694: 2011/08/08(月) 11:34:26.35 ID:rsGGGYgCo
前回:幼馴染「……童O、なの?」 男「」【中編】
ある日、祖父母の家に遊びにいくことにした。
暇は持て余していたし、親戚たちが帰ってくる盆までは日がある。
うちにいるよりも山に近い祖父母の家の方が涼めるのではないか、という考え。
裏の山を通ると、舗装された道路が丘沿いに進み、その左右には向日葵畑が開けている。
田舎、夏、という風景。
ちなみに舗装されていない山道を通って山頂に向かうともれなく虫に刺されたり筋肉痛になったりする。
ついてすぐ、犬を散歩に連れて行くように言われる。
暑いのに。
わざわざなぜ外に。
文句は黙殺され、結局、妹とふたりで‘はな’を連れて散歩をすることにした。
「暑い」
「暑いな」
適当に歩く。なだらかな傾斜に沿って丘を登る。車がぎりぎりすれ違えるような狭い道路、はみ出た木々。
太陽は疲れ知らずで、夏を延々と燃やし続けている。
台風でも来ればいいのに。
それはそれで蒸し暑いのだが。
695: 2011/08/08(月) 11:35:01.87 ID:rsGGGYgCo
丘を登り、向日葵畑の間を歩く。
子供の頃も、こうやって散歩をしたような。
向日葵はまだ咲いていなかった。満開ともなれば声を失うほど綺麗なのだが、あいにく今年は開花が遅い。
ぼんやり歩く。
リードを持った手がぐいぐいと引っ張られた。急ぐこともないので、力をこめて抑え、ゆっくりと進む。
丘を登りきってから引き返す。ふと横を歩く妹の顔を覗き見た。
別に何も考えてなさそうな表情。散歩なんてするのも久しぶりだ。
最近じゃコンビニかファミレスくらいまでしか歩かない。たまにはこういう時間も必要だろう。
祖父母の家に戻る。
昼寝がしたくなって座敷に寝転がる。祖母がタオルケットを出してくれた。子供の頃使った奴。懐かしい。
せっかくなので妹も誘ってみる。
「一緒に寝る?」
「なんで? 暑いのに」
「いいから」
強引に隣に寝かせる。タオルケットを共有する。天井。縁側から流れ込む風。風鈴の音。
「超落ち着く」
「私は落ち着かないけど」
感覚の違いがあるようだった。
696: 2011/08/08(月) 11:35:33.64 ID:rsGGGYgCo
「このタオルに一緒にくるまって、怖い話したこともあったな」
「あったっけ?」
「あったんだよ。そしたらおまえがすごく怯えて、夜中にトイレにいけなくなって」
「それはない」
「まぁそれはなかったけど、怖がってたのは本当」
「そうだったっけ」
「そうだった」
怪談とはいえ子供がするものなのだから、そこまで怖い話なわけがない。
それなのに、そもそも妹は聞こうとすらしなかったのだ。
懐かしい気分。
697: 2011/08/08(月) 11:36:00.53 ID:rsGGGYgCo
「おまえがお祭りでもらってきた風船を俺が割っちゃって、わんわん泣かれたこともあったな」
「それは覚えてる。私が買ってもらったお菓子を半分以上食べられたりとか」
「嫌なことだけ覚えてるんだな」
そう考えると、あまり嫌な思いをさせるわけにもいかないと思う。
昔の話をしてみると、忘れていたことを結構思い出したりもした。
自分では覚えているつもりだった記憶も、妹の記憶と比べてみると齟齬があったりする。
なんとなく物思いに耽る。
夏と田舎は人をノスタルジックな気分にさせるのです。
しばらく黙っていると、いつのまにか妹は眠ってしまったようだった。
俺だけ起きててもしかたないので、瞼を閉じて眠ろうとする。
気付くと、起きているのか寝ているのか自分でも分からないような状態になっていた。
しばらくまどろみの中で溺れる。眠っている、という感覚。
698: 2011/08/08(月) 11:36:26.90 ID:rsGGGYgCo
目が覚めたとき、だいぶ時間が経っていたような気がしたが、実際には三十分と経っていなかった。
それなのに、少し疲れが取れたような気がする。
こういうときは少しうれしい。
ふと見ると、妹は隣ですやすやと寝息を立てていた。
落ち着く。
普通の兄妹って、こういうことしたりするのかな、と思う。
するかもしれないし、しないかもしれない。よく分からない。
考えてみれば、俺と妹はふたりきりでいる時間が長すぎたのだ。
祖父母と一緒に暮らしていた頃は、料理も出たし面倒も見てもらえた。
それでも両親がいないのは寂しかった。
家に戻って暮らすようになると、今度は自分たちのことは自分たちでやらなければならない。
本来なら、母の仕事が落ち着いてきて、子供の様子を見れるから、という理由で家に戻ったはずだった。
一年を過ぎた頃に、ふたたび母の仕事が忙しくなった。
たぶん、人生でいちばん、毎日楽しくて仕方なかった時期だった。
それ以前も以降も、寂しかったり忙しかったり落ち着かなかったりで大変だったし、今だってやることが増えて大変だ。
多少、余裕は出てきたけれど。
699: 2011/08/08(月) 11:37:04.15 ID:rsGGGYgCo
年上だからという理由で、祖母は俺に家事を仕込んだ。自然な考えだと思う。
そこから少しずつ、俺が妹に教える。祖母に協力してもらいながら。
一通りの家事を祖母の手伝いなしでこなせるようになる頃には、兄妹で協力しあうという考えはごく自然に身についていた。
協力することを自然に思っているからか、あるいは両親がいない時間が多いからか。
そのどちらのせいかは分からないけれど、どうやら他の人間からみると、俺と妹の距離は普通より近いらしい。
実際、今になって思えばたしかに普通ではない、と思うようなことは多々ある。
妹が小学校高学年になる前くらいまで、一緒に風呂に入ったりしていたし。一緒に寝てたし(1、2年前まで)。
一緒に風呂に入っていたのは、祖母が俺たちをまとめて風呂に入れたから。
一緒に寝ることが多かったのは、祖父母の家では全員が同じ場所で寝ていたからだ。
でも、いつのまにかそういうことはなくなった。たぶんそういうものだからだろう。距離はとれるようになっていく。
それなのに、なんとなく、未だに、どこかで距離を測りかねている。
油断すると、距離が詰まりそうになる。
それが普通ではない、と、いつのまにか知ったから距離をとるようになっただけで。
距離を測りかねている。
たまに、困る。
700: 2011/08/08(月) 11:37:31.16 ID:rsGGGYgCo
そういうときに助かったのか幼馴染の存在だった。
子供の頃からユリコさんと一緒にうちに来て、俺たちと遊んだ。
彼女は「ふつう」の基準を教えてくれる。どこがおかしくて、どこが間違っているかをはっきりとさせてくれる。
とはいえ、幼馴染にも男兄弟はいないから、そのあたりは適当だったりしたのだが。
自分たち兄妹以外の誰かがそばにいるというのは、上手な距離のとり方を把握していくのに一役買った。
結果的に余計混迷とした気がするけど。
なぜか幼馴染まで一緒に風呂に入りたがったり、一緒に寝たがったり。
小学に入って少しした頃には、多少の分別がついて、幼馴染と入るときは水着を着てたりもした。そういうこともある。
それが妹との関係に適応されたかどうかを考えると、微妙なところだ。
いろいろがんばってはみたけれど。
いまさら、「普通の兄妹の距離感」を手に入れるには、ふたりきりでいる時間があまりに長すぎた。
もやもやする。
困る。
妹なのに。
でもまぁ、考えても仕方のないことではある。
701: 2011/08/08(月) 11:37:58.26 ID:rsGGGYgCo
起き上がって祖父母が休んでいる居間へと戻る。昼時らしかった。
「出前取ろうと思うんだけど、何がいい?」
チャーハンとラーメンくらいしか選択肢がない。ラーメンは多彩。チャーハンは大盛りが有効。
「チャーハンとラーメン一個ずつ」
「妹は?」
「寝てる。どっちか分からないから、一個ずつ」
「はいはい」
出前が届いてから、妹を起こした。四人で一緒に食事を取る。
妹がラーメンを選んだので、俺はチャーハンを食べた。
「ちょっとちょうだい」
要求される。食べさせた。
「俺にもくれ」
分けてもらう。
よくあること。
702: 2011/08/08(月) 11:38:38.28 ID:rsGGGYgCo
夕方頃に、祖父に送られて家に帰る。泊まっていけとも言われたけれど、やめておいた。
家に帰ってから、なんとなく手持ち無沙汰になってぶらぶらと散歩をすることにした。
妹もついてきた。一緒になって歩く。ちょっと遠くまで。
しばらく歩くと堤防があって、一級河川と書かれた看板が立っている。
でかい川。前、幼馴染と一緒にここにきて、浅いところで遊んだ。
「台風、近付いてるらしいよ」
不意に妹が言った。
「また?」
この間もそんなことを言っていた。結局逸れていったけれど、今度はどうだろう。
家に帰ってから、簡単なもので夕食を作った。
料理は妹に任せる。その間風呂掃除を済ませて、お湯を張っておく。
余った時間で課題を進める。もうほとんど終わっていた。
部活動の日程を確認する。あと三回ほどしか活動はなかった。
夕食の後、映画を見ようとして、祖父にDVDを返し忘れたことに気付く。今度また、いかなくてはならない。
703: 2011/08/08(月) 11:39:08.45 ID:rsGGGYgCo
翌日、暴風警報だか強風警報だか大雨警報だかが出た。
にもかかわらず、幼馴染とタクミの二人も、三姉妹も、なぜか俺の家にやってきた。
「風、強いなぁ、とは思ってたんですけど」
後輩がぼそりと呟いた。
「台風とは知らなかったなぁ」
「テレビくらい見ろよ」
「夏休みのテレビなんてアニメの再放送スペシャルくらいしか見ないっす」
それもそうかもしれない。
強い雨が窓を叩いていた。風が木々をしならせている。
とてもじゃないが外に出れる天気じゃない。
「帰りどうすんの?」
「まぁ、たぶんなんとかなりますよ」
そういいながら三姉妹も幼馴染たちも、勢いが弱まったタイミングを無視し、完全に帰るタイミングを逸した。
タクミとるーのテンションがやたらと高い。分かる。台風とか超ワクワクする。
704: 2011/08/08(月) 11:39:35.31 ID:rsGGGYgCo
「いざとなったら、泊まっていいですか?」
「おまえそれ最初から狙ってたろ」
言動とか、どう考えても面白おかしく騒ぎたくてやってきたようにしか思えない。
けれど実際、夕方を過ぎても、台風も勢いを弱めなかった。すごい雨。
テレビをつけると、川が増水して洪水の恐れがあると言っていた。恐ろしい。
車で迎えでも頼まないと帰るのは難しそうだ。
後輩は夕方頃に家に電話して、外泊の許可を取ったらしい。恐ろしい行動力。
タクミと幼馴染は無理をすれば帰れなくはないが、便乗してうちに泊まりたいらしい。
もうどっかに集まってお泊りしたいだけにしか見えません。
仕方ない。
とりあえず普段使っていない和室をあけて、押入れにしまってあった敷布団を敷く。
人数分はなかったので雑魚寝してもらうことにした。この間と同じだし問題ないだろう。
俺は自分の部屋に寝るからいいとして、妹も和室で寝たがった。
狭くはなるが無理ではない。女に囲まれて寝ることのできるタクミが羨ましくてたまらない。
夜になると妹、幼馴染、後輩がキッチンに立った。やっぱりもともと計画していたんじゃないだろうか。
というか、やけに多い荷物とか、よくよく考えるとおかしな点がいくつかある。
そういえば冷蔵庫の中に、普段より圧倒的に多い量の食材が用意されていた。
共犯か。妹を見る。目をそらされる。こいつだ。
