814: 2012/01/18(水) 22:00:36.79 ID:/yleCiHto

前スレ
妹の手を握るまで【その1】
妹の手を握るまで【その2】
妹の手を握るまで【その3】
妹の手を握るまで【その4】

前兆みたいなことはあった。相変わらず両親不在の夜、あたしは先輩に呼び出され遊びに行く支度をしていた。

先輩と付き合い出してから、あたしはよく夜に外出するようになっていた。両親は不在でそれを咎めることはなかったし、お兄ちゃんはあたしが外出しようがリビングで黙ってテレビを見ていようがどちらでもいいようだった。

今までずっと一人で夜を過ごしてきたしそれに慣れてもいたけど、一度夜先輩や友だちと一緒に騒ぐ楽しさを覚えるとやはりそれは一人でテレビを見ているよりは気が晴れた。
何よりお兄ちゃんを忘れようとして先輩と付き合ったのに、それも妹友ちゃんや委員長ちゃんの想いを壊してまでそうしたのに、夜家にいるとお兄ちゃんのことを忘れることができなかったから。


お兄ちゃんがこもっている2階の部屋のドアがたまに開く音がすると、あたしはびくっとして少し期待して階段を眺める。お兄ちゃんがリビングに来るのかもしれない。

お兄ちゃんは飲み物を取りにあたしのいるリビングを通ってキッチンに向かう時もある。そしてお兄ちゃんがあたしの横を黙って通り過ぎると、あたしは溜めていた息を吐き出してやっぱり一言も口をきいてくれなかったなと落胆する。

こんなことをしていたらお兄ちゃんのことを忘れるどころではなかった。それであたしは自分から言い出すことはなかったけど、先輩や女の子たちに誘われればなるべく夜の街での遊びに付き合うようにした。

お兄ちゃんはあたしが夜出かけても全く気にしていなかったし。
「俺の後輩がこんなに腐ってるわけがない」

815: 2012/01/18(水) 22:03:13.88 ID:/yleCiHto
ところがその日は違った。

先日どういうわけか早めに帰宅したお母さんより遅く家に帰ったことを、お母さんに見咎められて注意されたばかりのあたしはお兄ちゃんに口止めをしておこうと思った。
あたしは最近覚えた薄い化粧を手早くして服を着替え、キッチンでカップ麺でも作っていたお兄ちゃん話しかけた。

「ねえ」

「え、まだいたのおまえ」
出かけたと思っていたあたしに話しかけられたお兄ちゃんは少し驚いたように言った。

「行ってくるから」
あたしはお兄ちゃんに断ったけど、お兄ちゃんの反応は冷たいというか無関心そのものだった。

「今夜出かけるのお母さんたちに内緒にしてね?」
あたしはお兄ちゃんに念を押した。

「しつこいな、わかったって」
少しいらいらしたようなお兄ちゃんの返事。

「・・・・・・うん」
あたしは答えたけどその時、お兄ちゃんのこれまでは全く見せたことのない態度に気がついた。
お兄ちゃんが、あたしの顔や身体をじっと見詰めていたのだ。

816: 2012/01/18(水) 22:05:50.44 ID:/yleCiHto
「お兄ちゃん?」
少し不安になったあたしは反射的にVネックのセーターの胸元を手で押さえた。あたしの顔は赤くなっていたかもしれない。とりあえず動悸は経験したことがないほど早くなっていた。
あたしはそれでも気を取り直した。そろそろ行かないと遅くなってしまう。


「・・・・・・じゃ、行ってくるね」
その時、お兄ちゃんがぽつんと口にした言葉をあたしは多分一生忘れないだろう。

「おまえさ・・・・・・男と夜遊びはいいけど、ほどほどに付き合えよ」

あたしのことを心配しているの?
瞬時にあたしの心に何か暖かく優しい気持ちが溢れたけど、お兄ちゃんの言葉を素直に喜ぶにはこれまでの無関心な兄妹の期間が長すぎた。

「・・・・・・何で?」
あたしはどきどきしながら聞き返した。

「今まであたしにそんなこと言ったことなかったじゃん」

「今のなし! いいから早く行けよ」
お兄ちゃんも心なしか顔を赤くし慌てたように言った。



その時の話はそれで終わった。そしてその夜は最悪だった。先輩の話を聞き流してさっきのお兄ちゃんの視線と言葉の意味をかみ締め続けていたあたしに、先輩は何か不穏なものを感じたのだろう。
いつにもまして先輩の態度が酷かったため、引き止める先輩の手を振り払いあたしは家に帰ることにした。

817: 2012/01/18(水) 22:07:43.11 ID:/yleCiHto
次にあたしがお兄ちゃんの気まぐれな好意に悩まされたのは、その翌日だった。

その日は突然に雨が振り出して、傘を持っていなかったあたしは妹友ちゃんの傘に入れてもらいながら校舎を出て街中に向かっていた。


・・・・・お兄ちゃんが校門の前に車を止めて待っているのを見つけた時。

その時はあたしのこれまでの人生で一番幸福ででも心が混乱し自分がどう行動しているのか何を喋っているのかその時には全くわからないほど、頭の中が真っ白に輝いてあたしの思考は停止していた。


「窓あけて」
あたしは夢遊病者のようにお兄ちゃんの車のフロントガラスを叩いていた。

「お兄ちゃん、ここで何してるの」
あたしの口から勝手に周りの子たち、彼氏とも仲のいい子たちに配慮した言葉が口から出ていた。

「へ? 何っておまえを迎えに」
お兄ちゃんは言った。

「キャー。妹いいなあ。車でお迎えが来るんだあ」
ただでさえ真っ白なあたしの頭を混乱させる無責任な女の子たちのからかう声。

「何でわざわざ校門の前の目立つところで車止めてるの? っていうかあたし迎えなんて頼んでないよね」
あたしは何を言っているのだろう。落ち着いてありがとうお兄ちゃんって微笑んで、助手席に入りさえすればいいのに。

「母さんが迎えに行けって。おまえ、母さんからメール来てねえの」

「知らない、そんなこと。いいから帰ってよ」

「だっておまえ傘」

「友達に入れてもらってるから大丈夫。早くここからいなくなって、お願いだから」
お兄ちゃんは黙ってしまった。


17年間生きてきて初めてのお兄ちゃんのお迎え。
17年間生きてきて初めてお兄ちゃんと二人きりのドライブ。
何であたしは素直にお兄ちゃんの車に乗り込めないのだろう


「妹ちゃん、浮気?」「修羅場か?」「彼氏先輩に言いつけちゃうよ」「きゃははははは」
再び面白がっているでも悪気のない嬌声が聞こえて来る。


もう駄目だ。ここまで最悪な態度を示してしまった以上、これからいそいそとお兄ちゃんの車の助手席に乗り込むわけには行かなかった。
17年間で初めて訪れたお兄ちゃんと親しくなるチャンスをあたしは自分で潰してしまったのだ。

818: 2012/01/18(水) 22:09:15.85 ID:/yleCiHto
「じゃあ、あたしもう行くから」
あたしは外見は平静に、でも心中は声をあげて泣きたくなるような気持ちで言った。

「おい」
あたしの気のせいかお兄ちゃんは少し慌てたように声を出した。

「妹ちゃん、知り合いなの?」
それまであたしをからかう子たちの中に入らず、静かに様子を見守っていた妹友ちゃんがあたしに話しかけてきた。

「・・・・・・うん。お兄ちゃ、兄貴。お母さんに言われて迎えに来たんだって」
あたしは答えた。

「じゃあ、お兄さんに悪いし今日は帰ったら?」
・・・・・・あたしはまるで救世主のような妹友ちゃんの言葉にうなずきたかったけど、半ばパニックになっていたあたしは自分で始めたわけのわからない演技を続けてしまった。

「ううん。気にしなくていいの妹友ちゃん。それに、今日のカラオケって彼氏先輩も待ってるし」
あたしは心にもないことを言った。

「先輩にはあたしから説明しておくから。せっかくお迎えに来てくれたんでしょ? お兄さんに悪いよ。一緒に車で帰れば?」


「・・・・・・じゃあ、あたし少し寄って行くところがあるから」
あたしはお兄ちゃんに言った。本当はこんなことが話したいんじゃなかったのに。


お兄ちゃん、迎えに来てくれてありがとう。
帰りに夕食を買いたいんでコンビニに寄ってくれる? それともファミレスとかにする?

一緒に帰れば口に出していたかもしれない言葉がほんの一瞬だけ心をかすって行った。


「え? 一緒に帰らねえの」
お兄ちゃんは困惑したように言った。

「お母さんにはご飯までには帰るって言っておいて」
あたしはそれに追い討ちをかけてしまったのだ。

「え・・・・・・え?」

「じゃ、行こ。遅くなっちゃうし」
あたしは妹友ちゃんに言うとそのまま後ろを見ずに妹ちゃんの傘の下から駆け出した。

819: 2012/01/18(水) 22:18:15.73 ID:/yleCiHto
その夜のカラオケの様子なんて全く覚えていない。ひたすら考えていたのはお兄ちゃんが始めて示してくれたあたしへの関心や優しさ、そしてそれに対して考えうる限り最悪の態度を取ってしまった自分についてだった。

あたしはお兄ちゃんのことを諦めようとしていたけど、お兄ちゃんにこんな些細な好意を示されただけで動揺するほどお兄ちゃんのことをまだ想い続けていたんだ。
冷静に考えればただお母さんに言い使ったお兄ちゃんがいやいやあたしを迎えに来ただけかもしれないけど、それでもこんなことは初めてだった。
あたしはこれ以上この騒がしい場所にいることが耐えられなくなった。早く帰ってお兄ちゃんに今日の態度を謝ろう。たとえお兄ちゃんが許してくれなくても再び無関心な関係に戻ってしまうにしても。



しつこくあたしを引き止める先輩を上手に宥めて、あたしをカラオケの出口に連れて行ってくれたのは妹友ちゃんだった。あたしは妹友ちゃんにお礼を言った。
その時、妹友ちゃんが気軽な口調であたしに言った。

「あのさ、よかったらお兄さんのメアド教えてもらってもいい?」

828: 2012/01/19(木) 21:21:08.95 ID:5b3z4PZMo
その夜何とか先輩たちを振り切って帰宅したあたしは真っ先にお兄ちゃんの部屋に向かった。こんな時間の帰宅をお母さんに叱られることは覚悟していたけれど、あたしが家に着いた時にはどういうわけかお母さんは家にはいなかった。

お兄ちゃんにさっきの酷い態度を謝ること。そして・・・・・・嫌な予感がするし正直気が進まないけれど妹友ちゃんに約束したとおりお兄ちゃんのメアドを教えてよいか聞くこと。
あたしはそれだけを考えてお兄ちゃんの部屋をノックした。


いつものようにパソコンの前に座ってゲームをしているお兄ちゃんはあたしが謝ってもそれを受け入れようとしてくれなかった。


「わざわざ車出しておまえを迎えに行った俺がバカだったよ。母さんにも文句言おうと思ったら出かけちゃうし」

「謝るくらいならさっきの態度を何とかしたら? そんなに俺と兄妹だって思われるのが恥ずかしいのか」


お兄ちゃんの冷たい言葉にあたしは萎縮し声がだんだん出なくなっていった。言い訳していてもお兄ちゃんから声が小さくて聞こえねえよなんて責められるほど。

あたしが悪いんだ。大勢の女の子たちの前でお兄ちゃんに恥をかかせお兄ちゃんを傷つけた。

お兄ちゃんが迎えに来てくれて本当は嬉しかったけど、恥ずかしくてついあんな態度をとってしまってごめんなさい。
こんな簡単な言葉をあたしは口に出来なかった。こんなことを言ったらお兄ちゃんに対するあたしの気持ちが伝わってしまうかもしれない。
普通の恋愛なら相手に気持ちが伝わるところから始るのだろうけど、実のお兄ちゃんに向けられたあたしの恋にはそんな贅沢な選択肢は許されていなかった。

お兄ちゃんがあたしの気持ちに気づいてしまったら、実の兄に恋愛感情を抱いている妹のことを気持ち悪いと感じるかもしれない。そうなったら今までの無関心なだけの関係が更に悪化してしまう。あたしにはそれが怖かった。
なので、あたしには、さっきは彼氏の知り合いがいっぱいいたからお迎えが来たことが先輩に知られて嫉妬されるのが怖かったということを、もそもそと言い訳するしかなかったのだ。

それは自分で考えても意味不明な言い訳だった。彼氏に嫉妬される? 普通の彼氏はお兄さんには嫉妬しない。これではまるであたしがお兄さんのことを男性として見ていることを仄めかしているようだった。幸いお兄ちゃんはそこまで考えずにいたって普通に反論した。

「誤解って・・・・・・兄貴って言えば済む話だろ」

その言葉はあたしの心に突き刺さったけど、あたしにはもう一つお兄ちゃんに言うことがあったので、お兄ちゃんに許してもらうことを半ば諦め無理に話を変えた。


・・・・・・あたしの友だちの妹友ちゃんにお兄ちゃんのメアド教えていい?

829: 2012/01/19(木) 21:40:19.84 ID:5b3z4PZMo
好きにすれば?

関心のなさそうな声でお兄ちゃんが言った。
本当に妹友ちゃんに関心がないなら嬉しかったのだけど、お兄ちゃんの目が何となくいつもより輝いていることにあたしは気がついてしまった。
お兄ちゃんに今日のことを責められていた時よりさらに重苦しい気分であたしは答えた。

「教えてもいいんだ・・・・・・うん。じゃあ、教えるね」

「ああ」
お兄ちゃんは少し動揺しているみたい。

「じゃあ。今日はごめん」
最後にあたしが謝ると、お兄ちゃんはあたしを許してくれた。

「もう、いいよ。じゃあな」


お兄ちゃんは妹友ちゃんに関心があるのだろうか。
あんなに冷たい態度だったお兄ちゃんが、妹友ちゃんがお兄ちゃんのメアドを知りたがったということを聞いただけで、明らかに態度が柔らかくなってあたしのことも許してくれた。
許してくれたのはいいけど、手放しで喜べるようなことではなかった。


今しないと二度と出来なくなってしまうかもしれない。部屋に戻ったあたしは携帯電話を開き、妹もちゃんにメールした。本文に何か書く気力もなかったのでただお兄ちゃんのメアドだけを記して。

重いい気分を持て余し気味にあたしがベッドに入ったその時、携帯電話が鳴りメールの到着を告げた。
妹友ちゃんかな。正直あたしには妹友ちゃんのメールを見る気分ではなかったけど、そのままにしておくのも気になってあたしはメールを見た。


from :お母さん
sub  :無題
『もう寝ちゃった? お母さんはしばらく家に帰れないからね。電話のところに3万円置いてあるからそれで食事とか必要な物を買って。あと今朝お母さんがお兄ちゃんを起こしたら、お母さんよりあんたに起こされる方がいいって言ってたからしばらくはあんたがお兄ちゃんを起こしなさい。いいわよね?』


あたしは呆然とお母さんのメールを眺めていた。これまであたしの心をしつこく苛んでいた暗い気分が一気に晴れたようだった。


『お母さんよりあんたに起こされる方がいいって言ってたから』
それから10回くらいメールのその部分を繰り返し読んだあたしははっと気がつき毛布に潜り込んだ。明日は遅刻できない。いや当分は夜遊びもやめないとお兄ちゃんを起こせないかもしれない。


お兄ちゃんがあたしに起こしてもらいたがっている。すぐに寝ないといけないと考えても、そのことに興奮したあたしの頭は変に冴えてしまい、結局はほとんど眠れない状態で朝を迎えたのだった。

830: 2012/01/19(木) 21:41:00.89 ID:5b3z4PZMo
ここまでsageて投下してしまった

次からageます

832: 2012/01/19(木) 21:54:16.05 ID:5b3z4PZMo
次の朝、あたしはきちんと身支度をしてからお兄ちゃんの部屋に行きドアをノックした。返事がないのは予想どおりだったので、ドアを開けてお兄ちゃんの部屋に入った。


「いい加減に起きてよ」
あたしはお兄ちゃんに朝堂々と声をかけられる喜びを隠して眠っているお兄ちゃんに声をかけた。

「今日も大学行かないの」
お兄ちゃんは目を開けたけど何が起こっているのかわからない様子で最初はあたしのことをお母さんと間違えていた。


あたしだとわかるとお兄ちゃんは少し慌てたみたいだった。
「何でおまえが俺を起こしてるんだよ」

「これからはあたしがお兄ちゃんを起こすんだって」
あたしはお母さんのメールを説明した。

「まあ、ありがとな。起こしてくれて」ケホケホ
少しやり取りした後ようやく納得したお兄ちゃんはありがとうって言ってくれた。
あたしが平静を装うのももう限界で、あたしはついにっこりと微笑んでしまった。


その時あたしはお兄ちゃんの様子がおかしいことに気がついた。顔が真っ赤だし、咳きもしている。
お兄ちゃんは風邪をひいたらしかった。今日は平日だったけどこれではお兄ちゃんは大学に行けないだろう。
そして、あたしもその時すぐにあたしがしなければいけないこと、あたしが本当にしたいことをすることに決めた。

今日は学校を休んでお兄ちゃんを看病しよう。お兄ちゃんと一緒に過ごそう。
昨日までの鬱が嘘のようにあたしは浮き浮きとしていた。

834: 2012/01/19(木) 22:17:34.45 ID:5b3z4PZMo
お兄ちゃんの熱は相当高いようだった。あたしは少し悩んだけど思い切ってお兄ちゃんの額に手を当ててみた。熱を測るまでもなく相当高熱みたいだ。
しばらくしてお兄ちゃんはそのまま寝込んでしまった。

その間あたしはおかゆを作った。正直に言うと料理が下手なあたしには作り方さえ知らなかったので、リビングのパソコンでおかゆの作り方を検索するところから始めなければならなかった。
何とかおかゆを作り上げたけど、お兄ちゃんはずっと眠り続けていた。


夕方、お兄ちゃんの部屋から人が動いているような気配というか振動のような揺れを感じたあたしは、お兄ちゃんの部屋に向かった。お兄ちゃんが目を覚ましたのかもしれない。

「お兄ちゃん起きた? 入るよ」
ドアの前で声をかけたあたしが部屋に入ると、どういうわけかすごく慌てた様子のお兄ちゃんが毛布に包まって赤い顔であたしを見上げた。

よほど熱が高いのだろうけど、何か後ろめたい表情でもあった。
あたしはおにいちゃんの何か慌てている様子には構わず、お兄ちゃんの額に手を当てた。

「少しは熱下がった?」
相変わらず熱っぽいお兄ちゃんの体温があたしの手に伝わりなぜかあたしは少し動悸が早くなった。

「・・・・・・全然下がってないね。お兄ちゃん? ・・・・・・大丈夫?」

「大丈夫、だと思う」
あんまり大丈夫な様子はなかったけどお兄ちゃんはそう答えた。

「インフルエンザの季節じゃないのに、相当熱高いみたい。はい、熱測って」

「熱測っておくから何か食べるもの持ってきてくれないかな?」
お兄ちゃんはそう言った。よかった。おかゆはもう用意してるので暖めればすぐにお兄ちゃんに食べてもらえる。

