364: 2013/10/15(火) 00:05:07.95 ID:aIItxZuf0

 モバP「新しくアイドルプロダクションを作った」【前編】


 
 今日は智絵里がこっちの事務所へと戻ってくる日だ。

 今更、何時ごろ戻ってくるかまでは聞いていなかったことに気づく。

 でも、事務所で待っていればきっと会えるだろう。

 駐車場に車を止め、事務所へと向かう。最近の朝は寒い。

 事務所の扉を開け、辺りを見渡す。今のところは事務員の姿しかなく、智絵里はおろか、どのアイドルもまだ来ていない。

 自分の机で今日の分の仕事を確認する。

 一通り確認を終えた後、コーヒーを淹れるために、俺は席を立った。
アイドルマスター シンデレラガールズ シンデレラガールズ劇場(12) (電撃コミックスEX)
365: 2013/10/15(火) 00:06:17.74 ID:aIItxZuf0

 不意に腰に腕が回され、柔らかいものが背中に押し当てられた。

「だーれだっ」

 耳をくすぐる可愛らしい声。勿論、聞き覚えのある声だ。

「普通は目を隠すんじゃないのか?」

 腰に回された手を優しく解き、後ろの少女へと向き直る。

「ただいま、です。Pさん!」

「おかえり、智絵里」

  

366: 2013/10/15(火) 00:12:33.55 ID:aIItxZuf0

 久々に会話をしたかと思うと、智絵里は間髪入れずに俺の胸元目掛けて飛び込んできた。

 事務所でこれはマズいだろとは思いつつも、避けるわけにはいかないので受け止める。

 えへへ、と声を漏らしながら胸板に頬を擦りつける智絵里は、やっぱり小動物のようだ。

 智絵里には悪いが、ここは事務所の中で、周囲には事務員もいる。流石にこのままでいるわけにはいかない。

「あの、智絵里……そろそろ離れて」

「お願いします、Pさん……もう少し、このままで」

 急にしがみつく手に力が籠る。
 
「じゃあ……後三分、で頼む」

 ほんの少し項垂れながら、妥協案を出す。

 智絵里は顔をワイシャツに埋めながら、小さくうなずいた。智絵里の息がワイシャツを通り抜けて体に当たるのがくすぐったい。
 
 

367: 2013/10/15(火) 00:15:27.99 ID:aIItxZuf0

 幸せいっぱいの表情を浮かべる智絵里を見ていると、三分とは言わずにもう少しこのままでもいいかなとは思ってしまう。

 智絵里は男と話すのが苦手な方だったというのに、一体いつからこんなに警戒心なくすり寄ってくるようになったんだか。

 俺は智絵里にとって父親みたいな感じなのだろうか。よく分からない。父親って年齢でもない。

 離すまいと言わんばかりにぎゅーっと抱き付く智絵里の頭を、なんとなく撫でる。さらさらで触り心地のいい髪質だった。

 傍から見たらセクハラ以外の何物でもないのですぐに手を放す。

 事務員の視線は未だにこちらを捉えている……やっぱり早く離れないとダメな気がする。

  

369: 2013/10/15(火) 00:19:11.42 ID:aIItxZuf0

「プロデューサー、何をしているの?」 

 冷たい声が、背中に突き刺さる。
 俺は何故か、後ろの少女に恐怖を感じた。

「千秋、おはよう」

 後ろを振り向かずに、挨拶を交わす。

 素早く智絵里の両肩に手を置き、彼女には悪いが少々強引に引きはがす。
   

370: 2013/10/15(火) 00:23:01.72 ID:aIItxZuf0

「智絵里。俺が今担当しているアイドルの黒川千秋だ」

「……初めまして、黒川さん」

 智絵里は、さっきまでの笑顔が嘘のように引っ込み……いや、口元は笑っているように見えるが、何故か笑顔に見えない――という謎の表情をしていた。

「千秋。俺が過去に担当していたアイドルの緒方智絵里だ」

「初めまして、緒方さん」

 変わらず、千秋は無表情だ。声色もどこか冷たいままだ。

 その後、何とも言えない無言の空間が続く。

 理由は分からないがとても居心地が悪く、嫌な感じの空気が漂っているような気がした。
  
    

371: 2013/10/15(火) 00:27:38.91 ID:aIItxZuf0

「プロデューサー、仕事よ。行きましょう」

 嫌な空間は、千秋によって強引に破られた。

「え? ちょっと待て」
 
 仕事は午後からだった筈だ。

「ぐずぐずしない!」

 千秋は俺の右手を取ったかと思うと、急に早足で事務所を出ようとする。

「智絵里、悪い。また後で」

 右手を千秋に引っ張られながらも、後方の智絵里に視線を移す。

 俺の言葉に反応を見せず、智絵里はじっと俯いて佇んでいた。

 事務所の扉が閉まる瞬間、不意に智絵里が顔を上げる。


 その時、智絵里は――







 ――能面のような表情を浮かべていた。

  

382: 2013/11/04(月) 01:27:36.43 ID:3MEKEC0p0
 智絵里が帰って来てから数日が経った。
 智絵里が帰ってきたその日から、千秋は情緒がやや不安定になり心配だ。

 携帯でメールを確認する度に誰からのメールか聞くようになり、一度一緒に事務所を出ると、仕事が終わっても中々事務所に戻りたがらない。

 挙句の果てにやたらと体をくっつけて来て困っている。それも、恋人のようにくっつくのではなく、鬼気迫る表情だったり、悲しそうな表情だったり、決して離さないと言わんばかりに強く掴んで来たりと、少し様子がおかしい。

 そして、智絵里と会話していたり、会話しようとすると強引に中断させ、仕事もないのに仕事だと言って事務所を出ようとする。今や誰もが知る大人気アイドルだからライバル視しているのだろうか、そう思ったりもするが違和感は拭えない。

 近い内に何とかしなければと思いつつも、中々行動に移せずにいた。

 今日は、まだ千秋を見ていない。

383: 2013/11/04(月) 01:29:52.99 ID:3MEKEC0p0

 今は、事務机の隣に椅子を持ってきて、にこにこ笑みを浮かべている智絵里と会話をしていた。

 新曲の感想を聞かせて欲しいと言われ、イヤホンを片耳に入れて、智絵里の曲を聴く。

 大人しめの曲だった。彼女のイメージとぴったりな。

「Pさん、私の新しい曲、どうですか?」

「相変わらず魅力的で綺麗な声をしているな、智絵里は」

 片耳に入れていたイヤホンを抜き、智絵里に返す。相変わらず守ってあげたくなるような可愛らしい声だった。
 感想を聞いて、智絵里は恥ずかしそうに顔を赤らめて俯いてしまう。

「あ、あぅ……えと、きょ、曲の感想をお願いします」

「いい曲だと思うよ、お世辞抜きにさ。智絵里は昔から歌唱力高かったから、更に上達した今ではもう敵無しだな」

 昔は歌唱力があったが圧倒的に肺活量は足りていなかった。それが今では改善され、更に歌唱力も磨かれたために、歌姫と謳われる如月千早にも匹敵するんじゃないかと思える。
  

385: 2013/11/04(月) 01:33:37.76 ID:3MEKEC0p0

「あの、Pさん。お仕事頑張ったので……頭を撫でてくれませんか?」

「ははは、いいよ」

 承諾したのはいいものの、少し気恥ずかしい。視線を少しだけ逸らせながら、髪がぼさぼさにならないようになるべく優しく智絵里の頭を撫でる。

 相変わらずさらさらしてておっそろしいほど触り心地のいい髪だった。相変わらずと言っても前に触ったのはつい最近だ。

「えへへ」

 気持ちよさそうに言葉を漏らす智絵里。大人の男に対して無防備すぎるような気がしなくもない。不安だ。
 

386: 2013/11/04(月) 01:36:11.12 ID:3MEKEC0p0

「おはよう、プロデューサー」

 不意に後ろかかる声。振り向けば、千秋が佇んでいた。彼女は無表情で、どこか暗い表情をしていた。

「おはよう、千秋。早いな」

「えぇ、早起きしたの。プロデューサーに早く会いたくて」

 いつも智絵里と会話をしていると強引に中断させようとする千秋だが、今日は存外大人しい。
 千秋は何故か、全体的に雰囲気が暗く、幸薄そうな感じになっていた。彼女に一体何が起きたのだろう。

「とりあえず、今日の仕事の確認でもするか」

 智絵里に目配せすると、察してくれたのか「また後で」と言い残して席を外してくれた。
  

387: 2013/11/04(月) 01:43:18.06 ID:3MEKEC0p0

「…………」

「千秋、最近様子がおかしいけど大丈夫か」

 智絵里が座っていた椅子を引き寄せ、千秋は俺の隣に座った。何故か凄く近い。

「プロデューサー、私の頭も撫でて」

「え?」

 私の、という事は智絵里を撫でているところを見ていたらしい。

「嫌じゃないなら、いいけど」

「嫌じゃないから、お願い」

 暗い声で懇願する千秋。本当に大丈夫なのだろうか。
 

388: 2013/11/04(月) 01:45:24.49 ID:3MEKEC0p0

 恐る恐る彼女の髪に触れ、撫でる。

 智絵里は小動物みたいな感じだから撫でるのにあまり抵抗はないが、高翌嶺の花と言った感じの鋭利な雰囲気を持つ千秋に触れるにはかなりの勇気が必要だった。

 智絵里に負けずとも劣らず、心地よい手触り髪だ。どうして女の子の髪はこんなにも触り心地がいいのだろう。

「……幸せ」

 ぽつりと、彼女が小さく呟いた。

「幸せ、なのか」

 それに対し、よく分からない返事を返す。

「えぇ……とっても、幸せ」

 撫でられて、くすぐったそうに微笑む千秋。ようやく笑顔を見せてくれて、思わずほっとした。
 

「だから私は、この幸せを絶対に逃さないの」

 千秋は、頭に乗せている手とは別の方の手を取り、自分の頬にくっつけた。彼女の手はひんやりとしていて、心地よかった。

 幸せそうな表情を浮かべる千秋は、女神と言われても納得するぐらい綺麗で、どこか儚い。
  

402: 2013/11/19(火) 00:22:19.45 ID:sZ+CRk8W0

 昨日から千秋は少し変わった。情緒不安定だったのが一転して大人しくなり、精神的に幼くなったような気がする。

「プロデューサー、眠いから肩を借りてもいいかしら?」

「仮眠室で寝てこい」

 いきなり椅子を隣に持ってきたかと思うと、突然こんなことを言い出す。

 最近の千秋は妙に接触を求めてくる。くっつかれると嫌でも千秋に気を取られて仕事に支障が出るし、何より勘違いしてしまいそうだから必要以上に近づかないでほしいと言うのが本音だ。

「いや! プロデューサーで寝るの」

 千秋は駄々っ子のように首を振ると、俺の腕にしがみついて静かになった。

 何のために許可を求めてきたんだと内心突っ込みつつ、片手でパソコンを操作し、頑張る。他の事務員からの視線が痛かった。

 社長に告げ口されたら一発アウトな状況だと言うのに、振り払えないでいる俺は相当甘いんだろうなと一人自己嫌悪する。

403: 2013/11/19(火) 00:25:25.40 ID:sZ+CRk8W0

 それにしても、千秋は一体どうしたのだろうか。

 もしかしたら俺を親のように思っているのかもしれない。千秋から話を聞く限り、ずっと独りで、その上、親とのコミュニケーションすらまともに取れていないらしかった。

 年齢的にはあまり離れてはいないが、そんな環境で育ったのなら年上でそれなりに親しい俺を父親のように慕ってしまうのも無理はない。

 ただ、ずっとこのままでいるわけにはいかない。千秋だって既にそれなりの知名度がある。いつまでもこのままでいいわけがなかった。

 ちらりと、視線をパソコンの画面から左腕に寄り添う千秋へと移す。力強くしがみつき、顔を俺の肩に埋めていた。たまに生暖かい吐息が肩に感じられる。

「はぁ……」

 アイドルとしての素質は十分だけど、千秋は精神に難がある。何とかなるといいけれど。

「んぅ……」

 かなり無理のある姿勢だと言うのに、彼女は眠ってしまったらしい。

 美人な上に可愛さも併せ持つのは反則だ。
 

404: 2013/11/19(火) 00:38:35.14 ID:sZ+CRk8W0
 ★

 それからというものの、千秋の行動はエスカレートしていった。

「千秋、そろそろ」

「まだ、仕事まで時間があるわ」

 後部座席に座っている俺の膝の上に、千秋が乗っていた。傍から見たらアイドルに手を出しているプロデューサーの図……洒落にならない。

 しかも豊満な胸を押し付けてくる上に、唇を首筋に押し当ててくるため、非常に不味い。

「あの、千秋……」

「嫌」

「嫌、じゃなくてだな」

「嫌」

 さっきからずっと、千秋は頑なに離れようとしない。
  

405: 2013/11/19(火) 00:45:16.11 ID:sZ+CRk8W0
「もっと髪を撫でてくれるかしら」 

「はいはい……」

 いきなり構ってちゃんの甘えたがりになった千秋。仕事とかはすこぶる好調で実力は依然伸び続けている。だが、仕事が終わったり、オフになった瞬間こうなってしまう。

 やはり、複雑な家庭環境が原因なのだろうか。今まで、誰にも甘える事ができなかったのは、成長していく上で精神に与える影響が大きすぎるのかもしれない。

「プロデューサーっていい匂いするわね」

「別になんもつけてないけど」

「そういうのじゃなくて、プロデューサーの匂いのこと…………この匂い、とっても好き」

 俺のシャツに頬を擦りつけながら、幸せそうな、柔らかい笑みを彼女は浮かべる。

 ――このままではいずれ取り返しのつかないことになるかもしれない。

 そう思っていても、俺は未だに上手く拒むことができないでいた。もし拒んだとして、あっさりとやめてくれればいいが、万が一傷ついたりしたら、と思うと途端に何もできなくなる。
  
 千秋のためを思うなら、強く突き放すべきなのだろうが、動けない。
 

406: 2013/11/19(火) 00:47:37.65 ID:sZ+CRk8W0

 結局、何もできずに二週間ほどが経った。

 気が付けば、恋人のように寄り添いあうのが当たり前のようになっていた。毎回毎回拒否せずに、されるがまま、それでいて千秋はこの行為に飽きなかったのだから必然的にこうなるだろう。 

 勿論千秋は場所を弁えるが……主に楽屋の中とか、車の中など邪魔が入らない場所では、こうしているのが当然と言わんとばかりに、くっついて来る。

 軽く注意するが、それでやめてくれたことは一度もない。
 
 事務所では、事務員がいようと、アイドルがいようと構わず彼女は寄り添ってくる。呼び出されたりはしていないが、恐らく確実に社長の耳には俺達のことが入っているだろう。

 いくら社長に腕を買われたとはいえ、アイドルとこんな関係続けていたら首になっても仕方がない。

 千秋に気を取られて仕事も遅れることが多くなり、そろそろ本気で距離を取る必要がある。



「Pさん、最近元気ないですけど……大丈夫ですか?」

「別に、ちょっと寝不足なだけだよ、心配させてごめんな」

 智絵里にも心配させてしまったようだ。やっぱり、色々ずれてきている。

 こうなったら仕方ない。千秋を少しだけ突き放そう。フォローなんて頑張ればいくらでも出来る。
 彼女が傷つかないことを祈るだけだ。
 
 

407: 2013/11/19(火) 00:49:30.47 ID:sZ+CRk8W0

 その日の夜、俺は千秋と二人で公園にいた。

 遊具がたくさんある割には人気が無い、ひっそりとした寂しい公園だ。千秋はここがお気に入りで、よく俺を連れてここに来る。

「最近寒くなって来たわね」

「あぁ……もうすぐ冬だからな」

「プロデューサー、手繋ぐわね」

 ぎゅっと、左手を握られる。千秋はすぐさま指を絡ませ、あっという間に恋人繋ぎの出来上がりである。

「温かい……」

 愛おしそうに、小さく息を吐き出すように、彼女は呟く。

「ずっと……ずっと、こうやってプロデューサーを感じていたい」

 握る手に力が籠るのが分かる。

 ――俺は思い切って、千秋に告げた。

「千秋……あのな……そろそろ、こういうのはやめにしよう」
   

408: 2013/11/19(火) 00:52:46.96 ID:sZ+CRk8W0

「え?」

 どういう意味? と何を言われたのか理解できないと言ったような表情を、千秋はこちらへと向ける。

「今だって、ファンや記者が俺達を負って来ていたら完全にアウトだ……恋人でもないのに、こんなこと、もうやめよう」

「……だったら……プロデューサーの、恋人に、して」

 涙を零しながら、縋るような目で千秋は、俺の方へと手を伸ばす。

「いつだったか、アイドルだから恋愛は無理だと言う話に、千秋は納得していただろう」

「……いや……いやよ」

「千秋、ごめん」

 千秋は、俺を親と見て甘えていたのではなく、単純に慕ってくれていたらしい。そのことについては素直に嬉しい、彼女がアイドルじゃなければきっと付き合っていただろう。

 でも、彼女はアイドルで、俺はプロデューサーだ。恋人になるのは避けなくてはならない。
  

409: 2013/11/19(火) 00:55:25.08 ID:sZ+CRk8W0

「絶対に、いやっ!!」

 限りなく悲鳴に近い声色で千秋は叫び、一気に俺の胸元へと飛び込んだ。避けるわけにもいかず、受け止める。

「プロデューサー……!!」

 千秋は涙に濡れた目で俺の瞳を覗き込んだかと思うと、一気にこちらへと顔を近づけた。

 彼女が何をしようとしているのか気づいたときには既に遅く、そのまま何も反応できずに、俺は千秋のキスを受け入れてしまう。

「プロデューサー、好き……好きよ……プロデューサー……愛してる」

「千秋!」

 か細い腕で精一杯俺の体を抱き、がりがりと両手で背中を掻き毟る。

「私を愛して……プロデューサー!! 私を、拒まないで、ずっと、ずっと一緒にいて。私の傍に、いて……ずっと、愛して……お願い……プロデューサー……」

 ちゅっ、ともう一度、千秋がキスをした。

「ごめん……千秋」

 気の利いた言葉の一つすら思い浮かばず、俺は項垂れる。

 千秋は嗚咽を漏らし、今にも崩れそうになりながらも、必氏に俺を抱きしめていた。
  

410: 2013/11/19(火) 00:56:35.12 ID:sZ+CRk8W0
 ★


「…………」

 闇に紛れて一人佇む少女がいた。

 少女は暫くの間、公園で寄り添いあうプロデューサーと千秋を見つめていたが、数分後、踵を返して公園から出ていく。

 その表情は暗闇で隠れ、見えることはなかった。
  

432: 2013/12/08(日) 18:29:57.59 ID:F/IIFFEC0
 ☆

 千秋の告白を断って数日経った。結論から言って、何も変わらなかった。態度も何も変わらず、今まで通りひたすら俺との接触を求めてくる。

 何回やめさせようとしても、黙りこくってより一層密着するだけだった。

 仕事を黙々とこなしつつ、今後どうするべきかを真剣に考える。考えようにも何も思いつかないのが現状だった。

「Pさん……大丈夫ですか?」

 いつの間にか智絵里が傍に来ていた。集中しすぎて気配に気付けなかったらしい。

433: 2013/12/08(日) 18:31:20.21 ID:F/IIFFEC0

「別に大丈夫だ。智絵里こそ、どうしたんだ?」

「…………」

 智絵里はじっと、目を覗き込んでくる。その表情は暗かった。

 何とも言えない空間が数秒たった後、彼女は口を開く。

「今日、私の仕事について来てくれませんか?」

「え? あぁ、別にいいけど」

 遅れてしまった分の仕事は家で終わらせた。最近慣れてきたせいか、千秋に接触されても仕事に集中できるようになってきている。つまり、仕事面での悩みは解決したと言える。根本的な解決には至っていないが。

