508: 2015/05/31(日) 21:59:58.42 ID:O/h8LYqBo
幼女とトロール
幼女とトロール【第二話】
幼女とトロール【第三話】
幼女とトロール【第四話】
「ふぅ、よし。いい具合だ」
「この隙間が気になるな。なぁ、さっきの小さいのどうしたっけ?」
「これのことです?」
「おぉ、それそれ!それ、ここの隙間に入れちゃおうぜ」
「切り役代わろうか?」
「いや、まだ行ける。あと何枚必要なんだっけ?」
「えっと、三枚ですね、女戦士さん」
「うし、じゃぁ、もう少しだ!片付けちまうぞ!」
翌日、私達は朝から井戸の現場に出張って来ていた。
西の門に集合して虎の小隊長さんと鳥の剣士さん、それに十七号くんがゴーレムを引き連れて樽と荷車を使い井戸から水を汲んで運ぶ役を引き受けてくれたので、
私に妖精さん、十六号さんに、隊長さんと女剣士さん、女戦士さんと鬼の戦士さんで井戸堀りの続きと庵作りの続きに取り掛かっていた。
集まったとき、隊長さんが、水を撒くのには人手がいるだろうから、必要ならもっと呼び集められるぞ、と言ってくれたけど、私はそれを断った。
それについては、私にも計画があった。
井戸の現場に着いた今は、女剣士さんと女戦士さんが昨日切り出して来た丸太を木材にするために一生懸命に鋸で切り分けてくれている。
その間に、私達は昨日ゴーレム達が掘った五歩四方の腰までの深さの穴に石を敷き詰めていた。
こうして石を敷いておけば、井戸になる穴を掘っても周りの土が崩れてくることもない。
畑のために使う水だから井戸の底に土が入っても構わないのだけれど、修理や何かをするときには、青銅の管をそのまま土に埋めてしまうよりはずっと良い。
「こんなもんか」
太陽が真上に差し掛かる少し前に、隊長さんがそうため息とともに口を開いた。
私の腰ほどの深さだった穴に石を敷き詰め終わり、その真ん中ほどには、井戸を掘るための空間がぽっかりと口を開けている。
あとは、その穴に拳よりも少し太い青銅管を差し込んで、さらにその中に棒の先に羽のついた井戸堀り用の槍を差し込んでグルグルと回していく。
ある程度掘れたら槍を抜いて、羽の中に溜まった土を外に捨てる。
深くなったら太い青銅管をさらに深く打ち込んで、どんどん継ぎ足していく。
槍の柄の長さも足りなくなったら、予備の柄を継ぎ足して金具で止めて長くする。
槍の柄は長くなればなるほど力が必要になってくるから、そんなときこそ戦士さん達に頼る場面が増えてくるだろう。
人数も少ないわけじゃないし、サキュバスさんはこの辺りは地下水は豊富だって言っていたから
交代で休みながら掘って行って、今日だけでも泥水くらいは出るようになるといいな…
そんなにうまくはいかない、か。
509: 2015/05/31(日) 22:00:33.23 ID:O/h8LYqBo
「じゃぁ、一番手は私が受け持つよ」
鬼の戦士さんがそう言って、井戸掘りの槍を持って青銅管に突き立てた。
「お!さすが突撃部隊!」
木を切りながら女戦士さんがそんなことを言って冷やかす。
鬼の戦士さんはそれをなんだか嬉しそうに聞きながら、槍の柄のお尻にあった取っ手を両手でグルグルと回し始めた。
女戦士さんの様に筋肉質とは言えない腕だけど、その手際はとても力強い。ふと、ほんのりと鬼戦士さんの腕に光がまとわれていることに、私は気がついていた。
物を動かすのは風魔法が一番のはず。きっとその力を使っているんだろう。
私は、妖精さんと十六号さんと一緒に、その様子を見ながら残った石を一箇所にまとめ直す。
地下水脈まで届けば、青銅管や汲上機を固定するためにまた必要になるから、これも大事な資材のうち、だ。
「それにしても、今日は暑いな…」
石を運びながら、不意に十六号さんがそんなことを口にした。
確かに、今日は魔界にやってきてから一番の暑さかもしれない。
太陽の日差しがジリジリと肌を焼くような暑さではなく、風が湿っぽくて、ムッとするような暑さだ。
「昨日とは風が違うです。北の方から暖かい湿った空気がこの辺りに吹き込んでるですよ」
妖精さんが額の汗を拭いながらそう教えてくれる。
そういえば、人間界でも夏が近づいてくると、北の方ではベトベトするような暑さが続くんだ、って話を聞いたことがある。
確か、そんな気候でも育つような麦を育てている畑を作るんだ、と父さんが言っていた。
私の住んでいた村は南の山合いにあったから、それほど気温が上がることはなかったけれど。
人間界と魔界とは遠く離れていても、季節が違うなんてことがあるはずはないし、人間界の暦ではもうすぐ夏の始まりの時期に差し掛かる。
ここは大陸の中程にあるし人間界と同じで夏の北からの風が続くようなら、北の方までとは行かなくても、それなりに気温や湿度があがるのかもしれない。
ここに植えた、お芋、暑さに強い種類だったっけな…それは分からないけど…でも、土の中に出来る作物は、温度よりも湿度に敏感だ。
土の中にあまり湿気が多いと、種芋が腐ってしまったりする。
今は土はカラカラに乾いているしここ何日も雨が降っていないから、少し水はやった方がいいと思う。
でも、あげすぎてもいけないし、この湿度の日が続くのならそれこそ朝露が落ちるから水遣りのことはそれほど木を使わなくても平気だ。
だけど、そうなってくれる保証はない。ともすると、あの砂漠の街の様な気候の夏になるかもしれない。サキュバスさんは、そんなことは言っていなかったけど…
とにかく、気候が分からない場所で畑をやるのって難しい。
特に私は、父さん母さんから聞いている方法でしか作れないから、もしものときにどれだけ対応できるか心配だ。
お城の書庫に、畑に関する本はあったかな…?もしあったら、私も少しつづ勉強をしておかなきゃいけないかもしれない。
畑が失敗したら、困るのは私だけじゃない。魔王城に常駐することになる魔族の軍人さん達が一番にお腹を空かせてしまいかねないんだ。
「これは、畑だけじゃなくってアタシ達にも水が必要だね」
十六号さんがおおきな石をゴトリとおいて、ため息をつきながら言った。
確かにそのとおりかもしれないな。
お水が来たら、その分を少し別にしておいた方がいい。
お城を出るときに準備をした水筒のお水だけじゃ、少し心配だからね。
「うん、そうだね」
私も、運んでいた石を置いてそう答えた。
「日よけでも作っておくかな。この湿度じゃぁ、たかが知れてるだろうが、それでも日陰を作っておけば多少は休める」
隊長さんがそう言って、資材に掛けてあった布をはがし、槍の予備の柄を何本か手にして、簡易のテントを作り始めた。
510: 2015/05/31(日) 22:01:10.55 ID:O/h8LYqBo
そうして、それぞれの作業をしているうちに、鳥の剣士さんに虎の小隊長、そして十七号くんが荷車に樽をたくさん乗せて戻ってきた。
「とりあえず第一便だ」
ふぅ、とため息をつきつつ。虎の小隊長さんが私にそう言ってくれる。
「足りなければ、また行って追加してくるよ」
鳥の剣士さんもそう頷いた。
「ありがとうございます」
私はお礼を言って、ペコっと頭を下げた。
湿度のこともあるけど、とにかく水を撒こう。
一樽だけは飲んだりするために取っておくことにして、他の五つ分をみんなで畑に撒いて、それで土の具合を確かめてから追加するかどうかを考えた方がいいだろう。
「これを全部畑にぶちまけりゃいいんだろ?」
十七号くんが袖をまくってそんなことを言う。
「あ、待って。一樽だけ残して、それは飲んだり体を冷やしたりするために使いたいから、別にしておいて欲しいんだ」
私が言うと、十七号くんはあぁ、と声を上げて
「なるほど、なんか今日は暑いもんな」
と納得した様子で頷いてくれた。
これだけの畑に水を撒くのは、人間の私達にはちょっとした苦労がいる。
そう、人間の私達には、だ。
でも、私は魔族の魔法のことは少しだけ理解している。
空気の中の水を集めることは難しくても、今目の前にある水を操ることは、そう難しいことじゃない。
それこそ、コップ一杯に入った水に、私でもなんとか渦巻きを作れるくらいだ。
妖精さん達魔族にかかれば、きっとそれほどの労力はいらないはず。それが私の計画、だ。
そう思って、私は妖精さんを見やった。
妖精さんも、私と同じことを考えてくれていたようだった。私と目があった妖精さんはニコリ、と微笑んで
「がんばるよ!」
と、まだ私が何も言っていないのにそう答えてくれて、荷車に乗った樽の蓋を開けると、その腕に魔翌力の光をともした。
「おぉ…?おぉぉぉ!」
十七号くんがそう声をあげ、樽の中から浮かび上がる水の玉を見上げている。
「なるほど、そうか。その使い方なら、魔族の魔法でも十分にやれる、ってワケだ」
隊長さんもそんなことを言って、またあの口元を撫でる仕草をしてみせた。
「やっぱさ、魔族の魔法って便利だよなぁ。アタシ、教えてもらうことにするよ」
十六号さんも感心しきりだ。
511: 2015/05/31(日) 22:02:08.42 ID:O/h8LYqBo
「水撒きは任せた方が良さそうだね。ほら、私と女戦士とで穴掘りは代わるよ。あんたはあっちを手伝ってやって」
「うん、そうみたい。じゃぁ、任せるね」
女剣士さんがそう言って、鬼の戦士さんと穴掘りの役を交代する。
「おい、隊長!テント張りが終わったんならこっち手伝ってくれよ!」」
「あぁん?ったく、仕方のねえやつだな」
女剣士さんが木を切る役割りを抜けてしまったので、女戦士さんが隊長さんにそう声をかけると、隊長さんは面倒そうな返事をしながらもすぐに木材作りに加わった。
「そういうことなら俺たちにも任せてもらえるな」
「ですね。俺は向こうの畑を担当しますよ、小隊長」
虎の小隊長さんと鳥の剣士さんがそう言い合って、それぞれ樽の蓋を開けて、水の玉を浮かび上がらせる。
「よぉし、アタシらも負けてらんないぞ!十七号、あんたが樽を担いで、アタシが水を撒く!」
「よしきた、任せとけ!行くぞ、十六号姉!」
十六号さんと十七号くんがそう言うが早いか、荷車から樽を下ろしてそれを十七号くんが私とさほども変わらない体で担ぎ上げ、十六号さんと向こうの畑へと走っていく。
そんな光景を見ながら、クスクスと鬼の戦士さんが笑い声を上げ
「元気だね、あの子達は。さて、私も…っと」
と言うが早いか、他の三人と同じように腕に光を纏わせて樽の中から水の玉を浮かび上がらせた。
宙に浮いた水の玉は畑の上まで飛んでいって、まるで雨を降らせるように辺りに水を撒き散らして行く。
畑に降りかかる霧のような水飛沫に太陽の光が反射して、あちこちに小さな虹が浮かび上がった。
それを、綺麗だな、なんてのんきなことを思っている私に、声が掛かる。
「あー、幼女ちゃん!こっちどうしたらいい?一度土を上げた方が良いよね?」
女剣士さんの方を見ると、人の背丈ほどもあった槍が、もう地面に半分ほど埋まってしまっている。
さすが、人間の魔法で体の力を強化している兵隊さんたちは、並じゃない。
「はい、槍をそっと引っこ抜いて、中に溜まった土を外に出してください!」
私はそう言いながら女剣士さんのところに駆け寄って一緒になって穴から槍を引き上げる。
そこからは、土袋にしたら私が一抱えしても足りないんじゃないか、っていうくらいの土がせり上がってきた。
私はそれを木の皮で編んだ籠に受け取って、緯度から離れたところに持って行って捨てる。
女剣士さんはまた槍を青銅管の中につきこんで、グルグルと回しはじめた。
それを横目に、私は掘り出された土の状態を手で触ってみる。
少し湿っていて手触りはベトベトとする。昨日ここをほっていたときにも思ったけど、すこし粘土が多い気がする。
水はけはそれほど悪くはなさそうだけど、特別良いってわけでもないようだ。
そうなると、やっぱり水のあげすぎはお芋には良くないな…あの樽の水をまんべんなくまいたら、それで良い、って事にしておいたほうが良いかもしれない。
私は、そんなことを考えていた。
512: 2015/05/31(日) 22:03:07.48 ID:O/h8LYqBo
それから私達はそれぞれの作業へと移った。
木を切り終えた女戦士さんが井戸掘りのところへとやってきて、私は戦士さん達が掘った土を、石で固めた窪みから運び出す。
何度も何度もカゴに土を入れては窪みの外でもっていって、適当なところに山を作る。
ふと見ると、すぐわきでテントを建て終えた隊長さんが切り終えた木材に小さなノミで何かを掘り始めた。
「隊長さん、それ、何してるの?」
私が聞くと隊長さんは、あぁ、なんて言いながら
「組み木だ。見たことないか?」
と、鉤状に曲がった小さな木の枝を手渡してくれた。よく見るとそれは、二つの別の木の枝がぴったりとまるではめ込まれたようにくっついている。
「これ、初めて見ます」
「そうか。こうして木を彫って、互いに組み合わせるんだ。そこに楔っていう木の破片を打ち込む。こいつなら強度も上がるし、釘の類も少なくて済む」
隊長さんはそう言いながら、また木を彫る作業に戻る。
庵の設計図を引いたり、こんな珍しい木を使う方法を知っているだなんて、隊長さんは大工さんか何かをやっていた経験があったんだろうか?
私は、額に汗を光らせながら器用にノミを使って木を彫り進めている隊長さんの横顔を見やって、そんなことを思った。
「おーい、次頼む!」
ふと、女戦士さんが私を呼ぶ声が聞こえた。見れば、運んだばかりのはずなのに、もう山いっぱいの土が井戸の傍に敷いた藁敷の上にたまっている。
「あ、はい、行きます!」
私はあわててカゴを抱え、二人のもとに走っていく。小さなシャベルで土をカゴに移して、窪地の外へと運んで戻った。
「おらぁ、ちゃっちゃと掘れよぉ」
「馬鹿ね、力任せにやればいいってわけじゃないんだから、外野は黙ってなさいよ。ほら、土取って」
「ん、へいへい。でも、そんな難しいもんか?もっとこう、ガシガシ行けんだろ?」
「やってないからそんなこと言えるんでしょ。代わってみる?」
「おぉ、やらせろやらせろ!」
女剣士さんと女戦士さんがそんなことを話して、堀り役と土除け役とを交替する。
堀り機を手にして、得意そうな表情で力を込めた。
その途端、ガリ、っと鈍い音がする。
513: 2015/05/31(日) 22:03:35.92 ID:O/h8LYqBo
「んん?」
女戦士さんがそう声を漏らした。
今の音…たぶん、堀り機の先が土を噛んじゃった音だ。
こうなると、普通の人なら掘り進めるのは少し難しい。
「なによ?」
「いや、これ、急に固くなって…」
「ほら、だから言ったでしょ?一旦逆に回して、逆」
「えぇ?こっちか?」
女剣士さんに言われた女戦士さんが堀り機を逆に回すと、メキメキ、っと音がして堀り機が動いた。
「あぁ、動く動く」
「押しすぎると今みたいになっちゃうんだからね。力任せじゃない、って言ったでしょ?」
「これは確かに難しいな…こういう微妙な力加減は苦手だよ」
女戦士さんは堀り機を回しながら、私を見やっておかしそうに肩をすくめた。その表情がなんだか妙におどけていて、私も思わず笑ってしまう。
そんな風におしゃべりをしながら、私たちは着々と作業を進めた。
女剣士さんと女戦士さんは何度も交互に役回りを交替しながら、何度も何度も堀り機を回しつづけ、そこからでる土を受け取った私も、何度も何度も窪みの外へと土を運んでは戻った。
そうこうしているうちに、
「よーし、こんなもんだろ!」
となんて言いながらため息を吐きつつ、十七号くんが戻って来た。その後ろから着いてきている十六号さんに鳥の剣士さんや、鬼の戦士さんに虎の小隊長さんも額の汗を拭っている。
畑にはなんとか水を撒き終えたみたいだ。
「お疲れ様です!お水、どれくらい余りました?」
「樽一つと半分だな」
と、鳥の剣士さんが教えてくれる。
良かった、これなら、日が高くなってくるこれからの時間でも安心だ。
「これ、気持ちいいですよ!」
いつの間にか荷車の樽のところにいた妖精さんが水に濡らした手拭いを虎の小隊長さん達に手渡す。
ふぃー、なんて虎の小隊長さんが息を吐きながら、顔や首を拭き始めた。
「そっちはどうです?」
同じように手拭いで首周りを冷やしながら、鳥の剣士さんが井戸を掘っている女戦士さんに聞く。
「うーん、と、今三本目かな。二十歩分くらいは掘れてると思うよ」
「なんか土の感じが変わったね。赤っぽくなった」
鳥の剣士さんに答えた女戦士さんの横で、女剣士さんが掘り出した土をザルに盛っている。
土が変わった、か…。硬い地層がないと良いんだけど…
「女戦士さん、土が硬くなったりしてないかな?」
私が聞くと、鬼の戦士さんは、うん?って首を傾げてからグルグルと掘り機を回し
「大丈夫だと思うよ、今のトコ」
と教えてくれた。とりあえず、良かったかな。でも、いずれは石の多い地層が出てくると思う。そこをどうやって掘り進むかが、大事になってくるかな。
そこの達した、無理はしないで今日はやめておく方がいいかもしれない。無理に進めようとして掘り機がダメになったら、新しく都合するのに時間が掛かっちゃう。
514: 2015/05/31(日) 22:04:13.07 ID:O/h8LYqBo
「隊長さん、それは何してんの?」
手拭いを首に掛けた十七号くんが十六号さんと一緒になって、隊長さんの作業を見て言う。
「ん?組み木ってんだ。釘やなんかは十分にないみてえだからな。こうして木を凸凹に切って組み合わせんのさ」
そう言った隊長さんは、切り揃えた木材にどこから持ってきたのか炭で印を書いて、その部分を手分けして切ったり削ったりしている。
さっき見せてくれた小さな見本のように窪んでいるところに出っ張りをはめ込んで、楔というのを打ち込む準備なんだというのが分かった。
「ふーん、なんかおもしろそうだな。俺にもやらせてくれよ」
「あん?いいから少し休んでろよ」
「えぇ?これくらい、なんてことないぜ?」
隊長さんにそう言われて、十七号くんはそんな風に返事をしながらも、手は出さずにそばに座ってその作業をしげしげと眺めている。
「俺たちはどっちを手伝えばいい?」
十七号くんから遅れて戻ってきた虎の小隊長が隊長さんにそう聞く。すると隊長さんははたと青空を見上げて言った。
「こっちを頼む、と言いたいところだが、ぼちぼち頃合いだろう。鳥族の若いの、俺と変わってくれや」
と言って手に持っていたノミを鳥の剣士さんに手渡した。
どういうことなんだろう、と思ったのは私だけじゃないみたいで、十六号さんに妖精さん、十七号くんに虎の小隊長さんに鳥の剣士さんも不思議そうに隊長さんを見やる。
そんな視線を感じたのか、隊長さんはヘラっと笑って言った。
「俺達はタダ飯は喰らわねえからな。その代わり、働いた分はしっかり食わせてもらわにゃ、暴動になる」
「なるほど」
隊長の言葉に、虎の小隊長さんが笑って答えた。
確かに、朝から働きっぱなしでそろそろお腹も空いてくる時間だ。空を見上げたのは、太陽の位置を確かめたんだろう。
「昼飯か?!」
十七号くんがそう言って跳びはねる。そんな様子に、私は思わず笑ってしまった。
「あぁ。うちの奴らに準備させてある。坊主も一緒に取りに行くか?」
「おう、行く行く!」
隊長さんの言葉に、十七号くんは嬉しそうに答えた。
「飯の仕度なら俺が行きますよ、小隊長」
そんなやり取りを聞いていた鳥の剣士さんが名乗り出る。でも、虎の小隊長は隊長さんをちらりと見やってからニヤリと笑い
「いや、俺が行こう。こいつは高度に政治的な配慮だ」
とうそぶくように言った。
「政治的…?」
「だははは!そんな大仰な言い方は止してくれ。俺はただ、一人であの南門を通る勇気がねえだけさ」
鳥の剣士さんの疑問に笑ってそう答えた隊長さんの言葉を聞いてようやく意味が分かった。
隊長さん、わざわざ南門を通って私達の食事を運ぶつもりなんだ。それも、虎の小隊長さんを連れて、だ。
一緒にお昼ご飯を食べるんだ、っていうのを魔族の人達に見せつけるつもりなんだろう。でも、隊長さんと鳥の剣士さんじゃぁ、残念だけど少し責任に差がありすぎる。
でも、虎の小隊長さんだったら同じ部隊長同士だ。
隊長さんと鳥の剣士さんだと、上下が分かれてしまって、もしかしたら魔族が人間に従っているように見えるかもしれない。
虎の小隊長さんだったら、確かにその心配はないよね。無駄な誤解を生まずに、魔族軍の中に波風を立てられる。
隊長さんってば、横柄で大雑把なのに、こういうところにはすごく気を回せるんだな、なんて、私はそんな、ちょっと失礼なことを考えてしまっていた。
515: 2015/05/31(日) 22:04:47.91 ID:O/h8LYqBo
「…な、なんか分からないですけど…何か意味があるんなら残ってます」
鳥の剣士さんは首を傾げながらそう言って肩を落とした。そんな姿に、私は少し可哀想な気がしたけど、でも、虎の小隊長さんはそんな剣士さんの肩を叩いて
「俺は細かい作業は苦手だ。任せるぞ」
なんて言って作業に戻らせた。
「おーい、幼女ちゃん!そろそろこっちの山、運んでくれよ!」
不意に女戦士さんがそう声を掛けてきた。いけない、またおしゃべりに夢中でお仕事忘れてた!
そう思って井戸の方を見やったら、女戦士さんのそばの敷かれた藁敷の上にこんもりと大きな土の山が出来上がっていた。
「は、はい、すぐに行きます!」
私は女戦士さんにそう返事をしてから、隊長さんと虎の小隊長さんに十七号くんを振り返って伝えた。
「えっと、それじゃぁ、お昼ご飯、よろしいお願いします」
すると、虎の小隊長さんがニコッと優しく笑って私に言ってくれた。
「お任せあれ、指揮官殿」
516: 2015/05/31(日) 22:05:16.53 ID:O/h8LYqBo
「お、うまいなぁ、この燻製肉!」
「え、どれどれ…あ、ホント!これは、ヤマイノシシの燻製かな」
「ヤマイノシシって、もしかしてあのクマみたいにでかいやつのこと?」
「そう、そいつだ。俺たち猛虎族には、一人前になるために、そいつを一人で狩るって掟があるんだ」
「そいつは骨が折れそうな話だな。魔法は使っていいのか?」
「あぁ、もちろん。そのために、魔法をより研鑽しておかなくてはならないんだ」
「その掟ってホントだったんすね。俺たち鳥翼族は飛び方の練習かなぁ」
「あ、なぁ、妖精ちゃん!今日帰ったら魔族の魔法教えてくれよ!」
「いいですよ、十六号さん。人間ちゃんと一緒に練習するですよ!」
「いいなぁ、俺も俺も!」
「それもいいけどな、チビの坊主!あんたの体術は大したもんだから、どっちかっていうと剣の稽古をしておいた方がいいぞ」
「そうだね。あんたは筋が良いから、きっと良い剣士になれるよ」
「バッカ言え、そこは戦士だろ!あの体術は剣士にするにはもったいないよ!」
「なぁ、なら俺には剣術教えてくれよ!姉ちゃん達、剣士に戦士なんだろ?!俺だって強くなんなきゃいけないんだ、親衛隊なんだからな!」
「だははは!肝の座った坊主だ!いいだろう。おう、お前ら、面倒見てやれ」
「うちの方でも構わないぞ?鳥剣士は剣術は相当な腕だし、鬼戦士も近接戦闘においては突撃部隊随一だからな」
「ん、この燻製もなかなか美味しい!なんのお肉?」
「あぁ、鶏だよ。体動かしたあとはこれに限るんだよね」
「おぉーい、隊長!なんでエール持って来てくれないんだよ!」
「バカ、お前飲ませたら役に立たなくなるじゃねえか」
「十六姉、その腸詰め、食わないんならくれよ」
「ヤだよ!最後の楽しみに取ってあるんだろ!」
「ん、鳥剣士さん、お茶のお代りあるですよー」
「あ、え、えっと、あ、ありがとうございます」
「ははは、なに赤くなってんだお前?」
それからしばらく作業を続けて、隊長さん達が抱えるほどのお昼ご飯をバケットに入れて持ってきてくれたので、一休みということになった。
畑から少し離れたクローバーの上に隊長さんが建ててくれた日除けのテントの下に藁敷を敷いて、広げたお昼ご飯をみんなで囲む。
サンドイッチに果物にスモークされた鶏肉にお野菜、腸詰めのウィンナーに、香草を塩っぱくしたお漬物もあるし、中樽には冷たく冷えたお茶もある。
そのほかにも、虎の小隊長さんが南の魔族軍の陣からもらってきてくれたという、魔界産の見たことのない果物や、分厚いハムのようなお肉もあった。
お城でのお昼ご飯はもう少し穏やかでゆったりしているんだけど、軍人さん達にかかればお酒がなくても賑やかになってしまう。
517: 2015/05/31(日) 22:06:01.21 ID:O/h8LYqBo
「あ、これも美味しい!」
「そんなのよく食えるな?アタシはそれダメなんだよなぁ」
「なんだよ戦士の姉ちゃん、これ食べれないの?」
「だって塩っぱい過ぎるだろ?」
「あんたは舌が子どもなんだよ」
「なんだとぉ?!」
「ん、剣士の姉ちゃん、俺、子どもだけどこれ好きだぞ?」
「あはは、だってさ。ならあんたは子ども以下だな」
「な、なんだよ、アタシだって食おうと思えば…んぐぅ、塩っぱ!」
「あの、その、えっと…は、羽妖精さんは、故郷は、どこなんですか…?」
「私は南の森ですよー!城塞から半日西へ行った方にあるです!」
「石組みってのは、小石が大事なんだよ。隙間に入れて強度をあげるんだ」
「ははぁん、そうか…楔と同じ発想だな。レンガを焼くよりも手っ取り早いな。さっき言ってた切り出しってのはどうなんだ?」
「そっちは手間が掛かるな。魔法なしには難しい」
改めて外から眺めていると、とっても不思議だ。魔族と人間が、なんの隔たりもなく、なんの気遣いもなく一緒にご飯を食べて、笑い合っている。
十六号さんと十七号くんは、元々そんなに人間だの魔族だのって気にしてはいなかったけど、隊長さん達が同じように気にしないって言うのは、やっぱりなんだか…不思議だ。
そんなに簡単に怒りって言うのは消してしまえるものなんだろうか?
それとも、南の城塞に駐留していた司令官さんのように、お仕事として軍人さんをやっている人達は、戦いとかそう言うことをもっと割り切って考えられるんだろうか?
でも、東の城塞に詰めかけていた人間軍は、みんな私達を目掛けて攻撃をしてきた。
もちろんそれは命令があったからだけど…
でも、じゃぁ、隊長さん達は今ここで戦えって命令されたらお互いに斬り合うのか、と聞かれたら、そんなことは絶対に起こらないんじゃないか、ってそう思う。
どう違うのかは分からないけど、とにかくそんな気がした。
「なんだ、指揮官殿。そんなに見つめて」
不意に、隊長さんが私に声を掛けてきた。ハッとして思わず意味もなしに苦笑いを浮かべてしまう。
「あ、いえ、別に…」
「うるさかったら言ってくれよ。兵隊なんてバカの集まりだからな、言わないと分からねえぞ」
「いえ、そういう訳じゃないんです」
私はそう答えて口をつぐむ。でも、そんな私を見た虎の小隊長さんが言った。
「仲良くやってるのが奇妙なのか?」
一瞬、ギクリとした。そう言われてしまうと、まるで何かを疑っているように思われているんじゃないか、って、そんな風に感じられてしまったからだ。
別に、そんなつもりはないけれど…でも、やっぱり不思議に思うのは本当だった。
518: 2015/05/31(日) 22:06:35.19 ID:O/h8LYqBo
「その、あの…う、疑っている訳じゃないんですけど、どうしてみんなは、お互いに怒ったりとか、してないんですか?」
私は、恐る恐る二人にそう聞いてみる。すると、隊長さんはははは、と笑い声をあげ、虎の小隊長さんは、あぁ、と何かを納得したような表情を浮かべた。
「まぁ、最初はおっかなびっくりだったがよ。何しろ俺達はあのすっとぼけ上司のお陰で今や人間界じゃぁ、立場が危うい。
だが、部下をほっぽって置くわけにもいかねえだろ?そうとなりゃ、何とかして新天地のここの暮らしに慣れていかなきゃなんねえからな」
すっとぼけ上司、って言うのは間違いなく大尉さんのことだろう。そう言えば隊長さんは昨日も言っていた。俺達は傭兵みたいなもんだ、って。
いや、だからと言って、あの焼け焦げるような怒りや憎しみを簡単に消せるんだとは思わない。きっと何か、もっと違う理由があるんだ。
すると今度は虎の小隊長さんが言った。
「ケンカは相手がいないと出来ないからな」
私は、その意味が良くわからなかった。でも、それを聞いた隊長さんは、ヘヘっと笑って
「そりゃぁ、名言だな」
なんて言っている。私は虎の小隊長さんを見つめて聞いた。
「どういうことですか?」
「うーん、そうだな…例えば、指揮官殿は、魔族か人間、どちらかがもう片方をこの大陸から消し去ったら、平和が訪れると思うかい?」
人間が魔族を滅ぼしたら…魔族が人間を滅ぼしたら…平和になる…?分からない、どうだろう…?もしかしたら、憎しみとか怒りは消えるのかも知れない。
でも、じゃぁ、果たしてそれからずっと平和でいられるんだろうか?
人間だけの世界になったとして、もう誰かが誰かを傷付けるなんてことのない世界になる…?
ううん、きっとそんなことはないだろう。
お姉さんや魔道士さん、兵長さんとあの人間軍との意見が食い違って戦いになりそうになったときのことを思い返せば、そんなのは簡単じゃないって、そう思う。
たくさんの人がいれば、それだけ考えることに差がでてくる。
それはもしかしたら、新しい憎しみや怒りの発端になるかも知れない…
私はそう思って首を横に振った。すると、虎の小隊長さんはまた笑顔になって
「やっぱり、指揮官殿は、聡明だな」
なんて言ってから、お茶をグッと飲み干して続けた。
「結局のところ、魔族と人間の違いなんてそんな物だ。
大昔から続く禍根があろうがなかろうが、二つの文化、二つの暮らしをしている者同士が触れ合えば、そりゃぁ、ケンカにもなる。
ケンカになって傷付く者が出れば、恨むやつだって当然出てくる。だが、それで相手を殺せば済むのかって言う話だ。
一時は、それで良いかも知れないが、いずれ、別の誰かとまたケンカになる。頃し合いを続ければ、自分だって傷付くこともあるだろう。
相手を頃しても、自分が致命的なケガすることだってあるかも知れない。魔族が大陸を支配ても、必ず魔族の中で争いが起こる。
それこそ、今だって城の会議室じゃぁ、言い合いが続いてるかもしれないんだ。魔族同士の争いや人間同士の争いが起きないなんて約束はされない。
そういう意味で、魔族だ、人間だと分けて考えること自体にそれほど意味はない」
虎の小隊長さんはチラっと、まだ香草のお漬物について、食べれるだの食べれないだのと盛り上がっている方を優しい微笑みで見やった。
「そう考えたら馬鹿らしいだろ。人間だから憎いだなんて思うのは。話してみれば、これだけ気のいい奴らだっている。
種族に縛られて盲目に相手対して感情を高ぶらせても疲れるだけだ。重要なのは、自分達の目で見て自分達が感じた相手の姿だろう。
魔族の中にもロクでもない輩もいる。俺はそういう奴らの方がよっぽど憎いね」
小隊長さんはそう言って、お漬物を無理して頬張りむせ返った女戦士さんと、慌ててその背を擦る鬼の戦士さんのやり取りを見て、声を上げて笑った。
519: 2015/05/31(日) 22:07:55.39 ID:O/h8LYqBo
小隊長さんの話はなんとなく分かる。トロールさんや妖精さん、サキュバスさん達と出会って、姿形は違っても、同じ気持ちや同じ思いを持てるんだって思えた。
辛い出来事に出くわして、一緒に辛いんだって思えた。穏やかな日は、一緒にのんびりお茶も出来た。そこには、魔族も人間もない。私と“みんな”の関係があった。
小隊長さんはきっとそのことを言いたかったんだろう。
でも、と、頭に言葉が浮かぶ。
それは私が戦争で戦っていなかったからだ。父さんや母さんが戦争で氏んだわけじゃないからだ。
もし私が戦争に出ていて仲間を殺されたり、父さんや母さんが戦争で氏んじゃったりしていたら、きっとそうは思えない…きっと…
「いい話だがよ、指揮官殿には少しばかり難しかったようだ」
不意に隊長さんが私を見やって言った。難しかった、というのがあっているかは分からないけど…いまいちしっくり来ないっていうのが本当だった。
相手がいなくなってしまっても平和になんてならないから、とか、そんな想いだけで、憎しみや怒りを消せるとは思えなかった。
「指揮官殿は、ケンカしたことあるか?」
そんなことを思っていた私に、隊長さんが聞いてきた。
ケンカは…そりゃぁ、村にいる頃には、同い年の子達と言い合いやときには取っ組み合いをしたことはあったけど…でも、それと戦争は違うよね…?
そんなことを思いながら私はコクンと頷く。
すると隊長さんは、思わぬことを言った。
「そいつと一緒さ」
「えっ?」
戦争とケンカが、一緒なの…?
「虎の旦那は何も例えでケンカなんて言ったわけじゃねんだ。ケンカと戦争ってのは、本質的には似たようなもんなんだよ。
ケンカしたあとは仲直りすることがあるだろう?もちろん、ケンカしてそれっきり、ってやつもいるだろうし、顔を合わすたびケンカになるようなやつもいるだろうが…
まぁ、とにかく、だ。ケンカしたあとは妙にすっきりすることはなかったか?」
「すっきりする、こと…?」
「そうさ。言いたいことを全部ぶちまけて、相手にも言いたいことを好き放題言われて、で、その後、あれ、なんでケンカしてたんだって思うこと、なかったか?」
隊長さんに言われて、私は村での生活のことを思い返す。ケンカ自体、そんなにたくさんあったわけじゃないけど…
でも、そう、小さい頃、それこそ、十九号ちゃんや二十号ちゃんくらいの頃に、遊びを決めるのに同い年の子と随分長い時間言い合いになったことがあった。
私は鬼ごっこが良いと言って、その子は隠れんぼが良いと言って、お互いに譲らなかった。
それじゃぁ、他の子がどっちをやりたいか聞いてみようって話になって、それで聞いてみたら、返ってきた言葉は
「ケンカじゃなきゃなんでもいいよ」
だった。
そりゃぁ、せっかく楽しく遊ぼうと思って集まったのに、ずっとケンカしてたんじゃ楽しくもなんともない。
結局私とその子は、ケンカをしてしまったことをみんなに謝って、それからみんなでできる遊びを、って考えて、結局缶蹴りに決まったんだ。
私とその子は、お互いに謝ったりしたわけじゃなかったけど、でも、二人ともただ、みんなで楽しく遊びたいってそう思っていただけだったから、
そのあとは仲良く一緒に遊んでいた。
520: 2015/05/31(日) 22:09:40.96 ID:O/h8LYqBo
そんな思い出を話したら、隊長さんはニヤリと笑って言った。
「ほらよ、同じじゃねえか。俺達は魔族を滅ぼそうと思って戦争をしたわけじゃねえし、魔族だって人間を滅ぼそうとしたわけじゃねえ。
ただ、お互いが平和な暮らしをしたいと思って戦った。それならよ、いつまでもケンカしてたって仕方ねえかねえ。憎しみ合ってりゃ、またケンカが起こるぞ?
そうなりゃ、平和な暮らしなんてまた先延ばしになっちまう。俺達は平和な暮らしをしたいだけだったのに、そいつを戦争なんてバカみたいなケンカでダメにしちまった。
だが、運が良かったのは城主サマがケンカの後始末をしてくれて、こうして俺達は出会った。で、出会って話をして、ようやくお互いが平和を望んでいることを理解できた。
戦場でさんざんに斬り合った間柄の相手が、自分達と同じことを考えていたわけだ。そうなっちまったらよ、もう戦争なんて起こす気にもならんだろう?
どっちも平和を望んでんのに、俺達はどうして頃し合いなんてやってたんだ、ってな。
そりゃぁ、中には気に入らねえやつもいるさ。だが、そんなときでも戦争なんてする必要はねえ。それこそ、ケンカで十分だ」
隊長さんはクイッと頭を振った。私は釣られて、その先に視線を向ける。
「見て分かっただろ?!せっかく最後に食おうとしたのに!」
「分かるわけないでしょ、あんなの!食べるつもりならもっとちゃんと除けといてよ!」
「だから除けてあったって言ってんだろ!」
「あんなの除けてたうちに入らない!」
そこには、そう言い合いをする女戦士さんと鬼の戦士さんの姿があった。
隊長さん達との話に夢中で、何がどうしてそうなったのかは分からないけど…とにかく、何やら揉めている。
「もう…今のチェリー二個分、午後はあんたに余計に働いてもらうからな」
女戦士さんがそう言って鬼の戦士さんの肩をペシっと引っ叩いた。
「痛っ。なんでよ、あなたが除けてたらこんなことにはなってないでしょ」
そう言い返した鬼の戦士さんがペシっと女戦士さんの腕の辺りを叩き返した。
「痛ってーな、アタシそんな強く叩いてないだろ」
ムッとした表情の女戦士さんがさらに鬼の戦士さんを平手で叩く。
「ちょっ、なによ!鍛え方が足りないんじゃないの?」
鬼の戦士さんも負けずに女戦士さんをベシっと強めに平手を見舞った。
「あんだと?!っていうか痛てえんだよ!」
「それはこっちのセリフよ!盗み食い呼ばわりの上になんで叩かれなきゃいけないわけ!?」
あれ、なんかすごく興奮してきてない?二人とも…
そんな様子に心配になったのは私だけじゃない。
「あの、あの、チェリーならお城に帰ればまだあるですよ…」
「そ、そうだぞ、子供じゃないんだから、チェリーくらいで…」
妖精さんと十七号くんもそんな事を言って何とか二人を収めようとしているけど、二人の言い合いは、もうチェリーがどうとか関係なくなってきている。
「いーや!あんたのさっきのやつの方が痛かった!」
「最初にやってきたのはそっちでしょ!?それだと私が一発多く叩かれてるじゃない!」
二人は興奮して立ち上がり、ベシベシと叩き合いを繰り広げている。かなり険悪だし、お互いにムキになってしまっている。
ソワソワとしているうちに、鬼の戦士さんの放った平手がかなりの強さで女戦士さんの肩の辺りに炸裂した。女戦士さんはギ口リと目つきを変えると、低い声で呟くように言った。
「いいだろ、相手になってやるよ!」
それを聞いた鬼の戦士さんも負けていない。鋭い眼光で女戦士さんを睨みつけると、背中に背負っていた剣を外し、着ていた鎖帷子を脱ぎ捨てて藁敷から降りた。
女戦士さんも着ていた軽鎧を外して、腰の革ベルトごと剣をガチャリと外して鬼の戦士さんに続いて藁敷から降りた。
521: 2015/05/31(日) 22:10:10.49 ID:O/h8LYqBo
「ちょ、ちょっと隊長さん…!」
私は急な出来事で何がなんだか分からなかったけれど、とにかく止めなきゃ、って一心で、隊長さんにそう声を掛けた。
でも、当の隊長さんはいつものように、ガハハと笑って
「おう、いいぞいいぞ!やれやれ!」
なんてあろうことか、二人をけしかけている。
「後悔するなよな…!」
「そっちこそ、どうなっても知らないから…!」
二人はそう言うが早いか、お互いに飛び掛かって肩と頭を付けてガッチリと組み合った。どうしよう、なんで急にケンカになってるの…!?
せっかく仲良く楽しくやっていたのに…!私がそう思って慌てて立ち上がろうとしたその時だった。
「もらったよ!」
「うりゃぁぁ!」
と掛け声がして、組み合っている二人目掛けて女剣士さんと十六号さんが飛び出して行って、横から勢い良く当身を食らわせた。
「ふぎゃっ!」
「ひゃぁっ!」
と悲鳴を上げて、女戦士さんと鬼の戦士さんが勢い良くクローバーの中に吹き飛んだ。そんな二人の傍らで、
「勝ったよ!」
「うおぉぉ!」
と女剣士さんと十六号さんが勝どきを上げている。
い、いったい、何なの…?
