300: 2011/11/08(火) 01:32:32.39 ID:X/EtjjWKo

301: 2011/11/08(火) 01:33:25.44 ID:X/EtjjWKo

――認めよう。巴マミは強い。アタシたちは、弱い。

杏子「うぜぇ……んだよぉ!」

 魔力を注いで強化した槍を全力で突き出す。
 巴マミの姿をした使い魔は軽やかなステップを踏んでそれをかわすと、振り返ることなく右手を振った。
 黒いリボンが手のひらに生成されたのを認識したのと同時に、杏子は地面を蹴って跳躍。
 使い魔の影を跳び越えて着地する。

ほむら「食らいなさい……!」

 隙を見せた使い魔めがけてほむらがアサルトライフルの銃弾を浴びせかける。
 しかし使い魔は黒いリボンを振り回して雨のような銃弾を迎撃。
 いつの間にか足元に突き刺してあったマスケット銃を両手に保持して反撃を始めた。

ほむら「くっ!」

 その狙いは正確で、同時に狡猾で、容赦がない。
 初めに放たれた銃弾を回避したと思えば、先読みして放ったのであろう銃弾が目前に迫っている。
 なんとかそれをかわせば、今度は地面を穿った銃弾から黒いリボンが伸びてほむらの身体を捉えようと蠢いた。
 無論、杏子もそれを眺めて棒立ちしているわけではない。

杏子「けっ、やらしー攻撃しやがって!」

 ほむらのサポートに向かおうとするが、使い魔は片手間で杏子に対しての牽制も行っているのだ。
 姿勢を低くして瓦礫を盾にしながら、なんとかほむらの下へ辿り着き、槍を一閃。リボンを切り刻む。
 そこからほむらを抱きとめ、倒れこむようにして前転。瓦礫の陰に身を隠す。
 直後に二人がいた場所を無慈悲の掃射が襲い掛かった。

杏子「っちぃ!」

 飛び跳ねる礫を左手で払いのけながら、杏子は苛立ちを隠そうともせずに舌打ちする。
とある魔術の禁書目録III カプセルラバーマスコット [7.ステイル=マグヌス](単品)
302: 2011/11/08(火) 01:34:31.01 ID:X/EtjjWKo

杏子「なんなんだよこれ、ちょっと強すぎない? 前戦った時はこんなんじゃなかったんだけど」

ほむら「同感ね……私も別の世界で戦ったことがあるけど、巴マミはこれほど強くなかったわ」

 二人が隠れる瓦礫が、ぴしりと音を立てて亀裂を生んだ。

杏子「……なぁ、さっきはああ言ったけどさ」

ほむら「そうね。もしかしたら、いいえ。もしかしなくても……」

杏子「ずいぶん手加減されてたのか。分かっちゃいたけど」

ほむら「……やるせないわね」

杏子「やってらんねーよな、まったくもう」

 瓦礫に生まれた亀裂がとうとう全体に及び、音を立てて崩れ始める。
 宙に舞う欠片と土煙に身を潜めながら、杏子は注意深くマミ――否、使い魔の姿を観察した。
 使い魔はマスケット銃を配置したまま、可愛らしく小首を傾いでいる。
 ふざけやがって。

杏子「へんっ、その余裕、いまに切り崩してあげるよ!」

 槍の構造を変化。随所を鎖へと再構成し、そのリーチを格段に上げる。

杏子「食らいな!」

 五メートルという距離を槍の矛先が瞬く間に詰め、使い魔の足元を切り裂こうとうねる。
 突然伸びてきた槍を前に、相手は身じろぎひとつしなかった。
 当たり前のようにマスケット銃を振りかぶり、刃にぶつけて狙いを捻じ曲げる。

303: 2011/11/08(火) 01:35:07.35 ID:X/EtjjWKo

杏子「ほむら!」

ほむら「言われなくても!」

 土煙の中から飛び出したほむらが、横っ飛びにアサルトライフルを掃射した。
 さすがにこれはひとたまりもないと考えたのだろう、マミの姿をした使い魔はマスケット銃を地面に突き刺して後じさる。
 戦闘において、回避行動は大事だ。しかしそれは同時にとても大きな隙を生む。

 たとえば――こんな風に、二対一の状況などでは特に!

杏子「はああぁぁぁぁぁぁ!」

 先ほど砕け散った瓦礫が完全に地に着く。地響きが空気を震わせた。
 その時にはもう、杏子の体はマミの目の前にある。

杏子「隙あり!」

 前に大きく踏み込み、体重を乗せて槍を突き出す!
 しかし矛先は寸でのところで狙いが逸れ、マミの頬をかすめるにとどまった。

杏子(でも……!)

 ダメージは与えていないに等しいが、流れはこちらにある。いける、勝てる……!

304: 2011/11/08(火) 01:35:37.31 ID:X/EtjjWKo

 そう直感した杏子は、同時に背筋を冷たい物が這う感覚を覚えた。
 影のように黒い巴マミの使い魔が、その顔に唯一残されたパーツである口を歪めて笑っていた。

杏子(なんで笑っていやがる? アタシがドジでもしたってのか?)

 そんなことはないはずだ。
 現にマミは銃撃する間もなく後じさったので、銃撃からのリボンによるバインドは出来ない。
 両手も身体を庇うために胸の前で交差しているため、リボンを生成させてもすぐには攻撃に転じれない。
 圧縮された時間の中で、杏子の思考はさらに速度を上げて脳内を巡り――

杏子(まさかッ――!?)

 さきほどマミが地面に突き刺したマスケット銃は、今どこにあるのか。
 気付いた時には遅かった。
 杏子のすぐ脇に放置されたマスケット銃が分解し、リボンへと姿を変える。
 槍を引こうとするが間に合わない。リボンが身体に絡みつき、杏子の顔を顰めさせた。

杏子「ひ、卑怯だぞ! こんな!」

 マミの姿をした使い魔が、邪悪な笑みを浮かべたまま小首を傾げた。
 まるで、

マミ『あらあら、佐倉さんらしくないわよ?』

マミ『それに二人がかりで私をいじめるあなたが言えた義理じゃないでしょう?』

 とでも言っているように見えて、杏子は恐怖で頬を引きつらせた。
 マミがゆっくりと手を伸ばす。手のひらからは黒い輝きが溢れている。
 杏子の体を締め上げるためのリボンが生成された。

 逃れられない、もうだめだ――

305: 2011/11/08(火) 01:36:04.93 ID:X/EtjjWKo

 ――ところが、予想に反してマミはリボンを握った手を左側面に向けて薙いだ。
 一秒と経たずに、マミの周囲に銃弾が雨あられのように降り注ぐ。ほむらの援護だ。
 リボンに弾かれた流れ弾が、杏子の体を縛るリボンを掠める。

杏子「はぁっ!」

 ほんの一瞬の間、拘束が和らいだのを杏子は見逃さなかった。
 両手に力を込めて強引にリボンを引き裂き、槍を構えて一突き。マミの肩を掠める。

杏子(いける……!)

 だがマミはふたたび後じさって瓦礫の影に身を潜め、姿を消してしまう。
 今攻め込めば、あるいは。しかし同じ徹は踏めない。
 素直にほむらの下へ駆け寄ると、二人は手ごろな瓦礫に身を寄せ合った。

杏子「ゴメン、やっぱあいつ強すぎない?」

ほむら「そうね……時間さえ止められればこんなに苦戦はしなかったのだけど」

杏子「ないものねだりしたってしょうがないさ。さぁ、第三ラウンドといこーよ!」

ほむら「待って! あれを!」

 瓦礫から身を乗り出したほむらが、中空を指差して叫んだ。
 つられて杏子も身を乗り出し――驚愕に顔を歪める。
 そこには、数十丁のマスケット銃を召喚したまま地上に向けて砲撃を行おうとするマミの姿があった。

杏子「一斉砲撃……つーか爆撃か!?」

 マスケット銃がカチャリと音を鳴らした。砲撃が始まる前兆だ。
 砲撃が始まってから回避していては間に合わない。

杏子(悪いけど……ほむら!)

 避けようとしているのだろうが、ほむらの動きはとても愚鈍で遅々としたものだった。
 心の中でほむらに謝罪すると、彼女の身体を可能な限り傷つけないように、しかし遠くへ蹴り飛ばす。
 そして杏子自身も跳躍。

 次の瞬間、執拗なまでの砲撃が地上を襲った。

306: 2011/11/08(火) 01:36:31.03 ID:X/EtjjWKo

杏子「あ痛たたた……ちっ、やってくれんじゃんかよ」

 口の中に溜まった砂利を吐き捨てると、杏子は身を起こして周囲を見渡した。
 闇夜と時折起こる強風に、土煙とがまざりあっていよいよ視界は最悪だ。
 だがそれでも、今地上がどれだけ酷い有様なのかは分かる。
 かろうじて差し込んでいる月や星の光が照らすのは、もはや焦土に近い見滝原だった。

杏子「バケモノかよ……ちくしょう」

 土煙の向こうに、わずかに人影が見えた。
 軽快な動きでこちらを探っているようだ。ほむらではない。じゃあマミの姿をした使い魔だ。
 ならばこれは、絶好の好機と言えるだろう。

杏子「……っ!」

 土煙に紛れて、相手の背後を取った杏子が槍で切りかかる。
 しかし相手は両手に握るマスケット銃で槍の切っ先を受け止めてみせた。

杏子「しゃらくせぇ、銃なんかで受け止められるかぁ!」

 二度、三度と槍を振りかぶる。
 次第に相手は背後へと追い詰められ、とうとう大きな瓦礫を背にする形に追い込んだ。
 今度は外さない。突くのではなく切り裂く! そのマスケット銃ごと!

杏子「っ……な!?」

 杏子の槍がマスケット銃が、マスケット銃を素通りした。
 否、マスケット銃がリボン状に変質して、逆に槍を絡め取って見せたのだ。

杏子「なんでもありかよ、ちくしょう!」

ほむら「跳びなさい!」

杏子「!」

307: 2011/11/08(火) 01:37:15.25 ID:X/EtjjWKo

 ほむらの声が聞こえた杏子は槍を捨ててすぐさま後方に跳んだ。
 槍を絡め取ったマミの下へ、どこからか現れたオレンジ色の光点が真っ直ぐに飛翔し――

 爆発。
 成形炸薬弾頭がマミもろとも、その地面を吹き飛ばした。
 あれだけの衝撃波と熱量を食らってしまっては、いくらなんでも……

杏子「げっ」

 マミは無傷だった。
 リボンを十重二十重に束ねた即席の結界で身を守ったのだ。
 攻守共に完璧なマミを前に悪態をつく杏子の下へ、砂だらけのほむらが近づいてきた。

ほむら「危ないところだったわね」

杏子「ああ、あんたのおかげさ。さっきは悪かったね」

ほむら「あなたが蹴り飛ばしていなかったら今頃私は生き埋めよ。感謝しているわ」

杏子「そうかい。にしてもなんていうか、あれだね」

ほむら「そうね……絶望的と言うべきかしら」

 空になったAT-4を投げ捨てながら、ほむらが言った。

杏子「……勝ち目がないわけじゃない、とは思うんだけどな」

ほむら「それで?」

杏子「へ?」

ほむら「作戦の内容よ。勝ち目があるなら早く言ってちょうだい」

杏子「……わーったよ」

308: 2011/11/08(火) 01:37:53.85 ID:X/EtjjWKo

 マミの攻撃をさばきつつ、杏子はほむらにテレパシーで簡単に説明をした。
 ほむらは呆れ顔になりながらも、しかし勝算が高いと判断したのだろう。
 最後には頷いてくれた。

杏子『ただし、今のアタシが“アレ”を使えるかどうかは分かんねーまんまだ。だから……』

杏子『三〇秒で良い。時間を稼いでくれると助かるんだけど、“頼める”かい?』

ほむら『時間を稼ぐ、ね……別にあれを片付けてしまっても構わないのでしょう?』

杏子『できんのかよ』

ほむら『無理ね。まぁ、任せなさい』

 アサルトライフルを抱えると、ほむらが一歩大きく前進する。
 同時に杏子は槍を投げつけ、マミと距離を取る。
 マミがひるんだ拍子に大きく後退。

ほむら「ふっ!」

 ほむらが手榴弾を放った。
 爆発。中の榴弾が周囲に撒き散らされて、あたりの瓦礫を傷つける。
 さらに杏子は後退。
 マミの狙いがほむらに変わった。

杏子(いまだ!)

 マミの氏角へ潜り込むと、杏子はそのまま瓦礫の中に身を潜めた。
 最後に一瞬、ほむらの方を振り向く。
 彼女は懸命に引鉄を絞りながらも、杏子に向かって手を振っていた。
 彼女の努力を無駄には出来ない。
 杏子は片膝をつくと、すぐさま集中し始めた。

309: 2011/11/08(火) 01:38:52.25 ID:X/EtjjWKo

 銃撃が鳴り響く中、杏子は空いた両手を握り締め、胸の前に寄せる。

 そして、ひたすらに祈る。

 相手に幻を見せる魔法を。

 相手を惑わす魔法を。

――かつて自身の父親に、魔女の所業だと酷評された、幻惑の魔法を。

 胸をこみ上げてくる嫌悪感。
 多節足の虫が全身を這いずり回り、蠢くような嫌悪感。
 それだけならばまだ良かったと言えよう。

『人を心を惑わす魔女め――!』

『お前はまた、そうやって誰かを騙すのか――!』

 幻惑の魔法を行使しようとした杏子の目に、耳に、とうとう見えざるものと聞こえざるものとが、見聞きできるようになった。
 父親の姿をした人形が、杏子の眼前で両手を振っている。

杏子「くっ……」

『魔女だ、お前は魔女なんだ――!』

杏子「く……くっ」

『魔女が人を救おうなどと、驕りたかぶるのもいい加減にしろ――!』

杏子「くくっ……」



『人を不幸に陥れる、幻惑の――』

310: 2011/11/08(火) 01:39:41.37 ID:X/EtjjWKo

杏子「あはははっ! くくっ、ふふっ、あははは!」

――とうとう堪えきれなくなって、アタシは噴き出し、大きく笑ってしまった。

杏子「やめてくんない? そーいうの……なんてゆーかさぁ、ボロありすぎ」

 目の前で、父親の姿をした人形が大きくよろめいた。

杏子「アタシの中の親父はね……」

 目を閉じる。
 そして、思い出す。
 かつてステイルたちと共に足を運んだ教会で、杏子が聞いた言葉を。
 杏子が目にした、彼女の心の中に住む父親の姿を。

杏子「アタシの信じる道を突き進めって……」

 両目を見開くと、杏子は祈りの姿勢を解いた。
 実在しない人形がわなわなと震えだした。

杏子「背中をどーんと押してくれるんだよ! バーカ!!」

 杏子の言葉と共に――人形が砕け散る。

 それは、杏子がトラウマに打ち勝ったことを。
 そして同時に、本当の意味で自分と向き合えた事を意味していた。



杏子「いくよ……≪ロッソ・ファンタズマ≫!」

 赤い輝きが杏子を包み込む――

311: 2011/11/08(火) 01:40:16.93 ID:X/EtjjWKo

――三〇秒がこれほどまでに長く感じたのは、多分今日が初めてだろう。

 マミの姿をした使い魔が繰り出す銃撃を紙一重でかわしながら、ほむらは歯噛みした。
 反撃に転ずることが出来ない。
 正確には、反撃に繋げる糸口がつかめない。

ほむら(一度ペースを掴まれてしまった私のミスね……)

 そんなことを考えていると、突然マミが動きを止めた。
 ほむらが怪訝に思う間もなく彼女は両手を広げてリボンを生成。
 あっという間に巨大な拳銃型の武器を作り出し、自身の背後に出現させた。

ほむら(あれは……?)

 威力こそ高そうだが、距離が遠すぎる。
 拘束無しであんな物を食らってやるほど自分はノロマではない。
 所詮は偽者、紛い物。巴マミほどの戦術眼は秘めていないのかもしれなかった。

ほむら(避ける必要もないわね)

 拳銃が火を吹いた。砲弾は大きく逸れて、ほむらの真横を通り過ぎるコースにある

ほむら(ここから反撃に打って出るべきでしょうか……ん?)

 マミの姿をした使い魔が歪な笑みを浮かべていた。
 まるでイタズラが成功した時の子供のような、無邪気な笑みを。
 なにがおかしい? そんな疑問を抱いた、その時。

 使い魔が放った『炸裂弾』が、文字通り炸裂してほむらの身体を吹き飛ばした。

ほむら「くううっ――!?」

 砲弾が盾のある左方向で炸裂したのは不幸中の幸いだったと言えよう。
 それでも炸裂弾の破片は体中の至る所を掠め、彼女の体力を確実に奪った。

ほむら「聞いてないわよ、こんな技があるなんて……!」

312: 2011/11/08(火) 01:40:47.55 ID:X/EtjjWKo

 なんとか身を起こした彼女が見たものは、自分の身に迫る漆黒のリボンだった。
 速い。速すぎる。これでは回避は間に合わない。
 痺れる左手に鞭打つと、彼女はリボンを盾で受け止めた。
 受け止めてから、それが誤りであったことに気がついた。

ほむら「リボンが盾に絡まった!?」

ほむら「まさか、狙いは私じゃなくて……盾の方だったと?」

 盾を縛り付けるリボンを取り払おうとする。
 しかしそれよりも早く、マミの姿をした使い魔が彼女の手前まで迫っていた。

ほむら(武器が取り出せない以上、素手でやるしかないわけね)

 前言撤回。巴マミ顔負けの戦術眼だ。
 盾への魔力供給をカット。ソウルジェムを輝かせる。
 次に右足に魔力を注ぎ込み、巴マミの首筋目掛けて右の足刀を繰り出す――!

ほむら「え……?」

 渾身の力を込めて放った一撃は、しかし使い魔に当たることはなかった。
 鮮やかな身のこなしで蹴りをかわした使い魔が、右足をそっと撫でた。
 たったそれだけの動作で、右足はリボンでギチギチに縛り上げられ、自由を封じられてしまう。
 黒いマミが、不気味な笑みを浮かべて彼女に近寄ってくる。

ほむら「ひっ!?」

マミ『あらあら暁美さん、先輩に向かって「ひっ!?」はないでしょう』

マミ『そんないけない後輩は、こーやっておしおきしちゃうわよ?』

 恐怖からだろうか、そんな幻聴まで聞こえてきた。
 使い魔が両手を振る。右手と左手が縛られる。
 さらに両手を振る。今度は左足と右足が縛られた。

313: 2011/11/08(火) 01:41:15.01 ID:X/EtjjWKo

マミ『さて、と……それじゃあ大詰めと行きましょうか?』

 マミの姿をした使い魔が、けらけらと笑いながらほむらの首に手のひらを押し当てた。

ほむら「ぐっ、あぅ、んん……!!」

 ゆっくりと、しかし確実にほむらの首にリボンが巻かれていく。
 巻かれたリボンは次第に強く締まっていき、同時に彼女の首を絞めていく。

ほむら「んんっ、ぐううん――!? ぅうう――!?」

 呼吸が出来ない。血液が脳に届かない。
 本来魔法少女にとって、呼吸など絶対に必要な物ではない。
 脳への血液供給を経たれたって、魔法少女は氏にはしない。

 だが、それはあくまで理論上の話である。
 現実問題、肉体が滅びれば魔法少女は滅びるのだ。

ほむら「んんん――――!!」

 呼吸が出来ない。血が足りない。顔が熱い。苦しい。
 どうにもならない現実は恐怖を産み、恐怖は混乱を産み、やがては絶望を孕んでしまう。

ほむら(いやだいやだいやだいやだ! 氏にたくない、氏にたくない!!)

マミ『ねぇ暁美さん。ひとりぼっちって寂しいのよ』

 幻聴が止まらない。


ほむら「と……もえ……さん……?」


マミ『だから……私といっしょに氏んでちょうだい?』

314: 2011/11/08(火) 01:41:42.47 ID:X/EtjjWKo



ほむら「……るの……そ……のよ……」



マミ『え?』


.

315: 2011/11/08(火) 01:42:09.78 ID:X/EtjjWKo


ほむら「来るのが遅いのよ、佐倉杏子!」

 ほむらの言葉が伝わったのか否か。
 使い魔は一瞬で後じさりして、ほむらから距離を置くと油断なく身構えた。

 そのすぐ直後。

杏子「悪かったね、ほむら」

 リボンによって締め付けられているほむらの前に、杏子が降り立った。

 それも、“一人”ではない。


「「「「「さぁて! おしおきの時間だよ、巴マミ!!」」」」」


 五人の“佐倉杏子”が、槍を構えて宣言した。

316: 2011/11/08(火) 01:43:54.24 ID:X/EtjjWKo



没シーン


ほむら「来るのが遅いのよ、バカ神父……!」

 ほむらの言葉が伝わったのか否か。

 使い魔は一瞬で後じさりして、ほむらから距離を置こうとして――

ステイル「すまなかったね、ほむら」

 摂氏三〇〇〇度の炎に包まれて、跡形もなく焼失した。




杏子「アタシは?」

イノケン「俺は?」

シェリー「私は?」

神裂「というか私はどこにいるんですか!?」

327: 2011/11/16(水) 01:24:05.22 ID:mseecDI+o

 それは綱渡りにも似た、まさしく命懸けの戦いだった。

ステイル「吹き飛ばせ、イノケンティウス!」

 いくつもの高層ビルを見下ろしながら、巨大な炎の巨人であるイノケンティウスが大きく右腕を薙いだ。
 炎の塊が歯車仕掛けの魔女、ワルプルギスの夜にぶつかって火花――というよりは爆発――を撒き散らす。
 それでもワルプルギスの夜はなんら堪えた様子を見せない。
 ワルプルギスの夜が、無貌に残された唯一の口から極彩色の炎を吹き出した。

ステイル「ッチ……!」

 イノケンティウスを操るステイルが、誰に向けるでもなく舌打ちする。
 極彩色の炎はイノケンティウスの身体を構成する“炎を焼き尽くし”、右手を奪い取った。
 もちろん、イノケンティウスはこの程度では倒れない。
 彼を顕現させるに値する“燃料”と“術式”と“ルーン”がある限り彼は不滅である。

ステイル(逆に言ってしまえば、それが消えたらパーなんだけどね。さすがに僕一人じゃ荷が重いか)

ステイル(魔術師生命を賭けた秘策でこれとは、いやはやなんとも。格好が悪いったらありゃしないよ)

 ステイルから魔力を受け取ったイノケンティウスが、ちょっとしたビル程もある雄大な足を一歩後ろに退いた。
 歯車の回転音をけたたましく鳴り響かせながらワルプルギスの夜が迫り来る。

ステイル「……はぁ」

 眼前に広がる巨大な逆さまの魔女を前に、ステイルはため息を着いた。

ステイル「良いことを教えてあげようか。君の敵は、僕一人じゃないんだよ」


――横合いから飛び出してきた巨大なゴーレムが、肩をぶつけるようにして魔女を力任せに突き飛ばした

シェリー「エェェリスゥウウッ! 歯車回した油臭い魔女に土くれの味を叩き込んでやれええぇ!!」

328: 2011/11/16(水) 01:24:50.60 ID:mseecDI+o

 シェリーの到着によって、綱渡りが鉄骨渡りになった。

ステイル「マシといえばマシかもしれないが、正直大して変わらないと思うのは僕だけかな?」

 あたりの資材を寄せ集めて作られた、武骨な槍のような右腕をゴーレムが勇ましく振り上げる。
 そのゴーレムと肩を並べるように移動したイノケンティウスも、右手に巨大な炎の剣がごとき十字架を構えた。

ステイル「イノケンティウス!」

シェリー「エリス!」

ステイル・シェリー「「ぶちのめせ!!」」

 ワルプルギスの夜の胴体に、岩石の槍と炎の剣が突き刺さる。
 それは互いの術式に干渉し合い、魔術的な矛盾を孕み、魔力とテレOマの爆発を引き起こす。
 発生した衝撃波が、巨大な魔女の身体を倒壊しかけたビルめがけて吹き飛ばし、瓦礫の中に埋没させた。

ステイル「要塞からの援護を除けば、初めて反撃らしい反撃が出来たじゃないか。案外やれる物だね」

シェリー「これだけ血肉を削ってようやく1ダウンよ。KOまでに何度くたばるか分かったもんじゃねぇな」

 いつの間にかゴーレムの身体から離れ、ステイルの隣に並んで立っていたシェリーが言った。
 ステイルは肩をすくめて、それからもがき苦しむ魔女を横目で見る。

ステイル「神裂が来ればこちらの勝ちだ。時間を稼ぎさえすればそれでお役ゴメンさ」

シェリー「ハン、だからと言って手を抜くわけじゃないのでしょう?」

ステイル「へぇ、よく気がついたね。年の功かい?」

シェリー「ぶっ頃すぞ。……なんだかんだ言っても、長い付き合いになるからな」

シェリー「……でも私の場合は事情が違うわね。私は、できればあの魔女のことも救いたかった」

329: 2011/11/16(水) 01:26:24.75 ID:mseecDI+o

 シェリーの胸中に渦巻く感情がなんであるのかを、ステイルは知らないままだ。
 だが彼は、幾多の志に振り回されてきた彼女が、
 ここに来てたった一つの願いを叶えるために奮闘してきたことだけは知っていた。

ステイル「呪いを振りまく前に潰す。それが魔女のためになると……君にしてははえらく優しいじゃないか?」

シェリー「あなたはどうなのかしら? 人外のバケモノに哀れみを抱いている私よりかはマシな考えを持ってそうだけど」

ステイル「まさか。僕が抱いている事情なんてものは、ひどく身勝手なものに過ぎないよ」

 ゴーレムとイノケンティウスが大地を走る。
 二体の巨人は、やっとのことで浮上した魔女の身体に飛び掛かって、力任せに攻撃を開始した。

ステイル「……ただ、ほむらが何度も時間を繰り返す羽目になった元凶だと思うとね」

 ステイルの心の中で膨れ上がる、確かな衝動。
 それは八つ当たりに近いものであり、またそれに伴って湧き上がる感情も間違った物であると知っているのに。
 彼はその衝動と感情に身を任せ、身体を流れる魔力を爆発させようとした。

ステイル「苛立ちを覚えずにはいられないのさ」

 彼の目に浮かぶ色は炎の赤である。
 それは彼の心の色を示し、感情を示し、衝動を示していた。
 彼の心を突き動かすのは、確かな怒りの赤だった。

シェリー「……気持ちは分かる」

ステイル「ありがとう。それじゃあそろそろ戦闘に集中しようか」

シェリー「だな。まだ神の力……ガブリエルが残っていやがる。どの道手を抜く余裕なんざねーのさ」

 シェリーの言葉に応えるように、青白い光を纏ったマネキン――水の大天使が、その不恰好な翼をはためかせた。


330: 2011/11/16(水) 01:27:09.57 ID:mseecDI+o

――一方その頃。

織莉子「蘇らされた哀れな魔女……せめて安らかに、そしてもう一度久遠の眠りに就きなさい」

キリカ「次、はい次、また次! どんどん刻んであげる、少しは感謝してほしいかな。うん」 ズバッ

織莉子「感謝しているわキリカ」

キリカ「織莉子じゃなくて雑魚(こいつら)のことだよ。それに織莉子に感謝するのは私の方さ。だから刻む」

 キリカが鉤爪を振るうたびに、魔女と使い魔の氏が量産されていく。
 否、正確には氏ではない。解放だ。落としてしまった命を再び地界に縛り付ける呪いからの解放だ。
 自身の周囲に水晶を飛ばして簡易的な結界を構築しながら、織莉子は愁いを帯びた瞳をそっと閉じた。
 何かが切り裂かれる音が鳴り響き、そしてまた何かがちに落ちる音が耳に届く。

織莉子「魔女型一〇体、討伐お疲れ様。これだけやれば十分でしょう」

キリカ「そっか、もうそんなに狩っちゃったのか。意外にやれるもんだね、うん」

織莉子「辺りを覆っていた魔力が途絶えて弱っているのね。それだけ舞台装置が押されていると言うことかしら」

キリカ「へぇ、頑張るね、魔術師。それで次はどうする?」

織莉子「そうね……」

 目を伏せると、織莉子は黙って魔力を練った。魔力は彼女の瞳に集中し、やがて一つの魔法を発動させる。
 『未来を見る』。それが彼女がキュゥべぇと契約した際に得た、固有の魔法だった。

――今から六〇秒後。小柄な少年と扇風機を首にぶら下げた大男が、黒い触手に貫かれる様が見えた。

織莉子(これは天草式十字凄教の信者ね。わざわざ助ける義理はないけれど……)

織莉子(……“救世”を成し遂げるつもりならば、犠牲は少ないほうが格好がつくかしら?)

織莉子「キリカ、仕事よ。いけそう?」

キリカ「それが織莉子のためになるならいけるね」

織莉子「ふふっ、ありがとう」

331: 2011/11/16(水) 01:27:41.80 ID:mseecDI+o

 瓦礫を踏み越え、使い魔を蹴散らす二人。
 ビルの成れの果てを飛び越えた辺りで、彼女たちは黒い触手に襲われている天草式の面々を見つけた。

キリカ「触手だけじゃないね。むしろ触首が混じってる。あれが使い魔で、触手と魔女は跪いてるヤツかな」

織莉子「あれを乗り切るにはダメージを覚悟するか、心に傷を負い自棄になって特攻でもしない限りは難しそうね」

キリカ「痛みを識(し)れって? ふーん……まぁ」

 言いながら、キリカは魔力を込めて背後に足場を形成、さらに脚力を強化する。
 空中で無理やり身体を捻り、足場に踵を乗せる――というよりは固定する。

キリカ「関係なく刻むけど、ね」

 ちょっとした砲弾のような速度で、キリカが打ち出されるように斜め下の方向に“跳躍”した。
 風を切り裂き、魔力の波を掻き分け、彼女はぐんぐん速度を上げながらソウルジェムを輝かせる。
 身体からこぼれた魔力が周囲の空間に伝播し、『速度低下』の魔法によってあらゆる物体の速度を緩やかになった。

キリカ(遅い、遅いね)

 そして――今まさに哀れな子羊を打ち貫かんとしていた触手と触首を、文字通り八つ裂きにする。

香焼「ひぃ――!?」

 小柄な少年(香焼)の悲鳴が、やけに遅れて聞こえてくる。

キリカ「――遅いね、十字教徒。それに脆い」

 両袖に生やした鉤爪を振って、キリカが舞う。
 文字通り、瞬く間に触首が叩き落され、次いで触手がなぎ払われていく。

キリカ「――でも、もっと遅い、遅いよ影の魔女。面白いくらいに遅いよ。いいや面白くない」

キリカ「そんな速度じゃあ百年遅いって言ってるんだよ……って、あらら?」


332: 2011/11/16(水) 01:28:16.79 ID:mseecDI+o

織莉子「もう手数(たま)切れのようね。お疲れ様、キリカ」

 全身に返り血を浴びたキリカは、黒い触手をわなわなと震わせるだけの魔女を見て不満そうに唇を尖らせた。

キリカ「オチまでつまらない。落第点だね。刻む価値もないけど、刻まないと終わらない。まぁいいけど」

 跳んで、薙いで、振り返ってはもういちど跳んで。
 影の魔女を討伐し終えたキリカはつまらなそうに、しかしどこか嬉しそうに織莉子に寄り添った。
 褒美をねだる子犬のような目をするキリカの頭を撫でながら、織莉子は固まったままの天草式に目を向ける。

織莉子「お怪我はないでしょうか、という質問は無粋かしら。満身創痍のようですね」

 一三名の天草式を代表する扇風機男あらため建宮は、フランブルジェを地面に突き刺して頭を下げた。

建宮「礼を言わせてもらう、ありがとう。いや、正直助かったのよなぁ」

香焼「自転車みたいなロボットみたいな魔女を倒したとたんにこれっすからね……」

キリカ「ふぅん、その口振りだといくつかは倒したみたいだね。成果は? 私たちは一〇体だけど」

五和「じゅっ……!? あああの、それがお恥ずかしいことにまだ三体目なんです……」

 四体。これだけ人数を揃えながら、たった三体。
 当てが外れたかしら、と眉をひそめる織莉子。
 しかしただの人間が魔女を狩れたことを評価するならば、まだマシな方かもしれない。

建宮「安心するのよな。すでに別働隊の魔術師は魔女を六体倒している。」

キリカ「四〇を三で割ったら一三~四。倍しただけだからそれほど驚くことじゃないね」

建宮「むむっ!? 言われてみればそれもそうなのよな……」

 それまでカード――通信霊装――を耳に当てていた、すらっとした脚を持つ女性がにこっと笑って口を開いた。

333: 2011/11/16(水) 01:28:54.30 ID:mseecDI+o

対馬「朗報よ。人間の方の魔女が、すでに一一体の魔女狩りに成功したみたい」

キリカ「へぇ、さっきの魔女が?」

織莉子「魔女が魔女狩りとは皮肉なものね」

建宮「いずれにせよ、残る魔女型は一体なのよな!」

織莉子「魔法少女型を倒したらふたたび魔女型との戦闘になるのですが?」

建宮「し、しまったああぁぁぁ!? 完全に忘れて全力で戦うよう指示しちまってたのよなぁぁぁちくしょー!」

 おいどうしてくれんだバカ代理余力残してねーぞバカ武器ぼろぼろだぞバカ魔力使い果たしちまったぞバカ。
 そんな罵詈雑言を浴びせかけられる建宮を無視して、織莉子はキリカの耳元に唇を寄せた。

織莉子「それで件の魔法少女型の使い魔なのだけど、あなたは見た?」

キリカ「全然。気配は感じるけど姿は見えないね」

織莉子「集団で潜伏しているパターンね……まったく、魔力の無駄遣いはしたくないのだけれど」

 やれやれ、と肩をすくめる織莉子。

織莉子「それにしても……暁美ほむらと佐倉杏子はどこにいるのかしら。そろそろ働いてもらいたいのだけど」

五和「あ、お二人なら西から来る使い魔の迎撃をお願いしてます」

キリカ「西? 妙だね、それは妙だね十字教徒」

五和「妙、ですか?」

織莉子「使い魔の群れは襲撃の直前、ルートを迂回して東側の魔女と合流を果たしているわ。見て分からない?」

建宮「……落ち着いて流れを見る機会がなかったから分からんが、考えてみれば俺達だけで魔女型を倒してるのよな」

五和「それじゃあ魔法少女型の使い魔を倒しているのでは? あ、でも合流しているんでしたっけ……」

334: 2011/11/16(水) 01:29:55.94 ID:mseecDI+o

織莉子「……強敵と戦闘中なのかしら? でも暁美ほむらの魔法は時を凍りつかせ、好き勝手に凌辱するものでしよう?」

五和「(凍りつかせる……というか凌辱……?)なんでも、時間停止の魔法は使えないらしいですよ」

織莉子「……へえ?」

――五和の言葉を受けた織莉子は、揺れ動く心を抑え付け、努めて冷静な風を装って返事をした。
 動揺を悟られないように顔を伏せる。

 ……まさか、こんな形で好機が巡ってくるなんて……!!

キリカ「織莉子?」

 いち早く織莉子の異変を察知したキリカが心配して声をかけてくる。
 それに対して織莉子は微笑むことで返事をすると、帽子に手を当て目深に被り直した。
 時間は無駄に出来ない。

織莉子「申し訳ありませんが、後はお任せします」

建宮「ん? どうかしたのよな?」

キリカ「織莉子には考えがあるんだよ、十字教徒」

建宮「……分かった。任されたのよな」

 感謝を、とだけ口にすると織莉子はキリカを連れ立って歩き始めた。

 満身創痍の天草式はとうとう彼女の企みに気づくことが出来なかった。

335: 2011/11/16(水) 01:30:35.06 ID:mseecDI+o

――不完全とはいえ、天使は天使だった。

 イノケンティウスと比べれば小さな光点、小さな人のシルエットに過ぎない大天使、『神の力』。
 彼女は背から生やした左右非対称の、いびつな水晶の塊で出来た翼を一度はためかせた。

ステイル「ばかな――!?」

 たったそれだけの動作で、一〇〇メートルの巨躯を持つイノケンティウスの身体が真っ二つに引き裂かれた。
 衝撃波が街中を駆け巡り、無人のビルにいくつもの亀裂を生んでいく。
 遅れて訪れた余波の煽りを受けてイノケンティウスの左半身が“消し飛んだ”。

ステイル「何が天使だ、やってることは悪魔のそれと変わりないじゃないか」

 生命力が消費された影響で口の中の血管がひとりでに破けた。
 口に溜まった血反吐を吐き捨てながら、ステイルは『神の力』を睨みつける。

ステイル「一〇秒、時間を稼いでくれ」

 ステイルの口からぽつりと言葉がこぼれたのと同時に。
 さきほどまでワルプルギスの夜を押さえつけていたゴーレムが『神の力』めがけて無骨な右拳を叩きつけた。

シェリー「はん、一〇秒といわず永遠に寝てなさい」

 シェリーの強気な言葉に反して、『神の力』に叩きつけられた巨大な拳は凍りついたかのように動かなくなる。
 否。文字通り凍り付いていたのだ。

シェリー「ねぇ、腕がなんで二本あるか知ってるかしら?」

 既に右肘まで凍りつかされたゴーレムは、しかしそのままの姿勢で今度は左手を後ろに引いた。

シェリー「お前みたいなクソ天使をなぁ……ぶん殴るためなんだよぉおおおおおおお!!」

 ゴーレムの左拳が『神の力』に突き刺さった。凍った右腕が砕ける。

 それでもなお、『神の力』は無傷のままだった。

336: 2011/11/16(水) 01:32:01.99 ID:mseecDI+o

ステイル「ご苦労、ようやく修復が完了したよ」

 燃え盛る巨人を引き連れて、がくがくと震える足に鞭打ちながら、ステイルがシェリーの左隣に立った。
 一瞬でテンションを下げたシェリーが、面倒くさそうに高等部をぼりぼりと掻く。

シェリー「どうしたものかしらね。ワルプルギスの夜は静観したままだけど、『神の力』はやる気満々のようだし」

ステイル「魔女が動き出す前に『神の力』を叩き潰す。それだけさ」

シェリー「はっ、ちがいねぇ」

 『神の力』がいびつな翼、水翼を振るった。
 対するイノケンティウスは熱く燃え滾る炎の十字架を用いてこれをほんの一瞬受け止める。
 その隙に、近くにあったビルを取り込んで身体を修復したゴーレムがラリアットをかました。
 ダメージを与えるどころか、天使とぶつかった拍子に右肘がぽっきりとへし折れてしまった。

シェリー「おい天使、質量差って知ってるか?」

ステイル「しりし……語呂が悪いな。それに既存の物理法則が通用する相手じゃないだろう」

 十字架を身代わりにして水翼の直撃を免れたイノケンティウスが、両腕を広げた。
 轟々と火の粉を撒き散らしながらも、巨人は『神の力』を包み込むようにその小さな身体を両手で握り締める。

ステイル「少しはダメージを負ってくれないかな。そろそろ立っているのも辛いんだけどね」

シェリー「だったら座ってなさいよ。お前自身は戦わねぇんだから変わらないだろ」

 イノケンティウスの両手に、ゴーレムも巨大な手のひらを重ねた。
 一〇〇メートルを超える二体の巨人が両手を重ねる姿は、見ようによっては滑稽に映ったかもしれない。

ステイル「巨大なイノケンティウスにゴーレムエリス、そして極小の『神の力』……巨象の前の蟻とはよく言ったものだね」

シェリー「ただしその蟻は街一つ消し飛ばせる恐ろしい蟻よ」

337: 2011/11/16(水) 01:34:15.07 ID:mseecDI+o

 ズンッと鈍い音が響いて、二体の巨人の背にいびつな水翼が生えた。
 それは二人の敗北を意味しているに等しい。

ステイル「ふん……ここまでか。でもよくやった方だね。生きてるのが不思議なくらいだ」

 自嘲気味に呟くステイルの顔には、なぜか笑みが浮かんでいる。

シェリー「確かに、そうかもしれないわね」

 シェリーも同じように笑いながら、余裕をもった動きで伸びをした。

 二〇〇メートルを超える水翼がでたらめにうごめき、二体の巨人を容赦なく切り刻む。

シェリー「そいつらはくれてあげるわ」

 シェリーの左手がさっと動き、地面に複雑な魔法陣を描き上げた。
 それに倣うでもなく、ステイルも右手に持つカードを振りかざした。

 直後。二体の巨人が、己に溜め込まれた力を解放して“自壊”していく。

 火のテレOマと、土のテレOマが『神の力』を押さえ込むように内側へと押し流される。

ステイル「冥土の土産ならぬ、天界の土産にするといい」

 膨大なテレOマが小さな結界を作り出し、かつ内部で恐ろしい規模の爆発を連鎖的に引き起こしていく。

 もとより、イノケンティウスとゴーレムエリスを構成するは火と土のテレOマの塊である。
 自身の持ちうるそれと比べても見劣りしないエネルギーの奔流を受ければ、いかに『神の力』とて対応できない。

 とはいえそれだけでは決定打にはならないのだが――



ステイル「うちのアラトゥエ(アラウンドトゥエンティー)は、君たちの天敵さ」

338: 2011/11/16(水) 01:35:13.01 ID:mseecDI+o

 街一つを軽く吹き飛ばせるほどの衝撃波を何度も浴びながら、それでも原形を保ったままの『神の力』は見た。


――ランドセルを背負った妙齢の女性が、大太刀を振り抜くさまを。



『wagiovlpgipejjh んな uaigbpkryg 馬鹿 uhawrf な opqwiouvbtqpajoqohgho』



 それが大天使が見た最後の光景であり、最期に残した言葉だった。


 天使が発動していた魔術が解除されて、いくつもの星が元の軌道へと舞い戻る。


 見滝原市に、分厚い雲越しとはいえ陽の光が差し込んだ。


 見滝原市に昼を取り戻した妙齢の女性――神裂火織は、感慨深げな表情のまま口を開いた。
 ランドセルを背負ったまま。



神裂「思ったよりも脆いですね、大天使」

339: 2011/11/16(水) 01:35:56.57 ID:mseecDI+o

――戦場に舞い戻った神裂が『神の力』を撃破し、街が光に照らし出されていた頃。
 天草式と別れた織莉子とキリカは、比較的被害の少ない区画に立ち寄り腰を下ろしていた。

