1: 2013/10/08(火) 22:25:13.04 ID:Qsmt1EW70
前スレ

【機動戦士ガンダム】ジャブローで撃ち落とされた女ジオン兵が…【前編】
【機動戦士ガンダム】ジャブローで撃ち落とされた女ジオン兵が…【中編】
【機動戦士ガンダム】ジャブローで撃ち落とされた女ジオン兵が…【後編】

【機動戦士ガンダム】ムラサメ研究所を脱走してきたニュータイプ幼女たちが…【1】
【機動戦士ガンダム】ムラサメ研究所を脱走してきたニュータイプ幼女たちが…【2】
【機動戦士ガンダム】ムラサメ研究所を脱走してきたニュータイプ幼女たちが…【3】
【機動戦士ガンダム】ムラサメ研究所を脱走してきたニュータイプ幼女たちが…【4】
【機動戦士ガンダム】ムラサメ研究所を脱走してきたニュータイプ幼女たちが…【5】

 1st裏スレ
【機動戦士ガンダム】ジオン女性士官「また、生きて会いましょう」学徒兵「ええ、必ず」



【諸注意】
*前々スレのファースト編、前スレのZ、ZZ編、1st裏スレからの続き物です。
*オリキャラ、原作キャラいろいろでます。
*if展開は最小限です。基本的に、公式設定(?)に基づいた世界観のお話です。
*公式でうやむやになっているところ、語られていないところを都合良く利用していきます。
*レスは作者へのご褒美です。
*更新情報は逐一、ツイッターで報告いたします→@Catapira_SS

以上、よろしくお願いします。

 

TV版 機動戦士ガンダム 総音楽集


14: 2013/10/09(水) 22:04:58.93 ID:nYQJL3zuo


 私は、ホンコンシティの中心地の裏道を彼女の手を引いて走っていた。

まさか、これほど早く露見の危機に陥るとは想像もしていなかった。

この手の事態は、かならず想定よりも早くやってくる…

そんなこと、分かっていたはずなのに、いまさら慌てふためいて、こんなことになってしまうなんて。

 彼女は、息を切らせながらもなんとか私に着いて来てはいる。だけど、それも時間も問題かもしれない。

私のように、訓練に明け暮れていた軍人上がりの傭兵崩れと彼女は違う。

13歳で、訓練やトレーニングを積んだ経験のない彼女に、もうどれだけ、逃走の体力が残っているかは分からなかった。

 狭く薄汚れた裏路地を抜け、大通りを渡って、別の裏道へと入っていく。

この先を抜ければ、大陸を横断してヨーロッパに抜けられる長距離特急列車のプラットホームがあるはずだ。

その列車に飛び乗れさえすれば…!

 私は、その裏路地を彼女の手を引いたまま抜けた。

 だが、そこには、やつらがいた。

 通常とは違った色の連邦軍の制服とヘルメットにワッペンを付けている男達。

地球上の不法居住者を摘発することを目的に結成された、軍部とも警察組織とも言われる、特殊な部署で、

いわば、かつてのティターンズのような横暴を許可されているような存在だ。

 私は、とっさに踵を返してもと来た路地を逆方向へ走る。ダメ、まだ、捕まるわけには行かない…

せめて、彼女をどこかに隠さないと…せめて、それだけのことはしないと…

しかし、私達の正面には、別のマハの一団が居た。

道の両側をふさがれた…でも、ダメ、まだ…まだあきらめるのはダメ!とにかく、逃げないと!

 私は、とっさにそばにあった民家のドアを蹴破った。その中に駆け込む。中に住人の姿はない。

私は、彼女の手を引いて、裏口だったらしい今のドアから、雑然としているリビングを抜けて、

正面の大通りに沿っているらしい玄関口へと向かった。ロックを外してドアを開ける。

そこには、マハの姿はない…やった、このまま巻ける!

 私は、焼ける様な胸の痛みをこらえ、ガクガクとすでに力の抜け出している脚に、それでも気力を注いで私は走った。

 でも。

 数十メートルも走らないうちに、彼女が転んでしまった。

私は慌てて、彼女を助け起こすが、そんな彼女は、私の顔見て、苦しそうに首を横に振った。

「ミリアム…私、もう…」

そんな…そんなことを言わないでください!もうすぐ、もう少しなんです!

私は、彼女の言葉に返事をするよりも先に、彼女を立たせてまた手を引っ張った。

こんなところで止まっていてはダメだ!
 

15: 2013/10/09(水) 22:05:30.63 ID:nYQJL3zuo

 私は、胸の内にこみ上げる、いいえ、胸を切り裂くような、あの感覚を押さえつけながら、走った。

大通りを渡って、また細い路地に入る。そこを抜けた先には、公園があった。

公園の木々の間を抜けて、また別の路地へと駆け込む。どこをどう走ったのは、覚えてなんていなかった。

ただただ、息の続く限り、私は彼女を連れて、とにかく走った。

 再び、さっき見えていた列車の線路が見えてきた。この街にある、特急列車に乗れる最後の駅。

あそこだ、あそこまでいければ…!

 私は階段を駆け下りて、駅の正面に出る細い路地を駆け抜けた。路地の終わりが見えてくる。

駅のエントランスには、マハの姿は、ない!やった、これで…これで!

 しかし、路地を抜けて、私は絶望した。

まるで、私達が飛び出してくるのを待っていたかのように、マハの連中が、15人ほど、そこかしこから姿を現したからだった。

後ろを振り返るが、そこにも、もう5人ほどが追いついていた。

ここにはもう、蹴破って逃げられそうなドアもない、登って逃げられそうなハシゴも、非常階段もない。

 完全に囲まれてる…逃げ場は、ない…

「どこへ行かれるんですかな、ご婦人?」

その中の一人が、私にそう声を掛けてくる。私はとっさに、彼女を自分の背中と壁の間に挟み込む。

なにがあっても、彼女だけは傷つけさせるわけには行かない…連れ去られるわけには、いかない…

そう心を決めていた私にも男に返す言葉が思い浮かばない。

「そちらは、あなたのお嬢さんですかな?あなたとは血のつながりは薄いようですが…いかがなさいましたかな?」

こいつらは、確信を持っているの?それとも、カマをかけようとしているの?

ここで何かを口走ってしまえば、それこそ揚げ足を取られて逮捕の口実を与えてしまうことになる。

かと言って、このまま黙り通すのも無理な話だ。公務執行妨害で、逮捕はなくとも、強制的に任意で同行させられる。

 万事休す、か…それなら、やっぱり、そうするしか方法はない、よね…

 私は覚悟を決めて、背後に隠れた彼女の手を握った。ごめんなさい…でも、覚悟を決めてください…

ここは、力押しするしか、方法がありません…!

私は、心の中でそう彼女に語りかけてから、来ていたジャケットの内に手を入れた。

 そのときだった。

「あぁぁぁぁ!こっっんなところにいた!!!」

まるで空気を切り裂くようなキーキー声が聞こえてきた。見るとそこには、ひとりの女性が立っていた。

きれいな身なりをした、どこかの資産家にでも見える女だ。

 「まったく!こっちがどれだけ心配したと思ってんのよ!まともに子守りもできないなんて!」

女は相変わらずのキーキー声でそうわめきたてながら、いきなり私に詰め寄ってきた。

彼女は、なんのことか分かっていない私の髪をグイッとつかむと、頬をはたきつけてきた。

 この女…!!あまりのことにカッとなりそうになった私を、後ろから彼女が、袖をつかんで制止した。

そんな私のことを知ってか知らずか、女は周りを囲んでいたマハの連中に頭を下げ始める。

「申し訳ございません。私は、ルオ商会で会計主任補をやらせていただいております、カーラ・ドルチェと申します。
 この度は、娘と、メイドがご迷惑をかけたようで…大変に、申し訳ございませんでした」

娘と…メイド!?何を言ってるの、この女は?!

本当に精神でもおかしいの?

この地球上に彼女の家族がいるはずはない。

いいえ、彼女の家族が、あんたのような人間であるはずがない…だって、この人は、この方は…
 

16: 2013/10/09(水) 22:06:15.46 ID:nYQJL3zuo

 「もし、苦情などございましたら、ルオ商会の方へ直接お願いいたします。責任を持って、謝罪を行いますので…

 どうか、この通りです」

女はなおもそう言いながら頭を下げている。

 驚いたことに、私達を囲んでいたマハの連中は、戸惑った表情をしながら、お互いに顔を見合わせている。

確かに、この街でルオ商会の人間だ、と言われたら、無理をして逮捕することも、連行することもできない。

ルオ商会は、クリプス戦役以降、反連邦組織カラバを支援していたことを公表し、

そのカラバや同盟関係にあったエゥーゴの大半がグリプス戦役勝利の立役者として半ば吸収される形で

連邦側から直接支援を受けるようになってからというもの、連邦政府にも相当の影響力を持つようになった。

かつてのティターンズのようなマハと言えど、まだ発足したての組織には違いない。

政府に対し、ルオ商会が異議を申し立てれば、現場の人間、数人のクビを飛ばすことくらいはためらわないだろう。

 「しょ、証明はできますかな、その子どもが、あなたの娘である証明が?」

マハの一人が、女にそうたずねる。女は毅然とした態度で

「この肌の色と、髪の色を見てお分かりになりませんか?

 あぁ、目の色は主人のきれいな青い瞳に似ていますものね…

 もし必要であれば、商会の人間に言って、住民情報を取り寄せさせますが、必要でしょうか?」

と言い始める。それを聞いたマハ達は、また一様に戸惑いを見せる。

 「お、おい、このご婦人のおっしゃっていることは、本当なのだろうな!?」

マハの一人が、今度は私にそう問いかけてきた。

 女が、私をチラリと見やった。マハの連中も、思わぬ出来事にヤキが回ったみたいだ。

そんなこと、私に聞いたって、口裏を合わせるだけなのは、普通に考えてわかりそうなものなのに…

「は、はい。私は、幼い頃戦争で家族を亡くし、行き場をなくしていたところを大奥様に拾われて、

 以来、メイドとして仕えております」

「まったく…母さんにはあれだけ従順だったっていうのに、私に代替わりしたとたんにこれなんですから。

 困ってしまいますわ。今日も、娘を学校から大学の研究室へ送るよう頼んだのですが、

 こんなところに居るのをみると、娘のわがままを断りきれなかったんでしょう」

女はさらにそう言って、私の後ろから顔を出していた彼女を見やった。

「ご…ごめんなさい、お母様…わ、私、どうしても、その、映画が見たくって…」

「映画なんて、研究室でのお勉強が終わってから、お家のシアターで見られるでしょう!?

 遊ぶ暇があるならお勉強をしないと、お父様のメンツにかかわるんですからね。

 そのことをあなたは分かっているのかしら?!」

「ご…ごめんなさい…」

彼女は、まるで本当に叱られているかのように目に涙を浮かべてつぶやくように言った。

いや、女の剣幕に、本当に怯えているようにも思える。

それにしても、この女、何者なの?本当にルオ商会の人間…?

なぜ私たちを助けようとしているの…?
 

17: 2013/10/09(水) 22:06:55.16 ID:nYQJL3zuo

「二人には帰ってから良く言って聞かせますので…どうかご勘弁くださいませんか?

 出来ましたら、皆様のお名前を伺わせてください。主人の方から、お詫びをお届けに上がらせますわ」

女は、シレッとそんなことまで言ってのけた。

名前を聞かせろ、なんて、あんなに丁寧に言っているが、この女は分かっている。

街角で私達を見つけ、追跡してきたこいつらが、半ば違法が大手を振って歩いているようなものだってことを。

有力者にその名を明かし、“娘達”を容疑も確定せぬままに追い回していたことがバレれば、

自分たちがどういう目にあうか、ってことをマハの連中が想像するだろうことまで。

「い、いや、そ、それは…は、はは。いえ、最近は、この辺りも物騒になってきておりますからな。

 わ、我々としても、すこし警戒しすぎていたところもありましたし…まぁ、お二人を無事にご家庭にお返しできる、

 ということであれば、我々としても、安心するところでありまして…」

マハの連中、さすがにヤバいことに気が付いたらしい。

青い顔をしながら指揮官らしい男がそう言うのと同時に周りもこれ見よがしに笑顔を作ってうなずいている。

「そうですか?ですけど、やはりお詫びとお礼を…」

「い、いいえ!めめめ、めっそうもありません!」

女がさらに口にすると、終いには指揮官は声を裏返らせながらそう答えて、

「わ、我々は任務に戻りますので、どうかお気を付けておかえりください!」

と言い残して、逃げるようにその場を去って行った。
 

18: 2013/10/09(水) 22:07:46.59 ID:nYQJL3zuo

 マハの連中の後姿を見送った女は、ふう、と大きくため息を吐いた。

それから、私達の方を見やると、今まで見せていた、毅然とした表情から一転、屈託のない、人懐っこい笑顔で

「いやぁ、間一髪!こんな恰好、しておくもんだねぇ!あっはっはっは!」

と言って笑い出した。呆然とする私達を見て、さらに彼女は

「彼に頼まれてね。あなた達を探してた。この街はさすがに危ないよ。

 仲間に頼んで、マドラス基地の近くにシャトルを待機させているから、それで宇宙に連れて帰ってあげる」

と、今度は、穏やかな表情で言ってきた。

「か、彼?」

私が聞くと、女は、ハッとした表情を見せてから、何かに気が付いたように「あぁ」と口にし、

改まって、私達に言った。

「あたしは、クワトロ大尉…今は、シャア総帥、か。彼に頼まれて、あなた達を助けに来たんだよ」

「シャ、シャアを知っているのですか?!」

後ろに隠れていた、彼女が叫んだ。

「うん、知ってるよ、姫様。グリプス戦役のときに、いろいろとあってね。

 まぁ、あのとき彼はエゥーゴで、あたしはカラバにいたんだけどさ」

「わ、私のことも知っているの?!」

「もちろん。ミネバ様でしょ?」

 な、なんてことなの、この女!シャア総帥どころか、ミネバ様のことまで嗅ぎ付けているなんて…

協力を仰ぎたいのはやまやまだけど…これは、マハの罠、という可能性も…

でも、今は、この女の協力を信用して協力を得られれば、それに越したことはない…

だとすれば、至急、スイートウォーターに連絡を入れて、真偽を確認する必要がある、か…。

「あなた、名は?」

確認のためにそう聞いた私に、彼女はなぜだか胸を張って答えた。

「あたしは、マライア・アトウッド!元ティターンズ大尉で、実はカラバの超一流諜報員!

 あなた達はあたしが責任を持って、彼のところに送り届けてあげるから、安心して!」

 ひと時の油断もならない。この女、一体、何を考えているの…?

本当に信頼に足る人物なのか、とにかくまずは問い合わせる必要がある…私は、女を路地に引き込んだ。

女は抵抗を見せずに、両手を私の方へ向けて掲げている。ジャケット下の拳銃を引き抜いて、女に突きつけた。

それでも彼女は、かすかな動揺も見せない。

本当に、なんだっていうの、この女…?!

私はそう思いながら、警戒を緩めることなく、ポケットからPDAを取り出して、

スイートウォーターの作戦室へと通信を繋いでいた。

「こちら、ミリアム・アウフバウム。至急、総帥をお願いします!緊急事態です!」
 

28: 2013/10/12(土) 22:42:44.79 ID:H/JeA5Tpo

 マライア・アトウッド大尉。

カラバの特殊工作員で、ティターンズ、地球連邦に逮捕されたカラバやエゥーゴの構成員を100名以上救出し、

カラバスタッフとしてティターンズに潜入し情報収集をしていただけではなく、

カラバはおろか、あのエゥーゴの指導者であったブレックス・フォーラの懐刀でもあったと噂があったほどの人物、

との情報を、私はスイートウォーターの司令部から受け取っていた。

それも総帥直々に送って来たデータらしい。これはもう、信用せざるを得ない。

「でさ、そのあとで、ジュリー・アンドリュースって人の演じるマリアがね、

 トラップ家の子ども達と一緒に脱出作戦を練るの!」

「そ、それで、それからはどうなるのですか?」

「ふっふーん、それは見てのお楽しみだよ、姫様!」

「ひ、ひどいです、そこまで煽っておいてお預けだなんて!」

「映画は、話で聞くものじゃなくて、見るものですよ、姫!」

「ひ、姫はやめてください!」

「あ、そうだったね。ジュリア・アンドリュースさま!」

「あ。もしかして、私のその偽名と言うのは」

「そそ、マリアの役者さんの名前から取ったんだよ!あたしはそのお母さんのマリア・アンドリュース。

 ミリアムの、エレノア・パーカーは、男爵夫人役の名前を文字って見たんだ」

「そうなのですね!ふふ、なんだか嬉しい気持ちになりました。やはり、その映画は今晩見せてください!」

「いいよー!絶対気に入ってもらえると思うんだよね!」

こんなやつが、そんなに優秀なの?ただ頭の軽い、能天気なお嬢さん、って雰囲気しかしないのに…

こんな女を頼らなければいけないなんて、正直、悔しいとしか言いようがないけど、でも、

確かに私たちは彼女に助けられたんだ。そのことだけは、事実として受け止めなければならない。

 「ありがとう、アトウッド大尉」

私は、揺れる車の後部座席から身を乗り出して彼女にそう伝えた。アトウッドはニコッと笑って

「ううん。なにごともなくてよかったよ。

 あたし、万が一に備えてマハのホンコン本部に潜入する準備も覚悟も決めてたからさ。

 あんな道端で見つけられたのは、本当に運が良かったんだ」

と言ってくる。

 やつらの本部に潜入だって?本気で言っているのだろうか?

そんなことをしたら、命がいくつあっても足りるものじゃない。

見つかったらその場で銃殺されるか、捕まってひどい拷問に遭うことは必至だろうっていうのに。

この女、この軽い頭があるからこそ、グリプス戦役の最中に、それだけの仕事を成し遂げられたとでも言うのだろうか?

いや、そんなに甘い話にはならない。勢いだけで物事を解決できるようなら、私だってこんな苦労はしていない。

そう考えるとやはり情報が事実なら、彼女の実力は折り紙つきだろうけど…

「げぇっ!ペッ!ペッ!な、なにこのお菓子!?姫様、こんなの良く食べれるね!?」

「アトウッドさん、それはお菓子じゃなくて、お菓子の中に入ってた乾燥剤です」

「えぇ!?ぬあっ!『食べられません』って書いてあるよ!謀られた!」

正直、疑ってかかる方が普通だろう、こんな女。
 

29: 2013/10/12(土) 22:43:13.50 ID:H/JeA5Tpo

 「それで、アトウッド大尉。この車はどこを目指して走っているの?」

私は、姫様との子どもじみたやりとりにイヤ気がさして、そう会話に割り込んだ。

「あぁ、うん。さっきも言ったけど、目的地はマドラス。

 でも、マドラスに抜けるための主要道路は、以前のネオジオン抗争で壊滅したダブリンから連邦政府機能が移転したラサに近いから、

 新生ネオジオンが宣戦してからこっち、検問も厳しいし、警戒も厳重なんだ。だから、南回りのコースを行く予定。

 今日の目的地は、ファンチェンガン。そこからまた走って、ハノイまで行って、

 そこからは半島横断列車でヤンゴンに出て、ヤンゴンからはフェリーでマドラスに向かう計画!

 マドラスには、カラバ時代の仲間がHVLを準備してくれているはずだから、それを使って宇宙へ上がるつもりだよ」

アトウッドは、スラスラとこれからの計画を説明する。

ラサの警戒が厳しいとは知っていた。

だから私は、宇宙へのシャトル便が多く出ているホンコンシティにミネバ様と一緒に逃れて来ていたわけだけど、

運悪くそれマハの連中に見つかってしまって、あの有様だった。

それにしても、HLVでの打ち上げなんて…まるで10年以上前のあの戦争のときのようだけど…HVLは航宙能力がない。

そのあとはどうするつもりなんだろう?

「HLVで打ち上がったとして、そのあとは?」

「衛星軌道上にネオジオンの輸送船がくるって話になってるよ、アウフバウム特務大尉…

 あぁ、ミリアムって呼んでいいかな?歳も同じくらいに見えるし、良いよね?」

アトウッドは、そんなことを聞いてくる。慣れ合うつもりもないけど…別に呼び名なんて、どうだっていい。

「好きに呼んで。それで、輸送船?」

「ありがとう。そう、輸送船。詳細は聞いてないけど、打ち上げの日時だけは決まっているから、

 軍用の輸送船じゃないのかもね。衛星軌道上を航行する民間船に見せかけたシャトルかなにかなんじゃないかな」

アトウッドの言葉に、私は考える。そう言えば、ガランシェールとかっていう船に乗った、輸送部隊があったはずだ。

彼らは、確かに民間輸送船に偽装して、スイートウォーターへの物資運搬や、ジオン捕虜の奪還を行っている特務隊。

彼らなら、HVLを回収するような衛星軌道上を飛行していても、怪しまれる可能性は低いだろう。

 なるほど、確かにこの女は、ネオジオンの内情にも詳しいらしいし、読みもするどい。

ただ、頭が軽そうに思えるのは、それこそ偽装の一種なのかもしれない。

そうだ、一流のスパイほど、スパイには見えない、なんて聞いたことがある。

なるほど、つまり、この抜けた印象もこの女の計算か、あるいは緻密に設定された演技に違いない。

 「計画は分かったわ。それで、打ち上げの日時は?」

「一週間後の、正午。それを過ぎちゃうと、次の予定は不明。

 あんまりあなた達を地球に長居させるわけには行かないから、それまでには間に合わせないといけないんだ」

芳しい状況であるようには思えなかったが、そう言ったアトウッドは、なぜか笑った。

自信があるのか、それとも、危険を伴う計画に呆れているのかは分からないけど。
 

30: 2013/10/12(土) 22:43:59.48 ID:H/JeA5Tpo

「おっと、これはまずい、かな」

不意に、アトウッドがそう口にした。

彼女の見つめる、フロントガスの向こうに目をやると、そこには連邦軍の検問があった。

くっ…ここは荒野の中を走る一本道。脇へ逸れて逃げられるような道はない…!

「ミリアム、そこにあるあたしのカバン開けて」

アトウッドがそう言ってきた。カバン…確かに、私と姫様が座っているシートのさらに後ろにある座席には、

大きなバッグが一つ置かれている。

武器でも入っているのだろうか。私はシートを乗り越えて、そのカバンを開ける。

中に入っていたのは、衣類だけだった。

「カバンが、なんだっていうの?」

「えっと、連邦の軍服を入れてきてるんだけど、入ってないかな?」

アトウッドは、ひょうひょうとした口調で私にそう言ってくる。

 私は改めてカバンの中を確認すると、確かに、連邦の軍服があった。

「あった。どうするの?」

「うん、ミリアム、それを着て助手席に座ってて。

 姫さまは、シートの下でうずくまっててくれれば、あとはうまくやるから」

アトウッドは、微塵も動揺せずにそう言ってのける。この女の、この自信はどこからくるんだ?