あたしはキッチンでおかゆを暖めお兄ちゃんの部屋にそれを運んだ。
お兄ちゃんの体温は38.9度だった。これでは明日も大学は休まないといけないだろう。あたしも高校を休もう。
あたしがそう決めた時、あたしの携帯が鳴った。

835: 2012/01/19(木) 22:31:45.13 ID:5b3z4PZMo
電話は先輩からだった。

『今日はおまえ学校休んでたけど、夜は来れるんだろ?』
先輩はなぜか強気な口調であたしに言った。多分周りに取り巻きの子たちがいるのだろう。先輩はあたしと二人きりの時は弱気であたしの機嫌をとろうとするけど、周りに人の目がある時はうって変わって強気なところを見せようとする。この頃にはあたしにももう先輩のそういう性格がわかっていた。

「急用が出来ちゃって家を離れられないんだ。悪いけど、今日はキャンセルしていい?」
あたしは先輩に言った。先輩は一瞬黙り込みそれからいきなり怒鳴り始めた。

『浮気してんのかよ。誰だよおまえと一緒にいる奴は』

「・・・・・・違うよ、浮気とかじゃないって」
あたしは先輩に言い返した。

次の先輩の言葉はあたしには決して許せないもので、でも核心を突いていた言葉だった。
あたしは先輩の怒鳴り声がお兄ちゃんに聞こえたのか心配だった。
『・・・・・・兄貴か。またおまえのクズの兄貴なんだな!  おまえの兄貴って妹以外に話ができる女がいねんのかよ。クズの童Oが!』

「冗談でもそんなこと」
あたしの声は少し震えていたかもしれない。それは先輩を恐れたのではなくお兄ちゃんに聞こえなかったかを恐れたのと、あと、お兄ちゃんへの誹謗中傷はともかく結局この先輩が言っている事実、つまり彼氏よりお兄ちゃんを優先していると言うことは事実だったからだ。

あたしはやはりお兄ちゃんへの気持ちが忘れられない。先輩と付き合ってもやはりお兄ちゃんのことを忘れることはできなかったのだ。

先輩は怒鳴るだけ怒鳴って一方的に電話を切ってしまった。あたしは気まずい思い出お兄ちゃんの方を見た。お兄ちゃんには先輩の声は聞こえなかったようだ。それならお兄ちゃんはあたしとか先輩とのトラブルなんて無関心だろう。あたしは気を取り直してお兄ちゃんにおかゆを勧めた。

その時。お兄ちゃんが信じられないようなことを口にした。

836: 2012/01/19(木) 22:44:09.60 ID:5b3z4PZMo
「おまえさ、彼氏のとこ行ってくれば?」


「え?」
一瞬あたしにはお兄ちゃんが何を言っているのかわからなかった。
お兄ちゃんはあたしのことなんか関心がない。ましてあたしと先輩の関係なんかもっとどうでもいいと思っていることは間違いないはずだった。
では何で?


「どうせ今夜も母さんたち遅くなるんだろ?」
お兄ちゃんは続けた。

「さっき電話があって今日は二人とも会社で泊まりだって」
とりあえずあたしは何とか平静を装った。

「行ってこいよ。彼氏と飯でも食ってきたら。男の誤解も解けるだろうし」
お兄ちゃんは何を言っているのだろう?

「あんな言い方じゃそれは疑われるよ」
冷静に話すお兄ちゃんの声

信じられないことにお兄ちゃんはあたしと先輩の仲を本気で心配しているようだった。
正直、あたしは先輩のとことに行く気は全くなかった。それよりむしろ看病と言う名目でお兄ちゃんの部屋で寝るまでお兄ちゃんと一緒に過ごせないかと考えていたのだ。

でもお兄ちゃんがあたしのことを心配してアドバイスしてくれている。これまでそんなことをあたしに言ったことなんか一度もなかったのに。
もちろんお兄ちゃんへのあたしの恋愛が届き始めたと言うことでは全然なく、疎遠だった兄妹がようやく普通の兄妹の関係になり始めたということに過ぎないのだけれど。

あたしはお兄ちゃんのアドバイスどおりにしようと決めた。心中は複雑だった。本心では先輩のことなんて放っておいてこのままお兄ちゃんと話していたかったけど、せっかく好転の兆しが見えたあたしたち兄妹の関係を潰してしまうのもいやだった。

「・・・・・・ありがと」
あたしは呟いた。

「ああ」
お兄ちゃんはあたしに微笑んだ。

「じゃ、行って来る」
あたしは後ろ髪を引かれるような思いでおにいちゃんの部屋を出て、先輩たちの待つからカラオケボックスに向かった。

845: 2012/01/20(金) 21:40:03.87 ID:Ohn7E77eo
その夜、あたしは先輩と過ごしながらずっとお兄ちゃんのことを考えていた。

お兄ちゃんがあたしと彼との仲を心配してくれた。お兄ちゃんを恋する立場から言えばそれは最悪な出来事だと思うのが普通だ。好きな人があたしの恋愛を応援するということは逆に言えばあたし
に恋愛感情がないということ。お兄ちゃんはあたしの彼に嫉妬したのではない。

だけど、彼との仲をお兄ちゃんが心配するということだけでもあたしにとってはすごく嬉しい進歩だった。今までお兄ちゃんはあたしに全く関心がなかったのだから。
あたしはお兄ちゃんの態度について考えることに一生懸命没頭していたせいで、先輩を置き去りにしたようだった。

「・・・・・・俺の話聞いてるの? おまえ」
先輩は途中で話をやめ、面白くなさそうに言った。今夜は二人きりだったせいで、周囲の取り巻きにいいところを見せる必要がないので、先輩も敢えて乱暴な態度を示すことはなかった。

「ちょっと考えごとしてた。ごめんね」
あたしは答えた。

「まあ、おまえが他の男と遊びに行ったんじゃねえことはわかったよ」
先輩は気を取り直して話を続けた。

「おまえの兄貴が病気で家には誰もいないってこともわかったけどよ」

「うん」

「・・・・・・やっぱり、それって浮気の一種なんじゃねえの」
先輩は少し寂びそうに言った。

「だから他の男の人とは会ってないよ」
あたしは少しイライラして答えた。何度同じ話を蒸し返すつもりなんだろう。

「だから、そうじゃなくてよ。おまえが兄貴と一緒にいたいっていう気持ちが、精神的な浮気なんじゃねえのか」
先輩はそう言いながらも少しも怒っている様子ではなかった。
あたしは反論しようとしたけど、できなかった。

・・・・・・先輩の言うとおりだと自分にもわかっていたから。

「じゃあ、今日は帰るか」
先輩はレシートを掴んで席を立った。

「え?」

「送ってくよ。兄貴のことが心配なんだろ」
先輩は静かに言った。決して怒っている風でもなく、ただ少し寂しげに。

846: 2012/01/20(金) 21:43:05.23 ID:Ohn7E77eo
11時過ぎ、家の前まで送ってくれた先輩にさよならのキスをした(それはいつもの習慣だった)あたしは、家に入ると真っ先にお兄ちゃんの部屋に向かった。

部屋は明かりは既に落ちており、お兄ちゃんは寝ているようだった。
あたしはとりあえずお兄ちゃんの熱が下がったか調べようと、寝ているお兄ちゃんの額に手を当てた。
・・・・・・少し下がったようだけど相変わらず熱は下がりきっていないようだ。

その時お兄ちゃんが身じろぎした。
「おかえり」

お兄ちゃんが寝ているものと思い込んでいたあたしは思わず小さく悲鳴を上げた。

「どした?」
お兄ちゃんが落ち着いた声でたずねた。

「おきてたの? お兄ちゃん」
まだドキドキしている胸を必氏で静めながらあたしは聞いた。

「おまえの手が冷たくておきた」

「熱さがったかなって思って。ごめん」

「何でそこで謝る」
お兄ちゃんが言った。

「おこしちゃったから。じゃあ、おやすみ」
あたしがお兄ちゃんの部屋を出ようとしたその時だった。

「・・・・・・どうだった」

「? 何が?」

「彼氏と仲直りできたのか?」
お兄ちゃんはやっぱりあたしのことを心配してくれている。気にかけてくれている。
ひょっとしたらさっきの優しさは気まぐれなんじゃないかとも思ったけど、あたしの帰宅直後にそう聞いてくれるほど、あたしのことを考えていてくれたのだ。
繰り返すようだけどそれはもちろんあたしへの恋愛的な意味ではなく兄妹的な優しさだ。
でも、それだけでもあたしはすごく嬉しかった。

「あ、悪い。余計なこと聞いたわ。今の忘れていいよ」
お兄ちゃんは慌てたように言い繕ったけど、あたしは構わず答えた。

「お兄ちゃんが病気だってことは信じてもらえた」

「・・・・・・そう。よかったな」
お兄ちゃんはぼそっと言った。

「でも、浮気じゃないってことは信じてもらえなかった」

「はぁ?」

「精神的な浮気じゃないかって」

「・・・・・・俺にはよくわからん。結局仲直りしたの? しなかったの?」

「よくわかんない」
・・・・・・実際にはすごくよく理解できていたのだけど、それはお兄ちゃんにだけは話せないことだった。

「そうか」
考えるのを諦めたようにお兄ちゃんが言った。

「・・・・・・おかゆ、食べてないね。まだ食べられない?」
あたしはおかゆが手付かずのまま残されているのを見て尋ねた。

「そのままにしといて。後で食べるから」
もちろんこんな冷めたおかゆをお兄ちゃんに食べさせるわけにはいかない。

「冷めちゃったから片付けるね。お腹空いたらまた作るから」
あたしはおかゆの乗ったトレイを片付けようとした。

「こんな時間だからもう寝たら? 明日は学校行くんだろ」
お兄ちゃんが言った。

「だって・・・・・・」
あたしはお兄ちゃんの風邪が治るまではずっとお兄ちゃんの看病をするつもりだった。

「俺は平気だから。熱も下がってきたし」
あたしは落胆のあまり泣きそうだったけど、病気のお兄ちゃん相手にわがままを言うわけにもいかなかった。

「わかった。じゃあ、おやすみ」

「ああ」
お兄ちゃんは短く答えると再び目をつぶった。

852: 2012/01/20(金) 22:25:38.97 ID:Ohn7E77eo
次の日の放課後、あたしは妹友ちゃんを連れてお兄ちゃんが寝ている自宅に帰った。

正直に言うと、妹友ちゃんのお兄ちゃんへの関心はすごくあたしを不安定にした。アドレスを教えるだけでもすごく辛かったし、ましてお兄ちゃんのお見舞いをしたいと暗に持ちかけてくる妹友ちゃんの頼み方も気に障った。

でも、あたしには前科がある。妹友ちゃんの気持ちを知りながらそれを無視して先輩を奪ったこと。
その負い目を考えるとあたしには妹友ちゃんを突き放すことは出来なかったし、妹友ちゃんもそれを承知であたしにいろいろ言ってきている感じもしていた。


「妹友ちゃん、うちのお兄ちゃんのこと好きなの?」
あたしがついに我慢できずにそう聞くと妹友ちゃんは待っていたかのように恥ずかしそうな笑顔を浮かべて答えた。

「わかんないけど・・・・・・何か気なるっていうか」

「そうか。先輩のこと吹っ切れた?」
あたしにはそれが気になっていた。

「うん」
妹友ちゃんはすぐに答えた。この言葉には嘘はないのだろうと何となくあたしは感じた。

「妹ちゃんと先輩のツーショットを見ているのって正直辛かったけど、でも今は気にならない」
・・・・・・考えすぎかもしれないけど、妹友ちゃんがあたしに貸しを返せと言っているように思えてあたしは黙り込んだ。

「自分でもよくわかんないんだけど、今は妹ちゃんのお兄さんのことが気になる」
妹友ちゃんははっきりとそう続けた。

「・・・・・・今日、うちに来る?」
あたしは負けた。

「いいの?」
妹友ちゃんは白白しくにっこりとしながらあたしに聞き返した。

853: 2012/01/20(金) 22:28:22.89 ID:Ohn7E77eo
「本当にいいの?」
妹友ちゃんはどういうわけか、家に上がる前に再び繰り返した。
妹友ちゃんらしくなく緊張している様子に嘘はないようだ。あたしは胸が痛くなった。

お兄ちゃんに会うのに緊張している妹友ちゃん・・・・・・妹友ちゃんは本当にお兄ちゃんが好きなのかもしれない。
でもそれが本当の恋愛感情で、お兄ちゃんもその感情を受け入れるのならあたしはそれを応援しなければいけない。お兄ちゃんにあたしへの恋愛感情がない以上、お兄ちゃんのことを本当に愛する子がいてお兄ちゃんもそれを受け入れたのなら。


「うん。平気だよ。お見舞いに行くってメールしたんでしょ」
あたしは妹友ちゃんに言った。

「でも。来てもいいとかって言われてないし」
さっきまでの図々しい様子は全くなく、今では妹友ちゃんは本気でおどおどしているようだった。

「大丈夫だよ。さ、あがって。お兄ちゃんの部屋2階だから」

「妹ちゃん」
妹友ちゃんが慌てたように言った。

「何?」

「お兄さんに会う前に妹ちゃんの部屋に行ってもいい?」

「いいけど・・・・・・どうしたの」

「心の準備をしたいっていうか」
あたしはその時初めてお兄ちゃんのことを気にしている妹友ちゃんに心から微笑みかけることができた。

あたしの友だちにはお兄ちゃんはあまり評判が良くなかった。偶然お兄ちゃんを見かけた子たちは、妹ちゃんが夢中になるほどイケメンじゃないじゃん、むしろオタっぽいよとかって言われたりもした。そのお兄ちゃんに会うのに妹友ちゃんが緊張している。妹友ちゃんにお兄ちゃんを盗られるという気持ちとは矛盾しているけど、あたしには妹友ちゃんの心の動きが嬉しかった。

「何言ってるの。たかがお兄ちゃんに会うくらいで」
あたしは妹友ちゃんを優しくからかった。

854: 2012/01/20(金) 22:30:06.91 ID:Ohn7E77eo
その日は妹友ちゃんと廊下で出くわしたお兄ちゃんが突然廊下で倒れてしまったせいで、妹友ちゃんはお兄ちゃんは大して話が出来なかったようだ。
廊下で寝てしまったお兄ちゃんをベッドに運ぼうとしたけど(不本意ながら妹友ちゃんの助けも借りて)、当然ながら女の子二人の力では眠りこけているお兄ちゃんを動かすことはできなかった。

あたしはお兄ちゃんに布団をかけてお兄ちゃんのすぐ横に座った。お兄ちゃんに何かあるといけないのでお兄ちゃんが起きるまでは側についているつもりだった。

「今日はお兄ちゃんが目を覚ますまでここにいなきゃいけないんで」
あたしは妹友ちゃんに言った。

「うん。お兄さんお大事にね」
妹友ちゃんは意外にもあっさりと言い、自宅に帰っていった。

しばらくしお兄ちゃんが目を覚ました。何が起きたのか理解できていないお兄ちゃんに説明しながらあたしはお兄ちゃんの額に手を当てた。この頃になるともうお兄ちゃんの額に直接触れることは恥ずかしくなくなっていた。

「・・・・・・風呂入ってねえし汗かいてるし手汚れるぞ」
お兄ちゃんが言った。

「熱、全然ないね。さっき何で突然倒れちゃったの?」

「さあ」

「お兄ちゃん?」

「あ、ああ。熱なさそうだしシャワー浴びるわ」

「うん」

「おまえ今日は出かけねえの?」

「彼氏から電話ないし。お母さんたちも今日は帰ってくるし」

「そう」

「明日休日でよかったね」
明日は土曜日だからお兄ちゃんと一緒にいられるはずだったけど、あたしは学園祭の準備で休日登校しなければならなかった。

「まあな。あ、あのさ」
お兄ちゃんがぼそっと言った。

「うん」






「いろいろありがとな。看病とか雑炊とかさ」

「・・・・・・別に」
あたしにはそう答えるのが精一杯だった。普通の兄妹なら何と言うこともない言葉だろうけど、あたしにはすごく大きな意味を持った言葉だった。無関心な兄妹の仲がここ数日でこんなに接近したのだ。あたしは幸福感に酔いつぶれそうでそれ以上の言葉が出なかった。

「おまえも風邪ひいた? 何か顔赤いぞ」
あたしの気も知らずにお兄ちゃんは呑気に言った。

「何でもないよ」
ようやくあたしはそれだけ答えた。

867: 2012/01/21(土) 21:22:45.01 ID:Fm8w6/Rho
翌日の土曜日、学園祭の準備登校していたあたしはパンフレットの校正作業もうわの空でお兄ちゃんがあたしにかけてくれた言葉を思い出していた。



「行ってこいよ。彼氏と飯でも食ってきたら。男の誤解も解けるだろうし」

「彼氏と仲直りできたのか?」

「・・・・・・そう。よかったな」

「いろいろありがとな。看病とか雑炊とかさ」



こんな何でもない言葉を何度も心の中で反芻しているなんて滑稽でバカみたい。誰かに知られたらそれこそ呆れられるだろう。
でもあたしにとってはすごく大切な言葉だった。優しい言葉というだけなら友だちからも先輩からも両親からもかけてもらっているけど、幼い頃からあたしの一番近くにいたお兄ちゃん、それでいてあたしに無関心だったお兄ちゃんが初めてあたしに言ってくれたことだったから。

あたしはお兄ちゃんを忘れようとして先輩の告白を受け入れ先輩と付き合うようになったのだけれど、まだこんな何気ない言葉をお兄ちゃんからかけてもらうだけでこれほど高揚し、動揺し、幸福感に満たされる自分のことを考えると、お兄ちゃんのことを忘れることなんて本当にできるのかしらと、いつも考えていた疑問が更に強くあたしを苛んだ。

・・・・・・それでもあたしはまだ甘い幻想を抱いてはいなかった。お兄ちゃんがあたしに大して恋愛感情がない以上、お兄ちゃんとの仲は改善しても普通の兄妹どまりだ。あたしはそのことについては何の期待もしていなかったのだ。だから先輩と別れる気もないし、いつかは先輩がお兄ちゃんのことを忘れさせてくれるのではないかということもまだ期待していた。

868: 2012/01/21(土) 21:25:34.44 ID:Fm8w6/Rho
いろいろと思いにふけっていると突然携帯が鳴り出した。着信を確認するとお母さんからだった。

今日もお母さん帰ってこないのかな。あたしはそう考えながら携帯を開いた。いつもなら受けたくない電話、受けるだけでまた今夜も一人かと重苦しい感情だけをもたらすお母さんからの電話だったけど、今日は家にお兄ちゃんがいるせいだろうか。今のあたしにはお母さんに帰ってきて欲しくない気持ちが先立っていたようだった。

『もしもし? お母さんだけど』

「うん。今日も遅いの?」
あたしはいつもと違ってつい期待を込めた声で返事をしてしまったようだ。

『うん? 遅い方がいいの?』
お母さんは少し面食らった様子で言った。

「そんなわけないじゃん」
あたしは取り繕った。幸いなことにそれ以上お母さんからの追求はなかった。

『ていうかお母さん今日は休みだもん。今だって家にいるよ』

「そうだった」
そういえば今朝はお母さんが朝食を用意して送り出してくれたんだった。

「で、何?」

『結構ひどい雨になってきたからさ』
お母さんは言った。

『兄に車で迎えに行かせるからね。そろそろそっちも終わるんでしょ?』

え? あたしは一瞬息を呑んだ。
・・・・・・お兄ちゃんがまた車であたしを迎えに来てくれる?


