7: 2015/09/07(月) 03:08:50.05 ID:DhP+ihnQo

モバP「花物語」智絵里「クローバー」
●【からたち】

※梅木音葉




「……からたちの花って……聞いたことあるけど……どんな花……?
 教えてくれると……嬉しい……」

レッスンから帰ってきて、事務所の談話室で紅茶を飲んでいると、
薄紫色の淡い声音とともに、小梅さんがこちらへ歩み寄ってきました。



「……からたちの花、ね」

プロフィール上で、私より30cm背の低い小梅さんは、
私の隣に腰掛けるて、こちらを見上げてきました。

彼女の目は、右側だけ前髪を長く垂らしているため、右目は私から隠れていますが、
たぶん髪の向こうでは左目と同じように、興味津々といった光がちらついているのでしょう。

「ごめんなさい。私も……からたちの花については、ほとんど知らないの。
 凛さんとか、お家を手伝ってるらしいから……知っているかも」

「聞いてみた……けど、ダメだったの。お花屋さんには、置かれない花みたい……」

「……でしょうね」



実を言うと、私はずっと前に、からたちを見たことがありました。

「昔……私が、今の小梅さんよりも年下の頃だから、もう十年ぐらい前……
 ほんの少しだけ、私はからたちの花を見たことがあるわ……」

「からたちの花……やっぱり、白いの……?」

「……そうね。歌、ご存知かしら……『からたちの花』を」

小梅さんがいつになく熱っぽい視線と声音で先を促してきたので、
私はかつて自分が見た……からたちの花の思い出を話すことにしました。
アイドルマスター シンデレラガールズ シンデレラガールズ劇場(1) (電撃コミックスEX)
8: 2015/09/07(月) 03:10:04.71 ID:DhP+ihnQo



私が小学校高学年だった、春の連休。
私は両親とともに、神戸に住む祖父母の邸宅を訪れていました。

兵庫出身の小梅さんには、わざわざ言わなくても通じましたが、
神戸という土地は、港や住宅街の風景が有名な一方、実は山――六甲山が近い土地です。
祖父母の邸宅は、その山に近い旧家の屋敷で、その周りをからたちの垣根が囲んでいました。

北海道育ちの私は、からたちを見たことがありませんでした。
(漢字で枸橘と書くように、からたちはミカン科の温帯植物です)
それで私は不用意に手を伸ばして、青い青い棘に指先を刺されて痛い思いをしました。

その時、母が苦笑しながら『からたちの花』を歌って聞かせてくれました。
北原白秋と山田耕筰の、あの歌です。



――からたちの花が咲いたよ
――白い白い花が咲いたよ

――からたちの棘は痛いよ
――青い青い針のとげだよ

その旋律は、私が見た光景――五つ星のように開く花弁や、まきびしのような棘とは違う、
黄昏のような色の響きでした。あとでからたちの実を見た時、ああこれだ、と思う色味でした。



祖父母は鳩レースをやっていたらしく、洋館のすぐ隣に鳩舎を設けていて、
私のそのなかの真っ白い一羽と仲良くなりました。名前は『ニンバス』といいました。
ミッションスクールに通っていた祖母がつけた名前のようです。

私は、当時から森の中を歩くのが大好きな子供でした。
私は朝起きると鳩舎を訪れて、ニンバスの機嫌が良ければ、
そのまま六甲の森を一人と一羽で遊び場として、日が落ちるまで過ごすこともありました。


