252: 2020/05/16(土) 09:18:28 ID:miF4rqYU
唯「え、ふ、ふざけてないよぉ…」

253: 2020/05/16(土) 09:30:09 ID:miF4rqYU
 平沢唯は、所謂「天然」と呼ばれる性格の、どこかにいそうでいないような、そんな不思議なオーラを纏った女子高生である。
 彼女の所属している軽音部は、大雑把でムードメーカーなドラム担当の田井中律、しっかり者で美人だが人見知りのベース担当の秋山澪、おっとりぽわぽわと称される、どこか浮世離れした一面を持つキーボード担当の琴吹紬、そして、ギター担当の平沢唯で構成されている。
 とはいえ、その半分はティータイムでできているとも考えられる。実に、顧問の山中さわ子が名付けた「放課後ティータイム」というバンド名は、日頃の唯達の様子を元に提案されたのである。
けいおん! 1巻 (まんがタイムKRコミックス)
254: 2020/05/16(土) 09:38:34 ID:miF4rqYU
 唯達は、今日も部活に顔を出す。彼女達は、精を出すのを後回しに、ティータイムを楽しみにしてここに来るのだ。
「おはよー!」
 今日も元気を取り繕う。周囲の視線が痛いから。
「よっ!今日は練習するぞ~!」
「そうだな」
 律達は、唯が来た途端にティータイムを止めてしまう。唯は数日続く内に、それに気づいてしまった。一見関与してないように見える紬も、それに流されて、寂しげに食器を片付ける。

255: 2020/05/16(土) 09:48:35 ID:miF4rqYU
 唯は、この光景を見る度に自分が喝を入れられている気分になる。何ヶ月か前には自分の居場所でもあった場所から、突然、静かに退散を願われた。
 楽器初心者である唯は、自分の演奏が下手だからもっと練習しろと思われていることに、薄々気づいていた。
「唯、ここのコードまた忘れてるぞ」
 自分より遥かに実力のある澪に指摘された唯は、はい、と答えるしかない。何が間違っているのかはわからないが、澪の丁寧な指導に身を委ね、とりあえず真似して弾いてみる。
「…どう、かな?」

257: 2020/05/16(土) 10:44:32 ID:v4yzcBbA
 演奏技術はまだ拙いものの、飲み込みの早い唯は、それを披露する度に律達に刺激を与えていた。特に澪は、自分の演奏技術に追いつかれてしまうのを焦って、唯が演奏する度に内心ハラハラしてしょうがない。しかし、彼女自身は唯に悪意を持っている訳ではない。だから、ジェラシーを感じている唯にも優しく指導することができる。
 一方唯は、今までその才能を周囲に見つけられることはなかったので、自分の才能を卑下している。自分には何の才能もない、とすら思っている。律はいち早くそれを見抜き、唯に自信をつけさせようと、何度も励ました。澪は人の思考に鈍感なところがあるが、唯がとても自信あり気には見えなかったので、一方的な内に秘めた思いに対していたく罪悪感を抱いている。紬は唯が空元気でいることはなんとなく理解しているので、唯の気持ちを汲み取って、できるだけ部室を楽しい雰囲気にさせてあげたいと思っている。

258: 2020/05/16(土) 11:05:26 ID:v4yzcBbA
 唯は、優しい仲間に恵まれたと思っている。職員室で初対面だった律に睨まれたり、半ば強引に部室に連れていかれて演奏を聞かされたりはしたが、それも今となってはいい思い出だ。
 唯と律達はクラスも違うので、唯が浮いてもおかしくはない。そう考えると、こうして一緒に話して演奏してくれるだけでもありがたいものである。唯はそう、自分の不満を押し頃してきた。入部して律達に打ち解けた後と態度が一貫して同じなのは、それのおかげである。

259: 2020/05/16(土) 11:12:26 ID:v4yzcBbA
「えへへ…上達って難しいもんだねぇ」
「そうだぞ。あたしも最初は戦力外通告されそうなぐらい下手だったし」
「律はまだしも…、唯ならあと何ヶ月かすればきっと上手くなるよ」
「そうだといいなぁ~。ありがとうりっちゃん、澪ちゃん」
 紬はティータイムのこともあって、どう振舞えば良いかわからず、ただ黙って上品な笑みを浮かべている。

260: 2020/05/16(土) 11:33:34 ID:v4yzcBbA
 そんなある日のことだった。唯はいつものように失敗をしては、その恥ずかしさから苦笑いを止めることはできなかった。
「えへへ…。今日もごめんね…」
 いくら飲み込みの早い彼女でも、演奏技術まではどう足掻いても律達には追いつかない。だから、それなりに家でも練習はしていた。それなのに、
「…いや、何でいつもそこでヘラヘラしてるの?」
と、呆気なく言われた。誰に言われたのかは覚えていないが、言われたことだけは記憶に残っている。
「ヘラヘラ…?」
「そう。笑えば済むの?そんなんでいい演奏ができると思ってるの?『わからないことがあったら聞いてね』って言ったじゃん…」
誰かがまた言う。
「で、でも…これは私の技術の問題だし…」
「だからって笑ってられるの?普段練習はしないし、テストだって…!」
 澪の怒りが収まらない中、律が畳みかける。
「まーまー、落ち着けって」

