1: 2008/01/11(金) 01:02:14.10 ID:TxBN4K740
雨が降っていた。
鉛色の雲が空を覆い、町は昼間だというのに薄暗い。
軒下から、空を見る瞳で冬の雲を見つめる少女が居た。
その目鼻立ちは整い、印象的な赤い眼をしている。
銀の髪は雨に濡れて白い頬に張り付き、ドレスは夜闇のようになっていた。
ここまでなら何処にでもありそうな光景だが、彼女の場合は少し違っていた。
浮いていたのだ。
彼女は背中から生え出た黒い二本の羽で、宙に浮いていた。
それに、よく見ると尺度もおかしい。隣に並んだ窓が大きく見える。
吐き出す息が白い。
手の平を紫に染まった唇を隠すように持ち上げ、己の息を吐きかけた。
彼女の手首に丸い球、球体間接が見える。
そう、彼女は人形だったのだ。

5: 2008/01/11(金) 01:05:35.62 ID:TxBN4K740
雨は一向に止む気配がなかった。
彼女は自分を強く抱きしめるように腕を組み、背中を窓に預けた。
「あらっ……ちょっ、えっ?」
彼女は自分の疑問を言葉に出来ないまま、床に積もった埃を舞い上げていた。
後頭部を摩りながら自分が背を預けた窓を見上げると、内開きの鍵が掛かっていない
窓が、自分の体が滑り込むだけに必要な分だけが開いているのが見えた。
「内開き……」と彼女は恨めしそうに呟いた。
「おい」と部屋の暗がりから声がした。
彼女は声がした方に注意を払いながらゆっくりと姿勢を起し、
「誰?」と薄い氷のような声で言った。
「誰? じゃねえよ、馬鹿。お前こそ誰だよ」
彼女は少しだけ不機嫌そうな顔になり「水銀燈」と答えた。
「俺はピーちゃん、鳥だよ。……オスだけどね」

10: 2008/01/11(金) 01:10:03.35 ID:TxBN4K740
埃が積もった物置部屋の一角に、銀色の鳥籠が置いてあった。
時を止められ、セピア色に染め上げられた物に囲まれた銀の鳥籠は、
セピアの侵食を避け、不思議な色を放っていた。曇り空のせいかもしれない。
「鳥?」
「そう、鳥だよ。お前も鳥だろ?」
「私は人形よ、鳥じゃないわ」
自分の手首の球体間接の具合を確かめるように動かしながら言う。
「そうなのか。羽があるから、てっきり仲間だと思ったんだ。ごめん」
鳥籠の中から、済まなさそうに頭を垂れながら鳥は言う。
「……別に、謝る事じゃないわよ」と彼女、水銀燈は言った。

16: 2008/01/11(金) 01:14:55.29 ID:TxBN4K740
水銀燈と鳥の間に、埃がゆっくりと古い時代の匂いを巻き上げながら流れていた。
「邪魔したわね」と埃を舞い上げる事なく浮かび上がり、水銀燈が言った。
「お、おい、ちょっと待てよ。外は雨が降っている、上がるまでここに居たらいいじゃないか」
鳥籠の中でバタバタと羽を動かしながら鳥が言う。
「……それも、そうね」と水銀燈が水色をしていない、窓を流れる雨粒を見ながら言った。
水銀燈は雨が上がるまで自分の腰を落ち着けられる場所を探すが、適当な場所が見つからない。
どこもかしこも埃が幾重もの層になり、積み重なっている。
現に、自分が転がり落ちた場所には不恰好な跡が残っていた。
出来る事なら今すぐにでもその跡を消したかったが、埃が舞うのでやめた。

18: 2008/01/11(金) 01:19:42.46 ID:TxBN4K740
キョロキョロと辺りを見渡していると、鳥が口を開いた。
「そこのシートを取ると──そう、それ。ゆっくりとだぞ、埃が舞うから」
言われた通りにシートを取ると、中からリクライニングチェアーが出てきた。
椅子のクッションカラーはミッドナイトブルーで、良く見ると
同じトーンの色を使ったドット模様だった。
「それで?」と水銀燈が言った。手にはまだシートの端が握られている。
「座る場所を探していたんだろ?」
不思議そうに鳥は首をかしげた
「そうなんだけれど……」と水銀燈が椅子を見ながら言う。
「なんか、汚くない?」
目玉焼きを作るつもりが、消し炭になってしまった時のような顔で水銀燈が言った。
「じゃあ座らない?」
窓を流れる雨粒を見、埃の断層の数を数えて水銀燈が折れた。
椅子に腰を下ろすと、カビの臭いと一緒に湿った太陽の匂いがヒンヤリと香りたった。
「どうだい、座り心地は」と鳥が言った。
「まあまあね」と水銀燈は椅子の背に自分の体重を預ける。

22: 2008/01/11(金) 01:25:00.73 ID:TxBN4K740
雨が空を濡らす音だけが、埃っぽい物置部屋に流れていた。
「そういえば」と水銀燈が口を開いた。
「なんだい?」と止まり木の上で鳥が言った。
「なんであんたはこんな場所に居るの? 人間の事はよく分らないけれど、
 普通はこんな場所に置かないんじゃないのかしら」
「聞きたい?」と鳥は声に嬉々を含んだ声で言う。
「別に。言いたくなきゃそれでいいわよ」と水銀燈は肩を竦めた。
「最初はね、俺も一階の広い部屋に居たんだ」
鳥は難しい顔をして一人で語り始めた。
「いや、もっと最初から話そう。俺はここの娘にプレゼントされたんだ。
 ほら、俺って可愛いだろ? 愛玩にぴったりじゃないか。
 ──まあ、そんなしてこの家に来たんだ。えらく可愛がられてたよ
 『ぴーちゃん』『ぴーちゃん』ってね、愛玩動物明利に尽きるよ。俺オスなのに。
 そんなある日娘が咳き込み始めてね、とても酷い咳だった。
 内臓を全部吐き出すんじゃないかってぐらいにね。
 だから俺はこっちに移されたのさ」
「それだけ?」と水銀燈が言った。
鳥が頷いた。
「ここの娘が咳をしたら、なんであんたがこの部屋に移されるの?」
「雑菌? ハウスダスト? そういうのが原因らしいかったから」
水銀燈は自分口を手で覆った。