私は、そう思いながらも、急いで連邦の軍服を着こんで、助手席へと移る。

気が付けば、アトウッドも来ていた服を脱いでいて、下に着ていたのだろう、連邦軍の軍服姿になっていた。

 車は、検問へ差し掛かった。検問を行っているのはマハではなく、通常の連邦軍のようだけど…

でも、だからと言って、私達を追跡していないとは言い切れない。

私は、胸にこみ上げてくる緊張を抑え込みながら、助手席に黙って座っているしかない。

 アトウッドは、誘導する兵士に従って、車をとめた。パワーウィンドウを開けるなり、兵士がこっちを覗き込んでくる。

「あぁ、これは、大尉殿。お時間を取らせてすみません」

兵士は、私を見やって行った。襟についている階級章は、どうやら大尉の物であるらしい。

私は黙って首を傾げ相槌だけを打っておく。

アトウッドの言葉を信じるなら、ここは私が出しゃばらない方がいいはずだ…
 

31: 2013/10/12(土) 22:44:55.63 ID:H/JeA5Tpo

「何事ですか?」

アトウッドが、怪訝な様子で兵士に尋ねる。

「あぁ、いえね、どうもここの所、宇宙がきな臭いってんで、お偉方がピリピリムードでこんな有様なんですよ」

兵士は、アトウッドにはそんなラフな口調で説明を始めた。

「ラサへ向かう道路だもんね」

「はい。まぁ、はた迷惑な話ですわ、俺ら下っ端にしてみりゃぁ」

「まったくね。あたしらも、似たようなもん」

「あれれ、おたくさんも?」

「あたしらは、ファンチェンガンからサラに向かう間の警戒で極東からの転属中。困っちゃうよね、ホント」

アトウッドも肩をすくめて言うと、兵士はさらに渋い顔つきになった。

「そいつは、俺らよりも災難だなぁ。あぁ、大尉殿、お時間取ってすみませんでした。

 一応、お二人のIDだけ拝見してもよろしいですかな?」

あ、ID!?そ、そんなもの、持っていないわよ…!?

「あぁ、はいはい。こっちがあたしので、こっちが大尉のね」

ギクっとする暇すら与えずに、アトウッドは車のバイザーからIDカードを二枚取り出して兵士に見せた。

兵士は、チラッと私達の顔それぞれを見やると、ニコッと笑顔を見せて

「お手間かけました、サラ・ブレア大尉」

と言ってきた。私は、とっさに、迷惑そうな顔だけして、サッと手を振りかざす。

「じゃぁ、そっちも頑張ってね」

「えぇ、そちらも、どうか気を付けて、ジャンヌ曹長」

アトウッドは兵士とそう言葉を交わして、車を発進させた。

 ルームミラーの中で兵士が小さくなっていく。

「姫様、もうちょっとだけ隠れててね。もう少し離れたら、合図するから」

「はい」

ミネバさまは、大人しくそう返事を返した。

 それから5分ほど走って、アトウッドはふぅ、と大きくため息を吐いた。

「姫様、もう大丈夫。ミリアムもそれ、脱いで良いよ」

彼女はそう言いながら、自分も軍服のジャケットをハンドルを握りながら器用に脱いで、ランニング姿になった。

面積の少ないその布地から出た彼女の体は、明らかに軍人のそれとわかるくらいに、鍛え抜かれた逞しさをしていた。
 

32: 2013/10/12(土) 22:46:03.72 ID:H/JeA5Tpo

 私も、言われたとおりに連邦軍の軍服を脱ぐ。着替える前に羽織っていたパーカーに袖を通して、

そのまま助手席に座って、改めてベルトをしようとしていたら

「あ、ミリアム。あたしの上着たいんだけど、ちょっと取ってくれないかな、カバンに入ってるんだ」

と言ってきた。私を使おうって言うんだね…まぁ、いい、か。助けられているのは事実だ。

それくらい、してあげようじゃないの。私は感じた微かな抵抗感を捨てて、後部座席のカバンの中から、

トレーニングウェアの上を探し出して彼女に手渡した。

彼女はまた、器用に運転しながらそれを羽織って席に腰を落ち着けるとベルトを付けた。

私も、シートベルトを付けて、助手席に座った。

 そうしたら、思わず私も、ふうとため息をついてしまった。

それを聞いたアトウッドは、私の方を見て、ニコッと笑顔になった。

「ずいぶんと落ち着いてるんだね。頼もしいよ」

頼もしい?良く言う。私はここに座って、黙っているしかできなかったんだ。すべてはあんた頼み。

私にできることなんて、ひとつもなかったじゃないか。

「黙っている他に、することなんてなかったからね」

「黙ってる、ってのは意外に難しいんだよ?緊張したり怖くなったりすると、

 人間ってどうしても喋りたくなっちゃうものだもん」

アトウッドはそんなことを言って、また笑った。
 

33: 2013/10/12(土) 22:47:29.24 ID:H/JeA5Tpo

 それは、たぶんあんただけだろう、と思ったけど、

そこまで突っかかったところで、なんのプラスにもなりはしない。私はそう思って、その言葉を飲み込んだ。

代わりに

「あんたほど肝が据わってるってわけではないけどね」

と言ってやった。

「あたしだってビックビクだよー!見てほら、手汗すごい!」

アトウッドは、本気でそう言っているのかどうか、私に手のひらを見せてきて、触れ、とこっちに押し付けてくる。

戸惑いながら少しその手のひらに触れた。確かに、かすかに湿っていたけど…私の手のひらほどじゃない。

「私よりましよ」

そう言って手を押し戻したら、アトウッドは

「どれどれ?」

と私の手を強引に取って、ギュッと握ってきた。な、何を…!

そう思ったが、なぜか、とっさにその手を振りほどくことができなかった。

彼女の、やわらかで、でも、それでいて力強い手の感触が伝わってくる。

「あ、ほんどだ。ミリアム、相当緊張したんだねぇ、ごめんごめん。

 今度はもう少し、安心してもらえるような方法考えておくね」

アトウッドはそう言いながら私の手を解放してハンドルを握りなおした。

 なんなのだろう、今の感覚は?

まるで、一瞬、なにか得体の知れない暖かさに、こっちの警戒を強制的にほどかれたような感覚だった。

これも、一流スパイの技術?それとも、この抜けた性格がそうさせたの…?

わからない…わからないけど、でも…私はこの奇妙な女性に、かすかな、でも確かな安心感を覚え始めていた。

それはどこか心地良くて、でも、どこか危険をはらんでいるような、相反する二つの気持ちを私に湧き上がらせた。

「あなたは…いったい、何者なの?」

私は思わず、彼女に聞いていた。彼女は私の言葉を聞くやいなや、ニカっと笑顔を浮かべて見せた。

「あたしは、ただの甘ったれだよ!」

そう言った彼女の表情は、どこか、得意げに見えて、私は彼女に会って初めての笑みをこぼしていた。
  

47: 2013/10/19(土) 11:43:27.77 ID:ztX3FJeL0

 その晩おそく、私達はファンチェンガンと言う、巨大な港湾都市に到着した。

そのまま車で、アトウッドが予約しているというホテルに向かい、そこでは、車の中で言われたのとはまた別の偽名でチェックインを済ませた。

部屋に向かうエレベータの中で、いったいいくつ偽名を用意しているのかと聞いたら彼女は、

「あぁ、どれくらいだろうね?一人につき、5個か6個くらい?」

ととぼけたことを言いながら、それでも、小脇に抱えていた小さなポーチから、色とりどりのIDカードを取り出して見せた。

そのすべてに、私や、ミネバ様、アトウッド自身の顔写真が入っている。

昼間の軍の検問のあとに、私とミネバ様の写真は、総帥から依頼があった際に送られてきたものだと話していた。

偽造IDなのかと思ったら、アトウッドはヘラヘラと笑って、

「ひとりにつき、2種類、住民届けを実際に受理してあるIDがあるんだ。やばそうなときほど、そっちのIDを使うの」

と言ってのける。住民届け、って、マハのように、不正居住者を取り締まる組織がある中でそんなことをやるリスクは相当なものだ。

彼女は、それを覚悟しているのだろうか?それとも、絶対にバレないと言う自信があるのだろうか?

 そんなことを疑問に思いながら、私達は部屋に入って、ルームサービスを頼んだ。

晩い夕食を摂りながら3人で、アトウッドの持っていたデータディスクにあった、古い映画を見た。

昼間、ミネバ様との話の中で話題になっていたものらしい。

 ミュージカル劇のような内容で、旧世紀にあった大戦の世相を背景に、そこで逞しく暮らす家族と一人の家庭教師の物語だ。

ミネバ様はその内容にいたくご執心のようだったが、私はあまり好きにはなれないタイプの映画だった。現実は、映画のように生易しくはない。

最初から最後まで、どこか希望の持てる展開が、妙に鼻に付く映画だった。

 映画が終わってから、交代でシャワーを浴びる。何日ぶりかのシャワーは、私から、これまでの旅の疲れも一緒に洗い流してくれるようだった。

 シャワーを終えて、明日の予定を確認してから、ミネバ様は早々に寝入ってしまった。

今日は緊張したり、走らせたり、酷使させてしまったことあって、疲れてしまっていたのだろう。

 私は、と言えば、疲れてもいたが、それよりも、アトウッドのことが気にかかってどうも眠る気にはならなかった。

まだ、彼女を完全に信用しているわけではない。

ひょうひょうとした彼女の態度は、味方にも思えるし、敵が自分の目的を誤魔化すためにそうしているのではないか、とも取れた。

 「うぅー!疲れたなぁ」

そんな私の疑心を知ってか知らずか、アトウッドは大きく伸びをしながら、そんなことを言っている。

拳銃を突きつけても、検問に遭遇しても、ほとんど動揺を見せない彼女の真意は、こんなときでも、計り知れない。

 アトウッドはルームサービスに頼んでおいたらしいウィスキーのボトルを開け、氷の入ったグラスに注いでクッとあおった。

「むぅ、これ、あんまりおいしくないなぁ」

不満なのかどうか、彼女はにこやかに笑いながらそう言い、それから、気が付いたように、私の分のグラスも準備して、こっちに突きつけてきた。

「飲むでしょ?」

飲まない、というわけには行かないだろうな。こちらが警戒しているっていうのを、あまり悟られたくはない。

 私は、グラスを受け取って口に運ぼうとする。しかし、アトウッドは、自分のグラスを私に向けて掲げてきた。

「おつかれ」

彼女はそう言ってほほ笑む。

「あぁ、うん…」

そうとしか言葉を返せず、私は彼女のグラスに自分のグラスをぶつけて、ウィスキーを口にした。確かに、すこしすえた味がする。

毒や、薬品の類の味ではなさそうだけど…この地方の麦のせいだろうか、それとも、醸造のレベルの問題だろうか。

「やっぱり、銘柄指定するんだったなぁ」

彼女はやはり、笑顔で不満を言いながら、スナック菓子を肴に飲み進める。彼女には、警戒心というものがないのだろうか?

もし、彼女がとてつもなく酒が強いのだとしても、敵かも知れない相手の目の前で、これほど豪快に酒を進めるなんて…

48: 2013/10/19(土) 11:44:47.57 ID:ztX3FJeL0

 戸惑いの目で見つめていた私の視線に気が付いたのか、アトウッドは私を見つめ返してきた。

彼女は、一瞬、首をかしげて私を見たかと思ったら、ゆっくりと立ち上がって、私のそばまでやってきた。瞬間的に、体を緊張させる。

 でも、彼女は、そんな私の背中に静かに手を置いて来た。

「安心して、何もしないから」

彼女はそう言うと、両手を私の肩に置いて、ゆっくりとマッサージを始めた。

「大尉から聞いてるよ。グリプス戦役以降、地球に降りて、すっと姫様を守ってたんだってね」

私は、彼女の手のひらの感覚に警戒しながら

「あぁ、うん」

とだけ返事を返す。それでもアトウッドは穏やかな口調で

「あたしでも、誰かを連れて逃げ回るのは、一か月が限界かな。それを、5年も続けているなんて、素直に、すごいって思っちゃったよ」

と続ける。彼女のやわらかで力強い手の平が、私の肩をほぐし、まるで全身の緊張を解いて行くようにそれが広がっていく。

彼女の温もりが、心地良いとさえ感じ始めてしまっている。

 瞬間的に頭に浮かんだのは、ハニートラップの一種ではないか、という疑念だったが、それも違っているように感じた。

彼女は、ただ単純に私の緊張をほぐそうとしているの…?

「なぜ、あなたは総帥からの依頼を引き受けたの?」

私は彼女に聞いた。彼女は、クスっと笑って言った。

「大尉ね。まぁ、古い仲だっていうのもあったけど…救助対象が、ミネバ様だって、聞いたから、かな」

依頼の段階で、すでにミネバ様だということ総帥が明かした、というの?総帥は万に一つも、彼女がその情報を連邦に売るとは考えなかったのだろうか?

あまりにも、うかつすぎる。どうしてそんなに、総帥は彼女を信用したのだろう?

それに、彼女はなぜ、ミネバ様だと分かって、依頼を受けようと思ったのだろう?

49: 2013/10/19(土) 11:45:30.54 ID:ztX3FJeL0

「どうして…ミネバ様と分かってまで、協力を?危険な仕事だという風に思わなかったの?」

私は聞いた。

「まぁ、細かい理由はいろいろあるんだけどね…まぁ、単純に言えば、氏なせたくない、って思ったから、かな。

 連邦に見つかれば、少なくとも護衛のあなたは遅かれ早かれ始末されていた。ミネバ様はどうかわからなかったけど、

 でも新生ネオジオンに対する交渉のカードにされていた可能性もあるし、まぁ、少なくとも人としての扱いは受けられなかっただろうね。

 最悪、利用し倒されてから、殺されていたかもしれない。そんなのって、さ、ひどいじゃん」

アトウッドの言葉に嘘はない。私は、なぜか無意識にそう感じ取っていた。

それが、この肩をもみほぐそうとしてくれている手から伝わる安心感のせいなのか、それとも本当に、彼女は、ミネバ様をそんなふうに思っているのか…

いや、ミネバ様だけじゃない…私のことも、同じだ。

「なぜ、あなたはそんなに…」

そう言いかけて、私は口をつぐんだ。私が口から出そうとしていたのは、なんとも腑抜けた、情けない質問だったからだ。

なぜそんなに、優しいのか、なんて…。

アトウッドは、私の肩をもみながら、

「ん?」

とだけ聞き返してきたけど、私は

「ううん、なんでも、ない」

と答えて会話を切った。そんな私を追及するでもなく、彼女は

「ん、そっか」

と言って、まだ私の肩を揉み続ける。悔しいけれど、私は、彼女に身も心も預けたくなる感覚を覚えていた。

全身から力が抜け、心もまるで緊張が溶けて行くように緩んでくる。

「大丈夫だよ」

不意に、アトウッドは言った。

「大丈夫。心配はいらないからね。私が全部、うまくやるから。だから、あなたはミネバ様のことを考えてあげていて。

 私は、映画を見せてバカ話をして、彼女を楽しませることはできるけど、彼女の心の支えには、きっとなってあげられない。

 それに一番近いのは、きっと、地球に降りてから、警護としてずっと一緒にいたあなたくらいだと思うから…。

 状況を背負いこむのは、あたしが引き受ける。だから、あなたは、その分で出来た心の余裕を、ミネバ様のためにつかってあげて…ね」

アトウッドは、ひときわ優しく、穏やかに私の肩を手で撫でながら、そう言ってきた。

 心の、余裕、か。確かに、あなたの言う通りかもしれない…私は、追われ続ける中で、それを失っていたんだと思う。

私達の身は、アトウッドが守ってくれるだろう。だとするなら、ミネバ様のお心をお守りするのが、私の役目、か。

「ありがとう、アトウッド」

「マライア、で良いよ、ミリアム」

「あぁ、うん…この先のことは、任せるわ」

私がイスに座ったまま見え下るように彼女を見てそう言うと、アトウッドは、ニンマリと笑って

「任せて!手の届くところにいるあなた達は、絶対に氏なせたりしないからね!」

と言い切った。

 アトウッドの言葉は力強く、それだけで私に安心感をくれた。だけど、同時に、その言葉はかすかに何かが引っ掛かった。

手の届くところにいる、私達…。手の届かないところにいる、誰かがいたの…?

 私はそれを聞けぬまま、心地良くなってしまっていた自分の気持ちに身を任せるままに、アトウッドのマッサージを従順に受け入れていた。

50: 2013/10/19(土) 11:46:06.15 ID:ztX3FJeL0



 翌朝、私が目を覚ました。アトウッドもミネバさまも、まだ眠っている。外はまだうっすら白んでいる程度。

早朝というには早すぎるほどの時間だけど、もう数年、私にとってはこれが普通だった。

 ミネバさまの警護をおおせつかったのは、4年前のこと。

グリプス戦役直後のどさくさにまぎれてアクシズからミネバさまを連れ出したシャア総帥と部下数人はその後、しばらく地球に潜伏した。

グリプス戦役時には私もアクシズに所属しており、シャア総帥のミネバさま奪取作戦に巻き込まれ、半ば人質に近い形で同じく地球へと連行されていた。

 殺されなかったのは、私のことをかばってくれたミネバさまのおかげだった。

シャア総帥がその手のやり方を好まなかったのも、ひとつの幸運だったんだと思う。

やがて私はミネバさまの身辺係を任され、第一次ネオジオン紛争後に総帥達がスイートウォーター奪取のために活動を開始した際には、

私は戦闘から距離があるだろうこの地球にミネバさまと残った。

それから数年、任務のために、ミネバさまのそばを片時も離れず、毎晩の眠りも浅かった。

肉体的な疲労感はないといえば嘘になるが、それでも、自分に負かされた要人警護の任務が私の気力を支えていた。

1ヶ月前、総帥からの連絡で、ミネバさまをスイートウォーターへ移送せよとの指示が来た。

命令の真意は汲み取れなかったが、マハが組織されたこともその一端だろうし、

それ以外にも総帥の言葉では、この地球が安全でなくなるようなニュアンスを含んでいた。

 彼の意思は、私の図れるところではない。私は、私のすべきことをするだけ。いつもどおり、私は拳銃を取り出して、機関部のメンテナンスをする。

埃を取り除き、油を差し、動作不良を起こさないよう、念入りにチェックをしていく。いざというとにこそ、不都合なことは起こるものだ。

それを避けるためには、こうした警戒や準備が欠かせない。この十数年間に学んだことだ。

 「んっ…んんっ…」

うめき声がした。目を向けると、アトウッドがベッドの上で起き上がり、大きく伸びをしていた。

「あ、おはよう、ミリアム」

「おはよう、アトウッド大尉。ずいぶんと早く起きるのね」

「先に起きてるあなたに言われると、皮肉に聞こえるよ?」

「あぁ、ごめんなさい。それは本意じゃないわ。こんな時間に目が覚めてしまう私の方が、普通じゃないのよ」

私は思わずそう言っていた。アトウッドには世話になっている。もう少し寝ていてもらっても良かったのだけど、と素直に、そう思っていたから。

「そっか、変なこと言ってごめん」

私のことばにアトウッドはそう言って笑顔を見せてきた。なぜだろう、昨晩、彼女と言葉を交わしてから、彼女への信頼感が増したように感じられていた。

 スパイらしい懐柔術なのではないか、と思う部分も確かにあるのだけど、どうしてか、彼女の笑顔にはそういう、回りくどいものは含まれていないような気がした。

彼女がその気になれば、おそらく私なんてすぐに出し抜いて、ミネバさまだけを連れ去ることも簡単だろう。

でも、彼女はそれをしないばかりか、私にまで気を使うような言動を見せてくる。

信用しているわけではないけど、そんな彼女を疑わなければならない要素もないようにも感じられていた。

51: 2013/10/19(土) 11:47:08.11 ID:ztX3FJeL0

 アトウッドは大きなあくびをしながら起き上がると、備え付けの冷蔵庫に入れておいたミネラルウォーターのボトルを取り出して勢い良くあおった。

プハっと声を上げてから、口元を袖口でぬぐう。こういうところは、本当に大雑把で、スパイになんて見えないんだけどな。

「それで、早起きのワケは?」

私が聞くと、アトウッドは思い出したように私を見て

「うん、今日も、昨日ほどじゃないけど少し距離を走る予定なんだ。目的地はハノイ。

 ハノイからはインドシナ半島を横断する高速列車が出てて、昼間の内にはハノイに入って、明日の朝一番の列車に乗れるようにしておきたいんだ」

と説明してくれる。ここからハノイまではおよそ300キロくらいだろうか。昨日までの速度で走るのなら、ノンストップで3、4時間。

それほど遠い距離でもないけど、想定外の事態が起こることも考えられる。なるべく早くに出発するに越したことはない、か。

「了解。なにか準備しておくことはありそう?」

私が聞いてみると、アトウッドはニコッと笑って、

「じゃぁ、良かったら朝ごはんを調達できるところを探しておいて貰えると助かる。レストランでのんびりお食事会ってワケにもいかないだろうしね」

と言ってきた。なんでもない頼み事ではあったけど、私はそれにかすかなうれしさを感じていた。

認められていると感じたわけではなく、単純に、頼んだり頼まれたり、という関係があまりにも久しぶりだったからなのだと思う。

私の気持ちを察してくれたのか、アトウッドも満足そうな笑顔を見せてくれた。

 それから、ミネバさまを起こさないように気をつけながら、二人で荷物を整えた。

私は、緊急時用の無線機に、携行できる小火器とあれこれ荷物があったので少し時間がかかってしまったけど、

アトウッドはといえば、拳銃一丁に、小型の携帯コンピュータと着替え一式だけ。

拳銃以外はまるで旅行にでも行くような手軽さで驚いてしまったけど、アトウッドはそんな私に

「コンピュータと衣装さえあれば、割となんでも出来ちゃうんだよ」

なんて言って笑った。

52: 2013/10/19(土) 11:47:35.00 ID:ztX3FJeL0

 それから、ミネバさまを揺すって起こす。身支度を促しながら、私は部屋を出る準備をしていた。

 準備をしながら、私は考えていた。アトウッドについて。彼女は、おそらく敵ではないのだろう。

へらへらとしていて考えが読みにくいが、少なくとも私たちを守ろうとしていることも本当のことだ。どうして、こんな危険なことに首を突っ込むのか…

そう思ったときに思い出したのは、昨日のアトウッドの言葉だった。

―――手の届くところにいるあなた達は、絶対に氏なせたりしないからね!

その言葉は、彼女の本心だったのだろう。でも、やはり引っ掛かる。

もしかしたら、彼女は、手の届かない遠いどこかにあった大切なものを、守れなかったんじゃないのか。

そして、同じ思いを二度としないために、こうして危険に足を踏み入れているんじゃないだろうか。

 それは、愚かなことであるとは思う。そんなことをしたって、過去が変わるわけじゃない。氏なせてしまった罪が許されるわけじゃない。

それに、また何も守れずに、近くに居れば居ただけ、より深く傷付く可能性だってある。だけど、彼女には迷いはない。怖気づいてもいない。

彼女は、まっすぐに、私達を生かして宇宙に上げることだけを考えている。

 そうだ…。もしかしたら、彼女は、あの暗い絶望を知っているのかもしれない。

まるで自分の手足が生きたままそぎ落とされていくようなあの感覚を知っているのかもしれない。だから、彼女は、笑うのだろうか?