705: 2011/08/08(月) 11:40:02.03 ID:rsGGGYgCo
食事をしてから、全員で集まって騒ぐ。
ゲームする。話をする。遊ぶ。
順々に風呂に入って、早々に寝床へと向かう。
俺以外。
一人でリビングに取り残される。廊下から聞こえてくる話し声。楽しそう。
置いてけぼりの気持ち。
でも、参加するのもまずい。いろいろ。湯上り、布団、雑魚寝。
なぜだか気分が落ち着かない。
仕方ないので冷蔵庫に入っていたチューハイを出す。缶一本。
俺は酒を飲むと工口いことを考えられなくなる体質をしている(バーベキューのときも何もしていないと信じている)。
ちびちびとチューハイを飲んでいると、少しずつ話し声が静かになっていく。
時計の針を見ると八時を過ぎていた。そろそろタクミやるーは寝た頃だろうか。
少しして、屋上さんがリビングにやってきた。
706: 2011/08/08(月) 11:40:32.70 ID:rsGGGYgCo
「どうしたの?」
「落ち着かなくて」
落ち着かないらしい。それはそうだ。俺だって落ち着かない。意味が分からない。唐突だし。
寝巻きは妹のものを貸そうとしたが、サイズが合わなかった。
るーや後輩のものはどうにかなった。幼馴染に関しても。
屋上さんだけは合うものがなく、結果的に俺のシャツとジャージを貸すことにした。
おかげでなんか薄着。
でも酒を飲んだ俺は無敵だった。
「屋上さん」
「なに?」
「一緒に寝ようか」
「……いっぺん氏ねば」
久しぶりにその言葉を訊いて、なんとなく安心する。
彼女は椅子に腰掛けて周囲をせわしなく眺めた。
707: 2011/08/08(月) 11:41:17.00 ID:rsGGGYgCo
いい機会なので、前から気になっていた疑問をぶつけることにする。
「屋上さんって、どこの中学に通ってたの?」
「遠く」
と彼女はすぐに答えた。
「中学の頃は別の街に住んでたから」
「へえ」
と俺は相槌を打った。でも、後輩はこの街に住んでいた。変なの。
後輩の言葉を思い出す。家庭の事情。
難しい。
屋上さんはしばらくリビングで休んでいた。麦茶を出す。飲む。休む。まったりする。
「暑い」
思わず呟くと、屋上さんは「うん」と頷いた。
よく分からない。距離感が。
708: 2011/08/08(月) 11:42:08.78 ID:rsGGGYgCo
その夜、また、変な夢をみた。
夢の中で俺は教室にいた。机をはさんだ正面に、メデューサが座っている。
「それで、君は」
彼女は神妙そうな表情で口を開いた。
「こう言うわけね。つまり、ハーレムを築きたいと」
「いえ、その言い方だと語弊があります。俺はですね、みんなと仲良くやれたらなぁと」
「あわよくば全員と淫らな関係を持ちたいと」
「そんな童Oの妄想みたいなこと考えてません」
「ほんとに?」
「ちょっと考えました」
男の子ですから。
「救いがたい童Oね」
メデューサは静かに溜息をついた。
709: 2011/08/08(月) 11:42:40.84 ID:rsGGGYgCo
「貴方の悩みを分かりやすく解決する手段があるわ」
「なんでしょう」
夢の中のメデューサはどこか妖しげな雰囲気があった。
俺は彼女の言葉の続きを、固唾を呑んで待つ。
「二股をかければいいのよ」
「最悪だ!」
できれば絶対にしたくない行為だった。
「妹さんは妹なわけで、ほっといても一緒にいるでしょ。あとは二人、他の女性と付き合えばいいのよ。三人もいれば、まぁハーレムじゃない?」
「なぜ妹がハーレムに入るのかが謎なのですが」
「だってアンタ、妹のこと好きでしょ」
「え?」
「ぶっちゃけ、好きでしょ?」
何言ってんだこいつ。
710: 2011/08/08(月) 11:43:10.00 ID:rsGGGYgCo
「大丈夫大丈夫。なんとかなるって。アンタ、愛してるの響きだけで強くなれちゃうタイプだから」
「それ、暗に童Oだってバカにしてますよね?」
「別にそんなことないわ」
素直に話を聞くのがバカらしくなって立ち上がる。教室から出るとき、うしろからメデューサが声を掛けてきた。
「相談料、億千万円」
小学生かよ。
俺は廊下に出てから周囲の様子を見る。隣の教室から、なんだかすごそうなオーラが漂っていた。
クラス表記のプレートには、「なおとの館」と書かれていた。彼に相談してみるのも悪くないだろう。
教室に入ってすぐ、窓際の席に座りアンニュイな表情を浮かべているなおとを見つける。
俺は彼の隣の席に腰掛けた。
「どうした、若人よ」
夢の中で彼はオッサンチックな口調になっていた。
俺は真剣に相談した。
「恋に悩んでいるのです」
「おまえ、考えすぎるタイプだもんなぁ」
なぜか見透かされていた。
まったくその通りです。
711: 2011/08/08(月) 11:43:52.88 ID:rsGGGYgCo
「で、誰なん、誰が好きなん? 歳は? 相手の年収は?」
オッサンからオバサンになったが、ツッコんでもしかたないので無視する。
「三人」
「三人。三人か」
「……三人?」
自分で言っておいて、なんで三人なのか分からなくなる。
幼馴染、妹、屋上さん。
三人。
「なぜ妹がハーレムに入るのか分からない」とかいいながら、しっかり妹をカウントしていた。
俺はあほです。
「難しいな、三人は」
いや、難しいとか以前に、倫理的にないと思うのだが。
いろいろ。
「でも、可能ならハーレム作りたいだろ?」
作りたいけど。
でもそういう問題じゃなく、自分の姿勢として、それはよくないと思う。
712: 2011/08/08(月) 11:44:37.56 ID:rsGGGYgCo
「なんだかんだで、うやむやにしたまま女に囲まれていたいわけだ」
「やめて言わないで」
本音を突付かれた。
居心地が良すぎるのです。
「あわよくばいい思いもしたいと」
なおとは言葉を区切った。
「最低だな」
最低だった。
「そんな貴方に朗報です」
急に営業っぽい口調になる。
どこぞの通販番組みたいだ。
「ハーレムルートが開放されました」
「何ギャルゲーみたいなこと言ってんだ」
真面目に相談した俺がバカみたいだ。
713: 2011/08/08(月) 11:45:15.77 ID:rsGGGYgCo
「だいたいさ、悩むことがおかしくね? おまえ」
なおとは急に荒っぽい口調になった。
「おかしいって?」
「なんかさ、『女の子がいっぱいいすぎて誰かひとりなんて選べないよー』みたいなこと言ってるけどさ」
語弊があるが、まぁだいたい正しい。
「ぶっちゃけ、誰もおまえのこと好きだなんて言ってないじゃん」
「そういえばそうだ」
急に冷静になる。
「別に告白されたわけでもないし、おまえだって誰かと恋人になりたいってわけでもないんだろ?」
「うん、まぁ」
「だったら今のままでいいじゃん」
「うん。……うん? そうか?」
納得できるような、できないような。
714: 2011/08/08(月) 11:45:49.37 ID:rsGGGYgCo
「とりあえず、今はこのままでいいんじゃねえの? そのうち女の子たちにも彼氏ができて、おまえはひと夏の淡い思い出を手に入れる。
あんまり想像したくないことだ。
でも、実際、そうなるのが普通だ。
置いてけぼりになる。自然と。
二兎追うものは一兎を得ず。
「そうだな、このまま居心地のいい空気を楽しんでおくといい。何年かあとには傍には誰もいないわけだ」
なおとは嫌な感じに笑った。憫笑。
「そんな殺生な」
「どこが殺生なものか。この浮気者。貴様はいったい誰が好きなんだ」
「そんなことを訊かれましても」
「ちやほやされるのが気持ちいいだけだろう!」
「ちやほやされてないです」
「されてないっけ?」
「されてないです」
されてなかった。
715: 2011/08/08(月) 11:46:31.54 ID:rsGGGYgCo
「まぁとにかく、どうせ長くは続かないんだから、今のうちにいい思いしとけってことだ」
なおとが話を終わらせた。
そんなことを言われても困る。
考えても仕方ない。が、なんかこう、あるだろう。
不安みたいなものが。
なおとが嫌な感じに笑う。
いつのまにか現れた先輩が、俺の方を見てにっこりと笑った。
「じゃあ、彼女は僕がもらっていくから」
幼馴染がさらわれる。
どうしたものか。
ひとりを選べないなら、自分のところにつなぎ止める権利などないわけで。
本当にこうなったとしても文句はいえないわけで。
だが感情的なことを言わせてもらえるなら。
ひとりじめしたい。
最低の発想だった。
その晩俺はひどくうなされていたらしい。
意識がはっきりしたあとも、起き上がることはなかなかできなかった。
目を覚ますと誰もいなくなっていたりするんじゃないかな、と思うと、どうしても目を開けるのが怖い。
置いてけぼりの気持ち。
それでもとにかく目を開ける。
716: 2011/08/08(月) 11:46:58.22 ID:rsGGGYgCo
と、なんか人がいた。
最初に目に入ったのは幼馴染だった。
その少しうしろに、妹と屋上さんが並んで立っている。
「……なにやってんの?」
部屋に侵入された挙句、寝姿を観察されてたっぽい。
「起こしにきたらうなされてたから」
幼馴染が答える。たしかにひどい悪夢だった。
とにかく起き上がる。三人は硬直していた。
「……なに? 寝言でも言ってた?」
三人はそろって首を横に振った。
なんだろう、と思って、気付く。
717: 2011/08/08(月) 11:48:00.57 ID:rsGGGYgCo
時間は朝。
季節は夏。
寝相が悪いと、タオルはすぐ落ちる。
薄着だから、いろいろ見られる。
察される。
お約束だった。
「先輩、起きましたか?」
後輩がドアの向こうから現れる。るーも一緒にやってきた。
……えー。
「とりあえず、出て行ってください。全員」
追い出した。
ベッドから起き上がって伸びをする。
服を適当に選んで着替えた。
それが終わる頃には、夢の内容は思い出せなくなっていた。
760: 2011/08/09(火) 12:00:34.05 ID:IGAQdTino
恋は唐突なものだとよく言うけれど、大抵の場合は恋心に気付く瞬間が唐突なだけだ。
恋自体は既に存在する、という場合が多い。
そんなようなことを誰かから聞かされたことがある。
たぶん、小学校の頃ひそかに憧れていた近所のサチ姉ちゃんだ。当時十六歳。
今は二十三歳くらいだろうか。まだまだ若い。
美人で綺麗で黒髪ロングヘアだった。
男が好きそうな仕草をわざと選んだりしていて、自分の可愛さを分かってる感じがあった。
黒髪ロングヘアも狙っていたところがありそうだったが、かといってそのことが男の気持ちを醒ましたかというとそうではない。
むしろ学校では人気があったらしい。
県内でも有数のバカ高校に通っていた彼女の周囲にいる女と言えば、茶髪、マスカラ、ピアス、煙草、酒好き。
あるいは、陰気、野暮眼鏡、オタ女、腐女子(特に最後の種族は机の中に男子を必頃する薄い本を保管している)。
好きになろうとするなら数週間にわたるコミュニケーションが必要になるタイプが多かった。
そんな中、多少あざとくは見えても、男子から見ても「可愛い」女子であるサチ姉ちゃんはまさに掃き溜めに鶴。
女に縁がない男たちが亀の頭をもたげて鶴たる彼女に求愛した。後に言う鶴亀合戦である(てきとう)。
761: 2011/08/09(火) 12:01:14.67 ID:IGAQdTino
そんな彼女に俺が夢を見れていた時間は、一週間もなかった。
サチ姉ちゃんは俺を、薬局の入り口に置いてあるカエルの置物か何かと勘違いしていたらしい。