『どしたの? 何か友だちと約束でもあった?』
お母さんののんびりとした声が聞こえ、あたしは我に返った。

「ない・・・・・・ないよ。もう少しで準備も終わるし」
それは嘘だった。まだ校正は30分以上はかかりそうだったから。でもあたしはこのチャンスを失いたくなかった。

『そう。じゃあちょうどいいわ。20分くらいでお兄ちゃんも校門のところに行けると思うから』

「わかった」
あたしは電話を切ったあと、急いで校正を再開しようとした。なにせ時間がもうない。
・・・・・・あと、20分。

869: 2012/01/21(土) 21:28:52.62 ID:Fm8w6/Rho
その時、教室の反対側で作業をしていたはずの妹友ちゃんがあたしの方を見つめていることに気がついた。
あたしが妹友ちゃんの視線に気がついたのを知って、彼女はあたしの側に寄ってきた。

「妹ちゃん、何かまずい電話だった?」

「え? 何で」
あたしは冷静を装って答えた。

「だって、真っ赤になってすごく慌ててる様子だったし。いつも落ち着いている妹ちゃんらしくないもん」
妹友ちゃんは言った。

「あたし慌ててないよ?」
あたしは反論した。

「慌ててたよ」
妹友ちゃんも譲らなかった。

「お家からの電話? もしかしてお兄さん具合良くないの?」
その時の妹友ちゃんの顔には、お兄ちゃんの具合を真剣に心配している表情が浮かんでいた。
それであたしもさっきの電話のことを適当に誤魔化すことが出来なくなってしまった。

「違うよ。お母さんから電話で今日結構雨降ってるからお兄ちゃんが車で迎えにくるんだって」
あたしは冷静に見えるように努めながら言った。

「あ、そうなんだ。お兄さんもうよくなったんだね」
妹友ちゃんは安心した様子で言った。

「うん。ありがとね、妹友ちゃん」
あたしは心底からお礼を言った。彼女がお兄ちゃんを心配してくれているのは本当だろうから。
でも、妹友ちゃんの次の言葉を聞いてあたしはまた憂鬱になった。こんなことを考えるのは妹友ちゃんには悪いのだけれど。

「雨かあ。そういや今朝降ってなかったから傘忘れちゃったな」
あたしと妹友ちゃんはどちらか一方が傘を忘れてきた時は、一つの傘に入って一緒に帰る仲だった。遠回りになっても傘を持っている方が持っていない方の自宅まで送る。

あたしは内心溜息をついたけど、これは迷うまでもないことだった。

「妹友ちゃんも一緒にお兄ちゃんの車に乗って行きなよ」
あたしは言った。

「もう仕事終わるんでしょ」

「でも、いいの?」
妹友ちゃんは遠慮している様子だった。

「別にいいよ」
あたしは答えた。

「妹友ちゃんの家って帰る途中じゃん」

「ありがとう。じゃあお言葉に甘えるね」
妹友ちゃんはそう言って学園祭のポスター作成作業に戻っていった。あたしは気を取り直してお母さんに電話した。
乗ったことはないけど、お兄ちゃんの軽自動車は後部座席がすごく狭そうだった。そんなところに妹友ちゃんを座らせるのも可哀想だし。
あたしはお母さんに、お兄ちゃんがお父さんの車で来てくれるように頼んだ。

877: 2012/01/21(土) 23:09:40.49 ID:Fm8w6/Rho
案の定あたしの作業は20分以内には終了しなかった。妹友ちゃんは自分の作業を終えて手持ち無沙汰に友だちと何か話をしているようだった。
本当は妹友ちゃんにこれをお願いするのは嫌だったんだけど、今日こそはお兄ちゃんと一緒に帰りたかったあたしは妹友ちゃんにお願いした。

「妹友ちゃん」

「終わった?」
彼女は話を中断して振り向いた。

「ううん、ごめん。あと15分くらいかかりそう」
あたしは正直に言った。

「そうか。お兄さんをお待たせしちゃうね」
妹友ちゃんは何気なく言った。

・・・・・・何気ない言葉なんだろうけど、あたしが心配していることと同じだった。今日も来ないのかと思っていきなり帰ってしまっても不思議ではないのだ。あたしとお兄ちゃんのこれまでの関係を鑑みれば。

「妹友ちゃん、悪い。先に校門に行ってお兄ちゃんの車に乗ってて」
あたしは妹友ちゃんにお願いした。

「もうすぐ終わるので少し校門前で待っていてって伝えてくれる?」

妹友ちゃんはすぐに頷いた。

「うん、わかった。じゃあ早く来てね」
それまで話をしていた子を置き去りにして彼女はすごい勢いで教室を出て行った。置き去りにされた子はポカンとして開けっ放しのドアを見つめていた。

878: 2012/01/21(土) 23:10:57.24 ID:Fm8w6/Rho
あたしがようやく後片付けを終えて校門の前に駐車している見覚えのある車に駆け寄った時、車の中で助手席に収まった妹友ちゃんとお兄ちゃんが何か楽しそうに話をしている様子が最初に目に入った。

何となく妹友ちゃんは後部座席にいるものだと思っていたあたしは少しだけショックを受けた。

「待たせてごめんね、妹友ちゃん」
あたしは車の外からお兄ちゃんに向かって微笑みながら何かを話しかけている妹友ちゃんに声をかけた。

「あ、妹ちゃん。片付け終わったの?」

「うん。雨の中倉庫に運ぶの大変だった」

「ごめんね、付き合ってあげなくて」

「妹友ちゃんは係が違うから」

「あ、あと。図々しくお兄さんの隣に座っちゃってごめん」

「うん? ああ。よかったね、妹友ちゃん」
あたしは少し意地悪をしてみた。

「ちょっと、妹ちゃん。やめてよ!」
・・・・・・赤くなって慌てている妹友ちゃんは可愛らしかった。あたしはすぐに自分のしたつまらない行動を後悔した。

「はいはい」
あたしは始めてしまった演技を終わらせることが出来ずに、妹友ちゃんを軽い口調でからかう振りをしながらやたらに広く感じる後部座席に座った。

879: 2012/01/21(土) 23:13:38.40 ID:Fm8w6/Rho
・・・・・・その後、妹友ちゃんの家に着くまでは主に妹友ちゃんがお兄ちゃんに話しかけ(というよりはお兄ちゃんのことを一方的にほめたて)、お兄ちゃんがそれに答えるという会話がずっと続いた。あたしはほとんど口を出さずに2人の会話を聞いていたけれど、妹友ちゃんのどこまで本気かわからない好意に応えるお兄ちゃんの本心もよくわからなかった。戸惑っているようでもあり軽くいなしているようでもあり。

やがて車が妹友ちゃんの家に着くと、妹友ちゃんは丁寧にお兄ちゃんにお礼を言いあたしにはまた明日ねと声をかけて家の中に入って行った。
ほとんど一人で喋っていた妹友ちゃんがいなくなると、急に車内は沈黙に包まれた。

「あ、あのさ」
お兄ちゃんがあたしに話しかけたその時、あたしの携帯が鳴り響いた。

「お母さんだ」
あたしは携帯を耳に当てた。

『お母さんだけど、あんた今どこにいるの』
お母さんのさっきののんびりとした口調と違う声が響いた。仕事モードのお母さんの声だ。
それはいつもこの類の電話を受けてきたあたしにはすぐわかった。
もしかして・・・・・・あたしは思わず少し期待した。

「うん、今車の中。帰るとこ」

『悪いんだけどさ、職場から呼び出されたから仕事行ってくるね』
お母さんは慌しく喋った。

「仕事って今から? お父さんは?」
念のために確認しておかないと

『言わなかったっけ? お父さんは来週まで香港にいるの』
お母さんのもどかしそうな声。お母さんがこの声を出す時はいつだって早く電話を切りたがっているのだ。
早く自分を待っている仕事上の困難な課題に立ち向かいたいのだろう。

『だから悪いけどあんたたち家に変える途中で、ファミレスかどっかに寄って食事して来ちゃって。今夜は遅くなっても許してあげるから。お金は持ってる?』

「うん。別にいいけど・・・・・・ちょっと待って」

「お兄ちゃん」
あたしはお兄ちゃんに話しかけた。

「どうした」

「お母さん、会社に呼び出されたんで仕事に行くって」

「今からかよ」
お兄ちゃんはちょっと顔をしかめた。お兄ちゃんはお母さんのことが好きで、いつも仕事漬けになっているお母さんを心配していた。
お兄ちゃんは認めないだろうけど、ずっとお兄ちゃんを見つめてきたあたしにはわかっていた。そのことでお母さんに大して無意味な嫉妬をしたことさえあったのだ。

「お父さんも今日帰れないんで、どっかで食事してきてって」

「・・・・・・うん」

「あたしあまりお金持ってないけど、お兄ちゃんは?」

「あるけど」

あたしは再びお母さんに話しかけた。

「お母さん? ごめん。お兄ちゃんお金あるって。うん、うん。わかった。じゃあね」
あたしは早く会社に行きたがっているお母さんをあたしとの会話から解放してあげた。

880: 2012/01/21(土) 23:15:33.82 ID:Fm8w6/Rho
「おまえはいいのかよ?」
お兄ちゃんがあたしに聞いた。

「何?」
何を言い出したのだろう、お兄ちゃんは。

「兄貴と二人きりでファミレス行くなんてキモイんだろ?」
お兄ちゃんは別に嫌味で言ってる風でもなく言った。

「・・・・・・妹友ちゃんに聞いたの?」
あたしはこの時おしゃべりの妹友ちゃんを恨んだ。

「い、いや。いつもファミレス行こうかって言うと嫌がるし」
お兄ちゃんは誤魔化した。

「別に。そんなに嫌じゃない」
あたしはようやくそれだけ口することができた。

「じゃ、どっかで飯食っていくか?」

「・・・・・・うん」
何か複雑な気持ちだけど、お兄ちゃんと2人きりで夜のドライブとファミレス。
何かデートみたい。

もういろいろ考えこむのは辞めよう。とにかく昔からの夢の一つがかないそうなのだから。

「じゃ、車出すぞ」
お兄ちゃんが車を出そうとするのをあたしは制止した。

「ちょっと待って」

「え? 何だよ」
お兄ちゃんが言った。

「席移るからちょっと待って」
あたしは後部座席のドアを開けた。

「え? 別に後部座席でいいじゃんか」
お兄ちゃんは困惑したように言った。

「話しづらいから」
あたしはようやくそれだけを口にして後部座席から助手席へ、お兄ちゃんの隣へと場所を移した。

881: 2012/01/21(土) 23:18:41.51 ID:Fm8w6/Rho
お兄ちゃんは再び車を走らせた。ハンドルを握っているお兄ちゃんは学校のどの男の子より格好よく思えた。少なくともあたしにとっては。

そのうち、あたしは何か奇妙な感じに襲われた。
それはよく学校とか街中では感じることがあるあの視線と一緒だった。
あたしはあたしの身体をチラチラ眺める視線に気がついたのだ。

お兄ちゃん?

あたしに関心のなかったお兄ちゃんがあたしを見るなんて。これはあたしの勘違いか夢なのでは。
お兄ちゃんの視線はこれまでの嫌悪感しか感じなかった男の子たちの視線と違ってあたしにとって不快なものではなかった。
むしろ何かを期待させるようなわくわくする感じがした。

それでもあたしはどう振る舞っていいのかわからず黙ったまま身体を固くしていた。



「食事、どこ行く?」
突然お兄ちゃんが沈黙を破った。

「どこでもいいよ」
あたしは何とか声を出した。

・・・・・・結局マクドナルドに寄っていくことに決まったけど、お兄ちゃんはなぜかお店に不満があるようだった。


「おまえ、それだけ?」
あたしのバニラシェイクを眺めながらお兄ちゃんは言った。

「うん」

「全然夕飯になってないじゃん」
考えてみればお兄ちゃんがあたしの食べる物に興味を示すのも珍しい出来事だった。

「あんまりお腹すいてないから」

「・・・・・・どっか具合悪いんじゃねえの?」

「別に平気」
お兄ちゃんは納得していないようだった。

「そういう甘いやつで食事代わりってよくできるよな」
それからお兄ちゃんは再び意外なことを聞いてきた。

「おまえさ、彼氏とはどうなってるの?」

え? もうあたしの勘違いではなかった。お兄ちゃんは少なくとも妹としてのあたしのことを気にするようになってくれている。
再びあたしの胸に考えられないほどの幸福感が訪れた。

「どうって」
あたしは必氏で冷静に見えるように振る舞った。

「いやさ。俺の看病とかで彼氏に誤解されたんなら悪いし」

「あと、まあ。病気しておまえにも心配かけちゃったみたいだし、いろいろ悪いなと思ってさ」
お兄ちゃんは続けた。


・・・・・・あたしがお兄ちゃんのことを心配した?
それは真実だったけどお兄ちゃんがそんなことに気がつくはずはなかった。
あたしは常に冷静に振る舞っていただずなのに。

この応えは一つしかなかった。おしゃべりな妹友ちゃん。

「あたしが心配したって・・・・・・。妹友ちゃんに聞いたの?」
あたしは確認してみた。

「ま、まあ、そうなんだけどさ」
やっぱりそうか。
ちょっと妹友ちゃんに含むところがあるあたしは、ここでお兄ちゃんに忠告しておこうと考えた。

882: 2012/01/21(土) 23:23:25.89 ID:Fm8w6/Rho
それはいずれは言わなければいけないことだった。
お兄ちゃんにとってはあたしは恋愛対象ではない。最近仲のいいい兄妹になれる気がして浮かれていたあたしだけど、そこは履き違えてはいなかった。
だから、仮に妹友ちゃんがお兄ちゃんを好きになってお兄ちゃんもその気持ちに応えるのなら、内心どんなに辛くてもあたしはそれを祝福するつもりだった。
ただ、妹友ちゃんの複雑な性格のことは前もってお兄ちゃんに伝えておきたかった。そのせいでお兄ちゃんが傷つくことになるかもしれないのだから。

「・・・・・・妹友ちゃんの言うこと、あんまりマジに受け取らない方がいいよ」
あたしはその言葉をついに口に出した。

「え?」
お兄ちゃんは戸惑っているようだった。

「妹友ちゃんは面白がって、お兄ちゃんにいろいろ話してるだけだsi」

「彼女に限ってそんなことあるか」
お兄ちゃんのその反論にあたしの心は痛んだ。やはりお兄ちゃんは妹友ちゃんのことを気にしているのだろうか。

「・・・・・・お兄ちゃんって女を見る眼がないんだね」
あたしは少し温度の下がった声でお兄ちゃんに言った。

「そりゃ確かに俺は女の子と付き合ったことねえしよ。でも、妹友ちゃんはおまえのこと心配して」


え?
お兄ちゃんに警告を続けなければいけないはずなのに、あたしの心はまた脱線した。
女の子と付き合ったことがない?

