230: 2007/08/13(月) 13:49:35 ID:2vMsT1A3

冬から春になろうかという時期になり昼間は随分暖かくなってきたが、日が暮れてしまえば途端に空気は冷たくなり遠慮なく身体を包んでくる。
ロレンスは宿の裏手にある井戸から汲み上げた水を前に少し躊躇したが、思い切って手を突っ込んだ。
吐く息が白くなるほどではないが、手綱を握る手をついさすってしまう、そんな日が続いていた。
水から出した手を火が出るくらい擦り合わせ、軽くズボンで拭くとロレンスは顔を上げた。
目の前には闇にまぎれて見えないが北の大地に連なる山々があるはずだった。
随分ヨイツに近づいたな、ロレンスはもう一度手を擦りながらそう思う。
ホロとの暗黙の了解でかなり遠回りに旅をしてきたがそれも終わりに近づいていた。
ここからヨイツがあったとされる場所まではそう遠くは無い。
ロレンスは厠を後にしてホロの待つ部屋へと戻りだした。
ロレンスが宿の二階に上がり部屋に入ると、ホロはベッドの上で胡坐をかいて尻尾の毛づくろいをしている。
「うー、寒いな」
井戸水で洗ってきたばかりの両手を擦りながら自分のベッドに腰を下ろす。
何とはなしに窓際のベッドにいるホロを見た。
ロレンスの視線を感じたらしく、ホロはちらりとこっちを見たがすぐに目をそらした。
何か変な感じがした。知らない内にまたホロの機嫌でも損ねたのか。
気づかれない程度に溜息をつくと、ロレンスは机の上のパンに手を伸ばしつつホロを観察する。
ぱっと見は日課としている尻尾の手入れをしているように見える。
だが、注意深く見ると分かるが尻尾に顔を向けてはいても目はそれを見ていない。
ロレンスに意識が集中しているようだ。その証拠に自慢の耳が忙しく揺れながらこっちを向いている。
「どうした、腹でも減ったか」
腹が減れば勝手にあるものを食べてる筈だから本気でそう思っている訳じゃない。
何か言いたい事や、聞きたい事があるのかもしれない。だから取り敢えずそのきっかけとして聞いたのだ。
「…減ってはおらぬ」
相変わらず尻尾に顔を向けたままのホロにロレンスは軽く肩をすくめた。
ホロの横顔は怒ってるようにも見えるし、すねてるようにも見える。よく分からないがここは放っておいた方がよさそうだ。
「そうか、それならいい」
そう言ってパンをちぎって口に入れようとした時、視線を感じたので見るとホロがこちらを向いている。
「ぬしよ、わっちはぬしに言いたい事がありんす」
少し思いつめたような表情でホロは言った。
第1幕 収穫祭と狭くなった御者台

231: 2007/08/13(月) 13:50:26 ID:2vMsT1A3
「ん、俺にか」
そういってロレンスは手にしていたパンをに口に入れた。
まず、頭に浮かんだのはやはりこの先の旅のことだ。故郷のことでロレンスに今まで黙っていた事でもあるのだろうか。
それとも道中で寄ってほしい場所でもあるのか。いや、それとも今まで二人ともが誤魔化してきた旅の終わり、そう、ヨイツに到着した後の
話だろうか。もしそうならホロは自分なりに答えを出したことになる。
ロレンスは胸が苦しくなるのを感じながら、そうでは無いことを祈った。
ホロはそんなロレンスの胸中を知ってか知らずか、すっと目をそらすと左の手で自分の座ってるベッドの横をぽんぽんと叩く。
ここに座れ、ということらしい。いったい何を企んでいるかはさっぱり分からないが、取り敢えず横に座ると今度はホロが自分の右肩をぽんぽんと叩く。
この状況は覚えがある。教会でエリサに見せつけようとホロが仕組んだいたずらに引っかかったときだ。
ロレンスは一瞬、警戒はしたがよく考えて見ると今回は違うようだ。大体見せ付ける相手がいない。
宿の女将に見せつけるにしては歳がかなりいってるし、若い娘もここにはいない。
完全に安心した訳ではないが、ロレンスはホロの望みどうり、肩に手を置いた。
とたんにホロが細い身体を預けてくる。胡坐をかいてる足の上で尻尾がゆっくり左右に揺れだした。
甘えたいだけなのかもしれない。ホロに限ってそんなことはないような気はするが、思ってることを素直にいえないところがあるのも事実だ。
ホロの甘い匂いが鼻を充満する頃にはもうロレンスはそう決め付けていた。
だからホロがロレンスの右手をつかんで自分の顔の前に持っていっても、ただじゃれてるだけだと思っていた。
この後のホロの台詞を聞くまでは。
「ぬしは、この右手で今まで何をしておったんかや」
小首をかしげながらロレンスの掌を見つめている。
ホロが何を聞いているのかがよく分からない。右手がどうしたっていうんだ。
「…右手がなんだって」と心の中の声がそのまま口から出た。
するとホロはくんくんとロレンスの掌の匂いを嗅いでから小さく頷くとロレンスにむかっていった。
「こんなに雄の匂いが染み付くほど右手を使って、ぬしは今まで何をしておったんじゃ…と、こう聞いておる」
耳をぴくぴくと動かしながら上目使いにロレンスを見るホロ。
雄の匂いとは。ロレンスは自分の右手を見つめながらホロの言葉の意味を一生懸命考える。
右手。今まで。まさか。背筋がぴくんと伸びた。
ロレンスは一つ思い当たることがあった。しかし、それは幾らなんでも。
思わずホロの顔に視線を戻すとホロはにやにやと笑っている。
途端にロレンスの身体がまるでパン窯に入れられたように熱くなった。多分顔は熟した林檎のようになってる筈だ。
そうだっ。ついさっきまで俺は厠で…。
「どうやら思い出したようじゃの」
噴出すのを堪えているのか顔を赤くして口に握り拳を当てながらいう。
ホロを抱き寄せていた右手を素早く戻し、そのまま顔を隠すように目を覆った。
身体は熱くなっているのに額と背筋を流れ出す汗はとても冷たく感じる。いやな汗というやつだ。
「こそこそと、あんなことをぬしがしてるとはわっちもぜーんぜん気づかんじゃった」
そんな声を聞きながら自分のしたことを思い出すと、恥ずかしさで身体が焦げてしまいそうだ。
「…ぬしも雄だったんじゃなぁ」としみじみという。さも感慨深げな言い方ではあったが、表情までそうだとは思えない。
例えるなら、一生遊んで暮らせるほどの儲け話を聞いた商人だって敵わないぐらい顔がにやついているに決まっている。
それにしても、これほどまで恥ずかしい思いは久しぶりだ。

232: 2007/08/13(月) 13:51:06 ID:2vMsT1A3
商人になりたての頃に、しきたりやわきまえを知らずかなり恥ずかしいことをしてきたがそれとはわけが違う。
ホロのような若い娘、しかもかなり控えめに見ても綺麗な娘にあの事がばれてしまったのだ。
どれだけ顔を赤くしてもたりないぐらいで、掌の下でロレンスの眉がぎゅっと寄ってしまう。この音がホロに聞かれてなければいいが。
ホロに対してどうしてそんなことを言うんだという怒りの感情は湧き上がってはこなかった。
それよりも頭の中をぐるぐると回っているのは何故ホロにばれたのかということだ。
ロレンスはホロと一緒に旅をすることになってからは少しあの行為は控えていたし、するときは慎重に慎重を重ねてきた筈だった。
なにせホロは狼でもあるので耳もいいし、鼻もきく。何よりロレンスのちょっとした言動でこちらの思ってることが分かってしまう。警戒するのは当然だった。
やはり、厠にしては帰りが遅すぎたのかもしれない。ちょっと酔いを醒ましてくるなどといって部屋を出たほうがよかったか。
いや、今夜はいつもより飲んだ酒の量は少ない。ちょっと無理がある理由だ。
それともその時にはもうズボンが膨らんでいたのだろうか。いや、それはない。いくらなんでもそんな状態でホロに声をかけることは絶対にない。
そんなことを必氏に考えていると、服の袖を引っ張っられているのに気づいた。
「…ぬしよ、ぬし。聞いておるかや。ほれ」
ロレンスは思わず苦笑した。隣でホロが何度も呼んでいるのに全く気づかないぐらい動揺していたわけだ。
これはいかん。商人たるものどんな状況であっても常に冷静でなければたちどころに足元をすくわれる。
気を落ち着かせるためにゆっくりと、しかし大きく深呼吸をするとホロがロレンスの腕をつかんできた。
顔に視線を感じたので目を覆っていた手をゆっくりと下ろすとホロと目があった。
どうせにやついた顔だと思っていたが、意外にもホロは笑ってはおらずどちらかと言えばロレンスを心配しているように見える。
「大丈夫かや」
ロレンスの様子を見て小さく微笑む。からかうような笑顔ではなかった。
そんなホロの顔を見たとたん顔が緩んでしまう自分は安上がりな男だとつくづく思う。
もう一度軽く深呼吸すると気持ちも随分落ち着いてきたのが分かる。服が燃えるほど熱かった身体も冷めてきた。
ロレンスはシャツの胸元を広げこもっていた熱い空気を追い出しながらホロにいう。
「どうして分かった?」
ことさらなんでもないように普段どうりの口調で言ったつもりだ。
ホロはロレンスが立ち直ったのを感じてか、くふっ、と笑うと自分の尻尾を指で鋤き始める。もういつもの顔に戻っていた。
「ぬし、帰りが遅かったじゃろう」
「うむ。…確かに遅かった」
「わっちは、その…心配だったんじゃ」
そう言いながら指でつまんだ小さい綿毛のようなものをじっと見つめる。
「…なにを心配してたんだ」
ホロが心配するようなことがあっただろうか。つられるようにホロの持つ綿毛を見つめながらロレンスは頭を働かせる。
ホロと一緒に旅をするようになってからは何故か面倒な事に巻き込まれることが多い。だがこの村に関しては特に何も無かった筈。
しかし、それはあくまでもロレンスがそう思うだけの話で、自分にしか感じれない不穏な空気をホロは感じ取ったのかもしれない。
ロレンスがそう思いついたのを見透かすようにホロが話し出した

