663: 2015/08/03(月) 00:38:01.93 ID:G8yF9Xgeo

664: 2015/08/03(月) 00:39:01.82 ID:G8yF9Xgeo




「様子はどうだ?」

パタンとドアの音をさせて、魔道士さんが食堂に顔を出した。

「もう、三里くらいのところまで来てるです」

念信を聞き続けていた妖精さんが、すぐさま魔道士さんに答える。それを聞いた魔道士さんは、ふぅ、と肩の力を抜いた。

「三里か…まぁ、上手く行っている方だろう」

「大尉さん達は、大丈夫です?」

「さぁな。だが、あいつらなら上手くやる」

「…そうだと、いいです…」

魔道士さんの言葉に、妖精さんは心配げな表情を浮かべた。

 人間軍が東部城塞に入ったことが分かってから2日が経った。あの日以来、大尉さんと兵長さん、それから魔道士さんが交代で東部城塞に小さな攻撃を掛けている。

お姉さんの言葉を借りれば「嫌がらせ」みたいなもので、とにかく補給物資を狙って士気を削ぐんだ、と言っていた。

 同じように、西部城塞に陣を張っていた魔族の軍勢には、黒豹さんと虎の小隊長さん達が補給物資を狙った攻撃を散発的に繰り返している。

今は魔族の軍勢の方には攻撃は仕掛けていないから、すでにこのお城に向かって行軍が始まっているようだ。

それでも、この2日間の「嫌がらせ」で、それも遅れさせることが出来ているらしい。

東部城塞からも西部城塞からも、このお城までは二日掛かるとサキュバスさんが言っていたけれど、二日経った今でも両者の軍はお城には現れていない。

三里のところに来ていると言うけど、時間はもう夕方だ。夜には陣を張って休むはずだから、

きっと、明日までは本格的な戦闘にはならないだろうって言うのが、お姉さん達の読みだ。

 でも、それはあくまで本格的な戦闘に限ったことで、私達がやっているように、こっちにもこっそり忍び寄って小規模な攻撃を仕掛けて来るようなことがないとは言えない。

 それを警戒して、私と竜娘ちゃんは、十四号さんを始めとした勇者候補の皆とそれから零号ちゃんにしっかり警護されていた。

 ただ、十九号ちゃんと二十号ちゃんだけは、早々にお城から抜け出させていた。行った先は、人間界の魔道士さんの“師匠”と言う人のところだ。

なんでも“大賢者”なんて呼ばれていて、小さな村に私塾を建てて、勉強や魔法を教えているらしい。

もう随分なおじいちゃんだから戦争の助力は頼まずに、幼い二人を保護してもらうように頼んだのだそうだ。

 私や竜娘ちゃんもそこに避難するか、と聞かれたけど、私達は揃って首を振った。

まだ今は戦いの力にはなれないけど、とにかく私は、お姉さんと一緒に居て気持ちを支えるのが仕事だ。何があっても、それだけはまっとうしなきゃいけない。

 不意にパパっと部屋の中が光って、兵長さんと大尉さんが床に転げながら転移魔法で帰ってきた。

「ゲホゲホっ…ウウェッ…」

苦しそう咳込んだ大尉さんは、全身を真っ黒に焦がしている。
  
Lv1魔王とワンルーム勇者 1巻 (FUZコミックス)
665: 2015/08/03(月) 00:39:37.67 ID:G8yF9Xgeo

「大尉殿、大事はないですか?」

「あぁ、大丈夫、大丈夫。ちょっと欲張っちゃったら火炎魔法食らってさ。でもこれくらい、なんでないよ」

兵長さんの言葉に、大尉さんはそう言ってふぅ、と息を吐き立ち上がった。

「もう二つ、物資の馬車を燃やしてやったよ。これでたぶん、食料は半分になってると思う。

 ここに辿り着く頃にはお腹いっぱいには食べられなくなってるんじゃないかな」

「まぁ、配分は分からない。もしかしたら今夜の分を削って、明日の朝食を揃えて来るかもしれないしな」

大尉さんの言葉に、魔道士さんはそう答えた。

「まぁ、そうだけど…少なくともあの数であれだけの食料なら、少なくともこっちが兵糧攻めには合わないだろうから、それは安心できるね」

「あとは、腹を空かせた兵士達が平静を失ってこちらの食料庫でも襲いに来なければ良いのですが…」

少し不安げな顔で言った兵長さんに、魔道士さんが

「警戒はしておこう。まぁだが、当日ならともかく、わざわざこっちの食料庫を襲いに来るくらいなら、行軍を早めて夜襲でも掛けてくる方が現実的だろう」

と落ち着いた声色で言った。

 それを聞き、納得したように頷いた兵長さんは

「そうですね…とにかく、玉座の間に報告に行って参ります」

と言い、もう一度大尉さんの身が大丈夫かを訪ねてから、食堂を出て行った。

 それを見送った魔道士さんは、私達を振り返った言った。

「お前達も気をつけろよ。奴らの転移魔法の魔法陣はこの城にはなかったが…座標が割れているから、向こうも転送魔法で少数を送り込むことは出来る」

「来るのは…協会の精鋭の使い手か、王下騎士団の連中かな?」

十四号さんがそう聞く。すると魔道士さんは引き締まった表情で首を振った。

「そもそも来る可能性は低いがもし送り込んで来るんなら、恐らくあの半仮面のオークと人間の間の子ども達だろう。やつらもこっちの…十三号の弱点を心得てる。

 半人半魔のあいつらを相手にするのは十三号にとっては精神的な痛みが大きい。こっちの士気を削ぐには有効だ。

 それに、狂化の魔法陣を施された、人間と魔族、両方の魔法を使えるあいつらを送れば、簡単な戦いにはならないからな…」

「本当にそれをやってくるんだったら、とことん腐った連中だよ」

魔道士さんの言葉を聞いた十六号さんがそう嘆く。でも、それに口を挟んだのは零号ちゃんだった。

「たぶん、大丈夫。あそこにはもう、予備の子たちはいないはず」

「半人半魔の子どものことか?」

「そう。あのとき、私と一緒に全員が来た。だから、もう協会には残ってないと思う」

「そうか…それなら良いが…だが、警戒は怠るな」

零号ちゃんの言葉を聞いて少し表情を緩めた魔道士さんだったけど、最後にはそう言ってまたキュッと引き締まった声で言った。

 零号ちゃんや十四号さん達もコクリと頷く。

 そんな中で、竜娘ちゃんだけは、黙々と書庫から持ち出した古い本に目を落としていた。それは、古文書の類でも何かの学術書でもない。

私が読んで分かるくらいありきたりな筋書きの、寝物語でもよく聞くような古いお語がいくつも書いてある本だった。

この騒ぎになってからと言うもの、竜娘ちゃんは繰り返しその本を読んでいる。

例の話には関係さそうだけど、私は竜娘ちゃんが、このピリピリした空気を誤魔化して気持ちを落ち着けるためにそうしているように思えた。
 

666: 2015/08/03(月) 00:40:04.32 ID:G8yF9Xgeo

 「まぁ、それはそうと、だ。大尉さん達戻って来たんなら、アタシらも戻ろうか」

不意に、膝を打って十六号さんがそう言った。

 そうだね…ここは、階下から続く一本道に繋がる廊下の途中にある。

トロールさんの土の魔法で作り変えられたお城の中は、戦闘を想定した区画とそうではない区画とにわけられ、

それぞれは転移魔法を使わないと行き来出来ないようになっていた。

ここは戦闘を想定した区画で、外の廊下をまっすぐ行ったところにある階段を登った先にはお姉さんのいる玉座の間がある。

もうひとつの区画は、私達の寝室や台所やお風呂、それにあのソファーの部屋だ。

 こうして構造を分けておけば絶対安心、と言う訳じゃないけど、魔王城の中のことに詳しい人でもいない限りは、そう簡単にはバレたりしないだろう。

「うん、ここはあたしにまっかせといて!」

大尉さんが自分に回復魔法を賭けつつそう言ってくれたので、私達は十六号さんの転移魔法でソファーの部屋へと移動した。

 こうして別の区画になって助かっていることが、もうひとつある。誰かに聞かれたりすることなく、“あの話”が出来るからだ。

私達は、それぞれソファーにもたれかかって、誰となしにため息を吐いた。分かっていたことだけど、大尉さん以外の人の前では、やっぱり気を使う。

どことなく疲れた感じがしてしまっていた。

「…それにしても…十三姉ちゃん、怒るだろうなぁ」

ふと、十六号さんがそう口にした。

「でも、万が一ってときには仕方ないだろ?」

それに十七号くんが口を挟む。

「まぁ、後で叱られるだけで済むんならそれでいい。十三姉さんを氏なせてしまうよりはな」

十四号さんが二人の会話を遮って、静かな声でそう言った。

「十八号ちゃん達が言ってことは、私もおかしいと思ったです…そうじゃないと思いたいですけど…」

妖精さんは少し沈んだ表情だ。

「でも、私はそう思う…竜娘ちゃんの仮定は、あり得ること」

十八号ちゃんがそう言って竜娘ちゃんを見やった。

「そうですね…あの石版に刻まれていた方法が正しかったと言う事は証明出来ていますから…あの方にもそれは、当てはまることだと思います」

竜娘ちゃんは胸の前に本を抱えてそう言った。

「怒られるのは嫌だけど…お姉ちゃんが氏んじゃうよりはいい」

そう言った零号ちゃんの表情は、硬い決心に満ちていた。

「大尉さんの話じゃ、あっちは準備が整ってるって言ってたしね…」

私も、昨日大尉さんからこっそり聞いた話を思い出していた。

 皆、それぞれの思いをそれぞれの胸に抱えているけれど、あの日の夜にはそれでもそのときが訪れたらやろうって決めた。

そのことだけは、変えるつもりはないようだ。もちろん私も、今更気持ちを変えるつもりはない。そのための準備はもう済んでいる。

 私は、知らず知らずに自分の腕ギュッと握りしめていた。十六号さんが言うとおり、きっとお姉さんは怒るだろう。

勝手な事をするなって、私達が背負い込むことじゃないだろって。

だけど、私達にしてみたら、そもそもお姉さんが背負い込むものでもないんだ、って言うのが正直な気持ちだった。

お姉さんに全てを押し付けて世界を平和にだなんて言うのは、魔導協会やサキュバス一族がお姉さんを悪者に仕立て上げたのと同じことだ。

そんな事をしてしまうくらいなら、その荷を私達は背負いたい。私は、ううん、私もトロールさんも妖精さんも、お姉さんに命を助けてもらった。

十六号さん達だって、お姉さんと魔道士さんに拾ってもらえなければ、どこかで命を落としていたかもしれないんだ。

 私達はお姉さんに助けられた。今度は、私達がお姉さんを助けてあげる番なのかもしれない。

 例えそれが、お姉さんを傷付けることになったとしたって…

 

667: 2015/08/03(月) 00:40:48.26 ID:G8yF9Xgeo



 その晩、私は夜中に目が覚めた。寝心地が悪かったとか、悪い夢を見たとか、お手洗いに行きたかったとか、そういうことじゃない。

ただ本当にふと、目が覚めた、って感じだった。チラッと横目で見てみると、一緒に眠っていたお姉さんと零号ちゃんは、静かな寝息を立てている。

 それを見て私ももう一度寝ようとしてみたけど、なんだか胸の中がザワザワしていて、どうにも眠るなんてことが出来なくなってしまっていた。

 二人を起こさないようにそっとベッドから降りた私は、寝室の外に出て廊下を歩いた。昼間の暑さが嘘みたいにひんやりとした空気が心地良い。

そんな中を、私は東塔に向かっていた。

 近衛師団長が案内してくれたあの月が綺麗に見える塔の上の部屋だ。こんな風に気持ちが落ち着かないときにこそ、

あの場所から見える景色が見たいとそう思っていたからだった。

 石の階段をコツコツと登って行くと、その先に戸が見えた。でも、その戸は締まりきっていなくって、隙間からあの青白い光が漏れている。

私は不思議に思って、その戸に手を掛けてそっと開けてみる。その先には誰もいない青白く照らし出されている部屋があった。

ただ、普段は開けることのない窓が開いていて、そこから涼しい夜風が入り込んで来ている。

 ふと、私は、辺りの気配に注意を向けていた。もしかしたら、誰かがこの窓から入って来てお城の中に入り込んでいるのかもしれない、と、そう思ったからだ。

 そんな事をしていたら、風に吹かれた戸がパタンと音を立てて閉まった。一瞬、その音にびっくりして身をこわばらせてしまう。

でも、それからすぐに、どこからか聞き覚えのある声が聞こえてきた。

「誰か、いるのか…?」

この声…トロールさんだ。私がそのことに気が付いて辺りを見回すと、あの小さな石の体になったトロールさんがヒョコっと窓の向こうに顔を出していた。

「人間か」

トロールさんはそう言って、這い出すように小さな窓から部屋に入ってくる。

驚いたことにさらにその後ろから、珍しく小さな姿に戻っていた妖精さんまで姿を表した。

「人間ちゃん、私起こしちゃった?」

妖精さんは小さな声で私にそう聞いてくる。私はブンブンと首を横に振って

「ううん、私なんだか目が覚めちゃっただけ」

と答えると、ホッとした様子で

「良かった」

なんて胸を撫でていた。
 

668: 2015/08/03(月) 00:41:33.00 ID:G8yF9Xgeo

「二人はこんなところで何してるの?」

今度は私がそう尋ねてみる。すると二人は顔を見合わせてから

「おいは、最近はよくここに来る」

「私は、眠れなくってなんとなくね」

と口々に言った。

 それから妖精さんが思い出したように

「人間ちゃんもおいでよ」

と声を掛けてくれた。

 私は妖精さんのそんな誘いに乗って、小さな窓をくぐってその外にある下の部屋の庇に這い出していた。

妖精さんトロールさんも、私に続いて庇の上にやってくる。

 外の空気は少し肌には冷たいけれど、やっぱり、それが返って私の気持ちを落ち着かせてくれる。

 眼下に広がる景色を見ていたら師団長さんの事を思い出して、なんとなく胸が痛んだ。

師団長さんの涙の意味を、行動の意味を、今となっては想像することしか出来ないけど…でも、たぶん、想像の通りで間違いないんだろうって思う。

師団長さんは、本当にお姉さんのことが好きだったんだろう。でも、一族を裏切ることもできなかった。そんな苦しみで、きっと涙を流していたんだ。

私には師団長さんの裏切りは衝撃的だったし、辛い思いもあった。でも、師団長さんの思いは、きっとそれ以上に苦しみに満ちたものだったんだろう。

それはきっと、お姉さんが苦しんでいるのと同じ思いだったんじゃないか、って、私はそう思った。

 二つの種族、二つの思いに板挟みになって何を信じたらいいのか、どうしたら良いのかが分からなくなる苦しみ。

師団長さんはそれを胸に一人で抱えていたのかもしれない。そう思ったら、私はふと、ひとつの考えに思い至った。

―――もし、その気持ちを私が聞けていたら、師団長さんはもっと別の選択ができたのかな…?

 でも、私はすぐに頭を振ってそんな思いを振り払った。そんなことを今考えたって仕方ない。もう、取り返しの付かないことなんだから…

 そんな私の様子を見てか、妖精さんがふわりと飛んで私の肩に腰を下ろした。

「どうしたの、人間ちゃん?」

「ううん、なんでもないよ」

私は妖精さんの言葉に、そう返事をして笑顔を見せてあげた。妖精さんはそれでも、私の顔色をうかがうように覗き込んで来る。

その表情はどこか心配げだ。なので私は、なるだけ大丈夫だよ、って思いを込めて

「妖精さん、小さくなってるの珍しいね」

と、全然違う話題に話を振ってみる。すると今度は、妖精さんの表情が、少しだけ寂しそうに歪んだ。

「うん…ちょっと、名残惜しくって…ね」

そっか…そうだよね…。結局、私達が動くとなったら、そういうことになるんだもんね…私は妖精さんの言葉にこもった思いを感じてそのことを思い出した。

「そうならないといいんだけど、ね…」

私は、そんなことを口にしていた。
 

669: 2015/08/03(月) 00:42:55.34 ID:G8yF9Xgeo

可能性がないわけじゃない。でも、十八号ちゃんの話や竜娘ちゃんの話を聞けば、その可能性は高くはない。

それは、私にも分かっていた。

「うん…そうだね」

妖精さんもきっと同じに違いないのに、そんなふうに、私の言葉に答えてくれた。だけどその表情はやっぱり、どこか不安げで寂しげだ。

「終わりじゃ、ない」

不意に、トロールさんがそう言った。

「えっ…?」

「どういうこと?」

私と妖精さんは、思わずトロールさんにそう尋ねていた。

「そうなっても、終わりじゃない…たとえそうなっても…終わるわけじゃない」

トロールさんの表情は……石の肌のせいでよくわからないけど、でも、月が写りこむその瞳には、なぜだか力強さが感じられた。

「…そうだね…」

そんな言葉に、妖精さんがふぅ、とため息をついて言う。

「私たちは…それでも、魔王様のそばにいる。それからの魔王様を支えなきゃいけないんだよね…今、弱気になっていたって、仕方ないね」

それから妖精さんはチラっと私を見やった。

 言葉の意味は、分かる。

何がどうあっても、それだけは何も変わらない。

たとえお姉さんが拒否したって、私たちはお姉さんの力になりたいんだ。

 思えば、あの洞窟で守ってもらったのは私だけじゃない。

妖精さんもトロールさんも、お姉さんが来てくれなければ、今はここでこうしていることなんてなかったんだ。

「うん…そうだよ。洞窟で出会って、ずっと一緒だったんだから。これからだって、そうしてたい」

「そうだな…」

「そうだね!」

私の言葉に、トロールさんも妖精さんも、そう言ってうなずいてくれた。

 それから私達はしばらく、くだらないことを話して笑ったりしながら、三人で屋根の上から青い景色を眺めていた。

どれくらい経ったか、少し瞼がトロンと重くなってきたのを合図に私が部屋に戻るというと、妖精さんとトロールさんも一緒に戻ると言って、屋根から部屋へと降りた。

そしてそれから、私は妖精さんと一緒に部屋まで行って、そこでトロールさんとお別れをしてそれぞれのベッドに潜った。

 お姉さんと零号ちゃんは、部屋を出たときのまま、スースーと寝息を立てて眠っている。

そんなお姉さんに体を摺り寄せて、私は胸の中でお姉さんに伝えていた。

―――お姉さん、何があっても、一緒にいるからね…

お姉さんは、そんな私の気持ちを知ってか知らずか、ムニュムニュ言いながら私の方に寝返りを打ってくる。

お姉さんに抱えられるようにされた私は、そっと目を閉じ、お姉さんとベッドに身を任せた。

暖かな心地良さが私を眠りへと引っ張り込んでいく。

そうして私は、その日もようやく、寝付くことができた。

 そして、三日後。

ついに、そのときはやってきたのだった。



 

677: 2015/08/18(火) 00:28:26.44 ID:aoU3J0cso




 「おーおー、こいつはまた…壮観の一言だな」

窓から外を覗いていたお姉さんが、なんだニヤニヤしながらそんなことを言っている。

「のんきなこと言ってる場合かよ!」

十六号さんが不安げな表情で言うけれど、お姉さんはそれを鼻で笑って

「ビビったってしょうがないだろ?やるだけやる。ダメなら逃げる。引き際さえ間違えなきゃ、問題はない」

なんてあっけらかんとして言った。さすがに、踏んできた場数の違いなんだろう。お姉さんと同様に、他の大人たちもそれほど動揺している様子はない。

 私達は、ソファーの部屋に揃っていた。

窓から差し込む光はうっすらと色づき始め、もうじき夕暮れになるだろう。

そんな中で、お姉さんたちは敵となる人間軍と魔族軍の陣容を観察し、あれこれと細かなことを確認し合っていた。

 魔道士さんは今は反対の方の窓から西を観察しているし、兵長さんと黒豹さんは図面上で作戦の確認をしている。

隊長さん達はそれぞれの武器を手入れしたりしてはいるけど、こっちも慌てている様子はない。

大尉さんに至っては、あくびを漏らしながらソファーに腰掛けてボーッとしている。

唯一、サキュバスさんだけはソワソワと、私達子どもと同じように不安げにしていた。

 私も窓の外を覗いてみたけれど、十六号さんの気持ちがよくわかった。

四万の軍隊、とは聞いていたけれど、窓の外にはそれこそ見渡す限りの人々が、お城の周りの原っぱを覆い尽くしている。

槍を持っている人、剣を持っている人、大きな斧を持っている人もいるし、見たことのないトゲの付いた玉を担いでいる人や、黒いローブに身を包んだ人達が

物々しい様子でごちゃごちゃと動き回り、陣を作っている様子が見えた。

雰囲気も殺伐としていて、とてもじゃないけど、安心なんてしていられる雰囲気ではない。

こんなの、慣れていたって不安になるに決まっている。

ううん、そもそも慣れるなんてことができるんだろうか?