「・・・・・・うそ!?」

「わざわざメールしてくれたりとか・・・・・・って、うそって何が」

「大学2年になるまで一度も彼女ができたことないの?」

「・・・・・・うん」
お兄ちゃんは少し嫌な顔で呟いた。

「お兄ちゃんって。中学高校は男子校だから仕方ないけど、大学に入ってからは彼女とかいるのかと思ってた。作ろうと思わなかったの?」
あたしは何か急にうきうきした気持ちでお兄ちゃんをからかうように尋ねた。

「思ったけどできなかったんだからしょうがねえだろ」
お兄ちゃんは不貞腐れたように答えた。そういうお兄ちゃんを見るのは初めてだった。
あたしは少し調子に乗っていたかもしれない。こういう恋愛関係の話を軽い口調でお兄ちゃんと話せることに浮かれていたから。

「作ろうと思ったのに何でできなかったの?」

「欲しいと思ったらできるもんじゃねえだろ」

「そうなんだ・・・・・・大学って恋人作るのそんなに大変なんだ」
ちょっとした皮肉。こういう会話をお兄ちゃんと続けることができるならもう何もいらないと思えるほどに、あたしは幸せだった。

「そうかあ。お兄ちゃん、彼女いないんだ」
あたしはお兄ちゃんに微笑んだけど、言うべきことはまだ言い終わっていなかった。

「俺の話はもういいよ。妹友ちゃんの話してたんだろ」
お兄ちゃんもそこで話を戻した。

「うん。お兄ちゃん、妹友ちゃんのことどう思う?」

「どうって・・・・・・別に。知り合ったばっかだし」

「優しくて思いやりがあって礼儀正しくてお兄ちゃんに好意を持ってるとかって思っていない?」
あたしはついにこの話の核心を話し始めた。

「俺に好意を持ってるかどうかは知らないけど、それ以外はそのとおりだと思ってる」
お兄ちゃんだけではない。男の子はみんなそう思うのだ。

「それ全然逆」
あたしは続けた。

「え?」
お兄ちゃんは再び戸惑っているようだった。

「お兄ちゃんに好意は持ってるかもしれないけど」

「え? え?」

「優しくて思いやりがあって礼儀正しくはない。そんな子いるわけないじゃん」
あたしは言いたいことを言い終えた。

883: 2012/01/21(土) 23:24:14.53 ID:Fm8w6/Rho
「・・・・・・おまえ妹友ちゃんの親友なんじゃねえの?」
しばらくしてお兄ちゃんがそっと尋ねた。

「親友だと思ってるよ・・・・・・あたしの親友は、優しくて思いやりがあって礼儀正しい子じゃないけど」

「よくわからん」
お兄ちゃんがは苦笑した。
それで一気にこの場の空気がほぐれた。

「彼女とかできればわかるんじゃない?」
あたしは軽口を聞いた。こんなやりとりをお兄ちゃんとできるなんてそれ自体が夢みたいだった。
あたしの言うべきことはもう終わったのだ。あとは何も考えないでお兄ちゃんとの時間を楽しんでもいい。

「へーへー。どうせ俺はもてないよ」
少し拗ねたお兄ちゃんの声

「そんなことないと思うけど」
あたしは言った。

「へ?」

「何でもない」
あたしはお兄ちゃんから目をそらし自分のシェイクに目を落としながら呟いた。

890: 2012/01/22(日) 19:41:24.20 ID:1Eq+XbUTo
帰宅後、お風呂から上がったあたしはお風呂が空いたことを知らせにお兄ちゃんの部屋に向かった。

「お兄ちゃん、お風呂空いた」
あたしがそう声をかけてかドアを開けるとお兄ちゃんは何だか慌てた様子であたしを見た。
すぐにおにいちゃんはあたしの目から視線を逸らしたけれど、今度はその視線はあたしの身体に止まった。

「・・・・・・ちゃんと服着たら?」
お兄ちゃんは少しかすれた声で言った。まだ風邪が完全によくなっていないのかもしれない。

「だって暑いし。もう少ししたら着るよ」
あたしはそう答えてからふと自分の今の服装に気がつき密かに狼狽した。

あたしは血行がいいのかお風呂に入るとすぐに体温があがる。冬でも風呂上りは暑くてたまらないので暑さが落ち着くまではショートパンツとタンクトップだけで過ごす癖があった。
そして今まではお兄ちゃんは部屋にこもっていることが多かったため、そういう姿のあたしとお兄ちゃんと向き合うことはなかったのだけど、ここ最近は家の中でお兄ちゃんと過ごす時間が増えて
いた。

・・・・・・まずかったかな、こんなだらしない格好で。あたしはもう少しきちんとした服装でお兄ちゃんの部屋に来ればよかったと少し後悔した。だらしのない子だと思われたかもしれない。

「お風呂入らないの?」
お兄ちゃんが一向に腰かけているベッドから立ち上がらないので、あたしはお兄ちゃんに聞いた。

「う、うん。入る」
お兄ちゃんは相変わらずじっと座ったままだ。

「出たらスイッチ切っておいて」
その時、あたしはお兄ちゃんがさりげなくあたしの身体を見つめていることに気がつき、反射的に髪の毛を拭くために持っていたタオルをタンクトップの胸元に持っていった。

「風呂入る」
身体を隠したあたしから視線を外して、お兄ちゃんはぽつんと言った。

891: 2012/01/22(日) 19:41:55.21 ID:1Eq+XbUTo
お兄ちゃんはあたしに興味があるのだろうか? あるいはあたしの身体に興味があるのだろうか?

お兄ちゃんの視線を感じた時とっさに身体を隠してしまったけど、それはどんな女の子で突然の男の視線に気がつけば取るであろう反射的な行動で、本心ではあたしはお兄ちゃんが少しでもあたし
に関心を持ってくれることが嬉しかった。もっと言えばお兄ちゃんがあたしの身体を見たせてもいいくらいに嬉しかったのだ。

ただ、お兄ちゃんだって男だ。あたしの中では理想化してしまっているかもしれないけど、普通に異性の生身の肌に興味があって当たり前だった。あたしたちは最近普通の兄妹らしい会話や行動ができるようになって、あたしはそれがすごく嬉しかった。でもそれ以上のことは望んでさえいなかった。あたしのお兄ちゃんへの恋は一生片想いだと信じていたから。

あたしはお兄ちゃんの視線に混乱していた。さっき車内でお兄ちゃんの視線を感じた時の混乱がまたあたしの中に起こった。
お兄ちゃんがあたしの身体をじっと見詰める意味は何だろう。

今までのあたしたちの関係を考えれば考えるほど、お兄ちゃんはあたしを特別な存在として意識したのではなく、妹とはいえ露出度の高い服装をした女の子の肌に関心をもっただけなのだという思
いが強くなった。

あたしはため息をついた。これからは暑くてももう少し肌の露出のない格好をしよう。
それにしても妹友ちゃんや委員長ちゃんと違って、ただ細いだけでめりはりのないあたしなんかの身体でもお兄ちゃんは関心を持つんだな。あたしはふとそんなことを考えた。


その時ショートパンツのお尻のポケットに突っ込んでおいた携帯が鳴り出した。
先輩からの電話だった。

892: 2012/01/22(日) 19:42:26.53 ID:1Eq+XbUTo
先輩の背後からは聞いたことのある声が重なり合ったざわめきが聞こえていた。いつものみんなでカラオケにでもいるのだろう。
先輩が話し出すまでもなく用件はわかっていた。

案の定、先輩はあたしにこれから出て来いよと誘った。

昨夜の少し気弱になっている先輩の声はそこには片鱗もなかった。いつものことだけど知り合いに囲まれて気が大きくなっているのだろう。
それでも精一杯静かに話すよう先輩も努力しているようだった。

『あのさ、昨日は悪かったよ。兄貴とのこと浮気なんて言っちまって』
先輩は周りの子たちに聞こえないよう声をひそめているらしかった。

『仲直りしようぜ。俺やっぱりおまえがいないと駄目なんだ』
今日はお兄ちゃんと一緒に過ごすと決めていたのだけど、あたしはふと気を変えた。

あたしとお兄ちゃんの仲がいい兄妹以上に進展しない以上、やはりあたしは最初に考えていたとおりお兄ちゃんのことを忘れる努力をすべきだ。
最近、兄妹としての間が改善されたからといってそれにのめりこんじゃ駄目。それはあたしにもお兄ちゃんにもいい結果をもたらすことはないのだから。

「うん、わかった。あまり遅くなれないよ」
あたしは先輩に答えた。

『おう、早い時間に送って行くよ。じゃあ待ってるから』

先輩の電話が切れたあと、あたしは急いで服を着替えた。

896: 2012/01/22(日) 20:09:00.03 ID:1Eq+XbUTo
>>894
メ欄と間違えただけです
すまん

898: 2012/01/22(日) 22:32:31.90 ID:1Eq+XbUTo
とりあえずお兄ちゃんに断ってから出かけることにして、あたしはお兄ちゃんの部屋のドアを開けた。

お兄ちゃんは基本的にあたしの夜遊びに無関心な人だし今夜はお母さんも帰ってこないので、黙って出かけてもよかったんだけど、最近ようやく築いた普通の兄妹関係だけは維持したいと思ったあたしは一言お兄ちゃんに声をかけるつもりだった。
もちろんお兄ちゃんの反応には期待していなかったので無反応かせいぜい嫌味の一つでも言われるだろうと思っていた。


「お兄ちゃん?」
お兄ちゃんはびっくりした様子であたしを眺めた。

「・・・・・・ちょっとでかけてくる」

「はあ?」
お兄ちゃんは飽きれたように言った。何か少し予想していた反応と違う。

「彼氏に呼ばれたんでちょっとだけ行ってくる。お母さんたち今日も帰ってこないし」
あたしは正直に言った。昔からお兄ちゃんに対しては黙っていることはあっても話すときには一度も嘘をついたことはなかったので。

「・・・・・・あのなあ」

「うん」

「さすがにそれはまずいだろ? 今何時だと思ってるの」
お兄ちゃんはちらっと壁の時計を見た。

「9時半」

「時間聞いてるんじゃねえって。いくら両親がいないからってこんな時間に外出かよ」
お兄ちゃんは少しイライラした様子で続けた。


「でも、話があるから出て来いって」

「おまえの彼氏も非常識なやつだな。高2の女の子をこんな時間に呼び出すなんて」

いつものお兄ちゃんと反応が違う。どうしてだろ。何でお兄ちゃんは珍しくあたしの外出に文句を言ってるんだろうか。
あたしはもうこの時には、正直先輩と会いにいけるかどうかはどうでもよかった。お兄ちゃんがあたしが外出するのが嫌なら家にいてもいい。
ただ、その理由は知りたかったのであたしは少し粘ってみた。

「仲直りできるかもしれないから」
気のせいなのか。お兄ちゃんの顔色が少し変ったように見えた。

「お兄ちゃん、今まではあたしが夜外出しても何も言わなかったじゃん」
あたしは決心してはっきりと聞いた。お兄ちゃんはあたしの外出になぜ反対するのか。外出なんてどうでもいいけど、それだけは何が何でも知りたかった。

お兄ちゃんは言葉に詰まったようだった。

「親にも黙っててくれたし・・・・・・何で今日は駄目なの?」
あたしはお兄ちゃんの目を見ながら繰り返した。



その時低い声で下を向いたままお兄ちゃんは言った。

「・・・・・・おまえが心配だからに決まってるだろうが」

「え?」
あたしは一瞬絶句した。

「兄が妹の心配して悪いのかよ」
お兄ちゃんは顔をあげあたしの目を見ながら、今度ははっきりと言った。

899: 2012/01/22(日) 22:35:09.79 ID:1Eq+XbUTo
お兄ちゃんがあたしのことを心配しいて夜遊びを止めようとしている。

「・・・・・・おまえが心配だからに決まってるだろうが」
確かにお兄ちゃんはこう言った。

今、あたしが期待できる限りの中では最高の言葉だった。
長い間あたしに無関心だったお兄ちゃんがあたしのことを心配してくれている。

あたしは胸の動機が激しくなって行くのを感じながら念押しした。

「・・・・・本当にあたしのこと心配してるの?」

「あ、いや。あの・・・・・・」
お兄ちゃんはまた俯いてしまったけど。

「・・・・・・うん」
あたしは携帯を取り出した。

「え?」
お兄ちゃんは面食らった顔であたしが電話をするのを見つめていた。

「あ、あたし。ごめんね、今日は遅いしそっちに行けない」

『・・・・・・どうしてだよ』
先輩の低い声。

「本当にごめん。でも、今日は行かないから」

しばらくの沈黙のあと、先輩はいきなり怒鳴りだした。声が大きいせいで何を言ってるのか聞き取れなかったけど、浮気とか兄貴という言葉だけがはっきりとあたしの胸に突き刺さった。

「お願い、大きな声出さないで。明日、日曜日だけど学祭の準備で登校日でしょ。明日話そうよ」
あたしは言い出したけど最後まで言わせてはもらえなかった。

『兄貴兄貴っておまえわざとやってんのかよ・・・・・・つもいつも・・・・・・ブラコンとかきめえんだよ・・・・・・どうて』
途切れ途切れにしか聞き取れない先輩の怒声がしばらく続いた。

「だから、そうじゃないよ。ねえ、聞いてよ・・・・・・あ」
あたしはようやく途中で口を挟んだけど話し始めたとたんに電話は一方的に切られた。

普段先輩の怒りには動じないあたしがなぜか今は動揺していた。それは先輩の怒りに対するものではなく、お兄ちゃんを忘れるために先輩を好きになるという目標が遠ざかったことに対する動揺だ
ったのかもしれない。
そしてあたしは動揺はしていたけど後悔はしていなかった。

お兄ちゃんがあたしのことを心配してくれたのだから。

900: 2012/01/22(日) 22:37:33.13 ID:1Eq+XbUTo
「・・・・・・どうした?」
お兄ちゃんの心配そうな声が聞こえた。

「怒鳴られて電話切られちゃった」
あたしは答えた。

「何か・・・・・・悪かった」
お兄ちゃんがすまなそうな声で謝った。
・・・・・・いけない。あたしを心配してくれたお兄ちゃんに謝らせちゃだめ。

「・・・・・・ううん。お兄ちゃんは別に悪くないよ」
あたしは本心から言った。

そして今の一幕で動揺していたあたしだけど、同時に恋愛感情ではなくてもお兄ちゃんの好意があたしに向けられていることを初めて知ったあたしはある種の高揚感を抱いていた。
その高揚した気分のせいだろう。いつもなら遠慮してとても言えないことをあたしは口にすることができたのだ。

「・・・・・・少しだけお兄ちゃんの部屋にいてもいい?」

「あ? な、何で」
お兄ちゃんは困惑している様子だった。

「今日出かけないからやることなくなっちゃったし」
いつものあたしならお兄ちゃんを困らせるくらいなら自分からさっさと自分の部屋に戻ったろう。
でも少し好かれている自信をもったあたしには、お兄ちゃんを試す余裕が生まれていた。

「・・・・・・何だよそれ?」

「別に何でもないけど」
あたしはお兄ちゃんのベッドに座った。

「・・・・・・当たり前のように俺のベッドに座るなよ」
それでもお兄ちゃんは本気で迷惑がっている様子はなかった。あたしの思いは確信に変った。お兄ちゃんはあたしと一緒にいることが嫌じゃないんだ。

「テレビ見ていい?」
あたしは返事をまたずにリモコンに手を伸ばした。あたしは、前よりずいぶんお兄ちゃんの前でも自然に振る舞えるようになっていた。そして前よりずいぶん心が軽くなったように感じた。

901: 2012/01/22(日) 22:41:23.17 ID:1Eq+XbUTo
その夜、あたしはおにいちゃんの部屋でテレビを見ていたのだけど内容は全く頭に入っていなかった。あたしはすぐ近くの床に座っているお兄ちゃんのことがずっと気になっていたのだ。
それにあたしの方を何気なくちらちら見ているお兄ちゃんの視線にも気を取られていた。


突然お兄ちゃんが話しかけた。

「おまえさ、何か香水みたいのつけてる?」

「香りが気になるならら、メーク落としてこようか」
お兄ちゃんに不快な思いをさせていたんだろうか。あたしは一瞬どきっとした。

「別に、気にならない。つうかいい匂い」
お兄ちゃんが言った。

「うん」
平静を装って答えたけどあたしはお兄ちゃんの言葉にどきどきして、それ以上何を話していいのかわからなかった。
それは、妹を心配している兄いちゃんが妹にかける言葉じゃなくて、まるで自分の彼女にかけるような優しい言葉だった。
そのことを考えて心を乱しているあたしに更にお兄ちゃんは追い討ちをかけた。

お兄ちゃんはあたしの服装をお洒落だと誉めたのだ。


期待してはだめ。結局傷つくのは自分なんだから。あたしは自分に言い聞かせたけど、お兄ちゃんがあたしにかけてくれた言葉は無視するには大きすぎた。
もしかしたら・・・・・・お兄ちゃんもあたしのことを。

急に緊張が解けた。さっきあたしに心配だと言ってくれた時に感じた以上の自由な感じ。いろいろとあたしが自分で自分を縛っていたものが突然消えたようだった。
勘違いをしているのかもしれないけど、もう傷つくのを恐れてもしょうがない。そう考えるとあたしの心は落ち着きを取り戻した。そして心の奥には落ち着きだけでなくやはり高揚感が少し潜んでいるようだった。

あたしは、お兄ちゃんがあたしの服装が気になるなら着替えてこようかとお兄ちゃんに聞いた。

「・・・・・・おまえ、そんなしおらしいキャラだっけ」
お兄ちゃんは面食らった様子で言った。

あたしは黙ってお兄ちゃんに微笑んだ。

「お兄ちゃん」

「うん?」

「ちょっと寒い」

「そう? エアコンつける?」

「うん」

お兄ちゃんはエアコンを付け、そしてベッドに座っているあたしに毛布をかけてくれた。

「部屋が暖まるまでベッドの毛布でもかぶっとけ」

「わかった。お兄ちゃんも入る?」
あたしは自然に言った。そしてあたしの隣に来るようにお兄ちゃんの手を引っ張った。


・・・・・・毛布の中でお兄ちゃんの身体が密着している。
あたしたちは黙って毛布の下で寄り添いながらテレビを眺めた。17年間もお互いのそばにいたことがなかったあたしたちだけど、こうして寄り添うと何か自然だった。


その時お兄ちゃんの携帯が振動してメールの着信を告げた。

902: 2012/01/22(日) 22:43:41.82 ID:1Eq+XbUTo
「あ、メールだ・・・・・・妹友ちゃんだ」
お兄ちゃんは一緒に読もうかと言ってくれたけどあたしは断った。お兄ちゃんはメールを開き黙って読んだ。

「おまえも見たほうがいいよ、妹友ちゃんのメール」

「何で?」

「見りゃわかるよ、はい」
お兄ちゃんはメールを開いたままの携帯をあたしに手渡した。


from :妹友
sub :無題
『遅い時間にごめんなさい。妹ちゃんに電話してもメールしても返事がないんですいません。今、友だちとカラオケにいるんですけど』

『彼氏先輩が荒れてて他の男の子たちも抑えられなくて』

『妹ちゃんとお兄さんの悪口を怒鳴りまくっているんですけど、妹ちゃんと何かあったんでしょうか? 妹ちゃんが家にいるならあたしに連絡するように言ってもらえますか』

『先輩って酔うと前から暴れ出すんですけど、今日はいつもよりひどいみたい。こんなメールしてすいません』


それは不思議なメールだった。妹友ちゃんのこのメールは目的がよくわからない。
あたしは自分の携帯をちらっと眺めた。やっぱり妹友ちゃんからの着信もメールも今日はない。
それにこのメールだけ読むとあたしと先輩の仲を心配しているようだけど、お酒の入った先輩が少し大声を出すなんてよくあることだった。あたしはそのことについてあまり気にしたことはなかっ
たし、それは妹友ちゃんも同じはずだった。

ただ、このメールを出した妹友ちゃんが本気で混乱しているのは嘘ではないのかもしれない。不安定になっているのは先輩ではなく妹友ちゃんの方ではないのだろうか。あたしはふと思った。
妹友ちゃんが不安定になる理由。あたしはもう考えるのをやめた。せっかくお兄ちゃんと初めて寄り添った夜なのだ。

「・・・・・・みんなには悪いことしちゃった」
とりあえず当たり障りのないことをあたしは口にした。
するとお兄ちゃんが意外なことを言った。

「ついていってやろうか」

お兄ちゃんは何を言ってるのだろう。

「暴力振るわれても困るし、一緒に行ってやろうか? あ、もちろんおまえがよかったらだけど」
そんな心配をしてくれること自体が今まではなかったことだったけど、今はそれすらどうでもよかった。

