなく不純物のないウルティマ自身の心象である。
 だがこの景色は人の内面というにはあまりに殺風景、かつ無機質だ。
 時間の止まった遊園地とこの世の物とは思えぬ空模様は、命を感じさせない荒廃の情景である。
 当然それが健全な心ではないことを表しており、ウルティマの闇であり病みの具現であったのだ。

「確かに……こんな風景はまともじゃない。……だけど」

 しかしこの殺風景な遊園地に対して、奈緒はもう一つの感情を抱く。
 それはある意味当然であり、慣れ親しんだものであったため奈緒自身も素直に受け入れられた。

「ここは……あたしが知ってる場所だ」

 ここが現実のどこかだということは奈緒にはわからない。
 だがこの風景が奈緒にとって非常にデジャヴを感じるものであり、そして探し求めていた風景でもあったのだ。

『……だれ?』

 奈緒が再びこの風景をじっくりと見渡そうとしたときに掛かる一つの小さな声。
 その声に導かれるように奈緒はその方向へと視線を向ければ、そこは歩道のど真ん中に不釣り合いな玉座があつらえられている。

『……あたしいがいのだれかなんて、はじめて……』

 この場に不釣り合いな玉座の中心、そこにはさらに不釣り合いな小さな少女が座っている。
 その少女の手足は細く痩せこけ、身に纏うぼろきれの様な黒いワンピースはその豪華な玉座とはあまりにも似つかわしくない。

 そしてその顔は、今の奈緒をそのまま幼くしたかのようなものであった。

338: 2016/10/18(火) 02:38:11.34 ID:nZ3oq+wSo

「なぁ……君の、名前は?」

 奈緒は突如として現れた少女に内心驚きつつも、平静を保ちながら名を訪ねる。
 目の前の少女は、先ほどまで戦っていた蛇頭の主と寸分違わぬ姿をしており、この少女こそが泥の汚染を抜きにした真の意味での心であろう。

『……なお。かみや、なお』

「そっか。奇遇だな。あたしの名前も奈緒っていうんだ」

『おねえちゃんも、……なお?』

「ああ、よろしくな」

 その名を聞いた奈緒は、これまでの確信が断定へと変わる。
 紛れもなくイルミナティがウルティマ・イーターと呼ぶ『カース』の正体は神谷奈緒そのものであることをだ。
 だが奈緒にとっては、自分が神谷奈緒であり、目の前の少女も神谷奈緒ではあるが違う『自分』であると認識する。

(あたしは、LPさんたちに救われた。暴食に飲まれることなく耐えて、きらりによって浄化されて、そして平穏を手に入れた『神谷奈緒』だ。

だけどこの子は、耐えられなかった。飢えに、苦痛に、孤独に。

もしかしたら耐えたのかもしれない。我慢もしたのかもしれない。だけどそれでも助けに誰も来なかった。

……いや、もしかしたら意図して壊されたのかもしれない)

 そんな嫌な想像をした奈緒は奥歯を噛みしめる。
 未だこの世界のどこかであの非人道的な実験が行われていると考えると無性に許せなくなってくる。

339: 2016/10/18(火) 02:38:46.18 ID:nZ3oq+wSo

(とにかく、この『あたし』は耐えられなかった。だから飢えに飲まれて。

孤独を凌ぐためにあらゆるものを食べるだけの怪物に堕ちたんだ)

 同じ『奈緒』でもネバーディスペアの奈緒は持たない髪の毛から成る捕食器官と、あらゆる膨大な攻撃の質量。
 浄化されたことによって精神的なリミッターを手に入れた奈緒に対し、ウルティマにはそういったリミッターは存在しない。
 故に常に暴走することによって、一人で4人もの能力者を相手取れるような怪物となったのだろう。

『ねぇ、なおおねえちゃん』

 思想にふける奈緒に対して、少女から小さくか細い声がかかる。
 その声に反応して奈緒は再び視線を向ければ、ウルティマがその濁った視線を奈緒の方へと向けていた。

「ん……?なんだ?」

『おねえちゃんはどこから来たの?だって、ここにきたひとは、はじめてだから』

「ここに来たって……今まで誰にも会ったことないのか?」

『うん。あたし、ずっとひとりぼっちだったから。ほかのひとみたことないの。

あれ?……『ほか』ってなに?あたしいがいってなんだっけ?

