430: 2013/12/25(水) 23:50:39.10 ID:WXkX1+rCo

431: 2013/12/25(水) 23:51:11.32 ID:WXkX1+rCo


 翌日の夕方前、アタシ達は、大西洋の上を飛んでいた。

隊長とベルントとフレートにカーターからなる第1小隊が先頭でダイヤモンド、

その左後方に、アタシとマライアにヴァレリオの第3小隊、

右後方にはハロルドさんが引っ張るダリルとデリクの第2小隊がそれぞれデルタで飛行している。

まぁ、パッと見た限りでは10機で作るただのデルタなんだけど、さ。

一応、そうやって意識しとけば、もしもって時に、慌てないで済む。何事もまずは、準備から、だ。

 昨日、あれからアタシ達は、ベルファストのウォードッグ隊の戦闘記録を分析した。

その結果、分かったことがいくつかあった。

まずは、狙いに関してだ。

致命弾となった攻撃は、そのほとんどが、脚の関節部と“ランドセル”と呼んでる、

人型の背中に付いた、噴射装置に集中していた。

あと、これは致命弾、ってわけじゃないんだけど、報告の中に出てきたモビルスーツは、2種類。

“ヒトツメ”ってのと、“トゲツキ”ってやつがいるらしいんだけど、

“トゲツキ”の方は、動力系のパイプが向きだしになってるらしくて、そいつをぶった切ってやると、

ガクンと機動性が鈍くなる、って記述もあった。

 戦闘で敵の弱点を見極めるのは基本だけど、実はそれが一番難しい。

ウォードッグ隊ってやつら、こんな細かいことまで観察してるなんて、相当な経験を積んだんだろうな…

それでも、被撃墜3、しかも、そのうちイジェクトできなかった一人を除いて2人は無事に生還したらしい。

実質、損害は一人。これはもう、大勝利って言っていい数字だ。見習いたいもんだな、正直に。

 「マライア、大丈夫か?」

アタシは無線でそう呼びかけてみる。普段の生活で、マライアがビビっちゃうのは、最近ではかなり減ってきてる。

でも、戦闘ではまた別だ。まだまだ、場馴れしてないし、判断も鈍い。

過剰な緊張はほぐしてやって、都度、指示してやらないと、危なっかしくてしかたないんだ。

「はい、今のところは」

マライアの返事が返ってくる。ちょっと堅いけど、まぁ、まだ許容範囲内だな。

「了解、ちゃんと肩ほぐしておけよ。まだ先は長いんだ。今から肩こりじゃ、戦闘になったときには動けないからな」

「はい、アヤさん」

言葉数が少ないけど、まぁ、良いか。仕方ない。

―――頼むな、天使さま。マライアを見ててやってくれよ。アタシは、ふと、そんなことを思っていた。
 
TV版 機動戦士ガンダム 総音楽集

432: 2013/12/25(水) 23:51:37.13 ID:WXkX1+rCo

 ウォードッグ隊の報告を分析してみた結果のもう一つは、戦闘機動だ。

彼らは、戦闘機との戦闘では、ちょっとしない動き方で戦果を挙げていた。

端的に言うと、モビルスーツ相手には、直線機動が有効だ、ってことだ。

普通戦闘機同士の戦いになったら、直線機動なんてしてたら、たちまちに撃墜されちゃう。

だけど、モビルスーツを相手にするときは、旋回して速度を落とすよりも、直線に飛び抜けて、

射程外で旋回してまた直線で接近してチャンスをうかがう、って方法がベストのようだった。

敵のモビルスーツが“携帯”しているマシンガンの集弾性能は、

高速で飛び抜ける戦闘機を狙い撃てるほどではないらしい。

弾幕に突っ込まない限りは、そう簡単に落とされるようなものじゃない、っていうのが結論だった。

 マライアとヴァレリオには、出撃前に簡単なブリーフィングで、戦法を伝えた。

言葉で説明するのはあんまりうまくないし、とりあえずアタシは、とにかくアタシに合わせて付いて来い、とだけしか言えなかった。

でも、マライアの機動を把握して再現する能力はアタシと隊長の折り紙つき。

たたき上げのヴァレリオも、錬度だけなら、少なくともそこいらのパイロットよりはずっと上だ。

こいつらなら、2,3度アタシの機動に付いてこれれば、すぐに何が正解か、なんて分かってくれるだろう。

 とにかく、大事なのは、氏なないことだ。ヤバいと思ったら、最悪イジェクションレバーを引け、と隊長は言った。

アタシ、イジェクトだけは絶対にしたくない、ってくらい苦手なんだけど、まぁ、氏んじゃうよりはマシかな。

 アタシは、ふう、とため息をついて、キャノピーから広がる青空を見つめた。

この広い空の下のどこかでは、すでに戦闘が始まってるんだ…そう思うと、なんだか、バカ話する気も起きなかった。

これは、多分、緊張なんだろうな。しない方が無理だ。

アタシは、そう思って肩を上下に動かしてみる。肩は、大丈夫。

次は手首。操縦桿を握る手を変えながら、手首を振る。こっちも、大丈夫だ。

過度な緊張は毒だけど、ある程度なら、反応速度や集中力が高まる。

特に、この得体の知れない肌で感じる力は、息が詰まるような感覚が強くなればなるほど、高まってくる。

混乱した戦場でも、せめて、マライアだけには的確に指示を与えてやんないとな。

そのためには、冷静でいることと、集中していることが、最低限、必要な条件だ。
 

433: 2013/12/25(水) 23:52:37.26 ID:WXkX1+rCo

 もう、飛び立って、4,5時間経つかな。ボチボチ、目的地に到達するはずだけど…味方からの連絡はない。

1時間くらい前に、北米から脱出してきた艦隊から、もうちょっとで合流地点に付く、って連絡があったっきり。

こっちは、なるだけ無線を封鎖させて、接近を感付かれないようにしているから、

アフリカとヨーロッパのはざまに逃げた部隊からの連絡が頼りなんだけど、レーダーに反応でも出てないかな…?

 レーダー…ん、なんだ、これ…?

 「おい、隊長!隊長!」

異変に気付いたアタシは思わず、そう声を上げていた。おかしい、レーダーが妙だ。

なんだ、このもやみたいなのは?

<なんだ、アヤ?>

隊長ののんきな声が聞こえる。

「レーダーが妙だ。白んでる。これ、ホワイトアウトしてるんじゃないのか?」

アタシは、レーダーの測定範囲を切り替えながら隊長に言う。ロングレンジもニアレンジも真っ白だ。

かろうじて赤外線センサーは生きてるけど、こんなの、戦闘じゃぁなんの役にも立たない。

<…?チッ、しまった!各機、レーダーをチェック!生きてるやつがいたら、報告しろ!

 ダメなら高度を下げて、目視で敵を探せ!>

<敵?なんだってんです、隊長?>

カーターの声が聞こえる。バカ、カーター、あんた昨日の話聞いてなかったのか?!

これはジャミングなんかじゃない、ミノフスキー粒子ってやつだ!

アタシら、もう敵に捕捉されてるかもしれないんだぞ!

<これが例のやつか、まずいな。各機、無線の周波数をAチャンネルに切り替えろ!>

ダリルの叫ぶ声がする。

<なに言ってんだ、Aチャンネルは一般回線だぞ?!>

フレートがそう反応する。だけどダリルは大声で

<暗号化された電波は、妨害をモロに受ける!Aチャンネルが一番出力が出るはずだ。

 何でもいい、連携を切らす方が危険だ!隊長!>

<よし、ダリル。各機、チャンネルをAに合わせろ。味方から一向に連絡がなかったのは、そう言うことだったか!

 いいか、目ん玉見開いて敵を探せ。地上から打ち上げ来る高度じゃないが、位置が位置だ。

 脱出組が攻撃を受けている可能性がある!>

くそ…ジオンめ、もう脱出組に追いついてるってのか?ここまで機動力が高いなんて…!

味方部隊、無事なのか?!
 

434: 2013/12/25(水) 23:53:03.34 ID:WXkX1+rCo

 アタシは、キャノピーから下を見下ろす。パパパと、閃光が走っているのが見えた。

やっぱり…もう戦闘は始まってる…!

 「隊長!左、9時方向!」

アタシは無線にそう叫んだ。

<なに!だぁ、くそっ!一足遅かったか…!各機、高度を下げて援護戦闘に入るぞ!

 まだ分散するなよ、編隊を乱すな!>

<第2小隊、了解>

「第3小隊も了解!」

ハロルドさんの声に続いて、アタシも返事を返した。隊長の機体が左へ旋回していく。

他の機も、同じ角度、同じ速度で隊長のあとを追う。そのままぐんぐん高度を落としていく。

閃光がはっきりと大きく見えてきている。

「マライア、しっかりしろよ!あんたはとにかく、アタシの後ろを離れるな!」

<はい、了解です!>

マライアの返事が返ってくる。よし、まだ大丈夫そうだな。アタシは操縦桿を握りなおした。

さっきの情報から考えれば、北米から脱出した部隊は、まだすこしかかる。

アタシ達航空隊が突っ込んで行って、船が辿り着くまで敵を釘付けにして置かなきゃいけない。

楽な任務じゃない、か…!

 閃光目掛けて飛んでいたら、200メートルくらい離れたところを飛んでいたジャブローからの別の部隊がバンクしながら急降下を始めた。

腹には対地無誘導爆弾を抱えてる。

<ヘイロー隊が行く>

ダリルが静かに言う。ヘイローは、レイピアと同じ、顔なじみの連中だ。

無事でな…アタシは心の中で、ヘイローの10機をそう見送る。

 クッと、緊張が高まってくる。

<よし、俺たちも行くぞ。今朝の話、常に意識してろよ、良いな>

今朝の話、ってのは、昨日の作戦会議の結果を分かりやすく“教え”にしたものだ。

隊長に言わせれば、曰く、

「ヤバくなったら、逃げろ」

た。モビルスーツとやりあうときは、接近しなきゃいけない。

その接近には危険がともなる。自分たちの安全を考えれば、常に、どこまでが安全かを意識していないといけない。

攻撃するにしたって、わざわざ危険な状況に飛び込むな、ってことだ。

逃げて逃げ回って、敵の背後なり、関節なりを狙えるチャンスがあれば狙えばいい。

そのチャンスがなければ、それでも逃げ回ってれば、別のやつが狙える隙を作ることにもつながる。

具体的な戦闘機動や作戦より、うちの隊にはこれくらい大雑把な方がやりやすい。

どいつもこいつも、作戦なんて守る柄じゃぁ、ないからな。

戦場で生き残れるやつは、そうやって、臨機応変にやっていけるやつだ、って、隊長は言ってたし、

アタシ達は、隊長の言葉を信じた。

 機体を背面にし、機首を地面に向けて、一気に降下していく。

眼下に、何かが見えた。緑色した、何か…

あれば、トゲツキ…ジオンのモビルスーツか…
 

435: 2013/12/25(水) 23:53:31.85 ID:WXkX1+rCo

 <第1小隊、無誘導弾、投下準備!第2、第3は援護準備頼む!

 いいか、合図で放ったら、一気に高度を上げて切り抜けろ、いくぞ、5、4、3、3、1、投下!>

前を飛んでいた隊長隊第1小隊が、腹に抱えていた爆弾を投下した。

 4つの爆弾が、まっすぐにモビルスーツへ落ちていく。アタシ達は機体を立て直して旋回して爆弾の行方を観察する。

投下したうちの2つが、モビルスーツの肩と頭を直撃した。

すぐに、モビルスーツはその場に崩れるようにして倒れ込む、やった、撃破1!

<ひゅぅ!俺の弾だ、見てたでしょう、隊長!?>

<あぁ!?ふざけんな!直撃弾は俺のだろう?お前のは、一番遠くに着弾したやつだよ!>

隊長とフレートがそんな言い合いをして笑っている。こんなときでも、かよ。

アタシが言うのもなんだけどな、ちゃんとやってくれよ…!

 不意に、コンピュータから警報が鳴った。しまった、ロックされた!

「敵の照準が向いてるぞ!ヴァレリオ、マライア、回避だ、着いて来い!」

アタシはそう怒鳴って、操縦桿を倒した。ハイGターンで回避しながら、眼下を確認する。

曳光弾が空を切り裂く。どこからだ…?いた、あいつか?

アタシは旋回した機内から撃って来たモビルスーツを確認した。こっちを狙って来てるけど…

このまま旋回を続けるのは危険だ、一度速度を上げて直線で離れればそうそう当てられることはないだろう。

逃げて、逃げて、だ。

「マライア、ヴァレリオ、このままいったん距離を取るぞ、その都度指示をだす、注意切らすなよ!」

<了解!>

<はいよ!>

よし、二人とも、大丈夫だな?このまま…このままだ…相手を見ろよ、相手の注意に、神経を集中するんだ。

感じ取れよ、あいつ、なにを狙ってる…?ふと、肌に伝わってきていたザラ付きが消えた。

アタシ達の前に降下していたヘイローの連中が、モビルスーツの横から接近しているのを確認したらしい。

「マライア、ヴァレリオ、スライスバックで目標にヘッドオン!

 有効射程に入ったら、機銃掃射だ、あの“ランドセル”を狙うぞ!」

アタシはそう指示をしてすぐに操縦桿を右に倒しながら前に押し込む。

重いGとともに機体が翻り、モビルスーツの真後ろに位置取った。チラっと、後ろを確認する。

マライアもヴァレリオも、ついてきてるな…。

「いくぞ、撃て!」

アタシはそう声を出すのと同時にトリガーを引いた。

グアァァっていう、ガトリング砲の起動音が鳴るのと同時に、アタシ達3機の曳光弾の雨がモビルスーツに襲い掛かる。

すぐには爆破くなんて起きずに、曳光弾が装甲に当たって弾けて飛んでいくのが見えた。

毛ほどのダメージを与えられてる感じもしない。

くそ、なんて装甲だ!

こっちは、事前情報を頼りに、徹甲弾をバラまける50ミリのガトリング砲を機首の内側に取り付けてもらったっていうのに!
 

436: 2013/12/25(水) 23:53:57.94 ID:WXkX1+rCo

 モビルスーツとの距離が詰まった。これ以上は、無理だ。

「マライア、ヴァレリオ!ヤツの背後側を抜けながら、スプレットで散開!距離を取って再度編隊を組むぞ。

 敵の追撃に注意しろ!」

ここが一番危険だ。最高速で敵をやり過ごしてから、一気に散らばって照準を絞りにくくしながら距離を取る。

アタシはスロットルを前に目一杯倒して、速度を上げながらモビルスーツの背中を横目に、距離と高度を稼いだ。

よし、うまく離れたな。あいつ、こっちの機動力は理解してるみたいだ。

わざわざアタシ達を追って振り返ったけど、追撃を掛けて来なかった。

 アタシ達は、モビルスーツから距離を取って、再度編隊を組み直す。

旋回して、もう一度モビルスーツに機首を向けたとき、

ハロルド副隊長の引っ張る第2小隊が浴びせかけた徹甲弾でモビルスーツは“ランドセル”から火を噴いた。

<よし、こっちも一機やったぞ!>

ハロルドさんの声が聞こえる。よし、よし!いける、これ、いけるぞ!

 アタシは高度を取って、周囲の状況を観察する。こっちの部隊と戦闘になっているモビルスーツは、あと4機。

でも、すでに2機撃破されたのを受けて、焦りの色が見えている。

被害状況的に、撤退と戦闘の継続とで迷ってるんだろう。なにしろ、こっちに被害はなしだ。

 陸上では、モビルスーツに押されてジリ貧だった戦車隊が息を吹き返している。

その後方、海側には、輸送トラックの群れと、装甲車なんかが見える。

あいつらは守ってやれる…あいつら連れて、ジャブローに凱旋だ!

 <方位280、機影!>

不意に、そう無線が聞こえた。誰の声だ?ヘイロー隊か?

 アタシは声の主を確認することもなく、とにかく報告のあった方位をみやった。確かに、機影が見える。

6機、いや、もっとだ…10機以上は居る。ジオンの増援か?!

 そう思った瞬間に、アタシは見た。

こっちに向かって飛んでくるその編隊の真ん中にいる機体が、大きく主翼を上下に降っていた。

あれは、攻撃の意思なし、のサイン。友軍機だ…!

<敵機か!?レーダーがバカで確認できない!>

ダリルか、いや、違うぞ!

「上空の連邦機へ!接近中の編隊は友軍機!繰り返す、あれは友軍機だ!」

アタシは無線に怒鳴った。

どこの隊だ?ここへ派遣される部隊なんて、ジャブローからのアタシ達以外にいるなんて話は聞いてない。

だとしたら、ヨーロッパか、アフリカ方面隊の連中?

<ハロルド、あの編隊に発光信号を送れ。こっちの無線の周波数を連携しろ!>

<了解!ダリル、警戒頼むぞ!>

ハロルドさんがダリルにそう指示をして、水平飛行に写った。

キャノピーの合成ガラスのあたりでピカピカっとまぶしい光が不規則に灯る。
 

437: 2013/12/25(水) 23:54:24.92 ID:WXkX1+rCo

 <―――ガッ、ザー…ガリッちら、連邦軍ヨーロッパ方面軍の残存航空隊!交戦中の部隊へ!

 こちらは友軍だ、繰り返す…!>

不意に、無線にそう声が聞こえてきた。女だ。

<こちら、ジャブロー防衛部隊所属の戦闘飛行隊。俺は、レオニード・ユディスキン大尉。そっちは?!>

<大尉!私は、カレン・ハガード少尉です!地上部隊の撤退はまだですか!?>

<まだ、東海岸からの輸送船団が到着していない。もう少し時間がかかる>

隊長が言うと、カレンってやつは、チッと舌打ちをした。

<現在交戦中のモビルスーツは、敵の斥候です。本体は、10マイルのところまで迫ってきています。

 モビルスーツ30機、戦車部隊が80、戦闘機が20機ほどです!>

モ、モビルスーツが、30機だと!?

ま、待てよ、今はこの数で、しかも奇襲をかけられたから早々に2機は破壊出来たけど、

今度は、30機も戦闘の準備をしっかり整えたやつらが来るってのか?!

 それは、決して生易しい状況なんかじゃなかった。

こっちの戦闘機隊は2個中隊の20機っきりしかいないってのに、

あの厚い装甲に、まるで戦車砲弾みたいな銃弾を秒間何発って速さで撃ちこんでくるマシンガンを装備してるのが、

30機…そいつらが、この空域一帯に弾幕でも張ってみろ。たちまちアタシら、全滅だぞ!?

 <30…とてもじゃねえが、やり合える数じゃないな…>

隊長もそれをつぶさに理解したようだった。

<そっちの部隊、戦闘は可能か?>

カーターの声が聞こえる。そうか、あいつらを入れれば、少なくともモビルスーツとの数の差はなくなる…

あくまで、モビルスーツに限定すれば、だけど…。

 <彼らは、教科未習のヒヨッコです!訓練施設からなんとか脱出してきたところを私の部隊が保護しましたが、

 こちらに向かう敵部隊と遭遇して、私の部隊は私と、もう一人のみ生存。他の8機は撃墜されました。

 ヒヨッコ達にも、5機、被害が…>

教科すら終えてないやつらか…当然、まともな戦闘機動は無理だろうな…数には入れられない。

 でも、じゃぁ、どうすんだ!?どう考えたって勝てる戦力差じゃないけど、撤退したら、地上部隊がやられる…!

 「隊長!」

アタシは隊長に怒鳴った。指示をくれ…どうすんだ、これ!

<落ち着け…各隊、各機へ。敵の本隊が迫ってる。これより、オメガ隊は、敵本隊へ向かって陽動に入る。

 支援してくれる隊があれば、頼む>

隊長、陽動だって…?どうする気なんだ…?

<どういうことだ、隊長?>

ダリルの声が聞こえて来る。そうそう、それだ。良く聞いた、ダリル。

<いいか、攻撃は最小限にとどめる。機動を駆使して、敵の混乱だけを煽る。

 とにかく、捉えられないように動け。逃げるだけなら、そう難しいことじゃない>

なるほど…地上部隊の逃げる時間を稼ぐ腹か…それくらいしか方法はなさそうだ、な。
 

438: 2013/12/25(水) 23:55:01.83 ID:WXkX1+rCo

 「ヴァレリオ、マライア!敵の本隊に向かうぞ!火器管制は切っていい、とにかく、逃げ続けろ!」

アタシは無線に怒鳴った。

<はい!>

<了解した!>

二人から返事が聞こえた。アタシも気合いを入れ直す。これはしびれる戦闘になるぞ…

一瞬でも気を抜けば、あのバカデカいマシンガンを食らって爆発どころか、空中分解だ。

 <よし、オメガ隊各機、方位250にヘッドオンだ。生き残れよ!>

隊長から無線が聞こえる。当然だ、こんなところで撃ち落されてたまるかってんだ!

 アタシは機首を方位250に向けた。10分も飛ばないうちに、地平線に何かが見えた。

砂埃だ…あれか…?!

 アタシはキャノピーの向こうの景色を見て、絶句した。モビルスーツが、あんなにたくさん!?

30機、って情報だったけど、実際は、もっと居るように見えた。

その光景に気を取られて、敵の反応に、一瞬気づくのが遅れた。背中に強烈な悪寒が走る。

まずい、来るぞ!

「散開!撃って来るぞ!」

アタシは無線に怒鳴って、操縦桿を目一杯引っ張った。Gが体に圧し掛かる。それでも、まだ、まだだ!

もっと上がれ!アタシはさらにスロットルのレバーを前に倒す。エンジンの出力が上がって、さらにGが強くなる。

「マライア!ヴァレリオ!着いて来てるか!?」

後ろを確認できない…アタシは無線で二人に呼びかけた。

<大丈夫だ!俺もマライアも、へばりついてる!>

ヴァレリオの声だけがする。マライアは、今は必氏か。必氏でもなんでも、生きてりゃぁそれでいい!

<くそっ!読みが甘かったか!?>

隊長の声が聞こえて来る。まさか、やられたのか?!

「おい!隊長!どうした!?」

<想像以上の火力だな…!各機、無理するなよ!こいつらは危険だ!ヘイロー隊!味方の船団はまだか!?>

なんだよ、ビビっただけか。驚かせないでくれよな。

<こちらヘイローリーダー!あと、15分で、所定位置に着岸できる!>

<そこから積み込みにどれくらいかかる!?>

<早くて、10分!>

<装備なんぞ捨てさせろ!5分で積み込め!こっちは、そう長くは持たん!>

<…了解した!指示する!>

<それから、もし、砲台積んだ船が居るんなら、これから言う座標に砲撃を要請してくれ。

 座標、250、041、範囲、50!>

<引き受けた。砲撃開始出来そうならば都度、連絡する!>

<頼むぜ、こっちは命が掛かってんだ!>

隊長が、ヘイロー隊の隊長機との連絡を終えた。その間も、アタシは回避行動をとりながら地表を見つめる。

あのマシンガン、本当に厄介だ。対空砲とか高射砲なんかよりもずっとヤバイ!
 

439: 2013/12/25(水) 23:55:48.51 ID:WXkX1+rCo

 さっきから、コクピットの中に居るってのに、そばをかすめて行く弾の音が聞こえる。

こんなの、初めてだ。さすがにこれが何十分も続くと、こっちの神経削られる…!

 <あっ!>

不意に声が聞こえた。無線…マライアだ!

「マライア!どうした!」

<ひ、被弾!あぁっ…>

「マライア!」

アタシは機体を旋回させて、マライア機を探す。

マライアの機体は、陸戦隊の居た方へと進路を変えて、黒煙を吹きながら逸れて行っている。

「マライア!エンジンの出力上げろ!」

アタシは無線に怒鳴った。

マライアの機体、左の主翼が半分吹き飛んでた…戦闘はもう無理だけど、飛べない状態じゃ、ない!

<しゅ、主翼が…!アヤさん…!ど、どうしよう!?>

マライア、混乱してる…頼む、頼む落ち着いて、アタシの話を聞け!

「エンジンだ!マライア!スロットルを前に全開で倒せ!」

アタシは再度マライアに怒鳴る。そしたら、今度はすぐに

<た、倒した!あ…き、機体、安定してきた!>

よし、よし、良くやったぞ、マライア…その程度の損傷なら、空気抵抗があってもまだ揚力を得られる。

こんなとこで撃墜なんてされるんじゃないぞ…!

<ア、アヤさん!フ、フラップ!フラップ、降ろす!?>

「いや、フラップはダメだ。機体が損傷してるから、振動は我慢しろ!