「いい」
あたしははっきりと言った。

「だって、一人じゃ」

「テレビ途中だし」

「はあ?」
お兄ちゃんは何を言ってるんだこいつ、みたいな目であたしを見た。

「今夜はお兄ちゃんの部屋にいるって決めたから」
あたしはもう自分に正直になっていた。その時あたしは生まれて初めてお兄ちゃんの前で本当に自分のしたいことをお兄ちゃんに主張していたのだ。

「・・・・・・今日は、お兄ちゃんと一緒にいるの」

「え? え」
お兄ちゃんは見るからに狼狽した様子だった。

903: 2012/01/22(日) 22:44:59.37 ID:1Eq+XbUTo
「お兄ちゃん・・・・・・」

あたしは自分の気持に従った。つまり隣に座っているお兄ちゃんに抱きついたのだ。
同時に嬉しさか悲しさか自分でもよくわからない不思議な涙が目に浮かんだ。
あたしは更に強くお兄ちゃんに抱きついた。

「泣いてるの? おまえ」
お兄ちゃんは驚いたようだけど、それでもあたしの肩に手を廻してあたしを抱き寄せてくれた。

「・・・・・・ちょっとだけ。ごめん」

「謝るなよ」
今ではお兄ちゃんの声も落ち着いていた。

「お兄ちゃんの体、暖かい」
あたしは多幸感に包まれながら言った。

「・・・・・・うん」

「まだ熱あるのかな」
あたしはまだ目に涙を浮かべながら微笑んだ。

「ねえよ・・・・・・」
そう言ってお兄ちゃんは黙ってあたしの肩を抱く力を少し強めた。

「・・・・・・明日、妹友ちゃんに謝らなきゃね」
あたしはお兄ちゃんに呟いた。

920: 2012/01/23(月) 22:39:31.65 ID:cC0z6VNso
翌朝目が覚めるとあたしは一瞬自分がどこにいるのかわからなかった。早朝の柔らかい光が窓から差し込んでいたけど、その光はいつもと違う角度から部屋を照らしていてあたしはそのことに違和
感を覚えた。次の瞬間すぐ横にお兄ちゃんの顔が半ばあたしの髪に埋まっており、お兄ちゃんの腕があたしの背中に左右から回されていることに気がついた。

あたしは昨日泣き笑いしながら黙ってお兄ちゃんと抱き合っていたのだけれど、どうもそのまま会話もなく寝入ってしまったらしい。できることならそのままずっとお兄ちゃんの腕の中にいたかっ
た。でも今日は日曜日だけど学園祭の準備のため登校しなければならなかった。

あたしはなるべく静かにお兄ちゃんの腕の中から抜け出し、お兄ちゃんのベッドから降りた。
一瞬お兄ちゃんが身動きしたので起こしちゃったかなと心配になったけど、お兄ちゃんは目を覚まさず再び寝息を立て始めた。

あたしはドアのそばに立ったままその場を去りがたく感じていた。お兄ちゃんのぼさぼさの髪や寝相の悪い寝姿や今まで抱きしめていたあたしを失って中途半端に伸ばしているお兄ちゃんの両手。

あたしはこのままお兄ちゃんをじっと見詰めていたかった。
昨日外出するために着替えた服がしわくちゃになっている。
これから身支度をして登校しても集合時間に間に合うにはぎりぎりの時間しか残されていなかった。

もう一度だけ寝ているお兄ちゃんを名残惜しく見つめてからあたしは部屋の外に出た。

921: 2012/01/23(月) 22:43:59.41 ID:cC0z6VNso
あたしはいつもと同じ道をいつもより少しだけ早足で学校に向かった。
普段と同じように登校している間も、あたしの胸の中にはときめきと興奮と幸福があふれるようだった。お兄ちゃんと抱き合って一緒に寝た夜。
あたしは本気でもう何も望んでいなかった。お兄ちゃんともっと親密になりたいとかお兄ちゃんに異性としてあたしを意識して欲しいとか、そんな欲張ったことを望んだらようやく現実になったこ
の幸せまで壊れてしまいそうで。

極端な話、ああいう夜がこれで最後でもいい。ただ、普通の兄妹以上に親密で、そしてほとんどお互いに言葉も交わすこともないのに、心が満たされたこの関係だけはずっと続いて欲しかった。
あたしはお兄ちゃんの彼女にはなれないかも知れないけど、お兄ちゃんが心配して可愛がってくれる妹にはなれるのかもしれない。

普段から感情がストレートに表情に出ないあたしだったので、これだけ興奮しながらも外見は冷静に見えていたと思う。
学校の正門に続く最後の坂道を登りきったところで、レンガ造りの校門に半ば寄りかかったまま誰かを探している先輩の姿をあたしは見つけた。


「よう」
先輩の目は充血しその声はがらがらだった。

「おはよう先輩」
あたしはいつものように先輩にあいさつした。あたしが先輩のところまで来ると、先輩は校門にもたれていた身体を起こしあたしに並んで歩き始めた。

「あのさ」
先輩はいつもより小さな声であたしに言った。

「昨日は悪かった。ちょっと飲みすぎちゃってさ。反省してる」
飲みすぎたというのは嘘ではないみたいで、赤い目や割れた声は二日酔のせいらしかった。

「先輩、二日酔なの?」
あたしは尋ねた。

「まあな。今日は授業があるわけじゃねえから、よっぽどサボろうかと思ったんだけどさ」

「休んじゃえばよかったのに」

すると先輩は突然立ちどまり、でもあたしの方を見ることなく話した。
「本当にごめん。ちょっと嫉妬しちゃったんだけど、あんな態度は取るべきじゃなかったよ」

先輩はいつも間違ったことをしては、翌日心底から反省する。この人の言葉には基本的には嘘はないのだ。

「うん、いいよ。もう気にしてないし」
あたしは答えた。そしてあたしの中にも本当は先輩に謝らなければいけないかもしれないことがあることを思い出した。

結局、先輩はあたしに謝罪できたことに満足したのかそのまま回れ右をして自宅に帰ってしまった。

・・・・・・今日の先輩はキスも手を握ることもしなかったな。何となくあたしはそう思った。

922: 2012/01/23(月) 22:47:20.41 ID:cC0z6VNso
学園祭の準備をしている間に、あたしの心の中から先輩の姿が消え再びお兄ちゃんのことが心の大半を占めるようになった。
今日はずっと、手と体を動かしながら昨日のお兄ちゃんとの会話を何度も繰り返し思い出したり、あたしを抱き寄せたお兄ちゃんの手の感触を思い出し心を悩ませたりして過ごしてしまったようだ。

ようやく作業が終わった頃には、あたしたちの係以外の生徒の姿はほとんどなくなっていた。いつもは自分の作業が終わっても一緒に帰るために待っていてくれる妹友ちゃんの姿ももうなかった。
本当はすぐにでも家に帰ってお兄ちゃんに会いたかったけど、もしも妹友ちゃんがどこかであたしを待っているとまずいと思い、あたしはたまたま見かけた妹友ちゃんと同じ係の子に妹友ちゃんは
どうしたのか聞いてみた。

今日は係の仕事が終わるとすぐに帰ったよという返事だった。そういう時はいつもあたしに一言ある妹友ちゃんなのにおかしいな。あたしは少し不審に感じたけどそれ以上に早く帰宅したいとい
い気持ちのほうが優っていた。

あたしは同じ係の生徒や今日は何時に帰れるかわからないと笑っている実行委員長ちゃんにさよならを言い早足で校門を出たその途端に携帯にメールが来ていたことに気づいた。


from :お母さん
sub  :無題
『諸君の両親に来週末までの帰還は絶望的につき、各自それぞれ工夫し自給自足で生き延びられるように努力されたし』

『ということであんたには悪いんだけど家のことよろしくね。あと、朝昼はいいけど夕食はお兄ちゃんのも用意してやって。出前とかでいいから』

『じゃあ気をつけてね。何かあったらお母さんに電話すること。あと、お金は電話のところにあるのを使って。まだ残ってると思うから』


一週間、お兄ちゃんと二人きりだ。昼間はお互い学校で会えないけど下校して家に帰ればお兄ちゃんと一緒にいられる。
あたしの幸運は尽きることがないように感じられた。もう夜遊びはやめよう。せっかくお兄ちゃんと寝るまで過ごせるのだから。それに朝お兄ちゃんを起こすのは今ではあたしの役目になっていた
。そのためにも夜は早く寝ないと。

あたしは携帯を閉じると再び早足で学校を後にした。

923: 2012/01/23(月) 22:50:40.27 ID:cC0z6VNso
帰宅したあたしは自分の部屋にカバンを置いただけで制服を着替えることもせず、お兄ちゃんの部屋に向かった。口実ならあった。お母さんたちが帰れないってお兄ちゃんに伝えなければいけない
し。あたしはうきうきしながらお兄ちゃんの部屋の前に立った。

「お兄ちゃん?」
あたしはお兄ちゃんに声をかけながらドアを開けた。玄関にお兄ちゃんの靴があったのでお兄ちゃんが帰ってきていることはわかっていた。

「今、帰った」
あたしはお兄ちゃんに言った。考えれば帰ったことなど見ればわかるのに我ながら無駄な報告だった。

「え? おまえ何で」
どういうわけかお兄ちゃんは驚いたようだった。

「何でって?」

「いや。おまえ今日遅いと思ってたから、ちょっとびっくりした」
あたしが今日遅いなんて何でそんなことを考えたのだろう。あたしは必氏で少しでも早く帰ろうとしていたのに。

「そうなの? 普通に登校日だっただけだし」

「そうか」

そんなことよりお兄ちゃんに報告しなければいけないことがあった。

「お母さんからメール来た」

「何だって?」

あたしはメールを読み上げた。
「諸君の両親の来週末までの帰還は絶望的につき、各自それぞれ工夫し自給自足で生き延びられるように努力されたし」

「はあ?」

「そういうメールなんだもん」
あたしはお兄ちゃんに微笑みかけた。

「・・・・・・つまり今度の日曜日まで一週間家に帰らないから子どもたちだけで生活しろと。そういうことか?」
お兄ちゃんがいった。

「そうみたい」
あたしは再び微笑んだけど、それはどういうわけかお兄ちゃんを戸惑わせているようだった。

「しかし、一週間コンビニ弁当かよ」

「別にコンビニじゃなくてもいいじゃん」
あたしは意気込んで言った。

「まあ、カップ麺好きだし」
コンビニの次がカップ麺ってどういう発想なんだろうこの人は。お母さんがいない以上あたしがお兄ちゃんの健康管理をする必要がありそうだった。
そんなことをあたしは再びうきうきしながら考えていた。

「カップ麺一週間とかだめだよ。体壊しちゃうよ?」

「コンビニ弁当好きじゃねえんだよな」
物分りの悪い人だな。

「電話の下の引き出しにお金入ってるからそれで食事してって」

「金の問題じゃなくてさ」

「ファミレスも嫌いなんだっけ?」
あたしは平静を装って、でも心の中ではデートに誘っているみたいにドキドキしながらやっとこの言葉を口にした。

「一人でファミレスで夕食食うくらいなら、自分の部屋でカップ麺食いながらゲームしてた方がいいし」

「一人じゃないじゃん」

「へ?」

「あたしも一緒だし」
この時あたしは少し赤くなっていたかもしれない。

924: 2012/01/23(月) 22:52:21.06 ID:cC0z6VNso
「毎日、ファミレスだけじゃ飽きちゃうよね、昔よく配達してくれたおそば屋さんとかお寿司屋さんとかの出前も取ろうよ」
あたしは傍から見たらはしゃいでいるように見えたかもしれない。いや、お兄ちゃんと二人きりの一週間の生活をお兄ちゃんと話し合っているという状況があまりに幸せで、実際にあたしは珍しく
はしゃいでいたのだ。

「あ、あとさ。お兄ちゃんが好きな雑炊なら、あたしでも作れるけど」
あたしは料理が下手だけど、唯一お兄ちゃんが全部食べてくれたのが雑炊だったことを思い出してあたしは言った。

「お兄ちゃんが病気の時に久しぶりに作ったけど、三食分を一度に食べちゃうとは思わなかった・・・・・・よっぽど気に入ってくれたんだね」

「・・・・・・まあ、食事の話はいいけどよ」
お兄ちゃんがどうでもいいという感じで口を挟んだ。

「うん」

「1週間も二人きりでおまえ、寂しくないの?」

「別に。寂しくないよ。お兄ちゃんもいるし」
あたしは本当のことを答えた。あたしは言葉を惜しんでお兄ちゃんに誤解されることはあるかもしれないけど、お兄ちゃんに話す言葉はいつだって本当のことだったし、それはこの時も例外ではな
かった。

「え」
お兄ちゃんは戸惑ったように言った。
あたしはその言葉を聞いて不安になった。考えてみれば大学生のお兄ちゃんが夜予定が入っていても不思議はないのだ。

「・・・・・・いるんだよね? 大学終わったらすぐ帰ってきてくれるんでしょ?」
あたしは不安を隠さずお兄ちゃんに聞いた。

「まあ、今はバイトもしてないし、帰りは遅くはならないけど」
お兄ちゃんはあっさりと答えた。

「うん・・・・・・よかった」
一時の不安が去りあたしはまた落ち着きを取り戻した。

次の瞬間お兄ちゃんが予想外の質問をしてきた。

925: 2012/01/23(月) 22:54:44.72 ID:cC0z6VNso
「・・・・・・おまえさ。彼氏と仲直りしたんだって?」
それは今朝の校門でのできごとで誰にも知られていないことだった。それにお兄ちゃんの知り合いはうちの高校にはいないはずなのに。

・・・・・・いや、あたしと先輩の仲直り見ていたかも知れない子が一人いたことにあたしは気づいた。

「よく知ってるね・・・・・・。妹友ちゃんに聞いた?」

「うん。今日スタバに呼び出されて」

「そうか。お兄ちゃん、妹友ちゃんと会ってたんだ」
・・・・・・お兄ちゃんが妹友ちゃんと二人きりで会っていた。あたしには妹友ちゃんはそんなことは何も言ってなかったのに。

「まあな。それで彼氏とはどうなの?」
お兄ちゃんがまた聞いた。

「うん、登校したらすぐに彼が謝ってきて」
あたしは正直に言った。あたしはお兄ちゃんには嘘を言ったことがないのだ。

「そんで仲直りして今日一日中イチャイチャしてたわけか」

「・・・・・・え。お兄ちゃん?」
お兄ちゃんのその口調はお兄ちゃんから初めて聞く聞きなれないものだった。
怒りを隠しているというか失望を隠しているというかそういういろいろな感情を言葉の背後に隠し持った複雑な口調。

「あ、悪い。何でもないから今の忘れて」
お兄ちゃんはこの話題を切り上げようとした。


確かにあたしと先輩は仲直りをした。そして二日酔で苦しんでいた先輩はすぐに家に帰ってしまった。
一日中いちゃいちゃなどできるわけがない。
そしてお兄ちゃんはあたしと先輩が仲直りしたと聞いただけで、いちゃいちゃしてたわけかなんていうことを思い浮かべるような人ではない。

926: 2012/01/23(月) 22:57:14.04 ID:cC0z6VNso
あたしはため息をついた。

今日お兄ちゃんに会ったという妹友ちゃん。
昨日何度もあたしに電話やメールをしても返事がないってお兄ちゃんに嘘を言った妹友ちゃん。

妹友ちゃんは朝あたしと先輩が仲直りしているところを見かけたのかもしれない。
でもあたしと先輩が一日中いちゃいちゃしているところを見られるわけはなかった。そんな事実はなかったし何より先輩は今日すぐに家に帰ってしまったのだから。
妹友ちゃんはあたしには何も言わずにお兄ちゃんを呼び出し、あたしと先輩が一日中いちゃいちゃしていたという事実ではない報告をお兄ちゃんにしたのだろう。

・・・・・・結局あたしは、昨日の夜お兄ちゃんに抱いた感情について妹友ちゃんに謝らなくてもいいのかもしれない。


でもそれをお兄ちゃんに言うことはできなかった。妹友ちゃんの性格についてはお兄ちゃんにもう話をしてある。あとはお兄ちゃんがそれを信じるか信じないかだった。
親友の妹友ちゃんから先輩を奪ったあたしがしていいことは多分ここまでだとあたしは考えたのだ。


あたしは先輩とのことでお兄ちゃんにも心配をかけたことを謝って、その場はそれで終わった。
あたしはキッチンで今日の夕食の雑炊をお兄ちゃんのために作り始めた。そうすると少し重い気分も晴れてくるようだった。

934: 2012/01/24(火) 22:15:53.20 ID:RrfoawJyo
次の日。

授業が終わるとあたしは妹友ちゃんに断って真っ直ぐに家に帰ろうとした。今日から家にはお兄ちゃんしかいないし、お兄ちゃんの夕食のことを考えてあげなければいけない。
何より放課後学校で友だちと過ごしたり先輩と一緒に過ごしたりするより、お兄ちゃんと二人で家で過ごしたかったのだ。

昨晩は何か少し微妙な雰囲気だったけど、それでもあたしが作った食事を一緒に食べ何気ない日常的な会話を交わすことはできた。
一昨日の夜みたいに抱きしめてもらえなくてもいい。もともとお兄ちゃんのことを諦めようとしていたあたしは多くを望むつもりはなかった。ただお兄ちゃんと普通に会話ができるだけでも以前のあたしたちの関係を考えれば十分に幸せだった。

あたしが、いそいそと校門から外に出たところであたしを待ち構えていたらしい先輩に捕まった。
あたしは先輩が何か言い出す前に先輩に言った。

「先輩、悪いけど今週は夜は一緒にいられないの」
先輩は何か言いかけたけど思いなおしたように黙ってしまった。

「家にお母さんたちいないから。お兄ちゃんの食事とか準備しなきゃいけないし」
あたしは続けた。

「だからごめん。今日ももう帰るね」

先輩は相変わらず黙っていたのであたしがこのまま帰ろうとした時、先輩はぼそっといった。

「・・・・・・頼むよ」

「え?」

「今日はは仲直りした最初の夜だから・・・・・・頼むから少しでも付き合えよ」
先輩はあたしの目を見ずに小さく言った。こんな気弱な先輩を見るのは初めてだった。
でも、あたしは大学から真っ直ぐ帰って来てくると約束してくれたお兄ちゃんを家で迎えたかった。

「・・・・・・ごめんなさい、先輩。あたしやっぱり帰らないと」
あたしは先輩に言った。いつもの先輩なら二人きりで大人しい時でさえ声を荒げていただろうから、相当酷いことを言われるのだろうと思いながらあたしは先輩の次の言葉を待った。

