263: ◆NaJNx./DFI 2010/09/26(日) 16:40:54.51 ID:Yb/xWwAO
「あずさままー」

梓「はーい。」

「ういままー」

憂「あいちゃーん。あんまりお水に近寄ったらダメですよー。」

「うん!」

冬の冷たい潮風を物ともせず、砂浜を駆ける小さな姿。

梓「愛はホントにお母さん譲りのやんちゃさんだね。」

こちらに向かって、小さな手を一生懸命に振る愛に、憂が小走りに駆け寄りその小さな体を抱きよせる。

これは私達親子3人のある冬の日の物語。
高3!
265: 2010/09/26(日) 16:43:47.82 ID:Yb/xWwAO
程なくして、目的の場所である海辺の小さな食堂に辿り着く。

愛「おじーちゃん、おばーちゃん、こんにちは!」

出迎えた老夫婦は、毎年成長していく愛の姿に目を細めている。

梓「今年も御厚意に甘えさせて戴きに参りました。」

爺「こちらこそ、毎年来てくれて感謝していますよ。」

小さな愛の身体を愛しそうに抱き締めて、お婆さんが深い感慨を込めて告げる。

婆「愛ちゃんもこんな立派に大きく育って・・・。」

266: 2010/09/26(日) 16:44:55.90 ID:Yb/xWwAO
憂「春からは幼稚園の年長さんになります。」

婆「年々お母さんの・・・唯さんの面影が濃くなってきますね。」

憂「そうですね、私も時々幼かった頃の姉の姿と錯覚してしまいますね。」

愛「ういままないてるの?」

憂「あいちゃんには、そんな風に見えるのかな?」

愛「んーわかんない」

梓「ふふ、愛のそう言う不思議な感覚も正しくお母さん譲りだね。」

267: 2010/09/26(日) 16:46:04.15 ID:Yb/xWwAO
愛を憂に任せて、2階の部屋に向かう。

扉を開き、時間が停まったままのような毎年何一つ変わる事の無い室内へ足を踏み入れる、唯先輩がその最期の時を生きた部屋へと。

元から据え置かれていた家具を除けば、唯先輩の私物と呼べる物はほぼ皆無だったと言ってもいい。

僅かな衣類と、最小限の身の回り用品、そして深紅のギターだけが、唯先輩がここに居た証。

梓「唯先輩、今年もメンテに来ましたよ。」

用意してきたツールを取り出し、私は年に一度の仕事に取り掛かる。

268: 2010/09/26(日) 16:47:35.26 ID:Yb/xWwAO
機械的に作業を進めながら、様々な記憶が脳裏を過ぎる。

大学進学を機に一人暮らしを始めた唯先輩が、突如私達の前から姿を消したあの夏の日。

自暴自棄に陥りそうになる憂を守るためだけに生きた秋の日。

警察による失踪人探索が、唯先輩の氏という最悪の形で決着をみた冬の日。

そして、唯先輩がこの世界に残した最大の希望、それは産み月に満たない小さな命を、まるで己の全て捧げたかの様に最期の瞬間に産み落とした新たなる命。

今は愛と呼ばれる、唯先輩の忘れ形見にして、私と憂の最愛の娘。

269: 2010/09/26(日) 16:49:46.50 ID:Yb/xWwAO
愛「あずさままー」

階段を登ってきた愛が、私の背中に小さな身体を預けてくる。

梓「もうすぐ終わるから、お行儀良く待てるかな、愛?」

愛「うん」

私の隣りに座り興味津々な目で、産みの母の形見のレスポールを見る愛。

梓「愛もギターを弾きたい?」

愛「うん!ままみたいにひきたい!」

この「まま」は果たして誰を指しているのか…
産みの母を見た事が無い愛が、知っている訳が無いのを承知で疑問に思ってしまう。

270: 2010/09/26(日) 16:50:52.13 ID:Yb/xWwAO
梓「よし、完了。」

その声を待っていたかのように、愛が私に促す。

愛「ままのおうたひいて!」

これも不思議な話だけど、愛は生まれる前に聞いたという歌を「ままのおうた」と呼んで、よく口ずさんでいる。