 絶望には屈さない、と。たとえ手足をもがれても、どんなに傷ついても、それでも、彼女は、絶望のその淵にたたずみながら、片脚を踏み入れながら、

それに黒く塗りつぶされないように、飲み込まれないように笑っているんじゃないか?もし、そうだとしたら、それは…

私が探し求めていた、強さ、なのかもしれない…。

 「マライアさん、ミリアム、準備出来ました」

ミネバさまが、アトウッドが変装用の衣装ばかりを詰めていたバッグから取り出したブルネットのウィッグを付けて満面の笑顔を浮かべながらそう言ってきた。

そう言えば、ミネバさまの笑顔なんて、ずいぶんとしばらくぶりに見るような気がする。確か、最後に見たのは…総帥と一緒にいるころだっただろうか…

アトウッドももしかすると、総帥のように人を惹きつける力があるのかもしれない。いや、その部分だけに限れば、総帥以上なのかもしれなとも思う。

私も、昨日さんざん体験したから、なんとなくわかる。彼女の笑顔は心を吹き抜けて行くようにして軽くしてくれる。緊張を解きほぐしてくれる。

どうしようもなく、心地良く…

 気が付けば、私は、もっと彼女のことが知りたいと思い始めていた。

53: 2013/10/19(土) 11:48:30.30 ID:ztX3FJeL0

 私たちはホテルをチェックアウトして、車に乗った。外には朝日が昇り始めている。

私たちはホテルからすこし車を走らせて、部屋のパンフレットで私が調べておいた近くのファーストフード店のドライブスルーで朝食を調達した。

昼食分もあったほうが良いかアトウッドに聞いたら、彼女は首を横に振って

「そのころにはハノイに入っていると思うから、たぶん大丈夫」

と言って、またあの笑顔を見せた。やはりそれは、私にはとてもまぶしく感じられた。

 アトウッドが車を走らせるなか、三人でジャンクフードを口に運んだ。

地球暮らしでこの手の食事には慣れていたけど、こうして逃げながら食べる食事をおいしいと思ったことは初めてのような気がした。

そもそも、味なんて気にする余裕がなかったのが、正直なところだから。

 朝食を摂り終えてしばらくすると、ミネバ様は後部座席で寝息を立て始めていた。朝も早かったし、当然かもしれない。

こんな状況でも眠れるのは、さすがに大物の風格、とでも言うのかな。

 「ミリアムも寝てて良いからね」

アトウッドがそう言ってきた。私は、チラリと彼女を見やる。すると、目のあった彼女は肩をすくめて

「大丈夫だよ、別に寝てる間に姫様だけ連れて逃げたりしないからさ」

と言ってきた。そう思われても当然かもしれない、と内心思った。実際に、そう思わないでもないところもある。

だけど、そんなことをするはずはない、というのも分かっていた。

私が彼女を見たのは、もっと別の理由。そう、私は、単純に彼女と少し、話がしたかった。

「そんなことは思ってない…っていうのは嘘になるけど、でも、信頼はしてる。そうじゃなくて…すこし、話をしたいな、と思って」

私がそう言うと、アトウッドは少し意外そうな表情をした。

「良いけど…どんな話?」

「どんな、って聞かれると迷うけど…なんでもいいわ。あなたのことを、知っておきたい。本当は疑心暗鬼はしたくないの。

 私は、あなたのことを知って、もっとあなたを信じたい。いざというときに、あなたに背を任せて、私が目の前の事態に集中できるように」

我ながら、回りくどい言い方だな、とは思った。だけど、アトウッドは私の想いを理解してくれたようだった。

「そっか、そう言ってもらえるのは、嬉しいな、ちょっと照れるけど…」

アトウッドはそう言って、はにかんだ。まっすぐに感情表現をするんだな、この子は。それもまた、一つの発見だった。

 「あなたは、地球出身なの?」

「うん、そうだよ。もともとは、北欧に住んでた。79年の戦争中には連邦軍に居たんだ。戦闘機隊のパイロットをしてたんだよね」

アトウッドは、嬉々として話を始めた。なんだか、その笑顔を見ているとこっちまで胸が暖まってくるようで、不思議だ。

「そうなの。私もパイロットだったわ。あの戦争のことは、もう、思い出したくないけど…」

「ジオンだったんだもんね…。あの戦争は、本当にひどかったから…仕方ない」

「…ありがとう」

アトウッドの言葉が胸の中を吹き抜けて、こみ上がりかけた悪い感情がスッと消えて行ったのを感じて、私は思わず、礼を言っていた。

でも、アトウッドはそんなことは気にせずに、話を続ける。

54: 2013/10/19(土) 11:49:05.59 ID:ztX3FJeL0

「あたしもね、当時のことは、思い出すとイライラしちゃって、ダメなんだよ。あの頃のあたし、本当にダメダメだったからね。

 あぁ、まぁ、そこを話すことになると暗くなりそうだから、置いておこう」

「うん…ねぇ、聞いても良いかな。どうして、あなたは、私達を助けようとしてくれるの?

 ミネバさまをかくまっているってことが分かったら、あなたはもしかしたら、連邦では重罪に問われるかもしれない…

 それでなくても、マハの連中には怪しまれて目を付けられている。あなたにとっては関係のないことなのに、こんな危険なことにどうして協力してくれるの?」

私は、アトウッドにそう投げかけた。昨晩も、彼女には同じことを聞いたけど、今回はもっと深いことを知りたかった。

彼女が、何を思って、こんなことをしてくれているのか…ミネバさまの警護として知っておく必要があったし、私個人も、そのことについては知りたかった。

 アトウッドは、見るからに難しい表情をした。うーん、と唸ってから彼女は、チラっと私を見てきた。それから確認するように

「ちょっと、長いけど…いいかな?」

と聞いてくる。私が黙ってうなずくと、彼女はポツリポツリと口を開き始めた。

「まずは…何を話すべきなのかな…うん、やっぱり、戦争のときの話は避けて通れないかな…あんまり楽しい話じゃないけど、ね。

 あたしは、あの戦争のときに出会った捕虜を助け出したんだ。

 ううん、正直、助けたってほどのことじゃなかったけど、でも、とにかく、捕まっているところをみんなで救出して、

 当時地球からの撤退を始めていたジオンの拠点のキャリフォルニアへ届けるつもりだった。でも、彼女は、地球に残って、氏ぬ気だったんだ。

 味方の脱出を命を懸けて援護するつもりだった。あたしは、そんなあの子を、助けたかった。でもね、結局、ダメだったんだ。

 命は助けられたけど、彼女は爆発に巻き込まれて、腕と脚を失った。それがね、たぶん、きっかけ。

  あれがあったから、あたしは、自分はこのままじゃ、ダメだって思った。泣いてばかりで、怖がってばかりじゃ、なにも救えない。

 何も守れないって思って、宇宙に出たんだ。それが、81年くらいだった。でもね、そこでもあたし、たいして変わらなかった。

 ジオン軍の残党との戦闘で、仲間が何人も氏んでいった。最初に入った隊は、あたしを残して撃墜された。

 転属して入って、頼ってた隊の先輩も、氏んじゃった。後釜に入ってきた、ルーカスって後輩が出来てね。

 彼だけは守らなきゃって、ずっと思ってた。だから、ずっと彼のそばにいて、彼を見てた。

 だけど、そうしたら、83年のデラーズ・フリートのテロ事件で、隊長が重傷を負っちゃって、

 あたしは、ライラっていう子とルーカスと三人で小隊を組むことになったの。初めて、戦友が出来たんだ。

  短い間しか一緒にいられなかったけど、あたしはあの子が好きだった。頼れたし、信じられた。

 テロ事件の事後処理が済んでから、あたし達の小隊は、ティターンズへの編入の打診を受けたんだ。

 あたしは、別に特権とか、そう言うことじゃなくて、なんとなく、危険なニオイのする集団だってのが感じられてたから、

 誰に頼まれたわけでもないけど、内偵をしてみようって思って、入隊をした。

  そのときに、ライラも誘ったんだけど、結局彼女は、もともと異動希望を出してた地球のテスト部隊へ行っちゃったんだ。

 でも、前線に行くわけじゃないし、そこはちょっと安心してた。

  でもね、グリプス戦役が始まってすぐにテスト部隊からティターンズに出向したライラは、そこでエゥーゴ機に撃墜されて、氏んだ。

 そのときあたしは地球に派遣されてて、宇宙からは遠く離れてたから、どうしようもなかったんだけど、ね…」

「それが、つまり、手の届くところ、届かないところ、っていうことね」

私が確認すると、アトウッドは黙ってうなずいた。

「まぁ、そう言うことがあったんだけどね。とにかく、あたしは、昔の、泣くことしかできなかった自分を変えたかった。

 怖がっていたら、大事なものなんて守れない。だから、出来ることをできるだけやろうって、そう思った。

 あのとき、助け出したジオンの、ソフィアって子だったんだけど、彼女を守れなかったときみたいなことには、二度としないんだって、

 そう思ってずっとやってきたんだ」

55: 2013/10/19(土) 11:49:39.44 ID:ztX3FJeL0

やはり、そうだったんだ。私は、アトウッドの話を聞いて、そう思っていた。彼女は、戦闘の最前線にいて、そしてずっと、仲間の氏を見てきたんだ。

大切にしていた人たちを亡くし、絶望の淵に立たされても彼女がそこに足を取られなかった理由は、自分を呪ったからなんだ。

力のない自分を呪い、恨み、変わりたいと願った。

それが、彼女の強さ、なんだ。この戦争と氏の連鎖する世界に絶望して、心を閉ざすことしかできなかった私には手にできなかったもの。

彼女の笑顔をまぶしいと感じるのは、力のなかった自分との決別を果たした、絶望と闘っている笑顔だからなのかもしれない。

 「あなたは、私と似ているのかもしれない」

私はそんなことを口にしていた。それを聞いたアトウッドは、少し悲しげな表情をみせる。

「うん…あなたからも、感じる。これまで、心がバラバラになっちゃうくらいの、悲しい経験をしてきたんだね…」

感じる、か。この感触を私は知っていた。

スペースノイドの私には、その素質がかすかにはある、と誰かが言っていたけど、彼女はそんなかすかな素質の私とはおそらく次元が違うんだろう。

ニュータイプ。きっと、彼女はそう呼ばれる存在の一人なんだ。

「ニュータイプ、なのね?」

「あぁ、うん、そうなんだ。まぁ、総帥達みたいに、ビンビンに能力が強いわけじゃないんだけどさ。まぁ、それなりには扱えてるつもり。

 だから、ミリアムが私のことを好きじゃないってのも、正直、分かるよ」

そうか、だから彼女は、あえてあんな感じだったんだ。私を気遣うような仕草で、自分は敵ではないってことを、私に知らせてくれようとしていたんだ。

「それは、ごめん。いろいろあってね…あんまり、他人と馴れ合いたくはないんだ。あなたのことも、頭では味方だとは分かっているつもり。

 でも、気持ちがまだ警戒しているの。敵かもしれない、って思う部分もあるんだと思うし、なにより、

 あまりに距離を詰めすぎちゃえば、もしものとき、動けなくなりそうで…」

嘲われるだろうか、と心配になった。大切な人を失って、それでも戦いつづける彼女にとって、私はひどく情けない存在に違いないはずだ。

そう、思っていたのに、アトウッドは優しい笑顔を、私に見せてくれた。

「ミリアムは、優しいんだね」

優しい?私が?そんなこと、考えたこともなかった。私は必氏に、ただ必氏に、辛い現実から心を閉ざしていただけ。ただそれだけなのに?

 私の戸惑った顔を見たアトウッドはまた優しい笑顔で

「ん、だって、さ。本当に、近しい誰かが氏んじゃっても、気にもとめない連中はたくさんいる。

 一晩寝れば忘れちゃうやつなんか、もっといっぱいいるよ。

 あなたは確かに、失うことで自分が傷つくのを恐がっているんだと思うけど、それと同じくらい、誰かに氏んで欲しくないって思ってる。

 その思いは、あたしも同じ。あたしらみたいなのはさ、本当は戦争なんかに片脚突っ込んじゃいけなかったんだよ。

 だから、今はこうして人助けをすることにしてるんだ。

 誰かを頃すより、誰かを助けることに命を掛けたい、って、まぁ、この言葉は、無断借用なんだけど…とにかくさ。

 どんな形であっても、繋がってるのが切れてしまうのを辛いと思うのは優しい人の証拠なんだよ」

と言って来た。

 ハラリ、と頬を何かが伝った。驚いて顔に当てた手に触れたのは、水滴だった。これは、涙…?私、泣いているの…?

 アトウッドの言葉が、胸に響いた、という感触はなかった。だけど、涙はまるで堰を切ったようにとめどなく流れてくる。

感情が高ぶっているわけでもない。ただ、ただ、穏やかなのに、涙が止まらない。

「大丈夫だよ。あたしは氏なない。そう言うのと、ずっと戦ってきたんだ。平穏を探して、誰かにそれを分けてあげたいって、ずっと思ってきた。

 だから、そんなに恐がらなくたっていい。別に、信じて、っていうんじゃないけど、あたしは、あなた達の味方でいる。

 それに、氏ぬような無茶をするつもりもない。あたしにも帰るところがあって、そこであたしを待ってくれている人たちがいるんだ。

 そこへ帰らなきゃいけないし、ね。あなたにも約束するよ、ミリアム。必ず生きて、あなた達を無事にクワトロ大尉のところに届けるから。

 だから、安心して良いんだよ」

アトウッドの言葉は、やっぱり私の心を吹き抜けて行って、私の中の、カチコチに凍った心を、優しく溶かしてくれるような、そんな感じがした。

62: 2013/10/20(日) 20:17:56.06 ID:nNSKMLiko

 しばらくして、車は大きな街へと入った。ごみごみとしている、雑多な感じのする街だ。

アトウッドは、この街がハノイなのだと言った。時間はまだ昼前。順調すぎる行程だ。

ここまで、追跡されている気配はないし、加えて、こういう場所なら、身も隠しやすい。

アトウッドの計画は、進路に至るまで、考えられているんだな、と感心してしまった。

「ホテルは、あてがあるの?」

私が聞くと、アトウッドは笑って

「うん、ほら、あそこの大きいやつ」

とフロントガラスの外を指差した。そこには、ひときわ高く、綺麗な建物がそびえているのが見えた。

ずいぶんと立派なホテルだが…大丈夫なのだろうか?

「警備とか、厳しそうに見えるんだけど…」

「ああ、まぁ、そうかも。でも、あれはビスト財団資本の入った会社のホテルなんだ。

 だから、下手にそこらへんの安宿に泊まるより、よっぽど安心なんだよ」

ビスト財団は、地球圏全域に幅を利かせている超巨大な財団組織。

慈善活動からビジネスまで、ありとあらゆるところに触手を伸ばし、現在でもその規模を拡大させている。

それは地球連邦政府や軍部も例外ではなくて、連邦政府に至っては、

毎年莫大な額の助成金を財団に支給しているという噂もある。

ホンコンシティのルオ商会も大きな組織だけど、ビスト財団に比べたらまるで大人と子どもほどの差があるだろう。

その財団の資本が入っている、というのなら、連邦政府も軍も無茶は出来ないはず。

なるほど、そう考えると、格好の隠れ場所、か。

「にぎやかな街ですね」

後部座席のミネバさまが、誰となしにそう言う。

「うん、ここは東南アジアに、チャイナに、それからラサや中東方面からの主要道路の交差点にあたるからね。

 宇宙世紀に入ってからは、グングン成長して大きくなった街なんだよ」

アトウッドは、ミネバさまにそう説明している。確かに、窓の外に見える通行人は、人種もさまざま。

アジア系も多いけど、中東系や、アングロサクソン系も少なくはない。人種のるつぼ、と言ったところかな。
 

63: 2013/10/20(日) 20:18:24.59 ID:nNSKMLiko

 アトウッドの運転で、車はホテルへと入った。駐車場に車をとめ、荷物を持って、ロビーへと入る。

アトウッドの用意したIDを見せてチェックインを済ませ、エレベータで部屋のある階へと上がる。

部屋についてみて、驚いた。そこは、これまで泊まったどんなホテルや宿よりも、立派で、綺麗な部屋だった。

「うわー、噂には聞いていたけど、やっぱりすごいなぁ」

アトウッドも、思いがけなかったようで感嘆している。部屋に入って、鍵を閉め、チェーンロックを掛けてから、

部屋の中を見て回る。

 ミネバさまもらしくなく興奮した様子で

「ミ、ミリアム!バスタブが、すごい大きいです!」

なんてまるで大発見をしたみたいに言う物だから、失礼だな、と思いながらも笑いをこらえきれなかった。

こんな、子どもらしいミネバさまを見たのは、いつ振りだろう。

それもこれも、アトウッドのお陰なのかもしれない。と、そう思ってから、私は思い出した。

昨日、アトウッドは私に言った。私たちの身は、彼女が守ってくれる。

だから、私には、ミネバさまの心を守ってあげてほしい、って。

「ミネバさま、たまにはお背中をお流ししましょうか?」

「ミリアムと一緒にお風呂ですか…そう言えば、一緒したことはありませんでしたね!お願いします!」

ミネバさまは、そんな言葉づかいとは裏腹に、小さく飛び跳ねてそう答えた。

総帥が宇宙へ上がってしまってからというもの、ミネバさまはずっと気を張っておられた。

総帥の前では、年相応の子どもなのに、私と二人になってからは、まるでいろんなことを我慢しているように、

固い口調と、態度を崩さなかった。

子どもながら立派なものだ、と思ったこともあったが、こうして子どもらしいミネバさまの姿を見ると、

やっぱり、子どもは子どもらしいのが一番だ、とも思ってしまう。

少なくとも、私達大人が、まだ13歳になろうかと言うミネバさまに勝手に大人像を押し付けるのは、

あまり好ましいことではないかもしれない。

ミネバさまの心を守る、というのは、もしかしたらこういうことなのかな…。

 そう思って、チラっと見やったアトウッドと目が合った。

彼女は私たちの会話を聞いていたのか、私にニコっと笑いかけてくれた。

思わず、私も彼女に笑顔を返してから、私はミネバさまと一緒に、部屋中を探索しては嬌声を上げていた。

 そんなとき、アトウッドの雰囲気が急に変化した。昨日と今日、私たちに見せていたあの軽い感じの彼女ではない。

彼女は、なにかに感づいて、全神経を鋭く尖らせ。部屋の周囲のその“何か”、に集中を始めた。
 

64: 2013/10/20(日) 20:19:15.16 ID:nNSKMLiko

「アトウッド、どうしたの?」

「しっ!…たぶん、囲まてれる…マハの感じじゃないみたい…地元警察かなにかかな…?どうしてバレたんだろう…」

「敵なの!?」

私は思わぬ事態にハッとした。ここまでの道のりで追跡されている感じはしていなかった。

それに、ここはビスト財団所有のホテル…

ここでの騒ぎは、避けたいと思うのが普通だが、まさか、ここに手を伸ばしてくるなんて…

「…すぐにどうこうしようって感じではない、かも。監視しているような感じかな…この感触は…」

アトウッドは、声を低くしてそうつぶやいている。私は、拳銃を抜いてアトウッドの様子を見守る。

ニュータイプの能力は、こんな時には一番頼れる。今は、彼女の感覚を信じるしかない。

 やがて、アトウッドは何かを決心した様子で、私達を見た。

「ごめん、これ、ヤバイかもしれない。警察なんかじゃない、もっと危険な連中かも」

「危険な?」

「うん、この感じ、たぶん、あたしと同じエージェントの雰囲気がする。

 数は、4、5人だと思うんだけど…二人を守りながら戦うには、ちょっと分が悪そう」

アトウッドはそう言いながら拳銃を抜いて、銃口にサプレッサーを取り付けた。

それから衣装の入ったカバンを開けて、中から戦闘用のベストを取り出してランニングの上に着込み、

ポケットにマガジンや良くわからない機材を詰め込み始める。

「ちぇっ!せっかくクワトロ大尉のお金でリッチなホテルで一泊できると思ったのに!」

冗談か本気か、アトウッドはそんなことを口走った。

 エージェント…要するに、諜報員、ってことよね?言いかえれば、暗殺者も同じ…

数は多くないようだけど、少なくともマハの連中のように権力を傘にして数と暴力で押し込んでくるのとは違う。

鋭利なナイフと同じで、音もなく忍び寄って仕事を済ませるような手練れの可能性が高い…!

「こういう時は、逃げの一手あるのみだよ。服の類は置いて行こう。

 大荷物じゃ、走らなきゃいけないときには足枷になっちゃう。ミリアムの銃器のケースは携行してきて。

 “ジュリア”は、身軽にしておいて。万が一のときに全力で走って逃げられるように」

アトウッドは自分の装備を整えると、その上から厚手のパーカーを着こんだ。

「買い物に行くふりをして、この街から逃げよう。追手が来るようなら、そこで対応する方が良い。

 ここでやるとなると、包囲がさらに厚くされるかもしれないからね!」
 

65: 2013/10/20(日) 20:20:13.18 ID:nNSKMLiko

アトウッドの言葉に、胸が詰まるような感覚になってきた。

私は、それを拭い去るようにして頭を振り、顔を両手ではたいて気合を入れ直す。

怖気づくな!私は、とにかくミネバさまをお守りすればいい…一人でミネバさまを連れて逃げていたときとは、違う。

今は、アトウッドが居る…彼女を、頼ればいい…

 そう思った瞬間、また、胸の内に疑念が湧いて来た。本当に、信用していいのだろうか、彼女を…?

