1: 2009/01/24(土) 13:59:14.50 ID:gTBY5+mw0


つまらない。ああ、つまらない。

退屈で気が狂いそうになる、何も起こらず、何も俺を驚かせず、何者も俺を理解しちゃくれない新鮮味のない灰色の世界。

俺はその息苦しさに押し潰されそうになりながら、豆粒のように蠢く群衆の一人に擬態して生きていた。

昔は持っていたはずの夢も希望もなくし、見え透いた未来に溜息をつくのにも飽きて、
だらだらと、どうしようもない虚無を抱え込んで生きていたんだ。


――己の信条の総てをひっくり返される、そんな瞬間がこの世にあることを、君は信じるか?

俺は信じちゃいなかった。本当に、その時が来るまでは。



俺は諦念を胸に住まわせたまま、生きる気力を半ば喪失した状態で北高に進学し……


――涼宮ハルヒと出会った。


2: 2009/01/24(土) 14:00:22.00 ID:gTBY5+mw0


「つまんなそうな顔」

「……は?」

俺が涼宮ハルヒに発した、記念すべき第一声がこれである。



自己紹介に費やされた時間の後は暫しのフリータイム。

専らの生徒は無難に隣席のクラスメートから、自己紹介の際に目をつけた相手に挨拶を交わして回っている。

もしくは中学から一緒の友人同士らしい、つるんで仲良く肩を並べているかだ。

俺にも知り合いはいないでもなかったが、わざわざ立ち上がって喋りに行くほど仲が良いわけでもない。

結果的に俺は一人クラスの真ん中で座席に怠惰に居座り続ける、積極性もなけりゃ交友関係も皆無という寂しい男ということになり、
それを哀れんだのかどうなのか後ろの座席の女子に声を掛けられたのだ。

最初は無視しようかとも思ったが、社交辞令は、まあ、こんな時でも必要なもんだよな……。

そう思って渋々振り向いた俺は驚いた。

綺麗に伸ばされた艶のある黒髪にカチューシャをつけて、コントラストの効いた白い肌はまばゆいくらいだ。

めったにお眼にかかれないような美少女がそこにいた。

3: 2009/01/24(土) 14:01:39.35 ID:gTBY5+mw0

順々に回って来た自己アピールの場で、この女は何と言ってたっけな。

東中出身、それから趣味と、割合月並みな内容だったと思う。

が、いかんせん俺は大体の生徒の紹介文を聞き流していたので記憶が曖昧である。

正直こんな美少女高校生に一番に声を掛けられるなんて、何かの罠みたいじゃないか。

昔の俺なら舞い上がってたかもしれんが、今の俺はただひたすらに鬱屈した心の澱がこの場にいる原動力みたいなもんだ。
素直に喜ぼうにも喜べなかったのさ。


で、顔を合わせて数秒後に、冒頭の台詞である。

4: 2009/01/24(土) 14:02:23.48 ID:gTBY5+mw0


「なんかあんたの顔見てるとムカついてくるわね。この世がつまらないのは世界のせいだって駄々こねてる負け組の顔そのものだわ。
こっちまで辛気臭さが移りそう」

三年前の変事から備えるようになった他者への無関心具合を差し引いても、人並みの寛容さを自負していた俺はカチンと来た。

「……なんで初対面の奴に好き勝手言われにゃならん。お前に俺の何がわかるってんだ」

「わかるわよ」

大きな瞳が宇宙を溶かし込んだように輝いていて、俺は面食らった。

にっ、と女が笑う。チェシャ猫みたいな笑い方だ。


「あたしも同類だったもの。今は違うけどね」

「………」

「あたしは涼宮ハルヒよ。で、あんたはキョンでしょ」

「……ああ……ってちょっと待てよ。何で俺のあだ名を知ってるんだ。会ったばかりだろ」

「さっきあんたと同じ中学から来てたのに聞いたのよ。変なあだ名よね。呼びやすいけど」

5: 2009/01/24(土) 14:03:17.76 ID:gTBY5+mw0

なんてこった。中学で定着しちまってたあだ名は、進学した高校ではなるべく目立たないようにして封印しておこうと思っていたのに。
また学校でその間抜けなニックネームが流布されることになろうとは。

「キョン。余計なお世話を承知で言うけど、待ってたって世界は変わんないわよ」

俺は奇矯なその女を――他人への無関心を貫いて世間ズレしている俺にわざわざ話し掛け、
あまつさえアドバイスめいたものまで投げ掛けてくるお節介焼きを、信じられない思いで見返した。

だって、おかしいだろ?

中学時代に一時不登校になったときだって、家族にも教師にも、こんなことを俺に進言するような奴はいなかったんだから。

6: 2009/01/24(土) 14:03:51.75 ID:gTBY5+mw0

涼宮ハルヒはそれからクラスの女子たちに誘われ、楽しげに会話に加わっていった。

強気な眼差しや歯に衣着せぬ物言い、利発そうだし見目も美人だ。姉御肌として慕われるタイプかもな。

俺は残された、空の座席を見据えて嘆息した。


涼宮ハルヒは、最初の皮肉はともかくして、内面はいいやつなのかもしれない。

欝っ気のありそうな、はぐれ者でしかなさそうな俺みたいなのを捨て置けないような、お優しい気性の持ち主なのかもしれん。

だが、俺とは見ている世界が、存在している世界が既に違っている。自惚れだとかじゃない、真実そうなのだ。


待ってたって世界は変わらない。

そんなことは俺が一番、よく分かっていた。



7: 2009/01/24(土) 14:06:09.78 ID:gTBY5+mw0


………
……



高校生活がスタートし、つまらない授業漬けの毎日が始まった。

俺は新たに知り合いとなったクラスメート達とも、中学時代からの友人(と呼べるのかも微妙なところではあるが)とも適度な距離を保ちながら、
一人でぼんやりと教室に居た。

くじで席替えを行った結果、最後列の窓際を獲得した俺は、専らそこから動かずに怠惰に日々を送っていた。

この座席位置は、背後からの視線に気を遣わなくていいから楽なのである。

中学の頃から、俺はこの配置をよく好んで座ったもんだった。

涼宮ハルヒの席は最前列の廊下側――要するに俺とは対極の位置だ。これくらい離れていた方が、あれこれ言われずに済んでいい。

授業は大概寝て過ごしていた。
教師に叱り飛ばされることは殆どなかった。まあ、そうなるように細工したからなんだが。

例え見つかっても俺の入学時の成績くらい担任も把握してるだろうから、大したことは言われないかもしれんな。


8: 2009/01/24(土) 14:07:07.86 ID:gTBY5+mw0

涼宮ハルヒはあっという間にクラスの女子の中心人物になり、男子生徒から教師陣からも一目置かれる存在になっていた。

成績優秀、運動能力抜群、おまけに美少女だ。

気性は温厚とは世辞にも言えないが、優柔不断なところはないし、はきはきと物を言う。

何かと頼られてもおかしくはないし、顔も広いようだった。


何処からか漏れ聞いた話では、入学して間もないというのに、告白された回数は片手で足りないそうだ。

それでも大抵の男はあっさりと振られているらしく、その潔癖さがまた人気に拍車を掛けていた。


ただ、一つ不可解なことがあった。


9: 2009/01/24(土) 14:07:51.53 ID:gTBY5+mw0


「あんた暇そうね。付き合いなさい」

……そんなハイパーガールで俺と縁故などありそうにもない涼宮ハルヒが、どういうわけが、昼休みのたびに俺の前の座席で昼飯を食うのである。
おかげで周囲からの視線が痛い。明らかに敵意を篭めて睨み付けてくる奴もいた。

勘弁してくれ、俺には関係ないってのに。


「いつも貧相な昼食ねえ。愛情が感じられないわ」

俺の弁当箱を覗き込みながら品評する涼宮。余計なお世話だ。

「毎朝作るのも面倒くさいからな。残り物を詰めてるだけなんだ、仕方ないだろ」

「母親に作ってもらってるんじゃないの?」

「俺は一人暮らしだ」

俺はそれ以上会話する気力を持てず、白飯を掻き込んだ。

「……そうなの」

12: 2009/01/24(土) 14:11:37.17 ID:gTBY5+mw0

詮索してくるかと思ったが、涼宮は気まずそうに黙り込んだままだ。これじゃ、俺が悪者みたいじゃねえか。

「別に氏んでるわけじゃないぞ。ただ、ちょっと事情があってな。それは聞かないでおいてくれると助かるんだが」

「わかってるわ。無神経なこと聞いて悪かったわね」

「……」

「何よ、変な顔」

「いや、謝罪するときは意外に素直なんだなと思ってさ」

「あたしを何だと思ってるのよ。悪いと思ったら謝るくらいするわ」

「そうかい」

13: 2009/01/24(土) 14:14:07.36 ID:gTBY5+mw0

俺の不用意な一言が機嫌を損ねたらしい、不機嫌面に早変わりの涼宮とは対照的に、俺は知らずのうちに笑みを浮かべていた。

何がきっかけだか分かりはしない。

ただ、俺の中で、涼宮株がほんの少しだけ上昇したことを付け加えておこう。

まんまと乗せられた、と言うべきなのかもしれないな。いつの間にか昼時の時間が、俺は苦痛ではなくなっていた。

それが楽しみに出来るほど、事は単純ではなかったが。



15: 2009/01/24(土) 14:18:02.00 ID:gTBY5+mw0


俺の何処が気に入ったのか、涼宮はたびたび俺に話し掛けてくるようになった。

昼時だけじゃなく、HR前の短い空き時間や、移動教室の間なんかにな。

友達付き合いしている連中からは、良い傾向とは思われていなさそうだが大丈夫なのかね。


そんなことを思考の種にしている自分に気付いて、俺は首を横に振った。

他人なんか気遣わない、自分だけ良ければそれでいいじゃないか。

そういう風に生きていこうと三年前、決めたのは俺自身だった筈なのにな。

涼宮ハルヒのお節介にどうやら毒されたらしい。


16: 2009/01/24(土) 14:19:37.66 ID:gTBY5+mw0

自分が他者からどう観られてるかなんてことは、分かり切ったことだった。

疎ましがられている。

傲慢な奴と見なされている。

俺の存在など箸にもかからない、というのも勿論いる。空気と変わりない、薄い印象の人間。

正直言って俺はどれでも良かった。

お前たちの見たいように見てればいい、俺はお前らとは違うんだから。

そんな風に思ってやって来たんだ。友人とさえ距離を置いて。

………それが、どういうわけで、こんなことになったのか。


17: 2009/01/24(土) 14:22:06.37 ID:gTBY5+mw0

其の日、涼宮ハルヒは何時もの堂々とした足取りで、「おはよ、キョン」と笑う。

俺は髪型の違いに気付き(目敏くというわけじゃない、涼宮はいつもストレートだからな)、それを指摘した。

「なんだ、今日は二つ結びなのか」

「そ。ふふん、どう?」

括りつけられた青いリボン。いわゆるツインテールってやつだが、こうしてみると幼い印象になるな。

俺はこの前見たポニーテールの方が好み――なんてことを聞かれてるわけじゃなさそうだ。

「どうって、その髪型に意味でもあるのか?」

「これはね、宇宙人に信号送ってるのよ。曜日によってイメージも変わるから、それに併せて調節してるってわけ」

「宇宙人?」

19: 2009/01/24(土) 14:25:41.15 ID:gTBY5+mw0
俺は思わず涼宮を見返した。

あれだけ周囲に慕われていながら、人望を集めながら、
どうやら宇宙人なんて物の存在を信じているらしいトンチキな不思議娘を。

「……宇宙人なんて信じてるのか?」

「あんたも馬鹿にする?」

真っ直ぐに見つめ返され、俺の方が堪えきれずに、眼を逸らした。

「何処行ってもそうなのよね。あたしは真剣に探してる。けど、誰に言ったって鼻で笑われるだけなのよ。
友達だって口では話をあわせてくれるけど、本心では『変なのー』なんて思ってるのが丸分かり。
腹が立つったらりゃしないわ」

