135: 2008/12/10(水) 20:37:24 ID:dph4SFQl

以下ビューリングとエルマな話どうぞ

―――


意外にも彼女の背中の大きいことを知ったのは、同じ部隊に配属されてから3ヶ月は裕に経った頃だった。


彼女たっての推薦で新たに任命された中隊長の気まぐれか、それとも何か含みがあったのか、その日は
珍しくロッテの相手が普段とは違っていて、ビューリングは彼女の2番機についていた。青く晴れた空に、
小鳥のように舞い上がる彼女の衣服は「スオムスの空の色なんですよ」と彼女がキャサリンにかつて得意
そうに語っていた通り淡い水色をしていて、ビューリングは眼を細めて彼女を、正確にはその向こうにいる
黒ずんだ敵機を眺めていたのだ。不思議な心地だ、と思った。こんなにも真正面から彼女の背中を見詰める
ことなど初めてだったから。少し前まで彼女はこの中隊の隊長だったと言うのに、彼女と来たらもたもたと
後ろから、おろおろと頼りなく、しんがり辺りをうろついているばかりであったから。

(──スオムス一番、行きますっ。)

耳元の通信機から、彼女の声が届く。──震えている。大丈夫だろうか。普段同じ編隊にいるキャサリンの
声とは全く逆のベクトルを持った声。吹いたらそのまま飛んでいって見えないところまでいってしまうのでは
ないだろうかと思い、ビューリングは焦点をその、エルマ・レイヴォネン中尉へと合わせた。…僚機の心配を
しながら戦闘を行うなど、かつての自分では考えられなかった。けれど今は驚くほど自然に、そのプログラム
が行動にインストールされている。

「守ってやる。おびえるな」

コールサインもなく、彼女にだけそう呼びかけた。眼前のエルマ中尉の体がびくり、と跳ねる。

「おびえるな。守ってやる」

同じ言葉を、もう一度。大丈夫、なんて約束はしない。そんなこと出来るはずもない。けれど誓う。約束は
出来なくても、何があっても、全力で守ってやると。…それが僚機としての勤めだから、と言ってしまったら
そっけなくなってしまうけれど、それでも自分にとってはとてつもない進歩だ、とビューリングは思う。要は
もう、あんな思いはしたくないから。自らの過失で仲間を失ったり、仲間を失って自分までも見失うなんて
ことは、もう。
…そんなこといちいち口にしている暇があるわけが無いから、要点だけをただ述べる。守ってやる。だから
そんなに怯えるな。大丈夫、お前ならできるさ。…守りたいんだろう?スオムスを。それだけの想いが込め
られていることに、果たして彼女は気付くだろうか。伝わらなくてもいい。でも、伝わるといい。心のどこかで
そんなことを願って。


(──はいっ)


136: 2008/12/10(水) 20:37:58 ID:dph4SFQl

震えた声を無理やりに矯正したかのような、裏返った返事。けれどその響きに彼女の強い意志を聞き取って、
ふ、と口許を緩ませた。そして自らも獲物を構えて、彼女を援護する姿勢をとる。見つめる先には蒼い空と、
僚機である金髪の少女と、倒すべき敵。…あの空の向こうにいる、唯一無二の親友が今の自分を見たら笑う
のかもしれない。あなたらしくないわ、と高らかに笑って──それでも、祝福してくれる気がした。頑張ってね、
と、激励してくれるような気がしてならなかった。
なぜだろう、一緒に戦っていた頃はお互いに憎まれ口ばかりで、口げんかばかりで、そんな穏やかな会話
なんて交わしたことなどなかったのに。放っておくと、思い出はどんどんと美しくなっていってしまうから困る。
あの頃ただのライバルでしかなかった彼女も、いつのまにか心の拠り所になり、そして今では都合よく自分を
励ましてくれる相手へと成り果ててしまった。
弱くなったものだ、私も。ビューリングがそんなことを思った、そのとき。

(前向き前向き、ポジティブシンキング!)