233: 2007/08/13(月) 13:51:39 ID:2vMsT1A3
「ぬしの思うようなことではありんせん。わっちが心配したのはぬしの身体じゃ」綿毛をロレンスに向けて指ではじく。
「今までの長旅でぬしの疲れがたまってるように思えてな。特にこの辺りは昼間は暑いが夜は毛布が手放せないほど寒くなる。
そんな所で今までずーっと野宿をしてきたんじゃから身体には随分堪えたと思いんす」
「それはそうだが疲れているのは俺だけじゃないだろう」
「確かに。わっちも元の姿じゃ無い時はそれなりに堪える、特に寒いのは毛皮が無いので苦手じゃ。じゃがそれ以上にぬしの方が具合が悪そうに見えとった。
久々に宿で飯が食えるというのにぬし、あまり食わんかったじゃろう。酒もいつもよりかなり少なかったしの。旅の連れと
しては心配するの当然ではないかや」
確かにホロの指摘の通り酒は控え気味だった。酒を飲みすぎるとアレの時に困る、しっかり起たなくて時間が掛かるからだ。
料理の方はたまたま苦手なものが入ってただけだ。ホロにそのことを言えばよかったと今になって後悔したが、あの時はホロに知られるとまずいと思って
わざと黙っていたのだ。ロレンスぐらいの年齢で好き嫌いがあるというのはあまり褒められることではないし、行商人なら尚更だ。
しかし、今回はそれが裏目に出たらしい。
「しかもそそくさと、厠に行ってくるなどといわれれば腹の調子でも悪くなったかや、と思うのは仕方がないと思いんす」
確かにそうだ。
「部屋に戻ってからもぬしが厠から帰ってくる気配がありんせん。もしかして厠で倒れているかもしれぬ、と思いこの可愛い耳で
ぬしを捜したというわけじゃ。すると……その、厠からぬしの…苦しそうな吐息が聞こえてくるではないかや」
話しながらホロの横顔が少し赤くなってきた。ホロがいう苦しそうな声というのは、もちろん本当に苦しくて出た声ではない。
それを分かっているからロレンスの顔もつられて赤くなってしまう。
「具合が悪い時に食べた物を吐いてしまう事は、何も人だけでなくわっちら狼だってあることじゃ。中にはそのまま吐いた物が喉に詰まってそのまま氏んでしまうのもおる。
狼でさえそうなのじゃから喉の細い人間ではいわずかなもの。もしぬしがそうなっているのであれば一大事であろう。わっちはすぐにでもこの窓から飛び降りてぬしのところへ行くつもりだったのじゃが」
そこまでいうとホロは顔をロレンスに向けた。
「考えてみると吐息がきこえたのなら息ができてるということ。つまりぬしは吐いた物を喉に詰まらせているわけではない。じゃあぬしは何をやっとるんじゃ?と不思議に思ったわっちが
そこでさらに気配を探ってみればじゃ、なにやらおかしな感じではないかや。よくよく聞いてみれば妙な音も聞こえてくるし苦しそうに聞こえた声は…その…あの時の声に近い」
…まるでのぞきじゃないか。ロレンスはそう思った。もちろんホロは実際には目で見ておらず正しく言えば盗み聞きなのだがロレンスにとってはどちらでも同じことだった。
いくら狼の耳とはいえそこまで分かってしまうなんてあんまりだ。
「まぁそうなると、ぬしが自分で自分を慰めておるとしか考えられぬ。…どうじゃ、見事に当たっておったじゃろう」
ホロは上目遣いにロレンスを見るとにやっと笑う。推理が当たりさぞ気分がいいのだろう。だが、そんなホロに対して俺はどうすれば良いのか。
一緒に旅をしている娘にこんなことを指摘されて笑っていられる男なんているわけがない。明日からどんな顔ですごせば良いのか。
しかも相手はホロだ、明日からは厠に行く度にからかわれるのが目に見えているし、ちょっとした用事で一人出かけるときも一言あるに決まっている。
ロレンスはこれからのことを考えると思わず溜息をついてしまった。その溜息に反応してホロの耳がピクリと動いたのが見えたが、取り敢えずここは早く話を打ち切って寝るのが良策だと思い自分のベッドに帰ろうとした、その時だった。ホロが意外な事を言い出したのは。
「そんなに恥ずかしがる事ではないと思うんじゃが…」
さっきまでとは違いちょっと声が小さい。ホロを見るともうロレンスを見ておらず、尻尾の先を軽く指で鋤いていた。
「ぬしほどの歳を重ねた人の雄ならば、誰でもやっておることじゃったと思いんす」
「いや…まぁ、そうなんだろうが」
「じゃろう?わっちら狼とは違ってぬしら人間は常にさかっておるからの」
「言い方が少し下品だな」

234: 2007/08/13(月) 13:54:15 ID:2vMsT1A3
下品といわれて怒るかと思ったが意外にも笑いだした。
「くふふ…子種が溜まるのは雄も雌も一緒じゃが、雌は勝手に身体から出て行く、雄は自分で出さなければならん。むしろ我慢していると身体を壊してしまうんじゃから何も恥ずかしがることは無いというわけじゃ…違っておるかや」
「違っちゃあいない…お前よく知ってるな」
さっきもあの時の声なんてことも言ってたし、少し感心していうとホロはますますご機嫌になったようだ。
「当たりまえじゃ。わっちが今までどれだけ生きてきたと思っているのじゃ。ぬしなんぞわっちから見れば小僧どころか赤子同然じゃろう」
尻尾から手を離すとそのまま後ろに両手をついて、控えめな胸を得意げに突き出す。
「そうだろうな」
そうはいったが実際には麦の神様として崇められていた間は、ずうっとあの村から出れなかったのだから、最近の世のことは俺に教えられることが多いはずだが。
「それでじゃな…話を戻すんじゃが、言いたい事というのは」
「言いたいことって、もう散々…」
「何を言っておる、まだ肝心なことは言っておらん」
「それじゃあ、今までの話はなんだったんだ」
「まぁそう怒るでない。ぬしの慌て方があんまりにも可愛かったんでな、その、ちょっとからかっただけじゃ。」
そんなことで人をからかうんじゃない、と強く抗議しようとしたがホロが急にすねた顔つきになったので、喉まで出掛かっていた言葉をぐっと飲み込み別の言葉に変えてみた。
「それで、言いたいことってなんだ」
「うむ…これはわっちの気持ちの話であって、ぬしがどう思うかはわかりんせん。じゃがあえて言わせてもらうと…ぬしよ」
ホロはそこで小さく溜息をつくと唇を少し尖らせた顔をロレンスに向けた。
「ん…?」ロレンスもホロを見つめた。
「なんでわっちを…抱こうとせんのかや?」
「…はっ?」
ホロの言葉にロレンスは固まってしまった。咄嗟に理解できなかったのだ。ホロは耳をぴんと立てて尻尾も動かさずロレンスの返事を待ち構えている。だが、一向にロレンスが口を開こうとしないのにじれてきたようで耳も尻尾もぴくぴくと震えてきた。
「なにも自分で自分を慰めずともわっちがおるじゃろう」と苛立ちを含んだ声でロレンスにいう。
「ちょっ…ちょっとまってくれ!」
ホロの言うことは理解できた。だが、話が思いっきり変な方向にそれてるように思う。
「…抱くって…お前、何を言ってるのか分かってないだろ?」
いった途端、右の脇腹に小さい拳が突き刺さった。
「たわけ!それぐらいのことわかっておる。ぬしはわっちをなんだと思うとるんじゃ」
不意を突かれたためホロの拳でも結構痛い。ロレンスは脇腹をさすりながらホロの機嫌が少しでもよくなる様にいった。
「賢狼…だろ」
「ヨイツの、が抜けとる」
そういうとホロは顔を反対に向けて黙ってしまう。ロレンスは握り締められて白くなっている小さな拳を見て溜息をつくと視線をホロの横顔に移した。少し頬を膨らませてそっぽを向くホロは、見た目どおりの少女が持つ可愛いさを見せていた
。素直に可愛いな、と思う。ただ、そっぽを向いている理由が理由なだけに、そう呑気にしてはいられないが。
「大体ぬしはわっちのことを、どう思うとるんじゃ?」
「どう…って?」
「可愛いと思わんのかや」
そう言う間にホロの頬が朱に染まる。きっと普通の娘なら頬どころか耳まで朱に染まるところだろうが、生憎ホロの耳ではそこまでわからない。ただ、ピンと立てられた耳が返事を聞き漏らさぬようにと、ロレンスの方に少し向けられていた。
そっぽを向いてる癖にこちらの返事が気になって仕方がない、そんなホロをやはり可愛いと思ったロレンスは、正直に言ってやった。
「そうだな…可愛いな」
言いながら自分の顔が赤くなるのに気づいたロレンスは、誤魔化す為自分の顔を両の手でこすった。
「本当かや?」

236: 2007/08/13(月) 13:54:57 ID:2vMsT1A3
弾けるように振り向くと嬉しさと不安がない交ぜになった顔で確認を取るホロ。そんなホロにロレンスが驚いているのを見てとると、ホロは咄嗟に手で口を隠してから再びそっぽを向いて黙ってしまった。
ロレンスはホロの尻尾が左右に揺れるのを暫く見ていたが、先ほどの確認に対しての返事を待ってるのかホロは黙ったままだ。仕方が無いので小さく咳をしてから尻尾に軽く手を置いて、もう一度言った。
「お前は可愛い。本当だ」
「そ…それなら…」
微かに震える声を喜んでくれた証拠だと思いほっとしたロレンスに、ホロは振り向きざまに言い放った。
「なんでぬしはわっちを抱こうとせんのかや!?」
振り向いた顔は目はつりあがり、唇の端から牙が見え、さらにロレンスの手の下で尻尾の毛が針のように逆立った。ついさっきの態度はなんだったんだと言いたいくらいの豹変振りに怯みながらもロレンスは言い返す。
「だ、だから!どうしてそうなるんだ!さっきから変だぞ」」
「わっちを可愛いと思うとるんじゃろ!」
「可愛いと思ったからって、そんなことできるわけ──」
「できんのかや!」
苛立ちを交えた怒鳴り声でロレンスの言葉を遮ると燃えるような目でロレンスを睨んでくる。
「…大体、今までもわっちを手篭めにできる機会は何度もあった筈じゃ」
「手篭め…?」
「そうよ。ずうぅっと、一緒に旅をしておるんじゃ。こんなか弱い小娘一人、何とでもできた筈じゃろう」
「ちょっ、ちょっと待て。もう少し落ち着いてくれ」
ロレンスは自分の額に手を当てながら反対の手をホロの肩に置いた。
「…なんじゃ、この手は?その気になったんかや?」
「い、いや。そういう訳じゃなくてだな」
「なら、触るでない!」
言いながら乱暴にロレンスの手を肩からどかしたホロは、その仕草でさらに興奮度を増したように声を張り上げた。
「まったくぬしは分かっておらぬ!このままヨイツに行けばわっちが大恥をかくのは火を見るより明らかじゃろうが!」
「恥?…恥ってどういうことだ?」
「ぬしがわっちに手を出しておらんということがじゃ!」
まったくホロの理屈が分からない。ロレンスはほとほと困り果てたがホロはお構いなしだ。
「わっちはこんなに可愛い娘になっておるのに、一緒に連れ歩いておる雄が手を出しておらんとはどういうことかや?って事じゃろうが。外見の可愛さを差っ引いてもお釣りがくるくらいわっちに何か欠点があるみたいじゃろ」
「そんなことは…」
「このままではわっちに可愛い娘に化けてはいるが、人の雄に見向きもされない不憫なやつと笑われると言うものじゃ」
話している間に落ち着いてきたのか、ホロの言い方も随分普段どおりの感じになってきた。
だが不機嫌そうに揺れる尻尾と吊り上った眉を見る限りまだ怒りは治まってないようだ。
そんなホロにわざわざ言いたくは無かったが、一つ疑問に思ったことがあったので敢えて訊いてみた。
「…お前、もしかして俺に」まで言ったとたんホロの拳が突き刺さった。