 だから、たまにはいいだろう。智絵里ががんばっている姿を近くで見るのも。
 

434: 2013/12/08(日) 18:37:37.67 ID:F/IIFFEC0

「本当ですか?」

「あぁ」

 ずい、と身を乗り出して確認してくる智絵里に、再度返事を返す。
 その時の智絵里の表情はなんだか嬉しそうで、こっちまで微笑ましい気持ちになる。

 少し待っていてくださいと、智絵里は準備を始める。
 俺に付き添ってもらうことを伝えているのか、事務仕事をこなしている担当プロデューサーと一言二言交わした後、慌てて自分の荷物の所まで行き、いそいそと身支度を整え始めた。

 相変わらず、一つ一つの仕草が可愛らしかった。狙ったものではないから、なおさら。

「待たせて……すみません」

「全然時間あるし、大丈夫だよ」

 準備を終えた智絵里を乗せ、仕事先へと車を走らせる。
  

435: 2013/12/08(日) 18:43:38.34 ID:F/IIFFEC0

 何ヶ月ぶりだろうか、智絵里の仕事を間近で見るのは。

「こうして一緒になるの、久しぶりだな」

「はい…………Pさんと離れ離れになって……とっても寂しかった」

「嬉しいこと言ってくれるなぁ。俺だって寂しかったよ」

「えへへ……私も……嬉しい、です」

「そうか」

 智絵里の頑張っている姿をテレビでしか見れないのは、寂しかった。
 智絵里のいない事務所も、寂しかった。

 智絵里の成長していく姿、笑顔、仕草、もっと見ていたかった。
 
  

436: 2013/12/08(日) 18:46:22.57 ID:F/IIFFEC0

「Pさん、仕事までまだ時間があるので、ちょっとそこの駐車場に車を止めてお話しませんか?」

「ん? あぁ、いいぞ」

 唐突な提案だったが、今智絵里が言ったように、仕事までまだ時間がある。車の外に出るのは危険だが、中で話すぐらいなら別に大丈夫だろう。

 広い割にはあまり車の止まっていない駐車場に車を止める。目の前にはたくさんの遊具があり、子供たちが元気に走り回っていた。

「こうしてまともに智絵里と話すのも、久しぶりだな」

「最近忙しくて、中々Pさんと話せませんでした……ごめんなさい」

「はは……それは謝ることじゃないだろ。それに、忙しいって言うのはいいことだ」

 忙しくなくなるというのは徐々にアイドルから離れて行ってしまうという事だ。それは本人が望まなくても勝手に訪れる。

 爆発的に売れている智絵里にとってはまだ遠い未来の話だが、やはり、いずれ彼女にも訪れるのだろうか。
  

437: 2013/12/08(日) 18:51:06.56 ID:F/IIFFEC0

「あの……Pさん……」

「何だ? 智絵里」

「Pさんは最近、悩んでいますよね? ……いえ……困っていると言った方が、正しいですか?」

「…………」

 智絵里はよく俺を気にかけてくれた。智絵里は気づいていたらしい、俺が悩んでいることに。結構普通にしていたつもりだった筈だが。

「あの……私は部外者ですけど……よかったら、話してもらえませんか? 私、Pさんの力になりたくて」

 黙りこくった俺に、智絵里はそう告げた。
  

438: 2013/12/08(日) 18:55:27.53 ID:F/IIFFEC0

「別に、大丈夫だ。確かに悩み事はあるが……相談するものでもない、自力で解決してみせるよ」

「そう、ですか……」

 悲しそうに彼女は俯く。なんだか悪いことをした気分だった。

「智絵里、ありがとうな。心配してくれて」

 くしゃくしゃと、隣で項垂れている智絵里の頭を軽く撫でる。

「私は、Pさんの力になりたいんです……Pさんが困っているなら、助けたい……」

「別に、大丈夫だよ」

「…………Pさん」

 俺は明るくそう答えるも、智絵里は笑顔を見せてはくれない。

 というよりも、逆だった。智絵里は、普段の彼女からはかけ離れた、どこか冷たい雰囲気を纏っていた。
  

439: 2013/12/08(日) 18:57:42.92 ID:F/IIFFEC0

 話していて薄々感じていたが、千秋のみならず智絵里もどことなく様子がおかしいように思える。

 智絵里も、何か悩み事でもあるのだろうか?

 その後、様子のおかしい智絵里を尻目に会話を切り上げ、彼女の仕事先へと向かった。

 近くで智絵里の仕事姿を見ていたが、智絵里は前よりもずっと成長していた。今では普通にこなしていることでも、昔だったらきっと三倍の時間はかかっていただろう。

 過去よりも幾ばくか自信を持てるようになったためか、温かくて微笑ましい空気を纏い、スタッフや共演者を笑顔にしていた。

 彼女の仕事は順調に進み、予定よりもやや早めに終わった。
 
 

440: 2013/12/08(日) 19:00:48.58 ID:F/IIFFEC0

 楽屋にて、智絵里は、

「あの……今日の私、どうでしたか?」

 少し上目遣いになりながら、そんなことを聞いてきた。

「なんだか……成長したなーって思ったよ。これからもその調子でがんばれ」

「そ、そうですか……えへへ……これも、Pさんのお陰です」

 ぎゅっ、と感極まったように智絵里は俺へと抱き付いた。

 千秋とは違い、智絵里は妹のような存在であるため、精神衛生上とてもいい。アイドルに抱きしめられているだけでスキャンダルだから問題ではある。

 

441: 2013/12/08(日) 19:02:54.63 ID:F/IIFFEC0

「Pさん……これからも、ずっと私のこと、見ていてくださいね」

「あぁ、見守ってるさ、ずっと」

「約束ですよ? ……私のこと、見捨てないでくださいね……?」

「あぁ、約束だ。見捨てるわけないだろ」

 智絵里が胸に埋めていた顔を上げ、俺の瞳を下から覗き込んだ。ふわふわした髪を優しく撫でながら、言葉を返す。

「それじゃ、次の仕事に行こうか」

「はい!」

 向日葵のように温かい笑みを浮かべながら、智絵里は体を離した。
  

442: 2013/12/08(日) 19:05:40.25 ID:F/IIFFEC0

 身支度を整え楽屋を出て、智絵里の次の仕事へと向かおうとした矢先に、本来ならまだ仕事から戻ってきていない筈の千秋と出くわした。

 千秋もまさか俺がここにいるとは思っていなかったようで、驚愕の表情を浮かべていた。

「あれ? 千秋?」

「プロデューサー? あなたこそ何をしているのかしら、こんなところ……で……」

 千秋の視線は後ろの智絵里へと向けられる。見る見るうちに智絵里を見つめる表情が険しくなっていく。
 智絵里が一体何をしたって言うんだ。

「プロデューサー、行くわよ」

 有無を言わさない口調でそう言うと、千秋は素早く俺の右手を掴んで引っ張り、この場から連れ去ろうとした。

 体ごと引っ張られ、二歩三歩と足が進むが、不意に、浮いた左手を掴まれる。

 当たり前だが、俺の左手を掴んで千秋を止めたのは後ろにいた智絵里以外ではありえない。
   

443: 2013/12/08(日) 19:10:56.48 ID:F/IIFFEC0

「まだ、終わっていません……約束」

 振り返った千秋の目には、敵意があった。

「ねぇ……離してくれるかしら。プロデューサーも私も困っているのだけれど」

「……離しません」

 智絵里も強い意志のある瞳を細め、千秋を睨み付ける。智絵里がこんなにも怒りを露わにするのを見るには初めてで、思わず戸惑った。 

 故に動けない。

「ふざけないで……緒方さんには緒方さんのプロデューサーがいるわよね? 人のプロデューサーを勝手に取るのは酷いと思うの」  

「私のプロデューサーを――」

 智絵里が言葉を途中で切る。何て言おうとしたのか、少しばかり気になった。 
  

444: 2013/12/08(日) 19:17:06.47 ID:F/IIFFEC0

「千秋、悪いがまだ終わってないんだ。後でちゃんと説明するから、今はやるべきことをやってくれ」

 俺が仲裁に入ると、途端に千秋は慌てだす。

「プロデューサー?! どうして――」

「また後でお願いします……黒川さん」

 千秋の言葉を強い口調で強引に切り、智絵里は俺の手を引いてその場を離れた。

 なんだか酷い罪悪感に襲われた。後ろ髪を引かれるような思いをしながらも智絵里に付き添う。

 後ろで、千秋は俯き項垂れていた。

「千秋……?」


 千秋の頬を、涙が伝ったような気がした。
   

451: 2013/12/08(日) 19:58:22.39 ID:F/IIFFEC0
 ☆


 結局、その日はずっと千秋の最後の姿が頭から離れず、仕事がやや手付かずだった。

 半日、仕事に付き添って見守っていた智絵里は、どの仕事も滞りなく終わらせ、多少のミスはあれども些細なものばかり。
 もう、全て、一人で出来ているのだ。
 そこに少し寂しさを感じたが、その成長には素直に感動した。

 千秋だって、すぐに彼女と同等になれる。

 きっと、なれる……。
 

452: 2013/12/08(日) 19:59:34.32 ID:F/IIFFEC0

 …………くそっ。

 自分がプロデュースしているアイドルの成長を、未来を、俺が止めてどうするんだよ。
 
 だが……俺が今の千秋から離れて、果たして彼女は大丈夫なのだろうか。

 いや、自惚れるな。だからと言って俺がずっと傍にいても、彼女のためにはならない。
 
 いつか、時期が来たら千秋の元を去ろう。それが最善の選択で、俺がすべき最後の仕事なのだろう。

 そして、その時期はきっと近いんだろうな。
  

453: 2013/12/08(日) 20:05:11.74 ID:F/IIFFEC0
 ★


 夜遅くの公園。ひと気は一切なく、たった一つの街灯だげか寂しげに灯っている。

 月明かりさえも分厚い雲に遮られ、辺りは真っ暗だ。雪こそ降ってはいないが、とても出歩こうとは思いたくない寒さだった。

「やっと来たわね」

 近づいて来る足音を聞いて、千秋がベンチから立ち上がる。

 歩を進めるにつれ、足元からゆっくりと街灯に照らされる少女。

 そこにいたのは緒方智絵里だった。二つに結んだ髪を左右に揺らしながら、毅然とした態度で千秋の元へと近づく。

「……こんな夜中に、何の用ですか?」

 足を止めず、近づきながら、自分を呼び出した千秋に問う。 

454: 2013/12/08(日) 20:14:46.48 ID:F/IIFFEC0

「これ以上、私のプロデューサーに関わらないでくれるかしら」

 智絵里の質問に対し、有無を言わせない強い口調で千秋は返す。それでも智絵里は怯むことはなかった。

「嫌です……そもそも……Pさんはあなたのものではありません」

 そう言って、千秋を睨み付ける。

「どうして……どうして奪おうとするの? 私のたった一人の……理解者を」

「先に奪ったのは……黒川さんです……私から、Pさんを」

「違うわ。プロデューサーは、私の所へ来てくれたの。自分の意志で、私の元へ来てくれたの」

 千秋の言葉を聞いて、笑っているようにも、怒っているようにも見える表情を、智絵里はした。
  

455: 2013/12/08(日) 20:15:56.92 ID:F/IIFFEC0

「何が可笑しいのかしら」

 その表情を笑っていると受け取った千秋が、苛立ちを込めた声で指摘する。

「Pさんから聞きました。黒川さんを……スカウトした時のこと……他にも、色々。あなたについて……聞きました」

 くすり、と智絵里が小さく笑みを零した。

「――別にPさんでいなくても……黒川さんはきっと好きになっていましたよ……自分を助けてくれた、人を」

「……何よ、それ」
  

456: 2013/12/08(日) 20:24:06.34 ID:F/IIFFEC0

 何を言われているのか理解できず、千秋は思わず聞き返す。

 智絵里は、優しく微笑んだ。

「分かりませんか? 公園で黄昏ているところを、偶然スカウトされて、親を説得してもらって、プロデュースされて……例えそれがPさんではない他の誰かでも……あなたは好きになっていました」

 言い聞かせるように、智絵里は断言した。きっとあなたは好きになっていました、と。

 頭を押さえ、千秋は首を振った。

「そんなこと、ある筈がないわ。私はプロデューサーが、プロデューサーだけが好きなの」
  

457: 2013/12/08(日) 20:31:08.23 ID:F/IIFFEC0

「そうですか? かっこいい人が黒川さんの悩みを聞いて、親を説得しに行くだけでも……黒川さんはその人が好きになりそうな気がしますけど」

「やめて」

「別に、普通の人でも、プロデューサーをやっていなくても、助けてくれれば……誰でも好きになっちゃいますよね、黒川さんの境遇なら」

「やめてっていっているでしょッ!!」

 叫びにも悲鳴にも聞こえる声で、智絵里の言葉を強引に止める。

「例え、平行世界があって、他の世界の私がプロデューサーではない誰かに助けられて、その誰かを好きになっていようと、関係ないわ。私は、プロデューサーを愛しているの。何も……他には何も関係ないッ!!」

 びしっ、と智絵里を指差し、千秋は言葉を続ける。

「……あなたはどうなのかしら? 果たして本当に自分がプロデューサーだけを好きになるって言う自信でもあるのかしら?」
   

458: 2013/12/08(日) 20:32:45.06 ID:F/IIFFEC0

「ありますよ……私がPさんだけを好きになる、自信……」


 いつも、何をやってもダメだった私を見て、私のプロデューサーになる人は次々と担当アイドルを私から変えていった。

「見てくれはいいが、他はダメだな」

「モデルすらもまともにこなせないのか、お前は」

「お前のせいで仕事が進まないし、俺が怒られるし、最悪だ」

「どうして、何をやっても出来ないんだ?」

「お前は正直に言って、アイドル向いていない」

 自分に原因があるとはいえ、今まで担当プロデューサーになった人達は心無い言葉を私へぶつけた。

 たまに根気よく私に付き合ってくれた人もいたけれど、伸びない私を見て諦めた。
  

459: 2013/12/08(日) 20:34:29.46 ID:F/IIFFEC0

 私を変えてくれたのは、Pさんだけ。

 どんなにダメでも、見捨てなかったのも、Pさんだけ

 私のことを本当に理解してくれるのも、Pさんだけ。

 Pさんは私を安心させてくれて、私の心にずっと寄り添ってくれる、最愛の人。

 だから私も、Pさんに寄り添う。生涯、ずっと、永遠に。
  

460: 2013/12/08(日) 20:38:55.72 ID:F/IIFFEC0

「黒川さんとは、違う……私は、Pさんのことを本気で愛している」

「私だって、プロデューサーのことを、愛している」

 対抗するかのように、千秋は強く言葉を返した。

「あなたのそれは……愛とは呼べません。黒川さんは……Pさんを本当に想ってはいません」

「いい加減にしてッ!!」

 どこからともなく、千秋はナイフを取り出した。それは街灯の光を反射し、白く光る。 

 智絵里はそれを見ても、顔色一つ変えなかった。
  

462: 2013/12/08(日) 20:41:02.67 ID:F/IIFFEC0

「それを……どうするんですか? 私を……刺すの? ……本当に、あなたは……Pさんを困らせてばかり……まるで、昔の私のよう……」

「私は、プロデューサーを愛している。その想いは、誰にも否定させたりはしないわ」

「Pさんを困らせてばかりで……それが本当に愛だと思っているんですか?」

 首を傾げながら、智絵里は問う。

 千秋は、智絵里に向けていたナイフを下ろした。瞳には光も力もない。

「――もう……いいわ……これ以上、話しても、無駄だと分かったもの」

「あの……今度から、Pさんを困らせるのは……やめてください」

 智絵里の言葉は、千秋には届いていなかった。

「話し合いで解決しようとしたのが間違いだったのよ……最初から、こうすればよかった」
  

464: 2013/12/08(日) 20:44:53.71 ID:F/IIFFEC0

 暗い瞳を智絵里に向ける。嫌な気配を察したのか、智絵里が僅かに身構えた。

「あなたは、私達の邪魔なの……だから……消えてッ!!」

 千秋はナイフを振りかぶり、一気に智絵里との距離を詰める。そして、彼女の喉元目掛けて勢いよくナイフを振り下ろした。
 迷いはない。このまま行けば、ナイフの刃は間違いなく智絵里の喉を切り裂くだろう。

「消えるのは……あなたです」

 智絵里は、千秋のナイフを持つ手を掴んだかと思うと、素早く右手に持ったスタンガンを押し当てた。

 出力を弱めていたためか、気絶まで至らなかった。突然のショックに、千秋は右手からナイフを取りこぼし、体勢を崩してそのまま膝をつく。
  

465: 2013/12/08(日) 20:48:25.60 ID:F/IIFFEC0

 ナイフを拾い、蹲る千秋を蹴り倒す。

 千秋は悲鳴すらも出すことができず、うめき声を上げるだけだった。

 智絵里は彼女に馬乗りになり、容赦なく腕にナイフを突き立てた。赤黒い液体が、湧き出て小さな泉を作る。
 目を見開き、涙を零しながら、千秋は声にならない悲鳴を上げた。

 それを見ても、智絵里は容赦なく二回、ナイフを突き立てた。
 致命傷を外しながら、深い傷を負わせる。

「……もう二度と……Pさんに必要以上に近づくことはやめてください」

 智絵里の目には狂気が宿っていた。それを間近で見た千秋は、心の底から恐怖を感じ、身体を震わせる。

 ナイフを千秋の体から抜き取り、踵を返す。

 街灯の光から離れ、溶け込むように、暗闇の中へと智絵里は消えて行った。
  

466: 2013/12/08(日) 20:50:33.34 ID:F/IIFFEC0

 そして、血塗れの千秋だけが、街灯の下に残された。
 コートや服はどこもかしこも血だらけで、どこから出血しているのか分からないような状態だった。

 千秋は涙を零しながら、体を丸める。

 震えながら、必氏に自分を強く抱きしめた。

「プロデューサー……私を、愛して……」

 零れた涙が、音もなく血と混ざる。

 
 いつの間にか、空からは雪が降ってきていた。

「プロデューサー……」

 やがて、千秋の涙は凍てつく。
  

485: 2013/12/11(水) 02:02:36.95 ID:4sWNAsQd0
 ★

 ある日の朝、千秋が通り魔に襲われたと事務所から連絡を受け、俺は急いで駆け付けた。
 
 薄暗い個室、そこで千秋はベットに横たわっていた。目を閉じて静かに眠る彼女は、造形の花のように、美しかった。

 千秋は目を開き、天井から俺へ、ゆっくりと視線を移す。

「千秋……」

「プロデューサー……よかった……もう……会えないかと思った」
 
 そう言って、彼女は涙を零す。
  

486: 2013/12/11(水) 02:06:02.40 ID:4sWNAsQd0
「大丈夫……なわけ、ないよな……すまない」

 目頭が急に熱くなり、思わず俺まで泣きそうになる。
 
 そんな俺を横目に見ながら、千秋は上体を起こした。痛みに表情を歪ませながら。

「誰が、こんなことを……」

 俺は、答えなど期待せずに、ただ、頭の中に浮かんだことをそのまま口に出しただけだ。

 答えなんて返って来くるはずない。精々、通り魔の特徴ぐらいだろう。その程度の考えで出た、下手したら嫌なことまで思い出させてしまう浅ましい呟きだった。

 だが、結果は違った。
  

487: 2013/12/11(水) 02:07:10.96 ID:4sWNAsQd0

「緒方智絵里」

「え?」

「緒方智絵里よ……私を刺したのは」

 俺は耳を疑った。今……千秋は何て言った?