不意に、そんな声が頭によぎった。…少しでも後ろ向きな気持ちになると、最近はいつでもこの言葉が頭の
中に流れてくるから困る。壁に頭を押し付けて、どう考えても下向きに繰り返しているその様が何だかいつも
滑稽で、『それ』が始まると実は自分を含めた隊員が皆、面白半分に眺めていることなど言った本人は気付
いてさえいないだろう。まあ次の瞬間にはその言葉どおりけろりとしているのだから、本人もそこまで深く
考える性格ではないのかもしれないが。
それはこちらに背を向けて、まっすぐ前を見据えているかの少女の口癖であり、記憶が正しければ、自分
より一階級上であるところの彼女はビューリングよりも3歳も年下のはずだった。

視界の端に、もうひとつの機影が見えた。どうやらエルマはまだ気が付いていないらしい。恐らく目の前の
敵に一杯一杯なのだろう。怖がりの彼女にとっては、そうしているだけでも精一杯なのだ、たぶん。

(怯えるな。守ってやる)

三回目に呟くのは、心の中で。自らに課した誓いを確認するためだけに。
いつも逃げているだけの彼女がまっすぐに敵に向かっている。その背中をこうして真後ろから眺めるのは、
事実上初めてだった。

自分の掃射した弾が命中し、落ちていくネウロイ。エルマのほうを見やると彼女もまたようやく相手を撃墜
したようで、ほう、とひとつ息をついていた。ビューリングが斜め後方にいるのを見やって、小さく微笑んで会釈
をする。けれどビューリングはそんな暇ではないだろう、とばかりにふいと顔を逸らして、次の敵がやって
きた方向を見やった。それがごまかしのためだったと、エルマは気付いたろうか。今しがた見たその光景が、
信じられないとばかりにひとり息を呑む。

驚いたのは、ちっぽけだとばかりその背中が意外にも大きいことに気付いたから。





「あ、あの、ビューリング少尉っ!」

不意に彼女が話しかけてきたのは、ビューリングがサウナから上がり一息ついて、ミーティングルームで
コーヒーを飲んでいるところでだった。部屋の隅ではウルスラが、なにやら小難しそうな本を付箋まみれに
している。ゆっくりと落ち着きたいビューリングの頭を悩ませるキャサリンやハルカたちと言った騒がしい
面々は居らず、つまりは今とても、ミーティングルームは居心地良い沈黙に包まれていた。

なんだ、と答える代わりに顔を上げる。そもそも自分からビューリングに話しかけてくることが少ない彼女が
恐ろしく緊張した様子で顔を真っ赤にしながらそこにいた。そこでまた、おや、と思う。

彼女はこんなに背が高かったろうか、と。


137: 2008/12/10(水) 20:39:00 ID:dph4SFQl

ええと、あの、その、だから…。一体何を言いたいのだろう、何か言いにくいことでもあるのだろうか。その
くらいにエルマは言いよどむのだった。彼女はいつも少し遠くから少しうつむいた上目遣いでこちらを見て
来るのが常であったので、なぜか背筋をしゃんと伸ばして、直立不動の姿勢をとっている。見下ろされる
その感覚が、ビューリングには何だかとても新鮮に感じた。

「…エルマ中尉」
「は、はひっ」
「…身長は?」
「え!?し、身長ですか、あの、え、えっと、162センチメートルですっ!!」
「………そうか」

答えを貰ったあとで、らしくない質問だ、と気恥ずかしくなって思わず視線を手元のコーヒーに落とす。エルマが
先ほどいれてくれたものだ。まだ残っていた一口口にするといつの間にかぬるくなっていて。まずい、とつい
呟いた。それもこれも、これがいつまでも待たせるせいだ、と似合わない責任転嫁をする。
「あ、新しいものを淹れますか?」
が、責任を押し付けられた本人は先ほどの緊張なんて忘れたようにのほほんと笑っていて──そこでようやく、
ビューリングはあることに気が付いた。