248: 2007/08/19(日) 12:18:27 ID:ZyvMWAHY
236の続き
思ったより進まんな。

ホロに脇腹を殴られるのはこれで何回目になるんだ、そんなことを頭の隅で考えつつロレンスは右手で
痛む脇腹をさすった。だが、さすっても治まるのは痛みだけでホロの機嫌が治まるわけじゃない。
一体どうすればこの狼の機嫌が直るのか、頭を働かせても見当がまったくつかなかった。
商売の話ではそこそこ巡りがいいロレンスの頭もこんな話では、枯れた川の水車のように止まったままだ。
ホロが言ってる事はつまり、こんなに可愛い娘の姿をしている自分が一緒に旅をしている人の男に
全然相手にされてないというのがまずいということらしい。なるほど、そういうものかもしれない。
賢狼とはいえホロも一応は女、いや雌なのだ。そんな感情があってもおかしくはないかもしれないが、そこまで
考えてロレンスは自分の中にある感情が湧き上がってくるのに気づいてしまった。それはちょっとした幻滅だ。
ホロを初めて見たときは思わず商売女と勘違いしてしまったがその後、狼の化身であることや豊作の神として
崇められていた事を知り、そしてその可憐で美しい少女の容貌からロレンスはホロを何人にも汚されていない
ものと思っていた。
だがそんな恥をかく、かかないの問題でロレンスに抱いてくれというホロが、何かその辺りにいる歳をとってもまだ
自分に妙な自信を持ち続けている貴族の中年女のように思えてしまう。ロレンスとの今までの旅路で感じられてきた
ホロらしさがまったく感じられない。なぜだろう、ロレンスは脇腹をさする手を止めてホロを見た。
ホロは黙ったままロレンスを見ていたが、やがてゆっくりと視線をそらした。
「…なんでわっちに手をださんのかや」
ホロの声からは苛立ちの色が消え、子供が親にお菓子を買ってもらえないのに気づいた、そんな拗ねたような
声になっていた。
「俺は、お前が言うようなことはしたくない」言いながら手をホロの肩に置きそうになったが、ぐっと堪えた。
「どういうことじゃ」口を尖らせてホロがいう。
「手篭めなんてのはな、相手を傷つけるだけで何の得にもならない。いや、深い恨みを買う分損にしかならん」
「まるで商売の話をしてるようじゃな」口がさらに尖る。
ちょっと言い方が悪かったようだ。ロレンスは慌てて言葉をつなげた。
「いや、その…そうじゃなくてだ、俺が言いたいのは俺自身の気持ちの問題だ。損得だけの話じゃない」
「…ほう。気持ちの問題かや」ホロがロレンスと反対側に顔を向けて言う。
なぜか声にはさっきまでとは違い、苛立ちや拗ねた感じが一切無い。
「気持ちとはどういうことかや。わっちによく分かるように言ってくりゃれ」
「…聞いてなかったのか」

249: 2007/08/19(日) 12:19:05 ID:ZyvMWAHY
少し呆れたがよくよく考えて見れば聞いてないはずがない。理由は分からないがホロはわざと聞いているのだ。
そしてさっきロレンスが言ったことをもう一度言わせようとしている。仕方がない、狼の仕掛けた罠に自分から
飛び込んでいく哀れな羊の姿を思い浮かべながら、ロレンスはそっぽを向いたままのホロにゆっくりと
噛んで含めるように言った。
「俺は、お前を、手篭めになんかしない」
「なんでじゃ」
「相手の気持ちも考えず無理やりにだな…」そこまで言ってロレンスはあることに気づいて固まってしまった。
ホロがロレンスになぜ自分を抱こうとしないのか、という話がいつの間にかなぜホロを手篭めにしないのか、
という話にすり換えられてられているではないか。そしてこの話の流れからするとロレンスが今から言おうと
してることはまるで…。
「くふふ、ぬしは優しくてお人好しじゃからなぁ。嫌がる相手を無理やりなんてことはできやせん。
まぁ、そんな度胸も無いがの、ぬしには」
尻尾だけではなく肩も大きく揺らせながら可笑しくて堪らないように言うと、ホロは満面の笑顔で振り向き
ロレンスの胸倉を掴んでさらにこう言った。
「じゃが、裏を返せば相手が嫌がってなければ抱くということじゃ」目が笑ってなかった。
「ちょっ、ちょっとまて。それはちがうだろ。俺が言いたいのは」ロレンスの背中に嫌な汗がまた流れ始めた。
「いいや、なぁーんも違わん筈じゃ。ぬしがその口で言ったことはそういうことじゃろ」
ぐいっ、と掴んでいたシャツを引っ張りロレンスの顔をさらに近づける。ホロの息がかかるほどの距離だ。
「ぬしよ安心するがよい。わっちは全然かまわぬ、むしろ助かるくらいじゃ。なにせ故郷に帰っても
恥をかかずにすむ訳じゃからの」とびっきりのにやり顔。
ロレンスは焦った。このままでは話がどんどん変な方向に進んでしまう。
仕方がない、あのことをホロに指摘しなければならないようだ。実はさっきからホロの言ってることにおかしな
箇所があるのに気づいていたのだ。なぜホロが気づかないのかが分からないが、ロレンスにとってはこの状況を
打開するのにはそれしかない。ただ、その内容をホロに言うのは少し気が引けた。
もしかして分かっていながらわざと気づかないふりをしているのかもしれない。
だがこのままホロの言い分に付き合っていては困ることになる。
なるべくホロを傷つけないようにしなければ。ロレンスはホロの頬から視線を引き剥がし床に視線を
落とすと相変わらず胸倉を掴んだままのホロに思い切って声に出した。
「お前はさっきからヨイツに戻ったら恥をかくって散々言っているが、ヨイツにはもう…」
言いながら少しづつ声を小さくしつつ最後まで言わなかったのはせめてもの配慮だ。

250: 2007/08/19(日) 12:19:55 ID:ZyvMWAHY
言った瞬間ホロが小さく身じろぎしたのがわかった。言い過ぎたかもしれない。
ロレンスもその先を続けるつもりはなかったし、ホロも望んでないような気配がする。
お互い気まずい時間が流れはじめた。
ちっとも高そうじゃない板張りの床を長い間見ていてもホロがぴくりともせず黙っているので、ロレンスはやはり
ここは触れてはいけなかったようだと思い少しばかり後悔した。ロレンス自身も遠く置いてきた故郷に自分を
待っている人がいないと指摘されれば、分かっていても心が痛むだろう。
どうやってホロを慰めようかと考えを巡らせながらホロに視線を戻した。
そこには唇を震わせて今にもその赤い瞳にたまったものが零れ落ちそうになっているホロが見える…
筈だったのだがどういうわけかそこにはロレンスの思い描いていた娘の姿はなく、見えたのはロレンスがいつ
こっちを向くかと待ち構えていたらしく、ここぞとばかりに声を張り上げようとしているホロの姿だった。
「たわけ!わっちがそんなことで涙ぐむと思うとるんか。帰っても誰もおらんじゃと?
確かにあの鳥の娘から借りた本にはそうは書いてあった、じゃがそれが真実とはかぎらぬ。あくまでも人の
言い伝えじゃ。それにあの本が正しかったにせよ、その後わっちのように故郷を懐かしんで帰ってきとる仲間が
いないとも限らぬ。そうじゃろう?」
シャツを掴んだ手をがくがくと揺らしながら一気にまくし立てるとホロは満足そうに頷いた。
少し楽観的すぎるなと思ったが口にはださなかった。口から出たのは別のこと、さっき感じたホロらしさが感じ
られなくなった理由についてだ。
「それはそうだろうが…じゃあ、お前は本当にそんなときの為だけに俺と」
言いながらシャツを握っているホロの手を振りほどいた。この先ホロが何か言うたびにがくがくされては困る。
「それだけの理由じゃありんせん」ホロは即答した。
「ならそのべつの理由とやらをいってもらおう」
「ふむ、まあ、いずれの」少し慌てた感じで言うホロはなぜか頬が朱に染まっていた。
「そんなことよりぬしよ、わっちは今からでもいいんじゃが」
ロレンスの乱れたシャツの襟をそっと撫でながらホロが言う。
「それとも何かや、ほかにわっちを抱けん理由があるのかや」

251: 2007/08/19(日) 12:20:24 ID:ZyvMWAHY
ベッドの上で揺れるホロの尻尾を見て咄嗟に思いついた理由を言ってみた。
「お前は神様なんだろう。俺はこのとおり何の変哲もないただの商人だ。とてもお前とはつりあわないし、
神様を抱くだなんて恐れ多くてとてもそんなことはできやしない」
言ってから我ながら上手い言い訳だと思った。半分ぐらいは本当にそう思っていることでもある。
「わっちゃあ神なんぞじゃありんせん」
「豊作の神なんだろう」
「人よりも長生きしとるただの賢狼じゃ」
「あんな姿を見て、そう思わない人はいない」
「じゃあぬしは神の姿を見たことがあるのかや」
ロレンスは言葉に詰まってしまった。
「姿形で神かどうかを見極めれる人なんぞどこにもいやせん。ま、確かにわっちの本当の姿は
あんなんじゃがな、それが神であるという証拠にはなりんせん」
ホロはそういうがロレンスから見れば限りなく神に近い存在であることには変わりない。
「だからにも恐れなくてもいい、そう言いたいのか」
「うむ、それにぬしは全然ただの商人ではないとわっちはそう思うし、たとえそうであってもぬしとわっちが
つりあわんとも思えんの」シャツの襟を軽く引っ張りながら言う。
「その理由は」
「神か人かなんてことはお互いの間には関係はない。肝心なのはわっちが雌でぬしが雄ということじゃ」
ホロはにっこりと微笑むと続けて言った。
「十分つりあっておるじゃろう」
「む…」
「じゃあこれで話は決まりじゃ!」胡坐をといたかと思うとベッドの上で仁王立ちになったホロは、腰に手を置いて
呆れるくらいの笑顔でロレンスを見下ろして言った。
「わっちはぬしに抱いてほしい。ぬしはわっちが嫌がってなければ抱いてもいいという。これ以上わっちらの
することを邪魔するものはありんせん」
「まてまて!お前な、俺はそんなこと──」
「そんなにわっちを抱きたくないのかや」少し悲しさがまざったような笑みだ。
「そういうわけじゃ…」ないといいかけてロレンスは口を閉じた。

