278: 2010/09/26(日) 18:00:06.22 ID:w9x.bGg0
憂「じゃあ帰るね、お姉ちゃん」

唯「うん、じゃあね憂」

憂は私に挨拶をすると、静かに扉を閉めた。

部屋の中は物音一つせず、部屋一面の白い色と相まって不気味な雰囲気さえ漂わせた。

布団の擦れる音が、私の心の悲鳴にも聞こえた。

窓の外を見ると、一面の海。

どこまでも続く海が、私を不安にさせた。

279: 2010/09/26(日) 18:01:01.57 ID:w9x.bGg0
病院というのはとても静かだ。

病人のことを思って静かで落ち着いた空気になっているのだろうけど、

それが余計に私の気持ちを陰鬱とさせた。

唯「はぁ・・・つまんないよ・・・」

病室で一人、私はつぶやいた。

私の病室は、今は私一人しかいない。

ナースコールや検査、面会や食事といったイベントが無い限り、私は一人だ。

281: 2010/09/26(日) 18:02:00.95 ID:w9x.bGg0
この海沿いの病院に私が入院したのは、景色が良いということからだった。

確かに景色はとても綺麗だ。

でも、私の心は、美しい景色なんかで満たされることはなかった。

唯「何で、こんな体に生まれちゃったんだろう・・・」

親を恨んでいるわけではない。

むしろ、親には良くしてもらって感謝をしている。

恨むとしたら、神様だ。

282: 2010/09/26(日) 18:03:19.59 ID:w9x.bGg0
生まれつき体の弱かった私は、ずっと入退院を繰り返している。

本当なら高校に行っている年齢なのに、私は学校に通えるほど強くなかった。

でも、両親や妹の憂、親友の和ちゃんがお見舞いに来てくれるときだけ、私は一人じゃなくなる。

他の入院患者さんが同じ部屋に割り当てられることもあったけれど、

いつも仲良くなる前にすぐに退院してしまった。

だから、私はいつしか特定の人以外とのコミュニケーションを避けるようになってしまった。

だって私には、お父さんお母さん、憂、和ちゃんがいるから。

そう自分に言い聞かせていた。

283: 2010/09/26(日) 18:04:40.95 ID:w9x.bGg0
ある日、私が一人で本を読んでいると、看護師さんが病室に入ってきた。

看護師「平沢さん、今日から同じ部屋のお友達ですよ」

唯「・・・はい」

また、新しい人が入ってきた。

でも、どうせすぐにいなくなってしまう。

仲良くなる必要なんてないと思った。

看護師「さ、田井中さん、挨拶して」

田井中「あ、田井中律です。平沢・・・さん、よろしくお願いします」

284: 2010/09/26(日) 18:05:45.19 ID:w9x.bGg0
新しく入ってきた子は、少し小柄な女の子だった。

年は・・・私と同じくらいだろうか。

カチューシャをつけ、オデコを出しているのが印象的だった。

看護師さんは、田井中さんに病室内の一通りのことを説明した後、部屋を後にした。


部屋には、私と田井中さんの二人。

私は、本を読むことに集中した。

しばらく本を読んでいると、田井中さんが私に話しかけてきた。

285: 2010/09/26(日) 18:06:33.03 ID:w9x.bGg0
田井中「平沢さんって・・・年いくつなの?」

仲良くなるつもりは無くても、険悪な空気を漂わせるつもりもない。