「冗談、だよな……?」

 千秋は口をきつく結び、真剣な表情で俺を見つめる。とても嘘をついているようには見えなかった。

 だけど、信じることもできない。
  

488: 2013/12/11(水) 02:09:17.00 ID:4sWNAsQd0

「真実は変わらない。私を刺したのは、緒方智絵里よ」

「そんな……どうして? どうして、智絵里が、そんなこと」

 智絵里に、そんなこと、できるのだろうか。智絵里は、そんなことするのだろうか。別に、智絵里の全てを知った気になっているわけではない……だが、にわかには信じがたい話だった。

 ――智絵里は、そんなこと、しない。

 危うく口にしてしまいそうだった。

「緒方智絵里は、プロデューサーのことが好きだから、こんなことをしたのよ」

「……?」

 千秋が、何を言っているのかよく理解できなかった。さっきから頭が回らない。
  

489: 2013/12/11(水) 02:11:58.88 ID:4sWNAsQd0

「緒方智絵里と私はお互いにプロデューサーが好きで、争った。私はそれで傷を負った……それだけなのよ……今回のこの出来事を説明するならば」

 言葉は出なかった。

 数分間、病室を沈黙が支配する。

「……どうして、警察に言わないんだ?」

 ようやく出てきた言葉が、それだった。

「言わないんじゃないの……言えないのよ」

「脅されているのか……?」

 智絵里に? 智絵里が本当に、そんなこと、するのか……?

 もはや何を考えるべきで、何を信じればいいのか分からなくなってきていた。
   

490: 2013/12/11(水) 02:15:06.76 ID:4sWNAsQd0

「脅されてはいるけれど……緒方智絵里からではないわね。誰から脅されているのかも言ってはいけないことになっているの……ごめんなさい」

「なんだよ……それ……」

 千秋は辛そうに、唇を噛み締める。ぎゅっと握り絞めた拳も、震えていた。

 俺は、彼女の力になることはできないのか……?

 信じ切れていない以上、智絵里を問い詰めるようなことはできない。彼女を脅している人間が誰かも分からない以上、何もできない。

 出来ることと言えば、千秋に寄り添うことぐらいだろうか。

「プロデューサー……ごめんなさい……」

 千秋はぽつりと、謝罪の言葉を述べた。

「……何に謝っているんだ?」

「体に傷が残ってごめんなさい……でも、私、がんばるから……体に傷があってもいいって思えるぐらい魅力的になるから……プロデューサーに好かれるよう、どりょく、するから……だから……」

 ――見捨てないで。
  

491: 2013/12/11(水) 02:17:12.17 ID:4sWNAsQd0

 そう言って千秋は、顔を両手で覆い、泣き出した。

 俺は、静かに椅子から立ち上がる。自分が今どんな表情をしているのか、見てみたい。

「千秋、また来る……とりあえず、今は安静にな……」

「プロデューサー……傍にいて……!」

「ごめん」

 千秋の懇願を跳ね除け、俺は病室を出た。
  

492: 2013/12/11(水) 02:18:21.66 ID:4sWNAsQd0

 病院を出て車に乗ったところで、堪えきれずに涙が溢れ出てしまう。

 体を震わせながら、鼻水を啜りながら、何度も何度も涙を拭いながら、暫くの間、嗚咽を漏らしながら静かに泣き続ける。

「おかしいだろ……」

 おかしかった。何もかも。

 千秋は、体に傷が残って悲しんでいた。

 でも、千秋は傷が残ったこと自体に悲しんでいたのではなかった。

 傷が残ったことで俺に見捨てられるのではないかというところに不安を感じて、悲しんでいた。

 しかもそれは、アイドルとしてではなく、異性として、だ。

 ……どうして、こうなったんだろうか。

 俺は、何を間違えた?

 誰か、教えてくれよ……。


 涙が一粒、また落ちた。 
  

503: 2013/12/11(水) 21:40:11.70 ID:4sWNAsQd0

 ★

 暗い病室で、千秋は一人の男と話をしていた。

 話し相手は初老の男性で、高そうなスーツを着こなしている。爽やかな笑みを浮かべながら、千秋を見つめていた。

「いやぁ、話を聞いてくれて助かった。本当、間に合ってよかったよ」

 千秋は、憎悪を表情に滲ませながら、目の前の男を睨めつける。きゅっと結んだ拳が小さく震えていた。

「とりあえず、説明しに来たんだ。ある程度……その前に、ありがとうと言っておこう、あの状況で、話を聞いてくれて」

 男は血に塗れた千秋の姿を思い浮かべながら言う。千秋にとっては不快な思い出でしかなかった。
 

504: 2013/12/11(水) 21:42:33.16 ID:4sWNAsQd0

「約束通り……プロデューサーを首にするのはやめて」

「ただ首にするだけじゃない。君に手を出した愚かなプロデューサーにもなる」

 男はそう言うと、プロデューサーと千秋が、恋人同士のように寄り添い合っている写真を彼女の前に置いた。

「ファンの数が増えれば増えるほど、過激な者も少なからず増えていく。君のプロデューサーは社会的立場も悪くなるし、下手したらファンからも狙われるかもしれない……君の選択は懸命だよ」

 千秋は写真に目を落とす。恐らくかなり遠くから撮ったものだろうが、無駄に画質は良かった。プロデューサーの顔も、千秋の顔も、はっきりと写っている。

「これはね、智絵里君が撮ったものなんだ。驚いたよ……いきなり千秋君を脅してくれなんて頼まれてね。いやはや、私が事務所にいなかったらどうする気だったんだか……」

 けらけらと、笑えるような内容ではないのに、愉快そうに男は笑った。
  

505: 2013/12/11(水) 21:43:24.37 ID:4sWNAsQd0

「智絵里君が逮捕されたら我々の利益に大きなダメージが入るからね……千秋君にはすまないと思っているが、涙を呑んで堪えてくれ」

「…………」

 悔しくて、何も言えなくて、もう枯れたと思えるぐらいに泣いたのに、また涙が溢れだす。

「それじゃ、そろそろ失礼させてもらうよ」

 男はそう言って立ち上がり、扉の方へと向かう。

「私が……もし、プロデューサーのことなんかどうでもいいと思っていて、貴方の脅しに屈しないで、警察に言っていたらどうなるのかしら?」

 振り返った男の顔には、殴りたくなるぐらい意地の悪い笑みが浮かんでいた。
  

506: 2013/12/11(水) 21:46:08.79 ID:4sWNAsQd0

「智絵里君には返り血が付いてなかった。それに、証拠となるようなものは何も残されていない。目撃者ですらいない……君は知らなかっただろうが、あの日の夜はね、私と智絵里君と智絵里君のプロデューサー三人で大きな仕事の相談をしていたんだ……だから、君を刺したのも智絵里君に似た誰かで、見間違いだろう」

 今度こそ、男は部屋を出ていく。

「絶対に捕まるわよ……日本の警察は、優秀なんだから……」

 千秋の言葉に、力はなかった。

 涙が止め処なく、零れ落ちる。


「プロデューサー……隠し事をして、ごめんなさい……」


 早く、プロデューサーに会いたい。

 傷を負ってしまった分だけ、がんばらないと。

   

530: 2014/01/11(土) 22:42:11.18 ID:sn/wYVIR0

 ★


 少しだけ薄暗い社長室に俺はいた。出社早々社長に呼び出されたのだ。
 
 やはり、千秋のことを言及されるのだろうか。

 身構えて入室したものの、予想は裏切られた。

 部屋の中には社長と、見慣れない少女が向かい合ってソファに座っていた。

 社長から、呼び出された理由を教えられる。

「――新しい、アイドル……ですか?」

「あぁ、千秋君も智絵里君ほどではないが、もう十分だ。君にはまた他のアイドルを担当してもらう」

 やはり俺と千秋のことは耳に入っていたのだろう。智絵里から外された時はともかく、千秋から外された理由は間違いなく、今までの日常が原因だろう。

 社長室にいた女の子は、物静かな女の子だった。黒髪に澄んだ青い瞳が特徴の整った顔立ちの女の子だった。無地で質素な服を身に纏い、地味な印象を受けるが、清楚感がとてもある大衆受けしそうな女の子だった。

 ただ、どことなく雰囲気が暗い。前髪で綺麗な瞳を隠してしまっているせいだろうか。

「……よろしくお願いします」

 ぺこりと、彼女は小さく頭を下げる。よく通る綺麗な声だ。
  

 

532: 2014/01/11(土) 22:44:43.42 ID:sn/wYVIR0

「名前は鷺澤文香と言う。他の事務所から移籍してきた女の子だ。ちょうどいいから君に任せたいと思ってね」

「……そうですか……分かりました」

 移籍か、どうりで見慣れないわけだ。

「それじゃ、任せたよ」

 未だに千秋のことで悩んでいた俺はこの転機を喜ぶべきなんだろうが、素直に喜べないでいた。色々なことが引っかかっていて、何も解決していないような気がしてならないからだ。

「それじゃ、行こうか」

 文香を連れて社長室から出る。

 ふと、脳裏に千秋の姿が浮かび上がった。想像の中の千秋は、泣いていた。

 千秋は、俺が担当から外れると聞いてどういう反応をしたのだろうか……。

  

533: 2014/01/11(土) 22:47:57.86 ID:sn/wYVIR0

 ――文香の担当になって一週間が経った。

 一週間で、俺はある程度鷺沢文香という女の子を知る。

 文香は無口で無表情で、あまり感情を露わにしない。ファンを笑顔にするアイドルが笑顔を浮かべないと言うのは中々に痛いが、整った顔立ちと清楚で大和撫子な雰囲気で何とか補えるだろう、多分。

 そして、初期の智絵里よりも酷い運動能力。ダンスはとてもじゃないが無理というレベルだ。50メートル走のタイムも二桁だったという話も聞いた気がする。

 前の事務所で努力したらしく、歌唱力は非常に高い。彼女の声は透き通っていて綺麗で、聴く者を魅了させる美しさがあった。加えて高い歌唱力も持っている。

 欠点が目立つから前の事務所は手放したのかもしれないが、歌だけでも十分やって行けるだろうに。

 まずは知名度と人気を上げるべく、小さな仕事から取っていく。

 智絵里の時と同じく、最初は写真撮影などを主にやらせることにした。
 

534: 2014/01/11(土) 22:51:11.42 ID:sn/wYVIR0


 人と会話するのが難しいと言う文香は、人前に出るのも苦手らしいが、そこは何とか頑張ってもらおう。

 カメラマンと相談して、ポーズなどはあまり取らせずにごく自然な状態を収めさせるよう頼んだ。

 結果、無表情で服装も地味目だが、溢れ出る清楚感と現代の大和撫子と言った雰囲気が早くも色々な人間に評価されて知れ渡り、ある程度の知名度を獲得するに至った。

 文香の出だしは良好と言える。とは言え、無口無表情運動音痴と問題がそれなりに残っているが。

 ともかく、高く評価されているという事実を俺は文香に伝えた。

 彼女は戸惑ったような表情を浮かべるのみで、あまり喜んではいなかった。その反応に俺が戸惑う。

「なんだか……あまり、実感はありません」

「まぁ、そういうものなのかな」

  

535: 2014/01/11(土) 22:56:47.45 ID:sn/wYVIR0

 短時間で爆発的に人気と知名度を上げて行った智絵里や千秋と違い、文香は時間をかけて徐々に知名度を上げて行った。

 どんなマイナーな番組にも出ることはない、ただ写真にだけその身を写す文香。ネットでの高評価が人の興味を引きつけ、写真集と知名度は次々と上がっていく。

 表舞台に立ったことは一度もないのに、文香についてだけ語るための掲示板も現れ、たくさんの人が集まっていた。

 表舞台に立てるのも、時間の問題だろう。
 

536: 2014/01/11(土) 23:02:49.72 ID:sn/wYVIR0

 文香と仕事をするようになって、それなりの期間が過ぎた。

 なるべく思い出さないようにしているが、それでも時折過去を思い出す。

 智絵里や千秋の姿が目に入る度に、俺はあの出来事を思い出してしまう。

 千秋も、智絵里も、文香と仕事をするようになってから俺に関わってくることはなくなった。

 智絵里はたまに視線が合うと微笑みを返してくれるが、千秋は視線が合ってもすぐに顔を逸らしてしまう。

 仕事には集中できる。というよりも、半ば二人を忘れるために打ち込んでいるようなものだ。

 時折、いっそのことアイドルに手を出したということでクビになった方がマシだったかもしれないと思う時もある。
   

537: 2014/01/11(土) 23:08:30.15 ID:sn/wYVIR0

「……あの……プロデューサーさんは、どうして笑わないんですか?」

「そうかな……俺は結構笑っていると思うけど……」

「……そう、でしょうか」

 文香にも俺の態度は不自然に思われたらしい。確かに、事務所で笑うことはあまりなかった。精々愛想笑いぐらいか。

 笑うことができなくなった、なんて恰好付けたような言い方は正しくない。正確には過去を引き摺りすぎていつも思いつめているだけだ。笑えるようなことも笑えない状態だ。

 文香は大人しいが中々積極的な少女で、よく俺を気にかけては歩み寄ってきてくれる。だけど俺は、文香が俺に恋愛感情を抱いてしまわないように、敢えて壁を作って、心の距離を離して接している。

 自惚れすぎだとか、ナルシストだとか、そんなことはもう気にしない。万が一でも文香が俺を好きになるなんてことはあってはならない。
  

538: 2014/01/11(土) 23:10:01.83 ID:sn/wYVIR0

 時間が経つにつれ、文香もきっと慣れてくれるはずだ。それまではどうか耐えて欲しい。良い印象は持たれないだろうし、苦手意識が生まれるかもしれない、それでも恋愛感情を持たれないだけマシだ。

 俺は心の中で文香に謝罪した。
 彼女は何の事情も知らないのに勝手に俺に冷たい態度を取られている。

 もしかしたら怖がらせているかもしれない。

 でも、俺はこの態度を貫き通すしかない。

 不意に携帯電話が鳴り響く。前に文香を売り込みに行った、大きな仕事に関係する連絡だった。

 向こうはどうやら文香を採用してくれるらしい。何度もお礼を繰り返した後、電話を切る。

 スケジュール表に仕事の日付を記入し、閉じる。

 文香にとって初めてのライブだが……大丈夫だろうか。精神的なものは、どうあがいても本人次第だ。

 悩むのは後だ。とりあえず、文香に連絡しよう。

 俺はもう一度携帯を取り出した。
  

546: 2014/01/12(日) 21:24:24.64 ID:3Lf3IqJ00

 叔父の本屋でお手伝いをしていた私は、とあるプロデューサーに目を付けられて、スカウトされました。

 アイドルなんてよく分からなくて、それに人前に出る仕事は苦手だと、私は断りました。

 それでもその人は諦めず、熱心に私を誘いに来ました。私もその度に断りました。

 結局私は、その熱意に負けてアイドルをする事になりました。

 そこから二カ月ほど、プロダクションで働かせていただきましたが、散々な評価をされてしまいました。

 運動能力もなく、特技もなく、喋るのも苦手で、雰囲気も暗い私は、アイドルになんか向いているわけがありません。

 私をスカウトしたプロデューサーは最初の頃は熱心に付き合ってくれましたが、徐々に私をほったらかしにすることが多くなりました。
  

547: 2014/01/12(日) 21:25:30.42 ID:3Lf3IqJ00

 私は、プロダクションの人達に唯一褒められた声だけを磨くことに集中し、頑張りました。
 
 ですが、努力は実らず、私には移籍の話が来ました。このままプロダクションにいられるよりも、他のプロダクションに売りつけた方がまだ儲かると言っていました。

 別に心は傷つきませんでした。私が傷をつく時と言えば、感情移入した主人公が酷い目にあった時くらいです。

 そして、私は違うプロダクションに移籍することになりました。前よりも本屋と自宅が近いので、正直助かりました。
  

548: 2014/01/12(日) 21:27:08.60 ID:3Lf3IqJ00

 新しいプロダクションで、私には新しくプロデューサーが付きました。

 プロデューサーは、私が多くの欠点を抱えているのを理解しても、対して変化を見せませんでした。

 いつも私を見ているようで、どこか遠くを見ている。そんな人でした。
 
 私がプロデューサーと一緒に仕事をするようになって、一カ月ほどが経ちました。

 プロデューサーはダメな私を見てもため息一つつかず、付き合ってくれています。

 プロデューサーは何故かあまり笑いません。

 プロデューサーは私といる時に、笑うことがありません。いつも無表情を貫いて、私に付き添います。

 プロデューサーは私との間に、敢えて壁を作っているように感じました。
 私が話しかけても一言二言返すだけで、すぐに話を終わらせてしまいます。
 

549: 2014/01/12(日) 21:29:33.11 ID:3Lf3IqJ00

 プロデューサーは時折、辛そうな表情や、悲しい表情を見せます。

 私は心の中で、困らせてごめんなさいと、何度も謝罪しました。

 時が経つにつれ、プロデューサーは私のせいで悲しんでいるのではなく、何か別の理由で悲しんでいることに気づきました。でも、私にはその理由が分かりません。

 同時に、プロデューサーによく視線を送っている女性も見つけました。黒川千秋さんと、緒方智絵里さん。どちらも、私では足元に及ばないぐらいの国民的アイドルです。

 私が事務所で本を読んでいると、黒川さんや緒方さんは度々、事務仕事をこなしているプロデューサーを盗み見ていました。

 黒川さんは複雑な表情をしながら、緒方さんは微笑みながら、いつもプロデューサーを見ています。

 私は、どうして二人がプロデューサーを気にしているのかが気になりました。

 結局、理由は分からずじまいです。
  

550: 2014/01/12(日) 21:31:06.39 ID:3Lf3IqJ00
私はプロデューサーに連れられて、とある会社に大きな仕事の相談をするために向かいました。


 大きな仕事と言うのはライブで、もしやることになったら私はたくさんの人前で歌わなければいけません。

 後日、私はオーディションも受けていないのに採用されてしまいました。プロデューサー曰く私のCDをあげただけだそうです。それだけで採用されるのでしょうか。

 そしてライブ当日、私はとても緊張していました。プロデューサーは珍しく優しげな表情を浮かべ、私を励ましてくれました。

 私が歌う番になって、ステージに立ちます。プロデューサーがライブ会場は小さいから大丈夫だと言っていましたが、私にとっては広く見え、たくさんの人がいて、思わず圧倒されました。