252: 2007/08/19(日) 12:21:06 ID:ZyvMWAHY
考えてみればなぜ自分はこんなにむきになってなっているのだろうか。
本音を言えばホロを抱きたい気持ちは当然ある。こんな見た目の娘と一緒にいれば普通の男はそう思うのではないか。
ロレンス自身もホロと出会ってからはホロの身体を思い描きながら自分を慰めてきたのだ。
そんな自分がなぜホロにここまで言われても頑なに拒んでいるのか。
ズボンから出ているホロの細い足首が目に入った。そのまま顔を上げるとホロと目があう。
かなり昔の暗い記憶が嫌になるくらい鮮明にロレンスの頭に浮かび上がってきた。
自問自答する必要もない。理由は明らかだ。だがそれをここでホロに言えない。
「どうなんじゃ」ホロの赤い瞳と小さな口から出た声には不安の色が滲み出していた。
そんなホロの顔はどうせ演技だろうとは思ったが、たとえ演技でもいつまでも見たくはなかったので横を向いて言ってやった。
「…抱きたくないわけないだろ」つい溜息が出てしまう。
この結果がどうなるかがロレンスには見当がついている。どうせホロは、じゃあ今すぐにでも、なんて言い出すんだろう。
そう思いホロの顔を見ると、驚いたことに頬どころか顔全部を朱に染めたままで固まっていた。
「ホロ…?」
ロレンスが声をかけると慌てて横を向く。尻尾がどういうわけか縦方向に大きく揺れていた。
「う、うむ、そうじゃろう。じゃが…もっとはっきりと言えぬものかや」
声が少し上ずっているが相変わらず横を向いたままのホロを見てロレンスはもう一度溜息をついた。
「な、なんじゃ、それは。そんなもの出す前に言うことがあろう」
顔だけでなく体も横に向けると腕を組んであごを突き出すようにして言う。
「わかった。…俺はお前を抱きたい。これでいいんだろ」
「たわけ。最後の一言は余計じゃ」ホロの自慢の耳がぴくぴく動く。
「これくらいは言わせてもらわんとな」
言うと同時にロレンスがびっくりするくらいの速さでこっちに向き直ったホロの顔は、ロレンスが初めて
見るくらいのいい笑顔だった。
「くふふ、そうか。そんなにわっちを抱きたいのかや。ぬしにも困ったものじゃなあ。ま、わっちゃあこんなに
可愛いからの、無理はないがの」
お前が俺にそう言わせたんだろうが。そう指摘してやりたかったがホロの顔をみると言えなくなってしまう。
「そうと決まれば膳は急げじゃ」腹の辺りに手を持っていくとなにやらごそごそし始めた。
「なんのことだ」
「ぬしがいつまでもぐずぐずしておるんでほれ、随分夜が更けてしまっとるじゃろう」
あごで窓を指すとホロはいきなりズボンを膝まで下ろした。上に着ている服の裾のおかげで肝心な箇所は見えない。
ロレンスがちょっと待て、と言う間もなく足をじたばたさせてズボンを脱いでしまった。
「なにをぼさっとしとる。さっさとぬしも服をぬぎんす」
「…いまから?すぐ?」

253: 2007/08/19(日) 12:21:35 ID:ZyvMWAHY
ロレンスの問いに答えずににやりと笑うと、ホロは着ている服のすそを持って一気に引き上げた。

もう何を言っても無駄だな。そう思ったら自然とロレンスの口から、今日何度目か分からない溜息が出た。
「む」ホロの動きが止まった。
ちょうど頭から脱げたところらしく両腕に服が絡み付いていた。
「ど、どうした」今の溜息が気に入らなかったのかと思ったが、そうじゃないようだ。
「…ぬしよ」ホロが自分の腕に絡む服を見ながら言う。
「なんだ」
「わっちが自分で脱いではいかんかったの」
ホロの言わんとすることが分からず返事ができない。
「いや、人の雄というものは雌の着ているものを脱がすのが好きなんじゃろう。ぬしもわっちを
脱がせたかったのかと思い直しての」
「……」開いた口を閉じることができなかった。
「な、なんなら今から服を着るんで、最初からやり直してみるかや」
服を脱いでるときは赤くなかった顔が、その台詞を言った途端に熟れたトマトのように真っ赤になった。
「あ…いや、気にしなくてもいいから。その、続けてくれ」
閉じれなかった口を無理矢理に閉じてから、何とかこれだけの言葉を口から出すことに成功した。
「そうかや…じゃあ遠慮なく」そういってホロは腕から服を振り落とすと本当に裸になった。
「なんじゃ、まだ脱いでおらんのかや。わっちはもう準備万端、ほれ、このとうり」
片手を腰において、もう片手で髪をかき上げる仕草が妙に色っぽかった。
「それともぬしは雌に脱がせてもらうのが好きなのかや」
ニヤニヤして尻尾を振りながら近づいてくるホロを手で制してから、ロレンスはまた溜息をつきながら
言わなければならなかった。
「そんなわけないだろ。俺はどっちも特別好きじゃないんでな」
嫌いでもないが、という言葉が続けて喉から出そうになったのを何とか堪えたロレンスだった。


275: 2007/09/02(日) 23:05:53 ID:8qgwMRcg
253の続き


今更だがホロの目の前で裸になるのが恥ずかしかったので、部屋の隅でホロに背を向けるように服を脱ぎだすと、
壁に映る自分の影が目に入った。不器用に動く自分の影を見ていると、初めて娼館に行った時の事が頭に浮かんできてしまう。
嫌な記憶だ。震える手にお金を握り締めて女の部屋に入ったはいいが、結局最後には至らず逃げるように宿に帰ってしまった。
あの時何があったかはこの先誰にも話すことは無いだろう。
酒場で男が集まればよくある笑い話として語られそうなあの経験は、ロレンスの心を深く傷つけたままもう何年も経つ。
ロレンスだってこのまま女性経験なしで一生を終わるなんて事は無いとは思っていたが、まさかこんな展開になるとは夢にも
思っていなかったし、こういう事は男から誘いたかったというか、もう少し雰囲気よく進めたかったのも正直なところだ。
きっとホロに言わせれば、それが雄の要らぬ見栄だと言うのだろうが。
そんなことを頭に巡らせながらシャツを脱いでいたので、時折手が止まってたようだ。
ちゃっちゃとせんか、何を今更恥ずかしがっとるんじゃ等の、雰囲気ぶち壊しの台詞を背中にぶつけてくるホロ。
「そう焦らせるな。少しは黙ってろ」
「む。…まぁ、ぬしがそういうなら黙ってやるかや。じゃが、もうちょっと早くしてくれると助かるの」
顔を見ずともきっと口の先が尖ってるだろうホロに背中越しに手を振ると、ロレンスは思い切ってズボンを下げ素っ裸になった。
振り返る前に手で前を隠そうか迷ったが、今からすることを考慮すればいかに無駄なことか気づいたのでロレンスは
隠すのをやめてそのまま振り返った。
きっとベッドの上で仁王立ちして口を尖らせているかニヤニヤしてるんだろうと思っていたがそんなことはしておらず、
いつの間にかベッドの端に腰掛けていたホロは、揃えた膝の上にのせた尻尾を俯きながら指で鋤いていた。
ホロはロレンスが振り向いたことに気づくと顔をゆっくりと上げロレンスを見つめだしたが、そのおずおずとした仕草と
恥じらいと不安そうな色が混ざったような表情を見ると、ロレンスの胸倉を掴んで不敵に笑っていたのが嘘のように感じられる。
「そっち、行ってもいいか」
そう言うとホロは、はっとしたかと思うと顔を一瞬で赤くさせた。
「と、当然じゃ。ぬしがこんと始まらぬ」そう言って横を向くと反対側のベッドを強めに叩く。
こんな事さっきもしたなと思いロレンスは苦笑した。たださっきと違うところはお互い服を着てないってことだが。
そんなこと思いつつベッドまで歩きホロの横に腰を下ろしたのだが、少し近すぎたようで腕が軽くホロの身体に触れた。
その瞬間、ホロが息を呑んだ気配がロレンスに伝わってくる。
まるで初めて男の相手をする娘のような反応にロレンスは少し意表をつかれた。何しろさっきまであんなに抱いてくれんのかや、
などとロレンスにわめき散らしていたホロなのだ。そんな訳はない。ホロの今までの口ぶりからしても随分あのことに関しては
詳しそうだし、大体何百年と生きていればそんなことは経験してて当然だろう。演技かもしれないな、とも思ったがそれはそれで
ロレンスにとっては有難かった。何せさっきのような勢いで事が進むのは勘弁して欲しい。
そんなことを思い浮かべながらまだ横を向いているホロを見ると、自慢の可愛い耳が目についた。ロレンスの視線を感じたのか
今まで壁のほうを向いていた耳がこっちを向くと何度かお辞儀するように動く。
そんなホロの耳を見ていてロレンスは重要なことを思い出した。ホロはちょっと珍しい特技を持っていたな。ここは一つ、ある提案を
ホロにしなければならない。ホロは何て言うだろうか。視線を耳から横顔に移すとロレンスは僅かな間迷ったが、思い切って口にした。

