238: 2010/07/18(日) 19:53:59.05 ID:ba0UQ5DI0

 夜更け。秋山澪が自室の勉強机に向かっていると、聞き慣れた着信音が部屋に響いた。

 ―― ピッ

「もしもし」

『おかけになった番号は、電波の届かない場所にあるか、電源が入っていないため』

「切るか」

『わっ! ちょっとタンマ! 切らないで!』

「……何だよ騒々しい」

『いやぁ。ごめんごめんご』

「それで、何か用か?」

『うん、まぁ。用があるっちゃああるんだけどさー……』

「だけど何なんだよ」

『先に、私の華麗に決まったボケに対して澪の義務を果たしてもらいたいところなんだけど』

「……はいはい」

「お前からの着信で通話に出たのに電波が届かないだの電源が入っていないだのは矛盾してないか」

『それでこそ澪だな!』
けいおん!college (まんがタイムKRコミックス)
239: 2010/07/18(日) 19:55:34.83 ID:ba0UQ5DI0

「で、律、用事って何?」

『んもう。澪さんったら要点に絞った会話しかご所望にならないの? それなんてイギリス人ですの?』

「……殴るぞ」

『電波越しなのに?』

「いや、次に顔を見たときに覚えてればな」

『おお、怖い怖い』

「で、よーじは?」

『ああ、うん。うんとな、さっきやってたテレビ番組のことなんだけど』

「あいにくテレビならさっきからつけてないぞ」

『あちゃー。そっかー、見てないか』

「残念ながらな。どんな番組のこと?」

『これがまた難しい理屈とか理論とか敷き詰めたバーゲンセールみたいなのでさ。一割も理解できなかったんだよ』

「へぇ。でも、頑張って見てたんだ?」

『一応な。んで、少しだけ私にも把握できるところがあって、それについて澪さんと談議を深めようかなぁと』

「ふぅん。律にも真面目な一面があるんだな」

240: 2010/07/18(日) 19:57:00.05 ID:ba0UQ5DI0

『真面目が一面なら、私の総体は正四面体ってところだな』

「…………まぁそれでいいんじゃないか」

『なんだ今の間はー!』

「テレパシーで感じとれ。テレビ発の難しい話をしたいんじゃないのか」

『まぁそうだけどさ。んー、何か分かりやすい例えが欲しいところだけどー……』

『あっ。澪、ちょっと東の空見てくれよ。何か光ってないか?』

「何かが光ってる?」

 澪は窓を開けて空に身を乗り出した。東の空には点滅する赤と白の光彩が一点浮いていた。

「あれは……飛行機か?」

『だろうな。こんな夜中じゃ光しか届かないけど、その光を見ればたちまち物体イコール飛行機だって認識できるわけだよ』

「んー。状況や既存知識によって、特定の認識Aを物体Bに結びつけることができる」

『そうそう! 私が言いたいのはそういうことだったんだよ!』

「指示語っていうのは便利な言葉だよな」

「にしても、言い回しが変わっただけで、大して難しいことでもないと思うんだけど」

241: 2010/07/18(日) 19:58:26.75 ID:ba0UQ5DI0

『あー。ええとだな……軽音部はどうだ?』

「酷い薮から棒だな」

『細かいことは気にすんな。最近どう?』

「どうって。……まぁ、もうちょっと部活らしいことをした方がいいんじゃないか」

『ああ、もちろん練習は大事だけどさ、澪が前から気にしてる方の問題はどうよ』

「別に問題なんて……っていうかお前の憶測で、何か言わせて引っかけようったってそうはいかないぞ」

『ちぇー。可愛くないのー』

「聞きたいことははっきり聞けばいいだろ」

『はいはい。ごめんなさい。唯とムギとはこの先仲良くやっていけそう?』

「……逆にそこまでストレートに言われると返事に困るっていうか……」

『どっちも不都合なんじゃねーか』