この人達がすべて、このお城に襲いかかって来るんだと思うと、こちらの戦力がどうのこうの、って言う以前に恐ろしい。

 でも、そんな私の気持ちを知ってか知らずか、お姉さんは十六号さんに言った。

「大丈夫だ。城壁の魔法陣が破られて、遠距離の攻撃魔法が届くようになったらまた別だが、先に相手を城の中に引き込んじまえばこっちのもんだ。

 外からの魔法を無闇にぶっ放すわけには行かなくなるだろうからな」

「で、でもよ…」

「確かに、城主様のおっしゃる通りですね。それに…相手の指揮系統はそれほど一貫してはいないようです。魔族側と人間軍側とでは統率に差異がありますし、

 もしかすると、適当に突付いてから中へ逃げ込めば、簡単に誘導できるかも知れません」

十六号ちゃんとお姉さんとの会話を聞いていた兵長さんがそう言う。さらにそれに続いて大尉さんが

「まぁ、慌てても落ち着いててもやることは変わらないからね。とにかく敵を城内に誘い込んで、狭所の出口で迎撃する。

 圧力が強ければトロールくんの魔法で通路を組み替えて奇襲を掛ける。あたし達は、とにかくそれを頭においておけば大丈夫だよ」

なんて、サキュバスさんがお昼ご飯に出してくれた魔界のパンの残りをかじりはじめた。

 私にももちろん役目がある。そのために、私は時間を作って妖精さん達から魔族式の回復魔法を習った。

私は戦場の後方に控えて、傷付いたり疲れたりしたみんなを癒す役割だ。

出番がない方が良いけれど、そう簡単に行くわけはない、ってわかっている。

せめて今の私の手に負える程度のケガであって欲しい…

678: 2015/08/18(火) 00:28:56.27 ID:aoU3J0cso

「魔族の方はまだまだかかりそうだな。人間共の動きは?」

魔導士さんがそんなことを言いながら、魔族軍の詰めかけている反対側の窓のところから私達の元に戻ってきた。

「向こうは王下騎士団が王国軍の各隊の指揮を執っているみたいだな。貴族連中の部隊は繁雑だから、まぁ、崩すのは容易だろう」

お姉さんが、そんな魔導士さんに言う。すると魔導士さんが

「大尉の言うように、こっちから仕掛けるべきだな。糧食も限られているだろうし、指揮系統が弱いのなら混乱をさせて足並みを乱す方が効果的だ」

とお姉さんに判断を仰ぐ。でも、お姉さんは首を横に振った。

「ダメだ。あたしらは自分からは仕掛けない。それがあたしらの最後の意地だ」

「で、ですが…!こと、このような状況では、もう攻撃を受けているのと同じでは…!」

それを聞いて声をあげたのはサキュバスさんだった。

「あぁ、それでも、だ…ごめん、普通に考えたら、やるべきなんだろうけど…本当にこれは、あたしの意地。作戦でもなんでもない」

お姉さんは、そんなサキュバスさんのジッと見て言った。

サキュバスさんはシュンと肩を落とし、隣にいた魔導士さんがため息を漏らす。

「まぁ、今回はとにかく協会の連中とサキュバス一族の首魁を落とせればそれでいい。この城を維持するのも最初から放棄しているようなもんだし、構わないだろ」

魔導士さんはサキュバスさんに言い聞かせるようにして言った。それからお姉さんに視線をもどして肩をすくめた魔導士さんは

「あの様子じゃ、突入は明日の朝だろうな…」

なんて苦笑いを見せて言った。

「同感だ。陣容もめちゃめちゃだし、大勢整えるには時間かかりそうだからな」

魔道士さんの言葉にお姉さんはそう言って笑い、それから私達を見やって言った。

「まぁ、大丈夫。とにかく、落ち着いて自分のやるべきことをしよう。ヤバくなったら引くなり助けを求めるなりして、とにかく生き残るんだ」

私達は、お互いの顔を見やって頷いた。

 そう、何事もなければ、私達はお姉さんが魔道杯協会サキュバス一族の主力を叩くまでの短い時間を耐え忍べばいい。

とにかく今は、そのことに集中しよう…十八号ちゃん達の話のようになったら、そのときにまた思い出せばそれでいいんだ。

 「そうだよな…うん、よし…アタシは魔法陣の確認をしてくるよ」

「俺達は竜娘ちゃんに付いてる」

「兵長、後で見張り役の順番を作っておいてくれると助かる」

「俺は部屋で休むぞ。明日は全力で当たる必要があるからな」

みんなが口々にそう言う中、サキュバスさんも決心をしたのか引き締まった表情で

「私は、糧食の支度を致します」

と力強く言った。

「人間ちゃん、私達もお手伝いしよう!」

妖精さんがサキュバスさんの言葉を聞いて私にもそう声を掛けてきた。

 うん、そうだね…休んでいる分けには行かないし、何かをしていないと、また心苦しくなっちゃうかも知れない。お手伝いは、大事だ。

「うん!」

私がそう返事をすると、妖精さんだけじゃなくサキュバスさんも笑顔にになってくれた。

 そんな私達の様子を見ていたお姉さんは、なんだか嬉しそうに笑って、カツンっと身を翻してソファーの部屋から出て行った。
 

679: 2015/08/18(火) 00:29:30.86 ID:aoU3J0cso

 お姉さんの姿を見送った私達も、すぐさま部屋から出てお城の台所へと向かった。

台所には、お昼用の糧食を準備した後がそのまま残されていた。

サキュバスさん、よほど急いでいたんだろう。

野菜にパンに調味料なんかが、あちこちに置きっぱなしにされている。

さすがにお肉の類は冷暗庫にあるのか見当たらないけど…でも、いつものサキュバスさんの作業を思い出せば、こんなに片付いていないのは珍しい。

 「夜の糧食はどうするの?」

私は、そのことはあまり触れずに、サキュバスさんにそう尋ねてみた。するとサキュバスさんはふと宙を見据えてから

「パンと、それから具をたっぷり入れたシチューを作ろうと思います。寸胴缶に入れて各持ち場にお持ちすれば、いつでも食べられますし」

と私達を見やって教えてくれた。

 シチューか…それなら、野菜もお肉もたっぷりだし、急いでいても食べやすいからきっといいね。

「じゃぁ、私、お野菜切るですよ!」

妖精さんが率先して包丁を取り出し、水桶に汲んであった水でさっと洗い流す。

「私もやる!サキュバスさんはパンお願い!」

「はい、それではお願いいたしますね」

私はサキュバスさんにそう言って、ダガーよりも短い果物包丁を取り出して、台所にあった袋からお芋を取り出してその皮を剥く作業に入った。

サキュバスさんは保冷庫に寝かせてあったパン…って言っても、魔界では「ムギフ」って言うらしいけど…とにかくその生地を、専用の台の上でこね始める。

あの生地を、陶器の壺の様な物に貼り付けて火にかければふんわり膨らんで出来上がりだ。

 生地をこねるのは力がいるから、サキュバスさんにお願いするのがきっといい。その分、私は野菜をたくさん切ってゆでたり出来るからね。

とは言っても、みんなのお腹がいっぱいになるだけじゃ足りない。戦闘になるわけだし、次の食事の準備がいつできるかも分からない。

そう考えたら、それ以上の量は作って置かないといけないだろう。

それこそ、ここにある食材のうちの半分を使い切るくらいに用意してもいいくらいだ。

 私はそんなことを思いながらとにかくお芋の皮を剥き続け、タマネギや他の野菜も切り刻んで、私がすっぽり入ってしまう位の大きな寸胴鍋に放り込んだ。

そこに妖精さんが刻んだニンジンとカボチャも加えて、さらにはベーコンも厚切りにしてたくさん入れ、水もひたひたになるまで入れた。

 作業を終える頃にはサキュバスさんが鉄製のコンロに炭をくべて火を灯していてくれたので、その火に寸胴鍋を掛けた。

あとは、焦げ付かないようにかき混ぜて、最後に調味料で味付けをすれば完成になる。

 魔界パンが焼き上がり、シチューに調味料を入れ、味を整え終えたときには、

台所にある小さな窓の外から差し込んでいた陽の光は消え、真っ暗な夜になってしまっていた。

私は、ようやく火が通ったシチューの寸胴から私が抱える程の鍋にシチューを移して、さらにそれをグイっと持ち上げて持ち運び用のワゴンに載せ替える。

サキュバスさんが焼いた魔界パンは平らな陶器の入れ物に入れて蓋をした。
 

680: 2015/08/18(火) 00:30:01.99 ID:aoU3J0cso

 「じゃぁ、私、下の隊長さん達に運んで来ますね!」

私はワゴンを押しながらサキュバスさんにそう言った。

「あ、ですがっ…」

不意にそう声を上げたサキュバスさんに、妖精さんが

「私も行くです、だから大丈夫ですよ」

と言葉を添えてくれた。そのときになって、私は自分の言葉にうっかりしていたことに気が付いた。

何しろこのワゴンだ。

下の階へ行くには、階段を下ろさなければいけない。

食堂もソファーの部屋も台所と同じこの階にあるからそんなことを考えることもなかったから、本当にうっかり、だ。

 妖精さんの言葉を聞いたサキュバスさんはすぐに納得したようで

「はい、どうかお気を付けてくださいね」

と私達に向けて軽く目礼をした。

 サキュバスさんは、お姉さんや魔導士さん達に食事を運ばなければいけない。手分けをしないと、お腹を空かせているだろうみんなを待てせてしまうからね。

 私は妖精さんと一緒に台所を出た。妖精さんが片手に明かりを灯してくれたので、私はそれを頼りに廊下を進む。

やがて見えてきたのはソファーの部屋の半分ほどの部屋で、その先には人が一人、ようやく通れる程の下りの階段がある。

ここは、トロールさんに作られた、魔王城防衛の最後の要衝。

細い階段を上ってきた敵を、その出口にあたるここで迎え撃つ。

それなら、幾ら敵が多くても囲まれるようなこともない。

兵長さんが提案した防御案だ。

 同じような構造になっているのはここだけじゃない。

お城の入口の門戸を入ってからこの階に辿り着くまでには同じような作りの小さな部屋が六つある。

この階段の下にある場所が、当座の詰所。

隊長さんたちはそこにいるはずだ。

 私はワゴンをグイっと持ち上げて、慎重に階段を降りて行く。妖精さんが足元を照らしてくれているので、もう夜だけど安心だ。

 細い階段の先からうっすらと明かりが漏れているのが見え始めた。

「皆さん、ご飯持ってきたですよ!」

私の足元を照らすのに先を歩いていてくれていた妖精さんが、一足先に灯りの方へと声を掛けた。私もワゴンを下ろして、部屋の中に引いて入る。

部屋には、槍や剣、見たことのない鉄の棒なんかがたくさん差さった樽や、飲むのに使うんだろう水の入った樽もある。

そんな部屋の隅にはテーブルが設えられていて、隊長さんに女戦士さんと女剣士さん、それに虎の小隊長さんと鬼の戦士さんに鳥の剣士さんが居た。
 

681: 2015/08/18(火) 00:30:28.48 ID:aoU3J0cso

「うはぁ!待ってた!」

私たちの姿を見て、女戦士さんが飛び上がった。

「腹が減っちゃぁ、なんとやら、だな」

隊長さんがそんなことを言って鳥の剣士さんと顔を見合わせて笑っている。

「皆さん、いっぱいあるので精を付けて欲しいですよ!」

妖精さんがそんなことを言いながら、魔界パンの入った陶器の入れ物をテーブルに置く。

そんな様子を見て、鬼の戦士さんが初めて見る長い金属の棒を壁に立てかけてから立ち上がった。

 それからみんなで手早く食事の準備を済ませると、隊長さんたちは勢い良くシチューをかき込み始めた。

「ん!うまいな!」

虎の小隊長さんがそう言ってくれる。

「この魔界のパン…ムギフ、って言ったっけ?私、こっちの方が向こうのパンより好みだよ」

「人間界のパンってのは少し硬いですよね」

女剣士さんと鳥の剣士さんがそんなことを言い合いながら、サキュバスさんの焼いたムギフをほおばった。

 そんな様子からは、緊張感なんてとても伝わってこない。

まるでいつもどおりの、賑やかな食事風景だ。

 あの日、隊長さんは他の隊員たちは「逃げ出した」なんて言ったけれど、その後大尉さんから聞いた話では、残ると言い張った他の隊員達を、隊長さんが追い払ったらしい。

なんでも、万が一のときの逃亡先を確保する算段を付ける役目を頼んだらしかった。

そのとき大尉さんが言ってくれたように、確かに大切なことだ。

そもそもこの戦いは最終的には魔王城を捨てることになる可能性の方が大きい。

ここから逃げ延びた先で、私達を匿ってくれる人達がいると言うんなら、それに越したことはないはずだ。

 これから戦いが始まるけれど、もしかしたら隊長さん達は、もっともっと先のことを考えているのかもしれない。

戦いのあとのこと、その場所での暮らしのこととか、そういうのだ。

それはつまり、誰ひとりこの場所で氏んじゃったりする、なんてことを考えてないんだ、って、私には思えた。

だからこそ、緊張もたいしてしていないし、ふさぎこんでもいない。

隊長さん達にとっては、ここはただの通過点なんだろう。

そして、そんな隊長さん達を見ていると私まで胸が軽くなるのを感じた。

 「鬼の戦士さん、その棒はなんです?」

不意に、食事をしている鬼の戦士さんに妖精さんが聞いた。

棒、っていうのは、たぶん武器なんだろう壁に立てかけられたあの金属の棒だ。

見てくれは槍のようだけど、先端に付いているのは刃ではなく、角ばった塊になっている。

「あぁ、これはソウコン、っていうんだ。えっと、人間界だと…」

「メイスだろうね。でも、そんな槍みたいに長いメイスは見たことないけど」

鬼の戦士さんの言葉に、女剣士さんがそう言う。

メイス、って、確か、棍棒みたいにして相手を殴ったりする武器だよね…?

あれとおんなじなんだろうか?
 

682: 2015/08/18(火) 00:31:09.51 ID:aoU3J0cso

「それで殴ったりするんだよね?」

私が聞いたら、鬼の戦士さんはコクっと笑顔で頷いて

「うん、そう。本当は槍が得意なんだけどね…今回の戦いは、なるべく敵に致命傷を与えないでくれって城主さまに言われててね。

 それなら、刺すよりも打撃で押し返そうかな、って思って」

と教えてくれる。

 お姉さん、そんな指示まで出してたんだね…いくらなんでも、ケガをさせないように戦うなんてことは難しい。

でも、刺したり斬ったりして血を出させてしまうよりも、確かに殴るだけの方が命に関わるケガはしにくいような気がする。

「まぁ、アタシらは斬るけどな」

そんな言葉に、女戦士さんが口を挟んだ。

女戦士さんは分厚い幅広の剣を半分抜いて見せている。

「別に、みんながそうしろってことじゃないとおもう。でも、心がけって大切じゃない?」

「そうだな。お前に刃物を持たせると、それこそ殺さん方が無理だ」

鬼の戦士さんに虎の小隊長さんが笑っていった。それを聞いた鬼の戦士さんがプリプリと頬をふくらませて

「隊長!なんでそんなこと言うんですか!」

と怒り始めた。それを見るや、他のみんなは声を上げて笑い出す。

私も妖精さんも、やっぱりそんな和やかすぎる様子に、思わず笑い声をあげてしまっていた。

 そんな風にして、状況に合わないおしゃべりを続けていたら、不意にグゥっと、私のお腹が音を立てた。

「なんだよ、幼女ちゃんは腹ペコか?」

そんな音を聞きつけた女戦士さんが私にそう声を掛けてくれる。

お腹が空いた、って感覚は緊張のせいかどうかとにかく感じなかったけれど、考えてみればお昼ご飯以来、もうずっとなにも食べてない。

食べる気がしなくっても、体の方は何か食べ物を欲しがっているようだ。

「そうみたい。私達も夕飯まだだから」

私が言ったら、鬼の戦士さんが心配げな表情で

「食料はまだ大丈夫?二人が食べる分はちゃんと残ってるの?」

と聞いてくれた。もちろん、台所の冷暗庫には、まだ食料は残っている。みんながお腹いっぱいになる量を作っても、あと二三日は大丈夫だろう、っていうくらいには。

「うん、平気。私達の分は台所にあるから、ソファーの部屋に戻って食べるね」

「そう。それなら良かった」

私の言葉に、鬼の戦士さんが安心した表情を浮かべてそう言った。

 「じゃぁ、人間ちゃん。私達ももどってご飯にしよう!」

妖精さんがそう言ってくれたので、私もうん、と頷いて

「じゃぁ、皆さん。ケガしないでくださいね。ケガしたら、無理しないで私を呼んでください」

と隊長さんたちに頭をさげる。

「あぁ、頼んだよ、指揮官どの」

「そうだな。まぁ、なるべく世話にならないように戦うつもりでいるから安心してくれ」

「サシの勝負なら負ける気はしないからね。そっちは上で兵長さんと状況を見ててくれよ」

虎の小隊長さんに隊長さん、それから鳥の剣士さんが口々にそう言ってくれる。

私は、やっぱりみんなが頼もしくって、一層緊張がほぐれるのを感じられた。
 

683: 2015/08/18(火) 00:32:01.36 ID:aoU3J0cso

 そんなときだった。

 女剣士さんの表情が一瞬、引き締まった、と思ったら、まるで光が瞬くような速さで剣を引き抜いた。

「誰だ!?」

女剣士さんがそう叫ぶ。

 次の瞬間、バッと妖精さんが私の目の前に立ちふさがった。

同時に、隊長さん達も武器を手にテーブルから勢いよく立ち上がる。

女剣士さんの視線は、階段の方に向けられていた。

誰か、居るの…?

敵…?

 私は、そう思いながら妖精さんの体の向こうにあった階段を覗き込む。

そこには人の姿があった。

 見慣れた軽鎧に身を包み、 額にいっぱい汗をかいて、長い金髪が張り付いている女の人だ。

その鎧にその顔に、私は見覚えがあった。

「女騎士、様…?」

声をあげたのは、妖精さんだった。

 そう、そこに居たのは、間違いなく砂漠の街の憲兵団に居て、私と一緒にオークの村に囚われ、私を助けてくれたあの女騎士さんだった。

「勇者さまはいらっしゃいますか…?」

女騎士さんは、静かな声色で私達を見やって言った。

ガシャリ、と隊長さん達が武器を鳴らせて身構える。

 「ま、待って、隊長さん!この人は、砂漠の街の憲兵団の人で、兵長さんの部下の人なんだ!」

私は、その様子に慌てて声をあげる。

「砂漠の街…?西部交易都市か…確かに、その軽鎧は兵長さんと同じもの、だな」

隊長さんが鋭い目つきで女騎士さんを見つめ、さっきまでの平和な様子から一転、張り詰めた空気の中でそう言い、ややあってスッと片手を振りかざした。

それを見た女剣士さんに女戦士さんがゆっくりと武器を下におろす。

 「私は、敵ではありません。西部交易都市の憲兵団で、騎馬小隊の指揮を執っています。勇者さまに敵の動きをお伝えするために、ここへ参りました」

女騎士さんは、未だに剣とあの鉄の棒を下げていない虎の小隊長さんや鬼の戦士さん達に切っ先を突き付けられながらも、落ち着いた声色でそう言った。

「やつらの動き?」

隊長さんがいぶかしげにそう聞くと、女騎士さんはコクっとうなずいて

「急いでお伝えしたいのです。どうか、案内していただけませんか?もし不審と思われるのなら、武器をお渡ししても構いません」

と、腰のベルトに差してあった剣を鞘ごと抜いて一番近くに居た鬼の戦士さんにそっと差し出した。

鬼の戦士さんは、チラっと虎の小隊長さんを見やり、小隊長さんがコクっとうなずいたのを確かめてから、女騎士さんの剣をそっと受け取った。

 「で、こいつを信用できるのか?」

隊長さんが、ふぅ、と小さなため息をついて私と妖精さんにそう聞いてくる。

「はいです。女騎士さんは、私と人間ちゃんを助けてくれたですよ」

「そうなんです。私達、砂漠の街でオークにさらわれて、その先で女騎士さんと出会って、女騎士さんは私達のために戦ってくれたんです」

妖精さんと私は隊長さんにそう説明し、それから私はさらに

「お姉さんのところに連れて行かなきゃ。きっと、何か大事なことなんですよね?」

と女騎士さんにそう尋ねた。
 

684: 2015/08/18(火) 00:33:48.14 ID:aoU3J0cso

 女騎士さんは、表情を変えないままにうなずいて

「はい。大事なことです。紙にまとめてあります」

と隊長さんを見やって言った。

 私は、妖精さんと一緒に逡巡を始めた隊長さんをじっと見つめる。

隊長さんは、口元に手を当ててふむ、なんてうなってから

「そうだな…味方に情報…少しでも有利になるものなら、喉から手が出るほど欲しい」

と剣を鞘に戻した。

 「女剣士。お前、付き添え」

「了解です、隊長」

隊長さんに言われた女剣士さんは、そう返事をして剣を鞘に納めた。

女剣士さんは私達にかぶりを振ると

「あなたたちも一緒に。まだ食事がすんでないんでしょ?」

と笑顔をみせてくれた。

 そうだった。今、夕ご飯を食べに戻ろうって話をしていたっけ。

そんなことを思い出したら、とたんにお腹がぐうっと鳴った。

それを聞きつけた妖精さんがクスっと笑う。

「もう、妖精さん、笑わないで」

私がそう言ったら、妖精さんはそれがおかしかったのかいよいよ声をあげて笑い始めてしまった。

 「じゃぁ、女騎士、って言ったっけ。あんたも来なよ」

女剣士さんはそう言って、上へと続く階段を上がって行った。

その後ろに女騎士さんが続き、私と妖精さんは最後に階段を上っていく。

 ソファーのある階に出て、廊下を少し歩いてさらに上にある玉座の間へと続く階段をあがった。

その先にある大きな両開きの扉を開けると、そこは広間がある。

ここが、玉座の間。

お姉さんがまだ勇者だったころに先代様を頃した場所だ。

 「城主様」

そう女剣士さんが声をあげた。

 玉座の間には、お姉さんとほかのみんなが揃っている。

いつの間に運び込んだんだろうか、部屋の真ん中におかれたソファーとテーブルが一式あって、そこに腰かけているみんながこっちを向いた。

その女剣士さんの言葉に、一番に反応したのは兵長さんだった。
 

685: 2015/08/18(火) 00:34:36.34 ID:aoU3J0cso

「あなたは…!女騎士、どうしてここへ?」

驚いた様子の兵長さんに、女騎士さんは静かに言った。

「私は、敵ではありません。西部交易都市の憲兵団で、騎馬小隊の指揮を執っています。勇者さまに敵の動きをお伝えするために、ここへ参りました」

「憲兵団まで駆り出されているのは分かっていたが…まさかあなたまでこんな場所に…」

「誰だ、あの姉ちゃん?」

「兵長さんと同じ鎧だな。ケンペイダンってやつだろ」

「そうだね。砂漠の街の治安維持をやってる部隊の人みたい」

「でも、アタシの結界と感知魔法には引っかからなかったな…どうやって来たんだろう?穴があるんなら、塞ぎに行かなくちゃな…」

兵長さんと女騎士さんの会話を聞いているのかいないのか、玉座の隅っこで十六号さんと十七号くんに大尉さんがそんなことを話し始めている。

「情報は貴重だな。感謝する。入って聞かせてくれ」

魔導士さんがそう言って、私達を傍へと呼んだ。

 「それで、女騎士。敵の動き、ってのは?」

そんな女騎士さんに、お姉さんがどこか嬉しそうな笑みを浮かべて女騎士さんにそう声を掛ける。

「はい、大事なことです。紙にまとめてあります」

女騎士さんはそう言って、軽鎧の胸当ての中に手を差し込んだ。

「魔王様、お下がりください!」

その刹那、どこからかサキュバスさんの絶叫が聞こえてきたかと思ったら、天井から何かが降りかかって来て、女騎士さんの体を貫いた。

その何か、は、サキュバスさんと、そしてその手に握られた、槍のような鎌のような、柄の長い武器だった。

私は一瞬、目の前で起こった出来事が理解できずに固まってしまう。

ううん、私だけじゃない。

部屋の中の時間が、まるで凍ったように止まってしまったような、そんな感じだった。

サキュバスさんが、女騎士さんを…刺した…?

ど、どうして…?

サキュバスさん、女騎士さんは…何か、敵の情報をもってここに来てくれたのに…

 槍のような武器で貫かれた女騎士さんは、その柄を握って体を何とか支えようとしているけど、力が入らずにガクガクともがいている。

「サ、サキュバス様!」

そう叫んだのは、妖精さんだった。

ハッとして私の体に意志が戻る。

「サキュバス様!その方は味方です!敵じゃないです!」

妖精さんがそう言ってサキュバスさんを押しとどめようと一歩を踏み出した。

でも、切り裂くような声でサキュバスさんが

「近づかないでください!」

と妖精さんを押しとどめる。同時に、服の裾からダガーを取り出して女騎士さんの首を一閃に薙いだ。

 あっ、と声をあげる暇もなかった。
 

686: 2015/08/18(火) 00:35:08.08 ID:aoU3J0cso

「サキュバス殿!やめてください!」

「サ、サキュバス…!何やってる!そいつは!」

兵長さんの悲鳴のような声と、お姉さんの絶叫が重なる。

 そんな中、女騎士さんの首がゴトリ、と、床に落ちて転がった。

い、いくらなんでも、こんな傷を回復魔法で元に戻すのは不可能だ。

女騎士さんを…氏なせちゃった…よ、よりにもよって、サ、サ、サ、サキュバスさんが…!

「女騎士ぃぃぃ!」

兵長さんがまた悲鳴を上げて、そして剣を抜いた。

ちょ、ちょ、ちょっと待ってよ兵長さん!

剣なんて抜いて…まさか、サキュバスさんを斬るつもりじゃ…!

「やめろ、兵長!」

剣を手にサキュバスさんと女騎士さんの方へと駆け出そうとした兵長さんを、ソファーから飛び上がったお姉さんが押しとどめる。

「兵長様!魔王様のことをお願いします!」

それにも関わらず、サキュバスさんがそう叫んだ。

 何…?いったい、サキュバスさん、どうしたの…!?

「血…血が…」

そんなとき、すぐそばにいた妖精さんが呟くのが聞こえた。

「よ、妖精さん…?」

「血が、血が、出てない…」

血が?…出て、ない…?

私は一瞬その言葉の意味が分からず、妖精さんの視線を追ってすぐに何を言っているのかを理解した。

 胸から槍で貫かれ、首を刎ねられたはずの女騎士さんの体からは、一滴の血も滴っていない。

あんな槍で体を貫かれたら、普通はもっとたくさん血が出るはずだ。

首なんて刎ねたら、きっともっと、血がバッと噴き出すに違いない。

でも、どうして…?

女騎士さんの体からは、それがないの…?

 「クソ!そう言うことかよ!」

不意に、魔導士さんがそう歯噛みして言った。

「十六号、結界開け!」

「えっ!?えぇっ!?」

「くっ…ダメ、間に合わない…!」

戸惑う十六号さんの声にかき消されそうな声色で、サキュバスさんがそう呟いた。

 そのやりとりの合間に突然、首のなくなった女騎士さんの体が急にまばゆく光りだした。

「お、女騎士…?これは…?い、いったい、何が…!?」

戸惑っている兵長さんをよそにサキュバスさんが叫んだ。

「みなさん!逃げて!」

次の瞬間、バッと目の前が真っ白に輝いて、私は何か得体のしれない力に全身を強く弾かれた。
 

687: 2015/08/18(火) 00:35:41.83 ID:aoU3J0cso

 グワングワンと頭の中が揺れ、どこか遠くからキーンという音が鳴っていて耳がよく聞こえない。

体のあちこちが痛んで、動かない。

 今、何があったの…?

女騎士さんの体が光った、と思ったら、それ以上にまぶしい光で何も見えなくなって…それで…

 私は、まるで寝起きのようにはっきりとしない意識の中で、なんとか今起きた出来事を理解しようとしたけど、うまく行かない。

とにかく、起きないと…起きる?

待って、私、寝ているの…?

 床に手をついて、体を起こす。

それからあたりを見回して、私は、それでも何が起きたかを理解できなかった。

 あったはずの部屋がない。

ソファーもテーブルも、壁も、天井もない。

見えるのは、すすけた床と、もうもうとした煙の向こうに見える星空だった。

 て、転移魔法…?

ううん、違う…これ、まるで火事にでもあったような…

 私は、なんとか床から立ち上がろうとして、膝を立てる。

コツン、と、つま先が何かにぶつかって、ゴ口リと転げた。

その何かに思わず目をやった私は、一瞬、背筋が凍ってしまうほどの寒さに襲われる。

それは、サキュバスさんが刎ね飛ばした女騎士さんの頭だった。

しかも、半分が砕けてなくなっている。

思わぬものをみつけてしまって、凍り付いた体のせいでその頭から目が離せなくなってしまう。

 でも、女騎士さんの頭を見続けてしまっていた私はふと気が付いた。

砕けた半分から覗いているのは、肉や骨じゃない。

部屋が吹き飛んで、明りも消えてしまったせいで確かじゃないけど…でも、これ、もしかして…

 私は、ふっと金縛りの解けた体をかがめて、その頭を持ち上げてみた。

やっぱり、そうだ。

これは、外身は女騎士さんに見えるけど…女騎士さんじゃない。

崩れた半分から覗いているのは、まぎれもなく土だ。

粘土質でカチカチに固まっているけれど、これは、たぶんこのあたりの土に違いない。

そう、だから、あの女騎士さんは女騎士さんじゃなくて、その姿をマネ出来る魔法を掛けられた…ゴーレムだった…

「サキュバス殿…!サキュバス殿、申し訳ない…私、私が…!」

不意に、そんな悲鳴が聞こえてきた。

そうだ、サキュバスさん…!

 私はハッとして頭を床に置き、顔をあげた。

そこには、全身が焼けただれたサキュバスさんの姿があった。

「た、大変…!サキュバス様!」

妖精さんが叫んで、サキュバスさんの体に飛びついた。私も慌てて痛む体を引きずりながらその傍へと寄る。

皮膚は焼け焦げてあちこちが黒く炭になってしまっている。

残っている肉や皮膚も、グジュグジュと血と肉が混じり合ったような状態になってしまっている。

でも、そんなになってもサキュバスさんは、ヒューヒューと苦しそうに、まだ、息をしていた。
 

688: 2015/08/18(火) 00:36:28.01 ID:aoU3J0cso

「す、すぐに回復魔法をするです、頑張ってください!」

妖精さんがそう言ってサキュバスさんにそう言って両手をかざした。

すぐに妖精さんの腕に赤い光が灯って、サキュバスさんの傷がゆっくりと塞がっていく。

「クソ…俺たちを負傷させてお前をこの城に貼り付ける算段か…」

魔導士さんも顔の半分に大きな火傷を負っているのが分かった。

 ほかの、みんなは…?

私はハッとしてあたりを見渡した。

お姉さんは、まだ呆然としてしまっている。

黒豹さんは、ケガは軽そうだ。

竜娘ちゃんは大尉さんと一緒にいる。二人も大丈夫そう…

 そして、次に見た姿に、私は息をのんでしまった。

十四号さんも十七号くんも、無事。十八号ちゃんに零号ちゃん、それにトロールさんも大きなケガや火傷はないように見える。

ただ、でも…十六号さんだけが、床に転がっていた。

体が、ピクリとも動いていない…

「じゅ、十六号さん!」

私は思わず十六号さんの元に駆け寄った。

「十六号姉!」

「十六姉さん!」

十八号ちゃん達も、十六号ちゃんの様子に気が付いて駆けつけてくれる。

「姉ちゃん、どうしてあんな無茶…!」

「十六姉、サキュバスさんと私達に結界を張るので精一杯だった…自分を守れなかったんだ…」

十七号くんの言葉に、十八号ちゃんがそう歯噛みして言う。

「どいて…!」

そんな二人の間を縫って、零号ちゃんが十六号さんの体に飛びついた。

そして、黒くなった十六号さんの体をサッとさすると、

「大丈夫、まだ、間に合う…!」

とつぶやくように言って両腕を十六号さんに押し付ける。

すると小さな魔法陣が十六号さんの体中に光とともに浮かび上がった。  

「まだ、蘇生できる…!体を回復させて…!私が、心臓を動かす!」

零号ちゃんは、私たちに言うが早いか、バシっと十六号さんの体に微かな雷のような光を放った。

そ、それで、心臓が動かせるの…?

十六号さん、助かるの…!?

そんなことを思っていたら、零号ちゃんが私を見やった。

「幼女ちゃん、早く、回復魔法!体が戻らないと心臓が動いてもダメ!みんなも、早く!」

そ、そうか…回復魔法で体をもとに戻さないと、どっちにしたって助からない…やらなきゃ…!

私は両腕に気持ちを落ち着けて両腕に魔力を集める。暖かな感覚とともに、赤い仄かな光が腕を包み込む。

十八号ちゃんも、十四号さんも回復魔法の魔法陣を展開させ始めた。
 

689: 2015/08/18(火) 00:38:30.20 ID:aoU3J0cso

 お願い、十六号さん…!

氏んだら、イヤ…氏んじゃ、ダメだよ…!

 私は、こみ上げる恐怖と不安と悲しみをこらえながら、とにかく必氏で十六号さんの体に回復魔法を掛け続ける。

 そんなとき、バタバタと音がして部屋の入り口だったところに誰かが姿を現した。

「これは……いったい、どうしたってんだ!?」

その方を私は見れなかったけど、声の感じからして、たぶん虎の小隊長さんだ。

「あの女騎士ってのは、爆裂魔法を仕掛けられたゴーレムだったようだ。サキュバスが気が付かなきゃ、戦う暇もなく、俺たちの親玉が氏んでただろうな…おい、しっかりしろ!」

「あ、あぁ…あいつら…あいつら、なんて真似を…」

「クソ、おい、バカ!いい加減正気に戻れ。あれはゴーレムだ。お前の知ってる女騎士って憲兵団員じゃない。石人形だ!」

視界の外で、魔導士さんが必氏になってお姉さんを落ち着かせている声が聞こえてくる。

  ケガ人が出れば、私達だって手当をする必要が出てくる。

そうなったら、本来戦える十八号ちゃんや妖精さんも、手当を優先しなきゃいけなくなる。

結果的に私達の戦力がケガした人の倍は削られてしまう。

 それに、今のお姉さんの様子すら、魔導協会の人たちは、考えに入っていたはずだ。

裏切りも、仲間の氏も、お姉さんにとっては何よりも効果的な攻撃だ。

魔導士さんが言ったように、ケガ人を出したり、ああして仲間が氏んだり、裏切ったりするようにお姉さんに思わせて、お姉さんの動きを止める。

 師団長さんが裏切ってお姉さんを毒とナイフで攻撃したときには、お姉さんは本当に危なかった。

いくら勇者と魔王の両方の紋章を持っていても、不氏身になれる、ってわけじゃない。

力を使う前に急所を狙われれば、今の爆裂魔法のように一瞬で部屋ごとお城の上層部を吹き飛ばすような力を加えられたら、お姉さんだって氏んでしまう。

 魔導協会の人たちは、正攻法でやったって勝てないことは、百も承知なんだ。

だから…だから、お姉さんのやさしいところを利用して、こんな…こんなことを…!