……まぁ、いっか。いいよね。なおおねえちゃん』

 この少女の言動に違和感を覚える奈緒だったが、向けてくる笑顔に奈緒は答える。

「ああ、あたしは外から来たんだ」

340: 2016/10/18(火) 02:39:22.97 ID:nZ3oq+wSo

『そと?とおいところなの?』

「まぁ……ちょっと遠かったな。でも、大した距離じゃないさ」

 奈緒はウルティマを警戒させないように柔らかい言葉で話すが、それでも内心は戦慄していた。
 目の前の少女は年相応の笑顔で奈緒に語り掛けてくる。だが決してその笑顔は正常ではない。

 濁った瞳は見つめられるたびに不安に駆られるし、長い間動かさなかったであろう表情筋によって構成される笑顔はあまりにもぎこちない。
 すべてがその場で繕われたような表情であり、中身である人格というものを感じさせない、文字通りの『からっぽ』であった。

 奈緒はそんなウルティマに若干の恐怖を抱きながらも相対する。
 それは彼女自身が、この闇から目をそらしてはならないことを知っているからだ。
 ありえたかもしれない自分の姿から目を離してはいけないと、そしてその上で次は自分がこの少女を闇から救うのだと。
 かつて自分が救われた時のように。

「なぁ、奈緒ちゃん。ここは寂しいだろ?」

 奈緒は自分の名前で相手を呼称することに若干の気恥ずかしさを感じるがそこは堪えて、ウルティマと対話する。
 この殺風景な遊園地の真ん中で、永遠に空腹にあえぐ少女を連れ出すために。

「誰もいない。空は暗い。遊園地は動かない。こんな何一つない世界にたった一人で閉じこもるのは辛くないのか?」

『……うん。さみしい。くるしい。だれもいなくて、からっぽだから、あたしはずっとおなかがへってるの』

「ああ、そうだろうな。あたしも前に、寂しくて泣きそうで、ずっと満たされなくてお腹が空いていた」

341: 2016/10/18(火) 02:40:08.18 ID:nZ3oq+wSo

 奈緒が思い返すは研究所での牢獄の生活。
 暴食の核が訴える激烈なまでの空腹は、もともと満たされぬ奈緒にとっては永遠に続く地獄の苦痛そのものであった。
 だがそれ以上に辛かったのはその誘惑に負けて、だれかを自分に入れることだった。

「だけどあたしは我慢した。だってそれで食べちゃっても、それはあたしとは違うし、見えなくなってしまうから」

 これまでに取り込んだ生命体が、それ以降奈緒の目の前に現れたことはない。
 自分の中にいることはわかっても、それで自分に語り掛けてくれるわけでもないのだ。
 ただ一緒にいるだけで、目も合わせず、口も利かず、依然自らの孤独は続くのだ。

「だから、ここにいたって絶対に空腹は満たされない。だから!」

 奈緒は玉座の少女に向かって手を差し伸べる。
 この暗く深いたった一人の王国から、自分と同じ少女を連れ出すために。
 暗い水底にいた自分が、今度は同じ少女を底から引き上げるのだと。



『だいじょうぶ。……これからはさみしくないよ。なおおねえちゃん』

 だが奈緒が踏み出した足は進まない。
 一切動かぬ足はまるで地面に縫い付けられたようであり、冷たい何かが這い上がってくる違和感に思わず奈緒は足元を見る。

「なっ!?……これは、泥!?」

342: 2016/10/18(火) 02:40:40.70 ID:nZ3oq+wSo

 奈緒の足を縛り付け、ふくらはぎへと這い上がってくるのは彼女自身慣れ親しんだ黒い泥であった。
 そしてふと周りをよく見れば、歩道全てが氾濫したように泥が充満している。

『ダレカキタ』

『ボクラノホカノダレカガココマデ来ルナンテハジメテダ』

『ナラワタシタチデ、カンゲイシナキャ。ヨカッタネ、ナオ。オトモダチガフエタヨ』

『『『ヨウコソ。カンゲイスルヨ。アラタナ同胞ヨ』』』

 そしてこの場に響く、幾重にも重なった何百もの同じ言葉の斉唱。
 メリーゴーラウンドやコーヒーカップ、バイキングやジェットコースター。
 ありとあらゆる遊園地を構成する物質から奈緒は視線を感じる。

「ホント……まさに退廃の園ってわけか」

 これらすべてを構成するのは、奈緒の泥に溶け込んだ百獣と同様、ウルティマの眷属であろう。
 そのすべてが主であるウルティマを含め足を引っ張り合い、地獄に止め、地獄を成している。
 この醜い足の引き合いによって成されたこの遊園地を退廃の園と言わずになんと形容できるだろうか。

『あたしと、なおおねえちゃんもずっとここでいっしょだよ。

なおおねえちゃんは、あたしをひとりにしないよね?

