392: 2012/10/24(水) 16:00:06.83 ID:RluAtI6Yo

前回:姪「お兄ちゃんのこと、好きだよ?」男「……そう?」破
◆急


 そのときのわたしには、その人が、なんだか泣いているみたいに見えた。





397: 2012/10/27(土) 12:33:02.18 ID:2YHTalj/o




 彼女の顔を見たとき、僕は唐突な不安に駆られた。それはすぐに言語化して脳を支配する。

「彼女の氏は不可避のものではない。それだけ分かれば十分だった」?

 なにが、十分なのだ?
 
 僕はこうも想像した。魔女の想定は外れ始めているのではないか、と。
 そもそも僕が姪を探さなくなったのだって、魔女のところに彼女がいると分かったからだ。
 魔女にはどうやったって手出しができない。そう漠然と感じていたからだ。
 
 その魔女の思惑が外れつつあるとしたら。
 姪の身に今何が起こっているのか、僕にはまったく分からないのではないか?
 
 どうしてそんなことに気付かないほど呆けていられたんだろう。
 事態はまったく変わっていない。
 僕はもっと事態に考えを巡らせるべきだった。"現に彼女はいなくなってしまっている。"

 僕はひとりの少女と手を繋いでいる。彼女は彼女に良く似ているかもしれないけれど、別人だ。
 目の前には見覚えのない同い年くらいの女の子が立っている。
 彼女はきっと、魔女なのだろう。

アホガール(12) (週刊少年マガジンコミックス)

398: 2012/10/27(土) 12:33:43.88 ID:2YHTalj/o

 苛立たしげに眉を寄せ、魔女は息を吐く。

「ずいぶんと、仲良くなったみたいだね」

 怒気の含まれたその声に、僕は心底恐れを抱く。
 
「もう、代わりがいるからどうでもよくなったわけ?」

 僕は一瞬、繋いでいた手をふりほどきかけた。
 咄嗟の判断でそれを押しとどめる。でも、僕は本当のところどうするべきだったんだろう?
 僕は彼女の手を握るべきではないのかもしれない。
 僕は彼女について何かの責任を取ることができない。

 つまり、無責任なこと。
 僕がしているのはそういうことだ。

 でも、離すことはできない。それはあまりにも無惨なことに思えた。

「混乱してるみたいだね。なんていうかさ、あなたは自分が何をやっているのかも分からないんじゃない?」

 目の前の少女は言う。僕はひどくうろたえてしまう。
 彼女は笑った。
 その笑顔は僕を居心地悪くさせていく。


399: 2012/10/27(土) 12:34:22.51 ID:2YHTalj/o

「……きみが、魔女?」

 僕がたずねると、彼女は意外そうな顔をした。

「なに、それ?」

"魔女"と。
 そういえば、誰がそう呼んでいたんだっけ?
 なんだか、さまざまな情報が混乱している気がする。誰が何を知っていて、誰が何を知らないんだっけ。
 僕は何を知っていて、僕は何を知らないのか。

 なんだかまた頭が混乱している。
 落ち着け。今何が起こっているのか、しっかりと理解しようとしろ。

 理解しようとする意思が必要だ。それを保ち続けることが必要だ。
 思考を止めないことが。

 それがたぶん必要なことなのだ。

400: 2012/10/27(土) 12:34:53.85 ID:2YHTalj/o

 僕は彼女の顔を見る。
 どうしてだろう。見覚えなんてないのに、僕は彼女のことをよく知っている気がした。

 彼女の仕草、表情、立ち姿。そういったものにはまるで見覚えがない。
 にもかかわらず、彼女のそれは、誰かに似ている気がした。
 誰かと同じだという気がした。

「もう全部終わりにしよう。あの子に会わせてあげる」

 彼女はそう言った。そう言えるということは、彼女は姪の居場所を知っているということだ。
 でもそんな言葉より、彼女のやけになった態度の方が気になった。

 たぶんそれがいけないんだと思う。
 僕は姪ひとりのことだけを考えていればいいのに。
 どうしたって気になってしまう。
 僕は繋いでいる手の力を強めた。少女は僕の傍らで黙っている。
 僕は責任をとれない。 


401: 2012/10/27(土) 12:35:19.64 ID:2YHTalj/o

「なんだかね、けっきょく、どうしようもないんじゃないかって気がする」

「……なにが?」

「けっきょく、わたしが逃げただけなんだと思う。そのせいで、こんなことになったんだって」

「何の話?」

「わたしが勝手に氏んだから」

 と彼女は言った。

「勝手に氏んだくせに、こんなところまで来て、ぜんぶ台無しにして、混乱させてるから。
 いいかげん、終わりにしようって。けっきょくわたしが、受け入れれば、それで済むことだから」

 要領を得ない、うんざりするような口ぶり。
 
「だってけっきょくわたしが最初に逃げ出したせいだから」

 自責のような言葉が、子供のわがままみたいに吐き出され続ける。


402: 2012/10/27(土) 12:35:48.65 ID:2YHTalj/o

「……でも、わたしは大丈夫なんかじゃなかったから」

 僕はその言葉に、どうしようもない苛立ちを感じた。
 もしくは、彼女がそんな言葉を吐かなければならない状態に苛立ちを感じた。
 ケイと初めて会ったとき、僕の中には、魔女の正体の心当たりが生まれていた。

 だとすれば、その憤りは彼女自身というよりは、僕自身に対するものになる。

「でもね、勘違いしないで」

 彼女はそのとき、とても綺麗に笑った。
 僕と手を繋いだ少女が、少し強く僕の手を握った。
 ふたりの少女。

「なんていうか、わたしってばかだったなあ、って、そう思ってるだけだから」


403: 2012/10/27(土) 12:37:01.26 ID:2YHTalj/o





 
 その頃のお兄ちゃんは、なんだかとても疲れているように見えた。
 疲れているというよりは、それはもう、憔悴していると言ってもいいくらいに。
 夏休み中はずっとアルバイトが入っていた。

 お兄ちゃん自身の希望もあったみたいだけど、実際には、単に人手が足りないという部分の方が大きかったらしい。
 バイト先のコンビニはトラブル続きで、しかも忙しくて、それに加えて人間関係もごたついていてと、ろくなものじゃなかったという。
 割に合わないバイトなんて、やめちゃって他を探せばいいんじゃないかって今なら言える。

 でもそういうのは、あとになってからおばあちゃんに聞いた話で、その頃のわたしはまったくそんなことを考えていなかった。
 それに、お兄ちゃん自身、仕事を辞めたかったというわけではなかったという。
 
 というか、仕事を辞めるのを怖がっているみたいでもあった、とおばあちゃんは言っていた。
 今ならなんとなく、お兄ちゃんのそういう性格について、納得のいく部分もある。

 お兄ちゃんは根本的に自分というものを信じていないし、自信というものをまったく持ち合わせていない人間なのだ。
 楽なバイトって言えばまっさきにコンビニってあげられるくらいだから、コンビニの店員なんて楽な仕事だ、とみんなが思う。
 大変だ、とはよくお兄ちゃんも言っていたけど、たぶんそれでも、他の仕事に比べれば楽なものだと思っていたんだろう。


404: 2012/10/27(土) 12:37:40.07 ID:2YHTalj/o

 だからこそお兄ちゃんはバイトを続けた。
 コンビニのバイトくらい続けられないんじゃ、この先どうにもならない、と。

 そういうよく分からない思考をする人だった。なんていうか、頭は悪くないくせに根本的にバカな人だった。
 変に真面目なものだから、仕事をばっくれることもできなかったんだろうし。
 もっと要領よく生きればいいのに、変な枷を自分から嵌めるタイプの人間だった。

 そんなわけでとても疲れていて、その様子はわたしの目から見てもすごく深刻だった。
 もちろん、休みがまったくないわけじゃなかったし、肉体的な支障が出るほどではなかった。
 ただその頃、お兄ちゃんはとても精神的に思いつめていたんだと思う。
 
 何かを必氏に考えて、答えの出ない堂々巡りの中で頭を抱えていたんだと思う。

 そういうことがなんとなくわたしにもわかったのだ。

 お兄ちゃんは学生なのにろくに遊びもしないし、ろくに彼女だって作らなかった。


405: 2012/10/27(土) 12:38:54.46 ID:2YHTalj/o

 あの頃のわたしからすればお兄ちゃんはものすごく大人だった。
 でも、同年代になった今にして思えば、特になんていうことのない人だったんだなあと思う。
 いや、わたしだって別に遊んだり彼氏を作ったりしてたわけじゃないにしても。

 なんというか、そういうわたしの中の「大人なお兄ちゃん像」みたいなものは、最近では壊れてしまっていた。
 それでも、わたしの中のお兄ちゃんに対する憧れのような感情は、まったく消えることがなかったんだけど。
 自分でもバカみたいだよなぁと思いつつも、お兄ちゃんのことを考え続けている自分がいじらしくもありアホみたいでもあり。

 ――いや、その話は横においといて。

 とにかくお兄ちゃんはろくな息抜きもしなかったし、それなのに職場のごたごたや家の中のあれやこれやを引き受けるから、すっかり参ってしまっていた。
 
 それであの花火大会の日。
 まだ幼くていい子でけなげだったわたしは、じゃあお兄ちゃんの迷惑にならない子になろうと、密かに誓ったのだった。
 

406: 2012/10/27(土) 12:39:26.24 ID:2YHTalj/o

「ねえ」

 と、帰りのバスの中でわたしは言った。

「わたしね、お兄ちゃんのこと、好きだよ?」

 臆面もなくそんなことを真顔で言える自分を思い出すと顔から火が出そうになる。
 なんていうかもう、無邪気だった。あの無邪気さをとりもどしたくもあり、記憶から削除したくもあり。

「……そう?」

 お兄ちゃんはそのとき、「こいつまた妙なことを言いだしたぞ」みたいな顔でわたしを見た。
 今思えば、真剣だったわたし(子供時代)に対して失礼この上ない態度じゃなかいだろうか。
 そういうお兄ちゃんの気のない態度が、のちのちわたしが氏ぬ原因にもなるのだから笑いごとじゃない。

「おじいちゃんのことも、おばあちゃんのことも好きだよ」

「うん」

「お母さんのことも……」

 その頃のわたしには、お母さんについてのことも一大事だった。
 結局お母さんはその三年後には蒸発してしまった。
 まぁたぶん樹海かどこかで氏んでるんじゃないかと思うんだけど。


407: 2012/10/27(土) 12:40:13.24 ID:2YHTalj/o

 今思えばろくな親じゃなかったなぁと思うけど、それでも嫌いになったわけじゃない。
 いや、どうだろう。よく分からない。

 でも、お母さんがお兄ちゃんを困らせる姿は、その頃から何度も見ていた気がする。 
 勝手な言い分でいいように使ったり、わたしのことでお兄ちゃんを責めたり。
 どっちのことも好きだったけど、わたしには既にその頃から、お母さん<お兄ちゃんみたいな図式が完成していたのかもしれない。

「お母さんは、わたしのこと嫌いなのかな」

 もちろん、お母さんがわたしのことを愛していたのか、愛していなかったという問題は、氏んだ今になってすらわたしの胸に残っている。
 考えてもしょうがないことだし、客観的に答えはもう出ているのかもしれないけど。

「分からない」

 それでもお兄ちゃんはそうやって答えを濁した。濁した時点で、答えたようなものかもしれない。
 わたしには、お母さんがわたしのことを、機嫌のいいときですら愛玩動物程度にしか考えていないことがなんとなく分かっていた。
 だったら、せめてわたしのことを愛してくれている人のための子供になろうじゃないかと。
 わたしはお兄ちゃんのための「良い子」になったのだ。


408: 2012/10/27(土) 12:41:51.22 ID:2YHTalj/o

 わたしの自分プロデュースはまさしくその日から始まった。その変貌ぶりはすさまじいものだった。我ながら。
 それまでのわたしの生活は食べる・寝る・遊ぶの子供スタイル。気分が乗れば家事の手伝いをしたりもした。
 思えば家庭環境の割に、普通の子供みたいな生活を送れていた気がする。このあたりは祖父母の尽力が大きかったんだろう。
 おじいちゃんとおばあちゃんには頭をいくら下げたってたりない。 

 わたしはまず祖母に掃除、洗濯、料理を教わった。

 最初に教わったのは料理で、本当に初歩的なことしかやらせてもらえなかったし、逆に足手まといになる場合の方が多かったように思う。
 それでもわたしには、家族のために何かをしているんだという自信が生まれて、なんとなく嬉しかったのを覚えている。
 徐々にできることが増えていって、いろいろなことを覚えていくうちに、なんとなく視野が広がっていくのも感じた。

 小学校六年生になる頃には、わたしはほとんどの家事を自分ひとりでこなせるようになっていた(ちょっとだけ自慢)。
 
 とにかく早くしっかりして、お兄ちゃんのサポートをしなくては、と思ったのだ。
 わたしがそうした手伝いを始めた時期に、お兄ちゃんの職場では何かが起こったらしい。
 詳しいことは分からないけれど、その出来事の結果、お兄ちゃんはバイトをやめて、ただの学生になった。
 
 遊んでもらえる時間は増えたし、仕事がなくなってお兄ちゃんも身体的な不調を訴えることがだいぶ減った。
 そのかわり、以前から考え込んでしまう性格だったお兄ちゃんが、より一層思い悩むことが増えたように思う。
 このことがわたしには少しだけ不満だったけど、でも一緒に居る時間は増えたんだしまあいいか、という気持ちの方が大きかった。
 

409: 2012/10/27(土) 12:42:31.22 ID:2YHTalj/o

 時間が経つに連れてわたしはお兄ちゃんにより一層なつくようになったし、母はそれを不愉快そうに眺めることが多くなった。
 この頃になると母はお兄ちゃんに対してあからさまな敵意を見せるようになった。
 
 それを祖父母が咎めると、もう状況は最悪。お兄ちゃんは気を遣って、母のいる前ではわたしに近付かないようになった。
 別に母のことが嫌いになったわけじゃない。でも、その頃にはもう、母はわたしにとって邪魔者でしかなかった。

 だからお母さんが蒸発した日、お兄ちゃんがわたしに泣いて謝ったときも、わたしは決して泣かなかった。
 わたしのことを考えて泣いてくれるお兄ちゃんのことを考えていただけだった。

 わたしはそのとき、お兄ちゃんのために生きようと決めたのだ。
 とにかくお兄ちゃんのために生きよう、と。
 そうした自分の考えが、周囲の常識に照らし合わせればだいぶ逸脱していることに、わたしは自分でも気づいていた。
 なんせわたしは、当時中学生だったわけで。


410: 2012/10/27(土) 12:43:20.24 ID:2YHTalj/o

 母親が自分を捨ててどっかに行ってしまったんだから、普通は絶望的な感情に襲われそうなものなのに。
 悲しいことは悲しかったけど、どちらかというと身勝手な母親に対する怒りの方が大きかった。

 本当のことを言えば、よく分からなかったことも大きいんだと思う。
 母のことを自分のなかで上手く処理できていなかったのだ。わたしは母のことがよくわからなかった。
 だからあまり考えないようにしていた。だって、よくわからなかったから。

 この頃は、自分の中のお兄ちゃんに対する感情が恋愛感情だなんて思いもしなかったけど。
 思いもしなかったというか、そもそも恋愛を自分には遠いものとして扱っている節があって、気付かなかったんだけど。

 氏んだ今になって思えば、わたしはあの頃からお兄ちゃんのことが好きだったんだなぁと感心する。
 ……あほみたいだなぁと思いつつも。


411: 2012/10/27(土) 12:43:47.00 ID:2YHTalj/o

 わたしが中学にあがるということは、お兄ちゃんは高校を卒業するということで。
 正直、このころのわたしはお兄ちゃんが一人暮らしでも始めるのではないかと気が気じゃなかった。
 進学にしても就職にしても、どうにかして自宅から通える範囲にしてほしいものだと。
 
 わたしはお兄ちゃんのために生きようとぼんやり考えていたけれど、お兄ちゃんから離れた生活なんて想像もつかなかった。
 その意味では母の蒸発がお兄ちゃんの選択にも関わってきたのだと思う。
 わたしのことを放っておけないと思ったのかもしれない。
 結局お兄ちゃんは自宅から通える範囲の場所にあっさり就職を決めてしまった。

 複雑な気分ではあった。
 お兄ちゃんの枷になりたくないのか、お兄ちゃんと一緒にいたいのか。
 そのどちらが優先的な気持ちなのか、わたしには判断がつかない。

 でも、たぶんどっちも同じなのだ。
 わたしはお兄ちゃんと一緒にいたかったから、できるかぎりお兄ちゃんの邪魔になりたくないと思ったのだ。
 邪魔にならないかぎり、お兄ちゃんは一緒にいてくれるはずだから。
 少なくともその頃のわたしは、そう信じていたから。


412: 2012/10/27(土) 12:44:14.68 ID:2YHTalj/o

 その頃になると、働き始めたお兄ちゃんのお弁当はわたしが作っていたし、朝食も夕食もわたしが作ることが多くなっていた。
 というか、わたしがやりたがったのでおばあちゃんがその座を明け渡したことになる。

「まるで奥さんみたいね」

 なんておばあちゃんは茶化した。わたしは「もう、やめてよ」なんて嫌がってみせたけど、内心ではかなり浮かれていた。
 実際、その頃のわたしは仕事から帰ってくるお兄ちゃんを家で迎えるのが嬉しくてしょうがなかった。
 
「おかえりなさい」

 とわたしが言うと、お兄ちゃんは少し疲れた顔に微笑をのせて、

「ただいま」

 と照れくさそうに笑うのだ。
 これって新婚さんみたい? なんてバカみたいに浸っていた自分が恥ずかしいやら埋めたいやら。


413: 2012/10/27(土) 12:44:52.67 ID:2YHTalj/o

 そこまで行くと病的だよなぁ、と、思わなくもないのだが。
 ていうかその頃には気付いていた。
 自分がだいぶおかしい、ということには。

 とにかく、わたしはお兄ちゃんのことが好きだったし、お兄ちゃんと一緒にいるのが好きだった。
 
 でも、この頃になると、お兄ちゃんの方の態度が変わってきた。
 なんだか、わたしにたいして距離をおきたがったりすることが多くなった。
 
 硬化した、というか。
 あからさまに変な態度だった。

 その頃になるとわたしは自分の中の感情が、どうやら恋愛感情と呼ばれるものらしいと気付き始めていた。
 もちろん、どう足掻いたって叶うようなものではないので、早々に見切りをつけたんだけど。
  
 だからといって他の男の人に自分が惹かれるとは思えなかった。
 少なくとも同年代の男子は、自分には遠い存在に思えた。かといって年上なんてもっと遠い。
 
 今にして思えば――単純に、お兄ちゃん以外の人間をそうした対象として見ていないというだけだったんだと思うけど。
 
 勉強だって熱心にしたし、部活にだって打ち込んだ。友達だってできた。
 そこそこ充実した中学校生活を送ったわたしは、当たり前みたいに卒業して、高校受験に合格し、中学生じゃなくなった。
 
 その年のことだった。
 お兄ちゃんがとある女の人を恋人として家に連れてきたのは。


418: 2012/10/28(日) 13:19:58.27 ID:DOJagQqEo

 お兄ちゃんに言わせれば、そのとき女の人を連れてきたのは単にそうしたいとねだられたからで、深い意味があったわけじゃない、とのことだった。

 深い意味もなく女の人を家に連れてくるあたり、なんともお兄ちゃんらしい話だが、まぁそれはさておき。
 さいわいというべきか、その女の人とはあんまり続かなかったらしい。
 兄ちゃんと気の合う女の人なんて、そうそういないだろうことは分かっていた。ていうかいたら驚きだ。

 今だからこそ落ち着いてそう言えるけど、当時のわたしは大パニックだった。
 なにせお兄ちゃんに恋人ができるなんてことすら想像していなかったんだから(失礼な話だ)。
 
 けれどそうしたことが起こったとき、わたしは自分に対して疑問を投げかけずにはいられなかった。

「わたしはいつまでお兄ちゃんと一緒にいられるのか?」

「いつまでお兄ちゃんと一緒にいたいと思っているのか?」

 わたしはお兄ちゃんと自分との関係を変えたいとは思っていなかった(とその頃は思っていた)。
 そして、わたしとお兄ちゃんの関係が単なる姪と叔父である以上、何があろうとその関係は揺るぎないはずなのだと信じていた。

 だが、その考えは、ちょっと自問を続けているとすぐに揺らいだ。 

 少なくとも、わたしはお兄ちゃんの姪であって妹ではない。もともと同居しているのが自然な存在ではないのだ。


419: 2012/10/28(日) 13:20:24.78 ID:DOJagQqEo

 わたしとお兄ちゃんは時間が経てば(まぁ普通の兄妹関係だってそうなんだけど)離ればなれになる宿命。
 悲劇として酔いしれるには、その問題はわたしにとって切実すぎた。

 お兄ちゃんと離れてしまって――わたしは上手く生きていけるんだろうか?
 お兄ちゃんと一緒にいるためだったら優等生にもなれたし、真面目にもなれた。
 きっと劣等生にだってなれたし、不真面目にだってなれただろう。

 でも、お兄ちゃんがいなくなったら、わたしは何かで在りつづけることができるんだろうか。

 なんだかそれを想像すると、自分の存在がすごく希薄になってしまう気がした。
 さっきまで鮮やかな色をしていたゴム風船が、クラゲみたいに色を失う。
 そんなふうに、自分の存在感が、まるまる消えてしまう気がした。

 自分でも異常だと思った。
 別にお兄ちゃんだけじゃなくてもいいのだ。
 わたしには祖父母だっていたし、またそれで不足なら母の消息を追うことだってできた。
 わたしにはそうした、宙ぶらりんのままほったらかしにしてしまった「わたし自身」についての問題がいくつかある。


420: 2012/10/28(日) 13:20:50.22 ID:DOJagQqEo

 でもわたしは、どうしたってお兄ちゃんの傍から自分がいなくなることを想像できなかった。 
 そうなるとわたしはクラゲになってしまうのだ。

 実際、その頃のわたしは色を失いかけていた。
 お兄ちゃんの態度がおかしくなって、女の人を連れてきて、それで成績が少しずつ落ち始めた。
 
 わたしの様子がおかしいことに、お兄ちゃんだって気付いていたはずだと思う。でもお兄ちゃんは何も言わなかった。
 だからなおさら成績が落ちた。

 ひょっとしたら、これ以上ないというところまでクラゲになりきってしまえば、お兄ちゃんが何か言ってくれるかもしれないと思った。

 でも、悲しいかな、わたしはわざと悪い点数を狙えるほど器用じゃなくて、成績の下降は一定位置でストップしてしまった。

 それでも祖父母からは何かあったのかとは訊かれた。
 かといって真剣に答えたところで問題が解決するわけではなく、大丈夫だよと答えるしかなかったんだけど。



421: 2012/10/28(日) 13:21:16.69 ID:DOJagQqEo

 もっと切実な問題も、あるにはあった。

 単に離ればなれになるだけなら、お兄ちゃんはわたしのことを考え続けてくれるかもしれない。
 でもたとえば、お兄ちゃんに結婚して、そして子供ができたら?
 わたしのようなどっちつかずのまがいものじゃない、本当の子供ができてしまったら?

 不仲だった姉との子供なんて、その子供との関係なんて、疎ましく思うだけではないだろうか?

 もちろんお兄ちゃんがそんな人ではないことは分かっていた。分かっていたけれど、絶対の自信もなかった。
 わたしはお兄ちゃんに、都合のいいお兄ちゃん像を押し付ける悪いくせがあったことを自覚していたから。

 そんなわけでその頃から、わたしの生活を奇妙な不安が覆い始めた。
 それは霧のようにわたしの生活を覆い尽くして、いつまでもわたしのことを憂鬱にさせ続けるのだ。
 
 つまりわたしは、根本的にお兄ちゃんに対する気持ちに「見切り」なんてつけられていなかったのだ。
 わたしは、頭では分かったようなことを考えているつもりになっていても、実際的にはお兄ちゃんの隣に居続けたかった。

「いつか離れる」ことを受け入れられないなら、それはいつまでも一緒にいたいってことだ。
 いつまでも一緒にいたいってことは、ようするに、たぶん、その人のことが好きだってことだ。
 
 わたしは、お兄ちゃんのかたわらに立ち、お兄ちゃんと共に生活するのが自分であってほしいと願っていた。 


422: 2012/10/28(日) 13:21:51.51 ID:DOJagQqEo

 趣味の悪いことに――お兄ちゃん自身は知らなかったけど――わたしとお兄ちゃんに直接の血縁関係はなかった。
 というのも、わたしの母――つまりお兄ちゃんにとっての姉――とお兄ちゃんとの間に血縁関係がなかったからだ。
 というよりも、もっとはっきり言ってしまえば、お兄ちゃんとわたしの祖父母との間に血縁関係がなかったのだけれど……。
 いや、なかったわけではないか。でもまあ、そのあたりは祖父母とお兄ちゃんについての話になってしまうので省略する。 

 少なくとも法的には、わたしの気持ちには何の問題もなかったということになる。
 ……でも、法律以外の部分というのが大事なのだ。

 たとえばお兄ちゃんは、自分を育てた父母との間に血縁関係がないことを知らない。
 たとえば祖父母は、姉とお兄ちゃんを、わたしとお兄ちゃんを、分け隔てなく平等に育ててくれたはずだ。
 たとえば世間は、わたしとお兄ちゃんを、叔父と姪として、もしくは兄と妹として以外に見てくれないだろう。

 そうしたあれやこれやの問題こそが、現実としては大事なのだ。

 仮にそういった一切のことを無視して、お兄ちゃんと一緒になることができるか? と自問すれば答えはノー。
 明白に問題が多すぎる。第一お兄ちゃんの心情をまったく考慮していない。
 そんなわけで、わたしは自分の気持ちに気付いた後もそれを抑え込むはめになった。
  

423: 2012/10/28(日) 13:22:32.15 ID:DOJagQqEo

 これが憂鬱に拍車をかけたわけで、そりゃあ思いつめて自殺のひとつでもしたくなるよ、と自分に同情したくもなる。
 わたしは健気にも、お兄ちゃんの態度が変わってしまった後も彼の為に新妻よろしくお弁当を作り、毎朝送りだしていたわけで。
 それを思えば自分がかわいそうで涙が出そうになる。

 なんせ完全に叶わない恋なわけで。
 さらに言えば、相手は恋人なんかを気ままに作っちゃうくらいにこっちを見向きもしてないのだ(したら問題があるけど)。
 
 とはいえわたしは、お兄ちゃんが好きだという、ただそれだけの事実を思い出すだけで幸せに浸れるくらいの色ボケだったので。
 憂鬱になりつつも、日々をたしかに楽しんでいたのだけど。

 その頃のわたしは、お兄ちゃんとはろくに話せないし、優等生としての友人関係にも疲れていた。
 ので、いつも屋上でぼんやりと過ごしているとある男の子と話すようになった。ケイくんとわたしは呼んでいた。
 
 そのころちょうど夏目漱石の「こころ」を読んでいたからって、ただそれだけの理由だったりするんだけど。
 実際、「ケイ」と呼ぶにはちょっと不適切だという気がする。なんでかは分からないけど。
 
 でも、まぁ、彼は本名で呼ばれることを嫌っていたから仕方ない。
 というよりは、自分の家が嫌で仕方なかったのかもしれない。詳しいことは知らないが。

 とにかくわたしは、自分の中で何かがどうしようもなくたまっていくのを感じたとき、どうでもいい話を彼にして気を紛らわせた。
 彼は少しだけ、お兄ちゃんに似ていたから、わたしは少しだけ彼のことが好きだった。

 嫌な想像に振り回されて疲れつつあったわたしは、その頃からあんまり深く物事を考えないようになっていた。
 考えるとすぐ悪い可能性ばかりが浮かんでくるから。
 

424: 2012/10/28(日) 13:23:13.14 ID:DOJagQqEo

 お兄ちゃんの態度は一向に変わらず、かといって自分からお兄ちゃんを問い詰める勇気も持てずに一年を無駄にした。
 ここで大きな変化が起こる。たぶんこれがわたしの氏因。……とは言わないか。なんていうんだろう、こういうのは?

 お兄ちゃんが家を出て一人暮らしを始めたのだ。もうこれでアウト。わたしのメンタルはやられてしまった。
 お兄ちゃんが家を出たら、わたしは祖父母と暮らすことになる。
 祖父母はわたしのことを気遣ってくれたけれど、母のことでさまざまな感情がないまぜになった複雑な思いをわたしに向けていた。
 申し訳なさとか、負い目。愛情とか憎悪とか、そういうものまで。

 だからわたしは、祖父母と三人で生活していくのがつらかった。
 でもお兄ちゃんはいなくなってしまった。まるでそうしないとどうにかなってしまうみたいに。
 
 で、わたしはもう、ここらへんでどうしようもなくなった。
 だって、家に帰ってもお兄ちゃんはいない。しかもお兄ちゃんは、一人暮らしを始めて、部屋に恋人でも連れ込んでるかもしれない。 
 もっと言えばある日「できちゃいました」とか言って帰ってくるかもしれない。 
 わたしはそういったことを想像するだけで吐き気がするほどにつらかった。

 比喩じゃなく吐いた日もあった。


425: 2012/10/28(日) 13:23:39.44 ID:DOJagQqEo

 ある激しい台風の日、わたしは家にひとりぼっちで、どうしようなくつらくて誰かに会いたくなった。
 誰かに会いたくなったんだけど、誰に会えばいいのか分からなくなった。
 
 たぶんお兄ちゃんに会いたかったんだろうし、お兄ちゃんに会いに行こうと思えば会いに行けたんだけど。
 でも、なんていうか、それは困難だった。
 なぜだろう? ほとんど白昼夢じみた実感をともなった映像が見えたのだ。

 お兄ちゃんがわたしの知らない女の人と一緒に居て。
 それから小さな子供を抱いて笑っている光景が。

 なんていうか、それだけでわたしはどこにも行けなくなって。
 家に帰るのもつらくて。
 誰かに会いたかったんだけど、わたしにはお兄ちゃん以外の人がいなかったから。

 だから――。

 その台風の日、わたしは川に身を投げた。
 古風で、なかなかいい。



426: 2012/10/28(日) 13:26:59.46 ID:DOJagQqEo

 で、氏んだ。
 思えば短い人生だったと思う。なんせお兄ちゃん一色の人生だ。
 こんなことだったらもうちょっとあほみたいに生きればよかったかなぁとも思う。
 でも、まぁいいか、とも思う。わたしはお兄ちゃんのことが好きで好きで仕方なかったんだから。

 痛くて苦しくて氏ぬかと思ったけど(氏んだんだけど)、こんな氏に方もありだろう。
 
 そりゃ、未練は山ほどあるし、納得はいかないけど、でも氏んじゃったんだからしょうがない。

 ――ところで。
 氏んだなら、今こんなことを考えているわたしはいったいなんなんだろう?

 わたしはそんなことを考えて――仕方なく目を開けた。
 開けて、光を感じた。
 それはすごく暗い光だったけど、すごくまぶしく感じた。青くて、黒くて、冷たい光だった。
 薄暗くてよくわからない場所に、わたしは放り出されていたのだ。

「おはよう」

 と、女の声がした。
 
「はい?」

 と間抜けに問い返したわたし(享年十六歳)。
 いったい何が起こったんだろう?
 わたしは上半身を起こして首をかしげて、それから自分の身体が動いていることをはじめて意識した。

「なにこれ」

 とわたしは言った。残念ながら、誰も教えてはくれなかった。 

431: 2012/10/29(月) 15:10:45.55 ID:nZA5eeUmo




「どちらさま?」

 とわたしは訊ねた。目の前に立つ女の人はちょっと爽やかな風貌。
 薄暗くて底冷えする空間に、その恰好はあんまりに不似合。
 でも、彼女の場合はひょっとしたらどこにいてもこうかもしれない。

 ときどきそういう人がいるのだ。
 どこにいても上手く馴染めない人間。馴染まない人間。

 彼女は小さく微笑して、

「魔法使い」

 とからかうように言った。

「……はあ」

 わたしはとりあえず頷く。よくよく考えれば彼女が誰かを知ったところで何の意味もなかったのだが。


432: 2012/10/29(月) 15:11:15.23 ID:nZA5eeUmo

「ちょっとあなたに提案したいことがあって」

「……提案?」

 わたしは首を傾げたけれど、そもそもわたしは自分がどういう状況にあるかも分かっていなかった。
 氏んだんじゃなかったっけ? そもそもここはどこなのだ?

「ここは控室」

 女の人はそう言って、

「みたいなところ」

 と付け加えた。

 ……いや、その説明じゃさっぱり分からない。

 わたしは周囲の様子を眺める。音を立てて唸るポンプのような機械。床や天井を這いまわる何かのパイプ。
 ポンプにはハンドルと何かの数値計。そういったものがあちこちに配置されている。壁は打ちっぱなしのコンクリート。

 わたしはその光景に覚えがある。

「水族館の地下?」

「というよりは、えっと、こういうところなんていうんだっけ? バック、バックなんとか」

 いや、知らないけど。魔法使いは思い出すのを諦めて、「ま、いいか」と頭を掻く。
 一度だけ、水族館の裏を見学したことがある。子供の頃、祖父母に旅行に連れて行ってもらったときだ。


433: 2012/10/29(月) 15:11:50.76 ID:nZA5eeUmo

 結構大きな水族館で、大きな水槽があって、あとトンネルみたいになってるところがあって……。
 ……どんな魚がいたかは思い出せない。

「場所自体にあんまり意味はないから。問題は、ここがどこに繋がってるかってこと」

 彼女の言葉に、わたしは首をかしげた。「繋がってる」とか「どこに」ってどういう意味?
 それじゃまるで、水族館以外の場所に繋がってるみたいな言い方だ。
 ……いや、そもそも、わたしはいつのまに水族館にいたんだろう?