と、戸惑っていたらクローバーの中に倒れ込んだ女戦士さんと鬼の戦士さんがむくりと起き上がり
「不意打ちなんて卑怯だぞ!」
「覚悟しなさい!」
と叫んで勝どきあげていた二人に襲いかかる。
「このっ…往生際が悪いよ!」
「大人しくしなさい!」
「痛たたっ!鬼の姉ちゃん、角が痛いよっ!」
「まとめて潰してやる!」
四人はなんだかそんな事を言い合って、クローバーのうえで揉みくちゃになり始めた。それも、なぜだかケタケタと可笑しそうな笑い声をあげながら…
「ははは、指揮官殿には少しばかり乱暴すぎたか」
隊長さんが戸惑っていた私を見やってそう笑う。
「えっと…あの…おふざけ、だったんですか?」
「さぁな。途中までは本気だったろうさ。まぁだが、そんなこともある。言いたいことを言えば意見の違いも出てくるし、それでケンカにもなるだろう。
だが、俺はケンカで収まってるうちは別にそれが悪いことだとは思えねえ。言いたいことを言えるってのはいいことだ。
相手を信用してないと出来ることじゃない。収め方さえきっちりやれば、笑い話、さ」
隊長さんは満足そうに言った。
522: 2015/05/31(日) 22:10:45.24 ID:O/h8LYqBo
ケンカが出来る相手…か。確かにそうかもしれない。ケンカは一人でなんて出来ない。相手が居て初めてケンカになるんだ。
「相手が魔族だから」ケンカになるわけじゃない。人間同士だって、二人いればケンカになることだってある。
でも、ケンカをしたって、必ず仲が悪くなるとは限らない。小さなすれ違いにお互いに気がついて、前よりも一層仲良くなれることっだってある。
それが、今隊長さんが言った収め方、なんだろう。
そうか…人間だから、魔族だから、って理由で相手を恨んだりすることに、大きな意味なんてないんだ。
そこにあるのは、人間同士、魔族同士のケンカ一緒。なら、それを収める方法も、大きな違いはない。
自分の気持ちを告げて、相手の言い分も聞いて、どこがすれ違いなのかを確かめればいい…
それが出来ていないのが今の人間と魔族との関係だ。魔族は人間の憎しみと怒りの対象で、人間も魔族の怒りと憎しみを受けている。
でも、もし、小隊長さんが話してくれた通り、魔族と人間にさほどの差がないんだ、とみんなが知ることが出来たら…
もしかしたら、相手の言い分を聞くことが出来るようになるかも知れない。
それでもし、お互いのすれ違いが少しでもなくなったら、そのときは…
「隊長さん、小隊長さん。もし、人間と魔族がそれほど違わない、ってことをみんなが知ることが出来たら、
この戦いの続く世界が少しだけでも平和になると思いますか…?」
私は、思い至った考えを二人にそうぶつけていた。それは、もしかしたらお姉さんが探し求めている答えの一つなのかも知れないからだ。
私の言葉を聞いて、二人は目と目を合わせてから私を呆然とした表情で見つめていた。
「お前さんは…本当に子どもとは思えねえな」
「まったくだ、サキュバスの姫が言っていた通り…」
いや、えっと、その…褒めてもらえるのは嬉しいんだけど、その、争いの話を…
なんて思いで口をモゴモゴやっていたら、隊長さんがふむ、と息を吐いて腕組みをした。
「そいつは簡単じゃねえな。人間と魔族との間は、俺達のような単純な物ばかりじゃねえ。いろいろと複雑なんだ」
「そ、そうなんですか…?」
「例えばよ、人間界で魔族を見たことのあるやつは少ねえ。それこそ、軍人は戦っていたから分かるし、王都西部城塞都市の一般市民や砂漠の交易都市の住民くらいなもんだ。
王都や他の小さい村や街に住んでる連中は、魔族を知らねえ。が、魔族は悪だと決めて掛かっている。
一人一人の説得はそう難しくはねえかもしれねえが、そういう実態のない感情ってのは厄介なんだ。
拭っても拭っても、どこからか湧き出て来て気がつけばまた染まっちまう」
「魔族側も同じことが言えるな。それに、魔族側は先代様を討たれ、人間によって生活を乱された者も多い。
実際に目で見て被害を感じている分、それを拭うことは簡単じゃないだろう」
二人は難しい表情をしながらそう言う。やっぱり、そうだよね…そう言う意識を根っこからどうにかしないと、簡単に変えることなんて出来たりはしない、か…
私はほんの少し灯りそうになった明かりが消えてしまったように感じてなんだかがっくりとしてしまう。
魔族と人間との関係もそうだし、今は魔導協会の人達が何を考えているか分からない。
なんだかやっぱり、どうにも息苦しい感じは取れなかった。
523: 2015/05/31(日) 22:11:16.93 ID:O/h8LYqBo
「まぁ、魔界の方は城主サマ次第、ってところもあるな」
不意に、隊長さんがそう言った。
「あの人がこれから魔族のために何をするかで、魔族の見方も少しは変わるかもしれねえ」
隊長さんはお城を振り返えりながら言う。それにため息を吐いた虎の小隊長さんが
「そう言われると、感情で突っ走ってるうちの大将が台無しにしている気がするよ」
と肩を落とした。でも、隊長さんはそんな小隊長さんに笑って言った。
「言いたいことを言うのは悪いことじゃねえと言ったろ?
多少の小突き合いがあっても、ただのケンカなら収め方次第だ。元勇者として、そこと向き合わなきゃならんのは当然だ。
見方に寄っちゃ、魔王って地位を奪っただけのように思われても不思議じゃねえ。ある意味じゃ、当然だ。
だから竜の大将のことは心配することはねえさ。むしろ、先代を討ったようなやつに、大人しく黙って従っているようなやつがいた方が返って不気味だぜ」
「なるほど、諜報部隊らしい見解だな」
「そうか?まぁ、そうかも知れねえな。虎の旦那も気を付けろよ、油断していると俺が後ろからズブっと行くかも知れんぞ?」
「ははは、そのつもりがあるんなら、俺はもう生きてないだろ」
二人はそんなことを言い合って笑った。その雰囲気はやっぱり穏やかで心地良くって、どこか嬉しい気持ちにさせてくれる。
さっきは難しいかも、と言われてしまったけど、もし、魔族と人間が、どこででも誰とでも、こうして冗談を言いながら笑い合ったりケンカしたり出来る世界になったとしたら…
お姉さんは、どんな笑顔で笑うんだろうか?
私はふとそんな事を考えて、さっき隊長さんがしていたように、お城をじっと見つめていた。
「んっ?」
と、そんなとき、妖精さんが声を漏らせてふと、顔をあげた。妖精さんは辺りを見回して、スンスン、と鼻を鳴らして何かの匂いを嗅ぐような仕草を見せている。
「どうしたの、妖精さん?」
私が聞いたら、妖精さんは眉間に皺を寄せながら言った。
「人間ちゃん、雨が降るかも」
「え?雨…?」
私は思わぬ言葉に空を見上げた。済んだ青空には千切れ雲が漂っているくらいで、雨雲らしいのは見えないけど…
「雲はないみたいだけど、いっぱい降りそう?」
私は妖精さんに聞いてみる。きっと、風の魔法で何かを感じ取っているんだろう。すると妖精さんは、真剣な表情で
「うん…たぶん、雷になると思う。南から冷たい風が吹いてきてる。北からの暖かい風とその冷たい風がぶつかると、入道雲になるんだよ」
と教えてくれた。
入道雲、か…だとしたら本格的な雷雨になるってことだよね…そうするとかなりの雨が降るかもしれない…
「なんだ、雨降るんだ?水を撒いた意味なかったなぁ」
十七号くんがそんな事を言って呆れたように笑う。ううん、違う…雨が降るから良いってわけじゃない…。むしろそんなにたくさん降ってしまったら…
「おい、指揮官殿。雷雨はまずいんじゃないのか?」
小隊長さんがそう聞いてきた。
「まずいって、何が?」
十七号くんは相変わらずにそう言う。
「ううん、違うんだ。お芋は土の中に出来るから、雨がたくさん振ると腐ったりしちゃうんだ」
「えぇ?!それ、ダメじゃないかよ!どうするんだ!?」
私の言葉に十七号くんがそんな声をあげた。
524: 2015/05/31(日) 22:11:52.80 ID:O/h8LYqBo
ここの土は、きっとそれほど水はけが悪いわけではないと思う。でも、雷雨のように短い時間にたくさんの雨が降ればどうしたって水がたまってしまう。
二日くらいでも水溜まりが残ってしまったら、それだけで植えた種芋が腐ってしまいかねない。そのためには、ちゃんとした排水をする仕組みが要る…
「排水路…もっとちゃんとした排水路がいる」
私は畑を見やった。畑を作ったときに、ゴーレムにも排水のための道は作らせたけど、それは間に合わせのためのものだ。
踝くらいまでの深さを畑をの周りに掘っただけで、大雨になんて耐えられない。畑も畝の間を深く掘って畑の周りの水路ももっと深く掘らなければいけない。
それに、庵も作っておかないと、せっかく掘った井戸の穴に水が入ったら崩れてやり直しなってしまったりもしそうだ…これはのんびりしていられない…!
「隊長さん、庵はあとどれくらい掛かりそう?」
「あぁ、そうだな…あと二刻もありゃぁ、何とかなる」
「なるべく早くに作って下さい、井戸に水が入ったら大変」
「ふむ、そうだな…雷となると、庵の近くに集雷針もいるだろう。せっかく作った庵に雷が落ちりゃぁ一瞬でまる焦げだ」
確かにそうだ…背の高い棒の先に鉄槍の先端を付けて、他の場所に雷が落ちないように引き寄せる、あれも必要だね…!
「隊長さん、作れますか?」
「資材がありゃぁな。一旦城に引き返して、使えそうな道具を探そう」
「お願いします!」
私はそれからみんなを見渡す。
525: 2015/05/31(日) 22:12:42.48 ID:O/h8LYqBo
午前中に庵を作ってくれていたのは隊長さんだけだった。井戸掘りをしていてくれていたのが女戦士さん女剣士さんで、
魔族のみんなと十七号くんに十六号さんには水撒きをお願いしていた。
水撒きは終わったから、その分の人手で別のことをやってもらわなければいけない…
私はそれを確かめて頭の中で考える。うまく人を割り振って急いで作業しないと…!
雨が降り始めるまえに…!
「隊長さん!女剣士さんと鳥の剣士さんと一緒に庵をお願いします!
虎の小隊長さんは、女戦士さんと鬼の戦士さんに、十六号さんと十七号くんと排水用の水路を掘りをお願いします!
私と妖精さんで、出た土を井戸の周りの積んで山にして、井戸の中に地面の水が入らないように堰を作ります!
雷が来る準備をしておかないと、畑も井戸も全部ダメになっちゃうかも知れない!」
私の言葉に、まだ食事をしていたみんなが一瞬、息を飲むのが分かった。でも、そんな雰囲気を女戦士さんがすぐに打ち壊してくれる。
「よし、ならいつまでも昼休憩ってわけにもいかないな」
それに、鬼の戦士さんが続く。
「そうだね。早めに終えて、準備しないと」
「でかいシャベルがいるよな。確か、城の物置にあった気がするんだけど」
「あったあった!急いで取りに行こう!」
十六号さんと十七号くんがそう言葉を交わして確認している。
「隊長、あんたその子達と城に戻って資材持ってきなよ。こっちは私と鳥くんとでやっておくからさ」
「ええ、任せて下さい」
女剣士さんと鳥の剣士さんの言葉に
「そうだな、頼むぞ」
隊長さんが答える。
「俺は水路の掘り方を聞いておいた方が良さそうだな。指揮官殿」
なんて小隊長さんが言って来たので私は頷いて返した。それぞれの役割が決まったところで、最後に妖精さんが声をあげた。
「よし、じゃぁ、急ぐですよ!」
そんな、いつもの妖精さんの変わった敬語に、みんなで、おう!っと掛け声を合わせて、私たちはお昼ご飯の片付けをいそいそと始めた。
間に合うかな…そう思って見上げた空には、やっぱりまだ小さな千切れ雲しか浮かんではいなかったけれど。
529: 2015/06/08(月) 00:13:27.04 ID:7B1zFza8o
作業を始めてどれくらい経ったか、ようやく私達は畑の周りに膝程の深さの排水路を掘り終えた。
庵と集雷器を作り終えた隊長さん達も途中から掘る作業に加わってくれたので、そこからはうんと早くに進められたのが幸運だった。
と言うのも、妖精さんが言った通り、太陽が僅かに傾き始めた頃には北の空にムクムクと入道雲が立ち上がって、徐々に大きくなりながらこっちへ近付いて来ていたからだった。
「隊長さん、そっち大丈夫ですか?」
「ああ、問題ねえ。虎の、そっちはどうだ?」
「こっちも大丈夫だ。これで突風が来ても飛ばされるなんてこともないだろう」
声を掛け合いながら、井戸のそばに置いていく資材を縄で括って、さらに別の縄でグルッと巻いてから、余った木材で作った杭にその縄を括って地面へと打ち込んだ。
これなら、風が吹いたって大丈夫なはずだ。
「隊長、急げよ!あれ、もう来るぞ!」
荷車に道具を載せた女戦士さんが声を掛けてくる。他のみんなも不安げな表情で入道雲の方を見上げたり、こっちを見ていたりしている。
「よし、これで良いだろう。降ってくる前に逃げ込むぞ」
「はい!」
隊長さんにそう返事をして、私は荷車の方へと走って戻る。
「人間ちゃん、早くー!」
妖精さんが荷車の上から手を伸ばしてくれて、辿り着いた私をヒョイっとその上に引き上げてくれた。あとから来た隊長さん達もそこに乗り込む。
それほど広くない荷台は、私と妖精さんに隊長さんと小隊長さん、十七号くんと十六号さんでぎゅうぎゅう詰めだ。
引き手のところには女戦士さんと鬼の戦士さん、荷車の両脇には女剣士さんと鳥の剣士さんが張り付いている。
「よぉし、良いぞ!出せっ、馬車馬!」
隊長さんがガハハと笑いながらそう言う。
「誰が馬だよ!ちゃんと掴まってろよ、落ちても知らないぞ!」
女戦士さんがそう言ってから
「行くぞ!」
と一声合図をした。
途端に荷車がガタガタと揺れ、クローバーの生え揃う野原を走り始めた。
530: 2015/06/08(月) 00:14:04.46 ID:7B1zFza8o
「うぉっ!わぁっ!あだっ!痛ってぇぇぇ!!戦士の姉ちゃん、もっと静かにやってくれよ!」
「喋ってると舌噛むぞ!」
風を切る音に負けないくらいの大声で言った十七号くんに、女戦士さんのさらに大きい声が聞こえてくる。
ガタゴトと揺れる荷車は、私なんかが走るよりももっと早い。
四人の魔法が得意な軍人さん達に掛かればこんなにも早く動けるんだ、なんて思うよりも私は揺れる荷台から飛び出さないようにと、
妖精さんと一緒に隊長さんに掴まっているのに必氏だった。
程なくして荷車は魔族軍の陣地に差し掛かる。
ここを抜ければ、南門。お城まではもうすぐそこだ。
「えぇ!?なんだって?!」
不意に、そう叫ぶ十六号さんの声が聞こえた。見ると、十六号さんは自分の体にしがみついている十七号くんに、そう言ったようだった。
そんな十七号くんが声をあげる。
「だから!魔族の連中は、雷平気なのかなって!」
え、魔族の人達…?
私はハッとして辺りを見渡した。魔族軍の人達は、昼間、私達に向けていたあの冷たい視線を浴びせることも忘れて、慌ただしく動き回っている。
あの入道雲を見れば、備えないわけにはいかないだろう。
「おい、虎の!お前さんの部下、まだ陣地にいるんだろう!?そいつらだけでも俺達のいる兵舎に呼び込むか?!」
「あぁ、助かる!こんな平地じゃ、被害が出てもおかしくない!」
隊長さん達がそう言っている。そうだよね…いくら自然の魔力を扱える魔族だって、あの雷雨なんてのに見舞われたら、平気でいられるはずはないよね…
雷って魔法で防いだり出来るのかな…?
「小隊長さん!雷を防ぐ魔法ってあるんですか!?」
私は風に負けないように大きな声で虎の小隊長さんに聞く。すると小隊長さんは険しい表情で叫んだ。
「いや、雷は無理だな!力が大きすぎるし、そもそも雷を操る魔法を使える連中は少ない!」
待ってよ…それじゃぁ、やっぱりこんなところで陣地を張っているのって危ないんじゃ…!?
で、でも、さすがに三千人の魔族軍の全部をお城の中に避難させるなんてことは出来ないし…だけど、このままだと魔族軍の人達は危ないよね…
「妖精さん!」
私は妖精さんを見上げて叫んだ。
「お姉さんにお願いして、中庭に魔族軍の人達を入れてもらおう!城壁には集雷器があるから、外よりもきっと安全だと思う!」
すると妖精さんはニコっと笑顔を見せて私に言ってくれた。
「うん!一緒にお願いしに行こう!」
531: 2015/06/08(月) 00:14:30.13 ID:7B1zFza8o
ガタゴト揺れる荷車が大人しくなる。目の前に南門が見えてきて、戦士さん達が足を緩めたからだろう。
すぐに荷車は南門の前に到着した。鳥の剣士さんがひらりと城壁の中に羽ばたいて行って閂が外され、重い音とともに門が開いた。
私は妖精さん荷車から飛び降りてお城の入り口へと走る。
「俺は声を掛けてくる。鳥剣士、お前も来てくれ!」
「了解です、すぐに行きましょう!」
「おい、すぐに中へ入ってバカ共に場所を開けるように言え!」
「おし、任せとけ!鬼のも一緒に来てくれ!」
「うん!」
後ろでそう言い合っている声を聞きながら、私は妖精とお城の中に駆け込んだ。必氏に階段を駆け上がり、廊下を走って会議をしている部屋へと急ぐ。
途中、後ろから足音が聞こえて振り返ると、そこには十七号くんと十六号さんがいた。
「親衛隊を置いていくなよな!」
十七号くんがそんなことを言って笑う。
「うん、ごめん!」
私は笑顔を返しながら十七号くんにそう言いながらさらに階段を上がる。上層階までたどり着いて廊下を走り、私達はノックもせずに会議室へと飛び込んだ。
「お姉さん、大変!」
大きなテーブルにはいつもの通り、お姉さんにサキュバスさんに兵長さんと黒豹さん、それから師団長さんと竜族将さんに他の魔族の偉い人達も集まっていて、
バタバタとなだれ込んだ私達に視線を向けていた。
「なんだよ、慌てて?」
お姉さんが私達にそう聞いてくる、けど、私は慌ててここまで一気に走って来たものだから、息が切れちゃってうまく言葉が出ない。
それを見かねたのか、十六号さんが代わりに
「十三姉ちゃん、雷が来てるんだ!」
と言ってくれた。それに続いて十七号くんも
「外の魔族の連中、あのままだとまずいって!」
と声をあげてくれる。
「お姉さん!魔族の人達をせめて城壁の中に入れてあげないと…!」
私はようやく整い始めた息を吸い込んでそう伝えた。お姉さんはすぐさまイスから立ち上がると窓辺に駆けて行ってその外を見やった。
532: 2015/06/08(月) 00:15:05.16 ID:7B1zFza8o
「雷雨ですか…?」
「まずいな…我が機械族はあれには弱い」
「強い者などありはせん。雷を避ける大気術を使える者は何人居ったか…」
「急ごしらえでも例の避雷槍を作らせるか?」
「必要だろう。だが、あの陣地のすべてを覆える程となると、数が…」
魔族の人達もそう話を始めたる。そんなところにお姉さんが戻ってきて、魔族の人達に言った。
「サキュバス、三階までの兵舎に外の連中を引き込むぞ。兵長、二階の諜報部隊の連中に、兵舎を空けてこっちの生活階へ上がって来るように伝えてくれ」
「はっ!すぐに!」
お姉さんの言葉にいち早く反応した兵長さんが部屋を飛び出していく。そんな姿を見送りもしないで
「お、お待ち下さい、魔王様!あの者達すべてを魔王城に入れるなど、言語道断です!
お言葉ですが、未だ魔王様のご意思を理解せぬ者も多く、そのような輩が魔王様を狙ってくるやも知れません!」
と師団長さんがお姉さんに訴え出る。それにサキュバスさんが
「魔王様、全軍三千人を城内に収容するのはかなり厳しいのではないですか?」
と落ち着いた口調で続く。
でも、そう言われたお姉さんニコっ笑って言った。
「入れろ。押し込んででも何でも、とにかく匿え」
サキュバスさんはその言葉に何だか少し嬉しそうな表情で頷き、師団長さんは呆れ顔を見せた。
「人間様、一緒に軍の迎え入れをお願いします」
サキュバスさんが私にそう言ってきた。私もサキュバスさんに笑顔を見せて頷く。
「なれば、我が近衛師団を上階に配置して、警備を固めましょう」
師団長さんも覚悟を決めたって顔をしてそう言った。
「よし、今日の会議はこれまでだ。各師団へ戻って至急、城内へ避難するよう伝えてくれ」
「ふむ、ここは魔王様のご慈悲に甘える他にありませんな。そうであろう、竜族将よ?」
鬼族の賢者さんが竜族将さんを身やって言う。竜族将さんは、ちょっとふてくされた表情を浮かべて、
「ここは魔族を守るための城だ。そうでなくては困る」
なんて強がりのような返事をした。
魔族も人間も、こうなったら関係ない。大きな自然の力の前には、身を寄せ合って逃れる他に術はないんだ。
でも、今の私はそれがやっぱり、なんだか嬉しい気がしてしまっていた。
533: 2015/06/08(月) 00:16:05.59 ID:7B1zFza8o
ふとお姉さんを見上げたら、お姉さんも嬉しそうな笑顔出私を見ていて、不意に手を伸ばして来たと思ったら、私の頭をガシガシっと撫でてくれた。
「よし、サキュバスの言うことちゃんと聞いて、誘導頼むぞ」
「うん!」
「任せて下さいです!」
私と妖精さんとでそう返事をする。
「十七号、十六号!この子から離れずに見ててやってくれよ!」
「任せとけ!俺達は親衛隊だぜ!?」
「ああ、心してかかるよ、姉ちゃん」
今度は、十七号くんと十六号さんがそう声をあげた。
「サキュバス、黒豹。外の魔族を誘導する陣頭指揮を執れ」
「私は城内の誘導を行いましょう。黒豹様は、城外の者達に声掛けを!」
「委細、承知しました。すぐに掛かります!」
サキュバスさんと黒豹さんもそう返事をする。それから私たちはなぜだかお互いの目を見つめ合って、みんなが笑顔でいるのを確かめていた。そんな私達にお姉さんの号令が飛ぶ。
「任せたぞ、掛かれ!」
「はい!」
そんなお姉さんに返事をした私達はすぐさま部屋を飛び出した。廊下を走って階段を駆け下り、南門の正面にある扉へと急ぐ。
するとそこには、隊長さん達の姿があった
「おう、早かったな!城主サマの采配はどうなった?!」
「全軍を引き入れます。ご助力を頂けませんか?」
隊長さんにサキュバスさんがそう叫ぶ。それを聞いた隊長さんは、ニヤリと笑って傍らに居た女戦士さんと女剣士さんに頭を振って言った。
「よし、お前ら!虎の大将に付いて誘導を手伝え!」
「あはは、突撃部隊の指揮下に入れってか!こりゃぁ良い!」
「言ってる場合じゃないでしょ!ほら、行くよ!」
「俺達も外に出て誘導します!指揮は!?」
虎の小隊長さんの言葉に、黒豹さんが答えた。
「猛虎の嫡男殿!私が采配いたします、各部隊への声掛け願います!」
「よし来た、行くぞ!」
虎の小隊長さんがそう言って表へと飛び出していく。私はその時になって、あたりがもう随分と暗くなって来ていることに気が付いた。厚い雲
が空に掛かって、風も吹き始めている。もう、時間がない…
534: 2015/06/08(月) 00:16:45.06 ID:7B1zFza8o
私は十七号くんと十六号さんと妖精さんと一緒に扉の前に立って、虎の小隊長さんが開け放った門の向こうの魔族軍を誘導する準備に入る。
黒豹さん小隊長さんに、戦士さんや剣士さん達が門の外に駆けて行ったのもつかの間、門をくぐって、大勢の武装した魔族の軍人さん達が門の方へと急ぎ足でやって来始めた。
武装はしているけど、手には小さな荷物だけとか、中には何にも持っていない人もいる。本当に慌ててこっちへやってきて入るようだった。
「おーい、あんた達、こっちだ!
十六号さんが不意にそう声をあげた。
「早くしろ、降ってくるぞ!」
今度は十七号くんも叫ぶ。私も負けてられないんだ!
「急いで下さい!早く!」
「雷来るですよ!急いで下さいー!」
私と妖精さんも声を張れるだけ張って呼びかける。
すぐに先頭をに来ていた大きな体のクマの様な魔族さんが私達の呼びかけに吸い寄せられるようにやって来てくれて、お城の中へと入って行く。
狼の獣人さんに、あの鉄の鎧の様な物を身にまとった機械族の人達も、竜族の人も悪魔みたいな風体の魔族さんも次々と入り口へと押し寄せて来る。
きっと中ではサキュバスさん達が、場所を指定して城内で誘導してくれているはず。中はきっともっと大変だろうけど…私も、気を抜いてはいられない!
「早く中に!中に入ったら、誘導された場所に行ってくださいね!」
そう、今までよりも一層大きな声をあげたその時だった。
パパパっと目の前が真っ白に光った思ったら、まるで大きな山が崩れ落ちたんじゃないか、って思うくらい雷鳴が辺りに鳴り響いた。
それと同時にザザザザァ!と猛烈な雨が降り始める。
雷鳴に驚いて十六号さんに飛びついてしまっていた私と妖精さんはすぐに我に返って、雨と風に負けない大声を出して魔族の人達に呼びかけ続ける。
入り口の扉の外にいた私達はたちまちびしょ濡れだけど、構ってはいられない。魔族の人たちは私達よりももっと濡れちゃうし風も直接浴びてしまう。
吹き込んだ雨に濡れるくらい、どうってことじゃない!私はとにかくそこで声の続く限り、叫び続けた。
「急いでください!魔王様がお城に逃げろと言ってます!みんな、急いで!」
「おら、早く早く!」
妖精さんも十七号くんも声の限りに叫んだ。
魔族の人達は私達にあの冷たい視線を浴びせるのも忘れて雨から逃れるために盾やマントを頭に掲げながらお城の入り口へと殺到する。
雨も風も一段と強くなり、再び閃光とともに雷鳴が鳴り響いた。それでも私達はそこで必氏に魔族の人達をお城の中へと急がせる。
「すまないな…!」
不意にそう声が掛かって見上げると、雨にびっしょり濡れた若い男の魔族の人が立っていた。雄々しい角に、黄色に縦長の瞳。
体を覆う棘のようなウロコは竜族独特の特徴だ。
「いいえ!早く中に入って下さい!」
「ああ、感謝する!」
竜族の男の人はそう言い残して足早にお城の中に入って行く。
途端に、後ろからコツン、と何かがあたったので振り返ると、十六号さんがニヤリと笑顔を浮かべていた。
「井戸掘りの成果かも知れないな」
十六号さんはそんなことを言った。
隊長さんや虎の小隊長さん達と一緒に魔族軍の陣地を抜ける道を、私達は道具を運んだり追加の資材や水を汲んだ樽を運ぶために何度も往復した。
隊長さんの考えで、人間と魔族が一緒になってその作業をしてきた。
もしかしたらそれが今になって、魔族の人達に、少なくとも私達は魔族の敵じゃない、と分かってもらうためのきっかけになって来ているのかもしれない。
もしそうなら…きっとお姉さんは、さっきよりももっと嬉しそうな顔で笑ってくれるんじゃないかな…!
そう考えたら私も嬉しくなってしまって、雨に濡れるくらいいっそう構わずに魔族軍に急ぐようにと叫び続けた。
535: 2015/06/08(月) 00:17:19.00 ID:7B1zFza8o
どれくらい経ったか、そんな魔族軍の人達に紛れて女剣士さんと鬼の戦士さんが入り口の扉のところへと姿を表した。二人とも雨に濡れてびっしょりだ。
「外はおおかた大丈夫だ!ここは私らで受け持つから、あんた達は中に入ってあのサキュバスって人を手伝ってやってくれ!」
女剣士さんが雨と風に負けない大声で私達にそう言う。
私は十六号さん達三人と目を見合わせて頷き
「分かりました、お願いします!」
と返事をして、魔族の人達と一緒にお城の中へと戻った。
お城の中は、もうすでに大混乱しているようだった。一階は大広間と大階段があるのだけど、そこはもう魔族の人達でいっぱいだ。
ここがこんな様子なら、二階と三階にある兵舎や訓練なんかに使うんだと言っていた大きな部屋もぎゅうぎゅうになっているに違いない。
私は魔族の人達の間を声を掛け、道を作ってもらいながら大階段へと進む。
何とか辿り着いた大階段を登って廊下を行くと、そこにはサキュバスさんが魔族の人と何かを話している姿があった。
「サキュバスさん!」
「皆様!」
私が声を掛けると、サキュバスさん私達を見やってそう声をあげる。それからすぐに
「では、お願い致します」
と今話し込んでいた尖った耳をした魔族の人に言って私達のところへとやって来た。
「外の様子はいかがですか?」
「今、虎の小隊長さん達が誘導してくれてます。まだ大勢残っているけど目処は付いてるみたいです。お城の中はどうですか?」
「三階と二階の兵舎にはまだ余裕がございます。今、この階の兵舎にいる者の半数を三階に向かわせるようにと近衛師団の者に伝えていました」
サキュバスさんの言葉に私は気が付いた。皆入ったばかりのあの大広間で止まってしまって、奥へと入って来ていないんだ…だからあそこにはあんなにたくさん…
でも、あの大広間に溜まってしまったら、あとから入って来る人が詰まってしまう。
早くこっちへ来てもわらないといけない。
「なら、私は戻って広間でここへ来るように呼びかけます!」
私が言うとサキュバスさんはコクっと頷いて
「お願い致します!」
と返事をしてくれた。
私達は広場に戻って、魔族の人達に二階へ上がるようにと大声で触れ回った。そのおかげか、入り口で溜まっていた人達はゾロゾロと二階に上がり始める。
それでもあとからあとから、広間には相変わらず外から人が駆け込んできている。
と、不意にゴゴン、と音がした。大階段の上から音がした方を見ると、その先では広間の入り口の両開きの扉が今まさに閉められたところだった。
扉を閉めていたのは、隊長さんや虎の小隊長さん達だ。良かった、何とか全員を誘導できたんだね…!
536: 2015/06/08(月) 00:18:05.35 ID:7B1zFza8o
「人間殿!」
私を呼びながら、黒豹さんが人混みを縫って私達のところにやって来た。黒豹さんもズブ濡れで、まるで捨て猫みたいな有様だったけど、そんなことに構わずに私達に聞いた。
「中の状況はどうなっておりますか?」
「まだ、二階と三階には余裕があるみたいです!」
私が応えると、黒豹さんは少しだけ表情を緩めて言った。
「何とかなりそうで良かった。外の誘導は完了したと、サキュバス殿にお伝え願えませぬか?」
その言葉に、私も思わず胸を撫で下ろした。
これで全部だと言うなら、あとは中の人達を均等になるように分ければいいだけだから、雨と雷の中で呼びかけるよりはずっと安全だ。
「分かりました、伝えて来ます!」
私はその場を黒豹さん達に任せて、サキュバスさんのところへと戻ってそのことを伝えた。
二階の兵舎にも余裕がなくなって来ていたけど、それでももう全員避難出来たと言ったら、やっぱりサキュバスさんも安心したような表情を見せてくれた。
「もう一息ですね!」
そんなサキュバスさんの言葉に、それぞれ返事をした私達も、きっと安心の表情を浮かべていたに違いない。でもまだ気は抜けない。
みんなが少しでも余裕を持って過ごせるように、うまく場所を割り振らないと、ね!
537: 2015/06/08(月) 00:18:40.74 ID:7B1zFza8o
「へっくしっ!ああ、冷えちゃったなぁ…」
ズルズルっと鼻をすすりながら、十六号さんがそんなことをボヤく。私達は暖炉の部屋にいた。外はすっかり日も落ちてしまったけど、相変わらずの雷と雨。
ランプと暖炉の火だけで薄暗い部屋は時折雷鳴とともに閃光に照らされていた。
私達は雨で濡れたまま走り回っていたせいで、体が芯から冷えてしまっている。気替えだけを済ませた今でもとにかく寒くって、震える私を十六号さんが抱いてくれている。
そんな十六号さんを後ろからへばりつくように妖精さんが抱きしめて、三人折り重なって毛布をかぶり、火を入れた暖炉に当たっている。
「いやいや…大変だったなぁ」
誘ってはみたけど、俺は平気だ、となぜだか顔を赤くして言って、一人暖炉の前で毛布を頭から被っている十七号くんがため息混じりにそんなことを言う。
「そうですね…井戸掘りよりも疲れたですよ」
後ろからは、妖精さんのそんな声も聞こえて来た。確かに大声で叫びっぱなしで、お城の中を駆けずり回って、その上寒いし、もうクタクタだ。
「なぁ、そう言えば、魔族の魔法は寒いのを防げる、って聞いたんだけど?」
「ああ、防げるですけど、風の魔法で温度を伝えないようにするだけです。一旦体が寒くなっちゃったら、もうどうしようもないです」
十六号さんと妖精さんがそんな話を始めた。
「人間の魔法なら体を暖かく出来そうですのに、十六号さんも体冷たいですね」
「やれないこともないけど、今は血の巡りを動かして体の深いところを温めてるんだ。表面を温めようとしたら、余計に中の方が寒くなる」
「だから冷たいですね。代わりに私が温めるですよー」
妖精さんがそう言って、毛布の下で十六号さんの腕を擦り始める。途端に十六号さんが
「妖精ちゃん、くすぐったいよ!」
と声を上げて笑った。
ピカッと部屋の中が明るく光って、ドドドドーンと雷鳴が轟いた。雨が降り出してからもう随分と時間が経っているのに雨も雷も一向に止む気配はない。
「畑が心配だね」
と、妖精さんは今度は私に話しかけてきた。うん、確かに…排水路はかなり深く掘ったし、種芋は拳2つ分のところに植えたから流される心配はそうないと思う。
気がかりなのは、やっぱり土の水はけが思ったよりも良くなくて、種芋が腐ったりしてしまうことだ。
そればっかりは明日畑の様子を見て見ないことには分からない。
やるだけの対策は出来たし、あとは祈るより他にない。
「うん。明日の朝、一番で確かめに行かないとね」
私がそう答えると、妖精さんも、うん、と返事をしてくれた。
538: 2015/06/08(月) 00:19:18.71 ID:7B1zFza8o
カツコツと、廊下で足音が聞こえる。微かに、十六号さんの体が固くなるのを私は感じた。
でも、部屋の前に差し掛かったその足音は、立ち止まることなくそのまま歩き去っていく。十六号さんもすぐに力を抜いて、小さく息を吐いた。
魔族軍をお城に受け入れてからすぐに、上層の私達の生活階では、近衛師団の魔族達が見回りを始めてくれていた。
隊長さん達や虎の小隊長さん達は意外にも大人しくこの2つ下にある元は家臣さん達の部屋だったところに分かれて入っているらしい。
何でも、こういう警備は複数の部隊でやると返って隙が出来ちゃって危ないんだそうだ。
私としては、あの魔族軍の人がお姉さんを狙って襲いかかって来るようなことはない気がしていたし、
お姉さんも、それで気が済むんなら、と師団長さんに許可を出していたくらいだから、心配なんてしてないんじゃないかって思う。
でも、私は師団長さんがそうしなきゃならない気持ちもなんとなくわかった。
だって、師団長さんは先代様をとても尊敬していて、そんな先代様が選んだお姉さんのことも、同じように尊敬しているようだった。
それに、師団長さんは戦争で先代様を守れなかったことをとっても気に病んでいるみたいだったし、
お姉さんにもしものことがあってはいけないって、強く感じてしまっているんだろう。
不意にまた、廊下で足音が聞こえだした。カツンカツンと言うその足音は、部屋の前で立ち止まる。だけど今度は十六号さんは体を固くすることなんてなかった。
コンコン、とノックの音がして顔を出したのはランプを手にしたサキュバスさんだった。
「皆様、お湯のご用意が出来ましたよ」
サキュバスさんは優しい笑顔で私達にそう言ってくれる。
「うはぁー!待ってました!」
十六号さんがそう声を上げて、私を抱えたまま立ち上がった。
「ようやく暖まれるですね」
妖精さんも毛布を畳みながら嬉しそうにそう言う。
「ほら、十七号も行くぞ」
十六号さんは未だに暖炉の前に座っている十七号くんにそう声を掛けた。でも、十七号くん暖炉をジッと見つめたまま
「お、俺はあとで十二兄と入るからいいよ」
となんだか言いづらそうに言う。
「なんでだよ?あんたも寒いんだろ、風邪引くぞ?」
十六号さんがもう一度そう声を掛けると十七号くんは私達を振り返って、なんだか必氏な顔をして
「俺はあとでいいって言ってんだろ!」
と声を荒げて言った。その顔は暖炉の火に照らされているせいか、なんだか真っ赤だ。
539: 2015/06/08(月) 00:19:51.77 ID:7B1zFza8o
そんな十七号くんの言葉を聞いた十六号さんはヒヒヒ、と笑って
「あっそ。じゃぁ、先に行っちゃおう」
と妖精さんに声を掛けて私を抱いたままにサキュバスさんの待つ戸口へと歩き出す。
「十六号さん、私自分で歩くよ」
私は十六号さんにそう言うけど、十六号さんはなお私をギュッと抱きしめて
「寒いんだから抱かれといてよ。湯たんぽ代わりに」
なんて言って笑った。
戸口まで行くと、そんな私達をサキュバスさんが優しい表情で見つめてくれている。でも、私はそんなサキュバスさんの顔を見て、いつにもない疲労感があることに気が付いた。
バタバタと走り回ったせいか、いつもは綺麗なサキュバスさんの髪は少しだけ乱れていたし特に前髪なんかは汗か何かのせいで、うねってしまっている。
「魔王様にもお声掛けしてあります。きっと湯室でお待ちですよ」
サキュバスさんはそんな私の心配をよそにそんな事を言ってくれる。でも、そう言われて私はふと、ここのところお姉さんと一緒にお風呂に入ったりしていないことに気付いた。
竜娘ちゃんを助け出しに行ってからは、お姉さんは軍の再編や会議のこともあって、私とは入れ違いになることが多かった。
それこそ夜に寝るときだって、私が寝入るか寝入らないかって言うときになってやっと寝室に入って来るがくらいだ。
私のそばにはいつも妖精さんと十六号さん達が居てくれるから寂しいなんてことはないけど、
でも、何日かぶりに一緒にお風呂に入れるんだと思うとなんだかそこはかとなく嬉しくなってくる。
「あはは、十三姉ちゃんと一緒に風呂だなんて魔導協会以来だな」
十六号さんがそんな事を言って笑う。お姉さんが勇者の紋章を受け継いですぐに、十六号さん達はあそこを追い出されたんだと言っていた。
その後は魔導士さんが皆を引き取ったんだけど、お姉さんはそれからも魔導協会に居て戦争が始まったって話だから、私なんかよりもずっとずっと離れ離れだったはずだ。
きっと十六号さん達にとっては、お姉さんや魔導士さんと一つ屋根の下で暮らして行ける今の生活は、何にも変えがたいくらいに嬉しいことなんだろう、って私は感じていた。
私達はサキュバスさんに先導されてお風呂場への廊下を歩く。私は相変わらず十六号さんの腕の中だけど…お風呂場まではそれほど遠くはない。
廊下を曲がったその先にあるんだ。
「下の様子はどうなんですか、サキュバスさん?」
「はい、ようやくそれぞれの居場所を決めて休むことが出来てきているようです。一晩だけなら何とか過ごせると思います」
「良かったです!」
そんな話をしながら歩いていると、廊下の向こうから鎧を纏った魔族の人が二人、こっちに向かって歩いてきた。
一人は竜族、もう一人は尖った耳をしている以外は人間と良く似ているから人魔族かな?
二人は、私達に気が付くと廊下の端によって壁に背を付け、項垂れて黙礼を始める。
「ご苦労様です」
そんな二人に声を掛けるサキュバスさんに続いて、私達もその前を通過する。途端に十六号さんがはぁ、とため息を漏らした。
さっき、魔族の人達をお城に誘導しているときは感じなかったし何かをしてくるだなんて思いもしないけど、
いざこうして狭い廊下で見知らぬ魔族さんに会うと、私も少しだけ緊張してしまう。
でも、そんな様子を見てサキュバスさんがクスっと笑った。
540: 2015/06/08(月) 00:20:27.39 ID:7B1zFza8o
「あの者たちは平気ですよ。先代様のお側に在った故、私と同様に、先代様の意思を他のどの魔族よりも理解している者たちですから」
そんなサキュバスさんの言葉を聞いて、私はふと、昨日の晩の師団長さんの言葉を思い出した。師団長さんもそんな事を言っていたっけ。
「師団長さんも言ってました。先代様を愛していた、って」
私がそう口を挟んだら、サキュバスさんはハッとした表情で私を見やって、それからクスっと笑顔を見せた。
「愛していた、だなんて、少し妬いてしまいますね」
あ、そうだった…サキュバスさんは先代様とその、恋人?夫婦?みたいな関係だったんだっけ…
い、いけない、今の言い方だと、師団長さんが先代様に横恋慕してたみたいになっちゃう!