「おまえさ。このままいつまでたっても俺より兄貴を優先するの?」
予想に反して先輩は寂しそうな声で言った。

935: 2012/01/24(火) 22:17:59.51 ID:RrfoawJyo
結局あたしは先輩に誘われるまま学校近くのスタバについて行った。

先輩には今日は家で食事するので夕食は付き合えない、どんなに遅くなってもお兄ちゃんが帰る前には家に着いていたいので時間がかかるカラオケやボーリングはいや。
それでいいならと少しだけ付き合うことにしたのだけれど、先輩も行き先にはこだわらなかったようで結局スタバで向かい合って座ることになった。

大した会話もなく1時間くらい経ったとところであたしが帰ると言い出すと、それまであたしが話しかけてもろくに話そうとしなかった先輩が急に喋りだした。



「もう少し一緒にいてくれてもいいじゃんか」

「俺が勘違いしてるんでなければ、俺たちって付き合ってるんだよな?」

「おまえの気に触るならもうおまえの兄貴の悪口とか言わねえから」

「遅くなるとおまえが兄貴に怒られるんだったらさ、俺がおまえの兄貴に謝るよ。妹さんを連れまわしちゃってすいませんでしたってさ」



もうこれ以上聞きたくなかった。先輩は悩んでいたのだ。そしてその原因を作ったのはあたしだ。

先輩と付き合い出して先輩のいいところとか弱いところとか親しみやすいところとかをあたしは知った。逆に言えば常に周りの友人たちに虚勢を張っている先輩は、あたしには弱みを無防備にさらしてくれるようになっていたのだ。
お兄ちゃんを忘れようとして始った付き合いだったけど、あたしは先輩のことが嫌いではなかった。あたしの心の中からお兄ちゃんの存在さえなくなればあたしはもっと先輩に夢中になったかもしれない。

でも結局あたしはお兄ちゃんを忘れることはできなかった。

・・・・・・特にお兄ちゃんがあたしを抱きしめてくれたあの夜以降は、あたしは先輩のことはほとんど考えずいつもお兄ちゃんのことを考えていたのだ。

936: 2012/01/24(火) 22:20:25.83 ID:RrfoawJyo
2時間くらい経った後、先輩は諦めたのかあたしを家の前まで送ってくれた。お兄ちゃんにあいさつすると言い張られたらどうしようかとあたしは悩んだのだけど、家は全体が暗く沈んでいてお兄ちゃんの部屋も含めてどの部屋からも灯りが点いている様子はなかった。その時はもう夜の7時30分を回っていた。

「お兄ちゃん、まだ帰っていないみたい」
あたしはほっとしながら先輩に言った。

「そうか」
先輩はそう言って、いつものとおりあたしにお別れの軽いキスしようと顔を近づけた。



あたしはとっさに顔を離して先輩のキスを避けた。こんなことをしたのは初めてだった。一瞬、先輩の驚き傷つきそして唖然とした表情があたしの目に入った。




「ごめん・・・・・・」
あたしは先輩に謝り、今度はあたしから先輩にキスしようとしたけど、先輩はあたしの手と顔をそっと払いのけた。



「じゃ、もう帰るわ。今日は無理言って悪かったな」
それだけ言って、キスのことには触れずに先輩はもうこちらを見ることなく消えていった。

937: 2012/01/24(火) 22:21:38.46 ID:RrfoawJyo
あたしは混乱する心を沈めながら家に入った。お兄ちゃんももうすぐ帰ってくるだろう。その時お兄ちゃんにイこんな変な顔は見せられない。

ダイニングに入って灯りを点けた時、テーブルの目立つ場所にメモが置いてあるのに気づいた。
あたしはそのメモを手に取った。



『おまえと早く帰る約束したんで帰ったんだけど、おまえ今日も遅くなるみたいだな。実は久しぶりに会う友だちに飲みに誘われたんだけどおまえが帰ってると悪いと思って断ったんだ』

『でもおおまえも遅いみたいだからこれからまたそいつと飲みに行って来るから。食事はいらない。帰りは遅くなるからちゃんと戸締りしとけよ。玄関は鍵してチェーンロックだけ外しといてな』



それはお兄ちゃんのあたしへのメモだった。あたしが先輩と寄り道していた間にお兄ちゃんは一度家に帰ってきてくれていたのだ。



『別に。寂しくないよ。お兄ちゃんもいるし』

『・・・・・・いるんだよね? 大学終わったらすぐ帰ってきてくれるんでしょ?』

『まあ、今はバイトもしてないし、帰りは遅くはならないけど』

『うん・・・・・・よかった』



昨晩の会話を思い出したあたしは声を出して泣いた。
何で真っ直ぐ帰ってこなかったんだろう。中途半端に先輩に付き合ってかえって先輩を傷つけた。
そして何よりあたしとの約束を守って友だちの誘いを断ったお兄ちゃんは真っ直ぐに家に帰ってくれたのだ。
あたしとの約束のためだけに。

939: 2012/01/24(火) 23:06:42.33 ID:RrfoawJyo
お風呂から上がったあたしは何となく吸い寄せられるようにお兄ちゃんの部屋に入っって行った。
お兄ちゃんが帰ってくるまでの間だけでも、お兄ちゃんの部屋にいよう。

いつもようにお風呂上りで身体が火照っていたため下着だけ着けたあたしはお兄ちゃんのベッドに横になり、テレビをつけた。
お兄ちゃんが帰ってくるまでにテレビを消して部屋を出てスウェットの上下を着れば問題ないだろう。
今あたしはおにいちゃんの部屋で一人きりだった。

・・・・・・考えることが多すぎてテレビには全然集中できなかったので、あたしはテレビのスイッチを切った。



別れ際の先輩の傷付いている目。
友だちの誘いを断って家に帰ってきてくれたお兄ちゃん。



何で物事は好転したと思った途端に新たな障害を生み出すのだろう。
無性にお兄ちゃんに会いたかった。今日真っ直ぐに家に帰っていれば、今頃お兄ちゃんと一緒にいたはずだ。そして先輩のキスを避け先輩の傷付いた表情を見ることもなかったのだ。

あたしはもう何も考えられなかった。混乱する思考をもてあましながらいつのまにかあたしは寝入ってしまったようだった。

940: 2012/01/24(火) 23:07:20.27 ID:RrfoawJyo
・・・・・・遠くで音がした。
玄関のドアがきしんで開くと音。酔っ払っているのか不規則であちこちにぶつかりながら階段を上って来る音。

あたしは眠りから覚め、近づいてくる音に耳をすませていた。玄関のドアには鍵をかけていたので、その物音はお兄ちゃんだった。
もうお兄ちゃんの部屋からそうっと抜け出せる段階は過ぎてしまっていた。

あたしは覚悟を決めた。お兄ちゃんにちゃんと謝ろう。許してくれなくても仕方ない。あたしのわがままに付き合って一度家に帰ってくれたお兄ちゃんにとにかく謝ろう。
そう考えたけど、もう鬼ちゃんに見つからずにベッドから出るタイミングは完全に逸していた。しかも悪いことにあたしは下着しか身につけていないのだ。

もうどうしたらいいのかわからなくなったあたしは、ベッドに入ったままお兄ちゃんのフラフラとした足音がドアの前で止まり、お兄ちゃんがドアを開けて部屋に入ってくるのを感じていた。


やがてお兄ちゃんは自分のベッドに毛布に包まったあたしが寝ているのを見つけたようだった。

「おい」

「おい!」

「妹、起きろ!」
あたしは必氏で寝た振りをした。謝るにしたって勝手にお兄ちゃんのベッドに寝ていた状況ではまずい、
あたしにはどうしていいかわからず寝ているふりを続けるしかなかった。


突然お兄ちゃんの手があたしが包まっている毛布を剥いだ。
お兄ちゃんの目にはほぼ裸に近い格好でお兄ちゃんのベッドに横になっているあたしが見えてしまったはずだった。

その時突然お兄ちゃんがベッドに入ってきた。横たわって寝た振りをしているあたしの隣にまるであたしに添い寝するように。
あたしはすぐにでも氏んでしまいそうなほどドキドキしていたけれど、何とか身動きせずに寝たふりをしていた。


「・・・・・・妹?」
あたしの隣に寄り添ったお兄ちゃんは妙に静かな口調で寝ているあたしに話しかけた。あたしが本当に寝ているのか確かめるかのように。

「本当に寝ちゃってるのか?」

その時、あたしの剥き出しの太腿に冷たい感触があった。お兄ちゃんの手だった。

・・・・・・あたしは凍りついたようにじっとしていた。初めて男の人に身体を触られる恐怖と恥ずかしさと、それから少しだけその手がお兄ちゃんの手であることから来る変な安堵と。
避けようとか嫌がるとかそういう考えは全く浮かばなかった。でも、ただひたすら怖かったあたしは身体を硬直させてお兄ちゃんの手の動きを感じ続けていた。

その手はいきなりとまり、そして次の瞬間あたしはお兄ちゃんの両手で引き寄せられお兄ちゃんの腕の中に収まっていた。
あたしは少し震え次に来ることを待ち構えたけど、結局その後には何も起こらずお兄ちゃんはそのまま眠ってしまったようだった。

ようやく身体を縛っていた何かがはずれたように、既に寝息を立てているお兄ちゃんにあたしは必氏で抱きついた。
ほとんど裸に近い格好だったのに。

944: 2012/01/25(水) 22:37:32.70 ID:WrmlNkbKo

その夜あたしはお兄ちゃんの腕の中で眠れない夜を過ごした。お兄ちゃんの息からはお酒の匂いがした。
3時頃、あたしはなるべくそっとお兄ちゃんの腕の中から抜け出した。お兄ちゃんを起こしたらどうしようと心配だったけど、着替えもせずに熟睡しているお兄ちゃんは全く起きる気配もなかった。

寝ているお兄ちゃんに毛布をかけた後、自分の部屋に戻ったあたしは自分の部屋のベッドに入ってさっき起きた出来事を思い返してみた。その頃には大分落ち着いてきていてあの時強く感じた恐怖や羞恥はもう姿を消していたけど、戸惑いだけはあいかわらずもや
もやと胸の中に滞留していた。

お兄ちゃんがあたしの身体を撫で回した。そのことには一体どんな意味があるのだろう。
ひょっとしてお兄ちゃんはあたしのことを本当に好きなのだろうか。最近お兄ちゃんとの仲が急速に改善して距離が縮んでいることを考えるとその可能性もあながち否定できないとあたしは思った。
一方であれは酔った上での出来事だし、何の気なしにということも考えられた。また、あたしのことが好きなのではなく単に女の子の肌に触りたかっただけということもあるかもしれない。
この間の会話でわかったことだけど、お兄ちゃんは今まで彼女がいたことはないそうだ。そんなお兄ちゃんのベッドで肌を露わにした女の子が誘っているように横たわっていればいくら妹とはいえ身体くらい触りたくなっても仕方ないかもしれない。
しかもお兄ちゃんは相当酔っていたようだし。

一方あたしはと言えば、お兄ちゃんに素肌を触られたことによってお兄ちゃんに嫌悪感を抱くとかそういう負の感情は一切なかった。驚いたことは確かだったけど、それがお兄ちゃんの手だとわかっていたから拒否しようなんて夢にも思わなかったのだ。
ただ戸惑いはあった。振り向いてもらえないと思い込んでいたお兄ちゃんと最近は急速に親しくなったのだけど、さっきの出来事は急すぎた。もしお兄ちゃんがあたしのことを異性として恋愛の対象として見ているのだとしたら。
あたしにはまだ十分な心の準備がなかったのかもしれない。肩を抱かれ寄り添って一晩過ごしたことだけでもあれほど幸福を感じたあたしだったけど、何かさっきの愛撫は少しそういう幸福感とは違った影響をあたしの心に及ぼしていた。

それは率直に言えば性愛ということであり、そういう経験のないあたしにはそれをどう取り扱っていいのかわからなかったのだ。

945: 2012/01/25(水) 22:38:04.35 ID:WrmlNkbKo
それでも考えていくうちにあたしは少し冷静になった。やはりお兄ちゃんが好きという想いは突然のお兄ちゃんの愛撫によっても変ることはなかった。それによく考えればそれほど嫌ということもなかったのだ。
一度二人きりのカラオケの個室で先輩に同じことをされかかったことがあったけど、その時は驚きのほかにも嫌悪感を強く感じていて、あたしは先輩を突き飛ばした。
それに比べるとお兄ちゃんに触られたこと自体は驚いたし少し怖かったけど別に嫌ではなかった。

お兄ちゃんだったからだ。それが大好きな人の手だったからだ。やはりお兄ちゃんはあたしにとって特別だった。
そこまで考えると急に心と身体が軽くなった。好きな人があたしを求めてくれるならあたしはそれを許そう。もちろん限度はあった。そこから先はまだあたしには早い気がする。けどお兄ちゃんがあたしの身体に触りたいなら、それくらいは微笑んでいいよって答
えてあげたい。

あたしは急に眠くなった。でも明日も学校があるし何より登校前にお兄ちゃんを起こさなければならない。あたしは眠りに引き込まれる前にかろうじて目覚ましをセットすることができた。
・・・・・・肌にはまだお兄ちゃんの手の感触がぴりぴりと残っているようだったけど、それも次第に薄れあたしは眠りに落ちた。

946: 2012/01/25(水) 22:40:46.66 ID:WrmlNkbKo
翌朝あたしは学校に何とか間に合う時間に起きられた。あたしは制服に着替えてからお兄ちゃんの部屋に行きお兄ちゃんを起こした。おにいちゃんの部屋の中にはお酒の匂いが充満しているみたいだった。
ようやく起きたお兄ちゃんは案の定ひどい二日酔いだった。

「・・・・・・気持ち悪い」
お兄ちゃんは枕に顔を押し付けるようにしながら呻いた。

「うん。お酒臭いよ、お兄ちゃん」

「おまえ、どうして家にいるの? 学校はどうした」

「・・・・・・お母さんに、これからはあたしがお兄ちゃんを起こしなさいって言われたから」

「それはいいけど、おまえ学校遅刻じゃねえの?」

「・・・・・・お兄ちゃん、なかなか起きてくれなかったから」

「そりゃ悪かったけど、俺なんて放って学校行けばよかったのに」
あたしはそれには答えなかった。

「あ、ちょっと、悪い。トイレ行くわ」
お兄ちゃんはよろめきながら起き上がった。きっと吐き気がするのだろう。

「おまえももう学校行けよ」
よほど苦しいのかお兄ちゃんの顔は真っ青だった。

「・・・・・・うん」
あたしは答えた。もともと学校に行くつもりで制服も着たのだけど、今の苦しそうなお兄ちゃんを見ていると登校する気がだんだん揺らいできた。
二日酔は病気じゃないというけど今のお兄ちゃんはこのあいだ高熱が出た時よりも苦しそうだった。

「お兄ちゃん、大丈夫?」

「よくわかんねえ」
お兄ちゃんはよろよろと部屋を出てトイレに向かった。

あたしは時間を確認し自分の携帯を取り出した。この時間ならもう担任の先生は職員室にいるはずだった。

947: 2012/01/25(水) 22:41:17.03 ID:WrmlNkbKo
それからずっとお兄ちゃんはトイレから出てこなかったので心配になったあたしはお兄ちゃんに声をかけた。

「お兄ちゃん、本当に大丈夫?」

トイレを流す音がして、お兄ちゃんがよろよろとトイレから出てきた。

「吐いたらすっきりしたよ。悪かったな」

「でも、顔青いよ」
お兄ちゃんの顔はまだ真っ青だった。

「今日は大学休むよ。寝てればすぐ治るから」

あたしが一緒にいてあげると言おうとした矢先にお兄ちゃんが言った。

「・・・・・・二日酔って別に病気じゃねえから、看病とかいらねえぞ?」

「お母さんから言われてるし」
この人と一緒にいたい。あたしは強くそう思った。

「え? とにかく二人でトイレの前にいるのも変だろ。俺はもう寝るから、おまえ学校行けよ」

「あたしも今日休む」

「何で。俺病気じゃねえぞ」

「・・・・・・休む」
もう理屈ではない。あたしはただ繰り返した。自分の想いがお兄ちゃんに届けばいいのにと思いながら。

「だからどうして」
お兄ちゃんは腑に落ちないようだった。
その時あたしは昨日言わなければいけなかったことを、昨日言おうと思っていたけどあの出来事のせいで言えなかったこと思い出した。

948: 2012/01/25(水) 22:41:47.96 ID:WrmlNkbKo
「・・・・・・昨日はごめんなさい」

「え?」

「今週はお母さんたち家にいないから」
あたしは全部正直に言おうと思った。

お兄ちゃんは黙って聞いていた。

「でも昨日は、彼に誘われて断われなくて」

「何言ってるのかわかんねえよ」
お兄ちゃんが口を挟んだのであたしは最初から説明しなおした。あたしは感情や思いを人に伝えるのが少し苦手なのかもしれない。

「お兄ちゃんのメモ見た。大学からまっすぐ帰ってくれたんでしょ」

「ま、まあな。大学からまっすぐ家に帰るっておまえと約束してたし」
お兄ちゃんはあっさりと言ったけど、友だちの誘いを断ってわがままなあたしとの約束を守ろうとしたお兄ちゃんの気持ちがあたしには嬉しかった。

「あたしがお兄ちゃんにお願いしたのに」

「あのなあ」

「あたしが約束破っちゃった」

「兄貴より彼氏を優先するなんて普通のことだろ? 謝ることじゃねえよ。それに俺もその後飲みに行っちゃったしな」

「・・・・・・今週は夜は会えないって彼に言ったの」
あたしは淡々とありのままの話を続けた。お兄ちゃんは黙って聞いていた。まだ苦しそうな顔をしていたけど、それでもあたしの話をまじめに聞いていてくれた。

「お母さんたちいないし。お兄ちゃんも大学から家に帰ってくるし、食事とか準備しなきゃいけないからって」

「でも、昨日は仲直りした最初の夜だから付き合えよって」

「俺より兄貴を優先するのかって言われて」

「ごめんね」
あたしは話を締めくくった。

「何で謝る。おまえ、彼氏より俺のほうを優先してるわけじゃねえだろ? そんなことそいつに言われる筋合いねえよな」
お兄ちゃんにはまだわかっていないようだった。

「・・・・・・ううん。そうでもない」
あたしは正直に答えた。あたしは実際に先輩よりお兄ちゃんと過ごす方を選んだのだ。あの時あたしは先輩の言うとおりお兄ちゃんのほうを優先したのだった。

