1: ◆jVYAigOtyU 2011/08/15(月) 22:06:43.18 ID:vCfH7hl3o
・たぶん一方禁書スレ
・糖度はあまり高くない予定
・地の文形式
2: 2011/08/15(月) 22:07:17.14 ID:vCfH7hl3o
――たった一度だけ、自分の立場を厭わしく思ったことがあった。
十万三千冊の魔道図書館、禁書目録。
イギリス清教がその身の内に孕む必要悪。
その最大たる申し子にして最悪なる切り札。
それはイギリスという国が今の姿を保ち続ける限り、きっと誰かが背負わねばならぬ咎なのだろう。
むしろそれが自分であることに幸福と誇りを覚えよ。
それが敬謙な十字教徒たる自分に定められた運命だと理解しつつも、
空腹に耐えかね腐敗した得体の知れぬものに手を付けた時――どうしたって憾みの言葉を零さずにはいられなかった。
もしかしたら過去の自分はもうすでに幾度となく、もしかしたら呪いの言葉さえ吐いたのかもしれない。
それを覚えていないというのは、幸福なことなのだと思う。
――たった一度だけ、もう二度と忘れることが出来ない己を厭わしく思ったことがあった。
赦されないことだ。
自分を救うために一体何人の血が流れたのか。
何人が涙を流してくれたのか。
何が、失われたのか。
これから積み重なってゆく幸福も、不幸もすべて自分は抱えてゆける。
それは代えがたい幸せであり大切な人々が与えてくれた大切な宝物だ。
だけどどうしたって彼の視線の意味を理解した時、
禁書目録は――インデックスはその思いを抱く自分を止めることができなかった。
忘却は人間がもつ防衛機能の一種である。
ならば、それを持たぬ自分は。
あの日芽生えた苦しみを一生抱えていかねばならぬ自分は、もしかしたら――不幸なのかもしれない。
3: 2011/08/15(月) 22:07:43.48 ID:vCfH7hl3o
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「おーい、インデックス。メシ出来たぞー! テーブルの上、片してくれー」
ジュウジュウと熱の余韻が冷めぬ音と共に耐え難い芳しい薫り。
そして朗らかな少年の声が狭いワンルームに響き渡った。
「はーい!」
はぜる音と柔らかな声。
なんと幸福な音なのだろうか。
少女は特徴的な輝く銀の髪を揺らして少年に負けず劣らず元気な返事を返してこっそりと笑った。
少女の名前はIndex-Librorum-Prohibitorum。
禁書目録――少年がインデックスと呼ぶイギリス清教のシスターさんである。
科学の都である学園都市では大変珍しい存在である彼女は、
とある事情で現在不幸な高校生上条当麻の家に居候中なのだ。
彼女はとても機嫌がよかった。
何故ならつい先程台所に偵察にいった結果、今日の晩御飯は豚の生姜焼きであることが判明したからだ。
いつも火の車一歩手前の煙りの上がった上条家では、肉が食卓に上ること自体大変レアな出来事である。
無意識に漏れるのはテンポの良い鼻歌。
インデックスのテーブルを拭く手つきも自然と楽しげで、彼女の内心の期待を力一杯表現していた。
「今日は豚の生姜焼きと山盛りキャベツだー!!」
「やったー!」
威勢の良い歓声と共に上条の手によって運ばれて来たのは果たして、期待通りの飴色。
醤油の香ばしい匂いと共に漂う生姜の薫りが実にエクセレント。
添えられたシャキシャキ千切りキャベツがまた絶妙な彩りを加え、
肉から垂れた汁に浸ってしんなりと茶色く染まっているのもまた素晴らしい。
予想通りの僥倖にインデックスはそれこそ飛び上がって喜んだ。
4: 2011/08/15(月) 22:08:14.71 ID:vCfH7hl3o
「珍しいね! とうま、何かいいことあったの?」
「いやー。聞いてくれよインデックス! 今日帰り御坂に会ってさー。
極貧の上条さんを哀れに思ったのか、色々奢ってもらっちゃったんだよな」
「……短髪に?」
だが上がったはずのテンションもすぐにダダ下がり。
くい、と下がったインデックスの声のトーンに上条当麻は気がつかなかったらしい。
「おう。さすが常盤台のお嬢様は違うよな。
あいつ、なんかまた一緒に申し込んで欲しいキャンペーンがあるらしくってさ。借りを作るのは嫌だから、だと。
まあ、奢ってもらった金額に比べたら安いもんだよ。
この愛玩奴隷上条当麻、何処までも美琴様についていきますー、ってな」
返す上条の声はあくまで普通で、まるでなんでもないことのように聞こえた。
このギネスに載っても恥ずかしくないほどの鈍感野郎め。
何が悲しくて好きな男の他の女とのデート風景を聞かされねばならぬのか。
己の安易な質問を今更悔いてこっそりと心中で毒づく。
インデックスはぷくっと頬を子供っぽく膨らませると、
芳しい薫りに気を取られつつもなんとか乙女のジェラシーを保ったまま上条を睨みつけた。
「……あれ、インデックスさん、もしかして怒ってます?」
「怒ってないもん!」
そこに込めた少女の無言の主張はやはり汲み取られることはない。
仕方がないことだ。
上条当麻の救いようのない鈍さは何も昨日今日始まったものではない。
もう一年以上も前になるベランダでの邂逅から二度の氏を以ってしてなお、彼は鈍感だった。
バカは氏んでも治らないらしいが鈍感も氏んでも治らないらしい。
5: 2011/08/15(月) 22:08:47.43 ID:vCfH7hl3o
正直慣れた。
インデックスの本音を言葉にするならばそう表現するのが的確だろう。
たとえ今もずっとこの身を焦がす恋心に気がついてもらえなくとも、
インデックスは上条当麻とこうして一緒にいることができる。
それが幸せなのだ。
もしかしたらそれは事実としての勝利者たるインデックスの余裕の現れなのかもしれない。
だが少なくとも少女は彼とのこういうやり取りが嫌いではなかった。
「……噛み付かないのか?」
「け、敬謙な修道女は子羊に噛み付くなんてはしたないこと、そう簡単にしないかも!」
ぷい、とそっぽを向いたインデックスの顔は赤い。
「あれだけさんざん噛み付いておいて、今更はしたないとか言われてもな」
「……とうまはもしかして噛み付かれたいのかな?」
「め、滅相もございません!」
この日常がどうしようもなく幸福なのだ。
学園都市は今、どうしようもなく平和である。
夏に始まり夏に終わった物語から、早いものでもう二ヶ月もの月日が経とうとしていた。
秋も深まったこの季節がインデックスは好きだ。
実る季節は幸せの予感を感じさせ、緑から赤へと変わる世界は寂寥と共に自然の大きさを彼女の前に知らしめた。
それは緑の少ない学園都市であろうとも同様だ。
そして何より飯が美味い。
――いや、そうじゃなくて。
湧き出す煩悩を振り払って脱線しそうになる思考を戻す。
6: 2011/08/15(月) 22:09:13.63 ID:vCfH7hl3o
科学の中心を漂っていた思惑は行き先の見えぬ世界に価値を見出だし、硝子の外へと姿を消した。
魔術の片隅に巣食っていた思惑は時代の変化を認め、その輝きを何処かへと消し去った。
そのどちらにも属さない世界に潜んでいた思惑は他者との共生を選び、日常へと溶けて行った。
世界の不幸という幻想をぶち頃す少年がいる。
少女が待ち続けた少年。
少女に世界を与えてくれた少年。
つまりその少年が守った世界と言うのは、どんな季節であれ少女にとって最高に美しい。
インデックスは今、とても幸福であった。
とは言え、一を手に入れれば十を求めるのが人間である。
インデックスは最近特に自分の浅ましい思いを強く認識する。
こんなに恵まれた自分。
穢れを背負いながらも救いを与え続けられた自分。
これ以上望むべく幸運などあるはずがないのに。
どうしたって少女の心が渇望するのは至上の贅沢。
つまりインデックスという年頃の少女は上条当麻との関係の変化。
もっとはっきりと言葉にするならば進展が欲しいのだ。
だけどこの欲求はいつだってたった一つの言葉に帰結する。
自分は修道女だ。
たとえ修業中の身であると言い訳をしようとも。
たとえ心の自由が許されようとも。
どうしたって越えられぬ一線があった。
インデックスには立場と役割を捨てることなど、到底出来ない。
だから二人はずっとこのまま過ごしてゆくのだろう。
狭い学生寮で二人きり。
笑い合って、時には喧嘩して、不幸だと嘆いて。
それでも二人はずっと幸せ。
その、はずだったのに。
7: 2011/08/15(月) 22:09:41.30 ID:vCfH7hl3o
◇ ◆ ◇
8: 2011/08/15(月) 22:10:07.16 ID:vCfH7hl3o
「あれ、御坂じゃないか」
「あっ、短髪!」
学園都市が最も賑わう時間の一つ、週末のお昼時。
上条のどこか弾む声に反応して、インデックスはむっとしたで口調でその少女を呼んだ。
「アンタねぇ……。いい加減私の名前、覚えなさいよ」
かつて何度も少年に向けられた呼び名の改名を求める声は、最近もっぱら銀髪の少女の方に向けられている。
艶やかな茶髪を風に揺らして振り返った少女は学園都市第三位、御坂美琴その人であった。
常盤台の冬服に身を包んだその姿は一年前から少しだけ大人っぽくなって相変わらずの美少女ぶりを保っている。
――そして胸の大きさも保っている。
「短髪の名前くらい覚えてるんだよ。私の記憶力をなめないで欲しいかも」
でも短髪は短髪だから。
よく分からない理論を振りかざすインデックスの口調はツンツンしながらも、心中はけして不快ではなかった。
彼女は上条当麻を廻る宿敵ではあるけれども同時に同じ道を歩む同志でもある。
それにビリリと強気な鎧の中に女の子らしさを閉じ込めた彼女のパーソナリティを
インデックスはそこそこ気に入っているのである。
もちろんだからといって乙女の勝負事に手心を加えるかといえば、それはまた別の問題なのだけれども。
みゃあと腕の中で三毛猫が暴れだそうとするのを無理矢理抱え込んで、インデックスは御坂の元へと駆け寄った。
往来に煌めく銀髪に周囲を歩く学生達の何人かが振り返る。
この学園都市で神秘的な輝きが見られるようになってからもう随分経つが、それでもインデックスの華やか、
かつ珍妙な容姿は人目を惹いた。
「短髪、今何してるの?」
「んー、友達にフラれちゃったから一人でブラブラ買い物してたんだけど」
「あ、それなら……」
「今からとうまとご飯食べに行くんだよ! 短髪もまだなら一緒に行こうよ」
何かを言いかけた上条の言葉を遮る。
続く言葉の予想はついていたから、結果そのまま彼から台詞を奪い取るような形となった。
上条から御坂を誘ったという事実を作らないための牽制の意味も持っていたのはちょっとした乙女の秘密。
9: 2011/08/15(月) 22:10:48.90 ID:vCfH7hl3o
もちろん御坂と食事を共にしたかった事実は嘘ではない。
彼女たちの関係は一年という期間を経て好敵手と呼ぶに相応しい間柄へと進化している。
その関係はある種友情と呼べるものですらあった。
「いいわね。行く行く!」
もちろん御坂に断る理由などあるはずもなく、
三人になった二人は一路ファミリーレストランに向かう為に再び歩き出す。
その足取りは歩幅こそそれぞれ違うものの楽しげなのには変わりが無かった。
「それにしてもアンタたちが外食なんて珍しいわね。いつも金欠だのなんだの喚いている癖に」
「御坂のおかげだよ」
「えっ、私?」
「この前のあのご恩っ! 上条さんはけして忘れてませんのことよ!!
あれのおかげで今月の食費随分と浮いてさー。久々に贅沢しようぜってなったんだよ。
いやー、ホント美琴サマには感謝してもしきれないぜ」
そこで貯金、とならないのが実に上条らしい。と御坂が思ったかどうか。
ニコリと上条に微笑みかけられた御坂の頬は赤い。
相変わらず赤面症の治らない初心な少女に、
インデックスはいささか呆れた視線を向けながらさりげなく上条の隣に移動した。
「とうま、ちゃんと短髪にお礼したの?」
「おー。デザート一品くらいなら奢るぞ」
「べっ、別に、そもそもあれは私の方がかっ、借りを作りたくないからやった事で……!
あっ、ああああアンタに奢ってもらっちゃったら意味ないじゃない!」
「いや、でも割に合わないだろ? むしろそれでも足りないくらいだし」
「だぁかぁら! この私がいいって言ってるんだからいいのよ!
そ、そんなことより約束、忘れないでねっ!!」
「当たり前だろ」
「……う、うん。忘れないならいいのよ、うん……」
10: 2011/08/15(月) 22:11:17.67 ID:vCfH7hl3o
上条の意外に真面目な口調を予想していなかったのかもしれないし、
そういう返答を予想しながらも赤面せずにはいられなかったのかもしれない。
とにかく御坂は耳まで赤くなって、それからもごもごと口を動かしたあと妙に口数が少なくなってしまった。
それをおもしろそうに眺める上条を、さらにインデックスは眺める。
自分と上条の関係が相変わらずならば、この二人の関係も相変わらずだと思う。
いや、昔に比べたら御坂は随分と素直になった。
上条と御坂の共通の知り合いからすれば御坂の思いなど周知の事実。
昔御坂が己の感情が周囲にダダ漏れだったと気がついた時には一悶着があったが、
いざバレてしまえばいくら素直じゃない人類代表の彼女とて開き直らずにはいられなかったのだろう。
だがその何もかもが上条の鈍感さの前では無力だ。
――ままならないな。
なんて、ままなってしまったら何より自分が困ることを棚に上げてインデックスは呟く。
その呟きは誰にも聞かれることなく虚空へと消えていった。
26: 2011/08/18(木) 22:52:17.69 ID:FhNTtJKdo
そして一行は行きつけのファミレスへと辿り着く。
さりげなく同伴している三毛猫はインデックスのごり押しにより実現された特別措置だった。
もっともスフィンクスが大人しいがゆえ許された幸運と言えるだろう。
「おっ、上条じゃねぇか」
人間三人と猫一匹。
いつものように自動ドアをくぐると、軽快な電子ベルの音と共に男の声が鳴り響いた。
そもそもここが彼らの行きつけである理由はかつての戦友達との待ち合わせ場所によく使われていたからであり、
つまりだいたいどの時間に行こうとあの事件に関わったメンバーがいるということだ。
そしてどうやら今日は当たり日であったらしい。
声の発信源に見知った顔をいくつか見つけて上条の顔が自然と綻んだ。
浜面仕上に滝壺理后。
明らかに痛んだ金髪ブリーチ髪のどう見てもチンピラ男に、ピンクジャージの天然系美少女。
彼らもまた上条と共に事件を乗り越えてきた仲間である。
いつも引き連れているアイテムのその他二人や金髪幼女は今日はいないようだった。
いわゆるデート、というやつだろうか。
ファミレスでデートとは未だに庶民臭の抜けない二人である。
主に浜面の責任で。
「よう、浜面」
「御坂にインデックスちゃんも。久しぶりだなぁ」
「浜面さん、滝壺さん。ひっさしっぶりー」
「みさかは相変わらず元気そうだね」
気楽に挨拶を交わしながら滝壺と向かい合って六人掛けの手前の椅子に座っていた浜面は
自然な動作で滝壺のいる奥のソファへと席を移した。
どうやら相席しよう、という主張のようだ。
――いやいや、二人のデートの邪魔なんてできません。
だなんて色んな意味で鈍いこの三人組が気など利かせられるわけもなく。
どやどやと三人組は上条を挟むような形で空いた椅子に収り、途端、和やかな会話が発生した。
内容はもっぱら再会を懐かしむ声だった。
27: 2011/08/18(木) 22:53:00.19 ID:FhNTtJKdo
「いやー。上条とは最近あったばっかだけど、御坂とは結構久しぶりだな。
インデックスちゃんに最後にあったのはもっと前だったっけ。
なんかちょっと見ないうちに二人とも可愛くなったな」
「はまづら……鼻の下のびてる」
「うえっ!? 伸びてませんよ!?」
「あはは。相変わらずだね、二人とも」
「見事なまでの尻に敷かれっぷりだな」
「……上条だけには言われたくねぇ」
「えっ、何で!?」
浜面が気持ちの悪い笑顔で増えた女性陣を見遣れば、滝壺が妙な威圧感を出して釘を刺す。
だいたい彼女の前で他の女を褒めるとは何事か。
笑う御坂は楽しそうで、理不尽に火の粉が飛んできた上条は不満げだ。
インデックスはその光景をニコニコと眺めて、そっと手元のメニューへと視線を落とした。
腕の中に抱えたままのスフィンクスがごろごろと喉を鳴らして少女にじゃれつく。
「御坂も大変だよな―。上条がこんなんだから」
「こ、こんなん?」
「べべべべべ別に私はっ!!」
そのインデックスの微笑みに何処か寂しげなものが混じっていることに気がつく者は誰もいない。
28: 2011/08/18(木) 22:53:29.24 ID:FhNTtJKdo
――待っててほしい。
そう言ったのは上条だった。
インデックスが待っていてくれるなら絶対に帰って来られるから。
そう言われた時は純粋に嬉しかったのを今でもよく覚えている。
自分の預かり知らぬところで上条が傷ついていることがあれほど嫌だったはずなのに、
何故自分はその言葉に頷いたのか。
わがままを言って上条に嫌われたくなかったのだろうか。
それとも純粋に自分では足手纏いになると自覚していたのだろうか。
もしかしたら何も知らないで待ち続けるお姫様のようなポジションに憧れを抱いていたのかもしれない。
いくら考えてもそれは自分にさえわからぬ、もう『終わってしまった出来事』だ。
そして御坂美琴はインデックスとは違い、ついて行くことを選んだ。
その選択を、その結果を後悔しているのかと問われれば正直わからない。
上条は約束通りインデックスの元へと帰って来たし、二人は変わらず一緒に居続けている。
だがあの事件が終わったその時から何故だろうか。
インデックスは時折壁の存在を感じるようになった。
幸福なはずの自分を見下ろす高い高い壁。
浜面は、滝壺は、そして御坂は、インデックスの知らない上条当麻を知っている。
いくら他人からヒーローたる上条の姿を伝え聞いても、
その溝はけして埋まることなく二人の間に存在しているような気がして。
それが大きな疎外感へとなってインデックスを痛め付けるのだ。
「何をそんなに焦ってんだよ? またこの前みたいに舌噛むぞ」
インデックスはいつから上条がこんな柔らかい声で御坂を呼ぶようになったのか、知らない。
「かっ、噛まないわよ!」
「涙目になってる御坂、レアだよな」
「しょうがないじゃない! めちゃくちゃ痛かったんだから!」
「あははっ」
インデックスはいつから二人がこんな風に笑い合うようになったのか、知らない。
29: 2011/08/18(木) 22:54:27.32 ID:FhNTtJKdo
――結局インデックスは待つことを選んだ自分を後悔しているのかもしれない。
自嘲気味に笑って腕の中のスフィンクスをそっと撫でる。
にゃあ、と小さく鳴く猫ですらも襲う睡魔に夢中で少女のことを見ようとはしなかった。
愚かな考えだ。
かつて己の中に存在していたもう一人の自分に似た冷たい声が心中に響き渡る。
こうして上条が側にいる以上、その先は望むことは出来ないのだと何度も言い聞かせた筈なのに――。
「インデックス?」
びくりと肩が揺れた。
彼女を引きずり込む暗い昏い沼を一瞬で干上がらせる柔らかな声。
インデックスは顔をがばりと上げて翡翠色の瞳を瞬いた。
「え?」
「え、じゃなくて。さっきから熱心にメニュー見てるけど、頼むもの決まったのか?」
いつの間にかインデックスを映す瞳は0から8へと大増量していたらしい。
インデックスは居心地の悪さを感じて、内心の動揺を気取られないよう必氏にいつもの自分を演じた。
「ま、まだなんだよ。このビーフシチューも美味しそうだけど、ハンバーグも捨て難いかも」
「どっちも、とかは無しだからな」
「むう。私だって遠慮という言葉は知ってるんだから」
ぷくっ、と頬を膨らませてぷいっ、とそっぽを向く。
「……インデックスちゃん、よく食うもんなぁ。とても人間とは思えないくらい……あ、あはは」
ついでにさりげなく人外扱いしようとした浜面を威嚇すると、
インデックスは今度こそ本当に昼食を選ぶべくメニューに没頭した。
31: 2011/08/18(木) 22:55:06.55 ID:FhNTtJKdo
悩むのは止めよう。
不毛だし、何より自分らしくない。
そう言い聞かせて未だ中で渦巻くドロドロを振るい落とす。
それはただ単に見たくないものに蓋をするだけの行為ではあったが、効果は抜群だった。
「私はいくら食べても太らないアンタが羨ましくてしょうがないわよ」
食い入るように写真の品定めを始めたインデックスの耳に呆れたような御坂の声がそっと届く。
――まあ、大食いは大食いでそれなりに悩みはあるのだけど。
だいたい事あるごとに奇異の目を向けられるインデックスのどこを見てこの少女は羨ましいなどと言えるのか。
その呟きを受け流してそっと指先でメニューをなぞる。
溶けかかったタマネギに半ばほぐれた大きな牛肉。
深いワインレッドにも見えるその複雑な色合いから覗くワイルドに切られた人参にじゃがいも。
トロトロに煮込まれたビーフシチューはどう見ても一番おいしそうに写っているが、
ハンバーグのボリューム感はどうにも捨てがたい。
ボリューム感と言う意味では肉厚のステーキも素晴らしい存在感を放っていたが今日はハンバーグ気分。
綺麗な丸形を描いたこんがりハンバーグから垂れる肉汁と濃厚なデミグラスソースが邂逅する様は一種の芸術だ。
そっと添えられたブロッコリーと人参も美しい生彩を放っていた。
「うむむむむ……」
メニューを囓り出しそうな勢いで睨めつけるインデックスを、ハラハラと見つめる者一名。
そして呆れ眼で見る者一名に、なんだかんだで微笑ましげに見る者一名、興味深げに見つめる者一名。
流れた和やかな雰囲気の中、客の来店を告げる電子音が再び鳴り響いた。
妙に耳に残るその音が気になってふと顔を上げると、
斜め向かいに座った浜面が入り口をじっと見ているのに気がつく。
また知り合いだろうか、と振り向こうとしたインデックスの視界の端に白が掠めた。
「今日は電波が大漁」
「なんだ、一方通行まで来たのか」
ぼそりと呟く滝壺の声に合わせるかのように浜面がその白の名を呼ぶ。
完全に振り返ったインデックスの視線の先で、
背を向けた無彩色の少年が鮮やかな空色の少女に押し留められていた。
一方通行と打ち止めだ。
32: 2011/08/18(木) 22:55:51.32 ID:FhNTtJKdo
「げっ」
漏れた小さな声は御坂のものだろうか。
子供が苦手な食べ物を見つけたかのような声だったが、その表情は上条に阻まれて窺い知ることはかなわない。
「なんで帰ろうとするの、この意気地なしっ! ってミサカはミサカはあなたの服をひっぱってみたりぃいい!!」
「……チッ」
意気地なしと言われては矜持が許さなかったのか、それとも単純に騒がれたくなかったのか。
店内の面子を確認した途端身を翻そうとしていた学園都市第一位は、
年端もいかぬ少女の抗議により呆気なく抵抗をやめた。
こちらを向いた唯一の有彩色が苦々しげに歪められている。
「わー、皆いる! お姉様も! こんにちはってミサカはミサカは元気にご挨拶!」
一方通行を引っ張りながら、みょんみょんとあほ毛を揺らす打ち止めは嬉しそうに一同をぐるりと見回して、
その中に御坂の姿を見つけると更に花が咲いた様な笑顔を浮かべた。
「引っ張るなクソガキ。歩き難い」
そう悪態を吐きながらも特に抵抗らしい抵抗もしない一方通行を浜面がニヤニヤと眺める。
どうやら普段どうやっても勝てない相手がこうして年端も行かない少女にやり込められている姿を見るのが
大層面白いらしかった。
そのまま打ち止めは浜面の隣にちょこんと収まって一方通行を引っ張り込む。
本来三人掛けを想定したソファに四人入る形となったが、
打ち止めが小さいのと一方通行が細いのも相俟って広めのソファには難無く収まることが出来た。
「わーい。皆と会えるなんて嬉しいね、ってミサカはミサカは大喜びしてみたり!」
「打ち止め、元気だった?」
「うん、元気だよー! ってミサカはミサカは全身で元気なことをアピールしてみるっ!」
「おい、暴れンじゃねェよ」
不思議なものだ。
途端賑やかになった場の空気に和みながらインデックスは微笑む。
打ち止めの登場はどちらかと言えば彼女にとってありがたいものだった。
天真爛漫な少女の存在は自分にいつものペースを取り戻させるのに実にちょうどいい。
33: 2011/08/18(木) 22:56:44.34 ID:FhNTtJKdo
「そろそろ店員さん呼んでもいいか?」
上条の声に頷くとインデックスは抱えていたメニューをそっと置いて、
いつの間にか用意されていた水の入ったグラスへと手を伸ばした。
打ち止めたちが一緒ならばもう悩む必要などない。
「……俺たちは今来たばっかなンだが」
「あんたらいつも同じようなもんしか頼まないだろ」
「……」
浜面の言葉に一方通行が黙ったのを確認して御坂が呼び出しボタンへと手を伸ばす。
客もまばらなせいか店員はすぐにやってきた。
「ご注文は?」
「はまづら、ケーキ食べたい」
「おう頼め頼めー」
「ありがとう、はまづら。フルーツタルト、ひとつ」
「あ、俺はシーフードドリアで」
「私、茸のクリームパスタ」
「ミサカはいつもの、ってミサカはミサカは常連ぶってみたり!」
「……デミグラスハンバーグをライスセットで一つとサーロインステーキ単品で」
「ビーフシチューをパンセットでお願いするんだよ」
「あとドリンクバー五つお願いしまーす」
次々と注文の声が上がって最後に上条が締めくくると、
淀みなく復唱したウェイトレスは注文を厨房に伝えるべく店の奥へと消えていった。
ちなみに浜面たちはすでに食事を終えた後であるようだ。
ようやく一段落ついて一同の間に弛緩したようなゆったりとした空気が流れた。
34: 2011/08/18(木) 22:57:14.67 ID:FhNTtJKdo
とりあえず飲み物を調達せねばなるまい。
「おい、三下。コーヒー」
誰が行くべきか牽制し合うような雰囲気になったところで、
まだいささか拗ねたような雰囲気を引きずったままの一方通行が上条をチラリと見て言い放つ。
テーブルに頬杖をついて座る彼に動く様子は微塵もなかった。
「えっ、俺?」
「浜面だと俺が立ちあがンなきゃなンねェだろうが」
「えええええ……珍しく俺じゃないと思ったらそういう理由なの」
なんなのこの子。
ドン引いたような視線で一方通行の白い顔を眺める浜面の表情は芳しくない。
珍しく与えられた奴隷役からの解放を喜んでいるというより、後々の追加労働を恐れているような表情だった。
どうやらこの三人が女子の知らない所で良くつるんでいるらしいというのは何となく知っていたのだが、
今のやりとりで大体の力関係が目に浮かぶようだ。
「それくらい自分で行きなさいよ。ドリンクバーに席一番近いのアンタでしょ」
一方通行の横柄な態度が気に入らなかったのか、
それとも使役されようとしているのが上条であることが気に入らなかったのか。
御坂が冷めた目で一方通行を見た。
「……」
一瞬緊張感のある空気が流れかけたところで、ガタン、と音を立てて一方通行が立ち上がる。
杖を突く独特の足音が店内に響き渡った。
「おおっ、あの人がお姉様の言うことを聞いた、ってミサカはミサカは驚きが隠せなかったり。
ミサカも行くー、ってミサカはミサカはついでに皆の注文も聞いてみる!」
残された者が顔を見合わせる中、すくっと打ち止めが立ちあがって手を上げる。
35: 2011/08/18(木) 22:57:46.46 ID:FhNTtJKdo
「……大丈夫か? 打ち止め」
「大丈夫だよヒーローさん、
ってミサカはミサカはオリジナルブレンドに挑戦したいからむしろ行きたいのだー! って宣言してみたり」
彼女に気にした様子は微塵も見受けられなかった。
「うーん。じゃあウーロン茶頼む」
「私もウーロン茶で」
「俺は後が怖いぞ。あ、コーラ頼むわ」
「浜面……お前普段さんざん一方通行に金出してもらってよく言うよな」
「それはそれ、これはこれ。滝壺は?」
「アイスティー」
頼まれた手前上条は一方通行を行かせてしまったことを多少気にしているようだが、
結局はインデックスを除く全員がめいめいの注文を告げる。
「了解! ウーロン二つにコーラとアイスティーだねってミサカはミサカは復唱してみたり。
シスターさんは?」
だがそんな中一人もじもじと困っていたのがインデックスであった。
御坂の言う席が近いうんぬんの理論を掲げるのならば、
同じくドリンクバー側の席に座っている自分も行って然るべきである。
むしろ正確な距離を測るならばインデックスの方が近いくらいであろう。
それに杖つきの一方通行と小さな打ち止めではどう考えたってこの人数の飲み物を運べるようには思えなかった。
最近手伝うことの大切さを上条に説かれたばかりでもあるし、一方通行には個人的な恩義も多い。
インデックスは一人ぐう、と唸って。
36: 2011/08/18(木) 22:59:43.94 ID:FhNTtJKdo
「え、えっと私も手伝うんだよ!」
「おおっ? じゃあ一緒に行きましょ、ってミサカはミサカはドリンクバーに向かって駆け出してみる」
「ちょっと。アイツなら能力使えばいくらだって持てるんだから――」
決断してしまえばインデックスの行動は早い。
御坂の声も、自分がドリンクサーバーを操作したことがないことも気がつかずに打ち止めの背を追いかける。
コップが立ち並ぶ機械の前ではちょうど自分のコーヒーを用意し終えた少年が
盆の上にそっとカップを置いたところだった。
「……で?」
「ウーロン茶二つとコーラにアイスティーだよってミサカはミサカは皆からの注文を伝えてみる」
無言で立ち上がった一方通行だったが、どうやらこうなることはとっくに想定済みだったらしい。
インデックスはグラスにそっと指を伸ばす白い腕と用意されていた盆を眺めながら思う。
彼に何度も行き倒れそうな所を助けられた身としては『やはり優しいのだ』と好意的な評価をせざるを得なかった。
「お盆で全部持っていくつもりなの? あくせられーた」
「オマエらに持たせたらろくでもねェことになるに決まってンだろォが」
「でもでも、片手じゃバランスとるの大変かも」
「あァ? そンなン能力使えば余裕なンだよ」
何でもないことだと言うような言葉にふと彼の能力のことを思い出す。
ベクトル操作というのだったか。
別に忘れていたわけではないのだが、その応用力に思い至っていなかった彼女としては
そんな使い道があるのかと感心させられる思いだ。
もしかしなくても自分は必要なかったんじゃないだろうか。
気がついた途端、何とも言い難い寂しさが全身を襲う。
けして見返りが欲しいわけではなかったはずなのだが、必要とされることを期待していたのかもしれない。
沸き上がる微かな疎外感には覚えがあるような気がした。
37: 2011/08/18(木) 23:00:16.42 ID:FhNTtJKdo
「シスターさんは何飲む?