 そのまま、ヘイローに保護してもらえ!」

アタシはそうマライアに指示を出した。

<はい、了解!>

マライアの返事が返ってくる。大丈夫、か、な。

 「隊長、マライアが被弾。離脱させた!」

アタシはマライアの機体を見送ってから隊長に報告する。

<了解…くそ、この攻撃、どうかならねえのか!?>

隊長も苦しんでる。くそっ!これがジオンのメカニズムってやつなのかよ!

兵器の次元が違いすぎる…このままじゃ、悪くすりゃぁ、全滅だぞ!?

<あぁ、待て!>

不意に、ハロルドさんの声がした。

<どうした、ハロルド!?>

<ちっ!ヒヨッコども!さがれ!来るんじゃない!>

ヒヨッコども…?あいつら、まさか、こっちに来たんじゃないだろうな…!?教科未習の練習生だぞ…!?

何考えてる!

<援護に来たつもりか!?>

ダリルの声も聞こえる。バカやろう!お前ら氏にたいのか!

 アタシは機体を翻した。訓練生の乗る機体が5機、こっちへ向かってきている。

全部じゃないんだな…あいつら、あのカレンってやつの命令を無視してきやがったのか…!

440: 2013/12/25(水) 23:56:20.45 ID:WXkX1+rCo

 <隊長、あいつらは俺が援護して引かせます!隊長は引き続き、足止め願います!>

<ダメだ、カーター!>

<若い連中を氏なせるわけにはいかんでしょう!>

キャノピーの向こうで、隊長の編隊からカーター機が外れた。カーターの機体は、ヒヨッコ達の方へと向かう。

でも、敵はその一瞬を見逃さなかった。

ヒヨッコ達の編隊に合流しようとしたカーター機は、戦闘機動も知らない訓練生たちと同じ機動に入った瞬間に、

訓練生達ごと、浴びせかけられた弾幕を浴びて、空中で爆発した。

<カーター!>

<おい、うそだろ!>

<あのバカやろう…!>

無線から悲鳴が漏れてくる。落ち着け、落ち着けよ、みんな!やり返そうだなんて思うなよ…!

これは、もう、逃げるしかないやつなんだ、そうだろう、隊長!?早く、そう指示を出せよ!

<こちら、ヘイローリーダー。オメガリーダーへ>

不意に、無線が鳴った。ヘイロー隊の隊長からだ。

<味方艦からの砲撃準備が完了した。周辺空域から撤退せよ!>

砲撃…砲撃が来るんだな!?

 <ちっ…!助かるぜ!各機、撤退しろ!砲撃に巻き込まれるぞ!>

隊長の声が聞こえた。そう、そうだ、撤退だ。

こんなやつらと、この数でやりあったら、ダメなんだ…!

カーター…ごめん、アタシら、仇を取ってやれないけど、許せよ…!

「ヴァレリオ!陸戦隊の上空まで撤退する!」

<了解、アヤ>

ヴァレリオの声が返ってきた。

 それを確かめて、アタシは高度を上げながら機体の向きを変える。

頭の中で、何か得体の知れないスパークが起こっているのをアタシは感じていた。

はめているグローブの中は手汗でびっしょりだ…カーターあんた、なんであんな無茶したんだよ…くそっ…くそっ!!


 アタシは、いまだに混乱する頭の中を整理してやりたくて、

握った拳を、キャノピーのアクリルに思い切りたたきつけていた。






   

441: 2013/12/25(水) 23:56:50.47 ID:WXkX1+rCo




 それから、味方の艦からの砲撃支援で、敵のモビルスーツ隊はなんとか足止めできた。

その間に、戦車部隊の装備を捨てた陸戦隊が輸送船に飛び乗って、なんとか岸壁を離れた。

そこから、30分。船は、ようやく、見渡す限り、海、って沖まで航行できた。

ここまでくれば、もうモビルスーツの追撃はない。

太平洋じゃぁ、拿捕されたこっちの潜水艦を使ってジオンが暴れているって話を聞いたことがあるけど、

大西洋にはまだ出現の報告は上がってない。

パナマ運河は、いまどっちが押さえてるんだろうな?

グレーな地域ではあるんだろうけど…

少なくとも、あんなとこを潜水艦が通るんだったら、すぐにこっちので発見できるはず。

また、船舶にとっては、この海は安全だ、おそらく、だけど。

 <アヤさん、あたし、もう、ダメだ>

無線から、マライアの泣きそうな声が聞こえてくる。

アタシは、キャノピーから振り返って、マライアの機体を見る。

主翼から吹き上がっていた黒煙は消えた代わりに、機体が水平を保てなくなっているのか、

被弾した主翼側に機体を傾け小刻みに上下している。

確かに、あの状態であと3時間ちょっともジャブローまで飛び続けるのは、無理、か…

「隊長」

アタシは無線で隊長を呼び出した。

<…ったく、仕方ねえ。ただし、お前、被撃墜1、つくからな>

隊長は、アタシの思いを全部分かったみたいで、ぶっきらぼうに、そう言って来た。

ほんと、だからあんたには歯が立たないって言うんだ。

「うん、成績には興味ないから、それでいい」

アタシが答えたら隊長は笑った。それから隊長はマライアに

<おい、マライア。飛べるだけ飛んで、いよいよダメならそこでイジェクトしろ。アヤをお守りに残して行く。

 その場所で、救助を待て>

って命令した。マライアは、やっぱり素直に

<はい、隊長>

と深刻な様子で返事をした。それを聞いた隊長は、また、ガハハと笑って

<そう気負うな。氏ぬようなことさえなけりゃ、お前の勝ちだ。このあたりなら例の粒子の影響もない。

 ビーコンはちゃんと届くだろうから、要らない心配してないで、半日辛抱しろよ>

と言ってくれた。隊長にも、マライアがかなり弱気になっちゃってるってのが分かってるんだろうな。

隊長のことだ、ビーコンが届く、なんて、確かめたわけでもないだろうけど、信じちゃうところがあった。

それはアタシにとっても、気持ちが楽になる言葉だったんだけど。

 隊長の言葉で、すこし気を取り直したのかマライアは

<了解です>

って、声を張って返事をした。よしよし、その意気だ。

気持ちが押し込まれてるとチャンスがあっても、ダメにしちゃうからな。

ヤバいときほど、気をしっかり持っておくのが何より大事だ。
 

442: 2013/12/25(水) 23:57:21.95 ID:WXkX1+rCo

 そこから、1時間ほど、マライアはがんばった。

でも、いよいよ主翼をやられた左側のエンジンが、ボンッと火を吹いて燃え上がり始める。

<エ、エンジンから出火!しょ、消化装置、作動しました…うん、よ、よし、消えた…あっ!>

マライアの無線から声が聞こえる。キャノピーの外で、マライアの機体が左の方向へ旋回するようにそれていく。

まぁ、そりゃぁそうだろうな。

抵抗になっちゃってて、揚力も半分はなくなってる側のエンジンが止まって出力が落ちたら、

そりゃぁ、さすがにまっすぐなんて飛んでられない。

いや、空中にいられるだけ、マライアの操縦技術がどれだけ卓越してるか、って言うことの証明になるくらいだ。

これ以上は、無理だな。

「隊長、マライア、もう無理そうだ」

アタシは隊長にそう報告した。それから

「ヴァレリオ。あんた、隊長について帰れ。アタシは、あいつについてるよ」

とヴァレリオに言ってやる。ヴァレリオも、分かっていたみたいで

<了解、気をつけてな、少尉>

なんて、珍しく階級で呼んで来た。

ははは、ホントに、あんたは普段からそうなら、顔は良いんだしモテそうなもんなんだけどな。

<了解した。マライア、イジェクトしろ>

隊長がマライアにそう指示を出した。

<は、はい!ごめんなさい!>

マライアの必氏の声が聞こえてくる。

<謝ることなんざねえさ。生きてりゃ、それでいい。俺たちの戦いは、敵に勝つことじゃない。

 戦闘で氏なないこと、だ。分かるな?>

<ヤバいときは、逃げろ?>

<そういうこった>

隊長とマライアがそういって笑ってる。マライア、ちょっとの間だけど、すっかり成長したな。

まぁ、ビビりなのは相変わらず、だけど、アタシや隊長や、ダリルのやり方をちゃんと分かってきてる。

その調子なら、まぁ、アタシもすこし、安心だ。

<それじゃぁ、脱出します>

<おう、気をつけろ>

隊長の返事が聞こえた。

それを待ってみたいに、マライアの機体のキャノピーが吹き飛んで、コクピットから白煙を引いたシートが飛び出た。

<ひゃっ!>

そんな小さな悲鳴が聞こえたと思ったら、パラシュートがバッと開いて、シートごとマライアは宙に浮いた。
 

443: 2013/12/25(水) 23:57:59.03 ID:WXkX1+rCo

「じゃぁ、隊長、ヴァレリオを頼んだ」

アタシは隊長に言って、変Oを離れた。

<そっちこそ、あのビビリを、頼んだぞ>

隊長からもそう言葉が帰ってくる。そんなの…

「分かってる。大事な、妹だ」

アタシが言ってやったら、また隊長の笑い声が聞こえた。

<妹、な。そうだな、俺達は、“家族”だもんな>

ったく、冷やかしやがって。アタシは、酸素マスクの下で思わず笑っちゃったけど、

とにかく、マライアが着水するだろうだいたいの場所を目掛けて高度を下げた。

 フラップを下ろして、前方のエアインテークを閉鎖する。

エンジンも止めて、滑空状態に入った。

機体内部のタンクにはまだ半分くらい燃料が入ってるけど、まぁ、大丈夫だろう。そもそも、うまくやらないと。

そのまんま沈んでっちゃうからな。集中しろよ、アタシ…!

 機体の高度が、どんどん下がる。不意に、ヘルメットの中の無線がなった。

<アヤさん、なにする気?!>

「マライア、悪い、黙っててくれ!これ、けっこう難しいんだ!」

アタシはマイクにそう声を掛けて、さらに機体のバランスを整えながら高度を下げる。

よし、良い、良いぞ。

1000、900、800…7、6、5…速度、速いか?

ブレーキ、すこしだけ…よし、350、300、250、200…!

 目の前に、海面が迫ってくる。

アタシはさらに細かくブレーキを操作して速度を調節しながら、機首をほんの少しだけ上に向けて、進入角を合わせる。

よし、行ける…!

 次の瞬間、ズババババと言う音とともに、キャノピーの前が真っ白になった。

海面に接触した影響で急激に速度が落ちて、アタシは前につんのめりそうになる体を必氏にシートに押し付ける。

それでもシートベルトが体に食い込むみたいになって、苦しい。それでも、機体は、止まった。

破損は…ない、な?

<ははは!なかなか上手な着水だ!>

フレートの声が聞こえてきた。

<お手本みたいだな。おい、その機体のフライトレコーダーのデータ、ちゃんと持って帰って濃いよ。

 こっちのカメラの映像と一緒に、訓練部隊に見本データとして提供しよう>

ダリルの声も聞こえる。ったく、あいつら、とっとと帰れっていうのに、アタシの着水見てたってのかよ。

見せモンじゃないんだぞ…まったく、ありがとうな。

「とっとと帰って、救助艇呼んでくれよ。いくらアタシだって、何日も漂流なんてきつい」

<よし、マライアのシートのビーコンは受信できた。これなら、発見も早いだろう。しばらく待てよ>

アタシが言ったらダリルがそう報告してくれた。

7機は、アタシ達の上をくるりと一回り旋回すると、そのまま南西の方向へ飛び去っていった。
 

444: 2013/12/25(水) 23:58:29.15 ID:WXkX1+rCo

 <アヤさん!>

と、ヘルメットの中にマライアの声が響いた。

アタシは、機体から非常用の機体を浮かせておくための浮き袋をコンピュータで膨らませて、キャノピーを開けて、外に出た。

「マライア、大丈夫かぁ?」

アタシは遥か上空からパラシュートでユラユラ降りてくるマライアを見上げて聞いてやる。

<こっちは、平気!アヤさんこそ、こんな無茶を…!>

珍しく、マライアがアタシを非難してくる。

無茶じゃぁ、ないんだって、案外。

これはこれで、慣れないから集中してなきゃいけないけど、いつもやってる

林の間を抜けて地下格納庫へ続くあの狭い滑走路に着陸させなきゃいけないジャブローでの着陸の方が、

よっぽど難しいってアタシは思うんだけどな。

「これくらい、楽なもんだ。早く降りて来いよ」

<いや、パラシュートだから、そんなに急げないよ!>

アタシが言ってやったら、マライアはそうおどけて返してきた。まぁ、そうだな。お互い、無事で何より、だ。

 アタシは機体の上に出て、降りてくるマライアを座って待った。

しばらくして、マライアはザブっと、シートごと海面に降り立った。

あれ、そういえば、あいつ。飛行服のライフセーブユニットの使い方知ってたっけ…?

アタシ教えてないけど…訓練基地で、ならってるかな…?

<ア、アヤ…さんっ…し、しず…>

あ、ヤバい、あいつ知らないんだ…!

「マライア、シートのベルト外せ!外したら、飛行服の脇の下にある紐を引っ張れ!」

アタシは無線にそう怒鳴ってから、ヘルメットと飛行服を一気に脱ぎ捨てて、機体を蹴って海に飛び込んだ。

距離は、50メートルもない。待ってろ、マライア!

 着水したシートは、パラシュートを被っちゃって、マライアの姿も見えない。

アタシは、全力で海水を蹴って、かいて、マライアへと近づく。

なんとか辿り着いて、パラシュートをかき分けてマライアの座ったシートを探す。

「マライア!」

そう呼びかけてはみるけど、返事はない。

さすがにちょっと焦って、いったんもぐって、海中からマライアの位置を探す。

あった、シート、ちゃんと浮いてるな。アタシは下から、シートを目掛けて浮かび上がった。
 

445: 2013/12/25(水) 23:59:03.20 ID:WXkX1+rCo

 「大丈夫か、マライア!?」

プハッと海面から顔を出して、マライアに声をかけた。

マライアは、背中側から海面に落ちたシートの上に座ったまま、シートのベルトが外せずにもがいていた。

ノーマルスーツ型じゃないハーフの航空用ヘルメットのせいで、ガバガバと顔に海水がかかってて、

咳き込んだりもがいたりして、パニックになっている。

 「マライア!大丈夫だから、落ち着け!」

アタシはそういってやって、とりあえず、ベルトを外して、マライアをシートから海面に引き摺り下ろした。

脇の下にあるライフセーブユニットの紐を引っ張って、飛行服に内蔵された救命エアバッグに空気を充填する。

ヘルメットも脱がせてやったら、マライアはやっとアタシがいるってことに気がついたみたいで、こっちへしがみついてきた。

「アヤさん!」

そうアタシの体を抱きしめてさけんだマライアは、アタシが知ってるいつものマライアとおんなじで、

ブルブルって震えてた。

 アタシは、マライアの頭を撫でながら、耳元で、なるだけ優しく言ってやった。

「大丈夫だよ、マライア。大丈夫」



  

446: 2013/12/25(水) 23:59:35.82 ID:WXkX1+rCo




 「星がきれいだなぁ」

アタシは夜空を見上げていた。

ジャブローで見る星もなかなか悪くないけど、やっぱり、こういう明かりのまったくない場所で見上げる星空ってのは、格別だよな。

「アヤさん、どう?」

そんなアタシにマライアがそう声を掛けてきた。

「どうもなにも、こっちはあんまり自信ない、って言ったろ?

 餌はないし、計器の部品で作ったルアーなんかに、そうそう引っかかるほど、魚も間抜けじゃないからなぁ。

 そっちはどうだよ?」

アタシはそう答えてから、マライアの方に聞き返す。

「こっちは、結構いい感じだよ。タンクに、三分の一くらいは溜まってる」

マライアはくたびれた笑顔で、そう返してくれた。

 アタシ達は、もう半日以上、この機体の上に居た。救助は、まだ来ない。

ビーコンが届かなくなったのか、あるいは、ジオンの部隊が出てきてて、

救助にこれないのか、あるいは、救助隊の連中が座標を読めないのか、アタシら、とんでもないほうへ流されてるのか、

まぁ、原因はなにかあるんだろうけど、とにかく、漂流中だ。

 ただ、幸いだったのは、やっぱりうまく着水を成功させることができたことだろう。

機体が無事なら、そこからいくらでもモノを調達できる。

航空燃料はバッテリーの火花くらいじゃ着火できないけど、

航空機銃の弾から抜き出した火薬にバッテリーで着火して、

機体から引っぺがした合金板の上で燃料を金属製のバッテリーケースに入れて暖める。

コードを通すための穴から、着ていたシャツを捻って突っ込んでしみこませて、先っちょだけを引っ張り出す。

人肌よりもすこし暖められた燃料は、そうなってからやっと揮発して着火できる。

いったん火がついちゃえば、あとはアルコールランプの容量で火を点し続けられる。

で、その火を使って、まだある燃料をちょっとだけあっためたりもできるし、

後は、マライアのシートの下にあったこれまた禁則の装備ケースを出してきて海水を入れ、

バラシュートの布を切って、上にかぶせて密封する。

真ん中にパラシュートの布の真ん中にボルトをひとつ置いておいて、

それで窪んだ真下に、スキットルを置いておけば、蒸留水が作れる。

 マライアには、この蒸留水作りを任せた。

出来上がってスキットルに溜まった水を、アタシの機体のシートの下に押し込んであったサバイバルキットの中の

折りたたみ式のタンクを広げて、その中に移すよう言ってある。

 海の上で、水を確保できるかどうかは、そのまま生きるか氏ぬかに直結する。

そういう意味で、このアタシの機体は、是が非でも不時着を成功させないといけなかった。

じゃなかったら、もしかしたら、ミイラとりがミイラ、って状況になっちゃってたかもしれないしな。

あとは、食い物があれば文句はないんだけど…
 

447: 2013/12/26(木) 00:00:02.06 ID:5gIpJyl/o

 なんてことを思っていたら、ビビビと、右の足首が引っ張られた。

おいおい、来たのか?

アタシは飛び起きて、脚にくくっていたコクピットから引きずり出した配線のコードを慎重に引っ張る。

この先には、計器の部品と期待の金属片に、防水用の小型ライトを重り代わりにした仕掛けがついていた。

こんなので釣れるか、なんて思ってたけど、案外いけるもんだな。

 コードを引っ張りきった先についてたのは、回遊魚だった。

確か、でかくなると1メートルとか2メートルになるくらいの種類の魚のはずだけど、

こいつは良く見積もっても40センチってとこだ。ま、それでも、食えない理屈はないな。

生態系のことを考えたらあんまり食べるべきサイズじゃないかもしれないけど、この際、仕方ない。

 「わぁぁ!アヤさん、すごい!」

マライアが自分の仕事を忘れて、アタシのところまで機体の上を這いずってくる。

「いやぁ、できるもんだな。アタシもビックリだ」

「食べられるの?」

「ああ。この類の魚は、味も悪くない」

アタシはマライアにそう言いながら、サバイバルナイフで魚を捌いて、またまた機体から引っぺがした鉄板の上に乗せて焼き始める。

火は、航空燃料を直接燃やしてる火だ。さすがに、これで直で焼くとなると、いろいろ有害物質がつくって話を聞いたことがある。

どうしたって、今の状態は不完全燃焼だからな。

ジェットエンジンでちゃんと燃焼させてやれば違うんだろうけど、

そんなことで魚を焼いたら、一瞬で消し炭になっちゃう。

熱した鉄板で焼くのが、この場合はベストだ。

内臓は、明日の釣りのためのエサに残しておけば、あとはまぁ、なんとかなりそうだな。

 ジュゥ、ジュウと、魚が音を立て始める。

「うぅ、良い音してきた」

マライアはよほど楽しみなようでキラキラした視線でピョンピョンしながら魚を見つめている。

まったく、アタシらもしかしたら遭難してるかもしんないんだぞ?ゴロっと寝て、体力は温存しておけよな。

なんて言ったら、またしょんぼりしちゃいそうだから、やめといた。

 アタシはマライアとその魚を分けて食べた。

脂の乗りもよくって、こんな状況じゃなきゃ、刺し身でも食べられそうなくらいだった。

 魚を食べ終えてから、アタシはまたゴロンと機体の上に横になった。

こうしてられんのも、あと半日が限界だろう。

機体を浮かせておくための緊急ブイは24時間くらいしか持たないって話になってる。

それまでに救助がこなけりゃぁ、機体は徐々に沈んでいく。

最終的には、アタシもライフセーブユニットに空気を入れて、マライアと一緒にプカプカ浮いているしかない。

そんなことになったときのために、水は大量にストックしておいたほうがいい。

魚も、できたら明け方に2、3匹釣っておけたら安心なんだけどな…。

 それにしても、戦争、か…
 

448: 2013/12/26(木) 00:00:31.75 ID:5gIpJyl/o

今日、アタシらが出会った、あのヒヨッコ達とカレンって少尉は、ヨーロッパ方面軍所属だった、って言ってたな。

ってことは、もしかしたら、あのオデッサで戦闘をしたことでもあったのかもしれない。

合流してから、ヒヨッコ達が5落とされた。カレンとなんとか脱出してきた、ってやつも、斥候部隊との戦闘で撃墜されたって話だ。

そいつはなんとかイジェクションシートで飛び出せて、陸上の部隊に拾われたって話を聞いたけど…

それにしても、だ…できたら、やりたくはないよな。こんなこと…。

 そう考えてたら、ふぅ、とため息が出た。

「えっと、あの、アヤさん、どうしたの?」

それを聞きつけたマライアが、心配な表情になってアタシにそう聞いてきた。

あぁ、いや、別に機嫌が悪いとかそういうんじゃないから、そんな顔しなくていいって、マライア。

「いやさ、戦争って、なんだろうな、って思ってさ」

アタシが言ってやったら、マライアは今度は、不思議そうな顔して首をかしげる。

「ほら、あんたはさ、ミラさん、ってのがしてくれたみたいに、誰かを守りたいって思って、軍に入ったわけだろう?

 でも、ここにいるとさ、誰かを守るために、誰かをしなせなきゃいけないじゃんか」

「そんなの、仕方ないっていうか…頃すか、殺されるか、じゃない?」

マライアが戸惑いながらもそういってくる。まぁ、そうなんだよなぁ。

「うん、仕方ないんだよな。戦争だから、な。でもさ、アタシ、昔に言われたことがあるんだよ」

そんなことを、アタシは思い出していた。

「昔?」

「そう、まだアタシが、ティーネイジャーだったころにさ、アタシ、言われたんだ。暴力は暴力しか生まない。

 たとえ誰かの暴力にさらされても、できる限りは、暴力を返さない方法で解決しなさい、ってな」

「暴力を返さない、方法?」

マライアはさらに首をかしげる。

アタシはそんなマライアの様子がなんだか可笑しくって笑っちゃったけどでも、教えてやった。

「そう。アタシは、そういわれたんだ。“戦わない強さ”を身に付けなさい、ってさ」


 

449: 2013/12/26(木) 00:01:07.19 ID:5gIpJyl/o







 「はじめまして、アヤ・ミナトです。10歳です。よろしくおねがいします」

ワッと、ホールに拍手が湧く。アタシは、その日、南米の西側にある街の養護施設に居た。

3歳のときに氏んじゃった父さんと母さんのところから母さんのイトコだっていうオバサンのところに引き取られて、

そらからアタシは両親の親戚のところを転々とさせられた。

行きついたのは父さんの弟って言う人のところ。

アタシはそこで、ご飯を食べさせてもらえなかったり、学校に行かせてもらえなかったりって虐待を受けてた。

学校の先生がそれに気が付いてくれて、ある日叔父さんの家に連邦政府の福祉局だって言う人たちが来て、

アタシをあの場所から連れ出してくれた。

それから、一時保護所ってところで、一か月くらい過ごしている間に、アタシの処遇は決まった。

 それがこの施設への入所だった。それを知らされたアタシは、と言えば、特に安心した気持ちになった記憶もなかった。

アタシは、そのとき、ただもう、放っておいてくれないかな、って気持ちだけを胸に抱えていた。

 それなのに。

ここへきて、アタシの担当だ、と言う、ロッタってこの女の人は、

これでもかっていうくらいにアタシを構ってくるちょっと面倒な人だった。ここへ到着してから、

やれここへの道のりは長かったの?だの、疲れてない?だの、あれこれ気を回れて息苦しいったら、ない。

こういう人間に限って、肝心な時に自分は関係ありません、って顔して逃げてっちゃうんだってのを、アタシは知ってる。

期待するとバカを見るのは自分自身だ、ってのをアタシは暗に感じ取っていた。

 「ご挨拶はすみましたね。皆さん、仲よくしてあげてくださいね」

「はーい」

ロッタさんの言葉に子ども達が“いい子”で返事をする。なんだか猫をかぶってるみたいで、そう言うのも、嫌いだ。

 「えっとじゃぁ、シャロン、来て頂戴。他のみんなは、自由時間に戻って良いですよ」

そんなアタシのことを気にも留めずに、ロッタさんは子ども達の中から一人の女の子を呼び出した。

出てきたのは、アタシよりも年上の、長い黒髪に黒い瞳の子だった。

ムスっとした顔で、まるでアタシを睨みつけてるんじゃないか、って思うくらい、鋭い瞳をして、ギュッと口を結んでいる。

表情もほとんどない。まるで、お面みたい顔だな、ってアタシは思った。

美人だなって思う顔立ちだし、肩まである、アタシと同じ黒髪もキレイな人だけど…なんだろう、嫌な感じがする。

だって、服装がなんか不良っぽいし、態度もなんだか、斜に構えてる、って感じで、

“私は、人間は誰も信用していません”っていうのを、全身でアピールしているみたいだった。
 

450: 2013/12/26(木) 00:01:34.97 ID:5gIpJyl/o

 「アヤちゃん、彼女は、シャロン・ルイス、14歳。あなたのルームメイトよ」

ルームメイト…?おんなじ部屋になる、ってこと?この人と?

