1: 2024/06/16(日) 07:29:52.967 ID:yaVNoeIL0.net
若狭屋「お、ノリユキさん来たか。いらっしゃい」

ノリユキ「あ……どうも……」

若狭屋「そろそろ来るじゃないかと思ってたよ。おっかさんと二人暮らしでも大変だろう」

ノリユキ「あ……はい、すみませんいつも……」

若狭屋「なぁに、亡くなったアンタの親父さん、名工と呼ばれた浜野ノリヤスさんは素晴らしい品を沢山くださったからね。その恩返しをしてるだけさ」

ノリユキ「ありがとうございます……。……すみません今日はこれを……」

若狭屋「お、今日は木彫りの馬かい。アンタも親父さんにはまだまだ及ばないがね、なかなか味があると俺は思ってるんだよ。この馬だって……んん?」

ノリユキ「あ……」

2: 2024/06/16(日) 07:31:08.589 ID:yaVNoeIL0.net
若狭屋「……ノリユキさん、馬の脚ってのは4本だと思うんだが、この馬には3本しか脚がないように見えるよ。俺の見間違いかい?」

ノリユキ「……あ……す、すみません……彫った時は4本でだったんですけど、途中で1本折れてしまって……」

若狭屋「………………」

ノリユキ「…………」

若狭屋「あのねノリユキさん、ちょっといいかい?」

ノリユキ「……はい」

若狭屋「あのねノリユキさん、俺はアンタの親父さんにお世話になった。だから俺は親父さんがなくなってからも、アンタの拙い作品を買い取る形で毎回お金を渡してるんだ。それも一分だ。親子2人ならしばらく食べていける額だよな?」

ノリユキ「……ありがとうございます」

若狭屋「ありがとうございますってな、感謝してるなら何でこんな失敗作を持ってくるんだ。オメェも職人の端くれだろ、ええ? プライドってもんがないのか」

ノリユキ「……すみません」

若狭屋「冗談じゃねぇよ。わかってんのかノリユキさん。あそこにある箱に詰まってるのはなんだと思う? アンタから買い取ったガラクタだよ。この間のはなんだ? カッパだかタネキだか分かんねぇ彫り物に俺は金払ってんだぞ、いい加減にしろ」

ノリユキ「……」

若狭屋「売れもしねぇガラクタを毎回毎回持ってきやがって。ウチに金の成る木があるとでも思ってんのか? おーい母ちゃん、3両持ってきてくれ」

ノリユキ「……え」

若狭屋「ほらよノリユキさん、3両やるよ。これが何か分かるか? 手切れ金だよ。もう我慢ならねぇ、二度とくんな」

ノリユキ「……」

若狭屋「あとな、お前もう氏んでしまえ。氏に方わかるか? ウチ出てまっすぐ行ったら大きな木があるから、その枝に縄を引っ掛けて首吊って氏ね」

ノリユキ「……」

若狭屋「とっとと出てけバカが」

3: 2024/06/16(日) 07:32:00.612 ID:yaVNoeIL0.net
――

ノリユキ「……ただいま」

母「おかえりノリユキ。若狭屋さんはお元気だった?」

ノリユキ「……うん、元気だったよ……」

ノリユキ「……それでね、母さん、これ……」

母「……! こんな大金、どうしたの?」

ノリユキ「あのね、若狭屋さんが、お前は修行に出た方が良いと言ってくださって、それで僕が修行に出てる間の母さんの当分の生活費をくれたんだ」

母「……」

ノリユキ「そういうワケで、僕はしばらく修行に出るよ。母さん、……どうかお元気で」

母「ちょっと待ちなさい」

ノリユキ「……」

母「若狭屋さんに何か言われたね? 正直に言いなさい」

ノリユキ「……」

母「そんな思い詰めた顔で修行に出るなんて、嘘なんだろ?」

ノリユキ「……実は──」

4: 2024/06/16(日) 07:32:40.846 ID:yaVNoeIL0.net
母「…………そう、氏ねと言われたの……。 言うだろうね、あの人は……」

ノリユキ「…………」

母「…………」

母「若狭屋さんの言う通りね……ノリユキ、氏になさい」

ノリユキ「…………はい」

母「ただね、最期に、お母さんのために観音様を彫ってちょうだい。私はそれをアンタの形見だと思って大事に持っておくよ」

ノリユキ「か、観音様だなんて彫れないよ! 母さん、僕はカッパを掘ればタヌキになって、馬を彫れば3本脚なんだ! そんな僕が観音様だなんて……」

母「いいから彫っておくれ。どんなに下手でもいい。私に形見を残して氏んでくれ」

ノリユキ「……わかったよ」

5: 2024/06/16(日) 07:33:31.465 ID:yaVNoeIL0.net
――――

ノリユキ(母さんのために立派な観音様を彫るんだ、一睡もしてられない……!)