 負けじと、私は必氏に歌いました。
 
 今までアイドルが歌う時は歓声が響き渡っていたのに、私の時は何故か皆静かでした。青白いたくさんのペンライトだけが、ゆらゆらと揺れていたのが印象に残っています。

 歌が終わった時、大歓声が響き渡りました。
  

551: 2014/01/12(日) 21:32:29.46 ID:3Lf3IqJ00

 無事成功したことに胸を撫で下ろし、私は控室に戻りました。

 控室の前にはプロデューサーがいて、私の方へと駆け寄ってきます。

「よく頑張ったな、文香。最高のライブだったぞ」

 満面の笑みを浮かべたプロデューサーが、私を迎えてくれました。

 プロデューサーが笑顔を浮かべたことに驚き、その笑顔が私の脳に焼き付きました。
  

552: 2014/01/12(日) 21:35:52.29 ID:3Lf3IqJ00

 ――プロデューサーが、初めて笑顔を見せてくれた。

 その事実が、ライブを成功させたことよりも、何よりも嬉しくて、思わず私も笑顔になったことを覚えています。

 結局、笑顔を見せてくれたのはその一回きりで、その後は元通りになってしまいました。

 前まではそんなことなかったのに、プロデューサーが私との間に壁を作っているのが、寂しく感じるようになりました。

 私は何度もプロデューサーに話しかけますが、プロデューサーは応えはするものの相手をしてくれません。

 本を読んでいる時に、ふとプロデューサーの笑顔が浮かび上がります。そして、視線が本からプロデューサーに移ってしまうことがよくありました。

 プロデューサーのことばかり考えてしまって、読んでいる本が一ページも進まない時すらありました。

 優しい表情を、もっと私に向けて欲しい。もっと、親しくなりたい。いつの間にか、日常的にそう思うようになりました。




 既に自覚はしています。その手の本を私はたくさん見てきました。


 これはきっと、恋なのでしょう。


 私はプロデューサーを、好きになっていました。 

  

576: 2014/01/15(水) 02:34:08.15 ID:xNrYVDgF0

 プロデューサーはどうやったら私の恋人になってくれるのでしょうか。

 自分がアイドルだということも忘れ、今まで読んできた恋愛小説の内容を思い出しては自分とプロデューサーを登場人物に当てはめて考えます。

 本を開いているのに、いつの間にかプロデューサーと恋人になった時の妄想ばかり浮かんできてしまい、やはり本を読み進められません。

 やはり、告白が鉄則でしょうか……それとも、既成事実……。

 プロデューサーと行為に及んでいる自分を想像して思わず顔が熱くなります。恥ずかしい。

 当のプロデューサーは、机の前で何やら難しそうな表情をして切手?のようなものを眺めていました。悲しそうな表情を浮かべたり、辛そうな表情を浮かべたり、傍から見ると酷い有様です。

 ただの切手ではないのでしょうか……?
 

577: 2014/01/15(水) 02:36:37.33 ID:xNrYVDgF0

 プロデューサーは切手を机にしまうと立ち上がり、事務所を出て行きました。

 私は好奇心に負け、プロデューサーが机に入れた切手を手に取ってしまいました。

 プロデューサーが見ていたのは切手ではなく、プリクラと呼ばれる小さな写真でした。

 プリクラには、プロデューサーと黒髪の女性が親しげに腕を組みながら笑顔で写っています。

 私はそれを見た瞬間、胸が締め付けられるような感覚に陥ったかと思うと、黒髪の女性に強い嫌悪感と嫉妬心を抱きました。

 こんな気分は初めてで、私はプリクラを手に取ったまま暫く固まっていました。

 そして、プリクラに写っている黒髪の女性が同じ事務所に所属する黒川千秋さんだということに、私は気付きます。

 だから黒川さんは時折プロデューサーに視線を送っていたのですね。

 驚いたことに二人は付き合っていたようです。いえ……付き合っているのでしょうか? 千秋さんは笑顔でプロデューサーを見ていたことはありません。プロデューサーも、千秋さんとのツーショットの写真を複雑な表情で眺めていました。

 もしかして二人は、別れたのでしょうか?

 仮に付き合っていたとしても、これを使って脅せば二人を別れさせることは容易です。
 
 

578: 2014/01/15(水) 02:39:04.89 ID:xNrYVDgF0

 ここまで来て、ようやく自分の中のどす黒い感情に気づきました。

 気が付けば、プリクラを持つ手が震えています。

 ――この人は、プロデューサーの笑顔を独り占めにしていた。

 この事実がどうしようもなく私の嫉妬心を煽り、大きくしていきました。

 他のプロダクションに売られるぐらいの欠陥品である私に、プロデューサーは熱心に付き合ってくれた。

 ため息の一つもつかずについてくれて、たくさんの時間を割いてくれた。

 愛想笑いの一つですら浮かべることの出来ない私を連れて、必氏に売り込んでくれた。

 私の声を、歌を、褒めてくれた。

 わざと壁を作っているのに、私が緊張している時は自分で壁を壊して、優しく励ましてくれた。

 ライブが成功した時は、私を笑顔で褒めてくれた。 

 プロデューサーは本と同じぐらい、いえ……それ以上に、大切な人……。


 私は暫くの間回想に浸り、プリクラを持ったまま佇んでいました。

 気が付けば私の腕は誰かによって掴まれていました。

 振り向けば、そこには黒川さんが立っていました。怒りに染まった表情と、殺気の籠った視線がとても印象的でした。

 女性とは思えないほどの握力で私の腕を握り絞め、その痛みに思わずプリクラを手から放してしまいます。

 黒川さんはそれを慌てて拾ったかと思うと愛おしげに胸に抱き、そして私を睨み付けました。

「これはあなたが勝手に触ってはいいものではないの」

 黒川さんはそう言って立ち去りました。私は彼女の威圧感に圧倒され、何も言い返すことはできませんでした。

 ――負けたくない。

 彼女なんかに、プロデューサーを盗られたくない。

 プロデューサーを想う気持ちはより一層、強くなっていきました。

 まずは私も、写真を撮らなければなりません。
  

579: 2014/01/15(水) 02:39:56.09 ID:xNrYVDgF0
   
 ★

 ライブが終わってからというものの、文香は変わった。大きな仕事を成功させ、ある程度の自信がついたのだろう。

 よく笑うようになったし、ほんの少しだけお洒落になった。相変わらず本ばかり読んでいるが。

 そして、長い前髪を少しだけ切ってくれるよう何度もお願いして来る。

 俺は当然断った。女性の髪に触るのは抵抗があるからだ。例によって二人を思い出すからである。

 だが、文香にしては珍しく、中々譲らない。最善を尽くすが変になっても知らないぞと脅しのような忠告を何回もした後、文香の前髪を切った。勿論、ヘアカットハサミを用いて。

 慎重に時間をかけて切ったこともあり、違和感のない仕上がりになった。

 切っている間ずっと真正面から視線を受けており、かなり精神が削れた。青く澄んだ綺麗な瞳と視線が絡まる度に息が詰まるのだ。気を抜けば魅入ってしまう。

 文香も切られている間、頬を薄らと桜色に染め、恥ずかしそうな表情を浮かべたりしていて心が休まらなかった。

 智絵里とも、千秋とも全く違う魅力を持っているのだ、彼女は。全然慣れない。

 文香もライブを終えて知名度と人気がある程度上がった。他のアイドルが歌っていた賑やかなものとは違い、文香の歌ったものは場違いなほど大人しめの曲だ。それ故に目立ち、話題になり、印象に残る。効果は抜群だった。

 文香のCDはまだ発売していないが、発売すればそれなりに売れるだろう。少なくともあのライブに来ていた人達は文香の姿と歌を記憶に焼き付けてくれた筈だ。
  

580: 2014/01/15(水) 02:42:37.96 ID:xNrYVDgF0
 それにしても――。

 隣を歩いている文香に視線を移す。

 前髪が少しだけ短くなった文香は、前と違って目が隠れていない。当然、写真に写る時も前とイメージがかなり変わる。

 更に、微笑みを浮かべられるようになった。無理矢理作ったようなものではなく、ごく自然な感じの微笑みだ。

 当然、人気が出た。文香はまさに、男性から見た理想の女性像を体現したかのような存在だからだ。

 俺は、その唐突な変化に疑問を抱いた。

 彼女が明るくなるのはいいことだが、ライブが成功しただけでそこまで変わるようなものなのだろうか。

「文香ちゃん、最近は凄く明るいね。もしかして好きな人でもできたんじゃないか? 恋をすると女は変わるって言うしな」

 最近の文香を見た関係者はそうコメントした。好きな人の部分に内心過剰反応してしまったが、まさかな。あの文香に限ってそんなこと……。

 いや、でも最近かっこいい俳優とかに話しかけられていたような。黙りこくって俳優に一方的に話しかけられているだけだったし、あの時はいつもの無表情だったから多分違う、はず。
 
 思い返せば文香が男と接触する機会は結構あった。確認のしようがない。
 

581: 2014/01/15(水) 02:43:59.21 ID:xNrYVDgF0

 考え事をしていると、不意に袖を引っ張られる。

「プロデューサー……あの……栞作ったので、よければ使ってください」

 文香がバックから厳重に保管された栞を取り出した。丁寧な作りの栞だった。四葉のクローバーを押し花にして閉じたものだ。

 ――受け取った瞬間、文香の姿が過去の智絵里と被った。

 背筋に冷たいものが走る。

 その日から、文香を見る度に智絵里の姿が浮かび上がり、付き纏う。
   

582: 2014/01/15(水) 02:46:26.65 ID:xNrYVDgF0

 ☆

 智絵里から、明確に好きだと好意を伝えられたことはない。ずっと妹のような存在だと思っていたから、恋愛感情云々については全く考えていなかった。

 千秋に智絵里の好意を伝えられてから、俺は智絵里との思い出を見直した。

 今思えば、不自然だった。いくら妹のような存在だと思っていたとしても、やたらくっついていた。

 あんなにずっとくっつかれて妹のような存在は無理がある。というか全く意識しなかった俺はホ〇なんだろうか。

 智絵里がよく抱き付いてきたことも、頭を撫でることを要求されたことも、手を繋いできたことも、全て好意からなるものではないかと思い始める。
 
 千秋と時折不穏な空気を出していたのも、俺に好意を持っていたから……?
 
 もしかして、千秋に嫉妬していたのだろうか。
 

583: 2014/01/15(水) 02:47:13.92 ID:xNrYVDgF0

 俺は頭を抱える。

 だとしたら、智絵里は本当に千秋を刺したのだろうか。千秋が氏ぬかもしれないのに。

 智絵里は臆病で、気が弱い。そんな子が、人を刺すなんてこと果たして出来るのだろうか。

 過去に何度か見た、智絵里の不気味な暗い笑みを思い出すと、もしかしたらという考えが生まれたりもした。

 智絵里は、俺のことを大切な人だと言っていた。

 やはり智絵里は、俺のことが好きだったのだろうか。

 それが本当なら嬉しいことなのだろう。あんなに可愛くて優しい子に好意を寄せられているのだから。

 ……だけど、どうしてこんなに胸が苦しいのか。

「…………疲れた」

 智絵里と千秋、そして文香のことばかり考えてしまい、仕事が手につかなくなった。

 精神的に疲弊したせいか強い眠気に襲われ、そのまま睡魔に身を任せる。

 俺の意識は途絶えた。
  

584: 2014/01/15(水) 02:48:44.10 ID:xNrYVDgF0

 ★

 目が覚めた時、視界いっぱいに文香の顔が映り込んだ。

 青い瞳が俺の瞳を捉えて離さない。

 何も考えられず、驚くことも出来ず、俺は固まった。

 そして、気が付けば俺は文香とキスを交わしていた。

 真っ赤な表情の文香がそれを隠すべく顔を伏せ、離れた。

「…………迷惑、でしたか……?」

 小さい声を震わせながら文香はそう言った。

 もはや何の言葉も出ない。

「……ご、ごめんなさい!」

 文香は珍しく大きな声を出したと思うと、駆け足で逃げるように事務所を出て行った。

 窓から入る夕暮れの日差しが事務所を真っ赤に照らす。事務所には事務員すら居らず、静かだった。

 力が抜けたように、背もたれに寄りかかる。

「そうか……」 

 こうなったか。
   

585: 2014/01/15(水) 02:50:21.68 ID:xNrYVDgF0
 ★


 後日、俺は社長室へと足を運んでいた。

 社長に前日の夜に書き上げた辞表を差し出す。

「仕事の引継ぎ等はやります。それが終わったら、ここを出て行きます」

 社長は何も言わなかった。辞表を受け取って頷いただけだ。
   

586: 2014/01/15(水) 02:51:29.41 ID:xNrYVDgF0

 ☆

 プロダクションを出る数日前に、智絵里と話す機会を設けられた。

 俺は単刀直入に聞いた。智絵里が千秋を襲った犯人なのかどうかを。

 「私……Pさんの力になりたくて……ごめんなさい……」

 智絵里は俯き、小さな声でそう弁解した。その発言も、刺したことを申し訳ないと思っているのではなく、【勝手に解決してごめんなさい】というような言い方だった。

 何もかもが狂っていた。

 思わず泣きそうになり、慌てて智絵里の下を離れた。

 結局、何もかも俺のせいだった。智絵里も、千秋も、全て。




 その後、文香にも、智絵里にも、千秋にも、一言の挨拶もせずに、俺はプロダクションを退いた。

 退職金は桁を間違えてるんじゃないかと思うほど貰い、驚いた記憶がある。

 結局、俺はプロデュースをしたくて、新しくアイドルプロダクションを作ったわけだが。

 また同じことが繰り返されるのは、流石に酷いと言わざるをえない。
   

588: 2014/01/15(水) 02:58:53.56 ID:xNrYVDgF0

 ★

 長い回想を終え、片手で傘を差しながら先導する智絵里の背中を見る。

 智絵里は俺の手を引きながら、どこかへと向かっている。

 強い雨のおかげで今の俺達を写真に収めるのは至難の技だが、気は抜けない。いつどこに記者が潜んでいるか分からないのだ。

 雨に加え、大きな傘で智絵里も俺も顔が隠れているから恐らく大丈夫だとは思うが。



 遂に、過去に担当したアイドル達全員と再開してしまった。

 逃げるなってことなんだろう……きっと。

 どんな結果になろうとも構わない。今は、皆の想いに向き合おう。

 逃げずに、受け止める。
  

600: 2014/01/20(月) 22:46:18.46 ID:xWyr2ayd0

 智絵里に連れてこられたのは、大きなマンションだった。今はここで一人暮らしをしているらしい。

 七階までエレベーターで上がり、そのまま智絵里の部屋へと通される。

 居間は綺麗だった。というよりも、殺風景と言った方が正しいだろうか。テーブルや椅子、タンス、ソファ、大体の家庭にあるであろう家具は揃っているが、それ以外の、いわゆる趣味に関するものが一切ない。

 智絵里の趣味には詳しくないが、最低限の家具しかここにはないのだ。もしかしたら他の部屋にあるのかもしれないが。

「……Pさんはソファに座っていてください……今、タオルを持ってきます……」

 ソファに座れって……上も下も濡れているのだから座れるわけがない。

 結局佇んだ状態で智絵里を待つ。タオルを持って戻ってきた智絵里から大きめの白いタオルを受け取り、取りあえず体を拭く。

「あ……えと……コーヒー淹れてきますね」

 貰ったタオルで体を拭いている俺を眺めていた彼女は、はっと思い出したようにキッチンへと向かって行った。
   

601: 2014/01/20(月) 22:50:41.30 ID:xWyr2ayd0

 タオルで拭いても乾くわけでもなく、立ったまま智絵里が戻ってくるのを待った。

 数分後、智絵里が二人分のコーヒーを持って戻ってくる。

「智絵里もコーヒー飲めるようになったんだな」

「砂糖が入っていないと全然飲めませんけどね」

 そう言って小さく笑みを零す。昔となんら変わらない可愛らしくて慎ましい微笑みだった。

 昔はよく智絵里にコーヒーを淹れて貰ったっけな。懐かしい。

 過去を思い出しながら俺はコーヒーに口を付けた。インスタントにしては結構美味しいコーヒーだった。それに、体も温まる。
  

602: 2014/01/20(月) 22:53:10.19 ID:xWyr2ayd0

 コーヒーを飲み干してから数分、智絵里は何故か俯いたまま黙りこくっていた。

「智絵里、どうかしたのか?」

「……Pさんは、嘘つき……です」

 そう聞くと、唐突に彼女は口を開いた。その声は小さく、感情の籠っていない無機質なものだった。

「私を、ずっと見守ってくれるって……そう言ってくれたのに……」

「……智絵里」

 顔を上げた智絵里は暗く冷たい笑みを顔に貼り付け、嗤った。

 その表情に恐怖を感じた俺は、思わず後退った。

 不意に強い眠気に襲われる。明らかに異常だ。もしかしなくてもコーヒーに何か仕組まれていたのだろうか。

 床に手を付き、倒れそうになるのを必氏に堪える。
    

603: 2014/01/20(月) 22:55:34.11 ID:xWyr2ayd0

「今度こそ……ずっと私を見守って……Pさん……」

 ぼやける視界を何とか定めながら、いつの間にか目の前に立っていた智絵里へと視線を移す。

 彼女は身を屈めて目線の高さを同じにしたかと思うと、どこからともなく取り出した四葉のクローバーを口に含み、その状態で顔を近づけてきた。

 抵抗することも叶わず、智絵里のキスを受け入れてしまう。智絵里は舌で、唾液に包まれた四葉のクローバーを俺の口内へと押し込んだ。

 ぼんやりとした頭と気怠い体のせいでもはや何もすることができずに、智絵里が送り込んだ四葉のクローバーを体内に収めてしまう。

「……ち……えり……」

 意識を失う直前、幸せそうな、優しい笑顔を浮かべている智絵里が見えた。

 もはや眠気に抵抗する力もない。

 俺の意識はそこで途絶えてしまう。
 
 

605: 2014/01/20(月) 22:56:33.73 ID:xWyr2ayd0
短くて申し訳ありませんが更新終わりです

ここからエンディング分岐です(多分)

635: 2014/02/11(火) 12:20:12.82 ID:iIKLRhZc0

 ★


 気が付けば布団に寝かせられていた。すぐに上体を起こして辺りを見渡す。

 テレビ、本棚、机、ソファと、色々目につくが、明らかに違和感があった。窓の外に広がる光景を見て、違和感の正体に気づく。

 窓の外には森が広がっていたからだ。どう考えても眠らされる前にいた智絵里のマンションではない。

 布団から起き上がり部屋内を探索しようとした時、足首に違和感を感じた。

 足首には冷たい金属の輪が嵌められており、そこから鎖が壁にまで伸びている。鎖は壁から生えているわけではなく、壁の向こうへと続いているようだった。壁の向こうに重しがあるのか、一定以上の距離を歩こうとすると鎖が伸びきってしまい、それ以上進めなくなる。