ミサカはサイダーとオレンジジュースのミックスだよー、
ってミサカはミサカは何やらショックを受けた様子のシスターさんをつついてみたり」
「えっ。べっ、別にショックなんて受けてないかも!」
思わず頬に手を当てて、むに、と自分の頬を摘むとインデックスはごまかすようにグラスへと手を伸ばした。
最近やたらとその存在を感じるこの感覚のことを知られたくはない。
これが構って欲しいがゆえのわがままであることは自覚しているのだ。
と。
「あ、あれ?」
そういえば何も考えずに飛び出して来てしまったが、この機械はいったいどういう風に使うんだろうか。
目の前に聳える鉄塊のようなドリンクサーバーを見てインデックスは固まる。
考えてみれば今まで自分はこの手の物の操作はいつも上条に任せきりで操作方法など覚えているはずもない。
何故そんなことに気がつかなかったのか。
焦ったインデックスは見よう見真似で機械を動かそうと、おそるおそるボタンに指を伸ばした。
「わわっ」
刹那、物凄い勢いで流れ落ちてゆく茶色い液体と唸るような音に恐れをなしてすぐに手を離す。
滂沱と流れてそのまま受け口へと吸い込まれてゆく香ばしい匂いの液体は
インデックスが指を離した途端ピタリと止まったが、
もうそれ以上の何かをしようという気を彼女から完全に削いでしまった。
恐るべし、科学。
唸るような音は獣の威嚇の声にも似ていた。
もしやその内に恐ろしい魔獣でも飼っているのではなかろうか。
ごくりと喉を鳴らして何も言わぬ鈍色に光る禍々しい鉄の塊を睨み付ける。
こんなのに立ち向かえる訳がない。
インデックスは恐れおののき、震え上がっ
38: 2011/08/18(木) 23:01:11.30 ID:FhNTtJKdo
「はァ……」
さらに脇から聞こえてきた微かなため息に失望の響きを感じて瞳が潤む。
「おい、貸せ」
だが別に一方通行は震えるインデックスを見放した訳ではなかったらしい。
戦々恐々と立ちすくむ少女の手の平から白い指がグラスを掠め取ってゆく。
鮮やかな手つきに抵抗をする暇はなかった。
びっくりして横に立つ一方通行を見上げると、赤い瞳がじっとこちらを見下ろしている。
「何飲むンだよ」
「えっ?」
「……オマエ、ここに何しに来たンだ」
無愛想な声だった。
一瞬びくりと肩が震えたが、すぐに言葉の真意に気がつく。
「オレンジジュースが飲みたい、かも」
「氷は?」
「えっと、必要ないんだよ」
首を振って答えると一方通行は余計な事は何も言わず、ただ平坦に相づちを打った。
どうやら少数派であるようなのだがインデックスは飲み物に氷を入れるのがあまり好きではない。
溶けると味が薄くなるのとグラスに入る量が減るのが嫌なのだ。
「良く見とけ」
一方通行は多くを説明しようとはしなかった。
一からきちんと手順を見ていればインデックスにとって機械の操作など造作もないことを知っているのだろう。
39: 2011/08/18(木) 23:01:39.28 ID:FhNTtJKdo
静かにグラスを受け口に置いて、淀みない動作でボタンを押す。
オレンジのイラストが映るディスプレイのすぐ下に配置されたボタンは、
細長い指先にそっと押されると小さな電子音を立ててサーバーから甘い香りを放つ液体を吐き出させた。
今度は然るべきところに置かれたグラスがそれをしっかりと受け止める。
数秒経って指が離されると、先程と同様にオレンジ色の液体は流れるのをピタリと止めた。
あとに残ったのはインデックスご所望の紛れもないオレンジジュースだ。
どうやらボタンの上に映るイラストは出るドリンクの種類を表していて、
そのすぐ下の吹出し口からジュースが出るような仕組みになっているらしい。
よくよく見れば受け口にはグラスを置く場所のガイドのようなものが示されていた。
操作方法としては自動販売機に似た所がある。
改めて見てみればそう難しそうなものでもなかった。
「覚えたか?」
「……うん。ばっちりかも。ひゃっ!」
神妙な顔で頷くと突然ぐしゃりと頭を掻き回される。
思いの外優しい手付きに撫でられたのだと気がついて、思わずぽかんと口を開くと
すぐに手は離れてついでにバツの悪そうな表情で顔も逸らされた。
「あー! ずるい、シスターさん。
この人が撫でてくれるのなんてレアなんだよ、ってミサカはミサカは羨ましがってみたり」
「そうなの?」
もしかして打ち止めにするような感覚で思わず手が出てしまったのだろうか。
子供扱いされたことに複雑な感情を抱いてじっと一方通行の顔を見つめるも、その表情は窺い知れない。
少し照れているようにも見えたが、正直よく分からなかった。
40: 2011/08/18(木) 23:02:22.62 ID:FhNTtJKdo
まあいいか。
おそらく褒めてくれたのだから悪い気はしない。
インデックスはとりあえずそう納得してオレンジジュースがなみなみと入ったグラスをそっと抱え込んだ。
オレンジ色の湖面が微かに揺れて甘い香りが匂い立つ。
いつの間にか口元には微笑みが浮かんでいた。
「ありがとう。あくせられーたってやっぱり優しいね」
その言葉にもちろん返事はない。
予想がついていたインデックスは一方通行に気がつかれぬようこっそりと笑うと
そっと白い首筋に指先が伸びるのを眺めた。
スイッチが切り替わるような微かな音と共に宣言通り6つのグラスが乗った盆が軽々と持ち上がる。
何やら絶妙なバランスを保ったそれに零れる様子はなかった。
どうやらベクトル操作とやらでアレをコレした結果でそうなっているようなのだが
インデックスにはどうなっているのかさっぱり理解できそうにもない。
「おおー、これが科学の力……!」
とりあえず感嘆の声を上げてみた。
「くだらねェこと言ってないでさっさと戻ンぞ」
「はーい! ってミサカはミサカはいい子にお返事!」
「はーい! ってインデックスも返事をするんだよ!」
一方通行の小さな優しさと朗らかな打ち止めの声に躍る心は
先程までの寂しさを少しだけインデックスから忘れさせた。
58: 2011/08/23(火) 20:50:51.29 ID:pDogws5Lo
「大丈夫だったか? お前スフィンクス放り出して急に立ち上がったからびっくりしたぞ」
オレンジジュースを抱えて席に戻ると、
インデックスを出迎えたのは心配そうな視線でこちらを見遣る上条とにゃあと鳴く三毛猫だった。
それを見た瞬間、はっと気がつく。
そういえばスフィンクスを膝に抱えていたのをすっかり忘れていた。
あちゃあ、と呟いてそっとテーブルに抱えていたグラスを置く。
完全記憶能力を持っているはずだというのに何かに夢中になると視野が狭くなりがち
というのはインデックスの悪い癖だった。
「ごめんなさい、とうま」
「いや、俺は別にかまわないけど」
スフィンクスが店内で暴れるような猫でなくて良かったとほっとすると同時に
上条が心配してくれたのが嬉しくて頬が緩む。
「ごめんね、スフィンクス」
見てくれないと拗ねていたくせに自分の方から失念していたのだから世話はない。
椅子に座りながらインデックスは再び膝に収まった三毛猫を撫でると、柔らかく微笑んだ。
打ち止め達が帰ってきたのはそのすぐ後のことだ。
「お待ちかねのドリンクだよーってミサカはミサカは凱旋を告げてみたり!」
一方通行の杖を抱えた打ち止めは急ぐ様子のない少年に歩調を合わせていたようだ。
インデックスから数秒遅れての登場となった。
たっぷりと時間をかけてようやくカタンと静かにテーブルの上にお盆が置かれる。
「悪いな、一方通行」
本当に悪いと思っているのやら、中途半端に笑う上条に一方通行は何も答えない。
代わりにとばかりに視線をちらりと上条に向けると、それだけでやりとりは終わったようだった。
打ち止めから杖を受け取る。
彼が席に再び着き直すのとバッテリーのスイッチを切り替える小さな音とを皮切りに
方々からグラスへと手が伸びた。
59: 2011/08/23(火) 20:51:23.19 ID:pDogws5Lo
「人に入れてもらうドリンクバーってのは最高だな!」
「三人ともありがとう」
浜面がなにやら哀愁漂う理由でニヤけて、滝壺が小さく頭を下げる。
「はい、お姉様! ってミサカはミサカはグラスを差し出してみる」
「ありがと、打ち止め」
そして御坂には打ち止めからの給仕付きだ。
無邪気に慕ってくる幼い少女を眺めて御坂は柔らかく笑った。
それからちらりと一方通行を見た後、しばらく逡巡して結局それ以上何も言わずにウーロン茶を受け取る。
一瞬だけ、また空気が暗く揺らいだような気がした。
だがもう慣れてしまったのだろうか、それに反応する者は誰もいない。
――たった一人インデックスを除いて。
最初こそ何も疑問に思わなかったものの、前々から気にはなってきていたのだ。
ぼうっと御坂と一方通行を眺めながら考える。
この学園都市には御坂美琴とまったく同じ、と判断していいレベルの人間が複数人存在している。
直接話したことがあるのはその中のたった一人だけではあるが、上条に付いて回っていれば
少なくとも本人を除く四人の『御坂美琴』が学園都市に存在していることは少女にもすぐにわかった。
そして打ち止めも年齢こそ違うものの、よくよく観察してみれば御坂とうり二つ。
さらに番外個体と呼ばれる大きな御坂ともインデックスは何度か会っている。
姉妹だと断定するのは容易いことだ。
彼女たちが御坂を呼ぶ呼称は決まって『お姉様』であったし、
それが一番自然な思考の帰着点であることに疑念はない。
しかしそこに流れる空気はとても姉妹の間にあるそれとは思えなくて。
そして打ち止めが懐く一方通行はきっとその渦中にいるのだろう。
60: 2011/08/23(火) 20:51:50.34 ID:pDogws5Lo
二人の間に何があったのかインデックスは知らない。
一度だけそれとなく上条に聞いてみたことがあったが、適当にお茶を濁されてしまった。
個人的な事情にそれ以上つっこむことなどできるはずもなく、
上条が話す気が無い以上インデックスはすぐに引き下がらざるを得ない。
ただそれがけして『いい話』でないことは簡単に理解できた。
だからこうして二人が顔を合わせるのはとても珍しいことで
そのわだかまりは一連の事件を通過してなお解消されるものではなかったらしい。
一方通行が来店した途端踵を返そうとした理由もきっと御坂が関係しているのだろう。
上条や打ち止めと共に何度か顔を合わせ、お世話になることが何かと多かったインデックスだが
彼があんな風に帰ろうとするところなど見たことがなかった。
事情を知らぬ者独特の居心地の悪さを感じながらインデックスは膝に乗るスフィンクスを撫でる。
「それでね、この前こいつったら人が髪を切ったのにも気がつかないで無神経なこと言ってきたのよ」
「だっ、だからあれは……!」
「みさかも?」
「た、滝壺? も、ってなんですかね。も、って」
「……そんなことも理解できないはまづらはさすがに応援できない」
再び始まった和やかな会話に入ることももちろん出来ぬまま、
少女は銀色の髪の毛を微かに揺らして口角をずっと上げたまま固定しつづけた。
そんなふうに少女にとって長い長い時間が流れて。
61: 2011/08/23(火) 20:52:23.36 ID:pDogws5Lo
ようやく待ちかねた料理が続々と運ばれてきた。
打ち止めが真っ先に瞳を輝かせて、身を乗り出す。
上条と御坂もそれなりに空腹を感じていたのだろう。料理を見る瞳が楽しげだった。
「わぁ、お腹がすいたんだよ!」
もちろんそれに倣うようにインデックスも歓声を上げる。
つやつやと光を受けて輝くとろりと煮込まれたルゥ。
漂うビーフの濃厚な香りはやっぱり魅力的で、気分を上昇させるのには恰好の存在だった。
ちなみにインデックスが先ほどさんざん迷っていたデミグラスハンバーグもすでに打ち止めの前に置かれていて、
やはりこちらの料理がたてる匂いも実に魅力的だ。
この食欲旺盛なインデックスならばきっと羨むに違いない、と誰もが思うだろう。
だがインデックスに抜かりはなかった。
「シスターさん。シェアしましょってミサカはミサカはハンバーグを差し出してみる」
「ありがと、らすとおーだー!」
言葉通りに切り分けたハンバーグの一部を差し出す打ち止めに一も二もなく頷く。
実はとある日を境に打ち止めとインデックスは協力関係にあるのだ。
きっかけは上条の言葉だった。
インデックスはとある日のことを思い起こしながら笑う。
上条とインデックス、一方通行と打ち止め――時々、番外個体――のエンカウント率はなかなか高確率で
とりあえず顔を付き合わせたら食事に行くのが彼らの間でのセオリーになっていた。
もちろん金を出すのは一方通行である。
上条がいつも貧困に喘いでいるのは彼らの間では常識で、
ついでに人より良く食べるインデックスも抱え込んでいるとなれば節約も難しい。
それに未だにトラブルによく巻き込まれる上条の治療費だって馬鹿にならないのだ。
多少上から目線な台詞を口にしながらも食事に誘うのは一方通行なりの上条への優しさらしかった。
別にわざわざ一方通行とのエンカウントを求めて街を彷徨うようなことはしないが、
こういうところで変に遠慮しない上条の無自覚な図々しさには時折感心させられるものがある。
インデックスもまったく人の事は言えないのだけど。
62: 2011/08/23(火) 20:53:13.49 ID:pDogws5Lo
まあそんなこんなでよく打ち止めとは食事をしている訳なのだが、
打ち止めは抜けきらぬ幼さ故、そしてインデックスはその食欲故オーダーの選定に時間を要す事が多かった。
さらに二人とも味覚が似通っているのか悩んでいるものは大体共通していたのである。
そこで上条当麻の一言。
「二人で交換すればいいだろ」
天啓であった。
それからというもの、交換の儀は彼女たちの間では当然となり
ついにはほぼ言葉など交わさずとも何となく意思疎通出来るまでになったわけなのである。
もちろん食事に関する事柄についてのみ、ではあるが。
「……シスターの食への執念が脳波にすら影響して、
限定的なミサカネットワークへの接続を成功させたンじゃねェか?」
とは一方通行の言である。
実は結構失礼な事を言われているのだが意味がよく分からなかったインデックスは
とりあえず首を傾げることしかしていない。
インデックスはいそいそとテーブルの脇に重ねてある取り分け皿を手にとって
とろーり濃厚ビーフシチューを打ち止めへと差し出した。
「はい!」
「ありがとう、シスターさん! おおっ、これは見事なビーフシチューどすなー!
ってミサカはミサカはシスターさんのチョイスに賞賛を贈らざるを得なかったり」
その光景を子供でも見るような微笑ましげな視線で上条が見ているのが気になったが、
とりあえずはとても機嫌が良かったのでスルーしておくことにする。
ビーフシチューもハンバーグも予想通り少女の胃を満足させるに足るものであった。
63: 2011/08/23(火) 20:53:50.45 ID:pDogws5Lo
◇ ◆ ◇
64: 2011/08/23(火) 20:54:36.58 ID:pDogws5Lo
「で、御坂お前デザートは注文しないのか?」
上条がふとそんなことを言い出したのは楽しい楽しい食事も終盤、という頃のことだった。
テーブルの上に置かれた皿は殆どが空になっていて、確かにそろそろデザートが欲しくなってくる頃合いである。
しかしなぜこの男は突然そんなことを、しかも御坂だけに言い出したのだろうか。
皆一様に疑問符を浮かべて目を瞬く。
一人経緯を知っていたインデックスはちらりと御坂の様子を伺って、それから上条を見上げた。
「お奢るっていっただろ」
重ねられた言葉に――やはり御坂は忘れていたらしい――ふ、と動きを止める。
そのまま数秒経ってようやくその意味を呑み込んだ御坂は途端弾けるようにぶんぶんと横に首を振った。
「えっ? だっだから別にそういうのは」
「遠慮すんなよ」
「気使ってんならアンタの方こそ気にするのやめなさいよ。お礼とかいいから」
珍しい上条のごり押し。
何をムキになっているのだろうか、とでも言いたげな口調で固辞する御坂の口元には苦笑いが浮かんでいた。
だが対する少年の表情は真剣だ。
――嫌な予感がした。
まるで得意の説教をするときのようなその顔にインデックスはチクリ、と動揺を走らせ息を呑む。
「……そりゃお礼もあるけどさ。俺はお前だから奢りたいんだけど」
突如トーンダウンした上条の声はなぜか掠れて、どこか切なげに響いた。
ファミレスの喧騒が一瞬遠くなる。
「は!?」
その言葉に深い意味はいつものように無かったのかもしれない。
65: 2011/08/23(火) 20:55:54.16 ID:pDogws5Lo
だがそのいつもより低い声と、特別感をそそるような台詞の破壊力は御坂にとってかなりのものだったようだ。
顔がかっと赤くなって、手に握っていたフォークがカランと音を立ててクリームの海に沈む。
「な、なななななん、な!? そ、それって……いや、ええと!!」
勘違いするなと言い聞かせるような表情をしながらも御坂の内心の歓喜は明らかだった。
ろくに回らない呂律はギリギリ日本語の体裁を成していたが、それでも何を言っているのかは誰にも理解できない。
他の客に迷惑なレベルで騒ぎ始めた御坂を、一方通行の赤い瞳が無表情に貫く。
「……上条が珍しく金出したがってンだから奢らせてやりゃいいだろ。
俺の視界でぴィぴィ騒がれるとうぜェンだよ」
「う、うざ……!? ちょっとアンタウザいとはなによウザいとは!
この美琴様のどこがウザいっていうの!?」
「そォいうところですゥ」
「まぁまぁ御坂。そんなに怒るなよ。
一方通行の言う通り奢られておけって」
「あ……アンタがそこまで言うなら……」
御坂の顔はもう手遅れなレベルに赤かったけれどそれでもこくりと頷いて、もじもじとスカートをいじる。
その姿はまるで付き合いたての恋人同士のようで、
多少うざったさは否めないが十分微笑ましいの範疇に入る光景だった。
それを証明するかのように浜面と滝壺、打ち止めがニヤニヤとその光景を眺めている。
――だけど、インデックスは笑えない。
不安。嫉妬。疎外感。
少女の脳内にはさっきの上条の言葉が一字一句紛うことなく廻っていた。
御坂が歓喜に震えた言葉。
インデックスが不安に堕とされた言葉。
上条のいつもの言動を鑑みれば、そこに特別な感情がなくともいくらでも言いそうな言葉ではあった。
インデックスと上条の関係が相変わらずであるなら、御坂と上条の関係も相変わらずである。
そのはずだったのに。
だけどあの声はどうだ。
上条がインデックスに聞かせる声はいつだって朗らかで明るい声だった。
学園都市が落ち着いた今となってはさらにその傾向が強くなってきていて、だからインデックスは知らない。
あれではまるで愛の言葉を囁くような――。
もしかして、自分はとんでもない見落としをしていたのではないだろうか。
66: 2011/08/23(火) 20:57:08.13 ID:pDogws5Lo
「っ」
心臓がきゅうと締め付けられるように痛い。
喉を圧迫する閉塞感に目眩がしそうだった。
いや、違う。
上条はいつものようにその己の指標である正義感に則ってその言葉を何気なく口にしたに過ぎないのだ。
――気がつくな。
鳴り響く警鐘に、全身を駆け巡る黒いものを必氏で無視する。
そしてもう一つ――いや、インデックスはただ一つだけ、気がついてしまったことがあった。
にやけた視線の中一人興味なさそうにコーヒーを啜る一方通行。
だが何故だろうか。
無表情で御坂を見るその瞳がひどく柔らかいような気がしたのだ。
それは彼が打ち止めを見る時の表情に似ているような気がして。
――もしかして彼は御坂をわざとけしかけたんじゃないだろうか。
ふと浮かんだ考えは驚くほどしっくりと欠けた穴にはまった。
また御坂と彼の間に走る不可解な緊張感を思い出す。
御坂は大抵、一方通行を見ないようにしていた。
一方通行は大抵、御坂を見ないようにしていた。
御坂が珍しく一方通行を見れば、苦渋に満ちた瞳で視線を逸らした。
一方通行が珍しく御坂を見れば、色の見えない瞳で視線を逸らした。
そして御坂は時折、一方通行を畏怖するような目で見ていた。
そして一方通行は時折、御坂を懺悔するような目で見ていた。
インデックスはそれが導き出す言葉の名を知っている。
おそらく一方通行は御坂に多大なる『負い目』があるのだろう。
その負い目の正体がいったい何であるのか、蚊帳の外に追いやられたインデックスにとって知るよしもないことだ。
67: 2011/08/23(火) 20:58:48.65 ID:pDogws5Lo
だがその負い目ゆえ彼は――優しさを秘めた少年は少女の幸福を望む。
もしかしたらそれだけではないのかもしれない。
素直になれない少女の初々しい恋は
相手が上条でさえないのならばインデックスも応援したくなるような愛らしいものだ。
納得はできる。
だけどほかならぬ一方通行、そして打ち止めが御坂と上条の恋の成就を望んでいるという事実は、
思いの外インデックスを打ちのめした。
二年以上前の記憶を持たぬインデックスの友人はそう多くはない。
それでも元来の人懐こい性質が幸いしたのか、異郷であるこの学園都市の中でもずいぶんと善戦した方だと思う。
しかし上条を通して出会う人物は多かれ少なかれ大抵が彼に好意を寄せているのだ。
そんな中で気が置けない友人関係を作るというのはそう易々と為せることではなかった。
いくらその時笑い合っていてもそこに上条が絡めば簡単に壊れる可能性だってある。
だなんて心の底で考えてしまうなんて、なんと気持ち悪い自分の思考回路だろうか。
友情と恋愛を同次元でしか考えられない恋愛脳。心の狭い俗物。
シスターだと言うのにそんなことを考えてしまう自分が気持ち悪くて情けない。
だが一方通行と打ち止めはそんなことを意識せずにすむ数少ない例外だった。
そもそもその出会いは上条を通したものではなかったし、
上条と同性である一方通行と、どう見ても一方通行一筋である打ち止めのそれとでは
インデックスが持つ上条への好意とは根本的な種類が違う。
結局は上条の関係者であったわけだが、
出会った当初からずっとインデックスを『暴食シスター』と呆れたような表情で見る一方通行と、
上条ではなく一方通行を通してインデックスを見る打ち止めの視線は少女にとって心地よいものですらあった。
だというのに。
――ああ、これはまずい。泣くかもしれない。
こんなものは勝手な想像にすぎないはずなのに、つん、と瞳の奥に込み上げるものを感じて慌てて俯く。
傷つくことを恐れて目を背けても、結局背けた先の刃に傷つけられるなんて。
68: 2011/08/23(火) 20:59:55.54 ID:pDogws5Lo
「わっ、私、ドリンク、バーのおかわりに行ってくるんだよ!」
もう耐えきれなかった。
唯一のぬくもりであるスフィンクスを胸に掻き抱いたまま席を立つ。
オレンジジュースはまだ三分の一ほど残っていたが、きっと誰もそんなことには気がついていないだろう。
驚いたように自分を見る彼らに背を向けたときにはもう涙がこぼれていた。
そのまま振り返らずにドリンクバーへと走る。
席から氏角になる場所へ移動できたことを確認して、インデックスはぐいっと涙をぬぐった。
一つ深呼吸をして、笑顔の練習をする。
「大丈夫なんだよ。……私はとうまと一緒にいられるだけで幸せだから」
赤い目元を隠すことも出来ないまま再びドリンクバーに向かって歩き出すと、
後ろから独特の足音が近づいて来ていることに気がついた。
立ち止まりもせずにそのまま歩き続ける。
「……おい、シスター」
ようやく目的地に到着して、聞こえてきたのは予想通りの声。
どうせばれているのだろう。
特に目を隠すための対策も講ずることなくゆっくりと振り返ると、そこにはやっぱり一方通行が立っていた。
おそらく彼もコーヒーのおかわりだとかなんだか適当な理由をつけて席を立ったに違いない。
「……せっかくあくせられーたとらすとおーだーに元気づけてもらったのにね」
けしかけたのが自分であるだけ罪悪感でも感じたのだろうか。
どちらにもつかぬような半端な態度に結局はさらに傷つけられることになるのに、
それを理解しない一方通行に苛立ちが募る。
腹の底を這い回る汚泥がインデックスの心をめちゃくちゃに掻き回した。
「……ねえ、あくせられーた。あくせられーたはとうまと短髪がうまくいけばいいと思ってるの?」
それを悟られぬように絞り出した声は震えている。
69: 2011/08/23(火) 21:00:28.25 ID:pDogws5Lo
「……」
「あくせられーたは短髪に負い目があるから二人を応援するんでしょ……?」
赤い瞳がわずかに揺らいだ気がした。
それは肯定と同義であることに疑う余地はない。
たったそれだけで全てが決した。
この空間にいる誰もが上条と御坂が結ばれることを望んでいる。
当然だった。
彼らはインデックスの知らない二人を見ているのだ。
彼らにとって誰よりも上条と共にいたのは御坂。御坂に肩入れしない理由などない。
それはこの少年も例外では無く。
渦巻く汚泥の勢いが強くなった気がした。
視界すら黒く埋められてゆくような痛みを感じた。
誰もが上条と御坂の幸福を望むのならば、
それでもなお上条の側にすがりつく自分を彼らはいったい何だと思うのだろうか。
どうせ結ばれることが許されぬのなら側に居ることができればそれでいいのだと、
必氏に言い聞かせても自分にはその席すら望むことは許されないのかもしれない。
そして、誰よりも意思が尊重されるべき中心地にいる上条は――。
「……あくせられーたは短髪に何をしたの?」
インデックスは巡る苦しみとわずかな疑問に耐えかねて、とうとうそれを問うた。
なぜその質問をしたのかインデックスには自分がわからない。
なんだそんなことかと笑い飛ばしでもして、無理矢理味方を手に入れようとでもしたのか。
――満ちる空気が突然色を変えた。
70: 2011/08/23(火) 21:01:25.84 ID:pDogws5Lo
音さえ響きそうな程に変わってゆくそれににびくりと肩を震わせて白い少年を見る。
静かな泉のような一方通行の瞳がさらに静けさを増したような気がした。
静謐さすら感じさせるそれには感情はない。
動揺の表れなのだろうか。
まるで人形の瞳のような無機質さを持ちはじめた瞳は、その異形じみた色も相俟ってひどく冷たく見えて。
インデックスはすぐに理解した。
自分はこの少年の触れてはいけない領域に、その一片に触れてしまったのだ。
すぐに沸き上がった感情の名は後悔。
十万三千冊をその身に隠し持つ少女ならそんなことは誰よりも理解しているべきだった。
苛立ちに沸騰しかけていた頭が急激に冷えてゆく。
心の底に溜まる汚泥も一瞬にして石へと変化して小さな体の少女に重くのしかかった。
インデックスが彼にしたのは結局のところただの八つ当たりだ。
「ご……ごめんなさい」
謝罪の言葉が唇からこぼれ落ちる。
指先が震えるのはこれ以上追い打ちをかけられることを、傷つけたことへの報復を恐れているからなのだろうか。
ふ、と小さく息を吐く音が響いた。
「……別に、オマエが謝るようなことじゃねェよ」
こちらが哀しくなるような寂しげな声。
その声が意味するものなどインデックスにわかるはずもなく。
「……ごめんなさい」
少女はただ謝り続けることしかできなかった。
88: 2011/09/01(木) 23:19:43.59 ID:+6InGATCo
------------------------------------------------------------Interval--→
--→ Side : Toma Kamijo --→
89: 2011/09/01(木) 23:20:24.36 ID:+6InGATCo
「インデックス。今日俺、多分遅くなるから夕飯は小萌先生のところで食べてくれるか?」
珍しく補習のない日曜日だった。
もっとも一連の事件が終わってから驚くほど出席率の上がった上条にとって
もはやこんな朝は珍しいとは言えないのかもしれない。
だからなのか何なのか上条の声は大層機嫌が良さそうだ。
少し顔のにやけた自分を鏡越しに見ながら上条は愛用のワックスへと手を伸ばす。
現在の彼は絶賛外出の為の準備中だった。
服もすでに着替えられあとは少し手間をプラスするだけ、といった出で立ちである。
「とうま、出かけるの?」
「おーう」
幼さの残る声と共にパタパタと駆け寄る音。
洗面所の扉からひょっこりとインデックスの銀色頭が飛び出してきた。
鏡越しにきょとんとこちらを見る少女の翠色の瞳と視線がかち合って、少年は笑う。
扉の木枠に手をかけてこちらを窺う姿はさながら人見知りの子供のようだった。
インデックスのその手の行動を見るのは小動物的な何かを感じさせて心和む光景である。
「……こもえのうち、久しぶりかも」
「あんまりはしゃいで先生んちの食料食い尽くすなよ」
機嫌の良さついでにいつものように軽口を叩くと、ぷくり、とインデックスの頬が膨らんだ。
それもまたいつも通りのやりとりなのだが二人に飽きる様子はない。
「そんなことしないもん!」
「腹が空きすぎると俺の頭食おうとするヤツが何言ってんだよ」
「と、う、まー!」
あはは、と笑って上条は作業を再開する。
恨みがましいインデックスの視線はまだ上条を睨め付けているようだったが、
彼には気にする気すらないようだった。
むしろその笑顔は晴れやかと言っていいだろう。
90: 2011/09/01(木) 23:21:14.55 ID:+6InGATCo
最近、インデックスの様子が少しおかしいことに上条は気がついている。
いや、気がついてると言っていいのか。
それは彼にしてみれば本当に些細な変化で、その原因を聞き出すか否か迷うレベルのものだった。
だからこうしてインデックスがいつものように上条相手に騒いでいる姿を見るのは悪くない。
自分の杞憂にほっと息をついて、鼻歌なんかを歌ってみた。
一応フォローしておくが別に上条がマゾ太くんであるから、というわけではないのだ。
けして。
「……最近は、噛まなくなったでしょ?」
「ん? んー。確かにそうかもな」
「とうまがハゲちゃったらかわいそうだから止めてあげたんだよ」
「……インデックスさん。年頃の男の子の前でハゲとか言っちゃいけないんですよ」
ぎくり、と髪の毛をいじる手が止まる。
髪の毛をいじっている時に出されたくない話題トップ5に入るであろうその言葉に
上条は世の女性のデリカシーのなさを強く強く感じた。
別にハゲる危機感に常々悩まされているわけではないのだが、やっぱり男子たるものそこは気になる所だ。
今のところ父である上条刀夜もフサフサなわけで、まだ希望に縋っていたい年頃なのである。
「それに頭にそんなにカガクヤクヒンつけて、そういうのって頭皮に良くないかも」
「科学薬品って言うな。だいたい俺がハゲるんだったらもっとハゲそうなヤツがいるだろ」
無論我らが第一位様である。
髪質が細ければ細いほどハゲやすい、という話は有名だ。
男にしてはどころか全人類を対象にしても細く繊細な髪質を持つあのもやしがどうしてハゲないというのか。
「……?」
「そんなの一方通……」
まったく理解していない様子のインデックスを鏡越しにキリ、と睨み付けてはた、と思い出す。
インデックスの瞳がまた不可解さに丸みを帯びた。
91: 2011/09/01(木) 23:22:22.36 ID:+6InGATCo
「あくせられーた?」
しかし上条は今、そんなことを気にする余裕もないほどに真剣だった。
確かに髪質という点においてはあの第一位に敵う者はいないだろう。
しかしハゲというのは男性ホルモンの働きによって進行するものだという話も聞いたことがある。
男性ホルモン。
ホルモンバランスが異常である、と自己申告済みである彼のそれがどうなっているか上条には理解が及ばないが、
少なくとも見た目では多いようには見えない。
というか頭に障害を負った際に無理矢理ベクトル操作で髪の毛を生やした、なんて噂もあったような気がする。
「いやいやいやいや……」
「とうま? あくせられーた、ハゲちゃうの?」
上条はベクトル操作の万能さ具合に戦慄した。
今から将来の為に媚びを売っておいた方がいいのかもしれない。
それは案外悪くない案であるように思えた。
――いや、でもあの男がそんなくだらない事に能力を奮ってくれるとも思えない。
すぐに浮かんできた否定意見にごくり、と息を飲んで。
「とーうーまー! 聞いてるの?」
結論。
ハゲてもきっと冥土帰しが何とかしてくれるに違いない。
「むむむ。これはあくせられーたに確かめなきゃなんだよ」
冥土帰しの頭がすでにアレであることにも気がつかずに上条は男性最大の悲劇の宿命に蓋をした。
ついでに結構命に関わるインデックスの言葉も聞き逃した。
「まあ、インデックスが噛まなくなったのはいい傾向だな!」
「とうま、話の流れがめちゃくちゃかも」
オルソラ元気かな。
とあるシスター仲間の名前を呟きながら、構って貰えなくて拗ねている様子の少女を微笑ましげに見る。
噛まなくなった、というのは女の子としての自覚が沸いてきたということなのかもしれない。
記憶を消され続けていた弊害なのか、大人びていながらも幼い部分の多いインデックスが成長してゆく姿は
どうしたって嬉しいものだった。
まあ、記憶を失っているのは自分も一緒なのだが。
92: 2011/09/01(木) 23:23:35.54 ID:+6InGATCo
「あとは家事の手伝いをもっとしてくれるようになったら最高だな」
ついでに、とばかりに日頃から思っている希望も告げてみる。
また鏡越しにインデックスの大きな瞳と視線が交差した。
「……とうまは私が家事とかするようになったらイイオンナだと思うの?」
「そりゃなあ。インデックスに家事スキルが身についたら完璧なんじゃないか」
本人を前にして言うと調子に乗りそうなので特に口にしたことはないが、
銀髪で翠色の瞳を持つインデックスは神秘的な美少女だ。
清潔感のある彼女が家事まで完璧ともなれば大体の男が黙っていないだろう。
「……本気で思ってる?」
「おう」
なんのてらいもなく上条は頷いた。
同時に髪の毛をいじっていた手を下ろして、水ですすぐ。
「……」
黙ってうつむいてしまったインデックスの表情は見えなかったけど、きっと照れているのだろう。
準備の完了した上条は彼女の脇を通り過ぎながらそれをまた微笑ましげに見つめて、
用意してあった鞄を手に取った。
「じゃあ、俺行ってくるから」
時計見て、待ち合わせの時間に十分に間に合うことを確認する。
慌ただしいが不幸に定評のある身としては早く出ておいて損はない。
最後に部屋を見渡そうと後ろを振り向いて、上条はインデックスが側に立っていることに気がついた。
どうやら見送ってくれるつもりらしい。
薄く微笑む少女の姿に、上条の口元にも笑みが浮かぶ。
「……いってらっしゃい、とうま」
少女に背を向けた上条にかけられた声は、ゆっくりと静寂に溶け込んでいった。
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98: 2011/09/02(金) 21:31:43.46 ID:XCR2rYwro
--→ Side : Mikoto Misaka --→
99: 2011/09/02(金) 21:32:13.80 ID:XCR2rYwro
気持ちのいい秋晴れの日だった。
視線の先では噴水が陽光を受けてキラキラと輝き、計算された角度で光の芸術を描いている。
時折吹く風は強すぎることもなく爽やかに少女達の長い髪を撫でていた。
今日は言うなれば絶好のデート日和。
雀の和やかな鳴き声と学生達の話し声が行き交うこの広場は、
待ち合わせスポットとして学園都市第七学区の中でも特に賑わう場所だ。
周囲は待ち人と巡り会う声で沸き立っていた。
休日の昼ともなれば当然の光景である。
「……はあ」
そんな中、御坂美琴は一人ぼうっとため息をついていた。
もちろん彼女も目的は待ち合わせ。
さらに特筆するならば相手は外ならぬ上条当麻である。
今日は御坂が上条に恩を売って手に入れたデート――上条がそう思っているかどうかは別として――の約束を
果たす日だった。
本来なら緊張に赤面しながら髪でもいじっているシチュエーションであるべきだが、
例の如く彼は絶賛遅刻中。
なにせかれこれ待ち合わせ時刻から二十分の時が過ぎ去ろうとしているのだ。
ため息の一つくらい許されるだろう。
もっとも御坂の表情に怒りはない。
待たされる事にはすでに慣れていた。
昔ならイライラとビリビリ漏電していただろうが、今思えばよく体力がもったものだと感心するだけである。
それにきっと上条は御坂の為に待ち合わせに間に合うような時間に家を出た。
もしくは出ようとしたのだろう。
しかし困っている人間を見つけてしまったが故、それは叶わずこうして遅刻している。
そんな彼を一体どうして怒れようか。
それは単なる少女の妄想、というか希望に過ぎないことではあったが、きっと限りなく真実に近い。
だって御坂はそんな上条のことが好きになったのだ。
100: 2011/09/02(金) 21:32:56.06 ID:XCR2rYwro
「……まったく」
――我ながら恥ずかしいことを考えているな。
御坂は仄かに赤くなった顔を冷まそうと手の平で扇いで風を送った。
意味などないことは知っていたが、
熱い顔がタイミングの悪い少年に見られたらと思うだけでさらに顔が火照るのだから
どうしたってそうせざるを得ない。
とはいえ彼が助けるのがいつものような訳あり美少女なのだろうと考えれば
自然とテンションが落ちてゆくのは明白だった。
自分すらその一人――これはけして御坂が自惚れているのではなく、
あくまでも訳あり、の方にかかる言葉である。念のため――だった身としては複雑な思いを抱くしか術はないが、
かの少年に恋をしてしまった以上この感情と戦い続けてゆくことは宿命であるのだろう。
二重瞼が印象的な魔術師も。
御坂の一番年長の妹も。
一度だけ邂逅した長い刀を持った剣士も。
黒髪が艶やかな彼のクラスメートも。
会ったこともないようなたくさんの少女たちも。
――そして白い修道服を身に纏ったシスターも。
皆、きっと例外ではないのだ。
「……ばっからし」
もう一度ため息をついて腰掛けたベンチにもたれ掛かる。
それなりにしとやかに見えるよう座っていたつもりだが、もう上条を待ち続けて四十分だ。
正直気を張ることすら面倒になっていた。
そうして先日見た、白いシスターの表情を思い浮かべる。
ファミレスでいつものように食料を詰め込んでいたインデックスの様子は明らかにおかしかった。
原因は火を見るより明らか。
あの浜面とて解散の直前には自省するような目であの少女を見ていたのだから、
おそらくあの場にいた全員がその原因を把握していたのだろう。
――たった一人、上条当麻を除いて。
101: 2011/09/02(金) 21:33:36.71 ID:XCR2rYwro
御坂はこと上条を巡る案件において敵に塩を送るつもりはなかった。
もちろんあのシスターを本気で敵だと思っているわけではない。
生意気な口を利きながらもなんだかんだで御坂を慕うような態度をとるあの少女は、
同年輩でありながらも妹のようで、そして数少ない対等に渡り合える友人でもあった。
クラスメートにすら敬語を使われることを日頃から不満に思う御坂がどうして彼女を憎めるというのか。
しかし数ヶ月前の御坂の立場に現在立つ少女を見て、
胸のすく思いをまったく抱かなかったかと問われれば嘘になる。
だって嫉妬をするのはいつだって御坂の仕事だったのだ。
例え拒まれても上条の戦いに身を投じる決意をした、あの日からずっと。
御坂はいつだって口癖のように語る彼の言葉を傍で聞いていた。
『待っている人がいるから』
負けられない。帰らなくてはならない。
