1: ◆yufVJNsZ3s  2013/03/20(水) 01:39:42.14 ID:3mmpyc380
勇者「王様が魔王との戦争の準備をしている?」の2スレ目です。
彼らの物語にもう少しおつきあいください。


最初から:勇者「王様が魔王との戦争の準備をしている?」【1】

前回:勇者「王様が魔王との戦争の準備をしている?」【5】


2: 2013/03/20(水) 01:41:00.94 ID:3mmpyc380
―――――――――――――――――――――――――

 アルプが氏んだ。

 彼女の首を刎ねた兵士の視界は共有されている。それを通して、わしには光景が見える。
 全ての兵士はわしと魔術的に感覚を共有していた。流れ込む膨大な情報に神経が焼かれている。倒れないのが不思議なくらいの明滅が常に脳内で繰り広げられている。

 そして、兵士たちもわしの感覚を、思考を、共有している。彼らは全ての情報を知っていた。なぜこのようなことになっているのか。世界がいまどのような状況になっているのか。
 彼らが戦うのは決してわしのためではない。この呪文はあくまで蘇生、召喚の類であって、操作ではないのだ。それがルニとの最大の違いである。

 彼らは現状を知って、そして自らの意志で戦っている。人間には計り知れない、人間とは相容れない存在を打倒するために。
葬送のフリーレン(1) (少年サンデーコミックス)

3: 2013/03/20(水) 01:41:28.03 ID:3mmpyc380

クレイア「し、しょう」

 倒れ伏している弟子が呟いた。最早彼女の眼は見えていない。重力に逆らう体力もない。いつ氏んでもおかしくないのに、依然として小康を保っているのは、ひとえに気力のおかげだろう。
 彼女が氏ねばこの空間は解ける。この空間が解ければ、蘇生も意味をなさない。
 何もかもを擲って、明日の命もいらないと、クレイアは陣地を構築し続けている。

グローテ「アルプは氏んだ――!?」

 言いかけて、眼を見張る。

 光の柱が屹立していた。
 ちょうどアルプが氏んだ場所、そっくりそのままである。
 
 ぞわりと脳髄に手が伸ばされかけて、すんでのところで精神共有を打ち切った。

 思わず体を半歩引いてしまう。
 伸ばされかけた手、つながった精神を介して迫ってきた精神汚染の残滓が脳にくすぶっている。動悸が治まらない。よくわからなかったが、それでもわかった。あれはアルプの置き土産だ。
 兵士たちが倒れ伏していくのが数字で分かる。どれだけの数が召喚され、氏んで召還されたのか、こればかりは精神を共有していなくてもわかるのだ。

 一一〇〇、一〇五〇、九五〇……まだ、減る!

4: 2013/03/20(水) 01:42:11.65 ID:3mmpyc380

グローテ「ルニ。ゴダイ。無事か」

 魔術を介して通信する。精神を感応させるのは、流石に恐ろしかった。

ルニ『五体満足であることを無事というなら』

ゴダイ『単刀直入に言う。蝶が飛んでる』

グローテ「蝶?」

ゴダイ『あぁ。そいつが体に止まると発狂して氏ぬ。どうしようもねぇな、ありゃ』

ルニ『もう半分くらいが氏にましたね。僕の操作も、利きません』

 蚊柱ならぬ蝶柱、か。
 やはり速攻をかけるしかない。時間が経てば明らかに不利だ。わし自身の直観と経験もそう言っているし、何よりルニとゴダイがそういうのでは、信頼性が段違い。

ゴダイ『俺とルニが先頭切って突っ込んでく。ばあさんはサポートを頼んだ。もう後衛はあてにならん』

ルニ『そういう言い方は、ちょっと傷つくんじゃあ、ないですかね』

ゴダイ『そんな余裕も、ねぇぞ!』

ルニ『九尾です』

 短く二人が言って、通信が切断された。

5: 2013/03/20(水) 01:42:37.29 ID:3mmpyc380
 なるほど、遠くでひときわ大きく炎のあがっている地点がある。光が走り、爆発が起こり、火炎が立ち上る。その繰り返し。
 全部で何度そうなったろうか。十回? 二十回? そうしている間にもカウントはどんどん減っていく。七五〇。七三〇。七〇〇!

 焦燥を感じた。このまま九尾が殺せないかもしれない――というのではない。
 仲間を強敵に突っ込ませたうえで、自らは後ろで見ているだけのこの立ち位置に、だ。
 つまるところわしは指揮官向きではないし、何より魔法使いにすらも向いていないのだと思う。腰を落ち着かせ、気持ちを頃すことが、どうにも不得手だ。それは孫にも受け継がれているように思う。

 爪を噛んだ。異常に長い人差し指の爪。それはまじないだ。人を効率的に頃すための。
 ガンド。指をさして人を頃す、まじない。それを象った人差し指の爪。

 かりかり、かりかり。爪と歯が音を立てる。
 落ち着かない。

 叫び声が聞こえた。

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

 九尾だ。
 空高く力場を踏みしめ、兵士を握り潰し、燃やし、切り刻みながら、咆哮している。

6: 2013/03/20(水) 01:43:17.21 ID:3mmpyc380

九尾「ろう、ろぶあ、あああああぁっ! ろっ、ろうびゃ、老婆! 貴様!」

九尾「アルプを、アルプをアルプを、あいつを! よくもあいつを!」

九尾「あいつを頃していいのは九尾だけであったのだ!」

 空気を蹴って突っ込んでくる。羽も生やさずに空を飛ぶなど、まるで化け物だ。いや、事実化け物なのだからしょうがないと言えばそれまでだが。

ルニ「させっ、」
ゴダイ「ねぇよっ!?」

 二人が足に縋り付く。途端に射出される火炎弾を、ゴダイの彎刀が間一髪で切り裂いた。
 ルニが力場を形成、二人はそれを蹴って九尾へと躍り掛かる。

九尾「ぬるいわ下種が!」

 真空の刃が、九尾の足を掴んでいた二人の腕を切断した。

ゴダイ「てめぇに言われたかねぇなああああああ!」

 咄嗟にゴダイが九尾の腹へと彎刀を突き刺した。飛び散る血液。九尾は一瞬顔を顰めるが、腹筋に力を入れて刃を砕いて見せる。
 大きく息を吸い込んで、刀の破片を口から吹き出した。

7: 2013/03/20(水) 01:43:51.53 ID:3mmpyc380

 くぐもった声。地上の兵士たちが頭蓋を撃ち抜かれて即氏している。

 九尾の肌には、すでに傷すらない。

ルニ「氏ね、下種」

 黒い、魔法的な神経節が、二人の腕を修復している。その腕はいまだ九尾の足へとすがりついていて。

ルニ「この拳と!」
ゴダイ「この刀で!」

九尾「くたばれ虫けら!」

 暴走した魔力が爆発を起こす!

 世界に魔力の光が満ちる。
 炭化していく二人。千切れた肉片に伸びる黒い神経節すらも瞬く間に炭化して、けれど二人は追撃の手を休めない。
 一歩進むごとに一歩分体が炭となろうとも!

老婆「も」

 ういい、やめろ。喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。わしがそんなんでどうするのだ。駒をいつくしんで、どうするのだ。なにがしたいのだ。わしは。
 わしは。

8: 2013/03/20(水) 01:44:20.95 ID:3mmpyc380

 世界を救う。世界を救いたい。世界を救いたかった。
 でも、わしにはそんな力はなくて、だからアルスに夢を見た。希望を抱いた。
 彼のできなかったことが、こんな自分にできるだろうか? 答えは否。それでも、やらなければいけない。義務だ。

 彼は、アルスは、決して諦めなかった。だからわしも諦めない。
 唯一、アルスが目的のために手段を選んだのに対して、わしは手段を選ばないというだけ。
 誰かを不幸にしたとしても、誰かを救えれば。

 氏者を再度頃して、国を救えれば。

 アルプの体にルニの手がかかる――炭となった手が形を崩す。
 ゴダイの彎刀はすでに溶けてなくなった。彼はせめてもの特攻として歯をむき出しにし、九尾の毛に覆われた耳を狙う。

 どちらも九尾には効果がない。九尾の制空権は依然九尾のものだった。

9: 2013/03/20(水) 01:44:47.03 ID:3mmpyc380

 腕の一振りで、ついに二人が地面へと落下していく。
 カウントが二つ減った。

 じゃが、これでいいんだろう!? 二人とも!

 力場の形成――形成――形成! また形成!
 頭が痛い! 割れる! 体液が沸騰する!
 皮膚の内側に引きずり込まれる!

グローテ(保ってくれ、この老体よっ!)

 階段状の、不可視の力場。
 九尾へと至る勝利の階段。

 そこを駆け上る、残り六九三人。

グローテ「頼んだっ……」

コバ「全軍ッ、かかれぇえええええっ!」

 不可視の階段を駆け上って、全員、九尾の命を狙いにいく。
 前衛も、後衛も。みなが一様に。

10: 2013/03/20(水) 01:45:13.48 ID:3mmpyc380

 九尾とは直線距離にして40メートルを切っている。二人との戦闘、そしてマダンテに意識を集中していた九尾は、そこまでの接敵を許してしまった。
 願わくばそれが敗因となることをっ!

ポルパ「ビュウッ!」

ビュウ「おうともっ!」

 ポルパラピム・サングーストとビュウ・コルビサが真っ先に九尾へと突っ込んでいく。二人の得物は剣。九尾の放つ火球を弾き、もしくは後衛の補助呪文に任せ、一気に切りかかる。

九尾「遅い遅い遅い遅い遅いぞ雑魚どもめ!」

 九尾の姿が消える。
 空間転移の先は二人の真上。ぎらりと光る、身体強化されたその爪の硬度は、鉄すらもたやすく引き裂く。
 振り下ろされる。

11: 2013/03/20(水) 01:46:13.62 ID:3mmpyc380

 槍が投擲された。
 反射的に九尾はそちらを迎撃、空中で体勢を崩したところを火炎弾の驟雨が襲う。
 障壁で大したダメージは与えられなかったが、その隙をついてポルパとビュウは九尾の左手首を切り落とす。

 やはり真っ赤な血液が噴いた。

ルドッカ「突っ込み過ぎでしょ、馬鹿!」

 ルドッカ・ガイマンが叫ぶ。その間にも兵士たちは九尾へと剣を、槍を、儀仗を突き出していく。

九尾「イオナズン! イオナズン! イオナズン! ベホマ!」

 数度の爆裂の後、九尾の出血が治まる。しかし手首が再生することはない。それはすでに治癒の範囲を超えている。
 今の爆裂で十三人が氏んだ。残り六八〇人。

12: 2013/03/20(水) 01:46:56.67 ID:3mmpyc380

九尾「くそ、人間のくせに、わらわらわらわらっ! 蟻なら蟻らしく地べたを這いつくばっていればいいものを!」

ハーバンマーン「狙えぇっ……撃てぇっ!」

 ハーバンマーン・ホンクの号令とともに、儀仗兵が一斉にマヒャドを唱えた。城一つほどの氷塊が空中に生まれ、鋭利な破片に破砕しながら吹雪となって九尾を襲う。

 九尾は咄嗟にフバーハを張るが、反面肉弾までの対処が遅れた。向けられる幾本もの刃をぎりぎりで回避するものの、兵士たちを割って突進してきた騎馬――コバの長槍を止めることはできない。

 九尾の腹を長槍が突く。

 ごぶり、と九尾が血を吐いた。

九尾「――――」

 おおよそ聞き取れない呪詛も、吐いた。

13: 2013/03/20(水) 01:47:25.65 ID:3mmpyc380

ジャライバ「緊急術式起動――!」

 ジャライバ・ムチンの反応は早かった。号令とともに、幾度も繰り返された動きなのだろう、部隊の全員が懐から符を取り出して、それを一息に破る。
 防御障壁を閉じ込めた、詠唱破棄の符だ。

 暴走した魔力が爆発を起こす!

 光。
 莫大な魔力の放出。コンマの差で生成された障壁一一四人分が瞬時に溶かされ、兵士のカウントが一気に三ケタ減る。
 残り五二九人。

 おかしかった。なぜ九尾はマダンテを連続で放てるのか。魔力を回復する隙などないはずだし、ここはわしらの空間で、魔力を分解吸収などの芸当はできないはずだった。

クレイア「魔力源、わかり、ます」

 それまで倒れ伏していたクレイアが、震える指で九尾を指さした。

クレイア「尻尾、です。九尾。最初は、六本、でした。あの、塔で、会ったとき」

クレイア「今は、四……よん、ほん。二本減って……マダンテで減った分、補って、だから……」

14: 2013/03/20(水) 01:47:53.87 ID:3mmpyc380

 つまり、最大であと四発のマダンテがやってくる。
 そして、それに耐えれば勝てる。

 ……勝てる?
 マダンテに、耐えられる?

 そんなことは有り得なかった。儀仗兵が緊急時用の防御障壁を総動員したうえで、百人以上が氏んだあの威力を、あと四発。それはあまりにも、あまりにも現実的ではない。
 しかも次弾以降を防ぐ術はないのだ。至近距離での魔力の波動を軽減する術は彼らには備わっていない。頼れるのは数だけで、それも今や……。

 頭を振った。冷静に、冷徹に、それは当然求められるものであるが、それが諦めに繋がっては元も子もない。どうせ逃げる先もないのだから。

 九尾も――今や四尾であるが――全てを消費したくはないだろう。そして、魔力は何もマダンテだけに使用するわけではない。それを考えれば、マダンテは使えてもあと一発か、無理して二発。
 イオナズン、メラゾーマといった高等魔法も、早々連打はできないはずだ。それが唯一の希望であった。いくら九尾でも、ここまでの多勢を相手に、生身で挑むなど想像していなかったに違いない。
 超長期戦にもつれ込んだ現状は、こちらに利がある。危うい、僅かな利であるが、確かに。

15: 2013/03/20(水) 01:48:22.93 ID:3mmpyc380

 ……要は、わしとクレイアがくたばらなければいいだけの話。
 我慢の先にある勝利が、微かにだが、見えてきたではないか。

ハーバンマーン「ジャライバ、メラゾーマの連打だ! 少しでも削るぞ!」

ジャライバ「俺に指図をするな! グローテ様の思念は、こちらにも届いている!」

 火炎弾が飛んだ。まるで流星群のように輝き、偽りの空を染め上げるそれは、確かにまっすぐ九尾へと向かっていく。
 あわせて歩兵団も突撃。メラゾーマの被害を気にすることなく、恐れも無理やり踏みつけて前へ、前へと。

 障壁を張る魔力も惜しいとばかりに、九尾は数多の火球を拳で打ち砕き、残った片腕で兵士たちの相手をする。無論それまで通りとはいかない。さすがに身体強化の呪文もその効果が薄れてきたようだ。動きが眼に見えて鈍い。
 そして、歴戦の強者たちは、その鈍さを見逃さない。

 あくまで戦争。狡賢く利用する。

ポルパ「ビュウ! 生きてるか!」

ビュウ「おうとも、相棒!」

 至近距離にいた二人は、運よくマダンテからの致命傷を逃れることができた。とはいえその体はぼろぼろで、剣も根元から折れ曲がっている。
 しかし武器だけはごまんとある。彼らの足元には仲間の氏体が転がっているのだ。
 それを手に取り、走る。

16: 2013/03/20(水) 01:48:57.45 ID:3mmpyc380

 目の前で戦っていた兵士が顔面を焼かれて倒れた。その背後から二人は二手に分かれ、満足に動かない体を何とか動かしながら、九尾を背後から切りつける。
 九尾の反応はいまだ十分に早いが、当初の神速からは程遠かった。剣ごとビュウの右腕を切断し――ポルパのほうまでは文字通り手が回らない。体勢を逸らしてなんとか回避した。

 ビュウの呻き声。一瞬ポルパがそれに気を取られた隙に、一歩九尾は後ろへ跳んだ。

 火炎弾が降り注ぐ。

九尾「ちぃっ!」

 マヒャドをぶつけて相殺させる。炎と氷がぶつかりあって、大量の蒸気が生み出された。

 その霧を切り裂いて、兵士たちの雪崩。

九尾「退けろ!」

 メラゾーマ。それは前方数十人をまとめてなぎ倒すが、兵士は前方だけではない。左右、背後からもまた迫る。

17: 2013/03/20(水) 01:49:44.44 ID:3mmpyc380

 九尾は上空へと逃げた。そこへ槍がまたも投擲され、九尾の脇腹を掠ってゆく。
 バランスを崩した九尾へと、またもメラゾーマの雨。仕方がなしに障壁を唱えながら、足元にいったん力場を生み出し、緊急回避的に集団から距離を取る。

九尾「行きつく暇も――」

コバ「与えない!」

 九尾の言葉を遮ったのは、コバ。助走をつけて大きく騎馬が跳び、退避よりも早く追いすがる。
 九尾が転移魔法を起動する。しかし、遅い。それよりも熟練の槍技が、僅かに上回っている。

 狙うは顔面。そこを潰されては、いかに魔物と言えど、四天王と言えど、生きてられまい。

九尾「しゃあらくさいぞっ!」

 爆発的に膨れ上がる魔力の波動。
 二回目のマダンテ。

 光にコバが、また後ろに控えていた数多の兵士が飲み込まれ、消失していく。
 その数、三八一人。
 残り一四八!