 そんなとき、まるで雷のような轟音が地面から響いてきた。

音…?違う、これは…声だ。

人間の、魔族の、お城の周囲に集まった“敵”が、鬨の声をあげているんだ…!

「小隊長さん、それに、黒豹!やつら、この機に電撃戦でここを陥とすつもりだ!突っ込んでくるぞ、階下の防衛頼む!」

そう言った魔導士さんは、マントを脱ぎ棄てて空を仰いだ。

 私も、上空から何かの気配を感じて思わず空を見上げた。

そこには、星空にまぎれて無数の光が、不規則に漂っている。

でも、それもつかの間、その光…浮遊できる魔法を使った人間軍と魔族軍の人たちが、ものすごい勢いで私たちに落ちてくるように突撃を仕掛けてきた。



 

697: 2015/08/31(月) 21:56:47.75 ID:Zu3ej3bwo



 そんなとき、まるで雷のような轟音が地面から響いてきた。

音…?違う、これは…声だ。

人間の、魔族の、お城の周囲に集まった“敵”が、鬨の声をあげているんだ…!

「小隊長さん、それに、黒豹!やつら、この機に電撃戦でここを陥とすつもりだ!突っ込んでくるぞ、階下の防衛頼む!」

そう言った魔導士さんは、マントを脱ぎ棄てて空を仰いだ。

 私も、上空から何かの気配を感じて思わず空を見上げた。

そこには、星空にまぎれて無数の光が、不規則に漂っている。

でも、それもつかの間、その光…浮遊できる魔法を使った人間軍と魔族軍の人たちが、ものすごい勢いで私たちに落ちてくるように突撃を仕掛けてきた。

 「黒豹、早く行け!」

「しかし!魔導士様!」

「ここは俺たちが支える…!あの数に押し込まれでもしたら、頃す他に形勢を覆す手がなくなる…あぁ、くそっ!」

魔導士さんがそう唸って、辺りにさらに魔法陣を展開させた。

その魔法陣からバリバリっと今まで以上の稲妻が走り、空から攻撃を仕掛けてくる敵を次々に撃ち落とす。

だけど、敵はそんな魔導士さんの攻撃を上回る数で上空に姿を現してはこちらに突撃を仕掛けてきた。

 不意に、魔導士さんの稲妻とは違う色が輝いて、私は思わず顔を上げる。

そこには、私達に迫ってきている真っ赤な火球があった。

「ちっ!十八号、離れろ!」

「ダメ!十六姉をほっとけない!」

魔導士さんの言葉に、十八号ちゃんが叫んだ。

 そんな短い間にも、火球は私たちのすぐ目の前まで迫ってきていた。

「任せろ!」

と、どこからかそんな声がしたと思ったら、何かが火球を遮るようにして目の前に広がった。

 それは、石の破片が組み合わさって出来た大きな盾だった。

これ、トロールさん!?

 私がそのことに気が付いたのと同時に、魔導士さんが叫んだ。

「早く行け、黒豹!トロール!天井を塞げないか!?」

「は、はい!」

「石材がずいぶん吹き飛ばされた。天井を作るには、別の場所を崩さないといけない」

黒豹さんと虎の小隊長さんが部屋から飛び出していき、人間の姿になったトロールさんは、私達のすぐそばにいて、片腕に魔力の光を灯している。

 そのトロールさんの脇を、竜娘ちゃんを抱えた大尉さんが駆け抜けて、未だに腰を抜かしているお姉さんの元へと走った。

「ちょっと!しっかりしなさいよ!あなたがやらなきゃ、みんな氏ぬんだよ!?」

大尉さんはお姉さんの胸ぐらを掴んで体を揺さぶっている。

そんな大尉さんの発破に、お姉さんはギュッと目を瞑り、唇を噛み締めて立ち上がった。

体がブルブルと震えているようにも見える。

お姉さんの心の状態も心配だけど、今は、十六号さんだ…
 

698: 2015/08/31(月) 21:58:36.83 ID:Zu3ej3bwo

 私はそう思い直して十六号さんに視線を戻す。

零号ちゃんが小刻みに小さな稲妻を迸らせるたびに、十六号さんの体がビクン、ビクン、と跳ね上がる。

お願い、十六号さん…頑張って…!

私はそう語りかけるように、さらに回復魔法を強めた。

その刹那、ゲホゲホっとむせ返って、十六号さんの体が動く。

「十六姉!十六姉!!」

十八号ちゃんがしきりにそう名を呼ぶと、煤けて真っ黒になった顔に、きらりと目が光った。

「あぁ、良かった…十六姉!」

十八号ちゃんがポ口リと涙をこぼす。

「アタシ…氏んでたのか…?」

しわがれた、おばあちゃんみたいな声で十六号さんがそう聞いて来た。

「十六お姉ちゃん…心臓、止まってた…」

雷の魔法陣を解いた零号ちゃんはそう言って、ペタンとお尻から床に座り込んだ。

「そっか…助かったよ、ありがとう…」

十六号さんはそう言うと、そっと腕を動かして零号ちゃんの頭をなでつける。

それから、むくっと体を起こすと

「幼女ちゃんに十八号もありがとう。あとは、自分でやる」

と自分の体に回復用の魔法陣を纏わせた。

 黒く焦げ付いた十六号さんの皮膚がボロボロと剥がれ落ちて、新しい皮膚へと変わっていく。

それを確認した私は、十六号さんに抱きつきたいのをこらえてお姉さんの元へと走った。

 お姉さんは大尉さんに叱咤されてなんとか立ち上がり、両手で自分の頬をひっぱたいているところだった。

「お姉さん、大丈夫!?あの女騎士さん、ゴーレムだったんだって!」

私が改めてそう伝えると、お姉さんはコクリと頷いて

「あぁ…師団長のときと同じだな。あいつら、どうしてもあたしの懐に入り込んで傷をえぐりたいらしい…」

と静かに言った。そしてそれを言い終えたお姉さんは、あの悲しげな表情を浮かべて笑い、夜空を仰いで見せた。

「小さい頃に家族を失くして、魔導協会であんな暮らしをして、勇者になったら魔族頃しに駆り出され、それが終わったと思ったら、今度は大陸全体の悪、だ。あたしの人生って、とことんケチを付けたくなるな…」

つっと、お姉さんの頬に涙が溢れる。

「こんな世界、救う価値があるって、そう思うか?あたしは、聖人君主なんかじゃない。あたしにこんな扱いをする世界を、なんであたしは救おうだなんて思ってるんだ?」

そう言ったお姉さんは、自分の両腕を見やった。

「まさに呪いだな、魔王…こんなものをあたしやあんたは一身に背負わされて…いったい、なんの為に戦ったんだろう…。

 あんたを頃すんじゃなかったよ。あたしがもう少し賢ければ、あんたの思惑に気がつけただろうに。

 そうなってたら…あたしはあんたと二人でこの荷を背負えたかもしれないな…」

そして、お姉さんは涙を拭って両の拳をギュッと握った。
 

699: 2015/08/31(月) 21:59:23.84 ID:Zu3ej3bwo

途端に、両腕の二つの紋章が青と赤の光を放ち、部屋に大きな風の渦が巻き起こる。

その風の渦は上空でさらに巨大になって、空から攻撃をかけようとした敵を飲み込み、まるで旋風に吹き飛ばされる落ち葉のように散り散りにされていく。

 「一旦、下の階に引こう。トロール、階段を塞いで追っ手を遮断してくれ」

「わ、わかった!」

お姉さんの言葉にそういうなり、トロールさんは魔力を使って残っていた壁をすぐさま解体し、その石材を使って玉座の間の扉を一気に塞いだ。

次の瞬間、部屋全体に転移魔法が発動して、目の前が明るくなるのと共に私達はソファーの部屋へと移動していた。

 「十六号、傷は?」

「もう平気」

敵の迎撃の手が休まった魔導士さんの問いに、十六号さんが答える。

すると魔導士さんは十六号さんに

「俺が援護するから、天井の向こう側に物理結界を張ってくれ。それで上空からの攻撃がしばらく防げる」

と声を掛けた。

「うん、わかった。転移頼むよ」

十六号さんはそう言って魔導士さんの服の裾を掴むと、魔導士さんの転移魔法でどこかへと姿を消した。

たぶん、玉座の間に戻ったんだろう。

敵を吹き飛ばした今なら、魔法陣を描くだけの時間はあるに違いない。

 「くっ…」

不意にそう声が聞こえたので、私がハッとして目をやると、そこには体を起こして荒く息をしているサキュバスさんの姿があった。

「サ、サキュバス殿…!」

「兵長さん…お怪我は…?」

「私は問題ありません…そんなことよりも…」

「いいえ、良いのです。説明する暇がありませんでしたから、勘違いされて当然と思います」

あの女騎士さんの姿をしたゴーレムを刺したサキュバスさんに、女騎士さんは剣を抜いて斬り掛かった。そのことを謝っているんだろう。

 そんな二人のやりとりをよそに、お姉さんが魔道士さんに

「これは、のんびりやってる場合じゃなさそうだな」

と声を掛けた。

「あぁ、こんな形で夜襲を掛けてくるとは、相変わらず根性の曲がった連中だ。まだ何か手を講じて来る可能性が高い。やるのなら、早いほうが良いだろう」

魔道士さんもそう言ってお姉さんの言葉に頷く。

 やるのなら…そう、それはお姉さんが前線に行くことを意味している。

敵陣深くに突撃して、魔導協会とサキュバス族を打破する作戦だ。

 でも、それを聞いて私はふと、さっきのお姉さんの言葉に不安を感じた。

さっきお姉さんは言ってた。

こんな世界を救う価値があるのか、って…

まさか、お姉さん、変なこと考えたりしてないよね…?
 

700: 2015/08/31(月) 22:00:12.46 ID:Zu3ej3bwo

 私は思わず、お姉さんのマントの裾を握っていた。

ソワソワと落ち着かない気持ちが胸に込上がってきて、どうしようもなく不安になる。

世界を救うことを諦めるってことは、すなわち、お姉さんが魔導協会やサキュバス一族だけじゃない。

ここに集まっているすべての敵を頃すことを意味している。

 もし、お姉さんがそうと決めたのなら、私はそれでも良いと思う。

でも、お姉さんはきっとそれをしたら、きっと後悔する。

確かに、私達を騙す様な手を使って攻撃を仕掛けてくるのは、ひどい。

そうでなくたって、お姉さんはずっと人間たちに利用されてきたんだ。

そう思っても全然おかしくなんかない。

でも、それをするには、お姉さんは優しすぎる。

北の城塞で起こったことと同じことに、必ずなっちゃうはずだ。

いっときの感情でそこにいる人を皆頃しにして、それからお姉さんがどうなったのかを、私は一番身近で見ていたんだ。

 「お姉さん…変なこと、考えてないよね…?」

私はお姉さんにそう聞いた。

するとお姉さんは私の前に腰を下ろして、優しくその腕で私を抱きしめてくれた。

「…そうだな…。それは、やっぱり、良くないよな」

耳元で、お姉さんがそう言う声が聞こえた。

やっぱり、そう思ってたんだね…全部を感情のままに消し去ってしまおう、って…

 それに気付いた私は、お姉さんの首に抱きついた。腕にギュッと力を込めて、お姉さんに伝える。

「お姉さん。私は…私達は、お姉さんの味方だよ。いつも言ってるけど、ずっと一緒に居る。例えお姉さんがどんな存在になったとしたって、それは変わらないよ。

 でも、敵全部を相手にしたら、ダメ。そんなことしたら、お姉さんは絶対に後悔する。

 今はいいかもしれないけど、戦いが終わってから、きっとあの北部城塞のときと同じように感じちゃうはず。私は、そうなってほしくない。

 お姉さんに、もうあんな後悔はして欲しくないんだ」

私の体に回されたお姉さんの腕に、ギュッと力がこもった。

「あぁ…うん。そうだよな…あんたの言う通りだよ…」

お姉さんはそう言うと、私から腕を解いて立ち上がった。

その表情は、あの悲しい笑顔ではなくなっている。

引き締まった凛々しい表情で、両の拳をギュッと握ったお姉さんは、私の頭をまた一撫でして、サキュバスさんを見やって言った。

 「サキュバス、傷は?」

「はい、ひとまず、大丈夫かと。ご心配をおかけしました」

「いや、気がついてくれて良かった…そうでもなければ、あれだけで何人か氏んでたかもしれない」

サキュバスさんにそう言ったお姉さんは、少し安心したような笑顔を浮かべる。でもそれからすぐに表情を引き締めて、

「魔道士が戻ったら、予定通りに敵の本陣に突っ込む。援護、頼むな」

と頷きながら言う。サキュバスさんもそれを聞いて

「はい。身を賭してでも、お守り申し上げます」

と頷いた。
 

701: 2015/08/31(月) 22:01:05.91 ID:Zu3ej3bwo

 ほどなくして、階下から雄叫びが聞こえ始める。

城門を破った敵の一段がお城の中に踏み込んで来たのだろう。

隊長さんたちが、下で戦いを始めているはずだ。

お姉さんの表情が、少し険しくなる。

ギュッと握られた拳に、私はそっと手を置いてあげた。

ハッとした様子のお姉さんが、私を見下ろしてくる。

「大丈夫だよ、お姉さん。竜娘ちゃんには大尉さんと兵長さんが着いててくれてるし、もしものときは、私と妖精さんとトロールさんで隊長さんを助けに行く」

私は、お姉さんの目をジッと見つめてそう言った。

そう、それがうまくいけば、何も問題はないはずなんだ。

それが一番、確実な方法に間違いはないんだから…

 私の言葉に、お姉さんはコクっと頷いてそれから拳を解いて私の手を握り返してくれる。

「あぁ、分かってる…。さっさと終わらせて、どこか遠くに逃げちゃおうな」

お姉さんのその言葉に、私も頷いて返した。

 パッと一瞬部屋が明るく光って、魔導士さんと十六号さんが戻ってきた。

二人共、落ちついた様子だ。

「物理結界、問題ない。これで上空からの侵入はしばらく防げるはずだ。この間に、やっちまおう」

魔導士さんがそう言い、それからサキュバスさんの方を見やって

「サキュバス、どうだ?」

と尋ねる。サキュバスさんは最初の爆発でビリビリに破れてしまったローブを脱ぎ捨てて

「ええ、行けます」

と応えた。それに、魔導士さんは

「よし」

と相槌を打ってお姉さんを見やる。

お姉さんも、二人を交互に見やって、そして、笑った。

あの、悲しげな笑顔で。

「魔導士…サキュバスも。先に謝っておくよ。ごめんな…」

その言葉に、サキュバスさんも魔導士さんも、返事をしなかった。

でも、お姉さんはそのままに続ける。

「あたしに手を貸すってことは、サキュバスにとっては同族頃し、魔導士も、人頃しをするってことになる…」

そんなお姉さんの言葉に、一瞬、サキュバスさんも魔導士さんも沈黙する。

でも、すぐにその沈黙を、サキュバスさんが破った。

「魔王様お一人に全てを託して生きさらばえるなど、私には出来ません。功績を残すも罪を負うも、共にそれを甘受させていただけること、幸いに思います」

その言葉に、魔導士さんが続く。

「俺はそもそも何を殺そうが気にはしない。ずっとそうして生きてきたんだ。相手が人間だろうが魔族だろうが、変わりゃしないさ」

二人のそんな言葉を聞いて、お姉さんは悲しい笑顔のままに、

「…すまないな…でも、ありがとう」

と呟くと、両頬をバシっと叩いて表情を引き締めた。
 

702: 2015/08/31(月) 22:01:44.83 ID:Zu3ej3bwo

「よし、行こう」

「はい」

「さっさと片付けてくれよな」

お姉さんは私の頭をまた撫でて、少し先の床に転移魔法陣を展開させた。

 その上に、お姉さんとサキュバスさん、そして魔導士さんが乗ると、パッと部屋が明るく光って、その姿を消した。

「行っちゃったね」

不意に、そばに来ていた妖精さんがそう言った。

見上げたら、妖精さんは眉を潜めて、苦しそうな顔をしている。

それはそうだろう。私も同じ気持ちだ。

 「さて…じゃぁ、アタシらもやることやらないとな」

そんな私達を見ていた十六号さんが、そう言って物理結界用の魔法陣を部屋中に展開させる。

あれで、ここを守るつもりなんだろう。

「ここは、俺たちに任せろ」

十七号くんもそう言ってくれる。

 私は、二人の言葉に頷いて見せる。

そんな私と妖精さんの元に、零号ちゃんとトロールさんが駆け寄ってきてくれた。

「さぁ、私達も行こう…隊長さんたちを守ってあげないと」

「うん!」

「私がやるよ。大丈夫、殺さないようにする」

「おいが壁で塞ぐ手もある。とにかく、魔王様を待つ」

私達はそう言葉を交わして、頷き合い、そのまま階段を駆け下りて隊長さん達が戦っているだろう階下へと向かった。

 さっき夕御飯を食べていた一つ目の階層は誰もいない。さらに階段を駆け下りて、二つ目の階層に辿り着くけれど、そこにもまだ敵は来ていないようでもぬけの空だ。

 この小部屋は全部で八つもある。

多くあるだけ、そこで足止め出来る時間を稼げるから、お姉さん達が魔導協会とサキュバス族を制圧するための時間を稼げることになる。

あとは、隊長さんたちが無事でいてくれればいいのだけれど…

 そう思いながらも四人でさらに階段を降りて行く。

四つめの部屋にたどり着くと、さらに下から人々の怒鳴り声が聞こえ始めた。

「もう、ここまで来てるの?!」

そう声をあげたのは、妖精さんだった。

まだ戦いが始まって一刻も経っていない。

それなのに、八つあるうちの半分まで攻め込まれているなんて…

「…隊長さん達、無事かな…」

零号ちゃんの表情が不安に歪んだ。

「急ごう…!」

私は胸にこみ上げた恐怖を唇を噛んで押さえ込み、皆にそう言って階段を降りた。

 そこには、全身に血しぶきを浴びながら階段から上がってこようとしている鎧姿の人間を、槍と剣で必氏に妨害している隊長さんたちの姿があった。
 

703: 2015/08/31(月) 22:02:22.21 ID:Zu3ej3bwo

「隊長さん!」

部屋に着くなりそう声を上げた零号ちゃんが、猛烈な勢いで下へと続く階段に突進した。

 ガシャンっと金属が弾ける音と共に、男の人の悲鳴が幾重にも重なって聞こえる。

「チビ、下がってろ!ここは俺たちがやる!」

「ダメ!皆、ケガだらけじゃない!」

階段の出口に立ちふさがった零号ちゃんを押しのけようとした隊長さんは、零号ちゃんにそう言い返された。

「隊長、仕方ない。不甲斐ないアタシらがいけないんだ…」

ふと、戦っている方とは違う方から声がしたので目をやったら、女戦士さんと鳥の剣士さんが部屋の隅の壁にもたれて座り込んでいた。

女戦士さんは鎖帷子ごと袈裟懸けに切りつけられた大きな傷があり、鳥の戦士さんは顔の半分に布を押し当てて居る。布には、べっとりと血が染み込んでいた。

「幼女ちゃん、手当て!」

「うん!」

私は妖精さんと声を掛け合って二人の元に駆け寄る。

私は女戦士さんのそばに座り込んで、回復魔法を展開させた。

 部屋には、隊長さん達しかいない。

先に行ったはずの黒豹隊長の姿はそこにはなかった。

「女戦士さん、黒豹さんは?」

「あぁ、あの人なら、さっき外に出て行った。周囲の偵察を頼んでる」

その言葉に、私は内心、ホッとする。

姿ないから、なにかあったのかと心配をしてしまった。

 「零号、おいが援護する。頃すのはなしだ」

「うん、分かってる。足元を揺さぶれる?体勢を崩して、あとは一気に押し込んでやる!」

「任せろ。みんなは一息入れたほうがいい」

そんな話をしている間に零号ちゃんとトロールさんがそう言い合って、隊長さんたちの前に出た。

 トロールさんが部屋の床に手を着くと、階段の方から石同士がぶつかるようなガチガチと言う音が聞こえ始める。

「くそ、石使いの魔法だ!」

「足元を取られるぞ、気をつけろ!」

「おい、魔族ども!対抗しろ!」

階段の敵がそう叫んだのも束の間、

「でやぁぁぁ!」

と右腕の紋章に光を灯した零号ちゃんが掛け声と共に、一番前にいた兵隊の構えていた盾を拳で殴りつけた。

ベコン!と鈍い音と共に、兵隊さんは後ろに続いていた別の兵隊達もろとも階段の下へと突き落とされていく。

相手を押し包むこともできない狭い通路で相手にしなければならないのが、勇者の紋章を持った女の子、となればよほど腕の立つ人じゃなければ太刀打ちはできない。

でも、零号ちゃんはまだ戦い方がうまいわけではない、って自分で言っていた。

相手は、ゴーレムを爆発させてくるような戦い方をする人たちだ。

それこそ、さっきと同じようにここに爆発するゴーレムを送り込んでくるかもしれないと思っておいたほうが良い。

いくら勇者の紋章を持っていても、あの爆発を備えなしに間近で浴びてしまうのは危険だ。  
 

704: 2015/08/31(月) 22:03:22.94 ID:Zu3ej3bwo

 「あんた、回復魔法、うまいじゃないか」

不意に、女戦士さんがそう言って眉間に皺を寄せたまま笑った。

「うん…たくさん練習したから…」

私がそう言い訳をすると、女戦士さんはホッと息を吐いて

「頼もしいな」

なんて言ってくれる。

褒めてもらえるのは嬉しいけれど、ただの言い訳にそう言われるとどこか居心地が悪くなってくる。

それでも私は、努めて嬉しそうに笑って

「ありがとうございます」

と答えていた。

 「指揮官殿。お前さんがここに来たってことは、城主サマは出張ったんだな?」

そんな私に、顔に付いた血を拭いながら隊長さんが聞いてきた。

「はい。ついさっき、転移魔法で」

私がそう言うと、隊長さんはふぅ、とため息を吐く。

「それなら良かった。この調子だと、それほど長くは保たねぇからな。今はまだ前衛の雑兵だが、頃合を図って主力が出てくるだろう。

 俺たちなんかが相手になるかは疑問だ。もっとも、虎の部隊の方は俺たちよりはマシだろうが…」

「いや、魔族魔法を人間の魔法陣で強化しているとはいえ簡単じゃない。現に一太刀目を浴びたのはウチの剣士だ」

隊長さんの言葉に、虎の小隊長さんがそう言う。

虎の小隊長さんに鬼の戦士さんに鳥の剣士さんは、サキュバスさん達と同じように魔導士さん特性の強化魔法陣を施されている。

それでも、万全ってわけじゃないようだ。

「それに」

と虎の隊長さんが続ける。

「敵が同じことをしてこないとも限らない。魔族の秀でた使い手は魔王軍所属でやつらの中にはそれほど多くはないと思うが…

 それでも、先日の解散からあとはどうなったかしれない。

 最悪、ウチの龍の大将クラスが人間の魔法陣で強化されて出向いてくる可能性だってあるんだ」

「なるほど、確かに…そう考えると、思いやられるな」

隊長さんは、そんな場合でもないだろうに、ヘヘヘと可笑しそうに笑った。

 隊長さんは、それくらい厳しい戦いになるのを、たぶん分かっているんだ。

それでも、士気を折らないために、お姉さんが仕事を終えるまでは、戦う覚悟を決めているように、私には思えた。

そうでもなければ、今みたいな話を聞かされて笑っていられるはずがない。

 そう感じた私は、また胸がギュッと苦しくなる。

考えようによっては、私は隊長さん達のことだって裏切っているんだ。

そんな私の考えに気が付いたのか、妖精さんが

「人間ちゃん、女戦士さんの様子はどう?」

と私の顔色を伺うように聞いてきた。

「うん、もう少しで、出血は止まると思う…」

私がそう答えたら、女戦士さんはあははと笑って

「動けるようになる程度で良い。どうせまたケガするんだ」

なんて言う。
 
やっぱり、そう言う言葉は苦しいね…
 

705: 2015/08/31(月) 22:04:31.81 ID:Zu3ej3bwo

 不意に、ズンと言う衝撃が私達を襲った。

階下で何かが爆発したような、そんな感じで突き上げてくる衝撃だ。

隊長さんがすぐさまチッと舌打ちをする。

「おいでなすった、か」

「今の感じは、魔族の魔法じゃないな。人間か?」

虎の小隊長さんがそう呟いて剣を握り直した。

 ズシン、ズシン、と再び衝撃が走って、部屋全体がミシミシと軋む。

次の瞬間、部屋の床がボコっと盛り上がって、何かが飛び出し天井にぶつかった。

「ぐぅっ!」

そう声を漏らしたのは零号ちゃんだった。

「おい、大丈夫か!?」

天井から溢れるように落ちてきた零号ちゃんを隊長さんがそっと受け止めてそう声をかける。

「あいつ、強い…!」

零号ちゃんは大きなケガは無い様子だけど、擦り傷やあざなんかをあちこちに作っていた。

勇者の紋章を持っていても苦戦するような相手なんだ。

いくら戦いにまだあまり慣れていない零号ちゃんでも、あの雷の魔法はそんなの関係がないくらいに強力なはず。

それでも、一方的には勝つことができないなんて…

 私はそのことを感じ取って体がこわばるのを感じた。

と、床に空いた穴から再び何かが飛び出してきた。

今度は、トロールさんだ。

トロールさんは飛び出てくるやいなや、床に手を着いて穴を魔法で塞ぎに掛かっている。

そんなトロールさんが言った。

「あの剣士が来る」

「あの剣士…?」

トロールさんの言葉に、妖精さんが反応した。

「あ、あの剣士さん、って…?」

私がそう聞いたとき、突然トロールさんが塞いでいた床が軋んで、割れた。

いや、割れた、なんて言う感じじゃない。

斬られた、って言う感じで…!

「くそっ!」

そう声を上げたのは女戦士さんだった。

女戦士さんは私の体を捕まえると、ふわりと宙に浮いた。

 ゾクゾクっとする妙な感覚が背筋を駆け抜けて、私は気が付いた。

女戦士さんが浮いてるんじゃない、私達が、落ちてるんだ…!