 アタシは思わず、彼女を見つめてしまっていた。やだな、と素直に思った。

この人のこの感じは、アタシを迷惑がってる感じに近い。

放っておいてくれるんならいいけど、もしそうじゃなかったら、嫌がらせとか、殴られたりとかしそうな雰囲気だ…緊張、する。

そんなふうに感じていたのが伝わったのか、シャロンさんは迷惑そうな顔をして、黙ってそっぽを向いた。

「アヤちゃん、困ったことがあったら、何でもシャロンに聞いてね」

ロッタさんはそうまるで子どもに言い聞かせるように、アタシに言う。まぁ、アタシ子どもだけど、さ。

 とりあえず、はい、とだけ返事をしておいた。

「それじゃぁ、シャロン、アヤちゃんを部屋まで案内してね」

ロッタさんがそう言った。やっぱり、アタシの気持ちなんて、これっぽっちも分かっちゃいない。

アタシは、緊張して体が固まっていくのを感じてた。

何かあったら、すぐに逃げるか、反撃するかしないと…そう思ったら、手の平がじっとりと、汗でぬれていた。

 「ほら、来なよ」

初めて、シャロンさんが、口を開いた。

「あ、は、はい」

アタシは慌ててトランクを引きずって、彼女の後をついていく。ホールから廊下を行った先には、階段があった。

階段、か。ちょっと大変なんだよな…そう思いながらもアタシはトランクを抱えた。

アタシの体の半分くらいはある大きさだ。前なんてろくに見えないし。足元なんてもっと見えない。

一歩ずつ、慎重に階段を上る。1段、2段と足を進めて、3段目を踏んだとき、

「あぁ」

とシャロンさんが声を上げた。なんだろう、と思って顔を上げたら。

シャロンさんは、アタシの腕からヒョイっとトランクを奪い取って階段を上っていった。

妙な危機感が、アタシの胸に湧き上がった。マズイ、あれは、アタシのトランク…

着る物とか、気に入ってる本とかいろいろ入ってるのに…何か変なことをされたくないな。

 アタシは、階段を駆け上がって、シャロンさんに追いつく。アタシの顔を見て、シャロンさんは

「別に、盗ったりはしないよ」

とまた無表情で言うとそのまま階段を一番上まで上がって、そこでとランクを置いて、アタシを待ってくれた。

アタシもすぐに上について、シャロンさんからトランクを受け取る。

 雰囲気は粗暴な感じがするけど…それほど、荒れる人ってわけでもないのかな?いや、でも、分からない。

もしかしたら、こうしておかないと、あのロッタさんって人に怒られたりするから、

仕方なくやっているのかもしれない。人間なんて、そんなもんなんだ。みんな、自分のことしか考えてない。

これだって、なにか、しておくと得があるんだろ?

 アタシは内心でそんなことを思いながら、

「ありがとうございます」

とお礼を言った。シャロンさんはそれに返事を返してくるでもなく、無表情でかぶりを振って

「こっち」

といって、二階の廊下をさらに歩く。しばらく行ったドアの前に、シャロンさんは止まった。
 

451: 2013/12/26(木) 00:02:02.35 ID:5gIpJyl/o

「ここ」

彼女はまた、そう短く言って、ドアを開けた。シャロンさんが先になかに入って、アタシもその後に続く。

中は、想像していたよりも片付いていた。

片付いているどころか、きれいって言うか、きちんとしてて、机と、ベッドと、本棚にクローゼットくらいしかないけど、

シャロンさんが使っている方だと思う方も、ちゃんとキレイに整理されていた。

 アタシは部屋の前でも呆然としてたら、

「入りな。そっちの空いてるベッドと机が、あんたのだ。クローゼットはそっちのが空いてる」

とシャロンさんが言ってきた。

 アタシは、グッと息を飲み込んで、部屋に足を踏み入れた。

シャロンさんはそれを確認すると、ふん、と鼻で息をついて、ドカっと机の前にあったイスに腰掛けて、

イヤホンを耳に当てて、音楽を聴き始めた。アタシは、とりあえず、なるべくシャロンさんを刺激しないように、

ゆっくり、確実に、自分の机だって言われたところの近くにトランクを置いて、それからベッドに腰掛ける。

 妙な沈黙が、部屋に漂う。あぁ、もう、イヤだな、こういうの。緊張しちゃって、休もうと思っても休まらない。

そんなことを思ってチラっと、シャロンさんを見た。

シャロンさんはアタシの視線に気がついて、こっちを向いた。バチっと目が合ってしまった。

しまった、と思ってあわてて目をそらす。そしたらシャロンさんは、ギシっと音を立てて、イスから立ち上がった。

イヤホンを耳から引っこ抜いて、アタシに近づいてきて、すぐ目の前で立ち止まった。

キュッと、胸が苦しくなる。どうしよう、まずったかな…やられるかな?

もしそうなら、逃げるか、やりかえすか…でも、この人、ヤバそうだしな…逃げた方が良い、かな…

アタシは、そっとシャロンさんの顔色をうかがう。

そしたらシャロンさんは、はぁ、と大きくため息をついた。

「悪いな。アタシ、おしゃべりは嫌いなんだ」

シャロンさんはそう言って、アタシのシャツの肩口をつまんだ。

また、胸がギュッとなったけど、シャロンさんはそのまま優しくアタシを引っ張って、立ち上がらせた。

「案内してやる。私は当てにしないで、他の誰かを探すんだね」

シャロンさんは、一方的にそうとだけ言うと、またふいっと、ドアを開けて廊下に出た。

そのまんま、チラとアタシを見て、それでもドアを支えて待っている。

 アタシは良くわからないけど、とにかく波風たてたくないから、小走りでシャロンさんの後ろについて行って、

ドアを閉めた。

「ユベールと、それから、フェリシアってのを紹介する。あいつら面倒見が良いから、頼るんなら、あいつらがいい」

シャロンさんは静かにそういう。おしゃべりが嫌い、って言ったのはきっと本当なんだろうけど、

でも、アタシのことをいじめたり、遠まわしに皮肉を言って傷つけようとしてきたり、

もっと直接的に、アタシをどうにかしてやろうってするようなタイプではなさそうだな、って感じられた。

アタシはようやく、すこし、気持ちを緩める。でも、油断したらいけない。

いつ突然、シャロンさんが“そういう人”に豹変するか、アタシには分からないんだから…
 

452: 2013/12/26(木) 00:02:28.15 ID:5gIpJyl/o

 アタシはシャロンさんの後ろをくっついて行って、

2階の廊下の突き当たりにある、リビングって言うか、ラウンジって言うか、とにかく、

ソファーとローテーブルと小さなテレビのある空間へと辿り着いた。

そこには、数人のアタシよりちょっと年上くらいの子達が、カードをやりながら遊んでいた。

「あぁ、シャロンちゃん、どうした?」

その中の、1人の男の子が、シャロンさんを見やって聞く。

「ユベール。彼女、頼むよ」

シャロンさんは、そう言って、クイっとアタシを彼らの前に押し出した。

 「あぁ、アヤちゃん、だっけ。初めまして!俺は、ユベールっていうんだ。よろしく!

 あとのやつは、これがジョナサンで、そっちのが、ファン・ニーチェン。

 こいつは、フェリシアで、もう1人のは、サンドラだ」

ユベール、と名乗った彼が、他の子たちを紹介してくれる。

「えと、アヤ・ミナトです。よろしく、お願いします」

アタシはとにかくもう一度挨拶をする。余計なことは言わないようにしておいた。

それから、チラッと、シャロンさんを見上げる。彼女は、アタシと目を合わせてから、ユベールに、

「それじゃ、頼むな」

と言い残して、そのままスタスタとラウンジから出て行った。

 取り残されたアタシは、一瞬、固まってしまったけど、すぐに、ユベールってのが声を掛けてきた。

「ま、座れよ!一緒にやろうぜ!」

アタシは他の子にも引っ張られてソファーに座らされ、目の前に配られたカードを手に、とりあえず遊びに参加した。

あぁ、なんだか、くたびれちゃいそうだ…いや、もうホントはへとへとなんだけど、さ。

 アタシは、それでも、邪険にだけはされてたくなくって、とにかく、

何とか笑顔だけは絶やさないように、気をつけてた。

 だけど、アタシは配られたカードでババ抜きをやりながら、ふと、得体の知れない何かを感じた。

それのする方には、ユベールって彼が居た。パッと視線がぶつかってしまう。

彼は不思議そうな顔をしてアタシを見てたけど、不意にニコっと、笑顔を見せた。


まるで、太陽みたいに明るい、アタシが今まで、見たことのないような笑顔で。





 

457: 2013/12/26(木) 21:25:17.13 ID:5gIpJyl/o


 その晩は、とにかく寝た。

ヨーロッパにあった保護所からずっと飛行機とか車で移動してたから疲れてたし、

それに、ここについてからのザワザワってした感じにもあわせなきゃいけなくて、本当に疲れた。

そんなアタシにシャロンさんは特別構わなかった。

アタシが困ってたら、また最初のときみたいなぶっきらぼうな感じで、

アタシに細かいことを教えてくる他は、ずっと静かにしてて、何も話さない。

でも、本当に疲れてたアタシには、それくらいがちょうど良かった。

 夜寝る前に、ロッタさんが何度か様子を見に来た。

だんまりのシャロンさんと、

寝て良いのかどうなのか分からずにベッドに座っていたアタシを見たロッタさんはニコッと笑って、

「大丈夫そうで、安心したわ」

って言ってきた。どのあたりが大丈夫そうに見えるんだろう、なんて思いながら、

でも、まぁ、とりあえずうん、って、返事だけはしておいた。

 翌朝、アタシはなにかにゆさゆさとされるのを感じて、目を覚ました。

目の前には、知らない人が居て、アタシを揺さぶっていた。

 一瞬、アタシになにが起こったのか、って分からなくなって頭の中を整理しようとしたけど、ダメだった。

ごちゃごちゃになってるってより、なんにも浮かんでこない感じ。

「朝ごはん。起きな」

あ、そうか…えっと、シャロン、さん、だ。そういわれて、ハッと思い出した。

アタシ、この施設に入れられたんだった。ここは、アタシと、このシャロンさんの部屋で、それで、えっと…

「ほら、早く、着替え」

シャロンさんは立ち上がると、机の上においた鏡で髪を梳かし始めた。

「あ、あ、はい」

アタシはその言葉にギクっとしてしまって、慌てて飛び起きて、

昨日の夜はクローゼットに入れられなかった洋服をトランクの中から引っ張り出して着替える。

着替えを済ませて、それからまたなにをして良いか困っていたら、

シャロンさんがふっとアタシを見て、何も言わずに手招きしてきた。

 途端に緊張が体を固くする…寝坊したせいかな?

朝から、いびられるのはイヤだな…アタシはそんなことを想像してしまって、ギュッと体が縮こまるのを感じた。

でも、呼んでるし、行かなきゃな…。
 

458: 2013/12/26(木) 21:25:59.64 ID:5gIpJyl/o

 アタシはシャロンさんの顔を見ずに、体の動きだけを見ながら近づく。

何かあったときに、身を守るためには絶対にそう言うところから注意をそらしちゃいけない。

だけど、目の前まで行ったアタシの肩をシャロンさんは捕まえて、自分と机の間にアタシを引っ張った。

それから

「前、向いて」

とトーンの変わらない声で言ってきた。アタシは恐る恐る、前を向く。

これまで、オバサンや叔父さんに叩かれた、なんてことはなかったけど、

でも、そうされるんじゃないかって思うことは何度もあった。

だから、警戒はするに越したことはないし、したくなくても体がそうなってしまう。

最高潮に緊張したアタシの頭に、シャロンさんの手が乗った。体が、ビクっと反応してしまった。

 顔の脇からスッと手が伸びてきた。その手が、机の上にあった鏡を指さす。

鏡の中にはアタシと、その後ろのシャロンさんが映っていた。

それをアタシに確認させてからシャロンさんは

「寝癖」

とまた、アタシの頭に手を置いて、ポンポンとさせる。

シャロンさんの手の下で、アタシの髪の毛がピョンとハネていた。

 シャロンさんはそれから黙ったまま、シュッシュって、なんだかとってもいいにおいのする霧吹きみたいなので、

アタシの寝癖のところをぬらして、自分の櫛で梳かし出した。

ピョンとハネてた髪の毛は、すぐにおとなしくなって、他の髪の毛の中に戻ってた。

「終わり」

シャロンさんがそう言ってアタシから離れた。

えと、な、なんで、そんなこと…?その、えっと、あれだ、お礼、お礼、言わなきゃ…

「あ、あの、ありがとう、ございます」

アタシはすこし慌ててしまったけど、そう言えた。

そしたら、シャロンさんはちょっとだけ、本当に、ちょこっとだけ、目を細くした。
 
それからすぐに

「ほら、行くよ」

って言って、ドアのほうにすたすた歩き出す。そっか、朝ごはんって、言ってたもんな。

アタシは昨日のように、小走りでシャロンさんの後ろにくっついて行った。

 階段で一階に下りた。まだ建物の中の道をアタシは覚えてない。

どこをどう歩いているのかを考えていたら、テーブルのたくさんある部屋についた。

おいしそうな、たぶん、スープみたいなにおいがする。
 

459: 2013/12/26(木) 21:26:26.67 ID:5gIpJyl/o

 「おー!おはよう!」

急に後ろから声がした。振り返ったらそこには、昨日アタシを無理やりカードに誘った、ユベールって子が居た。

隣には、昨日ユベールと一緒だった、ジョナサンって子も居る。

「おはよう」

アタシが挨拶を返したら、シャロンさんが

「今日は、あなたは学校はないから、ゆっくりでいいよ」

って言い残して、自分はさっさとその部屋に入ろうとしている。それを、ユベールが引き留めた。

「なぁ、一緒に食べようぜ」

シャロンさんは、それを聞いて断ると思ったのに、表情を変えないまんま

「邪魔じゃなければ」

なんて言って、うなずいた。それからユベールはアタシにも

「アヤも一緒な!」

と言ってくる。アタシはうなずくしかない。

そうこうしているうちに、昨日一緒にカードをしたフェリシアとサンドラも来た。

ユベールに引っ張られるまま、アタシは自分たちの配膳をして、席についた。

 今日の朝ごはんは、パンと、スープに、カリッと揚がったベーコンと、スクランブルエッグ。

オレンジの切ったのもある。こんなにちゃんとした料理って、すごく久しぶり。

オバサンとこではすこし出てたこともあったけど、

叔父さんとこでは、ほとんど冷凍のインスタントだった、アタシだけ、ね。

 ロッタさんと、別の大人もやってきて、食事の前のお祈り、ってのをやった。

アタシは神様がいるなんて思ってなかったし、なんでそんなことやるんだろう、って思ったけど、

ロッタさんがしゃべり始めてそれは神様にお祈りするんじゃないってのが、わかった。

お祈りは、大地と命のためだった。

「実りと、大切な糧、頂ける命に感謝しましょう」

ロッタさんの言葉は、そんなだった。

 昨日の夕ご飯から、ここでの2回目の食事は、昨日の夜もちょっと思ったけど、

今朝は昨日の夜よりももうちょっとだけ大きく思う。

おいしいな、って。



 

460: 2013/12/26(木) 21:26:52.24 ID:5gIpJyl/o




 施設で暮らすようになって、何か月かした日の、日曜日の朝だった。

アタシは、やっと少し慣れて来ていたここでの暮らしの日課で、厨房のおばちゃんたちの手伝いをしていた。

いや、これってのは、そもそも、ここへ来る前からの日課、というか、義務だったんだけど、

とにかく、食事の準備は手伝わないと怒られてきたから、なんとなくそうしてないといられなかった、って感じだ。

準備手伝っても、食べれないことも多かったんだけど、さ。

 でも、ここは厨房のおばちゃんたちもみんないい人で、揚げたてが一番おいしいんだ、とか言ってチキンをくれたり、

切ったフルーツが一切れ余っちゃったから食べなと言ってくれたりした。

 ユベール達とも、仲良くなれた。あいつら、アタシが2つ上のニックってやつに絡まれて、

ケンカになりそうになるといつだってどこからかやってきて、アタシを守ってくれた。

それだけじゃない、勉強を教えてくれたり、施設のことを教えてくれたり、近くの街や、

この辺りのことまで、本当にアタシを助けてくれた。

そんな経験、正直、生まれて初めてだったから、最初はどうしていいか、すごく戸惑った。

 でも、そんなとき、アタシの困った感じを助けてくれたのが、シャロンさんだった。

あの物静かで、怖い雰囲気のシャロンさんが、どうしたらいいのかわからないでいるアタシの頭をポンポンとして、言ってくれた。

「やりたい、と思ったことをしてみればいい」

って。それで、怒られたら、それはやっちゃいけないこと、褒められたらそれはやっておいた方がいいこと、

なんにも言われなかったら、それはやっても大丈夫なことだ、って教えてくれた。

アタシは、そう言うのをひとつずつちゃんと確かめて行けば良いんだって、そう言ってくれた。

アタシは、だから、シャロンさんの言ってくれたことを信じて、そうしてみた。

怒られることもあったし、この厨房の手伝いみたいに、褒められることもある。

アタシはこれまで、“何をしたら怒られるか”ばっかり考えてて、怒られないことだけを選んでやってきてた。

でも、それが窮屈だったんだな、って、今になったら、そう思えた。

 ここには、アタシの家族はいないけど、でも、血のつながった親戚のお家に居た時よりは、楽しいし、すがすがしい。

まだ、いろいろとうまくいかないことも多いんだけど、さ。
 

461: 2013/12/26(木) 21:27:20.43 ID:5gIpJyl/o

 その日もアタシは、朝食の前から厨房に入り込んで、野菜を切ったりする手伝いをして、

余ったハムやなんかを貰ってから朝ごはんを食べて、そのあとの食器の片づけも手伝った。

もう大丈夫よ、って、おばちゃんが言ってくれたから、アタシはハムのお礼を言って、部屋に戻る廊下を行って、

階段を上がろうとした。

そしたら、上から、ユベール達と、それからシャロンさんが一緒になって降りてくるところだった。

みんなはそれぞれ、なんだか、棒のようなものと、それから取っ手の付いた箱を手に持っている。

アタシを見たユベールが、アッとした顔をして、アタシを見ていた。

 「出かけるの?」

アタシは、そんなユベールに聞いてみた。そしたらユベールは、なんだかすごく嬉しそうに

「探したんだぞ、アヤ!また厨房にいたのかよ?」

って聞いて来た。

「うん、いっつもいるけど?」

「あんまりあそこにいると、ロッタさんに怒られるぞ?」

「そうなんだ?こないだ、褒められたよ?」

アタシが言ったら、ユベールは意外そうな顔をしたけど、すぐに

「あぁ、違う違う、それじゃなかった」

って首を振ったと思ったら、気を取り直して

「これから、釣りに行くんだけど、一緒に行くか?」

って聞いて来た。ツリ、って、なに?聞いたことないんだけど…なんだろう、それ?

 アタシが首をかしげていたら、シャロンさんが

「魚を取りだ」

といつもの調子で教えてくれた。魚取るんだ?すごいな、そんなことできるんだ、このあたりじゃ!

アタシは、それを聞いただけで、なんだか楽しくなってくるのを感じた。

「行く!着いてっていいの?」

「もちろん!」

「うんうん!あ、予備のタックル誰か持って来てる?あたし、ベイトだけならあるけどいきなりは難しいよね?」

「俺のやつを使えばいいよ。俺は、サグリでやるからさ」

「部屋にある。アヤ、いったん戻るよ」

タックル?ベイト?サグリ?良くわかんないけど、シャロンさんがそう言ってるし、

いったん、一緒に戻っておいた方がいい、かな。

「うん、分かった」

アタシはシャロンさんに返事をした。

「じゃぁ、俺たちは先に事務所へ行ってるな!」

ユベールが、いつもの明るい笑顔でそう言い残して、階段を駆け下りて、

大人たちが仕事をしてる部屋の方へ走って行った。

「行くよ」

それを見送るまでもなく、シャロンさんが声をかけてくる。

「あ、うん」

アタシはもう一度返事をして、一緒に部屋に戻った。
 

462: 2013/12/26(木) 21:28:14.20 ID:5gIpJyl/o

 部屋に戻ったら、シャロンさんはクローゼットから、棒みたいなものと、

それからオレンジの糸が巻き付いてる変な形のものを取り出して、持っていた取っ手付きの箱にしまった。

それから、ふと、アタシを見やって

「アヤ、帽子、持ってる?」

と聞いてくる。帽子?そんなのは、ない、けど…アタシは首を振った。

するとシャロンさんは立ち上がって、今度はクローゼットの上の方から、キャップをふたっつ取り出した。

それをなんだかじっくり見比べて、それからアタシに視線を送ってくる。アタシがまた、どうしていいか困ってたら、シャロンさんは

「こっち、かな」

と言って、右手に持っていたキャップをアタシの頭にスポッとかぶせてくれた。

ちょっと大きくて、目のあたりまで隠れちゃったから、両手でそれを、クイっと持ち上げたら、

シャロンさんがあの、目を細くする表情で、アタシを見てた。

 それからアタシとシャロンさんは、大人たちの部屋に行って、

そこで、ロッタさんと一緒になって、ロッタさんの運転する車で、海まで来た。

 塩の良い香りが、アタシの鼻をくすぐる。

「それじゃぁ、私はここで見てるから、あんまり遠くには行かないでね。

 夕飯のおかずが豪華になるように、みんな、頑張って頂戴ね」

ロッタさんの言葉に、みんなが返事をする。もちろん、アタシも、だ。

 「じゃぁ、俺がアヤについてるから、そっちも気をつけろよ」

ユベールが、フェリシア達にそう言った。

「私は、そっちでいい」

シャロンさんは、なんでか、アタシとユベールの方がいいらしい。

「オッケー、じゃぁ、俺たちは桟橋の方に行って来るな」

ジョナサンがそう言ってフェリシア達と一緒に、堤防から伸びている桟橋の方に歩いていった。

残されたアタシとシャロンさんとユベールと、

あと、すぐそばに乗ってきたワゴン車を止めて荷物を入れる、車の後ろの上に開くドアを開けたところに腰かけていたロッタさんは、

ジョナサン達を見送った。それから、

 「さて、じゃぁ、準備しようぜ」

ってユベールがそんなことを言って、なにか準備を始めた。

アタシは手順とかそういうのはぜんぜん分からないから、とにかくユベールを見ていたら、

彼はまず、アタシに棒みたいなのを持たせてきた。

「これが、ロットな。竿だ、釣り竿。で、そこに、このリールをつけて、

 それから、糸を出してここの糸を巻くためのベールに引っ掛けたら、糸をもうちょい引っ張って、

 釣り竿のこの輪っか、ガイドに通すんだ」

ユベールはアタシの握った釣り竿に、あの糸がグルグル巻いてある変なのを取り付けて、

糸の端っこを釣り竿についた幾つかの輪に手早く通した。

それから、

「あとは、糸にこのスイベルを結ぶんだ。一回糸を通したら、何度かクルクルっとここに糸を絡めてやって、

 あとはここをこっちへ抜いて結んでやれば、完成だ!」

となんだか小さな金属の部品をその糸の先に結び付けた。
 

463: 2013/12/26(木) 21:29:39.71 ID:5gIpJyl/o

「最後に、そうだな、アヤは初めてだから、餌釣りがいいよな。仕掛けは…これでいいか」

さらにユベールは箱から細い糸と針のついたのを取り出して、スイベル?ってのにカチッと取り付けた。

「これでホントに完成な」

ユベールはそんなことを言いながら、アタシの顔を見てまた、うれしそうに笑う。それから

「そういや、アヤは虫とか平気か?」

なんて聞いてきた。得意じゃないけど…触れないってほどでもない。

「大丈夫」

アタシが答えたらユベールは満足そうな顔して

「そっか、よかった。じゃぁ、これエサな」

と言って、箱からプラスチックのタッパーを取り出した。中には、砂みたいなものが詰まっている。

エサ?砂にしか見えないけど…

 アタシがそんなことを思っていたら、ユベールはおもむろに蓋を開けて、砂の中に指を突っ込んだと思ったら、

ひも状の、なんだか得体のしれないウネウネする生き物を引っ張り出した。

ゾゾゾっと、背中に寒気が走る。だって、だってなんだか、ミミズみたいだけど、脚みたいなのがいっぱいあって、

ヌルヌルしてて、なんかボソボソしてて…き、気持ち悪っ!

