1: ◆JtU6Ps3/ps 2008/03/05(水) 04:27:41.33 ID:/Djc63IO0
 本棚から人形を降ろそうとした時、真紅は異変に気づいた。
「ジュン、懸賞で当たった変身セット知らない?」
「えっ」
 パソコンから身体をこちらに向け、ジュンが声を上げる。
「ほら、くんくんと同じ探偵の格好になれる、服装のセットよ」
「あっ……」
 ジュンが困ったように頭をかく。
「どうしたの?」
 真紅が尋ねる。
「……………ごめん、真紅」
 椅子から立ち上がるジュン。
「………捨てちゃった」
 長い間をおいて、ジュンが答えた。
ローゼンメイデン 愛蔵版 1 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL)
6: 2008/03/05(水) 04:41:31.87 ID:/Djc63IO0
「はっ?どうして?」
「それは……」
 ジュンが口をつぐんだ。
「何故棚に置いてあるものを捨てるの」
 真紅の目つきが変わる。
「………」
「悪いけど」
「………」
「あれは懸賞で当たったものなのよ。売り物じゃないのよ?」
「………」
「もう一度訊くわ。何故棚に置いてあったものを捨てるの?」
「………ごめん」
「私は理由を訊いてるの」
「………ごめん……」
 真紅がため息をつく。
「ああそう、そんな事も答えられないの。もういいわ」
 そう言うと、真紅は部屋の隅の鞄に入り、そのまま浮き上がった。
「おい、どこ行くんだよ」
「どこだっていいでしょ。もういいわ」
 棚の持ち物を鞄に詰め始める。
「おい、待てよ……」
「うるさいわね!!」
 真紅が叫んだ。
「……何だよ…」
 ジュンが舌打ちをする。
「さようなら、ジュン」
 それだけ言うと、真紅は鞄を閉じ、窓から飛び立った。
 
 

10: 2008/03/05(水) 04:54:39.86 ID:/Djc63IO0
「あれ?…」
 その鞄が桜田家から離れていくのを、蒼星石が発見した。
「誰だろう……まぁ、いいか。早くジュン君ちに行かないと」
 ちらりと見やりながらも、思いなおして桜田家に向かう。
「こんにちはー」
「ん、あぁ…」
「ジュン君、例の件なんだけど…」
 どたどたと床が鳴り響き、ばたんとドアが開く。
「おーそいですぅ蒼星石!」
「こんにちはーなの」
 翠星石と雛苺だった。
「やあ、二人とも。…ところで、真紅は?」
「出てったよ」
 ジュンが答えた。

15: 2008/03/05(水) 05:04:56.46 ID:/Djc63IO0
「出てった?」
「どこか買い物ですぅ?」
 ジュンがため息をついて、棚を指さす。
「ほえ?真紅のくんくんがないのー」
「どういう事です?」
 翠星石がジュンを見やる。
「まさか…家出かい?」
 その問いに、ジュンは小さく頷いた。
「えっ、ちょっと、何ぼやっとしてるです、早く追いかけないと!」

17: 2008/03/05(水) 05:14:26.37 ID:/Djc63IO0
 言うや否や、翠星石は鞄に入り、窓から飛び立った。
「あっ、翠星石ー、ヒナも行くのー」
「理由は……?」
「変身セット」
 その言葉を聞き、蒼星石が腕組みをする。
「翠星石ー、待ってなのー」
 雛苺が飛び立った後、蒼星石が口を開いた。
「とにかく、今は真紅を追いかけよう。話はまた後で……」
 蒼星石も窓から飛び立つ。
「………」
 しばらく立ち尽くしていた後、やがてジュンはジャケットを羽織り、
部屋を出た。

48: 2008/03/05(水) 09:09:36.12 ID:/Djc63IO0
「はぁ…」
 真紅が腰を下ろしたのは、日がやや西に傾きかけた頃、
団地内の小さな公園のベンチだった。二階建てが立ち並ぶ向こうに、
大きな病院が見える。
「…どうしてあんな事するのかしら」
 うつむいてため息をつき、それから辺りを見回してみる。
 正面にブランコ。その横に砂場と滑り台があるだけで、小さな公園だった。
 再び視線を落とす。
「………」
 何の気なしに手遊びをしていると、指がところどころ傷ついている事に気がついた。
「あら……」
 まじまじと10本の指を眺めてみる。
「クッキーなんか作ってたからだわ…」
 真紅は再びため息をついた。


51: 2008/03/05(水) 09:25:19.02 ID:/Djc63IO0
「何でチビ苺の世話をせにゃならんのです」
「うゅ…だってだって、ヒナも真紅の事が心配だから…」
「二人ともこんなところで…やめようよ」
 上空50メートルほどのところで、三人は言い争っていた。
 西からは灰色の雲が広がってきている。
「…それにしても…」
 翠星石がきょろきょろ見回す。
「見つからないね」
 蒼星石がため息をつく。
「おーい、しんくー、いたら返事するのー」
 雛苺が眼下に叫ぶ。
「…そんなに遠くには行ってないはずなんだけど…」
「仕方ないです。真紅が行くあてが分からない以上は…」
 ぽつっと音がする。
「つめたっ」
「えっ?」
 蒼星石が空を見上げる。
 灰色に濁った雲から、ぽつりぽつりと水滴が落ちてきた。
 数秒後、それは矢のようにざあああと音を立てて三人に襲いかかってきた。
「わあああっ」
「いっ、一旦戻るですぅ!」

57: 2008/03/05(水) 09:39:15.88 ID:/Djc63IO0
「…突然降りだすなんて」
 滑り台の下から真紅が顔を出す。ざあざあという音、公園の向こうの家が
見えなくなるほどの雨。
 真紅は雨が嫌いだった。音がすると、耳を塞いで1階に下り、テレビをつける事が
多かった。
「………」
 くんくんのぬいぐるみを、ぎゅっと抱きしめる。
 跳ね返る泥で、鞄は既に泥まみれになり、ドロワースにも泥が付き始めていた。
「……」
 ぬいぐるみに頬をすり寄せる。
 いつもなら、紅茶を飲みながら、くんくんのビデオを観ているだろう。
 蒼星石が隣に座り、カーペットの上で雛苺が寝ころんで絵を描いている。
 翠星石は、のりと一緒にお菓子の配膳をしてくれている。
 ふと、ジュンの顔が浮かんだ。
「………」
 更にぎゅっとぬいぐるみを抱きしめる。
 真紅は泣きそうになっていた。

62: 2008/03/05(水) 09:51:42.17 ID:/Djc63IO0
 昔からそうだった。
 プライドだけが先んじて、許せばいいところを許せない。
それでも通用していたのは、守ってもらっていたからに他ならず、
いざ一人になってみると、それはただの足かせでしかなかったのだと気づく。
 すん、すん、と鼻を鳴らす。
 いつの間にか、ぬいぐるみが濡れていた。
 何故泣くのだろう、と真紅は思った。
 雨音がうるさいから?
 寒いから?
 鞄やドロワースが汚れているから?
 家出した事を後悔しているから?
「……何なの……」
 涙を流しながら、真紅はつぶやいた。
「真紅!!」
 雨音を切り裂いて、聞きなれた声がした。

63: 2008/03/05(水) 10:00:00.25 ID:/Djc63IO0
 真紅が顔を上げる。
「真紅!!」
「ジュ…ジュン…」
 びしょ濡れになったジュンが、目の前にいた。
「おい」
 びくっと身体が反応し、思わず後ずさりする。
「心配したんだぞ」
 数秒の間があった。
「………来ないで…来ないで!!」
 思わずそう叫ぶと、真紅は走り出し、すぐに飛び去った。
「真紅!!」
 ジュンの声は、もう真紅には届いていなかった。

67: 2008/03/05(水) 10:18:58.59 ID:/Djc63IO0
「止まないですねぇ、雨」
 カーテン越しに外を見つめる翠星石。
「真紅心配なの……」
 隣で雛苺が悲しそうな顔をする。
 蒼星石は、ソファに座り、腕組みをしてじっと考え込んでいた。
「さっきから何考え込んでるです?」
 翠星石が振り返って尋ねる。
「ん、いや、ちょっとね…」
「……」
 少し妹を見つめた後、ため息をついて翠星石は窓の外に向き直った。

 バタンと音がして、玄関から雨音が聞こえ始める。
「あっ、帰ってきたの」
 雛苺が反応し、玄関へと走っていく。
「ジュン!お帰りなの…」
「……」
 雛苺は思わず息を呑む。
 泥だらけの足に、びしょ濡れの上半身。鞄を一つ抱えたジュンは、
虚ろな目で雛苺を見下ろした。
「ジュン君!」
 蒼星石と翠星石が出てくる。
「は、早く着替えないと……」
「……」
「その鞄は?…真紅の?」
 翠星石の問いに、ジュンはこくりと頷く。
「はーっくしゅん!!!」
 ジュンは大きく身体を震わせた。