いわば愚痴聞き機。腹を割った付き合いといえば聞こえはいいが、大概の本音なんて聞くに堪えない。
たまに帰り道で見かけたとき、彼女はクラスメイトと思しき男子(茶髪・雰囲気イケメン)を連れていたことがあった。
その次にサチ姉ちゃんと会ったとき、俺はその男子に対する文句や愚痴を延々と聞かされるのである。
息が臭いとか髪が長くてうっとうしいとか自意識過剰で気持ち悪いとか勘違い野郎とかそういう類の言動を。
夕方に公園のブランコにまたがって、日が暮れるまで。
子供だった俺には彼女の気持ちなんてろくに分からず、
「そんなに嫌なら、はっきり嫌だって言えばいいんじゃないの?」
と、突き放そうとしたことも一度や二度じゃない。
そのたびにサチ姉ちゃんは、
「歳をとったら君にも分かる」
少し強張った声でそう語った。
762: 2011/08/09(火) 12:01:40.00 ID:IGAQdTino
たしか、あれは暑い夏の日のことだったと思う。その日の彼女の言葉がやけに印象に残ったのだ。
「だいたいさ、おかしいのよ。ぶりっ子ぶりっ子って、ぶりっ子のどこが悪いのよ」
彼女は心底不満そうに毒づいた。
「どうせ人と関わりあっていかなくちゃならないんだから、嫌われるより好かれたほうが都合いいじゃない!」
魂の叫びだった。
男を舐め腐ったような安い上目遣いにも、彼女なりの理念があったのだな、と考えさせられた。
「可愛く見せて何が悪いっつーのよ! 何の努力してないよりマシでしょ!? むしろ努力しないで彼氏欲しいとか言ってる奴はどんだけ自分に自信があんのよ!」
その言葉だけはやけに俺の心を打った。
自分をよく見せようとするのも、理にかなったことなのかもしれないな、と。
そう思えば、身だしなみを整えたり、髪形を気に掛けたり、やけに鏡を確認したりするのも、自然に思えた。
単なるナルシズムではなく、自分に自信がないことの表れだったのかもしれない。
今でも数ヶ月に一回くらい、サチ姉ちゃんと街で遭遇することがある。
近所にある寂れたコーヒーショップに入って、気取った古臭い環境音楽をバックに、彼女の愚痴を聞かされる。
そして彼女は、いつも最後に、「ごめんね」「ありがとう」と二つの言葉を並べる。
たぶんそれが彼女なりの礼儀なのだろう。
なぜこんなことを今思い返しているかと言うと。
ひょっとしてこれが恋か? 的な感情が俺の胸の中で急激に膨らみ始めたからである。
763: 2011/08/09(火) 12:02:32.03 ID:IGAQdTino
三姉妹と幼馴染とタクミが我が家に泊まった翌日のこと。
雨はまだぽつぽつと降り続いていたけれど、風はだいぶ弱くなった。
それでも誰も家には帰ろうとせず、ただ時間が流れるのに任せて、取り留めのない話を続けている。
気持ちは分かる。
泊まりの翌日の寂しさ。
友達の家に泊まったことがないのでそんな気持ちは分からないけれど。
なんとなく想像はつく。
だから、あんまり急かすことはないだろうと考えていた。
のだが。
一晩泊まって怖いものなしになったのか、皆が我が家に馴染んだようで、やたら無防備になっていた。
くわえて、雨のせいで窓が開けられず、蒸し暑い。おかげでみんな薄着。
正直目のやり場に困る。
るーは薄着すぎて、ちょっと動くたびに見えてはいけない部分が見えそうになった。
小学生相手なのでさすがに困ったことにはならないが、それでも動揺はしてしまう(童Oだから)。
後輩はさすがにしっかりとしていて、姿勢や服装が乱れることはなく、むしろ周囲を諌める立場だった。
それを残念に感じてしまうあたり、俺という人間の低俗さがよく分かる。氏ねばいいのに。
764: 2011/08/09(火) 12:03:07.40 ID:IGAQdTino
幼馴染と妹は服装からしてアウトだった。ノースリーブ。その時点でなんかもう挑発してるんじゃないかって気になる。性癖。
幼馴染は暑さに耐えられなくなったようで、髪を結んだ。
正面にいたため、腋が見える。
何かに目覚めそうになる。
マエストロが腋とか膝裏とか騒いでたことを思い出した。これか。
髪を結ぶと今度はうなじが見える。
女って怖い。魔性。
妹はみんなにお茶を出したりしていた(なぜか熱いお茶を飲みたくなって、みんなにも入れた。暑い中で飲むと意外に美味い)。
よく動くせいで、服があんなことやこんなことになる。
具体的に言えば、屈んだ拍子に胸元から下着が見えたりする(が、毎年のことではある)。
工口ス的な意味ではなく、背徳感から心臓が揺さぶられる。
意外な成長が垣間見えたりするのも、それに一役買っていた(気付くと意識させられる)。
屋上さんはというと、特に動くわけでもなく、ソファに座っている。
疲れたのは、あるいは気を回すのが馬鹿らしくなったかは分からないが、彼女は昨日寝たときと同じ格好をしていた。
シャツ、ジャージ。
ジャージのハーフパンツって、なんというか、こう、一種の魔力を持っていて。
しかも、彼女の姿勢がその魔力を強めた。
体育座りというか三角座りというかはどうでもいいが、それに近い座り方をしている。
実際に見てみると分かるものの、正面からだとやたら太腿がまぶしい。
こうしていろいろ考えると、なんだか嫌な方面でばかり自分が大人になっていくのを感じる。実質的にはまだまだ子供なのに。
とにかく、そんな光景がリビングの至るところで繰り広げられるわけで。
やたらと胸がときめく。どきどきする。
これが恋か、と微妙に納得した。
なんだろう、この、もどかしいような心地良いような気恥ずかしいような感覚は。
恋です。
765: 2011/08/09(火) 12:04:11.48 ID:IGAQdTino
雨が止んだので、コンビニにジュースを買いにいくことにした。
一人で行こうと思っていたら、屋上さんがついてくる。
「……その格好で?」
「ダメかな」
ダメじゃないけど、それじゃほとんど寝巻きです。
仕方ないので俺のジーンズを貸して着替えさせた。
「なんか服借りてばっか」
「なんかまずいですか」
「着心地悪くないし、別にいいよ。ていうか、お礼言う側だし、私」
最近、屋上さんの態度が微妙に軟化している気がする。
言動が優しくなってる。
最初はあんなに無愛想だったのに。
まさかただの人見知りだったとか。
微妙になつかれてしまった感がある。
猫的な。
家を出るとき時計を見ると、まだ九時にもなっていなかった。
いつの間にか雨は上がっていた。灰色の雲が裂けて、太陽の光が遠くに差し込んでいる。
天使の梯子。何かの本で読んだ。
幻想的ではあるのだけれど。
ふとした瞬間に目の当たりにすると、少し寂しい気持ちにさせられる。
それは綺麗というより、悲しげで、示唆的だ。儚さの。だからあんまり好きじゃない。
766: 2011/08/09(火) 12:04:51.65 ID:IGAQdTino
コンビニを目指す途中で、屋上さんは不意に足を止めた。どうしたのかと視線の先を追うと、公園がある。
「どうしたの?」
「いや、うん」
昔ここで遊んだな、って。屋上さんはそう言った。
「え?」
「え?」
「昔って、いつの話?」
「……小学校入るまえだから、四、五歳の頃だと思うけど」
「四、五歳の頃?」
その頃なら、俺と幼馴染もここに来て遊んでいたはずだ。
ひょっとして、と思う。
まさか、と思う。
記憶がおぼろげで思い出せない頃だから、とても困る。
確信がもてない。
祖父母の家に預けられていたのが、三、四歳の頃。
五歳の頃には母が面倒を見ていた。
俺は母に連れられて、幼馴染や妹と一緒にこの公園に来ていた。
そこで、屋上さんに会ったことはなかっただろうか?
――三度。
見知らぬ女の子と一緒に遊んだ記憶があるような。
何をして遊んだかはよく覚えていないけど、たしか、結構仲良くなって、そして、ある日、来なくなった。
767: 2011/08/09(火) 12:05:16.91 ID:IGAQdTino
「屋上さん、小学校はどこだったの?」
「親戚の家から」
彼女はそこで一拍置いた。
「小一から中三まで、親戚の家」
その答えを聞いて、少しのあいだ考え込んだ。
そして驚愕する。九年間。
俺はそれまで考えていたことを横において、その年数に愕然とした。
「その頃、るー、生まれたばっかりじゃん」
「あー、うん」
彼女は困ったみたいに笑った。
「実は、また一緒に暮らすようになったのも、今年の頭からだから」
その言葉で、自分が馬鹿な質問をしたことに気付いた。
いつのまにか踏み込んでいた。我を忘れて、距離をとるのを忘れていた。
失敗した。
謝ろうかと思って、やめる。そうするのが嫌だったからだ。
俺を落ち込ませようとか、謝ってほしいからとか、そういった理由で彼女は質問に答えたのではない。
謝ってしまうのは、とても身勝手に思えた。
そもそも質問自体が身勝手だったのだけれど。
あまり暗くなってもしかたない。
もう何も訊かないことにして、自分の中の感情に区切りをつけた。
俺は失敗もするし嘘もつくけれど、できるかぎり失敗しないように努力しているし、嘘をつかないでいようと思っている。
一度した失敗は二度と繰り返さないように努力する。それでも失敗することもあるけれど、そのときはさらに注意する。
そういうふうにありたいと思っている。
馬鹿らしいかもしれないけど。
768: 2011/08/09(火) 12:05:45.62 ID:IGAQdTino
似たようなことを繰り返さないように心に留めながら、考える。
気付くと歩調がずれはじめていて、彼女は俺の少し先を歩いていた。
「ねえ」
声をかけると、屋上さんは不思議そうな顔で振り返った。
「俺と結婚の約束ってした?」
まさかな、と思いながら訊く。
声が微妙に震えているのは、気のせいだと信じたい。
「約束はしてないけど、申し込まれた」
「いつ?」
「こないだ」
「……バーベキューのときですか?」
「うん」
まぁそうだよな、と納得する。
さすがにそんな少女漫画みたいな展開はない。
まさか、そんな、ねえ?
769: 2011/08/09(火) 12:06:19.93 ID:IGAQdTino
それに。
そんな約束、もししてたとしても、今となっては時効なわけで。
いつまでも気にする方が馬鹿げてる。
誰も覚えてないことだし。
うん。
「でも、そういえば」
屋上さんは言葉をつないだ。
「子供の頃、公園で、近所の男の子と、そんな話をしたような」
……まさか、そんな、ねえ?
でも。
この近所、俺たち以外には同年代があんまり住んでないんですけど。
770: 2011/08/09(火) 12:06:52.03 ID:IGAQdTino
コンビニで買ってきたアイスをみんなに配る。るーとタクミはひとつのアイスを取り合って喧嘩していた。
最終的に分け合うことになったらしい。素敵な話。泣けてくる。
椅子に座って買ってきたジュースを飲む。後輩が話しかけてきた。
「ちい姉と、何話してきたんですか?」
「何って、結婚の約束の話だけど」
俺は正直に話した。
「まじで?」
後輩の言葉から敬語が取れた。
俺には聞き返される意味が分からない。
「マジでも何も」
そのままの意味です。
771: 2011/08/09(火) 12:08:01.15 ID:IGAQdTino
「兄さん」
妹に呼びかけられる。なぜか呼び方が普段と違う。
「その言い方は語弊があると思います」
なぜか敬語がついていた。
「正確に言ってみてよ」
「……屋上さんが、子供の頃、近所の男の子と結婚の約束をしたことがあるそうな」
へえ、と後輩は感心したように頷いた。
なんだったんだ、さっきの態度は。
「現実にあるんですね、そういうの」
え、ないの?