23: 2008/01/11(金) 01:29:49.71 ID:TxBN4K740
水銀燈は足を組み、膝の上に肘をのせ、顎を手の平の上に置いた。
「ふーん? それじゃあアンタは氏ぬまでここに居るの?」
「さあ、どうだろうね。そんなに俺の事が心配?」
止まり木の端まで移動し、鳥は言った。
「別に」と水銀燈はつまらなそうに返す。
「まあ、いいさ。それより、ほら」と鳥が嘴で窓を指した。
水銀燈の口から溜息のような声が漏れる。
厚ぼったい鉛雲を切り裂くように光りが差し込み、蛇の腹のような
アスファルトにその剣先を当てていた。
「雨上がる、だな」と鳥が言った。
「そうね。それじゃあ、そろそろお暇しようかしら」
水銀燈はそう言うと、静かに腰を上げ音も無く飛び上がった。
「ああ、また遊びに来いよ。今度はお土産持って」と鳥が言った。
窓枠に手をかけ、頭を傾げるように鳥の方を見た水銀燈は思い出したように鳥に尋ねた。
「ところで、あんたってスズメ?」
「バーカ違うよ。十姉妹だよ」
怒ったように羽をばたつかせる十姉妹を見て水銀燈は肩を竦めて小さく微笑み、飛び立った。
「あいつ、窓閉めずに帰りやがった」と十姉妹は一人呟いた。

25: 2008/01/11(金) 01:35:35.02 ID:TxBN4K740
「窓、開けっ放しじゃない」
「無用心ね」と水銀燈が窓辺に立ち言った。手には紙袋を提げている。
「お前が閉めて行かなかったからだろ。俺は檻の中だし」
十姉妹は自分の羽毛に顔を沈めていた。
寒さに弱いのかもしれない。水鳥を見習って欲しいものである。
「あと、これ」と水銀燈が紙袋から、薄紙に包まれた物を取り出した。
「お土産?」と十姉妹が聞くと、「そう。ヒヨコよ、ヒヨコ」と水銀燈が答えた。
それを聞いて十姉妹はヘップリを噛み潰したような顔をした。
「なに、食べないの?」
水銀燈は鳥籠の扉を開け、餌置き場に一つ、ヒヨコを置いた。
「……ありがとう」とヒヨコの頭を十姉妹が突く。
「喜んで貰えて何よりよ」と水銀燈が言った。

26: 2008/01/11(金) 01:40:53.45 ID:TxBN4K740
十姉妹がプラトレーを突くように水を飲んでいると(実際コツンコツンと音がしていた)
水銀燈がこんな事を言った。
「くんくん探偵って知ってる?」
「ああ、知ってるよ。テレビだ」と十姉妹は答えた。
「そう、テレビね。昨日のクンクン探偵は、こんな話しだったの」
先を促すように、十姉妹はチュチュンと鳴いた。鳴き声はスズメに似ていた。
「アライグマ君がね、熊おじさんを頃してしまうの。頃した理由はね、
 自分のフィアンセのネズミさんを 熊おじさんに暴力的されて、
 ネズミさんが自ら命を絶ってしまった事による復讐なの。ここまでは、よくありそうな話でしょ?」
「ああ、ありそうだね」と十姉妹は返した。
「でも、流石はクンクン探偵ね。アライグマ君のトリックを簡単に見破るのよ。
 そして、猫刑事に連れて行かれる途中で、アライグマ君は自分の舌を
 噛み千切って氏ぬのよ、なんでだと思う?」
「なんでだったの?」と十姉妹は聞いた。
「私が質問してるのよ、あなたが答えたら教えたげる」
水銀燈の口元には柔らかな笑みが浮かんでいた。

28: 2008/01/11(金) 01:45:42.48 ID:TxBN4K740
「そうだね……月並みな答えになるけど『生きる理由がなくなった』からかな」
「あら、どうしてかしら?」
「アライグマ君の生きる理由はネズミさんだった。だけれど、熊おじさんにそれを奪われ、
 その復讐の為だけにアライグマ君は生きていた。アライグマ君は熊おじさんを頃し、
 彼の罪を白日の元に曝け出す事に成功した。彼はこれで自分の人生に満足したというか、
 生きる意味を見失ってしまった。だから氏んだんじゃないのかな」
十姉妹は小さな嘴をカチカチと打ち鳴らしながら、一気に喋った。
「どうだい、クンクン探偵も真っ青な推理だろ?」と十姉妹は付け足したが、水銀燈はそれを無視し
「あなたには、生きる理由があるの?」と聞いた。
十姉妹は、トントントンと止まり木を右に三歩移動して
「さあね、忘れちゃったよ。俺は鳥頭だから、三歩歩くと忘れちゃうんだ」と言った。
「君の生きている理由は?」と十姉妹が聞くと、水銀燈は鳥籠の前から三歩横に歩き
「忘れちゃったわ」と言った。
「そうか。それじゃあ、本当の答えは?」と質問を続けると、水銀燈は首を振って「それも、忘れちゃった」
「困ったな……それだと、今日は部屋が暗くなっても寝れそうにない」
十姉妹は鳥目をパチクリとさせそう言った。