18: 2013/03/20(水) 01:50:16.16 ID:3mmpyc380

ビュウ「右手はなくても左手があるっ!」

 誰も彼もが倒れ伏した中で、唯一彼だけが走っていた。
 力場を大きく踏みしめて、左手で剣を持って。

九尾「な、なにを、貴様、なぜ!」

ビュウ「知るか! 俺を守って氏んだダチ公に聞いてくれや!」

 彼の背後には、倒れているポルパラピム・サングーストの姿を確認できる。ぼろぼろで、一瞬誰だかわからないほどに、焼かれていた。
 ただ、彼の氏に顔はとても満足そうで……。

 ビュウが剣を振り下ろす。

 利き手ではない。体力もない。そんな状態での攻撃は、あまりにも鈍重。しかし、条件は九尾も似たようなものだった。マダンテの反動からいまだ脱していない彼女は、その剣の軌道を見ていることしかできない。
 普段ならば無論そんなことはないのだろう。しかし、塔での戦闘、そしてここに来ての戦闘と、彼女は戦いっぱなしだ。相当に疲弊している。

19: 2013/03/20(水) 01:50:46.89 ID:3mmpyc380

 肩口に剣が食い込んで、腕を切断することはなかったが、確かにO房まで傷が達した。

 九尾がぐらつく――踏みとどまる。

 ビュウの頭から上を吹き飛ばして、頭部を齧った。

九尾「に、にっ、人間の、分際でぇっ! よくも、ここまでぇ……やってくれたな!」

九尾「見たところ、残り、二百人は、切ったな。ふ、ふはは、もうそろそろ終わりに、しようじゃあないか!」

クレイア「だめですっ! アルスさん!」

 唐突な叫びが戦場を劈いた。

「……」

 無言である。
 誰も彼もが、無言である。

 九尾も、兵士たちも、わしも。

 クレイアだけが忘我の表情で、さっきまでの疲弊はどこへやら、虚空を真っ直ぐに見つけている。

20: 2013/03/20(水) 01:51:14.79 ID:3mmpyc380

 しかし、今、なんて言った?

 アルス、と。
 この弟子は言ったのか?

クレイア「……」

 たっぷり数秒、もしかしたら十数秒の間を開けて、クレイアは呟いた。

クレイア「アルスさんが、次元の狭間を破って……現世に戻りました」

グローテ「!」

 二つの意味で信じられなかった。
 一つは、次元の狭間を破るということ。あれはそもそも空間転移の応用、基礎理論の発展途中に見つかったバグを利用する形で――いや、やめよう。ともかく、物理的にも魔術的にも隔離された空間から、逃げ出すなんて。
 そしてもう一つは、あの状態のアルスが現世に戻れば、どのような被害を齎すか。

21: 2013/03/20(水) 01:51:40.73 ID:3mmpyc380

 わかったものではない。あぁそうだ。わかったものではないからこそなお恐ろしいのだ。何がどうなるのかわかっていれば対処の仕様もあるものを。
 ……魔王と化したあやつ相手に、本当に対処の仕様があるかは、甚だ疑問であったが。

 九尾は力場に直立したまま、ふん、と鼻を鳴らした。

九尾「よっぽどだな、あのバカは。魔王の力を好き勝手に使っているように見える」

グローテ「それを与えたのは、お前じゃろ」

九尾「その通り、だ。ふん。……ちっ」

 九尾は両手を合わせた。その間から、限りなく明るい光の珠が生まれていた。

九尾「まぁ、いい。お前らを頃して、現世に戻ると、しようか。ジゴスパークで、全員、氏ぬがいいさ」

 息も絶え絶えではあるが、高等呪文を唱える程度の余裕はあるらしかった。反面こちらは頼みの綱である数にすら、最早頼れるほどではない。

22: 2013/03/20(水) 01:52:22.25 ID:3mmpyc380

 しかし不思議と絶望はなかった。なぜなら、九尾が戦闘態勢に入っても、まだ兵士たちは戦闘態勢に入っていなかったからだ。
 生き残った兵士総勢一四八名は、全員がわしのほうを見ていた。九尾などには目もくれず。

 おかしな話であった。本来戦闘を放棄するはずもない彼らが、戦わないのだ。しかも臨戦状態に入った九尾を目の前にしても。

 だが、それが意味することを、わしは理解している。

 彼らは国のために戦っている。九尾を倒すためではない。それは過程であって、結果ではないのだ。
 だから彼らは戦わない。九尾を倒すことは、既に過程ではなくなった。

 国のため。世界のため。今重要なのは、九尾を倒すことではなく……。

23: 2013/03/20(水) 01:52:51.18 ID:3mmpyc380



 笑いが零れる。涙が零れる。
 あぁ、眼が、頬が、頭が、熱い!

 彼らは九尾よりもアルスを敵と見做したのだ!
 世界の秩序を乱す存在だと!



24: 2013/03/20(水) 01:53:23.57 ID:3mmpyc380

グローテ「九尾」

九尾「……今更命が惜しくなったか? 土下座でもすれば、考えてやらんでもない。こう見えて、九尾は結構、心が広い、ぞ、げほっ、げほっ!」

 咽て血を吐く九尾。口の中の血を吐き捨て、口元を拭ってから、続ける。

九尾「それとも、なんだ。部下に裏切られたか?」

グローテ「わしと一緒にアルスを殺そう」

25: 2013/03/20(水) 01:53:49.50 ID:3mmpyc380
九尾「……は?」

グローテ「世界の秩序を乱す輩を、国に危機を齎す輩を、わしらは常に排除してきた。その業から、最早逃れられない」

九尾「……」

 九尾は思案しているようで、もしくは疑っているのか、言葉を拙速で紬ぎはしなかった。
 ジゴスパークを握り潰し、訝しむ目でこちらを見てくる。

九尾「その申し出に、九尾が乗るメリットがない」

グローテ「アルスを放置すればお前の食料が減る。それは、お前にとっても都合が、悪かろ?」

 一瞬だけ意識が跳んだ。だめだ。もう少しだけ、あと五分でいいから持ってくれ、この体よ。

九尾「そのことにメリットがないと、言っている。九尾一人でも、勇者を」

グローテ「殺せるのか? 本当に?」

 九尾の頭部、狐の耳がピクリと動いた。

26: 2013/03/20(水) 01:54:48.13 ID:3mmpyc380

 九尾の頭部、狐の耳がピクリと動いた。

グローテ「残り三本の尾で、魔王と化したアルスに、勝ちきれるか? 念には念を入れて、損はあるまい」

 半ば挑発だ。しかし事実でもある。消耗した九尾が、デュラハンすら容易く御して見せたアルス相手に、楽勝できるとは思えなかった。
 よくて辛勝、悪くて相討ち、最悪……殺される。

九尾「……九尾が人を喰うのは、貴様らには腹に耐えかねよう?」

グローテ「それくらい、我慢するさぁ」

九尾「おっ――!」

 九尾はそれから先を飲み込んだ。言いかけたのは、「お前ら、言っていることが違うぞ」とか、そんなあたりだろうか。
 そりゃそうだ。九尾とのこの戦いも、九尾の人食いを阻止することが旗印だったのだ。それを下ろしたつもりはないし、下すつもりも毛頭ない。が、しかし。

グローテ「お前を生かすことで何十人、何百人氏ぬかわからんが……アルスのほうが、もっと恐ろしい」

27: 2013/03/20(水) 01:55:31.89 ID:3mmpyc380

 九尾は寧ろお前のほうが恐ろしいのだという眼でこちらを見た。そして、それは多分に侮蔑が含まれている眼の色だった。
 小さく九尾の唇が動く。悪魔め、と、そう言った気がした。

 その通りじゃよ、九尾。

九尾「今すぐ乗った、というわけには、当然いかぬよ。ただ……ふん。九尾もさすがに疲れたわ。その停戦協定、ここは呑もうぞ」

 言質を取った。恐らく九尾は自尊心の高さゆえに、そうやすやす翻言しまい。これでひとまずは負け戦を引き分けに持ち込めたと、そうなる。
 しかし、確かに、九尾も言ったが、

 ……疲れた。

 わしは目を閉じる。

――――――――――――――――――――――

28: 2013/03/20(水) 01:55:59.64 ID:3mmpyc380
――――――――――――――――――――――

 こんな話を聞いたことがあるか?

 ……なに、大した話じゃあない。それなりに有名で、それなりにありがちな話だ。英雄の噂話。
 まぁ英雄って言ったって、名のある伝説のなんちゃら、とか言うわけじゃないさ。ただ、滅茶苦茶強くて、人助けが趣味の二人組。そういうのが出る……いる? んだってさ。
 結構あるんだ。鬼神に襲われていたのを助けてくれただとか、暴れ牛鳥の群れを追い返しただとか、そうそう、ドラゴン退治ってのもあったな。……いいじゃねぇか、こういうのは眉に唾つけて聞くくらいがちょうどいいんだよ。

 そう、二人組でだよ。軍隊が出るような案件を、たった二人でだぜ? しかも女らしい。あぁ、女なんだよ! どっちも!
 胡散臭くはあるけど、だから眉に唾つけとけって言ってるんだよ。どうせ酒の肴なんだからよ。

「いるよ!」

「だって俺、助けてもらったもん!」

30: 2013/03/20(水) 02:00:16.51 ID:3mmpyc380
今回の更新は以上となります。
2スレ目もよろしくお願いいたします。

36: 2013/03/28(木) 14:32:16.35 ID:+NAXhYMi0
――――――――――――――――――――――――

 歩き通しで足が棒のようだ。乳酸の溜まった腿が、脹脛が、硬く張っている。とはいえ休むことはできない。休んでしまえば、それこそ歩きだすことはできなくなるだろう。
 惰性でなんとか歩くしかない。誰もがそれをわかっているから、パーティの一人として「休もう」と言い出すことはない。

 俺のミスだ。こんなに魔物が増えているとは思わなかった。夜明けとともに森に入って、どんなに遅くとも日没までには抜け切れると思っていたのだ。
 それがどうだろう。戦いに戦いを続け、道に迷い、最早現在地点も定かではない。盗賊が鷹の目で調べたところによれば、どうやら森の中腹であることは間違いないようなのだけど……。

 中腹。その事実がどっしりと圧し掛かってくる。このままでは森の中で夜を明かすことになる。
 魔物の多い森の中で? それはあまりにも恐ろしいことだ。

 俺の前を歩く魔法使いの体が、ふらっと横に倒れた。
 思わずその体を抱きとめる――あまりにも軽いその体。


37: 2013/03/28(木) 14:35:31.57 ID:+NAXhYMi0

魔法使い「あぁ、悪いねぇ、戦士。はは、研究ばっかりしているこの身には、ちょっとばかりきつかったかな」

戦士「ばか! お前、熱あるじゃねぇか!」

 魔法使いの腕が熱を帯びている。暗くてわからなかったが、表情はおぼろげで、意識がはっきりとしていないようだった。

戦士「僧侶!」

僧侶「は、はい!」

 治癒魔法をかける。が、僧侶にも魔力は残っていない。懸命に何とかしようとするも、逆に彼女が倒れそうな雰囲気だ。

盗賊「戦士、ここは一度キャンプを張ろう。どの道今晩のうちには抜けられない」

 俺は二人に視線を向け、うなずいた。そうするしかないだろう。

盗賊「おれは薪を集めてくるよ。お前は二人を守ってやれ」


38: 2013/03/28(木) 14:37:15.21 ID:+NAXhYMi0

戦士「……一人で大丈夫か」

盗賊「なに、逃げ足の速さには自信があるさ。それに、お前らには恩がある。黴臭い牢屋から出してもらった礼だと思ってくれ」

 どくいもむし、キャットフライ、おおめだま……出てくる魔物はそれほど強くないが、数が膨大だった。心配ではある。が、確かに二人を残していくわけにも、いかない。
 サムズアップで答えた。盗賊も返してくる。

戦士「僧侶も休め。いざという時に動けなかったら意味がない」

僧侶「わかって、ます。大丈夫です」

 全然大丈夫なようには見えなかった。

戦士「とにかく喋るな」

魔法使い「わたしも、鍛えとく、べきだったかな?」

戦士「お前もだ」


39: 2013/03/28(木) 14:38:34.96 ID:+NAXhYMi0

 そうするうちに盗賊が返ってきた。想像以上に早い戻りだ……そう思ってみると、彼の腕には薪が抱えられていない。どういうことだ?

戦士「何があった」

 魔物でも出たか。いや、盗賊の表情は決して切羽詰まったものではない。寧ろ朗報のようだった。

盗賊「民家を見つけた。って言っても、小屋だけどな。軒先でもいいから貸してもらえるよう交渉してみようぜ」

 民家? こんな魔物の出る山奥に?

戦士「……鬼婆じゃあないだろうな」

 脳内でしゃありしゃありと包丁を研ぐ鬼婆の姿が想像された。
 盗賊は肩を竦めて、

盗賊「さあな。一般人じゃあ、ないだろう。鬼が出るか蛇が出るか……」

戦士「前向きに考えれば、魔物にも手こずらないほどの手練か」

盗賊「このままじゃあ明日の朝を迎えられるかもわからん。ダメもとで行く価値はあると思うぜ」

戦士「……」


40: 2013/03/28(木) 14:39:31.61 ID:+NAXhYMi0

盗賊「どうする。リーダーはお前だ。おれはお前に従うだけさ」

 魔法使いと僧侶をうかがった。彼女らはこちらの話が聞こえていないのか、うつらうつらとしている。やはりだいぶ疲労が蓄積しているのだろう。
 次の朝日を拝めないかもしれないのはわかっていた。盗賊の言うことはもっともだ。
 俺は僧侶と魔法使いを、そして盗賊を旅に連れ出した身として、三人の命を最大限守る義務がある。

戦士「よし、行ってみよう」

盗賊「わかった。すぐに場所に案内する」

 俺と盗賊はそれぞれ魔法使いと僧侶をおぶり、件の民家へと足を運んだ。
 なるほど、確かに民家というよりは小屋だ。炭焼き小屋に近いものがある。

 木造二階建て。電気は通っているようで、窓から明かりがもれている。
 中に人の気配。会話が聞こえる。一人ではないのか?

 一息に吐き出し、扉をノックする。

戦士「す、すいませーん!」

戦士「俺、あ、私たちは旅のものです! 道に迷ってしまいまして、どうか軒先だけでも貸していただけないでしょうか!」


41: 2013/03/28(木) 14:41:37.74 ID:+NAXhYMi0

 扉の向こうから聞こえていた会話がピタリと止まった。そのまま数秒の沈黙を挟んで、扉がぎしりと、蝶番を軋ませながら開く。
 男だった。目つきの悪い、表情の暗い、厭世的な雰囲気の。年齢は二十代の半ばか? それにしては身のこなしが只者ではないように思えて、実年齢の把握が困難だ。
 粗末な服を着て、男はこちらを値踏みするように眺めまわす。

男「……四人か」

戦士「あ、はい」

男「旅のものと聞いたが」

戦士「はい、私たちは――」

男「いや、いい。その先は言うな」

 男はふと眼をつむった。何かに思いを馳せているのか、わずかに口元が緩んだようにも見える。それもすぐに苦虫を噛み潰した表情になったが。
 そうして踵を返す。こちらを振り返って、

男「軒先と言わず、部屋を貸そう。ろくな部屋じゃあないが」


42: 2013/03/28(木) 14:44:36.39 ID:+NAXhYMi0

戦士「本当ですか! えぇ、えぇ、全然かまいません!」

 まさか、だった。鬼婆なのか? いや、超人的な雰囲気はあるが、魔族でも魔物でもないと、俺の直感が言っている。

男「ただ、こちらのことには詮索しないでほしい。こちらも、そちらのことは聞きたくはない」

 ただ泊めてくれるだけ、ということだ。だが、それでも出来すぎである。警戒をするに越したことはないかもしれないが、渡りに船とはこのことだ。
 俺たち四人はおっかなびっくり小屋へと足を踏み入れる。

 たたきには靴が三つ並んでいて、そのうち二つが女物。大きく一部屋あって、手洗いと台所につながっているのだろう、扉が二つあった。
 大きな一部屋――居間の中央には囲炉裏がある。季節がら灰だけで、灯は点っていない。
 あまりものはない。本棚が一つあるきりで、作業机も、映像/音声受信機もない。天井からランプがぶら下がっているのが印象的だった。

 隅には二階へ上がる階段。会話の相手は二階にいるのだろうか?


43: 2013/03/28(木) 14:47:43.55 ID:+NAXhYMi0

男「二階に行ってくれ。二部屋あるが、手前の部屋だ。奥の部屋は……娘、たちの部屋だから、入らないでほしい」

戦士「娘」

 思わず鸚鵡返しに尋ねてしまった。父一人、娘二人で、こんな森の中なにをしているのだろうという疑問は当然浮かぶ。が、先程詮索しないでくれと言われたばかりだ。

 と、そのとき、どたどたと階段を勢いよく降りる音が響いた。そのたびに壁が軋む。相当な安普請らしい。

 現れたのは二人の少女。

 一人は大人しそうな少女だった。三白眼で、褐色の肌。それと対照的な白い髪の毛をポニーテールにしている。口元はきつく結ばれていて、こちらを窺うように視線をやっている。年齢は十代後半くらい。

 もう一人は活発そうな少女だった。くりくりとした目に、卵のような肌。赤茶色の髪の毛はショートボブ。何が楽しいのか口を半月にして、きらきらした瞳でこちらを見ている。こちらの年齢は十代半ばだろう。


44: 2013/03/28(木) 14:51:50.32 ID:+NAXhYMi0

 娘?