「…エルマ中尉」
語り口はいつもと同じ。…自分から彼女に話しかけるなんて、しかも二度も。らしくない、本当にらしくない。
思いながらも、彼女に言いたいことがあった。
「はひっ!」
またしまりの無い返事が返って来る。ストーブのほうで新しいコーヒーをつくっていたエルマがぴっ、と体を
伸ばしてこちらに向き直っていた。まるで上官の前でするかのように。

「背筋は伸ばせ。だから小さく見えるんだ。あと敬語も要らない。貴官は上官だろう」

162cmだと、先ほどエルマは自身の身長を述べた。こんなところでサバを読んでも仕方がないから、恐らく
それは一番最近の身体検査ではじき出された正確な数値なのだろう。──対するビューリングの身長は
165cm。驚くことに自分と彼女とは、たった3cm、親指ほどしか変わらないのだ。てっきりもっと小さいと
思っていたから、さきほど身長を聞いた時ビューリングはひどく驚いた。
そう勘違いしていた理由が、エルマがいつも背中を丸めているからである、と気付いたのは、同じ部隊に
配属されて裕に4ヶ月は経った今になって。今まではむしろ小さいほうだと思っていた。それは常に自信
なさ気に肩を落として、高めの身長を隠すように猫背をしていたからだと、たった今ビューリングは気付いた。

もったいない。もっとしゃんとして、すっくと立っていれば少しは威厳もあるだろうに。
そんな風にしているから誰からも彼からもなめられるのではないか、とかつて彼女を明らかに舐めていた
自分を棚に上げて思う。そう、そうして猫背にしているあちらが悪いのだと、再び責任転嫁をして。

「…せ、背筋のことは気をつけます。でも、あの、言葉は」
「前はそこまで敬語を使っていなかったろう?」
「あああのころは、いちおうたいちょうだった、ので…気をつけていたんですが、敬語のほうが、しゃべるの、
楽なんです…」
「それでも貴官は中尉、こちらは少尉だ。上官が部下に怯えているようじゃ、しまりが無い」
「で、でもお」


138: 2008/12/10(水) 20:41:03 ID:dph4SFQl

『気をつける』と言いながらも目は潤み、声は震えて、エルマはどんどんと体を小さくさせるばかり。はあ、
とビューリングがため息をつくとそれだけでも体をびくつかせる。
…そしてそのため息が、彼女の何かのスイッチを入れてしまったようだった。

「…私が中隊長になったのも…ぐず、中尉になったのも…ひっく、えぐ、私が第一中隊にとって『いらん子』
 だったからで、だから…形だけでぇ…ひっく」
「…おい、こら。泣くな」
「だ、だって、わだじ…うう」

こまった。表面上は冷静を装いながら、内心は自分がひどくうろたえているのをビューリングは自覚していた。
最近はめっきりなりを潜めていたからうっかりしていたが、そうだ、このエルマはかなりの泣き虫でもあった。
あの陽気なキャサリン辺りがいれば「エルマ中尉、元気出すねー」と明るく励ましてやることが出来るの
だろうが、残念ながらここにいるのはビューリングと、ウルスラの寡黙コンビのみ。そのウルスラも先ほどから
微動だにせず本を読んでいるばかりで、何の役に立ちそうも無い。…いや、エルマが泣き出した瞬間ぴくり
と顔を上げ、けれどその状況を見て取るやまた本に目を落としたのをビューリングは見たから、『自分が
悪いんだから自分で何とかして』と言う物言わぬ意思表示なのかもしれなかった。