29: 2008/01/11(金) 01:50:08.82 ID:TxBN4K740
水銀燈は「それじゃあね」と言い窓から飛び立とうとするが、十姉妹が呼び止めた。
「最後に、このケージの鍵を外してくれないか?」
水銀燈の頬に、硬く冷たい冬の風が窓の隙間から悪意を持ってぶつかって来た。
「春まで待ちなさいよ」
「俺の先祖はコシジロキンバラと言ってね、インドから来たらしい。だから日本の冬は俺には辛いのさ」
「それに、可愛いガールフレンドも居ないし」と十姉妹は付け加えた。
「あんた、インドが何処にあるか知ってるの?」
「左」と十姉妹は答えた。
「そう。まっ、あんたの選んだ道なんだから、せいぜい後悔しないようになさい」
水銀燈が鳥籠の鍵を外した。
十姉妹は軋んだ音を立て、開いた扉を見つめていた。
鉛色のはぐれ雲が窓の端から端へと消えた。
「やっぱり春まで待つ?」と水銀燈が声を掛けると
水銀燈の顔の直ぐ横を、茶色の影が横切った。
茶色の影、十姉妹の背を追った水銀燈が太陽に目を細めた。
十姉妹の影を探そうとするが、既に彼の茶色い影は透き通るような青空に溶けて、消えてしまっていた。
鳥を失った銀の鳥籠は、静に物置部屋のセピア色に染まっていった。
餌置き場に置かれた食べかけのヒヨコは、セピアに犯されるように腐っていった。
餌を取り替える者は、もう誰も居なかったのだ。

30: 2008/01/11(金) 01:50:41.43 ID:TxBN4K740
終わりです お疲れさまでした

32: 2008/01/11(金) 01:53:39.86 ID:uX9gp0dkO
独特の雰囲気が好きよ

33: 2008/01/11(金) 01:53:48.48 ID:EcoNq4Sa0
>>30
超乙

35: 2008/01/11(金) 01:59:07.61 ID:TxBN4K740
クンクン探偵湯煙殺人事件 解決編

36: 2008/01/11(金) 02:00:07.96 ID:TxBN4K740
僕と猫警部は偶然立ち寄った温泉旅館で殺人事件と遭遇してしまった!
熊おじさんが胸を鋭利な物で刺された後、顔が分らなくなるまで潰されてしまったのだ!
凶器も害者確認できない! これじゃ国家の犬はお手上げなんだくんくーん!
(でも大丈夫! オーナーのキツネさんがズボンを下ろして熊おじさんと確認したからね!)
僕と警部は熊おじさん(彼がスポンサーだったんだ)が居なくなり、厨房の皿洗いという
トホホッな路銀稼ぎをしていると! なんと! オーナーのキツネさんから
『この事件を解決したら、見逃してあげましょう』こう言われちゃったら、
僕の右脳がフル回転しちゃうぞ!
アライグマ君が持つ冷凍ボックスの謎とは!? 
謎が謎を呼ぶ湯煙殺人事件、解決編! チャンネルはそのままなんだくんくーん!

38: 2008/01/11(金) 02:05:27.06 ID:TxBN4K740
「ふふふ、謎は全て解けましたよ」
クンクン探偵がエプロンを脱ぎ捨てながら言った。
「本当かねクンクン探偵!?」
猫警部はエプロンのまま言った。
「ええ、簡単なトリック。トリックの初歩の初歩……」
とキセルを口に咥えながら言う。
「早く、その犯人を教えて頂けるかしら、クンクン探偵」
オーナーのキツネさんは、クンクン探偵に寄り添うようにして言った。
「犯人はアライグマ君、あなただ!」
アライグマ君は後生大事に抱えていた冷凍ボックスを床に下ろし、
「ええ、その通りです」と言った。
辺りがざわめく。

40: 2008/01/11(金) 02:09:10.01 ID:TxBN4K740
「しかし、どうして彼が犯人だと分ったんだ!? 凶器の謎だってまだ分らないんだ!」
猫警部がバンザイして言う。お手上げという意味なのだろう。
「凶器がないのは逮捕に踏み切れない……確かに、道理……いいでしょう、ご説明します」
クンクン探偵は帽子の下から見える、触れたら切れそうな眼光を警察犬Aに向けた。
「すみませんが、アライグマ君の冷凍ボックスの中を見てもらえませんか?
 きっと秘密が隠されているはずです」
「了解だワン!」と警察犬Aは冷凍ボックスの中を検める。
みなの視線が冷凍ボックスの中に注がれる
「こ、これは!」
「そう、氷の凶器……ツララの剣(ツルギ)と名づけましょうか……。
 アライグマ君はこの剣を使って熊おじさんの胸を刺し、頃した。違いますか?」
「流石はクンクン探偵。その通りですよ」
クンクン探偵は自分の顎を触りながら言う。
「そうですね……犯行動機は金銭トラブル、違いますか?」
「違います」とアライグマ君がキッパリと言った。

41: 2008/01/11(金) 02:14:49.74 ID:TxBN4K740
「じゃあいったい何が目的で頃したんだ!」と猫警部がまくしたてた。
「熊おじさ……いや、あの下衆野郎は僕のフィアンセだったネズミさんに関係を迫った……
 だがそれを断られて、頭に血が昇ったあの下衆野郎はネズミさんを酷く暴力的に犯した。
 そしてネズミさんは、その一連の出来事を僕に手紙で綴り……自頃してしまったんだ……」
辺りは水を打ったように静まり返っていた。その中でアライグマ君の語りは続く。
「彼女は僕の全てだった。一時期は彼女の後を追って自頃する事しか考えられませんでした。
 でも、氏ぬ前に一つだけ確かめたかったんです、あの下衆野郎に
 『なんでこんな事をしたんだ』ってね 僕はアイツの事務所でそう聞きました。
 そしたらあいつ、何て言ったと思います?
 『あの顔面陥没ネズミ、お前の名前を叫びながら腰振ってたぜ』
 ですよ? 人間じゃありませんよ。僕はその時誓ったんです、こいつを殺さないと
 僕は氏んでも氏にきれない……と」
アライグマ君は、テーブルの上に置いてあった水差しから空のコップに並々と水を注ぐと、
一気に飲み干した。
「僕はその後、あいつが経営するこの温泉旅館の皿洗い番長の座に転がり込みました。
 僕はアライグマです、皿洗いの仕事はすぐに見つかります。それからはアイツの
 行動パターンを掴む為に毎日真面目に働きました。洗いすぎで手の皮が擦り剥け、
 肉が剥がれた事もありましたよ。そして、今日やっと、奴を頃す事が出来たと言うわけです」
アライグマ君は何かをやり遂げたような、清清しい顔をしていた。
とても頃しを行った人物とは思えない顔をしている。