 思わず首を振りかけた。この似ても似つかない、寧ろ鏡映しのように対照的な姉妹が、そして父親とも似ていない娘が、果たして真っ当な家族であるわけがない。そもそも年齢の計算も合わない。
 だが、そうだ、詮索はしないのだ。旅先で出会った人々に必要以上に入れ込みすぎる必要はない。俺だってわかっている。

 俺たちの目的は旅行などではないのだから。

活発そうな娘「あー! おじさんたち、誰!?」

大人しそうな娘「……誰?」

男「お前らは黙ってなさい」

男「うるさくて済まない。娘だ」

活発そうな娘「トールだよ!」

大人しそうな娘「……インドラ」

 二人は名乗って、男に急かされるように二階へと戻って行った。
 男の視線が「詮索するなよ」と訴えている。俺たちはそれに応えるべく、足早に二階へと上った。


45: 2013/03/28(木) 15:00:52.13 ID:+NAXhYMi0

 二階、手前の部屋。そこは確かに男の言うとおりろくな部屋ではなかった。せまいし、汚いし、じめっとしている。虫も出そうだ。いや、これは出るな。
 文句は言えないし、言うつもりもない。横になれるだけでどれだけ幸せなことか!

 部屋についてラグを敷き、そこへ魔法使いと僧侶を寝かせてやる。二人はすやすやと寝息を立てていたが、時折痛みに顔を顰めていた。

盗賊「ま、戦いっぱなしだったもんな」

 森に入ってからだけでなく、旅に出てからの半年間、確かにそうだ。

戦士「俺は、たまに後悔することがあるよ。こいつらは街で適当に過ごして、適当に旦那をもらって、適当に幸せに生きていればよかったんじゃないかって」

戦士「俺が連れ出したりなんかしなければ、ってさ」

盗賊「はっ、今更だな」

 俺の心配を吹き飛ばすように、努めて明るく盗賊は笑ってくれた。

戦士「あぁ、今更なんだ」


46: 2013/03/28(木) 15:01:42.11 ID:+NAXhYMi0

盗賊「世界は変わった。システムも変わった。軍隊に任せて世界が平和になるのを待つなんて時代じゃ、もうねぇんだよ」

盗賊「それに、そういうタイプでも、あいつらはないしな」

 数百人が、数千人が、一度にずらりと並んで頃しあう戦いはもう終わりを告げた。敵はすでに人間ではなくなっている。
 ならば自警団でもとも思ったが、そういうことではないのだ、きっと。

戦士「小さな街で平穏に生きることをよしとするタマじゃあなかったか」

盗賊「そういうことだ」

 戦争が終わって数年が経った。魔物は増え、軍隊では対処しきれない。あいつらは神出鬼没で、気がつけばその辺に現れてしまうのだから。
 国王の判断は迅速だった。すぐに周辺諸国と和睦を結び、軍隊を解散させた。そして軍隊を各地に散らしたうえで、各都市・街・村の自治権を拡大、自衛の体勢を強化するように通達を出したのだ。
 王国は小都市の集団から成立する都市国家へとその性質を変えつつある。


47: 2013/03/28(木) 15:03:54.27 ID:+NAXhYMi0

 ならば、その根源たる魔王はどうするのか。専守防衛だけではジリ貧。
 ……そのために、冒険者がいる。

 何も魔王を倒すことが目的である必要はない。未開地の開拓、魔物の討伐、移住地の確保、冒険者に課せられた役割と期待は様々だ。

 兵士を盾とするならば、俺たち冒険者は、旅人は、国にとっての矛というわけである。

 あまりにも急激な変化に当初こそ人々は戸惑っていたが、いまでは新たなシステムにも慣れ、そこそこ安定した供給はなされている。

盗賊「……寝るか」

戦士「そうだな」

 さすがに俺たちも、疲れた。
 剣を握ったまま、俺は壁を背もたれにして、意識を闇へと近づけていく。


48: 2013/03/28(木) 15:21:56.65 ID:+NAXhYMi0

 雀の鳴き声で目が覚めた。
 隣では三人が寝息を立てている。魔法使いが僧侶の胸を揉んでいて、僧侶はそれを引きはがそうとしていた。本当に眠っているんだろうか? こいつは。
 盗賊は腹を出して、ぼりぼりと掻いている。こいつもこいつで自由なやつめ。

 どうやら無事に朝は迎えられたようだ。が、あまり長居もできない。俺たちの旅路は先が長く、それを抜きにしても、あの男と娘たちに悪かろう。
 俺は三人を叩き起こす。魔法使いはまだ熱があるようで、少しばかり辛そうにしていたものの、魔力の回復した僧侶に治癒魔法をかけてもらっているうちに状態はよくなったようだった。

戦士「あの、すいません」

 おっかなびっくりと階下へと行き、座禅を組んでいた男へと声をかける。
 男は反応こそすれ、声は出さなかった。こちらをじろりと見てくる。

戦士「ありがとうございました。このご恩は一生忘れません」

男「お世辞はいい。行くのか」

戦士「はい。なにがあるかわかりませんから」

男「そうか」


49: 2013/03/28(木) 15:22:52.77 ID:+NAXhYMi0

トール「なになに、もういっちゃうのー!?」

インドラ「トール、うるさい」

トール「なによっ、アタシのほうが普通なんだってば!」

 どたばたとモノクロ姉妹がやってくる。俺たちは苦笑しながら装備を確認し、その小屋を後にした。
 小屋の入口に手をかけて、もう一度お礼を言う。

戦士「ありがとうございました。部屋を貸してくれなければ、魔物に襲われていたかもしれないと思うと、何と言えばいいか」

男「別にいい」

戦士「最後にお名前を聞かせてくれませんか?」

男「聞かせるほどの名前じゃない」

戦士「……」

男「すまない」

戦士「いえ、いいです。私はダーカス・ソイロンと言いまして――」

男「っ! それ以上を――!」

 それまで表情に乏しかった男の顔が驚愕を形作る。
 一体どうしたって言うんだ?


50: 2013/03/28(木) 15:23:39.24 ID:+NAXhYMi0




戦士「――魔王討伐の旅をしてるんです」

男「――言うな!」





51: 2013/03/28(木) 15:25:07.39 ID:+NAXhYMi0

 光。

 が、俺の視界を焼いた。

 きらり、きらりと光る、光の矢。俺はそれを十五本まで数えて、あと数百単位でそれが顕現されたのを理解してから、数えるのをやめた。
 点が線となり、俺の体を穿つ。
 腕が、腹が、消し飛んでいく。

 背後を振り向く余裕はない。ただ、命がなくなっていく気配はあった。

 反射的に腰の剣を握る。同時に手首も吹き飛んで、俺は木の葉のようにバランスを崩した。

 地面が揺れる。高速で俺へと迫る物体。白い肌と黒い髪の毛の何かは、左手で巨大な戦鎚を握っていて、俺は、

 すっげぇ綺麗な装飾だなぁ。

だなんて、場違いなことを考えていた。

―――――――――――――――――――――

52: 2013/03/28(木) 15:27:25.04 ID:+NAXhYMi0
―――――――――――――――――――――

トール「ね、ねっ! 綺麗に殺せたよ! 褒めて褒めて!」

インドラ「……私も」

 俺、は、

 ……。

 溜息を何とか呑み込んで、ぎこちない笑顔で――それすらも出来たかどうかわからないけれど――二人の頭を撫でてやった。
 二人は、喜ぶ。
 クルルとメイの顔と声と背格好をした化け物は。

 いや、化け物だなんて、俺が言うのはおこがましい。

 彼女たちを生み出したのは俺じゃないか。

 前々から思っていた。なんで魔物は動物で、もしくは不定形で、少なくとも人型をしていないのだろうと。なんで魔族は人型なのだろうと。
 皮肉なものだ。魔王になって初めてその意味がわかる。先代魔王よ。いや、歴代魔王よ。お前らは、きっと、


53: 2013/03/28(木) 15:28:49.77 ID:+NAXhYMi0

アルス「寂しかったんだな」

 人外になってもなお、人とつながりを持ちたかったのだ。

 人の形をした化け物になったからこそ、まだ自分は人だと思いたかった。
 だけど所詮は化け物だ。化け物は化け物としかつるめない。

 世界を救いたかった。戦争のない、争いのない、真っ当な世界にしたかった。
 俺が魔王になって、どうやら戦争は終わったらしい。国々は和睦を結び、狙いは俺の殺害にシフトしている。それは万歳だ。万々歳だ。俺の目標は果たされた。俺の夢はかなえられた。

 ……だけど、どうしてこんなに悲しいんだ。
 俺の犠牲なんてどうだっていいはずだったのに。

 わかってる。わかってるんだ。

 結局、俺は世界のために世界を平和にしたいのではなかった。所詮俺も人間だった。
 俺は、仲間のために世界を平和にしたかっただけなのだ。

 クルルも、メイも氏んだ世界を平和にして、いったいどんな意味があるのだろう?


54: 2013/03/28(木) 15:30:32.13 ID:+NAXhYMi0

 なーんて。
 本当なら俺も氏んでしまいたいのだけれど。

 トールも、インドラも、魔族である以上、衝動が存在する。彼女たちの衝動は奇しくも同じ衝動だった。俺は何も意図していないというのに。
 彼女たちの衝動は、庇護衝動。
 彼女たちは、何があっても俺を守る。

 それはすなわち、俺に敵対する全てを、完膚なきまでに頃すということだ。

 ゆえに俺は自殺ができない。そうでなければとっくに自頃しているものを。

 人目を避けて、避けて、避けて、避け続けてこんな森の中までやってきたのに、また人が氏んでしまうのか。俺のせいで。俺は氏にたくても氏ねないというのに。二つの意味で。あぁ、そうだ、二つの障害があるんだ、畜生!

 だから、だれか、お願いだから。
 俺を頃してください。

 四人分の墓を「追加」しながら、小屋の裏手で俺は泣いた。

―――――――――――――――――――――――

61: 2013/04/10(水) 00:26:12.27 ID:POBAn3Ep0
――――――――――――――――――――――

「グローテ・マギカとフォックス・ナインテイルズで」

 わしがそう言うと、受付の女性はふっくらとした手で鍵を渡してくれた。108号室。一階の一番隅。それなりに逗留する身としては、端の部屋は居心地の面でありがたかった。それとも、宿屋側が考慮してくれたのだろうか。

受付「宿屋を出る際は鍵をお戻しくださいね」

 手と同様にふっくらとした声だった。優しい声音だ。

受付「食事は各自お済ませください。お申し付けくだされば、一応、軽食程度ならこちらで用意もできますけど」

グローテ「いや、大丈夫じゃ」

受付「そうですか。よいお時間をお過ごしください」

 にこりと微笑む。わしも思わず微笑んだ。

グローテ「ここの特産品を食べてみたいと思うんじゃが、どこへ行けば食べられるかの」

62: 2013/04/10(水) 00:26:39.33 ID:POBAn3Ep0

受付「この地方は土地が肥えていますから、大抵の野菜はとれますね。特産といえば……大豆、でしょうか」

グローテ「大豆」

 鸚鵡返しに呟いた。大豆。旅路では節約の日々なので、寧ろ大豆は白米よりも主食に近い。あまり期待しないほうがよさそうだ、などと思っていると、

受付「中でも加工品の豊富さは随一で、きっと見たことないものがたくさんあると思います」

 ほほう。もしかしたら、多少期待できるのかもしれない。だなんて上から目線で考えてしまう。
 旅路の楽しみは人との出会いと食事である。嘗ての旅から理解していたことだが、最近はそれをよりひしひしと感じていた。

グローテ「で、それはどこに行けば?」

受付「どこでも、ですね。ただ、きちんとした料理となると、それなりに値が張ります」

63: 2013/04/10(水) 00:27:29.02 ID:POBAn3Ep0

受付「雑多が気にならないんでしたら、酒場が一番値段と種類のバランスがいいと思いますよ」

 きっと酒肴としてのそれが多いのだろう。
 わかった、ありがとう。そう言って、「わしら」は宿屋を後にする。

 背中に受付が声を投げかけてきた。

受付「お孫さんも、よい旅を」

 フォックス・ナインテイルズは――九尾の狐は、むすっとした顔のまま、黙ってわしのあとをついてくるだけだった。

九尾「これだから人間は嫌なのだ!」

 開口一番九尾は叫んだ。
 わしは思わずぎょっとして、往来の人目を気にしてしまう。幸いにも人はいなかった。

 まだこの街には数日、もしくは数週間いるというのに、悪目立ちしては困る。

64: 2013/04/10(水) 00:27:56.45 ID:POBAn3Ep0

九尾「この九尾を、卑しくも四天王筆頭たるこの九尾を指して、『お孫さん』とは何たる言いぐさかっ!」

グローテ「仕方あるまい」

 努めて九尾に視線を向けないようにわしは言った。

 わしの背丈は決して高くはない。曲がった背骨を考慮しても、155前後と言ったところだろう。しかし、九尾の背丈はそれに輪をかけて低い。なにせわしと頭半分の差があるのだ。
 自己申告では140あると言っていたが、どうか。まともに背丈を測ったことなどありはしまい。
 目立つ耳と尻尾は極力隠してもらっているため、確かに今の九尾は単なる子供にしか見えなかった。それが本人には気に食わないらしい。

 泣く子も黙る四天王も、何も知らない人目に付けば単なる子供だ。もちろん内包されている魔力は莫大なものだから、単なるとは言い難いのかもしれない。
 そもそも、四天王の肩書にも、「元」の一文字がつくが。

65: 2013/04/10(水) 00:28:24.06 ID:POBAn3Ep0

 四天王は二人が氏に、残る一人も隠居した。最早魔王を筆頭とするそのシステムもない。
 ただし、魔王は依然として存在する。どこにいるのかはわからないけれど、九尾にはわかるのだという。
 魔王が存在するのは同意だったし、世間一般の了解でもある。最近、とみに魔物の出没のうわさを聞くようになったのだ。

 魔の者はどうしても瘴気を生み出す。それは、瘴気に中てられた魔物が増える結果ともなる。限界があるため世界が魔物で満ちることはないが、やはり、人の生活は脅かされつつある。
 魔の者と言えば一人、そういえば、わしの隣にもいるが。

九尾「九尾は関係ないぞ」

 ぼそりと呟かれた。

九尾「瘴気を漏らさないよう結界は張っている」

グローテ「心を読むな」

九尾「心を読むな、は契約条項には入ってない」

66: 2013/04/10(水) 00:29:06.68 ID:POBAn3Ep0

 契約条項。それは、わしと九尾が――より具体的に言えば、嘗て敵であった者同士、そして今でも心を許していない者同士が、円滑に旅を進めるために必要な措置。
 わしは寝首をかかれたくはなかったし、九尾もそうだ。とはいえ、個人では到底目的を達成できそうにない。魔法的な書面によってしか旅をすることもできないなんて、随分とひねた人間になってしまった。

 条項は六つ。
 一つ、この契約条項は魔王アルス・ブレイバを殺害するまで継続する。契約の破棄は両者の合意の下によってのみ行われる。
 二つ、同行中はパートナーに危害を加える行為は禁止する。

 三つ、九尾の人喰いは可能な限り人目につかない場所で行う。また、証拠隠滅も可能な限り行う。
 四つ、上記の代償として九尾はわしに三つまで行動を強制できる。

 五つ、上記細則。行動の強制はあくまでわしの力で可能な範囲、かつわし自身に危害が及ばない範囲で行われる。
 六つ、以上の項目が順守されなかった場合、違反者は氏ぬ。

 契約条項は有効に、かつ有用に機能している。現時点では、まだ。

67: 2013/04/10(水) 00:29:36.15 ID:POBAn3Ep0

 ぷんすか肩を怒らせながらわしの前を歩く九尾を見つつ、ぼんやりと周囲を窺う。
 広い町だ。しかしそれほど賑わっているとは言えない。畑の面積が広いことが、ある種この街を寂寥としたものに見せている。

 のどかであるが、当然道を自警団が歩いている。二人……三人か。練度は高そうには見えない。恐らくここ最近派遣されてきた新兵なのだろう。

 システムが変わったのは魔族だけではなかった。人間のシステムも、あの戦争を通して大きく変化を遂げている。

 あのあと……塔での一件が全て終息した後、わしらは何よりもまず事態の説明に口裏を合わせることとした。黙っていても調査団は派遣される。そして有耶無耶になった戦争の終着点も現れないわけにはいかないのだ。
 わしらがすべきは終着点の誘導だった。理由はどうであれ、わしらと九尾の戦争終結という目論見は一致している。その意味では会話は容易かったというべきだろう。

 結論は一時間ほどで出た。
 単純である。魔族が戦争の機に乗じて人間を殲滅せんと企み、行動に出た。首謀者は四天王。わし、アルス、メイ、クルルの四人は異変をいち早く察知して、四天王を倒すことに成功した。そういう筋書きだ。
 大きくは間違っていない。ただ、生存者がわしとクレイアだけであるという点のみが異なっている。

68: 2013/04/10(水) 00:30:11.20 ID:POBAn3Ep0

 わしらが塔を出ると、待っていたのは歓声だった。かなりの兵士が倒れていたが、それよりも多くの魔物が倒れていた。
 直観的にわしらは悟った。人間は耐え切ったのだと。
 緊張の糸が途切れたのだと思う。わしはそこで意識を失って、気が付いた時は王城の医務室に横たわっていた。