吐き捨てた涼宮の激情が、……俺には酷く懐かしかった。

ああ、そうだ。そういう日があった。俺にも。


「いや。信じてられるんなら、それでもいいんじゃねぇか」

存在しない事を知って落胆する前の俺のように、後悔しないんなら信じて続けていたっていい。
そして涼宮ハルヒは、恐らく、全力で走ることを厭うような奴じゃない。

24: 2009/01/24(土) 14:32:04.18 ID:gTBY5+mw0
「で――そんなに探してるってのは、何か昔にあったのか?」

例えばUFOを肉眼でキャッチしたことがあるとか、
見果てぬ宇宙からSOS信号の交信を脳内アンテナで受け取ったとか――

俺が冗談めかして言ったことを、涼宮は太陽みたいな笑顔で肯定した。

おいおい、本気か?


「UFOなんて目じゃないわ。あたし、本物の宇宙人に会ったことがあるの」

「……なんだって?」

「うーん、もしかしたら宇宙人じゃなかったかもしれないけど。でもそれに準じる何かなのは間違いないわ」

28: 2009/01/24(土) 14:41:31.79 ID:gTBY5+mw0

そんなわけがない。
そんなわけがないのだ。本物の宇宙人なんて、いるわけがない。

何故って、俺が探したことがあるからだ。
恐らくはこの目の前で生き生きと話している涼宮よりも先に。涼宮よりも遠大な範囲をくまなく捜し歩いた。

何処かに居てくれやしないかと、散々時を費やして――

それで悟ったのだった。宇宙人なんて、この世にいない。


だが、そんな話を告げるわけにもいかず、俺は靄を胸に溜め込みつつも沈黙を守った。

涼宮は俺の様子がおかしいのに気付いたのか、喋るのを止め、俺を見据える。


「……あんたって、やっぱり……」

ぼそり、と何事かを呟いた涼宮の台詞を、俺は聞き逃していた。


「HR始めるぞー」

立ち話をしていた生徒達が、入ってきた担任を認めて、慌しく席に着く。

涼宮も例に漏れず、「じゃ、また後でね」と手を振って、自分の席へ颯爽と戻っていった。

30: 2009/01/24(土) 14:47:04.20 ID:gTBY5+mw0

――俺は自分の手が、震えているのに気付いた。

宇宙人なんていない。

だが、涼宮ハルヒは信じている。子供が思い描くような夢の話を、未だに信じている。

俺も知らないままでいたかった。

宇宙人がいなくて、超能力者もいなくて、未来人も異世界人も此の世にいないなんて、
そんな絶望的なことを、知らずに生きていたかった。

おかしいのが自分ひとりだなんて事を、認めたくなかったのだ。


31: 2009/01/24(土) 14:51:22.34 ID:gTBY5+mw0
………
……




「ねえ、涼宮さんって、なんであんなのと一緒にいるんだろ?」

「不思議よね。冴えないし、根暗っぽいし、他に友達もいないみたいなのに」

「ハルヒって優しいから、孤立してるのほっとけないんじゃないの?」

「あたし中学からあいつ知ってるけど、なんていうか、上から目線っていうかさあ。
お前のことなら何でも俺はわかってるんだ、って顔で見てくんの。
マジウザ。気持ち悪いし」

「でも成績だけは良いよね。入学試験とかトップクラスだったんでしょ?」

「頭良くたって性格悪いんじゃお近づきになりたくないよ」

「ハルヒもその辺不思議だよねー。なんか、よくUMAの本とか読んでるし、意外に電波っ子」

「ハルヒは、その変わった趣味差し引けばいい奴じゃん。明るいから場盛り上がるしさ」

「ちょっとキツメだけどねー。あーあ、なんでほんとに、ハルヒがあんなのと一緒に……」

35: 2009/01/24(土) 14:59:39.44 ID:gTBY5+mw0


数人の女子が教室で囁くように会話しているのを、俺は購買で買ったパンを前庭ベンチで齧りながら聞いていた。

寝坊しちまったせいで弁当を作れなかったんだが、今日はこれで正解だったかもしれん。

……聞きたくもないもんが聞こえてくるのは今に始まった話じゃないが、
それでも陰口が囁かれる所で弁当食ってるほど肝も太くないしな。

まだまだ続きそうな愚痴を遮断して、俺は他のところに意識を澄ませた。

涼宮は……なんだ、職員室か。そういえば今日、日直だったな。

涼宮は知ってるんだろうか。俺に構ってるとろくな目に遭わねえって、忠告でもしておくか?

いや、無駄だろうな。

涼宮は誰かに何か言われたからって、簡単に意見を翻すような奴じゃない。

俺が余計な口を挟んだら、ますます事態が拗れそうだ。だが放置しておいても悪化する可能性がある。

………どうしたもんかね。

38: 2009/01/24(土) 15:11:58.44 ID:gTBY5+mw0



モノローグでおためごかしてもしょうがないから言うが、
実のところ俺は、涼宮と一緒に居ることに、執着心を覚え始めていた。

あいつは明るいし、俺みたいなのにも話を合わせてくれる。

超常現象の投稿雑誌を片手に、奇態な仏像が発見されただのの昔の氏刑場で幽霊が飛び交ってるだのの話は、
あいつも普通の女子に振るのは気が引けるんだろう。

俺を相手にするなら、存分にそういう会話ができるしな。

涼宮が俺を話し相手にする時間は、初対面時から徐々に増え続け、
俺はそれに居心地の良さを覚えるようになっていた。


――これは、良くない。
わかっているんだ。わかりきったことだ。

俺が涼宮に甘えたら、そこで終わってしまう。

39: 2009/01/24(土) 15:17:50.67 ID:gTBY5+mw0


わかっていたのに、俺はずるずるとその思いを先延ばしにして涼宮と過ごしてきた。

格好つけて見せたって、三年間親しい人間を作らずに一人きりを守るというのは、自分自身堪えるものがあったらしい。

だがこれじゃあ、家族と別れて一人暮らしを始めた意味がなくなっちまう。

俺が涼宮に依存するようになったら、そこで何もかも無駄になる。


……やっぱりな。俺の方から退くべきだ。

手遅れにならないうちに、俺の方から交友関係を断ち切ろう。

女子達の会話は、ぐらついていた俺の意識の後押しになった。

40: 2009/01/24(土) 15:19:29.68 ID:gTBY5+mw0

わかっていたのに、俺はずるずるとその思いを先延ばしにして涼宮と過ごしてきた。

格好つけて見せたって、三年間親しい人間を作らずに一人きりを守るというのは、自分自身堪えるものがあったらしい。

だがこれじゃあ、家族と別れて一人暮らしを始めた意味がなくなっちまう。

俺が涼宮に依存するようになったら、そこで何もかも無駄になる。


……やっぱりな。俺の方から退くべきだ。

手遅れにならないうちに、俺の方から交友関係を断ち切ろう。

女子達の会話は、ぐらついていた俺の意識の後押しになった。



―――さようならだ、ハルヒ。

44: 2009/01/24(土) 15:26:45.74 ID:gTBY5+mw0
………
……



「……どういうこと?」

冷たい――感情を下敷きにして、爆発する寸前の声だ。

こんな涼宮の表情も声も、初体験だらけだった。こんな恐ろしいもんを相手取ることになるとは。

薄い氷の下に蠢くマグマ。噴出してくれるなよ。

念じながら、俺は冷や汗を隠し、努めて平静を装った。

「もう俺に話し掛けるのは止めてくれって言ってるんだ」

「だから聞いてるでしょ。理由を言いなさいよ」

「理由は……」

俺は考えていたことを吐き出した。

「迷惑なんだ」

「……」

「俺は元々一人が好きなんだよ。それを――お前が、話し掛けてくるのがはっきり言って耳障りなんだよ」

47: 2009/01/24(土) 15:32:46.17 ID:gTBY5+mw0

涼宮の眼が信じられないものを見るように、驚愕に見開かれる。

裏切られた、と思ってるんだろうか。

友好的であったはずの男からの、一方的な断絶宣言。

俺は、無性に涼宮の、ハルヒの、その「中」を覗きたい、という衝動にかられた。

必氏に押さえつけたけどな。

今この時に涼宮が何を考えているのか、俺にどんな憤りを覚えているのか。

憎悪しているのか、呆気にとられているのか、失望しているのか。

それを観れば、俺はこれ以上なく、諦められる。

涼宮ハルヒを、諦められる。


「だから、俺にもう構わないでくれ。俺の為を思うなら」

51: 2009/01/24(土) 15:40:17.96 ID:gTBY5+mw0

言い終えた。

俺はふっと息をつくと、ハルヒを視界から閉め出すために、瞼を閉じた。

こんな一方的な絶交はハルヒの勘に触るだろうし、マシンガントークで罵倒されることも覚悟していた。

何を言って来ようが無視するつもりだったのだ。

何をしても反応がなけりゃ、さすがのハルヒも諦めざるを得ないだろう。

大丈夫だ、オカルトマニアの一人や二人この学校にもいるだろうからな。

SF話や未確認飛行物体の群生地の話し相手くらいすぐに見つかるさ。

そしてそれは、俺じゃなくてもいい。


俺がそうやって何もかも完結した気分で、ハルヒの応答を待っていたそのときである。

53: 2009/01/24(土) 15:46:49.44 ID:gTBY5+mw0


「バッ――カじゃないの!!!!!」





――噴火どころじゃなかった。

演劇部の発声練習にも勝る。
ベートーベンを音楽室で最大ボリュームで流されても、ここまで耳に痛いとは思わないだろう。

鼓膜がびりびりと雷撃にあった後のように震えていた。
今ので使い物にならなくなったんじゃないか?この耳は?