「こいつの頭から針をさして、1センチくらいのトコからこう、ピッと出すんだよ」

ユベールがそう言って針にエサをつけてくれる。

それからまた、うれしそうって言うか、楽しそう、って感じでアタシに笑いかけてきた。

でも、でも、ごめん、アタシ、慣れるまではちょっとそれ、無理そうかも…

でも、でも…これ、せっかく教えてもらったのに、やらないと、まずい、かな…?

 そんなことを思って、アタシはチラっとシャロンさんを見た。

シャロンさんは、もう自分の竿を組み立てて、海に糸をたれている。

アタシの視線に気がついてくれたシャロンさんは、アタシをチラっと見て、肩をすくめて見せた。

「そんなの、よく触れるよね。私はダメ」

シャロンさんは、そう言った。まるで、こう答えても大丈夫なんだよ、ってアタシに言ってくるみたいに。

「あ…うん、結構…気持ち悪いね」

アタシはユベールの顔色をうかがうようにそう言ってみる。そしたらユベールは苦笑いで

「あー、やっぱそうだよなぁ」

なんて言ってから、

「じゃぁ、エサ取られたら言ってくれたら着けてやるから、とりあえずこいつはそのまま海にたらしてみな」

って言ってくれた。よかった…そうだ、気にすることなんてないんだ。

普通なら、そんなことで怒られたりするわけないんだよな、うん…。

 アタシは言われた通りにエサと赤い天秤みたいな重りのついた糸をリールってやつのハンドルをクルクル回しながら伸ばして、海の中に沈めた。

 そんなことをしている間に、ユベールは短い竿にリールと仕掛けと言うのをつけて、

自分もこの気持ち悪い虫を針につけると、アタシの右側でそれを海へ落とした。

左側にいるシャロンさんは、黙々と、小さなキラキラする板切れのついたものを、竿をしならせて遠くに投げて、

それを巻き取ってはまた投げる、ってのを繰り返してる。

あれはまた、違う釣りの方法なのかな、なんて考えていたら、ガツン、って、竿にショックがあった。

な、な、なんだ、今の?そんなことを思ったら、またグンって強い力がかかって、竿がギュンっとしなった。
 

464: 2013/12/26(木) 21:30:09.01 ID:5gIpJyl/o

「わ、わ、ユ、ユベール!」

アタシは思わず、彼の名を呼んでいた。アタシの状態に気がついたユベールは、パッと自分の竿を上げて

「うおぉ!アヤ、もう来たのかよ!」

ってうれしそうにアタシのところまでやってきた。な、なんでそんなに楽しそうなんだよ!

これ、どうしたらいいの!?助けてよ!

 アタシの心の叫びが伝わったのかどうなのか、ユベールが後ろからアタシの持っていた竿を支えてくれる。

「こりゃぁ、けっこうな引きだな」

「こ、こ、これ、なに、どうなってんの?」

「魚がかかってるんだよ。よし、いいか、慎重にいくぞ」

ユベールは、戸惑っちゃってどうしようもないアタシにそう言ってくれて、それから

「いいか、先ずは竿をグイっと引っ張って立てるんだ。

 で、それをゆっくり倒しながら、引き上げた分の糸をリールで巻き取る。そうやってどんどん魚を引っ張れ。

 あわてるなよ、あわてたら、針が外れて逃げちゃうからな」

針が外れる…?そ、それは、大変…な事態の気がする。慎重にやらないと!

 アタシは気合いを入れなおして、竿をグッと握る。

先ずは、グイっと竿を起こして…腕に力を込めて、竿を立たせる。

グングンと言う力が加わってきて、思うようにはいかないところをユベールに助けてもらいながらなんとか起こして、

リールのハンドルを回して糸を巻き取っていく。

 それを何度も繰り返しているうちに、海中に何かが見えてきた。

銀色にきらめく何かが、海中をあちこちに向かって動き回っている。

「ギンガメ?」

「いや…イ工口ーテール!」

シャロンさんの言葉に、ユベールが返事をした。ビシャっと、魚が海面に出てくる。

うわっ!えっ!?デカイ!

 「アヤ、竿立てたまま!」

ユベールがそう言ってきた。アタシは重いのをこらえて、なんとか竿を持ち上げる。

そしたら、堤防から身を乗り出したユベールがアタシの竿の先から伸びている糸を掴んで、そのまま一気に、魚を引き上げた。

 コンクリートの堤防に落ちた魚がビチビチっと跳ね回る。大きさは、30センチくらいだろうか、

尻尾のほうの上下2枚と、尾びれが黄色い。

イ工口ーテール、だって、ユベールは言ってたけど、そっか、この色のことを言ってたんだな。

 なんてことを考えてたら、急にユベールが飛びついてきた。な、な、なんだよ!?

「おい!アヤすごいな!一発目でこんなの釣っちゃうなんて!」

ユベールはアタシをもみくちゃにしながらそんなことを言ってくる。

いや、アタシ全然わかんないけど、これってそんなにすごいの?

ていうか、痛い、ユベール、ちょ、離してっ!
 

465: 2013/12/26(木) 21:30:35.19 ID:5gIpJyl/o

 そうは思ったけど、ユベールが喜んでくれてる、ってのは、いっぱいに伝わってくる。

だからアタシは、そんなユベールを無理やりに引き離せなかった。

でもさ、ユベール、さすがにそんなの、シャロンさんはあきれちゃってると思うんだ、アタシ…

と思って、ユベールの肩越しに見たシャロンさんは、びっくりしちゃったんだけど、なんだかキラキラした顔して、魚を見つめている。

あ、あれ、シャロンさんも?

 と、今度はそこにロッタさんまでやってきて

「アヤちゃん、すごいじゃない!ほら、写真写真!」

なんて言って、手に大きなカメラを抱えて走ってきた。

「ん!?おぉ!ほら、アヤ、魚持て!」

ユベールが急にアタシを離して、糸を引っ張ってつるされた魚を渡してくる。

え、え、な、なに、このまんまでいいの!?

「ほら、三人とも、並んで!」

ロッタさんの声がしたと思ったら、両側からユベールとシャロンさんがくっ付いて来た。

「はい、チーズ!」

ロッタさんは合図をして、シャッターを切った。

それから、ユベールとシャロンさんが協力して、魚を針から外して、

ロッタさんが出してくれた、冷やして置くためのボックスに入れた。

今日の夕飯で出してもらおうね、なんてロッタさんが言ってくれる。

アタシは、これを自分で厨房のおばちゃんたちに見せに行くのを想像して、なんだか無性に楽しくなっていた。

 うん、よし、これ一匹だけじゃ、ダメだよな。みんなの分まで釣り上げて、もっと驚かせてやる!

「ほら、アヤ、竿こっちへ見せろよ。エサ付けてやるから」

ユベールがそう言ってくる。でも、待って。アタシ、自分でやる。

今のは、ユベールたちにいっぱい手伝ってもらったから、今度は、自分ひとりで釣り上げてみたい!

「ユベール、アタシ、自分でつけるよ!」

アタシは、胸を張ってそういった。

それを聞いた、ユベールと、シャロンさんも、なんだかまた、うれしそうに笑った。
 

466: 2013/12/26(木) 21:31:14.28 ID:5gIpJyl/o

 それからまたしばらく釣って、お昼ご飯になった。

ロッタさんが、サンドイッチとジュースを出してくれて、みんなで堤防に座ってそれを食べた。

 食べながら、成果を報告し合う。アタシが大きいのを釣ったって話をしたら、フェリシアがえぇー!って声を上げて、

それから午後は場所を交代しよう、って言って来た。

そんなの、みんなでおんなじところでやったらいいのに、って言ったら、そりゃそうだね、だって。

あんまりにもとぼけて言うから、思わず笑っちゃった。

 ロッタさんは、雑誌をめくりながら、そんなアタシ達を見ててくれた。

ふと、ロッタさんの見ていた雑誌が、アタシの目に止まった。なにか、一面が蒼い写真の載った表紙をしてる。

「ロッタさん、それ、なに?」

アタシが聞いたら、ロッタさんは、不思議そうな顔をして

「ん、本、だけど?」

なんて言って来る。違う、そうじゃなくて。

「その、表紙のところの写真」

アタシが言い直したら、ロッタさんはペラっと表紙を見て

「あぁ、これ?これは、アルバ島って言うところの海、らしいわよ」

って言ってくれて、雑誌をアタシに渡してくれた。

 エメラルドブルーって言うか、なんていうのか、すごくキレイな色してる…

ここら辺の海もきれいだけど、でも、もっともっとキレイで澄んでいる。こんな場所があるんだ…。

「ここって、遠いのかな?」

「うーん、うちの施設で遠足で行けるような距離ではないかな。中米の小さな島らしいから」

ロッタさんはそう言って、雑誌のページをめくってくれて、

アルバ島って島が特集されてるページを開いて見せてくれる。

 そこには、海に潜ってる写真があったり、泳いでる写真があったり、

椰子の木みたいな木が立ち並んでる町並みとか、港とか、真っ赤な夕焼けとか、そんな写真が写ってる…。

なぜだか分からないけど、アタシは強烈にそれに魅かれた。

行ってみたい…そんな気持ちが、心の中に沸き起こって、膨れ上がる。

でも、こういう釣りに来たりするのとは別だろうな。

泊まりになるだろうし、中米って、確か、ここからだとずっと北のはず。

飛行機に乗らなきゃいけないだろう。お金、かかりそうだ。

 「ねぇ、この本、くれないかな?」

アタシはロッタさんに頼んでみた。この海のこと、この島のことを、記憶に留めておかなきゃ、ってそう思った。

大きくなって、金を稼げるようになったら、この場所に行ってみたいんだ。

そのためにも、この本は、大事にとっておきたい。

「あぁ、んー、まぁ、いいけど。でも、全部読み終わったらにしてね」

ダメだ、って言われると思ってたので、案外、すんなりそう言ってくれて、逆にびっくりしちゃったけど、

アタシはうれしくって、とりあえず本をロッタさんに返した。
 

467: 2013/12/26(木) 21:31:41.07 ID:5gIpJyl/o

 それからまた、ユベールやシャロンさんたちとおしゃべりをして、

2時過ぎくらいから5時くらいまで、また釣りをした。

 施設へ帰って、アタシたちはその日に釣れたものをみんなで厨房に運んだ。

アタシのイ工口ーテールに、ユベールはカサゴって言う不細工なのを3匹、

シャロンさんは、午前中は釣れてなかったけど、午後からキラキラしてた仕掛けじゃなくて、

ゴムか何かで出来たイモムシみたいな仕掛けに変えたら板切れ見たいな平らなやつを2匹釣ってた。

ジョナサンやフェリシアの方は、小ぶりなのをたくさん釣っていた。

アタシは、イ工口ーテールを釣ってからも、午後に1匹、シャロンさんのと同じ、ヒラメ?って言うのを釣り上げた。

 厨房のおばちゃんたちはそりゃぁ、もう、びっくりしてくれて、それで喜んでくれた。

アタシが楽しいことをやって、それで、おばちゃんたちや、ユベールやシャロンさんに喜んでもらえた、ってのが、

なぜだかアタシの頭の中に残った。

これまで、そんなことをされてきたこともないし、考えたこともなかったから。

アタシは、何かすれば迷惑をかけたり、怒られたりするだけじゃなかったんだな、

なんて、そんなことを考えるようになってた。

 その日も、お腹いっぱいに食べて、消灯の時間までユベールたちとおしゃべりして、で、シャロンさんと同じ部屋で眠った。
  

468: 2013/12/26(木) 21:36:32.00 ID:5gIpJyl/o




 その夜、アタシはふっと、目を覚ましていた。

真っ暗なのは怖いから、とシャロンさんが言うから、豆電球みたいなちっちゃな明かりが部屋には灯っている。

アタシは体を起こして、ぼんやりする目を擦った。

うーん、寝る前に飲んだジュースがいけなかったかな…ロッタさんがあれだけ飲みすぎないようにって言ってたのに。

 アタシは、そんなことを思いながら、なるべく物音をさせないようにベッドから降りた。

「どうしたの?」

とたんに、シャロンさんの声がして、少しびっくりしちゃった。ヤバい、起こしちゃった…

「ご、ごめん、な、さい。起こしちゃった?」

思わず、そう口に出てしまう。

「私、眠りが浅いんだ。気にしないで。どうかした?」

シャロンさんは、本当に、今までも起きてたんじゃないかっていうくらいの感じで、アタシにそう聞いて来た。

「あ、うん、ちょっと、トイレ」

アタシが答えたら、うっすら灯る明かりの中で、シャロンさんは目を細めて

「そっか。行っといで」

って言って、また目を閉じて毛布をかぶった。

 起こしちゃって、ごめんね。アタシは、心の中でもう一回謝ってから、そっと部屋を出た。

廊下にも非常用の電気が付いてて、うっすら、明るい。

アタシは、やっぱりそっと廊下を歩いて、ラウンジの横にあるトイレに行って、用を済ませた。

手を洗って、あぁ、タオル忘れてきちゃった、って思って、

まぁ、気にすることないか、って着てたスエットのシャツでゴシゴシ拭いてトイレから出る。

そんなとき、ふと、何かの気配を感じた。

 ラウンジだ。来るときは気が付かなかったけど、誰か、いる。

ううん、誰か、じゃ、ない。

これ、たぶん、彼だ。
 

469: 2013/12/26(木) 21:36:59.57 ID:5gIpJyl/o

 アタシは、なぜかそう感じて、ラウンジを覗いた。

そこには、確かに、ユベールが居た。

ユベールは、明かりの消えたラウンジで、黙々と一人で、何かをやっていた。

 どうしよう、邪魔しちゃ、悪いかな…あ、でも、今日釣りに連れてってもらったお礼、ちゃんとしてないしな…

一応、しておいた方がいいよね。嫌われたくないし…。

「ユベール」

アタシは、小さな声で、彼を呼んだ。ユベールは、そんなに驚きもしないで、アタシの方を向いてくれる。

そしたらまた、あの笑顔でニコって笑って

「アヤ。どうした、こんな時間に?」

って聞いて来た。アタシはトイレだけど…どうした、なのはそっちだよ、ユベール。

「アタシは、トイレ。ユベールこそ、なにしてるの、こんな時間に?」

アタシが聞いたら、ユベールは相変わらず笑顔で

「ん、今日の写真、見てたんだ」

って言ってきた。写真?釣りのときに、ロッタさんが撮ってたやつ?

そんなことを思ってたら、ユベールは手に持っていた写真の一枚をアタシの方に見せてきた。

でも、さすがに豆電球の明かりじゃ良く見えなくて、アタシもラウンジに入って、

ユベールの座ってたソファーの隣に腰掛けて、写真を覗く。

 ユベールが見せてくれてたのは、アタシが最初にあの大きなやつを釣り上げたときに撮ってもらった写真だった。

三人とも、笑ってる。アタシも、ユベールも、あのシャロンさんも、ニコニコ笑顔で、楽しそうに…

この3人、おんなじ顔して笑ってる…ユベールのとおんなじ、太陽みたいに明るい顔で…。

 それに気が付いて、アタシは、なんでかわからないけど、思わず笑っちゃう。まるで、アタシじゃないみたい。

写真なんて、そんなにたくさん撮ってもらったことないけど、撮られたやつはたいてい、口をへの字にして、

“アタシに構うな”って顔してたはずなんだけどな。

 「ほら、こっちのもいいんだぜ」

ユベールはそんなことを言いながら、もう一枚見せてきた。

これは、帰る前、みんなで自分の釣った魚を持って、撮った集合写真だ。

これも、みんな、おんなじ顔して、笑ってる。

なんでだろう、見てるだけで、おんなじ笑顔になっちゃいそうな、そんな感じがする。

 「楽しかった。ありがとね」

アタシは、言い忘れてたお礼を言えた。そしたら、ユベールは

「そっか、良かった。また来週行こうな」

って言って、笑ってくれる。アタシは、我慢できなくて、思わず、笑顔になっちゃった。
 

470: 2013/12/26(木) 21:37:46.49 ID:5gIpJyl/o

 「あぁ、ほら、あと、これも良いんだよ」

って、ユベールは今度は、掛かってた魚が逃げちゃって、がっかりしてる顔したシャロンさんと、

それを見て、やっぱりおんなじようにがっかりした顔してるユベールの映った写真を見せてきた。

二人とも、ホントに悔しそうで、脱力しちゃうくらいがっかりしてる。

「あれ、残念だったね。けっこうデカかったのに」

傍で釣ってたアタシもそれを見てて、すごく残念に感じたのを思い出した。

 「まぁ、釣りやってると、よくある。

 あれがあると、悔しくて、次が釣れるまで絶対に帰らないぞって気になっちゃうんだよなぁ」

ユベールはそんなことを言ってクスクスと笑う。その気持ちは、ちょっとだけ、想像できる。

もぅ!ってなるよね、それ。そう思ったら、アタシもいつのまにか、クスクスって、笑ってた。

 不思議だな、ユベールは。ユベールが笑うと、楽しくなる。まるで、気持ちが反射してるみたいだ。

「ユベールは、優しいんだね」

アタシは、ふと、そう思って、言ってやった。

なんとなく、だったけど、ユベールがアタシ達の気持ちを楽しくさせてくれてる、って感じたから。

でも、ユベールはポカン、って顔してアタシを見つめてた。

な、なんだよ…え、あ、あれ、アタシ、なんかまずいこと言っちゃったかな?

 急に心配になって身構えようとしたけど、ユベールは、

「優しいか…はは、そんな風に思ったことはないんだけどな」

なんて言って、またクスクスって笑い出した。良かった、怒らせちゃったりしたわけじゃなかったみたいだ。

「違うの?」

アタシは聞いた。そしたら、ユベールは、んー、と考えるように呻いてから口を開いた。

「俺はさ、誰かが楽しい、って思ってると楽しいんだ。

 誰かが悲しいと思ってたら悲しいし、誰かが悔しいって思ってれば悔しい。それだけだよ」

「ドウジョウ、ってやつ?」

「あぁ、いや、そう言う感じとはちょっと違うな…」

アタシは、どこかで聞いたことある言葉を使って、聞いてみたけど、ユベールはそう言ってまたしばらく考え込んだ。

「なんていうかさ、そうすることが、嬉しいんだって思う。楽しいことで、一緒に笑って、

 悲しいことで、一緒に泣いて、それってさ、ひとりじゃないんだ、ってそう感じるんだ。

 それが、俺には嬉しいことなんだよ」

考えたあとに、ユベールはそんなことを言った。
 

471: 2013/12/26(木) 21:38:48.46 ID:5gIpJyl/o

 ひとりじゃ、ないって、感じ?アタシには、あんまり良くわからない感じだった。

それって、どういうことなんだろう…?なんて、考えてたのが顔に出てたらしい。

ユべールはアタシを見て苦笑いしたと思ったら、アタシの眉間を指でグリグリっとほぐしてから話し始めた。

「俺さ、生まれてすぐにこの施設に入れられたんだ。

 たぶん、2歳より前だったんじゃないかな。親のことなんて覚えてないし、顔も知らない。

 ずっとここで、家族なんて知らないで育ったんだ。でも、いや、だから、なのかな。

 家族ってなんだろうって、ずっと考えてた。ちょうど、9歳のバースデーにさ、俺、ロッタさんに聞いたんだよ。

 家族ってなんだ?って。そしたら、ロッタさんは『家族だと思った人たちが家族になれるんだ』って教えてくれた。

 だから、俺、血のつながった人とかいないしさ、だったら、ここにいるみんなが家族ならいいなって、そう思ったんだ。

 で、じゃぁ、家族になるにはどうしたら良いんだろうって考えたときにさ、

 やっぱり俺は、一緒に居て、良いな、って思うことが一番大事なんじゃないかって思ったんだよ。

 ほら、楽しい時に一緒に笑ったら、もちろん自分も楽しいけど、でも、ここ、胸のところがさ、

 ふわってあったかくなるんだ。

 なんて言うか、凍ってたのが溶けてって、やわらかくなってくる、って言うかさ。悲しい時も同じだ。

 誰かが泣いてるときに、一緒に泣いてるとさ、悲しいけど、でもそれでもやっぱり、あったかくなるんだよ。

 そう言うのが、俺は家族なんじゃないかな、って思うんだ」

 家族…ユベールは、家族が欲しかったんだな。家族なんて、そんなにいいものじゃないってずっと思ってたのに…

でもユベールの言っていることには、心当たりがあった。そうだ、昼間、アタシもそう感じてた。

誰かと一緒に楽しいことするのは、こんなに嬉しいんだな、って…。

「家族って、そんなにいいもの?」

アタシはユベールに聞いていた。別に困らせてやろうとか、皮肉を言うつもりはなかった。

ただ、アタシの知ってる家族、ってのとは、全然違うものだな、って感じちゃったから、思わず。

 アタシの言葉を聞いて、ユベールはジッとアタシを見つめてきた。

それから、ふっと、何かに気が付いたみたいに、

「な、アヤは…ここに来る前は、どんな生活してたんだ?」

って聞いて来た。

「聞きたいの?」

あんまり、思い出してて、気分が良い話じゃないから、な…。でも、ユベールは、

「聞かせてくれるんなら」

って、真剣な顔して言った。そっか…それなら、ちょっとだけ、話してみようかな…ホントにちょっとだけ…
 

472: 2013/12/26(木) 21:39:17.89 ID:5gIpJyl/o

「アタシね。2歳か3歳のときに、お父さんとお母さん、事故で氏んじゃって、親戚のところに引き取られたんだ。

 最初は、お母さんのイトコ?って人で、その人は、アタシに食べる物と着る物をくれた。

 あぁ、あと、まぁ、部屋もね。

 だけど、ほら、アタシみたいな子を引き取ると、ホジョキン?って言うのが出るんでしょ?

 それが欲しかっただけらしくて、旅行に行くときとかは、アタシは置いてけぼり。

 5歳のときに、留守番しててお腹減ったから冷凍食品をあっためようとして、

 火事にしちゃいそうなことがあって、それで追い出された。

 次に引き取ったのが、父さんの弟って人。

 その人は、本当はイヤだったみたいで、ご飯もたいして出してくれなかったし、部屋はあったけど、

 暗くて汚い屋根裏だった。

 学校にも行かせてもらえないで、家のこととかさせられてて、そしたら、福祉局の人って言うのが来て、

 ヨーロッパに保護所ってとこに連れて来られて、で、今。

 でさ、お母さんのイトコのそのオバサンも、叔父さんも、最初に言うんだよ。

 『アヤ、君はもう、家族なんだからね』って。

 でも、アタシはあの人たちのもといた家族とは全然違う生活してたし、だから、家族ってなんなんだろうな、ってさ」

喋りながら、思った。アタシ、こんなに誰かに自分のこと話すの初めてだなって。

今まで、誰も聞いてくれなかったし、聞いてもらえるなんて思ってもみなかった。

仕方ないんだ、アタシは、そういうところで生きてくしかないんだって、そう、思ってた。

 「そっか…」

ユベールは、遠くを見つめるみたいにして、そう言った。それから、ふっとため息をついてアタシを見て、言った。

「家族なんだから、は、間違ってる」

「間違ってる?」

「うん。同じところで生活するから、って言って、じゃあ、それで家族なんだ、って、そんなことありえない。

 家族になるには、努力が必要なんだよ」

ユベールは、なんだかすごく、力を込めて、言った。

「努力?」

「そうだ、努力。家族になりたいって思うこと、それから、家族であろうって振る舞うこと。

 アヤの、その、オバサンや叔父さんってのは、最初からそう言うことをする気がなかったんだろうな…

 そんなの、俺は家族だなんて思えない」

ユベールはそう言いながら、テーブルの上に並べてた写真を手に取った。集合写真のやつだ。

ユベールは写真に見入って、黙り込んだ。
 

473: 2013/12/26(木) 21:39:45.30 ID:5gIpJyl/o

 アタシは、と言えば、ユベールの言葉を、心の中で繰り返してた。家族になるには、努力が必要…

アタシは、家族になりたいって思ってた。

でも、それを受け入れてもらえなかった。

だから、いつの間にか、悲しくて、そういうのやめてたのかもしれないな。

でも、じゃぁ、その努力、ってどうやるんだろう?