「アトウッド」

私は、彼女の名を呼んだ。こんなことを、本人に聞くなんて、ばかげているし、情けない。だけど、彼女ならきっと笑って答えてくれる。そんな確信だけは、確かにあった。

「なに、ミリアム?」

「あなたを信じて、頼っても大丈夫よね?」

アトウッドは、思った通り、いや、思っていた以上の優しい表情で、ニコッと笑顔を見せてくれた。

「大丈夫、任せて。逃げるのは戦うよりも得意なんだ!」

 私達は準備を済ませて、部屋を出た。廊下に人の気配はない。

しかし、その静けさがかえって私の緊張を煽るような感じがしていた。不意に、服の裾を何かに引っ張られる。

見ると、ミネバさまが私の服をぎゅっと握っていた。

私は、握りしめていた自分の手を開いて、ミネバさまに差し出す。彼女は私の手を掴まえて握り返してくる。

「大丈夫」

私は小声で、彼女にそう伝えた。ミネバさまは、そんな私に小さくうなずきを返してくれる。

 エレベーターホールに辿り着いて、アトウッドが下へ降りるボタンを押し、辺りの警戒をし始める。

チン、という音が鳴ってエレベータがすぐに到着した。中には誰も乗っていない。

アトウッドは私たちを先に乗せ、自分の警戒をしながら、乗り込んでくる。

 私が“閉じる”のボタンを押した瞬間、

「あー!待って!乗ります!」

と声が聞こえてきた。アトウッドが反射的に、背中に差してある拳銃に手を掛けた。

彼女の緊張感が伝わって来るまでもなく、私達も身がこわばるほどの緊張に襲われる。

 エレベータのドアに手を掛けて、乗り込んできたのは髪の長い女だった。

タンクトップに膝丈までのスポーツウェアにランニングシューズを履いている。

「ごめんなさい。ありがとう」

女は、先頭に居たアトウッドにそう笑いかけてアトウッドに背を向けると自ら“閉じる”ボタンを押してドアを閉じた。

アトウッドの手が、拳銃からゆっくりと離れて行く。それを背後から確認していた私達も、ふぅ、と息を吐く思いだった。

どうやら、この女はさっき言っていたエージェント、とは違うらしい。

確かに、どこかにナイフや拳銃をかくしておける出で立ちではない。

あって盗聴器や発信機程度だろうが、この狭い空間の中で、それを仕掛けるようなしぐさを見せればたちどころにわかる。

それをしようとしないところから見ても、ただの観光客かなにかだろう。

 1階へ降りて行くエレベータの中で、女は私たちに背を向けたまま、

鼻歌交じりに長い髪をゴムで留め、ポニーテールにしている。身なりから見て、このままランニングにでも行くような雰囲気だ。

アトウッドも、警戒はしているものの、先ほどまでの緊張感はない。

 チン、と音がして、エレベータが1階に着いた。ドアが開くと女は改めてこちらを振り返り、

「すみませんでした」

と笑顔を見せて、足早にロビーの方へと出て行った。
 

66: 2013/10/20(日) 20:20:39.79 ID:nNSKMLiko

 それでも、ロビーにはたくさんの人間が居て、それぞれ思い思いに過ごしている。

この中に私達を追っている人間がいるのかと思うと、気を休めている暇はない。

ロビーをまっすぐに抜けて、狭い通路に差し掛かった。アトウッドが先頭で素早く拳銃を引き抜く。

襲撃があるとしたら、この先だ。私は、拳銃を手にする代わりに、ミネバさまの手を握りなおす。

戦闘はアトウッドに任せる方がいい。私は、とにかく盾になってでもミネバさまをお守りしないと…!

 短い通路を抜けて、駐車場に出た。地下の広い空間に、ドアを開いた音が響く。アトウッドは拳銃を構えた。

私は、そんな彼女の脇を、ミネバさまの手を引いて車に向かって走る。

 次の瞬間、バン、と言う乾いた音がした。銃声!私はとっさにミネバさまを庇って地面に倒れ込む。

傍らにいたアトウッドがサプレッサーのついた拳銃を発射した。

バスバスっと言う破裂音とともに、キン、キンと薬きょうが床に弾ける。

「車に急いで!」

アトウッドが怒鳴った。私は、必氏になって起き上がると、ミネバさまの手を引いて車へと走る。

出口からすぐのところにとめてアトウッドの車に乗り込んだ。

 アトウッドは拳銃を撃ちながらこちらへ走ってくる。

車のドアを開け、いったん荷物を投げ込んでから、何かの機械を胸もとから取り出して車の陰にしゃがみこんだ。

「なにしてるの!?」

「爆発物と、発信機がないか調べないと、車を動かせないでしょ!」

確かに、そうだ。車を始動させた瞬間に、ドカン、なんてこともあり得る。

こんな中でも、アトウッドは冷静だった。

 私は、拳銃を片手に車から飛び出た。今のアトウッドは、無防備だ。援護しないと…!

私は、必氏の思いで、銃声が聞こえてくる方へ向かって引き金を引いた。

手首に、激しい銃声とともに、拳銃の強烈な反動が伝わってくる。

「ミリアム!気を付けて!牽制してくれるだけでいい!もうちょっとだけ、時間稼いで!」

「分かってるわ!」

アトウッドへそう返事をして、私は拳銃を撃ち続ける。当てなくていいのなら、特に危険はない。

身を晒さずに物陰から撃ちこめば良いだけだ。

 「よし…!大丈夫、爆発物の類はないみたい!乗って!すぐに逃げなきゃ!」

アトウッドが機械を仕舞いながら私の肩を叩いて言ってくれた。

私はうなずいて、アトウッドとともに後部座席から車の中に乗り込む。

運転席に転がり込んだアトウッドは、すぐさま車を起動させた。
 

67: 2013/10/20(日) 20:21:07.23 ID:nNSKMLiko

 エレカ特有のモーター音が聞こえ始める。グンっと勢いよく車が駐車スペースを飛び出した。

そのとたん、ガンガンと鈍い金属音が響き渡る。これは…撃たれてるの!?

 私はとっさにミネバさまの体を庇う。

「ミリアム、大丈夫!この車、完全防弾使用だから!対物ライフルでもない限りは撃ち抜かれない!」

アトウッドの言葉に、私は顔を上げた。サイドの窓ガラスには、銃弾がめり込むどころか、弾け飛んでいるようにも見える。

これは…相当な性能の防弾ガラスだ…!

「アトウッド!応射は出来ないの?!」

私は運転席に居る彼女にそう怒鳴って聞く。

「そこまでの装備は積んでないよ!スパイ映画じゃないんだから!

 ルナチタニウムの装甲だけで、クラトロ大尉からもらったお金半分以上飛んじゃってるんだからね!

 とにかく、飛ばすから掴まっててよ!」

アトウッドはそう怒鳴り返してきて、さらにアクセルを踏み込んだ。

その動きで、私は後部座席に転がってしまう。

内壁にしたたかに叩きつけられて、私は何とか自分の体をとめることが出来た。

すぐに、逆方向へ体が振り回される。私は、シートにしがみついて自分の体を支えた。

と、窓から眩い光が入り込んでくる。地下駐車場を出たんだ…!
  

68: 2013/10/20(日) 20:22:08.09 ID:nNSKMLiko

 今度は、ビービーと言う激しいクラクションの音。

「もー邪魔!邪魔だってば!!急いでるんだから!!!」

アトウッドが鳴らしているらしい。彼女は、クラクションに負けないくらいの大声で怒鳴っている。

私はリアガラスの方を見やった。追手らしい車は来ていない。このまま走れば、逃げ切れる…!

だけど、どこへ?!予定ではここから列車に乗る計画だったはず。

このまま車で、どこに向かうつもりなの?!

「アトウッド!このままどこへ!?」

「プランBに変更する!とにかく、今はこの街を出ないとヤバいんだ!」

ハンドルを握りながらアトウッドは私に言ってきた。

プランB…昨日はそんな話はしていなかったけど…でも、さすがに予備の計画の一つや二つは用意しているんだろう。

アトウッド、顔は必氏になっているけど、

彼女の判断は、脱出から、車の安全確認と今のプラン変更まで、ひとつも迷いなく、判断も間違ってはいない。

この子、本当にすごい!

「それで、プランBって?」

私は、後部座席から助手席に移動しつつアトウッドに尋ねる、するとアトウッドは、真剣な表情のまま、

何でもないように言いきった。

「寝ずに車で、ヤンゴンまで走る!」

少なく見積もっても、1000キロはある…ね、ねぇ、アトウッド、それって、思いつきじゃない…?

「ね、ねぇ、アトウッド?」

「なに、ミリアム?」

「それって、計画の内?それとも、お、思いつき?」

「計画の内だよ!プランBの計画は、“臨機応変に対応する”!」

「それを思いつきって言うんでしょ!?」

私は思わず、そう声を上げてしまった。でも、それを聞いたアトウッドは、ニヤっといたずらっぽい笑顔で私を見た。

あぁ、なによ、この会話も、あなたの“計画”の内…ってワケ?

「えぇぇ?!そんな言い方しなくても良くない!?」

緊張で胸がいっぱいのはずなのに、アトウッドがあんまりにおどけた調子でそう声を張る物だから、

私も、後ろに乗って隠れていたミネバさまも、吹き出すどころか、声を上げて笑わざるを得なかった。

絶望の淵に立ちながら、笑顔を忘れないアトウッドらしい。

笑顔がこんなにも、絶望から自分を一線を引いたところに置いてくれるなんて…

ずっと、長い間忘れていたような気がした。

本当に、本当に長い間…。
 

73: 2013/10/21(月) 00:48:22.48 ID:1yaBLhO6o

 車は街を抜けた。幸い、追跡されている気配はない。

私はルームミラーで何度も後ろを走る車を確認したし、アトウッドはそれに加えて、

ニュータイプ能力で何かを感じ取っていたようで、

「なんとか、逃げ切れた、かな」

と安堵した様子で言った。時間はすでに昼を回った。

 それを聞いた私もミネバさまも、ふうとため息を吐いた。

マハに目を付けられて以来、逃げ回ることには慣れていたつもりだけど、発砲されたのは初めてで、

正直、生きた心地がしていなかった。アトウッドの機転がなかったらと思うと、ぞっとしてしまう。

 不意に、後部座席からニュっと手が伸びてきた。

見ると、ミネバさまがミネラルウォーターのボトルをこちらに差し出していた。

「二人とも、ありがとうございます」

ミネバさまは、静かに、落ち着いた様子でそう言った。

「わっ!ありがとう、ジュリアさま!」

アトウッドは言うが早いか、ボトルを奪い取るようにして口を付けた。

半分ほど飲み干して、ふうと息を吐いた彼女は、それを私に押し付けてきた。

私も、ミネバさまにお礼を言ってから水を飲み干す。気が付けば、喉はカラカラだし、汗だくになっていた。

「あと、こんなものしかありませんけど…」

そう言ってミネバさまは、小さな茶色い塊2つ握ってこっちへ差し出してきた。

「これは…キャラメル?」

「あー、ジュリアさま、これはまだしまっておいて大丈夫だよ」

アトウッドがそう言う。でも…私は…そう思って、チラリとミネバさまを見やると、

ミネバさまは笑顔で私を見ていた。

「あの…いただきます」

控え目にそう言って、ミネバさまの手からキャラメルをつまんで口に運んだ。

甘味が口いっぱいに広がってくる。そんな私を、ミネバさまは嬉しそうに見つめてくれていた。

 「助かった、のね」

ふと、そんな言葉が漏れてしまった。すると今度は、アトウッドの手が伸びてきて、私の手を掴まえた。

「ごめん、あそこがバレてたのは、完全に予想外だった。怖い思いさせちゃって、ごめん」

アトウッドは、まっすぐにフロントガラスの向こうを見据えながら、そう言ってくる。

「大丈夫…それより、その、ありがとう…助けてくれて」

私はその手を握り返しながらそう言った。アトウッドと一緒に行動していたからああなった、というわけではない。

もしかしたら、私とミネバさまだけだったとしても、さっきの連中に待ち伏せされていたかもしれないんだ。

二人だけだったら、今頃は捕まっていただろう。

ミネバさまは違うかもしれないが、少なくとも私は、その場で殺されていた可能性だってある。
 

74: 2013/10/21(月) 00:48:56.84 ID:1yaBLhO6o

「ジュリアさまも、ごめんね。大丈夫だった?」

「はい。ケガもないですし、大丈夫です」

ミネバさまはサラっとした様子でそう言った。

「あはは、さすがに、肝は据わってるよね」

アトウッドはそう言って笑って、私の手を放すと、今度は後ろのミネバさまにその手を伸ばして、

肩をポンポンと叩いた。

「ごめんね、二人とも。あの連中がどこの誰かは分からないけど、たぶん、かなり厄介なやつらだと思う。

 最悪のときは、あたしが足止めするから、そのときは」

「待って」

私は、アトウッドの言葉を思わず遮ってしまった。ダメ、そんなこと、言わないで…

「アトウッド。私達は、あなたなしでは、おそらく目的地にはたどり着けない。だから、そんな行動は絶対にしないで」

気が付けば、私は後ろに伸ばしていたアトウッドの腕を掴まえてそう言っていた。

彼女は、一瞬あっけにとられていたけど、しばらくしてニコッと笑顔を見せると

「うん…ごめん、あたし、ちょっと弱気になったね。反省します!」

と言ってペチペチと平手で顔をはたいた。

 うん、そう。あなたは、私と同じ…絶望の淵にたたずむ人。私なんかより能力も高くて、機転も効く。

いえ、だからこそ、先の見通しがありすぎて、返って不安になることも多いのかもしれない。でも…でも、

「アトウッド、弱気にはならないで。あなたは、私達二人の指針なのだから。私も、出来る限り力になる」

そう。私は、あなたと同じ絶望を知っている。だからこそ、あなたを励ますことができるはず。

私は、あなたにミネバさまと私の命を守ってもらう代わりに、あなたの心を守る。

ミネバさまにするのと同じように。それがきっと、私の役目…もう、しくじったりはしない…!

「…うん、ありがとう、ミリアム…!」

アトウッドは、目に涙を浮かべていた。と思ったら、私の腕を思いっきり引っ張って抱きしめてきた。

「ちょ、アトウッド!運転!運転!!」

私は思わず驚いて、そう言いながら、無理矢理に体を引き離した。

それでもアトウッドは名残惜しそうに私の手を握りながら、

「ありがと、ミリアム。ホント、ありがとう…」

と何度も何度も礼を言って来た。分かってないよ、アトウッド。

お礼をいくら言っても足りないのは、私達の方だって言うのに…。
 

75: 2013/10/21(月) 00:49:26.25 ID:1yaBLhO6o

 そんなことをしているうちに、車は市街地を抜け、開けた道路に出た。ここは、どのあたりなのだろう?

「それで、どこへ向かっているの?」

私は、なんとか気持ちを落ち着かせたらしいアトウッドにそう聞いてみる。

「うんとね、とりあえず、ハノイからの西へ向かう幹線道路は全部監視されてる可能性があるから、とりあえず南へ下ってる。

 ビンって街まで300キロくらいだから、そこへたどり着いたら、そこからぐっと内陸へ入って、

 バンコクを目指そうかと思ってる。

 予定よりも南回りだし、車だし、相当時間はかかるから、本当は避けたいルートだったんだけどね…」

「確か、シャトルの発射は一週間後、って話だったよね?」

「そうなんだよ。予定なら、明日の夕方にはヤンゴンに到着して、

 そこから高速フェリーで1日掛けてマドラスに入るつもりだったんだ。

 かなり余裕を見たスケジュールのつもりだったんだけど、一気にカツカツになってきちゃったね」

アトウッドはそう言いながら顔をしかめた。夜通し走る、というのも、あながち冗談ではないのかもしれない。

まぁ、運転なら、私にだってできる。二人で交互に、休まず行けば、まだ間に合う公算はある。

「でも、安心して。絶対に間に合わせるから」

アトウッドは、そう言って、笑った。分かってる。こういう状況だからこそ、あなたは笑うんだよね。

「頼りにしてるわ。運転なら、私もできる。疲れたら変わって。

 もしものときにあなたが寝不足で判断ミスだなんて、一番避けたいもの」

私もそう言って彼女に笑顔を返してあげた。

「あはは、やっぱりミリアムは本当は優しい子なんだねぇ」

アトウッドは、なんだか嬉しそうにそう言った。

私もなにか、返してあげようと考えを巡らせようとした瞬間、なにかの音が聞こえた。

これは…ヘリコプターのローター音…?

「うそでしょ…?」

アトウッドがそう言ってうめいた。

「まさか…!?」

彼女の言葉に、私にも分かった。とっさに、サイドミラーで後方を確認する。

そこには、一機のヘリコプターが猛スピードで迫ってくるのが写っていた。

「攻撃ヘリまで出してくるなん…!?」

何かを言いかけたアトウッドが、急にハンドルを切った。

体にGが掛かり、車体がタイヤの悲鳴を上げながらスピンする。

次の瞬間、何かが車の最後部の窓を突き抜けて行った。なに…今のは?!
 

76: 2013/10/21(月) 00:50:07.08 ID:1yaBLhO6o

「対物ライフル…!」

アトウッドが口にした。アンチマテリアルライフルだって言うの?!

「アトウッド!」

「だぁっ!もう!頭おかしいんじゃないの!?なんでたかが防弾車に対物ライフルなんて撃ってくるのよ!?

 後ろの攻撃ヘリだけじゃ不満だっての!?」

アトウッドはそう吠えながら再び車を走らせる。走りながら彼女は不規則にハンドルを切って蛇行運転を繰り返す。

私はニュータイプと言えるほどの能力はない。だけど、そんな私にも分かった。

彼女は、どこからか対物ライフルでこの車を狙っている人間の攻撃性を感じ取って、小刻みにそれをかわしているんだ…!

「ミリアム!後部座席の下にウェポンボックスがあるから、それ開けて!」

アトウッドはそう私に言ってきた。

「わかった!」

私は返事をして助手席を飛び出し、激しく揺れる車の中、ミネバさまの座るイスの下から大きな箱を引きずり出した。

蓋を開けるとそこには、60㎝ほどの長さの軽ロケット砲2本と、重機関銃が一丁収まっていた。

「応射でいないっていったじゃない!」

「車に攻撃できる機能は付いてないって意味だよ!あぁぁぁ!もう!だから車って嫌いなの!

 飛ばして!私を空に飛ばしてよ、もう!

 ミリアム!後ろのヘリが撃って来る前に追っ払って!

 たぶん、対物ライフルでこの車の機能部分を撃ちぬいて、後ろのヘリで制圧するつもりなんだよ、こいつら!」

「了解!」

私は、武装を確認する。このロケット砲は使い捨て用だ。

一発撃ったら、再装填は出来ないタイプ…これは、最後まで取っておいた方が良い…

だとするなら、この重機関銃を使うか…!

 私は機関銃と銃弾の入った箱を抱えて後部座席のさらに後ろ、ラゲージスペースに運び込んで、

台座に機銃をセットし、金属製の箱から引っ張り出した弾帯を機関部にセットする。

「準備出来た!」

「リアウィンドの右のボタンで窓が開くよ!さっさと追っ払って!」

「こっちは任せて!」

私は、ボタンを押して窓を開けた。そこから機関銃の銃口を突き出して、トリガーを引く。

とたんに轟音と共に銃弾が吐き出され、薬莢が車内に飛び散る。

「姫様!あたしのシートの後ろに伏せてて!対物ライフルのやつの流れ弾に当たらないようにしたいから!」

「はい!」

アトウッドはこんな状況でも、ミネバさまに的確な指示を与えている。大丈夫、大丈夫だ…

ここも、必ず切り抜ける…!
 

77: 2013/10/21(月) 00:50:49.27 ID:1yaBLhO6o

 私はそう決心しながら、空をゆらゆらと逃げ回るヘリに向かって機銃弾を浴びせかける。

あのヘリは戦闘用のヘリの様だけど、いくらなんでも、この機銃弾を食らって無事なはずはない。

この機銃弾は、こっちの車を撃って来てるアンチマテリアルライフルとほぼ同じサイズのはず。

ヘリの装甲なんて、簡単に撃ちぬける…!

 私は一心不乱に引き金を引いた。左右に動く車の中で、必氏になってヘリに照準を合わせる。

曳光弾が、ヘリと交差した。途端に、ヘリのローター部分から煙が吹き上がる。

―――やった!

 そう歓声をあげようとした次の瞬間、私は、ヘリの先端に付いていた機銃が動くのを見た。

「アトウッド!ヘリがミニガンを撃ってくる!」

「あぁぁ!もう!またなの!?」

アトウッドは、なんだかよくわからない悲鳴を上げたと思ったら

「ミリアム!掴まって!」

と怒鳴ってきた。私が、シートを窓枠に手を付いて踏ん張った瞬間、車が勢いよく反転して、方向を変えた。

そのまま、車は、これまで走っていた幹線道路から逸れて、細い畑道へと進路を取る。

「ミリアム!引っ込んで!ヘリが撃って来たら、そこが一番危ない!」

「りょ、了解!」

私は必氏にそう返事をして、機銃を引っ込めて窓を閉めた。

そのまま転がるようにして後部座席に移って、今度はロケット砲を手に取る。

これを撃つには、上半身を車から乗りださないといけない。

バックブラストを車内に撒き散らすわけにはいかないから…だとすると、助手席から撃つのが一番…!

 ロケット砲を持って、今度は助手席に移動する。

「待って、ミリアム!」

助手席の窓を開けようとした私に、アトウッドが怒鳴ってきた。

振り返ったら彼女は、シートの脇からフックの付いたワイヤーを引き延ばしていた。

「アンカーワイヤ!つけといて!」

「ありがとう!」

私はすぐさまそれを受け取って、ベルトにひっかけて窓を開ける。ロケット砲を担いで、上半身を乗り出した。

「良く狙って!それ、誘導弾じゃないからね!」

「分かってるわ!射撃は、慣れたものよ!」

私はアトウッドに怒鳴り返して、後部の延長砲身を引き出し、筒に取り付けられたスコープを覗く。

しかしその瞬間、十字の照準の中で、ヘリのミニガンが火を噴いた。
 

78: 2013/10/21(月) 00:51:26.28 ID:1yaBLhO6o

 慌てて車内に体を引っ込める。ほとんど同時に、車体に弾丸が降り注いできた。

ドガガガガガと、嫌な音が車内に鳴り響く。

「うぅ、ミニガンで良かった…10ミリ以上の徹甲弾だったら、今頃蜂の巣だよ…!」

アトウッドは肩をこわばらせてそう言っている。でも、こんなに撃たれてたんじゃ、反撃する暇がない…

いや、それが敵の狙い…!?