織莉子「聞かないの?」

キリカ「なにを?」

織莉子「私があの場を離れた理由」

キリカ「聞く意味がないね。愛する織莉子がそうしたいなら、それだけで十分だよ」

織莉子「ありがとう、そんなあなたを愛しているわ。……グリーフシードはどれだけあるのかしら?」

キリカ「半分穢れたのが一個。残りは真っ黒だから使えないね」

織莉子「そう……」

キリカ「足りないかい?」

織莉子「いえ、大丈夫よ。暁美ほむらが秘めたる真価を発揮出来ないならば、やりようがあるはずよ」

キリカ「と、いうことは……殺(や)るんだね?」

織莉子「ええ。鹿目まどかの存在は気がかりだけど……戦局が動いたら一気に駆け抜けましょう」



織莉子「狙うは“暁美ほむら”の命。それさえ奪ってしまえば、ひとまずは安心できるはずよ」

キリカ「うん、分かった、それじゃあ奪おう」

340: 2011/11/16(水) 01:38:26.66 ID:mseecDI+o

 一方で、最強の魔女と相対する三人の魔術師がいて。
 一方で、師の模造品と相対する二人の魔法少女がいて。
 一方で、使い魔の群れと相対する魔術師と魔女がいて。
 一方で、己の信念に従い策謀をめぐらす二人の魔法少女がいた。

 そんな彼らの心情をよそに、ローラ=スチュアートは鼻歌を鳴らして雲の隙間から差し込む光を浴びていた。

ローラ「ふんふーん、ふんふふーん、ふんふーん、ふーふーん……」

QB「賛美歌だね。こうして見いると、君がまともな十字教徒に見えてくるから不思議でならないよ」

ローラ「失礼なヤツね……ところで、働かざりしは食事をするに値せざるという言葉がありしものだけど?」

QB「その言葉、そっくり君にお返しするよ」

 白い獣の言葉を無視して、ローラは気持ち良さそうに目を細める。日光浴継続である。

QB「まぁでも、そうだね。君が動かないのなら、僕が動くしかなさそうだ」

ローラ「勧誘でもしたるつもりー?」

QB「もちろんさ。まどかが契約してくれないと、僕にとっても君達にとっても厄介な事態になってしまうからね」

ローラ「ふむ。鹿目まどかもそうなれど、暁美ほむらの束ねざりし因果の糸も相応なりけるのかしら?」

QB「不思議なことを言うね。だけど残念ながらそれは違うよ」

ローラ「なして?」

QB「彼女の魂はすでにソウルジェムだからね。純粋な魂の状態でないと、因果の糸が増えても魔力は変わらないのさ」

QB「二度と干渉できない鍛造された刀に、純度の高い鉄を持ってきたところで宝の持ち腐れというわけだ」

341: 2011/11/16(水) 01:39:19.91 ID:mseecDI+o

ローラ「複雑なりしものねぇ」

QB「どちらにしたって、再契約は不可能だ。意味ないよ」

ローラ「あっそ。じゃあこれは先の問いに対する礼の代わりよ」

 そう言って、ローラは気だるそうに黒い首輪を放り投げた。
 丁寧に耳毛を操作してそれを受け止めると、獣は不思議そうに首をかしげる。

QB「なんだいこれは?」

ローラ「結界を素通りできたるようになる、それはそれはありがたきおまもりよ。今の体育館ならば進入は容易でしょうね」

QB「それはありがたいね。あの体育館のあちこちにはびこる修道女のせいで別の“僕”が四苦八苦してたんだよ」

ローラ「……ん?」

 気がつけば、白い獣のすぐ隣にもう一体の白い獣が並んで座っていた。
 そのもう一体の獣は黒い首輪を受け取ると、器用に耳毛を動かして首にはめ、足早に立ち去ってしまう。

QB「彼はまどかたちと共に居た僕だよ。正確に言えば、巴マミと長年行動を共にしていた、が正しいのかな」

ローラ「どちらもキュゥべぇであることに変わりはなし、でしょう」

QB「そうだね。どちらも僕だよ」

ローラ「……その口振りだと、やはりお前は“キュゥべぇ”なのね」

QB「難解な問いだね。君はここで認識論について語るつもりかい?」

 そう言ってローラの肩に飛び乗るキュゥべぇ。
 一方ローラはというと、意味ありげに口角を釣り上げて笑みを浮かべていた。

ローラ「……キュゥべ“ぇ”、ね」

342: 2011/11/16(水) 01:42:08.48 ID:mseecDI+o

QB「なんだい?」

ローラ「いいえ、なんでもなし。……あとは暁美ほむらが気付きたるか否かね」

QB「そういう意味深な台詞を吐くのはやめてもらえないかな」

ローラ「やだ」

QB「……」

 黙りこむキュゥべぇの頭を撫でながら、ローラは目を閉じた。


352: 2011/11/19(土) 02:38:31.15 ID:2iLlp6O8o

 漆黒の巴マミが帽子を手に取り、いくつものマスケット銃を足元に召喚する。
 それを見た五人の杏子とほむらは油断なく身構えながら、互いに目配せした。

ほむら「来るわよ」

杏子「分かってるよ。まぁ、あれくらいなら余裕だね」

 マスケット銃を両手に二丁保持した使い魔がトリガーを引いた。
 放たれる魔弾を小刻みにステップすることで回避しながら、五人の杏子が一斉に口を開く。

杏子「「「「「本命のための布石だよ。足元に気をつけな!」」」」」

 五重になって聴こえる声に眉をひそめつつ、ほむらは足場を力強く蹴立てた。
 そのすぐあとに、地面に突き刺さったままの銃弾が光り輝き、リボンへと姿を変えて伸びていく。

ほむら「何度も通用すると思っているのかしら」

杏子「「使い魔のほうにも注意しときな」」

杏子「「「“例”のあれがくるからね!」」」

 あれとはなんだ? と思わず首を傾げそうになったほむらは、しかしすぐに納得したように頷いた。
 先ほどまで執拗な銃撃を繰り返していた使い魔が、いつの間にか頑強な大砲を抱え上げていたのだ。
 確認するまでもなく、あれは“あれ”だろう。

ほむら「“あれ”を食らったらさすがの私たちでも持たないわよ」

杏子「注意しとけって言ったけど、でもまー心配いらないよ。どうせあたらないからね」

ほむら「……?」

杏子「“あれ”はリボンでバインドしてから撃つトドメの必殺技ってわけ。
.     ウルトラマンのスペシウム光線だって、怪獣が弱ってからぴかーってやるじゃん?」

杏子「中には砲弾をリボンにして締め上げるパターンもあるけど、それも事前のバインドあってこそ、さ」

353: 2011/11/19(土) 02:39:04.27 ID:2iLlp6O8o

 使い魔が飛び跳ね、首を預けて照準する仕草を見せた。

杏子「かすったらアウトだけど、まぁこの分なら平気かな」

ほむら「なにせこちらは六人だものね……」

 使い魔が抱える大砲から、オレンジ色の光が漏れる。
 次いで爆音が轟き、人一人を容易に飲み込めるほどの魔弾が繰り出された。
 辺りをびりびりと振るわせる衝撃におののきながらも、二人(六人)はこれをあっさりと回避する。

杏子「ティロ・フィナーレ、破れたりってね。それじゃあほむら、手筈どおりに頼むよ」

ほむら「任せなさい」

 言うや否や、ほむらは盾を展開して小さなリモコン式の装置を取り出した。
 装置の中心に設置された赤いスイッチを躊躇うことなく押し込む。
 ぼふっ、と間抜けな音が鳴ったかと思えば、瞬く間にあちこちから白い煙がもうもうと噴出し、戦場を覆い始めた。。

ほむら「手製の発煙装置と発煙弾よ。この暴風の中でも、三〇程度なら持ちこたえることが出来るわ」

杏子「上出来上出来! そんだけありゃあお釣りがくるってもんだよね」

 杏子と分身が、それぞれ手に持った槍を独自の仕草で構えた。
 そのどれもがリラックスした面持ちで、不自然さなどどこかにおいてきたような風だ。
 こうなってしまうと、ほむらにとって不可能に本物を見分けることは等しかった。

杏子「――そんじゃあ始めるよ、巴マミ!!」

 白煙の向こうに消える巴マミを模した使い魔の姿を見つめながら、杏子が言った。

354: 2011/11/19(土) 02:40:14.67 ID:2iLlp6O8o

 自分にとってそうであるように、彼女にとっても巴マミは特別な人であるはずなのに。
 あらかじめ心の準備が出来ていた自分でさえ動揺してしまったというのに。

 先ほどまで現実を直視できずに吐き出していた杏子の姿からは想像できないほど、彼女は力強く身構えていた。

ほむら(この短時間で割り切ったのね……あなたが羨ましいわ、杏子)

 口には出さず、しかし白煙の向こうに姿を消した杏子に羨望の眼差しを向ける。
 そうしていたのは一秒か、二秒か。

 かぶりを振ると、彼女は盾の中から“武器”を取り出して、自身の役割を果たすことにした。

355: 2011/11/19(土) 02:41:43.77 ID:2iLlp6O8o

――一方その頃。


神裂「私のいない間、同僚がずいぶんとお世話になったようですね」


神裂「……怒ってなどいませんよ。ただ自身の無力さを恥じていただけです」


神裂「ですが覚えていてください。例え何があっても、たとえ何が起ころうとも」


神裂「私は、救われぬものに救いの手を差し伸べるでしょう、と」


 二メートルの大太刀を引っ提げて、神裂は威風堂々たる面持ちのまま高らかに宣言した。

 その様だけを見れば、常識などはさておくにしても非常に格好が良かったのだが――



ステイル「神裂、今伝えるのは心苦しいというか、君が口上を述べる前に言っておかなきゃいけないことがあったんだ」

神裂「なんです? 今は一分一秒も惜しいのです、魔女の撃破を優先せねば」

ステイル「“それ”。降ろしたらどうだい」


 そう言って、ステイルは神裂の背中にある物を指差した。
 それは、つまり、あれだ。

356: 2011/11/19(土) 02:42:16.51 ID:2iLlp6O8o





――彼女はランドセルを背負ったままだった。




.

357: 2011/11/19(土) 02:42:45.52 ID:2iLlp6O8o

神裂「……」

ステイル「……」

シェリー「……」

神裂「……」 ドサッ

神裂「私のいない間、私の同僚がずいぶんと」

ステイル「なに平然と仕切り直そうとしてるんだ。現実を直視したまえ」

神裂「は、離してください! 今ここで仕切り直さなかったら私は私でなくなってしまうのです!!」

シェリー「……ランドセル恥ずかしがる前に、服装のセンスと年齢に合ってない髪型と得物をなんとかしろよ」

神裂「服装についてあなたにとやかく言われる筋合いはありません――というかこれは魔術的な意味がですね!
.     そもそもポニーテールは別にセーフでしょう!? それに私から刀を除いたら痴女要素しか残りませんよ!?」

ステイル「自覚はあったんだね」

神裂「ああもううっせぇんだよド素人がッ!!」

シェリー「待て」

 そのままステイルの頭を蹴飛ばそうとした神裂は、シェリーの目の色が変わったのを見て眉をひそめた。

シェリー「魔女が来るぞ」

 それまで静観を保ち続けていたワルプルギスの夜が歯車を勢いよく回転させ始めた。
 甲高い金属音を鳴らしながら、ワルプルギスの夜は己の目的に従うかのように突き進む。
 対する神裂はというと――

神裂「……なんだ」

神裂「想像以上に、遅いですね」

――七天七刀と極細のワイヤーを両手に保持して、悠然とつぶやいた。

358: 2011/11/19(土) 02:43:23.59 ID:2iLlp6O8o

杏子「ロッソ・ファンタズマには欠点がある」

 同じ頃、白煙に包まれたまま槍を握り締めていた杏子もまた、同じように悠然と呟いた。

 ロッソ・ファンタズマは相手の認識をずらす物や、そこに偽りを与える物ではない。
 その場に実体のない幻、虚像を作り出して相手を惑わす物である。
 それゆえ過度な干渉を行うことは出来ないし、この魔法を知り尽くした相手には通用しない。

杏子「あんたが本能のままに攻撃するやつだったんなら多重攻撃でどうにかなったんだけどね……」

 白煙に遮られた視界の向こうに存在するであろう使い魔は、杏子とほむらを見分け、戦術を切り替えることが出来る。
 それはすなわち、それだけの知識と戦術判断能力を有していると言うことだ。

杏子「まっ、だからこそアタシの≪新・ロッソ・ファンタズマ≫の出番があるんだけどさ」

 槍を持った方の手を下げると、杏子はもう片方の手を握り締めたまま胸の前へ持ってきた。
 何かを願うように、祈るように魔力をひり出し、思いの通りに作用させる。

 これから行う作戦は、杏子だけで行えるものではない。
 協力する人間がいて初めて成り立つものだ。
 だからこそ、杏子はその表情をほんの一瞬だけ暗くして俯き、目を閉じる。

 本当なら。

 本当なら、この戦法は。

杏子「……あんたと一緒に、やりたかったんだけどね」

 目を見開くと、杏子は身体に留めた魔力を解放した。

359: 2011/11/19(土) 02:44:14.00 ID:2iLlp6O8o

 白煙の向こうに見えるわずかな黒い影目掛けて一人の杏子が突っ込んだ。
 槍をまっすぐに構え、相手を貫くための姿勢で。

 しかしその攻撃を看過していたのだろう。
 使い魔はあらかじめ用意していたリボンを振り回し、杏子の動きに遅延をかけた。
 そのまま流れるような動作でマスケット銃を拾い上げて引鉄を絞る。

 銃口から打ち出された魔弾は杏子の体を貫き――霧散する杏子の体と共に消滅した。
 使い魔が怪しく口を動かし、けらけらと笑う。

マミ『ロッソ・ファンタズマには欠点があるわ』

 遠目から観察している杏子には、使い魔がそんなことを言っているように見えた。

マミ『あなたが作り出す分身には攻撃能力がない。それがどういうことだか分かるかしら?』

マミ『対多数戦に対応できる相手にはあまり意味がないのよ。分身は攻撃を受けたら簡単に消えちゃうんだもの』

 今度は二人の杏子が飛び出した。
 マスケット銃をくるくると振り回す使い魔の左右から挟みこむような形で槍を向ける二人の杏子。
 しかし使い魔は足元にあるマスケット銃でその攻撃をさばくと、
 舞うような仕草で一人を撃ち抜き、もう一人をマスケット銃で打ち砕く。

 二人の杏子が霧散する。分身だ。

マミ『二人程度じゃもちろんだけど、五人がかりでも私を惑わすことは出来ないわ』

マミ『そして攻撃できない以上、分身の使い惜しみには意味がない』

マミ『煙幕を張っても、私は来る相手を迎撃するだけで良い』

マミ『今回みたいな時間差で相手を消費させ、翻弄する戦法の時なんかは特にね』

マミ『分身と同時に攻撃を仕掛けてこないことが分かっているなら、私は最後の一体に集中すればいいだけってわけね』

360: 2011/11/19(土) 02:45:58.89 ID:2iLlp6O8o

 ……まったく、嫌になるよ。その通りさ。
 幻聴だと分かっていながら、杏子はその言葉に頷き、同意して見せた。

 それから白煙に紛れて、一人の杏子が正面から突っ込んでいった。
 槍を手に取り、使い魔の胸元を刺し貫くことだけを考えて――

マミ『はい、残念』

 けらけらと笑いながら、巴マミの姿を模した使い魔はその刺突を回避。
 ゆったりとした動作でマスケット銃を構え、好きだらけの杏子の腹部にフルスイング。
 マスケット銃が杏子の身体に食い込み、それまでと同じように霧散――

杏子「くはっ……!」

 しなかった。
 マスケット銃は杏子の腹部にダメージを与えたが、それで打ち止めだ。
 驚愕を露にする使い魔ににやりと笑いかけながら、杏子はマスケット銃とそれを握る左手をがっちりと掴む。

杏子「へへ……こういう応用も利くってこと、忘れてたのかい?」

 杏子は魔法の弱点をあえて逆手に取ったのだ。そして……

杏子「ほむら!」

ほむら「……!」

 使い魔の背後から、白煙を纏うほむらが姿を現した。
 彼女は大型拳銃をぴたりと使い魔の頭部へポイント、躊躇うことなく引鉄に手をかけ。
 しかしほむらが発砲するよりも早く、使い魔は自由になっていた方の手に保持したマスケット銃の引鉄を絞った。

ほむら「――!?」

 マスケット銃から放たれた魔弾が、寸分違わずほむらの頭部に着弾する。

361: 2011/11/19(土) 02:48:23.36 ID:2iLlp6O8o

マミ『どうせならもう一工夫欲しかったわね。あーあ、暁美さんったらかわいそう』

 使い魔がにやにやと笑みを浮かべたまま、新たに拾い上げたマスケット銃を杏子へと向ける。

マミ『はい、それじゃあがんばって追いかけてあげてね? ふふっ』

 美しい微笑を浮かべる使い魔に対して、杏子はただ俯くばかりだ。
 いや、違った。
 煙幕の効果が切れたことで白煙の衣を脱ぎ捨てていく彼女は、勝ち誇った表情をして顔を上げた。
 そしてそのまま使い魔を拘束する手に力を込めた。

マミ『……!?』

 今度こそ、使い魔の身体が驚愕によって固まった。
 それは杏子の動きに驚いたからではない。彼女の身体に異変が生じたからでもない。

杏子「勘違いすんなよな……アタシが作り出した分身は、全部で四体だよ?」

 杏子の後ろ、晴れてゆく白煙の向こう側――つまり、戦場の外側に。

杏子「これが新・ロッソ・ファンタズマ……あらため!」


――無傷のほむらが、対物ライフルを構えていたからだ。


杏子「紫混じりの赤い幽霊……≪ヴィオラミスタ・ロッソファンタズマ≫!」

 使い魔の背後で、くずおれたほむらの姿が霧散した。
 あの白煙は、杏子が作り出した幻影をほむらの姿へ変化させるための物だったのだ。


杏子「やっちまえええぇぇぇえ!!」


 ぎゅん、と対物ライフルから放たれた銃弾が空気を切り裂く。
 その音が耳に届くよりも早く、マミの姿を模した使い魔の頭部が粉々に砕け散った。

362: 2011/11/19(土) 02:49:23.54 ID:2iLlp6O8o

杏子「どんなもんよ!」

ほむら「あなたが言うから任せてみたけど……よくやったわね。お手柄よ」

杏子「へへっ、まさか巴マミと組んでる時に考えてたコンビネーション戦法がここで活きるとはね」

ほむら「でも≪ヴィオラミスタ・ロッソファンタズマ≫はないわ。本当に巴マミのセンスは寒いわね」

杏子「え、あ、あはは、だっだよねぇ~!」

杏子(言えない……アタシが即興で考え付いたなんて言えない……)

ほむら「……紫混じりという時点であなたが考え付いたことくらいは分かってるから楽にしなさい」

杏子「う、うっせぇんだよド素人が!」

 談笑を終えると、二人は崩れゆく使い魔の身体へと目を向けた。

杏子「……お疲れ様でした、で良いのかな。まぁゆっくり休みなよ、巴マミ……」

ほむら「……いくわよ」

杏子「ああ、分かった。他のみんなのフォローもしないとな。ワルプルギスの夜も心配だし」

 そして二人は、使い魔に背を向けた。



 それが誤りであることにほむらが気がついたのは、何もかもが手遅れになった後のことだった。

363: 2011/11/19(土) 02:50:24.81 ID:2iLlp6O8o

 二人が巴マミの姿を模した使い魔を撃破していた頃。

 ステイルとシェリーは、目の前で繰り広げられている非現実的な光景を目の当たりにして、
 手持ち無沙汰のままただぽつんと突っ立っていた。

ステイル「前座だっていうのは分かってたんだけどね……それにしたって、これはひどいね。ひどい喜劇だ」

シェリー「……気持ちは分かる。誰だってあんなの見てしまったらねぇ」

 二人の目の前で、ワルプルギスの夜が“叩き落され”た。
 それだけで済むならまだしも、最強の魔女は極細のワイヤーに引っ張られて無理やり起こされると、
 そのまま暴風の如き勢いで“振り回され”た。

 六〇メートルのベーゴマが紐に吊るされた状態のまま、
 辺りのビルを削り取りながら振り回されているのを想像してもらうと分かりやすいかもしれない。

 暴風に等しき災厄の中心にいるのは、年甲斐もなくポニーテールの髪をした神裂だった。

シェリー「ガキのオモチャじゃねぇんだからよ……」

 六〇メートルの巨体が、洒落にならない速度を保ったままふたたび地に落ちる。
 それはちょっとした落ちてきたような衝撃波を発生させて街に広がろうとするが――

神裂「――残念ながら、アンコールです」

 周囲に張り巡らされたワイヤーによって描かれた三次元の魔法陣にぶつかって跳ね返り、
 衝突時のそれよりもさらに増幅されて、ふたたびワルプルギスの夜へと襲い掛かる。
 ただでさえボロボロだったワルプルギスの夜の身体が、さらに砂に汚れて醜くなっていった。

 そんな満身創痍の魔女の身体に、神裂が追い討ちを仕掛けるように飛び蹴りを叩き込む。
 ワルプルギスの夜の身体がくの字に折れ曲がり、声にならない声をあげて魔女は悶え苦しんだ。

364: 2011/11/19(土) 02:51:25.31 ID:2iLlp6O8o

神裂「なかなか硬いですね」

 ぱんぱん、と身体に降りかかった砂を手ではたきながら事もなげに言う神裂。

シェリー「そんな煎餅感覚で言うなよ……」

ステイル「なぁ、僕もう帰ってもいいかい?」

シェリー「もう少しだけ様子を見ましょう。何があるかわからないわ」

 二人の目の前で、神裂派大仰な仕草で七天七刀に手を当てた。
 付き合いが長い二人は、すぐにそれが居合いの構えを取る前兆であることに気付く。

ステイル「使うつもりか」

シェリー「みたいだな」

 そんな言葉をよそに、神裂の身体がゆらゆらと揺れた。
 その身体に込めたテレOマと魔力の総量は、先ほどまでいた天使と比べても遜色ないほどのものだ。
 恐らく、次で決まる。

 漠然と意識したステイルはどこか遠い目をして、神裂とワルプルギスの夜とを見比べた。
 五〇〇キロを踏破したせいか、やや疲れをにじませた表情の聖人。
 ぎしぎしと歯車を回転させて、ボロボロの体に鞭打ちなんとか浮上を果たした最強の魔女。
 どちらが戦局を支配しているかなど考えるまでもなかった。

 だからこそステイルは首を捻る。
 物足りない、とは違う。面白くない、でもない。
 あっけなさすぎる、と言うべきか。

神裂「――――唯閃ッ!!」

 神裂が放つことの出来る、最強の術式。
 無敵の居合い斬りが、ワルプルギスの身体を切り裂いた。

365: 2011/11/19(土) 02:52:29.84 ID:2iLlp6O8o

 あれほど猛威を振るっていたワルプルギスの夜が、成す術もなく地に沈んでいく。

 最強の魔女の末路は、あまりにもお粗末な最期だった。

神裂「……これで終わりでしょうか?」

シェリー「完全に身体が真っ二つになってるんだもの、これ以上は動きようがないわ」

神裂「ですがワルプルギスの夜はまだ本気を出していないのでは? 位置も逆さのままですし……」

シェリー「情報に誤りがあったんじゃないかしら。もし仮に手の内を隠していても、これではね」

 ワルプルギスの夜の氏骸に背を向けると、シェリーは苛立たしげに頭を掻いた。

シェリー「今はそれよりもソウルジェムだ。さっさとイギリスに戻って、王室にある資料を下に打開策を見つけねぇと」

ステイル「仕事熱心だね……僕はそうだな、あの狐狩りにでも行くか」

 ローラ=スチュアートの行方が分からなくなったことは、既にカブン=コンパス経由で掴んでいる。
 イギリス清教を牛耳っていた彼女のことを考えれば、その身柄を確保しておくに越したことはないだろう

神裂「その前に他の方々の救出や被害状況の確認が先でしょう」

ステイル「……そういえばそうだったね。君の部下がヘマをやらかしてる可能性も危惧しないと」

神裂「その点については大丈夫です。彼らは今回の一件を通してより逞しくなりましたよ」

シェリー「へぇ、あなたが自慢するだなんて珍しいわね」

神裂「『後方のアックア』の時もそうでしたが、改めて痛感しました」

 そう言って微笑んだ神裂は、ワルプルギスの夜の氏骸に背を向けると、何かを思い出したように口を開いた。

366: 2011/11/19(土) 02:52:55.37 ID:2iLlp6O8o


神裂「それで視点を変えてみたところ、ある推測が立てられましてね」


ステイル「推測?」


神裂「はい。ローラ=スチュアートはもしかすると――――」

.

376: 2011/11/21(月) 01:01:57.20 ID:T5W1IwwWo

 まどか――

 誰かがわたしのことを呼んでいる。俯いていたわたしは、はっと顔を上げた。
 声の主を探そうとして、すぐ目の前にキュゥべぇがいたことに気がついた。

まどか「キュゥべぇ……?」

 戸惑いながら、わたしは首を振って辺りを見回す。
 すぐそばで結界を張っていたシスター――長身でスタイルの良いルチアさんが怪訝そうに首をかしげた。

ルチア「どうかなさいましたか?」

まどか「あ、いえ、なんでもないです」

 慌ててそう答えると、わたしはテレパシーを使ってキュゥべぇに呼びかけることにした。

まどか『キュゥべぇ、どうしてここに? シスターさんの結界で、入って来れないんじゃなかったの?』

QB『とある十字教徒の力添えのおかげでね』

 そう返したキュゥべぇは、首をそらして身体をわたしの方へと向けた。
 そこで初めてわたしは、キュゥべぇの首元に見慣れない首輪が着いていることに気づいた。

QB『どうやらそこのシスターは僕の存在に気付いてないようだね』

まどか『どうして……?』

QB『素質がないのさ。大勢の人の人生を左右するほどの器じゃないから、彼女には僕が見えないんだろうね』

 そういえば、彼は普通の人には見えないんだった。
 そのことをすっかり忘れていたわたしは、ちょっと恥ずかしくなって俯くと、それでも気になって尋ねた。

まどか『それで、どうしてわたしのところに?』

QB『君に伝えたいことがあってね』

まどか『伝えたいこと?』

QB『そう。驚かないで、よく聞いてくれるかな?』

377: 2011/11/21(月) 01:02:23.45 ID:T5W1IwwWo



QB『このままだと、君の友人はみんな氏ぬことになるよ』



まどか『……え?』


.

378: 2011/11/21(月) 01:03:37.74 ID:T5W1IwwWo

神裂「はい。ローラ=スチュアートはもしかすると――――」

 そこまで言いかけて、神裂はぱたりと口を噤んだ。
 不審に思ったステイルたちが振り返り、彼女の様子を窺おうとする。
 それを見ながら、神裂は内心である事実に直面し、諦めにも似た気持ちになって、心の中で呟いた。

――このままでは、氏ぬ。

 予感や直感、経験、第六感に超反応……そういったありきたりな表現では表しきれない確かな物。
 そんな不透明な、しかし確実に存在する何かを目の前にした神裂の時間が、極限にまで引き伸ばされていく。
 瞬きすらも許されぬ短時間、コンマ一秒などというレベルを超越したわずかな時間。

 その中にありながら、神裂は自分に何が出来るのかを必氏に探ろうとした。

 すぐに訪れるであろう絶望が何者から齎されるものなのか、自分達がどこで誤ったのか。
 あのワルプルギスの夜の真の力がいかほどで、インキュベーターの考えやローラの企みが何なのか、
 今すぐに全力で跳躍すれば、自分は生き残ることが出来るのだろうか、
 目の前にいる二人を氏なせることなく共に脱出する術はあるのだろうか、

 そういったあれそれが、神裂の脳内を文字通り刹那にも等しい時間で駆け巡っていく。

 結局、答えは出なかった。

 時間の流れが元へと戻っていく。
 同時に自身の背後から強大なプレッシャーがあふれ出してきたことに彼女は気がついた。

 そして彼女は、ある人物と目が合った。

神裂「――――そうですね。申し訳ありません」

 一言だけ口にする。

 直後。

 彼女達がいた場所が、閃光に包まれた。

379: 2011/11/21(月) 01:04:08.48 ID:T5W1IwwWo


――歩き出した杏子は、ほむらが思い詰めた表情でいることに気付いて眉間に皺を寄せた。

杏子「やけにシリアスぶってるけど、まだなんか気がかりなことでもあるわけ?」

ほむら「いえ……ただ、ちょっとね」

 彼女は左手の盾をガシャガシャと弄繰り回しながら、首を捻る。

ほむら「巴マミの姿をした使い魔、結局魔女にならなかったでしょう。それが不思議だったのよ」

杏子「はぁ? だってアイツは氏んだんでしょ? 魔女になってないなら魔女が出てくるわけないじゃん」

 ほむらがかぶりを振った。
 その様子に疑問を覚えた杏子は、しかし彼女の肩に付着した糸くずを見つけてじぃっと見つめた。

ほむら「いいえ、彼女は魔女になったわ。あなたは知らないでしょうけど、月の初めに――杏子? 聞いているの?」

 ほむらの言葉に応えずに、杏子はそっと彼女の肩を指差す。

ほむら「なに?」

杏子「いや、なにっていうか……それ、なんだよ」

 言われて初めて気付いたように、ほむらが自分の肩口を見やった。
 糸くずは一定の規則に従ってふよふよと漂い、上下に揺れている。
 糸くず? いや違う、これはもっと別の物だ。おそらく魔力を込めて作られた――

ほむら「ッ――あああああああぁぁっああああ!!」

 ほむらの肩に付着――否、肩から“突き出ていた”糸くずが、瞬時に何倍もの大きさに膨れ上がった。
 彼女の肩にある筋肉や骨がぎちぎちと押しのけられて、血が滝のように零れ落ち始める。

 それは糸くずなどではない。
 極小の繊維状に伸びて、知らず知らずの内にほむらの肩を貫通していた“リボン”だった。

380: 2011/11/21(月) 01:05:30.37 ID:T5W1IwwWo

杏子「バカヤロウ!」

 慌てて彼女の近くに駆け寄り、彼女の後ろ側から伸びる槍の刃先でリボンを刈り取る。
 リボンは激しくのた打ち回り、やがてぱらぱらと分解して魔力の粒へと姿を変えた。

杏子「なんだこりゃあ……魔法? にしちゃあ生物的っていうか……ほむら!」

ほむら「だ、大丈夫よ。へいき、へいきだから……つうっ!」

 嘘つけ、と怒鳴りそうになったのをこらえて、杏子は彼女の肩に目をやった。
 無理やり骨と肉を押しのけられたせいで、傷口は醜くはれ上がり、潰れかけている。

杏子「治癒魔法かけろよ、このままじゃ身体が持たないぞアンタ!」

ほむら「……グリーフシード、もうないのよ……ソウルジェムにも余裕がないの。ごめんなさい」

杏子「あーもう、だったら早く言えよな! ほら!」

 杏子は懐から取り出したグリーフシードを彼女のソウルジェムに押し当てた。穢れが取り除かれていく。

ほむら「これはあなたの分でしょう?」

杏子「ストックにはまだ余裕あるし、アタシは治癒魔法苦手なんだよ。さっさと回復しな」

 投げやりに言うと、杏子は槍を逆手に構えて油断なく目を凝らした。

 先ほど巴マミの使い魔を撃破した辺りから、禍々しい魔力が垂れ流しになっている。

ほむら「……おそらく相手は、リボンの姿をした巴マミの魔女よ!」

 用心深く近づいていく杏子に、方を治療するほむらが声をかけた。
 まったく、第二ラウンドがあるなんて。
 心のうちで愚痴を吐き捨てると、杏子は姿勢を低くした。

381: 2011/11/21(月) 01:06:21.12 ID:T5W1IwwWo

 不意に、右隣から温かい風が吹いた。
 それを認識した時、既に杏子の体は宙を浮いていた。

杏子(はや……!?)

 その事実に驚愕し、何が起こったのかを把握しようとする前に杏子の体が地面へと叩きつけられてしまう。
 全身が軋み、骨がミシミシと震えて痛覚神経が彼女の脳に痛みを訴える。
 失いかけた意識を何とか保つと、彼女は混乱する思考を働かせて自分の胴体を見た。
 どこかから伸びるリボンが巻きつき、わなわなと震えていた。

杏子「んのやろっ……!」

 右手に構えた槍を振り回してリボンを切断。
 そのまま身を捻って転がると、杏子は大きなコンクリートの塊に身を預けた。
 リボンが伸びる方角を辿るように視線を走らせる。

杏子「んだよこれ、こんなの……」

 そこで杏子は、にわかに信じがたいものを見た。

 巨大なリボンの姿の魔女が、周囲に散らばる瓦礫や破片を手当たり次第に結びつけ、己の下に引き寄せていた。

 まるでもう二度と離さないとでも言わんばかりに固く結ばれたリボンが何を意味しているのか。

 あの姿に込められた巴マミの感情や思いが何であるのか。

 それを杏子は知らない。

 ただ、杏子の瞳には、その魔女がとてももの悲しそうに映った。

382: 2011/11/21(月) 01:07:47.39 ID:T5W1IwwWo

 リボンの魔女が、後ろで待機しているほむらに向けて小さなリボンを伸ばし、束縛しようとする。
 その様子を見た杏子は、言葉に出来ない怒りを覚えて地面を蹴り立ててその間に割り込む。

杏子「巴マミッ!!」

 槍を両手でくるくると回し、いくつものリボンをあざやかな手並みで切り伏せる。

杏子「アンタ……!」

 目の前で、リボンが脈動するかのように蠢いている。
 そんな恐ろしい魔女の姿をキッと睨みつける杏子。

杏子「アンタ、魔法少女は希望に満ち溢れてるもんだって言ってたじゃないか!」

 襲い掛かるリボンの雨をやりで迎撃しながら、杏子は訴えかけるような調子で叫び続ける。

杏子「そいつはただ、まどかを助けるためだけに何もかもを投げ打って頑張ってるんだぞ!」

杏子「そんな希望の塊みたいなやつを、アンタは……!」

 杏子の握る槍に一筋の亀裂が生まれた。これ以上防御は出来ない。
 時を同じくしてリボンの魔女も攻撃を行うのをやめた。
 その場に漂うリボンの魔女の姿を見て、杏子は目を細める。

杏子「……?」

 まるで一人でいることが苦痛で仕方ないようで……
 あるいは、何かを失ったことを悔やんでいるようで……
 リボンの魔女の姿は、どこか寂しそうに杏子には見えた。

 しかしそんな憐れみは、次に魔女が取った行動のせいで吹き飛ばされてしまう。

ほむら「杏子、いったん退きましょう。天草式に協力を仰いで……杏子?」

 ほむらの言葉に応える余裕は、杏子には残されていなかった。

383: 2011/11/21(月) 01:08:56.91 ID:T5W1IwwWo

――ボロボロの槍を手にしていた杏子が、やんわりと笑みを浮かべながら振り返った。

杏子「伏せてなほむら。突っ立ってたら、庇いきれないんだよね」

ほむら「……何の話?」

 怪訝そうに眉をひそめ、肩に当てた手に力を込める。
 嫌な予感がした。なにか嫌なことが起こる、そんな予感がほむらの胸中に生まれていた。
 杏子は黙って半身を逸らし、ほむらに魔女の姿を見せた。

ほむら「……っ!?」

 魔女の身体から、五〇を超えるであろう大小様々なリボンが伸びていた。
 ある一定の長さまで伸びたリボンは、複雑に絡まり、裂け、巨大な砲を形作っている。

 そう。

 魔女から分かれたリボンのどれもが、ティロ・フィナーレの大砲とほぼ同じ形をしていたのだ。

 驚きの声を上げるよりも早く、二人と魔女との間に赤い鉄柵のような壁が生まれた。
 その壁には見覚えがあった。杏子が構築する、いわゆる一つの結界だ。

ほむら「結界ね……持つのかしら?」

杏子「持たなかったら、あんただけでも逃げろよな」

ほむら「え?」

 そこで彼女は、なぜか自分を庇うようにして立っている杏子の姿を見た。

 問い詰めようとする間もなく、視界が光で埋め尽くされて――

384: 2011/11/21(月) 01:09:25.74 ID:T5W1IwwWo

 正直なところ、ステイルには“それ”が神裂であるという自信が持てなかった。

 女性的な丸みを帯びた輪郭に、見慣れたアンバランスなジーンズ、腹の中ほど辺りで結ばれたTシャツ。
 服装に合ってないウェスタンベルトや、腰にかけた長い太刀、年齢を弁えないポニーテール。

 神裂と呼ぶに足る特徴をいくつも持っていながら、しかし“それ”は、やはり妙だった。
 “それ”は背中から、赤い翼を生やしていたのだ。

 まるで血のように赤く、しっとりとした翼を。

ステイル(天使……いや、しかし)

 聖人とは『神の子』に似た身体的特徴を持って生まれただけの人間だ。ただの人間なのだ。
 ましてや、翼を生やして天使の真似事をすることなど出来ない。
 では、彼女から生える赤い翼は何なのか。

 ステイルは冷静になって、もう一度神裂を注意深く観察した。そして気付く。

ステイル「……翼、じゃ、ない」

 彼女から生えていた物は、空へ羽ばたくための翼などではない。

 それは、血飛沫だった。

ステイル「神裂!?」

 ステイルの声に応じるかのように、神裂の身体が前のめりに倒れこんだ。
 彼女の身体を庇おうとして近づき支えたステイルは、しかしその背に刻まれた傷を見て息を呑む。

 神裂の背に、本来あるべきはずの背はなかった。
 そこにあったのは、骨と血肉が入り混じった惨い傷口だけだった。

 考えるまでもなく。
 ワルプルギスの夜の攻撃から彼を庇うため、神裂が身を投げ打ったことによって生まれたものだった。

385: 2011/11/21(月) 01:10:22.77 ID:T5W1IwwWo

ステイル「なんてことを……君はバカか!?」

 ステイルの声に反応したのか、神裂がみじろぎした。
 まだ意識はある、つまり生きている、こんな怪我を負っても神裂は生きている。

神裂「申し……わけ……可能な、限り……」

ステイル「黙っていろ、クソッ出血が止まらない。魔力を練成しろ、せめて血管だけでも修復させるんだ」

神裂「既に……ってます……」

ステイル「大体だ、君なら避けることだって出来ただろうが。どうして僕なんかを庇ったんだ」

 火傷を治癒する回復術式を扱うが、効果はまるでない。
 急いで天草式の下まで引き返す必要があった。
 そんなステイルの考えをよそに、神裂は震える口を必氏に動かして話を続けた。

神裂「シェリー……と……目が合い……あなたを……助け、ろと……」

ステイル「くだらない、その結果がこれだよ。判断ミスにも程がある。チッ……なんてことを」

 神裂を背負うと、ステイルは首を左右に振ってシェリーの姿を探す。
 二度三度それを繰り返して、ようやく彼女の姿を見つけたステイルはふたたび息を呑んだ。

 巨大なコンクリートに背中を預けるようにして、シェリーは倒れていた。
 遠目からでも分かるほどに、彼女の手足はいびつに歪み、折れ曲がっている。
 口と鼻からは多量の血を吐き、時折思い出したかのようにその身がびくんと跳ねて、また沈黙する。

 どこからどう見ても瀕氏の状態にある。むしろ息があるのが不思議なほどだ。

386: 2011/11/21(月) 01:12:41.29 ID:T5W1IwwWo

 シェリーの身体を抱え上げる。
 神裂とシェリー、二人合わせて一〇〇キロ以上あるというのに、ステイルはめげなかった。
 彼女達の体を身体に乗せながら、ステイルはけたけたと哄笑を響かせる魔女を見上げる。

ステイル「……図に乗るなよ、たかが魔女の分際で」

 ステイルが、残り少ない生命力を魔力へと練成する。
 自分の身体に眠る魔力をひり出し、それを場へと行き渡らせる。
 行き渡った魔力は、ステイルが構築した術式とあたりに散りばめられたルーンのカードやコピー用紙に伝播する。
 やがて、五〇メートル近い巨大な炎の巨人――イノケンティウスが再び顕現した。

ステイル「……テレOマ無しだと、これが限界か……だが」

 イノケンティウスが炎の十字架を両手に持って、ワルプルギスの夜に食い下がる。

ステイル(これで時間稼ぎくらいは出来るはずだ)

 魔女狩りの王と魔女の女王から顔を背けると、ステイルは重い足取りのままその場を離れようとした。

 五歩、六歩と足を前に運んでから、ステイルはため息をつく。
 背中越しに感じていた熱気が消えた。

ステイル「嘘だろう?」

 呟くステイルの背後で、イノケンティウスを葬ったワルプルギスの夜が狂った笑いを響かせた。

387: 2011/11/21(月) 01:13:49.84 ID:T5W1IwwWo

――同じ頃、ほむらもまた、赤い翼の如き血飛沫を背から噴き出す杏子の姿を見ていた。
 ただしこちらは神裂よりもまだ傷は浅く、背中をえぐられた程度で済んでいる。

ほむら「なんて馬鹿げたことを……杏子!?」

杏子「あー、んだよ騒がしいな……」

ほむら「騒がしいって……あなた、痛くないの!?」

杏子「痛覚カットしたし……でもだめだ、あー……いってぇ……」

ほむら「あなたねぇ!」

杏子「怒るより先にお礼言ってほしいんだけど」

 苦笑を浮かべて話す杏子に、ほむらは内心で憤慨した。
 確かにあの砲撃は恐ろしい規模だったかもしれない。
 だからと言って、なにも自分を庇うためにこんなことをしなくてもいいのに。

ほむら「バカ……でもありがとう。あなたのソウルジェム、相当濁っているわ。グリーフシードを出して」

杏子「わりぃ、さっきのが最後だったんだ」

ほむら「――え?」

杏子「わるいね、ホント」

 悪びれもせずに言うと、杏子は背から血を垂れ流しながら魔女を見た。

杏子「……もう、助からないかな」

 杏子の言葉を否定することは、ほむらにはできなかった。
 このまま戦えば杏子は肉体の活動を維持できずに意識を失い、ソウルジェムが濁って魔女へと至るだろう。
 だけど、そんなのはダメだ。

ほむら「……まだよ。私の武器であいつを竦ませて、その隙に後退することだってできるはずよ」

杏子「はは、あのつえー魔女相手に? ずいぶんと分の悪そうな賭けだねぇ」

388: 2011/11/21(月) 01:14:52.33 ID:T5W1IwwWo

杏子「でも、さ。悪いんだけど」

杏子「あんなに寂しそうにしてる魔女……つーか、マミの姿見ちゃったらさ」

杏子「なんだかね……」

 彼女はボロボロの槍を投げ捨て、両手を胸の前で合わせて祈る姿勢にとる。
 杏子の体が、炎のようにゆらめく魔力に包まれていった。
 ほむらと杏子との間に赤い鎖状の結界が生まれる。二人の間に? 違う。魔女と杏子を囲うように、だ。