「ぶんふそうおうなんです、中尉なんて、わたしには…
…そんなのわだじが、一番分かってるんです…うう、うわああん」
「わかった、中尉の言いたいことは分かったから」

だから泣きやんでくれないか、お願いだから。何をしてやったらいいかなどわからないが、何かはして
やらねばいけない。そう思ったビューリングは慌てて席を立ってエルマの傍に寄ってやる。けれどエルマは
それに気付くことも無く、うつむいてわんわんぼろぼろと涙を流すだけ。ビューリングとしてはそこまでひどい
ことを言ったつもりは無かったから、ただただ弱りはてるばかりだ。…もちろんのこと、それが相手方に
伝わっているはずは無かったが。
ぱたん、と何かが閉じられる音が響いた。何の音だとみやると、本を閉じたウルスラがちょうど、付き合って
いられないとばかりに立ち上がったところで。ビューリングがすがるような思いで見るのに、ウルスラはそれを
小さく首を振って突っぱねる。
物音を立てず扉を開いて、吹き込んだ冷たい風に顔をしかめるビューリングのことなど知らない、といった
ように彼女はその扉を冷たく閉じるのだった。

さて、本当に困った。ついに孤立無援だ。何も気付かずに、エルマはわんわん泣いている。まるで小さな
子供のようだ。身長は自分とそう変わらないはずなのにほら、背中を丸めているものだからとてもとても小さく
見えるのだ。もしかしたら彼女の体がビューリングに比べると華奢だということもあるのかもしれないが。

(中尉なんて分不相応…か…)

弱り果てたその心の隅で、ビューリングはそんなことを思った。ああ、そうだ。自分もかつて、そんなことを
上官に告げたことがある。あれは──このスオムスに転属になる前のこと。こちらに転属するか、それとも
中尉任官かと迫られて、ビューリングは迷わず前者をとった。唯一無二のあの親友を喪ってこの方、贖罪と
して氏ぬために生きてきた。そのためには最前線にいたほうがいい。中隊長任官などとんでもない。そもそも
満足に命令も聞けない自分が誰かの上に立って指示をするなど、面倒極まりない。だから、その命令を拒否
することにした。32本目のマウスピースを噛み潰した上官にわざわざ抗うかのように。

…でも3歳下のこの少女は、エルマは違う。彼女にはたぶん拒否できる権限など、選ぶ余地など無かったのだ、
多分。恐らくはハッキネンに言われるがままわけもわからず任命されて、できるわけがないのにと迷い続けて、
『いらん子』ばかりでまとまらない部隊にくよくよしながらも逃げることなど出来なくて。だからいつも肩を丸めて、
半分泣きながら自分たちの前に立っていたのだ、たぶん。見ていなかったから、その背中が意外と大きい
ことなんて知らなかった。彼女の背中はいつだって、自分達を受け止めるためにそこに頼りなくもちゃんと
あったのに。


139: 2008/12/10(水) 20:41:56 ID:dph4SFQl

コーヒーの芳しい香りがミーティングルームを包んでいく。どうせ安物の豆なのだろうが、普段は落ち着く
その香りなのに、今日ばかりはそれどころではない。エルマが泣いているのはよくあることとして、今部屋に
いるとは彼女と自分だけで。どう考えてもビューリングが泣かせたと分かる状況で。
…こんなところを他の誰かに見られたら、恐らく1週間はからかわれ続けるだろう。そんなことはまっぴら
ごめんだ。ビューリングは思う。…いや、けれど…どうすればいいんだ?

背筋を伸ばせ、とエルマに言った。直接的には違うが、だからエルマは泣いた。けれど本当に猫背になって
いたのは自分のほうではないか。つまらない後悔にとらわれて、買われた能力を軽んじてつっぱねた。そんな
自分が、彼女にどんな言葉をかけてやれるだろう。ビューリングには分からない。そんなこと、今まで一度も
考えたこと無かった。だっていつだって自分のことばかりで、その裏で自分とは全く真逆の悩みを抱いている
人間がこの世界のどこかにいるかもしれないなんて、想像さえ。

すう、と大きく息を吸う。はあ、と大きく息を吐く。…けれど、なんとかしてやりたい。元気付けてやりたい。申し訳
ないとは思っている。…だって、彼女もまた自分の仲間なのだ。階級も年齢も身長も関係ない。ただただひた
すらに大切な、仲間だから。