「アトウッド、このままじゃ…!」

「大丈夫…な、はず。見て」

アトウッドはそう言って、前方を指差した。その先は、うっそうと木の生い茂る森だった。

道路はその森林の中へと真っ直ぐに伸びている。

「手負いのヘリで、あの中を追ってくることは、たぶん、ないと思う…」

私の撃った機銃は確かにヘリを捉えて、今でも黒煙を吹いている。そう長いこと飛んでいられるとは思えない。

逆の立場なら…引き時、か…。

 車が森に差し掛かる少し手前で、ヘリは射撃をやめて、どこかへ消えて行った。とりあえずは一安心、かな…。

ふう、と息をついた私をアトウッドは見やって笑った。それから

「かなりやばかったね…とにかく、今は走るしかない。

 対物ライフルを撃って来たやつは、道路の南側正面に位置取ってた。

 この道はずっと西に向かっているはずだから、そいつから離れるにはひたすら走って距離を取らないと」

そう言って彼女もふう、とため息を吐いた。
 

86: 2013/10/21(月) 21:25:28.03 ID:1yaBLhO6o

 その晩、私達はどこかも分からない山奥に居た。

山奥とは言っても、山岳地帯、というわけではなく、あちこちに大小の川が入り乱れて走っている場所で、

車ではどうにも走りにくい地域だった。

 あれからどれくらいの距離を走ったのか、ヤンゴンへの距離がどの程度縮まったのかもわからない。

何しろ、そもそもここがどこか、全く見当が付いていないからだ。

アトウッドは今、必氏になって携帯用のコンピュータで座標を割り出している。

なんでも、位置情報観測用の衛星に侵入してデータを引っ張り出している、という話だけど、

そのあたりの詳しいことは私にはわからない。そこはとりあえず、彼女に任せるしかなかった。

なによりも、私達はまだ、なんとか、自由の身だ。今はまだ、それを幸運と思うべきなんだと思う。

 「マライアさん、もう大丈夫でしょうか?」

ミネバさまがたき火を見ながら、アトウッドにそう声を掛ける。

アトウッドは、見つめていたコンピュータから顔を上げて、

「ちょっと待ってね、今行く」

と言って、コンピュータを閉じ、たき火の方へと歩いて来た。

細い木の枝で、火に掛かっていた魚をつんつんとつつく。

ポロッと身がほぐれて、中からしみ出した水分が火に落ちてジュウと音を立てた。

香ばしい匂いが鼻とお腹をくすぐる。

朝食のドライブスルーでのファーストフードを食べて以来、

ミネバさまにもらったキャラメル以外は12時間以上、何も食べていない。

見てくれは奇妙な姿をしているが、この匂いはどうしたって、おいしそうに感じられてしまう。

「もう大丈夫かな。ほら、姫様はこれが良いと思う」

アトウッドは火に掛かっていた魚の内、一番まともそうな形をしたものを取って、ミネバさまに手渡した。

「ミリアムとあたしは、こっちね。ちょっと臭うかも知れないけど、我慢して食べよう」

アトウッドはそう言って、もう一匹の不細工な魚を私に渡してきた。この際、贅沢は言わないことにしよう。
 

87: 2013/10/21(月) 21:26:03.11 ID:1yaBLhO6o

 それにしても、アトウッドには驚いた。

川で魚を取る、というのは分かるがまさか手榴弾を川に投げ込むとは思わなかった。

ズボン、という鈍い水音がして、月に照らされた水面に無数の魚が浮いて来た時には、もっと驚いてしまったけど。

「ほんとうはこれ、やっちゃいけないんだよね。一回に食べる以上の魚を氏なせちゃうからさ。

 バレたら、私の姉さんに叱られちゃう」

アトウッドはそんなことを言いながら浮いて来た魚の内のいくつかを拾い上げて捌いてから火にかけた。

 ミネバさまが魚に口を付けて

「あちち」

と声を上げた。それから、ハッとして私達を見つめて、恥ずかしそうに顔を赤くした。

「ふふふ、姫様、別に砕けていいんだよ!こんなときだもん、堅っ苦しい方が返って不自然!」

アトウッドのその言葉に、ミネバさまは今度は私をじっと見つめてきた。警護として、そんなことは言えないけど…

でも、ね。

 私は、何かを伝える代わりに、ミネバさまに笑顔を見せてあげた。

ミネバさまは、私の気持ちを受け取ってくれたのか、笑顔で応えてくれた。

「キャンプみたいで、楽しいですね」

「いや、全然くだけてないじゃん!」

ミネバさまの言葉に、アトウッドがすかさずそう声を上げたので、思わず笑ってしまった。

ひとしきりそんな話をしてから、私も魚に口を付ける。

アトウッドの言っていた通り、少しイヤな臭いはするが、味は良い。

いつの間にか私達は一心不乱にそれぞれの魚を食べすすめ、10分もすると、骨だけになった魚を火の中へ投げ入れた。

 満腹になって、すこし気持ちが落ち着いてくる。暗がりに灯る、この焚火も、なぜだか心を落ち着けてくれる。

でも、そうなってくると、自然に他のことに気が回るようになってくる。

 それを意識してしまって、私はすこし、居心地が悪くなり始めた。

「どうしたの、ミリアム?」

そんな私の様子に気付いたのか、アトウッドがそう声を掛けてきた。私は

「ううん、ちょっと、ね」

とだけ答える。すると彼女は

「あぁ、そっか」

と言って、車の中かから、箱に入ったティッシュペーパーを出してきた。

まったく、ニュータイプっていう人種には、デリカシーもなにもあったもんじゃないわね。

「はい」

と、何でもないような顔をしてくるアトウッドに、それでも私は

「ありがとう」

と礼を言って箱のティッシュを受け取ると、その場を立ち上がった。それを見るや、今度はミネバさままで

「あの、ミリアム、わ、私も…」

と声を上げた。拒む理由なんてない。いや、ひとりで行かせるわけにもいかないし、どちらかと言えば、都合はいい。

「はい、ご一緒に、参りましょう」

私が言うと、ミネバさまは安心した表情をして立ち上がった。
 

88: 2013/10/21(月) 21:26:28.29 ID:1yaBLhO6o

 「あ、待った、ミリアム」

そんな私を、アトウッドが呼び止めた。何かと思ったら、拳銃を投げて渡してきた。

「この辺りに人を襲う類の獣はいなかったと思うけど、念のため、ね。あと、ヘビには気を付けて。

 あんまり遠くに行かないようにね」

アトウッドの言葉に、少しだけ、恐怖感が湧いて来た。やめてよ、もうっ!

 文句を言ってやろうと思ったら、アトウッドはイヒヒと声を上げて笑って、

「あたしはここで見張ってるから、なんかあったら大声あげてね。すぐに飛んでいくからさ」

と言ってきた。まぁ、この感じも慣れたものだ。下品には違いないけど、でも、気持ちがなごむ。

私は彼女に頬を膨らませてやってから、ミネバさまを連れて川の下流の方へと、ライトを照らしながら歩いた。

 適当な場所を見つけて、とりあえず先にミネバさまへ進めて、次いで私も済ませた。

時間のかからない方の用件で、お互いに良かったと思う。元来た道を戻ろうとした。

でもそのとき、ミネバさまが私のシャツの袖口を引っ張った。

「ミリアム…あれを」

ミネバさまがそう言って何かを指さした。私は、その方向へライトを照らす。

そこには、何か、人工物らしい物があった。でも、あれは川の中…なにかが、沈んでいるの…?

私はその物体に目を凝らす。

あれは…どこかでみたことのあるシルエットだ…あれは…まさか!

「コムサイ…?」

私は思わずそう口にしていた。

そうだ、あれは、前の戦争でジオンが使っていた戦艦ムサイの脱出艇、コムサイのはずだ。

よくよく見れば、痛んでボロボロにはなっているけど、でも、間違いはない。

なぜこんなところに?戦争当時に、宇宙から脱出して、こんなところに不時着したっていうの…?

 ガサガサと足音がした。驚いてそちらにライトを向けたら、そこにはアトウッドが立っていた。

「ごめん、あたしもなんだか、もよおしちゃってさ」

バツの悪そうにそう言うアトウッドには、私達の様子を見て、コムサイの存在に気が付いたようだった。
 

89: 2013/10/21(月) 21:26:54.93 ID:1yaBLhO6o

「あれって…ジオンの、脱出艇、だよね…」

「うん、そう」

私が答えると、アトウッドは何かを思い出したように、辺りをライトで照らし始めた。

しばらくして、ライトの先が何かを捉えた。並んで立っている、木の棒だった。

これは、自然にこうなったものじゃない…人の手で作られたなにか、だ。

「これは…お墓、ですか…?」

ミネバさまが小さな声で言った。

「うん、たぶん、そう…」

アトウッドは、少しさみしそうな表情でそう言うと、その前に跪いた。

「ここへ、呼んだの?それとも、偶然…?」

アトウッドは、まるで誰かと喋るかのように、そう独り言を言い始めた。

私とミネバさまはその様子をただ見ているしかできなかった。

 ブツブツと、何かを語りかけるようにしていたアトウッドは少しして、ゆっくりと立ち上がって、

木の棒をひとつずつ、まるで子どもの頭にしてあげるみたいに、優しく撫でた。

「ここに埋葬されてるのは、ジオンの、ニュータイプ研究所に居た子ども達、だったんだと思う」

「ニュータイプ研究所!?」

私は思わず声を上げてしまった。そんな、まさか…あの研究所から、ここに逃げてきた人たちが居たの…!?

「うん…ちょっと前に、話を聞いたことがあるんだ。

 戦況が悪くなってから、ジオンのニュータイプ研究所が本国とアクシズへ撤退するときに、

 試験で“要らない”って烙印を押された子ども達が殺されることになったんだ、って。

 でも、それを良しとしないジオン兵も居て、彼らを戦艦に乗せて、いろんなところへ逃がしたんだ、って。

 この子達は、その中でも地球へたどり着いて、ここで亡くなっちゃったんだと思う」

アトウッドは、しんみりした様子でそう言った。

「亡くなった方と話ができるのですか、ニュータイプ、というのは?」

「ああ、ううん、そんなんじゃないよ、姫様。あたし達は、ただ感じるだけ。

 ここに居た人が、何を思っていたか、どんなことを考えてきたか、ってのを、ね。

 あたしはただ、その研究所から逃げ出した、って子たちの話を知っていたから、

 たぶんそうなんだろうな、って思っただけ」

ミネバさまの言葉に、アトウッドはそう返事をした。
 

90: 2013/10/21(月) 21:27:24.41 ID:1yaBLhO6o

でも、それを聞いたミネバさまは、アトウッド以上に、気落ちした表情になった。

「彼らは…私を恨んでいると、思いますか?」

ミネバさまは、アトウッドに聞いた。そうだ…彼女は、ザビ家唯一の生き残り。

ニュータイプ研究所なんてものを作って、戦争のために利用した…

 そのことに気付いて、私もアトウッドの顔を見た。彼女は、笑顔で首を横に振った。

「そんなことはないよ。この子たちは、絶対にそんなことは思ってなかった。

 もし、亡くなったあとも意思が残る、っていうのなら、きっと彼らは、姫様を無事に逃がすために、

 ここへ呼んだんだと思うよ。姫様も彼らと同じ、追われている身。

 彼らには、血縁とか、そう言うのは関係ないんだ。

 辛いと思う気持ち、悲しいと思う気持ち、楽しいと思う気持ち、嬉しいと思う気持ち、

 そう言うのを共有できるのがニュータイプなんだよ。

 もし、彼らがどこかあたし達の理解できないところでその意思を持っていられるんだとしたら、

 姫様の辛さも、悲しさも全部感じているはずだと思う。それを無視できるニュータイプなんていないんだから」

アトウッドはそう言うと、ミネバさまの肩に手を置いて、優しく抱きしめた。

 私は、その様子を見ながら、まったく別のことを考えていた。

ニュータイプ研究所…フラナガン機関、って言ったっけ…

「私も、お祈りをしたいです」

「うん、そうしてあげると良いよ。どこかで見ているんなら、きっと喜んでくれるはずだよ」

ミネバさまの肩を抱いたまま、アトウッドはお墓のそばまで行くと、二人で並んで、胸の前で手を合わせていた。

 でも、不意に、アトウッドが小さな悲鳴を上げて

「あぁ、うぅっ!そう言えばあたし、それどころじゃなかったんだ!」

と言って駆け出して、私からティッシュの箱を奪うと、その場所からずいぶん離れた繁みの中へ駆け込んでいった。

 まったく、マジメなんで頼りになるんだか、マヌケで軽いお調子者なんだか、本当にせわしない子だな。

私はそんなことを思いながら、豹変ぶりを目にしたミネバさまと顔を見合わせて笑っていた。



 

91: 2013/10/21(月) 21:28:06.02 ID:1yaBLhO6o




 空が白んできた。私たちはあれから、アトウッドの“用事”が終わってすぐに、あの場所を発った。

ミネバさまは名残惜しそうにしていたけど、私達には時間がない。

幸い、あの場所からずいぶん走った場所で行ったアトウッドの測量で、地図上での大まかな位置は把握できた。

東南アジア、インドシナ半島北部の奥地だった。ここから先は、無数の川と山が私たちの前に立ちふさがっている。

これまで以上に困難な道のりになるだろう。

アトウッドはこのままひたすらにこの険しい地帯を走破する選択をした。

彼女の言葉のとおり、本当に寝ずの走行になるだろう。

それでなくても、マハに、アトウッドが言うには、おそらく連邦軍内部の諜報部隊も出てきている。

やつらは、マハなんかとは比べ物にならないくらいに危険な連中だ。

でも、だからなおのこと、どんな手を使ってでも私達は5日後までにマドラスに到着する必要がある。

こんな執拗な追跡をいつまでもかいくぐり続けるのは、さすがのアトウッドにもきつそうだ。

 私は、そんなことを思いながら、助手席で眠りこけているアトウッドを見やった。

彼女は、幸せそうな表情を浮かべながら、私の運転する車に揺られている。

本当に、どういう経験をしてきたら、こんなに肝の据わった人間になれるのだろう?

私なんて、地球にミネバさまと残ってからというもの、安眠なんてしたこともなかったのに…。

 ガタン、と車が大きく揺れた。

「ふぁっ!?」

と奇妙な声を上げて、アトウッドは目を覚ました。

「あぁ、ごめん。水溜りを避け切れなくて」

私が言うと、アトウッドはくぅと大きく延びをして、

「道悪いもんね」

とまるで寝ぼけているみたいに言ってくる。それから、ダッシュボードにおいてあった位置計測器を手に取った。

「もう、かなり来たね」

「今、どのあたりだろう?」

「もうすぐミャンマーに入る頃じゃないかな。結局昨日キャンプしたのがどこだったのか全然わかんなかったけど…

 まぁ、とりあえず現在地は分かったし、このルートとしては、順調な方、かな」

「それなら良かった。でも、さすがにお腹が空いたわ」

「川があればまた魚が取れるんだけどね。個人的には、小さな町にでも入って、穀物と甘いものを仕入れておきたい気分」

「同感。炭水化物がないと満腹になっても食べた気にならないなんて、想像してなかったよ」

「それなら…っと、地図、地図どこだっけな…」

アトウッドはそう言いながら、グローブボックスをかき回して手のひらよりも少し大きいくらいの液晶パネルを取り出した。
 

92: 2013/10/21(月) 21:28:33.35 ID:1yaBLhO6o

側面についているボタンを操作すると、パネル部分に地図が映し出された。

アトウッドはその液晶を操作しながら地図を確認していく。不意に、「お」っと彼女が声を上げた。

「なにかあった?」

「うん、あと30キロも行くと…ルーアン?あ、ルアン、ナムタ?だか、ナンサーだかって町に出るみたい。

 多少大きい町っぽいから、食料品店くらいはあるかもしれないね。出来たら、カー用品店もあるといいんだけど…」

「カー用品?どうしてまた?」

「いやぁ、だって、ほら、一番後ろのサイドガラスは対物ライフルで穴開いてるし、

 天井もミニガン撃たれてボコボコに塗装はげちゃってるしさ。

 塗装は速乾性の塗料でいっそ車体前部の色を替えて、

 穴開きの窓も、穴を塞いで目立たないように上からスモークなんかも貼っちゃいたい」

アトウッドは、あくび混じりにそんなことを言っている。

まぁでも、これからまだまだ走らなきゃいけないことを考えたら、車の色を替えたりメンテナンスをしておくのは大切だろう。

「それなら、最優先は食料で、その次は、車のパーツ探しだね」

「うん。さすがにこんな地方の町まで先回りして張り込んではいないだろうけど…

 念のために、拳銃だけは忘れないようにしないとね」

眠そうにしながらも、アトウッドはこれからの展開を、良い意味でも悪い意味でも想定しているようだった。

 一応、舗装だけは済ませています、と言わんばかりの、穴だらけの山道をしばらく走っていると、

急に大きな道路に差し掛かった。二本の幹線道路が交差していて、その向こう側には町が見えた。

大きな建物も見えるし、それなりの大きさの町のようだ。まずは、食糧品だ。

 私はそのまま町へと入りアトウッドとキョロキョロしながらしばらく街中を走らせる。不意に、アトウッドが

「あった!」

と叫んだので見ると、そこには小さなドライブショッピングモールがあって、

食糧品店も、車用品の店も入っているようだった。

 駐車場に車を止めてモーターを切ると、それに気がついたのか後ろで眠っていたミネバさまも目を覚ました。

「ん、ここは?」

「えっと、ルアン…なんだっけ?」

「ナムタだか、ナンサーだか」

アトウッドが私を見て聞いてきたので、さっき彼女が言ったそのままを言い返したら、

「だってさ」

と、だけ言って笑った。

「食糧と、装備品を揃えようと思ってね。ちょっと、ショッピング。

 着替えとかもあるかもしれないから、見てみないとね」

「はい!」

アトウッドの言葉にミネバさまは満面の笑みでそう答えた。着替え、といえば、シャワーにも二日入ってないな。

緊張続きで汗だくだし、着替えくらいでもしたいのは確かだ。

出来たら、シャワーとは言わないけど、熱いお湯で蒸らしたタオルで清拭くらいは出来ないものか…

私はそんなことも考えていた。
 

93: 2013/10/21(月) 21:29:11.68 ID:1yaBLhO6o

 「あ、姫様は、ウィッグ忘れないでね!」

アトウッドはそう言いながら、後部座席に投げてあった上着を着込んだ。

もちろん、その下には拳銃がしまわれている。私も彼女にならって、懐に拳銃を隠してから上着を羽織った。

ミネバさまの準備が済むのを待って、私達は三人そろって車から降りた。

外は東南アジア特有のあの蒸し暑さはなく、むしろどこかカラッとしていて寒いくらいにも感じた。

 「意外に、暑くないのね」

私が言うとアトウッドが

「標高が高いからね」

といいながら、ミネバさまの左前に立って歩き出す。それから彼女はチラッと私に目配せをしてきた。

うん、分かるよ、私はミネバさまの右後ろにくっ付いていればいいね。

アトウッドの考えを理解して私はうなずき、ミネバさまのすぐ後ろから彼女のあとをついて歩く。

ミネバさまは、なんだかうれしそうで柄にもなくスキップのように足取り軽く歩いている。

なんだか、そんな彼女の様子がいつにも増してほほえましく感じられていた。

 私達は、車で話していたとおりに、最優先で食糧品店へと向かった。

ごくありふれた食品の量販店だったが、あまり世話になったことのない私とミネバさまにとっては、

どこかキラキラしていて、まるでなにかのテーマパークのようにすら思えた。

 「えっと、とりあえず、この地域だと、お米か小麦粉が主流なのかなぁ」

アトウッドがそうつぶやきながらガラガラとなにかを引っ張ってくる。

「マ、マライアさん、その…その台車のようなものは…?」

ミネバさま、さすがです!私もそれについてはたずねたいと思いました…!

「え?あぁ、これ?カートだよ。もしかして、二人とも知らない?

 買いたいものをこれに入れて、最後にレジで会計をするんだよ」

アトウッドはそう説明をしてくれる。

な、なるほど…サイド3に居たころにはこういうお店にも入ったことあるけど、

コロニーではこんな台車ではなくて、プラスチックのカゴを使っていた記憶がある。

重力が安定している地球ならではの道具なのかな…一般の家庭に育った私ですら知らないんだ。

幼少期をアクシズで育ち、シャア総帥とともに地球に降りてからは、

私を含めた警護や身辺係の人間がすべてのことを済ませていたから、こんなところに来るのすら初めてなんだ。

 「ほーら、キョロキョロしてないで行くよ!迷子になったら大変だから、ちゃんと着いて来てよ!」

アトウッドがそういうので、ミネバさまがアトウッドの腕にしがみついた。はぐれてしまわれては一大事だ。

私も、アトウッドの上着の裾を摘んで彼女の歩くあとを引っ付いていった。
 

95: 2013/10/21(月) 23:14:15.47 ID:1yaBLhO6o

 それから一時間ほど、私達はショッピングモールの中を回った。

アトウッドは食料品店で米と小麦とそれから1ガロンの水が3つ入ったケースを3つに、簡単な食器も調達した。

それから、これは食料、というより、楽しみの要素が強そうだったけど、果物やお菓子の類に飲み物なんかも、

嬉々として引いていたカートに突っ込んでいた。

そこでの買い物を終えると、そのままカートを引きながらカー用品店へ向かい、

さっき言っていた通りに、外装用の塗料にスモークのシートと、それから、薄いアクリル板を買い込んだ。

さらにそれから、運よくモールの中にあった衣料品店に行き、三人であれこれ言いながら着る物を選んだ。

最後に、万が一があると困るから、と薬局へ行って、包帯やら応急手当に必要そうなものも一式揃える。

結局、最終的には私とアトウッド二人で山盛りになったカートを押して、駐車場の車へと荷物を運んだ。

私はミネバさまと荷物を車に積み込み、

その間にアトウッドは手早く車のウィンドウとランプ類にマスキングを施すと、

物の20分ほどでシルバーだった車体の色をきれいな蒼に塗り替えた。

「ホントは、クリアでコーティングしておきたいんだけど、まぁ、この際諦めようと思う」

作業を終えて、頬に塗料を付けながらなぜかとても残念そうに言うので、可笑しくて笑ってしまった。

 それから、ショッピングモールの中に戻って、チャイニーズ系のケータリングフードを買い込んで

車を発進させた。今度の運転はアトウッド。私はすこし休憩をしろと言われてしまった。

だけど、どうにも眠れる気分ではなくて、私はリクライニングを少し倒して、履いていたブーツを脱ぎ、体を休める。

今朝まで走っていた舗装がガタガタになった山道とは違い、幹線道路らしいこの道は車も大きく揺れることはない。

「いいわね、こういう道は」

私がそう言うと、アトウッドはあはは、と声を上げてから

「そうなんだけどね。でも、あんまり大きい道を走ってると、また見つかっちゃうかもしれない。

 できたら、さっきみたいな山道の方が安心なんだけどね」

と言って首をコキコキと左右に傾け、肩をゴリゴリ動かしている。

彼女は、私達を助けてくれてからこっち、ほとんどの道のりを一人で運転している。

諜報員で、見るからに軍人、という体つきをしてはいるけど、

さすがに同じ姿勢でじっとしていれば体も固まって来るし疲れるだろう。

それでも、泣き言ひとつ言わず、辛い顔すら見せない彼女は、やっぱり、頼りに思えた。

 私は、アトウッドと取り留めのない話をしながら、助手席でナビゲータを務めた。

幹線道路を避けた方が良いと言う彼女の意見で、私がナビをして、先ほどのような山道を行くことになって、早2時間。

道も悪いし、カーブ続きだし、時間ほどに距離は伸びない。

だけど、この山を越えれば、あとはミャンマーの東側に出られる。

そこからなら、大きな幹線道路を避けつつ、直接ヤンゴンに辿り着くコースが取れそうだった。

距離と時間的に見て、あと二日あればヤンゴンにはたどり着く。

残り三日で、ヤンゴンからの高速フェリーを使う計算なら、十分お釣りがくるはずだ。

もちろん、これから先、例の諜報部隊やマハの妨害がなければ、の話だけど…
 

96: 2013/10/21(月) 23:14:46.60 ID:1yaBLhO6o

 「あれ…?なんだろう、あれ?」

不意に、アトウッドがそう声を上げてフロントガラスの向こうを指差した。

見るとそこには白いモヤがもうもうと立ち昇っている。あれは、煙…?

戦闘か、山火事でも?だけど、それにしては、白い。炎から立ち上る類の物ではないようにも思える。

「煙、っていうより、水蒸気、みたいな感じがするけど…」

私がそう言うと、アトウッドはアッと声を上げた。

「温泉!温泉かも!」

「温泉?なに、それ?」

「あぁ、知らない?地熱で温められた地下水が湧き出してる、天然のお風呂!」

「お風呂…シャワーもあるかしら?」

「あるある!シャワーどころか、でっかいバスタブもあるんだから!

