1: 2008/06/30(月) 22:03:29.20 ID:/ui89I/f0
 とあるコンビニの入り口で、中学生数人が座りこんでお喋りをしている。

「おい、町の外れの方に住んでるおっさん知ってるか?」
「ああ。なんかずっと引きこもってなんか作ってるんだろ」
「なんか、いい大学出てて勉強はできるらしいんだけど、頭いかれちゃってるって聞いたぜ」
「これC組の田中から聞いたんだけどよ、そのオッサン、なんでも人形に命を吹き込もうとしてるらしいんだよ」
「俺も聞いたことあるぜ。生きたダッOワイフを作るために家に篭って怪しい研究してるとか」
「ぶっ。生きたダッOワイフって。本当に変態だな」
「だったら普通に女とヤれよって話だよな」
「あれだろ。変態だから女なんて寄ってこねーんだろ」
「いい年こいて童Oかよ。マジひくわ」
「で、そのオッサンなんて人なの?」
「えーと、なんだったっけな。たしか田中から聞いた話だと……さくら……桜田。確か桜田ジュンとかって名前だ」

32: 2008/06/30(月) 23:10:11.80 ID:9pFehbbCO

4: 2008/06/30(月) 22:07:24.09 ID:/ui89I/f0
1.16年後の平穏

 小さな人形達が、駆け回っている。無邪気な笑い声が、家の中に響く。
 男はその光景を微笑ましく見ていた。その表情はとても幸せそうだ。
 男の横にまた1体の人形が姿を現す。紅のドレスを身に纏った、金髪でツインテールの人形だ。
 その人形は男の顔を見上げて、言った。
「ジュン。紅茶を入れて頂戴」
 視界が反転。景色がぐるぐると回る。そしてブラックアウト。男は目を閉じる。
 そして再び目を開ける。視界に現れたのは自宅の天井。
 男はさきほどの光景が夢であることを、悟った。

5: 2008/06/30(月) 22:10:25.96 ID:/ui89I/f0
 町の外れには一軒の小さな家が建っている。人が1、2人住むのが限界ではないかと思えるような小さな家だ。そこに桜田ジュンは住んでいる。
 家の中はとても簡素で、テーブル、食器、寝具、冷蔵庫、電子レンジなどの必要最低限な家具だけが置いてある。TVなどの娯楽要素のあるものは皆無。唯一パソコンだけが寝具の横に置いてある。
 その家の中を忙しく動き回っている人、否、人形がいる。キッチンとテーブルと冷蔵庫の間を行ったりきたりしている。どうやら料理を作っているようだ。
 小さな身体ながら、台などを使って一生懸命に働いている。出来た料理を更に盛り付け、テーブルへと運ぶ。必要な人数分の箸などを置く。
「ふぅ。完成ですぅ。さっそくジュンを呼ばなきゃですぅ」
 緑を基調とした服装に、独特の口調。薔薇乙女第3ドール翠星石だ。
 翠星石はテーブルに料理を運び終えると、トイレの横にある、扉を開ける。そこには地下へと繋がる階段があった。階段の向こうは真っ暗で何も見えない。
「ジュンー。ご飯できたですよー」
 地下へと向かって呼びかける。
 すると、「わかった。今行く」と下から返事が聞こえた。それと同時に階段に電気が点く。そして、桜田ジュンが階段を上ってきた。
「今日の晩御飯はなんだ?」
「はなまるハンバーグですよ」
「またか。最近そればっかだな」
「しょうがないです。のりの味に近づくには数をこなすしかないんですから」
「わかったよ」

6: 2008/06/30(月) 22:14:51.47 ID:/ui89I/f0
 2人は食卓につく。
「それじゃ、いただきますですぅ」
「いただきます」
 翠星石はナイフとフォークを手に取り、ハンバーグを食べ始める。
「今回は我ながら言い出来ですぅ」
 一方ジュンはナイフと箸を手にとって、ハンバーグを食べ始めた。
「まーた箸で食うですか」
「こっちの方が食べやすいんだ僕は」
 ジュンはハンバーグの切れ端を箸でつまみ、口に咥える。
「どうですか? 今回は自信あるですよ」
 ジュンはゆっくりと租借し、飲み込む。
 そして翠星石の方を向くと、「うまいぞ。姉ちゃんの味そっくりだ」と笑顔で感想を述べた。
「ほ、本当ですか?」
「ああ。上手になったじゃないか」
「そ、そりゃあ翠星石の手にかかればこんなのちょちょいのちょいですよ。楽チンすぎて困っちゃうくらいですぅ」
 照れ隠しなのか、生意気な口調で翠星石は喜ぶ。
 ジュンは、今まで何回失敗してきたんだ、と言おうと思ったが、翠星石の微笑ましい姿を見てやめる。

8: 2008/06/30(月) 22:19:09.70 ID:/ui89I/f0

「ごちそうさま」
 ジュンは箸を置く。皿の上にあったハンバーグは、綺麗さっぱりなくなっていた。
「もう食べ終わったですか」
「まあな。美味しくてあっという間に食べ終えちゃったよ」
 ジュンは食器を持って立ち上がる。そして流し台に食器を置くとまた地下へと向かっていく。
「僕はまた続きをやるから、後片付けは頼んだぞ」
「わかったですぅ」
 ジュンは地下室へと消えていった。
 ダイニングは翠星石だけになる。1人で食事を続けている。
「……」
 1人黙々とハンバーグを口に運ぶ。
 先ほどまで楽しそうに食事していたが、今の翠星石の表情は一転、うかないものだった。

9: 2008/06/30(月) 22:23:11.82 ID:/ui89I/f0
 ピンポーン。と呼び鈴が鳴る。と同時に玄関の扉が開く。
「こんばんはー。お姉ちゃんだよーぅ」
 ハイテンションで家の中へと上がりこむ女性。桜田のりだ。
「こんばんはですぅ。よく来るですね」
「そりゃあ2人が心配なんだもの。自然と足がこっちに向かっていっちゃうわ」
 のりは、ジュンがこの家に住むようになってから、週に最低でも3回、最高で7回この家を訪ねにくる。
「あら、翠星石ちゃん。1人でお夕飯? ジュン君は?」
「ジュンならもう食べ終わって、下で例の続きをやっているですぅ」
「翠星石ちゃんがまだ食べているのに行っちゃったの?」
「そうです。でも、しょうがないですよ。あれはとても大事なことなんですから」
「確かに今ジュン君のやっていることはとても大事なことね。でも、いなくなった人を大事にするのもいいけど、ずっと傍にいてくれた人も大事にしなきゃって私は思うのよ」
「でも、いいんです。ジュンにはあの続きに集中してくれればそれでいいです。翠星石だって、早く蒼星石に会いたいですから」
「……」

11: 2008/06/30(月) 22:28:10.42 ID:/ui89I/f0
 のりは翠星石を見つめる。
「どうしたです? 翠星石の顔になんかついてるですか?」
「ううん。翠星石ちゃんがいいなら私はこれ以上なにも言わないわ。あ、紙とペン貸してもらってもいいかなあ?」
「? いいですよ」
 翠星石はメモ帳とボールペンをのりに渡す。
「これでいいですか?」
「ええ。ありがとう」
 のりはメモ帳に何かを走り書きする。そして持ってきた袋の中にそのメモ帳を入れた。
「じゃあこれをジュン君に渡してくれるかな。あ、袋の中身はいつも通りお着替えね」
「メモ帳には何書いたですか?」
「秘密よ。翠星石ちゃんは見ちゃ駄目よ」
 のりは人差し指を唇に当て、にこりと笑った。

12: 2008/06/30(月) 22:33:04.51 ID:/ui89I/f0
 ――雪華綺晶との戦いから16年の月日が流れた。
 あれから、各ドールのマスターや、ドールと関わった人はそれぞれ違う人生を歩んでいる。
 桜田のりの話をしよう。
 現在彼女は結婚しており、1人の主婦として日々を生きている。
 だが、重度のブラコンであることに変わりは無く、家が近いからという理由で、ジュンの元へと何回も通っている。
 ジュンの家には洗濯機がない為、何日かに一度、服を取りにやってくる。他にも作りすぎた惣菜を分けたりなど、いろいろと精力的にジュンたちの手助けをしてくれるのだ。
 しかし、実際ジュンは地下に引きこもっている為、のりと顔を合わせることはほとんどなかった。こうして今に至る。

14: 2008/06/30(月) 22:37:27.88 ID:/ui89I/f0
「それじゃあ私は帰るわね。旦那さんもそろそろお仕事から帰ってくる頃だし」
「ありがとうですのり」
 のりは玄関で靴を履きながら話しかける。
「ねえ翠星石ちゃん」
「なんです?」
「ジュン君、がんばってるわよね」
「そうですね」
「でも、ちょっと無理してるんじゃないかなって思うのよ。このままじゃ、身体と精神が壊れてしまうんじゃないかってくらい、ジュン君はあの作業に没頭しているわ」
「確かにそうですね」
「だから、翠星石ちゃんがジュン君を助けてあげて。家事だけじゃなく、精神的な部分でもね」
「わかってるです。任せるですよのり」
「ふふ。頼もしいわ。それじゃあね」
「おやすみなさいですぅ」
 のりは自宅へと帰っていった。
「さてと、お片付けですぅ」
 翠星石はダイニングに戻ると食器を流し台まで運ぶ。
「さーて、キレイにするですよー」
 そして皿洗いを始めた。

15: 2008/06/30(月) 22:40:08.65 ID:/ui89I/f0
 桜田ジュンの話をしよう。
 16年前、水銀燈が動かなくなり、4体の薔薇乙女の魂を呼び戻すと誓った彼は、僅か数日で中学に復学。日夜、勉強に時間を費やし、全国でも有数の進学校へと進学。さらに、そこでも勉強を続け、某有名大学に入学。優秀な成績で卒業する。
 卒業後、親からの資金の援助で、翠星石と共に海外へと渡る。そして様々な国を転々とし、7年間錬金術などを学ぶ。
 そして、ある国で一生働かずに過ごせるほどの莫大な金を得る。しかし、どうやってその金を手に入れたかを知るものはいない。
 そして1年前、この町に戻ってくると同時に今の家を建て、翠星石曰く例の作業、つまり真紅達の魂を呼び戻す研究をしている。つまり、今に至る。

16: 2008/06/30(月) 22:42:45.00 ID:/ui89I/f0
 翌日。ジュンは朝7時に起床。それに合わせて翠星石も目を覚ます。
 ジュンはシャワーを浴び、翠星石は朝食を作り始める。ジュンが風呂場から出てきたと同時に朝食が完成。
「ほら、ご飯できたですよ。はやく席につくです」
「ああ」
 トーストにオムレツ、サラダがテーブルの上に並ぶ。ジュンはそれをあっという間に平らげる。
「ごちそうさま」
 しかしジュンは席から離れない。いつもならすぐに地下へ行くはずだが今朝は違った。
「あれ、どーしたです」
「何が?」
「だって、いつもなら食べ終わってすぐに地下に行っちゃうじゃないですか」
「だってお前、まだ食べ終わってないだろ? お前が食べ終わるまで僕は席を立たないよ」
「ジュン……」
 翠星石は昨日の夜のことを思い出す。のりはジュンに向けてメモ帳にメッセージを書いていた。恐らく、昨日の夕飯のことだろうと翠星石は考えた。

17: 2008/06/30(月) 22:45:29.49 ID:/ui89I/f0
 のりがジュンに渡したメモにはこう書いてあった。

 ジュン君、もっと周りを見ようよ。1人でご飯食べるのってすっごく寂しいんだよ。

 そのメモの効果もあり、ジュンに変化が現れた。
「ほら、早くたべろよ。僕も忙しいんだ」
「い、いわれなくても分かってるですよっ」
 生意気な口をきくものの、翠星石の表情は誰がどう見ても嬉しそうだった。

18: 2008/06/30(月) 22:49:17.02 ID:/ui89I/f0
 朝食後、ジュンはいつものように地下へと篭り、翠星石は後片付けをする。そして数時間後の11時、呼び鈴が来訪者を伝える音を鳴らす。
「どちらさまですか?」
 翠星石が玄関の扉越しに言う。
「あの、桜田さんのお家ですよね?」
 大人の女性の声。
「そーですけど」
「えーと、柏葉といいますが……」
「……っ! もしかして巴ですかっ?」
 柏葉という懐かしい苗字に、翠星石は思わず興奮を押さえきれなくなる。
「翠星石ちゃん?」
「そーですよ。今開けるです」
 翠星石は玄関の扉を開ける。そこには綺麗な顔立ちの女性が立っている。
「お久しぶりですぅ巴」

22: 2008/06/30(月) 22:53:24.54 ID:/ui89I/f0
「久しぶりね。最後に会ったのはあなた達が海外へ渡る直前だから、7年ぶりかしら」
「そうですね。しかし……しばらく見ない間にまた一段と美人になりましたね」
「ふふ。ありがとう。これでも今年でもう三十路なんだけどね」
「全然見えないですぅ。ジュンとは大違いです。ジュンったら見た目はもう完全におっさんですよ。髭もボーボーですし。あ、ジュンに用があるんですよね?」
「ええ。呼んでもらってもいいかしら?」
「合点了解ですぅ。ジュンー」
 翠星石は地下への階段に向かうと、大きな声で叫ぶ。
「なんだー?」
「サプライズなお客さんが来てるですよー」
「サプライズ? まあいいや、今行く」
 階段に明かりが点く。そしてジュンが地下から姿を現す。
「ほら、早く来るですぅ。お客さんを待たせるもんじゃないですよ」
 翠星石にせかされて、ジュンは早足で階段を上り、玄関の方に顔を向けた。
「ひさしぶりね、桜田君」
「……柏葉? 柏葉なのか?」
「ええ。と言っても今は……」

24: 2008/06/30(月) 22:56:51.77 ID:/ui89I/f0
「みっちゃん。はやくはやくっ」
「カナったら速すぎよー。みっちゃんいい年なんだからもー」
 巴が言いかけたところで外から誰か別の声が聞こえてくる。
「この声は」
 ジュンは玄関から外に顔を出す。
 外には1人の眼鏡をかけた女性と、傘をつかって空を飛ぶ人形がいた。
「あー! ジュンかしらー」
「あージュンジュンー! ひさしぶりー」
 草笛みつと金糸雀がこちらへと向かってきていた。
「この声は金糸雀ですか?」
 翠星石も玄関から顔を出す。
「翠星石もいるかしらー!」
「キャー! 翠星石ちゃんもひさしぶりー。みっちゃん元気でてきちゃった」
「どうしたですか2人とも。いきなりこっちに来るなんて」
「ふふ。今日はちょっと報告があってねー」
 みつが嬉しそうな顔で言う。

25: 2008/06/30(月) 23:00:05.58 ID:/ui89I/f0
「ふぅー。着いたかしら」
 2人は玄関にたどり着く。
「あらー。巴ちゃんもいるじゃない。ひさしぶり」
「ご無沙汰してます。みつさんとも7年ぶりですね」
「そうねー。あらら、美人になっちゃって」
「みつさんこそまだまだ若く見えますよ」
「ふふ。ありがとー」
「まあ立ち話も何だし、中に……」
 ジュンが彼女達を家の中に招きいれようとしたその時、遠くから1台の乗用車がこちらに向かってきた。そして、それはこの家の前で停止する。そしてドアが開き、中から1人の黒い長髪の女性が現れた。
「ありがとうパパ。じゃあまた電話するからお迎えはお願いね」
 乗用車はそのまま来た道を走っていった。
「こんにちはジュン君」
「あなたまで来るなんて。お久しぶり、めぐさん」
 その女性は、水銀燈の元マスター、柿崎めぐだった。

27: 2008/06/30(月) 23:03:47.66 ID:/ui89I/f0
 家の中のテーブルに、3人の女性と1人の男性が座っている。桜田ジュン、柏葉巴、草笛みつ、柿崎めぐだ。
 一方、外では翠星石と金糸雀が2人でじゃれあっている。
「しかし、3人同時に来るなんて。めずらしい……というか初めてだよな」
 ジュンが巴達3人を見回しながら言う。
「しかも、打ち合わせしたわけじゃなくて、たまたまこの日にそろうんだもの。すごい偶然よねえ」とみつが笑いながら言う。
「そういや、柏葉とみっちゃんはめぐさんとは初対面だったな」
「話には聞いていたけど、会うのは初めてだわ。お2人とも、初めまして。柿崎めぐです」
「はじめまして」と巴。
「はじめましてー。柿崎めぐ……どっかで聞いたことあるなぁ」
「僕みっちゃんにめぐさんの話はしたっけ?」
「いやーしてないと思うけど」
 みつは首をかしげる。
「ま、いいわ。今日は大事な話があるんだもの」
「そうだ、3人ともどうしたんだ?」
「それは、全員あなたに用があるから来たんでしょう」
 巴が当たり前のように言う。
「それもそうだな。で、用件は何なんだ?」
 ジュンが3人に問うと、彼女達は互いの顔を見合う。