「あ、あ、あの、そう言う意味じゃなくって、えっと…!」
私がそう声をあげたら、サキュバスさんはなおさら笑って
「大丈夫ですよ、先代様が皆から慕われていたと言うことですよね?」
と、言ってくれた。ホッとして
「は、はい」
と返事をしたのもつかの間廊下を曲がった先には、師団長さんが居て、お風呂場の前で仁王立ちしている姿があったので、私は思わずヒャっと声をあげてしまっていた。
「あ…姫様」
そんな私の声でこちらに気が付いた師団長さんが私達に一礼する。
「どうしたのです、このような場所で?」
「はい、魔王様が湯浴みされるとのことで、丸腰の機を狙う輩がいるやもと思い、こうして番をしています」
サキュバスさんの言葉に師団長さんはそう答えた。相変わらずの心配性だ。
「そうでしたか。私はてっきり、魔王様に色目を使いに来たのやも、と思ってしまいましたよ」
サキュバスさんはそんな意地悪を言ってから私を見やってまた笑った。
「な、なんのことです、姫様?私はそのような事は…」
「ああ、いえ、冗談です。見張り、感謝します」
戸惑う師団長さんにそう言うと、サキュバスさんはお風呂場のドアを開けて私達を中へと促した。
そこには、すでに、脱ぎ捨てられたお姉さんの衣服が入ったカゴが置かれていて、引き戸の向こうからはお姉さんのものらしい鼻歌が聞こえて来ていた。
「おーい、十三姉ちゃーん!」
ようやく私を下におろしてくれた十六号さんがそう声をあげた。するとすぐに浴室の方から
「お、十六号さんか?あんたも来たんだなー!」
と明るい声が聞こえてくる。それを聞いた十六号さんは恥ずかしげもなく服を素早く脱ぎ捨てて、喜び勇んで浴室へと突撃して行った。
「ひゃほー!」
という奇声とともに、ザバッと水が跳ねる音がする。
「おい、やめろってば!」
お姉さんがそう言って笑う声も聞こえてきた。十六号さん、よっぽどうれしいんだな。
私はそう思って、なんだか頬が緩んでしまう。
541: 2015/06/08(月) 00:21:18.83 ID:7B1zFza8o
「ほら、人間ちゃんも入ろう」
妖精さんにそう促されて、私も服を脱いで浴室へと入った。そこには、広い湯船で体を伸ばしているお姉さんと十六号さんの姿があった。
湯船に入ると、すぐに私の体をお姉さんが捕まえて、膝の上に載せてくれる。
湯船は少し深くて、私がその中で体を伸ばそうとすると、鼻のあたりまで沈んでしまう。
ちょうどよくつかるには、お姉さんの膝の上が一番なんだ。
私には少し熱いかな、と感じるくらいのお湯が、それでも冷えた体を温めてくれる。
思わず、ふう、なんて息を吐いてしまうくらいに、心地良い。
「ふぅぅ、いつでもここのお風呂は気持ちいいですぅ」
妖精さんもそんなヘナヘナとした声を出すので、私は思わず笑ってしまう。
そこへ、サキュバスさんが顔を出した。
「では、ごゆっくり」
「あ、サキュバスさ」
と、お姉さんがサキュバスさんを呼び止めた。
「悪いんだけど、冷えた酒と、この子たちに果汁水ってやつもってきてくれよ」
「ふふ、かしこまりました。では、お待ちくださいね」
お姉さんにそう頼まれたサキュバスさんは、小さく笑ってすぐに脱衣所の方へと姿を消して行った。
でも、それを確かめた十六号さんがすぐに不満そうな声をあげる。
「十三姉、サキュバスさん疲れてるのに、小間使いなんてひどいじゃないか」
すると、お姉さんはケタケタと笑って言った。
「だからさ、あいつも一緒に風呂に引っ張っちゃおう。酒を運んできてくれたら、あたしが取り押さえるから、十六号、あんたひん剥け」
「えぇ?!いいのかよ!?」
「あいつ、休めって言ったって休むやつじゃないんだよ。だから無理やり休ませるんだ」
お姉さんはそう言いながらグッと大きく伸びをした。
確かに、お姉さんの言う通りだ。
サキュバスさんは、いつだって早起きして朝ごはんの準備をしてくれるし、いつだって夜遅くまで私たちの身の回りの世話をしてくれている。
休んでいるところなんて、ほとんど見たことなんてなかった。
「いい考えです!サキュバス様は、少し休まないといけないですよ」
「うん、私もそう思う!」
妖精さんの言葉に、私もそう相槌を打った。すると、十六号さんも納得したのか、
「なるほど、そりゃぁ、休ませてやらないとな!」
なんて言って、お姉さんのマネをして大きく伸びをする。
そんな姿を見たお姉さんは、あはは、と笑って
「十六号、あんた、ちょっと見ない間にちゃんと育ったなぁ」
なんてことを言い始めた。
542: 2015/06/08(月) 00:21:54.49 ID:7B1zFza8o
「ん、そうだろ?でも、もうこれくらいで良い気がするんだよ。これ以上大きくなっても、戦いのときに邪魔だろ?」
十六号さんはそんなことを言いながら自分の、その…お、おムネのあたりをムニムニと触った。
「男は大きい方が好きらしいからなぁ、もっと育つようにちゃんと食えよ」
「えぇ?良いって、このままで。姉ちゃんと同じくらいだし」
「あたしのは小さいんだぞ?鎧の板金が安く済むからいいんだけどさ」
「その点、妖精ちゃんはあるよなぁ」
「ん?おっOいですか?ムフフ、羽妖精族は大きいのが豊穣の象徴なんですよー!一族でも一番の美女は、それはもう、ドーンですよ、ドーン!」
「ドーンか、そりゃぁすごいな」
「肩凝りそうだよな、ドーンて」
妖精さんの話に、お姉さんと十六号さんは、なんだか少し引きつったような笑みを浮かべてそんなことを言っている。
わ、私も大人になったら、少しくらい大きくなるのかな…?まだ、全然だけど…その、そういうのっていつぐらいからわかる物なんだろう?
そんなことを不思議におもったけど、なんだか気恥ずかしくって私は口に出せなかった。
「お、そうだ、十六号。あんた、久しぶりにあたしが髪洗ってやるよ」
不意に、お姉さんが傍らでお湯に浸かっていた十六号さんの髪の毛をクシャクシャと撫でつけながらそんなことを言い始める。
「えぇー?いいよ、そんなの。もうあの頃みたいな子どもじゃないんだぞ?」
「まぁ、そう言うなって。この子だって一緒のときはあたしが洗ってやってるんだもんな。な?」
今度はお姉さんは私にそう話を振って来る。私は、それはあまり恥ずかしくなかったので、十六号さんに向かってうなずいて見せた。
最初のころ、お姉さんはきっと父さんや母さんが氏んでしまった私のことを思いやってそんなことをしてくれたんだろうけど、
今では私もすっかり甘えてしまっているのと、お姉さんがそんなことをしていると嬉しそうに笑ってくれるので、進んでお願いすることにしている。
「で、でもさぁー、なんか恥ずかしいって」
「あん?なんだよ、大人ぶって!よし、洗うぞ、ほら、来い!」
それでもモジモジと言っている十六号さんに業を煮やしたのか、お姉さんは私を妖精さんの膝の上に預けて十六号さんの手を取って湯船から上がり、
洗い場の小さなイスに十六号さんを座らせた。
「この、ナントカ、っていう薬草が良い匂いだし、脂っぽいのが落ちて良いんだよ」
と、お姉さんはいつも使っている魔界の薬草を絞った汁をボトルから手の平になじませた。
そんなとき、パタン、と浴室の外から音が聞こえた。
「お、サキュバスさん、もどって来た」
「よし、十六号。ぬかるなよ?」
お姉さんはそう言って十六号さんと笑みを交わして、白々しく髪をこすり始めた。
543: 2015/06/08(月) 00:22:28.68 ID:7B1zFza8o
ほどなくして、サキュバスさんが浴室の戸を開けて入ってきた。
「魔王様、お待たせいたしました」
「あぁ、ありがとう。悪い、ちょっと受け取ってやって」
お姉さんがそう言ってきたので、私が湯船から上がってサキュバスさんが両手で抱えていた陶器のボトルが何本か入っている氷の入った小さな樽にの乗ったトレイを受け取る。
「では、ごゆっくりされてくださいね」
そう言ったサキュバスさんが浴室から出ていこうと振り返ったときだった。
不意に、サキュバスさんの動きが固まったように止まってしまう。
「なっ…こ、これは?!」
見ると、お姉さんが両手を掲げてサキュバスさんの方に突き出していた。
お姉さんってば、魔法を使うだなんて、ズルいんだから!
とは思っても、私だってサキュバスさんに休んでもらいたいのは本当だし…休んでもらう以上に、一緒にのんびりと今の時間を過ごしたい、ってそう思っていたから黙っていた。
「行け!」
「おう!」
お姉さんの合図で、十六号さんがサキュバスさんに飛び掛かった。
「な、何をされるのですか!魔王様!十六号様!」
「サキュバス、あんたもたまには一緒にのんびりしようよ」
驚いた声をあげるサキュバスさんにお姉さんはそんなことを言う。
その間に、十六号さんがサキュバスさんの体に腕を回して、着ていた着物をスルスルと脱がせ始めた。
「ちょっ…何を…お、おやめください!」
サキュバスさんは顔を真っ赤にしながら十六号さんにそう言っている。
でも、お姉さんも十六号さんも辞めようとはしない。
それどころか二人はなんだかとっても悪い顔をして笑っているように、私には見えてしまってなんだか苦笑いが漏れてしまう。
「それ、まずは上から!」
言うが早いか、十六号さんがサキュバスさんの上の肌着をむしり取った。
その、えっと…あの…、お姉さんや十六号さん、ううん、妖精さんよりももっとその、ほほほほ豊満なおムネがバイン、と姿を現した。
「おぉぉぉ!姉ちゃん、サキュバスさんはドーンだぞ!」
「なんだと!?」
楽しそうに言う十六号さんの言葉に楽しそうに答えたお姉さんが、クイっと手首を折り曲げた。
すると、サキュバスさんは体を操られるようにしてこちらを向く。
とたんに、お姉さんは吹き出した。
「ぶふぅっ、こいつは…強敵だっ!」
「下も剥いじゃうからな!」
十六号さんが今度はサキュバスさんの履物に手を伸ばした。
「十六号様!後生です、どうかご勘弁を!」
サキュバスさんは涙目で十六号さんに訴えているけれど、それを聞いた十六号さんはさらに悪い顔をしてサキュバスさんに迫る。
544: 2015/06/08(月) 00:23:44.11 ID:7B1zFza8o
そんなとき、私はふと、前にサキュバスさんから聞いた話を思い出していた。
サキュバスさん達は、神官の一族で、魔界に古くから暮らしている種族だ。もちろん、人間界の大尉さんやあのオニババって人もそうなんだろうけど…
でも、とにかく、サキュバスさんは言ってた。
自分たちは、生みの母たるにも、種たる母たる存在にもなれる、って…。
つまり、子どもを身ごもることも、身ごもらせることもできるってことだ。
いや、子どもが身ごもるっていうのがどういうことかは、私はよくは知らないけど、その…ふつうは男の人と女の人が結婚をして愛し合えばできるものなんだよね…?
そう考えると…なんだかわからないけど、とてつもなくイヤな予感が、私の脳裏を貫いた。
「に、人間ちゃん、サ、サキュバス様って…」
妖精さんもそのことに気が付いたみたいで、私にそう言ってくる。
「う、うん…もしかして…私たちとは違った体をしてるんじゃ…?」
「と、止めないと、まずいかな…?」
「ま、まずいかもしれないよね…」
私と妖精さんがそう考えを確認し合って、声をあげようとしたその時だった。
「され、これで最後だ!」
という十六号さんの叫び声とともに、サキュバスさんの付けていた下の肌着がハラリと剥がれ落ちた。
次の瞬間、私は浴室の空気が凍り付くのを感じた。
感じただけで、何が起こったのかはわからなかった。
なにしろ私の目は、私を膝の上に載せてくれていた妖精さんによって塞がれていたからだった。
「あわわわわわっ!」
妖精さんがそんなうめき声をあげているのが聞こえた。
「お、お、お、おい、サキュバス…?」
「ななななななな…なんだぁ…?!」
十六号さんとお姉さんの戸惑った声も聞こえて来る。
「お二人とも…!幾ばくか、ハメを外されすぎではございませんか………!?」
そんな、まるで悪魔の王様のようなおどろおどろしいサキュバスさんの声が聞こえた次の瞬間には、浴室の中に風が吹き荒れてドシン、と固い何かがぶつかる音が浴室に響いた。
「な、何事ですか!姫様!魔王様!」
バタバタと足音が聞こえて来てお風呂場に駈け込んできた師団長さんと、妖精さんの目隠しを外された私が見たものは、
風の魔法で壁にめり込んでノビてしまっているお姉さんと十六号さんに、ふくれっ面で、膝を抱える格好で湯船につかっているサキュバスさんの姿だった。
545: 2015/06/08(月) 00:26:14.16 ID:7B1zFza8o
「なぁ、悪かったって」
お姉さんがボリボリと頭を掻きながらサキュバスさんにそう謝っている。
「ごめんなさい、調子に乗りました。ごめんなさい」
と、床に這いつくばって十六号さんもサキュバスさんに頭を下げている。
「許しません!」
サキュバスさんは二人の謝罪攻撃にもこれっぽっちもひるまずに、プンプンと頬を膨らませてそっぽを向いた。
あれから、私と妖精さんはサキュバスさんに、二人がどうしてあんなことをしたのか、ということを説明した。
一応は納得してくれて、体を隠しながらだったけれど私と妖精さんとのんびり浴室で時間を過ごしてくれたサキュバスさんだったけれど、お姉さんと十六号さんにはこんな感じだ。
そして、お風呂から出て来て、暖炉の部屋に呼びつけられても引き続きで、この状況だ。
「だいたい、お休みを頂けるにしても、素直にそのまま申してくれればよかったのではないですか?なぜ、嫌がる人の衣服を無理やりに脱がすなどということになるのです!」
まぁ、それはもっともな話だ。素直に言ったところで、サキュバスさんが素直に休んでくれるとは思わなかったにしても、だ。
「だ、だってあんた、休めって言っても休まないじゃないか」
「そういう問題ではございません!」
お姉さんの言葉に、鋭い口調でそう言い返したサキュバスさんの背後に、ピシャリと稲妻が走ってズズズン、と空気が揺れた。
雷雨のせいで、サキュバスさんの怒りが一層激しく思えてしまう。いや、本当にそれだけ怒ってる、か…
「私だったからよかったものの、ほかのサキュバス族やまして人間の大尉様であったらこれがどんな無礼であるか、わからないようなことはございますまい!?」
「はい…仰る通りです」
「ごめんなさい…ごめんなさい…」
いつの間にか敬語になってしまっているお姉さんがそう言い、もう手足も頭も投げ出して床に突っ伏している十六号さんはもう、うわ言のようにただただそう呟いている。
いつもしとやかなサキュバスさんが怒るところなんて想像すらできなかったけど、普段そういう穏やかな人がいったん怒ると、こんなにも恐ろしくなるだなんて、
話には聞いたことはあるし感覚としては何となくわかっていたつもりではあるけれど、想像を超えて、今のサキュバスさんはおっかない。
まるで、頭から生えている角がそのまま伸びだして、黒い翼を広げてお姉さん達に襲いかかってしまいそうな、それくらいの勢いだ。
「まったく…人間様のお申し出がうれしかったのは分かります。ですが、浮かれてこのような行為に走られるのは短慮も短慮!王たる者のすることではございません!」
「い、いや、あたしは別に王としてこの魔界に住まいたいじゃ…」
「そういう意味ではございません!責任者として大人として、責任を持ち礼節をわきまえくださいと、そう申しているのです!」
「十三姉、もう何言ってもダメだよ、これはひたすら謝って時が過ぎるのを待つしかないよ」
「何かおっしゃいましたか、十六号様!?」
「あっ、い、い、いえ、なんでもないです、ごめんなさい。本当にごめんなさい」
そんな様子を見かねたのか、妖精さんが震える声で
「あのぉ…」
と口を開いた。
546: 2015/06/08(月) 00:26:50.31 ID:7B1zFza8o
サキュバスさんの視線が妖精さんに向き、お姉さんと十六号さんは…妖精さんが援護すると思ったのか、少しだけホッとしたような顔付きになる。
二人とも、あんまり反省はしていないようだ…。
「サキュバス様、魔王様も、十六号ちゃんも、サキュバス様の一族のことを良く知らなかったからこんなことをしてしまったと思うです」
「そうだとしても、いきなり臣下の身ぐるみを剥いで良い理由にはなりません」
「あの、いえ、そうじゃなくって……それはいけないことだと思うです。でも…」
妖精さんは、そこまで言った一瞬、口ごもり、それでもグッと震えるのを堪えて続きを口にした。
「サキュバス様なしで、このお城は維持できないです。だから、怒って出て行ったりしないでほしいです…」
そんな言葉を聞いて、サキュバスさんはまるで何かに驚いたような表情を見せた。私も、正直、妖精さんの言葉になんだかハッとしてしまった。
サキュバスさんが怒ったとしても、まさかこのお城から出ていくなんて想像もしていなかったからだ。
でも、確かに妖精さんの心配はもっともだ。
あんなことをされたら、怒って出て行ってしまっても不思議じゃない。
少なくとも、例えば貴族様が家臣の身ぐるみを剥ぐようなことがあったとしたら、どんな理由があったとしたって、なにがしかの責めを受けることになると思う。
そのことに気が付いて、私も心配になってサキュバスさんを見やった。でも、そんな私たちを見て、サキュバスさんはやさしく笑った。
「そんなご心配には及びません。私が魔王様に誓ったのは、この身、この心、この命を捧げる契約です。何があっても、魔王様や皆様を見限って、ここから逃げ出ることなどありえません」
そんなサキュバスさんは、私と妖精さんの目をジッと見て、もう一度やさしく微笑んでくれた。
そう、そうだよね。
サキュバスさんは、本当なら、お姉さんに殺されたい、ってそう思っていた人なんだ。
それが、その考えを改めて、お姉さんと盟主と従者の契りを交わした。
その約束は、こんなことで心変わりしてしまうほどの安いことなんかじゃない。
もっともっと、大事にな近いのはずなんだ。
私はそれを聞いて、ホッと胸をなでおろした。妖精さんも、
「それなら、良かったです」
と安堵のため息を吐く。しかし、それを確かめたサキュバスさんの目が再び鋭く輝いて、お姉さんと十六号さんに向けられた。
「ですが、いえ、だからこそ、私は魔王様にこのような無礼は許されることではない、ときつく申しあげているのです!」
「いや、でもその身とその心をあたしに捧げてくれてるんなら、あんなことも水に流してくれてもいいんじゃ…」
「揚げ足取りなどしてなんといたします!無礼は無礼なのです、分かっていらっしゃらないので!?」
再びバシャっと稲妻が部屋を染め、ゴゴゴゴゴンと雷鳴がとどろいた。
「ごめんなさい」
「ごめんなさい、もうしません、ごめんなさい」
お姉さんと十六号さんが再びそう言って謝り始める。
そういえば、昼間隊長さんが言ってたっけ。
ケンカは信頼していないとできない、大切なのは収め方、だ、って。
これも、きっとそれのうちなのかな…
そう思ったら、こんなに怖いサキュバスさんも、ただ怒っているんじゃなくって、愛情とか、信頼の裏返しでこんなに怖くもなれるんだ、ととらえることもできる気がした。
確かに、お姉さんと十六号さんはやりすぎだったよね。
まぁ、その…私も妖精さんも、あんなことをするってことに賛成したなんて、口を裂かれたって言い出したくはないけれど…
547: 2015/06/08(月) 00:27:32.67 ID:7B1zFza8o
コンコン、と不意に、ドアをノックする音が聞こえてきた。
「どちら様でしょう?」
サキュバスさんがそう答えると、ギィっとドアが開いて、お茶のセットをトレイに乗せた師団長さんが姿を現した。
「なんです、師団長。今は取り込んでいます」
ギ口リ、とにらみつけたサキュバスさんに、師団長さんはニコッと笑って
「ですが、姫様。そう大きな声をあげられていますと、喉に良くございません。お茶を飲みながらでも、お説教はできるのではありませんか?」
と、そのまま私たちのところまでやってきた。
「口を出さないでもらえますね?」
「ええ、お邪魔は致しません」
サキュバスさんの鋭い視線に、師団長さんはそう苦笑いで答えつつ、トレイをテーブルに置き、人数分のマグを並べてポットからお茶を淹れはじめた。
「魔王様と十六号様は、明日の朝食は抜きですからね」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!それはなしだろ、横暴だろ!」
「サ、サキュバスさん…あたしはただ、十三姉に言われたからやっただけなんです。十三姉は、あたしが逆らえないのをいいことに…」
「あ、おい!十六号、あんた何言ってんだよ!」
「だってそうだろ!?最初にやろうって言ったのは十三姉じゃないか!あたしはそんなことして良いのか、って言ったんだ!」
「あんた、自分だけ逃げようってのか!?」
「でも、あたしは最後まで反対したんだ!でも、十三姉ちゃんに妖精ちゃん達もそうした方が良いって、そう言うから…」
じゅ、十六号さん!なんてこと言うの!?
ギ口リ、と鋭い何かが向けられた気がして、私は反射的に妖精さんと抱き合って身をこわばらせた。
見るまでもなく、サキュバスさんの鋭い視線が私たちに浴びせかけられている。
「お二人も、賛成だった…と?」
「いいいいや、その、えっと…だって、サキュバスさんに休んでほしくって…」
「そそうそうそうそうそう、そうですよ!休んで欲しいと言ったのは本当です!でも、あんなことをするとは思わなかったですけど、思わなかったですけど!」
「嘘つくな!あたしが最初に捕まえて脱がしちゃおうって言ったんだぞ!それでみんな、そうしようって言ったんじゃないか!」
「なるほど…では、やはり魔王様が最初に仰ったんですね…?」
「えっ!?あ、い、い、いや、その、えっと…それは…」
「そうなんですね…?」
そう言ったサキュバスさんが、ゆらりと立ち上がった。
さ、さすがにこれは止めた方が良いかな?そうだよね、止めるべきだよね?
じゃないと、お姉さんがまた、石壁にめり込むような勢いで吹き飛ばされてしまうかもしれない…!
548: 2015/06/08(月) 00:28:10.44 ID:7B1zFza8o
そう思って私がイスを立とうとしたとき、ハハハ、と控えめな笑い声が部屋に響いた。
「素敵ですね」
そう言ったのは、師団長さんだった。
「邪魔をしないと言ったではありませんか」
サキュバスさんが鋭い視線を向けて言う。しかし、師団長さんは顔色を変えずに
「邪魔ではありません。感想を述べているだけでございます」
と、私たちのところに、カップのお茶をトレイに乗せて運んできてくれた。
「家臣が主に、はばかることなく怒りをぶつけることができる。主もそれを認め、非難されるべきを甘んじて受け入れる。こんな主従関係は、素敵ではありませんか」
師団長はそう言いながら、トレイを私たちの真ん中に置いて、そのうちの一つを手に取った。
「湯あみで火照ったお体に心地良いよう、うんと冷やしてお持ちしました。どうぞ、お召し上がりください。もしかしたら、姫様の頭も冷えるやもしれません」
そんな言葉に、サキュバスさんがふん、と鼻を鳴らしてカップを一つ手に取った。
「皆様もどうぞ」
師団長がカップを掲げてそう私達にも声をかけてくれた。
きっと、サキュバスさんの勢いを心配して、水を差してくれたに違いない。
私は、師団長さんの言葉にそんな気遣いがあるのかもしれないと思って、
「私、頂きます!」
と大げさに言ってカップを手に取った。
「わ、私も!」
妖精さんもすぐに私のあとに続く。そんな私たちを見て、サキュバスさんがはぁ、とため息を漏らして
「勢いがそがれてしまいましたね…」
と呟くように言い、チラリと師団長さんを見やってから
「彼女の気遣いに免じて、今日はこのくらいにしておきましょう」
とやおらその表情を緩めた。それから
「魔王様、十六号様。ご一緒にいただきましょう」
と、二人にいつものやさしい口調で声をかけた。
お姉さんと十六号さんはハッと顔をあげて安堵の表情を浮かべ、私たちの座っていたテーブルの席に着いて、それぞれにカップを手に持った。
それを見るや、師団長さんが高らかに
「では、この魔王城の素晴らしい主と、その家臣団の皆様と、それに、魔族、いえ、世界の平和を願って」
と呼ばわった。
本当にケンカは、落とし所、だね。私は、師団長さんの手際に内心、そんなことを思いながらカップを前に突き出した。
お姉さんにサキュバスさん、十六号さんと妖精さんもカップを突き出して、テーブルの真ん中でカチンとぶつけ合う。
549: 2015/06/08(月) 00:29:02.83 ID:7B1zFza8o
「本当にごめんな、サキュバス」
お姉さんがそう言って、カップのお茶を一気にあおった。
「ごめんなさい、もうしません、ごめんなさい」
と、十六号さんもグイッとカップを飲み干す。
「本当です。次は、風魔法程度では許しませんからね」
サキュバスさんがそう念を押して、カップを空にした。
そんな姿を見て、笑いあった私を妖精さんもグイっと一気にお茶を飲む。
師団長さんの言う通り、キンキンに冷えたお茶は、まるで火照った体を冷やすようにギュンとお腹の中へと落ちていく。
冷たすぎて、舌がしびれるような感覚がするくらいだ。
とたん、グラリ、と視界が揺れた。
また雷かな、と思って窓の方に目をやるけど、稲妻が走ったり、閃光が瞬いたりはしていない。
あれ、なに…これ…?
か、体が…動かない……?
そのことに気が付いて、私は周りのみんなにそのことを伝えようとなんとか顔をあげた。
その私の視界に、何かが映った。
部屋の微かな明りにきらめく、私の腕の半分ほどの長さのそれを、師団長さんが胸元に音もなく引き寄せた。
暖炉の火に、再びそれがギラリと光る。
それは、細身のダガーだった。
「申し訳ございません、魔王様」
師団長さんが、低い声でそう言った。
そして、胸元に構えたそのダガーをお姉さんに向けて突き出した。
そういえば、隊長さんはこうも言っていたっけ。
先代様を討ったようなお姉さんに大人しく黙って従っているような人の方が返って不気味だ、って。
師団長さん、そんな、まさか…!
「魔王様!」
部屋に、サキュバスさんの絶叫が響いた。
次の瞬間、ダガーはお姉さんの左の胸に突き刺さり、その先端が背中から飛び出した。
ゴトリ、と、お姉さんの体が床に転がる。
「十三姉!」
十六号さんがそう叫んで、イスから飛びだし、師団長さんを蹴りつけた。
師団長さんは床を転がって行った先で体制を整えて着地する。
「お姉さん!」
私もそう声をあげて、お姉さんに駆け寄ろうとするけれど、体が言うことを効かない。
イスから降りたは良いものの、足に力が入らずに、床にぐしゃりと崩れ落ちてしまう。
床に転がった私は、それでも、お姉さんを見つめた。
550: 2015/06/08(月) 00:30:08.73 ID:7B1zFza8o
お姉さんは、ゲホゲホと何度もむせ返りながら、身動き一つせずに床に転がったままだ。
何がなんだか、もう私にはわからなかった。
どうして?
どうしてお姉さんが?
どうして師団長さんがこんなことを…?
お姉さん、お姉さん大丈夫…?
しっかり…お姉さん、お姉さん、氏んじゃイヤだよ…お姉さん…!
私は動かない体に必氏に力を込めて、お姉さんのそばまで這っていく。
床は血まみれで、お姉さんはビクンビクンと体を震わせている。
「さすがに、人間の魔法陣を扱えるだけのことはありますね…毒を以ってしてここまでの身体能力とは…」
師団長さんがお腹のあたりをさすりながら、そう言う。
「妖精ちゃん!動ける!?」
「うぅ、ダメです…体が、おかしいです…!」
「くっ…師団長…なぜ、なぜこのようなことを…!」
十六号さんは何とかって様子で経って、師団長さんから私たちをかばうように立ってくれているけど、妖精さんもサキュバスさんも動けない。
さっきのお茶に、毒が仕込まれていたんだ…
お姉さんはその上に、ダガーで胸なんか刺されて…
「お姉さん…お姉さん、しっかり…!」
私は何とか体を動かして、お姉さんに縋り付くようにしてそばに寄り沿う。
苦しげな表情のお姉さんが、私の手をギュッと握ってきた。
でも、私には、その手を握り返すだけの力がない。
また…また、私は何もできない…お姉さんを助けることも、お姉さんの力になることも、サキュバスさんや妖精さんを守ることすらできない…
どうして…どうしてこんなことになっちゃうの…?
お姉さんは…お姉さんはただ、世界を争いのない世界にしたかっただけなのに…だた、それだけなのに…
551: 2015/06/08(月) 00:31:09.16 ID:7B1zFza8o
「あんたぁ…!どうしてこんなことを!」
十六号さんの怒号が室内に響く。
すると、師団長さんは悲しげな表情で笑って言った。
「我ら一族は…この大陸の調和を守るための存在。そして、その調和のために、二つの紋章を盛った古の勇者の再来は、危険極まりないのです」
「それが…それが一族の決定だというのですか?!」
サキュバスさんが、体を震えさせながらイスから立ち上がり、師団長さんをにらみつけてそう聞いた。
その質問に、師団長さんはうなずく。
「はい、姫様…残念ながら、そのお方は、我らの掟を破る者。排除し、魔王の紋章を返していただきます」
「あなたは…魔王様の言葉を信じていたわけではなのですか…?!私たちを、だましていたのですか!?」
「いえ…私は、魔王様を、これまでのどんな魔王よりも、魔族を愛し、その安寧を願われている方だと、そう思っていました…先代様が選ぶにふさわしい、立派な方でした」
サキュバスさんの質問に答えた師団長さんの目から、ハラリと涙がこぼれた。
昨日の晩に、師団長さんは言っていた。
お姉さんが魔族の王にふさわしい人だって、敬愛できる人だってそう言っていた。涙を流しながら言ったんだ。
あれは、嘘なんかじゃなかった。
師団長さんの本当の気持ちだった。
…でも、師団長さんはその言葉の最後に言った。
一族の習わしや、他の魔族の想いが同じとは言えないけど、って…
もしかして、師団長さんは…最初からお姉さんを頃すためにこのお城にやってきて、私たちに信用されるように私たちの味方をしてくれて、あんなに気遣ってくれるようなことをしてきたの…?
うそ…そんなの、うそだよ…!
「なんにしても、十三姉ちゃんを傷つけた罪は、その命で払ってもらうからな…!」
十六号さんが、そう呻いた。しかし、師団長さんは涙をぬぐって身構える。
「その体で、私とやり合えると思わぬことです」
でも、それを聞いた十六号さんが笑った。
「ハハ、そうでもないよ…人間の魔法ってのは、身体能力の強化だ…アタシらは、そのとびっきりのやつを十二兄ちゃんに仕込まれてる。要するに、だ」
十六号さんは、両腕を振って師団長さんの回りに幾重にも魔法陣を張り巡らせた。
それは、今まで私が見たことのない魔法陣だ。
「バ、バカな!?毒を食らっても、これほどの力を!?」
「いや、毒は結構聞いたよ…でもな、身体強化ってのは、何も筋力を強くするばっかりじゃない。その気になれば、体から毒を排する力を高めることだってできるんだ!」
十六号さんはそう叫ぶと、突き出した両腕の手をギュッと握りこんだ。
「潰れちゃえよ、あんたさ!」
とたんに、師団長さんの周囲にあった魔法陣が、一斉に師団長さんに降りかかった。
それは、まるで重い岩のようで、師団長さんは魔法陣一つ一つを体に受けるたびに、体を弾かれてまるで踊りでも踊っているかのように倒れることもなくその場でもんどりを打つ。
でも、次の瞬間、十六号さんが何かに弾き飛ばされて、壁に激突した。見ると、私たちのすぐそばに師団長さんがいて、魔法陣に打たれていた方には誰の姿もなくなっている。
もしかして今のは、光魔法…!?
「このぉ!」
十六号さんが壁を蹴って師団長さんに飛び掛かる。でも、師団長さんは両腕を前に振って室内に風を巻き起こした。それにあおられて十六号さんは別の方の壁へとたたきつけられる。
「くそっ…くそぉぉ!」
十六号さんがそう叫んだ。でも、壁にへばりついたようになった十六号さんは身動き一つしない。
風の魔法で、壁に押し付けられているようだ。
552: 2015/06/08(月) 00:35:44.05 ID:7B1zFza8o
「なかなか強力ですが…やはり、まだお若い。戦い方を知らないようですね」
肩で息をしながらも師団長さんはそう言って、それから私とお姉さんのところまで歩いて来て、上から私たちを見下ろした。
その眼は、悲しげな決意に満ちていた。
「やめて…師団長さん、お願い…お姉さんを、殺さないで…!」
私は、必氏に体を動かして、お姉さんをかばうように覆いかぶさる。
でも、師団長さんはそんな私を蹴り除けて、それから片腕をユラリと振り上げた。
「魔王様!」
「十三姉!くそっ…やめろ…やめろぉぉぉ!!!」
「お姉さん…やめて!!!」
そんな私たちの絶叫が終わらないうちに、部屋にひときわ大きな雷鳴が鳴り響く。
一瞬、目の前が真っ白になって、目を閉じてしまっていた。
カツン、と足音が聞こえた。
「まったく、騒がしいと思えば、どうしてこうも厄介なことになってるんだろうな」
次いで響いてきたのは、抑揚のない単調な男の人の声。
見上げればそこには、大きな背中。見覚えのある黒いマントに、色の薄い短い髪。
「ま、ま、魔導士、さん…?」
私は、思わずその名を呼んでいた。
それに気が付いてくれたのか、魔導士さんは私を振り返ってニコリ、と初めて笑顔を見せてくれる。
「十二兄!」
十六号さんが、私たちのところに駆け寄ってくる。
「よくやった、十六号。まずまずの時間稼ぎだ」
そんな十六号さんに、魔導士さんが言う。
「手間かけさせる前にやっちゃおうと思ったのに…ごめん」
「奴はかなりの使い手だ。お前らなんかには手におえない。気にするな」
肩を落とした十六号さんの頭を、魔導士さんはそう言ってやさしく撫でた。
「手当できるか?」
「回復魔法はできない…でも、単純に活性させるだけなら、なんとかなる!」
「それでいい。そいつなら、それだけでも時期に自分で回復できるだけの力を取り戻せる。やれ」
魔導士さんと話をした十六号さんは、その言葉にうなずいて私とお姉さんのそばにやってくると、ひざまずいてお姉さんに両腕を掲げた。
十六号さんの手の平の前に魔法陣が浮かび上がって、柔らかな光がお姉さんを包み込んでいく。
回復魔法とは違うようだけど、それでもお姉さんの傷をいやすための魔法のようだ。
良かった、お姉さん…!頑張って…!
553: 2015/06/08(月) 00:36:19.80 ID:7B1zFza8o
「なぜ…なぜ、ここが!?」
不意に、いつの間にか、部屋の反対まで追いやられ、体中から微かな煙をあげている師団長さんがそう呻き声をあげる。
「十六号とやりあったのが運の尽きだ。この一帯は、俺の感知魔法を敷いてある。お前ら魔族の魔法を発動できるかはいまいち確証はなかったが、打ち合わせどおりに、十六号が真っ先に攻撃魔法を使ったんでな。とんてきてやったのさ」
魔導士さんは師団長さんにそう言い放って、両腕に魔法陣を浮かべて見せた。
そして、怒りのこもった声で師団長さんに言った。
「で、今氏ぬか?それとも、洗いざらい吐いて氏ぬか?選ばせてやろう…」
でも、そんな師団長さんは、やがて何かを覚悟した笑みを浮かべて、膝から崩れ落ちるようにその場に項垂れた。
「あきらめた、か…」
そう言って、魔導士さんが腕から魔法陣を打ち消す。
その時だった。
部屋の向こうで項垂れていた師団長さんの回りに、光る魔法陣が姿を現した。
あれ…あの魔法陣は…!
「まさか…!?転移魔法だと…!?逃げる気か!」
そう魔導士さんが呻いた次の瞬間、部屋にパパパっと閃光が瞬く。
そして、その閃光の跡の光景を見て私は息をのんだ。
なぜならそこには、師団長さんが逃げただなんてのとは全然違う、
魔導協会のローブを羽織った人たちと、そして、その中に、私と背丈の変わらないくらいの、小さな子どもたちが何人もいる光景があったからだった。
556: 2015/06/08(月) 13:04:49.63 ID:DVVbt1Mk0
乙
ここで切るのか!
最近一回一回の引きがすごくなってる気がする。
早よ!次回早よ!!
ここで切るのか!
最近一回一回の引きがすごくなってる気がする。
早よ!次回早よ!!
557: 2015/06/13(土) 03:18:17.49 ID:OMuvO7w/o
「あの者達は…まさか…!」
「ああ…くそっ…どうしてこんなことになってやがる…」
サキュバスさんの言葉に、魔導士さんがそう吐き捨てた。
そんなの…変だよ…どうして、どうしてサキュバス族の師団長さんが、魔導協会なんかと…?
「いつからだ…?」
魔導士さんが低い声で尋ねる。すると一団の中にいたあの神官の一族のオニババは不敵な笑みを浮かべて答えた。
「あなた方があの子を連れ去ってしまいましたのでね…魔界に残った一族と合議をして決定したのですよ。
その2つの紋章をただの人間に持たせたままでいるのは危険である…そう結論されました」
「ふざけるな…貴様がそんなことのために動いていたとは思えない。本当の目的は?!」
「我々は、世界の調和を望む者。世界の均衡を保つ者。そして、二つの紋章を管理する者。いずれの条件をも満たす方法は、すでにあなたも考えているのではなくて?」
オニババの言葉に、魔導士さんが表情を歪めた。
「紋章とあの竜の娘を使って、世界を管理するつもりか…?!」
「ふふふ…ご名答。さすがに主席だったことはありますね」
そうか…そうなんだ。魔導協会が竜娘ちゃんを捕らえて、二つの紋章を欲しがった理由…
それは二つの紋章を神官の一族の持ち物にして、その力で、世界の戦争を終わらせるつもりだったからなんだ…
「それで世界が平和だと…?寝言もほどほどにしておけよ…!」
「寝言とはずいぶんな言い様ですね。何も民草から自由な生活を奪うつもりはありませんよ。
ただ、力を以って世界の平和に反する行為を抑止し、もし行動に移る者がいれば力を以って押さえ込む…何か問題があって?」
「それは圧政と何ら変わらない。貴様らは王に、いや、神にでもなるつもりか?!」
「それを神と言うのなら、そうなのでしょう。もっとも、私はそうは感じていませんが」
そう言ったオニババはニヤリと笑った。世界の平和のために、世界を秩序を守る役を、二つの紋章を使ってしようって言うんだ…
サキュバス族がそれに賛成している、ってことは、一所に人間界の神官の一族とサキュバス族とが集まって、共同で紋章を管理するってことだろう…
いい考えのように思えなくもない…少なくとも、戦争で大勢の人が氏んでしまうよりは…
私は、意外にもそんな事を考えてしまっていた。
もし、神官の一族達が王制や魔界の統治する魔王って存在を脅かすつもりがないのなら…それはひとつの理想的な世界なのかもしれまい…
でも…。
私は傍らで苦しんでいるお姉さんを見やった。きっとお姉さんはそんなことには賛成しない。それこそ、そうしようと思えばやれてしまう力を持っているのがお姉さんだ。
だけど、お姉さんはそれを絶対にしなかった。北部城塞の人間を切った以外では、魔族も、私達を攻撃して来た東部城塞の人達さえ、力を使わなかった。
お姉さんにはもっと別の…違う平和な形を想像していたに違いないんだ。
「さて…無駄なおしゃべりで彼女の回復を待とうとされているのでしょうが、そうさせる訳には行きません。手早く片付けさせて頂きますよ」
「ちっ…!」
オニババの言葉に魔導士さんが身構えた。
「あの人を殺せば良いんですか?」
不意にそう聞こえて全員の前に足を踏み出したのは、魔導協会で見た仮面の女の子だった。他の子ども達は顔の下半分だけ隠せるマウスだけど、あの子は違う。
顔全体を覆うマスクで、目や顔は見て取れない。
でも、確かなのはあの子が魔導士さんを圧倒する力を持っていることと、それに近い力を持っているかも知れない他の子ども達の姿だ。
一対一でも勝てなかった魔導士さんが仮面の子の他に、別の子達と魔導協会のろーぶを纏った人達を一人でいっぺんに相手したって、勝てるとは思えない…
558: 2015/06/13(土) 03:19:01.01 ID:OMuvO7w/o
そのことを十分理解しているんだろうオニババが答えた。
「ええ、まずはあの男を全力で片付けなさい。他の子ども達も手を貸しなさいね。戦力は圧倒的ですが、彼の底力は油断出来ませんからね…」
微かな衣擦れの音だけをさせて、小さな人影が前に出てくる。
そのうちの一人は、あのときと同じ仮面をつけた子ども。
そして、その子のほかにも、口元だけを隠すような仮面をつけた子ども達が5人もいる…
「いかにあなたと言えど、この子達と私達魔導協会の精鋭相手に、どの程度持つのでしょうか…?」
「くっ!」
オニババの言葉に、魔導士さんがそう歯噛みする。
「十二兄!アタシも…!」
「ダメだ!もしこいつらの…特にあの仮面の子どもの相手をできるのは、十三号だけだ。そいつを回復させない限り、俺たちに勝ちはない…」
「でも…!」
十六号さんの悲痛な叫びが部屋に響く。
そう、この状態では、お姉さんの回復なんておぼつかない…せめて、妖精さんとサキュバスさんの毒がなければ、
妖精さんに回復してもらって、十六号さんとサキュバスさんも戦えるのに…
今の状況じゃ、私でもどうにもならないってことくらいは分かる…
どうしよう…このままじゃ、みんなが…お姉さんが…!