堅い決意を感じさせるその視線の先にいたのはあの汚れなき白だった。
傍にいたのは確かに御坂だった筈なのに、彼に寄り添っていたのはインデックス。
何度それを実感して忸怩たる思いを抱いたか。
別に四六時中そればかりを意識していたわけではなかった。
動機はどうであれ世界を救う戦いに参加出来たことは御坂にとって彼女と言う存在の芯ともなる出来事だ。
上条抜きにしても鮮烈な時間だったと思う。
でもふとした瞬間、どうしようもない嫉妬心に襲われた。そんな自分が嫌いになったことすらあった。
最近、ようやく上条が御坂のことを見てくれるようになったような気がする。
それはただの幸せな勘違いかもしれないけれど、上条だって日常を取り戻して余裕が出来た筈なのだ。
その出来た隙間に御坂を入れてくれたとしてもなんらおかしな事ではなかった。
そんな小さな幸福を大切に思って、悪いことなどあるはずがない。
102: 2011/09/02(金) 21:35:47.13 ID:XCR2rYwro
「……あーあ……」
つい嘆くような声が出た。
自分は中途半端だ、と思う。
第三位にはなれても結局第二位との間にあると言われる壁を越すことはできなかった。
己の限界を決めてしまうのは愚かだと知りながらも、その事実は今後も覆らないだろうことも知っている。
だから御坂は上条を諦めることはできないし、
恋敵だからとインデックスを冷たく切り捨ててしまうこともできなかった。
「あああぁ……もう……もうっ!」
きっと完全無欠に不審者だと思われているだろう。
どんどん大きくなってゆく独り言に、しかし御坂は自分を止められなかった。
だって恋する乙女なのだ。
悩み多き年頃なのだ。
まだ厨……もとい中学二年生プラス五ヶ月なのだ。
そうそう厨二と言えば。
「連想ゲームみたいに出てこないでよおぉお!」
清廉たる白の代わりにポッと御坂の脳裏に浮かんだ厨二プラス測定不能な濁った白に、思わず小声で叫ぶ。
御坂を見た途端表情を歪めた。
相変わらず打ち止めと仲が良さそうだった。
ついきつい言い方になってしまった御坂の言葉を受け入れた。
白々しい言い訳をしてインデックスを追いかけて行った。
御坂の深いところに根付く懸案事項。
学園都市第一位の一方通行。
――ああ、上条がいつまで経っても姿を現さないのが悪いのだ。
彼にさえ会えれば悩みなんて抱く余裕など一気に吹き飛ぶのに。
「うっがぁ!」
「何一人で叫んでんだ?」
103: 2011/09/02(金) 21:36:59.41 ID:XCR2rYwro
「っ!?」
――今、マジで、氏ぬかと、思った。
びくりと文字通り飛び跳ねて、大きな瞳をさらに見開いて顔を上げる。
そこには不審げな顔で御坂を見つめる上条が立っていた。
さすがタイミングには定評のある上条だ。
一番少女の不審者濃度が濃い一瞬を狙ってやってくるとは只者ではない。
「……あっ……アンタがあまりに遅いからムカついて叫んでたのよ」
とりあえずそんな風にごまかして、頭を掻き毟るために上げかけていた腕をゆっくりと下ろしてゆく。
まだ心の奥はざわついていたが自己評価通り御坂の心情は上条の登場に浮かれつつあった。
単純である。
「……御坂さんだったら上条さんの不幸を理解してくれていると思ってたんですが」
「わかってるわよ。なに? 路地裏でかわいい女の子でも襲われてた?」
「ある意味で美少女だったな。子猫だったけど」
人間ではなかったのか。
安心するやら何やらでほっと息を吐きながらも首を傾げる。
「猫?」
「猫を能力練習の的に使う不届き者がいたんですよー」
「……浦島太郎じゃないんだから」
呆れた口調でそう言いながらも、上条らしい理由に口元が緩む。
「ま、どっちにしろ遅れたことには変わりないんだ。マジでごめんな」
「べっつに。慣れてるし」
悩みはすでに後方へと吹き飛んでいた。
例えそれが問題を先送りにしたに過ぎないのだとしても、とにかく御坂の気分は晴れ渡った。
せっかく苦労して手に入れたデートの機会なのだ。
楽しまなくては損というものである。
「さ、早く行くわよ! ゲコ太が逃げちゃったらまずいからね!」
「いや、逃げないだろ」
104: 2011/09/02(金) 21:37:44.87 ID:XCR2rYwro
◇ ◆ ◇
105: 2011/09/02(金) 21:40:34.96 ID:XCR2rYwro
デートはいつかの罰ゲームの日のように邪魔が入ることもなく滞りなく終わった。
もちろんゲコ太が逃げることもなく、ケロヨンとピョン子が駆け落ちするようなこともない。
無事ゲットしたゲコ太――ちなみにレジャー施設のペア券購入で特典がもらえるというキャンペーンであった――の
マスコットは御坂の鞄で楽しげに揺れていた。
そしてその鞄の中にはちょっとだけ距離の近くなった二人のプリントシールが収められている。
「あー、今日は楽しかったわ」
胸いっぱい。お腹もいっぱい。
門限の関係で早めの夕食だったが、上条とこうして過ごすのはあまりないことだったから御坂の心は素直に浮かれていた。
冬も徐々に近づくこの時期は日没も早い。
ファミレスを出た御坂はうっすらと星の散らばった空の下、くるりと回って上条を振り返った。
微笑ましげにこちらを見ている彼の視線と御坂の視線とがかちあう。
子供っぽい行動をとってしまった自分がなんだか急に恥ずかしく思えてきた。
「今日は付き合ってもらっちゃって悪かったわね」
「……気にすんじゃねえよ、そんなこと」
名残惜しい。
しかしなんと口惜しいことか。門限は近い。
いや、まだ多少余裕があるにはあるが、万が一にも寮監の殺人術の実験台にはなりたくなかった。
どうせ会おうと思えばいつだって会えるのだ。
「じゃ、私今日は帰るから。ありがと」
後ろ髪引かれる思いに鞭を打って背を向ける。
ひらひらと手を振って歩き出して――。
「御坂!」
そこに引き止めるような声が響き渡った。
ぴたりと動きを止めて続く言葉を待つ。
しんと染み渡った静寂は彼の逡巡の証なのだろうか。
一秒、一分、待ち続けて。
「……な、御坂。待ち合わせの時、叫んでたのって」
上条の声のトーンがまたあのときのように下がってゆく。
心配げな調子はきっと少年が何か余計な事を言うであろうサインだった。
106: 2011/09/02(金) 21:41:11.13 ID:XCR2rYwro
「お前、悩み、あるだろ」
やっぱりこの男は空気が読めない、と思う。
別れ際に悩み相談なんて冗談じゃない。
だって楽しい楽しいデートだったのだ。
「……」
「この前ファミレスの帰りから様子がおかしいと思ってたんだ」
悩み相談なんて冗談じゃない、はずなのに。
インデックスの様子がおかしいことにも気がついていなかったみたいだったくせに、どの口が言うのか。
流されそうになる自分を抑えようと、ついそんな風に心の中で悪態をつく。
「……一方通行に、会ってから。あいつと会うの、久しぶりだろ」
でも、駄目だった。
おずおずと上条が口に出したその名前にため息が漏れる。
今日出会ってからずっと、上条はそれを気にしていたのだろう。
時折上の空だった彼の態度を思い出す。
本当はそれだけで少女がおかしかった理由を語りきれるわけではないのだが、どうやら少年はそう判断したらしい。
上条が彼と自分との関係に気を使っていることに御坂は気がついていた。
聞きたがっているのなら、聞かせてやればいいのかもしれない。
上条が一度言い出したら曲がらないというのは嫌という程知っていたし、
ずっと一人で考えすぎて疲れた、というのも御坂の本音だった。
上条が心配してくれているという事実にだって、どうしても心が揺れる。
――それにもう一つのわだかまりであるインデックスのことを上条に語る勇気もない。
「……まぁ、それも、あるわね」
嘘が吐ききれずに、ついそんな言い方になった自分の言葉に自嘲の笑みが浮かんだ。
振り返って、無表情にも見える上条の物憂げな視線を正面から受け止める。
107: 2011/09/02(金) 21:42:55.05 ID:XCR2rYwro
こんなことを語れば軽蔑されるかもしれないというのに、自分はなんと弱い。
ぼうっと上条の黒い瞳を眺めてそれから御坂は路肩に作られた植え込みのコンクリート製の花壇に腰掛けた。
辺りに人通りは少ない。
少女達のことを気にする人間は誰もいないようだった。
「……アンタは私と一方通行の関係が良くなればって思う?」
「そりゃな。お前も一方通行も大切な仲間なんだから」
こういうことをさらりと言えてしまうのが上条の上条たる所以というか。
実に彼らしい。
笑ってぶらぶらと足を揺らす。
「……別に嫌ってるわけじゃないのよ。……ううん、違うなぁ。
やっぱり嫌い。嫌いよ。
でも何だろ……前と何かが……何かが違うのよね」
正直単純に嫌いだと断じることができれば一体どんなに楽だったか。
ということは単純に嫌いではないのだということだが正直よくわからない。
「去年の冬に、アイツと再会して」
とつとつと語りはじめた御坂の言葉を、上条は真剣な目で聞いていた。
それに何故か安心して御坂は笑う。
憎らしく思うのが簡単だったのは去年の冬までのことだ。
「正直驚いたなんてもんじゃなかったわ」
上条について行った先で彼を見つけた時、御坂に許されたのはただただ驚愕ばかりだった。
「なんか髪型もえらく変わってるし、気味の悪い笑顔も滅多に浮かばなくなってたし。
私にとって一方通行っていったらあのニタニタ笑いだったのに。
声もなーんか違うでしょ? まあ喋り方というかテンションが落ち着いたっていうのが大きいと思うんだけど」
さらにやたらメカニカルでアバンギャルドな杖は一体何なんだと疑問に思って見ていれば、
銃を取り出したものだから能力はどうしたんだと叫びそうになった。
しかも首輪にも見えるチョーカーは引っ切りなしに変な電波を受信しているし、電池切れの時には――
何と言うか、もう、つい上条に言われるがまま充電してあげてしまう程アレだった。
ついには変な白い羽根――と呼んでいいのか疑問がわく造形だったが――と
輪っかのオプションを発現した時にはさすがに反応に困った。
いや、もしかしたらあの時自分は彼に畏敬の念すら抱いたのかもしれなかった。
108: 2011/09/02(金) 21:43:46.04 ID:XCR2rYwro
「……あーんな楽しそうに妹達を……頃してた奴がさ」
そして何よりも彼に纏わり付く見覚えのある幼い少女。
クソガキ、とか、打ち止め、とか低く掠れてぶっきらぼうな、しかし柔らかな声で呼ばれる小さな妹達。
彼女を見る一方通行の瞳は紛れもなく人間のそれだった。
化け物じみた赤の筈だったのに、温かさすら感じたその瞳。
その有り得ない色に疑念を抱いた。
「打ち止めに懐かれて嬉しそうな顔しちゃって。何なんだっつうのよ。
化け物だったのに。化け物だった筈なのに」
彼はいつのまにか人間になっていたのだ。
冗談じゃない。
一通り彼の現状を確認して認識したのはきっとそんな感情だったのだと思う。
正直思考回路はまったく正常に動作しなかったし、混乱に塗れた脳細胞はエラーばかりを吐き出していた。
何故だと打ち止めを、10032号を、番外個体をきつい口調で問い詰めたことすらあったような気がする。
彼女達に当たったところで何もないのに、そんな判断もつかないくらい少女の混乱は度を越していた。
――そして御坂はようやく妹達と一方通行とを取り巻く命運を知ることになる。
今だってまだ御坂は子供だ。
だけどあの頃の御坂は今以上に子供だった。
上条が一方通行を倒したあの日、全てが終わった筈だった。
ヒーローが勝てば世界は救われる。
御坂にとって世界とはそんな単純で明快で漫画みたいなものだったのだ。
事件の残骸はあったけれどそれすらも正義の前にはただ消え去るだけ。
たった一人御坂だけがそう信じて疑っていなかった。
結局それは誤りで、御坂が安心しきって頬を緩めていた間、一方通行は血を吐きながら妹達を守っていたのだ。
それを知った時、まず感じたのは戸惑いと寂寥。
なぜ一方通行が、という思いと、なぜ妹達は、という思い。
109: 2011/09/02(金) 21:44:29.87 ID:XCR2rYwro
考えてみれば残骸事件の時だって妹達は上条当麻を頼った。
そして事実事件を解決したのは一方通行であったらしい。
知ろうとしなかった御坂に頼ろうとしなかった彼女達を責める権利はないというのに、
それを聞いた時どうしたって御坂は悔しさに涙が滲むのを止められなかった。
――もしかして自分は妹達にとって部外者なのではないだろうか。
御坂と妹達はただ同一遺伝子を持つだけの単なる他人で、彼女達は御坂など必要としていない。
あの御坂を慕う打ち止めの純粋な瞳に偽りがあるとも思えないのに、浮かんだ思いはずいぶんと淋しい結論だった。
「何て言うのかな。打ち止めが嬉しそうに一方通行のこと話すのを聞いて、一応納得はしたの。
実はいい奴とか思ったわけじゃないわよ。
でもアイツは打ち止めが……妹達が頼るに価する奴になってて、その関係に私が口なんか出しちゃいけないって」
一方通行に立ち向かったあの日、とてもあの少年が憎らしかった。
恐ろしかった。
何となく漠然と自分は彼に謝られるべきなのだと思っていた。
自分の軽々しい行動を無かったことにしたくて戦っていたくせに、
妹達を救おうとする自分に酔っていたのかもしれない。
今だってあの赤い瞳に睨まれれば恐怖に震えることもある。
血に伏せた赤を思い出してはらわたが煮え繰り返る思いを抱いたこともあった。
あの人は本当はやさしくて。
あの人は本当はとても繊細で。
あの人は本当は実験なんてやりたくなくて。
あの人は本当は誰も頃したくなんかなかった。
打ち止めが言っていたことをすべて鵜呑みにするわけではないし、
今更いきなり好意的に見ろだなんて言われたところで無理がある。
しかし御坂は彼のことも、妹達のことも何も知らなかったのだ。
そう気がついた時、御坂は彼に対する自分の態度を見失った。
110: 2011/09/02(金) 21:45:35.63 ID:XCR2rYwro
「それに悔しいじゃない。私だってあの子達を助けようとした。
……結局何もできなかったけど。何も知ろうとしなかったけど。勝手に終わったんだと思い込んでいたけど。
でも、少しは……少しはあの子達の助けになれたんじゃないかって思ってたのに」
化け物だと、そう蔑んでいたはずの一方通行は彼女たちに頼られたのに、自分は頼られなかった。
「結局嫉妬してんのよ、私。
心の底ではまだアイツのこと軽蔑し続けて、選ばれたのが私じゃなかったことに腹を立ててる。
……性格悪いでしょ? それを思い知らされるのもいや」
上条のようにどんな幻想も砕いてしまうような人間であったならばよかったのかもしれない。
だが御坂はそんな『自分だけの現実』など持ち合わせていない。
だから、御坂は一方通行が嫌いだ。
複雑に嫌いなのだ。
なんと根強いのか。
世界を救うために肩を並べてもなお解けなかった蟠り。
会話もろくにせず、目すら合わせず。
周囲も気を使ってくれていたのだろう。
不安定な形を保ち続けられた二人の関係。
それでも再会により再開してしまった御坂の思いは動き出してしまった。
二人の問題であるはずなのに、
たった一人で繰り返された自己問答は約一年という期間を経て彼女の中に一つの解答を生み出す。
「全部私側の問題なの。
例え一方通行が本当は笑っちゃうくらいの善人だったとしても、きっと私達はこのままだと思う。
私が受け入れられないんだもの。
だからきっと関係の改善は無理! 空気悪くしてごめんねー?
……でもそれでいいんじゃないかな。
私とアイツが仲良くしなきゃいけない理由なんてないもの」
これではただの独白。
相談に乗りたいと言ってくれた相手にたいして、ただ意見を押し付けるだけの不毛な行為。
上条を見ていたはずの視線はずいぶん前に落ちきって、
チェックのスカートを握る自分の白い指だけを見つめ続けていた。
111: 2011/09/02(金) 21:46:25.53 ID:XCR2rYwro
「……なあ御坂」
どきり、と胸が疼く。
痛くもあり甘くもあるその疼きは、続く少年の言葉を恐れているからなのだろうか。
それとも、期待しているからなのだろうか。
「俺は御坂がそれで納得してるっていうなら、俺が口を出す権利なんてないんだと思う」
でもさ、御坂。
囁くような声が耳の奥で反響して、胸にゆっくりと落ちてゆく。
「ならなんで、御坂はそんな辛そうな顔でそれを俺に教えてくれたんだ?」
「……」
「お前、納得できてないんだろ。
自分の出した答えに、納得してない。だから違う答えが欲しくて俺に教えてくれたんだ」
かっ、と目頭が熱くなった。
――そんなのわかっている。
そう叫びそうになった。
納得なんてしているわけがないのだ。
妹みたいな愛らしい少女が恋をするその理由を理解したい。
頬を染めて語る言葉に同意してあげたい。
純粋に、素直に、幸せになろうとする彼らを祝福してやりたい。
でもどうしたって邪魔をする感情が少女の中にはあふれすぎていた。
だから仕方がないのだと、そう結論づけるしかなかったのに。
「お前側の問題だっていうなら、尚更だ。他人を変えるよりも自分を変える方が簡単なんじゃないかな。
……だってほら、前の御坂だったら俺にこんなこと教えてくれなかっただろ?
今はこうして教えてくれるようになった。それってすごいことだと思うんだ」
優しい声だった。
考えすぎて、思い込みすぎて凝り固まった心をゆっくりとほどくような声。
112: 2011/09/02(金) 21:47:26.99 ID:XCR2rYwro
確かに彼の言うように本当に自分は素直になった、と思う。
まだ上条に思いを告げる勇気は無いけれど、
強がることだけが取り柄だった自分がたった一年でこうも変わった。
変えてくれたのは他でもない。
この上条当麻だ。
その上条が言うのだから、確かにその言葉に間違いは無いのかもしれない。
しかし。
「少なくとも俺は……お前にそういう顔をさせる幻想なんて、ぶち壊してやりたいと思うよ」
――ああ、なんてずるい男なんだろうか。
反発するつもりだった。
何がわかるんだと鼻で笑ってやるつもりだった。
でも――そんな風に言われてしまえば、もう素直に頷くしかないではないか。
なんて、なんてずるい。
涼やかな風が吹いて震える指先を優しく撫でた。
視線の先に笑う上条の姿が見える。
「なあ御坂、納得できてないんだったらこれから一緒に考えていかないか?
お前の、納得できる思いってヤツを、さ」
「……ばぁか」
なんて、ずるい。
「うん、馬鹿だ」
だけどそんな上条当麻が、御坂美琴は愛おしいのだ。
愛おしくてたまらないのだ。
←----------------------------------------------------------Interval----
125: 2011/09/06(火) 23:46:33.45 ID:MI0JDYI3o
上条が消えていった玄関を見つめたまま、インデックスはただ一人玄関で立ち尽くしていた。
その翠色の瞳に熱はなく、感情もなく、まるでただのガラス玉。
瞬きすらしないそれは見るものが見ればとある自動書記を思い起こさずにはいられないだろう。
その瞳で少女は何を思っていたのか。
彼女の顔に感情が揺らいだのはそれから数秒後、
大分質量感の増した猫がにゃあと鳴きながら足元に擦り寄ってきた時のことだった。
「……スフィンクス……」
インデックスは弱々しく笑って、猫を抱き上げる。
毎日のようにその腕に抱いていたせいか、その変化を意識することは滅多になかったが
今日はやけに子猫だったはずの愛猫の重みが腕に食い込むようだった。
「スフィンクス、本当におっきくなったかも」
ポツリと呟いて薄く口の端をつり上げる。
スフィンクスでさえもここまで大きくなったというのに
自分の成長を見遣ればそこにあるのはほんの数センチ伸びただけの身長。
はたして心は――成長できたのだろうか。
「スフィンクス」
名前を呼ぶと、スフィンクスはにゃあと鳴く。
「インデックスは大人になれるかな?」
疑問を問うと、スフィンクスはもう一度にゃあと鳴いた。
「そうだよね……悩むのは私らしくないかも」
自己分析を告げると、やっぱりスフィンクスはにゃあと鳴いて。
「イイ、オンナかぁ」
インデックスは小さくため息をついた。
いくら前向きに考えたところで、おそらく自分は悩むことをやめられはしないだろう。
御坂とデートに行ったのであろう上条を思えば焦燥感に煽られた心はすぐにでも音を立てて軋みはじめる。
ただ上条を思うだけでインデックスは罪を重ねてゆくしかなかった。
126: 2011/09/06(火) 23:47:02.00 ID:MI0JDYI3o
どこで間違ってしまったのだろうか。
ずっとそう思っていた。
上条当麻がインデックスを縛る負の鎖を断ち切った瞬間、
確かに彼の瞳に映っていたのはインデックスただ一人であったのだろう。
自惚れているわけではない。
例えついさっき出会ったばかりの人間であろうとも、助けを求められたならば全力で守り抜く。
上条当麻がそういう男であるというだけの話だ。
でももし、本当に『あの時』の上条が運命的な邂逅を果たした少女だけを見ていたのだとしたら。
確かに感じた心の交流が幻想ではないのだとしたら。
その関係が変わったのは間違いなく上条当麻の一度目の氏であるのは疑いようもないだろう。
どちらの上条の方が好きだったとか、そんな次元で話を語るつもりはない。
インデックスを助けた上条当麻とインデックスを守り続けた上条当麻。
少女にとってはどちらも上条当麻であることには変わりが無く、かけがえのない大切な人だ。
しかしもしそこに違いがあるとするならば、インデックスが上条を繋ぎ止める――
再び強く心を通わせる努力を怠ったということなのかもしれない。
なんてことだ。
結局悪いのは自分じゃないか。
これでは恨み言を吐く資格すらない。
インデックスは強く唇を噛みながら不器用に笑った。
こんな辛い思いをするのならば、始めから恋なんてしなければよかった。
いっそ今からすぐにでも忘れてしまおうか。
――なんてことが少女にもできたら良かったのに。
そんなことが不可能なのは二年前、意識を取り戻したまさにその時から理解していたことだった。
ならば。
切れた糸の存在を笑って見ることも忘れることもできないのならば、
もう一度繋ぎ直すしか彼女に道は残されていないではないか。
127: 2011/09/06(火) 23:48:28.69 ID:MI0JDYI3o
ぐ、と修道服を掴んで、その白を瞳の奥に焼き付けてゆく。
インデックスはゆっくりと息を吸って、それから意志のこもった瞳で上条の出て行った扉を見据えた。
「スフィンクス!」
にゃ? と語尾に疑問符がつくような調子。
まるで人間みたいな受け答えをするスフィンクスの声にインデックスは笑った。
それはいつか地獄の底について来てくれるのかと、そう上条に問い掛けたあとの笑顔のように完全無欠だった。
かつて、祈りは届くのだと言ったのは他でもない自分だ。
「私、イイオンナになるんだよ!」
もし今の上条が自分を見てくれないのだと言うのだったら、また見てもらえるように自分が変わればいいだけ。
それは自分を見放したくない少女の最後の悪あがきに過ぎないのかもしれなかったが、
少なくとも悩みつづけるよりもよっぽど建設的な意見に思えた。
ぐだぐだ悩むのはもうおしまいだ。
「こうしちゃいられないかも」
インデックスの脳裏に上条の言葉がリフレインする。
家事スキル。
重要キーワードは間違いなくこれであろう。
最近は上条が事あるごとにそれを口に出すのもあって、それなりに手伝いをすることは多くなっているとは思う。
ただし今の所手を出せているのは機械を使わないような仕事ばかりで、
さらに機械化の進むこの学園都市ではそんな仕事はごくごく少なかった。
当然だとは思うが、もちろんそれで上条を満足させることなどできやしない。
そう、彼が求めるのは良妻のステータスだ。
料理、洗濯、掃除に旦那の世話。
古来よりジャパニーズヤマトナデシコが良妻になるため婚前に済ませるという儀式があるらしい、
という話をインデックスは聞いたことがあった。
つまりそれは。
「花嫁修業、だよ!」
128: 2011/09/06(火) 23:48:58.64 ID:MI0JDYI3o
突き抜けたような明るい声が狭い部屋へと響き渡る。
思い立てば居ても立ってもいられない、
がやむを得ずモットーになっている銀髪の少女はスフィンクスを抱えたまま家の外へと飛び出した。
扉を開け放った瞬間、暖かな陽射しがインデックスを照らす。
それは彼女の未来をも輝かせているのだろうか。
真相はわからぬが幸先は良いし気分も良い。
スフィンクスを抱え直して学生寮の廊下を歩きながら、
少女はこれから始まるであろう苦難の修業について思いを馳せた。
まず考えなくてはならないのは教えを請う師匠とも呼ぶべき人間について、だろう。
独学という手もあるがいくら特級品の記憶力があろうと
本を読んだだけで全てがこなせると思う程少女は甘ったれてはいない。
経験の大切さを、知識しか持たぬインデックスは痛いほど知っているつもりだった。
ではいったい誰に師事すべきなのか。
当然のようにまず思い浮かんだのは隣人の義妹たる土御門舞夏だった。
彼女の料理の味がそこらの料理人を軽く超越しているであろうことは、
インデックスは自らの舌をもってして知りつくしている。
さらに家政のなんたるかを学ぶことをこの学園都市での目的としている舞夏の家事スキルは完璧だった。
もし可能であれば彼女にお願いをするのが一番の近道であることは明白だろう。
しかし、だ。
インデックスは通り過ぎたばかりの人の気配のない土御門の部屋をちらりと振り返って唇をとがらせた。
彼女はその在籍する学校の特性ゆえ神出鬼没であり、非常に多忙である。
果たして弟子をとる余裕などあるのだろうか。
さらにもう一つ問題点をあげるならば、
舞夏の数少ない残り時間を奪うことは彼女を溺愛する義兄のいらぬ恨みを買う可能性もあった。
そうなると土御門舞夏という選択肢を選ぶのはいささかリスクが高い、ということになる。
むむむ、とさらに唸りながら階段をゆっくりと降りる。
インデックスは考え続けた。
129: 2011/09/06(火) 23:49:52.99 ID:MI0JDYI3o
では月詠小萌はどうだろうか。
彼女も教師という生業がある以上多忙であることには変わりがない。
しかし人に教える、という行為を非常に好むあの小萌ならば
インデックスの為に時間を割くことを苦とは思わないだろう。
だがここでも問題が一つ浮上する。
彼女は肝心の家事スキルが心許ないのだ。
直接出来る出来ないの問いを投げかけたことがある訳ではなかったが、
小萌が作る料理というのは鍋とか焼肉とかそういう類のものばかりである。
さらに掃除が不得意であるのは出会いの時点で予想がついていた。
ならば姫神秋沙はどうだ。
寮の前の通りを抜け、目的もなく大通りを歩きながら、なおもインデックスは考える。
「……あいさはダメかも」
黒髪が美しい少女の顔を思い浮かべて――しかしインデックスはすぐに首を振った。
料理が上手い、というのは上条から聞いたことがある。
それに姫神は大和撫子をそのまま具現化したような楚々とした少女だ。
掃除洗濯だってお手の物である可能性は高い。
だが彼女も上条に思いを寄せる少女のうちの一人なのである。
彼女に彼の為に覚える家事を教えさせるのはどうしても抵抗があった。
同様の理由で御坂妹も駄目。
そして一番の親友とも呼べる風斬氷華の神出鬼没具合はもはやどうにもならないレベルである。
そもそも浮世離れした彼女達に家事をやる必要があるのかと考えれば、何となく教わる気にはなれなかった。
さて、そろそろ学園都市での友人が尽きつつあるわけだがどうしようか。
道の往来でついにインデックスは立ち止まり、考え込んだ。
人通りの多い中、少女の周囲だけに微かな人の流れの乱れが生じる。
やはり無理を承知で舞夏に頼むべきか――。
130: 2011/09/06(火) 23:50:19.33 ID:MI0JDYI3o
「シスターさんこんにちはー! ってミサカはミサカは突撃ーっ!!」
「ぎにゃ!?」
「ひゃぶふっ!?」
131: 2011/09/06(火) 23:50:57.38 ID:MI0JDYI3o
――ああ、憐れ。
いったいインデックスが、スフィンクスが何をしたというのか。
油断していた。
完璧に、完全に、確実に、油断していたのだ。
突如襲来した鎖骨の辺りに食い込むような衝撃と同時に上がったのは、
猫の断末魔の声と乙女にあるまじき奇妙な叫び声。
突き刺さるように飛びついてきた何かはまるで弾丸のようで、
少女の華奢な体を確実に穿つほどの勢いがついていた。
というかこれは骨が折れたんじゃなかろうか。
思わずそう錯覚するほどの激しい鈍痛。
思わず喘いだインデックスは、そのまま跳ね飛ばされるような体勢で後ろへとひっくり返りかけ――
地面に衝突することなく柔らかい何かに受け止められる。
それはよくある、ぽよんっ、みたいなアレだった。
つまり女性の胸部に付いている自前のクッション材である。
「こら、最終信号。そろそろおちびじゃ無くなってきたんだからそうやって全力で人に飛びつくのやめなよ。
この前だってあの人、頃しかけたでしょ。まあミサカとしてはかなり面白かったけど☆」
少女の頭を受け止める柔らかな双丘を確実に感じながら聞こえてきたのは
忠告するような口調ながらもどことなく楽しそうな声。
こんな物言いをする知り合いなどインデックスには一人しか居ない。
姿は見えねど間違いなく番外個体だ。
しかしこういうのは本来上条の役割なのだと思っていたのだが。
どことなく釈然としない思いを抱きつつも背後の人物の手を借りてインデックスは体勢を整える。
「あ、ありがとう、わーすと」
「ミサカは最終信号が人頃しになるのを回避しただけだし」
同時にスフィンクスの無事も確かめるが、
腕でしっかり抱えていたのが幸いしたようでどうやら潰されたわけではなさそうだった。
断末魔だと思った声はただ単に驚きの声だったのだろう。
正直墓を作らねばならぬ可能性も危惧していたので本当に良かった。
まだ怯えているスフィンクスの喉元をごろごろと撫でて機嫌をとる。
まあ、いろいろと飼い主が厄介ごとに巻き込まれているせいで、スフィンクスは肝の据わった猫だ。
心配はいらないだろう。
132: 2011/09/06(火) 23:51:33.93 ID:MI0JDYI3o
と、インデックスは修道服の裾を何者かがちょいちょいと摘んでいるのに気がついた。
「だ、大丈夫? シスターさん、ってミサカはミサカは自分の失敗に焦ってみる……!」
しょぼん、と眼前で揺れていたのは項垂れる頭とアホ毛。
テーマカラーと化している空色のワンピースに身を包んだその姿は弾丸、ではなく打ち止めのものだった。
ようやく襲撃者の正体に合点がいったインデックスはまだ痛む鎖骨を自覚しながらも柔らかく笑う。
「な、なんとか大丈夫。……ちょっとびっくりしたかも」
「うぅ、ごめんなさい……、ってミサカはミサカは海よりも深く反省してみたり……」
少女の気分と共に項垂れてゆくアホ毛の様子がなんだかちょっとおもしろかったが、
どうやら本当に反省しているようだ。
その様子を見るだけで不満を言う気など吹き飛んでしまった。
しかしインデックスが何も言わずとも、番外個体は黙っているつもりはなかったらしい。
「この前もあの人にこっぴどく怒られて同じこと言ってたじゃん。本当に反省してるのかにゃーん? けけけっ」
「し、してるもん! ってミサカはミサカはこの垂れ下がったミサカのシンボルをアピールしてみる!」
「垂れ下がったミサカのシンボルって表現、なんか卑猥だよね☆」
「ちょっと番外個体、いたいけな少女であるこのミサカの前でなんてことを、
ってミサカはミサカは禁則事項ーっ!!」
途端、眼前で繰り広げられ始めた姉妹――たぶん姉妹――の丁々発止のやり取りに
自然とインデックスの口元は緩んでいった。
正直、もっと気まずい再会を果たすのだろうと懸念を抱いていた。
一週間前のファミレスでのやり取りで打ち止めに抱いていた隔意。
それが一瞬で薄れてゆくのを感じる。
我ながら調子がいいとは思うが、それ以上の安心感が少女を満たしていった。
133: 2011/09/06(火) 23:52:57.21 ID:MI0JDYI3o
――大丈夫だ。今の自分はそんなものに左右されずに笑うことができる。
それが分かっただけでも十分だった。
あとは底なし沼のような陰気な自分に引きずりこまれぬよう気をつければいいだけのこと。
インデックスはまた華やぐような笑顔を浮かべて思考を切り替えた。
「私はもう気にしてないから大丈夫だよ」
「ううっ、シスターさん、ってミサカはミサカは……」
「それより本当にらすとおーだーは大きくなったから気をつけた方がいいかも」
追いつかれるまであと何ヶ月だろうか、というところまで迫った少女を見遣りながら
インデックスは手の平で打ち止めの身長を指し示す。
御坂家の遺伝子を受け継いでいるであろう少女の背が伸びることはもともと予想のついていたことであったが、
打ち止めの身長はこの一年でそれこそ文字通りにょきにょき伸びた。
御坂が14歳にしてすでに160センチを越える身長を持っていたことを鑑みても早熟な家系なのだろう。
一年前、ファミレスで一方通行に初めて写真を見せてもらった時のことが懐かしかった。
――あれ、そういえば。
ふと、違和感に気がつく。
「……珍しくあくせられーたは一緒じゃないんだね」
目を凝らしても空色といつも共にある白はどこにもいなかった。
打ち止め以上に彼に気まずい思いを抱いている身としては実はちょっと助かっているのだが、
インデックスの印象としては一方通行と言えば打ち止め。打ち止めと言えば一方通行である。
なんとなく物足りなさを感じるのも本音だった。
「めンどくせェ……ってあっさりフラれたんだよ、
ってミサカはミサカはあの人の声真似をしながら落ち込んでみたり」
「だからいつまでたってもモヤシなんだっつってんのに第一位も学習しないよね」
「それで結局今日は番外個体と二人でお買い物なのだ、
ってミサカはミサカは何だか最近元気のないあの人が心配で上の空なことを番外個体に隠しつつ――はうっ」
「隠すってんならせめてそのそぶりくらい見せなよ、おちび」
134: 2011/09/06(火) 23:53:25.71 ID:MI0JDYI3o
――元気が、ないのか。
口数の多い二人の言葉の中に気になる単語を見つけて、インデックスは唇を軽く噛んだ。
自分の言葉ごときで彼が一週間も落ち込むものかと思いながらも
多少なりとも心当たりがあるだけに罪悪感がちくりと胸を刺す。
この二人がそれを知ったらと思えば余計その痛みは強くなるようだった。
いや、まさか、ありえない。
言い聞かせて首を振る。
だが万が一という可能性だって捨て切れない。
やはりもう一度きちんと謝るべきなのだろうか。
インデックスはぎゅ、と拳を握りしめ顔を上げて――。
「ところで、シスターさんはどこに行くところだったの? ってミサカはミサカは尋ねてみたり」
「えっ?」
口を開く前に先手を打たれた。
「この辺りでシスターさんを見かけるのって珍しいから、
ってミサカはミサカはミサカネットワークを使って出した統計を元にしゃべってみる」
その言葉にはっと気がついて周りを見渡してみれば、確かにそこはインデックスにとって馴染みの薄い場所だった。
考え事をして歩いていたせいで知らないうちに普段なら近寄らない場所に迷い込んだらしい。
ほう、とインデックスは銀髪を揺らしてため息をついた。
相変わらず視野の狭い自分に自分で呆れる思いだ。
もし己が持つ完全記憶能力に人格があれば、それを生かせぬ宿主に愛想が尽きて見捨てるレベルだろう。
しかしここで落ち込んでいても何も意味はなかった。
「うー……どこっていうか、師匠を捜し求めている途中だったんだよ」
「ししょう?」
「うん、花嫁修業の師匠」
135: 2011/09/06(火) 23:53:57.50 ID:MI0JDYI3o
もちろん、なぜそんなものを探すに至ったのかという過程の情報を一切省いた少女の説明で
全てを理解できるものなどいるわけがない。
打ち止めどころか番外個体の頭上にすら疑問符が浮かんでいるのを見て、
インデックスは握りしめた拳を胸の前に掲げた。
「昨今結婚出来ない女性が増加傾向にある中、世間では空前の婚活ブームが巻き起こってるかも。
そんな中で勝ち組となるにはただ微笑むことだけが取り柄のお人形でいちゃいけないんだよ!
仕事に自己を見出だす女性が多い今だからこそ、炊事洗濯掃除の家事スキルは重要!
やっぱり何だかんだ男の人の心を掴むのはおいしい料理に温かな家庭。
女子力アップの為にも今こそ花嫁修行かも!!
私もまだ若いからってうかうかしていられないと悟ったんだよ。
こういうのは早ければ早いほどより多くの経験を詰めることになるんだから!」
さすがに上条当麻のため、とはっきり言うのは憚られたので
お昼のワイドショーで手に入れた適当な知識を披露してお茶を濁しておく。
正直バレバレのごまかし方だとは思ったが、こういうのはごまかしたいという意思を伝えるのが重要であり
実際ごまかせるかどうかはさしたる問題ではないのだ。
それが相手が思いやりにあふれる人間ならなおさらである。
しかしインデックスに思いやりを期待された打ち止めの反応は彼女のどんな予想とも違ったものだった。
「お。おおおおおおお!!!!!
つまりミサカもあの人の立派なお嫁さんになるために今から花嫁修行をした方がいいってことだね、
ってミサカはミサカは目から鱗を落としてみたり!」
「えっ」
「えっ?」
「……」
「……」
はたして打ち止めの期待と輝きに満ちた瞳を裏切れる人間がこの世にいるだろうか。
136: 2011/09/06(火) 23:55:07.27 ID:MI0JDYI3o
「そっ……、その通りかも!」
――いや、いない。
「らっ、らすとおーだーの心のこもった手作り料理であくせられーたもきっとメロメロなんだよ!!」
「ふ、ふおおおおお! ミサカにメロメロなあの人! きゃー、恥ずかしいっ、
ってミサカはミサカは……きゃーきゃーきゃあぁああっ☆」
たとえさらに重ねてしまった適当な言葉で打ち止めのテンションがやばいことになろうとも、
通り過ぎる学生達に奇異の目で見られようとも、インデックスにはもうどうすることもできなかった。
「あれ……すっげえツッコミたいんだけど、何なのこの最終信号の反応。
ミサカの学習装置がおかしかったのかな……」
唯一冷静な番外個体の視線のなんと痛いことか。
別にインデックスは嘘をついたわけではないのでなんとか許して欲しいものである。
ただ単に保証ができないだけで、あくまで嘘はついていない。
何度でも主張しよう。
嘘はついていないし、そうそう間違ったことも言っていない。
だが沸き上がる罪悪感とそれは別問題であった。
「ミサカも花嫁修行するー!! ってミサカはミサカは大決心!」
「ええっ!?」
「えー、マジでするの?」
「あったりまえでしょ! 番外個体も一緒にしようよ、
ってミサカはミサカはいかにも行き遅れそうな末っ子を心配してみる」
「はぁっ!? ちょっとおちび! こんなイイ女代表みたいなミサカを捕まえてなんてこと言うわけ!?」
「でも嫌がるってことは女子力に自信がないってことなんじゃないの? ってミサカはミサカは鼻で笑ってみたり」
137: 2011/09/06(火) 23:55:58.22 ID:MI0JDYI3o
「女子力(笑)」
「料理作ったことないとか(笑)メシマズ女(爆)」
「……ッ!! う、うわああああ! ちょっとミサカネットワークに余計な情報流さないでよ、最終信号!!
ぐ、ぐ、ぐ! 悔しいいいいいいい!!