9: 2015/09/07(月) 03:10:59.07 ID:DhP+ihnQo




そんなある日のこと、ニンバスはどこか遠くへ飛んでいきました。
そして、空がからたちの実の色に染まる夕方となっても、白い鳩の姿は鳩舎へ戻りませんでした。

もしかして、ほかの動物に捕らえられてしまったのではないか……
幼かった私は、たいへん胸を痛めていました。

月が昇る頃になっても、私は夕食も上の空で、
神戸の街明かりが微かに反射した夜空を窓越しに見上げて、ニンバスの無事を祈りました。



不安でよく寝付けなかった私が翌朝目覚めると、もう太陽がかなり昇っていました。
私が、ひょっとしたら……という希望を持って鳩舎に向かうと、

「音葉や、ニンバスは帰ってきたよ」

と、既に鳩舎へ向かっていた祖母が、私に嬉しい知らせを聞かせてくれました。
ニンバスは傷どころか疲れさえ見せず、心配していた私をからかうように甘えてきました。

私が咎める様子を見せると、ニンバスは朝日に向かってふわりと舞い上がりました。
つられて視線を上げた私は、後光のような日光に目を射られて、目を細め……

そこで私は、ニンバスの足に何かひらひらとしたものが靡いていることに気づきました。
調べてみると、それは濃い青紫色の花弁がひとひら、細い細い紐で結ばれたものでした。



ニンバス――白い鳩を捕らえて、細い足に、まるで伝書鳩にするように紐を括りつけて、
そこに託したものは、菖蒲か杜若を思わせる青紫……。

顔も知らぬ人から送られた可憐なメッセージは、幼い私をいたく感動させました。

ぜひとも、その送り主を知りたい――そんな使命感に燃えた私は、
ニンバスが六甲の空へ飛んでゆくのを見ると、
祖父母に近在の地図をもらって、白い鳩の行方を探して回りました。



たかだか小学校高学年の女の子が、森のなかを一人で一日中歩くなんて……
今思えば、祖父母や両親がよく心配しなかったものだ、と思います。

もしかすると、祖父母はメッセージの送り主に見当がついていたのかも知れません。
というのも、私は思ったよりもあっさりと、ニンバスが送り主の元へ降り立つ姿を見ることができたのです。


10: 2015/09/07(月) 03:11:49.98 ID:DhP+ihnQo



祖父母の邸宅から、さほど遠くない距離。
子供の足で、少し疲れを覚える程度のところに、
壁を漆喰で白く塗られた小さな洋館が立っていました。

その洋館の二階にある窓の一つ、そのそばにニンバスの白い姿が認められました。

窓の向こうでは――おそらく、窓が細く開けられていたのでしょう――クリーム色のカーテンが、
微かにそよいでプリーツを揺らしていて、その様子を私が見上げていると、
その窓がニンバスを迎えるようにすっと開いて、カーテンが風にふわりと浮かされ……

私の目には、部屋の中からニンバスを迎える姿が、ほんの数テンポだけ映りました。
その面影は、当時の私よりも少しだけ年上の――ちょうど、今の小梅さんと同じぐらいの――
そんな年頃の、細く麗しい少女でした……。



私は彼女の姿に気後れを覚えて、洋館から逃げるように立ち去りました。
帰り道の森のなか、私はフラフラと頼りない足取りで、何度か転んでしまって、
それを痛いとも感じないほど心が浮かされていました。



そうして夢現の気持ちで祖父母の屋敷へ戻ってみると、
私はニンバスの脚に花弁を結びつけたあの少女と、なんとかして近づきたい、と思いました。
自分より少し年上の、心憎いメッセージを送ってくれたあの少女に、私は熱っぽい憧れを抱いたのです。

彼女と話すには、どうしたらいいか――そう考えた私は、まぁ……安直といいますか、
屋敷の垣根へ向かうと、からたちの星形に広げられた五枚の白い花弁から、一枚を失敬しました。
そして夕方に帰ってきたニンバスの脚へ、その花弁を結びつけ――返事のつもりで、私は彼女を真似たのです。





明くる日、私の白いメッセージをたなびかせてニンバスが飛び立つと、
私は勇躍して彼女の洋館へ向かいました。
行き先がわかっていて、しかもそこがとても素敵なところと知っていれば、
私の足取りはスタッカートのごとく弾み、あっという間に洋館は目の前。

ニンバスの白い羽毛と、それと同じくらい白いからたちの花弁。
洋館の壁も漆喰で白く塗られていて、私が固唾を呑んで眺める中、
果たして洋館の二階の窓は今日も開かれて、また彼女はニンバスを迎え入れました。