そう思っていたときだった。
バタン、と扉が開いて、部屋にドカドカと激しい足音をさせて何人もの人がなだれ込んできた。
「あぁ、くそ…そっちは想定外だったな…」
呟くようなダミ声が聞こえる。
そこに居たのは、隊長さんたち王下軍の元諜報部隊の面々と、そして虎の小隊長率いる魔族軍突撃部隊の人たちだった。
「お前ら…!」
「あぁ、連隊長殿。そこらじゅうをうろついてた元近衛師団の連中は俺達の部下とほかの魔族軍のやつらに捕縛させた。
どうやら、師団長殿のたくらみに関しては知らねえようだったが…まぁ、信用できやしねえよな」
隊長さんが魔導士さんにそう言って、腰に下げていた剣を抜いた。
「さて…近衛師団の相手をすりゃぁ良いと思って来てみれば魔導協会とは…こいつは、骨が折れそうだな」
「裏切り者同志が手を組んだ、ってわけか。いけ好かない」
「どっちが裏切り者かなんてわかりゃしないよ。そんな小さいことにこだわる必要なんてない。アタシ達は、城主サマの命を守るだけさ」
「そうね…混乱しているからこそ、私たちは私たちの信じる者を守りましょう…!」
虎の小隊長さんも、女戦士さんも、鬼の戦士さんも口々にそう言って剣や槍、斧を手にして構える。
他の、顔を見たことがあるくらいしか知らない人間と魔族の軍人さんたちも、武器を引き抜いて魔導協会の人たちに向かって構えた。
「十六号!」
そんな支援を受けた魔導士さんが、不意に十六号さんの名を呼んで、そして怒鳴った。
「飛べ!」
それを聞いた十六号さんは、一瞬ハッとしたような表情を見せて、素早くサキュバスさんと妖精さんを自分のそばに抱き寄せた。
それから、もう一方の腕で私とお姉さんを抱き込むと、目をつむって何かを念じはじめる。
とたんに、床の上に私たちを囲むように魔法陣が現れた。
559: 2015/06/13(土) 03:19:37.22 ID:OMuvO7w/o
「転移魔法!」
「慌てることはありません。すぐに追えます。まずは、ここにいる反逆者たちを片付けましょう」
魔導協会の人とオニババの会話が聞こえた次の瞬間、目の前がパッと光って、私たちは星の輝く夜空の下に居た。
あたりには青々とした草が生い茂り。あちこちに花がたくさん咲いている。
ここって…確か、ボタンユリを取りに来た、あの場所だ…!
私はそのことに気が付いて、顔をあげて遠くを見渡した。
その先に、雷雲に覆われている魔王城の姿だけが見える。
ここへ転移魔法で逃げて来て…魔導士さんたちが戦っている間に、お姉さんを回復させるつもりなんだ…
私は、十六号さんと魔導士さんの考えがわかって我に返り、それまで庇っていたお姉さんを見る。
お姉さんは、なおも弱弱しい呼吸をしていて、苦しそうだ。
お姉さん、頑張って…今、十六号さんが治してくれるから、それまで…!
でも、そんなときだった。パパッと目の前が光って、草原のその先に、二人の人影が姿を現した。
それを見て、私は息が詰まるような感覚を覚える。
それは、師団長さんと魔導協会のローブを羽織った男の人だった。
「し、師団長…」
サキュバスさんが苦しそうにそう呻く。
「くそっ…!」
十六号さんもそう歯噛みした。
十六号さんでは、師団長には勝てそうになかった。それに、今は戦えるのも回復ができるのも、十六号さん一人だけ…
ダメだ…ここに来ても、なんの解決にもなってない…
「十六号様…毒抜きの魔法は扱えますか?」
不意に、サキュバスさんが十六号さんに聞いた。
「え…?あ、はい…使えるけど…でも!」
「妖精様の毒抜きをお願いいたします…妖精様さえ魔法を扱えるようになれば、魔王様の回復を早められます」
「でも、毒抜きにも少し時間がかかる…あいつらが、そんなことをさせてくれそうもないだろ…?」
思わず、という感じで言葉を荒くした十六号さんがそう主張する。でも、そんな十六号さんにサキュバスさんが言った。
「大丈夫です…その間の足止めは、私が引き受けます…」
サキュバスさんは、そう言うなり体を震わせて立ち上がった。
「姫様…どうしても、邪魔をされるというのですか…?」
師団長さんが、そんなサキュバスさんに尋ねる。
すると、サキュバスさんは苦しそうなその顔を、やおら力のない笑みに変えた。
560: 2015/06/13(土) 03:20:08.43 ID:OMuvO7w/o
「私は…氏ぬつもりでした。先代様とともに、勇者にこの首を刎ねてもらうつもりでした。ですが、その勇者は、いえ、新たな魔王様はおっしゃいました。
傍に侍り、ともに生きないか、と…師団長、あなたも存じているはずです。魔王様は、種族や思想、そんなものを見ているのではありません…
この方は、常に、私たちの命を、私たちの存在そのものを考えてくれているのです。
私は、その思いにこの命を救われました。そのときから、私の命は、魔王様の思いとともにあります。
ですから…」
不意に、サキュバスさんの周囲に小さな風が舞った。
背中の羽と頭の角が黒い霧になって空中に溶けていく。
そして、サキュバスさんは…妖精さんや、あのときのトロールさんと同じ、“元”の人間の姿になって見せた。
「魔王様の命を取ろうとするのであれば、まずは私を頃して行きなさい…!」
「それが、姫様の答えなのですね…魔族の禁忌を犯し、一族の意志に背き、その者を守るというのですね…」
サキュバスさんの言葉に、師団長さんはお姉さんを刺したあのダガーを片手に身構えた。
「姫様、残念ですが、仕方ありませんね…同胞のなさけです。一思いに、斬らせていただきます」
「ふふふ…残念なのは、あなたです、師団長…」
不意にサキュバスさんが笑った。
次の瞬間、サキュバスさんの両肩が光りはじめる。
そこには、魔導士さんが描くのによく似ている魔法陣が浮かび上がっていた。
それは、魔導士さんが妖精さんやトロールさんに施したものと同じもの…人間の、身体強化の魔法陣だ。
「今の私は、あなたが良くご存じの私とは違うものと思われた方がよろしいですよ」
サキュバスさんがそう言った次の瞬間、すさまじいつむじ風が巻き起こって、魔導協会の人と師団長さんを包み込んだ。
立っているだけでやっとに見えるのに…サキュバスさんが、こんな魔法を…!
「姫様…人間の魔法陣などを施して、ついには魔族までをも裏切るおつもりなのですね!」
つむじ風にまかれながら、師団長がそう叫ぶ。
だけど、サキュバスさんの攻撃はそれでは終わらなかった。
サキュバスさんはつぶさに右肩の紋章を光らせると、その腕から逆巻く炎を吐き出した。
炎は旋風に巻き込まれるように吸い寄せられ、たちまち炎の渦になって師団長さん達を包み込む。
肌が焼けそうな熱さが私の肌を襲った。
「なるほど…確かにこれは、強力ですね…!」
突然、頭上から降りかかるような声が聞こえて私は思わず空を見上げた。
そこには、両腕をほのかに光らせている師団長さんの姿がある。
それに気付いた瞬間には師団長さんがその両腕を振るった。
途端に、辺りの地面が盛り上がり、私達目掛けて殺到してくる。
こ、これ…土の魔法!?
561: 2015/06/13(土) 03:20:59.27 ID:OMuvO7w/o
「くっ…!」
サキュバスさんはそう声を漏らして、震える両腕を大きく横向きに突き出した。
サキュバスさんの腕から巻き起こった強風が、迫ってくる土の壁にぶつかって押し留める。
その刹那、暗闇から一閃の何かがサキュバスさんに飛びかかった。
魔導協会のローブの人…!
それに気付いたサキュバスさんは身を捩って躱そうとする。
でも、毒で体の自由の効かないサキュバスさんは避けきる事ができず、ローブの人の蹴りを直接下腹部に叩き込まれた。
「ぐっ…!」
苦しげなサキュバスさんの声が漏れる。
「サキュバス様!」
妖精さんが叫んだ。
途端に、空から光筋が何本も降ってきて、ローブの人を追いかけるように這い回る。
辺りに、火が燻ったような匂いが立ち込めた。
今度は妖精さんの光魔法…!
「妖精ちゃん、動いちゃダメだ!まだ解毒出来てない!」
十六号さんが妖精さんにそう叫ぶ。
「でも、サキュバス様がやられちゃうですよ!」
妖精さんが十六号さんにそう怒鳴り返した。
蹴りをもらってしまったサキュバスさんは、脚を震わせてその場に膝を付く。
それでも、なんとか土の壁を風の魔法で防いでくれていた。
サキュバスさんは、人間の魔法で力を強化しているだけじゃない。
魔導士さん達と同じように、人間の魔法を操ることも出来た。
でも、それでも…今のサキュバスさんじゃ、やられてしまうのは時間の問題だ…
毒もあって体がうまく動かないし、風の魔法も東の城塞で見たものよりも力がない。
それなのに相手は二人…しかも師団長さんはサキュバス族の中でも一番の使い手で、大尉さんが言うには天才だって、話だ。
もしかすると、毒のない状態でも人間の魔法がなければサキュバスさんの方が不利かもしれないのに…
私はそう思って後ろを振り返った。
そこには、十六号さんの治療魔法を受けている妖精さんが上半身を起こし、片腕を突き出して必氏に月の光を使ってあの光の筋でローブの人へ攻撃を仕掛けている。
妖精さんに治療を急がせるためには、サキュバスさんへの攻撃を誰かが防ぐ必要がある…
でももう、それにかかりきになれるのは…私しかいない…
そう思った私は、もう無我夢中だった。
反応の鈍い体を引きずって、私はサキュバスさんの前に立った。
砂漠の街で女騎士さんが買ってくれたダガーを腰のベルトから引き抜いて、体の正面で構える。
使い方なんて分からない。
こんな物で誰かを傷付けようだなんて思ったこともない。
でも、でも…!
今私が足止めをやらなかったら…お姉さんも、みんなも、大事なものを全部なくしてしまうようなそんな気がする…
父さんや母さんのように…もう、手の届かないどこかに行ってしまう気がする…
そんなのは…そんなのは、いやだ!
562: 2015/06/13(土) 03:21:31.97 ID:OMuvO7w/o
「人間様!お下がり下さい、危険です!」
背後からサキュバスさんの声が聞こえる。
でも私は振り返らなかった。
ううん、毒のせいでそんな事をする余裕もない。
ビリビリと全身が痺れて力も出ないし感覚も鈍い。
正直、立っているだけで精一杯だけど…でも、私だって…私もみんなを守るんだ!
「どかない…!」
私はそうとだけ叫んで、地上に降りてきた師団長さんを睨みつけた。
洞窟にやって来た偽勇者さん達の前で私はただ、怒鳴ることしか出来なかった。
今だってそれに変わりはない。
だけど、それでもやらないよりはずっと良い!
「師団長さん、昨日の晩の話は嘘だったの!?」
私は声の限りに師団長さんに怒鳴った。
嘘ではなかった、って、お城でも言っていた。
それは分かってる。
でも今は、少しでも時間が必要だ…!
「嘘ではないと申しました…。私個人としては、魔王様を敬愛いたしております…」
師団長さんは少し沈んだ声で言った。
「それならどうしてこんなひどいことするの!?掟がそんなに大事なの!?
昔の人が決めたわけの分からない決まりを守るためだけに、今を平和したしたいって気持ちを無視して傷付けて、何の意味があるの!?」
私の言葉に、師団長さんの表情が歪んだ。
「我々はこの大陸の調和を司る者!二つの紋章を持つその方が調和にとってどれほど危険か、お分かりになりませんか!?
その方は、その気になれば大地を割り、空を引裂き、数多の命を奪ってもなお余りある力を持っているのですよ!?」
「お姉さんはその力を使いたがらなかった…使わせようとするのは、みんなお姉さんの願う平和な世界に相容れない、怒りに染まった人達だけじゃない!
師団長さんだって同じ…!こんなことしなければ、お姉さんは戦いなんて望んでいない。支配しようなんてこれほども思っていない…!
ただ、みんなが笑って暮らせる世界を作りたい…そう思っていただけなのに!」
「その方はそうであったとしても…それを継ぐものが同じとは限りません。人は痛みを忘れる生き物です。
戦争を知らぬ者がその紋章を継げば、再び戦乱が起きるでしょう。
しかも、今度は大陸の人々すべてが命を賭しても覆すことの出来ない巨大な力として、この大陸を荒らしましょう…
それを防ぐ手立ては、我ら神官の一族の手に紋章を納め正しく管理する以外にありません」
「お姉さんを頃してまで紋章を奪おうって人達に、どうして平和なんて事が考えられるんですか!?
正しく世界を管理するなんて、人を頃してまでそれを成そうとする人達になんて出来るはずない!」
563: 2015/06/13(土) 03:22:19.83 ID:OMuvO7w/o
私は、負けなかった。
負ける訳にはいかなかった。
私は戦えない。
相手をやっつけるだけの強力な魔法を使うことも、素早く無駄なくダガーを振るうことも出来ない。
でも、そんな私が戦いの中でただひとつだけ出来ることがある。
それは、話すことだ。
説得するでも、理解してもらうでもない。
お姉さんの意思を代弁する者として、お姉さんの思いを知る者として、お姉さんの気持ちを考えて、その思いをぶつける…
たとえ届かなくても、たとえ聞いてもらえなくても…思えば私はずっとそうしてきた。
戦いのときも、そうじゃないときも、お姉さんの思いを受けて、それを伝えて来た。
畑の指揮官様の、唯一の武器で、唯一出来る抵抗だった。
「私は…私はこんな方法許さない…!例え世界が平和になっても…争いがなくなっても…!
そんな物のために誰かが犠牲にならなきゃいけないんだったら…私の大事な人を殺されなきゃいけないのなら、私はそんな平和は要らない!」
師団長さんの表情はさらに厳しく曇る。
迷っているんじゃない。
私の言葉に言い返すことを考えている感じだ。
言い返されたなら、さらに言い返してやればいい。
長引けば長引くほど、師団長さんが私と戦おうとすればするほど、妖精さんの毒を抜く時間が稼げる…少しでも長く…少しでも、ほんの少しだけでも…!
「私だって…本当ならこんなことしたくはありません…ですが、掟なのです。この世界を保つための、我々の世界を壊さないための、決まりなのです!
その方は、存在そのものが危険だということが、なぜ分からないのです!?」
「お姉さんを知っているんなら、敬愛しているのなら分かるはずです!お姉さんは世界を壊したりしない…世界を力で変えようなんてしない…!」
「では、魔王様が北部城塞で行った人間軍への攻撃はどうなります!?激情に駆られてあのような行為をする者に、世界を壊すほどの力を与えたままでいいと仰るのですか?」
「そのために、私達がいます…私達はお姉さんの意思を理解して、お姉さんと共にあります!
あのとき、私はお姉さんを北部城塞にたった一人で行かせてしまった…だからお姉さんは怒りに飲まれてしまった…失敗だったと思います。
私やサキュバスさんが一緒にいればあんなことにはならなかったはずです!」
「そんな仮定の話で納得出来ることではありません!
現に、被害が出ているのです…同じ事が次起これば、世界が壊れてしまうかもしれない。それを防ぐには、この方法しかないのです…!」
急に、師団長さんの声のトーンが落ちた。
戸惑っているんでも、困っているんでもない。
あれは感情を圧し頃して、何かをやり遂げようとするための表情だ。
ダメ…もう少し…もう少しだけ付き合って…!
「あのときの涙は…何だったんですか!?」
私の叫び声に、師団長さんは、いつだか、お姉さんが良く見せていたのに似た、あの悲しげな笑みを浮かべて言った。
「愛する主を殺さねばならない、家臣の涙ですよ」
ふわり、と辺りに風が吹いた。
風魔法が…来る…!
564: 2015/06/13(土) 03:23:22.09 ID:OMuvO7w/o
私はとっさに体を固くして襲って来るだろう衝撃に備える。
そんなとき、私の目の前に何かが覆いかぶさってきた。
柔らかな体が私を包む。
これ…サキュバスさん…?
ま、待って…サキュバスさん…何を…!?
次瞬間、シュン、とまるで竹棒を振ったときのような風を切る音がいくつも耳に届き、そして、サキュバスさんが呻いた。
「かはっ…!」
ドサリと、サキュバスさんの体が私の上に降ってくる。
支えようとするけれど、毒のせいで僅かにこらえることすらできずに私はその体に下敷きにされてしまった。
ヌタっと生暖かい何かが手に触れる。
これって…血…?
サ、サ、サキュバス…さん…?
私はサキュバスさんの下から這い出て、その顔を見やった。
ゴボっと、サキュバスさんは苦しそうに血液を口から吐き出す。
今の、風の魔法じゃなかったの…?
風の魔法は、物を押し上げたりする魔法じゃないの…?
どうして…どうしてこんなに、いっぱい、血が……?
「サキュバスさん!」
私はサキュバスさんの体を抱きしめた。
サキュバスさんの体のあちこちには切り刻まれたような傷跡があり、口から以上の血が流れ出している。
サキュバスさん…私を庇って…!
「に、人間様…」
サキュバスさんが震えるし唇を動かして私の名を呼んだ。
「サキュバスさん…!しっかりして!」
そう言った私に、サキュバスさんはクスっと笑顔を見せてくれて、言った。
「さすがの、名調子でございました…お見事でしたよ…」
ゴボっと、再びサキュバスさんの口から血が溢れ出す。
「ダメ…ダメだよ、サキュバスさん…喋らないで…お願い…!」
私は必氏にサキュバスさんにそう言った。でも、サキュバスさんはまたニコリと笑って
「魔王様を、お願いいたします…ね…」
と私の目を見て言ってくる。
やだ…いやだよサキュバスさん…!
そんなの、そんな…氏んじゃうみたいなこと言わないでよ…!
私はいつの間にか溢れ出していた涙と鼻水なんて気にせずにサキュバスさん体にしがみついた。
血を止めなきゃ…手当て…そう、手当てだ。ポーチの中に傷薬と包帯が入ってる。
それで血を止めれば…きっと…
そう思って私がポーチに手を掛けたとき、ザリっと土を踏む音がした。
顔をあげたらそこには、師団長さんの姿があった。
565: 2015/06/13(土) 03:24:38.17 ID:OMuvO7w/o
「申し訳ありません、姫様…」
師団長はそう、呟くように言って、両腕に風の魔法を纏わせた。
もう、ダメなのかな…?
間に合わないの…?
お姉さんを助けるには、サキュバスさんを守れないの…?
私は、なんとか助けてほしい、とただそんな思いだけで、後ろにいる十六号さんを振り返った。
十六号さんは、妖精さんに解毒魔法を掛けながら私をジッと見つめて言った。
「まったく…慌てたじゃないかよ、バカ」
えっ…?
十六号さん、それ…どういう…
そのときだった。
メキっと鈍い音がした。
ハッとして再び顔を上げるとそこには、肩の辺りに何かを食いこませた師団長さんの姿があった。
ううん、何か、なんかじゃない。
それは…
「遅いんだよ!十七号!」
十六号さんがそう叫ぶのと同時に、十七号くんに踏みつけられた衝撃に耐えかねた師団長さんが地面に叩きつけられた。
そんな師団長を足場にして、身を翻した十七号くんがスタッと降り立って、エヘン、と胸を張って言った。
「親衛隊、ただいま参上だ!」
そんな言葉に、私の目からはボロボロっとさっき以上の涙が零れだしてきてしまっていた。
そうだ、お城には私たちと入れ違いでお風呂に行った十七号くんがまだいたんだ…
きっと、魔導士さん達の様子を感じ取ってあの暖炉の部屋に戻り、そしてここへ来るように言われたに違いない。
「迷った…」
不意に、後ろの方からそんな静かな声が聞こえてきた。
振り返るとそこには、十六号さんと妖精さん、お姉さんのそばに降り立った十八号ちゃんの姿がある。
十八号ちゃんは、竜娘ちゃんの警護についていたはずなのに…どうしてここに…!?
「十八号ちゃん!?どうしてここに!?」
思わず叫んだ私の言葉に、十七号くんが
「十六姉が暴れたのを感じて、急いで十四兄ちゃん達のところに転移したんだ。その先で、探し当てるのに苦労しちゃってさ。遅れて、すまん!」
と答えてくれる。
そうか…十七号くん、私たちの危機を感じ取って、竜娘ちゃんに着いて行った大尉さんや十八号ちゃん達に助けを求めに行ってくれたんだ…。
「十八号、回復魔法行けるか?」
「うん、大丈夫…十三姉さん、ひどい傷…」
十六号さんに言われて、お姉さんを見下ろした十八号ちゃんの顔がみるみる怒りに歪む。
でも、お姉さんもひどいけど…
「十八号ちゃん!サキュバスさんもひどいケガなの!」
私はサキュバスさんを抱きしめてそう伝えた。
566: 2015/06/13(土) 03:25:32.01 ID:OMuvO7w/o
「…まだ残っていたのですね、勇者候補と言う子どもが…」
そう声がしたので見やると、上空からの十七号くんの蹴りで地面に叩きつけられていた師団長さんが起き上がり、目の前の十七号くんを見下ろしていた。
二人が来てくれたけど…十六号さんは師団長さん相手に手も足も出なかったけど、二人で戦えれば、もしかしたらお姉さんの治療の時間は稼げるかも知れない…
そんな思いが湧いてきた私の耳に、十六号さんのとんでもない一言が聞こえてきた。
「よし、十七号。そいつら潰すぞ。十三姉ちゃんの仇だ」
「よし来た、親衛隊を舐めんなよ!」
十六号さんの言葉に、十七号くんもそう言って腕を捲くる。
二人とも…師団長さんに勝つつもりなの…!?
十六号さん一人じゃダメだったのに、二人揃ったからって、そんな…
「威勢がよろしいですね…ですが、先ほど私の相手にもならなかった方とその弟様が束になったところでどうなるものとも思えませんね…」
正直、師団長さんの言う事はもっともだ。
あの力の差を見せられたら、勝てるとはとうてい思えない。
でも、そんな私や師団長さんの言葉も裏腹に、十六号さんは言った。
「アタシは支援特化なんだよ。十七号は、戦闘特化。悪いね、裏切り者さん。アタシらの組み合わせは、十八号相手にするよりも厄介だから…」
不意に、パッと十七号くんが姿を消した。
次の瞬間、師団長の右側から飛んできた十七号くんが、師団長さんの脇腹に重い蹴りをめり込ませてまた姿を消す。
い、いったい、今の、何…?
「こ、これは…?!」
師団長さんが何かに気づいて辺りを見回した。それにつられて私も周囲に目をやると、そこにはあちこちに十六号さんが得意とする結界魔法の魔法陣が浮かび上がっていた。
あれは確か、壁のように物や人を通さない、物理結界、というやつだ。
でも、どうしてあれをあんなにたくさん、しかもあちこちにバラ撒くみたいに出現させているの…?
今度は右から、十七号くんが師団長さんを蹴りつけて姿を消した。
私はそれを見てようやく気がついた。
十七号くんは、十六号さんが作り出している物理結界を壁にしてそれを蹴り、目に見えないくらいの速さで移動し続けてるんだ…!
「十七号!あっちの協会のやつもだ!」
「おぉし、任せろ!」
どこからともなく十六号さんの指示に答えた十七号くんが、ローブの人の頭を蹴っ飛ばして昏倒させる。
その一撃で、ローブの人は地面に転がったっきり動かなくなった。
「くっ…小癪な…!」
師団長さんは顔に怒りを浮かべてそう言い放つと、腕に光を灯して十六さんや私達の方に向けて振り向けた。
風が巻き起こって、辺りの草が舞い上がる。
キンキンっと、金属同士がぶつかるような音がするのに気が付いて私が顔をあげると、半球状の結界が私達と十六号さんを包み込むようにして広がっていた。
その結界に、しきりに何かが当たって弾けている音だ。
「なるほど…サキュバスさんをやったのは、風魔法と土魔法の合わせ技か」
十六号さんが感心したように漏らす。
「どういうこと?」
私が聞くと十六号さんは、ああ、と声をあげて
「石礫みたいなもんだ。土の魔法で石を操って、それを風魔法に乗せて打ち出してるんだ」
と教えてくれた。
567: 2015/06/13(土) 03:26:32.34 ID:OMuvO7w/o
そうか…ものすごい勢いで飛んできた小石が、サキュバスさんの体にめり込んだり切り裂いたりしたから、こんな傷に…
私はそう思って地面に倒れたまま、十八号ちゃんの回復魔法を受けているサキュバスさんを見下ろした。
その石礫から、私を守ってくれたんだ…私は、サキュバスさんの優しさと想像してしまった痛みで、胸が詰まった。
「そっちが石礫なら、こっちは人間礫だ!」
再びどこからか声が聞こえたと思ったら十七号くんが師団長さんを蹴りつけて姿を消した。
師団長さんはよろめき、いつの間にか肩で息をし始めている。
「アタシを攻撃したって無駄だよ。アタシの結界魔法は、十二兄のよりも硬いんだからな」
十六号さんがそう言ってニヤリ笑った。
確かに今の状況で十六号さんを狙う師団長さんの考えは分かる。
捉えられない程の速さでどこから攻撃してくれるか分からない十七号くんに攻撃を仕掛けて来るより、その足場を作り出している十六号さんを狙うほうがよっぽど簡単だ。
でも、十六号さんの結界魔法は強力でそう簡単には破れない。
十六号さんは、さっきは攻撃に転じなきゃいけなかったから歯が立たなかったけど、結界魔法で身を守っているだけならこうも簡単に師団長さんの攻撃を防いでみせた。
でも、そうなったら次に狙われるのは…
「ならば…!」
師団長さんがそう言って今まで以上の光を腕に灯して、それを頭上高くに掲げた。
そう、私達に攻撃を当てられないのなら、次に狙うのは十七号くんに決まっている…!
「十七号くん!」
私はとっさにそう声をあげる。
でも、そんな私の声に答えたのは十七号くんではなく、十六号さんだった。
「心配しなくても大丈夫だ」
そう言った十六号さんが、ピッと指先を動かしてみせた。
すると、辺りに散らばっていた結界の魔法陣が師団長目掛けて殺到する。
師団長さんはその結界を吹き飛ばしてしまいそうな程の強烈な風魔法を解き放った。
辺りの草花が夜空へと舞い上がり、私達を守っている結界にはカツン、コツン、と石の弾ける微かな音がする。
だけど、その強烈な風魔法のほとんどは殺到した結界魔法に当たって遮られ、行き場を失って師団長さんの周りに霧散した。
そして、その魔法が消え切らない瞬間に、十七号くんの叫び声をあげる。
「これで仕舞いだ!」
十七号くんは私達を守っていた結界を蹴って師団長さんに飛び掛かり、まるで焼けた炭のように真っ赤に燃えているような拳を師団長さんの顔面に叩きつけた。
師団長さんは十歩以上の距離を吹き飛ばされ、ドサッとクローバーの大地に落ちたっきり、ピクリとも動かなくなった。
「よぉし、片付いたな」
十六号さんが、ふぅ、とため息をついて、結界魔法を解除した。
私は…呆気に取られてしまっていた。
ついさっきまで、師団長さんに殺されてしまうんじゃないかって…
殺されてしまったとしても、お姉さんを守るんだ、ってそのくらいに思っていたのに…
十七号くんと十八号ちゃんが来てくれて、十六号さんと十七号くんの連携攻撃が始まってまだほんの少しの間だったのに…
わ、わ、わ、私達…助かっちゃった…!
568: 2015/06/13(土) 03:27:50.88 ID:OMuvO7w/o
「ふぅ、まぁ、これで十三姉の分はやり返せただろ」
そんな事を言いながら、十七号くんが私達のところにやってきた。
「十三姉の様子は?」
「心臓の再生は終わった。でも、血を流しすぎてる。もう少し、時間がかかる」
「そっか…」
十八号ちゃんとそう言葉を交わした十七号くんは、ふぅ、ともう一度息を吐いてどこかに視線を投げた。
その先には、雷に照らし出されている魔王城があった。
「十二兄、無事かな…」
「まぁ、大丈夫だろ。十二兄だって、十三姉ちゃんが戻らなけりゃ勝てないことくらいわかってる。なるべく時間を稼ぐ戦い方をしてるはずだ。
それに、もし負けてたらこっちに押し寄せてきちゃってるだろ。やつらがアタシらを追って来てない、ってことは、まだ向こうで足止めできてんだろう」
心配げに呟いた十七号くんに、十六号さんがそう言って諌める。それから
「それより、手伝ってよ。妖精ちゃんと幼女ちゃんの毒抜きしなきゃ」
と私の方をみやって言ってくれた。
「おう、そうだな。妖精さんは俺がやるよ」
十七号くんは、そう言って妖精さんの傍らにしゃがみ込んで魔法陣を展開させる。
私のところには、十六号さんがやってきて手をかざしてくれた。
ふわり、と暖かな感覚がして、体の奥にジンジンと熱い何かが脈打ち始める。
すると、体のしびれが少しずつ弱くなってくるのを私は感じた。
「これが、体の力を活性させる、って魔法?」
「あぁ、そうだよ。お風呂に入ってるみたいだろ?」
私の言葉に、十六号さんは笑ってそう聞いてきた。
確かに、あの湯船につかっている感じによく似ている。
体が芯から温まって、ドクン、ドクンと血が流れているのが感じられた。
「うぅ、動けるようになってきたですよ…」
妖精さんがそんなことを言ってむくりと体を起こした。
そのころには、私もようやくしびれが取れて来て、手にも足にも力が戻ってきていた。
立つのはまだ辛いけど、妖精さんのように座っているだけなら楽なものだ。
「うっ…くっ…!」
不意に、サキュバスさんが呻いたので私は驚いてサキュバスさんの顔を見る。
すると、サキュバスさんは何かに戸惑っているような表情をしながら、ムクリ、と起き上った。
良かった…回復魔法がちゃんと効いたんだね…
「…人間様、ご無事ですか…?」
サキュバスさんは、キョロキョロとあたりを見回して何が起こったのかを把握したらしい。
それからすぐに、まずは私にそう聞いてくれた。
「うん、大丈夫です。サキュバスさんこそ、もうどこも痛くないですか?」
「はい…命脈尽きたかとも思ってしまいましたが…なんとか無事のようですね」
サキュバスさんはそういうと、同じように十八号さんの魔法陣を向けられたお姉さんに目を落とした。
569: 2015/06/13(土) 03:28:39.68 ID:OMuvO7w/o
「魔王様の容体は…?」
「血が足りないから、もう少しだけ掛かる。増血は回復魔法じゃなくて、活性魔法で体の機能に頼らなきゃいけないから、時間が必要」
サキュバスさんの言葉に、十八号さんが静かに答えた。
そんなとき、カサっと草のこすれる音が聞こえた。
ハッとしてあたりを見回すと、吹き飛ばされた師団長さんが、ヨロヨロとその体を震わせながら起き上っている姿があった。
私は、思わず体が緊張で固くなるのを感じた。
胸が詰まって、息苦しくなる。
そんな…師団長さん、まだ戦うつもり…?
「ちっ…なんだよ、ずいぶんと丈夫なやつだな」
十七号くんがそう言って半身に構える。
「何度やっても同じだろ…十四兄の考えたアタシらの連携は、そう簡単に破れないだろうからな」
私への活性魔法を解いた十六号さんも、ユラリと立ち上がって結界魔法を展開させた。
「ここでやらねば…やらねばならないのです…」
師団長さんはそううわ言のように呟いて、腕に魔法の光をともした。
その光は、腕から肩、そして師団長さんの体全体を覆っていく。
ふと、私は、ビリビリと微かな振動を感じた。
これ、震えてるの…?大地と、空気が…?
「あいつ…大規模法術を使う気か…?」
「いやぁ、大規模法術の力をアタシらに集中させよう、って腹だな。さすがに、結界で防ぎきれるか自信ない」
そう言った十六号さんは、さらに私たちの回りに何重にも重ねて結界を発動させる。
それでも、伝わってくる振動はやむどころか、どんどん強くなっているように感じられた。
「十七号様、まだ戦えますか?」
「大丈夫だけど…サキュバスさん、そっちこそ平気なの?」
気が付けば、さっきまで座り込んだままだったサキュバスさんが何とか、と言った様子で立ち上がっていた。
「はい…あの者に、引導を渡す必要があります…魔王様に遣える身として…」
三人とも、師団長さんの攻撃を受け切って、反撃するつもりなんだ…
そんなことをして…無事でいられるんだろうか…?
あんな魔法は見たことがない。
まるで、このあたり一帯の自然の力を師団長さんが操っているような、そんな迫力さえある。
もしかしたら…十六号さんの結界では防ぎきれないかもしれない。
師団長さんに攻撃を仕掛ける十七号くんが傷つくかもしれない。
サキュバスさんが、また誰かをかばって、次は、もうどうしようもないくらいの傷を負わされてしまうかもしれない。
でも、そんなことを考えたって、師団長さんはやる気だ。
もうこうなったら私にできるのは、倒れて動けないお姉さんの盾になるくらいのものだ。
私は、そう思ってお姉さんの体を庇おうと、師団長さんを睨みつけたまま体をその場に伏せた。
途端に、ガクっと体が地面に崩れ落ちてしまう。
私はハッとして、ようやくそこにあったはずのお姉さんの体がないことに気が付いた。
次の瞬間、私の頭の上に、暖かで柔らかな、厚みのある何かがポンっと乗った。
見上げるとそこには、血で服を真っ赤に染めた、お姉さんの立ち姿があった。
570: 2015/06/13(土) 03:29:42.37 ID:OMuvO7w/o
「お…お姉さん!」
私は、その姿に声を上げずにはいられなかった。
そんな私に、お姉さんはチラリと目線を送ってくれて、血に濡れたその顔を、やおら優しい笑みに変えた。
「ありがとな」
お姉さんはそう言うと、ザリっと足を一歩踏み出した。
「魔王様…!」
「十三姉!」
「十三姉ちゃん!」
サキュバスさんと十六号さん、十七号くんも振り返ってお姉さんの名を呼ぶ。
お姉さんはそんな三人の肩を、私の頭にしたようにポン、ポンと優しく叩いて真っ直ぐに歩き、師団長さんの方へと近付いていく。
「魔王…様…」
そして遂には、師団長さんまでもがそう言って、全身にまとわせていた魔法の光を消し、ガクリと脱力したようにその場に跪いた。
そんな師団長さんのそばに歩み寄ったお姉さんは、なんのためらいもなく腰の剣を引き抜いて、師団長さんの首へと当てがう。
師団長さんは抵抗する素振りも見せずに、ただ前えと首をもたげてその切っ先を受け入れている。
「言い残して置きたいことはないか、師団長」
お姉さんが低く暗い声色で言った。
それを聞いた師団長は力なく首を横に振り、それからややあって微かに顔を上げ、囁くように言う。
「魔王様へ刃を向けたことに後悔はありません…ただ…」
師団長さんは、昨日の晩なんて比べ物にならないくらいの、まるで子どもが嗚咽を上げて泣いているようなくらいの涙を零しながら続けた。
「魔王様とその仲間の皆様の御心を傷付けたことは、罪深い行いであったと自覚しています」
師団長言い終えるとまた、スイっと首を前に差し出した。
「沙汰はお受けいたします…」
その言葉に、私は息を飲んだ。
師団長さんは、確かに私達を裏切った。
笑顔でお姉さん私達に近付いて信頼を得て、そして最初から機会を伺ってい、お姉さんを殺そうとした。
私達の大切なお姉さんを傷付けたんだ。
相応の罰を受けてほしい、って、そう思う部分もある。
でも…、と私は考えていた。
それは、怒りと憎しみだ。
この世界を、大陸を、魔族と人間を狂わせて、頃し合いを続けさせている元凶。
私達はそれを否定して新たな世界を…新しい平和を作ることが目的だったんじゃなかったんだろうか…?
だとしたら、今私達がその感情に飲まれてはいけない…それは…この世界を再び戦いの続く世界へと歩ませる一歩のような気がした。
571: 2015/06/13(土) 03:30:28.99 ID:OMuvO7w/o
――お姉さん…待って!
そう声を上げるべきなんじゃないか、と迷っていたそのとき、お姉さんが私を見た。
その目は、あの魔族や人間の怒りや憎しみを一身に浴びた時に見せる悲しい表情だった。
私はそれを見て、何かが吹っ切れたようにお姉さんの目を見つめ返して、首を絞めるよ娘に振った。
するとお姉さんは、すぐにニコリと表情を緩めて剣を鞘に納め、そして勇者の紋章を光らせると師団長さんの周りに魔法陣を描いて見せた。
「あんたの沙汰は、追って考えよう」
お姉さんがそう言うなり、魔法陣が師団長さんを中心に収束していき、その体をロープで縛り付けるようにして絡め取った。
「……いいのかよ、十三姉?」
十六号さんがそう聞く。するとお姉さんはまた笑顔を見せて、十六号さんに頷いてみせた。
「ああ、うん…今はそんな事を考えてる場合じゃないし、な」
お姉さんはそう返事をすると、チラッと魔王城の方を見やってから私達の方に戻ってきた。
そしてお姉さんは、私たちをその両腕で一挙に抱き寄せてギュウギュウと力を込めてきた。
「お、お姉さん!?」
「ま、魔王様!?」
「魔王様…!苦しいです!」
「十三姉…」
「やめろよ、恥ずかしい…」
「十三姉さん…」
それぞれ悲鳴を上げた私達だったけど、そんな言葉を聞いていたのかどうなのか、お姉さんははっきりとした声色で私達に言ってくれた。
「あんた達…ありがとう。あたしを守ってくれて、無事でいてくれて、ありがとう…!」
そう言ったお姉さんの目からは、一筋の涙が零れ落ちていた。
ありがとう、なんて、言われるようなことじゃない。
私こそ、お姉さんにありがとうって、そう言いたい。
生きててくれて、ありがとう、って。
そんなお姉さんは、それでもすぐに涙をぬぐって立ち上がり言った。
「城に戻る。おそらく、相当ヤバイことになってるだろうけど…あとは、あたしが片を付ける。あんた達は、この子を守ることだけに全力で当たってくれ」
お姉さんはそれから私達一人ひとりを見やった。
その言葉は、うれしい言葉だった。
もしかしたら、遠ざけられるんじゃないか、ってそう思ったから。
でも、お姉さんはきっとわかってくれているんだ。
こんなときこそ、私たちはお姉さんのそばに居なきゃいけない。
お姉さんを支えるために、お姉さんが感情に呑み込まれないように、声の届く場所に居なきゃいけないんだ。
私達は、それぞれお姉さんにうなずき返す。
それを見たお姉さんも、コクリとうなずいてから微かな笑みを浮かべて
「じゃぁ、行くぞ」
と手を伸ばしてきた。
572: 2015/06/13(土) 03:31:33.08 ID:OMuvO7w/o
私はその手を握る。
妖精さんとサキュバスさんがそれに続き、
十六号さんに十七号くん、十八号ちゃんも加わった。
私達の周囲に転移魔法の魔法陣が展開されて、パパパパッと目の前に閃光が瞬く。
そして、次の瞬間には、私達はさっきまで時間を過ごしていた暖炉の部屋に戻ってきていた。
でも、部屋の様子は全くと言っていいほど、あのときとは変わっていた。
床にはあちこちに血しぶきが広がり、何人もの人が倒れている。
ローブを来た魔導協会の人も、あの半分の仮面をつけた子ども達の姿もある。
それだけじゃない。隊長さんの諜報部隊の隊員達や、虎の小隊長さん達の突撃部隊の人たちらしい姿。
さらには、見たことのない軍装をした魔族の軍人さんらしい姿もあった。
みんな、ここで戦ったんだ。
私達を…お姉さんを追いかけさせないために、体を張って…
「ようやくのご帰還か…!」
そう声がした方を見やると部屋の隅に追いつめられるようにして、隊長さんと女戦士さん、そして鳥の剣士さんがいた。
三人は、背後に控える血まみれの魔導士さんを守っているようだった。
「サキュバス族の天才と呼ばれた彼女が、しくじりましたか…」
部屋の反対側には、オニババと、そして、魔導協会のローブを着た男の人が一人と、半分の仮面をつけた子どもが二人に、先頭にはあの仮面の子がいる。
部屋中に転がっている人たちは、無事なんだろうか?