 ガラガラと音を立てて床が崩れていく。

下には誰かがいて、私達を見上げて剣を構えていた。
 

706: 2015/08/31(月) 22:05:00.53 ID:Zu3ej3bwo

「あいつ!」

そう声を上げたのは零号ちゃんだった。

零号ちゃんは抱き止められていた隊長さんの腕から何もない空中を蹴るようにして飛び出すと、十六号さんのような強力な結界魔法を発動させる。

でも、その結界魔法は下の階にいた人が、鋭く剣をひと振りした瞬間にあっけなく切り裂かれてしまった。

 その人に、私は見覚えがあった。

あれは、剣士さんだ。

東部城塞でお姉さんを裏切り者だと言って、私達ごと殺そうとした…お姉さんの、元仲間、だ。

 「言わんこっちゃない!とんだ大物のお出ましだ!」

隊長さんがそう言いながら空中で剣を抜いた。

「やつは…!勇者一行の剣士か!」

虎の小隊長さんも剣士さんを知っているようだ。

それもそうだろう。お姉さん達勇者一行は、魔族にとっては忘れもしない存在に違いない。

 「みんな、あいつ、危ないよ!」

零号ちゃんは、結界魔法を切り裂かれたことにも動じずに、クルリと身を翻して床に着地する。

 ついで、私達も下の階へと降り立った。

零号ちゃんを先頭に、隊長さん達もそれぞれ武器を構えて、私をかばうように前に立ちふさがる。

 あのときは戦う前に魔導士さんが強制転送で人間界に送り返してくれたけど…零号ちゃんが苦戦するほどの力を持っているなんて…

いや、考えてみれば当然かも知れない。

だって、この剣士さんだって勇者の仲間だったんだ。

魔導士さんと同じくらいに強くても、不思議じゃない。

剣の腕は兵長さんの方が上だ、ってお姉さんはいつだかに言っていたけど、戦いは剣の腕だけじゃ決まらない。

魔法の強さや使い方が大きく影響されるんだっていうのは、私にも分かっていた。

 床や零号ちゃんの結界魔法を斬れるなんて、剣がいくら上手く使えても難しいだろう。

そう考えれば、剣士さんが魔法を使って何かを強化していると思うのは当然だ。

「やれやれ…噂では聞いていたが、他にも裏切り者がいるとは…」

剣士さんは、あの日の夜、お姉さんに向けた侮蔑の表情を浮かべて隊長さん達をみやった。

それを見た私は、正直、ゾッとした。

この人は、何も変わってない。

この短い間に、私や妖精さん達も、お姉さん自身だって、いろんなことを考えていろんなことを経験して来た。

 出会った頃には想像もしていなかったような今を生きている。

でも、この人は違う。

まるで、あの時からずっと、時が止まっているかのような、そんな不気味さがあった。
 

707: 2015/08/31(月) 22:05:29.87 ID:Zu3ej3bwo

 「救世の剣士サマが勇者サマに叛意しようなんてずいぶんな話じゃねえか」

隊長さんが憎らしげにそう言う。でも、剣士さんの表情は微塵も揺るがない。

「叛意?バカを言うな。人間を裏切るだけでは飽き足らず、我らを討って世界を牛耳ろうと言う輩に付き従うバカは、貴様らくらいなものだろう?」

そんな言葉に反応したのは、零号ちゃんだった。

零号ちゃんが身構えて怒鳴る。

「なんだよお前!お姉ちゃんを悪く言うな!」

「聞く耳を持つなよ、チビちゃん。一言聞いただけでわかるよ。この手のやつは、話が通じないんだ」

零号ちゃんの言葉に、虎の小隊長さんがそう囁いた。

そんな囁きを聞き取った剣士さんは

「ふん、裏切り者の話など聞く耳をもたん」

と私達に嘲笑を浴びせかけた。

「お姉ちゃんやみんなを悪く言うな…!」

「悪に悪だと言ってなんの問題がある?御託を並べるのなら俺を頃してからにするんだな」

零号ちゃんにそう言った剣士さんは、ゆらりとその剣を構えた。

そのとたん、剣士さんの体中に魔法陣が浮かび上がる。

「来るぞ!」

「任せて!」

隊長さんの怒鳴り声にそう応じたのは、女剣士さんだった。

女剣士さんは先頭の零号ちゃんの前に躍り出ると、そのまま剣士さんに斬りかかる。

「どこの者か知らんが、その程度ではなにも成せんぞ」

剣士さんはそう言うなり、体を前かがみにして床を蹴った。

次の瞬間には、女剣士さんの握っていた剣が真ん中程から消えてなくなる。

すこし遅れてキィンと鋭い金属音がして、女剣士さんが床に転げた。

「チッ!」

その様子を見て女戦士さんが駆け出し、女剣士さんに覆いかぶさるようにしてその身を庇う。

「このぉ!」

零号ちゃんが剣士さんに斬りかかり、女剣士さんに追撃しようとした剣士さんの足を止めた。

 ガキン!と金属音がして、零号ちゃんと剣士さんの剣が噛み合う。

でも、零号ちゃんはそれでは終わらなかった。

剣を押し合いながら雷の魔法陣を展開させた零号ちゃんは、そこから一気に雷を放出させる。

バリバリという音とと閃光が剣士さんを襲うけど、その雷は剣士さんの体にうっすらと纏われたなにかの上を滑るようにして壁へとそれて焦げ跡をつけるだけだ。

「その紋章、確かに本物のようだな…だが、あいつほどの力はないし、魔導士ほど洗練された魔法陣でもない…恐るるに足らん」

そう言ってニヤリと笑った剣士さんは、零号ちゃんの剣を弾くやいなや、零号ちゃんの小さな体を思い切り蹴りつけた。

さらに、体勢を崩した零号ちゃんの盾目掛けて剣を振るって床へと押し倒す。

そして、後ろに控えていた私達目掛けて空中を剣で真横に薙いだ。

「危ない!」

トロールさんがそう叫んだ瞬間、私達の前に石の壁が立ち上がった。

剣が届く距離なんかじゃないのに、石壁は鈍い音とともにまるで斬られたような跡を残して床に崩れる。
 

708: 2015/08/31(月) 22:05:58.01 ID:Zu3ej3bwo

今…何をしたの…?

まるで、サキュバスさんの使う風の魔法みたいだ…!

「高速で剣を振って空気を弾く、か…なるほど、人間の魔法が奥が深いな…」

虎の小隊長さんがそう呻く。そんな小隊長さんの言葉のあと、隊長さんが緊張した声色で私に言った。

 「指揮官殿、あいつらの世話を頼む」

ハッとして女戦士さん達の方がいたをみやると、そこには血だまりの中でもがいている女戦士さんと女剣士さんの姿があった。

一瞬息が詰まったけど、それでも私は床を蹴って二人の元に駆けつける。

二人はすでに意識を失い、まるで大きな剣で切り裂かれたように、体の表面が浅くだけど広く斬り裂かれていた。

「人間ちゃん、早く!」

二人の様子に息を飲んでしまった私に、妖精さんがそう声を掛けてくれる。

「うん!」

私は再び女戦士さんの体に手を当てて回復魔法を展開させた。

「…腕の一本や二本は覚悟しないとまずいな…」

「急所だけには気を付けてね…」

「援護はまかせろ」

「チビちゃん、行くぞ…!」

「うん…!」

隊長さんに虎の小隊長さん、鬼の戦士さんに鳥の剣士さん、そして零号ちゃんが剣士さんを囲んでそう声を掛け合う。

そんなみんなを剣士さんは、相変わらずの表情で見つめていた。

 「せいあぁぁ!」

鬼の戦士さんが掛け声とともにあの金属の棒をビュンと前に突き出した。

剣士さんは素早い動きでそれを剣で払いのける。

その隙に、鳥の剣士さんが斬りかかった。

でも、剣を振り終えた剣士さんはギュンと素早く腰をひねって鳥の剣士さんのお腹を蹴りつける。

さらにそこへ隊長さんと虎の小隊長さんが斬りかかった。

同時に、トロールさんが石礫を、零号ちゃんが雷を剣士さんに降らせる。

剣士さんは鳥の剣士さんを蹴った足を床に付けるやいなや、自分の周りをぐるりと剣でなぞるようにして二人の援護を弾き返した。

隊長さん達の剣が剣士さんに迫る。

さすがにそれは受けきれなかったのか、剣士さんは一歩飛び退いて体勢を整えると、腰に差してあった短刀を引き抜いて空を斬った隊長さん達に斬りかかった。

隊長さんと虎の隊長さんもそれに反応したけれど、剣士さんの動きは十七号くんのように目にも止まらないくらいの素早さで、剣で受け止めようとした二人の体を舐めた。

空中に僅かな血しぶきが舞う。

そんな二人の間から、零号ちゃんが盾を構えて剣士さんに突進した。

零号ちゃんも剣士さんに負けてないくらいに素早い動きで、それこそ今の私には何かの塊にしか見えないくらいだったけど、

剣士さんは零号ちゃんの盾を蹴りつけてその突進を押さえ込み、剣を付き出そうとしていた零号ちゃんの頭上から剣と短刀を振り下ろした。

「零号ちゃん!」

私がそう叫ぶのと同時に剣士さんに人の頭くらいある石がドカンとぶつかって、剣士さんは体勢を崩しかける。

その隙を零号ちゃんは逃さずに小さい体を生かして懐に潜り込み、下から剣士さんを切り上げた。

でも、そんな攻撃も剣士さんは身を仰け反らせて躱し、片手を着いて後ろに身を翻して零号ちゃんから距離を取る。
 

709: 2015/08/31(月) 22:06:34.84 ID:Zu3ej3bwo

 正直、想像以上だった。

隊長さん達だって兵士さんで、前線で敵と戦ってきた人たちだ。

弱いはずはない。

零号ちゃんだって、まだ幼くても戦い方を良く知らなくても、魔導協会で鍛えられた勇者の紋章を操る人だ。

それなのに、そんな人たちを相手に剣士さんは一歩も引けを取らないどころか、今の剣戟の間に二人の隊長さんに傷を負わせた。

そして零号ちゃんの攻撃を躱して、未だに傷一つ着いていない。

唯一当たったのはトロールさんの石の援護だけど、それだけではたいして効いたようにも見えない。

これが、お姉さんと一緒に戦ってきた人なんだ…

お姉さんは、勇者の紋章だけでも五千人の兵隊と戦ってなんとか勝てるくらいの力があるって前に言っていた。

そんなお姉さんと一緒に戦ってきた剣士さんももしかしたら…紋章はなくても千人か、それ以上を相手にしても勝てるくらいの力があるのかもしれない。

「時間稼ぎ、ね…稼げりゃ良いが、こりゃぁ、最悪全滅もあるかもしれんな…」

「チビちゃん、情けないが君が頼みの綱だ…無茶はしてくれるなよ…」

隊長さんが胸元の傷を庇いながらそう言い、虎の小隊長さんは真っ二つに割られた胸甲を脱ぎ捨てて零号ちゃんに言う。

 「なるほど、足止めをして策を弄するつもりか。だが、そうはさせん」

剣士さんはそう言ってまた、ゆらりと剣を構えた。

 まずい…ほんの短い時間に、四人がケガをさせられた。

隊長さん達の傷はそれほど深くはないけれど、隙を付かれた女戦士さんと女剣士さんのケガはひどい。

それでもまだ、場所が場所だったから回復魔法でなんとかなる。

でも、さっき鬼の戦士さんが言ったようにこれを急所…例えば頭や首なんかに受けたら、回復魔法を使うまもなく氏んでしまうかもしれない。

だけど、苦戦している零号ちゃんが隊長さん達を庇いながら戦うのはたぶん無理だ。

せめてもう一人、剣士さんと一体一で戦っても互角でいられる人が要る…

この中でそれができるのは…

 私はそう思って、顔を上げた。すぐ隣で女剣士さんに回復魔法をしている妖精さんと目が合い、そして、私の思いが伝わったのか、妖精さんはそのままトロールさんを見やった。

うん、たぶん、それしかない…剣士さんに引いてもらわないと、隊長さん達が氏んじゃいかねないから…

 そんな私達を、トロールさんも見ていた。

私はもう一度妖精さんを見て、目で合図を交わし、トロールさんに視線を戻して頷いてみせる。

トロールさんみ、そんな私に応えて、コクっと頷いてくれた。それからすぐに

「零号」

と零号ちゃんに声を掛ける。

零号ちゃんも状況が理解できていたようで、なにも聞かずにコクっと頷いた。

 「ここはおい達に任せろ」

トロールさんは零号ちゃんが分かっているのを見るや、隊長さん達を押しのけて零号ちゃんとともに先頭に立った。

「おい、トロール…何を言って…」

隊長さんがそう言いかけたとき、トロールさんは魔力の光をその腕に灯らせた。

淡く青い光が、トロールさんの来ていたシャツの袖口から漏れ出している。

「まだやるつもりか…?貴様、見かけは人間だが、どうやら魔族のようだな…人魔と言ったか、人型の魔族の種類だろう?」

剣士さんもそんなことを言いながら、体中に魔法陣を浮かび上がらせた。
 

710: 2015/08/31(月) 22:07:29.48 ID:Zu3ej3bwo

 「行くぞ、零号!」

「!?」

そうトロールさんが叫んだのと、突然剣士さんが体勢を崩したのとは、ほとんど同時だった。

見れば、剣士さんの足元の床の石が剣士さんにまるでまとわりつくようにして塊になっている。

次の瞬間、零号ちゃんが剣士さんに向かって駆け出し、飛び上がって剣士さんを盾で殴りつけた。

剣士さんは足を動かせないのか、その場に突っ立ったまま剣を振り上げて零号ちゃんの盾を受け止める。

でも、その僅かな間に零号ちゃんは盾とは反対の手に雷の魔法陣を展開させて、盾を引くのと同時に剣士さんの体に拳を突きつけた。

バリバリバリっと言う音と閃光が部屋を包んで、剣士さんの体からプスプスと煙があがる。

さらに、雷で一瞬体をこわばらせた剣士さんに、足元に固められた石が真下から突き上げるようにして飛び交い、体に弾ける。

「うっぐ…!こしゃくな!」

剣士さんはその目に怒りを灯して、魔法陣を光らせ零号ちゃんに向かって剣を振るった。

そんな零号ちゃんを、トロールさんが作り出した石の壁が受け止める。

「馬鹿な…!防がれただと…!?」

さっきまでのトロールさんが作り出していた壁は、剣士さんに切り崩されてしまった。

でも、今の壁は剣士さんの攻撃を受けても事も無げに零号ちゃんを守っている。

と、そんな石壁の向こうから零号ちゃんが踊り出て来て、頭上高くに剣を振り上げた。

「くそっ!」

剣士さんが再び剣でそれを受け止めようと構える。

でもそんな剣士さんに、石壁に使われていた石が、まるで流星のように次々と襲いかかった。

零号ちゃんの攻撃に意識を取られていた剣士さんは、さっきとは段違いの勢いの石礫を全身に受けて、

「ぐふっ」

と声を漏らせて片膝を着いた。

そんな剣士さんの頭を、飛び上がった零号ちゃんが剣の腹でしたたかに殴りつける。

ガツン!と鈍い音がして、剣士さんはそのまま床に倒れ込んだ。

着地をした零号ちゃんはそのまま三歩ほど後ろに後ずさって剣士さんから距離を取る。

でも、これくらいで終わりってことはない。

気を抜けば首と体が離れ離れになってもおかしくはないんだ。

 「私が刃を立ててたら、お前は氏んでいた。お前の負けだ」

零号ちゃんが緊張した様子で剣士さんにそう言う。

しかし、剣士さんは言葉もなく起き上がって零号ちゃんを睨みつけた。

その目は、さっき以上に濃い怒りに満ちている。

「舐められた物だな…あの程度で俺を殺せたとでも?手加減をしているのなら、考え違いもいいところだ」

「お姉ちゃんに、なるべく頃すな、って言われてる。だから、生きてるうちに引っ込んで欲しい」

零号ちゃんは、そんな剣士さんの鋭い視線にも動じずにそう答える。

しかし、剣士さんはそんな言葉を聞いて、さらに表情を怒りに燃やし出す。

 「なるほど…良いだろう。こっちはお前らすべての首を刎ねるつもりだ。手を抜いてもらっている間に、殺させてもらう」

剣士さんはそう言うと、さらに体中に魔法陣を浮かび上がらせた。

「あの野郎、どれだけの魔法陣を操れるってんだ…!」

それを見た隊長さんがうめき声を上げる。
 

711: 2015/08/31(月) 22:08:01.64 ID:Zu3ej3bwo

剣士さんからはビリビリと焼けるような感覚が伝わってきて、私は気圧されそうになるのを必氏にこらえた。

とにかく今は、女戦士さん達のケガをなんとかしないと、放って置いたら命に関わっちゃう。

剣士さんのことは、零号ちゃんとトロールさんに任せる方がいい。

私がそう思って覚悟を決めたときだった。

 バタバタっと音がして、下へと続く階段に誰かが姿を現した。

男の人で、見慣れない鎧を着込んでいる。

「新手か!?」

虎の小隊長さんがそう言って剣を構えた。

でも、その鎧の人は剣も抜かずに跪くと、剣士さんに声たからかに言った。

「報告!本陣深部にて、敵の首魁と思われる三名との戦闘が発生!被害、甚大です!」

「なんだと!?」

その報告に、剣士さんが呻いた。

 お姉さんだ…!お姉さん、魔導協会に打撃を与えられたんだ…!

私は思わず妖精さんを見やった。

妖精さんも、パッと輝くような明るい笑顔を見せている。

「なるほど、時間稼ぎというのはそういうことか…!」

剣士さんはさらにそう低い声で言うと、零号ちゃんを睨みつけた。

「本陣は半壊、魔導協会の師道員が多数負傷しています!敵は現在、どこかへ姿をくらましている様子ですが、剣士殿は至急、本陣に戻り警護役をお願いいたします!」

鎧の人は、さらにそう剣士さんに進言する。

剣士さんの表情がとたんに険しく曇った。

「城主サマ、やってくれたな…!」

隊長さんもそう言って、微かに笑みを浮かべている。

でも、私はその報告に疑問を感じざるを得なかった。

 鎧の人は、半壊、と言った。

全滅とは言っていない。

もしお姉さんが上手くやったとしたら、あのオニババを討てた、ってことになるはずだ。

でも、今の報告にはそれがない。

きっとオニババは今回の戦争の大事な役目を負っているはずだ。

その人が氏んだとなれば、少なくとも剣士さんにその報告がないのはおかしい。

ここが敵地で、私達の前だから言わないようにしているだけかもしれないけど、とにかくその報告がない、っていうのが、私を一気に不安にさせた。

 「本陣に危急となれば、戻らざるを得ん、か…」

剣士さんはそう言って、一瞬、顔を伏せて再び零号ちゃんを睨んだ。

「だが、各部隊のためにもこのままというわけにも行くまいな」

剣士さんはそう言うと、剣を今まで以上に大きく剣を振りかぶった。

「あぁっ…まずい!」

そう声をあげたのと、剣士さんが剣を振るったのとほとんど同時だった。
 

712: 2015/08/31(月) 22:08:42.07 ID:Zu3ej3bwo

 強烈な風が巻き起こって、先頭にいた零号ちゃんが血しぶきをあげて壁に吹き飛んだ。

零号ちゃんだけじゃない、その後ろにいた隊長さんも小隊長さんも、鳥の剣士さんに鬼の戦士さんまでもが、まるで強烈な何かに打ち倒されるように昏倒する。

とっさに女戦士さんをかばった私も背中からそれを受けて、強烈な痛みで意識が遠くなるのを感じた。

それでも私は、床を這いながら顔をあげる。

他のみんなも床に転げてしまっているけれど、みんな微かに動きがある。

良かった…大丈夫、まだ氏んでない…

 「に、人間ちゃん…だいじょう…ぶ…?」

妖精さんが、床を這いながらそう声を掛けてくれた。

大丈夫かどうかは、分からない…痛いし、苦しいし…とにかく、背中が焼けるように痛いけど…でも、でも私、まだ生きてる…

そんな私の元に妖精さんが這ってきて、そっと背中に触れてくれる。

暖かな何かが背中を包んで、痛みが徐々に薄れていくのが感じられた。

 そんな中、私は零号ちゃんが立ち上がる姿を見た。

「ぜ、零号ちゃん…」

私は、知らずにそうつぶやいてしまう。

零号ちゃんは、剣を支えに体を震わせながら立ち上がって、階段の方を睨みつけていた。

剣士さんの姿はもう見えない。

その代わりに聞こえて来るのは、たくさんの人が階段を駆け上がってくる足音と怒声だった。

 剣士さんが引き上げて行ったとしても、それに代わってさっきまで階段に詰めかけていた敵が攻めてくるのは当然だろう。

見る限り、隊長さん達もトロールさんも身動きが取れないでいる。

そんな中、剣士さんの攻撃を間近で受けたはずの零号ちゃんだけが立ち上がって敵を迎え撃とうとしていた。

 でも、零号ちゃんはもう立つだけで精一杯だ。

あんな状態で押し寄せてくる敵と戦うなんて、できるはずがない…

私は、それを理解して思わず妖精さんの肩口を掴んでいた。

背中にできているんだろう傷口が痛んだけれど、それどころじゃない。

「妖精さん…人を、十六号さんを呼んで…!念信で…!」

私の言葉に、妖精さんはハッとした様子で階段の方を見やった。

「零号ちゃん!」

妖精さんもそう叫んだ。

 でもそんなとき、階段の入口には額に角を生やした一団がなだれ込んでくる。

あれは鬼の戦士さんと同じ、鬼族だ…!

「むぅ、あの剣士、確かにやるようだな…」

先頭にいた、いかにも強そうな鬼族の一人が私達を眺めてそう言った。
 

713: 2015/08/31(月) 22:09:23.55 ID:Zu3ej3bwo

そんな鬼族に、零号ちゃんは震える腕で剣の切っ先を突きつけて見せる。

「やめておけ、童。その体では、氏するだけぞ」

「行かせない…誰も、殺させない…ここは私のお家なんだ…みんなは私の家族なんだ!」

そう叫んだ零号ちゃんは、一帯に雷の魔法陣を張り巡らせた。

とたんに、鬼族の人たちが動揺し始める。

「ごめんね…手加減できそうにないから、氏んじゃうかも…でも、仕方ないよね」

零号ちゃんがそう呟くと、パシパシっと魔法陣から音を立てて雷が漏れ出した。

だけど、雷がほとばしる前に零号ちゃんはその場に膝から崩れ落ちる。

「ぜ、零号ちゃん!」

私は思わずそう名を叫んだ。直後、背中からビリビリと痛みが襲って思わず体を丸めてしまう。

そんな中で、私は零号ちゃんの作った魔法陣が宙に溶けるように消えるのを見た。

 「この童…生かしておけば我らの妨げとなろう…」

鬼族の人はそう言って、額に吹き出た汗を拭うと、剣を引き抜いた。

だめ…やめて…!

そう叫ぼうとしたけど、背中が痛くて声が出ない。

 そんな私の気持ちなんか伝わるはずもなく、鬼族の人は零号ちゃんの首にその刃をあてがった。

私はそれを見てグッと右の拳に力を込める。

こうなったら、やるしかない…上手くできるかは分からないけど…それでも、零号ちゃんを守るためには…!

そんなとき、ポン、と私の肩に妖精さんの手が乗った。

思わず見上げた妖精さんは、さらに上を見上げている。

「大丈夫…来てくれた!」

妖精さんの言葉に、私はハッと抜けた天井を見上げた。

 そこには、宙に浮かぶ十六号さんの姿があった。

「てめえら!俺の妹に何してんだ!」

急に怒鳴り声が聞こえたと思ったら、ドドドンという音とともに鬼族の人達がまるで吹き飛ばされるように方々の壁に吹き飛ぶ。

その真ん中には、零号ちゃんを抱きしめて立っている十七号くんの姿があった。

 ストっと足音をさせて、私のそばに十六号さんが降りてきた。

「大丈夫…?」

十六号さんは私のそばにしゃがみ込むと、顔を覗き込んでそう聞いてくる。

私はコクっと頷いて

「うん…それよりも、零号ちゃんを…」

と十六号さんに伝える。

十六号さんは

「うん、わかった」

と答えると、鼻息荒く吹き飛んだ鬼族達に睨みを効かせている十七号くんのところまで小走りで向かい、十七号くんの腕から零号ちゃんを抱き上げた。
 

714: 2015/08/31(月) 22:10:13.13 ID:Zu3ej3bwo

「零号、大丈夫…?」

「…十六、お姉ちゃん…のマネ、した…」

「頑張ったんだな…偉かったよ。すぐに治してやるからな…アタシが言えたことじゃないけど、でも、もう無茶はするなよ…」

十六号さんの言葉に、零号ちゃんはコクっと頷いてその身を十六号さんに預けた。

十六号さんは回復魔法を展開させながら

「十七号、全部追い出せ」

と十七号くんにそう指示を出した。

「おう、任せろ!」

十七号くんは返事をするやいなや、部屋中に吹き飛ばされ伸びていた鬼族の人達を階段の下へと放り投げ始めた。

階段の下からは、気を失っている鬼族の人たちとは別の悲鳴が聞こえる。

たぶん、放り投げた鬼族の人たちがさらに詰め掛けようとしていた人たちにぶつかっているんだろう。

 鬼族の人たちをすべて下に投げ終えた十七号くんは、チラっと私達の方を見やって、ホッとため息を吐く。

「零号以外は大丈夫そうだな」 

そう言った十七号くんに、私は言ってあげた。

「ありがとう、親衛隊さん。かっこよかった」

そしたら十七号くんは赤い顔をして頭をポリポリと掻きながら

「お、おう…」

なんて口ごもって答える。そんな様子がすこし可笑しくって、私は思わず笑ってしまっていた。

 そんな私達のやりとりが終わると、十六号さんがそばにやってきて、膝を付いて座り込んだ。

どうしたのだろう、と思った矢先、十六号さんは小さな声で囁くように言った。

「十三姉ちゃん、帰ってきた」

お姉さんが、帰ってきた…?