私は、彼女の姿に息を呑みました。二度見ても、彼女の美しさには慣れません。
彼女が伸ばした細い手は、私が今までに見たどんな雪よりも白く透き通っていました。



彼女が、私の返事――からたちの花弁を見たら、どう思うでしょうか。
それを思うと、私は洋館の表で、自分の心臓が赤く高鳴る音を感じました。

不躾だとは思われていないでしょうか。何せ、彼女は雪よりも澄んだ色合いの人。
からたちの純白でさえ、この時の私には、いささか心細く思われました。

ああ、私がメッセージを伝えるのなら、もっと冴えたやり方が――



私は六甲の森の空気を肺腑いっぱいに満たして、彼女へ声を届けようと歌いました。



――からたちの花が咲いたよ
――白い白い花が咲いたよ

――からたちの棘は痛いよ
――青い青い針のとげだよ



私が、白、白、白と念じていたせいか、私の歌う『からたちの花』は、
母が聞かせてくれた黄昏色とは似ても似つかない、白い音となって、宙へ溶けていきました。


11: 2015/09/07(月) 03:12:26.93 ID:DhP+ihnQo




「――そこにおわすのは、どなた?」

洋館の方から、私を呼ぶ声が聞こえました。それは、私の母とどこか似ている薄橙色でした。
私が洋館の方を見ると、これまた私の母と同じぐらいの外見の夫人が、
洋館の扉を開けて、こちらを向いていました。私が見た白い少女の母親でしょうか。

「私は……ニンバスの……その鳩の飼い主、です」

こう私が告げると、夫人は申し訳無さそうな顔で私に詫びてきました。
ニンバスを洋館へ入れたことを、私が咎めに来たと思ったのでしょうか。

「いえ、私は……ただ、上の方と、話がしたくて……」

私が名乗ってからそう告げると、夫人は私を洋館へ招き入れてくれました。



私が、洋館の二階――白い少女とニンバスがいる部屋へ入ると、
彼女はあの気後れするほどの美しくか細い姿のまま、私へ微笑みかけました。

彼女の体は、ふわふわと膨らんだ白いベッドの中に、その半ばをつつましく埋もれさせて、
その横ではニンバスが首を傾げていました。



私が彼女のベッド際に、花弁が不自然に欠けた青紫の花を見つけて、

「ニンバスの脚へ結ばれた花弁は、もしかして――」

と私が問うと、彼女は私に皆まで言わせず微笑んで頷きました。



12: 2015/09/07(月) 03:14:19.72 ID:DhP+ihnQo



それから、私は洋館の少女とお友達になりました。
夫人――少女の母親――によると、彼女は病気を得てこの洋館で療養している最中とのことでした。



それで無為をかこっていたところ、窓から客人――ニンバスが、
たまたま開いていた窓から彼女の枕元へやってきて、横たわる彼女の上をふわりと一回りしたそうです。

外を出歩くことも叶わない彼女にとって、ニンバスの悪戯はいたく粋に映ったようで、
彼女はそれに報いるべく、枕辺の菖蒲をニンバスの脚に褒美として与えたそうです。

私が返信として贈ったからたちの花弁も、
彼女はいたくお気に召されていて、私達はその時から友達になりました。

惜しむべきことに、彼女は体が弱っていて、
私は彼女とともに六甲の森を楽しむことhsできませんでした。
その代わり、私は彼女の前でせがまれるがままに歌声を聞かせました。

歌に囲まれて育った私にとって、彼女とつながるために歌うのは、
ニンバスが洋館と私の邸宅を往復するのと同じくらい自然なことでした。



私は、朝に垣根よりからたちの花を一枚拝借すると、彼女の家を訪れて、
空が暮れなずむ夕方になる頃に洋館を辞すのが常でした。

彼女は私のからたちに対する返礼のように、
私が帰ろうとすると、枕辺の菖蒲から花弁をひとひら渡してくれました。



私はそれを見ていて、

「これを毎日続けていたら、今にその菖蒲から花弁が無くなってしまう」

と彼女を押し留めたのですが、彼女はただ――
この菖蒲たちの花弁がすべて無くなるまででいいから、どうかあなたの歌が聞きたい――
と言って、私の手のひらに花弁を握らせるのでした。