鬼の戦士さんや、虎の小隊長、女剣士さんは床に突っ伏したままで、息をしているのかはわからない。
ほかの魔族の人たちも、人間の人たちも、魔導協会や半分の仮面の子どもたちも、だ。
「すまない…完全にあたしの油断だった」
お姉さんが申し訳なさそうにそう言う。
「なに…敵さんの作戦勝ちだ。気にすることはねえよ」
隊長さんがそう言って、大きく息を吐く。
「あとは、任せて良いな?」
息を荒げながら、魔導士さんがお姉さんに聞いた。
「あぁ。ケガ人の救助と手当を頼む」
お姉さんはそう言ってうなずくと、オニババ達の方へと一歩踏み出した。
「さて…ただで帰れると思うなよ?」
お姉さんはそう言って、両腕の紋章を光らせる。
赤と青の光がお姉さんを包み込み、体のあたりでは紫色になっているようにも見えた。
その様子に、ローブの男と半分の仮面の子ども達が動揺するのがわかった。
オニババまでもが微かに表情をゆがめて
「これは、二つの紋章を得た者の力、ですか…」
と口にしている。
573: 2015/06/13(土) 03:32:46.02 ID:OMuvO7w/o
私は何度か見ているし、光だけを見て力がどれだけかなんて分からないから、驚いたりはしないけれど、やっぱり見る人が見れば、別世界の力なんだろう。
でも、そんな様子のオニババに、仮面の子が言った。
「理事長様。あれが、敵?」
するとオニババは、すぐに気持ちを整え直したのか仮面の子に伝えた。
「そうです。あの者が、あなたからすべてを奪った張本人。あの者を殺せば、本当のあなたが戻ってくるのですよ」
「そう…よかった」
仮面の子はそう返事をするなり、腰にさしていた剣を抜いて盾と一緒に構える。
それから、小さな声で言った。
「ロ号、ヘ号。陽動を」
そう言われたのは、半分の仮面の子ども達だった。
二人は慌てて剣を構えると、その腕に紋章を浮かび上がらせた。
あれは…ふつうの人間魔法の紋章だ。
あの仮面の子が付けていた勇者の紋章じゃない…。
私は内心、少しだけ胸をなでおろしていた。
あの半分の仮面の子たちまで勇者の紋章を持っていたりなんかしたら、さすがのお姉さんの苦戦するかもしれない、と心配していたからだ。
「かかれ」
仮面の子がそう声を出した。
とたんに、二人の半分の仮面の子たちがお姉さんに飛び掛かる。
でも、お姉さんは素早く腕を振り上げて、二人に向けて中指を弾いて見せた。
空中を跳ねてお姉さんに斬りかかろうとした二人は、あの見えない何かをたたきつけられて壁際へと弾け飛ぶ。
しかしその後ろから、仮面の子がお姉さんに迫っていた。最初の二人とは速さが段違いで、お姉さんは一気に間合いを詰められる。
でも、お姉さんはこれっぽっちも慌てたりしていなかった。
即座に結界魔法を発動させて仮面の子の突進を受け取める。
「物理結界、無駄!」
仮面の子はそう言うなり剣を振って結界の魔法陣を切り裂いた。
「ちっ!」
お姉さんは舌打ちをすると、素早く半身に構えて、拳を握った右手に小さな魔法陣を浮かび上がらせてそれを突き出した。
剣を振り終えたところだった仮面の子にその魔法陣が襲い掛かって激突し、仮面の子もまた壁際まで吹き飛ばされる。
ドシン、と激しい音がして、仮面の子は壁に激突して床に崩れ落ちた。
圧倒的だった。
魔導士さんを苦しめたあの勇者の紋章を持つ仮面の子でさえ、ほとんどお姉さんの相手にすらなっていない。
私が危険にさらされるような隙すらない。
どう考えても、魔導協会の人たちに勝ち目なんてない。
でも…私は、オニババの顔を見やって、これっぽっちも安心なんてできなかった。
オニババは、不敵な笑みを浮かべて笑っていたからだった。
574: 2015/06/13(土) 03:34:02.04 ID:OMuvO7w/o
「大人しく引き上げて、これからもあたし達に構わない、っていうんなら、命だけは助けてやるぞ?」
お姉さんは静かにそう口にする。
でも、オニババはそれを聞いて、クスっと笑った。
「あなたに、この子は斬れません。これ以上傷付けることもならないでしょう」
そう言ったオニババは、床に転がった仮面の子の手を無理やりに引っ張って立ち上がらせた。
「返せ…返せ…私を、返せ…!」
仮面の子はうわ言のようにそう言って呼吸も荒く肩を怒らせている。
眉間に皺を寄せて、憎しみと怒りのこもった目で、お姉さんを睨み付けている。
私は…私は、目の前で何が起こっているのかを理解できなかった。
壁にたたきつけられた衝撃のせいで、仮面の子から、仮面が外れていた。
そして、その下に見えたその顔は…何日か前に考えたオークと人間との間の子どもなんかじゃなかった。
「なんだよ…?どういう、ことだよ…?」
お姉さんが絶句した。
私も、喉が詰まって言葉なんて出ない。
部屋全体が、その子の顔を見て、混乱してしまっている。
それもそうだろう。だって、その顔は…まるで…
「そ、そのチビ…じゅ、十三姉…と…同じ…?」
十六号さんが詰まりながら、そう口にした。
そう。
仮面の下にあったのは、オークと人間の子なんじゃない。
ましてや、他の誰かなんかでもない。
私たちの目の前にいたのは、クセのある黒髪に、凛々しい眉に、強い意志を宿した黒い瞳。
どれも、毎日見ている、誰よりも身近にある顔の特徴…その顔は、お姉さんそのものだった。
私と同じくらいのちょうど十歳を過ぎたくらいに見える、子どもの頃のお姉さんはきっとこんなだろう、って、そう言うしかない顔を持つ子が、そこにはいた。
579: 2015/06/15(月) 22:07:23.26 ID:RPeWojLJo
「ど、どういう、ことだ…」
お姉さんが、そう口を開く。
誰もが、そう思っているに違いなかった。
それくらい、仮面の子は、お姉さんに似ていた。
ううん、似ている、なんてものじゃない。
本当に、それはお姉さんそのものだった。
「魔王様に、妹君がいらっしゃったのですか…?」
サキュバスさんが呟くように言った。その言葉に、私はハッとする。
そういえば、お姉さんが魔導協会に連れて行かれたときのことを話してくれたときに、お姉さんは妹が居た、と言っていた。
家事で焼けて、両親と一緒に氏んじゃったんだ、って、そんな話だったと思う。
もしかして、その妹が生きていて、それで…?
私はお姉さんを見やった。
でも、お姉さんは首を横に振る。
「違う…あたしと妹は、3つしか違わなかったし…妹は、もっと髪の色も目の色も薄かった。顔も、父さんに似てた…あれは、妹じゃない…」
ち、違う、って言うなら、あの子はなんだって言うの…?
妹じゃなきゃ、あんなに似ているなんてどう考えたって説明がつかない。
でも、その言葉を聞いたサキュバスさんは息を飲んで言った。
「あなた…まさか、創生の禁術を…!?」
その視線は、魔導協会のオニババに向けられている。
ソウセイの禁術…?
それって、命の魔法の使ってはいけない力のこと…?
確か、氏体にゴーレムの魔法を掛けたりすることも出来るけど、してはいけないんだ、って話をしていたのは覚えているけど…
それだって、あんなにお姉さんにそっくりな子どもが居る理由にはならない。
「どういうことだ、サキュバス…?」
お姉さんが、戸惑った様子のままにサキュバスさんに尋ねる。
しかし、それに答えたのはサキュバスさんではなく、微かに笑みを浮かべたオニババだった。
「創生の命魔法。つまりは、命を創り出す魔法ですよ」
「あなたは…!神にでもなったつもりですか!?」
「神?何を言います…これは私達神官の一族に伝えられし力。それを正しいことに使って、何を咎められるというのです?」
「おい、サキュバス…説明しろ!あの子どもは、何なんだ!」
オニババと言葉を交わしていたサキュバスさんに、もう一度お姉さんが声を上げた。
サキュバスさんは、グッと息を飲んで口を開く。
「創生の禁術は、命を紡ぐ魔法です…血や肉体の一部から、その持ち主を再生させる魔法…新たな命を生み出す、禁忌の魔法の一つです…」
血や体を使って命を作る魔法…?
そんなことが、出来るの…?
580: 2015/06/15(月) 22:08:01.99 ID:RPeWojLJo
だって、人間は植物じゃない。
植物なら、一つの木から採った枝を挿し木にすればそのまままた木になるものだってあるけど、人間がそんな風になるなんて想像がつかない。
でも、もし、もしそれが本当なら…あの仮面の子は…お姉さんと同じ、お姉さんの体から分かれて生まれてきた子、ってこと…?
「ふふふ…禁忌とされる理由は、倫理の問題ではなく、この術の難解さにあるのですよ…
この術と、新たな勇者の紋章を描くために、一族の優秀な使い手、四人が命を落とし、七人が魔法を使うことのできない体になりましたが…それでも、得たものはありました」
オニババがそんなことを言った。
「なるほど…十三号の肉体を持っていれば、勇者の紋章を宿すことも出来る…強力な手駒を増やすには、これ以上の方法はない…」
魔導士さんがそう口にする。
新しい勇者の紋章を作り、その器になることが出来るお姉さんをも作った、ってそういうこと…?
スチャっと音をさせて、仮面の子…幼いお姉さんが、剣を構えた。
盾を捨て、両手を剣の柄に添える。
「氏んで、返せ…私を、返せ…!」
まるでうわごとのように呟いた彼女は、私が目で追えないほどの速さでお姉さんに斬り掛かった。
ガンッ!と鈍い音がして、見るとお姉さんがすんでのところで結界魔法を展開させて幼いお姉さんの剣激を防いで居た。
「物理結界は、無駄!」
そう言って、剣に力を込めた幼いお姉さんの腕を、お姉さんが握りしめてその動きを止める。
「いったい、なんだ!?あたしがあんたから何を奪ったって言うんだ!?」
お姉さんの言葉に、幼いお姉さんの表情が憎しみに歪んだ。
「あなたがいるから、私は私になれない。私は、私の存在をあなたに奪われたまま…生まれたそのときから、私は仮初の存在…でも、あなたが氏ねば、私は私になれる!」
そう言った刹那、幼いお姉さんが腕に炎を灯した。炎は意思を持つようにお姉さんの体にまとわりつき、音を立てて燃え上がった。
「くっ!」
お姉さんはそう声を漏らせて、幼いお姉さんの腕を離した。それでも幼いお姉さんは再び、容赦なくお姉さんに斬りかかる。
お姉さんは、結界魔法とは違う魔法陣を展開して目の前に大きな氷の壁を作り、さらには自分の体の炎を消してみせた。
でも、その表情は厳しく険しい。
「やめろ、あたしを頃したって、なんにもならないぞ!」
「違う。あなたを殺せば、私は私になれる。もう、道具でなくて良い。私は、勇者として人間になれる…!」
「なっ…!?」
幼いお姉さんの言葉に、お姉さんはたじろいだ。
その瞬間を見逃さず、幼いお姉さんの振るった剣がお姉さんの体を引っ掛けて、肩のあたりからブパッと血が吹き出した。
581: 2015/06/15(月) 22:09:00.86 ID:RPeWojLJo
「お姉さん!」
私は思わず、そう叫んだ。
お姉さんはすぐに体勢を立て直して、幼いお姉さんから距離を取った。
その様子に、幼いお姉さんの方は手応えを感じているのか、剣を握り直して、半身に構える。
「おい、そんなまがい物とっとと片付けろ…!そいつは十五号を殺ったんだぞ!?」
魔導士さんがそう叫んだ。
でも、お姉さんはぼそり、と答える。
「…出来ない…」
「魔王様…!」
「こいつは、あたしだ…孤独と悲しみに震えて、自分を探してるだけなんだ…捨てられないように、一人にならないように…ただ、それだけなんだ…」
お姉さんの表情が、悲しみに歪んだ。
目の焦点が合っていない。
それを見て、私は分かった。お姉さんは、まるで正気じゃない。
お姉さんは、言っていた。
捨てられたくなくて、一人になりたくなくて、必氏になって訓練に励んで、勇者の紋章を受け取ることができたんだ、って。
幼いお姉さんも、同じことを言った。
お姉さんを殺さないと、捨てられるかもしれない、一人になってしまうかもしれない…ううん、もしかしたら、今も一人のままなのかもしれない。
それが、お姉さんを頃すことで、一人で居なくてもよくなる。
皆に、きっと、オニババや魔導協会に受け入れられる…そんな風に思っているんだ。
お姉さんにとって、目の前の幼いお姉さんは昔の自分、そのままなんだ。
幼い自分がしてきたように、一人にならないための努力をしているに過ぎない…
それを、お姉さんが邪魔出来るはずもない…
だって、お姉さん自身がそう生きてきたんだ。
裏切り者呼ばわりされて、魔族と世界の平和を考えるようになってからも、ずっとそのことを気にかけて居た。
私たちがそばにいるよ、と言ってあげることで、安心させてあげられた。
今だってお姉さんは、一人になってしまうのが怖いんだ。
目の前の幼い自分が、どれほどの恐怖を感じているかが分からないはずはない…
姿も、心も、お姉さんは幼いお姉さんと重ね合わせてしまっているんだ…
「氏ね…氏んで、私を返せっ!」
幼いお姉さんは、顔を醜く歪めてお姉さんに斬り掛かった。
お姉さんは、肩から血が吹き出るのも構わずに、魔法陣と風魔法を使ってその剣撃を受け止める。
何度も何度も斬りつける幼いお姉さんの攻撃を一方的に受け止めているだけ。
お姉さんは、自分の剣を抜くこともしなければ、魔法で攻撃する仕草すら見せない。
一方的に攻撃を仕掛ける幼いお姉さんはやがて愉快そうな笑顔を浮かべ、反対にお姉さんは、悲しさと辛さに表情を染める。
幼いお姉さんが、剣をお姉さんに振り下ろした。お姉さんがそれを受け止めるために、両腕を交差させて頭上に掲げたその時だった。
ピシピシっと音がして、お姉さんの足元が氷で固められてしまう。
「くそっ!」
お姉さんがそう呻くのと同時に、幼いお姉さんは片手で剣をお姉さんの結界魔法に押し付けながら、もう一方の腕を突き出した。
パリパリっと、乾いた音とともに、幼いお姉さんの腕に小さな稲妻が走る。
582: 2015/06/15(月) 22:09:53.33 ID:RPeWojLJo
お姉さんがその場に、ガクッと膝を付く。
それを見た幼いお姉さんは再び両手で剣を持ち、それを高々と頭上に振り上げた。
「やめて!」
私はそう叫んだけど、幼いお姉さんはそんなことは関係なしに、剣を振り下ろした。
ガキン、と鈍い音がして、剣が結界魔法にぶつかって止まる。
「物理結界は、無駄だと言った」
幼いお姉さんは、怪しげな笑みを浮かべて剣にグイっと力を込める。
同時に、その腕の勇者の紋章が輝きを増して、お姉さんの結界魔法の光が弱まった。
宙に浮かんだ結界用の魔法陣の光が、幼いお姉さんの剣に吸い込まれるようにして消えていくのが分かる。
結界魔法が人間のどんな力を増幅させているのかは分からないけど、幼いお姉さんは結界魔法の力を吸い込んでいるのか、それとも無効化する方法を知っているらしい。
それが幼いお姉さんの持つ特別な力のせいなのか、それとも、ある程度の力があれば誰でも出来る技なのか…
だけど、それが分かっていないお姉さんではなかった。
ふわり、と風が室内に起こって、お姉さんの周りに集まっていく。これは、サキュバスさんが使っていた風の結界魔法。
風の力を使って、相手の攻撃を受け止めるんだ。
重いものを持つときと同じ理屈のはず…。
魔法陣が消えて、一瞬、幼いお姉さんの剣が加速する。
でも、その剣は風の結界魔法に阻まれて、お姉さんの頭のギリギリのところでとまった。
それを見た幼いお姉さんは、今度は両腕にパリパリっと稲妻を纏わせる。
剣にまで縮れた光の筋が何本も走って、それが風の結界魔法を越えお姉さんに降り注いだ。
「ぐっ…!あぁぁぁぁ!」
お姉さんは体をビクビクと震わせて、その雷を受け続けている。
それでも、お姉さんは攻撃なんてしようとしない。
ただ、ジッと耐えているだけだ。
このままじゃ、いくらなんでも、お姉さんが…!
私はそう思って魔導士さん達を見やる。
でも、魔導士さん達は怪我をした人たちに回復魔法をかけるので手一杯。
それに、もしお姉さんの手助けに入ったとしたって、魔導士さんでも勝てなかった幼いお姉さんに十六号さん達やサキュバスさん、まして妖精さんが勝てるはずもない。
手を出せば、きっと必要以上に被害が増えてしまう。
それは、お姉さんに一層負担をかけてしまうことになる…それは、ダメだ。
でも、お姉さんはきっと、絶対に幼いお姉さんを攻撃したりなんかしない。
きっと出来ない。
お姉さんの悲しみや不安を知っているからこそ、私はそう思った。
幼いお姉さんに勝ってしまえば、まして命を奪ってしまえば、お姉さんは幼い自分を悲しみと孤独の中に追いやってしまうことになるからだ。
そんなことを、お姉さんが出来るはずはない…
やがて、幼いお姉さんの雷の魔法が止む。
お姉さんの体からは、皮膚の焼けるいやな臭いとともに、微かな煙が上がっていた。
「ずいぶん、頑丈…」
幼いお姉さんが、色のない声でそう言う。
いつものお姉さんなら、そんな言葉に笑って返事でもしそうなのに、そんな気配は全くない。
583: 2015/06/15(月) 22:10:27.33 ID:RPeWojLJo
お姉さんは、考えているんだ。
たぶん…目の前の自分を、救う方法を…
でも、そのときだった。
突然、ビクン、と幼いお姉さんが体を震わせた。
「あっ…あっ…あぁっ…」
そんな、あえぎ声とも悲鳴ともとれない声が、幼いお姉さんの口から漏れ出す。
「うぅっ…あぁっ!」
「くっ…うぅぅっ!」
不意に、別の方からも同じようなうめき声が聞こえた。
見ると、あの半分の仮面を付けた子ども達も、幼いお姉さんと同様に体を震わせて、なんだか苦しんでいる様子だ。
いったい、何が起こっているの…?
そう思って私は幼いお姉さんに視線を戻す。
すると、腕の勇者の紋章の光が見たことのないくらいに眩しく輝き始めた。
「おい…まさか…!」
そう声を上げたのは、お姉さんだった。
お姉さんは、目の前の幼いお姉さんではなく、壁際のオニババを睨みつけていた。
「流石に、強化した紋章一つでは勝ち目がないようですが…これなら、無抵抗のあなたを切り刻むだけの力も得ましょう」
オニババは、腕に光を灯してそう言う。
その腕の光は、三本のまっすな光の筋になって、幼いお姉さんと、二人の半分の仮面の子ども達へと伸びていた。
そしてその光は、三人の背中に魔法陣を形作る。
それを見た魔導士さんが言った。
「狂化の魔法陣…!?」
「狂化…?なんなのですか…それは?」
「魔法陣の制御を狂わせる魔法陣だ…本来の魔法陣が持つ効果を数倍に跳ね上げる…肉体への負荷は、それ以上になる…!
本来は、危機的状況にほんの一時しのぎで使われるべき法術だ…」
そ、そんな危険な魔法陣なの…!?
私は息を飲んだ。
そんなことをしたら、お姉さんはだって今のままでは無事では済まない…本当に、殺されてしまうかもしれない…!
「力…力が、溢れてくる…」
幼いお姉さんは恍惚とした表情でそう言うと、手にしていた剣でお姉さんの体を薙いだ。
寸前のところでその白刃を挟んで受け止めたお姉さんだったけど、その両腕はプルプルと震えている。
雷の魔法のせいで、まだ体にうまく力が入らないんだ…
「やめろ…体が保たないぞ…!?」
「なら、早く氏ね」
幼いお姉さんは両腕にグッと力を込めた。
ズルっとお姉さんの手から剣が滑り抜け、身を反らせたお姉さんの鼻先をかすめる。
584: 2015/06/15(月) 22:11:03.19 ID:RPeWojLJo
「ロ号!へ号!」
幼いお姉さんが叫んだ。
その刹那、あの半分の仮面の子ども達がお姉さんに飛びかかり、炎と氷の魔法を浴びせかけた。
お姉さんは飛び起きながら結界魔法を展開してそれを受け止める。
でも、そんなお姉さんに幼いお姉さんが礫のような勢いで剣を突き出した。
それを受けたお姉さんは、一気に壁際まで吹き飛ばされる。
「十三号!」
とうとう魔導士さんが叫んで立ち上がった。
魔導士さんもボロボロだけど、回復魔法のお陰か傷はふさがっているように見える。
魔導士さんは両腕に魔法陣を浮かび上がらせて雷を放った。
でもそれは、幼いお姉さんの雷魔法に引き付けられて、部屋の中に四散して消えてしまう。
「あなたを、無力化すれば!」
今度はサキュバスさんが風の魔法で部屋の反対側に居たオニババを狙った。
でも、それはすぐそばにいたローブの男の人の結界魔法で防がれてしまう。
「魔導士!サキュバス!やめろ!」
壁に体をめり込ませたお姉さんが二人に叫んだ。
その一瞬の隙に、幼いお姉さんがお姉さんのすぐ前にまで移動して剣を振り下ろした。
金属のぶつかり合う音が響く。
それを受け止めたのは、十六号さんだった。
隊長さんの部下の人の物らしい剣を手にしている。
ギリリッと、二人の剣が擦れて鳴った。
「やめろよ…!十三姉に、手を出すな!十三姉は、あんたを傷付けたくないんだよ!」
「なら、あなたから氏ぬ?」
そう言った幼いお姉さんは、バリっと一瞬だけ雷を剣に流した。
「ぐふっ…」
とたんに、十六号さんがそう息を漏らせて脱力する。
それを確かめるまでもなく、幼いお姉さんは剣を翻して十六号さんの体を袈裟懸けに斬り付けた。
「あっ…!」
真っ赤な血が吹き出して、十六号さんがその場に膝を付く。
「十六号!」
その光景に声を上げたお姉さんが、十六号さんを抱きとめて結界魔法を幼いお姉さんにぶつけた。
それは一瞬で切り払われて消えてしまうけど、次いでふわり、と風が舞って、幼いお姉さんは風の魔法に煽られて数歩押し戻された。
「十六号、大丈夫か?!」
「十三姉…」
苦しそうに声をあげる十六号さんに、お姉さんが回復魔法を施した。
みるみるうちに傷がふさがっていくのが見て取れるけど、そんな隙を幼いお姉さん達が見逃すはずはない。
585: 2015/06/15(月) 22:11:38.64 ID:RPeWojLJo
雷の魔法と火の魔法、氷の魔法がお姉さんに襲いかかった。
「くそっ…!」
お姉さんは十六号さんをかばうようにして体を捩り、その背中ですべての魔法を受け止めた。
もう、お姉さんは悲鳴すら上げなかった。
ジッと歯を食いしばり、それでも、十六号さんに回復魔法を掛け続ける。
「いい加減にしろ!」
「十三姉さん!」
そう声がして、ロ号とへ号と呼ばれた子ども達の前に、十七号くんと十八号ちゃんが立ちふさがった。
「やめろ…あんた達…!」
お姉さんが顔を上げて、声を上げる。
でも、二人は止まらなかった。
十七号くんはヘ号の方に接近戦を仕掛け、十八号ちゃんはロ号に真っ赤に燃える火球を放つ。
へ号は十七号くんの突進を受け止めて、力任せに壁へと叩きつけられた。
ロ号は火球を一瞬で氷の魔法で固めて消し、さらにその氷をくだいて十八号ちゃんに殺到させる。
このままじゃ、ダメだ…お姉さんが戦ってくれない限り、私達は負けちゃう。
でも…でも、お姉さんを戦わせるの?
みんなのために、あのお姉さんと同じ子を、お姉さん自身に傷つけさせる、って言うの…?
本当に、それでいいの…?
確かに、それ以外にはきっと方法はない…でも、じゃぁ、お姉さんの心を犠牲にして、私達はそれでも勝つべきなの…?
もちろん勝てなければ、お姉さんは殺されてしまう…ううん、違う。
お姉さんは、あの子の相手をせずに逃げ出すことだってできるはずだ。
その方が、お姉さんにとってはきっと良い。
私達は魔導士さん達の転移魔法を使えば、逃げきれる可能性だってあるし、そもそも魔導協会の狙いはお姉さんだ。
逃げた私達をわざわざ追ってくるようなことはないだろう。
でも、ここには私達だけじゃない。
たくさんの魔族の軍人さんたちが、下の階にはたくさんいるんだ。
その人たちは何がなんでも守らなきゃいけない。
お姉さんや私達が逃げおおせても、魔導協会は魔族の人達を狙うだろう。
それが、お姉さんにとっての大事な物だって知っているから…
そんな魔族の人達を守るためには…そのためには…やっぱり、戦うしかないの?
でも…そうしたら、お姉さんが…
586: 2015/06/15(月) 22:12:24.36 ID:RPeWojLJo
私は、自分でも身勝手なことを考えてしまっていた。
私は、お姉さんを守りたい。魔族の人も、守りたい。
でも…でも、もし、どちらかしか守れないのだとしたら…私は、私は…
私は、お姉さんの心を守ってあげたい…
「お姉さん!逃げよう!」
私は叫んだ。
そんな声に、お姉さんがハッとして私を見る。
「そんなこと、出来ない!」
「でも!お姉さんがここで殺されちゃって、二つの紋章を奪われでもしたらもうどうしようもないよ!」
それが取って付けただけの理由なんだ、ってことは分かっていた。
だけど、お姉さん、逃げようよ…!
他の誰でもない、お姉さんを守るために…!
そんな私の言葉を尻目に、再び幼いお姉さんが剣を手に、お姉さんに斬り掛かった。
「くぅっ!」
お姉さんは歯を食いしばって、十六号さんが持っていた剣を拾い上げてその剣撃を受け止める。
パシパシっと、幼いお姉さんに雷が迸った。
また…あれが…!
そう思って、私は自分の目を覆いそうになった。
でも、そのときだった。
お姉さんも同じように、全身に雷をまとわせる。
すると、幼いお姉さんの方が不意に体を震わせ始めた。
「くっ…このぉ!」
幼いお姉さんはそう声を上げると、怒った表情でさらに多くの雷を発生させて剣に流し込む。
バチバチっと、まるでムチが弾けるような音がして、交差している二人の剣が赤く色づき始めた。
剣同士の間で雷が行き交い、お姉さんと幼いお姉さんの体からはプスプスと煙が上がり出す。
そんなとき、お姉さんが叫んだ。
「十六号、離れてろ!」
それを聞いた十六号さんは、ハッとして飛び起きると回復の終わった体で私達のところに走って戻ってくる。
それを見届けたお姉さんは、ついに、幼いお姉さんを見てからすっかり光を失っていた両腕の紋章に再び光を灯した。
「うぐぅっ…!」
再び、幼いお姉さんが声を漏らせて体をビクつかせる。
「もうやめろ…その狂化魔法陣をそれ以上維持したら、体がダメになるぞ…!」
お姉さんは、まるで何かをお願いするような、そんな表情で幼い自分にそう声を掛ける。
でも、彼女はお姉さんを睨みつけて、言った。
「体が壊れても、お前を頃す…!それで、私は私になるんだ…!」
次の瞬間、幼いお姉さんの魔法陣がまぶしい位に輝き始める。
幼いお姉さんから強烈な閃光とともにバシバシと音を立てて稲妻が走った。
587: 2015/06/15(月) 22:13:13.94 ID:RPeWojLJo
「マズい…!」
そう声が聞こえたとき、私は後ろから魔導士さんに抱きかかえられて、気がつけば結界魔法の中に居た。
その直後、幼いお姉さんの体から無数の雷が部屋中にその稲妻を伸ばし始めた。
「ぎゃっ!」
「あがっ!」
そんな声がしたので目をやると、幼いお姉さんの変化に気付かなかったのか、ロ号とへ号がその雷に打たれて体を痺れさせ、床に倒れ込んだ姿があった。
これ…まるで本物の雷みたいだ…こんな力を、私とさほども変わらないあの小さな体で操っているの…!?
私は、そう思って光に目を細めながら幼いお姉さんを見やった。
光の中で、幼いお姉さんは、ゴボッと大量の血を吐いた。
「おい…!もうやめろ!」
「やめない…お前を頃すまで、やめない!」
口からだけじゃない。
そう言った幼いお姉さんは、鼻からも目からも血を流し始め、皮膚がパシっと言う音と共に裂けてそこからも血をにじませる。
どうして…?
どうしてそこまでして、お姉さんを頃したいの?
そんなことしなくったって、あなたはあなたで、それでいいじゃない…
お姉さんとあなたは…姿形も、考えていることも似ている…
でも、おんなじ存在ではない。
だって、私の目の前に二人共いる。
例え挿し木で育った木だったとしても、その木は花を付けることも、実を付けることも出来る。
一つの体を二人で共有しているんじゃない。
ちゃんと二人共、世界に存在しているんだ。
どちらかがどちらかを頃して奪い取るようなものなんてない。
どちらかがどちらかを傷付けて…自分が傷つくようなこともない…そう、そうだよ。
お姉さんの態度で、あの幼いお姉さんの言葉で、私は誤解していた。
あの子は、お姉さんなんかじゃない。
お姉さんだって思うから、おかしなことになるんだ。
あの子は、お姉さんの体から生まれたお姉さんとは別人の誰か。
お姉さんと同じように、魔導協会に利用されて、脅かされて、必氏になってしまっている身寄りのない子どもなんだよ。
だったら…答えなんて、ひとつしかない…!
「お姉さん!」
私は叫んだ。
きっとお姉さんなら分かってくれる…きっと伝わる。
絶対に、間違いなく…!
「その子を、助けてあげて!」
その場に居たみんなが、私を見た。
何を言っているんだ、って、そんな顔をしていた。
でも、私はお姉さんの目だけをジッと見つめていた。
588: 2015/06/15(月) 22:13:51.72 ID:RPeWojLJo
次の瞬間、お姉さんの顔が歪んだ。
その表情は、困ったな、って、そんな感じだった。
難しいことを考えたわけでも、何かの気持ちを押し込んでいる顔ではない。
そう、ちょうど、狭いところに何かが落ちちゃって、手が入らなくって取れずに困っているみたいな、そんな顔だった。
「何を言ってる…?」
幼いお姉さんが、私を見て言う。
でも、そんな僅かな隙を、お姉さんは見逃さなかった。
お姉さんは、片腕で剣を支えると、もう一方の手で自分の腰の剣を引き抜いた。
そして、目にも止まらない速さで剣を握っていた幼いお姉さんの腕を薙いだ。
何かが空中に舞い、ドサッと床に落ちる。
私はそれを見て、瞬間的に肝を冷やした。
それは、腕だった。
幼いお姉さんの腕。
しかも、紋章が描かれている右腕だ。
「あっ……あぁぁぁぁぁぁぁ!」
幼いお姉さんの絶叫が室内に響く。
次の瞬間、幼いお姉さんの肩の周りをお姉さんの氷魔法が覆った。
「十八号!その腕も凍結させておけ!」
お姉さんは、今までの様子がウソのような張りのある声でそう指示を出す。
「は、はい!」
十八号ちゃんは我に返ったように返事をして、魔法陣を展開し床に落ちた幼いお姉さんの腕を氷漬けにした。
その間に、お姉さんは、幼いお姉さんをギュッと抱きしめていた。
「腕…!腕っ…!私の紋章がっ…!」
幼いお姉さんは半狂乱になってお姉さんの腕の中で暴れている。
でも、お姉さんは混乱しても、取り乱してもいなかった。
身じろぎをし、必氏に抵抗をしようとしている幼いお姉さんを抱きしめて、その頭をクシャっと撫でる。
「大丈夫…大丈夫だ…」
「離せっ…!私の腕を返せ…私を返せ…!」
幼いお姉さんは、魔法陣を奪われて魔力を失ったようで、残っていた方の手を握り拳にしてお姉さんの頭をポカポカと叩いている。
「あんたは、ひとりなんだろう?」
「そうだ!お前が、お前が私を奪ったせいで…!」
「そっか…そうだろうな…あたしも、ひとりだったんだ」
お姉さんは体を丸めて幼いお姉さんをまるで愛おしむように抱きしめながらそんなことを口にした。
589: 2015/06/15(月) 22:14:28.57 ID:RPeWojLJo
「十七号、十八号、手を貸せ!」
突然魔導士さんが叫んだので私は思わず顔を上げた。
魔導士さんは両腕に雷の魔法陣を浮かべて、サキュバスさんと共にオニババとローブの男に襲いかかっていた。
サキュバスさんの風魔法がオニババを捕らえてその場に押しとどめ、そこに魔導士さんの雷魔法が降りかかる。
「おのれっ!」
オニババは目の前に結界魔法陣を展開して魔導士さんの雷を防ぐ。
でも、その直後には素早く反応した十七号くんが飛び蹴りで結界魔法陣を破壊した。
さらにその後ろから、十八号ちゃんが火球がオニババを襲う。
「宗主様!」
そう声が聞こえて、ローブの人がオニババの前に立ちふさがった。
火球がローブの人を捉え、激しく燃え上がる。
次の瞬間、オニババ達の足元に転移魔法陣が輝いた。
「くそっ!全力でいけ!」
魔導士さんがそう叫んだ。
同時に、魔導士さんの雷魔法、サキュバスさんの風魔法、十八号ちゃんの火球がオニババ達に降り注いだけれど、
それぞれの魔法が到達する直前、部屋をパッと明るく照らして二人は姿を消した。
「逃がしたか…」
「どうする、十二兄さん。あの子が控えていないなら、私達とサキュバスさんで協会へ乗り込んで行ってひと思いに叩ける」
十八号ちゃんが魔導士さんにそう提案する。
しかし、魔導士さんは首を横に振った。
「いや…こっちは手負いだ。それに、今はここを空けるのは得策じゃない。近衛師団長が裏切ったんだ。他にヤツと意思を通じていた物がいないとも限らない」
「そっか…主力が出払ったんじゃ、その間に暴れられても対応が遅れるね」
魔導士さんの言葉に、十八号ちゃんは冷静な様子でそう返事をして頷き、それからお姉さんたちの方に目をやった。
お姉さんは、相変わらず幼いお姉さんを抱いて居る。
そんな様子は、さっきまで戦っていた人をしてにしているとは思えない。
まるで、ぐずる赤ん坊をあやしているような、そんな感じだ。
「お前がひとりだなんて嘘だ!それなら、どうしてこんなに人がたくさんいるんだ!どうしてみんなお前を助けるんだ!」
「ひとりだったよ。あたしは何かのためにずっと戦ってきた。そのときどきで、目的はいろいろだってけど…そしたら、いつの間にか、一人じゃなくなってたんだ」
「なんだよそれ!そんなの、信じられるか!」
「お、おい、こら、暴れるな」
腕の中で暴れる彼女をお姉さんは優しく抱きしめて、落ち着かせる。
そんな様子を見ていた十八号ちゃんが、ふと口にした。
「ねえ、十二兄さん…もし、あそこに居た頃、兄さんが私達を殺さなければ勇者になれない、って話をされたら、兄さんはどうした?」
その言葉に、魔導士さんはグッと黙ってから、はぁ、と息を吐いて言った。
「それでも俺はお前たちを手に掛けるようなことはしなかった…とは、言い切れないな」
「あの子は、きっとそうだったんだ…だから、十五号姉さんを頃した…生き残るために…」
そう言って、十八号ちゃんはギュッと拳を握った。
590: 2015/06/15(月) 22:15:38.59 ID:RPeWojLJo
何を思っているんだろう。
私はそんなことを考えてしまっていた。
魔導協会であった辛いことの記憶だろうか?
それとも、十五号さんって人のこと?
もしかしたら、あの幼いお姉さんが過ごしてきた時間を思っているのかもしれない。
私は、十八号ちゃんにそのことを聞こうとして、でも、うまく聞ける気がしなかったから、言葉を飲み込んだ。
たぶん、同じ境遇に居た十八号ちゃん達にしか分からないことがあるんだろう、ってそう思ったからだ。
「どうして…どうしてこんなことになるんだよ!私の腕を返せ…私を返せ…!理事長様に捨てられる…お前を殺さないと、私はどこへも帰れない…!」
幼いお姉さん…確か、零号、って呼ばれていたっけ。
零号ちゃんは、目から大粒の涙をこぼして叫んだ。
「ひとりはイヤだ…帰る場所がないのはイヤだ…!そんなのイヤだ…イヤだよ…!」
「なら、ここに住め」
お姉さんは、零号ちゃんの頬を伝った涙を拭ってそう言った。
その言葉に、零号ちゃんは急に暴れるのをやめてお姉さんをジッと見つめる。
「ここが、あんたの帰る場所だ。今日からここが、あんたの家だ。あんたはひとりじゃない。あたしがそばに居てやる。あたしじゃ不満なら、他にももっと人はいるぞ?」
お姉さんは、零号ちゃんの顔を覗き込むようにしてそう言い、それから私を見やった。
不思議と、それだけで、お姉さんの言いたいことが私には分かった。
私は床に座り込んでいるお姉さんと、そのお腹に座り込むようにして抱かれている零号ちゃんのそばへと行って、膝を付いて座り、零号ちゃんに挨拶をする。
「私は、幼女。みんなには、人間、って呼ばれたり、畑の指揮官、なんて呼ばれたりしてるんだ。よろしくね」
私の言葉に、零号ちゃんはポカンとした表情をしてしまっていた。そんな表情がおかしくて、私はクスっと笑ってしまう。
「それから、あっちはサキュバス。向こうは、妖精ちゃん。魔道士はもう知ってるな?それから、兵長に黒豹は…あぁ、まだ意識戻ってない、か…」
お姉さんは、優しい笑みで零号ちゃんにそう話しかけ続ける。
そんな様子を聞いていた十八号ちゃんが、十七号くんと十六号さんに目配せをして、三人並んで私達のそばまでやってきた。
「よう。俺は、十七号だ」
「アタシは、十六号。力任せに斬りやがって、痛いじゃないかよ」
「私は十八号。よろしく」
三人は三様の挨拶をして、零号ちゃんを見つめた。
相変わらず、呆然とした様子の零号ちゃんに、お姉さんが穏やかに声を掛ける。
「ほら、あんたも挨拶くらいできるだろう?名前は?」
そんなことを言われて、零号ちゃんはパクパクっと、口を動かして、それから慌てた様子でゴクリ、と一息飲み込んでから
「わ、私は……零号」
とか細い声で言った。
それを聞いたお姉さんが、すかさず零号ちゃんの頭を撫でつけて
「ん、いい子だ。ちゃんと挨拶できたな」
なんて褒める。
それから、お姉さんは、穏やかな声色のままに、零号ちゃんに言った。
「あたしは、勇者で、魔王で、この城の城主で、十三号、って呼ばれてたこともある。皆好きなように呼んでくれてるから、あんたも好きなように呼んでくれな」
その言葉に、零号ちゃんが再びお姉さんに視線を戻した。
591: 2015/06/15(月) 22:16:24.10 ID:RPeWojLJo
「なんで…?どうして…?私は、私は…私じゃないのに?」
「あんたはあんただよ。でも、あたしはあんたじゃないし、あんたはあたしじゃない。よく似ているけど、違うんだ」
「違う…?」
「あぁ、そうだ。あたしも、この子達も魔道士も、みんなあんたと同じで魔導協会で“使われて”、最後には捨てられた。そう言う意味では、同じだけど、ただそれだけだ。
存在が同じやつなんていやしない。同じ経験をしてきたって、ほら、こいつらは見るからに違うだろう?
あんたとあたしも、そうなんだ。同じ体だろうが、同じ経験をしようが、同じじゃない。
だから、さっきまでやってたみたいに戦ったり、こうやってあんたの涙を拭いてやったりできるんだ、そうだろう?」
そんなお姉さんの言葉を聞いても、零号ちゃんはやっぱり呆然としたままだ。
それを見たお姉さんは、苦笑いを浮かべて、もっと優しい口調で、もっと優しいことば遣いで零号ちゃんに言った。
「あんたは、零号。あたしは十三号。他のやつらにもそれぞれ名前があって、それぞれいろんなことを考えてる。誰ひとり、あんたと同じやつなんかいない。
あんたは、あんただ。わかるか…?」
「私は、あなたと違うことを考えてる…だから、あなたと同じではない…私は、私…」
零号ちゃんが、ポツリと言った。それを聞くや、お姉さんがまた、大げさに零号ちゃんの頭を撫でて褒める。
お姉さんはそれから、また言った。
「あとは…そうだな。あたしも、みんなも、あんたと一緒にいてやれる。みんなあんたとは違うけど、でも、一人は寂しくて辛いってのは、みんな知ってくれてる。
だから、あたしやあんたが寂しく思わないように、って、必ずそばにいてくれる。あたしも、できる限りそうする。
あんたもできる限り、誰かが寂しくないようにそばにいてくれよ、この城に住んで、さ」
ハラっと、零号ちゃんが再び涙をこぼした。
表情が、まるで崩れるように歪んでいく。
「私…ここにいてもいいの…?」
「ああ、今日からここがあんたの家だ。あたし達が、まぁ、家族みたいなもんだな」
「一緒にいてくれるの…?」
「うん…あんたはひとりじゃない」
お姉さんは零号ちゃんにそう言い、両手でほっぺたの涙を拭ってから、その胸にキュッと抱きしめた。
「寂しかったろ、ずっとひとりで…怖かったよな…でも、もう、安心していい。これからはずっと、あたし達が一緒だ」
お姉さんは、零号ちゃんのクセのある黒髪に頬ずりするようにしながらそう囁く。
「うぅっ……うぅぅぅぅ………!」
やがて、零号ちゃんがそう声を上げて泣き始めた。
592: 2015/06/15(月) 22:18:50.97 ID:RPeWojLJo
それを聞いて、私はふっと胸につかえていた何かが抜けて、力が抜けてしまうような、そんな感覚を覚えていた。
緊張感がようやく解けて、思わず、ため息を出てしまう。
きっとみんなもおんなじだったのだろう。誰からともなくふぅ、と息を吐く音が聞こえてきて、部屋の中の空気がずいぶんと柔らかになる。
「さて…じゃぁ、手当ての続きをしないと、な」
十六号さんがそう言って十七号くんを見やった。
「そうだな。えっと、十八号、回復魔法の術式、どんなだっけ?」
十七号くんが十八号ちゃんにそう聞く。
「あなたには、多分無理。十六姉さんになら、簡単な物ならきっとできる」
十八号ちゃんはうっすらと笑みを浮かべて言った。
「魔族の回復魔法を試してみるですか?