「お兄ちゃん」

「うん?」

「もう横になって。お昼ごろまた起こしてあげるから」

「・・・・・・学校は?」
お兄ちゃんはまた繰り返した。

「もう休むって連絡した」
お兄ちゃんは再び黙ってしまった。

949: 2012/01/25(水) 22:42:49.62 ID:WrmlNkbKo
あたしが部屋に戻って休んだ方がいいよと繰り返すとお兄ちゃんもその気になったようで、自分の部屋に向かった。
あたしはお兄ちゃんの背中を眺めながらお兄ちゃんについて行った。

「・・・・・・何でおまえも俺の部屋について来てるの」

「お兄ちゃんは寝ていいよ」

「だからどうして」

「テレビ見ていい? ボリューム下げておくから」
あたしは今日はお兄ちゃんのそばから離れるつもりはなかった。たとえまた身体を触られるようなことになったとしても。

「・・・・・・いいけどよ」
お兄ちゃんはようやくそう言ってくれた。それからお兄ちゃんはベッドに横になった。

あたしは床に座り込んでテーブルの上のリモコンを手に取った。
スイッチを入れると何か懐かしい番組が映し出された。
そっれはピンクの恐竜が登校している場面だった。


「学校休んだ日って、何かNHK教育テレビを見ちゃうんだけど、何でかな」

「ああ~。わかるわかる。がんこちゃんとかノッポさんとか、さぼった日は必ず見ちゃうよな」

「何でだろ?」

「民放が主婦向けの番組しかやってねえからだろ」

「うん」
やっぱりお兄ちゃんとこういう何気ない会話ができるのは幸せだった。気分の悪いお兄ちゃんのことは心配だったけど、それでも学校を休んでお兄ちゃんの隣にいて世間話をする。ただそれだけのことが本当に何にも変えがたい貴重な時間のように思われた。

「お兄ちゃん、寝ないの?」
しばらくしてあたしは心配になった。あたしの会話の相手をしてくれるのは嬉しいけど、早く寝た方が治りも早いに違いない。

「何か体も心も楽になってきたな」
お兄ちゃんがぼそっと言った。

「お昼食べられそう?」

「今は無理。その時になんねえとわからない」

「うん」
再び会話が途切れた。

950: 2012/01/25(水) 22:43:21.44 ID:WrmlNkbKo
テレビからは『ざわざわ森のがんこちゃん』のテーマソングが流れている。

『がーんこちゃーん♪』

「・・・・・・おまえさ」
お兄ちゃんが気のせいか少し緊張した声であたしに話しかけた。

「うん?」
あたしはがんこちゃんから目を離しお兄ちゃんの方に振り向いた。

「昨日、俺のベッドで寝てなかった?」

「お兄ちゃんが帰ってきたら謝ろうと思って」
あちゃしはすぐに答えた。

「うん」

「でも、自分の部屋だとお兄ちゃんが帰ってきても気がつかないかもしれないから」

「うん」

「お風呂から出て、お兄ちゃんの部屋でテレビ見て起きてようと思ったんだけど、気がついたらお兄ちゃんの部屋で寝ちゃってた」

「おまえ、下着しか着てなかったぞ」

「うん。お風呂出て暑かったから」
そこまでは冷静に答えていたあたしだけど、お兄ちゃんの次の質問が耳に入るとあたしは狼狽した。

「・・・・・・俺が帰ったのわかった?」
お兄ちゃんも昨日のことを覚えていて気にしているのだろうか。急に動悸が激しくなった。

「・・・・・・お兄ちゃんが帰って来たの知ってたよ。ベッドに入ってきたのも」
あたしは答えた。

「もしかして起きてた?」
お兄ちゃんはかすれた声で聞き返した。

「・・・・・・うん」

「寝たふりしてたのか」

「だって」
あたしは答えた。あたしはお兄ちゃんに嘘を言ったことはない。

「・・・・・・何か怖かったし恥ずかしかったから」

「そ、その・・・・・・。ああいうのって嫌じゃなかったの?」
やはりお兄ちゃんは昨日あたしの身体を触ったことを覚えているのだ。

「ちょっと怖かったけど、別に嫌じゃなかった」
あたしは冷静に答えているように見えたかもしれない。でも心の中は恥ずかしくてパニック状態だった。
それでもあたしはお兄ちゃんに自分の想いを正直に伝えようとした。

「彼氏にはまだ待ってってお願いしてるけど」
あたしは更に踏み込んだ。

「・・・・・・お兄ちゃんだったから」
それはまるで愛の告白のようだ。

「・・・・・・わかんねえ」
お兄ちゃんは理解に苦しむように黙ってしまった。




「ちょっと怖かったけど、別に嫌じゃなかった」
「・・・・・・お兄ちゃんだったから」

あたしはお兄ちゃんに嘘をつくことはないのだ。

956: 2012/01/26(木) 22:11:24.24 ID:1OhvfVmto

「じゃあ海見に行こうよ」
あたしはお兄ちゃんにおねだりした。


お兄ちゃんの二日酔が収まってきたので、あたしたちは昼食を取るためにお兄ちゃんの車で外出していた。
二日酔なんだから車じゃなくてとも考えたけど、今日学校を休んでいるあたしにとって徒歩で繁華街まで出るのは危険だった。
でもそれもあたしが自分に言い聞かせた言い訳かもしれない。あたしはお兄ちゃんと二人きりで出かけたかった。それにはドライブするのが手っ取り早い。

普通にファミレスに行くだけなら片道で15分もあれば目的地に着いてしまう。でも幸いなことにぼうっと運転していたお兄ちゃんは道を間違えた。不要な交差点を右折して高速道路に入ってしまったのだ。
まだ昼食には早い時間だった。

「・・・・・・この道ってこのまま行くとどこに着くの?」
あたしはお兄ちゃんに聞いた。

「まあ、湘南とか小田原とかそっち方面だな」

「まだお昼には早いよね」

「まあ、12時前だしな」

「このまま海に行く?」
あたしはお兄ちゃんを誘った。

「へ?」

「海の方へ向ってるんでしょ」

「う、うん」


「別にいいけど」
お兄ちゃんはぼそっと言った。熱意も喜びのかけらも感じられない声だけど、あたしにはこれまでにはなかった余裕があった。

「・・・・・・あたしたちデートしてるみたいだね」」
あたしはくすっと笑いながらお兄ちゃんを見上げた。お兄ちゃんの顔が赤くなった。

957: 2012/01/26(木) 22:13:51.53 ID:1OhvfVmto
これまで必氏にお兄ちゃんを求めてもがいていたあたしがこんなに余裕を持ってお兄ちゃんと接することができたのは、別にお兄ちゃんに身体を求められたからじゃないと思う。
身体を武器にお兄ちゃんを誘惑するなんて考えるほどあたしは自信過剰じゃなかった。妹友ちゃんみたいに女らしい体つきをしているわけじゃないし。

むしろ昨日の夜のできごとをお兄ちゃんと話し合ったことがあたしの中では大きかった。お互いにお互いの感情を手さぐりで模索していた段階は終わり、お兄ちゃんはあたしの身体を触ったことを誤魔化さず否定もしなかった。
そしてあたしも、その愛撫がお兄ちゃんだったから嫌じゃなかったのとお兄ちゃんへの好意を生まれて初めて剥き出しでぶつけることができたのだ。

今でもあたしには将来への不安がある。お兄ちゃんは事実としては認めたけれども、その動機があたしへの好意だと言ったわけではない。
あたしにしても、お兄ちゃんを諦めるために付き合い出した先輩との関係を清算したわけではない。この先どうなるのかは全く目隠しされていて何にも見えていなかったのだ。

それでもあたしには焦燥感はなかった。いろいろ不安を感じる様子はあったけど、今のあたしはお兄ちゃんと二人きりでいるだけで幸せだった。そしてお兄ちゃんも多分・・・・・・。
これはあたしたち兄妹に許された一瞬のモラトリアムに過ぎないのかもしれない。それでもあたしの心は軽かった。

気軽にお兄ちゃんに話しかけられる喜び。
お兄ちゃんにわがままを言い、お兄ちゃんがそれをしぶしぶながらも聞き入れてくれる喜び。
今までのように遠慮しながらお兄ちゃんの後姿を眺めていなくてもいい関係になれた喜び。

今のお兄ちゃんならあたしの無様なところ、醜いところ、嫉妬深いところ、その全てをあるがままに受け入れてくれるような気がした。

958: 2012/01/26(木) 22:16:28.73 ID:1OhvfVmto
相変わらず景色は街中のそれで一向に海辺らしくならなかった。昨日ほとんど寝ていなかったあたしは眠気を払うのに苦労した。

途中お兄ちゃんの携帯の着信音が鳴り、それが誰からのメールかわかっていたあたしは一瞬眠気が覚めた。
それでもあたしの軽い気持ちは曇らなかった。正直に言えば妹友ちゃんでさえ今のあたしには脅威に思えなくなっていたのだ。

妹友ちゃんがお兄ちゃんを学園祭に誘いたいなら誘ってもいい。昨日の夜を踏まえると仮に妹友ちゃんがお兄ちゃんに告白したとしてもお兄ちゃんは妹友ちゃんには靡かないだろう。
今のあたしにはそれくらいお兄ちゃんの気持ちを自分にひきつけているという自信があったのだ。


お兄ちゃんと何気ない会話を交わしながらもあたしはだんだん眠くなってきた。車内の暖房や適度な車の振動が心地よくあたしを眠りに誘った。

「車の中暖かいから眠くなっちゃうね」
あたしはあくびをかみ頃しながら言った。

「時間かかるから寝てていいよ」

「お兄ちゃんに悪いし」
二日酔のお兄ちゃんに運転させているのだ。助手席で眠るわけにはいかない。

「いいよ。少し休んどけ」
それでもお兄ちゃんはあくまであたしに優しかった。これまでの無関心な関係がまるで嘘のように。

「うん。じゃあ」
あたしはお兄ちゃんの言葉に甘えた。それで体をできるだけ運転席の方にずらして、お兄ちゃんの肩に頭を乗せるようにしてお兄ちゃんにもたれかかった。

「・・・・・・おい」
少しだけ慌てているお兄ちゃんの声。

「なあに?」
あたしは半ば目つぶりながら言った。

「い、いや。何でもない」

うとうとしながら、あたしは肩にお兄ちゃんの手が回されるのを感じた。お兄ちゃんの手はあたしの肩でおとなしくじっとしていることもなく、服の上からあたしの腕を撫でたり掴んだりしながら遠慮がちにあたしの腕を上下にさするように往復していた。あたしは昨日のように驚かなかった。むしろ好きな人に自分の体を好きなようにさせながらも安らかに目をつぶって半分眠りについていたのだ。

お兄ちゃんの控えめな愛撫はすぐに終わったけど、この時お兄ちゃんがもっとあたしを求めたとしてもあたしはそれを受け入れていただろう。

959: 2012/01/26(木) 22:19:00.16 ID:1OhvfVmto
お兄ちゃんと湘南でデートしたその夜、あたしはお風呂上りに再びお兄ちゃんの部屋に行った。もうあまりお兄ちゃんに遠慮しなくなっていたのだ。

お兄ちゃんが妹友ちゃんへのメールの返信を忘れているようなので、返事するように催促しながらあたしは勝手にお兄ちゃんのベッドに座ってテレビをつけた。
何をしても愛する人に拒否されることはないという心地よい安心感。

お兄ちゃんは短くメールの返信をするとあたしを部屋に残してお風呂に向かった。

お風呂上りのお兄ちゃんが部屋に戻ってきた時、あたしはテレビのバラエティ番組を見ていた。


「なあ」
お風呂上りのお兄ちゃんは髪の毛をバスタオルで拭きながら言った。

「うん。あ、お兄ちゃんお風呂スイッチ切ってきた?」
お兄ちゃんはよくスイッチを切り忘れるのだ。あとこの後お風呂の掃除もしなければいけない。いつもならそれを次の日に廻すことなんて考えられないんだけど、今日のあたしは一歩だってお兄ちゃんの部屋から出て行くつもりはなかった。

「切ったよ。おまえ、まだ寝ないの?」

「もうすぐ寝る」
あたしは答えた。

「今日もここで寝るから」

「・・・・・・はい?」

「お母さんたちいないし」

「母さんたちいる時だって一人で自分部屋で寝てるじゃん」

「でも、昨日もおにいちゃんの部屋で寝たし」

「あのさ」

「うん」


その時予想外の嬉しい言葉がお兄ちゃんの口を飛び出した。

「俺だって男だし。妹とはいえおまえだって可愛い女の子なんだしさ」

「え?」
可愛い。お兄ちゃんはあたしのことを可愛いって言ってくれたのだ。

「また昨日みたいなことしちゃうかもしれないぞ」

あたしが可愛いから兄としてでなく男として我慢できないということ?
あたしはもう一回お兄ちゃんにあたしのことが可愛いと言わせたかった。

「・・・・・・もう一回言って」
あたしは真っ直ぐお兄ちゃんを見た。もう曖昧な言葉は言わせない。

「へ? だ、だからおまえの体を」

「そこじゃない。あたしだって、ってとこ」

「おまえ、その、か、可愛いし・・・・・・」
お兄ちゃんは顔を赤くし困惑したようにぼそっと言った。

960: 2012/01/26(木) 22:22:35.24 ID:1OhvfVmto
瞬時にあたしの心は決まった。
「お兄ちゃんにならいいよ」

遠まわしな愛の告白のような言葉。それはあたしたちらしいのかもしれない。長年お互いに無干渉だったお兄ちゃんへのあたしの告白のは、愛してるとか好きではなくお兄ちゃんなら触ってもいいよなんて言葉だった。

「・・・・・・いいの?」
お兄ちゃんも恥ずかしそうだったけど、もう誤魔化すことなく言った。

「昨日も言ったじゃん。嫌じゃなかったって」

「・・・・・・本当にいいのか」

妹「お兄ちゃんがしたいなら」

あたしは黙ってベッドにうつ伏せになった。さすがに仰向けになるのは恥ずかしかったから。

「・・・・・・結局スウェット着てなくてよかったね」

「ちょっと寒いからエアコンの温度上げて」

「・・・・・・最後まではダメだよ? 触るだけね」

あたしの言葉にお兄ちゃんも頷いた。

「わかってる」
お兄ちゃんがあたしの隣に横たわった。

「ちょっと狭いね、ベッド」

「シングルだからな。なあ?」

「何?」

「やっぱり怖い?」

「昨日ほど怖くない」
これは強がりではなかった。どきどきしていたけど恐怖心や戸惑いは昨日とは異なり全く無くなっていた。

「そう・・・・・・」
沈黙の中にテレビの笑い声だけが響く。この場にはひどく不似合いなBGMだった。

「テレビ消して」

「うん」

「・・・・・・何もしないの?」
お兄ちゃんは戸惑って、ためらっているようだ。あたしは両手をお兄ちゃんの首に廻しお兄ちゃんにキスした。

「・・・・・・嫌だった?」

「い、嫌じゃねえよ」

「そう」

「妹!」
突然お兄ちゃんがあたしの名前を低く叫び、あたしはお兄ちゃんに抱きしめられベッドに押し倒された。

969: 2012/01/27(金) 22:18:24.47 ID:qSeizNVEo
それから学園祭までの間、その準備に忙しかったこともあって、あたしは朝早く家を出て帰宅は常に遅かった。
だからというわけではないけれども、あたしは夜お兄ちゃんの部屋に行かなかった。
主に二つの理由で。

一つ目は単純に恥ずかしくてお兄ちゃんの顔が見れなかったから。
あの時、あたしの意思とは全く関係なくあたしは大きな声を出した。お兄ちゃんに体を触られて変な気持ちになって息が荒くなったりはしたことがあったけど、あそこまで大きな声が漏れたのは初めてだった。
お兄ちゃんに初めて剥き出しの肌にキスされあたしの胸は急に熱を帯び、むずむずとして熱くそして気持ちのいい感覚があたしを支配したのだった。
思わず口から出た声は意味を成しておらず「あ」とか「あん」とか繰り返し喘いでていただけ。

お兄ちゃんはあたしのことを変な女だと思っただろうか。こんなに簡単に感じてしまうあたしをはしたない女だと思ったのではないか。
あたしはお兄ちゃんの好意に臆病になっていたから、やっと掴んだこの幸せが壊れるようなことは一つたりともしたくなかったのに。今にして思えば枕を噛んででも声を出すのを我慢すればよかったのだ。

二つ目は先輩との関係。
あたしの思い過ごしでなければお兄ちゃんはあたしに好意があるようだった。今まで考えたこともなかったけどあたしの初恋、絶対に成就しないだろうと諦めていたその恋が実るかもしれない。
あたしは先輩のことが好きだった。いくらお兄ちゃんを忘れるためとはいえ、全く好きでもない人と付き合うはずがない。
校内の女の子が噂する先輩の美点、格好いいところとか運動神経がいいところ、女の子の扱いに慣れているところ。先輩のそういうところは全くあたしの感情を動かさなかった。でも、先輩の意外に気の弱いところ、虚勢を張っても長続きせずすぎに相手の感情を気遣うやさしさ、相手の心を洞察できる繊細な感情、あたしは先輩のそういうところが好きになったのだった。そしてそれはお兄ちゃんの中にあたしが見つけていたものろとほとんど一緒だった。
オタクで恋愛経験のないのお兄ちゃんと真逆のように見える先輩の中に、あたしは初恋の人との共通点を見出し初恋の人の面影を先輩の中で追っていたのだ。

あたしは先輩と付き合っていることをお兄ちゃんには隠していない。先輩と付き合うあたしをお兄ちゃんがどう考えているかもよくわからない。でも、お兄ちゃんと結ばれるかもしれないというかすかな希望があたしの胸の奥に灯った今、あたしは先輩と付き合い続けていいのだろうか。
これはまさに先輩があたしに言ったように「浮気」そのものだった。それも先輩が言っていた精神的浮気の状態でさえもう通り過ぎてしまっていた。


あたしは先輩よりお兄ちゃんのほうが比べ物にならないくらいに大好きだ。そしてそのお兄ちゃんとの関係が深くなっていっている今、先輩とこれまでどおり付き合っていていいのだろうか。
お兄ちゃんには彼女がいない。妹友ちゃんはお兄ちゃんのことが好きなのかもしれないけど、妹友ちゃんはまだお兄ちゃんの彼女ではない。
お兄ちゃんに特定の相手がいない以上、あたしだけ彼氏がいるのは不公平ではないのか。それにあたしと付き合うことは確実に先輩を苦しめている。