――とはさすがに言えず。
「あるみたいだね」
他人事のように返すことしかできなかった。
772: 2011/08/09(火) 12:09:03.47 ID:IGAQdTino
「私たちもあるしね」
妹が不意に言った。
「誰と?」
「お兄ちゃん」
「……まじで?」
「まじで」
まじでか。後輩がからから笑っていた。どう反応すればいいか分からない。
「お嫁さんにしてくれるって言った」
「言ったっけ」
「言ったのです」
子供の頃の俺っていったい何者だったんだろう。
深く考える気にはなれなかった。
773: 2011/08/09(火) 12:09:48.94 ID:IGAQdTino
だらだら過ごしても仕方ないので、昼過ぎに出かけることになった。といっても、またファミレスなのだが。
全員で座る。七名。大人数向けの席に案内された。
注文を済ませる。家の中にいると忘れそうになるが、外に出ると夏を感じる。
夏休みも、半分近く消化した。そこそこ充実した毎日だったんじゃないだろうか。
課題も終わらせたし、憂いはない。
後は遊ぶだけなのだが、最近は遊びに行くというよりも、みんなでがやがや騒いでいるばかりだ。
というか、だいたいのイベントは消化してしまったため、何をして遊べばいいか分からない。
残っている目ぼしいイベントなんて、夏祭りくらいしかなかった。
どこにいたって、七人もいると、話に入れない奴は出てくる。
俺だ。
幼馴染、妹、屋上さん、後輩、るー、タクミ。
それぞれ二つぐらいに分かれて話をしている。
混ざろうと思えば混ざれなくはない、が、なんとなく憚られる。
仕方なくドリンクバーに立った。どれにしようかと悩んでいると、肩を叩かれる。
振り返ると茶髪がいた。
「よう」
声を掛けられる。
「よう」
驚きながらも返事をする。
茶髪の後ろには、部長もいた。
ホントに仲いいんだ、この人たち。
774: 2011/08/09(火) 12:10:41.76 ID:IGAQdTino
せっかくなので一緒するかと思って、席に連れていく。
追加注文。昼時の忙しい中、店員さんには申し訳ないことをした。
「なに? この人数」
茶髪はまず最初にそこに触れた。七人。子供二人、女四人、男一人。そりゃあ戸惑う。
「この女たらし」
不本意なあだ名をつけられた。
茶髪と久しぶりに話をすると、なんだかひどく落ち着く。
部長はメロンソーダをすすりながら俺と茶髪の話を聞いて、時折口を挟んだ。
話の内容はもっぱら会わなかった間のことで、どんなことがあったのかとかを互いに話した。
茶髪はろくに出かけなかったし、ろくに課題もしていない、と言う。
彼女は自分がバーベキューに誘われなかったことにひどく憤っていた。たしかに好きそうだけど。
部長の方もほとんど同じだったようだ。とはいえ、勉強などは忙しかったらしいが。
食事を終えてさあ帰るか、となったとき、彼女ら二人も俺の家に来ると言い出す。
……九人。
多ければいいってもんじゃない、と俺は思う。
775: 2011/08/09(火) 12:11:31.39 ID:IGAQdTino
結局その日は夕方まで騒いだ。
遊んだり喚いたりしながら時間を過ごし、帰るときにはみんな疲れきっていた。
夜、数日後に夏祭りが迫っていることを思い出す。
期間は三日間。それが終わると、今度は隣街で大きな祭りがある。
全部行く気にはなれないが、それだけ続くとなると気分が盛り上がるのも仕方ないだろう。
少しだけ楽しみだったけど、今のところ誰とも約束はしなかった。
今のままなら、たぶん、みんなで集まることになるだろうけど。
それを思うと、少しだけ気分が楽になる。次がある、というのは、ある種の安心を産む。
その夜はひどく蒸し暑く、夜中に何度も目が覚めた。起きるたびにキッチンに行って水を飲む。
なんだか落ち着かない。
その日、眠れるまでだいぶ時間がかかった。
776: 2011/08/09(火) 12:20:43.87 ID:IGAQdTino
ここらへんで夏祭りと言えば、駅前の商店街で開催されるものを言う。
最近では商店街自体が寂れはじめているので、どことなく哀愁漂う祭りではあるが、まぁ地方の祭りなんてそんなものかもしれない。
商店街全域に出店が立ち並んでいる。その列はやたらと長い。
人々は浴衣を着たりして、家族や友人や恋人と一緒にやってくる。
やたらと高いカキ氷やらお好み焼きやら焼きそばやらを食べて、「美味しい」という。
商店街から脇道を逸れて街中を歩いてみると、家々の立ち並ぶ道の間に、石造りの水路があることに気付く。
水路が街中を貫いて存在している雰囲気は、なんとなくいい感じ。昔風で美しい。
しかもそれに沿って桜の木が伸びていたり。
歩くと癒される。
夜。
俺たち(七人)は、賑わいだ雑踏から遠くの、そんな道を歩いていた。
祭りに行く人数が多かったので、アキラさんに車を出してもらったのだが、当然、駐車場なんてなかなか空いていない。
そんなわけで、割と遠くで下ろしてもらって、そこから歩いていくことになったのだ。
ちなみにアキラさんとユリコさんは今日は二人で夏祭りを楽しむらしい。仲が良いのはよいことだ。
女子勢は浴衣率が高かった。
着ていないのは屋上さんと後輩の二人。妹と幼馴染はせっかくなのでと浴衣を着ていた。
巾着まで持って草履まで履く徹底ぶり。懐からがま口財布でも出しかねない。
空には月が出てきたが、街灯の明かりが周囲を照らしていた。
なんとなくしんみりする。
777: 2011/08/09(火) 12:21:25.83 ID:IGAQdTino
るーとタクミは祭りに行くのが楽しみで仕方ないらしく、ずっとは騒いでいる。
それを見て、後輩と幼馴染があんまりはしゃいで、はぐれないように、と諌める。
妹と屋上さんはその少し後ろを歩いている。少しずつ馴染んでいるようで、ふたりだけでも話をするようになった。
いまいちどんな話をしているのかは想像できないのだけれど。
出店のある通りに辿りつく。人の話し声が連なって、周囲を覆っていく。
ともすれば隣を歩く人の声も聞こえないような喧騒。
通るのに難儀するほどではないものの、それでも多くの人が祭りにやってきていた。
浴衣を着ていたり、水ヨーヨーを持っていたり。
射的だのくじ引きだのが並んで、広場ではステージの上で和太鼓の演奏がされていた。
食べ物を食べたり、ステージを眺めたり、遊んでみたり。
女性陣がタクミとるーを連れて盛り上がったので、俺はひとり置き去りになる。
こういうときのテンションだと、あんまり話に入れない。なんとなく。
仕方ないのでフランクフルトやアメリカンドッグやチョコバナナやお好み焼きをひとりで食べた。
すぐに腹がつらくなった。
「なにやってんだ俺は……」
もはや自身を犠牲にしたギャグにしかならない。
778: 2011/08/09(火) 12:21:59.40 ID:IGAQdTino
出店の中には普段見ないようなものもあった。
最たるものとして、飴細工が挙げられる。割り箸大の一本の棒に、干支の動物の形をした飴を作って売る出店。
注文を受けてから作り始めるため、待ち時間は長いが、物珍しさも相まって人は列を作る。
るーとタクミが欲しがって、長時間待たされることになる。
出店なんて多少は待たされるものだし、そうすることが祭りのメインなのだから、あんまり苦にはならない。
慌てたっていいことはない。
人波の中を歩いても、夜なので少し涼しい。
買ってきた飴を舐めながら、ふたりは笑いながら歩いていた。なんか癒される。
でも。
後輩と幼馴染はその少し後ろを歩いていて、
妹と屋上さんは、さらに後ろを歩いていて、
俺は、一番後ろを一人で歩いている。
なんだかなぁ、という気持ち。
結局、集団の中にいても、俺は取り残されている気がする。
馴染めていない気がする。自分だけ。
置いてけぼりの気持ち。
子供っぽい疎外感。
綿飴でも食うかな、と思って立ち止まる。
携帯があるし、はぐれたらはぐれたでなんとかなる。
出店に並んで、綿飴を頼む。
少し待たされる間、手持ち無沙汰になる。
そのとき、服の裾を引かれた。
779: 2011/08/09(火) 12:22:43.41 ID:IGAQdTino
「なにやってんの?」
屋上さんがやたらと近くにいた。
遠くでみんなも立ち止まっている。
なんだろうねこれは。
この微妙にうれしい感じ。気恥ずかしい感じ。なにやってんだ俺は、という感じ。
「綿飴、私も欲しい」
屋上さんがそういうので、二つ目を注文する。ちょっと待って、受け取って、一緒にみんなを追いかける。
なんか。
ちょっとうれしかった。
置いてかれてないや、っていう。
まぁ、それだけのことなのだけれど。
ちょっとどきっとした。
780: 2011/08/09(火) 12:23:17.47 ID:IGAQdTino
そろそろ帰る頃合かな、と思って引き返そうとすると、妹が屈みこんだ。
「どうした?」
と、見てみると、草履の鼻緒に擦れたのか、指と指の間が赤くなっていた。
「痛い」
まぁ、こういうこともある。
「ほれ。おんぶ」
「なんで?」
「痛いんだろ」
「でも浴衣だし」
「……何か問題が?」
「恥ずかしいです」
埒が明かないので、強引に負ぶった。
「この馬鹿兄。周りの目を少しくらい気にしろ」
なぜか怒られる。
後輩が微笑ましそうにこっちを見ていた。
……なんで一番年上みたいな雰囲気をかもし出しているんだ、あいつは。
どうせ駐車場までだし、ちょっとくらい我慢してもらおう。
来た道を遡って駐車場に戻る。大人ふたりには幼馴染が電話した。
781: 2011/08/09(火) 12:23:44.52 ID:IGAQdTino
なんとなく落ち着かない。
「どうしたの?」
そわそわしていると、背中に乗る妹に声を掛けられた。肩越しに返事をする。
「浴衣って帯とかで胸が当たらないもんだと思ってたんだけど、意外と当たるんだな」
「最低だこの兄」
比較的真面目な意見です。
それでも妹は、強引に離れようとはしなかった。疲れてるらしい。
しばらく歩くと、不意に背中にかかる重みが増した。
寝たっぽい。
「……この状況でよく寝れるなこいつは」
呆れる。
三分かからないって。
世界中の赤ん坊がこうだったら、育児ノイローゼも半数がなくなるだろう。
駐車場につくと、ユリコさんたちは既に車に乗っていた。
帰りの道の途中で、るーとタクミは眠ってしまった。
妹も目を覚まさないまま幼馴染の家につく。アキラさんは家まで送ると言ってくれたが、近いので断ることにした。
屋上さんたちはアキラさんに送られていくことにしたらしい。それがいい。
別れ際、屋上さんと目が合った。
なんか、変な気持ち。
そわそわする。
782: 2011/08/09(火) 12:24:11.05 ID:IGAQdTino
家に帰って妹をベッドに寝かせようとしたところで、浴衣のままではまずいだろうと気付く。
どうすることもできないので、とりあえず起こすことにした。
妹はしばらく眠そうにしていたけれど、やがてしっかりと起きたようだった。
自室に戻ってベッドに倒れこむ。
疲れた。
人の多いところはあまり得意じゃないし、騒がしい場所にいると混乱する。気疲れもあった。
でもまぁ、楽しかった。
明日も行ってみようかな、と思う。
全身がほどよく疲れていたら、その日は心地良く眠ることができた。
825: 2011/08/10(水) 11:04:30.51 ID:1HXzWSwXo
翌日は誰も家に来なかった。起きたのは昼過ぎ。暇だったので、適当に街をぶらつくことにした。
レンタルショップや本屋なんかをぶらりと回って暇を潰す。こういうことをしていると時間はあっという間にすぎる。
とてもじゃないが、有意義とはいえない。かといって家でだらだら過ごすのも有意義ではない。
今この瞬間も、課題を全部終わらせた上で、一学期の復習やら二学期の予習やらをやってる奴がいるんだろうか。
ちょっと想像がつかない。
アリとキリギリスの寓話(ホントはアリとセミらしいが、語感的にはキリギリスの方がいい)。
遊んでばっかりの俺は、いつかそのツケを食らうことになるのかな、とか。
柄にもなく真面目なことを考えたりもした。
ボディーソープを詰め替えたばかりだったことを思い出して、近所のホームセンターに向かった。
生活用品は一通り何でも揃う店。いつも使っているものを購入する。妹の選択。
ひとりで買い物してるときって、なんか和む。特に生活用品の場合は。
なんかこう、生活してるや、って気分になる。
俺だけかもしれない。
帰りにペットショップを覗くと、やっぱり幼馴染がいた。
「……かわいい」
ガラス窓の向こうの子犬を見つめて瞳を輝かせていた。
よく飽きないものだな、と思う。
826: 2011/08/10(水) 11:04:57.52 ID:1HXzWSwXo
ガラス窓の向こうの子犬を見つめて瞳を輝かせていた。
よく飽きないものだな、と思う。
幼馴染は昔から犬を飼いたがっていた。ユリコさんがそれを認めなかったのは、遠出ができなくなるから。
旅行好きな一家としては、やっぱりそれは痛かった。
幼馴染も、犬を飼うことの責任と旅行にいけなくなることを考慮したうえで、納得はしていたが、やっぱり犬は好きで仕方ないらしい。
暇を持て余すとここに来て窓を覗いてる。
一度、祖父母の家に連れて行って‘はな'に会わせたことがある。すごく喜んでいた。
帰り際に泣いてた。そこまでいくとちょっと怖い。
声をかけると、幼馴染はハッとして振り返った。
「いつからいたの?」
「さっきから」
実に十分間、彼女は俺に気付かずに子犬を眺めていた。
「一緒に帰ろうか」
「うん」
並んで歩く。なぜだか赤信号に多くぶつかった。
家につく頃には二時頃になっていた。幼馴染の家までつくと、ユリコさんに強引に誘われてお茶を飲まされた。
827: 2011/08/10(水) 11:05:51.19 ID:1HXzWSwXo
「トウモロコシ茹でたから」
「いただきます」
好物。
「麦茶もどうぞ」
「いただきます」
好物。
「あ、昼間お祭り行ってリンゴ飴買ってきたの。いる?」
「いやなんつーか」
なんていえばいいんだろう、この人には。
やりすぎって言葉がある。ユリコさんも知ってるだろうけど。
ユリコさんは食べ物を置いていったあと、用事があるといって家を出て行った。幼馴染とふたりで取り残される。
「タクミは出かけてるの?」
「うん」
タクミの両親もいないようなので、多分どこかに出かけてるんだろう。
せっかくなので涼しい場所に行こうと思い、縁側に麦茶とトウモロコシを持って腰掛ける。
幼馴染とふたりで並んでトウモロコシをかじる。
「美味い」
「うん」
さっきから幼馴染が「うん」しか言ってない。
しばらくだんまり。ゆるやかに流れる時間。
828: 2011/08/10(水) 11:06:18.78 ID:1HXzWSwXo
最近じゃ珍しく、涼しい。
明日からはまだ暑いらしい。残暑は九月半ばくらいまで続きそうだという。
不意にポケットの中の携帯が鳴った。歌を設定すると外で鳴ったときになんとなく恥ずかしいので、初期設定のまま。
画面を開く。メール一通。開く。屋上さんからだった。
本文はなく、画像ファイルが添付されている。
浴衣姿のるーが、カキ氷を食べながら出店の並ぶ商店街を歩いていた。かわいい。今日も祭りにいったらしい。
「タクミ、こっちにいつまでいるんだ?」
「たぶん、今週末くらいまで」
両親の仕事の都合ってどうなってるんだろう。少しだけ疑問だった。
「……今週末」
意外に近い。
屋上さんのメールに対する返事を打っていると、幼馴染が何かを言おうとした。
「あのさ」
こんなふうに、彼女は何かを言いかけることが多い。なぜか。
そして最後には、「なんでもない」と言って話を終わらせる。
「……なに?」
続きを促す。幼馴染は戸惑ったような表情をした。
「メール、誰から?」
「ああ」
話している相手の前で携帯を弄るのは、さすがに失礼だったかな、と思う。
でも、そういうことを気にする奴じゃない。
親しき仲にも礼儀ありとはいえ、そんな瑣末な事柄で不愉快になるような間柄ではない。
もちろんそれに甘え切ってなんでもしていいと思っているわけではないが、これは「そこまでのこと」とは思えなかった。
829: 2011/08/10(水) 11:06:51.57 ID:1HXzWSwXo
少し考えてから、添付されてきた画像ファイルを見せる。
「ほら」
幼馴染はディスプレイを見て少しだけ表情を強張らせた。なぜ?