「ね、それじゃぁ、なにしたら家族になれる?」

アタシはユベールに聞いた。ユベールが、アタシを見た。

「アタシ、ユベールと家族になりたいって思う。そしたら、アタシ、なにしたらいいのかな?」

アタシは、自分でも何を言っているかよく分かってなかった。

でも、だけど、正直に、そう感じてた、ってのは、本当だった。ユベールの、さっきの話。

一緒に笑うと、胸があったかくなるんだ、って言うの、アタシも分かったから。

嬉しいんだって言うのが、アタシにも感じられたから、ユベールと家族になれたら、

アタシ、もっとそれをたくさん感じられると思うんだ。

それって、たぶん、すごく、嬉しくて…きっと、幸せなことなんだろうな、って思ったから。

 アタシの言葉にユベールはちょっとびっくりしてたけど、少しして、初めて見る、

優しい笑顔でアタシの頭を撫でてくれた。

「そっか…そう言ってもらえて、俺も嬉しい。やることは、簡単だ。

 一緒に笑って、一緒に泣いて、一緒に、嬉しいって思えばいい。

 そう言うのを、何回も、何度も、繰り返していくうちに、家族になれるって俺は思ってる」

ユベールはそう教えてくれて、それから

「もっともっと、一緒にいろんなことして、家族になろうな」

って言ってくれた。

 なんだろうな。もう、言葉にできなかったけど、でも…でも。

アタシは、そう言ってもらえたのが、なんだかたまらなく嬉しくて、嬉しくて…

 パタって、何かがアタシの手の甲に落ちた。濡れてる…なに、これ?

アタシは、本当に最初、気が付かなかった。アタシは気が付いたら、ボロボロって涙が止まらなくなってた。

 そんなアタシを、ユベールは優しくハグしてくれる。

誰かにハグなんかされて、あったかいな、って、安心するな、って思えたのは、もしかしたら、初めてなんじゃないかな。

アタシは、そう思いながら、しばらくユベールに体を持たせかけて泣いていた。

 ちょっとしてから泣き止んで、正気を取り戻したアタシは、妙に恥ずかしくなって、とりあえず、ユベールから離れた。

涙を拭いて、鼻をすすって、気持ちを落ち着ける。
 

474: 2013/12/26(木) 21:40:14.94 ID:5gIpJyl/o

 そんなアタシを見て笑ってたユベールが何かに気が付いたみたいに、顔を上げた。

アタシの後ろを見てる。振り返ったらそこには、シャロンさんが居た。

「戻らないと思ったら」

シャロンさんはそんなことを言って、アタシの肩をつかんだ。反射的に、全身がこわばる。

でも、次の瞬間にはシャロンさんは、アタシとソファーの背もたれの間に体をねじ込んできて、

アタシを前に抱きかかえるみたいにして、ソファーに座った。

 いままでユベールにハグされてたせいか、シャロンさんのあったかいのが伝わってきて、

アタシは、なんだか安心して、シャロンさんに体を預けてしまってた。

シャロンさんが、まるでぬいぐるみを抱えるみたいに、後ろからアタシを抱きしめてくれる。

 「ユベール、あんた、叱られてもしらないからね」

シャロンさんがそんなことを言っている。それを聞いたユベールは、いつもの明るい笑顔で

「そう言うのも、みんなでやれば怖くないって、な」

なんて言って、それからシャロンさんに写真を見せた。今度は三人で、写真を見ながら話をした。

不思議だな…ユベールが、なんだか本当に、凍ってた心を溶かしてくれるみたいだ。

家族、か…ユベールは、家族になろうって、言ってくれた。そうなるための方法も教えてくれた。

アタシ、頑張ってみようかな。正直言って、怖いけど…でも、それが、本当は嬉しいことだって分かったから…。

 「ね、シャロンさん」

「うん?」

「あのね…アタシも、シャロンちゃん、って呼んでも良いかな?」

アタシは、思い切って聞いてみた。そしたら、すぐにシャロンさんは

「別に。好きに呼んでいいよ」

って、いつもみたく小さな声で言いながら、それでも、後ろからアタシに回したその腕に優しく力を込めて、

ギュって抱きしめてくれた。なんだか、それが嬉しくて、アタシは、思わず笑顔になっていた、

 んだけど。その直後に、見回りに歩いてたロッタさんに見つかって、そこから30分、3人そろってお説教をされた。

ユベールが言うように、みんなでなら、ってことは全然なくて、めちゃくちゃ怖かったけど、でも。

お説教が終わって、ラウンジから部屋に戻ろうとしたアタシとシャロンちゃんに、

苦笑いで肩をすくめて来たユベールに、やっぱり笑っちゃった。

お説教も3人で受けると、嬉しいものなのかもしれないな、なんて、そんなことを、ほんのちょっとだけ、感じていた。

 それから部屋に戻って入ったベッドの中でなんだか、アタシはあったかい太陽に照らされて、

カチコチに凍った雪が溶けて行くような気持ちを感じてた。

雪が溶けたその下には、花が咲いてたり、キラキラしてて力強い緑の葉っぱがあって、

それがゆっくりと顔をだしているような、そんな風に、アタシには感じられていた。



 

475: 2013/12/26(木) 21:51:56.54 ID:5gIpJyl/o







 「あ、おーい、アヤ!」

廊下を歩いてたら、不意にそう呼び止められた。声だけ聞けば、分かる。

アタシは、もう、それだけでうれしい気分になりながら、ユベールの方を振り返った。

「どっか出かけるのか?」

ユベールは、本を抱えて、いつものラウンジに行くみたいだった。

午前中はあそこ、日当たりがよくって気持ち良いんだよな。

「あぁ、うん。ちょっと、シャロンちゃんと、買い物」

アタシは、そりゃぁもう、ニッコニコしながらユベールに教えてやる。

そしたらユベールもいつもの笑顔を返してくれて

「そっか。んじゃぁ、お土産期待して待ってるよ」

なぁんて言って来た。

そんなことを言うと、アタシ、本気で買ってくるぞ?いいのか?いいんだな?

ってなことは、口には出さないけど、その代わりに

「あーん?そういうのが必要なら、まずは出すもん出して貰えないと困るんだよなぁ」

ってすごんでやった。まぁ、毎日やってる、本当に他愛もないやりとり、だ。

「ははは、俺を強請ろうってか。いい度胸じゃないか」

ユベールはそんなことを言いながら、アタシの肩をポンと叩いて、

「まぁ、気をつけてな」

って言ってくれた。

「うん、ありがとう」

アタシも言葉を返して、ユベールの肩を叩き返して、事務所を目指した。

足取り軽く、事務所へと向かったアタシをシャロンちゃんが待っててくれていた。

 「大丈夫?」

シャロンちゃんは、アタシを見るなりそんなことを言い出した。

部屋から出るのにばたばたしちゃったり、ユベールと話したりしやったから、

ちょっと待たせちゃったのに、そんな風に言ってくれる。もう、シャロンさんってば、優しいよなぁ。

「うん、遅くなっちゃってごめん。ベルトのバックルが調子悪くってさ」

アタシがそういったら、シャロンさんは“笑った”。

うん、まぁ、その、あれだ。親しい人じゃなけりゃぁ、あれ、笑ってるってわかんないくらいに微かな笑顔なんだけど、

でも、あれでけっこう、満面の笑みをしてるつもりなんだ、ってのは、アタシは知ってた。

よくよーく注意して見ていると、ちゃんとあれこれ表現してるんだ、ってのは、1年くらい前になんとなく気がついた。

それに気がついてからは、シャロンちゃんがもっと身近になった。

それって、なんだか、あれこれ表現しちゃいけないんじゃないか、って思ってた、昔のアタシに似てて、

あぁ、アタシがここへ来たときから、シャロンさんは、きっとアタシと同じことを思って、

アタシにいろいろと教えてくれたり、支えたりしてくれてたんだな、ってのがなんとなく胸の中でつながったから。
 

476: 2013/12/26(木) 21:52:40.31 ID:5gIpJyl/o

 ユベールとは、もうなんだか以心伝心、って言うくらいにまで仲良くなれた。

ユベールは、施設のみんなにも人気があって、それから、学校でも人気で、ひとたび街に出ても、

路地裏の不良から、バーのおっちゃん、果物売ってるおばちゃんまで、みんなユベールのことを知ってて、

みんなユベールには一目置いていた。

そんなユベールとほとんど一緒に居るアタシとシャロンちゃんは、自然、他の連中からもよく見かけられてて、

今じゃぁ、ユベールの正妻と側室、あるいは、右腕左腕、なんて呼ばれてる。

アタシは、気が強いだけの無鉄砲なんだけど、シャロンちゃんは、右腕にふさわしいケンカの強さをしてた。

もちろん、大男みたいなのにはかなわないかもしれないけど、そこいらの不良なんかは、

だいたい鳩尾をドカーンと蹴られて、それっきりだ。

 まぁ、そんなだったけど、アタシはユベールとセットにして扱ってもらえるのがうれしかった。

施設に来てから2年が経った。

アタシは今年で12。ユベールとシャロンちゃんは16。

二人ともアタシをかわいがってくれるし、アタシは、どんなことをしたって、言ったって、

アタシをおいてったりしないで、傍にいて笑ってくれたり、怒ってくれたりする二人が好きだった。

たぶん、世の中に、こういう人は、そういないんじゃないかな、って思えた。

人のぬくもりなんかよく分からないアタシに、それを与えてくれた、大事な、二人だ。

 今日は、そんなシャロンちゃんと一緒に街へ行くことになっていた。

これが初めてってワケじゃないから、もう慣れたもんだけど、最初のときは、ちょっとびっくりした。

こんな無口で、物静かなシャロンちゃんは、割とアンダーグラウンドで、

街の、あんまりよろしくない路地裏の辺りに出入りしていた。

そこには、悪そうな男たちがたくさんいて、昼間から酒を飲んだりタバコを吹かしたり、

中には、タバコじゃない煙の出るのを口に咥えて、ヘラヘラとトんじゃってるやつなんかもいる。

そこへ出入りしてても、シャロンちゃんは平気だった。

今思えば、それもユベールのおかげ、だったんだなっておもう。

だって、ケンカは多少強かったけど、男相手だろうが、一目置かれる、なんてことがあるわけでもなかったし、

美人だったのに、あんな場所にいて、強姦にあったりすることもなくって、

平然と、言葉少なに、町の男たちと話をしたり、怪しげな店に入っては服やアクセサリーを選んだりしてた。

それもこれも、たぶん、ユベールの人望だったんだ。

ユベールは、いつも太陽みたいに笑って、どんなやつとだって、分け隔てなく接することが出来る。

そんなユベールの正妻と側室なアタシ達も、扱いはユベールに順じてたんだろう。

 この裏路地への出入りをロッタさんは、割と厳しく言って聞かせようとしてたけど、

シャロンちゃんはその度に黙り込んで、お説教も効果なし。

でも、別に悪いことをしているわけでもないから、ロッタさんも、そこまで無理やりにでも止めようって気がないのも、アタシは知ってた。
 

477: 2013/12/26(木) 21:54:19.41 ID:5gIpJyl/o

 そんなユベールとシャロンちゃんについて周ってたからアタシは裏路地街でも、ちょっと顔の知れたオンナになった。

特に、アタシとシャロンちゃんは、同じアジア系ってこともあって、さっきの「正妻と側室」「右腕左腕」とは別に、

「東洋姉妹」ってあだ名もつけられてた。正直、悪い気はしてなかった。

だって、姉妹、だもんな。シャロンちゃんとそう言われるのは、悪くないどころか、うれしいくらいだ。

 だとしたら、ユベールは、兄ちゃん、かな…うん、兄ちゃんだ、うん。兄ちゃん兄ちゃん。アタシの大事な、兄ちゃんだ、うん。

 アタシ達は、歩いて街に出て、その目抜き通りを歩く。この通りには、大きなデパートや、ショッピングモールが何軒も立っている。

でも、アタシ達の目的はそこじゃない。アタシは、シャロンさんと並んで歩きながら、細い路地を曲がった。

そこはどこか汚い狭い道で、怪しげな男たちがいて、怪しげな店や、怪しげな看板なんかがある。

 「お。お前らか」

道端にたむろっていた集団の中から、タトゥーだらけの男がアタシたちに声をかけてきた。バリーだ。

「よう、バリー!あれ、そっちの、左肩のやつ、色入れたんだな?」

アタシは、こないだまで無色だった左肩のタトゥーに、色が入っていたのに気がついたので言ってやったら、

バリーは喜んで、

「はは!そうなんだよ!いいだろ、これ!?」

って聞いてくる。

「あぁ」

アタシはそう言って笑ってやった。

 「ユベールのやつは元気か?」

今度は、別のやつがそう聞いてくる。

「あぁ、元気だよ」

シャロンちゃんが静かに答えた。すると彼も満足したみたいで

「たまにはこっちに顔出してくれって言っといてくれよな」

なんて笑ってた。

 アタシはバリーに手を振ってさらに奥まで、シャロンちゃんと路地を進む。

そしたら今度は、見るからに悪ガキって風体のチビが、姿を現した。

「シャロン姐さん、アヤ姐さん、ちぃっす」

チビのクセに、そんな舎弟みたいな挨拶をしてくる。

「よう、アルベルト。元気そうだな」

こいつはアルベルト。ユベールが学校で特に目をかけてる子だ。

母親しかいなくて、その母親も、生活のために朝も夜も働いてて、こいつはほとんど施設に来る前のアタシと同じ生活をしてる。

それを見過ごせなかったのか、ユベールはあれこれこいつを構ってやって、

すっかり憧れのお兄さん、になっていた。

そんなユベールの傍にいた、アタシとシャロンちゃんも、って言うのは、他のやつと、まぁ一緒だな。

「今日はなにしてんです?」

「今日は、シャロンちゃんと買い物」

アタシは、ニヒヒって笑って言ってやって

「あんたも、仕事がんばれよ」

って励ましてやった。そんな生活だから、アルベルトもここにある小さなバーの小間使いをして、

お駄賃を貰う生活をしてる。そうでもしないと、こいつも年中腹ペコになっちゃう。腹が減るのは、辛いからな。
 

478: 2013/12/26(木) 21:54:46.41 ID:5gIpJyl/o

 アタシ達は、アルベルトにも手を振って場所を抜け、さらに奥まったところにある店のドアを開けた。

シャララン、って、ドアに掛かってた金属の細い棒が連なってる飾りが音を立てる。

いや、飾りじゃなくて、そもそもこういう音をさせるためのもん、か。なんていうんだろうな、こういうの。

 そんなことを考えてる間に。シャロンちゃんはどんどん店の奥へと入っていく。

中はそんなに広くもないけど、でも、アタシ達の部屋くらいの大きさがある。

そこにはトゲトゲしたチェーンとか、ゴツゴツした指輪とか、割とシンプルで、

スッとしたブレスレットまでいろいろと飾ってある。

「おう、お嬢さんたちかい」

お店に入ったら、カウンターに座ってタバコを吹かしてた若い黒人の店員がそう言ってアタシ達を出迎えた。

 「よう、カーチス」

黙ってうなずくだけのシャロン姉ちゃんに代わって、アタシが挨拶をしたら、カーチスは可笑しそうに笑って

「ったく、チビのアヤも生意気になったもんだ」

と言ってくる。ふん、下手に出たってあんたら付け上がるだけだろう?なんて思いながら、

それでもアタシはそう言う風に扱われるのはイヤじゃなかった。

むしろ、対等に扱ってもらえてるんだ、と感じるのがうれしくもある。

 そんなアタシとカーチスをほっぽって、シャロン姉ちゃんは店をくるっと一回りしてた。

シャロンちゃんには、お目当てがあって、前に来たときに見かけたブレスレッドがどうしても忘れられないで、

今日までパートタイム代をこつこつ貯めてた。

 シャロンちゃんは前々から目をつけていた3つのリングが連なったブレスレットを腕につけて、

くっと腕を前に伸ばして、眺めている。

 「似合うじゃん」

アタシがそう言ってあげたら、シャロン姉ちゃんはいつもみたいに、ちょこっとだけ目を細くした。

それから、それをそのままカウンターまでつけていくと

「これ」

と言って、お財布から紙幣を何枚か取り出して、カーチスに手渡した。

「まいど!」

カーチスはそんな姉ちゃんを気にしない様子で威勢良く返事をした。

 値札を取ってもらって、ブレスレットをはめたままのシャロンちゃんは、珍しく、誰にでも分かるくらいの感じで笑ってた。

よっぽどうれしいんだな。そんなことに気がついて、アタシもなんだかうれしい気持ちになった。

人の笑顔見て、こんな気持ちになるなんて、施設に来るまで全然、知らなかったよな。

本当に、ユベールのおかげだって、そう思う。

 さて、じゃぁ、あとは、表通りでクレープでも食べて帰ろうかな…

なんてアタシが思ってたら、シャロンちゃんがアタシを呼び止めた。
 

479: 2013/12/26(木) 21:55:49.85 ID:5gIpJyl/o

「アヤ、これ」

そう言って、シャロンちゃんはシルバーのリングを手に取ってアタシに見せてきた。

アタシは、それを見て首を傾げちゃった。なんだろう?

アタシ、リングとかってあんまり付けたいなとは思わないけど…

なんて思ってたらシャロンちゃんはうっすらと笑って

「ユベールに、どう?」

って、言ってきた。

 ユ、ユベールに?ア、アタシが?!

「ななな、なに言ってんだよシャロンちゃん!」

思わず、おっきい声を出してしまった。なんだかわかんないけど、顔が熱くなってくる。

でもそれにもかまわずにシャロンちゃんは

「だって、あんた好きなんだろ、ユベールが。いいじゃないか、こういうプレゼントしたって」

って、珍しくなんだかアタシをからかうみたいな表情を見せて言ってきた。

「おー?なんだ、アヤ、生意気に、カレシでもいんのか?」

カーチスまでそんなことを言ってきた。

「うるさい!違う!そんなんじゃない!」

アタシはまた声を張ってしまったけど、カーチスだけじゃなくて、シャロンちゃんにまで笑われた。

違う、違うんだ、ユベールはそ、そ、そんなんじゃないんだって…!

だって、あいつは、アタシのこといっぱい心配してくれて、優しくしてくれて、

一緒に笑ったり怒ったり泣いたり楽しんだりする、か、家族なんだって。

うん、その、兄さん。兄さんだって、さっき、アタシ、そう思ってたじゃないか。

好きとか…そ、そんなんじゃないんだって!そんなんじゃ…そ、そんなんじゃ…!

「深い意味なんてないよ。街に買い物に来たお土産、でいいじゃないか」

シャロンちゃんが言ってくる。そ、そういうもんかな?

そ、そりゃぁ、アタシだって、あいつに喜んでもらえるのはその、うれしいだろうけど、でも、でもさ

「ゆ、指輪って、なんか、すごく、その…こ、告白、みたいじゃんか!」

アタシは、不安になってそう聞いてしまう。そしたらカーチスがまた、わはは、と笑って

「別に、そうとも限らん。こういうのは、信頼の証ってもんだ。

 そこにくっ付いてる感情がどうとかって言う、ステレオタイプな考え方もあるっちゃあるがな。

 俺はあんたを信頼してる。だから、これをつけててくれ、って思うのは、不思議なことじゃない」

って言ってくる。そっか、そういうもんか?

いや、なんかうまく乗せられてるような気がするけど、でも…これ、ユベール、喜んでくれるかな?

あいつ、こういうのつける趣味あったっけ?

あぁ、でも…もしかしたら、アタシからのお土産だって言ったら、喜んでくれそうな気がするな。
 

480: 2013/12/26(木) 21:56:17.30 ID:5gIpJyl/o

「い、いくら?これ?」

そんなことを思ったアタシは、思わずカーチスに聞いていた。カーチスはニヤっと笑って

「そいつは、シルバーじゃなくステンレスだし、大量生産品で、800で出してんだが、

 まぁ、今日はシャロンも買ってくれたし、サービスってことで、500でどうだ?」

と言ってくれた。500、か。

そ、それなら、このあと姉ちゃんとクレープ食べても、今月の小遣いは少しあまるな…か、買っちゃおうかな…

ふっと顔を上げたアタシを、シャロンちゃんが見つめてた。

シャロンちゃんは、アタシの頭をごしごしっとなでると、

「がんばれ、アヤ」

って言って来た。

い、いや、がががが頑張る必要なんてないだろ?

ふ、普通に、お土産だって渡せば、そ、それだけじゃないか、な、そうだよ、な…?

「わ、分かった。カーチス、これ包んで」

アタシは意を決してカーチスに言った。カーチスは

「お!いいねいいねぇ、サービスのサービスだ。うち特製の皮袋もつけてやんよ!」

なんていって、アタシから指輪を受け取ると、それを棚から出した、ダークブラウンの革の袋に入れてくれた。

紙幣を渡してお釣りを受け取ってお店を出たアタシの背中をシャロンちゃんがバシっと叩いてきた。

もう!冷やかすの、やめてよ!はは、恥ずかしいだろ!別に、なんでもないっての!

 そんな不満をシャロンちゃんにぶつけながら、アタシは一緒に浦路地を抜けた。

それから表通りでクレープを食べて、洋服屋を冷やかしてから、施設に戻った。
 

481: 2013/12/26(木) 21:57:57.30 ID:5gIpJyl/o

 玄関を入ってすぐに、アタシとシャロンちゃんは、なんだか異様な雰囲気を感じ取った。

なんだ、これ?なにかあったのか?誰かが暴れたか、ケンカでもしたのか?

どこか、物々しい感じがする。どうしたんだ…?

 アタシはそんなことを思いながら、玄関から廊下を歩いて、ひとまずシャロンちゃんとホールへ行ってみる。

するとそこには、フェリシアとサンドラが居た。なんだか、落ち着かない様子で立ったまま話をしてた。

「フェリシア、サンドラ。なんかあったの?」

アタシは二人にそう聞いてみた。そのときの言葉は、今でも忘れられない。

買ってきた指輪を渡したら、

ユベール、きっと喜んでくれるだろうな、なんて、浮かれていたアタシを、まるで突き落とすみたいな言葉だったからだ。

 それは、フェリシアが、静かな低い声で、アタシに言った。

「ユベールが、倒れて、病院に行った…心臓を抑えてて、すごく、苦しそうだった…」

たお…れた…?

「あいつが、倒れた?」

シャロンちゃんが、フェリシアにそう聞く。

「うん…胸押さえて、急に苦しみだして…そのまま、ロッタさんと一緒に、救急車で病院に行ったよ…

 もう、3時間か、4時間くらい経ってる」

サンドラがそう教えてくれた。

 ユベールが、倒れた…って…え、待て、待てよ、それ…ど、どういう意味だよ…?

 3時間か4時間て、それ、アタシがシャロンちゃんと出かけた直後じゃないか…

あいつ、あのときは全然何でもなかったのに…なにがあったって言うんだよ…?

…なんでだ?なんでだよ。ユベール、あんたどうしたんだよ?

なんでも、ない、よな…いつもみたいに笑ってたじゃないかよ…

あんたに、なにがあったって言うんだよ、ユベール…ユベール…。

ユベール、あんた、氏んだり、して、ないよな…?