42: 2008/01/11(金) 02:19:10.03 ID:TxBN4K740
「しかし、頃す事はなかったじゃないか……その為の、警察だ……」
猫警部が場の重い空気の層に、自分の言葉を流し込むように言った。
「いいんです、それが僕が選んだ道なんですから」
「連れて行け」
猫警部の声つぶれた声が、辺りに不自然なほど響いた。
隣に立っていた警察犬Aにアライグマ君は連れて行かれた。
「流石はクンクン探偵ね。あんな難事件もするする解決しちゃうだなんて」
オーナーキツネさんはクンクン探偵の腕を絡め取り、自分の胸に埋めるようにして言う。
「ははは、簡単さ。だって、君みたいな美人が隣に居たからね」とクンクン探偵が言った。
「まあ、お上手ね」とオーナーキツネさんが頬を赤らめた。
それと同時に悲鳴が聞こえてきた。アライグマ君が連れて行かれた方向からだ。
クンクン探偵一同は現場に駆けつける。
「そんな……」

44: 2008/01/11(金) 02:27:52.48 ID:TxBN4K740
アライグマ君が自分の舌を噛み千切り、噛み千切った舌で呼吸困難に陥り氏んでいたのだ。
「す、すみません。本官が目を放したほんの一瞬の隙をつかれまして……
 ですから本官に落ち度はまったくありません!」
警察犬Aが猫警部に必氏に弁解していた。
「そんな、そんな……なぜ自らの命を絶てるほどの覚悟を持った君が、
 ネズミさんの氏を背負って生きていく覚悟を持つ事が出来なかったんだ……。僕は、無力だ……」
クンクン探偵はアライグマ君の両目を、そっと閉じた。
彼の顔は、深く被られた探偵帽で隠されていたが、一瞬、頬を伝う水滴が見えた。
それはツララの剣の滴だったのか。それとも、彼の流した涙だったのか……。
答えは誰も分らない。クンクン探偵ですらも。

45: 2008/01/11(金) 02:34:04.70 ID:TxBN4K740
「隣、いいかしら」とオーナーキツネさんはクンクン探偵に話しかけた。
「ええ、どうぞ」
ここは温泉旅館地下バー「如月本社」安っぽい緑のカクテルが売りの人気バーだったのだが。
バーテンが変ってからは安っぽさが消え、動物の森に安くないカクテルブームが浸透しようとしていた。
ついでに言うと、昔は故・熊おじさんがバーテンをしていた。
「ここで会うのは二回目ね」とオーナーキツネさんが言った。
「そうですね。でも、僕がここに足を運んだのも今日で二回目だ」
口端をニヤリと吊り上げ、クンクン探偵が言った。
「ふふ、そういわれたらそうね。そうだ、今日は私がカクテルを選んであげる」
「そうね……」とオーナーキツネさんが、愛しの探偵さんに何が似合うかと思案していると、横から
「ギムレット」とクンクンが言った。
「あら、私が注文したお酒は飲めない?」と少し不機嫌そうにオーナーキツネさんが言う。
「いや……今日は、自分の道は自分で決めたかったのさ」
「変なクンクン探偵」
「ふふ、そう?」
クンクン探偵の前に、沈痛な面持ちのバーテンダーがカクテルを差し出す。
胡桃大の氷がグラスが当り、チロチロと涼しげな音を奏でた。

46: 2008/01/11(金) 02:37:28.00 ID:TxBN4K740
エンドロールが流れ終わりアイキャッチ、そして皇潤のCM。
テレビの画面がパチパチと音を立て消えた。
水銀燈暗くなった画面をじっと見つめていた。
彼女の後ろで横になり、同じく画面を見ていた男は
「初めて見たけど、凄いな」と言うが、水銀燈はそれに否定も肯定もせず、
ただじっと画面を見つめていた。
彼女は既に画面なんかじゃなく、もっと別の問題に焦点を当てていたのかもしれない。
そんな彼女の口が自分に向けて開かれるのを待つように、
男は水銀燈の後ろから動こうとしなかった。

47: 2008/01/11(金) 02:38:10.72 ID:TxBN4K740
終わりです お疲れさまでした

53: 2008/01/11(金) 02:50:55.29 ID:TxBN4K740
水銀燈とアリスゲーム

54: 2008/01/11(金) 02:51:44.85 ID:TxBN4K740
暖かい日だった。
サンタのプレゼントが温もりだったと証明された日でもある。
そんな中、黒縁めがねの向こう側から真摯な視線を手元に送る少年が居た。
桜田ジュンである。彼は己の居場所を奪った裁縫と向き合い、
派遣労働者以上の収入を弱冠14歳で手にしていた。
彼は今、新作「小悪魔旋風脚」と言うタイトルのドレス製作に勤しんでいた。
その時、ドレスの名前に連れて来られたのか。一陣の小悪魔な風さんが
石油ファンヒーターから噴出し、彼の手元を襲った。
金の針が彼の手元から転げ落ち、太ももに刺さる。
運命の神の悪戯か、はたまたただの偶然か。針が落ちた先は経絡秘孔の一つ
「前世野事思胃出酢」であったのだ。