69: 2008/03/05(水) 10:30:18.87 ID:/Djc63IO0
「鞄を置いてきてしまったのだわ……」
 古びた教会の中で雨宿りをする事に決めた真紅は、ぶるっと
震えながら、へたり込んでいた。
 びしょ濡れになってしまい、下半身は泥だらけである。
「ふ…ふふ……」
 自分の置かれた状況を思い、真紅は自嘲気味に笑った。
 もはや泣く力も残っていない。
 何より、鞄を置いてきてしまった以上、早く戻らないとネジが切れて
止まってしまう。
 だが、きっとあの後、ジュンが鞄を回収してしまっただろう。
「………」
 真紅はため息をついた。
 再びぶるっと身体を震わせる。
「疲れたわ……」
 そのまま床に倒れこむ。床の汚れなど、もうどうでも良かった。
 真紅は目を閉じた。
 少し雨音が遠ざかったような気がする。濡れた身体のイヤな感覚も、
慣れてしまえばそんなに気にならなかった。

75: 2008/03/05(水) 11:01:11.60 ID:/Djc63IO0
 真紅はむしろ、自分自身の幼稚さで、事態をややこしくしてしまっている
事に自責の念を覚えた。
 ジュンが謝った時、素直に「いいわよ別に」と、こちらが大人になっていれば
何も問題はなかったのだ。
 過失をそのままにするジュンではない。きっと、何か理由があったのだろうと、
今、冷静に考えてみれば多少の納得は出来る。
 やはり、プライドが邪魔をしているのだ。
「アリスか……」
 目を閉じたまま、真紅はつぶやいた。

 ギィィと音がして、雨音が少し大きくなった。
 真紅は目を開け、玄関を見やる。誰かが傘をたたんでいるのが見えた。
 上半身を起こし、目を凝らす。
 向こうもこちらに気づいたようだ。しばらく立ち尽くしていた後、
こちらに向かって歩いてくる。
「…誰?」
 真紅は絞りだすような声で尋ねる。
 直後、左肩に衝撃を覚える。そのまま上半身が後ろにのけぞり、
真紅は頭を打った。
 一瞬わけがわからなくなるが、左肩を見て、真紅は全てを把握した。
「私の家で何してるのぉ?」
 左肩の羽根を抜いた真紅に、水銀燈が小馬鹿にした口調で話しかけてきた。

81: 2008/03/05(水) 11:16:48.24 ID:/Djc63IO0
「っ…!水銀燈……」
 立ち上がろうとしたが、身体に力が入らない。
「あぅっ!」
 左肩に痛みが走り、べしゃっと倒れ込む。
「…?」
 水銀燈が怪訝そうな表情を見せる。
 真紅はしばらくして、再びよろよろと立ち上がる。
「わ…悪かったわ…貴女の家だとは知らなかったの……出てくわ……」
 くんくんのぬいぐるみを脇に抱え、一歩ずつ玄関に近づいていく。
「あっ!」
 真紅は不意に何かにつまずき、床に倒れ込んだ。
「何よそのざまはぁ」
 今度はにこりともせず、水銀燈が忌々しげに言い放った。
「びしょ濡れだし、泥まみれじゃないの」
 真紅はしばらくうつ伏せになっていたが、やがて嗚咽を漏らし始めた。

108: 2008/03/05(水) 12:54:26.32 ID:/Djc63IO0
「ならさっさと帰ればぁ?」
 事情を説明した真紅への、水銀燈の言葉。
 床にへたり込んだ真紅を、テーブルに座った水銀燈が見下ろしている。
「………」
 真紅は何も言えなかった。
「迷惑なのよぉ。そんな汚い格好でここにいられてもぉ」
「……」
 水銀燈はため息をついた。
「……」
 足が動かない。真紅は半ば硬直し、うつむいたまま顔すら
上げようとはしない。くんくんのぬいぐるみを抱きしめたまま、
時間だけが過ぎていく。
「…」
 水銀燈はじっと真紅の顔を見つめている。時おり、足を組みかえたり、
髪をいじったりはするものの、後は真紅の虚ろな表情を、観察するように
見つめているのである。
「………私は」
 真紅が口を開いた。

112: 2008/03/05(水) 13:09:54.51 ID:/Djc63IO0
「…私は」
 くんくんを抱く腕に力を込める。
「今まで、一日たりとも、紅茶を飲まない日はなかったわ…」
「………」
「蒼星石と闘って傷ついた時も…」
「………」
「猫にゼンマイを飲み込まれて泣き叫んだ日も…」
「………」
「貴女と闘って眠りに落ちた日も…」
「………」
「いつも誰かが傍にいてくれて…」
「………」
「笑いながら、時には嫌そうな顔をしながら…」
「………」
「紅茶を淹れてくれてたの…」
「………」
 ざあざあという雨音が、一層強く打ちつける。
「だから、私はわがままだった」
 水銀燈が首を傾けた。

118: 2008/03/05(水) 13:28:50.14 ID:/Djc63IO0
「………」
 また沈黙が訪れる。
 雨音だけがざあざあと聞こえる。
「ねぇ、真紅」
 水銀燈が口を開く。
「ひとつだけ訊いてもいいかしら」
 真紅が顔を上げる。
「それで、貴女は何をどうしたいの?」
 テーブルから飛び降りる水銀燈。
「貴女のわがままさについての独白はどうでもいいのよ」
 真紅に近づき、しゃがみこむ。
「貴女はどうしたいの?
 自分のわがままさをいつまでも後悔して、そんな自分に浸っていたいの?
 あのミーディアムの元へ帰って、ごめんなさいと謝って、元通り毎日紅茶を飲みたいの?
 くんくんの変身セットを、どこかのゴミ捨て場から拾ってきてほしいの?」
 くんくんを抱く手にぎゅっと力がこもる。
「今の貴女は誰よりも弱いわ」
 真紅の顔を覗きこむ水銀燈。
「だから、本当は、もっと別の言い方があるんでしょうけど」
 真紅のあごを、手で持ち上げる。
「それじゃ貴女は変われないもの。私は貴女に共感するつもりはないし、
 同情もしない」
「………」
「別に、ホーリエもミーディアムもいないこの場で、ネジが切れるのを待って、
 ローザミスティカを奪ったっていいしぃ」
「………」
「どうせなら、そのままジャンクになってもらった方が、私は嬉しいわぁ」
「………」
 水銀燈は、そこで喋るのを止める。
 真紅の目には、再び涙が浮かんでいた。

127: 2008/03/05(水) 13:47:48.85 ID:/Djc63IO0
「………」
「………」
「…戻りたいわ……」
 絞り出すような真紅の声。
「戻りたいわ!私はジュンの所へ!!戻ってごめんなさいって謝って、また普通に生活したい!!」
 ぬいぐるみを放し、水銀燈に抱きつく真紅。
「ちょっ……」
「でも!!」
「真紅…」
「どうしたらいいのかわからない!!戻っても、どうせ私は同じような事をしてしまうわ!!
 それなら…もういっそ、このまま動かなくなってしまった方がいいのよぉっ……!!」
 わあわあと泣き叫ぶ真紅。
 水銀燈は胸が苦しくなるのを感じた。

135: 2008/03/05(水) 14:04:57.28 ID:/Djc63IO0
一方その頃桜田家

「明日また来るよ。何かあったら連絡してね」
 蒼星石が帰った後、ジュンは2階の部屋にこもった。
 翠星石がその後を追いかける。

「寒いから閉めろよ」
 パソコンに向かうジュンが、ドアの所に佇む翠星石に声をかける。
「…わかったですぅ」
 ドアを閉め、ベッドの上に座る。
 コチコチと時計が音を刻み続ける。
「…ジュン」
「ん」
「真紅と何があったです?」
 ジュンが振り向いた。

164: 2008/03/05(水) 17:11:39.11 ID:/Djc63IO0
「僕がくんくん変身セットを捨てちゃったんだ」
「変身セット?」
「ああ。懸賞で当たった奴」
「前に真紅が着てたあれですか」
「うん」
「でも、どうしてです?」
「………」
「どうして捨てたりなんか…?」
「………」
 ジュンは答えなかった。
「別に…答えたくないならいーですけどぉ…」
「本当のところを云うと、捨てたのとはちょっと違うんだ」
「…え?」
 