29: 2008/06/30(月) 23:07:01.33 ID:/ui89I/f0
「まずは最初に来てた巴ちゃんからでいいわよー」
「そうですね」
「ありがとうございます。それじゃ、私から……って言ってもそれほど大事な用ってわけじゃないのだけどね」
 ふふ、と巴は笑う。
「実家に用事があってこっちに戻ってきたから、ついでに桜田君に近況報告をしようと思ってね。何せ7年も会ってなかったのだもの」
「確かになあ。今じゃ互いのこと全然わからないからなあ」
「まず始めに、私はもう柏葉って苗字じゃないのよ」
「……ってことは」
「ええ。結婚したのよ」

31: 2008/06/30(月) 23:09:46.89 ID:/ui89I/f0
柏葉巴の話をしよう。
 彼女は24歳の時、大学時代から付き合っていた男性と結婚をした。もちろん苗字も変わり、柏葉も旧姓となった。
 結婚してすぐに相手の男性の実家がある他県へと移り、幸せな生活を送る。25歳の時には出産もして、今は今年で5歳になる娘がいる。
 そんな彼女も高校生の頃は桜田ジュンの事が好きだったのだ。ドール達との別れを乗り越え、一回り強くなったジュンに、彼女は思いを寄せていた。しかし、ジュンの真紅に対する想いの強さに、自分ではきっとかなわないだろうと諦めたのだ。
 そんな彼女も、大学ではしっかりと新しい想い人を見つけ、今に至る。

35: 2008/06/30(月) 23:13:38.99 ID:/ui89I/f0
「……まじで?」
 ジュンは驚きでしまりのない間抜けな表情をしている。それだけ、今の発言は予想外だったのだろう。
「ジュンジュン知らなかったのー? って、7年間海外に行って音信不通になってたんだから当たり前かあ」
「誰と? いつ頃?」
「大学の頃から付き合っていた彼と24の時にね」
「あー、あの人か」
 ジュンはその相手と面識があるようだ。
「それにね、子供も1人いるの。女の子よ」
「それはおめでたい。なんて名前なんだ?」
 ジュンが聞くと、巴とみつは顔を合わせて、笑う。
「あの子のように、強くて優しくて、誰かを思いやれる子になって欲しいって願いを込めて、苺って名づけたわ」

36: 2008/06/30(月) 23:16:46.61 ID:/ui89I/f0
「どうジュンジュン。素敵な名前でしょー」
 みつがまるで自分の子供のように言う。
「ああ……本当にいい名前だ。きっとその子はいい子に育つよ」
 ジュンも顔をほころばせる。
「ありがとう桜田君」
「それで、お前はあとどれくらいこっちにいるんだ?」
「後1週間ほどはこっちにいるわ」
「そうか。わかった」
「うん、それじゃあ私の近況報告はこれで終わり。次はみつさんかな」
「はーい、次みっちゃんの番ねー」
 みつは手を上げながらにこやかにいう。ジュンはその様子をみて、あいかわらずこの人はかわらないな、と思った。

37: 2008/06/30(月) 23:19:48.37 ID:/ui89I/f0
「みっちゃんもどうしてここに来たんだ? わざわざ遠くから来て、そんなに大事な用なの?」
「そりゃあ大事よー。とりあえず用件は2つ」みつは指をじゃんけんのチョキの形で突き出す。そしてもう片方の手で大きな紙袋を取り出し、ジュンに手渡す。
「これ、この前頼まれたの。はい」
「もうできたんだ。流石だね、ありがとう。それにしても、わざわざこっちに来なくても宅急便とかで送ればよかったのに」
「ふふーん。それにはねえ、理由があるのよ。これが2つ目の用件と関係してるんだけどね」
「今度はなんだ?」
「実はみっちゃん、この町で自分のお店を立ち上げることになりましたー!」

39: 2008/06/30(月) 23:21:06.10 ID:/ui89I/f0
 草笛みつの話をしよう。
 彼女はジュンと巴がまだ大学生だった時、遠くの地方の会社へと飛ばされた。もちろん金糸雀も一緒だった。その会社は、前務めていたところと同系列の会社で、みつはそこでも夢のために努力を続けていた。
 そして、努力も報われるようになり、会社でも結果を残すようになる。そして、同僚と独立し、この町に店を建てることになり、今に至る。

41: 2008/06/30(月) 23:24:32.59 ID:/ui89I/f0
「本当に? 本当に自分の店?」
 ジュンは信じられないかのように聞く。
「はははー……本当は会社の同僚と2人でやります……」
「そうか。でもすごいじゃないか。おめでとう。目標だったんだろ?」
「うん。10年以上かかったけどやっとここまでこれたの。これからも頑張らなきゃ」
 みつの目はいつになく真剣なものだった。
「うん。応援してるよ」
「ありがとう。その内ジュンジュンにも色々手伝ってもらうわよー」
「ああ。全てが終わったら、僕も協力する」
「うん、頼もしいわ。これで私の大事な用事兼近況報告終わり。あ、それと私はもう今日からまたこの町で暮らし始めたから。場所は前住んでた所とおなじ場所ね」
「そうか。金糸雀も一緒なら翠星石も喜ぶな」
 ジュンは窓から外で遊んでいる翠星石と金糸雀を見る。翠星石は久々の再開でとても楽しそうな顔をしていた。
「カナもそっちに遊びにいっちゃと思うけど、迷惑にならないように注意はしとくわ」
「うん。助かるよ」
「それじゃ、最後にめぐさんどうぞー」

43: 2008/06/30(月) 23:26:30.89 ID:/ui89I/f0
「めぐさんはどうしたんだ?」
 ジュンはめぐの方へと向き直る。
「私の新刊ができたから持ってきたの」
 めぐはバッグから一冊の本を取り出し、テーブルの上に置く。その本の表紙には、著 柿崎めぐと書いてある。
「楽しみにしてたよ」
 ジュンはその本を手に取る。

48: 2008/06/30(月) 23:38:30.10 ID:OlNJc0QjO


 柿崎めぐの話をしよう。
 彼女は今、売れっ子の作家として日々を生きている。
 水銀燈が動かなくなってからは、父親と和解したり、内職などでお金を稼ぎ、そのお金を募金したりしていた。病人のめぐには時間があまるほどあった。そこで彼女は水銀燈のことを忘れないために、彼女との思い出をノートに書き始めた。
 最初は思い出だけだったのだが、いつのまにか水銀燈ともっとこうしたかったなどの願望なども書くようになっていた。めぐはそれをまとめて1つの小説に書き直した。
 そしてある小説大賞に応募をする。見事入選。その小説が書籍化された。それが大ヒットをし、あっという間にめぐは売れっ子になった。
 さらにめぐはその本の印税の半分近くを世界の恵まれない子供達のために寄付し、それがまた話題を呼び、いまや、世間で知らない人の方がすくないのではないかと言われるほどの作家になった。そして、今に至る。

50: 2008/06/30(月) 23:42:53.25 ID:OlNJc0QjO
「これの印税も寄付するのか?」
「ええ。私が誰かの為にできることなんて、これくらいしかないもの」
 ジュンとめぐが会話する中、みつがジュンの持っている本をじーっと見つめている。
「あのー……めぐさん?」
「どうしました草笛さん」
「あなたってもしかして、『私の黒い天使様』書いた人?」
「そうですよ。あら、私も思ったより有名みたい」
「ほ、ほ、ほんとにーっ?」
 みつは目を輝かせながらめぐの手を取る。
「私天使様シリーズ読んでますよー。面白いです。特に天使の銀ちゃんが可愛くて可愛くて何回萌え氏にしそうになったか……」
「ふふ。そう言ってもらえると嬉しいです」
 『私の黒い天使様』とはめぐのデビュー作である。デビュー作から大ヒットがおこり、今では天使様シリーズとして10冊以上が刊行されている。めぐが今回ジュンに渡したのもそのシリーズのひとつだ。
「まさか、こんなところで会えるなんてー」
 みつは目を輝かせながら喋り続ける。

51: 2008/06/30(月) 23:45:58.17 ID:OlNJc0QjO
「サインください♪」
「いいですよ。今日はまだ余分に何冊かあるので、それにサインして差し上げます」
 めぐはさらにバッグから本を2冊とペンをとりだし、慣れた手つきでサインを書く。
「お2人ともどうぞ」
 それをみつと巴に手渡す。
「キャーやったー」
「ありがとうございます」
「みっちゃん、人の家で騒ぎすぎ」
 ジュンが呆れたように言う。
「ごめんなさい……」
 しゅんとするみつ。それを見て巴をめぐは笑う。

52: 2008/06/30(月) 23:48:43.94 ID:/ui89I/f0
「そうだ、桜田君のこともいろいろ聞きたいわ」
 巴の提案。
「さんせー。私もジュンジュンの話ききたい」
「私も賛成」
「僕の話かぁ。まいったな……」
「どこの国を回ってたの?」
 巴が質問をする。
「うーん……いろんなとこ回ったしあんま覚えてないや」
「錬金術の勉強だっけ?」とみつ。
「基本はね。他にも黒魔術とか怪しいのをいろいろ学んだかな」
「今はずっとここであの作業をしているのでしょう?」とめぐ。
「まあね。毎日そればっかりだよ」
「じゃあ桜田君働いてないの?」と巴。
「まあね。言い方を変えると今の僕はヒッキーだよ。あの頃と同じ」

54: 2008/06/30(月) 23:53:30.63 ID:/ui89I/f0
「じゃあ……生活費とかはどうしているの? まさかまだ親から援助してもらっているなんてことは……」
「さすがにそこまで落ちぶれてはいないよ。ちょっと向こうでいろいろあってね。生活していくのには充分困らないだけの資金はあるんだ」
「それっていくらくらいなの?」
 ジュンがその資金の額を口にする。彼女達はそれを聞き、ぽかんと口を開けてジュンを見ていた。
「桜田君ッ! それ生活に困らないどころか遊んで暮らせちゃうくらいにあるんじゃないの!?」
「そんなもんかなぁ……。まあそのおかげで作業に集中できるんだけどね」
「それで、どうやって稼いだの?」
「んー、まあなんというかちょっとした商売みたいなもんだよ」
「ちょっとしたって……。でもまあ自分で稼いだのなら安心だわ」
「まあ僕の方はこんなもんだよ」
「なんだか、桜田君って結構すごい人生送ってるわよね」
「生きた人形と交流をもってるだけで僕達みんな充分すごい人生を送ってるじゃないか」
 みんなが声を出して笑う。そして、笑いが消えると同時にめぐと巴は切なげな表情でどこか遠くを見る。水銀燈と雛苺のことを考えているのだろう。


56: 2008/06/30(月) 23:57:56.73 ID:/ui89I/f0
「雛苺元気かしら……」
「水銀燈……」
 ジュンはその2人の様子を見て、表情を真剣なものに変える。
「大丈夫。必ず呼び戻すから」
 声に力を込めて言う。
「結構順調なんだ。あの頃の平穏が戻ってくるまで、そう遠くないと思う」
 めぐと巴はジュンを見つめる。
「うん……。信じてるわ桜田君」
「誓ってくれたものね。私も信じてる」
「ありがとう。必ず、その信頼に応えてみせる」

58: 2008/07/01(火) 00:02:02.83 ID:C6gW0T680
 その後、巴は実家で娘が待っている、みつは引越しの荷物整理、めぐは雑誌のインタビューと、各自予定があるため、解散。金糸雀もみつと一緒に帰ったため、この家は再びジュンと翠星石の2人だけになった。
 時刻は13時を回っていた。翠星石はキッチンで昼食を作り始め、ジュンはテーブル食器を並べている。
「なあ翠星石」
「なんですか?」
「金糸雀と久々に会えて、嬉しかったか?」
「そりゃあまあ、嬉しいか嬉しくないかでいったら嬉しいですよ」
 相変わらず素直じゃないな、とジュンが思う。言葉とは裏腹に翠星石は先ほどから機嫌がよかった。鼻歌を歌いながら料理するほどだ。
「他の姉妹にも、早く会いたいよな?」
「……もちろんです」
「真紅に雛苺、水銀燈。そして蒼星石」
「蒼星石……」

61: 2008/07/01(火) 00:07:55.81 ID:C6gW0T680
「待ってろよ翠星石。もうすぐ……もうすぐだから」
 ジュンは自信に満ちた声で言う。
「今日柏葉達と久々に会って、元気を貰った。作業も順調だ」
「無理はするなですよ」
「分かっているよ。翠星石」
「なんです?」
「僕を……信じてくれ」
 翠星石は手を止め、ジュンの方へと振り返る。
「あたりめーです。16年前から、ずーっと信じているですよ。だって――」
 眩しいくらいの笑顔。
「ジュンは、翠星石の大事なマスターなんですから」

>>59
なるほど。ありがとう

64: 2008/07/01(火) 00:13:06.87 ID:C6gW0T680
 ジュンは少し遅くなった昼食を食べ終えると、地下へ篭り、いつものように例の作業に取り組む。夜が来れば翠星石が夕飯を作り、それを食べて、また作業。夜が明ける頃に眠りにつく。こうしてまた、何気ない1日が過ぎていく。
 みんな変わった。みんな大人になった。誰もが皆、それぞれの人生を一生懸命に歩んでいく、そんな――16年後の平穏。

65: 2008/07/01(火) 00:17:34.49 ID:C6gW0T680
2.マエストロ

 地下室でジュンは黙々と作業を続けている。机の上だけに灯りを点けており、地下室全体が暗い雰囲気に包まれている。
「ふぅ」
 服の袖で汗をぬぐう。
「これさえ完成すれば……」
 机の上には様々な器具や得体の知れない液体、金属など、たくさんのもので溢れかえっている。
 試験管の中に2種類の液体を混ぜる。煙がたつ。
「っ! くっさ」
 形容しがたい臭いが立ち込める。
「これでも合わないか……」
 試験管の中の液体を水道で流して捨てる。試験管をゆすぐ。
「今度こそ」
 また別の液体を試験管の中に混ぜる。煙がたつ。しかし、先ほどのような臭いはしない。
「お、いい感じだ」
 試験管を振り、よく混ぜる。すると、しゅーという音がしたと同時に試験管が破裂し、ジュンの服と机に液体が飛び散った。
「最悪だ」
 机の上を雑巾で拭き、試験管を水道でゆすぐ。
「くっそ……」
 うまくいかないことに対する苛立ち。
「これさえ完成すれば……。これさえ完成すれば……」
 力を込めて拳を握る。
「あの扉の向こうに……あいつらのところに行けるのに」

69: 2008/07/01(火) 00:22:19.35 ID:C6gW0T680
 ――8年前。
 ジュンが大学4年生の頃のことだ。彼はある夢を見た。
 そこはいつもの桜田家。ドール達が騒いでいる。雛苺はうにゅーがないと泣き叫び、蒼星石がそれを慰める。真紅はTVのくんくんにうっとりとした表情で見とれていて、それを馬鹿にしながら水銀燈が現れる。
 自室でネットをしていたジュンは、下がうるさいため、自ら1階に出向き、「静かにしろよ!」とドール達を怒鳴る。
 その声を聞いてドール達は一斉にジュンの方に振り向く。
「ジュン……あっちにはうにゅーがないの。うにゅー食べたいの」
「ジュン君……翠星石が心配しているから、早く戻りたいよ。彼女を待たせたくないんだ」
「ねぇジュン……めぐはどうしてるのかしらぁ? あの子の戦う姿がみたいわぁ」
「ジュン……いつになったら、私からあなたにキスさせてくれるの? もしかして、嫌なの?」
「ねえ……」「ジュン君……」「早くそっちに……」「戻りたいのだわ……」
 ドール達は次々と戻りたいという願望をジュンにぶつける。
「分かってる、分かってるよ……」
 ジュンの胸にその言葉が突き刺さる。
「もうあれから8年経ったの……」
「もっと早く戻れると思ったのに……」
「使えない子ねぇ。あなたジャンクなの……?」
「ジュン……あなたは私に会いたくないのね……」
「うう……」
ジュンは頭を抑えてうずくまる。そんな彼をドール達は四方から囲む。
「ジュン……」「戻してよ……」「私達をあの平穏に……」「戻しなさい……」
「うう……うわ……うわああああああああああああああああああああああああああああ」
 ジュンの視界がブラックアウトする。

71: 2008/07/01(火) 00:26:48.09 ID:C6gW0T680
「……っはぁ……はぁ……」
 地面に手をつき呼吸を整える。
「ここは……」
 ジュンは周りを見渡す。まるで漫画の世界のような空に大きな木。世界樹の枝だ。
「夢、か」
 ジュンは胸をなでおろす。
「あたりまえだよな。あいつらは、まだ戻ってこないんだから」
 ジュンは悲しげな表情でうつむく。
「ここで意識が目覚めるのも久しぶりだな。前にここに来た時は、あいつらがまだ動いていたもんな」
 落ち着いてきたところで改めて周りを見渡す。広大な空間に巨大な世界樹の枝。いつもと変わらない夢の世界。
「あれは?」
 ジュンが何かに気付く。
「あれは……穴?」