あたしはここから出られないんだから、おねえちゃんがあたしをみたしてくれるのでしょ?』

343: 2016/10/18(火) 02:41:29.65 ID:nZ3oq+wSo

 そしてその獣たちの斉唱は少女には聞こえていない。
 どうやら徹底してウルティマの眷属たちは、自らの主を孤立させ続けるつもりなのだろう。

「くそっ!奈緒ちゃん!あたしの手を取れ!

一緒にここを出るぞ!ここの連中は、誰も奈緒ちゃんの味方じゃない。このままじゃずっと一人だ!」

 奈緒は足に絡みつく泥を振り払おうともがくがその抵抗は全く意味をなさない。
 それでも足が動かないのならば、奈緒は玉座の少女に向けて手を伸ばす。

 その手の距離は少女へは未だ遠い。だが奈緒は届かぬ手を伸ばすことに躊躇いはない。
 必要なのは少女自身がこの地獄から出ようとする意志だ。
 ウルティマが自身の意思でその手を取ろうとするだけで、奈緒は彼女をこの心の最奥から引き上げることはできるだろう。

『……なにをいってるの?おねえちゃん』

 だが当の少女は差し出された手を訝しげに見つめる。
 ウルティマには差し出された手の意味は分からず、そして奈緒が何を言っているのかも理解できていなかった。

『出るってどこに?ここいがいの、どこにいくの?

ここいがいに、『どこか』なんてないでしょおねえちゃん。

『そと』ってここの『どこか』のことでしょ?』

 そもそもウルティマにとって『外』の概念すら知らないものである。
 この遊園地こそがウルティマの世界であり、たった一人の孤独こそがウルティマの既知なのだ。
 これまでに人々を襲ってきた捕食の髪も所詮は目隠し状態で手を伸ばしたに過ぎない行動である。
 そこに意識などなく、それはただの反射行動だ。

 それもそのはず、当の本人は誰の声も光も届かない錆色の空の元で孤独に完結しているからである。

344: 2016/10/18(火) 02:42:01.08 ID:nZ3oq+wSo

『だから、ずっといっしょだよ。なおおねえちゃん。

ふたりでいっしょに、あたしとずっとあそぼう?』

 ゆえに、初めて対面した他人であり、孤独を埋めてくれる存在かもしれない奈緒を絶対にウルティマは離さない。
 堕ちるところまで一緒に堕ちようと、泥の拘束は奈緒へと這い上がって行く。

「……く、くそ。これじゃ……これじゃダメなんだよ!奈緒ちゃん!」

 きっとウルティマには奈緒に這い上がる泥の眷属は見えていないのだろう。
 だが少女の堕落の願いは、その視界には見えない泥たちの後押しを無意識のうちに行っていた。
 仮に泥たちが奈緒を完全に飲み込んだ後には、ウルティマを再び孤独にするために奈緒を取り上げるのだろう。
 だがウルティマはそんなことに気付かず、ただただ奈緒を束縛したくてその濁った瞳をギラギラと輝かせる。

「ここじゃ、ダメなんだ!……こいつらと一緒じゃ、絶対に、お前は幸せになんてなれないから、だから!」

 奈緒の周囲に見える足を引き合う獣たちの宴は、慣れているはずの奈緒にさえ吐き気を催す醜悪なものだった。
 その渦中で生贄として祭り上げられた少女を説得しようとしても、決して声は届かない。

『あはは!なおおねえちゃんは、ずっといっしょだよね!

これからいっしょにあそぼう!あたし、あのメリーゴーラウンドにのってみたかったの。

ジェットコースターはこわかったけど、おねえちゃんといっしょならきっとだいじょうぶだから。

かんらんしゃにふたりでいっしょに、ずっとぐるぐるまわるのよ!きっと、とてもたのしいよ!