171: 2008/03/05(水) 17:29:25.15 ID:/Djc63IO0
「今はこれ以上は言いたくないんだ、ごめん」
「………」
 ジュンは再びパソコンへ向き直る。
「……るいですぅ…」
 翠星石が何か呟いている。
「ん?何か言っ……ぶえっくしゅ!!」
「ひゃっ!」
 鼻をすするジュン。
「大丈夫ですかぁ?こんな時期にびしょ濡れになったりするから…」
 ベッドから降り、ジュンを見上げる翠星石。
「って……」
「何だよ、大丈夫だよ。どっか行ってろ」
「顔真っ赤じゃないですか!」
 ととっとジュンの膝へ登り、額に手を当てる。
「わっ」
「熱ですぅ!何吞気にパソコンなんかやってるです!さっさと布団かぶって寝るです!」

「大丈夫?ジュン君」
 ベッドに寝ているジュンを、のりと翠星石、それに雛苺が覗きこんでいる。
「こんなの…寝てりゃ治るよ…」
「ジュン、可哀そうなのー」
 顔を真っ赤にし、息が少々荒い。
「三人とも、さっさと下行ってくれよ」
「…でも」
「いいから、ホラ」
 促され、三人は部屋を出る。
「くしゅん!」
 翠星石が一瞬だけ振り返る。
 そこには、歯を食いしばるジュンの顔があった。

175: 2008/03/05(水) 17:45:19.37 ID:/Djc63IO0
 ピピッピピッと音がすると、ジュンはパジャマの中から体温計を取り出した。
「39度7分……」
 鼻をすする。ぶるっと身体を震わせるジュン。
「真紅……」
 ふと、真紅の事が頭に浮かぶ。あの土砂降りの中、泥だらけで
彼女はどこに行ってしまったのだろう。
『来ないで!』
 泣きながら拒絶してきた真紅。傷つけたのは自分だ。
「ごめんな……真紅……」
 再び鼻をすすった。
 コンコン、とノックがされた。
「入るですよ…」
 翠星石だった。
「これ飲んで元気出すです」
 上半身を起こすジュン。
「ココア?」
「ですぅ。ちょっと作ってみただけなのですから、さっさと飲んでみるですぅ」
 視線をそらす翠星石。
「ん……ありがと……」
「べっ、べべ別にそんな」
 コップを手に取る。
 照れながらもベッドに寄りかかり、ジュンが飲むのを、じっと見つめてくる。
「…おいしいですかぁ?」
「…うん、おいしい」
 ぼふっと音を立てて、翠星石が顔を伏せる。
「…もう一杯くれない?」
 ちらっと翠星石がこちらを見やる。ジュンはそれに対し笑いかける。
「わ、わわわわかったですぅ、しょーがないですぅ」
 しばらくして、お盆を手に取ると、翠星石は足早に部屋を出た。

179: 2008/03/05(水) 17:58:33.97 ID:/Djc63IO0
「…ジュン」
 2杯目を飲んでいるジュンに、ベッドに寄りかかる翠星石が話しかける。
「うん?」
「…変な事訊いてもいいですぅ?」
「何?」
 翠星石は少し言葉を止める。
「……もし」
 シーツをぎゅっと握る。
「もし、真紅がこのまま帰ってこなかったら……」
「そんな事言うな」
 コップをお盆に置くジュン。
「……ごめんですぅ……」
 うつむく翠星石。
「………」 
 ジュンがちらっと翠星石を見る。翠星石も釣られてちらっとこちらを見るが、
すぐに視線をそらしてしまう。
「…ジュン」
 翠星石が口を開く。
「うん?」
「ジュンは…」
 また少し間があった。
「ジュンは、真紅の事が好きなのですか?」
 今度は身を乗り出して、翠星石がこちらをじっと見つめてきた。

189: 2008/03/05(水) 18:26:53.66 ID:/Djc63IO0
「好きって…」
「………」
 次の言葉が出てこない。翠星石が、何だか泣きだしそうな顔をしていたからだ。
「僕は、皆の事が好きだよ。姉ちゃんも、雛苺も、翠星石も、もちろん真紅も」
「…………」
 翠星石は少しうつむく。
「じゃ、じゃあ」
 再び顔を上げる。
「もし、翠星石が家出したりなんかしたら、ジュンは、ど、どうするですぅ?」
「家出?」
「あ、あやや、もしも、もしもの話ですぅ」
「………そりゃ、探しにいくよ……」
 変な質問をするものだ、とジュンは思った。
「そ、そうですかぁ……」
 視線をそらしながら、シーツを手でいじる翠星石。
「ちょ、ちょっとタオル代えてやるです」
 翠星石がベッドに上がってくる。ぎしっと音がする。
 再び仰向けになるジュン。タオルを両手でそっと取り、たたみながらこちらをちらちらと見てくる。
「そっ、それじゃあ下行ってくるですよ」
 飲み終わったコップとタオルをお盆に乗せ、翠星石はそっと部屋を出ていった。
「…やれやれ」
 ジュンは天井を見つめながら、ため息をついた。

195: 2008/03/05(水) 18:47:29.88 ID:/Djc63IO0
 ガチャンと音を立てて、水銀燈は教会のドアの鍵を閉めた。
「………」
 ドアに手をあて、それから教会の奥の通路へと向かう。通路の奥にはドアが二つ。
片方は給湯室で、もう片方は、8帖ほどの休憩室である。
「今日は疲れたわぁ……」
 給湯室でお湯を沸かしながら、水銀燈はつぶやく。
 踏み台に乗って、沸騰するお湯を見ていると、ぼこっ、ぼこっと音が鳴り始めた。
 休憩室のドアを開けると、畳敷きの部屋に、紅いドレスとドロワースが干してある。
その衣服の下、シーツにくるまり、真紅が眠っている。
「真紅」
 水銀燈が声をかける。
 真紅が、泣き腫らした目をゆっくりと開けた。

200: 2008/03/05(水) 19:00:46.44 ID:/Djc63IO0
「陰干しだから、2~3日は乾かないかもしれないわぁ」
 お盆を脇に置いてブーツを脱ぐ。
「まあ泥は洗濯機で落ちてるから、それだけでも良しとしなさい」
「………」
 真紅は目をうっすらを開いたまま、視線を動かそうともしない。
「……」
 水銀燈は少しだけ真紅を見つめていたが、すぐにお盆の上を整え始める。
 カチャカチャと音を立てながら、水銀燈は真紅のそばへ寄る。
「ほら、飲みなさいよ」
 紅茶の入ったカップを、ゆっくりと真紅の顔のそばへ近付ける。

218: 2008/03/05(水) 19:21:12.65 ID:/Djc63IO0
 真紅は動こうとしない。
「………」
 水銀燈はため息をついた。
 髪をほどき、金髪を床に放射線状に這わせている真紅は、
まるで本当にネジが止まってしまったかのような印象を受ける。
「真紅…?聞こえてるの…?」
 猫なで声で水銀燈が尋ねる。
 おもむろに、真紅の右手が動いた。それは目の前の紅茶でもなく、水銀燈でもなく、
虚空へと伸びていく。
「真紅…」
 ここに来て、物もまともに認識できないほど、参ってしまったのだろうか。
ギギィと鈍い音がして、真紅の腕が力なく床へ落ち、カップへとぶつかった。
「あっ」
 紅茶が畳の目に沿って広がってゆく。水銀燈は、ふきんで急いでそれを拭き取った。
「真紅……あなた……」
 それで初めて、水銀燈は真紅の様子がおかしい事に気づいた。ネジが切れようとしているのだ。
「………」
 真紅は相変わらず、視線を動かそうともしなかった。

272: 2008/03/05(水) 20:19:56.89 ID:/Djc63IO0
「真紅、ほ~らぁくんくんよぉ。わかる?」
 水銀燈がくんくんのぬいぐるみを持って真紅の顔に近づける。
「………」
 反応はない。水銀燈は少しうつむく。
「ねえ、ほら、貴女好きだったでしょう?ここに来てくれたのよぉ。
 いつまでもメソメソしてたら、僕も悲しいって云ってたわぁ」
 ぬいぐるみの手で、真紅の頬をぽんぽんと叩く。
「……くん…くん…」
 真紅が弱々しく言葉を発した。
 腕が再び伸びてきて、ぬいぐるみへと触れる。水銀燈は察すると、
それを優しく真紅の枕もとへと置いた。
「………ねえ…」
 ぬいぐるみを抱きよせ、真紅が口を開く。水銀燈は枕もとへと
移動し、真紅を見つめる。
「……どうしたのぉ?」
「………」
 真紅の口が、もごもごと動いている。が、水銀燈に聴きとる事は出来なかった。
「なぁに?」
 寝転んで、真紅の髪をなでる水銀燈。
「……りがと……」
 水銀燈は目を丸くする。