 というか、記憶が判然としないけど、川で溺れるか何かして氏んだんじゃなかったっけ?
 もしかしたら流木に体を打たれたのかもしれないけど……という氏に際の細かいディティールはどうでもよく。

「ね、あなたさ、自分が氏んじゃったって覚えてる?」

「――あ、やっぱりそうなんですか?」

「うん。まぁね」

 ひとつ疑問がとけた。……ノリが軽いのが気にかかるが。


434: 2012/10/29(月) 15:12:20.65 ID:nZA5eeUmo

「そっか。やっぱり氏んでたんだ、わたし」

「うん。そんでね、提案なんだけどさ、ちょっと未来、変えてみない?」

「え、変えられるの?」

「変えられるんだよ。それが」

 ……やっぱりなんか軽い。
 わたしはなんとも微妙な気持ちになる。何が微妙って、この女性の言葉に一切胡散臭さを感じない自分自身に。
 まぁ、なんで感じないかっていうと、たぶんどうでもいいんだと思う。だって氏んじゃったし。
 別に嘘でもホントでもどうでもいい。どっちにしたってわたし氏んでるし。

「……過去を、じゃなくて、未来を、変えるの?」

「いいとこに気付いた」

 魔法使いは笑顔で頷く。わたしはなんとも言えない気持ちになった。そもそもなんですか、魔法使いって。

「過去は変わらない」

「……じゃあ、未来も変わらないのでは?」


435: 2012/10/29(月) 15:12:51.21 ID:nZA5eeUmo

「ま、そのあたり、わたしが魔法使いたる所以って奴でさ」

 女はそれから、コンクリートの壁に背をもたれて人差し指を立てた。

「ようするに、タイムスリップ、的なことを、他の人に体験させられるんだよ、わたしは」

「……どうやって?」

「理屈とかないの。超自然的って言葉は、自然の範疇を超えてるから超自然的っていうの」

「あなた、何者?」

「魔法使い」

 女は笑って、

「“わたしはあなたの敵ではない”」

 と言った。そして溜め息でもつくみたいに続ける。

「“わたしはあなたたちとは無関係の存在だ”」


436: 2012/10/29(月) 15:13:58.90 ID:nZA5eeUmo

「……」

 意味が分からない。わたしはその言葉を振り払うみたいに首を振ってみたけど、あんまり効果はなかった。

「……その話はもういい。でも、わたし、氏んでるよ。氏んでる人って、タイムスリップできるの?」

「控室に来た以上はね。ていうかわたしが連れてきたんだけど」

 わたしはちょっとだけ気になって訊ねた。
 訊ねたところでどうなるってものでもないだろうけど、聞いたところで損をする話でもないだろう。

「何が目的?」

「観劇」

 ずいぶんと悪趣味な魔法使いがいたものだ。
 いや、魔法使いなんてそんなもんか?

「というかまぁ、研究、みたいなもの?」

「いや、疑問形で言われてもね」


437: 2012/10/29(月) 15:14:31.87 ID:nZA5eeUmo

「とにかく、さくっと過去にタイムスリップして、未来を変えてみない?」

「……過去に飛ぶなら、過去も変わるのでは?」

 魔法使いはくすくす笑って、それ以上何も言おうとしなかった。
 
「で、どうする?」

 と魔女は言った。
 わたしはどうでもいいやと思ったけど、少し真面目に考えてみる。

 仮に過去に戻って何かを変えられるとしたら、わたしはどうするだろう?
 わたしにはさっぱり思いつかなかった。
 
 わたしにはお兄ちゃんと一緒に生きられる未来なんて作れるとは思えなかった。
 そうである以上、わたしにこれ以上の生はまるっきり無意味なのだ。
 
 なんというか。
 氏ぬときは、混乱していたし、疲れていたからよく考える余裕もなかったのだけど。
 何も氏ぬことはなかったんじゃないか?
 と早くも後悔。


438: 2012/10/29(月) 15:15:14.52 ID:nZA5eeUmo

 べつに現実に何かが起こったわけではなかったのだし、ゆっくりと時間の経過を待てば――。
 ひょっとしたら、わたしにもお兄ちゃん以外の何かがあったかもしれないのでは?

 そんなふうに考えたら、やり直してみたくもあったけど、でも、それだって同じことだった。
 お兄ちゃん以外の何かは、現に今のわたしにはないし、そうである以上わざわざ探しに行く気にもなれない。

「一応魔法のルールを説明しておくとね、何人か必要な人間を連れてくこともできるし」

 いきなりよく分からないルールだ。他の人間を連れて行ってどうするんだろう。

「もしくは、巻き込むこともできる」

「……巻き込む?」

「うん。ま、これやるとめんどくさいし、あんまりお勧めしないけど。前にやった人はね、一人で行って一人で帰ったよ」

 前例があるらしい。


439: 2012/10/29(月) 15:16:14.38 ID:nZA5eeUmo

「あとは、過去に戻った段階で世界は分岐する」

 分岐、とわたしは鸚鵡返しする。

「うん。分岐。だから結果が変わる」

 つまり、結果とは未来か。
 でも、分岐――枝分かれということは、「こうだった」部分が「こうじゃなくなる」ということで。
 それってやっぱり、過去が変わっていることになるのでは?

「あ、それと補足。入り方はひとつだけど、出方はひとつじゃない。あっちにいくと区別がなくなっちゃうから。
 たとえばA世界にBがCを巻き込んで入ったとき、Bの意思じゃなくCの意思で帰ることもできる。
 するとね、Cがいろんなものを負っちゃって、Bは巻き込まれた側の立場になる」

「……えっと」

「うん。このあたりの話はよく分からないと思うから、聞き流していいよ。契約書の、細かい文字で書かれてるとこみたいなもん」

 それ、聞き流しちゃだめだと思う。


440: 2012/10/29(月) 15:17:31.90 ID:nZA5eeUmo

「あと巻き込まれた人間は気分に左右されやすくて、すぐにちょっとした超常現象起こすけど、あんまり影響ないから気にしないで」

 なんかすごいこと言ってる気がするけど、正直実感がわかない。よく分からない。

「それから、あ、そう。わたしの魔法ってば適当だからさ、ちょっとした誤差が生まれたりもするんだよ。
 A世界にBが向かうとき、Cを巻き込んだとすると、巻き込まれたCがCの世界に帰るとき、ちょっと時間のズレが起こったりするの。
 でも、意思的に出た人物――ふつうなら最初に入った人と一緒なんだけど、その人の時間だけは元通りの時間に戻る」

 ――えっと。

「つまり、普通の場合、入った時間と同じ時間に戻るってわけ」

「……戻る?」

「そりゃそうだよ。未来を変えたら戻ってこなきゃ」

「えっと。未来が変われば、結果も変わる?」

「なにせ、未来が結果だから」

「でも、過去は変わらない?」

「分岐するだけだからね」

 それって――どういう意味?


441: 2012/10/29(月) 15:18:03.08 ID:nZA5eeUmo

「口で言ったってわかんないって。実際やってみなきゃ。どうせ失うものなんてないんだからさ」

 そりゃ、そうなんだけど。わたしはなんだかその話に乗り気になれない。
 乗り気になれないも何も、わたしの望む未来が、どんな形であれ手に入るとは思えないからなんだけど。

「……うーん」

「やっぱりダメ?」

「気が乗らない」

「……じゃ、このまま氏んだまま?」

「それでいいかなぁ。未練はあるけど……」

 でも、過去に戻ったところで、何が変えられるっていうんだろう?
 わたしはどこにいったって、無力な子供でしかないのだ。

「そっか」

 と魔法使いは頷いた。 
 そして、怖気がするような酷薄な笑みを浮かべる。

「――じゃあ、叔父さんも、氏んだままでいいんだね」

 その言葉に、心臓が凍る。


442: 2012/10/29(月) 15:18:43.38 ID:nZA5eeUmo

「……氏んだ?」

 問い返したわたしの声は、わたしの声じゃないみたいに聞こえた。
 なんだか薄い膜越しに聞くみたい。ぼんやりとノイズがかっている。

「氏なないと思う?」

「……え、叔父さんって、お兄ちゃんが?」

「うん。いや、まだ氏んでないか。もうちょっと先だね。一年後? 一年はもったんだ。思えばよくもったよね」

「……お兄ちゃんが、氏ぬの?」

 足元がふわふわとして頼りない。わたしの身体から感覚が抜け落ちていく。

「氏ぬでしょ。あなたは疲れてて混乱してて、上手に考えられなかったみたいだし、思いつかなくても不思議はないけど。
 ね、氏ぬでしょ? だって、ねえ。あなたの叔父さんだよ? 溺愛してた姪っ子が自頃したらさ、後を追うでしょ?
 そういう人だもん。想像つくでしょ?
 普通の叔父だったら違うかもしれないけど――あなたのところは、普通の叔父と姪じゃなかったしね。
 それから、そのあとすぐにお祖母ちゃんも病気になって氏んじゃうけど」

「――」


443: 2012/10/29(月) 15:19:26.71 ID:nZA5eeUmo

 お兄ちゃんが、氏ぬ? わたしを追って?
 というか、それは――わたしが頃したようなものだ。

「不思議な関係だよね、あなたと、あなたの叔父さん。どっちもさ、互いを失ったらまるっきりからっぽになっちゃうみたい。
 驚いたことに、始めからそうだったんだよ。そのときは別に、特にお互いのことを考えてたわけでもないみたいだったけど」

 魔法使いの言葉は、わたしの耳を通り抜けていく。
 お兄ちゃんが氏ぬ。
 わたしのせいで。

 ――心底思う。わたしはバカだ。
 なぜ氏んだ? なぜ耐えられなかった?
 さっきまで、その気持ちは身を切るほど切実に我が身を苛んでいたのに、でも、強い後悔がわたしの胸を襲った。
 耐えられなかった。混乱していたし疲れていた。頭がうまく回らなかった。
 つらかった。だから氏んだ。それで、それでお兄ちゃんが氏ぬのか。

 ――それは、ダメだ。それだけは、ダメだ。
 お兄ちゃんが氏ぬなんて、わたしのせいで氏ぬなんて、ダメだ。
 お兄ちゃんのためにわたしが氏ぬことはあっても。
 わたしのせいでお兄ちゃんが氏ぬことはあってはならない。


444: 2012/10/29(月) 15:20:04.06 ID:nZA5eeUmo

「行く」

 とわたしは言った。

「行って、どうするの?」

 魔法使いはわたしに訊ねる。
 わたしは答えた。

「わたしが氏ぬのを、止めなきゃ」

 そうしなければお兄ちゃんが氏んでしまうなら、わたしは三秒前の決意だって翻せる。

 お兄ちゃんが他の人と幸せになる姿を見るのはつらい。
 本当のことを言うと、わたしの後を追ってお兄ちゃんが氏んでくれるなら、それが本当なら、少しだけ嬉しかった。

 でも――ダメだ。ダメなのだ。 
 そんなのは、納得がいかない。自分の身勝手から生まれた結果だとしても、それを許すわけにはいかない。
 その未来を変えることができるなら、その蜘蛛の糸が、わたしの目の前にぶらさがっているのなら、わたしはそれを掴むしかない。

 魔法使いが満足げに笑った。


450: 2012/11/01(木) 12:16:33.17 ID:4/BT8rM8o




「なんだか言い足りないことがある気がするけど、まあいいか」

 魔法使いの女の人はそんなふうに言った。

「伝え忘れたことも、追々分かってくるだろうしね。行こうか」

「……行く?」

「過去に」

 魔法使いがわたしに背を向けて歩き始めた。
 通路の様子は薄暗くて分かりづらい。何かの機械の音がする。ごおおおおお、という排気の音。

 天井から床まで、大量のパイプが、どこからか入ってきて、どこからか出ていく。
 パイプには操作するためのハンドルがついている。床は濡れていて滑りやすく、壁はコンクリートの打ちっぱなしだ。
 
 懐かしいなぁ、とわたしは思う。でも、こんなに暗かっただろうか?

 やがて通路は二手に分かれる。彼女は入り組んだ方へと進む。小さな木製の階段があった。
 黙って進んでいく。その先には扉があった。
  

451: 2012/11/01(木) 12:17:02.58 ID:4/BT8rM8o

「準備はいい?」

 と魔法使いは訊ねる。

「まだ、って言ったら待っててもらえる?」

「だめ」

 殺生な。
 とはいえ、準備に不足があったわけではなく(なんせ氏んでるもんだから、このままいくしかない)。
 さいわい服は着ているし、財布はある。
 ……なんでだろう。この"わたし"はいつの"わたしなんだろう?
 もし氏んだときそのままの姿だったら、服も体も、もっとボロボロでおかしくないのに。
 
「ちょっと不確定なところまで遡ってるからね」

 心でも読んだようなタイミングで、魔法使いがよく分からないことを言った。


452: 2012/11/01(木) 12:17:39.08 ID:4/BT8rM8o

「不確定?」

「そう。でも忘れてていいよ。携帯とか、なくしてない?」

「……うちに置いてきたかも」

「なんで?」

「もともと持ち歩かないんだ」

「そっか。不便だな」

 ドアノブに手を掛けたまま、何かを考え込んだ様子の魔法使いは、ふとポケットに手を突っ込んだ。

「じゃあ、これあげる」

 彼女が取り出したのは黒いスマートフォン。略してスマホ。


453: 2012/11/01(木) 12:18:45.20 ID:4/BT8rM8o

「わたし、初スマホ」

 動揺する。わたしはわりとミーハーなのだった。縁がないものではあるが。
 受け取って、適当に触ってみる。画面は真っ暗なままだった。

「くれるの? ありがとう。高いのに」

「氏んでるくせに、物もらって嬉しいの?」

「人からものをもらうなんて、めったにないから」

 魔法使いはなんだかあったかいものに触るような目でわたしを見た。子供だと思われたかもしれない。

「動かないよ?」

「……脇にあるボタン押すと、反応するようになるから」

「おお」

「画面が表示されたら、錠のアイコンに指で触って、そのまま右にずらす」

「……ずらす? あ、動いた」

「そしたら普通に操作できるようになる」


454: 2012/11/01(木) 12:19:22.38 ID:4/BT8rM8o

「電話を掛けるにはどうすれば……」

「ホーム画面にショートカット作ってあるんじゃない? たぶん電話帳かな。わたしの番号、それに入ってるから」

「……どうして? これ、あなたのじゃないの?」  

「違うよ。他人のだよ」

「……他人のをあげるって、どうなの?」

「譲渡されたの。で、それをさらに譲渡する」

「……繋がるの、これ?」

「たぶんね」

「ところで、あなたの番号はなんて名前で登録されてるの?」

「"変な女"」

「……」


455: 2012/11/01(木) 12:20:41.48 ID:4/BT8rM8o

 発信履歴と着信履歴を見ると、その名前が真っ先に見つかった。
 次は自宅、その次は部長、西沢、花巻。多分仕事仲間か。
 わたしはちょっとした好奇心でメールボックスを探してみた。
悪趣味だとも思ったけど、あんまり抵抗がない。氏んでるからか。

「メールは……ここか」

 ホーム画面からメールっぽいアイコンに触れる。
 受信ボックスと送信ボックスを覗いてみる。文章を見る限り、どうも丁寧な人らしい。
 ……いや、無愛想という方が近いか。そのわりに人望がないわけでもないようだ。
 
 プロフィールは、どこから見るんだろう。いったい誰のものなんだろう。
 
「そろそろ、いい?」

 魔法使いが呆れたように言った。わたしはあわててスマホをポケットに突っ込む。

「うん」

 魔法使いが扉を開いた。


456: 2012/11/01(木) 12:21:08.64 ID:4/BT8rM8o

「どうぞ」

 と彼女は促す。
 わたしはちょっと戸惑った。

「あなたは、行かないの?」

「行けないの。……ごめん、わたしさっき、ちょっとだけ嘘をついたかもしれない」

「……え?」

「完全に無関係ってわけじゃないんだよね、あなたたちと」

 魔法使いは、そういって気まずそうに前髪を掻きあげた。

「ちょっとは、手伝ってあげる。ちょっとだけね」

「……なんか、いやな感じ」

「がんばってね」

 と彼女はわたしの背中を押した。
 仕方なく、わたしは扉をくぐる。

 視界が光に覆われる。
 まっしろい光。方向感覚と平衡感覚が失われて、地面と接地している感覚が消えていった。
 ちょうど消えていくみたいだった。

 たぶん成仏するのってこんな感じ。今のわたしが言うと冗談にならないけど。


457: 2012/11/01(木) 12:21:39.59 ID:4/BT8rM8o

 目が慣れてくると、たくさんのドアが見えた。

「ここ、どこ?」

 と振り返って訊ねると、扉は既に閉ざされていた。気のせいだろうか。扉のサイズがくぐる前と違う気がする。
 緑色のドア。ちょっと悪趣味。
 まあ、別に不思議なことでもないか。いや、不思議は不思議だけど、不思議なのは当たり前だ。

 わたしは少し不安になった。それで、まず何をすればいいんだろう?

 というか、わたしは本当に過去に来たんだろうか? 日付を確認したい。
 携帯電話の日付……は、なんだか信用にならない気がした。
 とりあえずこの場所にカレンダーはなさそうだ。
 
 というか、ここは既に過去の世界なのだろうか? それとも例の「控室」の地続きみたいなものなのかもしれない。
 たくさんのドアは非現実的な様相を呈していて、わたしはなんだか怖くなる。

「うーん」

 と唸ってみると、声は思いのほか大きく響いた。
 周囲には誰もいない。ここはどこだろう?



458: 2012/11/01(木) 12:22:12.19 ID:4/BT8rM8o

 わたしはこの場所に来たことがあるような気がする。
 記憶の隅の光景と、この場所が重なる。見覚えがある。
 たくさんのドア。昼下がりの太陽が窓から差し込んで、真っ白な壁に跳ね返っている。
 
 窓の外には木々が並んでいて、緑色の葉をつけていた。
 向こう側には道路が見えて、たくさんの車が左右に抜けて行った。
 
 見覚えのある国道バイパス。わたしの家の近く。
 わたしはとにかく建物の中を歩いてみた。

 時計は、カレンダーはないだろうか? ……ない。 
 よく見ると、扉以外にも窓なんかが壁についていた。
 壁は、まるでそこに突然あらわれたみたいな形で立っている。
 まるで扉や窓をそこに作るために、壁を立てたみたいだった。

 窓のそばにはプレートみたいなものが取り付けられていた。美術館なんかで、絵画のそばにつけられてるようなもの。

「……ああ」

 つまり、展示しているのだ。


459: 2012/11/01(木) 12:22:43.93 ID:4/BT8rM8o

 ようするにここは、ドアのショールームなのか。
 ということは、ここはあの事業所の……。

 だとするなら、ここは既に過去の世界なのだろう。
 なにせわたしは現在では氏んでいるわけで、現在には存在できない。
 それができたら、話が終わってしまう。

 わたしはなんだか不安になって、自分の手のひらを見た。
 氏ぬ前と同じ、十六歳の手のひら。

「うーん」

 なんだか実感がわかない。氏んでるんだからその方がいいのかもしれないけど。
 とりあえず適当に歩いているうちに出口を見つけた。わたしは外に出る。
 そこはまだ事業所の敷地内で、そばには厳めしい門が立っていた。
 わたしはなんだかまずいことをしているような気になった。人目を忍んだ方がいいかもしれない。


460: 2012/11/01(木) 12:23:10.66 ID:4/BT8rM8o

 ところで、今はいつなのだろう?
 魔法使いはわたしを過去に送ると言った。送ることができる、といった。
 でも、いつに送る、とは言っていなかった。
 
 わたしの自殺を止めるためには……わたしが自頃するその瞬間に行けばいいのだ。
 そうすればわたしは、わたしに直接会って、話すことができる。
 自分と同じ顔をした人間に声をかけられて、自殺を止められたら、わたしは信じるだろう。

「あなたが氏んでしまうと、お兄ちゃんも氏んでしまうの。だから氏んじゃだめ」

 この程度でいい。たしかにわたしが氏ぬことは、お兄ちゃんにとってはショッキングなことだろう、とそのわたしにも想像できるだろう。
 だとするなら、わたしは今、自分が氏ぬ三日前くらいに来ているとか? 
 とりあえず国道沿いを歩いて、わたしは付近のコンビニに向かった。
 
 すぐに、その事実に気付く。


461: 2012/11/01(木) 12:23:45.26 ID:4/BT8rM8o

「……店が違う」

 ファミマがリトルスター(ローカルなコンビニ)になってる。
 ……いや、事実からすれば逆なんだろう。
 
 ちょっと前にここいら一帯のリトルスターがぜんぶファミマになっちゃったのだ。
 ちょっと前っていうか、十六歳のわたしから見て三、四年前。

「……ええー」

 魔法使いはいったい何を考えてるんだろう。
 つまりわたしが今いるのは、三、四年以上前の過去ってことでは?

 ていうか……。

「そんなに遡って、いったい何を変えればいいの……」

 絶望する。
 魔法使いの言葉に耳なんて貸すから、こんなことになったんだ。

「騙された……」

 戻りすぎでしょう、いくらなんでも。


462: 2012/11/01(木) 12:24:13.88 ID:4/BT8rM8o

 念のためにコンビニに入る。
 
 入口から、時計が見えた。十二時三十五分。ひどく混み合っている。
 レジから列が伸びていた。ふたつ。おぞましくすらある。リトルスターって、人気なかったと思ったけどな。
 たぶん立地がいいのだろう。事業所と住宅地がすぐ傍で国道沿い。ここらへんは工事関係の人も多い。

 わたしは入口で新聞を掴んで年号を確認した。六、七年前?
 日付は……七月二十三日。

 溜め息をついて、わたしは思う。
 わたしが氏んだ日だ。数年前の。

「なんか、悪趣味……」

 いや、単に年単位で移動させただけだったりして。面倒だから日にちはそのまんまでいいよね、という。
 あの女の人、そういう性格っぽいし。

「なんか、お腹すいたな」
 
 新聞を棚に戻して、わたしは店内をめぐる。電子レンジが何度もピーピー言ってる。みんなお弁当をあたためてるのだ。
 わたしは適当にパンを見繕った。あらかた売れていたけど、いくらか残っているものもある。飲み物も一緒に買った。


463: 2012/11/01(木) 12:24:44.26 ID:4/BT8rM8o

 会計の列に並ぶ。たぶん七分くらい待った。わたしはレジに品物を出す。
 店員の慌てた様子にせかされて、急いで財布を出して、千円札をカウンターにおいた。
 ついでにポイントカードを出す。店員が不思議そうな声をあげた。

「……あ」

 当たり前だ。ここはリトルスターだった。Tポイントカードを出してどうするのだ。
 ていうか、この時代にTポイントカードってあったっけ? わたしは慌てて財布にカードをしまう。
 店員と目があった。

「――え?」

「……はい?」

 わたしの声に、店員はふたたび不思議そうな声をあげた。
 どきりと心臓が跳ねて、一瞬思考が凍る。
 なんとか頭を落ち着かせて、差し出された品物を受け取って、お釣りを受け取った。

 うしろの列にせかされて、わたしは意思と反してレジから吐き出される。
 客の流れはわたしを店の入り口まで連れ去った。入口の脇で流れからはみ出て、わたしは後ろを振り返る。


464: 2012/11/01(木) 12:25:24.91 ID:4/BT8rM8o

 ――お兄ちゃんがいる。
 動揺よりも先に、わたしの胸はなんだか高鳴る。

「……若い」

 というか、同い年くらい。
 いや、そりゃそうなるか。わたしとお兄ちゃんの年の差は七つ。七年戻れば、お兄ちゃんは今のわたしと同い年くらいだ。

 ぽーっとなって仕事ぶりに見とれる。騒々しくて聞き逃していたが、声にだってちゃんと覚えがあった。

「うわ、働いてる……」

 なんだか感動。
 ……落ち着け、自分。

 ここであんまり目立つのは、得策ではない。とりあえず、店を出よう。うん。
 
 わたしは店を出て、それから魔法使いの顔を思い浮かべた。
 あの人、なかなかにいい仕事をする。

 さて、とわたしは思う。どうやら本当に過去に来てしまったようだ。


470: 2012/11/03(土) 10:45:29.12 ID:gvI3BO7Ko

 まずは状況を把握しなければならなかった。

 中天に浮かんだ太陽がじりじりとアスファルトを焦がしていて、空は真っ青に拡がっていた。
 どこまでも透き通った夏の日。はしゃぐ子供たちが自転車に乗って国道沿いを走っていく。
 
 コンビニの駐車場では、スーツを着た男の人が運転席にもたれてカーラジオをかけっぱなしで昼寝している。
 通りすがりの車の運転手が歩道に立ち止まるわたしの顔をちらりと伺ってすぐに逸らした。 
 街には落着きがない。

 わたしはコンビニの軒先にしゃがみ込んでパンを食べた。それから氏んでいてもお腹が空くなんてなぁ、と考えた。
 それを思えば無為に思えたお墓へのお供え物にも意味があったのかもしれない。

 なんて話はどうでもよく。
 
 パンを食べ終えると、ついでに買っておいたお茶を一口飲んで、立ち上がってゴミを捨てた。
 それから鞄がほしいなと思った。手軽に持ち歩ける鞄がほしい。なるべく大き目の奴を持っておきたい。 
 でも、それはあとにすることにした。

 なんだかここでぼーっとしていると時間を無駄にしてしまいそうだ。
 少し名残惜しかったけど、わたしは一瞬だけ振り向いて、それからあとは普通に歩き出した。
 もっと抵抗があるかと思ったけど、そういった感覚は別になかった。


471: 2012/11/03(土) 10:45:55.35 ID:gvI3BO7Ko

 とりあえず……どこに向かおう?
 わたしは未来を変えるためにここに来た。

 だとすればわたしが考えるべきなのは、どうすれば未来を変えることができるのか、だ。
 
 こういった感覚はわたしにとってはとても楽だった。目的があらかじめ示されている。
 これがみんなにあったら楽なのに、とわたしは思った。役目が自明化されていて、それに従うだけでいい。

 でも大抵の人間は目的なんて持ち合わせていないわけで、せいぜい暇を潰すくらいしかやることがない。
 目的が分からないから混乱してしまうのだ。

 そういう意味では、幼いころに自分なりの目的を見つけられたわたしは幸福だと言えたのかもしれない。
 仮にその目的に殺されてこんな場所にやってきたとしても。

「うーん」

 とわたしは考える。どうすれば未来を変えられるのか? 見当がつかない。
 そもそもそんなに簡単にわかるなら、最初からそんな未来にはならなかったわけで。


472: 2012/11/03(土) 10:46:24.18 ID:gvI3BO7Ko

 より根本的な話として、わたしはなぜ氏んだのか。
 自殺というのはこう、なんか、イメージとして、いろんな要因が重なり合った結果という気がする。イメージとして。
 わたしの身に起こったのは――例の悪夢的な白昼夢。

 要するにあの光景が現実化することが、わたしは氏にたくなるほど嫌だったんだろうけど。

 どうしてだろう。氏ぬ前の自分のことが、他人事のように思える。
 でもわたしはあのときの記憶をちゃんともっているので、間違いなくわたし自身なのだ。そこに間違いはない。
 
 混乱していて、不安になっていたのだろう。じゃあ、その不安はどこから生まれたんだっけ?
 
 お兄ちゃんに冷たくされたから?
 という心当たりは浮かんだ。なんというか、それは当たりではあるのだけれど、根本的ではないような気がする。
 でも、それ以外に心当たりもないわけで。


473: 2012/11/03(土) 10:46:50.78 ID:gvI3BO7Ko

 ひとまずそのまま考えを進める。
 お兄ちゃんを氏なせないためには、わたしが氏ななければいい。わたしを氏なせた原因は、お兄ちゃんの態度が原因。
 じゃあ、お兄ちゃんの態度の方に訴えかければいいわけだ。 
 
 つまり、お兄ちゃんがわたしから離れないようにすればいいのだ。
 ……やはり、悪趣味だという気がする。 
 よりにもよって、それを自分の手で行うことになるのだから。

 なんていうか、それは、ひどく自己愛的なことに思えた。
 というかまぎれもなく自己愛的で。 
 しかも歪んでいるのだ。
 救いようもなく。


474: 2012/11/03(土) 10:47:30.19 ID:gvI3BO7Ko

「……とにかく」

 とわたしは声に出してみる。別に言いたいことがあったわけではないのだけれど、とりあえず声を出した。
 こういう気持ちは案外大事だと思う。とりあえず「とにかく」と言っておけば、そのうち続きが思い浮かぶのだ。 
 たぶんお兄ちゃんにはそういう余裕が足りない。

「そうだ。家に行ってみよう」
 
 どうせわたしは今、未来の姿をしていて誰にも気づかれない。わたしは他人のふりをして、誰にでも近付くことができるのだ。

 それを思うと、自分という存在がすごく超次元的なものに思えた。 
 わたしが誰なのか、誰にも分からない。
 この時間にわたしは存在していない。

「非現実的」

 とわたしは溜め息をついた。
 でもそもそもの話が非現実的で、わたしは既に現実の住人ではないのだ。
 
 季節は夏で、学生たちは夏休み。街を歩きながら、わたしはぼんやりと考える。 
 どうすれば、わたしを氏なせずに済むのか。


475: 2012/11/03(土) 10:47:56.78 ID:gvI3BO7Ko

 ――無理じゃないか?
 
 なんていうか、こういう立場になって初めて思うけれど、ようするにわたしはお兄ちゃんのことが好きで。
 あの人の隣に誰かが立つことを想像するだけで体が不調を訴え始めて。
 要するにお兄ちゃんが誰ともそういった関係にならずに生きていく以外に、方法がないように思える。
 でも、お兄ちゃんの人生を束縛することなんて誰にもできない。
 
 もしそれ以外に方法を探そうとするなら、お兄ちゃんとわたしが結ばれるか。
 あるいは、わたしが堪えるしかない。

 こらえるのは無理だったわけで。
 じゃあ、お兄ちゃんにわたしを好きになってもらうしかない。

 ――なんていうか。
 それは、ええと。

 ばかみたいな話だ。


476: 2012/11/03(土) 10:48:22.84 ID:gvI3BO7Ko

 ていうか、仮にそうすることで未来が変えられるとしても――それってわたしにどうにかできる問題?

 歩いていると、家に段々近付いていく。
 当たり前だけど距離は縮まっていく。
 それがなんだか不自然なことに思えた。

 歩けば距離が縮まる。太陽が照れば暑さを感じる。
 わたしがどうして、そういうごく当たり前の流れの中にとどまっていられるんだろう。

「……ま、いいか」

 考えたって仕方ないし、何を考えているのか自分でもよくわかっていないのだ。


477: 2012/11/03(土) 10:48:51.92 ID:gvI3BO7Ko

 家を直接訪れるわけにはいかないし、外から様子をうかがうことしかできない。
 とりあえず中には誰かがいるらしい。母と、この時間のわたしか。

 わたしは、この時間のわたしと、この時間のお兄ちゃんの間に、何かの変化を残さなければならない。
 そうすれば未来は変わる。

「……あれ?」

 変わったら、どうなるんだろう?
 未来が変わると、「この時間のわたし」の未来も変わって。
 たとえば万事が上手く回って、わたしとお兄ちゃんが結ばれたとして。
 するとわたしは自頃しないし、お兄ちゃんも氏なない。

 わたしが氏なないなら、わたしはこんなところにいないわけで。

 なにかの本で読んだことがある。親頃しのパラドックス。


478: 2012/11/03(土) 10:49:50.23 ID:gvI3BO7Ko

『過去は変わらない』

 と魔法使いは言った。

『過去に戻った段階で世界は分岐する』

 分岐。枝分かれ。
 彼女はこうも言った。 

『つまり、普通の場合、入った時間と同じ時間に戻るってわけ』

『……戻る?』

『そりゃそうだよ。未来を変えたら戻ってこなきゃ』

 つまり、氏んだ時間から来たわたしは、自分が氏んだ時間に戻らなきゃいけない。
 でもわたしが未来を変えたら、わたしは氏なない。じゃあ、戻るべき時間はどこに行ってしまうんだろう。

 つまり――それが分岐ということなのだろうか?

 わたしがここで未来を変える。すると、本来辿るはずだったものとは別の未来に、この世界は変わってしまう。 
 枝分かれするのだ。

「…………」

 それは、つまり。


479: 2012/11/03(土) 10:50:41.07 ID:gvI3BO7Ko

 考え事を続けようとしたところで、後ろから声を掛けられる。

「……あの」

 とか細い声。
 わたしは慌てて振り返る。

 わたしが居た。

「うちに何か御用ですか?」

「――」

 わたしはどう答えようか迷って、結局何も答えなかった。
 何も言わずに背を向けて逃げ出す。わたしはいつも肝心なことから逃げてばかりだという気がする。
 彼女の視線が、ずっとわたしを追いかけているような錯覚。咎められているような、錯覚。


480: 2012/11/03(土) 10:51:14.87 ID:gvI3BO7Ko




 わたしは自分が今どうするべきかだけを考えることにした。
 時間とか世界とか、そういう話は別に知らなくてもいいことだ。
 わたしがすべきことは、お兄ちゃんとこの世界のわたしを氏なせないように努力すること。

 わたしが氏んだのは、たぶん、お兄ちゃんの態度が原因だ。お兄ちゃんの冷たい態度が。
 じゃあ、少なくとも、お兄ちゃんが普通通りの態度で接し続けてくれたら。
 わたしは氏なない。じゃあ、そうなるように仕向ければいい。

 でも、それはどうすればいいのだろう?
 つまり、冷たくならないようにするには。そもそもお兄ちゃんは、どうしてわたしに対する態度を変えたんだろう。
 それさえ分かれば対策ができないこともない。

 でも……それが分かっていれば、わたしはそもそも氏ななかったんじゃないか。
 わからないから不安になって、氏んだのだ。

 お兄ちゃんは、わたしのことを嫌いになったんだろうか。


481: 2012/11/03(土) 10:51:57.87 ID:gvI3BO7Ko

 ……一瞬、その考えに呑まれかけた。氏ぬ前のわたしは、そう考えていた気がする。
 でも、違う。魔法使いは言っていた。お兄ちゃんはわたしが氏んだあと、自分もまた氏を選んだのだ。
 つまり、わたしの存在がお兄ちゃんにとって大きなものであったのは間違いない。

 わたしはそこにあまり自信が持てなかったが、魔法使いの言葉を信じることにした。
 そうしなければ立ち止まってしまう。
 お兄ちゃんに嫌われない方法なんて思いつかなかった。
 だってわたしは、そうならないようにせいいっぱいやってきたんだから。
 せいいっぱいやってダメだったなら、これ以上はどうしようもない。

 じゃあ、他にあるとすれば?