ノリユキ(眠い……ん? この声は……)

母「ナンマンダブナンマンダブ……神様仏様どうか息子に立派な観音様を彫らせてやってください……」

ノリユキ(母さん……! 寝てる場合じゃない! 裸になってでも水を被ってでも気合を入れて完成させるんだ!)

母「ナンマンダブナンマンダブ………」

6: 2024/06/16(日) 07:35:22.715 ID:yaVNoeIL0.net
――――

ノリユキ「母さん……できたよ……」

母「……あ、ああごめんねノリユキ、お母さんウトウトしちゃって……そう、出来たのね。見せてちょうだい」

母「…………! ああ、神様ありがとうございます……!」

ノリユキ「じゃあ母さん……僕はこれで……」

母「待ちなさいノリユキ、アンタ、これを若狭屋さんに持っていきなさい」

ノリユキ「若狭屋さんに!? だ、ダメだよ母さん、僕はもう若狭屋さんには……」

母「いいからお行き。そしてこれを30両で売っておいで」

ノリユキ「30両!? 無理だよ! 僕の作品の値段は一分、それも情けをかけてもらってようやく一分なんだ……それを30両だなんて……」

母「私はあの浜野ノリヤスの妻だよ。それなりの目を持ってる。これは30両で売れる」

母「もし若狭屋が少しでも値切ったなら、ノリユキ、アンタはもう帰ってこなくていい。約束通り氏になさい。その時は私も諦めるよ」

ノリユキ「…………わかりました、どうせ氏ぬつもりだったんだ。言う通りにするよ」

母「行く前にお水を飲んでいきなさい。道中喉が渇くかもしれないからね」

ノリユキ「うん、飲んでいくよ」

母「ああ、お母さんも喉渇いたからその水ちょうだい」

ノリユキ「飲みかけだよ?」

母「それでいいの……ありがとうね」

ノリユキ「うん、それじゃ行ってきます……お元気で」

8: 2024/06/16(日) 07:38:44.746 ID:yaVNoeIL0.net
―――

若狭屋「……ん? お? おお! ノリユキさん! ノリユキさんじゃないか!」

ノリユキ「……あ、どうも」

若狭屋「いやぁ済まない! この間は前日の酒が残ってたもんで言い過ぎてしまった! 俺は酒が入ると本当の事を言ってしまうんだ! 許してくれ!」

ノリユキ「あの、若狭屋さん……今日は品物を持ってきたんです……」

若狭屋「おお! いいよいいよ! 何でも買ってやる! 今日はなんだい? 2本脚の馬かい?」

ノリユキ「……若狭屋さん、今日のは真面目に見て欲しいんです」

若狭屋「おっと、すまねぇ。そうだよな、ノリユキさんも職人だ。品物を見もせずに買ったと言われて良い気はしないよな、悪い悪い」

若狭屋「さぁさぁ見せてくれノリユキさん。どれどれ……」

若狭屋「…………!」

ノリユキ「……」 
 
若狭屋「………………お久しぶりでございます」

若狭屋「……ノリユキさん、そうか、これを持ってきてくれたか」

9: 2024/06/16(日) 07:40:20.548 ID:yaVNoeIL0.net
ノリユキ「あの、若狭屋さん、その観音様は………」

若狭屋「いや、分かってる。アンタのお袋さんが生活のために先代の品物を売り払ったと聞いていたが、1つくらいは大事に残してあるだろうと俺は睨んでいた。その残してあった最後の品をついに出してくれたワケだ……」

ノリユキ「違うんです若狭屋さん」

若狭屋「待ちなノリユキさん。出した後にあーだこーだ言うのは無しだ。アンタがどう言っても俺はこれを買い取るよ。見なよノリユキさん、この観音様の慈愛に満ちた目を。大の大人のこの俺がついお久しぶりですと挨拶してしまったんだ。アンタの親父さんにしか作れない観音様だ。魂が入ってる」