俺は腰を抜かしていたし、他のクラスメートも、一斉に静止していた。

俺はたまらず眼を、開けた。

涼宮ハルヒの顔が間近にあった。


「―――ついてきなさい」

54: 2009/01/24(土) 15:50:56.66 ID:gTBY5+mw0

有無を言わせぬ口調で、ハルヒが俺の胸倉を掴みあげる。

俺は――余りのハルヒの気迫に気圧され、頷く他になかった。

こんな俺を無様と笑うなら幾らでも笑ってもらおう。

だが俺の立場になってみりゃ、どう頑張ってもこのハルヒに逆らえないことは理解して頂けることと思う。


背後に肉切り包丁持った老婆が立ってるのを想像してみても、今現在目の前にいるハルヒの方が、俺には怖ろしかったのである。

56: 2009/01/24(土) 15:51:58.49 ID:gTBY5+mw0
>>54
×気圧され
○圧倒され

気圧ってなんだ

59: 2009/01/24(土) 15:58:39.47 ID:gTBY5+mw0
>>57
なるほど

ちょっと休憩します
すいません

62: 2009/01/24(土) 16:17:14.60 ID:gTBY5+mw0

………
……



階段まで耳を引っ張られ、引き摺られて移動した俺は、

ハルヒの怒りの収まらない瞳を前に身じろいだ。

正直、逃げたかったね。

俺の前に壁のように立ちはだかるハルヒを前に、逃亡だなんて無謀な真似はしなかったが。

――いや、逃げようと思えば本当は逃げられた。

それをしなかったのは、つまり、俺にも未練があったということだ。


万華鏡のようにくるくると湛える光を変える其の眼は、この時は、俺に「嘘は許さない」と明言していた。


「キョン」

「……」

「あんたが益体もない、女共の噂話を気にしてるとは思わないけど――もしそうなら、そんなのは、見当はずれもいいとこだわ」

64: 2009/01/24(土) 16:29:30.83 ID:gTBY5+mw0

俺はハルヒの台詞に、少なからず驚いた。

「知ってたのか、お前」

「そりゃあね。態度の差でそんなのは分かるわ。
あたしを本当に気に入ってくれてるのか、リーダーシップ取ってる人間に媚び諂ってるだけなのか。
あたしだって友人は選ぶわよ。
あたしがあんたと一緒にいることにとやかく言うような奴が、あたしの友達だなんて勘違いしないで。
そんな奴ら、あたしの方から願い下げだわ」

「……ハルヒ」

「それでも、あたしともう喋らないっていうの?」

真摯な眼だ。初めて俺を射抜いた、鋭く俺を抉り出すようなハルヒの眼だった。

真実を寄越せ。紛い物なんかいらないと、ハルヒは言い捨てるだろう。

そういう女だ。「普通の人間」なのに、誰にも真似できないような道を突っ走っていける。


俺は唇を噛み締めた。

「なんでだ。なんで……そこまでして、俺に構うんだよ」

67: 2009/01/24(土) 16:38:38.48 ID:gTBY5+mw0

俺に構うせいで嫌な目に遭うこともあったんじゃないのか。

話す相手なら、上級生にまで顔の効く人気者のハルヒなら、幾らでも居るだろうに。

俺をわざわざ選ぶ必要性など何処にもなかった。

常々思っていた疑問が、波のように勢いをついて溢れ出てくる。

そう、あろうことか――だ。

美少女高校生涼宮ハルヒが、俺みたいに冴えないのを捕まえてきたことそのものが、おかしい話だった。



ハルヒは、表面上に浮かべていた火傷しそうな怒気を、すっと収めた。


「……あたしは、あんたをずっと探してたの」

69: 2009/01/24(土) 16:47:37.23 ID:gTBY5+mw0

俺は、息を詰めた。その言葉を、上手く把握できなかったのだ。

……なんだって?


「三年前からずっとね。あたしの宇宙人――超能力者か、未来人かもしれないけど、『不思議』には違いないわ」

「……ちょっと待ってくれ、どういう……」

「七夕の日」

ハルヒに掴まれた肩が跳ねた。俺は後退り、壁に背を打ち付ける。

三年前。

与えられたキーワードに、息苦しく省みたくない思い出の数々が俺の頭を通り過ぎていく。
……そうして何かが、片隅に置き去りにされた。
それは取るに足らないものとして処理されていた、微かな記憶の断片だった。

こっちを睨むように見上げてくるハルヒの黒瞳が、涙に濡れた小さな瞳と、重なった。

70: 2009/01/24(土) 16:54:37.74 ID:gTBY5+mw0


『奇跡なんてないわ。あんたも、笑うんでしょ、あたしのこと』

―― 一人で、校庭に白い文字を書き殴っていた。

『誰もわかってくれない。あたしのことなんか、わかってくれない!』

――あたしはここにいる。あたしは、ここにいるのに。


少女の叫びは悲鳴のようで、たまらなかった。

俺は其の頃、「その力」に気付いたばかりで、制御すら適わない有様で。

それでもその少女の、純真故に傷つくしかなかった声を、捨て置けなかった。


『奇跡、見せてやる』

――お前がそこにいることを、俺はちゃんと、わかってる。


72: 2009/01/24(土) 17:01:54.49 ID:gTBY5+mw0

「深夜だった。あたしは校庭に文字を描いてた。あたしは――
もう何もかもなくなればいいって思ってたわ。
宇宙人がいるなら、あたしを迎えに来て欲しかった。
特別になりたかった。自分が世界で特別でもなんでもない、つまらない人間だってことを、
……選ばれることで、否定したかったのよ。

だけどそのとき――あたしは、奇跡を見た」

ハルヒは、回顧したものたち全てが愛しいのだと言わんばかりに、優しい笑みを浮かべた。

「桜が、咲いたの」


七月七日。
深夜。
少女が独りきりのグラウンド。
其処に現れた少年が手を翳した瞬間、

校庭の周囲が、次々と淡くも美しい色に染め上げられた。

78: 2009/01/24(土) 17:09:45.20 ID:gTBY5+mw0


「なんて言えばいいのかしら。世界が変わった――そんな感じだったわね。
何も言葉が出て来なくって、……桜の開花に魅入ってた。こんな夢みたいな光景があるんだって。
世界もまだ、捨てたもんじゃないって思ったわ」


……ハルヒに桜を咲かせて見せた、同い年くらいの少年は、そのまま姿を消そうとした。

ハルヒはそれに気付いて、必氏に追い縋り、
せめて名前を教えてくれと頼み込んだ。


少年は罰が悪そうに顔を顰めた後、一言、呟いた。

照れ隠しのように、ぶっきらぼうに。


「―――『キョン』。それが、そいつの名前だったわ」

81: 2009/01/24(土) 17:16:49.61 ID:gTBY5+mw0

俺は、愕然としていた。

何で忘れちまってたのか。こんな強烈な出来事を。
……其の後に色んなことがあり過ぎて――いつのまにか、記憶の端に追い遣ってしまっていた。

そうだ、俺は確かに聞いていたじゃないか。
あたしはここにいる。
あたしは、涼宮ハルヒだと、小さな女の子が精一杯の力で張っていたその声を。


『あたしは涼宮ハルヒよ。で、あんたはキョンでしょ』


――あれは――もしかして、鎌掛けだったのか?


『さっきあんたと同じ中学から来てたのに聞いたのよ。変なあだ名よね。呼びやすいけど』


思えば、あれは自己紹介のすぐ後だったじゃないか。
他の奴と話をする時間なんてなかったはずだ。
ハルヒは、最初の最初から、俺のことに気付いて。

其の上で、俺の傍にいたっていうのか。

84: 2009/01/24(土) 17:22:52.13 ID:gTBY5+mw0


「………その一夜の奇跡は、次の日にも残ってた。
学校に来た皆が大はしゃぎで、凄いことになった!ってお祭りみたいな騒ぎだったわ。
あたしはそんな皆を見て、あたしも皆もそう変わらないことを受け入れたわ。
それから、色んなものが見えるようになったの。
自分がどれだけ狭い観方を、勿体無い生き方をしてたかってね。
あたしは確かに世界中にうじゃうじゃいる人間のうちの、たった一人に過ぎないけど……。
それでも、その一人の人生をつまらないものにするか、輝かしいものにするのかは、
あたしの意思一つ、あたしの見方一つ何だってことを学んだのよ」

息を継ぐ間もなく喋り捲ると、ハルヒは俺の手に、自分の手を絡めた。
華奢な腕だった。

「全部、『キョン』がいたからよ。だから、あたしは探してた。
あたしに奇跡を起こしてくれた――でもあんな力があるんなら、きっと普通の人間じゃないその人のことをね」

90: 2009/01/24(土) 17:38:43.28 ID:gTBY5+mw0


……なんてこった。

ああ、まったく――何てことだよ、畜生。


俺は俯いた。ハルヒは俺をがっちり掴んで離す気はないらしい。

咽喉が熱かった。

感情が入り乱れて上手く整理できそうにもない。

俺を知って、俺を探していたというハルヒ。

すまない、俺は宇宙人じゃないんだ。超能力者でも未来人でもない。

それに、お前を元気付けようとしたのだって、俺のエゴでしかなかった。

お前が言うような立派なことなんて、何一つ俺はしちゃいないんだ。


だけど、――

俺は、声を振り絞った。もう何もかもぶちまけてしまってもいいのではないかと、
そんな、やけっぱちな気分だったのだ。

92: 2009/01/24(土) 17:48:02.59 ID:gTBY5+mw0

「――子供がいたんだ、ハルヒ」
「うん」

俺は握り締めていた手に力を篭めた。
ハルヒも、握り返した。


「そいつはガキだった。色んな物を夢見る年頃で、宇宙人や未来人や超能力者が、世界にはわんさか居るんだと
……そんなことを、信じて疑わなかった。いつか自分も、そんな空想的物語の主役になれるのだと、そう思ってた」

そして其の子供は――その通りに。

ある日突然、『力』を手に入れた。

「転換期だった。それこそ夢みたいに、子供は何でも出来た。速く走りたいと願えばそんな風になったし、
テストの時だって答えを知りたいと願えば誰かの答案を頭に思い浮かべることができた。
芸能人みたいにハンサムになりたいって願えば、その後鏡を見てあまりの別人ぶりに腰を抜かしたりな」

93: 2009/01/24(土) 17:58:58.60 ID:gTBY5+mw0

空を飛びたいと願えば空を飛べた。
お金が欲しいと願えば幾らでも沸いて出た。
女の子にモテたいと思って、他者の思考を盗み見ることもやった。

子供は傲慢になり、強欲になり。


「……力は、使うたびに歯止めがなくなって、後になると、散々好きなようにやったツケが回ってきた。
他人の思考が望まなくても頭の中に流れ込んで来るようになった。
皆が我侭な子供を侮蔑してたし、心の中は嫌ってたんだ。無理もなかったけどな。
子供が一番信頼してた友人までもがそうだったことを知って、子供はショックを受けた。
そうして、時を経るにつれて、人間不信になった」

94: 2009/01/24(土) 18:08:36.01 ID:gTBY5+mw0


鬱屈した精神で、――そこにまで至って、俺はようやく、「どうしてこんな力が芽生えたのか」に
思いを馳せるようになった。

俺はきっと誰かから選ばれて、巨大な悪と戦うためにこの力を授けられたのだ。
そんな風に前向きになろうとして、俺は、俺と同じような力を得た人々を探した。

人間の中に見つからないなら、昔思い描いていた宇宙人や、未来人や、異世界人でもいい。

俺は必氏に、俺の同類を、そうでないなら世界から食み出た異質な者を求めた。
相談できる相手を探した。

両親に一度打ち明けた後、化け物を見るような眼で見られたことが俺のトラウマになっていた。
……両親の該当の記憶は消した。知らないほうが良いことというのは、確かにあるのだ。