アタシは、まるで、胸をうち抜かれたみたいなショックを受けていた。

ガクガクって全身から力が抜けてくのを感じた。

気がついたらアタシは買ってきて、大事に握ってた指輪の入った革の袋を、思わず取り落としていた。


 

 

484: 2013/12/28(土) 10:01:20.42 ID:0cRuzNGn0



 2時間後、アタシは、街で一番大きな病院の近くにいた。

シャロンちゃんにだけは言って、こっそり施設を抜け出してた。

病院には、ロッタさんがいる、って話だったから一瞬迷ったけど、

でも、ロッタさんはアタシがどんだけユベールのことを思ってるかって言うのは、知っててくれてるはずだ。

怒られるだろうけど、でも、無理矢理に帰れ、とは言わないはずだ…とにかく、いてもたってもいられなかった。

 アタシはそんなことで瞬間的に迷ってたけど、意を決して、病院の敷地内に入って、救急外来の入り口をくぐった。

受付があったので、そこでユベールの話をしたら、ICUってところに入ってるって教えてくれて、

廊下の見取り図で場所を教えてくれた。アタシは、小走りで廊下を行く。

たぶん、滅菌目的なんだろう、自動ドアを何枚もくぐった先の廊下に、ロッタさんがいた。

「ロッタさん…」

アタシは、思わず名前を呼んでた。ロッタさんはそれに気がついて、アタシを見る。

怒られる、と思って、アタシはうつむきながら傍まで行って、

「ごめん。アタシ、いてもたっても、いたれなくって」

って謝った。そしたら、ロッタさんは、元気のない顔だったけど笑った。

「シャロンちゃんがフェリシアちゃん達の担当のリノさんに教えてくれたらしいわ。

リノさんから、あなたがくるって連絡はもらってたの」

そっか…シャロンちゃん、気を回してくれたんだな…ありがとう…

「ごめん、ロッタさん…アタシ…」

もう一回、ちゃんと謝ろうと思ったアタシの言葉を、ロッタさんは唇に人差し指を当てて止めて

「今日は、特別ね」

って、また、すこしだけ笑った。

「…うん、ありがとう」

アタシの返事に、ちょっとだけ息をついたロッタさんは、正面にある、大きな窓の中に視線を投げた。

つられるみたいに、アタシもそっちへと視線を送る。

 そこには、ベッドに寝かされてる、ユベールの姿があった。

酸素マスクを付けられて、あっちこっちからいろんな電極が3種類くらいあるモニターに延びてて、点滴もされてる。

 なんだよ、おい…どうして、いきなりこんなことになってるんだよ、ユベール…あんた、病気になったのか…?

そんな格好で、そんなところに寝かされて、いったい、どうしちゃったんだよ…。

 そうしてたら、シュバっと音がして、自動ドアの向こうから白衣の男が廊下に姿を現した。

ロッタさんがそれを見て、向き直った。

白衣の男、多分医者なんだろうけど、その人はアタシと、立ち上がったロッタさんを見て

「あぁ、保護者の方ですね」

って声を掛けてきた。

「奥の応接室にお越しください。詳しく、ご説明いたします」

医者は、さらにそう続けて、アタシとロッタさんを奥へと通そうとした。待て…待ってくれ!

485: 2013/12/28(土) 10:02:22.49 ID:0cRuzNGn0

「待って!」

アタシは、思わずそう声に出してた。ロッタさんと、医者がちょっとびっくりしたみたな顔をしてアタシを見た。

「アタシ、医学の難しいことはわかんないから…

ううん、そうじゃなくって、アタシ、ユベールのとこに居てやりたい…ダメ、かな?」

アタシは、医者に向かってそう頼んだ。医者は、ふん、と鼻息を吐いて

「今、ナースを寄越します。その者の指示にしたがって滅菌してから、15分だけなら、構いません」

って言ってくれた。

「あ、ありがとう」

アタシは、なぜだか、体が震えていた。でも、でも、よかった、ユベールに会える。

また、話が出来る…そう思ったら、どこかですこしだけ、気持ちが安心したような気がした。

 ロッタさんが医者と一緒に応接室へ入って少しして、部屋の前に居たアタシのところにやってきたナースに、

面会者用の緑の服と、帽子みたいなのをかぶせられて、全身に消毒液をかけられてから、アタシは入室を許された。

 プシュっと、エアモーターの音がして、ドアが開く。

アタシは、緊張しながら、一歩、もう一歩、って、ゆっくりと部屋の中を進む。

ピッピッピッ、って、心拍数のモニターの音と、

それから、プシューって言う、空気の出入りする音、あと、点滴を管理する機械の音もしてる。

ツンとした、消毒液の匂いが鼻をつく。

 胸がつぶされそうだった。ユベール、大丈夫かよ…ユベール、ユベール。

 アタシは、やっとの思いでベッドの隣に立った。点滴の管がつながれている腕に触れて、手を握る。

あったかい、ユベールの手の平だ。

 「んっ…」

不意に、ユベールがそう声を上げた。さ、さわって平気なのか?

え、これ、どうしたらいい?

起こして、大丈夫なのかな…!?

アタシがびっくりして戸惑ってたら、ユベールは目を開けた。

「あぁ…アヤ…」

ユベールの力のない声が、マスクの中から聞こえてくる。まったく、心配させて!

「どうしたんだよ、ユベール。何があったんだ…?」

アタシは、いつのまにか目に溜まってた涙をいっぱいにこぼしながら、ユベールに聞いた。

緊張してたのが一気に緩んで、涙になってあとからあとからあふれ出てきちゃう感じだ。

ユベールは、そんなアタシを見て笑った。それから、すこし黙って、急に

「ごめん」

と口にした。なんだよ、なんで謝るんだ?なんだよ、どういうことなんだよ?

アタシが分けも分からずに、ユベールの顔を見てたら、彼は、微かに笑って言った。

「俺、病気なんだ、心臓の。体が成長してきたら、たぶん、障害が出るだろうって、小さい頃から言われてた。

 それが、来ちゃったみたいだよ」

心臓の、病気…そんな、そんなの、初めて聞くよ…ごめん、ってのは、アタシにそれを黙ってて、ってことか?

487: 2013/12/28(土) 10:03:25.88 ID:0cRuzNGn0

「そ、それ、手術して、もう大丈夫なんだろう?」

アタシは、とにかくそれを聞いた。他の細かいことは、この際どうでもいい。

まずはユベールが大丈夫だってのを確認したくてそう聞いた。

「いや…今日のは応急手当てだ。俺の病気は、なんでも心臓の筋肉が年々固くなっちゃうって病気らしい。

 遺伝性だって言ってた」

心臓の筋肉が、固く…?そ、それじゃぁ、も、もしかして、それ、時間が経ったら、その、

完全に動かなくなったりとか、そんなことになっちゃうとかじゃ、ない、よな?

「それ…命に関わるのか…?」

アタシは、恐る恐る、ユベールに聞いた。そんなアタシの質問に、ユベールは笑って言った。

「あと、数年じゃないかって、医者は言ってた」

あと、数年…?なんだよ、それ?まるで、そんなの、余命宣告みたいじゃないかよ…

嘘だろ、ユベール…あんた…そんな!だって、アタシ…アタシ、あんたのことがっ…

 胸に言い様のない気持ちが込みあがってくる。

アタシの涙は、いっそう激しく流れ出して、もう止めようはなかった。

そんなアタシを知ってか知らずか、ユベールは急にアタシを指差してきた。

「それ、なんだ?」

アタシはユベールに言われて、ハッとして、思い出した。そうだ、アタシ、ユベールに、これ、渡そうと思って…。

「今日、シャロンちゃんと買い物に行ったろ。そこで見つけて、あんたに似合うかなって思って、買ってきた」

アタシは、泣きながら握り締めていた革の袋を、ユベールに手渡した。

ユベールはゆっくりした動きで袋に手を突っ込んで、中から指輪を取り出して、少し驚いたような表情を見せた。

「いいのかよ、こんなの?」

「うん」

アタシはそうとだけしか言えなかったけど、ユベールは嬉しそうに、本当に嬉しそうに笑って、

「ありがとうな」

っていってくれた。それから、指にはめてもくれる。

アタシも、そう言ってもらえて、喜んでもらえて、嬉しかった。

嬉しかったけど、でも、アタシ、ダメだ…

488: 2013/12/28(土) 10:04:12.73 ID:0cRuzNGn0

「気に入ってもらえたみたいで、良かった…

 あの、悪いんだけど、今夜は、あんたの体のために長くはいちゃダメだって言われてきてるから、

 今日はもう帰るな。明日、お見舞いもってまた来るから」

「ん、そっか。じゃぁ、待ってるな。俺も今日は、疲れちまった」

アタシが言ったら、ユベールは笑って、そう言ってくれた。

「じゃぁ、また明日な」

「あぁ」

アタシは、ユベールとそう言葉を交わして、部屋を出た。

それから、もう、頭の中も、胸の中も爆発しそうで、ロッタさんに報告もしないで、病院を出た。

走って、走って、どれくらいかかったから分からなかったけど、

とにかく施設に戻ったアタシは、呼び止めるほかの子どもたちを無視して、自分の部屋に飛び込んだ。

 あんまりにも勢い良くしたもんだから、シャロン姉ちゃんが、びっくりした表情でアタシを見てた。

でも、すぐに、アタシの様子に気がついてくれた。

 いつもどおりに、シャロンちゃんは何も言わなかった。何も、聞こうともしなかった。

ただ、泣いて、泣いて、走りながら泣いて、ぼろぼろになってたアタシの顔を掌で拭ってくれて、

ポンって一度だけ頭を撫でてくれた。でも、アタシは、そんなことすらも、気に留めておける状態じゃ、なかった。

 枕に顔をうずめて、とにかく、ただ、ひたすらに、アタシは泣いた。




489: 2013/12/28(土) 10:06:52.09 ID:0cRuzNGn0




 それから、2年経った。アタシも、ジュニアスクールの最高学年になった。

ユベールは、今年で、18。シャロンちゃんと同じで、今年いっぱいで施設を出て行かなきゃいけなくなる。

だけど、ユベールは、それどころじゃなかった。ここ半年は、調子が悪くて、小さな発作を何度も繰り返してた。

学校の帰りに毎日病院によってお見舞いしてたけど、

ユベールの調子は悪くなる一方で、食事もろくに摂れないらしい。

日に日に、やせ細っていくユベールが、アタシはただただ、心配だった。

 アタシはその日も、学校の帰りに、病院へ向かった。

昨日、ユベールに頼まれてた小説を本屋で買って、それから病室に向かう。

 ドアの前に立って、アタシは深呼吸をする。いつも、この瞬間は緊張する。

ドアを開けて、声をかけたユベールが、返事をしてくれなかったらどうしよう、って、

そんな妄想がどうしたって頭から離れなかったからだ。

でも、いくらアタシでも、あんな状態のユベールが、騒ぎもなしにそうなってしまう、なんてことはないって頭では分かってた。

体中にセンサーやなんかをたくさんつけて、ナースステーションのすぐ近くのこの部屋に寝てるんだ。

もし何かあったりしたら、ドタバタとしているだろう。

だから、大丈夫、大丈夫だ。

 アタシは自分にそう言い聞かせて、ドアを開けた。

「ユベール、調子どうだ?」

部屋に入ってそう声をかけると、ユベールはゆっくりと体を起こした。

「アヤ。待ってた」

そう言って、青白い、やせ細った顔で、ユベールは笑った。

 ベッドの隣に座って、買って来た本を渡してやる。

礼を言ってくれて本を受け取ったユベールは、それから、昨日とおんなじことをアタシに聞いてきた。

やれ、シャロンちゃんは元気か、とか、フェリシアとは仲良くやってるか、とか、そう言うこと。

アタシが昨日も大丈夫だって言ったろ、って文句を言ってやったら、ユベールは笑って

「心配なんだよ、お前」

なんて言って来た。まったく、病人だと思って、言いたい放題だな。

もう一度、そう文句を言ってやろうと思ったけど、止めた。そんなのよりも、楽しい話をしてやりたい。

今日は、朝、施設でちょっと騒動があったんだ。

調理さんが作ってくれたスープを、配膳のときに鍋を運んでたチビたちが滑って転んで、中身をダメにしちゃったんだ。

やけどなんかしなくてよかったけど、運んでた二人は、怒られちゃったこともあって、

しばらくショックで凹んじゃってて、アタシとフェリシアで慰めてやったんだ。

 そんなアタシの話を、ユベールはニコニコしながら聞いててくれた。

それから、なんだか、満足そうな笑顔を浮かべてアタシを見つめてきた。

楽しかったかな?そうなら、よかった。

アタシは、ユベールにそんな顔してもらったのがうれしくって、デレっと笑ってしまったけど、

そのあとに、彼の口から出てきた言葉を聴いて、とたんに笑顔をなくしちゃってた。

 ユベールは、アタシに言った。

「なぁ、アヤ。お前、みんなと仲良くやれよ。ケンカなんかしないで、みんなを助けてやってくれよな」

490: 2013/12/28(土) 10:08:01.81 ID:0cRuzNGn0

急にそんなこと言われて、アタシは、本当に、何かにぶん殴られたんじゃないかって感じた。

なんで、急にそんなこと言い出すんだよ、やめろよ、そういうの…そんなの、そんなのまるで…

「そんな、お別れみたいなことを言うなよ。そんな言葉、聴きたくない」

アタシは、ユベールを睨みつけて言ってやった。

いや、睨んでいたって言うか、ボロボロにないていたんだけど、さ。

 アタシだって、分かるよ。もう、あんたがダメなんだろうなってことくらい。

もう、長くないんだなって、そんなのアタシだって感じてる。

でも、一緒に居るときはそんなこと気にしないように、できるだけ、楽しくいられるようにって思ってんのに、

なんだよ…なんでそんなこと言い出すんだよ!

「なんでだよ、どうしてだよ、ユベール。アタシ、アタシ!あんたに居なくなって欲しくないんだ!

 アタシは…あんたが、好きなんだ!なんで、なんでなんだよ…なぁ、ユベール。

 アタシ、もう誰も要らない。何も、要らない。だから、頼むよ…どこにも行かないって約束してくれよ。

 アタシ、あんた1人だけでいい。他に誰も要らない、ずっと一緒に居たいって思うんだよ!」

病気のユベールに、ムチャなことを言ってるってのは、分かってた。

でも、そうでも言っておかないと、どうにも押さえつけられない気持ちだった。

こんなに好きなのに、誰よりも、頼りにしてたのに…なんで、アタシ、そんな大事なあんたを失わなきゃなんないんだよ…!

 ユベールの、アタシのやった指輪をはめた手が伸びてきて、アタシの頬に触った。

「1人だけでいい、なんて悲しいこと言うなよ。誰かひとりしか要らない人生なんて、寂しいじゃないか」

ユベールは、静かに、そんなことを言って来た。でも、でもだって、アタシ…あんた意外には、誰も…

「アヤ、聞け。お前は、逃げてる。

 誰かと一緒になるとき、何かをするとき、どこかで、相手に踏み込まれないように、一線を引いてるんだ。

 俺には、わかる。お前は、ずっとずっと、孤独を感じてる。

 寂しいって、そう思ってる。それを俺と一緒にいることで、なんとか満たそうとしてた。

 でも、俺だけでしか満たせないなんて、そんなの悲しいって俺は思うんだ。もっと、たくさんの人を見ろ。

 もっとたくさんの人と話せ。もっとたくさんの人と、本気で楽しめ。怖いのも、辛いのも分かる…

 俺も、同じだったから。だけど、お前と一緒に居て、気がついた。俺やお前に、なにが必要だったのか。

 表面上で誰かとそれなりに付き合うことばっかりがうまくて、どの関係も、本物じゃない。俺も、そうだった。

 でも、お前と一緒に居て、そう言うことが、無駄なことだってのが分かった。

 お前とは、そう言うの無しで一緒にいられたからだと思う。俺にとっても、お前は特別だった。

 でも、俺は、お前にとっての唯一の誰かではいたくない。たくさんの中の1人でありたい。

 たくさんの中でも、好きだった、信頼してもらえた人でいたい…」

ユベールがなにを言いたいか、なんて、わからなかった。

だって、アタシは、もう、話をちゃんと聞けるような状態じゃなかったから。

あとからあとから、我慢してたいろんな気持ちが沸いて出てきて、ボロボロと涙になって出てきてとまらない。

でも、それでもアタシは、ユベールが、なにか大事な話をしようとしてるってのだけで、

とにかく、彼の言葉を聴いた。頭に中に、心に刻み付けた。


491: 2013/12/28(土) 10:08:43.98 ID:0cRuzNGn0

「アヤ、人を信じろ。信じて、傷つくことは、確かに怖い。でも、たぶん、俺だけじゃない。

 みんな、本当は優しいんだ。きっとお前を守ってくれる。励ましてくれる。

 一緒に居てくれる。お前が、相手を信じれば、きっと相手も、お前を信じて、信頼してくれる。

 俺との関係が、そうだったみたいに」

ベッドに顔を埋めてたアタシの頭に、ユベールの手が乗った。

「いいか、アヤ。忘れるなよ。お前のことを大好きな、俺からのお願いだ」

ユベールの優しい声が聞こえる。

「誰か1人、なんて、寂しい。もっとたくさん見つけるんだ。

 お前の、俺たちの“家族”を、さ。だから、忘れるなよ。絶対だからな、約束だぞ…」

ユベールは、そう何度も何度も繰り返していた。

アタシは、そんなの嫌だったけど、でも、

ユベールが本当に、そう思って言ってくれてるってが胸の中を壊しそうなくらいに伝わってきてて、

ただただ、うなずくことしかできなかった。




 その3日後の昼間、ユベールは、

アタシが学校でボーっと数学の授業を受けている間に、小さな発作を起こして、

そのまま、二度と目を覚ますことはなかった。






492: 2013/12/28(土) 10:09:39.53 ID:0cRuzNGn0





 ユベールの葬式が終わってから3日間、アタシは、部屋にこもって、ベッドでひたすらに泣いていた。

もう、あの笑顔が見れないのか、って思ったら、胸に大きな穴が開いてしまったみたいで、

いてもたっても居られなかった。

 あんたは、アタシの支えだったのに。あんたは、アタシの安らぎだったのに。

あんたは、アタシの、アタシの人生そのものだったのに…なんで、なんで氏んじゃうんだよ…

そんなことばかりが頭の中を駆け巡っていた。

 4日目から、アタシは、時間さえあれば、街に出ていた。

施設の中は、ユベールとの思い出が詰まりすぎていて、なにをしてても、どこにいても、

あいつのことを思い出しちゃって、つらかったから。

 だけど、街に出たって、それはおんなじだった。

ユベールと歩いた道、ユベールと遊びに来た店、ユベールと話した広場、

ユベールに教えてもらった場所、紹介してもらった人、ばっかり…アタシは、アタシ、どうしたらいいんだよ…

 そして、ユベールが氏んでから、一週間が経った。

その日も、アタシは朝学校へ行くのに施設を出たけど、そのまま、街をぶらついていた。

もう、なんにもする気力もなくて、それでも胸に開いた穴は埋まらなくって、

ただ、ほとんど呆然ってしながら、トボトボと街を歩き回っていた。

 気がついたら、アタシは、街のはずれにいた。

ここから先は、大きな国道が山道を抜けて、30キロ向こうの街まで続いている。

そこになら、ユベールとの思い出はないよな。

なんだったら、その街まで行ってみようか…30キロか。往復10時間もかければ、行けるかな。

この街にいたって、たぶんまた学校から登校してない、って連絡が施設に行って、

施設の大人がアタシを探し出して、またあそこに連れ戻されるんだろう。

もう、やめてくれよ…施設にずっといたら、アタシ、壊れちゃいそうなんだよ、悲しくってさ。

もうほっといてくれないかなぁ…アタシは、そんなことを思って、国道を歩いた。

 ユベール、ユベール…アタシ、どうしたらいいんだよ。

あんたなしで、アタシ、どうやって生きていけばいいんだよ?

あんたが一緒にいてくれたから、アタシ、笑顔になれたんだ。

あんたが一緒に居てくれたから、うれしいって思えたんだ。

それなのに、あんたがいなくなったら…アタシ、もう笑顔になれないじゃないか。

もう、嬉しいっておもえないじゃんかよ。

493: 2013/12/28(土) 10:11:46.66 ID:0cRuzNGn0

 そう思ってたら、また涙が出てきた。それでも、アタシは道を歩いた。

山を切り開いたところに出て、さらにまっすぐ、ずっと歩く。

その先は、湖があって、橋を渡って、その向こうには、山の斜面を使った畑が見えた。

いつのまにか、昇ったばかりで傾いてた太陽がてっぺんに来てた。

 国道は、山道に差し掛かった。道幅も狭くなって、くねくねと山の中腹を縫っていく。

汗だくになって、顔も、涙でくしゃくしゃにしながら、それでもアタシは歩いた。

たぶん、逃げたかったんだと思う。ユベールが氏んだって言う現実から。

もっと言っちゃえば、もしかしたら、この道の先に、ユベールが待っててくれてるような幻想すら持ってたのかもしれない。

でも、そんなのも、次第になくなってた。どんだけ行ったって、寂しいだけ、悲しいだけ。

何も変わりなんかしないんだ。

ユベールが氏んだ事実も、もう、会えないんだってことも、アタシがなにをしたって、どんだけ歩いたって、変わんないんだ。

 そう思ったら、脚が止まった。胸の中で、悲しいのが爆発して、アタシは叫んでた。

ユベールの名前を叫びながら、その場に、道端に泣き崩れていた。

もう、ただただ、悲しくて、とにかく叫んで、泣いた。

途中から、声も掠れて来て、うまくでなくなって、それでも声が出る限りに叫んでた。

最後には、血の混じった唾さえたれてた。でも、それでも、アタシの悲しいのは消えてくれなかった。

 もう、このまま消えないかな、アタシの意識。

ユベールのことも、施設のことも知らないアタシになれないかな…そのほうがいい。

もう、あそこで生きてたって、何の意味もない。辛いだけだ。

それなら、いっそ、全部なくなっちゃったほうがいい。

 そう思ってたとき、キュッと音がして、道路に車が止まった。

「おい、居たぞ」

「ったく、手間かけさせやがって。おい、アルベルトに電話して、施設に知らせとくよう言っとけ」

男の声がする。聞き覚えのある声だ。バタン、とドアの閉まる音がする。

足音が近づいてきて、地面に転がって蹲ってたアタシの手を引っ張ってきた。

「放せよ、バリー。ほっといてくれよ」

アタシは、抵抗する気力もなくて、そうとだけ、かすれた声でバリーに言った。

裏路地の、タトゥーのバリーは、アタシの腕をさらに引っ張った。

「いい加減にしろ。泣くのは勝手だが、人様に迷惑をかけるんじゃねえ」

知るかよ、そんなこと…アタシは、バリーの手を払いのけて、また地面に転がった。

「ほっとけよ!アタシなんかさぁ!」

それから、胸のうちに込みあがる激しい気持ちに任せてそう言い捨てる。

バリーは答えなかった。でも、しばらくして、落ち着いた声色で、バリーは言った。

「ユベールは、氏んだんだ。もう、帰ってこねえ。お前がしっかりしないでどうすんだ」

ユベールが、氏んだ…?もう、帰って、来ない…?

あぁ…あぁ、そうだよ、知ってるよ、そんなこと…言うなよ、もう、それ、二度と言うなよ…

二度と、アタシの前で…!

 自分でも、オカシかったんだと思う。でも、そのときのアタシは、言葉に出来ない、コントロールの利かない激しい感情にあおられて、

気がついたら、バリーをぶん殴っていた。

494: 2013/12/28(土) 10:13:04.01 ID:0cRuzNGn0

 他のやつらが、アタシに飛び掛ってくる。

でも、アタシは、そいつらを蹴飛ばして、殴り捨てて、叫んだ。

分けも分からないまま、叫んで、暴れた。

いつもなら、こんな人数を、しかもバリー達みたいにケンカ慣れしてる男にそうそう太刀打ちなんて出来ない。

でも、そのときのアタシは違った。

まるで、バリー達の動きがスローモーションみたいに見えてて、感情の赴くままに、

アタシは握った拳を叩きつけて、しならせた脚を振りぬいていた。

そうしながら、アタシは思ってた。

もう、いい、バリー。

壊してくれ、アタシを、壊してくれよ!って。

 気がついたらアタシは、両方の手足を捕まえられて、磔みたいに拘束されていた。

ボコボコの顔になったバリーが、肩を上下させながらアタシの前に立った。

なんだか、笑えた。いや、楽しいとか、そういうことじゃない。

でも、とにかく、おかしくて、アタシは声を上げて笑った。

次の瞬間には、バリーの振り上げた拳がアタシの顎に命中して、

グシャグシャになった頭がガクンって揺れて、意識を失ってた。




495: 2013/12/28(土) 10:14:35.37 ID:0cRuzNGn0




 目が覚めた。どこだ、ここ…?アタシは、体を起こして、辺りを見る。

あれ、ここ、アタシの部屋だ…なんだよ、どうやって帰って来た…?

そう思って、立ち上がろうと思ったら、頭が痛んだ。それで、ふと思い出した。

あぁ、そうだ。アタシ、バリー達相手に暴れまわって、それで…

 微かにまだめまいがして、ドスンと、アタシはベッドに座り込んだ。

そのまましばらく休んでたら、パタン、と音を立てて、部屋にシャロンちゃんが戻ってきた。

シャロンちゃんはアタシに一瞥をくれると、乱暴に炎症止めの張る湿布薬を放り投げてきた。

それがまた、アタシの気持ちに触れた。

「なんだよ、シャロンちゃん」

アタシは、そうシャロンちゃんに声をかける。

彼女は、イスにギシっと腰掛けたまま、アタシをチラっと見やって

「バリー達をそうとうやったみたいじゃない」

って言って来た。あぁ、その話か。

「あれは、あいつらが悪いんだ。アタシは放っとけって言ったのに、無理矢理引っ張ろうとするから…」

アタシがそう説明をしたら、シャロンちゃんは、舌打ちをした。

なんだよ、それ。気に入らないのかよ、アタシが?