ほむら「杏子……!?」

杏子「アンタには、守りたいものがあるんだろ? だから巻き込めない」

杏子「アンタはただ一つだけ、守りたいものを最後まで守り通せばいい」

 そう告げる彼女の表情は、慈悲に満ちていた。
 そんな表情の杏子を見るのは、これが初めてではなかった。

ほむら「あなた、まさか……!」

 杏子は髪を縛るリボンを解くと、髪を留めていた十字架状の髪飾りを手に取った。

杏子「守りたいものを守り通す……。アタシや巴マミだって、今までずっとそうしてきたはずだったのになぁ……」

 やめて、そこから先の言葉を口にしないで。
 お願いだから、もうやめて。もうこれ以上、繰り返さないで――

杏子「行きな。コイツはアタシが引き受ける」

 杏子の決氏の覚悟を受けても、ほむらは首を横に振った。
 ここまで来たのだ、もうこれ以上、誰かを犠牲にしたくなんてない。

杏子「早く行け! アンタには守りたいものが――『まどか』がいるだろうが!」

――それでも、やっぱり、まどかが大事だから。

 ほむらは歯を食いしばりながら立ち上がった。
 その場に留まろうとする身体に鞭打ち、無理やり足を動かす。
 そしてほむらはゆっくりと、その場から離れるために歩き出した。

389: 2011/11/21(月) 01:16:04.50 ID:T5W1IwwWo

――ほむらが立ち去ったのを確認すると、杏子は残された力を振り絞って魔力をひり出した。

 鎖状の結界の内側に、数十メートルはあろう巨大な槍が何本も築きあがる。

 その槍は一本一本が守りの魔力を帯びていて、外からはもちろん中からどうこうすることが出来ない代物だ。

 これから発動する、最後の魔法の効果を極限まで高めるため。周囲に被害を出さないための、結界である。

 結界に閉じ込められたリボンの魔女は、それでも身動き一つしなかった。

 自分の足元に同じような巨大な槍を作り出すと、杏子はその槍の切っ先近くに膝を立てたまま言葉を紡ぐ。

「心配すんなよマミさん」

「一人ぼっちは、寂しいもんな」

「いいよ。一緒にいてあげるよ、マミさん」

 髪飾りにソウルジェムを移した杏子は、赤く輝く宝石に口づけした。

 文字通り、自分の魂に、これまで歩んできた道のりに別れを告げるための、深く短い接吻。

 名残惜しそうに唇を離すと、杏子は自身の魂が込められた髪飾りをリボンの魔女へ向けて放った。

 自由になった右手に槍を生成し、両手で構え、体に残る魔力の全てを槍の切っ先へと集中させる。

 そして、その魔力を足元にある巨大な槍の刃へと繋げた。

 巨大な槍から放たれた魔力が、リボンの魔女の目の前を漂っていたソウルジェムを照らし出す。

 照らし出されたソウルジェムは眩い赤の輝きを放って――

390: 2011/11/21(月) 01:16:38.01 ID:T5W1IwwWo



 視界が赤い光で覆われる寸前。



 杏子は光の先に、誰かの笑顔を見た。


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391: 2011/11/21(月) 01:18:26.20 ID:T5W1IwwWo

 背後で何かが爆ぜる音を聞いたほむらは、力なく膝を着いた。

ほむら「くっ……う、うぅ……」

 どれだけ噛み締めても、声は口から漏れてしまう。

ほむら「どうし、て……っ」

 何も出来なかった。

ほむら「どうして、こう……」

 嗚咽が漏れる。

 目頭が熱い。

 頬を、涙が流れていくのが良く分かった。

ほむら「わたしは、わたしはっ……!!」

 頭の中がぐちゃぐちゃになり、わけが分からなくなって頭をかきむしる。

 今の彼女に、条理を覆す力は残されてなどいなかった。

394: 2011/11/21(月) 01:25:36.18 ID:T5W1IwwWo

――しかし、時間はほむらのことなど待ってはくれない。状況はほむらの都合などお構い無しに揺れ動く。

 すぐそばに人の気配を感じたほむらは、ほとんど自動的に顔を上げていた。
 それは繰り返した時間の中で身につけた能力であり、ほとんど反射的なものだった。

 顔を上げたほむらは、涙でかすむ視界の向こうに二人組みの少女を捉えた。

 片方は白い衣装を身に纏い、大きな帽子をかぶった少女。
 もう片方は黒い衣装に黒い眼帯をした、ボーイッシュな少女だった。

 二人の姿を正しく認識したほむらの思考に、疑問と共に恐怖が浮かび上がっていく。

ほむら「どうして、あなたたちが……」

 ほむらの言葉を受けて、白い方の少女――美国織莉子が、満面の笑みを浮かべながら口を開いた。

織莉子「その様子だと、佐倉杏子は救えなかったみたいね。数多の世界を乗り越えし、背徳の時間遡行者……」

織莉子「暁美ほむらさん」

 織莉子に続いて、黒い方の少女――呉キリカも口を開く。

キリカ「だいぶ警戒されてるみたいだね。この分だと助ける振りしてザクッ! は無理かな」

織莉子「どちらにしても、やることに変わりはないわ……さっそくで申し訳ないのだけど」



織莉子「この世界のために、氏んでもらえるかしら? 暁美ほむらさん」

402: 2011/11/25(金) 02:43:31.51 ID:xFXW5Mu2o

――不必要な用具が外に持ち出された、体育倉庫にて。

まどか『みんなが氏んじゃうって、そんな、こと……』

QB『信じられないかい? だけど事実だ。そしてこれは、僕にとっても予想外なことだよ』

まどか『……どういうこと?』

QB『ワルプルギスの夜は、強くなりすぎた』

 それは言外に、手遅れだと語っているようで……
 まどかは思わずむっとして彼を睨み、責め立てるような目の色をした。

QB『元々ワルプルギスの夜という名前はね、あくまでその“域”に達した魔女に宛がわれる通称でしかないんだ』

QB『今回はたまたま“舞台”の魔女がその“域”に達したから“舞台装置”として機能しているに過ぎないのさ』

まどか『……その“域”って、なんなの?』

QB『特定の魂の残滓や、場に流れる魔力、いわゆる霊脈のような“エネルギー”を受け取ることで至る“形態”だよ』

QB『それだけなら、ワルプルギスの夜はこれまで通り、大災害の一つとして扱われる程度でしかなかっただろうけど』

QB『この世界に生じた歪みが彼女を過度に強化させてしまったんだ』

 そう言うと、キュゥべぇは尻尾をふりふりさせて首を傾げた。

QB『魔術の存在する世界、すなわち魔術世界に存在す“霊脈や“テレOマ”、性質の異なる“魔力”……』

QB『それらがあの場には溜まり過ぎてしまっていたんだ。
   なにせあそこには、天体を自由に動かす“天使”の力が散乱していたんだからね
   エントロピーを凌駕し、拡散することなく溜まり続けるエネルギー。これがいかに凄いかを説明しても――』

まどか『あなたの言ってること、全然分からないよ……』

 わたしがそう言うと、キュゥべぇ可愛らしく首を振って、

QB『結論を述べてしまうと、ワルプルギスの夜はあと一〇日足らずでこの星を滅ぼしてしまうってことさ』

 そう言った。

403: 2011/11/25(金) 02:44:09.02 ID:xFXW5Mu2o

まどか『一〇日で……え……?』

 ここに来て、話がとても大きくなったのをまどかは感じた。

 これまでは、一つの街が滅びるとか、みんなが危ないとか、そういうのだった。
 だけど地球が滅びちゃうなんて、いくらなんでも……

QB『僕らとしてもエネルギー回収ノルマを達成できてない以上、地球を滅ぼされてしまうのは非常に困るんだ』

QB『だから契約してほしいんだけど……ああそうそう、まだ伝えることがあったんだったね』

まどか『……なに?』

QB『美樹さやかが戦場に向かったそうだよ』

 思わずはっと息を呑み、まどかは彼の赤い双眸をじっと見つめた。

QB『戦闘の余波で飛んできた瓦礫に挟まれた、クラスメイトの志筑仁美を助けた流れでね』

まどか『う……うそよ、さやかちゃんはもう、魔法は使えないのに。穢れが溜まるとソウルジェムが壊れちゃうのに』

QB『嘘なんか吐かないよ。彼女はグリーフシードを使いながら、魔力を節約して向かっているそうだ』

QB『果たして、あんな状態の彼女に何が出来るというのやら……』

まどか『どうして……さやかちゃん……』

QB『彼女には叶えたい願いがあり、それを叶えるだけの力があったからね』

QB『僕としてはむしろ、理解出来ないのは君のほうさ。まどか』

まどか『……え?』

404: 2011/11/25(金) 02:46:38.25 ID:xFXW5Mu2o

QB『誰よりも素晴らしい素質を持っている君は、だけどこれまで何もせずに生きてきた』

QB『遥かに素質の劣る美樹さやかや佐倉杏子のように、誰かを救い、守ることをしてこなかった』

QB『自身の生命活動に支障をきたすほどの魔術を扱うステイル=マグヌスのように戦わなかった』

QB『……だというのに、君の口から漏れる言葉はいつも決まって、不条理を嘆き、不幸を呪うようなものばかりだ』

 感情を持たないキュゥべぇにとって、善意や悪意なんてものはなんら意味を持っていない。
 彼の言葉や考え方には悪意がない。

QB『自分から行動しない限り、何も変わったりはしないよ』

 その指摘は嫌になるほど正鵠を射ていた。
 彼の悪意なき言葉はまどかの心を深く抉っていく。

 でも、そのままじゃだめだから。

 まどかはそんな彼に精一杯の反抗心を見せるために。
 あるいは現状を打破するために、彼に向かって訴えかける。

まどか『……キュゥべぇ、わたしをこの結界から連れ出して!』

QB『……それが出来たら苦労はしないよ。それに、もう時間みたいだ』

まどか『え?』

 そのとき、それまそばで周囲の気配を窺っていたルチアが、ふとまどかの顔を覗きこんできた。

ルチア「どうかなさいましたか?」

まどか「え? あの、べつに、なんでもないです……よ?」

ルチア「……ふむ」

405: 2011/11/25(金) 02:47:55.02 ID:xFXW5Mu2o

 ルチアはもう一度、まどかの顔を横目で見やってから。
 ふっとため息を吐くと、マーカーで記された円状のラインの外に出た。

ルチア「どうやらインキュベーターは、素質や才能のある人間にしか見えないようですね」

 キュゥべぇの存在に気付かれてしまった。

まどか「あの、そんなことは、その!」

ルチア「……あなたのお気持ちは理解していますが、お許しください。あなたを契約させるわけにはいかないのです」

 わたしをほとんど軟禁に近い形で閉じ込めていたシスターは、悲しそうに告白しました。
 もちろん、彼女達に悪意がないことはわたしだってよく分かってる。
 多分、ほむらちゃんからお願いされたんだろうってことも。

アンジェレネ「それでどうなさるんですか?」

ルチア「探知術式を使ってインキュベーターの捜索を行った後、排除します。あなたは結界の強化を」

アンジェレネ「へぇ……ああでも大丈夫ですよ、結界は私たち以外出入りできませんし」

 頷くと、ルチアは壁に立てかけてあった大きな車輪を手に取り、それを倉庫の中心に置いた。
 地面でマーカーで何かを書き込み、複雑な模様を書き連ねていく。

QB『いくら素質がなくても、魔術を使って探索されたら隠れようがないね。そろそろ引き上げようかな』

まどか『そんな……!』

 そうこうするうちに、ルチアが描いた魔法陣から淡い光が漏れてきた。
 いくつかの色を宿した光は、四つの方向に向けて放たれて――あっさりと霧散してしまう。.

ルチア「おや?」

406: 2011/11/25(金) 02:49:02.92 ID:xFXW5Mu2o

アンジェレネ「テレOマと方角、色の関係性がごっちゃになってますよ?」

ルチア「むっ……もとより私は教えを重視していますから、こういった魔術は門外漢なのです」

 あーだこーだ言い合う二人を見ながら、キュゥべぇが赤い目でまどかを見る。

QB『その結界は修道女のみが立ち入ることの出来る結界のようだけど、中に修道女がいないと機能しないみたいだね』

QB『まどか。君が本当に自由になりたいと思うのなら、まず君が一歩を踏み出さないといけないよ』

 アンジェレネがいるのは、円状のラインのすぐ手前。
 後ろから突き飛ばせば、すぐに身体が出てしまう位置。

――迷った時間は三秒にも満たなかった、と思う。

まどか「ごめんなさい!」 ドンッ!

アンジェレネ「きゃっ――へ?」

 背中から突き飛ばされて呆けているアンジェレネを尻目に、まどかは全力で駆け出した。
 まず倉庫から出て、それから……どうすればいいのか、分からない。
 だがこのままここでこうして待っているよりはよっぽどマシだろう。
 彼女は力の限り足を動かして、身体を前へ運ぼうとする。

QB『まどか、前だよ!』

 そんなわたしの前に、大きな木の車輪を抱えたルチアさんが立ちはだかりました。

ルチア「手荒な真似はしたくありませんが、致し方ありませんね……どうかお許しを!」

 ルチアが車輪を振り上げた。
 あれでぶたれたら痛いだろうなぁなんて暢気なことを考えて、でも身体は止まらない。
 木製の車輪が目の前に広がり――


「そこまでです」

407: 2011/11/25(金) 02:51:29.78 ID:xFXW5Mu2o

ルチア「くうぅっ!?」

――ルチアの身体が不自然に痙攣し、彼女の身体の近くで光が瞬いた。

まどか「え? なに? え?」

 驚き困惑しながらも、まどかはルチアの背後に一人の少女を見つけた。
 短い髪に、ゴツいゴーグル。頭から漏れ出す静電気の塊。
 御坂美琴クローン、あるいは妹達の一人のミサカだ。

ミサカ「なにやら怪しい集団がいると聞いて駆けつけてみれば……はてさて、なにがなにやら」

ミサカ「とりあえず無理な勧誘行為はマナー違反かと思われますが、とミサカは胡散臭い修道女を睨みつけます」

まどか「うーん、なにか違う気がするんだけど……」

 なんと説明すべきか戸惑うまどかに対し、彼女は黙ったまま親指で背後の出口を指し示した。
 事情は分からないが、とりあえず行け。彼女の表情がそう語っている。
 まともに会話したことのないミサカに頭を下げながら、まどかは再び駆け出した。

ルチア「っ! お待ちなさい! あなたはご自分の立場を理解なさってください!」

ミサカ「それはあなたの方かと思われますが、とミサカは容赦なく電撃を浴びせかけます」 ビリィッ!!

ルチア「きゃっ!? ああもう、これだから薄汚い異教徒の猿はッ!!」

アンジェレネ「あわわわ!? し、シスタールチア、それは負けフラグです! どうか落ち着いてください!」

ルチア「これが落ち着いていられますか!」

ミサカ「あれ、もしかしてこいつら実はちょろくね、とミサカは心の中で呟きます」

ルチア「心の中で呟いてないでしょうが!!」

 背中越しに聞こえる怒号を聞きながら、まどかは心の中で二人に向かって謝罪すると倉庫を飛び出した。

408: 2011/11/25(金) 02:52:43.19 ID:xFXW5Mu2o

 走りながら、まどかは足元を併走するキュゥべぇに尋ねた。

まどか「キュゥべぇ、仁美ちゃんがどこにいるか分かる?」

QB「志筑仁美なら別室で治療を受けているね。意識はまだないと思うけど、様子を見に行くかい?」

まどか「……ううん、やっぱり体育館から出よう」

QB「それなら美樹さやかが出て行った場所からがいいよ。正面玄関は修道女に制圧されてしまっているからね」

 人ごみの中を掻き分けながら走っていると、まどかは視界の隅に自分の父親、知久を捉えた。
 タツヤを抱えたまま、誰かを探しているのだろう。必氏に首をめぐらし、目をきょろきょろと忙しなく働かせている。

まどか「パパ!」

知久「あっ、まどかかい? いやぁ良かった、探しても見つからないから慌てちゃったよ」

まどか「ごめんパパ、色々あって……ママは?」

知久「ママはトイレ、ところで……あれ、なんだろう?」

 そう言うと、知久は人ごみの向こうに姿を現した数人の修道女を見つめて首をかしげた。
 これ以上ここにいることは出来ない。

まどか「ごめん、わたし行かなきゃ……」

タツヤ「まどかー?」

知久「……まどか?」

まどか「絶対に帰ってくるから、パパ、それまでママとタツヤをよろしくね!」

 知久がリアクションを示す前に踵を返すと、まどかは再び駆け出した。
 絶対に帰る――それが可能かどうかは、彼女にも分からないことだった。

409: 2011/11/25(金) 02:53:44.60 ID:xFXW5Mu2o

 追っ手を振り切り、ひとまず廊下に出る。
 風を叩きつけられた窓ガラスが時折その身を震わせるのを横目で見ながら、まどかは階段を駆け下りた。
 そこでまどかは、力なく腰を下ろして壁に背を預ける恭介と出会った。

まどか「上条くん……?」

 恭介は精気の欠けた顔をまどかに向けると、自嘲気味に笑って手を挙げた。
 その頬には何かが伝い、流れ落ちていった痕が見られる。
 泣いていた、のだろうか。

恭介「さやかなら行ったよ。君も、行くのかい?」

まどか「……うん」

 恭介の表情が曇る。
 その横顔には怒りの色が見えた。
 自分に対して怒り、世界に対して怒っているような、そんな色が。

恭介「魔法少女とか、魔術とか、良いよね……そういう力がある人は」

 恭介の語気に力がこもる。
 それは妬みだった。

恭介「僕には何もない。特別な力も、才能も、氏地に赴く友達を止めてあげる言葉だって見つけられない」

 それは呪いで、同時に八つ当たりに近かった。
 俯き、包帯で覆われた左手を見つめる彼の横顔は、悔しそうだった。

恭介「理不尽だ……不条理だ!」

 吐き出すと、彼は右手で自分のあたまをくしゃくしゃにして嗚咽を漏らした。

410: 2011/11/25(金) 02:54:20.04 ID:xFXW5Mu2o

――彼は、わたしと同じだ。

恭介「でも……違うんだ」

恭介「違うんだ、分かってるんだ、そうじゃないって……」

 そう続けると、恭介は天井を仰いだ。

恭介「本当は分かってる、そうじゃないんだ」

 たぶん、彼の心の中にある感情は、気持ちは、まどかが心に抱いているものと同じだろう。
 恭介の気持ちが痛いほどに分かるからこそ、まどかは立ち止まったまま彼の言葉を聞き続けた。

恭介「……力がなくても、止めることはできたんだ。駆け出すことも」

恭介「さやかの肩に手を置いて、行かないでくれって叫ぶことも。一緒に、あの暴風雨の中に飛び込むこともできたのに」

 あなたは悪くない。そう言おうとして、まどかは口を噤んだ。
 黙って聞いてあげようと思った。

恭介「あの時は、できたのに……!」

 恭介はさやかが魔女になったとき、恐ろしい呪いを浴びながらも、見事救い出したのだ。

 確かにそれは、突然現れた第三者――ツンツン頭の高校生のおかげかもしれない。
 確かにそれは、あまり格好の良かったとは言えないかもしれない。

 それでも彼は、さやかを救ったのだ。
 一度救えたからこそ、それを再現することが出来なかった悲しみは計り知れない。

411: 2011/11/25(金) 02:54:55.51 ID:xFXW5Mu2o

恭介「君は、魔法少女になるのかい?」

まどか「……それは」

 答えられない。

恭介「……わがままかもしれないけど、できれば……いや、なんでも」

恭介「ないよ」

 恭介が続けようとした言葉が、まどかには手に取るように分かった。
 彼の気持ちを考慮すれば分からないことでもない。
 途中でそれを告げるのを止めた理由だって、想像はつく。

まどか「……わたし、もう行くね」

恭介「……」

 黙ったまま俯く恭介の正面を横切る。
 何歩か歩いてからまどかは振り返らずに言った。

まどか「嵐が止んでからでもいいから」

まどか「さやかちゃんのこと、迎えに来てあげてね」

 返事は聞こえなかった。

412: 2011/11/25(金) 02:55:27.39 ID:xFXW5Mu2o

QB「複雑だね。どうして人間はああも非効率的な思考しか出来ないのかな」

まどか「もう……それが人間なんだよ、キュゥべぇ」

 苦笑を浮かべながら、まどかは壁に横穴が穿たれた場所まで辿り着いた。
 風と少しばかりの雨粒が混じったものが進入し、床一面が茶色く濁っている。
 その中に赤い鮮血を見つけて、まどかは表情を暗くした。

まどか「……どうして誰も来ないの?」

QB「魔術師が張った結界が強く効いているせいだね。志筑仁美が発見されたのは不幸中の幸いかな」

まどか「そっか……うん、それじゃあ行こう、キュゥべぇ」

 キュゥべぇを肩に乗せると、まどかはため息を吐いた。
 やっていることだけを取り出してみると、魔法少女とその使い魔が人助けに行く――といった具合だ。
 まるで朝方にやっている魔法少女のアニメだ。

 しかし現実は甘くない。
 まどかは世界を滅ぼす可能性を秘めたただの少女で、
 キュゥべぇは宇宙の貯めに人間を食い物にするエイリアンである。

まどか「……理想と現実は違うね、キュゥべぇ」

QB「それが人生というものじゃないのかい?」

まどか「ふふっ、そうかも……?」

 キュゥべぇから目を離すと、まどかは再び外へ目をやる。
 そして驚きの表情を浮かべて、全身を凍りつかせた。

まどか「……ママ!?」

413: 2011/11/25(金) 02:57:37.05 ID:xFXW5Mu2o

 目の前に、雨に濡れたまどかの母親――詢子が立ち尽くしていた。

詢子「よう、まどか」

まどか「そんな、どうしてママがこんなところに……」

詢子「なんでだろーなー、まぁ親子の縁ってやつさ。大体分かっちまうんだよねぇ」

詢子「娘がどこに行こうとしてるか、とかな」

 けらけら笑うと、詢子は右手を腰に当てた。
 途端に表情が一変する。
 眼差しは鋭く、動作は重たく、唇は固く結ばれて。

 己の母親の心を支配する感情の奔流がなんであるのかを察して、まどかは一歩後じさる。

まどか「あ、あのねママ、話したいこと、いっぱいあって、でも、時間がなくて……」

詢子「聞きたいことはいっぱいあるけど、まぁなんだ。その前に一つ言っておくことがある」

まどか「ママ……?」

 詢子はにかっと笑みを浮かべると、そのままの調子で続けた。


詢子「ここは氏んでも通さないから、そのつもりでな」


 武力を伴わない戦いがあるとすれば、まさしくそれは今、この場面だ。

 勝率は無いに等しい。
 強行突破も出来ないだろう。いや、そもそも強行突破なんてダメだ。
 そんな形で母親と別れたくない。理解してもらいたい。その上で送り出してほしい。


 だからわたしは、ママを説得してみせる。

427: 2011/11/29(火) 02:32:13.11 ID:4wKwex/4o

――幕間

 強者と強者とがぶつかり合う見滝原市には不似合いな、怪しげな影が二つあった。
 片方はいわゆる普通の男子学生で、
 片方は天候に見合わぬアロハシャツと、遮る日光がないサングラスをかける一風変わった男だった。

「やれやれ……久しぶりに学園都市から引っ張り出されてみれば、まさかこんな作業を任されるなんて……」

 男子学生の方が呟いた。

「ぶあつい雲がある中で巧妙に金星の光を抽出して攻撃用に受け流すのがいかに難しいか――」

「いいから次の瓦礫を分解しろ」

「……はぁ」

 男子学生が黒曜石を削り取って出来た黒いナイフを掲げる。
 ナイフがほんの一瞬輝いて、すぐ目の前にあった瓦礫を粉々に打ち砕いた。

「ところで一体何を探してるんです? 今回のお仕事は誰からの依頼ですか?」

「何じゃなくて“誰”だ。それに仕事じゃない。とあるババァに昔の好で頼まれただけだ」

 そう告げるアロハシャツの男は、そこでぱたっと口を噤んで男子学生の肩に手を置いた。
 視線の先には、弱弱しい輝きを放つ光がある。

「どうかなさいましたか?」

「……ビンゴ。話に聞いてはいたが、まさか“二人”揃ってるとはにゃー。いや笑っちまうぜぃ」

 何がおかしいのか、腹に手を当ててくぐもった笑い声をもらすサングラスの男。
 やがてかぶりを振ると、彼はポケットから黒い宝石――グリーフシードを取り出した。

 彼らの行動が、どのような影響を戦局に及ぼすのか。
 それが判明するのはもう少し先の話しになる。

428: 2011/11/29(火) 02:33:08.90 ID:4wKwex/4o

まどか「……」

詢子「……」

 気まずい沈黙が、二人っきり――キュゥべぇを除けばの話だが――の空間に降りてゆく。
 何も語らず、何も交わさず。
 互いの目線は違えど、視線は同じものを指し、瞳は瞳を捉えて離さない。

まどか「……わたし、は」

 喉に力を入れて、搾り出すようにして紡いだ言葉はたったの四文字だけれど。
 それでも詢子は頷くと、まどかの目をじっと見つめて先を促した。

まどか「友達を助けたいの。わたしになにができるか、まだ分からないけど……それでも助けに行きたいの」

詢子「消防署に任せとけ。素人が出しゃばる話じゃない」

まどか「そうじゃない、そうじゃないの! そういう話じゃなくて、もっと深い事情があって……」

詢子「その事情ってのを聞かせてみろ。まずはそこからだ」

 それが話せたら苦労はない。
 詢子の言葉に、まどかは弱弱しく首を横に振ることで答えた。
 彼女が腰を据えるのはまがりなりにも世界の裏側、魔術と魔法が交差し奇跡が起こる摩訶不思議な世界だ。 

 しかし。

詢子「話してみろよ」

まどか「……無理だよ。いくらママでも、信じないよ」

 詢子の眉がぴくりと動き、その目に覇気が灯った。

詢子「話す前から信じないって、どうして言い切れる? なんで分かる? なぜ決め付ける?」

詢子「大人を見くびるんじゃねぇ!」

 室内に吹き荒れる風の音をものともせずに、詢子は声を荒げて言い放った。
 思わず萎縮してしまったまどかは、ばつの悪そうな顔をして目をそらす詢子を見た。
 そらした視線はそのままに、彼女は小さな声で囁くように続ける。

詢子「ちったぁアタシを信用しやがれ。人を勝手に値踏みしてんじゃねーよ」

429: 2011/11/29(火) 02:34:04.90 ID:4wKwex/4o

――自分には自分の言い分があるように、相手にも同じ言い分があるのだ。
 だったら、話さないまま説得しようだなんて考え方は。
 あまりにもおこがましい物なのかもしれない。

 ごくりと喉を鳴らした音が響く。
 果たしてそれは、まどかのものだったのか。それとも詢子のものだったのか。

まどか「……わたし、ね。わたし、このこの一ヶ月で、色んな人と出会ったんだよ――」

 震える唇を抑え付けるように無理やり動かして、まどかは静かに語り始めた。

 全ての始まりは、ささいな夢だった。
 それからステイルとほむらが転校して来て、使い魔に遭遇し、憧れの人……マミと出会った。
 魔法というものに触れ、次に魔術というものを知り、世界の広さを嫌になるほど思い知らされて。
 さやかが契約し、マミが魔女になり、杏子と出会い、今度はさやかが魔女になって、それから、それから。

 ところどころ伏せたし、省略したけれど。
 それでも決して短くはないまどかの話を、詢子は黙ったまま聞いてくれていた。

まどか「――だから、わたし、みんなと同じ目線に立ちたいの」

まどか「魔法少女になるかどうかは決めてない、決まらないけど……それでもわたしは行きたいの」

まどか「……信じられないよね、こんな話。でもこれは」

詢子「信じるよ」

 ほんの一瞬の間すら許さず、詢子は頷いた。
 その言葉はまどかの胸に深く突き刺さり、同時に思考をかき乱していく。

まどか「――っ! うそだよ! そんな、こんな話、急に聞かされて、それで信じるなんて! できっこないよ!」

詢子「アタシの娘がそうだって言ってんだ。母親のアタシが信じてやらないでどうすんだ」

まどか「そんな……そんなの……!」

 必氏に力を込めなければ音を鳴らさなかった喉から、嫌になるほどに音が漏れていく。
 それを聞かれまいと口に手を当て、嗚咽を頃し、溢れ出る涙を空いた手で拭う。
 嬉しかった。
 荒唐無稽な話を前にして、信じると断言してくれた母の言葉が。

430: 2011/11/29(火) 02:34:51.45 ID:4wKwex/4o

詢子「つってもあれだ、そんな格好の良い理由だけで信じたわけじゃないんだけどな」

まどか「……え?」

詢子「見ちまったからな。さやかちゃんが、奇跡を成し遂げる瞬間をさ」

 不思議なことに周りにいたやつらはうろ覚えらしいけどな、と続ける母の姿を見ながら。
 まどかは心のどこかで安堵し、同時に友人の行方に思いを馳せて胸を痛めた。

 いずれにせよ、相手は信じてくれた。
 だったらあとはここを通してもらうだけだ、とまどかは意気込み、自分の母に向かって笑いかけた。

まどか「それじゃあそこ、どいてくれるよね?」

詢子「それはできない」

 母の返答は期待したものとは違っていた。
 裏切られた。そんな、暗くて冷たい気持ちが心の中に生まれる。

まどか「どう、して……?」

詢子「……」

まどか「みんなが必氏で頑張ってるのに、氏んじゃうかもしれないのに、どうして?」

 訴えかけるように尋ねるまどかに、詢子はただ首を横に振るばかりだ。

まどか「わたし、間違ってるの? おかしいの? ねぇ、どうして!?」

 ほとんど叫ぶようなまどかの問いかけを受けても詢子の態度は変わらなかった。
 代わりに笑みを浮かべて、悲しみの色を宿しながら口を開く。

詢子「……正しいよ。アンタは、アタシの娘とは思えないくらい正しい。すごい立派だ」

詢子「自慢の娘だし、応援してやりたいと思う。できることならアタシだってアンタのことを手伝ってやりたい」

まどか「……じゃあ」

 それでも、詢子は首を横に振った。

詢子「アタシはここをどけない」

431: 2011/11/29(火) 02:35:47.66 ID:4wKwex/4o

まどか「……理由は?」

まどか「みんなが傷付いてるのに、わたしだけここに閉じ込められて、ただ嵐が過ぎるのだけを待つ理由は?」

まどか「ママは分かってない! ワルプルギスの夜は、すっごく強いの!」

まどか「もしみんながダメで、どうしようもなくなったら……わたしが行かなきゃ、ダメになるの!」

まどか「もしうまくいっても、わたしはここで守られるだけで終わりたくなんてない! みんなのそばにいたい!」

 こんなに声を荒げたのは、もしかすると生まれて初めてかもしれない。

 初めての相手が自分の母親になるなんて思いもしなかったけれど。
 それでも口は動くことをやめない。喉は音を出すことをやめない。
 母の瞳をまっすぐに見据えて、まどかは叫ぶ。

まどか「それでもどいてくれないっていうなら……教えてよ」

まどか「ママがそこをどけない理由。わたしが外に出るのを止めるだけの理由を!」

――そんなことを吐き捨てたのは、頭に血が上っていたからだろうか。

 荒げた声は御しきれず、あふれる感情の奔流は果てなく流れ出ていく。

 そんなまどかの言葉を真正面から受け止めた詢子は、静かに眉をひそめる。
 悲痛な表情の中に怒りの色を窺わせた彼女は――



詢子「テメェが、アタシの娘だからに決まってんだろうが……!!」



――その目に涙を浮かべていた。

432: 2011/11/29(火) 02:37:21.26 ID:4wKwex/4o

詢子「分かるんだよ、さやかちゃんが魔法ってのを使ったとき、分かっちまったんだよ!」

詢子「ああいうのを使えるってことは、それ相応の代価が付き物だって! 危ないんだって!」

詢子「娘の気持ちは尊重してやりたい、成長したことを嬉しく思いたい、笑顔で応援してやりたい!」

 ぐっと息を吸い込み、詢子は吐き捨てるように言った。

詢子「だけど、それでも私は、お前に生きて欲しいんだ……危ない橋をわたって欲しくねぇんだ」

 自分の、娘なんだから。

 赤みを帯びた母の顔を見ながら、それでもまどかは首を横に振った。
 彼女には、自らの母の意見がひどく身勝手なものに思えたのだ。

まどか「そんなの絶対おかしいよ! 時には間違えって、大事なのは諦めないことだって、そう言ったのはママでしょ!?」

詢子「ああ、そうだな」

まどか「だったら!」

 ふっと笑みを浮かべる詢子の表情に、まどかは確信めいた物を抱いた。
 ああ、たぶん――

詢子「お前もいつか分かる時が来る。ああそうさ、アタシと同じ母親になったら、いやでも分かるさ」

――母の気持ちは、揺るがない。決心は曲がらない。
 そして自分は、母の考えを改めさせることが出来ない。

 どうにもならない深い溝。何が起きても交わらない平行線。
 自分と母の間には、超えることの出来ない意識の壁がある。

まどか「……う、ううぅ……っくぅ!」

 悔しくて、悔しくて、悔しくて。
 目からぼろぼろと溢れ出していく液体を止めることもできず。
 口から漏れる嗚咽を抑えることもできない。

433: 2011/11/29(火) 02:37:52.55 ID:4wKwex/4o

 全身を震わせるまどかのそばに、すっとキュゥべぇが歩み寄ってきた。

QB「泣いたって、状況は何も変わったりはしないよ」

 この場には不釣合いなほどのよく澄んだ、まともな正論だった。

QB「それにね、僕らの基準で考えてみると、確かに君の母親は非常に理不尽な提案を申し出ているように思えるけど」

QB「それが一人の人間として――いや、君の母親としてのものだと考えると納得がいかないわけでもないんだ」

 個の価値観や感情を理解しないはずのキュゥべぇにしては、珍しく人間寄りの意見だった。
 いや、違う。
 彼が言いたいのはそういうことじゃないはずだ。

QB「……説得するのは諦めて、別のルートを模索したほうが良い。その方が効率的だからね」

 結局そんなものだ。
 涙を拭いながら、いつもと変わらぬ彼の様子に半ば呆れる。

まどか「……そうだね」

詢子「まどか?」

 言って分からない、叫んでも分からないなら、別の方法を探すしかない。

 そう思い、身体を後ろに向けようとするまどかの背中に向けて、後ろから声が掛かった。

「やっと見つけましたよ、鹿目まどか……ったく、手間がかかるったらありゃしねーですね」

まどか「っ――アニェーゼさん?」

434: 2011/11/29(火) 02:38:51.53 ID:4wKwex/4o

 大きな蓮を模った杖を手にしたイギリス清教の修道女、アニェーゼ=サンクティス。
 彼女はまどかの退路を断つように構え、鋭い眼差しでまどかと詢子とを見比べる。

アニェーゼ「ただでさえ忙しいこの時に……ほれ、大人しくお縄についちまってください」

まどか「っ……嫌!」

 思わぬ伏兵の出現に、まどかは思わずじさった。
 アニェーゼにから離れるように後じされば、当然ながら背後にいる詢子に近づく形になり。
 二人に挟まれたまどかは、とうとう逃げるスペースを失ってうろたえた。

詢子「おい、アンタが誰かは知らないけどな、まどかに手ぇ出してみろ。ただじゃおかねぇぞ」

 アニェーゼは興味深そうに目を細め、ちらちらと二人を見た。

アニェーゼ「頑固なのは母親譲りってとこか……安心してくださいな。私はこの子を連れ戻しに来ただけですよ」

詢子「アタシは昔から宗教やってるやつだけは信用しないクチなんだ」

 そう言いながらも、二人は息の合った動きでまどかを追い詰めようとにじり寄ってくる。

 もとより二人とも、気が強い上に社会の荒波にもまれて今日を生き抜いてきたキャリアウーマンとシスターだ。
 年齢や職業、人種の差異こそあれど、根本的な部分は似通っているのかもしれない。

まどか「……アニェーゼさん、そこ、どいてください」

アニェーゼ「お気持ちは察しますがね、あなたはもう少し周囲の人間や暁美ほむらのことを考えるべきです」

アニェーゼ「……もっとも、どこぞの赤毛神父がこのことを知れば何たる傲慢だ、なんて息を荒げかねませんがね」

 炎の剣を片手に携えてクールに焼き尽くす姿が想像できますよ、というシスターの言葉を耳にしながら。
 前と後ろに迫る二人の障害に頭を悩ませていたまどかは、そこでふと小首をかしげた。

 視界の隅、正確に言えばアニェーゼの背後に、見滝原中学の制服の一端を見たからだ。

 そしてそれは脳裏に疑問が浮かぶよりも早く、次の行動に移った。

435: 2011/11/29(火) 02:39:42.42 ID:4wKwex/4o

――わあああぁぁっ!

 この場には不釣合いな、幼い少年のかけ声が響き渡る。
 突然のことにまどか達が呆気に取られている隙に、その声の主はアニェーゼに向かって後ろから抱きついた。
 あの特徴の無さそうで、しかしどことなく男らしい顔つきは――

アニェーゼ「ひゃぁっ!?」

まどか「中沢くん!?」

 そう。制服の主にして声の主は、まどかのクラスメイトである中沢だったのだ。
 だが驚くのはここからだ。
 さらに中沢の背後から衣服を赤く濡らした仁美がぬっと姿を現して、アニェーゼの身体にもたれかかった。

アニェーゼ「なっ、なんなんですかあなたたちは!?」

中沢「事情は分かんないけど、今のうちだぞ鹿目!」

仁美「まどかさん、さやかさんによろしくお願いしますわ!」

 ピリッ、とアニェーゼの身体から気迫があふれたのがまどかにも感じられた。
 思わぬ援軍に感謝しつつも時間を無駄にしないため、まどかは母に振り返る。

詢子「……良い友達を持ったな」

まどか「うん」

――それ以上、言葉を操る時間は無かった。余裕も無かった。必要も、無かった。

 力強く地面を蹴立てて、詢子の脇を通り過ぎるために身体を前へ前へと押し出す。

 足を前へ! 腕を前へ! 大きな障害を乗り越えて、一歩先へ踏み出すために!