私は暗いトーンで返した。

唯「・・・15歳だよ」

田井中「えっ、マジ?私と同じだぁ」

田井中さんは嬉しそうに私のほうを見て笑っていた。

・・・見ず知らずの人の笑顔を見たのは、久しぶりだった。

286: 2010/09/26(日) 18:08:06.81 ID:w9x.bGg0
田井中「平沢さんって、ずっとこの部屋で入院してるんだって?」

年齢の次の質問は、ずいぶんと失礼なものだった。

どうやら少し無神経な人らしい。

私は少しムッとした表情で顔を背けた。

田井中「あ、悪い、失礼だったな。好きで入院してるわけじゃないもんな・・・・・・ごめん」

悪い人では、無いらしい。

唯「・・・いいよ、気にしてないから」

田井中「そっか、サンキューな。でも、同い年ってなんか嬉しいよ」

今まで入院してくる人は、大抵暗い雰囲気の人が多かった。

でも田井中さんは、とても明るく、元気な人だった。

それが、とても新鮮に感じられた。

病室の空気も、明るくなった気がした。

287: 2010/09/26(日) 18:09:57.64 ID:w9x.bGg0
唯「・・・私は、生まれつき体が弱くて、ずっと入院してるの」

唯「クーラーも苦手で、体力も無いから、とてもじゃないけど学校なんて通えないよ」

私自身、自分の発言に少し驚いていた。

だって、まだ会ってから数十分の人に、自分の話をするなんて。

それは、田井中さんの不思議な魅力に、すでに取りつかれていたからかもしれない。

私が他人に興味を持つなんて、いつ以来だろう。

私は田井中さんのことを、もっと知りたくなっていた。

唯「じゃあ私も聞くけど、田井中さんは・・・・・・なんで、入院したの?」

288: 2010/09/26(日) 18:11:25.37 ID:w9x.bGg0
田井中「私も・・・それほど体が強いほうじゃないから」

田井中「多分、平沢さんほどじゃないけど、今まで何度も入退院を繰り返してる」

田井中「でも、中学に入ってから、少しずつ体も成長してきて、入院回数も減ってるんだ」

田井中「お医者さんにも、今回で入院を最後にしましょうって言われててさ・・・」

似たような境遇だった。

私も、最近は体の調子が少しずつ良くなっていた。

多分だけど、田井中さんと私は、同じような体の構造なのかもしれない。

それが、何となくだけど、嬉しかった。

289: 2010/09/26(日) 18:12:40.95 ID:w9x.bGg0
田井中「あ、あとさ、私の呼び名なんだけど・・・律でいいよ」

唯「えっ・・・でも・・・」

田井中「何か苗字で呼ばれるの、距離を感じて寂しいからさ、同じ部屋同士、仲良くしようぜ」

私は知り合い以外で仲良くするつもりなんてなかった。

でも、田井中さんを前にすると、そんな考えが馬鹿馬鹿しくも思えたのだった。

唯「・・・うん、でも・・・どうせ仲良くするなら・・・・・・あだ名で、呼びたいな」

唯「・・・・・・・・・りっちゃんって、呼んでもいい?」

律「おう!じゃあ私もあだ名で・・・えーっと・・・・・・」

唯「・・・・・・私の下の名前は、唯だよ」

290: 2010/09/26(日) 18:13:42.07 ID:w9x.bGg0
律「唯・・・ゆい・・・・・・うーむ・・・・・・・・・・・・・・・ゆ、ゆーちゃん・・・?」