 金属の輪はぴったりと足首についている上に中々に頑丈で壊れそうにない。鎖も同じだ。

 どうやら監禁されたらしい。実行したのは恐らく智絵里だろう。どうやってここまで連れてきたのかは分からないが。
  

636: 2014/02/11(火) 12:23:57.68 ID:iIKLRhZc0

 部屋には扉が二つあった。一つはトイレだった。

 鎖の長さには余裕があり、用を足すことは普通にできる。もう一つの扉には鍵がかかっており、外に出る事は叶わなかった。

 鎖は長く、部屋の中は自由に動くことができる。窓には鉄格子が付いており、万が一を想定しているようだった。

 本棚にあるたくさんの本の中から二冊ほど適当に手に取り、時間を潰す。

 これからどうなるのだろう。智絵里は俺を解放してくれるだろうか。そもそも、なぜこんなことに。

 金属の輪は硬く、外れそうにない。多分ないと信じたいが、智絵里が来なかったら俺はここで衰弱して氏ぬだろう。

 焦りを胸の奥にしまい、俺は本を読むことに集中した。だが、それも長くは続かない。こんな状況なのだから、当たり前と言えば当たり前だが。

 用意されていた布団の上に寝転がり、瞳を閉じる。白い天井を見つめながら、今までのことを振り返った。

 まったく可笑しい話だ。学生時代に女性から好意を寄せられるようなことなんてなかったというのに。皆は俺なんかのどこに惹かれたのだろうか。

 もっと、相応しい人間がいるだろうに。
  

637: 2014/02/11(火) 12:28:45.23 ID:iIKLRhZc0

 扉の開く音が小さく部屋に響き渡った。視線を素早くそちらへと向ける。

 見た目はいつも通りの智絵里が部屋へと入ってきた。

「おはようございます……Pさん」

 昔となんら変わりない可愛らしい笑顔を浮かべながら、智絵里はいつも通りの様子で挨拶をした。

 俺はすぐさま智絵里に詰め寄った。

「智絵里、これはどういうことだ? 犯罪だぞ、分かっているのか? 智絵里」

 繋がれた鎖を手に持ち、智絵里に向かって突き出しながら声をきつくして問う。強い口調に怯えるかと思ったが、智絵里はただ微笑むだけだった。

「ふふふ……Pさんをずっと繋ぎ止めたくて……ずっと……考えていたんです」

 ――考えた結果、こうなっちゃいました……えへへ。

 悪びれる様子もなく、彼女は小さく笑った。
  

638: 2014/02/11(火) 12:31:13.11 ID:iIKLRhZc0

「智絵里!!」

 そんな様子の智絵里を見て頭に血が上り、彼女の両肩を強く掴む。鏡を見なくても俺が憤怒の表情を浮かべているのは分かる。なのに、智絵里は顔を赤らめるだけで、怖がったり悲鳴を上げたりするようなことはなかった。

「Pさんを困らせるようなこと……したくなかった、です……あの人のように……Pさんを困らせたくはありませんでした……」

「智絵里、いい加減に――」

「だから……痛くして……ください……」

 唐突に告げられた言葉の意味が理解できず、毒気を抜かれる。

「何を言っている」

「……Pさんを困らせた罰として、いっぱい痛くしてください……アイドルを続けられなくなるぐらい……ぐちゃぐちゃにしても、いいです……」

 いつの間にか、思わず後退ってしまいそうになるぐらいの異様な空気が、智絵里の周囲を漂っていた。
  

639: 2014/02/11(火) 12:32:58.19 ID:iIKLRhZc0

 いつの間にか頬には智絵里の冷たい手が添えられ、彼女の顔が視界いっぱいに広がる。目と目が逢い、視線が至近距離で絡み合う。
 
 唇に当たる柔らかい感触は、間違いなく智絵里のものだろう。

「困らせて……ごめんなさい……」

 顔を離しながら申し訳なさそうに、智絵里はそう言った。儚い笑みを浮かべながら。

「そう思うなら、解放してくれ」

「それはだめ……です」

「智絵里の気持ちは分かった……だけど、こんな事で幸せになれると思うか? このままだと、近い内に警察沙汰になる。智絵里が捕まってしまったら、そこでもう幸せは終わるぞ」

「Pさんが私から離れていくことが一番不幸なことなんです!」

 初めて聞いた、智絵里の大きくて、悲痛な叫び声。思わず狼狽える。
  

640: 2014/02/11(火) 12:33:29.71 ID:iIKLRhZc0

「どうして……どうして離れて行こうとするんですか? ずっと、見守ってくれるって……約束したのに……」

「……智絵里」

「もう離さないって、決めたんです……こうしないと、Pさんはどこかへ行ってしまうから……」

 智絵里はそう言って、俺の背中へと手を回す。

「絶対に……離しません」

 告げる声は冷たくて、愛おしそうで、楽しそうだった。


 ――そして、終わりの見えない監禁生活が始まる。
 

641: 2014/02/11(火) 12:36:33.44 ID:iIKLRhZc0

  ☆



 監禁されて二ヶ月ほどが経った。暫くの間はずっと諦めずに説得を続けてきたが、この三週間ほどでそれも無駄だということが分かった。

 既に反抗の意志は消え失せ、今では智絵里にされるがままだ。

「智絵里……喉が渇いた。水をくれ」

 俺の左腕を両腕で抱きしめながら、肩に頭を預けてじっとしている智絵里に水を持ってくるように頼む。

 水も食料も全て智絵里を通さないと得ることができない。仕事に行くときだけは料理を作り置きし、水も置いてくれるが。

「分かりました……ではPさん、口を開けてください……」

 智絵里がおもむろに立ち上がったかと思うと、ポケットに入っているケースからナイフを取り出した。

 
 また、これか。
  

643: 2014/02/11(火) 12:42:16.27 ID:iIKLRhZc0

 止める暇もなく、智絵里は自身の腕にナイフで傷をつける。あっという間に血が溢れだし、次々と零れ落ちた。

「たくさん飲んでくださいね……」

「…………分かった」

 智絵里がこちらへと腕を近づけた。もはや抵抗する気も起きない。傷口に口をつけ、溢れ出る血液を舌で舐めとり、啜る。口内一杯にツンとした鉄錆の匂いが広がった。

 最初の方こそ驚き、止めるよう言い聞かせたが、結果として無駄だった。

 俺が血を飲まなければ智絵里はいつまでたっても止血せず、挙句の果てに水をくれない。

「えへへ……おいしい、ですか?」

「おいしいよ……おいしいから……早く止血してくれ」

 智絵里も馬鹿ではないから、毎日こんなことをしているわけではない。一週間に一回と言ったところだろうか。

 傷は案外深くないようだが、多量の血が出るため、内心気が気でない。それに、消毒していると彼女は言っているが、それでも何かよくない病気になる可能性はあるだろう。何とかやめさせられないものか。

 智絵里も智絵里でどうして何の躊躇いもなく自傷できるのだろう。想う気持ちはこんなにも人を歪ませるものなのか。
  

644: 2014/02/11(火) 12:43:57.73 ID:iIKLRhZc0

「Pさん……これ見てください」

 智絵里が唐突に二つの通帳をこちらへと差し出した。二つの通帳に記されている金額の合計は、いくらアイドルとはいえ未成年の少女には手に余るほどの大金だった。

「もうちょっとだけ稼いだら、引退して……Pさんだけのアイドルになりますね……なんて……えへへ」

 俺の膝の上に智絵里が乗っかり、甘えるように胸板に頬を擦りつける。上目遣いでこちらを見上げた。昔と変わらない可愛い顔立ちだ。本当に、見た目は何も変わっていない。

「だから、Pさんも……今度こそ、私だけのプロデューサーになってくださいね!」

 くすくすと、智絵里は楽しそうに笑みを零す。
  

645: 2014/02/11(火) 12:47:18.27 ID:iIKLRhZc0

「…………」

 アーニャはどうしているだろうか。多分怒っているだろうな。いきなり何もかも投げ出していなくなってるのだから。きっとアーニャにも迷惑をかけているだろう。

 千秋と文香は大丈夫だろうか。自惚れが過ぎるが、少し不安だ。

 全てに向き合おうと思っていた矢先に、これは……苦しいな。あの時、逃げずに向き合えばよかった。そうすれば、智絵里もここまで壊れるようなことはなかったはずだ。

 後悔しても後の祭り。状況は既に手遅れだ。

 智絵里はいつ正気に戻るのだろうか。所詮は行き過ぎただけの恋だ。ふとしたきっかけで解放されるかもしれない。

 それとも、ずっとこのままだろうか。
  

646: 2014/02/11(火) 12:49:28.37 ID:iIKLRhZc0

「あ……忘れてた……今日は、結婚指輪持って来たんです」

 そう言って、智絵里はポケットから小さな袋を取り出した。袋を逆さまにし、彼女の掌に零れたそれは、二つの指輪。緑色の宝石が四葉のクローバーを模したように並んでいる、綺麗な指輪だった。

 それはおもちゃなどではなく、明らかに本物の指輪だ。あれだけの大金を所有していたのだ。高価な指輪の二つぐらい簡単に手に入れられるのだろう。

 智絵里は僅かに大きい方の指輪を手に取り、俺の左手の薬指にそれを嵌めた。

 にこにこ笑いながら、智絵里は残った方の指輪をこちらに差し出した。

「……指輪……つけてくれませんか……?」

 ほんの少しだけ視線を逸らしながら、照れたように智絵里はそう言った。

 指輪を受け取りながら黙って頷き、智絵里の薬指に指輪を嵌める。

「嬉しい……です」

 感極まったように智絵里は涙を零した。指輪を用意したのも嵌めるように言ったのも智絵里だと言うのに。
  

647: 2014/02/11(火) 12:55:02.60 ID:iIKLRhZc0

「えへへ……いきなり泣いて、ごめんなさい……でも、これで、ずっと一緒です……」

「そうだな……」

 智絵里は愛おしそうに、俺を抱きしめる。智絵里の身体は柔らかいが、思わず心配してしまうぐらい軽く、華奢だ。

「Pさん……大好き、です……」

「…………」

 智絵里の温かい涙が、首筋に触れた。

 ふと、頬に手をやると、いつの間にか涙が伝っていた。何で俺まで泣いているのだろうか。疑問に思う前に体が震え、涙が次々と溢れだした。

 悲しみをこらえるように智絵里の体を力いっぱい抱きしめるが、嗚咽は堪えきれずに漏れてしまう。









 ――こんなはずじゃ、なかった。









 四葉のクローバーを模した指輪を外す機会が一生与えられないことを、この時の俺は知らない。

 氏体となり、肉体が朽ちても、しっかりと嵌めているのだ。彼女と共に、この指輪を。
  

648: 2014/02/11(火) 12:58:43.46 ID:iIKLRhZc0
以上で終わりです。

近い内に次のルートを投下します。

663: 2014/03/07(金) 01:23:33.96 ID:gbIpD1Ob0
エンディングB


 監禁されて二週間ほどが経った。いまだに脱出できていない。智絵里の手料理を口移しやらで無理やり食べさせられたり、一緒にお風呂に入れさせられたり、一線を超えようとしてきたりと、精神的に気が気でない日々を送ってきた。

 警察は動いていないのだろうか。アーニャは流石に警察に連絡を入れたとは思うが……どうだろう。

 手がかりがなくて見つけることができないのかもしれない。そういえば、監禁されている自分ですらどこにいるのか分かなかった。

 このまま、ずっと智絵里と一緒なのだろうか。それがいいこととは思えない。智絵里にとっても、自分にとっても。

 二週間近く放ったらかしのアーニャの元に一刻でも早く駆けつけたかった。仕事先にも謝罪を入れなければ行けない。もっとも、ここから出られない限りは叶わないのだが。

 何とか脱出できないだろうか。すべてに向き合おうって思った矢先にどうしてこんなことに。

 嘆いても仕方がない。この足首から家に繋がれた忌々しい鎖を早く切らないと。

 道具もなしに壊せるか分からないが、やってみよう。
 暫くの間、鎖を破壊するために試行錯誤し、鎖を踏んで引っ張ったり壁にぶつけたり、色々やってみたがびくともしなかった。当たり前といえば当たり前だが。
  

664: 2014/03/07(金) 01:24:53.68 ID:gbIpD1Ob0

 疲れて倒れ伏していると、突如部屋の扉が開いた。智絵里は仕事に行ったばかりだ。忘れ物だろうか。

「プロデューサーさん……」

「文香……?」

 部屋に入ってきた人物は智絵里でも警察でもなく、文香だった。

「どうして、ここに?」

「……プロデューサーさんを……助けようと思って」

 山道がよほど辛かったのか、息が荒く、頬は上気していた。

「鍵がどこかにあるはずだ……疲れているところ悪いが、それを持ってきてほしい」

「必要、ないです」

「は?」
  

665: 2014/03/07(金) 01:27:16.16 ID:gbIpD1Ob0

 文香はポケットから見慣れない金属製の小さな何かを取り出した。俺へと近づき足元に屈んだかと思うと、その小さな何かを鍵穴へと差込み、もう一つ、似たような道具を取り出して同じく鍵穴に差し込んだ。

 カチャカチャと両手を動かし、次の瞬間、鍵の外れる音がした。俺を苦しめてきた鉄の輪は文香によってあっさりと外される。

「まさか、ピッキングツールか?」

「……そうです……プロデューサーさんが捕まっていると思って……買いました」

 まさか足枷もあるとは思わなかったと、文香は続けた。ピッキング技術はどこから学んだのだろう。果たして本で学べるものなのだろうか。

「とりあえずここを出よう」

「はい」

 流石にないとは思うが、今ここに智絵里が戻ってきたらどうなるか分からない。
  

666: 2014/03/07(金) 01:28:41.79 ID:gbIpD1Ob0

 山道を二人で下りながら、気になっていたことを尋ねた。

「どうして、場所が分かったんだ?」

「……一人一人尾行して……確認しました。緒方さんが犯人だったのは……予想外でしたが」

 ということはアーニャと千秋を最初に調べたということなのだろうか。

 山の麓に車が一台、置いてあった。この車が文香のらしい。

「車で上ればよかったと、少し後悔しました」

 山道を下っていて思ったが、麓から智絵里の家までは少し遠い。あまり運動をしない文香にとっては少しばかり辛いものがあるだろう。

 車に乗り込みながら、これからのことを考える。といっても、真っ先に思いつくのはアイドル達のことではなく仕事のことである。いくつものスケジュールを放ってきてしまったのだから、まずは謝罪をしなければいけない。
  

667: 2014/03/07(金) 01:32:23.50 ID:gbIpD1Ob0

 車を発進させて暫くの間、俺達は無言だった。

「……プロデューサーさん……あの……私は、アイドルをやめました」

「は?」

 文香は唐突に飛んでもないことを告げた。

「……アイドル、楽しかったです……こんなに楽しくできたのは、プロデューサーさんのおかげです……」

 小さく笑いながら、文香は楽しそうに話した。

「……アイドルを、やめた?」

「引退したんです…………だから、プロデューサーさん――」




 ――私と、恋人になってくれませんか?




 文香は運転中ということもあり、まっすぐ前を向いている。視線も前に向けられたままだ。

 そんな状態なのにも関わらず、真剣な声色で彼女は俺に再度想いを伝えた。
 

668: 2014/03/07(金) 01:36:38.49 ID:gbIpD1Ob0

 俺は、どうするべきなんだろうか。確かめたわけではないが、すぐバレる嘘を彼女がつくとは思えない。つまり、文香は本当に引退したのだろう。

「脅して、ごめんなさい……困らせて、ごめんなさい……でも……どうか……」

 文香の声に震えが混じる。拒絶されるのを怖がっているのだろうか。確かに、文香に脅されて困ったのは事実だ。

 俺の返事は、対して時間がかからずに決まった。

「分かった。恋人になろう」

 文香がブレーキを踏んだ。人けがないとはいえ、路上である。文香は少し驚いたような表情をして、こっちを見ていた。

「本当、ですか?」

 確かめるように、文香は聞く。俺は黙って頷いた。

 文香は動揺を隠すように車を走らせる。ハンドルを握る手が震えていて非常に危ない。というか止めてくれ。


「……本当だ…………その、智絵里のこと、千秋のこと、アーニャのこと……全て解決したら、恋人になって欲しい」
  

669: 2014/03/07(金) 01:37:45.90 ID:gbIpD1Ob0
 ここまで来たら後戻りはできない。俺は文香と添い遂げよう。

 千秋、智絵里……そして、アーニャは納得しないかもしれない。それでも、いつか壊れそうな関係を続けるよりはマシだ。

 とても文香に言えるような話ではないが、全て解決するなら俺は誰でも良かったのかもしれない。ただ、アイドルを引退してまで俺を求めてくるその直向きな姿に惹かれたのは事実だった。

 俺に恋人ができればきっと皆諦めるだろう。智絵里とアーニャに至ってはまだ未成年だし、千秋だって二十代前半。彼女達にはこれからいくらでも出会いがある。それに、彼女達は魅力的だ。スキャンダルは御法度だが、俺よりいい男なんていくらでも見繕えるだろう。

 そこまで考えて、ふと俺を監禁していた時の智絵里の姿が脳裏に浮かんだ。優しげな表情を浮かべ、幸せそうに寄り添い、可愛らしく微笑んでいた彼女が。

 智絵里は、俺を監禁した。あの時、俺は余裕がなくて気付かなかったが今思い出せば……智恵理は今まで見たこともないくらい幸せそうで、いつも笑顔を浮かべていた。

 俺がいなくなっているのを知って、彼女はどんな表情を浮かべるのだろうか。

 そう思うと心が痛んだ。だけど、俺はもう決めた。文香と添い遂げ、他のアイドル達との決着をつけると。

 俺がいくら傷つこうと、心を痛めようとも構わない。
  

670: 2014/03/07(金) 01:40:07.87 ID:gbIpD1Ob0

「文香……俺なんかを好きになってくれて、ありがとう」

「……プロデューサーさんも……私を選んでくれて、ありがとうございます……」

 前を見ながら運転する文香の頬がわずかに紅潮した。恥ずかしそうにしながら少しだけ身を屈ませている。

 車で運転しながら二時間ほどが経過。智絵里はわざわざこんな長い道のりを毎日往復していたのかと驚きながらも、文香に送られてようやく自分のプロダクションへと辿り着く。

 車から降り、事務所へと向かう俺の手を、文香が小さな手で優しく包んでくれた。

 温かくて心強かった。

 文香は頬を真っ赤に染めて俯いたかと思うと、いきなりこちらへと顔を寄せてきた。

 完全に不意を突かれ事務所の入口の前で、唇が重ねられる。

 文香は目を閉じず、その綺麗な青い瞳はまっすぐに俺を見つめていた。







「プロデューサー……?」

 その声は、智絵里のものでも、千秋のものでも、ましてや目の前にいる文香のものでもなかった。

 肩を掴んで文香を引き離し、声の主へと視線を向ける。


 最後に会った日よりもほんの少しだけ髪が伸びたアーニャが、そこにいた。

  

678: 2014/03/08(土) 23:59:48.37 ID:ldHZCg8B0

 ★


 プロデューサーがいなくなってから二週間ほどが経った。

 どうしていなくなったのだろう。アーニャは毎日そればかりを考えていた。

 決まっていた仕事だけは終わらせた。毎日掛かってくる電話には全てプロデューサーが不在だと伝えた。いつ戻ってくるのかを聞かれたが、答えようがなかった。

 捨てられたのだろうか、それとも鷺沢文香が何かしたのだろうか。どちらにせよ、手がかりが全くなくて、どうしようもなかった。

 事務所のソファで膝を抱え、静かにプロデューサーが帰ってくるのを待つ。たまに来る来客は仕事の依頼人で、プロデューサーは不在だと伝えた。その内、来客が来ても出ることはなくなった。プロデューサーは鍵を持っているから。

 ここはプロデューサーと私の家なんだと、アーニャはそう考え、じっとプロデューサーを待ち続けた。

 ずっと……寂しさに体を震わせ、虚空を見上げながら。

  

679: 2014/03/09(日) 00:02:30.40 ID:3JKf33SU0

 その内、空腹を感じ始め、外に出た。近くのコンビニに向かい、適当にお弁当を買って事務所へと帰る。

 いつの間にか事務所の駐車場には見慣れない車が止まっていた。

 そして、事務所の入口の前に二つの人影を見つける。

 二人はお互いの目を見つめ合いながら、触れるだけのキスを交わしていた。

 女の方は、鷺沢文香。男の方は――。


「プロデューサー……?」


 ――プロデューサー……どうして? ……どうして……そんなに幸せそうな表情を浮かべているのですか?
 