 医者の説明によるとどうやら十日近くも眠ってしまっていたらしい。隣のベッドではクレイアが既に起きていて、ぼおっと天井を見ていた。

クレイア「魔法の神経が焼き切れちゃったらしいです。魔法使いは廃業ですね」

 彼女の第一声がそれだった。一瞬わしのことかと思ったが、すぐに感覚がそれを否定する。

グローテ「……」

 わしは何も言えなかった。そうして、わしの目覚めを聞きつけたのであろう大臣がやってきて、車椅子にわしらを乗せ、謁見の間へと運んだのだった。

69: 2013/04/10(水) 00:30:37.97 ID:POBAn3Ep0

国王「ごくろうだった」

 それが本心か疑うほどに彼のことを信頼していないわけではなかった。ありがたく受けて、しかし社交辞令も面倒だ、こちらから本題に入った。

グローテ「今回の一連の騒動についてですが」

 真実と虚偽が七:三の顛末を話す。四天王にわしらが勝利を収めたことに王は――側近のものもみな驚いていたようだが、誰も口には出さない。わしらがここでこうしていることがその証左だと思っている。
 一通り説明し終わって、王が「ふむ」と一息ついた。わしは王に言葉を紡ぐ隙を与えない。

グローテ「しかし、魔王が生まれました。四天王の撃破はなりましたが、申し訳ございません、魔王だけは逃がしてしまい……」

国王「いや、いや、仕方がない。そなたらにそこまで頼むわけにはいかない。寧ろ褒美をいくらやっても足りないくらいだろう」

グローテ「隣国との状況は?」

国王「有耶無耶に終わった。両軍ともに被害甚大。すぐさま体勢を立て直し、打って出るつもりではあるが」

70: 2013/04/10(水) 00:31:04.76 ID:POBAn3Ep0

グローテ「お言葉ですが、王。どうやら魔王は今までいなかったようなのです。魔王が新たに座したとなれば、魔物の動きも活発になります。それこそ戦争どころではないかもしれません」

国王「……」

 国王はこちらをじっと見ていた。思考を巡らせているのだとはわかっているが、疑われているのではないかとちらりとでも思ってしまう。
 いや、そんなことはない。九尾の存在もアルスの存在も悟られるはずはない。

国王「わからないことに対して予算と資源を大きくは割けない」

 王は短くそう言った。
 反論しようとして言葉を飲み込む。現実主義者の発言であった、それは。しかし気持ちはわかるのだ。眼に見えない脅威よりも、眼に見える脅威の威圧のほうが、特に民にとってはより身を焦がす。

 王らしい返答であった。そして期待していた答えでもあった。
 その言葉を待っていたのだ。

グローテ「でしたら」

 三人で話したもう一つ。第二の矢。今後の世界の行く末。終着点。
 それを誘導してみせる。

グローテ「皆の力を借りましょう」

71: 2013/04/10(水) 00:31:37.07 ID:POBAn3Ep0

 旅人構想――もしくは、勇者構想。
 軍はなるべく小回りの利くようにして、他国への牽制に用いる。そして魔物の脅威に対しては民間の武芸者を旅人とし、促進、援助する仕組みを作る。
 宿屋はなるべく安価で止まれるようにし、村々への立ち入りについても関所をなるべく減らすよう努め、未開の地をできる限り減らしていこうという構想である。

 この目的は大きく二つあった。一つは他国、特に隣国に対しての、新しい提案を生む目的である。共通の敵を掲げることは停戦を齎す。恐らく激増するであろう魔物被害とともに、他国もこれに乗らざるを得ないだろう。
 そしてもう一つ。

グローテ「わしは無論、この構想の成立に尽力するつもりでございます。そして、うまくいった暁には、旅人として魔王を倒してまいります」

 そう、わしが――わしと九尾が少しでも動きやすくなるように。これが第二の目的だ。
 実を言えばすぐさま出発してもよかったのだが、重要なのは魔王を倒す仕組みを残していくことである。また、わしらが万が一途中で力尽きたときの保険という意味合いも含まれている。

 結論から言えば、王は快い返事をくれた。そうしてわしは勇者構想の責任者となって指揮を執り、二年、システムの構築のために奔走したのだ。

72: 2013/04/10(水) 00:32:06.77 ID:POBAn3Ep0

グローテ「長かった」

九尾「ばか。待つこちらの身にもなれ」

グローテ「それでも待っていてくれたのじゃろ。すまんなぁ」

九尾「既に契約は交わしていたからな」

 九尾はそっぽを向いた。照れているのか、不満なのか、こちらから窺い知ることはできない。

 酒場にはものの数分で着いた。人の声は聞こえない。まぁ昼間から酒を飲むやからも少ないか。今日は天気もいいし、それこそ大豆畑に男たちは出てしまっているだろうから。
 マホガニーの扉を開くと、来客を知らせる鈴が鳴った。こじんまりとした店、そのカウンターの奥から、主人であろう口髭の男が手を拭きながらやってくる。

グローテ「やってるかの」

主人「えぇ、うちは食堂も兼ねてますから」

 四十名ほど入る店内には、わしらのほかには隅っこで黙々と酒を飲んでいる二人組と、ステーキの肉汁にパンを浸しながら味わう少年の三人しかいない。雑多と聞いていたがタイミングが良かった。

73: 2013/04/10(水) 00:35:43.28 ID:POBAn3Ep0

グローテ「この村では大豆がとれると聞いたが、何かいい料理はないか?」

主人「軽食、デザート、いろいろありますが」

グローテ「軽食でよい」

主人「でしたらすぐできるのがあります。お孫さんもそれでよかったですか?」

九尾「孫では――むぐっ」

グローテ「あぁ、うむ、同じものをこいつにも」

九尾「ぷはっ――何をするのだ」

グローテ「騒ぎを起こすな。自然に見られているということだ。問題あるまい」

九尾「それとこれとは別だ。癪に障る」

グローテ「これからも行く先々で問題を起こし続けるつもりか?」

九尾「大丈夫だ、うまくやる。目撃者などださん」

グローテ「そういうことではない」

九尾「わかっている、わかっているぞ。が、しかし、九尾にも魔族の矜持がある。人間どもと一緒にしてもらいたくないのだよ」

九尾「貴様とて蟻と同じ扱いをされたくないだろう?」

74: 2013/04/10(水) 00:36:29.37 ID:POBAn3Ep0

グローテ「気持ちはわかる。しかし、お前の目的はアルスだろう。ここで騒ぎを起こせば、それは遠ざかるぞ」

 九尾は僅かに視線を逸らし、舌打ちをした。

九尾「あぁ、もう、まったく、人間という生き物はどいつもこいつも、どうして、こう、節穴ばかりなんだ」

 噛み締めるように九尾は呟く。どうやら本格的に機嫌を損ねてしまったようだ。ぎりぎりと音がすると思えば、木製のテーブルに爪の跡が五本、きれいについている。

グローテ(なんとか落ち着いてもらわんとな)

 怒っているのは空腹だからだ、なんて、そんなうまい話があるわけもないが。そう思いながらもわしは店主に注文をした。

―――――――――――――――――――――――――

75: 2013/04/10(水) 00:36:56.08 ID:POBAn3Ep0
―――――――――――――――――――――――――

九尾「最高の気分だ!」

 叫んで、九尾は最後の一つを口に放り込むと、咀嚼をしながら皿を突き出した。わしはそれを無言のままに受け取ってカウンターの主人に頼む。

グローテ「稲荷寿司、もう一つ」

九尾「いやぁうまいな! 人間も少しは認めてやらねばならんか!」

グローテ「口に物をいれたまま喋るな」

九尾「何を言うか老婆。言葉以外でこのうまさを表現できるものかよ! 店主、礼を言おうぞ!」

 店主はにこやかな笑みを崩さなかった。これも一種のポーカーフェイスと言おうか。

 新たな皿がやってくる。九尾は山盛りに乗ったそれをぽいぽいぽいぽい、まるでお手玉のように口へと放り込んでいく。
 わしはなんとか平静を保つので精いっぱいだ。これが、こんな食べ物で、それこそ子供のように喜ぶ魔族なんて……わしがこれまで戦ってきたのは何だったのだ。

 四天王序列一位、傾国の妖狐・九尾の狐。
 ちょろい。

76: 2013/04/10(水) 00:37:25.48 ID:POBAn3Ep0

九尾「何がうまいってこの米を包む大豆の衣よ! なんというんだったか、そう、『アブラーゲ』とかいったか!」

九尾「甘く、しょっぱいこれが大豆とは――いや、中の米も単なる白米ではない。僅かに酸味があって……そして刻んだ生姜が入っている! この歯ごたえと風味が得も言われぬハーモニーを!」

九尾「おかわり!」

グローテ「おい、九尾。うまいのはわかったが食べ過ぎるな。首が回らなくなる」

九尾「なに、金なぞその辺の賞金首の頭を数個、ぽぽんと衛所に放り込んでやれば問題なかろう!」

 だめだ、まったくちょろすぎる。前が見えなくなっている。

??「あの!」

 と、そのとき、低い位置から声が聞こえた。
 見れば小さな女の子がこちらに向いていた。服の裾をぎゅっと握りしめて……恐らくは九尾が近寄りがたかったのだと思うが。

77: 2013/04/10(水) 00:37:52.82 ID:POBAn3Ep0

九尾「なんだ、童。九尾は、おっと、フォックス・ナインテイルズは忙しい。あとにしてくれ」

女の子「おばあさんたち、強いんですか? だったら、あの、お願いが、あるんですけど」

 女の子の無視に九尾は僅かに顔を顰めた。

 女の子は、おおよそ十二、三といったところだろう。外見年齢は九尾と同じくらいだが、尊大な九尾におずおずとしているのを見ると、引っ込み思案なのかもしれない。
 いや、これが普通なのか。旅人生活が長かったもので、どうにも普通の感覚というものを忘れがちだ。特に子供心なんて。
 孫がいれば……いや、やめよう。センチメンタリズムはいらない。

女の子「宿屋のおばさんと話してるの、聞いちゃって。フォックス・ナインテイルズとグローテ・マギカ。強くて、助けてくれる、ヒーローだって」

九尾「そんなつもりじゃあない」

 そっけなく九尾は言った。確かにそんなつもりではない。博愛精神よりももっと打算的で、血なまぐさいものだった。
 賞金首を探していたら出くわしたり、森を突っ切った際に出遭ったり。
 ……九尾の餌のついでであったり。

78: 2013/04/10(水) 00:38:24.80 ID:POBAn3Ep0

 しかし、過程はともかく、結果だけを見れば随分と多くの人を助けてきた。それでもまさかそんな噂になっているとは……。

グローテ「もうそろ偽名を使わねばならなくなってきたか」

 人を助けることに否やはないが、目立ちすぎるのは困り者だ。何せこちらは九尾を擁している。正体がばれれば厄介どころの話ではない。
 九尾は問答無用で押して参るだろう。それがまた困るのである。

九尾「九尾は偽名の偽名になる。あほくさい」

九尾「大体老婆、お前は誰彼構わず助けすぎなんだよ。こっちの身にもなってみろ」

 それを言われると弱い。人を助けることは九尾の目的ではない。彼女はあくまで共闘してくれているだけで、決してその価値観は共通ではない。寧ろ人間の敵に属している側ですらある。
 だが、それでもなお、わしは誰かを助けたかった。アルスがああなってしまった今、もう彼に頼ることはできないのだから。

 彼を口実に戦争を終結まで導けたことを、彼は喜ぶだろうか?

 だなんて、まったく、この思考が恨めしい。

79: 2013/04/10(水) 00:41:14.94 ID:POBAn3Ep0

女の子「あの……」

 女の子がしびれを切らして話しかけてくる。一層服の裾を掴む手に力を込めて、眼に涙すら溜めて、じっとこちらを見ていた。
 九尾はちらりと横目でそれを見て、稲荷寿司の最後の一個を口に放り込んだ。咀嚼。

九尾「……」

女の子「……」

 根競べに負けたのは九尾であった。

九尾「あぁもうわかったわかったわかったよ! キュウビは何も言わないさ! だからその目でこっちをみてくれるな」

 その言葉を聞いて女の子はひまわりのような笑顔を浮かべた。
いやまて、わしは一言も助けるだなんて言っていないのだが……助けるけれど、助けるけれども!
 子供に甘い顔をしているのだろうか? それとも単にポーカーフェイスが苦手なだけか。

80: 2013/04/10(水) 00:41:46.40 ID:POBAn3Ep0

九尾「まったくこのキュウビも落ちぶれたものだ……」

 ぼやく九尾。いいことじゃないかとは言わなかった。流石にそれが彼女の望むところではないことくらいわかっているつもりだった。

グローテ「それで」

 女の子へ水を向けると、ぽつりぽつり、噛み締めるように話し出す。

女の子「魔女を、倒してほしいんです……」

 魔女。魔法使いではなく、魔女。ふむ。
 聞かない言葉ではないが、珍しい単語だ。件の問題そのものがそう名乗っているのだろうか。

女の子「あいつは都への隧道付近に住家を構えていて、魔力を得るためならなんだってします。旅人や商人が何度も襲われて……」

女の子「魔物が増えてから大豆を都へ持っていくのにも一苦労なんです。肥料や水だってそうです。強い護衛の人を連れて行かないと、魔物に襲われてしまいます。けど、強い護衛の人を連れて行った時だけ、その魔女が……」

 九尾の耳がピクリと動いた。眉を顰め、怪訝な、そして嫌そうな顔をする。

81: 2013/04/10(水) 00:42:20.91 ID:POBAn3Ep0

九尾「魔女と言ったな。身体的特徴を教えろ」

 少女は質問の意図がわからないと表情で喋りながら応える。

女の子「……変な髪の毛をしてます。白い髪の毛に、赤いブチがまだらにあって」

 九尾「ふむ。もうけっこう。わかった」

 頷いて、溜息。やはり九尾は何かを知っているようだ。

グローテ「キュウビ、何か知ってるのか」

九尾「多少はな。誤解を恐れずに言えば、旧知の仲というやつだ」

グローテ「魔族か」

 九尾の旧知と言えばそうだろう。

九尾「魔の者ではある。が、魔族ではない」

九尾「元は人間よ。図抜けた魔力の持ち主だった。禁忌を侵して、人を辞めた。人ならざる者の領分に足を突っ込んで、あろうことかそこに永住してしまった」

82: 2013/04/10(水) 00:42:47.27 ID:POBAn3Ep0

九尾「よく襲われたものだ。そのたび返り討ちにしたがな」

 九尾に喧嘩を売るなど並みの度胸と実力ではできないだろうし、何度もということは、そのたびに生きて帰ったということだ。それは猶更生半可な実力ではない。
 体が震えた。わしは自らの実力を過信してこそいないが、信頼は寄せている。しかしその『魔女』とやらは、どうやらわしよりも強いのではないだろうか。

グローテ「どんなやつなのじゃ」

九尾「なに、ただの魔力狂だ。乱痴気ヴァネッサ。ヴァネッサ・ウィルネィス。マジックアイテムの収集家でもある」

 こともなげに言う九尾。

九尾「あいつにしてみれば、九尾たちは絶好の餌だろうな。探すまでもない、あちらから来てくれる」

グローテ「妙に乗り気じゃな」

九尾「ふん。単なる気まぐれだ。言質もとられたしな」

83: 2013/04/10(水) 00:43:24.95 ID:POBAn3Ep0

女の子「あの、それで、お礼なんですけど……」

女の子「わたし、お金なくて、お小遣い溜めて、それでも全然なくて……」

 殊勝なことだった。別にわしらは用心棒でも傭兵でもない。もらえるものはもらっておく主義だが、しかし、こんな子供から金をもらうのも気が引ける。

 と、ことんと音を立てて、白い皿がテーブルに出された。上には山盛りの稲荷寿司が乗っている。

店主「……」

 黙って去っていく。
 もしかして、いくらでも食べろと、そういうことか?

女の子「だ、だめです! 悪いです!」

店主「……」

 店主はにこりと笑った。町のことだから、嬢ちゃんだけには苦労を掛けさせないよと、言っているように思えた。

 九尾は山盛りの稲荷寿司、そのてっぺんの一つをつまんで、口の中へ入れる。

九尾「足りんな。あと五皿はもらわないと――腹が減っては戦もできん」

――――――――――――――――――――――

88: 2013/04/13(土) 12:45:02.29 ID:9bMafhLO0
――――――――――――――――――――――

 五皿をぺろりと平らげて、九尾は満足げに酒場を後にした。街道を歩くわしらの前では女の子がこちらをちらちら見やりながら歩いている。
 道案内を申し出た彼女を断るはずもなかった。何せ異郷の地だ。先導者がいるに越したことはない。しかし問題は、このあと起こるであろう戦闘に、女の子を巻き込んでしまわないかということ。
 魔女がどれほどの手練れかはわからないが、実力者ではあるだろう。わしの防御魔法で守り切れるか。

 町の守衛に挨拶をする。守衛が心配して女の子に声をかけるが、事情を説明すると守衛ははっとした顔をしてこちらを一瞥したのち、敬礼して見送ってくれる。
 ……やれやれ、知らず知らずのうちに噂ばかりが独り歩きしているんじゃないか?