唯「・・・」

なんかしっくり来なかった。

律「だー!今のナシ!やっぱり考え直す!!」

田井中・・・もといりっちゃんは、うなりながら考え始めた。

律「・・・・・・平沢さんって、普段なんて呼ばれてるの?」

唯「えっ・・・えーっと・・・」

普段、何て呼ばれているか。

友達・・・と言える人は和ちゃんくらいしかいなかった。

唯「・・・普通に、唯、かな」

291: 2010/09/26(日) 18:14:48.44 ID:w9x.bGg0
律「そっかー。やっぱりそうだよなー」

りっちゃんは一人納得したように言った。

律「唯ってすげー良い名前だしな。唯は唯だよ」

律「というわけで、これから唯って呼ばせてもらってもいいか?私の頭じゃ思いつかん!」

妙なテンションで同意を求められた。

唯「・・・うん、よろしくね、りっちゃん」

私に、新しい友達が出来た。

292: 2010/09/26(日) 18:16:19.65 ID:w9x.bGg0
それからというもの、病室内の雰囲気は見違えるほど明るくなった。

私はりっちゃんと飽きる暇も無くお喋りを続けた。

何と、私とりっちゃんが、同じ高校に「所属」していることも知った。

ただ私は一度も通えたことは無く、りっちゃんもほとんど登校したことがないらしい。

また一つ、りっちゃんとの共通点を見つけて、私は嬉しかった。


喋りすぎて具合が悪くなって注意されることもあった。

そのくらい、りっちゃんと同じ時間を共有することが、楽しかった。

私のお見舞いに来てくれた人は、私の様子を見て、口を揃えてこう言った。

『明るくなったね』

病室の雰囲気が明るくなったのか、私自身が明るくなったのか。

とにかく、りっちゃんのおかげで、全てが良い方向へと動き出していた。

293: 2010/09/26(日) 18:17:26.84 ID:w9x.bGg0
数日後


いつものようにりっちゃんとお喋りをしていると、ノック音が聞こえた。

女「失礼します」

入ってきたのは、一人の女の人だった。

年齢は私たちより、少し上にも思えた。

律「お、澪、来てくれたのか」

澪と呼ばれた女の人は、りっちゃんを見ると笑顔になり、りっちゃんの近くに腰掛けた。

澪「律、具合はどうなんだ?」

律「あー、いい感じだよ」

どうやらこの二人は、友達のようだ。

294: 2010/09/26(日) 18:18:42.95 ID:w9x.bGg0
二人は雑談を始めた。

盗み聞きをするわけではないが、自然と二人の会話に耳を傾けた。

・・・話の感じだと、この二人は、古くからの親友らしい。

私と和ちゃんみたいなものかもしれない。

そんな二人の会話を、私が聞いていいものかと思い、私は窓の外へ目を向けた。

そこには、いつもの景色である、広大な海が広がっていた。

295: 2010/09/26(日) 18:20:22.31 ID:w9x.bGg0
・・・・・・
・・・・
・・


澪「じゃあ私はそろそろ帰るな」

律「おう、今日はありがとな」

澪「無理しようとするなよ。約束なんて、破ったくらいじゃ怒らないから」

澪さんは立ち上がると、出入り口のほうではなく、私のほうを見た。

澪「あ、あの・・・どうもお騒がせしました。すみません・・・」

そう言うと、澪さんは私に頭を下げた。

お騒がせしたというのは、りっちゃんと喋っていたことだろうか。

突然のことで、私はとっさに反応が出来なかった。

唯「えっ・・・あ・・・えと・・・」

律「だー澪はクソ真面目だな。大丈夫大丈夫、唯は私の友達だから。だから澪はさっさと帰った帰った」

澪「わ・・・分かったよ。じゃあ、失礼しました」

扉が閉まり、部屋はまた、私とりっちゃんの二人になった。

296: 2010/09/26(日) 18:21:18.91 ID:w9x.bGg0
律「今のは、私の幼なじみで、秋山澪っていうんだ」

唯「・・・仲、良さそうだったね」

律「まー昔っからの腐れ縁だなー。家も近いし、いっつも一緒だったよ」

唯「そうだったんだ・・・」

しばらくの間、私とりっちゃんは沈黙していた。

そして、りっちゃんは静かに口を開いた。

律「・・・唯、私たちの話・・・聞いてた?」

唯「・・・ううん、聞かないようにしてた。二人に悪いから」

297: 2010/09/26(日) 18:22:08.42 ID:w9x.bGg0
律「そっか・・・」

再びの沈黙の後、りっちゃんはこう言った。

律「唯に、聞いて欲しい話があるんだ」

唯「・・・何?」

りっちゃんは、寂しそうに、でも少し嬉しそうに、語りだした。


律「私な、もうすぐ退院するんだ」

唯「・・・」

やはり、りっちゃんも、私から離れていってしまうんだ。

律「だから、もうすぐ唯とは、お別れになってしまうかもしれない」

298: 2010/09/26(日) 18:23:22.27 ID:w9x.bGg0
律「で、ここからが本題なんだ」

唯「本題・・・?」

私にとって、りっちゃんが退院してしまうこと以上に重要なことは、心当たりが無かった。

律「私、澪にある約束をしてたんだ」

律「中学の頃、高校に入学したら、一緒に軽音部に入ろうって、澪に持ちかけててさ」

律「実際高校に入って、軽音部を作ろうと思ったんだけど、私が体調を崩しちゃって」

律「で、軽音部は結局出来なくて・・・澪も、部活に入るタイミングを失っちゃって・・・」

唯「・・・」

悪いけど、りっちゃんの言ってることがよく分からなかった。

私は、澪さんとは面識が無い。