  

680: 2014/03/09(日) 00:04:03.27 ID:3JKf33SU0

 ★


 感情が抜け落ちたような無表情のアーニャを連れて、俺達は事務所の中へと入った。

 事務所は変わらず綺麗なままだ。

 アーニャをソファへと座らせ、俺は向かい側のソファへと座る。文香は俺の隣に座った。

「アーニャ……ごめん。ちょっと事故に巻き込まれて、戻ってこれなかったんだ。迷惑をかけて本当にすまない……!」

 テーブルに手をついて頭を下げる。

 反応がないので上目で彼女の様子を探ると、アーニャは人形のように身動ぎ一つせず、背もたれに寄りかかったままだった。
 
  

681: 2014/03/09(日) 00:05:30.55 ID:3JKf33SU0

「アーニャ?」

 アーニャの瞳が潤み、涙が溢れ出す。真っ白な頬に涙の跡を残しながら、零れ落ちていく。

「プロデューサー……私の想いは、受け取ってくれないのですか?」

 消え入りそうな声で、アーニャは言った。

 まさか、今ここでその話題を出されるとは思ってもいなかった俺は、少しばかり放心した。

「ごめん……アーニャ。想いは、受け取れない」

 俺はアーニャとそういう関係になりたかったから、何日も二人きりで過ごしたわけじゃない。アーニャはとても魅力的な女の子で、そんな子から好意を寄せられるのは嬉しい限りだ。きっと自制心がなければあっという間に手を出しているだろう。

「ダー……分かりました……困らせて、ごめんなさい……プロデューサー……」

 アーニャは俯き、両手で顔を覆いながら、小さく嗚咽を漏らした。

 こういう時、どうすればいいのか分からない俺は大変慌てた。色々フォローしようかと思ったが、文香に右手を強く握られ、制止される。

 結局俺は、泣きじゃくるアーニャを見守るだけで、他には何もできなかった。
  

682: 2014/03/09(日) 00:09:29.73 ID:3JKf33SU0

 ★

 
「アーニャさんに認めてもらえて……よかった……です」

「……そうだな」

 よかったと言う割に顔が無表情な文香だ。そもそも認めてもらったと言うのだろうか、あれは。

 アーニャはこれからはアイドルに専念すると言ってくれた。正直やめられても仕方がない状況だったから、そう言ってもらえて嬉しかった。

「後は、智絵里と千秋か……」

 智絵里に至っては監禁という犯罪行為ですら平然と行ってくるのだから、慎重に対応しないと何が起こるか分からない。

「あの二人には関わらないでください」

 二人にはどう対応したものかと考えていると、文香にしては珍しい、強い口調によって遮られる。
     

683: 2014/03/09(日) 00:12:40.85 ID:3JKf33SU0

「それは……どういう……」

「あの二人にはもう関わらないでください…………時間が経てば解決します……」

 少し俯きがちに文香はそう言った。

「だけど、千秋は俺の電話番号知ってるし……智絵里だって事務所の場所を分かっているようだったから時間に任せるのは難しいんじゃないか?」

 むしろさっさと話し合って解決したほうが早い気がするが。

「……私がずっと一緒にいます……そうすれば、あの人達は手出しできませんから……」

「だけど……今終わらせておかないと何が起こるか……」

 文香の存在によって二人が諦めるというのならそれで構わないが、智絵里の執念を垣間見た後だと、少しばかり不安が残る。

「……安心してください……私が、プロデューサーさんを守りますから……だから、もう……あの人達に関わらないでください」

 有無を言わせない強い口調だった。こんなに頑なに関わるのを拒否するということは一体どういうことなのだろうか。
   

684: 2014/03/09(日) 00:15:12.23 ID:3JKf33SU0

 いまいち納得できないが……彼女なりに考えがあるのかもしれない。文香がそこまで言うのなら、そうするが……全て終わらせると決意したのに、これでいいのだろうか……。

「……分かった。だけど、智絵里達がなんかしてきたら流石に黙っていられないぞ?」

「構いません……プロデューサーさんから関わりに行って欲しくないだけですから……」

 文香はそう言って、俺の手を取った。

「プロデューサーさん……不束者ですが……よろしくお願いします」

 文香は頬をりんごのように赤くして、今まで見たこともない向日葵のような笑みを浮かべていた。

 文香がこんなに楽しそうに笑うのを、俺は初めて見るかも知れない。
   

685: 2014/03/09(日) 00:19:31.66 ID:3JKf33SU0

 ★


 
 プロデューサーさんと恋人になってから、五年が経ちました。

 私は叔父の古本屋を手伝ったり、プロデューサーさんの事務仕事を手伝ったり、大変だけど割と充実した日々を送っています。

 プロデューサーさんのプロデュースは怖いくらいに成功を続け、最近の事務所には新しいアイドル、事務員、プロデューサーが来て、中々に賑わっています。

 そろそろ狭さが目立ってきたようなので新しい事務所を検討中のようです。


「文香、万が一があったら困るからなるべく運転は控えてくれよ……」

 プロデューサーさんが私のお腹を撫でながら、優しい言葉をかけてくれました。まだ膨らみかけですが、私のお腹にはプロデューサーさんの子供が宿っています。

 正直、プロデューサーさんの愛情が分割されて子供に行くのは嫌ですが、それでもプロデューサーさんとの子供なので愛おしいです。

   

686: 2014/03/09(日) 00:24:33.48 ID:3JKf33SU0

「今……時間あるか?」

「……大丈夫です」

 私を呼びかけるプロデューサーさんは、少し辛そうな表情をしていました。今日が何の日かを知っている私は、大人しくプロデューサーさんに連れられて二人で事務所を出ました。

 車に乗って向かった場所は花屋でした。プロデューサーさんが担当しているアイドルの実家らしいです。

 プロデューサーさんは店員さんと一言二言交わした後、花束を買いました。

「…………」

 車の中は、どこか重苦しい空気でした。私はそこまで気に留めていませんが、プロデューサーさんはまだ完璧に立ち直れてはいないようです。

 数十分かけて着いた場所は、墓場でした。

 プロデューサーさんはたくさんある墓を一瞥しながら、迷うことなく目的の場所へと辿り付きます。

「…………智絵里」

 プロデューサーさんは、今は亡きアイドルの名前を口にした後、花束を墓石の前に供え、ポケットから取り出した四葉のクローバーをそっと添えました。

「それじゃ……」

 そう言って、プロデューサーさんは思いの外あっさりと立ち去ります。

 毎年こんな感じですが、毎年私が隣にいるからかもしれません。
 
 そろそろ、氏人に嫉妬させるのはやめさせて欲しいのですが……。それをプロデューサーさんに言うわけにもいかないので、せいぜい墓石を睨むだけです。私は何て嫌な女なのでしょう。
 
    

688: 2014/03/09(日) 00:26:08.44 ID:3JKf33SU0

 私がプロデューサーさんと恋人になった年、緒方智絵里は自頃しました。
 
 同年に、黒川千秋さんは行方不明……アイドル業界から引退宣言もなしに消息を断ちました。警察沙汰にもなりましたがいつの間にか静かになっていたのを覚えています。

 プロデューサーさんは緒方さんの自殺のせいで暫くの間、立ち直れず、毎日毎日緒方さんのことばかり考えていて私は毎日毎日嫉妬する羽目になりました。

 その後、黒川さんの行方を探ったようですが、見つからなかったようです。本当はすぐ近くにいるのですが……案外気づかないようですね。プロデューサーさんは鈍感です。

 そして、プロデューサーさんともっとも親しくて、私の次に近い人物……アーニャさん。青い瞳の中には未だに炎が燻っているのを、私は見逃しません。プロデューサーさんは鈍感なので気づいていませんが。


 私とプロデューサーさんの夫婦生活は前途多難のようです。

   

689: 2014/03/09(日) 00:26:49.51 ID:3JKf33SU0

 プロデューサーさん……私は今、とっても幸せです。



 ――プロデューサーさんは、幸せですか?

 

691: 2014/03/09(日) 00:27:39.17 ID:3JKf33SU0
更新終わりです

近いうちに次のENDを投下させていただきます

694: 2014/03/09(日) 01:11:29.04 ID:yA+Uzqixo
黒川さん、近所に埋められたか……

713: 2014/03/15(土) 01:09:11.57 ID:xlMYfvbE0
エンディングC
 ★



 監禁されて二週間ほどが経った。智絵里は説得に応じる気配はない。

 こうなったらもう自力で脱出するしかないと、俺はひたすらに足首から繋がっている鎖に攻撃を加えた。

 結論から言うと、厳しい。素手はおろか道具を使っても厳しそうな頑丈さだった。

 アーニャはきっと心配しているだろうし、仕事先にもさっさと謝罪しなければいけない。早く脱出したいのにこれじゃあどうしようもない。

 もどかしかった。何かしたくても何もできない。智絵里は、俺がいくら怒鳴ろうとも罵倒しようともどこ吹く風で相手にしない。

 不本意ながら暴力で脅そうとしても全て受け入れようとする始末。打つ手が本格的にないのだ。

 壁に寄りかかり、読みかけだった小説を手に取る。智絵里が戻ってくるまで時間があるが、結局何をしても鎖にはダメージを与えることができない。

 唯一破壊に使えそうなテレビは頑丈に張り付いていて動かせない。万が一テレビを壊すようなことがあったら智絵里は脱出を警戒してもっと拘束してくる可能性もある。
  

714: 2014/03/15(土) 01:11:13.59 ID:xlMYfvbE0

「…………?」

 小説を読んでいると、外から車の音が聞こえてきた。智絵里が忘れ物でもしたのだろうか。

 呑気に構えていると、突然ガラスの割れる音が盛大に鳴り響いた。

「何だ?!」

 まさか、強盗が目をつけたのか? 智絵里はこの家が人通りの少ない山奥にあると言っていた。逆を言い返せば場所を特定しやすい上に、事件が起きてもすぐには気づかれない。

 これはチャンスかもしれない。良心が残った強盗だったら、もしかしたら俺を助けてくれるかもしれないからだ。

 不安、期待、恐怖……さまざまな感情が複雑に絡み合いながらも、俺は大人しく来訪者がこの部屋に来るのを待った。

 廊下の歩く音が聞こえる。その音は徐々に近づき、遂にはこの部屋の前までやって来た。ガチャリとドアノブが動き、扉が開く。

「ここにいたのね……プロデューサー……」
 
  

715: 2014/03/15(土) 01:13:21.21 ID:xlMYfvbE0

「千秋!?」

 千秋は驚く俺を意に介さず、足首についている鉄の輪と鎖に視線を移した。

「……鍵は、智絵里が持っているのかしら?」

「いや……智絵里は持っていない……多分、他の部屋のどこかにあるはず」

 智絵里は、私から鍵を奪おうとしても無駄だと言っていた。持っていないから。

「分かったわ……すぐに探してくるから、待ってて、プロデューサー」

「頼んだ。千秋」

 数分後、千秋が鍵を見つけ、それをこちらへと持ってきた。流石に人が助けに来るとは思わず用心していなかったのか、机の引き出しに普通に入っていたらしい。

「ありがとう、千秋。助かった……」

「お礼は後でいいわ。早く逃げましょう」

 千秋に手を引かれながら、俺達は智絵里の家を後にする。

 家の前には黒塗りの高そうな車が待機していた。二人で後部座席に乗り込み、千秋が運転手に帰るよう告げている。
   

716: 2014/03/15(土) 01:18:49.01 ID:xlMYfvbE0

 車が発進し、でこぼこした砂利道を駆け下りる。

「どうしてここが分かったんだ?」

「女の勘よ……家の者に張らせたら案の定、智絵里が犯人だったわ。尾行されている前提で動いていたようだったから、だいぶ苦労したらしいわ」

「なんにせよ助かった……本当にありがとう」

 助かって安堵したためか、ほんの少しだけ眠くなった。口数が徐々に少なくなり、車内に無言の空間が広がっていく。

 眠気を吹き飛ばすような発言が千秋は唐突に告げた。

「プロデューサー。私、アイドルをやめたの」

「え?」

「プロデューサーのせいよ……もう、仕事中も家にいても、ずっとプロデューサーのことしか浮かばないもの」

 千秋は、どうしてそこまで執念深く俺を想い続けるのだろう。

「アイドルをやめたら……千秋は……」

「別にいいの……もう十分、外の世界を楽しんだわ。それに、どんな不自由な生活でも、プロデューサーがいてくれるだけで違うものよ」

 千秋が、俺の手に手を重ねる。
 
 

717: 2014/03/15(土) 01:20:01.38 ID:xlMYfvbE0

「プロデューサー……私のこと、今は好きでなくてもいい……好きになってもらえるように、努力するから……!」

 最後の方は声が震え、重ねられた手は小さく震えていた。 
 
「だから、お願い、プロデューサー……私と、恋人になって……」

 今にも消え入りそうな声で、千秋はそう言った。千秋は俺の方へと寄りかかり、肩に頭を預ける。

 小さく鼻をすする音が聞こえた。泣いているのか。

 俺の答えは、僅か数秒で決まった。

「こちらからお願いするよ……千秋、俺と恋人になって欲しい」

 隣で小さく咽び泣いている千秋が、愛おしかった。恋人を作れば、皆が想いを諦めてくれるだろうという打算的な理由も少しはあるが。

 千秋の両親は許してはくれなさそうだが、そこら辺は後々考えるようにしよう。

「ほ、本当……プロデューサー? 本当に結婚してくれるの?」

「結婚、できるといいな」

 認められるように努力しよう。
   

718: 2014/03/15(土) 01:26:09.83 ID:xlMYfvbE0

「嬉しい……嬉しいわ、プロデューサー……!」

 千秋が抱きついてきたかと思うと大声で泣きだした。バックミラー越しに運転手と目が合い、非常に気まずい十数分を過ごすことになる。

 色々危なかったしいところもあるけれど、アイドルを辞めるぐらい俺を執念深く想ってくれた女性だから、幸せにしないといけないなこれは。

 千秋の温もりを右腕に感じながら、自分の事務所まで送り届けられる。

 一時の別れを名残惜しそうにしている千秋の頭を撫でながら、また後で、と再び会うことを約束した。
 
 千秋と別れ、俺は事務所へと向かう。
   

719: 2014/03/15(土) 01:31:08.70 ID:xlMYfvbE0

「アーニャ、大丈夫かな」

 事務所にはいないだろうから、後で自宅まで様子を見に行こう。

 入口の戸を開けながら、謝罪しなくてはいけない仕事先のリストを思い浮かべる。

「ただいま」

「プロデューサー……?!」

 奥から聞こえてくる、聞き覚えのある声。まさかアーニャが中にいるとは思わず、驚いた。

「アーニャ、いたのか。ごめんな、何日も帰ってこなくて」

 アーニャには心配かけたり迷惑かけたり、本当に申し訳ないと思う。全て不可抗力ではあるが。

「……無事でよかった、プロデューサー……!」

 アーニャが目に涙を浮かべながら、俺に抱きつく。千秋と恋人になるといった手前こういうのはよくないが、今回ばかりは見逃してもらおう。

 相変わらず女の子の髪はふわふわしてて触り心地がいい。
   

721: 2014/03/15(土) 01:33:31.15 ID:xlMYfvbE0

「プロデューサー……」

「アーニャ、悪いんだが俺は色んな所に謝りに行かなきゃ行けないんだ。それが終わったら、少し話したいことがある」

「ダー……分かりました、プロデューサー。私はここで待っています」

 アーニャとの短い会話を終え、俺は早速迷惑をかけた人達の所へと車を回す。

 全てを終えたのは、事務所を出てから六時間ほど経った時だった。目的の人物が不在だったり、長時間怒鳴られたりと散々な目にあったが、一通り回り終えた。後は後日、不在だった人のところへ謝罪に行くのみだ。

 許してくれたところもあったが、怒鳴られたり、相手にされなかったところもあった。本当なら原因である智絵里を責めるべきなんだろうが、不思議とそういう気持ちになることはなかった。

 責めたところでどうにもならないというのもある。

 日も暮れてきた所で、事務所へと帰ってくる。宣言どおりアーニャはずっと待っていたらしい。
  

722: 2014/03/15(土) 01:36:47.32 ID:xlMYfvbE0

「おかえりなさい、プロデューサー」

「ただいま……」

 アーニャとも決着をつけようと決意したが、どう切り出したらいいものかと悩む。

「アーニャ……その、聞いて欲しい話があるんだ」

「…………」

 俺の真剣な表情を見て何かを感じたのか、アーニャは無表情になって少し俯いた。

「俺が一週間いなくなる前にさ……その、告白してくれたよな?」

「ダー……私は、プロデューサーのことが好きです」

 数秒間で覚悟を決める。やはり、ここで彼女の想いを断ち切らなくては。
 

723: 2014/03/15(土) 01:40:02.28 ID:xlMYfvbE0

「……悪いアーニャ。俺には、恋人がいるんだ……だから、アーニャの想いには答えられない」

 プロデューサーとアイドルだからと言った場合、千秋のようにアイドルを辞めると言い出しかねないから、千秋が恋人だったということにした。千秋には後で口裏を合わせるように言っておこう。

「そうですか……残念、です」

 そう言ってアーニャは、俺の目の前で静かに泣き崩れた。

「ごめんなアーニャ」

 床に座り込んだアーニャの頭をできる限り優しく撫でる。女の子を泣かせるというのはこんなにも罪悪感でいっぱいになるもののか。

 智絵里も、泣いているのだろうか……。

 文香はどうしているのだろう。届かないメールを今も送っているのかもしれない。

 千秋はアイドルを辞めてまだ一週間も経っていないと言うのだから、文香の持つあの写真はまだ十分な効力を持つと言える。俺が返信しないことに怒って、あの写真を持ち込まれたら大変だ。