九尾「はっ、九尾たちにも箔がついたものだな」

グローテ「偽名を使えと」

九尾「こんなに有名になっては寧ろ偽名を使うほうが面倒くさいわ。どうせ誰も九尾が四天王だとは思わんだろう」

 確かに、こんな矮躯の持ち主が四天王だと誰も思わない。まるで詐欺だ。

89: 2013/04/13(土) 12:45:33.84 ID:9bMafhLO0

グローテ「……好きにせい。とりあえず、次の町では名前を変えよう」

九尾「それがいいな。人目は嫌いだ」

 と、ふと思ったことを聞いてみる。

グローテ「お前、人の名前、憶えられたんじゃな」

九尾「は?」

グローテ「魔女。乱痴気ヴァネッサ……ヴァネッサ・ウィルネィス? お前、わしの名前も覚えとらんじゃろ」

九尾「人はどいつもこいつも同じに見える。でっかいか、ちっさいか、男か、女か、それくらいだな」

九尾「魔女は、まぁ見てくれがな。白髪に赤いぶちだ。自然と印象にも残るさ」

九尾「老婆、お前だって、緑色の犬がいたら流石に区別はつくだろうよ」

 蟻の次は犬か。まぁ九尾にとってはしょうがないのかもしれない。実力があまりに違いすぎるのだから。

90: 2013/04/13(土) 12:46:14.72 ID:9bMafhLO0

 既に山道を歩いているわしらであった。とはいっても険しくはない。林の中の坂といった具合である。勾配もそれほど急ではないが、老体には堪える。身体強化の魔法をそっとかけた。

女の子「まっすぐ行くと林の中に隧道があります。商隊が都までの近道で使うんです」

 木々が光を遮るが、鬱蒼という感じでもない。行楽に最適な近所の山、そんな雰囲気が漂うばかりで、決して人外の住処があるようには思えなかった。

 ざあぁっと風が吹いた。生ぬるい風だった。
 特筆すべきはその臭い。

 九尾は鼻をひくつかせ、乾いた笑いを零す。

九尾「臭うぞ。あいつめ、どれだけ魔力を貯めこんだんだか。ここまで漏れてきている」

 これは確かに人外の臭い。
 どぶ臭くて、粘っこい、怖気の走る臭いだ。

 ざざざ、ざざざざざ。
 木々が揺れる。葉が揺れる。
 わしら三人を中心として、明らかに異様な風がぐるぐると回っている!

 女の子は恐怖で動けていない。いつでも防御魔法を展開できるように符を準備し、わしと九尾は周囲へとにらみを利かせる。

91: 2013/04/13(土) 12:47:03.46 ID:9bMafhLO0

 風が止まった。
 上空から何かが降ってくる。

 いや、何か、だって? 決まってるではないか!

 わしらはすぐさま反応する。九尾はイオナズンを、わしはメラゾーマを無詠唱で展開、即座に降ってくる『ソレ』に放った。
 同時に片手で符を破り捨てる。内包されていた防御魔法が展開され、女の子を包む。

??「うんまそーっ!」

 黒い何かが伸びてきた。
 それの正体が黒いシルクの巻かれた両腕だと気付いた時には、既にメラゾーマとイオナズンは――そう、爆発そのものであるイオナズンでさえも――ぐわし、と、

グローテ「掴ん――っ!?」

 ぎらりと鋭い犬歯が見える。
 魔法が二つ、血のように赤い口腔へと吸い込まれていく。
 僅かに見えた口内は、まるで髪の毛のようであった。赤と白。鮮烈なくらいのそれが目にまぶしい。

 咀嚼、そして嚥下。

 さらには落下。

92: 2013/04/13(土) 12:48:34.39 ID:9bMafhLO0

 九尾の背中に覆いかぶさるように一人の女性が倒れていた。体格から見れば年齢は二十代の後半、立派な成人女性のそれだ。しかし忘れるなかれ、こいつは魔女。何百年生きているかわかったものではない。
 白い髪の毛は腰まであり、赤いまだらが全体に点々と滴っている。その紅白のコントラストが一層人並み外れた感を演出し、わしはすぐさま理解した。

グローテ(こいつはイカれてるっ!)

 根拠などはどこにもない。乱痴気ヴァネッサ。なぜ彼女がそう呼ばれているのかをわしは知らない。知らないが――わかる。
 確かにこいつは、乱痴気に違いない!

ヴァネッサ「九尾!」

ヴァネッサ「九尾九尾九尾ッ! 会いたかったよぅっ! 久しぶりだねぇいつぶりかなぁ!」

 涎すら垂らしながら、ヴァネッサが九尾の頭に手をやる。金色の稲穂のような髪の毛。九尾は髪越しに敵を睨みつけている。
 既に九尾も臨戦態勢だ。獣の尾と耳を隠すことすら止めて、全身に魔力を迸らせている。
 無論置いてけぼりを食らうわしではなかった。人差し指を目の前の紅白に向けて、言葉をかけるより先に火炎弾を放つ。

93: 2013/04/13(土) 12:49:32.05 ID:9bMafhLO0

ヴァネッサ「邪魔よ、おばあさん!」

 わしと紅白の間に立ちはだかる黒い何か。途端にあたりが翳り、瘴気に胸が軋みを上げる。

 悪魔であった。

 九尾の上に乗るヴァネッサの傍らに一冊の本が落ちている。高さが腰ほどもある巨大な本だ。それは中のページが開かれており、邪悪な気配を隠しもしない。
 魔女――悪魔と契約した者!

 九尾の言葉が思い出される。乱痴気ヴァネッサはマジックアイテムの収集家だと。

 あの本の巨大さと悪魔の存在を考えるに、恐らくあれはギガス写本。悪魔の絵が描かれた最大の聖書。天使の代わりに悪魔を使役しているのは、本の持つ力というよりは、そこから得たイメージなのだろう。

94: 2013/04/13(土) 12:50:08.98 ID:9bMafhLO0

ヴァネッサ「九尾九尾九尾――!」

 ヴァネッサが叫ぶ。
 だめだ、間に合わない!

九尾「うるさい」

 ごつん。
 鈍い音がした。
 なんてことはない、九尾がヴァネッサの頭を殴っただけだ。

ヴァネッサ「ほんぎゃあ!」

 情けない声を上げながらも彼女は九尾から手を離さない。うつぶせの九尾をどうにかして仰向けにしようと力を込めていた。
 九尾に頬擦りしようとするヴァネッサと、何とかして魔手から逃げようとする九尾。不思議な構図がそこにはあった。

 お互いが真面目も真面目、大真面目なのは伝わってくるのだが、どうにも緊張感に欠ける。先ほどまでのわしの焦燥を返してほしい。

95: 2013/04/13(土) 12:50:52.53 ID:9bMafhLO0

グローテ「襲われるってそういうことか」

ヴァネッサ「一番簡単な魔力の授受は体液の接触でしょ」

 こともなげに言われた。事実ではあるが、確かにこいつは魔女だった。そう思わせる口ぶりだった。

ヴァネッサ「さぁ九尾! わたしにあなたの愛液を飲ませて!」

グローテ「変態じゃ……」

九尾「昔から、こういう、やつだっ……」

九尾「いいから見てないで引きはがせっ!」

 ごつん。怒りの鉄拳で今度こそヴァネッサは吹き飛んで行った。

ヴァネッサ「ようしわかった、キュウビを倒して組み敷けばいいのよねっ、いつもどおりだわっ」

 すぐさま立ち上がる。顔についた土を払って、にやりと笑った。
 一般人なら顎関節ごと下顎を持っていかれそうな拳を受けて、なお平気そうにしているのは、確かに実力者なのかもしれなかった。

九尾「うるさい」

 しかし九尾の動きのほうが早い。捕まえようとする悪魔の腕をすり抜けて、たやすくヴァネッサへ逼迫、震脚を経て掌底を鳩尾に叩き込んだ。

ヴァネッサ「ほんぎゃあっ!」

96: 2013/04/13(土) 12:52:10.28 ID:9bMafhLO0

ヴァネッサ「吐く! 吐くぅううぉおぼええええええぇ……」

九尾「今九尾たちは忙しい。お前に聞きたいことがある」

ヴァネッサ「えー! ずるい、わたしって殴られ損じゃない!」

九尾「お前を倒して組み敷いてもいいんだぞ」

ヴァネッサ「あ、それも素敵。抱いて!」

 九尾の眼力をものともしないヴァネッサだった。
 九尾は「ふむ」と頷いて、

九尾「首から上だけあれば十分か」

 恐ろしいことを言う。

ヴァネッサ「わかったわよぅ。一晩だけでいいから! ね?」

97: 2013/04/13(土) 12:53:57.03 ID:9bMafhLO0

九尾「……」

グローテ「……好かれておる、ようじゃの」

九尾「頃し屋に好かれてるようなものだぞ。こいつに好かれても嬉しくはない」

 なら誰に好かれればうれしいのか――もちろんそんなことは聞きやしないけれど。

ヴァネッサ「力ずくだとさすがにわたしも抵抗するわよ。このあたり一帯を焦土に変えてやるんだから!」

ヴァネッサ「九尾が何を聞きたいかわかんないけど、情報はロハじゃありませんから」

 噛みつかんばかりのヴァネッサ。彼女の足元にはギガス写本があって、いつでも悪魔を召喚できる体勢になっている。それに恐らく、まだいくつものマジックアイテムを隠しているに違いない。
 この辺り一帯を焦土に変えてやるという発言は、あながちはったりではないはずだ。出なければすぐに九尾が動いているはずだから。

グローテ「……最悪すぎる女じゃな」

 実力のある本能が最も厄介だ。

98: 2013/04/13(土) 12:54:39.34 ID:9bMafhLO0

ヴァネッサ「おばあちゃんもかなりヤバイ系みたいだけど、残念! わたしは口リコンなのよ!」

グローテ「最悪すぎる……」

 思わず腹から唸ってしまった。
 さっきのわしの警戒を返せ。

九尾「九尾たちが知りたいのは、ヴァネッサ、お前、こういう男を見ていないかということだ」

 九尾の指先から光が跳んで、ヴァネッサの体内へと吸い込まれていった。恐らく記憶の共有なのだろう。
 そうか、九尾はだからこの魔女に出会いに来たのだ。アルスの手掛かりをつかむために。
 ヴァネッサが他人を襲い、魔力を奪っているというのならば、莫大な魔力の持ち主であるアルスのことを知っていてもおかしくはない。

 ヴァネッサは僅かに眉間にしわを寄せて記憶を掘り返しているようだった。が、すぐに大きく呼吸をする。

ヴァネッサ「……知っているにしろ知らないにしろ、だから言ってるでしょ。ロハじゃあ情報はやれないわよ、って」

99: 2013/04/13(土) 12:55:50.64 ID:9bMafhLO0

九尾「良心というものはお前にはないのかよ」

 嘲笑するように九尾が言う。儂にしてみればどっこいどっこいだと思うのじゃが……。
 受けて、ヴァネッサも流すように笑う。

ヴァネッサ「魔力のためならなんだってするわよ。何たって、魔女だからね」

 一瞬だけ二人の間に殺意が膨れ上がる。それを感じて水を差す。

グローテ「で、どうする九尾」

九尾「……こいつと寝るなどありえない。踏み潰す」

 一歩九尾が足を踏み出した。半身になって、右拳を握りしめる。スカラとピオラ、バイキルトの魔方陣が四肢にまとわりつくように展開する。
 途轍もないその迫力に、けれどヴァネッサは怯むことなく、唇をぺろりと舐めた。

ヴァネッサ「返り討ちして好き勝手ね!」

 両者が同時に地を蹴った――

グローテ「待て」

 瞬間、わしは大急ぎで植物魔法を詠唱、二人の体を拘束した。

100: 2013/04/13(土) 12:57:11.09 ID:9bMafhLO0

 二人の加速に蔓が何本も音を立てて弾ける。が、ぎりぎりなんとか保ってくれたようだ。

ヴァネッサ「ふがっ!」

ヴァネッサ「な、なに邪魔すんのよぉ」

グローテ「多少は弁えろ。その子を巻き添えにするつもりか」

 わしは背後で震えている女の子を指さした。人外どもの殺気に当てられ、すっかり腰を抜かしてしまっているようだ。ともすれば失禁しかねない。
 二人が同時に女の子を見る。

女の子「ひぃっ」

 どうやらすっかり怯えてしまったようだ。わしらの話は聞いていても、流石にここまでとは思っていなかったらしい。まぁそうか。

九尾「九尾は別に構わないんだが?」

グローテ「わしは構う」

ヴァネッサ「わたしは構わないけど」」

九尾「わしは構うって言ってるじゃろうが」

ヴァネッサ「あなたの言うことを聞く必要はないわ」

九尾「まぁいいだろ老婆。九尾たちは先に進めるし、人間も喰えて、万々歳だ。最近は若い女を喰えていないしなぁ」

101: 2013/04/13(土) 12:58:08.51 ID:9bMafhLO0

 あっけらかんと二人の人外は言った。価値観の差という言葉だけでは言い表せない溝がわしには見える。
 何とか声を振り絞る。

グローテ「それでもだ」

 折れないわしに業を煮やしたのか、軽々蔦を引き千切って、九尾はこちらに向き直る。

九尾「老婆、貴様は九尾に命令できる立場か?」

グローテ「命令じゃない。お願いだ」

 本心だった。九尾と争っては決してわしには勝てない。そしてここで女の子を殺害し喰うことは、契約の内容から外れていない。
 九尾には悪いことを言っているつもりは多分にある。が、それでもわしは……。
 いや、おためごかしはやめよう。わしは正直、この女の子に、メイの面影を見ているのだ。

102: 2013/04/13(土) 12:59:40.21 ID:9bMafhLO0

九尾「……」

グローテ「……」

九尾「……仕方ない」

ヴァネッサ「九尾ッ!?」

 驚いた声を出す魔女に対し、九尾は振り向きすらせずに一喝する。

九尾「黙れ魔女! この九尾がよいといったらよいのだ!」

九尾「……今宵、丑三つ時にここでだ。文句は言わせん。お前が勝てば、好きにしろ。九尾が勝てば、情報をもらう」

ヴァネッサ「……強引な九尾も、素敵」

 ヴァネッサをまるきり無視して、肩を怒らせながら九尾が来た道を戻っていく。途中で立ち止まって、

九尾「行くぞ、老婆。そこの娘も。今回は気まぐれで喰わないでおいてやる」

 九尾の考えはわからない。わしはまだ、この魔族のことをちいとも理解していないのだと理解した。
 女の子に手を差し出すとおずおずとってくれた。子供体温は高い。体も、何より心まで冷え切ったこの老婆には、罪悪感すら想起させる。

 振り向いた先では既に魔女も姿を消している。わしはため息を一つついて意識を切り替え、歩き出した。

105: 2013/05/02(木) 11:54:59.14 ID:vaAixaDO0
―――――――――――――――――――――――
 やっとこさ宿に着く。女の子に関しては、九尾が記憶操作を行ってくれたので問題はないだろう、たぶん。
 丑三つ時を待ってベッドの上に腰かけた。悪くはない感触だ。
 勇者構想の一環として、旅人の利用する宿屋に対しても補助金はおりている。微々たる額かもしれないが、埃っぽいマットレスを変えられるくらいには効果を発揮しているようだった。

 九尾は先ほどから目を瞑って座禅をしている。精神統一。今まで九尾がここまで戦闘に対して心身を落ち着けたことはなかった。
 それほど心してかからねばならぬ相手、ということだろう。

九尾「まぁな」

グローテ「……だから心を読むなと」

九尾「お前ら四人は九尾の魔力と親和性があるようだ。比較的楽に読めるし……放っておいても、距離が近ければ流れ込んでくる」

 お前『達』……アルス、メイ、クルル、か。
 あの塔での戦いから数年が経過した今でも、九尾はわしらのことをひっくるめて語る。九尾にとっても一大プロジェクトだったのだから、記憶には定着しているのだろう。

 あの策に九尾がどれだけ腐心し、期待していたかを、わしは想像でしか推し量れない。九尾はポーカーフェイスであるし、何より、尋ねるほどわしらは仲がいいわけではなかったから。
 そうとも。わしらは所詮敵同士である。呉越同舟。船から降りた後にまで手を繋いでいる必要は、ない。

106: 2013/05/02(木) 12:07:18.16 ID:VCP4wXzr0

九尾「まぁそういうことだ。九尾にとって、貴様ら人間は、所詮衝動を満たす道具でしかない」

 片目を開けてこちらを見てくる。幼い容貌に似合わず、眼光は鋭い。

 そしてその鋭さがふっと和らいだ。

九尾「だがな、一応の責任というものも感じているのだ。下等な生物とはいっても九尾は貴様らの人生を弄んだわけだからな。それになにより、失敗してしまった」

 自嘲気味に笑う。わしはそれに対して言葉を紡げない。
 罵倒も、宥和も。

九尾「もう時間だ。行くぞ」

 確かに、既に夜はとっぷりと深まっている。窓の外を見れば闇の色がどこまでも続いていた。
 人に出遭うのは面倒だ。こっそりとわしらは宿を抜け、指定の場所へと向かう。
 隧道のそば。わしらがいけば、あちらは鋭く察知するだろう。それが合図。

九尾「時に老婆」

グローテ「なんじゃ」

九尾「お前はぼろ雑巾というものを見たことがあるか?」

107: 2013/05/02(木) 12:08:24.33 ID:VCP4wXzr0

グローテ「……?」

 意味が分からない。九尾はこんな空気の読まない発言をする存在だったか?