「…怯えるな。」
ぽん、と両肩に手を置いて、ようやく口に出来たのはそんな言葉だけ。この間の戦闘で、怯えるエルマに
ビューリングが告げた言葉の一つ。
ビューリングも、他の隊員も、本当はちゃんと知っている。エルマの腕は悪くない。ただただ、臆病が過ぎる
だけ。怯えずに敵に向かっていく自信が付けば、彼女の伸びしろは計り知れないと。

怯えるな。怖くない。私たちがいる。お前の後ろでちゃんと、その背中を守っている仲間がいる。
ひとりじゃない。

伝えたい気持ちは溢れているのに、どうにもうまく言葉に出来ない。不器用な自分が憎い、と思う。今まで
ずっと自分勝手に生きてきたから、落ち込んだ誰かを優しく慰める方法なんて分からない。もどかしくて仕方が
無くて、ビューリングはエルマの肩に置いた両手に力を込めた。何もかも面倒になってこの衝動のまま抱きす
くめたい、と思ったけれど、そうしたらエルマの小さな小さな心までも押しつぶしてしまいそうだからすんでの
ところで思いとどまった。
エルマはうつむいたまま何も言わない。嗚咽さえも聞こえなくなってしばらくしたあと、ようやくエルマが口を
開いた。

「…ごめんなさい」
「何で謝る」
「…わたし、弱虫で、すぐ泣いてしまうから…ご迷惑、かけてしまって」
「かけられてなんかない」

目の前の金色の頭がゆっくりと上がって、真正面から潤んだエメラルドの双眸がビューリングを捉えて。
こうして近くで向かい合うと、彼女と自分の視線がさほど変わらないことに改めて気付かされる。小さくなんか
ない。エルマは小さくなんかない。ちっぽけなんかじゃないよ、お前は。じい、と見つめて伝えるけれど、
果たして相手に伝わったかどうかは分からない。不安に揺れたままだから、たぶん伝わってはいないだろう。
…なんて愚かだろう、自分は。大切なことはいつだって、言葉にしないと伝わらないのに。


140: 2008/12/10(水) 20:42:27 ID:dph4SFQl

「…ネウロイの攻撃を先読みできたりしたらいいですよね。…未来を、見ることが出来たりとか。
そうしたらきっと、怖くないのに」
「…そうだな」

話題を摩り替えるかのように、冗談めかしてエルマが言う。そうして彼女が淡く笑ったことで、ビューリングは
ひどくほっとした。正直なところビューリングはネウロイの攻撃を恐ろしいと思ったことはないけれど、エルマが
それで笑うのならいくらでも肯定してやろう、と思う。
安心に思わず顔を緩ませると、突然はっとしたかのようにエルマの顔が引き締まった。

「…あのっ、ビューリング少尉っ!」
「なんだ?」
「その、このあいだは、援護してくださってありがとうございました!
 …もう大分前のことですけれど、少尉が後ろで援護してくださったので、あまり怖くありませんでしたっ」
「援護…ああ、あのときのことか」

それはジュゼッピーナがこちらに来る前の話だから、数週間ほど前のことになる。珍しくビューリングが
エルマとロッテを組んで戦闘に出たときだった。ああ、そういえばあの時初めて、自分はエルマの背中を
見たのだ──今またしばらく見ていなかったあの背中が、どうしてか少し懐かしい。水色の空に溶け込む
軍服と、太陽の光にキラキラと光る薄い金色の髪が、とてもとても綺麗だと思った。自分のそっけない励ましに
返事をして、まっすぐに敵に向かっていくその姿に、彼女の将来性の姿を垣間見た気がした。

「だからあれは、囮に使っただけだと」
「そうかもしれません──でも、前向きに考えてみたらそう思えたので。だから、私は嬉しかったんです。
 色々とあってずっと言いそびれてしまいましたけど…本当にありがとうございましたっ!」
「…いや、だから…──まあ、いいか」