そういえば、さっき剣士さんに報告に来た人が言っていた。

本陣に打撃を与えて、姿を消した、って…

お姉さん、まさか…

 私の考えを知ってか知らずか、十六号さんは俯いて力なく首を振った。

あぁ、やっぱりそうだったんだね…お姉さん、無理だったんだ…

「魔王様…」

妖精さんがそう無念そうに口にした。

私も、同じ気持ちだった。

お姉さんは、魔導協会もサキュバスの一族も倒せなかったんだ。

こうなったらもう、私達に残されている手段はひとつしかない。

私は背中の痛みが薄れていることにも気がつかずに、胸のうちに湧いてきた締め付けるような悲しい気持ちに、ただただ、胸を噛み締めていた。

 それから私達は十七号くんが階段の出口で戦っている最中に全員の治療を済ませた。

零号ちゃんも大きな傷は塞がって、すっかり元気に戻った。

隊長さん達も、力不足を私達に詫びながら、それでも再び武器を取って十七号くんと入れ替わる。

トロールさんが吹き抜けになってしまった天井を作り直し、隊長さん達が苦戦するような敵が出てこないことを確かめると、

私はほんのすこしの間と伝えてトロールさんと妖精さんに零号ちゃんと十七号くん、十六号さんと一緒に上の階へと登った。
 

715: 2015/08/31(月) 22:10:42.35 ID:Zu3ej3bwo

 私達がソファーの部屋にたどり着くと、そこには人だかりができていた。十四号さん達に、魔道士さんとサキュバスさんもいる。

もちろん全体指揮をしている兵長さんもだ。

 「お姉さん」

私は小さな声で、お姉さんを呼んだ。ここからじゃお姉さんの姿は見えないけど、でもそこにいるんだって、私には分かった。

 そんな人垣を、ただ一人遠巻きに見つめていた大尉さんの姿に気がついて私は、その目をじっと見つめる。すると大尉さんは、力なく首を横に振って見せた。

「ダメ、だったんですか…?」

「うん…魔導協会を襲撃して少しして、急に苦しみだした、って。あの女も、サキュバス族の打倒も全然出来なかったみたい…」

そうだとは思ったけど、やっぱりそれは私の心に重くのしかかるようだった。

 あぁ、やっぱりそうだったんだね…改めてそれを確かめると、また胸がギュッと痛くなる。きっとお姉さんは怒るだろうな。

ううん、怒るだけならまだいい。裏切られた、ってそう思われないことを、お姉さんを傷付けないでいられることを願うしかない。

例えそれが、もしかしたらお姉さんの心に癒えない傷を作ってしまうようなことになってしまっても、私達にはもう、それしか残されてはいないんだ。

 私は、人垣をすり抜けてそのまんなかに行く。そこにはお姉さんが苦しげな表情で床に四つん這いになっていた。大きな傷があるわけでもない。

攻撃を受けたらしい痕跡はあるけど、服が縮れているくらいで他に大きな出血があるわけでもなかった。

でもお姉さんの呼吸は荒く、顔に油汗をいっぱいにかいているのがわかる。

「おい、しっかりしろよ…どうしたんだよ急に!」

魔道士さんが慌てた様子でお姉さんにそう尋ねる。

「まさか、先日の毒が今頃…?いえ、そんなこと、あるわけが…」

サキュバスさんも動揺してか、そんなことを口走りながら右往左往していた。

 そんな中で私は、お姉さんの体を調べた。右の腕には真っ青に輝く勇者の紋章、そして左腕にも、くっきりと光に筋を放って輝いている魔王の紋章がある。

 私はそれを見て、覚悟を決めた。もう戻れないだろう…でも、今のままじゃもしかしたら全員殺されてしまいかねない。

それなら、やっぱり、あの計画を実行に移すしかない。私は振り返って大尉さんをみやり、頷いた。トロールさんも妖精さんも私に続いて大尉さんに合図を送る。

 十六号さん達は、もう決めていたのだろう。大尉さんは私達の合図を受けるや、人垣の中へと歩いてきて、四つん這いになっていたお姉さんの両肩に手を置く。

そんな大尉さんの行動に皆が注目し、そしてお姉さんまでもが苦しみに歪む顔をあげた。
 

716: 2015/08/31(月) 22:11:29.00 ID:Zu3ej3bwo

「大丈夫、すぐに気分は楽になるよ」

大尉さんはそう言ってお姉さんに笑いかける。

「おい、何を言ってる…?」

そんな疑問を投げかけた魔道士さんを無視して大尉さんはお姉さんの左手を取って、グイッと自分の方に引っ張った。

「治し方、分かるのか…?」

お姉さんが絞り出すような声色でそう聞く。そんなお姉さんの言葉に大尉さんは頷いて

「うん、知ってる。少し痛いけど、我慢してね」

とお姉さんに伝えて、それから

「やろう」

と零号ちゃんに声を掛けた。皆の視線を浴びた零号ちゃん…すでに、目からボロボロと涙をこぼしていたけど、それでも腰の剣に手を伸ばした。

「おい、零号!」

「悪い、十二兄、少し大人しくしてて」

とっさに半身に構えた魔道士さんを、十六号さんが結界魔法で押さえ込む。同時に

「これは…!?なんなのですか…?!」

とサキュバスさんが悲鳴を上げた。サキュバスさんを抑えるのは十七号くんの仕事だ。

兵長さんもすでに、十四号さんに羽交い締めにされて捕まっている。

「何、する気だ…!?」

お姉さんが苦しげに言うので、零号ちゃんからまた、大量の涙が零れだした。

 でも、それでも零号ちゃんはギュッと唇を噛みしめて、腰に下げていた剣を目にも止まらぬ速さで引き抜いた。

そして、大尉さんが捕まえていたお姉さんの左腕を一閃に薙いだ。



 

725: 2015/09/21(月) 02:14:22.89 ID:E1MQ1mzbo

「大丈夫、すぐに気分は楽になるよ」

大尉さんはそう言ってお姉さんに笑いかける。

「おい、何を言ってる…?」

そんな疑問を投げかけた魔道士さんを無視して大尉さんはお姉さんの左手を取って、グイッと自分の方に引っ張った。

「治し方、分かるのか…?」

お姉さんが絞り出すような声色でそう聞く。そんなお姉さんの言葉に大尉さんは頷いて

「うん、知ってる。少し痛いけど、我慢してね」

とお姉さんに伝えて、それから

「やろう」

と零号ちゃんに声を掛けた。皆の視線を浴びた零号ちゃん…すでに、目からボロボロと涙をこぼしていたけど、それでも腰の剣に手を伸ばした。

「おい、零号!」

「悪い、十二兄、少し大人しくしてて」

とっさに半身に構えた魔道士さんを、十六号さんが結界魔法で押さえ込む。同時に

「これは…!?なんなのですか…?!」

とサキュバスさんが悲鳴を上げた。サキュバスさんを抑えるのは十七号くんの仕事だ。

兵長さんもすでに、十四号さんに羽交い締めにされて捕まっている。

「何、する気だ…!?」

お姉さんが苦しげに言うので、零号ちゃんからまた、大量の涙が零れだした。

 でも、それでも零号ちゃんはギュッと唇を噛みしめて、腰に下げていた剣を目にも止まらぬ速さで引き抜いた。

そして、大尉さんが捕まえていたお姉さんの左腕を一閃に薙いだ。

 「ま、魔王様!!!」

「零号…お前…!」

魔道士さんとサキュバスさんの悲鳴と怒りの声の中、お姉さんの左腕の肘から下が大尉さんの両腕に収まる。

「くそ、何のつもりだ…!」

そう言って立ち上がりかけたお姉さんの動きを、私と妖精さんとトロールさんの三人で一気に魔翌力で風を押し掛けて封じ込める。

 それを確かめてから、今まで部屋の隅にいた竜娘ちゃんがお姉さんの目の前まで歩み出てきて、静かに聞いた。

「腕を刎ねられて、具合いはいかがですか…?!」

「何…!?」

竜娘ちゃんの言葉に戸惑いと絶望がこもった声色でお姉さんがそう反応する。すると竜娘ちゃんはもう一度丁寧に、お姉さんに聞き直した。

「魔王の紋章から解き放たれて、ご気分に変化はありましたか…?」

その言葉に、お姉さんは凍り付いたように固まって、竜娘ちゃんを見やった。

「嘘だ…嘘だろ…?」

お姉さんはそう言いながら、なおも固まったままで竜娘ちゃんにそう言う。

726: 2015/09/21(月) 02:15:03.51 ID:E1MQ1mzbo

そんなお姉さんに、竜娘ちゃんは言った。

「基礎構文を読んで、こうなるのではないかと、そう感じていたのです」

基礎構文。それは、竜娘ちゃんが大尉さんと一緒に探しに行った、“世界を世界たらしめている”ものだ。

そもそもその存在自体が不明確で、本当にそんなものがあるかどうかすら確かじゃなかった。

そして、その基礎構文というものを探すために出て行った竜娘ちゃんが大尉さん達とこのお城に戻ってきたあの夜に、

私達はこうなってしまう可能性をすでに知らされていた。

でも、あの夜は奇襲のあった翌日でみんなも混乱していたし体力も消耗していて、基礎構文に付いては誰も尋ねず、曖昧なままになっていた。

そしてたぶん、今こうして話題に出るまで、意識もしていなかったに違いない。

それくらい、その基礎構文というのは存在があまりにも“物語”じみていた。

 呆然としているお姉さんをよそに、竜娘ちゃんは続けた。

「勇者の紋章は身体能力を大幅に向上させる特殊な魔法陣です…それ故に、実は些末な不調を覆い隠してしまうことがあるのでは、と私は考えました。

 そして、それが現実であったからこそ…魔王の紋章に適合出来なかった副作用がかき消されていたのです」

そこまで言うと、竜娘ちゃんはまるで何かに祈るように…ううん、贖罪を求めるかのように、胸の前に手を組んで、そして言った。

「あなたは、魔王の紋章には適応していない。勇者の紋章の力で副作用を押さえ込んでいただけなのです」

 その言葉に、魔道士さんやサキュバスさんの表情が凍り付いた。お姉さんはさっきからずっと、有り得ないって顔をしている。

それがどれだけ絶望的に感じられるかを私は理解していた。

だって、いくら勇者の紋章があったとしても、それひとつでは攻め込んできている敵の相手をするどころか、

サキュバス族と魔導協会全てを一気に相手にして戦うことすら厳しいだろうと言うのが分かるから…

「普段、紋章を使っていないときは症状は現れないでしょう。

 ですが、適応していないにも関わらず魔王の紋章の力を半分でも使おうとすれば、体内で均衡が崩れて魔王の紋章の副作用が必ず現れてしまう…

 今回も、そして前回の奇襲で毒と重症を負わされたあなたが生氏の境を彷徨ったという話で、その可能性が確信に変わったのです」

竜娘ちゃんの言葉が、部屋にしんと響いて消える。

 その雰囲気を打ち壊すように、魔導士さんが口を開いた。

「基礎構文、ってのは、なんだったんだ…?」

竜娘ちゃんは、魔導士さんの言葉を聞いて

「はい。でも、先に腕を治します」

と、大尉さんが懐に抱いたお姉さんの腕に触れ、そして、赤く輝く魔王の紋章を引き剥がす。

誰もがそれを、固唾を飲んで見ていることしか出来なかった。

紋章がまるで羊皮紙をめくるようにはがされた腕を、大尉さんがお姉さんの残りの腕に押し当てて、そして青く輝く魔法陣を展開させた。

切れた腕がみるみるうちに繋がり、お姉さんは最後には自分の意思で左手の指先を動かして、具合いを確かめる。

けれど、お姉さんも魔導士さんもサキュバスさんも、これっぽっちも安心なんてしている様子はなかった。

 お姉さんは呆然と…ううん、やっぱり、悲しいよりももっと辛そうな表情をしている。

サキュバスさんは混乱している様子だし、魔導士さんに至っては、明らかに怒っている。

それでも、竜娘ちゃんは静かに言った。

「すべて、お話します。私達が見つけた基礎構文のこと、そして、そのそばの石碑に綴られていたこの世界の始まりの言い伝えの話を…」

竜娘ちゃんは、そうして静かに、まるで寝物語でも話すみたいな、ゆっくりとした穏やかな口調で、あの日、私達が聞いたのと同じことを皆に説明し始めた。

727: 2015/09/21(月) 02:15:47.77 ID:E1MQ1mzbo


 

 魔族の人たちと、それから人間軍とが手を組んで魔王城に攻めてくる、という話が私達の緊張をいやがおうにも高まらせたあの日。

私や十六号さん、零号ちゃんが眠っていた部屋に、十八号さんに連れられて転移してきた竜娘ちゃんは真剣な表情で言った。 

「そのことで、ご相談したいことがあるのです…できれば、あの方には内密に…」

あの方、って、お姉さんのこと、だ。

どうしてお姉さんに内緒なんだろう…?

何かまずいことなの…?

「な、内緒にしなきゃいけないのは、なんで…?」

私が聞くと、竜娘ちゃんは難しい顔つきのままで、静かに答えた。

「あの方をお助けするために、です」

「人間…竜娘の話を聞いて欲しい」

竜娘ちゃんの言葉に、トロールさんが続く。

それを聞いて私は、その先を知りたくて、もう一度竜娘ちゃんの顔を見た。

「おそらく…世界にも、あの方にも、どうしても必要なことだと私は思うのです」

竜娘ちゃんは私の目を見てそう言った。

 表情は険しくて、それこそ怒っているように見えるくらいだけど、竜娘ちゃんの縦長の瞳には、言い知れぬ意志と覚悟が宿っているように、私には見えた。

「私たちは、トロール族の地で、古い文字で書かれた石板をみつけました」

「それが…基礎構文、ってやつだったのか?」

竜娘ちゃんの言葉に、十六号さんがそう尋ねる。でも、そんな十六号さんに竜娘ちゃんは首を横に振った。

「いいえ。それは…物語。いいえ、もっと正しく言えば、きっと、記録。あるいは、手紙だったのかもしれません」

「手紙?誰が誰に宛てたの?」

今度は妖精さんがそう聞く。竜娘ちゃんは、それを聞いてコクっと頷いて続ける。

「恐らく…遠い遠い未来の“誰か”に宛てられた、古の手紙。それも、謝罪文です」

謝罪文…?いったい誰が、なんのためにそんなことを…?

そんな私の疑問を感じ取ったのか、竜娘ちゃんは大きく深呼吸をして言った。

「これからする話は…私の憶測による部分もあります。ですが、おおよそ、その内容は真実だと思います。ですから、心して聞いてください。

 その手紙を書いたのは、きっと、〝古の勇者さま”本人だと思います」

世界を二つに別った、古の勇者様が、謝罪…?

私はそれを聞いて、思わず十六号さんを見やっていた。十六号さんも私を見ている。

そう、ついさっき、そんな話をしていたところだった。

古の勇者様は、間違ったんじゃないか、って。

世界を平和にするために、世界を二つに割って争いの解決をただ先延ばしにしただけじゃなかったのか、って。

「書き出しは、こうです。

『この書を読む者はどのような世に生きているのだろうか?私は平和な世界が訪れていることを願いつつ、それはただ夢幻であるようにすら思っている』…」

竜娘ちゃんの口調は、まるで寝物語を話すような、だれかの手紙を朗読するような、そんな感じだった。

728: 2015/09/21(月) 02:16:58.39 ID:E1MQ1mzbo

「『私は、人ならざる者となり、世界を眺め、そして、考えた。しかし、私に与えられた役割はあまりにも大きく、そして、私の想像や意志を超えている。

 私が世界を統べ、あらたな秩序を紡ぐことは難しいことではないだろう。だたし、それが正しいのかどうか、私にはわからない。

 私が唯一絶対の者になり、そして大陸のすべてをその庇護のもとに平等とするという管理者たちの考えは、理解はできる。

 理解はできるが、同意はできなかった』」

部屋の中が、しんと静まり返っている。

みんなが、竜娘ちゃんの言葉に聴き入っていた。

「『私は、意志の弱い者だ。

 間違っていると思いながら、しかし別の方法を考えることもできない。

 新たな何かを求めるにも、人ならざる者として一人、この争いの続く世界への答えは導き出すことはできない。

 この両肩に乗った世界、人ならざる者となったとしても、私には重すぎる。

 その重みに耐えかね、このような選択しかできない私は自分を恥じる。

 自らが何も出来ぬことを、恥じる。

 私ではない誰かにそれを託すことを恥じる。

 そして、幾年月か先、その誰かが答えを見つけてくれることを願うしかできぬ自分を恥じる』」
  
「……それって、つまり…」

「はい」

十六号さんの言葉に、竜娘ちゃんは再びうなずいた。

「〝古の勇者”様は、世界を二つに別ったことを、最良だと考えたのではないのです。

 きっと、〝古の勇者”様は、それが解決にならないことを理解していた。 

 でも、他に手だてがなかったのだと思います」

そう、だから、謝罪文なんだ。

世界を別ち、争いを一旦、避けることしかできなかった。

〝古の勇者”様は、争いを避けることはできても、魔族と人間との憎しみを取り去ることはできなかったんだ。

「文章は、こう続きます…

 『私は、土の民と造の民との地に、この大陸を分けた。遥か先、これを読んでいるあなたに、託す他に私はできることがない。

 だが、どうか聞いてほしい。

 もしあなたにその意志と勇気と、そして知恵があるのなら、これより記す世界の理を正しく理解し、正しく使い、

 二つの民を融和させてくれることを切に望む。

 それは、人ならざる者、すなわち、神として君臨するなどという方法ではないはずなのだ。

 どうか、意志と勇気と知恵を以って、私の犯した過ちを正してほしい。

 父上、母上、そして兄弟達。こんな私で、すまない。

 そして世界中の人々、これから生まれ、そして氏んでいくだろう人々。

 贖罪などが与えられるはずもないが、それでも、私は祈っている。いつか、その答えを探し当てることができるように』」

竜娘ちゃんは、そこまで話して、それから私たち一人ひとりの顔を見て、言った。

「これからお話しすることは、皆さんにとっても大きな重荷になると思います…後戻りも、きっとできなくなります。

 ですので、もう一度だけ、確かめさせてください。

 これから私がお話しするのは、あの方にとってだけではありません。

 私たちの住むこの大陸を、大いに混乱させるだろうことです。

 それでも、聞いていただけますか…?」

729: 2015/09/21(月) 02:17:47.33 ID:E1MQ1mzbo

何も言葉を継げず、妖精さんを目を見合わせていると、不意に十六号さんが言った。

「十四兄ちゃんと十八号は、それを知ってるんだな?」

十六号さんの言葉に、ふたりは黙ってコクリとうなずく。

それを見た十六号さんは、ふぅ、と息を吐いて十七号さんを見やって

「なら、アタシは聞く。あんた達がその話を聞いて、今も黙ってる、っていうんなら、何か納得できてる、ってことなんだろ?

 それなら、アタシもそうしたい。あんた達と一緒に、十三姉ちゃんを助ける。

 たとえアタシ達の身に何が起こったとしても…」

と言いうなずいた。

十七号くんもそれを見て

「…そうだな…。十四兄ちゃんはさておき、十八号がそれで良いって思ってるんなら、間違いないだろうし」

なんて言って、無理矢理に笑顔を見せた。

「おいおい、俺の信用ってそんなかよ」

それを聞きつけた十四号さんが笑顔でそう不満を言う。

「だって。十四兄ちゃんの考えることは俺には難しすぎてわかんないんだもんな。

 その点、十八号は十四兄ちゃんよりはわかり易いし、バカな俺にもわかるように話してくれるし」

十七号くんはそう言ってまた笑い、それから私と妖精さん、そして零号ちゃんを見て

「そっちは、どうする?」

と聞いてきた。私たちは三人で目を見合わせて黙り込んでしまう。

 正直言って、怖かった。

これからどんな話が出てくるのかなんて想像もついていないけど、それでも、竜娘ちゃんの重苦しい様子が、私から言葉を奪っていた。

妖精さんも迷っているようでムニュムニュ口を動かそうとはしているけど、何を言うこともできないでいる。

そんなとき、零号ちゃんが申し訳なさそうに口を開いた。

「あの…ちょっと話ズレちゃうかもしれないけど、いいかな…?」

みんなの視線が、零号ちゃんに注がれる。

その視線を受けて、零号ちゃんはなおも居心地が悪そうにモジモジとしながら、小さな声で言った。

「その、ね…いきなり難しすぎて、よくわかんない…つまり、どういうことなの…?」

それを聞いて、一瞬、部屋中がポカンとした空気に包まれた。

そして次の瞬間、十六号さんがプっと噴き出して笑いだす。

「わ、笑わないでよ、十六号お姉ちゃん!」

「いや、悪い悪い。まさかそう来るとは思わなくって」

頬を赤らめていきり立つ零号ちゃんに、十六号さんはなんとか、って様子で笑いを収めてから、すこし考えるようにして言った。

「えっと…要するに、“古の勇者”様が伝え遺してくれたものがあって、それがこれからのアタシ達や十三姉ちゃんに役に立ちそうなんだけど、

 それを聞いて、本当にその方法を使うかどうか考えなきゃいけない、って、そういうこと…だよな?」

十六号さんは、最後にそう付け加えて十八号さんに尋ねた。

すると、今度は零号ちゃんがクスクスっと笑い声をあげる。

「十六号お姉ちゃんだってちゃんとわかってないんじゃん」

「フン、自慢じゃないが、アタシと十七号はバカなんだよ!」

「おい、俺を巻き込まないでよ。まぁ、バカなのはホントだけどさ」

三人はそう言い合って、それからなんだかおかしそうに笑い始める。

730: 2015/09/21(月) 02:18:21.67 ID:E1MQ1mzbo

少しして、その笑いを収めた零号ちゃんが、どこかすっきりした様子の表情で、竜娘ちゃんに言った。

「器の姫様、それを使えば、お姉ちゃんを助けてあげられるんだよね?だったら、私、どんな話でもそれを聞くよ。私も、お姉ちゃんを守ってあげたいんだ」

そう…そうだよね。

これから聞く話がどんなことかは分からないけど…

きっと、世界の平和のために悪者として人間と魔族、二つの種族に敵扱いされて悪者だと言われてその苦しみを一心に背負っているお姉さんに比べたら、

どんな話でも、私たちみんなで聞けば、きっと大丈夫なはずだ。

それに、竜娘ちゃんはお姉さんのためにも、って言っていた。

もし、これからの話がお姉さんを助けることになるんだとしたら、私も賛成以外にない。

私は、チラっと妖精さんを見やった。

妖精さんも、私を見ていた。

お互いに気持ちが決まったのが伝わったのか、どちらからともなく笑顔がこぼれて、それから竜娘ちゃんに伝える。

「わかった。私も聞くよ」

「魔王様を助けるためなら、なんでもするです」

私たちの言葉を聞いた竜娘ちゃんは、少し驚いたような表情を浮かべたけど、それでもすぐに気を取り直して私たちに目礼し、

「ありがとうございます…それでは、話をさせていただきますね…」

と、ふう、と小さく息を吐き、ついに話を始めた。

 「“古の勇者”様の手記をもとに足を延ばした私たちは、あの中央山脈の最高峰の頂上付近で、朽ち果てた祠を見つけました。

 そこにあったのは、基礎構文に関する説明が書かれた石板と、そして、二つの紋章についてのことでした」

基礎構文…世界を世界たらしめている物で、世界を戦いの渦中に引き留めている物…

それが、本当に、実在したんだ…

私はそのことだけで、少しドキドキしてしまう。

まるで…そう、寝物語の中に出てくる幻獣なんかが本当にいた!と言われているような、そんな感覚だった。

「まず、基礎構文についてですが…確かにそれは、この世界を“世界たらしめている物”に相違ありませんでした。

 つまり、基礎構文とはこの世界の理を規定した、いわば最初の魔法だったのです」

「ま、待ってくれ…最初っからよくわからない…つまり、どういうことなんだ…?」

「はい、つまり基礎構文とはすなわち、この大陸において魔法という力を生み出すための“力場”を規定するためのいわば結界。

 平和を願い、人ならざる神を生み出そうとした結果、私たちは魔法という、不自然な力を手に入れてしまったのです。

 一人で魔法を使えない者十人かそれ以上の力を持つに至った結果この大陸から争いは絶えることがなくなり、

 そして泥沼のように繰り返されるに至ったのです」

私は、息をのまずにはいられなかった。

 確かに、魔法を初めて見たときにかすかにだけど不思議に思った。

魔法でもなんでも、身を守るための結界やなんかを使わなければ、どんなに強い魔法を扱える人でもあの日のお姉さんのように毒やナイフで簡単に大きなケガをしてしまう。

お姉さんに限ったことじゃない。

魔導士さんが雷をあやつることができるのも…人の傷をみるみるうちに治していくことも…

魔法って力は、私たちが道具もなしに生み出すには不自然なんだ。

信じがたい話だけど…でも、やっぱり引っかかっていたことがある。

魔法というものは、私たちの体に対してはあまりにも強力すぎるんだ。

一人の人間が、まるで嵐のような風を起こすことなんて、まるでおかしい。

腕から火球を放ったり、床を凍らせたり…

それは自然だけが持つ力のはずで、それを人間が…ううん、生き物が自分の意志でどうにかできるものではなかったんだ。

畑の作物がゆっくり実って行くのを、一刻でおいしく熟した状態にまで変化させるような、そんなのと同じことだ。

それを、私たちはまるで当然のように扱えてしまっている…

そして、その魔法という力をこの大陸に生み出しているのが、その基礎構文だっていう意味だ。

731: 2015/09/21(月) 02:19:17.87 ID:E1MQ1mzbo

 さらに、そんな力が存在してしまったからこそ…簡単にたくさんの誰かを傷つけることができる力を得てしまったからこそ、

私たちは戦いをやめることができなかった。

憎しみを晴らすことしか考えつかなった。

竜娘ちゃんの言っていることは、そういうことだ。

 「ま、魔法を作り出した魔法、ってことだ…?」

十七号くんが竜娘ちゃんに、確かめるようにそう尋ねる。

竜娘ちゃんはコクっとうなずき、それから

「そして、その基礎構文によって発生した力場の中で、もっとも効率良く強力にその力を扱うために作り出されたのが、二つの紋章でした。

 先ほどの“古の勇者”様の手記にあった『管理者』というのは、恐らく現在の魔導協会とサキュバス族のことだと思います。

 手記になぞらえれば、あの二つの紋章が作られた理由は、絶対の神を具現化させるため。

 すなわち、“古の勇者”様がその力を使って神となり…

 自然とともにあろうとする土の民である魔族と、畑や街を作る造の民である人間、双方からの信仰を集めることによって争いを鎮めようとした。

 それが、かつて考えられた出来事だったのだと、私は思います…」

「…む、難しい…」

真剣そうに話を聞いていた零号ちゃんが、ふいにそう言って眉間にシワを寄せたまんまで首をかしげる。

でも、そんな零号ちゃんをよそに、十六号さんは言った。

「今の魔導協会がやろうとしてることとも大差ない。目的は同じだけど…それは、力と暴力で世界を怯えさせ、従わせて争いを収めよう、ってんだろ」

「それは力を行使する者の人格や方法にも依ると思いますが…ただ、ただの一人、〝人ならざる者”にすべての決定権がゆだねられる、ということに違いはないと思います…」

竜娘ちゃんがそう言ってうなずく。すると、十六号ちゃんはうめいた。

「その方法は…例えば十三姉ちゃんがやるんなら悪くないようには聞こえるけど…実際は、そうでもないよな。

 十三姉ちゃんはもしかしたら紋章の力でずっと長い寿命で生きていられるのかもしれないけど…それを望むと思わないし、

 じゃぁ、十三姉ちゃんが氏んだあと、誰が跡を継ぐのか、って戦争になりかねないし、そもそも両方の紋章を継げなきゃそれもできない。

 それに、十三姉ちゃんだって“古の勇者”とおんなじだ。

 たった一人で世界を背負い込むなんてことができるほど、強い気持ちを持ってない。

 あの人は…寂しがり屋で、甘えたで…どこにでもいる、ちょっと頼りになる姉ちゃん…それ以上でもそれ以下でもないんだ。

 神様なんて柄じゃないよ」

十六号さんの言う通りだ。

たとえそんなことで世界を平和にしたところで、それはお姉さんが頑張れる間だけ。

 お姉さんが氏んじゃったらそのあとはまた戦いが始まるかもしれないし、今よりももっとひどいことになってしまうかもしれないんだ。

でも、そんなことを思っていたら、竜娘ちゃんは意外なことを口にした。

「いえ…恐らく、あの方には、二つの紋章は扱えません」

扱えない…?

あの紋章を、お姉さんが使えない、っていうの…?

私はその言葉に耳を疑った。

だってお姉さんは、勇者の紋章を光らせることができるし、両方に光をともせば、ほかの魔法なんて寄せ付けないくらいの力を操れていた。

扱えていたんだ。

732: 2015/09/21(月) 02:19:50.42 ID:E1MQ1mzbo

「信じらんないけど…どうして、そうなんだ?」

十六号さんがそう尋ねると、それに答えたのは十八号ちゃんだった。

「十六姉さん。十三姉さんが師団長に刺されたときのこと、覚えてる?」

「え?あぁ、忘れるほど昔のことじゃないけど…」

十八号ちゃんの質問に、十六号さんが戸惑い気味にそう返事をする。

そんな十六号さんに、十八号ちゃんは言った。

「あの日、私は駆けつけてからずっと十三姉さんに回復魔法と活性魔法を掛け続けてた。でも、回復までに随分時間が必要だった。

 あのときに、おかしいな、ってそう思ったの。今までの十三姉さんなら、同じ傷でもすぐに回復できていた。

 いくら毒を受けていて致命傷に近い傷だったとしても、その傷さえ回復させてあげられればあとは自力で傷をふさぐことだってできたはず。

 でも、あのときはそうじゃなかった。

 体の機能が元に戻るまで、十三姉さんは苦しんでた」

私は、十八号さんの話に、確かにそうかもしれない、と思わざるをえなかった。

だってお姉さん自身が言っていたことだ。

二つの紋章が揃えば、世界を休憩なしに2、3度滅ぼせるくらいの力が出せる、って。

そうでなくても、自然の力を取り込んで操ることができる魔王の紋章と体の力を何倍にもすることのできる勇者の紋章があれば、つまり自然の力を何倍にもして

扱える、ってことだ。

それなら、あんな傷でも、どんな毒でも、平気だって不思議ではない。

十六号さんが言ったように、命を保ち続けることだってできそうなものなのに…

だけどそもそも紋章が合わなければ、いつの日かのサキュバスさんのように言いようもない苦しみに襲われて消耗してしまうはずだ。

お姉さんにそんな様子はない。

 だけど、竜娘ちゃんは静かに続けた。

「まだ可能性の話ですが…そして紋章に関する記述によればあの紋章は、ある一個人…つまり〝古の勇者”様のみに合うようにできている魔法陣だというのです。

 私が目にした古文書が本当なら、魔王の紋章はおろか、勇者の紋章でさえ、合っているのが不思議だと思っています。

 もしかしたら勇者の紋章のほうも、本来の能力を十分に発揮できていない可能性もあるのです。

 魔王の紋章に適合していないにも関わらず副作用が出ないのは、比較的適合している勇者の紋章があの方の身体能力を高めているため。

 それなりに力を発揮できる勇者の紋章のおかげで、魔王の紋章の副作用を強化された身体能力で抑え込めているのではないかと考えています。

 ですが、その場合、魔王の紋章を最大限に使おうとしたとき、副作用に耐えられなくなる可能性があります。

 先日の奇襲のお話を伺った際に、私はその可能性を感じました」

「待ってよ…勇者の紋章も適合していないってのか!?」

さすがに十六号さんが声を荒げた。

それもそうだ。

お姉さんが魔王の紋章の力をちゃんと使えていないんだとしたら…これから起ころうとしている戦いはどうなってしまうんだろう?