73: 2008/07/01(火) 00:31:03.06 ID:C6gW0T680
 世界樹の枝の影に小さな穴が開いている。ジュンはその穴に近づく。
 それは人1人が入れる程度の小さな穴だった。真っ暗で穴の向こうは何も見えない。
「どこに繋がっているんだ?」
 ジュンは穴の中を覗き込む。
「駄目だ。見えないや」
 顔を穴から出す。やはり真っ暗で何も見えないようだ。
「うーん……」
 考える。穴に入るべきか、否か。
「どうせ夢の中だし、現実の世界に影響はでないだろう」
 ジュンは穴に入ることを決める。
「それに、この穴はあいつらの夢を見た後に現れた。もしかしたら何か関係があるのかもしれない」
 ジュンは自分の頬をパチンと叩く。
「痛っ。夢の中でも痛いもんだな。よし、いくか」
 ジュンはその場でジャンプし、穴の中へと落下していった。

79: 2008/07/01(火) 00:35:02.95 ID:C6gW0T680
 どれくらい落下し続けただろうか。周りは真っ暗。落ち続けるだけだ。
「なんか落下の感覚が気持ち悪くなってきたな」
 落下し続ける。とうとう下から光のようなものが見えてくる。
「もうすぐか」
 大きくなる光。落下。ジュンは着地しようと身構えるも、途中で落下は止まり、その場に浮く。
「ここは……nのフィールドか?」
 周りを見渡す。グレーに染まった空間。前方に扉が見える。
「行ってみるか」
 飛ぶように前へ進む。そこには立派な装飾の扉があった。ジュンはその扉を見つめる。
「なんだ……この感覚」
 ジュンの中で何かと繋がるような感覚。それは、水銀燈が動かなくなる間際に感じたのと同じような感覚だ。
「でも、契約はもう解けたはずだ」
 ジュンは自らの指を見る。指輪は1つだけ。翠星石との契約の証だ。
「じゃあ何でこの感覚が……。まさか」
 ジュンの脳内で生まれる1つの仮定。
「この扉の向こうに、あいつらが……?」
 できすぎではないか、とジュンは考えるが、それよりも早くみんなを取り戻したいという気持ちがそんな疑惑を打ち消す。
「行けばわかる!」
 ジュンは扉に手をかける。

82: 2008/07/01(火) 00:40:12.64 ID:C6gW0T680
「待つんだ」
 後方からジュンを静止する声。
「誰だ?」
 ジュンは振り返る。そこには金髪の男性がいた。顔つきからして日本人ではないようだ。
「こんなところに私以外の人がくるなんて初めてだ。君、その扉に入るのはやめたまえ」
「どうして」
「そこから先は危険なんだ」
「危険?」
「見たところ、君は意識だけでここにきたようだね」
 その男はジュンの身体を見回す。
「意識……まあ夢の中からきたからそうなるのかな」
「意識だけなんて曖昧な形で扉の向こうへ行ったら、君は僅か数分で消滅してしまうだろう」
「消滅っ?」
 物騒な言葉に、ジュンは思わず大声で反応してしまう。
「ああ。扉の向こうで存在を保つのはとても難しい。魂など、存在の証そのものじゃないと己を保てない」
「そんな……」
 ジュンは落胆する。
「ところで、君はなぜ扉の向こうに行きたいのかな?」
「それは……向こうに自分の取り戻したいものがあるかもしれないから」

83: 2008/07/01(火) 00:44:42.59 ID:C6gW0T680
「それは人の魂かい? それとも……人形の魂かな?」
「っ! なぜそれを」
「確かに君が望むものは、この扉の向こうにある」
「本当に?」
「だけど、君ではこちらに呼び戻すのは不可能だろう」
「っ……」
 ジュンはうつむく。
「魂をこちらに呼び戻すにしても、問題がいくつもある。君がそれらを解決できるとは思えない」
「解決してやるさ」
「無理だよ」
「無理じゃないっ!」
「どうしても、呼び戻したいのかい?」
 ジュンは無言でうなずく。
「わかった。君が突き当たるであろう壁、3つの問題を提示しよう。解決できるかは君しだいだ」

86: 2008/07/01(火) 00:48:52.72 ID:C6gW0T680
「分かってる」
「まずは先ほど言った通り、意識体ではあの扉の向こうで存在を保てないことだ。しかし、意識体以外でここに来るのは困難だろう」
 ここに繋がる穴は夢の世界にあった。他の場所からここまで行く方法をジュンは知らない。意識体で存在を保つ事が最初の問題のようだ。
「意識体は簡単に言うと心の姿だ。心を強く持てば、多少は向こうでも足掻くことはできるだろう。しかし、取り戻すには不十分だと思うがね」
「心の姿か。なるほど。それなら解決策がある」
 ジュンは得意げに言う。
「ほう。やるじゃないか。では次の問題だ。魂単体では扉からこちらに来る事ができない」
「つまり、魂を入れる器が必要ってことか」
「鋭いね。そういうことさ」
「なら簡単じゃないか。ローザミスティカをこっちに持ってくればいいだけの話だ」
 ジュンは先ほどから得意げな姿勢を崩さないが、金髪の男はやれやれといった様子で「それができたら問題だなんていわないさ」と言った。
「どうして?」
「まずローザミスティカだけでは意味がない。人形ならちゃんと人形としての身体が必要になる。ローザミスティカと身体。この2つが必要不可欠だ」
「じゃあ身体の方も持ってくればいい」
「残念だが」金髪の男は冷たく言い放つ。
「こちらの世界に存在する物質も向こうの世界では長くは持たないんだ。意識体に比べれば遥かに耐久性はあるが、扉から出てきたところでその物質は内側からボロボロになる。あっという間に壊れてしまうだろう」
「じゃあ……」
「扉の向こう側にローザミスティカと身体を持ち込んで、魂を中に戻して扉から呼び戻したところで、あっというまにその2つは崩壊。すぐに魂だけになってしまう」
「それじゃあ……どうすればいいんだよ」

89: 2008/07/01(火) 00:52:48.22 ID:C6gW0T680
 先ほどまでの得意げな様子のジュンはもういない。頭を抱え、その場にうずくまってしまっている。
「自分で考え、そして解決策を見つけ出すんだ。君にはそれしかないのだろう?」
「そうだ。僕はどうしてもあいつらを呼び戻さなければいけないんだ」
 ジュンは立ち上がる。
「ああ。やってやる。やってやるよ。僕にしかできないんだ。僕を信じてくれる人のためにも」
 翠星石、巴、めぐの姿が頭をよぎる。
「僕をまっているあいつらのためにも」
 今度は真紅、雛苺、蒼星石、水銀燈の4体が頭をよぎる。
「僕はやらなきゃいけない!」
 ジュンは叫んだ。
「なるほど。さすがだ」
 金髪の男は嬉しそうにジュンを見る。
「信じてくれる人がいるなら、それを裏切ってはいけない。さぁお行き。その穴からもとの場所へと戻れる」
 金髪の男はジュンが通ってきた穴を指差す。
「さらばだマエストロ。君がそれをやり遂げた時、また会おう」
 ジュンは穴の元へと歩く。そして振り向く。
「あなたのおかげでやるべき事はわかった。感謝するよ」
 ジュンは手を振り、「また会おう、ローゼン」と言って穴へと飛び込んだ。

91: 2008/07/01(火) 00:56:52.81 ID:C6gW0T680
 それから数年後。
 ジュンはとある国で錬金術を学んでいた。小さな小屋で黙々と勉強を続ける。
「もうこんな時間か」
 時計を見る。時刻は21時を回っていた。
「夕飯食べてなかったっけ」
 翠星石はすでに寝ている。ジュンは自分で夕飯を作るために台所に向かい、冷蔵庫の中を見る。これといって食べるものがない。
「買いにいかなきゃ」
 サイフを取り出し、外へ出る。そしてスーパーマーケットへと向かう。
 ため息をつきながら「お金……やばいなぁ」と呟く。
 親の資金援助でここまでやってこれていたが、今のジュンの資金はかなり少なくなっていた。あと一ヶ月、ここで暮らせるかどうかまでに、追い詰められていたのだ。
「まだ勉強が足りない。このまま日本に戻っても結果が出せるとは思えない。親にもこれ以上迷惑をかけれないし」
 次第に歩くスピードが遅くなる。
「僕は、無力だなあ……」
 途中でベンチを見つけ、ジュンはそこに座り込んでしまった。
 夜風がジュンの身体を撫でるように吹きつける。季節を考えると少し肌寒く感じる風だ。そしてその風に飛ばされた1枚の紙が宙を舞い、ジュンの顔へと張り付く。
「あぶっ。な、なんだよ」
 ジュンは顔に張り付いた紙を手に取る。
「チラシ? えーと、フリーマーケット?」
 その紙にはこの国の字でフリーマーケット開催の知らせが書かれていた。
「開催日は明日か」
 ジュンはその紙を見つめながら、何かを考えはじめた。
「……決めた。出るぞ。フリーマーケットに」
 ジュンは立ち上がり、紙をポケットにしまう。
「何が何でも稼いでやるさ」
 そう言うと、ジュンは本来の目的地であるスーパーマーケットへと、また歩み始めた。

94: 2008/07/01(火) 01:01:28.29 ID:C6gW0T680
 翌日。ジュンは大きな鞄を手に、自宅を出た。
 紙に書かれたフリーマーケットの開催地へと向かい、歩く。数十分ほど歩き続け、到着。ジュンは早めの時間に来たつもりだったが、そこにはたくさんの出品者達がすでに場所取りや準備を始めていた。
 このフリーマーケットは誰でも物を売る事ができる。場所は早い者勝ちだ。ジュンは早速自分の売るスペースを探して歩き回るが、すでにほとんどの場所が他の出品者で埋め尽くされていた。
「まいったな」
 ジュンは会場中を周る。どこもかしこも人だらけだ。
「ここ……だけ?」
 ジュンが唯一見つけた場所は会場の隅。街路樹の影に隠れる人目につかないような場所だった。改めて周りを見回すも、どの場所もいっぱいだ。
「しょうがないか」
 ジュンは諦めてそこにシートを引き、鞄を開けて自らが出品する商品を表にだすと、その場に座った。

 フリーマーケットが始まり、会場は人で溢れる。賑わっているのはジュンにとって好都合だったが、隅の方には人が全然来ない。ジュンの商品は売れずにまだ残っている。ジュンだけでなく、この周り自体に人が集まってこなかった。
「なに、まだ始まったばっかりだ。待てば誰か来るだろう」
 ジュンはどっしりと構え、客が来るのを待つ。
 そして数時間後。

95: 2008/07/01(火) 01:04:48.24 ID:C6gW0T680
「……こない」
 午後15時を回り、人の人数が落ち着いてきた。しかし、ジュンのところに客は全然こない。正確には1人も来ていない。
「っだああああああああああ! 場所が悪すぎだああああああああああっしゃあああああああああらああああああああああん」
 ジュンは思わず立ち上がると、その場で叫びだした。昼食も取らずに座りっぱなしでストレスが溜まっているようだ。
 そんなジュンを近くで出品している人々は奇異の目向ける。
「……し、視線が痛い」
 そそくさと座る。
「フリーマーケットは確か17時までだったな。あと2時間もないや」
 ジュンは諦め気味で客を待つ。
 すると、1人の初老の男と付き人らしき黒服の男がジュンの近くへと向かってきた。
「何か大きな声が聞こえたが、なんだったかな」
 初老の男が黒服に尋ねる。
「さあ。大したことではないでしょう」
「そうかの。しかし、こっちの方にもまだいろいろと商品があるみたいだ。ちょっと周っていくか」
「わかりました」

97: 2008/07/01(火) 01:08:58.19 ID:C6gW0T680
「お、誰か来たぞ」
 ジュンは突如現れた初老の男に期待を抱く。
「なんだろあれ。ガードマンかな? だとしたら相当の金持ちだったりするのかな」
 ジュンは初老の男とガードマンらしき男の方を見る。
 2人は周りの商品を見て周っているようだった。そしてとうとう、ジュンの目の前に現れる。
「おお……」
 初老の男はジュンの商品を見ると、感嘆の声を上げる。
「ジャパーニーズ?」
 初老の男が尋ねる。ジュンはそれに頷く。
「そうか。私の喋れる言葉でよかった」
 初老の男は流暢な日本語で話しだす。
「日本語喋れるんですか?」
 ジュンは驚く。その男はそう見てもこの国の人間だったからだ。
「これでもいくつかの国の言葉は喋れるんだ」
 初老の男は自慢げに言う。
「それで、このドールは商品でいいのかね?」
 初老の男は鞄の中に置いてある人形を指差し、聞く。

99: 2008/07/01(火) 01:13:02.45 ID:C6gW0T680
「そうです」
「これは、どこで手に入れたのかな?」
「いや、これは自作したんですよ」
「なんと! 君が作ったというのか! まだ若いというのになんという技量だ」
 初老の男は驚きの声を上げる。
 確かにジュンが商品として出した人形はとても精巧に作られていた。さらに人形が着ているドレスもすばらしいものだった。
「このドレスはどうしたのかな?」
「それも自作です。はっきり言って人形の方よりかは自信があるんですけどね」
「このドレスもか! 君は天才だ」
 初老の男はジュンを褒め称える。
「そんな、天才なんかじゃないですよ」
 頭をかいて照れるジュン。
「それで、このドールはいくらかね?」
「えーと、自分の作ったものに値段をつけるっていうのがどうも抵抗があって……お客さんの気持ち次第ってことで」
「ふむ、そうか」
 初老の男は納得するように頷く。そして少し考えた後、買い取る値段を口にする。
「なっ……そんなに!?」
 ジュンはその額に驚愕する。一般人が簡単に払えるような額ではかったのだ。

104: 2008/07/01(火) 01:17:02.77 ID:C6gW0T680
「ああ。私はね、この人形とドレスに感動した。こんな気持ちは久々だ。さらにまだ20代にしか見えない君が作ったと聞いてさらに仰天だ。この額でも私からしたら、まだちょっと少ないかなって思ってしまうほどだよ」
「い、いいんですか?」
 ジュンの声からは落ち着きが感じられない。それだけの額をこの男は提示したのだ。
「ああ、いいとも。しかし、手元にはお金が無い。どうだ、今夜私の家でディナーでも。金ならその時に払おう」
「夕飯までご馳走になっちゃっていいんですか?」
「ああ、君とは是非色々な話をしたい」
「是非。ご馳走になります」
 初老の男はその返事に嬉しそうに笑うと、1枚の紙を差し出した。
「ここが私の住所だ。今夜19時に来てくれ。ええと、君の名前は?」
「桜田ジュンです」
「ジュンか。いい名前だ。私はオリバー」
 オリバーは手を差し出す。ジュンはそれをしっかりと握り返す。
「じゃあこれをどうぞ」
 ジュンは人形を差し出した。
「うむ、ありがとう。それでは、また後で」
 オリバーは黒服の男を連れて、去ったいった。

105: 2008/07/01(火) 01:20:44.65 ID:C6gW0T680
「悪いな翠星石、ちょっと出かけなきゃならないんだ。夕飯は1人で食っててくれ」
 そう言ってジュンは家を出た。翠星石は文句ばかり言っていたがお土産を買ってくるからと言ってなんとかなだめることに成功した。
 教えられた住所の通りに向かうと、そこには大きな屋敷があった。
 門の横にインターフォン。ジュンはスイッチを押す。簡単な応対の後に門が開き、黒服の男がジュンを案内するために現れる。そして大きな食堂へと通された。
「まっていたよジュン。さあ、座ってくれ」
 オリバーがすでに椅子に座って待っていた。ジュンはオリバーの正面に座る。
 2人は少しの間雑談で盛り上がる。そして突如、オリバーが言った。
「ローゼンと言う人形師を知っているかね」
 ローゼンという単語にジュンは過剰な反応をする。
「やはり、知っていたか。あれほどの人形を作るくらいだ。知っていてもおかしくはないな」
「有名ですからね」
「私はね、アンティークドールを収集するのが趣味でね、別室にはたくさんのドールが飾ってあるんだ。その中でもローゼンの作った人形が大好きでね」
 オリバーは実に楽しそうに語る。
「頑張って彼の作った人形を集めているんだ。君の人形を買った理由の内の1つも、ローゼンの作る人形とよく似てるからでね」
 ローゼンの最高傑作、ローゼンメイデンを元にジュンはあの人形を作った。似ているのも当たり前だった。
「僕もローゼンの作る人形が好きです」
「そうか。君とはやはり話が合う。会えてよかった」
「ありがとうございます」
 それからしばしの沈黙。フォークとナイフのカチャカチャという音だけが部屋に響く。
 沈黙を破ったのはジュンだった。

108: 2008/07/01(火) 01:24:54.02 ID:C6gW0T680
「オリバーさん。人形には魂があるって言ったら、あなたは信じますか」
 オリバーは不思議そうな顔をするも、「ああ、信じよう」と答える。
「僕には大切にしていた人形がいました。だけどある日、その人形の魂はどこか遠くへと行ってしまいました」
「ふむ。続けてくれ」
「僕は今、その魂を取り戻すために錬金術の勉強をしています。詳しくは言えませんが、魂を呼び戻すのにどうしても必要だからです。この国にいるのも勉強のためです」
「錬金術とは。興味深い」
「この人形も、魂を取り戻す作業の中でできた物の1つです。売ったのはまあ……正直なところ資金が底を尽きそうだったからなんですけど」
「ふむ、人形作りは本職ではないと?」
「そういうことになりますね。オリバーさん、あなたは人形に魂があることを信じてくれましたね。魂があるということは、つまり、意思があるということです」
「人形に意思。ロマンがあるじゃないか」
「あなたは人形を大切にしていらっしゃるみたいですから、人形達からはきっと慕われているはずです。だから、その大切にする気持ち、忘れないでください。人形達はあなたが大好きですから」
「それが本当なら、これ以上嬉しいことはない」
 オリバーは顔をほころばす。本当に嬉しそうだ。
「今日、あなたに売った人形も、大事にして下さいね。僕の娘のようなものなので」
「ああ、大事にするとも」
「ありがとうございます。それで、えーと……結局僕は何が言いたかったんだろ」
「少なくとも、君も人形を大切にしていることはわかったよ。ところで、頼みがあるんだが」