それ以上否定するのを止めたのは、先ほどとは打って変わってエルマがきらきらとした笑顔でいたからだった。
…こうして自分に礼を述べるくらいで笑んでくれるのなら安いものだ。ビューリングは思う。だって自分の中
には、彼女を笑顔にしてやれる言葉など無いのだから。もどかしいくらいに、悔しいくらいに、自分はこう
いったことについて本当に能無しだと。

もしも、このあとスオムスから本国に戻ることがあったら──そのときは、あの昇進辞令に署名をしようか。
頭の片隅でビューリングはそんなことを思った。あの時突っぱねた中隊長の任を、今度は自分から受けるのだ。
…今の自分なら、背筋を伸ばしてそれを拝命することが出来る気がする。後ろ指差されても気にしない。こう
して仲間と過ごすのも悪くないと、思えるようになった今なら。あの司令はどちらにしてもにがにがしい顔を
するだろうが、そんな彼の鼻を明かしてやるのも悪くない。

だって誰がなんと言おうともただ一人、そんな自分を祝福してくれるであろう人間がここにいる。それは辛い
時に縋る亡き友人では無く、人の形をして36度5分の体温を持ってここに確かに存在しているのだ。
『前向き』を口癖にする後ろ向きな彼女は、他人の幸福に対してひどく敏感だ。
相手が自分にどんな暴言を吐いたって、その誉れをにこやかに「おめでとう」と言える人。
「囮に使っただけ」と言い放たれてもなお「守ってくれてありがとう」と微笑むことが出来る人。
――ならばそれが、同じ部隊の大切な『仲間』の、めでたいだったなら?そんなの想像するまでもない。
もしかしたら本人よりもはしゃいで喜ぶかもしれない。

そうしたらもう一度エルマに言おう。
「怯えるな」と言ってやろう。
今は表面ばかりの、空ろでしかないこの言葉でも、彼女と同じ場所に立ったなら少しはが価値が生まれる
はず。
勇気付ける言葉だって、一つくらいは導き出せているはず。…今、それを伝えるにはビューリングは少し
ひねくれすぎていたから。言葉にする代わりにエルマの頬に手を伸ばしてその涙をぬぐってやった。


141: 2008/12/10(水) 20:44:27 ID:dph4SFQl

「ビューリングがエルマ中尉を泣かせたってー?まったくー、ビューリングにもこまったものねー!」

どんどん、ばたん!とやかましく、ウルスラに伴われたキャサリンがミーティングルームに駆け込んで
来たのはちょうどそのときだった。
突然のできごとにビューリングもエルマも身動きができず、その姿勢のまま扉を見つめて固まる。…が、
驚いたのはどうやらこちらの方だけでは無かったようだった。ドアを開け放したまま、キャサリンたちも
固まってしまったからだ。…いや、正確にはウルスラは無反応だったわけだが、それは対した問題では無い。

「…ユーたちがそんな関係だったなんて知らなかったね。ウルスラ、行くね。ミーたちは邪魔者ねー」

いの一番に硬直から解けたキャサリンが、頭をかいてウルスラの頭に手を置く。微かにうなずくウルスラ。
そこでようやく、ビューリングとエルマ頭も動き出す。何をどうみて勘違いをしているのだ、と思いきや、よくよく
考えると二人は至近距離で向き合っていて、ビューリングはというと左手はエルマの肩に手を置き、右手は
あろうことかエルマの頬に添えられているのだった。これではまるで――

「ち、ちがいますごかいですっ!!ええと何を誤解してるのかっていうとそれは………
 …とっとにかく違うんですキャサリン少尉っ!!」
「…大丈夫!!ミーは二人が女の子ずきーの変態さんでもちゃんと仲間として認めるねー」
「…仕事と嗜好は別物。」
「ウルスラ曹長までっ!!そ、それにそれはわたしのセリフですようううぅぅ!!」