 ハノイのホテルのバスタブなんて目じゃないくらいのやつが!」

シャワーがある、というのなら嬉しいけど、

それにしてもアトウッドのこの喜び方は、ちょっと度が過ぎているんじゃないのかな?

話だけ聞くと、要するにスパとか公衆浴場みたいなところでしょう?

そんなに嬉しいことでもないと思うんだけど…アトウッドは、そんなにお風呂好きとか、そういうことなのかな?

 なんて思っていた私は、すぐにその理由が分かった。車が林道を抜けた先には小さな清流が流れていて、

そのわきに、竹か何かで作られた小屋があり、そのすぐそばの大きな石垣で作られたプールから、もくもくと水蒸気が上がっていた。

地元民らしい人物が数人、水着を着たり、タオルを巻いたりしながら、その中に浸かっている。

シャワーはなさそうだったけど、プールの脇に作られた竹の水路から水を汲んで、髪や体を洗っている人の姿もある。
 

97: 2013/10/21(月) 23:15:12.99 ID:1yaBLhO6o

 「わぁ!ほんとに温泉だった!」

アトウッドの興奮は最高潮だ。彼女はすぐにその川辺に車をとめると、喜び勇んで車を飛び出していく。

「どうしたんですか、ミリアム?」

わけがわからないのだろう、ミネバさまが後ろからそうたずねてくる。

「ミネバさま、温泉、というのをご存知ですか?」

「あぁ、本で読んだことがあります。なんでも、地中で温められた地下水が湧き出してきていて、

 地中のミネラルなんかを多く含んでいて、疲労回復に効果あり、なんだとか」

「そうだったのですか…どうりで、彼女が喜ぶはずだ」

私は、ミネバさまの話に少し納得して、車を降りてみる。奇妙な臭いがあたりを漂っているが…

これは、温泉、というものの臭いなのだろうか?なんとなく、火薬が燃えたあとのような臭いにも似ているけど…

 そう思いながら、プールに入っている人にしきりに話しかけているアトウッドのところへ向かう。

途中からミネバさまも後ろからついて来た。

「えっと、その、入りたい、私、入りたい、オッケー?」

片言のアトウッドに、プールに入っていた高翌齢の女性が、ニコニコしながらうなずいている。

「えっと、ノーマネー、オッケー?ペイ、必要?」

女性は今度は笑顔のまま首を横に振り

「ぱぶりっく、ぱぶりっく」

と繰り返した。

「わぁ!やった!」

アトウッドはやはり、子どものようにはしゃいで喜んでいる。

と思ったら、飛び跳ねるようにして車に戻り、ショッピングモールで買ったばかりの服とタオルを私達の分まで引っ張り出して来た。

それから、その様子を呆然と見ていた私に飛びついてきて、あろうことか、服を引きはがし始めた。

「ちょ!なにするの、アトウッド!」

「ほれほれ~いいじゃんいいじゃん、この際なんだから出し惜しみはなしだよぉ~!」

私は抵抗するけれど、どういうわけか、絡みついているアトウッドの手を振りほどけない。

これは…関節技の一種!?さすが諜報員…!人ひとりを無力化することくらいこうも簡単に…

って!そうじゃなくて!!

「マライアさん」

不意に、ミネバさまがそう声を上げた。
 

98: 2013/10/21(月) 23:15:45.14 ID:1yaBLhO6o

「ん、ジュリアも脱ぎなよ~!裸の付き合いしよ!」

相変わらずのテンションのアトウッドに、ミネバさまは少し強い口調で言った。

「マライアさん。ミリアムは、ミリアム自身の判断に任せてあげていただけませんか?

 彼女は、人前に素肌を晒すことに抵抗がおありなんです」

「え…?あっ…」

それを聞いたアトウッドは、そう声を漏らして、私を解放した。それから、ずいぶんとシュンとなって、

「ごめん、あれかな、宗教上の理由、とか?その、あたし、調子乗っちゃったみたいで…ごめん、ごめんなさい…」

と言って小さくなってしまった。ミネバさま、お気遣い、痛み入ります…

でも、アトウッドもそんなに恐縮されると、私がどうして良いかわからなくなるから、普通に戻ってほしいんだけど…

 私は、そう思って、フン、と一息、大きく息を吐いた。ふっと、今日までのアトウッドとのことが思い出された。

彼女は、たった二日だというのに、今までに会ったどんな人よりも私の心を溶かしてくれる。

まるで、私が忘れてしまった、心にかけた幾重もの鍵の開け方を知っているかのように、ゆっくりと、でも確実に、

私の心の奥底から、いろんな感情を引っ張り出してくれる。

それは、私にとって、なによりも嬉しく、そして安心できることだった。

諜報員がどうとか、ミネバさまの警護とか、宇宙へ帰るとか、そういうことが関係なかったとしても、彼女は私を頼っていただろう。

能力や、経験じゃない。私は、彼女に嫉妬を感じながら、それ以上に、あこがれて、そして、心を許したんだ。

 彼女なら、もしかしたら、良いのかもしれない。

 私は、アトウッドに言った。

「入るよ、私も。でも、最初に見ておいてほしい。私の体を」

「ミリアム、ごめん、無理しなくていいからね?」

「ううん、あなたになら、抵抗はないわ。

 私は平気だけど、あなたにとって、気分のいいものじゃないかもしれない、ってことは覚悟しておいて」

私の言葉に、アトウッドは黙ってうなずいた。

それを確認して、私は着ていたシャツを脱いで、アトウッドに向き直った。
 

99: 2013/10/21(月) 23:16:13.74 ID:1yaBLhO6o

「それ…その傷…」

「13年前の戦争で負ったの。乗っていたモビルスーツが撃墜されて、ノーマルスーツが焼けて、皮膚が宇宙に露出した…

 私は、あそこで氏ぬはずだった…

 でも、偶然近くを撤退中だった見知らぬ味方小隊に拾われて、生きながらえたわ」

私は、端的にそう伝えた。私の左わき腹から背中に掛けてと、腹部を左わき腹から右腰に伸びるような筋状に、

見るも無残なケロイドになっている。

撃墜され、機密を失ったモビルスーツの中で破れたノーマルスーツから覗いていた皮膚が真空状態の宇宙に長くさらされ過ぎた。

血液が沸騰して、破裂した皮膚から凍った赤い塊が吹き出す様は、

今思い出しても患部に痛みをありありと再生できる。

わずか数十秒か、数分の間の出来事だったと思うけど、とにかく、これもまた、私の体験した絶望のひとつ、だ。

 アトウッドは、何も言わなかった。ただ黙って、私に近づいてきて、患部に手を伸ばしてきた。

アトウッドの手が、ためらいがちに、私の肌に触れる。

暖かく、やわらかく、力強い、いつもの彼女の手だった。

「あたしの手の感じ、分かる?」

アトウッドは聞いて来た。私は黙ってうなずく。

「感じるよ…あなたの痛みと、恐怖を…」

「そんなもの、感じ取らなくていいよ」

私はそう言葉を返して、アトウッドの手を取った。

「アトウッド…私はこの体が嫌いよ。醜くて、若い命を散らせてしまった、

 私の罪を証明するための烙印だと思ってる…」

アトウッドは、目に涙をいっぱいに溜めながら、それでも私を見つめてくれている。

大丈夫だ、彼女なら。彼女になら、私のすべてを預けられる。

私の命も、私の心も、私の罪も、彼女なら、すべてを受け止めてくれる。

「あなたは、この体をどう思う?」

私はアトウッドに聞いた。

 アトウッドはついには、目から涙をボロボロとこぼしながら、笑った。

これまで何度も見せてくれていた笑顔だったけど、そのどれよりも、優しい、穏やかな笑顔だった。

「好きだよ。これはあなたが生きてきた証。あなたが戦ってきた証。そんなもの、嫌いになれるはず、ないでしょ…」

思った通りだよ、アトウッド。あんたなら、そう言ってくれると思ってた。

「ありがとう、マライア…」

私は、胸に付きあがって来る、焼けるような感情に任せて、裸だって言うのに、彼女を思い切り抱きしめて、

他のお客の目もはばからないで、まるで、遠い昔のいつの日かにそうしたように、声の限りに泣きまくった。

彼女の腕に抱かれて、まるで、子どものように、ただただ、彼女の温もりに震えながら。

 

104: 2013/10/22(火) 22:46:26.24 ID:XIdFsd/Ho

 宇宙のように真っ暗な山道を車は走っている。ハンドルを握っているのはアトウッド。

私は助手席でリラックスしながら、気だるく心地良い沈黙を楽しんでいた。

 大泣きしたあと、私達は、地元の人たちの好奇の目にさらされていたけど、

とりあえず笑ってごまかして、温泉につかった。

あんなものがあるなんて、想像もしていなかったけど、

ミネバさまが言っていたように、体の疲れは好けたような気がする。

その代わりに、なんだかぐったりと力が抜けているような感じにもなってしまったのだけれど。

 ふわぁ、とあくびがもれた。

「寝ればいいのに」

クスクスとアトウッドが笑って言ってくる。

「眠いわけじゃないんだ」

そう言いながらも、気だるさでまたあくびが出た。アトウッドがまた笑う。

「あんだけ泣いたし、眠くないことなんてないと思うんだけどな」

「温泉から出てちょっと寝たじゃない」

私が言うと、アトウッドはすこし考えるようなしぐさを見せてから

「それじゃぁ、ちょっと運転変わってもらってもいいかな?」

と言ってきた。

「うん、いいよ」

私は彼女に笑顔を返した。

 車を止めて、それほど広くない車内でお互いに体をくねらせながら席を入れ替わった。

「ふぃー」

運転席に腰を下ろしてベルトをしていたら、アトウッドは助手席で大きくため息をつく。

私はアクセルを踏んで車を走らせた。

 ヘッドライトに照らされるアスファルトは相変わらず穴だらけ。

車体はガタガタと揺れるけど、後部座席でミネバさまは寝込んでいるし、

最初のうちは乗っているだけで体がガクガクしていたし疲労感モ強かったけど、

走りっぱなしで体が慣れてしまったのか、ちょっと平坦な道が続くと物足りなくなるようにも感じられるくらいだった。

 「ねえ、ミリアム」

不意にアトウッドが私の名を呼んだ。

「なに、アトウッド」

「えー。昼間はマライアって呼んでくれてたじゃん」

「あれは、気まぐれよ」

素に戻ってしまうと、やはり馴れ合ってしまうことへの不安感は沸いて出てくる。

それに、あんなことのあとで、正直気恥ずかしさも強いし…。
 

105: 2013/10/22(火) 22:46:59.22 ID:XIdFsd/Ho

 「それで、どうかしたの?」

プクッとふくれっ面を見せるアトウッドに、私は聞いた。

「あぁ、うん…あのね、もし、約束の時間に間に合わなかったら、そのあとは、どうする?」

アトウッドは、遠くに視線を投げながら、そんなことを言ってきた。

 もし、間に合わなかったら…?それは、つまり、この地球に取り残されることを意味する。

宇宙での会合のタイミングがずれれば、修正は簡単じゃない。

次のタイミングを図るには、もう一度綿密な打ち合わせが必要になってくるだろう。

それは、私に役目か、あるいは、シャア総帥と連絡を取ったアトウッドの仕事か…

どちらにしても、その体制が整うまではこの地球を逃げ回ることになるだろう。

ミネバさまを連邦に差し出すわけには行かない。

もしものときは、ミネバさまを捕らえられないように、“対応”することも、暗に命じられている身ではあるが…

 私はアトウッドを見やった。彼女もいつの間にか、私を見ていた。

「あなたは、どうするつもりでいるの?」

「ん、ひとつは、あなた達を宇宙に上げる別の計画を練る。

 今度は、クワトロ大尉の援護は期待できないから、自腹を切るしかないのが怖いところなんだけど…

 どこかにシャトルを用意して、宇宙へ飛び出る。北米か、オーストラリアが狙い目かもしれないな。

 もうひとつは、あなた達を地球で保護する。名前も身分も変えて、市民として生活できるようにする手筈を整える。

 こっちの方が比較的簡単。でも、しばらくはマハの連中や連邦の諜報員に警戒しなきゃいけなくはなるだろうけど…」

アトウッドはそう言って私の飲みかけのミネラルウォーターのボトルをあおった。

 ミネバさまのことを考えれば、地球にとどまるという選択肢は取り得ないだろうけど、

それじゃぁ、アトウッドがもう一度、宇宙へ発つための準備を整えるためにどれくらいの時間が必要なのだろう…

二週間か、いや、シャトルが必要なのだとしたら、一ヶ月は見ておく必要がある。

その間は、やはりアトウッドを頼って隠れるなり逃げ回るなりしなければいけない・・・

 「すくなくとも、ミネバさまは宇宙に上げなければいけないわ。スィートウォーターへ送れなくても、ミ

 ネバさまをお守りできるだけの戦力が揃ったところに送り届けないといけない」

「戦力、かぁ・・・あの子は、また、戦争に利用されちゃうのかなぁ」

「え…?」

「あたしね…いい隠れ家を知ってるんだ。ミリアムも姫様もさ、そこで一緒に暮らす、っていうのはどうかな、って思うんだ。

 戦争の道具になんかならない生き方を、あたし、姫様にも、あなたにもして欲しいって、そう思ってる」

「アトウッド…それ、それって、どういう――」

私がアトウッドの言葉に戸惑った瞬間、車がドンっと激しく揺れた。

「おわっ!?」

アトウッドが悲鳴を上げて、シートにしがみつく。

「いたたた…」

「ミネバさま、大丈夫ですか?」

「シートから落ちました…」

ミネバさまの無事を確認してから、状況を見る。車はまだ、道路を走れているが…今の衝撃、なんだろう?

私は、そう思ってアトウッドをみやる。すると彼女は、あの鋭い目つきをして、上着の内側から拳銃を抜いていた。
 

106: 2013/10/22(火) 22:47:28.29 ID:XIdFsd/Ho

「アトウッド…?」

私の呼び声に反応せず、アトウッドはただ、フロントガラスの向こうを睨み付けている。

いや、フロントガラスの向こうを見ているわけではない…なにかを必氏に感じ取ろうとしているんだ。

「…ミリアム、急いで。イヤな感じがする…もしかして、今の衝撃、何かのトラップか、センサーかもしれない」

「敵なの?」

アトウッドの言葉に私は思わずそう聞いていた。アトウッドは表情を一切変えないまま、

さらに感覚を研ぎ澄ましているように思える。

 と、突然、フロントガラスの向こう、ライトに照らされた何かが見えた。車だ。

しかも道路をふさぐように止まっている。

「ミリアム!アクセル踏んで!敵だよ!」

アトウッドの怒鳴り声を聞いて、私は反射的にハンドルを切りながらアクセルを踏み込んだ。

狭い道に横になって、進路を妨害していた車のフロント部分に車をぶつける。鈍い衝撃が車体に走った。

邪魔をしていた車を弾き飛ばして、私達の車はさらに道を進む。

「もう!もう!!なんなのよ、あいつら!!どうしてほっといてくれないのよ!二人が連邦になにしたっていうのよ!」

「今のは!?」

「昨日の、諜報員!」

「やばい方だね、どうするの?!」

私が聞くと、アトウッドは後部座席に移って、シートの下からウェポンボックスとは別の箱を取り出した。

そこには暗視装置と、自動小銃が収まっている。

「あたしが撃って足を止めるから、ミリアムはとにかく走って!」

「分かった!」

私は返事をして運転に集中する。だけど、地図で見た限りではこの道は一本道。

両脇には車が逃れることは出来そうもない、ふかい林が広がっている。スピードは落とせない…

どうしてこの位置がバレたの!?こんな山道に先回りなんて!

アトウッドが助手席から身を乗り出して自動小銃を撃ち始めた。ババババという激しい銃声が鳴り響く。

 どうして?どうして急にこんなことになったの!?

発信機か、それとも、なにかもっと別な方法で追跡されているとでも言うの?!

私は半分パニックになりながらも車を走らせる。ガンガンと車体に何かがぶつかる音も聞こえ始める。

ルームミラーで後方を確認すると、そこにはうっすらとヘッドライトの明かりが見えていた。追跡してきてる…!
 

107: 2013/10/22(火) 22:47:54.53 ID:XIdFsd/Ho

 私はなおもスピードを上げた。路面状況の悪い道で、車は激しく揺さぶられる。

私はハンドルにしがみついて、飛び跳ねそうになったり、カーブを猛スピードで曲がるGに耐えるために体を固定しながら運転を続ける。

 アトウッドの小銃の銃声は、なおも激しくなる。火薬のにおいが立ち込めて来た。

「ミリアム!もっとスピード上げて!」

「これ以上は無理よ!」

真っ暗闇の中で、路面状況も分からないままにこれ以上スピードを上げるのは危険だ。

それこそカーブを曲がろうとして横転するか、対応できなくて、ガードレールや木に衝突でもしかねない。

手に汗をじっとりかいて、精一杯だよ!

「あぁ、もう!これだから車っていやなんだよ!」

アトウッドがそう悲鳴を上げた。ルームミラーの中の車はどんどん近づいてきている。

「姫様!手榴弾取って!」

「は、はい!」

アトウッドに言われて、ミネバさまが後部座席の箱の中から手榴弾をつかんで、

激しく揺れる車の中を前部座席に張ってきて、アトウッドに手渡した。

ピンを抜くのと同時に、車が風を切っている音に混じってキーンと、撃鉄の飛ぶ音が聞こえる。

 アトウッドが腕を振り上げて手榴弾を放り投げた。後方で、何かが弾ける閃光が走る。

それでも車はまだついてくる。

「だぁー!もう!あいつも軽装甲並みの防弾車だ!これくらいじゃ、びくともしない!」

アトウッドはそう言いながら車内に戻ってきた。

「機関銃か、ロケット砲は?!」

私が聞くと、アトウッドは一瞬考えるしぐさを見せてから。

「あれは、ヘリ用に取っておきたいんだ。

 あれがなかったら、本当にメッタ撃ちにあっても反撃できなくなっちゃうでしょ!」

「そうだけど、でも!」

 しかしその時、風の音とも、車体に撃ちつけてくる銃弾とも違う爆音が私達の耳に聞こえてきた。

まさか…これって…!?

「うそでしょ…!?」

アトウッドが声を上げる。

 バリバリと大気を打ち叩くような、断続的な轟音。ヘリの、ローター音…!

「あいつだ…!」

アトウッドの表情に、初めて焦りの色がにじみ出たのを、私は見逃さなかった。

逃げようのない一本道で、林道ではあるけど、あのヘリを巻いたときのように道を覆い隠すほどの量じゃない。

こっちはライトを照らしながらじゃないと走れないから、上に位置を取られていたら、

どうしたってこっちの姿は見つかってしまう…!どうしよう、このままじゃ…!
 

108: 2013/10/22(火) 22:48:20.60 ID:XIdFsd/Ho

 私は、アトウッドの顔を見た。アトウッドは、私を見ていた。そして、後部座席のミネバさまにも目をやった。

「ちぇっ…他に方法、なさそうだね」

アトウッドはそうつぶやいた。まさか、あなた…

「ミリアム、この道をずっとまっすぐ行くと、ランパン、って街に出る。

 そこにホテルを取って、6時間だけあたしを待って。

 6時間して姿を見せなかったら、そのままヤンゴンに向かってね。あいつらは、あたしが足止めする」

「無茶よ!相手は攻撃ヘリよ!?どうやって戦うつもりなの?!」

私はアトウッドにそう怒鳴る。でも、彼女は、笑った。

「大丈夫。それなりに、手はあるもんだよ。ロケット一本と、この小銃のマガジンだけは、持っていかせてね」

「そんな…!」

私は、言葉が継げなかった。この子は、氏ぬつもりなの…?

私達のために、たった二日、ただ、頼まれた、っていうだけなのに、攻撃ヘリ1機と、

彼女と同じだって言う諜報員数人と戦うつもりなの…?!どうして、どうしてそこまで…!

「どうして…どうしてなの、アトウッド!」

そう聞いた私の肩に、彼女は手を置いた。

「あたしは、あたしの守りたいと思ったものを守るだけだよ。連邦の都合なんて、あたしは知らない。

 こんなやり方は、気に入らないんだ。だからちょっとお仕置きして来るよ。

 大丈夫、あたし、こんな程度じゃ氏なないから、絶対に。あなた達を無事に宇宙へ上げるまでは、ね」

アトウッドは、迷いのない笑顔を浮かべてそう言うと、後部座席からロケット砲を一本抱えて助手席に戻ってきた。

ハーネスを使って背中に背負い、自動小銃を撃ちながらまた身を乗り出す。

 車が、カーブに差し掛かって、勢いが落ちた。

「ミリアム!走るんだよ!絶対に止らないで!」

「マライア!」

「なに!?」

「絶対に、絶対に戻ってきてよ!?」

「うん、約束するよ!ホテルに着いたら、あたし用のウィスキー買って待って!そっちも、気を付けてね!」

アトウッドは笑顔でそう言い残して、助手席の窓から外へ飛び出して行った。

「マライアさん!」

ミネバさまの声が車内に響いた。窓から飛び出たアトウッドの体は、すぐに闇に溶け込んで見えなくなってしまった。

 マライア…お願い、必ず帰ってきて…また私に、あの絶望を味あわせないで。

あなたは、奪われて、失ってばかりだった私の人生に初めて灯った、道しるべなんだから。

この暗い夜道を、一緒に歩いていけると思えた私の支えなんだから…だから、お願い…マライア、氏なないで…。

 私はそう祈ることしかできなかった。

ミネバさまを守るために、銃を撃つことも、引き返して一緒に戦うこともできない私は、

ハンドルを握り、アクセルを目一杯に吹かしながら、ひたすら、彼女の無事を祈り、心の中で、彼女に話しかけ続けていた。

 そうしていないと、彼女が、この暗い闇に引きずり込まれて、二度と帰ってこないような、そんな気がしてしまっていたから…。

 

121: 2013/10/28(月) 01:29:36.79 ID:3X2QHZsBo

 明け方、私の運転で、車はランパンに入った。

どことなく荒廃した様子で、空き家やシャッターのしまった商店なんかが目立つ。

行き交う人々は地元の人が多いようだけど、どこか粗暴な感じを受ける風体の者たちが目に付いた。

 マハの連中や、諜報員と思しき姿は確認できない。アトウッドは、うまくやれたのかな…

無事に、ここへたどり着いてくれると良いのだけど…私はそう思いながら、車を町で一番大きなホテルに走らせた。

部屋を取って、6時間待つ。今の私にできるのはそれくらいなものだ。

それに、こうも地元の人間が多いと、アングロサクソン系の色素の薄い私やミネバさまはどうしたって目立ってしまう。

それだけはどうあっても避けたかった。とにかく、部屋を取って、そこに閉じこもっていよう。

アトウッドが来るまでか、もし来なければ…それからまたしばらく待つか、車に乗って、ヤンゴンを目指すか…

それは、これから考えなければいけないことだ。

 ミネバさまのことを考えれば、すぐにでも発つべきだろうけど…

アトウッドなしでうまく逃げきれるとは思えないし、なにより、あの子を待ちたいという気持ちも強い。

ミネバさまはきっと、私が待ちたい、と言えば同意してくれるだろう。

だけど、本当にそれが私のすべきことかは、やはり迷わざるを得ない。判断ミスは、身を滅ぼす。

今の状態でミスを犯せば、それはミネバさまの身の危険に直結する。

そう考えると、やはり、待つ時間はリスクが増えるばかりだけど、でも、それでも…

 部屋についてからゆっくり判断しようとは思っていたけど、ハンドルを握りながら私はそんな思考のループにはまっていた。

脳裏に、アトウッドの笑顔が浮かぶ。

こんなときに、あなたはならどうするの?きっと微塵も動揺しないで、笑顔だけは忘れないんだろうね。

私も、今は、そうあるべきなのかもしれない。ミネバさまのために、そして、自分自身のためにも。

 車はホテルに付いた。町の雰囲気に比べると、外観は立派だし、きちんとしていそうだ。

車を駐車場に停めて、監視カメラを意識しながらロビーに入る。

アトウッドが残して行ってくれたIDを使って、部屋を取る。荷物を持って、エレベータで5階の部屋まで上がった。

 渡されたキーにふられていた番号の部屋に入って、荷物を置き、ドアを厳重にロックする。

今から6時間…アトウッドは現れるだろうか…ううん、現れて…どうか、お願いだから…

 私はそう思いながら、ベッドに腰掛けてうなだれた。リラックスなんて、できそうにない。

緊張続きがこれほど、体にも心にも堪えるっことだとは思わなかった。

誰かを思いやることは、これだけ辛いことだって言うのは、忘れていたはずだったのに…

ばかだな、私。本当に、懲りないやつだ…。

 

122: 2013/10/28(月) 01:30:52.96 ID:3X2QHZsBo

 トスっと音がして、ベッドがきしんだ。ミネバさまが私の隣に腰を下ろして、私をじっと見つめていた。

「ミネバさま…」

「心配しなくて大丈夫ですよ、ミリアム」

ミネバさまは、穏やかな口調でそう言った。

「はい…お気遣い、ありがとうございます」

「いいえ、気遣いではありません。わかるのです、不思議な感じなのですが…」

ミネバさまは、遠くに視線を投げながらそんなことを言い始める。それ、もしかして…

「ニュータイプの、能力、ですか?」

「そうなのかもしれません。私はメルヴィのように強い感覚を持っているわけではないと思っていたのですが…

今はなぜか、感じ取れます。マライアさんのことを」

「彼女は、生きているのですか?」

「わかりません。ですが、彼女は大丈夫だ、とそう言っている気がします。本当に漠然とした感覚ではあるのですが…」

ミネバさまは、説明しづらそうにそう話してくれる。

 確かにミネバさまがこれまで、ニュータイプ的な能力を見せたことはなかった。

勘が良かったり、こちらの考えを、うっすら言い当てることはあったけど、普通に人間のそれと隔絶したなにかを感じるようなレベルではなかった。

でも、今のミネバさまの話は、彼女自身にこれまでとは違う何かが感じられているということだろう。

ニュータイプの力が覚醒し始めているの…?この状況のせい?それとも、アトウッドの影響…?