112: 2008/07/01(火) 01:27:59.39 ID:C6gW0T680
「なんですか?」
「私に、君の資金援助をさせてくれないか」
 ジュンは数秒ほどぽかんと口を開けて動きを停止する。
「……そんな、悪いですよ」
「私は君が気に入った。魂を取り戻す作業、お金も必要になるだろう?」
「そうですけど、だからってただでお金を貰うなんて」
「じゃあ、こうしよう。君は勉強や作業の合間に人形を作る。私がそれを買う。これでいいじゃないか」
「でも……」
「魂、取り戻したくないのかい?」
「……」
 ジュンは数秒ほど考える。そして、「わかりました。その取引、のりましょう」と答えた。

113: 2008/07/01(火) 01:31:11.13 ID:C6gW0T680
 それからも、ジュンは錬金術の勉強を毎日のようにやり続けた。そして、その合間に人形作り。完成したものをオリバーに売り、資金を蓄える。
 そして、錬金術の勉強をジュンは終え、日本へ帰国する作業へと移っていた。
「やーっと日本に帰れるですね」
 翠星石は嬉しそうに荷物の整理をしている。
「何年も付き合わせて悪かったな」
「別に気にしてねーですよ。ジュンは翠星石のマスターです。翠星石がしっかり面倒みなきゃですからね」
「でも、ありがとな」
 ジュンは真っ直ぐな眼差しで翠星石を見る。
 翠星石はその視線に気付き、顔を真っ赤にしながらも、「どーいたしましてです」と答えた。

 こうして彼らは帰国。現在に至る。
 海の向こうで蓄えた知識と資金でジュンは日夜研究に励む。

115: 2008/07/01(火) 01:34:08.89 ID:C6gW0T680
 巴達との再会から2日後のことだった。
「なんだ……これはもしかして」
 試験管の中の液体が今までにない変化を見せた。ジュンの中で期待が膨らむ。
 試験管が光る。そして爆発。試験管は粉々に砕け散り、液体が机の上や服に飛散する。
「くそ……結局失敗か……」
 ジュンは雑巾で机の上を拭き始める。すると、雑巾の下に何かの感触。
「試験管の破片か」
 雑巾をめくり、その物体をみる。
「っ! これはっ」
 神々しい輝きを放つ結晶が、そこにあった。
「ついに……ついに完成したぞ……」
 ジュンはその結晶を手に取る。
「ローザミスティカ!」

180: 2008/07/01(火) 21:00:30.03 ID:C6gW0T680
3.扉の向こう

「こんにちはかしらー」
 金糸雀が風に乗りながら桜田家に現れる。
「やっと来たですねチビカナ」
 ジュンと翠星石は玄関でそれを迎える。
「今日は大事な用ってきいたのだけど、いったい何をするのかしら?」
 ジュンと翠星石は互いの顔を見合う。
「今日、僕は真紅達の魂を呼び戻す」
「っ!? で、できるの?」
 金糸雀は驚きを隠せない。
「ああ、準備は整った。金糸雀、お前にも手伝ってもらうぞ」
「みんなで力を合わせるですよ」
「任せてかしら!」
 金糸雀は自分の胸をどんっと叩く。その目は嬉しさに溢れており、すでに涙が滲んでいた。

182: 2008/07/01(火) 21:05:05.85 ID:C6gW0T680
「まだ泣くのは早いですよまったく」
 それに気付き馬鹿にする翠星石。そんな彼女の目もすでに赤くなっている。
「あなたに言われたくないかしらー。その泣きはらした目、カナが気付かないとでも思ったの?」
 勝ち誇ったように金糸雀はその目を指摘する。
「う、うるせーです! これはですねぇ。さっきまでたまねぎをたくさん切っていたからですよ!」
「じゃあ証拠のたまねぎを見せてみるかしら」
「うぐぐぐ……。も、もう食べちゃったですよ! 残念でしたねチビカナ」
 翠星石と金糸雀のくだらない張り合い。ジュンはそれを微笑ましく見ている。
「ほら、嬉しいのはわかったから。早く準備を始めるぞ。お前らだって早くみんなに会いたいだろ」
 これ以上はきりが無いので、ジュンは2人の仲裁に入る。
「とりあえず、まずは家の中に入ろう。そこで説明をするから」
「合点了解ですぅ」
「かしらー」

184: 2008/07/01(火) 21:10:12.13 ID:C6gW0T680
 ジュンはベッドに腰掛ける。ドール達も椅子に腰を下ろす。
「今から夢の世界を経由して、真紅達の魂が在る場所へと僕は行く」
「その場所はもう分かっているんですか?」
「ああ。実を言うと、大学生の頃にはもう場所は分かっていたんだ。ただ、そこで魂を取り戻すための手段が、その時の僕には無かった」
「でも今は、その手段があるのね?」
「ああ。8年かけて、やっと出に入れたんだ」
 ジュンは大きな鞄と1つの袋を取り出した。
「これがその手段だ。さらにこれと、お前達の強力が必要不可欠だ」
「翠星石は何をすればいいですか?」
「翠星石には、庭師の如雨露で僕の心の樹にずっと力を与えていて欲しいんだ」
「どういうことです?」
「真紅達の魂が在る場所。そこでは存在が強くないとまともに形を保てないんだ。そこには夢の世界からしか行く道がない。つまり、意識体のままでそこに行かなければならない」
「なるほど……そういうことですか」
「どういうことかしら。カナにはさっぱりかしら」
 翠星石は納得したようだが、金糸雀はまだ理解していないようだ。ジュンはさらに話を続ける。
「意識体は心の姿。つまり、心を強く保てばその世界でも自分の存在を保てるんだ」
「なるほどかしら。だから、翠星石は庭師の如雨露で心の樹に力を与えて、ジュンが存在を保てるようにするわけね」
「そういうことだ。翠星石がいないと、まず真紅達の魂を探すのが不可能なんだ」
「合点了解、任せるですよ」
「ああ、頼むぞ。そして金糸雀、お前には真紅達の魂が在る場所の入り口まで来てもらう」
「か、カナはもしかしてかなり重要な役目かしら?」
 ゴクッと息を呑む金糸雀。
「ああ、重要だぞ。お前には螺子を巻く役目をしてもらう」

187: 2008/07/01(火) 21:13:51.25 ID:C6gW0T680
「……螺子?」
 金糸雀が拍子抜けしたように聞く。
「まあまあ、今からちゃんと説明するから。ガッカリするのはそれを聞いてからな」
「べ、別にガッカリなんかしてないかしら!」
「まず魂単体ではこちらに戻ることができない。つまり魂を入れる器が必要になる」
「ローザミスティカがあるかしら」
 金糸雀は自らの身体から雛苺のローザミスティカを取り出す。
「ああ、確かにローザミスティカは正当な器だ。だけど、それだけじゃ足りない。人形としての器も必要となる」
「それなら、4体分きっちり保管してあるんじゃないかしら?」
「ああ、現世で復活するだけならこの2つで充分だ。だが、魂の在る場所に行くとなると話は別なんだ」
「なぜ?」
「その場所では、こちらの世界の物質も長く持たないんだ。意識体よりは遥かに耐久性は高いけどね。つまり、本来の身体を向こうに持ち込んだら、壊れてしまう」
「じゃあどうするのかしら?」
「そこで、これだ」
 ジュンはまず大きな鞄を開ける。中には4体のドールがあった。それぞれ、真紅、雛苺、蒼星石、水銀燈と寸分変わらぬ姿をしている。ドレスも本体のものを完璧に模倣しており、どちらが本物か区別がつきにくいほどだった。
「す、すごいかしら……」
「これは、僕が外国に渡ってやっていたことの1つだ。かりそめの身体。かと言って手抜きはできない。すぐに壊れてしまうからな。苦労したよ。この域にたどり着くまで何個ドールを作った事か」
 ジュンはオリバーのことを思い出す。
「ちなみにこのドレスはみんなみっちゃんが作ってくれたんだぞ」
「この前ジュンに渡してたのはそれだったのね?」
「そういうことだ。そして」
 今度は袋の中に手をいれ、何かを取り出した。
「これは……」
「ああ、ローザミスティカだ」
 ジュンの手には神々しい輝きを放つ結晶が4つあった。

190: 2008/07/01(火) 21:18:31.33 ID:C6gW0T680
「まさか、ジュンがローザミスティカまで生成してしまうなんて……」
「いや、これは本物じゃない。ただの器さ。ローゼンの作ったオリジナルには足元にも及ばない」
 ジュンはローザミスティカを袋にしまう。
「本物だったらお前らのような魂を宿さなければならないけど、これには何も宿ってない。魂を入れるだけの物だ。耐久性も本物に及ばない。それでも苦労したよ。魂なんて形の無いものをいれる器だ。大変だった」
「本当、ジュンはよく頑張ったですよ」
「ええ、すごいかしら。ヒッキーだった頃とはまるで別人ね」
「ヒッキー言うなデコ。それで、魂の在る場所にはこの2つの仮の器を持っていく。金糸雀はその入り口で本当の器と螺子を持って待っていて欲しいんだ」
「螺子を巻くって、そういうことなのね」
 金糸雀は全てを理解したようだ。
「僕は向こうであいつらの魂を見つけ次第、器を与えてこちらに戻すつもりだ。恐らく、みんなバラバラの場所に魂があるから探すのは大変だろうけどね。だから、戻ってきたら本当の器に魂を移し替えて、金糸雀がその螺子を巻いてくれればいい」
「重大な任務ね。でもカナにお任せかしら!」
「さっきまでガッカリしていたのはどこのどいつだったかな」
「か、カナは知らないかしらー」
「しらばっくれるんじゃねーですチビカナ」
「よし、説明はこれで終わりだ。さあ、真紅達を取り戻しにいくぞ!」

191: 2008/07/01(火) 21:22:31.44 ID:C6gW0T680
 夢の世界。ジュンはそこで意識を覚醒させる。
「おーい、いるか?」
「いるですよー」
 遠くから返事が聞こえる。そして数秒後、世界樹の葉にのって翠星石と金糸雀が現れる。その手には大きな鞄が2つ。
「あー重たかったですぅ」
 鞄をジュンに手渡す。
「ああ、持ってきてくれてありがとう。こっちだ、来てくれ」
 ジュンは例の穴の場所へと歩いていく。翠星石と金糸雀が後に続く。
「この穴が、魂の在る場所に続いている」
 ジュンが穴の手前で止まった。
「この向こうに……蒼星石が」
「正確には穴の先にある扉の向こう。そこにみんないる」
 お前らの父親、ローゼンもいた。ジュンはそう言いそうになるが、やめる。今言う必要はない。
「金糸雀、準備はいいか?」
「ええ、バッチリかしら」
「そうか。じゃあ翠星石、僕の心の樹を頼む」
「任せるですぅ」
「よし、行くぞ」
 ジュンは穴へと飛び込む。金糸雀も後に続く。
 2人は真っ暗な穴に消えていった。

193: 2008/07/01(火) 21:26:23.27 ID:C6gW0T680
 長い時間をかけて、穴を通り抜ける。そして、前来た時と同じ、あの扉が目の前に現れた。
「大きい扉……。この先に真紅やヒナ達が……」
 金糸雀はただ扉を見つめる。
 ジュンは袋から4つのローザミスティカを取り出す。そしてそれと鞄の1つを金糸雀に手渡した。
「じゃあ、これを持って待っててくれ」
 ジュンはもう1つの鞄を手に扉の前に立つ。
「ジュン……頑張って」
「ああ、必ず呼び戻してくるからな。それじゃ言ってくる」
 取っ手を掴み、思い切り押す。キィィィという音とともに扉が開く。ジュンは扉の向こうへと、進んでいった。

194: 2008/07/01(火) 21:30:17.68 ID:C6gW0T680
 翠星石はジュンの心の樹の前で様子を見ていた。
「今のところなんにもないですねぇ」
 心の樹を見つめる。
「それにしても、こいつも成長したです」
 ジュンの心の樹は、中学生の頃とは比べ物にならないほどに大きく成長していた。
「真紅がこれを見たら、きっと喜ぶです……っ!?」
 翠星石は心の樹の異変に気付く。根のあたりから徐々に樹が黒ずみはじめたのだ。
「スィドリーム!」
 庭師の如雨露を取り出す。そして中を水で満たすと、黒ずんだ根にかける。すると、黒ずんだ根は元に戻っていった。
「ほっ」
 翠星石は胸をなでおろす。しかし、根はまたすぐに黒ずみ始めた。急いで水をかけ、元に戻す。
「こいつは大変です」
 翠星石の表情は安堵から一変して真剣なものになる。
「でも、ジュンはもっと大変なはずですぅ。翠星石も頑張らなきゃ」

197: 2008/07/01(火) 21:34:30.34 ID:C6gW0T680
 ジュンはまず、自分の姿が変わったことに驚いた。
「これって、中学生の頃の僕か」
 自分の身体を見回す。中学の頃毎日のように着ていたパーカーをいつのまにか身に纏っていた。身体も大分小さくなっている。
「これは僕の心の姿ってわけか。まあいいや。この姿の方が今は便利だ。あいつらも成長した僕を見ても誰かわからなくなるかもしれないし」
 ジュンはその姿のままで扉の向こうの空間をさまよい始めた。
 周りの景色は何も無い。小さな発光体がたくさん飛び回っている。きっと何かの魂なのだろう。
「これって魂かな。これだと、あいつらって見分けがつくかな……」
 ちょっと不安になるが、なんとかなるだろうと思い込み、飛び回る。

198: 2008/07/01(火) 21:38:35.82 ID:C6gW0T680
 それからどれくらい飛び回っただろうか、彼女達の魂らしきものは一向に見つからない。しかし、ジュンは諦めずに飛び回る。
 すると目の前に黒く光る大きな発光体と他の小さな発光体が集まっているのを見つける。ジュンはそれに近づいてみることにした。
「……るの? ……にするわよ」
「横暴……暴……反対……」
 声のようなものが聞こえる。どうやら魂は声を出して会話が出来るようだ。
「うっさいわねぇ。そんなにジャンクにされたいわけぇ?」
「ここは僕らの縄張りだぞー。横暴だー」
 ジャンクという言葉でジュンに衝撃が走る。まさか、あの黒い発光体が水銀燈なのではないだろうか。
「おいっ、水銀燈!」
 ジュンはその場で思い切り叫んだ。黒い発光体はビクッと反応する。
「……っ!? ジュン? ジュンなの?」
 黒い発光体はジュンの元へと飛んでくる。
「やったー! 逃げて言ったぞー」
 水銀燈と揉めていた発光体が歓喜の声をあげる。水銀燈は「あとで覚えてなさい」と言うと、ジュンの目の前で動きを止めた。
「水銀燈……なのか?」
「ジュン……なの?」
「水銀燈! 水銀燈か! やっと見つけた」
 ジュンはあまりの嬉しさに大声で喜ぶ。
「どうしてあなたがここにいるの?」
「簡単な話だ。お前達を、呼び戻しにきたんだ」
「呼び戻す……?」
「ああ。お前を、蘇らせてやる」
 ジュンはポケットから光り輝く結晶を取り出した。

202: 2008/07/01(火) 21:46:41.10 ID:C6gW0T680
「さあ、この中に」
 水銀燈はその結晶に触れる。すると、結晶の中に吸い込まれるように消えた。
「そしてこれを」
 今度は鞄を開ける。中から水銀燈の仮の身体を取り出す。そして結晶、仮のローザミスティカをその中へと入れ、背中の螺子を巻いた。
 カクカクと間接が動いた後、目がパチリと開く。
「嘘……私の身体……?」
 水銀燈は自分の身体を食い入るように見る。
「これはかりそめの身体だ。でも、ここから出れば本物の身体とローザミスティカがある」
「本当……? 本当に……?」
「ああ、本当だ。めぐさんにも会えるぞ」
「……ジュンッ!」
 水銀燈は思い切りジュンに抱きつく。
「ちょっ、やめっ」
「あなた本当に最高よぉ」
 そして頬に軽い口付け。2度目だ。