 ……思いつかない。
 まったく、見当もつかなかった。


487: 2012/11/07(水) 13:30:12.23 ID:G0Qej85so

 ふと気付くと、わたしは見覚えのある児童公園の入り口に立ち止まっていた。
 この世界のわたし――まだ子供のわたしから逃げ出してきて、こんなところに来てしまったのだ。
 
 ポケットからスマホを取り出す。どうでもいいけど、スマホのことはなぜか携帯ではなくスマホと呼んでしまう。
 いや、本当にどうでもいい話なんだけど。

 時刻はまだ昼過ぎだった。わたしはコンビニで買った飲み物に口をつける。
 そういえば……お金はどうしよう。
 こちらで行動するのにだって、なにかとお金はかかるわけで……そのあたりのサポートは、魔法使いから受けていない。
 
 思ったのだけれど、わたしが今考えなければならないのは、未来や世界のことではなく、今晩の寝床や夕食のことではないだろうか……。
 二十一世紀にもなって、なぜこんなにサバイバルな。

 思わず恨み言のひとつでも言いそうになったところで、スマホが振動して着信を知らせた。
 画面の表示は「変な女」。噂をすれば電波。

「通話ってどうするんだろ。これ? ……あ、ずらすのか」

 ぶつぶついいながら画面に触って、どうにか通話させる。耳に当てるとちゃんと声が聞こえた。


488: 2012/11/07(水) 13:30:38.16 ID:G0Qej85so

「ちょっとまずいことになったかも」

 と魔法使いは挨拶もなしに言った。

「なに、なんの話?」

 それより夕飯やお金や寝床のことで相談があるんだけど、とわたしは言おうとしたけれど、魔法使いの言葉に遮られる。
 人の話を聞かないのはお互い様か。

「なんかね、巻き込まれちゃったみたい」

「巻き込まれた? なにが」

「人が」

「……なにに」

「つまり、あなたがそっちに行くときに、巻き込まれて控室まで来ちゃったみたいなの」

「誰が?」

「見に来て。ちょっとめんどくさいことになったかも」

「……それ、どういう意味?」

「うん。来たら分かる」


489: 2012/11/07(水) 13:31:35.77 ID:G0Qej85so

 電話が切れる。
 来たら分かるって、どこに行けばいいんだ。
 そもそも、わたしがこっちに来てからまだ一時間と経っていないのに。
 
 あの魔法使い、自分でも適当だって言ってたけど、ボロが出るのが早すぎる。
 この分じゃだめかもしれないな、と諦め気味に思いながら、わたしはスマホをポケットにしまった。
 
「とりあえず、さっきのショールームに行けばいいのかな」

 お兄ちゃんが家を出てから、ひとりごとが増えたのは自覚している。
 とはいえ、どうせ誰も聞いてないわけだし。

「……」

 なんだか、生きてるときより世知辛い気がする。


490: 2012/11/07(水) 13:32:09.16 ID:G0Qej85so



 
 白昼に堂々と事業所の敷地に忍び込むのは、困難だった。
 さっきまでとは違い、人が大勢いたからだ。何かの催事の準備をしているらしい。
 打ち合わせのように、何人かの大人が頭をつっつき合わせたり歩きまわったりしている。

 とはいえ、不思議とわたしは見つからずに済んだ。これは本当に不思議なことだと思う。
 ドアに埋もれた部屋を抜けて、人気のない方へと進む。
 忍び込んだはいいが、どこに向かえばいいんだろう。
 
 控室、と魔法使いは言った。
 つまりさっきの場所にいけばいい。緑色のドアを探せばいいのだ。 

「んー、と」

 どこらへんにあったっけ。
 結構奥まったところだったような気が……。入ってきたときはまだ感覚がつかめなかったから、よく思い出せない。
 もともと道を覚えるのって苦手だし。RPGなんかもワールドマップでつまずくし……。


491: 2012/11/07(水) 13:32:52.81 ID:G0Qej85so

 でも、それにしても……。

「ない」

 ひょっとして色を見間違えていたんだろうか?
 青とか、薄茶色とか、黄色とか、光の加減で緑に見えただけで、実は黒だったり白だったり……。
 というわけでもないだろう。いくらなんでも。

 でも、緑色の扉はひとつも存在しない。
 じゃあ見間違い以外に可能性はないはずなのだが、なぜか、そうとは思えない。

 わたしはスマホを取り出して、魔法使いに電話を掛けた。

「いまどこ?」

「控室ー」

 魔法使いは間延びした声で返事を寄越した。


492: 2012/11/07(水) 13:33:19.07 ID:G0Qej85so

「あ、そこまで来た? ちょっとまって。今開けるから」

「……開ける?」

「うん。わたしの意思で開くようになってるから、ここ」

「……へえ」

 ホントに不条理な存在。魔法使いって。

「三秒、目、瞑ってて」

「はい」

 わたしはたっぷり三秒数えた。


493: 2012/11/07(水) 13:33:45.33 ID:G0Qej85so

「開けて」

 開けると、目の前に緑色のドアがあった。
 つくづく、不条理。

「待ってるから」

 そう言って魔法使いは電話を切る。
 さて、とわたしはドアノブに手を掛けた。

「鬼が出るか蛇が出るか」

 なんて、大層な話じゃないといいんだけど。


494: 2012/11/07(水) 13:34:32.08 ID:G0Qej85so



 
 ドアを抜ける。音もなく扉が閉まる。金属製の重く冷たいドア。振り返ると、その大きさは明白にそれまでと異なっている。
 繋がっている、ということだ。

 わたしは溜め息をつく。自分は何をやっているのだろうと思った。
 いや、もちろん自分がやろうとしていることはなんとなく分かっている。
 そうするだけの理由もある。でも、上手に言葉にできないけど、何をしても無駄だという空しさもあった。
  
 わたしはなるべくその空しさの相手をしないようにして、歩を進める。
 最初わたしと会ったときのまま、魔法使いは立っていた。

「や、おかえり」

「段取り悪すぎ」

 わたしが皮肉を言うと、魔法使いは苦笑した。

「悪いね」

 と彼女は謝り、さらりと続けた。


495: 2012/11/07(水) 13:35:05.06 ID:G0Qej85so

「でも、もっと悪いことが起こるかもしれない」

 どういう意味、と問いかける前に、彼女のかたわらに一人の子供が立っていることに気付く。

「――――」

 さっき見たのと、同じ少女。

 いや、違う。服装や体格、身長なんかが、異なってる。
 表情も、さっきの子――要するにわたしなんだけど――はごく当たり前にごく普通の顔をしていたのに。
 
 この子は、ごく当たり前に暗い顔をしている。
 
 でも、その顔は、わたしにしか見えない。


496: 2012/11/07(水) 13:35:59.97 ID:G0Qej85so

「これ、どういう……」

「面倒なことになったかも、って言ったでしょ」

「開き直られても……」

 少女はぼんやりとした目でこちらを見上げる。わたしはなんとなく彼女が怖かった。
 なんとなく? いや、もっとはっきりと。
 はっきりとした恐怖を感じていた。

「……あの、どういうこと、この子、誰?」

「たぶん、ひとりめ、なんだけど……」

「"ひとりめ"?」

「あ、うん。ごめん。えっと……別の世界のあなた、って言った方が分かるか」

 魔法使いはごまかしたし、わたしは追及しなかったけれど、その「ひとりめ」という言葉は影が差すようにわたしの心に残った。
 でもそれ以前に、

「……別の世界って、なに?」


497: 2012/11/07(水) 13:36:37.42 ID:G0Qej85so

「あ、そっか。そこからか」

 失念していた、というふうに魔法使いは額を押さえた。

「えっとね。世界っていうのは分岐してるの」

 また、分岐か。わたしは溜め息をついた。でもなんとなく、その言葉の意味は理解できる。

「並行世界ってこと?」

「そう、一種のパラレルワールド」

 SFだなあ。わたしはぼんやり思う。いつから世の中はこんなに不条理になったんだろう?
 ああ、元からか。

「たぶんだけど、重なっちゃったんだと思う」

「重なるって、世界がってこと?」

「そう。んで、こっちに吐き出されちゃった」

「……どうしてそんなことに」

「さあ」

 と魔法使いは首をかしげた。

「この子も川で溺れたんじゃない?」


498: 2012/11/07(水) 13:37:13.55 ID:G0Qej85so




「それよりも問題は」

 と魔法使いは続けた。

「この子がこっちに来てしまったことで、未来を変えるどころじゃなくなるかもしれないってこと」

「……どういう意味?」

「だって、完全なイレギュラーだよ。ほっといたらどうなるか分からない。未来が、あなたの思惑とは違う方向に進むかも」

「……わたしの思惑とは違う方向?」

 それってどんなものだろう? わたしはとりあえずお兄ちゃんの氏を回避できさえすればいいのだ。
 逆にいえば……お兄ちゃんの氏以外の未来ならどんなものでもかまわない。
 
 ……頭の奥がずきりと痛んだ気がする。
 わたしはお兄ちゃんを不老不氏にでもしたいのか。
 ……違う。氏んでほしくないだけじゃない。
 
 氏ぬなら、幸せになって、それから氏んでほしいのだ。
 そのとき隣にいるのがわたしだったら、というのはついでの妄想みたいなものだ。
 別に氏んでほしくないわけじゃない。人は氏ぬ。お兄ちゃんが氏ぬたびに、はいまたやり直し、なんてやってられない。
 氏ぬなら、幸せに。わたし以外の誰かとでも、我慢できる。……いや、我慢できなくたって、どうしようもないんだけど。


499: 2012/11/07(水) 13:37:57.57 ID:G0Qej85so

「まあとにかく、どんな形の終わりになるか分からなくなってしまうってこと」

「……もうこっちに来ちゃってるんだもん。手遅れじゃないの?」

「まだ世界に出たわけじゃないから、影響は生まれてないはず」

「というか、送り返せないの?」

「難しいかも。一回来ちゃったら、ちょっと時間が掛かるんだよね。何より……」

 と、魔法使いは一拍おいて、

「この子、たぶん帰りたくないんだと思う。本人が望んでないと、鍵を開けても意味がないんだよ。本人が扉をあけないから」

 それはよく分からない理屈だったけど、彼女の理屈が分からないのは最初からずっと同じことだった。

「じゃあ、他にどうできるの?」


500: 2012/11/07(水) 13:38:23.82 ID:G0Qej85so

 わたしが訊ねると、魔法使いは少し考え込んだ様子だった。しばらくの沈黙のあと、嫌そうに口を開く。

「ここに軟禁、とか」

「……ひどい発想」

 それを名案だと思ってしまうあたり、わたしも歪んでいるんだろうけど。
 かわいそうだとは思うけど、でも、仕方ない。
 迷子の面倒まで見ている余裕はない。そこは魔法使いがどうにかしてくれるだろう。
 すぐには帰れないとは言っても、そのうち帰すことができるのだろう。魔法使いの言葉にはそういう含みがあった。

 手違いでここにきてしまっただけなのだから、しばらく大人しくしていてもらうのがいい。
 何より、よその世界にやってくるなんて、本人にしても面倒なだけだろう。

 何より、わたしは彼女の顔を見るのがなんだか嫌だった。
 怖い、と言い換えてもいい。それはなんだか、昔見た悪夢が、頭の中で再放送されてるみたいな不快感だった。
 わたしはこの子が怖い。

 真正面から目を見れないほど。

「任せてもいい?」

 と訊ねると、魔法使いは不承不承といった様子で頷いた。


501: 2012/11/07(水) 13:38:52.65 ID:G0Qej85so




 別の世界、分岐、並行世界。
 わたしはこの世界にきた瞬間からずっと思っていた。
 
 わたしは十六歳の姿のままこの世界に戻ってきた。
 たとえば同じく未来を変えるなら、意識を保ったまま時間を巻き戻し、子供時代の自分に戻る方が容易なはずなのに。
 おそらく魔法使いの魔法では、それができない。

 要するに、時間が巻き戻されたのではなく、過去の世界にわたしがぽんと投げ込まれただけなのだ。
 
「過去は変えられない」と魔法使いは言った。
 変えられるのは未来だけ。
 
 でも彼女の言葉には嘘がある。わたしはそのことに気付きかけていた。


502: 2012/11/07(水) 13:39:35.49 ID:G0Qej85so

 わたしは未来すらも変えられない。ただ分かれ道を作るだけだ。
 
 世界の分岐。もともと同一だった世界がふたつに分かたれるということ。
 お兄ちゃんが氏んだ世界と、お兄ちゃんが氏なない世界のふたつに、この世界は分岐する。上手くいけば。
 それはつまり、お兄ちゃんが氏んだ世界はけっしてなくなるわけではないということ。

 わたしにできるのは「お兄ちゃんの氏なない世界」への分岐を作るところまで。
 お兄ちゃんが氏んだ世界をなかったことにすることはできない。

 つまり――わたしが元いた世界で、お兄ちゃんは氏んだままだし、わたしもまた氏んだままなのだ。
 だからこそ、魔法使いは言った。

『未来を変えたら戻ってこなきゃ』

 わたしが戻るのは当然、わたしが氏んだ世界。お兄ちゃんが氏ぬ世界。
 ようするにわたしは、最初からなにひとつ変えられないのだ。


503: 2012/11/07(水) 13:40:19.29 ID:G0Qej85so

「……これって詐欺だよね」

 とつぶやくと、魔法使いは苦笑した。

「ホントにそうとも、限らないけど」
 
 わたしは少し失望したけど、それでも、もともとゼロだった世界に可能性が加わったと考えることだってできなくはない。
『このわたし』がダメだったとしても。
『この世界のわたし』と、『この世界のお兄ちゃん』に、何かが残るのなら。

 そこにどんな意味があるのかは、あまり考えないことにしよう。
 きっと、意味はない。
 ようするにこれは、自分を納得させる作業なのかもしれない。
 
 このままでは納得できない。だったら、やるしかない。
 わたしとお兄ちゃんの未来が、氏以外にはありえないなんて、そんな現実は、絶対に認めるわけにはいかない。

 わたしはここにも何かの矛盾があるような気がしたけれど、あまり考えないようにした。


510: 2012/11/10(土) 08:16:45.91 ID:we9ZnMFPo



 それから、わたしの数日は特に得るものもないまま過ぎて行った。寝床に関しては魔法使いを頼った。
 控室の中で休んでいいという。寝具なんかも用意してもらえた。

 こちらの世界に来て、何かをしたというわけではない。
 昼間になったら街に出て、お兄ちゃんとこの世界のわたしの身の回りを観察していた。

 特にどうということのない生活。覚えのある平坦さ。
 この時期のわたしがどんなことを考えていたのか、いまいち思い出せない。

 なにをしたわけでもないのにひどく疲れがたまって、わたしは控室で休んでいることが多かった。
 このままで何かを変えることができるのかという不安もあったけれど、他にどうしようもない。

 例の女の子とわたしは控室の中の同じ空間にいた。
 少し開けているけれど、変わらず薄暗いし、少し寒。

 冷たい空気が走っている。

 わたしは何をしにきたんだろう。
 あんまり考えないようにする。

 わたしが考えるべきなのはどうすれば未来を変えられるか。
 ではなく……良い分岐をくわえられるか、ということ。


511: 2012/11/10(土) 08:17:45.87 ID:we9ZnMFPo

 少女は膝を抱えて座り込んだまま、ぼんやりとした目で虚空を見つめている。
 とても落ち着いているように見える。そう見えるだけかもしれない。
 
 なるべく離れていたかった。彼女のことが怖かったから。
 わたしはこの子に何かを訊ねるべきだと言う気がする。
 気のせいなんだろうけど……。

 なんだか、落ち着かない。

 何かを聞き逃しているという気がする。
 あるいは、なにかを捉まえ損ねているような……。
 
 少し怖かったけれど、彼女に話しかけてみることにした。

「ねえ」

 と声を掛けると、少女はぼんやりとした頼りない目つきでわたしの方を見た。
 その瞳には怯えもないし、疲れもない。何もない。

 それが心底怖くなって、わたしは続く言葉を吐き出せなくなってしまう。


512: 2012/11/10(土) 08:18:13.32 ID:we9ZnMFPo

 立ち上がる。あの目はわたしを居心地悪くさせる。
 わたしは入り組んだ迷路みたいな構造の中を歩いて、魔法使いのいる場所へ向かった。
 彼女はずっと、例の扉の近くに座り込んで休んでいる。

「おはよう。なにかする気になった?」

 わたしの顔を見て、魔法使いは笑う。

「ねえ、できれば教えてほしいことがあるんだけど」

 訊ねると、彼女は「言ってごらん」というみたいに首をかしげた。

「あの子……あの子の世界で、いったい何があったの?」

「……それを知ってどうするの?」

"どうする"?

 どうするというのだろう。そうだ。知ったところでどうしようもないことだ。
 異なる世界で起こったことなんて知らない方がいい。
 事態がややこしくなるかもしれない。頭が混乱するかもしれない。


513: 2012/11/10(土) 08:18:44.41 ID:we9ZnMFPo

 知らない方がいい。
 でも……。

 あの目。

 どうしてわたしが、あんな目をしたりするんだろう。
 いったい、何が起これば、あんなことになるのだろう。

"ひとりめ"。

「あなたは、それを知ることができる。でも、知らないでほしいと望んでいる人もいるかもしれない」

「……それ、どういう意味?」

 彼女は答えない。


514: 2012/11/10(土) 08:19:39.60 ID:we9ZnMFPo

「ねえ、ずっと考えてたんだけど、あなたの言っていることと、あの子の存在は一致しないように思うの」

「……どういう意味?」

「わたしは、お兄ちゃんを氏なせないためにこの時間に来た。でも、未来は変えられない。
 ただ、別の可能性を生み出すことはできるかもしれない、というだけ。
 それってつまり、お兄ちゃんが氏んでいない並行世界は、この過去からはもともと存在していないってことだよね?」

 魔法使いは微笑を絶やさずわたしの顔をじっと見つめる。
 その目はなんだか、底知れない。

「わたしが何かしないと生まれない。これってどうして?」

「そういう可能性が、もともとなかったからじゃない?」

 つまり。
 お兄ちゃんは氏ぬ以外なかった、という意味だろうか?


515: 2012/11/10(土) 08:20:08.71 ID:we9ZnMFPo

 でも、そうだとしたら、並行世界、可能世界ってなんなんだろう?
「別の可能性」という意味での並行世界だとしたら、それは存在していないとおかしい。

 氏ぬ以外に未来がなかったというならそれは、そのまま……そのまま、並行世界なんてない、というのと同じようなものだ。

「だとしたら、あの子はなんなの?」

 別の世界から現れた少女。どこかで分岐した、わたしとは違う過去。

 魔法使いはその問いに答えるかわりに、別の答えを寄越した。

「あの子のいる世界じゃ、あなたの両親は離婚してないの」

「……え?」

 わたしは急に話が飛んだような気がした。
 
「あの子は、両親と一緒に暮らしてる。祖父母や叔父の家を出て、三人で」

「……」

 並行世界。こうであったかもしれない、という可能性。 
 その意味では、たしかにそれはあったかもしれない可能性のひとつ。


516: 2012/11/10(土) 08:20:46.04 ID:we9ZnMFPo

「――じゃあ、どうしてあの子はあんな顔をしているの?」

「何が間違いで何が正解かは一概には言い切れない。そういった極端な定め方をする方が間違いなのかもしれない」

 魔法使いの言葉は他人事のように空々しくて、しかもはぐらかすように抽象的だった。

「あなたの父親は少し感情的になりやすかったし、あなたの母親は少し身勝手だった。悪い人たちじゃないのかもしれないけどね」

 でもいい人でもなかった。

「あの子、虐待を受けてる」

 魔法使いがさらりと言った。

「頼る相手がひとりもいない。あなたの祖父母が様子を見るくらいはしてるけど、母親があんなんでしょ。あんまり強く踏み込めない」

 そうだ。母は周囲から注意を受けたり咎められたりすると機嫌を悪くして、それで……。
 ――怒鳴り声には覚えがある。でも……。


517: 2012/11/10(土) 08:21:24.08 ID:we9ZnMFPo

「……お兄ちゃんは?」

 そうだ。
 強く出れなかった祖父母のかわりに、わたしを守ってくれたのはいつだってお兄ちゃんだった。

「その世界の、お兄ちゃんは……」

「さあ?」

 と彼女は首をかしげた。
 それで分かってしまった。

「いろんな要因がね。ごちゃごちゃにこんがらがって、さ」

 だから、と魔法使いは言う。

「誰のせいでもないし、誰が悪いわけでもない。いや、誰かを悪いと言うこともできるけど、そういう極端な見方って意味がないんだよね」

 彼女は一言。

「結局、そうなったってだけ」
 
 そんなふうに笑った。


518: 2012/11/10(土) 08:21:53.26 ID:we9ZnMFPo

「ねえ」

 しばらくの沈黙のあとわたしが声をあげると、魔法使いは表情をこわばらせた。
 その表情の意味は見えない。

「その世界のお兄ちゃんに会ってみたい」

 魔法使いは押し黙る。
 彼女はその世界のお兄ちゃんについて、どのようなことを知ってるんだろう。

「……会って、どうするの?」
 
 ……イレギュラー、と彼女は少女を、そう評した。
 でも、わたしにはそうは思えない。
 彼女の存在はわたしにとってなにかの必然性を帯びているように感じられる。

「……あなた、言ったよね。あの子は、「巻き込まれた」んだって。そして、わたしは「巻き込む」こともできるんだって」

「やめなよ。きっと相手は、あなたに会いたいと思ってない」

 不快そうに眉を寄せ、魔法使いは歯を見せる。
 その態度に、わたしは不可解なものを感じる。

「あなたの目的はなに? 単なる観劇、研究じゃないの? だとしたら、役者に自由に演じさせるべきじゃないの?
 それともあなたは脚本家だったの? だとしたら、あなたはどういう展開を想定しているの?」

 苦虫を噛み潰したような表情。わたしの鼓動は少しだけ早まる。


519: 2012/11/10(土) 08:22:35.23 ID:we9ZnMFPo

「あなたのためを思って言ってるんだよ。会うべきじゃない」

 魔法使いは言いつのるように言葉を重ねる。
 わたしは別の問いを返した。

「その世界に行ったことがあるの? その世界に、何か関わったことがあるの?」

 彼女はしばらくこちらをじっと見つめていたが、やがて目を逸らした。

「あなたは何が目的なの? いったい何をさせたくて、わたしやお兄ちゃんに関わろうとしているの?」

「わたしは……」

 彼女の表情がかすかに震える。なぜ彼女はこんなに動揺しているんだろう。
 イニシアチブを握っているのはいつだって魔法使いの方なのに。

「わたしには、約束がある。それだけ」

「約束?」

 いったい誰との、どんな。
 けれど。
 それを聞いたところで意味などないようにも思えた。


520: 2012/11/10(土) 08:23:15.71 ID:we9ZnMFPo

「あなたこそ」

 魔法使いはひどく重苦しい息を吐いてから、ようやくわたしに反論した。

「目的を忘れていない? 違う世界の事情なんて知ったところでどうするの? あなたがするべきなのは、この世界を変えることじゃないの?」

 その通りだった。
 わたしがすべきなのはこの世界に変化をくわえること。
 どうにかして。なんらかの形で。
 
 でも、今はそれよりも、あの少女の目の方が気になる。
 あの目……。

「……違う世界のわたしは、あんな姿になってる」
 
 そう。
 無感動で、無表情で、何にも怯えていないのに、何かに怯えているみたいな。

「じゃあ、その世界のお兄ちゃんと、この世界のお兄ちゃんを比較することで、その違いから生まれた変化を検証することで、何かが分かるかもしれない」

 そうすれば、この世界にどのような変化をくわえればいいかも、分かるかもしれない。
 何が必要で、何がいけなかったのか。

 無理な理屈なようだったが、筋が通らないわけではない。


521: 2012/11/10(土) 08:23:51.55 ID:we9ZnMFPo

「それとも、あなたには、わたしの行動を制限する理由があるの?」
 

 いや、あるのだろう。でも、その権限はないのだ。
 彼女は最初から「できない」とは言わなかった。
「会わせることはできない」と、魔法使いが言ってしまえば、そこで話は終わるのに。

「会ってどうするの?」と訊いたのは、会わせることができるからだ。
 だから彼女は、わたしがその人に会おうと望むことを、やめさせようとしている。
 会ったところでどうにもならないから、と。

 それがどうしてなのかは、魔法使いの事情であって、わたしには関係ない。
 彼女の事情はわたしには関係ない。
 わたしはわたしの事情だけを考えればいい。

「会わせて。そうすれば、未来を変えられるかもしれないから。わたしはそのためにここに来たんだから」

 魔法使いは答えない。わたしは答えを待った。
 彼女はその間なんの反応も寄越さなかった。
 ようやく彼女がわずかな反応を見せたのは何十分も経ったあとのことだ。

「わかったよ」と彼女は拗ねたような小声で言った。

「でも、言った通り面倒なことになると思う。どんなことになっても、わたしは責任を取らない。自分で収拾をつけて」 

 わたしは頷いた。


532: 2012/11/17(土) 09:41:07.97 ID:fLGXd50oo





「じゃあ、目を閉じて」

 魔法使いの言葉に従う。彼女は少し辟易したような顔をしていた。
 わたしは目を閉じる。世界は真っ暗になる。

「開けて」

 何かを考える暇もなく、指示がくだされる。わたしは瞼を開いた。

「……うん」
 
 と魔法使いは頷く。わたしは少し怪訝に思ったけれど、あえて何かを問いかけることはしなかった。

「もういいよ」

 と彼女は扉を示した。

「行っておいで」

「……本当にこれで大丈夫なの?」

「さあね」


533: 2012/11/17(土) 09:41:34.05 ID:fLGXd50oo

 魔法使いはふてくされたみたいな態度をしていた。構っていてもしかたないと判断して、わたしは扉に向かう。

「それにしても、回りくどい手段を選んだね」

 わたしの背中に、彼女はあてつけみたいな声を投げつけた。

「直接話をしてみたりとか、考えなかったの?」

「『突然ですけど、このままじゃあなたの姪が氏んでしまいますよ』って知らない女に言われて信じる人っているの?」

「……」

 会話はそれで終わった。

 わたしは扉を開ける。
 


534: 2012/11/17(土) 09:42:14.15 ID:fLGXd50oo





 扉を開けた先には、ドアのショールームがあった。わたしは振り向いて文句を言おうと思ったけど、扉は既に閉ざされている。
 これで「もうひとつの世界」についていなかったら詐欺だ。
 
『もうひとつの世界』
『分岐』

 わたしは少し立ち止まって、そのことについて考える。
 
 なんだか整理が欠けている気がした。
 わたしが分かっている限りで、情報を整理しておこう。

 わたしが元いた世界――わたしが氏に、お兄ちゃんも氏ぬ世界。
 あの子が住んでいた世界――『わたし』が虐待を受け、『お兄ちゃん』を頼りにできない世界。

 まずわたしが元いた世界を、「世界a」として定義する。
「世界a」で氏んだわたしは、魔法使いの力を借りて「世界a」の未来を分岐させようと企てた。
 つまり、「世界a」の過去の一点(数年前)を基準に「世界a'」を作ろうとしている。

 ややこしいので、過去のわたしのことは「少女」と呼称しよう。


535: 2012/11/17(土) 09:43:13.67 ID:fLGXd50oo

「世界a」の過去に存在する過去のわたし=「少女a」。彼女はこのままではわたしと同じ結末を辿る。
 そこで、この世界をなんらかの手段で「世界a'」に分岐させる。結果、「少女a」は「少女a'」に分岐する。
 ……全然整理できていない気がしてきた。とてもややこしい。入り組んでる。

 そして、「巻き込まれた」という例の少女のいた世界を「世界b」とする。
「世界a」にいるお兄ちゃんを「お兄ちゃんa」……間抜けだからやめよう。「叔父a」とするなら。
「世界b」にいるお兄ちゃんは「お兄ちゃんb」……じゃなくて、「叔父b」となる。
 同様に、「世界b」から巻き込まれた存在である、控室に軟禁されている少女は、「少女b」となる。

 ……とりあえず、こんなところでいいだろうか。
 人物と世界に関する整理はこんなものだろう。……整理がついている気がしない。
 わたしはポケットからメモ帳を取り出した。


536: 2012/11/17(土) 09:43:39.71 ID:fLGXd50oo

 叔父a――ややこしいからやめよう――お兄ちゃんが昔から愛用していたメモ帳。
 ちょっとした機会でわたしも同じものを使うようになったのだ。
 とりあえずわたしは簡単に文章にしてみた。

『最初にいた世界、普通の現実、わたしが十六歳で氏んだ世界=世界a』

『わたしが変えようとしている世界、魔法使いの力を借りてたどり着いた世界=世界aの過去(もしくは世界a')』

『控室の少女が元居た世界、今から向かう世界=世界b』

 世界に関してはこんなところだろう。
 人物は……。

『わたし=わたし。世界aの過去(もしくは世界a')におけるわたし(九歳)=少女a。お兄ちゃん=叔父a』

『世界bにおけるお兄ちゃん=叔父b。巻き込まれた少女=少女b(世界bにおける過去のわたし)』
 
 ……後で読み返して、ちゃんと思い出せることを祈ろう。


537: 2012/11/17(土) 09:44:08.65 ID:fLGXd50oo



 さて。これからどう進むべきなのだろう?
 どうでもいいと言えばどうでもいい話だけれど……仮に世界bに来れたとしたら、わたしは世界bの『いつ』にいるのだろう。
 単純に考えれば、少女bがいた時間だろうか? 
 
 仮に、叔父bがいない時間に放り出されたらどうしよう? 十年後や十年前では何の意味もない。
 ……いや、それはないか。いくらなんでも、魔法使いがそんなことをするとは思えない。

 少なくとも、わたしの目的に即した状態の彼に会わせてくれるはずだ。

 わたしは叔父bに会って少女bがあんなふうになっている原因を確かめる。
 それが何かのヒントになるかもしれないから。
 
 でも、その前に……。

 わたしはスマホを取り出して「変な女」に電話を掛けた。

「……もしもし」

 と魔法使いは憂鬱そうな声で返事を寄越す。

「説明不足。どこに進めばいいの?」

「……適当に、出ればつくと思う」


538: 2012/11/17(土) 09:44:54.46 ID:fLGXd50oo

「ちゃんとナビして。ついでに、軽くこの世界の状況と、時間についても説明して」

「……わたしを便利に使わないでよ」

 魔法使いは不満げだったが、結局説明してくれた。


 わたしは電話越しに彼女の声を聞きながらショールームの出口に進む。
 気付けば、どこかの川辺に居た。

「……は」

 振り向いてもドアはない。
 夜だ。水辺だからか、少し肌寒い。

 わたしは斜面を昇り川を離れる。道に戻ってから辺りを見渡した。

 そして呟く。

「……ここ、どこ?」

 わたしの知らない街だった。
 わたしの知らない場所だった。
 そのことがすぐに分かる。


539: 2012/11/17(土) 09:45:29.57 ID:fLGXd50oo

 魔法使いはその声に返事を寄越さない。
 なんだかひどく心もとない気分になる。わたしはどうすればいいのだろう?
 状況は前に進んでいるんだろうか? 

「あなたがいるのは、あの子の世界」

 あの子――少女b。
 
「……まさか、嫌がらせに全然違う街に飛ばしたとか、そういうのじゃないよね?」

「そうじゃない」

 と彼女は首を振る。

「……じゃあ、ここは」

 彼女は発した言葉を訂正するような響きで唱えた。

「あなたがいるのは、あの子が"居た"世界」

「……居た?」

 なぜ過去形で言うんだろう。


540: 2012/11/17(土) 09:46:11.19 ID:fLGXd50oo

「あなたが控室でみた女の子。要するに、違う世界の、子供の頃のあなた」

 あの子はね、氏ぬの。魔法使いは言った。氏んでしまうの。氏んでしまったのよ。
 その街はあの女の子が氏んでしまったあとの世界なの。

「……わたしが氏んだあとの世界?」

「違う。あなたじゃない」

 あなたじゃない、と魔法使いは言う。
 あなたとは違う。同じなんてありえない。

 わたしは何も答えられなかった。

「いい? 今その街は、あなたがさっきまでいた世界と同じ時間の、違う場所。
 あなたには見覚えがないであろうその街に、あなたの叔父の家があるの。
 今からそこまでナビする。きっと彼はあなたの誘いを断らない。
 なぜなら彼は氏にたがっているから。心底氏にたがっているから。でも彼は氏なない。このまま放っておけばね」


541: 2012/11/17(土) 09:46:58.41 ID:fLGXd50oo

「……氏にたがってる? なぜ?」

 お兄ちゃんが、氏にたがるって、どういうことなんだろう。
 そんなの、想像もつかない。つかないけれど、お兄ちゃんが自頃する、というのは聞き覚えがあった。
 世界aにおけるわたしが氏んだあとの話。
 でもこの街は世界bにおける過去であり、わたしがいた世界とは違う。

 そして、彼は氏なないらしい。魔法使いの言葉を信じるなら。

「会えば分かるかもしれない」
 
 わたしはその言葉に不安になったが、それでも彼女の指示に従ってお兄ちゃんのいる場所を目指すほか術がなかった。
 いったい何が歯車を狂わせているんだろう? 我々を苛むものの正体は何か?
 そんな大仰な問いを冗談交じりに自分に向けたくなるほど、不安だった。


542: 2012/11/17(土) 09:47:40.13 ID:fLGXd50oo




 そしてわたしはその家にたどり着く。
 灯りはほとんど消えていたが、二階の一室にだけともされていた。わたしはスマホで時刻を確認する。
 一時半。……一時半? そりゃ、電気が消えてるわけだ。
 
 わたしは玄関の前に立つ。扉には、きっと鍵が掛かっているだろう。

「関係ないよ」

 と魔法使いは言った。

「開けてみて」

 躊躇したが、開く。
 ドアが動いた。
 大きな音を立てて軋んだので、わたしは少しびくりとしたが、しばらくしても何の変化もない。
 どうやら家の主たちはすっかり眠ってしまっているみたいだった。

「電気のついている部屋に向かうといい」

 彼女の指示通り、二階の電気がついていた部屋に向かう。二階は寝室、私室のスペースらしい。
 わたしは隙間から灯りが漏れているドアを目指して、足音をひそめた。


543: 2012/11/17(土) 09:48:06.57 ID:fLGXd50oo

 そこで彼女は、この世界の状況についてわたしに簡単に説明した。

 あの子は母親に虐待されたあげくに殺される。母親もまたそのとき自氏した。父親はその後蒸発した。
 彼は彼女のためになにひとつ行動を起こさなかった。そのことで自分を責めている。
 責めているが、なぜ責めているのか自分でも分かっていない。

 静かな家の中で、電話越しの彼女の声は、なんだか、わたしの頭のなかでだけ聞こえる妖精の声みたいに思えた。

 彼の様子はその後おかしくなる。学校に通わなくなる日が増え、あまり出掛けなくなった。
 それまでごく普通の学生だった彼がだ。その原因を、彼の母は周囲の目だと判断した。
 身近な場所で起こったショッキングでセンセーショナルな出来事に、周囲の彼を見る目はかわった。
 
 父母は決心し、彼を遠い県に住む親戚の家に預けることにした。
 親戚は頼み込んだ父母にしぶしぶ折れて彼の世話を引き受けたが、あまりいい顔もしなかった。
 たぶんこれも(彼が氏にたがっている)原因の一端だろう。

 そして彼はそこにいる。そこで最低限ふつうの生活を送っている。――ように見える。

 そこまで言い切ると、魔法使いはそれ以上説明をくわえようとしなかった。
 
「それじゃあ、あとは好きにして」

 パラレルワールド、分岐と結果。
 わたしはこの世界に来るべきではなかったかもしれない。


544: 2012/11/17(土) 09:49:18.27 ID:fLGXd50oo

 だって、この世界のわたしが母に虐待され氏んでいるということは、つまり、わたしがそうなっていたかもしれないのだ。 
 というより、わたしが、現にそうなっているのだ。何かのはずみで何かの状況が変わることで。

 それだけわたしは母に憎まれていたのだ。
 ……でも、なんだろう。わたしの世界とあの子の世界を別つものはなんだろう?
  
 ごく単純に考えれば、いちばんの違いはお兄ちゃんだろう。お兄ちゃんの態度が、こちらとあちらではまったく違う。
 要するに、何かを原因にお兄ちゃんが分岐した。
 
 ……分岐?