グローテ「……何を言っておるのじゃ?」

九尾「あれがそうだ」

 顎をしゃくって示した先では、人間が倒れていた。
 白く長い髪の毛が、まるで蜘蛛の巣のように地面に広がっている。

 違う。地面に広がっているのではない。
 不自然に赤い地面。それは、恐らく、血の海。

 ヴァネッサ・ウィルネィス。
 まさか。

グローテ「お、い!」

 思考が停止する。それとは裏腹に、反射的に体は動く。
 ヴァネッサのもとへと駆けよれば、傷は真新しく、ぴちゃりと足元に血だまりを感じることができた。へへ、うへへ、とへらへらした笑いが聞こえる。どうやら氏んではいないようだが……。

ヴァネッサ「……へへ。犯る前に、殺られちゃたぁ……」

108: 2013/05/02(木) 12:09:11.08 ID:VCP4wXzr0

グローテ「誰だ。誰にやられた 」

 傷は……深い。全身が穿たれている。そしてわずかに肉の焦げる異臭。
 火炎弾か? いや、それにしては傷口が滑らかすぎるような……。

 応急処置に顔を歪めながらも、ヴァネッサは笑って答えてくれた。

ヴァネッサ「わ、っかんない、……まぶしくって、速くって……格好悪い……瞬殺ねぇ……」

 瞬殺。この魔女のレベルを、瞬殺か。
 油断したわけではないだろう。不意打ちでも、恐らくない。それに対応できないほどの力量ならば、この魔女は九尾にとっくに殺されている。

 真っ向から、真正面から、不意打たれた。
 それほどまでに力量に差があった。

 信じがたい。

ヴァネッサ「多分、人間じゃない……あんな人間、いて、たまるもんか。いると、したら……魔族か、人間、辞めてる、わたしみたいにね、へへへっ……」

 焦点の合っていない視線が虚空を見つめている。血が止まらない。体温が下がっている。それは命の流出を意味するのだ。

109: 2013/05/02(木) 12:10:17.00 ID:VCP4wXzr0

グローテ「九尾!」

九尾「ふん、こいつを助けることになるなんてな」

 悪態をつきながらも九尾はヴァネッサに近寄っていく。わし一人ではどうにもならないが、二人で治癒魔法をかけられれば。

九尾「……このまま放置したっていいんだが、情報のためか」

 そう、九尾にも目的がある。何も話していないのに、ヴァネッサを失うわけにはいかないのだ。

 唐突に、ぐん、と九尾の体が前に引っ張られる。
 九尾の手首に巻きついた手。
 そして上体を起こすヴァネッサ。

 両者の唇が――

ヴァネッサ「んっ」

――重なる。

ヴァネッサ「唾液、ごちそうさまでしたっ!」

110: 2013/05/02(木) 12:10:43.71 ID:VCP4wXzr0

グローテ「お前、その怪我は!?」

ヴァネッサ「この怪我はマジもんですわ。流石にわたしもこのためにここまではしないもの」

 飄々としたヴァネッサの言葉が途切れるあたりで、超高速の右手が、彼女の白く細い首を文字通り握り締めた。
 ぐぎ、と骨のおかしくなる音が聞こえる。

九尾「貴様、頃す。頃す。頃す」

 本気の顔だった。口角がひくひくと吊り上ってすらいない。どこまでも真顔で、右手に力を込めている。

ヴァネッサ「いや嘘! 嘘! 嘘じゃないけど、嘘なのよ!」

 掠れた声のヴァネッサ。彼女も、この九尾が冗談でない――というよりもむしろ、冗談では済まなかったことを思い知ったらしい。

九尾「それが最期の言葉か」

111: 2013/05/02(木) 12:11:21.67 ID:VCP4wXzr0

ヴァネッサ「いや嘘じゃないのよ!  魔力使って治したけど、やられたのは本当なのだわっ!」

九尾「接吻はいらなかったよなぁ……!」

 確かに。
 だが、しかし、待てよ。本当にやられたとは聞き捨てならない。ヴァネッサの狂言であるという可能性は消えたわけではないけれど……。

ヴァネッサ「いや、ま、そうですけど」

 九尾がヴァネッサを放り投げる。

九尾「氏ねぃっ!」

 今度こそ本当に頸椎が折れる音が聞こえた。

九尾「で」

 大木に激突し、頸と言わず体と言わず、ありとあらゆる箇所があらぬ方向を向いているヴァネッサへと向いて、九尾は冷たく言い放つ。
 ヴァネッサの体が光を帯びた。体内で魔力が循環し、損傷を治しているのが見て取れる。かなり高レベルの術式だ。

 彼女は依然九尾にお伺いを立てる様子で答える。

ヴァネッサ「時間近くなって隧道のところ行ってみたら、凄い魔力感じたから襲ったんだけど……」

グローテ「返り討ちに?」

ヴァネッサ「そう。びっくりしましたわよ。戦いにもならなかった」

112: 2013/05/02(木) 12:11:52.67 ID:VCP4wXzr0

 九尾との戦いから五体満足で帰ってこられる強者が、戦いにもならなかった。俄かには信じられないことだ。それはつまり九尾と同格ということではないか。
 九尾もわしと同じことを思ったらしい。怪訝そうに眉を顰める。

 それをどうとったのか、ヴァネッサは大きく手を振って、言葉を紡ぐ。

ヴァネッサ「ほ、本当よ。光の奔流。煌めく光線。反射も利かない威力と速度と数。何より、殺意が満ち満ちてて……もう二度と会いたくないわ」

九尾「相手は一人か」

ヴァネッサ「確認できた限りでは二人ね。その攻撃は、けど、一人分。光の矢で」

 光の矢。

 光の矢!?

グローテ「九尾!?」

 思わず叫んだ。九尾もわしの言いたいことがわかったらしい。舌打ちをして、しかし、すぐさま首を振った。

九尾「有り得ん。少女と狩人は確かに氏んだ。その二人があいつらである可能性は、ない」

113: 2013/05/02(木) 12:12:35.15 ID:VCP4wXzr0

グローテ「じゃが、光の矢と」

九尾「同じ呪文を唱える者がいてもおかしくはない。そうだろう」

グローテ「……あの規模を行使できる者が、もう一人いると? 本当に?」

九尾「いいか、老婆。あやつらは氏んだのだ。お主も確認しただろう」

グローテ「虹の弓と光の矢! お前でさえ正体の掴めなかった狩人の魔法! あれを、お前、もう一人使えるはずだと!?」

九尾「議論をすり替えるな。あの二人が氏んでいる以上、そう考えるしかないというだけの話だ」

 取りつく島もなかった。九尾はわしから視線を外し、ヴァネッサを見る。

九尾「ほかには?」

ヴァネッサ「……二人が何を話しているのか、わたしにはわからない。けど、その二人は、たぶん、人間じゃあない」

ヴァネッサ「さっきも言ったでしょう? あれは人間が人間のままでは決してたどり着けない領域よ。魔族か、それとも、人間を辞めているか……」

九尾「魔族、か」

 ぽつりと呟いた。

九尾「……まさかな」

114: 2013/05/02(木) 12:13:14.26 ID:VCP4wXzr0

老婆「どうした」

九尾「……宿で話そう。勇者のことだ。いや、魔王のことか」

ヴァネッサ「わたしも行くわ」

九尾「お前はもう用済みだ。帰れ」

ヴァネッサ「酷い! でも、そうはいかないわよ。わたし、もう、九尾についていくって決めたんだから」

九尾「は?」

 ぽかんとした顔。九尾のそんな顔は珍しかったが、恐らくはわしもそんな顔をしているのだと思われた。

ヴァネッサ「だって、九尾についていけば、高純度な魔力がたんまり手に入りそうだもの! こんな機会をみすみすも逃すわけにはいかないでしょう? それに――」

 僅かに視線を下へとむけて、不敵に笑う。
 身の毛のよだつ雰囲気。わしは思わず杖を握り締めた。

ヴァネッサ「――この乱痴気ヴァネッサを虚仮にしてくれたお礼は、ちゃんと返しませんと」

―――――――――――――――

115: 2013/05/02(木) 12:13:44.80 ID:VCP4wXzr0
―――――――――――――――

 深い森の中を行く。新たな、人のこない地を見つけるために。
 俺の背後にはインドラとトールがとことこついてきていて、人獣問わず、殺意には敏感に反応する。
 そして、射頃す。打ち頃す。

 果たして諦めは俺の罪だろうか。

トール「さっきのお姉さん、強かったねぇ」

インドラ「……うん。つよ、かった」

アルス「……」

 安息の地じゃなくていい。せめて、誰ともつながらずに生きていける場所さえあれば、ほかに何もいらない。
 新天地を探して俺は歩く。そんなところあるはずもないのに。

―――――――――――――――――

116: 2013/05/02(木) 12:14:39.35 ID:VCP4wXzr0
―――――――――――――――――

 終わらない。
 終わらない。
 終わらない!

 あーもう、全然終わらないっ!

 苛立ち紛れに机を叩くと、そばで書類整理をしていた部下が溜息をつく音が聞こえた。

部下「クレイアさーん、そんなことをしても仕事はなくなりませんよー」

クレイア「人手は不足して! 作業は膨大で! よくもまぁあなたは机を叩きたくならないものですね!」

クレイア「犬!? 犬ですかっ、もしかしてあなたは国家の犬ですかっ!」

 ばん、ばん、ばん。四度目でついに積み重なった書類が床に雪崩れて行く。あぁ……。
 捺印済みものとそうでないものがいっしょくたになってしまった。面倒くさい。
 私はそれを一枚一枚拾い上げ、溜息をついた。いや、溜息をつきたいのは部下のほうなんだろうけれど。

部下「落ち着きましたかー」

クレイア「なんとかね」

117: 2013/05/02(木) 12:15:47.91 ID:VCP4wXzr0

 嘗ての儀仗兵長も、今や出立許可証を発行する窓際族。魔法が使えなくなったこの身ではしょうがないとはいえ、なんというか、斜陽……いや、既に日没。
 それでも、雇用を継続してくれているだけでもありがたい。お情けなのだろう。これでも二十年以上国のために身を粉にしてきたのだから。

 ……国家の犬は私、か。
 後悔がないとはいえ、親しかった者がみな氏んでしまえば、残されたほうはあまりにも寂しすぎる。余生を充実して生きられるほど器用でもない。
 まさに犬だ。

部下「クレイアさーん、ミスとかありましたー?」

クレイア「……ないですね」

部下「ないならもっと嬉しそうな顔すればいいじゃないですかー」

クレイア「ないからって気を緩めたときに限って、間違いが出て……きた。ほら」

 ぺらりと書類を見せてやる。
 ダルタイ・マンバという名前の男性であるはずが、送られてきた書類では「タルダイ・マンバ」となっていた。本部へと送り返さないと。

 私たちの仕事は冒険を希望する人々に対して許可証を発行すること。許可/不許可を決めるのはもっと上層部なので、私たちはその最終チェックだけを行って、氏名・居住地に間違いがないことを確認する。
 ただそれだけといえばそれだけなのだが、何しろ数が膨大である上に、氏名や居住地の見落としは後々厄介なことになる。精神を摩耗する作業なのだ。

118: 2013/05/02(木) 12:16:40.16 ID:VCP4wXzr0

 師匠に同行していくという選択肢もあった。事実、師匠はそうおっしゃってくれた。断ったのは私の意思だ。
 あの人に迷惑はかけられない。

 それに国内は相当な人手不足だ。王国事情に通じていて、事務方もできる人材はそう多くない。師匠のそばにいてサポートするよりも、師匠の構想を裏で支えるほうが私にはあっている気がした。

部下「時間はー、大丈夫ですー?」

 間延びした部下の声にはっとして時計を見た。会議の時間が近い。が、まだ大丈夫だ。薄くなった山を片付ける程度には。

 旅人構想――勇者構想の行く末を決める会議は、ほぼ毎日のようにある。特に軍部はこの構想にあまり乗り気でないこともあって、隙は見せられない。
 彼らとしては仕事の半分を民間に持っていかれたようなものなのだから、それは致し方ないことだ。ただし反対に、故郷を守りたかっただけの者からは歓喜の声も上がっているという。

 国外逃亡同然に旅へ出た師匠とは異なり、私はいまだに国家の犬。しみついた根性は今更変えられそうにない。
 そして私は、同時にあの日あの時あの塔にいた生き残りの半分だ。王国としては全ての事情を知るうちの一人で、それなりの待遇をせねばならない。会議に私が呼ばれているのも、単に能力を見込まれてのことではなくて。

119: 2013/05/02(木) 12:17:11.06 ID:VCP4wXzr0

 ふぅ、と息をつく。あと数枚でこの山も終わりだ。
 書類を手に取って、氏名を確認して……

クレイア「え」

 思わず声が出た。

 僅かな間をおいて笑みがこぼれる。そうか。彼もそんな年齢で……そういう選択をしたのか。
 そういうアプローチで、願いを受け継ぐのか。

部下「クレイアさんー? いかないんですかー?」

クレイア「行きます、行きますってば」

 書類を検査済みの山において、今度こそ崩さないように、私は立ち上がった。

 山の頂上の書類。名前は、ケンゴ・カワシマ。

―――――――――――――――――――――――――

127: 2013/05/15(水) 15:20:18.37 ID:WaJ0cywB0
―――――――――――――――――――――――――

「ケンゴ、ケンゴ、起きなさい。今日はあなたの15歳の誕生日。冒険に出発する日ですよ」

 という母親の声に対して、俺は短く返した。

ケンゴ「そんなこと知ってるよ!」

 だって眠れなかったんだから!

 既にベッドから跳ね起きて、新品の皮のブーツを履き慣らしている最中だ。まだ皮は堅いけれど、これくらいがちょうどいい。ブーツを自分の足に合わせていく作業が醍醐味だから。
 窓の向こうに見える太陽は燦々と輝く橙色。空はどこまでも続く水色。どちらも俺の出発を応援してくれているように見えた……なんてのは、ちょっとセンティメンタリズムが過ぎるだろうか。

 部屋を出てすぐの今では母親がトーストと目玉焼き、そしてカリカリに焼いたベーコンが散らされたサラダを作っていた。
 普通のメニューに見えるが、我が家ではこれが出発の日に食べる朝食だと決まっているのだった。
 なぜなら親父がそうだったから。

128: 2013/05/15(水) 15:21:04.85 ID:WaJ0cywB0

 俺は居間の壁を見て、首を捻った。あるべきところにあるべきものがなかったのだ。
 そしてすぐにそれは見つかる。食卓に立てかけられていた。

ケンゴ「母さん、これ……」

母「もってきなさい。今更触るんじゃない、とは言わないわよ」

 俺はおずおずと手を伸ばす。ずっしりと手に重みがかかる。重厚な作りで、俺が今まで振ってきたショートソードとはわけが違った。
 刀剣マニアだった親父の形見。そして、いくつもの戦場をともに駆け巡った相棒。

 銘はわからない。ただ、確かな作りのその彎刀は、幾たびも親父の命を救ってくれた功績がある。

 いったいどれほどそうしていただろうか。母親が食卓に朝食を並べるまで、俺は忘我で彎刀を握り締めていた。

129: 2013/05/15(水) 15:21:36.97 ID:WaJ0cywB0

母「あんまり無理しちゃだめよ」

ケンゴ「うん」

母「何かあったら連絡しなさいね」

ケンゴ「うん」

母「いつでも母さんはあなたのことを心配してるからね」

ケンゴ「うん」

母「……って言っても、聞きやしないんだろうけど」

 苦笑しながら母さんは言った。俺はそれにも「うん」と返す。
 遊びではないのだ。遠足でもないのだ。ましてや探検などでも。
 俺は、親父が守ろうとしたものを代わりに守って、そして同時に、親父の仇すらも討つつもりだから。

 親父――ゴダイ・カワシマは軍隊で小隊長を務めていた。もう五年も前の話だ。
 ひときわ大きなドンパチがあって、親父はそこで、乱入してきた魔族に殺された。
 四天王、序列二位、海の災厄・ウェパル。

 どんな理由でウェパルが乱入し、親父を頃したのか、俺にはわからない。彎刀を形見として届けてくれた二人の女性は語らなかったし、聞いても教えてくれそうになかった。

 俺は知りたいのだ。俺が知らないことを。都にいるだけでは知り得ないことを。

130: 2013/05/15(水) 15:23:10.15 ID:WaJ0cywB0

 と、どんどん扉が叩かれた。返事を一つして出迎える。どうせ誰かはわかっているのだから。
 やっぱりだった。扉を開けた先には幼馴染が立っていて、不機嫌そうな視線を容赦なくこちらにぶつけてきている。
 そばかすが印象的な、隣の家の、それこそ腐れ縁。

幼馴染「……なによ」

ケンゴ「そりゃこっちのセリフだろ」

幼馴染「別に、なんともないわよ」

ケンゴ「……そっか」

幼馴染「そっ、そんな悲しそうな顔するんじゃないの! まるで私が悪いことしたみたいじゃない! 嘘に決まってるでしょ、バカ!」

 そう一通り罵って、何かをオーバースローで投げてくる。
 何とか受け取れたそれは、手のひらにすっぽりと収まるサイズのもので。

131: 2013/05/15(水) 15:24:10.73 ID:WaJ0cywB0

幼馴染「お守り。ちゃんと五体満足で帰ってきなさいよ」

幼馴染「お父さんのことは、わかってる。だから止めたりなんてしないから」

幼馴染「だから」

幼馴染「絶対……氏んだら、だめなんだかんねっ!」

 それだけを叫んで走り去っていった。多分、顔を見られたくないんだと思う。
 でもそれは俺だって同じなのだ。確かにうれしいし、わくわくしている。眠れなかったくらいなのだから。
 ただ、それは眠れなかった理由の半分でしかない。