436: 2011/11/29(火) 02:40:24.36 ID:4wKwex/4o

 しかし。

詢子「大人を舐めるんじゃねぇ!」

 前へ走るまどかと違って、どっしりと構えているだけでいい詢子にはいくらかの余裕があったのだろう。
 毎朝会社へ向かうことで勝手に鍛えられた足腰を活かし、まどかの身体が向かう位置へ身を寄せる。
 そしてぬっと腕を伸ばし、まどかの小さな身体を捕らえようとした。

 ぎゅっ、と肩が、腰が掴まれる。
 前へ進むことを阻まれた結果、頃しきれなかった速度が重たい衝撃となってまどかの身体を揺さぶった。

詢子「……!」

 それでも前へ進もうと身を捩るまどかは、母の表情に喜びの色が宿ったのを確かに見た。

詢子「ったく……知らないうちに重くなったなぁおい、それに足も速くなったんじゃないか?」

 それは、子の成長を喜ぶ母の想いからくるものだった。

詢子「子は親の知らぬ間に育つって言うけどさ……ま、でもここまでだ。がっちり捕まえたからな、もう離さないぞ」

まどか「……ううん」

詢子「あぁ?」

まどか「ここから、だよ!」

 温かい母の抱擁を心地よく感じながらも、まどかは自分の足元へ視線を落とした。
 まるで主に従う忠実な使い魔のように居座り、自分を見上げる二つの赤い瞳と視線が交差する。
 そうしていたのはほんの一秒にも満たないわずかな時間だろうけど。

 まどかの意図を察したキュゥべぇは、珍しく呆れたように首を振って見せた。

QB「やれやれ、いくら君のためとは、いえ少しは僕の身にもなってくれないかな――っと!」

 魔法少女を支える健気な使い魔のようなセリフを吐いて、キュゥべぇが彼女の肩に飛び乗った。

437: 2011/11/29(火) 02:40:53.14 ID:4wKwex/4o

 まどかは現在母に抱きしめられている。
 その肩に飛び乗るということは、必然的に詢子の顔に近づく構図になり――

詢子「わっ、なんだ!?」

 キュゥべぇが見えない詢子からしてみれば、ふわふわした見えない何かが現れた、としか認識できない。
 そしてその一瞬の隙を突いて――

 ゆっくりと。緩慢な動作ながらも。
 確かにまどかは、詢子の抱擁から逃れ、一歩前へと踏み出した。

詢子「しまっ……!」

 一歩踏み出してしまえば、二歩目以降はそう難しくない。
 瞬く間に詢子から離れ、まどかは強風が荒れ狂う外へと身を運び終えた。

 二人の間にある距離は、わずか三メートル。
 しかし立っているのがやっとの世界において、この三メートルのアドバンテージはあまりに大きい。

まどか「ごめんね、ママ」

詢子「っざけんな! いいか、もしそのまま走り去ってみろ、アタシはお前を一生許さないぞ!」

まどか「ねぇママ、わたしね」

詢子「黙ってろ! 今から行くから、動くなよ! 頼むから……!」

まどか「わたし、ママの子供に生まれてきて、本当に良かった」

詢子「今生の別れみたいに言うんじゃねぇ!」

438: 2011/11/29(火) 02:41:25.92 ID:4wKwex/4o

 風に煽られて何度かよろめきながら。

 キュゥべぇの頭を乱暴に掴む、最愛の母に向かって。

 その後ろでアニェーゼにしがみついている、二人のクラスメイトに向かって。

 まどかは優しく、柔らかく微笑んだ。

まどか「わたし、必ず帰ってくるから」

 それだけ言うと、まどかは後ろを振り返り、再び走り始めた。

 風によろめき、石につまずくその姿は、決して格好の良い姿ではなかったけれど。

 それでもまどかの心は、見滝原市を覆う悪天候など気にも留めないくらい澄んだ青空のように晴れやかだった。

452: 2011/12/04(日) 01:57:43.25 ID:ng8U45Dwo

――まどかを取り逃がしてしまったアニェーゼは小さくため息を吐いた。
 まとわりつく中沢と仁美を振りほどき、肩を落とした詢子に近寄る。
 抜け殻のようなその背中は、お世辞にも大きいとは呼べなかった。

アニェーゼ「すいませんね、油断したばかりに娘さんを逃がしちまいました」

詢子「……いや、いいって。アタシも悪かったんだ」

 風によって舞い上がる砂埃によって、とうの昔に後姿すら見えなくなってしまったと言うのに。
 詢子は大穴の外、自分の娘が走り去った方角から目を離さずに、肩をすくめた。

詢子「初めてなんだよ、あいつがアタシの言うこと聞かずにどっか行っちまうのなんて」

詢子「それが憎らしくて、でも誇らしくてさ。なんだかね……悲しいけど、同時にそれが嬉しくもあるんだよ」

詢子「……母親失格だな」

 アンビバレンツ――二つの相反する感情を発見して自己嫌悪する詢子から目を逸らし、アニェーゼも外を見た。

アニェーゼ(本当に、どっちの気持ちも分からないわけじゃねぇんですがね)

 鹿目まどか。彼女は悪くない。
 杏子と行動を共にすることが多かったアニェーゼではあるが、空いた時間でまどかと会話をしたことは少なくない。
 美樹さやかが魔女になったときはもちろん、その後に訪れたほんの一時の平穏な日々などでだ。

 彼女はあくまで人並の平和と幸せを願ったに過ぎない。
 二転三転する状況に流され、絶え間なく襲い掛かる現実に押し潰されそうになりながらも。
 彼女は当初、結界に囲われ、守られるだけの存在でいてくれることに同意してくれた。

 しかし人間とは我侭であり、欲深く、情にもろい生き物だ。
 一を得れば二を求め、三を欲し、やがて一〇にまで手を伸ばそうとする存在だ。
 事実、アニェーゼもそうした人間の一人である。

 それゆえに、アニェーゼはどうしてもまどかのことを非難する気になれなかった。

453: 2011/12/04(日) 01:59:14.64 ID:ng8U45Dwo

 それよりも気になることがあるのを思い出して、アニェーゼはへたり込んでいる少年少女に目を向けた。

アニェーゼ「子供のおふざけにしちゃあ度が過ぎてますね。お仕置きと調教、どちらがお好みですか?」

中沢「どっちとも同じじゃないかと……う、嘘です! すいませんでした!」

仁美「私はお友達を助けただけですの。シスター様にとやかく言われる筋合いはありませんわ」

 つい先ほどまで生氏の境を彷徨っていた少女にしてはだいぶ強気な発言に、アニェーゼは眉を上げた。
 その軽はずみな行いが原因でまどかが氏んだら、お前らはあの母親に向かってなんと声をかけるつもりだ。
 そんな言葉を口に出そうとするも、結果的には口をもごもごさせて唸っただけに留まる。

 彼らだって悪気があったわけではない。事情を知らない者なりに友人のためを考えての行動なのだろう。
 その美しい友情を、どうしてつまらない言葉で潰せようか。

 ぶつけようの無い苛立ちを募らせていると、アニェーゼは視界の隅に見知った顔を二つ捉えた。

アニェーゼ「シスタールチアにシスターアンジェレネ……と、そちらの少女は?」

 さすがに背後からメイスはないだろ……ガクッ、などと呟く短髪少女を引きずりながら、
 相当走って来たのであろう。ルチアは肩を上下させながら口を開いた。

ルチア「はぁ、はぁ……能力者です……遅れて申し訳ありません、でした……はぁ、はぁ」

アンジェレネ「なんか元気な中学生のみなさんに足止めを食らっちゃいまして……
           その、私からしたら同い年くらいなんですけど。多分鹿目さんのお友達だと思います」

アニェーゼ「呆れるくらい素晴らしい友情ですね……それで」

アニェーゼ「どうして私たちが彼女の邪魔をしてるってお分かりになったんで? 辻褄が合わねぇんですよね」

中沢「えぇっと……」

454: 2011/12/04(日) 01:59:55.29 ID:ng8U45Dwo

 後ろめたいものがあるのか、それとも自分自身でもよく理解していないのか。
 漠然としたなにかに囚われたような表情を浮かべた中沢は、自信無さ気に続けた。

中沢「最初はその、鼻歌が聴こえてきたんです。アメージンググレイス? とかいうやつの」

 アメイジング・グレイス、いわゆる賛美歌だ。
 賛美歌と言っても新教寄りかか旧教寄りかで色々とあるのだが、それはまぁいい。
 歌に魔術的要素を交えて術式を構築することも少なくないので、それが何らかの魔術であることは察しがついた。

中沢「で、その後にエセ古文調というか、古典的というか……バカみたいな喋り方?」

仁美「たりとかけるとかなりとか、そんな風な女性の声が聞こえてきましたの。小声でしたけど」

 嫌な予感がする。
 そんなバカみたいな喋り方をする人間に心当たりがあるかないかで言えば、ある。
 それも最悪な人物だ。

中沢「内容は、えーっと……友を救えよ、とか。隣人を愛せよ、とか。あとは確か」

中沢「汝の欲するところを為せ(やりたきことを見つけたれ)。
.     それが汝の法とならん(それに従いて突き進みたれば間違いはなしにつきけるわ)……だったかな?」

仁美「それを聞いた途端、助けなければと思いまして……だって、友達ですから」

 決まりだ。

 純真無垢な少年少女をたぶらかし、意図的に鹿目まどかを誘導せしめた黒幕がいる。
 しかもそれは現在進行形で悪巧みをしている最中なのだ。
 いかなる金の装飾にも勝りうる、滑らかな黄金の髪を思い出しながらアニェーゼは歯噛みする。

 苛立たしげに地面を踏みしめると、アニェーゼはルチアを見上げた。

アニェーゼ「通信霊装を貸してください。あの悪女のことは、古株に聞くのが早いですからね」

455: 2011/12/04(日) 02:01:02.06 ID:ng8U45Dwo

 ルチアからカード状の霊装を受け取ったアニェーゼは、ローラと面識があり、因縁深い人間……
 すなわちステイルに向かって呼びかけた。
 しかし応答はない。聞こえてないのか、出る余裕がないのか。

 首を捻ると、今度はその近くにいるであろう天草式を呼び出した。
 今度は成功する。低い男の声――おそらくは建宮――が応答した。

アニェーゼ「アニェーゼです。ステイル=マグヌスはそちらにいますか?」

建宮『……いや、残念ながらいないのよな』

アニェーゼ「ふむ、例の女狐が尻尾を出したんですがね。神裂火織かシェリー=クロムウェルはいますか?」

 霊装の向こうで、建宮が躊躇うようにごくりと喉を鳴らした。

建宮『いるにはいるが、二人とも現在治療中だ。意識は戻られてない。というか戦闘員は全員アウトなのよな』

 彼の声が震えているのに気がついて、アニェーゼは顎に手をやった。
 ステイルはその場にいなくて、戦闘員が全員倒れている、ということは。

アニェーゼ「ワルプルギスの夜はどうなったんです?」

建宮『あー……沈黙しているのよな。力を溜め込んでいるとも取れるし、静観しているとも取れるし……』

アニェーゼ「要領を得ない回答ですね」

建宮『一応要塞に連絡して、断続的に砲撃を加えてはいるが……』

 効き目は薄い、ということか。
 早急に他の勢力に協力を打診するか、最悪の場合は学園都市の協力を仰がねばなるまい。
 学園都市が誇る最強の能力者やあの少年の力があればあるいは、と考え、ふと疑問を覚えた。

アニェーゼ「ん? それじゃあ赤神父はどこにいるってんです?」

 アニェーゼの問いかけに、建宮は呆れているようで、笑っているような、そんな声で答えた――

456: 2011/12/04(日) 02:01:37.17 ID:ng8U45Dwo

――時間はほんの少しだけ巻き戻る。
 まどかが母親と戦っていた頃。
 暁美ほむらもまた、同じように強敵と戦っていた。

 ただしまどかと違って物理的に、武力的に、である。

ほむら「くぅ……!」

 絶え間なく繰り出される斬撃の隙間を縫うように身を捩じらせる。
 しかし自身の一手二手先を行くキリカにしてみれば、その程度の抵抗は意味を持たないのであろう。
 わずかな隙を突かれたほむらは、鳩尾に膝蹴りをもらって地面を転げまわった。

キリカ「鈍い、脆い、細い、それに狡い……つまらないね。つまらない」

 ひどく身勝手なキリカの呪詛に舌打ちする。
 砂利に混じって口の中に飛び込んだ髪の切れ端を吐き捨てると、呻き声を上げながら織莉子を睨みつけた。

ほむら「……解せないわ」

織莉子「氏者に理解されなくたって、私は構わないわ」

 それだけ言うと、織莉子は帽子を目深に被り直した。
 話し合うつもりはない、ということだろう。
 もとより覚悟していたとはいえ、自分と二人との間に広がる壁を再認識して思わず愕然とする。

 ソウルジェムはすでに三割が濁っていた。
 このまま防戦一方では身体の治癒に魔力を費やし追い込まれるだけだ。
 無駄を承知でほむらは織莉子に話しかける。

ほむら「なぜ私を狙うの? あなたの狙いはまどかの魔女化を防ぐことのはずよ」

 回答の代わりに繰り出されたキリカの鋭い肘鉄が腹部を抉った。

キリカ「織莉子は愚者と喋るつもりはないんだってさ。さぁさ壊れた壊れた!」

 子供のように陽気な声とは裏腹に、彼女の攻撃はあらゆる魔女のそれよりも鋭く執拗だった。

457: 2011/12/04(日) 02:03:02.67 ID:ng8U45Dwo

ほむら「……愚者はどっちかしらね」

キリカ「織莉子を愚弄しないでくれるかな!」

 キリカの鉤爪が左腕を切り裂いた。
 すぐさま痛覚をコントロール、失われた血液を魔力で補う。

ほむら「こんなことをしても何の解決にもならないわ。これでは誰も救えない!」

 ぴくりと、織莉子の肩が揺れ動いたのをほむらは見逃さなかった。
 ほんの一瞬の揺れは時間と共に大きくなり、次第にがくがくと揺する形へ移行していく。
 白い魔法少女はおかしくてたまらないという風に帽子を手に取り、その頬を怪しく吊り上げた。

 笑っているのだ。

織莉子「分かっていないわ、あなた。まるで分かってない」

 くつくつと、喉の奥を鳴らすようないびつな笑い方。
 まるで壊れたブリキ人形がカシャカシャと動いてるようだ、とほむらは思った。

織莉子「これが一番犠牲の少ないやり方で、これが最良かつ最善の、世界救済の方法よ」

織莉子「たとえ私とキリカが氏のうとも、これで世界は救われる!」

 どうやって救うというのだ――そう疑問を投げかけようとしてほむらは舌を噛んだ。
 次いで頭の中が揺さぶられて、時間の感覚さえ失ったかのような錯覚を覚える。
 懐にもぐりこんできたキリカの掌底が顎をクリーンヒットしたのだ。
 意識が刈り取られなかったのは不幸中の幸いと言えるかもしれない。

ほむら「っ……ステイルたちと協力すれば、あなたたちが氏ななくても……良い未来が掴めるはずよ」

 頭の中を行き交う膨大な情報は、果たして身体を回復させるための反射的なそれからか。
 それとも織莉子を揺さぶり、キリカを揺さぶることを見つけようとするそれからか。
 そんなほむらのダメージを察しているのかいないのか、織莉子はその表情に悲哀の色を混ぜ込んだ。
 そして告げるのだ。

織莉子「魔術師(かれら)では、世界は救えないわ」

458: 2011/12/04(日) 02:04:10.87 ID:ng8U45Dwo

 未来を見通す力を持った彼女の言葉はあらゆる推測よりも現実味を帯びている。
 その未来は不確かで可変なれど、しかし未来であることに変わりはない。
 それゆえに、ほむらは信じたくなかった。

ほむら「救えるわ、彼らと一緒なら、きっと!」

織莉子「神裂火織」

 あまりにも唐突な切り出し方に呆気にとられながらも、
 ほむらは顔面に叩き込まれようとしていた斬撃を寸でのところで回避する。

織莉子「シェリー=クロムウェル、天草式十字凄教、アニェーゼ=サンクティス、スマートヴェリー」

織莉子「そしてステイル=マグヌス」

 織莉子の表情にべったりと張り付いた笑みは、あまりにも痛々しかった。
 現実に対して絶望し、しかし希望を諦めていないようで、自身の無力さを把握しているようなそんな笑みだ。

織莉子「彼らはこの戦いで皆氏ぬわ。私もキリカも、美樹さやかも、あなたも、最終的には鹿目まどかも」

 とくん、とくんと規則良く波打っていた心の音が、急速に速まっていく。

織莉子「それでも、世界は救われる――ねぇ?」

織莉子「あなたは天使を見たことがあるかしら? 黄色いわっかに白い翼、白い髪に紅の眸を持つ天使を」

 壊れている、と切り捨てることは容易い。
 しかしほむらは見ている。知っている。確かに地上に君臨した青と緑と赤の天使の存在を。

 だから彼女は否定できない。
 織莉子の、悲しい希望に縋りつくような言葉を否定できない。

織莉子「私は見たわ。地を砕き天を割る天使が、ワルプルギスの夜を切り伏せる姿を!」

織莉子「私は識(し)っている!私たちという犠牲を乗り越えて、世界は救われるということを!」

459: 2011/12/04(日) 02:04:47.79 ID:ng8U45Dwo


――でも。

織莉子「そんな天使でも、どうにもできない存在がある。最強の魔法少女が生まれ、最悪の魔女になる」

織莉子「その魔女が猛威を振るうのはまだいいわ。美樹さやかの運命を捻じ曲げた“彼”がなんとかするかもしれない」


――それ、でも。

織莉子「……ダメなのよ。その魔女が、結果的に引鉄を引いてしまう。全てを……世界そのものを無為にしてしまう」


――だから。


織莉子「ここで氏んでもらわなきゃいけないのよ、暁美ほむら」

ほむら「なぜそうなりゅっ――!?」

 言葉を投げかけ、右の頬に違和感を抱いたときにはもう遅い。
 意識が遥か彼方へとはばたきかけ、目蓋の向こうにありもしない星空を垣間見る。
 自分の身体がコンクリートの上を転がっていることにほむらが気付いたのは、
 それから十秒余りが経過してからだった。

キリカ「油断大敵って名言を知らないのかな、愚者は」

 それはことわざだ、などと毒を吐く余裕はない。
 頬が焼けるように熱く、あご周りの骨が錐か何かで刺されたように痺れ、ほむらの思考をかき乱していく。
 痛覚をカットして魔力を回復に費やせばその場は凌げるが、ソウルジェムが持たない。

 杏子に救ってもらった命を、無駄にすることは出来ない……!

ほむら「……こうしてわたしをなぶったところで、あなたはなにも成し遂げられないわ」

 精一杯の皮肉を含めたつもりだった。
 それで織莉子の精神を揺さぶり、彼女に動揺をかけることさえ出来ればよかった。

 だから面を上げたとき、織莉子の顔に浮かぶ哀れみの表情を見てほむらは呆気にとられた。

460: 2011/12/04(日) 02:05:14.27 ID:ng8U45Dwo

織莉子「それを、あなたが言うの?」

 それは純粋な疑問によって成り立つ、短い問いだった。

織莉子「何も成し遂げていないあなたが、それを言うの?」

――どくん、どくん。

 胸の高鳴りが速まり、音を上げ、全身を震わせる。
 痛い。胸が突き刺されたように痛い。肺が酸素をむさぼり、なお貪欲に空気を欲しているのが分かる。

織莉子「おさらいしましょうか。あなたがこの世界に来てからの行動ぶりを」

 胃がむかむかする。手足の先が思うように動かない。
 黙れと叫びたいのに舌が回らなくて。声は嗚咽となって喉から漏れるのみだ。

織莉子「臆病なあなたは、それまでとは違った歴史を歩む世界を見て恐怖した。違う?」

 違う、と否定することはかなわない。
 それだけ彼女の言葉は正鵠を射ていた。

織莉子「事態の把握に時間をかけ、あなたは鹿目まどかとキュゥべぇの接触を妨害することを怠った
     感謝して欲しいわ。私のフォローがなければ彼女はとっくの昔に魔法少女になっていたのよ?」

ほむら「っ――それ、は!」

織莉子「見知らぬ参入者……ステイル=マグヌスを警戒し、余裕のないあなたは巴マミを救えなかった」

ほむら「救ったわ! 私はちゃんと、ちゃんと!」

織莉子「彼がいなければ救えなかった。つまりそういうことよ
     だから美樹さやかが魔法少女になるのも止められなかった」

461: 2011/12/04(日) 02:05:40.23 ID:ng8U45Dwo

 気がつけば、先ほどまで執拗な攻撃を繰り返していたキリカが暇そうに座り込んでいた。
 織莉子の言葉が止むまで戦うつもりはないようだ。
 助かった、そう安堵したくとも今のほむらには心を落ち着かせるだけの余裕がなかった。

織莉子「巴マミが魔女になったとき、あなたは取り乱してなにも出来なかった
     美樹さやかが自棄になったとき、あなたは最低限のフォローしかしなかった」

ほむら「違う!」

織莉子「違わないわ。あなたの魔法を用いれば、いくらでも助ける方法はあったはずよ
     彼女が魔女になり、救い出す算段になったとき。あなたは一体何をしたのかしら?」

 思考を激情が満たし、先ほどまでとは別の意味で顔が熱くなる。
 それは果たして怒りからくるものなのだろうか。それとも恥からくるものなのだろうか。
 ともかく、織莉子からはほむらの頬が引きつり紅潮しているように見えたかもしれない。

織莉子「彼女を救ったのは、ステイル=マグヌスと上条恭介の力。
     そして私の見た未来には存在しなかった彼……話に聞くところの、“幻想頃し”のおかげよ」

 幻想頃し。空間を引き裂き、絶望をぶち壊したヒーローのような存在。
 ステイルの様子を見ただけで分かるとおりの、偉大な存在。しかし普通の少年。
 そんな彼の名前を、ほむらは知らなかった。

ほむら「……」

織莉子「あなたは何も成し遂げられなかった。だから佐倉杏子は氏んだのよ」

キリカ「そうそう、愚者。君のせいでね☆」

 改めて事実を突きつけられ、より一層胸が痛む。

織莉子「そしてあなたは繰り返す。昏い道に望む景色がなかったという理由だけで逃げ続ける」

織莉子「私はあなたとは違う。道が昏ければ自ら陽を灯す」

 織莉子の言葉は、ほむらの心に重く圧し掛かった。

462: 2011/12/04(日) 02:06:10.73 ID:ng8U45Dwo

――だけどそれだけだ。

 分かっている。分かっているのだ。
 そんなことはとうの昔に分かりきっていたことだ。

ほむら「それでも私は、後悔しない。後悔したくない。だからもう逃げない」

 後ろに広がるは仲間の骸。
 目の前に広がるは仄暗い混沌。
 されど、あのお節介な魔術師と肩を並べることが出来るのであれば、それも甘んじて受け入れよう。

ほむら「私は決めたわ。ステイルたちと一緒にまどかを救うと!」

ほむら「そのためにも……」

 盾の中から大口径の拳銃を取り出したほむらは、織莉子の顔を真正面から見据えた。


ほむら「私はあなたたちを倒して、先へとすす、っうん?」


 口から漏れた言葉は言葉の体裁を成していなかった。
 不審に思い、もう一度言葉を出そうと喉を震わせる。


ほむら「んっ、く……ぁ?」


 やはり言葉は出ない。
 代わりに喉からは液体と空気とが混ざって跳ねる音が漏れた。


ほむら「っ……ぇ?」

463: 2011/12/04(日) 02:07:00.29 ID:ng8U45Dwo

 思わず喉に手を当ててようやく事態を把握する。

 喉がぱっくりと、鋭利な刃物かなにかで切り裂かれていた。

キリカ「はい、おしまい」

 ぐらりと揺れる視界の隅に現れた黒い少女の身体が不自然なほどに赤く濡れているのは、気のせいではないはずだ。
 ひゅー、ひゅーと喉に出来た傷口から空気が漏れ、同時にほむらはくずおれた。
 それでも呼吸をしようと口を動かしあえいでいるほむらのそばに、そっと織莉子が歩み寄る。

織莉子「……道が昏ければ自ら陽を灯す。それは良い判断よ」

 傷口に魔力を注いで治癒を試みながら、彼女の顔を睨みあげる。

ほむら「わあ、ひっ、は、あきっ……めな、ひっ……ぜったい、に……」

織莉子「その希望が」

 織莉子の表情に悲しみの色が浮かんでいるのは、何故なのだろう。
 そんなことを考えながら、ほむらは口の中に溜まった血を吐き出した。
 治癒が追いつかない。

 喉から血が溢れ出たことで血圧に異常があったのだろう。
 脳に届けるはずの血液がなくなってしまったのだろう。

ほむら「っ――――――」

 ぐにゃりとゆがみ、崩れる視界にはもう何も映らなくて。

 次第に全身の感覚がなくなっていくのを感じながら、それでもほむらはあがく。
 ソウルジェムを輝かせ、身体が壊れきる前に治そうと必氏にあらがう。

464: 2011/12/04(日) 02:08:18.17 ID:ng8U45Dwo


織莉子「その希望が、あなたを最強の魔法少女へと変貌させる」
                   ¨ ¨ ¨ ¨ ¨ ¨ ¨ ¨ ¨ ¨ ¨ ¨

――何を言っているの?


織莉子「その結果、あなたは最強の魔女へと至る」
            ¨ ¨ ¨ ¨ ¨ ¨ ¨ ¨ ¨ ¨ ¨

――何を言っているの?


織莉子「そして世界は無為になる。wvigikcqえんかgmhzpogijqとわりxgohrlenvに導かれて」


――何を



 思考を働かせる前に、血に濡れたほむらは見た。
 回復し、視力を取り戻した目で。
 真っ黒に染まった自分のソウルジェムを。

――身体の回復はぎりぎり間に合っているのに、魂の方が持たないだなんて。

 毒づく間など与えられず。

 限界に達したソウルジェムは、ほむらの心境を無視してひび割れていく。

 やがてその内側から、もう一人のほむらと呼ぶべき魔女が孵る――

465: 2011/12/04(日) 02:09:16.69 ID:ng8U45Dwo







『大丈夫だよ、ほむらちゃん』






.

466: 2011/12/04(日) 02:09:42.36 ID:ng8U45Dwo

 なんの前触れもなく、その声はほむらの心に直接届いた。

『もういいの』

 その声は慈しみに溢れていた。

『もう苦しむ必要なんてない、もう頑張る必要なんてないんだよ』

 その声は愛しみに溢れていた。

『……やっと会えたね、ほむらちゃん』

 同時にその声は、喜びで彩られていた。

『ずっと会いたかった』

 心を満たす温かい何かに戸惑いながらほむらは顔を上げた。
 果たして、そこには眩いばかりの光があった。
 あらゆる闇を消し去り絶望を打ち砕く、金色の輝きを誇るそれは、優しくほむらを包み込む。

『私の、最高の友達』


 暁美ほむらの救済が、始まる。

477: 2011/12/17(土) 01:18:38.38 ID:lmpn7IkOo

 揺れ動く情勢など気にもかけず、何が面白いのか鼻歌を歌うローラ。
 彼女は笑みを浮かべて足元に広がる水溜りに視線を落とし、金の髪を撫でた。
 それから長年連れ添ってきた相棒に向けるように、優しく右手を挙げて振ってみせる。

ローラ「時間通りなりけるわね。わざわざ私のためにご苦労様」

 短くため息をする音が漏れて、彼女のすぐ背後にアロハシャツを着た男――土御門が現れた。
 その隣には柔和な笑みを顔面に張り付かせた魔術師、海原ことエツァリの姿もある。

土御門「勘違いするな、お前のためじゃない。可愛らしい口リっ子のためだ」

海原「やめてくださいよ、自分まで口リコンみたいに思われるじゃないですか」

土御門「義妹ほったらかして中学生ストーキングしてたくせに自覚なかったのか? うわぁ……」

 黒曜石のナイフを取り出した海原をなだめつつ、土御門はローラの様子を窺った。
 そしてさも不愉快そうに自身の背後を親指で指し示しながら――ローラからは見えていないが――鼻を鳴らす。

土御門「“二人”は無事だ。様子を見るか?」

ローラ「遠慮したるわ」

土御門「ずいぶんと無責任だな」

ローラ「だってそうでしょう? 私のせいで魂を削りし子と面会なぞした時には、
     いかに複雑なりける事情を説明したりたところで命がいくつあっても足りなきことではなくて?」

土御門「……ふん」

 彼はふたたび鼻を鳴らすと、サングラス越しにローラを睨みつけた。

土御門「先に断っておくが、俺もステイルもねーちんも、お前に利用されるだけじゃ終わらないぞ」

土御門「お前の望む犠牲の少ないベターエンドじゃない。誰も傷つけないハッピーエンドを勝ち取ってやる」

ローラ「そう、期待せずに待ちけるわ」

土御門「……そうやって余裕ぶっていられるのも今だけだからな」

ローラ「おーこわかこわか」

478: 2011/12/17(土) 01:19:34.61 ID:lmpn7IkOo

 用は済んだといわんばかりに踵を返す土御門。
 海原もどこか名残惜しそうにローラとキュゥべぇへ視線をやりつつ彼の後に続いた。

海原「よろしいのですか? 仮にもイギリス清教の頂点に対してあのような……」

 あくまで穏便に、と言いたげな海原に対して土御門はうんざりした様子で答える。

土御門「元頂点、だ。それにあいつにはもう俺達をどうこうするほどの余力は残されてない」

 土御門の予想が正しければ、ローラはもはや全盛期ほどの力を有していない。
 “彼”に幻想をぶち壊されたのも大きいだろうが、恐らくそれ以上にもっと現実的な問題があるはずだった。
 例えば、彼女の肉体は既に――

 そこで彼は思考を中断すると、目の前でもぞもぞと動く人影――
 もとい、つい先ほどまでほとんど半氏状態だった赤い髪の少女に気付き軽く目を見張る。
 海原の拙い回復魔術を重ね掛けしたかいもあってか、体中にすり傷を負ってはいるものの後遺症はないらしい。

 五体満足でいる少女は、這い蹲るような姿勢のまま土御門を見上げた。

「……なにがどーなってやがる?」

土御門「おおっ、おはやいお目覚めですたい。気分はどうかにゃー?」

 顔を歪めて呻き声を上げながらごろりとその場に寝転がる。

「……アタシは、確かあの時に……ってかなんでコイツがここにいやがる……?」

 それから彼女はすぐそばですやすやと寝息を立てているもう一人の少女――青い髪の――を横目で盗み見た。

「……アンタは誰だい?」

土御門「んー、その質問に答える代わりに、こっちの質問にも答えてくれるかにゃー?」

「取引しようってのかい?」

土御門「そっ、なんてこたーない情報交換ぜよ。あ、ちなみに俺は土御門元春、こいつはエツァリだにゃー」

海原「どうも、エツァリです。海原って呼んでくれても構いませんよ」

「あぁ? ……アタシは」

479: 2011/12/17(土) 01:20:01.24 ID:lmpn7IkOo



杏子「アタシは佐倉杏子、そこでぶっ倒れてるのは美樹さやかだよ」



土御門「ふふん、よろしく頼むぜぃ?」


.

480: 2011/12/17(土) 01:20:27.89 ID:lmpn7IkOo

――意識を失っていたのは果たして何時間か、何分か。

「んんっ……」

 目蓋越しに届く光に気付いて目を開いた時、彼女の目の前に広がっていたのは。

 眩いばかりの黄金――黄金の宇宙だった。

 金色の宇宙など存在しないため、もはやそれは宇宙じゃないのではとも思うが、
 眼下に広がる無数のきらめきは確かに星が瞬いているように見えて、表現するなら宇宙だろうと再確認。

 いや、正確に表現するならば黄金の宇宙とそれに浮かぶ無数の銀河か。

 ではここは本当の意味で宇宙と呼べる場所なのか?

 それも違う、と彼女は直感で悟った。
 直感で悟ったとは言うが、そもそもなんだ。本当に宇宙にいるのならもっと慌てふためくはずだ。
 というか、宇宙にいるはずがない。

「……結局、ここはどこ?」

 分からない。
 宇宙のようだが宇宙ではなく。
 重力はあるようでなく。
 上下の感覚こそあるがその壁は曖昧で、ゆったりと漂っているが決して加減速したりはしない。

 まるで海のようだ――と、そこまで考えてから彼女はかぶりを振った。

 もっと大事なこと、これまでに思い浮かべた疑問よりも遥かに重要なことを思い出した。

 突き詰めてしまえば、前に挙げた二つの疑問などこの問題と比べてしまえば些細なものに過ぎないかもしれない。
 暗く冷たい世界の只中に取り残された少女から、少女であることすらも取り上げてしまうような事態。
 自分の半身を奪われるに等しい大事。

481: 2011/12/17(土) 01:21:25.83 ID:lmpn7IkOo

――そもそも自分は誰だ?

 ということである。

 自分がどんな人間であったのか、そんな記憶すら彼女は持っていなかった。

 だからと言うわけではないが少女は新たな事実――自分が一糸纏わぬ姿でいることに気がついた。
 暑くもなく寒くもない現状において衣服の必要性はさほどないが、それでも少女はげんなりしてみせる。

 かろうじて身に着けているものといえば、左の手の甲に埋め込まれた紫色のダイヤくらいなものか。

「……最悪な気分ね」

 目も当てられぬ状況に対し少女はため息を吐くことしか出来なかった。

「どうしたものかしら」

 上を見ても黄金。
 下を見ても黄金。
 身を捻り、首を曲げても黄金。

 目を凝らせば――凝らさずとも――銀河が見えて、目を閉じると淡い光が目蓋の内に忍び込む。

 それ以外には何もない。不可思議な世界。
 時間の必要性すら感じられない、夢の世界。

 心細いかと問われれば、心細い。

 寂しくて氏にそうに――はならないが、寂しいと氏ぬ(らしい)ウサギの気持ちが分かったような気がした。

482: 2011/12/17(土) 01:21:52.77 ID:lmpn7IkOo

 しかしあまりにも現実離れした状況に陥ると、かえって余裕を持てるのが人間という生物だ。
 彼女は自身を取り巻く不可思議の中をたゆたいながら、脳髄に残るわずかな記憶を頼りに状況を整理し始めた。

 それは点検にも似た自己診断。
 口から言葉をこぼし、それに思考で答える作業だった。



「私はどこにいたのかしら?」

――地球、というか日本の東京にいた。治療を受けていた、はず。確か心臓の病気だった気がする。


「私ってどんな人?」

――病気のせいもあって、ひどく内向的で人付き合いが苦手だった。得意なこともなく、短所と欠点だらけ。


「私はどんな人生を送っていたの?」

――誰とも馴染めず、友達も作れず、というか分からず、生きる意味すら見出せず。なんというか……惨めだった。



「あまり良いところがないのね……」

 なんというか、我ながらそうとう悲惨な人生を送っているようだ。
 情報としての記憶は蘇りつつあるものの、されどそのエピソードに実感はなく重みもない。

 もしかすると。
 自分の人生の大部分を埋め尽くしているであろうこれまでの体験には、あまり価値はないのかもしれない。
 それでは残りの記憶を取り戻したところで、何も進展は得られないだろう。
 というかそうに決まっている。

 奇跡でも起こらない限り、この人生に意味などない。
 それが記憶を失くした少女の出した結論だった。

483: 2011/12/17(土) 01:22:18.84 ID:lmpn7IkOo

「骨折り損のくたびれ儲けね」

 診断を打ち切ろうとかぶりを振った彼女は、

「っ……」

 ――その瞬間、脳裏をかすめ、通り過ぎていった何かに眉をひそめた。

 それは誰かの横顔のようだった。

「今の、は?」

 たったそれだけの映像が、彼女の心を大きく揺さぶる。
 真っ白なキャンパスの表面に生まれた、確かな色のついた波紋。
 広がり具合は遅々としたものだが、時間の概念があるかどうかさえ疑わしい世界において速度は意味を持たず。

 瞬く間に彼女はその横顔に心を奪われ、支配されてしまった。


 思い出したい。

 思い出さなくちゃいけない。

 霧散してしまった記憶の手がかりになりうるかもしれないという考えに従って。
 あるいは思い出さなければならないという使命感にも似た焦燥に駆られて。

 彼女は思考をめぐらせると、ふたたび記憶の海へ潜行していった。

484: 2011/12/17(土) 01:22:53.61 ID:lmpn7IkOo

「それで、私はそれからどうなったの?」

――良い腕のお医者さんがいるという理由で引越した。引越し先の病院で治療を受けたけど、病気は治らなかった。


「……そう。病気は治らなかった。それで、次に私はどうなるの?」

――引越し先の街の名前は見滝原市といって、そこの中学校に転入することになった。正直、不安だった。


「……でも、先に諦めがあったからそれほど絶望はしなかったんだよね」

――うん。


「“わたし”は、そこでなにをしたの?」

――学校で自己紹介。しどろもどろで噛み噛みで、恥ずかしかった。自分が嫌になった。


「……自己紹介に失敗しちゃって、先行きの暗い学校生活に頭を抱えそうになったんだよね」

――まただめだって、そう思ったの。また同じことの繰り返しで、わたしは変われないままなんだって。


「でも、違った」

――そう、違った。


「どうしようもないほど辛くて、寒くて、苦しかったわたしを認めてくれた人がいた」

――あの人がわたしの心に暖かい光を差し込んでくれたから。



 わたしはもう少しだけ、頑張ろうって思えた。

485: 2011/12/17(土) 01:23:25.62 ID:lmpn7IkOo

 そうして、少女は自己との対話――あるいは同期を済ませた。
 “私”は“わたし”であった頃の自分を取り戻すことができた。
 気がつくと、その肢体は見滝原の制服で包まれていた。

「――ぷはぁっ!」

 まるで海の底から浮かび上がってきたかのように大きく口を開けて呼吸をし、肺を空気で満たし尽くす少女。
 それから彼女は、長年連れ添ってきた愛しき者に接するように、慈しみを込めてその名前を呼んだ。

「鹿目、まどか……」

 なんと暖かい響きだろう。
 なんと眩しい名前だろう。

「鹿目さん、あなたがいたから、わたしはここにいるんだよ?」

 もうそれ以上見えざる自分と言葉を交わす必要はない。すでに鍵(きっかけ)は得られたのだ。

 もうすでに、海の奥深い場所に隠されていた宝箱(きおく)に掛けられた重く固い施錠は解かれている。

 力を込めて開け放てば、すぐにでもその中に眠る財宝(おもいで)と対面することが叶ってしまう。


 問題は、その中身が彼女にとって良い物であるか否か。

 固く閉ざされていたのを鑑みれば分かるように、その中には決して幸福ばかりが詰まっているわけではないはずだ。
 どうしようもない不幸や悲しい現実があるに決まっている。
 少女に必要なのはそれらと向き合う勇気だった。

「だいじょうぶ……」

 それは自分に言い聞かせるための言葉でもあり、
 同時に勇気付けるための言葉でもあり、
 慰めるための言葉でもあった。

 黄金の宇宙をたゆたう少女は意を決して輝かしい銀河の海へと飛び込んでいく。
 果たしてそれは心理的なイメージに過ぎないのか、あるいは実際にそのように行動しているのか。
 それは分からない。

 いずれにしろ、彼女はもう飛び込んでしまっている。今更後悔したところで遅いのだ。

486: 2011/12/17(土) 01:23:52.91 ID:lmpn7IkOo

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 それは荒廃した街で。

 それは歪な結界で。

 それは救済されゆく世界の果てで。

 幾度となく見届けた光景。

 それは誰かの氏であり、誰かの涙であり――

 赤い二つ目を持つ、白い獣の笑みであった。

      
 ――キュゥべえ……!!
       ¨ ¨ ¨

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━



 少女が過ごしてきた過去が、少女の脳裏を駆け巡る。

 ある時は守られ。
 ある時は庇われ。
 ある時は共に戦い。
 ある時は笑いあい。

 疑われ、苛まれ、翻弄された過去。
 救えなかった命に嘆き、救うことができた命に喜んだ日々。

 彼女が積み重ねたものが崩れ行く場面。
 全てをかき消す絶望。現実。悲劇。

 まったく――救いなどまるでない、陰惨な過去。

487: 2011/12/17(土) 01:24:45.42 ID:lmpn7IkOo

「っく……うっ……」

 新たに拾い上げた記憶は、彼女の覚悟を遥かに上回るほどに救いようがなかった。

 とてもすぐに噛み砕けるものではなく、受け止めきれるものではなく、認められるものではない。

「“まどか”……」

 その代わりに、少女はどんな財宝にも勝りうる大切な思い出を取り戻した。

 鹿目まどかと過ごした日々の記憶を。

 在りし日の輝きに比べれば、黄金の宇宙やそれに浮かぶ銀河の海すらも霞んで見えて。

 そうして彼女は何時間、何十時間、あるいは何日、何十日と長い時間をかけて過去と向き合い一つになった。
 ……もっとも、時間のない世界からしてみればそれはほんの一瞬の出来事ですらないのかもしれないが。

「これが私の送ってきた人生……」

 かくして、“わたし”はふたたび“私”へと至った。
 その身を包み込むものは魔法少女のそれへと変化している。

「……憑き物が落ちたような気分ね」

 肩の力を抜き、黄金の宇宙をふたたびたゆたいはじめる少女。
 短い記憶喪失だったな、と軽い笑みを浮かべながら少女は身体を強張らせた

「ここまで来たら全部分かるわ。私の名前も、私がどうなったかも」

 左手に持つ盾を変形させて自動拳銃を取り出すと、少女――



 暁美ほむらは目の前の空間目掛け、装填された弾薬の全てをぶつけた。

488: 2011/12/17(土) 01:25:20.98 ID:lmpn7IkOo

 眩いマズルフラッシュと同時に弾丸が解き放たれ、彼女の目前にある見えざる壁を食い破る。
 ガラスが砕けるような音と共に黄金の世界がひび割れ、銀にも似た白い輝きに覆われていき――

ほむら「で、今度は真っ白な宇宙ね。銀河がないから真っ白な部屋とも呼べるけど」

 彼女が飛ばされたのは、何も無い白い世界だった。

ほむら「それにしても記憶があるっていいわ。今の私なら何も怖くない」

ほむら「冗談抜きで」 ホムッ

ほむら「そう考えたらさっきまでの自分に腹が立ってきたわ……なぜかしら」 イラッ

 白い空間に投げ出されたショックからかいつにも増して独り言を呟きまくるほむら。
 そこで彼女は背中に視線を感じて、新たな自動拳銃を手にしながら後ろを振り向いた。


 その黒い瞳が、限界まで見開かれる。


 この不変の世界に変化をもたらすであろう存在が気になっただけで、別に振り返ったのに深い理由はなかった。
 だからこそ、彼女は予期せぬ事態に直面して硬直してしまう。

ほむら「なっ……」

 驚愕のあまりに喉が震えて声にならない声が口から漏れた。
 黒い瞳は慌しく揺れ動き構えた両手に力は入らず。

 そんな彼女の視界に、世界を覆い尽くす白とはまた少し違うやや桃色がかった白が舞い降りた。

ほむら「あなたは……」

489: 2011/12/17(土) 01:25:48.14 ID:lmpn7IkOo

 それは白い世界の中心で明らかに違和感を放っていて、あらゆる光を押しのけている。
 目を凝らさなければいまにも消えてしまいそうで、薄く霞がかった靄のように見えるのに、確かに存在している。

「……」

 それは少女にも見えて、大人の女性のようにも見えた。

 見方を変えれば聖人にも囚人にも、果てには女神にすら見えたかもしれない。

 それは背から生やした半透明の翼をふんわりと優しく広げると、胸元にある桃色の雫を光らせた。
 次いでツーサイドアップの桃色がかった髪を揺らしながら、黄金の瞳を優しく細めて。

 笑いながら言うのだ。


――やっと会えたね、と。


 見間違えるはずが無い……

 聴き間違えるはずが無い……!

 あの幼げな顔は!

 あの胸元の雫は!

 あの桃色がかった髪は!

 あの舌っ足らずな幼い声は!



 間違いなく――鹿目まどかのそれと一致している!

490: 2011/12/17(土) 01:26:19.64 ID:lmpn7IkOo

ほむら「あなたは……まどか?」

 ほむらの問い掛けに対し彼女は応えなかった。
 応える術を持っていないようにも見えるし、応える気がないようにも見える。

まどか「久しぶり、ほむらちゃん。こうして会えたのは、私が契約した時以来だね」

 あなたが、契約した時以来……?

 慣れ親しんだ者の口から出たあまり縁のない言葉にほむらは言い知れぬ不安を抱いた。

 ほむらと彼女が別れたのは体育館で、その時彼女は契約していなかった。
 仮に分かれた際にすぐさま契約したのであるなら何らかの異変が生じているはず。
 それがないということは、彼女は契約していないということだ。

 では、目の前のただならぬ雰囲気を醸し出すまどかは一体?

まどか「覚えてない? 私、ほむらちゃんに助けられたんだよ?」

 具体性に欠ける彼女の言葉を上手く噛み砕けず、ほむらは首を横に振った。

 ――いや。

まどか「ほむらちゃん、私のことを案じてね、魔法少女の現実を教えたり、ワルプルギスの夜に一人で挑んだりしたんだよ?」

まどか「私のために涙を流してくれたのに、こんな形になっちゃって……ほんとにごめんね、ほむらちゃん」

 ――先ほど取り戻したはずの記憶には、ない。
 しかし覚えている。記憶にはない記憶がある。
 ワルプルギスの夜と戦った時、体験したことの無い記憶を持っていた矛盾の答えがここにある。

 それに気付いた時、彼女の脳に膨大な情報が流れ込んできた。

491: 2011/12/17(土) 01:26:42.65 ID:lmpn7IkOo

 それは今より数えて一つ前の世界での出来事。

 ほむらが過ごした、救いの無い世界での顛末。

 マミは氏に、さやかは魔女になって杏子と共に消滅し、ほむらもワルプルギスの夜に敗北し。

 最終的にまどかはキュゥべえと契約したのだ。

ほむら「あなたは……あなたの、願いは……!」

まどか「私の願いは、私の手で、全ての時間、全ての世界に存在する全ての魔女を生まれる前に消し去ること」

 彼女に繋がる膨大な因果は、彼女に時間と世界の垣根を吹き飛ばすだけの力を与えた。

 そして本来であれば叶えることが不可能な願いを叶えさせるに至った。

 ありとあらゆる平行世界に生きる、彼女の存在と引き換えに。
 強すぎる願いを叶えるために、彼女は全ての宇宙に分散し、魔女を消すだけの概念へと昇華したのだ。

ほむら「そう、あなたはそれで、なにもできなくなって、悲しくて、私はそれが嫌で……!」

まどか「ありがとう……優しいんだね、ほむらちゃん」


 優しいのは、あなたの方だ。


 氏よりも辛い永遠の鎖に繋がれる業を背負った彼女と比べれば、自分の業など軽すぎる。
 感情が堰を切ったようにあふれ出し、頬を悲哀が流れそうになるのを感じて彼女は歯を食いしばった。
 目の前の少女が味わわされていた孤独を忘れのうのうと生きていた自分に、涙を流す資格など無い。

まどか「ほむらちゃんのせいじゃないよ」

まどか「忘れたのも、その世界にいるのも……あの人のせいだから」

 彼女の寂しい笑顔にほんの少しの怒りが混じった。
 その視線の先にはほむらがいるが、肝心の焦点はほむらに定まっておらず。
 その金の輝きは彼女とほむらの間にある“何か”を捉えていた。

492: 2011/12/17(土) 01:27:47.59 ID:lmpn7IkOo


――おやおや、これではまるで私が悪役のような構図じゃないか


 突然、何の前触れも無く空間が歪んだ。
 自分の目が涙に濡れているからだとも思ったが、そうではない。
 実際に歪曲しているのだ。

ほむら「なっ……?」

 ほむらと少女のちょうど間、必然的に白い空間の中央とも呼べるべき地点に一人の存在が現れた。
 それは男にも女にも、子供にも老人にも、聖人にも囚人にも見える存在だ。

まどか「……やっと、お話しする気になってくれたんですね」

 それはまどかの呼びかけに応えず、黙ってほむらの方を振り向いた。
 その目は生気に欠けていて、しかしどことなく力を宿している。

 エイリアンのように不気味な薄い目が、興味深そうに細められた。

「こうして君と会うのはこれが初めてになるのかな?」

「はじめまして、背徳の魔法少女」

ほむら「え?」

 くつくつと、かえるの鳴き声のような音をどこからか鳴らしたそれは緑色の手術衣をひるがえした。

493: 2011/12/17(土) 01:28:16.44 ID:lmpn7IkOo





アレイスター「私はアレイスター=クロウリー。かつて最高の魔術師として崇められ、最高の科学者として名を馳せたものだ」




.