95: 2009/01/24(土) 18:14:04.86 ID:gTBY5+mw0


半年ほど、時を費やしただろうか。
永らくの捜索の結果に、俺に残ったものは何もなかった。


此の世には宇宙人も未来人も異世界人もいなかった。

此の世でおかしいのは俺一人だった。



97: 2009/01/24(土) 18:22:22.17 ID:gTBY5+mw0


俺は『力』のおかげで望めば大抵のことは出来たし、何の努力をせずとも楽に歩くことが可能だった。

好きなところにレールを敷いて、そこを走っていけばいいだけなんだから、これほどの手抜き作業もない。

だがそれは、俺にとっては未来も何もないことを突きつけられたようなものだった。

生きていく上で、試練や難関に突き当たることがない。

『力』があるだけで、何かトリッキーな出来事が俺の元に舞い込んで来るわけでもない。

見え透いた人生、単調な生き方。


――俺は『力』を、なるべく使わないで生きていくことを決意した。

ある日、苛々していた所を妹に纏わりつかれ、カッとなって『力』で妹を傷つけかけた事が、拍車をかけた。

通り魔や交通事故を危ぶむ以上に、俺自身が俺の家族にとって危険人物になってしまっていたのだ。

115: 2009/01/24(土) 20:28:09.56 ID:gTBY5+mw0

俺は家族と離れて暮らし始め、同時になるべく人と関わらない生き方をすることにした。

いっそ氏んでしまった方がマシなのではないかと思い詰めたこともあるが、
どうやら「氏」に直面すると本能的に防護機能でも働かせてしまうのか、どの自殺方法も成功しなかった。

屋上から飛び降りた筈なのに気がつけばベッドで寝ている、なんてこともあった。

どのみち『力』を宿した状態では、俺は氏ぬことも出来ないってことだ。

俺は氏を諦め、理解者を得ることを諦め、分かり合える友人や恋人を作ることも諦めた。


ある程度親しくなったとき、もっと相手を知りたいと渇望してしまったとき。

俺は手のつけられない欲望に食い荒らされて、この『力』を行使し、誰かを傷つけてしまうかもしれない。
人の権利として保障されているプライバシーも、俺の『力』の前には意味のないものだ。
人の思索を読み取るということは、土足で他者の私生活を踏み躙るのと変わらない。

両親は俺を愛してくれているし、妹も何かと俺に気を遣って定期的に電話を寄越してくる。

だが俺は俺の家族に総てを語ることさえ、その勇気さえ――ないのだ。

120: 2009/01/24(土) 20:40:04.70 ID:gTBY5+mw0

俺が七夕の日に、泣いていた少女のために桜を咲かせてみせたのは、
俺がそうやって絶望していく前の事だった。

『力』の使い方も不慣れで、それでも夢も希望も失っていなかった頃のことである。

この『力』さえあれば、何でも出来るという興奮に突き動かされて、俺は眠れずに外へ飛び出した。


暗闇に沈んだ街の上空で、俺は思うさま地平線を眺望した。

楽しかった。吹き付ける風に乗るように、新しい遊びに熱中した。

自分がスーパーマンになったような気分だったのだ。


辺りを飛び回っている内に、校庭に描かれた珍妙な絵文字を見付けて。

そこで泣いている少女に感応し、俺は思わず、その見知らぬ中学校に降り立っていた。

『奇跡なんてない』と心の中で泣き喚いていた少女に、奇跡を見せてやろうと思った。

122: 2009/01/24(土) 20:57:05.94 ID:gTBY5+mw0

……我がことながらガキらしい使命感に燃えて、馬鹿な真似をしたもんである。
だが、今、ハルヒがこうしてその一度きりの俺との邂逅を、大切に心のアルバムに保存してくれている。

もしかしたら俺のこの三年間で、俺がハルヒに『力』を披露してみせたあの行いが、唯一誇れることだったのかもな。


一部始終を語り終えて、俺はそんな事を思っていた。

――いつハルヒが、俺の話に呆れて俺から離れていくかを考えながら。


124: 2009/01/24(土) 21:14:35.66 ID:rd52Aaxe0


俺がこの話をした時、信じてくれる奴は殆ど居なかった。

面白い作り話だ、と笑い飛ばす奴もいれば、始末に終えないとあからさまな失望の目を向けられたこともある。

そこで俺は信じて貰う為に力を行使してみせるのだが、その後に返ってくるのは、大抵が怯えであったり、
己とは全く異種のものを見る不審者への眼つきだ。

誰も俺を受け入れてはくれなかったし、それも仕方ないことだと思い込むことで折り合いをつけてきた。

だから――



不意に、黙然と俺の話に耳を傾けていたハルヒが口を開いた。

「……キョン。あんた、あたしの考えてることが読めるのよね?」

掌の温度が、じわりと汗を滲ませている。
俺は、心臓の高鳴りを覚えた。

何か。
何かが、変わりそうな。


「……ああ」

「じゃあ、読みなさい。あたしが今何を考えてるか」

127: 2009/01/24(土) 21:29:31.70 ID:rd52Aaxe0


俺は固く眼を瞑った。

感覚はハルヒが絡ませた手の、きつく握り締めた指と指の小さな痛みだけだ。

俺は――そうやって、聴いた。





『――てる』


脳に直接響き渡るような、ハルヒの声だった。

強く、強いのに柔らかさも持ち合わせている、常のハルヒからは想像も出来ないような。




『――あたしは、信じてる』

131: 2009/01/24(土) 21:43:41.76 ID:rd52Aaxe0
鼓動の音と共に、血の流れと同じくに、それはゆっくりと俺の体内を駆け巡った。

信じてる。

あたしは、信じてる。

それは正真正銘、ハルヒの真実の言葉だった。

虚偽を許さぬハルヒの、本心からの、俺を励ますために投げ掛けられた言葉だった。





俺はハルヒに手を握られたままで、ハルヒを抱き締めて、そのまま動かなかった。


ハルヒは、抵抗もせずに俺の傍に居てくれた。
俺が泣いていたことは、見てみぬふりをして。


149: 2009/01/24(土) 23:25:56.07 ID:rd52Aaxe0

………
……



それからだ。
それからが、俺にとっての、真の意味での高校生活の始まりだった。


ハルヒは俺の傍らに。
俺はハルヒの傍らを選んで、寄り添うようになった。


俺は時にハルヒに引っ張りまわされ、零細な部活動の助っ人に無理やり駆り出されたり、
海岸掃除のボランティアやら、運動会の実行委員会やらのヘルパーを任されたりした。

俺が目を閉じ耳を閉じ、この三年間やり過ごしてきたものにまず触れてみなさいと、ハルヒは助言した。
そうじゃなきゃ勿体無いじゃない。高校生活は今しかないんだからね!と、何時もの調子である。

陰口もあったし、楽しいことばかりじゃなかった――それは勿論だ。
だが、そういったものは俺が皆の輪に不精ながらも加わるようになっていくと、目に見えて減っていった。

ハルヒファンらしい奴らから嫌がらせを受けることもあったが、俺には苦にならなかった。

世界が変わっていた。

それは確かに、確かなことだった。

154: 2009/01/24(土) 23:42:14.34 ID:rd52Aaxe0
ハルヒに引き摺り回されて、考えもしなかったような体験を次々として――
それは俺がかつてに望んだような、面白おかしいファンタスティックワールドでの冒険活劇には程遠かったが。

それはハルヒが、三年前に見出した、「何の変哲もない」世界に秘められた楽しさだった。
俺が希望など幾ら漁っても見つかりっこないと早々に諦めて、切り捨ててしまっていた選択肢。

この世界は、ちっとも、つまらないものなんかじゃない。

ビラ配りに奔走して、文化祭の舞台裏でスケジュールミスの調整に声を掛け合い、
路上で転んだお婆さんを負ぶって病院まで連れて行って。

そうやって自分とは何の関わりもない人々の、一生徒の笑顔を増やす。

――誰かを傷つけないように、人に近付きすぎなくても果たせる、俺の役割。

155: 2009/01/24(土) 23:49:09.16 ID:rd52Aaxe0

心を読みたくはない。ある程度の自制をしながら、それでも付き合える友人はできる。
俺はハルヒに尻を蹴られてクラス活動に参加するようになってから、二人、友人を得た。

最初の一緒に飯食わないか、っていうただそれだけの誘い言葉が、あんなに緊張するとは思わなかったけどな。

「へー、キョンっていうんだよな?俺様の名前は覚えてるだろ?」

「谷口、唾飛ばさないでよ。……キョンはお弁当みたいだね。
僕今日購買行かなきゃだから、二人で先に食べててよ」

「え、と……いい、のか?」

「つーか、そんなの一々許可貰うようなもんでもねぇだろ。さっさと座れよ、ほら」

あっさりと了承されて拍子抜けしたくらいだ。

何気張ってんだよ、前から思ってたけどお前ってじじ臭いよなと豪快に笑う谷口に、
お前はその喋り方が馬鹿丸出しだろと返して腹を立てられたのも今ではいい思い出だ。


157: 2009/01/24(土) 23:54:57.83 ID:rd52Aaxe0



ハルヒは俺がかつてに見せた桜のことを、『奇跡』と称した。

だがハルヒと出会ってからの高校生活の方が、俺にとっては奇跡そのものだった。

広がる。変容していく。灰色でしかなかった視界がクリアになり、鮮やかに色を放ち始める。

俺は初めて、生きていたいと思った。

「生きている」実感を持っているということが、幸せだと知ったのだ。



『力』に頼らなくても、それだけのことが出来る。

俺は教えられた。涼宮ハルヒに。

159: 2009/01/25(日) 00:04:06.37 ID:+zTkDhB10

俺とハルヒの距離は狭まり、その分、俺たちは一緒に過ごした。

共に登下校し、共にクラス活動に加わり、他愛もない雑談をし、テスト勉強をやって、休日にはショッピング街へと出掛けた。

ごくごく普通の高校生がやるように、映画を見に行き、ゲームセンターで時間を潰し、レストランで食事して。
「また明日」と手を振って別れる。

そんな毎日が、『友人同士』であり続けるということ自体も、まあ、無理があったんだよな。

クラスの連中からは俺たちは半ば公認カップルの扱いを受けていたし、
俺も、そういう眼でハルヒを意識するようになるまで、然程時間はかからなかった。

そうしてクリスマスシーズン。俺は兼ねてから暖めていた、有りっ丈の言葉をハルヒにぶつけた。

舌は噛みまくったし、お世辞にも良いムードとは言えなかった場面でだった。
「今のナシ!」と腕をバッテンに組んで黒歴史にしちまおうかと血迷ったが、それをする前にハルヒに飛びつかれ、
俺は盛大に雪道に転ぶはめになった。