何故りっちゃんは私に、こんな話をするのだろう。

299: 2010/09/26(日) 18:24:21.70 ID:w9x.bGg0
律「でも、私は退院して復学したら、軽音部を作ろうと思う」

律「澪とはずっと約束してたんだ。私がドラムで澪がベースで、バンドをやろうって」

律「だから私は、その約束を守るためにも、退院しなくちゃいけない」

りっちゃんと澪さんの間には、私が入り込んではいけない領域がある気がした。

唯「・・・うん、りっちゃんが良くなったなら、それはすごく良いことだよ」

律「・・・そこで唯、一つ、お願いがあるんだ」

唯「お願い・・・?」

りっちゃんは私の目を見て、こう言った。

律「唯にも、軽音部に入って欲しい」

300: 2010/09/26(日) 18:25:40.14 ID:w9x.bGg0
唯「えっ・・・私が・・・?」

律「ああ、私たちと一緒に、音楽やろうぜ」

唯「でも、私、一回も高校行ったことないし・・・」

律「もちろん退院してからでいいさ。元気になってからの話だよ」

唯「楽器だって・・・ハーモ・・・カスタネットくらいしかできないよ?」

律「大丈夫。私たちが教えるさ。誰だって最初は初心者だ」

唯「でも・・・・・・」

律「唯、頼む。・・・私は、親友と、音楽がやってみたいんだ」

真剣な眼差しで、りっちゃんは、私のことを、親友と言った。

301: 2010/09/26(日) 18:26:26.17 ID:w9x.bGg0
唯「・・・りっちゃん、私・・・部活に誘われたのなんて、初めてだよ・・・」

唯「昔から体が弱くて、部活なんて、考えたことも無かった・・・」

唯「・・・本当に、私なんかで、いいの?澪さんとの間に・・・私なんかが、入っていいの?」

律「・・・唯だから、誘ってるんだ。唯と私と澪で、一緒に笑いあいたいんだ」

唯「りっちゃん・・・・・・・・・」

生まれて初めてのことで、私は様々な感情があふれ出した。

その感情を処理するためには、ただただ涙を流すしかなかった。

302: 2010/09/26(日) 18:27:24.33 ID:w9x.bGg0
数週間後


いよいよ、りっちゃんの退院の日が明日に迫っていた。

律「もうすぐ、一時お別れだな・・・」

唯「うん・・・」

律「・・・でも、退院しても、唯とは友達だからな」

唯「・・・私も、りっちゃんのことは忘れないよ」

律「何だよ、今生の別れみたいなこと言うなって」

唯「でも、やっぱりちょっぴり寂しいから・・・」

私は窓の外を眺めた。

そこにはいつもと変わらない、広大な海があった。

303: 2010/09/26(日) 18:28:07.63 ID:w9x.bGg0
唯「・・・私も、早く退院したいな」

律「唯・・・」

りっちゃんは、私の隣に腰掛け、窓から外を眺めた。

律「唯、ずっと、待ってるからな」

唯「・・・うん、絶対行くから。だから、もう少し待ってて」

海を眺めながら、私たちは約束を交わした。

304: 2010/09/26(日) 18:29:39.12 ID:w9x.bGg0
唯「・・・私、部活ってやったことないから分からないんだけど、合宿とかって、行くのかな」

律「合宿か・・・行けたら、いいよな」

唯「うん、私、行くなら、海に行きたい」

律「海?何で?」

唯「この、りっちゃんと一緒に見ていた景色を、思い出したいから・・・」

律「・・・そっか」

私とりっちゃんは寄り添って、同じ窓から海を眺めた。

広大な海は、太陽の光を反射させ、キラキラと輝いていた。

305: 2010/09/26(日) 18:30:59.54 ID:w9x.bGg0
唯「海でいっぱい遊んで、真っ黒になるまで焼いて、お風呂で痛い痛いって言いながら、笑いたいな」

律「ははっ、それは私たちの体じゃ無理だな。でも日焼けしやすい人って、大変だろうなぁ」

唯「で、軽音部だし、海沿いの小屋でいっぱい練習して、ヘトヘトになるまで演奏して・・・」

律「海沿いで演奏できる家なんて、超金持ちしか持ってないだろ。・・・でも、すごくそれ、楽しそうだな・・・」

唯「想像するだけなら自由だよ、りっちゃん」

律「そうだな、そうなったら、最高だな・・・」

その日、私たちは、最高の青春の日々の妄想をぶちまけ合った。

307: 2010/09/26(日) 18:31:54.08 ID:w9x.bGg0
翌日


りっちゃんの元へ家族がやってきて、りっちゃんは病室を出ることとなった。

律「じゃあ、またな、唯」

唯「うん、今度は学校でね、りっちゃん」

私たちは深く言葉を交わさなかった。

まるで、学校の帰りに途中で別れる友達同士のように、あっさりとした別れだった。

りっちゃんは一度も振り返ること無く、病室を後にした。

病室には、私一人が残された。

308: 2010/09/26(日) 18:33:12.07 ID:w9x.bGg0
でも、私にりっちゃんと会う前の不安はもう無かった。

退院しても、私には居場所がある。

そう思うだけで、世界は希望に満ちているように感じた。

りっちゃんとの約束を守るためにも、一刻も早く、退院がしたいと思った。

唯「・・・待っててね、りっちゃん。私、絶対良くなってみせるから」

私は窓から外の景色を眺めた。

広大な海は、まるで、私の未来を見ているかのようだった。





終わり

309: 2010/09/26(日) 18:44:46.88 ID:QVcdSVco

引用: 唯「同じ窓から見てた海」