アタシは思わず立ち上がって、イスに座ってたシャロンちゃんの胸倉を掴んでいた。

「なんだよ、言いたいことあんなら、言いなよ」

シャロンちゃんは、にらみつけたアタシを、ギっと睨み返してきて、イスから立ち上がった。

「あんたね、一人で傷ついてるフリばっかしてんじゃないよ」

傷ついてる、フリ?あんた、アタシのこと分かってんだろ?

知ってるはずだ、あんたが一番…!

「あんたにはわかんないのかよ、アタシがどんだけ傷ついてるか!

 ユベールが氏んじゃって、どんだけ悲しいって思ってるか!」

そう怒鳴った次の瞬間、何かがアタシの頬に弾けた。

シャロンちゃんの平手だった。

「いい加減にしな!」

そういわれて、アタシは、バリー達とやりあったときのように、何かが頭の中でトんで行くのを感じた。

シャロンちゃんの顔面を目掛けて、右腕を振り上げる。

でも、それと同時にアタシの鳩尾にシャロンちゃんの蹴りがめり込んでいた。

痛みとショックで、全身の力が抜けそうになる。シャロンちゃんのシャツを掴んでた手がスルっと抜けてしまった。

前屈みに苦しんで太アタシの肩を蹴り上げてきたシャロンちゃんは、

蹴り上げられて起き上がったアタシの胸倉を掴み返してきて、アタシの頬っぺたに平手を見舞った。

 この!この…!この…!!アタシはやっきになってシャロンちゃんの肩と腕を掴んで、一緒になって床に引きずり倒した。

なんで、なんでアタシがこんな目にあわなきゃいけないんだよ!

ただ、悲しいだけなのに…なんで…誰も放っといてくれないんだよ!もう良いんだよ!

ユベールが居ないんだから!もう、アタシ、なにもかも、どうだって良いんだ!

 そんなやけっぱちだったのが見透かされてたのか、アタシはそのまま、シャロンちゃんに床に組み敷かれてしまった。
 

496: 2013/12/28(土) 10:15:55.78 ID:0cRuzNGn0

アタシは、胸の上に馬乗りにされて、両腕を床に押さえつけられる。

 また、いつの間にか、泣いてた。もう、分けわかんない…アタシ、アタシ…

「なんでだよ!もう、アタシにかまわないでくれよ!イライラさせたんなら謝るから!

 だから、もうほっといてくれって!」

アタシが怒鳴ったら、また、シャロンちゃんの平手が飛んできた。

カッとなって胸倉を掴み返すけど、もう一方の腕は相変わらず押さえ込まれてて、反撃は出来ない。

「いつまでもウジウジしてんじゃない!」

シャロンちゃんが怒鳴った。なんだよ…アタシの気持ち、分かってくれないのかよ…?!

あんなに、ずっと一緒に居たのに…姉ちゃんだって、思ってたのに!

「なんでわかってくれないんだよ!あんなにずっと一緒だったろ!?

 アタシが、アタシがユベールをどんだけ思ってたか…あんた、知ってんじゃないかよ!」

「そんなの、私が誰よりも一番よく知ってる!だからいい加減にしろって言ってんだ!」

また、そう大声を上げたシャロンちゃんの目から、いきなり大粒の涙がこぼれだした。

泣いてる…え、シャロンちゃん、あんた、なんで泣いてんだよ…?

パタパタと、アタシの頬っぺたにシャロンちゃんの涙が降って来て、

アタシは、また殴られたんじゃないかって思うくらいにショックを受けて、

全身の力がヘナヘナっと抜けていくのを感じた。

 「私が、アヤ、あんたを、あんたとユベールを、どんだけ見てたと思ってるんだよ…

どれだけの時間あんた達と一緒に居たと思ってるんだ…?

あんたがどれだけ悲しんでるのかなんて、私がわからないとでも思ってるのかよ!」

シャロンちゃんはまだそう言って大声を上げている。

ボロボロとあふれてきている涙も止まってない。

アタシを押さえつけてた力もかなり弱くなって来てた。

「私だって、ユベールが好きだった…こんな私を邪険にしないで、他の子と同じように接してくれた…

 一番の親友だって、そう思ってた…私にだって、あいつは、掛け替えのない人だったんだ!

 だけど、でも…あいつは氏んじゃった。悲しいけど、でも、でも…それは、仕方ない。

 泣いたってわめいたって、あいつはもう、帰ってこないんだ…」

分かってるよ、シャロンちゃん…アタシだって、分かってるんだ…でも、でも、アタシ、それが悲しくって…

そう、言おうと思ったのに、普段は、1日一言二言しかしゃべらないくせに、

アタシにしゃべらせる隙も与えないで、消え入りそうな声で言った。

「…だけど、だけど…アヤ、あんたまで…あんたまで、いなくならないでくれよ、アヤ…」

シャロンちゃんはそれから、アタシの上に覆いかぶさるようにして、声を上げて泣き出した。


 アタシ、まで…?い、いや、だって、アタシ…別に、いなくなるつもりは、なかったけど…

いや、そりゃぁ、壊れたいとか、消えたいとか…そんなこと、思ってはいたけど…

でも、ごめんアタシ…シャロンちゃんに、そんな心配かけるなんて、考えてもなくて…

あぁ、ごめん…ごめん、シャロンちゃん…

 アタシは、覆いかぶさってるシャロンちゃんを下からギュッと抱きしめた。

あのシャロンちゃんが、あんなに大きな声出して怒って、こんなに大声で、泣いてる…

アタシ、アタシ、とんでもないことしちゃった…

497: 2013/12/28(土) 10:16:53.04 ID:0cRuzNGn0

「ごめん、シャロンちゃん…ごめんね…アタシ、そんなつもりじゃなかったんだ…

 自分の悲しいのどうにかしたくって、それで…」

耳元でそう言ったアタシの体を、シャロンちゃんはギリギリってきつく抱きしめてきた。

「なんで1人で抱えるんだよ…!悲しいのは、アタシだって同じだ…!

 あんたがいなくなったら、アタシ、この悲しいのを、誰と分け合えばいいんだよ…!」

悲しいのを、分け合う…?…そうか。そうだ。ユベール、言ってたじゃないか…

楽しいのも、悲しいのも分け合うのが、家族なんだって…。

そうだ、そうだよ…アタシ、1人じゃないんだ…アタシだけ悲しいんじゃない。

みんなだって、悲しいんだ。

ユベールの言ってた、寂しいってそういうことか。

一人で良い、なんて、確かに寂しいな。寂しくて、辛いよ。

しかも、アタシ一人がそうなるわけじゃない。

そうしてるアタシを見てる人だって、同じ気持ちにさせちゃうんだ。

あぁ、アタシ、バカだ…そうだよ、なに、やってたんだよ…

ユベールが氏んで、アタシが一番そばに居てあげたい人のそばに居ないで、

一番そばに居て欲しいって、悲しいのを分かって欲しいって思ってる人のそばに居ないで、

アタシ、自分だけ、悲しいなんて思い込んで…なんにもなくなった気がしたみたいになって…。

 「ごめんね…シャロンちゃん、ごめんね…ごめんね…」

アタシは、シャロンちゃんに謝った。何度も、何度も、床で二人で泣きながら抱き合って、しばらく、そうしてた。

 そうだよな…アタシ、信じなきゃ、人を。ユベールがそうしてくれたみたいに、アタシが、伝えていかなきゃ。

アタシが太陽みたいに笑って、楽しいことも、悲しいことも一緒に分け合って行かなきゃ、って。

 どれくらい時間が経ったか、アタシは、シャロンちゃんと一緒に体を起こして、床に座り込んだ。

グイっと、シャロンちゃんがアタシの頬っぺたの涙をぬぐってくれる。

アタシもシャロンちゃんの涙を拭いて上げて、それから、どちらともなしに、笑った。

あぁ、そうだよ、最初からこうしてれば、あんなに荒れることもなかったのに。

バリー達をぶん殴ることもなかったのに…そう思って、ハッとした。

「そうだ、アタシ、あいつらに謝んなきゃ」

「うん、私も着いてってやる」

アタシが思わず口に出したら、シャロンちゃんがそう言ってくれる。でも、それって、なんか…

「悪いよ…アタシのしちゃったことだし…アタシがちゃんとやってくる」

って言ったら、シャロンちゃんはアタシの頬っぺたをギューっと引っ張った。

「あんたは、いつだってそうやって、なんでもかんでも、自分で抱えようとする。

 別に誰彼かまわずそうしろ、なんていわないけど、せめて、私にくらいは甘えてよ。

 こんなだけど、私、あんたの姉ちゃんのつもりでいるんだからね」

シャロンちゃん…そんな風に思ってくれてたんだ…

アタシ、アタシも、姉ちゃんみたいだって、ずっと思ってたんだよ…

 アタシはまた、シャロンちゃんの肩口に顔を埋めてた。

「ありがとう…シャロン姉ちゃん…明日、学校終わったら行って来ようと思うから、付き合って」

そうお願いしたアタシの頭を、シャロン姉ちゃんは、ポンポンって、叩いてくれた。


498: 2013/12/28(土) 10:20:48.91 ID:0cRuzNGn0




「いい、聞きなさい、アヤちゃん。暴力は、必ず自分自身に返って来るものよ。

 あなたが年下の子や、路地裏の子ども達を守ってあげたいんだって気持ちは分かる。

 でも、それで暴力を振るっていたら、最終的には、あなたや、彼らを傷つけることにもなりかねないんですからね?」

ロッタさんが、ものすごい勢いでそうまくしたててくる。

うぅ、怖い…こんななら、まだ、先週ぶちのめした180くらいある余所者のチンピラの方が易しい。

どうも、ロッタさんからだけは、この怖いって感じ、抜けないんだよなぁ…。

「アヤちゃん、聞いてるのかしら?!」

「だっ…は、はい!」

アタシはビクっとなって、慌ててそう返事をした。

「なんども言ってるけど、“戦わない強さ”を身に付けなさい。

 暴力でも、暴言でもなく、それをせずに、トラブルを解決する方法を、です!

 たとえ相手が暴力で訴えて来ても、それを暴力で返さない方法をあなたは知らなければいけないわ」

う、うん、分かってるよ、その話…もう、10回以上はされたもん…

まぁ、それでも、手を出しちゃうアタシもアタシだけどさ…。

 17にもなって、アタシは、ロッタさんにそんな説教を受けて、それに縮こまって応じてた。

本当に怖いんだよ、ロッタさん。もう、なんていうかさ、あの迫力っていうかな。

バシーンて、でっかい手のひらで、全身もれなくぶっ叩かれたみたいな圧力があるんだ。

どんなに粋がってるヤツも、あれの前じゃあ、ヘビににらまれたカエル、だ。

「わかったら、もう行きなさい」

ロッタさんは、鼻息をフンスと噴き出して、アタシにそう言った。良かった、今日は短くて済んだな…

「ホント、ごめん。次こそは、気を付けるよ…」

アタシはそう言って、事務室を出た。そのとたんに、チビのミックが飛びついてきて

「アヤ姉、怒られてやんの!」

なんて言ってきた。まったく、恥ずかしいんだから見るなよな。

アタシはそんなことを思いながら、ミックを抱き上げようとする。

 その瞬間、一瞬だけ、右肩に走るような痛みが走った。

くそっ、あの女軍人、妙な体術使いやがって…悔しいけど、完敗だったなぁ…

アルベルトのバカがカツアゲしようとして逆にボコボコにされてたってことでもなかったら、かなりやばかった。

あいつめ、良い人間でいろなんて言わないけど、人様に迷惑をかけるようなことはすんな、

ってあれほど言ってやったって言うのに。だぁ、思い出したらまたむかっ腹が立って来た。明日改めて行って、もう一回説教だな。

 それにしたって、あの軍人のカップル、アタシをスカウトだなんて、ある意味、相当腹が据わってるよなぁ。

学のないアタシが安定して食っていくんなら、軍人ってのも悪くないかもしれないな。

アルバ島に行って、家と船を買う、いつのまにか、アタシの夢になってたそんな妄想も、

あながち実現できない夢物語ってわけでもないかもなぁ。

でも、“戦わない強さ”がどうのこうのって言うロッタさんは、きっと反対するだろうな…

どう説得しようかな…まぁ、いいか、それは、また今度で。

あの軍人とは連絡先を交換したし、悪い奴じゃけりゃ、説得に協力してもらえるかもしれないし、な。

 アタシはそんなことを考えてたけど、頭を振ってそれを思考から吹っ飛ばして、改めてミックを抱き上げて肩車してやった。
 

499: 2013/12/28(土) 10:21:38.90 ID:0cRuzNGn0

「なぁ、ミック。アタシ怒られちゃって、元気ないんだ。慰めてくれよ?」

「えー?あ、そうだ、俺、アメ持ってるから、姉ちゃんに一個やるよ!」

アタシが言ってみたら、ミックはそう言って、アメ玉を一個、アタシの口元に出してきた。

あー、なんかこれはこれで、申し訳ない気もするけど、まぁ、くれるって言うんだから、もらって思い切り喜んでやろう。

そう思って、アタシはミックの指ごとアメ玉にかじりついた。

「ぎゃー!指たーべらーれたぁー!」

ミックはそんな風に叫び声をあげながら、大げさに笑っている。

「んー、これ、うまいな!元気で来たよ、ミック!」

「違う違う、それ、俺の指だから!」

「えぇ?!違うのかよ?魚肉のソーセージみたいで、うまいぞ?」

「ギョニソ味のアメなんてないよ!」

肩車の上でミックが騒ぐんで、とりあえずガリガリかじってた指は放してやった。そしたら、ミックのやつ、

「もー!涎ついちゃったじゃないかよ!」

なんて言って、あろうことか、アタシの髪の毛でそれを拭きやがった。

「なぁぁ?!やったな、こいつ!」

アタシはそう言うのと同時にミックを肩の後ろから降ろして、廊下の真ん中でくすぐりの刑にしてやった。

降参、降参!って言うので、アタシはとりあえず許してやることにした。まったく、楽しい奴だな、あんたも。

 ユベールが氏んでから、もう2年経つ。

シャロンちゃんは、あの初めてのケンカしたときから半年して、施設を出て行った。

18歳以上は、ここにはいられないからだ。施設を出たシャロンちゃんは、隣町の小さな病院のナースになった。

学校で勉強がんばって資格も取ったんだ。

お別れの日は、ユベールが氏んじゃったときと同じくらい泣いたけど、

でも、もうアタシは、荒れることなんてなかった。

あれからアタシは、ちゃんとみんなと向き合った。

シャロンちゃんが居てくれたから、ってのが正直なところだ。もうアタシは、ひとりなんかじゃない。

アタシには、施設のみんなが居る。

氏んだユベールも、離れてっちゃうけど、シャロンちゃんも、アタシの心の中に居てくれる。

いやぁ、シャロンちゃんとは、手紙のやりとりもできるし、アタシもパートタイムができるようになって、

PDAも契約できたから、今じゃぁメッセージのやり取りだってできてる。

もうアタシは、寂しくなんてないんだ。
 

500: 2013/12/28(土) 10:22:42.02 ID:0cRuzNGn0

 ミックを解放して、そういや、そろそろ夕飯の準備が始まる時間だったなぁ、なんて、

廊下を歩いてって厨房を覗いたら、案の定、彼女の姿があった。

 おばちゃん達に混じって、なんだかせっせと、手伝いをしている、ブロンドのチビ。

先月、シャロンちゃんが出てってから長らく一人部屋だったアタシのところに来た、新入りだ。

 気の利くやつで、厨房のおばちゃん達だけじゃなく、忙しそうにしてる寮母さんたちとか、

自分より年下のチビ達とか、それから、ちょっと年上くらいやつにまで、あれこれ気を使って世話を焼きまくってる。


 名前は、シェリーって言った。アタシは、あいつの、ああいう感じがなんだか気に入らなかった。

だって、あいつはまるで子どもじゃない。

あぁいうのは、大人になっても変わらないで、ダメな飲んだくれの男とか、ギャンブル好きの浪費家の面倒をみだして、

子ども出来ちゃって結婚して、男に暴力を振るわれたりとかして、心の病気になったりしちゃうんだ。

今の内は、気の利く良い子、だけど、今からあれじゃぁ、将来ロクなことになんてならないってのは、経験上、アタシは知ってる。

裏路地のバカの彼女ってのは、だいたい、ああいう、“いい子”だったりするんだよな。

あいつには、今晩言って聞かせないとダメだな。

 そう決心したアタシは、消灯時間が過ぎてから、ベッドにもぐったシェリーに声を掛けてた。

 「シェリー、起きてるか?」

「あ、はい」

シェリーは小さな声で返事をした。

 別に、怖がられてるって感じじゃない。消灯したから、静かにしてなきゃいけない、って、良い子ちゃんなだけだ。


アタシは、昼間の間に買ってきておいたソーダとお菓子を引っ張ってきたイスの上に並べて見せて

「ちょっとさ、オトナのお喋りしようぜ」

なぁんて言ってやった。子どもっぽくないシェリーには、うってつけの誘い文句だと思うんだ。

我ながら、策士だなぁ。

案の定、シェリーはクスクスって笑いながらベッドから起きてきて、アタシの勧めたジュースを飲んで、

お菓子をポリポリし始めた。

寮母さんが見回りに来るのは、決まって消灯から1時間、って決まってる。

ただし、15日に1回は消灯から30分で見回りに来るんだけど、今日はその日じゃない。

そこら辺のスケジュールはシャロンちゃんと分析してバッチリ押さえてあるからぬかりはない。

501: 2013/12/28(土) 10:23:40.82 ID:0cRuzNGn0

「なぁ、シェリー。あんた、どうしてここに来たんだ?」

アタシはシェリーに聞いてみた。そしたら、シェリーは、いきなり泣きそうな顔になった。

おっと、しまった…来たくなくって連れてこられたクチだったか…まぁ、でも仕方ない。

ここを聞いておかないと、話できないしな。大事なのは、そのあとのフォローだ。

「あの…私、母さんが、氏んじゃったんです」

シェリーは、消え入りそうな声で、そう話し始めた。

「母さんは、私が本当に小さい頃に、父さんと離婚して、それ以来、ずっと母さんと二人で生活してたんです。

 でも、7歳のときに、母さんが病気になっちゃって、それからは、ずっと、私が面倒を見ながら、

 お仕事できない母さんが政府にお願いしてもらってたお金で生活してたんですけど…

 でも、あんまり、十分じゃなくって、母さん、ちゃんとした手術とかしたら助かったのに、

 それをするお金なくて、だから、私、お家のことしながら、一生懸命勉強して、

 早くお仕事も出来る様にって頑張ったんですけど、間に合わなくって…それで、それで…」

シェリーはそこまで話したら、グスっグスって鼻をすすって、涙を流し始めた。

そっか…あの気を利かせまくるシェリーは、そう言う生活のせいだったんだな…

母さんのために、って思って、子どもらしいことなんてしないで、一生懸命、家事やって、

母さんを看病して身に付いたもんだったんだ…。

 アタシは、胸にこみ上がってくる気持ちを、そのまんま抑えなかった。

ボロボロって、涙がこぼれてくる。そんなアタシを見て、シェリーはびっくりしてたけど、

「そっか、シェリーは、ずっと頑張ってきたんだな」

って、感じたままを言ってやったら、ますます勢いよく泣き出した。うん、辛かったよな…

今まで。アタシ、分かるよ。

境遇は違うけど、ここにくるやつってのは、たいていみんな、何か大事なことを我慢してきてるんだ。

それって、想像できないくらい、辛いことなんだよな…。

アタシはベッドを立って、元はシャロンちゃんのだったシェリーのベッドに移って、

チビのシェリーを膝に乗っけて、思いっきり抱きしめてやる。

「泣いて良いよ、シェリー。あんたは、頑張った。

 間に合わなかったのかもしれないけど、でも、誰もそれを責めたりしない。

 だって、あんたは、母さん助けてあげようと思って、一生懸命がんばったんだろ?

 アタシが分かったくらいだ、そばにいた母さんも、きっとそれを分かってくれてるよ。

 だから、もう、安心していい。あんたは良くやった。頑張ったよ…」

シェリーが声を上げて泣き出した。アタシの気持ち、ちゃんと届いたみたいだな…

でも、シェリー、あんまり声出すと寮母さんに聞こえちゃうから、もっとアタシにしがみついてほしいな…

そう思って、アタシはもう少しだけシェリーにまわした腕に力を込めた。

シェリーは素直にそれに応えてくれて、アタシの胸に顔をうずめて、泣いてくれた。
 

502: 2013/12/28(土) 10:24:24.47 ID:0cRuzNGn0

 それから、泣き止んだシェリーに、アタシは言ってやった。

「シェリー、あんたは、なんでもかんでも、誰かのためにってやろうとしてるよな。

 別にそれがいけないなんて言わない。それ、良いことだと思うしな。

 でも、せめて、アタシにくらいは甘えていいんだからな。

 いいか、シェリー。楽しい時に一緒に笑って、辛い時に一緒に泣いて、

 一緒にそういうことができると、嬉しいって思うものなんだよ。

 そう言うのを、何回も、何度も、繰り返していくうちに、家族になれるらしいんだ。

 だから、これからはもっともっと、一緒にいろんなことして、アタシと家族になろう。

 アタシ、こんなだけどさ、あんたの姉ちゃんになれるように、頑張るから」

シェリーはうん、ってうなずいてくれた。

なんだか、アタシはあったかくて嬉しい、あの気持ちになって、またシェリーをギュッて抱きしめてた。

「ア、アヤさん、い、痛いです!」

「あ、ごめん、なんか嬉しくってさ」

「…私も、嬉しい気がします」

「あー、違う違う、アタシはあんたの姉さんになりたいんだ。

 だから、ほら、丁寧コトバなんて使わないでいいんだ」

「あ、えっと…うん!」

シェリーは返事をして、笑った。

それは、太陽みたいにまぶしい、あの、ユベールとおんなじ笑顔だった。




 

503: 2013/12/28(土) 10:25:31.55 ID:0cRuzNGn0




 グズン、と、マライアが鼻をすすった。うーん、この状況、なんだか、前にもなかったっけな?

なんて、アタシが思ってたら、マライアが飛びついてきて、思い出した。

あぁ、そうか、マライアの昔話したときにも、こんなだったな。

 そう思ったら、なんだか笑えた。

ていうか、マライア、アタシの話なんだから、アタシが泣くんなら分かるけど、あんたそれ泣きすぎだろう?

どれだけ感情移入して話聞いてたんだよ?

 「マライア、あんた泣きすぎ。アタシが泣くべき状況だろ?」

アタシが言ってやったら、マライアは嗚咽を漏らしながら

「だって、だって、アヤさん、その人のことすごく好きだったんでしょ?悲しいよ、そんなの…悲しいよぅ…」

なんて言って、アタシの胸に顔を埋めてくる。あぁ、もう、そりゃぁ悲しいよ。

悲しいかったけど、でも、ユベールは、それだけじゃないってアタシに教えてくれたんだ。

「悲しいだろ。アタシも、それからはいっぱい泣いた。ホントに、泣いて泣いて、泣きまくったよ。

 そしたらさ、みんなアタシに優しくしてくれるんだ。ロッタさんと、シャロン姉ちゃんなんかが特にさ。

 もう、なんだか3歳の子どもみたいな扱いまでされて、シャロン姉ちゃんなんか、

 一緒にベッドで寝てくれたりしてさ。で、気がついたんだ。

 あぁ、ユベールとおんなじだな、って。

 アタシがあいつにしてたみたいに、アタシはいつのまにか、シャロン姉ちゃんや、ロッタさんに、身も心も預けてた。

 信頼が先にあったかって言ったら、わかんないけど、とにかく悲しかったアタシは、

 そうしなきゃ壊れそうだったってのもあったのかもしれないし。ただ、でも、一緒に居てくれた。信じてられた。

 そしたら、少しずつだったけど、なんだか、ユベールと一緒にいるときみたいな気持ちになれたんだ…

 今になって、思うよ。アタシがユベールに感じてたのは、恋愛とかそういうことじゃなくて、

 もしかしたら、家族って感じだったのかもしれない。

 今まで、家族ってものがなんだかわかんなかったアタシが、

 はじめてそういうものの暖かさを知れた相手だったのかもしれない。

 だから、ユベールが氏んだのは、悲しかった。

 でも、ユベールが言ってくれたおかげで、アタシは、施設の中に、ちゃんと家族を見つけられた。

 誰かをちゃんと信じる、ってことの大事さを知れた。それはアタシにとっては、掛け替えのない宝なんだ」

アタシが言ってやったら、マライアは、またわぁーっと声を上げて泣き出した。

だから!なんであんたがそんなに泣くんだよ!