「待たせ過ぎなのよ、バカキョン!」

そう怒ったように言いながら笑うハルヒがあんまり可愛くて、俺は雪に寝転がった姿のままで、ハルヒとキスをした。

そうやって、俺たちは恋人になった。

167: 2009/01/25(日) 00:16:28.31 ID:+zTkDhB10



俺とハルヒは、本当に、殆どの時を共に在った。
視線をふと横にずらしてみれば、当たり前のようにハルヒがいて、ハルヒの笑顔があったんだ。

これほど幸福な刻は、他になかった。


『力』を使うことなく、このまま、ハルヒと生きていけたら。

『力』を使わない俺は、成績だって中の下が良いところだし、運動能力も人並みだ。

ハルヒのように、並外れて優れているところなんて何もない。

だけど、それでもいいとハルヒは言ってくれた。

ハルヒのレベルに追い付く。『力』を利用してのズルじゃない。
誰もが憧れる涼宮ハルヒと肩を並べても、恥じない生き方がしたかった。


生まれ変わるんだ、俺は。ハルヒの隣で。


168: 2009/01/25(日) 00:20:46.34 ID:+zTkDhB10


俺は俺の神に誓った。

絶対、この先何があろうと、俺はこの『力』を使わない。

この『力』をもし使う時が来るとしたなら、それは―――

171: 2009/01/25(日) 00:32:25.52 ID:+zTkDhB10

………
……





年が明け、厳しい冬を乗り越えて、春の到来。

俺たちは無事、二学年へと進級を果たした。

クラスは一緒のままで、俺とハルヒはクラス発表の貼り紙の前で思わずハイタッチした。

最近の一番の懸案事項がそれだったというのだから、我ながら随分平和惚けした脳みそだったと思うが、

……でもそれも、悪くはなかった。その時の俺は、素直にそう思うことが出来たのだ。


ハルヒは相変わらずで、俺はそんなハルヒに付いてまわって。

生徒会から仕事を請け負うことも増え、やる事成す事の充実ぶりは、数日語っても語り尽くせないほどの重労働だった。

いくら便利だからって俺たちをこき使いすぎなんじゃないのかとクレームをつけてやりたかったが、
ハルヒが楽しそうで俺も楽しかったので、結果オーライというところなんだろう。……見越してたわけじゃないよな?

174: 2009/01/25(日) 00:39:16.34 ID:+zTkDhB10

そんな生徒会絡みの仕事で、ちょっとした知り合いが出来たりもした。

他校との合同陸上競技大会の打ち合わせで、相手高校の生徒委員と顔を合わせたのだ。

「古泉一樹と申します」

同い年の癖にやけに丁寧な物腰が印象的な男だった。

「そちらの企画書ですね、読ませて頂きました。幾つか此方で調整したい点もあるのですが、
概ね、ご要望通りに取り計らえると思いますよ」

「そいつはよかった。……だけど、俺は二年だ。敬語わざわざ使わなくても良いぜ」

「ああ、……失礼。これはそうですね……内の生徒会は上級生ばかりだから、癖みたいなものなんです」

思ったより朗らかそうな性格で、途中から話題が脱線し、企画案そっちのけの話ばかりになっちまったが……。
まあ、こういう日もあるだろう。


176: 2009/01/25(日) 00:42:47.23 ID:+zTkDhB10
>>174
×生徒委員
○生徒会役員の一人

178: 2009/01/25(日) 00:49:27.89 ID:+zTkDhB10


それからもハルヒ込みでちょくちょく会って話す間に随分打ち解けて、一緒にカラオケに繰り出したりもするようになった。

古泉はかなり頭の良い奴で、小難しく物事について演説するのが好きらしい。

ハルヒと何やらナントカ方程式やらナントカ理論について熱く語っていた覚えがあるが、さっぱり分からなかった俺は蚊帳の外だった。

「本当に大切なのは、数式や定理ではありませんからね。お二人を観ていると、つくづくそう思わされますよ」

回りくどい台詞を吐いて去っていった古泉を見送り、ハルヒが言う。

「古泉くんて、なんか不思議な感じよね。あの歳で知識も幅広いし」

すっかり古泉がお気に入りのハルヒに、拗ねる素振りは……流石に見せなかった。男の矜持うんぬんかんぬん。

180: 2009/01/25(日) 00:55:20.99 ID:+zTkDhB10


――まあ、何はともあれ、俺たちはそんな風だった。

悩んだり行き詰ったりするのは、生きていれば当然のことだ。

色んな仕事をこなす間に迷うことも多かったが、問題解決できたとき上げる快哉ほど、胸のすくものもない。

俺は様々な物事に真剣になろうと努力したし、それは間違っちゃいなかったはずだ。

俺たちは、懸命になった分だけ、幸せに生きられた。

俺にとってはようやく赦された、安息の日々だった。




時間の流れは飛ぶように過ぎて。




運命の七月。

183: 2009/01/25(日) 01:10:14.04 ID:+zTkDhB10

………
……





「明日って……」

ざわめく教室の一角、昼休み時間。
ハルヒが俺のために朝早起きして作ってきてくれた弁当――谷口には愛妻弁当と冷やかされたそれのミートボールを咀嚼しながら、
俺はハルヒの何処か上の空の、呟きを聞いた。

明日。
俺は本日の日付を思い浮かべ、ああ、とその行事に思い至る。

「……七夕か」

思い返せば、俺とハルヒが初めて出遭ったのは七夕の日ってことになるんだよな。
そういう意味では確かに、七夕は俺たちにとって特別な記念日である。

「七夕、するか?笹貰ってきてさ」

「え……」

戸惑うようなハルヒの仕草。それで、俺はハルヒが何を遠慮がちにしているのかに感付いた。
七夕は、――願い事をする日。

187: 2009/01/25(日) 01:20:40.76 ID:+zTkDhB10


俺は、大抵のことは望めば叶う力を持っている。
今は極力行使しないようにしているとはいえ、願を織姫と彦星に掛けるくらいに欲することなら、
この力を使ってしまえば済む話なのだ。

こんな所にまで気を回すハルヒは、全く、出来過ぎていると俺は思う。

俺には過分な恋人だな。……言っとくが、これは惚気だからな。


「七夕自体のこと、すっかり忘れちまってたよ。三年間ずっと引き篭もり状態だったしな。
――ハルヒがいいなら、七夕を復活させたいんだが」

ハルヒは笑った。俺の意図したところを完璧に理解した上での笑顔だ。

「そんなの良いに決まってんじゃない!じゃあ七夕、本格的にやりましょうか。
明日、……生徒会室は私用じゃ許可下りないし……あ、旧棟の文芸部室!」

「ああ、生徒いなくて廃部になってるんだったよな」

「そう、人はいないはずだから、ちょっと借りるくらいならオッケーのはずよ。そこに笹持ち込みましょ」


191: 2009/01/25(日) 01:34:20.22 ID:+zTkDhB10
とんとん拍子に話は進み、俺が近所から笹を貰い受けて、文芸部室に運び込むまでの算段をした。

俺たちは谷口や国木田、ハルヒと仲の良い女子達にも声を掛け、
突貫作業ではあったものの、ささやかな七夕パーティーの計画を纏め上げたのである。

幾人か、執行部の面子からも協力を取り付けた。
思ったより大掛かりなパーティーになりそうだ。




下校途中、俺とハルヒは明日の計画について話し合った。
不備はないか、どういった飾りつけがいるか、エトセトラ。


「何かサプライズがあった方がいいと思う?」

「おい、七夕だろ。七夕ってのはこう、のんびり楽しむもんじゃないのか?」

「そりゃそうだけど。もっとド派手に何かやった方が、思い出に残るんじゃないかと思って」

「今回は止めとこうぜ。確か担任も覗きに来るって言ってたろ?あんまり羽目を外して怒られてもつまらんしな」

「それもそうねぇ……」

194: 2009/01/25(日) 01:41:47.45 ID:+zTkDhB10
どうせなら騒ぎたい!というハルヒの胸中も分からなくはなかったが、俺は笑って嗜めた。

妙な方向に突き抜けたがるのはハルヒの悪い癖なのだ。

「折角の七夕パーティーなら、宇宙人や未来人や超能力者が一気集結するくらいしてくれないかしら。
ベガとアルタイルもそれくらいの望みを叶えてくれてもいいと思うのよね。
あ、キョンが宇宙人でも未来人でもないっていうの踏まえた上での話だけど」

「分かってるさ。だけど宇宙人も未来人も、この世界には――」

「キョンが探してもいなかったってのは聞いたわよ。でも、あたしは必ずしもそうとは思わないの。
もしキョンと同じくらいの能力のある宇宙人や未来人だったら?
姿を隠して、こっそり地底に住み着いてるのかもしれないじゃない?」

そいつは宇宙人でも未来人でもなくて地底人じゃないのか、というツッコミは不可なんだろうな、やっぱり。


195: 2009/01/25(日) 01:50:44.38 ID:+zTkDhB10
「前から気になってたんだが、ハルヒの宇宙人や未来人や超能力者のイメージってどんなのなんだ?
参考までに聞かせてくれよ」

「いいけど、何の参考にするのよ?……そうねえ――」



火星辺りに住んでそうな、銀色のウネウネしたタコ型宇宙人も捨て難いけど、コミュニケーションの取り易さで考えたら、
やっぱり人型かしら。それか、宇宙人が人間と交信するために地上に遣わせたロボットね。
でもロボットが男ってありきたりだし、ここは女の子のロボットがいいんじゃないかしら。

女の子?グラマーか?

ブッブー。ちょっとキョン、あんたの趣味を宇宙人に反映させてどうすんのよ。まああたしも、グラマーな娘好きだけどさ。
それはどっちかっていうと……そうね、未来人の方に振りたいわね。

未来人も女の子なのか。

萌えるじゃない、グラマーで、時をかける少女なんて。時空を飛ぶ瞬間に胸が揺れるのよ、ボイーン!って!