203: 2008/07/01(火) 21:50:18.79 ID:C6gW0T680
「やめっ、やめーい!」
 ジュンはなんとかして水銀燈を自分から離す。
「あらぁ、つれないわねぇ」
「つれないとかそういう問題じゃない! 水銀燈、扉の場所は分かるか?」
「扉ってここの入り口の? それならだいたいの場所は理解しているけど」
「ならOKだ。扉から向こうに戻ってくれ。金糸雀が扉の前で本物のローザミスティカと身体を持って待っている」
「あなたはどうするの?」
「僕はまだ蒼星石と雛苺、そして真紅を見つけなきゃならない」
「そう。わかったわぁ」
「そうだ、水銀燈」
「なぁに?」
「めぐさんはまだあの病院にいる。部屋も変わっていない。行ってやってくれ」
「まあ、どうしてもと言うのなら行ってあげないこともないわぁ」
 水銀燈は言葉とは裏腹に笑顔で答えると、羽を広げて飛んでいった。

206: 2008/07/01(火) 21:54:41.61 ID:C6gW0T680
「まずは1人。僕はやったぞ」
 ジュンはすでに喜びで満たされそうになっていた。しかし、まだ3人残っていることを再確認すると、気を引き締める。
「全員、絶対に呼び戻してやらなきゃ」
 鞄を持つ手に力を入れる。
「待ってろ!」

207: 2008/07/01(火) 22:00:57.59 ID:C6gW0T680
 有栖川大学病院。めぐはここの病室で小説のプロットを作っていた。
「うーん、うまくいかないわね」
 めぐは話が上手くまとまらないらしく、苦戦していた。
「もう何冊もシリーズで出しているけど、半分以上が私の水銀燈との妄想だからなぁ……」
 肩肘を突き、パソコンの画面とにらめっこをする。
「ここで私が、『水銀燈っ! あなたを頃して私も氏ぬわ』って言ったら、水銀燈だったら何て返すのかしら……。駄目、思いつかない」
 はぁ、とため息をつく。
「どうしよう……私、水銀燈のこと、どんどんわからなくなってる。忘れはじめちゃったのかな」
 不安がめぐを襲う。
「そうねぇ」
 突如、窓から声が聞こえる。めぐは窓の方へと振り返る。窓の外には黒い影。そして、それを見た瞬間、めぐの目から涙が溢れるように流れ出した。
「ゆ、夢じゃ……ないよね……」
 あまりの驚きで声が震える。
「私だったら、とりあえずこう言うわね。『ばっかじゃないのぉ。ジャンクにして欲しいのかしら』って」
 ――黒衣の天使が、舞い降りた。


210: 2008/07/01(火) 22:05:22.87 ID:C6gW0T680
 水銀燈を分かれてからどれくらい経っただろうか。ジュンは必氏にさまよい、残りのドール達を探す。
 水銀燈の魂は大きくて黒かった。他のドールも同じように他の魂よりも目立つのではないか。そう考えてジュンは目を凝らして探す。
 すると前方にゆらゆらと揺れる青い発光体を見つける。ジュンはその発光体めがけて全速力で飛んでいく。青い発光体はジュンに気付くとビクッと震えた。
「え……ジュン君……?」
「蒼星石か? そうなのか?」
「どういうこと……? どうしてジュン君がここに……。ま、まさかジュン君も氏んじゃったのっ?」
「縁起でもないこと言うな。まだ僕は生きてるぞ」
「じゃあどうしてここに?」
「お前達を、呼び戻しにきた」
 ジュンはローザミスティカを取り出した。

213: 2008/07/01(火) 22:10:12.55 ID:C6gW0T680
 蒼星石の魂を仮の器に入れる。
「すごいや……またこの身体で動けるなんて」
 蒼星石は自分の身体を見て感動に浸っている。
「ここにいても長くは持たない。扉からもとの世界に戻るんだ。扉の前で金糸雀が本体とローザミスティカを持って待っている」
「ジュン君はどうするの?」
「僕は真紅と雛苺も助けなきゃ」
「そうか。お姫様はまだなんだね」
 ニコリと笑いながら蒼星石はジュンをからかう。
「なんだよお姫様って」
「ふふ。照れなくてもいいのに。君の大切な、お姫様でしょ」
「う、うっさい」
 少しムキになるジュン。
「そういえば時間がないんだったね」
「ああ」
「それじゃあ僕は行くよ」
「蒼星石」
「なあにジュン君」
「僕の夢の世界に翠星石がいる。お前たちを呼び戻すためにあいつも今頑張っているんだ。助けにいってやってくれ」
「うん、任せてよ」
 蒼星石は親指を立ててウィンクすると、扉に向かって飛んでいった。
「蒼星石のウィンクか。珍しいものが見れた」

216: 2008/07/01(火) 22:15:41.89 ID:C6gW0T680
 夢の世界。翠星石は黒ずんでいくジュンの心の樹に力を与え続ける。
「はあ……はあ……ジュンの方も長期戦みたいですね。さすがの翠星石も疲れたです」
 腕で汗をぬぐう仕草をする。しかし、人形なので汗など出るわけがない。
「でも……めげないですよ。蒼星石達のためにも、翠星石は頑張らなきゃならないです」
 黒ずみが広がる。翠星石は慌てて水をかける。
「あぶねーです。ちょっとぼーっとしただけでこれです。気が抜け……ない……で……」
 突如、翠星石の言葉に間隔が空きはじめる。それに合わせて水をかける手の動きまでもぎこちないものになる。間接からはキシキシという音。
「こ、こんな……時……に……」
 翠星石の螺子が、切れ始めたのだ。今この場に螺子を巻いてくれる人はいないし、螺子自体夢の世界に持ってきていない。
「ここ……で……動かな……く……なったら……ジュン……が」
 足に力が入らないのか、膝ががくがくと震える。
「あっ……」
 とうとうバランスを崩し、倒れ始める。
「そん……な」
 翠星石は涙を流しながら崩れ落ちる。しかし、その身体を包み込むように、何者かが翠星石の身体を支える。
「戻って……来た……ですか……」
 身体を支えてくれる人の顔を見て、翠星石は顔をほころばせる。ずっと待っていた、大切な人がそこにいる。
「ただいま翠星石。さあ、後は僕に任せて」

219: 2008/07/01(火) 22:20:13.34 ID:C6gW0T680
 蒼星石を見つけてからまた更に時間が経つ。しかし、時計など時間が分かるものは一切見につけていないため、実際ジュンにはどれだけの時間が経ったのかがわからない。
「蒼星石、間に合ってくれたかな」
 翠星石の螺子のことを思い出し、ジュンは翠星石が動かなくなることが心配になっていた。
「でも、まだ全然身体に異変は感じない。大丈夫だろう」
 ジュンは真紅と雛苺を探し求めてまた飛んでいく。

221: 2008/07/01(火) 22:25:08.47 ID:C6gW0T680
 1人の金髪の男が机に向かい、何かを作っている。机の上にあるのは一本の腕。むき出しの球体関節から人形の腕であることがうかがえる。
「っ!」
 何かの異変に気付いたのか、男は作業する手を止める。
「この感じ……」
 男は窓を見る。様々な色が混ざり合ったような摩訶不思議な景色がうねうねとうごめいている。普通の世界でないことは確かだ。
「いつになく歪んでいるな。やはり生きている者が扉の向こうに行くのはまずかったようだな」
 男は立ち上がると、窓へと近づき、開ける。そこから天を見上げる。
「あの、青年……。やり遂げるだろうか」
 男は数年前に出会った1人の青年を思い出す。生きている身で、世界の奥底にたどりついた青年、桜田ジュン。
「しょせん私は待つだけの身。何もできやしないか」
 そういうと、男は窓を閉めた。

223: 2008/07/01(火) 22:30:20.52 ID:C6gW0T680
 赤とピンクの発光体を見つけるのに、そう時間はかからなかった。
「真紅! 雛苺!」
 ジュンは大きな声で叫ぶ。嬉しさで声が若干震えている。
 2つの発光体はそれの声に反応する。そしてピンクの発光体、雛苺が一目散に飛んできた。
「ジューーーーーーーーーーーーーンーーーーーーーーーーーーーーー!」
 物凄いスピードで飛ぶ雛苺。
「雛いぶぁっ」
 勢いが止まらずジュンの顔面に激突。
「ジュンッ! ジュンッ! ジュンなのっ!」
 雛苺はジュンの周りをくるくると回り続ける。
「あたたたた……。あいかわらずだな。元気だったか?」
 今のジュンは、その痛みが嬉しい。
「うんっ! 元気だったのよー!」
「そうか。よかった、よかったよ」
 今度は赤い発光体がゆっくりと近づいてくる。真紅だ。

226: 2008/07/01(火) 22:36:45.46 ID:C6gW0T680
「ジュン……?」
 真紅の声も、心なしか震えている。
「ああ、久しぶり。真紅」
 飛び切りの笑顔で、ジュンは答える。
「ジュンッ」
 物凄い勢いで真紅がジュンに飛びつく。
「こんぶっ」
 そして顔面に衝突。2度目だ。しかしジュンは痛みなど気にしない。
「ジュンッ。会いたかった、会いたかったわ」
「ああ、僕もだ。ずっとお前に会いたかった」
 ジュンの目には涙が溜まっていた。

229: 2008/07/01(火) 22:40:34.70 ID:C6gW0T680
「さあ、これを」
 ジュンは2つの結晶を真紅と雛苺に差し出す。2つの発光体は結晶に吸い込まれ、光を発する。
 そして鞄から仮の身体を取り出すと、結晶を中に入れる。
 パチリ、と2体のドールの目が開く。ぎこちない動きで起き上がる。
「わー、ヒナの身体ー」
「すごいわ……」
 2人とも驚きを隠せないようだ。
「やった! やった!」
 雛苺はジュンの頭に飛びつく。
「ジューン。ジューン。ジュン登りー」
 続いて真紅がジュンの身体に飛びつく。
「ジュン、ジュン。ああ、ジュン」
「お前らっ、ちょっと落ち着け、ほらとりあえず離れろ」
 悪戦苦闘しながらも2人を引き離す。
「まずは、ここから出るのが先決だ。お前達の身体は仮の身体。ここを出て本物のローザミスティカと身体に変えないと」

230: 2008/07/01(火) 22:45:13.51 ID:C6gW0T680
「あら、じゃあこれはあなたが作ったの?」
「まあな。これに何年費やしたことか」
「そっちでは私達が動かなくなってからどれくらい経ったのかしら?」
「そうだな。僕が今年で三十路だから、16年は経ったな」
「でもジュンってば子供のまんまなのよー」
 雛苺はジュンを指差して言う。
「どうやら、ここでは14歳の時の姿になっちゃうみたいだ。まあ、成長した姿で探してもお前ら僕だって気付かないだろ」
「あら、そんなことないわよ」真紅はさらっと否定する。「私だったらあなたがどんな姿をしていようと気付いたわ」
「本当かー?」
「本当よ」ムキになる真紅。
「どうだかなー」
 ジュンは笑いながら真紅をからかう。「おっと、こんなことしている時間はないな」
「そうね、早くいきましょ」
「れっつごーなのー」
 雛苺が先陣をきって飛んでいく。その時だった。
 ゴゴゴという音とともに空間内が大きく揺れる。地面が無いのに自身がおきたかのように激しい揺れだ。

234: 2008/07/01(火) 22:50:21.31 ID:C6gW0T680
「な、なんだっ」
 3人ともその場で止まり、揺れが収まるのを待つ。揺れは10秒ほどで収まった。
「なんだったのかしらね」
「長居は無用だな。さあ急ごう」
 ジュンは前へ進もうとするが、動きを止める。
「どうしたのジュン。っ?」
 真紅もなぜジュンが止まったのか気付いたようだ。
「歪んでいる……」
 目の前の景色が歪んでいたのだ。そして、その歪みの先には、先走っていた雛苺がいる。
「おいっ、大丈夫か?」
「うゆ。ヒナはへーきなのー」
 歪みの先にいる雛苺はなんとも無いようだ。
「雛苺。お前からこっちはどんなふうに見える?」
「うーとね、なんか2人ともゆらゆらしてるのよ」
「そっちからも歪んで見えるってことか」
「つまり、この歪みは表面上だけ。いわば歪みの壁みたいなものね」
「そうみたいだな。これ、通れるかな」
 ジュンは恐る恐る手を伸ばす。

236: 2008/07/01(火) 22:55:30.67 ID:C6gW0T680
「くっ」
 しかし、歪みの先に指先を入れただけで、すぐに引き戻す。
「大丈夫?」
「ああ、なんともないみたいだ。けど」
 ジュンは指を押さえる。
「指先を物凄い不快感が襲った。これ以上先に手を伸ばしていたら、内側から壊れてしまいそうな、そんな不快感だ」
「じゃあ、ここを通るのは無理そうね」
「そうだな。おーい、雛苺」
「うぃー?」
「時間がない。お前は先に扉から戻るんだ」
「でも、真紅とジュンはどうするなの?」
「僕達は大丈夫だ」
 ジュンは真紅の顔を見る。真紅はジュンの目をまっすぐに見ると、こくっと頷く。
「それに、柏葉に早く会いたいだろう」
「うん。巴にも早く会いたいのー」
「あいつもお前に会いたがっているんだ。会いに行ってやれ」

237: 2008/07/01(火) 23:00:20.75 ID:C6gW0T680
「……2人とも、ちゃんと戻ってくる?」
「当たり前だろ」
「私達2人は一緒ならなんだってできるわ。ねえジュン」
「ああ。お前とならなんだってできるし、どこへでも行けるさ」
「うん。わかったの。それじゃヒナは行くね」
 雛苺はその場を離れて、扉に向かって飛んでいく。歪んだ状態でも、ジュン達はそれをしっかりと視認できた。
「それじゃ僕達も行くか」
「そうね。でもその前に」
「ん?」
「ジュン、抱っこしてちょうだい」
 真紅が両手を挙げて言う。ジュンはやれやれといった様子でくすりと笑う。
「な、なあに。私そんなおかしなこと言ったかしら」
「いや、そんなことないよ」
 ジュンは真紅を抱き上げる。
「行こうか。お姫様」

239: 2008/07/01(火) 23:05:20.73 ID:C6gW0T680
 巴は実家にある自室で、娘の苺と遊んでいた。
「ママー」
 苺は無邪気な笑顔で巴の元へと駆け寄ってくる。巴はそれを優しく抱き寄せる。その表情は幸せそうだったが、どこか切なさのようなものも感じられる。
「あら、髪がはねているわね」
 さきほどまで、苺は家中を駆け回っていたため、髪が少し乱れていた。
 まるで、あの子みたい。巴は金髪のドールを思い浮かべる。
「苺。髪の毛を梳いてあげる」
「やったー」
 巴は櫛を取り出し、苺の髪を溶きはじめる。
「ふんふんふ~ん♪」
 苺の表情はとても楽しそうだ。笑顔で歌を口ずさむ。
 コンコンと、扉を叩く音。
「巴さん、苺ちゃん。おやつですよ」
 巴の母が、お盆を持って現れる。
「おばーちゃんありがとー」
 巴の母はお盆と置くと、また戻っていく。苺はお盆のもとに駆け寄る。
 巴はお盆の上にある和菓子を見る。丸くて、白い。あの頃の思い出が、蘇る。
「ねえママ。このお菓子、なんていうお菓子なの?」
 苺はそれを手に取り、巴に聞く。
「ああ、それはね」
「それはね、うにゅーっていうの」
 その問いに答えたのは巴ではなかった。部屋の隅にある鏡台から、その声は聞こえた。
「ふわふわして、甘くて。それでにゅーってしててとってもおいしいのよ」
 巴は声の方へと振り返る。
「うそ……」
 視界に映る、思い出の人形。幻ではないかと、巴はなんども目をこする。
「ただいまなの。巴」
 ずっと、願っていた。あの子とまた会いたい、と。そして16年の時を経て、思い出のドールが姿を現す。
 巴の目から、涙が溢れた。

240: 2008/07/01(火) 23:10:19.08 ID:C6gW0T680
「しっかし、そこらじゅう歪んでるなあ」
 ジュンは周りを見回しながら言う。
「まるで迷路ね」
 ジュンに抱きかかえられた真紅がそれに答える。
「やっぱ生きたままここに来るのはまずかったみたいだな」
「あたりまえよ。ここは魂が集まる場所なのだもの。あなたはとても無茶しているのよ」
「しょうがないだろ。どうしても、お前達を呼び戻したかったんだ」
「まあ、そういう理由なら私もこれ以上は怒らないわ」
 満足げな表情で真紅は言う。

243: 2008/07/01(火) 23:15:29.95 ID:C6gW0T680
 歪みの壁はこの世界全体に広がっている。遠回りをしながら、ジュン達は進んでいた。
「身体がミシミシいうようになってきたわ」
 真紅は自分の球体関節を撫でながら言う。
「長時間この世界にいるからな。その身体も限界が近い。急がなきゃ」
「大丈夫、間に合うわ。ほら」
 真紅は正面を指差す。前方に扉が見える。もう少しでここから出れるのだ。
「あそこにたどり着ければ、全てが終わる」
「ええ。そして、始まるわ。新しい日常が」
 真紅の目に涙が滲み始める。
「また……またあの日常に戻れるのね」
「ああ。戻って来るんだ。あの頃の平穏が」
「ジュン。私は嬉しいわ」
「僕もさ。この時をずっと待っていた」
 扉まであと少し。
「戻ったら、まず何をしようかしら」
「そうだ。まだお前からキスしてもらってないぞ」
「あら、覚えていたのね」
「当たり前だろ。ずっと待っていたんだ」
「そうね。戻ったら、あなたにキス。約束するわ」
「ああ、楽しみにして……くっ」
 ゴゴゴという轟音。空間内が大きく揺れる。