ノリユキ「……」

若狭屋「さぁノリユキさん値段を言ってくれ。言い値で買い取るよ」

ノリユキ「…………そ、それは一分じゃ売れません」

若狭屋「当たり前だろ。その一分ってのはアンタの作品、あのカッパタヌキの値段だよ。俺はこの観音様の値段を聞いてるんだ」

ノリユキ「…………ね、値切らないでくださいよ!?」

若狭屋「だから値段を言いなって。値段を聞く前に値切るも何もないだろう。だから幾らなんだい?」

ノリユキ「…………さ、30両です!」

若狭屋「買った!! 30両だな!? 吐いた唾飲むなよ!?」

ノリユキ「……か、買ってくれるんですか!?」

若狭屋「当たり前だ。いいかいノリユキさん、今この観音様は30両だろ? それを俺がこれもってちょっと出かけて、見る人が見ればこの観音様の良さに気付いて、さすが若狭屋は良い品物を持ってるって話になるんだ。それで金持ちが聞きつけて、若狭屋その観音様は幾らだ? へぇ100両です、ってなもんで俺は70両儲けるんだ。それが骨董屋よ」

ノリユキ「……」

若狭屋「なんだいノリユキさん、泣いてるのかい? 安く買われて悔しいのかい? いいじゃないかたまには俺が儲けたって。見ろよアンタのガラクタつもりつもって幾らになるよ? たまには俺が儲けたって……」

ノリユキ「違うんです……嬉しくて……」

若狭屋「……嬉しい?」

ノリユキ「僕の彫ったものが30両で売れて……」

若狭屋「……ボクノホッタモノ?」

10: 2024/06/16(日) 07:42:05.217 ID:yaVNoeIL0.net
若狭屋「ノリユキさん、馬鹿にしちゃいけないよ。この若狭屋、アンタが作ったものと親父さんが作ったものの違いが分らないほど目は腐っちゃいないよ。銘を確認してやろうか? 親父さんの名前が彫ってあったら怒るぞ俺は」

若狭屋「…………浜野矩随」

若狭屋「ほ、本当にノリユキさんが彫ったのかい? だったらどうしてこんな立派な観音様が……」

ノリユキ「……実は──」

11: 2024/06/16(日) 07:43:35.875 ID:yaVNoeIL0.net
若狭屋「お袋さんにも氏ねと言われて、その形見に……そうか、そういう事か」

若狭屋「ノリユキさん、アンタのお袋さんは大した人だ。普通なら子の味方をするところを、氏に追いやって最期の仕事をさせた。見なよこの観音様。人間氏ぬ気になれば、という言葉があるが、それをやれる人間はなかなかいない。ノリユキさん、アンタは氏ぬ気でこれを彫ったんだ。だからこの観音様に魂が入ったんだ」

ノリユキ「そうですか、そうでしたか……」

若狭屋「お袋さんもこれを見て喜んだだろう? どんな様子だった?」

若狭屋「……なに? 30両で売れなかったら氏ねと言われて、家を出る前に水を分けて飲んだ……?」

若狭屋「バ、バカ野郎!! それは水盃だ!! どうしてお前はそう間抜けなんだ! 早く帰れ! お袋さん氏ぬ気だぞ!!」

ノリユキ「み、水盃!! そんな!!」

若狭屋「金は用意して持っていくから早く帰れ! 間に合わなくなるぞ!」 

12: 2024/06/16(日) 07:44:25.594 ID:yaVNoeIL0.net
――――

ノリユキ「母さん!!」

母「──」

ノリユキ「そんな! 母さん! 母さん!!」

ノリユキ「売れたんだよ! 30両で売れたんだ! 氏ななくて良かったんだよ! 母さん!!」

若狭屋「そんな……間に合わなかったのか……」

ノリユキ「母さん! 母さん……!」

――――

13: 2024/06/16(日) 07:45:44.693 ID:yaVNoeIL0.net
――――


若狭屋「さぁさぁいらっしゃい! あの名工、浜野矩随の作品も置いてあるよ! 今やあの父親浜野ノリヤスも越えたと言われる名工の作品だ!」

若狭屋「お、お客さん浜野矩随の作品を所望で? いやぁお客さんツイてるね! 今ならなんとあの浜野矩随の初期の作品、世にも珍しいカッパタヌキが置いてあるよ!」

若狭屋「お値段なんとお買い得品300両!!」
 

14: 2024/06/16(日) 07:50:13.849 ID:s2AoJFbQ0.net
若狭屋大儲けで草

15: 2024/06/16(日) 07:57:49.337 ID:yaVNoeIL0.net
YouTubeに本物の落語があるから気になったら見てほしい
このSSはかなり端折ってるから

引用: だいたいこんな感じ落語「浜野矩随(はまの ノリユキ)」