北欧育ちのためか、もとは雪のように白い肌をした頬を真っ赤に染めて、エルマが叫ぶ。部屋を出て行こうと
する二人の服の裾を掴んで押しとどめようとしたから、自然とビューリングの手は振りほどかれてしまった。

「あとは二人でごゆっくり、ねー」
「わだしをみずでないでぐだざいいいいぃぃぃ~~~!!」
「大丈夫ねー。ビューリングはあれでいいやつねー」
「そういうもんだいじゃありません~~~~!!!」

つい先ほど泣きやんだばかりのひばりが、また泣き始める。

(あれほど泣きやますのに苦労したと言うのにどうしてくれるんだ。)

ビューリングはその喧騒を一人はなれたところで眺めながらひとりごちた。相手のキャサリンはというと楽し
そうに笑うばかりでなんの解決にもならない。

ふと、視線を横にやると、コーヒーがすっかり煮詰まってしまっていた。慌てて火から下ろしてカップに一杯注ぐ。
先ほどまで座っていた椅子に座して口にすると……苦い。そして、熱い。ああなぜだろう、頭を通るその苦い
豆汁は一瞬で喉まで降りて行ってしまうのに、なぜだかその熱はいつまでたっても顔の表面から抜けては
くれないのだ。さきほどエルマの涙をぬぐった右手の人差し指までピンポイントで暖めて、なかなか冷めて
いってくれない。熱くなっていくばかりなのだ、顔も、指も、心まで。

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛~~~~ひどいいぃぃぃ~~~~」

結局置いていかれてしまったのだろう、エルマが情けない声を上げた。ふう、とビューリングはひとつ息を
ついてポケットから煙草を取り出す。ライターを探すもみあたらず、どうしようかと思っていたところでエルマが
こちらを見ていることに気が付いて、仕方なしに吸うのを止めた。…どうやらエルマはあまり煙草の煙が好き
でないようなのだ。直接聞いたことは無いが多分、そうなのだろうと踏んでいる。まあ、吸っていないのに
好む人間も珍しいだろうが。


142: 2008/12/10(水) 20:51:06 ID:dph4SFQl

先ほどキャサリンに言われたことを気にしているのだろう。気まずい沈黙が流れた。…エルマと二人きりの
時の沈黙をこれほど重苦しく感じたことはいまだかつて無い。むしろ相手の存在など、そこまで気にしていな
かった。
こういうとき、一体何を話せば良いのか。ビューリングは考えあぐねて顔をしかめる。エルマもまた、何かを
言いたそうにもじもじしているけれど、何も言わない。

と、ふと、ずいぶんと昔のことを思い出した。そう、たしかそれはこの『いらん子中隊』のメンバーと、初めて
顔をあわせたときの。

「…好きな食べ物は、」
「は、はい?」
「ブリタニア料理じゃなければなんでも。あれは料理じゃない」
「は、はあ…」
「恋人はいない。それと…癖と特技、だったか?」
「え、えっと…」
「どうした、聞いてきたのはそちらだろう」

あの顔合わせでエルマが求めた質問だった。あの頃は『みんな仲良く』なんて興味も無くて、つい突っぱねて
しまったけれど。

あ、もしかして…
その微かな呟きとともに、見る見るうちに沈んでいたエルマの顔がぱあ、と明るくなるのを見た。はい、はい
はいっ!あの、好きな動物とかっ!そう矢継ぎ早に口にするところを見ると、どうやら先ほどのキャサリンたち
とのやり取りはすっかりと忘れてしまったように思われる。凹みやすいけれど、割と単純。そう言えば最初から
そうだった。

たまにはこういうのもいいだろう、と思いながら、テーブルの上のコーヒーを口にすると、不思議と先ほどより
もずっと美味い。どうしたことだ、と目を見開いたら、少し得意そうにエルマが笑った。

―――
以上です


引用: ストライクウィッチーズpart13