244: 2008/07/01(火) 23:19:49.12 ID:C6gW0T680
「また、なのっ」
 ジュンは嫌な予感を感じる。このままでは、戻れなくなってしまうのではないか。
 そう直感した直後に、ジュンは真紅を扉に向けて思い切り投げ飛ばす。
「きゃあっ。何するのジュンッ」
 真紅は扉にぶつかる。体勢を直すと、ジュンの方を見る。そして、驚愕。
「歪んで……」
 真紅にはジュンが歪んで見える。歪みの壁が、2人を遮った。
「ふぅ。間一髪だった」
 いつのまにか、揺れはおさまる。
「ジュンどうして!?」
「ヤバイって思ったときにはもうお前を投げていたよ。僕の直感も捨てたもんじゃないな」
「あなたはどうするの?」
「なんとかなるだろ。それより、お前は早くここから出るんだ」
「でもあなたが」
「いいからっ!」
「っ……」
 ジュンは怒鳴るような勢いで叫ぶ。真紅はその気迫に押されて、何も言えなくなる。

246: 2008/07/01(火) 23:24:22.67 ID:C6gW0T680
「まずは、扉から出るんだ。その身体が壊れたらここから出られなくなる。いいな?」
「え、ええ」
「そしたら……そうだな。本物の身体とローザミスティカに魂を移し変えたら、現実世界に戻ってくれ。そしたら」
「そしたら……?」
「僕の手を握って、待っててくれないか」
 頭をかき、照れながらジュンは言う。
「そうしてくれるだけで、心強い。きっと僕もそっちに戻れる」
「本当……?」
 いつになく弱気な声で、真紅は問う。
「ああ、信じてくれ」
 その言葉で、真紅の中にあった怯えのような感覚が消え去り、心は安堵に包まれる。それだけ、今のジュンの言葉には、強い何かが宿っていた。
「ええ。信じてあげるわ」
 さきほどまでの弱気な真紅はいない。
「この真紅の下僕なのだもの。ここから戻ってくることぐらい、できて当然だわ」
 真紅は扉に手をかける。
「それじゃあ、また後で。すぐ戻ってくるのよ」
「ああ」
 キィという音とともに、扉が開く。
 真紅はその向こうへと、消えていった。

250: 2008/07/01(火) 23:28:26.64 ID:C6gW0T680
「さて、どうしようか」
 ジュンは周りの様子を見る。どこも歪みの壁ばかり。扉の周りを囲むように塞いでいる。
「さっきは思わずかっこつけちゃったけどさ……」
 ジュンの顔がじょじょに青ざめていく。
「これってけっこうまずくね?」
 扉へと続く道はない。この扉以外にここから出れるところはない。まさに絶体絶命だった。
「どうにかして通れないかな」
 歪みの壁に手を伸ばす。しかし、指先を入れてすぐ引き戻す。あの不快感がジュンを襲う。
「駄目だ……。やっぱり内側から壊れそうになる」
 指先を押さえる。
「ん? 内側からっていっても、これは本来の身体じゃないわけで……」
 ジュンは何かに気付いたのか、考え事を始める。
「つまり……この歪みは……」

253: 2008/07/01(火) 23:34:22.13 ID:C6gW0T680
 蒼星石はジュンの心の樹にひたすら力を与える。その右手には庭師の如雨露。左手には翠星石を抱えている。
 蒼星石はちらっと横を見る。視界に移るのは黒い穴。扉のもとに繋がる穴だ。
「水銀燈はもう出てきたらしいし、雛苺も戻ってきた。あとは真紅とジュン君だけか」
 黄色い人形が現れる。金糸雀だ。そしてその後に、赤い人形。真紅だ。
「っ! 真紅! 戻ったんだね。……?」
 蒼星石は喜ぶ。自分のせいで動かなくなった真紅が戻ってきたのだ。しかしおかしい事に気付く。ジュンがいないのだ。
「金糸雀、真紅。ジュン君は?」
 扉の向こうであったことを説明する。
「そうか。なら、僕もまだ頑張らないと」
「ええ。大変だろうけど、頑張って」
「うん。任せて」

254: 2008/07/01(火) 23:40:03.87 ID:C6gW0T680
 真紅と金糸雀は夢の世界を出て、現実世界に戻る。
「あら、引越したのね」
 見慣れぬ部屋を見回して真紅は言う。すぐそこにあるベッド。そこにはジュンが眠っている。
「ジュン。頑張って」
 真紅はジュンの手を握る。
「……」
 金糸雀はそれを黙って見る。
 私には、何かできないのだろうか。金糸雀は自問自答する。自分も、何か力になりたい。
「ねえ、真紅」
「なあに?」
「さっき言っていた歪みの壁について、もっと詳しく教えてくれないかしら」
「ええ。ジュンが言うには――」
 金糸雀は真紅の話を一言一句漏らさぬように聞く。私は頭脳派で、お姉さんなのだから、この状況を打破する方法だって思いつくはずよ。金糸雀は思考をめぐらせる。
「っ! 解決策……思いついたかもしれないかしら」

259: 2008/07/01(火) 23:44:16.15 ID:C6gW0T680
 黄色い発光体がぐるぐると回っている。
「なあに、目ざわりねぇ。……これはピチカート」
 黄色い発光体、ピチカートが水銀燈のもとに近づく。水銀燈はそれに手で触れ、メッセージを受け取る。
「なるほど。そういうことね」
 水銀燈は窓から出ると、羽を広げる。
「めぐ、ちょっと出かけてくるわ」
「どうしたの?」
「ちょっと、恩返しにね」

260: 2008/07/01(火) 23:48:04.61 ID:C6gW0T680
 赤い発光体がぐるぐると回っている。
「うゆ……ホーリエ?」
 赤い発光体、ホーリエが雛苺のもとに近づく、雛苺はそれに手で触れ、メッセージを受け取る。
「ジュンッ。ヒナも力にならなきゃ」
「どうしたの雛苺?」
「ジュンがピンチなの。助けに行ってあげなきゃ」

263: 2008/07/01(火) 23:53:01.36 ID:C6gW0T680
「どういうことなんだい?」
 蒼星石は驚く。ジュンの心の樹の黒ずみが、急に広がらなくなったのだ。つまり、ジュンの心に害はもうないということ。
「あの世界から出られたのかな。でも穴からは出てこない」
「蒼星石ー」
 遠くから蒼星石を呼ぶ声。金糸雀だ。夢の扉からこちらにきたのだろう・
「金糸雀か。どうしたの?」
 金糸雀は傘で空を飛び、蒼星石の前に着地する。
「もう心の樹に水をあげなくても大丈夫かしら」
「ジュン君はあの世界から出られたの?」
「ううん。ジュンはまだ扉の向こうに閉じ込められているかしら」
「じゃあどうして力を与えなくても大丈夫なんだい?」
「それはあっちで話すかしら。翠星石を連れて戻るかしら」
「うん、わかった」
「あと、夢の扉は開いたままね。ジュンが夢から出られなくなっちゃうから」
「わかっているよ」

265: 2008/07/01(火) 23:56:41.66 ID:C6gW0T680
「お待たせかしら」
 金糸雀が夢の扉から出てくる。後から翠星石と、それを抱える蒼星石が扉から出てくる。
「さて、どういうことかな」
「まずは翠星石を起こしましょう」
 真紅が指示をする。その手はジュンの手をずっと握り締めている。握り合う手が光を発しているように見える。
「はい、螺子」
 金糸雀に渡され、蒼星石は翠星石の螺子を巻く。
 カクカクと、身体が起き上がる。そして目が開く。
「あ……」
 翠星石の目の前には蒼星石がいる。
「ゆ、夢じゃなかったですね……」
 目に涙を溜め、震える声で言う。
「蒼星石ー!」
 そして思い切り抱きつく。そしてひたすら「蒼星石」と名前を呼び続ける。
「翠星石、今はそれどころじゃないの。話を聞いて」
「え……この声……」
 翠星石は声の方へと振り向く。
「真紅……?」
「ただいま、翠星石」

268: 2008/07/02(水) 00:00:18.11 ID:GjxEHg9t0
「真紅ー!」
 今度は真紅に思い切り抱きつく。
「2人とも会いたかったですよー」
「落ち着きなさい!」
 真紅お得意の巻き毛ウィップで翠星石を身体から離す。
「今から大事な話をするのだから。と言っても後2人足りないのだけれど」
 真紅がそう言った直後、部屋の中にある鏡が光る。そして雛苺が姿を現した。
「みんなただいまなのー」
「ち、チビ苺!」
 今度は窓が開く音。
「あらぁ、みんなお揃いのようね」
 水銀燈が現れる。
「水銀燈! みんな……みんな戻ったんですね。ジュンは……やり遂げたんですね」
 翠星石の目から涙が止まらない。
「……って、ジュンはどうしたです? まだ寝てるですか?」
 翠星石はジュンがまだベッドで寝たままであることに気付く。
「そのことで、大事な話があるのよ」

270: 2008/07/02(水) 00:04:33.50 ID:GjxEHg9t0
 真紅は翠星石達に扉の向こうであったことを話す。
「つまり、ジュンはまだ扉の向こうに閉じ込められているってわけねぇ」
「た、大変ですぅ。早くジュンの心の樹に力を与えないと」
「大丈夫よ翠星石」
「どういうことです?」
「真紅の手を見るかしら」
 翠星石達は金糸雀に言われたとおり、真紅の手を見る。ジュンの手を握り締めているその手はほのかな光を発していた。
「こ、これはいったいなんです?」
「私にもよくわからないわ。でも、この手を通じて、私の力がジュンの心に伝わっていることだけは感じ取れるの」
 真紅の表情は穏やかで、ジュンが戻ってくることを確信しているように見える。
「契約の指輪無しで、力を与えているのですか?」
「そういうことになるわね。でも、契約の指輪なんてなくてもいいのよ」
「どういうことです?」
「本当に想いが繋がれば、通じ合っていればそんなもの必要ない」
「また綺麗事いっちゃって」
 水銀燈は真紅が言おうとしていることに気付く。
「絆があるわ。絆があれば、指輪がなくても繋がっていられる。信じていられる」

272: 2008/07/02(水) 00:07:23.38 ID:GjxEHg9t0
「絆……」
「ジュンは、あなたのことを信じているわ。あなたも、ジュンを信じているのでしょう?」
「あ、あったりめーですぅ。真紅達がいない16年間、ジュンを支え続けたのは誰だと思っているですか。この翠星石ですよ」
 どんっと胸を叩き、得意げな表情で言う。
「ふふ。そうよね」
「それで、大事な話ってのは、ジュンを助けることですよね?」
「ええ。そうよ」
「わざわざ私達を呼び出したってことは、その手段があって、なおかつ私達の力が必要。そういうことでしょぉ?」
「そういうこと」
「ここからはカナが説明するかしら!」

275: 2008/07/02(水) 00:10:33.17 ID:GjxEHg9t0
 時は戻り。
「っ! 解決策……思いついたかもしれないかしら」
 金糸雀の目は、これまでにないほど輝いている。真紅は、それは希望の光のようだと思った。
「本当? ジュンを助けられるの?」
「ええ、カナの考えが正しいのなら」
「説明してちょうだい」
「わかったかしら。まず、ジュンは歪みの壁に手を入れて、内側から壊されそうな不快感を感じた。そうよね?」
「ジュンはそう言っていたわ」
「かと言って、一瞬で手が壊れたわけじゃない。すぐ戻せば支障はないのよね」
「私が見た感じ、そうだったわ」
「カナはね、その壁は意識体、つまり心を無に還したり、消滅させるような力が働いていると思うの」
「どういうこと?」
「つまり、その壁は心というものを拒絶している。壁の拒絶の力に心が押されて、壊されてしまう」
「なるほど。確かに拒絶していると考えればしっくりくるわね」
「だから、ジュンの心が、その拒絶を押し返せるくらいの力を持てば、あの壁を通り抜けることも可能だと考えたわ」
「なるほどね。それならいけるかもしれないわ」
「でも、庭師の力をもってしても、ジュンの心をあの世界で保つのが精一杯。拒絶を押し返すだけの力をどうやってジュンの心に伝えるか。それが問題かしら」
「つまり、ジュンに力を与える繋がりがあればいいのね」

276: 2008/07/02(水) 00:13:25.10 ID:GjxEHg9t0
「何か、考えがあるのかしら?」
「私の一方的な思い込みでしかないのだけれど」
 真紅はぎゅっとジュンの手を握り返す。
「絆という繋がりがあれば、私達の力を与えることもあるいは……」
「絆……かしら」
「私はジュンを想っているし、信じているわ。それがジュンに伝わっているのなら、きっと絆が、ジュンと私を繋げてくれるのではないか、そう思って」
 ジュンと真紅の手は重なり合っている。そしてほのかに光を発し始めた。
「これは……?」
 金糸雀は光を発する2人の手を見る。
「温かい……。感じる、感じるわ」
「本当に繋がったの?」
「ええ。私とジュンが繋がっている! 指輪なんて必要ない。想いが、心が繋がっているわ」
 真紅は今までにないくらい嬉しそうな声をあげる。それだけ、ジュンのことを想っているのだろう。
「真紅、そこから力を伝えることは?」
「できるわ。ジュンを、助けられる!」

279: 2008/07/02(水) 00:17:57.60 ID:GjxEHg9t0
 ――。
 ――――。
 ――――――――。
「つまり、僕達の力を真紅を通じてジュン君に送るわけだね」
「ええ、そういうことよ」
「確かにあなたとジュンは繋がっているみたいだけど、他のドールは違うわ。私達の力はちゃんと遅れるの?」
「大丈夫よ水銀燈。だって、あなた達だってジュンを信じているのでしょう?」
 真紅は他のドール達を見る。
「ヒナはいつだってジュンを信じてるのよー」
「カナだって今まで信じてたし、これからも信じるわ」
「言うまでもないですぅ」
「うん、僕もジュン君を信じているよ」
「まあ、真紅は嫌いだけど、ジュンのことは結構気に入ってるのよねぇ。信じてあげてもいいわぁ」
「最後のはちょっと聞き捨てなら無いけど、あなた達がジュンを信じていることは分かったわ。なら、きっと大丈夫。あなた達の力、想いはきっとジュンに伝わる」
 雛苺が、順の手を握る真紅の手の上に、自分の手を重ねる。金糸雀、翠星石、蒼星石、水銀燈の4人もそれに続き、手を重ねあう。すると、さっきまでほのかに光る程度だったのが、眩しいくらいの輝きに変わる。
「ジュン、頑張って」
 ドール達は、真紅の手に想いと力を乗せる。
「届いて……」
 真紅の祈り。そして絆という繋がりを通って、ドール達の願いが、送られる。

280: 2008/07/02(水) 00:21:15.67 ID:GjxEHg9t0
「この歪み……心を拒絶するのか」
 心を拒絶する歪みの壁。ジュンは、金糸雀と同じ考えにたどり着いていた。
「今の心じゃ、ここを通ろうとすれば、拒絶の力に押されて消えてしまうな……」
 心がもっと強ければ、拒絶を押し返す力が自分にあれば、この壁は壁じゃなくなるのに。ジュンは前方の歪みを忌々しげにみる。
「でも、行かなきゃ。あいつらが待っている。僕が戻ってくると信じているんだ」
 こんなものに遮られてたまるか。ジュンは壁の目の前まで進むと、覚悟を決める。その時だ。
「っ! 熱い……」
 胸に熱い何かを感じ、ジュンは動きを止める。そして何かと繋がったような感覚。
「これは……」
 ジュンの中に温かい何かがあふれ出す。その何かはジュンの心に大きな力を与える。

281: 2008/07/02(水) 00:25:24.13 ID:GjxEHg9t0
「ジュン! 頑張るの!」
 頭の中に雛苺の声が響く。
「カナ達が力になるかしら」
 今度は金糸雀声だ。
「あいつらの声……。どうして」
「みんな待ってるんですからとっととでてくるですぅ」
 翠星石の声。
「今度は、僕達がジュン君を助ける番だ」
 蒼星石の声。
「あなたがジャンクにならないように、私達があなたの心に力を与えるわ」
 水銀燈の声。
「そう。私達の力で、あなたを守るわ」
 最後に、真紅。
「あなたが壁からの拒絶に負けないくらい、あなたの心を強くする。だから、安心して壁を通って」
「あなたをこんなところで絶対に氏なせたりしない。だから」
「信じて!」
 みんなの声が合わさり、ジュンの心に響く。
 溢れんばかりの力が、ジュンの心を包み込む。

286: 2008/07/02(水) 00:28:38.84 ID:GjxEHg9t0
「ああ、お前達を信じる」
 一歩、足を前に踏み出す。つま先が歪みに触れる。拒絶する力が襲い掛かる。しかし、ジュンは止まらない。
 また一歩進む。身体のほとんどが歪みと重なる。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」
 ジュンは叫ぶ。拒絶による不快感も、今のジュンには脅威ですらない。
 バチバチ、と拒絶の力とジュンの心の力が拮抗する。ジュンの身体はボロボロで、ところどころ形を保てずに揺らめいている部分もある。
「僕は、戻るんだ! あの頃の平穏に! みんながいる日常に!」
 さらに足に力を込める。そして、また一歩進む。
 ジュンの左足から不快感が消える。そしてまた一歩踏み出す。そして身体全体から不快感が消え去る。
「どうだ……。やったぞ」
 ジュンは、ゆがみの壁を通り抜けた。