「う、うるさい! とにかくもっとオブラートに包んだ言い方があるだろ!」

『オブ唯とムギラートとはうまくやっていけそう?』

「……殴るぞ?」

『だから受話器越しだって』

242: 2010/07/18(日) 20:00:25.41 ID:ba0UQ5DI0

「だって、うまくとか仲良くやるとか、そういう表現って策士みたく聞こえそうだし」

『友達は作るものじゃない、自然となるものだ。みたいな?』

「そう。それ」

『指示語って便利だねぇ』

「……いじわる」

『あー、でもでも。別にあの二人のことが嫌いってわけじゃあないんだろ?』

「当たり前だろ。いい子たちだもん。それ位分かってるし」

『じゃあ何で、未だに余所余所しいところが抜けないんだよ』

「それは……仕方ないだろ。慣れみたいなものだよ」

『慣れか。ふむふむ、そいつは好都合だ』

「どうして?」

『いやいやこっちの話』

「……変なの。今日の律」

『一貫した人間なんてそうそういるものじゃあないのだよ、澪クン』

「また無理くり聖賢ぶって誤魔化すんだから……」

243: 2010/07/18(日) 20:02:27.26 ID:ba0UQ5DI0

『あ、さっきの話の付け加えだけど』

「どの話?」

『遠くの飛行機がーってやつ。澪は、ちゃんと目視して確認してくれたんだろ』

「そうだな。でないと色まで言えるはずないし」

『丁度その時、私も同じ場所を見てた』

「うん。そうか」

『…………それだけ?』

「おい。それだけ? ってどういう意味だよ」

『だから! 空は――――いるってことだよ!』

「うん。そりゃそうだろ」

『……伝わらないかなぁ。せせこましい脳みそ捻って考えたのに……』

「何のことか分からないが、おそらく抽象的すぎて全く伝わってこないぞ」

『あー、じゃあもういいわ。ムギにでも電話しろよ』

「ムギに? 私が?」

244: 2010/07/18(日) 20:04:40.35 ID:ba0UQ5DI0

『そう。親睦を深めるためにさ』

「でも、どんなこと話せばいいんだよ」

『どうでも、好きなように。言いたいこと聞きたいことコミュニケーション取ればいいんだよ』

『少しくらい、一つくらいはあるだろ?』

「…………すぐには思い浮かばないって」

『なら話すことメモでも作ってからにしてみろ。じゃ、切るぞー』

「えっ、ちょっと待ってって」

 ―― プツッ ツー ツー

「変な律……」

246: 2010/07/18(日) 20:06:30.21 ID:ba0UQ5DI0

 澪はしばらく逡巡してから、思い切ってショートダイアルを押した。

 ―― プルルルル

 ワンコールで紬は出た。

『もしもし、澪ちゃん?』

「もしもしムギ? 今いいかな」

『うん。全然平気』

「ええっとだな。その、えーと……」

「……元気?」

『うん。夜風が気持ちいわ』

「えっ、ああ、うん。確かに今夜は涼しいよね」

『ね。梅雨もあけてくれたみたいだし、絶好の夕涼み日和かも』

『澪ちゃんは何してるの?』

「私は家で、今さっき予習が終わったとこ。ムギは外にいるってことでいいのかな?」

『うん。……あっ、ちょっと待ってて』

「え、うん。分かった」

247: 2010/07/18(日) 20:08:10.98 ID:ba0UQ5DI0

『……ただいま。ごめんね、待たせて』

「ううん。十秒くらい平気だよ」

『それでね、ちょっと西の空を見て欲しいんだけど』

「西の空?」

 そういえば、さっき律から東の空を見るように言われたんだった、と澪は思い出した。

「もしかして、律から何か言われたの?」

『ええと、とにかく時間が無いから、早いうちに行動に移してくれると嬉しいんだけど……』

「……分かった。事態はよく飲み込めないけど」

「でも、私の部屋の窓からだとちょうど真反対なんだ。ちょっと移動しないと」