私は彼女の願いを聞いて、上手く返事することができませんでした。

私が神戸から北海道へ帰る日が、もう近くまで来ていたのです。



北海道へ帰る前日、私は白いからたちの花を持てるだけ持って、彼女の洋館へ行きました。
彼女の枕辺の菖蒲には、花弁が二枚だけ残っていました。

私は、明日の朝早く北海道へ帰る旨を告げました。
約束を果たせるのは、早くても来年の春――10歳か11歳の子にとっては、果てしなく遠い未来です。

私は友達の望みに応えられない不甲斐なさで涙ぐみました。
彼女はベッドに横たわったまま私の手を握って、
『からたちの花』を聞かせて欲しい、とせがみました。

私は彼女の枕辺に、からたちの花を並べると、涙混じりのひどい声で『からたちの花』を歌いました。
そして私は、たった二枚の菖蒲の花弁のうち、一枚を自分の手のひらに握って、



――私は……また、来年、あなたへ会いに行くから。
――からたちの花を持って来るから、あなたも、たくさんの菖蒲を用意していて。

そう彼女に言いました……言ったつもりでした。
しゃくり上げながらだったので、彼女にきちんと伝わったか……自信がありません。

ただ彼女は、私の手を菖蒲の花弁ごと握り返して、
ベッドに体を埋もれさせたまま、私に笑いかけてくれました。



祖父母から彼女の訃報を聞いたのは、
その年の秋――からたちの実が黄昏色に染まる頃でした。

13: 2015/09/07(月) 03:15:40.70 ID:DhP+ihnQo




「からたちは、星みたいな形の白く小さい花を咲かせるのですが……
 棘が固く鋭い上、実が食用向きでないので、最近は育てる家もめっきり見なくなったそうです。
 私も祖父母の家のほかに、からたちの垣根を見たことがありません」

私がそう告げると、小梅さんは私の隣りに座ったまま、何かを考え込んでいました。



やがて小梅さんは、すっと立ち上がって私に向き合うと、

「音葉さん……もし、よければなんだけど……『からたちの花』……
 今、ここで聞かせて欲しい……」

と言いました。



目の前で見る小梅さんの白い腕は、彼女と同じくらい細く透き通っている気がしました。

「……そうですね。ここまで、私の思い出話を聞いてくれましたし……」



私は、あの神戸の別れ以来はじめて、
『からたちの花』を歌いました。

――からたちの花が咲いたよ
――白い白い花が咲いたよ



目を閉じて、私の歌声は白く白く、在りし日のニンバスにも、からたちの花弁にも、
そして彼女の透き通るほどの白さにも負けない、純白の音で意識を満たすように……



――からたちの棘は痛いよ
――青い青い針のとげだよ







歌い終わったあと、私が眼を開くと、白く塗り潰したはずの目蓋の裏より、
もっと明るい事務所のLEDが、私の網膜をちりちりと苛んで、私は涙腺が緩むのを感じました。

「音葉さん、ありがとう……『からたちの花』……
 私も、とっても素敵な歌だと思う……」



年下の子の前で、自分の歌に感極まって涙を流す――ということに、
歌い終わった余韻が覚めつつあった私は、今更ながらの気恥ずかしさを覚えて、
つい目を両手で覆ってしまいました。

「あと、あの子も……音葉さんは、あの時よりも、もっと素敵になったって……」



私が両手を顔から離すと、手のひらのあたりから、
何か薄く小さいものがひらひらと舞って、私の膝の上に落ちて止まりました。

それは、濃い青紫色をした菖蒲の花弁でした。



14: 2015/09/07(月) 03:17:56.28 ID:DhP+ihnQo
今回はここまで

あと二編ぐらいの予定……

もしよろしければ、以降もお付き合いいただけますと幸いです

15: 2015/09/07(月) 04:07:06.09 ID:o2iqdViAO

>>1の作品は雰囲気が凄く好きだから楽しみ。
過去作のリンクとか良ければ貼って欲しい

引用: モバP「花物語」