 残り半分。俺は怖いのだ。未知の世界が。戦いが。何より氏ぬことが。
 当然だろう。怖くないやつなんていない。そりゃそうだ。
 だからこそ、俺は気丈に、恐怖を笑い飛ばさなくちゃいけない。決して心を折らないためにも。

 俺は彎刀を握り締めて、そっと壁に立てかける。食事をとったら王城だ。そこで許可証を受け取って、ついに旅に出る。

―――――――――――――――――

132: 2013/05/15(水) 15:25:41.61 ID:WaJ0cywB0
―――――――――――――――――

 その後、俺はきちんと王城へ向かい、俺と志を同じくする人々たちに混ざって無事許可証を手に入れた。どんなものかと思えば、存外簡素なものだ。顔写真と氏名、そして国璽が押されている。
 途中でクレイアさんと出会った。親父の同僚だった人だ。我が家に彎刀を届けてくれた張本人でもあって、俺はこの人にいくら礼を言っても足りやしない。

 とはいえ会話の種があるわけでもないので、ほんの一言二言会話を交わして別れた。「頑張ってね」「はい」という程度だ。
 ただ、その「頑張って」に内包されている数多の困難を、俺もクレイアさんも理解していないわけではないけれど。

 許可証をもらえば十五歳の俺でも酒場に自由に出入りできる。広間にいた二十人ほども、当然そうするらしかった。人の流れができている。
 目的は様々だろう。腕試し、開拓、行商、エトセトラ。先ほど志を同じくすると言ったが、実際それは大きく嘘なのだ。富や名声を目的としない俺みたいな輩はきっと少数派だろうから。

 酒場の扉を押し開けると、中にいた人々が一斉に俺へと目をやって――鼻で笑い飛ばすのがわかった。もしくは、明らかな落胆。

133: 2013/05/15(水) 15:26:53.27 ID:WaJ0cywB0

 がちゃりがちゃりと装備を鳴らして、一人の大男が近づいてくる。歴戦の強者といった風体だ。装備も年季が入っているし、その下の肉体も、確かに鍛錬されている。

大男「おい、坊主。ここは酒場だ。酒も呑めねぇガキがどうしようってんだ」

 俺は黙って許可証を見せた。まさか大男も俺が許可証もなしにやってきたのでないことはわかっているらしく、短く笑ってこちらに向き直る。

大男「なに、別に絡もうってんじゃねぇ。これは忠告だ。親切心から俺は言っているんだぜ?」

大男「外の世界はお前みたいな坊主にゃ早すぎる。獲物はなかなかだが、あと五年修行を積んでから旅に出な」

大男「旅に出るってことは、命を天秤の片方に乗っけるってことだ。子供の命なんてとてもじゃねぇが軽すぎる。つりあわねぇな。木の実を取りに行くのとはわけが違うんだ」

 大男が最初に言ったように、確かにそれは嘲りではなく忠告だった。もし俺が逆の立場だったらきっと同じことを言うだろう。
 それでも、俺は首を横に振らなければいけない。一年だって無駄にはしたくないのだ。

ケンゴ「そういうわけにもいかないんです。親父の仇を討たなくちゃならないから」

大男「……復讐は何も生まねぇ。やめとけ」

 あるいは大男自身にも覚えがあるのかもしれなかった。

134: 2013/05/15(水) 15:29:58.81 ID:WaJ0cywB0
 俺はさらに首を横に振る。

ケンゴ「復讐ってんじゃないです。ただ……筋を通したいだけです」

ケンゴ「それに、俺は嘗て、旅の人に救われました。俺は少しでも誰かを救いたい」

ケンゴ「グローテ・マギカとフォックス・ナインテイルズみたいに、俺はなりたいんです」

 その名前が出たとき、僅かに酒場の空気が変わる。驚きというか、怪訝というか……。

大男「……ま、許可証が出ちまった以上、俺の口を出すことでもねぇか。けどな、坊主、覚えておけ。最後に勝つのは腕っぷしが強い奴じゃあない。ここに」

 どん、と自分の胸を叩く大男。

大男「でっけぇ、がっちりとした柱を持ってるやつが、最後に勝つんだ」

ケンゴ「肝に銘じておきます」

 大男は俺の脇をすり抜けて酒場から出て行った。空気が変わるまでには少し時間を要したが、と言っても数十秒のことで、空気は騒がしいものへと戻っていく。

 ……これじゃ、一緒に旅をする仲間を探す感じでは、なくなっちゃったかな。

135: 2013/05/15(水) 15:31:46.56 ID:WaJ0cywB0

 城下町というだけあって利用者の平均レベルも高い。こんな初心者の、それこそガキを相手にしてくれる物好きもそういないだろう。
 仕方がない。多少お金はかかるけど、斡旋所のほうにも足を運んでみようか。そう思って踵を返した、そのとき。

魔法使い「待ちな」

 とんがり帽子に樫の杖。黒いマントを羽織った女性が立っていた。その背後には戦士らしき男性と僧侶らしき女性もいる。
 全員がそれなりに若い。二十前後、といった感じか。

ケンゴ「……なんですか」

魔法使い「いま、グローテ・マギカとフォックス・ナインテイルズって言ったね」

ケンゴ「はぁ」

 よくわからない。だからなんだっていうんだ?

 魔法使いは視線を後ろの僧侶にずらした。あとはあなたがやりな――そう訴えているようにも見える。
 僅かに間をおいて僧侶が一歩踏み出してくる。

136: 2013/05/15(水) 15:57:28.26 ID:WaJ0cywB0

僧侶「あの、私たち……いえ、私、は、その二人を探している、のですけど」

僧侶「あ、私、教会から派遣されて、旅をしてます。世のため人のために生きるようにと……」

僧侶「あなたと、同じ、です。だから、その」

魔法使い「つまり、その二人みたいに人助けをして回っているんだけど、きみも手伝う気はない? ってこと」

 僧侶の脇から魔法使いが口を出す。
 このご時世に人助けとは実に変わり者だと思った。ただ、俺がやろうとしていることも、対して変わりはない。きっと彼女らだって自覚はあるのだとも、また思う。

ケンゴ「人助け……?」

魔法使い「そ。この娘は教会の啓示で。わたしはアカデミーの昇級試験。戦士は……ま、そういうのが趣味のやつなのよ」

魔法使い「……正直わたしはグローテ・マギカもフォックス・ナインテイルズも眉唾だと思っているんだけどね」

「「二人はいます」」

137: 2013/05/15(水) 16:01:40.95 ID:DcyF/+Me0

 俺と僧侶さんの言葉が思わずハモった。魔法使いは手をひらひらさせながら「わかったわかった」と華麗に流してみせる。

魔法使い「あんまいいたかないけど、うちら三人ともレベルは低いからね。質より量がほしいとこでもあるのよ。どう?」

 俺は僅かに考えるふりをした。ふり、というのは、そもそも答えなんて初めから決まっているようなものだったからだ。
 渡りに船とはこのことである。どうも三人は悪い人のようには見えなかったし、名声欲がないのは都合がいい。俺もそういうタイプではないから、行動の協調はしやすいだろう。

 ややあって、頷く。

ケンゴ「よろしくお願いします。初心者ですけど、頑張りますから」

 僧侶がぱあっと明るく笑う。魔法使いはそんな彼女を見て苦笑して、戦士は寡黙に、けれど僅かに口角を上げて見せた。

――――――――――――――――――――――

138: 2013/05/15(水) 16:07:35.59 ID:DcyF/+Me0
――――――――――――――――――――――

魔法使い「とりあえず、自己紹介と行きますか。わたしはリンカ。リンカ・フラッツ。国立アカデミーの六回生」

僧侶「ホリィ・ナカーク、です。修道院で、僧侶、やってました」

戦士「……エド・ハウゼンメイデン」

ケンゴ「ケンゴ・カワシマ。普通の一般人だよ」

エド「カワシマ?」

 寡黙な戦士――エドがぴくりと眉を動かした。

エド「もしかして、ゴダイ・カワシマ隊長の」

ケンゴ「親父を知ってるのか」

エド「そうか……あの人には、生前、世話になった」

 生前。この人はどうやら親父が氏んだことを知っているようだ。
 対峙するのは人獣問わない兵士であるから、誰かが氏ぬなど日常茶飯事……とまではいかないまでも、かなり高頻度。エドが親父の氏を知っているのは、恐らくある程度親密だったのだと思う。

139: 2013/05/15(水) 16:08:47.59 ID:DcyF/+Me0

ホリィ「ほ、ほら! とりあえず、お、お酒を飲みましょう! お酒! それさえあれば、あの、浮世の憂さも晴れるってもんです!」

リンカ「聖職者が酒飲んでいいの?」

ホリィ「酩酊は、その、主との距離を、近づけてくれます。おいそれとは飲めませんが……今日は、あ、新たな仲間が加わった善き日。主も祝福してくれるでしょう。……多分」

 多分て。

 俺とエドの間に走った僅かな黙祷を察したのか、ホリィは努めて明るく振舞って、けれど引っ込み思案的な言葉遣い同様に、つっかえつっかえ俺たちの背中を押す。
 気を使っているのはあからさまだったが、なんだか嬉しそうでもある。もともと優しい性格なんだろう。

 とはいえ、俺はまだ十五歳。元服は迎えていると言っても、果たしてアルコールは初めてであった。しかし呑まざるを得ない。正直言ってしまえば興味もある。
 グラスを手に取った。ひんやりした感触を味わう間もなく、覚悟を決めて、一気に。

 ごくりごくりとエールを呑みほす。苦い。喉の奥がきゅっと閉まる苦味だ。味は趣味に合わないが……気分は確かにいい。
 既に僧侶は三杯目のエールを空にしようとしていて、反対に魔法使いは暖かいお茶でちびちびやっていた。話を聞く限り、確かに三人はそれほど強者ではなくて、同時にかなりのお人よしでもあるようだった。

140: 2013/05/15(水) 16:29:21.21 ID:DcyF/+Me0

 魔法使い――リンカ・フラッツ曰く、

リンカ「王立アカデミーってもピンキリなの。わたしはそのキリのほう。落ちこぼれね」

リンカ「昇級試験は、『旅に出て、三か月以内に善い行いをすること』。魔物を倒したり、人助けをしたり、いろいろ」

リンカ「周りはわたしを馬鹿にしたわ。どうせ氏ぬのが落ちだ、ってね。ま、庶民出の魔法使いのヒエラルキーなんて所詮そんなもんよ。ムチン家やらホンク家やら、良家がうじゃうじゃしてる中ではね」

リンカ「え、家筋? そりゃ関係あるわよ。っていうか、努力をする価値があるのはいい家筋のやつだけだし」

リンカ「魔力ってのは血に宿るの。何世代も受け継いできた濃い血から大魔法使いは生まれる。名門はそういう人体改造を続けてきたようなところよ。だからこそ排他主義の貴族主義」

リンカ「そいつらとは絶対に組みたくなかった。でも、一人じゃ無理があった。偶然この娘……ホリィを助けて、エドとも出会って、今に至るわけ」

リンカ「……旅する英雄の二人の話は、聞いたことはあるけど。でも、やっぱり眉唾だと思うわ。そんな強い人間がいるとしたら、それはそれこそ名門出の大魔法使い様か……人間じゃないもの」

リンカ「……いたらいいな、とは、思うけどね」

141: 2013/05/15(水) 16:30:16.31 ID:DcyF/+Me0

 僧侶――ホリィ・ナカーク曰く、

ホリィ「辺境の村って、教会がないところも、その、けっこうあるんです。だから、わ、私、そういうところを回って、神父様の、真似事なんかをしてるんです。神父様は、お、お忙しい、方ですから」

ホリィ「普段は、もちろん、安全な道を歩くんです。けど、道に迷ってしまって、そうしたら、偶然、リンカちゃんが」

ホリィ「……助けてもらった、その、お礼、も、あります。それに……神父様は、仰ってました。情けは人のためならず、と。主もきっと、お空から、わ、私を、見てくれてるはずです」

ホリィ「リンカちゃんと一緒だったら、も、もっと、沢山の人に、お手伝いできるんじゃないかって、あの、私、思って」

ホリィ「こんな世界だからこそ、私が、じゃなくて、私、も、頑張らなくちゃって」

ホリィ「そ、それに、私、あの二人の旅人、リンカちゃんは眉唾っていうけど、そうかもしれないけど、でも、信じたい、です」

ホリィ「あの二人が、私の、い、生きる姿、なんです!」

142: 2013/05/15(水) 16:31:24.30 ID:DcyF/+Me0

 戦士――エド・ハウゼンメイデン曰く、

エド「……いろいろ、あってな」

エド「これでも、もともとは軍隊にいた。旅人構想が始まった際に抜けたんだ。子供にはわからないかもしれないが、決してあそこは、正義の味方なんかじゃあなかった」

エド「……方法が間違っていたわけでは、ないと思う。ただ……そうだな。俺の、性にはあわなかった。それだけだ」

エド「国のためなら全てを切り捨てる考えは、まっぴらだ。そういう意味じゃ、俺があいつらと一緒に旅をしているのは、罪滅ぼしなのかも、しれん」

エド「……喋りすぎた。あまり、喋るのは得意じゃあないんだ」

エド「まぁ、これからよろしく頼む。俺は、一応は戦士と名乗っちゃいるが、隊長……お前の親父さんには程遠い。鍛えてはいるけど、難しいもんだ」

エド「目的がどうであれ……旅ってのは、大変なことが多い。ばかりだ、と言っても、いいかもしれないな……」

エド「うちのやつらは、特にホリィは、伝説の旅人二人に憧れている。夢を見ているとは、俺には言えんが……目標みたいなものなのだろう」

エド「ケンゴ。お前は、どうだ。命は短い。呑めるときに呑め。休むときに休め。やりたいことは、やれるうちにやっておくべきだ。俺はそれを怠った」

エド「……イケる口だな。今度は、お前の番だ」

 エドはそう言って、グラスで俺を指示してきた。

143: 2013/05/15(水) 16:33:24.21 ID:DcyF/+Me0

 四人掛けの丸いテーブルが四角く見える。頭がふわふわして、足元がふらふらする。それでもエールはうまい。体に沁みわたっていく。
 そろそろヤバいな、という実感はあった。どこかか自分を俯瞰している自分がいる。

ケンゴ「俺は、子供のころに、あの二人に助けてもらったことがあるんですよぉ!」

リンカ「はぁ!?」

ホリィ「う、うそ!」

エド「……」

 三者三様の驚き。しかし、嘘とは失礼な。
 俺はあの日のことを、舌が時折縺れながらも三人に説明する。遠き日のこと。そういえばあの日も酒場でおっさんたちに話したっけ。やっぱり嘘だと思われたけど。

ホリィ「ほら、ほら! やっぱり、ほら、いたんですよ、リンカちゃん!」

リンカ「べ、別にまだ決まったわけじゃないでしょ。ただ女性二人組に助けられた、それだけだし」

ケンゴ「まぁそりゃそうですけどぉ」

ケンゴ「でも、噂と恰好は一緒でしたよぅ! 全身をすっぽり覆う、フードつきのマントに、決して身長は高くなくて!」

144: 2013/05/15(水) 16:34:42.87 ID:DcyF/+Me0

リンカ「模倣犯かもよ!」

エド「犯罪をしてはいないだろう」

ケンゴ「そんなムキにならなくたっていいじゃないですか!」

ホリィ「そそ、そ、そうですよリンカちゃん! 主よ感謝いちゃしましゅ! 噛んだ!」

エド「おい、ホリィ、落ち着け」

ホリィ「ほらほら、みらさん、エールを注いふぇ! リンカちゃんも、お茶なんひゃじゃなくて、ほら、乾杯って、行きますよ、ほら!」

 喚きたてる聖職者。何が聖職か。どこが聖か。

ホリィ「四人の出会いと、これからの旅の安全にぃ!」

 ひときわ大きく、グラスが鳴った。

――――――――――――――――――

151: 2013/05/18(土) 12:18:56.65 ID:SBjuN94j0
――――――――――――――――――

 アルミラージがその鋭い角をこちらに向け、一直線に走ってくる。腹を突かれては堪らない。彎刀の鞘で逸らしながら体勢を立て直した。
 魔物の走る先ではエドが待ち構えている。鉄の盾を構えて致命傷を避け、右手の斧で叩き切るのが彼のスタイルだと、俺はこの数週間で学んだ。倒すよりも倒されないことに重点を置いているのだ。

 しかし、人間相手ならばともかく、四足は素早い。エドの斧は空を切って地面へと突き刺さる。
 その背後にはホリィとリンカがいた。身を縮こまらせるホリィの前にリンカが出て、杖を魔物へと向ける。

 空間に瑕疵が生まれた。ひっかいたような傷がアルミラージの行く先に出現、僅かな間をおいて、氷が突如として具現化される。
 ヒャダルコ。彼女が使える中で最大級の魔法だ。ヒャドでは素早い魔物には当たらないと考えての選択なのだろう。
 リンカは特に凍結魔法を好む。ヒャドとヒャダルコしか、俺はまだ彼女が使っているのを見たことがない。本人は「使えないわけじゃあないんだけどね」と言っているが、本当のところはわからない。