500: 2011/12/19(月) 03:18:25.70 ID:+QGOG7/do

「アレイスター……ゲームか何かで聞いたことのある名ね」

「ふむ。その実態が、おぞましい詐欺まがいの宗教家であることに気付いている者は何人いるのやら」

 自分のことをおぞましいと呼べる人間にろくなものはいない。
 内心でそれに対する評価を、ろくなやつじゃない、に決め付けるとほむらは続けて問いかけた。

「それで、さっきの言葉の意味は? どうしてここにいるの?」

 何がおかしいのか、にやにやと面白そうに目を細めるそれと、はっきりと怒りを露にするまどかとを見比べる。
 似通った部分などまるでないはずなのに、ほむらの目には目の前の二人が同じもののように映った。
 内心の戸惑いを押し頃しながら、再度ほむらはそれに対して問いかける。

 それは二度三度大きく肩を揺らすと億劫そうに右手を挙げた。

「説明するのは良いが、少々話が長くなる。それでも構わないかな?」

 ここに来て拒む理由は無いので即座に首を縦に振る。
 まどかもどこか不満気ではいたものの、不承不承頷いてくれた。
 それは一度深呼吸をしてから語り始めた。


「私は二つの世界を結びつけ、君をあの世界に招き入れ、そこにいる彼女から遠ざけた存在だよ」

「ここにいる理由は、そもそもこの空間が私の作り上げた箱庭だからとしか言いようがない」


 なるほど……何も分からない。

「説明自体は分かりやすいのだけど、それだけじゃ何も分からないのが難点ね。もう少し詳しくお願いするわ」

「詳しくとなると、一つの魔術体系のあり方から私の生い立ちや家族関係にも言及せねばならない
 原稿用紙で一〇〇枚ほどの文章を読み上げるのも悪くはないがそれではつまらないだろう。さて困ったな」

 回りくどいそれの説明に、ほむらは思わず頭を抱えたくなった。
 その様子を見てふたたび愉快そうに肩を揺らすそれの態度は、客観的に見てもあまり気持ちの良いものではない。

501: 2011/12/19(月) 03:19:15.55 ID:+QGOG7/do

 そんな折、背に大きな翼を生やしたまどかが鋭い目つきで彼を睨みつけた。

 ただ睨みつけただけなのに、それだけでほむらは心臓が締め付けられるような錯覚を覚え、
 きりきりと痛くなる胸を左の手で押さえつけながら慎重に喉を鳴らす。
 見えない重圧が全身に圧し掛かっているような気さえした。

「ほむらちゃんが聞きたいのは、そういうことじゃないです」

「もちろん分かっているが、私も久方ぶりの人間との会話でね。溜まった鬱憤を晴らしたいのだよ」

「怒りますよ」

「……やれやれ」

 つまらなそうに言うと、それは淡々と語り始めた。

「私はとある事情から人類の枠を大きく逸脱した存在へとシフトしてね
 自由気ままに世界を見ては時間於流れに身を任すだけの日々を過ごしていたのだよ」

「……つまり、まどかのようになったの?」

「私には、そこにいる彼女が鹿目まどかだとは思えないが……そういうことだ」

「もちろん彼女に比べれば格は低いがね」

 呆気からんと言いのけたそれの言葉にほむらは全身が総毛立つのを感じた。
 これまで相対したことのない底知れぬ灰色。一寸先すら見えぬ奥深い闇。
 覗けば戻ることの出来ない深淵を垣間見た気がする。

「あれは私が前人未踏の秘境の辺りに意識を集中させていた時だったかな」

「……素直に群馬県を覗いていたと言いなさい」

「その時私は声を聞いた。友達の助けを乞う純粋な祈りと願いに満ち溢れた声だ」

502: 2011/12/19(月) 03:20:12.62 ID:+QGOG7/do

 過去に思いを馳せているのか、それは目蓋を閉じると愉快そうに口角を吊り上げた。
 恐ろしくも神々しい所作にほむらの目は奪われかけるも、その言葉に引っかかるものを覚えてかぶりを振る。

 声の主は、誰だ?

「かつてその願いを叫んだ者は、目の前の彼女に既に取り込まれてしまっていてね。残念だったよ」

 目の前の彼女……つまり、願ったのはまどか?

「そう。私はかつて鹿目まどかであった者の、暁美ほむらの救済を願う声を耳にしたというわけだ」

 でたらめだ。ありえない。
 たとえ目の前にいるまどかに近い存在であろうと、そんなことが出来るはずがない。
 しかし彼の二つの翡翠に隠された、奥深い闇を見るとそれも不可能ではないと思えてしまう。

 そんな不思議な存在は、ふと真顔に戻って続けた。

「決して交わらぬはずの平行世界の壁を乗り越えて届いたその言葉に私は少しばかり感動してね」

「彼女の願いを叶えるため、私は奮闘したのだよ」

「奮闘?」

「魔術を使ったんですね、ほむらちゃんを引きずり出すために」

 苛立ちを隠さぬまどかの言葉を肩をすくめて受け取ると、それは皮肉そうに表情を歪めた。

「まず初めに二つの世界を結合させることにしたのだが、これがなかなか難しい
 歪みを最小限に留めるため既存のオシリスの術式をホルスの物に置き換える、つまりahghディーdvwq……」

 冗談みたいなノイズが当たり前のように混じった。

「失礼。……hgeohイfgourhやbgdvqmバロfbvfjwerの他にwlvgbeリオqbhzkjのような意味の力を用いて
 一神教である十字教の時代とは隔たりのある、人のwaah宿vpqjm時代の新たなる魔術を行使したわけだ」

503: 2011/12/19(月) 03:21:23.90 ID:+QGOG7/do

 ノイズだらけで何を言っているのか皆目見当もつかない。
 いや、仮にノイズが除去されたところでほむらには彼の言葉の意味など理解出来ないだろう。
 そう思わせる何かがそれにはあった。


「ヘッダが足りていないのは幸運だったな。無駄を省けるというものだ」


 至極真面目に言うと、それは深いため息を吐いた。
 こんな状況でなければ宇宙からの電波をキャッチしている奇人で済ませたのに、と思う。

 しかし気になる点がないわけではない。
 問い詰めようとして口を開いたほむらは、それの眉が不機嫌そうに吊りあがったのを見てふたたび唇を結んだ。

「オシリスはいわばステイル=マグヌスが扱う魔術、ホルスはその先を行くものと捉えてくれれば構わんよ」

「蛇足だがホルス、すなわちセレマの概念は君達にも馴染みの深い仏教に通じるところもある」

 これでこの話は終わりだ、とそれは言った。
 しかしながらぴくぴくと小刻みに震えるそれの身体がまだまだ語り足りないでいることを物語っていた。
 多少回りくどいが、もしかすると説明好きなのかもしれない。

「でも、そんなことで世界をくっつけるだなんて……」

「しかるべき位置にしかるべき情報、呪文を記し、魔術的な記号、物品を配置すれば難しくはない
 君とて見たはずだ。ルーンを刻み、魔法陣を敷くことで行使される人祓い魔女狩りの王といった魔術をね」

 だが、規模が違いすぎる。

「世界、いいえ、宇宙規模でそれを行うなんて無理でしょう?」

「もちろんそうだ。しかし地球規模となると話は別だよ。ところで君は学園都市についてどれだけ知っているかな?」

「……十年先の技術を持つ日本の中にある独立国? かしら」

「それも間違いではない。だが、その技術的格差や優位は既に失われつつあることはご存知かな?」


 知るか。

504: 2011/12/19(月) 03:27:33.54 ID:+QGOG7/do

「近年、学園都市はその技術の提供や製品、部品の輸出に寛容になってね
 技術と能力しか取り得のないあの都市がそれでは先は長くないと思うだろう?
 だが実際そうでもないのだよ。不思議だろう? 何故だと思う? 予想してみたまえ」


「話を続けてちょうだい」


「……答えは、私がこの姿になったからだよ
 私の行っていた非科学分野の科学的研究が行われなくなり、予算の五割近くが浮いたのさ
 そのおかげで科学技術の進歩は目まぐるしく、同時に他国との外交関係を見つめ直す余裕も出来たわけだ」


 眠くなってきた。
 そして今気付いたのだが、よく見るとまどかの首がこっくりこっくり舟を漕いでいるような……


「そうして輸出された技術――すなわち情報と、
 部品――すなわち記号は、世界中に出回っている。それがどのような意味を持つかも知らずに、ね」

 ようやく本題が見えてきた。
 ほむらは思考を切り替え目を細めると、それの言葉を吟味した。
 先ほどの言葉と今の言葉とを照らし合わせる。

「まさか、それが魔術的な意味を持つ魔法陣に……?」

「正解だ、及第点をあげよう」

 そう言って、それは教え子の回答に喜ぶ教師のような表情をした。

「世界中に出回ったそれらの中から最適な式を求め、演算し、魔力を流せば魔術は発動するのだよ」

「学園都市製の人工衛星によって巨大な円も作られていることだしな

「そして地球全体を魔術で覆えば後はどうにでもなる。
 君たちの世界と私たちの世界は、地球を除けばそれほど差異はないからね」

 インキュベーターといった例外もあるが、とそれは付け足した。

「ちなみにこれの基となる魔術は異界反転と呼ばれる戦術――分かった、話を戻すから目を閉じないでくれたまえ」

505: 2011/12/19(月) 03:29:40.80 ID:+QGOG7/do

「さて、世界結合の準備は出来たが、肝心の君たちの世界が再編されようとしていてね
 分かりやすく言うと、鹿目まどかが別の存在、別の領域へとシフトしてしまっていたんだ
 そこで形振り構っていられなくなった私はそこにいる彼女を押しのけて君を招き入れたわけだ」

「ああも強大な概念の裏をかくのには苦労した。君がこの場にいるのは奇跡と言ってもいいだろう」

 それまで黙り込んでいた(?)まどかが、熱を持った瞳にそれの姿を映し出した。

「そのせいでほむらちゃんがどれだけ苦しんだか、分かっているんですか?」

「文句は彼女を救おうとした鹿目まどかに言いたまえ」

「あなたは……!」


 まどかの表情に苦悶の色が混じるのをほむらは見逃さなかった。
 そして同時に、決定的な矛盾に気がつく。


「それじゃあ……あの世界のまどかは誰なの?」

 全ての世界にいる鹿目まどかは一つになり概念へと昇華したはず。
 それではステイルたちと共に学校へ通っていたまどかは、一体誰だ?
 目の前にいる概念と化したまどかの側面に過ぎないとでも言うのか?

 ほむらが胸に抱いた疑問を、目の前に佇むそれは首を振ってあっさりと否定した。

「正真正銘、鹿目まどかその人だよ。再構築される前の世界を強引に引き寄せて、
 繋ぎ合わせたにすぎない。ベースは私のいた世界なので多少記憶に差異があったとは思うが」

 そう言われてみるとそうだ。
 英国を統治する女王の名前や学園都市に関する知識など、ほむらが持たぬものを彼らは持っていた。



「話をまとめると、紆余曲折を経て一つになった世界を、君は生きていくことになったわけだ」

506: 2011/12/19(月) 03:31:17.59 ID:+QGOG7/do

「……大体分かったけれど、どうしてその世界はまどかの影響を受けないの?」

 ほむらの問いに、それは玩具を見つけた子供のような無邪気な笑みで応えた。
 おかしくてたまらないといった風にかぶりを振る。
 白い世界にはとても不釣合いな感情――形のない空気のように透き通った悪意を、確かにそれは身に纏っていた。

「失敬。その通りだ。私も手は尽くしたが、彼女の影響を受けて世界は既に綻びを生み始めている」

「……時間を止める魔法を使えなかったのはそれが原因なの。ごめんね、ほむらちゃん」

「だがまぁ、そんなことはどうでもいい。はっきり言って、君や世界がどうなろうと私には関係ないのだからね」

 それは白い空間に身を投げ出すと、ふわりとたゆたい始めた。
 熱的平衡を遂げた宇宙のように安定した世界を漂いながら、それは中空で寝返りを打つ。
 もしかするとほむらのことなど、それにとっては本当にどうでもいいことなのかもしれない。

 だがほむらにしてみれば全ての発端にそのような態度を取られてしまうと色々と困るのだ。


「……どういう意味かしら?」

「そのままの意味さ。君が氏のうと消えようとどちらでも構わんのだよ
 私はあくまで鹿目まどかの願いを叶え、君を招いたに過ぎないのだからね」

「あとのことは君達が勝手にやったことだろう。それは興味はあるが、手を貸すほどではない」


 身勝手な意見に頬が熱くなるのを感じた。
 なんという傲慢だろうか。
 自身の欲望のままに弄くり倒した挙句に興味がないから知らないなど、憤りを覚えずにはいられない。

 精一杯の反抗心を見せるべく、ほむらは顔を逸らしてぼそっと呟いた。

「その割に、ステイルたちは私のことを助けてくれたのだけど」


「それは私も想定外のことでね。私としては、mlaklwu条当qpalcbh辺りに動いて欲しかったのだが」


 彼が居なければ救われない世界というのも間違っているか、とそれはノイズを気にせず一人ごちた。

507: 2011/12/19(月) 03:32:44.34 ID:+QGOG7/do

「さて、情報の整理が済んだのなら話を進めたいのだが構わないかね?」

「……ええ」

 返答しながらほむらはまどかの様子を盗み見た。
 彼女は先ほどまでと変わらず、その雰囲気に怒りの色を混ぜたままでいる。

 少しでも気を抜けば首を刎ねられるような恐ろしい緊張感が空気に溶け込んでゆく。
 その発信源は果たして彼女か、それとも“それ”か。あるいは両方か。
 身じろぎ一つ許されない――わけなどないはずなのに、それでもほむらは身体が強張るのを止められなかった。


「私が君に望むのは、選択と決断だよ」


 空気に新たな不純物が混ざりこんだ。
 それは困惑であり恐怖であり、同時に期待の色をした何かだ。



「君に用意された道は二つ」

「君が恋焦がれた彼女に導かれて楽になるか」

「君を知る者達の住む世界へ引き返し苦しむか、だ」


 ――理解出来ない。
 目の前の存在が告げた言葉を、ほむらは受け止めることが出来ない。

 いや。


「理解出来ないわけではないだろう? そこにいる彼女と君の住んでいた世界は共存出来ないことを君は知っているはずだ」

 魔女を消す概念へシフトしたまどかと、過去、現在、未来に魔女が存在する世界は相容れない。
 目の前をたゆたう存在は、暗に『どちらのまどかを選ぶ?』とほのめかしているのだ。


「前者を選べば、君はそこにいる彼女と悠久の時を共にすることが出来る、とも言及しておこう」

508: 2011/12/19(月) 03:34:32.25 ID:+QGOG7/do


「ほむらちゃん」

 黄金の瞳を潤ませるまどかの顔を、ほむらは直視することが出来ない。

「わ……私が、ここのまどかを選んだらあの世界はどうなるの?」

「どうもしないさ。君が消えたところで変わらずに動き続けるだろう
 無論、このままではそこの彼女に侵入され、全てがなかったことになるかもしれないがね」

「なかったこと?」

「まず現代の魔女が消える。次に未来の魔女が消え、過去の魔女が消えるだろう。
 そこから先は君も知っての通り、世界が改変されて再構築される。その際に歪みは正され、是正される」

 ミルクティーが元の紅茶とミルクに分離されるのに似ているな、とそれは語った。

「あの世界で起きた魔女がらみの悲劇は消えるので、巴マミは魔女にならない。
 美樹さやかの魂は削られず、佐倉杏子も……少なくとも、魔女を道連れに自爆したりはしない
 ステイル=マグヌスを筆頭とした魔術師や魔術の概念は取り除かれ、本来あるべき姿に戻るわけだ」

「そして魔術師たちもまた、魔法や魔法少女の概念がなくなった世界をありのままに受け止めるだろう」

「二つの世界を生きる者は全てを忘れ、それを当たり前のこととして受け止め、今を生きるだろう」


 それはたっぷり深呼吸してから堂々と言い放った。


「全ては無為になる」

509: 2011/12/19(月) 03:35:16.04 ID:+QGOG7/do

 これまでほむらを支えてきたものが崩れていく、音ならざる音を彼女は確かに聴いた気がした。
 それは心の中をかき乱す雪崩のように騒がしく、
 巨大な気の柱がへし折れるように小気味が良い。

 胸が、心が締め付けられる。

 悲しいわけではない。
 なかったことになるなど、はっきり言って珍しくもなんともない。
 なにせ彼女はそれこそ数えるのが億劫になるほどに世界を繰り返してきたのだから。

 悲しむ資格など彼女には持たされていない。

 では、この焦燥は一体何なのか。

 逡巡は、動揺は、困惑は――なぜ自分の心を苦しめる。

「……っ」

 無為になる――未来を見通す魔法少女、美国織莉子が避けようとした結末がこれか。
 彼女はこれを避けるために、呉キリカと二人で戦うを覚悟したのか。

「それは違います! 無為になるなんて、そんな……ただ、間違ったものを直すだけです!」

「歪ませている私の苦労は無為になると思うが」

「あなたは!」

「失礼。少し黙っていよう」

 沈黙が場に下りて、静寂が三者を包む。

510: 2011/12/19(月) 03:35:42.93 ID:+QGOG7/do

 耳が痛いほどに静かな世界の中で、ほむらは二人を視界に収めながら思考を走らせる。

 彼女を今日まで支えてきたものはまどかと交わした約束に他ならない。
 もっとも、元を辿ればそれはまどかと共に過ごした日々があったからこそ成り立つものだ。
 つまり、ここでまどかに導かれて一つになるというのは彼女の本懐の大半を達成することにも繋がる。

 しかし、それではあの世界はどうなる。

 ほむらの帰りを待ち続けているであろうまどかは?
 ほむらと共にワルプルギスの夜を乗り越えようとしてくれたステイルたちは?
 何もかも忘れ、なかったことにされてしまっていいのだろうか?

 無論ここでほむらがあの世界に残ることを選んだところで結果は変わらないかもしれない。
 奮闘むなしく世界に蔓延する歪みとやらが正され、全ては元通りになってしまうかもしれない。

 しかしもし、万が一それを避けうることができれば。
 ふたたびまどかと、彼ら共にあの世界を歩めるのであれば。
 その選択もまた、彼女の本懐の大半を遂げるに等しい結果に繋がる。

 だが、その二つには決定的に食い違う点が存在する。

 あの世界を生きるまどかは、あの世界のまどかでしかないということ。

 そして目の前のまどかと共にいる道を選べば。
 マミや杏子を除いた皆、ステイルやさやか、神裂に仁美に五和、ついでに上条恭介と中沢ナントカ――

 彼らと共には、いられないということ。



 そして、まどかと交わした約束も果たせないということ。

511: 2011/12/19(月) 03:36:10.19 ID:+QGOG7/do

 ほむらの心は錘を乗せ変えた天秤のようにあわただしく揺れ動く。
 どちらもかけがえのない大切な物だからこそ容易に決断など出来るはずもない。
 ほむらにとって彼らと約束とは、目の前のまどかと共にある道を選択するに等しいのだ。

 胸が痛い。

 妥協案がないわけではない
 あの世界に戻り、まどかを縛るしがらみを全て取り払ったところでこのまどかの下へ導かれれば。
 そうすれば、彼らだって笑って許してくれるはずだ。まどかも受け止めてくれるはずだ。

 しかし――もしかしたら、彼らとあのまどかに深い悲しみを与えることになるかもしれない。

 いいや、それだけじゃない。
 そのような我侭かつ傲慢な選択を、果たして神が――いるかどうかはともかく――許すのだろうか。

 どうにかして、目の前のまどかとあの世界のまどかが共にある選択肢を作り出すことは出来ないのか。
 これまでに培った経験を駆使し、あの世界にいる魔術師に協力してもらって――

「っ……」

 ――無理、だ。

 目の前のまどかは概念であり、同時に全ての――あの世界のまどかを除いた――まどかでもあるのだ。
 仮にその記憶を抽出できたとして、それをただの人間である彼女に注げばパンクが起こるのは必至。

 そもそもそれでは、目の前の少女が救われない。
 永遠に孤独でいる運命を背負った彼女だけが救われない。
 理不尽すぎる現実を前にして、ただ嘆き悲しむだけで済ますことなどあってはならない


 では、どうする?

 目の前が暗くなるのを感じて、ほむらは乱暴にかぶりを振る。
 それでも彼女の心は仄暗い霧に覆われて晴れないままだった。

512: 2011/12/19(月) 03:37:00.24 ID:+QGOG7/do



 どこぞのSF小説のタイトルにあるような、たった一つの冴えたやり方など存在しない。



 絶対に、どちらかを選択しなければならない。



 決断を下さねばならない。



 過去(これまで)を選ぶか。



 未来(これから)を選ぶか。


.

513: 2011/12/19(月) 03:37:38.95 ID:+QGOG7/do

――少女の苦悩する姿を見ながら、不敵に笑うものがいる

 アレイスター=クロウリー。
 かつて最高の魔術師として世に知られ、最高の科学者として名を馳せ、とうの昔に人間を辞めた存在だ。
 否、辞めたという表現は正しくない。

 正確には辞めているであり、辞めつつある、または超えた、超えている、超えつつある、
 あるいは変貌した、変貌している、変貌しつつある、もしくは捨てた、捨てている、捨てつつあるでもあり――
 0と1の世界では表しきれない存在、という表現すらも当てはまらぬ、特異かつ奇異な存在になっていた。

「どうして必要以上にほむらちゃんを苦しめるんですか?」

 桃色がかった白い少女は、不敵な笑みを顔面に張り付かせているそれに向かって問いかけた。
 この少女もまた、人の枠を大きく外れた存在である。
 それこそ、彼女の目の前にいるそれなど及びもつかないほどに強大で、異質で純粋な。

「ほむらちゃんをこんな世界に連れ込んで、むりやり記憶を奪った後で、またそれを取り戻させたりなんかして……」

 それは表情を崩さずに、苦悩するほむらにどことなく暖かい視線を投げかけたまま口を開く。

「私はあくまで、彼女に自分でなんであるのかを分からせてあげたに過ぎんよ」

「……あなたの話を聞いているとキュゥべえを思い出します。
 いいえ、彼のように利益や効率優先じゃないだけもっと性質が悪い……!」

 聞くものが聞けば心が凍りつきかねない絶対零度の怒りを帯びた言葉は、
 むしろそれの口元により深い亀裂を生じさせ、その翡翠の瞳にどことなく喜悦の光を灯した。

「そうか、今の私は効率主義とはかけ離れているのか。……アランやエイワスが見たら驚くかもしれんな」

「しかし残念だ、もう少し早く変われていれば、このような姿になることもなかっただろうに」

 そんな言葉とは裏腹に、それは後悔の色を微塵も見せることなくにやりと笑う。

514: 2011/12/19(月) 03:38:09.26 ID:+QGOG7/do

「……あなたはどうして、何故、私に近い存在になったのですか?」

「それを語ったところで意味はないし、つまらないだろう」

「そうやってキュゥべえのようにはぐらかすんですね」

 ベールのように薄く霧のように希薄なそれの表情に不満の色が浮かび上がる。
 いかに人間離れした存在であるとはいえ、どうやら羞恥の概念や誇りといった物は残っているらしく、
 インキュベーターのような詐欺師紛いの生物と同類扱いされたことに腹を立てたようだった。

「失敬なことを言うな。……あえて言うなれば、そう、私は個人的な復讐に失敗したのだよ」

「個人的な復讐?」

「愚鈍で無慈悲なわれらの父に対してね。もっとも私は主を信じたことなど刹那さえなかったのだし、八つ当たりに近いが」

 意味深な言葉をぼそぼそと呟くと、それは片眉をくいっと吊り上げた。
 つまらないだろう、と言いたげなその表情に少女は自然と唇を尖らせる。

「あなたの話はよく分かりません」

「それが魔術師、オカルト狂いの狂人というものだよ。こと私に至っては重症の部類に含まれるだろうな」

 自嘲とも取れる言葉だが、それは本心で言っているようだ。
 何が面白いのかそれは肩を揺らしてくぐもった笑い声を上げた。
 上げてから、それはどこか遠く――白い空間の向こうに存在する無限の世界を見つめて呟いた。

「……狂人は常人に打ちのめされたが、考え方だけは人間のそれに近づいた。彼には感謝せねばならんな」

 少女はその言葉が持つ意味を知らない。

 それの言う彼が誰で、
 両者の間に何があったのかすら知らない。

515: 2011/12/19(月) 03:38:40.77 ID:+QGOG7/do

 だから少女は、自分が知っていて、かつ気になることを口にした。

「……それじゃ本当に、深い理由があってほむらちゃんを苦しめたわけじゃないんですね?」

「ふむ……考えてみるとそれも少し違うな」

「あれはあれで、私的な――家庭の事情から来るものでもある」

 黄金の瞳が、翡翠の瞳をまっすぐに見据えた。
 少女は翡翠の向こう側に誰かの横顔を見出し、それのイメージとあまりに不釣合いなため首をかしげる。

「私は彼女に養育費で満足な生活を送らせたが、それだけだった。だからこれは、私からの最後の手向けだな」

「……ほむらちゃんじゃないですよね? 誰なんですか、それ」

「齢百を超えた、バカなしゃべり方をする娘だよ。私を二度も氏の淵へと追いやってくれたが、感謝もしている」

 娘は嫌がるかもしれないが、とそれは語った。

 それの言葉は、歪みに歪んだ複雑な陽射しのように。
 曲がりに曲がってずいぶんと遠回りをしてしまった不器用な愛情から来るものなのだろうか。

 だがもう遅い。
 それは彼女と同じ領域に足を踏み込んでしまっている。
 それと、それの娘が再会できる日は永遠に来ないはずだ。

516: 2011/12/19(月) 03:39:14.61 ID:+QGOG7/do

「……でも」

「だからって、あんな選択を強いるのは間違いです」

 それはばつの悪そうな顔になると、それっきり口を噤んでしまう。
 対する少女の表情には怒りと悲哀が混じったそれへと移り変わり、その目には非難の色を宿していた。

「あなただって分かってるはずです。ほむらちゃんは、もう……」

 その先を告げるよりも早く、それは目を見開いて髪に当たる部位を靡かせ、白い地面に足を付けた。
 その表情は妙に活き活きとしていて、体中から生気が感じられるようにも見える。
 それはふたたび口元に歪な亀裂を生じさせて口を開いた。

「話はそれまでだ」

「え?」

「決断は下された。傾聴したまえ、鹿目まどか……いや」

「waitescnvnlks円acnvlasapois理fwopmgzlrucme」

 その時になって初めて少女――否、魔女を消すだけの概念は、
 それの視線がほむらに対して注がれていることに気付いた。
 翡翠の瞳に映った、黒髪の少女の顔に迷いは見られない。


 ――ただ、それだけで。

 かつて鹿目まどかとして生を受け、魔女を消すだけの概念へと成り果てた存在は、全てを悟った。




 決断は、下されたのだ。

523: 2011/12/24(土) 01:57:23.90 ID:q6dDy2A/o
>>520
一部でも設定が合うと嬉しくなりますね。
あれ投下してた時は杏子とマミさんの設定は助けられた/助けた程度だったけど(フェアウェルのおかげで加筆した)
悪い癖です

というわけで投下します。

524: 2011/12/24(土) 01:58:03.63 ID:q6dDy2A/o




「私は」





「あなたと一緒にいられるのなら、あの世界で起きた何もかもが無為になってしまっても構わない」



.

525: 2011/12/24(土) 01:58:34.32 ID:q6dDy2A/o

 暁美ほむらは言った。
 迷いのない晴れ晴れとした表情で、堂々と。

「ほう。あの世界で過ごした者達との思い出や日々はどうでもいいということかな」

 意地悪げに述べるそれを睨みつけると、ほむらは髪を後ろに払った。
 白すぎる空間とは相反する黒髪が後ろ向きに靡き、見えない風に乗って流れる。
 髪が背中にふわりと掛かったのを確認してから彼女はふたたび口を開いた。

「ええ。ステイルたちがどうなろうと、知ったことではないわ
 そもそも私と彼らが過ごした時間はほんの三週間にすぎない
 それと今日までに積み重ねた時間を比較すればどちらが大事かは一目瞭然のはずだけれど」


「でもほむらちゃん、それじゃあ!」

「君は黙っていたまえ。重要なのは彼女の意思だ。……しかしなるほど、そう来るか」


 それは心から楽しそうに口角を吊り上げ、身体全体を揺らしながら笑った。
 教え子が難問に対して出した意外な解答を受けて、新たな考え方を知った教師のような笑い方だ。
 ほむらの言葉はそれにとっては想定外だったのかもしれない。
 そう思うと、どこか嬉しくなる。
 人外のバケモノに対して一矢報いたというか、一泡吹かせたというか……そんな曖昧な理由で。


「彼らでは君の考えを変えるには力不足だったわけだな。しかし良いのかね?」

「何のことかしら?」

「君は彼らを裏切ることになる。その自責の念に、後悔の念に苛まれない覚悟はあるのかな?」

 なんだ、そんなことか。

526: 2011/12/24(土) 01:59:42.61 ID:q6dDy2A/o

「一つだけ言っておくけれど、私は彼らを裏切ったつもりはないわ」

「ほう?」

 そうだ。
 自分は裏切ってなどいない。
 ほむらは目を閉じてわずかに光の残る瞼の裏に彼らの顔を思い浮かべた。

 面倒見が良くて、何度か世話になったことのある神裂火織。
 神裂に付き従ってさやかや杏子と親しくしていた優しい五和。
 あと……なんか大きかった建宮なんとか。
 五和と同じくさやかや杏子と仲の良かった、というかからかわれていた香焼。
 空いた時間で軽く話を交わした程度だけど、それでも親切にしてくれた対馬や牛深達。
 それによく杏子とつるんでいた、一風変わった修道服姿のアニェーゼとルチア、アンジェレネ。

 思いのたけを吐露し、魔法少女のために必氏になって尽力してくれたシェリー=クロムウェル。
 そんな彼女と一緒になって自分に想いを訴えかけた、優しくて、胸が……胸が、まぁ、そこそこ大きいオルソラ。

 そしてなにより、自分と同じ転校生としてこの街を訪れ、懸命になって奔走し、共に居てくれたステイル=マグヌス。


 確かに彼らは魅力ある人々だ。
 だが――


「こういう言い方はおこがましいけれど、それでもまどかとの絆と比べれば軽いわね」

「質問の答えになっていないと思うが」

「それもそうね。それじゃあ質問に答えましょうか」

 口から軽く息を吸い、肺を空気で満たす。
 満たされたそれをゆっくりと吐き出すと、ほむらは静かに瞼を開いて目の前をたゆたうそれに焦点を当てた。

「彼らは私の考えを笑って肯定し、見送ってくれるでしょう」

 ほむらは一歩前に出て、見えない地面を足で踏み締めながら続ける。


「彼らならきっとこう言うはずよ。……『自分のやりたいことをやれ。こちらの問題はこちらで片付けてやる』……と」

527: 2011/12/24(土) 02:00:32.86 ID:q6dDy2A/o

 もしかしたら違うかもしれないが――まぁ、その時はその時だ。
 わずかに視線を宙に浮かべて心の中で一人ごちる。
 それから彼女は歯を見せて笑うそれに視線を戻した。

「なるほど、力不足という見識は誤りだったようだな、撤回しよう。……ふむ」

「それが君の下した決断ならば何も言うまい。おめでとう、君は最愛の者と一緒になれる権利を手に入れた」

 そう言ってにやにやと笑うそれから目を離し、おろおろしている少女へ視線を移す。
 彼女は純白のドレスを揺らしながら首を必氏に振って何かを否定しようとしていた。
 そんな少女の様子に苦笑しつつ、たゆたつそれを無視して少女に歩み寄る。

「だめだよほむらちゃん、考え直し……ああでも、もう、でも……!」

「落ち着いてまどか」

「違うの、そうじゃないの、私、謝らないといけないの、あなたに!」

「いいえ、違うわまどか」

 あたふたと慌てふためく少女はやっぱりまどかで。
 人の身を捨てようと、概念になろうと、まどかはまどかであることに変わりはなくて。
 つい目頭が熱くなってしまう。そしてその熱は、下げようと思って下げられるものではない。

「まどか。私は、あの世界よりもあなたの方がずっと大事よ。あなた以上のものなんてきっとない、そう思って“た”」

「そんな……そんなの……!」

 両手で口元を覆って声を漏らさないようにする彼女は、やっぱり無邪気で可愛い。
 それでもわずかに潤み、熱を持った黄金の瞳はどこか凛々しく格好良くて勇ましい。

 わたしの好きなまどか。
 私の大好きなまどか
 私のすべて。

528: 2011/12/24(土) 02:01:10.40 ID:q6dDy2A/o

「だから」

 彼女が大事だから。

 彼女が愛おしいから。

 彼女と共にありたいから。

「だから、私ね」

 どうしてもそこから先の言葉を告げる気にはなれず、でも告げなくてはいけなくて。

 私はなけなしの勇気を振り絞って震える唇を操り言葉を紡いだ。



「あなたに謝らなきゃいけないの」



「――え?」



「ごめんなさい」

529: 2011/12/24(土) 02:02:24.45 ID:q6dDy2A/o





「私は、あなたが好き。あなたが大好き。あなたとずっといっしょにいたいと心の底から思っているわ」



「だけどそれ以上に」



「あなたと交わした約束を、私は破りたくない」



「大好きなまどかとの約束を、私は守りたい」



「あなたとの約束と、あそこで私を待ってくれているまとかと、みんなのいるあの世界を守りたい」




.

530: 2011/12/24(土) 02:03:35.91 ID:q6dDy2A/o



***************************************


 彼女は選んだか。



 過去ではなく、未来を。



  . . . .         . . . . .
 円環の理ではなく、鹿目まどかを。


***************************************


.

531: 2011/12/24(土) 02:05:13.08 ID:q6dDy2A/o



***************************************


 ほむらちゃんは選んだんだね。



 過去じゃなくて、未来を。



 私との約束を。あの世界の私と、そこにいるみんなを。


***************************************


.

532: 2011/12/24(土) 02:05:41.65 ID:q6dDy2A/o



***************************************


 私は選んだ。



 過去ではなく、未来を。



 目の前の彼女ではなく、彼女と交わした約束を。みんなのいる世界を。


***************************************


.

533: 2011/12/24(土) 02:07:32.60 ID:q6dDy2A/o

 例えそれが彼女と永遠に分かたれてしまうことを意味していても。
 彼女と交わした約束を破れ、彼女がまだ戦っている世界を忘れることなんて出来ない。
 熱を持った心に同調するように胸の高鳴りが速まっていく。

 私はもう振り返らない。私はもう繰り返さない。

 ――しかし。

「違うの、違うのほむらちゃん……! 謝るのは、謝るのは!」

「え?」


 ――謝るのは、私の方だ。


 そんな少女の叫び声と共に、白い空間が崩れた。
 引き裂かれるように、凌辱されるように、叩き潰されるように、流されるように。

 白い部屋、刹那の白昼夢の世界が消えてゆく。

 言葉に出来ぬ情報の波に押し流されて抗う間もなくほむらの身体は深く深く沈みこんでゆく。

 ほむらから見て遥か上方から手を伸ばす少女の瞳は涙に濡れていて、
 その意思に応えて同じように手を伸ばすも届かなくて、
 彼女の涙が何を意味しているのかを悟る前に、

 ほむらはそれの声を聞いた。


『思わせぶりな君の言葉には流石の私も動揺させられたよ』

『だからこそ残念だ。彼女と共にあることを望めば、無駄な絶望もしなかったろうに』


 そしてほむらは見た。
 薄く広がる少女の遥か後方をたゆたう、それの顔を。
 悪意に満ちた、それの笑みを。

 夢のような世界が消滅し、意識が元の世界に引き戻される。

534: 2011/12/24(土) 02:08:47.84 ID:q6dDy2A/o





 世界に、白以外の色が着床した――ような。




.

535: 2011/12/24(土) 02:11:15.46 ID:q6dDy2A/o

ほむら「っ――!?」

 気がついたとき、ほむらはコンクリートの上に広がる血の海に沈んでいた。
 左の手の甲からは穢れが抜け出ていて、その先にはやはり――桃色がかった白い輝きがある。
 全ての魔女を、生まれる前に救ってしまう慈しみの光が。

ほむら(謝るのは、私の方……)

ほむら(彼女と共にあることを望めば、絶望しない……)

ほむら(つまり、運命は変えられない……!?)

 果たして、あの白昼夢の世界が現実にあったかどうか確かめる術をほむらは持っていない。

 今の彼女に分かるのは、あの少女の名残がある輝きがありったけの慈悲と共に、
 しかしほむらにとっては無慈悲の救済を行おうとしていることだけだ。

ほむら「だめ、導かないで! 私はまどかとの約束を!」

 精一杯の抵抗を試みようと叫んだところで何も変わらない。
 魔女を消すだけの概念に言葉は通じない。
 本来であれば温かいはずの光が彼女にはとても冷たく感じられた。

 左手のソウルジェムから、穢れが抽出されていく。
 その完成は彼女の救済を――氏を意味している。

ほむら「誰か……助けてっ……!」

ほむら「誰か、助けて――!」

 血に濡れた少女の静かな慟哭は。





「助けるに……決まっているだろうがッ!!」

 少年の許に、届いた。

536: 2011/12/24(土) 02:12:28.52 ID:q6dDy2A/o

     AshToASh
「    灰は灰に    」


 詠唱と共に大気がゆらめいて物理法則が捻じ曲げられる。


     DustToDust
「    塵は塵に    」


 二つの炎がその熱量を周囲に伝播させ、あますことなく灼熱の海に染め上げようとする。


    SqueamishBloody Rood
「    吸血頃しの紅十字!    」

 戒めを解き放たれた真っ赤に燃える剣が自由を手に入れる。
 剣は空気を焼き尽くしてまっすぐに突き進み、淡く輝く“彼女”を十の字に引き裂いて――

 光と共に霧散した。

 呼吸を忘れたくなるほどの熱気を纏い、少女を虐げる理不尽を焼き尽くすために。

ほむら「ステイル!?」

 神父は――ステイル=マグヌスは、ふたたびほむらの許に現れた。

537: 2011/12/24(土) 02:14:03.47 ID:q6dDy2A/o

ほむら「すごい――でも……!」

 ステイルの登場を喜ぶと同時にほむらは霧散した輝きに疑問を抱いた。
 何物にも干渉されない概念が何故?
 ……待て、考えてもみろ。魔術とは、異界の物理法則を適用する物だ。
 そんな変わった物理法則であれば、概念体である“彼女の光”にも多少の影響は与えられるのかもしれない。

 しかしそれは救済を一時的に滞らせたにすぎない。
 そして救済の滞りは、魔女の孵化を意味する。
 現にソウルジェムの内側に留まり続ける穢れは荒々しくうねり、今にも飛び出ようとしていた。

 ほんのわずかな時間が生まれただけで、絶望的な運命は変わらないのか――否。
 その刹那に等しい時間の隙間を縫うように、ステイルは素早く行動していた

ステイル「これで三度目、打ち止めだ。もう次は無いと思えよ」

 淡く輝く光を背負ったステイルの右手が、血の海に沈んだままのほむらの左手に触れた。

ほむら「あっ……」

 そして――右手に忍ばせてあったグリーフシードに吸い上げられて、穢れが取り除かれた。
 それに呼応するようにステイルの背後に見える輝きが急激に収束していく。
 魔女を消す概念が、世界から弾き出されてゆく。


 大きなステイルの身体の向こうで、小さな光の粒となった“彼女”の結末を見届けると。


 ほむらはうつぶせの状態からほんの少しだけ身体を起こして、哀しげに目を細めた。



 さようなら、大好きな人。

543: 2011/12/25(日) 02:11:23.29 ID:B8b5GBRFo
勢いのあるVIPじゃないと、どうも挟みづらいというか……若干後悔していますが
いやでも、改めてスレ=作品なのだなと実感しました。
いつもレスありがとうございます。


というわけで、聖夜ですがいつもどおりに投下します。

544: 2011/12/25(日) 02:14:08.77 ID:B8b5GBRFo

 重たい身体を引きずって来てみれば、わけの分からないことになっていた。

 それがステイルの印象であり、全てだった。

ステイル(とりあえず攻撃してみたが、はたしてあれでよかったのかな……?)