どうするか気持ちが固まったわけではなかった。ただあの夜から学園祭までの間、こういうことを繰り返し考えて悩んでいた。そして悩んでいる最中のあたしをお兄ちゃんに見られるのは嫌だった。
そういう訳で学園祭まであたしはお兄ちゃんと夜一緒に寝ることもなくほとんど話もせずに過ごしたのだった。

970: 2012/01/27(金) 22:20:30.64 ID:qSeizNVEo
学園祭当日、あたしは実行委員の当日の役目をどういうわけか免除され、先輩と二人で調理部が出店したカフェに座っていた。

その日も先輩の感情は不安定だった。お兄ちゃんに嫉妬して悪口を話すかと思えばそれに怒ったあたしに気遣い突然謝って前言を取り消したりする。
あたしは、お兄ちゃんへの誹謗は許さなかったけどそう言うしかない先輩の気持ちもよくわかった。なので先輩が謝罪すればそれを受け入れ、最近では避けていた先輩の求めに応じてキスしたりもした。
あたしが先輩と仲直りしたその時だった。あたしは委員長ちゃんに話しかけられた。


「妹ちゃ~ん。ここにいたの」

「ああ、委員長ちゃん」

「何だ? また、彼氏と一緒なんだ」
委員長ちゃんはあたしたちをからかった。

「・・・・・・委員長さ。マジ邪魔なんだけど」
先輩が委員長ちゃんを睨んだけど、委員長ちゃんは全く気にしていない様子だった。

「こら。仮にも女の子に向かって邪魔とか言うな」
委員長ちゃんが先輩に言い返した。


「せっかく妹と二人きりなのによ」

「あのね。妹ちゃんは本当だったら来客整理誘導係で、校門の前に立ってなきゃいけないのよ」

「わかってるよ」

「それを、あんたに『妹と一緒に学祭を回りたいよ~』って頼まれたから、妹ちゃんをフリーにしてあげたんでしょうが」

「ごめんね委員長ちゃん」

「いいのよ。あたしはただこいつの言い草が気に障っただけで」

「だからわかってるって。悪かったよ」

「二人のとこ邪魔してごめんね? 妹ちゃん」

「別にいいよ」

「そういえば妹ちゃんこんなクズと一緒にいていいの?」

「クズとは何だクズとは」

委員長ちゃんと先輩との会話はまるで漫才のようだったけど、二人の掛け合いを聞いているうちにあたしはふと奇妙なことに気がついた。

971: 2012/01/27(金) 22:23:40.39 ID:qSeizNVEo
委員長ちゃんは先輩に憎まれ口を叩いていたけど、よく見るとその間全くといっていいほど先輩の方を見ていなかった。あたしに向かって先輩の悪口を言っている感じだった。
一方、先輩は委員長ちゃんに返事をする時はチラッと委員長ちゃんの様子を伺いそしてすぐに委員長ちゃんから視線を逸らして返事をする。
そのパターンが見事に繰り返し続いていることにあたしは気がついた。

委員長ちゃんが先輩を好きなことは妹友ちゃんが嬉しそうに噂話をしていたので知ってはいた。その時は話半分に妹友ちゃんの噂話を聞き流していたあたしだけど、委員長ちゃんの反応を見るにやはり委員長ちゃんが幼馴染の先輩に恋をしているというのは本当だろうとあたしは今改めて実感した。

そしてそれよりも奇妙だったのは先輩の反応だった。あたしは先輩の長所として意外と人に気を使うところがあると思っていたけど、その長所は普段は先輩の乱暴な言動に隠れていて誰もが理解できるようなものではなかった。
でも、委員長ちゃんと長い言葉のラリーを続けている先輩は傍から見れば遠慮のない幼馴染に一方的にやり込められているように見えただろうけど、その実よく観察すれば先輩の言動は細やかなまでに委員長ちゃんに配慮したものだった。
自分をクズ扱いする委員長ちゃんに反論しつつも、最後は必ず委員長ちゃんに折れて謝る先輩。

あたしは二人の掛け合いを聞きながら考えていた。
先輩があたしを好きだというのは嘘ではないだろう。先輩の美点(というかこれは欠点かもしれないけど)として自分に正直ということがある。先輩があたしを欲しいという時は本当にあたしが欲しい時なのだ。
でも、一方で委員長ちゃんに見せる細やかな配慮は、普段はあたしにだってそこまでしないレベルのものだった。
ひょっとしたら。

委員長ちゃんが先輩を密かに想っていることは多分間違いないだろう。
そして先輩はあたしに夢中だと、あたしは今までは何となくそう考えていた。でも先輩自身も気がついていないかもしれないけど、本心では先輩は委員長ちゃんのことを好きなのではないか。

972: 2012/01/27(金) 22:24:10.49 ID:qSeizNVEo
「今日は妹ちゃんの大好きなお兄ちゃんは来てくれないの?」
委員長ちゃんは話題を変えてあたしに言った。

「・・・・・・来てると思うよ」
あたしは答えた。

「え」
それを聞いて先輩は少し慌てたようだった。

「せっかく大切なお兄さんが来てるのに、案内とかしないの?」
ちらっと先輩の方を覗った委員長ちゃんは、先輩の反応を無視して話を続けた。

「・・・・・・うん。妹友ちゃんが案内してくれるって言ってたから」
あたしの言葉からは少しだけ苦いニュアンスが滲み出ていたかもしれない。

「・・・・・・あんた、それでいいの? いつもは少しでもお兄ちゃんと一緒にいたいオーラを出してるのに」

「・・・・・・おまえ、余計なこと言うな」
そこで委員長ちゃんの言葉に先輩が反応したけど、次の委員長ちゃんの暴言に一瞬で黙殺された。

「あんたこそ女同士の会話に口出しするな! クズ」

「お兄ちゃんには会いたいけど、妹友ちゃんの邪魔は出来ないし」
それはあたしの正直な気持ちだった。

「え? 何々。妹友ちゃんって妹ちゃんのお兄さんのこと好きなの?」

「多分、そうじゃないかな。あ、妹友ちゃんにはこの話は内緒だよ」

「わかってるけど」

「ふ、ふふ。うふふふ。妹の兄貴に彼女が出来そうとか。何て素晴らしい展開なんだ」
何か不自然な先輩の反応。この言葉はあたしに向けられていたのか。それとも無意識のうちに気になっている委員長ちゃんへのものだったのか。

「だから。あんたは少し黙ってろ」
委員長ちゃんは相変わらず先輩の方を見ないで言った。

973: 2012/01/27(金) 22:27:28.11 ID:qSeizNVEo
あたしと先輩はその後一緒に校内を回ったけれど、お兄ちゃんにも妹友ちゃんにも会うことはなかった。
正直、先輩と一緒にいるところをお兄ちゃんには見られたくなかったので、あたしはほっとしていた。

後夜祭のフォークダンスを踊っている時、ダンスの輪に入らずキャンプファイアの灯りを横顔に受けながらじっと考え事をしている妹友ちゃんを見かけた。あたしは妹友ちゃんとお兄ちゃんの間に今日何かあったのだろうかと考えたけど、それについて深く考えこむことはなかった。
あたしはお兄ちゃんのあたしへの好意や関心(愛と言い切れるほどの自信はまだなかったけど)について、珍しく自信をもっていたから。

後夜祭が終わったあと、先輩にはグループの女の子たちから声がかかった。みんなで遊びに行くらしい。先輩や女の子たちはあたしも誘ってくれたけど、あたしはそれを断った。そして先輩もいつものようにしつこくあたしを付き合わせようとはしなかった。
それはあたしにとってラッキーなんだけど、少し違和感を感じた。先輩があたしをしつこく誘わないのは珍しい。
でもその時は深く考えることなく先輩やみんなにさよならを言ったのだった。
先輩たちにさよならを言ってまだキャンプファイアの灯りが残っている校庭を振り返った時、あたしは先輩を囲んだ女の子たちの中にどういうわけか委員長ちゃんも混じっていることに気が付いた。


あたしは家に帰る途中いろいろ考えた。変な声を出してしまったことも先輩と付き合いながらお兄ちゃんの方が好きなことも、お兄ちゃんから逃げていても解決しない。

先輩と委員長ちゃん、お兄ちゃんと妹友ちゃん。
あたしが逃げているい間もあたしの周りの人たちの相互の関係は進展したり足踏みしたりしながらも少しづつ変っているように思えた。

・・・・・・お兄ちゃんに会おう。会ってこれまでの態度を謝ろう。
そして。

お兄ちゃんがそれでもあたしを求めてくれるならそれに応じよう。
あたしは少しでも早く家に帰れるよう少しでも早くお兄ちゃんに会えるよう、足を速めた。

982: 2012/01/28(土) 21:32:29.56 ID:OgGbePyto
あたしが帰宅した時間はそんなに遅い時間ではなかったけれど、あたしがお兄ちゃんの部屋を覗くとお兄ちゃんはもう眠ってしまっているようだった。
あたしはしばらくお兄ちゃんの寝顔をじっと見詰めた。もう迷いはなかった。ここ最近お兄ちゃんを避けていたことを謝ろう。先輩のこととか妹友ちゃんのこととかいろいろ心の中で整理できてはいないけど、とにかくお兄ちゃんと仲直りがしたかった。

17年間ほとんど無関係に生きてきたあたしたちだったけど、最近お兄ちゃんとの仲が接近した後だけに、ここ数日お兄ちゃんと話ができないだけであたしはもうぼろぼろだった。勝手にお兄ちゃんを避けたそのあたしがもう限界なのだ。
我ながら自分勝手な女だと思うけどそれが正直な気持ちだった。

このままお兄ちゃんのベッドに潜り込もうと思ったけど、何とかそれを思いとどまってお風呂に入って着替えるくらいの理性は保てていた。
あたしはお風呂を出て手早く下着だけを身につけるとどきどきしながら再びおにいちゃんの部屋に入り、そうっと眠っているお兄ちゃんの隣に横たわった。寝相が悪いせいかはだけている毛布をあたしとお兄ちゃんの上にかけなおす。

今夜はもうこれでいい。
お兄ちゃんの体温と息遣いを身近に感じたあたしにようやく安堵感が訪れた。こんなに落ち着くのは久しぶりだった。


「おやすみ、お兄ちゃん」
あたしはそっと寝ているお兄ちゃんに言った。
なるべく低い声で言ったつもりだったけど、お兄ちゃんはもぞもぞと身じろぎし目を開けた。

「え?」

「あ、お兄ちゃん起こしちゃった?」

「おまえ・・・・・・ここで何してるの?」
お兄ちゃんは困惑していた。

「お風呂入ったしもう寝ようかと思って」

「しかも、また下着だけしか着てねえし」

「お風呂上りは暑いから」
もちろん今夜はそれだけの理由ではなかった。
あたしは自分の貧相な裸をお兄ちゃんに見てもらいたかったのだ。それは今まで感じたことのない不思議な心の動きだった。

「・・・・・・おまえ、しばらく俺の部屋で寝てなかったじゃん」
そう言われても仕方がなかった。

「・・・・・・ごめん」
あたしは今こそきちんとお兄ちゃんに謝ろうと思った。

「いや、そこで何で謝る」

「この前、お兄ちゃんに、その」
あたしは恥ずかしかったけど思い切って話し始めた。
お兄ちゃんはあたしの話を黙って聞いていてくれた。

「その、お兄ちゃんに体を撫でられて・・・・・・」

「あんなに声とか出しちゃって。変な女だと思ったでしょ」

「・・・・・・あたしのこと嫌いになったでしょ」
あたしはもう泣き出しそうだった。自分が嫌らしい女であることを大好きなお兄ちゃんに告白しなければいけないなんて。
でも予想に反してお兄ちゃんの声には嫌悪感はなく、むしろ心底戸惑っているようだった。

「はあ? 何言ってんのおまえ」

「あの時・・・・・・体が熱くなって、何かむずむずとして。気がついたら声が出ちゃってて」

「・・・・・・それ、普通なんじゃね?」

「うそ。あたし、どこか変なのかなと思って」

「あのさ。女性経験の少ない俺だってそんな誤解はしねえぞ」

983: 2012/01/28(土) 21:33:57.09 ID:OgGbePyto
「・・・・・・本当? あたし、ああいうの初めてで」
お兄ちゃんはあの時あたしが抑えきれずに声を出してしまったことをあまり気にしていないようだった。
あたしは急に気が楽になった。
お兄ちゃんに嫌われていなかった。変な女の子だとも思われていなかったのだ。

「雑誌とかテレビとか友だちとの話とかでわかるだろ? 普通」
お兄ちゃんは何だか飽きれたように言った。

「でも、彼氏に同じことされかかったけど、全然お兄ちゃんにされた時みたいな感じしなくて」

「・・・・・・おまえの彼氏とのことはいいよ、この際」
彼氏のことを持ち出したのは失敗だった。お兄ちゃんの声が少し険しくなった。

「ごめん」
あたしはすぐにお兄ちゃんに謝った。もうお兄ちゃんには嫌われたくなかった。

「だから謝るなって。で?」

「うん」

「ずいぶん帰るの早かったけど。後夜祭とかあったんだろ」

「うん。彼とフォークダンス踊った」
お兄ちゃんに嘘は言えない。あたしは正直に話した。

「そう」

「その後みんなで遊びに行こうって話になったんだけど」

「おう。それで?」

「今日は帰るからって言って帰ってきた」

「・・・・・・そう」


そしてあたしはここで今日は絶対に言わなくてはいけないことを口にした。
「あたし、今日はここで寝るから」

「・・・・・・はぁ?」

「明日からお母さんたち帰ってきちゃうし、もうお兄ちゃんと一緒に眠れなくなるし」

「あのさあ」

「うん」

「前から聞こうと思ってたんだけど」

「うん」

「お、おまえさ。その、俺のこと好きなの?」

984: 2012/01/28(土) 21:37:47.13 ID:OgGbePyto
それは根源的な問いかけだった。何となく一緒にドライブするとか何となく体を触らせるとか何となく一緒に寝るとか。
そんな曖昧な兄妹の関係をはっきりと定義させるようなそういう質問だった。
この質問への答え方次第であたしとお兄ちゃんの関係が変化するだろう。お兄ちゃんは今まで曖昧にしてお互いの心を探り合っていた関係をはっきりとさせようとしていた。
あたしのお兄ちゃんへの長い片想いもこの後の数分で決着が付くのかもしれない。
そしてここまではっきり聞く以上、お兄ちゃんがあたしのことをどういう風に考えているのかもわかるだろう。

でもあたしはあまり慌てなかった。これまで一度もお兄ちゃんに嘘を言ったことはない。今までと同じく素直に自分の考えを言うだけでいいのだ。その結果がどうだろうと。

「うん。好き」
あたしは短く答えた。短いけれど万感の想いを込めて。
でもお兄ちゃんはそれでは納得できないようだった。

「だから少しは考えてしゃべれよ。俺の聞いてる好きはそういうんじゃなくてさ」

「うん?」
あたしは聞き返した。

「よ、よし。わかりやすく言うとだ」

「うん」
あたしはおにいちゃんの言葉を待った。お兄ちゃんが何を知りたいのかよくわからなかったけど。

「要するにだ。俺とおまえの彼氏と、おまえはどっちの方が好きなんだよ」
何だ。こんな簡単な質問か。あたしはすぐにその簡単な質問に答えた。

「お兄ちゃんの方が好き」

「へ?」
お兄ちゃんは面食らったようだった。

「彼氏よりお兄ちゃんのほうが好き」
あたしはもう一度念押しした。

「あ、え~と。とりあえず落ち着こうか」

「・・・・・・わかった」
とりあえず素直にそう答えたけど、もう既にあたしは落ち着きを取り戻していた。

「じゃさ、おまえは何で彼氏と付き合ってるの?」
お兄ちゃんが聞いた。これは答えやすい質問だった。

「付き合ってくれって言われたから」
嘘ではない。でもお兄ちゃんを忘れるためというところまでは話さなかった。

「・・・・・・おまえは付き合ってくれって言われれば嫌いな相手とでも付き合うのかよ」

「彼のことは嫌いじゃないし」
これも本当。

「おまえさ」

「うん」

「今まで、俺のことなんか無視してたじゃんか。1月くらい話しなかったことだってあったしさ。何で最近になって俺と一緒に寝たりとか、その・・・・・・身体を触らせたりとかするの?」
質問の意図がよくわからない。それにそろそろあたしは待ちくたびれていた。お兄ちゃんはあたしのことを、最近あたしと一緒に寝るようになったことをどう考えているのだろう。

「お兄ちゃんの言ってることよくわかんないけど」

「はあ?」

「だって、お兄ちゃん、これまであたしにそういうことしなかったじゃん」

「な、何てこと言ってるんだよ。じゃあ、去年とかにおまえを触ってたら」

「それでも別によかったのに」

「な、何言ってるんだ」

「・・・・・・今日一緒に寝ていい?」
あたしは少しがっかりして話を変えた。お兄ちゃんにはなかなかあたしの真意が伝わらないし、お兄ちゃんが何を考えているのかもよくわからなかった。

「あのなあ」

「今日もあたしの身体触るなら、恥ずかしいから灯り消してね?」
あたしは思い切って誘った。こんな会話を続けていたら朝になってしまう。それに正直に言うとあたしの体の奥が何か熱く痺れているような感覚があり、つまりあたしはお兄ちゃんの愛撫を期待して体がその期待に反応してしまっていたのだ。

985: 2012/01/28(土) 21:38:18.24 ID:OgGbePyto
お兄ちゃんはあたしに触ってこなかった。

「・・・・・・今日は何もしないの?」
あたしは少しがっかりしながらお兄ちゃんに聞いた。

「な、何、俺の隣に潜り込んでるんだよ」

「だってお兄ちゃんのベッド狭いんだもん」
これまであたしの顔を見ていなかったお兄ちゃんが初めてあたしの方を向いた。

「今日は何もしないの?  もう寝てもいい?」

「おまえ、本当にそういうの嫌じゃねえの?」

「嫌じゃない・・・・・・お兄ちゃんなら」
でも念のために確認しておこう。変な女だと思われたくないし。

「あ、でも。変な声出しちゃっても、お兄ちゃんあたしのこと嫌いにならない?」

「なんねえ・・・・・・」
お兄ちゃんはぼそっと言った。

「よかった」
あたしはお兄ちゃんに抱きつきキスした。

986: 2012/01/28(土) 21:41:05.75 ID:OgGbePyto
ちょっと次スレ立ててきます。
今日は風呂飯後数レス投下しますけど、新スレの方に投下しますので

994: 2012/01/28(土) 22:45:19.54 ID:UTXYso9Io

引用: 妹の手を握るまで