152: 2013/05/18(土) 12:20:17.67 ID:SBjuN94j0

 血が舞う。耳と後ろ脚、そして自慢の角の一部を氷に抉られた魔物は、バランスを崩して倒れながらももがき続ける。生命の強さを目の当たりにした気分だった。

「ギィイイイイイイイイイイイッ!」

 兎が啼いた。空気を無理やり振るわせる不快な声。
 唐突にリンカが頽れた。まるで糸が切れたみたいに。

 反射的に俺は手を伸ばしてリンカを抱き留める。重力に俺自身が持っていかれそうになるも、なんとか足を踏ん張らせて堪える。修行の甲斐があったというものだ。

ケンゴ「だいじょ――」

 そこまで言って肩を撫で下ろす。なんだ、寝ているだけか。
 アルミラージはラリホーを使うため、最後っ屁のそれにやられてしまったのだ。これが戦闘中でなくてよかった。

 いつの間にか静かになった背後を振り返れば、エドが兎の首を落としていた。今夜は兎鍋だ。町が近くにないわけではないが、金があるわけでもない。なるたけ自給自足をしなければ。
 食料到達にも随分と慣れたものだった。必然的に、兵士時代に一通りの方法を学んだエドがパーティの釜の番人となっている。たまに俺とホリィが手伝うくらいで、申し訳なくはあるのだけれど。

153: 2013/05/18(土) 12:20:44.90 ID:SBjuN94j0

 エドが立ち上がって後ろを振り向いた。
 俺もつられてその方を向こうとして、それよりも早くエドの声がかかる。

エド「一品増えたな」

エド「ケンゴ、お前、蟹は食えるか?」

 軍隊ガニ。
 違う。軍隊ガニの……大群だ。

 わさわさと、木々の隙間から続々やってくる赤、赤、赤!
 甲殻と甲殻の擦れるぎちぎちという音が不気味でたまらない。しかもあいつら、蟹のくせにきちんと前に歩いてきやがる。

ケンゴ「……生き残れたら、たらふく食えるな」

エド「なに、レベル上げだと思えばいい。行くぞ」

 気楽に言ってくれる。エドにとっては大したことはなくとも、俺にとっては大仕事なのだ。こちとら旅に出て数週間のひよっこだぞ。
 もちろんそんなこと言いはしない。言えやしない。

154: 2013/05/18(土) 12:21:20.15 ID:SBjuN94j0

エド「ホリィ、いい加減リンカを起こせ!」

ホリィ「は、はいっ! ザメハ!」

 戦闘中のエドは僅かに口数が多い。それは単なる血気から来るものではなくて、その逆、熱を言葉とともに吐き出しているのだと俺は思った。

リンカ「ん、ごめんね、やられて――ってえぇええええっ、なにコレぇっ!」

エド「軍隊ガニの大群だ! 甲殻に守られて物理は通りづらい。お前ら二人の攻撃呪文に期待してるぞ!」

 気味悪い速度で近づいてくる蟹へ俺は彎刀を打ち下ろす。ガィンと鈍い音がして、痛いほどの震動が手に伝わってくる。思わず取りこぼしそうにすらなった。
 なるほど、確かに、硬い!

ケンゴ「中身はあんなプルプルしてるくせによぉおおおっ!」

 振りかぶられた鋏、その関節部を狙って正確に斬撃を打ち込む。流石に関節までは硬くするわけにはいかないようで、それでも十分な硬度はあったけれど、なんとか刃先を喰いこませることには成功した。
 そのまま捻って、関節を破壊する。

155: 2013/05/18(土) 12:21:53.14 ID:SBjuN94j0

「ごぎゅぅうおおおええおおおおおあああああ!」

 聞けば聞くほど魔物の声は醜悪だ。これだけで、存在が人間に敵対するものだとありありとわかる。

ホリィ「行きます! バギ!」

 風の塊が俺とエドの間を抜けていって蟹たちをまとめて吹き飛ばす。しかし、残念ながら甲殻は衝撃も分散するようだった。距離は稼げたが動きの止まる様子がない。

ホリィ「なら、上から!」

 天に向かって指を指したホリィが、そのまま地へと叩きつける。
 同時に、風の塊が高速落下。二体の蟹を捉えて叩き潰した。

ホリィ「は、はぁ、はぁ、やりましたね……」

 たった二体を倒しただけだというのに疲労の色が濃い。
 ホリィは回復魔法を主として学んでいたため、攻撃呪文は些細だし、弱体化など微塵も覚えていなかった。回復役として重宝していたが、それが今は逆に仇となっている。

156: 2013/05/18(土) 12:22:29.57 ID:SBjuN94j0

 更なる詠唱を続けようとホリィが手を合わせているが、顔色は明らかに悪い。このままでは無事に戦闘を終えたとしても倒れてしまうのではないか。

 俺とエドがやるしかないか。
 そして、それよりも、リンカ!

ケンゴ「リンカ!」

リンカ「わかってるわよ! ――でっかいやつを、ぶちかます!」

リンカ「その名は凍結! 透き通り、屈折するプリズムと、冷気の通り道を啓く導よ! 突き刺し、満ち、生まれよ! 我が命ずるままに敵を討て!」

リンカ「ヒャダルコ!」

 澄んだ音色が連鎖的に空間へ満ちた。

157: 2013/05/18(土) 12:23:08.59 ID:SBjuN94j0

 空間に次々と生まれていく瑕疵。それは冷気の生まれる出入り口だ。

 一拍置いて、蟹たちを穿つ形で瑕疵を通って、冷気が――凍結が、蟹たちを飲み込んでいく。

リンカ「もう一発!」

 エドの背後に近づいていた蟹の鋏が瑕疵に巻き込まれ、凍結した。そこへ目がけて俺は彎刀を叩き込む。
 依然醜悪な音をまき散らし、蟹がぐずぐずの瘴気とともに溶けていく。

エド「すまん」

ケンゴ「いいって、仲間だろう!」

エド「しかし、数が多いな」

 確かにその通りだった。まだ十数匹が後ろに控えている。ヒャダルコは範囲攻撃としては優秀だけれど、そもそも蟹と冷気は相性があまりよくない。メラかギラでも使えればよいのだけど……。

158: 2013/05/18(土) 12:23:37.69 ID:SBjuN94j0

ケンゴ「リンカ! メラかギラは――!」

リンカ「使えない! 使えないっての! ちくしょう、もう一発!」

 ヒャダルコ。蟹が三体凍って砕けた。

 俺は果たして本当にリンカが火炎系や閃光系の呪文を行使できないのか疑問だった。ヒャダルコを覚えられる程度のレベルの持ち主が、である。
 だが、使えないのならば仕方がない。今はリンカのヒャダルコだけが頼みの綱なのだ。

エド「関節を狙え!」

ケンゴ「わかってるさ!」

ホリィ「怪我したら、すぐ治しますからっ!」

 ホリィの声を背に受けて、そのまま押し出されるように蟹の群れへと突進していく。
 両手の鋏は重く、硬く、鋭い。が、動き自体はそれほどでもなかった。道場の師範代の木刀の方が何倍も速い。
 見切れるとは言えないけれど、反応は余裕で間に合う。

159: 2013/05/18(土) 12:24:04.50 ID:SBjuN94j0

 鋏を鞘で受け、いなす。思わずたたらを踏みそうになるが、敵の軍勢の中でそれは自殺行為だ。勢いに任せて突っ切る。
 左右から迫る鋏を掻い潜り、そのまま蟹を踏みつけて跳んだ。

ケンゴ「うぉおおおおおおっ!」

 目の前にいた蟹の眼窩へと彎刀を突き刺した。関節、眼窩、口腔――いくら甲殻類でも、この辺りは硬くはできないだろう!
 暴れて振り回される鋏。エドが向かってくる気配を感じ取って、俺は横へと跳んだ。

 大上段からの斧の一撃が、真っ二つに蟹を叩き割る。

エド「次ィッ!」

リンカ「退いて!」

 俺とエドの間を縫う用に、瑕疵が連なって這っていく。
 反射的に腕で前面を守りつつ、後ろへ逃げる。

 氷の結晶体が顕現。それは蟹たちを飲み込み、砕いていく。

160: 2013/05/18(土) 12:24:30.17 ID:SBjuN94j0

リンカ「……っ、はぁ、はぁっ……!」

 リンカの疲労の色もまた濃い。詠唱を必要とするレベルの出力を二度も行ったのだから、ガス欠になるのは仕方ないのかもしれない。
 しかし今の一撃で蟹の数は大きく減った。これなら俺たちだけでもなんとかなる、か?

 そんな俺の希望をあざ笑うかのように、ばつん、と音がして木が倒れた。
 軍隊ガニの群れの奥、赤が犇めくその中に、唯一緑色が存在している。その緑は決して草木のそれではなくて……。

エド「逃げるぞ!」

 戦慄が伝わってくる。その内容まではわからないが――エドの表情が全てを物語っている!

エド「上位種――地獄の鋏だ!」

ホリィ「だ、だめです! 退路が!」

 既に周囲は軍隊ガニに囲まれてしまっていた。強行突破をしても、その間に地獄の鋏は俺たちに追いつくだろう。

161: 2013/05/18(土) 12:25:16.86 ID:SBjuN94j0

リンカ「ヒャダルコォッ!」

 リンカが杖を振って凍結を放つ。それは三匹の蟹を吹き飛ばすも、突破口を開くというにはあまりにも力不足過ぎた。
 周囲から、蟹たちがじわりじわりと近づいてくる。

ホリィ「き、希望を捨てないでください! まだ可能性はあります!」

ケンゴ「わかってる! こんなところで氏んでたまるか!」

 しかし、不思議だ。こんなところで地獄の鋏が出るだなんて聞いたことがない。それほど危険度の高いエリアではないはずなんだけど。
 それとも、近年魔物の活動が活発になっていることの証左なのだろうか。どのみち不穏なことが多すぎる。

ケンゴ「地獄の鋏を倒すことは?」

 お互いの背中を預ける形で俺は尋ねた。

エド「無理だな。今の俺たちでは、あまりにもレベルが足らなさすぎる」

 辛辣な言葉だった。けれど事実でもある。
 生存は互いの力量をきちんと把握することろから生まれる。突貫は自殺と変わらないのだ。

162: 2013/05/18(土) 12:25:43.70 ID:SBjuN94j0

ケンゴ「どうしたらいいと思う」

エド「……一点突破しかない。ヒャダルコ、バキ、俺とお前の直接攻撃で、なんとか……」

 最悪体の一部をあいつらにくれてやることになるかもな、とエドはぼそりと付け足した。
 命さえあればなんとかなる。俺は覚悟を決めて、彎刀を握り締めた。

ケンゴ「一点突破だ!」

リンカ「おう!」

ホリィ「は、はいっ!」

 振り向いて、軍隊ガニの一番薄いところへと突っ込んでいく。

「ぐきょおおおおぐううううぇきぃえええええええ!」

 視界の端に緑色がちらついた。
 緑色が!

163: 2013/05/18(土) 12:26:17.81 ID:SBjuN94j0

エド「ホリィ!」

 巨大な鋏がホリィを狙う。ホリィは咄嗟のことで動けそうにない!

 エドが腕を取って地面に引き倒す。僧侶の帽子が容易く両断され、地面へとはらりと落ちただけで、なんとか怪我はないようだ。
 巨大な、体高一・五メートルはあろうかという緑色の蟹が、俺の目の前に屹立していた。

ケンゴ「うぉおおおおおお!」

 恐怖を叫びでかき消して、自分自身を鼓舞して、彎刀を関節目がけて振り抜く。
 柔らかい感触が手に感じられた。が、そもそもサイズが桁違いの存在を相手に、人間の腕力では半分も切り込むことができない。
 地獄の鋏はそれでも痛かったと見えて、そのぎょろりとした目で俺を一瞥、大きく鋏を振り上げた。

 横っ飛び。まるで戦槌のような振り下ろしを間一髪で回避して、そのまま地を蹴って体勢を立て直し、エドたちと合流する。

164: 2013/05/18(土) 12:27:14.83 ID:SBjuN94j0

エド「大丈夫か」

ケンゴ「なんとかな。そっちは」

エド「こっちも大丈夫だ。ただ、あれは……」

ケンゴ「やばいな」

 規格外のサイズすぎる。

リンカ「わたしが行くわ」

エド「ヒャダルコか」

リンカ「どれだけ効果があるかもわからないけどね」

エド「やめておけ。それより逃げるぞ」

リンカ「あんなのから逃げられるわけ!?」

 と、甲殻の擦れる音を響かせて、地獄の鋏がこちらへ向かってきた。リンカは杖を構えてヒャドを放つが、瑕疵より生まれた氷塊を、地獄の鋏は一顧だにしていないようだった。その速度は衰えることがない。

165: 2013/05/18(土) 12:27:56.14 ID:SBjuN94j0

ホリィ「ピオリム!」

ホリィ「速度向上の呪文です。これが効いている間に、なんとか……!」

 確かに体が軽い。どうやら持続時間は一分もないようだ。そのうちにどれだけ蟹たちを倒し、距離を広げられるか――

リンカ「嘘でしょぉっ!」

 リンカが叫んだ。羽の生えたような俺たちの速度に、地獄の鋏は追いつけはしないまでも、ぴったりと追随してくる!
 なんて速度だ! 見てくれ通りの化け物かよ!

 目の前には軍隊ガニの大群!

ケンゴ「退けぇええええええっ!」

 彎刀の一振りで鋏を切り飛ばしていく。そのたびに全身に負荷がかかり、手首が尋常でない痛みに苛まれる。そんなものに構ってる暇はないというのに。

166: 2013/05/18(土) 12:28:22.18 ID:SBjuN94j0

ホリィ「エドさん!」

 エドが追いつかれようとしていた。大きく振りかぶられた鋏。子供一人と同じ大きさのそれは、想像するまでもなく、恐ろしい破壊力を有しているに違いない。

 速度の乗った一撃をエドは寸でで防御する。ただし防御など殆ど意味がなく、鎧の左半分のパーツを粉々に砕かれながら、エドはそのまま地面を転がっていく。

ケンゴ「エド!」

ホリィ「よくもエドさんを!」

 ホリィが風の塊を叩きつけるが、甲殻の前では依然無意味だった。寧ろそれは火に油を注ぐだけの行為にも見えた。
 ぎろり。地獄の鋏の瞳が、今度はホリィを捉える。

リンカ「ヒャド! ヒャド! ヒャド! ――くっ」

 氷塊を受けて地獄の蟹の体が僅かに揺らぐが、ダメージを受けたようには見えない。わずか数秒の時間稼ぎにしか。

167: 2013/05/18(土) 12:28:53.00 ID:SBjuN94j0

 その間に俺は切迫していた。脚へと足をかけて、三角跳びの要領で、勢いよく宙へと飛び出す。
 いくら甲殻類でも!

ケンゴ「関節と、眼くらいは!」

 彎刀を思い切り地獄の鋏の眼窩に突き刺してやる。地獄の鋏は醜悪な声を上げながらのた打ち回り、脚と言わず鋏と言わず、あたりかまわず振り回す。
 木や草が砕け、折れ、倒れていく。

 俺はといえば腕頭につかまって振り落とされないようにしているのだけで精いっぱいだった。だいぶ深くまで突き刺したと思ったけど、全然力が弱くもならないでやんの!

ケンゴ「くそっ!」

 暴れた鋏が、体勢を崩したリンカへ向かっていくのを、俺は見た。

 血の気が引く。飛びおりて、鋏を切るか? ――いや、できるなら初めからやっているって!

 エドが地を蹴る。しかし、上から見ている俺にはわかる。間に合わない。
 間に合わない。

168: 2013/05/18(土) 12:29:28.99 ID:SBjuN94j0

 間に合わない。

 嘘だろ。

 誰か、

 誰か、

 助けてくれよぉ!

「呼んだか」

 声が聞こえた。陰鬱とした、感情の希薄な声だった。
 一人の男がリンカのそばに立っていて――鋏を、素手で

 素手で?

 止めている?

169: 2013/05/18(土) 12:29:59.90 ID:SBjuN94j0
「この辺に、こいつが出るのか」

「……俺のせい、か」

 ぶつぶつ呟いて、僅かに腰を落とし、右拳を握る男。
 俺は男の次の行動がわかった。わからいでか。握った拳をどうするかなんてことは、子供だってわかることだ。
 だから、急いで彎刀を引き抜いて、蟹の甲殻を蹴りながら空中に逃げる。なるべく蟹から離れなければ、と。

 男は、そうしてそれを、地獄の鋏に叩きつけた。

 全ては一瞬だった。一瞬というよりは、あっという間というか、あまりにも単純なものだった。
 拳で殴る。蟹が吹き飛んで、砕けて、氏ぬ。
 それだけ。

 「それだけ」なんて言葉で済ませていい事象でないのはわかっている。そんなレベルのできごとではない。俺たちとは住む世界が違う強さの世界を目の当たりにして、けれど俺は、住む世界が違うゆえに、それを表現できる語彙を有していないのだ。

リンカ「あ、あの」

 俺と同様に言葉を失っているリンカが、男に声をかける。

リンカ「あなたは、一体……」

 お礼よりも驚愕が口を突くのは確かに自然なことだった。俺だって、礼よりも何よりも、それが気になってしょうがないのだ。

 男は逡巡の間をおいて、視線を逸らしながら答えた。

「アルス・ブレイバと言う」

――――――――――――――――

170: 2013/05/18(土) 12:33:07.43 ID:SBjuN94j0
今回の更新はここまでとなります。
いずれドラクエにもFOEが……。

171: 2013/05/18(土) 12:39:33.37 ID:PiG7Dt3vo
おつ
魔王登場か…

172: 2013/05/18(土) 14:47:04.51 ID:p7G0gEnuO
あの二人はどうなったんだ……?

次回:勇者「王様が魔王との戦争の準備をしている?」【完】


引用: 勇者「王様が魔王との戦争の準備をしている?」 2スレ目