 わたしは世界について考えていたときに覚えたかすかな矛盾を掘り起こしてみた。
 
 そう、どこかで分岐したのだ。……でも、"どうして分岐なんてものが生まれるんだろう?"
 いや、わたしは既に知っている。

 並行世界なんてものが最初から存在するなら、わたしはそもそも魔法使いの甘言に乗る必要なんてなかったのだ。
 何もしなくても、「お兄ちゃんが氏なない世界」は存在しているはずなのだから。
 そういった可能性がないとは考えがたい。だってそれは無数の可能性のはずなのだから。

 だとすれば、原則として、"何も起こらないかぎり並行世界なんてものは発生しない"と考えるべきだろう。
 

545: 2012/11/17(土) 09:50:01.72 ID:fLGXd50oo

 分岐と結果。その分岐を生むものは何か? わたしは既にそれを知っている。
 魔法使いの魔法。彼女の手によって、世界は分岐する。

『前にやった人はね、一人で行って一人で帰ったよ』

 魔法使いは言っていた。わたしの前にも、この魔法を受け入れた人間がいるのだ。
 それが誰なのかは分からない。でも、分かるのは、その人が"分岐を作るのに成功した"ということだ。
 世界a、世界bというふたつの世界が存在するのは、その人物が分岐を作り出したからではないだろうか?

「前にやった人」はわたしたちの現実に関わりのある人物なんじゃないか。

 それは明白だという気がする。
 魔法使いはこうも言ったからだ。

『完全に無関係ってわけじゃないんだよね、あなたたちと』

 その彼(あるいは彼女)は分岐を作り、ふたつの流れを生み出した。

 だとするなら、世界aと世界bの、どちらかが本流で、どちらかが魔法によって生まれた分流ということになる。
 ごく単純に考えれば。
 世界bこそが本流であり、世界aこそが分流である、と考えるのがたやすい。


546: 2012/11/17(土) 09:50:27.61 ID:fLGXd50oo

 もしそうでなければ、世界aの、十六歳のわたしのもとに、魔法使いがあらわれるわけがない。
 世界aがもし「誰かが失敗とみなした世界」であるなら、その軌道をさらに修正しようとする人間はいないだろう。
 わたしたちの認識についてはともかく、魔法使いの記憶は連続性を保っているはずだから。
 彼女は「誰かが作り出した結果」を、さらに分岐させようとするはずだ。根拠はないけど……わたしが彼女ならそうする。

 であるなら、世界aと世界bの違いは明白だ。そして、世界bにおける少女が世界aにおいては氏なずに済むことの原因も明白だ。
 ふたつの世界の最大の違いはお兄ちゃんの態度。
  
 つまり、『世界bにいた何者かがその結果を良しとせず、魔法使いの力を借りて未来を分岐させた』。
 さらに言うなら、『その何者かはお兄ちゃんの態度を分岐させる手段を取った』。
 では彼が作りたかった未来、避けたかった未来とは何か? 答えは単純だと言う気がする。

『彼はお兄ちゃんの態度を変えることで、わたしの氏を回避しようとしたのではないか?』

 ……これは半分妄想のような想像だ。わたしは頭を振る。そして考え事をやめた。

 ドアを見る。この向こうには、『彼』がいる。
 あるいは、彼こそが……。

 いや、そのことについて考えるのは、今はやめよう。


547: 2012/11/17(土) 09:50:53.61 ID:fLGXd50oo

「……?」

 けれど、わたしの考えはまだ後ろ髪を引かれる。
 わたしがここで『彼』にあったら、……"こちら"の世界はどうなるのだろう?

 わたしは溜め息をつき、今度こそ本当に考えを打ち切った。

 なんだか目の前の扉がひどく重そうに見える。不安な気持ちだった。わたしは本当にこの扉を開けていいんだろうか。
 開けてはいけないような気がする。わたしはこの扉を開けるべきではないのだ、という気が。
 でも、反対に、わたしはこの扉を開けなくてはいけないのだ、とも感じた。それはぼんやりとした感覚だったけれど……。
 
 覚悟を決めて、扉をノックする。軽い音。ドアの向こうはしんと静まりかえっていた。しばらく、なんの音もしなかった。
 けれど少し経つと、ドアがかすかな――それは本当にかすかな――軋みをあげ、開かれた。
 
 わたしは彼の顔を見た。その瞬間、魔法使いが言っていたことが分かったような気がした。
 この世界の彼の目は……お母さんに似ている。
 お母さんに似ているのだ。

 わたしはそのことに気付くと、なんだか笑い出したい気持ちになった。
 なんだ、そういうことか、という納得があった。

「こんばんは」

 とわたしは言った。
 
「こんばんは」

 と彼も返した。


548: 2012/11/17(土) 09:51:46.19 ID:fLGXd50oo





 彼はわたしの姿を見ると、すぐに興味を失ったようにベッドに身を沈めた。
 少しだけ戸惑う。まるでわたしが来ることをが分かっていたかのような態度。 
 
 でもそんなことはないはずだった。わたしは彼にとって突然の闖入者であるはずだ。
 この世界にわたしは存在していない。この時間にわたしはいない。
 彼がわたしのことを知っているはずはない。
 
 だから彼はわたしを知らない。知らない人間が、なぜ突然の訪問に驚かないのだろう?

 彼の態度はわたしを不安にさせる。
 でも、それは態度だけのせいではない。

 まるで"外側"から何かの感覚が流れ込んでくるようだった。
 彼の言葉、態度、そのひとつひとつがわたしを不安にさせる。 
 それはちょうど、わたしがお兄ちゃんと過ごしている感覚とまったく逆のものだった。
 
 流れ込んでくる感覚。
 名状しがたい感情。
 疑問。

「……」

 わたしはその感覚を無視した。特殊な状況に陥って、何かが混乱しているだけなのだろう。
 

549: 2012/11/17(土) 09:52:13.69 ID:fLGXd50oo

「入ってもいい?」

 なるべく落ち着いた声を意識して、わたしは言った。
 許可を取るのも今更のようにも思えたし、もっと他に言わなくてはならないような気もした。
 でもわたしは、彼を前にするとどうしてもそうならざるを得なかった。
 なぜだろう?

 彼の顔はお兄ちゃんにそっくりだ。でも、似ているようでやはり違う。同じなんかじゃない。
 それなのに……。

 なんだろう、この感覚は。いったいなんなんだろう。わたしを混乱させている何か。
 
 彼はわたしの問いに答えを返さなかった。視線すらも寄越さなかった。
 わたしは奇妙な感覚を振り払おうと一歩踏み出した。とたんに不自然な感覚に襲われる。

『叔父さんの部屋には、入っちゃダメ。……怒られるから』
 
『叔父さんは、怒ると、とても、怖いから』

 内側から聞こえる、外側から流れ込む声。
 わたしが覚える強い混乱。


550: 2012/11/17(土) 09:52:42.15 ID:fLGXd50oo

 まるで、誰かの感覚がそのままわたしに流れ込んできているような錯覚。
 いや、ひょっとしたら――それは錯覚ではないのかもしれない。

 わたしは軽く呼吸を整えた。落ち着け、とわたしは思う。落ち着くんだよ。それが大事なんだよ。

「変な部屋」

 とわたしは言った。
 彼は疲れたように溜め息を漏らす。でもそれはわたしの言葉に対しての反応というより、もっと自然にわき出したものに思えた。
 ようするにそれは彼にとって日常的なものなのだ。だが、わたしを前にして、彼はどうしてそんなふうに振る舞えるんだろう。

 彼は氏にたがっている。魔法使いはそう言っていた。
 彼にはもう、ほとんどのことがどうでもいいのかもしれない。


551: 2012/11/17(土) 09:53:32.40 ID:fLGXd50oo

「嫌な感じかな?」

「少しね」

 彼が笑うから、わたしも笑った。でも、わたしには自分たちがなぜ笑ったのかがさっぱり分からなかった。

「ねえ、ところで、お願いがあるんだ。いいかな?」

 居心地の悪さに話を進める。わたしはこの部屋にいたくなかった。
 お腹の奥の方に、ずしんという嫌な重みがあるような気がする。
 ここにいるとわたしは、言いようもなく不安になるのだ。

「なんだろう?」

 彼は平然と問い返す。

「わたしはこれからある場所に向かおうと思う。あなたについてきてほしいんだ」

「どうして?」


552: 2012/11/17(土) 09:54:41.33 ID:fLGXd50oo

 その反応に、わたしは少しだけ苛立つ。いったい、なんなんだろう?
 まるで馬耳東風といった雰囲気だ。彼はおそらくわたしに興味を抱いていない。
"わたしに興味を抱いていない"。なるほど、とわたしは自分の感覚に頷いた。それは致命的だ。

「都合がよさそうだったから」

 苛立ち混じりに言うと、彼の眉がぴくりと動いた。動いたけれど、それだけだった。
 

「ひどいものを、見ることになるかもしれないけど」

 その言葉はわたしなりの警戒でもあったし、また気遣いでもあった。
 この人がこれからあの世界にいって、どんな気持ちになるのか、わたしは想像することしかできない。

「かまわないよ」


553: 2012/11/17(土) 09:55:07.41 ID:fLGXd50oo

 どこまでも他人事のように彼は頷く。嫌な気持ちがどんどんと膨らんでいく。
 これはいったいなんなんだろう。

「ところで、君は誰?」

「秘密」

 わたしは一刻も早く話を終わらせたくて、彼に外出の準備を促して家を出た。
 玄関先で待っていると、彼は何分か置いて服を着替えて出てきた。

 彼を待っている間、わたしは自分がどこに向かえばいいのかについて考えた。 
 どこに行けば、彼を連れてあの世界に帰れるのだろう?

 でもわたしはその答えをあらかじめ知っていた。魔法使いに聞いたわけでもなく。
 誰かが知っていたことを、盗みだしたみたいに、その情報は頭の中にあった。

 これはいったいなんなんだろう?

557: 2012/11/21(水) 10:36:09.14 ID:mkJ4uCfeo



 わたしたちは近所の川沿いの堤防へと進んでいく。
 霧雨に覆われた夜の空気はひんやりとしていて、それが少しだけわたしを不安にさせた。
 夜の冷気が肌を刺す。この街の景色はわたしを妙に不安にさせた。

 空には星と月がぼんやりと浮かんでいる。夜空に煌々と光る月の明るさ。
 その光を、わたしはいつか、見たことがあったような気がした。

「こんな感じの道をさ。子供の頃、よく歩いたんだよ」

 夜の底に沈み込んだわたしたちは、堤防を静かに進んでいく。
 わたしの足取りに迷いはない。来たこともない街なのに、不思議と。 

「二人で、一緒にね。散歩に行ってきなさい、ってよく言われたんだ」

 わたしとお兄ちゃんはそうやって、母と祖母の喧嘩が始まるといつも追い出された。
 祖母がわたしの面倒を見るのを面白がらなかった母は、いつだってお兄ちゃんにわたしを押し付けていた。
 

558: 2012/11/21(水) 10:36:39.76 ID:mkJ4uCfeo

「似てる。その道に。ね、そんな場所をそんなふうに歩いた記憶、ある?」

「ない」

 彼のはっきりとした答えには、ちょっとした寂しさのようなものが含まれている気がした。
 彼には何も分からないだろう。氏んでしまった彼の姪の、異なる姿がわたしだと、自身では分からないのだから。
 彼にとってわたしは、突然現れた見知らぬ女でしかない。
 
「そっか」

 でも、彼の顔も、声も、わたしのよく知っている人に似ている。
 なんだか自分が、ひどく悪趣味で罰当たりなことをしているような気分になった。
 でも、当たって困る罰なんて、今のわたしにはもうない。

「それでね、堤防を抜けた先に、何かの事務所みたいなのがあるの」

 わたしはその記憶のディティールを可能な限り忠実に頭の中で再現しようとしてみた。
 それは困難な作業だったけれど、けっして苦痛ではない。不思議なほどよく思い出せる。
 なぜだろう? あの頃からもう何年もの歳月が経っているのに、その記憶はまったく色あせない。


559: 2012/11/21(水) 10:37:06.33 ID:mkJ4uCfeo


「入口に自販機があって、そこでコーヒーとリンゴジュースを買うの。それを飲みながら、道を戻っていくのが散歩のコース」

 頭の中の景色が実感を孕んでいく。 
 わたしはあの道を、たしかにお兄ちゃんと歩いたのだ。何度も何度も。それは本当なんだ。なんとなく、そんなふうに思う。

「一年中、ずっと。春は風が強かったりして大変だった。
 河川敷の草むらは、夏になると背が高くなって、迷い込むと出られなくなったりするんだよ。一度そうなって、怖かった。 
 秋になると夕方でも真っ暗だった。虫の声がうるさかったな。早めの時間に歩くとね、夕焼けとススキが綺麗だった。
 冬の寒いときなんかは、もうちょっとだけ歩いてコンビニまでいって、肉まんを食べながら帰ったの。寒い寒いって言いながら」

 一定の距離を開けてわたしを追いかけてくる彼が、少し呼吸を止めたような気がした。

「……誰と?」

「……」


560: 2012/11/21(水) 10:37:42.89 ID:mkJ4uCfeo

 わたしは歩みを止める。このあたりでいいだろう。自分が何を求めているかも分からないくせに、たしかにここでいいのだと思った。
 
「こっち」

 わたしは一度だけ振り向いてそう言う。あっけにとられたように固まる彼を背に、夏草の中に身をもぐらせた。
 霧の雫をためこんだ夏草を掻き分けて進む。川辺には虫の気配がした。
 うしろから彼がついてくる。わたしはそれがなんとなく恐かった。

 月がこちらを見下ろしている。夏の夜なのだ。

 やがて草むらを抜ける。当然だけれど、川があった。
 このあたりは水深が浅く、水底の砂利がよく見えた。水が澄んでいて綺麗。小魚が泳いでいるのが見えるくらいだ。
 
 わたしは靴を履いたまま、川の中へと進んでいく。

「こっち」

 前を向いたまま、彼を促す。


561: 2012/11/21(水) 10:38:24.27 ID:mkJ4uCfeo

「こっちだよ」

 彼は少しだけ躊躇していたけれど、やがてたいした決意もなさそうにあっさりと足を踏み出した。 
 まるで、「まあいいか」とでも言いたげな表情。
 べつにどうなったっていいんだ、とでも言いたげな。その表情はわたしを少しだけ苛立たせる。

「ごめんね」

 とわたしは言った。彼がどんな人間であるにせよ、立場的には無関係である人間を身勝手に巻き込もうとしているのは変わらない。
 わたしは、自分のために、他人を巻き込もうとしている。 

「あなたがどう感じるか、わたしには分からない。ひょっとしたらすごく傷つくかもしれないし、怒るかもしれない」

 水面に波紋が広がる。澄んだ水に浮かんだ月が形を歪めた。
 わたしは少しだけ溜め息をつく。巻き込もうとしている。でも、なんだろう。この気持ちには、それ以上の何かがあった。
 わたしは彼に何かを求めている気がする。
 その感覚に気付かないふりをする。それはおそらく「外側」のものだ。

「でもそれは、どうしても必要なの。そうしないと、我慢ならないの。わたしはだめだったから、せめて」

 そうだ。
 せめて、可能性くらいは残さなくては。


562: 2012/11/21(水) 10:39:00.44 ID:mkJ4uCfeo

「これ、何が起こってるの?」

 彼の目に、その光景は異様に映っただろう。波紋はやがて激しく波立ち蠢き出す。
 わたしたちの足元をすくおうというように、意思を持って襲い掛かる。
 溺れたこどもを水底に連れ去ろうというように。

 わたしは笑った。

「身勝手だって分かってる。でも、納得できない。だから、最初に謝っておく。ごめんね」

 水流がわたしの足をさらう。でもその前に、彼が流れに呑まれて倒れた。

 彼は何かを叫んだ。わたしにはなんだかその姿がおかしく見える。
 わたしは空を見上げた。月が浮かんでいる。わたしはいつか、あの光を見たことがあるのだ。

「ごめんね」

 とわたしは言った。でも、自分でも誰に謝っているのか分からない。
 青白く照らされた景色の中に、わたしはぼんやりとひとりで立ち尽くしている。なんだかひどく眠い。
 柔らかに、足元から、川の中へと吸い込まれていく。
 
 静かに飲み込まれていく。
 わたしはその意味を知っていた。たぶん、重なっているのだ。誰かの感覚が流れ込んできている。

 だからだろうか。
 とても悲しいのだ。


563: 2012/11/21(水) 10:39:26.77 ID:mkJ4uCfeo



 
 奔流のような感覚に酩酊したのか、頭痛で目が覚める。
 ふと目を覚ますとわたしは川辺にいた。一瞬、さっきと同じ場所かと思ったら、どうやら違う。
 わたしが知っている街の川辺。

 起き上がる。身体に土がついていた。服を払いながら空を見上げる。
 辺りは暗い。まだ夜なのだ。わたしは落ち着こうとしたが、あまりうまくいかなかった。

 魔法使いのいる控室を経由せずに、こちらに戻ってくるとは思っても見なかった。
 けれどおそらく、ここは世界bの見知らぬ街ではなく、世界aの過去の街なのだろう。

 それ以外に思いつかない。

 でも、だとすると……『彼』はどこに行ったのだろう?

 辺りには『彼』の姿は見えなかった。
 わたしはなんとなく不安に思う。何が起こっているんだろう?
 

564: 2012/11/21(水) 10:40:12.25 ID:mkJ4uCfeo

 わたしは戻ってこれたのだろうか? だとすれば『いつ』に?
 でも、答えはどこからもない。わたしはポケットからスマホを取り出す。濡れたはずだけど、平気そうだ。
 
 わたしは発信履歴から魔法使いの番号を呼び出す。
 ……だが、出ない。
 なぜだろう?

 何かが起こったのかも知れない。彼女にとってすら予定外だった何かが(そんなことがあるのだろうか?)。

 ま、繋がらないものはしょうがない。
 わたしはとりあえず例のショールームに向かうことにした。
 ふと不安になってもう一度ポケットからスマホを取りだす。
 日付は零時をまわって八月三日。……こちらに来てから、もうそんなになるのか。

 夜のショールームには異様な雰囲気があった。わたしはふたたび忍び込んだけれど、あのドアは見つけられない。
 少し待ってみたがやはり何の変化もない。わたしは溜め息をついた。
 

565: 2012/11/21(水) 10:40:49.31 ID:mkJ4uCfeo

 なにひとつ思い通りにいかない、とわたしは思った。
 でも、今まで何かがわたしの思い通りに進んだことなんて一度もなかったわけだし、それが重なったからといっていまさら文句を言うこともない。
 
 とはいえ、それに文句をつけるために、今わたしは行動しているわけなんだけど。

「さて、と」 

 わたしはなんだか心細くなりはじめた。誰かに会いたいなぁと思った。そういえばわたしはずっとひとりぼっちなのだ。
 でも氏んじゃったんだし仕方ないじゃないか。この世界にはわたしを知っている人なんていない。
 魔法使いだって、わたしがこの世界に連れてこようとした『彼』だって、わたしの知り合いってわけじゃない。
 はっきりいってわたしはこの世界で部外者だ。無関係の人間だ。

 心細いなんてことは言ってられない。
 言ってられない、のだけれど……。

 ふと、ポケットから振動が伝わる。
 スマホ。画面には変な女の文字。


566: 2012/11/21(水) 10:41:15.42 ID:mkJ4uCfeo

「はい、もしもし」

 即座に反応。
 
「……あ、えっと。うん。何かあった?」

 わたしの声に戸惑ったように、魔法使いはヒキ気味で反応を寄越した。

「え、ないけど」

「あ、そう。なんか反応早かったから」

「……うん。あ、いや。あった。例の人、連れてきたつもりだったんだけど、いないんだよ。どういうこと?」

「ああ、それ。そのことで電話したんだよ」

 そこで言葉を選ぶような間があった。


567: 2012/11/21(水) 10:41:42.30 ID:mkJ4uCfeo

「……えっと。大丈夫、だと思う。ちょっとズレただけだから」

「……ズレ?」

「――うん」

 ……いや、なんなんだ、この、万能のようでいて欠陥だらけの魔法使いは。
 おかげでこっちもいろいろ混乱させられる。……ズレ? ってなに?

「うん。ええと、そうだな。そのうち来る」

「……なにそれ」

「仕方ないんだよ、こっちにもいろいろ事情があるの。これでも結構無理してるんだよ」

 わたしはむっとしたけれど、電話口で口論する気にはなれなかった。
 それに、わたしには彼女の助力が不可欠なのだ。あまり機嫌を損なうこともない。

 でも、なんだかとても不安になった。


568: 2012/11/21(水) 10:42:10.84 ID:mkJ4uCfeo

「ねえ、正直に言っていい?」

「なに?」

「すごく不安」

「……」
 
 魔法使いは溜め息をついた。

「わたしはここに来て、何かをできているの? というか、わたしはちゃんとここにいるの?」

「……だいぶ切羽詰まってるみたいだね、わけわかんないこと言ってる」

「ひょっとしてあれなのかな、これも実は走馬灯とかそういうあれで、もしくはわたしの夢とかそういう……」

「……うーん。否定しづらいことを言うよね、あなた」

「やっぱり妄想――」


569: 2012/11/21(水) 10:42:41.05 ID:mkJ4uCfeo

「なんだってそんなに思いつめてるのさ」

「だってわたし、ここに来てからまだ何もしてないんだよ。何もできてない」

「……ま、不安がるのは分かるけどね。期限もあるわけだし」

「――――」

 わたしの呼吸は少し止まった。

「今なんていった?」

「え? ……不安がるのは分かるって」

「そういうベタなやりとりいいです。そのあと」

「……期限もあるわけだし?」


570: 2012/11/21(水) 10:43:36.13 ID:mkJ4uCfeo

「そう。それ。何それ。期限ってなに?」

「言ってなかったっけ?」

「聞いてない!」

「……ごめん。言い忘れてた。有効期限みたいなものもあってさ。えっと、一ヵ月くらい?」

 情報の伝達ミスにくわえて情報それ自体が大雑把ってどういうことだ。
 いや、たしかに期限がなかったら……いつまで経っても終わらなくなりそうだし。
 思いつかなかったわたしがバカなんだろうか。

「何か他に伝え忘れてることってない?」

「それを思い出せたら、忘れてるって言わないよね」

「開き直らないで! 期限を過ぎたらどうなるの?」

「……えっと」

「うん」

「強制成仏、とか?」

 ……氏んでも氏にきれない。
 

571: 2012/11/21(水) 10:44:01.95 ID:mkJ4uCfeo

 一ヵ月となると、もう期限の四分の一くらいは使ってしまっていることになるのだろうか?
 ……本当に、洒落にならない。

「ごめん。ま、でも、不安になるのは分かるよ。説明不足だったしね」

 説明不足とかそういう次元じゃないと思うんだけど。わたしはもっと彼女の責任を追及しても良い気がする。

「……"前の人"も、似たような状況だったの?」

 わたしは咄嗟にそう訊ねていた。『前回』魔法使いの魔法を使い、「一人で来て一人で帰った人」。
 その人は、いったいどのようにして未来を変えたんだろう?

「うん。まぁ、彼の場合とあなたの場合は大きく違いがあるんだけど……」

 男だったんだ。今まで気にしていなかった。

「彼の場合は、一日でスパッと。んで、実際に未来を変えちゃった」

「……」

 冗談でしょう。


572: 2012/11/21(水) 10:44:31.77 ID:mkJ4uCfeo

「それは、えっと、事前にわたしのときより丁寧に説明した、とか?」

「まあ、覚悟の問題かもね」

「覚悟?」

「彼の場合は、未来を変えるなんてファンタジー、最初から信じてなかったから」

 どきり、とした。
 それは「誰か」の話に、ではない。
 魔法使いが「未来を変える」ことを「ファンタジー」と呼んだことに対してだ。

 要するに彼女にとってもそれはファンタジーなのだ。
 わたしは氏んでいる。氏んだのだ。自分の意思で。
 その結果ここにいる。でも未来なんて変えられない。

 一ヵ月。わたしに許された時間はこの一ヵ月のあいだに、可能性を作ることだけ。 
 それ以外には何もない。一ヵ月が過ぎれば、わたしはどちらにせよ消え去る。
 

573: 2012/11/21(水) 10:45:09.91 ID:mkJ4uCfeo

 たぶん。魔法使いが言った「成仏」なんてふざけた言葉の意味がそうであるなら。

 何よりもわたしを動揺させたのは、わたし自身がその事実に傷ついているということだ。

 わたしはまだ期待していたのだ。
 魔法使いの言葉の節々に見え隠れする、甘い期待を抱かせるようなニュアンス。 
 その響きに「もしかしたら」と期待していたのだ。わたしは。

 覚悟という言葉を使うなら、わたしにはそれがなかった。
 
「……いや、待って。彼の場合は、それを受け入れる準備をしていたってだけでさ」

「うん」

 取り繕うような魔法使いの言葉に、わたしは頷きを返す。

「分かってる。ファンタジーだって。わたしはここに来て、やらなきゃいけないことがあるんだから」


574: 2012/11/21(水) 10:45:37.62 ID:mkJ4uCfeo

 でも……。
 身勝手だろうか?
 悲しいと思うのは。
 
 だってわたしは氏んだのだ。自分から。
 わたしは氏にたかったんじゃない。でも、それを言ったっていまさらだ。

「……なんかもう、やだ」

「え、なにが?」

「生きるって、めんどくさいね」

「いや、あなた氏んでるから」

 ……分かってるけど。


575: 2012/11/21(水) 10:46:21.53 ID:mkJ4uCfeo

「落ち込んでるところ悪いけど、ちょっと悪い知らせがある」

「……なに?」

「なにか変なことが起こってるみたい」

 魔法使いは言った。

「変なこと?」

「具体的には言えない。こっちの都合もあるし、どうなるか分からないから、これから連絡とれなくなるかも」

 わたしはその言葉に急に不安になる。そうしたらわたしは、誰のことも頼らずに「未来」を変えなければならない。
 はっきりいって、もうその自信はなくなっていた。


576: 2012/11/21(水) 10:47:00.71 ID:mkJ4uCfeo

「……寂しい、んだけど」

 わたしは掠れた声で言ったけれど、魔法使いは呆れたように溜め息をつくだけだった。

「我慢しなよ」

 もしくは、と彼女は言う。

「もうひとり巻き込む、とかね」

「……?」

「ともだち。連れて来れば?」

 ……ともだち。
 
「ていうか、連れてきなよ。あなた、たぶん、ひとりだと何もできなくなっちゃうタイプだね」

 数日前に出会ったばかりの人間に見透かされてしまうほどの底の浅さ。
 わたしは自分に呆れたけれど、呆れよりも寂しさの方が少しだけ強かった。

 でも、ともだちなんて。
 わたしにはひとりしか心当たりがないのだった。
 しかも、わたしは彼を友達だと思っていたけど、彼がわたしをそう思っているかは怪しい。
 いわば片思い的な。


577: 2012/11/21(水) 10:47:51.86 ID:mkJ4uCfeo

「……できるの?」

 とわたしは聞いた。連れてくるってことは、それはつまり、この世界の未来。世界aの、わたしがいた時間に戻ると言うことではないのか?
 それができてしまっていいのだろうか?

「割と融通はきくよ。どっちにしたってあなたは一ヵ月で消えちゃうわけだから」

 魔法使いは言った。

「どうする?」

「……お願い」

 とにかく今は、わたしのことを知っている誰かに会いたい。
 それが彼ならば、言うことはない。

 でも、それができるなら……。


578: 2012/11/21(水) 10:48:29.06 ID:mkJ4uCfeo

「お兄ちゃんともう一度会うことは、できない、の?」

 恐る恐る訊ねた声に、魔法使いはさらりと答える。

「できなくはない」

 その答えは、わたしには少し予想外だった。

「できるの?」

「できるね。会って、話もできる」

 けど、と魔法使いは言う。わたしは彼女の発言の含みに気付いた。
 もしも、とわたしは思う。もしもそれが可能なら、こんなにややこしい手段を取る必要はないのだ。
 お兄ちゃんのところに化けて出て、お兄ちゃんは氏なないで、と言えばそれでいい。
 
 でも――そうしてでもなお、お兄ちゃんが氏んでしまうとしたら?

 わたしはひょっとしたら誤解していたのかもしれない。


579: 2012/11/21(水) 10:48:58.69 ID:mkJ4uCfeo

 お兄ちゃんが氏ぬのは、わたしの氏が原因ではないのかもしれない。

 それは起点にはなるかもしれない。でも、そのあとでお兄ちゃんにわたしが何を言おうと無駄なのだ。
 ようするにわたしは、お兄ちゃんの中に隠れた暗闇を呼び出すスイッチを押してしまっただけなのではないか。
 もっと根本的なものがお兄ちゃんを悩ませていて、それを解決するためには、時間を遡らざるを得なかったのではないか?

 でも、ならば、お兄ちゃんは、なぜ氏ぬのだろう?
 
 わたしの氏が原因ではないのなら。
 わたしが氏ななかったところで、お兄ちゃんの氏は避けられないのではないか?

 ……魔法使いは、わたしとお兄ちゃんをどうしたいんだろう?

 わたしが氏んだ理由ははっきりしている。
 でも、お兄ちゃんが氏ぬ理由は……分からない。



580: 2012/11/21(水) 10:49:25.57 ID:mkJ4uCfeo


 いったい何がお兄ちゃんを苦しめているんだろう?
 それはわたしにはどうしようもないものなんだろうか?

 ――いつだったか、こんな気持ちになったことがある気がする。

「……行く」

 とわたしは言った。

「うん。でもね、残念ながら、どちらかにしか会えないよ」

「……なぜ?」

「別に原理的に不可能って意味じゃない。わたしが選ばせたいだけ」

「なに、それ」

「いいから。どっちにする?」

 わたしは……。
 

581: 2012/11/21(水) 10:49:58.63 ID:mkJ4uCfeo

 結局わたしは、お兄ちゃんに会うことを選ばなかった。なぜだろう?
 本当に、なぜなのだろう? どちらにしたってわたしは氏んでしまう。
 わたしはなぜ、お兄ちゃんに会いに行けないのだろう?
 会って訊ねることができないのだろう? なぜ氏んでしまうのかと。もちろんそんな問いを直接ぶつけたって仕方ないのだけれど。
 
「そう」

 魔法使いの落胆したような声が、わたしの耳にこびりついて離れなかった。
 わたしはどこかで間違えたのだろうか?

 けれど、とわたしは思う。わたしが会いにいったところで、お兄ちゃんの氏は回避できないのかもしれないのだ。
 それならばもっと抜本的な解決を目指した方がいい。具体的に言うなら、この世界に干渉することで。
 でも……それはなんだか、言い訳じみているようにも思えた。

 区別が難しい。でも、あまり深くは考えないことにした。


585: 2012/11/24(土) 14:41:00.18 ID:sIBdVn+so




「それじゃあ、また目を閉じて」

 魔法使いの声は電話越し。でもその響きは、前回と変わらない。わたしはそれに従う。
 本当にこれでよかったのか。そういう漠然とした気持ちがあった。

「開けて」

 あっという間に景色は入れ替わった……ように見えた。でも、実際には変わらない。
 例のショールーム。

 呆然としていると、魔法使いはいつのまにか電話を切っていた。
 わたしは不安を感じつつも、とりあえずショールームを出た。

 とりあえず例のコンビニの近辺に向かう。看板はリトルスターからファミマになってる。
 今度はTポイントカードが使えるな、とどうでもいいことを思う。

 さて、と思う。時間はあまりない。こちらでうろちょろしている余裕もない。
 辺りは真っ暗で、だからまだ深夜なのだろう。車の気配すらまばらだ。
 
 と、わたしは思う。
 そういえば、彼の家をわたしは知らない。
 どうしたものだろう?