 それが暁美ほむらを救った彼の本音であり、目の前で輝きが再構築されるのを見て彼は柄にもなく慌てた。
 あの輝きが敵性であるかどうかは疑問だが、ただならぬものであることは容易に察しがつく。
 では、どうすればいいか。

 彼が取った行動は単純明快。
 わけの分からぬ現象と共に戦う仲間を増やすこと。すなわち、

ステイル「これで三度目、打ち止めだ。もう次は無いと思えよ」

ほむら「あっ……」

 袖に隠し持っていたグリーフシードをほむらのソウルジェムに押し当てたのだ。
 口をパクパクと開閉させている彼女を訝しがりつつ、ステイルは背後を振り返って眉をひそめた。
 先ほどまであれほどラスボスのような雰囲気を漂わせていた光が、綺麗さっぱり消えてしまっていた。

ステイル「結局アレはなんだったんだ? 残念だが今駆けつけたばかりの僕にはさっぱりだ」

ほむら「……あなた、自分が何をやったか理解してないの?」

ステイル「理解した人間が吐く台詞に聞こえたのか?
       大体君はいつまで怪我人のフリをしているつもりだ、早く立て」

ほむら「ちょっ……あれ?」

 血溜まりの中で倒れている“傷一つない”ほむらの身体を、彼女の手を強引に掴んで立ち上がらせる。
 それから彼は、うんざりした様子でため息を吐いた。

ステイル「人が文字通り体を張って戦っている時に……まったく、心配して損したよ」

ほむら「え?」

ステイル「なんでもない。それより――」

545: 2011/12/25(日) 02:14:34.23 ID:B8b5GBRFo

 そこで言葉を切ると、彼は背後に佇む織莉子とキリカを見て目を細めた。

ステイル「……ご機嫌ナナメの彼女達は、どうやら僕らを助けてくれるわけではなさそうだね」

 二人組の内の一人、白い魔法少女の織莉子はその表情に困惑の色を宿している。
 納得できない様子で首を左右に振って、現実を認めようとしないでいる――ように見えた。

織莉子「そんな……こんな、あれを退けるだなんて……」

ステイル「そんなとかこんなとかあれとか、もう少しまともに喋って欲しいものだね
       記憶が正しければ君は予知能力が扱える魔法少女で、僕達とは協力関係にあったはずだが」

 血の海に沈んでいたほむらと、それを傍観していた二人。
 因果関係など確かめるまでもない。

織莉子「……」

ステイル「だんまりか。まあいいさ、こちらも君達と遊んでいるほど暇じゃないんだ」

 その言葉と共に左手を振りかぶり、グリーフシードを投げつける。
 それは織莉子を庇うようにして前に出てきたキリカの手中にぴったりと収まった。

ほむら「……どうして彼女達にグリーフシードを渡したの?」

キリカ「彼女に同じく。妙だ、妙だね神父。神父の態度と行動はまるで一致していない!」

ステイル「一致しているよ。……そろそろか」

キリカ「なにが――ん?」


546: 2011/12/25(日) 02:15:00.69 ID:B8b5GBRFo

 キリカが喋り終える前に、おびただしい穢れが彼女達の体を包み込むようにして現れた。
 その発信源は、キリカの手のひら。
 つい先ほどほむらの穢れを吸って脈動し始めたグリーフシードだ。

キリカ「穢れを溜め込んだグリーフシード……! 神父のくせにやることはえげつないね!」

ステイル「そいつは特別弱い部類らしい(神裂談)から、ひとまず氏にはしないだろうさ」

織莉子「哀れな愚者。あなたがしていることが全てを破滅に導くというのに」

ステイル「何……?」

織莉子「もう遅い。歯車は回り始めてしまったのだから」

 そんな言葉を残して、二人は結界の向こうへ消えてしまった。
 ほの暗いドーム状の結界から遠ざかりつつ、ほむらに疑問の視線を向ける。

ステイル「何か心当たりはあるか?」

ほむら「いいえ、なんのことだかさっぱりだわ」 シレッ

ステイル「だとすると単なる負け惜しみか。あの手の人間は敵にするとしつこそうだな」

ほむら「そうね……ありがとう」

ステイル「礼を言う前に学習しろ。まったく、時間は有限だということを忘れないでもらいたいね」

ほむら「それでもありがとう」

ステイル「……分かったから、さっさと行くぞ」

ほむら「その前に手を離しなさい。手汗がにじんで気持ち悪いわ多汗症。」

ステイル「このクソガキ……!!」

547: 2011/12/25(日) 02:15:27.67 ID:B8b5GBRFo

 ほむらはもう一度だけ振り返り、重々しく波打つ結界をその眼に映し出した。

ステイル「どうした?」

ほむら「いえ、なぜ魔女が産まれたのか少し疑問に思っただけよ」

ステイル「……大丈夫か? 頭でも打ったんじゃないだろうな」

ほむら「体中泥だらけのあなたに言われたくないわ」

ステイル「体中血だらけの君にだけは言われたくないんだけどね……」

 軽口を叩きあいながら瓦礫の中をおぼつかない足取りで突き進む。
 現状が分からない以上、ひとまずは天草式との合流を目指す他ない。

ほむら「それで、合流したらどうするの?」

ステイル「それが分かったら苦労はしない。戦闘員がまともに戦えないんじゃ、明日は暗いな」

ほむら「どうしようもないわね……」

ステイル「ところで杏子はどうしたんだい?」

ほむら「……彼女は」

 彼女は立ち止まると、その表情を暗くして俯いた。
 その視線は足元の砂利へと落とされていて、二つの黒い水面からはいまにも雫が溢れ出そうになっている。
 そんな彼女の“背後”に目をやりながら、ステイルはとりあえずほむらの言葉を促した。

ステイル「彼女は?」

ほむら「彼女は、自分の命を犠牲にして私を守ってくれたわ……」

ステイル「……なるほど」

548: 2011/12/25(日) 02:16:07.55 ID:B8b5GBRFo

ステイル「だそうだが、何か言い分はあるのか?」

ほむら「は?」

 黙ってほむらの頭を両手でがっちり掴み、ぐいっと向きを180°捻じ曲げる。
 釣られて彼女の身体が揺れ動き、首から『バキャバキャ!』となにやら響いちゃいけない異音が鳴り響いた。

ほむら「ひぎぃっ!?」

ステイル「あ、すまない」

ほむら「すまないで済んだら警察はいらないのよ……!?」

ステイル「それよりも前を見てみろ」

ほむら「なにが……って」

 ほむらの身体がぴたりと止まり、物言わぬ石像のように固まった。
 硬直した彼女の頭から手を離し、ステイルはかぶりを振って彼女の視線の先を追う。
 その視線の先には――



杏子「……」

さやか「……」



 物凄く気まずそうな表情で視線を逸らしている杏子とさやかの姿があった。

ほむら「……」

ステイル「……やれやれ」

549: 2011/12/25(日) 02:16:39.38 ID:B8b5GBRFo

ステイル「それで、派手に自爆したらしい君が何故ここにいるんだ?」

ほむら「氏人は氏人らしく眠ってればいいのに」 チッ

杏子「いくらなんでも酷くない? アタシはさやかのせいで無理やり生かされちまったんだぜ?」

さやか「あたしのせい? あたしのせいなのそれ?」

ほむら「珍しく利口じゃない」

さやか「あーこれあれだわ、濁るわ。あんたたちのせいであたしのソウルジェム濁るわこれ、てか濁った」

ほむら「ちょっ、冗談に決まってるでしょう! どこまであなたは愚かなの!?」

さやか「ごめん今のうそ」

ほむら「……」

杏子「やっぱこいつバカでしょ」

ほむら「頭が痛くなってきたわ……」

さやか「いやーほら、あまりにも酷い言われようだからつい」

ほむら「あなたといると調子が狂うわ……悪い意味で」

さやか「それ褒めてるんだよね?」

杏子「貶してるんだよ」

ほむら「バカは放っておいて、そろそろ話を本題に戻しましょう」

杏子「んあ、それもそーだね……おいステイル、なに肩ひくつかせてんのさ。働きすぎじゃない?」

さやか「あーやっぱりひ弱なあんたを働かせすぎるのはだめだよねぇ、ごめんごめん」



ステイル(べらべらべらべら雑談しやがって……いっぺん燃してしまおうか、わりと真剣に)

550: 2011/12/25(日) 02:17:06.43 ID:B8b5GBRFo

 結局、場を静めるのには二分ばかりの時間を要してしまった。
 傷だらけの杏子と、ヒビだらけのソウルジェムを持つさやか、血に染まったほむら。
 そんなボロボロの三人を肩越しに見ながらステイルは頭の中で考える。
 彼女達に何があったかは分からない。分からないが――ずいぶん逞しくなったな、と。

 その変わりようは、まるで“あの子”を髣髴とさせていた。
 “首輪”による圧力によって、記憶の抹消を強いられていた“あの子”が。
 誰にでも救いの手を差し伸べ、罪を赦す慈悲と慈愛に満ち溢れた“あの子”が。

 戒めを振り解き、激しい戦いを潜り抜け、より強く、優しく、人並の幸せを手に入れて。
 どこにでもいる少女と同じように誰かに想いを寄せ、頬を桃色に染められたように。

 もっとも、目の前にいる三人は“あの子”ほど優しくもないし美しくもないし強くもないし――
 っといかんいかん、このままじゃ思考の渦に飲み込まれてしまう。
 思考を切り替え、わざとらしく咳払い。

ステイル「ウェッホン! それで、何があったんだ?」

 彼の問いに、杏子はばつが悪そうな表情で頬を右の一指し指でかいた。

杏子「さやかに聞いてくれよ、アタシだってよく分かんないまま流れで来ちゃってるんだからさ」

さやか「うぇぇ!? えーと、それはちょっとー、なんというかー」

ほむら「もじもじしないで、気色悪いわ」

ステイル「さっさと話せ、それから足を止めるな」

さやか「やっぱ扱い悪くない? ……えっとね、あれは確か――」

551: 2011/12/25(日) 02:17:55.51 ID:B8b5GBRFo

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 体育館を飛び出たあたしは、まずあたしに出来ることをしようとしてた。
 つまり人助けで、やっぱりそれは、ほら。イコール、戦うってことでしょ?
 だからグリーフシードを使いつつ、魔力がある場所を探してたんだけど……

さやか「ううう、ううううっ……マミさぁ~ん……
.     どこに行ってもソウルジェムが光ってる場合はどーやって探せばいいんですかぁ……」

 言葉の通り、腹に埋め込まれたソウルジェムがひっきりなしに光っているのだ。
 おいおいあたしはどこの地球上では三分間しか活動できない光の国の宇宙人ですかってね。
 それであてもなくさまよってると。

さやか「うぅ~……お? あんなところに人が!」

 なんか瓦礫に腰掛けてる金髪のおばさんを発見したわけなのよ。
 とりあえず人の温もりに飢えてたあたしは一目散に駆け出して目の前に回りこんだのよ。

さやか「あのぉ、どうかしました?」

???「むむっ、なにや……つ……げぇっ!」

さやか「げぇ?」

???「あ、あははは、今のは言葉の綾になりけるのよ、きっとそうにあらせるわ! わ、わはは!」

 なんかだいぶ言葉がバカっぽかったから、あたしは複雑な事情を抱えてる人なのかなーって思ってさ。
 やたら顔も引きつってるし、まるで後ろめたいことがダース単位であるみたいな?

さやか「大丈夫ですか?」

???「ど、どうもしたらぬわよ?」

さやか「……ホントーですか?」

???「うむ! 私は薄氷のようにぶ厚き誇りとガラス細工のように頑丈な心によって成り立ちているのだから!」

さやか「ああ、それじゃ安心ですね!」

 え? なによステイル、いきなり『揃いも揃ってバカばかり』って。

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552: 2011/12/25(日) 02:18:33.44 ID:B8b5GBRFo

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 金髪のおばさんは両手を必氏に動かして、あれこれ首を捻って悩み始めたの。
 なんか小声でブツブツ呟いてたし。あ、外国語でね。多分英語かな?
 とりあえず体育館まで運ぶべきかなーって考えてたらその人が急に立ち上がって、

???「ときに少女よ! もしかして道に迷いておったりしてなき?」

さやか「あ、そうです迷ってます! どうしてお分かりに?」

???「うふふ、それは乙女のヒ・ミ・ツ、よ♪」

さやか「うわぁ、年齢考えて喋ったらどうですか?(へぇー、凄いですね)」

???「しばき倒すぞ小娘」

 おばさんは軽く咳払いすると右手の人差し指で、ある一点を指し示した。
 それから意味ありげな視線をあたしに送って、二言。

???「後悔したくなければ、進みなさい」

さやか「え?」

 おばさんの言うことがよく分からないあたしはもう一度聞き返そうとしたんだけど。
 なぜだかその言葉に従わなくちゃいけない気がして、気付いたらもう歩き始めてて。
 結局一度も振り返らなかった、と思う。

 今思うと、あの人もそうだけどあたしも……なんか様子がおかしかったと思う。
 ほら、ステイルたちが使った人攫い? とかいう術式……え? 人払い? まぁいいけど。
 あれの影響を受けたような感覚に似てたかも。
 でもあれよりずっと強力だったかな?

 なんかこう……次元が違うというか、時代が違うというか……
 うん、よく分かんないし話先に進めるね。

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553: 2011/12/25(日) 02:19:27.42 ID:B8b5GBRFo

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 あの人の言葉に従って突き進んだあたしは、でっかい槍で覆われた変な場所を見つけたんだ。
 なんか凄い魔力が飛びまくってるし、危ないし、あんまり近づきたくなかったんだけど……

『いいよ、一緒に――――――』

 なんて声が聞こえちゃってさ。
 どっかで聞いた声だなってちょっと悩んで、それが杏子の声だって分かって。
 あたしはとっさに槍を飛び越えて、結界の中心に躍り出た。
 そして見たんだよ。

さやか「ちょっ……杏子!?」

 杏子が、リボンの――マミさんの魔女と、自分のソウルジェムに向かって槍を向けてる場面を。
 あの場所に満ちてる魔力と、ソウルジェム。魔女。
 あたしは必氏に頭を働かせて、あの結界が魔女を倒すために魔力を溜め込んでるんだと理解した。

さやか「あのバカ……!」

 あたしはソウルジェムの負担を無視してジャンプした。
 杏子の赤いソウルジェムが視界を真っ赤な光で焼き尽くそうとするのを無視してぶんだくる。
 そんでもって、光の向こうで眩しそうに目を細めてる杏子を見たらなんか気が抜けちゃってさ。

さやか「――はああっ!」

 あたしは笑いながら、杏子のこめかみに回し蹴りを叩き込んだ。
 なんか笑顔で杏子がでっかい槍の上にぶっ倒れた。それで杏子の意識とソウルジェムが切り離されたのかな。
 ソウルジェムはすんでのところで爆発しなくて、砕けもしなかった。だいぶ濁ってたけどね。

 だけどあたしの蹴りが火種になったみたいで、結界内部に満たされた魔力が沸き立ち始めたのよ。
 あたしは杏子の身体に治癒魔法をかけつつ抱き寄せて、同時に身を守るための障壁を作ろうとしたんだけど……

 ソウルジェムがミシッて音を立てちゃってさ、怖くて。身体丸めるだけで精一杯。
 あの時は氏ぬかと思ったよー、いやマジで。

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554: 2011/12/25(日) 02:20:55.35 ID:B8b5GBRFo

――そうして時は現代に戻る。

杏子「……そっか、そういうわけだったんだな。サンキュ、さやか」

さやか「いいっていいって、駅での借りを返しただけだし。むしろ土御門さんに感謝してるわ」

 さやかの口から見知った人物の名前が出たことに驚き、ステイルは思わずさやかの方を振り向いた。

ステイル「土御門? 土御門元春のことか?」

杏子「ん、そうだよ。瓦礫の中に埋まってたアタシたちを拾って、最低限の治療してくれたんだよ」

ステイル「あの男がなぜここに……いや、あの男は何と言っていた?」

杏子「なんか事情があるんだってよ。アタシの話聞いてから、用事があるとか言ってどっか行っちゃったし」

さやか「もしかしてステイルのお仲間さんなの?」

ステイル「……元仲間、だ。別に敵対してるわけじゃないが、それほど仲良くもない」

 解せない。
 現在では科学サイドに所属している彼がこの場にいるということが何を意味しているのか。
 そして彼の言う用事がなんなのか。
 それに件のバカなおばさん……ローラースチュアートの狙いは何か。
 事と次第によってはさらに厄介な事態になりかねない。

 しかしそんなことよりも、ステイルには気になることがあった。

ステイル「だが腑に落ちないな。瓦礫の中にいたと言うが、一体どうやって生き延びたんだい?」

さやか「あー、それなんだけど……」

555: 2011/12/25(日) 02:21:24.67 ID:B8b5GBRFo

 さやかは気まずそうに口の中で言葉をもごもごと転がした。
 地面を見下ろし、空を見上げ、それから意を決したように前を歩くステイルを見る。

さやか「あたし、マミさん……に、いや魔女に。助けられたんだ」

杏子「はぁ!? 何言ってんだ!?」

ほむら「頭でも打ったんじゃないの?」

さやか「いやホントに! あの魔女がリボンを伸ばして、あたしと杏子を守るように……包んでくれたんだよ」

 神妙そうなさやかの言葉に押し黙る杏子とほむら。
 ステイルも多少驚いたが、彼女が言うのならば事実なのだろう。理由はどうであれ、だが。
 しかしこのままの雰囲気では戦いに耐えられそうにないので、彼は仕方なくさやかに助け舟を出すことにした。

ステイル「もしもあの魔女、というか使い魔に巴マミとしての感情や記憶が残っていればありえない話じゃないな」

さやか「でしょ!?」

杏子「でもさぁ、アタシらはあいつに半頃しにされたんだよ?」

ステイル「だが君は彼女と共に逝こうとした。君のその行動が彼女の記憶を呼び起こしたとすれば不思議じゃない」

ステイル「……まぁ、奇跡が起こったんじゃないかな」

杏子「奇跡……奇跡が……」

ほむら「……そんなこともあるのかしら」

さやか「そう考えた方がみんな幸せになれると思うけどなー」

杏子「そう、だよな。そっか……奇跡か……」

556: 2011/12/25(日) 02:21:53.19 ID:B8b5GBRFo

 喜ぼうにも喜べないでいる杏子とほむらを肩越しに見やりつつ、ステイルは己の懐へと視線を落とした。
 彼の懐には穢れを限界まで溜め込んだ巴マミのグリーフシードがある。
 現在は厳重に封印しているが、時間が出来たら処分する予定だ。

 懐を見ながら、ステイルは薄っぺらい同情から言葉を吐いてしまったことに自己嫌悪した。
 魔女、ましてやワルプルギスの夜の使い魔が変貌しただけの存在が、
 いかに親しい者からの呼び声があったところで記憶を取り戻すことなどありえない。

 ステイルの判断が正しければ、あの魔女は己の習性に従ったに過ぎないはずだ。
 かつて巴マミの身体を手繰り寄せていたように、近くにいた二人を自分の下へ引き寄せようとしたのだろう。

 それは見ようによっては、生前何らかの事情で後悔した巴マミが、
 今度こそ後悔しないようにと手を伸ばし、大切なものを抱きしめて守ったように見えなくもないが……
 彼は夢想家である前に現実主義者だった。

ほむら「ステイル?」

 知らず知らずの内に唇を噛み締めていたステイルに気付いたのか、
 声に気づいて面を上げて左隣を見下ろすと、ほむらが彼の横顔を心配そうに見上げていた。
 肩をすくめて彼女の頭に手を置いてそのままくしゃくしゃっと乱暴に撫でる。
 不満そうに睨んでくる彼女を無視してステイルは前を向いた。

 彼の視線の先には、頭に包帯を巻いた建宮と、
 どこから拾ったのか無地のカーテンをマントのように羽織った五和がいた。
 二人はこちらの姿を確認すると微笑を浮かべてから力いっぱい手を振り始める。

建宮「おーい!」

五和「大丈夫ですかー!」

 暢気なその様子に苦笑して右手を振り返しながらステイルは彼らの背後へ視線を向ける。
 ステイルの赤い瞳に、巨大な魔女の姿が映りこんだ。

ステイル「……正真正銘、これが最後の戦いになりそうだね」

 というより、なってもらわないと困る。
 そんなステイルの呟きは、誰に届くこともなく空気の中に溶け込み消えていった――――――



 ――――――否。

 そんな彼の言葉を聞いたものは、いた。

557: 2011/12/25(日) 02:23:48.85 ID:B8b5GBRFo

「つまらないな」

 ステイルの呟きを拾ったそれは、見滝原市の上空――正確には上空の、位相がずれた空間を漂いながら。
 言葉通り、とてもつまらなそうに呟いた。

「佐倉杏子は生き延び、美樹さやかも無事。暁美ほむらも導かれず……出来すぎているよ。面白みに欠ける」

「そう思うのでしたら、どうして結界を強めたのですか?」

 それの背後から、位相のずれた空に“腰かけた”少女が問い詰めた。
 少女の身体は先程よりも薄くもやがかかっており、時折古びたテレビ画面のようにブレている。

「なんのことかな」

「赤い人が投げたグリーフシード。あれが孵化したのは、私の干渉が弱まったことを意味しています」

「……偶然だよ。私は力を強めてもいないし、弱めてもいない」

「じゃあどうして?」

 それは彼女の問いに答えようとはしなかった。
 答えたくないのか、答えられないのか――少女はほんの若干考えて、すぐに眉根を寄せた。
 それの真意を悟り怒りを覚えたのであった。

 その真意は至ってシンプルなものだ。

 それは少女の問いに答えたくないわけでも、答えられないわけでもなかった。
 それは彼女と交わしていたやり取りに対する興味を示していなかった。
 それは彼女の話を聞いていなかった。

「三流の脚本だな。一方通行ももうじきイギリスに到着するだろうし、さてどうしたものか」

 その姿は新たな玩具を探す子供のように純粋で。
 その翡翠の双眸は汚れのない無垢な宝石のようにきらきらと光り輝いていた。

「あなたは……どこかおかしいです」

「おや、それは意外だな。てっきり君はとうの昔に私の事を狂人扱いしているものかとばかり」

 それは愉快そうに肩を揺らして笑うと、ワルプルギスの夜がいる方角に目を向けた。
 それと魔女との間にはいくつものビルや瓦礫があったが、それらにとっては視覚障害にすらならない。
 それらは目を凝らせば地球の裏側だって見えるし、一歩踏み出せば海の奥底にだって行けるのだ。

558: 2011/12/25(日) 02:24:38.71 ID:B8b5GBRFo

「ワルプルギスの夜。いくつもの魔女の集合体。魔導書とテレOマと魔力を吸い寄せた魔女……」
 彼女は自分に与えられた力に戸惑い使い道を悩んでいるようだ。思考機能や感情などないはずなのに」

「彼女にも魂があります。キュゥべえみたいなことを言わないでください」

「君はいろいろと面倒臭いな」

 それは眉を吊り上げてから、はぁっと深いため息を吐いた。
 少女はそのため息を無視してそれに向かって尋ねる。

「……ほむらちゃんたちは、勝てるでしょうか?」

「それはワルプルギスの夜にか? それともインキュベーターかな? もしくはそれ以外の存在かね?」

「ワルプルギスの夜に、です。あなたの世界の人なら、彼女を倒すことも……」

「少なくともあの場にいる連中では逆立ちしたところで無理だろう。神裂火織も倒れてしまったことだしな」

 呆気からんに言ってのけると、それはさぞ面白そうに頬を吊り上げる。
 不気味な亀裂はそれの口元に浮かんだ。

「だが魔法少女がいれば話は別だ。一〇回闘りあえば、一回は勝てるかもしれない」

「本当ですか!?」

「不思議そうな表情をしているな。確かにワルプルギスの夜は強大だが、力の使い方がなっていない
 手順さえ踏めば彼らだけでも対処することは十分に可能だよ。その道程は確かに興をそそられる……が」

 それは肺に息を溜めて――呼吸に意味などないのに――深々と吐き出した。
 あまりにも非効率的な行動をしたそれの立ち振る舞いはまるで人間のようだ。
 その本質は人間からはあまりにもかけ離れている存在だというのに。
 少女はそんなあべこべのそれの態度に肩をすくめ、続く言葉に意識を集中させて――



「このまま事が運べば彼らは勝てないだろう。その場合、暁美ほむらが全てを台無しにしてしまう」



 ――己が意識を疑った。

559: 2011/12/25(日) 02:27:31.37 ID:B8b5GBRFo



「時間を“繰り返し”すぎた。世界を“乗り越え”すぎた。道徳に“背き”すぎた」


「自分を“乗り継ぎ”すぎた。自分を“使い潰し”すぎた。自分を“頃し”すぎた」


「暁美ほむらの魂は淀んでいる。穢れている。濁っている」


「そして“彼女”はその事実に気付かぬまま誤った答えに導こうとしている。まぁ、私もその手助けをしたがね」


「……この事実に気付けた“人間”が、魔法少女である美国織莉子だけというのが悲しいな」


 そう言うと、それは西の方角へ目を向けた。

 距離と水平線を無視するそれの視線の先では、
 白い翼を生やした白髪の少年が、ちょうどイギリスの防空圏内に侵入しようとしていたところだった。



「さて、こちらが盛り上がるまでの間、しばしあちらへ意識を傾けるとするか」

 誰にでもなく告げると、それの意識はイギリスへと飛んで行った――


.

560: 2011/12/25(日) 02:30:51.81 ID:B8b5GBRFo
以上、ここまで。
前回までの描写がねちっこすぎたので軽めに行ったら少し密度が薄くなった……かな? 申し訳ありません。
次回は一方さんと英国王室の絡みをぱぱっと軽めに。

次回投下は出来れば明後日にでも。

567: 2012/01/17(火) 01:12:01.23 ID:NBEw0/VLo

 日本から丸々地球半週分ほど離れたヨーロッパ、正確にはイギリスとフランスを挟むドーバー海峡。
 夜空と海面に浮かぶ月に挟まれるように、海峡の上空を“飛翔”していた少年は、
 気だるそうな顔のまま、手に持った携帯電話を耳に当て直した。

「――要するに、俺はそのフザけた代物を元に戻せば良いンだな?」

 学園都市製の携帯電話が拾うわずかな喧騒に顔をしかめる。

『――省略するとそうなるな。君にとっても利益のある話だろう』

「あァ? 頭ン中にカビでも生えてンですか? 俺に得なンざまるでねェだろォが」

 電話の向こうからかすかに聞こえる嘲笑。
 通話を断ち切って百八十度反転してやろうか、と一瞬悩み、

『君の大事なお姫様が契約させられた時に役立つだろう。それとも絶対に契約しない保証でもあるのかな?』

「ぶっ頃すぞ」

 相手の言葉を一蹴し、吐き捨てる。

 音の壁を遥かに越えた速度で“翼をはためかせ”てから、彼はもう一度携帯電話を握り直した。

568: 2012/01/17(火) 01:13:10.90 ID:NBEw0/VLo

「インベーダーだかイノベイターだか知らねェが、あのガキに手ェ出したら殲滅するまでだ」

『ふむ。まあ嫌なら断ってくれても構わないんだが』

「……ちょうど英国王室ご用達の紅茶が欲しかったところだ」

『コーヒー派のくせに』

「間違えた、英国王室ご用達のクッキーだったわ。ゲテモノなジンジャークッキーな」

『あれ思ったよりもジンジャーしてないぞ。ジンジャーエールの方がまだジンジャーだな』

「うっせェ」

『そんなことよりもジンジャーと言えばやはり日本の神社――』

 問答無用で通話を断ち切る。
 外人のギャグは寒い。
 携帯電話を懐にしまい直すと、一方通行は赤い瞳をわずかに細めて正面を見た。

 水平線の向こう側にイギリスの陸地が見えてきている。

 体の表面を覆う“膜”に調整を加えて擬似的なステルス状態を作り出すと、彼は深いため息をついた。



「ったく……俺もヤキが回ったもンだな」

569: 2012/01/17(火) 01:14:06.82 ID:NBEw0/VLo

 ――そんな彼の事情や日本での騒ぎなどどこ吹く風と言わんばかりに。

 月明かりに照らされた穏やかなロンドンの夜を、物言わぬ静寂が包み込んでいる。
 先ほどまで、極東に夜が訪れていたなどという馬鹿げたニュースを、ロンドンの民の大半は知りもしない。

 そんなロンドンだが、どういうわけか一箇所だけ人でごった返している場所があった。

 イギリスを本拠に構えるイギリス清教、その本部とも呼べる教会。
 すなわち、聖ジョージ大聖堂。
 変わり者が頻繁に出入りを繰り返すことで有名なその大聖堂は今、ただならぬ喧騒に包まれている。

 そしてなにより異常なのは。
 本来であれば最大主教がいるべき位置に。

 英国三大王女が一人、『軍事』を司るキャーリサが腰掛けていることだった。


「遅い。『資料』の解析にいちいち時間を掛けすぎだし。ソウルジェムの解析もまだ終わらないの?」


 彼女は真っ赤なドレスの裾を苛立たしげに握り締め、右脇で佇んでいるだけの騎士団長を見やった。
 騎士団長は上質なスーツに付着した埃や焼けた後を叩いていた手を止めてキャーリサに振り向く。
 そして恭しく膝を地面に着けて頭を下げた。

「申し訳ございません。『資料』の記述方法が複雑らしく、読み方が無数に存在するようです。
 それこそ『法の書』並に。……あの女がこの『資料』を重要視していたことの裏付けになりますな」

「そんなことは百も承知なの。でなければお前をあの『ランベス宮』に突っ込ませた意味がないだろーが」

570: 2012/01/17(火) 01:16:26.76 ID:NBEw0/VLo

 ランベス宮――簡単に説明してしまうと、最大主教の私邸であるのだが。
 その防御機能や対侵入者用の魔術的細工は凄まじく、
 並の騎士では立ち入った瞬間に力負けして昏倒してしまうほどである。

 清教派の頂点が残した仕掛けには騎士派の頂点が、ということで騎士団長は単身ランベスの宮に乗り込み、
 ありとあらゆるセキュリティを力任せに解除して内部に放置されていた『資料』を回収したのだった。
 スーツの汚れや破損はこの際に出来た産物だ。

「あの『資料』がソウルジェムに関するものであることは間違いないとゆーのに、まったく」

「暗号解読の専門家を日本へ送ったのは失敗でしたな
 オルソラ=アクィナスやシェリー=クロムウェルがいれば……」

「清教派の助けを借りるつもりはないし」

 騎士団長の提案、もとい、たらればの希望を一蹴する。
 それに対して不満を露にすることなく彼は口を動かして続けた。

「では魔導図書館の力を。あれは今はまだ自由、学園都市の預かる身でございます」

「ふん。あれは次期最大主教だぞ、馬鹿らしい。それより極東の戦況はどーなったの?」

 強引に話を終わらせて浴びせられた問いかけに対し騎士団長は頷いて見せた。
 目の前をあたふたと動き回る修道女を呼び止め、二言ほど会話を交わす。

「どうやら『天使』は消失した模様です。代わりにあの場に溜まったテレOマが魔女に傾いた、と」

「最悪だな。あれだけの規模が集中するとなるとカーテナ含めても勝てるかどうか怪しーものだし」

 カーテナ。正確にはカーテナ=セカンドと呼ばれる霊装は、
 天使の力の一角である『神の火』の特性を持つ戦略兵器クラスの武装。
 本調子ならば次元すら切断する霊装で勝てない相手がいるとすれば、それはまさしく天使そのものだ。

 ……実際のところ聖人やフランスの軍師、それに一度だけ戦ったことがある超能力者と、結構負け続きなのだが。

571: 2012/01/17(火) 01:16:57.59 ID:NBEw0/VLo

「……どれ」

「キャーリサ様?」

 おもむろに椅子から腰を上げて立ち上がるキャーリサ。
 彼女は目を細めると先ほどから聖堂内を駆け回る修道女と魔術師の波を掻き分けてその中心へ突き進んだ。
 そして無数のチューブを繋がれ、さらに大量の霊装に取り囲まれて教壇で横になっている、
 金髪碧眼の修道女を視界に入れた。

「お前が被験者のレイチェルだったか?」

「え? あ、はい、そうです」

「ふーん。そしてこれがソウルジェムか」

 修道女のすぐ隣で、おびただしい量のルーンと結界で築き上げられた小さな神殿の中に置かれた宝石に触れる。
 ソウルジェム――魔法少女の魂を願いと祈りによって作り変えた代物――を、魔術側の技術で再現した物。
 レイチェルの瞳と同じ青色をしたソウルジェムのフレームを指でなぞり、キャーリサはため息を吐いた。

「お前はこれの仕組みをまるで理解してないの?」

「えぇ、まぁ。最大主教からはほとんど説明されてません」

「使えないやつめ。大体この宝石が魂であるということ自体が疑わしーし。一度砕いてみるか」

「じょっ、冗談ですよね……?」

「当たり前だし――――あっやべ」 ガタッ

「落とすなバカ王女おおおおおおおおッ!!」 ギュッ

572: 2012/01/17(火) 01:17:21.96 ID:NBEw0/VLo

 寸でのところでレイチェルはソウルジェムを拾い上げた。
 頭に繋がれたチューブの位置を調整しながら、彼女はその碧眼にキャーリサの姿を映し出す。

「あの……」

「どーした、今の罵詈程度は許してやるし」

「許す前に謝ってくださいよ!! もう……なんでもないです!」

「変なやつめ」

 レイチェルから離れると、キャーリサはふたたび元居た位置に腰を下ろした。
 表情が険しくなる。



 ――何もかもが分からない。



 ローラ=スチュアートの企みも、ソウルジェムの秘密も、インキュベーターの対策も。

 魔法少女に関わる一連の騒動で活躍するのはいつも清教派の人間だ。
 ローラはもちろん、特に見滝原市に潜入した神父や天草式、必要悪の協会の面々の働きは大きすぎる。

 それに比べて、王室派と騎士派はなんだ。

573: 2012/01/17(火) 01:18:24.34 ID:NBEw0/VLo

 清教派経由の情報を受けて魔法少女の救助と魔女の討伐に乗り出し、
 協力してくれる魔法少女へのグリーフシードの無償提供という形で成果を成してはいる。
 成してはいるが、それ以上のことは何一つ出来ていない。

 清教派一頭体制の果てにあるのはイギリス清教の自滅でありイギリスの崩壊だ。
 魔術サイドの頂点として君臨する組織と国家の消失は、ふたたび魔術と科学の間に混乱を齎す。

 その途中でイギリスの民がどれだけ苦を強いられることか。
 苦い思いで唇を噛み締めると、キャーリサは自身が腰を下ろす椅子に視線を送った。

 起氏回生の手札はある。

 ローラ=スチュアートの指揮権を剥奪し、
 最大主教としての座から退けることが出来た今ならば。
 魔法少女をこちらの力だけで救い出し、権威を示すことが出来る
 この機に乗じて三派閥のバランスを元に戻すことも不可能ではない。

 キャーリサが魔法少女に関して必氏になっているのはそういった意図も含まれていたからだ。
 綺麗事だけではどうにもならない現実があることを彼女は知っている。

(だけど予想以上に問題がややこしすぎるの。こちらの遥か先をゆく異星人をどーやって出し抜けと?)

(この分だとソウルジェムを元の形に戻すだけで一年、下手したら三年はかかりかねないし)

(どうにかして騎士派と王室派の力でなんとかせねばならんというに……)

574: 2012/01/17(火) 01:19:05.52 ID:NBEw0/VLo

「きゃ、キャーリサ……様っ……!」


 顎に手を当てて考え込んでいると、見知った顔の修道女が息を切らしながら彼女の前に跪いた。
 キャーリサは怪訝そうに彼女を見やり、次いで騎士団長に視線を移して顎を突き出す。
 騎士団長はため息混じりに修道女の顔を覗きこんだ。


「何があった。落ち着いて、ゆっくり、明瞭に話せ」

「その、えと……我が国の防空圏内にアンノウンが一つ進入してきたとの報告、が!」

「そういうことは早く言え馬鹿者!」


 みっともなく声を荒げて青筋を立てる騎士団長に呆れながら、キャーリサは鋭い眼差しで修道女を見定めた。

「軍部はなにをやってるの。まさか指をくわえて見守ってたわけじゃないだろーし」

 対する修道女は息を荒げたまま、

「それが空軍が気付けていないみたいなんです! 私たちも今気付いたばかりで……!
 詳細は不明のままですが、速度は最低でも時速七千キロ以上! 現在位置は今算出しています!」

「現在位置出ました! ここ(聖ジョージ大聖堂)ですッ!! 正面玄関、扉の外です!!」

 別の修道女からの報告を受けた一同に緊張が走った。
 ピリピリとした空気の中、キャーリサは黙ってカーテナ=セカンドの欠片を握り締めて腰を上げる。
 そして騎士団長に声を掛けた。


「スピードだけなら天使並だし。さて、お前ならどーする?」

「考えるまでもありませんな。王の国に仕える騎士の運命(さだめ)は一つのみ」


 彼はどこからともなくロングソードを取り出すと、そのまま軽い身のこなしで跳躍する。
 あっというまに人々を跳び越した騎士団長は、そのままロングソードを高く振り上げて走り出した。

 騎士団長の速度が音の壁を軽く突き破ったことで生じる余波から人々と霊装を結界で守りながら、
 キャーリサもカーテナ=セカンドの欠片を構え――

575: 2012/01/17(火) 01:19:44.98 ID:NBEw0/VLo







 ――次の瞬間。






 彼女の真上を、泣く寸前の幼児みたいな情けない顔をした騎士団長が通り過ぎていった。






.

576: 2012/01/17(火) 01:21:05.56 ID:NBEw0/VLo

 騎士団長の身体が聖ジョージ大聖堂のステンドガラスを突き破る。

 舞い落ちるステンドガラスの雨と月光を一身に浴びながら、
 キャーリサは何が起こったのかを必氏に脳内で整理しようとした。
 だが情報の整理が終わる前に、


「大英帝国はいつから客に対して音速超えする熱烈歓迎パーティ開く過激国家になったンだ?」

「ったくよォ……柄にもなくビビっちまったじゃねェか。どォしてくれンだ、おい」


 灰色のラインが刻まれた白い上下の服装に、白い肌。白い髪。そして赤い瞳の少年が、
 騎士団長が放った剣戟によって砕かれた扉の向こうからのっそのっそと姿を現した。
 驚くべきことに、音速を超えた攻撃を受けてなお、彼の体には傷一つなかった。

 ――いや、驚くようなことでもないか。
 内心で思い直して、キャーリサは少年を睨め回す。
 傷一つない? それはそうだろう。当たり前だ。
 何せ彼は、キャーリサですら敵わない正真正銘の“バケモノ”なのだから。


「そもそもお前を客人として招いた覚えはないの。とゆーか、なぜここにいる?」

「答えろ、学園都市第一位。最強の超能力者、一方通行(アクセラレータ)ッ!!」


 精一杯の殺意と敵意を放ったつもりなのだが。
 だがキャーリサの膝はみっともなく揺れていて、今にもくずおれそうだった。
 しかしここでくずおれることは、全ての崩壊を意味する。それだけは出来ない。

 そんな彼女の、全てを賭けた最大の抵抗に対し、一方通行はというと――

577: 2012/01/17(火) 01:21:32.90 ID:NBEw0/VLo







一方通行「いや学園都市第一位とかもういいンで……あと最強とか。そォいうのもうほンといいンで……」 ハズイワ





キャーリサ「……はぁ?」






.

578: 2012/01/17(火) 01:22:17.19 ID:NBEw0/VLo

――説明中。


一方通行「つーわけで、俺はしぶしぶあの女の言い分に従って足を運ンできてやったわけだ、うン」

キャーリサ「そうとは知らずにうちのバカが失礼したの。私に免じて許してやってくれ」

一方通行「こっちからしたら蚊が高速で突っ込ンできて氏ンだようなもんなんで、ぶっちゃけどォでもいいわ」

一同(((鬼だ……悪魔だ……!)))


キャーリサ「さて……せっかくお越し頂いて悪いのだけど。
         生憎とイギリス清教は科学側の施しを受けるつもりはないし。お帰り願おうか」

一方通行「おう、これがソウルジェムってやつか。魂ねェ……?」

キャーリサ「人の話を聞いてるの!?」


 レイチェルのソウルジェムに触れる一方通行を押さえつけようと、キャーリサは一歩踏み出して――失敗した。
 否、正確には足がぴたりと地面にくっつき、それ以上先に進むことが出来なかった。

キャーリサ(空気の壁!? いや、それとも重圧!? 一体何がどーなって……)

 見えない威圧を身体に受けたキャーリサが驚きの声を上げるより早く。
 彼女がカーテナの欠片に魔力を通そうとするより早く。
 一方通行が地面を踏み鳴らした。

 たったそれだけの動作でキャーリサの右手が不自然に跳ね上がり、握っていた欠片が投げ出される。

579: 2012/01/17(火) 01:23:07.94 ID:NBEw0/VLo

一方通行「悪ィがこっから先は一方通行だ。進入は禁止ってなァ」

一方通行「つかよォ、真面目に考えても見ろよ。インベーダーだかなんだか知らねェが
       それが『あのガキ』のいる平和な世界を乱すきっかけになるってンなら、取り除くに決まってンだろォが」

キャーリサ「……」

一方通行「オマエの事情なんざ知ったこっちゃねェんだよ」


 その場に崩れ落ちたキャーリサに目を向けることなく、
 一方通行はソウルジェムを右手で握り締めた。

 そしてレイチェルと手の中のそれとを見比べて、彼女とそれの間にある“何か”を感じ取る。


一方通行「これがオマエの魂なンだな?」

レイチェル「え、あ、はっはい!」

一方通行「初夜を前にした乙女みてェに緊張すンな。やり辛ェだろォが」

 軽口を叩きながら、ソウルジェムを手の中で転がす。
 指で肌触りを確認し、似たような質感の物を記憶の中から引っ張り出そうとする。
 その一方で彼は能力をフルに活用し、ソウルジェムの周囲を漂う『力』のベクトルを確かめる。

 ――なるほど、確かに不思議な造りをしている。未知と呼べるだろう。

 単なる未知の物質の解析程度ならば、彼は既に『第二位』の能力で経験したことがある。

 『第二位』の能力の解析自体はそれほど難しくなかったし、今回も同じような結果になるだろうと踏んでいた。

580: 2012/01/17(火) 01:23:47.86 ID:NBEw0/VLo



 だから彼は歯噛みする。

 自身の力の無さを憎むように。

 自身の世界の狭さを恥じるように。






 彼には、ソウルジェムの仕組みがまるで理解できなかった。
                     ¨ ¨ ¨ ¨ ¨ ¨ ¨ ¨ ¨ ¨ ¨ ¨ ¨ ¨




.

581: 2012/01/17(火) 01:25:17.68 ID:NBEw0/VLo

一方通行(何がどうなってやがる……なんでこンな宝石が、これだけのエネルギーを蓄えられンだ?)