276: 2008/03/05(水) 20:27:55.20 ID:/Djc63IO0
「貴女にも、そういう感情があったのねぇ」
 水銀燈は少し笑って、髪をなで続ける。
「……ジュン……に……あ………」
 真紅はそれ以上口を動かさず、ゆっくりと目を閉じた。
 ぬいぐるみを抱きよせていた左腕は、いつの間にかだらんと力が抜けていた。
 水銀燈は真紅をなで続けていたが、やがて起き上がり、
半身を起こし、しばらく真紅の横顔を見つめていた。
 

282: 2008/03/05(水) 20:49:29.90 ID:/Djc63IO0
「もう今日で4日目か………」
 ごほごほと咳込みながらジュンがつぶやく。
「もうホントに帰ってこねーかもしれないですぅ…」
「そんな事言わないでなの!ヒナは今日も探してくるの」
 雛苺がむくれる。
「ねえ、ジューン、今日もまだ風邪、治らないの?」
 雛苺が心配そうに尋ねる。
「ん、ああ……」
「マスクくらいしろですぅ。家の中がバイキンだらけです」
 そう言って、キッチンの収納庫からマスクを引っ張り出してくる翠星石。
「ああ…ごめんごめん…」
「こんにちはー」
 玄関から声がする。
「あっ、蒼星石なの!」
 雛苺が駆け出していく。

296: 2008/03/05(水) 21:12:21.19 ID:/Djc63IO0
「やあ、雛苺」
「こんにちはなの」
「真紅は?」
「うゆ…」
 雛苺がうつむく。
「そう……」
 蒼星石はため息をついた。
「ヒナは今日も頑張って探しに行くの」
「見つかるかなぁ…」
 蒼星石は不安げな表情になる。

「それじゃあ、僕と雛苺で探してきます。ジュン君は早く風邪を治さないとね」
「ああ…ごめんな……ごほ…ごほっ」
「じゃあ、行ってきまーすなの」
 二人を見送り、翠星石が深くため息をつく。
「さ、ジュン。さっさと2階で休んでるです。翠星石がおかゆを作ってやるです」
「おかゆ…?いいよ別にそんな。熱も下がってるし」
「いーいから黙って休んでるです。治りかけが一番しんどいのですよ。ほら、ほら、ほらほら」
 追いたてられるように、ジュンは2階へと引っ込んだ。
「さてと…」

303: 2008/03/05(水) 21:33:41.01 ID:/Djc63IO0
 炊飯ジャーから湯気が上がり始めた頃、翠星石はカーテンを開け、窓の外を眺めていた。
真紅がいなくなった日とはうって変わって、雲ひとつない快晴である。
「………」
 カーテンを握る手に、ぎゅっと力がこもる。ふと、そのまま時が止まって
しまえばいいのに、と翠星石は思った。
 窓から離れ、ソファにどふっと座り込む。
「………」
 翠星石はダイニングテーブルに近づく。炊飯ジャーの液晶には、『あと15分』と
映っている。
「………」
 翠星石はリビングを出て、階段を上った。

309: 2008/03/05(水) 21:52:05.75 ID:/Djc63IO0
 ドアを開けると、ジュンはベッドで寝ていた。
「すう…すう…」
 左肩が露出している。
「しょーがない奴ですぅ…」
 近づき、毛布をかけ直す。
「………」
 そのまま、ベッドの端に寄りかかり、ジュンの寝顔をしばらく眺める。
 今まで、こんなにじっくりとジュンの顔を見た事はない。目が合うとすぐに視線を
そらしていたし、横顔すらも、こちらから見るのは一瞬の事で、どうしても
長く見つめる、という事は出来なかった。
「…」
 今まで、真紅という絶対の存在が先にあり、それに対しての引け目もあったのかもしれない。
たまに抱っこしてもらえるだけで翠星石は幸せだったし、それ以上のものを望むのは
高望みであると、そう思っていた。
 だが、今はもう真紅はいない。
「私が一番じゃダメなのですか…?」
 ふと、声に出して云ってみる。ジュンを見つめながら、シーツをぐりぐりと指でいじる。

319: 2008/03/05(水) 22:12:29.93 ID:/Djc63IO0
「すー…すー…」
 ジュンは起きない。少しほっとする。
「………」
 翠星石はまたじっとジュンを見つめていたが、おもむろにベッドへ
よじ上った。
 ジュンの胸の上で正座し直すと、そのまま前かがみにジュンの顔を覗きこむ。
「へへへ、上ってやったですぅ……」
 少し照れる翠星石。
 ジュンは相変わらず起きない。
「………」
 ジュンの枕もとに両手をついた翠星石は、自分が緊張している事に気がついた。

329: 2008/03/05(水) 22:30:59.19 ID:/Djc63IO0
 いけない事だとわかっていながらも、何故だか身体は言う事をきかない。
胸が熱くなり、翠星石とジュンの距離が徐々に縮まってゆく。
「真紅……」
 翠星石がピクッと止まる。
「すー…」
 寝言なのは容易に把握できた。だが、そこから先、翠星石は動く事が出来なかった。
 正座の姿勢に直り、しばらくジュンの顔を見つめた後、翠星石は
ベッドから降りた。

341: 2008/03/05(水) 22:43:29.14 ID:/Djc63IO0
「ねぇねぇ、蒼星石ー」
 閑静な住宅街にある小さな公園。雛苺と蒼星石は、その中の
ベンチに腰を下ろしていた。
「ん、何だい雛苺」
 蒼星石が返す。
「あのね、真紅の事なんだけど」
「うん」
「金糸雀とか水銀燈とかは知ってるの?」
「う~ん……」
 少し考える。
「いや、知らないと思うよ。真紅は誰かを頼るタイプじゃないし、
 万が一頼っていったとして、金糸雀が知ってるなら連絡があるはず。
 水銀燈の所になんか、真紅が行くわけないし」
「うにゅ……」
 雛苺はうつむく。
「でも、どうせ手がかりがないんなら、当たってみるのもひとつだね」
 蒼星石は言った。
 

376: 2008/03/05(水) 23:18:50.20 ID:/Djc63IO0
トリは前の適当話の時と一緒ので

388: 2008/03/05(水) 23:30:10.43 ID:/Djc63IO0
「う~何だか最近ほっぺたが痛いのかしら~」
 とあるマンションの一室。金糸雀が、鏡を見ながらしきりに
顔を気にしている。
「あれっ?何かしら」
 鏡が光り始めた。
「やあ、金糸雀」
「なの~」
「あっ、蒼星石!雛苺!!」

「う~ん、悪いけど、カナにはわからないのかしら~」
 事情を説明したものの、金糸雀はへの字に眉毛を曲げ、
ため息をつく。
「そう…ならいいんだ」
「次は水銀燈のとこなのー」
「お役に立てなくてごめんなさいかしら」
「いや、いいんだ、ありがとう金糸雀」

728: 2008/03/06(木) 21:17:15.66 ID:Fkcbh7ZE0
「金糸雀は知らないか……」
「うゅ……」
 マンションから飛び立った二人は、諦めたようにうなだれる。
「い、いや、まだ望みが潰えたわけじゃない。水銀燈にも訊いてみないと…」
「えっ、ヒナ怖いの~」
 雛苺がぶるっと肩を震わせる。
「大丈夫だよ雛苺。僕がついてるから」
 笑いかける蒼星石。
 しかし、どこかその笑顔には不安が覗いていた。

「水銀燈の家、蒼星石は知ってるの?」
「まさか」
 そう言いながらも、蒼星石は真っ直ぐ西に飛び続ける。
「じゃあ、今はどこに向かってるの?」
 雛苺が問いかける。
「ジュン君ちさ」
 向かい風に帽子を押さえながら、蒼星石は答えた。


 

731: 2008/03/06(木) 21:20:15.98 ID:Fkcbh7ZE0
「おかえりですぅ」
 翠星石が出迎える。
「ただいま」
「何か手掛かりはあったですか?」
 翠星石の問いに、首を横に振る蒼星石。
「そうですか……」
「翠星石」
 蒼星石がつぶやく。
「……何ですぅ?」
「今からさ」
 翠星石が首をかしげる。
「水銀燈のところに行くんだけど」
「えっ」
 翠星石が目を丸くする。
「来たくないならいいよ、別に。無理じいをするつもりはないから」
「……い、いえ、どうして水銀燈の所に?」
「いや、特に何がどうってわけじゃないんだけど……
 同じ薔薇乙女だし、何か知っているかもしれないと思って」
「………」
 翠星石の顔に、一瞬悲しみの色が浮かぶ。
「蒼星石……」
「うん…?」
「…お前は…えらいですぅ…」
 うつむきながらつぶやく翠星石。
「何言ってんのさ。姉妹でしょ?」
 云いながら、いつもと違う姉の様子に、蒼星石はその横顔をじっと見つめる。