ミサカもやってやるううううううううッ!!!!!!」
もはや打ち止めの勢いは誰にも止められない。
ついに最後の砦である番外個体も攻略される頃には、インデックスはもうどうでも良くなっていた。
家事スキルが鍛えられるのならばそれでいい。
それだけでいい。
たぶん打ち止めにとっても悪いことにはならないだろう。
たぶん。
あくまでたぶん。
「場所なら提供するから、早速始めようよ! ってミサカはミサカはシスターさんをおうちに招いてみたり!
三人いれば師匠なんていなくてもなんとかなるはず、
ってミサカはミサカはすぐにでも始めたくてウズウズしてることを伝えてみるっ!」
「そ、そうだね……」
こうして輝く少女の瞳に圧倒されて、
インデックスは黄泉川家へと強制連行されることとなったのだった。
引っ張られて走る中、白い少年のため息が聞こえたような気がしたのはきっと気のせいであろう。
146: 2011/09/13(火) 22:09:00.56 ID:j1Vs7aWDo
◇ ◆ ◇
147: 2011/09/13(火) 22:09:55.25 ID:j1Vs7aWDo
近頃の黄泉川家といえば朝であろうが夜であろうが騒がしい、というのが常である。
約一年前に同居人が増え、二ヶ月ほど前に留守にしがちだった彼らが家に居着くようになった。
賑やかなのは主に二人の少女が原因で、
絶賛学生生活満喫中の元研究者がそれに乗っかり黒一点の白い少年をからかう。
それがいつもの光景でお決まりの風景だ。
少年――一方通行がどんなあしらい方をしようとも彼女達の姦しさには敵わなかった。
そして家主はといえば相変わらず教師にアンチスキルにと忙しそうに奔走している様子だったが
――たとえ理事長の交代によるごたごたで普段の倍忙しかろうと――
帰る家が賑やかであるのが嬉しいのだろう。
機嫌の良い彼女が帰宅すると家の騒がしさはさらに上がった。
昔から女が三人寄れば姦しい、というがそれが四人ともなればさもありなん、と言った所だろうか。
――だが、今は別だ。
ソファにだらりと寝転がりながら、一方通行は欠伸を噛み頃した。
知らず零れた涙に、追っていた本の文字が滲んでゆく。
黄泉川はアンチスキルの仕事で朝からおらず、
芳川は在宅しているものの試験が近いとか何とかで部屋にこもりきりだ。
曰く一度大学を卒業していても専門分野でなければ案外忘れているものだ、とのこと。
教員免許取得の為に数年ぶりに大学に通うことを選んだ彼女だったが、
再びやってきた学生生活をそれなりに楽しんでいるらしい。
六月頃まで自分がいかに大学で浮いているかを嘆いていたものだが、近頃そんな愚痴も聞かなくなっていた。
つい一年前までニート寸前、というかニートであった彼女が今では立派なものである。
閑話休題。
そしてこの家で一番喧しい少女は二番目に喧しい最年少――実年齢――と共に街へと繰り出している最中だ。
本当は少年も誘われてはいたのだがいかんせん気乗りがしなかった。
ずいぶんと文句を言われたものだったが、
おかげでこの静かな空間を手に入れられたかと思えばそう悪いことばかりでもあるまい。
148: 2011/09/13(火) 22:10:25.28 ID:j1Vs7aWDo
「ふ……ァ……」
再びせりあがってきた欠伸を必氏で噛み頃して瞳に瞼の帳を下ろす。
最近眠りの深くなってきた自分を危険だと思いつつ、一方通行の意識は徐々に安寧の闇へと――。
「ただいまー、ってミサカはミサカはドアを勢いよく開け放ってみたりっ!!」
沈む前に一気に覚醒させられた。
ただでさえ賑やかな少女の声と共にあえて表現するならばどかん、とかばこん、みたいな激しい打撃音が鳴り響く。
どうやらつかの間の静寂は早くも終了のようだ。
ほう、と息を吐いて滲んだ水分を拭き取ると目の周りの薄い皮膚が少しだけ痛んだ。
「今帰りましたわ! あなたー、ってミサカはミサカは新妻の帰還を告げてみる!」
「誰が新妻なのさ」
「おっ、おじゃましまーす……」
ゆっくりと起き上がる一方通行の耳に届いたのは三種類の声質だった。
思わず首を捻って未だ姿を現さない少女達がやって来るであろう木製のドアを見遣る。
聞こえた順に二番目までは予想したとおりの声が聞こえただけだったが、
三番目は予想外ながら聞き覚えのある声だった。
少し意外だ。
来訪者の姿を思い浮かべてさらに首を捻った少年の横で、カランと杖が小さく傾いた。
「あなたー! ミサカのお帰りだよ。ただいま、ただいま、ただいまー、
ってミサカはミサカは返事を激しく要求してみたり!」
再び大きな音と共に扉から現れたのはやっぱりアホ毛の幼女と。
「静かにしろ、クソガキ。ご近所迷惑だろォが」
「あなただって普段人のこと言えないじゃん。あ、ただいまー」
そして目つきの凄惨な少女。
「……なんか今凄く失礼なこと考えなかった?」
「わっ、わーすと……いきなり殺気だたないで欲しいんだよ」
さらに二人のミサカに圧倒されて挙動不審な暴食シスター、プラス猫だった。
149: 2011/09/13(火) 22:11:11.56 ID:j1Vs7aWDo
二重の意味で珍しい光景である。
思わずじ、と少女の翠色の瞳を正面から見据えるとすぐにその視線は動揺に揺れて明後日の方向へと逸らされた。
インデックスとは先日の邂逅から一度も顔を合わせていなかったから、一週間ぶりということになるのだろう。
別にそれくらい顔を合わせないこと自体は仲の良い友人同士を気取っているわけでもなし、
別におかしなことではない。
だが最後のやり取りが彼女の中で未だ引っ掛かっているのだろうか、
白い少女はこちらを見まいと必氏な様子である。
気にしなくてよいと言ったはずだが彼女の中で消化しきれなかったのだろう。
だいたいインデックスは一方通行の御坂への思いを少し誤解して受け止めている節があったから
尚更なのかもしれなかった。
しかしどうにもこういう状況は苦手だ。
頭を掻き回して視線を床に落とす。
「……珍しくしおらしいじゃねェか」
「ふえっ!?」
対応に迷った末――一方通行はとりあえず思ったことだけを口にだしてみた。
インデックスの小さな口が変な形に歪んで奇声が飛び出す。
二、三度ただ瞬きだけしていた彼女はその言葉の意味を飲み込むと一気に不愉快そうな顔つきになった。
「めっ、珍しいってどういう意味なのかな! 私だって初めてのお宅にお邪魔する時は緊張くらいするかも!」
「どォだか。初対面の奴にすげェ量奢らせておいて一言の礼で済ませた奴だぞ」
「うぐぐぐっ。そもそも隣人を助けることは当然であって……」
「あァ、俺そォいうの興味ないンでェ」
ふい、と視線を逸らして飲みかけだったコーヒーに右手を伸ばすと、
視界の端でインデックスの表情が複雑な色を帯びた気がした。
その表情の意味を考えるより前に、飛びついてきた打ち止めによって至福のコーヒータイムすら中断させられる。
150: 2011/09/13(火) 22:11:45.11 ID:j1Vs7aWDo
「ねぇ、ミサカがただいまーって言ってるんだよ、
ってミサカはミサカはいつまでたっても挨拶すらまともにできないあなたに不満を感じてみたり」
「うるせェ、クソガキ」
「第一位はコミュ障具合でも第一位だからね☆」
「黙れ性悪。……ところでこの暴食シスター連れてきて何しよォってンだよ。
帰ってきて冷蔵庫が空だったら黄泉川が泣くぞ」
「ちょっとあくせられーた!?」
「ふぎゃッ!!」
――ああ、何にせよ今日は一段と煩くなりそうだ。
そんなことを考えながら打ち止めに拘束された腕とは逆の手でコーヒーを取ろうと左手を伸ばし、
再びピタリと動きを止める。
何故って一方通行がその問いを発した瞬間、
打ち止めの表情がそれはそれは小悪魔のごとく妖艶な笑みを浮かべたからだ。
ついでに番外個体はたいへん稀有な――というか初めてではなかろうか――ことに同情の眼差しを一方通行へと向け、
インデックスはただただ気まずそうな表情を浮かべていいた。
正直これで嫌な予感を感じない人間がいるとすれば是非病院に行くことを勧めたい。
自身に向けられた恋慕の思いに対する上条当麻の鈍感さよりも救いようのないレベルだ。
多分脳神経が繋がっていないので冥土帰し辺りに見てもらうのがいいだろう。
そして三日月型に歪んだ打ち止めの瞳がさらに細められて。
「ミサカたちはあなたの為に花嫁修業をするのだ! ってミサカはミサカは大宣言!!」
「あっ、ミサカとシスターさんはあなたの為じゃないから」
――別にどうでもいいが、余所でやってくれないだろうか。
罰当たりにもそんなことを考えた一方通行を、せめて今だけは許してあげていただきたい。
151: 2011/09/13(火) 22:12:15.16 ID:j1Vs7aWDo
「はい! やっぱり料理からやりたい! ってミサカはミサカは一番自慢出来そうなスキルを推してみる!」
「最終信号が包丁持つとかそこの親御さんが黙ってないんじゃないの」
「ミサカはもう大人だから大丈夫だよ!
台がなくても余裕でシンクに背が届くようになったし、ってミサカはミサカは胸を張ってみたり」
「でもまずは洗濯辺りから攻めるのがいいと私も思うんだよ。慎重さを欠けば事をし損じるかも」
「でもでもっ慎重に行き過ぎてチャンスを逃すのは絶対にダメだよ、
ってミサカはミサカは強硬論を述べてみる」
――いや、チャンスって何だよ。
普段は黄泉川家五人が囲う食卓で、
四人プラス一匹は顔を付き合わせ今後の己が成すべき事について悩み唸っていた。
いや、正確には四人プラス一匹のうち三人のみである。
何故自分がこの話し合いに参加しているのか、
未だに解せない一方通行は頬杖をついてただただ少女達の会話を聞き流しているだけだったし
スフィンクスはいつものようにインデックスの膝の上で半ば眠りながらしっぽを揺らしている。
先程からループしている感が否めない彼女達の会話はあまり聞いていて楽しいものではなかった。
救いはといえば目の前で空気を揺らすコーヒーの香りと味が最高にいいことくらいだろうか。
「ねぇねぇ、あなたはほっぺが蕩けるような料理を作る女性と洗濯物を美しく洗い上げる女性、
隅々まで行き届いた掃除のできる女性のどれが一番好き? ってミサカはミサカは男性に意見を求めてみる」
だが無関係を装おうとしてもそうは問屋が卸さない。
完全に参加の意志を放棄していた一方通行を打ち止めのくるりとした茶色の瞳が見上げた。
どうやら意見を求められているらしい。
そんなのは猫にでも答えさせておけばいい、とは口が裂けても言えなかった。
「……あァ? どォせ最終的には全部やるンだろ。
ならシスターが言うように簡単なのからやった方がいいンじゃねェか」
152: 2011/09/13(火) 22:12:42.36 ID:j1Vs7aWDo
一方通行は聞き流していた会話を反芻すると、質問には直接答えずに
なるべく適当に聞こえないような返答を適当に返す。
だが何かと突っ掛かって来る番外個体の意見はやはり厳しかった。
彼女は鋭い目つきを眇めて、にやりと笑いながら一方通行を見やる。
「さっすがもやしは乙女心を理解してないよね。
やっぱり見栄えのいいスキルを何より早く取得したいもんでしょ。
そんなんじゃ最終信号に見放されちゃうよ? ケケケっ」
「わーすとも料理がいいと思うの?」
「んにゃ。ミサカは中立派だしー」
というか一方通行をからかえればそれでいい派に違いなかった。
「オマエは議論に参加するのがめンどくせェだけだろォが」
「あなたに言われたくない」
「俺は元々関係ねェだろォが」
「最終信号は第一位のために花嫁修業するんだよ? 内心大歓喜でしょうが、この口リコン」
「勝手に言ってろ」
「否定しないってことは認めたってことだよね。うっわ口リコンとかマジひくわー」
「……一歳児の頭の悪さにはついていけねェわ」
「えっ、もしかしてミサカのことも狙ってる?」
「自意識過剰」
「性犯罪者」
「蓮っ葉」
「骨皮」
「屑」
153: 2011/09/13(火) 22:13:16.29 ID:j1Vs7aWDo
もはやただの悪口の応酬と化した最年長と最年少の議論にインデックスと打ち止めは口を尖らせる。
「むー」
「むうう、ってミサカはミサカはシスターさんと一緒に唸ってみたり」
二人の何だか噛み付く直前みたいな唸り声を聞いて、一方通行は番外個体との罵りあいを適当に切り上げた。
「……とりあえず、もォ洗濯は朝やっちまったから無理だろ」
上条が噛み付かれるのを何度か目撃している身としてはけじめの付け所は弁えているつもりだ。
というか上条が弁えていなさすぎなのである。
「あっ、そういえばそうだね、ってミサカはミサカはヨミカワのお手伝いをしたことを思い出してみる」
幸い選んだ言葉は正解だったようで打ち止めはあっさりと唸るのを止めて納得したように頷いてみせた。
「だったら洗濯は今度朝ヨミカワがいるときに教わればいいんじゃない?」
「そうだね、ってミサカはミサカはヨミカワが帰ってきたら早速お願いしてみるのだー!」
これでようやく三択が二択に絞れたようだ。
しかしたったそれだけのことに要した時間を思い起こしてみれば目眩のする思いである。
ちらりと時計を確かめればすでに時計の長針は一の数字を過ぎようとしていた。
「あーっ!!」
と、突如空気を裂くようなインデックスの叫び声が辺りに響き渡った。
何事かと見てみれば彼女は悲痛に顔を歪めて虚空を見つめている。
わなわなと震える姿はずり落ちまいと修道服に爪を立てているスフィンクスと共に悲壮感を漂わせていて。
一瞬緊張が走った――か、に見えた。
が。
154: 2011/09/13(火) 22:13:54.94 ID:j1Vs7aWDo
ぐぎゅるるる、と。
155: 2011/09/13(火) 22:14:24.97 ID:j1Vs7aWDo
擬音で表現するならまさにそんなような、
叫び声に負けず劣らない大きさで響いたのはまごうことのない完璧な腹の虫。
それは少女達の内包するブラックホールが悲痛な雄叫びを上げた音だった。
「お、お腹が……お腹が空いたんだよ!」
「帰れ」
一方通行の冷たい言葉を受けて食卓に倒れ伏したインデックスは恨めしげな視線で少年を睨め付けた。
ただでさえ恐ろしい食べ物の恨みだが、彼女の場合その執着心から考えてひとしおであろう。
なんとおそろしい。
悪鬼のようなその瞳から逃げるように視線を逸らして、一方通行は肩を竦めてみせた。
「そういえばお昼まだ食べてなかったね、ってミサカはミサカは急に空腹感を感じてみたり」
「あー、そろそろ店探そうかって時にシスターさんに会ったもんね」
「うぅ、夢中で飛び出してきたせいでお昼ごはんのこと忘れてたかも」
「シスターさんでもご飯のこと忘れるんだ」
「わーすと!?」
不思議なもので、それが話題に上った途端打ち止めと番外個体も空腹を自覚したようだった。
それを何となしに眺めて、一方通行は果たして育ち盛り娘二人と
ブラックホールの持ち主を満足させるだけの食材があったかと思いを巡らせる。
――結局、一方通行がファミレスにでも連れて行ってご馳走することになるのだろう。
最近己に根付いた財布キャラを忌々しく思いながらも
お腹が空いたと騒ぐ人間を黙らせる術を彼はそれしか知らなかった。
しかし特に食事を取りたい欲求があるわけではない身としては動くのが実に億劫だ。
彼も昼食をとったわけではないのだが、
普段の不摂生が祟って満腹中枢が破壊されている身としてはそこまで食事に興味はなかった。
はあ、という一方通行のため息と、
しがみついたままのスフィンクスが修道服からずり落ちる爪の音がハーモニーを鳴らして。
パン、という打ち止めの手を合わせる音が天井に反響した。
156: 2011/09/13(火) 22:15:37.41 ID:j1Vs7aWDo
「そうだ! お昼ごはん、皆で作ってみようよ、ってミサカはミサカは大提案!!」
「えっ、今から?」
「ええー!?」
驚いた声とあからさまに不満そうな声。
打ち止め以外の二人の少女の反応はまさにそれぞれであった。
だがどちらにせよあまり乗り気でないことには変わりがなさそうだ。
当然だろう。
今まさにお腹が空いて氏にそうな人間に食材を差し出したところで調理などせず生のまま食べてしまうのがオチだ。
番外個体はともかく、インデックスの心中はおそらくそんな感じに違いなかった。
しかし打ち止めは止まらない。
拳を振り上げた少女はアホ毛をピンと天に突き立てるようにがたん、と椅子から立ち上がった。
少女の拳がすう、と空に向かって突き出される。
「そうだ、確かに我々は今空腹に苛まれている、ってミサカはミサカは朗々と語り始めてみる」
聴衆三人と一匹を見回す少女の目はまさに演説者のそれであった。
いくら背が伸びたとはいえ、未だおちびで愛らしい声音に迫力はなかったものの堂々たる立ち振る舞いである。
小さな能弁家はさらに拳を振り上げなおも語った。
「だけど苦境に立たされた時に身につけた技術こそが本物たり得るんだよ!
ピンチはチャンス!! 欲しがりません勝つまでは!!!
私達が真なる技術を手に入れるためには自分を追い詰めることも大切なんだよ、
ってミサカはミサカは強く訴えてみたり!」
「らすとおーだー……! 確かにらすとおーだーの言う通りかも!! 神は人に試練を与えるもの。
空腹程度で折れるようでは真の救いは得られないんだね」
打ち止めのどの言葉が彼女の琴線に触れたのか。
もはやそれは誰にも理解できぬことではあったが、どうやらインデックスは感動したらしい。
157: 2011/09/13(火) 22:16:04.63 ID:j1Vs7aWDo
――ガキどものテンションは正直わけわからん。
とりあえず眼前で繰り広げられている寸劇はどうひいき目に見ても茶番以外の何物でもなかった。
「えーと……これはミサカ、ツッコミ入れていいのかな」
「……早く突っ込めよ」
「やん、第一位ったら卑猥☆」
「……」
番外個体は役に立ちそうにもない。
味方をつけることが不可能だと悟った一方通行は一つ嘆息を漏らして、
それから夢見る少女達に現実を教えるべく口を開いた。
「つゥかこの家にオマエらの腹を満たす分の食料はねェぞ。そろそろ芳川も飯食いに顔出すだろォしな」
というか今更だがあの元研究者はよくこんな騒がしい状況で勉強などしていられるものである。
一方通行が脳裏に芳川の顔を描いたのと同様に打ち止めも彼の言葉ではっとしたようだ。
「はうっ……確かに、ってミサカはミサカは気配のないヨシカワに驚いてみたり。
じゃあ急いで買い物に行くよ、番外個体! ってミサカはミサカは末っ子を追い立ててみる!」
「えー、ミサカがいくの?」
あくまで打ち止めは料理作りをいますぐ始めたいのだろう。
少年の水を差すような言葉にも怯まず、負けず。
立ち上がったまま番外個体の服を引っ張り彼女を囃し立てた。
ないのなら用意すればいいじゃない、ということらしい。
買い物に行って帰ってくるのに時間を割けばさらに昼食は遅れることになるのだが、
彼女たちの眼中にもはやそんなものは存在しないようだった。
「だってこの中で一番番外個体が力強いじゃない、ってミサカはミサカは当然の事実を述べてみたり」
「……確かに」
158: 2011/09/13(火) 22:16:41.63 ID:j1Vs7aWDo
ほ、と視線を遠くに投げて。
少し彼女達のやり取りにムカついたのはこの際気にするべきではない。
やりたいとここまで言っているのだから好きなようにやらせるべきなのだ。
だいたい打ち止めや番外個体、ひいては御坂美琴の遺伝子を持つ者が
一度言い出したら聞かなくなることなど、この一年間で嫌と言うほど学んだはずだった。
もう一方通行は諦めていた。
完全に面倒になっていた。
「じゃあシスターさん、ミサカ達が帰ってくるまでしっかりイメージトレーニングしてるんだよ、
ってミサカはミサカはサムズアップしてみたり。
台所をこの人に案内してもらうのもいいかも、ってミサカはミサカは一つ提案を上げてみる」
「えっ、ちょ、ちょっとらすとおーだー!」
だから一方通行は残されたシスターが助けを求めるようににこちらをチラチラと見ていることにも気がつかずに、
二人の少女の背中を見送ったのだった。
帰ってきたそうそう忙しいヤツだな、なんて呑気なことを考えながら。
166: 2011/09/20(火) 23:10:29.78 ID:QN3e0rLmo
妹達が慌ただしく去っていった扉を眺めながら、一方通行はコーヒーマグを静かに手にとった。
喧しい少女たちがいなくなれば再びリビングルームにはしんとした空気が取り戻され、
マグに張った揺れる黒い湖面すら穏やかな様子をかもしている。
一口すするといささか冷めたコーヒーは未だ芳醇な香りを放ち、味も極上とは言えないものの
――もちろん生温いせいで、である――なかなかのものだった。
黄泉川がいつだったか買ってきたものだ。
「なぁーん」
しかしつい先ほどまでの姦しい空気はどこへやら。
本当に静かである。
長閑な空気と共に足元に感じた違和感に視線を向ければ、もぞもぞと三毛の毛玉が蠢いているのが見えた。
どうやらインデックスの膝に固執することを諦めたようだ。
それを適当にあしらいながらカップを傾けていると
ふと、立ち尽くしたままの白いシスターの翡翠色の瞳がこちらを見ていることに気がついた。
「……あくせられーた、あの」
その聞き慣れない緊張を帯びた声音に、
ようやく彼女が一方通行と二人きりになることを恐れていたことに思い至る。
なんとなくごまかせたと思っていたのだが、やはり少女の心とはそうそう簡単なものでもないようだった。
――あなたってば、本当にデリカシーがない。
耳の奥で二人の少女が笑う声が聞こえるようだ。
思わず舌打ちをして片手で軽く頭を覆う。
視界の端でインデックスの肩がビクリと震えるのが目に入った。
――やはり、どうにもこういうのは苦手だ。
167: 2011/09/20(火) 23:12:24.69 ID:QN3e0rLmo
「……また辛気臭い顔してンじゃねェよ」
「そんなに……酷い顔してるかな」
「少なくとも笑ってた方がめンどくさくねェだろ」
苦しまぎれに吐き出したそれは我ながらどう聞いても憎まれ口だと、
自分の声を他人事のように聞きながら一方通行は思う。
やはり自分には人を慰めることなどできないのだと諦念にも似た感情が湧いた。
だがインデックスはその言葉の意味をある意味で正しく把握したらしい。
「その言い方、あくせられーたらしいかも」
弱々しくはあっても少女の口元は美しく弧を描き、信じられないような好意的な解釈を紡ぐ。
呆れを通り越して感嘆の意すら抱くレベルの脳天気な感想に言えることなど何一つなかった。
赤い瞳を眩しそうに眇めて。
似た者同士が集うものなのか、それとも一緒にいれば自然と似てしまうものなのか。
彼女とあのヒーローはある意味でひどく似通っていた。
人をけして諦めず、祈ることをけして止めず、強い意志で心を犯す黒に立ち向かってゆく。
方法は違えど彼と彼女が実践しているのはそういう生き方だった。
自分に拳を掲げた、打ち止めに歌を歌った瞳を浮かべながら一方通行は思う。
だけど彼らも人間で。
いつしか完全無欠のヒーローなど存在しないのだと教えられた時のことを思い起こす。
そして一方通行は何故か「インデックスは置いてきた」と、そう語る上条の姿を思い出していた。
まだ影が落ちたままの瞳をそっと見つめて静かに声を落とす。
「……三下の為なンだろ」
「えっ?」
「この茶番」
「茶番って、そんな言い方ないかも。……でも、面と言われちゃうとちょっと恥ずかしいんだよ」
168: 2011/09/20(火) 23:13:21.13 ID:QN3e0rLmo
はたして彼女は――『置いて』いかれたインデックスは、その事実に対してどんな感情を抱いているのだろうか。
もちろん納得の上での選択ではあったのだろうけど。
――後悔はしていないのだろうか。
「よくもまァ……。確かに浜面に師匠とか呼ばれてたな」
「とうまのまっすぐな所、見せられちゃうとね。みんなダメみたい」
彼女の翡翠色の瞳は己もその『みんな』の内の一人であることを雄弁に語っていた。
そこに浮かぶ色は時に打ち止めが声に出して主張し、超電磁砲が常日頃発散しているものととても似ていて。
「ダメ、ねェ……」
だが一方通行にはその感情が未だ知れない。
御坂が上条を好意をもって見ていることはすぐに理解出来たし、
浜面と滝壺の姿を見ていればその感情によって形成される絆がいかに強いものであるのかも理解できた。
人は――少なくとも現代日本人は――その殆どがその感情を根本として子孫繁栄の原動力としている。
好きな人と結婚して、好きな人の子供を作って、好きな人と幸せな家庭を築く。
それはおそらく大多数の意識が作った常識で、事実一方通行の中にも知識として存在する認識だった。
理解はできる。
だが、彼は知らない。
自分が今後その感情を知ることなど想像がつかなかったし、現状のままでも彼は満足していた。
だからインデックスに御坂を後押ししていると評された言動も、知らない感情が生み出す、
また別の知らない感情を――しかもあまり良くない類のものであろう――誰かに与えることなど
まったく考慮せず出たものだった。
しかしその一方通行の無神経な言動がこの光に満ちた少女への影を侵蝕を許したのだ。
「別に俺はオリジナル……超電磁砲と三下がどォこォなればいいとか思ってるわけじゃねェ」
「……そうなの?」
つい零れてしまった言い訳じみた言葉に、案の定インデックスが何一つ信じていないみたいな顔で小首を傾げる。
169: 2011/09/20(火) 23:14:07.36 ID:QN3e0rLmo
「俺にとっちゃどォでもいいことだろ」
「……」
本当はどうでもいい、わけがなかった。
インデックスの言うように自分が御坂に対して負い目を持っているのかどうか、一方通行はわからない。
だから少女に御坂との関係を問われたとき本当に返答のしようがなかったのだ。
インデックスはそれを負い目だと表したが感じるような負い目があるかと問われれば些か疑問で、
思い当たる節はいくらでもあったが決定的なものがないのも確かだった。
いや、確かなことと言えばたった一つだけ。
御坂美琴は誰よりも先に一方通行の愚かしい行いを止めようとした人物であり、
自分はその言葉に耳を貸すことすらせずに力で捩じ伏せた。
あそこで彼女の言葉に耳を傾けていれば、などと今更嘆くほど一方通行は己に甘くなどなれない。
何度繰り返そうが一方通行は妹達を殺めることを止めなかっただろうし、
御坂はその実力差にただ立ち尽くすことしか出来ないだろう。
――ならばその事実に対して自分は何を思うのだろうか。
一方通行にはわからない。
考える暇がなかったと言えば、それはただ見苦しい印象を与えるだけなのだろう。
だが少なくとも数ヶ月前までの彼は守りたいものをただ落とさぬようにすることで手一杯で、
――一方通行の預かり知らぬことではあるが、悩みすぎていた御坂とは対照的に――
余計なことに脳を使うのを切り捨てることでその望みを叶えた。
そして全てが終わり時が過ぎて、ようやく一方通行は気がつくことになる。
御坂に対して抱くべき感情を、彼は見失っていた。
170: 2011/09/20(火) 23:14:38.21 ID:QN3e0rLmo
嫌われているのだろう、というのはわかる。
それが当然だからだ。
嫌いではないのだろう、というのもわかる。
見ていても不愉快にならないからだ。
打ち止めを、番外個体を、芳川を、黄泉川を――家族を大切だと思う感情を認めて。
妹達を守りたいという感情を認めて。
上条に抱く憧れを認めて。
だけど御坂に抱く感情はわからない。
正体のわからぬものを一体どうやって認めろというのか。
得意の解析だって出来るはずもなかった。
人への好意というごく簡単な感情すら自分には存在しないものだと決めつけていた人間が、
一体どうしてそれ以上に複雑なものを理解できよう。
だからといって大切なものに近すぎる彼女を無視することも叶わず。
――だが、ただ一つだけ、思うのだ。
「……笑って……笑ってた方が面倒じゃねェだろォが」
眩しかった。
彼女達は自分の理解できないものを当然のように理解して、当然のように笑うことができる。
そしてあの人形であったはずの妹達ですらそれを手に入れようとしていて。
だけど少年は未だこうして中途半端な場所で燻っている。
だから。
「……笑えよ、オマエも」
それは意図せずして滲み出してしまった浅ましい望み。
――身勝手な望みだった。
171: 2011/09/20(火) 23:15:55.00 ID:QN3e0rLmo
自分だってまともに笑えやしないくせに。誰だって笑えない時が存在することを知りながら。
それでも一方通行は望まずにはいられない。
光の住人たちが笑える世界を自分は守れたのだという自己満足のための強要。
自分が叶えられないものを他人に押し付けることで、擬似的な満足感を得ようとする最低の行為。
闇だとか、光だとか。
そんなものにこだわるのはとうに止めたはずなのに、
結局自分はまだ己が闇の中で生きるべきだという捨てきれていないのだ。
一方通行は自分の発言を、愚考を恥じてすぐに首を振った。
そもそも余りに少年らしくない言葉だ。
「……今のは忘れろ。馬鹿な事を言った」
「あくせられーた」
しかし修道女は独白を愚かな事だとして終わらせる事を許さない。
インデックスの清んだ翠色の瞳が首を振った一方通行の濁った緋色の瞳をじっと見つめていた。
見透かすようにも見えるその色は普段は見せないシスターとしての少女の姿を浮き彫りにさせる。
底の知れない湖面のごとく。
生命の象徴たる新芽のごとく。
その色はかつて打ち止めを救った時にも見せていたものだった。
つい居心地の悪さを感じて瞳を逸らしかけて、しかしすぐに翳ったその色に逆に視線が外せなくなる。
「……ごめんね」
「だから」
なおも謝ろうとするインデックスに苛立ちの声を上げる少年を、彼女は頭を振って遮った。
172: 2011/09/20(火) 23:18:31.79 ID:QN3e0rLmo
「違うの、そうじゃなくて。改めてあれはただの私のわがままだったかも、って。
……私、悔しかったんだよ。
短髪には味方がたくさんいるのに、私には誰もいないような気がした。
……ううん。正直、今もなんで私にはって思ってるんだと思う。
シスターなのにね、心の中はぐちゃぐちゃなの。
醜くて、汚くって、罪をいくつも重ねていて。
もしかしたら短髪を恨んでさえいるのかもしれない。短髪は何も悪くなんてないのに。
私はただとうまの隣に居場所が欲しいだけ。
なのにその場所さえ奪われてしまうんじゃないかって思ったら居ても立ってもいられなくなった。
とうまの中に私の居場所がなくなろうとしてるなら、無理矢理にでも作ってやろうって思ったんだよ。
……花嫁修業なんて、笑っちゃうよね。そんなの、私は望んじゃ本当はいけないのに」
最後に添えた小さな呟きは暖かな光を避けるかのように陰へと潜り込みすぐに姿を消す。
それから瞳に落ちた影を振り払って、インデックスはいたずらっぽく笑った。
「……今のは、忘れてほしいかも。馬鹿なこと言っちゃった」
その言葉の意図に気がついて憮然とした表情を浮かべると少女はさらに意地悪そうに笑う。
その笑顔の先に一体どんな感情が隠されているのか一方通行は知らない。
だけど、想像には容易くて。
すとん、と椅子に腰を下ろしてインデックスは続けた。
「……ただ、あくせられーたは優しいだけだったのに」
「俺が優しいって……頭わいてンじゃねェのか」
続けられたのは余りに一方通行にとって受け入れがたく、馬鹿馬鹿しい言葉だ。
本来なら何よりも少女を気遣ってやらねばならぬ時に
こうして自分のことばかり思う人間のどこが優しいというのかと鼻で笑ってしまいそうになる。
「そうかも」
しかしシスターは笑った。
一方通行の皮肉げな笑みを意にも介さず柔らかく、優しく、
まるでその髪と同じ銀色に輝く月のような笑みを浮かべた。
173: 2011/09/20(火) 23:21:03.36 ID:QN3e0rLmo
「でも、ありがとう、あくせられーた。……私、笑うね」
それは弱く繊細であり――強くしなやかな笑み。
一方通行のそれとは違う白く抜けるような肌と、輝く銀色の髪。
繊細かつ幼気な容姿。
わがままで、子供っぽく、食事を頬張る姿を見ればとても修道女には見えぬ少女。
しかしその深い場所には時折垣間見せる強さと包容力を持っていて。
その強さの原動力は上条当麻への思いであるのか、それとも侵蝕しつつある闇から無理矢理捻出したものなのか。
一方通行にはわからない。
否、もしかしたら彼女の役割にこそ強く起因するものなのかもしれない。
禁書目録。
一方通行はその名前が持つ意味を全て理解している訳ではない。
しかしイギリス清教における重要性と、将来彼女が進むであろう道筋だけは想像することができる。
ともすればそれは酷く不幸なことで、
もしや彼女の幼さはその定められた運命に対するせめてもの抵抗なのだろうか。
しかしいくら考えたところで一方通行には彼女の胸の内などどうしたってわからなかった。
インデックスが視線の先で柔かく微笑んでいる。
少女の瞳の色がまた光を湛えてその色を変えたような気がした。
ある意味で痛々しく見えるその色の真意など一方通行にはやはりわからない。
けれど。
少しだけ上条当麻が守りたかったものが何であるのか理解できたと思うのは、ただの気の迷いなのだろうか。
「あくせられーた、私の花嫁修行、応援してくれる?」
「あァ?」
174: 2011/09/20(火) 23:22:13.56 ID:QN3e0rLmo
「私……あくせられーたには応援して欲しいな。短髪だけじゃなくて……私も。
私もう、悩むのをやめたんだよ。
悩んだってただ罪を重ねるだけだっていうなら、例え許されぬことであったとしても
とうまを思う方がきっといいことだから。
だから私は笑えるよ、あくせられーた。笑えるんだよ」
「……」
打ち止めが笑わないのは面倒だった。
番外個体が、芳川が、黄泉川が笑わないのも面倒なのだ、というのは予想している。
きっと御坂が笑わないのも面倒なのだろう。
そしてインデックスが笑わないのも、今の一方通行は面倒に感じるのかもしれなかった。
「……勝手にしろ。止めはしねェよ」
言い捨てて、冷えきったコーヒーを飲み干す。
175: 2011/09/20(火) 23:22:41.75 ID:QN3e0rLmo
遠くで華やかな少女達の笑い声が聞こえた。
186: 2011/09/27(火) 22:33:29.95 ID:iXxqgHlso
------------------------------------------------------------Interval--→
--→ Side : Toma Kamijo --→
187: 2011/09/27(火) 22:34:15.54 ID:iXxqgHlso
上条当麻は眼前で繰り広げられているそれを、到底信じる事はできなかった。
喉の乾きを覚え、ごくりと唾液で無理矢理痛む喉を抑えつける。
「イ、インデックスさん? その……何してるんでせうか?」
「何って晩御飯作ってるんだよ!」
――ああ、世界はきっと今日滅亡する。
188: 2011/09/27(火) 22:34:51.43 ID:iXxqgHlso
◇ ◆ ◇
189: 2011/09/27(火) 22:36:08.08 ID:iXxqgHlso
考えてみれば朝から前触れはあったのだ。
ここ最近インデックスの機嫌がすこぶるいいらしい、というのは漠然と感じていたことだった。
どうやら上条が学校へ行っている間に出かけることも多くなったようで、
何気ない会話の端々に外の単語が増えたような気もする。
しかし何かいいことがあったのかと聞いたところで返ってくるのは猫みたいな笑顔と「別に」という言葉だけ。
どうやら打ち止めや番外個体こそこそと何かやっているらしいと知ったのは、
少女の機嫌がいいことに気がついてから三日目の夕方のことだった。
どうやって何故そんなことを知ったのかといえば、要するにたれ込みがあったのだ。
誰からかって、学園都市在住の妹達からである。
普段は中々冥土帰しの病院から出て来ない彼女たちであったが、その日はやたらと遭遇率が高かったのだ。
まず特売に走る途中でエンカウントした10032号曰く。
「やはりあなたも妻には完璧なスキルを望むのでしょうか、
とミサカは今後の生き方に関わる重要な質問をします」
意味がよくわからなかった。
そして次にレジでエンカウントした10039号曰く。
「上位個体と末っ子がお世話になっております、とミサカは気の利く礼儀正しいところをアピールします」
最近、礼を言われるほど打ち止めと番外個体の世話をした覚えはなかった。
さらにスーパーからの帰途でエンカウントした13577号曰く。
「あのシスターはAB型ではありませんね。
超AB型であるこのミサカが言うのだから間違いありません、
とミサカは彼女の行動を思い出しながら呆れてみせます」
やはり意味がわからなかったが凄く嫌な予感がした。
最後に寮の前でエンカウントした19090号曰く。
「あ、あの……あなたから、このミサカも上位個体の家に行きたいとシスターに、その、伝えてくれませんか?