「メールのやりとり、結構してるの?」
「そこまでではない。たまに来たり、送ったり」
それも最近になってからだ。教えてもらったのがそもそもつい先日。
メールをしたといっても、大した期間じゃない。キンピラくんとの回数の方がよっぽど多い。
大抵が、こういう画像だったりとか、どうでもいいことだったりとか、家に行ってもいいかとか、そういう類のものだ。
「ねえ、好きなの?」
「え?」
驚く。どうしてそうなる。
「何が?」
「彼女」
判断に困る。
「メールのやりとりがあると、イコール好きなのですか」
「そうじゃないけど」
幼馴染はもどかしそうに唸った。
「なんか、そんな感じがする」
「そんな感じ、とは」
「……そんな感じ」
そんな感じがするらしい。
話の流れから判断すれば、幼馴染には、俺が屋上さんのことを好きであるように見えるらしい。
830: 2011/08/10(水) 11:07:18.24 ID:1HXzWSwXo
ぶっちゃけ、嫌いではないけれど。
というか、好きではあるけれど。
それが恋愛感情かと訊かれれば、どうだろう。
でもたしかに、好意の種類としては、るーや後輩に向かうものとは別のもの、という気もする。
「よく分からない」
大真面目に答える。
でも、最近なんか気になる。ふとしたときにどきっとする。
そういうことはある。それが恋愛感情なのかどうかは、まだ分からない。まだ。
「……じゃあ、私のこと好き?」
「何言ってるのか君は」
唐突な質問に呆れる。
「真面目に。シリアスに」
と幼馴染が言うので、シリアスに考えてみる。
幼馴染。
「……おまえとは、なんか、好きとか嫌いとかじゃないような気がするんだけど」
「というと?」
「きょうだいみたいなもので」
「……都合の悪いときばっかりそれだよね」
彼女は少し棘のある声音で言った。強張った表情。距離を測りかねている。
「本当に妹ちゃんと同じように扱ってくれれば、納得もいくけど」
そうは言われても、妹と幼馴染は同じ人物ではないし、立ち位置も違う。
もし仮に、本当に幼馴染が俺の妹のひとりだったとしても、妹とまるで同じ扱いにはならないだろう。
個人個人に対して態度が変わってしまうのは当然のことだし、仕方ないことだ。
831: 2011/08/10(水) 11:07:44.92 ID:1HXzWSwXo
「ねえ、今さ、私が告白したらどうする?」
「……はあ」
少し考えて、返事をする。
「え、なんの?」
「だから、好きです、っていう」
硬直する。
冗談か、と思って幼馴染の顔を見る。
目が合った。
緊張で強張った表情。
戸惑う。
しばらく、互いに黙り合った。西部劇の決闘みたいな雰囲気。というのは嘘。
「……困ってる?」
「困ってる」
そう答えた俺より、幼馴染の方がよっぽど困った顔をしていると思う。
困ってる。
でも、何かは言わなくちゃいけない。
考えなかったことではない。想像していたことでもある。
けれど、そのとき自分がどう答えるか、まるで想像ができなかったのだ。
俺は幼馴染をどう思っているのか。
罪悪感が胸のうちで燻る。なぜだろう。これは誰に対する罪悪感なんだろう。
たぶん、幼馴染に対するもの。
罪悪感があるということは、つまり、俺の中では、幼馴染に対する感情は、恋愛的なものではない、ということだ。
自分の中で絡まっている感情を、少しずつ解いて言葉にしようとする。
その作業を進めているうちに、つくづく自分が嫌になっていく。保険をかけようとするからだ。
この期に及んで、正直に、思ったことだけを告げることができないからだ。
832: 2011/08/10(水) 11:08:13.90 ID:1HXzWSwXo
やがて、なんとか考えを言葉にする。できるだけ慎重に。
「たぶん」
なんというか。
たぶん。
「おまえは俺にとって、家族なんだよ」
言ってから、言葉が足りないことに気付く。
そうじゃない。でも、難しい。どういえば伝わるだろう。
好きじゃないわけじゃない。でも、それは恋愛感情というよりは、家族に対するそれに近いのだ。
お互い、押し黙る。心臓が痛んだ。何かを言おうとするけれど、やめる。
言葉を重ねれば重ねるほど、言いたいことが伝わらなくなってしまう気がしたからだ。
彼女は少しの間、ずっと息を止めていた。顔を逸らして俯いた。
俺は何も言えない。
しばらくあと、幼馴染は軽い溜息をひとつ吐いて、拗ねたみたいな声音で言った。
「好きだから」
そういう空気はずっと感じていたのに、実際に言われてみるとひどく戸惑う。
俺が何も言えずにいると、幼馴染が立ち上がった。どたどたと大きな音を立てながら、階段を登っていく。
ついさっきまでとは、自分の体を構成しているものがまるで別のものになってしまった感じがする。
不意に、屋上さんの顔が脳裏を掠めた。
現実感がまるでない。
手のひらの中に、受信したメールを表示したまま操作していない携帯があった。
折りたたんでポケットに突っ込む。やけに鼓動が早まっている。落ち着こうとして麦茶をコップに注いだ。
ユリコさんが帰ってきてから挨拶を済ませて家を出た。
帰り道を歩いているはずなのに、どこをどう歩いているのかが分からない。
やけに重苦しいような痛みが胸を突いた。
家に帰ってから、リビングのソファに倒れこんだ。ひどく疲れている。
現実感が、まるでない。
夕食は半分も腹に入らず、体調でも悪いのかと妹に心配されたが、そうではない。
その日は動く気になれず、ほとんど何もしないまま眠った。
833: 2011/08/10(水) 11:09:02.63 ID:1HXzWSwXo
翌日は朝から昼過ぎまでじめじめとした雨が降り続いていた。湿気で暑さが煩わしく疎ましい感触を伴う。
しっかりと覚醒してからも、起き上がる気にはなれずベッドの上でごろごろと寝転がった。
昼過ぎに妹に強引に起こされた。あまりだらだらするなと言いたいらしい。
仕方ないので起き上がる。汗がべたついて気持ちが悪いので、シャワーを浴びることにした。
濡れた髪を簡単にタオルで拭いて服を着替える。少しさっぱりとした。
リビングにはタクミがいた。傘を差してひとりで来たらしい。
「なんかあったの?」
タクミにすら気付かれる。なにかはあった。
「世の中には、どれを選んでも正解じゃない問題だってあるんだなぁ、というお話です」
分かったようなことを言ってみる。
タクミは呆れたように鼻を鳴らした。小学生にして、なんなのだろうこの貫禄は。
なにがあったというわけでもないのに、落ち込んでしまう。
なんだろうこれは。上手く言葉にならない。
タクミは少し休んだ後、雨の中を帰っていった。
俺は部屋に戻ってまたベッドの中で寝返りを打ち続けた。
考え事が上手くまとまらない。
なんというか。
告白、されたわけで。
うれしくないわけではないけど、どちらかというと後ろめたさの方が大きかった。
それが誰に対するものかは分からない。その由来の知れない罪悪感が、ひとつの答えになっているような気がする。
834: 2011/08/10(水) 11:09:37.91 ID:1HXzWSwXo
家でぐだぐだと考えていても仕方ないので、出かけることにした。
街を適当にぶらつく。本屋、レンタルショップ。暇を持て余した休日のルート。
本屋でマエストロと遭遇する。少し話をして別れた。彼は以前となんら変わらない。
でも、以前とは何かが違う。変わったのはなんだろう。状況か、環境か、あるいは俺自身か。
何か、落ち着かない。
家に帰ろうと歩いていたところで、サチ姉ちゃんに捕まった。
近所のコーヒーショップに連れて行かれる。古臭い環境音楽。適当に注文を済ませてから、サチ姉ちゃんは俺を見て変な顔をした。
「……どうかしたの?」
不思議そうな顔。この人でも他人を気遣ったりするんだな、と妙なことを思った。
「いや、なんといいますか」
困る。上手く言葉にできない、のです。自分でもよく分からない。
だが、今の感情を分かりやすく説明するなら、
「……二股かけたい」
「最低だ」
サチ姉ちゃんは呆れたみたいに吹き出した。
「なんかもう、考えるのめんどいっす」
「何があったのよ、いったい」
何があったか、と言われれば、幼馴染に好きだと言われただけなのだけれど。
「だけ」というには、ダメージが大きすぎた。
「なんというか、いつかこういうことになるのは分かってたんですけど」
どういう形であれ、みんなで楽しく遊ぶのをずっと続ける、なんて形にならないのは自然なことだ。
仮に曖昧なままで進んだって、結局いつかは何かの形で別れることになるわけで。
835: 2011/08/10(水) 11:10:03.74 ID:1HXzWSwXo
「なんというか」
どうしたものか。
どうしたものかも何も、俺の中で結論は出ているのだけど。
いま俺が落ち込んでいるのは、明確な答えが出せないからではない。
答えが出た上で、どう動くべきかを悩んでいる。
昨日、幼馴染が最後にああ言ったとき、俺の頭に浮かんだのは、屋上さんのことだった。
なんなんだろう。
なんというか。
どうやら俺は屋上さんのことが好きらしい。昨日、気付いたのだけれど。たぶん幼馴染よりも。
あわよくばもっと近付きたい。付き合いたい。下心。
でもそれは、幼馴染と比べてどうとかいうわけじゃなく、どこがどうだというのでもなく、単にタイミングの問題。
彼女は俺が欲しがっているものを、欲しがっているタイミングで差し出してくれる。大抵、偶然なのだけれど。
立て続けにそんなことが起こったから、どうしても、好きになってしまうのだ。
結果からいえば、だけれど。
こんがらがってる。いろんなものが。
「なんていうかさ、いろいろ考えすぎなんじゃない?」
サチ姉ちゃんは、俺を励まそうとしているようだった。似合わない。
「一個一個見てけば、意外と簡単に片付くものって多いよ」
一個一個。
やってみよう、と思った。
幼馴染は俺が好きだと言った。聞き間違えたのでなければ。
で、俺はどうやら屋上さんが好きらしい。
でも、今までの関係も居心地良く感じていた。
多分そこだ。
俺は、今までの状況を居心地良く感じていた。このままでもいいや、って思っていた。
でも、たとえば誰かを好きになって、仮に付き合うなんてことになったら、今のままじゃいられない。
選択。
サチ姉ちゃんの言葉をもう一度考える。「一個一個」。でも、もう遅い。
今までのぬるま湯みたいな関係を続けるには、もう幼馴染が行動を起こしてしまったわけで。
俺は自分の好意に自覚的になってしまったわけで。
836: 2011/08/10(水) 11:10:34.11 ID:1HXzWSwXo
恋愛としての「好き」が屋上さんに向いているとしても、幼馴染のことを「好き」じゃないわけじゃない。
だから、選べといわれても困る。
でも、選ばざるを得ない状況に、いつのまにか追い込まれている。
これがぐだぐだ過ごしてきたことのツケだろうか。
なんというか。
ままならない。
悪いことではない、はずなのだが。
「どうにかなりませんかね、こう、みんな俺のこと大好き! みたいな感じで終われません?」
「それはねーよ」