もしそうなら…私たちに勝ち目なんてない。

魔王の紋章を使わず、お姉さんと零号ちゃんの勇者の紋章だけじゃ限界があるだろう。

隊長さん達や魔導士さん達が戦ったところで、あまりにも数が違いすぎる。

対応できないくらいの数に取り囲まれでもしたら、あとは一気に押しつぶされてしまう。

733: 2015/09/21(月) 02:20:38.25 ID:E1MQ1mzbo

 でも、それでも竜娘ちゃんは動じずに言った。

「あくまでも可能性です。これからの戦いで…あの方が両方の紋章を扱うことができればそれに越したことはないと思います。

 あの方は、むやみに力を使う方ではありませんから、〝古の勇者”様と同じように神としての力も行使しないでしょう。

 戦いが終わってから、みんなでゆっくり向かう先を考えればいいと思います。

 ですが、もし、紋章が扱えなかった場合…」

「アタシ達は、勝てない…」

「はい、そうなります」

「…なるほど。それが、十三姉ちゃんを守る、ってことなんだな?」

話を理解したのか、十六号ちゃんはそう尋ねる。

「はい」

竜娘ちゃんは短く答えた。
 
 「もしも十三姉ちゃんが戦えなくなったとしたら…か。その可能性があるんなら、備えは必要…だな」

十六号さんはそう言って息を飲んだ。

そう…本当にもしそうなら、そのために備えておかなければ、私たちはみんな殺されてしまいかねない…

「その、備えっていうのは、どうするんです?」

たまりかねたのか、妖精さんが焦った様子でそう声をあげる。

そんな妖精さんの言葉に、みんなも竜娘ちゃんに注目した。

そして、竜娘ちゃんはスゥっと息を吸って、そしてまた静かに言った。

「あの方から魔王の紋章を引き離し、零号さんの勇者の紋章と合わせて、あるべきところへと返します」

あるべき、ところ…?

それってつまり、本来、紋章に適合している誰か、ってことだよね…?

まさか、それって…竜娘ちゃんのこと…?

そういえば、零号ちゃんも魔導協会のオニババも、竜娘ちゃんのことを器の姫、ってそう呼んでいた。

つまり…竜娘ちゃんこそが、本当の紋章の適合者、ってこと…?

「あるべきところに返して…それで、どうするんだ?

 それで、魔導協会とサキュバス族を打ち払うのか?」

十六号さんがそう言って話をさらに先へと促す。

「いいえ」

竜娘ちゃんは、そう答えて一度目を伏せ、そして唇をぎゅっとかみしめて顔をあげ、言った。

 「この世界を、終わらせます」

世界を…終わらせる…?ま、待ってよ、それ、どういうこと!?

「りゅ、竜娘ちゃん!それ、どういう意味!?」

妖精さんが声を大きくして竜娘ちゃんにそう尋ねる。

「世界を失くして、みんなを無にしよう、ってことなのか…?」

あまりのことに、十六号さんも戸惑った様子で聞いた。

でも、竜娘ちゃんは首を横に振る。

「いえ…この世界を、“古の勇者”様が現れる以前の姿に戻すのです」

それ、それってつまり…中央山脈をなくして、誰もが自由に行き来できるようにする、ってそういうこと?

私がそんなことを考えている最中に、竜娘ちゃんはさらに言葉を言い添えた。

734: 2015/09/21(月) 02:21:07.54 ID:E1MQ1mzbo

 「基礎構文を、消滅させます」

基礎構文を、消す…?

え…でも、待ってよ…基礎構文、っていうのは、この世界を、魔法の力を生み出しているようなものなんでしょ?

それが消えたら…世界から魔法の力がなくなっちゃう…

「…魔法にあふれたこの世界を終わらせる…そして、そのあとに残るのは、魔法の力のない新しい世界…」

十六号さんが、つぶやくように言った。

「あるいは、古い世界なのかもしれませんが…魔法を奪いされば、どちらの世界も混乱するでしょう。

 それまでずっと魔法に頼った生活をしてきたのですから。

 きっと世界は荒れます。治安も悪化の一途を辿るでしょう。

 ですが…その中でなら、私はあの方の言葉がどんな人にでも届く可能性があるんじゃないかと、そう思うんです」

「…神様になるか、世界を壊してしまうか…どっちにしたって、姉ちゃんは救われないな…」

竜娘ちゃんの言葉に、十六号さんは引きつった笑顔を見せた。

それもそうだろう。

お姉さんの気持ちを思えば、賛成できるような話ではない。

世界を平和にしようって思っているお姉さんにとって、そんなことが起こってしまったら辛くないはずがない。

「でも、紋章のない魔王様と私たちだけじゃ、勝てない…」

妖精さんが、ポツリと口にする。

そう、その通りなんだ。

これは、賛成するしないの話なんかじゃない。

そうする他に、道がなかったときの話だ。

「望むのと望まぬのとにかかわらず、か…」

十六号さんも、喉の奥に押し込まれたような低い声でそう言った。

 そう、お姉さんが紋章を扱えなかったとき、私たちにできることは少ない。

お姉さんの紋章を魔導協会とサキュバス族に引き渡して全員の命を保証してもらうように頼むとか、

あるいは、お姉さんの紋章が使えなくても戦うのか…

もっと他に、なにかやれることはないだろうか?

熱くなった頭でそう逡巡してみるけれど、いい考えなんて浮かんでこない。

こんなときに浮かんでくるんだったら、もっと前に考えついていたことだろう。

これまでだって、お姉さん達とずっとずっと考えて来たんだ。

世界を平和にするために…戦い以外にできることを、ずっとずっと。

でも結局、その答えは…

「世界を、壊すしかない…」

思わず、私はそう口にしていた。

735: 2015/09/21(月) 02:22:06.48 ID:E1MQ1mzbo

 「はい…あの方や私たちの命をつなぎ留め、なおかつ、平和への可能性を残せる選択だと思っています」

竜娘ちゃんは、沈痛な面持ちでそう言った。

「…魔法を消滅させて、世界を混乱させて…そこでもう一度、ケンカの落としどころを探す、か…

 まぁ確かに…考えつく限りでは一番、先のことが見える話だな…」

そうは言いながらも、十六号さんの顔には苦渋の色に染まっている。

当然私も、強烈に胸が痛んだ。

竜娘ちゃんの話を聞けば、それ以外に方法はないかもしれないって思わざるを得なかった。

お姉さんが苦しんでも、なんでも、私たちが…なによりお姉さんを救うためには、転移魔法で場所を移して

そこで魔法の力を打ち消して世界を混乱させる他にない…

「…難しいけど…わかった。でも、お姉ちゃんの代わりに私が戦うんじゃダメ?私、みんなを守るためなら頑張るよ。

 もし私が氏んじゃっても、みんなが生きててくれれば、そっちのほうがずっといい」

不意に、全身をこわばらせた零号ちゃんがそう言った。

でも、すぐにそんな零号ちゃんの頭を十六号さんがペシッとはたく。

「バカ。アタシはあんたにも、十三姉ちゃんとおんなじくらい氏んでほしくない。アタシだけじゃない、他の連中だってそう思ってる…

 そういうのはもうナシにしたいから、こんだけ悩んでるんだ」

そう言い終えた十六号さんは、その手で零号ちゃんの頭を優しくなでつける。

目にいっぱい涙をためた零号ちゃんは、ギュッと噛みしめた唇をほどいて

「…わかった…」

と答えた。

「お姉ちゃんが私をとめるために私の腕を切ったのと、同じ。助けるためには、痛いことをしなきゃいけないときもある…そうだよね…?」

「うん、そうだ。十三姉ちゃんは苦しむだろうけど…それでも、なんにも見届けないまま氏んじゃうよりはずっといい。

 アタシ達も、十三姉ちゃんには生きててほしい。

 できれば、みんな揃ってそばにいてやりたい。

 そのためには、ちょっと痛い思い、してもらわないといけないけどな…」

十六号さんは優しい口調でそう言い、零号ちゃんを抱きしめた。

十六号さんそうして零号ちゃんを抱きしめながら、落ち着いた声色で

「そうか…内緒、ってのはそういうことで、か。

 そうだよな。世界を壊すほかにやりようがない、って言って、十三姉ちゃんが魔王の紋章を渡してくれるとは思えない。

 騙して引きはがすか…いや、何も言う前にとにかく削いじゃって、それからことの次第を伝えるほうがいい、か…

 十三姉ちゃんが紋章を扱えてない状況になったら、十三姉ちゃんの石頭を説得してる余裕なんてないだろうしな…」

736: 2015/09/21(月) 02:23:15.69 ID:E1MQ1mzbo

「はい、そうなのです…きっとあの方は、それでも、ご自身の扱えうる力を使って何かをなそうとすると思えます。

 でも、今話の中に出て来たように、それは私達の誰かが命を落とすかもしれない、そんな選択です。

 そうでない選択があるのであれば、取るべきではありません」

「魔族や、世界の平和、か…やっぱり重すぎたんだよ、十三姉ちゃんにはさ。あのひと、弱いんだ。弱くってとんでもなく優しいんだからさ。

 いっそ十二兄ちゃんの方が良かったって思うくらいだ。あの人なら、ここまで深刻に悩んだりしなさそうだったのに…」

竜娘ちゃんの言葉を聞いた十六号さんは、零号ちゃんを抱きしめたままに浮かべた涙を、零号ちゃんの髪に、頬擦りと一緒にこすりつけた。

竜娘ちゃんや十六号さんの言う通り、だ…

お姉さんやみんなを助けるためとはいえ、事前にそんな話をお姉さんにしてもなっとくなんてしてくれないだろう。

私が竜娘ちゃんを助けに行くと言い張ったときと同じで、こっちが「もう決めた、やるしかないんだ」って見せつけるまでは、お姉さんは絶対に譲らないだろう。

それがわかっていてもやっぱりどこか胸がきしむ。

黙っているのだって、だましているのと同じだ…でも、そうするのが、きっともしものときにお姉さんやみんなのためになる。

「わかったよ、竜娘ちゃん…」

私は、竜娘ちゃんにそう伝えた。

「あぁ、そうだな…十三姉ちゃんが紋章をうまく扱えなかったら、紋章を力づくで分捕って、竜娘ちゃんに返す。そいつで、世界を終わらせよう」

十六号さんも、静かにそう言い、腕の中の零号ちゃんもコクコクっとうなずいて見せた。

「待ってください!」

そんなとき、急に妖精さんがそう大きな声をあげた。

あんまりにも急だったので、私はビクッと肩を震わせてしまう。

「ど、どうしたの、妖精さん!?」

私が聞くのも無視して、妖精さんは竜娘ちゃんに言った。

「どうして魔法を消すなんてことをしなきゃいけないんですか!

 竜娘さんが紋章を引き継げるのなら、竜娘さんが魔王様に代わって魔導協会とサキュバス族をやっつけられれるですよね!?」

妖精さんの言葉に、私はハッとした。

そう、そうだ…竜娘ちゃんは、紋章をあるべきところに返すと、そう言った。

それなら、その紋章の本当の持ち主が…竜娘ちゃんが戦ってくれれば、魔法を消さなくても…

 そう思って私は竜娘ちゃんを見る。

でも、竜娘ちゃんは少し不思議そうな顔をしてから、何かに思い当たったように首を横に振った。

「確かに私は器の姫と呼ばれ、魔導協会の資質検査ではあの方や零号さんよりも勇者の紋章への適合度は高いと判断されていました。

 ですが、それはあくまでも比較的適しているというだけで、私が勇者の紋章や、ましてや魔王の紋章を真に扱えるわけではありません」

えっ…?ち、違うの…?

竜娘ちゃんが紋章を受け取って…それで、基礎構文を打ち消す、ってことじゃ、ないの…?

私は戸惑ってしまった。

だって、ずっとそういう風に思っていたから。

竜娘ちゃんが魔導協会に捕らわれているってわかって、それがどうしてかってみんなで考えたときから、

竜娘ちゃんは魔族と人間との間の子供だから二つの紋章を引き継げるに違いない、って、そう考えて来たんだ。

でも、私はそのことを思い出して、ふと気が付いてしまった。

それは、私たちがあのときそう思っただけで、誰かがそうだ、と言ったわけじゃなかった。

魔導協会のオニババですら、そんなことは言っていなかった。

魔導協会がお姉さんを狙っていたのは本当だけど、もしかしたらそれは勇者の紋章を狙っていただけなのかもしれない。

737: 2015/09/21(月) 02:24:21.77 ID:E1MQ1mzbo

「私が器の姫、と呼ばれていたのは、勇者の紋章の器であるためだったと思います。

 あの方から勇者の紋章を奪い、私と零号さんとの二人の勇者を使って、魔王の紋章を奪取し、そして魔導協会に保管する。

 そして、その二つの勇者の紋章の力で魔族と人間を掃討し、恐らく私を、半人半魔の私を神に据えるつもりだったのだと思います。

 そこから先は、最初にお話しした通りです。

 人間と魔族の間の子である私が“人ならざる者”となるのなら、人間界も魔界も掌握しやすいと考えたのでしょう」

「そんな…じゃ、じゃぁ、誰です?二つの紋章を返すのは…その人にお願いするです。魔法を消さないでほしいって…だって…だってそんなことをされたら…」

妖精さんはなぜだかすごくおびえた様子で、絞り出すようにしてそういった。

どうして妖精さんが急にこんなになってしまったのか考えていたら、私の視線にトロールさんが映った。

体を小さく戻して、あの石肌のままの姿でいるトロールさんだ。

 そう…いつだかに、妖精さん達は言ってた。

魔族が魔族たるには、魔法の力が必要。

それがなければ、魔族は人間に姿に“戻って”しまうんだ。

妖精さんやトロールさんは、ここにいる人たちと触れ合って、理解して、納得できたから今のように、そのときどきに合わせて姿を変えるようになった。

戦いがあるかもしれなかった基礎構文探しでは、あの小さな体になって全身を石で守るのが必要だったんだろう。

お城にいた妖精さんは、今はお姉さんと同じようなちゃんとした大人の姿に戻っている。

でもそれは二人がここにいたからだ。

魔界に住む他の魔族は違う。

すべての魔法の力を失い、姿まで人間に戻ってしまったら、その衝撃はどれほどになるのか、想像すらできない。

魔界の民を守るんだ、と言ったお姉さんの言葉は、また、果されることはない…

「羽妖精」

そんな妖精さんに、トロールさんが声をかけた。

「オイ達が魔族の姿でいることの理由を、思い出せ。オイ達魔族は、土の民として、田畑を作り高い城を建てるの民と別たれるために、魔族になった。

 オイ達は認めるべきだ。この姿は…人間への憎しみと怒りの象徴だ。お前たちとは違う、我らは自然とともにある土の民である、と。

 森を破壊し、草原を切り開き、畑や水田、果ては山の谷間にかかるほどの建物を造り、自然と我らの生きる糧を奪う人間とは違うという思いで

 オイ達は魔族になったんだ。

 この姿は…オイ達がなによりも一番に戦わなければいけない相手だ。そのためにどうするべきか…オイ達はこの城でたくさんまなんだ」

トロールさんのくぐもった声が、それでも室内にどよんと響く。

その一言で、妖精さんはキュッと噛みしめた唇にさらに歯を立てて、両手で顔を覆って、ひざから崩れ落ちてしまっていた。

 そう、か…基礎構文を消せば、魔族も人間の姿に戻っちゃう。

きっと、魔族の中でもそれを受け入れならない、って部族が出て来たっておかしくはない。

でも、受け入れられなかろうが、基礎構文なしでは魔族は魔族の体を維持できない。

どんなにつらくっても、受け入れる他にないんだ。

「魔族には、その混乱が起こるでしょう。対して人間界では、すべての事物において魔法の使用が前提になっている器具や生活用具が無数にあります。

 それが一気に機能しなくなる、となれば、人々はその日の食事をどう調理したら良いかわからなくなるでしょう…どちらにしても、同じです…」

トロールさんの言葉の言う通り、なのかもしれない。

私は魔族じゃないし、魔族の人たちの体が人間に戻ってしまうことの衝撃は想像する他にない。

そして、どんなに苦しくっても、認めてほしい。受け入れてほしい。

そして、憎しみだけを解き放ってくれるといい…そんなの、過ぎた願いだってわかっているけど、それでも…

トロールさんの言う通り、その姿を捨てるという覚悟は、とっても大事だって思う。

738: 2015/09/21(月) 02:25:20.15 ID:E1MQ1mzbo

 「おい、ちょっと待ってくれ…話戻して悪いけど、アタシも紋章を使えるのは竜娘かと思ってた。

 でも、違うんだよな?それなら、教えてくれよ。紋章は、どのこ誰に返してやるんだ?」

トロールさんの言葉に、全身を震わせ、自分の身を抱きしめてしゃがみこんだ妖精さんをよそに、十六号さんがそんな大事なことを聞いた。

それは、私も聞いておかなきゃいけない。

竜娘ちゃんじゃないのなら…いったい、誰に、私は魔導協会とサキュバス族の討伐を頼めばいいんだろう…?

その人さえ、納得してくれるんなら、私達は魔法を失わずに済みながら、安全を手に入れることができるはずなんだ。

お姉さんが約束した魔界の平和も、そうなってくれればきっと実現できるに違いない。

だから、私も聞かなきゃ。

紋章が誰に手渡されるのか…その人との話次第では、まだ、私たちは選ぶ道を増やせるかもしれないんだ…!

 私はいつの間にか期待のこもった胸を抱いて、十六号さんと同じように竜娘ちゃんを見やった。

すると竜娘ちゃんは、懐から古びた私の持っているのと同じくらいの長さのダガーを一本、取り出して見せた。

「そのことについては、私も考えていませんでした…少し、相談してみる必要があるかもしれませんね…」

 誰もが、ダガーを取り出してそんなことを言った竜娘ちゃんに怪訝な表情を浮かべる。

そのダガーはとても上等そうには見えないし…

本当にボロボロで、古いなんてものじゃない。

あちこち朽ちているし、まるで、古いお城の跡から掘り出したような代物だ。

「零号さん、紋章を貸していただけますか…?」

竜娘ちゃんは、十六号さんの腕の中にいた零号ちゃんにそう声をかけた。

零号ちゃんは首だけグイっと竜娘ちゃんの方に向けて

「紋章を…そのダガーに…?」

と聞き返す。

「はい」

竜娘ちゃんが短く答えた。

 すると零号ちゃんは十六号さんの腕からするりと抜けて出て来て、それでも十六号さんの手をしっかりと握ったまま二人で一緒に立ち上がって、

竜娘ちゃんの下へと歩いた。

 竜娘ちゃんの前に立った零号ちゃんはふわりとダガーに右手をかざす。

零号ちゃんの右腕にあった勇者の紋章が光り輝き、その光がダガーへとまとわりついていく。

やがて零号ちゃんの腕の紋章の光が弱まり、紋章自体がうっすらと消え始めた。

同時に、ダガーの刃に勇者の紋章が青い光とともに姿を現し始める。

そして、竜娘ちゃんの紋章が完全にダガーの刃へと移動したとき、

私達はまぶしい真っ青な光の中に飲み込まれてしまっていた。

739: 2015/09/21(月) 02:25:57.06 ID:E1MQ1mzbo




 「い、今…なんて言った…?」

お姉さんは、言葉に詰まりながらもかろうじてそう口にした。

「この世界を、“古の勇者”様が作り変える前の姿に戻すと、そう言いました。

 魔法も、魔族と人間との区別のない、あるべき姿へと戻します」

「そんなことしてなんになる!?そんなことしたら、世界が…魔界のやつらが!魔族が魔族でいられなくなるんだぞ!?」

竜娘ちゃんに、お姉さんは叫んだ。でも、竜娘ちゃんは顔色一つ変えずに言った。

「魔族という存在もまた、不自然なのです。魔法と同じように、世界にあるべき姿ではありません」

竜娘ちゃんの言葉に、お姉さんの表情が歪んだ。

怒りとも悲しみとも取れないけれど、とにかく激しい感情に揺さぶられている表情だ。

「なんでだよ…?あんたが迫害されたからか…?魔族に魔族と受け入れてもらえなかったから…魔界からあんたを追い出したから、その仕返しでもしようっていうのか!?」

お姉さんは、必氏だ。

そうでもなければ、こんなことを言ったりなんかしない。

竜娘ちゃんが傷つくかもしれない、ひどい言葉だって、私は感じた。

「いいえ、そんなんじゃありません」

でもそんなお姉さんの言葉に、竜娘ちゃんは、笑った。

「私には、力がありません」

「…?」

「勇者の紋章は受け継ぐことができるらしいですが、それを手にしたこともなければ、満足に魔法を使えたこともないのです。

 ですが…いえ、だからこそ、考えてきました。

 特別な力もなく、世界を背負うことができない私は、本を読み、あの人に…魔王様に学び、そして平和とはなんなのかをずっと考えてきました。

 勇者や魔王…そんな大きな力に頼らずにたくさんの人達が紡ぎだせる平和を。
 
 それがあの石碑と基礎構文を読んだことで、ようやくまとまった…というのが、今の私の気持ちです」

竜娘ちゃんは、まるで詩でもそらんじるように、とめどなく先を続ける。

「そもそも、勇者様という存在に平和を託すことそれ自体が大きな過ちだと、私は思います。

 この世界は、勇者様の所有物でもなければ、勇者様が支配し舵を取っているわけではありません。

 この世界に暮らすのは、一人では世界を変えることのできない、私のように力のない者達です。

 ですが、力がないからと言って何もせずにすべてを勇者様に託し、押し付け、自分たちは何事もないように暮らしていくことが正しいとは

 私には思えません。

 ここにいる皆さんは、あなたがそのことでどれだけ傷つき、どれだけ苦しんだかをよくご存知のはずです。

 世界は、一人一人の存在があって作られているのです。

 一人一人が苦しみ、悩み、ときに傷ついて、それでも平和であろうとする努力をしていく必要があります。

 これまで、あなた一人が平和のためにしてきたように」

竜娘ちゃんは、そこまで言うと傍らにいた零号ちゃんを見やって頷く。

零号ちゃんも頷き返して、腰に提げていた革袋から、あの古びたダガーを取り出した。

そんな様子を気にも留めずに、お姉さんは竜娘ちゃんに叫ぶ。

740: 2015/09/21(月) 02:26:44.44 ID:E1MQ1mzbo

「そうかもしれない…そうかもしれないけど、だけど…!あたしは勇者なんだ!勇者で、先代に魔王の名と役割を頼まれたんだ!

 約束したんだ…あいつは命を懸けて魔族を守ったんだ!それをあたしは受け継いだ!だから、あたしも魔族を守ってやんなきゃならないんだよ!

 だから、頼む…その紋章、返してくれ!

 さっきのは何かの間違えだ!

 今度は大丈夫に決まってる…あたしは、魔王の紋章だって使えるはずだ!」

お姉さんは竜娘ちゃんを睨み付けているんじゃないかって思うほどに強くて鋭い眼差しを向けている。

でも、そんなお姉さんに声をかけたのは、零号ちゃんだった。

「お姉ちゃん…」

「零号、頼む。あんたならわかるだろう?あたしは戦わなきゃいけないんだ。魔族と人間と、それからあんた達全員を守るために!」

泣きじゃくるでも、しゃくりあげるでもなく、ただただポロポロと涙を流している零号ちゃんに、お姉さんは言った。

でも、それを聞いた零号ちゃんは、ギュッと目をつむって、まるで辛い気持ちをこらえるかのようにして、お姉さんに聞いた。

「じゃぁ、私が試しても、いい?」

「…えっ…」

零号ちゃんの言葉に、お姉さんは固まった。

「私の体は、お姉ちゃんと同じだから…お姉ちゃんに使えるんなら、私にも使える。

 お姉ちゃんが使えないんなら、私もさっきのお姉ちゃんみたいに苦しくなるでしょ…?」

「だっ…ダメだ!」

「…どうして…?」

「そ、それは…」

零号ちゃんの問いかけに、お姉さんは黙る他になかった。

お姉さん自身にも、きっとわかっていたんだ。

もう一度紋章を体に戻したところで、力を出せっこない、ってことが。

それどころか、お姉さんが零号ちゃんに味わわせたくないって思うほどに苦しむことになるんだ、ってことが。

 また、部屋の中が静まり返った。お城の外からの怒号や鬨の声が、返って静けさを際立たせる。

お姉さんはがっくりとうなだれ、そして、零号ちゃんは涙をぬぐっている。

そんな中で、竜娘ちゃんだけは、引き締まった表情のままでいた。

「この場を切り抜けるためにも、他に方法がありません」

竜娘ちゃんは、端的に言った。

世界のこととか、平和のこととかじゃない。

現実的に、何か手を打たなければいずれ私たちはここで追い込まれて、そのあとはどうなるかわからない。

でも、それを聞いてもお姉さんは折れなかった。

引きつった表情で、それでも顔をあげて竜娘ちゃんを見やると

「それも、なんとかする。これまでだって、どんなヤバいときでもなんとかしてきた。今回も、きっとあたしが切り抜けてみせる」

と、表情とは裏腹に、声を張って言った。

さすがに、それには竜娘ちゃんの表情が曇る。

741: 2015/09/21(月) 02:27:15.03 ID:E1MQ1mzbo

 無理だよ、竜娘ちゃん。

私は心の中で思っていた。

説得して、納得してもらってから進めようって思っているのはわかるけど、お姉さんはそんなんじゃ絶対に譲らない。

こうと決めたら、絶対にそれを貫く人なんだ。

それがどんなに辛くても、苦しくても…お姉さんは、そんなことには負けない。

負けないで、傷だらけで、それでも立ち上がって前に進むような人なんだ。

だから私はお姉さんのそばにいてあげたい。

その苦しみを少しでも和らげてあげられるように、その傷を少しでも癒してあげられるように…

それは、これから先もずっとずっと変わらないことだ。

 だから、お姉さん…ごめんね。

今は、もうやるしかないんだよ…

「零号ちゃん」

私はそう心を決めて零号ちゃんに呼びかけた。

零号ちゃんは、ビクッと肩を震わせて私を見る。

零号ちゃんは、おびえていた。

もしかしたら、勝手なことをしたらお姉さんに嫌われちゃうとか、そんなことを思っているのかもしれない。

それは…零号ちゃんにとってはやっぱり怖いことなんだよね。

でも、大丈夫だよ。

お姉さんはこんなことで嫌いになったりしない。

あとになればきっと分かってくれる…

「零号ちゃん。“助けるためには、痛いことをしなきゃいけないときもある”よ」

私はあの日零号ちゃんが言った言葉をなぞった。

すると零号ちゃんは私の思いを受け取ってくれたのか、また胸が詰まったような表情を見せてから両手でダガーをギュっと握った。

 あの日のように、零号ちゃんの勇者の紋章が青く輝いて、そしてその光がダガーへと移っていく。

「な、何する気だ…!?」

お姉さんが戸惑って誰となしにそう声をあげる。

「基礎構文から世界を解き放つために、紋章を、あるべきところに返すのです」

竜娘ちゃんは、静かにそう言って零号ちゃんを見つめた。

 青い光がまるで泉から水が湧き出るようにダガーから噴き出し、そして、零号ちゃんの紋章がダガーに移り切ったとき、

あの、目を開けていられないくらいのまぶしい光がほとばしった。

 こうなるのは分かっていたけれど、それでも目を瞑らずにはいられないくらいだ。

やがて、その光が収まる。

そして、そこには、ダガーを手にした零号ちゃんと、もう一人。

あの日見た、お姉さんと同じ暗い色のもしゃもしゃの髪を無造作に後ろで束ねた大人の女の人が立っていた。

年齢はお姉さんよりも少し上くらい。サキュバスさんと同じくらいだろう。

髪の色なんかもそうだけど、目元もどことなく、お姉さんに似ている気がする。

 お姉さんもサキュバスさんも魔導士さんも兵長さんも、目を見開いてその女の人をただただ見つめていた。

何が起こったのか分からなかったんだろう。

私も最初はただただ驚いて、おんなじように唖然とするほかになかったし、驚くのも無理はない。

742: 2015/09/21(月) 02:27:55.72 ID:E1MQ1mzbo

 そんな視線を浴びながら、女の人はあたりをぐるりと見まわして竜娘ちゃんに目を留めると

「話はついた?」

と尋ねた。竜娘ちゃんは、力なく首を横に振る。

すると女の人は、ふん、と鼻で大きく息を吐いて

「そう…か。まったく、血は争えないっていうかなんて言うか…」

なんて言いながら床にペタンと座り込んでいたお姉さんの前に歩み出ると、お姉さんの前髪をクシャっと撫でた。

「でも、あの子達に話は聞いてる。すまなかったな…」

そう言った彼女の手をお姉さんはハッとして振り払った。

と、次の瞬間には後ろに飛びのいて腰に提げていた剣を引き抜く。

「な、なんだあんたは!?零号から紋章を奪ったのか…!?」

お姉さんは彼女にそう叫んだ。

確かに、彼女の腕にはさっきまで零号ちゃんの腕にあった勇者の紋章が輝いている。

 お姉さんは敵意に表情をゆがめて、剣の切っ先を彼女に向けて構えた。

お姉さんの腕にも勇者の紋章が輝き始める。

「待ってください」

不意に、そう声がしたと思ったら、お姉さんと彼女の間に竜娘ちゃんが割って入った。

竜娘ちゃんに剣を向けるわけにはいかないお姉さんは、しぶしぶと言った様子で距離を取り、それでも彼女をジッと睨み付けている。

「彼女が、紋章の本来の持ち主なのです」

竜娘ちゃんが言った。

でも、その言葉の意味はあまり伝わらなかったようで、お姉さんはなおも鋭い目で

「零号の紋章は、元の持ち主がいたってことか…?何モンなんだ、あんたは…!?この紋章に適合できるってことは…魔導協会の差し金か?!」

と言葉を投げるつける。

 そうだろうと思う。

私だって最初は信じられなかったんだから。

いくら、“自分の身を”時間の外の世界に封じ込めていたからって、まさか、こんなに若い人が出てくるだなんて思わなかった。

「いいえ、違うのです…この方は…」

お姉さんの言葉に、竜娘ちゃんはそう言って最後は言葉を切り、

みんなの表情をひとつずつ見やってから、はっきりとした口調で、彼女のことを呼ばわった。

「この方が…二つの紋章を操りかつて世界を二つに分かった伝説の人。“古の勇者”様です」

749: 2015/09/23(水) 03:04:18.00 ID:tM0RhUd4o




 あの日、零号ちゃんの紋章がダガーに移ったあとの部屋を埋め尽くすほどの青い光が収まったとき、私が目にしたのは、裸姿の女の人だった。

彼女は、ぐったりと床に倒れこんでいて、ランプの暗がりでは息をしているのかどうかも分からなかった。

 でも、そんなことを気にしている心の余裕は、私達にはあるはずもない。

まるで光の中からあふれ出てくるように、この女の人は現れた。

今のは、転移魔法なんかじゃない。

こんな魔法は、見たことがない。

 この人は、誰…?