734: 2008/03/06(木) 21:30:49.30 ID:Fkcbh7ZE0
「ねー、どうするの?」
 背後から雛苺が問いかける。
「ん、それはね」 
 奥の部屋を指さす。
「鏡を使うのさ」

「水銀燈のフィールドに行くの?」
「うん」
 鏡の前に立つ二人。
「ねえ、翠星石」
 ドアの横に佇む翠星石が、顔を上げる。
「僕、今から水銀燈の所に行ってくるんだけどさ」
 振り返らずに蒼星石は続ける。
「正直、怖いんだよ。向こうはこちらの事情なんかお構いなしに、
 攻撃してくるかもしれない」
「……」
「だから」
「………」
 蒼星石が振り返る。
「もし、気持ちの整理がついたら、迎えに来てね」
 翠星石は目を見開く。
「真紅は、僕らの大事な妹だから」
「蒼星石…」
 気づかれていたのだ、と翠星石は思った。
「じゃ…」
 
 蒼星石と雛苺が鏡に消えた後、しばらく翠星石は立ち尽くしていた。

738: 2008/03/06(木) 21:42:14.47 ID:Fkcbh7ZE0
「ここは……」
「……地下?」
 黒ずんだコンクリートの壁が、冷たく、暗い印象を受ける。
時おり廊下に設けてある嵌め頃しの高窓からの弱々しい光。
「現実世界みたいなの…」
 雛苺が、蒼星石のすそをつかんだままつぶやく。
「何があるかわからない。雛苺」
「うにゅ?」
「僕から離れないで」
 雛苺はこくっと頷いた。

「ねぇ、蒼星石」
「なんだい」
「さっきね」
 蒼星石が振り返る。
「なに?」
「翠星石……どうして元気なかったのかなぁ?」
「元気が?」
 蒼星石が問い返す。
「うん……声に元気がなかったの」
「……」
「ヒナ淋しいの…真紅もいなくなっちゃって、翠星石も元気がなくて…」
「雛苺……」
 ぎゅっとすそを握りしめる雛苺。
「ね、早く真紅に帰ってきてもらうの。そしたら、きっと、みんな、元気になるの」
 そう言って、雛苺は微笑みを浮かべる。
「…そうだね」
 蒼星石も笑った。
 

741: 2008/03/06(木) 21:51:28.19 ID:Fkcbh7ZE0
 最奥の回り階段を上りきると、また廊下が続いていた。数メートル先に
扉があり、その手前、左右の壁に一つずつ、扉がついている。
「ちょっと開けてみようか……」
 キィィと音がして、扉の向こうから明かりが漏れてきた。
「あっ、お湯が沸いてるの」
 給湯室だった。コンロの上で、シュンシュンとやかんが鳴っている。
「じゃあ、こっちは……?」
 反対側の扉を、おそるおそる開く蒼星石。同じように、明かりが漏れてきた。
そしてその中を覗いた時、蒼星石は目を見開いた。

745: 2008/03/06(木) 21:57:54.49 ID:Fkcbh7ZE0
「真紅!!!!」
「あっ、しんくー!」
 二人はほぼ同時に声を上げた。
 畳敷きの部屋の隅、壁によりかかるように、真紅が座っていた。
「し、真紅…」
 ヘッドドレスをつけ、いつものツインテールが左右からそれぞれ伸びている。
正座したまま、真紅は目を閉じていた。
「真紅」
 蒼星石はおそるおそる呼びかける。
 反応はない。
「しんくー、心配したのー」
 駆け寄る雛苺。
「……真紅?」
 再び呼びかける蒼星石。反応はない。
「真紅、真紅ったら」
 肩をゆするが、身体ががくがく動くだけで、真紅は何らの反応も示さなかった。
「あっ」
 バランスを崩し、真紅の身体が横ざまにかしゃんと倒れる。

751: 2008/03/06(木) 22:14:34.94 ID:Fkcbh7ZE0
「ごっ、ごめん、真紅、し……」
 真紅はぴくりとも動かない。
「しんくー、どうしたの…?」
 雛苺が真紅の髪をなでながら呼びかける。
「………」
 蒼星石の頭には、一つの仮説が浮かんでいた。
 どうして真紅がここにいるのか。
 そして、どうして動かないのか。
 だが、その仮説では、辻褄の合わない事が多い。だから、たとえ大筋で
合っていたとしても、それは何だか、真紅を救う糸口には繋がらないような気がしていた。
 そして何より、警戒を解くわけにはいかなかった。
「誰が土足で上がっていいって云ったのかしらぁ?」
 低く鳴り響いた声で、蒼星石の小さな不安は、最大限まで膨れ上がった。

762: 2008/03/06(木) 22:30:29.63 ID:Fkcbh7ZE0
 蒼星石はばっと振り返る。
 入ってきたドアに寄りかかり、水銀燈がこちらを鋭く睨んでいる。
「水銀燈!」
「いやっ……」
 雛苺が蒼星石にしがみつく。
「………」
 冷や汗が流れる。
 水銀燈は、そこから動く事もなく、こちらに鋭い眼差しを向け続けている。
蒼星石は動けなかった。まるで蛇に睨まれた蛙のように、水銀燈の向ける視線から、
目をそらす事すら出来なかった。
「………」
 雛苺の震えが伝わってくる。

「っふふん」
 二人をあざ笑うかのように、水銀燈が沈黙を破る。
「驚かせちゃったぁ?」
 これだ、と蒼星石は思った。この猫なで声に、ペースを乱されるのだ。
「何突っ立ってるのぉ?私は、貴女たちのマナーを注意しただけよぉ」
 水銀燈はそう云うと、ゆっくりと二人に近づいてくる。

767: 2008/03/06(木) 22:40:42.68 ID:Fkcbh7ZE0
「真紅に何をしたんだ」
 怯まず尋ねる蒼星石。
 一瞬睨む水銀燈。だが、すぐにいつもの調子で話し始める。
「なぁんにもしてないわよぉ」
 下を向いて、大袈裟に両手をぶんぶん振る。
「まぁ、私の目の前で機能を停止したのは事実だけどぉ」
 下を向いたまま、口元だけ笑う水銀燈。
「………!」
 雛苺がじっと睨む。
「水銀燈っ!君はっ!!」
 蒼星石が水銀燈に飛びかかった。

898: 2008/03/07(金) 01:19:52.09 ID:24sdxh5y0
「ちっ」
 ヒュッと鋏が空を切り、逃げ遅れた羽根が、バサッと舞う。
「うああああああああ!!」
 なおも振り下ろす蒼星石。
「くっ…!」
 右腕で受け流す水銀燈。
「痛っ……!」
 苦痛に顔を歪ませる。
「辞めなさい蒼星石!」
 飛びあがる蒼星石。迎撃態勢を取る水銀燈の足に、絡みつくものがあった。
「……っ苺わだち!!」
 根を張るそれは、雛苺の両手から出ているものだった。
「くっ……!」

905: 2008/03/07(金) 01:30:12.08 ID:24sdxh5y0
「やあああっ」
 渾身の力を込めて、鋏を振り下ろす蒼星石。
「きゃあっ…!」
 水銀燈は、思わず頭を抱え、目を瞑る。
「やめるですぅ!」
 かん高い声が響く。
「えっ…あっわああっ」
 驚いた蒼星石がバランスを崩し、水銀燈にぶつかった。
「きゃっ」
 倒れる二人。
「蒼星石!」
 ドアから翠星石が現れる。

914: 2008/03/07(金) 01:49:40.77 ID:24sdxh5y0
「ちょ、ちょっと大丈夫です?蒼星石!水銀燈!」
 たたたっと駆け寄る翠星石。
「いたたたた……」
「う…うぐぐ…ちょ、ちょっと蒼星石…早くどきなさいよぉ……」
 ちょうど顔の上に覆いかぶさられている水銀燈。

「落ち着いたですかぁ?」
 ぱっぱと蒼星石の服の埃を払う翠星石。
「……ごめん、水銀燈…」
 おそるおそる顔を上げる蒼星石。
「……」
 水銀燈は答えなかった。代わりに、切り裂かれた右腕を何度もさする。
「………」
 4人はしばらく黙っていた。
 雛苺が、横の壁にもたれかかっている真紅を見やる。真紅は相変わらず、
何の反応も示さない。
「水銀燈、悪かったです。謝るです」
「………」
 水銀燈は答えない。翠星石はため息をつく。
「…ねぇ水銀燈」
 再び話しかける翠星石。
「………」
「答えたくないならいいです、別に。だから勝手に質問するです。
 答えたい事にだけ答えてくれたらいいですぅ」
「………」
 むくれていた水銀燈が、少しだけ顔を上げる。
「どうして真紅はここにいるのですか?」
 水銀燈の眉毛がピクッと動いた。