ずっと、ずっと、ずっとずっとずっとずっとずっとずっと!』

345: 2016/10/18(火) 02:42:51.00 ID:nZ3oq+wSo

 いくら奈緒が強靭な意志をもってこの領域に乗り込んだとしても、この世界の主はウルティマである。 
 その心象風景に踏み込んだ時点で奈緒はアウェーであり、胃袋の上に乗っているも同然なのだ。

 たとえ奈緒が抵抗を試みたとしても、大海に一滴落とされたに等しい奈緒という存在はすぐに飲み込まれてしまうはずである。

「ダメだ……絶対に、これじゃダメなんだ。

これじゃ誰も救われない。誰も幸せになんてなれない。

……だったら、あの子には何が届く?『私(あの子)』がここから出る理由は、なんだ?」

 すでに奈緒の半身は泥に沈んでおり、全く身動きはとれない。
 それでも奈緒は思考を巡らせて、少女に手を伸ばすことを諦めていなかった。

 このままで乗り込んだはずの奈緒の側が、ウルティマの泥に飲まれてしまうだろう。
 もしくは奈緒自身が泥に対抗するために自らの『泥』をさらけ出せば、五分には持っていけるかもしれなかった。

 だが決して奈緒はそれはしないだろう。
 それはウルティマの世界を犯すことであり、少女の自我を崩壊へと道ぶくかもしれない危険な行為だ。
 ウルティマを倒すという目的ならば、心臓部であるこの世界を壊せばそれで済む話。
 だが奈緒の目的は倒すことではない。奈緒は小さく、泣き続ける少女を救いに来たのだ。

 それはウルティマに自らの姿を投影した自愛の感情であったのかもしれない。
 自分を救ってくれた誰かの姿を真似したいだけなのかもしれない。
 その気持ちは純粋ではないエゴなのかもしれない。

346: 2016/10/18(火) 02:43:26.05 ID:nZ3oq+wSo

「そんなことは……わかってる。

この子を救いたい?それはあたしの傲慢かもしれない。同情かもしれない。

だけど……この気持ちは本物だ!あたしは、誰よりも、この子を救いたい!

こんな苦しい姿、これ以上みていられるかぁ!」

 奈緒は這い上がってくる泥を声を上げて振り払う。
 それは自身の泥を使った攻撃でも、異能の力も用いていない。
 奈緒自身の意志力であり、それが纏わりついていた後ろ向きな感情の塊である泥を弾いたのである。


「そうだ。理屈なんて知らない。

あたしは難しいことは考えられないし、何が正しいなんて知らない。

だけど、この手を伸ばすことだけは、絶対に間違ってなんて、いない!」


 以前奈緒の半身は泥に埋まったままである。
 だがその脚は固着しておらず、確実に地面を踏みしめ少女の元へと歩みを進める。

347: 2016/10/18(火) 02:44:47.17 ID:nZ3oq+wSo

『ナンダ……コレハ?』

『シラナイ。ワタシタチハ、コンナノシラナイ!』

 周囲の泥たちの視線が驚愕の物に代わる。
 決して我らの泥は狙った獲物を逃がすことはないという確信が崩れ、意味の分からない力によって異物が尚も邁進することに眷属たちは驚愕を禁じ得なかった。
 全力で泥に沈めようとしている奈緒は、決して沈むことなく、それどころか拘束を振り切り歩みを進めているのだ。
 そしてそこに理屈など存在しない。あるのは奈緒以外に、この場の誰も持ち合わせていない感情のみであった。

「難しく、考えすぎなんだよ。まったく、どいつもこいつも暗いって」

 奈緒は困惑する泥たちを横目ににやりと笑い、一つの建物を視界に入れる。
 それは遊園地によくあるキャリアカー式の売店であり、小さなグッズと共に私用であろうカレンダーがかけられている。

「……9月16日。ああそうだ。この日だよ。

パパとママ、3人で遊園地に行ったのは、ちょうど7歳の誕生日だ。

すっかり忘れてたな。あたしも……お前も」

 奈緒の視線の先は楽しそうに笑うウルティマの姿。
 だがその笑顔は空虚であり、きっと在りし日の幸せさえもすでに忘れ去っているのだろう。

「でも、無くしてはいないはずだよな。だってそれは、あたし『たち』の幸せそのものだ。

それに思い焦がれる限り、あたしは絶対にあたしをやめたりしないんだから」

348: 2016/10/18(火) 02:45:13.95 ID:nZ3oq+wSo

 奈緒が焦がれるものはあの日の幸せであるならば、当然ウルティマにとってのそれも同じである。
 奈緒にとっての幸せの基準がそれであり、記憶から忘れようとその価値観は決して一度も揺らいだことはなかった。

 いつもはこの風景は夢で見るだけで、奈緒自身に情報を持ってくることはできなかった。
 だがあくまでこの風景は『他人』のものだ。その9月、自身の誕生日を示す手がかりによって記憶がよみがえることは何ら不思議ではない。

 奈緒にとっての答え、ならばウルティマにとっても同じ答えだ。
 ゆえに、奈緒は最後の一歩を踏みしめる。

「奈緒ちゃん!」

 ウルティマはいつの間にか眼前まで迫ってきていた差し伸べられた手に、ようやく我に返る。
 依然濁った視線で奈緒を貫くが、そこにははっきりとした意思があった。

『おねえ、ちゃん?どうしたの?』

「一緒に、外に出よう!」

『だから……『そと』ってどこ?おねえちゃんは、やっぱりあたしをおいてどっかにいっちゃうの?