サチ姉ちゃんはさめた声で言った。
「ですよねー」
まぁ、冗談なのだけれど。
でも、俺としては、誰に対しても真摯にぶつかるしかない。
幼馴染に考えてることを伝えてみるしかない。
サチ姉ちゃんはちょっと笑った。
「アンタね、ちょっと傲慢なところがあるから」
「傲慢。傲慢ですか」
「なんか、自分がなんとかしなきゃどうにもならない! みたいに思ってそうな」
「そんなことは」
めちゃくちゃあります。
「いくら自分に関わりのあることだからって、自分がなんとかしなきゃ何一つ問題が解決しないと思ってるなら、思い上がりだから」
サチ姉ちゃんは偉そうなことを言った。
そうだろうか。少なくとも自分にかかわることなら、自分が行動を起こさないとどうにもならない気がする。
837: 2011/08/10(水) 11:11:01.29 ID:1HXzWSwXo
「案外、なんもしなくても状況が動いたりするんだよね。あと、アンタはいろいろ溜め込みすぎ」
「溜め込んでないっす」
溜め込んでない。つもりだ。
「たまには言いたいことぶちまけちゃった方いいよ。猫の毛玉みたいなもんでさ」
なんかえらそうなことを言ってる。
けど、この人が俺に会うたびに「上司の目がいやらしい」だの「結婚した同級生がうっとうしい」だのという愚痴を言ってくるのには変わりない。
いまさら、ちょっといいこと言おうとしても手遅れです。
サチ姉ちゃんと別れて、家に帰る。
なんとなく頭が疲労している。
たとえば、幼馴染に、俺って屋上さんが好きなんだよ、と言ったとして。
「そっか、じゃあ仕方ないね」って納得して、今まで通りの付き合いをしてくれるというのは、とうぜん、ありえない。
それを考えると憂鬱だ。
でもどっちにしろ、二人を同時に取るなんてことはできないわけで。
いつか屋上さんのところに成績優秀頭脳明晰運動神経抜群の怪物が現れて、彼女を誘惑しないとも限らない。
それなら。
でも。
やっぱりなぁ、と考えてしまう。不安。
今までずっと一緒にいた幼馴染と、話もできなくなったりしたら、俺はどうなるか。
それでも、どうにかしないわけにはいかなかった。
俺は、誰に対してもできる限り真摯でありたいと思っているのだ。
882: 2011/08/11(木) 12:13:18.79 ID:FyktQczwo
何かを言わなければならない、と決意はしたものの、どこから手をつけたものか分からない。
結局悩みに悩んだ挙句、誰にも何も言えずに、タクミが帰る日になった。
俺と妹は一緒に幼馴染の家に行って、別れを惜しんだ。三姉妹も来ていた。俺と幼馴染は一言も話せなかった。
何かを言わなければならない、のだけれど、何をどう言ったものか、分からない。
タクミは平気そうな顔をしていた。何を考えているのか、つくづく分からない奴だ。
それでも、初めて会ったときのようにゲームを手放さないなんてことはなくなっていた。
るーは後輩の背に隠れて、何かを言いたそうにしている。寂しそうな表情。
タクミはそれを見て困った顔をする。
暑さがおさまり始めた昼下がりに、タクミたちの両親は幼馴染の家を出た。
タクミはるーを手招きして呼び寄せて、小声で何かを言った。
それを聞いたるーがくすくすと笑う。ふたりはそれっきり話をしなかった。
「またな」
と俺が言った。うん、とタクミは頷いた。
そのまま車に乗ってしまうのかと思ったら、彼は、今度は俺を呼び寄せた。
「なに?」
「ねえ、姉ちゃんと早めに仲直りしときなよ」
諭されてしまう。やっぱりこいつは大人だ。
「けっこう、落ち込んでたよ」
なんというか。まぁ、そうなのだろうけれど。
「まぁ、がんばるよ」
苦笑しながら答える。どうなるかは分からないし、どう言えばいいかも分からないけど。
でもまぁ、がんばる。
883: 2011/08/11(木) 12:14:12.30 ID:FyktQczwo
彼は最後に、俺たちに向かって小さくお辞儀をした。大人だ。もうちょっと子供っぽくてもいいのに。
タクミを乗せた自動車は、あっという間に見えなくなった。
蜃気楼が道の先を歪ませていた。うっとうしいような蝉の声だけが、いつまでもそこらじゅうに響いている。
少し、落ち着かない空気が流れる。ユリコさんが、それを吹き飛ばそうとするみたいな大きな声をあげた。
彼女は俺たちを家の中に招こうとしたけれど、全員が断った。
なんとなく、もうちょっと黙っていたいような気分だった。
全員で俺の家に向かい、リビングで寝転がる。誰も何も言わなかった。
やがて、るーはソファに寝転がって顔を隠したまま眠ってしまった。
後輩は困ったみたいに笑った。
「るー、泣きませんでしたね」
彼女は少し意外そうだった。るーもタクミも、強がりなタイプで、弱いところを見せたがらない人種だ。
まだ子供なのに、俺よりもずっと大人だ。参る。
幼馴染も、俺たちの家にやってきていたけれど、俺とはちっとも言葉を交わさなかった。
黙っているというわけではなく、終始、妹に話を振っている。
このままじゃまずい、と思う。
窓の外から、まだうるさい蝉の声が続いている。
腹を決めるしかない。
タクミに言われてしまったわけだし。
幼馴染を誘ってコンビニに行く。彼女は少し緊張したような顔つきでついてきた。
こういうことはどう伝えるべきなのだろう。
下手に取り繕っても無意味だという気がした。
けれど、実際に考えを口に出す段階になると、どうしても躊躇してしまう。
蝉の鳴き声。赤く染まりかけた西の空。揺れる木々。かすかに肌を撫でる風。
隣り合って歩く。
言葉というものは、考えれば考えるほど混乱していく。
だから思ったことを単刀直入に言うべきなのだ。
でも。
言うとなると、難しい。
884: 2011/08/11(木) 12:14:39.72 ID:FyktQczwo
結局、コンビニに着くまで何も話すことができなかった。飲み物とアイスを買って店を出る。また並んで歩く。
帰りに公園に寄った。幼馴染は黙ってついてくる。
ブランコに座る。落ち着かない気持ち。
考えても仕方ないし、ずっとこうしていても仕方ない。
「俺さ」
幼馴染が息を呑んだ気がした。
間を置くのもわずらわしい気がして、はっきりと告げる。
「屋上さんのこと、好きだ」
声に出してみると、その言葉は俺の頭の中にすっと融けていった。いま言ったばかりの言葉が、心に自然に馴染む。
好きだ。
なんかもう、そうなってしまっている。
手遅れな感じ。
惚れたからにはしかたない。
長い時間、沈黙が続いた気がした。幼馴染の方を見ると、顔を俯けていて表情がよく分からない。
「私は」
と、しばらくあとに彼女は口を開いた。
「やっぱり、家族なの?」
否定しようとして、口をつぐんだ。どう言ったところで同じことだ。
俺は何も言わなかった。胸が痛む。緊張のせいか、息苦しささえ覚える。
そうじゃない。
家族だと思っているからとか、そういうことじゃない。
でも、それを言ったところで、何も変わらない。
彼女はじっと俯いたまま動こうとしなかった。ふと、トンボが飛んでいることに気付く。
それを追いかけていると、視線が上を向いた。夕月が青白く澄んだ空にぼんやりと浮かんでいる。夏の終わりが近付いていた。
885: 2011/08/11(木) 12:15:35.92 ID:FyktQczwo
不意に、幼馴染が、今までに聞いたことがないほどはっきりとした声で言った。
「納得いかない」
「……は?」
「納得いきません」
納得いかないらしい。
何が?
「だって、ずっと一緒にいたでしょ、私たち」
「はあ」
「人生の半分以上の時間を共に過ごしてるわけで」
「……いやなんつーか」
「その間中、私はずっと好きだったわけで」
「……ずっと好きだったんですか」
「ずっと好きだったんです」
頭の中で斉藤和義が歌っていた。
なんか、開き直ったっぽい。
「ね、屋上さんにふられたら、私と付き合ってくれる?」
「何言ってんだおまえは」
「いいじゃん。保険。キープ」
こいつ、自分で何言ってるのか分かってるんだろうか。
「あのな、仮に振られたとして」
言いかけて考え込む。
そういえば、振られるかもしれないんだった。
何も解決してない。
「……いや、それは今はいい。仮に振られたって、あっちがダメだったからこっち、みたいな真似できるわけないだろ」
886: 2011/08/11(木) 12:16:12.16 ID:FyktQczwo
「なんで? 別に私はいいけど」
「いいけど、って」
「だから、別にそういう扱いでもいいよ、って」
ダメだ。
言葉が通じなくなってしまった。
「なんなら二号さんでもいいよ!」
……あれ?
なんか二股できる感じの雰囲気?
いや違うだろう。
「ダメだって」
何が悲しくて、こんなことを必氏に否定しなければならないのか。
「でも、それじゃ私、告白し損じゃん。もし君が先に屋上さんに告白して、それで振られてたら、私にもチャンスがあったわけでしょ?」
「いや、え?」
「先に告白しちゃったから付き合えませんって、どう考えてもおかしいよ」
……いや、なんつーか。
「振られる前提で話を続けないでください」
そこまで自信がないので。
「いいじゃん、振られてよ」
無茶を言う。そこは俺の意思でどうにかなる部分じゃないです。
言ってることがむちゃくちゃだ、さっきから。
887: 2011/08/11(木) 12:16:50.66 ID:FyktQczwo
「いや、だからさ――」
「あ、アイス溶けてる」
「――あっ」
「もう帰ろうよ」
言うが早いか、幼馴染はブランコから跳ね上がるように立ち上がった。
「いや待てって」
「もう何も聞きたくないです」
結局、その後は何を言っても聞いてもらえなかった。
家に帰ってからドロドロに溶けたカップアイスを冷凍庫に突っ込む。
幼馴染はその後すぐに帰ってしまったので、あの態度にどういう意図があったのかが分からない。
本気で言っていたのか、ただの強がりだったのか。
まさか、とは思う。
でも、もし本気で言っていたら、少し気が楽になるのに。
どう考えても希望的観測。
もう以前通りとはいかないだろう。
……そのはず、だ。うん、たぶん。
その後すぐに、幼馴染は自分の家に帰った。三姉妹も同様に、揃って帰路につく。
特別騒がしかったわけではないはずなのに、妙に静かになったように感じる。
困る。
台所で洗い物を始めた妹が、不意に俺に声をかけた。
「ねえ、お姉ちゃんの何かあった?」
鋭い。
が、どう答えるべきか迷う。
何も言うべきではない気もするし、何かを言っておくべきだという気もする。
結局、何も言わなかった。
「いいんだけどさ」
ちょっと拗ねたみたいに、妹は言った。
888: 2011/08/11(木) 12:17:18.01 ID:FyktQczwo
部屋に戻ってベッドに寝転がる。
さて、どうしたものか。
ひとまず、幼馴染に自分の考えを伝えることはできた。
なんだか、非常に疲れる結果になったけれど、まぁ贅沢は言わない。
妙に気に掛かるところではある。が、今は気にしてたって仕方ない。
――で。
これからどうすればいいんだろう。
告白?