919: 2008/03/07(金) 01:59:29.30 ID:24sdxh5y0
「……その子が勝手に入ってきてたのよぉ」
 視線を伏せながら答える水銀燈。
「…そうですか。…じゃあ、次の質問ですぅ。
 どうして起きないのです?」
 やっぱりか、という風に水銀燈が肩をすくめる。
「単純に、ネジが切れたのよぉ。釘刺しとくけど、私は何もこの子にしてないわよ」
 吐き捨てるようにつぶやく。
「ネジが……」
「そうか……鞄はジュン君が……」
「真紅……可哀そうなの……」
 雛苺が悲しそうに真紅を見つめる。
「じゃあ、ジュン呼んできて、鞄持ってきてもらうです。それでネジ巻いたら
 真紅は動きだすのでしょう?」
「さぁね。そうしたいなら、そうすればいいんじゃないの」
 立ち上がり、入口へ向かう水銀燈。
「どこ行くです?」
「お湯沸かしっぱなしだったのよぉ」
 振り返りもせずつぶやく。

933: 2008/03/07(金) 02:08:28.63 ID:24sdxh5y0
 ガチャンと音がして、水銀燈の姿が消える。
「…ふう」
 翠星石が床にあおむけになる。
「………」
 うつむいたままの雛苺。
「………」
 蒼星石は、ぼんやりと視線を真紅に向ける。
 再びガチャンと音がして、今度はタオルを持った水銀燈が現れた。
「………」
 三人の視線を無視し、水銀燈は真紅の方へと歩いていく。
 しゃがみこんだ後、水銀燈は一瞬だけ三人を見やるが、すぐに真紅へ
向き直る。
「あ……」
 蒼星石が声を上げる。
 翠星石は目を見開く。
 水銀燈は、湯気の立ちのぼるタオルで、真紅の顔を丁寧に拭き上げ始めた。
「水銀燈……」
「三日前は酷かったわぁ」
 ぽつりとつぶやく水銀燈。

967: 2008/03/07(金) 02:19:02.85 ID:24sdxh5y0
「帰ってきたら、勝手に雨宿り先にされてるわ、汚い床に横向きになって寝てるわで」
 ふうっとため息をつく。
「目の周りが涙で、白くあとになっちゃっててぇ」
 首の角度を調整し、首の後ろまで拭く。
「全身びしょ濡れで、下半身は泥だらけ」
 雛苺がじっと見つめている。
「わんわん泣き叫んで」
 目元を、撫でるようにじっくり拭きあげる。
「自分の事をいつまでも責めてたわぁ」
 タオルを脇に置く。
「このまま帰っても、いずれまた同じような事をしてしまう、だったら、もう」
 再び三人を振り返る。
「動かなくなってしまった方がいいってね」
 水銀燈は、悲しげに首を傾けた。

73: 2008/03/07(金) 02:23:24.29 ID:rX41/pY0
「ちっ」
 ヒュッと鋏が空を切り、逃げ遅れた羽根が、バサッと舞う。
「うああああああああ!!」
 なおも振り下ろす蒼星石。
「くっ…!」
 右腕で受け流す水銀燈。
「痛っ……!」
 苦痛に顔を歪ませる。
「辞めなさい蒼星石!」
 飛びあがる蒼星石。迎撃態勢を取る水銀燈の足に、絡みつくものがあった。
「……っ苺わだち!!」
 根を張るそれは、雛苺の両手から出ているものだった。
「くっ……!」

74: 2008/03/07(金) 02:23:48.03 ID:rX41/pY0
「やあああっ」
 渾身の力を込めて、鋏を振り下ろす蒼星石。
「きゃあっ…!」
 水銀燈は、思わず頭を抱え、目を瞑る。
「やめるですぅ!」
 かん高い声が響く。
「えっ…あっわああっ」
 驚いた蒼星石がバランスを崩し、水銀燈にぶつかった。
「きゃっ」
 倒れる二人。
「蒼星石!」
 ドアから翠星石が現れる。

76: 2008/03/07(金) 02:24:11.92 ID:rX41/pY0
「ちょ、ちょっと大丈夫です?蒼星石!水銀燈!」
 たたたっと駆け寄る翠星石。
「いたたたた……」
「う…うぐぐ…ちょ、ちょっと蒼星石…早くどきなさいよぉ……」
 ちょうど顔の上に覆いかぶさられている水銀燈。

「落ち着いたですかぁ?」
 ぱっぱと蒼星石の服の埃を払う翠星石。
「……ごめん、水銀燈…」
 おそるおそる顔を上げる蒼星石。
「……」
 水銀燈は答えなかった。代わりに、切り裂かれた右腕を何度もさする。
「………」
 4人はしばらく黙っていた。
 雛苺が、横の壁にもたれかかっている真紅を見やる。真紅は相変わらず、
何の反応も示さない。
「水銀燈、悪かったです。謝るです」
「………」
 水銀燈は答えない。翠星石はため息をつく。
「…ねぇ水銀燈」
 再び話しかける翠星石。
「………」
「答えたくないならいいです、別に。だから勝手に質問するです。
 答えたい事にだけ答えてくれたらいいですぅ」
「………」
 むくれていた水銀燈が、少しだけ顔を上げる。
「どうして真紅はここにいるのですか?」
 水銀燈の眉毛がピクッと動いた。

77: 2008/03/07(金) 02:24:31.14 ID:rX41/pY0
「……その子が勝手に入ってきてたのよぉ」
 視線を伏せながら答える水銀燈。
「…そうですか。…じゃあ、次の質問ですぅ。
 どうして起きないのです?」
 やっぱりか、という風に水銀燈が肩をすくめる。
「単純に、ネジが切れたのよぉ。釘刺しとくけど、私は何もこの子にしてないわよ」
 吐き捨てるようにつぶやく。
「ネジが……」
「そうか……鞄はジュン君が……」
「真紅……可哀そうなの……」
 雛苺が悲しそうに真紅を見つめる。
「じゃあ、ジュン呼んできて、鞄持ってきてもらうです。それでネジ巻いたら
 真紅は動きだすのでしょう?」
「さぁね。そうしたいなら、そうすればいいんじゃないの」
 立ち上がり、入口へ向かう水銀燈。
「どこ行くです?」
「お湯沸かしっぱなしだったのよぉ」
 振り返りもせずつぶやく。

79: 2008/03/07(金) 02:24:49.46 ID:rX41/pY0
 ガチャンと音がして、水銀燈の姿が消える。
「…ふう」
 翠星石が床にあおむけになる。
「………」
 うつむいたままの雛苺。
「………」
 蒼星石は、ぼんやりと視線を真紅に向ける。
 再びガチャンと音がして、今度はタオルを持った水銀燈が現れた。
「………」
 三人の視線を無視し、水銀燈は真紅の方へと歩いていく。
 しゃがみこんだ後、水銀燈は一瞬だけ三人を見やるが、すぐに真紅へ
向き直る。
「あ……」
 蒼星石が声を上げる。
 翠星石は目を見開く。
 水銀燈は、湯気の立ちのぼるタオルで、真紅の顔を丁寧に拭き上げ始めた。
「水銀燈……」
「三日前は酷かったわぁ」
 ぽつりとつぶやく水銀燈。

80: 2008/03/07(金) 02:25:08.85 ID:rX41/pY0
「帰ってきたら、勝手に雨宿り先にされてるわ、汚い床に横向きになって寝てるわで」
 ふうっとため息をつく。
「目の周りが涙で、白くあとになっちゃっててぇ」
 首の角度を調整し、首の後ろまで拭く。
「全身びしょ濡れで、下半身は泥だらけ」
 雛苺がじっと見つめている。
「わんわん泣き叫んで」
 目元を、撫でるようにじっくり拭きあげる。
「自分の事をいつまでも責めてたわぁ」
 タオルを脇に置く。
「このまま帰っても、いずれまた同じような事をしてしまう、だったら、もう」
 再び三人を振り返る。
「動かなくなってしまった方がいいってね」
 水銀燈は、悲しげに首を傾けた。

118: 2008/03/07(金) 22:53:14.24 ID:rX41/pY0
「水銀燈……」
「…………」
 しばらくこちらを見つめていた水銀燈は、ゆっくりと真紅に向き直る。
「ねえ、貴女たち」
 向こうを向いたままの水銀燈。
「今の貴女たちの考えを聞かせてほしいわぁ」
「……何ですぅ?」
 翠星石が一歩前に出る。
「………」
 雛苺が、蒼星石の服をぎゅっと握る。
「どうしたらいいと思う?」
 真紅の眠り顔を見つめながら、水銀燈がつぶやいた。