梓「それじゃ、愛のリクエストにお答えしようかな。」

私は海を見渡す窓辺に腰掛け、弦を爪弾く。
愛を身籠もった唯先輩は、この食堂に住み込みで働きながら、夜になるとここに腰掛けギー太を爪弾いていたらしい。

きっと今の私の様に…。

271: 2010/09/26(日) 16:52:25.51 ID:Yb/xWwAO
私の爪弾きに合わせるかの様に、部屋に入ってきた憂が歌う。

憂♪筆ペンfu-fu 震えるfu-fu 初めて君へのwritten-time

正直助かるよ、歌は苦手だから。

憂♪君の笑顔想像して~

私達の歌を聞いていた愛が突然立ち上がると、押し入れを開けてなにやら中を探している。
そこには何も無かったけど?

暫くすると、愛は一通の大きめの茶封筒を持って出て来た。

愛「ままのおてがみだよ」

私と憂は歌を止めて、愛の手にするモノを見つめる。

272: 2010/09/26(日) 16:53:58.99 ID:Yb/xWwAO
愛「はい、ういまま」

憂「あ、ありがとう、あいちゃん。」

震える手で受け取った憂が中を調べると、入っていたのは何枚ものハガキと一冊のノート。

私達はハガキの宛名を一枚一枚確認する。

律先輩、澪先輩、ムギ先輩、さわこ先生、両親
そして、憂と私

それぞれの私信は読まずに、自分達へのハガキに目を通す。

そこに書かれていたのは、ありきたりな季節の挨拶と、謝罪の言葉、そして幸せに暮らしているという近況報告。

273: 2010/09/26(日) 16:55:06.39 ID:Yb/xWwAO
憂と二人でノートに目を通す。

いくつかの作詞と共に残されていたのは、唯先輩の日記のようなモノ。

真剣に恋をした事。
愛する人を病で失った事。
二人の愛の結晶を身籠もった事。
誰にも迷惑をかけたくない為に生まれた街を出た事。
この食堂での老夫婦と過ごした幸せな時間の事。

そして…生まれてくる子供の名前を「愛」と名付けようと思っている事。

274: 2010/09/26(日) 16:57:30.17 ID:Yb/xWwAO
窓辺を見ると、愛が小さな身体にギー太を抱えて、弦を爪弾く真似をしながら歌っていた。

愛♪きみがいないとなんにもできないよ きみのごはんがたべたいよー

参ったな…唯先輩、あなたはどうしてこんなに…。

私と憂はただ黙って泣いた…だって、なにも言葉はいらないから。

それを見た愛が目にイッパイの涙を浮かべて、私達の元へと駆け寄る。

愛「ういまま、あずさまま、なかないで」

私達3人は初めて一緒に泣いた。

唯先輩、あなたの娘は…愛は元気に育っていますよ。

275: 2010/09/26(日) 16:58:36.88 ID:Yb/xWwAO
私達3人は部屋を後にすると、食堂の老夫婦とお別れの挨拶を交わした。

婆「愛ちゃん、また来てね。」

愛「うん!」

爺「ギターは持って行かなくていいんですか?」

憂「はい、身勝手なお願いですがもう少しあの部屋に置いてあげて下さい。」

爺「私達は構いませんよ。唯さんは私達にとっても娘同然ですから。」

憂「本当にありがとうございます。」

梓「愛がもう少し大きくなってあのギターを弾けるようになったら…その時まで、お願いします。」

276: 2010/09/26(日) 17:00:42.22 ID:Yb/xWwAO
冬にしては、穏やかな波の砂浜を3人で手をつないで歩く。

見上げると、唯先輩が、私が、憂が、そして愛が見たあの窓辺。

また来年訪れた時もきっと変わらない風景。

唯先輩、私達は幸せに暮らしていますよ。


お し ま い

277: 2010/09/26(日) 17:07:39.15 ID:jk2WkkSO
せつねぇ……けど乙

引用: 唯「同じ窓から見てた海」