261: 2020/05/16(土) 11:39:41 ID:v4yzcBbA
 あれから唯は、軽音部として演奏するのに怯えていた。何で私がダメでりっちゃんならだらけてもいいの?何で何も知らないくせにヘラヘラしてるって言うの?そんな思考が脳内を駆け巡った。
 答えは簡単。演奏技術が足りないからだ。もっと、もっと、もっと上手くならなきゃ。それで1ヶ月後また部活に出て、澪ちゃん達を見返してやるんだ…!

262: 2020/05/16(土) 11:48:00 ID:v4yzcBbA
 唯は学校にも行かず自分の部屋に引きこもって、基礎から徹底的にギターの弾き方を学び、吸収していった。
 今の唯は、演奏技術では軽音部の3人を上回っている。かつてのさわ子のような演奏法までも、難なくこなせるようになった。
 クラスメートやりっちゃん達は、私のことを心配してないだろうな。そんな思いをよそに、1ヶ月ぶりに学校へと足を運んだ。
「うへぇ~…、歩いただけで汗が止まらないよ…」
 家に引きこもっていたので当然のことだ。ただ、誰かに「そうだね」と賛同してもらいたくなったから口に出してみたに過ぎない。

263: 2020/05/16(土) 12:00:43 ID:v4yzcBbA
「皆、久しぶり…。これだけ引きこもってたから、人並みにはギター弾けるようになったよ………」
 唯は部室に入るや否や、いつもの明朗溌剌な声ではなく、どこかかすれたような声で3人を驚かせた。
 ギターが弾けるようになったのと代償に、今度は人前での声の出し方を忘れてしまったのである。誰も彼女を見るまでは、声の持ち主を平沢唯だと気づかなかった。
「ゆ、唯…」
「唯ちゃん……久しぶり…」
 澪だけは、とてつもなく罪悪感に呑まれて声が出ない。
「それとね、もう私ヘラヘラしないから…仲間外れにしないでほしいなぁ……なんてね…」

264: 2020/05/16(土) 12:09:41 ID:v4yzcBbA
 「仲間外れ」。そのつもりは律達にはない。彼女達は単純に、唯に練習してほしかっただけで、皆で唯をハブって談話しようとは思っていなかった。
「…仲間外れじゃなくて、私達は、唯ちゃんの練習が上手くいくように事を運んだだけよ」
「……そう。でもそれは私の演奏が下手だったからだよね…」
 ムギの説得も、何となくは予測できたからあまり驚かなかった。唯はおもむろにラジカセを取り出し、弾き慣れた曲を流した。
「まあいいや、聞いてよ。今日はこの曲お披露目しよ~っと…」

265: 2020/05/16(土) 12:22:59 ID:v4yzcBbA
 虚ろな目でギターの弦を弾く唯。曲のハードさとは相反して、唯とその周囲に奇妙な空気を生み出している。
 指の動かし方がもはや素人のそれではない。口元にニヒルな笑みを浮かべては、華麗な指裁きで弦を思うがままに掻き鳴らす。
 果たしてこれは、本当に唯なのだろうか…
「…どうだった?」
 唯の質問に、律達は衝撃から逃れることができなくなった。何も言えない。それが答えだったから。
「……肯定ってことだと受け取っておくよ。もう疲れたから帰るね。バイバイ」

266: 2020/05/16(土) 12:27:30 ID:v4yzcBbA
「ねえ、あの人が平沢さん…だよね?」

「随分雰囲気変わったよね。なんか、急に大人っぽくなったじゃん」

「しかも無口になってない?」

「でも滅茶苦茶ギター上手いって聞いたよ…」

267: 2020/05/16(土) 12:32:42 ID:v4yzcBbA
 私の噂をするのは耳障りだからやめて。今はギー太しかいらないの。「軽音部」?…あぁ、あの日から3人とも私に話しかけなくなっちゃったから、とっくに辞めちゃったよ。またヘラヘラしてるって思われたらやだしね。
「孤独を救うのは…」
「人間じゃない」
「私の勇気」

268: 2020/05/16(土) 12:36:29 ID:v4yzcBbA
「…その逆でもある」
「何も信じずに生きるのは難しい」
「だから少しだけ縋らせて」
 私を哀れまないで。いずれこうなることはわかってたから。私を強くするのは別れなの。

引用: 律「あたし、部長だし!」