そんなの……そんなのは』

 奈緒の言っている意味が分からないウルティマは、悲痛な声を上げる。
 せっかく独りぼっちじゃなくなったのに、また孤独になるのではないかという恐怖に怯えていた。
 だが奈緒はそんな不安そうな少女に向けて、ゆっくりとほほ笑んだ。

349: 2016/10/18(火) 02:45:51.06 ID:nZ3oq+wSo

「一緒に、パパとママを探しに行こう。

そしてもう一度、遊園地に行こう!」

 錆色の空に、亀裂が走った。
 思い浮かべる風景は、いつかの自分の誕生日。
 両親が連れて行ってくれた遊園地。『奈緒』の幸せの原点であり、間違いなくずっと追い求め続けていたものだった。

『パパ……?ママ……?

……そうだ。あたしには、パパとママがいる。

でも、どこ?……どこなの!?パパ!ママ!』

 その濁った瞳に光が宿る。
 ずっと忘れていた、『神谷奈緒』の記憶。
 それを取り戻した少女の声は、迷子の子供のように泣き叫ぶようではあったが、間違いなく中身のあるものである。

「パパとママはここにはいない。

だけど、必ずこの世界のどこかにいるはずだ」

『……この世界の、どこか?』

「ああ、この奈緒ちゃんの世界じゃない。もっと広い、みんなが暮らす外の世界に。

外に出よう。そしていっしょに探そう、パパとママを」

350: 2016/10/18(火) 02:46:20.10 ID:nZ3oq+wSo

 奈緒の耳に聞こえてくるのは少女を閉じ込めていた泥たちの断末魔の叫びだ。
 足元に纏わりついていた泥たちはすでに引いており、錆色の空の亀裂からは光が差し込んでいた。
 それは紛れもなく、この閉塞した世界の崩壊であり、ウルティマの意識がこの閉じた世界の『外』に向いたことを示していた。

『あたしも、探す!パパと、ママを!』

「そうだな。いっしょに探そう。あたしたちのパパとママを。

……そうだ、あたしの記憶、思いを、それらをくれた人たちを探さなきゃ」

 迷いは今晴れた。
 少女を孤独に祭り上げるだけの閉塞世界は今終焉を迎える。
 その最後は光に満ちているものであり、動くことのなかった観覧車が回り始めていた。





 

351: 2016/10/18(火) 02:46:49.95 ID:nZ3oq+wSo




『アアアアアアア『アアアア『『アアアア』アアアアア『アアアアアア!!!!』

 幾重にも折り重なるような不協和音となった雄たけびはまるで断末魔の叫びであるかのようだ。
 溢れ出す泥の洪水は追い立てられるかのようであり、暴食の竜頭は力を失い泥へと帰っていく。
 ウルティマの髪はもとの毛量に戻り、泥は足元から逃げ出すように止めどなく溢れ出している。

「うお、らあぁ!」

 それと同時にウルティマの足元の泥から飛び出す一つの影。
 濁流に流されるように這い出てきた奈緒は、待機していた仲間たちに号令をかけた。

「あとは、任せた!」

『おうとも。その言葉を待っていた!』

 アイユニットから響く軽快な夏樹の声。
 すでに準備は万端のようで、スピーカーの先では何かの物音がする。

 そして天井付近に開く黒い穴。
 それは夏樹のワープホールであり、その中から一つの影が落下してくる。

『だりー、大一番だ!練習の成果を見せてやれ!間違ってもヘマすんなよ』

「わかってるよ。ここで決めれなきゃ、クールが廃る!」

352: 2016/10/18(火) 02:47:43.92 ID:nZ3oq+wSo

 落ち行く影は声帯装置が元に戻り、完全に李衣菜である。
 その手には専用のエレキギターであり、シールドの先は自身へとつながれていた。

『聴かせてやれだりー!お前のロックを、このナンセンスな獣たちによ!』

「おっけー!イッツ、ロックン、ロールゥ!」

 ギターから力強くかき鳴らされるパワーコードは拙くも心臓を響かせる波長を放つ。
 李衣菜自身につながれたエレキギターは、体を伝わって電気信号が増幅され、ロビー全体へと爆音が行き渡る。