でも、もし本当にミネバさまの言うとおり、アトウッドが無事であるのなら…

彼女が到着するまで、この場所で待ち続けるということも、考えておいたほうが良いのかもしれない。

「だから、元気を出してください」

ミネバさまはそう言ってきた。まったく、警護の私が、ミネバさまに励まされているなんて…

情けないったら、ない。こんなの、アトウッドに見られたら、きっと笑われてしまう。

こんなことじゃ、ダメだ。私は、アトウッドのようにはなれないかもしれない。

でも、少なくとも彼女の意思くらいは継げるはずだ。なんとしても、ミネバさまを宇宙へ帰す。

これだけは、絶対にしくじるわけにはいかない。

「すみませんでした、ミネバさま…」

私はミネバさまに謝った。とにかく、こんな雰囲気では、ミネバさまに負担をかけてしまう。

アトウッドと約束したんだ。ミネバさまの心は、私が守らなくてはいけないんだ…。

私はそう思って、部屋のテーブルの上に置いてあったルームサービスのメニューを見た。

「ミネバさま、何か召し上がりましょう!こう気分が落ち込むのは、きっとお腹が空いているせいです!」

私は、なるべく明るく、ミネバさまにそう提案する。

ミネバさまは、提案を喜んでくれたのか、それとも私が持ち直したのが安心したのか、とにかく

「はい!」

と笑顔で答えてくれた。

 それから、メニューから私はサンドウィッチのセットを、ミネバさまはハンバーガーのセットを選んで、

フロントに注文の電話をかけた。

 電話を切ってから、しばらく沈黙が部屋に訪れた。ミネバさまは、ベッドサイドテーブルの中にあった聖書を手にとって、物珍しげに読みふけっている。

私は、といえば、拳銃のメンテナンスも忘れて、ベッドに倒れ込んでいた。
 

123: 2013/10/28(月) 01:31:21.20 ID:3X2QHZsBo

 なるべく気持ちを空にして、冷静に考える。6時間後に、ここを発つかどうかを、だ。

アトウッドが生きているなら、きっとこの街を目指してくるはず。だけど、それがどれだけかかるかは検討がつかない。

仮に、もし運良くあのあと30分程度で戦闘を終えて、アトウッドが無傷で勝ったとしても、

私が車で4時間以上かかった道のりを、車のない彼女が10時間で歩けるかと言われたら、おそらく難しいだろう。

やつらの乗っていた車を奪えればどうにかなるかもしれないけど、果たしてそう上手くいくものなのか。

でも、アトウッドは確かに、この町で6時間待て、と言った。

言ったからには、なにか、対策を思いついていたのかもしれない。

もし、ここへ来られる可能性が薄いと判断していたとしたら彼女は、待てとは言わず、とにかくマドラスへ急げ、

と、そう言ったはずだ。そうだ、そうに違いない…!

 結局、思考がそこに戻ってしまう私は、それからしばらく同じことをグルグル考えていた。

どれくらい時間が経ったか、部屋のベルが鳴った。私は拳銃を手に、ドアの覗き穴から外を確認する。

女性の従業員が、金色の台車に食事を載せて立っている。私は慎重にドアを開けた。

従業員は、ニコリと笑顔を見せて、

「お待たせいたしました」

と台車をこちらへ転がしてくる。

「あぁ、ありがとう」

私はそう言って、部屋に入られないよう、台車を受け取って、笑顔を返しながらチップを従業員に握らせた。

彼女は慣れた手つきでそっとそれをポケットにしまい込むと、

「ごゆっくり」

と頭を下げてドアを閉めた。

 「あ、来たんですね」

チャイムの音で少し緊張していたミネバさまが、私が台車を押して室内に戻ってくるなり、そう言って笑顔を見せた。


「まだ、お待ちください」

私はそうとだけ言って、アトウッドが残して行った荷物の中から、車の爆発物や発信機をチェックしていた際の道具を取り出して、

台車全体をくまなくチェックする。なんでも、電波やなんかを感知するものらしく、

盗聴器や発信機、遠隔操作型の爆弾なんかがあると、センサーが反応する、という話だった。

台車からはなんの反応もない。

サンドイッチの一つを開いて中身を確認するが、こちらにも、薬物が混入されている匂いも味もしない。

気にし過ぎ、か。ううん、でも、今はこれくらいの警戒をしておくべきだ。相手は、諜報員。

どんな手を使ってくるか、わからない。

「ミネバさま、いただきましょう」

私はそう言って、ミネバさまに食事を勧めた。

一晩走り通した体に食事が入ると、とたんに体が重くなるような気だるさが襲ってくる。
 

124: 2013/10/28(月) 01:31:47.16 ID:3X2QHZsBo

 私たちは、どちらともなく、ふぅ、とため息が出た。

ミネバさまはベッドに横になり、私もソファーに座って、入れた紅茶を飲みながら、銃の機関部をチェックする。

 「ミリアム」

不意に、ミネバさまが私を呼んだ。

「はい、ミネバさま」

「マライアさんが、もし6時間して来なかったら、どうするつもりですか?」

 食事の最中にも、私はまだ考えていた。アトウッドが生きているか、氏んでいるかは、わからない。

ミネバさまの感覚が本当なら、希望は持てるのだろうけど、それを確認する手立てはない。

でも、ひとつだけ、確かなことは、ここでアトウッドのことを信じてとどまったとしても、

きっと彼女は喜ばないだろうということだ。

命懸けで私たちを逃がしてくれた彼女の思いを考えれば、私達は時間通りにここを出るべきだろう。

ミネバさまを無事に宇宙へあげること、そしてあわよくば、私も生き残ること、彼女はそれを望んでいてくれたはず。

私の気持ちとしては、ここに残りたいと思う。

だけど、私がそんなことをするためにアトウッドはあそこで車から飛び降りたんじゃない。

「時間になったら、発ちます。生きていても、そうでなくても、それが彼女に対する、私の誠意だと思います」

私がいうと、ミネバさまは黙った。しばらくの沈黙があってから、彼女は

「そうですね…わかります」

と、小さな声で言った。ミネバさまはそれっきり、体を丸めて黙り込んでしまった。

ミネバさまが、アトウッドをどれだけ信頼していたか、私にもわかっている。

私からして、あの子のことを、これほど信じているんだ。苦しい決断だけど、それでも…私達は行かなきゃいけない。
それが、アトウッドの示してくれた道だから。

 それから私達は、黙って時間が過ぎるのを待った。1時間経ち、2時間経ち、4時間経ってもアトウッドは現れなかった。

そして、2時を少し過ぎた。6時間経った。アトウッドは、現れなかった。

 せめて、と思い、私はそれから30分だけ、荷物の整理をしながら、彼女を待つ。

でも、整理が終わっても、30分が過ぎても、やはり彼女は姿を見せなかった。

「ミネバさま、時間です。参りましょう」

「はい…」

ミネバさまの表情は、沈痛に染まっていた。いや、私もそうだっただろう。

だけど、ここから先は、感傷に浸っている場合ではない。

アトウッドが来ない、ということは、少なくともあの諜報員達が無事に、私達の追跡を続けているだろう可能性が高い。

急がないといけないんだ。

 私はミネバさまを連れ、車から持ち出した銃器のケースを持って部屋を出た。

エレベータに乗って、ロビーまでおり、駐車場への通路を歩いていく。ふと、遠くの方に人影が目に入った。

現地人のようだけど…いえ、まって…あの顔…
 

125: 2013/10/28(月) 01:32:43.07 ID:3X2QHZsBo

 私はとっさにミネバさまを制止して、通路の影からその人物を見る。

男で、一見すると現地の人間のようだったけど、よく見れば、あれはヨーロッパ系…

骨ばった体躯に、彫りの深い顔立ちだ…私は、さらに男をよく観察する。

男は何をするでもなく駐車場をブラついていおり、ときおり不自然にあたりを見回していた。

男が、向きを変えて、別の方を眺める。私は、遠目だったけど、男の耳に、インカムが付けられているのを確認した。

―――しまった…!もうたどり着いていたの!?

 それに気づいて、私は胸が急激に締め付けられる感覚に襲われた。

心臓の鼓動が早くなり、全身から汗が吹き出してくるのがわかる。

 私の様子で、ミネバさまも事態を察知したようだった。

私が踵を返すのと同時に、ミネバさまも振り返って早足でその場を遠ざかる。

 ロビーを抜けて、裏口から通りへ出た。しかし、この町ではどうしたって、私達のような、人種は目立つ。

なるべくひと目にいつかないようにしながら、町から抜けないと…ヤンゴンは、南西だ。

とにかく、そっちの方へ向かうべきか…いえ、待って。

相手は、私達がハノイからここへ来たことを知っている。

だとするなら、進行方向は抑えられていると思って良い。

だとするなら、一番抜けやすいのは、元来た北方面…

どのみち、徒歩の移動になる。

距離がそれほど稼げるわけでもないけど、どこかに隠れながら、ゆっくり遠ざかるしかない。

幸い、町を出ればすぐに鬱蒼と茂る森林に囲まれている。その周辺まで行けば、隠れることはできるだろう。

とにかく、今はそこまで向かわなきゃ…

 私はうつむき加減に、ミネバさまの手を引いて町を歩く。

手近かな路地に入り込んで、町の北を目指して歩いた。路地が途切れて、別の大通りにぶつかる。

そこで、私は、息が止まった。
 

126: 2013/10/28(月) 01:33:11.86 ID:3X2QHZsBo

 通りの向こうに、マハの制服を着た一団がいたからだ。諜報員の連中は、マハと情報共有でもしたの?

それとも、偶然…?どちらにしても、このままではマズイ…

私は方向を変えて、マハ達とは別の方角へ歩きだそうとした。

でも―――

 道路の反対側にも、別のマハの一団がいる。それぞれ、5,6人のグループになって、フラフラと巡回している。

町に入ったときは、やつらの姿はなかった。やはり、ここまで追跡してきた連中なんだ。

 落ち着け…に、逃げないと…でも、どこへ?今来た道を戻れば、諜報員達。

でも、目の前の通りを行こうものなら、マハの連中に発見される…

ミネバさまを連れて走って逃げるのには限界がある。逃げるなら、車か…私はあたりを見回す。

この際だ、多少騒ぎになってもアシを確保しておくほうがいい。でも、近くに車なんて一台もない。

まずい、この場所は、不味すぎる…!

私は、ミネバさまの体を隠しながら、人通りの多い、商店のある方へと移動した。だけど、囲まれていることに変わりはない。

マハの連中が動くのを、この場所でやり過ごせるか…危険な賭けに出るしかない。

あぁ、せめて、車の中のアトウッドの変装用具さえあれば、もう少し上手くやり過ごせたかもしれないのに…

 そう思っていたのも束の間、先に見つけた方のマハの一団が、商店の方に歩いて来始めた。

くっ…どうしよう、お店の中に逃げる…?い、いや、ダメだ、もし入ってこられたら逃げ場がなくなる…

残らされた選択肢は、やはり、諜報員達のいたホテルへ戻る道…

そこを戻って、ホテルの前の大通りを北へ抜けるほかはない。

私は、ミネバさまの手を引いて、さっき来た細い路地へと戻った。
 

127: 2013/10/28(月) 01:34:05.26 ID:3X2QHZsBo

 その路地をホテルへ抜ける方へと歩きだしたとたん、目の前に何かが現れて、私の口をおおった。とっさのことで、呼吸が完全に塞がれて、文字通り息が詰まる。

持っていたケースを手放して、口を塞いだ何かを掴む。

しかし、今度は胸ぐらに伸びてきていた腕が、私の体を強烈に引っ張った。

―――しまった…!?敵…!?

 そう思って拳銃を振り上げようとした瞬間には、私は、そばにあった建物の中に引きずり込まれ、その床に組み伏せられていた。

「ミリアム!」

ミネバさまの叫び声が聞こえる。

「シーッ!」

それを諌めるかのように、そう言って息を漏らす音がした。

同時に、私の口から手が離れ、体にのしかかっていた重みが取れた。

私は飛び起きて拳銃の照準で相手を探した、と、その腕が絡め取られて、再び、今度は羽交い絞めにされてしまう。

この関節技…確か、あの温泉で…

 そう思って、私は後ろをみやった。

「シーッ!ミリアムも、静かにね。姫様、ケース持って、早く入って、ドア閉めちゃって」

そこにいたのは、アトウッドだった、泥だらけで、薄汚れて、あちこちに傷を作っているけど、確かに彼女だった。


「アトウッド!」

私はそう叫んで、彼女が私を開放するのと同時に彼女に飛びついていた。なぜだか、膝が震えていた。

胸の奥から、キリキリとした感情が込上がってきて、膝の震えが、全身にまで波及してきたかと思えば、目頭が熱くなって、ポロポロと涙がこぼれだしてくる。

 良かった…生きてた…生きてたのね…!

私は、声を[ピーーー]代わりに、彼女に回した腕にこれでもかというくらいの力を込める。

「ミリアム、待たせてごめんね。予想以上に時間食っちゃってさ」

アトウッドも私の体に腕を回して、ポンポンと背中を叩きながら、いつもの、明るい声色でそう言ってくれる。

 ガクガクと震える膝がついには力を失って、私は、そのまま、床に崩れ落ちてしまった。

アトウッドはそんな私を気遣ってか、自分もゆっくりしゃがみこんでくれる。

 ミネバさまもドアを閉め、鍵をかけて私たちのところに来て、アトウッドに抱きついた。

「マライアさん…無事だと、信じていました」

「姫様、ありがとう。遅くなってごめんね」

アトウッドはそう言ってミネバさまにも謝った。

 「ほら、ミリアム、しっかりして、ね?」

アトウッドは、まるで子どもでもあやすみたいに私にそう言ってきて、頬の涙をぬぐい、いつもの、優しい笑顔で微笑んだ。

「逃走用の車も準備してきた。防弾車じゃないから、慎重にいかないといけないけど、今ならマハの連中からも逃げきれる。

 もうちょっとでヤンゴンだし、もうひと頑張りして、三人で宇宙へ逃げよう!」

この子は、自分の言葉がどれだけ他人に力と安心を与えるのか、わかっているんだろうか?

分かっていないのなら、今度じっくり教えてあげないといけないな。

私はそんなことを思いながら、震えていた脚に力を込めて立ち上がって、出来るだけの笑顔で、彼女に言ってやった。


「遅いのよ。どれだけ心配したと思ってんの」

「えへへ、ごめんね。でも、ありがとう」

そう返事をしたアトウッドの目にも、うっすら涙が浮かんでいて、なんだか思わず、笑ってしまった。
 

132: 2013/11/03(日) 01:30:39.04 ID:qTc6sIsvo

 アトウッドの運転する車が山道を突き進んでいく。

彼女の表情は、これまでにみたどんなときよりも、険しく、引き締まっていた。

 それは、私達の置かれている状況が厳しいことを意味しているのだろうけど、

不思議と私は、アトウッドがそばにいることで、無条件に安心感を覚えていた。

私ひとりでは、ミネバさまを守りきれないかもしれない。

けれど、アトウッドとふたりでなら、それもできる気がする。そんなことを、うっすらと感じていた。

「あのヘリと、敵の諜報員には勝ったの?」

「ううん。暴れまわって、逃げてきただけ。足止めくらいにはなったと思うんだけど…」

アトウッドはそう言う。だけど、あの町にも、諜報員と思しき一団がいた。あれは、どういうことなのだろう?

「町にも来ていたわ、あの連中」

私が言うと、アトウッドは驚いた表情を私に向けてきた。

「そんな…あいつら、増員でもしたのかな?めんどくさくなっちゃったなぁ」

それでも、本気でそう思っているのかどうかわからない口調で、アトウッドはつぶやいた。

まったく、そういうのが、いちいち私を笑顔にさせてくれて、過剰な緊張で硬くなった体も心もほぐしてくれる。

本当に、あなたって人は…

「とにかく、もう猶予がないんだよ。このまま止まらずに、ヤンゴンまで走ろう。

 最悪、ヤンゴンには向かわないで、陸路でマドラスに向かう手も考えてる。

 そっちは、ラサにも近いし、距離的にもかなりギリギリになっちゃう計算だから、あんまり使いたくはないんだけど…」

アトウッドはそう言ってふう、とため息をつく。それから、思い出したように

「ね、あたしのウィスキー、買っておいてくれた?」

とおどけた様子で聞いてきた。

「あぁ、ごめん、忘れてた。あの状況だったから」

「えぇー!?そのために頑張って道なき道をすっとんで来たってのに!」

私がシレっと言ってやったら、彼女は頬を膨らましてそう叫び、ケタケタと笑った。それから

「ウィスキーは、輸送船の仲間でお預けかぁ。どこか、道すがらで売ってればいいんだけど…

 って、そもそも、買い込んだ食料はあっちの車に積みっぱなしだったね…

 うーん、これは、また手榴弾漁をしなきゃいけなくなるかなぁ」

「魚もいいけれどね。できたら、炭水化物は口にしておきたいわよね」

「うん、そうだよね。ヤンゴンに入る前に、小さい町をいくつか通るから、

 パンかなにかくらいは売ってるといいなぁ」

アトウッドは、そう言って脚をばたつかせる。

133: 2013/11/03(日) 01:31:06.14 ID:qTc6sIsvo

この先は、エレカのバッテリーを充電する以外は本当に走り通しになるだろう。

私も、これまでのようにのんびりアトウッドと無駄話をしている暇はないかもしれない。

とりあえず、交代で休んでおく必要がある。

「アトウッド、運転を変わるわ。疲れてるでしょう?」

私がそう申し出ると、彼女はニコッと笑って、

「大丈夫。とりあえず、ミリアムが休んでよ。しばらく行ったら起こすから、そうしたら変わってほしいな」

と言ってきた。その表情にはまだ、疲れの色はない。まったく、なんてタフな子なんだろう。

もしかしたら、こう、ヘラヘラしているせいだとか?

ううん、ただ、そう言うのを感じない頭の構造なのかもしれない。

まぁ、有り体に言えば、おバカさん、なのだけど…

でも、こんな時には変に張り詰めて疲れてしまうよりはずっといい。

それに、アトウッドが本当にそんなだなんて、到底思えるはずもない。

「分かったわ。それじゃぁ、少し休ませてもらうね」

私はアトウッドの言葉に甘えて、シートを少しだけ倒してそれに体を委ねた。

 舗装状態の悪い道のせいで、車が心地よく揺さぶられる。

こんな感覚は、本当に久しぶりだ。自分への戒めと、失うことを恐れて、誰とも馴れ合ってこなかった私は、

グリプス戦役も、第一次ネオジオン抗争化の地球でも、ずっと一人で戦ってきた。

もちろん、部隊には仲間もいたけど、彼らとも、訓練や実戦で一緒になるだけ。それ以上の関係にはならなかった。

 戦場で仲間を作れば、失うことが怖くなる。守ろうとする自分が、傷つく。

それに、あまりに親しくなると、昔のことを思い出す。私の守れなかった、仲間たちのこと、あの戦争のことを。

それは胸が張り裂けそうにつらいことで、絶対に思い出したくはない、ずっとそう思っていた。

そんな私が、今は、強力な仲間に守られている。

身も心も、すべてを委ねたくなってしまうこの女性に、私は絶対の信頼と好意を寄せていた。

 彼女と一緒にいても、昔のことは思い出す。失う怖さもある。

でも、彼女はそんな私の気持ちすべてを受け止めて、そして救ってくれるようなそんな雰囲気を持っていた。

辛いはずの過去も、彼女と一緒にいる時間に思い出せば、辛くはない。

ただ、心の中にたゆって、昨日の記憶のようにありありと覚えているのに、

私はそこから起こる感情とは一線を引いて、私自身がその感情を受け取めることさえできていた。

途方もないさみしさと、悲しさと、安心感を持って。

 ウィスキー、忘れずに買っておいて上げればよかったな。

銘柄を聞いていなかったけど、多少値の張るものだったら、彼女も満足してくれただろう。

私が彼女に返してあげられることはすくない。

だけどせめて、彼女の力になれそうなことはなんだってしてあげるべきだ。彼女はもう、大切な仲間なんだから。

134: 2013/11/03(日) 01:31:40.44 ID:qTc6sIsvo

 それから私達は延々と車を走らせた。

あたりの景色も変わり、これまでの山道も川が多くなって、橋をいくつも渡った。

森林に変わって、田畑やなんかが多くなり始める。

夕方になり、やがては日も落ちて、しばらくすると、夜明けが来た。

途中で小さなエネルギースタンドに立ち寄り、エレカのバッテリーを充電しながら、

アトウッドとふたりで、ミネバさまを宇宙に送り届けるために、ひたすら走った。

ヤンゴンへたどり着けば、間に合う。宇宙へ上がれば、ネオジオンへと戻ることができる。

そこはもう、追われる心配のない、安息の地になるはずだ。

そうしたら、私は、そのときに改めてアトウッドに礼を言わなきゃいけない。そのために、あともう少し。

もう少しだけ、頑張らないと…

 朝日が昇って、疲れた、と言って私を起こしたアトウッドと運転を変わった。

出発してから、おおよそ3時間ずつ運転しては交代をしている。

仮眠を取るには十分すぎる時間で、体の疲れは相当だけど、それでも、心はまだまだへこたれてはいない。

 アトウッドのおかげもあるし、目標が見えてくれば、なおのこと元気にもなるというものだ。

 車が小さな町を抜けた。

あと、4時間も走れば、ヤンゴンにたどり着ける。車は、大回りをしてヤンゴンへと向かう幹線道路を走っていた。

あたりは、畑と、今は休作中なのだろう、草が生え揃った草原のような大地が広がっている。

窓から入ってくる風が心地良い。野営をした森の中でも感じたけど、

草木の生い茂る場所の空気がこんなにも美味しいなんて、追われる身だけど、そんなことを感じずにはいられなかった。

 疲れた体のすみずみまで行き渡って、細胞が浄化されているような感覚さえした。

私は運転席からチラっと、あたりの景色に目を走らせた。

地球は、美しい場所だな…アースノイドは、本当にこの星を食いつぶそうとしているのだろうか?