288: 2008/07/02(水) 00:32:17.74 ID:GjxEHg9t0
 ジュンは扉から出る。
「やあ、無事だったんだね」
 金髪の男が立っている。
「久しぶりだな。ローゼン」
「彼女達の魂は、無事に取り戻したようだね」
「ああ。あんたのおかげだよ。ありがとう」
 ジュンは深々と頭を下げる。
「礼を言われても困るな。私はむしろ困っているのだが」
「困る……?」
「真紅、雛苺、蒼星石、水銀燈。彼女達は結果的にはアリスゲームの末に動かなくなった。それをまた元に戻したらアリスゲームはやり直し。私はまた長い時間アリスが孵化するのをまたなければいけないのだよ」
「じゃあなんで8年前、僕に助言なんてしたんだよ」
「なんでだろうな。あの時の私は何を考えていたのだろうね」
 ローゼンはふふっと笑う。
「アリスは至高の少女。一筋縄でなれるようなものではない。いろいろな事を知らなければならない。学ばなければならない。だから」
「だから?」
「もう少し、日常の大切さなどを学んで欲しいと、8年前の私はそう思っていたのかもしれないな」

291: 2008/07/02(水) 00:36:36.76 ID:GjxEHg9t0
「なんだ。あいつらにお父様って言われるだけあるじゃないか」
「どういうことかな?」
「父親らしいことをいうんだな。ちょっと見直したよ」
「見直した? 君はこの偉大な人形師ローゼンをなんだと思っていたんだ」
「そうだな。しいて言うなら口リコンとかそういう負のイメージしかなかっよ」
 それを聞き、ローゼンは大声を上げて笑う。
「酷いことを言うじゃないか。まあ外れてはいないがね」
「なにぃっ!?」
「あっはっは。冗談だよ。それより、君を待っている人がいるだろう。さあ行くんだ」
「声をかけてきたのはそっちだろう」
「細かいことは気にしない。それじゃあ。もう会うことはないと思うが」
「だろうな。それじゃ、さよならローゼン」
 ジュンはそう言うと、穴へと飛び込んでいった。

293: 2008/07/02(水) 00:40:30.66 ID:GjxEHg9t0
「だ、大丈夫ですかねえ」
 翠星石はまだ目を覚まさないジュンを見て、心配そうな声を上げる。
「大丈夫よ。私達の想いと力はジュンに伝わった。あなたも分かっているでしょう」
「はいです」
「……っ」
 蒼星石が何かに気付き、夢の世界の扉を見上げる。
「蒼星石どうしたなの?」
 蒼星石は嬉しそうに夢の扉を見ている。
「夢の扉がどうしたのかしら?」
 金糸雀も蒼星石につられて夢の扉を見る。
「消えたっ?」
 夢の扉がジュンの頭上から消え去る。

294: 2008/07/02(水) 00:43:30.43 ID:GjxEHg9t0
「ん……」
 ジュンの目蓋が開く。
「っ!」
 みんなが声にならない歓声をあげる。
 ジュンは上半身を起こし、みんなを見回す。
 真紅、雛苺、蒼星石、水銀燈は顔を見合わせる。一斉に頷くとジュンのほうに向き直る。そして言った。
「ただいま、ジュン」
 僅かな沈黙。そしてジュンが口を開く。
「ああ。おかえり、みんな」
 真紅はその声を聞いた瞬間に、ジュンに飛びつき、首に手を回す。
「ただいま……ただいまっ、ただいま」
 ジュンは真紅を優しく抱き返す。

296: 2008/07/02(水) 00:46:44.43 ID:GjxEHg9t0
「なあ、真紅。あの約束」
 真紅はそれを聞き、顔を赤らめる。
「こ、ここで」
「約束したろう。戻ったらしてくれるって」
「み、みんな見てるわよ」
「いいよ。僕が気にしない。どうせ僕らはバカップルなんだから見せ付けるくらいの勢いじゃないとな」
「も、もう……。大人になっても全然成長しないのね」
「童心を忘れない。それって立派なことだと思うけどな」
「そういうことじゃないわ! まったく……。わかったわ、目を瞑りなさい」
 真紅はまんざらでもないような表情で承諾する。
「ほら、瞑ったよ」
 ジュンは言われたとおりに目を瞑る。
「……愛してるわジュン。これからも先もずっと」
 真紅はジュンの耳元で囁く。そして、ジュンと唇を、重ねあった。

300: 2008/07/02(水) 00:49:43.66 ID:GjxEHg9t0
4.16年前の平穏

 すがすがしい朝。日の光が窓から部屋に差し込む。ジュンはゆっくりと布団から起き上がる。すでに他のドール達は目を覚まし、活動を始めている。
 真紅は読書に勤しみ、雛苺はお絵かき。翠星石は蒼星石にこの16年間であったことを色々話している。
「あらジュン。おはよう」
 真紅がジュンに気付き、挨拶をする。他の3人もそれに続く。
「おっはよーなのー」
「おはようジュン君」
「おはようですぅジュン。それでですね蒼星石――」
「ああ、みんなおはよう」
 ジュンは完全にベッドから起き上がると、着替えを持って地下へと向かう。
「あら、どうして地下に?」
「着替えてくる。お前らにいちいち着替えを見せる必要もないだろ」
 階段を下り、地下室に入る。
「もう、ここも必要ないかな」
 ジュンは部屋中を見渡す。研究の道具や書物。いろいろなものが散乱している。特に机の上など、実験に使ってこぼれた液体が変色したりで酷い有様だ。
「めんどくさいし、全部捨てようか……」
 目的は達したのだ。真紅達の魂はもう取り戻した。ここで研究する必要もない。
「……っ」
 ジュンは大事な何かを思い出す。
「……まだ、ここは必要みたいだ」
 そうつぶやくと、寝巻きを脱ぎ、私服に着替えた。

303: 2008/07/02(水) 00:53:21.12 ID:GjxEHg9t0
 着替え終わり、寝巻きをもって1階に戻る。相変わらず真紅は読書にふけり、雛苺はお絵かき。翠星石と蒼星石は話を続けている。
「翠星石、朝ごはんたのむ」
 いつも通り、ジュンは翠星石に朝食を作るようにたのむ。
「今はそれどころじゃないんですぅ」
 それだけ言って、翠星石は蒼星石との会話に戻る。
「ったく。戻ってきたとたんにこれか。……なぁ、もしかして」
 ジュンはあることに気付く。
「お前ら2人、昨日の夜からずっと話しているんじゃないか?」
 ジュンは昨夜のことを思い出す。翠星石と蒼星石は今と同じ場所で話をしていた。ジュンが寝る間際までそうだった。もし自分が寝た後もこうしてずっと話を続けていたのではないか、ジュンはそう考えた。
「私が起きた時も2人はこうして話していたわね」
「16年ぶりの再会なんですよ? 一晩語ったくらいじゃ物足りないくらいですぅ」
「ご、ごめんねジュン君」
 蒼星石は完全に疲れていそうな表情をしている。早めに鞄で寝かしてあげた方がいいのではないか、とジュンは思う。
「翠星石、今ここにご飯を作れるやつはお前しかいないんだ。頼むから作ってくれ。それに蒼星石も疲れているだろう。早く鞄で寝たほうがいい」
「ちょーっと待っててですぅ」
 そう言ってまた蒼星石との会話に戻る。こりゃ作る気ないな。ジュンは確信する。

306: 2008/07/02(水) 00:57:34.52 ID:GjxEHg9t0
 ピンポーンと呼び鈴が鳴る。と同時に玄関の扉が開く。
「みんな久しぶりー」
 のりが袋を持って現れる。
「のりー!」
 雛苺が一目散に駆け寄り、のりに抱きつく。
「ヒナちゃんひさしぶり」
 のりは涙をぼろぼろ流し、雛苺を抱き返す。
「おひさしぶりです」
「蒼星石ちゃんもひさしぶりぃ」
「のり、お久しぶり。会いたかったわ」
「真紅ちゃんもお久しぶり」
 のりはこれ以上の幸せはないというくらいうれし涙を流す。
「ねえ、のり。お願いがあるのだけれど」
「なあに? 私ができることならなんでもするわよ」
「朝ごはん」
「え?」
「朝ごはん、作ってちょうだい」

308: 2008/07/02(水) 01:00:49.88 ID:GjxEHg9t0
 のりは真紅達が戻ったお祝いにと腕を振るい、朝から豪華な食事を作る。
「す、凄すぎて言葉がないの……」
「圧巻だわ……。のり、進化したわね」
 豪勢すぎる料理にみんなが言葉を失う。
「ちょっと張り切りすぎちゃったわ」
「これ……朝から食いきれるか?」
「どうだろう……。僕そんな大食いじゃないよ」
「最近のりの実力に近づいてきたと思ってたですけど、改めて差を実感したです……」
「とにかく! 食べましょ。ほらみんな、いただきまーす」

310: 2008/07/02(水) 01:03:28.03 ID:GjxEHg9t0
「な、なんとか食いきった……」
 ジュンは椅子にもたれかかり、腹をさする。
「結局ジュンが一番食べたのー」
「食べ物を粗末にしないことはいいことよ。さすがは私の下僕ね」
「ごめんね。ジュン君ばかりに無理させちゃって」
「うう……蒼星石は優しいなぁ。どこかの赤い人形とは大違いだ」
「あはは。そんなことないよ」
「赤い人形って誰のことかしら?」
「さあなー。蒼星石はいい子だなぁ。赤い人形から乗り換えようかなぁ」
「っ!?」
「ジュン君さすがにそれは言いすぎじゃあ……」
「……そうよね。私みたいな我がままな子よりも蒼星石のようなしっかりものの方がいいものね……」
 真紅は目に涙を滲ませる。

312: 2008/07/02(水) 01:06:35.09 ID:GjxEHg9t0
「な、泣くなっ。冗談! 冗談だから! ごめんっ」
「もう知らないわっ」
「ごめんって。真紅が一番好きだよ!」
 ジュンは真紅に駆け寄り、抱きしめる。
「愛してるから……」
 耳元で甘い囁き。
「何よ。そんな言葉で簡単に……簡単に……」
「結局抱き返してるじゃねーですか!」
「ふふ。幸せそうねぇ」
 のりはその光景を見て微笑む。まるであの頃に戻ったみたい。のりは16年前を思い出す。

315: 2008/07/02(水) 01:10:24.43 ID:GjxEHg9t0
「行ってくるなのー」
 雛苺が鏡からnのフィールドに消える。
「あれ、ヒナちゃんはどうしたの?」
「巴のところへ行ったのよ。なんでも巴の子供と遊ぶ約束をしているらしいわ」
 真紅が答える。
「もう仲良くなったのねぇ」
「しかし巴が結婚したなんて驚きだったわ」
「だって巴ちゃんは美人だしとってもいい子だもの。いいお嫁さんよ」
「のりの結婚にはもっと驚いたわ」
「私みたいな人でも好きになってくれる人はいるみたいでねぇ」
「素敵なことじゃない。みんな幸せなようで私は何よりだわ」
「ありがとう真紅ちゃん。あ、そうだ。ねえジュン君」
「何?」
「例のあれって、今夜でいいのよね?」
「うん。そうだ、みんなに連絡を入れないとな」
 ジュンは携帯電話を取り出す。
「のり、例のあれって何のことかしら?」
「ふふ。それはね」

320: 2008/07/02(水) 01:15:13.86 ID:GjxEHg9t0
 有栖川大学病院。
「これ、全部めぐが書いたの?」
 テーブルの上にある数冊の本を見て水銀燈は言う。
「そうよ。この小説はね。あなたをモデルにして書いているのよ」
「わ、私をモデルにしてる? どういうことなの?」
「この挿絵を見て」
 めぐは本を一冊手に取ると、開いて挿絵を水銀燈に見せる。挿絵で描かれているのは、水銀燈にそっくりな、黒衣のドレスを纏った美少女。
「ね、似ているでしょう」
「私の許可もなく勝手に何書いてるのよっ」
「許可もなにも、あなた動かなくなっちゃったから許可のとりようがないでしょ」
「う……」
「私に16年もの間寂しい思いをさせたんだもの。これくらい大目にみてくれるでしょ?」
「わ、わかったわよっ」
 それを言うのは卑怯だ。水銀燈は思う。しかし、めぐに何も言わずに動かなくなったのは事実で言い返すことはできなかった。
「それにね。このあなたをモデルにした銀ちゃんってキャラクター。かなり評判がいいのよ」
 めぐは1つの紙袋を取り出す。
「それはなに?」
「ファンレターよ」

321: 2008/07/02(水) 01:18:24.88 ID:GjxEHg9t0
 紙袋の中には大量のファンレターが入っていた。シンプルな便箋に入ったものや、派手な装飾の凝ったものなど、様々だ。
「自分でいうのもあれだけど、私って売れっ子作家だから。けっこうファンレターって貰うのよ」
「すごいじゃない。私の知っているめぐとは大違いだわぁ」
「私だって成長したもの。あなたがいない16年間、私は一生懸命戦ったわ。パパとも仲直りしたし、誰かにできることも見つかった。あなたとジュン君のおかげね」
「めぐ……」
 動かなくなる直前、自分が残した言葉を、めぐは受け入れてくれた。水銀燈はそう考えると胸に暖かい何かが満たされていくのを感じた。
 絆なんて、くっだらないと思っていたけれど。それはそれでいいものね。水銀燈はふふっと笑う。
「ほら、見て」
 めぐはファンレターの中からいくつかの手紙を取り出すと、それを広げる。
「読むわよ。えーと、私の黒い天使様、いつも楽しく読ませてもらっています。最新刊すごくよかったです! なんというか銀ちゃんの新たな一面を見れて、前よりも銀ちゃんが好きになりました。銀ちゃん可愛いよ銀ちゃん」
「銀ちゃん……ねぇ」
 慣れない愛称に水銀燈はすこし困惑する。
「他にもあるわ。はじめまして。第1巻の時からずっと読んでます。銀様の魅力に取り付かれてしまっています。気付けば銀様のことを考えてたり。最近では同人誌も描いたりしてもう止まりません」
「なんだか恐いわぁ」
「でも、すごい人気でしょ」

324: 2008/07/02(水) 01:21:28.87 ID:GjxEHg9t0
「この私をモデルにしているのだもの。これくらいの魅力があって当然よぉ」
「ふふ。本物はもっと素敵だものね」
 めぐはぎゅっと水銀燈に抱きつく。
「ちょっ離しなさいばっ。ほっぺたすりすりしないでぇ」
 めぐの甘えっぷりに動揺する水銀燈。しかしその表情はまんざらでもないように見える。
 プルルルル。めぐの携帯が鳴る。
「あら、電話みたい」
 めぐは水銀燈を離すと、電話に出る。
「はい、もしもし。うん……今夜? ええ大丈夫よ。うん、わかったわそれじゃ」
「あら、今夜何かあるの?」
「ええ。水銀燈、あなたにも来てもらうわよ」

326: 2008/07/02(水) 01:24:50.94 ID:GjxEHg9t0
「とっもえー。いっちごー。こんにちはーなのー」
 鏡台から雛苺が姿を現す。
「いらっしゃい雛苺」
「あー! ヒナお姉ちゃーん」
 巴の娘、苺が雛苺に駆け寄る。
「今日は何して遊ぶのー?」
「うーとね、巴も入れてかくれんぼするのー」
「私も?」
 巴が自分を指差して言う。
「あったり前なのよー。みんなで遊べば楽しいのー」
「ママもやろーよー」
「ふふ。わかったわ。じゃあ私が鬼をやるから、10秒数えるうちに隠れてね」
「よーし、隠れるのー」
「ヒナお姉ちゃんまってー」
 雛苺と苺は部屋から飛び出していく。
「雛苺、いつになく上機嫌ね。お姉ちゃんって呼ばれるのが嬉しいのかしら」
 プルルルル。携帯が鳴る。
「電話? 桜田君から……。もしもし」
 電話に出る。
「うん。今夜? ええ大丈夫よ。苺も連れて行ってもいい? 本当? じゃあ18時にあなたの家に行けばいいのね? うん、それじゃあ」

327: 2008/07/02(水) 01:28:36.45 ID:GjxEHg9t0
 巴は電話を切る。
「ともえー。まーだー?」
 雛苺が呼ぶ声が聞こえる。そうだ、かくれんぼをしているんだった。巴は10秒数える。
「もーいいかい?」
「もーいいよー」
 雛苺と苺、2人の声が家の中に響く。
 もし親がいたら、家全体を使って遊ぶなんてできなかったな。巴は思った。
「さて、と」
 巴は立ち上がる。
「こうやって遊んでいればちょうど夜にはお腹が空くわね」
 巴は扉を開けて、部屋を出る。
「ふふ。楽しみ」
 巴は雛苺達を探しに、部屋を出た。