妖精さんがそんな風に言って、三人の会話に割り込んでくる。
「魔導士様、ここはお任せしてよろしいですか?私は階下の様子を見てまいります」
サキュバスさんが魔導士さんにそう尋ね、魔導士さんが
「あぁ、任せておけ。十七号、サキュバスに付き添え」
と十七号くんを呼ぶ。
「護衛だな。確かに、回復魔法よりも俺はそっちだな」
十七号くんはなんだか胸を張ってそう言い、サキュバスさんと言葉を交わしながら部屋を出て行った。
ふと、私は、窓の外が随分と静かになっていることに気がついて、窓際まで行って外を眺めてみた。
そこには、厚い雲なんてどこへやらで、綺麗に瞬く星々と、明るく光る下弦の月が輝いていた。
雨に濡れた城壁とその向こうの大地が月明かりをキラキラと反射させていて、まるで地面にも星がたくさんあるような、そんなふうにも見える。
そう、それはまさしく、嵐が過ぎ去ったあとの、すべてが洗い流された、荒れ果てて美しい景色だった。
その景色があまりにもきれいだったものだから…ううん、そうじゃなくったって、私は気がついていなかっただろう。
すでに次の嵐が、もうすぐそこまで近付いて来ているだなんて。
599: 2015/06/22(月) 22:28:41.81 ID:wiCrwXZ2o
朝が来た。
太陽が登って、昨日の夜に散々降った雨に濡れた世界が、キラキラと眩しいくらいに輝いている。
そんな中を、私は妖精さんと十六号さんとの三人で畑に向かって歩いていた。
お城では、大ケガをした人達の治療が続いている。
ほとんどのみんなは傷こそ回復魔法で塞がったものの、血を流しすぎたり意識を失ったりしていて、未だに満足に動けない。
サキュバスさんが中心になって魔族軍の人達で編成された治療班が懸命に手当てや介抱を続けているけど、全員が元気になるまでには、まだしばらくの時間が必要そうだった。
「おぉ、なんだ、なんともないな」
不意に十六号さんがそんな声を上げる。私もその声に釣られて、目の前に広がる畑を見渡した。
そこには、雨の滴に濡れて輝くお芋の新芽が逞しく葉を伸ばしている姿があちこちにあった。
畝が崩れたりもしていないし、畑の中に水溜まりがあったりもしない。畑もなんとか、昨晩の嵐を乗りきっていたようだった。
「うん、そうみたい。みんなが排水路を掘ってくれたお陰だね」
私が言ったら、十六号さんと妖精さんが嬉しそうに笑ってくれる。
どうやらあんなに降った雨はちゃんと排水路に流れてくれたようで、排水路の先に掘った溜め池にはたっぷりと水が入っていた。
「井戸は大丈夫かな?」
ふと、妖精さんがそう言って庵の方を見やった。向こうもパッと見た限りは大きな影響は無さそうだ。
もちろん井戸の穴の方は埋まってしまっているかも知れないから、お城の方が落ち着いたらまた戦士さん達に頼まなくちゃな。
魔族軍の再編のことのもあるし、なにより今は隊長さん達が近衛師団の人達それぞれに師団長さんのことやこんかいの事に関する聞き取りをしているから、
作業の再開にはまだしばらく時間がかかりそうだけど…
「庵は無事だけど…穴は分かんないよな」
「うん、きっと平気だと思うけど、みんなが良くなるまでは掘るのは中断しよう」
「そうだね、みんなのケガ、ひどいもんね…」
妖精さんがそう言って悲しい顔をした。
あの戦いで、氏んでしまった人達もいた。
ほとんどは小隊長さん達を含めた、突撃部隊の魔族さん達…
突撃部隊の人達は、私達が転移魔法でお城から一時的に逃げ出したあとに大挙して部屋に押し入り、オニババ達に戦いを挑んだらしい。
でも、あの零号ちゃんを筆頭にした子ども達に反撃されて、多くの犠牲者を出してしまっていた。
小隊長さんや鬼の戦士さん、鳥の剣士さんは生きててくれたけど…だからと言って、良かった、なんて言ってはいけないって思ってしまうほどの被害だった。
それに、傷付いたの私達だけじゃない。七人いた魔導協会のローブの人達は五人が、五人いた半分の仮面を付けた子ども達は、みんな氏んでしまった。
魔導士さんの話では、子どもの体にとって強力過ぎる魔法陣を施されたのが一番の原因だ、ってことのようだった。
特に、最後まで生き残っていたヘ号とロ号は、狂化の魔法陣によって生きるための力を食い尽くされた、なんて言っていた。
戦いが終わったあと、彼らの亡骸から仮面を外してみると、そこにあったのは鋭い牙と尖った鼻と言う、オークのような特徴を持つ幼い顔だった。
あの子達こそが、以前魔導士さんが言っていたオークが身籠らせた人間との間の子ども達だったんだ。
お姉さんは、零号ちゃんの体を治療してから、零号ちゃんや魔導士さん、十六号さん達と一緒に、
子ども達を先代魔王様のお墓なんだと言う場所のすぐそばに、沈痛な表情で優しく丁寧に埋葬していた。
十八号ちゃんが言ったように、お姉さん達にとっては一歩間違えば自分達があの子達のようになっていたかもしれない、って思いがあったんだろう。
魔導協会のオニババは、世界を平和に管理するために、お姉さんの両腕の紋章が欲しいんだとそう言った。
でもその為だけに、人の命をまるで道具のように使っている。
平和の礎のための尊い犠牲と言えば聞こえはいいけど、それは、私には、目的だけに執着して過程を省みない狂信的な考えに思えて、身震いを押さえきれなかった。
600: 2015/06/22(月) 22:29:26.00 ID:wiCrwXZ2o
ともあれ、戦いは終わった。隊長さんの言葉を借りれば、ケンカは落とし所が大切。
これからどうしていくかを、きちんと話して決め、それを魔導協会にも伝えなければいけない。
でも……
果たして、この戦いの落とし所って、いったいどこなんだろう…?
さぁっと爽やかな風が吹いてきて、私達を包んでサラサラとクローバーを揺らしながらの大地を駆け抜けていく。
その風の心地よさを味わいながら、それでも私は、そんな重く圧し掛かかってくるような疑問を胸に抱いていた。
「十六号さん、妖精さん。お城に戻ろうか」
私は、なんとか気を取り直して二人にそう声をかける。二人はそれぞれ笑顔で私にうなずいてみせてくれた。
それからすぐに私達はお城に向かって歩きだした。
出入りためには西門が一番近いのだけれど、十六号さんの提案で、お城から出て来て陣地作り直している魔族軍の人達のいる真ん中を歩いた。
「おぉ、嬢ちゃん!」
「チビ、怪我はなかったか?」
「あれが噂の妖精族か…聞いてたよりずっと美人じゃないか」
私達を見る目は昨日とはまるで違った。
雷の前に私達が誘導してお城の中に避難させてあげたことその理由の一つなんだろうけど、
たぶんそれ以上に、お姉さんが暗殺されそうになり、それに対して私達が一丸になって戦ったことが、お城の中に避難していた人達にも伝わっていたようだ。
少なくとも昨日の出来事は、ここにいた人達にとっては
魔族を裏切った師団長とその手引きによってやってきた人間による魔王城への攻撃を退けた、と理解されているようだった。
私達は命を掛けて、魔王であるお姉さんを守り、お姉さんや魔族軍のいる魔王城を人間達の攻撃からも守った。
そのことで、私達はようやく魔族に害をなす者じゃない、って、そう信じてもらえたようだ。
「はっ、油断すんなよ。人間なんだ、どんな汚い手を使ってくるか分からんぞ」
「ちっ、得意げな顔しやがって」
そんな言葉も聞こえなくはない。やっぱり、すべての人に信じてもらうにはもっとじっくりお互いを理解していかなきゃいけないんだろう。
私達は南門を通ってお城の上層階へと上がる。
暖炉の部屋は主戦場になりひどく荒れ果ててしまったので、今は土の魔法が使える魔族さん達が力を合わせて補修してくれている。
その代わりに、一息吐くための場所はその上の階にある食堂に移っていた。
「ただいま、お姉さん」
私がそう言って食堂のドアを開けるとそこには出ていったときのままにお姉さんがいてイスに腰掛け膝の上に座らせた零号ちゃんの体に手を当てている。
傍らではサキュバスさんもお姉さんと同じように、零号ちゃんに手を添えていた。
601: 2015/06/22(月) 22:29:57.35 ID:wiCrwXZ2o
「あぁ、おかえり」
「おかえりなさいませ」
「あのっ…お、おかえり……なさい」
三人はそれぞれの返事を返してくれる。でもすぐに膝の上の零号ちゃんに視線を戻した。
何をしているんだろう?
そう思って見ていたら、サキュバスさんがため息を吐いて言った。
「やはり、ゴーレムとは異なる命魔法ですね」
「具体的に、どう違うんだよ?」
「彼女は、命魔法による強力な生命活性を受けて育ったようです…
魔様の血か何かに絶えず命の活性魔法を掛け続け、体を持つことに成功したのでしょう。創生の禁術に間違いありませんね」
「じゃぁ、やっぱりあいつらの魔力とは関係ないんだな?」
「はい。彼女は言わば、魔法の力で変化を受けたもの。
魔力を宿して活動するゴーレムとは違い、術者であろう人間界の神官の一族が氏んだとしても、彼女が生を失うようなことはありません」
「そっか…なら、良かった」
サキュバスさんの言葉を聞き、お姉さん安堵の表情を浮かべて零号ちゃんの頭を撫でる。
零号ちゃんはそれを嬉しそうに笑って受け入れた。
それからすぐにお姉さんは
「畑の方はどうだった?」
と私に聞いてくれる。
「うん、平気だったよ」
私が答えると、お姉さんは嬉しそうな笑顔を見せて
「そっか、そっちも良かった」
と言ってくれた。
そんな言葉に、私はお姉さんが、あんな戦いの後だから何かそう言える物を探しているんじゃないか、って、そんな風にも感じた。
あんな悲しくて辛いことのあとだ。どんな小さなことでも、「良かった」って思えることを探したくなる気持ちは、なんだか私にも分かった。
それからまた少し、お姉さん達ととりとめのない話をしていると、ドアを開ける音させて、兵長さんが食堂に姿をみせた。
「勇者様、元近衛師団員全員の聴取が終わりました」
兵長が目礼をしながらお姉さんにそう報告する。頭を上げた兵長さんの表情は厳しく引き締まっている。
それを見たお姉さんは
「そうか…」
なんて言ってため息を吐き、次いでサキュバスさんが兵長さんに
「共謀者がいたのですね?」
と端的に尋ねた。
「ええ、師団長の側近二名が、計画を事前に知らせれていたようでしたので、捕縛して地下牢に収監しました」
「そうですか…」
兵長さんの報告に、サキュバスさんも深いため息を吐いた。
602: 2015/06/22(月) 22:30:47.46 ID:wiCrwXZ2o
戦いの後、お姉さんが人間の魔法で拘束していた師団長さんは、あの草原で氏んでいた。
私は直接見たわけじゃなかったけど、身柄を抑えるためにあの場所へ向かった魔道士さんとそれに着いて行った十六号さんの話では、
風の魔法が何かで、自分で首の急所を切ったんじゃないか、って、そう言っていた。
遺体は、サキュバスさんの願いで、半人半魔の子ども達と同じように、先代魔王様のお墓のそばに埋葬されたようだ。
私はそれを聞いたとき、師団長さんとお城の塔で月夜を眺めたときのことを思い出していた。
師団長さんは、私達を騙していた。でも、騙していて平気なわけじゃなかったんだと思う。
嘘を付いていることと、たぶん、師団長さん個人は本当に信頼していたんだろうお姉さんのことを、一族の掟を守るために、
世界の平和を守るために裏切らなければならないんだ、ということはきっと辛かったはずだ。
あの涙は、そのせいで流したものなんだろう。
その気持ちは、もしかしたら、お姉さんがあの悲しそうな笑顔を見せるときと同じ気持ちなんじゃないかな、なんて思った。
平和のために何かを裏切って…何かと敵対してもなお、平和を探さなきゃ行けないって、そんな想いと。
「兵長、あんた、体は?」
お姉さんが兵長さんにそう聞く。
すると兵長さんは柔かな笑みを浮かべて
「大丈夫です…残りの仕事を片付けてしまわないといけませんね」
とお姉さんに答えた。それを聞いたお姉さんも穏やかな笑顔で頷く。
「ああ。近衛師団は解体して、残りの各師団へ振り分けよう。で、代わりに各師団から少しずつ兵を出してもらって、新たに近衛師団を作らなきゃならないな…」
「そうですね…その案が良いと思います」
「あいつらの様子は?」
あいつら…きっと竜族将さん達、偉い魔族の人達のことだ。
「今は陣を整え直している頃でしょう。呼びかければ半刻待たずに集まると思います」
「半刻後は、ずいぶんと急だな。昼過ぎにしよう、場所は同じ会議室だ」
お姉さんの言葉に、兵長さんは頷いて
「はい、では、後ほど触れて参ります」
と答えた。
魔族軍の再編も、今回のことで大きく足踏みをしてしまった。あのとき以上に話し合いが拗れたりしなければ良いんだけど…
そんな私の心配を余所に、確認を終えて部屋から出ていく兵長さんを見送ったお姉さんは、零号ちゃんを床に下ろして立ち上がり、大きく伸びをしてみせた。
「さて、じゃあ、あたしも準備しなきゃな」
そう言って、お姉さんは、誰ともなしに穏やかに笑った。
603: 2015/06/22(月) 22:31:29.93 ID:wiCrwXZ2o
「違うですよ、もっとこう、ギュッとしてパァっと!」
「えぇ?何が違うんだ?」
「今のだと、グッとなってバーって感じです」
「そ、そうか…もう一回最初からだ…集中して、力を捕まえて…うりゃっ!」
「それも違うです!そんなにブワッとやったらせっかくの力が逃げちゃうですよ!」
「あはは、あんたは不器用だな、十七号」
「くっそぉ!何で十七号姉と零号には出来て俺に出来ないんだ!」
「幼女ちゃんの方が上手。十七号、下手くそだね」
お昼ご飯を食べてから、私達は十六号さん達の部屋に来ていた。
井戸掘りをしている最中に十七号くんが妖精さんにお願いしていた、魔族魔法の特訓だ。
私は寝る前なんかにほんの少しずつだけど練習して、今は何とかコップの中の水に渦巻きを作るくらいは出来るようになっていたから、
今、妖精さんが十七号くんに一生懸命教えている風魔法で羽を動かすくらいはそれなりにこなせたけど、十七号くんはかなり苦戦している。
「だから違うんだって。あんたのそれは、腕を振って風を起こそうとしてるだけじゃないか」
「投げる感じ。ポイって」
十六号さんと十六号さんの膝の上に座った零号ちゃんがそんな事を言って冷やかす。
十六号さんと零号ちゃんは、妖精さんが二、三度コツを教えたら、すぐに感じを掴んだみたいで動かすだけではなくって羽をクルクル、フワフワと宙に浮かべてみせた。
私はクローバーを動かすのに三日も掛かったのに、こんな短い時間で出来てしまうなんて正直驚いた。
十六号さんが言うには、
「人間の魔法は内側の力を動かす魔法で、魔力の魔法は外側の力を動かす魔法だから感じは違うけどまったく別の物ってわけでもないみたい」
らしい。
人間の魔法が使えない私には、その言葉はよく分からなかったけど…
「幼女ちゃんもおいで」
不意に脈略もなく零号ちゃんがそう言って私の腕を引っ張った。私は立ち上がってその手に引かれるまま、十六号さんの膝の上に腰を下ろす。
すると、零号ちゃんはとびっきりに嬉しそうな表情で笑った。
戦いのあと、零号ちゃんはサキュバスさんとお姉さんの魔法で、斬られた腕を元に戻された。
そのとき、お姉さんは零号ちゃんの腕の勇者の紋章をまるで羊皮紙を捲るみたいに引き剥がして、零号ちゃんの腕を斬った剣に貼り付けた。
お姉さんにそんなこと出来たという事に私は少し驚いたけど、でも、よく考えてみればお姉さんはサキュバスさんに魔王の紋章を簡単に移してみせたりしていたし、
きっと紋章を持っている人にだけ分かる何かなんだろうと私は納得していた。
そんな零号ちゃんの腕には、今は魔道士さん特性の、十六号さん達と同じ魔法陣が描き込まれている。
勇者の紋章を剥がされた零号ちゃんは、最初は不安そうにしていたけど、十六号さん達とお揃いの魔法陣をもらってからは安心したような、嬉しそうな顔をした。
腕を治してからは、零号ちゃんは十六号さんに謝った。
十六号さんはそんな零号ちゃんに、
「気にすんな。十三姉ちゃんは忙しいことが多いから、そう言うときはアタシが面倒を見てやる。あんたも、姉ちゃんって呼べよな」
なんて言っていた。
604: 2015/06/22(月) 22:31:55.28 ID:wiCrwXZ2o
その結果、零号ちゃんはこうして十六号さんにもべったりだ。
ずっと自分は一人だと思っていた零号ちゃんが、お姉さんや十六号さんに一緒にいてあげる、と言われて嬉しくなってこうなってしまっているのは良く分かる。
でも、零号ちゃんが私にまでこんなにくっついていたがるのは、なんだかちょっと不思議だった。
「投げるんだよ、十七号くん。ポイッて、ほら、ポイッ」
零号ちゃんは、私と十六号さんに寄りかかり、なんだか楽しそうな笑顔で十七号くんにそう言う。
「投げるって言ったって…」
零号ちゃんにそう言われて、十七号くんは腕に微かな光を灯しながら、
それで何とか目の前の羽を動かそうと何度も腕を振っては、光が消えてしまう、というのを繰り返している。
その様子がなんだか可笑しくって、私はいけない、と思いつつもクスクスっと笑ってしまっていた。
不意に、コンコン、と部屋のドアをノックする音がした。
「どうぞー?」
十六号さんがそう声をあげると、カチャリ、とドアが開いて女戦士さんと鬼の戦士さんが顔を出した。
「よぉ、やってるな」
女戦士さんがそんなことを言いながら部屋に入ってくる。
「ふふ、練習なら付き合うよ?」
鬼の戦士さんは今日も優しそうな表情だ。
二人とも、戦いでは身動き出来ない程の傷を負っていたのに、回復魔法でピンピンとしている。
そんな二人を見るなり、零号ちゃんが十六号さんの膝から飛び降りて二人の前に立ちはだかって言った。
「あの…あの…昨日は、ごめんなさい…」
零号ちゃん体を小さく縮こまらせてそう謝った。
そんな零号ちゃんの頭を、女戦士さんがクシャクシャと撫で回す。
「なに、平気だ」
「うんうん、気にしないで」
二人は口々にそう言って零号ちゃんに笑いかけた。
昨日の戦いで、同じ部隊の人が何人も氏んでしまったというのに…二人は、そんなことを気にする様子もない。
「戦いなんだ…仕方ないよ」
女剣士さんが、昨日、治療の最中にそんな言葉を漏らしていたけど、二人ももしかしたらそう思っているのかもしれない。
もしかしたら、本当は心の中は複雑な思いがあるのかもしれないけど、それを黙っているのかもしれないとも思う。
でも…そもそも二人は、人間と魔族。
戦争の最中だってお互いを傷つけあっていたかもしれない。それでも、二人と他の人たちだって、そんなこと気にする素振りなんて見せずに一緒にいることが多い。
近衛師団の人たちへの尋問も、諜報部隊と突撃部隊の人達が協力してやってくれていたらしいし…
そんなことを考えていたら、零号ちゃんと一緒に私達のところにやってきた女戦士さんが、私の頭もゴシゴシっと撫で始めるなり、ニヤっと笑って
「ケンカは落としどころ、だよ」
なんて言ってみせた。
605: 2015/06/22(月) 22:32:39.72 ID:wiCrwXZ2o
「鬼の姉ちゃん!いいところに来てくれた!なぁ、なんかもっとコツないのかな?」
十七号くんが鬼の戦士さんに向かってそう悲鳴を上げる。そんな十七号くんに鬼の戦士さんはニコっと笑って
「ふふ、じゃぁ、すこし練習してみようか」
とその傍らに座り込んだ。
「あんた達はやらないの?」
女戦士さんは私たちにそう言いながらすぐそばに腰を下ろす。
「アタシらは基本的なことはできたんだよ」
十六号さんが答えると、女戦士さんはカカカと高らかに笑って
「すごいなぁ、アタシはやってみたけど出来なかったんだよ!大雑把なやつには出来ないんじゃないのか、魔族の魔法って?」
なんて言ってみせた。
「そう、そうやって力を纏わせたら、そっと意識を前に…放つんじゃなくて、伝える感じよ」
「つ…伝える感じ…伝える…伝える…伝える…」
鬼の戦士さんの言葉に、十七号くんが意識を集中し始めた。その腕の光が微かに強くなって、さわさわとクローバーが揺れ始める。
「お、おぉ!?」
と、妖精さんがそれを見て、抑え気味にそんな歓声を漏らした。私も、小さなテーブルの上に置かれたクローバーをジッと見つめる。
「んっ!」
十七号くんがそう声を漏らした瞬間、クローバーがくるりとテーブルの上で向きを変えた。
「おぉ、うまいもんだ!」
「あははは、なんだ、やればできるじゃんか!」
「十七号くん、よくできました!」
女戦士さんに十六号さん、零号ちゃんが口々にそう声をあげる。
「で、できた…!」
十七号くんも嬉しそうにそう言って、私や妖精さん、鬼の戦士さんの顔を代わる代わる見つめた。
「やっぱり戦士様の教え方は上手です」
妖精さんがそんなことを言って感嘆したけど、それを聞いた十六号さんがすぐに
「そうかな?アタシは妖精ちゃんの教え方ですぐに感じがわかったよ」
と言葉を返す。それに続いて零号ちゃんも
「そうです、妖精さんも、上手ですよ」
とそれに賛成した。
私にしてみたら、どっちかと言うと鬼の戦士さんの説明の仕方の方がしっくり来て分かりやすいと感じられたけど…でも、そう言うものの感じ方は人それぞれだ。
「そうだ、十七号を鬼の姉ちゃんが見てくれるんなら妖精ちゃん、アタシに回復魔法を教えてくれよ!」
十六号さんがそう話をかぶせて来た。それには、私も少し興味がある。
回復魔法ができたら、私にだって少しはできることが増えるかもしれない。
十八号ちゃんや、お姉さんのようには行かないかもしれないけど、自分のケガやなんかを手当することができたらきっと迷惑を掛けることも減るだろうし、
昨日のようなときでも戦える人達の手をわざわざ割かなくて済む。
「それは出来るから私は平気」
と零号ちゃんが口を挟んだけど、私も十六号さんに賛成して
「私もやりたい!妖精さん、教えて!」
とお願いした。
606: 2015/06/22(月) 22:33:22.80 ID:wiCrwXZ2o
すると妖精さんはデレデレっと明らかに嬉しそうな顔をしながら
「うん、任せてくださいです!私、回復魔法は風魔法と同じくらい得意ですよ!」
と言ってくれた。
「魔族の回復魔法は自然の力を高める魔法なのです」
妖精さんはそう言いながら、フワリと手を光らせて見せる。
「サキュバス様の命の魔法と似ていますが、それよりももっと単純で簡単なのですよ。まずは、風の魔法をするときと同じように魔力を集めるです」
妖精さんの説明に、私と十六号さんは顔を見合わせ、それから集中して自然の魔力を腕にまとわせる。
零号ちゃんも、人間の回復魔法が出来るから平気だ、と言ってはいたけど、十六号さんの膝の上で私達と同じように魔力を集め始めた。
「あとはその力を使ってポワッとやるです」
ポワッと…と言われても…今は目の前にケガをした人がいるわけじゃないし…妖精さんが言うそのポワッと、っていうのも感覚はいまいち伝わってこない。
「んー、どれくらいポワッとなのかは、実際にやってみないと加減が分からないな…」
十六号さんは、ポワッと、っていうのは分かっているらしいけど、やはり実際にそれを誰かにする感覚は掴みきれないらしい。
するとそれを聞いた妖精さんはスックと立ち上がり、窓辺に置いてあった魔導士さんのボタンユリの鉢を持って戻って来た。
「ここに試させてもらうです」
妖精さんはそう言うと、ボタンユリの茎にガリッと爪でひっかき傷をつけた。
僅かに窪んだその場所からは、うっすらと水分が染み出してくる。
「よし…まずはアタシだ…」
十六号さんは、言うが早いか、ボタンユリの鉢植えにそっと手をかざした。
十六号さんの腕の光が徐々に手の平の方に集まっていき、やがて手の平から広がる様に光がボタンユリへと伸びて行く。
「十六号さん、上手ですよ!」
妖精さんがそう言ったのも束の間、ふぅ、と息を漏らせて十六号さんが手を降ろした。
ボタンユリの茎を見て見ると、ついさっき妖精さんが付けた傷が見事に亡くなっていた。
「すごい!十六号さん、できてる!」
私は思わず、そう感嘆してしまった。すると十六号さんはあははと声をあげて笑って
「なるほど、こっちの回復魔法ならアタシでもなんとかやれそうだ!人間魔法の回復は、術式がややこしいんだよなぁ」
なんて零号ちゃんの頭を撫でながら言う。
「次、私もやる」
と、今度は零号ちゃんがそう言って、さっき妖精さんがしたようにボタンユリの茎に傷をつけてから手をかざした。
零号ちゃんの手の平に灯った光は十六号さんよりも弱く、すこし頼りなく見えたけど、それでもボタンユリの傷はほどなくしてまたなくなった。
「できた!」
そんな声をあげた零号ちゃんを、十六号さんがまたよしよし、と撫でながら
「すごいじゃないか零号!」
なんてほめている。でも、当の零号ちゃんはすこしだけ顔をしかめて
「これ、風の魔法より難しいよ」
なんて言った。
私はそれを聞いてなんだか緊張してしまう。
風の魔法より難しい…というんなら、ようやくそれをなんとなく使えるようになっただけの私に、回復魔法なんて出来るんだろうか?
607: 2015/06/22(月) 22:33:57.78 ID:wiCrwXZ2o
「さ、次は人間ちゃんだよ」
妖精さんがそう言って、ガリっとやったボタンユリの鉢植えを私の前にズイと押し出して来た。
落ち着いて、深呼吸。緊張していると集中しにくくなっちゃって、返ってうまく行かない。
私は十六号さん達とは違って、そもそも魔法なんて使えなかったんだ。
うまく行かなくったって当然…それくらいの気持ちで、とにかく楽にやらなきゃ…
私は自分にそう言い聞かせながら両腕に意識を集中する。
皮ふから、空気を吸い込む感覚で、自然の力を取り込む…そうすれば、ジンジンと、腕の中がほのかに温かくなってくるんだ。
私の腕が、フワリと光り始める。
そう、ここまでは、風魔法と一緒…
あとは、これをポワッとやればいいんだよね…ポワッと、っていうのがやっぱりよくわからないけど…
そう思いながら、私はボタンユリに手をかざしてみる。
風魔法はこの力を、空気に混じらせて操るというか、空気を引き寄せてそれを動かすというか、そんな感じだった。
回復魔法は…もっと、暖かな感じ、だったな…ってことは、これを空気じゃなくてそのままボタンユリに伝えればいいの…?
私は、そう考えて腕の魔力をそっとボタンユリに伸ばしていくように意識する。
やがて腕の光が、十六号さんや零号ちゃんがやったときと同じように、手の平の方に集まって来た。
「おっ、いいぞいいぞ…!」
「幼女ちゃん、がんばって…!」
十六号さんと零号ちゃんが、声を抑えながらそう応援してくれる。
私は、さらに意識を集中させて、腕の光と魔力の温もりをボタンユリに伸ばしていった。
すると、傷をつけた部分がジワリジワリと狭くなり、まるで窪んだ部分が内側から盛り上がってくるように、やがては張りのある茎へと戻った。
「で、できた…!」
私は思わずそう声をあげて妖精さんを見た。
妖精さんも笑顔で私をみていてくれて、目が合うとパチパチと拍手してくれる。
「あははは!すごいや、魔族の魔法は十七号より全然うまい!」
「うんうん、すごい!十七号くんは下手だからね」
「へぇ、驚いたな!」
十六号さんと零号ちゃんに、女戦士さんまでもがそう言ってくれる。
私は、それも嬉しくて、えへへ、とたまらずに笑顔になってしまった。
「俺を比較に出すなっての!今に見てろ、すぐに追いついて追い越してやる!」
鬼の戦士さんと練習をしていた十七号くんがそう口を挟んでくるけど、十七号くんも笑顔だ。
608: 2015/06/22(月) 22:34:36.85 ID:wiCrwXZ2o
「なぁ、次はさ!あの念信ってやつも教えてくれよ!」
不意に、十六号さんがそう言った。
あの遠くの人とも意志の疎通が出来る、っていう、魔族の魔法だ。
「いいですよ!念信は、風の魔法の応用ですけど、回復魔法ほど力が要らないので、そんなに難しくないです!」
妖精さんも、私達に魔法を教えるのが楽しいのか、満面の笑みでそう言い、座りなおして息を整えた。
「念信魔法は、風の魔法を使って自然の言葉を広げる魔法です。届けたい人にだけ伝える方法と、みんなに広める方法とがあるですよ」
「なるほど…個人に届けられる、ってのは便利だな」
「そうなのです。これで、寝る前に秘密の喋りしても、何を話しているかは誰にも分からないですよ」
「それ、私もやりたい!」
「ふふ、では、よく聞いてくださいです。まずは、魔力を集めて風の力を引き寄せるです」
十六号さんと零号ちゃんとそう言葉を交わした妖精さんは、そう言って今度は耳のあたりをフワリと光らせた。
言葉を届ける、っていうくらいだから、聞くためには耳の辺りに魔力を集める必要があるのかもしれない。
そんなことを思いながら、私も妖精さんの説明を聞いている。
でも、そんなとき、妖精さんは意識を集中したまま、急に黙り込んでしまった。
「よ、妖精ちゃん…?」
十六号さんが心配げにそう声をかける。
でも、妖精さんはそれに答えるどころか、徐々に表情を曇らせ、体をこわばらせだした。
よ、妖精さん…ど、どうしたの…?
「おい、妖精ちゃん、何か聞こえるのか?」
不意に、十六号さんがそう声をかけた。それを聞き、異変に気付いたのか鬼の戦士さんが妖精さんの顔色を伺う。
「何か、良くない知らせが…?」
そう言った鬼の戦士さんも、額の角の辺りを光らせた。
そしてすぐに、妖精さんと同じように厳しい表情を見せる。
「た、大変です…」
妖精さんが、そう口を開いた。
「ええ…すぐに城主様のところに行って来るわ…知らせないと…女戦士、来て!」
「えぇっ?わ、分かった、行く、行くよ」
鬼の戦士さんが立ち上がってそう言い、女戦士さんの肩口を引っ張ったので、女戦士さんも慌てて立ち上がって駆け足で部屋から出て行った。
そんな二人を見送った私は、改めて妖精さんに視線を戻す。
妖精さんは、真っ青な顔をしてうなだれていた。
「よ、妖精さん…なにがあったの…?」
そう聞いた私に、妖精さんはかすれた低い声で、教えてくれた。
「魔界全土に念信が流れてるです…魔王様が、二つの紋章を使って世界を支配するつもりだと。
それを防ぐために、魔族は人間軍と共同作戦を実施して魔王様を討つ、ってそう言ってるです…」
612: 2015/06/30(火) 00:54:09.08 ID:YOSLxh4ho
それから程なくして、私達は食堂に集まった。
お姉さんにサキュバスさんに妖精さん。兵長さんと黒豹さんに、魔道士さんと十六号さんと十七号くん、そして零号ちゃんも、だ。
「最悪、起こりうるんじゃないかと思ってはいたが…想像以上に手が早かったな…」
そう言ったのは、魔道士さんだった。
その言葉は、食堂の重苦しい沈黙をさらに私達に突きつけるようだった。
「魔族の勢力は、サキュバス族が中心なんだな?」
お姉さんがサキュバスさんにそう尋ねる。
「はい…恐らくは、普段、一族の防人を担っている二千程が、配下にあると言って良いと思います」
サキュバスさんは沈痛な面持ちで答えた。それに黒豹さんが続ける。
「その他に、今回の再編に応じず、各地に散らばっていた元魔族軍の兵士達が千。それとは別に、新たに武器を取り戦列に加わる者が後を絶たない状況です」
その言葉に、お姉さんはガックリと肩を落とした。そんなお姉さんに辛そうな視線を向けながら、兵長さんが言う。
「人間軍はおよそ一万五千の兵を準備しているようでした…
王下騎士団が中心となり、魔導協会の戦闘員、王下軍の役七割、それに各地貴族の治安軍もこれに参加しているようです」
「二万は超えるな…三万か、それ以上になる、か…」
兵長さんの報告に、お姉さんは重々しくため息を吐いた。
妖精さんと鬼の戦士さんが魔界の念信を受け取り、それをお姉さん達に報告してすぐ、
お姉さんは再編の会議を打ち切って、魔族軍の人達をお城の外、野営の陣地へと半ばむりやりに帰らせた。
それと同時に、兵長さんが魔道士さんと一緒に転移魔法で王都へと入って、人間軍の状況を探って来てくれていた。
それが今聞いた情報のことだ。
「サキュバス族に関しては、幾人か話が出来る者も居りましたので説得を続けてみましたが…
一族のまとめ役である私の種たる母…魔族の中の神官の一族の長の決定とあらば、疑うことも、また、裏切ることも出来はしないでしょう…」
サキュバスさんは、そう言ってさらに体を縮こまらせてたいため息を吐いた。それからお姉さんに向き直り
「私の親族がこのようなことを…その、なんと言って良いか分かりませんが…恥ずかしく思っています…申し訳ありません、魔王様…」
と深々と頭を下げた。それを見たお姉さんは微かに笑みを浮かべて
「…きっと、大事なことなんだろう…きっと、この世界を守るために、みんな必氏なんだ…」
と静かな声色で言う。
また、沈黙が部屋を押し包む。
「お姉ちゃん、戦いになるの…?」
不意にそう言ったのは零号ちゃんだった。
「戦いになるのなら、私の紋章を返して。それで、私が全部頃してお城を守る」
「いや、ダメだ」
零号ちゃんの言葉に、お姉さんは首を横に振った。
613: 2015/06/30(火) 00:54:36.47 ID:YOSLxh4ho
「戦おうとすれば、より一層あたし達が危険な存在だと認識されちゃう…それに、相手の数が多すぎる。
半壊で済ませたところで、人間にも魔族にも大打撃だ…それこそ、それぞれの国が根底から崩壊しかねない…」
お姉さんの言う言葉の意味は分かった。人間軍は、ほぼ全軍に近い規模で態勢を整えている。
それをみんなやっつけてしまったら、人間界はほとんど丸裸…治安維持や、統制が効かなくなるかもしれない…
そうなったら、王都の元に暮らしている人達が、自分の身を守りためにそれぞれの活動を始めなきゃならなくなる…
そうなったら、もう国中がバラバラになって仕舞うかもしれない。魔族の方はもっと深刻だ。
兵隊さんだけじゃなく、新たに戦いに臨もうとしている人達がいると言っていた。
そんな人達が多勢命を落とせば…それは、そのまま、魔族の衰退に繋がってしまう。
だけど、お姉さんの言葉に零号ちゃんは俯いて言った。
「だって…私イヤだよ…住むところがなくなったり、みんなが居なくなっちゃったりするの…」
そんな零号ちゃんの声は、微かに震えていた。
「おいで、零号…」
お姉さんはそう言って零号ちゃんを招き寄せ、膝の上に乗せると優しく抱きしめて言った。
「そうだな…イヤだよな…だから、考えなきゃ…どうしたらいいか、って」
「みんな殺せばいいんだ…私達をイジメるやつらなんか…」
「あたし達が良ければいいってわけじゃない。せめてくるやつらだって、大事な人を守りたいんだよ」
「…でも、それでお姉ちゃん達が氏んじゃったらイヤだ。そうなるくらいなら、私が敵を全部頃す。私は、悲しいのも寂しいのもイヤだ…」
零号ちゃんはそう言って、お姉さんの体に回した腕にギュッと力を込めた。全身が、微かに震えているのが分かる。
零号ちゃんの気持ちも、私には分かる。たぶん、絶望感なんだろう。きっと、戦いは止められない。
ここにやってくる人間軍と魔族軍を滅ぼしても平和になんてならない。
でも、じゃぁ私達がおとなしく捕まるなりお姉さんの紋章を返してたところで平和になるとは思えない…
零号ちゃんはそんなどちらにも転べない状況でどっちかを選ばなきゃいけないんなら、
大勢を頃し、世界を壊して、それでも大切に思う、大切にしてくれる人達と一緒にいたい、って、そう思っているんだ。
「頃す、まではしなくても…あるいは、やつらがやりたがってることをしてしまう、と言う手もある」
不意に魔道士さんがそう言った。
「やつら、とは、魔導協会のことですか?」
黒豹さんの言葉に魔導士さんは頷いた。
「その力を使って、俺達が世界を管理する…争いは起こさせない。場合によっては粛清し、平和維持に努めることも出来るだろう」
「…癪だけど、可能性としては有り得るよな…でも、そうなったらやっぱり、ここへ攻めて来る奴らは多少は叩かなきゃならない…」
「その道を選ぶのなら、ある程度は、許容するべきだろう」
魔道士さんの言葉に、お姉さんは俯いて黙る。でも、少しして顔を上げ、兵長さんを見やって言った。
614: 2015/06/30(火) 00:55:10.24 ID:YOSLxh4ho
「兵長、何か他の案はないか?」
すると兵長さんは、険しい顔付きで口を開く。
「私も、魔道士様と同じことを考えていました。
あえて、もう一つ別の案をあげさせて頂くのなら、いっそどこかに雲隠れしてしまうのも良いのかも知れません。
大陸の辺境…あるいは、勇者様…いえ、城主様の力で海に島を浮かべるでも良い…
世界を平和にしたいと願う城主様や我らの思いを介さぬこの地と、民の事は忘れて、ですが…」
「それは…約束を破ることになっちゃうよな…」
ポツリとお姉さんは口にしたけど、すぐに兵長さんを見つめ直して
「でも、あたしもあんた達が傷つかなきゃいけないんなら、いっそそうすべきかも知れないって思わないでもない」
と悲しげな笑顔でそう言った。
「魔王様」
今度は黒豹さんがそう口を開く。
「私も、魔道士様のご意見に賛成いたします。魔族の同胞とは言え、もはや情けを掛ける謂れもございません。
先代様の意思に手向かうのであれば、ひと思いにこれを断じるべきかと」
「先代の意思、か…」
そんな言葉に、お姉さんはサキュバスさんを見やった。
サキュバスさんは、身を縮めて何も言わない。それどころか、お姉さんと目を合わせることもしなかった。
「サキュバス」
お姉さんがサキュバスさんの名を呼ぶ。ビクッと体を震わせて、おずおずとサキュバスさんは顔をあげた。
「何か、ないか?」
お姉さんの問いかけに、サキュバスさんはゴクリと息を飲んでから、言った。
「…反旗を返したサキュバス族の者として何かを申し上げていいのか、私には分かりません…
ですが魔王様…どうか、先代様と同じような決断だけはなされないでください…」
サキュバスさんはそう言って祈るように手を組んでテーブルに頭を垂れてしまった。
サキュバスさんにしてみたら、気持ちは私達以上に複雑だろう…師団長さんのときか、それ以上に混乱して、苦しんでいるんだ。
「分かってる…戦い以外の道を、必ず探す…」
「そうではありません…!」
お姉さんの言葉に、サキュバスさんは取り乱したような声上げて、すぐにシュンと肩を落として言った。
「どうか、ご自分を犠牲に争いを収めようなど、あのような事はしないと、お誓いくださいませんか…」
「サキュバス…」
お姉さんがそうサキュバスさんの名をつぶやく。
サキュバスさんは心配しているんだ。
世界のことよりも、魔族のことよりも、なにより、お姉さんの身を。
サキュバスさんが想像していることは分かる。
人間や魔族を滅ぼしたくないって思うお姉さんが、二つの世界の敵としてその身を犠牲に平和を紡ぐ可能性を考えるかもしれない、なんて思っても不思議ではない。
サキュバスさんは、目の前で先代様が同じ選択をしたのを見ているんだ。
615: 2015/06/30(火) 00:56:06.87 ID:YOSLxh4ho
「約束する…あたしは、あんたを残して氏んだりしない。あんたを生かしたのはあたしだ。あたしの勝手であんたをまた放り出したりはしないよ」
お姉さんは、力強い目でサキュバスさんを見て言った。それを聞いたサキュバスさんは、目尻に涙を浮かべながら
「はい…申し訳ございません…」
なんて、返事をしながら謝った。
再び、部屋に沈黙がおっとずれた。
「それにしても世界の怒りを、異形のお前が一身に背負うはめになるなんてな…“生け贄のヤギ”、か…」
不意に、ため息を吐いた魔道士さんがそんな事を言った。その言葉はどこかで聞いたことがある。
確か、誰か一人に自分や仲間内のいろんな問題を押し付けて糾弾することで、他のみんなが安心することが出来る…
その問題を押し付けられる誰か、を“生け贄のヤギ”、ってそう呼んだはずだ。
私は、魔道士さんの言うとおりだと思った。
確かに魔族には人間にも対して、人間には魔族に対しての、根の深い、長い長い間に積もってきた怒りや憎しみがある。
そして、その2つの種族のそういう気持ちが、両者を取り持とうとするお姉さんに向かっているんだ。
2つの紋章を持ち、世界を自分の意思で動かすことの出来るお姉さん、ただ一人に…
部屋に、重苦しい沈黙が訪れた。誰も、何も言葉がない。生け贄のヤギは、すべてを背負って殺されるしかない…
殺されなくっても、その仲間内から追い出されて、一人きりになってしまうんだ。
もちろんお姉さんに私達が付いているけど…それでも、お姉さんは紋章を持っている限り、“生け贄のヤギ”としての役回りを続けて行かなきゃいけない。
誰からも受け入れられることなく、厄介者としてあつかわれ続けるんだ…
そう思ったら、もう、言葉なんて出てこなかった。
でも、そんな時だった。
「なぁ、十三姉。例えば…このまま王様になっちまう、ってのはどうだ?」
と、不意に十七号くんがそう言って沈黙を破った。
王様になる…?それ、どういう意味…?