276: 2007/09/02(日) 23:06:29 ID:8qgwMRcg
「ホロ。…話があるんだが」
ホロがこっちを向く。
「…まさか、今更怖気づいたと言うわけじゃ…」
赤い瞳がロレンスを睨む。気圧されそうになるがロレンスもこの提案だけはホロに飲んでもらわなければならない。
「お前は嘘を聞き分けれたり、俺の心を読むようなことを今までしてきたよな」
「…それがどうしたんじゃ」ロレンスのほうを向いたままうつむくとホロが呟いたが、語尾が少し上がり気味なので
拗ねてるようにも甘えてるようにも取れてしまう。
「今からお前を…その…抱くわけだが」
あらためて口に出すと恥ずかしく、ロレンスはさっきと同じように手で顔を擦りながら話を続けた。
「その間は、今言ったようなのは無しだ。…その…恥ずかしいからな」
ロレンスが話している間じっと聞いていたホロはロレンスが口を閉じた後も黙っていたが、暫くすると顔を上げてこう言った。
「…そうじゃな。確かにわっちの耳を気にしておってはぬしも…落ち着かんじゃろう」
ホロの顔と声には何故かほっとしたような雰囲気が感じられたが、すぐにそれは消し去られロレンスをからかういつもの顔に
戻ってしまった。
「安心するがよい。わっちもそんな無粋なことはしやせん。じゃが、ぬしはわっちの耳よりももっと自分の顔に
気をつけたほうがいいの」
「顔か」昔ホロに指摘された髭のことかと思いロレンスは顎に手をやった。
「髭じゃあありんせん。表情のことを言っておる。ぬしは商人の顔をしとるときは上手く隠せておるようじゃが、わっちの
ような可愛い娘とおるときはこの耳を使わんでも思ってることが丸わかりじゃからのう」
そうなのか、ロレンスは今までを振り返って見るが自分ではよくわからない。それに、ホロのような可愛い娘、なんて言ってるが
そんな娘はざらにいないだろう。実際ロレンスもホロと出会うまでこんなに美しくて可愛い娘には会ったことがない。
そんなことを考えているとホロがロレンスの顔を覗き込んだ
「あらためて見ると、ぬしもなかなか立派なものを持ってるようじゃ」口の端から牙を見せると
「まあ、ぬしのお手並み拝見、というところじゃのう」そう言いながらにやりと意地悪く笑う。
ホロのそんな言葉にロレンスは覚悟はしていたとはいえ、やはり胸が少し痛んだ。
その台詞から想像できるのはホロの遍歴がそれなりに豊富であること、そして今までの男、いや雄と自分が比べられている
ということだ。はっきりとホロの口から言われたことで、ロレンスの心にもやもやとした灰色のものが湧き上がってきた。
そして、それは次第に真っ黒い雨雲のように重く低く垂れ込み始めてきたので慌ててロレンスは大きく深呼吸をしてその雨雲を
身体から出すことにした。
嫉妬だ。ロレンスはその雨雲の正体に気づいていた。ホロが自分以外の男を知っている、ただそれだけのことが異常なまでに
ロレンスの心に嫉妬をおこさせた。
何故だろうか。ホロは自分にとって特別な存在なのはわかっている。だがその特別な存在とは一体何なのだろうか。
俺はホロと一緒に旅を続けたい、抱いてもみたい、多分ホロが他の男と仲良さげに振舞うのをみるのも、それが演技だとホロ自身に
聞かされていたとしても辛いだろう。何故だ。
答えはわかっていた。短いながらもホロと旅を続けていく間にロレンスが抱きだしたホロへの想い。そして、近いうちに必ず
訪れる別れが怖くて、いっそ無かったことにしようとしていたホロへの想い。
それは、俺がホロのことを。
「ぬしよ…すまんかったの。少し過ぎたようじゃ」
ホロの声にロレンスは考えを止められた。声の主を見るとさっきまでの作ったような顔でなく、いたずらが過ぎて叱られた
子供のような顔になっている。いつもはぴんと立った耳もロレンスに謝るように伏せられていた。
どうやら自分の言ったことでロレンスが傷ついたのが分かったようだ。一瞬ロレンスはホロが自分の心を読んだのか、と思い焦ったが、
それは違うようだ。多分、誰が見てもそれと分かるくらいさっきまでのロレンスは情けない顔だったんだろう。

277: 2007/09/02(日) 23:07:15 ID:8qgwMRcg
「いや…そんなに気にしてやいないさ」
ついさっきまで考えていたことが妙に恥ずかしいのと雰囲気を和らげるためにちょっとおどけた感じで言ったのだが、ホロは
顔を上げようとしなかった。
「ホロ。お前が思ってるほど俺はそんなに──」
「──わっちは」ロレンスが言い終わる前にホロが言葉をかぶせてきた。
「わっちは…ぬしに聞きたいことがある」
ホロの声から何か切迫したような空気を感じたがロレンスは敢えて軽い口調で応えた。
「今日のお前は俺に聞いてばっかり──」
「──聞きたいんじゃ!」今度は叫ぶようにホロはロレンスの声をさえぎった。白く華奢な肩が僅かに震えて見える。
「どうしても。今、この場で…ぬしに答えて欲しいことがあるんじゃ…」
言いながらロレンスに顔を向けるとさらに言葉を続けた。
「ぬしは今からわっちを抱いてくれると言う。わっちは嬉しい、嬉しいのじゃが、その…」
ホロは視線をロレンスの胸元に落とした。
「そ、それはぬしに無理矢理言わせたようなもんじゃろ?…うん、わっちはぬしでいいんじゃが…ぬしは…ぬしは、わっちで
いいのかや?…そう思っての」
膝の上の尻尾の毛を無造作に摘むとそれを握ったり離したりしつつ何度も詰まりながら話すホロを見てロレンスは、ホロの
様子が随分変わってきていることに気づいた。ロレンスの厠でしたことを指摘した時や、なぜ抱かないのかと詰め寄ってきた時
のホロとはもう別人のようだ。もっとはっきり言うとロレンスが裸になった頃から微妙にホロの様子が変化している。
まるで生娘のように。
「…嫌々抱かれるのは…わっちとしても本意ではない」尻尾の毛をぎゅっと握り締めるホロ。
「ぬしの気持ちが知りたい…」そんなことを言うホロの耳は主の意思に反して未だ伏せられてる。
ロレンスは尻尾を握り締めているホロの小さな手に自分の手を重ねると、目を伏せたまま何も言わないホロに向かって
はっきりと言ってやった。
「俺の気持ちはさっきも言っただろ…お前を抱きたい。そのまんまだ」
「ぬし、嫌そうじゃった…」不安げにそう呟くとホロの手がさらに強く握り締められたのが重ねた手に伝わってきた。
ロレンスは手入れが行き届いた尻尾を少し心配してしまったが、今はそんなことを気にする場面ではない。
今すぐに何か言ってやらなければホロはそのまま何も言わなくなってしまうのではないか、そんな心配をロレンスに
させる程ホロの声は脆く儚いものだったからだ。
「嫌じゃないさ。そりゃあ、あれだけを見ればなんと言うか、その、無理矢理言わせたようなもんだが本当は違う。
俺はその…お前を抱きたくてしょうがないんだ」言いながらホロの手を上から握った。
「ほんとかや」さっきよりかは幾分はっきりした声だ。
「ああ」ロレンスは短く答えた。こういった時は短い言葉のほうが本心を伝えられる。
「じゃあ…じゃあ、それはなんでじゃ?」言いながらホロは顔を上げた。
「な、なんでって…?」ロレンスは虚を突かれた。
「なんでぬしはわっちを抱きたいのかや?教えてくりゃれ」ホロの目が真っ直ぐロレンスに向けられている。
ロレンスは咄嗟に答えれずそのままホロの瞳を見ることしかできなかった。
今日のホロは様子がおかしい。いつになく感情的なっているように思える。以前にもそんなことがなかったとは言わないが、
ロレンスを軽くあしらったかと思えば急に怒り出し、かと思えば甘えるような仕草をしたり不安げな表情を見せたりと、
こんなにくるくると表情を変えるホロは初めてだ。どのホロが本当のホロなのか。

278: 2007/09/02(日) 23:13:54 ID:8qgwMRcg
ホロは瞬きもしないでロレンスを見つめ続ける。瞬きが必要ないくらいその赤い瞳は潤んでいた。
そんなホロを見てロレンスは思う。きっと今が本当のホロなんだろう。そしてそんなホロがロレンスの本当の気持ちを
知りたがっている。
なぜホロを抱きたいのか?ホロはそうロレンスに問う。思い返してみれば、今日のホロは聞いてばかりだった。
何をしてた?何故抱こうとしないのか?可愛いと思わないのか?抱きたくないのか?
そう、今までは何故抱かないのか、だった。今まではその言い訳に本心を交えつつ当たり障りのない答えを出してきたわけだが、
今ホロが投げてきた問いは何故自分を抱きたいと思うのかとロレンスにの気持ちを聞いている。
そんな問いへの答えは今のロレンスには一つしか思いつかない。ロレンスは空いているほうの手をホロの肩に置いた。
ホロの白くて華奢な肩にじかに触れるのは初めてで、長い間お互い裸でいるのに思ったほど冷たくはなかった。
肩に手を置かれたホロは身じろぎ一つしない。まるでそれが答えの前触れだと分かっているようにロレンスの顔から
視線をはずさなかった。
「俺がお前を抱きたい理由…それは…」
言葉が詰まってしまう。今から言うことは本当の気持ちだ、それは間違いない。
だが、それとは別にロレンスの中に本当のことでも言ってはならないという気持ちもあるのも事実。
好きだと言わなければ今からする行為はただの遊びになる。ホロの我が儘にロレンスが折れた格好だ。
多少はぎくしゃくするだろうが今後も旅を続けヨイツで別れることができるだろう。しかし、ロレンスがホロに好きだと
言ってしまうとどうだろう。今まで同じように旅を続けれるだろうか。
ここで言うべきか、言わざるべきか。ロレンスはホロの瞳から目をはずさない。途中で言葉が途切れてしまったのだ。不安に
ならないわけがない。瞳の上に溜まっている今にも零れ落ちそうなそれは、かろうじて瞬きをしないことでその場に留まっていた。
ホロは俺に言って欲しい言葉があるんだろう。そしてそれが嘘偽りなく俺の本当の気持ちであることを望んでいる。
ならば、結果がどう転ぼうとそれに応えてやりたい。
ロレンスは一つ軽く咳払いをしてから囁くようにホロに自分の本当の気持ちを教えてやった。
「好きだからな」
こんなに緊張したのは初めてで、きっとホロに触れている掌は汗でびっしょりの筈だ。
「…嘘じゃ!」ホロはそう言うと顔を背けた。
「嘘じゃない」
「そんな…そんなのはの、雌が欲しい時に雄が…好きだなんぞと言えば雌が喜ぶだろうと自分に自信の無い雄が
よく言う嘘にきまっとる!」言いながら重ねられていたロレンスの手を振りほどく。
ホロの声はまるで怒ってるように聞こえたが、耳や尻尾が必ずしもそうではないことをロレンスに教えてくれていた。
「本当だ。なんだったらお前のその耳で嘘かどうかを聞き分けてくれてもいい」
「そ、それはできん話じゃ!大体ぬしがわっちにするなって言ったくせに何を…何を言うとるんじゃ!」
「なら俺の顔を見ろ!…それで分かるんだろう?」さっきまでホロの手を握っていた手でそっぽを向くホロの顎を掴む。
だが無理矢理に顔をこちらに向けるのはやめておいた。掴んだ手からホロが震えているのが伝わったからだ。
ホロはほんの少しの間そのままの姿勢で動かなかったが、やがて上を向いて鼻をすするような動きをすると自由になった手で
顎に触れているロレンスの腕を掴んだ。
「…本当かや」言いながらロレンスの腕に頬を寄せるように口を近づけると牙を立てた。
だがさほど痛みは感じられない。猫や犬がよくやる甘噛みのようなもの。そしてそんな仕草が、今のホロの気持ちを物語っている。
「ああ…何度も言ってるだろう」暫くそんなホロを眺めてからそう言うと、ホロは口を離し、くふっ、と小さく笑った。
「そんなに何度も言っとりゃせん。ぬしが言ったのは一回じゃ」ホロが顔をロレンスに向けると、その拍子にロレンスの手が
ホロの顎から離れた。
「…そういう事じゃなくてだな…」ロレンスは言いかけた言葉を飲み込んだ。振り向いたホロはそれ程可愛かったのだ。
ロレンスが黙ってしまったのが不思議なようでホロは小首をかしげる。そんな仕草が本当によく似合う。
そんなホロにロレンスは聞いておきたいことがあった。こんな事聞くのは野暮なことかもしれないし、もしかしたらホロの機嫌を
損ねるかも知れないが、それでもロレンスはホロに聞きたかった。大体ホロばかりロレンスに聞いてばかりでずるいではないか。
そう思ったロレンスは意を決してホロに声をかけた。