586: 2012/11/24(土) 14:41:27.00 ID:sIBdVn+so

 高校の近くまでいけば何かの手がかりになるか? ……いや、地元の生徒とも限らない。
 わたしは大いに悩んだ。携帯のアドレスは知らない。というより、わたしが持ち歩かない主義だったから。
 ……こうなると、結局心細さはあまり変わらない。

 わたしはスマホを開いて、魔法使いに電話を掛けようとして、やめた。
 彼女は彼女で忙しそうにしている。そんなのこっちが気にする理由もないんだけど、何か不都合が起こっても困る。
 何の気もなしに電話帳に登録されている人名を見る。ひょっとしたら彼の名前が載っていないかなと思ったが、ない。
 当たり前と言えば当たり前だ。

「……とすると、本当に手がかりなし?」

 わたしはなんとなく不安になる。
 ……少なくとも、ここらへんの人間ではないと思う。中学は違った、はず、だし。

 だとすると、本当に範囲が広がりすぎて、手の打ちようがない。
 
「……どうしよう」


587: 2012/11/24(土) 14:41:54.41 ID:sIBdVn+so

 と声に出したところで状況は開かれず。
 不意に彼との会話を思い出す。なんでもない会話の流れで、彼の住んでいる場所について聞いたことがある気がする。
 彼は独り暮らしをしていたのだ。

「……ひとりぐらし」

 年相応に、憧れがないではなかったけど、わたしは祖父母と同居していた。
 アパートを借りて一人暮らし、なんてこともそのうちやってみたかったんだけど。
 わたしは一人暮らしをしたことがない。これは"本当"だ。

 大雑把な場所のあたりはついたけれど、移動するには遠い。
 さて、どうするか、と思って、とりあえずコンビニに入った。
 考え事をするついでに飲み物を買っていると、店の中に誰かが入ってきた。

「あれ?」

 とわたしは言う。

 彼は怪訝そうな顔をした。
 まぁ、よく考えれば、いかに大雑把な魔法使いといえども、会えるように取り計らうくらいはしてくれていても不思議はないのだった。

「や。ひさしぶり」

 声を掛けると、彼は猫の尻尾でも踏んだみたいな顔で唸った。


588: 2012/11/24(土) 14:42:32.28 ID:sIBdVn+so




 わたしは彼のことをケイくんと呼んでいた。だからここでもケイくんと呼ぶだけでその本名は打ち明けない。
 これは世間を憚る遠慮というよりは、その方がわたしにとって自然だからである。
 まぁただのあだ名なんだけど。

 彼とわたしの出会いは学校の保健室だった。
 わたしがひどい頭痛と腹痛に悩まされて保健室に行くと、彼はそこで優雅に本を読んでいた。

 養護教諭の姿はそこになく、保健室にいたのは彼だけだった。
 わたしは心の底からうんざりした。どうして人がいるんだろう? なぜひとりにしてくれないんだろう?
 ちょうどそのころのわたしにとって学校なんていう場所はどうでもいいものだった。
  
 だからある意味では、そういう時期に彼との出会いはわたしの自殺を少し遅らせたとも考えられる。
 一時的な麻酔のような存在。でもそれは一時的でもいいのだ。定期的に投与できるなら。 
 あるいは中毒になることもあるかもしれない。だが鋭敏すぎる感覚を麻痺させる必要もあるのだ。ときどき。

 ある種の人間を救えるかもしれないのは愛と思考と友情と文化、あるいはそれらしく見えるものだけだ。
 それにはいろんな姿があるしいろんな言い方がある。
  ……自分でも何を言っているのかよくわからない。


589: 2012/11/24(土) 14:42:59.20 ID:sIBdVn+so

 ケイくんは保健室の引き戸を開けた音でこちらに気付いたけれど、ちらりと一瞥した以上には何の反応も見せなかった。
 ファーストインパクトは最悪と言っていいと思う。彼のじとりとした視線は「よくも読書の邪魔をしてくれたな」と憤っているようにも見えた。
 でも反対に、ひょっとしたら彼はいつでもどこでも誰に対してもこんな態度なのかもしれないとも思える。
 彼は自分のそういう態度を好んでいた、というより、そういう態度を自分に強いていたように見えた。

 わたしは彼の様子をじっと見つめた。初対面でなんて図々しい奴だということもできる。
 でもなんだか、彼の表情には他の人にはない誠実さのかけらの余韻のようなものが見え隠れしていた。

 今だったらそりゃ気のせいだよと自分に言ってやることもできるんだけど。

 保健室の入口で呆然と立ち尽くすわたしに、彼は退屈そうに声を掛けた。

「体調が悪いんじゃないの?」

「……え?」

「具合が悪いなら入って休んでいるといい。先生もたぶんすぐに来るから」

「……あ、はい」

 と間抜けな返事をする。わたしは取り繕うみたいに笑った。

「ありがとう」


590: 2012/11/24(土) 14:43:49.57 ID:sIBdVn+so

 でも彼はわたしの表情を見ようともしなかった。じくじくとした痛みがお腹のあたりに宿った。
 胃腸のあたりから血が出ているんじゃないか? 体勢を変えようとすると引きちぎられそうな痛みがある。

 わたしはふと、子供の頃スイカの種を飲み込んだときのことを思い出した。
 お腹の中でスイカの種が根付いて、やがて育った果実がわたしの身体を内側から破裂させる想像。
 視界がぐらついて、わたしは仕方なく椅子に座った。

 彼はわたしのことをほとんど気に掛けずに本に集中している。わたしは呼吸を整えてから訊ねてみた。

「何を読んでるの?」

「百年の孤独」

「……?」

「うそ」

「…………」

 なんだ、こいつは、とわたしは思う。
 第一なんで百年の孤独なんだ、と思って本の装丁を見てみると本当に「百年の孤独」だった。嘘じゃない。
 付き合いにくそうな人だなぁとわたしは思った。


591: 2012/11/24(土) 14:44:27.16 ID:sIBdVn+so

 彼が本を読む姿をぼんやり眺めていると、やがて養護教諭が慌てた様子で保健室に駆け込んできた。

「あれ、ごめんね。ちょっと探し物しててさ。どうした? 具合悪いの?」

「……あ、はい」

 なんだかエネルギッシュな女性だった。おそらく三十前後。
 白衣を着て髪をくくっている。なんだか若々しい。少し赤みがかった細い髪の毛。

「そっか。おい、そこのサボり魔」

 と彼女はベッドで本を読む彼に向けて眉を逆立てた。あ、やっぱりサボりだったんだとわたしは思う。

「あんたは体調が悪い女の子を前に黙って本読んでたのか」

「何もしなかったわけじゃない」

「何をしたの?」

「保健室に入るのをためらってたようだったから、とりあえず中に入って座るように勧めた」

「ほう」

「なぜためらっていたのかは僕の知るところじゃない」

 ……まあ、彼がいたせいなんだけど、それを口に出すのも面倒だった。

「というか、僕は保健委員じゃない。薬の在処も知らないし、どうした処置が適切なのかも分からない。何かしろという方が無茶だし無責任だろ?」

「正論だ」

 ……なんなんだろう、このやり取りは。


592: 2012/11/24(土) 14:45:20.31 ID:sIBdVn+so

「いいから早くその子をどうにかしてやってよ」

 うんざりしたように彼は言った。

「さっきからずっとしんどそうだ。見てて落ち着かない」

 彼はそこまで言ったあと、「そしてさっさとここから追い出しちまえよ」とでも言いたげに顔をしかめた。たぶんそう見えただけだろう。

「サボり魔にしては珍しく建設的な意見だ」

 そこで養護教諭はわたしの体調について詳しいことを訊ねはじめた。
 とりあえず薬を飲んでベッドで休んでいたら、と彼女は言う。
 それでも体調がよくならなかったら早退して休みなさい。わたしは二つ目のベッドにもぐりこんだ。
 ひんやりとしたシーツの感触がよそよそしい。

 保健室の中はゆったりとした空気に変わった。他人事。春先の空気は冷たくて寒いくらいだった。
 石油ストーブが音を立てている。

 ここは居心地のいい空間だなぁとわたしは思った。その日からわたしは頻繁に保健室に通うようになった。
 それはつまりケイくんと会う機会が増えたということだった。


593: 2012/11/24(土) 14:46:20.59 ID:sIBdVn+so



 
「人が笑う顔が苦手なんだよ」

 とケイくんは言った。六月、学校の屋上だった。
 何度も会って話しているうちに、最初は結果的な付き合いだった関係は目的的な関係になった。

 保健室はふたりで居座るにはあまりに実務的な場所だ。
 だからわたしたちはふたりで同時に授業をサボろうという段になると、他の場所を探さざるを得なかった。

「なんていうんだろうな。気味が悪くないか?」

 わたしは彼の言葉にそれこそ笑い出しそうになったけど、やめておいた。

「どうして?」

「どうしてだろう。昔からずっとそう思ってる」

 ケイくんは言葉をえらぶような沈黙のあと、こう言った。

「笑顔ってものには、下卑た阿りがあるような気がするんだよ。ひねくれすぎてるのかもしれないけど……」

「ふうん。バカみたい」

「……ま、そうかもしれないけど」

 彼はわたしに自分の考えを理解させようとはしなかったし、わたしも無理に彼に同意しようとはしなかった。
 でも実際、わたしは彼が――皮肉や嘲りを含んだものを除いて――笑ったことを見たことがなかった。
 これは"本当"だ。そしてそれを不愉快に思ったことはない。


594: 2012/11/24(土) 14:46:47.15 ID:sIBdVn+so




 だから、わたしが目の前に現れても、彼は顔をしかめこそすれ笑うことはない。
 彼にとってのある種の誠実さなのだろうけれど、だからといってそれが良い方に作用しているとも言えない。

「こんなところで何してるの?」

 と彼は言った。

「うーんと、散歩?」

 わたしは適当に答えた。久々に話ができると思うとなかなかに気分が良かった。
麻酔を切れたので、わたしは氏んでしまった。

「ちょっと事情があって、手伝ってほしいことがあるんだけど」

 いいかな、と訊いてみると、彼は目を細めた。

「いやだ」

「……えー」

 別に予想外でもなかったけど、わたしは落胆して見せた。


595: 2012/11/24(土) 14:47:49.09 ID:sIBdVn+so

「何か面倒そうな感じがする」

 彼の勘はなかなかに鋭い。

「とりあえず、家まで連れてってくれない?」

「……嫌だ」

「なぜ」

「なし崩し的に手伝わされそうな予感がする」

 本当に鋭い。

「悪いんだけど」

 とわたしは言った。

「遠慮できるほど余裕がないの」

 彼は溜め息をついた。


596: 2012/11/24(土) 14:48:40.92 ID:sIBdVn+so



 ケイくんは部屋にわたしを招くと白くて丸い小さなテーブルの上でコーヒーを入れてわたしに差し出してくれた。
 ベッドの上にはニッパーとギターが転がっている。本棚にはギター関係の雑誌と教本とバンドスコアが入っていた。
 机の上には少し前の型のノートパソコンが置かれている。
 わたしは彼がギターを弾くということをそのとき初めて知った。

「それで?」

 と彼は言った。

「手伝ってほしいことってなに?」

「うん」

 と頷いてコーヒーに口をつける。そうしてから、自分は彼に何をしてもらうために来たのかがいまいち分からなくなってしまった。
 どうなのだろう?

「……えっと」

 そもそもわたしは何をしたかったんだっけ?
 ……いや、それを忘れるのはさすがにまずいだろう。
 

597: 2012/11/24(土) 14:49:25.24 ID:sIBdVn+so

 わたしは少しだけ不安になった。わたしは自分で思っているよりもずっと氏に近付いているのかもしれない。
 連続性と妥当性の喪失。

「……うん、とにかく、ついてきてほしい」

 ケイくんは呆れた顔で何かを考え込んでいるようだった。 
 でも他にいいようがない。
 ここにきてわたしの不安は拡大する。
 
 いつのまにかわたしがわたし自身を見失おうとしている。
 このままではどこか暗くて深い場所にひとりぼっちで吸い込まれてしまいそうな気がした。
 足元がぐらついてぬかるみのように足を取る。わたしはどこか深い場所にのみこまれている。

 この不安はいったいなんなんだろう。
 時間がないのだ。

「……とにかく、一緒に来てほしい」


598: 2012/11/24(土) 14:49:54.33 ID:sIBdVn+so

「分からないな」

 と彼は言った。

「何を手伝うのかも説明できない。でもついてきてほしい」

 そこで彼は一拍おいてコーヒーに口をつける。それから部屋のベッドのうえのギターを見た。

「自分でおかしなことを言ってるって分かってるよな?」

 わたしは沈黙する。何も言い返せることはなかった。
 自分が彼を必要としていることははっきりとわかった。でもそれがどのような形でなのかは分からない。
 言いよどむわたしに、彼はまた溜め息をつく。そして不似合なほど親切な声で言った。

「別に手伝うのがいやだってわけじゃない。ただ説明してほしいだけなんだ」

 わたしは頭の中で考えを整理して、それから慎重に言葉に出してみた。


599: 2012/11/24(土) 14:50:28.11 ID:sIBdVn+so

「このままだと氏んでしまうの」

「誰が?」

「……わたしの叔父さん」

「病気か何か?」

 彼は訊ね返してから、思い直すように首を振った。

「悪いけど、そういうことなら手伝えることは何もない」

「そうじゃないの。そうじゃなくて……」

 わたしは上手く説明しようとしたけれど、口が思うように動かなかったし、考えも思うようにまとまらなかった。
 わたしはいったい彼に何を説明しようとしているんだろう。

 今日は八月三日。この世界のわたしは既に氏んでいる。今のわたしは幽霊みたいなものだ。

「大きな流れみたいなものがあって、わたしはそこに飛び込んだの。その結果、何かを変えられるかもしれない」

 彼は怪訝そうに眉を寄せる。わたしは緊張した。

「抽象的だな。よく分からない」

 わたしが必氏に言いつのったところで、伝わるのは言葉のうえの意味だけだ。
 
「その、何かを変える作業を、僕に手伝えってこと?」

「……そういうことになる、かも」

「僕は必要なの?」

 とケイくんは大真面目な顔で言った。わたしは口籠ってしまう。
 その一瞬の隙を彼は見逃さなかった。


600: 2012/11/24(土) 14:50:54.10 ID:sIBdVn+so

「必要ってわけじゃないんだろ? だったらなぜ巻き込もうとするんだ?」

 寂しいから。
 なんて言えない。
 どうなんだろう。いまだって段々と自分の考えが分からなくなっていく。

 蛍光灯の薄明かりに照らされた部屋の中は夏だというのになんだか寒々しい。
 カーテンが開けっ放しになっていて、窓の外が真っ暗に見える。

「わたしには……やらなきゃいけないことがあるの」

「やらなきゃいけないことなんてないよ。やりたいこととやれないことがあるだけだ」

 と彼は言った。

「でも、このままじゃダメなんだよ。このままだと、氏んでしまうの」

「じゃ、そのあとは、どうするんだ?」

「……どういう意味?」

「だから、氏んでしまうんだろ? それで、その人を氏なせたくないから、どうにかしようと言っているわけだ」

 そうだろ、とケイくんは言う。わたしは頷く。そう、そういう話だった。

「でも、仮にそれをどうにかできるとして、どうするんだ?」

「なにが」

 とわたしは少し動揺しながら訊きかえした。彼の言葉の続きをあらかじめ知っているみたいに思えた。

「だから、お前はその人が氏にそうになるたびに、流れとやらに飛び込んで何かを変え続けるつもりなのかってことだよ」

「……それは、だって、氏んでほしくないから」

「そりゃそうだ。でも人はいずれ氏ぬ。いつ氏んだって悲しいものは悲しい。それを変えようだなんて変だよ」

「変?」

「いびつだ」

 わたしは何も言えずに押し黙る。


601: 2012/11/24(土) 14:51:20.82 ID:sIBdVn+so

「第一、その人はどうして氏ぬんだ?」

「……それは、わたしが氏ぬから」

 彼はそこで一瞬だけ表情をこわばらせた。
 でもわたしは、そうじゃないかもしれない、と思っていたのだった。

「未来が見えるとか、そういう話?」

 彼は胡散臭そうに言った。わたしは白状することにした。

「そう。そういう話。わたしには未来が分かってるの。このままだと彼は氏んでしまうの。わたしはそれをなんとしてでも避けたい」

「じゃあ氏ななきゃいいだろ」

 うんざりしたようなケイくんの言葉に、わたしはその通りだと思う。でももう氏んでしまっているのだ。
 ……だから過去まで行かなきゃいけない。でも、そうしたところで、この世界の未来は変わらない。
 だったらわたしがしていることってなんなんだろう?

「そういうわけにもいかないみたいだな」

 彼はここで初めて表情に怒りを滲ませた。

「どうして氏ぬんだ?」

「……どっちが?」

「お前だよ。病気か、事故か」

「……」

 わたしは何の反応も返さなかった。彼はそれを予感していたふうですらあった。


602: 2012/11/24(土) 14:51:51.43 ID:sIBdVn+so

「いったい何が起こるって言うんだ?」

「それは……言いたくない」

「叔父の氏が避けたいのは分かった。でも、自分の氏を避けようとは思わないのか?」

 それはあまりに、都合がよすぎる。

「叔父の氏の原因が自分の氏なんだって言ったな」

 ケイくんの言葉には咎めるみたいな響きがあった。

「要するにお前は、自分が氏にたくないわけじゃないんだな。後ろめたさを感じずに氏にたいだけなんだろ」

 どう言い返せばいいか分からなかった。

「お前は諦めてるんだろ。そして逃げるつもりなんだ」

 言い返すかわりに、立ち上がってベッドの上に置きっぱなしだったギターを抱えた。
 ニッパーを掴んで弦にあてる。

「うだうだ言ってないで手伝って! こいつがどうなってもいいのか!」

 自分でもバカみたいだと思いつつ、脅しにかかる。正直口だと彼にはかなわない。

「いいよ。どうせ弦交換するつもりだったし」

 彼の反応は至って冷静だった。わたしは泣きたくなる。
 わたしだって本当は、自分がしていることに何の意味があるのか分かっちゃいないのだ。
 自分がやっていることはたぶん不毛で、無意味なんだ。何かのイニシエーションみたいなもの。
 それも身勝手で、たしかにいびつなのだ。でもせずにはいられない。
 

603: 2012/11/24(土) 14:52:38.05 ID:sIBdVn+so

「それと、弦はゆるめないと切りにくいし、跳ねるよ」

 わたしはニッパーを構えて力いっぱい弦を切ろうとする。でも力を籠めてもなかなかきれなかった。
 お兄ちゃんがしているのを、子供の頃何度か見たことがある。わたしは年をとったけれど、できないことがたくさんある。
 だからお兄ちゃんなしじゃ生きていけなかった。お兄ちゃんがいなくちゃ不安で、生きていける気がしなかった。

 それなのにお兄ちゃんはわたしを置いていったのだ。
 恨んでいるし、怒っているし、悲しいし寂しい。でもそれは仕方ないことだと心のどこかで分かってはいた。

 でも、じゃあ、どうすればよかったんだろう? 

「なあ、手伝うよ」

 とケイくんは言った。

「だから氏なないでくれよ」

 わたしは本当に涙を流しかけた。でもそれはもう手遅れなのだ。 
 わたしはとっくに手遅れの住人なのだ。ケイくんの声は彼らしくもなく震えている。
 それがいっそう悲しい。あの日彼がわたしの傍にいてくれれば、わたしは氏ななかったかもしれない。
 そう声を掛けてくれたなら。でも、それを聞き逃したのは他でもないわたし自身なのだ。
 誰の声も耳にしたくなかったのはわたし自身なのだ。
 
 すべての原因はわたしにある。いつだって。誰のせいにもできない。


604: 2012/11/24(土) 14:53:15.53 ID:sIBdVn+so



 
 ケイくんはわたしからそれ以上の説明を引き出そうとするのを諦めたようだった。 
 わたしは念のため、彼のギターをソフトケースに突っ込んで背負った。

「これ、人質ね」

 彼はお手上げというふうに肩をすくめて溜め息をついた。

「ありがとう」

 とわたしは言った。なるべく真面目に言ったつもりだった。ケイくんは顔をしかめる。

「いいよ、別に。迷惑してるけど」

 それは本当にそうだろう。出かける準備をして戸締りを確認し、部屋の灯りを消す。
 鍵を閉めて、アパートを出た。

「出かけるのは分かったけど、どこに行けばいいんだ?」

 彼の問いに、わたしは簡単に答える。

「過去」

 何度目かの溜め息を彼はついた。わたしは少しだけ笑った。


608: 2012/11/27(火) 14:22:47.13 ID:0XXjShCvo




 わたしとケイくんはふたりでショールームへと向かった。微妙に距離があったけど、歩くのは苦痛じゃない。
 物質的な距離は最初から問題にならなかった。移動にかかる時間も。
 
 あのあとすぐ、わたしはスマホを取り出して、魔法使いに電話を掛け、例の世界に戻る手筈を整えてもらうことにした。
 彼女には何か、他にしなければならないことがあったらしいが、そんなのはわたしの知ったことではない。

 仕方なさそうに彼女はわたしに指示を下した。とにかくショールームに戻るようにと。法則が読めない。
 彼女はどのような条件下で他人を移動させることができるんだろう? でもそんな超常現象を説明づけたところで仕方ない。

 ショールームについてすぐ、わたしはふたたび魔法使いに電話を掛けようとした。
 
 でも、電話が繋がらない。
 なんだろう? 妙な不安がある。 
  
「どうした?」

 とケイくんが言う。わたしは首を振る。大丈夫なはずだ。何の問題もないはずだ。
 なんだか、ひどく肌寒い。頭痛に額を押さえると、じっとりと汗が滲んでいた。
 鼓動が早まる。なにが起こっているんだろう。


609: 2012/11/27(火) 14:23:22.45 ID:0XXjShCvo

 わたしは扉に手を掛け、ショールームに忍び込む。ケイくんは少し躊躇してからわたしを追ってきた。
 立ち止まって呼吸を整えてから気分を持ち直そうとする。
 
「大丈夫なのか?」

「ぜんぜん、大丈夫」

「誰もお前の体調なんて心配してない。忍び込んで大丈夫なのか、って聞いてる」

 ちょっとひどい。

「……あのね。もうちょっと心配してくれてもいいと思うの」

「じゃあ、大丈夫か?」

「うん。大丈夫」

「……何の意味があるんだよ、この会話」
 

610: 2012/11/27(火) 14:23:51.85 ID:0XXjShCvo

「会話には、会話であるからこその効用があるんだよ。会話であるだけでね」

「何を言ってるのか分からない」

 実はわたしもよく分かっていない。

「それで――大丈夫なのか?」

「だから、大丈夫」

「そうじゃなくて。忍び込んで」

「大丈夫でしょ、たぶん」

「……たぶんって」

 そんな会話をしていると、奥から誰かの話し声が聞こえた。


611: 2012/11/27(火) 14:24:17.71 ID:0XXjShCvo

「……本当に大丈夫?」

 少し小声で、ケイくんは訊ねる。わたしも小声で答えた。

「……たぶん」

「……当てにならないな」

 隠れた方がいいんじゃない? とケイくんは言った。

「……でも、入れた」

「なにが」

「ここに入れたよ。入口に鍵はかかってなかった。別に場所が違ってるわけじゃないんだ。ちゃんと繋がってるはずなんだよ」

「何の話? ……いったいどこと?」

「控室。だから、話し声が聞こえるとしたら……」
 
 魔法使いのもの。
 

612: 2012/11/27(火) 14:24:51.54 ID:0XXjShCvo

「警備員の見回りじゃないのか?」

「いま何時だと思ってるの? 三時だよ、夜中の三時。いくら警備員って言っても、こんな場所をこんな時間に見まわりするの?」

「それは、俺は警備会社の人間じゃないから、分からないけど」

 彼はちょっと戸惑ったように頬を掻いた。

「もしくは、密談とか?」

「……うーん」

「幽霊、なんていうのもありか」

 それは既に彼の目の前にいる。ちょっとは怖がるかと思ったのか、ケイくんは拍子抜けしたような顔をした。
 少し申し訳ない。

 それにしても、なんだか体がだるい。
 耳鳴りすらしてきそうだ。……これは単なる体調の悪化なんだろうか、本当に?



613: 2012/11/27(火) 14:25:50.76 ID:0XXjShCvo

「とにかく……近付いてみよう」

「見つかるかも知れないぞ」

「見つからないように近付けばいい。そうでしょ?」

「……やっぱり来なきゃよかったな」

 ケイくんはうそぶいて肩を竦める。わたしは足音を立てないように気をつけて声のする方向へ向かった。
 なんだかんだ言いつつ、彼もわたしの後ろをついてくる。
 
 少しずつ声のする方に近づいている、はずなのだが、なかなか声の主の姿が見えない。
 でも、たしかに近付いている。……でも、近付いていて、声も大きくなってきているのに、姿が見えない。
 まるで誘われているみたいに感じるのは、ちょっと不思議体験を繰り返しすぎて神経が高ぶってるんだろうか。

 慎重に足を進めているうちに、話の内容が聞き取れるようになってくる。

「……本当に、そんなことをするつもり?」

 聞き覚えのある、女の声だった。けれど、雰囲気が違う。なんだろう?


614: 2012/11/27(火) 14:26:47.32 ID:0XXjShCvo


「それができるんだろう?」

 今度は、男の声がした。知らない声だ。……いや、知っている声だ。 
 わたしはこの相手のことを知らない、と確信する。
 でも、わたしはこの声を聞いたことがある。

 間違いようがない。この声は、お兄ちゃんの声だ。雰囲気が違っているけれど……。

「俺は」

 と声は言った。でも変だ。彼はそんなふうに自分のことを呼ばなかった。

「変えなきゃいけないんだ。いつまでも逃げてばかりはいられない。向かい合わなきゃいけないんだ」

 声を辿っているうちに、階段にたどり着いた。この会話はこの階段の上から聞こえてきているのだろうか。

「……なあ、明らかに、面倒な感じなんだけど」

「静かに」

 あからさまにやる気のないケイくんを嗜めて、わたしは階段を昇る。うしろで彼が静かに溜め息をついた。


615: 2012/11/27(火) 14:27:14.29 ID:0XXjShCvo

「でも、そうしたところであなたが手に入れられるものなんてなにひとつない」

「そこは、お前に口出しされるところじゃない。それに俺は、別に結果を変えたいわけじゃないんだ」

 会話は続いている。
 階段を昇ってすぐ、細い通路に出る。左手はただの壁で、右手には三つ扉が並んでいた。
 
 息を頃して、進む。

「お前が俺を誘ったんだろ?」

「そりゃ、そうなんだけどさ」

「だったら、文句を言わずにさっさと始めろ」

「でも、上手くいくとは限らないよ」

「そのときは」

 力強い調子の男の声に、女は気圧されたような声を漏らす。


616: 2012/11/27(火) 14:27:56.30 ID:0XXjShCvo

「お前がどうにかしろ。どうにかできる、とお前が言ったんだ。どうにかできなかったら詐欺だ。契約不履行。そうだろ?」

「……でも、わたしにだってできることとできないことがあるんだ」

「できる限りでいい」

 一番奥の扉の前に立って、わたしはノブを掴んだ。
 
「おい、やめとけって」

 うしろからケイくんがわたしを止める。……そうだ。何を考えているんだ、わたしは。
 頭が回っていないのかもしれない。でも、ふたりはいったい何をしているんだろう?
 この状況はなんだろう?

「できる限りでいい。もし俺がやったことが、結局失敗で、無意味になりそうだったら――」

 声は言う。

「――お前がなんとかしろ。絶対だ。約束だ」

「簡単に言わないで」

「難しく言っても仕方ないだろ? なあ、こんなチャンスをくれて、お前には一応感謝してるんだぜ」

「……」

 そこで魔法使いらしき声は黙った。
 わたしはノブを握ったまま目を瞑り、頭痛を堪える。


617: 2012/11/27(火) 14:28:25.00 ID:0XXjShCvo

「どうして?」

 数秒の沈黙のあと、魔法使いがふたたび口を開いたようだった。

「どうしてそこまでこだわるの? あなたにはどうしようもないことだった」

「そうだよ。俺は無関係で、たぶん何の責任もない。でも、俺はあの子のあんな氏に方を認めるわけにはいかないんだ」

「なぜ?」

「イライラするんだよ」

 憤った調子で男の声が荒くなる。わたしは少しだけ怖くなったけど、でもそれはびっくりしただけで、心の底から怯えたわけじゃない。

「無関係だった自分に腹が立つんだよ。いや、そうじゃないのかもしれない。でも他に言いようがない。上手く言葉にできない」

 とにかく――納得できないんだ。
 男の声がそんな言葉を放つ。
 わたしはノブを回す。
 
 ケイくんが何かを言うよりも先に扉を開いた。
 扉の向こうには、誰もいなかった。


618: 2012/11/27(火) 14:28:51.04 ID:0XXjShCvo






 ファミレスを出た僕と魔女は、そのまま例のショールームへと向かった。
 結局、僕はこの場所に何をしにきたのだろう? そんなことを考えている。
 でも、それはあまり意味がない思考のように思えた。

 おそらく、事態は逆転しているのだ。誰にとっても。

 与える側の人間が与えられ、もたらす側の人間がもたらされている。 
 でも、そういった考え事すら、すでに僕にとってはどうでもいいことと成り果てていた。
 
 魔女は黙って僕の前を歩いている。
 僕はそのあとを黙ってついていく。 
 僕たちの前には緑色のドアがあった。

 僕たちはこの扉の向こうにもう一度帰るべきなのだ。
 でも、それは「帰らなければならない」ではない。僕たちには選択権が与えられている。
 僕たちは帰らないこともできる。

 でも、僕たちは帰るべきなのだ。


619: 2012/11/27(火) 14:29:17.99 ID:0XXjShCvo

「会えてよかった」

 と彼女は言った。僕は頷く。

「本当はこんなつもりじゃなかったんだよ」

 彼女は笑って、それから僕が返した例の財布を取り出して、扉の前に放り投げた。

「……それは」

「いいの、これで」

 彼女が満足そうな顔でそう言ったので、僕はそれ以上何も言うことができなかった。

「たったこれだけのことで、いろんなことが変わるんだよ。
 もちろん、わたしはこうしないこともできる。でも、する。選択の余地はないの。
 結局ね、そういうことなんだと思う」

 魔女はそれから少しの間黙っていた。やがてふと悲しげな顔になった。
 それがあまりにも悲しげなので、ひょっとして僕の錯覚で彼女はただ当たり前の表情をしているだけではないのかとすら思った。


620: 2012/11/27(火) 14:29:50.68 ID:0XXjShCvo

「それじゃあ、行ってらっしゃい」

 と彼女は言った。

「わたしはまだすることがあるから」

「……僕は、もういなくなっていいんだろうか?」

 いいと思う、と彼女は言う。
 でもそれは、あなたが必要のない人間だとか、ここにいても意味がないとか、そういう意味じゃない。
 というかね、そんなのはどうでもいいことなの。
 問題なのはね、あなたが世界にとって価値がある人間かどうかじゃないの。 
 この世界が、あなたにとって価値のある世界かどうか、なの。
 ここに来たこと、ここにいることは、あなたにとって価値のあることだったのか、それともまったく無意味なことだったのか。
 それだけでいい。あなたはね、別に世界に必要とされなくたっていい。そんなに遜る必要はないの。ぜんぜん。

 彼女は言いきってから笑った。生まれて初めての笑顔みたいに澄んでいる。

「ありがとう」

 と彼女は言った。 


621: 2012/11/27(火) 14:30:18.76 ID:0XXjShCvo

 僕は少しの間ためらった。本当に僕は行ってしまっていいんだろうか。それは無責任なことにも思えた。
 でも、僕はそもそも何かに責任を取ることなんてできない。 
 僕はただ放り出され、そして流れに身を委ね、そして行きついただけなのだ。

 そこにどのような意味があるのか、僕は知らない。
 彼女のいうように、気にするだけ損なのかもしれない。

 でも、仮にそんな意味なんてものがあるとするなら。
 それが分かるのは、"これから"なんだろう。

「ばいばい」

 と魔女は手を振った。

「さよなら」

 と僕は言って、扉をくぐった。


622: 2012/11/27(火) 14:30:47.68 ID:0XXjShCvo

 緑色の扉をくぐる。ぶよぶよとした皮膜をくぐり抜ける感触。
 
 視界と意識が光に包まれる。どっちが上でどっちが下なのか、どっちが前でどっちが下なのか、分からなくなる。 
 僕の思考の流れは感覚的な情報に奪われる。考えることは困難だった。それは長い感覚だった。
 情報の濁流に呑まれながら僕はさまざまなことを考えようとした。魔女のこと、さっきまで僕がいた世界の僕のこと。その世界の姪のこと。
 氏んでしまった僕の姪と姉のこと。いなくなった義兄のこと。長く顔を合わせていない祖父母のこと。 
 僕がこれから帰るべき世界のことを考えた。

 そしてその世界に自分が所属しているのだと言うことを意識しようとした。
 僕が一緒に暮らしている親戚のこと。通っている学校の教師やクラスメイトのこと。
 あるいはそれらの人々の家族や友人のこと。僕はその中に含まれていない。今はまだ。

 さて、と僕は思った。
 そこからが問題なのだ。僕にとっては。


623: 2012/11/27(火) 14:31:16.33 ID:0XXjShCvo






 本屋の軒先で、魔女と僕は出会った。 
 あの子に会わせてあげる、と魔女は言った。

 僕にとってそれは願ってもない話だった。
 でも。

「……落ち着けよ」

 と僕は言った。

「まず、腹ごなししよう」

「……は」

 魔女は呆気にとられたようだった。

「とにかく今は落ち着きたいんだ。さまざまなことを整理したい。時間を消化したいんだ」

「……あのね。いまさら何を整理することがあるっていうの? 聞きたいことがあるなら、全部説明するから」

「違うんだ。説明がほしいわけじゃない。……いや、欲しいけど、それはあとでいい」


624: 2012/11/27(火) 14:32:29.74 ID:0XXjShCvo

「じゃあなに?」

「話がしたい」

 魔女は顔を歪めた。

「とにかく、腹ごなししよう。焦ることはないだろ。どうせ話は終わりかけなんだ」
 
 僕にはそのことがよく分かった。
 もう終わろうとしているのだ。それは流れ込んでくる。
 さまざまなものが閉じられようとしている。説明はいまだに加えられていない。
 でも、それはたしかに変化を残していくのだ。不明瞭ではあるのだけれど。

 僕と手を繋いだ少女が、不安そうな目でこちらを見上げてくる。
 風呂上りの髪はまだ少しだけ湿っていた。僕はいつも姪にしたようにその頭を撫でてみる。
 彼女は一瞬怯えたような表情を見せたが、今度は意外そうな顔をした。
 来るべき何かが来なくて、驚いているようにも見える。


625: 2012/11/27(火) 14:33:04.58 ID:0XXjShCvo

「お腹は空いている?」

 と僕は聞いた。食事は家で取ってきたけれど、もう結構な時間が経っている。
 彼女は何か思い悩む風に俯いた。
 魔女はそのやりとりを複雑そうに眺めている。

「……本当に、代わりができたから、どうでもよくなっちゃったとか?」

 妙に不安そうな態度が少しおかしい。

「違うよ。違うけど、放っておくわけにはいかないんだ」

「……なぜ?」

「なぜだろう? でも本当のところ、僕はこんなことをするべきじゃないんだろうね」

「どうして?」

 捨て猫に餌をやるようなものだからだ。最後まで責任を取れないなら、僕は彼女に何もするべきではない。
 結局彼女はこの世界で暮らすことができない。彼女は元の世界に戻らなくてはならないのだ。
 でも、そんなことを口に出す気にはなれない。幼いとはいえ言葉は分かっているのだから。


626: 2012/11/27(火) 14:33:43.70 ID:0XXjShCvo

 手を少し握る。彼女は不思議そうに握り返してきた。

「この子はあの子とは違うから」

 と僕は言ったけど、きっと魔女の質問の答えにはなっていなかっただろう。それは自分自身に言っただけの言葉だった。
 僕には予感があった。きっとこの僕の行動が、誰かにとっての悲劇を呼ぶ原因になる。 
 でも僕には、彼女の手を握ることが、どうしても悪いことだとは思えないのだ。

 魔女は疲れ切ったように溜め息をついた。

「分かった。ほんとにもう。仕方ないんだから」

 呆れた調子のその声音は、なんだか楽しそうにも聞こえた。彼女がそんな声を出すのは意外だった。

「何食べる?」

「面倒だし、ハンバーガーでいいんじゃない?」

「……そこで手抜くかな」

 そのような運びで、僕らはファーストフード店を目指すことになった。


627: 2012/11/27(火) 14:34:10.28 ID:0XXjShCvo


 


 水滴の音で、わたしは目を覚ました。
 
 目を覚ますと、それまでわたしと手を繋いでいた誰かはいなくなってしまっていた。
 夢だったのだ。でも、手のひらにはかすかに、その感触が、体温が、残っているような気がする。
 もちろん、そんなのはわたしの錯覚、妄想に過ぎない。現実には、わたしは誰とも手を繋いでいない。 

 頭がずきずきと痛む。何かが静かに体の中でうねっているような気がした。
 何かがおかしい、とわたしは思う。身体を起こそうと手をつくと、床は冷たいコンクリートの感触がした。
 ぽつり、とまた水滴の落ちる音。ぼやけた視界をどうにかするため瞼を擦りながら周囲を見る。
 薄暗くて、ひどく肌寒い。
 
 水の気配がする場所。
 ここはどこだろう? わたしは、なぜこんな場所にいるんだろう。


628: 2012/11/27(火) 14:34:44.15 ID:0XXjShCvo

 でも、その答えは……不思議と知っていた。
"魔法使い"の"魔法"が可能にする世界間移動、時間移動。
 わたしはそれに"巻き込まれた"のだ。

 情報がある種の経路をたどってわたしの頭の中に"流れ込んでいる"。
"彼女"もそれについて詳しいことは知らない。でも、そういうことがあり得るということは知っている。
 
 そこまで考えて、わたしは不安に思う。魔法使いって何だろう? 彼女って誰だ?