55: 2008/01/11(金) 02:53:30.01 ID:TxBN4K740
ジュンは自分が自分の体から引き抜かれるような錯覚に陥り、数え切れぬほどの夢を見た。
身分違いの恋にその身を焼いた事、その少女を模して人形を何体も何体も作った事、
次第に愛しかった少女の記憶が薄れ、自分が恋焦がれた少女を再現する為、
様々なタイプの人形を作った事。
そして、何をしても自分を愛してくれる少女達を創った事に対して、虚しさを感じた事……。
その他にも色、図形、模様、数式、文字、言葉、ありとあらゆる事が目の前を通り過ぎた。
いつしか、彼はとても広く浅い海に立っていた。遠くから自分の名を呼ぶ声が聞こえてくる。
呼ばれるがまま、声の方へと歩いていく
「ジュン、起きなさい。ジュン!」

56: 2008/01/11(金) 02:56:37.61 ID:TxBN4K740
最初に目に入ったのは靴だった。小さな靴だ。
「ちょっと、冗談は程々になさい」
小さな手が彼の肩を揺さぶり、青い目が見えた。
「真紅」と彼は呟いた。
「よかった……。あなたね、主人に心配をッ──」
真紅と呼ばれた人形は肺の空気が口から噴出す音を聞いた。
「すまなかった、本当に済まなかった。謝って済む事じゃないけれど、謝る事しか出来ないんだ」
ジュンの腕の中でもがきながら、真紅は掠れたようなハリボテな言葉をやっとの思いで紡いだ。
「た、確かに、主人を敬わない下僕だけれど、こ、このような情熱的な謝り方をしなくてもいいのだわ」
自前の赤いドレスのように耳まで真っ赤に染め上げ真紅が言う。
「違うんだ真紅。もう、戦わなくていいんだ、もう僕は戦いなんて望んでいない」
「あなたの気持ちは嬉しいけれど、これはお父様が望んだ──」
ジュンの腕に力が篭る。
「まさか、お父様……?」
真紅を抱きしめる腕は、あの日彼女を抱き上げた腕の温もりのそれだった。
「今まで苦労をかけたね、真紅。これからはずっと一緒だ」
そう言うと、真紅は泣いた。長い間欲していた父の温もりに包まれながら、大きな声で沢山泣いた。
こうして、数奇な運命の悪戯によりアリスゲームは幕を下ろした。
もう、彼女達は戦わなくていいのだ、戦う理由などなくなったのだから。

58: 2008/01/11(金) 03:01:45.22 ID:TxBN4K740
アリスゲームの終わりは瞬く間にドール達の知る事となった。
あの日から真紅はジュンの事を名前で呼ばなくなり「あの」だとか「よろしいですか?」など
間接的にジュンに語りかけるようになった。行き成り「お父様」と
呼ぶのも気恥ずかしいし(外見はジュンのままだ)
かと言って今まで通り「ジュン」と言うのも無礼な気がするのだろう。
これは時間が解決してくれる問題である。彼女自身が乗り越えなければならない壁なのだ。
しかしジュンから離れない所を見ると、彼の中にローゼンを感じ取っているようである。

59: 2008/01/11(金) 03:05:20.30 ID:TxBN4K740
「みっちゃん……カナ、アリスには成れなかったかしら……」
ローゼンメイデン第二ドール金糸雀は己のマスター、草笛ミツにアリスゲームが終わった事を告げた。
ミツと呼ばれた女性は暫く物を考えた後、金糸雀に
「カナは何でアリスに成りたかったの?」と聞いた。
「それはアリスになって、お父様と会う為かしら」と金糸雀は言う。
「じゃあ、それでいいじゃない!」
「えっ? でもでも、ローゼンメイデンはアリスに成る為に作られた訳であって……」
両手をパタパタと振りながら、必氏にアリスの重要性について説明しようとする。
「カナはアリスに成る為に皆を傷つけたいの?」と声のトーンを落としミツが言った。
金糸雀は首を振る。
「そして、カナはお父様に会う為にアリスに成りたかった。違う?」
小さな顎がコクコクと二回引かれた。

61: 2008/01/11(金) 03:09:27.33 ID:TxBN4K740
「だっーたら万々歳じゃない! 楽してズルしてお父様に会えたのよ?
 ほら、一緒にばんざーい! ばんざーい!」とミツが金糸雀の手を掴み一緒に万歳させる。
「それじゃあお祝いに、あっまぁい特性玉子焼き作ってあげるからね!」
ミツのお祝いムードに飲まれてきたのか、自然と金糸雀も盛り上がってくる。
「そう言われればそうかしら! 楽してズルしてお父様を頂きかしら!」
「そうよ、その意気よカナ! ……断腸の思いだけれど、桜田君のお家ならお泊りも許可しちゃうからね!」
悔しそうに自分の親指の爪を噛みながら、ミツが言う。
「いいのよみっちゃん」
「かな……?」
「お父様はもう、自分のアリスを見つけたんだから」と金糸雀が言った。その表情はどこか寂しげである。
「そうね、そうよね! カナは私だけのアリスなんだから! ずっと一緒にいっぱい写真を撮ろうね!」
とミツは金糸雀に抱きつき、自分の頬を金糸雀の頬に高速で擦り付け始めた。
台所から、少し焦げ臭い臭いが漂ってきて、やっと金糸雀は解放されたのだ。
頬の摩擦熱と、アリスゲームから。

64: 2008/01/11(金) 03:14:36.07 ID:TxBN4K740
オーブンから香ばしい匂いが漂ってきた。
「おっ、焼けたですね」と翠星石がオーブンから鉄板を取り出す。
「んー完璧です。これならジュンもちったぁ翠星石の事を見直すはずです」
即興で鼻歌を作りながら籠にスコーンを放りこんでいく。
長いスカートを意に返さず、お盆を抱え二階への階段をのぼり、
ジュンの部屋に入る前にお盆の上を指差し確認。お茶よし、お菓子よし。
「ジュン! 翠星石がスコーンを焼いてやったです。一緒に食うですよ」
ジュンは机の前に座り、裁縫作業をしていた。
「あら、真紅はいねーですか?」と翠星石が辺りを見渡しながら言う。
「ああ、少し出かけて来るってさ」とジュンが手元を整理しながら答えた。
「そ、そうですか。ま、翠星石にはなーんも関係ねーことですけどね?」
ほほほ、と笑いながら二人のカップに紅茶を注ぐ。