279: 2007/09/02(日) 23:14:35 ID:8qgwMRcg
「ホロ…」
「なんじゃ?」上目遣いに応える。
「聞きたい事があるんだが、いいか?」
「う、うむ」何を聞かれるのかわからず警戒気味になるホロ。
「お前は喜んでくれたのか?嬉しかったか?」
賢狼らしくなく、なんの事か咄嗟に分からないようだ。だから今度はもう少し分かりやすく言ってやった。
「俺はお前を好きだと言った。…それで雌のお前は嬉しかったのか?」
そこまで言われてようやく通じたようでホロはロレンスが一呼吸する間に顔を真っ赤にさせた。
「どうなんだ?」さっきまでと逆にホロに詰め寄るロレンスだがこんなに顔を赤くさせたホロなのだ、もう答えは決まっている。
ホロは何度か口をぱくぱくさせていたが、やがて俯いてから小さな声でロレンスに囁いた。
「…そ、そんなの、嬉しいに…きまっとる!」途中から叫ぶような声になったかと思うと、そのままロレンスと反対側の
ベッドに勢いよく倒れてしまった。
「ホロ…」予想通りのホロの答えにロレンスも嬉しくなる。
ホロは寝転んだまま手を伸ばしてシーツを掴むと顔を隠すようにその中に頭を突っ込んだ。
きっと照れた顔を見られるのが恥ずかしいのだろうが、頭隠して尻隠さずとはまさに今のホロを指す言葉のようだ。
シーツに隠されてないホロのお尻から生えている可愛い尻尾がぱたぱたと音を立てて揺れていた。


333: 2007/09/30(日) 17:33:25 ID:VT9NxmdM

すぐにでもホロの後を追いベッドに倒れこみたくなるのを無理に抑え、ロレンスはその場に留ま
る事にした。こんな時に焦って動く事が良策とは思えないし実際痛い目にあったこともある。
ここは逸る気持ちを落ち着かせたいところだ。
そう思い、照れた顔を隠したままのホロを眺めているとロレンスは自分が意外にも落ち着いてい
る事に気づいた。考えてみれば何百年と生きてきた経験豊富な賢狼をたかが三十にも届かない自
分が抱こうというのだ。緊張で手が震えていてもおかしくはない。何故だろうか。
ロレンスはホロから自分の掌に視線を移した。
もしかしたらホロへの想いを吐き出した事で何かふっきれたのかもしれないな、と思う。
それならそれでいい。とにかく昔のように何も分からぬのに焦って痛い目にあうのはごめんだ。
気持ちが落ち着いているのならその状態のままでホロを抱きたい。ただ、実際のところホロをど
れだけ満足させられるかは見当もつかないのが本音だが。
そんな事を頭に巡らせながら暫くの間掌を見つめていると頬に視線を感じた。ロレンスがベッド
に顔を向けるとホロが慌ててシーツに隠れる。
ロレンスはそんなホロの仕草につい顔が緩んでしまったが、すぐに顔を引き締めた。なぜなら隠
れる寸前にちらりと見えたホロの口が不機嫌そうに尖って見えたからだ。さらに、さっきまでぱ
たぱたと小さく揺れていた尻尾が急に大きくばたつきだしたのを見れば、今までの経験からホロ
の機嫌はかなり斜めに傾いているのが分かる。
少しばかり待たせ過ぎたかもしれない、そう思ったロレンスはまるで早く来いと言わんばかりの
尻尾を見て一つ小さな溜息をつくと、ゆっくり立ち上がるとホロの待つベッドに足をかけた。
相変わらずベッドの上で忙しく動く尻尾を踏まないように注意深くホロの後ろへ回り込もうとす
ると、尻尾の動きがぴたりと止まる。自分が動きやすいようにとホロの気遣いだと思ったが、単
に大事な尻尾を踏まれないようにしただけかもしれない。
どっちにしろこの場面でホロの尻尾を踏むことはロレンスにとって非常にまずい結果を呼ぶこと
になるのは確実である為、どんな理由であれホロが大人しくしてくれるのは有難い。
尻尾の位置を確認しながらホロの後ろに回りこんだロレンスは、ホロに添い寝をする様に身体を
並べた。シーツは顔しか隠していないので、ロレンスからはただホロが向こうを向いて寝ている
だけに見える。
こんな事は今までもあった。大食らいのホロのおかげで、同じ寝床で一夜を過ごす羽目になった
事も何度かあるし、寒い季節の野宿では荷台の隅に身を寄せ合って寝る事も多い。
だが、今はそんな理由で二人が一緒に寝ている訳ではない。ホロはロレンスに抱いてもらう為、
ロレンスはホロを抱く為にこうしているのだ。
尻尾とは対照的にせわしく動く可愛い耳を見ながら、ロレンスはいよいよ覚悟を決めた。
夜の森の中を明かりも持たずに歩きまわるようなものでこの先二人がどうなるかは全く分からな
いが、とにかくホロが望んでいるのだ。できる限りのことをしてやろう。悩むことがあるのなら
その後でもいい。
ロレンスはそう胸の中で呟いて小さく深呼吸をすると、ホロの肩にかかる髪にゆっくりと手を伸
ばした。

334: 2007/09/30(日) 17:34:05 ID:VT9NxmdM
尻尾と違い、たいして手入れなんかしてない筈なのにいつ見ても綺麗でほんのりと甘い匂いがす
る亜麻色のそれをうなじの辺りから優しくどかすと、ろうそくが作る影のせいでその白さは少し
失われてはいたが誰が見ても一目で分かるほどのきめ細かい肌を持つ肩と背中が現れた。
触れてみたい。湧き上がる気持ちそのままにロレンスが指でそっと触れると、ホロはまるで熱い
ものを押し付けられたように身体を反らせた。そのまま指を腰の方に滑らせると、ホロはくすぐ
ったいのか背中を指から逃げるように動かしながら尻尾でロレンスの腕を叩きだしたが、ロレン
スがお構いなしに指を尻尾の付け根まで滑らせると、顔を隠していたシーツで素早くそこを隠し
てしまった。
「これ、そこは駄目じゃ」
声でも分かったが、そう言って顔を上げてロレンスを諌めるホロの顔はやはり不機嫌そうだ。
「じゃあ、何処ならいいんだ」
手持ち無沙汰になった手でホロの腕を掴み軽く引っ張ると、ホロは抵抗することも無く仰向けに
なった。手に持っていたシーツが胸から腰の辺りまでを隠しているホロの姿は、ロレンスでも一
度は教会で見た事があるような名画のように美しく、少し暗めの明かりのせいで艶かしささえ感
じられる。
とはいえそんな感想を言った所でホロは喜びそうも無いので口に出すのはやめておいた。
「そんなことはわっちの口からは言えぬ」
「言えぬって言われてもな…そういう事は先に言ってくれたほうが俺としてはやり易いんだが」
そう言った後で気づいたが、ホロは人の形を成しているとはいえ尻尾やら耳やら牙などが生えて
いるのだ。もしかするとロレンスには分からないが人に触れられたくない微妙な部位があるのか
もしれない。
不機嫌そうに小さな溜息を天井に向けてつくとホロは目を瞑ってしまった。
「先には言えぬが…そうじゃな、ぬしが触れてはならぬ場所はその都度教えてやろう」
なんの解決にもなってない提案には驚いたが、こんな時ですら手綱を離そうとしないホロには思
わず感心した。なるほど、どんな事でも主導権を握ることは自分にとって有利に事を運べるのは
間違いない。ホロに好きだと言ったあたりは自分のほうに主導権があったような気がするが、ど
うやら気のせいだったようだ。
経験の差を主導権で埋めたいロレンスだが、じっくり考える暇をホロは与えてはくれない。
「大体じゃな…ぬしはちゃんとできるのかや」
顔を上に向けたまま薄く開いた目でロレンスを睨みつける。

336: 2007/09/30(日) 17:36:11 ID:VT9NxmdM
まったくぬしは雌の気持ちを分かっとらんの、空気を読んでじゃな──」
「──あのなぁ、俺は俺で考える事があったんだ」
「何を考えておったと言うんじゃ」
「それはだな、その…なんだ」ホロにはちょっと言いにくい。
「下手の考え休むに似たりと言っての、どうせいらん事でも考えておったんじゃろ」
嘘は許さんとばかりに赤い瞳がまっすぐロレンスを見据える。
「いらん事じゃない。俺にとっては大事な事だったんだ…大体だな、俺が何を考えてただなんて
その気になればお前ならすぐに分かったんじゃないか」
「ぬしはわっちに読むなと言ったじゃろ。忘れたかや」
「でも顔で分かるんだろう」
「顔を隠していたから分かりんせん」
そう言って尖らせた口から舌を出すホロを見たら、つい顔がにやけてしまった。だからその後で
言った台詞も呆れ半分、笑い半分だ。
「…口の減らない狼だな。こんな時だ、もう少し静かにできないのか」
そう言われたホロはかちんときたらしく、怒りのせいかさっと顔を赤くしたかと思うとロレンス
を挑発するように言った。
「口は一つしかありんせん。減らせるものなら減らしてみ──」
その先は言わせなかった。ロレンスは自分でも驚くくらいの速さでホロの顎を掴むと強引に自分
の方に向けてから唇を重ねた。目を閉じる寸前にホロが驚くのと同時に視界の端に小さな拳が見
えたが構いはしなかった。
ホロがどんな顔をしているのかは分からないが、口づけの一瞬後にロレンスの頬に触れたものは
小さくても当たれば痛いいつもの拳ではなく、しっとりとやわらかく暖かい掌の感触だった。
暫くその感触を味わってからロレンスが唇を離して目を開けると、ホロはぶるりと身体を震わせ
てからゆっくりと閉じていた目を開けた。口づけの間ずっと止めていたのか大きく息を吐くと、
ロレンスの鼻に甘い香りがほんのりと入ってきた。
「…たわけ。こんな口の減らしかたがあるか」
嬉しいのか恥ずかしいのかよく分からない顔でそういいながら、ホロはロレンスの頬を優しく撫
でた。
「こんな方法しか思いつかなかったんでな」
言いながら顎を掴んでいた手をホロの手に重ねる。
「ぬしにしては上出来かや…じゃが、あんまりわっちを驚かせんでほしいの」
「…すまん」
ロレンスがそう言うとホロはくふっ、と笑うととびっきりの甘えた顔で囁いた。
「…優しくしてくりゃれ?」
潤んだ瞳でホロが言った言葉。それは二人が初めて出会った時にも聞かされた言葉だった。
あの時ロレンスは身体か固まり確か何も言い返せなかった覚えがある。今も咄嗟に気の利いた台
詞が出てこない。
だが、言うべき言葉は出てこなくてもロレンスは心配はしない。
ホロへの答えを表すのに無理に言葉を使わなくてもいいのだ。
ロレンスは重ねていた手を離しホロの頬に添えると、できる限り優しく口づけをした。