いったい、どこから出てきたの…?

私は、そう思ってふと、零号ちゃんが手にしていたダガーを見やった。

そこには、勇者の紋章が、まるでお姉さんや零号ちゃんが扱っているときのように、煌々と短い刃に輝いている。

それはまるで、ダガーが意志を持って勇者の紋章を光らせているような、そんな風に私には見えた。

 「お、お、おい…」

十六号さんが誰となしに、詰まりながら口を開く。

「誰か、あれ、毛布…毛布だ」

「は、はいです!」

十六号さんの言葉を聞いて妖精さんが気を持ち直し、そう返事をしてベッドから毛布を引っ張ってきて女の人に掛けてあげた。

そんな様子を見ながら、十六号さんは竜娘ちゃんにどうにか、と言った様子で尋ねる。

「な…こ、こ、これ、誰…?」

すると、それを聞いた竜娘ちゃんも、どこか不安げな表情で答えた。

「恐らく…この方が“古の勇者”様、です」

「い、いにしえの…」

「勇者…?」

「この人が!?」

十六号さんと十七号くん、そして妖精さんがとぎれとぎれに驚きの声を口にした。

声を出せるだけ良い。

私なんて、のどがつっかえちゃって言葉らしい言葉は何一つ出てこない。

 「はい…古文書によれば、大陸を二つに分けた後、“古の勇者”様は、この短剣に身を封じたと書かれていました。

 封を解くには、二つの紋章をそろえなければならないと…そう書いてあったのですが…」

竜娘ちゃんも戸惑った様子でそう言い、そして女の人…勇者様を見やった。

「零号の紋章だけで、解けちゃったみたいだけど…」

「魔力の感じがする…もしかしたら、実態ではないのかもしれない」

「なんだよそれ…?ゴーレムとか、そんなのの類か?」

「分からない…こんな奇妙な感じの魔力は初めてで…」

こうなることが分かっていたのかどうか、十八号ちゃんも戸惑いを隠せない様子だ。
 

763: 2015/09/23(水) 03:31:02.00 ID:tM0RhUd4o


 そんなとき、床に倒れこんでいた勇者様が、突然バチっと目を開けた。

「お、お、お、おい、あんた!大丈夫か…?っていうか、何モンなんだ…?」

それに気づいた十六号さんが、すかさずそう勇者様に聞く。

すると勇者様は部屋をぐるりと見まわしてから、パクパク、っと口を動かして、何かに驚いたような表情を見せた。

「しゃべれないのか…?」

「いいえ、十四兄さん。待って…」

何かをやりかけた十四号さんを十八号ちゃんが制して、勇者様に視線を戻す。

十八号ちゃんだけじゃない、みんなの視線を浴びながら、勇者様は何度か息を吸い込むと

「あー…うー…んー…」

と、まるで喉の調子を確かめるみたいに鳴らして、それから改まった様子で顔をあげて私達一人一人を見やった。



 

750: 2015/09/23(水) 03:05:55.32 ID:tM0RhUd4o

 「ずいぶんと幼い子達に呼び戻してもらえたようですね」

勇者様はそう言って、どこかで見たことのある…そう、お姉さんがうれしいときの笑顔とそっくりな表情を見せてそう言った。

「こっちの言葉は、ちゃんと聞こえてる?」

「はい、大丈夫。聞こえていますし、理解もできています」

勇者様は、十六号さんにそう返事をして、それからややあって突然私達に向かって頭を垂れた。

「呼び戻していただけて感謝します。ところで、性急で申し訳ありませんが、今は開歴何年ですか?あぁ、開歴という年号はまだ使われているのでしょうか?」

勇者様はそう言って、私達一人一人の顔を覗き込むようにして見つめてくる。そんな勇者様に、十四号さんは言った。

「現在は国歴と改められていますが、開歴に計算し直すと…およそ開歴180年くらいだと思います」

「180年…随分時が流れてしまっているのですね。でみは、この時代では、土の民と造の民達はどうなっているのでしょうか?

「ついこないだまで戦争をしてたよ…いや、もしあんたが“古の勇者”だっていうんなら、あんたが世界を分けたそのときから、戦争が何度となく起こってる」

そう言った十六号さんは、どこか憎らし気な顔をしている。まるで、勇者様のせいだ、とでも言いたそうだ。

確かにそう考えてしまうところもある。でも、戦いならそのさらに前から続いていたんだ。それこそ、世界を分けなきゃいけなくなるほどに。

「戦いがやまなかったのですか?」

勇者様は十六号さんの言葉を聞いて、表情を変えずにそう言った。それを見て、私はなんだか奇妙な感覚を覚える。

そう、なんて言うか…人間と話しているんじゃないって感じるような、そんな感覚だ。

 同じことを十六号さんも感じたらしい。さっき以上に敵意をみなぎらせた十六号さんは

「よくそんなのんきに言えるな!」

と声を荒げる。

 でも、それを再び十八号ちゃんが押し留めた。

「待って、十六姉さん」

十八号ちゃんはそう言うと、勇者様に聞いた。

「あなたのその姿は、魔法か何かですか?」

すると勇者様はやっぱり顔色を変えずに

「その通りです。抑揚がないのはご容赦ください。まだうまく制御が出来ていません。まだ寝起きですので」

と答える。

 「寝起きだぁ?」

十六号さんは、やっぱり気に入らないのかそう言葉を返す。すると今度は十四号さんが

「落ち着け、十六号。もし本当にそのダガーに自分を封印してたって言うなら、開歴って年号が使われだした前後の出来事だ。

 開歴自体が世界が分かれたときに始まった年号のはずだったから、かれこれ180年近く眠り続けてたってことになる」

と割って入った。それを聞いた十六号さんは、納得はしていないみたいだったけどそれ以上突っかかっても意味がなさそうだってことは分かったらしく、

「気に入らないな、まったく…」

と悪態をつきつつ、それでも何とか矛を収めて

「それで…何がどうなってるんだ?」

と勇者様に尋ね直す。

「はい。本来なら二つの紋章がなければ私は封じられたまま。ですが、増幅の理の紋章を戻していただけたことで、短剣の中で意思だけは覚醒している状態です。

 そしてその意思と増幅の理を用いて光と風を操り、この姿を顕現させています。故に、こに体は虚像に他なりません」

「ふぅん…いまいち信用出来ないな…」

勇者様の返答に十六号さんはそう答えた。
  

751: 2015/09/23(水) 03:07:08.29 ID:tM0RhUd4o

 すると突然、勇者様がガクッとその場に膝から崩れ落ちる。あまりに突然で、私は思わず

「わっ」

と小さな声を上げてしまっていた。

 でも程なくして、勇者様は再びゆっくりと立ち上がった。そして、今まで無表情だった顔を、一目見てわかるほどに申し訳なさいっぱいの表情に変えて

「ふぅ…うまく出来てる…かな?意識をこっちに反映させて見てる。確かに、人形まがいのままに話だなんて失礼だった。

 ただこれ、長い時間は持たないだろうと思う…でも今はこれで許して欲しい」

と言い、十六号さんに目礼した。

 あまりの急激な変化に、今度は十六号さんが

「あ、あぁ、うん…」

と戸惑いを隠しきれない様子で返事をした。

 それを見た勇者様は、それからみんなを見回して再度頭を垂れ、

「君たちも、申し訳なかった」

と謝る。

 私は、そんな様子にハッとした。なんだかその仕草がお姉さんによく似ていて、まるでお姉さんに謝られたように感じたからだった。

 零号ちゃんもそれを感じたらしく、ふとした様子で

「お、お姉…ちゃん…?」

と言葉を漏らした。するとすぐに勇者様がその言葉に反応する。

「ん…?君は…」

そう言いながら勇者様は足音もさせずに零号ちゃんに近づくと、その額にそっと手を置いた。

フワリと微かな風のようなものを感じたと思ったら、勇者様の全身が微かな青い光を纏う。

 零号ちゃんは、そんな勇者様にされるていることを、何事もなく受け入れていた。

 やがて零号ちゃんから手を離した勇者様は、その両腕で零号ちゃんを抱きしめた。

「わぷっ」

「驚いた…遠い子孫が居てくれただなんて…」

し、し、子孫…?零号ちゃんが…?

で、でも待って…零号ちゃんは、お姉さんの体から取り出された肉体の一部から生まれた存在だから…

その、つまり零号ちゃんがそうだって言うことは、お姉さんが、古の勇者様の子孫、ってことになるの…?

 「あの、わ、わ、私は…」

腕にだかれていた零号ちゃんがそんなふうに慌てて、自分の生い立ちと成り立ちを説明した。

すると、勇者様は、零号ちゃんから体を離し、深いため息とともに、お姉さんや十六号さんがするように、零号ちゃんの頭を撫でた。

「そう…じゃあ、君もそうだけど、君の体の元となったって子が私の妹の孫の孫の孫…くらいに当たるんだろうな…」

零号ちゃんを愛おしむようにして撫で付ける勇者様は、どこか切な気な表情だ。

 もし十四号さんが言うように180年もの間眠り続けていたんだとしたら…妹さんって言う人は、きっと遠い昔に氏んでしまっているんだろう。

零号ちゃんに手を当てただけで彼女が妹さんの子孫だってことが分かるっていうのもなんだか不思議だけど…

でも、なぜだか、勇者様にはそんなことが出来ても納得してしまうような雰囲気があった。

 そんなことを思っていたら、勇者様は不意に顔を上げて私達の間に目配せをしながら

「それで…あたしの封印を半分解いてくれた理由を聞かせてくれないか?」

改まって言った。
 

752: 2015/09/23(水) 03:07:43.55 ID:tM0RhUd4o

 そう、そうだった。いけない、あまりのことに驚いて、大事なことをすっか忘れてしまっていた。私は、気を取り直して竜娘ちゃんを見やる。

竜娘ちゃんも私を見てコクっと頷くと、世界に今起こっていることを事細かに説明し始めた。

 勇者様は竜娘ちゃんの話を、まるで胸が避けてしまうんじゃないかっていうくらいに辛そうな表情で聞き、

「…これが、この大陸にこれまで起こったこと、そして今起こっていることの全てです」

と竜娘ちゃんが話を締めると、しばらくの間、その場で見動きせずに固まってしまった。

 あの謝罪文だという古文書にあった通りなら、勇者様は当時、他にすべもなく、世界を二つに分けて争いを止め、

二つの民の間に満ちた怒りや憎しみを拭うための方法を探す時間を作ろうとしたんだ。

勇者様は根本的な解決にはならなくても、二つの民が持つ憎しみや怒りを取り払うことは出来なくても、大きな戦いは一旦避けられると、そう考えていたんだろう。

 でも、現実はそうは行かなかった。争いを止めるために「管理者」と言う人達の手によって作られた基礎構文によって、世界には魔法があふれた。

そしてその魔法は、分け隔てたはずの世界を簡単に越え、戦いが繰り返されたんだ。

さらには繰り返される戦いで拭おうとした怒りや憎しみが、さらに深まってしまった…

 私はそのときになって、ふと、基礎構文とは何か、って話のことを思い出していた。

基礎構文はサキュバス族には“世界を世界たらしめている”ものとして話が伝わっていて…

そして、魔導協会のオニババが竜娘ちゃんに言ったのは“争いを促した忌むべきもの”…

 二つの言い伝えは、まさしく基礎構文がもたらしたものを確かに示していた。

そしてそれは、古の勇者様が想像した以上に、この世界に悪い作用をもたらしてしまっていたんだ…

 勇者様はしずんだ表情でしばらく黙り込んでいた。

しばらくして、勇者様は重々しくその口を開く。

「戦いを避けることはできないと、そうは思ってた。でも、まさか“円環の理”のせいで、そんなにも悲惨に戦いが続いていただなんて…」

勇者様はケンカの落としどころを間違えたんじゃないか、って、ついさっきまで十六号さんと話をしていたけど、それも少し違ったようだった。

竜娘ちゃんが教えてくれた謝罪文にもあったし、勇者様が言ったように、そのことは勇者様の想定内だったんだ。

魔族と人間との世界に分けて、解決はできなくても一旦は争いを回避できるとそう思ったんだろう。

勇者様はその場にひざまずいたまま、頭を抱えるようにして深いため息をついた。

でも、それからすぐに顔をあげた勇者様は、食い入るように私達を見つめて

「それで…あたしを呼び出してくれたのは、どうしてなんだ?」

と聞いてくる。

それに答えたのは、竜娘ちゃんだった。

「今ここには、勇者の紋章と魔王の紋章が揃っています。ですが、神代の民…勇者様が書き残したところの『管理者』達の末裔一派がそれを狙っています。

 神代の民の末裔は人間と魔族の連合軍を率いて、近日中にもこの城へ迫ってくるでしょう。

 私たちは戦うつもりですが…勝敗はどうなるか分かりません。いえ、今、二つの紋章を持っている方の意志に従えば、勝ってはいけない戦いです。

 もし私たちが敵わないと突き付けられたとき、私達には生き残るための方法が必要なのです。

 そのために、勇者様をここへお呼びいたしました」

「そう…ユウシャとかマオウとかマゾクとか…分からない言葉も多いけど、

 とにかくこれから、二つの紋章が揃ったここに、土の民と造の民が手を携えて攻め込んでくるってことだな?」

勇者様はそういうとほんの少しだけ口元をゆがめた。

みんなにはどう映ったか分からなかったけれど…私にはそれが、かすかな笑みのように見えていた。
 

753: 2015/09/23(水) 03:07:59.11 ID:tM0RhUd4o

「はい…皮肉ながら、二つの紋章を持っている、その…勇者様の子孫にある方は、この時代で一時は人間軍を率いて魔界へと攻め入った先鋒でしたが、

 戦いのあとは、二つの民の融和を願って尽力されてきました。

 ですが、勇者様がいらっしゃった時代に『管理者』達がしたように、今この時代でも、その末裔たちが人ならざる者を求めて暗躍しています。

 結果的に、私達と『管理者』の末裔は反目し合っている状態です。」

「そうか…そのあたしの子孫ってのは、あたし以上の苦しみを背負わされてるんだな…」

竜娘ちゃんの言葉に、勇者様は再び表情を曇らせて悲しみを浮かべる。

そんな勇者様に、竜娘ちゃんは続けた。

「いくつか伺いたいことがあり、そしてその内容次第では、勇者様にお願いしたい儀がございます」

それを聞いた勇者様は顔をあげ、そして悲しげな表情をなんとか引き締め返事をした。

「うん、わかった。すべてはあたしの責任だ。どんなことでも聞いてくれていい。知っている限り答えるし、頼み事っていうのもできる限り意に沿うようにしよう」

でも、その目にはやっぱり、言い知れぬ悲しみが満ちているように、私には思えてならなかった。




 

754: 2015/09/23(水) 03:08:35.41 ID:tM0RhUd4o





「い、いにしえの、勇者…?」

「その女が、そうだっていうのか…?」

「そんなことが…ありえるのですか…!?」

 その瞬間、部屋が凍り付いたように感じたのは、私だけじゃなかったはずだ。

サキュバスさんに魔導士さん、そして兵長さんがそれぞれ信じられない、って顔をしてそうつぶやく。

だけどそれを聞いた勇者様は、

「二つの紋章を使ってね。時間の流れの外にこの体を封印してた」

なんて、初めて私達が会ったときとは違って、随分と軽い調子でそう言い、右腕に浮かんだ勇者の紋章を掲げて見せた。

それから小首をかしげて

「もっとも、その“ユウシャ”って呼び名、しっくりこないんだけどさ」

と苦笑いを浮かべる。

 そんな様子に、三人とお姉さんは言葉を継げなかった。

何を言ったらいいかわからなくなるのも当然だろう。

 だって、目の前にいるのはこの大陸に伝わる伝承の登場人物なんだ。

生きていること自体がそもそも信じられないだろうし、そのうえ、何にもないときのお姉さん以上に奔放な感じがする。

もうずっとずっと昔の人のはずなのに、まるで本当にちょっとお昼寝をしてた、くらいの気軽さだ。

 「あんたが…古の勇者…?」

不意に、お姉さんが何とか口を動かして、そう勇者様に聞いた。

「今はそう呼ばれてるんだってね。うん、そう。あの高い山を作った張本人。たぶん、あなたの遠い先祖の、その姉さんだよ」

勇者様は、そう言って屈託なく笑い、それから

「ついこないだ、このおチビちゃんに紋章を返してもらえてね。それで、ようやく戻ってこれたんだ」

と、おびえた表情の零号ちゃんにかぶりを振って言った。

「あ、あいつらの魔法陣は…あんたが…?」

そんな勇者様に、お姉さんは声を震わせながらそう聞く。

「そう。もしものときのために描いておいたんだ。この紋章ほどじゃないけど、それなりに強い効果が見込めるからね」

勇者様は、肩をすくめてさらりと答えた。

 そう、あの日の夜に私たちは勇者様に魔法陣を描いてもらった。

それは勇者の紋章によく似ていて、勇者の紋章と同じように青く光る魔法陣だ。

基礎構文のことを話す前に、お姉さんの説得がうまくいかなかったときのために、お姉さんから魔王の紋章をはぎ取る必要があった。

そうしようと思えば、魔導士さんやサキュバスさんがそれを防ごうとするのも想像できる。

私達には、少なくともお姉さんを含めた三人を取り押さえられるだけの力を、勇者様の紋章に与えられていた。

そうでもなければ、私が魔導士さんの動きを抑えるために力を貸せるほどの魔法を扱えるはずがない。

このために、あの夜から私達はずっと長袖を着て過ごしていた。

暑い日も、日焼け防止を理由にして、長袖を着続けた。

腕に浮かぶこの魔法陣が見つからないように…
 

755: 2015/09/23(水) 03:09:20.27 ID:tM0RhUd4o

 「そ、それで、自分を封印してたって…?いったい、なんのために…?」

お姉さんは、剣を握りしめたままにさらにそう尋ねる。

「長い話になるけどね…伝わってる話だと、土の民と造の民との長い戦いがあった、ってのは知ってるよね?

 それを治めるために、“円環の理”を使って力場を作って、この紋章は生まれた。

 “円環の理”ってのは基礎構文っていうとチビちゃんは言ってたな。

 あぁ、それはまぁともかく、紋章の力があったって争いが止められるってわけじゃなかった。

 作り出した連中には、力づくで平和にしろだなんて言われて…まぁ、早い話が秩序そのものになれ、と言われたんだけど、

 そんなことが正しいとも思わなかった。

 結局あたしは答えを見つけられないまま、ただ二つ民を分けた。

 それじゃあ、根本的な解決にはならないだろう、って分かってたけどね…それ以上、血が流れるのを見てられなかったから。

 その代わりに、あたしはあたし自身を封印した。

 戒めの意味もあったし、封印された遠い感覚の中でも少しは考えることだってできた。

 あたしはそこで答えを探してた。 

 もし、民の側が答えを見つけられたのなら世界をもとに戻すつもりでいたから、二つの紋章をそれぞれに分けさせて管理するように言ったんだ。

 二つに分けた世界をもとに戻すためには両者が手を取り合って紋章を持ち寄らなきゃいけない…そんな風に考えたんだけど…

 結局、あたしのしたことは、戦いを回避させるどころかもっと大きな泥沼にさせちゃったみたいだ」

そういうと、勇者様は肩を落とした。

「だから、すまなかった…あなた達とこの大陸を苦しめたのは、他でもないこのあたしだ」

勇者様はそう言うと、お姉さんの前にひざまずいた。

「償いはなんでもしよう…罰を受けろというのなら甘んじて受けよう。

 でもその前に、あんた達の役に立たせてくれないか…?

 氏ぬにしても、このまま世界をほったらかして逝ったんじゃ、氏にきれない」

そして、顔をあげた勇者様は、お姉さんの目をまっすぐに見つめた。

その目をあの日私が見た勇者様の瞳だった。

そしてそれは、お姉さんと同じ目でもあった。

あの、悲しい顔をして笑うときにいつも見せる、苦しみと傷つく痛みにおびえる瞳だ。

 お姉さんは、それを聞いてしばらく黙っていた。

それまでの驚きと戸惑いの表情を浮かべていたお姉さんは、まるで今の話を何度も頭の中で整理しているような、そんな風に見えた。

そして、それがお姉さんの中で理解されてきたんだろう、やがてその表情が、泣き出しそうに歪み始める。

「それじゃぁ、あんたなら…二つの紋章を使うこともできるんだな…?」

お姉さんは、静かに、私が見ても分かるくらいに、心を落ち着けようとしながら勇者様に聞いた。

剣の切っ先が、かすかに震えている。

「うん」

そんな短い返事を聞いたお姉さんは、握りしめていた剣を震わせ、そして、ガチャリと床に取り落とした。

それを拾うでもなくお姉さんは床に崩れ落ちて、ついには全身を震わせはじめる。
 

756: 2015/09/23(水) 03:10:38.73 ID:tM0RhUd4o

「本当なんだったら…頼む…魔族を…土の民ってやつらを救うために、あたしが言うやつらを頃してきてくれないか…?

 二つの紋章を使えるんなら、それができるはずだ。

 頼むよ…あたし、約束したんだ。

 魔族を、魔界を、平和にするって…基礎構文を消したら、魔族が魔族でいられなくなるんだ。

 そんなの、あんまりだろ…?」

お姉さんは、床に這いつくばりながらそう勇者様に頼んだ。

懇願って言った方がいいのかもしれない。

そこにはいつものお姉さんの凛々しさも不敵さもない。

ただただ魔族を救いたいだけの、ただの人間の女の人の姿だった。

 でも、そんなお姉さんに、勇者様は言った。

「それで、何が変わるわけでもないよ」

その言葉に、お姉さんがビクっと体を震わせて顔をあげる。

その両頬は、大粒の涙でいっぱいにぬれていた。

「頃してしまったら、結局のところ何にもならない。一人や二人じゃないんだろう?

 大勢を殺せば、それだけでこの力は恐怖の対象になる。誰かがその惨劇を語り継ぎ、この力は神になる。

 あとは誰かがそれをあがめ始めれば、すべてが決まっちゃうよ。

 そしたら、やつらの思うツボだ。

 もしかしたら、そうさせるためにこんな軍勢をけしかけているのかもしれない。

 不安や恐怖で作られた秩序の下に生きるのは、平和とは言わない。

 あなただってそう思っていたはずだろ。そしてそれとは違う方法をずっと考え続けて来たはずだ。

 ここへきて、それを手放さないでほしい」

勇者様はそう言って、お姉さんの頬の涙をぬぐった。

「“円環の理”…基礎構文は、この世界に恐怖と怒りをのさばらせてしまった。その結果が今だ。

 あのチビちゃんがやったように、多少の痛みを伴っても消し去らなきゃいけない」

だけど、お姉さんの涙はあとからあとからあふれ出てきて止まらない。

勇者様は、なおもそれをぬぐいながら、私の方を見やった。

「あの子は、ずっとあなたと共にいてくれたんだろ?」

勇者様の言葉に、お姉さんも私の方を見て、それからコクっと頷く。
  

757: 2015/09/23(水) 03:11:18.81 ID:tM0RhUd4o

「あの子だけじゃないんだろうけど…あたしは、あなた達のような人をずっと待っていた。

 苦しみに耐え、痛みに耐えて、その先の何かを探せるような意志を持った人だ。

 確かに基礎構文を消し去れば、この大陸に満ちた円環の力は消える。

 あの、自然と一体になって生きるための魔族って人たちの姿も人間に戻る。

 その痛みは、想像を絶するだろう…

 だから、あたしはあなた達に頼みたい。

 そうなってもなお、彼らの味方で在ってほしい。

 あの子達があなたにしてくれたように、誰よりもあなたが、彼らの痛みに寄り添い、そばにいてあげてほしい。

 きっとそこから、世界は変わっていく…基礎構文によってゆがめられた世界が終わって、新しい次の世界が始まっていく。

 苦しく辛く、暗い時間が続くかもしれない。

 きっと、明日を照らす希望の光が必要だ。

 あなたと仲間たちとで、土の民の…いや、この大陸の光となってくれよ」

勇者様は、よどみなく、まっすぐにお姉さんにそう伝えた。

お姉さんは、全身をこわばらせてさらに震え、勇者様のシャツの襟首を握り、嗚咽をこらえながら

「あたしに…できるかな…?」

と、かすれた声で聴く。

そんなお姉さんに、勇者様は優しい声色で答えた。

「できるよ。あなたと、あなたのそばにいてくれる人達なら」

 それを聞いたお姉さんの手がずるりと勇者様の服から滑り落ちて、ついにお姉さんは床に崩れ落ちた。

そして、泣き出した。

まるで子どもみたいに…このお城に攻めてきて、お姉さんに諭された零号ちゃんとおんなじに、声をあげて…

 「魔王様…」

ふと、サキュバスさんがそうつぶやいた。

それを聞き、十四号さんがサキュバスさんを恐る恐るといったようすで開放する。

サキュバスさんは小走りでお姉さんのもとに駆け寄ると、その肩をそっと抱いた。

「魔王様…もう、もう充分です…」

そう言ったサキュバスさんも、顔を涙でいっぱいに濡らしている。

そんなサキュバスさんに縋りつくようにしてお姉さんは言った。

「ごめん、サキュバス…ごめん、ごめん…あたし…約束守ってやれないよっ…!」

「もういいんです…終わりにしましょう、魔王様…先代様も、きっと分かってくださいます…同じことを願われたと思います…だから…もう…」

サキュバスさんがお姉さんにそう言って、お姉さんの肩を強く抱き寄せる。
 

758: 2015/09/23(水) 03:11:44.97 ID:tM0RhUd4o

 私は二人の様子を、一緒に涙をこぼしながら見つめていた。

お姉さんが先代様を討ったとき、お姉さんは何を感じたんだろう?