 地脈とか霊脈とか竜脈とか、そういったものの力ではない。異なる位相に存在する力でもない。
 純粋な人の魂が持つ力。それを魔力へと変換する機能。魔力の流れる経路。魔法の仕組み。

 数千年、あるいは数万年。風化せず、さりとて改良もされなかった異星の生き物が発案したシステム。

 そのどれもが、これまで遭遇、想像したことの無い本当の意味で『未知の物質』だった。

 辛うじて分かることと言えば、ソウルジェムから溢れ出る力がレイチェルの身体に向かって流れていることか。
 その魔力の道から逆算するか……? いや、それも難しいだろう。

 ソウルジェムに辿り着いた途端、数十万を超える複雑かつ高度な計算式によって演算が滞ってしまう。
 仮に総当りでそれらを演算し尽くしたところで、同じ作業を何十回と繰り返せばいいか分かったものではない。

 いや、もっと大事な情報が手元には欠けている。
 単に演算を繰り返したところで、まるで意味はない。
 しかしやらねばならない。
 エイリアンごときに苦汁を舐めさせられたままでいるのは彼の性に合っていないからだ。

一方通行(まァあれだ、エイワスほどワケ分からねェわけでもねェんだ。地道にいってやるよ、チクショウが)

 そもそも、あれだけの大口を叩いたのだ。
 こので逃げ出すことは彼のプライドが許さない

582: 2012/01/17(火) 01:26:01.71 ID:NBEw0/VLo

一方通行(……)


――単純な物質としての側面から試算。エラー。再試行。


一方通行(…………)


――曖昧な魔術としての側面から試算。エラー。再試行。


一方通行(………………)


――現実の科学としての側面から試算。エラー。再試行。


一方通行(……………………)


――全てのデータを洗い直し、再び試算。エラー。再試行。


一方通行(…………………………)

583: 2012/01/17(火) 01:27:16.13 ID:NBEw0/VLo

 時間にして五分も経っていないにもかかわらず、一方通行の口元に亀裂が生じた。

 腹の底から出てくる笑い声を必氏に押し頃して、すぐ後ろで地べたに座っているキャーリサを横目で見る。

 そして彼は言った。

一方通行「――ダメだこりゃ、全然分からねェ」

キャーリサ「……はああぁ!?」

一方通行「知識が偏りすぎてンだよ。これは俺一人じゃ無理だ」

 観測した現象から近い推論を弾き出すのが彼の能力の真価だ。
 そのために一万人近い人間の脳による代理演算を用いているのだが――これには一つ、問題がある。
 かつてロシアで魔術を行使したとき、彼には歌という記憶と例があった。
 しかし今回は、それがまるで無い。
 いかに高性能なコンピューターといえど、1と0を飛び越えた空間を再現することが不可能であるように。
 少し魔術をかじった程度の彼の知識では、魂のなんたるかの推論を弾き出す事など出来るわけがないのだ。

キャーリサ「じゃあもうお手上げだし。私たちにできることは何一つないの」

一方通行「邪魔だシスターズ、その紙束見せろ」

キャーリサ「私の話を聞いて――あいたぁっ!!」

 ふたたびベクトル操作で彼女の身体を地面に押し付けると、
 修道女達(シスターズ)からかっぱらった何十枚という膨大な資料に目を通す。

一方通行「おい真っ赤なドレスのおばさン」

キャーリサ「……もうちょっとマシな呼び方は無いの?」

一方通行「これは誰が集めたもンだ? どっから手に入れた?」

キャーリサ「ローラ=スチュアートの私邸から回収した物だし。詳しいことは解析中だから分からないの」

一方通行「あァ、そォかよ」

584: 2012/01/17(火) 01:28:55.79 ID:NBEw0/VLo

 一方通行の赤い瞳がかすかに揺れる。

 彼は資料に目を通したまま、レイチェルのソウルジェムを掴み直した。
 首筋に取り付けられたチョーカーがうねりを上げるのと同時に、彼の背から白い翼が“噴出”する。

 同時に彼という存在が、能力開発の果ての、その先にある領域へとシフトしていく。
 ミカエル、あるいはルシファー、あるいはホルスの世界の神性へ限りなく近づいていった。

 周囲にいた修道女やボロ雑巾のような姿の騎士団長、キャーリサが目を丸くする中、
 彼は気にも留めずにソウルジェムに指を這わし、傍から聞けばうわごとにしか聞こえない声で呟く。


「契約により……」

「魂の最適化は……」

「願いは余剰エネルギーを……」

「感情の相転移によるエネルギーの……」

「希望の祈りは単なるプログラムに過ぎず……」

「ソウルジェムは魂というエネルギーの効率化を……」

「穢れを浄化する自浄機能……精神と神経回路の類似点……二重契約が不可能な理由……」

585: 2012/01/17(火) 01:30:25.88 ID:NBEw0/VLo

「……ッチ。解読出来ねェ箇所があるが、試してみるか」

 ソウルジェムを握る右手に力が入る。
 だがすぐにそれを和らげると、一方通行はポケットの中から携帯電話を取り出した。

「この期に及んで、何をするつもりなの?」

 地べたに座り込む王女を見下ろす。
 そして心底面倒くさそうに、投げやりにかぶりを振って見せた。

「可能性は見えた。だから助っ人の力を借りるンだよ――っと。もしもォし?」

『……珍しいな、お前からかけてくるなんて。思わずかみじょ――』

「うるせェ、シスターに代われ」

『はぁ? なんでイン……ちょっと待て、お前今どこにいるんだ?』

「俺の言葉が聞こえなかったンですかねェ? さっさとシスターに代われ」

『……ったく、分かったよ。なぁインデッ――――』

 保留中を示すBGMが流れ出し、一方通は苛立たしげに舌打ちした。(BGMの)センスが無い。

「……シスター、まさか魔導図書館のことか?」

「名前で呼んでやれよ、俺も人の事言えた義理じゃねェがな」

「――駄目だ。やつらの力を借りるのは駄目だ。やつらに頼りすぎているの! 何の解決にもならないし!」

「あァ? 何寝惚けた事言ってんだオマエは」

586: 2012/01/17(火) 01:31:58.56 ID:NBEw0/VLo

「組織のバランスだの頼り過ぎないだの……くだらねェ」

 そう言うと、彼は首下のチョーカーを軽く撫でた。
 最新型バッテリーの残量はまだ十分ある。

「くだらねェよオマエ、抱きしめたくなるくらいくだらねェ」

「何が!」

「……考えるこった」

 まだ食い下がるキャーリサをおしのけると、一方通行は手近にあったデスクに資料を並べ始める。
 常人には理解出来ない内容の紙束を置きながら一方通行は短くため息を吐いた。

「こンな回りくどい書式にしたのは、悪用を防ぐためだ」

「……」

「科学ってのは誰が扱っても同じ解答を導き出せる物だ。ンで、魔法ってのは科学だ――意味が分かるか?」

 すなわち、やり方さえ知ってしまえば誰にでも同じ事が成し遂げられるということ。
 誰にでも奇跡を起こせるし、魂をソウルジェムへと変換できるし、魔女を生み出せてしまう。
 おそらくこの編者は、それを恐れたのではないだろうか?

587: 2012/01/17(火) 01:32:32.65 ID:NBEw0/VLo

「これを理解できる人間がいるとしたら俺かあのシスターかくらいだろォよ」

 この編者は魔術に関する豊富な知識を持ち、その道では右を出る者がいない存在だろう。
 そしてところどころにちりばめられた、魔術とは違う“科学的”なキーワードの数々。
 ところどころの記述が拙いのを見るに、本人はそれほど知識を持ち合わせていないのかもしれない。
 身近な者、あるいは両親のどちらかが科学者か――もっとも、そんなことはどうでもいい。

「どォしてオマエらに渡さなかったのか、そのことをよく考えるこった」

 キャーリサの考えはこの編者に通ずる物がある。利益最優先。それは分かる。
 違いがあるとすれば、最悪の場合は組織としての手柄や利益を捨てる覚悟があったかどうかだ。
 この編者は、一方通行やあのシスターが介入することを読んでいたのかもしれない。

 ……たまたま一方通行が辿り着いただけかもしれないが。

「……フン!」

 キャーリサが鼻を鳴らすのと同時に、携帯電話から流れていた保留音が途切れた。
 代わりにどこか舌足らずな少女の声が聞こえてくる。

『もしもし! えっとね、私はいんでっ――』

「遅ェンだよ!」

『ひゃうっ!? い、いきなり怒鳴るなんて酷いかも!』

「これからオマエの部屋の主の携帯に画像を送る。それを読み解いたら電話寄越せ、以上」

『えぇっ!? なにがなんだか――』 プツッ

588: 2012/01/17(火) 01:35:22.31 ID:NBEw0/VLo

 強引に通話を断ち切ると、片っ端から携帯電話に資料を保存していく。
 そして手際よく添付してメールを送り終えると、ふたたび一方通行はため息を吐いた。

「オマエらがやろォとしたのは魔術によるソウルジェムの解放。魂の肉体への帰化
 この資料の編者もそれを試みていたし、ソイツの部下もその方法を模索してたみてェだが見つからなかったンだろ」

「それは……」

「見つからなくて当然だ。さっきも言ったが、魔法は“科学”なンだからな」

 言いながら、一方通行はふたたびソウルジェムを眺める。
 いかに似通った部分があるとはいえ、根本的に相容れない部分があるとするならば。
 それは魔術と科学という分野の間に広がる溝以外の何物でもない。

 しかし科学の頂点とも呼べる一方通行の能力でもそれを成し遂げることは出来ない。
 それは科学の限界であり、純粋な技術力の差であり、能力が魔術に似通っているせいでもある。
 能力の元を辿れば原石にまで遡るが――割愛しておくとして。

 だが、それはなにも一方通行の力が足りていないからではない。
 必要な欠片(ピース)が足りていないだけなのだ。
 魔術の知識が、ソウルジェムを解放するための条理を捻じ曲げる術式が。
 だったら話は早い。
 足りないのなら、持って来ればいい。

「必要なのは科学の知識と計算、魔術の知識と術式だ」

「魔術サイドの知識だけならシスターが最強なンだろ? だったら話は早い」

「俺の能力でソウルジェムの構成を推測し、紐解いて、そこにシスターの知識を活かした術式を編みこんで元に戻す」

 なにせ件のシスターは既に魔女から魔法少女への再生をやり遂げているそうではないか。
 あの時わざわざグンマーからのタクシーをさせられた裏で繰り広げられていたであろう光景を想像し、わずかに苦笑する。

「ムチャクチャだし! 下手をすればソウルジェム自体が崩れかねないの!」

「……そォだな」

589: 2012/01/17(火) 01:36:57.98 ID:NBEw0/VLo

 後ろを振り返る。
 体に繋がれていたチューブを取り外し、自由になったレイチェルと視線が交錯する。
 彼女は黙ったまま頷いた。

「なぜ了承できる!?」

「“あの子”のこと、信じてますから」

 レイチェルが記憶を失う以前の“魔導図書館”と交友があったことなど、一方通行はまったく知らない。
 知らないし、興味もなかった。問題なのは覚悟があるかないかだけだ。

「……さて、本人からの許可も下りたわけだが」

「俺は魔術を十分に使いこなせねェ」

 そして困惑の表情のまま立ち尽くしているキャーリサに目を向け、一言。

「力を貸せ」

「……貸すと思うの?」

「嫌なら他を当たるだけだ。清教派と科学の手柄になるってワケだなァ」

「ッ……」

「分かったか?」



 有無を言わせぬ一方通行の言葉に、ついにキャーリサは折れた。

590: 2012/01/17(火) 01:37:28.11 ID:NBEw0/VLo

 ――そんな様子を、割れたステンドガラスが嵌めてあった枠にぶらさがって覗くものがいた。

 『明けの陽射し』のボスであるレイヴィニア=バードウェイと、その部下のマーク=スペースである。
 ロープで結ばれたマークの背に抱きつきながら、バードウェイは邪悪な笑みを浮かべる。

バードウェイ「ふん、私が助力しただけあって順調そうだな」

マーク「はぁ……。それで出来ると思いますか? ソウルジェムを魂に戻すなんて」

バードウェイ「私が言うのもなんだがあの男はなかなか高性能だからな。難しくはないはずだが」

マーク「ローラ=スチュアートはボスの行動を知っていますかね?」

バードウェイ「あの女狐の完全勝利条件はイギリス清教の手柄の独占だ。あとは察しろ。ざまぁ見やがれ(笑)」

マーク「……後が怖そうですね」

バードウェイ「後などないよ。問題はインキュベーターがどれだけ把握しているかだな」

マーク「はい?」


バードウェイ「何万年も昔に魂をソウルジェムに変換する技術を具えた連中がなにも出来ないでいると思うか?」

バードウェイ「ソウルジェムが元に戻されてしまうのなら、変換方法を変えてやり直すだけだ」

マーク「でしたら再度科学と魔術が手を合わせれば」

バードウェイ「結局は後手になる。それでは意味が無い。問題は山積している」

591: 2012/01/17(火) 01:38:12.66 ID:NBEw0/VLo

バードウェイ「まっ、その時はその時だ。それにしてもあいつら、本当にソウルジェムを元に戻せるのかね」

マーク「……どちらにしても我々に影響は無いのではなかったのですか?」

バードウェイ「いや、最低でも今のソウルジェムくらいは元に戻してもらわんと困る」

マーク「なぜです?」

 深いため息をついてから、バードウェイはマークの頭を叩いた。
 そして右手に嵌められれた“指輪”と爪に描かれた五傍星を彼の眼前に持ってくる。

マーク「これは……ボス!?」

 爪に描かれた特異なマークと指輪。
 それはインキュベーターと契約した人間に刻まれる証であった。

バードウェイ「素質は十分だが希望と絶望の落差、感情の振り幅が小さくてそこまで強くないらしい
        願いは叶ったので良しとするが……一方通行に頑張ってもらわんと私が醜い魔女になってしまう」

マーク「いつの間に……いや、なぜ契約を!?」

バードウェイ「少し前、とある人物に頼みごとをしたら見返りにこちらも頼まれごとをされてな
        一応言うが、取引じゃないぞ。そう、頼み、頼まれただけだ。信頼関係とか色々だ」

マーク「……一体何をするつもりですか?」

バードウェイ「ゴールデンメタルスライムを知ってるか?」

 困惑するマークを無視してふんっと鼻息を立てると、バードウェイは東の方角へ目を向けた。
 極東の地では今頃、今世紀最大の激闘が繰り広げられようとしている頃だろう。
 その結果次第でなにもかもが変わる。

 バードウェイにしては珍しく不安げな表情を浮かべると、目を瞑って天を仰いだ。

592: 2012/01/17(火) 01:38:47.91 ID:NBEw0/VLo

 ――舞台は見滝原に戻る。

建宮「ああそうだほむほむ。お前さんに渡すものがあったのよな」

ほむら「率直に言うけどほむほむはないわ……」

建宮「ええっ!? マジ引きは悲しいのよ!?」

ほむら「いいから早くそれ渡しなさい。私は暇じゃないわ」

 俺っていつもこんな扱いなのよな……とぶつくさ続ける建宮から何枚かの文書を貰い受けると、
 ほむらは手ごろな瓦礫を椅子代わりにして腰を下ろし、ざっと目を通した。
 そしてすぐに両目を見開く。

ほむら「これは……どこで手に入れたの?」

建宮「新たなる光――って言っても分からんよな。尻尾生やしたレッサーは覚えてるか?」

建宮「そいつがついさっき現れてな。それをお前さんに渡すよう頼まれたわけなのよ」

ほむら「そのレッサーはどこに?」

建宮「知らん。元々あれとは指揮系統が違うのよな。あれはローラ=スチュアートに雇われてるような物だし」

 ローラ=スチュアート……
 たびたび耳にする人物の名を噛み締めながら、ほむらはふたたび文書に目を落とした。

 そこにはソウルジェムの仕組みと契約行為の仕組みに関する情報が記載されていた。
 どうして願いを叶える事でソウルジェムが生まれるのか、願いは一回しか叶えられないのか、世界の歪み、etcetc……
 レッサー、いやローラという人物はなぜこれを自分に?

 その意味を読み解こうと首を捻るが――残念ながら時間がない。
 視界の端でぞろぞろと人が集まり始めたのに気付き、文書を盾の中に押し詰める。

 考えるのは後にしよう――

593: 2012/01/17(火) 01:39:20.68 ID:NBEw0/VLo

ステイル「準備は良いかい?」

 穴だらけの法衣を着直しながらステイルは一同に振り返って尋ねた。
 誰も彼もが傷だらけで準備万端な風には見えないが、それでも彼らは笑みを浮かべて頷いて応えた。

杏子「いつでも行けるよ」

五和「こちらも大丈夫です」

建宮「与えられた仕事はしっかりこなして見せるのよな。でないと年長者としての示しがつかんのよ」

香焼「元から示しついてないすから気にしなくても――あだだだ嘘っすぐりぐりしないで!!」

さやか「みんな、怪我したらあたしに任せてね! ちちんぷいぷいって治しちゃうから!」

ほむら「あなたは魔法禁止よ。嫌ならソウルジェムをぶん投げるわ」

さやか「……はい、すいません」

 騒がしい面々から目を離し、箒を片手に持つ魔女を視界に収める。

スマートヴェリー「こっちもいけるよー。最低でもカミカゼアタックして特攻してあげるから安心してねん」

ステイル「……期待しているよ」

 次に、ローラの指揮下から離れた魔術師集団を見やる。

ステイル「そっちはどうだ。天草式との連戦でだいぶ疲弊していると思うが」

魔術師「簡単なルーン魔術くらいなら使える。というか、ガキばっか働かせるわけにもいかないからねぇ……」

ステイル「そうか。それじゃあ最低でも僕のに倍以上の働きをしてくれることを期待しているよ」

594: 2012/01/17(火) 01:39:49.65 ID:NBEw0/VLo

 そしてすぐ後ろで幾人かの修道女に看護されている神裂とシェリーを見る。
 彼女らという大きな戦力を失った今、これ以上の消耗は敗北を意味している。
 要塞からの支援砲撃と天草式の『切り札』、自分の全生命力を費やしたところで勝てるかどうかは疑わしい。

 だが、ここで挫けては意味がない。

ステイル(巴マミを救えなかった時点で僕は何もかもに負けているんだ)

ステイル(これ以上犠牲を出してしまっては……“あの子”に向ける顔が無い)

 ステイルは一度大きく息を吸い込むと、怪しげに歯車を回して宙に浮かび続けるワルプルギスの夜を見た。

 魔女狩りの王を捻じ伏せ、岩石の巨兵をなぎ倒し、聖人を退けた最強最悪の魔女。
 その姿にわずかな戸惑いの色が見て取れるのは、果たしてステイルの錯覚だろうか。

 あの魔女が何を望み、何を呪っていったのか――ステイルにはそれを知る術が無い。
 知ろうとも、思わない。



 今度こそ、確実に撃破する。

595: 2012/01/17(火) 01:40:36.01 ID:NBEw0/VLo

――そして。

ローラ「ようやく参りたわね」

 かすかな足音を聞き取ったローラは、その口元に柔らかい笑みを浮かべて言った。
 すぐ近くで尻尾をふりふりさせている白い獣の頭を一度撫で、立ち上がる。

QB「ようやく動くのかい、ローラ=スチュアート」

ローラ「己が招いた客人の前でみっともなく座り続けてたるは恥でしょう?」

 地面を踏みしめる音が近づいてくる。

QB「招いた、というと?」

ローラ「ステイルが張り巡らしたるルーンは、見方と魔力の質を変えれば案内板にもなりうる、ということよ」

QB「“ホルス”の魔術のようにかな?」

 その言葉を聞いたローラの眉間に深い皺が刻まれた。
 疑惑の色を隠そうともせず、足元でくつろいでいるキュゥべぇに視線を投げる。

ローラ「賢しいわね。しかしどこでそんな単語を知りえたるのかしら? とっても興味がありけるのだけれども」

 ローラの言葉に答えず、キュゥべぇはくるりとその身を後ろに捻った。
 それに見習うようにしてローラも後ろを振り返る。
 視界の中心に、一人の少女が生まれた。

 少女の衣服は泥にまみれ、さらには何度か転んだのであろう。膝や肘にわずかなかすり傷がある。
 それでも彼女は、確かな意思を宿した目をローラに向けてきた。

ローラ「……話に聞くよりも、ずいぶんと芯の強そうな娘になりけるわね。
     ほんの少しだけれど、暁美ほむらがその命を賭けてまで救わんとす理由が分かりける気がするわ」

596: 2012/01/17(火) 01:41:50.22 ID:NBEw0/VLo

――そうして。


 ローラは一歩前に踏み出した。
 それに応えるように、少女も一歩前へと踏み出した。

 鮮やかな、それこそ満開の花のように綺麗な笑みを受かべてローラは口を開いた。


「私は――」


「――わたしは、ローラ=スチュアートという者よ。よろしく頼みけるわね」


 半年振りに一人称の語気を若干和らげてそう言ったローラに対し、


「わたしは――」


「――私は、鹿目まどかっていいます。こちらこそ、よろしくお願いします」


 まどかもまた、一人称の語気を若干改め直して、ローラの言葉に応じた。



 ワルプルギスの夜と、魔術師と魔法少女。
 インキュベーターの技術と、魔術と科学。
 アレイスター=クロウリーと円環の理。
 ローラ=スチュアートとまどか。

 物語の要が、ようやく交差した。

608: 2012/01/22(日) 23:14:20.93 ID:F5gd/ZYKo

 まどかと相対しながら、ローラはわずかに肩をすくめた。
 今頃ステイルたちは魔女に戦いを挑んでいる頃かな、と思いながら口を開く。

ローラ「こちらの詳しい事情とわたしの正体は説明せずとも良きに?」

 ローラの言葉に、まどかは笑みを浮かべて頷いた。

まどか「はい、だいたい分かります。ステイルくんの上司さんですよね?」

 雰囲気が似ています、と付け加える少女に対しローラは軽く目を見張った。
 ステイルとローラの関係は師弟、あるいは教師と生徒のそれに似ている。付き合いだけなら長い方だ。
 彼女はそれを察したのだろう。よく見ている。評判どおり、感受性が豊かなのかもしれない。

ローラ「だったら分かりけるわよね? わたしはステイルほど優しくはなきにつきよ?」

 そう告げながらも、ローラは自身の語調がこれまでにないほど穏やかなことに気付いた。
 ここまで穏やかに言葉を紡いだのは何年振りだろう。紡げなくなったのはいつからだろう。

 イギリスの片田舎で“父”に致命傷の負傷を与えた時。
 そして“取り逃がした”と、本気で後悔した時からだろうか。

 それが今から五〇余年前で……ああ、考えるのも億劫だ。おのれ時間、おのれ老化。

まどか「大丈夫です」

 再びまどかが頷いたのを見て、ローラは満足したように柔和な笑みを浮かべた。
 この状況、このタイミングで優しい声は不安や恐怖を煽り、多少なりとも心を騒がすと考えていたのが。

 まるでぶれない。なるほど、やはり良い子だ。それに強い。

ローラ「ふふん、きっと良い女になりしことね! 今から将来が楽しみたるわ!」

 立派な大人になるだろう。優しい人になれるだろう。それこそ“あの子”のように。


 その姿を自分が見ることは無いだろうけれど。
 せめてあと一〇年、二〇年早く産まれていれば可能だったかもしれないが――見れずに終わる。
 だが、それもまた良し。

609: 2012/01/22(日) 23:15:56.13 ID:F5gd/ZYKo

ローラ「それじゃあわたしから一つお願いがありけるわ」

まどか「それじゃあ私からもお願いがあります」


 互いに顔を見合わせ、視線が交差する。


ローラ「わたしがこれからしたる質問に、正直答えて欲しけるのよ」

まどか「私がこれからする質問に、答えて欲しいんです」


 ローラが頷き、まどかが頷く。

 これは取引だ。


ローラ「それじゃあ先に質問したるわね」

 すぅっと肺の中を空気で満たすと、


ローラ「あなたはその魂を代価に、どのような願いを叶えたるの?
     いかような祈りでソウルジェムを輝かしたるつもりになりているの?」


 ローラの正直な質問に対し、まどかもまたローラと同じように肩を上下させて深呼吸し、



まどか「私は――――――」



 彼女の言葉をかき消すように、轟音を引き連れた光条が暗雲垂れ込める空を真っ二つに引き裂いた。

610: 2012/01/22(日) 23:16:32.64 ID:F5gd/ZYKo

 ――砲撃がワルプルギスの夜の胸元に突き刺さったのと、杏子が地面を蹴るように飛び出したのは同時だった。

 続く砲撃がワルプルギスの夜の体へ降り注ぐのを見ながら、杏子は熱くなる頭の内で目的を再確認する。

杏子(今回一番重要なのは、『次に繋げること』ってね……!)

 全ては次へと繋げるため。

 その繋ぎのために、杏子はひた走る。

 眼前を舞う砂塵を追い越し、吹き荒れる風を追い抜き、次へと続き、活かす為の繋ぎになる。

 そこで視界に違和感を感じた杏子は、しかしすぐさまその原因に気がつく。

 すぐ目の前で、わずかな塵を含んだ風が、怒り狂うようにうねりを上げていた。
 ワルプルギスの夜が荒れ狂う風と魔力を織り交ぜて、杏子の体に叩きつけようとしているのだ。
 回避しなければきりもみ状態で吹っ飛び、情けなく地面を転がることになるだろう。

 しかし回避行動を取れば速度を頃してしまう。それでは次に活かせない。

杏子(……だったら、速度を殺さずに回避するまでさ!)

 襲い来る強風をかわし、さらに身を捻って跳躍。
 魔女の手前で着地し、だがその場で前転。姿勢を持ち直してさらに跳躍。
 今度は着地と同時に舞うように一回転。

 戦闘というよりは舞踏、否、舞闘だ。ちょっと格好良いな。

 一連の動作を中断しないことで速度を殺さず、舞うように動くことで次へと繋げるための戦い方。

 ソウルジェムの消耗を抑えるために編み出した、新たな戦い方。

611: 2012/01/22(日) 23:17:27.79 ID:F5gd/ZYKo

杏子(天草式の身体強化術式がなけりゃこう上手く行かなかっただろうけどさ)

 風をかわし、避け、掻い潜り――

 とうとうワルプルギスの夜まで一〇メートルという距離まで接近する。

杏子(って言っても、どーやってあそこまで辿り着こうかねぇ)

 杏子の狙いは腹、出来れば脇腹にある。
 一〇メートル近づいた上で、さらに六〇……浮上分含めて八〇メートルは跳躍しなければならないのだ。

 それをするだけの余裕が、今の杏子にはない。
 魔力を練って足場を作れば可能だが、それは致命的な隙を生み出し、速度の大幅低下を招く。

 ならば――


杏子(“待つ”っきゃないか)


 待つ。ひたすら待つ。信じて待つ。
 ワルプルギスの夜の目の前で、襲い来るかまいたちをかわして速度を上げながら。
 ただひたすらに、その場で舞うように動き、待ち続ける。

 魔力を帯びた烈風が地面を砕いて足の踏み場を奪うのも気にせず。
 それどころか本来であれば躓いてしまうであろうコンクリートの出っ張りすら繋ぎの為の舞台にして。

杏子(実際、時間稼ぎならロッソ・ファンタズマでも良いんだけどね……)

 だが、と杏子はかぶりを振った。速度を落としちゃ意味が無いし、消耗も激しい。それに――

杏子(ありゃマミへの手向けだ。悪いけど、アンタなんかにゃ勿体なくて使えないね!)

 内心で呟くと、杏子は自分の背にいくつかの気配を感じて口の端を吊り上げ笑みを浮かべた。

612: 2012/01/22(日) 23:18:31.27 ID:F5gd/ZYKo

五和「お待たせしました! 行けます!」

 杏子の背後にいたのは、彼女に遅れて戦場に到着した天草式の面々だった。
 だから杏子は心中で、また次に繋げたと安堵する。安堵しながらも、しかし口を動かす。

杏子「足場!」

 承知、と野太い声が響いた。
 杏子の両脇を建宮と五和が走り抜け、ワルプルギスの夜の注意を惹き付けるために躍り出る。


五和「術者を担ぐ悪魔達よ、速やかにその手を離しなさい!!」


 五和が短く叫び、建宮もそれに続く。
 直後、浮遊していたワルプルギスの夜の体がその高度をがくりと下げた。
 歯車が音を立てて地面に沈み込み、その拍子に砕けたコンクリートの礫を撒き散らす。

 あれが事前に行った打ち合わせに出てきた『撃墜術式』のようだ。

 その様子を見ながら、杏子は足に力を込めた。地面を蹴り飛ばすように、弓なりに跳躍する。

 風を切り裂きながら杏子は思う。
 速度は上々、ノリノリだ。疲労もまだ少ない。が、届かない。
 ソウルジェムの消耗を抑えつつ、彼女はふたたび槍を握りなおす。

 このままでは魔女の下半身、歯車の上部辺りまでしか届かない。
 だから杏子は下を見た。
 彼女のちょうど真下、弓なりの軌道が若干下へと下がる場所に――

牛深「――行けッ!」

 上を向いたハルバードの切っ先があった。
 さきほど承知と叫んだ大男の牛深が、杏子よりも前に出て跳躍していたのだ。

 杏子の足場を作るために。

613: 2012/01/22(日) 23:19:51.69 ID:F5gd/ZYKo

杏子「ッ……!」

 牛深が空いた方の手で親指をぐっと突き立てる。

 杏子は八重歯を見せることでそれに答えると、右足を伸ばしてハルバードの刃に“着地”した。

杏子「ふっ……!」

 肺の中に息を溜めつつ、速度を削がないように横幅一センチも無い刃の上で一回転。

 これ曲芸師としてやってけるんじゃないかなと思いつつ、切っ先の最先端に右足を乗せ、

杏子(今だ……!)

 肺に空気を溜めたまま切っ先を蹴落とすように踏んで杏子は跳躍した。
 そこで杏子は、先程抱いた違和感をまったく覚えないことに気付いて笑みを零した。

 あの波のように押し寄せ、うねっていた烈風が無い。
 空を飛んでいる人間の魔女が注意を惹き付けてくれているおかげだろう。
 つまり、風による妨害を受けずにいられる。

杏子(辿り着いた!)

 ワルプルギスの夜、その巨大な脇腹近くに杏子が接近した。
 もう失敗を恐れる必要は無い。風も、魔力も、気にするな。

 ――今はただ、槍を突くことだけを考えるだけさ!

 体を捻り、左腕を後ろに、右腕を前に押し出す。
 その手に握り締められた槍の穂先がワルプルギスの夜の展開する障壁に触れた。
 硬い。だがまだ自分は止まってはいない。ここまで溜めた速度を活かせ。

 それで足りないのなら――肺に溜め込んだ空気を吐き出せ!

杏子「――うおりゃあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!」

 空気を吐き出したことによる力みと、速度が頂点に達したことによる勢いと共に。
 槍の穂先が、障壁を突き破ってワルプルギスの夜の脇腹に突き立てられた。

614: 2012/01/22(日) 23:21:13.68 ID:F5gd/ZYKo

 それでも。

 ワルプルギスの夜の脇腹には、傷一つ生じなかった。

 それでも。

 杏子は笑って、砕けた障壁の欠片を蹴り飛ばしながら思う。


杏子(通った――!)


 そして口を開いて、


杏子「ざまぁみな! アンタの氏期はすぐそこだよ!」


 と、叫んでいる場合ではない。今のはあくまで全体の繋ぎだ。
 ここからさらに離れて、ステイルの準備が終わるまで敵の注意を惹き付けねばならない。

 そう考えて、杏子はふと自分の体が薄い黒に染まるのを見た。
 いや、黒は黒でもただの黒じゃない。これはもっと巨大な何かの影だ。

 杏子はわずかに首を回して、空を見上げた。

 見上げた杏子の視界一杯に、コンクリートの壁が広がっていた。

615: 2012/01/22(日) 23:22:05.62 ID:F5gd/ZYKo

 ――時間は前後する。

 カブン=コンパスの閃光術式が魔法の魔女に突き刺さったのを、
 魔術の魔女であるスマート=ヴェリーは、わずかに煤けた箒に跨った状態で見た。

 空を飛んではいるものの、その速度は地を往く杏子と比べれば明らかに遅く、鈍いもので、

スマートヴェリー(やっぱ加速性能落ちてるねー。連戦続きで残存魔力も危ういし、術式も微妙だしねん)

 内心で己の力量不足を再認識する。

 地を蹴立てて加速できる地上に比べ、空を飛ぶ魔女は加速を術式と魔力のみに頼らねばならない。
 そして今回は高所からの降下による位置エネルギーもないので、特に初速が遅い。

 さらに言うと、空を飛ぶ術式は幅が少ない。地面を走る体を装えば術式の幅も増えるのだが、
 地上で行動する天草式や杏子と比べればその行動選択の幅が狭すぎる。柔軟な対応が出来ないのだ。

スマートヴェリー(まぁ私たちのお仕事は露払いだし、どうせダメージは与えられないし。やれやれだねー)

 ようやくスピードが本調子の五割に至ったところで、目の前から突風が来る。
 大気を制御してなんとかそれから逃れ、箒を操作して加速。
 後続の魔女の一人が風に揉まれて失速するのを見ながら箒を握り直していると、

『スマートヴェリーッ! なんというかあれだな、ワクワクするなぁおい!』

 耳に挟んでおいた通信用霊装から同僚の声が漏れ聞こえてきた。

『相手は魔法の魔女! 対するこちらは魔法少女と魔術師と魔術の魔女! 戦力比は絶望的だ! 燃えるな!』

「はっはっは、あんた頭沸いてんの?」

 返答しつつ、箒の先端に赤い輝きを灯す。
 さらに加速。

616: 2012/01/22(日) 23:22:59.64 ID:F5gd/ZYKo

『私たち魔女はあまり良い歴史を持っていない。お前も魔女の扱われ方は知ってるだろう。
 嬰児を食って、煮詰めて、薬作って黒魔術の儀式で暴れたサイコ集団――とまぁ、散々な扱いだからな』

『実際そんなことやらかしたのはほんの一握りの魔女だけどねー』

『魔女狩りに遭って命を落とした無実の人々も多くいる。それがお前、なぁ! 正義の魔女だぞ!』

 なんでこんなにハイテンションなんだこいつは。
 疑問を抱くが、目の前から飛来する高速の石礫を回避するので精一杯なため口には出さない。

『さっきもいたいけな少女達を攻撃していたが、やっぱりそういうのは悪のすることだ!
 こうして肩を並べ――られてはいないが、やはり共に戦った方が胸がすく思いだ! 違うか!?』

 なんとまぁ単純な思考回路だが、気持ちは分からないでもない。
 さきほど別れてから姿を見せない織莉子とキリカの姿を思い出して、スマートヴェリーはわずかに苦笑する。

 それから彼女は視線を下方へと落とし、ワルプルギスの夜の前で舞う杏子を見た。

 同僚ほど馬鹿ではないが、あんな少女が活躍しているのだ。
 なら、自分も少女達の働きに見合うだけの頑張りをしなければならない。

 スマートヴェリーは加速を終えてトップスピードに至った箒から右手を離した。

 わずかにバランスが不安定になって揺れるが気にせず右手を懐に突っ込む。

 そして目当ての物を手探りで探し当てると、勢い良く手を振りぬいて取り出した。

 それは厳重に蓋をされ、対衝撃用のルーンがあちこちに刻まれた小さな壷だった。

617: 2012/01/22(日) 23:24:32.87 ID:F5gd/ZYKo

 そんな壷を見ながらスマートヴェリーは体を左へと傾ける。
 後続の魔女集団からわずかに離れ、ワルプルギスの夜の攻撃範囲外に出る。

スマートヴェリー(あんま使いたくなかったんだけどねー、まあ仕方ないかな)

 壷を手の中でくるりと回し、器用に封を破いて蓋を取る。
 そしてスマートヴェリーは、恐る恐ると言った様子で中身を覗き込んだ。

スマートヴェリー「うわぁ……」

 げんなりした声を漏らしてスマートヴェリーは表情を険しくした。
 瓶の中にあるのは、どろどろとした半スライム状の液体。

 洗礼を受けていない、嬰児を煮詰めた魔女の薬だった。

スマートヴェリー(私たちの体や箒に塗りたくってある魔草を用いた代用品とは一味も二味も違うんだよねん)

 普段用いている薬は、あくまで魔草を用いたダウングレード品だ。効果も飛行能力の付与くらいしかない。
 それに対し本物の魔女の薬には長寿や不老不氏のエピソードが付きまとう。
 つまりこちらの場合は各種身体機能や魔力が底上げされるのだ。ドーピングである。

 ……とはいえ、やはりこちらも本当に嬰児を煮詰めるわけにもいかず。

スマートヴェリー(魔術の影響で凶暴化した猿の子供を嬰児の代わりに使ってるのがねー……組織的にどうなのかな)

 なにせ彼女が所属する組織は旧教の清教派。人の代わりに猿を置くのは進化論を肯定することになる。

 最近はその辺り、結構寛容になっているのだが。まぁ批判にしても某世界の警察国家ほどではないかな。

 それにしたって猿の子供を煮詰めるのは道徳的にもよろしくないし、出来ることならば使うことは避けたい。

618: 2012/01/22(日) 23:25:58.96 ID:F5gd/ZYKo

スマートヴェリー「でもまー、背に腹は変えられないよねんっと……」

 薬の半分ほどを口の中に含み、むりやり胃の中へと流し込む。

 そして残った半分を体にかけ、ぬるぬるした感触に嫌悪感を覚えながら魔力を練った。

スマートヴェリー「くぅっ……!?」

 体に走る電撃にも似たショックで体を捻らせながらスマートヴェリーは加速した。
 途端に体全体を叩きつけるような烈風――正確には風の壁――が襲い掛かる。空気抵抗だ。
 壷を投げ捨て、即座に大気を制御。可能な限り空気抵抗を少なくする。

 砲弾のような速度と共にスマートヴェリーが空を飛び、先行していた魔女集団の中央を突っ切っていく。

スマートヴェリー(こりゃ、また……ゴキゲンだねー)

 枯渇した魔力が熱に打たれた鉄のように漲って、ふたたび体全体に循環し始める。
 それによって生じる熱を身に纏うローブに移し変え、陽炎と共に放出、冷却を開始する。

 高速で飛行しているため冷却自体は楽に済むが、それでも慣れないな、と彼女は思う。

スマートヴェリー(体が軽い……けど!)

 消耗も激しい。時間は無駄には出来ない。

 巡回速度で飛ぶ魔女を置き去りにして、スマートヴェリーは箒の先端に灯した赤い光と右手の光球を飛ばしていく。
 それらは超高速で空を突き抜け、ワルプルギスの夜の周囲を浮かぶ瓦礫を砕いていった。
 光と光球が残した衝撃波の中心を潜り抜けながら、ふたたび視線を下へと向ける。

スマートヴェリー「お、やるねー。さすがは魔法少女ってとこかしらん?」

 スマートヴェリーの前方右斜め下では、杏子が槍をワルプルギスの夜へ突きつけていた。
 ここまで来るとあとはステイルの働きを待つだけだ。

 ……もしかして骨折り損?

619: 2012/01/22(日) 23:26:29.13 ID:F5gd/ZYKo

 などと思案していた時、ワルプルギスの夜を追い越して飛翔するスマートヴェリーはそれを見た。

 六〇メートルを誇る巨体の背後、宙を舞う砂塵に隠れて浮かび上がるコンクリートの塊。
 根元からぽっきりとへし折れた、長大なビルの残骸を。


スマートヴェリー(本調子でもないのにあんなのを浮かび上がらすとか、そこんとこどうなのかなー)


 内心で愚痴を零すが、現実は待たない。
 瞬く間にそのビルはワルプルギスの夜の前に飛び出て、杏子の体を押し潰す位置に割り込んだ。

 あれがまともにぶつかったら本調子の聖人でも無い限りズタズタだ。

スマートヴェリー(……仕方ないってことかもねん?)

 覚悟を決め、右手をかざす。

 箒の右先端部から小さな火花が散って、箒がガクッとその行く先を曲げた。
 目指すはビルの先端、杏子と接触する可能性が最も高い部分。

 ローブから放出される陽炎を、体に残留する魔力に切り替える。
 魔力の消費が早まるが、代わりにこれで触れれば爆発する全身火薬の完成だ。

 それから彼女は右手をはらって箒の後部、本来であればちりを掃く藁を叩く。
 箒の後部が爆発した。

 そしてそのまま爆発力を生かして突き抜けるように加速、加速、加速加速加速!