とミサカは上位個体に断られた事を思い出して肩を落とします」
ようやく事態を少し把握することが出来た。
190: 2011/09/27(火) 22:38:04.09 ID:iXxqgHlso
得られた情報は本当にわずかなものだ。
それというのも、どの妹達も問い詰めると「知らなかったのか」と驚き口を閉ざし
「お仕置きが」とか「抜け駆けが」などとブツブツ呟きながら立ち去ってしまうからだった。
そしてたったこれだけの情報であの上条当麻が真実など紡ぎ出せるわけもなく。
――まあ、うちのシスターさんはともかく打ち止めがいるなら大丈夫だろう。
などと楽観的な感想を抱く他ない。
そして日々の生活に終われ記憶も薄れつつあった頃、ついにその事件は起きたのだ。
その日の朝は、なにやらそわそわしたインデックスにやたらと帰宅時間を問われた。
はて、一体どうしたのだろうと首を傾げたところで天啓が降ってくるわけもなく、
素直にいつも通りの下校時刻を伝える。
特に用事もないし、居残りさせられるような問題も起こしていない。
今日は野菜が安い日なので特売に行くことだけは欠かせないが、
そんなのは毎週の事なのでインデックスとて把握していることだった。
そして純白のシスターはその答えを聞くとやっぱり猫みたいな笑顔浮かべて頷いたのだ。
それが今朝のこと。
で。
今、眼前には包丁を握るインデックスが立っていた。
なんとなくその姿に失くしたはずの記憶が疼いた気がしたが、きっと気のせいだ。
記憶が戻ることなどあるわけがないし、そもそもこんな恐ろしい光景を二度も見たはずがない。
修道服をまるで着物みたいに襷で縛って一心不乱に赤いものを切っている少女。
その横では鍋がグツグツと煮えて何とも言えないスパイシーないい香りと水蒸気を上らせていた。
茶色くて時折根菜っぽいものが浮かんでいるのが見えるそれは、
匂いから察するにおそらく一般的にカレーとか呼ばれているものであろう。
上条も大好物だ。
だが、その存在をはっきりと五感全部で感じながらも上条当麻は信じることができなかった。
191: 2011/09/27(火) 22:38:52.90 ID:iXxqgHlso
まず材料の出所。
キッチンには使い切らなかったらしいじゃがいもやら人参やらがごろごろと転がっている。
そんなもの、今朝までは上条家には存在していなかった。
朝食を作ったのは他ならぬ上条なのだから間違いない。
はたしてそれはいったいどこからやってきた物なのだろうか。
次にインデックスが料理をしているという事実。
確かにこのシスターに料理ができるかどうか、はっきり確かめた記憶はない。
いや、もしかしたらあるのかもしれないが正直覚えていなかった。
だから当然上条はインデックスが料理など出来ないのだと決めつけていて、
要求されるがままにおさんどんをしていたわけである。
しかしなんだ。少女は危なっかしい手つきながらしっかり包丁を扱っているではないか。
そんな技術、いったいいつの間に取得したんだ。
そして何より学園都市製キッチンを使いこなしている姿。
いくら底辺校の寮であろうとここが学園都市である限り設備は外よりもよっぽど最新だ。
コンロから火が出なくなったのはずいぶん昔のことだったし、上条でさえ使ったことのない謎の設備も多い。
もちろん大がつくほどの機械音痴であるインデックスは食べ物の宝庫であるはずのキッチンに
――冷蔵庫以外――近づこうとしなかった。
冷静になって見れば使いこなしている、という表現はいささか言い過ぎなのかもしれない。
しかしカレーをほぼ完成までこぎつけているのは確かで、
そこまで至るのにいくつかの機械操作ポイントを通過しなくてはならないことを上条は知っていた。
それを、インデックスが。
他ならぬあのインデックスが。
いったい誰がこの光景を夢でないと信じることができようか。
――いや、できまい。
正直、魔女の薬を作っているのだと言われた方が彼の混乱は少なかったかもしれなかった。
そして上条の脳内は混乱を極め、冒頭のやり取りへと至る。
192: 2011/09/27(火) 22:40:01.92 ID:iXxqgHlso
「と、とうま? あんまりそうやって見られてると恥ずかしいかも」
「はっ!」
――いかん、トリップしていた。
上条はぽかんとだらし無く開いていた口を閉じると、改めてインデックスの姿を見遣った。
前述の通り着物みたいに袖をたくし上げたインデックスの姿はとても奇妙だ。
さらにフードも取り外されて、髪の毛を一つにくくっているものだから普段の名残はそこにはないも同然。
普通の修道服よりもたっぷりとした作りの歩く教会を着てなお
料理がしたいというのなら確かに賢明な処置ではあるが、ここまで着崩してしまうのだったら
一応所持している普通の服に着替えるという選択肢はなかったのかと疑問にも思う。
やはり彼女はシスターとしての自分のアイデンティティーに並々ならぬ思いを抱いているのだろう。
普段はまったく窺い知れないけれど。
「とうま? だから……そ、その、だから! そんなに見ないで、ほしい、な……」
妙なことに感心を覚えつつさらに眺めていると、ふとあることに気がついた。
歩く教会の白に紛れて分かり辛くなってはいるが、
よくよく見れば彼女の体には白いフリルのついたエプロンが装備されている。
そう、言うなれば新妻っぽいあれだ。
お帰りあなた、みたいな会話をする時に必要なあれだ。
時には若い夫婦のたぎる思いを発散する時にとても重要なあれだ。
上条はそれが「男子高校生を釣るなら間違いなくこれでしょ」と番外個体が見立てたものであることも知らず、
まじまじと見つめ――。
「とうま! 聞いてるの?」
「へ? はっ、ち、違いますよインデックスさん! 上条さんは紳士ですから!」
「……何言ってるの? ううっ、やっぱり聞いてなかったんだね、とうま。
もう、もう……っ、ううううぅぅうううう。
いいからとうまはあっちで大人しく待ってて欲しいんだよ!」
193: 2011/09/27(火) 22:41:01.28 ID:iXxqgHlso
もしや自分の邪な思いを知られたのではあるまいと、慌てて両手で否定の意を表す。
が何やら顔を真っ赤にしたインデックスは別の案件でご立腹のようだった。
包丁を振り上げて妙な格好をしながら頬を染める姿は何だか間抜けで、ちょっと可愛らしい。
というか、なんだかシチュエーションに狂気じみたものを感じるのは気のせいだろうか。
――これ、やばくないか。
ようやく正気に戻った上条は、触らぬ神に祟りなしとばかりにキッチンから足早に退散する。
とりあえず少しあらぬ方向に行こうとしていた思考を咎められなかったのならばそれでよかった。
インデックスが急に料理に興味を持った理由は不可解だったが、
家事に目覚めたのならばそれは悪いことではないだろう。
あとは未元物質が出てこない事を祈るだけである。
「しかしインデックスが料理か……」
上条はカウンター越しに揺れるポニーテールを眺めながら呟いた。
もしかして最近打ち止めと番外個体と共に、
インデックスがこそこそとやっていた事というのはこれなのだろうか。
ゆっくりと上条の中で点在していた情報が繋がってゆく。
打ち止めが住んでいるのは確か上条の通う高校の体育教師である黄泉川愛穂の家だったはずだ。
上条は明朗快活をそのまま絵に描いたかのような美人教師の顔を思い描いて軽く顔を顰めた。
インデックスが出かけているのはもっぱら平日の事であるようだったから、
学校のある黄泉川に直接迷惑かけるような真似はしていないだろう。
しかし暴食シスターたるインデックスを舐めてはいけない。
最近なりを潜めているとはいえ、例えばファミリー用の大きな冷蔵庫を空にすることだって出来るのだ。
もちろんそうなる前に打ち止め、最悪一方通行が止めてくれるであろうが
上条的には担任に引き続き頭の上がらない教師が増えてしまったわけだ。
もとより黄泉川に盾突くことなど出来ない癖にそんなことを思いながら胃を痛める。
一応目的は食べることではないようだがそれでも心配だった。
194: 2011/09/27(火) 22:42:09.33 ID:iXxqgHlso
――というか何故今さら料理。
幾度目かの疑問。
繰り返し浮かんでくるそれに答えるものは誰もいなかった。
――まぁ、インデックスが来たら改めて聞いてみればいいのだ。
「出来た!」
やっと混乱が収まった上条の耳に届くインデックスの声。
明るく元気な声が示すのはきっと出来映えの自身を表しているのだろう。
それを証明するかのように漂うのはなかなかに良い香りだった。
これだったら失敗していても大したものではないはずだ。
長年自炊していた上条の勘がそう告げる。
それにたとえ失敗していてもそんなのは些細で、むしろ可愛らしいものなのかもしれない。
上条は薄く笑った。
記憶を失う前の自分が助けたかった少女。
記憶を失った自分が守りたい少女。
柔らかな白に包まれたその少女は上条の視線の先で幸せそうに笑っていた。
目元を、頬を、心を緩めて上条は思う。
自分は今とても幸せなのだろう、と。
←----------------------------------------------------------Interval---
195: 2011/09/27(火) 22:42:39.57 ID:iXxqgHlso
我ながら効果は覿面だ。
インデックスは今、大声で自分を褒め称えたい気分であった。
――というか実際心中でならすでに褒め称えていた。
「それでね、それでね。とうま、おいしいって言ってくれたんだよ!」
「おおーっ、やったねシスターさん! ってミサカはミサカは同志の健闘を讃えてみたり」
「最終信号はまだ言わせてないもんね」
「……ちょっと番外個体余計なこと言わないでってミサカはミサカはぶーたれてみる」
「ケケケッ」
人参を刻んでいる打ち止めの横で、インデックスはジャガイモを剥きながら二人の会話を楽しそうに聞く。
ちなみに番外個体はだらだらとやる気のない様子で大量の卵を溶いていた。
今日のお昼ご飯になる予定のオムライスとポテトサラダの元である。
打ち止め達と花嫁修行を始めてから早二週間が経っただろうか。
思えばいろいろなことがあったように思う。
打ち止めや番外個体がどこからか仕入れてきた怪しげな知識をもとに、
黄泉川家にかろうじて存在していた新品同然の調理器具の使い方を必氏に覚えた。
時には珍しく早く帰宅した家主に炊飯器料理を伝授されそうになったり、
午後も過ぎた頃になるといつの間にか現れるもう一人の居候に無理難題を与えられたりと事件もあったが
なんだかんだでそれなりに形になったとインデックスは思っている。
洗濯だって頑張った。
一方通行の服を青く染めてベクトルチョップを食らったりもしたが、立派に『センタッキー』の使い方を覚えた。
掃除だって頑張った。
未だに『ソージキー』のコントロールは得意ではないが、まあ多分やっているうちにどうにかなるだろう。
スフィンクスの尻尾を吸いかけたのは誰にも見咎められなかったのでセーフだ。
そしてついにお披露目となった地道な努力は昨日、最高の形で報われることとなった。
196: 2011/09/27(火) 22:43:31.32 ID:iXxqgHlso
目にしっかりと焼きつけておいた上条の笑顔が、瞼を閉じればすぐに浮かぶようだ。
インデックスは自らの頬が微かに熱を持つのを感じながら、にやけた笑顔を浮かべるのをやめられない。
出来上がったカレーは完璧とは言えないものの、及第点ではあったようだった。
そして今日はさらなるステップアップのために洗濯に挑戦してきた。
今まで練習に使用していた黄泉川家のものと型が違ったため最初は戸惑ったが、
楽しい一方通行の家電講座を受けたインデックスにもう恐ろしいものはない。
仕組みから順を追い、時には魔術的な喩も交えながら説明してくれる彼の教え方は
もともと記憶力に優れた少女の性に合っていたのだろう。
あからさまに面倒そうな表情がマイナス点ではあったものの、
インデックスは『センタッキー』の使い方を覚えたのではなく完璧に理解していた。
あとは乾燥機能までしっかり完備した『センタッキー』が皺一つ残さないパーフェクトな仕事を見せてくれるはずだ。
もうインデックスに残された仕事は早めに戻って美しく畳むだけである。
きっと上条が帰ってきたらまた笑顔を見せてくれるに違いなかった。
それを思うだけで、やはり少女の頬は緩む。
――やはり悩むのをやめたのは正解だったのだろう。
するするとシンクに落ちてゆくジャガイモの皮を眺めながら少女は視線を落とす。
数週間前の時化のような気分がまるで嘘だったみたいに今、インデックスの心は晴れ渡っていた。
自分の立場だとかなんだとか、全ての煩わしいことを考えないことにしたその選択は、言うなればただの逃避だ。
だが少なくとも少女の心に平穏を齎した己の選択をインデックスは後悔していなかった。
もちろん彼女がこうして現在笑っていられるのは彼女自身だけの力ではなく、
打ち止めの、番外個体の――一方通行のおかげであるというのも深く理解しているつもりだ。
打ち止めの無邪気な明るさは油断すれば沈み込みそうになる気持ちに温かな光を当てて、
番外個体のよく回る軽口は少女を焚きつけて、光の向こうへと足を踏み出させた。
そして一方通行は。
197: 2011/09/27(火) 22:44:06.11 ID:iXxqgHlso
インデックスはカウンターから垣間見える居間に視線をちらりと投げて、それからくすりと笑った。
視線の先では繊細な白が気だるげにソファにもたれかかっている。
打ち止めや番外個体いわく『つんでれ』であるらしい彼の不器用さは、
こう言ってはなんだが少し微笑ましかった。
たまに気を使われているらしい気配を感じるとインデックスの心は不思議と優しくなれる。
今までは上条抜きで一方通行と会うとなれば自然と食事、という流れだったため
こうやって余裕――食事中はインデックスにとって戦争である――を持った彼との交流は
少女に少年の新しい一面を見せた。
「ま、気にしないほうがいいよ最終信号。あの肉食コーヒー中毒、絶対味蕾壊れてるし。
味の違いなんてコーヒーか肉かそれ以外かぐらいしかわかってないんじゃないの」
「……聞こえてンぞ性悪」
例えば番外個体の悪態に黙っていられない時が多々あったり。
「でもでもミサカがもっと頑張ればきっとおいしいって言ってくれるんだから、
ってミサカはミサカは希望を込めて視線を送ってみたり」
「……」
「ミサカ頑張るね、あなた! ってミサカはミサカは――」
「別に」
「え?」
「別に……マズいわけじゃねェからな」
「あなた……っ! ってミサカはミサカは一歩前進したことに感動してみるっ!」
例えば何だかんだで打ち止めに甘かったり。
ちなみにこの少女の料理の腕前といえばけして悪くはないものの、
時折どこからか仕入れてくる謎の知識のせいでとんでもないものを作りだす程度のものである。
そして被害者は大抵一方通行だ。
198: 2011/09/27(火) 22:45:03.95 ID:iXxqgHlso
「何にやにやしてんのさ」
「別に何でもない、かも」
「よーし頑張るぞー、ってミサカはミサカは気合いを入れてみたり!」
目の前で繰り広げられる愉快な光景に微笑ましさが溢れて止まらない。
上条のことを抜きにしたって、今のインデックスはとても人生を謳歌していると言って良かった。
家を飛び出したあの日、最初に出会ったのが打ち止めでよかったと心から思う。
そしてインデックスは微笑みを浮かべたまま自身の作業に集中しようと包丁を握りなおし――。
「いた……っ!」
「えっ?」
上がった小さな悲鳴に、思わず手を止めた。
可愛らしい声でありながらも痛々しいそれはインデックスのものではない。
咄嗟に顔を横に向けると、血の赤に染まったまな板と打ち止めの細い指が目に入った。
「らっ、らすとおーだー!」
「あーらら。はしゃぎすぎるから……」
――切ったのか。
すぐにそれを理解するものの、対処法を知らないインデックスは包丁を右手に剥きかけのジャガイモを左手に
ただただ焦ることしかできない。
浅く切ったことなら三人ともそれぞれ経験済みだったが、今回の打ち止めの出血量はかなり多く、
その鮮やかな色が少女の思考力を鈍らせた。
「おい」
「ひゃっ」
おろおろするしかないインデックスの肩口からにょきりと長い腕が生える。
一瞬驚いて、すぐにそれが一方通行のものであることに気がついたインデックスは顔を上げた。
199: 2011/09/27(火) 22:45:48.43 ID:iXxqgHlso
赤い目がまっすぐに打ち止めの指から流れる赤へと注がれているのを見る。
そのまま白い指が汚れるのも構わずに少年は血に染まった打ち止めの指をそっと手に取った。
杖はついていない。
どうやら能力を使ってここまできたようだった。
「……とりあえずオマエはその包丁とジャガイモを置け」
インデックスをちらりとも見ずにそう言い放つ彼の指先には、何らかの力が働いているのだろう。
言われるがままに手から力を抜くインデックスの視線の先で、
滴る程だった打ち止めの血が一瞬で傷から溢れ出ることを止めた。
「うっわ、過保護……」
そして若干引き気味の番外個体の声が全てを物語り、一方通行の仕業をインデックスに教える。
すぐそばにあった蛇口から流れる水で洗い流された打ち止めの指には、
傷こそ残っているもののもう血は流れていなかった。
「おい番外個体。救急セット持ってこい。冥土帰しからかっぱらってきたのがあンだろ」
「へいへーい。……ったく、これで口リコンを否定するとかおこがましいわ。
ミサカさすがにちょっと引いちゃう」
ほっと息を吐きながら遠ざかってゆく番外個体の背を見送る。
「……あ、あの」
どこか緩んだ空気に忍ぶように、打ち止めのおずおずとした声が辺りに響き渡った。
「……気をつけろクソガキ。どォせまた指伸ばして包丁使ってたンだろォが」
「うっ、ってミサカはミサカはぐぅの音も出なかったり……」
少女のしょんぼりとした声に対する一方通行の声は冷たい。
しかしこんな彼の態度も一方通行のことを少しでも知っていれば、
打ち止めの事が心配で堪らないがゆえの言動なのだと瞭然である。
実際少年の赤い瞳には怒りなど微塵も感じられず、どちらかと言えば柔らかな色が浮かんでいた。
200: 2011/09/27(火) 22:46:26.57 ID:iXxqgHlso
「ごめんなさい……でもありがとう、ってミサカはミサカは手を握られたままのこの状況にドキドキしてみる」
「ったく……ふざけたこと言ってンじゃねェ」
その色にまた温かなものを感じて、インデックスは笑って。
ふと、おかしな既視感が胸中をよぎった。
「……?」
まだ続く打ち止めと一方通行のやり取りを瞳に写しながら首を傾げる。
そう、まさにおかしな既視感としか表現できない。
ぽっと心に浮かんだそれはとても奇妙で実態の掴めないものだった。
もやもやとした何かにインデックスの心が気持ちの悪いもので満たされてゆく。
その正体について考えれば考えるほど、這い寄る陰のようなそれが気味悪いものであるような気がした。
そもそもインデックスが既視感を抱くこと、それ自体が異常なのだ。
完全記憶能力を持つ少女の世界は実に単純で、そこには知っているものと知らないものしか存在しない。
二年以上前のあの日、知識だけを携えて生まれ変わってから『忘れる』ということを失った少女には、
知って『いた』ものなど欠片も存在していない。
だからよしんば脳がエラーを起こして少女に既視感を与えたのだとしても、それがただのエラーなのか、
それとも本当に『知っている』ことなのかがわからない、などということは有り得ない。
そう有り得ない、はずだった。
――だがインデックスにはわからない。
一方通行の赤が内包する柔らかな色。
温かで、どこか懐かしく、優しく縋るような色。
どこかで見たようで見たことがないようでもあるその色を、
インデックスは己が知っているのか知らないのかわからなかった。
たった一つのその事実だけがインデックスをじわじわと不安に染めてゆく。
けして大きなものではないそれは、それでもゆっくりと少女を蝕むようでが気持ちが悪い
201: 2011/09/27(火) 22:47:10.42 ID:iXxqgHlso
「ほい。救急セットもってきてやったよ」
がしゃりと救急箱を置く音と番外個体の声にはっと我に返って、インデックスは二、三度目を瞬いた。
違和感は消えない。
けれど答えが出ないのなら考えても仕方の無いことだ。
「……あくせられーた。手当て、私にやらせて欲しいな」
「あァ? 失敗すンじゃねェぞ」
「失敗するようなことなんてないかも。まったく」
「ありがとうシスターさん、ってミサカはミサカは迷惑かけっぱなしな自分にがっかりしてみたり……」
「そんなこと気にしなくていいんだよ」
インデックスは悩むことを止めた。
ならばもっと些末なものであるこの不安など考えるに値するものではない。
少女はにっこりと笑って救急箱に手を伸ばす。
どうやら一方通行は打ち止めの血を止めるために彼女から手が離せないようだったし、
治療くらいだったらインデックスとて上条で慣れていた。
覚えた違和感はまだ頭の片隅にしっかり根付いている。
――それでもインデックスはその存在を見ないことにした。
213: 2011/10/06(木) 22:34:12.81 ID:HKtmogPgo
結果としてオムライスはどちらかと言えば残骸と呼べるに相応しい出来となった。
鮮やかな彩りのサラダや美味しそうな湯気を上らせるスープが
ほんの少し昼食としての完成度をフォローしているものの、大局を捩曲げるには至らない。
「やっぱり包むのがうまくいかないね、ってミサカはミサカは出来上がりを見て憮然としてみたり」
そう呟く打ち止めの指にはきちんと手当てが施されており、もうそこには生々しいまでの痛々しさはなかった。
だが彼女自身としては、自分が負った怪我に値する結果が出せなかったことがたいそう不満であるらしい。
その愛らしい顔には皺が寄り少女の胸の内をありありと表していた。
崩れかけた卵はところどころ破けてその中のオレンジを外気に晒す。
焼いたのは一人ではなく三人で分担してやったはずなのに、
テーブルに並ぶ五つの皿に鎮座した五つのオムライスはそうそう変わらない様相をそれぞれ見せていた。
どれもがみんな床に置いてあるスフィンクスの餌と似たようなクオリティである。
オムライスを作るのは通算で二回目なので味がそこまで悪くないのはすでに証明済みだったが、
料理に見た目の良さも要求したい三人からすれば甚だ遺憾な出来だ。
いくら知識を手に入れても彼女達には圧倒的に技術が足りなかった。
「やっぱり無理に包もうとしないで、乗せるだけにしといた方が良かったんじゃない?」
「ダメだよ、わーすと! オムライスはあのラグビーボールみたいな形にこそロマンがあるんだよ!
傷一つない黄金とも呼べる綺麗な黄色に、なだらかなまぁるいフォルム!
その肌理の細かさはまるで乙女の柔肌……!
そこに深く赤いケチャップが垂れた光景を想像してもわーすとはそんなことが言えるの!?
乗せるオムライスが豪奢なドレスを着た美女なら、包むオムライスは汚れを知らない純真無垢な少女かも!
家庭の食卓にはやっぱり包むオムライスこそが至高!
ふわっと卵がのったとろーりオムライスも好きだけどっ」
「そうだそうだー! ってミサカはミサカは同意してみる。
すきって文字を書いて許されるのは包んだオムライスだよ、ってミサカはミサカはお約束を述べてみたり」
その出来に妥協案を上げる番外個体に、インデックスは熱く反論
――同居人のせいで些か長口上が増えたことに本人は気がついていない――をぶつける。
「最終信号そんなん書く気なわけ? ……やべ、ちょっと面白そう」
賛同した打ち止めの言葉に何を想像したのか、にやりと番外個体が笑った。
視線を交錯させた三人の間に妙な連帯感が生まれ、三者三様に瞳に闘志を灯らせる。
――私達は諦めない。
妙にシリアスな雰囲気に、麗らかな昼の空気が揺らいだ。
214: 2011/10/06(木) 22:35:52.12 ID:HKtmogPgo
「……どォでもいいが料理冷めンぞ」
そんなインデックスたちに少年の冷めた赤い瞳と声が水を差す。
すうっと音を立てるように陽炎が消えて。
「あら、前回よりは大分良くなったわね」
ついでに昼食の完成をどこからか嗅ぎ付けて来た芳川が奥から現れたあたりで、
熱い友情ムードは何となくお開きの雰囲気となった。
「ヨシカワー! ってミサカはミサカは成長の兆しを認められて上機嫌になってみたり!」
「ききょう、こんにちは!」
「こんにちは、インデックス。相変わらず熱心ね」
飾り気のないジーンズに無地のTシャツ。
シンプルさの究極形態を行く芳川はオムライスを一瞥してから、インデックスの姿を認め柔らかく笑う。
昼から出かけることの多い彼女は白いシスターと顔を合わせることも多く、いつの間にか良好な関係を築いていた。
おそらく互いに細かいところを気にしない性質がうまく合致したのであろう。
明らかに学園都市では浮いているシスターの存在について、芳川はなんの詮索もしなかった。
「……オマエは相変わらず狙ったかのようなタイミングで現れンな」
「いい香りがすればつい出てきてしまうのは当然だと思うけど。
今回に限っていえば偶然ね。今日は午後から授業なのよ」
芳川の物言いに一方通行の顔が僅かに歪んだのを見てインデックスはこっそりと笑う。
大方「偶然がそう何回も起こるか」だとかそんなことを考えているに違いない。
インデックスから見ても彼女が食事の準備が終了する時間を狙って部屋を出てきているのは明白だった。
ちらりと時計を見れば長針と短針の距離はもう幾許もない。
つい先程頂で涙の別離を繰り広げていたはずなのに、時とは実に早く過ぎ去るものである。
「じゃあごはん、食べようか。私もうおなかペコペコなんだよ!」
つまりこの場にいる誰もがお腹を空かせていた。
インデックスの言葉を皮切りに、どやどやとダイニングテーブルにおさまった一同が響き渡らせるのは歓喜の声。
215: 2011/10/06(木) 22:36:42.88 ID:HKtmogPgo
「いただきまーす!」
にゃあ、とその声に反応するようにスフィンクスが鳴いて。
若干声が足りなかったり喜びの程度に差があったりはしたものの、その場に満ちる空気は団欒そのものだ。
この場に家主が居ないのが悔やまれた。
――そしてインデックスは、この場に自分が混ぜてもらえることをとても幸せに思うのだ。
「このオムライスは誰が焼いたのかしら」
「あ、ききょうのは私なんだよ!」
「ちなみにあなたのはミサカだよ、ってミサカはミサカは大アピールしてみたり!」
「……。あァ、どォりで一番形が崩れてると思ったわ」
「ひ、ひどい! ってミサカはミサカは冷たいあなたに絶望してみる」
「……別に悪いとは言ってねェよ。二回目にしてはまァまァなンじゃねェの」
「っ!! あなた!」
「ケケケ。親御さん素直じゃないね。
結局フォローするんだったらムダにツンデレ発揮してないで、最初から褒めてあげればいいのに。
あ、一番形がイイのがミサカが焼いたヤツだから」
「じゃあ今日は焼かなかったンだな。ちょっとはマジメにやれよ」
「あんだとーッ!?」
食卓は賑やかだった。
あまり行儀がいいとは言えないのかもしれないが、
大人数で食事を囲む経験の少ないインデックスとしてはただただ楽しいばかりである。
上条との食事だってもちろん楽しいものだが、それとは違った空気がここには在った。
216: 2011/10/06(木) 22:37:43.25 ID:HKtmogPgo
「ヨシカワ、これから学校なんだよね? ってミサカはミサカは尋ねてみる」
「そうねぇ。あんまり気が乗らないんだけど、ね」
「そんなこと言ってたらニートに逆戻りじゃん」
「今日のはあまり好きな講義じゃないのよ」
オムライスを頬張りながら、インデックスは三人の会話に耳を傾け思い出す。
『愛穂にたきつけられて結局、ね。
私はそれなら通信が良いって言ったんだけど、外に出ろって煩かったから』
数日前、学校に通っているのかと少女が驚きながらも問い掛けた時、
芳川の顔には苦笑いが浮かびつつも声に後悔はカケラも存在していなかった。
一種免許を取るのは面倒だとか、周りと年が離れすぎていて恥ずかしいだとか愚痴りながらも
彼女の声は晴れやかだったのだ。
その声は今でもすぐにありありと思い出すことが出来た。
学校とはインデックスにとって上条を連れ去る憎き相手である。
もちろん知識として勉学の素晴らしさは知っているし、
どちらかと言えば知識欲の旺盛な少女であるからその大切さは身に染みてわかっているつもりだ。
だけどそんな場所に通った記憶など当然なく、望んだところで通えぬインデックスにしてみれば
――どうしても浮かぶのは無い物ねだりの不毛な感情。
「いいなあ、ミサカも学校行ってみたい、ってミサカはミサカは……」
ぽろりとつい零れてしまったかのような打ち止めの言葉は的確にインデックスの心をも表していた。
その小さな声はただ少女と心を同じにするインデックスだけが聞きとがめたのか
誰も反応することなく空気に溶け込んでゆく。
それをインデックスはスープと共に無理矢理呑み込んで、聞かなかったことにして――。
217: 2011/10/06(木) 22:39:06.77 ID:HKtmogPgo
「あら、この野菜スープなかなかいい味してるわね」
「あっ、それシスターさんが作ったんだよ! ってミサカはミサカは自分のことのように喜んでみたり」
「……ぶっ、ふぇっ!?」
食事に意識を集中させて無理矢理夢中になろうとしたところで、突然話がシスターの方へと跳んだ。
話の矛先がこちらに向かうなんてことを想定していなかったインデックスは、
思わず口に含んだ野菜を吐き出しそうになって、慌ててゴクリと飲み込む。
上手く咀嚼できなかった人参が喉に引っかかって、うら若き乙女にあるまじき声を上げさせた。
「本当に熱心ねぇ……。こんなに尽くしても気がつかないなんて……私も噂の彼に会ってみたいわ」
「ミサカも引くくらいの奇跡的なまでの鈍感野郎だよ、マジで」
「あら、ならうちにお嫁に来る?」
「なんでさ。つーかここヨミカワんちだし」
にこやかにこちらを眺める芳川と番外個体の視線に一割の底意地の悪さを垣間見たのはきっと気のせいではないだろう。
同時に彼女の協力者たちが思った以上に芳川に余計な情報を吹き込んでいることを知って、
インデックスは自身の頬が赤くなるのを自覚し、強く首を振った。
「……そ、そんなこと、ないかもっ」
いったい何に対しての『そんなこと』なのか自分でもよく分からないままとりあえず否定する。
今までインデックスは自身のことを御坂とは違いストレートな感情表現をする人間だと思っていたのだが
いざこうして本当に努力を重ねてみれば、
変なプライドが育ってきているのか『それ』を素直に認めるのが妙に気恥ずかしかった。
『それ』というのは自身の努力であったり、過去の自分の情けなさであったり、上条への好意であったり、
おそらく色々なものだ。
顔を背けてもじもじとスプーンで人参をつつく。
ちらりと顔を上げれば、にこにこ笑う打ち止めの暖かな視線と何か遠いものを見るような芳川の視線、
にやにやと面白い玩具を見るような番外個体の視線と、さらには一見無表情なくせに妙に柔らかな一方通行の視線まで
インデックスは独り占めしていた。
「うううーっ、みんなしてこっち見るの止めて欲しいんだよ!」
とりあえず抵抗とばかりに不平の声を上げてみる。
それから美味しいはずのその日の昼食の味がよく分からなくなってしまったのは、実に不幸であった。
218: 2011/10/06(木) 22:39:44.41 ID:HKtmogPgo
◇ ◆ ◇
219: 2011/10/06(木) 22:40:54.16 ID:HKtmogPgo
「あ、そろそろ私、帰らなくっちゃ」
「あれ、もうそんな時間?」
楽しい時間というのは得てして早く過ぎ去ってしまうものだ。
気がつけば窓の外は微かにオレンジがかり、インデックスの帰宅の時間を知らせていた。
インデックスの声と同意するようなスフィンクス鳴き声に、番外個体も意外そうな声を上げる。
芳川はとうに家を出てしまって今黄泉川家にいるのは四人だけだった。
まったりとお茶を楽しんでいたリビングがにわかに騒がしくなる。
「ええっ、でもそろそろカナミンが始まる時間だよ、ってミサカはミサカはシスターさんを引き留めてみたり」
「でも、とうまが帰って来ちゃうから」
打ち止めが驚きの声を上げるのも当然で、
インデックスはお気に入りのアニメが放送される日は黄泉川家での鑑賞会を楽しんだ後帰宅の途を辿るのが常であった。
しかし今日のインデックスの脳裏に浮かぶのは、しっかり仕事を完遂しているであろう洗濯機の姿だ。
帰ってきた上条を驚かせるという目的を持つ身としては、
なんとしてでも彼の帰宅よりも前に家に帰りインデックスの仕事を完遂させる必要があった。
それに今帰ればアニメの放送開始時間よりも前に家に辿り着くことができる。
あとはテレビを見ながら仕事をすることだって可能だ。
――夢中になって手が止まってしまう可能性も否めないが、多少なら進めることができる、と信じたかった。
「洗濯物終わらせて、とうま驚かせなくっちゃ」
インデックスの言葉に打ち止めは目を瞬かせて、それから大きく頷いた。
「じゃあ、送ってく! ってミサカはミサカは元気に宣言してみる!」
すぐに納得したらしい少女はいつものように手を上げていつも通りの提案を宣言する。
別に学園都市の治安が悪いからだとかそういう理由だけではなく、
なるべく一緒に居たいからというとてもとても嬉しい理由から彼女がそれを言い出したのは
インデックスにとって心がぽかぽかするような幸せな思い出だった。
220: 2011/10/06(木) 22:41:38.92 ID:HKtmogPgo
だが今日に限り、インデックスはその提案を受けるわけにはいかない。
「でもおちび、アニメ見れなくなっちゃうけどいいの?」
「あう、ってミサカはミサカはそれを忘れていた自分に愕然としてみたり……!」
至極当然な番外個体の指摘にアホ毛と肩を落とす打ち止めを見て、インデックスはくすりと笑う。
彼女の純粋な好意はとても嬉しかったが、嬉しいだけに彼女から至福の時間を奪うのが忍びなかった。
「大丈夫なんだよ。今日だけだもん。
今日はまだ時間が早いし、それにもう何度も行き来してるから道に迷う心配もないかも」
そもそも完全記憶能力を持つインデックスにそんな心配などする必要すらないのだが、
打ち止めの表情は曇ったままだ。
どっちを優先させるべきか彼女なりに悩んでいるのかもしれない。
「でもでも、最近はすぐに日が沈んじゃうからやっぱり危ないよ、ってミサカはミサカは心配してみたり」
――困った。
別に妙な所と某不幸少年にさえ近づかなければむしろ学園都市の治安はいい方だと思うのだが
どこぞの誰かが過保護にした結果なのかもしれない。
助けを求めるように一人静観のポーズを取っていた一方通行を見上げる。
静かな彼の赤い瞳は面倒そうにインデックスの視線を受け止めると、小さくため息を吐いた。
「今日は俺が送ってきゃいいンだろォが。どォせ明日も来るンだろ」
「おおっ、それならいいかも、ってミサカはミサカは頷いてみる」
「えっ、でも……」
なおも渋ろうとするインデックスを赤い瞳が制する。
「いいから大人しく送られとけ。クソガキが納得しねェンだよ」
もう一方通行に有無を言わせる気はないようだった。
221: 2011/10/06(木) 22:42:30.39 ID:HKtmogPgo
「ほら、さっさと行くぞ。早く帰らなきゃならねェンだったらグズグズすンな。猫持て」
「あらら第一位ったら強引☆」
追い立てるように重ねられた言葉にインデックスはこれ以上異を唱えることの無駄さを悟った。
杖を器用に使って立ち上がった一方通行は、
そのまま何も言えないままのインデックスの首根っこをむんずと掴むと玄関の方へと引きずってゆく。
「え、ちょ、えええっ! ちょっとあくせられーた、そんなとこ掴んだらフード脱げちゃうんだよ!」
慌ててフードを右手で押さえながらも、なんとか左手で飛びついてきたスフィンクスを受け止めることができた。
ほっとしたのもつかの間、意外に強い力に抗うことも出来ずに為すがまま運ばれていく。
あの細腕にそんな力があるのかと能力使用を疑うが、
どちらにせよ完全に体勢を崩した少女に彼を止める術はなかった。
「さよなら、シスターさん! また明日ー!! ってミサカはミサカは別れを惜しんでみたり」
「じゃあねー」
見送る四つの茶色い瞳にもちろんインデックスの身を案じるような色はない。
多分それが彼女達の学園都市第一位への信頼を表しているのだろうが、
インデックスにしてみれば納得できない思いがふつふつと沸き上がった。
というか理不尽だ。
「ううっ、またねー! ちょっとあくせられーた、私一人で歩けるんだよ!」
なおも引っ張り続ける少年に不満の声を上げながら、
インデックスは眼前で閉まってゆくリビングの扉を名残惜しそうに見送った。
222: 2011/10/06(木) 22:43:35.24 ID:HKtmogPgo
「えらいめにあったんだよ……」
疲労の滲む声で呟く。
エレベーターを降りてようやく息を吐いたインデックスは依れた修道服を直しながら、
恨みがましい視線で脇に立つ少年を睨めつけた。
「なんで珍しくあんなに能動的だったの?」
「ほっといたら日が暮れるまでやってンだろ。三下驚かすンじゃなかったのかよ」
つまり彼なりにインデックスにとって良かれと思ってやったことだとでも言いたいのだろうか。
それにしたってもう少しやりようがあったように思う。
どうにも釈然としないまま、少女は表情を緩めずにスフィンクスを抱え直した。
それからインデックスはかつて自分が少年に言った言葉を思い出し――ふ、と呆れたような笑顔を浮かべる。
「そっか。ありがとう」
「何が」
「……送ってくれるんでしょ?」
「クソガキが煩かったからなァ」
もう何も言うまい。
すっかり機嫌を直したインデックスは沈んでゆく夕陽を見逃さぬようゆっくりと足を踏み出した。
それを追い掛けるかのように一方通行の独特な足音が響き渡る。
大通りから少し外れた所に位置するこのマンションは下校時刻でありながらも未だ閑静だった。
夕陽に照らされ長い陰を並べて歩いていると、少女の脳裏に様々な思いが浮かぶようだ。
インデックスが喋らなければ一方通行も口を利かず、道中はとても静かで安寧とした雰囲気に包まれていた。
――本当に人と人との関係というのは不思議なものだ。
インデックスはこうして打ち止めと番外個体、そして一方通行と会うようになってから
そんなことをよく考えるようになっていた。
223: 2011/10/06(木) 22:44:27.00 ID:HKtmogPgo
インデックスは恐れを知らず天真爛漫な性質である。
おそらく彼女と親しい誰もが、程度の差はあれ彼女に対してそんな評価を抱いていることは疑いようもない。
それは彼女という存在自体にもともと備わっていたものなのだろう。
だがそれと同時に少女が生きるために身につけた術であるとも言えた。
――もう二年以上も前になるのか。
ただがらくたの知識と植え付けられたような誇りだけを抱えて目覚めたあの日。
他には何も持っていなかった少女は生を繋ぐためにあらゆる艱難辛苦とひたすら闘っていた。
自分の抱えた痛みを恐れず受け入れれば、それ以上の痛みを知らずにいられた。
天真爛漫に振る舞えば、自分が不幸であることを気にせずにいられた。
人を恐れず笑いかければ、手を差し延べられることもあった
天真爛漫に振る舞えば、人が向こうから寄ってくることさえあった。
何も恐れず全てを許せば、結果的に矜持を護ることができた。
天真爛漫に振る舞えば、その矜持がただの形骸に過ぎないことに気がつかない振りができた。
経験を持たぬ少女がたった一つ身につけることができた処世術。
今考えてみればうら若き少女が必要以上に誇りを折ることなく生きることが出来ていたのは、
自分を追い掛けていた『魔道書を狙う魔術師』が影から支えてくれていたからなのだろう。
しかしあの時のインデックスはそんなことを知る由もなく。
上条たちに救われた後でも、インデックスは恐れを知らぬまま人との関係を築いてきた。
少なくとも本人はそのつもりだった。
しかし最近はそれが少し変わったように思うのだ。
それは上条と出会ったあの時から芽吹き、最近ようやくその存在に気がつきはじめた小さな兆し。
上条と一緒にいたいと強く感じた。
彼が見知らぬ女性を救い笑い合うたび、正体の知れぬもやもやした感情が浮かんだ。
それを嫉妬だと理解して、察してくれぬ上条に苛立ちを覚えた。
そして上条への思いの種類を自覚して――その関係性を崩すことを恐れた。
上条一人との関係を鑑みるだけでもその兆しはそこかしこに点在してる。
224: 2011/10/06(木) 22:45:08.74 ID:HKtmogPgo
それが悪いことなのか良いことなのかインデックスにはわからない。
だがもしかしたらこれが経験を積む、ということなのかもしれなかった。
そしてそれを自覚するに至ったきっかけは何なのだろうかと考えれば、何となく浮かぶのは痩身の少年だ。
その理由もまだインデックスにはわからない。
けれどかつて一方通行がインデックスにとって『白い人』であった頃、
まさかこんな風に二人きりで歩くことなど想像すらしていなかったのがなんだかおかしかった。
横を歩く一方通行を眺めて静かに笑う。
「……何笑ってンだよ」
「別になんでもないかも」
「……」
首を振ってなおも笑ったインデックスに不信を抱いたのは間違いないだろうが、
一方通行はそれ以上疑問を重ねることなく黙りこんだ。
徐々に増え始めた人混みに杖を取られることを嫌って、余計な事を考えるのを止めたのかもしれない。
――そういえば一方通行の歩き方と言えば、最近インデックスは彼について一つ気がついたことがあった。
今こうして少女の横を歩く少年の進む速度はインデックスと一緒である。
しかし打ち止めが居る時に限りその速度はずいぶんゆっくりとしたものになるのだ。
最初は杖を付いているからどうしてもゆっくりになってしまうのだ、と思っていた。
しかし――大抵打ち止めと一緒だったのでなかなか気がつけなかったのだが――
どうにも彼は態度に似合わず歩幅を打ち止めに合わせているらしい。
番外個体の呆れ声が聞こえてくるようだったが、
インデックスとしてはまた一つ彼の小さな優しさを見つけたようで嬉しかった。
というかインデックスの印象として一方通行はもともとかなり優しい部類に入るのだが、
対打ち止めになるとその優しさは甘さとすら呼べるものに進化するようだ。
そしてその理由をインデックスなりに考えてみれば――。
225: 2011/10/06(木) 22:46:02.20 ID:HKtmogPgo
「あくせられーたって、やっぱりらすとおーだーのこと好きなの?」
「はァ? ガキ相手になに言ってンだ、オマエ」
がつん、と一際大きな音で杖がアスファルトを弾く。
共に立ち止まって、まじまじこちらを見つめてくる一方通行の顔を見やれば
そこには明らかにインデックスを馬鹿にしたような表情が浮かんでいた。
「今あくせられーた、すごく失礼なこと考えてるよね!?」
「あァ」
「ぐぬぬ……!」
インターバルを全く感じさせぬ綺麗な即答に思わず歯噛みして地団駄を踏む。
悔しがるインデックスを見ても一方通行の表情は冷めたもので、
本気で無礼な事を考えているのがありありと見て取れた。
そんな顔をされてインデックスが引き下がるとでも思っているのだろうか。
だとしたら一方通行はとんでもない勘違いをしていることになるだろう。
「じゃああくせられーたにとって、らすとおーだーってなんなのっ?