 とは言っても打つ手はない。智絵里同様説得できないのだから。
  

724: 2014/03/15(土) 01:43:04.82 ID:xlMYfvbE0

 アーニャを家まで送り届け自宅に戻ると、玄関の前には千秋が立っていた。千秋はこちらに気づくと明るい笑顔を浮かべ、駆け寄ってくる。ちょっと待て、何で自宅を知っている。

 千秋は右手に、風呂敷に包まれた細長い物を持っていた。気になって尋ねても秘密と返されるだけだった。

「えっと、上がるか?」

「ねぇ、プロデューサー……少し、散歩したいわ。いいかしら?」

「あぁ、別に構わないけど」

 今日は色々あって疲れたが、少しぐらい付き合うか。恋人だし。
 

725: 2014/03/15(土) 01:52:12.25 ID:xlMYfvbE0

 静かな住宅街の中を二人で歩く。人気はなく、街は静まり返っていた。

 なぜかこの辺の地理に詳しくないはずの千秋が半歩前を歩き、俺をどこかへ連れて行こうとしているようだった。

 道は徐々に住宅が少なくなり、左手には山が見えるようになる。確かここをまっすぐ行くとそこそこ広い公園があったような。そこに行きたいのだろうか。

 予想は的中し、千秋が向かっていた場所は公園だった。外灯の光は弱く、時折点滅している。遊具にもベンチにも人影はない。

 千秋が俺の手を握り締め、空を見るように促した。

「綺麗な星空ね」

「あぁ、そうだな。とっても綺麗だ」

「そこは、君の方が綺麗だよ、とか、気の聞いた言葉が欲しかったわ」

 何じゃそれと苦笑いを浮かべる。

 雲はなく、空にはたくさんの星が瞬いている。もしかして千秋は二人きりでこれを見たかったのだろうか。そうだとしたら中々にロマンチストだなぁ。

 ベンチに並んで腰掛け、黙って寄り添い合う。恋人というのは温かくていいものだな。寄り添う千秋の温もりを感じながらそんなことを思った。
  

726: 2014/03/15(土) 01:57:41.71 ID:xlMYfvbE0

 ふと、遠くから足音が近づいてくるのが聞こえた。ゆっくりと顔を上げ、こちらに向かって歩いてくる人物へと視線を移す。

 幽霊のようなフラフラした足取りに合わせるように、二つに結んだ髪がゆらゆらと揺れる。

「やっぱり……黒川さんの仕業だったんですね……」

 そこにいたのは、智絵里だった。

 シュシュは手首を覆い、可愛らしくてなおかつ大人しめの服に身を包んだ、いつもの智絵里。

 だが、瞳は虚ろで光がない。千秋を見つめているようで見つめていないような、明らかに異様な雰囲気だ。

 智絵里は何の躊躇いもなく腰から大振りの包丁を取り出し、構える。



 ――あの時、埋めればよかった。



 ぼそりとうわ言のように言った智絵里の呟きは、聞き取れなかった。
   

727: 2014/03/15(土) 01:58:48.81 ID:xlMYfvbE0

「智絵里、落ち着けっ!!」

「下がって、プロデューサー」

 身を乗り出した俺を、千秋が制す。

 千秋はベンチから立ち上がり、ずっと横に抱えていた包みを開けた。中から現れたのは小さな剣。

「千秋……お前、それ……」

 細長い刃に、見事な装飾の柄、手を覆う金属……武器に関してはあんまり詳しくはないが、多分レイピアだ。千秋の持つそれは模造であって欲しいが、模造に見えない。

「…………」

 智絵里は据わった瞳で千秋を睨んでいるだけで、大したリアクションはない。
 

729: 2014/03/15(土) 02:00:25.54 ID:xlMYfvbE0

「……今度は、あなたが負ける番よ、智絵里」

 千秋は腰を少し落とし、レイピアの切っ先を智絵里の喉へと向ける。

 智絵里は剣を向けられているのにも関わらず、不敵な笑みを浮かべるだけだった。





 ……もはや彼女は、俺の知っている智絵里ではない。



 俺の知っている智絵里は、臆病で、自分に自身がなさそうで、おどおどしてて、失敗が多く怒られては落ち込んで、失敗すると泣いて、それでも一生懸命レッスンに明け暮れて、仕事に成功したら喜んで、おいしいものを食べては幸せそうな表情を浮かべて、今ではもうトップアイドルの一人である、可愛い女の子だ。



 傷つけるために大きな包丁を持ち、本物の剣を向けられても悲鳴一つどころか驚きもせず、怖がりもしない少女を俺は知らない。




 ――お前は一体誰なんだ……緒方智絵里……。
 




  

730: 2014/03/15(土) 02:01:30.83 ID:xlMYfvbE0
寝ます

まだ続きます

738: 2014/03/15(土) 23:43:46.83 ID:xlMYfvbE0

 二人は睨み合い、視線だけで牽制し合っているようだった。

 先に動いたのは智絵里。レッスンで鍛えられた瞬発力で一気に千秋に接近。包丁を振りかぶり、千秋の頭めがけて勢いよくそれを振り下ろす。

 千秋は襲いかかる刃を柄で殴りつけた。包丁の軌道は逸れ、虚空を切り裂く。

「……ッ?! 智絵里、やめろっ!!」

 智絵里は左手で腰からもう一本の包丁を引き抜き、目にも止まらぬ早さで千秋の腹部めがけて突き出す。

 思わず目を閉じるのと同時に、鋭い金属音が響いた。目を開いて確認すると、千秋は完全な奇襲であったもう一本の包丁を弾いたようだった。

 千秋はもう一度レイピアを構え、智絵里は両手に包丁を持ちながら千秋の出方を伺っている。

 千秋が智絵里の喉を狙ってレイピアを突き、避けた智絵里が包丁でレイピアの刃を弾いた後、もう一方の包丁を振るう。千秋は戻したレイピアの柄でそれを受け止め、半歩下がってもう一度突きを繰り出した。
 

739: 2014/03/15(土) 23:46:10.72 ID:B+y6gBgi0
(アイドルってなんだっけ)

740: 2014/03/15(土) 23:49:00.51 ID:A8wOUeJeo
>>739
(live)バトルする芸能人のことだろ?(すっとぼけ)

741: 2014/03/15(土) 23:49:29.98 ID:xlMYfvbE0

 接近戦での二人の足裁きは、トップアイドルを目指して必氏に練習していたダンスのそれと、非常に似通っていた。二人の動きは機敏で、軽やかで、常人ではとても真似できそうにない。

 あんな至近距離で、命を容易く奪う武器を思いっきり振るって、嫌な金属音を幾度となく鳴らせながら、ひたすらに肉迫を繰り返している。半歩下がっては一歩前に出て、押されたら押し返すの繰り返しだった。

 二人が命を奪い合うことに恐怖しているようにはとてもじゃないが見えない。互いに相手の命を狩り取るために必氏になっている。二人を見て感じたのはそれだけだった。

 ずっと激しい動きをしていたせいか、二人に既に疲れの色が見えていた。

 甲高い音と共に、智絵里の左手にあった包丁が遠くへと弾き飛ばされる。同時に智絵里の振るった包丁が千秋のレイピアを半分にへし折った。

「もうやめろ、こんなことして、何になる……? 頼むから、もうやめてくれ!」

 俺の声に二人が耳を貸す気配は感じられない。二人は、本気で頃し合いをしていた。
   

743: 2014/03/15(土) 23:53:00.58 ID:xlMYfvbE0

 智絵里と千秋はもはや肩で息をしている状態だった。己の残った体力を振り絞るように力を込め、二人は走る。智絵里と千秋が互いに接近し、思いっきり刃を振るった。

 智絵里が千秋を狙っていたのに対し、千秋は明らかに包丁に狙いを定めて振っていた。結果、智絵里の最後の包丁が弾かれる。残ったレイピアも全身にヒビが入り、今にも砕けてしまいそうだ。

 荒い呼吸を整えながら、千秋が口を開く。

「私の勝ちよ……もう諦めなさい。そして、認めなさい。プロデューサーは、私を選んだの」

 智絵里は俯いた。直後、脱力したように膝を付き、体を支えるべく地に手をつける。

 泣いているらしく、雫が何滴か地面に落ちるのが見えた。
   

744: 2014/03/15(土) 23:55:28.29 ID:xlMYfvbE0

「Pさん…………ごめんなさい」

「…………智絵里」

 泣きじゃくる彼女に対して、かける言葉が何も思い浮かばなかい。ただただ、痛々しい姿の智絵里を見て、胸を痛めるだけだった。

「……Pさん……来世は、私と恋人になってくれますか……?」

 質問の内容はとてもぶっ飛んでいたが、ここで承諾して多少なりとも気休めになるのだったら、千秋には悪いが喜んで了承させてもらおう。

「あぁ、分かった……約束だ……」

「……よかった、です……ありがとう……Pさん……」

 智絵里はゆっくりと立ち上がり、俺に向かって小さく笑みを浮かべた。さっきまでの狂気が微塵も感じられない、普通の笑顔。可愛らしくて、向日葵のように温かい笑顔だった。
  

746: 2014/03/15(土) 23:58:35.29 ID:xlMYfvbE0

 どこかおぼつかない足取りで、智絵里はどこかへ歩いていく。少しの距離を進んだ後、智絵里は足を止めた。

 街灯の光を反射し、小さく煌く何かが智絵里の足元に落ちていた。

「智絵里……やめろッ!!」

「智絵里!!」

 考えるよりも先に体が動いた。千秋も気づいたらしく、彼女の名前を叫ぶ。

 智絵里は落ちていた包丁を拾うと、シュシュを外した。その後、何の躊躇いもなく手首を切った。

 手首の傷口からは血が溢れ出し、地面を黒く染め上げる。智絵里はずっと俺の名前を、うわ言のように呼びながら、座り込んだ。

 駆け寄り、自分のワイシャツを脱いで彼女の傷口に押し当てた。これが正しい応急処置なのかどうかは分からない。とにかく止血のことだけしか頭には浮かばなかった。

「千秋、今のうちに家に帰るんだ……ここは俺に任せろ」

「分かったわ。また後で、プロデューサー」

 とりあえずこのまま残っていると厄介なことになりそうな千秋を先に帰らせ、その後、智絵里の携帯を使って急いで救急車を呼んだ。
  

747: 2014/03/16(日) 00:01:33.15 ID:BbxE4ziE0

 智絵里は小さな声でずっと俺の名前を呼び続けていたが、その内、気を失った。

 駆けつけてきた救急車に智絵里を預けた後は、しばらく放心していた。

 俺は待機するよう指示されていたので、そのまま後に来る警察を待った。思ったところでどうしようもない後悔を繰り返しながら。
  

748: 2014/03/16(日) 00:03:12.16 ID:BbxE4ziE0

 ★



 ずっと、どうしてこの結果に行き着いてしまったのかを考えていた。

 どうして俺は二人が争っている時、止めれなかったのだろう。止めようと思えば、身を挺してでも止められたはずなのに。

 ただずっと、目の前の出来事をどこか遠い所で起きている他人事のような感覚で、それを見ているだけだった。

 下手したらどちらかが氏んでいてもおかしくない状況だった……。勝敗が偶然最善のものだっただけで、二人の様子から察するに、片方が氏ぬというのは十分にありえた。

 動けなかった理由が思いつかないのも自己嫌悪に拍車をかける。

 俺はあの時どうして動かなかったのか、自分でも分からないのだ。



 俺は、最低だ……。


  

749: 2014/03/16(日) 00:06:04.52 ID:BbxE4ziE0


「プロデューサー、そんなに自分を卑下しないで……プロデューサーは最低なんかじゃないわ……私の最愛の人で、最高のパートナーよ」


「千秋……」


「プロデューサー……もう、何もかも決着はついたの……だから、過ぎ去ったことにこれ以上心を痛めないで」


「…………」


「プロデューサー、私の手をとって……私が絶対に、あなた幸せにするから……」


「…………」


「プロデューサー……!」


 差し出されたその手に、自分の手を重ねる。


 とても温かくて、心地よかった。



 ありがとう…………千秋。


    

750: 2014/03/16(日) 00:09:53.72 ID:BbxE4ziE0

 ★



 千秋と恋人になって、早くも二年の月日が流れようとしていた。

 アイドルを辞めた千秋は、父親の反対を乗り切って俺の事務所で事務員として働いてくれることになった。

 アーニャは順調に実績を作り、今では全盛期の千秋達に遅れを取らないくらいのトップアイドルだ。コネやツテを駆使したとはいえ、トップアイドルになるには才能も必要だ。やはりアーニャにはそれがあったのだろう。彼女は今もアイドルをがんばっている。

 最近はプロダクションの業績も良く、新しいプロデューサーや、事務員、アイドルも雇い、こっちも順調だ。


 一つ問題があるとすれば、それは文香の存在だろう。

 文香は事務所から枕を強制され、プロダクションを辞めたい。でもアイドルは続けたいから、どうか引き取って欲しいという話を俺にしてくれた。
 
 流石に見過ごせず、文香を引き抜きたいという話を文香のプロダクションに伝えたところ、あっさりと承諾された。

 文香も人気のあるアイドルで、清楚の塊で文学少女という中々いない逸材だというのに、なぜなのだろうと疑問しか浮かばなかった。

 実は枕云々の話は全て文香の嘘で、俺は文香に騙されていたというのがオチだ。まぁ、ここまでなら別に問題でもない。文香はアイドルを続けてくれているし、基本的にいい子だから。
  

751: 2014/03/16(日) 00:11:23.49 ID:BbxE4ziE0

 問題なのは、文香がいまだに俺を諦めていないらしく、積極的なアプローチを容赦なくしてくるところである。


「プロデューサー……隣、失礼します……」

 俺がソファに座っていると当たり前のように横に座り、体を俺に預けながら黙々と読書を始めたり、不意を突いてキスをしてきたりと、中々に過激である。もちろん千秋が黙っていないが、文香は泥棒猫は黙っていてくださいと一閃し、聞く耳を持たない。


 さらに問題なのは、アーニャが文香の真似をし始めるという暴挙に出たところだ。

「プロデューサー……その、疲れたので膝をお借りします」

 そう言って俺の返事を聞かずにさも当たり前のように膝に頭を預けるアーニャ。こんなことが毎日のようにある。文香が不意をついてキスをすればアーニャも負けじと頬や首にキスをする。千秋は今にもレイピアを取り出しそうで危ない。
  

752: 2014/03/16(日) 00:13:44.70 ID:BbxE4ziE0

「プロデューサー! 私というものがありながら、これはどういうことかしら?」
 
「ま、待て……言っても聞かないんだよこの二人!」

「あなた達も、妬ましいからって横取りするような真似はやめて」

「いやです」

「右に同じです」

 本を読みながらしれっと答える文香と、無表情できっぱりと告げるアーニャ。本当にもう……なんでこいつらは……。俺もただただ呆れるばかりである。
 
 千秋に嫌な思いをさせたくないから、文香やアーニャを避けた時期もあったが、無駄だった。距離を離そうとすると、なりふり構わず纏わり付いてくるのだ、この二人は。同じ事務所にいる内は諦めざるを得ない。

 千秋は毎日のように文香やアーニャ達を怒鳴り、二人は涼しい顔をしてそれを無視する。これが今の日常だった。
  

755: 2014/03/16(日) 00:17:36.18 ID:BbxE4ziE0

 三人を見ていると、時折智絵里の笑顔が頭に浮かぶ。

 智絵里はあの日、意識を失った後、部分的な記憶喪失になった。トップアイドルということもあり、面会はできなかったから本当かどうか確かめようがなかったのだが、智絵里のプロダクションにいる知人の情報によると事実らしかった。

 その部分的な記憶喪失というのが、つまり俺のことである。今の智絵里は俺のことを一切覚えておらず、思い出すこともできないらしい。 

 正直なところ、このまま思い出さないほうが智絵里のためだと思う。

 いつまでも俺なんかに囚われずに、幸せな人生を彼女には送って欲しい。


 俺はいまだに彼女達に囚われたままだ。

 目の前で一人騒ぐ千秋、読書をしている文香、千秋に反抗しているアーニャ、三人を見てそう思った。

 情けないことに、俺はそれを見て苦笑いを浮かべることしかできなかった。

 
 ごめん、千秋……。

  

756: 2014/03/16(日) 00:20:14.68 ID:BbxE4ziE0

 ★


 夕暮れの事務所。いつもは人が増えて多少なりとも騒がしい事務所だが、今は静かだ。ちょうど皆で払っているらしい。

 コーヒーを淹れ、椅子で寛いでいると、玄関の扉をノックする音が静かな事務所内に響き渡った。

 事務所の人間ならノックせずに開けるだろうから……来客か。

 椅子にかけていた上着を手に取り、着る。数秒かけて身だしなみを整えた後、来客に応じようと事務所の扉を開く。




 来客の姿を確認して、俺は思った。



 多分、氏ぬまで彼女達から逃れられることはできないんだろうなと。


 
  

757: 2014/03/16(日) 00:21:50.53 ID:P8yi7koE0
ヒエッ…

758: 2014/03/16(日) 00:23:05.18 ID:BbxE4ziE0
\(^o^)/オワッタ

最後のエンディングも近日中に投下します

前に分岐って言いましたが、よくよく考えると分岐じゃなくて平行世界みたいなものでしたごめんなさい

767: 2014/03/16(日) 13:51:46.77 ID:BbxE4ziE0
エンディングD
 >>603から




「今度こそ……ずっと私を見守って……Pさん……」

 ぼやける視界を何とか定めながら、いつの間にか目の前に立っていた智絵里へと視線を移す。

 彼女は身を屈めて目線の高さを同じにしたかと思うと、どこからともなく取り出した四葉のクローバーを口に含み、その状態で顔を近づけてきた。

 抵抗することも叶わず、智絵里のキスを受け入れてしまう。智絵里は舌で、唾液に包まれた四葉のクローバーを俺の口内へと押し込んだ。

 ぼんやりとした頭と気怠い体のせいでもはや何もすることができずに、智絵里が送り込んだ四葉のクローバーを体内に収めてしまう。

「……ち……えり……」

 意識を失う直前、アーニャの姿が浮かんだ。こんなところで、倒れるわけにはいかない。

 ガクガクと震える両腕に力を込め、力が抜けそうになる体を必氏に支える。目の前にいる智絵里の両腕を掴みながら、立ち上がる。
   

768: 2014/03/16(日) 13:52:39.36 ID:BbxE4ziE0

「P……さん……?」

「俺は、智絵里の想いには答えられない……悪いけど、諦めてくれ……」

「………」

 智絵里は驚愕しながら、動かない。

「それじゃ……智絵里……また今度、ゆっくり話そう……」

 壁に手を付きながら、ゆっくりと玄関へ向かう。意識が朦朧としていて、気を抜いたら一瞬で倒れてしまいそうだった。
 

769: 2014/03/16(日) 13:54:02.30 ID:BbxE4ziE0

「……待って……Pさん……私を……見捨て、ないで……」

 俺がようやく玄関に着いたところで、慌てて追いかけてきた智絵里は、今にも泣きそうだった。

「見捨てないし、約束通りずっと見守っている……だから、がんばれ……智絵里」

 倒れこむようにして扉を開ける。外は薄暗く、今も雨は降っていた。

「いかないで……Pさん……」

「さようなら、智絵里」

 扉が閉まるその瞬間、智絵里の頬を涙が伝っているのが見えた。


 ごめん、智絵里……。
  

770: 2014/03/16(日) 13:56:58.53 ID:BbxE4ziE0

 ★



 時間が経つと徐々に意識は回復し、体中を襲っていた脱力感もなくなっていった。

 事務所に戻ると、ソファにアーニャが座っていた。

「プロデューサー、おかえりなさい」

「ただいま」

 できる限り、いつも通りに返す。アーニャはまだ年頃の少女だ。ここで下手に避けたりして傷つけると仕事にも響く。

 椅子に座り、パソコンを開いて事務処理を始める。アーニャの仕事の量の割に、やらなければいけない事務仕事は少なかった。
  

771: 2014/03/16(日) 14:00:28.59 ID:BbxE4ziE0

「プロデューサー……少し、話がしたいです」

 気がつけば、すぐ横にアーニャがいた。今の彼女は感情の機微に乏しく、今どんなことを思っていて、何を伝えたいのかが読めない。

「いいよ」

 椅子を少し回し、アーニャに視線を移す。

 告白の返事の催促だろうか、それとも普通に仕事の相談だろうか。

「…………」

「…………?」

 アーニャは十数秒の間、黙ったままだったが、少しすると口を開いた。
  

772: 2014/03/16(日) 14:05:57.40 ID:BbxE4ziE0

「……私はずっと、一人ぼっちでした……幼い頃から、今まで……ずっと」

「…………」

 俺はそれに対してどんな発言をすればいいのだろう。何も言葉が見つからない。

「パパとママは生まれてまもない頃に亡くなり、その後は親戚にお世話になって生きてきました」

 アーニャは俯き、辛そうに表情を歪める。

「友人はいます……ですが、どこか距離がありました……原因は分かっています……この容姿と、雰囲気が日本人とは違うからだと思います」

 確かに、アーニャはどこか近寄りがたいような雰囲気を持っている、俺はあんまり気にしたことはないが。容姿も日本人とは違うけど、とても綺麗だと思う。青い瞳とか銀色の髪とか。