ホンコンシティからここまで、確かに荒れ果てた場所がなかった、といえば嘘になるけど、でも、

それ以上に今目の前に広がっているのと同じような美しい景色もたくさんあった。

そのどれもが力強くて、なんだか、人間程度があれを破壊するなんて、本当にできるのだろうかとすら思えた。

 もちろん、核兵器なんて使えば、景色なんて一瞬で吹き飛んでしまうけど、それでも。

この星は、そんな程度でダメになってしまうようなものでもないのかもしれない。

たとえ人が絶滅したとしたって、この美しい風景は残る。私には、そんな気がしていた。

 ふと、サイドミラーに後方から走ってくる車が見えた。民間車両のようだけど、妙にスピードが出ている。

遠目では、運転席にひとり座っているだけだ。でも、何か様子が妙な感じがする。

まるで、私たちを追いかけてくるようなスピードの出し方だ…

「アトウッド、起きて」

私が声をかけると、彼女はパッと目を開けた。

「ミリアム、なに、交代?」

「ううん。後ろから、妙な車が来てる」

私が言うとアトウッドもサイドミラーで後方を確認した。それから、彼女は、なぜか戸惑った表情を見せた。

「なんで…!?」

まさか、あいつら、なの?!

135: 2013/11/03(日) 01:32:10.22 ID:qTc6sIsvo

 私がアトウッドに確認するよりも早く、ミラーの中の車は私達のすぐ後ろについて、

ビービーとクラクションを鳴らし始めた。やっぱり、あの諜報員の車だ!

 私はアクセルを踏んでスピードを上げた。しかし、すぐにまた追いつかれ、その車が私達の車のすぐ横に並んだ。

「マライア!車を停めて!」

運転席から、こちらへ、女がそう叫んでいるのが聞こえた。

「クリス!」

それを聞いたアトウッドが声を上げた。なに、知り合いなの…?まさか、アトウッドの仲間、って人…?

でも、待って。私、この女を知ってる…どこかで、会った…どこで…?

 あの、茶色の長い髪、凛々しい眉に、青い瞳…そう、そうだ、この女!

ハノイのホテルから逃げ出すとき、エレベータに乗ってきた、ジョギングウェア姿だった、あの女だ!

あれはアトウッドの仲間だったの…!?

「アトウッド!」

「ミリアム、停らないで!」

彼女の名を呼んだ私に、そう怒鳴ったアトウッドは助手席側から、クリス、と呼んだ女に叫んだ。

「クリス!私に任せてって言ったはずだよ!」

「違うの!この先には、敵の諜報部隊が展開してるのよ!」

「敵!?」

敵の諜報部隊?!やつらのこと、だよね?だとしたら、やっぱり彼女は、アトウッドの協力者…?

だけど、アトウッドは車を停めるな、と言っている。なんなの、どういうことなのよ!?

 私はハンドルを握りながら懸命に考える。だけど、答えなんてちっとも浮かんでこない。

混乱だけが頭の中を駆け巡る。一体、何がどうなってるの?

「敵って、どういうこと!?」

「とにかく、このルートはダメなの!すぐに引き返して!」

クリスと呼ばれた女が叫ぶ。でも、そんなとき、目の前に何かが横切った。私はハッとして前を見る。

そこにいたのは、まだずいぶん距離があるけど、見覚えのあるモビルスーツの姿だった。

あれは…ゲルググ!?

次の瞬間、ゲルググはバーニアを吹かして飛び上がると、空を舞って、私達の目の前に降り立った。

私は反射的にブレーキを思い切り踏み込む。車は路面を滑って、ゲルググの脚にゴン、とぶつかって停止した。

 グアン!と激しい音がした。

見ると、クリスという女の乗っていた車が、ゲルググの足に乗り上げて跳ね上がり、横転してしまっていた。

「あぁ、クリス!」

アトウッドがそう叫ぶ。

 これは、間違いなく、ゲルググだ。どうして、こんなロートル機がここに…?宇宙から降下させたの?

いいえ、違う…これは、陸戦仕様の機体だ…13年前に地球に放置されたモノを誰かが見つけて使っているの?

でも、13年もそのままで満足に動くなんてありえない…ゲルググの形をした別のMS?

それとも、レストアして使っているの?誰が、なんのために!?

136: 2013/11/03(日) 01:32:50.35 ID:qTc6sIsvo

 「ミネバさま!アウフバウム大尉!無事ですか!?」

ゲルググからそう声が聞こえた。私達のことを、知っている?!

 私はゲルググを見上げた。すると、コクピットが開いて、中から一人の男が顔を出した。

一見アジア系にも見えるけど、彫りの深いヨーロッパ系の顔立ち…あの男…確か、ランパンのホテルに居た…?

 男は、エレベータを使って、地上に降りてきた。よく見れば、ネオジオンのワッペンと階級章をつけている。

少尉らしい彼は、拳銃を抜いて、銃口を突きつける私を気にも止めずに車の中を覗き込んで来た。

「アウフバウム大尉、自分は、エーリッヒ・ラムシュタイン少尉です。

 シャア総帥のご命令で、我が特殊班がお迎えにあがりました」

彼はそう言ってきた。まさか…宇宙からの援軍?!そんなことは予想していなかった。

暗号無線機にも、そんな情報は送られてきたことはない。

罠…?だけど、彼は確かにジオンの人間だ。

見て、話し方を聞けばわかる。これは演技や任務のために身につけたものではない。

連邦に雇われた、元ジオンの諜報員、と疑えなくもないけど…そう思う、根拠は、一切ない。

「クリス、ダメ!」

急にアトウッドが叫んだと思ったら、車から飛び降りて、横転した車に駆け寄った。

クリスがベコベコになった車から這い出ていて、懐から、拳銃を抜いていた。私もとっさに銃を向ける。

 どういうことなの…?あのクリスって女は、やっぱりアトウッドの協力者ではなく、諜報員、ってこと?

それとも、ただ混乱しているだけ…?

 そんなことを考えていたら、私達の車の周りを、別の車数台が一気に取り囲んだ。

銃を向けたその車からは、男たちが次々と降りてくる。銃を向ける私に目もくれず、小銃を構えて、周囲に警戒を走らせる。

 「大尉、ご安心ください。我が隊の隊員たちです。ミネバさま救助のために志願した精鋭ですよ」

エーリッヒと名乗った彼は、まるで嬉しそうにそんなことを言ってくる。

スイートウォーターの援軍…本当に、そうなのね?

 確かに、見れば彼らが構えている小銃は、全てネオジオンが使用しているもの。

地球連邦の武器ではないし、あれを手に入れるのは、地球では難しいはずだ。本当に、援軍なんだ…

 「離れて!彼女は関係ない!」

不意にまた、アトウッドの叫び声が聞こえた。

見ると、ネオジオンだという男たちが、車からクリスと呼ばれた女を引きずり出して、

したたかに蹴りつけているところだった。

男を止めようとしたアトウッドも銃床で殴られ、地面に組み敷かれている。

「何をしてるの!その人は、味方よ!」

私はそう怒鳴って、車から飛び降り、アトウッドを踏みつけていた男に銃口を突きつけた。

彼は、戸惑うようにしてアトウッドから足をどけ、2,3歩引き下がる。

私はそれを見届けてから、アトウッドを助け起こした。

「大丈夫?アトウッド…」

「うん…ありがとう、ミリアム…」

そう返事をしたアトウッドは、かすかにだけど、いつものように笑った。でも、私はそれに違和感を覚えた。

なぜ、それだけなの?私達は、助かったんだよ?これだけの数がいれば、マドラスにもたどり着けるはず。

あなたが命を掛けなくなって、宇宙へ帰れる。それなのに、どうして、そんな顔をするの?

137: 2013/11/03(日) 01:34:15.12 ID:qTc6sIsvo

「アウフバウム大尉」

後ろから、エーリッヒと名乗った男がそう声をかけてきた。

「その女の目的は、ミネバさまとあなたの誘拐にありました。

 我々を制止するための切り札にしようと考えていたようです」

「違う…!あたしは…!」

アトウッドが苦悶の表情でエーリッヒに吠える。

「なにを言っているの?彼女は、命をかけて私達をここまで運んでくれたわ。

 誘拐するつもりなら、最初からもっとうまくやっているはず。わざわざこんなところまで来ることもなかったわ」

本当にそれが目的だったのなら、私達をマハから助けて、こんなところまで連れてくるはずはない。

そんなこと、少し考えればわかるはずだ。彼も、ネオジオンの人間に間違いはない。

なにか勘違いをしているに違いないんだ。

そうだ、私達を追っていた諜報員と彼女が同一の組織とでも思っているのかもしれない。

 「彼女は、あなたたちが思っているような人ではないわ。それはまた、別の組織の人間よ」

私はそう言ってやる。安心して、アトウッド。あなたに危害は加えさせないわ。あなたのことは、私が守る。

 そう思いながら振り返ったところに跪いていたアトウッドの表情には、明らかに戸惑いが見て取れた。

大丈夫、アトウッド、大丈夫だから…

「いいえ、アウフバウム大尉。その女は、あなたとミネバさまを宇宙へあげるつもりはありませんでしたよ」

エーリッヒはそう言うと、ポケットから何かを取り出した。それは、小型のボイスレコーダーのようだった。

私が彼の目を見つめると、彼は、首をかしげてからその再生ボタンを押した。

138: 2013/11/03(日) 01:35:11.71 ID:qTc6sIsvo

<クリスに、ポール…ジャックまで…そっちの車に乗ってるのは、ジェフ?あなた達、なんのつもりなの?>

それは、アトウッドの声だった。

<良かった、話を聞いてくれそうで>

別の、女の声…これは、あの、クリスって女…?

<悪いけど、あの二人は渡せない。邪魔をするなら、あなただからって、容赦しないからね>

<…マライア、あなた、本当に二人を宇宙へあげるつもりなの…?>

<……>

<今の政治状況がわかっているの?>

<わかってるよ…でも、だからこそ、連邦に二人を…あの子を渡すわけにはいかない>

<私達は、なにも政府の指示を受けてこんなことをしているわけじゃないわ。ブライトキャプテンからの依頼で、二人を追っているの>

<ブライトの依頼で?>

<えぇ…これが、彼からの情報よ>

<…まさか…ネオジオンが、クワトロ大尉が、こんなことを計画しているっていうの!?>

<えぇ、既に、ネオジオン艦隊は動き出しているわ。

 この情報をなんとか手に入れたロンドベルも迎撃に向かっているけど、状況的には紙一重…時間が必要なの>

<それで…あの二人を、人質に取るつもりなんだね…>

<そうよ。それ以外に、作戦を遅延させる方法がない。せめてロンドベルの戦力を整える時間が欲しい>

<…でも、だけど…あたし…>

<お願いよ、マライア。これは、地球の存亡に関わることかもしれないのよ!?>

<…うん、それは、分かってる…分かってるけど、でも、ごめん、二人は、宇宙へ帰してあげたい。こんなところで、戦争の道具にも、犠牲にもしたくない。だから、二人のことはあたしに任せて>

<マライア…>

<要するに、ネオジオンの作戦を遅延させて、ロンドベルの戦力が整う時間を稼げばいいんだよね…?

 それなら、あたしが、予定より数日ながく、二人を連れ回せば良い…>

<できるの?>

<これまで通り、あたし達を妨害してくれれば、たぶん大丈夫…>

<ごめんなさい、汚れ役を押し付けるような形になって>

<いいんだよ。地球の、二人も守るためには、あたしが悪者になるしかなさそうだし…

 あたし、あの護衛の子が気に入っちゃんだ。すごく優しくて、怖がりだけど、いい子なんだよね…

 たぶん、このことがバレたら嫌われちゃうな…ま、仕方ないか…。

 あたしにはアヤさんたちがいてくれれば、それでいいしね…あ、クリスももちろん、その中に入ってるからね>

<…ありがとう>

<ううん、こっちこそ、わがまま聞いてもらって、ごめんね。

 でも、とにかくあたしは、あの二人を、いくら時間がかかっても必ず宇宙にあげる>

<うん、分かったわ…アヤ達も、それを望むでしょうね>

<うん、絶対に>

<それなら、あなたに任せるわ、マライア。来て、近くまでヘリで送って行くから>

<わっ!それは助かる!連邦軍所属の諜報班だったら、車をぶんどるつもりでいたんだけど、

 あなたたちじゃそうもいかないしね!>

ピッ、と音を立てて、レコーダーの音声が止まった。

139: 2013/11/03(日) 01:35:53.77 ID:qTc6sIsvo

 なに、今の。今の会話は、なんなの…?クリスっていうのは、ロンドベルと繋がりがあるの?

アトウッドは、本当に私達を人質にするつもりだったの?シャア総帥の行動を妨害するために…?

 私は、まるで頭を打ち抜かれたみたいな衝撃に襲われていた。

同時に、胸の内に、言葉にできない、煮えたぎるような感情が湧き上がってくる。

アトウッドは、この女は、私達を利用しようとしていたの…?

あんな笑顔で、あんな優しさで、私やミネバさまを、自分自身で言っていた、戦争の道具に使うつもりだったの?!

 私はアトウッドを睨みつけた。アトウッドは、無表情で、力なくうつむいていた。

「ご理解いただけましたか、アウフバウム大尉」

エーリッヒが、沈痛な面持ちで私にそう言ってきた。

 理解、なんて、できるはずもない…一体、なにが、どうなってるの?

ねぇ、アトウッド…言ってよ、なにが本当のことなの…!?

「アトウッド…今のは…本当なの?」

私は、拳銃を握り直して、アトウッドに聞いた。アトウッドは、顔を上げた。もう、笑ってはいなかった。

彼女は、静かに、涙に頬を濡らしている。

「ごめん、ミリアム…」

その言葉を聞いた瞬間、頭のなかで何かが弾けた。

私は思わず、アトウッドを蹴りつけ、地面に踏みつけて、こめかみに銃口を突きつける。

 「最初から、そうするつもりだったのね…シャア総帥に信頼を受けているのをいいことに、

 私達を、ネオジオンを壊滅させるために…!」

「ち、違う!ミリアム、あたしは…!」

「言い訳は聞かない!」

私は中の撃鉄を上げた。胸の奥から吹き上がる怒りが、体を頭を支配する。

この女を、ズタズタに切り裂いてやる…私の信頼も、好意も、心も、すべてを裏切って、利用しようとしたこの女を!

「やめなさい、ミリアム!」

鋭い声が、私の背筋を打ち抜いた。見ると、そこには、ミネバさまが居た。

「銃を引きなさい。あなたたちもです」

ミネバさまは、鋭い目つきであたりの男達にも睨みを効かせる。

「しかし、この女はミネバさまを…!」

「頃してしまっては、真相がわかりません。逮捕して、スィートウォーターに連行します。

 このような輩を寄越したシャアに譴責しなければなりませんし…

 あるいは、彼は私を亡きものにしようと画策していたのかもしれません」

「ミネバさま、何を…!?」

「黙りなさい、ミリアム。他の者も、聞きなさい。ジオンの名に於いて命令します。

 この者を逮捕し、シャアの前に連行しなさい。

 シャアの潔白を晴らすためにも、彼自身にこの者の処分を決定させます。いいですね?」

ミネバさまは、そう言ってまた、ひとりひとりを睨みつけた。

ミネバさまのご命令であれば、私達は、逆らうことなどできはしない…。

140: 2013/11/03(日) 01:36:33.06 ID:qTc6sIsvo

 私は、アトウッドの顔に唾を吐きかけて、立ち上がった。

銃の撃鉄を下ろして、地面にころがるアトウッドを見下ろす。

ミネバさまのご命令とあっても、この怒りが収まるわけはない。

私は、地面に転がったアトウッドの腹を思い切り蹴りつけてやった。

「あっぐぅぅっ…」

アトウッドは、体を丸めて痛がった。

 それから私は、ミネバさまの前に跪く。

「ミネバさま…心中、お察しいたします」

私と同様に、ミネバさまもあの女に懐いてしまっていた。私と同じように、深く傷つかれたはずだ。

「ありがとう、ミリアム。今少し、私のそばにいてくださいね」

ミネバさまはそう言って、悲しげに笑った。それから周囲の男たちを見渡すと

「これからどこへ向かうのですか?」

と尋ねた。

「はっ。20キロ先の平原に、シャトルを準備しております」

エーリッヒも跪いてミネバさまにそう説明する。

「そうですか。それでは、急ぎましょう」

ミネバさまは、頷いて、そう言った。

 「待って、姫様!」

アトウッドが叫んだ。この女、まだなにか言い逃れをするつもりか?!

傍らに居た男が、アトウッドの体を地面に押さえつける。

「うぐっ…姫様、聞いて!クワトロ大尉は、シャア総帥は…!

 地球に…ラサに、5thルナを落とすつもりなんだよ!

 この星に、また、13年前の戦争とおんなじことをしようとしてるの!お願い、ここに残って!

 それがダメなら、せめてあの人の説得を…!」

「黙れ、売女め!」

男が、銃床でアトウッドを殴りつけた。

小さくうめき声が漏れて、アトウッドは再び地面にへばりつくように倒れこむ。

「姫様、スパイの言う戯言に、耳をお貸しになることはありません」

私はそう言って、ミネバさまの肩を抱いて、その場を離れようとした。

 その瞬間、ヒュンと、風の切れる音とともに鋭い痛みが、私の左腕に走った。

見ると、いつの間にか、来ていたシャツの袖が裂け、うっすらと血がにじみ出ている。

141: 2013/11/03(日) 01:37:37.88 ID:qTc6sIsvo

―――こ、攻撃!?

 「う、うわぁぁぁ!」

叫び声がした。振り返るとそこには、頭を吹き飛ばされ、首から上がなくなった誰かの氏体が転がっていた。

 狙撃…まさか、あのときの…!

「アンチマテリアルライフル!狙撃!敵襲よ!」

「伏せて!」

私が叫ぶのと、そう声が聞こえて体に強い衝撃が走ったのと、ほぼ同時だった。

ヒュン、とまたあの音がして、すぐそばにいた男の首から上が吹き飛んだ。

 顔を上げた私の上には、私達をかばうように、アトウッドが覆いかぶさっていた。

私は、とっさに彼女の顔面に肘打ちをいれて払いのける。

「ラムシュタイン少尉!ゲルググでミネバさまをシャトルまで!時間が長引けば、敵もMSを出してくる可能性があるわ!」

「了解しました!」

エーリッヒはそう返事をすると、狙撃の氏角からゲルググのコクピットへと、MSの装甲を這い上がっていく。

 他の連中も、車の影身に身を潜めて、脱出の機会を伺っている。

 不意に、バリバリと音が聞こえ出した。これは、あのときの攻撃ヘリに違いない!

「敵の戦闘ヘリがくるわ!各員、撤退急いで!」

「ミネバさまを先に逃がすまでは、離れませんよ!」

そばに転がってきていた男が、そう言ってブサイクに笑ってきた。私はそれを無視して、

「手錠を貸しなさい」

と言いつけた。彼は腰につけていたポーチから手錠を取り出すと、私に手渡してくる。

私はそれで、アトウッドの両手を拘束した。万が一のときには、盾くらいにはなるだろう。

そういえば、あのクリスという女も…私は横転していた車の方をみやった。

しかし、すでにそこには、女の姿はなかった。逃げられた、か。まぁ、あんなやつはどうでもいい。

 モノアイの点灯する音とともに、ゲルググが起動した。

機械音をさせて、機体を起こすと、そのまま狙撃が来ている方向へと機体を動かし、私達の盾となってくれる。

マニピュレーターが差し出されて、コクピットが開いた。

「大尉!ミネバさまとご一緒に、早く!」

エーリッヒの声が聞こえた。

私はアトウッドの髪を掴んでマニピュレーターに乗せ、自分も、ミネバさまを支えながら乗り込むと、コクピットに向けて合図をした。

丁寧な操縦で、エーリッヒは私達をゲルググのコクピットへとかざしてくれる。

アトウッドを中に蹴り込んで、私とミネバさまも乗り込み、コクピットが閉じた。

「ラムシュタイン少尉、他の隊員に撤退の指示を。この機体は、最優先でHLVへと向かうわ」

「了解しました、アウフバウム大尉。お二人をお守りできること、光栄に思います」

エーリッヒは、そう言って私に笑いかけてきた。笑顔、か。もはや、なんの感慨も持たないな。

 宇宙へ無事に宇宙へも帰れるというのに、ことさら、嬉しいとも思わない。

私は、胸の内に湧き上がっている怒りを押さえ込んで、まるで底が抜けたような、呆然とした心持ちになってしまっていた。

それは、絶望とも、悲しみとも違う、なにか、大切な部分が抜け落ちてしまったかのような、虚しく、荒涼とした、喪失感だった。

―――やっぱり、信じるんじゃなかった。

そんな思いだけが、グルグルと、とめどなく頭の中を駆け巡っていた。

 

142: 2013/11/03(日) 01:39:54.70 ID:qTc6sIsvo


つづく。


マライア、逮捕されるの巻。
 

143: 2013/11/03(日) 02:39:57.91 ID:HsdQBj42O

引用: 機動戦士ガンダム外伝―彼女達の戦争―