一体どういう関係なのか聞かせて欲しいかも!」
「おい、変な言い方すンのやめろ」
「さあさあさあっ! 早く聞かせて欲しいんだよ!」
燃え上がった炎はもう止まらなかった。
激情に任せてさらに問い詰めるインデックスの勢いに圧されたのか、一方通行の視線が少女の燃盛る瞳から外される。
背けた顔は長めの前髪に覆い隠されて細かな表情を窺い知ることができなかったが、
なんだかその姿は照れているようにも見えた。
珍しく年相応の少年らしい姿に引き下がろうかとも思ったが、先刻の表情があまりにもアレだったので、
もう少し粘ってみようと視線に威圧感を込めて見つめ続けてみる。
226: 2011/10/06(木) 22:46:43.80 ID:HKtmogPgo
二分ほど経過したあたりで先に音を上げたのは意外にも一方通行の方だった。
インデックスと視線を合わせぬまま顔を小さく上げて、それから逡巡するように瞳を泳がせる。
「……クソガキはただの……、っ」
開きかけた唇は、しかしすぐに何かに阻まれたかのような音に再び閉じられた。
――というか、やっぱり照れていないか?
僅かに赤らんだ耳を視線の先に見つけて、インデックスはごくりと息を飲む。
耳の先まで白く繊細な肌質の一方通行はその変化が至極わかりやすく、
例え髪の毛で覆い隠されていようとも雪原に咲く一輪の花のような赤はとてもよく目立っていた。
「……ただの?」
なんだかものすごく珍しい超常現象を見ているような気分だ。
さらにその先を見たいという好奇心に駆られて、気がつけばインデックスの唇は催促の言葉を吐き出していた。
というか新しい扉を開いてしまいそうなよくわからない予感めいたものを感じる。
少女は食い入るように少年を見つめ――すぐにはっと我に返った。
慌てて頭から邪念を振り払う。
危うく新世界に突入してしまう所だった。
なんと恐ろしい。
「……」
「……」
再び降りた沈黙に徐々に冷静さを取り戻して、インデックスは緩く笑う。
別に無理矢理にでも聞き出そうという気はないし、今の反応が答えだと言われればそれまでだ。
「……馬鹿なことを言ってるなぁ、って忘れちゃうかも」
それでも重ねてそんなことを言ってしまうのは、インデックス自身が以前忘れてほしいと
本音を零したあの時の柔らかな気持ちを忘れられないからなのかもしれなかった。
それをあの時の一方通行も感じていたのではないか、と思ってしまうのはおそらく自惚れだ。
しかしあれからインデックスはもっと一方通行を理解したいと思っていたし、
浅ましくとも理解されたいと思っていた。
227: 2011/10/06(木) 22:47:50.59 ID:HKtmogPgo
ほんの少しだけ期待を込めたような視線に、赤みが引いたらしい一方通行の呆れたような視線が絡む。
「……完全記憶能力とかいう大層なもン持ってたような気がするンだが。
つゥかそォやって余計な事穿り返そうとすンな」
「むむっ、確かに忘れることはできないんだよ。事実、忘れてないかも」
「……そこは忘れたフリくらいしとけ」
「あくせられーただって忘れてないでしょ」
「忘れてねェよ」
「……」
「……」
それから落ちた沈黙は何故かあの時の空気に似ているような気がした。
何も混じらない鮮やかな赤がふい、とそらされて一方通行がゆっくりと歩きだす。
今度はそれを追い掛けるようにインデックスの軽い足音が響き渡った。
気がつけば辺りはすっかり赤い。
周囲は先ほどよりもよっぽど騒がしくなっているはずなのに、
少年と並行して歩く少女の耳には相手の足音がはっきりと聞こえていた。
ふと、諦めたような小さな吐息が聞こえた気がして。
「とりあえずオマエらの期待するようなもンはねェよ。
……ただアイツは……打ち止めのことは、なンつゥか……」
雑踏に紛れるような声音はともすれば幻聴だと勘違いしそうなほどに静かで儚い。
だがその声には確かな芯のような、込められた意志のような存在がはっきりと感じられた。
「……ずっと……傍で、護りたい、と……」
憧れるような、愛おしむような、憂うような、描くような、想うような眼差し。
夕陽に溶け込んで消えてしまいそうな彼の赤はただ大切なものだけを見ているようだ。
それは当初望んでいたようなはっきりとした答えではなかったが、
もしかしたら彼自身もその先の答えを出していないのかもしれなかった。
一方通行の顔にばつの悪そうな表情が浮かぶ。
それから彼が告げるであろう言葉はインデックスでも簡単に想像することができた。
228: 2011/10/06(木) 22:48:36.55 ID:HKtmogPgo
「……今のは忘れろ。馬鹿なこと言った」
「……今のは忘れろ。馬鹿なこと言った」
「……」
「えへへっ」
見事に揃った二人の声。
白い少女は小悪魔めいた表情を浮かべて、思わず破顔する。気分はまさにしてやったり。
それから足を早めて僅かに先んじると、銀色の髪を大きく揺らして少年を振り返った。
「あくせられーたって、とうまに似てるかも」
「はァ? 三下と俺が?」
どこが、とでも言いたげだ。
当然だ。言ったインデックスでさえも似ていない所の方が多いことを知っている。
ただ上条の印象的な――大切なものを思う時の瞳の色だけはとても似通っていた。
赤と黒。
様々な意味で対極に位置する二人は、ただその一点を
同じくしているだけで纏う空気を同調させる。
「うん。似てないけど、似てる」
大切なものを守りたいという気持ち。
多分、共通するのはたったそれだけなのに。
「はァ?」
「うんうん」
「……なに一人で勝手に納得してンだ」
「あくせられーたは分からなくていいんだよ」
「……」
そんな一方通行に大切にされている打ち止めがほんの少しだけ羨ましかった。
229: 2011/10/06(木) 22:49:15.22 ID:HKtmogPgo
だからインデックスは脳裏に打ち止めの言葉を蘇らせる。
少女の、秘めた思いが溢れ出してしまったような小さな小さな呟き。
『いいなあ、ミサカも学校行ってみたい、ってミサカはミサカは……』
こんなにも打ち止めのことを大切に思っている一方通行ならば、
当然とも言える彼女の要望を簡単に受け入れるだろう。
むしろすでに気がついてさえいるのかもしれなかった。
しかし未だ少女の夢は叶えられず、むしろ言い出すことさえ憚られているようにただ空気へ溶かし込んでいるだけ。
それは一体何故だろうか、と考える。
――そして考えれば当然思い当たるのは一方通行と御坂の微妙な関係だった。
インデックスはもう色のない少年の瞳を見たくはない。
だから、口を噤む。
少女は彼らの事情を知らないし、
知りたいのかと自らに問いかければ、色を無くした赤い瞳を思い出して必要以上の詮索を躊躇うだけだった。
いくら理解したくとも、きっと彼にはまだインデックスが踏み込んではいけない領域が存在する。
みゃあ、と腕の中のスフィンクスが小さく鳴いた。
気がつけば上条とインデックスの住む学生寮が眼前に聳えていて、
インデックスは何かを振り払うかのような大げさな動作で一方通行を見上げる。
「もうここで大丈夫なんだよ」
まだエントランスまでは距離があったが、だいたい彼らと別れるのはいつもこの場所だった。
一方通行もすでに分かっていたとばかりに歩みを止めて、少女を見送るような体勢に入っている。
「それじゃあ――」
「おい」
別れの言葉を告げようとした少女の声を一方通行のそっけない声が遮った。
「……せいぜい頑張れよ、シスター」
驚き目を丸くしたインデックスに与えられたのは何よりも嬉しい激励の言葉。
それはいつも通り投げやりな調子で与えられた言葉ではあったが、少女にとってとても価値のある言葉だった。
胸がふわりと軽くなって、込み上げるような鮮やかな色が軽くなった胸を満たす。
そしてインデックスは大きく手を振って満開の笑顔を浮かべた。
231: 2011/10/06(木) 22:49:39.39 ID:HKtmogPgo
「うんっ! またね、あくせられーた!」
239: 2011/10/13(木) 23:08:27.32 ID:O/nfjWDeo
◇ ◆ ◇
240: 2011/10/13(木) 23:08:53.60 ID:O/nfjWDeo
缶コーヒーが、切れた。
241: 2011/10/13(木) 23:09:31.35 ID:O/nfjWDeo
◇ ◆ ◇
242: 2011/10/13(木) 23:10:14.73 ID:O/nfjWDeo
まだ一人で学生寮に住んでいた頃、一方通行の家の冷蔵庫には常に大量の黒い缶がストックされていた。
枯渇感を感じれば欲しくなるのは決まってカフェインの痺れるような苦み。
もはや中毒と言っても過言ではない彼にとって、それを切らすという概念は存在しなかった。
それが変わったのは、いったいいつのことだっただろうか。
おそらくそれは黄泉川の家に居候するようになってからだろう。
もちろん最初のうちは大きな家庭用冷蔵庫の一角を占領することになんの良心の呵責も感じず、
ただただ黒い軍勢を無遠慮に進行させていた。
だがある日上機嫌の家主が『缶コーヒーは燃費が悪くてかさばるから』と
コーヒーメーカーを突然購入してきた時から状況は一変した。
何のことはない。ただ依存するものが多少上質になっただけで中毒には変わりがなかった。
しかし――本格的なものにはまだまだ遠いとはいえ――
味を覚えた今でも、あの缶コーヒーの安い味が恋しくなる時がある。
それは大抵、朝から家が静かな時であったり、いやに早くから目が覚めた朝であったりして。
だから今日、起き抜けに開けた冷蔵庫の中に黒い缶の姿を見つけられなかった瞬間、
一方通行は迷うことなく外に買いに出ることを選んだのだった。
243: 2011/10/13(木) 23:11:03.41 ID:O/nfjWDeo
エントランスホールを抜けると、朝の冷たい空気が肌を突いた。
――冬が近いのだ。
そう、改めて自覚する。
一方通行は薄曇りの空を見上げ僅かに息を吐くと、羽織ったジャケットを片手で軽く直してゆっくりと歩き始めた。
こんなに朝早く起きたのはいったいいつ振りだろうか。
雲の向こうではまだ太陽が上りきっていないのか鮮やかな紫色の片鱗をその薄い衣にぼんやりと写し込んでいた。
能力に制限がなかったあの頃も、その力を使って体感温度を調節した記憶はあまりない。
その気になれば一年中半袖でいることも、逆に長袖でいることも可能だったが、
数々のデメリットを加味せずともそんなことに意味があるとは思えなかった。
だから一方通行は季節というものを知っている。
なのに今年の秋は何故かいつもよりも寒く感じるような気がしてならなかった。
それは季節を意識する余裕が出来た、ということを示しているのだろうか。
一方通行にはわからない。
むしろ最近の彼の周囲はとても賑やかで、逆にそんな余裕など無いような気すらするのに不思議なものだった。
だが彼の歩く道は今、とても静かだ。
学生寮があまりないこの辺りは、もともと人通りの多い区画ではない。
住んでいるのはだいたいこの学園都市では少数派の大人たちで、
こんなに朝早くから活動しているような輩はもっと少なかった。
だから猫一匹通らぬ路地は静謐で、冷ややかで、無機質で。
その理由が何であれ静かであることは少年にとって歓迎すべきことであるはずなのに、
静寂は針となって彼の耳の奥を突く。
不可解な感傷的な感情に一方通行は忌々しげに舌打ちをしてアスファルトを強く突いた。
――いや、もう素直に認めようではないか。
244: 2011/10/13(木) 23:11:57.57 ID:O/nfjWDeo
一方通行は一度として、打ち止めや家族たちが賑やかに騒いでいる姿を嫌ったことはない。
笑う彼女たちを見れば安心するし、そんな彼女たちを眺めるのを僅かに喜んでいる己すら存在していた。
もしかしたら騒がしい方が好ましいとさえ思っているのかもしれない。
それに最近そこに白い少女が加わったことで彼女たちはとても楽しそうだ。
ある意味で箱庭的ですらあった彼らの関係に舞い込んだ清廉な白は鮮烈に、優しく、新しい風を吹き込んだ。
一方通行は多分、インデックスの笑顔をとても好ましく思っている。
いつか彼女は一方通行を上条に似ていると表現したが、
少年に言わせれば上条に似ているのは間違いなく彼女の方だった。
さらに言うのならばインデックスは打ち止めにも似ている。
否、正確に言うのならば上条と打ち止めが持っている強い光をあの少女も持っていると言うべきか。
自分を最強――さいじゃく――と呼んだ上条の瞳。
一人だって氏んでやることはできないと宣言した打ち止めの瞳。
そして、祈りは届くと詠い上げたインデックスの瞳。
それはきっと一方通行には一生持つことのできないものだ。
あの光を持った笑顔を見るだけで――まるで夜の明かりに群がる虫のように――
少年は自然とそれに惹きつけられてしまうのだろう。
しかしそれにしたって最近の自分が如何に余計なことをあのシスターに喋りすぎているか、
一方通行には自覚があるつもりだった。
誰かにずっと傍にいて欲しいだとか、傍にいる人間には笑って欲しいだとか、
そんな感情は彼にとっては自分に似合わぬ感傷的なものだ。
打ち止めにすら滅多に漏らさぬそれを、
あの少女につい零してしまう理由はいったい何なのだろうかと考えても――答えは一向に出なかった。
ただあの何一つ警戒心を抱かぬ柔らかな翡翠の瞳で見上げられてしまえば、胸のうちを隠すのはとても困難で。
最初に出会った時に感じたのは呆れだとか戸惑いだとか、そんなすぐにでも忘れてしまいそうな、
けれど結局忘れられなさそうなありふれた感情だった。
次に感じたのは温かで優しく、力強い歌。
ならば今一方通行があの少女に感じているのはどんな感情で、
インデックスは少年に何を透かし見ているのだろうか。
そして、いつか彼の過去の所行を知ったとき、何を思うのだろうか。
245: 2011/10/13(木) 23:12:51.63 ID:O/nfjWDeo
「……くっだらねェ」
――ふざけるなよ、一方通行。
つい漏れてしまった独り言と共に浮かんだのは枷のような自戒の言葉。
優しいと言われて柄にもなく舞い上がりでもしたのかもしれない。
一方通行が優しいなどと、そんなことがあり得るわけがないというのに。
自嘲の思いが胸を満たし、口元に歪みとして溢れだした。
何度でも重ねるが、一方通行はようやく平穏を取り戻した世界で笑う彼らとのやり取りを、不快に思ったことはない。
善人が善人らしく生きられる世界は素晴らしいものだし、そもそも彼自身が望んだ世界でもあった。
しかし、そのぬるま湯のような温かさに言いしれぬ危機感を感じているのも確かで。
――いずれ自分は己の手がどす黒く汚れていることを忘れてしまうのではないか。
それは恐ろしい考えだった。
世界は優しさを取り戻してその光は一方通行にすら降り注ぐ。
光はどうしようもなく彼の汚さを浮き彫りにするのに、彼自身はその光に目が眩み己の汚れを認識できなくなる。
――なんて恐ろしく、なんと悍ましい。
ズキリと頭が痛んだ気がした。
外側からは確認することのできない、脳髄に刻まれた深い傷痕。
それを確かめるように一方通行は己の頭部に指を這わせる。
まるでチョーカーのスイッチが切れる瞬間のように、ぐらりと視界が揺れたような気がした。
道の隅に点在する灰色が、やたらとその存在感を増して内包する黒を濃くしてゆく。
それはドロドロとした胸糞が悪くなるような黒だ。
一方通行は己に深く深くその色を刻み付けて、小さく首を振った。
246: 2011/10/13(木) 23:13:26.19 ID:O/nfjWDeo
好奇心の塊のようなインデックスがいつか一方通行の忌まわしい過去に辿り着いたとしても、
澄んだ白の少女は打ち止めを、番外個体を軽蔑するようなことはけしてしないだろう。
もしかしたらあの幻想頃しの少年のごとく一方通行にすら蔑みの視線を向けないのかもしれない。
否、彼女の人となりに――ほんの少しであろうとも――触れた一方通行はその予想が外れていないと断言できた。
だがもしたった一パーセントであろうとも、それがあの場所に咲く笑顔を散らす可能性があるのならば、
一方通行はその可能性を潰さなくてはならない。
だからきっと、一方通行はこれ以上インデックスに余計なことを漏らしてはいけないのだ。
難しい事ではないはずだった。
忘れるからといたずらっぽく請われたところで、冷たくあしらうのはむしろ一方通行の得意とすること。
打ち止めや番外個体とは違って彼女と自分との間にはなに一つしがらみなどないのだから、尚更のことだった。
一方通行は鈍色の空を見上げて息を吐いた。
杖を握る手の先の感覚がまるで視線の先の空のように鈍くなってゆく。
自分と周囲に区別をつけて、必要以上の繋がりを絶って。
その行為がともすれば彼自身の心を守ろうとする自己愛からくるものであることに、
一方通行は気がつかなかった。
247: 2011/10/13(木) 23:13:57.08 ID:O/nfjWDeo
◇ ◆ ◇
248: 2011/10/13(木) 23:14:32.73 ID:O/nfjWDeo
「あれ、一方通行じゃないか」
妙に耳に障る電子音と共に一方通行を迎え入れたのは、見知った人間の意外そうな調子の声だった。
聞き覚えのありすぎる声に顔を上げて、訝しげに顔をしかめる。
いくら学園都市広しと言えどもこんな風に一方通行に気軽に話しかけてくるような人間は少ない。
声の主を探して視線を廻らせる。
コンビニに入ってすぐの陳列棚の前。
案の定そこにいたのは――幻想頃しの少年だった。
「……上条」
一方通行は赤い瞳を――彼にしては大変珍しいことに――何度か瞬いて、
それから呟くように相手の名前を口にした。
お互い呆気にとられたような視線を交わし合ってしまったのも無理のないことだ。
彼らがこんな時間にこんな場所で出会うのはもちろん初めてのことで、互いに予想もしていなかったことだった。
肌寒い早朝のコンビニは僅かに暖房をきかせているはずなのに妙に寒々しい。
眠そうな表情でこちらを見る店員の他に人間は存在せず、この偶然がいかに珍しいものであるかを示していた。
「お前こんな朝早くに起きれたんだなぁ」
「……言ってろ、クソッタレが」
そういう上条だって普段から朝早くからコンビニに行くような習慣があるとも思えないのに、
彼の一方通行を見る視線はまるきり珍獣を見るそれと同様だ。
ちらりと彼の姿を見やれば、手に持っているのは売り物である漫画雑誌。
つまり立ち読みの最中というわけである。
彼もまた思いがけず早く目覚めた朝の時間を持て余し、
こうしてコンビニにやってきたのだということは疑いようもなかった。
「コーヒー?」
「ン」
「もしかして早朝コンビニが習慣だったりするのか?」
「ンなわけねェだろ」
「だよなぁ」
何の躊躇いもない一方通行の否定に対する上条の返答にもまた、躊躇いはない。
別に顔を付き合わせれば話も尽きないような仲良しこよしになった覚えはないので
用事がなければ続く会話などあるはずもなく、それだけであっさりと二人の会話は途切れた。
珍しい早朝の出会いに盛り上がるような気力すら沸かない。
少なくとも一方通行はそのつもりだった。
249: 2011/10/13(木) 23:15:19.48 ID:O/nfjWDeo
「……なぁ」
だが、今日の上条に限ってはそうではなかったらしい。
さっさと奥へと行こうとする一方通行の背中を追うように、おずおずとした声が上がった。
ちらりと後ろを振り返って上条の黒い瞳が一方通行を見ていることを確認する。
「お前、朝飯まだだろ? ちょっとこれから付き合ってくれないか」
その誘いを受けてすぐに浮かんだのは、早く帰って缶コーヒーを飲みたいだとか、
そもそも朝食をとる習慣がないだとか、そんな拒否の意を表す言葉ばかりだった。
しかし伺いの体をとっておきながら、もともと上条は有無を言わせる気などなかったようだ。
真っ直ぐに射抜くような視線が一方通行の口を噤ませる。
「……奢らねェぞ」
「集らねぇよ」
「……シスターの朝飯用意しねェとマズいンじゃねェの」
「インデックスは昨日から小萌せん――……俺の担任のうちに泊まりに行ってるんだよ」
何のことはない。
上条の早起きの理由も一方通行の理由とそう変わらないようだった。
諦念にも似た納得が渋々一方通行の頭を縦へと振らせる。
上条の意味ありげな視線が気になると言えば気になったが、
だからといって何が何でも拒否しなくてはならない理由がある訳ではなかった。
「……コーヒー買ってくるからちょっと待ってろ。どォせそれ、買わねェンだろ」
「おう」
笑う上条に呆れた視線を投げてドリンクコーナーへと向かう。
今は特に気に入った缶コーヒーがあるわけではなかったので、
適当に新製品らしき缶を手に取ると、彼にしてはとても控えめな量をレジへと差し出した。
以前だったら十缶買っても数日持てばいい方だったが、今は五缶程度でも二週間くらいは軽く持つ。
何より帰路を辿ることの他に用事ができてしまった身としては、大量の缶を持って歩くことは実に億劫だった。
やる気のまったく見えない学生バイトらしき青年から袋を受け取って。
「じゃ、行くか」
待ちかまえていたような上条と共に、一方通行はコンビニを後にした。
250: 2011/10/13(木) 23:15:57.64 ID:O/nfjWDeo
それから彼らが入ったのはそこからほど近い距離にあるファミリーレストランだった。
二十四時間営業のその店は休日の早朝ゆえか閑散としており、外と同様にとても静かだ。
締まり屋である上条がすぐ隣のより安価であるファーストフード店を選ばなかったのは、
その静かさをあえて求めたからなのかもしれなかった。
ここまでお膳立てされれば、
上条がそれなりに重要な用件をもって一方通行に声をかけたのだと理解するのは容易だ。
とはいえすでにモーニングメニューの時間も始まっており、
上条の財布にもある程度優しい仕様なのがどうにも彼らしかった。
「ブレンドのホット」
「モーニングのAセットで」
席に着いた途端、水を運んできたウェイトレスに銘々の注文を告げる。
客が少ないからなのか効率化の最適が図られた結果なのか、
注文の品はすぐに二人掛けのテーブルへと運び込まれた。
「で?」
「ん?」
「……なンか用事があったンじゃねェのかよ」
もしかしたら上条なりに話を切り出す順序を考えていたのかもしれない。
だが一方通行がそれに付き合う義理などあるはずもなく、すぐにでも帰りたい一心で少年は早々に話を切り出す。
求めたものとは少し違う安い味のコーヒーがやけに苦く感じた。
上条とこうして同じテーブルを囲うことはけして珍しいことではなかったが、
思い起こせば二人だけというシチュエーションは皆無に等しい。
だいたいは打ち止めかインデックスか、そうでもなければ浜面が一緒で、
普段は意識したことのなかった気まずさがじりじりと一方通行の舌先を焼いた。
そんな一方通行の苦い表情に何を感じているのやら、
トーストに指を伸ばしかけていた上条はふと指をとめて――じっと一方通行の赤い瞳を見つめる。
「……なンだよ」
「……」
かと思えば急に視線を逸らして考えあぐねるかのように頭を掻き毟って。
251: 2011/10/13(木) 23:16:39.06 ID:O/nfjWDeo
正直言ってとても気持ちが悪い。
何か言いたいことがあるのは明らかであるのに、
こうして伝え方を迷う素振りを見せるのは何よりも先に口が出る上条らしくない姿だった。
見かねて、先を促すように悪態を吐く。
「なンなンですかねェ。言いたいことがあンならさっさと言えよ。こっちも暇じゃねェンだ」
微かな苛立ちを感じてわざわざ聞こえるように舌打ちをすると、
上条はうぅ、とかあぁ、とか散々唸った後に、ついに強い光を瞳に取り戻して一方通行に向き直った。
しばらくもごもごと口を動かして、それからはっきりとした声で問う。
「あの、さ。お前、御坂のことどう思ってんの」
「はァ?」
一方通行を襲うのはとてつもない既視感。
だがつい最近聞いた同じ系統の問いかけ――対象は違ったが――はもう少し無邪気で、
もう少し微笑ましさすら感じるようなものだったはずだ。
しかし今回上条が発した問いは、彼の声質からして心の底から真剣に発しているものなのだと言わんばかり。
強く意志を込めた彼の眼差しに冗談などというものは欠片も隠されてはいなかった。
――何故今更そんなことを聞くのか。
疑問を感じて、同時に以前交わしたインデックスとのやり取りを思い出す。
だがあの一連の出来事を知らぬインデックスと違って、上条はほぼ全ての事情を把握しているはずだった。
だから彼は今更それを語ることの無駄さを知っているはずだ。
一方通行も無駄だと思ったからこそ、己の御坂への不可解な感情の正体を探ることをしていなかったのに。
「……どォもなにも。今更俺と超電磁砲の関係なンざ議論したところで――」
「そうじゃなくて。俺はお前が御坂のことどう思ってるのか聞きたいんだよ」
明確な回答を避けようとする一方通行に対して、あくまで上条の視線は揺るがなかった。
はたして彼はその黒い瞳に何を映して、そんな疑問を抱いたのだろうか。
ふとそんなことを漠然と感じて黙り込む。
252: 2011/10/13(木) 23:17:11.86 ID:O/nfjWDeo
いくらそんな風に真剣に問われたところで、一方通行には答えられることなど何もなかった。
当たり前だ。
正体の分からぬものをどうやって言語化すればいいというのか。
もちろん『分からない』のだということを素直に語るつもりもない。
だというのに、一方通行の言葉を求める上条の艶やかな黒はとても必氏で。
優しさと荒々しさと強さと弱さを混在させるその光は、
いつかインデックスの事を語った光に似ているようで似ていない、見たこともないような光だった。
いや、違う。
一方通行は何度かこの光を上条以外の瞳の中で見た覚えがあった。
最近彼の周囲でやたらと多発している、煩わしくも羨ましい仄かな灯り。
それは例えば浜面仕上の中で。
それは例えば滝壺理后の中で。
それは例えば御坂美琴の中で。
それは例えば――インデックスの中で。
何かが少年の中でカチリと音を立てて噛み合った気がした。
この正義感とお節介の塊のような少年がこんな事を言い出すのは、大抵他人の為である。
ならば一方通行の御坂への感情を知ることが一体誰の為になるというのだろうか。
候補なんて最初から二人しかいないようなものだ。
そしてその二人の候補を思い浮かべれば――複雑な演算などせずともすぐに解が導き出された。
次の瞬間、何故か一方通行の脳裏に浮かんだのは、強くて儚い、白い少女の泣きそうな笑顔。
「……なンで、それを聞きたいンだ」
「それは」
「超電磁砲が聞いてくれとでも頼ンだのかよ」
253: 2011/10/13(木) 23:17:54.74 ID:O/nfjWDeo
「別にそういうわけじゃないけど。
だってお前、このままでいいのかよ。
お前も、御坂も、顔を合わせる度にどんな顔したらいいのか掴みそこねたような顔して。
そういう顔するってことは『その何か』さえ掴めば何かを変えられるって
お互い分かってるってことなんじゃねぇのか?