65: 2008/01/11(金) 03:18:19.67 ID:TxBN4K740
ジュンと翠星石は小さなテーブルに向かい合って座っていた。
「久しぶりだな、こうして二人きりになるのって」とジュンが言った。
「そうです、ね」と翠星石が目を泳がせながら言った。
「あれから皆余所余所しくなったよな。お前だけだよ、
 僕の事を『ジュン!』『ジュン!』って呼ぶのは」
「嫌……ですか? そういうの」
翠星石がティーカップを弄りながら上目遣いに言う。
「嫌じゃないよ。逆に嬉しいかな、あれから皆僕を『お父様』
 と言う色眼鏡越しに見ている気がしてさ。なんとなく寂しかったんだ」
「そう、ですか……でも、翠星石の中でジュンはジュンです。
 お父様かもしれんですけれど、ジュンはジュンなのです、それ以下でもそれ以上でもねーです」
翠星石は口を尖らせ、ティーカップに視線を落としながら言った。
視線を上げるとジュンと目が合う。二人の間に甘酸っぱい空気が流れていた。
彼女のアリスゲームはまだまだ続きそうである。

66: 2008/01/11(金) 03:21:15.39 ID:TxBN4K740
寒風が一つ強く拭き、帽子が飛ばないように押さえた。
蒼星石である。
彼女は貯水タンクの上から、冬の暮れに飲まれようとしている影を失った町を見下ろしていた。
誰が想像出来ただろうか。
こんな小さな島国の小さな町で、アリスゲームが終わるなどと。
それも、まったく問題視していなかった第五ドール真紅のマスターによって……。
寒さが深々と身に染みるが、丹田に溜めた息と一緒に寒さを吐き出す。
「蒼星石、こんな所で何してるですか?」
蒼星石が見上げた先には、鞄の隙間から顔を覗かせる翠星石が居た。
「いい眺め。翠星石も一緒にどうだい?」
翠星石はピューピューと吹き荒む風に少しだけ躊躇い、蒼星石の横に並んだ。
「うー寒いです」と翠星石が言った。
「そうだね」と蒼星石が言った。
翠星石は何度か口を開き、閉じを繰り返し言う。
「蒼星石は何を怒ってるですか? 遠慮せずに姉に相談するですよ」
「別に、怒っていないよ。ただ、全てが終わっただけさ」
蒼星石の視線の先には空と大地の境界があった。

67: 2008/01/11(金) 03:23:15.45 ID:TxBN4K740
翠星石が考え込むように腕を組んで、唸り言う。
「蒼星石がそう言うなら、そうなんでしょうけど……困った事があったら、すぐ言うですよ?」
「ありがとう」と蒼星石が言った。
突風。翠星石が小さな悲鳴。飛ばされる蒼星石の帽子。
咄嗟に蒼星石が手を伸ばすが届かない、小さな手が空を掴む。
「あーあ、難しい事ばっか考えてるからですよ。今翠星石が取ってきてやるから、そこで待ってろです」
こう言うと翠星石はスカートの裾を掴み、トンと一蹴り給水等から飛び降りた。
「あっ、ちょっと翠星石──」
蒼星石の小さな手が掴んだ空を放すが、翠星石の背中は既にない。
彼女の手は胸元で強く握り締められた。
「翠星石、僕はアリスを目指すよ」
「いんやー帽子の奴が生きてて大変だったですよ」
翠星石が帽子を抱え、給水等の上に戻るが帽子の持ち主の姿は既になかった。
小さな溜息を翠星石がついた。
蒼星石はアリスに成る為にアリスゲームを求め旅立った。

68: 2008/01/11(金) 03:29:17.04 ID:TxBN4K740
苺大福の包み紙で作られた鶴が二羽、仲良く机の上で並んでいた。
畳の上にはクレヨンで絵を描かれた画用紙が、何枚も無造作に置かれてあり、
クレヨンケースにある白クレヨンの磨り減り方が他の物に比べ早かった。
部屋の隅にはクラシック鞄が一つ、置いてあった。
ガタガタとスリガラスと木の枠組みがぶつかり合い、玄関のドアが開く音がする。
クラシック鞄が勢い良く開き、中から小さな人形が飛び出した。
小さな人形は部屋の襖を重そうに開き、廊下を革靴を鳴らしながら走り玄関へと急ぐ。
「おかえり、巴!」と言うと、今しがた帰ってきたばかりの女子中学生に飛びついた。
女子中学生は人形を抱きとめ「ただいま雛苺。いい子にしていた?」と聞いた。
「うん、ヒナとってもいい子にしてたの!」
雛苺と呼ばれた人形は、これでもかと言わんばかりの微笑みを顔に詰め込み言った。
「そう、偉いわね。これはお土産」と巴と呼ばれた少女は小さな包みを手渡す。
「うにゅーだあ!」雛苺がそれを両手で受け取り、
「ありがとう巴!」と言った。
「いえいえどういたしまして」と巴が言った。
巴は雛苺を抱いたまま自分の部屋へと戻った。
二人を繋ぎとめる絆だったアリスゲームも、
二人を別つ壁だったアリスゲームも、既になかった。

69: 2008/01/11(金) 03:37:19.93 ID:TxBN4K740
何処までも暗く、何処までも深かった。
そんな世界の片隅に彼女は居た。
アリスになる為だけに作られた彼女は、静に消え去ろうとしていた。
彼女のアリスゲームは始まりを迎える事なく、終わったのだ。