 体を横に倒してライフル弾のように螺旋状の、しかし殴りつけるような軌道を刻み――


 文字通り一つの砲弾と化したスマートヴェリーが、ビルへと体当たりを敢行した。

620: 2012/01/22(日) 23:28:06.45 ID:F5gd/ZYKo

 ――コンクリートの壁に何かが突き刺さり、煌びやかな爆砕を発生させたのを杏子は見届けた。

 後続の空を飛ぶ魔女が、突き刺さった何かに続くように火の玉や光の玉を投げつけていく。

 おかげでコンクリートの壁は杏子と接触する前に亀裂を生んで砕け散り、その軌道を大きく変えた。

杏子「なっ……なんて無茶しやがるんだ……!」

五和「止まらないで、佐倉さんっ!」

 五和の声にはっと我に返ると、杏子は手元に障壁を展開。肘で弾くように殴りつける。
 反動で杏子の体が地上へと降下し、そのまま受身を取るように着地。
 すぐさまその場から離れ、

 その数瞬後、杏子がいた場所に瓦礫の雨が降り注いで派手にその猛威を振るった。

杏子「おいおい、さっきのあんたらの魔女でしょ? あんなことやらかして大丈夫なのかい!?」

五和「分かりません、が今は信じるしかありません!」

 視界を覆い尽くす砂煙をの向こうで五和が応えた。

建宮「あれもまた繋ぎなのよな。必要犠牲として考えろ、でなきゃやられるぞ!」

 建宮が叫んだ直後、ふたたび辺り一体に鈍い地響きが響き渡った。
 先ほどと同じような、瓦礫を用いた質量攻撃が行われたのだ。

 砂煙に覆われた状態では視界が悪すぎる。しかし一度離れれば接近するのが難しくなる。
 だが近くにいてはワルプルギスの夜の攻撃に反応するのが一苦労だ。

 だから杏子は口を開き、同時にソウルジェムを輝かせて叫んだ。

杏子「―――ほむらッ!!」

621: 2012/01/22(日) 23:29:04.55 ID:F5gd/ZYKo

ほむら「―――言われなくても! ……って、このやりとり交わすの二回目じゃないかしら?」

 呟きながら、ほむらは肩に担いだRPGのトリガーを引き絞った。
 発射口に取り付けられた榴弾が自由を得て、すぐに秒速一〇〇メートル少しまで加速。
 ワルプルギスの夜の上半身周辺を浮遊するコンクリートの塊目掛けて突き進む。

 それを確認したほむらは構わずRPGを投げ捨てた。
 着弾を確認する余裕は無い。

 すぐに地面に立てかけられたRPGを拾い直して構え、射撃。
 これまた着弾を確認せずに放り捨て、新たに装備。射撃。
 それを何度か繰り返してワルプルギスの夜の武器を奪い終わると、後ろから声が掛かった。

ステイル「魔法少女というより軍隊少女だね。それもプロ顔負けの思い切りの良さだ」

 地面に片膝を着いているステイルだ。
 新たな武器を周囲に配置しながら、ほむらは髪を書き上げて軽口を叩こうと口を開いた。

ほむら「褒め言葉として受け取っておくわ」

ステイル「褒めたつもりで言ったんだからそうでないと困るよ」

ほむら「良い性格してるわね」

ステイル「君ほどじゃないさ」

 蹴り飛ばそうかな、と真面目に考え、ここで氏なれても困るのでやめておくことにする。
 代わりに彼女はステイルの方を振り返り、首をかしげて尋ねた。

ほむら「……あとどれくらいで済むの?」

622: 2012/01/22(日) 23:29:31.26 ID:F5gd/ZYKo

 ステイルは片膝を着いたまま肩をすくめた。

ステイル「もうしばらく。これでも必氏でね、一歩間違えたら魔力が暴発して右手が吹き飛びかねないくらいには」

ほむら「必氏を語りたいならまずは右手を吹き飛ばすことから始めなさい」

 言って、AT-4を肩に担いだ。
 残存火器も残り少ないので、外すことがないようしっかり照準してからトリガーを引く。
 解き放たれた砲弾が光の帯を引きながらまた一つ、空に浮かぶ破片を打ち落とした。

ほむら「……要塞からの援護砲撃はないのかしら」

ステイル「砲撃にしても効果が薄いのは分かってるんだ、杏子たちを吹き飛ばすよりは黙ってもらった方が良い」

 ワルプルギスの夜の注意を惹き付け、ある地点で足止めするための繋ぎ。
 それは囮役を買って出てくれた杏子たちにしかできない。
 せめて砲撃のダメージが通れば話は違ったようだが……魔術師ときたら、案外不甲斐ない。

ほむら「まぁ良いわ。私は私にできることをするから」

ステイル「そうしてくれると助かるよ」

 わずかに苦しみが混じったステイルの言葉を聞きながら、ほむらは新しいRPGを担いだ。
 そしてワルプルギスの周囲を漂うビルの残骸に照準を付け、

ほむら「……?」

 違和感に気付く。
 照準機の先、六〇メートルを誇る魔女の巨体が、わずかに前屈みになっていた。

ほむら「……まさか、動き始めたというの?」

623: 2012/01/22(日) 23:30:51.78 ID:F5gd/ZYKo

 ほむらのテレパシーを受け取るまでもなく、間近にいた杏子たちもその異変に気付いていた。

 重ね掛けされた撃墜術式による負荷を押し切って、ワルプルギスの夜がわずかに浮上し、
 その体を前に倒すようにして前進し始めたのだ。

杏子「おいおいどーいうわけだよ、ええ?」

建宮「前進を始めたってことは、ヤツの体に力が馴染んだってことなのよな」

五和「じゃあ撃墜術式が通じないのは力で無理やり弾かれていると……?」

 建宮が苦しい表情のまま頷いたのを杏子は見た。

 作戦前に聞いたステイルの推測が正しければ、ワルプルギスの夜は膨大な力を持て余している。
 ならばそれが馴染むのを遅らせるためにちょっかいを出してこちらの準備を終わらせてしまおう、
 というのが今回の作戦だった。

 その準備を終わらせるために杏子や天草式、魔女魔術師は繋ぎになったのだ。


杏子「どうすんのさ、アイツの周辺、結構ヤバイ魔力が良い感じに流れちまってるよ?」

香焼「今ちょっかい出したらぶっ飛ばされそうっすね……」

 肩をわずかに震わせている香焼の頭に手を乗せて乱暴に撫でながら、ワルプルギスの夜を見上げる。

 すでにこちらは眼中に無いらしい。
 スカートの下に隠された歯車を高速で回転させながら前進する魔女に対し、眉を浅く立てる。

杏子「アタシらは路上の虫ってか、調子に乗りやがって」

五和「巨象の前の蟻、ですね……」

建宮「ただしその蟻は噛み付くことの出来る蟻――ってな」

624: 2012/01/22(日) 23:32:05.03 ID:F5gd/ZYKo

 大胆不敵に笑う建宮の指示に従い、杏子たちは戦線を後ろへと引き下げた。
 ついで、この機に乗じて負傷者を背負った何人かが戦線を離脱していく。

杏子「おいおいどこまで下げんのさ?」

建宮「もうちょいだ、もうちょい。……ここだ、よし止まるのよな!」

 一定のラインまで引き下がり終えると、建宮はフランブルジェを地面に突き刺した。
 ここが最終防衛ラインだと言わんばかりの、威風堂々とした佇まいだ。
 だが――


杏子(あんな風に突き刺したら刃こぼれしちまうんじゃない?)

五和(というか荒れたコンクリートの地面によく突き刺せましたよね)

牛深(よく見ろ、瓦礫の隙間に差し込んであるんだ。考えたな教皇代理め)


 建宮が頬を引きつらせているのを無視して杏子は話を進める。

杏子「そんでどうすんだよ? ここで決氏の防衛戦でもしようってのかい?」

五和「違いますよ、佐倉さん。私たちにできることはもう高見の見物くらいなもので、ここは見物用の砦です」

 ……あまりに切迫した状況に頭でも狂ったのか、この隠れ巨Oは。

 そんな杏子の心配とは裏腹に、五和は笑みを浮かべて続けた。

五和「ここが正真正銘、最後の砦ですね。……始まりますよ」

625: 2012/01/22(日) 23:34:42.48 ID:F5gd/ZYKo

 と、五和が言った直後だ。

 大通りを真っ直ぐ突き進んでいたワルプルギスの夜の近くで、何かが鈍く光った。
 あれは似たものを自分は見たことがある。しかしそれは空にいきなり現れるような代物ではなかったはずだ。

 杏子は首を右へ左へと向け、それから納得したように縦に振った。

杏子「あそこ、ちょうどビルの間なんだね」

 はい、と五和が頷きながら答えた。

 ワルプルギスの夜は見滝原市の中心部近く、ちょっとした高層ビルが点在する区画にいる。
 そしてワルプルギスの夜を挟み込むように、八〇メートルは越えるであろうビルが存在していた。

 となれば、あの鈍い光にも説明がつく。

杏子「つーことは鋼糸か。縦六〇メートル近く、横も五〇メートル以上、奥行きで二〇メートルくらいかい?」

建宮「イエス。さっきお前さんが働いてた時に指示を出したのよな。対馬中心の一組と野母崎中心の二組が動いてる」

五和「女教皇様だったら、片手間でもすぐに行えちゃうんですけどね……」

 あれは女の皮被った化物だしなぁなどと考える。
 そしてワルプルギスの夜に絡みつく鋼糸を見ながら杏子はため息をついた。

杏子「……あんなんじゃあすぐに破られちまうよ?」

建宮「構わんのよ、むしろそうでなきゃ困るってな」

五和「はい、第二段階ですね」

626: 2012/01/22(日) 23:36:12.63 ID:F5gd/ZYKo

 その時だ。
 鋼糸を強引に引きちぎって前進するワルプルギスの夜が、赤い血のような霧に覆われた。
 それは引きちぎられた鋼糸から溢れ出ていて、さながら血管が破られたようにも見える。

建宮「――鋼糸を生命線に再定義し、殺人に対する罰を与える術式。
    その規模は使用者と鋼糸の総量、注いだ魔力によって変化するのよな」

建宮「使用者は引き下がった天草式と魔術師、魔女の混成部隊! 魔力は全員が膝から崩れるレベル!」

建宮「んでもって使用した特注の鋼糸は天草式十字凄教全員の月収分よ!
    これでダメージ無けりゃ血の涙流すことも辞さないのよな!? ああおい!?」

 建宮の怒号に応えるかのごとく、霧の向こうで一〇メートル規模の爆発が連続して生じ、
 ワルプルギスの夜を包み込んだ赤い霧の大樹にたわわな果実――破壊の爪痕が実ってゆく。

 そしてわずかに遅れて、派手ではないが、どこかくぐもった重たい爆音が耳に届いてくる。

 見たことはないが、魚雷が爆発したらあんな感じなのかもしれない

杏子「……確かに威力は凄そうだけどね」

五和「凄いなんてものじゃありません。単純な力勝負なら大聖堂クラスの防壁にだって押し勝てますよ!」


 ……じゃあなんで、アンタの声はどこか自信無さ気なのさ?

 ……隣に並んでる建宮の顔も、なんでそんなに険しいんだい?

627: 2012/01/22(日) 23:38:06.11 ID:F5gd/ZYKo

 杏子が疑問を口にしようとするよりも早く、変化は訪れた。

 ミシッ、と、何かがひび割れる音がした。

 次いで、バキッ、と、何かが砕ける音がした。

 杏子は半ば悟りきったような表情を浮かべると、仕方なくその音の発信源へと目を向けた。

 罰を下し終え、役割を果たした赤い血の大樹。

 大樹はまるで寿命を全うした古木のように、その身に夥しい亀裂を生んでいた。
 亀裂から見えるは、周囲の赤に交わる気配を見せない深い青。
 ワルプルギスの夜が身に纏う、魔女の衣装。

 やがて随所から吹き出るような鮮血にも似た霧を撒き散らして、大樹が無残に引き裂かれた。

 大樹に纏わりつく、生命として再定義され千切れた鋼糸が耳障りな悲鳴を上げる。
 それはどこかざらついていて、しかし金属と金属とを擦り合わせたように癇に障る悲鳴だ。

 そんな無数の悲鳴が、ワルプルギスの笑い声によってかき消されてゆく。
 その笑い方はどこか無邪気で、子供のはしゃぐ声にも聴こえるが。
 どこか暗く、狂い、冷たい。


 歯車を回転させながら、罰を下されてなお無傷のワルプルギスの夜が前進を再開する。


 その口元には、どこか眩しい光と共に火の粉が漏れ出していて――

628: 2012/01/22(日) 23:39:19.16 ID:F5gd/ZYKo

 ――神裂に致命傷を与えたであろう技をワルプルギスの夜が行使しようとする姿を、ステイルは見た。

ステイル(本気で防御に走った神裂を再起不能に至らしめた、天使の力と魔法の力の融合……)

ステイル「テレOマ砲と呼ぶべきか、マジカル砲と呼ぶべきか……悩むね」

 軽口を叩きながら、ステイルは片膝を上げて立ち上がる。
 準備の方は九割方完了していたし、ここでワルプルギスの夜が撃って来るであろうことも予想していた。

 つまり、これさえ凌げばどうにかなる。
 逆に言えば、ここを繋げられなければ全てが終わる。

ステイル「ここはドイツ語で魔女の殺息(へくせん・あてむ)と呼ぶべきかな?」

ほむら「ずいぶんと余裕そうね。傍から見たら勝てない試合にしか見えないのだけど」

ステイル「だったら覚えておくと良い。生憎だが僕は勝てない試合をするほど間抜けじゃあないんだ」

 そう言って、ステイルは懐からルーンが刻まれたカードを取り出す。

ステイル「魔女狩りの王を顕現するのに用いたルーンは一〇万三〇〇〇枚
       だが、僕は何もそれが全てだと語ったつもりは無いんだよ。例えばほら――」

 カードを真っ直ぐ伸ばして、魔力を込める。
 カードに刻まれたルーンが赤く輝き、酸素を燃焼して火を生み。

 瞬く後、ステイルの足元から魔女の足元までを一直線に架ける、白と赤が混じった一本道が作り上げられた。

 その道はわずかに赤く輝き、どこか大気を揺らがせている。

629: 2012/01/22(日) 23:42:04.28 ID:F5gd/ZYKo

ほむら「これは……!?」

ステイル「準備の片手間で作った、一〇万三〇〇〇枚のルーンの道だよ」

 道を構成する物に気付いたのだろう。
 ほむらが上ずった声を上げて、信じられないというように首を振る音が聞こえる。

ほむら「ルーンが刻まれたカードで構成されている……じゃあ道というよりは壁かしら?」

ステイル「その答えはずばりイエスさ。貼り付けられなかった予備のルーンを用いた、物量頼みの障壁だよ」

 ほむらの言葉にステイルは頷いて、道改め壁を見た。
 カードはだんだんと高度を上げていき、ステイルの胸元辺りまでやってくる。
 向こう側ならちょうどワルプルギスの夜の眼前辺りに位置していることだろう。

ほむら「そんなものをどうやって配置したの? 歩いて貼り付ける暇は無かったと思うけれど」

ステイル「上昇気流って知ってるかい?」

 早い話が、熱を利用してカードを移動させたのだ。
 文書を浮遊させたり出来るので、格好つける時に便利でもある。

ステイル「残念だがイノケンティウスを顕現させて盾にする余裕はないし、
       さすがのイノケンティウスも魔女の殺息を食らったら再生が追いつかずに消え去ってしまうからね」

 だから、と息を吸い。

ステイル「ルーン一枚一枚に魔力を込めて、ルーンそのものを障壁にするんだ。その厚さは先も述べたとおりの――」

 吐き出し、もう一度呼吸して、

ステイル「一〇万三〇〇〇枚。隙間無く置けば三〇メートルを越える」

 もっとも現在はある程度間隔が空けてあるのだが。
 内心でそう続けると、ステイルは真正面に立つワルプルギスの夜を見つめた。

630: 2012/01/22(日) 23:43:42.12 ID:F5gd/ZYKo

 逃げれば街が、凌がねば自分が消えうせる。

 しかし凌ぎきれば。

 繋げることができれば、ダメージを与えられるかもしれない。


「こういう時にあの男がいれば役に立つんだけどね」


 この場にいない、しかしこの場に相応しい、憎たらしい顔を思い浮かべ、


「いやはやまったく、僕はほとほと」


 肺の中にある空気を限界まで吐き出すようにして呟く。


「―――不幸だな」


637: 2012/01/29(日) 01:48:35.92 ID:i6zqtpqjo


「――――――だから、そういうことです」


 爆音と破砕音とが奏でる戦場音楽をBGMにして、ローラは少女の言葉を聴いた。
 その声は、戦場に鳴り響く金属音や、誰かの叫び声と比べれば小さく静かな物だったかもしれない。
 吹けば飛んでしまいそうな華奢な体から紡ぎだされた言葉は、
 大の大人のそれと比べれば弱弱しかったかもしれない。

 だが、ローラは聴いた。

 中学二年生。
 世界の命運を左右するにはあまりにも幼すぎる少女の、懸命な言葉をローラは聴いた。

「それがあなたの選択ならば、わたしはもう何も声をかけざることは無きよ」

「……それ、は」

 つまり、と不安そうに手を伸ばし、しかし立ち尽くす少女を見ながら思う。
 良かった。

「それじゃあそちらの質問を受けたる前に――ちょっとこちらへ寄りてくれるかしら?」

「あ、はい」

 警戒心の欠片も見せない少女は、どこかほっとしたような面持ちでローラの目の前まで近づいてきた。
 彼女の選択を前に、本当に良かったと心の底から思う。

「ふふふ、それじゃあご褒美よ」

「え? ――っあ」


 約束を反故にし、彼女の意識を刈り取るだけで済んで。
 本当に、良かった。

638: 2012/01/29(日) 01:50:03.62 ID:i6zqtpqjo

 小さな頭を撫でて、コピー用紙の切れ端をぺたり。

 それに連動するように、まどかの瞼が閉じられて。
 まるで力が抜けたように、その華奢な体をローラの体に押し付けるようにもたれかかってくる。
 意識を断たれたことで若干重くなった彼女を横たわらせるローラの背に、あるいは脳に、声が響いた。

「sowuloのルーンだね。その象徴的な意味は太陽だったはずだけど」

「今のはルーンが持つ太陽の意味を拡大解釈したりて、まぁ眩暈とか気絶とか色々叩き込みけるのよ」

 無茶苦茶だね、という声に後ろを振り向けば、白い獣が二匹。尻尾を振っていた。
 ……さっきも見たけど、二匹もいたら気持ち悪いなこいつらなどと考え、すぐにかぶりを振って、

「しっしっ。わたしはペットは一匹で十分になりける主義にて。分かりたらそこ、どきなさい」

「酷い扱いだね……それじゃあ僕は向こうの様子でも見に行くとするかな」

 首輪を着けたキュゥべぇがのしのし歩いていくのを見送りながら、ふと疑問を抱く。

「……そういえばあれ、無事に体育館から逃げ延びれたるのね」

「視覚できる人間が少なかったからね。首の骨がだいぶ軋んだようだけど
 それにしても君がルーン魔術に詳しいとは知らなかったよ。案外多才なんだね」

「あら、ルーン魔術の天才たるステイルにルーンの真髄を叩き込みたのはわたしなりてよ?
 つまりわたしは天才を育てた天才! その上父親が魔術の天才で腰を据えた組織は世界トップとか実に素敵!」

 ああんもう、わたしはどうしてこうも罪作りなカリスマ美女なりけるのかしら。自分が怖きことね。

「今の君は職を失い路頭に迷った挙句、小さな女の子との約束も守れない老婆だけどね」

「そのような小生意気な言葉紡ぎたるのはこの頭なりて? ――潰すぞ異星人が」

639: 2012/01/29(日) 01:51:49.85 ID:i6zqtpqjo

「それで、どうするんだい。まどかとの約束を反故にした君は、もうじき着きそうな決着を機に動き出すのかな?」

「んー」

 ……もうじき着きそうな決着、ねぇ。

 果たしてそれが、どちらの勝利によって齎されるのか。
 決着がついた後に、何が起こるのか。

 大体の見当はついている。その結末も。
 無論、そこに至らずに挫けてしまう可能性とてありえなくはない、が。
 彼らは、自分が予想し、望んだ結末に至るだろう。そのための不断の努力があるのだから。
 まったく大した物だ。ローラとしては惜しみない賞賛と共に拍手を送りたいくらいだ。

 だが、それを送るにはまだ早い。
 全ての収束点、中心軸であり、物語(せかい)の要である存在がどう動くかはまだ誰に分からない。

 時の概念を超えた者にすら分からないはずだ。
 その程度にはこの地球は、この世界は、道に迷っている。

「……」

 偉い身分になったと、そう思いながら首を動かし、まどかの傍らで座り込むキュゥべぇを見やる。

「もうじき着きそうな決着の後に、起こりそうな奇跡の後で行動したりてあげるわよ」

「期待しておくよ」

 キュゥべぇの言葉と共に発生した、ソニックブームにも似た衝撃波がローラの髪を撫で付けた。
 その発信元は大体察しが着いている。

 ローラは胸の前で手を組んだ。

 教えを捨てた父と違って、幼い頃から信じ続けた天上の神に祈るために。

640: 2012/01/29(日) 01:53:09.65 ID:i6zqtpqjo


―――ワルプルギスの夜が、限界寸前まで溜め込んだ“力”の塊を解き放った。
 それはこれまでに何度か行ったことのある、口から吹き出る炎などとは比べ物にならない破壊の力だ。

 その極彩色の輝きは、魔術・魔法サイドが戦線に投入した戦力の中でもっとも大きな存在、
 極東一の聖人という威光を“神裂キゴミ”から譲り受けた神裂火織を一撃の下に叩き潰し、
 今なおその意識を暗澹に臥せる規模の物だ。

                                   ヘクセン アテム
 光にも、炎にも、氷の結晶を含んだ吐息にも似た≪魔女の殺息≫が暗雲の下、
 ステイルを、その後ろにある見滝原市の中心街を、市民の避難した体育館を捻じ伏せるために奔り抜ける。


 その力の奔流が、炎を吐き出し続けるルーンの壁にぶつかって衝撃波を街中に撒き散らした。


 周囲に展開していた魔術師がその煽りを受けて一人残らず転倒し、吹き飛ばされる。

 空を飛んでいた魔女も荒れ狂う大気を御しきれずに薙ぎ払われる。

 当然ながら、それはワルプルギスの夜の近くにいた天草式とて例外ではない。
 各々の得物を地面に突き立てて“準備”をしていた者たちの内、小柄な香焼が転んだ。
 そのまま風に流されそうになるのを寸でのところで押し留められる。
 槍を分解して各部を鎖状にした杏子が縛り上げ、その身を捕まえていた。
 杏子はその威力に眉をひそめ、肩を震わせながら口を大きく開く。

「――ホントーにこれ、凌ぎきれんのかよ!?」

 片手間で準備を推し進めていた建宮が身を乗り出し、

「凌ぎ切れなくても準備は続行するのよな、仮に街が吹き飛んでもコイツだけは倒す……!」

「だから今は“整形式”の準備に専念しろ――――!」

 吼えるように叫んだ。

641: 2012/01/29(日) 01:53:47.33 ID:i6zqtpqjo

―――最初の接触で、一〇三〇〇〇分の内、五〇〇〇枚が塵になったのをステイルは察した。

 ステイルが居る位置からでは光に包まれて様子が窺えないが、
 傍から見るとワルプルギスの放った魔女の殺息(ヘクセンアテム)を押し留めているような図なのだろうか。

 考えながら、ステイルは膝を着きたくなる衝動を懸命に堪える。
 前面から掛けられる魔女の殺息の重圧は、ルーンと百数十メートルの距離越しからも感じられて、
 齎される魔力は皮膚と骨とをねじ切り、削ぎ落とし、砕いて割り断ち抉るような感覚を腕へ浴びせ掛ける。

 幻覚だ、とステイルは決め付けた。
 なにせ視界の中心に映る両手は無傷そのもので、自分の体には傷一つないはずだからだ。
 ならば両手を襲う感覚は、なんだ。

(負荷を掛けすぎているのか。魔力を練るための生命力すら残されていないと、そう言いたいのか)

 くだらない。

(ルーンに魔力を通して防壁を作るだけなんだ。ルーンの質を考えて陣を築くよりも遥かに簡単だろう)

 ましてや。

(たかが一〇万三〇〇〇枚のルーンごときで膝を着くなど、あっていいはずがないんだ)

 そもそもルーンとは文字であって、それに魔力を込めるだけなら簡単だ。
 問題はカードに刻まれたルーンがそこそこ上質な物で、事前の消耗も――

 いや、とステイルはかぶりを振る。
 面倒臭いのは無しだ。

 震える右手を左手で上から押さえ込むと、手に持つルーンのカードへ魔力をさらに注ぎ込む。

「要は、氏ぬ気で挑めば良いだけだろう……!」

642: 2012/01/29(日) 01:54:16.99 ID:i6zqtpqjo

 憤りと共に短く叫ぶ。

「っ――!」

 しかし圧し掛かる重圧と魔力の奔流に抗えるはずも無く。

「ぐううぅぅ――――っ!」

 全身に押し寄せる、波にも似た衝撃にステイルが一歩後ろへ引き下がろうとしたその時、

「……っ?」

 唐突に、ステイルの体が押し留められた。
 そして背中、正確にはやや腰上辺りに温かみのある何かが押し付けられた。
 気が遠くなるような苦痛と熱に苛まれつつ、その正体を探ろうと思案し、目星をつける。。


「これは……」


 背中に触れているのは、人の生命のぬくもりだろう、と。
 温かいし、若干柔らかいような気もする。いや固いか。固いな。薄い。だが人だろう。

 では今、自分の背にしがみつくようにしてステイルを支える者は誰か。
 考えた時間は主観で十秒。実際に流れた時間はおそらく一秒にも満たないはずだ、とステイルは思った。

 そんな時間的矛盾の中で、ステイルは後ろを振り返ることなく言葉を紡ぎだす。

643: 2012/01/29(日) 01:54:44.85 ID:i6zqtpqjo

「何の真似だ」


 短い、責め立てる口調で彼は言った。


「見て分からないのかしら?」


 これまた短い、人を嘲るような口調で言葉が返ってくる。だから、


「振り向く余裕があると思うのか?」


 短い問いかけで答え、


「余裕が無いなら作りなさい」


 ふたたび短い答えが返って来て、


「氏ぬ気か?」


 と、問えば、


「生憎だけど、私は勝てない試合はしない主義なの」


 と、答えが返ってくる。

644: 2012/01/29(日) 01:55:11.64 ID:i6zqtpqjo

 ステイルは深々とため息を吐くことで問答を断ち切ると、黙って正面を見据えた。
 そして己の体に意識を差し向ける。

 先ほどまで体に走っていた痛みと熱が完全に消えていた。
 右手の震えは依然として消え去らないが、身体は軽い。
 身体中を駆け巡る血液にも似た温かい力の流れ――生命力が、確かに回復しつつあった。

 その原因は推察するまでも無く明らかで、彼はやはり、振り返ることなく呟く。

「まさかこの期に及んで、バカの施しまで受けるとはね。これは今年一番の屈辱かもしれないよ」

 すると当然のように、

「なっ、人が魂ゴリゴリ削って回復させてあげてのにあんたってやつはぁ!」

 先ほどとは違う声が耳に届いた。

 ステイルは微笑を浮かべる。


 後ろにいるであろう二人の少女――――



 ほむらとさやかの期待に応えるために、魔力を練りだす。

645: 2012/01/29(日) 01:56:04.50 ID:i6zqtpqjo

 ラミネート加工されたルーンのカードに刻まれた、二つのルーン。
 Kenazとansuz。松明のルーンと、北欧神話の神を象徴すると同時にその息吹を象徴するルーン。

 それらルーンに対し、先ほど顕現させた魔女狩りの王と同クラスの魔力を注ぎ込むことに専念する。
 魔力を注がれたルーンはふたたび輝き出し、膨大な熱量と炎を顕現させた障壁となる。
 最初の時と違って、今回は溜め込んだ魔力を注ぐのではなく逐次練成、投入する形だ。
 いささか効率は悪いし、既にルーンが刻まれたカードの残量は三〇〇〇〇枚を切っているが、それでも。

 ……ここにきて手応えが軽くなった! ワルプルギスの夜の手札を出し切らせたということか!

 この位置からでは輝く光によって覗き見ることが出来ないが、
 おそらくワルプルギスの夜は魔女の殺息の発動を打ち切ったはずだ
 つまり、確実に勝利へ近づきつつある。
 問題はルーンが持つか否か。
 持たないのなら、最低でも魔女の殺息の射線を捻じ曲げて上空へ逸らさねばならない。

(熱を下方に溜め込んで爆発させ、釣り上げるようにしてカードごと魔女の殺息を逸らす!)

 そのためには右手に持ったルーンのカードを上手く調整しなければならない。
 故に彼は、右手を押さえつける左手により一層力を込めて――

「左手、下ろしなさい」

 信じられないような内容の言葉が聞こえてきた。

「……この状況を見て言っているのだとしたら、僕は相当君に嫌われたようだね。
 それは要するにあれだ、間接的に氏ねってことだろう」

「いいから下ろしなさい。それとも本気で氏ぬつもり?」

 ……何か考えがあるのは間違いないだろうが、この場で左手を話すのはリスクが大きすぎるね。

 しかし結局左手を下ろしてしまう自分は、なんと言うか紳士だなぁ、と。

646: 2012/01/29(日) 01:57:42.58 ID:i6zqtpqjo

「さやか、代わりにお願い」

「へ? あーうん、分かった」

 おいちょっと待て、と言葉を発するよりも早く、下ろしたはずの左手が無理やり持ち上げられた。
 そうして出来た隙間に割り込むようにほむらの身体が潜り込んでくる。
 彼女はステイルの左隣に立つと、半目のままステイルを見上げ、

「抱きなさい」

「……すまないが、僕には心に決めた相手がいるんだ。
 無論叶わぬ夢だと言うことは百も承知だ。何せ既にお似合いの男がいるからね。
 それでも僕はこの想いを捨てきれない。だから残念だが、君の想いに応えてあげることは――」

「言い方を変えましょうか、抱き寄せないと蹴飛ばすわよ」

 そりゃ困る、とおどけ、言われるがままに左手をほむらの腰に左手を回そうとするが、
 体格差のせいで上手く行かず、結局背中から脇辺りに手を回して抱き寄せる羽目になった。
 それに応じるようにほむらの右手がステイルの背に回り、しっかりと法衣ごと背に掴まる気配がする。

「それでどうするつもりだい?」

「こうするのよ」

 言って、ほむらが左手を伸ばした。震えるステイルの右手を支えるように、小さな手が優しく添えられる。
 ……右手の震えを抑えるつもりなのか?

「君の意図は察したが、さっきの方がやりやすかったんだけどね」

「ここからが魔法少女の本領よ」

「何が言痛あいいぃぃッ!!!」

 聴覚がほむらの呟きを拾ったのと、痛覚が右手の骨にもたらされた激痛を拾ったのは同時だった。
 見れば、先ほどまで優しく添えられていたほむらの左手がステイルの右手を握り締めていた。
 それこそ、大きな木の枝をへし折るように乱暴に。

 ……激痛はこのせいか! 腐っても魔法少女、時間停止は使えずとも握力はゴリラ並ということだね……!

647: 2012/01/29(日) 01:58:58.31 ID:i6zqtpqjo

 そんな激痛と共に、右手にある変化が訪れた。

 先ほどまで魔力を御する際に生じていた小刻みな揺れが、確かに収まりつつあった。

「これは?」

「身体強化魔法よ。私は……私は、まどかほど器用じゃないから。こうでもしないと他人掛けは出来ないの」

「……」

 無言で頷き、ステイルは右肘をやや折ってほむらの下へ近づける。
 そして手に持つカードに魔力を込め、改めて身体全体に意識を向ける。

 左手と背中越しに伝わるのはほむらの体温だ。温かい。
 それに加えて、腰辺りに若干後ろからの力がかかってくる。
 ほむらと入れ替わるようにしてステイルの身体を支えに入ったさやかだろう。


 ステイルはもう一度ほむらを抱き寄せると、しかし頭の中で現在の構図を思い浮かべてその間抜けっぷりに苦笑した。


 なにせほむらの身体に回した手は重圧とほむらの重みでいささか震えているし、
 ほむらに掴まれている背中は神裂に引っかかれたかのように熱を上げている。
 痛みを堪えようとして頬の筋肉が引くついているし、ほむらも何故か半目のままなのがより一層間抜けだ。

「ねぇ、これひょっとしてあたしかなりお邪魔虫じゃない? ねぇ?」

 そして背中にはバカが一人。

 格好良いとは到底言えない現状に、だがどこか安堵する。

 格好悪い、大変結構だ。そのくらいがちょうどいいというものだ。
 残るルーンは三〇〇〇枚を切っているが、やれる。
 何故か不思議と、心の底からそう思えた。

648: 2012/01/29(日) 01:59:38.50 ID:i6zqtpqjo










 ――――右手の震えは、完全に止まっていた。









                                                                  .

649: 2012/01/29(日) 02:01:59.06 ID:i6zqtpqjo

「――ぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」


 ステイルが唸るように叫び、魔女の殺息に触れたルーンのカードが爆発した。

 それらは段々と階段状に少しずつ高度を上げていき、
 光の波にも似た攻撃の行く先を徐々にずらし始める。
 カード一枚一枚が、その攻撃を逸らすためだけに浮上していった。

 ここまで来たら理屈ではない。
 根性だ。気合論。やらねば出来ぬ、ならばやれ、やれば出来る。
 カードが浮上しては爆砕し、出番を待ち望む次のカードへと光の波を押し付けていく。
 そうして光の波はゆっくりと山なりの軌道を描いていき――


「このまま釣り上げるぞ!」

「言われなくてもやるわ!」


 ほむらの左手に支えられたステイルの右手が、天に向かって突き上げられた。


「行けッ――――――!!」

「行って――――――!!」


 最後のカードがほむらとステイルの練りだした魔力を受けて空へと投げ出され――

 同時に光の波がカードに刻まれたルーンを追いかけるように角度を変えて奔った。
 それはステイルたちのすぐ眼前で機動を大きく変えて、真上――天に向かって昇ってゆく。
 そうして矛先を逸らされた光の波が、天を覆っていた暗雲を突き破った。

 否、勢いはそれだけに留まらない。
 光の波は巨大な大樹と化して、
 暗雲を欠片も残さず引き連れて青い空の向こう、燦々と輝く太陽の方角へと伸びていった。

650: 2012/01/29(日) 02:03:52.17 ID:i6zqtpqjo

 天へと昇ってゆく光を見ながら。
 太陽へと飲み込まれるように昇華する光の円環を見ながら。
 ステイルは歓喜の感情を抱くよりも先に色々と台無しで、無駄な心配をした。

(もしかしたら運の悪い人工衛星が一機ほど巻き込まれたかもしれないな……)

 まぁ、その時はその時だ。
 それにしても、と一息吐いて思う。
 この疲弊っぷり、竜神の殺息(ドラゴン・ブレス)を受けたときの何十倍だろうか。
 ひょっとして自分はとんでもないことをやらかしたのではないだろうか。

 そこまで考えて、ステイルはかぶりを振る。
 ステイルに抱き寄せられた状態で息を切らしているほむらを見た。

(自分一人で行えなかった時点で、僕の手柄と言うには無理があるか。まぁ――それも仕方ないね)

 さらに呼吸し、顔を上げる。
                                        ピリオド
 二息吐いたことだし、さっさとこのくだらないお祭り騒ぎに終焉を打ち込んでやろうではないか。



     M  T  W  O  T  F  F  T  O  I I G O I I O F

「――世界を構築する五大元素の一つ。偉大なる始まりの炎よ」



 戦場で、あるいはマンションで、あるいは聖堂で。
 幾度と無く紡いできた言葉を、ステイルは口にした。

651: 2012/01/29(日) 02:04:21.07 ID:i6zqtpqjo

「ステイル……?」

 俯くステイルに抱かれたまま、ほむらは聴いた。
 彼がうなされるように何かを呟くのを聞いた。

「ねぇ、ちょっと、あたしもう動いて良いの? ねーほむらー」

「ちょっと黙ってなさい。ステイル? あなた何をするつもり?」

 答えはない。
 ステイルは先ほど同様、何か呪文のような言葉を吐き出すだけだ。
 そんなステイルに対しうろたえることしか出来ないほむらは、

「あれ? これってあれじゃん、あれ。魔女狩りの……なんだっけ、召喚するやつの呪文じゃない?
 さっき休憩してる時に建宮さんが『一〇〇メートルの炎の巨人がバーン! なのよな!』とか叫んでたよ」

「……私がいないときに使ったのね。でも……」

 さやかの言葉に納得し、しかし眉を浅く立てる。

 いくらさやかの治癒魔法を受けたとはいえ、今のステイルにそれを行うだけの余力があるのだろうか?

 作戦の全容を知らないほむらは不安に駆られてステイルの顔を覗きこむ。
 彼は依然としてうなされるように呪文を詠唱している。
 ……まさかとは思うが、自分の命を犠牲にしてワルプルギスの夜を?

「……あなた、氏ぬ気じゃないでしょうね!?」

「え? ちょっ、そうなの!? あんた道連れとかそういうのに美学感じちゃってんの!?」

 ほむらとさやかが問い詰めるが、ステイルの様子に変化は無い。
 不味い、と。そう思った。素直にそう思えた。
 視界の左端でワルプルギスの夜が動き始めるのを気にかけながら、ほむらはもう一度ステイルへと目をやり――

652: 2012/01/29(日) 02:05:04.17 ID:i6zqtpqjo

 唐突に、彼が面を上げた。

「僕が氏ぬ気でワルプルギスの夜を道連れにするとか
 神風精神に美学を抱いているとか、そんな愉快な言葉が聞こえたのは気のせいかな?」

「……違うの?」

 まったく、と一度ため息をつき、ステイルは懐から真新しい電子タバコを取り出した。
 彼は右手だけで器用にカートリッジと本体を接続し、噛む様に咥え込んで口元から蒸気を吐き出す。
 赤い光を灯した先端と彼とを舐めるように見比べ、ほむらは首をかしげた。

「……じゃあ、何を?」

「準備の総仕上げさ」

 そう言って、ステイルは電子タバコを手に取った。
 浅く息を吸う音が聞こえ、次いで口を動かし、詠唱を再開し始め、

  .I I N F   I I M S
「その名は炎、その役は剣――――」


  I C R    M  W  B  G  P
「顕現せよ、魔女の身を喰らいて力と為せ――――ッ!!」


 詠唱が終わると同時に、ほむらの全身が炎に飲まれた――そんな錯覚を抱いた。
 しかし身体に異変は無く、ステイルも無事なままだ。
 彼は一仕事終えたような顔で電子タバコを口につけ、ココア味の蒸気を堪能している。
 つまるところ、何も起こっていない。世界は何も変わらず時を刻み続けて――

653: 2012/01/29(日) 02:07:13.14 ID:i6zqtpqjo

 違う。
 ほむらの視界、その左端で決定的な異変が生じていた。

「あれは……!?」

 思わず首を巡らし、その異様な光景を目に焼き付ける。

 雲一つ無い青空の下、前進しようとしていたワルプルギスの夜を抱擁するように。

 全長二〇〇メートルはあろうかという巨大な炎の巨人が、両手を広げて立っていた。
 ¨ ¨ ¨ ¨ ¨ ¨ ¨ ¨ ¨ ¨ ¨

「他者の術式を妨害しコントロールを奪う行為が強制詠唱(スペルインターセプト)と呼ばれるなら
. 他者の魔力を燃料に術式を構築し放つ行為は迂回詠唱(スペルディートゥアー)と呼ぶべきだよね」

 背後から、そんな暢気な声が聞こえてくる。

「天草式が構築した多重構成魔法陣は完璧だった。
 そこに僕が半年間溜め込んだ魔力を注ぎ、『神の如き者』のテレOマを用いて
 なんとかぎりぎり顕現させることが出来た魔女狩りの王(イノケンティウス)は、確かに強かった
 だがそれだけだ。実を言うと、あれはまだ完璧じゃあなかったんだよ」

 何を言っているのだかさっぱり分からない。

「……設計図(魔法陣)と身体(テレOマ)は十分、じゃあ足りない物と言ったらなんだ?
. ……考えるまでも無く、その血潮、すなわち僕の魔力だよ。
 半年間溜め込んだところで、凡人に出来ることなんてたかが知れていたわけだね」

 だから、と彼は間を置き、

「今度はさらに多くの血潮を注いだのさ。
 魔女狩りの王(イノケンティウス)の獲物である、魔女の女王(ワルプルギスの夜)にね。
 だから天草式に時間を稼いでもらいつつ、動ける魔術師に可能な限りのルーンを刻ませ、
 僕自身もルーンを移動させて迂回詠唱の準備をしていたわけだね。正直こうも上手く行くとは思わなかったが」

 つまり、何が言いたいのだろう。
 ほむらは半目超えてもはやじと目状態でステイルを見上げ、続きを促す。
 彼は肩をすくめると、右の手で電子タバコを摘まんで見せた。

654: 2012/01/29(日) 02:09:27.39 ID:i6zqtpqjo

「――つまり、これだけやってもワルプルギスの夜は倒せないということさ」

「あれだけ語っておいてそれ!? 壊滅的にダメじゃんあんた!」

「これだからうんちく好きは……」

「まだ説明は終わってないしうんちくじゃない!」

「いいから説明して。これからどうやってあれを倒すつもりなの?」

 彼はふたたび電子タバコを口につけ、我慢我慢と呟いた。
 そして炎の巨人に包み込まれてなお動き続けるワルプルギスの夜へ視線を向け、

「……今の作業すら、ワルプルギスの夜を倒すため、つまり次に繋げただけに過ぎないと言ったらどうする?」

「いいから続きを話しなさい」

「話し甲斐の無いヤツだな君は……とにかく準備は打ち止めだ。ここから先は、天草式の連中と杏子の仕事だね」

 ステイルに見習ってワルプルギスの夜へ目を向けたほむらは、
 視界の端でなぜか笑みを浮かべて一歩後ろに身を引いているさやかに気付いた。

「そういえばあなた、ソウルジェムは大丈夫なの?」

「あーうん、あたしはぎりぎりグリーフシード残ってるから。それよりあんたたちさー」

「「何よ(だい)?」」

「いつまでそうしてるわけ?」

 ステイルに抱き寄せられたままのほむらがステイルを見上げ、
 ほむらを抱き寄せたままのステイルがほむらを見下ろした。

655: 2012/01/29(日) 02:11:25.97 ID:i6zqtpqjo

 ほむらが繰り出した回し蹴りを食らってステイルが倒れた。
 そんな緊張感の欠片もない光景を、少し離れた崩れかけのビルの隙間から覗く者がいた。

「……いやあ、いくらなんでもあまりにベタベタ過ぎるぜぃステイル」

 そう呟いたのは、まさしくその覗き者であるサングラスにアロハシャツ姿の土御門だ。
 彼は双眼鏡から目を離すと、背後で黙々と箱型の霊装を弄っている海原に声を掛けた。

「お前も見るか? ぱっと見だと痴漢してた大男が口リっ娘に半頃しにされてるみたいで面白いぞ」

「……暇なんでしたら手伝ってくれませんかね」

「嫌だ」

「即答ですか!? ……まぁ、盗聴対策とかでかなり疲れましたが。ちょうど作業も終わったので良いですけど」

「お、マジかにゃー? これで本物の頼まれ主と連絡が取れるな」

「素直に依頼主って言いませんか?」

「嫌だ」

 即答し、海原の隣へ座り込む土御門。
 彼は何度か咳払いして喉の調子を確かめると、箱型の霊装へと手を掛けた。
 そして中から紙コップに糸が繋げられた糸電話同然の代物を二つ取り出し、それぞれを耳と口に当て、

656: 2012/01/29(日) 02:13:01.98 ID:i6zqtpqjo

「もっしもーし、ウサギがプリントされたかわいいパンツと辛い物が苦手な口リっ娘ちゃんですかにゃー!?」

 ボンッ、と。
 コンマ一秒と置かずに箱型霊装が爆発した。
 気まずい沈黙が流れる。

「……な、なぁ海原」

「自分で直してください」

 そんなぁ、とうなだれつつも、土御門は真面目に作業に取り掛かる。
 これらは全て、最悪の事態に対する備えだ。
 運が良ければ必要にならないかもしれないものだ。

 だが、

「……そういうときに限って最悪の事態になったりするんだよなぁ……」

 ため息と共に呟き、ワルプルギスの夜がいる方角へ目を向ける。

 視線の先では、魔女狩りの王の支援を受けた天草式と杏子による最後の反撃が行われようとしていた。

657: 2012/01/29(日) 02:22:22.83 ID:i6zqtpqjo
以上、ここまで。

なんか今回の投下は文体もノリも妙だ。書いてて楽しかったは楽しかったのですが。
迂回詠唱とかどうでもいいネタは地の文使わず台詞でぱっぱか解説していきます。それでも読み飛ばし推奨

次回、かその次でワルプル戦はラスト……かな? まどかの出番はいつぞや……
次回投下は二月の初め辺りになるかと思われます

ほむら「あなたは……」ステイル「イギリス清教の魔術師、ステイル=マグヌスさ」【後編】

658: 2012/01/29(日) 02:33:00.36 ID:LwJNeug1o
乙!
いよいよ大詰めだね

引用: ほむら「あなたは……」 ステイル「イギリス清教の魔術師、ステイル=マグヌスさ」