 まぁ……身長も高いし、容姿端麗ということもあって、学校では浮いてしまうかもしれない。
 

773: 2014/03/16(日) 14:07:06.65 ID:BbxE4ziE0

「私はいつしか、笑顔を浮かべることができなくなりました…………一人ぼっちの学校と、一人ぼっちの家を行き来するだけの毎日……私の生活は、それだけで、笑うところが何もなかったのがいけなかったのかもしれません」

 ――でも、そんな私を救ってくれた人がいました。

「アイドルになって、少しだけでも何かが変わるなら……そう思って、私はプロデューサーについていきました」

 アーニャが椅子に座る俺に手を回し、抱き寄せた。

「プロデューサーは、私を変えてくれた……笑うこともできました……一人ぼっちじゃなくなりました……」

 抱きしめる手に力が篭る。

「でも、同時にプロデューサーのことが好きになりました……ずっと事務所で、二人きりでいたい……触れたい……愛されたい……そう思うようになりました……でも、我慢しました……プロデューサーを困らせたくなかったから……」
  

774: 2014/03/16(日) 14:11:45.34 ID:BbxE4ziE0

「……アーニャの気持ちは分かった……今はその気持ちに応えることはできないけど、すごく嬉しいよ」

「プロデューサー……」

 アーニャは顔を伏せた。俺は彼女の頭を撫でながら、諭すように告げる。

「アーニャがいつか引退して、まだ俺のことを好きでいてくれたら、その時はアーニャの想いに応える……これじゃ、ダメか?」

「!! ……ダメじゃないです、プロデューサー……とっても、嬉しいです」

 アーニャは本当に嬉しそうな表情していた。こんなにも可愛いのに、どうしてずっと一人ぼっちだったのだろう。

「ありがとう……プロデューサー」

 しばらく俺に抱きついていたアーニャは、仕事があることを思い出したらしく、仕事に行ってきますと言って、自分の荷物を持って事務所を出て行った。



 俺にはアーニャがいる。いつまでも、他のことばかりに頭を悩ませている時間はない。


 早く全てを終わらせよう、断ち切れば、いずれ彼女達は諦める。文香に関しては辛いところもあるが、そこは賭けだ。

  

775: 2014/03/16(日) 14:12:49.16 ID:BbxE4ziE0

 ★
 


 俺はその日の夜、千秋に電話をした。

『プロデューサーの方から電話してくるなんて珍しいわね、どうしたの?』

「千秋、もう電話をするのも、会うのもやめよう」

『……どうして? どうしてそんなこと言うの? プロデューサー』

「千秋には悪いと思っている、でもいつまでもこんな関係を続けるのがいいことだとは思っていない。だから――」

 ――さよならだ、千秋。

 必氏に呼び止める声を無視して、通話を切った。その後も、絶え間なく着信が来る。

 もしかしたら傷つけたかもしれないが、俺は知らない。なんと罵られようと、今後一切彼女に関わらない。
  

776: 2014/03/16(日) 14:13:32.07 ID:BbxE4ziE0


 後は、文香か。千秋からの着信を切りつつ、俺は文香にメールを送った。

『もう関わるのはやめよう。さようなら、文香』

 一方的な内容だと自分でも思う。だけど、これでいい。これぐらいしないと、きっと聞かないだろうから。

 メールアドレスを変えて、携帯を放り投げる。携帯はずっと小さく点滅していた。


 これでいい。多少なりとも彼女達は傷ついたかもしれないが、このまま関係を続けてもいずれもっと傷つくだけだ。無責任だとは思うが、ここで終わらせて正解だ。

 俺にはアーニャがいる。それ以外に、いつまでも囚われている場合じゃない。
   

777: 2014/03/16(日) 14:14:40.30 ID:BbxE4ziE0

 ★



 自己完結していたが、すんなりとうまく行くとは思っていない。

 数日後、案の定、アーニャの楽屋には文香が踏み込んできていた。

「……プロデューサー……どういうこと、ですか……?」

「俺は言ったぞ。もう関わらないと……無責任で、全てを投げ出しているだけなのは自覚しているが、俺はもう過去に振り回されるのはやめた」

 ちらりと、後ろにいるアーニャに視線を送る。

 新しく作ったアイドルプロダクションと、新しい担当アイドルと共に、前に進む。二人で、トップを目指す。

 俺がやるべきことはそれだけだ。

「脅迫の件を……覚えていないんですか?」

 珍しく文香は焦っているようだった。感情がこんなにも表情に出ている文香はあんまり見たことがない。
  

778: 2014/03/16(日) 14:16:27.75 ID:BbxE4ziE0

「千秋には悪いと思っている。身体の傷に関しては謝っても謝りきれない……文香の行動次第では多大な迷惑をかけることになるだろう…………だけど、俺は関わらない」

 できれば、愛想を尽かして欲しい。そうすれば、全員が不幸にならなくて済む。

「……そんな……どうして、ですか……プロデューサー……!」

 縋るように、俺に向かって伸ばされた文香の手。それを遮ったのはアーニャだった。

 アーニャは俺の手を取ったかと思うと、顔を寄せ、触れるだけのキスをした。避ける間もなく、反応もできず、呆気に取られてしまう。

「プロデューサーは私のもです。あなたには渡しません。鷺沢文香」

「…………嫌」

 文香は瞳を潤ませ、大粒の涙を零す。彼女が涙を零す姿はとても美しかった。

 文香は逃げるように立ち去り、アーニャは小さく笑みを浮かべた。
  

779: 2014/03/16(日) 14:26:38.94 ID:BbxE4ziE0

「……まったく、いきなりあんなことするなよ……びっくりした」

「ごめんなさい、プロデューサー」

 でも、これできっと文香も諦めてくれるだろう。写真がどうなるかは分からないが、もしも最悪の事態に陥ったら、その時は覚悟を決める。

 まだ少し気がかりがあるものの、これでようやく全てが終わったのかもしれない。 

 疲れた……。




「そろそろ時間です……行ってきますね、プロデューサー。私のこと、見ていてください」


 アーニャが舞台へと出る。観客席からは歓声の嵐が発生した。
 

「がんばれ、アーニャ」


 曲が流れ始めると徐々に会場は静まり返り、アーニャは前を見据えて歌を歌い始める。


 人形のように完璧な容姿をした、白銀の娘アナスタシア。


 この子なら、きっとすぐにトップアイドルになれるだろう。


 雪を連想させるような青と白の衣装に身を包み、透き通るような透明感のある綺麗な歌声を皆に届ける。


 とても可憐で、儚くて、美しかった。

   

780: 2014/03/16(日) 14:28:28.60 ID:BbxE4ziE0

 ☆




 遠い夜空に浮かぶ星達のように、いつかその輝きを失うまで、歩き続けよう。



 いつか光を失い、堕ちる私を受け止めれくれる人は、すぐそこにいる。



 だから、惜しみなく、その人のために輝こう。



 私が消える、その日まで――




   

781: 2014/03/16(日) 14:29:41.31 ID:BbxE4ziE0
後は後日談で終わりです

786: 2014/03/16(日) 18:16:22.75 ID:BbxE4ziE0

 ★



 あれから一年後、アーニャが突如として行方不明となる。すぐに警察に連絡したが、手がかりがまったく無く、まさに神隠しのようだった。

 アーニャがいなくなって三日後、アーニャの携帯から連絡が来た。

 電話から聞こえてくる声はアーニャのものではなく違う人間の、忘れもしない、文香の声だった。

 とある場所に来るように言われ、時間を指定される。誰かにこのことを言ったらアーニャがどうなるか分からないと、文香は言った。

 俺は言いつけを守り、誰にも言わず、一目散に指定された場所へと向かう。指定された場所は、人気のない山奥だった。通路が途中で微妙に途切れていたりするような、そんな山だ。

 暫くの間、そこで待った。俺が着いてから数分後、指定された時間を少し遅れて車の音が聞こえた。

 一台の自動車がこの山奥に来ていた。車の中からは千秋と智絵里が降りてくる。アーニャの姿は見当たらない。

 二人も見た目は変わらない。ただ、どこか雰囲気が重く、それでいて異質だった。この二人は危険だと、本能が告げている。
  
 文香だけでなく、この二人も関わっているとは、一体どういうことなのだろう。
 

787: 2014/03/16(日) 18:17:59.55 ID:BbxE4ziE0

「頼むから……アーニャを返してくれ」

「……考えておくわ」

 ここまでしておいて、すんなり返してくれるわけはなかった。

 千秋が黒くて質量のある物体をこちらへと投げて寄越す。誰がどう見てもスタンガンだった。ずっしりとしていて少し重いそれを拾い上げる。

「それを自分に使って、プロデューサー……抵抗したら、あの女の命はないわ」

「……痛いかもしれませんが……我慢してくださいね……Pさん」

 智絵里はふんわりとしたワンピースに身を包んでおり、腕は晒されている。手首には切り傷が多く、喉にも引っかき傷のようなものが多数見えた。

「智絵里……お前……」

「プロデューサー、早くして……」

 智絵里の傷の理由を訪ねようとするも、千秋に急かされてしまう。
  

788: 2014/03/16(日) 18:19:05.13 ID:BbxE4ziE0

 俺が二人の言うことを聞かないと、アーニャが殺される。冗談を言っているようには見えないし、悪質な冗談を言う必要もない。

「…………くそっ」

 スタンガンの電源を入れ、自らの腕に押し当てた。強い電流が全身に走り、体が動かなくなる。

 意識を失うまでは至らなかったものの、激痛と痺れが強く、もはや自分の意志では体は動かない。

 そんな俺を二人は抱えて引き摺り、車の後部座席へと入れた。両手を後ろに組まされてから手錠を嵌められ、寝かせられる。

 数十分後、体の自由は取り戻したが、いつの間にか両足にも錠をつけられており、もはや逃げることはままならない状況へと陥っていた。

 千秋の運転でたどり着いた場所は、大きな豪邸だった。高い木々に隠されるように、山奥にそれはあった。

 俺はそこへ連れて行かれ、大きな玄関を通される。

 智絵里も千秋も、何も喋らない。ただ黙って、俺をどこかへと連れて行く。
  

789: 2014/03/16(日) 18:20:16.53 ID:BbxE4ziE0

 連れて行かれた広い部屋には足首を鎖で繋がれたアーニャと、近くで静かに読書をしている文香がいた。

「プロデューサー……!」

「アーニャ!」

 鎖を引きずって鳴らしながら抱きついてくるアーニャを受け止める。特に目立つような外傷はないが、大丈夫だろうか。

「……お久しぶりです……プロデューサーさん……」

 文香が本を閉じてこちらへと視線を向けた。

「どういうことか、説明してくれるんだよな?」

 怒気を含ませた声で、三人に問う。三人は武装していないが、両手両足を塞がれた状態ではとてもじゃないが反抗できない。
    

790: 2014/03/16(日) 18:22:15.08 ID:BbxE4ziE0

「……Pさんを……皆で協力して皆のものにしようってことになったんです」

「私も、それに賛成したの」

「……右に同じです」

「智絵里達が何を言っているのか、俺には全然理解できない!」

 これは、本当に智絵里達なのか? 目の前の少女達が、俺のよく知る智絵里達かどうか分からなくなっていた。非現実的で、意味が分からない。

「どうしても、プロデューサーが欲しかったの……捨てられても、諦められなかった……」

「これは犯罪なんだぞ? 警察だって動いている。自覚はあるのか?!」

「……犯罪を犯してでも、Pさんが欲しかったんです……おかしいですか?」

「おかしいよ! おかしいに決まってるだろ!」

 俺がいくら怒鳴ろうとも、千秋と智絵里は要領を得ないと言った感じで首を傾げている。

 本当に、どうしてしまったんだ……。あまりにも異様な三人を見て、俺は言葉を失った。
  

791: 2014/03/16(日) 18:24:17.57 ID:BbxE4ziE0

「……だから、プロデューサーさん……ここで五人、静かに暮らしましょう?」

「ふざけるなっ!!」

 未だに脳の理解が追いついていない。文香が何を言っているのかが分からなかった。

「Pさん……ずっと一緒ですよ……えへへ……夢みたい……」

 智絵里は笑った。それはよく知っている、昔から何ら変わらない普通の笑顔。なのに、何かがおかしかった。その違和感には気づけない。

「プロデューサー……ずっと一緒よ……もう、離さないから……」

 千秋は腕を組みながら、そんなことを言った。あんなに理知的な女性だった千秋はどこへ行ってしまったのか。
   

792: 2014/03/16(日) 18:24:55.56 ID:BbxE4ziE0

「……プロデューサーさん……もう、諦めてください……」

 青みがかった瞳が、いつの間にか目の前にあった。文香の青い瞳はどこか暗く、まるで深海のような瞳だった。


「どうして……!」

 喉まででかかった言葉が、出ない。もはや何を言っても無駄な気がしてならなかったからだ。
 
「プロデューサー……」

 アーニャは震えながら、泣いていた。
  

793: 2014/03/16(日) 18:27:40.06 ID:BbxE4ziE0


 ――俺は、選択を誤ったのか……。


 もっと、しっかりと向き合って、解決するべきだった。


 後悔しても、遅い。


 もう、取り返しがつかなそうだ…………。
 
  

794: 2014/03/16(日) 18:29:31.89 ID:BbxE4ziE0

 その日から、アーニャと俺を含めた五人の歪んだ生活が始まった。


 智絵里や千秋、文香は今でも仕事をしているようだった。三人全員が仕事に行くことはあまりないが、毎日一人か二人は仕事に行っている。

 当たり前のように、俺とアーニャの外出は認められなかった。

 俺もアーニャ同様軽い拘束をされ、二人で身を寄せ合って数日を過ごした。 

「プロデューサー。どうして、私達を拒絶するのかしら」

「……うるさい。もう放っておけ」

 困ったような表情の千秋に、素っ気なく返す。

「……プロデューサーさん……どうして逃げるんですか?」

「…………放っておけって言っただろ! もう俺達に近づかないでくれ!」

 立ち上がって睨みつけ、近づいてこようとする二人を牽制する。
  

795: 2014/03/16(日) 18:32:04.78 ID:BbxE4ziE0

 数日間、俺はずっと近づく智絵里達を拒否していた。どうしても三人が受け入れられないからだ。

 しばらくすると皆身を引いてくれるのだが、今日は違った。


 文香がおもむろに、白い粉を取り出しこちらへと投げたのだ。

「……寿命が縮むのであまり使いたくないのですが……それ以上、私達を拒絶するなら……使います」

「なんだ……これ……」

 薬……? これを使った所でどうなる?

「それはくすりよ」

「くすり?!」

 なんでそんなものを持っている……。

 まさか、千秋達は、くすりを使っておかしくなったのか?

 
   

796: 2014/03/16(日) 18:35:58.19 ID:BbxE4ziE0

「勘違いされるのも嫌だから断っておくけれど、私達は誰一人使っていないわよ……使うのは、プロデューサー……」

「誰が使うか!」

「……私達が無理にでも入れるんですよ? ……プロデューサーさんの意志は関係ありません」

 文香は真顔で、そう告げた。あまりにも鬼畜で無慈悲すぎるその言葉に、思わず耳を疑う。

「……冗談、だよな?」

 くすりを俺に使うなんて、そんなこと……そんなことが……あり得るわけ、ない。

「冗談を言っているように見えるのかしら?」

「……これ以上……反抗するのなら……使います」

 ――依存性が高いので、すぐに私達を受け入れたくなりますよ?

 目の前の少女達は、いつからこんな風になってしまったのだろう。

 涙が頬を伝うのを感じたが、拭う気も起きなかった。その内、千秋が舌で涙を舐め取った。


 結局、その時から俺は抵抗するのをやめた。

   

797: 2014/03/16(日) 18:39:16.85 ID:BbxE4ziE0

 ★



「プロデューサー、好き……大好き……」

 千秋は座り込む俺を抱きしめながら、何度もキスをしたり、首を甘噛みしたりと、好き勝手にやっていた。

 背後では文香が壁を背に本を読み、智絵里は今は仕事でいない。

 アーニャは俺の左腕を抱きしめ、特に何も言わずにじっとしていた。最近はアーニャも色々としてくるようになった。拘束されているだけで、千秋や智絵里達と同じ扱いだということを理解したからだ。

 文香も、智絵里も、アーニャも、千秋も、それぞれが毎日のように俺に愛情を求めてくる。俺は無心で、それに応えるだけの毎日だった。

 償いでもある。皆を変えてしまったのは紛れもなく俺だから。





 ――俺は選択を誤った。




 ごめんな、皆……。 



  

798: 2014/03/16(日) 18:41:05.41 ID:BbxE4ziE0
完結しました。

読んでくださった方、レスしてくださった方、ありがとうございました。

また見かけたら、よろしくお願いします

802: 2014/03/16(日) 18:51:42.34 ID:85LKCOe9o
面白かったです
俺も頑張ろう

803: 2014/03/16(日) 18:54:18.49 ID:qZ/AVtXZo


とんでもない地雷女どもに巻き込まれたアーニャ(´・ω・)カワイソス

806: 2014/03/16(日) 19:10:34.25 ID:M8aZM9QL0


最高だった

引用: モバP「新しくアイドルプロダクションを作った」