 言いながら澪は扉枠をくぐり、廊下を歩き、和室に入るとすぐに窓をあけた。

「見えたけど、別段変わってるところは……」

「あ、音が聞こえる……」

 鼓膜をかすかに震わせる程度の音だった。調子のいい、お囃子を思わせるリズムが住宅街の奥から聞こえている。

『何か聞こえる?』

「うん。これってもしかして……」

248: 2010/07/18(日) 20:09:41.25 ID:ba0UQ5DI0

「あのさ、ムギ」

『なぁに?』

「もしよかったら、ていうかみんな、軽音部のみんなに聞きたいんだけど」

「一緒にお祭り――」

 その瞬間、一筋の閃光が夜空に突き上がった。弾け、散らばり、艶やかな赤が拡散して、緑の影を残す。

 後から伝わる炸裂音が、円心上に響き渡って、澪の心胆を覆っていった。

「綺麗……」

 ―― ピ口リ口リ

 澪ははっとして、握りしめていた携帯を覗いた。通話は既に切られていて、代わりにメールが一通入っていた。

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 From:平沢唯
 件名:みおちゃんへ

 本文
 空は繋がってるんだよ!! だから、みんな繋
 がってる!!

  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

249: 2010/07/18(日) 20:11:15.81 ID:ba0UQ5DI0

「みーおーちゃーん!」

 見下ろすと浴衣姿の唯がいて、両隣に律と紬が控えていた。

「一緒にお祭り行こうよ! 会場ではナイアガラ花火もやってるんだって!」

「唯、律、ムギまで……」

「おーい、澪。前から一緒に行きたかったんじゃなかったのかー?」

 律の手には一枚のチラシが握られていた。

「あっ、それってもしかして……」

「そう、祭りの宣伝だ。部室のお前の机に入ってたよ。一週間以上も前から隠してたみたいだな。それにさぁ」

「どうも最近になっていじらしさが増したと思ったら、言い出すタイミングを見計らってたってことだろ?」

「澪ちゃーん。勉強終わったところなら暇なんじゃなぁい?」

 合いの手を入れるように紬が言う。

 澪は二つ返事で首肯すると、急ぎ足で部屋を飛び出した。

「すぐ行くからそこで待ってろ!」

250: 2010/07/18(日) 20:12:54.75 ID:ba0UQ5DI0

「もう少しで私から誘えてたんだ!」

「またまたぁ。後からなら何とでも言い訳できるんですよねぇ~」

「りーつぅ!」

 会場へ向けて、はしゃぐ二人を先頭に、並んだ幼馴染みが後に続く。

「で、澪、さっき電話で言ってたテレビのことなんだけどさ」

「光だの認識だのってこと?」

「それそれ。やっと結論を言えるけど、どうせ夜空を見上げるなら、共通の光を見ていたいじゃんってこと」

「ふーん。それで、唯に送らせたメールについては?」

「今言ったことの前提みたいな。同じ空だろ、同じ軽音部だろって」

「なるほどな。まっ、律にしては熟慮した方かもしれないけど、こじつけ気味だったところは否めないな」

「頭脳明晰な澪さんの評価は八十点ってとこかしら?」

「さぁな。思っとけ」

「へいへいへーい」

251: 2010/07/18(日) 20:13:39.02 ID:ba0UQ5DI0

「んでもさぁ!」

 不意に律が、跳ねるように澪の前に立ち塞がった。

「近いほうが明るいし、あったかいだろ。それぞれの考えなんて後回しにしてさ」

「……そうだな。それもそうかもな」

 それから四人は、思う存分に夕餉の小さなお祭りを満喫した。

 彼女たちは、誰よりも近いところできらきら光るナイアガラを見て、お互い負けないくらいに目を輝かせていた。



 おわり


引用: 唯「みんな!空はみんな繋がっているからね!」