私は十七号くんの言葉の真意が分からずに彼をじっと見つめて継ぎの言葉を待つ。
それは私だけじゃなくって?サキュバスさんも兵長さん達も同じ様にして十七号くんに視線を送っている。
「王様って…どういう意味だよ?」
たまりかねたのかお姉さんがそう聞くと、十七号くんはポリポリと頭を掻き、首を傾げながら言った。
「俺さ、難しいことはあんまり分かんないけど…
でも、とにかく人間も魔族も、十三姉が邪魔なんだろ?それならそんな奴らが手を出して来るんなら、俺達全員で掛かって追い返しちまえばいい。
殺さなくったって、怪我をさせりゃ、その分治療に当たる人間を割けるから、きっとその方が効率もいいだろうし…あぁ、まぁ、とにかくさ、
追い返して、宣言しちゃえばいいんじゃないかな、って。
ここいらは俺達の国だ、魔族も人間も関係ない、みんなで平和にやろうってやつらの住む国だ、ってさ」
その言葉に、全員が息を飲んだ。その発想は…確かになかった。
それでもし、私達の考えに賛同してくれる人がいたんなら、国に国民として迎え入れて上げればいい。
そうやって戦争を起こさないようにしながらどんどん国を大きくして行って、私達の考えや思いを広めて行ったらしてもしかして…
「なるほど…魔族と人間のどちらでもない、第三勢力としての独立を図る…か」
十七号くんの言葉に魔導士さんがそう呟いて顔あげる。
616: 2015/06/30(火) 00:57:22.75 ID:YOSLxh4ho
「敵視し、攻撃の対象だった“生け贄のヤギ”が、国を持ち、魔族も人間もない国で固く結束をすれば、奴らの正義も揺らぐ…
だが、“生け贄のヤギ”が正当な者としての立場を作り上げれば…怒りや、憎しみは行き場を失って人間界も魔界でもあちこちで暴発するぞ…?」
「そうなったら、良い機会じゃないか。あふれた難民なんかを全部うちの国で引き取ってやればいい。
幼女ちゃんに畑の作り方の授業をさせてさ、自分達の暮らしを自分達で作らせればいい。
井戸掘りみたいに魔族と人間の両方混ぜてやらせるんだ。外からの敵は追っ払えばいい。こっちから攻める事はない。
そうしたらさ…少なくとも国の中では、十三姉が望んでる魔族と人間の平和が成り立っていくんじゃないかな」
「良い案にも思えるけど…でも、向こうにとっては世界を支配しようとしているって映るかもしれないな…」
二人の話に、お姉さんがそう口をはさんだ。
でも、それを聞いて残念そうな表情を見せた十七号くんを見て、お姉さんは
「だけど、積極的に支配しようとしないそっちの方が、きっといいはずだ」
と付け加えていた。
魔導士さんの言う通りだった。
まさかお姉さんが、世界に満ちた怒りを一心に背負うことになるなんて、考えてもいなかった。
お姉さんは、誰よりも平和を願っていたはずなのに、そんなお姉さん自身が平和を乱す者の象徴として祭り上げられて、
それを討つために、魔族と人間が手を組んだ、って言うんだ。
それを一番望んでいたはずのお姉さんが、敵として立ちはだかることで…
このことをお姉さんがどんなに辛く感じているかは、もう想像ができなかった。
「最善は、やっぱり、ある程度は覚悟しないとダメだよな…」
お姉さんが肩を落としてそう言った。
その言葉に、みんながギュッと口を閉ざす中で、兵長さんが両手の拳をギュッと握って声をあげる。
「はい、城主様。ひとつに魔導協会の壊滅、ふたつにサキュバス族の征討。これさえ成れば、少なくとも私たちがもっとも危惧する事態を防ぐことはできます」
兵長さんの声は、握った拳とは裏腹に、冷たくそして落ち着いていた。
それは、兵長さんがあらゆる気持ちを押し頃して、お姉さんを補佐する一人としての役割りをこなそうとする努力に他ならないと、私は思った。
「それで行くしかない、よな…。十七号の言う通り、先手を打って魔導協会やサキュバス族を叩けば、それこそ支配者だ…それをやるなら、ここでだろう」
項垂れてそう言ったお姉さんは、ふぅ、とため息をついてそれから顔を上げる。
そして何かを考えるような仕草を見せて、兵長さん達に言った。
「兵長、黒豹…表の魔族の連中、全部引き上げさせてくれ」
魔族軍を、引き上げさせる…!?
お姉さん…どうして…!?
617: 2015/06/30(火) 01:00:05.67 ID:YOSLxh4ho
「まさか…!」
「そ、それは…どうして…?!」
黒豹さんと兵長さんもそう驚く。
そんな二人に、お姉さんは静かな声で言った。
「魔族同士を戦わせるわけには行かない…やるんなら、あたし達だけでやろう…」
「し、しかし…!」
「三千そこそこじゃ抵抗も出来ない。相手は三万だぞ?どのみち包囲戦になる。それなら、数なんて関係ない。あたしがやれば、それで済む」
お姉さんはそう言ってから、何度目か分からないため息をついてイスから立ち上がった。
「いいな。今日の夕暮れまでには、完全に撤退するように言え。もし撤退しない場合は…ここに来る軍勢に加勢するとみなして、あたしが討って出ると伝えろ」
「……はい」
お姉さんの様子に、兵長さんは苦い顔をしながら、小さな声でそう返事をする。
「…あたしの目的は…先代との約束を守ることだ…何が、あってもな…」
お姉さんは誰となしにそう呟いて、そのままブーツを鳴らして部屋を出て行った。
その後ろを、無言でサキュバスさんが追って行く。
パタン、とドアが閉まった。
残された私達も、もう何を喋る気力もなかった。
お姉さんの意思が、こんなにも悲壮な覚悟になってしまうなんて…
そう思えば思うほどに、私達が口に出せるような言葉なんてあるはずがない、っていうのが自覚されてしまう。
でも…本当に、どうにかならないのかな…
戦いを避けて、平和にする方法って、考えてももう浮かんでこないのかな…?
「十六お姉ちゃん…」
重苦しい部屋の空気に耐えられなかったのか、零号ちゃんがそう言って十六号さんにしがみついた。
「ん、おいで」
十六号さんは悲しそうな表情だけど、それでも優しい声色で言い、そばにやってきた零号ちゃんを抱き上げる。
零号ちゃんも十六号さんの首元に顔を埋めた。
それを見ていたら、なぜだか私も不安がいっそう強く押し寄せてきて、思わずそばにいた妖精さんの手を、ギュッと握りしめていた。
618: 2015/06/30(火) 01:01:17.01 ID:YOSLxh4ho
その晩、私と零号ちゃんに妖精さんは、十六号さん達の寝室にいた。
なんでも、お姉さんがサキュバスさんと大切な話があるから、と、いつも使っていた寝室を貸してほしい、と、そう言って来たからだった。
私は、たぶん、サキュバスさんとその一族のことなんだろう、ってそう思ったから、
深いことは聞かないで、お姉さんの言う通りにしてあげた。
十六号さんの部屋で私は零号ちゃんと一緒に十六号さんのベッドに潜っている。
妖精さんは、十八号ちゃんのベッドで、すでにスースーと寝息を立てていた。
ベッド主の十六号さんは、十九号ちゃんと二十号ちゃんを寝かしつけるために、今は隣のベッドで聞いたことのない、突拍子もない展開の寝物語を話している。
うん、優しいドラゴンさんが出てくるのは分かるよ?
でも、どうしてそのドラゴンさんと仲良くしたいから、って、主人公の女の子がいきなり芋掘り競争なんて挑むことになるの?
「変なお話…おもしろい」
零号ちゃんがそう言ってクスクスっと笑った。
私も、なんだかおかしいその話を聞いて、昼間からソワソワしっぱなしの気持ちがどこか緩んでくるのを感じていた。
特に零号ちゃんは話し合いが終わってからも、十六号さんにしがみついてずっと不安そうな顔をしていたから、笑顔が見られて少しだけ安心する。
まぁ、今もずっと私の寝間着の袖をギュッと握っていたりはするんだけど…
「幼女ちゃんもお話知ってるの?」
そんな零号ちゃんは、私にそう事を聞いてきた。
「うん、良く母さんに話してもらったよ」
私が答えたら、零号ちゃんは
「母さん…家族だね。今は、どこにいるの?」
とくったくのない表情で聞いてきた。私は一瞬、微かに胸に湧いてきた胸が裂けてしまいそうな悲しみを、ふっ、と息を一緒に吐き出して正直に答えた。
「住んでた村で、洪水があってね…それに流されて、二人とも氏んじゃったんだ」
私は、言い終わってからチラリと零号ちゃんの顔を見た。
変に気を使わせたら可愛そうだな、って思って作り笑顔だったけど、とにかくなるべく明るい顔をしてあげる。
でも、そこにあった零号ちゃんの顔は、気まずさでも申し訳なさでもない、悲しみに染まっていた。
「零号ちゃん…?」
私はそんな零号ちゃんが急に心配になってしまって、思わずそう名前を呼ぶ。でもして零号ちゃんはそれに答える代わりに、ギュッと私にしがみついてきた。
「幼女ちゃん、寂しいけど、大丈夫だよ…お姉ちゃんも一緒にいるし、私も一緒にいるよ。だから、一人ぼっちじゃないよ。ね?」
零号ちゃんはそんなことを言いながら、さらに私をギュウギュウと抱きしめて来る。
きっと、零号ちゃんにとっては他人事じゃないんだろう。
お姉さんがそうだった様に一人ぼっちで、ずっとずっと寂しさと孤独の中で生きてきた零号ちゃんには、
私が感じたあの悲しさとか喪失感とか不安感が、まるで自分のことの様に感じるのかも知れない。
寂しい、なんて言うのに苦しめられる前にトロールさんや妖精さん、お姉さんに会うことが出来た私は、きもしかしたら幸運だったのかも知れない。
619: 2015/06/30(火) 01:02:00.67 ID:YOSLxh4ho
「うん、ありがとう、零号ちゃん」
私はそうお礼を言った。それでも零号ちゃんは切な気な顔で私にしがみついて、ギュウギュウギュウと腕に力を込めている。
さ、さすがにちょっと痛いな…夜になって暑いのはなくなったからそれは良いんだけど…
そんなことを思って困っていたら、サワサワと絨毯の音をさせながら、十六号さんがベッドへと戻ってきた。
「ふぅ、やっと寝てくれたよ」
十六号さんはそんな風に言いながら、柔らかな微笑みを浮かべている。
「おかえり、十六お姉ちゃん。ドラゴン、どうなったの?」
「あぁ、聞こえてた?…さぁ、どうなるんだろうな?話を作りながら喋ってるから、最後まで行った試しがないや」
そっか、あのおかしなお話は、十六号さんが考えたお話だったんだね。
それなら、芋掘り競争も納得だ。
十六号さんはベッドに登ってくると、私と私にしがみついていた零号ちゃんの間にグイグイと押し入って来た。
「んんっ、十六お姉ちゃぁん」
零号ちゃんが、寝静まった幼い二人に気を使ってか、小さな声で楽しそうに不満の声をあげる。
「アタシが真ん中なんだよっ。どいてどいて」
十六号さんもなんだか楽しそうにそう言って、両腕に私と零号ちゃんを抱えるような姿勢でベッドに横たわった。
「十六号さん、重くない?」
「あんた達二人くらい、どうってことないよ」
私はそう十六号さんに確かめてから、少し遠慮しつつその腕を枕にさせてもらう。
頭を胸板の方にもたせかけると、トクン、トクン、と十六号さんのゆっくりとした心臓の音が聞こえて来た。
「あったかいなぁ…」
零号ちゃんがそうつぶやくのも聞こえる。
昼間は日が照っていて暑くて仕方なかったのに、夕方になると北風が吹いてきて、夜になった今はもう、半袖では肌寒いくらい。
だから、こうしてくっついているとあったかいのは、零号ちゃんの言葉通りだ。
「あそこじゃぁ、一人で寝かさせてたのか?」
そう聞いた十六号さんの声が胸の中に響いている。
「うん、ひとりだった。狭い部屋に、ベッドしかなかったよ」
「あぁ、やっぱりあの部屋使わされてたんだ…あそこのベッド、敷き物が薄くって痛いんだよなぁ」
「ここのベッドはフカフカで気持ちいいね」
「そりゃぁ、ここはお城だからな」
十六号さんの声に混じって、クシャクシャっと言う音が聞こえる。零号ちゃんの頭を撫でているのかな…?
「ほら、もう目を閉じな。明日寝坊しちゃうぞ」
「うん、眠るよ」
「おやすみ、零号」
「おやすみ。十六お姉ちゃん…」
620: 2015/06/30(火) 01:02:36.26 ID:YOSLxh4ho
私は、そんなやりとりを聞きながら、心地よいぬくもりと感触に身をゆだねていた。
十六号さんはまだお姉さんよりもちょっと小柄だけど、それでも私に比べたら全然大人だし、
こうしていると、お姉さんと一緒に寝ているときと同じくらい安心する。
母さんと寝るときとは少し違うけど、それでも…今の私にとっては、こんな時間が何よりも大切で幸せだ。
―――ずっと、こんな時間が続けばいいのに…
ふと、そんなことを思って、私は胸にジワリと染み出すような何かを感じ取った。
それが何かなんて、考えるまでもない。
私は、怖いんだ。
もうすぐ人間と魔族の軍勢がこの城に攻め込んできて、きっと激しい戦いになる。
そうなったら、こんな時間なんてたちどころに奪われてしまうだろう。
私は、それが怖かった。
まるで、父さんや母さんを失くしてしまったあの日のことを思い出すようで、胸を針で刺されたような鋭い感情が、私の心を締め付ける。
気がつけば、私は十六号さんの寝間着をギュッと握り締め、さっき零号ちゃんが私にしてくれていたように、十六号さんにしがみついてしまっていた。
布ずれの音がして、ポン、と背中に当てられていた十六号さんの手が跳ねる。
「大丈夫…?」
優しい声が、聞こえて来た。
そしたら、まるでいきなりコップから水が溢れてしまうみたいにとめどない気持ちが込上がってきて、私は十六号さんの体に顔を押し付けて言っていた。
「どうして…どうしてこんなことになっちゃったんだろう…」
それは、私が昼間から、ずっと胸に押し込めていた気持ちだった。
だって、お姉さんは平和を望んでいただけ。
争いなんてするつもりはなかった。
ずっとずっと、それを一番に考えていたはずなのに…
どうして、そんなお姉さんが世界全部の敵にならなきゃいけないんだろう?
世界は、平和になんてなりたくないのかな?
それとも、魔導士さんが言っていたように、“生け贄のヤギ”ってことなのかな…?
でも、じゃぁ、どうしてお姉さんが生け贄になんてならなければいけないの…?
人間を裏切ってしまったって思いを抱えて、一人になるのが誰よりも怖いのに、みんなから嫌われてしまうかもしれないのを覚悟してここまで来たのに…
どうして、それが分かってもらえないの…?
そんな考えが止まらずに、あとからあとから胸を締め上げて、涙になって溢れ出て来てどうしようもない。
声が出ないように、って、それだけは我慢している私の背中を、十六号さんの手が何度も行ったり来たりをして私を優しく包み込んでくれている。
「畑のときに、さ」
背中を撫でてくれながら、十六号さんが静かな声でそう口を開いた。
「ケンカの落としどころ、って話してたの、覚えてる?」
私は、十六号さんの寝間着に顔をうずめながらコクリ、と頷く。
「あれを聞いたときに、思ったんだ。あぁ、もしかしたら、古の勇者様は、そいつを間違えたんじゃないかな、って、さ」
間違えた…?古の勇者様が…ケンカの落としどころを…?
「なにそれ…?」
私は、口を開けばしゃくりあげてしまいそうで、そうとしか言葉が出てこなかった。
でも、十六号さんはそんな私の声を聞いて、先を続けてくれる。
621: 2015/06/30(火) 01:03:30.52 ID:YOSLxh4ho
「大昔も、人間と魔族、いや…魔族になる前の人間、か。その二つの違った暮らし方をしている人達が争いを続けてた。
それは、大地が荒れて作物や動物がいなくなってしまうほどの激しい戦いだった、なんて話だけど…
とにかく、古の勇者様は神官達が作った二つの紋章を使って、争いを沈めようとした。
その答えが、この大陸を中央山脈で二つに分けて、それぞれの暮らす場所を作ってさ。
でも…それって本当に正しかったのかな、って思ったんだ。
その方法はさ、確かに、ケンカを止めるためには有効だったんだろう。でも、落としどころなんかじゃなかったんだ。
ケンカをしている二人を、わだかまりも解決しないままにただ引き離して、それで終わり。
引き離されて、顔を見ない日々が続いてても、ケンカをしてたときの気持ちが消えるわけじゃない。
そんなことだけじゃ、顔を合わせちゃえばすぐにでもにらみ合いが始まって、それからまたケンカのやり直し、だ。
もしかしたら、この大陸の戦争っていうのは、そういうのが何度も繰り返し起こってるってことなんじゃないかな」
十六号さんの手が、背中から頭に回ってきて、私の髪を梳き始める。
「そんな繰り返しが続いている中で、十三姉は、特別だった。古の勇者様のように、二つの紋章を手にして、世界を平和にする方法を探し始めたんだ。
それってのは、もしかしたら、古の勇者様の失敗をやり直すってことなのかもしれない。
…そう言う意味では、さ。生け贄だろうがなんだろうが、アタシらや十三姉を敵として、魔族と人間が手を組んだ、っていうのは、
それほど悪いことだとは思わないんだ。
もちろんこれから起こる戦いでもし紋章を取られて、そのあとにそいつを使って魔導協会が世界を管理するってのはやめてほしいところだけど…
でもそれだって、あそこでひどい目に遭わされたアタシ達の思いでしかなくって、
普通の人にしてみたら、王都の魔導協会は法律を司っている機関なんだ。
法律、って部分一つ取って言っちゃえば、人間界はもう魔導協会に管理されてるって言って良い。
だって、法律を犯した人を捕まえて、処罰するまでが魔導協会の仕事だ。
誰もそれをおかしいって言うやつはいないし、もしそれがなかったら、もしかしたら街中にゴロ付きが溢れかえOちゃうかもしれないんだ。
やり方は気に入らないけど…あいつらはあいつらなりに、神官の一族として古の勇者様の失敗をなんとかやり直そうとしているのかもしれないけど…
あぁ、話がズレちゃったな…えぇと、そう。
どんな形でも、さ。今回人間と魔族が手を組んだ、っていうのは、それほど悪いことではないと思うんだよ。
ケンカの相手とのわだかまりを超えなきゃならない程の、強大な“悪の支配者”が現れたんだからな。
十三姉や魔導協会が絡んでなければ、さ…」
そこまで話してから、十六号さんがクスっと笑って
「さっきのドラゴンじゃないけど、物語としてはよくできてるよな…自分たちが悪の親玉になるとは思ってなかったけど…」
なんて言ってみせた。
私はいつの間にか泣き止んでいた。
十六号さんの言葉に、驚いてしまったからだ。
確かに、十六号さんの言葉の通りかもしれない。
私達は、お姉さんのために、お姉さんの気持ちを大事にしたくって、ここに集まった。
だから、お姉さんが苦しく感じてしまうことは、私達だって苦しい。
お姉さんには、出来るだけそうであって欲しくない、って思うのが普通だ。
622: 2015/06/30(火) 01:04:03.97 ID:YOSLxh4ho
でも、そう…もし私が、お姉さんにもトロールさんにも会わないで、父さんと母さんと今も村で一緒に暮らしていて、この戦争の話や目的を聞かされたとしたら…
私はきっと、何も疑わずに納得するだろう。ううん、喜んで賛成するだろう。
だから、と言って、魔導協会がとんでもないことをしでかさないかどうかは分からない。
ううん、今までのことを考えれば、そう思わない方が無理な話だ。
でも、人間と魔族が手を取り合ってお姉さんに敵対することは、お姉さんや私達にとっては辛いことでも、“間違い”ではないかもしれないんだ…。
だけど、そうだとしたら…もし戦いを避けたいんなら…
「お姉さんは、魔導協会の人とちゃんと話をしなきゃいけない、ってこと?」
「…うん、そうかもしれない…それが唯一の方法だって、アタシは思う…
けど、たぶん、もし話し合いが出来たとしても、行き着く結論ももう決まってると思うんだ」
十六号さんは、私の髪を梳き続けながら、言った。
「十三姉ちゃん自身を、魔導協会とサキュバス族の監視下に置いて、魔導協会とサキュバス族の合議の結果をそのまま実行するための役回りを引き受ける他にない」
「そうすれば、戦いは避けられるの…?」
「…でも、実際問題、どんな監視を付けていたって十三姉に意味はない。中央山脈を作り出せる位の力を持ってるんだ。
力ではそうにも押さえ込むことはできない。だとすると、魔導協会やサキュバス族は十三姉を信頼する他にない。
でも、あいつらにはそれができないんだ。
それくらい、あの二つの紋章は強力だし、まして十三姉は、戦争で魔族を数え切れないほど斬り頃して、
北部城塞じゃぁ、人間相手に皆頃しをしそうになったらしいし…。
そういうことをやってきた人間が、大人しく命令を聞くわけないって思うのが普通だ。
そんな危なっかしい人間を信用なんて出来ないし、力なんて持ってたら余計にそれを制御しなきゃいけなくなってくるけど、それも出来ないんだろうな
そう考えたら、普通の感覚じゃぁ話し合いでうまく解決できるようなことでもないような気がする」
十六号さんは、そう言って静かにため息を吐く。
でも、私は、と言えば、ひとしきりの話を聞いて、ふと、さっき十六号さんが言っていた言葉を思い出していた。
「それこそ…ケンカの落としどころ、なのかもしれないね…私達と、魔導協会にサキュバス族との」
私がそう言ったら、十六号さんはまた優しい口調で
「向こうがまともに取り合う気があるんなら、きっとそうなんだろうな」
と言った。でも、その言葉の感じには、“そんな考えは多分ないだろう”って雰囲気を含んでいるような気がした。
人間界にありふれている魔族の話と同じだ。
魔王と言う悪い魔族がいて、その魔王が率いる軍隊はとても強力で、何も対策を打たなかったら人間界はたちまち支配されてしまう。
だから、その心配を拭うために、人間も軍隊を結成して、魔王討伐に乗り出す…
見たことも、感じたこともない力、っていうのは、恐怖や不安そのものだ。
それを取り払おうとするのは、きっと自然なこと。
今は、お姉さんがそんな存在になってしまっているんだ。
623: 2015/06/30(火) 01:05:12.60 ID:YOSLxh4ho
「十六号さんは…どうしたら良い、って思ってるの?」
私は、そう聞いてみた。
それだけのことを考えている十六号さんが、何を正解だと考えているのかを知りたかった。
「ん…アタシは、正直、何がいいのかなんて分からないよ。十七号と同じで、バカだからな。
十三姉みたいに、魔族の平和だ、なんて思ってるワケでもない。そりゃぁ、仲良くやれれば、その方がいいんだろうけどさ。
アタシも、零号と同じだ。
自分の大切な人を守りたい、そのそばに居たい、ってそう思うだけ。
だから、こんな答えなんて出せないような状況でも踏み出そうとしてる十三姉を守ってやりたい。
まぁ、アタシら何かに守られなきゃいけないような姉ちゃんじゃないけどさ…
でも、アタシらもあんたと一緒で、たぶん、そばに居てやれるってだけで、姉ちゃんを支えられてるんじゃないか、って思うんだ」
十六号さんは、私の頭を撫でてそう言い、でも、それからすぐに、聞こえるか聞こえないか、くらいの小さな声で
「本当なら…どんなことをしたって十三姉を守ってやりたいけどな…そんな力も、頭もないんだよなぁ」
と囁いた。
そんな言葉からは、悔しさと切なさが伝わってくる。
十六号さんでも、私と同じようなことを感じていたんだ。
私も、ずっとそうだった。
戦いが起こるようになってからというもの、私も、その役に立てないことに悩んだりした。
だから、戦う力がある十六号さんも、そんな風に悩んでいるなんて考えもしなかった。
でも、それを聞いた私はなんだかふと、心のどこかで安心するのを感じていた。
理由はよくわからなかったけど、もしかしたら、同じように悩んでいるって人がいるって知れたからかもしれない。
「お姉さんには力があるし…軍隊とか政治のことは、兵長さんやサキュバスさんに黒豹さんもいるからきっと平気だよ…
私達は、お姉さんのそばにいるのが、大事な仕事なんだと思う」
私は、自分にそう言い聞かせるように、十六号さんにそう言ってあげた。
そう、今の状態で苦しいのは、誰でもないお姉さんなんだ。
どんなに私が苦しかろうが、不安だろうが、それがお姉さん以上であるなんてことはない。
だったら、やっぱり何があってもお姉さんを一人になんて出来ないし、私達が考えなきゃいけないのはそのことのはずだ。
そうでもなければ、昼間、出て行け、って言われた魔族軍の人達のように、このお城から一刻も早く避難するべきだって思うし、ね。
「そうだよな…へへ、慰めてやるつもりが、逆になっちゃったな」
十六号さんが、なんだか恥ずかしそうにして笑うので、私は十六号さんの寝間着で涙を拭って、出来るだけの笑顔を見せて言ってあげた。
「ううん。私も慰めてもらったよ」
「そっか、なら良いけど…。ほら、あんたも寝な。零号はもう夢の中、だ」
十六号さんはそう言って、私とは十六号さんを挟んで反対側にいる零号ちゃんを見やって言った。
体を少しだけ起こして見てみると、零号ちゃんは既にスースーと寝息を立てている。
十六号さんが喋っていたのに寝れちゃうなんて…もしかしたら、昼間のことで気疲れしちゃっていたのかもしれないな。
…私も、泣いちゃったし、ちょっと眠くなってきた。
624: 2015/06/30(火) 01:06:21.89 ID:YOSLxh4ho
「うん。十六号さんも寝たほうがいいよ?」
「あぁ、うん。寝るよ。アタシも、夜ふかしは苦手な方なんだ」
十六号さんは大きなあくびをして言い、
「おやすみ」
なんて言って、私の頭をまた、ポンポン、と撫ぜて目を閉じた。
私も、
「おやすみなさい」
と声を掛けて十六号さんの体に身を預ける。
そうして、目を閉じ、大きく静かに息をしたときだった。
不意に、まぶたの向こうがパッと明るく光った。
「チッ!」
そんな声がして、私たちが枕にしていた十六号ちゃんが飛び起きた。
私と零号ちゃんは、それぞれ別の方向に弾き飛ばされてしまう。
「なに…!?どうしたの!?」
「んぁ…?ま、ま、魔力…!誰!?」
あまりのことに、私も目を覚ました零号ちゃんもそう声をあげる。
でも、そんな私達に答えたのは、十六号さんの間の抜けた声色だった。
「なんだ、あんた達か…」
見上げた十六号さんは、一瞬見せた緊張した表情を緩めて、ダラッとした迷惑顔を見せている。
その視線の先を追うと、そこには、十八号ちゃんの姿があった。
それだけじゃない。
その後ろには、十四号さんにトロールさん、それから、大尉さんと竜娘ちゃんもいる。
「おかえり。何もこんなところに転移して来なくったっていいのに。寝るところだったんだぞ?」
十六号さんが迷惑そうな顔のままにそう言った。
「ごめんなさい、十六姉さん。でも、こっちの状況がよく分からなかったから、ここが確実と思って」
十八号ちゃんは、部屋を見渡し、寝ていた十九号ちゃんと二十号ちゃんを見て、ヒソヒソと静かな声で返事をする。
「う、う、後ろの人は、誰!?」
そんな十八号ちゃんに、零号ちゃんが声をあげる。
そ、そんなに大声出したらダメだって、零号ちゃん!
625: 2015/06/30(火) 01:07:36.82 ID:YOSLxh4ho
「しっ。静かに、零号。チビ二人が起きちゃうだろ?」
十六号さんがそう言って零号ちゃんの頭を撫でて諌めた。
「あなた、あの仮面の子なんだってね。あたしのこと、覚えてる?」
不意に、そんな零号ちゃんに大尉さんが声を掛けた。
そういえば、大尉さんは魔導協会で零号ちゃん相手に戦っていた。
そのことを覚えてるかな…?
私はチラっと零号ちゃんを見やる。
零号ちゃんは、まじまじと大尉さんの顔を見つめて、それからハッと息を飲んだ。
大声はダメ…!
と私が思ったのも束の間、零号ちゃんは自分の口を自分で塞いで、モゴモゴモゴっ何かを言った。
そんな様子がおかしくて、私はプッと、思わず笑ってしまう。
「……理事長様を攻撃した人…!」
そんな私をよそに、零号ちゃんはそう言って大尉さんを睨みつけた。
でも、そんな視線を受けても大尉さんは相変わらずの様子で
「そうそう、あれあたしね。まぁでも、あのときは攻撃してた、っていうより、あなたにケチョンケチョンにされてた連隊長を援護してた方が時間的には長かったけどね」
とヘラヘラとしながら言う。
そんな大尉さんの言葉にはほどんど反応を見せなかった零号ちゃんは、次いで竜娘ちゃんとトロールさんを見やってさらにハッとして見せた。
「器の姫…?そっちの男の人も、器の姫をさらいに来た人だ…」
器の姫…?
そっか、魔導協会は、お姉さんの紋章を奪って、竜娘ちゃんに引き継がせようとしているのかもしれない、って話だった。
そう呼ばれていた、ってことは、お姉さん達の読みはきっと外れていなっかったんだろう。
「零号様、とお呼すればよろしいのですね…?零号様、私は今はこちらにお世話になっています。あちらで起こったことに関しては、お気になさらないでくださいね」
竜娘ちゃんが零号ちゃんの様子を伺うようにそう言う。
魔導協会で零号ちゃんがどんなだったのかは分からないけど、あそこで見た様子だと、人間、っていうより、道具かなにかのように扱われていたに違いない。
そう思えば、竜娘ちゃんがこうして少しだけ警戒している理由も分からないではなかった。
626: 2015/06/30(火) 01:08:53.28 ID:YOSLxh4ho
「…うん…私も今は、このお城がお家。お姉ちゃん達が、家族なんだ」
零号ちゃんが竜娘ちゃんには表情を緩めてそう言ったので、竜娘ちゃんもホッと安心した様子で息を吐いた。
まぁ、でも零号ちゃんはすぐにまた大尉さんをギ口リと睨みつけたんだけど…
「こっちは、ずいぶん大変な事になってるみたいだね」
そんな零号ちゃんの視線なんてこれっぽっちも気にしない、って様子で大尉さんが十六号さんにそう聞く。
十六号さんは零号ちゃんの頭を撫でながら
「うん。人間界と魔界の両方を相手にケンカしなきゃならないような事態なんだよ」
と言って、ふぅ、とため息を吐いた。
でもそれからすぐに気を取り直して
「そっちは?基礎構文、ってやつについて、なんか分かったの?」
と竜娘ちゃん達に尋ねる。
すると、五人の表情が一様に渋く変わった。
基礎構文が見つからなかったのかな…?
そ、それとも、見つけてみたらとっても危ないものだったりしたの…?
私がそんなことを考えてソワソワしてしまっていたら、グッと息を飲んだ竜娘ちゃんが口を開いた。
「そのことで、ご相談したいことがあるのです…できれば、あの方には内密に…」
あの方、って、お姉さんのこと、だよね?
どうしてお姉さんに内緒なんだろう…?
何かまずいことなの…?