お前って、俺よりたまに親父くさいよな。

199: 2009/01/25(日) 02:07:03.96 ID:+zTkDhB10
それから、未来人は大人の色香漂うスパイガールがいいだの、
いやそこはもっと任務を重荷に感じる幼目路線で行くべきだの、
宇宙人はきっと最初は地球のことをよく知らないだろうからあたし達が手取り足取り教えてあげるのよ、だの、
じゃあ宇宙人は何属性がいいかね、という問いに眼鏡っ娘って萌えない?という、
プレイバックしてもしょうもないようなことを一通り、語り尽くした。


「……馬鹿話しかしなかったな」

次第に全容が見えはじめ、もうじき到着となるハルヒの家を眺め、俺は少し後悔した。
パーティーの話は何処に行っちまったんだか。

「偶にはいいじゃない。あたしは楽しかったもん」

そうか。……なら、いいか?
思うんだが、俺はハルヒに甘過ぎるんじゃないだろうか。そんな自分も嫌いじゃないんだけどさ。


「キョン」

ここまででいいわ、と玄関より数メートルの距離に立ち止まったハルヒが、振り返って笑った。
黒髪が風にふわりと揺れる。シャンプーのいい匂いがした。

「明日楽しみにしてるから。立派な笹、貰ってきなさいよね!」

別れ際に、掠めるようなキスが唇に落とされた。

大輪の向日葵のような眩しい笑顔が、夕陽の光を浴びてセピアの写真のようだった。


201: 2009/01/25(日) 02:14:10.84 ID:+zTkDhB10



―――そして、七月七日。

俺は、知った。

本当に、本当に信じられない出来事に、認めたくない出来事に、

人に心の準備をさせる「前触れ」なんて物はありはしないのだということを。


204: 2009/01/25(日) 02:25:03.74 ID:+zTkDhB10

………
……






その日は、綺麗に晴れていた。快晴といっていい。
星を眺めるにはこれ以上ないくらいの七夕日和だ。

俺は約束通りに譲ってもらった大きな笹を携えて、地獄のような傾斜を誇る坂道を登っていた。

俺と同じく苦難の坂道に挑んでいる同校生たちも、笹を運んでいる俺はかなり目立つのもあり、無遠慮に視線を投げ掛けてくる。


いつもは登校も共にするハルヒだが、今日は早くに準備をしたいからという理由で待ち合わせなかった。

だが、そんなことで、俺は特に心配をしたりはしていなかった。

――だって、誰が思うんだ?



偶々それが七夕の日で、
偶々それが付き合い始めから初めての、別々の登校であったからといって。



205: 2009/01/25(日) 02:29:20.25 ID:+zTkDhB10

「―――キョン!キョォオオン!!!」



―――誰が。



「………谷口?どうしたんだ、そんな血相変えて。そんなに笹の葉が嬉し――」

「笹なんざどうでもいいんだよ!! それより、キョン、大変なんだよ、」



―――誰が。



「涼宮……涼宮が……っ!」



208: 2009/01/25(日) 02:40:34.80 ID:+zTkDhB10


その直後のことを、実を言えば俺は、よく覚えていない。

何かを喚き散らしたような気がするし、谷口に掴み掛かって誰かに取り押さえられたのを、ぼんやりと記憶しているだけだ。

それから俺を押さえつける人達を振り払い、俺は全力で走った。

笹を捨てて、鞄も捨てて、身一つで走った。
異様な速さなのは後で自覚したが、無意識に『力』を使ってしまっていたらしかったが、どうでもよかった。




学校は酷い騒ぎだった。


救急車が到着していて、赤いランプがちかちかと回転していた。警告のように赤い光が踊っていた。

晴れた青空の下に、こんな血みたいな赤さほど似合わないもんはない。

遠巻きに眺めている生徒達の間を縫って、俺は踊り場に飛び出した。


白い担架。沈痛な面持ちの救急隊員。ぶら下がった、二の腕。


―――ハルヒ!

212: 2009/01/25(日) 02:53:35.99 ID:+zTkDhB10

「ハルヒ、ハルヒ、ハルヒ……っ!!」

咽喉が枯れ果てそうなくらいに、俺は呼んだ。呼んで、担架に乗せられて瞼を閉じているハルヒに縋った。

白い肌は「青い」と表現するのが正しく、触れた手はぞっとするような冷たさだった。

隊員の一人が俺を制止しようとし、もう一人が首を横に振る。

その態度でもう明らかだった。

明らかだったが、俺は、そんなわけがないと思った。必氏だった。思考は滅裂していたが、まだ希望はあった。


俺の『力』なら。


俺は呼び続けた。ハルヒの復活を信じて。俺の『力』が、ハルヒの鼓動を蘇らせてくれることを願った。

ハルヒ。

ハルヒ、ハルヒ、ハルヒ。

血の味がしてもまだ、ハルヒの名を叫び続けた。願えば叶う筈だった。俺の『力』はどんなことでも成し遂げて来たのだから。

215: 2009/01/25(日) 03:03:00.39 ID:+zTkDhB10

ハルヒ。

閉ざされた瞼はぴくりとも動かない。


「どうしたんだよ、働けよ、なぁ、なぁ……!!」


ハルヒを、助けろよ。

どうしたんだよ、俺の『力』。
今振るわなくていつ使うんだよ。

何でも出来た、どんなことでも実現してみせてきたこの力なら、ハルヒを生き返らせるくらい簡単だろ?

何をやってるんだよ、なあ。

奇跡を、起こせよ。



俺はハルヒの身体にしがみつき、絶叫した。

懇願した。もう誰でも良かった。この地獄から救ってくれるなら。
叫ぶ際から涙が目尻から零れていく。

ああ、そうだ、これは悪い夢なんだろ?

218: 2009/01/25(日) 03:07:12.14 ID:+zTkDhB10




夢なら良かった。早く、醒めてくれればいい。

―――早く。

早く……!






―――その瞬間、音声が世界から消滅した。同時に、視界から色彩が削ぎ落とされた。

モノクロームと化した世界。

俺は、意識を失った。



223: 2009/01/25(日) 03:23:59.15 ID:+zTkDhB10
………
……




夢を見ていた。



ハルヒが俺に膝枕をしてくれている。怒った調子の声だったが、俺の髪を梳くハルヒの手つきは優しかった。

『バッカね。階段から落ちて頭打つなんて。下手したら大怪我じゃない。今回は大事がなくてよかったけど――』

なあ、ハルヒ。

『何?』

傍に居て、離れないでいてくれよ。頼むからさ。

『どうしたのよ?怖い目に遭って、人恋しくでもなったの?』

あんた、そんな甘えたな柄じゃないでしょうに。笑うハルヒが、それでも俺に応えた。

『あたしは何処にも行かないわよ。大丈夫、キョン。あんたが心配することなんて、何処にもないわ――』


224: 2009/01/25(日) 03:26:32.91 ID:+zTkDhB10
場面が変わった。景色がぼろぼろと崩れ落ちて、味気ない白壁の校舎が映し出される。

ハルヒが重たげな花瓶を抱え込んで、階段を上っていた。


『まったく、なんでこんなの運ぶのまで、あたしが……七夕の準備しなきゃいけない、のに――』


階段のとある一段が、水に濡れていた。
ハルヒからは、偶々、花瓶のために氏角となっていた位置。

ハルヒの校内用シューズが、その小さな水溜りを踏みしめ――

『きゃっ……!?』

滑った脚からバランスが崩れ、ハルヒの身体が宙に浮いた。

227: 2009/01/25(日) 03:31:14.22 ID:+zTkDhB10



俺は、その光景を見ていられなかった。


「――やめてくれ!」


俺の拒否が通じたのか、テレビの電源が切られたように、映し出されていた画面がぷつりと消える。

俺は――俺は、そこで、自分が居る場所を把握した。

モノトーンの世界。

此の世ともあの世ともつかぬような世界に、俺は立ち尽くしていた。


231: 2009/01/25(日) 03:38:27.08 ID:+zTkDhB10


「………本当なら、あなたを呼ぶ予定はなかった」

声。

俺はぎょっとして、その白黒の前後不明な場で、かろうじて背後とだけ呼べるところに視線を送る。

人が立っていた。

いや、人と呼べるのかも限りなく怪しかったが。なにせその「影」のようなものは、青白く発光していた。

顔の造形もはっきりしない、曖昧な線にぼかされている。

どう形容するのが相応しいだろう。幽鬼……鬼火……そんな単語がしっくりくるような。



「お前は、……なんなんだ。何で俺はここにいる」

ハルヒ。

ハルヒは―――

232: 2009/01/25(日) 03:47:03.72 ID:+zTkDhB10

俺の脳裏にハルヒの美しい笑顔が蘇り、消えた。

俺の最も記憶に新しいハルヒは、青白く、硬直の始まった身体、魂のない抜け殻。


強烈な喪失感と、耐え難い悲しみが競り上がり、俺はどうしようもなく溢れてくるものを止められない。

ハルヒは氏んだ。

ハルヒは氏んだ……!


自分の無力さが、何でも出来る筈だった力の無為さが、徹底的に俺を打ちのめした。

何が『力』だ。ハルヒを救うことすら出来なかったくせに。

どうしてあの時、俺は傍にいなかったのだろう。

少なくともハルヒの傍に居たなら、俺はハルヒの命を繋ぎ止めることが出来たはずなのに。


総てが、遅かったのだ。

235: 2009/01/25(日) 03:57:10.38 ID:+zTkDhB10
「あなたのせいではない」

淡々と、何の感情も混入していない硬質な声で、「影」が言った。

「あなたが如何に涼宮ハルヒを救うための方策を展開しようと、彼女は氏んでいた。
涼宮ハルヒの氏はこの時空における規定事項。
どうあっても避けられないもの。
……もしこの時空においてあなたがそれを無理に回避しようとするなら、
この時空そのものが崩壊、消滅していた」


悲しみに打沈み、己を封鎖し始めていた俺は、その影の声すら素通りにしていた。

「影」は、そこで、僅かに苛立ったようだった。


「……また、あなたは繰り返すの?」

俺はその影が、表情すらぼやけたそれが何故か、俺を真っ直ぐ睨みつけているような気がした。

「あなたは三万五千四百七十二回、涼宮ハルヒと教室で対面した日から、涼宮ハルヒの氏までの一年三ヶ月をループさせている。
何度繰り返そうと涼宮ハルヒの氏は覆らない。このままでは磨耗したラインが決壊し、本当に時空の消滅を招きかねない」

238: 2009/01/25(日) 04:18:52.90 ID:+zTkDhB10

何を言ってるんだ、こいつは。

時空の消滅?決壊?

影が紡ぎ出す、途方もない与太話のようなそれらを、俺はやはり理解できてはいなかった。

ただ、思っただけだ。


「……どうでもいいんだ、そんなものは」


「影」が、惑うように揺れた。

俺は熱い目元を拭う事もせずに、宣する最中にも嗚咽が混じったかもしれんがそれこそどうでもいい。


ハルヒが、いない。
俺の内を占める事実はそれだけだ。この世界には――もう、ハルヒがいない。


ハルヒがもう俺の隣にいない。
俺にキスを強請ったりしない。
俺と手を繋ぎたいって言い出したりしない。
額をくっつけて、抱き締めて、笑いあって、幸せだと思った、あの瞬間が永久に帰って来ない。


「ハルヒが、居ない世界が、どうなったって。………俺には、もう、何の関係もねぇんだよ」

240: 2009/01/25(日) 04:32:08.31 ID:+zTkDhB10
ハルヒが居たから、俺は、生きていこうと思った。
生きていくことだって悪くはないと思えたのは、ハルヒがいたからだ。


そのハルヒがいないのに、俺一人が、どうしてこの世界に生きていける?