「Yeaaaaaaaah!!」

 李衣菜のシャウトと共に響き渡るメロディーは、決して難易度の高い高度な曲ではなかったが、聴く者の心に響く魂の曲だ。
 その音響は、ソニックブームに近い衝撃を生み、逃げ惑うように這い出てきた泥たちの一切を弾き飛ばし、消滅させていく。

 泥は弾かれ、もはやウルティマを阻むものは精神的にも物理的にも存在しない。
 そこまでの道のりは既に一直線に開けており、ゆっくりと歩いていくことさえ可能であった。

『あ……あぁ……』

 小さく、呆然と立ち尽くすウルティマ。
 その心の枷は断ち切りはしたが、未だ身体は飢えと呪いに侵されたままであり、心は現実に追い付いていない。

 だからこそ、その呪いを浄化し、癒してやる必要があるのだ。

「もう、大丈夫だにぃ」

353: 2016/10/18(火) 02:48:15.71 ID:nZ3oq+wSo

 きらりは立ち尽くす少女にゆっくりと近づき、そのまま抱きしめる。
 その体は小さく、きらりの大きな身体に収まってしまう
 感じる体温は冷たく、強く抱きしめれば折れてしまいそうなほどに細い。
 故にその抱擁は優しく、ゆっくりとぬくもりを伝えるように穏やかであった。

「これから、きっとはぴはぴになれるように、きらりがはぐはぐしてあげりゅね!」

『……はぴ、はぴ?もう……ひとりじゃないの?もう、くるしくないの?』

 体に伝わってくるこれまでに感じたことのないぬくもりに、ウルティマの力は自然に抜けていく。
 これまでに抱えていた飢えも、苦しみも嘘のように消えていくのを実感していた。

「そうだにぃ。これからは、おねーちゃんたちがいっしょだよー☆」

『あった、かい……うぇ、うええええええええぇぇん!!』

 少女はきらりの腕の中で年相応に泣きじゃくる。
 すでに周囲一帯の泥は完全に蒸発しきっており、地獄は完全になくなっていた。
 破壊しつくされた同盟本部のロビーには光が差し込み、静かに少女を照らし出している。



 

354: 2016/10/18(火) 02:48:51.46 ID:nZ3oq+wSo


***


「うそだろ……そんなことって」

 奈緒は重々しく口を開く。
 隣の瓦礫の上では、ウルティマ・イーターと呼ばれた少女が臥せっていた。
 その表情はきらりによっていったんは穏やかになったものの、時間の経過とともに苦しそうに曇っていた。
 息は浅く、吸うだけでも苦痛に顔を歪めている。

「嘘じゃ、ない。おそらく、その少女は長くは持たないだろう」

 ウルティマは長くは持たない。
 そう断言するのは、ネバーディスペア直属の上司であるLPだ。
 あの研究所の研究を知り、今のウルティマの状況を見たうえでの判断であった。

「どういうことだよ!?だって、この子はやっとあの苦しみから解放されたはずだ。

もう、この子は自由のはずだろ?だったらどうして、長くないなんて言うんだ!」

 命がけで救い出し、苦しみから解放された少女を前に、奈緒は激昂する。
 まるでその行いが無意味であるかのように否定され、打ちのめされたような気分である。

「おそらく、この子は奈緒のクローンだ。

あの研究所からどうにか遺伝子サンプルを持ち出して、培養したのだろう。

再び、あの悪夢を再現できるように」

355: 2016/10/18(火) 02:49:32.31 ID:nZ3oq+wSo

 奈緒は確かに兵器として完成はしなかったが、十分な可能性を秘めた研究対象であった。
 あの規模の研究が行われていた以上、多くのスポンサーが出資し、期待をかけていた研究であったのだろう。