120: 2008/03/07(金) 23:05:42.24 ID:rX41/pY0

「おい、真紅、真紅」
 誰かの声に、真紅は目を覚ました。
「こんなところで寝るなよ」
 ジュンが身体をゆさゆさと揺さぶっている。
「…んー…もう…どこだっていいでしょう」
 目をこすりながら上半身を起こす。
「お前、今日は皆でクッキーを焼く日だろ。もう金糸雀も蒼星石も来てるんだぞ」
 呆れたようにジュンがため息をつく。
「…ああ、そう言えば」
 寝ぼけまなこのまま、ひらりとベッドから飛び降りる。
「……ったく、先行ってるぞ」
 スタスタとジュンが部屋から出ていく。
「………」
 辺りをきょろきょろ見回す真紅。
 夢だったのか、と真紅は思った。頭がなんだか上手く働かない。
随分と寝ざめの悪い事もあるものだ、とも思った。
「やはり寝るには鞄でなければいけないわね」
 ふうっとため息をつく。

123: 2008/03/07(金) 23:14:26.96 ID:rX41/pY0
「はっ!」
 真紅は棚に目をやる。くんくんの変身セットが、綺麗にたたまれて
ぬいぐるみの横に重ねてある。
「良かった……」
 胸をなで下ろす。
 スカートも、泥などついていない。ただ、びしょ濡れの、あの重く冷たい感覚は、
なんだかリアルに感じられた。
「酷い夢もあるものだわ……」
 座り込み、ベッドにもたれかかる。
「…ふう……」
 真紅は目を閉じ、そのまま深呼吸をする。
 あの夢は何だったのだろう。
 自分が、何故か家出をし、土砂降りの雨の中で泥まみれになり、
水銀燈に説教され、あげく大泣きするという、あるまじき醜態を晒していた。
「ああ、ああああっ」
 思わず頭を抱え、ぶんぶんと振る。
「あぁ、恥ずかしい」
 困ったように、ほっと息を吐く。

125: 2008/03/07(金) 23:26:29.08 ID:rX41/pY0
 頭を抱えていた真紅は、しばらくして、ようやく両腕を離した。
 ふと、指の傷に気づく。
「そうだわ…今日のために……」
 真紅は、以前からクッキー作りをのりに習っていた。自分は何も出来ない。
だったら、学べばいいのだ。そう考えた真紅が最初に手をつけたのが
クッキー作りだった。
「早く下に行って、今日はジュンをびっくりさせてやるのだわ」
 ふんっと鼻を鳴らす。
 まだ、正直、翠星石や蒼星石に敵わないのは、自分でも自覚していた。
それでも頑張ったのだ。今日まで、人形である自分の指を傷つけながらも学び、
工夫し、人並に見られるよう努力を積み重ねてきたつもりだ。
 真紅は立ち上がり、ドアを開けた。

149: 2008/03/08(土) 01:36:00.03 ID:F6ywhik0
 階段を下りる。何の音もしない。
「………」
 真紅は動くのを止める。
「……ジュン?」
 ジュンの名を呼ぶ。反応はない。
 それだけではない。
 雛苺が楽しそうに歌う声も、のりや翠星石の話し声も、テレビの音も、
何もしない。
「………」
 真紅はリビングのドアを開ける。
 そこには誰もいなかった。
「…皆。どこにいるの」
 やや大きな声で叫ぶ。
「雛苺!!翠星石!!」
 外だろうか。真紅は玄関ドアを開けようと走り寄る。
「…開かない…!」
 ドアだけではなかった。家中の窓やドアが、全く開こうとしない。
 鍵が回らないのではない。
「どうして……」
 どうやっても、ガタガタと動かす事すら出来なかったのだ。
「蒼星石!!ジュン!!」
 半ば金切り声に近かったろうか。悲痛な声を上げる真紅。
「皆!!出てきて!!お願い!!」
 家中を走りまわる。
「…そうだわ…!」

152: 2008/03/08(土) 01:49:16.52 ID:F6ywhik0
 真紅は、納戸の鏡の前に来ていた。
「ここから…」
 ふと、どこからか笑い声が聞こえてくる。
「アハハハハハ……」
 真紅は思わず後ずさりする。鏡の中からだ。

「ね、ヒナが代わりにやるの…」

「ヒナちゃん、ありがと…」

「どうですぅ?今日こそは、翠星石のクッキーで……」

 3人の声だ。

「何よ、カナのたまごクッキーが一番…」

「ふふ、僕だって負けないよ…」

「ははは、おいおい、仲良くしろよ…」

 
「ジュン…!」
 思わず真紅は声を上げる。
 ぼんやりと、鏡に何かの映像が映り込む。
「………」
 食卓を囲み、楽しそうにクッキーを作る6人の姿。
 鏡の中に入ろうとするも、触れると冷たい鏡の感覚が残るだけで、入れない。
「……イヤ……嫌…」
 首をぶんぶんと横に振りながら、鏡を揺する。
「どうして……やめて……やめて……私は…わたしは……」
 涙がにじむ。

154: 2008/03/08(土) 01:58:37.69 ID:F6ywhik0
「真紅」
 後ろから声がした。
 びくっとして真紅が振り向く。
「あっ」
「久しぶりねぇ」
 水銀燈だった。その瞳は、虚ろにこちらを見つめている。
「水銀燈…!……何の用よ…」
「可哀そうな真紅」
「えっ」
 水銀燈が一歩、前に出る。
「貴女がいる必要がなかったのでしょう」
「な…」
「料理も下手……

 協調性もない……
  
 こうやって、独りで、迷惑なほどにあちこち彷徨う事しか出来ない……

 でも、誰にも相手にされず……

 いつしか、その探す声が…… 

 動き回るその姿が……

 鬱陶しい……

 ……」

 近づいてくる水銀燈。
「な………何よ…」
 後ずさる真紅。

157: 2008/03/08(土) 02:07:21.08 ID:F6ywhik0
「ついにはそう思われ始め……

 やがて居場所はどこにもなくなり……

 ……」

「あ……あ…ああ……」
 カタカタと震える真紅。

「不必要……
 
 欠陥品……

 孤独……」

 
 真紅はその場に崩れ落ちる。
「ご…ごめんなさい……」
 頭を抱え、目を見開いたまま震え続ける。

「もう貴女は要らないの……

 6人とも、貴女の事なんて意に介していない……

 笑顔で……

 貴女はいなくても、皆幸せに生きていけている……」


「嫌…そんなの嫌……」
 ぼろぼろと涙を流す真紅。
 
「もう… 貴女は… アリスになんてなれる資格はない……」

「やめて…」
 

162: 2008/03/08(土) 02:16:57.91 ID:F6ywhik0
「やめて…!」
 床に倒れ込む真紅。
「私何でもするわ…!
 ねぇ、何したらいいの?水銀燈、私どうしたら戻れるの?」
 水銀燈にすがりつく。
「お願い、私を独りにしないで…!
 あっ、そうなの、ローザミスティカが欲しいの??
 だったらあげるわよ??
 ねえ、水銀燈。ねえったら……」
 涙を流しながら、必氏に揺さぶる真紅。

 次の瞬間、あごに衝撃が走り、世界が一回転する。
「あ…あぅ…あ…」
 蹴られたのだ、と真紅が理解するのに、数秒かかった。

「もう近寄らないで……」
 水銀燈は一瞥すると、悶える真紅を尻目に、鏡の中へと消えていった。
「う……」
 うずくまり、目を見開いたまま、激痛に耐える真紅。
「う…そ…嘘…嘘…うそよ嘘よ嘘よ嘘よ嘘よおおおおおおぉぉぉぉっっっっ!!」
 叫び声が、虚しく鳴り響いた。

163: 2008/03/08(土) 02:20:41.65 ID:F6ywhik0







 どれくらい経っただろうか。


 無音の闇。

 気づいた時には、真紅の周りはそうなっていた。

(……何も見えない……)

(……何も…聞こえない……)

(ああ…そうか……)


(私は…私は……もう……)

(この世界に……必要とされてないのだわ……)

167: 2008/03/08(土) 02:26:31.10 ID:F6ywhik0
(………)

(どれが夢で……)

(何が現実だったのか……)

(なんだかよくわからないけど……)

(もういい気もするわ……)

(ここ…)

(何もないけど………)

(何もないから……)


(もう傷つかなくていいのね……)

(なんだか逃げみたいよね……こんな考え……)

(でも……もう……)

(静かに眠りたい……)

(もう起こさなくていいから……)

(……)

(いつか世界の終わりがやってきて……)

(この身体が、塵になって滅ぶまで……)

(いいえ……)

(この身が滅んでも……)

169: 2008/03/08(土) 02:29:51.83 ID:F6ywhik0
(もう……手を伸ばしても……)

(そこにはきっと………)

(何もないのでしょう……)

(何もつかめない……)

(誰かにつかんで貰う事も……)




(……………)

(………何?)