「な、内緒にしなきゃいけないのは、なんで…?」
私が聞くと、竜娘ちゃんは難しい顔つきのままで、静かに答えた。
「あの方をお助けするために、です」
「人間…竜娘の話を聞いて欲しい」
竜娘ちゃんの言葉に、トロールさんが続く。
それを聞いて私は、その先を知りたくて、もう一度竜娘ちゃんの顔を見た。
「おそらく…世界にも、あの方にも、どうしても必要なことだと私は思うのです」
竜娘ちゃんは私の目を見てそう言った。
表情は険しくて、それこそ怒っているように見えるくらいだけど、竜娘ちゃんの縦長の瞳には、言い知れぬ意志と覚悟が宿っているように、私には見えた。
632: 2015/07/06(月) 03:34:36.69 ID:3NdjAwg5o
雷の日からちょうど一週間。私は、青々としたお芋の葉が伸び始めている畑に居た。
隊長さん達のお陰で畑はあんな大雨にもびくともせず、返って水が行き渡ったのか葉っぱが伸びるのは早いように感じた。
だけどあれっきり、井戸は掘り進められていないし、畑の手入れもほとんどしてはいなかった。
「無駄になっちまったな」
私の傍らで、隊長さんがそんな事を口にする。もう何日かしたら、このあたりは戦場になる。
畑を残そうだなんてしても、きっと踏み荒らされてダメになってしまうだろう。でも、私は残念とは思っていなかった。
「ううん…この畑で、お芋は作れませんでしたけど、隊長さん達みたいな仲間が出来たからいいんですよ」
「はは、そうか…そうだな…」
私の言葉に、隊長さんはなんだか寂しそうに笑った。
妖精さんが念信を受け取った翌日、魔王城に集まっていた魔族軍は、それぞれの場所へと戻って行った。
魔族軍の人達は、状況を聞いてお城に残ろうとしていたけれど、そんな姿を見て、兵長さんが説得をした。
「魔王様が最も恐れるのは、魔族同士、人間同士の争いが始まってしまうことだ」
って。ここに残れば、魔界に住んでいる魔族の人達サキュバス族と戦わなければならなくなる。お姉さんはそんなことを望んでいなかった。
「しかし…世界の平和を願っていた純粋なやつが、世界の憎しみを一身に背負わされるだなんて…皮肉にも程があるよな…」
隊長さんはまだやるせない表情でそう言い、大きくため息を吐いた。
隊長さんは、女戦士さんと女剣士さん、それに虎の小隊長さんに鬼の戦士さんと鳥の剣士さんを引き連れて、
魔族軍が引き上げたてからひょっこり修理の終わったソファーの部屋に顔を出した。
お姉さんに
「出て行けと言ったはずだ」
と凄まれていたけど、隊長さんは笑って
「俺たちはここを守備しろって上官命令を守ってるだけだ。逃げ出した腰抜けどももいるが、な」
なんて言い返して、結局はお姉さんを言い負かしてここにいる。
そんな上官である大尉さんは魔道士さんと一緒に人間界の軍勢の偵察に出かけていて、ここ数日戻って来ていない。
あの日の晩に、大尉さんと竜娘ちゃんが話してくれた計画の内ではないけど、大尉さんにしてみたら、想定内のことなんだろう。
「魔道士さんが、こういうのは“生け贄のヤギ”って言うんだ、って言ってました」
「怒りや憎しみを背負わせ易い誰かに押し付けちまう、ってやつだな。世界の平和を願うあいつに憎しみを転嫁して、人間と魔族が手を結んだ…
世界の平和を願うあいつを頃すことを目的に、だ。やっぱり、これ以上の皮肉はねえよ」
隊長さんはそう言ってまたため息をついた。やるせない気持ちは十二分に分かってしまう。本当に、生け贄と言う他にはないだろう。
ふと、そんなとき、私はあの晩、大尉さんから聞かされた話を思い出した。
あれも、ひとつの考え方だし…私も、同じことを思っていたから大尉さんの言葉に賛成した。
でも、そんな私の思いの元となった隊長さんは、どう考えているんだろう?私はそんなことが気になって、隊長さんに聞いていた。
633: 2015/07/06(月) 03:35:21.72 ID:3NdjAwg5o
「隊長さん…隊長さんは、古の勇者様の“ケンカの落としどころ”、って、どうだったと思いますか?」
「なんだよ、藪から棒に?」
隊長さんはそう言って首を傾げる。そんな隊長さんに私は言った。
「私、思ったんです。古の勇者様は、今の人間と…魔族になる前の人達のケンカの落としどころを間違えちゃったんじゃないか、って。
ううん、落としどころなんてことじゃないかもしれない。そもそも、結論を先延ばしにしただけのような、そんな気がするんです」
私の言葉を聞いた隊長さんは、なんだか驚いた様な表情で私を見つめて来る。それに構わず、私は隊長さんを黙って見つめ返した。
するとやがて隊長さんは、
「そうだな…」
と頭をガシガシ掻いてから言った。
「言いたいことは分かる…大陸を二つに分けた古の勇者は、結局争いそのものを終わらせたわけじゃねえ、って、そういうことだな?」
隊長さんの言葉に私は頷く。すると隊長さんは、ふっと宙を見据えてから、ややあって口を開く。
「確かに…そうかも知れんな。大陸を分けて、生きる世界を分けただけのこと、か。
そう考えりゃ、ケンカしてた二人を力任せに引き離しただけにすぎん。
距離が出ようが睨み合って、隙あらば飛び掛かってぶん殴るくらいのことはするだろうな…」
それは、私が考えたのと、同じ答えだった。
そう…だとしたら…
「もし、今もう一度、ケンカの落としどころを探すとしたら…それは、どんなことだと思いますか?」
私の言葉に、隊長は苦しそうな表情を見せて、そして俯いた。ほんの少しの間、沈黙が続く。
ややあって顔を上げた隊長さんは、俯く前と同じ、苦しそうな顔で言った。
「…あるとすれば…城主サマが徹底的に悪の親玉を演じきって、世界を滅茶苦茶にするしかねえんじゃねえかと、そう思う。
完璧な“生け贄のヤギ”を演じきって、世界から怒りと憎しみを奪い去って…そのまま悪のとして果てる…その方法の他には浮かばねえ。
残念だが、おそらく、この世界で起こっているのはもう、付け焼き刃の誤魔化しで収まるような生易しいケンカじゃねえ…」
隊長さんは、私を見やった。それを聞いて、私がどう反応するのかを、恐る恐る観察しているような、そんな感じだった。
でも、私は特別、大きな驚きも悲しみも、苦しみもなかった。
ごく自然に、そうだろうな、と思った。私が思うくらいだ…隊長さんも、たぶん、お姉さん達も、もう気が付いているんじゃないかな。
これから攻めてくる人間軍と魔族の人達をいくら殺さないで追い返したって、きっとまた同じことが起こる。
それも、何度も何度も繰り返されるだろう。
十七号くんが言うようにお姉さんが国の設立を宣言したってきっと同じ。人間と魔族との争いが、私達の国と人間と魔族の国の戦争に変わるだけだ。
とにかく、人間や魔族を傷付けないように、平和のためにお姉さんが出来ることは…
たぶん、魔導協会やサキュバス族を滅ぼした上で、人間軍と魔族の人達に抵抗し、最後には討たれて氏ななければならない、ってそう思う。
それこそ…先代様が、お姉さんにそうさせたように…。
私は…そんなことを望まない…そう、もし他に、ケンカを収める方法があるのなら…そっちの方がずっと良い…
私はそんなことを思ってギュッと拳を握りしめ、それから立ち上がって隊長さんに声を掛ける。
「隊長さん、そろそろ戻りましょう。きっと、大尉さん達が戻ってくる頃だと思うんです」
隊長さんは、私のそんな言葉を聞いて、ため息混じりに表情をビシっと整えて言った。
「了解、司令官殿」
634: 2015/07/06(月) 03:35:52.97 ID:3NdjAwg5o
隊長さんと一緒にお城に戻り、すっかり修理の終わったソファーの部屋にいくと、そこには既にお姉さんにサキュバスさんに兵長さん、黒豹さんに戦士さん達、
それから十六号さん達に、妖精さんとトロールさんに竜娘ちゃんも揃っていた。
「ごめん、お姉さん。遅くなっちゃった」
私がお姉さんにそう言うと、お姉さんはニコっと笑顔を見せてくれて、
「いや、気にしなくていいよ。まだ大尉と魔導士が戻ってないから、待つつもりだし」
と答えてくれた。
「人間様、お茶です。隊長様も、こちらへお掛けください」
サキュバスさんがそう言って、私と隊長さんにお茶を出してくれる。
「ありがとうございます」
私はそうお礼を言ってソファーに腰掛けた。
大尉さんは、戦士さん達と同じように部屋に運び込まれていた食堂のイスに腰掛けて、ソーサーの上に乗ったティーカップを受け取っている。
「畑、どうだった?」
「うん、ちゃんと目を吹いてくれてた。あの様子なら、病気でも流行らない限りはきっと元気に育ってくれると思うよ」
私が答えたら、お姉さんは微かに、あの悲しい笑顔で笑った。
それもそうだろう。あの畑は病気なんかでは氏んだりしない。
その前に、ここへ押しかけてくる兵隊さん達に踏み荒らされてしまうだろうからだ。
「で…魔族の方は、どんな動きをしてるんで?」
隊長さんが、カップから口を離してそうサキュバスさんに尋ねる。
するとサキュバスさんは、チラリとお姉さんを見やった。お姉さんはコクリと頷いて隊長さんに視線を送る。
「あいつらが戻ってから、とも思ったんだけど、先に説明していこうか…。今、魔族の軍勢は、西部城塞に集結している、って念信が流れてるらしい。
規模のほどは、まだ確認できてないが、おっつけ、黒豹を忍び込ませて状況を探るつもりだ」
お姉さんはそう言い終えてから黒豹さんを見やった。
お姉さんの視線に、黒豹さんがコクリと頷く。
「で、こっちは魔導士が戻り次第、城壁と周辺の土地に結界魔法を張り巡らせる。探知用のと城壁を保護するための物理結界だ。
それから罠の類も、だな。こっちの体制だけど、やつらのことだ、この間の騒ぎで、どこに転移用の魔法陣を書き残しているか、分かったもんじゃない。
それを警戒する意味で、城内の警備は散らばらせずにまとめる」
「それは、逆じゃねえのか?」
「いや、まとまっていた方が良いんだ。奇襲をかけられて各個で撃破されるのが一番マズイ。こっちはこれだけしかいないんだからな。
一人でも欠ければ、損失の比率が大きくなる」
「つまり…司令官殿にへばりついて守れ、とそういうことだな、城主サマ?」
「…うん、そうだ。十六号達や零号にも、前で出てもらいたい。そうなると、司令部機能のあるここが手薄になっちゃう。
そのために、あんた達と妖精ちゃんとトロールで守ってやってほしい」
「…了解した。そういうことなら、承ろう」
隊長さんは、傍らに座っていた虎の小隊長さんと目を合わせてから静かにそう返事をした。
635: 2015/07/06(月) 03:36:37.14 ID:3NdjAwg5o
それを確かめてから、お姉さんが今度は兵長さんに視線を送る。
すると、兵長さんはすぐにコクリと頷いて、全員を見渡して言った。
「今回の戦闘の目的は、魔導協会、及びサキュバス族の一団の掃討にあります。
この両者は攻め手ではなく、後方に陣を構えて指揮機能を担うと考えるのが妥当です。
つまり、ある程度城壁や城内の結界魔法や罠魔法で妨害を施しながら、敵をできる限り多く、この城の中に引き入れます」
「城壁守って籠城戦をする、ってわけじゃないんだな?」
兵長さんの言葉に、女戦士さんがそう口を挟む。
「はい。敵の数からして、城壁を守り切ることは難しいと思われます。
また、こちらはこれからお話しますが別の理由から、外の敵をなるべく減らしておきたいというのが本音です。
つまり、敵の本隊を城の中で引き受け、そして本陣の守りが手薄になったところを…」
そこまで離して、兵長さんがチラっとお姉さんを見やった。今度は視線を受けたお姉さんが頷いて
「あたしと魔導士、それからサキュバスとで、魔導協会とサキュバス族の本陣を一掃する…その気になれば、ほとんど時間なんていらないだろう」
と、淡々とした口調で言った。
「なるほど…そっちの勇者候補の親衛隊諸君が、今度は城の防衛線になる、ってワケだ」
隊長の言葉を聞いて、お姉さんは頷いた。
「俺たちなら、敵を足止めするくらいなら十分なんとかなる。十六号の結界魔法で進路を阻んで、十八号と十七号で無力化すればいい」
十四号さんがそう言うと、隊長は鼻を鳴らして
「なるほど。ついには近衛師団、だな」
なんて冗談めいたことを言って笑ってみせた。
「しかし、そっちの指揮は誰が執るんだ?十四号くん、君が?」
虎の小隊長さんが十四号さんにそう聞いたけれど、十四号さんは首を横に振った。
「いえ。大尉さん…突撃部隊の皆さんの上官に当たる方が、城の中の指揮を一手に引き受けてくれる予定です」
「なるほど…彼女、か」
十四号さんの言葉に、小隊長さんは納得した様子で小さく何度か首を縦に振る。
「私と黒豹さんは、城主様と大尉殿の状況を逐次確認しながら、全体の指揮を執らせていただきます」
兵長さんが、確認するように部屋の中の人達を見回してそう言う。
それについては、質問も異論も出なかった。
636: 2015/07/06(月) 03:37:12.46 ID:3NdjAwg5o
「その布陣でしばらく持ちこたえてもらう。それで、あたし達が外の連中を叩き終えたら―――
お姉さんがそう口にしたとき、パパっと部屋の中が光って、勢い良く何かが転がってきた。
それは、魔導士さんと大尉さんだった。
二人共黒いズボンに黒い上着を着て、顔も髪も、黒い布で覆い隠している。
そんな二人は、あちこちに泥を付け、服の所々は破けていて、そこから微かに血が滲んでいた。
「十二兄さん!」
十八号ちゃんがそう声をあげて慌てて飛びついたけれど、魔導士さんはそんな十八号ちゃんを受け止めながら何事もないようにして立ち上がった。
「良く戻った…無事で良かったよ。それで、首尾は?」
そんな二人にお姉さんがそう尋ねる。
「一応、言われた通りに各所の拠点に集結中だった部隊を控えめに襲って、糧食あたりは焼いてきたよ。これで行軍はしばらく止まると思う」
「しかし、敵の数は想像以上だな。四万に迫る程になる可能性もあるぞ」
大尉さんと魔導士さんが、口々にそう報告をした。
お姉さんはそれを聞きながらも、冷静な顔色で
「分かった。少し休むか?」
と二人をねぎらう。でも、二人はチラッと顔を見合わせてから
「いや、報告を先にする」
「うん、早いほうが良いと思う」
と口々に言ったので、お姉さんは二人にもイスを勧めて、サキュバスさんのお茶が入る少しの間だけ黙った。
ふぅ、と魔導士さんがカップのお茶を一気に飲み干してため息を吐き、説明を始めてくれる。
「人間側の主力は王下軍の八割。以前に東部城塞へ集結した数のおよそ倍だ。それに、各地の貴族の部隊も加わっている。
こいつらもけっして少なくない。王下軍が一万五千、そこに王下騎士団が五千、さらに貴族が出している部隊が合計で九千、ってところだ」
「あれだけの数となると、山越えは厳しいと思う。たぶん、またどこかに戦略転移方陣を描いて転移してくるつもりなんだと思う」
私は、息を飲まずにはいられなかった。人間軍だけで、三万近い勢力だなんて…
「それなら、東部城塞をもう一度確認しておく必要があるな…もしそんな人数を送るとすれば、拠点がいる」
「あぁ。おそらくはあそこを使ってくるだろうな」
お姉さんの言葉に、魔導士さんがそう意見する。
「そうなると…やはり二面作戦は避けられませんね…」
「どの道ここに攻め込ませるんです。今回は二面ということでも思います」
サキュバスさんの不安げな表情に、兵長さんがそう言葉を次いだ。
637: 2015/07/06(月) 03:41:36.14 ID:3NdjAwg5o
「魔族の様子は?」
一瞬の間を縫って、魔導士さんがお姉さんにそう尋ねる。
「魔族の連中は西部城塞へ集まってきている。数は…」
お姉さんがそう言いかけて、サキュバスさんを見やった。
「およそ、九千は…」
「うち、サキュバス族は八〇〇ほどだそうだ。あたしが出れば、いかにサキュバス族とは言っても、それほど時間はかからないだろう」
「そうだな…そっちは、お前に任せよう。俺とサキュバスで魔導協会を叩けば、時間も短縮できるだろうが…」
お姉さんの言葉に、そう話す魔導士さんは、途中で黙ってチラっと目線を逸らした。
その先には、零号ちゃんの姿がある。
魔導士さんは、静かに言った。
「保険を用意しておく方が、確実だろう」
その言葉は、なんだか少し重たそうな心境があるように聞こえた。
魔導士さん、まさか…
「…そうだな」
魔導士さんの言葉に、お姉さんはイスから立ち上がって腰から下げていた二本の剣のうちの一本を鞘ごと手に取って、それを零号ちゃんに差し出した。
「お姉ちゃん…?」
「持ってろ。もしものときは…剣から魔法陣を受け取って、使うんだ」
それを聞いた零号ちゃんは、少し戸惑いながらもその剣をそっと受け取る。
キン、と言う金属の音を響かせて刀身を半分ほど抜いたところに、あの日零号ちゃんが腕に付けていた紋章が焼きついている。
魔道士さんにとってこの紋章は、魔導士さんが助け出した十五号ちゃんを頃したのが零号ちゃんだと言う、揺るがない象徴だ。
でも、魔導士さんはそんな力を零号ちゃんに戻すべきだ、ってそう思ってああ言ったんだろう。
それは、やっぱり魔導士さんにとっては苦しくて重い決断だったに違いない。
でもそんな私の心配を知っていたかのように、カシャン、と剣を鞘に戻した零号ちゃんは
「うん、私、やる。なるだけ殺さない方がいい、そうでしょ?」
とお姉さんの目を見て言った。それを聞いたお姉さんは、ニコっと悲しく笑って零号ちゃんの頭を撫でた。
「うん…本当なら、使わせたくないし…戦わせたくもないんだ…でも、ごめんな」
「…平気。私、みんなと一緒にいるの好きだから、それを守るために戦う」
お姉さんの言葉に、零号ちゃんはそう言って見せた。
そんな零号ちゃんの言葉と表情に、お姉さんは唇を噛んで頷き、そして魔導士さんはどこか少し穏かな視線で零号ちゃんを見つめているような気がした。
638: 2015/07/06(月) 03:43:10.73 ID:3NdjAwg5o
「…それで、人間軍は再編にどの程度掛かると見てる?」
お姉さんは気を取り直したように立ち上がって、魔導士さんを見やり聞く。
すると魔道士さんは、さして考えもせずに
「王都から各所へ追加の糧食と医薬品が届くのに、もう一週間掛かる。その間に戦略転移方陣を描くと考えるなら、来週には魔界へ入るだろう」
と答えた。
「一週間…」
兵長さんが、そう呟くように言ってお姉さんを見やる。お姉さんはそんな兵長さんにコクっと頷いて言った。
「今日から一週間、東部城塞を交代で見張ろう。あそこへ来るのを妨害できれば、もっと時間が稼げる…
その間に、城中にできる限りの結界魔法と罠魔法を掛けておけば、うまくいくはずだ」
その言葉に、大人達はそれぞれ頷いて見せる。
私も、十六号さんたちをチラっと見やって、頷きあった。
それを確認したお姉さんは、大きく息を吸って、それからため息を吐きそうになったのをこらえるようにフンス、と鼻から息を吐いて私達に言った。
「それじゃぁ、すぐに準備に掛かろう。魔道士と大尉は、ケガの治療と少し休んでくれ。
黒豹と兵長、あんた達の指揮りで、隊長達と十六号達に魔法陣を描かせてくれよ。
竜娘と、あんたに妖精ちゃんとトロールちゃんは、できる限り食い物を集めておいてくれ。
篭城戦をするつもりはないけど、これから先、下手に外に食料を確保しには行けなくなるだろうか、な」
そんなお姉さんの言葉に、私も、そして皆も返事をして、そしてそれぞれの持ち場に散って行った。
今はまだ…そのときじゃない。
ギリギリまで、我慢しなきゃいけないんだ。
私は、みんなと作業に向かうために廊下を歩いている間中、ずっとそんなことを考えていた。
649: 2015/07/20(月) 05:25:04.00 ID:eoQbVR1vo
その晩、あたしはいつも通りにお姉さんをベッドの中で待っていた。今日は、零号ちゃんも一緒だ。
妖精さんは体を小さくして、もうベッドに潜り込んでいる。
零号ちゃんも、半分眠ってしまっているようなものなのに、それでもムニャムニャと言いながらなんとか意識を保ってお姉さんがお風呂から戻って来るのを待っている。
話し合いは早くに終わったみたいだったから、もう時期戻ってくると思うんだけど…
あれから私達はお城の各場所に散らばって、人間と魔族の軍勢を待ち受けるための準備に急いだ。
魔道士さんが主導で十六号さん達が城壁の外に結界魔法や罠の魔法を張り巡らせ、私はトロールさんと妖精さん、それに隊長さん達とお城の中の準備をしていた。
トロールさんの土の魔法で通路を潰して侵攻出来る道を減らしたりするのが主な作業だった。
一本道にしたり、分かれ道の先を行き止まりにしたりすれば、それだけ敵を誘導しやすい。
一本道の先をほんの少し広い場所に繋げば、そこで通路から出てくる人達を迎え撃つことが出来る。
少人数のこっちがうまく戦うには、敵をなるだけ狭いところに引き込んで、囲んだり出来ないようにしてから叩くんだ、と言う隊長さんの考えだ。
そこでケガくらいの攻撃をして、負傷した人達はまたその一本道を使って運び出していもらう。そうすれば、かなりの数の戦闘員の自由を割けるはずだ。
問題は、魔道士さん達がやってくれている城壁の強化と防御がどれだけうまく機能するか、というところだ。
城壁が壊れないように守ることが出来れば、お城の中はしばらく保つ。
でも、もし破られて他の場所からお城に入ってくるようなことになったら、こっちも混乱してしまうだろう。
そうなったら、さらに上の階へ引くしかない。
私達が引き上げる通路も、一箇所にしてまたそこから一本道にすれば、なんとかなるだろうけど、
上の階のことはそのときはまだ、お姉さん達が話し合っている最中だったから、どうなるのかは分からなかった。
その話し合いが終わって、おお姉さんはサキュバスさんと兵長さんとお風呂に向かったから、うん、やっぱりもう少しで部屋に戻って来てくれるだろう。
大尉さんと竜娘ちゃんは、相変わらず書庫で何やら古い文献を調べている。
たぶん、もしものときのあの計画には必要なことなんだろう。
そんなことを思って、私は自分の両腕をギュッと抱き締める。出来るなら、上手く行かなかった後のことなんて私は考えたくはない。
でも、それが必要かも知れないってことは、あの日のお姉さんを見ていて、私は理解していた。
ガチャっと音がした。顔を上げるとそこには、廊下から漏れてくる明かりに照らされてタオルで髪を拭きながら部屋の中に入ってくるお姉さんの姿があった。
「お姉さん」
私が声を掛けると、お姉さんはあぁ、なんて声をあげて
「まだ起きてたのか」
と、ベッドまでやってきてトスっと腰を下ろして私の頭を撫でてくれる。
650: 2015/07/20(月) 05:25:37.72 ID:eoQbVR1vo
「ん…むにゅ…お姉ちゃん、来たぁ…?」
零号ちゃんも、眠そうな目をこすりながらそんなことを言って、お姉さんにグッと腕を伸ばした。
「分かった分かった、ちょっと待てよ」
お姉さんはそう言って一旦ベッドから立ち上がると、二、三歩離れてフワリと風を起こした。
その風はお姉さんのモシャモシャの髪を掻き上げ、程なくして止む。
パサリと肩に掛った髪に手櫛を通しながらベッドまで戻って来たお姉さんは、私を下敷きにしないように腕を支えながら、ベッドにゴロンと転げて私と零号ちゃんの間に収まった。
零号ちゃんはすぐにお姉さんにしがみつき、ニンマリと笑顔を浮かべているような表情で目を閉じる。私もお姉さんに身を寄せて、ふぅ、とため息を吐いていた。
お姉さんの暖かな体温が、私をホッと安心させてくれる。いろんなことが渦巻いていた頭の中が空っぽになって、詰まるようだった胸がすいて、穏やかな心地に満たされる。
「お姉さん、今日もお疲れ様」
私は、お姉さんにそう声をかけてあげた。
するとお姉さんはクスっと笑顔を見せて、片腕で私をキュッと抱きしめてくれる。
「話し合い、どうなった?」
零号ちゃんが眠そうな声色で、お姉さんにそう尋ねる。
「うん、大詰めかな。サキュバス族と魔導協会を叩いたあとの戦いの持って行き方で、悩んでる。
あたしが首を差し出せばいいんだろうけど、そうもいかないから、別の案を考え中だ」
お姉さんがそう言うと、零号ちゃんは聞いていたんだか分からない様子で
「ふぅん」
と、鼻を鳴らした。
そんな零号ちゃんの反応に苦笑いを浮かべたお姉さんの手が私の頭に乗って、
ポンポン、とゆったりとした刻みで撫で始めた。
それにまた、言い様のない心地よさを感じていたら、お姉さんが静かに言った。
「ありがとうな…こうして居てくれて…」
私はその言葉の意味が分からずに、ふと、お姉さんを見上げていた。
そこにあったらお姉さんの表情は、その瞬間だけはこれまで見たどんなときよりも、優しくて、穏やかで…そして、幸せそうに、私には見えた。
「あんたが居てくれるおかげで…あたしは、ここに居られる。怖さと戦える…」
お姉さんはそう言って、不意に、その目尻に涙を浮かべた。
私はそのときになって、ようやくお姉さんの異変に気がついていた。
その表情から感じられるのは、何か、押し頃したみたいな感覚だ。
何かを一生懸命に我慢して、堪えてる。
「お姉さん…どうしたの?」
私は、思わずそう聞いた。でも、お姉さんは相変わらずその無理やりな笑顔を浮かべて
「うん…?何が?」
と聞き返してきた。
そんなお姉さんの様子に、私はギュッと胸が痛くなる。
651: 2015/07/20(月) 05:26:12.45 ID:eoQbVR1vo
きっと、話し合いでまた、いろんなことを考えちゃったんだろう。
いろんなことに向き合わなきゃいけなかったんだろう。
私は、そう思ってお姉さんに言っていた。
「お姉さん…辛かったら、ちゃんと話して。私、畑以外は、お話を聞くくらいしか出来ないけど…でも、それでなら、お姉さんの役に立てると思うんだ」
そう言った途端、ポロっと、お姉さんの目尻から一粒、涙がこぼれ落ちた。
無理矢理に作っていた笑顔が剥がれて、みるみるその表情が悲しく、切なげに曇り出す。
私が胸の痛みに耐えかねてお姉さんの体にギュッとしがみくと、お姉さんは、ギュッと目をつむり唇を噛み締めてから、はぁとため息を吐いた。
そして、クタッと体の力を抜いて、ポツリと言った。
「あたし、怖いよ」
「怖い…?」
お姉さんの言葉に、私は思わずそう聞き返す。
すると、お姉さんはコクリと頷いて口を開いた。
「あたし…怖いよ…これから起こる戦争が。
今までで一番怖い…どうあっても、あたしは人間も魔族も傷つけなきゃいけないから…それも、魔族と人間が手を組んだ総力に斬り込んで、だ…
それそのものが、人間と魔族、両方への裏切りになる。きっと、本当にあたしの味方はあんた達だけになるかもしれない…それが、怖いよ」
お姉さんの手が頭から滑り降りてきて、私の手に優しく触れた。私は、思わずそれをギュッと握りしめてあげていた。
「どうして…こんなことになっちゃったのかなぁ…あたし、みんなが平和に暮らせるように、って、そう思ってなんとか間を取り持とうとしてきたのに…
気が付いたら、あたしが敵だ、っていうんだ。そんなのって…あるかよ…」
お姉さんの目から、ポロっと涙が溢れた。
「ただ、利用され続けてきだだけだったんじゃないか、ってそんな気がする。
結局あたしは…平和のためにその身を犠牲にしなきゃいけない、勇者で魔王なんだ…そう考えてみたら当然だよな。
人間は魔王を討ち倒したい、魔族は勇者を倒したい…そうすれば平和になるって、これまでずっと戦争をやってきたんだ。
その両方をやってるあたしがその役目を引き受けるのは…さ」
お姉さんの話は、あまりにも取り留めがなかった。私は、お姉さんに人間や魔族に裏切り者と呼ばれることが怖いって気持ちがあるのは知っていた。
お姉さんがずっと平和のためにって考えて、新しい事を始めようとしていたのも分かっている。
そして、お姉さんの…ううん、私達の目の前に避けようのない戦いが迫っていることも理解できていた。
652: 2015/07/20(月) 05:26:47.09 ID:eoQbVR1vo
でも、お姉さんは今、そんなことを思って泣いているんじゃないって、そう感じた。もちろん、お姉さんが話したひとつひとつのことはどれをとっても辛いこと。
でもお姉さんはそのことが辛くて泣いてるんじゃない…
私は、お姉さんの体に擦り寄って、静かに言った。
「お姉さん…大丈夫だよ…。お姉さんがしてきたことは、何一つ間違ってなかった。私はずっとお姉さんのそばに居たから分かるよ。
お姉さんはいつだって、人間と魔族、両方の幸せを考えてやってきた。これは、お姉さんの失敗なんかじゃない。
たぶん…私達が思っていた以上に、人間も魔族も愚かで、憎しみを捨てられる強さを持っていなかっただけなんだと思う…
それは、私達のせいじゃない…お姉さんが間違ったからでもない…きっと、古の勇者様が、その憎しみや怒りに向き合えなかったからなんだと思う…
お姉さんの失敗なんかじゃないよ…」
それは、やっぱり私の中で変わらない結論だった。昼間、隊長さんと畑で話したことだ。それを拭うために、お姉さんは出来る限りの事をしてきたと思う。
魔界から人間を追い払って、攻めてきた人間軍を無傷で追い返して、人間にさらわれた竜娘ちゃんを助けに行かせてくれて、
魔界の秩序を保つために、魔王城や魔族軍の再編成を図った。
だけど、大地を歪め、あんなに高い中央山脈を作り上げることが出来るくらいの力があるかも知れないお姉さんの力を以ってしても、
拭うことの出来ない怒りと憎しみが人間と魔族の間にあっただけなんだ…
ギュッと、お姉さんの手に力がこもった。そんなお姉さんが、絞り出すように言った。
「悔しいよ…あたし…悔しい……」
そう…たぶんそれが、お姉さんの本心だったんだろう。私は、お姉さんのその言葉にギュッと胸を締め付けられるのを感じながら、お姉さんの手を握り返して言った。
「私も、悔しい…」
気がつけば、私の頬も涙で濡れていた。
本当なら、あのお芋畑で魔族や、私達に味方してくれた人間達と一緒に収穫をして、また次の作物を植えて…
もっと畑を広げたり、違う種類の作物を考えたりして…きっとそれが、魔族と人間が一緒になれる機会になるって、畑を作っているときにはそう思えたのに。
魔族の暮らしのいいところと、人間の暮らしのいいところを合わせて、魔族のでも人間のでもない、新しい暮らし方が考えられるかも知れないって、そう、思えたのに…
一度溢れ出した涙はとどまることを知らずに次から次へと溢れてくる。
そうして私はその晩、お姉さんと一緒に、泣きながらベッドで眠りに落ちて居た。
653: 2015/07/20(月) 05:27:44.40 ID:eoQbVR1vo
それから、1週間が経った。
お城の迎撃準備も終わり、私達は“そのとき”が来るまでの間の時間を、出来るだけ穏やかに過ごそうと、そう決めた。
これから始まるのは、けして勝ってはいけない戦いだ。
魔導協会とサキュバス族を掃討したらその後は、この城を破壊して、そして私達はどこか人里離れた場所に転移する…
そして、そこでしばらくは世界の動きを見ながら生活をする、って言うのがお姉さんの考えだ。なんの解決策にもなっていない。
でも、こんな状況で、相手を全滅させることも避けて、私達が…何よりお姉さん自身が氏んでしまう事も避ける、良い方法だと思う。
これで終わりじゃないし、終わりになんてさせない、って言うのがお姉さんの思いなんだ。
上手く運べば、私達もそれが一番だって、そう思う。
「よーし、焼けたぞ!」
「うはぁっ!旨そうだ!俺、この大きいやつな!」
「なんだっけ、この野菜…えと、パ、パ、パ…」
「パプリカです」
「あぁ、そうそう、パプリカ!これ、魔界にも似たようなのがあるんだよ、アマトウ、って言うんだ」
「あたしも!あたしもオイシイする!」
「ほら、十九号、熱いから、ちゃんと冷まして食べるんだぞ」
そんなみんなの楽しそうな声が、お城の中庭に響く。
今日のお昼ご飯は、隊長さんの発案でこうして中庭でバーベキューだ。
そのために朝から食材を切ったり、中庭に麻布で庇を作ったりして準備をしてきた。
魔族の人たちは、バーベキューってなんだ?って、首を傾げていたけど、外で料理をして、みんなでワイワイしながら食べるんだ、って説明したら
「野掛けみたいなものだね」
なんて言っていた。
魔族の人たちにとってはこうして外で調理して食べることは珍しくないようで、何がそんなに特別か、なんて不思議がっていたけど、
隊長さんがお酒を持ち出したりしたら、ようやくどういうものかが分かってもらえたらしく
「なるほど、野掛けっていうより、祭りだな」
と言って顔を見合わせ、ウンウン、と頷いていた。
何はともあれ、最近はみんなで集まってもどこか湿っぽい雰囲気がつきまとっていたから、こういうのは私も大歓迎だ。
「あぁぁ!十六姉!それ、俺の肉!」
「こういうのは早いもの勝ちだ!アタシはこれを十八号と半分ずつにして食べるんだから!」
「のんびりしているのがいけない。十六姉さん、はやく分けて」
狙っていたお肉を取られた十七号くんが、十八号さんと一緒になって大きなお肉を分けている十六号さんにそう訴えている。
「お前ら、野菜もちゃんと食えよ。ほら、十九号、二十号、良く噛んで食べるんだぞ」
そんなすぐ横で、小さなイスとテーブルに着いた十九号ちゃんと二十号ちゃんに、珍しくマントを脱いでいる魔導士さんが、野菜やお肉の乗ったお皿を並べて言った。
654: 2015/07/20(月) 05:28:23.86 ID:eoQbVR1vo
「お姉ちゃん!私も食べたい!どうするの?どうしたらいいの?」
「んん?焼けてるヤツを取っていいんだぞ。あぁ、あんたもちゃんと野菜食べなきゃダメだからな」
「分かった!これ!これ食べる!」
「あぁっ!待てって、それまだ生だから!」
零号ちゃんはこういうことが初めてなのか、随分と興奮してそんなことをお姉さんと言い合っている。
そんな零号ちゃんの横に鬼の戦士さんがやってきて、
「お肉は焼けたら色が変わるんだよ。赤いのは、まだ焼けてないの。お野菜は…シワシワになった物から取ろううね」
なんて優しく教えてあげている。
「んはぁぁぁぁ!やっぱ、酒だよなぁ!こう、暑い日はさ!」
女戦士さんが木製のジョッキを空にして誰ともなしにそんなことを言った。
それを虎の小隊長さんが
「お前さんは本当に良く飲むな」
なんて笑って言っている。
「迷惑なんですよね、いつも。ちょっと控えるように言ってもらえません?」
そんな小隊長さんに、女剣士さんがそう言って笑った。
「皆様、追加の食材、お持ちしましたよ」
そんな様子を妖精さんと見ていたら、お城の出入り口からサキュバスさんと兵長さん、黒豹さんが大きなトレイに山盛りのお肉や野菜を乗せて現れた。
「はは、待ってたよ!そこ置いて!」
「魔王様はどうぞお座りになっていてください。あとは私が」
「何言ってんだ!ベーべキューの焼き役は、主たる者の勤めだぞ!あと、大鍋料理のときもな!」
食材を持ってきたサキュバスさんの言葉に、お姉さんはそう言い返して豪快に笑う。
それを聞いた黒豹さんが
「つまり…この“ばあべきゅう”とは、主から臣下への恩賞か何か、ということなのか?」
と兵長さんに聞く。
それを聞いた兵長さんはクスっと笑って
「そんなに畏まったものではない。このような場においては、焼き役を率先して引き受け、皆の食事を支えることが一種の矜持なのだ」
と説明した。それを受けた黒豹さんはしきりに感心した表情で
「なるほど…やはり、祭りと似た要素があるな。獣人族の祭りでは、族長が臣下に酒を注いで回る作法があるのだが、それと同じようなものか…」
とひとりでウンウン、と頷いている。
それもちょっと違うんじゃないかな…なんて思っていたら、兵長さんと目があったので、なんだかお互いに苦笑いを浮かべてしまっていた。
655: 2015/07/20(月) 05:29:16.05 ID:eoQbVR1vo
「ちょっとぉ、隊長!こっちもお酒!」
キンキン声で、大尉さんが隊長さんにそういうのが聞こえて振り返った。
隊長さんはすでになんだか赤ら顔で
「あぁん?うるせえやつだな、飲みたかったら自分で取りに来やがれ!」
なんて、とても上官に向かっての言葉じゃないような口調でそう言う。それを聞いた女戦士さんも
「そうだぞぉ、大尉!上官だからって威張るな!生意気に!」
と、ヘラヘラっとして大尉さんにそう言った。
「威張ってないし!生意気でもないし!」
大尉さんはほっぺたをプリプリさせながら、それでも自分でジョッキを持って、隊長さんのところまでお酒を取りに行っている。
た、大尉さん、って、本当に上官なのかな…?
あんまり皆に尊敬されたりしてるように見えないけど…
い、いや、でも、あんな軽口を利いても平気なほどにしたわれてる、ってそういうことだよね、うん。
きっとそうだ…
「そういや、トロール。あんた、大丈夫か?」
不意に、そうお姉さんが声をあげた。
その視線の先には、庇の隅っこで、頭に手ぬぐいを乗せて倒れている人間の姿になったトロールさんがいる。
「うぅ…まだ、クラクラする…」
「そっかぁ。おい、零号!井戸水組んで、手ぬぐい冷やし直してやってくれよ!」
そんなトロールさんの言葉を聞いて、お姉さんはそばにいた零号ちゃんにそう頼む。
「うん、分かった!」
零号ちゃんは言うが早いか、井戸の方へとピュンと駆け出した。
トロールさんは朝から人間の姿になって、あれこれと一緒に手伝いをしてくれていたんだけれど、普段、日の光に当たりなれていないせいか、
作業の途中であんなことになってしまっていた。
トロールさんの姿でいるときは日に当たると乾燥した地面がひび割れてしまうのと同じように、あの鎧のような体を維持するには負担になってしまうんだ、って聞いたけど
人間に戻っても倒れちゃうんじゃ、あんまり変わらない。
そんなトロールさんの横では、竜娘ちゃんがその様子を見ている。
いつもは涼しげな竜娘ちゃんも、今日ばかりはどこか笑顔を浮かべているように、私には見えていた。
656: 2015/07/20(月) 05:30:03.15 ID:eoQbVR1vo
そんな中にいる私も、もちろん楽しめていないワケはなかった。
こんな気分は、本当に久しぶりだ。
嬉しいのとも、穏やかなのとも違う。
ただひたすらに、楽しい、ってそんな感覚だ。
「人間の人達は面白いことをするよね」
妖精さんが、大きなお肉を食みながら私にそんなことを言ってくる。
「こんなこと、そんなにしょっちゅうやってるわけじゃないけどね…でも、作物の収穫の時期とかには、必ずやるんだよ!」
私が言ったら、妖精さんはクスクスっと笑って
「それだったら、私も人間の世界に住んでも良いかな。まだ、知らない人は少し怖いけど…なんだか、なれたら楽しそう」
なんて言ってくれた。
本当にそうだと思う。
私だって、魔界の暮らしが退屈だとか悪いものだとか思った試しはない。
そりゃぁ、最初は戸惑うこともたくさんあったけど、それでも、日々の楽しみ方とか、それこそ、このお城全体がそうなように、自然を楽しむなんてことは、今まで考えたこともなかった。
「ほらほら、もっと食えよ!余らせちゃったら、全部十九号に食われちゃうぞ!」
不意にそんなことを言いながらお姉さんがやってきて、私たちのお皿にお肉や野菜を大盛りに盛り付けた。
そこに零号ちゃんがやってきて、隊長さんが作ったんだ、と言う特製のソースをたっぷりと掛けてくれる。
ガーリックと、それから塩と胡椒なんかが利いた美味しいソースなんだ。
私は香ばしく焼けたタマネギを頬張って、それからフォークでお肉を差して零号ちゃんにも「あーん」と食べさせて上げる。
零号ちゃんはお肉をほおばるなり、なんだか幸せそうな笑顔を見せてくれた。
私達はお肉も優しもお腹いっぱいに食べて、とにかく騒いだ。
ようやくすこし落ち着いてきて、私は妖精さんと庇の下で、キンキンに冷えた果汁水を楽しんでいた。
「いやぁ、お腹いっぱい」
妖精さんがポンポン、とお腹を叩きながらそんなことを言っている。
隊長さん達は相変わらずお酒を飲みながらギャーギャーと大騒ぎをしているし、十六号さん達は井戸の方に行ってなにやらコソコソとやっていた。
トロールさんもようやく体調が戻ったみたいで、残りのお肉や野菜を食べ始めているところだった。
お姉さんも流石にお腹が空いたのか、サキュバスさんと焼き役を代わって、立ったまんまで外に作った石のグリルのそばで焼きあがったお肉と野菜を次から次へと口に運んでいる。
兵長さんと黒豹さんは、使い終えたトレイやお皿なんかをテキパキとまとめる作業に入っていた。
私はそんな様子を見ていて、手伝ってあげなきゃな、なんて思って立ち上がろうとしたら、突然にどこからか飛んできた冷たい何かが背中に当たって
「ひゃっ!」
と声を上げてしまった。
見れば、十六号さんたちが手に何かを持って、こちらに迫ってきていた。
「わ、水打ちだ!」
そんな十六号さんたちを見た妖精さんがそう声を上げる。水打ち、って、あの手に持ってる棒みたいな物のこと?
そんなことを思っていたら、
「うりゃっ!」
と十七号くんの掛け声と共に、棒の様なその水打ちから、ピュっと水が飛び出してきて、私の顔に掛かった。
657: 2015/07/20(月) 05:30:49.04 ID:eoQbVR1vo
「もう!なにそれ!」
私がそう声をあげたら、十六号さんと十七号くんはピュゥっと駆け足で井戸の方へと逃げていく。
そんな二人を見送った十八号さんが、誰もいないところにピュっと水を打ち出しながら
「虎の小隊長さんに聞いて作ってみたの。これで遊ぼうよ」
なんて言ってくれた。
「私も作るですよ!ほら、人間ちゃんも作ってやり返すです!」
妖精さんはすかさずそう言って、私の手を引っ張って立ち上がった。
十八号さんに連れられていくと、そこには節くれた棒の様な物を切っている小隊長さんと、それを目をキラキラと輝かせて見ている零号ちゃんの姿があった。
「お、指揮官殿も来たな!」
小隊長さんはそういうなり、私と妖精さん、それに零号ちゃんに、その節くれた棒を切った物を手渡してくれる。
「いいか、この先の穴が空いたところを水につけて、この細い棒を引っ張って水を中に吸い込むんだ。そしたらあとは狙いを定めて押してやれば、水が飛び出る」
小隊長さんの説明を聞いて、私と零号ちゃんはスコスコと節くれの棒の中から飛び出していた一回り細い棒を出し入れして顔を見合わせる。
そんなことをしていたら、また背後からピュっと水を引っ掛けられた。
「もう!ずるいよ!」
私はそういきりたって、零号ちゃんと妖精さんに十八号ちゃんを見やって
「仕返し行こう!」
と駆け出した。
井戸のところにあったバケツに水が溜まっていたので、それを吸い込んで十六号さんの後を追いかける。
私はその背中に向かって水を打ち出した。
「ひゃぁぁっ!」
と悲鳴をあげて、十六号さんが飛び上がった。
井戸水は川の水なんかよりも一層冷たいから、こんな暑い中で掛けられたらそれ以上に冷たく感じる。
二回もかけられたもんね、もう一回掛け返してやらないと…!
そんなことを思っていたら、ビュビュっと私の後頭部にちょっとした衝撃と冷たい感覚が走って
「ひぃっ!」
っと声を上げてしまう。
振り返ったらそこには、妖精さんと零号ちゃんがニンマリした表情で立っていた。
「あ、ごめん、人間ちゃん!」
「間違えちゃった!」
なんて言う二人に、十七号くんと十八号ちゃんがさらに水を引っ掛ける。
私達は競って井戸のところまで走って、水を吸い込んではお互いに掛け合いを始めた。
658: 2015/07/20(月) 05:32:13.09 ID:eoQbVR1vo
「良し、十七号!行け!」
「任せろ、くらえ!」
「うわぁっ!何でアタシにかけるんだよ、この!」
「ちょっ!十六号ちゃん!私狙わないでほしいですよ!」
「幼女ちゃん、今度は一緒に十六お姉ちゃんを狙おう」
「うん、分かった!」
「うわっ!十八号、助けて!」
「私今、水ない。助けてあげられない」
「ちょぉっ!あんた達こっちに飛ばすなよ!」
「あ、女戦士さん、ごめーん」
「十六号ちゃん、あんた謝る気ないだろ!よぉし、そっちがその気ならアタシだって考えがあるぞ!」
そんな水の引っ掛け合いをしていたら、流れ弾の当たった女戦士さんが立ち上がって井戸までやってくると、バケツを抱えて私達を追いかけ始めた。
「うわぁぁっ!それナシ!ナシだよ!」
「ひ、ひるむな、打て打て!」
「うわっ、私、水吸わなきゃっ!誰か援護して欲しいです!」
「あっ!」
「へっ?うわぁぁぁ!!」
「あぁっ!女戦士さんが転けて十六号姉が水かぶった!」
そんなことをしながら、私はとにかく笑った。
十六号さんも、十七号くんも、十八号くんだって、零号ちゃんだって、皆笑顔だった。
もちろん、酔っ払って千鳥足で私達を追い回す女戦士さんも、私達を見ていた隊長さん達や、兵長さんたち、竜娘ちゃんとトロールさん、魔導士さんもサキュバスさんもお姉さんも
みんなお腹を抱えて笑っていた。
私もそうだったし、きっとみんなもおんなじだっただろう。
そのときばかりは、戦争や戦いのことなんて、忘れていた。
楽しくて、楽しくて、そんなことを考える暇さえなかった。
何日か前、十六号さんと眠るときに、ずっとこんな日が続けばいいのに、なんて思ったけど、そんなことを思うことすらなかった。
ただただ純粋に、私は水かけ遊びが楽しくて気持ちよくって、お腹のそこから笑いながら、水を掛けたり掛けられたりして、
私達はそろって日焼け防止という名目で着ていた長袖をずぶ濡れにさせて、それから水かけ遊びはやがて鬼ごっこになって、
鬼ごっこが終わったら隠れんぼになって、とにかくその日は夕方暗くなるまで、目一杯、中庭で遊んで回った。
お昼にいっぱい食べたから、と、夕ご飯はスープとパンで控えめにして、十六号さん達とお風呂に入った。
ずっとずっと楽しい気分で、お城に戻ってからも、笑いっぱなしだし、ふざけっぱなしだった。
そして、ようやく気持ちが落ち着いて来た頃には、私達ははしゃぎ疲れてすっかり眠くなってしまっていた。
お姉さん達は夕飯のあとも、食堂でお酒を飲みながら話をしていて、私達も食堂の隅っこで十四号さんが持っていたカードで遊んでいたけれど、
一人倒れ、二人倒れ、とみんなが眠りこけてしまい始めたので、会はようやくお開きになって、私は妖精さんと零号ちゃんとお姉さんと一緒に寝室に戻って、
お姉さんと零号ちゃんと一緒のベッドに潜った。
そして、翌朝早く、私達は魔導士さんの声で目覚めることになる。
その魔導士さんの言葉は、私はもちろん、みんなの胸をギュッと締め付けたに違いない。
「東城砦に仕掛けた魔法陣が反応した。恐らく人間軍が入城しただろう。迎え撃つ準備にかかるぞ」
659: 2015/07/20(月) 05:33:07.88 ID:eoQbVR1vo
660: 2015/07/20(月) 13:39:32.62 ID:6P9K5jJXo
乙
引用: 幼女とトロール
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