というのは、唐突だ。
別に、今すぐ急いでどうにかしようとしなくても、なんとかなるんじゃないかな、と思う。
サチ姉ちゃんもそんなこと言ってた。
……いいのか、それで。
どうなんだろう。
でも、今日は疲れた。とりあえず眠りたい。
ここのところずっと考えてばかりだったから、少し休んでいたい。
その日は何の考えも浮かばないまま眠る。
翌日になって、サチ姉ちゃんが実はエスパーなのではないかと疑いたくなるような出来事が起こった。
前日、早めに眠りについたにもかかわらず、ぐっすりと眠って十時過ぎに起床した俺は、起きてすぐ携帯を手に取った。
メールが来ているのに気付く。慌てて開くと、屋上さんからのものだった。十五分ほど前のもの。
心臓の鼓動がやけに騒がしいことに、気恥ずかしい気持ちを覚えながら本文を読み進める。
内容は単純で、近々後輩の誕生日が来るため、プレゼント選びを手伝って欲しい、という内容。
二人でお出かけしませんか、的なお誘い。
「うおお……」
喜んだりする前に、強く動揺した。どうしよう。
とりあえず深呼吸をする。深く息を吸って、息を吐く。
後輩の誕生日って夏だっけ、と考える。思い出そうとしたけれど、記憶に引っかかるものはない。
夏休み中に誕生日が来ていたなら、知らなくても無理はない。
でも、なんで俺なんだろう。
幼馴染とか、妹の方がいいんじゃないだろうか。後輩、女の子だし。
とはいえ、そんなことを言ってせっかくの機会を棒に振ることになるのも嫌だったので、即座に了解の返事を打った。
サチ姉ちゃんはエスパーです。
889: 2011/08/11(木) 12:17:58.60 ID:FyktQczwo
その日。
俺は朝五時半に目覚めた。むしろほとんど眠れなかった。やけに緊張していた。たぶん受験のときより緊張している。
眠れなかったからといってベッドにすがりついていても仕方ないので、さっさと起き上がる。
準備を終えて時間に余裕ができる。三時間以上。
そわそわする。
「……どうしたの?」
妹に心配される。
「なんでもない」
「なんでもないなら貧乏ゆすりをやめて」
無意識です。
時間になってから、忘れ物がないかを確認して家を出る。一応、決めた時間に迎えに行くことになっていた。
結構距離がある、が、毎日のように三姉妹は歩いてきていたわけで。恐るべし。
幸いなことに、暑さはそこまでではなかった。
相変わらずでかい家だった。
玄関でインターホンを鳴らす。やっぱり緊張する。でも押さなきゃならない。怖い。ジレンマ。
呼び出しベルが鳴った後、家の中からどたばたという物音が聞こえた。
がらりと引き戸が開いて、なかば飛び出すみたいに屋上さんが出てくる。
「……どうも」
「あ、うん」
言葉が途切れる。
なんか言わなきゃ、的な空気が飽和する。
でも、互いに言葉はない。
困った。
というか、困っている。
そういえば屋上さんとふたりきりになるなんて久々なわけで。
一緒に出かけるなんて初めてなわけで。
そう考えると目すら合わせられない。彼女の方を見るのが怖い。
なぜか普段と雰囲気が違って見えるし。
なんかこう。
……どうしたものか。
持て余す。いろいろ。
890: 2011/08/11(木) 12:18:27.37 ID:FyktQczwo
ずっとそうしていても仕方ないので、とりあえずモールに向かって歩く。言葉がない。
何を言えばいいやら。
今までどんな話をしていたんだっけ。
……平然とセクハラまでしていたような。
何者だ、以前の俺。
ていうか、ぱんつまで覗いてたような。
……なんだろうね、この気持ち。
なんていうか、昔の自分に腹が立ってくるよね。おまえ、どんだけ調子乗ってんだ馬鹿野郎っていう。
見詰め合ってなくても、素直におしゃべりできません。
馬鹿みたいだけど。
モールに着くまで、結局会話らしい会話はほとんどなかった。
「何か考えてるのはあるの?」
「え?」
「プレゼント」
「あ、ああ」
突然話しかけたからか、屋上さんは少しきょとんとしていた。
「何も考えてない」
「……何も考えてないのに、とりあえずモールに来たの?」
「……うん」
深くは追及するまい。
とにかく、店を回る。後輩の趣味を屋上さんに訊ねながら店を回る。
「ぬいぐるみとか好きかも」
まじかよ。
予想外でした。
「鞄に小さめのストラップ付けてる。いつも」
そういえばそんなのもあった気がする。
ちょっと想像してみる。ぬいぐるみ的ストラップをつけた鞄を背負う後輩。
――なんか普通にスタイリッシュだ。チューインガム噛んでそう。
もう何をやってもスタイリッシュなんじゃなかろうか、あの子。
891: 2011/08/11(木) 12:19:01.53 ID:FyktQczwo
ともかく、小物が置いてある店とか、ぬいぐるみ系統の店とかを回る。
男の居心地の悪さは女性向け服飾店にも劣らない。
適当に歩いてみるものの、これだというものは見つからないらしい。
仕方ないので他の案を探すついでに店を回ってみることになった。
雑貨屋。マグカップ、写真立て。このあたりは経験則的に悪くないが、誰かに贈ったものを提案するのも気が進まない。
ああでもないこうでもないと言い合いながら、いろいろ見て回る。
結局目ぼしいものが見つからないまま昼になり、とりあえず昼食をとることにする。
フードコートのなかのハンバーガーショップ。学生の財布にやさしい場所。
妹ときたときとまるで同じルートって、自分の行動範囲の狭さを自分で示しているような。
なんとなく生まれる後ろめたさ。
いや、深く考えないようにしよう。
対面に座ってハンバーガーをかじる屋上さんの顔を覗き見る。
特に退屈ではなさそう、では、あるのだが。
気を遣う。
なんか、こう、ねえ。
下手打ってないかな、とか、まずいことしてないかな、とか、失敗してないかな、とか、全部同じ意味なんだけど。
気付くと、屋上さんがこっちを見ていた。
「……なに?」
「え?」
「見られてると食べにくい」
「あ、はい」
無意識でした。
とはいえ。
どこに目を向けたものか困る。普段はどうしていたんだっけ。
ああなんかもう、おかしくなってる。
892: 2011/08/11(木) 12:20:38.60 ID:FyktQczwo
軽い食事を終えた後、次はどこの店を回ろうかと考えはじめたところで、屋上さんがゲームセンターで足を止めた。
UFOキャッチャー。
たしかにぬいぐるみはあるけれども。
以前の失敗が頭を過ぎる。今はタクミもいないのです。
でもまぁ、仕方ないので筐体に小銭を突っ込む。
「え」
と屋上さんは変な声をあげた。
「どれ?」
「いや、いいって」
「もう入れちゃったし」
「……それ」
彼女が指差したぬいぐるみの位置を確認する。
難しくはない、が。
一度やってみるしかない、と思う。
失敗する。
屋上さんが居心地悪そうに体を揺すった。
「こういうのは最初に一、二回失敗するものなのです」
本当はあんまり詳しくないけど、それっぽいことを言う。
また硬貨を投入する。二度目。失敗する。位置と向きが変わる。
三回目。取る。
「はい」
ぬいぐるみを受け取るまで、彼女はずっときょとんとしていた。
「エアホッケーしようぜ!」
ついでだから誘う。あっさり負けた。
893: 2011/08/11(木) 12:21:07.61 ID:FyktQczwo
他の店を適当に見て回る。特に心惹かれるものもなく、無難に浮かぶものもない。
役に立ててるんだろうか、俺。
「なんも思いつかないっす」
「うん」
無口になる。なんか言わなきゃ、的な雰囲気。でも言うことねえや。
なんかもう、ね。
何を言えばいいやら。今までどんな話をしていたやら。
ちょっとした会話はあっても、話が弾むことはない。
居心地悪いわけではないんだけど。
これはこれでいいのかもしれないけど。
あと一歩、という感じの。
結局、特に何があるわけでもなく、夕方近くに帰ることになった。
並んで帰る。ひょっとして今じゃね? って思う。
何かを言うにはちょうどいい時間。
どうしたものか。隣を歩く屋上さんは、UFOキャッチャーで取ったぬいぐるみを抱えて視線を落ち着かないように彷徨わせていた。
考え事をしながら歩く。
それでも結局、何もいえない。肝心のところでダメ人間。
あーあー。
どうにかせねば、と焦る。なんか言わなきゃ。
会話がないまま道を歩く。夕方。トンボが飛んでる。蝉の声。
どうしたものか。
距離を測りそこねている。
屋上さんの家につく頃には、四時半を回っていた。
なんか言わなきゃ、が、ずっと頭の中でぐるぐる巡っている。
そうこうしているうちに、屋上さんは一歩踏み出した。
「それじゃ」
短く言って、彼女は歩いていってしまう。
ああもうめんどくさい。言っちゃえよ。
衝動に従う。
「ストップ」
屋上さんは戸惑ったみたいに立ち止まった。振り返った彼女の表情が、今までで見たことのないものに思える。
894: 2011/08/11(木) 12:21:38.55 ID:FyktQczwo
さて、何でもありません、とは行かない。
何かを言わなきゃならない。
とはいえ。
どう伝えたものやら。
「あのさ」
ひとまず何かを言おうと口を開く。
でもダメだった。何も浮かばない。混乱する。言いたいことは明快なはずなのに、言葉が出てこない。
自分が、怖がっていることに気付いた。
心臓が鳴る。どうしたもんか。正面から屋上さんの顔を見ることができない。どうしようもない。
「あのさ」
……繰り返しになる。
馬鹿みたいに見えるかもしれない。
でも、仕方ないんです。
告白なんて初めてなんです。
「あー」
何も言えなくて、焦る。時間だけが過ぎていく気がする。このまま何も言えずに、彼女が帰ると言い出してしまったらどうしよう。
ていうか、仮に言えたって、振られるかもしれないわけで。そっちのほうがむしろ可能性としては濃厚だ。
「ごめん、ちょっとまって」
彼女は困ったみたいな顔で頷いた。表情が少し強張っている。緊張が伝染したのかもしれない。
逃げたい。
嫌な想像ばかりしてしまう。
変な汗をかいてる。どうしよう。
「おまえ、考えすぎるタイプだもんな」
頭の中で、誰かが言った。
そうなんです。
考えすぎて、足を取られて、身動きが取れなくなるタイプなんです。
好きだ、っていうのは、なんか偉そうだし。
好きです、っていうのも、なんか馬鹿らしいし。
付き合ってください、だと、意味が通じないし。
でも、完璧な告白文なんてものがあれば、みんながそれを使う。
結局、どれを選んだって、自分の気持ちをそのまま表現することなんてできないのだ。
壊れるほど愛しても三分の一も伝わらないわけですし。
だったらとりあず、後先考えずに言葉にしてみるしかない。
895: 2011/08/11(木) 12:22:11.17 ID:FyktQczwo
「好きだ」
言った。
時間が止まった気がした。
そのまま続ける。
「付き合ってください」
なんか間抜けだった。
でもしょうがない。言うしかなかった。
屋上さんは間もおかず、
「は、はい」
即座に返事をした。
「……え?」
「え?」
お互い、きょとんとする。
いやなんつーか。
反応早すぎじゃね?
こういうのって、永遠にも思える五秒、とかそんなんじゃないの?