70: 2008/01/11(金) 03:41:31.52 ID:TxBN4K740
雨が降っていた。
鉛色の雲が空を覆い、町は昼間だというのに薄暗い。
軒下から、空を見る瞳で冬の雲を見つめる少女が居た。
その目鼻立ちは整い、印象的な赤い眼をしている。
銀の髪は雨に濡れて白い頬に張り付き、ドレスは夜闇のようになっていた。
そして、空を一睨みしてから、雨の中へと飛び出した。
彼女は古いアパートの一室の窓を手馴れた様子で開け、窓辺へと舞い降りた。
下水を流す音がした。若い男がトイレから出てくる。
「水銀燈?」と男が言うと、水銀燈は瞳を彷徨わせ男へと焦点を合わせた。
彼女が吸った雨水が床に染みを作る。
男は引き出しからタオルを取り出し水銀燈の頭に被せ、
「傘が嫌ならカッパ使えよ……」とガシガシと頭を拭いた。
ヘットドレスの存在を思い出し、タオルから彼女の頭を出す、
「痛い」と水銀燈は言った。
「俺の優しさが篭ってるんだよ」と男はヘットドレスのリボンを解き、
ちゃぶ台へと放り投げると水が潰れる音がした。

71: 2008/01/11(金) 03:46:34.95 ID:TxBN4K740
水銀燈は頭は再びガシガシと拭かれ、体がそれに合わせて右へ左へと動いた。
次に、髪の毛の腹を拭くために水銀燈の両肩に手をかけ後ろを向かせる。
そして、髪を手に取りタオルに擦り合わせるように拭く。
「痛い」と水銀燈は言った。
「おいおい、ここは痛くないだろ」
手を止めずに拭いていると、水銀燈が肩を震わせている事に気がついた。
不思議に思い、横から水銀燈の顔を覗き込む。
男は水銀燈の両肩に手をかけ、ゆっくりとその身を近づけるが
自分の胸が彼女の頭に触れる直前に動きを止めた。
その顔には迷いと躊躇いが渦を巻いていた。
男はゆっくりと体を引いて、顎を引いた。
口は一文字に結ばれ頬がピクピクと動いている。
男の両手は、濡れた衣服が包む彼女の温もりに縫い付けられていた。
閉じ忘れた窓からは雨が振り込む、雨が降り止む気配はない。

72: 2008/01/11(金) 03:53:20.98 ID:TxBN4K740
壁に包まれたシャワーの音が遠くに聞こえていた。
雨はあれからいよいよ本降りへと差し掛る。
あれから僕は水銀燈を浴室に連れて行き、彼女の濡れたドレスを水を張った洗面器につけた。
彼女が下着を脱ぐのを待っていたら、やけに平面的な瞳で見つめられれ、
陶磁器のような肌に張り付いた濡れた下着に一抹の未練を残しながら、
僕はそそくさと脱衣所を後にした。
チビチビとお茶を啜り、つい先ほどの出来事を思い出していた。
濡れ鼠になって帰ってきた水銀燈。目には昨日までの輝きはなく、まるで本当の人形のようだった。
何故あの時、僕は水銀燈を抱きしめられなかったのか。
逃げていたのか。あの時、水銀燈を抱きしめる事によって彼女を受け入れる事に。
僕は彼女を拒絶しているのか? 違う、拒絶はしていない。彼女は僕の全てとさえ思った事もある。
ならば何が? そうだ、あの時僕は彼女の瞳を、表情を覗きこんでしまったのだ。
その奥には、僕には到底計り知れない物が渦巻いていた。
そうだ、僕は躊躇ってしまったのだ。彼女を抱きしめ、彼女がその身を委ねる事に。
僕はあの時の彼女を受けきれる自信がなかった。
怖かったのだ、受け入れられなかったらと考えると。
随分と身勝手な理由だ。彼女が本当に誰かを(僕を?)必要としているかもしれない時に何も出来ない。
今までが'何か出来た気’になっていただけかもしれないが……。
僕は、どうしたらいいのだろうか。
シャワーの音が止まった。ほどなくして風呂場の扉が開く音がした。

73: 2008/01/11(金) 04:00:23.83 ID:TxBN4K740
空の湯飲みに口をつける。冷たい滴が一筋、唇に触れた。
廊下に繋がる扉が開き、素肌の上にダボダボで灰色のトレーナーを着た水銀燈が表れた。
「似合ってるよ」と僕は言った。
「そう」と彼女は素っ気無く答えた。
視線が僕に向けられる。僕は彼女の瞳の奥底にあるものを必氏に読み取ろうとするが、
何も読み取る事は出来なかった。もしかしたら浴室の排水溝に流されてしまったのかもしれない。
「テレビ、見ないの?」と彼女が言った。
「えっ? ああ、そうか」今日はクンクン探偵の日だった。
僕はテレビの主電源を入れ、チャンネルを合わせた。
水銀燈は何も言わずに僕の隣に腰を下ろした。
「──んです、それが僕の選んだ道なんですから」
画面の真ん中で、タヌキのような人形が猫警部にそう言った。
「連れて行け」と猫警部が言う。
クンクン探偵はキツネを口説いていた。
そしてタヌキは自らの舌を噛み切って氏んでしまう。
画面が代わり、バーのカウンターに座るクンクンが映し出され、終わった。
エンドロールが流れる。
「遅かったね」と僕が言うと、「うん」と水銀燈が返した。
アイキャッチの後に皇潤のCMが流れ、僕は電源を落とした。
水銀燈は僕の隣から動こうとしなかった。