本当はもっと、笑い合えるような関係が望めるんじゃないのかよ」
微かに熱を持ちはじめた言葉が耳朶を打つ。
その言葉が嘘であれ本当であれ、御坂が一方通行との関係に何らかの変化を求め、
その声を上条が受け取ったのは事実なのであろう。
いくら彼とてまったく助けを欲していないものに手を差し延べるような、
ズレすぎた正義感など持ち合わせていないはずだ。
それは一方通行の心中に複雑な感情を植え付けて、
もしかしたら何かしらの感慨を湧かせるような力があったのかもしれなかった。
だが、その熱はけして一方通行に根付くことなく彼の冷たい視線に絡んだだけで、急激に温度を下げ冷えてゆく。
今の彼にはそれ以上に気をそぞろにするものがあった。
『私……あくせられーたには応援して欲しいな』
例え応援して欲しいと乞われたところで、一方通行にとって幻想頃しを廻る恋模様など、
どうでもいいことの最たるものだ。
だから上条が殴りたくなるレベルの鈍感野郎であろうとも、全てを把握した上で遊ぶ軽薄野郎であろうとも、
口を出す気などさらさらないはずだった。
――しかし一方通行は、彼女に笑っていて欲しいと、そう思ってしまったのだ。
たった一つのその事実だけが彼の上条への苛立ちを浮き彫りにさせて、喉の奥にえぐみを生んでゆく。
必氏に笑顔を浮かべて、たった一人の男の為に努力を重ねて。
だというのにその男は少女の努力の理由を理解すらせずに、別の女に熱を上げているかもしれなくて。
もしそれが一方通行の杞憂でなければインデックスのやっていることはそれこそ本当に――ただの茶番だ。
254: 2011/10/13(木) 23:18:28.80 ID:O/nfjWDeo
別に上条が誰を選ぼうとも一方通行に口を出す権利などないが、
何一つはっきりさせないまま自分は関係ないとばかりに偉そうに踏ん反り返っているのだけは
どうしても腹立たしかった。
もしかしたら一方通行はこの瞬間、絶対たるヒーローに僅かな失望すら感じたのかもしれない。
それを勝手な押しつけだと理解しながらも、彼の心を占めるのは嬉しそうに上条の事を語るインデックスの声だった。
「……オマエこそ超電磁砲のこと、どォ思ってンだよ」
「はぁっ!? おい、そうやって論点ずらそうったってそうは――」
図星か。
それを聞き返した途端飛び出した焦燥溢れる声音と、さっと彼の耳に走った赤を目敏く見咎めて確信を深める。
噛み合った歯車が正常に回りだしたのを見れば見るほど、一方通行の思考はどんどんと冷え込み寒さを極めた。
――くだらない。
「……オマエのせせこましいポイント上げに俺を巻き込むなよ、三下」
「おい、どういう意味だよ」
一方通行の口元に皮肉げな笑みが浮かぶ。
あくまで鈍感を気取ろうとする彼はなんと滑稽なのか。
そして他人の問題に足を踏み入れて勝手に腹を立てている自分はきっともっと滑稽なのだろう。
「俺よりオマエのほォがハッキリさせるべきなンじゃねェの?」
「ハッキリさせるって何を――」
――本当にくだらない。
「知らねェよ。
とにかくそンなくだらねェこと、オマエに答える義理はねェな。
……帰るわ。金は適当に払っとけ」
さっと口元から笑みを消し去って、一方通行は立ち上がった。
財布から適当な札を一枚抜き取ってテーブルに叩き付ける。
まだ湯気すら上らせているコーヒーはたった一口飲まれただけで、殆どその量を減らしてはいなかった。
「おい、一方通行!! ちょっと待てよ」
255: 2011/10/13(木) 23:19:00.58 ID:O/nfjWDeo
必氏に呼び止めようとする上条の方を向こうともせず、杖で荒々しく安っぽい床材を弾いて。
――もし上条がハッキリさせたとして、はたしてインデックスは泣くだろうか。
その思いは一方通行が感じる苦みをさらに濃くさせるのに、それをどうにかする手立てなどないように思えた。
一度ならず手を赤く染めた少年が、人の心を救う術など知るはずもない。
だから。
舌先に感じる苦みなどきっと幻想だ。
脳裏に浮かぶインデックスの責めるような表情など、間違いなく幻想だ。
なのに一方通行はまるでその幻想から逃げるかのように、上条の前から立ち去った。
256: 2011/10/13(木) 23:19:31.24 ID:O/nfjWDeo
------------------------------------------------------------Interval--→
--→ Side : Mikoto Misaka --→
257: 2011/10/13(木) 23:20:14.53 ID:O/nfjWDeo
『すみません、お姉様。わたくし今日、寮に戻れそうにもありませんわ』
「またなの? 最近忙しいのはわかるけど、ほどほどにしなさいよ。あんたが倒れたら元も子もないんだから」
『心配いりませんの。お姉様の愛さえあれば! この不祥黒子、いくらだって頑張れますわぁあああ!!』
「はいはい。本当に気をつけなさいよ。寮監にはちゃんと連絡してあるんでしょうね」
『抜かりありません』
「ん。あ、私明日出かけるから、入れ違いになっちゃうかも」
『了解しましたわ。ところでお姉様、最近随分よくお出かけになるんですのね』
「え」
『まあ皆まで言わずとも理由なんてとうにお見通しですの。……ッち。あの腐れ類人猿め……』
「はっ? えっ?」
『……まったく。お姉様こそ、ほどほどにしてくださいまし。それでは』
「ちょ、ちょっと黒子、それどういう――あ」
258: 2011/10/13(木) 23:21:00.94 ID:O/nfjWDeo
――短い電子音を最後に、その通話は一方的に打ち切られた。
夜、常盤台の学生寮にて。
御坂は物言わなくなった携帯を眺めながら、そっと苦笑いを浮かべていた。
後輩のいない寮はとても静かで、しっとりと静まり返っている。
御坂にとっては本当に久しぶりの一人きりの夜だ。
「……ったく」
知らずのうちに漏れた呟きは形こそ悪態の体を成していたが、その響きは柔らかで親しみのある色を含んでいた。
なんだかんだで可愛い後輩がいないのは寂しいが、いつもと違う夜の空気に軽い興奮も覚える。
微かに開放感すら感じるのは最近増えた後輩の怨みがましい目から、
一晩だけでも逃れられるからなのかもしれなかった。
何故白井が敬愛するべき存在である御坂にそんな目を向けるようになったのか。
理由は単純だ。
きっと最近とある事情で付き合いの悪くなった御坂に不満を抱いているのだろう。
自惚れのようで気恥ずかしさがあるが、あの五月蝿いまでに自分を慕ってくる白井のことだ。
間違いなかった。
――今度、黒子と一緒に遊びに行こう。初春さんや佐天さんも誘って。
ニマニマと気持ちの悪い笑顔を浮かべながらそんなことを考えて、ベッドに飛び込む。
何となしに向けた視線の先で少女愛用の携帯が着信音を鳴らしていた。
たった一人のために設定されたそのメロディはありきたりな恋歌で、彼女の心情をわかりやすく表したものである。
その電話の主こそがまさに御坂の機嫌が良い理由そのものだった。
「ったく、こんな時間に何の用なのよ」
素直になれなくて、だなんて陳腐な歌詞にそれでも頬を染めて、御坂は携帯へゆっくりと指を伸ばす。
携帯から漏れる鮮やかなピンク色のLEDが、少女の指先を仄かに照らしていた。
←----------------------------------------------------------Interval---
280: 2011/11/06(日) 21:53:29.76 ID:LiU/jd3Ro
今日は家に帰ったら『おでん』を作ろう。
281: 2011/11/06(日) 21:54:52.05 ID:LiU/jd3Ro
最近上条は僅かばかりのお金をインデックスに預けてくれるようになった。
一週間に一度渡されるそれは、夕御飯の支度のために渡されるものである。
毎晩のように作られる晩御飯の材料費は放っておけば謎の出資者が払ってくれるわけなのだが、
どうやらそれを上条は是としなかったらしい。
律儀な男だ。
――だがインデックスにはそれが上条に信用された証であるようでとても嬉しかった。
それに限られた金額の中でやりくりして、
出来るだけ多くの料理を作る作業はちょっとしたパズルのようで楽しい。
こと金銭面のやり取りにおいては
普段の赤点が信じられぬような細やかな計算能力を発揮する上条に扱かれながらも、
インデックスは着実に『花嫁修行』をこなし、技術をものにしているのだった。
「おでんっ、おでんっ、おっでっんー♪」
右手でスフィンクスを抱えて、左手で白いビニール袋をゆらゆらと揺らしながら、
インデックスは鼻歌混じりに帰途に着く。
完全下校時刻が近いためか曇り空から覗く夕闇に染まった学園都市は
同じように家路を急ぐ学生達でしばしの慌ただしさを見せていた。
そんな中を悠々と歩くインデックスの髪が雲の隙間を縫って降り注ぐ夕陽を反射して、
まるでルビーのような輝きを放ち――。
急いでいるはずの学生達の幾人かが彼女の姿に一瞬目を奪われて、
それから少女のご機嫌を伝染されたかのように笑顔になって立ち去っていった。
煌めく銅(あかがね)は幸福を振り撒いて。
――これからインデックスは上条との久々の邂逅を果たす。
誤解の無きようすぐに説明させてもらうが、これは彼女の中の乙女回路が暴走した結果の誇張表現である。
つまりインデックスは一日振りの上条家への帰宅を果たそうとしているのだった。
とはいえ最近は特に毎日のように一緒に過ごしていた二人である。
たった一日顔を合わさぬだけでも、今のインデックスにとってそれは長い永い別れ。
少しだけ淋しさを思い出して、少年へと思いを馳せて。
昨晩のインデックスは少しセンチメンタルな少女だった。
しかし楽しみなこともある。
282: 2011/11/06(日) 21:55:56.76 ID:LiU/jd3Ro
そもそもインデックスが上条家をあけた理由は彼女の大変お世話になっている月詠小萌の一言に因るものだった。
『シスターちゃん、今度姫神ちゃんも呼んでうちで焼肉パーティしませんか? 上条ちゃんには内緒ですよー』
だなんて、そんなことを言われてしまえば日課となっている夕飯作りすら放り出すしかなく。
インデックスは焼肉の匂いにほいほい釣られるような形で、
新旧織り交ぜた小萌の居候達とともに女だらけの焼肉パーティに現を抜かしていたわけである。
だがそこで肉を腹の中に放り込んだだけ、
とならないのが最近のインデックスが以前よりも成長したと――自分で――言われる所以。
翌日が休日であることを事前にしっかりと確認した上で宿泊の許可をとり、
帰ってゆく元居候達を小萌と共に見送った後彼女秘伝のレシピを聞き出す。
これが彼女の真の目的だったのだ。
いや、肉も重要だったが。
ちなみに以前考えたいささか失礼な予想の通り小萌のレパートリーには若干の偏りがあったが、割愛。
今からなんと上条の笑顔が楽しみで仕方なかろうか。
それに今度黄泉川家に行った時に新しい知識を披露するのも楽しみだ。
レシピはだいたい三人一緒に手に入れることが多かったから、
ちょっとした先生気分を味わえるのも少女の小さな優越感を刺激した。
何にせよ、それもこれも今日の晩御飯を上手く作れてからの話だろう。
インデックスは気合いを入れて手にぶら下げたビニール袋を握りなおすと、家路を急いだ。
パタパタと軽快な足音を鳴らしながら、二つ角を曲がって、三つ横断歩道を渡る。
そして最後の角を左に曲がって。
聳える学生寮を見上げると、どうやら上条は在宅のようだった。
まだ仄かに明るい為に分かりづらいが、部屋の明かりが点いているのが地上からでも窺うことが出来る。
インデックスの足取りはさらに軽くなった。
昨日のうちに今日の夕飯は作るつもりだとちゃんと告げておいたので心配はしていなかったが、
やはり目に見えてそれが分かればどうしたってモチベーションは上がる。
ようやく乗り慣れたエレベーターを使って、小走りに何度も出入りした扉に駆け寄って。
283: 2011/11/06(日) 21:57:14.32 ID:LiU/jd3Ro
「ただいま、とうま!」
勢いよく扉を開け放つと、しんとした部屋にインデックスの場違いな明るい声が響き渡った。
――そこはまるでがらんどう。
あまりの部屋の静けさと冷たさにすぐにはっと息を詰まらせて、部屋をじっと見つめる。
刺すような沈黙がインデックスの柔らかな頬を突いた。
いったい何があったというのか。
「……とう、ま?」
灯りがついているはずなのになぜか薄暗いその部屋は、まるでローマ正教教会の懺悔室のようだ。
おそるおそるリビングへと向かう。
ひたひたと、じっとり湿ったような足音が廊下に反響して妙に大きく聞こえた。
「……おう、おかえり、インデックス」
はたして、確かに上条当麻はそこにいた。
ちゃぶ台に頬杖をついてこちらを見ないまま、じっとテレビを見つめて。
しかしその瞳に写るものは何もなく、テレビの電源すらついていない。
インデックスの帰宅を受け止めるはずの言葉はただただインデックスの脇を通り過ぎて、
廊下の暗い影へと沈み込んでいった。
息を飲み込んで立ち尽くす。
「とうま……」
「ん……悪い。ちょっとぼけーっとしててさ」
再度の呼びかけにようやくこちらを向いた上条の表情は、いつものように明るいものであるように思えた。
しかし彼に『何か』があったのは確かで。
そしてこんな風に彼が『何か』をこうしてインデックスに見せるのは初めてで。
284: 2011/11/06(日) 21:58:03.09 ID:LiU/jd3Ro
「メシ、作ってくれるのか? 今日のメニューはなんだろうなぁ。
インデックスさんが手伝ってくれるようになってから上条さん大助かりですよ」
「……」
続く少年の明るい声。
望みどおりの言葉をもらったはずなのに白い少女の心を満たすのは不安だった。
きっと予感めいたものがあったのだと、インデックスは思う。
いや、そんなものはとうの昔に確実に感じていたのだ。
それはずっとずっと前から、もう悩まないと決心する前から、
疎外感に気がつく前から、上条がこの家に帰ってくる前から――。
だからインデックスは持ったままだったビニール袋をぎゅっと握り締めなおして上条に背を向けた。
今までと同じように気がつかない振りをするつもりだった。
気がつかなければ無いのと一緒、それはまるで観測されるまで曖昧なままのシュレーディンガーの猫。
にゃあ、とスフィンクスが鳴いてインデックスの腕の中から逃げてゆく。
「うんっ、今日はおでんなんだよっ!」
すべての幻想をぶち壊す右手を振り上げて笑みの浮かばぬ顔を気取られないようにする。
その声は少し硬いものであったけれど、
些細な変化にきっと『何か』に気をとられた上条ならば気がつくことはないだろう。
「おお、おでんかぁ」
案の定上条の声音はすでにいつも通りだ。
インデックスはうっすらと口元に笑みを浮かべた。
それは安堵の笑みであったかもしれないし、自嘲の笑みでもあったのかもしれない。
「うん、今度らすとおーだーにも教えてあげるんだ。きっとあくせられーたも――」
だけど、インデックスはすぐに己が笑ったことを後悔することとなる。
その名前を小さな声で呟いた途端、上条の周囲の空気が変わったことを背中が克明に感じた。
びくりと、気がつかれぬように小さく肩を震わせて、振り向きたい衝動を抑える。
肌で感じるような静寂の奔流が再び部屋を包み、時の温度を奪っていった。
285: 2011/11/06(日) 21:58:44.24 ID:LiU/jd3Ro
「……」
そんな音が聞こえるはずが無いというのに、上条の口を開く音さえ聞こえるような気がして。
次にインデックスに襲い掛かるのは耳を塞ぎたい衝動。
だけど冷たい時の中では指の一本を動かすことすら叶わず、ただ震えるような怖気だけを走らせる。
「なぁ、インデックス。おまえ一方通行ともよく会ってるんだよな?」
困ったような、迷うような気弱な口調は上条らしくないものだった。
彼が他人のために発する言葉には欠片も存在しない後ろ向きな感情。
「……うん」
「ならさ。その……御坂について、何か言ってなかったか?」
「……なんで?」
「なんでって、そりゃあ……」
「そんな個人的なこと、あくせられーたが私に教えてくれるはずないかも」
「そう、だよな」
「……二人、何かあったの」
「いや、御坂が……うん、御坂がさちょっと一方通行との関係で悩んでるっつうかさ。
その、心配で。あいつ……あんまり俺に頼ってくれないから。
……もっと、頼って欲しいのになぁ」
「……短髪、負けず嫌いだから。とうまに弱味、見せたくないんじゃないかな」
「えっ!? あ、……う、うーん、そうだよなぁ……。
でも、放っておけないっていうか、俺が、もっと知りたいっていうか。
御坂、無理してると思うんだよな」
その声を聞いた途端、手が、震えた。
286: 2011/11/06(日) 21:59:22.76 ID:LiU/jd3Ro
もう大丈夫だと思っていた。
悩むまいと決心して、一方通行に笑ってほしいと言われて。
彼女の原動力はだたひたすら上条に一緒にいて欲しいと、見ていて欲しいというその一心。
そこに自分の立場も役目も何もかも介在させずに、インデックスはひたすら、ひたすらにそれだけを求めた。
努力すれば彼の視線を独り占めできるのでは、なんてそんな浅はかな想いを抱いて。
そんな曖昧な状況がずっと続くという幻想を抱いて。
そうすれば醜い自分を醜いながらも美化することができたからだ。
だけど、もうインデックスは観測してしまう。
インデックスの手から力が抜けて、落ちたビニール袋を床が乾いた音を立てて受け止めた。
重いものが落ちる鈍い音はなんの情緒も見せずに凍った空気を打ち砕く。
「……インデックス?」
上条が立ち上がる気配がした。
心配そうな声は確かにインデックスだけに向けられているはずのものであるのに、
インデックスは先刻の御坂を呼ぶ上条の声を思い出す。
まったく種類の異なる二つの響きは一体どんな意味を持つのだろうか。
視線をゆっくりと下げて、それからインデックスはそっと後ろを振り向いた。
「……とうま」
黒い瞳と翠色の瞳が仄かに昏い部屋の中、光を湛えて交差する。
インデックスはその瞳をじっと見つめた。
――ああ、思い出してしまった。
インデックスの口元に浮かぶのは微笑だ。
それは紛れも無い自嘲の笑み。
完全記憶能力を持つはずの少女が忘れていた、忘れた振りをしていたたった一つの事実。
それに気がついてしまった少女の悔悟の笑み。
287: 2011/11/06(日) 22:00:23.57 ID:LiU/jd3Ro
少女の脳裏で黒い瞳に柔らかな赤が重なった。
以前、一方通行の瞳を見てどこかで見たことがあるなんて惚けていた自分は一体何を考えていたのやら。
考えてみれば実に簡単な話だった。
インデックスはいつだって同じ視線を一番近しい少年から――上条からもらっていたのだから。
――そして一方通行は一体その視線の理由をなんと表現していたっけ。
またインデックスは笑う。
打ち止めのことを、あの白い少年はとても大切な存在だと言っていた。
そんな感情が上条から向けられているなんて、きっと本来ならば飛び上がって喜ぶべきことのなのだろう。
だけどきっとそれはインデックスが上条に求めるものとは決定的な隔たりがあるのだ。
その隔たりはどうしようもないほどに深くて暗い。
インデックスはもっと焦がれるような瞳で見て欲しかったのに、
その視線が向けられるのはインデックスではなかったのだ。
288: 2011/11/06(日) 22:01:04.54 ID:LiU/jd3Ro
ぼきり、と何かが音を立てて折れた音が体の底から聞こえたような気がした。
289: 2011/11/06(日) 22:01:46.84 ID:LiU/jd3Ro
「……とうまは、短髪が好きなんだね」
「え……ええっ!?」
含んだような声音で発せられたインデックスの言葉に、上条が大げさに声を上げる。
その声にインデックスは意地悪そうに『笑った』。
その笑みに上条は顔を赤くして、たじろぐ。
「ちょっと待て。今そんな話は……」
「でもそーんな声で短髪のこと呼んじゃって、とうまってばバレバレなんだよ!」
心はギシギシと今にも決壊しそうなのに、インデックスの頭は妙に冷静だった。
諦めにも似た何かが彼女の心に涼やかな風を流して思考を、心を冷やしてゆく。
土台、無理な話だったのだ。
インデックスがずっとここには居ることは、きっとできない。
その身を縛る『禁書目録』という立場がいずれ少年の元から少女を引き剥がしてしまうのだと、
そんな覚悟は漠然と抱いていた。
それでもインデックスは抗おうと思っていたのだ。
なによりも少女は少年と居ることを望んでいて、少年がそれを許す限り抗おうと思っていた。
――だから返ってよかったのかもしれない。
そんな思いすら浮かんで、さらに少女を氷のように冷やしてゆく。
きっとインデックスが望めば、上条は少女の居場所を残してくれるだろう。
けれど御坂という存在が居る上で、
望まぬ位置にインデックスが収まり続ける意味が一体どこにあろうというのか。
それに来るべき時がやってきた際に上条の手を煩わせなくていいのは、きっといい事だった。
「す、好きって……あああー、その……」
「……他の人と短髪は、とうまにとって違うんでしょ?」
なおも混乱したように頭を抱える上条の背中を押すがごとく、インデックスは柔らかい声を出した。
その声に上条の黒い瞳がそっと鎮まって、それから熱っぽく潤む。
290: 2011/11/06(日) 22:02:43.48 ID:LiU/jd3Ro
「……そう、なのかもな」
焦がれる視線が例え目の前を見ていなくとも、いまここにいるのはインデックスただ一人。
愛しい人の愛しい視線を手に入れて、少女はそっと小さな自ら胸を両腕で包み込んだ。
それから髪の毛を揺らして、上条の視線を正面から受け止める。
「なら、はやく伝えなくちゃ。きっとそれを伝えれば短髪だってとうまのこともっと頼ってくれるかも」
「……なんでそうなるんだよ」
「そうなるの! だってわかるもん」
インデックスの声は上条の声を打ち消すかのように大きく、明るく響いた。
そしてぱっと手を広げて、腰の後ろで手の平を絡み合わせて、
少女は誰にも聞こえぬよう小さく小さく胸のうちを吐き出す。
「……だって、インデックスはとうまのことが大好きなんだよ?」
「え?」
誰にも聞かれずに消えてしまえばいいと思った。
実際その呟きは上条の耳に届かずに力尽きたようだ。
僅かに音を拾ったのか、聞き返してきた上条に首を振って見せて胸を張る。
「……ふふふっ、なんでもない。私、こもえの家に忘れ物しちゃったんだよ!
もう作るのめんどくさくなっちゃったし、おでんは明日までおあずけかも。
とうまは誰かさんをご飯に誘うのがいいと思うんだよ!」
「は?」
インデックスはくるりと一回転して上条に背を向けた。
「とうま、グッドラーック!」
「おい、インデックス!」
――どうか何も気がつかないでほしい。
普段は腹が立って仕方ないはずの上条の鈍感さを今日ばかりは望まずにいられない。
小走りに玄関に向かうインデックスの足音は馬鹿みたいに軽快だった。
そのまま縋るように扉に飛びついて外へと逃げ出す。
背にかかった上条の声は無視した。
仕方がないなと笑っていることを祈って静かに扉を扉を閉めると、
まるで彼女自身の心も閉ざされてしまったかのように一瞬にして色を無くしてゆく。
その色はまるで泣き出しそうな暗雲のごとく。
291: 2011/11/06(日) 22:03:15.16 ID:LiU/jd3Ro
まさに少女の頭上に広がる黒い空のようだった。
292: 2011/11/06(日) 22:03:40.71 ID:LiU/jd3Ro
◇ ◆ ◇
293: 2011/11/06(日) 22:05:25.97 ID:LiU/jd3Ro
「あちゃー、けっこう降ってきちゃったね、
ってミサカはミサカは迎えに来てくれたあなたに感謝を隠しきれなかったり」
「別に感謝されるようなもンでもねェよ。ついでだ」
朝からずっとギリギリのところで雨を押さえ込んでいた堤防がついに決壊したらしい。
「どうせヨミカワ辺りに言われて渋々出てきたんだろうから、感謝しすぎちゃダメだよ最終信号」
「オマエはもっと感謝の心を持てよ」
「ぎゃはっ! ちょっとミサカが感謝の心とか、マジで言ってんの?
冥土帰しに電極の調子見てもらった方がいいんじゃない?」
「……」
三人はざあざあと雨の降る学園都市を歩いていた。
まだ日没にしては早い時間だが、厚い雲に覆われた空のせいで辺りはまるで新月の夜のように暗い。
最悪の天気だった。
寮が密集する地帯である為か街灯も少ない不明瞭な視界の中で差した傘は、ほとんど意味を為しておらず、
あちこちに点在する水溜まりの存在も相俟ってびしょ濡れになるのは時間の問題に違いない。
濡れた体に吹き付けられる風は芯から凍らせるような冷たさだった。
どうしても滅入る気分に頭を降って、ずり落ちそうになる傘の柄をしっかりと持ち直す。
調整に出掛けていた打ち止め達が傘を持って行っていないことに気がついたのは黄泉川だった。
294: 2011/11/06(日) 22:06:11.69 ID:LiU/jd3Ro
一方通行は朝から抜けきらぬ倦怠感に身を寄せたままソファに体を沈み込ませていて、
芳川は学校から持ち帰ったらしい本に没頭して雨が降っていることにすら気がついていない。
しかし警備員の仕事から帰ってきたばかりの彼女は二人の惨状と濃密に香る雨の気配に顔をしかめて、
傘立てに刺さったままのドット柄の傘を見てさらに顔をしかめた。
『番外個体はともかく、しっかり者の打ち止めが珍しいじゃん』
彼女の言葉を聞けばきっと番外個体は怒るだろうが、一方通行としても一字一句違わず同意したい思いだ。
窓の外を見れば確かに世界を薄暗い灰色の雲は今朝よりも厚みを増していて、
雨が降っていないのが不思議にすら思えてくる。
『迎えに行ってあげた方がいいじゃんね?』
その言葉にそっとため息をついて、それから無言で立ち上がった一方通行は
大人達ににやけた顔で見送られながら傘を三本持って病院へと向かったのだった。
それがつい半時のさらに半分前のこと。
家を出てすぐに連絡を入れはしたが入れ違いにならなかったのは幸運だった。
「うーん、はやくお家に帰ってお風呂に入りたいよう、ってミサカはミサカは風邪をひくことを恐れてみる」
「服もびっちゃびちゃだしねー」
――しかしこれ以上雨が強くなるようならば、傘がなくても一緒かもしれない。
肩に引っかけた傘越しに空を仰いで眉をひそめる。
暗く闇に沈んでなおその厚さを誇る雲が流す涙は、もうしばらく止みそうにもなかった。
朝から降ることは分かりきっていたとは言え、どうしたって気は滅入る。
特にありがちな嫌な思い出があるわけでもないのに陰欝な気分になるのは、気圧のせいなのだろうか。
水分を吸ってじっとりと重くなった髪の毛を振り払う。
開放感を求めて視線を遠くへと投げかけると、ふと視界の端を何か白いものが掠めたような気がした。
295: 2011/11/06(日) 22:06:43.69 ID:LiU/jd3Ro
「……?」
「今日のご飯はあったかいものがいいなぁ、
ってミサカはミサカは余りの寒さに願望を口にせずにはいられなかったり」
「今日ヨミカワが作ってくれるんだよね? 昨日の買い物の内容を見るに、ミサカがビーフシチューだと思うね!」
「おおっ、それは僥倖! ってミサカはミサカははしゃいでみる!」
何か気がつかなかっただろうかと二人の少女を見ても、
彼女達は何も気にしていない様子で雑談に花を咲かせているだけだ。
――気のせいだったのだろうか。
どうやらまだ闇夜に慣れきっていないらしい瞳を二度、ゆっくりと瞬いて一方通行はもう一度目を凝らした。
ざあざあと雨がアスファルトを打つ音が鼓膜を引っかく中で、
ぱしゃり、と水を力無く蹴る音が聞こえたのはただの空耳だったのかもしれない。
だが音を追ったその先で、一方通行は雨色に染まり闇に沈んだ小さな背中を捉えた。
杖を握る手の平に無意識に力が篭る。
瞬間、彼を襲ったのは真っ白い雪が泥だらけの靴で踏みにじられているのを見た時のような嫌悪感。
脳から発せられた反射的な命令にびくりと足が震えて、ついで流れたそれを打ち消す命令に足が止まる。
「どうしたの? ってミサカはミサカは――」
凝り固まった理性が余計な事に関わるのはよせ、と叫んでいた。
追いやられた本性がそれでいいのかと、静かに疑問を投げかけていた。
296: 2011/11/06(日) 22:10:09.26 ID:LiU/jd3Ro
――一方通行は人の心を救う術など、何一つ知らない。
「……おい」
「あなた?」
笑顔を守ることはできても、笑顔を生み出すことは出来ない。
だからすでに『泣いている』少女を救う術など、何一つ知らない。
ましてや彼女が『泣く』原因を作ったのはきっと一方通行自身だ。
だから余計な口を出す資格なんてものもきっと存在しない。
なのに。
彼の心を支配するのはただただ一つの衝動のみだ。
理性的に考えれば今自分が為そうとしていることがいかに愚かで、矛盾しているか分かりそうなものなのに。
一方通行は、それに抗う事ができない。
「……オマエら、先に帰ってろ」
「えっ、ちょっとあなた――」
電極のスイッチを切り替える音は、雨に塗り潰されて誰にも聞かれぬまま闇夜に消える。
そして少年自身もまた――すでにそこには存在していなかった。
雨は激しさを増してゆく。
308: 2011/11/17(木) 00:50:39.44 ID:Vap9IBb4o
◇ ◆ ◇
309: 2011/11/17(木) 00:51:39.99 ID:Vap9IBb4o
ざあ、ざあ。
ざあ、ざあ。
雨の音が世界からそれ以外の音を消し、雨の冷たさがインデックスから感覚を奪っていた。
少女が感じるのは水を吸った修道服の重さと、胸の痛みだけ。
――確か、前にもこんなことがあったような気がする。
あれは一体いつのことだったか。
夜の町を歩くインデックスは一人だった。
敵対する魔術師――だと思っていたもの――にしつこく追われて、酷く憔悴していた。
ただ当時健在だった歩く教会はインデックスの体を濡らすことを是とはしなかったはずだ。
しかしあの時も、今も、少女の足取りは暗く、重く。
空腹に耐えかねてゴミと化したものに手をつけたのはその日のことだった。
饐えた臭いに吐き気を催して、しかし生存本能が吐くことを許さず。
食んだ得体の知れないものの味はきっと絶望の味だったのだろう。
必氏にゴミに縋り付く少女の姿はさぞかし惨めであったはずだ。
少なくともインデックス自身は、あまりの自分の惨めさに己の境遇を呪わずにはいられなかった。
実の伴わぬ役割にくだらない矜持を抱く自分を嘆いて、しかしその矜持に縋らなければ生きていけぬ程に依存して。
いっそ氏んだ方が楽なのではなどと十字教徒にあるまじき事を考えた。
それでも信じることを選びつづけた少女は、ついにあの夏の夜に地獄の底から救われることとなり
――そして今、再びたった一人雨の中を歩いている。
310: 2011/11/17(木) 00:53:18.56 ID:Vap9IBb4o
――馬鹿馬鹿しい。
インデックスは今、幸せだ。
沢山の人間が彼女を救うために奔走し、結果彼女は救われた。
それは少女が沢山の人間に思われているからこその天から与えられた幸運であったのだろう。
だからそれ以上の幸福を望むことはきっと許されることではなかった。
だというのにインデックスは望んでしまったのだ。
だからきっとこれはインデックスに与えられた天罰だ。
救われたことに阿呆のように浮かれて、
結局望むものも手に入れられず、再び地獄に堕ちることもできない愚かなシスターに与えられた神の試練。
「……ああ、それでも」
それでも悔い改め赦しを乞えば、神は子羊を赦すのだ。
――残酷なまでに。
だからインデックスは笑って上条の背中を見送る外ない。
だってそうすれば神は少女を赦すのだ。
――だがそれが喜ぶべきことなのか、歎くべきことなのか、インデックスには判断がつかなかった。
自嘲気味に笑って、白っぽく霞む視界の中そっと瞼を下ろす。
降り続ける雨が少女の体温を奪い続け、すでに指先に感覚はもうなかった。
自分が何処を歩いているのかもわからず何処に行くのかもわからない。
このまま、全てが白に染まってしまえばいいと、そう考えて。
「おい!」
312: 2011/11/17(木) 00:54:06.97 ID:Vap9IBb4o
世界に何よりも白い白が舞い込んだ。
素早くインデックスの正面に回り込んだそれは、緩慢な動作しかできぬ少女の肩をあっけなく捕え瞳を灼く。
白い澱に淀む世界でもなお、鮮烈に輝く一切の色を含まぬ純粋な白。
恐らくそれは感傷的になった少女の心情が見せた一種の幻想であったのだろう。
それでも闇夜に浮かぶ白を見つめてインデックスはそっと笑う。
「……あくせられーた、どうしたの?」
「ッ! ……オマエ」
少女の反応が不本意だったのかもしれない。
立ち止まったインデックスの表情に眼前に立ち尽くした少年――
一方通行は酷く傷ついたような顔をして、はっと少女を見つめた。
それが何だかとても可哀想に思えてインデックスはそっと柔らかく微笑む。
「あくせられーた、風邪、ひいちゃうよ」
少年は傘を差していなかった。
黒い飾り気のないそれは彼の腕に引っ掛けられたまま、仕事を与えられずにただ雨を受けている。
インデックスはそれをなんとなしにじっと見つめて、それから一方通行へと視線をゆっくりと流す。
不思議な事に彼は雨に打たれても濡れてはいない。
街灯に照らされて僅かに輝く雨の光芒が、
まるで一方通行を避けるように流麗な曲線を描いてアスファルトに吸い込まれていた。
これも彼の能力なのだろうか。
ぼんやりとそれを考えて、自分の見当違いの懸念に呆れる。
「……そりゃ、こっちの台詞だろォが」
「確かにそうかも」
だから次いで告げられた言葉にインデックスは思わず同意して笑ってしまった。
313: 2011/11/17(木) 00:55:38.21 ID:Vap9IBb4o
一方通行だって呆れたはずだ。
びしょ濡れの人間に――そもそも検討違いな――風邪を心配されたところで、なんの説得力もない。
なんと滑稽な。
肩を震えさせて笑うインデックスを変なものでも見るような目で見る少年の姿が、さらに少女の笑いを誘った。
笑いのループに陥ったまま声を立てずにインデックスは笑い続ける。
「オマエ、何笑って……」
そんなインデックスの姿を眺めて不愉快に思ったのだろう。
一方通行は不機嫌そうに口を開いて――さらに不愉快なことに思い至ったかのように声を詰まらせる。
少年の小さな舌打ちが雨の隙間からこぼれ落ち、白い髪の毛が少年の手によってぐしゃりと掻き乱された。
「……おい、行くぞ」
――その表情は一体何を示していたのか。
少年の感情を紐解く暇もないまま、不機嫌そうな表情の一方通行に傘を無理矢理押し付けられた。
片手で器用に傘を開く様に目を奪われて思わず傘を受け取ると、骨張った手でそのまま頭を掴まれる。
優しく頭を小突かれているようで、乱暴に頭を撫でられているようでもある不思議な手つきだった。
何をされているのか理解ができぬまま奇妙な浮遊感を感じて、
気がつけばあれほど重かったはずの修道服がさらりと肌を撫でる。
「……えっ?」
未だ激しく降りしきる雨はすぐにまた教会を侵しはじめたが、
それでもじっとりと纏わり付くような不快感は消えていた。
――乾かしてくれたのか。
思い至って息を呑む。
「行くぞ」
「え?」
驚愕の抜けきらぬまま呆然と手を引かれて、だが彼の言葉を理解した途端すぐに体が強張った。
どこか白んでいた感情にさっと色が走り心臓がぞわりと胸を圧迫する。
314: 2011/11/17(木) 00:56:14.80 ID:Vap9IBb4o
行くと言われて思い浮かぶのはどうしたってあの温かな少女達の住まう家。
インデックスは、どうしても打ち止め達には会いたくなかった。
こんな姿を見られて余計な心配をかけたくない。
――だなんて言えれば、どんなに恰好のついたことか。
這い寄る感情にぐしゃりと胸を掻き乱されて、引き寄せようとする一方通行の腕に抵抗を返す。
余計な心配をかけたくないのも、もちろん本音だった。
だがそれ以上に少女の心を痛め付けるのは彼女達の中に存在する御坂の面影。
そして、彼女を優しく見つめる上条の姿。
ひくり、と瞼が震えた。
喉の後ろから込み上げるような何かに瞳の奥が熱くなるのを感じて、インデックスは慌てて首を振る。
くらくらと胸の中を圧迫する不愉快な凝りがド口リと腹の底に落ちて不快感しか湧かぬ泥沼を作り上げていた。
「……おい」
「……えっと、大丈夫なんだよ。その、私、これから、こもえのうちに――」
耐えるように胸を抑えて、笑顔を浮かべる。
――刹那、赤い瞳から色が消え失せた。
「……っ」
「あくせら、れーた?」
「……近くに昔使ってた部屋がある。そこなら問題ないだろ」
「えっ、と……」
もしかして何もかも見透かされているのかもしれない。
感情が篭っていないようでいて、どこか悲しげな少年の瞳を見つめながらそれでも笑顔を浮かべる。
315: 2011/11/17(木) 00:56:47.69 ID:Vap9IBb4o
正直、どうしていいのかわからなかった。
彼の言葉に答えてしまえば何かが瓦解してしまいそうな予感めいたものさえ感じていた。
迷うように視線を彷徨わせて、だが心の痛みにそぞろな思考は少女に集中を許さない。
浮かぶのはただただ逃避への願望。
それだけだった。
「――雨が」
それでも。
「雨が、止まねェンだよ」
「……」
それでも結局抗う事をやめてしまった少女の心は、
もしかしたら自分で思っている以上に疲弊していたのかもしれなかった。
ざあ、ざあ。
ざあ、ざあ。
灰色の雨は全てを塗りつぶす。
道中、二人が口を利くことはけしてなかった。
316: 2011/11/17(木) 00:57:18.82 ID:Vap9IBb4o
雨は、止まない。
317: 2011/11/17(木) 00:57:57.63 ID:Vap9IBb4o
一方通行の言う昔というのが一体どれくらい昔の事であるのかはわからなかったが、
その部屋は思った以上に綺麗だった。
それは一方通行にとっても意外な事だったらしい。
ひっそりと静まり返った部屋の電気がついた途端、わずかに彼の瞳が見開かれたのを
インデックスはぼんやりと、しかし確かに目撃した。
「……ったく、アイツら……」
その呟きが誰に向けられたものなのかインデックスは知らない。
しかし部屋に置かれた娯楽品からは一方通行らしくない生活臭が窺い知れる。
広くもなく狭くもないリビングに、ポツンと置かれたソファに、ローテーブル、そしてテレビ。
テレビ台や、その横に置かれた本棚の中は申し訳程度に整頓されてはいたものの、
漫画や何かのディスクで埋め尽くされて雑多な印象を周囲に放っていた。
それがどこか上条の部屋に漂う雰囲気と似ていると思うのはあまりに感傷的すぎただろうか。
微笑みを浮かべながら何となく一方通行の後をついて部屋に足を踏み入れる。
人のいなかった部屋は外とそう大差ないひんやりとした空気で満たされていたが、不思議と寒くは感じなかった。
ウィン、と微かな電子音が響いて空調システムが動き出す。
どうやら人の気配を察知して自動的に起動される設定にされているらしい。
しかし徐々に暖かくなってゆく部屋に体は温められても、心はなお冷え切ったまま。
「おい」
インデックスがぼうっとしたまま部屋の中央に立ち尽くしていると、ぶっきらぼうに声をかけられた。
びくりと肩を震わせて振り返ると一方通行がこちらを見もせずに奥の部屋を指し示している。
「隣の部屋のクローゼットに着替えがあるから、適当に着とけ。サイズはあわねェだろォが着れるはずだ」
口ぶりから推察するに、その着替えとやらはおそらく彼の所有物ではないのだろう。
わずかに戸惑いを感じながらも、それ以上に抵抗する気力が失せている事に気がついて
言われるがままに奥の部屋の扉へ手をかける。
正直着替えなど面倒以外の何物でもなかったが、未だ残る頭の冷静な部分が醜態を晒すことを許さなかった。
――笑いなさい、と自分のようで自分ではないような機械的な声が、インデックスへと命令を下す。
318: 2011/11/17(木) 00:58:25.83 ID:Vap9IBb4o
「……ありがとう。あくせられーた」
「……」
形式的な少女の礼に何も返さぬ彼に背を向けて、薄暗い小さな部屋へと入り込む。
一方通行に言われた通りクローゼットに納められた衣服は、
女性向けではあったがインデックスには少しだけ大きすぎるものだった。
それでも適当に無難な色合いのものを選んでもそもそと緩慢な動作で着替えを済ませる。
――少しだけ埃臭い、柔らかな生地の匂いに思い起こされるのは
上条と過ごした月詠家での一時だったのかもしれない。
確かあの時も少女は滅多に脱ぐことのない修道服を脱いでいたはずだ。
だけどその事実から出来るだけ目を逸らして、
インデックスは暗い部屋の隅をじっと見つめながら機械的に手を動かす。
何も視界に写さなければ、何も考えることなく過ごせる気がした。
案の定無心で手を動かせばすぐに着替えは終わり、脱ぎ散らかした白い修道服が視界に濁った白を混入させる。
インデックスは無意識にそれを引き寄せて、ゆっくりと立ち上がった。
戻らなければ、きっと一方通行が心配する。
ぐちゃぐちゃに丸められた白を胸に掻き抱いたままリビングへと続く扉を開く。
戻った先には視線が湯気の立ち上るカップが用意されていた。
きっと一方通行が入れてくれたのだろう。
漂う香ばしい香りに彼の気配を感じてインデックスは腕に力を込めて修道服に顔を埋めた。
自覚はあったものの、自分は随分とあの少年に気を使わせているらしい。
鋭い目つきの下に隠れた彼の細やかな神経に思いを馳せて、負担を掛けざるを得ない自分の現状に心を痛める。
早く気を使わぬよう説得しなければ。
そう思っても乱れた心はすぐに少女の気を散らせて、インデックスの行動を迷わせた。
台所から自分のものらしいカップを持って出てきた白をそっと眺めて、唇を噛み締める。
その行動を一体どんな風に受け止めたのか。
「……安心しろ。すぐに出てく」
視線を揺らした少年が告げたのはそんな言葉だった。
慌ててそんな必要はないのだと否定しようとしても、詰まった喉は何も音を出そうとはしない。
319: 2011/11/17(木) 00:59:06.13 ID:Vap9IBb4o
「とりあえず、座れ」
結局何も言えぬまま惰性で従ってテーブルについたインデックスを待ち受けていたのは、
とろりと色付く温かなカフェオレだった。
おずおずと伸ばした指先がカップに触れて、蕩けるような熱が体中を伝播してゆく。
ゆっくりと引き寄せて口に含むと、苦みの利いた味が舌を刺激した。
僅かに感じる甘みはまるで入れた人間そのものを表しているようだ。
ちくちく痛む喉のしこりがじわりと和らげられてゆく。
それを見届けて満足したのか、向かいに一方通行が音も立てずに座るのが湯気越しにぼんやりと見えた。
「……そんなに、気を使わないでほしいかも。別にあくせられーたが心配するようなことは何もなかったんだよ?」
「……」
そんな彼のおかげで少し余裕が出来たのかもしれない。
幾分自然な動作で笑みを浮かべて小首を傾げて見せる。
気を使われている自分を自覚するのは辛かった。
まるでお前は不幸なのだと見せ付けられているようで胸が痛む。
しかし少年はそれをちらりと見ただけで表情に色を戻すこともなく、俯いて瞳を伏せた。
白い睫毛が白い貌に陰を落とす。
「……俺の、せいか?」
「え?」
「俺が笑えって言ったから、そンな顔してンのか」
そして、静かな声がそっとインデックスの心臓を射抜いた。
途端、腹の底に溜まった気持ちの悪い汚泥がぼこりと泡立ち、ぐるぐると体中を巡ってゆく。
不快感に包まれた胸がじゅくり、と痛むようだった。
だんまりを決め込むのは簡単だったのかもしれない。
見透かされているのを承知の上で、そんなことなどないのだと笑い飛ばすのも難しくはなかったのかもしれない。
320: 2011/11/17(木) 00:59:35.11 ID:Vap9IBb4o
「……痛々しい、かな?」
「……」
――もしかしたら、自分は彼に余計なことを話しすぎたのだろうか。
後悔と呼ぶには希薄過ぎる思いを抱いて、荒唐無稽な持論を呆気なく披露しようとする己に心中で嘆息する。
「……とうまね、短髪のこと好きみたい。その様子じゃ、予想ついてたみたいだけど」
「……俺が焚き付けた、ンだと思う」
「そう、なんだ」
ある意味で怒るべきなのかもしれない一方通行の告白を聞いた所で、
もはやインデックスにはなんの感慨も湧かなかった。
ただ自らの行動を省みて、薄く自らへの嘲りの思いが浮かぶだけ。
「……えへへ。私もとうまのこと、たきつけちゃったかも」
――一緒だね。
そう笑ってみせても一方通行は顔を上げようともしなかった。
一瞬だけ温かな部屋に寒々しい沈黙が流れる。
小さく息を吐いて、まさぐるように温かなコーヒーカップを指でなぞって。
「……祈りが、足りなかったの」
ぴくり、と伏せた少年の睫毛が震えた。
「私が、短髪に言ったんだよ。祈れば届くって。祈れば人は救われるんだって」
その言葉は一方通行も聞き覚えがあるはずだった。
風斬を助けようと、倒れた打ち止めを救おうとしたあの場に彼もインデックスと同じく
瞳に強い光を抱いて存在していたのだ。
「……私の祈りよりもあの子の祈りの方が強かった。それだけのことなんだよ。
私が未熟だった。……本当にそれだけ」
だからインデックスには主から与えられた結果を受け入れなければならない。
321: 2011/11/17(木) 01:00:23.22 ID:Vap9IBb4o
それになんてことはない。
ただ、本来あるべき道筋に戻っただけのことなのだ。
「私は、シスターだから。……だから私は二人を祝福しなくちゃ。笑って、ね?