360: 2007/10/21(日) 18:04:25 ID:C/r87pkF

「ホロ……」
声をかけたはいいが、続く言葉が見当たらない。ホロも何も答えようとはしなかった。
だがこれで気持ちが伝わったはずだ。
ロレンスは一呼吸おいてから腰に力を入れ、ゆっくりとホロの中に入った…かと思ったが──。
「まっ!待ってくりゃれ!」
力の限りロレンスの手首を握ったかと思うとホロはそう叫びながら自分の腕を突っ張らせ、あっと
いう間にロレンスから離れるのに成功した。
「──なっ!?」
驚いたのはロレンスだ。何せこれからという時にホロが逃げ出したのだ。
開かれていた両膝がいつの間にかロレンスの進入を防ぐように立てられいて、さらにその奥では尻
尾が大事な所を隠すように張り付いている。
そんな尻尾とホロの顔を交互に見ながら頭に浮かんだのは自分がとんでもない失敗をしでかしたの
ではないか、という不安だった。今のところ決定的な失敗をした覚えは無い、気がする。
こればっかりは自分では分からないので確信は持てない。
だが、ホロの顔を見ているうちにそんな不安は段々と薄れてきた。何故かというと、ホロがやけに
申し訳なさそうな顔をしていたからだ。
肩をベッドの端の壁につけた格好のホロは、未だロレンスの手首を握ったままの自分の手を黙って
見つめていた。
こうしていても埒が明かない。ロレンスはホロに訊いてみた。
「…ホロ。一体…どうし──」
「──やっ、やっぱり怖いな…」
「怖い…?」
「…うん。…は、初めてのことは何だってそうじゃろう?」
上目遣いにロレンスを見つめるホロに「まあ…」な、と言いかけてロレンスは慌てて口を閉じた。
今ホロは何と言った。初めてだ、そう、ホロは初めてだと。
「は…初めてだって?」
「……ん」
頷きながら目を逸らすホロを見ても、ロレンスには信じられなかった。
そんなに経験豊富ではないのかもしれない、という雰囲気はあった。だが全く初めてとは思えない。
「だって、お前…あんな事言うやつが、俺みたいに…」
ホロは俯いたままじっとしていたが、やがて小さく息を吐くと諦めたように話しだした。
「…あれは…その、なんじゃ…ぬしを、その気にさせる為の…そう、方便であって…」
「方便?」
「うむ…そうでもしないとぬし…わっちを抱いてくれんじゃろ?…そう思っての」
「ちょっとまて」
ホロの話を止めさせてロレンスは頭を嵐に耐える風車のように回転させる。
方便、つまり嘘でもつかないと、という事はホロは男と女の営みの事をよく知っている経験豊富な
自分を演じていたらしい。しかし、簡単に演じていたと言っても無理があるだろう。
経験は知識に勝るという。全てがそうだとは思わないが、こういった事はそれなりに実体験がなけ
れば、おいそれと嘘の演技はできないと思う。
まさか、禁書とされるような妖しげな書物を読んだ事でもあるんだろうか。
そんなホロの姿を頭に浮かべながらロレンスはホロに問いかける。
「じゃあ、あの時言ってたのも…はったりだったのか」
「…あの時とは?」
「脱がせるのが好きとか、お手並み拝見とか…あと、俺のを見て誰かと比べるような言い方をして
ただろ」
申し訳なさそうだったホロはますます居心地悪そうにもじもじし始めた。
「あれは…」
ロレンスは固唾を呑んでホロの次の言葉を待った。
「…勉強の…おかげかの」

442: 2007/12/03(月) 16:55:16 ID:rfT/6HcM
すぼめられた唇が一気に根元のほうまで行くが、真ん中あたりで止まってしまう。
悲観するほど小さくもないが人に自慢するほど大きくはない、そんなロレンスのものでも魚やパンと
は勝手が違うようで、ホロの小さな口には収まりきらないようだった。
ホロは溜息のように息を吐くとロレンスのものを口から出す。そして軽く手の甲で口を拭うとロレン
スのものを舌で舐め始めた。
ぶらつかないように根元をしっかりと握っている手の辺りから先端までを何度も舌で往復させると、
今度は少し余っている皮の皺を伸ばすように指で引っ張りながらその部分に舌を這わせる。
少し色が変わっているそこが、いつもよりも敏感になっている事に驚いていると、さらにその上にある
傘の裏側を、ホロは舌を尖らせてから丹念に舐めだした。
ロレンスのものと自分の顔を巧みに傾けつつ全周を舐めてから一気に先端を口に咥える。
手を動かしている時は口を休め、手が疲れたら口を前後に動かす。
亜麻色の髪を優雅に揺らせながら常にロレンスのものに刺激を与え続けるホロにロレンスは愛しさを
感じないわけがなく、知らないうちにホロの頭を優しく撫でている自分に気付いた。
ホロも満更ではないようで上目遣いにロレンスを見る目は嬉しそうに見える。
自分の手でする時とは違うのか、もうすぐ出そうだった子種も少し落ち着いてしまった感じだ。
子種が出るまで手を休める事なく、必氏に自分のものを擦るのとは勝手が違う。
「…ぬしよ、まだ出んかや?」
口を離してから、ほんの少しだが疲れを含んだ声でホロが訊いてきた。
慣れない事もあって疲れるのも当然だろう。
「もう少しだ…手だけでいいからもっと早く動かしてくれないか」
「…うん」
ホロが握りなおした手を前よりも早く、大きく動かし始めるとロレンスのものもそれに呼応するよう
に力が満ちていく気がする。
先端から出だした汁がホロの指を濡らし始めると、あの湿った音がまた部屋に響きだした。
勢いあまって指が傘の部分にぶつかる度に、腰を引いてしまいたくなる刺激がくる。
もうすぐだ。一瞬、子種でお互いに汚れる事を心配してしまったが、一度高まってくるともうどうにも
ならなかった。
「…ホロっ…もうっ…」
そう言われたホロは何故かロレンスのものを咥え、さらに手を激しく動かしだした。
もう子種が出るというのに咥えたホロに驚いたが、限界まで高まった快感に逆らえるわけがなかった。
「─────っ!!」
今までにない、驚くほどの快感がロレンスを襲った。その快感はホロのように口から出そうになるが、
何とかそれは歯を食いしばることで耐える。
その代わり快感は口ではなくロレンスのものからほとばしった。
どくっ、どくっ、とこれでもかと言わんばかりに先端から放出されるそれを、手を止め、息すらも止め
てホロは目を閉じて受けとめる。
ロレンスの腰に鈍痛が走った。まるでつったような痛み。
知らないうちに腰が浮いていたのにロレンスは気付く。
静かに腰を下ろすとホロの頭も一緒についてくる。どうやら口を離せないようだ。

443: 2007/12/03(月) 16:56:11 ID:rfT/6HcM
「…大丈夫か」

「ホロ、大丈夫か」
顔を上げたホロはさっきと同じように指で口を押さえて頷く。

その顔は意外にもしかめっ面などではなく、恥ずかしさと嬉しさが交じり合った顔。
見ようによっては自分のした事を褒めて貰いたい子供の顔にも見えた。
ホロのそんな顔を見るのは初めてだな。そんな事を思いながらロレンスはホロの顔を両手で引き寄せる。
「…ありがとな」
「これ、まだ…ん…」
唇を塞がれたホロは逃げるような抵抗をほんの少ししていたが、すぐに諦めたように大人しくなるとロ
レンスの舌におずおずと舌を絡ませてきた。
やがてロレンスが口を離すと名残惜しげにその唇を見詰めながらホロが囁いた。

444: 2007/12/03(月) 16:57:03 ID:rfT/6HcM

「ぬしは優しいの」
「俺は意地悪、じゃなかったのか?」
ホロはくふふ、と笑うと指でロレンスの胸をぐりぐりと突きだす。
今の口付けでは本当に苦さを感じなかったロレンスだが、実際に子種を飲んだホロはまだ口の中に苦さが
残っているのかもしれない。確か机の上の水差しに水がまだ残っていた筈だ。
「待ってろ。今、水を持ってきてやる」
そう言って立ち上がりベッドを降りると、ロレンスの背中越しにホロの声が聞こえた。
「なんじゃ、上等な酒ぐらい飲ませんかや」
「…晩飯の時に散々飲んだだろ。寝る前は水で十分だ」
寝る前のいつものやり取りすらもこんな時では心地いい。ロレンスからは見えないが、ホロが笑っている
のは口調で分かった。
「俺も飲みたいんだ。全部飲むなよ」
ロレンスは緩んでくる頬を手で押さえながらコップに残っている水を全部注いだ。



机の上に立てた獣脂のろうそくは随分短くなってはいたが、いまだこの部屋に光と暖かさを与え続けてい
た。辺鄙な村の宿とはいえ、見た目はともかく部屋の作りはしっかりしたものらしい。
その証拠にろうそくの火に揺らぎがないし、暖房を使っているわけでも無いのに部屋はろうそくのおかげ
でそれなりに暖かい。
ベッドの端に座ったまま横に視線を滑らせると胡坐をかいたホロの白い足が見えた。
その上に横たわる亜麻色の尻尾を素通りしホロの横顔に視線をとめる。
元々綺麗な顔立ちなのだが横から見るとその美しさが一層際立って見える。
尻尾を指で鋤いているだけなのに、その横顔はずっと一緒に旅してきたロレンスすら見とれてしまうほど
だった。
ロレンスは不思議に思う。笑ったり、甘えたり、拗ねたりするホロは可愛いのに、何故こんな時のホロは
綺麗に、しかも少し大人びて見えるのだろう。
可愛さと綺麗は別物なのか。
膝に寝かせた幼子の髪を撫でる母親にも見えるホロを、ロレンスはきっと穴があくほど見ていていたのだ
ろう。ホロは尻尾を鋤く指を止めると、下を向いたまま呆れたように溜息をついた。
「…で? ちっとは反省したのかや?」
「……さっきから反省してると言ってるだろ」
ロレンスもつい溜息が出そうになったが、何とかそれを飲み込んだ。
これで三回目のやり取り。どうやらホロの機嫌は、まだ傾いたままのようだ。