75: 2008/01/11(金) 04:05:09.76 ID:TxBN4K740
口を薄らと開け、赤い目には何も映ってはいなかった。
気の利いた男なら、彼女の唇に自分の唇を押し当てて気の利いたセリフを一つや二つ吐き出し
笑顔を誘い出したりしそうな物だが、生憎と僕には無理だ。
僕はちゃぶ台に肘を付き、手の平に顎を乗せ水銀燈とは別の方向に視線をやり、
彼女の右手に自分の左手をそっと重ねた。
横顔に視線を感じた。僕の左手は振り払われもしないし、握り返される事もなかった。
それから暫く、雨音が部屋の中に我が物顔で居た。
手の平が汗ばみ出した頃、水銀燈が口を開いた。
「自分の生きる理由がなくなったら、あなたはどうする?」
少しだけ考え「分らない」と返した。
「私も分らないわ」と水銀燈が言った。
「生きる理由をなくしたの?」
「うん」
「もう見つけられない?」
水銀燈は口を結んだままだった。
顎を手の平からどかし、水銀燈を見て「僕は君を抱きしめたい」と言った。
水銀燈は僕の言葉がよほど予想外だったのか、眉をよせ首をかしげ小さな疑問が口から漏れた。
「いいかな」
「私がダメだと言ったら?」
「その時は、僕は君の怒りに耐えるよ」
僕は彼女を自分の胸に抱き寄せた。
身を任せ、抱かれれるままに抱きしめられる水銀燈。
僕の腕の中には、確実に僕以外の温もりが存在していた。

76: 2008/01/11(金) 04:09:52.89 ID:TxBN4K740
「怒ってる?」と僕は言った。
「ええ」
腕の中から僕を見上げ、水銀燈が言った。
「次はキスをしたい」と僕は彼女の前髪を指で梳かしながら言った。
「……さすがに怒るわよ」
「残念」
「それと、この体性はけっこう辛いから、抱きたいのなら私をあなたの膝に乗せなさい」
言われて気づけば、僕と水銀燈は「人」の字のようになっており、
確かに背中の辺りがピリピリと痺れてくる。
僕は水銀燈を膝の上にのせ、後ろから抱きしめた。
「ねえ」と水銀燈が口を開いた。
「なんで私はアリスになれなかったと思う?」
水銀燈の手の平が僕のそれに重ねられた。
「難しいな」
「思った事をそのまま言いなさい。怒らないから」
「そうだな……僕のアリスだったから、かな」
「笑えない冗談はやめてくれない?」
彼女は僕の手の平を抓りながら言った。万力に挟まれたみたいに痛い。

77: 2008/01/11(金) 04:16:55.39 ID:TxBN4K740
「冗談じゃないよ、本当の事さ。嫌?」
痛みに耐えながら言った。
「嫌に決まってるじゃない」
「そうか」と僕「そうよ」と水銀燈。
「……でも」と水銀燈が遠くを眺め言う。
「そんなのも、いいかも知れないわね。お飯事みたいな、幸せな日常も……」
「一緒にしようよ」
「あら、本当にいいの?」
水銀燈が腕の中で身をよじって僕と向かい合う。
「でも、私以外の子に色目なんか使ったらジャンクにするわよ」
「ああ、大丈夫だよ」
僕は彼女の前髪を親指で横に流した。
「信じるからね」
「……あっ、ああ、いいとも」
水銀燈の凄みある目に、微笑みを返した。
「そう、それじゃあ目を瞑んなさい」
「目を?」
「いいから」と水銀燈が僕の瞼を押さえ、無理矢理目を閉じさせる。

78: 2008/01/11(金) 04:20:52.50 ID:TxBN4K740
暖かく柔らかい感触を、頬と唇の間中に感じた。
「唇じゃないのか」
「お馬鹿さん、アリスの唇はあなたが考えるほど安くはないのよ」
水銀燈は眠たげな瞼を持ち上げているような表情をしていた。
口元には柔らかい笑みを浮かべている。
「でも、もう寝る時間ね」
「まだ9時前だよ?」
「今日は色々あって疲れちゃったのよ。あなたも疲れた時は早く寝たいでしょう?」
水銀燈は僕の胸にもたれかかる。生暖かい吐息が衣服に絡みつく。
「……そう、だね」
「そういえばあなたっていつも寝てばっかしだったわよね」
「そうだったかな」
「そうよ」
既に彼女の目は閉じられていた。
「心臓の鼓動を聞いてるとだめね。もう動きたくないから、鞄まで連れていってくれないかしら」
「困ったお姫様だ」と頷き彼女を抱かかえて鞄へと連れて行く。鞄の中に横たえると
ガチャガチャとビスク人形が出す音がした。
「おやすみ、水銀燈」
僕は彼女の頬と唇の間中にキスをして、鞄を閉じた。

79: 2008/01/11(金) 04:25:08.34 ID:TxBN4K740
アリスになり父親に愛されたい。
彼女はアリスになりたいが為に命を手に入れた。
アリスに成る為には避けては通れない宿命、それがアリスゲーム。
アリスゲームで他の姉妹と戦っている時だけは、父親に愛されていると感じた。
父親が願うアリスに少しずつ近づいていると感じた。
その一心で何百時間、何千時間と一人時の迷図をさ迷い歩いてきた。
そして何時しか彼女の生きる理由が、現実味がないアリスよりも、
愛されていると実感がわくアリスゲームへと移り変わった。当然のことかもしれない。
そんな彼女に、父親の口から直接
「アリスゲームはしなくていい、戦いなど望んでいない」と言われたらどうなるのだろうか。
僕には分らない。
分らないが一つだけ言えることがある。
彼女のアリスゲームは終わったのだ。
それはアリスゲームの敗者としてか、それとも──。

80: 2008/01/11(金) 04:26:56.49 ID:TxBN4K740
終わりです、お疲れさまでした

82: 2008/01/11(金) 04:32:11.55 ID:TxBN4K740
最後までのお付き合い、本当にありがとうございました

83: 2008/01/11(金) 04:34:18.03 ID:DkCWgssdO
読ませてもらいました
お疲れ様でした

84: 2008/01/11(金) 04:34:36.62 ID:/yI9v/feO
素晴らしいです

98: 2008/01/11(金) 13:38:13.31 ID:TxBN4K740
へへ、いつもどうも・・・

引用: 水銀燈と十姉妹