171: 2008/03/08(土) 02:33:26.06 ID:F6ywhik0
(ああ……そうだわ……)

(もう……手も…足も……)

(動かないのだわ……)

(……馬鹿みたい……)

(私の事ね………)

(ジャンクって………)





(………)

(何?今の感覚…)

(温かかった………)

172: 2008/03/08(土) 02:35:58.40 ID:F6ywhik0
(……………)


(……ああ……)

(光?……)

(なんだか……)

(暖かい………)








真紅………


真紅………


真紅………





「真紅。真紅」

174: 2008/03/08(土) 02:42:03.98 ID:F6ywhik0
「真紅!!!」
 うっすらと目を開ける。
「真紅…!」
 ジュンの顔がほころんだ。
「よ、良かったですぅ…」
 翠星石の目が真っ赤になっている。
「一安心だね」
 蒼星石がほっとため息をつく。
「しんくー、大丈夫なの?」
 雛苺が心配そうに覗きこむ。

「………」
 真紅は辺りを見回した。
 8帖の和室。
 ジュンに抱かれている自分。
 翠星石の泣き顔。
 蒼星石の笑顔。
 心配そうな雛苺。
 そして、ドアの横にたたずむ水銀燈。

「………」
 表情は変わらなかった。
 ぎゅっとジュンのシャツを握りしめる。
「………」
 ぼろぼろと涙が溢れでてくる。

176: 2008/03/08(土) 02:47:20.33 ID:F6ywhik0
「お、おい真紅。どうした」
 ジュンが驚く。
「………」
 真紅は、自分がどうして泣くのか、よくわからなかった。
 つらい夢を見たから。
 皆が心配してくれた、嬉し涙。
 淋しかった反動。
 
 そのどれでもない気がしていたし、そんな事はどうでもいい気がしていた。
ただ、ジュンのシャツを握りしめる手だけは、いつまでもぎゅっと握りしめられていた。

177: 2008/03/08(土) 02:49:19.11 ID:F6ywhik0









「真紅」
 2階で本を読んでいる真紅に、ジュンが声をかける。
「何?」
 パタンと本を閉じる。
「これ」
 そう云うと、ジュンが紙袋を突き出した。

179: 2008/03/08(土) 02:59:13.58 ID:F6ywhik0
「これは?」
「開けてみろよ」
 真紅はちらっとジュンを見上げる。
「あっ」
 出てきたのは、真紅が大切にしていた物。
「くんくん変身セットじゃないの!!どうして……!」
「いや、実は話すとちょっと長いんだけど」
 鼻の頭をぽりぽりとかくジュン。
「捨ててはなかったんだ、厳密に言うと」
 よく見ると、あちこちに補修のあとがある。
「大掃除の時、大勢でやってたから誰がやったかとかはわかんないんだけど、
 気づいたらビリビリに引き裂かれてたんだよ、それ」
 真紅は再びジュンを見上げる。
「補修したはしたんだけど、それだけじゃ申し訳ないから、蒼星石にちょっと
 頼み事をしたんだよ」
「頼み事?」
「胸元見てみな」
 真紅は、マントの継ぎ目を探す。
「あっ」
 そこには、薔薇をあしらった懐中時計が、鎖とともに縫い付けられていた。マントを
着ると、ちょうど手で懐中時計を持ち、開閉が出来るようになっている。
「これは…まさか、このために……?」
「ああ、マスターが時計屋さんだから」
 へへっと笑うジュン。
 それを見て、小さく笑う真紅。

181: 2008/03/08(土) 03:04:29.41 ID:F6ywhik0
「……ねぇ、ジュン」
 ぱくっと音を立て、懐中時計を開く。
「私…旅をしていたの」
「旅?」
「ええ」
 時計の針は、チッチッと音を刻んでいる。
「隣には誰もいなかったわ」
「………」
「でもね、別に体力的にきついとかそういうのじゃなかったのよ」
「………」
「太陽がギラギラ輝いてたわけじゃないし、砂埃で呼吸すらままならないとか、
 喉が渇いたり、空腹で氏にそうだったとか、そんな直接的に苛酷な旅ではなかったの」
 時計をぱくっと閉じる真紅。

182: 2008/03/08(土) 03:11:54.85 ID:F6ywhik0
「どちらかと言うと、好きな時に水筒の紅茶を飲んで、
 気がつけば補充されているお菓子や食事を適度に食べられて」
「………」
「夜は9時きっかりに寝るのよ。面白い旅でしょう?」
 ふふっと笑う。
「たまに姉が喧嘩をしに来るんだけど、大抵、お互いをおちょくり合うだけの 
 ストレス発散くらいのものだったわ」
 あしらってある、薔薇の模様を指でなぞる。
「そうそう、旅の途中、破れた服はね、どこかのプロ級の職人さんが直してくれるのよ。
 無償でね」
「………」
「暇になれば、好きなアニメのテレビを観られるのよ」
「………」
「旅をしながら通販だって出来るわ。今の世の中は便利になったものね」
「おま………」
「ふふ、ごめんなさいね。………」
 くんくん変身セットを折りたたむ真紅。

「…でもね………」
「たった一つだけ、私は大きな間違いを犯していたの」

184: 2008/03/08(土) 03:26:31.57 ID:F6ywhik0
「私はね…ジュン」
 ジュンを見上げる真紅。
「ある時、その旅の途中でこう叫んだの」
「………」
「『私は一人で旅が出来るのよ!』 …ってね」
 ぼふっと音を立て、ベッドの上に座る真紅。
「そうしたらね、どうなったと思う?」
 ジュンは、じっと真紅の顔を見つめている。
「水筒の紅茶はカラになっていたし、お菓子や食事も出てこなくなった」
「………」
「勿論、アニメなんてもっての他」
「………」
「穏やかな天気が続いていたのに、土砂降りの雨になって」
「………」
「いつも直してもらっていた綺麗な服は、みるみる内に泥だらけ」
「………」
「どうして、こんなはずじゃない、こんなはずじゃないのに」
 シーツをつかむ真紅。
「私は心の中でそう叫んでいた」
 少しうつむく。
「いつもやって来る姉が、異変に気づいた」
「………」
「私はたまらなくなって、その姉に泣きついたわ。わあわあ泣き叫んで」
「………」
「そしたらね、こう言われたわ」
「………」
「『私は貴女に共感しないし、同情もしない。今のまま優しくしても、貴女は変わらない』って」
「………」
 シーツをぎゅっと握る。
「そのうち、私はだんだん眠たくなってきて…」
「………」
「もうまともに手が動かせなくなった時……」
「………」
「姉は、私を慈しんでくれた」
「………」
「そうして、私は深い眠りに堕ちた」

185: 2008/03/08(土) 03:32:20.65 ID:F6ywhik0
「眠りの世界は、いつになく真っ暗で、なぁんにもないの」
 両手を重ね、指で手遊びをする真紅。
「これは報いだと思ったわ。今まで、気づかなかった事への報いだと」
「気づかなかった事?」
 ジュンが問いかける。
「その真っ暗闇の中で、どこまでも深く沈んでいく私に、光が射してきた」
 真紅はそれには答えず続ける。
「誰かが私を呼ぶ声が聞こえた」
 真紅が顔を上げる。

「それは、貴方だったのよ、ジュン」

187: 2008/03/08(土) 03:34:39.78 ID:F6ywhik0
「真紅………」
「その時、ようやく」
「…」
「ようやく気づいたの。

 一人で旅をしていたんじゃなかった。

 みんなは、私の後ろで、見守っていてくれたんだって、ね」


 真紅の瞳に、涙が浮かんでいた。

188: 2008/03/08(土) 03:41:43.20 ID:F6ywhik0
「だから、ジュン」
「うん?」
「随分と遅くなったけど、一言だけ言わせて」
「ん……」


 真紅はベッドから降り、頭を下げた。

「あの時はごめんなさい。勝手に家を出ていったり、
 捜しに来てくれたのに、逃げたりなんかして」

「真紅……」

 真紅は頭を上げ、ジュンのズボンをつかむ。
「それと」


 真紅がジュンの背中に腕を回す。




「ありがとう。私を呼びもどしてくれて」






【完】

190: 2008/03/08(土) 03:44:55.07 ID:AT/c2ywo
乙乙!
予想以上にいいラストで感動した

192: 2008/03/08(土) 03:47:44.38 ID:8wi3PRc0
楽しく読ませてもらったよ。
お疲れ!

前作:【ローゼンメイデン】巴「あれ…桜田君が出てこない…………」

引用: 真紅「あら…?私のくんくんセットがない……………」