445: 2007/12/03(月) 16:57:32 ID:rfT/6HcM
「反省しとるようには見えんのじゃがな」
見えないのはホロが尻尾しか見てないからだと思ったが、それを言うとさらに機嫌が悪くなるのは確実な
のでロレンスは黙っておく。
俯いたホロの横顔から尻尾に視線を移して見れば、確かにホロに悪い事をしたとは思う。
恐らくロレンスがホロの蜜で汚れた手で尻尾を触ったのが原因だろう。
ロレンスに延々と説教を垂れながら、食んだり、手櫛を入れたりして尻尾を整えていたホロのおかげで多
少は元に戻ってはいたが、それまでは見るも無残な状態だったのだ。
どれくらいかと言うと、水を飲み終えたホロが一息ついていつものように尻尾に手をやった途端、口をあ
んぐりと開けその場で固まってしまったぐらいだ。
あの、まるでそこらの納屋に転がってるくたびれた箒のようだった尻尾を、よくここまで綺麗にしたもの
だ。そんな気持ちが顔に出ていたのか、いつの間にかロレンスを見ていたホロが片眉をひくつかせた。
「全く、誰のせいじゃと思うとるんじゃ」
「悪かった。心から反省してる」
軽く頭を下げて態度で示すと、ホロの機嫌も少しはよくなったようだ。
「…まだまだ言いたりぬが、あまりぬしを責めてもかわいそうじゃしの…勘弁してやるかや」
ホロは口元を綻ばせると、まだ完全には元に戻ってない尻尾の撥ねた毛を愛しげに撫でた。
こんな時のホロは可愛いとも綺麗とも違う、何とも言えない顔になる。
ホロが決して他人には見せない顔だ。なんと表現したらいいのだろうか。
柔らかい。暖かい。優しげな。
ロレンスはそんなホロの傍にこれからもいたいと思う。好きなのだから当然な気持ちではある。
だが実際にはかなり無理な話だ。
ホロは年を取らない。いつまでも娘のままだ。そんなホロといつまでも一緒に過ごせるわけがない。
ロレンスの夢は、いつか自分の店を持つこと。時が経ちロレンスが年相応に老けていく横で、いつまでも
若いホロは嫌でも目に付く。
このまま行商人として町を渡り歩いても、それは同じことだろう。一度でも妙な噂が立ってしまえばそれ
を引っくり返す証拠を出すことができないロレンスにとっては、商人としてやっていけなくなる。
そう、現実は厳しいのだ。ロレンスは心の中で溜息をつく。
大体、ホロが一緒にいてくれるのかもすら分からない状況ではこんな事を考えても仕方がない。
ロレンスはホロの顔から尻尾に視線を移す。
自分はホロの事が好きだ。だが、ホロの気持ちはどうなのだろうか。
何故、俺に抱いてもらおうと思ったのか。
ホロは見栄だと言う。だがそれだけではないとも言った。
その理由が好きだから、というのはロレンスの自惚れだろうか。
女というものは、嫌いな男に自ら身を任せることはしないものだ。もちろん、止むを得ない事情があれば
別だが、ホロと自分の間ではそんな事情は見当たらない。
ホロは誇り高き賢狼だ。そんなホロが好きでもないのに唇や肌を重ねるなんてまず考えられないし、まし
てや進んで子種を口にするに至っては自分の事が好きだとしか思えないが、絶対にそうだとも言い切れな
い。

446: 2007/12/03(月) 16:58:26 ID:rfT/6HcM
ホロ自身がその事について何も言わないからだ。ロレンスの想いに対しては素直に嬉しいとは答えてくれ
たが、ホロがロレンスをどう想っているのかははっきりとは言っていない。
ホロの今までの態度や表情を見れば、ホロは自分の事が好きに決まっている。
では何故、ホロは言ってくれないのか。
尻尾を撫でる細い指を目で追いながらロレンスはもしかしたら、と思いつく。
ホロは自分の想いを言わないことで、いずれ訪れる別れに備えているのかもしれない、と。
賢いホロだってこのまま二人で旅を続ける事が無理だという事は分かっている筈だ。
自分のせいでロレンスの夢が叶えられなくなるのが辛いのか。それとも、お互いが想いを伝えあってしま
えば、別れは絶望的に辛くなる。その辛さを和らげる為にわざとロレンスに言わないのだろうか。
必ずくる別れの時にホロは、ロレンスの事を好きでも何でもなかった、一緒に旅をしたのも只の気まぐれ
だった、だから自分は悲しくない、ロレンスにも今までの事は忘れて一人前の商人になれと言うつもりな
のかもしれない。
その時、なんて答えればいいのだろう。どんな顔をすればいいのだろう。ホロに何をしてやれるのだろう。
そんなつまらない、本当につまらない考えからホロの声が現実にと引き戻した。
「…何を考えとる」
「あ…いや……櫛は使わないのか? と思ってな…」
何を考えていたかなんて言えないので咄嗟に誤魔化すと、ホロは笑った顔を左右に振る。
「こんなに毛が固まっておったら、櫛なぞ通るわけなかろう。食んで柔らかくして、指で解して、それか
らじゃ」
出来の悪い弟子に教えるように言った後、ホロは微笑んだまま溜息をついた。
「……で?ほんとはどうなんじゃ?」
「何が?」
「わっちの尻尾のことなんか考えておらんじゃろうが」
何故か少し困ったような顔で言うホロを見て、ロレンスは暫く悩んだが、ついに覚悟を決めた。
ホロの顔を見据え、出来るだけ真剣な顔で言う。
「ホロ……お前の気持ちが聞きたい」
ホロの顔から笑みが消えた。だが、もう後戻りは出来ない。
「俺はお前が好きだ……だが、お前は…俺の事をどう想っているんだ?」
ホロは何も言わないし、ぴくりとも動かない。視線すらも動かさず、ただずっと尻尾を見詰めていた。
風の音も聞こえぬ静寂の中、お互い口を開かずどれくらい経ったのだろうか。ホロは突然立ち上がるとロ
レンスに言った。
「……もう寝るかや」
ホロは驚くロレンスに背を向けると、さらに言葉を続けた。
「わっちは疲れた…ぬしも疲れたじゃろう。ぐっすり寝て明日に備えんとな」
「ホロ…お前」
ばさっ、とホロの尻尾がロレンスの顔を優しく叩く。まるで黙っておれというように。
腰に手を置いて振り返ったホロは、背中越しにロレンスの顔を見て呆れたように笑った。
「…全く…なんて情けない顔をしとるんじゃ。そんな顔ではどんな商談でも向こうから断ってくるじゃろ
うよ」

447: 2007/12/03(月) 17:00:20 ID:rfT/6HcM
ロレンスが何も言えずに黙っていると、ホロはもう一度尻尾でロレンスの顔を叩いた。
「わっちはもう寝る…明日から色々と忙しくなるからの。ぬしも寝るがよい」
こんな時なのにロレンスはホロの台詞に疑問を持った。明日から忙しくなるとはどういうことなのか。
朝早く宿を発つわけでもないし、いつもホロは起こすまで寝ているのだから忙しいなんて事はない筈だ。
「…何が忙しいんだ?」
言ってからロレンスは気づいた。もしかして遠まわしな別れの言葉なのかと。
だが、ホロの返事は違っていた。
「ぬしはほんとに分かっとらんの……ぬしのせいじゃろうが」
ホロは尻尾をロレンスの顔の前で左右に振った。なるほど、多少は綺麗になったとはいえ尻尾の毛はとこ
ろどころ跳ねている。しかし、尻尾の手入れならいつもやっていることだ。なにも明日から急に忙しくな
る理由ではない。
そんな疑問が顔に出たのだろう。そんなロレンスを見たホロは呆れたような顔をしていたが、顔が少しず
つ赤らんできたかと思うとその顔は、何故か恥ずかしげな表情になった。
「……わっちは明日から忙しい。何故かと言うとじゃな…自分の可愛い尻尾の手入れの他に…」
そこまで言うとホロはわざとらしく大きく溜息をついた。
「…ぬしの尻尾の面倒も見んとならんからの…」
小さいが、はっきりとした声で言うとホロはロレンスから顔を逸らした。
ロレンスは頭の中が真っ白になったのが自分でも分かった。さっきと違う意味で何も言えない。
口を半開きにしたロレンスが見つめる間にホロの白い身体がみるみる朱に染まっていく。
「ホロ…」
何とか口から出すことが出来た言葉にホロは向こうを向いたまま頷いた。
「…わっちはぬしの尻尾の面倒を、これからもずっとしてやりたい…これで勘弁してくりゃれ」
ホロは飽くまでもロレンスに好きだとは言わないが、ロレンスは十分すぎるほど満足した。
今の言葉はロレンスの事を好きだと言ったも同然だからだ。
「……寝る」
そう言うとホロはベッドに上がりロレンスに背中を向けると、赤い身体を隠すようにシーツにくるまった。
ロレンスが感慨深げにそのシーツを見つめているとホロのくぐもった声が聞こえた。
「何をしとる、背中が寒いじゃろ。ちゃっちゃとこっちにこんか」
ホロの背中がシーツから出ているようには見えないので、ロレンスは緩んでくる頬を手で抑えながら
言ってやる。
「そうは見えないがな。尻尾があるんだ、俺よりかよっぽど暖かいだろう」
「たわけ。尻尾を抱いていても暖かいのは前だけじゃ」
ホロはシーツから出した顔をロレンスに向けると、とびっきりの甘えた顔で囁くように言う。
「だから…背中はぬしが暖めてくりゃれ?」
「…喜んで」
きっとホロも分かっている。この先、二人の関係がどうなるのか。
分かっていながらもこっちを選んだのだ。楽しい事ばかりではなく、辛い事も山のようにあるだろう。だが
それでもホロは一緒にいる事を望んだ。だからロレンスも何も言わない。いずれ自分の夢とホロを天秤に掛
ける事になるかもしれないが、せめてその時まではホロとの時間を大切に過ごしたいと心に誓った。
ロレンスがベッドに上がるといつの間にかこっちを向いたホロがシーツを捲って待ち構えていた。
「俺が暖めるのは背中じゃなかったのか」
ホロの横に身体を並べながらそう言うと、ホロは口を尖らせた。
「どうせ暖めてくれるんなら、こっちが良いに決まっとる」
そういうとホロはロレンスの頬を両手で挟むと短く唇を重ねた。
「…いいじゃろう?」
「いいに決まってるさ」
嬉しそうに微笑むホロをロレンスは強く抱きしめる。お返しにホロもロレンスを抱きしめてきたが、ロレン
スの背中にまわした腕はすぐに糸が切れたようにずり落ちてしまった。
気がつけばロレンスの腕の中でホロは寝息を立てている。
本当に今日は疲れたのだろう。ロレンスはホロを起こさぬよう頭の下になっていた腕をそっと抜いた。
さすがに一晩中、腕枕はきつい。
そういえば、ろうそくを消してない事に気づいたが、いまさら消しにいくのはやめておく。
ろうそくも勿体無いが、それよりもホロの傍を離れるほうが勿体無い。
そんな考えでは商人失格かな、とは思ったがこんな時ぐらいいいだろうと思い直してロレンスは目を閉じた。
ホロの寝息がまるで子守唄のようにロレンスの身体に染みこんでくるのを、心地よく感じながらロレンスは
今までにないくらい、安らかに眠りについた。

448: 2007/12/03(月) 17:08:22 ID:rfT/6HcM
しまった。最後に──了──とか入れるの忘れてしまった。
今までありがと。誤字脱字、誤用やらなんやらでさぞ読みにくかったと
思うが勘弁してほしい。
何度も言うが待っていてくれた人、ありがと。
1もありがと。自分じゃ板を立てれないので感謝感謝。
俺のSSでも少しは賑やかしにはなったんじゃないかと思う。
こんな感じでよかったらまたくるよ。じゃあな。


引用: 【狼と香辛料】支倉凍砂作品のエロパロ