 わたしは……でも……この場所を"知っている"。
 その記憶は、たぶん"流れ込んだ"ものではなく、わたし自身のものだ。
 そういう漠然とした確信。

 不意に、奥から聞こえる足音。
 でも、わたしはその人のことを知っている。
 ……知っているのだ。

「おはよう」

 と魔法使いは言った。
 

632: 2012/12/01(土) 05:02:14.26 ID:1M2++lwbo





「……誰もいない、な」

 ケイくんの言葉通り、わたしが開けた扉の向こうには誰の姿もなかった。
 わたしの不安は強まった。
 ひとつ深呼吸をして落ち着こうと試みる。心臓は強く跳ねていたけれど、体調は元通りになっていた。
 
 何が起こっているのか。でもそれを考えるのは無駄なのだ。たぶん。

「どういうことだよ、これ」

 ケイくんは言ったけれど、そんなのわたしに分かるわけがなかった。
 だから答えずに扉に背を向ける。

「おい?」

「わかんない」

「わかんないって……」

 呆れたように溜め息をつくケイくん。彼の態度はまだのんきな方だった。わたしは苛立ちすら感じている。
 率直に言って訳が分からない。


633: 2012/12/01(土) 05:02:46.99 ID:1M2++lwbo

 わたしたちは階段を下りて扉に囲まれた部屋に戻る。緑色のドアをみつけた。これだ、と思う。
 
「……嫌なドアだな」

「何が?」

「緑色で、塀みたいな壁についてる」

「それが?」

「"塀についた扉"みたいだろ? ウェルズの短編」

「……」

 わたしはよく知らなかったので聞き流した。

「でも、ここから行くしかないんだよ」

「本当に行かなきゃダメなのか? 今からでも、やめておいた方がいいんじゃないか」

 ケイくんは急に消極的になった。彼にはこの緑色のドアがよっぽど不吉なものに見えるらしい。


634: 2012/12/01(土) 05:03:12.91 ID:1M2++lwbo

 でも。

「もう手遅れなの。わたしは既にこの向こうに行ってしまっているから」

 彼は分かったような分からないような顔で黙り込む。 
 わたしはなんだかうんざりした。

 疲れているのだろうか? 自分自身が何を考えているのか、分からない。

「分かったよ」

 と彼が頷いた。魔法使いは何をしているんだろう。
 わたしは扉を開いた。

 そしてくぐる。
 
 何のためにだろう?
 
 ……それは考えるべきじゃない。
 でも……。

 どうなんだろう?


635: 2012/12/01(土) 05:03:49.22 ID:1M2++lwbo




 扉の向こうは、ショールームに繋がっていた。わたしは奇妙な感覚を受ける。
 まるで鏡の世界に迷い込んだみたいだと思った。緑色のドアから緑色のドアを抜けると、さっきまでいたのと同じ場所に居る。
 向いている方向が逆さになっただけだ。一瞬自分が本当にドアをくぐったのか分からなくなった。
 
 わたしが振りかえると、ちょうどケイくんがドアから出てくるところだった。扉はひとりでに閉まってしまう。

「……」
 
 これでわたしは、ケイくんをこちらに連れてくることに成功したのだろうか?
 そのことが、どんな意味を持つのだろう。この世界に対して、わたしはどうすることができるんだ?

 状況は一切好転していない。相変わらずわたしは何もできていない。
 でも、今はひとりじゃない。そのことは少しだけ気分をマシにさせてくれた。本当に少しだけ。

 わたしたちはさっきも昇った階段を昇り、さっきと同じ扉を開けた。物置になっているその部屋に、荷物を置いておく。
 主にギター。ケイくんは盗まれる心配をしていたけれど、そんなことはありえない。

 ここは既に異空間だ。魔法使いの魔法のその中に、このショールームは含まれている。
 そうでもないかぎり、こんな異変が起こったりするものだろうか?


636: 2012/12/01(土) 05:04:20.64 ID:1M2++lwbo

 わたしたちは建物を出て、国道沿いの道を歩いた。外に出て驚いた。夕方近い時間になっていたのだ。
 わたしとケイくんが会ったのは、まだ夜中だった。
 そしてそこからショールームに向かうまで、多少時間を食ったにせよ朝にはなっていない。
 
 それが突然夕方になっていたのだ。

 しかも。
 叔父bはショールームにいなかったのだ。
 思ってみれば、彼を連れ帰ろうとしたところで、わたしは妙な……魔法使いいわく、"ズレ"に巻き込まれた。
"ズレ"。

 あのズレのあと、わたしはケイくんに会いにいくことにしたのだ。
 その際、彼女は「目を瞑る」ようにわたしに指示した。
 ……それはたぶん、世界を移動させる合図なんだろう。
 あるいは扉をくぐることが。


637: 2012/12/01(土) 05:04:49.83 ID:1M2++lwbo

 事態は、おそらくは魔法使いの予想を上回って、錯綜している。
 だが、仕方ない。

 わたしはやるべきことやるしかない。

 とにかく当初の予定通り、叔父bを探せばいいのだ。
 彼を招いたことで、この世界に何かの変化を起こせるかもしれない。

 彼を招いたのは……そういう期待を抱いたからだ。
 彼を……この世界のお兄ちゃんに会わせれば。
 ごく簡単に、変化をくわえることができる。

 それは少し大雑把すぎる選択だったかもしれない。
 わたしの頭の中には少女bの表情が残っている。
 
 おそらくは。
 お兄ちゃんだって、気付くはずなのだ。あの子をあんなふうにして尚、何もしようとしなかった自分の姿を見れば。  
 わたしにはお兄ちゃんが必要なのだと。

 ……それに応じてくれるかどうかはさておき。


638: 2012/12/01(土) 05:05:20.31 ID:1M2++lwbo

 だからまず、叔父bに会わなくてはならない。
 そして、上手にお兄ちゃんと引き合わせてみないと。

「……」

 でも、たとえば、わたしが他人のふりをして、この世界のお兄ちゃんに会うことだって、できないわけじゃない。
 そうして、何かの形でやんわりと変化をくわえることだってできた。

 ……要するに、わたしは恐れているのだ。
 お兄ちゃんの中から未知の暗闇が出てくること。お兄ちゃんの中に理解不能の何かがあることを。

 気付かないふりをする。
 
 わたしは変化をくわえようと努力をしている。
 そのはずだ。

 でも、どこにいるんだろう?

 ケイくんは黙々と歩くわたしにいくつかの質問をぶつけた。


639: 2012/12/01(土) 05:06:04.11 ID:1M2++lwbo

「ここ、どこ?」

「見覚えない?」

「あるけど……」

「そう」

「でも、ありえない」

「何が?」

「これは、ずっと前の景色じゃないか。僕たちが住んでいた街の」

 それがあり得ないなんて言ったら、氏んだ人間が目の前にいる方がよっぽどありえないと思うんだけど。
 とはいえ、それを彼に言ったところで仕方ない。

「ま、そうだね」

 わたしは頷いて話を終わらせた。


640: 2012/12/01(土) 05:07:09.98 ID:1M2++lwbo

「お前が俺に手伝わせたいことって、具体的には何をするんだ?」

 わたしは答えようとして、でも答えが分からなかった。
 わたしは自分でもよくわかっていないのだ。

 そして、なんだか居心地の悪さを感じる。
 どうしてだろう。さっきからずっと、理解不能の感覚に包まれている。
 わたしの中にもうひとり自分がいて、そのわたしが、自分自身の行動や発言、思考にまで制限を掛けているように感じた。

「……分かった。答えなくていい。どこに向かうんだ?」

「公園」

 とわたしは言う。でも変だった。どうして公園になんていくんだろう?

 なんだろう、これは。
 わたしの身に何が起こっているんだろう?

 ひょっとして、事態はすでに破綻しているんじゃないだろうか?
 

641: 2012/12/01(土) 05:07:36.16 ID:1M2++lwbo

 でもわたしの思考は疑問を取り合わず、足は付近の公園を目指した。
 なぜかは分からない。  
  
 そして、そこには叔父bが居た。
 ベンチに座っている。なぜだろう? ひどく疲れ切っているように見える。 
 今きたばかり、というふうには見えない。様子がひどく落ち着いている。
 
 わたしが会ったときとは、衣服が違っているように見える、が、気のせいだろう。
 彼に服を買いかえるような余裕があったとも思えない。
 それともわたしは日時を誤解しているんだろうか。

 今日は八月三日。それで間違いはないはずなのだが。

 ……念のため、あとで確認してみよう。
 
「疲れてる?」

 わたしは彼に歩み寄って、そう訊ねてみた。何処で何をしていたのか、と問う気にはなれない。
 というより。

「それはダメだ」と誰かに言われている気がした。
 そういった感覚が多い。


642: 2012/12/01(土) 05:08:13.90 ID:1M2++lwbo

「少しね」

 と彼は言う。

「……誰、この人?」

 とケイくんが後ろから質問してきたが、ごまかす。 
 答えてもいいけれど、両方に同時に説明ができるほど器用じゃない。
 ……だったらさっきまでに、ケイくんに簡単に状況を説明すればよかったじゃないか。
 なぜわたしの頭はこんなに混乱しているんだろう。

 わたしはとっくに主導権を失っている。じゃあ、それを握っているのは誰なんだろう。

「いろいろ、言いたいこともあるだろうから、とにかく、順を追って説明しようと思って」

 ……既に叔父bは、この世界についての情報を、いくつか得ているように見える。
 そうでなければこんなところでぼんやりはしていないだろう。
 彼にとってこの街は、昔住んでいた街であり、しかもその過去の姿だ。
 
 そこに放り投げられたのだから、もっと焦って、状況を見極めようとしてもおかしくない。
 でも、彼は落ち着いている。既に魔法使いから説明を受けているんだろうか?
 いや……彼女はいま、予定外の何かの処理に追われて忙しいのだと言っていた。
 わたしが彼に会いにいくことは予定通りだったわけだから、まさか彼のことではないだろう。

 では……いったい誰に説明を受けたりするんだろう。
 そのことを訊ねるのも、なぜだろう、よくないことに思えた。


643: 2012/12/01(土) 05:08:51.18 ID:1M2++lwbo

 彼はとにかく休みたいと言った。わたしは釈然としない気持ちを抱えつつも、頷く。

「とにかく移動しましょうか。屋根のあるところじゃないと、たしかに落ち着かないしね」

「……どこに?」

 ケイくんが後ろから問い返す。でもどこでもよかった。
 どこでもよかったので、まっさきに思い浮かんだファミレスに向かうことにした。
 とりあえずの腹ごなしと相談事。適当な場所。

 彼は寝床や食料のことを気にしていた。……既に状況を理解し、しかもなんとか状況を整えようとしている。
 彼は今どこまで知っているんだろう?

「まぁ、なんとかなるよ」

 そんなふうに答えたけれど、わたしは彼を連れてきたことに少し後悔を覚えずにはいられなかった。 
 見通しの甘さ。
 それでもわたしはやるしかない。現状をどうにか転がしていくしかない。

 

644: 2012/12/01(土) 05:09:36.01 ID:1M2++lwbo

 店に入ってすぐに注文をすると、叔父bはきょとんとした目でわたしを見た。食欲はないらしい。
 彼の表情は、最初会ったときとは違う。
 なんなんだろう? 不自然だ。
 
「まずは、いくつかの説明、ね。その前に――」

 それでもわたしは、自分なりに説明するしかない。
 とにかく、彼にこの世界のことを説明するべきだろう。
 その前に、わたしはケイくんに買い物を頼むことにした。

 わたしとケイくんだけだったら、正直言えば……魔法使いの控室に向かえばいい。
 上手く入れるかは分からないが、それができなくてもショールームまではいける。
 それならば、あの物置で休めないこともないのだ。わたしはそう考えていた。

 だが……彼。叔父bをあそこに招いてしまうと、こちらの行動に制限が掛かってしまう。
 他の場所を探す方がいいだろう。そういう意味で、買い物は必須だった。

 わたしは必要だと思われるものを書き連ねたメモを彼にわたし、買い物を頼んだ。
 少し嫌そうな顔をしたけれど、この状況では、彼はわたしを頼るしかないのだ。だから従うしかない。
 それがなくても手伝うと約束してくれたのだし。


645: 2012/12/01(土) 05:10:03.33 ID:1M2++lwbo

 彼が店を出てすぐに雨がぽつぽつと振り始めた。
 わたしは少し申し訳ない気分になったけど、それよりも目の前の人のことが気になった。 

「薬局、すぐそこだから、そこに傘売ってると思うんだけど……」

 そう言ったものの、わたしの頭から既にケイくんのことは消えていた。
 そして、説明を始めようと試みる。
 
 上手くいくかどうかは分からない。でも、ちゃんと分からせるつもりも、特にはなかった。
 だってわたし自身よくわかっていないのだ。そして、分かってもらわなくても、わたしには何の問題もないのだ。
 
「どこから説明すればいいかな」

「……」

「どこから訊きたい?」

 面倒だったので、わたしは相手の質問に答える形にしようと思った。


646: 2012/12/01(土) 05:11:22.32 ID:1M2++lwbo

「……この世界の"僕"は、この街に住んでるよね」

 わたしは少しびっくりした。既に「あの世界」と「この世界」という区別がついているうえに、自分の存在すら認めている。 
 また、それが自分のものとは違う、パラレルワールドにおける自分だというところまで理解しているらしい。

「うん。そうだよ」

 わたしは驚きつつ頷いた。

「それは、どうして?」

 馬鹿らしい気持ちになる。どうしてって、引っ越す理由がないからに決まってるじゃないか。
 彼は、彼の世界の姪と姉の氏を原因に街を出る。

「分かってることを確認しなきゃ気が済まない性格、おんなじだね」

 わたしは皮肉のつもりで言った。お兄ちゃんにもそういうところがあった。
 何度もあった。中でも一番印象的だったのは……。

"お前は、僕のことを好きか?"

 と、そういえばそんなことを言っていたっけ。
 わたしが、小学校に入って……一年か、二年の頃だろうか?
 わたしの言うまでもなく決まっていたのだけれど。
 
 その記憶は脇においておいて、わたしは彼の質問に答えた。

「簡単でしょ? 理由がないからだよ」

「つまり、この世界では……」

「そう。そういうこと」

 彼の世界では氏んでしまった姪、=世界bにおけるわたしは氏んでいない。
 そのことをきくと、彼は愕然とした表情になった。わたしはなんだか息苦しさを感じる。

 彼はしばらくの間黙っていた。雨は少しずつ強くなり始めている。
 

647: 2012/12/01(土) 05:12:36.32 ID:1M2++lwbo

「ところで、ひとつ聞いてもいい?」

 沈黙に耐えられなくなって、わたしは口を開いた。 

「ずっと気になってたんだけど、その荷物、なに?」

 彼は脇においていた荷物を手でたしかめるように触る。

「タクトからもらった奴だ」

「タクト?」

 知らない名前が出た、とわたしは思う。
 少なくとも彼には、誰かと会って荷物を受け取るくらいの時間があったわけだ。……このズレはいったいなんなんだろう。

「昔、知り合いだった」

「ふうん。ひょっとして、大柄の人? よく吠える大きな黒い犬を飼ってる?」

「そう。いや、ここでも飼ってるのかどうかは分からないけど」

 わたしはそういえばそんな人もいたなぁと思い返す。
 子供の頃からお兄ちゃんと付き合いがあって、なんだかんだ高校を出てからも会っていたはずだ。
 うまがあったのか、なんなのか。お兄ちゃんにも、そういう人がいるにはいた。


648: 2012/12/01(土) 05:13:09.14 ID:1M2++lwbo

「知ってるの?」

「あんまり。犬もその人も、怖かったし」

 と答えてから、そういえば彼はわたしが"姪"であることを知らないのだと思った。

「そうなんだ」

 少しひやひやしたけれど、彼は案外気にしていない態度を取った。そのこともわたしには少し意外だった。
 かと思うと、思い直したように頭を振って、彼は口を開く。

「君はいったい誰なんだ?」

 別に答える必要もないだろう。彼を一層混乱させるだけだ。

「だから、秘密」


649: 2012/12/01(土) 05:13:34.97 ID:1M2++lwbo

「じゃあ、どうして僕のことを呼んだんだ?」

「言わなかったっけ?」

 ……いや、言わなかったはずだ。手伝ってほしいことがある、というのと、納得がいかない、ってとこ以外。

「漠然とした話は聞いた。今訊きたいのは具体的なことだ」

「うーん」

 どう説明するべきか、わたしは悩んだ。そして言葉を見繕う。

「ごく簡単に言うとね、わたしはある一人の女の子の未来を守りに来たわけ」

 そう、そういうことだ。わたしは自分がやろうとしていることを再確認できた。
 この世界の姪を守る。結果、お兄ちゃんも生き延びる。そのはずだ。
 そうでないかもしれないという可能性もある。でも、今は、考えない。


650: 2012/12/01(土) 05:14:24.91 ID:1M2++lwbo

「……女の子?」

「そう」

「未来を守る、ってどういう意味?」

「そのままの意味」

「まるで、君がどうにかしないとその子の未来が失われてしまうような言い方だ」

「その認識であってるよ」

「……いったいどんな理屈で、君はその子の未来を知っているんだ?」

 もちろんわたしが未来から来たから。なんていえない。わたしは愛想笑いでごまかした。
 彼にはあまり情報を漏らすべきではない、と感じる。


651: 2012/12/01(土) 05:15:11.12 ID:1M2++lwbo

「秘密。ねえ、それより、気にならないの?」

「なにが?」

「生きているあの子のこと」

「……別に」

 話題を変える意味でも発した疑問に、彼はそっけなく答える。
 気にならないわけではない、ように見える。
 でも、やはりそこまで気になる、というふうにはみえない。
 彼は、やはり、"姪"にあまり関心を払っていなかったのだろう。
 まあそもそも、この世界の“姪”は彼の世界の“姪”とは別人なのだけど。

「もうひとつ、訊きたいことがあるんだけど」

 と彼は言った。これもまた、話題を変えたがっているふうに見えた。


652: 2012/12/01(土) 05:15:55.22 ID:1M2++lwbo

「なに?」

「君は僕をパラレルワールドに連れてきたわけだけど、どうしてこんなことができるんだ?」

"知るわけない"とわたしは思ったけれど、でもそう答えたところで彼が納得するわけもない。 

「……現にできてるんだし、あんまり関係ないよね? わたしもよく知らない。気付いたらできただけ」

 やはり、彼は魔法使いとは会っていないらしい。
 じゃあ、どうやって彼はこの世界の構造を知ったんだろう?
 それとも自力で考えたんだろうか? それは考えにくい。

 彼は考え込んでしまった。わたしはなんだかうんざりした気持ちになる。
 彼と話しているとそういう気分になる。
 そして皮肉を言いたくなった。


653: 2012/12/01(土) 05:16:33.09 ID:1M2++lwbo

「……わたしがあなたをここに連れてきた理由だけどね」

 わたしは少しだけ嘘をついた。

「必要だったからだよ、あなたみたいな要素が。つまりね、あなたみたいに怠惰なあなたが」

「……どういう意味?」

「端的に言うとね、わたしが守りたい女の子っていうのは、あなたの世界じゃ氏んじゃったあの子のことなの」

 彼にとってこの言葉は毒になるのだろうか。

「つまり、あなたの姪のことね」


654: 2012/12/01(土) 05:16:59.60 ID:1M2++lwbo

 そしてわたしは、一応、大雑把にやろうとしていることを伝えてみる。
 その結果彼がどう思うのか、わたしには分からない。

「怠惰なあなたを、この世界のあなたに見せるの。自分のことしか考えずに、ただぼんやりと過ごしたあなたをね」

 ……でも、そんなのが本当にうまくいくんだろうか。

「そうして怠惰だったあなたが招いた結果をこの世界に彼に見せる。そして、彼自身が決して無力ではないことを教えてあげたいの」

「……つまり、僕のせいで彼女は氏んだ、と言いたいのかな?」

「別に。ただ、この世界のあなたに、"あなたが彼女のことを考えたから、彼女はこっちでは氏んでない"と言いたいだけ」

「おんなじことじゃない? 僕が彼女のことを考えずにいたから、彼女は氏んだって意味だろう?」

「違う。たしかに似ているように聞こえるかもしれないけど、少なくともあなたのせいで氏んだわけじゃない」

 そう、彼のせいで氏んだんじゃない。彼は何もしなかっただけ。

「ただ、あなたが彼女のことをもう少し考えていれば、回避できるかもしれない未来だった、と言っただけ」


655: 2012/12/01(土) 05:17:52.83 ID:1M2++lwbo

 彼は暗い顔をして俯く。わたしは少しだけ申し訳ない気持ちにもなった。
 でもよくわからない。わたしは彼をどうしたいんだろう。 

「現にこの世界のあなたは、彼女の氏を既に回避しているしね。本当に些細なことだったけど、あなたがしなかったこと」

 本当に些細なことの連続なのだ、おそらくは。
 そうした些細なことの連続を怠った結果、"姪"は氏ぬのだ。

「……」

「あなたが悪いんじゃなくて、こっちのあなたが偶然できただけよ。そんなに気にしなくていい」

「――ちょっと黙ってくれないか?」

 これ以上は何も言わない方がいいだろう。わたしは口をとざした。
 なぜわたしは、彼の心境を刺激するような発言をしてしまったんだろう。
 でも、なんとなく、彼のことは気に入らない。なんだか知らないけど。


656: 2012/12/01(土) 05:18:47.66 ID:1M2++lwbo

 また起こった沈黙にうんざりする。しばらくして、ふたたび彼は口を開いた。

「……また、彼女の未来が失われようとしている?」

「そう。でも、今度はもっと馬鹿らしい理由。彼女自身の問題。結構先のことなんだけどね。数年後ってところ」
 
 嘘はついていない。隠し事はしているけれど。

「でも、たぶん、このあたりが問題なんだと思うから。具体的にいうと、八月六日の花火大会」

 言ってからわたしは不安に思う。“花火大会”? わたしはそんなこと考えもしなかった。
 やはり何かが、わたしの内側に流れ込んでいる。……いったい何が?
 でも、そのあたりに問題があるのだ。何かがあったのだ、あの日。漠然とそう感じる。

「あの日が、きっと問題なのよ。……でも、誰かが悪いわけじゃない」

 わたしがそう言ったきり、今度は本当の沈黙が下りた。
 窓の外は薄暗い。もう夜がそこまで来ている。

 時間が経つとケイくんが戻ってきた。食事を終えてから、わたしたちはファミレスを出る。
 雨はひどくなっていた。


657: 2012/12/01(土) 05:19:16.76 ID:1M2++lwbo




 すぐに行動するには遅い時間になっていたし、すべては翌日に持ち越すことにした。
 
 寝床は、町はずれの小さな無人駅の駅舎にさだめた。
 本来ならば魔法使いに支援を頼みたいところだったけれど、彼にあまりこちらの手の内をさらしたくない。
 
 ついでにいえば、電話はまだ繋がらないだろうという気がしたのだ。
 無人駅とはいえ利用者は朝早くからいるので、わざわざ駅舎の鍵の開け閉めなんてしていられない。 
 だから開きっぱなしになっている駅もあるのだ。無人駅の場合は。

 まぁこれは以前どこかで聞いた話(友達もいないのに変な話だけど)。
 ここは偶然そうなっているだけかもしれない。

 ケイくんの買ってきた荷物で状況を整えて、ベンチで休めるようにする。
 わたしたちはそこで休んだ。わたしはすぐに眠りに落ちた。
 
 でも、何かを見逃しているような落ち着かない感覚はずっとあった。それは夢の中ですらあった。

 わたしはたぶん何かを見逃している。いったい何を?
 もしかして、わたしが知らないところで何かが動いているのか?

"いったい何が?"


660: 2012/12/03(月) 13:56:34.47 ID:v7ebsIP3o



 夜中の三時過ぎに目を覚ました。
 無人駅の駅舎はじんわりと暑い。外に抜け出す。夜の闇が広がっていた。
 少し前まで広がっていた霧にとって代わるみたいに。
 いや……あの霧は数年後のこの街のものか。
 
 ひんやりとした夜の空気の中に、自分の気配を溶け込ませるみたいに歩いてみた。
 空は少しずつ青く染まり始める。月は仄かに影を浮かべている。

 胸の内側で何かが広がっている。たぶんわけのわからないもの。説明のつけようがない不安。
 でもこれは別にこの状況だからじゃない。
 いや、むしろ……状況。氏んで以降のわたしの境遇は、わたしの精神に何ら影響を与えていないという気がした。
 
 この不安は、わたしが生きていた頃、ずっと抱えていたもの。それをここまで引きずり込んでしまっただけなのかもしれない。
 あるいは、どこかの誰かから流れ込んできたものなのか。そうだとすれば、それは誰なのか。
 
 でもその区別をなくせば、わたしはわたしが誰なのかを問わなければならなくなる。だからその考えを捨ててしまおう。


661: 2012/12/03(月) 13:57:10.09 ID:v7ebsIP3o

 わたしは空を見上げている。ずっと見上げている。夜空は変わりなく夜空だった。
 暗闇はどうしようと暗闇だった。幾度見ても暗闇のままだった。どうしようもなかった。そこに置き去りにされているだけだった。

 何がわたしを不安にさせていたんだろう?
 
 時間の流れ、とわたしは思った。

 ふと振り返ると、うしろにはケイくんが立っていた。

「どうした」

 と彼は訊ねた。でも答えることは難しい。その答えはわたしにも分からなかった。

「不安なの」

 とわたしは言った。ケイくんは「嘘をつけ」という顔をした。わたしたちの間には信頼が足りない。

「何が、不安なんだ?」

「わからない。ケイくんは不安じゃないの?」

「……だから、何が」

「何もかもが、だよ」


662: 2012/12/03(月) 13:57:53.44 ID:v7ebsIP3o

「不安だから、氏ぬのか」
 
 とケイくんは言った。それはあたりだ、とわたしは思った。

「なんなんだろう。なんでこんなに不安なんだろう」

 自分の指先がかすかに震えていることに気付いた。
 わたしは本当は、何かを忘れているんじゃないだろうか。
 氏んだとき、何かを忘れてしまって、それを誤解したままこの場にいるんじゃないか。

 そうでなければ……そうだ、そもそも……あんな白昼夢程度で、氏のうとするんだろうか?
 分からない。どうすればいい?
 
 ケイくんは何も言わずに黙っている。暗闇がわたしの肩にのしかかる。
 静かな夏の月。

 わたしはお兄ちゃんなしじゃ生きられない。
 そんなの無理だ。

 だからわたしは氏んだ。


663: 2012/12/03(月) 13:58:24.47 ID:v7ebsIP3o

 ……いや、違う。順序が逆だ。わたしが氏んだから、お兄ちゃんは氏んだのだ。
 ……そうだったっけ? でも、どうしてわたしが氏んだからって、お兄ちゃんまで氏んでしまうんだろう。
 
 順番が、狂っている。

 なぜ、こんなに記憶が混乱しているんだろう?

 わたしは氏ぬ前の自分のことを思い出そうとしてみる。一度反芻したように。でもあまりうまくいかない。
 わたしは氏ぬ前後のことをよく覚えていない。わたしが最後にお兄ちゃんに会ったのはいつだったっけ?

 お兄ちゃんの態度が冷たくなった。お兄ちゃんが一人暮らしを始めた。それで不安になった。
 ……わたしは、お兄ちゃんの態度の原因を問い詰めようとはしなかったのだろうか。

 しなかったはずだ。そんな記憶はない。でも、わたしがわたしなら、まず問い詰めたのではないだろうか。

「なぜ?」と。

 でも、そう訊ねた記憶すらない。
 わたしは――。


664: 2012/12/03(月) 13:58:54.67 ID:v7ebsIP3o

「なあ」

 とケイくんが不意に声をあげた。

「大丈夫か」

 わたしは咄嗟に反応できない。考え事に夢中になっていたせいもある。
 思考を中断されて、わたしの頭は這い上るべき蜘蛛の糸がちぎれてしまったみたいに混乱する。更なる混乱。
 混乱に重なる混乱。そこに意味はあるのだろうか? だって前提からして混乱しているのだ。
 重なる混乱は結局、前提である混乱に内包されている。前提が混乱している以上、混乱しようがしまいが変わらない。

 わたしはよく分からない考えごとに頭を支配され始めている。

「大丈夫」

 答えてから、深呼吸をして、黙った。何も言いたくなかった。空を見上げる。
 月のとなり、ひときわ強い光を放つ星があった。そんなものがあっていいのか。

「俺も不安だよ」

 とってつけたみたいな声で、ケイくんは言った。でも、その声には嘘は含まれていない。たぶん。
 だって彼はそんな嘘をつく人じゃない。

「何をすればいいのか、どこにいけばいいのか、分からないんだ」

 わたしは黙って彼の話の続きを待った。
 でもそこに続きはなかった。不安には原因もなくて、解決もない。
 やはりそれも、ただそこに転がっているだけのものだった。


665: 2012/12/03(月) 13:59:21.66 ID:v7ebsIP3o

「どこに行きたいの?」

「分からない」

「何をしたいの?」

「分からない」

「じゃあ、どうして生きてるの?」

 わたしたちはぼんやりと空を見上げる。
 夏の夜空。吸い込まれそうな暗闇。

「でも……あそこはもう嫌なんだ」

 金を貯める、と彼は言っていた。そしてさっさとあの家を出るんだと。
 あの家にいるといつも目にぎらついた色のサングラスを掛けられてるような気分になる。
 腹の底をなにかの蓋で押し付けられてるみたいな気分になるんだと。
 
 だからあそこを離れたいんだと。


666: 2012/12/03(月) 13:59:49.08 ID:v7ebsIP3o

「離れて、どうするの?」

「……分からない」

 でも、いやだ。そのあとのことは、分からない。

 ああそうか。
 わたしとおんなじなのだ。

「でも、こんなのはおかしいんだ。そうだろう?」

「なにが?」

「"そのあと"のことなんて、何も分からない。そんなの当たり前じゃないのか?」

 彼の言葉は自分を説得しているように聞こえた。それはたぶん正解。だから、責められているように感じるのは気のせいだ。

「僕たちはどうにかしてやりたいようにやるんだ。ベクトルが嫌いだろうが好きだろうがどっちでもいいんだ。
 そのあとどうなるかなんて、分からない。必氏にやったって無理かもしれない。手抜きしたって成功するかもしれない。
 でも、分からなくても、望む以上はやってみるしかない。やらないわけにはいかない。
 だったら、あとのことなんて気にしたって仕方ないだろ? そうしたいんだから」


667: 2012/12/03(月) 14:00:16.96 ID:v7ebsIP3o

「それはちょっと無責任だと思うけどね。
"そのあと"のことが誰かの生活に影響を及ぼすかも知れない。
 悪い結果が目に見えてても、やりたければやるしかないって思うの?」

「じゃあ、悪い結果になるかもしれないって思ったら、やらないのか?
 でも、やらないで、"そのあと"はどうする?
 その他に何か望むものでもあるのか? 守るものでもあるのか?」

「でもそれは……」

「他人に遠慮して自分を封じ込めるのは、本末転倒だと僕は思う」

「だからって、最低限守るべきラインってものがあるんだよ」

「だからって、それを守るために自分を犠牲にするくらいなら、氏んだ方がマシだろう」

 いや、と彼は自分の言葉に首を振って。

「それは氏んでるのと同じなんだよ。僕はそれを生きているとは呼ばない」

「その比喩的な表現が、何かの象徴的な伏線だったらいいのにね」

「……何の話?」


668: 2012/12/03(月) 14:01:05.06 ID:v7ebsIP3o

 もちろんそんなことはありえない。
 現実にわたしは氏んでいる。現実的な意味で氏んでいる。比喩的な意味でどうであれ。
 それだけは魔法使いに確認するまでもなく間違いない。

 生々しい氏の感触がわたしの記憶に残っている。その感触は言葉にすることはできない。
 とても冷たかった。
 言葉に出来るのはかろうじてそれだけだ。

「でも、どこにもいけないんだよ」

 とわたしは言ってみた。
 ケイくんは顔をしかめる。

「どこにも行けないよ、わたしたちは。ここでどうにかやっていくしかない。大丈夫じゃなくてもまともじゃなくても。そうでしょ?」

 どこにも行けない。ここに居るしかない。



669: 2012/12/03(月) 14:01:30.73 ID:v7ebsIP3o

「だってわたしたちは自分の意思で選んだわけじゃない。自分の意思と現実の流れの摺合せの中でここにたどり着いただけなんだから。
 それは結果的なものであって意思的なものじゃない。
 目的的なものじゃない。クラゲみたいに流されて、流れの中でぼんやり方向を決めて泳ごうとしてるだけ。
 でもわたしたちはクラゲじゃない。クラゲじゃないからいつだって苦しい。いつだって悲しい」

 段々と自分が何を言っているのか分からなくなってきた。
 でも、この混乱は決してもたらされたものではない。わたしが考えて、考えた末の混乱なのだ。 
 そこには何かの思考の足跡のようなものが残されているはずだ。
 何をどう考えたのかはもう思い出せないけれど、わたしはたしかにそう感じたのだ。

「僕は」

 と彼は言う。

「それでもここじゃないどこかに行きたい」

 わたしたちはそれから長い時間ずっと黙っていた。星の気配が消えて月が薄く消え始めた。
 暗闇が消える。そして太陽が現れるのだ。あの残虐で不条理な光。無神経で八つ当たりじみた光。
 わたしは遠くの空に昇る赤い光をじっと眺めた。風が吹いて近くの木々が葉を揺らした。青々とした夏の緑。
 わたしたちは今数年前の夏の日にいるのだ。そしてそこで一心に何かを求めている。
 

670: 2012/12/03(月) 14:02:00.62 ID:v7ebsIP3o

「どうしようもないよ」

 と、太陽が角度を変え始めた頃にわたしは言った。

「なぜそんなことが言える?」

「でも、そうなんだよ。決まってるんだよ。逃げられない。どこまで行ったっておんなじだよ」
 
 そうなんだ、とわたしは思った。なぜわたしの目的意識がぶれているのか、納得がいった。
 要するにわたしは最初からあきらめているのだ。
 
 本当のところ自分の氏をどうこうしようという気持ちなんてない。
 お兄ちゃんの氏だって、本心ではどうでもいいのだ。

 それなのに魔女の言葉に乗ったのは、単に、わたしがわたし自身を、お兄ちゃんの氏を看過するような人間だと思いたくなかっただけだ。
 わたしは自分の中の自己像を守るためにここに来たにすぎない。
 結局何も変えられないことをあらかじめ知っている。

 だからわたしはここにきて何もする気が起きないのだ。
 自棄になったようにさまざまなものを放り込んでいるのだ。
(猫に鍵盤の上をでたらめに歩かせ、ベートーベンの運命が鳴ることを期待するようなものだ)

 少しすると、叔父bが目をさましてわたしたちのところにやってきた。
 わたしは彼に簡単に声を掛けた。

「まだ寝ててよかったのに」

 時間というものが流れなければいい。

「どうせどこにも行けないんだから」


671: 2012/12/03(月) 14:02:26.79 ID:v7ebsIP3o




 それでもわたしは、何もかもすべてをどうでもいいと思っているわけではない。
 あくまでも、誰かの幸福くらいな願っていたい。 
 そうありたい。結局は自己像の問題だ。

「どこにも居場所なんてないんだ」
 
 と彼は言った。彼も彼で、面倒な人だった。わたしも人のことは言えない。

「ねえ、わたしはあなたのことを利用しているけど、でもね、あなたの不幸を願ってるわけじゃないんだよ」

 わたしはちょっと呆れて言った。

「何の話?」

「わたしにだって説明できないけど、できないけど、巻き込んで悪いなって気持ちも、少しはあるの」

 空を見る。雨が降ればいい、とわたしは思った。

「あなたを見ることで、こっちの世界のあなたは、何かを得ることができるかもしれない」

 それは本当に「かもしれない」。かなり消極的な期待。行動とは違う。

「反対にあなただって、何かを得ることができるかもしれないと思う。そうであってほしいと思う」

「……得る?」


672: 2012/12/03(月) 14:03:02.17 ID:v7ebsIP3o

 それは少しだけ嘘で、少しだけ本当。
 わたしは他人の幸福なんてどうでもいい。わたしはわたしと関わった人に幸せでいてほしい。 

「手遅れだよ。僕はもう終わってしまっている人間だし、僕の世界はもう終わってるんだ。ここにきてそれがはっきりした」

「本当に?」

 とわたしは言った。

「本当に、手遅れなの?」

「どういう意味?」

 彼は怪訝そうな顔で問い返してくる。
 わたしはその態度をむしろ不審に思う。

「あなたは本当に終わってしまっているの?」

 だって彼は、まだ生きているじゃないか。


675: 2012/12/06(木) 14:06:46.59 ID:yWTuIqKIo



 
 わたしたちは静かに街を歩いた。先頭に立っているのはわたしだった。
 わたしは自分でどこを目指しているのかが分からない。

 どこかをめざさなくてはならないのだけれど、それが分からないのだ。
 
 なんだか頭がぼんやりする。
 疲れたな、とわたしは思う。いいかげん腹を決めるべきなのだろう。

 そうだ。
 いまさらためらうこともない。
 
「あ」
 
「なに?」

「お風呂入りたい」

「……」

 思いつきを口にすると、ケイくんが溜め息をついた。


676: 2012/12/06(木) 14:07:13.62 ID:yWTuIqKIo

 昔よく来たんだよなぁ、この銭湯。
 お湯につかりながらぼーっとしていると、体の疲れがすーっと取れて行った。
 
 うーん、ずっとこのままでいたい。
 わたしは人ひとりいない浴場で長い溜め息を吐いた。

「ぷはー、いきかえるー」(氏人ジョーク)

 魔法使いのところにきてから、ずっとシャワーだけだったし。
 それも水。

 わたしはタオルを頭に乗せて体をうーんと伸ばした。
 湯気で奪われる視界。熱が心地よい。

「さて、と」

 わたしは溜め息をつく。

「どーしよっかなー」


677: 2012/12/06(木) 14:08:10.24 ID:yWTuIqKIo

 なげやりに言葉を吐く。なんかもうどうでもよくなってきた。どうでもよくないんだけど。
 だいたい、魔法使いが丸投げしすぎなのだ。
 
 めんどくさい。
 なんだかむずかしいことを考えすぎて頭が混乱してきた。
 整理しようと思うけれど、ひさびさに入る大きなお風呂で頭がまわらない。
 めんどくさいこととか全部なしにして、もうずっとお風呂につかっていたいなぁ。

 でも、そういうわけにはいかない。……のだろうか?
 別にその気になれば、ぜんぶ放り投げて一ヵ月寝て過ごしたってかまわない気もする。
 
 わたしはいい加減腹を決めるべきなのだろう。どうするのかを決めないといけない。

「でもいまは考えなくていいや」


678: 2012/12/06(木) 14:08:49.40 ID:yWTuIqKIo

 めんどくさい。
 わたしはなんで氏んだんだろう。どうせ入るなら川より銭湯に入ればよかったのだ。それなら氏ななかった。きっと。

 ばかみたい。

 浴場にはわたし以外誰もいなかった。まだ早い時間だし、当たり前と言えば当たり前だけど。
 たっぷり三十分ぼんやり体をお湯に浮かして、それからサウナに入ってまったり汗を流した。
 
 体の感触がぼんやりしている。

「全人類に一日三十分のサウナ入室を命じたら、この世から戦争はなくなるかもしれないなぁ」

 だってこんなに気持ちいいんだから、むずかしいことや嫌なことを考え続けるなんて困難にちがいない。

「ずっとこうしていたいなぁ」

「ずっとこうしてたら氏んじゃうけどね」

「いやもう氏んでるし」

 と返事をしてから、誰かがいることに気付く。
 わたしは顔をあげた。


679: 2012/12/06(木) 14:10:10.77 ID:yWTuIqKIo

「おはよう」

 と"わたし"が言った。

「え?」

 とわたしは訊きかえす。
 女の子がいた。
 
 見覚えのある顔だった。
 というかわたしだった。

“わたし”は少し戸惑ったような顔で微笑む。
 

680: 2012/12/06(木) 14:10:36.60 ID:yWTuIqKIo




「え、だれ……?」

「……うん」

 うんじゃなくて。
"わたし"はちょっと考え込むような顔で俯いて、それからわたしと目を合わせてごまかすように笑った。

 彼女はわたしの隣に座っている。同じような体型。……いや、彼女の方が痩せているか?