「……あなたの心中は察している。だけど、お願い。時間がない、ループを解除してほしい。
そうするしか、現状を打開する術はない。
時空改変能力の宗主権があなたにある以上……」

影の声は、まるで力を取りこぼしているかのように、弱弱しくなっていく。



俺は――どうしてその一言を、明瞭に聞き取っていたのか。
「一縷の望み」を求め過ぎたあまりに、過敏になっていたのかもしれんが、今話題にすべきはそこじゃない。


「……待ってくれ。今、なんて言った?」

泣いて充血してるだろう眼を大きく晒して、影に迫る俺の形相はさぞ酷いことだろう。
俺は構いやしなかった。

ただ、怒鳴り込むように問い質した。

242: 2009/01/25(日) 04:41:45.16 ID:+zTkDhB10


「影」は、俺が発言の何にそこまで気を取られたのかが分からないらしい。

ふらりと彷徨い、……暫しの沈黙の後に、該当箇所を発した。


「『時空改変能力の宗主権があなたにある以上』……」


――宗主権。
――あなたにある以上。

やはりそうだ。

頭が異常に冴え渡っていた。


「宗主権ってのは、俺の力のことだ。そうだよな? そして、『あなたにある以上』……」


昔、悩んだことがあった。何故俺に突然、こんな力が芽生えたのか。
曰くありげな遺跡発掘に参加したわけでも、キャトられて全身手術されたわけでもない俺が、
どうしてこんな万能の力をある日突然授かるに至ったのか。

243: 2009/01/25(日) 04:50:02.96 ID:+zTkDhB10


「俺だけじゃなかったんだ」

俺は、震えていた。震えずにいられるかってんだ、畜生め。

「権利は移る。これは『バトン式』だ。力は人にそっくり明け渡してしまえる……
押し付けてしまえるんだ。そういうことなんだろ?」

そして俺は、元々宗主権を握っていた誰かさんから、この力を譲り受けたということだ。
三年前の其の日に。




影は動かない。
だがその沈黙は、俺には、何より「イエス」の回答に思えた。

そして俺のこの推測が正しいなら、ある。
一つだけ、ハルヒの命を救う方法。


323: 2009/01/25(日) 12:25:53.09 ID:hAlzPcGp0

ハルヒが居たから、俺は、生きていこうと思った。
生きていくことだって悪くはないと思えたのは、ハルヒがいたからだ。


そのハルヒがいないのに、俺一人が、どうしてこの世界に生きていける?





「……あなたの心中は察している。だけど、お願い。時間がない、ループを解除してほしい。
そうするしか、現状を打開する術はない。
時空改変能力の宗主権があなたにある以上、この世界の規定事項は……」


影の声は、まるで力を取りこぼしているかのように、弱弱しくなっていく。
消えかけの灯火のように。


『あたしの宇宙人――超能力者か、未来人かもしれないけど』


隙間風が吹いた。


それは、俺のぐちゃぐちゃに縺れきった頭の中を、一時冷静にする風だった。

329: 2009/01/25(日) 12:41:45.79 ID:hAlzPcGp0


『―――「不思議」には違いないわ』


そうだったな、ハルヒ。俺にお前は言った。

お前が探してた俺は結局「宇宙人」じゃなかったが、
俺が見つけられなかっただけで、本当は、存在しているかもしれないとも。



眼の前に陽炎のように在る、人ならざるものの影。

そうだ、俺は捜した――自分に近しい異能ならば尚更。

そしてそれは、今、まさに俺の眼の前に存在しているものなんじゃないのか?



……眩暈がした。


ハルヒの氏のショックで、吹っ飛んでいた嘆き以外の感情が、漸く戻ってくる。

333: 2009/01/25(日) 12:51:33.37 ID:hAlzPcGp0


「……お前は」



俺はひりつく喉を押さえた。
鉄の味が、喋るたびに口の中に広がる。今は俺に生の在り処を刻む痛み。


「……宇宙人、なのか?」


「影」が大き波打った。


無音。
肯定も否定もない。


「……わたしは、『観測者』。本来は、それ以上でも以下でもない」


だが、今回は違ったと、「影」が呟く。
それは殆ど、囁き声のようなものだった。

「今回だけ、我々は例外的に介入した。……あなたがループを繰り返すことで、歪が生じ始めたから。
わたしたちは概念に過ぎず、器を持たない。それでも、この不毛は断ち切らなければならない」

336: 2009/01/25(日) 13:00:20.21 ID:hAlzPcGp0


涼宮ハルヒは氏んだのだから。

もう戻らないのだから。

「影」が言外に含ませた「もう諦めをつけろ」という声を、
俺は反射的に否定しようとし、だが、声を発することは出来なかった。

分かっていたことだ。

聴くところを総合するに、俺はハルヒの氏から立ち直れずに、ハルヒとの生活をループしているらしい。

ハルヒの氏を回避する事が出来なかった俺は、何度同じ悲嘆を味わい、何度この喉をハルヒの名を呼ぶことで枯れ果てさせてきたのか。



347: 2009/01/25(日) 13:29:47.30 ID:qaZn3TjR0


「だけど……俺は……」

俺は。

確かにハルヒは……助からないのかもしれない。
俺にはもう、どうにも出来ないのかもしれない。だけど、それでも。

「駄目なんだ、……人じゃないあんたには、分からないかもしれないが」

「………」

「ハルヒじゃなきゃ、駄目なんだ。ハルヒが、俺の世界を変えてくれた。あんなに、楽しいと、思ったことはなかった。
生きていることが幸せだなんて、人の手があんなに温かいなんて、俺は、ハルヒに会うまで知らなかった。
俺は……!」


禅問答じゃ意味がないんだ。

呼び掛けて、応えてくれる相手がいなきゃ駄目なんだ。

しゃくり上げて、俺はその場に膝をついた。すぐにでも抱き締めたいのに、ハルヒ。どうしてお前が此処にいないんだ。

355: 2009/01/25(日) 14:00:06.85 ID:qaZn3TjR0


「影」は、そんな俺をじっと観察しているようだった。

揺れ幅は小刻みに、暫しノイズが走ったようになり、「影」が消え行く寸前であることを予感させる。

……何かを思案するようにしていた、その「影」は―――



揺らめきながら、俺に告げた。



「……一つだけ、ある」

俺は顔を覆っていた両掌から、眼を覗かせた。

「確実ではない。だが、存在する。涼宮ハルヒが氏なない可能性」

356: 2009/01/25(日) 14:09:04.09 ID:qaZn3TjR0

――どくん。

心臓が、俺を勢い付ける様に、強く鳴った。



「……本当、なのか……?」

「その可能性を生み出すことは難しい。故に、失敗する事も有り得ること。
そうなった場合あなたはループを繰り返すことも出来ず、涼宮ハルヒは完全に氏ぬことになる」

俺は息を呑んだ。

失敗すればハルヒが氏に、二度と蘇らない。

だが、それでも。

「――あるんだよな? ほんの僅かでも、……ハルヒが生きる可能性」

「………」

「教えてくれ」

361: 2009/01/25(日) 14:22:19.34 ID:qaZn3TjR0

「影」は、今にも溶けて消えてしまいそうなほど不安定ではあったが。
俺の幻聴だろうか、その声色は最初に聞いたときよりも遥かに、「生きている」、そんな、声色に聴こえた。


必要事項は一つだけだと、影は語る。


「……あなたが『宗主権』を放棄すること」

それが絶対条件だという、「影」に俺は眼を瞑った。

……『宗主権』。それはさっきも耳にした言葉だ。

時空改変能力の宗主権があなたにある以上、規定事項は――変化しない?


――宗主権。
――あなたにある以上。


頭が異常に冴え渡っていた。


「宗主権ってのは、俺の力のこと……なんだよな」

「そう」

「……つまり――」

363: 2009/01/25(日) 14:32:46.33 ID:qaZn3TjR0


昔、悩んだことがあった。

何故俺に突然、こんな力が芽生えたのか。

曰くありげな遺跡発掘に参加したわけでも、キャトられて全身手術されたわけでもない俺が、
どうしてこんな万能の力をある日突然授かるに至ったのか。


「『力』を保持する権利、『宗主権』は移る。これは『バトン式』――そういうことか?」


力は人にそっくり明け渡してしまえるもの。
固定した人間の中に発生するものじゃないとしたら。


俺が各国の偉人――キリストやらガウタマシッダールタみたいに、生まれた瞬間から特別だったわけじゃない。
唐突に万能の力が沸いて出たわけでもない。

何のことはない、俺が手に入れる前は、他の誰かが持っていた、そういうことか?

俺は宗主権を握っていた誰かさんから、その権利を譲り受けた。ただそれだけの話だったのか。

366: 2009/01/25(日) 14:46:48.11 ID:qaZn3TjR0


影は動かない。
だがその沈黙は、俺には、何より「イエス」の回答に思えた。



――だとしたら――なんて、滑稽だったんだろうな、俺は。

与えられた力に振り回されて、自分が特殊な神様みたいな錯覚をして自惚れて。

期待が台無しになったら今度は自暴自棄になって、三年間をふいにした。



だが、……そうだ、重要なのはそこじゃない。



そして俺のこの推測が正しいなら、――確かに、ある。
一つだけ、ハルヒの命を救う方法。


370: 2009/01/25(日) 15:05:07.94 ID:qaZn3TjR0


………
……





自問自答した。

これで本当に正しいのか。
これで本当にハルヒは救われるのか。

ハルヒの命を救う為とはいえ、俺のしている事は、結果的にはハルヒを俺と同じ道に引き摺り込む事だ。

力を得て右往左往していた、かつての俺の再現を、ハルヒに押し付けるということに相違ない。

ハルヒは俺を恨むかもしれない。
あたしはこんなこと望んじゃいなかったと、叱られるかもしれない。


――だが、何度己に問い質しても、俺が導き出せる答えは同じなのだ。


生まれ変わった世界でも。

俺はハルヒに、生きていて欲しい。


374: 2009/01/25(日) 15:29:41.38 ID:qaZn3TjR0

「………仮に、『授与』が成功したとし、規定事項が書き換えられたとしても。
あなたと涼宮ハルヒが、同じように出遭えるかどうかは分からない」

「わかってる。それでも、決めた」

「………そう」


「影」は光量を見るからに落とし、ベールのような青いラインが滲んで透けかかっている。

俺は、気に掛かっていたことを口にした。


「俺が移動した後……お前は、どうなるんだ?さっきから、消えそうな感じに見えるが……」

「そう。わたしは、じきに消滅する」


平然と親告するその華奢な、よくよく見れば少女のようにも見える「影」の言葉に、頭を殴りつけられた気分だった。

とうに干からびた声が、割れた。


「……どうして、どうして、そうなる!」

「わたしは元々、『宗主権』を持つ者に干渉する権限はないし、それが可能なように作られていないから。
……ループに耐え切れずにわたしは事を起こした。そうしてあなたは授与の決断を下した。
これで事態は進展する。――わたしに後悔はない」

377: 2009/01/25(日) 15:38:31.62 ID:qaZn3TjR0


血も涙もない、感情なんてものを毛ほどにも理解していない、人ならざるものの言葉のはずだった。

……そのはずだったのに。
俺にはその「影」が、笑っているように見えたんだ。


自分の意思で選び取り、そうして進める事が出来た展開に悔いなしと、幽霊じみた観測者は誇っている。


――畜生。俺は結局、肝心なときに頼りっぱなしで――

こいつは命を張ってまで、打開策を、ハルヒが生きる可能性を提示してくれたってのに。



「……消える前に、教えてくれ。お前、名前は何て言うんだ?」

「………名前」


380: 2009/01/25(日) 15:50:48.60 ID:qaZn3TjR0
跳ね返る沈黙。影は今にも空気と同化してしまいそうだ。
……名前、もしかしてないのか?