328: 2008/07/02(水) 01:31:39.59 ID:GjxEHg9t0
「うん、うんうん。大丈夫大丈夫。こっちも準備万端だから。この日のためにどれだけたくさんのドレスを作ったことか。ああ、早く夜がこないかなぁ。うん、じゃあまた後でね」
 みつは電話を切る。
「誰からかしら?」
 金糸雀は電話の相手を尋ねる。
「ジュンジュンよ」
「今夜何かあるの?」
「ええ、とっておきのイベントがあるわよー」
「みっちゃんが昨日からずっと用意してるそのドレスも関係があるのかしら?」
 クローゼットにかけてある大量のドール用ドレスを指差して聞く。
「あったりまえよー。これで今日のパーティに革命を起こすのよ!」

330: 2008/07/02(水) 01:34:22.41 ID:GjxEHg9t0
「パーティ? パーティをやるの?」
「あ、言っちゃった。まあ秘密にしろって言われているわけでもないし、まあいっか」
「詳しく教えて欲しいかしら」
「昨日、ジュンジュンやカナの頑張りで真紅ちゃん達が戻ってきたでしょ。だからそのお祝いにパーティをしようってことになったのよ」
「昨日戻ってきたばっかりなのに?」
「本当だったらもう2、3日ほど間をおきたかったんだけどね。巴ちゃんがもうすぐ旦那さんのところに帰っちゃうから」
「なるほどかしら」
「でもまあ、みんな来るっていうし。今日でもぜんぜんいいじゃん。ほら、カナの新しいドレスを試着するわよー」
 みつはクローゼットからドレスを一着取り出す。
「ふふ。カナの美貌とみっちゃんのドレスでパーティ会場を騒然としてあげちゃおうかしら」
「このドレスでジュンジュンも唸らせてみせるわっ!」

332: 2008/07/02(水) 01:38:08.74 ID:GjxEHg9t0
「とまあ、そんな感じでパーティをするのよ」
 のりはパーティのことを説明した。
「いいわね。みんな来るのでしょう?」
「ええ、そうよ」
「水銀燈もくるぞー」
 ジュンがからかうように言う。
「くっ。いいわ。今日は特別よ」
「しかし、楽しみだね」
 いつの間にか、蒼星石と翠星石も話を聞いていたようだ。
「パーティなら翠星石がお菓子をたくさん作るですよ!」
「朝ごはんつくらなかったくせに」
「うるせーですチビ!」
「じゃあ翠星石ちゃんにもいろいろ手伝ってもらおうかしら」
「のりさん、僕にも手伝えることありますか?」
「そうねえ、じゃあ蒼星石ちゃんは――」
 真紅はこのやりとりを幸せそうに見る。

334: 2008/07/02(水) 01:41:42.28 ID:GjxEHg9t0
 18時。パーティの始まる時間。ジュンの家に着々と人が集まりつつあった。
「たっだいまなのー」
 雛苺が元気に扉を開ける。後ろには巴とその娘の苺がいる。
「こんばんは。今夜はごちそうになりますね」
「あら、巴ちゃんこんばんは。その子が巴ちゃんの娘さん? 可愛いわねえ」
「どーしたですのり。あ、そのチビチビしてるのが巴の娘ですか?」
「翠星石、人の子供にチビチビなんていっちゃあいけないよ」
 玄関での団欒。みんなが楽しそうに巴達を囲む。
「時間ピッタリかしらー」
 金糸雀が風にのって現れる。その少し後方でみつが走ってこちらに向かっている。
「はあっ、だからカナ早いってばー」
 息を切らしている。最年長のみつには走ることそのものが大変だったのだろう。
「チビカナもきたみたいですね」
「やあ、いらっしゃい金糸雀」
「もうみんな揃っているのかしら?」
 金糸雀は尋ねる。
「後は……」

337: 2008/07/02(水) 01:44:27.70 ID:GjxEHg9t0
 蒼星石が答えようとしたところで、家の前に黒い車が止まる。中からはめぐと水銀燈が出てきた。
「ありがとパパ」
「お、水銀燈達もきたですね」
 翠星石は水銀燈を指差して言う。
「ちょっとめぐ、なんで他のドール達もいるのよ!」
「あら、言ってなかったっけ? 今日はあなた達4人が戻ってきたお祝いのパーティなのよ。みんないるのは当然よ」
「わ、私はただ今日は外食としか聞いてないわよ」
「いいじゃない。みんなでお食事よ。楽しいに決まっているわ」
 めぐは水銀燈を説得する。しかし、水銀燈は気まずい、大人数は苦手などと言い訳を並べてその場から動こうとしない。まるで駄々をこねる子供のようだ。
「水銀燈もとっととくるです」
「そうだよ、みんな揃わないと始まらないよ」
「水銀燈はやくー。ヒナもうおなかぺこぺこなのー」
「長女のくせにみっともないかしらー」
 他のドール達が次々と水銀燈を呼ぶ。それを聞いて諦めたのか、「まったく、しょうがないわねぇ」とその場を動く。
 こうして会場となるジュンの家に、みんなが揃う。

341: 2008/07/02(水) 01:51:59.23 ID:GjxEHg9t0
「ねえジュン」
 真紅はにぎやかな玄関を見ながら言う。
「どうした?」
「私、今とても楽しいわ」
 その表情は確かに楽しそうで、ジュンはそれを見てほおを緩ませる。
「僕もだ。今夜はきっと凄いことになるぞ」
「こういう楽しい日々が、これからも続いていくのよね?」
 真紅の問い。それはまだ見ぬ未来を指している。未来のことは誰にもわからない。だがジュンはこう答える。
「ああ、続いていくよ」
「本当?」
「ああ、本当だ。僕達みんながこれだけ苦労して、手に入れた平穏なんだ」
 ジュンは雪華綺晶との戦いから今までの16年間を思い出す。この16年はもう取り戻せない。しかし、これから先はその16年間が無駄じゃなかったと思えるくらい楽しい日々が続く。ジュンはそう信じている。
 ジュンは自分の隣に立つ紅のドレスを纏った人形を見る。ジュンにとって世界で一番いとおしくて大切な人形。彼女の幸せそうな姿を見るだけで、ジュンは16年間頑張ってよかったと思えた。
「ねえジュン。ゲストがきたのだから私達ホストはちゃんとおもてなしをしなきゃいけないわ」
 その人形はジュンの顔を見上げて言う。

「ジュン。紅茶を入れて頂戴」

 ――END

342: 2008/07/02(水) 01:52:51.37 ID:QSQj3BOQ0

343: 2008/07/02(水) 01:53:14.20 ID:GjxEHg9t0
ここで蛇足なエピローグがはいります

349: 2008/07/02(水) 01:54:31.32 ID:GjxEHg9t0
エピローグ

「ごほっごほっ」と咳き込む音が部屋に響く。
 ベッドには1人の老人が寝ている。頬はこけており、今すぐにでも氏んでしまうのではないかと言うほどに弱って見える。
 すぐ横にあるテーブルには水の入ったコップと錠剤が盆に乗せられて置いてある。老人は病魔に犯されていた。
 その老人は上半身だけを起き上がらせると、枕元にある小さなボタンを押す。すると、鈴のような音が鳴り響く。どうやら別室にいる人を呼ぶためのもののようだ。
 しばらくして、コンコンというノックの音が鳴る。
「入ってくれ」
 老人はしわがれた声で扉の向こうにいる人に入室を許可する。
 ガチャと扉が開く。現われたのは紅のドレスを身にまとった少女。否、ドールだった。人間と見間違えてしまいそうなほど精巧に作られた身体。しかし、むき出しの球体関節がドールであることを認識させる。
「どうしたのジュン」
 そのドールは、少女のような外見とは裏腹に、落ち着き払った淑女のように、喋った。
「あら、また薬を飲んでいないのね。あれほど飲みなさいといったのに」
 ドールはテーブルの上にある手のつけられていない薬と水をみて、その老人を叱る。
「真紅、僕はもう先が短くない。飲む必要などないさ」
 ジュンと呼ばれた老人は、まるで自分の氏期がわかっているかのように言う。

351: 2008/07/02(水) 01:57:13.04 ID:GjxEHg9t0
「少しでも長生きしてもらわなきゃこっちが困るのよ。それで、何の用かしら?」
 真紅と呼ばれたドールは自分が呼び出された用件を聞く。
「大事な、話があるんだ」
「大事な、話?」
「ああ。まずは、他のドール達をみんなここに呼んで欲しい。雛苺、翠星石、蒼星石、水銀燈、金糸雀を」
 真紅の他にいるドール達の名前を、1人1人口にする。
「他のドール達にも聞かせなきゃいけないってことは、そうとう大事な話しなのね」
「特に翠星石と水銀燈、金糸雀。この3人は何があっても呼んでほしい」
「……? わかったわ。ちょっと時間がかかるかもしれないけど、呼んでくるわ。待っていて」
 真紅はそう言うと部屋を出て行く。ジュンはその姿を無言で見つめる。
「もう、この時がきたんだな」
 ジュンは1人、呟く。

352: 2008/07/02(水) 02:00:25.34 ID:GjxEHg9t0
 それから数時間後、全てのドール達がジュンの元へと集う。
「みんな、来てくれたか」
 ジュンの目の前にドール達が立っている。
「こうしてドール達が一斉に集まるのも久しぶりね。何年ぶりかしらね」
 真紅が他のドールを見回しながら言う。
「翠星石と真紅、蒼星石、チビ苺はずっとここで暮らしてたですけど、水銀燈なんかはかなり久しぶりですねぇ」
「まあねぇ。私はあなた達と違って集団じゃないと生きていけないような弱虫じゃないから」
「相変わらず口が悪いわね」
「なぁに? 本当のことを言ったまでよぉ」
 真紅と水銀燈の間で険悪なムードが流れる。他のドールは、やれやれといった様子でそれを見る。どうやらよくあることみたいだ。
「つまらない言い争いはそれくらいにして話を聞いてくれ」
 ジュンは2人を止める。
「ごめんなさいジュン」真紅と水銀燈は素直に謝る。

354: 2008/07/02(水) 02:04:21.89 ID:GjxEHg9t0
「この平穏が戻ってきてから、何十年も経った。気付けば僕も、80歳を超えてしまった」
 真紅達が戻ってきてから約50年。みんなが望んでいた平穏は、しっかりと続いていた。
「時が流れるにつれて、世界は変わっていく。僕の周りも、がらんと変わった」
 ジュンは切なげに窓から空を見上げる。
「最初に、めぐさんが長年戦い続けた病気で氏んでしまった」
 水銀燈はうつむく。約40年前のことだ。
「そして今度はみつさんが、過労氏でこの世を去った」
 金糸雀はぎゅっと口元を結ぶ。涙を堪えているのだろう。これは約35年前のことだ。
「柏葉、あいつも家族に看取られて、天へと上っていった」
 雛苺は目を伏せる。しかし、涙は流さない。これは5年前のこと。
「姉ちゃん、のりも孫に囲まれて、幸せそうに逝った」
 ジュンは目蓋を閉じる。肉親の氏は今でも辛いのだろう。これは去年のことだ。
「みんな、いなくなってしまった。そして、僕ももうすぐ、この世からいなくなる」
 その言葉で全員が息を呑む。ドール達はみんな分かっていた。だが、考えないようにしていた。
「だから、最後にやりのこしたことを、今ここで」
 そう言って1つの袋を取り出した。

357: 2008/07/02(水) 02:08:21.54 ID:GjxEHg9t0
「これを見てくれ」
 中身を取り出す。ジュンの手には光り輝く結晶。ローザミスティカだ。
「これは、ローザミスティカ……」
 真紅は息を呑む。
「そしてこれも見てくれ」
 また袋の中に手をいれ、もう1つの結晶を取り出す。さきほどのものよりは輝きが弱い。
「こっちは、僕達を助けた時に使った器だけのローザミスティカだね?」
「鋭いじゃないか蒼星石。その通りだ」
「でも、どうして今更そんなものを」
 蒼星石は尋ねる。
「これは、扉の向こうにいるであろう第7ドール用のものだ」
「っ!?」
 第7ドールという単語に全員が驚く。特に翠星石、水銀燈、金糸雀は他のドールよりも過剰な反応を示す。
「翠星石、水銀燈、金糸雀。お前達ならわかるだろう。雪華綺晶だ」
 雪華綺晶。ずっと昔、真紅達がいなくなった後の平穏を守るために、ジュン達が戦ったドール。
「僕は、ずっと考えていたんだ。彼女だけ蘇らせないのは不公平ではないのか」
「あいつはっ、みんなの平穏をぶちこわそうとしたんですよ! 不公平もなにも――」
「彼女も、アリスゲームをしただけなんだよ」

360: 2008/07/02(水) 02:12:24.20 ID:GjxEHg9t0
「っ……」
 翠星石は黙り込んでしまう。
「真紅達を呼び戻した後、僕は雪華綺晶のためのローザミスティカを作った。アストラル体なんてやっかいなものだったせいで苦労したよ。10年近くかかった」
 ジュンは手にある結晶を見る。
「作ったはいいが、本当に蘇らせるべきなのか。僕は悩んだよ。だって、彼女もまたローゼンに会いたいと願う1人の少女だったから。そう、お前達と同じだ」
「でも、蘇らせなかったのね?」水銀燈が言う。
「ああ。僕にはその判断ができなかった。する資格がないと思った」
「どういうことかしら?」金糸雀が問う。
「これはアリスゲーム、お前達の問題だ。本当だったらもっと早くにお前達に言いたかった。けれど、やっぱり僕はへたれみたいでさ。氏ぬ間際になってやっと言えた」
 自虐するようにジュンは笑う。
「このローザミスティカをお前達に託したい」
「私達に……?」
「そうだ。僕が氏ねば、お前達、特に真紅、翠星石、雛苺、蒼星石は今までと違った生き方をしていかなければならない」
「そうなるわね」真紅が答える。
「これを使って、雪華綺晶を蘇らせ、最初からアリスゲームをしてもいい。雪華綺晶を蘇らせずにアリスゲームをするのもいい。アリスゲームをせずに次の時代に行くのもいい。全てお前達の自由だ」
 ジュンはローザミスティカを差し出す。
「受け取ってくれるか?」
「……ええ」真紅が2個あるうちの片方を手に取る。「愛する人のお願いだもの。聞いてあげるわ」
「しょうがないわねぇ」水銀燈が残りの1個を手に取る。「あなたがジャンクになる前に、その願い聞いてあげる」
「他のみんなはいいのか……?」
 ジュンの問いに他のドール達も笑顔で頷く。
「そうか。よかった」
 ジュンは笑顔で言う。

362: 2008/07/02(水) 02:16:33.85 ID:GjxEHg9t0
「恐らく、お前達とこうして話すのは、これで最後になると思う」
 その言葉で、部屋に重い空気が流れる。
「だから2つ、お前達に言いたい事があるんだ」
 ドール達はジュンの顔を見る。その表情からはさきほどの笑みは消えていた。
「まず、謝らせてくれ。お前達に大変な決断をさせることを」
 みんながそれを、雪華綺晶のことだと理解する。
「本当に、申し訳ない」
 ジュンは深く頭を下げる。
「そして、お前達に礼を言わせてほしい」
 ジュンは目蓋を閉じる。頭の中に、ドール達と過ごした数十年の思い出が流れる。
「お前達がいたから、僕はただのひきこもりからここまで成長できた。こんな幸せな人生を送ることができた」

「ありがとう」

 もう一度、頭を下げる。
 誰も、何も言わない。だが、ジュンの言葉はドール達の心に届いた。

363: 2008/07/02(水) 02:19:34.88 ID:GjxEHg9t0
「今日はわざわざ集まってくれてありがとう。それじゃあな」
 最後だというのにあまりにも簡単な別れの挨拶。ドール達は部屋を後にしていく。そして、部屋にはジュン1人だけになる。
「最高の、人生だったなあ。まったく」
 窓を見上げる。気付けば日は暮れて、夜空に星が瞬く。
「今日に限って、こんなに星が見えるなんて。ついてるなぁ」
 小さな光がすうっと夜空を走る。
「流れ星か……」
 ジュンは一瞬の輝きを目に焼き付ける。
「もし輪廻転生というものがあるのなら。もし生まれ変われるのなら」
 もう遅いと分かっていながらも、ジュンはそれを口にする。
「また、あいつらと一緒に、暮らせますように」
 最後の呟き。
「また、会えますように」

星に、願いを――。

 ――END

364: 2008/07/02(水) 02:20:26.69 ID:YI5FK5k50
終わった…のか……?
感動したぜ

365: 2008/07/02(水) 02:20:30.27 ID:UjhgpuDs0

368: 2008/07/02(水) 02:21:28.07 ID:GjxEHg9t0
これで終わりです
こんな時間まで読んでくれた人。昨夜から保守してくれた人
みんなありがとう

369: 2008/07/02(水) 02:24:49.52 ID:GjxEHg9t0
真紅「ジュン聞いて……。私はもうじき、動かなくなるわ」 からこのスレまで
なんかシリーズっぽくなっちゃったけど、
この設定、世界観のSSはこれで完結です

もしかしたらまたここでローゼンのSSを書くかもしれません
その時も読んでいただけたら幸いです

引用: ローゼンメイデン 魂戻し編