「……敵」

「え?」

「あ、いや……」

 うん。何を言ってるんだろうわたしは。


681: 2012/12/06(木) 14:11:39.79 ID:yWTuIqKIo

「んーとね」

 と"わたし"は少し子供っぽい口調で言った。

「ちょっと、うん。偶然?」

「え、なにが?」

「会うつもりは、べつになかったんだけどね」

“わたし”は取り繕うような微笑を崩さない。

「……誰なの? あなた」

 わたしは真面目にきいたけれど、"わたし"は苦笑するだけだった。 
 
「どの世界から来た『わたし』なの?」

「……えっと」


682: 2012/12/06(木) 14:12:07.26 ID:yWTuIqKIo

"わたし"は口籠る。
 わたしは考える。

 でも、そんなはずがないのだ。
 あくまでもわたしの考えが正しければ、だけれど。

 この世界は本来的には一本道だ、というのがわたしの推測の本筋だ。
 そこに、魔法使いの力を借りて分岐させようとした人物が現れ、世界を世界aと世界bに分岐させた。
 その考えでは、世界bが本流であり、世界a――この世界が生み出された分岐の世界。

 わたしがいる世界、世界aは「二つ目の世界」。
 仮にそうしたシステムでパラレルワールドが生み出されているとするなら、彼女のような人物は存在しえない。
 世界はふたつしか"まだ"存在していないのだ。

 だから、目の前にいる"わたし"は、存在しえない。


683: 2012/12/06(木) 14:13:02.12 ID:yWTuIqKIo

 だって彼女の見た目は、わたしとほとんど同じだった。
 でも、この年齢まで育つことができるのは世界aのわたしだけ。
 世界bのわたしは、もっと幼い頃に氏んでしまうのだ。

 だから、ありえない。いや、もしくはわたしの考えが間違っているのか。

「……うーん」

「どうしたの?」

 ずっと考え込んだわたしに向けて、"わたし"が訊ねた。

「よくわかんなくなってきた。サウナで難しいこと考えるの、むずかしい」

「そっか。うん。考えない方がいいよ、あんまり。わたしも、今はゆっくり休んでるだけだから」

「ふうん」

「うん」
 
 それ以上、"わたし"は何も言わない。わたしにしては気弱だ。


684: 2012/12/06(木) 14:13:28.80 ID:yWTuIqKIo

「ひょっとしてあれかな。この状況は、自分の内面の思考が視覚的に表現されてるみたいな、映画的手法だとか」

 実際にそんな手法があるのかどうかはしらない。

「――え?」

「……では、ない?」

「――さあ?」

 なんとも頼りない。

「ま、いいや。そんなことは。だってサウナ、気持ちいいもんね」

「うん」
 

685: 2012/12/06(木) 14:13:55.13 ID:yWTuIqKIo

 頷いただけで、"わたし"はそれ以上話を広げようとはしない。
 なんなんだかよくわからない。

「じゃあ、わたしの内面ってことで。じゃあ、さ、ねえ、"わたし"」

"わたし"は首をかしげた。

「わたしは、どうすればいいと思う?」

 わたしは大真面目に訊ねた。
 答えは大真面目にシンプルだった。

「――さあ?」

「だよねえ」

 わたしはまた溜め息をつく。


686: 2012/12/06(木) 14:14:33.31 ID:yWTuIqKIo

「サウナ、出ようか」

 立ち上がって促す。バスタオルで体を隠しながら、"わたし"は立ち上がった。

「それ、なに?」

"わたし"はわたしの視線が自分の腕にあると気付くと、それをさっと隠した。
 わたしは怪訝に思いながらも、サウナを出る。
 
 汗を軽く流して、ふたたびお湯につかった。

「わたしね、どうすればいいんだろう」

 わたしは“わたし”に訊ねた。

「どうすればいいのか分からない。どうすればいいの?」


687: 2012/12/06(木) 14:15:11.48 ID:yWTuIqKIo


「迷ってるんでしょう? 自分がすることに意味があるのか? それをしてもいいのか?」

 そうでしょう、と“わたし”は言う。

「そうだよね。ふつうに考えたら、そんなことは“してはいけない”。まともじゃない。
 だからあなたは迷ってるんでしょ? この期に及んで。
 そんなことをしたところで何になるのかって醒めてる。 
 忘れたふりをしてる。あなただって何か、どうしても納得できないことがあってここに来たはずなのに」

 そうじゃなければ、その姿のあなたがここにいるわけがない。
“わたし”は言った。
 わたしは少し、ばつが悪い。

「あなたは……」

 と“わたし”は言った。


688: 2012/12/06(木) 14:15:45.00 ID:yWTuIqKIo

「こんなことを言ったらなんだけど、ずるい」

 それっきり“わたし”は黙っていた。わたしも自分で、そのことには気づいていた。
 そうだ。 
 
 わたしはずるい。
 
 結局、逃げたのだ。向かい合わなかった。

「でも、しかたないでしょ?」

 とわたしは拗ねたような気分で言った。

「あーあ。お兄ちゃんと結婚したかったなあ」

 冗談まじりにわたしは言った。

「――うん」

 と“わたし”は大真面目に頷いた。 
 どうかしてる。


689: 2012/12/06(木) 14:16:11.52 ID:yWTuIqKIo

「でも、できないんだよね」

「うん」

「……事実婚でもよかったかな」

 いや、別に法的には問題なかったはず……いやあるか? あるかもしれない。

「……その、相手の気持ちは?」

 と“わたし”はちょっと様子をうかがうみたいな声で言った。

「いや、うん」

 それが問題で、わたしは氏んだわけなんだけど。

「うん」

 とわたしはもう一度頷いた。


690: 2012/12/06(木) 14:16:59.44 ID:yWTuIqKIo

「でも、氏んじゃったもんは仕方ない」

 だから、仕方ない。
 仕方ないのに、納得できなくて、こんなところまできた。

 馬鹿げた冗談みたい。

「ねえ、もう一度生きたいって思う?」

“わたし”は言った。
 わたしは少し考えた。でも、それはできない。

「うん」
 
 とわたしは頷いた。でもね、それは無理なんだよ。どうやら無理らしいんだよ。
 この世界をどんなふうに変えたってわたしはもう氏んでいるんだ。

「そう」

 と“わたし”は短く言った。それだけだった。

「それでも……」

 とわたしは言った。“それでも”、どうなりたいんだろう。どうしたいんだろう。


695: 2012/12/12(水) 15:38:26.96 ID:lrkQRkuKo





 浴場を出て着替えを済ませる。最後に"わたし"の姿を何度か探したのだけれど、結局見つからなかった。
 まさか本当に自分の内面と対話してたわけじゃないだろうけど。

「うーん」

 疑問にうなりながら鏡を見て、タオルで髪をぬぐう。
 風呂は心の洗濯といいまして。

「まいっか」

 我ながら軽い。
 お風呂に入って自分と対話を済ませて、もう頭なんてからっぽでいい。
 ……ともいかない。これからどうするかだけでも決めておかないと。
 
 とりあえず……服屋にでも向かおうか?
 代えの服もないわけだし。
 
 でも、わたしとケイくんに関しては、別に平気なのだ。魔法使いのサポートが受けられることになっている。
 だから、服は汚れないし、汚れたとしてもすぐに戻るのだと言う。
 
「というより、体がばらばらに千切れたって五分経てば治るよ?」

 と魔法使いは言っていた。これはケイくんは無理。わたしだけ。
 つまり氏んでいるから、これ以上氏ねないってことだ。 
 でも、じゃあ、動けるのって矛盾してる。

 そういうこじつけじみた辻褄あわせって、なんだかすごく居心地が悪い。


696: 2012/12/12(水) 15:38:58.79 ID:lrkQRkuKo

 でも、ケイくんの場合は服が元に戻る。これは別の世界からあらわれた人間だから、らしい。
 でも、叔父bだって世界bからきた人間だ。
 彼の服が元通りにならないのは、単にこの世界に叔父の異世界同時間体(と魔法使いは呼んでた)が存在するから、らしい。
 異世界同時間体、つまりお兄ちゃんのことだ。
 よく分からないけど、

「異世界同時間体が存在する人物に対して魔術的に干渉してしまうと、異世界同時間体に対しても影響が出てしまう」

 ――らしい。

 簡単に言うと、"人物a"という人物に対応する異世界同時間体="人物b"が存在するとする。
 このとき、"人物a"対して魔術的干渉を行うと、"人物b"の方にもその影響が出てしまうのだという。
 なんでも、魔術を人物に対して行使する際に、魔法使いはその人物固有の情報というものをそのよすがにするらしいのだが。 
 その情報というのがあまり抽象的でない、具体的ものらしい(名前、年齢、背格好、血液型、誕生日、など)。

 異世界同時間体と、その人物の情報は大抵の場合一致するため(一致しないなら別人ってことでいいし)、
 魔術を行使する際、人物aに魔術をかけると人物bにも魔術が掛かる。

 結果――人物aと人物bの間に、魔術の行使者を媒体にして魔力的なパイプが出来る。
 このパイプができあがってしまうと、その後、人物aと人物bの間に情報的な区別がなくなる。


697: 2012/12/12(水) 15:39:26.35 ID:lrkQRkuKo

 具体的に言うと――人物aが知らないはずの、人物bが知っている情報を、人物aが知ってしまう、などの現象が起こる。
 しかもその現象には結構幅があって、異世界同時間体=人物bの精神状況が抑うつ的だったりする場合なんかだと、
 人物aもまた抑うつ的になる。また、人物aが楽しい気分のときは、人物bも楽しい気分になる。
 同様に人物aが知っている知識や情報、人物aの思考などが、不意に人物bに流れ込むこともある。

 すべてお互いに、そういうことになりうる。

 その流入があまりに圧倒的な場合……昏倒したまま目を覚まさないこともある、とか。
 また、魔法使いが多少手をくわえさえすれば、行き来しあう情報をある程度操作することも可能らしい。
 居場所、とか。認識に大きなズレが生まれた場合、原因はおそらくそのあたりにあるんだろう。

 ずいぶん世知辛くも大雑把なファンタジーだ。


698: 2012/12/12(水) 15:39:54.48 ID:lrkQRkuKo

 ……なんていう長々とした説明を、受けた。

 ……いつうけたっけ?

 わたしは不審に思う。そんな説明うけたっけ?
 そしてちょっと笑い出しそうになった。
 おいおい、まさかさっきのあの子がわたしの異世界同時間体ってわけじゃないだろうな?
 そしてひょっとして、わたしたちの間には既に魔法使いを媒体にした魔術的なパイプが出来上がっているのかもしれない

 それを笑い飛ばそうとするには、わたしの頭はちょっと混乱しすぎていた。

 魔法使いにとってのイレギュラー。
 それっていったいなんだったんだろう?


699: 2012/12/12(水) 15:40:22.08 ID:lrkQRkuKo




 十時過ぎに服屋に向かう。
 叔父bは最初は渋ったが、

「正直、汗くさいよ?」

 というと仕方なさそうに頷いた。汚れた服のままは嫌だろうと思ったのだが、余計なお世話だっただろうか。
 でも、実際に汗くささを感じたわけじゃない。お風呂には入ったわけだし。
 
 というよりむしろ、不思議なくらいだった。
 昨日は埃っぽい駅舎で眠ったわけで、それを考えれば、服はもう少し汚れていてもいいくらいだった。
 そもそも、最初見た時と今とでは、服装が微妙に異なっている気がする。気のせいだろうか。

 それはともかく、服を選ばなきゃ。

 叔父bは服屋に入ると早々に安売りのコーナーに向かってTシャツとジーンズをつかんだ。
 夏だし、昼間はたしかにそれでもいいだろう。実用的には。


700: 2012/12/12(水) 15:40:51.81 ID:lrkQRkuKo

「とはいえ……」

 さすがに、なんかこう、許せない。
 お兄ちゃんもそういう人だった。服なんて着れればいいやとでも言いたげ。
 小学を卒業するころにはそういうことにも気づいて、お兄ちゃんの服はわたしが選ぶようになったっけ。

 ……任せておくとすぐ、安いって理由で変なものを買ってくるのだ。

「だめ。それだめ」

 と叔父bが手に持ったシャツを戻す。

「なぜ?」

「なぜって」

 なぜかといわれると、説明しにくいのだが、いやなのだ。
 ケイくんが意外そうな目でこちらを見ている。



701: 2012/12/12(水) 15:41:18.89 ID:lrkQRkuKo

「とにかく、お金出すのはわたしなんだから」

「だから安いのを選んでるんだろう?」

「問題はそこじゃなくて、お金に見合った価値があるかどうかなの」

「服なんて着れればいいよ」

 わたしは溜め息をついた。
 
「いいから。とにかくわたしが選ぶ」

 叔父bもまた溜め息をついた。
 

702: 2012/12/12(水) 15:41:59.23 ID:lrkQRkuKo

 結局服を選び終わったのは十一時を過ぎた頃だった。
 叔父bが伊達眼鏡がほしいというので、彼が選んでいる間、わたしは一度店を出て自販機でジュースを買って飲んだ。

 なんだか無駄に体力を使った気がする。

 缶ジュースを飲みほして、ゴミ箱に捨てる。
 ケイくんが現れた。

「まだ選んでるみたいだよ」

 叔父bはまだ店の中にいるようだ。

「なんだか、意外だったな」

「意外? 何が?」

「お前が」


703: 2012/12/12(水) 15:42:47.23 ID:lrkQRkuKo

「わたし? わたしの何が?」

「見たこともないような顔をしている」

 ……心外だった。

「どんな?」

「普通の女の子みたいだ」

「……」

 彼の認識では、わたしは普通の女の子ではなかったんだろうか。


704: 2012/12/12(水) 15:43:18.56 ID:lrkQRkuKo




 会計を終えて店を出る。叔父bは服を着替えた。着ていたものはビニール袋の中にまとめた。
 うーん、とわたしは唸る。なんだかお腹が空いた。腕の中には叔父bの服が入れられたビニール袋。
 
 仮に……もし仮にだが。
 この服が汚れていなかったとしたら、どうだろう?
 つまり、魔法使いの魔術の行使の対象であったとしたら。
  
 そんなことを、本来なら魔法使いがするはずはない。
 でも、魔法使いには、わたしに隠したままにしている目的があるような気がする。
 不審なのだ。

 たとえば、だ。
 魔法使いがむしろ、何らかの目的で、お兄ちゃんと叔父bの間に魔力的パイプを作ろうとする、というのは考えられないだろうか?
 それで何が変わるのか、というと、おそらく未来が変わる。


705: 2012/12/12(水) 15:43:47.86 ID:lrkQRkuKo

 叔父bとお兄ちゃんの思考、経験、記憶はそれほど大きく異なっているからだ。
 仮にそれがどちらかに流入すれば、行動にも変化が起こる。当たり前のように。
 結果、未来は大幅に変化するだろう。
 
 でも、そうだとすれば、別に服に魔術を掛けることもない。
 もっと分かりにくい手段を選べばいいだけなのだ。それに今は根拠がない。

 とはいえ。
 汚れがあまりついていないのは気になった。

 なんとなく、服に鼻先を近づけようとしてやめる。何をやろうとしているのだわたしは。

 仮にこの服が汚れていないにしても、もともとあまり着ていないものだったのかもしれないし。
 ……いや、それはないか?
 昨日は駅舎で夜を明かした。それでなくても、わたしたちは結構な距離を歩いている。
 汗の匂いくらいはつくだろう。


706: 2012/12/12(水) 15:44:14.59 ID:lrkQRkuKo

 うーん。

 確認するだけなら……。
 しかし、なんだかこれって変だ。そもそもお兄ちゃんと叔父bは別人なわけで、こんなことをするのは精神的浮気というか。
 いや、浮気ってなんだ。ちょっと混乱している。

 それにもし匂いがしたらどうするのだ。それはそれで嫌じゃないか?
 うーん。でも、ひょっといてお兄ちゃんと同じ匂いがしたり……。

 ……待て。それで心が揺れたらまずい。別にお兄ちゃんの匂いをかぎたいわけではないはずだ。
 第一、叔父bとお兄ちゃんは別の家で別の生活をしているわけで、だとするなら匂いだって異なるはずだ。
 それを思えばがっかりというか安心というか、って、それは両方変だ。

「うう……」

 混乱している。

「ええい、ままよ!」

 と鼻先を服にうずめた。

「……」

 匂いがしない。
 疲弊しただけだった。


707: 2012/12/12(水) 15:44:56.01 ID:lrkQRkuKo




 お昼はラーメンを食べた。
 あんまり同じ店に行くのも嫌だったので、ファミレスはやめておいた。
 それにわたしがラーメンを食べたかった(これが大きい)。
  
 わたしはさっきのこともあって叔父bと話すのが気まずい。
 いや、わたしが勝手に勝手な行動をとっただけなんだけど。

 ラーメンを食べ終えて、沈黙を振り払うために口を開いた。空回りばかりしている気がする。

「ね、そういえばさ、荷物、届けないといけないんじゃない? 昨日受け取ってたやつ」

「……ああ」

 叔父bは、気乗りしないふうに返事をした。

「……届けようにも、僕が家に入るわけにはいかないよ」

「そこは、ほら、忍び込むとか」
 

708: 2012/12/12(水) 15:45:31.56 ID:lrkQRkuKo

 わたしは自分が何故、こんな話を始めたのか分からなかった。
 もしかしたら、銭湯で"わたし"と話したのも、無関係じゃないのかもしれない。
 
「……どっちにしろ、あなたは一度あの子に会っておくべきだと思う」

 あの子、というか、この時間におけるわたしなのだけれど。
 なぜそう思うのかは分からない。
 でも、そう感じた。彼はわたしに会うべきなのだ。そこから何かヒントを得られるかもしれない。
 その思考は、おそらくは"外側"からきたものだ。

「どうして?」

「なんでかは知らない。でも、なんかそういうの、ない?」

 わたしは正直に言った。彼は溜め息をついて考え込む。
 何かが変わりそうな気がするのだ。いまからだって、けっして手遅れじゃなく。
 ……わたしは氏んでるんだけど。


709: 2012/12/12(水) 15:45:58.41 ID:lrkQRkuKo




 店を出ると、叔父bもケイくんもいなくなっていた。

「あれ?」
 
 とわたしは思う。いったい何が起こったんだろう。
 不審に思って周囲を見回す。でも、ふたりの姿はどこにもなかった。
 いったいどこに行ったんだろう。

 でも、辺りにはほとんど人がいない。見失うわけがない。

 じゃあ、どうしてはぐれたりするんだろう。

 ……。

 わたしはポケットからスマホを取り出した。魔法使いに電話を掛ける。
 数度のコール音の後、電話がつながった。

「もしもし」

「もしもし?」


710: 2012/12/12(水) 15:46:40.69 ID:lrkQRkuKo

「今平気?」

「……うん。割と平気。どうしたの?」

 彼女の声に、どこか空々しさが含まれているように感じるのは、わたしが彼女を疑っているからだろうか。

「ケイくんと、あの人、いなくなっちゃったんだけど」

「……あ、うん」

 それは変な反応だった。何か、あらかじめそうなることを知っているような反応。
 わたしの疑念は膨らむ。

「どうしたんだろう?」

「言ったでしょ。超常現象を起こすんだって」

「……え、これがそうなの?」

「うん」


711: 2012/12/12(水) 15:47:07.22 ID:lrkQRkuKo

 巻き込まれた人間が超常現象を起こすのは、世界移動の際に行使された魔法使いの魔力が肉体に残留するからだという。
 その魔力を、巻き込まれた人間は強い感情を持つことで行使できる。らしい。

「……じゃ、これはどういうこと。わたしの傍にいたくなくなったってこと?」

「さあ。ひとりになってゆっくり考えたかったんじゃない?」

 ……なんだそれは。

「叔父の方はともかく……ケイくんまでいなくなってるんだろう」

 彼に、そんな強い感情を抱く理由があるんだろうか。
 だって彼は、わたしの傍にいるためにこの世界にきたのに。
 そうしてくれると言ったのに。

 魔法使いは曖昧に言葉を濁した。

「さあ。彼もひとりになって考えたかったんじゃない?」

 その声には、やはりどこかしら空々しい響きが含まれている。


712: 2012/12/12(水) 15:47:47.04 ID:lrkQRkuKo

「ねえ、今から会いにいってもいい?」

 電話の向こうに沈黙が下りた。
 わたしは後悔した。

「……なぜ?」

 絞り出すように魔法使いは言う。

「なぜって……」

 理由が、必要なのだろうか。たしかに忙しいとは言っていたけど……。
 
「わたしがいると、不都合でもあるの?」

 彼女は電話越しに息をのんだ。わたしの心臓が強く鼓動する。
 こんなことを言ってしまって、大丈夫なのだろうか。

「……いいよ。来ても」

 と彼女は言った。


713: 2012/12/12(水) 15:48:29.55 ID:lrkQRkuKo



 
 三十分後、わたしはショールームにいた。相変わらずドアが並んでいる。
 たくさんのドア。いくつものドア。でもそれらの大半はわたしには無意味だ。
 わたしは緑色のドアを探す。
  
 それはすぐに見つかった。魔法使いが意思的に開いている。

 少し、後悔していた。
 わたしは彼女のことを知ろうとするべきではなかったかもしれない。

 でも、ここまで来てしまったのだから、仕方ない。

 わたしはドアノブを回す。

 そのときだった。

 声が聞こえたのだ。誰かの声。その声には聴き覚えがある。

『切って』

『え?』

『いいから』

 会話だ。わたしはびっくりして心臓が止まるかと思った。でもその会話は、ここでなされているのではない。
 どこか遠くの方で、行われているのだ。


714: 2012/12/12(水) 15:49:03.85 ID:lrkQRkuKo

『どうして?』

 男と女、二人の会話だ。 

『意味なんてないよ』

 と女の方が言った。

『でも、教えてあげなきゃ』

 男の方が、怪訝そうな声を出す。

『何を?』

『わたしが……ここにいるって。そういうことが、起こってるんだって』

『……でも、こんなことをしたって意味がないだろう?』

『そうかもね』

『……なあ、お前、さっきから変だよ』

『いいから、その弦をさっさと切って!』

 聞き覚えがある、どころじゃない。
 この声は。
 ケイくんとわたしの声。

 でも、声だけじゃなかった。
 もっと強い何かが、わたしの中に流れ込んできた。
 それは感情だった。濁流のように強い感情。
 

715: 2012/12/12(水) 15:49:46.92 ID:lrkQRkuKo

 何かを憎む、何かを求める、強い感情だった。そして、手に入らないことを悲しむ、強い感情だった。
 それはあまりにしたたかにわたしの心をかき混ぜる。
 強烈な感覚がわたしの肉体を支配した。

 痛みとも違う。疼きとも違う。なんなのかよくわからない感覚。

 でもそれが原因だった。

 そこでわたしは意識を失ったのだ。
 その間際、

「ごめんね」

 と魔法使いが謝る声が聞こえた気がした。



716: 2012/12/12(水) 15:50:57.29 ID:lrkQRkuKo



 意識を失なっている間、夢を見ていた。
 あるいはそれは夢ではないのかもしれない。

 夢の中の"わたし"はケイくんと一緒に花火大会に向かった。なぜかは分からない。どちらも深刻そうな顔をしている。

「なあ、何をしにいくんだ?」

 とケイくんが言う。"わたし"は答えない。ただ歩き続けている。その表情は暗い。足取りは重い。

「さあ?」

 と夢の中の"わたし"は言った。

「何ができるんだろう」

 ケイくんは気まずそうな顔をする。

「わたし、何をしにきたんだろ」

 その言葉に、彼は溜め息をつく。


717: 2012/12/12(水) 15:51:23.89 ID:lrkQRkuKo

「そんなの、俺が知るわけない」

「そうだね」

 夜道を歩いて、花火大会の会場につく。
"わたし"たちはそこで、お兄ちゃんと、その姪の姿を探した。
 
"わたし"は。
 そこで、お兄ちゃんが、わたしの知らない女の人と話している姿を見た。

"わたし"は混乱する。なぜ混乱したのか、彼女には分からない。
 でも"わたし"にはよく分かった。それはわたしの氏の原因にもなったのだ。
 わたしはお兄ちゃんがわたし以外の誰かと一緒にいることが恐ろしかった。
 それが花火大会なんて特別なシチュエーションならばなおさら。
 その感情が、夢の中の"わたし"に反映されたのだ。

 そして"わたし"は。
 ……"わたし"は……。


718: 2012/12/12(水) 15:51:53.89 ID:lrkQRkuKo




 頭がずきずきと痛んだ。
 意識を取り戻す。うすぼんやりとした視界が、徐々に鮮明になっていく。
 控室。どうやら、控室にいるらしい。

 体を起こすと、すぐ傍に魔法使いが座っていた。

「や、久々」

 彼女は少し、疲れているように見える。

「……今日、何日?」

「八月六日の夜。って言ったら、怒る?」

「……八月、六日?」

 その日は、何か、あっただろうか。何か大事なことがあった、という気もする。
 でも、なんだか、頭が朦朧として、うまく考えられない。

「起きて早々悪いんだけどさ、今、お客さんが来てるんだ」

「……そのお客さん、わたしよりも大切?」

 魔法使いは困ったような顔になった。でもわたしは怖かった。今、わたしはひとりぼっちなのだ。


719: 2012/12/12(水) 15:52:20.02 ID:lrkQRkuKo

「ケイくんはどこ?」

「……」

 魔法使いは少しの沈黙のあと、

「ごめんね」

 と言った。
 彼女は彼の居場所を知っているのだ。

「なんだか、疲れたな」

 とわたしは言った。

「眠っていてもいい?」

 彼女は何も言わなかった。
 ただ、憐れむような目でわたしを見た。そのことが一番悲しかった。



720: 2012/12/12(水) 15:53:40.35 ID:lrkQRkuKo

「ごめんね」

 とふたたび魔法使いは言う。

「べつに蔑ろにしてるわけじゃない。でも、どうにかできるかもしれないの」

 魔法使いは真剣な声音で言う。

「もちろんそれも、結局分岐をつくるってだけに過ぎない。でも、何かが変わりそうな気がするの」

 そして彼女は微笑した。

「あなたのおかげ」

 わたしには、その言葉の意味がつかめない。

「ありがとう」

 そして彼女は、わたしの額に手をおいた。

「おやすみなさい」
 
 意識が混濁する。
 わたしは眠っていく。
 置き去りにされていくのだ。


724: 2012/12/18(火) 19:11:26.54 ID:h1CoNVIXo




 鈍い痛み。靄に包まれたように頭がはっきりしない。
 深い霧の中に彷徨いこんだようだ。視界が黒く覆われている。身体が重くてうまく動かせない。

 ひどく肌寒い。水の気配がしている。水流。流されていく。ぶつかっていく。
 身体中を軋ませるような衝撃、ぎしりという骨がゆがむ音。わたしの身体。

 酩酊するわたしという意識。放り投げられて置き去りにされた意識。中空にふわりと飛んで弾けるシャボン玉。 
 わたしは氏んでしまったのだ。

 けれど、尚もわたしは目を覚ます。わたしは目を瞑っているのだ、とわたしは思う。視界が黒いのはそのせいだ。 
 目を開ければ光は見える。

 だからわたしは瞼を開く。

「……」

 音がないことに、真っ先に気を取られた。耳鳴りのしそうな静寂。
 わたしは控室に寝転がっていた。冷たいコンクリートの感触。指先に触れる、固くざらついた地面。

 痛みに、額を押さえる。何かがちぎれるような痛みが頭の中で起こる。
 何かが千切れていく。断線。わたしの時間。何もかもが判然としない。霧に覆い隠されてしまった。

 生き延びている。


725: 2012/12/18(火) 19:11:55.54 ID:h1CoNVIXo

「……ねえ」

 と声をあげた。たぶんあげたと思うのだけれど、それは音にならなかった。
 この暗い場所に、その声は反響すらしなかった。ただ暗闇に吸い込まれていくだけだった。
 誰もいないのだ。

 誰もいない。

「ねえ!」

 とわたしは喉を鳴らした。その音も、やっぱりどこにも向かわない。自分の耳にすら。
 ぽつり、と水滴が落ちる音。耳がおかしくなったわけじゃないのだ。水滴は落ち続けている。ぽつりぽつり。
 
 わたしは体を起こす。起こしてから、その冷たさに身震いした。
 床が、水に浸されている。
 
 水位があがっていく。 
 ――悪趣味だ。

 全身は重い。頭はうまく回らない。わたしは迷路のような控室を歩きはじめる。光は差し込まない。
 

726: 2012/12/18(火) 19:12:21.94 ID:h1CoNVIXo

 水の気配。……どこに向かえばいいんだろう。いまはいつなんだろう?
 わたしのポケットには例のスマートフォンが入っている。わたしはそれを取り出した。でも無駄だった。
 日付も時刻も分かったけれど、その日付や時刻がどのような意味を持つのか分からない。
 
 あのとき、一度目をさましたときに、魔法使いが言ったことが嘘じゃなければ、それよりも少しあとの日付。

 ……魔法使いはどこにいるんだろう。

 わたしは……。
 
「わたしは……」

 迷路のような控室。声は自分の身体よりもずっと早く、ずっと遠くにつくはずなのに。
 わたしの声は今更誰の耳にも届かない。


727: 2012/12/18(火) 19:12:54.30 ID:h1CoNVIXo

 そうなんだよ、とわたしは思った。ここが行き止まりなんだよ。
 わたしの限界はここなんだ。でもそれはずっと前からそこにあったんだ。
 水の中、溺れながら助けを求めたときからずっと、それは影のようにわたしに張り付いていた。

 わたしは行き止まりの前で行ったり来たりを繰り返しているだけ。
 その先はもうない。

「それでも」

 とわたしは言う。声はどこにも響かなかった。
 それでも、まだやめるわけにはいかない。

 分かりきっている。

 それでも、わたしには、"わたし"には、あるいは、そのどちらにも、そうする以外に手段がない。
 

728: 2012/12/18(火) 19:13:21.60 ID:h1CoNVIXo

 魔法使いの姿は見つからない。控室の出口も見つからなかった。
 わたしはこの状況について考える。閉じ込められているのだろうか? なぜ?
 何のために? どうして? 心当たりがまったくない。
 わたしが邪魔だから? 必要じゃなくなったから?