 だからこそただでは失敗できなかった。
 どうにかして手に入れたサンプルから研究を復活させて、その計画を完遂させようとどこかの誰かが企んだのは明らかであった。

「だが、言ってしまえば奈緒は偶然に偶然が重なった奇跡の様な存在だ。

それを遺伝子だけで再現しようなど、そもそもが不可能だった。その結果が、この子なのだろう。

凶暴性こそ高いが、生産性が悪く不安定。おそらく長期運用は想定されていない、いわば使い捨て――」

「LPさん!」

 LPが言い切りそうな時に奈緒の静止が入る。
 確かにLPの言うことは真実かもしれないが、それでもその先をいうことはあまりにも非情すぎた。

「すまない。失言だ。とにかく、その子はある意味その『暴食』によって強引に不安定にさせることによって逆に安定させていたのだろう。

強い歪みによって、生命維持にかかわるような致命的な歪みを補正したといってもいい。

だから、その歪みが正されてしまえば、本来の歪みが表出するのは明らかだ……」

「それは……どうにかならないのかよ?延命とか、治療とかは、無理……なのか?」

「それは、無理だ」

 LPの絞り出すような声が、奈緒に深々と突き刺さる。

356: 2016/10/18(火) 02:50:05.05 ID:nZ3oq+wSo

「この生来の歪みは、いわば体が頑丈だとか、貧弱だとかの生来的な部分につながっている。

奈緒は確かにきらりの浄化に耐えて、理性を取り戻した。

だがそれは奈緒の体が丈夫だっただけで、この子ではきっと耐えられなかった。強すぎる光は小さな影をかき消してしまうだろう。

苦しみはこの子を生かしていたが、苦しみから解き放たれればこの子は生きてはいけない。

なんて……因果だ」

 LPは苦々しく息を吐く。
 仕事柄、反吐の出るような輩は大量に見てきたし、悲惨な境遇な者もLPは多く見てきた。
 だからこそ、このように恵まれなかった生まれの子供だって見たことはあり、そしてそのまま氏んでいったことだって見たことないわけではない。

 だが、それは仕方ないと良しには出来ない。LPはこういうときいつも無力感に苛まれる。
 そもそもがネバーディスペアのような存在のほうが少数派なのだ。踏み込んだ時には手遅れであることは嫌というほど目にしてきた。

「一応、連れて帰れば多少の延命、できて数時間程度だがやれないことはないだろう。

それか、楽にしてやることも一つの選択ではある。これは奈緒が決めてくれ」

 LPのその言葉に奈緒は反応せずただじっと地面を見つめている。
 LPの後ろにいる他の面々も、静かに押し黙っていた。

「今回、お前たちはよくやったよ。

この1階ロビーにおいては氏者は出なかったし、一人の少女を苦しみから救ってやれたことは事実だ。

これは、誇っていいことだとも」

357: 2016/10/18(火) 02:50:45.90 ID:nZ3oq+wSo

 奈緒たちにとってこの言葉が所詮は気休めにしかならないことはLPも重々承知である。
 だがそれでも、何もできなかったLPにはただ労ってやることしかできないのだ。

「なぁ……LPさん」

 そして、奈緒がまっすぐLPを見据える。
 LPの方も、奈緒の目をしっかりと見て、その決断を見届けることを決めた。

「LPさんは、この子は助けられないといった。

全くその通りだよ。意気揚々とこの子と約束して引っ張り上げてきたのに、これじゃ裏切りだな……」

 奈緒は小さく横目に少女を見る。
 確かにその表情は苦しそうではあるものの、錆色の空の下で見た空っぽの表情と比べて実に『生きている』。

「だから、あたしに任せてくれないか?

あたしの言った手前だからさ。最後まで、責任持たなくちゃ」

 LPを見据える奈緒の視線に迷いはない。
 そんな瞳を見て、きらりと夏樹は理解して踵を返す。

「ん?どういうこと?」

「だりー。ここは空気を読めよ。きっとこの先は、見られたくないはずだ」

 そして残ったのは、LPと奈緒、そしてウルティマの3人。
 最後にLPは奈緒に最終確認をするように問いかける。

358: 2016/10/18(火) 02:51:27.65 ID:nZ3oq+wSo

「それでいいのか?それは人の人生をひとつ背負い込むことと同じだ。

決して生半可なものじゃない。いつか後悔する時が来る。自分だけの物じゃない自分の人生はロクなのものじゃあないぞ」

 LPでさえも、誰かの人生をすべて背負い込むことはできない。
 たしかにネバーディスペアの4人の後見人として世話をしているが、すべてを受け持ったわけではない。
 所詮は個人個人の人生。いつかは独り立ちする時もくるのだろう。

 だが奈緒がしようとしていることは、氏にゆく者の骸を背負い続けることだ。
 その重荷は決して手放せず、いつかその重さに押しつぶされるかもしれないのだ。

「確かに、簡単じゃない。だけど、今更一人増えたところで問題ないよ。

もうとっくに、あたしのなかは大所帯だ。あたしは一人じゃない。だったら、この子も一人にしておけない」

「奈緒……お前、『気づいて』いるのか?」

 LPは奈緒のことを残った研究資料からある程度知っていた。
 だからこそ奈緒の言っている意味が分かるし、そしてこれまで奈緒がそれに気づいていなかったことも知っている。
 だがその事実はまさしく重荷だ。知らないのならば知る必要はないし、できれば知らないほうが幸せであった。