俺は頭を掻いた。それじゃあ呼びようがないな……そうか。

「じゃあ――今度会う時までに、考えておいてくれ」

「………今度?」

「そう、『今度』だ」


新しい規定事項の世界で、どんな形でもいい、再び出遭うために。
それくらいの約束なら、許されたっていいはずだ。


「俺はそこで、お前に会って……、また、きちんと礼が言いたい」

「………そう」


影は波紋のようにぶれ始めると、渦を巻いて一点に収縮していった。
最期に。


―――「考えておく」。

くぐもった声が、俺の耳に滑り込んで、響いた。

388: 2009/01/25(日) 16:06:13.82 ID:qaZn3TjR0
オセロの駒を敷き詰めたような、白と黒以外の彩色を排除した世界に取り残された俺は、
一人、その場に佇んで眼を瞑り、時を待っていた。


さっきの影に、言われたとおりに。

ハルヒの笑顔を思い浮かべながら待ち、……ついに、時は来た。




強烈な耳鳴り。それから地震のような激しい揺れ。

白と黒がパラパラと崩れ落ち始め、床はマーブル状になり、熱に溶かした飴をぶちまけたように、
足元がぬかるんで沈んでいく。
……この空間の構築を行っていた「影」が消滅したことによる、仮想領域の崩壊。

392: 2009/01/25(日) 16:09:12.92 ID:qaZn3TjR0

『その時を狙って、強く願って。わたしも力をある程度あなたに譲渡しておく。
――規定事項を書き換えるためには、その規定事項が生まれる前まで戻らなければならない』


だから、世界を変えるためには過去へ。
ループ期間を越えて一年三ヶ月よりも前、俺が涼宮ハルヒと初めて対面した、あの日まで。


俺は腹に力を篭め、天に吼えた。


「連れて行け!俺を―――」


――ハルヒの居る、あの、七夕の日まで。


398: 2009/01/25(日) 16:26:40.77 ID:qaZn3TjR0


………
……





闇をぽつぽつと申し訳程度に照らす街灯。

無人の校舎に、だだっ広いグラウンド。……あのときと、まるで変わっちゃいない。

違なる点を敢えて挙げてみるなら、ナスカの地上絵みたいなあの白い象形文字がまだ描かれていないことくらいか。


――俺は、深呼吸をした。
夏特有の匂いが鼻腔を掠めていく。

平静を保とうと思っての行為だったが、すぐさま掛けられた声に、落ち着きなんてもんは綺麗さっぱり消し飛んだ。


「ちょっと――あんた、だれ?」


不審者を発見して、警戒を隠していない、勇ましい声だ。
俺の記憶にこべりついた声色よりも、若干幼くて棘を孕んでいる。

405: 2009/01/25(日) 16:35:17.38 ID:qaZn3TjR0
……胸が潰れそうだった。

ハルヒだ。
ハルヒが、生きてる。

駆け出して抱き締めたかった。
力いっぱい腕の中にハルヒを閉じ込めて、そのしなやかな生命の鼓動を、温もりを実感したかった。

だが、今それをするのは不味い。ハルヒに不信感を抱かれては成功しない。


「俺は……匿名希望ってことにしといてくれ。それよりお前は何やってるんだ?」

「決まってんでしょ。不法侵入よ。……あんたは何処から入ったのよ。ちょろまかした鍵、あたしが持ってたのに」

「まあ、入るだけなら色々と方法があるんだよ。で、俺は星でも眺めようかと思ってさ

414: 2009/01/25(日) 16:47:34.42 ID:qaZn3TjR0


「星、ねぇ…。ま、見晴らしはいいんじゃない」

ハルヒはぷいとそっぽを向いて、体育用具倉庫に赴くと、隠しておいたらしい、錆だらけのリヤカーを引っ張り出してきた。

中学一年の未発達の身体で重たいリヤカーを引くハルヒは、酷くアンバランスで危なっかしい。

俺はさり気なくリヤカーの持ち手を奪った。

「俺がやってやる。……何処へ引けばいいんだ?」

ハルヒは風変わりなものに出くわした、という内心が読み取れそうな顔つきで俺を見つめた。

「……変な奴。星見るんじゃなかったの?」

「勿論観たいが、引くのが終わった後でも星座鑑賞はできるからな」



ハルヒの監督の下、俺は数十分を費やして運動場一杯に模様を描き出し、
その甲斐あってか、ハルヒは俺を危険人物と見なすのは保留してくれたらしい。

満足そうに座り込むハルヒと並んで、俺は腰を下ろした。

417: 2009/01/25(日) 17:00:51.10 ID:qaZn3TjR0

「ねえ、あんた。宇宙人、いると思う?」

俺は突然に、問いを投げ掛けてきたハルヒに笑った。らしいなと思ったのだ。

「いるんじゃねーの」

思い浮かべたのは、俺を送り出してくれたあの「影」だった。

「じゃあ、未来人は?」

「いてもおかしくはないな」

俺は見たことはないが、今は俺自身が未来人みたいなもんなのだし。

「超能力者なら?」

「さあ、それは……だが、やっぱり、いてもおかしくはないんじゃないか」

そこで俺はハルヒに話した。七夕の前日、帰途で当のハルヒと考えた宇宙人と未来人と超能力者設定。
こんなのが居たらさぞとんでもない日常で暮らせるだろうって、やけにこだわりを持って意見を出し合ったこと。

ハルヒは「ふーん」、と面白げな顔をして、それを聴いていた。

「それじゃ、異世界人は?」

「異世界人か?そうだな……」

425: 2009/01/25(日) 17:12:16.25 ID:qaZn3TjR0


俺は、――そのとき、腑に落ちた。

そうか。……そうだったな。


「案外、眼の前にいるような奴かもしれないな」


俺は笑い、ハルヒは目を丸くした。

俺はハルヒに手を伸ばし、その細腕を掴む。
不安がらせないように力は抑えたつもりだが、もし痛かったらすまん。勘弁してくれよな。


「ハルヒ」


俺は、精神を集中した。自分の中の総てを、ハルヒのその手に注ぎ込む瞬間を想像する。
煮え滾るエネルギーを具象化するために、歯を食い縛り、総毛立つ全身を耐え忍んだ。


「あんた……なんであたしの名前、」

驚愕の声は続かなかった。引き寄せて、その小さな身体を包み込んで、――それが、最後。

434: 2009/01/25(日) 17:19:58.43 ID:qaZn3TjR0


ハルヒ。

出来たら、……出来たらでいいんだ。


「『宗主権』を涼宮ハルヒに譲り渡す。」

そうすればハルヒは氏ぬことはない。俺が故意に氏を選ぼうとしても氏ねなかったのだから、その効力は絶大だ。

また俺が『宗主権』を持つことで存在していた規定事項も、ハルヒに渡れば否応なしに変化する。


ああ、だけど、怖いことが一つ在る。


「影」も言っていた。

規定事項が変化するということは、俺とハルヒが出会わない可能性もあるってことだ。


……俺はハルヒが生きていてくれさえすれば、それでいい。その気持ちに嘘はない。だけど、出来ることなら。


440: 2009/01/25(日) 17:30:27.62 ID:qaZn3TjR0
出来ることなら―――どうか。


「……いつか」


これがラストチャンスだ。俺は、会心の笑みを浮かべた。
もう殆ど視界は塞がれていたが、それでもハルヒの温もりがあれば十分だ。


「また、七夕に会おう」





ハルヒ。

抱き締めた先から、俺の腕が塵になり、上空に舞い上がり消えていく。

力が総てハルヒに移った、その結果規定事項は変化し、未来の俺は「在らざるべき存在」として消滅する。
世界が変わる。その光景を見届けられないのは、少し残念だけど……な。


ハルヒの世界。きっと楽しい世界だろう。

俺が其処で、願わくば、ハルヒの隣に居れたら良い。

またお前と出会って、そうして……毎日を面白おかしく笑っていられたら。

450: 2009/01/25(日) 17:39:07.43 ID:qaZn3TjR0



俺の意識が完全に喪われる寸前、俺は、ハルヒの声を聴いたと思った。

俺を呼んでいたような気がする。俺は名乗っていないから、呼ばれる訳がないのにな。

……それでももう、未練はなかった。


楽しかった。

楽しかったよ、ハルヒ―――



走馬灯のように、何にも変え難い一年三ヶ月の輝かしい記憶が、俺の思考を流れてゆき――

暖かい闇の中で、俺は、醒めることのない眠りに落ちた。




459: 2009/01/25(日) 17:52:22.40 ID:qaZn3TjR0


……
………
…………




その日、有機生命体とコミュニケートを取るための端末が地上に派遣された。

彼女の生誕地には、雪が降っていた。

『あなたにもパーソナルネームがいるわね。どんなのがいいの?』

『………』

彼女の名前は一両日後、決定された。




その日、一人の少年がとある能力に覚醒した。

組織に所属するようになった彼は、とある少女が神に等しき力の持ち主と教えられた。

『分かってしまうのだから、仕方ありません』

それでも懐疑は抱いていた。こんな少女に何故、そんな力が……?

461: 2009/01/25(日) 17:57:00.46 ID:qaZn3TjR0




その日、一人の少女が、彼女の生きる時代よりも遥か過去へと舞い降りた。

到着してさっそく道に迷いかけ、泣きそうな眼を擦りながら。

『がんばらなくちゃ……これは、あたしの仕事だから』

健気にも前を向き、ひとまず案内板を探して歩き始めた。





その日、一人の少女が、奇態な男と出遭った。

男はのらりくらりと少女を手伝い、少女はその男に奇妙な感覚を覚えた。

『世界を大いに盛り上げるための、ジョン・スミスをよろしく!』

ふざけた掛け声だと思い、それでも少女は、その男のことを忘れられなかった。



472: 2009/01/25(日) 18:05:36.63 ID:qaZn3TjR0



その日、一人の少年が、高校の入学式に出席した。

少年は目の覚めるような出来事なんて早々起こりはしないと諦観していた。

刺激的なことなどない、普通の平穏な日常が過ぎていくことを疑っていなかった。





「ただの人間には興味ありません。
この中に宇宙人、未来人、異世界人、超能力者がいたら、あたしのところに来なさい。以上」



―――その日、一人の少年は、涼宮ハルヒと出会った。






終わり

473: 2009/01/25(日) 18:06:33.53 ID:pruhVwn1O
乙!!!!!!感動した!!!!!

474: 2009/01/25(日) 18:06:43.46 ID:nLyrFr7U0
( ;∀;) イイハナシダナー

482: 2009/01/25(日) 18:09:08.10 ID:qaZn3TjR0
長い間お付き合い頂いてありがとうございました。
保守ってくれた人に土下座で感謝です。

引用: キョン「また、七夕に会おう」