ホントに、アタシもいろいろ思い出して泣き出したい気分だったのに!

あんたのせいで台無しじゃないか!

って、思ってはみたけど、でも、アタシのことで、こんなに泣いてくれる、ってのも、うれしいなって感じるところもある。

それだけ、マライアがアタシに安心して心を開いてくれてるってことだもんな。

だから、まぁ、仕方ない。なんだか釈然としないところもあるけど、とりあえず、慰めてやるかな。

そんなことを思って、アタシはしばらく、マライアの背中をポンポンポンポンって叩いてやってた。

504: 2013/12/28(土) 10:26:30.84 ID:0cRuzNGn0

どれくらい経ったか泣き止んだマライアが、ふと思い出したように聞いてきた。

「あれ、そういえば、アヤさんの話って、『“戦わない強さ”を身に付けろ』ってのを言われてってところじゃなかったっけ、主題?」

あれ、確かに、話し出したときは、そうだったな。

あはは、アタシ、ユベールのこと思い出して、そっちばっかりしゃべっちゃったよ。

「あはは、そうだったな。そいつも、しばらくは言ってる意味が良くわからなかったけどな。

 こうなってみて、ようやくどういうことが言いたかったのかってのが、なんとなく理解できた気がしてるよ」

アタシが言ってやったら、マライアは、ふーん、と鼻を鳴らしてから、突然ビクンとなって

「え!?いや…終わり!?ユベールさんの話はあんなに長かったのに!?戦わない強さの話はもう終わり!?」

といきり立って言いながらアタシに迫ってきた。終わりに決まってんだろう、そんな話。

施設を出てっちゃったシャロンさんに代わって、あの裏路地街で暴れまわってたころのことなんて、

特にあんたには、これ以上詳しくなんて絶対に言わないよ。恥ずかしいから、な。

「なんでよ!聞きたい!あたし聞きたいよ!」

マライアが、いつになく強気にそんなことを言ってくる。

でも、やんちゃだったころの話は、基本的にはしない、絶対!

「しないっていってんだろ!このわからずや!」

アタシはしつこく食い下がってくるマライアの体を捕まえて、海へと一緒に飛び込んでやった。

マライアは、悲鳴を上げるでもなく、次の瞬間にはゴボゴボと夜の海にアタシと一緒に浮いていた。

 「げほ!げほげほ!!もう!なにすんのよ!鬼!悪魔!」

マライアがそんなことを言って、アタシに猛抗議してくる。

アタシは、海中で腕を突っ張って、しがみつこうとしてくるマライアを遠ざけてからかいながら、それを笑ってやった。
 

505: 2013/12/28(土) 10:27:16.91 ID:0cRuzNGn0

 そんなことをしてたら、突然、遠くの方で何かがパッと光った。

見たら、光の玉が、ゆっくりと海面に落ちていくところだった。

「な、なに、あれ…?」

マライアが急におびえた声色でそんなことを言い出す。バカ、なにって、あれ、決まってんだろ!

「信号弾だ!救助が来たぞ!はやくこっちも打ち返さないと、この暗がりで、こっちが見つけられてないんだ!」

アタシが言ってやったら、マライアの顔色にパッと明るさが戻った。

「信号弾、どこ!?どこにあるの?!」

「コクピットのシートだ!いくぞ!アタシが押し上げるから、あんた急いでコクピットに走ってって打ち上げろ!」

「はい、了解!」

それからアタシは、機体の上にマライアを押し上げて、コクピットへ駆け込んだマライアが信号弾を空にぶっ放した。

それに気がついてくれた救助船は、すぐにアタシ達のところに来てくれた。

 船の中で、腹が減ったろう、とか、水を飲めとか言って、あれこれ渡されたけど、

「どちらも間に合ってます」

と断ったマライアを見て、救助隊の連中が戸惑ってたのが面白かったな。

 それから、基地に戻れたアタシ達は、カーターの代わりに、

ヨーロッパから脱出してきた、あのカレンって少尉がうちへ入隊したって話を聞かされた。

直接会って話をしてみた限りじゃ、口は悪いけど、性格はいいやつ、って印象だったんだけどな。

とにかく、そんなカレンが入隊して、しばらく、アタシらはジャブローを出なかった。

北米が落ち、アフリカも落ち、オーストラリアも半分以上が制圧された。

アジアの一部と、このジャブローくらいしか地球連邦には残されていなかった。

そして、あの、ジャングルへの降下作戦が始まったんだ。



 

506: 2013/12/28(土) 10:29:03.20 ID:0cRuzNGn0




 「ユベールさん、ね」

レナさんが、静かな声でそう口にした。

「そ、アタシの、灯台」

アヤさんがそう言ってレナさんに笑いかけた。

 これは、変な茶々入れしないほうがいい雰囲気だな。

たぶん、ユベールさん、って、二人の間では、何度も話にでてきてたんだろうなって、そんな感じだ。

きっと、レナさんも彼に対して、いろいろ思ってるんじゃないかな。

ヤキモチとか、もしかしたら、そういうことも含めて…あ、待って、それよりも聞きたいことがあったんだ。

「ね、アヤさん、そのシャロンさん、ってのは、今どこでなにしてるの?」

あたしは、そうアヤさんに聞いてみた。あぁ、と言わんばかりの顔をして教えてくれた。

「何年か前の、ティターンズがジャブローを爆破した件があったろう?

 あのときに、こっちの島に呼び寄せたんだ。

 シングルマザーで、今は、街の総合病院のナースしながら、子ども育ててるよ」

「え、この島にいるの?!ていうか、あの病院にいるの!?」

「あれ、あんた会ったことあるだろ?

 えっと、確かあれ、ほら、マリとカタリナが“お日様熱”に罹った時に、

 ユーリさん乗せてワクチン貰いにあんたが車飛ばしてくれたじゃんか。アタシ、バーボン飲んじゃってたから」

「え、え、えぇ?!あのときになんか親しそうに話してたナースさん!?」

あたしはアヤさんに言われて思い出してた。

そう言えば、あの大きい病院には、アヤさんとレナさんがやたら親しそうに話しているナースさんがいるなとは思ってたけど…

そうだったんだ…あの人が、シャロンさん…アヤさんの、姉さん、なんだ…。

あたしは、なんだかわからないけど、それがすっごく嬉しかった。なんでだろう?

アヤさんの大事な人が、今もこうしてそばにいてくれてるから、かなぁ?

ミラ姉ちゃんが生きてた、みたいな、そんな感じにも思える。

そっか、シャロンさんは、元気なんだね…良かった…良かったよ…

 そう思ったら、変なんだけど、なんだか、涙が出てきちゃった。

悲しいとか、嬉しいとか、そんなんじゃなくって、正直に、安心したって、そんな感じだった。

 そんなあたしを見た二人にびっくりされちゃったけど、まぁ、仕方ない。

あたしだって、なんで泣いてるのかってびっくりしてるくらいだったから。

 まぁ、さ、とにかく。あたし、二人が笑顔でいてくれてホントに良かったよ。

ミリアムにも、レナさんの家族にも、ユベールさんにも、シャロンさんにも、あたし、感謝しなきゃな。

二人をここまで導いてくれて、助けてくれて、あたしと出会わせてくれて、ありがとう、って。


ね、そうだよね、ミラお姉ちゃん…





507: 2013/12/28(土) 10:30:17.17 ID:0cRuzNGn0




 <各機、装備の最終点検を実施せよ。間もなく、予定降下空域へと侵入する>

モビルスーツ内の無線を通して、司令機からの指示が聞こえてきた。

私は、コンピュータを操作して、各部のチェックを行う。大丈夫、オールグリーン。

「こちら、ヘスラー少尉。隊長、各部、異常なし」

私は、そう、小隊長に報告した。私の無線に次いで、

<こっちも問題なしです、いつでも行けます!>

って、テオの報告も聞こえる。

<了解。二人とも、気を引き締めて行けよ、敵さんも、タダで降ろしてくれるほど、気が利く連中じゃぁ、ないだろうからな>

なんて、ライナー小隊長が言っている。でもそれからすぐに隊長は、私の機体へ個人無線を繋げてきた。

<ヘスラー少尉…レナ、お前、大丈夫か?>

「はい、問題ありません」

私はそうとだけ答えた。でも、隊長はそれが気に入らなかったらしくて

<そうじゃない。母親と、兄貴のことだ!>

ってすこしイラついた感じで聞き直してきた。

 ジャブロー降下作戦の数日前、キャリフォルニア基地に、母さんと兄さんの氏亡報告書が届いた。

オデッサ防衛戦から、2週間も経った頃だった。

報告書には、二人が名誉の戦氏を遂げたことと、それから、二人の認識票が同封されていた。

 さすがに、オデッサ作戦のあと、連絡の取れない時間が続いていたし、もしかしたら、って思ってはいたから、

ダメージは小さいだろうって思ってたけど、ダメだった。

私は、自棄になって、キャリフォルニアの基地を飛び出して、車で、少し離れた町のバーに駆け込んで、お酒を浴びるほど飲んだ。

もう、わけがわからなくなってた。ちょっとして、渡した気分が悪くなって、トイレで吐いて、その場で、伸びてしまってた。

目が覚めたときには、そのバーの休憩室だってところに寝かされていて、

すぐそばにいた若い女性士官が私のことを心配して見下ろしていた。

彼女の制服の胸には、狼のエンブレムのバッジが光っていて、酔っぱらった私でも、彼女が、

特殊部隊フェンリルの隊員であることは、すぐに分かった。

彼女はシャルロッテ・ヘープナーと言うんだ、と、相変わらず心配げな顔で私に教えてくれた。

 それから、なんとか落ち着いた私は、彼女に連れられてキャリフォルニア基地に戻った。

その道中で、家族の話をダラダラと、延々してしまったって言うのに、それ以後、彼女は、私にとても良くしてくれる。

地球に降りてきて、久しぶりに気の合う友達が出来たみたいだった。

でも、それもつかの間、私もシャルロッテも、このジャブロー降下作戦に動員されるために、すぐに準備に入らされた。
 

508: 2013/12/28(土) 10:31:54.80 ID:0cRuzNGn0

 そんなことがあったから、隊長が私を心配するのは、当然だと思う。

どう考えたって、私が普通の精神状態でいられる可能性は低いだろう。

私自身、そう思っていた。

もし、目の前で、隊長か、テオが撃ち落されるようなことにでもなったら、

たぶん、私は平静を保ってなんていられないだろう。

 地球へ降りてくるときは、戦略的に、とか、そんなことを考える余裕があったけど、もう、ダメだ。

家族で、私一人が生き残ってしまって、あとは、何ができるんだろう?

胸にぽっかり穴が開いているみたいで、それを埋めるために、必氏で自分な何かを探しているのが分かる。

それは、たぶん、なんだっていいんだ。仲間を守るって気持ちでも、飲みすぎるほどお酒を飲むこことでも、

あるいは、連邦が憎い、って気持ちを爆発させることでも…

「分かってます、隊長。無茶は、しません…」

<なにかあったら、深呼吸だ。落ち着いて対処しろ。前に出すぎるなよ>

隊長は、そう言ってくれる。ごめんなさい、隊長。

でも、私、もしものときに平静でいられるって保証はできない。

もし、なにかあったら、私、撃たれながらでも、前に出て行っちゃうかもしれない。

そのときは、どうか、私を見捨ててね、隊長。

 そんなことを思っていたら、ピピピ、と警告音が鳴った。敵地上空へ進入した合図だ。

途端に、機体が大きく振動を始める。これ、撃たれているの…?

<第二、第三、降下部隊に側面から集中攻撃!>

<護衛機隊、敵戦闘機をなんとかしろ!ガウ全機、対地砲撃、撃ち方、はじめ!>

<あぁ、8番機に、敵高射砲が直撃!主翼が…!>

戦闘だ…連邦が、撃って来てる…私達を目がけて、攻撃を仕掛けてきている…。

ビリビリと震える空気を私は感じ取っていた。緊張感が高まって来るけど、

それと同時に、言い知れぬ怒りも湧いてきているのを私は感じた。

こうしている間にも、仲間が、落とされてる。護衛戦闘機や、別のガウも、どんどん被弾していく…。

許さない、許さない…!

 <13番機!回避しろ!真下に敵の高射砲が…!>

そんな無線がなるのと同時に、爆発音とともに、ひときわ鈍い音と振動が響いた。

モニターの外、ガウの格納庫全体に、真っ赤な警報が灯る。高射砲の直撃を…!?

<13番機、り、離脱する…だ、ダメだ、高度が、維持…できない!>

私の乗るガウを操縦してくれているパイロットの声が聞こえる。ガウの機体全体が斜めになっているのが分かる。

振動がますます激しくなってきていた。不思議と、怖さは感じなかった。

それどころか、撃って来た連邦への怒りが、ますます強くなってくるようにさえ感じていた。

こうして、母さんや兄さんは氏んでいったのかもしれない…なにもできないままに、

ただ、そこにいたって言うだけで、戦う前に、むざむざと殺されたのかもしれない…

そう思ったら、私は、いてもたってもられなくなった。

509: 2013/12/28(土) 10:33:09.33 ID:0cRuzNGn0

「機長、私達はここで降ります!ペイロードの開放を!」

私は無線にそう呼びかけた。

<ああ、そうだな。俺たちを捨てろ。そうすれば、すこしは高度が稼げる>

隊長もそう言った。

<りょ、了解した…すまない、幸運を!>

そう言う声とともに、ガウの後部ハッチが開いた。

思っていた以上に機体が傾いているらしく、斜めになった景色が、横に流れて行っているように見える。

<テオ機、出ます!>

HLVのときと同じく、テオ機が最初に飛び降りた。

すぐに私はハッチへと進むために、レバーを動かそうとした。

でも、テオ機が飛び降りて一気に軽くなったガウの機体が、フワッと浮き上がって、同時にバランスを崩した。

機体が、ほとんど真横になって、戦闘機みたいに旋回しているような感じだ。

私は、ガウの格納庫の中で、とっさにバランスを取って、ザクを安定させる。

でも、このままだと…ガウが持たない…!

<もたもたしてるな、レナ。あんまり、無茶するなよ!>

不意に、隊長の声が聞こえた。と思ったら、私の機体に、大きな衝撃が走った。

まさか、隊長!?

そう思った次の瞬間には、隊長のザクに思い切り押し出された私の機体が、宙に浮いていた。

落ちながら振り返って、ガウの方を確認する。

ガウは、私が飛び降りたせいでまた急激に変わった機体重量にバランスを保てず、

そのまま、はるかとおくの森の中に、斜めに突っ込んで火柱を上げた。

 隊長…私を守って…そう思ったら、瞬間的に、頭に血が上った。

私は、モニターに映る敵の戦闘機群に照準を合わせて、マシンガンを乱射する。

何機かが、空中ではじけた。父さんの、母さんの、兄さんの…隊長の…氏んでった、仲間たちの、仇!

 轟音とともに、マシンガンの曳光弾が空に散らばる。

バーニアとスラスターで落下速度を調整しながら、それでも撃ち続ける。

と、何かが、モニターの中に飛び込んで来た。次の瞬間、機体に鈍い衝撃が走った。

―――今の、攻撃?!

 私はコンピュータで機体の様子を確認する。違う…今のは、戦闘機だ…ニアミスしたんだ…

あぁ、しまった!私は、コンピュータの表示を見て、思わず、声を上げそうになった。

ニアミスどころじゃない、今、衝突したんだ。

私の機体のマシンガンが、その衝撃でエラーになっている。どこかへ飛ばされた…?!この、敵地の中で!?
 

510: 2013/12/28(土) 10:33:55.76 ID:0cRuzNGn0

 私は、瞬間的に冷静になった。まずい…このままじゃ、敵に撃たれ放題になる…

いや、待って、今の速度は…!?あぁ、しまった!私は、降下している速度を確認して、背中がゾッとした。

あれだけ怖かった無重力の感じすら忘れてしまうほど、私は怒ってたんだ…そのせいで、速度に気が付いてなかった。

これは、早すぎる…!地上にぶつかる…!!私はそう思って、思い切りペダルを踏み込んだ。

でも、それがいけなかった。

スラスターでバランスを取りきれなかった機体は、AMBACの制御すら振り切って、前方向に回転を始めてしまう。

うぅ、これは、本当に、まずい!

 どうする?どうするの…?!お、落ち着いて、まずは、そう、ペダルを放して…

そ、それで、そう、AMBACで姿勢調整…そう、そう、そのまま…!機体が元の姿勢に戻りつつあった。

でも次の瞬間、コクピット内にけたたましい警報が鳴り響いた。

“COLLISION ALART”!

 機体が、地面に激突する!私は、反射的にまた、ペダルを思い切り踏み込んだ。

グワァァっと言う、空気の唸る音がしたと思ったら、機体全体を、ものすごい衝撃が襲ってきた。

私は、シートベルトをしているはずのコクピットの中で全身を打ちつけられたような激痛とショックを感じて、

瞬間、意識を失った。



 

511: 2013/12/28(土) 10:35:00.52 ID:0cRuzNGn0






 意識を取り戻したとき、辺りにはもう、夕闇が迫っていた。

私は、ザクから少し離れたところにあった、大きな木のうろの中にいた。ゆっくりと体を動かしてみる。

あちこちに、ミシミシと言う痛みが走るけど、動けない、ってほどじゃない。でも、まだ、頭が遠くで痛んでいる。

 この頭痛と、ザクから脱出したときの記憶が曖昧なところから考えると、脳震盪でも起こしたんだろう。

あの着地は、それくらいの衝撃だった。私は、辺りを一通り警戒してから、ザクをよく観察する。

ザクは沼地に落ちたみたいだった。もう、コクピットのかかるくらいに深く泥の中にうずもれている。

それでもまだ、ズブズブっと音がしている。これ以上、沈むんだ…

コクピットから、サバイバルキット、出しておかなきゃ…

私はそう思って、痛む体を引きずって、ザクの機体に昇って、コクピットへと入った。

シートの下から、サバイバルキットの入ったポーチを取り出して、腰のベルトに取り付ける。

拳銃も、同じようにホルスターをベルトに付けた。

それからコンピュータを操作しようと思っていくつかボタンを押してみたけど、うんともすんとも、反応がない。

動力が氏んじゃったんだ。これじゃぁ、自爆させる手順も使えない、か…。

 私は、ザクの破壊を諦めて、コクピットから抜け出した。

もう一度木のうろの中に戻って、サバイバルキットの中身を確認する。500mlの水に、携帯食料、一食分。

防水ライトに、コンパスって言う、地磁気を感じ取って方位を測る道具…

ミノフスキー粒子がなくなってくれていれば、これが頼りになるはず…。

 出撃前の話では、ジャブローから北へ200キロも進めば、海がある、と言っていた。

万が一撃墜されて生存して、脱出を図るのなら、その方角へ逃げれば、もしかしたら、

味方の潜水艦隊に拾ってもらえるかもしれない、なんて噂話だけど、それでも、行く当てがないよりはいい。

北は…確か、このNって書いてあるほう、だったよね…。

 私はコンパスを見て歩き始めた。この場所は、連邦軍の勢力圏内。もたもたしている暇はない。

ここにはザクもある。上空から見れば丸わかりだろう。すぐにでも見つかったっておかしくはないんだ。

512: 2013/12/28(土) 10:36:07.45 ID:0cRuzNGn0

 隊長は、もう生きてはいないだろうな。ガウごと地上へ突っ込んだのを見た。

テオは無事かな…シャルロッテ達、フェンリル隊は、うまくやったのかな…?

戦闘自体は、たぶん、負けたんだろう。もし勝っていたら、この上空に、もっとジオン機が飛んでいてもいいはずだ。

でも、今は空は、びっくりするくらいに、静か。まだ、警戒態勢に入ってるって、思っておいた方が良い。

 足を踏み出すたびに、体が軋む。その痛みが、私の心をまるで壊すみたいに、突き刺さってくる。

父さん…なんで、こんなことになっちゃったんだろう…私、いいつけ守れなかった。

母さんや兄さんを殺されたって聞いて、感情で戦争しちゃったよ…戦争って、怖いね…

あんなに、冷静でいなきゃいけないって思ってたのに、気が付いたら、憎悪でいっぱいになってた。

 母さん、私達って、なんのために戦ってるのかな…平和のため?理想のため?

そのために、こんなにたくさんの人が悲しい思いをしなきゃいけないのかな?

戦争って、どうしてしなきゃいけないのかな…。

 兄さん、優しかった兄さんは、なにを思って戦ってたの…?

ねぇ…兄さんは、戦わなきゃいけないときに、どんな気持ちで、引き金を引いてたの?

ねぇ、教えてよ…答えてよ…みんな…みんな、なんで氏んじゃったの…?

私一人を置いて、どうして、どうしてよ!

 私は、泣きながらひたすら歩いた。夜が来て、1時間に10分だけの休みを繰り返して、ひたすら歩いた。

そうでもしていないと、立ち止まって泣き崩れてしまいそうだったから。

持っている拳銃で、頭を撃ちぬきたい衝動に駆られそうだったから。

 夜が明けるころ、いっそう深い森が私の進路を遮るようになった。

私は携帯食料を食べつくして、温度差で出来た朝露を、もう空になった水のボトルに集めながら歩いた。

疲れのせいなのか、もう、気が晴れたのか、いつのまにか涙なんて出なくなっていた。

 高温多湿の気候が体に堪える。寝ずに歩き続けるのも限界だ。

今夜はどこかで、夜営をしなきゃいけないかな。もう、泣く元気もないし、たぶん、すこし長めに休んでも大丈夫だろう。

1時間でも、2時間でも眠れるものなら眠って起きたい。

もう、連邦の勢力圏はぬけだせたかな…?

まっすぐに北には進めていないから、それほど距離は行ってないけどか。

眠るにしても場所を選ばないと、発見される可能性だってあるよね…

士官学校で、そのあたりは嫌と言うほど言われた。女性兵士が捕虜になる、って言うのは、どういうことか、って。

考えただけでも、吐き気が来そうだ。
 

513: 2013/12/28(土) 10:38:59.38 ID:0cRuzNGn0

 どれくらい歩いたのか、また、空がオレンジになってきた。夜が来るんだ。

そろそろ、野営地の場所を探さないと、な。

私はコンパスを頼りに道なき道を進んできていたけど、ここにきて、その足を止めた。

このまま北へ向かうのか、

それとも、この川にそって歩いて、西の方にある、あの山のようになっている場所へ行くか…

あっちの方なら、休める場所を探せるかもしれない。

場所がなくても、斜面でもあれば、穴を掘って、そこに身を隠せる可能性もある。

でも、ここは敵地。まずは、一刻も早く抜け出すのが先決じゃないのか…私は、迷った。

でも、危険のことを考えたら、ノンビリなんてしていられない。

 北へ一歩踏み出した時、ふと、何かを感じた気がした。西の、あの山みたいになっている方から、だ。

なんだろう、なんだかすごく気だるくて、でも暖かいなにか、って感じだった。

私は、思わず、西への進路を取って、川沿いの森の中へと脚を進めていた。

 あたりが暗くなって、星が瞬きき始める。あそこに、もしかしたら、安心して休めるところがあるかもしれない。

体も心も、ゆっくり休めて、一瞬でも、穏やかになれる場所が…

 私はそんな、空想とも、直感とも取れない思いに駆られるようにして、その場所を目指した。

一歩、また一歩、足場の悪い地面を踏みしめて歩く。

 喉はカラカラだし、お腹も空いたし、全身はまだひどく痛む。

昼はじっとりと張り付くような湿り気を帯びた暑さに襲われて、もう体はクタクタだ。

 それでも、なんでも、私は歩いた。あそこには、必ず、私が目指すものがある。

いつのまにか、私の直感は、そんな確信に変わっていた。





―――――――――――――――to be continued to Episode 1st
  

514: 2013/12/28(土) 10:43:11.74 ID:0cRuzNGn0

エピソード0s、これにて終了。

最終パートはバーサク状態で一心不乱に書きました。

切りどころが難しくて、まとめて投下でごめんなさい。

次回:【機動戦士ガンダム】機動戦士ガンダム外伝―彼女達の戦争―【5】


引用: 機動戦士ガンダム外伝―彼女達の戦争―