だから私はあくせられーたのせいだなんて――」
「俺は!」
がしゃん、と一方通行が持つコーヒーカップとテーブルとがぶつかり合う音が静かな部屋に響き渡った。
思いがけない大きな音に驚いたのはむしろ一方通行の方だったのか、すぐにばつの悪そうな表情を浮かべて口を噤む。
また重い沈黙が降りかけて、しかし再び彼の薄い唇が開かれるのにそう長い時間はかからなかった。
「……別に俺は俺のせいだとか、そうじゃねェとか、そンなことを言いたいわけじゃねェ」
「……」
「……オマエ、無理して笑ってンだろ」
何となく予想のついていた問い掛け。
インデックスは自分のポーカーフェイスが上手くできているなんてうぬぼれた事など思っていなかったし、
一方通行の鈍さにも期待はしていなかった。
ただ、聞いて欲しくはないのだと、その意思だけが伝わればいいと、瞳を逸らし硬質な声を出す。
「無理なんかしてないかも」
「……嘘だろ」
しかし一方通行はその壁を割って踏み入ってゆく。
「してない」
――卑怯だ。
壁を作るのはどちらかと言えば彼の方の専売特許だった。
「目ェ合わせろ」
それなのにどうして分かってくれないのか。
理不尽な怒りを感じてじっと己の手の平を見つめる。
322: 2011/11/17(木) 01:00:59.54 ID:Vap9IBb4o
インデックスは、インデックスなりに少を理解しようとしていたつもりだった。
それでも超えてはならぬ一線があること年も知っていたつもりだったのだ。
だというのに一方通行は覗き込むような、超えてはならぬ一線を見透かすような赤い瞳を少女へと向ける。
心臓が粟立ってゆくのがわかった。
修道服を握る手の平に力を込めて、きっと少年の瞳を見据える。
「……っ! してないって言ってるかも」
「……本当に、か?」
だが少年が返すのは、まるでインデックスの言葉に納得していないような静かな声。
赤い色が心の内に入り込もうとしてゆくのを感じてさっと頬が赤くなった。
――それは紛れもなく怒りからくるものだ。
途端、ぞわりと足先から頭の上まで毛が逆立つような感覚が全身を走った。
猛るような感情を己の内に感じてインデックスは思わず身を乗り出して少年へと掴み掛かる。
ちかちかと視界が赤く明滅して少女の思考を白く染めた。
指先が少年の服を捕えて、しかし憤怒に任せていくら引っ張った所で痛むのは指先だけ。
見た目に反して揺るがぬ様子に力の差を見せつけられて、腹立たしさのあまり左手で薄い胸板を叩いた。
「なんでそうやって……! あくせられーたは私がなんて答えればいいの?」
激情に駆られて飛び出した言葉は、果たして上手く言葉にできていたのだろうか。
「そう、そうだよ! 無理してる!! これで満足!? ……ッ! だって私は忘れることができないんだもん!!」
叫ぶインデックスの脳裏に、忌々しくも蘇るは上条の瞳。
否、蘇るのではなかった。
あの瞳は残酷なまでに常に少女とともにずっとあり続けるのだ。
その瞳は彼女の心に深く深く突き刺さり、まるで抜けない刺のように柔らかな痛みを与え続ける。
323: 2011/11/17(木) 01:01:44.55 ID:Vap9IBb4o
これが普通の人間であったら、いつしか痛みも薄れ思い出と化すことができるのかもしれない。
だけど彼女にそれは不可能だった。
「忘れることができないんだったら受け入れるしかないんだよ!?
それともずっとあくせられーたは私に嘆いていろって言うの?」
忘れることも、悲嘆にくれ続けることも、何もかもが不可能なのだ。
「そんなの……そんなのダメなんだよ! だって私は……私は! 必要悪の教会の禁書目録――」
何故ならばあの夏の日――少女は忘れるということを奪われたのだから。
「インデックス」
「……っ!」
――白んだ思考に突き刺さるような澄んだ声。
呼ばれた名前に心が震えて、反射的に体を硬くする。
無色透明なその声に耳を傾けたら最後なのだと、意固地になった心がそれを受け入れることに拒否を示した。
だけど色のないそれは驚く程自然に少女の心に忍び込んでゆく。
「俺には、オマエのことなンかわからねェけど」
「ッ! そうだよ! 君にッ! 君に、何が……ッ!!」
壊れゆく何かに危機感を覚えて、不快だと、不愉快なのだと振り払おうとしても、もう何もかもが遅かった。
「わかンねェよ。……わからねェけど」
ふと色の無いはずだった少年の声に、じわりと柔らかで優しい色が広がってゆく。
その色を一体どんな風に表現したらいいのか。
呆然と少年の襟ぐりを掴んだままだった手から力が抜けて、ゆっくりと落ちてゆくのがわかった。
床と己の手がぶつかる音をまるで他人事のように遠く聞いて、
顔を上げればそこにあったのは声と変わらず優しい色を宿した綺麗な赤い瞳。
324: 2011/11/17(木) 01:02:12.48 ID:Vap9IBb4o
「……今のオマエには、泣いてほしいと思う」
――卑怯、だ。
「……そん、なの……」
己の中でぐるぐると渦巻く熱い奔流が、出口を求めて暴れ回るのが分かった。
這うような熱が首筋の後ろを通って目の奥を熱くさせる。
インデックスはその小さな手の平で表情を隠すかのように、顔を覆った。
「そんなの……っ! ……ずるい、かも」
「……悪かった、な」
けして泣いてはならないと、高く高く作り上げた堤防がゆっくりと解かれてゆく。
そもそも何故泣いてはいけないのだと、そんな制限をインデックスは自分に課したのか。
たぶん理由は様々であったのだろうと思う。
例えば上条当麻に心配をかけてはならなかったからだとか。
例えば泣いてしまえば最後、立ち直れないような気がしたからだとか。
例えば自分の哀しみを自覚したくなかったからだとか。
ひくりと喉の奥が痙攣するかのように震えた。
「……ひっ……う、く……ふ、うぅ……うぅぅう!」
「……」
零れ落ちるのは今まで嘆く事を我慢し続けた少女の奔流。
325: 2011/11/17(木) 01:02:42.97 ID:Vap9IBb4o
「……とうま。……とう、ま……!」
絶望の味を食んで、自らに氏を与えることすら考えて、地獄を漂っていた少女。
それでも信じる事を諦めずに、己を騙し続けてきたインデックスはあの日――屋上から切り飛ばされて意識を失った。
落ちた意識の中で見た夢はいったいどんな夢だっただろうか。
息をするのも辛くなるような暗い、暗い底冷えするような寒い世界の夢だったのか。
それともただ痛みを与えられるだけの世界の夢だったのか。
それなのに。
――目覚めた少女の視界の中、朝日の中で見た上条当麻の顔は、愛おしいまでに日常の色を湛えていた。
それは地獄の記憶しか無かった少女には余りに眩しくて、羨ましくて、
もしかしたらあの瞬間から少女は彼に恋をしていたのかもしれない。
少女の中を廻るのは走馬灯のような上条当麻との日々。
一緒に笑った。
喧嘩もした。
一緒に泣いた。
ただ、一緒にいられるだけで楽しかった。
本当はわかっていたのだ。
彼女を助けてくれたヒーローは、けして彼女だけのヒーローでは無かった。
そんな上条当麻を好きになったインデックスだからこそ、何よりもわかっていたのだ。
それなのに、この世界は酷く寒い。
彼女の中には抱えきれない程の熱が存在しているのに、その周りはとても静かで暗くて寒くて。
まるで少女は世界で一人きり。
しかしそんな闇を切り開くかのような、白い腕がインデックスへと差し伸べられた。
柔らかな熱をもった不器用なそれは躊躇うかのように銀色の髪を梳いて、少女の頭をゆっくりと引き寄せてゆく。
男の癖に華奢な肩が目に入って、けして触れることのない距離で止まった。
あやすように時折叩かれる首筋がとても温かくて、インデックスの熱を少しずつ鎮める。
326: 2011/11/17(木) 01:03:14.24 ID:Vap9IBb4o
「ふ……、うううう……ぅうう!!」
――その温かさはいつか感じた上条当麻の温かさを彷彿とさせた。
「……あの、ね、あくせられーた。とうまと、私は……学生寮のベランダで出会ったんだよ」
「……」
「……それからね……とうまったら、私の……私の『歩く教会』を……右手で、壊しちゃったんだよ」
「――そうか」
「……でも、とうまは私のために魔術師と戦ってくれたんだよ……何度も、なん、ども……!」
「……あァ、そうだろうなァ」
涙に塗れた言葉は、きっと半分も理解できないだろう。
それでもインデックスの言葉は止まらなかった。
「……ねぇ、あくせられーた」
たった一つだけ。
どうしても言いたい言葉があったから。
「インデックスは……とうまの事が……大好きだったんだよ……!」
上条にも告げた言葉は嗚咽と共に溢れ出して、インデックスの視界を白く白く染めあげてゆく。
悲鳴のようでもあったそれは静かな部屋に痛々しく響き渡って虚しく掻き消えていった。
喉が枯れる程に泣いて、嘆いて。
涙が零れ落ちる度に世界は白んで、曖昧になった。
それでも頭を撫でる優しい手の平だけが確かにインデックスに柔らかな熱を与え続ける。
愛しい人との顔を思い浮かべて、泣いて。
泣いて、ただ、泣いて。
インデックスはいつしか優しい夜の安寧へと落ちてゆく。
327: 2011/11/17(木) 01:03:35.53 ID:Vap9IBb4o
夢の中で見た愛おしい人の姿は、まるで出会ったあの日のように眩しく輝いていた。
328: 2011/11/17(木) 01:04:03.34 ID:Vap9IBb4o
――小鳥の歌が聞こえる。
軽やかなそれは朝の合図に相応しい、爽やかなものだ。
びっくりするほど思い瞼をゆっくりと開ける――と、眩しい光が目をついた。
一瞬自分が何処にいるのかまったく理解できずに、インデックスは目を灼く光に瞳を眇める。
すぐに目に入ったのは見覚えのない窓だった。
少女の瞳を灼いていたのは窓にかかった地味な色のカーテンの隙間から差し込む朝の光だったのだろう。
ぼんやりとそれを眺めて、視線をゆっくりと廻らせてゆく。
そこに在ったのは、白だった。
朝日に照らされて淡く輝く美しい白。
人のような形をした、しかし曖昧な神聖なる白。
「――かみ、さまみたい」
世迷い言だ。
無意識に呟いた瞬間、その白の正体と自分の置かれた状況を思い出す。
――それでもインデックスには何故だかそれが、少女を赦す神の光であるように思えた。
329: 2011/11/17(木) 01:04:29.22 ID:Vap9IBb4o
◇ ◆ ◇
330: 2011/11/17(木) 01:05:01.64 ID:Vap9IBb4o
「……あく……れーた……」
温かい闇の向こうで誰かが呼んでいる。
覚醒を促すそれは、目覚めの瞬間を少年へと告げているようだ。
しかし抗いがたい睡魔にどうしても抵抗する事が出来ずに、一方通行はその声を夢の住人のものであると断定した。
僅かに身じろぎして再び意識を闇へと落とそうとする。
「あくせられーた!」
しかし望み通り意識が落ちようとした瞬間、一際大きな声が彼を呼び、強く体が揺さぶられた。
打ち止めの目覚ましアタック程の威力があるわけではなかったが、流石にこれが夢の中の出来事とも思えない。
――これは流石に起きなくてはなるまい。
意識のサルベージに倦怠感を感じつつゆっくりと瞳を開けると、
少し困ったような顔をしたインデックスの表情が視界に入った。
「――おォ」
一瞬何故、と思いかけてすぐに状況を理解し
――結局なんて声をかけていいか分からなかったので、とりあえず声を出してみる。
頬杖をついたまま寝ていたせいで、右腕が痺れるように痛かった。
体を解すように肩を回すと、少し危機感を覚えるような音が聞こえる。
凝り固まった筋肉が軋む音が痛々しかった。
――それにしても己の平和ボケっぷりには目を見張るものがあるな。
暗部に所属していた頃からは考えられない自らの惨状に
僅かばかりの危機感と複雑な喜ばしさを感じながら目を細めていると、
何やら気まずそうな表情を浮かべるインデックスの姿が目に入った。
「……おぉ、じゃなくて……ええっと、その」
どうやらまるで普通の様子である一方通行に対してどんな反応を返したらいいのか、戸惑っているらしい。
331: 2011/11/17(木) 01:05:28.00 ID:Vap9IBb4o
――いろいろ現実逃避してみたが、実を言わずともこの状況に居心地の悪さを感じているのは一方通行も同じなのだ。
というか勢いであまりに似合わぬ事を言い過ぎた上にやり過ぎた身としては、気まずいどころの騒ぎではなかった。
だがインデックスの顔色は昨日よりも随分と良くなっているように見えて、
その事実だけが微かな満足感を少年に与える。
結局昨日の自分を突き動かした原動力も動いたことによる結果もわからぬままだし、
そうやって得たものはただの自己満足に過ぎなかったのかもしれない。
それでも今の状況は昨日よりもずっとマシに思えた。
「……」
「……」
お互い何も言わぬまま沈黙を降ろしかけて――インデックスが思い直したように首を振る。
「ち、違うの! えっと、あくせられーたのケイタイデンワーがさっきからずっと鳴ってるんだよ」
「……携帯?」
どうやらそれを伝えるために必氏に彼の名を呼んでいたらしい。
聞き慣れすぎたせいかすっかり意識の蚊帳の外に追いやっていた電子音が、その瞬間に聴覚へ存在を訴えかけた。
小さめに設定されたそれに訝しく思いながら、テーブルに無造作に置かれた携帯を手に取る。
そもそも一方通行に電話をかけてくる人間は少ない上に、この長いコールである。
どう考えてもいい電話とは言えないだろう。
若干眉をしかめて、ろくに相手が誰であるかも確認せずに着信ボタンへと指を伸ばす。
『一方通行か!?』
そして、短い通話ボタンの音と共に聞こえたのは、耳をつんざくような少年の焦燥にまみれた叫び声だった。
「うるせェ」
『あっ……悪い』
思わず反射的にそう返してから、電話の相手が上条当麻であることに気がつく。
その大きな声はしっかり周囲にも漏れていたのか、眼前のインデックスの肩がぴくりと震えるのが見えた。
何故か抱えたままだった毛布――昨夜彼女が寝てしまった後にかけてやったものだ――を頭に被って
退避するように後退ってゆく。
それを横目で眺めながら一方通行は電話の向こうの相手にほんの少しだけ同情を感じた。
332: 2011/11/17(木) 01:05:53.83 ID:Vap9IBb4o
――なんとなく電話の用件には予想がつく。
きっと思い詰めた末にしたであろう電話の向こうでインデックスがこんな反応をしているのを知れば、
さぞかし上条は肩を落とすだろう。
「……何の用だ、三下」
『ああッ、お前インデックス知らないか!?』
案の定電話から聞こえた内容は、予想通りのものだった。
焦燥と懸念に塗れた声に余裕はない。
『昨日小萌先生の家に行くって出てったのに先生んちに来てないらしいんだよ……あいつ、一体何処に……ッ!!』
だがまだ漏れている音声を聞いて、彼以上にこちら側の人間も冷静ではいられなかったらしい。
「わ、私はいないって言って欲しいかもっ!!」
『インデックス!?』
「ひゃうっ」
――阿呆か。
呆れるを通り越して頭痛がするレベルである。
さらなる鉄壁を築きだした毛布ガードの奥で首を振るインデックスを半眼で見遣りながら、一方通行は頭を抱える。
「いないそォだぞ」
『えっ!? ちょ、今絶対インデックスの声したよな!?
なんで……おい、つうか一方通行お前今どこいるんだよ!
打ち止めから昨日突然どっか行っちまったって聞いたぞ!?』
正直とても面倒だった。
さてどうするかと適当なことを言ったところで、そんなお為ごかしに納得する上条当麻などいるわけがない。
止まらない上条の言葉に再びインデックスを見遣るが、
彼女は首を振るばかりでまったく取り合おうともしないようだった。
『インデックスは無事なのか!? なんか事件に巻き込まれたって訳じゃ』
「あー。ちょっと待ってろ」
『はぁ!? おい、一方――』
333: 2011/11/17(木) 01:06:38.66 ID:Vap9IBb4o
喚き続ける上条にさっきよりも深く同情しつつ、
平行線を辿るだけの話し合いに終止符を打つべく携帯のマイクを指で塞ぐ。
「……おい、シスター。どォすンだよ」
毛布の隙間から覗く翡翠の瞳は不安に揺れていて哀れだ。
当然だろう。
いくら手を尽くしたところで昨日の今日で割り切れるほど人間と言うのは簡単に出来てなどいない。
ましてや手など何も尽くしていないのだ。
一方通行のやったことなど泣きそうな少女をつついて泣かせたくらいのことで、
それが何かに繋がると思うほど彼は自惚れてもいなかった。
他に彼女の為に出来ることを彼なりに考えて譲歩案を提案する。
「……なンなら、しばらくここに居てもかまわねェからな」
「……」
しかしインデックスはその言葉にも頷くこともせず、
毛布の中でしばらく迷うように瞳を泳がせて――結局は緩く微笑んだ。
それは昨日のように無理に明るく振る舞おうとしているわけでもなかったし、
かといって心のそこから笑っている訳でもないような、淡く儚い曖昧な笑みだった。
「……あのね、ちょっとは……その、大丈夫かもって思うんだよ」
「……」
「……私、悲しんじゃいけないんだと思ってた。
そんな権利もないし……それにきっとそんなことしたらとうまに嫌われちゃうんだと思ってた」
毛布に顔を埋めてぽつりと語り出すインデックスの声はとても静かだ。
隙間から零れる銀色の髪が朝の光を受けてまるで白銀のようにキラキラと眩しい。
流麗な光と静謐な声だけが静かに狭い部屋に染み渡っていた。
334: 2011/11/17(木) 01:07:07.47 ID:Vap9IBb4o
「でも、今はとうまの前で泣いちゃってもいいのかなって思うんだよ。
それは……多分、あくせられーたのおかげかも」
哀しみを湛えた翠の湖面が切なげに揺れて、放つ光をそっと受け止める。
繊細な銀糸が流れる涙みたいに輝いたような気がして一方通行は瞳を眇めた。
もしかしたら一方通行はその瞬間、少女に見惚れてすらいたのかもしれない。
「ありがとう、あくせられー――んぐっ」
だからついつい毛布を被せ直してインデックスの頭を押し込んでしまったのは、おそらく照れ隠しだ。
「むうぅ! ちょっと酷いかも!」
「うるせェ」
若干緩んだ空気の中で恨みがましい視線を送るインデックスを見て、一方通行は少しだけ表情を緩める。
そしてそんな一方通行を見たインデックスもまた脹れた表情を少しだけ緩めると、
しかしすぐに不安げな色を宿して彼を見上げた。
「……その、あくせられーたも、ついてきてくれる?」
「……はァ」
「たっ、溜息!?」
本当は断る理由などない。
だからこそ一方通行はたっぷりと勿体付けて嘆息したあと、怠そうに言い放った。
「どォせすぐに腹減ったとか言い出すンだろ。なら飯食いに行くぞ。……上条も呼べばいい」
「!」
途端、インデックスの表情は後押しされたように少しだけ引き締まって、それから少しだけ泣きそうな顔で微笑む。
「……ありがとう。あくせられーた」
「……それはどォも」
――やっぱり、一方通行は人の心など救えないのだと思う。
インデックスの表情から悲哀の色は消えていないし、彼はきっと何も出来てなどいなかった。
それでも彼女のその言葉は今までのどの同じ言葉よりも響いた気がして。
上条を呼び出すべく再び携帯を持ち直した一方通行の表情は、ほんの少しだけ笑っていたようにも見えた。
335: 2011/11/17(木) 01:07:33.59 ID:Vap9IBb4o
◇ ◆ ◇
336: 2011/11/17(木) 01:08:06.70 ID:Vap9IBb4o
緩く高鳴る心臓の音が聞こえる。
特に速いわけでもなく遅いわけでもなく、ただ体中に響き渡るように鳴り響くそれは、
胸に僅かな痛みだけを残して頭の先から足先までをゆっくりと循環していた。
単純に緊張しているだけなのかもしれないし、その時をひたすら恐れているのかもしれない。
未だ紗のかかったような思惟はその全貌をインデックス自身にさえ明かそうとはしなかったが、
視線の先で彼女の指先は小刻みに震えていた。
朝のしんとした空気のファミレスで、
甘いミルクティーをちびちびと飲みながらインデックスは上条を待ち続ける。
一方通行が上条を呼び出したファミレスは上条宅からは少しだけ遠い。
急いで見積もったとしても、もう数分かかることは最初からわかっていたことだった。
それでも気の遠くなるような時間を待ち続けたインデックスを呼んだのは――。
「……ちょっとなんでちびシスターと一方通行が一緒にいるのよ」
――何故か、御坂美琴だった。
「そりゃこっちの台詞だ」
突如現れた予想外の人間に表情を消し去る一方通行を向かいの席からハラハラと見遣ったあと、
テーブル席の前で仁王立ちする御坂を見上げる。
いつも通り常盤台の冬服に身を包んだ彼女は僅かに怒りの表情を浮かべながら
インデックスと一方通行とを交互に睨みつけていた。
その表情に、若干の疲れが見え隠れするのは気のせいだったのだろうか。
「あのねぇ、私だって昨日からずっとこの子のこと探してたのよ」
「そりゃあご苦労な事だなァ」
図らずもすぐに疲労の理由が知れて、インデックスの胸中を罪悪感が満たしてゆく。
337: 2011/11/17(木) 01:08:33.40 ID:Vap9IBb4o
御坂がインデックスの不在を知るに至った経緯はなんとなく予想がついたし、
結局それによって上条の決意を打ち砕くことになったのではないかと思えば、どうしても不安がよぎった。
あんなに大きな哀しみを飲み込んですら焚き付けたというのに、その努力が報われぬというのは物悲しい。
それに多大なる心配と迷惑をかけたことについては、ただただ反省ばかりで言い訳のしようもなかった。
もじもじと着慣れない服の裾を掴んで御坂の視線から逃れようと――無駄だというのに――身をよじる。
そんな少女の様子を見て何を思ったのか、御坂の視線に冷たさが上乗せされたのがひしひしと伝わってきた。
何を言われても甘んじて受け止めよう。
「……あんた、インデックスに変なことしてないでしょうね」
「へ、変なこと!?」
覚悟しかけた瞬間まったく想定していなかった言葉をかけられて思わず素っ頓狂な声をあげる。
なぜそんな事を言われたのかわからずに、ただひたすら呆然としつつも焦っていると
御坂の視線が自分の着ている物に注がれていることに気がついた。
――服だ。
はっと気がついたと同時に何を疑われているのかにも思い至って更に焦りが増してゆく。
彼女の身を包むのはボアのついたパーカーに薄手のニット、ショート丈の厚手のパンツという出で立ちで、
インデックスの普段の印象から掛け離れていることは明らかであった。
いつもの修道服は雨に濡れたせいで洗わなくてはならず引き続き部屋にあった服を借り受けたが故の不幸だったが、
疑われたインデックスとしてはとても冷静でなどいられない。
ちなみにこの服、インデックスはてっきり番外個体の物だと思っていたのだが、
興味本位で一方通行に聞いたところ短く『結標』とだけ返事が返ってきた。
なぜここで月詠家の元居候の名前が出てきたのか
インデックスにはさっぱり理解が出来なかったわけだが、それは余談である。
しばし妙な緊張感を孕んだ空気が三者の間を漂った。
――と、いうよりピリピリした視線を飛ばし合う御坂と一方通行の間で、
一人インデックスだけがおろおろしていた。
ふと御坂の視線に紫電が混じり、一方通行の顔に歪んだ笑みが閃く。
338: 2011/11/17(木) 01:09:00.24 ID:Vap9IBb4o
「変なことって何ですかねェ。別に俺とシスターが何してよォがオマエに教える必要はねェだろォが」
「あ、あくせられーた!?」
「はぁっ!? ちょっとあんたたち、マジで――」
何故挑発しようとするのか。
更にややこしくなりつつある状況に涙目になりつつも、
立ち上がってこれ以上余計なことは言わぬようにと一方通行の口を塞ぐ。
「ち、違うかも! 別に私はそ、その、あくせられーたとへ、変なことなんてしてないんだよっ!」
「……何か余計あやしい……」
力一杯首を振って否定するが、半眼になった御坂は余計疑惑を深めただけのようだった。
その視線を受けてなんとか否定する言葉を探そうと思案を廻らせるが、
思い浮かぶのはとても御坂には言えない事実だけ。
――もういい。
もともと大した気力など残っていなかったのに、抵抗する意志すら根こそぎ奪われてヤケになったインデックスは
がくんと糸が切れたようにテーブルに突っ伏した。
幸いにも彼女の拘束から逃れた一方通行も、
ぐったりした少女を目の当たりにしてまで御坂に喧嘩を売ろうという気はないようだ。
テーブルに頬をべったりとつけたまま、顔を動かして御坂を見上げる。
快活な鳶色の瞳と静かな翠の瞳とがが交錯して、互いの視線が揺れたような気がした。
「……短髪」
「……なによ」
思わず御坂を呼んでしまってから、自分は何を聞くつもりだったのかとぼんやりと考える。
ミルクティーから立ち上った湯気が、インデックスを見下ろす御坂の顔をまるで蜃気楼のように揺らしていた。
339: 2011/11/17(木) 01:09:32.27 ID:Vap9IBb4o
――聞きたい事など、本当は最初から一つしかない。
澄み切った空気のような御坂の瞳をただただ見つめながらインデックスは思う。
いつかは聞かなくてはならないのだ、と思ってはいても、それが今のタイミングで良いのかは判断がつかなかった。
それでも抑えのきかない自虐心にも似た好奇心が少女を駆り立てて唇を開かせようとする。
そっと息を吐き、ゆっくりと体を起こしたインデックスがまず確認したのは
柔らかな赤い瞳が自分を見ているかどうかだった。
深閑たる空気がそっと震えて少女の頬を撫でる。
はたしてその赤い瞳は――まるでインデックスを支えるかのような光を宿して少女のことをそっと見つめていた。
すう、と息を大きく吸いこみ、ゆっくりと吐き出す。
「……とうまは」
インデックスの静かな声に御坂の瞳が軽く見開かれた。
バツの悪そうな、まるで失敗がばれた子供のような表情が微かに滲み、色濃くなってゆく。
彼女だって昨日のインデックスが一体どんな一晩を過ごしたのか本当は知っていたのだろう。
それは同じ人間を同じように好きになった少女同士であるからこそ理解し合える互いの一つの可能性。
もしかしたら羨むような視線で相手を見上げてるのは御坂の方であったのかもしれない。
しかし今実際こうして見上げているのはインデックスの方だ。
広がる視界に切なさを覚えて、体を起こす。
「……とうまは、ちゃんと伝えられた?」
しん、と広がった声は少女のすべてを内包し空気のように溶けていった。
――泣くのではないかと思っていた。
御坂の頬が赤く染まりゆくのを見て。
御坂の唇が薄く綻んでゆくのを見て。
御坂の瞳が熱く潤んでゆくのを見て、インデックスは自分が泣くのだと思っていた。
340: 2011/11/17(木) 01:09:58.89 ID:Vap9IBb4o
「……ん」
「……そっかぁ」
しかし囁くようにこぼれ落ち続けるインデックスの声に涙は滲まない。
ただ噛み締めるように頷くと、重いようで軽い何かがすとんと腹の底に落ちたような気がした。
あれだけ泣いたせいで涙が枯れてしまったのかもしれない。
もしかしたら結局は無意識に我慢してしまったのかもしれない。
インデックスには己の事すらわからない、けれど――。
「インデックス!」
遠くから、誰よりも愛おしい少年の声がインデックスを呼んでいた。
息を切らして駆け寄る少年が見ているのはインデックスだけ。
そしてインデックスもまた、ただ彼だけを見つめていた。
だけど辿りついた上条が御坂の隣に並んだ姿はなんだかとても自然に見えて、
確かな終わりをインデックスへと告げる。
「……ああ、そっかぁ」
ただ単純に事実を肯定したその言葉は、誰にも聞かれぬようにそっと呟かれて消えていった。
「とうま」
「お前いったい何処に……!」
――ありがとう、とうま。
心の中に浮かんだ言葉はきっとまだ言うべき言葉ではない。
代わりにそっと微笑んで、インデックスは小さく唇を開いた。
「……おめでとう。とうま、みこと」
哀しく響き渡る声は、もしかしたら涙の代わりだったのかもしれなかった。
341: 2011/11/17(木) 01:10:35.28 ID:Vap9IBb4o
◇ ◆ ◇
342: 2011/11/17(木) 01:11:17.57 ID:Vap9IBb4o
久しぶりに見下ろす学園都市の風景は、昔と代わらず見慣れぬ風景だった。
いつかは再び訪れなければならないのだと知りながら、
あえて避けてきた風景を前にして舌先にニコチンとは違う苦みが走る。
煙をゆっくりと肺から吐き出してフェンスに寄り掛かると、
少年の体重を受けて軋んだ金網の音が妙に大きく聞こたような気がした。
「……あの子は泣くかな」
数年前に見た忘れられぬ表情を思い浮かべて、赤みがかった瞳を眇る。
慣れたと言うのは簡単だが、誰よりも大切な少女の哀しみに慣れただなんて馬鹿らしいとしか言いようがなかった。
しかし損な役回りだとぼやきながらもきっと少年はそんな自身がけして嫌いではない。
単なる偽悪趣味と言われればそれまでだったが、彼なりに少女のことを考えて辿ってきた道だった。
「そろそろ、か」
煙草をくわえて深く息を吸い込みながらそっと瞼を下ろす。
彼の構築した撒き餌は完璧だ。
少女のもっとも好む魔術の解析パターンを知り尽くした彼にとっては、
より彼女が気がつきやすく誘い込まれやすい魔力の乱れを生み出すことなど、ほんの朝飯前だった。
ゆっくりと煙草を味わいつくして、そっと瞳を開いてゆく。
徐々に開けゆく視界の中で、銀色の光が揺れていた。
343: 2011/11/17(木) 01:13:07.81 ID:Vap9IBb4o
投下終了
ようやくスレタイ回収と相成りましたが、すみません
これで終了
おつきあいありがとうございました
それでは、また
ようやくスレタイ回収と相成りましたが、すみません
これで終了
おつきあいありがとうございました
それでは、また
344: 2011/11/17(木) 01:21:27.00 ID:pqbsOn3AO
お疲れ様でした!
しかしここでステイルさんか・・・怖いような楽しみなような
しかしここでステイルさんか・・・怖いような楽しみなような
347: 2011/11/17(木) 01:55:14.65 ID:mNgwj5QH0
おつです
インデックスになでなでしたい;;
インデックスになでなでしたい;;
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