なんか、一秒なかったんですが。
というか、「付き合ってください」の「さ」のあたりで既に「はい」って言ってたんですけど。
「……え、あ、いや、え、なに?」
屋上さんも屋上さんで、俺がなぜ硬直しているかが分からないらしく、混乱していた。
「……ひょっとして、返事する準備してた?」
「え、あ……」
彼女は「ああ」とか「うう」とか唸りながら顔を真っ赤にして俯いた。
いやなんつーか。
「……うん」
雰囲気でだいたい感じ取れるものなのかもしれないけど、もし違う話だったらどうするつもりだったんだろう。
いつのまにか、さっきまで全身を支配していた緊張がどこかに消えていることに気付く。
この人には敵わない。
896: 2011/08/11(木) 12:22:53.65 ID:FyktQczwo
「えっと、それってさ」
とりあえず、話をまとめてしまおう、と口を開く。
「つまり、その……」
口に出すのが照れくさくてどうにもまずい。
言ったあと、実は違う意味でした、みたいに言われたら、目も当てられない。
また緊張する。
「うん」
屋上さんは、今にも逃げ出してしまいそうなほど真っ赤になって、小さな声で頷いた。
「その」
どうにか、必氏に言葉を寄せ集めるみたいな顔をして、
「よろしく、おねがいします」
告げた。
なんていうか。
なんていうか。
なんだろう、この可愛い生き物。
「えっと。……こちらこそ?」
現実感がない。
はっとして、夢オチを疑う。
頬をつねる。
「……なにやってんの?」
呆れられる。
痛かったけど、痛いからって現実とは限らない。
897: 2011/08/11(木) 12:23:35.40 ID:FyktQczwo
どうしましょうか。
頬が勝手に持ち上がる。
「いや、どうしたもんかねこれ」
手のひらで自分の頬をこね回して表情を戻そうとする。でも、どんなに抵抗しても無駄だった。
どうしたものか。
不意に、屋上さんが笑った。
「顔、真っ赤だけど」
お互い様です、とは言わないでおいた。
なんかもう夢でもいいや。
でもやっぱ夢じゃ嫌だ。
頭が回らない。
その日、どのタイミングで屋上さんと話すのをやめて、どのように家に帰ったのかがどうしても思い出せない。
そのあとの記憶がひどく曖昧で、次に目をさましたとき、ひょっとして全部夢だったんじゃないかと疑った。
あんまりにも不安になったので、屋上さんにメールを送った。
――昨日の出来事は夢でしたか?
返信は少し遅かった。
――夢じゃないみたいです。
夢ではないらしい。
919: 2011/08/11(木) 15:05:50.15 ID:FyktQczwo
――その後の顛末。
俺と屋上さんは、特に際立った進展があるわけでもなく、夏休みの残りを消化した。
デートは三回した。一回目がモール、二回目が映画、三回目もモール。
レパートリーなんてありはしないので、相当苦労した。
その結果、彼女と俺との間でいくつかの約束ごとがなされることになる。
話し合いは近所のコーヒーショップで行われた。
曰く、
「あんまり、無理にデートとかしようとしなくてもいいんじゃない?」
という話。
どこにいったって緊張してろくに話せるわけでもない。それだったら、今までみたいにぐだぐだ過ごしたほうがいいんじゃないのか、と。
でもせっかくだし、デートとかしたいんだけど、と俺が言う。
「それは、もうちょっと現状に慣れてからの方が」
その言葉は、俺を簡単に納得させた。
お互い、思うところはあるのだが、かといってそれを一気にやろうとしても間が持たない。
焦ってもろくなことにならないのは見えているし、と合意した上で、話はまとまった。
帰り道で手を繋ぎたいと提案されて、それを受け入れた。とりあえず、夏は暑い。
さて。
俺と屋上さんが付き合うことになったという話は、簡単ながらも早々に広がった。
まず、礼儀として幼馴染に。
彼女とはその後三日間、連絡がとれなくなったが、四日目、俺の家に押しかけてきた。
ちなみにそのとき屋上さんもいた
920: 2011/08/11(木) 15:06:16.62 ID:FyktQczwo
「夢を見ました」
と幼馴染は言った。
「なんか、人気のあるラーメン屋なら行列くらいあって当然だ、みたいな天啓を受けました」
どっかで聞いたことのある話だ。
「というわけで、諦めないことにしました」
「そこは祝福してください」
話は簡単には終わらないようだった。
それとは別に、ユリコさん側からも話があり、
「アンタに彼女ができようが彼氏ができようが、私としてはこれまで通り、面倒みたり連れまわしたりします」
とのこと。
それ、いいんだろうか。そろそろ年頃だし、別に面倒見てもらわなくても。
どこかに行くとなれば幼馴染も一緒になるわけだし、さすがに気まずい。
とはいえ、ユリコさんには逆らえない。どうしたものかと策略を練っているところだ。
妹の反応はというと、ひどくシンプルだった。
「あ、そう」
短く頷く。もうちょっと、なんかないの? と訊ねると、彼女は簡単に答えてくれた。
「お兄ちゃんに彼女ができようができなかろうが、私はお兄ちゃんの分のご飯を作るし、新学期になればお弁当も作るんです」
ちょっとよく分からない理屈だが、自分の態度はなんら変わることがない、と言いたかったらしい。
周囲の反応はといえばそんなふうだった。
921: 2011/08/11(木) 15:06:43.92 ID:FyktQczwo
それから、後になって後輩から聞かされた話がある。
「ぶっちゃけ、ちい姉から告白するように仕向けてたんですけどね、私は」
なんでも、後輩の誕生日というのは単なる口実だったらしい(実際に誕生日は近かったらしいが)。
「ちい姉がね、新学期始まったら、これまでみたいに会えなくなるんじゃないかって心配してたんですよ」
もちろん初耳だった。
「そんで、じゃあ告っちゃえば? と私が言ったんです。で、だったらまずデートだろ、と」
軽い。開けっぴろげな言い草に苦笑する。そういう裏があったらしい。
これは直接関係ない話だが、タクミとるーは双方とも携帯を持っていて、今もメールのやりとりを続けているという。
時代も変わったもんだ、と奇妙な気持ちになる。
男たちの反応はどうだったかというと、彼らには報告が遅れた。
屋上さんと二度目のデートに行ったあと。そろそろ報告しておくか、と久しぶりに三人を呼び出した。
サラマンダーはなぜだか笑い転げて、キンピラくんはどうでもよさそうに窓の外を眺めていた。
マエストロだけが呆然と俺の顔を睨んでいた。
その日の夕方、丘の上の公園に、ひとりの男の咆哮がこだましたとかしてないとか。
後になってサラマンダーから聞いたので、まぁ、実際に叫んだんだろう。
そんなこんなで、夏休みが終わった。
922: 2011/08/11(木) 15:07:11.03 ID:FyktQczwo
二学期が始まって、また忙しない学校生活が始まる。長い休みでだらけきった生活リズムを正すのは困難を極めた。
とはいえ、学校にいかないわけにはいかないし、いきたくないわけでもない。
起きなければならないことはわかっているが、それで眠気が吹き飛ぶわけでもない。
ベッドの中で寝転がる。学期が始まって何日かたった今でも、体はまだ眠さに負けそうになる。
そうこうしているうちに、休み中ずっと眠っていたなおとが、それまで休んでいた分を取り戻そうとするみたいに騒ぎ始めた。
目覚まし時計のアラームは融通がきかない。
が、ここ数ヶ月で親しくなれた感があるし、起こしてもらっているわけなので、殴ったりはしなかった。
ここ最近の俺は特にゴキゲンです。
起き上がって学校に行く準備をする。残暑はまだまだ続きそうだ。
リビングに下りると妹が朝食を並べていた。一緒になって食べる。
休み中はだらだらと過ごしていた妹も、学校が再開されてからはまたきっちりとし始めた。
一緒に家を出る。そのうち屋上さんと一緒に登校したいな、と思うのだが、いまいち言い出すきっかけがない。
距離的にも道的にも、できないわけではないのだが。
まぁそれより先に、未だに強引に一緒に登校しようとする幼馴染をなんとかするのが先かもしれない。
最近ではわざと屋上さんを挑発するみたいなことを言い出す始末。ひやひやする。女って怖い。
とはいえ、俺がいない場所ではそこそこ仲良くやっている、らしい、が。
どうだろう。そこらへんの機微は良く分からない。問題があるというわけではないようだが。
教室につくと、マエストロが俺の席で薄い本を読んでいた。
またかよ、と思うと同時に、なんとなく嫌な予感がする。
静かに声をかける。
「マエストロ、何読んでんの?」
彼は表紙だけをこちらに向けた。
好きなヒロイン。
やっぱこいつは敵だ、と思う。
923: 2011/08/11(木) 15:07:39.35 ID:FyktQczwo
「……まぁいいや」
なんでもないつもりでそう言い放つと、マエストロの眼光がぎらりと歪んだ。
「まぁいいや、だと?」
怖い。
なんか踏んだ。
「おまえ、彼女できたからって調子に乗りやがって! 自分はソンナモノ興味ないですよ、みたいな顔しやがって!」
彼はガタイがいいので、大声で騒ぐと迫力がある。
困る。
「いや、落ち着け」
「落ち着け、じゃねえよ!」
彼は俺が何かを言うたびに声を荒げた。
どうしろっていうんだ。
「なんか最近上から目線になりやがって! おまえだって依然として童Oだろうが!」
――そりゃそうなんだけど。
彼の叫びが終わると、教室は耳鳴りのしそうな静寂に包まれた。
周囲のクラスメイトたちから、ああ、この夏もこいつはダメだったのか、みたいな目で見られる。
済、のハンコが全員に押されてる気がした。馬鹿にしやがって。
ふと視線に気付いて振り返ると、教室の入り口に、幼馴染と屋上さんがふたりで立っていた。
「……」
「……あー」
言葉をなくす。
デジャビュ。
やがて屋上さんは、困ったみたいな声音で言った。
「……童O、だもんね」
……なんというか。
否定しようのない事実だった
924: 2011/08/11(木) 15:08:10.91 ID:FyktQczwo
とりあえず、目下のところ、火急の解決を要するような要件はないのだが、ひとつ考えはあった。
別に急いで変えるようなものでもないのだけれど、まぁ、今のままよりは、というもの。
呼び名。
いつまでも、屋上さん、と呼ぶのもどうか、という気がした。
なので近々、そのことについての提案をしようと思うのだが、学校に来るたびに、別にこのままでいいんじゃないか、という気になってしまう。
なにせ彼女は、昼休みのたびに、やっぱり屋上でサンドウィッチをかじっているのだ。
屋上に続く鉄扉を開ける。彼女はフェンスの近くに座って、サンドウィッチをかじりながらツバメでも探してる。
今日も今日とて。
話しかけるわけでもなくその横に座って、彼女と一緒に昼食をとる。
こういうことをしていると、夏休みの前となにひとつ変わっていないような気がした。
でもまぁ。
なんとなく、という幸せ。
問題があるとすれば、近頃やたら、屋上さんにイニシアチブを握られているというところだ。
「ねえ」
不意に屋上さんが口を開いた。
「キスしよっか」
「え」
突然なにいってるんだこの人は、と思った。
ともあれ。
そこらへんの顛末は、あまり語るべきことでもない。
925: 2011/08/11(木) 15:10:08.04 ID:FyktQczwo
おしまい
誤字脱字、見直しただけでも多すぎるので、申し訳ないんですが訂正しきれません
投げっぱなしの伏線とか突っ込みどころとか不満とかあると思います、が、たぶんこれ以上は書きません
ありがとうございました
誤字脱字、見直しただけでも多すぎるので、申し訳ないんですが訂正しきれません
投げっぱなしの伏線とか突っ込みどころとか不満とかあると思います、が、たぶんこれ以上は書きません
ありがとうございました
926: 2011/08/11(木) 15:16:21.20 ID:gqiMOpLg0
お疲れ様でした
927: 2011/08/11(木) 15:16:27.50 ID:jatzpOyc0
イッツビューティフルワァールド!!!
感動した!!
映画になってしまえ!!
乙
感動した!!
映画になってしまえ!!
乙
930: 2011/08/11(木) 15:21:44.57 ID:NPHIq1zAO
乙
面白かったです
ただスレタイの幼馴染みに釣られた身としてはなんとなくしょんぼりしたのでした
面白かったです
ただスレタイの幼馴染みに釣られた身としてはなんとなくしょんぼりしたのでした
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