 そうかもしれない。そうじゃないかもしれない。

 わたしは魔法使いに電話を掛けようとして、やめた。
 彼女は絶対に、本当のことを言わないだろう。そんな気がした。

 ……じゃあ、どうする?

 わたしはあたりを見回す。明かりのない暗い通路。水滴の音。
 水位は上がっていく。まるで砂時計に閉じ込められたみたいだ。

 そう、砂時計。

 段々と浸っていき、また時間が入れ替わる。逆さになる。
 見える景色も何もかも。ぜんぶさかさまになる。


729: 2012/12/18(火) 19:13:49.45 ID:h1CoNVIXo

 とりあえず、歩いてみる。でも何かを期待したわけじゃない。誰かと会うことを期待したわけじゃない。
 会いたかったけれど。
 
 でもわたしが探しているのは「出口」だ。

 この迷路の出口を探している。
 迷路の出口を探すには歩くしかない。歩いて得た情報を繋ぎ合わせ、取捨し、選択する。
 やがて出口は見つかる。それが本当にあるのなら。

 歩いていく間にも水位はどんどん上がっていく。わたしは出口を探している。
 でも、どこに出ればいいんだろう?
 わたしはもう、何も変えられなくたってかまわないような気がする。

 扉を見つける。大きな扉。
 大きな鉄扉。わたしはそれを押し開ける。

 濡れた靴の感触が気持ち悪い。

 扉の向こうを歩く。水位はどんどん上がっている。

 ……いや、違う。

 わたしが沈んでいるんだ。


730: 2012/12/18(火) 19:14:47.04 ID:h1CoNVIXo

 水の中。
 波紋が浮き立つようにわたしの身体を絡め取る。

 気付けばわたしは水の中にいる。でも、ちっとも苦しくない。

 なぜならわたしにはエラがあるから。
 そう、わたしはいま魚なのです。

 水の中に絡め取られて、わたしは流れに乗ってすいすい泳ぐ。軽快に。無目的に。
 ここは水槽の中。誰もわたしに触れられない。見ることはできるけれど。
 だから反対に、硬化ガラスの向こう側の世界に、わたしは触れられない。見ることだけはできるけれど。

 七色の鱗を光らせてすいすい泳ぐ。どこにだって行けそうな気がする。尾ひれをぶんぶん振って。

 お兄ちゃんが、ガラスの向こうにいる。きっと向こうは、夜の水族館。あの人はこっちなんてちらりとも見ていない。
 つらそうな顔をしている。
 
 わたしはそこに行きたかった。
 でも、このガラスが破れたら、水をなくしたわたしは氏んでしまうかもしれない。
 水にのまれたお兄ちゃんは氏んでしまうかもしれない。

 わたしは人間になりたい。


731: 2012/12/18(火) 19:15:52.18 ID:h1CoNVIXo





 目を覚ます。つまり今見ていたのは夢だった。でもどこからが夢なんだろう。
 景色は相変わらず控室の中。日付はさっき、スマホで確かめた通り。

 なら、途中から妙な幻覚でも見ていたんだろうか。
  
 しっかりしろ。現実をしっかり見ろ。……どこからが現実なのか、わたしには見分けがつかないけど。
 でも、その努力だけはしなくては。目を離してはいけない。

「ああ、起きたんだ」

 と声がした。久々に誰かの声を聞いた気がした。
 わたしは誰かに会いたかったはずなのに……この場に誰かが現れたことが嫌で嫌で仕方なかった。

 わたしは声の主を仰ぎ見る。
 ケイくんが扉を背に立っていた。

 だからわたしは、彼の名前を呼ぼうと思ったんだけれど。
 声を出す気になれなかった。


732: 2012/12/18(火) 19:16:37.94 ID:h1CoNVIXo

「どうした?」

 と彼は訊ねる。わたしは仕方なく答えた。

「べつに……」

 彼は少し戸惑ったような顔をしたけれど、すぐに気を取り直したようだった。

「それで、これからどうするんだ?」

「……どう、しようか」

 わたしは頭が痛くて、うまく物事を考えられない。

 彼が扉に向き直り、それをくぐったので、わたしもそれを追った。

 出た先はショールームだった。時間は、分からない。夜だろうか? たぶん夜だ。

 何かを、思い切りたたきつけて、壊してみたいような、気がしている。


733: 2012/12/18(火) 19:17:14.44 ID:h1CoNVIXo



 もういいじゃないか、とわたしは思う。別にもうどうだっていいじゃないか。
 何をやったところで意味なんてないんだ。
 わたしはもう終わっているんだから。何もかもどうだっていい。

「どうする?」

 とケイくんが言った。

「どうしよう?」

 どうしよう。

 控室の、少し開けたスペース。そこには人影があった。 
 小さな人影。子供のような。「あの子」だろうか。


734: 2012/12/18(火) 19:17:41.20 ID:h1CoNVIXo

「――?」

 でも違う。

 あの子じゃない。
 巻き込まれてここにやってきた彼女。
 わたしが叔父bをこちらに連れてこようと思った理由。
 ……いや、連れてこようとした理由は別か? 会いに行こうとしただけだっけ。
 どうだっただろう。

 わたしの思考は曖昧で手遅れでやけっぱちだ。

 でも、待って。あの子じゃないなら、世界bの姪でないのなら。
"違う"なら誰なの? この子は。


735: 2012/12/18(火) 19:18:10.31 ID:h1CoNVIXo

「……なに、これは」

 とわたしは訊ねた。ケイくんは困惑している。

 だってつまり、この子は。消去法として。ううん、もっと単純に、服装や身長からして。
 わたしじゃないか。この世界の、この時間におけるわたし。"過去"のわたし。

「なぜこの子がここにいるの?」

「なぜって……」

 彼の困惑は深まっていく。怯えた目でわたしがわたしを見る。

「お前が言ったんだよ、僕に。この子を連れてこなきゃいけないって。そうしないといけないって。
 そして自分で連れてきたんだろ、この子を。……大丈夫か?」

「そんなの――」

 まるで覚えがない。
 
 言い知れない恐怖がわたしの背筋を撫でた。
 これはいったい、なんなんだ?



736: 2012/12/18(火) 19:18:46.12 ID:h1CoNVIXo




「それで?」

 とお兄ちゃんは言った。我々はファーストフードショップの窓際の席に陣取って座っている。
 昼間だと言うのに人が少ない。店員の動く音さえ聞こえない。ただ忙しない厨房の音だけが聞こえている。
 気配だけが聞こえているのだ。

「そのあとは?」

 世界aにおけるお兄ちゃん――要するに過去のお兄ちゃんと、わたしは向かい合って座っている。
 わたしは何もかもを終わらせようと、彼のもとに過去のわたしを返そうとしたのだ。

 けれどそのとき隣には、世界bの過去のわたしがいた。
 だからわたしはの混乱は深まる。

「それから……」

 とわたしは答えようとする。でも答えはうまく発せられない。
 
 お兄ちゃんは言葉にしなかったけれど、既に、わたしが未来の姪の姿だと気付いているようだった。
 
「何があったのか、話してほしい」

 そう言って、わたしがこちらに来ることになった事情、こちらに来て起こったことについて、彼は説明を求めた。
 躊躇いはあったけれど……かといって、今となっては黙っていることも無意味だと感じられた。
 

737: 2012/12/18(火) 19:19:19.03 ID:h1CoNVIXo

 要するにどこかの段階で――事態は破綻したのだ。
 
 目の前に座るお兄ちゃんの隣には、ポテトを齧りながら窓の外を眺める姪bの姿がある。

「あのときわたしの前にいたのは、たしかに、その子じゃなく……」

「"この世界の姪"だった?」

 わたしは頷く。
 彼は考え込むように唸った。……なぜだろう。お兄ちゃんの姿を見ていると、ひどく落ち着かない気持ちになる。
"あのあと"。控室で目覚め、そこに"この世界の姪"の姿を見つけた後。
 
 ケイくんは"わたしがさらってきた"と言った。
 わたしはそんなものに覚えなんてなかった。

「わたしはそれから、ひどく混乱してしまって……」

「ああ」

 とお兄ちゃんは平然と頷く。
 ……彼のこの余裕はなんなんだろう? 気味が悪いほどの。
 立場が、逆転しているのだ。


738: 2012/12/18(火) 19:19:52.76 ID:h1CoNVIXo

 姪bは静かにお兄ちゃんに視線をうつしながら、自分の分のシェイクのストローに口をつけた。
 けれど中身は既に空だったらしく、彼女は少し残念そうにカップを置きなおした。
 お兄ちゃんは自分の分のシェイクを彼女に差し出しながらもう一度促した。

「それで?」

 姪bがストローに口をつける。彼女はわたしの視線に気づき、怯えたように目をそらす。もう片方の手でお兄ちゃんの服の裾を掴んだ。
 わたしの頭痛は止まらない。

「それで……」

 それから……。

「分からない。ケイくんに何かを怒鳴ったのは覚えてる。でも、あの子は結局、どこかにいってしまったの」

「どこか?」

「……分からない。たぶん魔法使いがどこかに移動させたんだと思うんだけど」

「なぜだろう?」

「分からない」

 わたしはなんだか胸が苦しい。


739: 2012/12/18(火) 19:20:38.68 ID:h1CoNVIXo

「わたしはケイくんと話をした。何が起こっているのか。でも、彼の話とわたしの話は食い違っていて……」

 そう、ひどく食い違っていた。わたしは自分の頭がおかしくなったのかと思った。
 だってそれは本当に記憶にないことばかりで。でも状況は、記憶よりもケイくんが正しいと言っていたのだから。

「落ち着けよ、ってケイくんが言ったの。でも落ち着けば落ち着くほど、頭がおかしくなりそうだった。
 冷静に考えれば考えるほど、怖くてたまらなかった。だから咄嗟に……」

「うん」

「ケイくんに、言っちゃったの」

「……なんて?」

「落ち着いたところでどうなるっていうの、って。"わたしは既に氏んでいるんだよ"って」

「…………」

 お兄ちゃんはそこで少しだけ表情をこわばらせた気がした。

「……ケイくんには、そのこと、言ってなかったから。ショックを受けてたみたいだった。どうしてかは、分からないけど」

「それは、ショックだろうね。彼の場合は」

 お兄ちゃんは妙に納得した風な態度を取ったけれど、わたしにはよく分からない。


740: 2012/12/18(火) 19:21:06.82 ID:h1CoNVIXo

「だから怒りもする。――そのあとは?」

「ケイくんはショックで黙り込んじゃって、その子とわたしと彼は、物置でずっと何も言わずに黙ってた。
 そこに世界bの――」

 お兄ちゃんが、と言いかけて、いまさらのように、

「――あなたが現れた」

 お兄ちゃんは溜め息をついた。どうも事態が混乱しているらしいな、というみたいに。

「なるほど」

 そしてわたしは判然としない意識のまま彼らを思う様に罵り、窓の外に身を投げ出した。
 そこで意識を失い、ふたたび目を覚ますと、なぜか真昼の川辺で倒れていた。

 目を覚ましたときには意識が妙にすっきりしていて、いろいろな感情がぐるぐると頭を回っていた。
 そして、お兄ちゃんに会いにいこうと思ったのだ。なぜかは知らない。きっと自棄になったのだと思う。
 わたしは、そして、お兄ちゃんに出会い、いまここで話をしている。


741: 2012/12/18(火) 19:21:34.54 ID:h1CoNVIXo

「……ところで、君が控室で目を覚まして、あの子――姪aと会って、ケイくんと話をして、認識の食い違いを自覚した日」

 お兄ちゃんは確認するような口調だった。

「その夜のことだけど、誰かに電話を掛けたりした?」

「……?」

 その質問の意味が、わたしにはつかめなかった。

「してない、はず。記憶にある通りなら、だけど。魔法使いにも掛けていないはずだし」

 わたしは念入りに記憶を確認したけれど、それはぶつ切りになっていて、あまり意味がある行為とは思えなかった。

「そう」

 納得した様子でお兄ちゃんは頷く。
 そして笑った。

「なんだか、いろいろとやっているようで、始まる前に終わった感じのする話だったね」

 ……。
 まぁ、たしかに、目的に向けての行動を取るよりも先に、いろんなものに足を取られてスタート地点にたどり着けなかった感じの話だ。
 話だけれど。お兄ちゃんに笑われるとなんだろう、この胸につかえる納得のいかない感じは。


742: 2012/12/18(火) 19:22:03.14 ID:h1CoNVIXo

 そして彼は口を開く。

「世界bの僕は、"この世界の姪"に執着がありそうな感じだったかな?」

「……どうだろう。彼とは結局、はぐれてから一度しか会っていないから。でも」

 でも、そうだ。野放しになった彼がふたたびあの物置に現れたのは、

『……"彼女"は?』

"この世界の姪"を探していたからに他ならない。
 彼は、世界bの姪が迷い込んでいると、あの時点では知らなかったはずなのだから。
 いや、どうだろう。わたしが知らないだけで……実は知っていたのか?
 分からない。記憶が判然としない……。

「だとすると……やっぱりそれは異世界同時間体の魔力的パイプの影響、って奴かな」

 お兄ちゃんはさらりと言った。

「つまり僕の姪に対する執着が、彼に流れ込んだって考えた方がしっくりくる」

 ……聞いているわたしとしては、なんとも微妙な話だ。


743: 2012/12/18(火) 19:22:29.60 ID:h1CoNVIXo

「『代わりがいるからどうでもよくなったのか?』と君は言ったけど」

 わたしは自分が、ついさっき、本屋の前でその言葉を発したことを、既に忘れかけていた。

「そんなわけがない」

 とお兄ちゃんは断言する。
 わたしは答えに迷う。

「……でも、その魔力的なパイプってのはいつできたんだろう?」

 彼はわたしの気持ちなんておかまいなしに自分の疑問を口にする。
 本当にこの人は……変わらない。

「魔法使いの手違いで出来たというよりは、意図的につくられたという方がしっくりくる」

「なぜ?」

「魔法使いは明白に、途中から目的を変えてるからだよ。最初は君の目的で――」

 具体的な目的が何なのかは告げていなかったし、わたしが何者なのかも自分からは言っていなかった。
 でも、『氏んでしまった』とか、『分岐』とか言ってしまったわけで、たぶん察しはついているのだろう。

「――途中から、明白に自分のために行動を取るようになった。これには"巻き込まれた誰か"が関係しているんだと思うけど」

 あるいは、と彼は言葉を続ける。

「ひょっとしたら、途中で何かに気付いたとかね。だから、君のことをほったらかしにして、この世界に干渉し始めた。
 その結果、魔力的なパイプを作る必要ができた。もしくは、魔力的なパイプができた結果、世界に干渉する理由ができた」


744: 2012/12/18(火) 19:23:39.27 ID:h1CoNVIXo

 まぁ、それについては確認できないことだからおいておこう、と彼は言う。
 何の話なのか分からない。わたしには見えていないものが、お兄ちゃんには見えているんだろうか。

 彼は考え込むような表情になる。わたしは。
 
「もういいよ」

 と言った。

「全部やめにしよう?」

 自分でもその声が震えていることが分かった。
 怯えている。でももう嫌だった。

「よく分からないことが起こったな、ってだけで、それ以上考えることなんてないよ。
 もう全部終わりでいいでしょ? わたしはもう嫌だよ」

「いいわけがない」

「どうして?」

「誤解があるようだけど」

 とお兄ちゃんは強い調子で言った。


745: 2012/12/18(火) 19:24:27.30 ID:h1CoNVIXo

「僕は別に君たちの目的だとか、魔法使いの目的だとか、事象を引き起こす具体的な手段なんかが知りたいわけじゃない。
 僕が知りたいのは、僕の姪が、この世界における、この時間における僕の姪がどこにいるかなんだ。
 そして、どうすれば、どこに行けば彼女をとりもどすことができるかどうかなんだ。
 理屈に合っていようがいまいが関係ない。僕には、彼女をとりもどす以外の終わりなんていらない」

 彼にしてみれば、そうなんだろう。
 でも。

「それなら、どうしてわたしと話そうだなんて思ったの?」

 わたしは問いかけずにはいられない。

「どうしてその子と一緒にいるの? その子に優しくしているの?」

 なんだか無性に、悲しくて、とても苦しい。

「どうして態度がそっけなくなって、どうして女の人を家に連れてきて、どうして家を出て……」

 それは彼に聞いても答えようのない質問だと分かっていたけれど。
 積み重なった"どうして"が、喉からとめどなく溢れてしまう。

「どうして、いなくなるの?」

 熟慮するように視線を落とし、彼は窓の外を眺めた。 
 姪bがわたしの顔色をうかがって、服の裾を離した。何かに納得したような、諦めたような顔だった。
"そういえば諦めていたんだっけ"という顔だった。


746: 2012/12/18(火) 19:25:12.91 ID:h1CoNVIXo

「後半の質問には、僕は一切答えられないけど、前半の質問には答えられる」

 そしてお兄ちゃんは言った。

「君と話そうと思ったのは、僕の身に起こった今回の事態が、どうやら姪にも関係があるらしいからだ」

 一言だった。
 そのあとは黙ってしまった。

 大真面目な顔をしたお兄ちゃんに、わたしはぽかんとする。

「そしてこの子と一緒にいるのは、この子があの子に似ているからだよ」

 この人は。
 なんというか。
 
 あほなのか。
 基準はそこなのか。


747: 2012/12/18(火) 19:25:43.09 ID:h1CoNVIXo

 彼はひとつ咳払いをした。

「いや、待ってくれ。他にも一応理由はある」

「……一応聞くけど、どんな?」

「誤解だったとはいえ、僕はケイからこの子を引き受けたんだ。まさか街に放り出すような真似はできない」

 わたしが黙っていると、

「そんなことをしたら、あの子に怒られるしね」

 と付け加えた。
 ひょっとしてわざと言ってるんだろうか。

「あとは、もうひとつある。これは個人的な信仰のようなものなんだけど」

「……それは?」
 
「僕が誰かのために祈ったら、誰かも僕のために祈ってくれるかもしれない」


748: 2012/12/18(火) 19:26:22.75 ID:h1CoNVIXo




「とにかく」

 わたしはなんだか気まずくなって少し大きめに声をあげた。

「もしあなたがこの世界の姪に会いたいってだけなら、話は簡単だよ。
 魔法使いに会えばいい。彼女はたぶん、控室にいるから」

「ホントにいるのかな」

 とお兄ちゃんは疑わしそうな声をあげた。

「たぶんだけど。……扉を開けてくれるかは分からない」

「……まあ、行くしかないんだろうね」

「わたしも、自分の身に起きたことの説明を、彼女から聞かないと」

「……そうだね」

 お兄ちゃんはそこで神妙そうな表情になった。

「勝手に混乱して、勝手に自己完結して、勝手に飛び降りるのは、たぶん君の悪い癖だ。 
 これからはちゃんと状況を把握して、相手をちゃんと問い詰めてから、物事を判断するようにしたらいい」

 ……なんだ、この、無性に腹が立つ感じは。誰のせいだと思ってるんだ。

 わたしは溜め息をついた。


752: 2012/12/23(日) 15:11:48.53 ID:ox1jzL0Fo




「ところで……」

 ショールームに向かう途中、わたしはお兄ちゃんの背中に声を掛けた。

「あなたは、いったいどの程度状況を把握できているの?」

 お兄ちゃんはわたしの質問に、少し不思議そうな顔をした。
 けれどそれは一瞬のことで、彼は納得したように溜め息をつく。

「きみの正体くらいは」

 とお兄ちゃんは言う。わたしは緊張すらしなかった。
 さっきまでの話でも、わたしは自分の正体を決して洩らさなかった。 
 ただ、自頃した結果、魔法使いに力を借り、この世界にやってきて、未来に分岐を作る可能性を得た、と話しただけだ。

 それでもお兄ちゃんには、他にもたくさんのヒントがあったのだろう。
 あっさりと、わたしの正体を見抜いているわけだ。

「なんて言い方は悪趣味か?」

 お兄ちゃんは笑いかけて、ためらうようにそれを押さえた。


753: 2012/12/23(日) 15:12:26.63 ID:ox1jzL0Fo

「うん」
 
 とわたしは頷いた。

「お兄ちゃん」

 彼はその言葉に足を止め、後ろを歩くわたしを振り向いた。わたしは振り向いてなんてほしくなかった。
 
「会いたかったよ」

 そうだ。会いたかったのだ。会いたかった。
 本当は世界も未来も何もかも放り投げて、今ここにいるわたしだけを優先して、わたしはお兄ちゃんにもう一度会いたかった。 
 混乱していない頭で。疲れていない体で。汚れていない顔で。荒んでいない心で。
 
 でもそれはできなかった。

「……だったらなぜ?」

 とお兄ちゃんは言う。
 わたしはきょとんとした。たぶん。そんな間抜けな顔をした。


754: 2012/12/23(日) 15:12:54.09 ID:ox1jzL0Fo

「なぜ僕に会いに来なかった?」

「……"なぜ"?」

 どういう意味、と訊ね返しかけると、お兄ちゃんは真剣な表情で言った。

「最初の数日は、様子をうかがっていた。それは分かる。でも、別にそのあとは会いにきてもよかったはずだ」

 そこで彼はわたしの目をじっと見た。

「なぜ会いに来なかったの?」

「……だって、それは」

 ――突然あらわれた『未来の姪』なんていう存在を、まともに受け入れるはずがないから。

 ……そう、だった。そのはずだ。


755: 2012/12/23(日) 15:13:23.00 ID:ox1jzL0Fo

「会いに行ったら、わたしの言うことを信じてくれた?」

「どうだろう。でもきみには、僕を信頼させる術があった」

「……術?」

「『もう一人の僕』は、明白な異常だ。明白な異常をきみが説明づけることができたら、僕はきみの話を少なからず信用したはずだ」

「……でも、それとこれとは話が別じゃない?」

 わたしの反問にお兄ちゃんは黙った。
 そして、昔のように短い溜め息をついた。

「きみの動きは変なんだ」

 とお兄ちゃんは言う。わたしはなんだか落ち着かない気分になる。いったい何を言おうとしているんだろう。

「きみの話を信頼するなら、別世界の僕を連れてくる理由なんてないはずなんだ。
 きみだって最初は言っていた。何かのヒントが得られるかもしれないと、話をしたいと思っただけだったと。
 でもきみは『彼を連れてきた』。これはきみの意思なのか?」

「……変化を加えたかったから」


756: 2012/12/23(日) 15:13:59.12 ID:ox1jzL0Fo


「だから」

 とお兄ちゃんは力強く言った。

「それなら何も、そんなことをしなくても、僕に会いに来たりすればいい。何らかの手段で僕にきみのことを信頼させるのは可能だったはずだ」

「たとえば?」

「たとえば、僕ときみにしか分かりえない、知りえない秘密がある」

「……?」

「きみは誰にも言わないと約束したし、僕も誰にも言ったことはない。そういう約束だ」

「……」

「その約束について、何か知っている?」

「……」


757: 2012/12/23(日) 15:14:25.64 ID:ox1jzL0Fo

"お前は、僕のことを好きか?"と、ずっと昔、お兄ちゃんは言ったのだ。

"お兄ちゃんのこと、好きだよ?"とわたしは答えた。
 お兄ちゃんのそのときの顔はひどく真剣で、怖いくらいで、悲壮で、なんだか、抑え込んだような必氏さを感じて。
 だから不安だった。不安だったけど、答えた。

「"お前が僕のことを好きでいるかぎり――"」

 とわたしは言った。お兄ちゃんは黙ってわたしの顔を見つめている。

「"――僕は絶対にお前の味方でいる"」

"母や父や姉がお前を見限っても、僕だけはお前の傍にいる"

 その言葉は、わたしをとても不安がらせたけれど、同時にとても安心もさせた。
 結局はわたしは祖父母の愛情も母の愛情も信頼しきれていなかったのだろう。
 
 今になって思えば、お兄ちゃんのその言葉は、呪いめいてすら聞こえる。
 けれど、わたしにとっては、そのときのわたしにも、今のわたしにさえ、その言葉は、本当に、救いと呼べるものだった。

「――証明はとても簡単だろ?」

 わたしは今のやりとりに、言いようのない不安を感じたが、お兄ちゃんは話を続けた。気のせいなのだろうか。
 


758: 2012/12/23(日) 15:15:02.67 ID:ox1jzL0Fo

「きみはとにかく僕の目の前に現れさえすればよかった。僕はきみのことを疑ったかも知れない。
 でも、もしきみが現れれば、僕はさっきと同じ質問をきみに投げかけた。
 だから、結果的にきみの言葉を信じただろうと思う」

「そんなの……思いつかなかっただけだよ。信じてもらう手段を思いつかなかったから」

「――本当に?」

 お兄ちゃんの表情は、とても真剣だ。なのに、どこか冷めている。
 
「違うんじゃないのか。信じてもらう手段を、考えもしなかったんだろ?」

「……どういう意味?」

「たとえば、"もうひとりの僕"を利用して、常軌を逸した状況を僕に信じさせる手段もあった。
 さっきみたいに、僕たちしか知りえない情報を知っていると示唆することで、僕を信じさせる手段もあった。
 他にもいくつか手段はあるはずなんだ。にもかかわらず、きみは思いつかなかった」

 でも、と彼は続ける。

「手っ取り早いのは僕に会いに来ることなんだ。きみは本来なら、そこにもう少し執着していてもいい。
 つまり、きみは本当は、僕に会いたくなかったんだ」


759: 2012/12/23(日) 15:15:30.53 ID:ox1jzL0Fo


 その言葉に、

「違う!」

 と思わず声が出た。
 お兄ちゃんは息をのんで、「しくじった」という顔をする。わたしもまた、大声をだして「しくじった」という顔をしたかもしれない。
 姪bが体をすくませている。手のひらは、お兄ちゃんが握っている。

「……言い方が悪かった」

 わたしたちは少しの間黙った。午後の太陽が少しだけ勢いを弱めた。でも、アスファルトに蒸されて、世界は歪みそうな熱気に支配されている。

「僕が言いたいのは、そこにきみ以外の意思が関係しているのではないか、ということなんだ」

「……わたし以外の意思?」

「少し情報を整理しよう」

「整理?」

「そう」

 と彼は頷く。

「僕たちの目の前には既にたくさんの情報がある。それらは脈絡なくちりばめられているし、出現のタイミングも状況もばらばらだ。
 だからとても混沌としているし、説明が付けづらい。このままじゃ理解は難しい。
 といって、これ以上の情報を求めたところで結果はよくならないだろう。
 僕たちはとても混乱している。上手に考えることができない。
 だから――必要なのは情報の収集よりも、むしろ整理なんだ」


760: 2012/12/23(日) 15:15:57.09 ID:ox1jzL0Fo





「まずは、人物を整理しようか」

 お兄ちゃんはポケットから手帳を取り出してメモページを一枚ちぎった。

「まず、僕だ」

“僕”

「僕はもともとこの世界に暮らしている。両親と、バツイチの姉と、姪と同居している。
 とあるショールームで行われた催事の際、自分そっくりの“もうひとりの自分”を見つけた。
 それ以来奇妙なことが起こり始めた。ギターの弦が切れていたり、姪がいなくなったり」

 ところで、と彼は言う。

「きみは僕のギターの弦を切ったりしていないね?」

「……うん」

 本当のところは分からない。でも、“わたしは切っていない”、と思う。


761: 2012/12/23(日) 15:16:23.79 ID:ox1jzL0Fo

「次に、“姪”」

“姪”

「“僕”と同居していた姪。歳の差は七つ違い。まだ子供だ。この子はいなくなって以来、僕の前に一度も姿を見せていない。
 ところが、僕が姪を探している際、彼女の行方を知らせる電話があった」

「……え?」

 そのことを、わたしは知らなかった。

「“魔女”の電話だ」

「……“魔女”?」

 そういえば、お兄ちゃんは言っていたっけ。わたしと最初に、本屋の前で会ったとき。

『きみが、魔女?』

「少なくとも、僕らに関連するおかしな存在が、ここまでにふたりいる。一人目は“もうひとりの僕”」

“もうひとりの僕”

「催事の日にショールーム二階の窓から僕を見下ろして、花火大会の日に僕のもとに現れた。
 パラレルワールドにおける僕自身を名乗っていた。
 きみと彼の説明によれば、彼は“姪が氏んだ世界”における“僕”だという。
 彼はきみと行動を共にしたかと思えば、別々に行動し、突然動向がわからなくなったりした」


762: 2012/12/23(日) 15:17:30.58 ID:ox1jzL0Fo

 お兄ちゃんが言う“もうひとりの僕”の世界では、わたしは子供のまま母に殺され、また、母も自頃している。
“もうひとりの僕”は決して“姪”の味方ではなかった。

「次に、“魔女”」

“魔女”

「……その人のことが、分からないんだけど、魔法使いとは違うの?」

「これについては、あとでまとめて説明する」

 そもそも、どうしてその人は“姪”の居場所を知っていたんだろう?

「次に、きみと、ケイ」

“きみ”

「……きみは、僕たちが今いるこの世界の、数年後の未来から来た。そういう説明だったよね?」
 
 そう、そこまでは説明した。
 わたしはこの時間より数年後の未来からやってきた。

「その世界で、“何かの出来事”を理由に自頃したものの、“魔法使いの力”を借りてこの世界に“分岐”を作りに来た」

「……うん」
 
 それであっている。

「“もうひとりの僕”と“ケイ”を、魔法使いの力を借りて連れてきたのは、きみだ。それで合ってるよね?」

「うん。それはわたし」


763: 2012/12/23(日) 15:18:06.01 ID:ox1jzL0Fo

「そして“ケイ”」

“ケイ”

「これはきみの友だちだ。だからきみとワンセットで扱って構わないだろ? 同じ世界の同じ時間から、この世界に来たわけだ」

「……うん。それで合ってる」

「さらに、“魔法使い”」

“魔法使い”

 正体不明だけれど超常的な力を持っている女性。 
 わたしたちにも無関係ではないらしい。でも、詳細は分からない。

「それから……」

 そこで彼はちらりと手のひらの先を見遣った。

「この子。まあ、仮に“少女”としておくか」

“少女”

 厳密に言えばこの子は“もうひとりの僕”の世界における“わたし”=“もうひとりの姪”だ。
 この子が“巻き込まれた”ことをヒントに、わたしは“もうひとりの僕”を呼びにいくことを思いついた。


764: 2012/12/23(日) 15:18:37.41 ID:ox1jzL0Fo

「人物は……このくらいかな、大雑把に言って」

“僕”
“姪”
“もうひとりの僕”
“魔女”
“きみ”
“ケイ”
“魔法使い”
“少女”(もうひとりの姪)

「このほかにも、魔法使いと誰かが話しているのを、きみは聞いたと言ったっけ?」

「うん。でも、それは幻聴かもしれないし……」

 実際に、彼女が誰かと話している姿を見たわけではない。話し声はしたけれど、姿は見つけられなかったのだ。

「まあとにかく、それは保留でいいか。とりあえず、人物は八人だ」

 お兄ちゃんはそして、少し考えるような顔になった。


765: 2012/12/23(日) 15:19:16.62 ID:ox1jzL0Fo

「“魔法使い”に関しては、とりあえず思考の隅においておこう。考えても仕方ないから」

「……うん」
 
 わたしはなぜだか、お兄ちゃんの話を黙って聞く気になっていた。
 
「だから、僕らが整理すべき関係は七人のものだ。
 そして単純に、この人物を世界、時間ごとに分けて考えてみようか」

 お兄ちゃんは空を見上げて一度瞼を強く瞑って、それから長い息を吐いてふたたび話し始めた。

「まず、“この世界”の人間」

“この世界”。わたしが“世界a”とたとえた世界。
 基準となる世界。

「基本となる時間は、今。僕は高校生で、姪は小学生の“今”だ」

 それはわたしにとっては過去だったけれど、今は彼の邪魔をするべきではないだろう。

「この世界の住人は、七人の中では二人だけ。“僕”と“姪”だ」

 よどみなく、お兄ちゃんは続ける。


766: 2012/12/23(日) 15:19:48.41 ID:ox1jzL0Fo

「次に、“もうひとりの僕”の世界。パラレルワールドの住人。
 きみの話によると、“少女”は“もうひとりの僕”の世界における“姪”らしいから、この“もうひとつの世界”の住人もふたり。
“もうひとりの僕”と“少女=もうひとりの姪”だ」

“もうひとつの世界”。“世界b”。

 わたしは“もうひとりの僕”と“もうひとりの姪”を“叔父b”、“少女b(あるいは姪b)”と呼んで記号づけた。
 逆に“この世界”におけるお兄ちゃんを、“叔父a”、“この世界”における過去のわたしを“少女a(あるいは姪a)として記号づけた。

「そして、ケイときみは、“この世界”と地続きの未来から来たという」

“地続きの未来”。

 お兄ちゃんがわたしに冷たく接するようになり、わたしが氏んだ世界。
 
「つまり、この三つの世界の人物が、“この世界”に集合してさまよっているのが今までの状況だと言うわけ」

「……待って。でも、“魔女”は?」

「あとでまとめて話す」

 その言い方に妙に苛立って、

「“あとで”はやめて」

 というと、お兄ちゃんは少し悲しそうな顔になった。

「……うん」


767: 2012/12/23(日) 15:20:26.57 ID:ox1jzL0Fo

「そもそも、魔女って誰なの?」

「僕も分からなかった。最初は、きみが魔女なのかと思っていた」

「どういう意味?」

 わたしのことを魔女と呼んでいた、という意味だろうか?

「つまりね、きみと魔女の行動は区別がつきにくいんだ。
 でも、話を聞いたかぎり、きみと魔女は明確に別人として行動している」

「……区別がつきにくい?」

「僕のギターの弦を切ってはいない、けど、“弦を切って”という言葉が夢の中に出てきたって言ってたね」

「……うん」

『いいから、その弦をさっさと切って!』

 夢の中で“わたし”は、ケイくんにそう怒鳴っていた。


768: 2012/12/23(日) 15:21:25.71 ID:ox1jzL0Fo


「銭湯で、自分の姿をした幻覚を見たとも言った」

「……うん」

 わたしはなんだか不安になった。
 お兄ちゃんは、いったい何を言おうとしているんだろう?

「それが……?」

 お兄ちゃんは少しためらうような間を置いた。

「つまり、それが魔女なんだ」

 わたしはまた混乱する。

「きみと同じような姿をした存在がいるんだ。つまり――」

 お兄ちゃんは断言する。

「“魔女=もうひとりのきみ”、だ。異世界同時間体。この世界に、“未来のきみ”がふたりいる」


769: 2012/12/23(日) 15:22:22.45 ID:ox1jzL0Fo

770: 2012/12/23(日) 15:24:25.60 ID:0k/LllaYo
おお
話が急にすっきりした

あとは魔法使いか
そんなやついたっけ?

771: 2012/12/23(日) 20:24:37.15 ID:a/Qt9qhqo

ふむふむわかりやすいね

772: 2012/12/25(火) 11:51:59.66 ID:qh/oe32co
いままでこんがらがってたのをまとめてくれてよかった!
もう終結も近いか