「気づいているかはとにかく……なんとなく感づいてはいるよ。

会ってはいないけど、そこにいつもいる気がするから。

……まぁそれに、この子と約束もしたから。父さんと母さんを探すってさ」

「……その先は、茨の道だ。

決して明るくはない上に、破滅をもたらすかもしれない。それでもか?」

359: 2016/10/18(火) 02:52:25.78 ID:nZ3oq+wSo

「いいんだよ。全部あたしの記憶だ。そして、全部あたしだ。

元よりあたしが背負い込むものだ。今更重いなんて言わないよ」

 その言葉を聞いて、LPは諦めたように、それでいて満足したように小さく笑う。
 そして同様に踵を返して、この場を後にしようとする。

「わかったよ。だけど、困ったことがあれば言ってくれ。いくらでも相談に乗るよ。

私たちは家族、だろう?」

「…………はは。もちろん。ありがとなLPさん」





 この場には奈緒とウルティマと呼ばれた少女の二人だけとなった。
 奈緒は腰を下ろして、ウルティマの隣でその髪を小さく撫でる。

「奈緒ちゃん」

「……なお、おねえちゃん?」

 息も絶え耐えながらも、ゆっくりと目を開けた少女は奈緒の方を不安そうに見る。
 そんな不安を和らげるように、奈緒は優しく笑って少女を見下ろした。

「ああ、お姉ちゃんだ。

これからは、お姉ちゃんがずっと一緒だ。奈緒ちゃん。

それでも、いいか?」

「……うん。なおおねえちゃん、すきー」

「ああ。ありがとな。奈緒。

絶対にパパとママを一緒に見つけよう。約束だ。

だから、今はゆっくりと、おやすみ」




 泥の沈み込むような音を最後に、その場には奈緒だけが残る。

「前に、進もう」

 よりいっそう濃くなった泥をその身に宿し、奈緒は差し込む日の光へ視線を向けながら仲間の元へと歩みを進めた。




 

360: 2016/10/18(火) 02:53:05.79 ID:nZ3oq+wSo

Ultima Eater(ウルティマ イーター)
奈緒のクローンで、再現に失敗したものの兵器としての側面を発展させた猛獣。
暴食の能力が強化されており、髪の毛を捕食器官として自在に操ることができる。
もともと志希の父親であるイチノセ博士が研究素体として残していった奈緒のDNAを用いて誕生したが、資料が現存していないためほとんど再現できていない失敗作であった。
そこに一時期研究を隣で見ていた志希が調整を加えたことによって生命活動には支障がない程度の安定性が備わった。
精神年齢は奈緒の6歳の時で固定されており、無邪気で本能に忠実である。

最終的に安定性を保つために強化された暴食の能力を失ったために消滅しそうになるが、奈緒が自身の意志で泥の中に取り込んだため、今は奈緒の中で眠り続けている。

361: 2016/10/18(火) 02:57:22.76 ID:nZ3oq+wSo
以上です
初めから結末は決めてたとはいえ、我ながらなんだか後味悪いなぁ……

ネバーディスペア、APお借りしました。
残るはAP対くるみと、対ネクロス戦、ラスボスカーリーとの決戦とまだ書くべき内容が残ってます。

ほなまた……2か月後に(頑張ってなるべく早く投下します)

362: 2016/10/20(木) 01:11:12.32 ID:PFr+zEbZ0
お疲れ様でした、そして奈緒を前に進ませてくれて、ありがとうございます

自分で定めた運命であり設定とは言え、これは重い
でも、自分がそうである、と決めた奈緒が自分と向き合って歩みだしたのを見て、涙が出てしまう
呪縛は未だに残ってはいるけども、きっと今の彼女なら「ナニカ」や「正義と狂信」と会っても最悪の事態は避けられそうだ
ウルティマちゃんを見るに「奈緒たち」はずっと飢えを満たす希望と愛を求めて、大なり小なり人に執着してしまうのだろうなと思ったりも
…玉座と赤い空の遊園地の心象風景はイメージというか練っていた設定と合致しすぎてびびったり

奈緒だけじゃなくてメンバー全員、いやLPさんもかっこいい…かっこよすぎる…さすがの演出力ですわ…幸せになれ…
狂犬APと引き篭もりくるみの内情ドッロドロ対決、そして勝てる気がしない二人との戦いも楽しみですぜ…
……大丈夫かな



【次回に続く・・・】




引用: モバP「世界中にヒーローと侵略者が現れた世界で」part13