私に出会うまで、何を思って旅をしていたんだろう?

サキュバスさんは先代様が目の前で息を引き取って何を感じたんだろう?

お姉さんがこのお城に帰ってくるまでの間、なにを思っていたんだろう?

そんな疑問が頭の中にあふれかえって、胸を締め付ける。

先代様とサキュバスさんは夫婦みたいなものだった、と聞いたことがあった。

夫を殺され、頃した相手の従者になって、それでもサキュバスさんはお姉さんに心を開いた。

サキュバスさんはお姉さんを誰よりも思いやって、誰よりも信頼しているし、

お姉さんも、サキュバスさんには誰よりも頼って甘えて、そしてサキュバスさんの気持ちを何よりも大切にしている。

それは、そばにいる私が一番よく分かっていることだった。

 そんなことを思って、ふと、私は気が付いた。

この二人こそ、きっと怒りや憎しみを超えた二人なんだろうって。

気持ちや、事実や、その他のいろんなものを一切合切に抱きとめて、それでも先のことを見据えて来た二人だからこそ、できたことなのかもしれない。

 そう考えたら、勇者様の言葉は確かにその通りだ。

お姉さんなら、ううん、お姉さんとサキュバスさんなら、魔法がなくなって魔族が人間に戻った世界でも、きっと大丈夫…

二人の姿を見ていて、私はそう強く感じて、そして不思議と安心した心地になっていた。

 どれくらい時間がたったか、お姉さんが泣き止んで、サキュバスさんに支えられておもむろに体を起こした。

そして、ふぅ、と息を吐いて、勇者様に言った。

「分かった…」

そんなお姉さんの手をサキュバスさんがギュッと握りしめる。

「基礎構文を消してくれ」

低く、かすれてはいたけど、お姉さんは力のこもった声でそう言った。

「うん、わかった。任せて」

勇者様は、相変わらずの優しい笑みでそう答える。

その返事を確かめたお姉さんは、黙って様子を見つめていた零号ちゃんを見やった。

「零号、頼む」

そう言われて零号ちゃんは、ようやくあのおびえた表情を解き、おずおずと、魔王の紋章を移し替えた自分のダガーを手に、三人の下へと歩み寄る。

 これで、勇者様に魔王の紋章が戻れば、世界が終わる。

そして、新しい世界が始まるんだ。

大変な世界になるかもしれない。

でも、今のままでは、いずれもっと大きな戦いが起こって、もっとたくさんの人が傷つくだろう。

そうでなくても、もう数えきれないほどの人たちが傷つき、苦しんできたんだ。

ずっとずっと昔から続いてきたしがらみをほどくことができるかもしれない機会がやってくる。

そのときには私も何かの役に立とう。

私は、知らず知らずに心の中でそう決意を固めていた。
 

759: 2015/09/23(水) 03:12:25.86 ID:tM0RhUd4o

 零号ちゃんが、自分のダガーから魔王の紋章をペラリと引きはがした。

そして、持ち替えた勇者様が封印されている古いダガーの刃に、その紋章をゆっくりと押し当てていく。

青い勇者の紋章の光をまとっていたダガーに赤い光が加わって、白く明るく輝き始めた。

 これで、勇者様の封印が解ける。

自分で自分を封印して、それで、ずっとずっと長い間眠り続けて来た。

あの古文書にあったように、自分のことを責め続けていたのかもしれない。

それも、今日で少しは楽になるのだろうか?

世界が二つに分かれた日から大陸に起こった出来事がなかったことになるわけじゃない。

それでも、新しい世界を切り開くために力を貸してくれた勇者様は、訪れた新しい世界で何を感じるんだろうか?

すべてが終わって、新しい世界が始まったら…勇者様は、何をするのかな?

普通の人として暮らすんだろうか?

それとも、まさか自頃したりはしない…よね?

いや、その心配はちょっとある…もしものときのために、みんなで勇者様を見張ってないといけないね。

基礎構文が消えたら紋章もなくなるし、強い力も消えてしまう。

そうなったら普通の一人の大人と同じ。

大陸の真ん中に人が踏み入れないような高い山を作り出したり、自分を封印したりもできないはずだからね。

 そんなことを考えていて、私はふと、頭の中に奇妙な疑問が湧いて出るのを感じた。

そう、紋章がなければ、自分を封印したりもできない…

 その疑問を自分の頭の中で繰り返して、私は、なぜその疑問が湧き出たのかを理解した。

勇者様は、自分で自分を封印した、とそう言った。

でも、それじゃあなぜ、二つの紋章も一緒に封印されなかったのだろう?

それとも、封印するのに紋章は必要ないのかな?

だけどそんな魔法が魔法陣やましてや魔族の自然魔法でできるわけがないし、そもそも勇者様は紋章の力で自分を封印したと言っていた。

 でも、それじゃぁ、どうして…どうやって…?

いったい、勇者様はどんな方法で、紋章を持たないままに紋章を使って自分自身をダガーの中に封印したっていうの…?

 ゾワリ、と背筋を何かが走った。

つい今まで感じていた安心感がボロボロと崩れていって気持ちが落ち着かなくなる。

考えすぎだと自分に言い聞かせてみても、その不安は私の中でどんどん膨れ上がっていた。

 もし…もしも…

そんなこと普通に考えたらありえないし、竜娘ちゃんが聞かせてくれた話にも疑うところはない。

でも、でもだよ…

もし、誰かが何かの理由で、勇者様から二つの紋章を引きはがして、それを使って勇者様の身を封印したのだとしたら…?
  

760: 2015/09/23(水) 03:14:24.10 ID:tM0RhUd4o

勇者様が紋章もなしに自分を封印するなんて、そんな方法しか思い浮かばない。

もしそうだとしたら…その理由って、なに…?

「ゆ、勇者様!」

私は思わずそう声をあげていた。

確かめられずにはいられなかった。

考えすぎならそれで良い。あとで謝ればいいんだ。

でももし、そうじゃなかったとしたら…私達はもしかして、取り返しのつかないことをしようとしているのかもしれない…!

「ん、どうしたの?」

勇者様は、相変わらずの優しい笑顔で私にそう聞き返してくる。

そんな勇者様に、私は聞いた。

「勇者様は…どうやって自分を封印したんですか…?紋章を持たないまま封印されていたってことは、封じ込めるときには紋章がなかった、ってことですよね!?」

私は、不安にせかされて早口で大声でそう聞いた。

 私の言葉に、今までのやりとりで出来上がっていた悲しみと決意の雰囲気に満ちた部屋の時間が止まったようだった。

みんなが一瞬、ぽかんとした表情を浮かべる。

でもそんな中で一人、当の勇者様だけが、ニタリ、と気味の悪い笑顔で私に笑いかけてきた。

「あなたは、頭のいい子だな」

次の瞬間、勇者様が突き出した指先から一筋の光が伸びてきて、私の胸を穿った。



 

770: 2015/09/27(日) 21:34:55.02 ID:jlSTxAdno




「勇者様は…どうやって自分を封印したんですか…?紋章を持たないまま封印されていたってことは、封じ込めるときには紋章がなかった、ってことですよね!?」

私は、不安にせかされて早口で大声でそう聞いた。

 私の言葉に、今までのやりとりで出来上がっていた悲しみと決意の雰囲気に満ちた部屋の時間が止まったようだった。

でもそんな中で一人、当の勇者様だけが、ニタリ、と気味の悪い笑顔で私に笑いかける。

「あなたは、頭のいい子だな」

次の瞬間、勇者様が突き出した指先から一筋の光が伸びてきて、私の胸を穿った。

 ドサリと体が床に転げた衝撃だけが感じられた。

体が動かない。痛みもない。

それなのに、妙に意識だけがはっきりとしている。

おかしいな…氏んじゃうときってこんなものなのかな…?

 私は、床に転がったまま、目の前の景色をただ眺めているしかなかった。

「に…人間様…?」

最初に言葉を発したのはサキュバスさんだった。お姉さんの肩を抱いたまま、何が起こったのか、って表情で私を見つめている。

「ゆ…勇者様…?一体、何を…?」

次いで、竜娘ちゃんが絞り出すように勇者様に聞く。すると勇者様は立ち上がって、そして、嘲笑った。

「あはは…!ははははは!まったく、どいつもこいつもおめでたい奴らで助かったよ!どうしてその子のように考えなかったんだ!?」

そう言った勇者様の声は、もう、それまで聞いてきた勇者様のものとは全く違う、おどろおどろしい低く耳障りな声だった。

 部屋にいた全員が、そんな様子に凍りつく。

「何を…何を言ってる…?あいつに、何をした…!?」

お姉さんが、戸惑いながらも鋭い口調で勇者様にそう問いただす。すると勇者様は、ニタリとさっきの気味の悪い笑みを浮かべてお姉さんに聞き返した。

「あなたは、この世界に救うだけの価値があるか、と考えたことはないのか?」

その言葉に、お姉さんは固まった。戦いが始まった直後、お姉さんは同じことを私に言った。

お姉さんを傷付けるだけの世界を…お姉さんが救わなきゃいけない道理なんてないのかも知れない。私ですらそんな思いが一瞬でも過ぎったんだ。

お姉さん自身がどれだけそれを痛切に感じていたかは想像に難くない。

 身に覚えがあるお姉さんを見て、勇者様はまた笑った。興奮して…とても愉快そうに…

「あるだろう…?あたしもだ。戦いのやまない世界。あたしを利用したいだけの人間達ばかり。そんな世界を救ってやる価値も意味もあるわけがない。

 いっそ、基礎構文と一緒に消えてなくなってもらったほうがすっきりすると思うだろう?」

そう言った勇者様は、お姉さんを見つめて、そして言った。

「あたしは自分を封印したんじゃない。封印されたのさ。この世界を人のいないまっさらな状態にしようと思っていたところを二つの紋章を奪われてね」

勇者様の言葉に、お姉さんの表情が醜く歪んだ。

「待て…待てよっ…!じゃぁ、さっきの言葉は…?あいつらに手を貸してくれてたのは…!?」

「本当にめでたい子だな。決まっているだろう?二つの紋章を手にして封印を解くためだ。この大陸の滅ぼすためにな!」

そう言いのけた勇者様は、突然に太陽のように真っ白に輝いた。
 
誰もが目をそらす中で、体の動かない私だけがその様子を見つめる。光の中で、勇者様は姿を変えつつあった。

 サキュバスさんのような羽を生やし、竜娘ちゃんのような鱗の肌で全身を覆い、獣人族のように大きくて力強い体付きになり、頭からは天を衝くように鋭い角が現れる。

その姿はおおよそ勇者様だなんて呼べるようなものではなかった。

そう、あの姿はまるで、寝物語の中に出てくる魔王そのもの。

現実の魔王様とは全く違う、ただの恐怖と絶望の象徴のような姿だった。
 

771: 2015/09/27(日) 21:36:01.93 ID:jlSTxAdno

 「そんな…そんな…」

その姿を見て、竜娘ちゃんがガクガクと震えて床に座り込んだ。

「嘘だろ…こんなことって…」

十六号さんも、言葉に詰まっている。

「くそっ…最悪だ…!」

魔導士さんは及び腰になりながらも身構えた。

「ふふ、あはははは!いい気分だ…!」

そんな周囲の反応をよそに、勇者様はそう声をあげて笑った。

その両腕には、二つの紋章がまばゆいばかりに光っている。

それを見るだけで、私にもわかった。

 まるで、世界が違う。

お姉さんが二つの紋章を使って見せた魔法もほかの人たちとは比べ物にならないくらいだったけど、こんな感覚ではなかった。

こんな…こんな絶望的な気配を感じさせるまでに強力ではなかった。

これが、古の勇者…世界を二つに分けた…人ならざる、神様にすらなれる存在…

 私達は…なんて…なんてことをしてしまったんだろう…

もっと慎重になって考えるべきだった。

竜娘ちゃんや魔導協会の話も、サキュバス族に伝わっていた話も、言い伝えにも疑うようなところはなかった。

唯一気になったのは、勇者様の話した封印に関することだけ。

いくら考えたところでこんなことになるだなんて、見抜けなかったかもしれない。

でも、私達だけで考えるんじゃなく魔導士さんやお姉さんに事前に相談していたら、この可能性に気が付けたかもしれない。

それなのに、私達は…

 後悔しても何にもならないなんてことは分かっていた。

だけど私達は何かを読み誤って、一番やってはいけないことをしてしまった…

 「サキュバス、零号を頼む」

部屋中に魔力の嵐が荒れ狂う中で、お姉さんが静かにそう言った。

右腕の勇者の紋章が、鈍く光り輝いている。

「ですが、魔王様…!」

「いいから、早くしろ!十六号、幼女の回復を急げ!」

ペタンと床に座り込んでいたサキュバスさんを叱咤し、私のすぐそばにいた十六号さんにそう声を掛けたお姉さんは、取り落としていた剣を拾い上げた。

「…嘘だと、言ってくれよ」

まっすぐに勇者様を見つめるお姉さんは、勇者様にそう言う。でも、それを聞いた勇者様は

「嘘だったよ。今まで話したすべてがね。全部、あたしが紋章を取り返すための芝居さ」

と嘲笑いながら答えた。
  

772: 2015/09/27(日) 21:36:55.57 ID:jlSTxAdno

「そうかよ、残念だ…あんた、いい人そうだったのに」

お姉さんは引きつった笑みを浮かべならそう言って、勇者様に剣を突き付ける。

「でも、ためらわない。人間や魔族を相手にするのとは違う…あんたはここで殺さなきゃいけない」

「ふふふ、できるものならやってみ―――

勇者様が言い終わるよりも早く、お姉さんが床を蹴って勇者様に剣を突き立てた。

ガキンという鈍い音がして、その体に刃先をはじかれてしまう。

でも、お姉さんは少しもひるまずに左腕に纏わせた魔法陣を突き出して、勇者様の体に雷の魔法を浴びせかけた。

バリバリという音と閃光が部屋を包む。

けれど、勇者様は微塵も動揺していない。

「嘘だろ…」

お姉さんは、勇者様に雷の魔法陣を纏わせた拳を突き出したまま、そうつぶやいた。

そんなお姉さんに、勇者様が笑いかける。

「誰を相手にしていると思ってんだ?扱いきれない紋章一つで勝てる気でいるんなら、勘違いだってのを分からせてやろう」

勇者様はそう言うが早いか、背中の羽を軽く羽ばたかせた。

次の瞬間、部屋中の壁に見たことのない魔法陣がちりばめられる。

「くそっ!」

お姉さんはそう吐き捨てて結界魔法を展開させた。

それを待っていたかのように、勇者様はニタリと笑ってパチンと指を弾く。

途端に目の前が真っ白になって、そして体が吹き飛ばされそうな轟音が鳴り響いた。

実際、同時に体が振り回されるような感覚が私を襲う。

動かない体では、抵抗もできない。

怖い、と思う暇もなかった。

 気が付けば私は、結界魔法を展開させている十六号さんの背中を見つめていた。

世界がひっくり返って見えるのは、誰かが私を抱え込んでいるかららしい。

そしてそのひっくり返った世界には、それまであった部屋がなくなっていた。

部屋だけじゃない。

私達のいたあの部屋から上の魔王城全部が、跡形もなく吹き飛んでしまったようだった。

かろうじて残った床からは黒くすすけた煙が幾筋も登っている。

そんな中で、宙に浮かんだお姉さんが、同じく宙に浮いている勇者様に剣を振り下ろす姿があった。

勇者様はパッと伸ばした手の平に一瞬にして氷で出来た刃を出現させると、それを握ってお姉さんの剣を受け止めて見せる。
 
 「うおあぁぁぁぁ!」

突然そう雄叫びが聞こえた。

次の瞬間、鍔迫り合いを繰り広げていた勇者様に十六号さんが固めた拳を叩きつけていた。

「あんた…騙したのか…!アタシ達を…竜娘を…!姉ちゃんを…!」

十六号さんは全身から怒りを立ち上らせていた。そんな十六号さんにお姉さんが叫ぶ。

「下がれ、十六号!あんたじゃこいつの相手は無理だ!」

お姉さんの言葉通り、勇者様は十六号さんの拳を頬で受け止めていた。
 

773: 2015/09/27(日) 21:37:54.61 ID:jlSTxAdno

 勇者様は、十六号さんの腕を引っ掴んでニヤリと笑う。

「なんだよ、それ?打撃ってのは、こうやるん―――

「だありゃぁぁぁ!!!」

勇者様が何かを言い掛けたそのとき、真後ろから十七号くんが突撃を仕掛けて勇者様の後頭部を蹴りつけた。

不意打ちをもらって、流石に勇者様も一瞬体制を崩す。

「やらせない…!」

そこに、十八号ちゃんが勇者様の周囲に幾重にも魔法陣を重ねた。吹き出した炎が一瞬にして勇者様を包み込む。

十六号さんに十七号くん、そしてお姉さんはすかさず距離を取って空中で体制を立て直していた。

 「トロール、続け!羽妖精、こいつを頼む!」

そう魔道士さんが叫んだときには、私はもう空中に放り投げられていた。

でも、ほとんど落ちる感覚もなくふわりと風が吹いてきたと思ったら、私は床だった場所にいた妖精さんに抱きとめられていた。

 その間に、勇者様をトロールさんの土魔法で押し寄せたお城の壁だった石の破片が襲い、

そしてそれに続けて魔道士さんがありったけの魔法陣を展開させて雷を降り注がせる。目を開けていられない閃光とともに、ドドドドン、と大気が震えた。

 オンオンとその音が響き渡るその中心に、真っ黒に焼け焦げた魔王のような勇者様の姿が浮いている。

でも、全身が真っ黒なのに、両腕の二つの紋章だけは煌々と輝いたままだ。

 「紋章を狙え!」

お姉さんがそう叫んで、見動きを止めていた勇者様に斬り掛かった。

腕の魔法陣を勇者様と同じくらいに光らせたお姉さんは、全身を大きく捩って、目一杯に大きく剣を振る。

でも、そんなお姉さんの剣は再び勇者様の鱗の皮膚に弾けた。

「あぁ、鬱陶しいな…」

勇者様のおどろおどろしい声が夜空に響き渡る。

 「怯んじゃダメ…!」

そう声が聞こえて何かが勇者様の体に取り付いた。それは、剣を携えた大尉さんだった。

だけど、勇者様に突き立てようとしたその剣は見るも無残に砕けてしまう。

「あははは!そんなことで、あたしの腕を落とせるとでも…!?」

勇者様が大尉さんを嘲る。でも、当の大尉さんはいつもは見せない不敵な笑みを浮かべていた。

「残念、あたしは囮」

「なに…?」

大尉さんの言葉に勇者様が一瞬の動揺を見せたその瞬間、何かがピカっと真っ暗な夜空に翻った。

焼け焦げていた勇者様の腕の皮膚が微かに切り裂かれ、そこから鮮血がピッと吹き出す。

そのすぐ傍らには、剣を振り終えた残心姿の兵長さんがいた。

 すぐさまその傷口に、大尉さんが腰から抜いた短剣を突き立てる。鱗に覆われた皮膚の裂け目に短剣がズブリと差し込まれた。

「雷撃魔法!」

大尉さんがお姉さんと魔道士さんにそう声を上げる。

大尉さんは舌打ちした勇者様に勢い良く蹴り飛ばされてしまうけど、その一瞬の隙にお姉さんと魔道士さんの雷の魔法が閃いて、

勇者様の腕に突き立った短剣へと導かれるように降り注がれた。
 

774: 2015/09/27(日) 21:38:34.04 ID:jlSTxAdno

 勇者様はまばゆい稲妻の中で、ガクガクと体を波打たせている。これは、効いてる…!

そんな私の一瞬の気の緩みとは裏腹に、お姉さんが叫んだ。

「手を緩めるな!一気にあの腕斬り落とせ!」

お姉さんの号令を合図に、みんなが一斉にそれぞれの魔法を展開させて勇者様に浴びせかける。

雷や炎、石や風、みんなの得意な魔法が勇者様を押し包んだ。

 「あぁ、本当に…鬱陶しいよ…!」

だけど、そんな耳障りな声が聞こえて来たと思ったら、勇者様がパパパッと眩しく輝いた。

とたんに、みんなの魔法がまるでロウソクの火を吹き消したように空中にフッと消滅してしまう。

その直後、閃光の中を何かが一筋飛び抜けて、十六号さんの肩を貫いた。

それは、勇者様の腕に突き刺さっていた短剣だった。

「あぁ、もう…!なんでアタシばっかり…!」

弱々しくそう呟いた十六号さんが、体勢を崩して空から落ちてくる。

「十六号!」

「魔王様!私が受け止めます!」

お姉さんの悲鳴にそう応えたサキュバスさんが竜娘ちゃんを小脇に抱えるようにして駆け出すと、風魔法を使って十六号さんをふわりと受け止めた。

十六号さんは、サキュバスさんの腕からすぐに自分の足で降り立って、そのまま自分に回復魔法の魔法陣を展開する。

良かった、動けなくなるほどのケガではなさそうだ。

 「あぁ、まったく…邪魔だな、あんた達」

不意にまた、勇者様の声がした。

空中へと注意を戻すと、そこには焼け焦げた皮膚を内側から再生させ、大尉さんと兵長さんの連携攻撃でなんとか負わせた傷すら、もう跡形もなく消えていた。

「ちっ、攻めたりなかったか…」

お姉さんが歯噛みしながらそう呟く。

勇者様は、すこし苛立ったような表情でそんなお姉さんを睨みつけた。

 今の一連の攻撃は、確かに効いていたように感じられた。

頃すことはできなくても、そう、お姉さんが言ったように、あの腕の一本でも落とせれば、それだけでも十分なんとかなるくらいまでに力を削げる。

勇者の紋章か魔王の紋章、どちらか一つを失えば、それだけで少なくともお姉さん達がまとめて戦えば有利になれるかもしれない可能性が生まれる。

今のままじゃ、本当に神様か何かを相手に戦っているようなものだけど…一斉に攻撃を仕掛けて、傷を付けることができるんなら、あるいは腕くらい…

もちろん、勇者様がその気になればそんな機会が一瞬も訪れないままに、世界は滅ぼされてしまうだろう。

でも、今みたいな不意打ちでなら、やれるかもしれない…

私は、そんなことをうっすらと考えていた。

 だけど、それがあまりにも甘い考えだっていうのを直後に私は理解した。

勇者様は、耳障りな声で言った。

「本当に鬱陶しいなその力…二度と立て付けないようにしておくとしよう」

そして、その両腕を夜空へとたかだかと掲げる。
 

775: 2015/09/27(日) 21:39:11.09 ID:jlSTxAdno

「なにかしてくるぞ…気をつけろ!」

お姉さんの掛け声に、全員が身構えて結界魔法をいつでも展開出来るように準備を取った。

そんなお姉さん達を見て、勇者様はニタリとあの笑顔で笑ってみせた。

 次の瞬間、パァっと、辺りがなにかに照らされ始めた。

太陽じゃない…月でもない…でも、それくらいの明るさで、空から光が降ってきているようだ。

 「な、なに…あれ…?」

私を捕まえてくれていた妖精さんが、空を仰いでそう言った。

私は、妖精さんの腕の中で動かない体のままに、空に目を向ける。

 そこにあったのは魔法陣だった。

それもとても大きな魔法陣。

普通の大きさじゃない。

東部城塞のときに、魔導士さんが空に描いてみせたあの大きな雷の魔法陣とは比べ物にならないほどの大きさだ。

そう、それこそまるで、空全部が魔法陣になったような、それぐらいの大きさがある。

見上げているだけでは、全体がどんな形をしているのかも掴めない。

空の向こうの彼方から、遥か遠くにある中央山脈の向こうにまで続いている。

 「これは…一体…?」

竜娘ちゃんを担いで私と妖精さんのところにやってきてくれたサキュバスさんが、絶望的な表情で空を見上げて口にする。

私や妖精さん、サキュバスさんだけじゃない。

お姉さん達も、サキュバスさんに抱えられた竜娘ちゃんも、恐ろしい物を見るように、夜空を覆うその魔法陣を見上げていた。

「あはははは!これが“円環の理”、基礎構文ってやつだ!」

勇者様が高らかに笑って言った。

 これが…これが、基礎構文…?

この世界を形作っている…魔法の力の源…

あの日の晩に竜娘ちゃんは、「基礎構文は結界魔法のようなもの」と、そう言っていた。

そのときは想像できなかったけど、こうして実際に目の当たりにするとよく分かる。

これは、この大陸全体を覆っている魔法陣なんだ。この世界を覆って、その中を魔法の力で満たしているんだ…
 

776: 2015/09/27(日) 21:39:39.68 ID:jlSTxAdno

 「基礎構文を消そうってのか?」

お姉さんが勇者様にそう迫る。

そんなお姉さんに、勇者様は笑って言った。

「すこし違うな…この基礎構文をあたしの体に移し替えるんだ。

 そうすればあたしは力を失わない。あなた達はただの人間に戻るだけ。

 抵抗されると気分が悪いからな…力を失って、何もできないままにあたしが大陸を蹂躙していく様を眺めているといい!」

勇者様はまるで雷鳴のように轟くおぞましい、ビリビリと空気が震えるような大声で、そう宣言した。

 そんな…

そんなことをされたら、もう私達に希望なんてない。

今でも微かなのぞみしかないのに、もし、お姉さん達が今の魔法の力を失ったら…もう、大陸を好きに作り変えることが出来る勇者様に適う手立てなんてあるはずもない…

「させないぞ…この命に代えても、あんたを止める…!」

お姉さんは、そう言って剣を構えた。

他のみんなも、それぞれに構えを作って勇者様を取り囲む。

もう一度…さっきのようにあの硬い皮膚をほんの少しでも切り裂いて、そこに刃を突き立てることができたら…あの紋章のどちらかを体から切り離すことが出来る。

それを狙う他にない…

「あはっ、あはははは!やれるもんならやってみろよ…!せいぜい足掻け、苦しめ!そしてこのくだらない世界のために氏ね!」

そういった勇者様は、両腕に光を灯すと、自分の周囲に次々と何かを顕現させ始める。

それは、光輝く矢のような形をしたなにかだった。

きっと、あれそのものが魔法なんだろう。

光魔法?炎の魔法?それとも、雷…?

あんな魔法は見たことがない…見たことがないけど、あの数は…

 私が危惧した通りに、勇者様はさらに無数の矢を作り出すと

「さぁ、終宴の始まりだ!」

と両腕をバッと広げて見せた。

 つぎの瞬間、光の矢が四方に目でも追えない程の速さで弾けた。

光の矢は魔道士さんやお姉さんの結界魔法をいとも簡単に突き破り、お姉さん達の体を穿っていく。

魔道士さんもお姉さんも十七号くんも十八号くんも、兵長さんや大尉さんさえも、全身に矢を受けて空中から叩き落とされた。

それだけではない。

光の矢は、城壁の外に草原のように広がっていた人間軍と魔族の兵士さん達にも降り注いだ。

お姉さん達のように構えを取って身を守ろうとしていなかった城外の兵士さんたちは、その光の矢を受けて次々と地面に崩れ落ちていく。

矢の明るい光に照らされて…血しぶきが、真っ赤な霧が一面から立ち上り、射抜かれた人達が地面でもがき苦しんでいる。

あんなのは戦いですらない…ただ、一方的に蹂躙してなぶり頃しにしているだけだ…

 「やめろ…やめろよ!」

お姉さんはいきり立って勇者様に斬りかかった。

同時に反対側からは兵長さんが鋭い機動で空中を移動して勇者様に迫る。さらにその援護のためか、魔道士さんが雷の魔法を、十八号ちゃんが炎の魔法を繰り出した。

勇者様は結界魔法を展開させて魔法の攻撃を弾き返し、両手に出現させた氷の刃でお姉さんと剣士さんの剣撃を受け止める。

さらに、そんな勇者様の背後から今度は大尉さんが剣で突きを繰り出した。

勇者様はお姉さんと兵長さんの剣を支えながら、ぐるりと体勢を入れ替えるとすぐ後ろに迫っていた大尉さんを蹴り飛ばし、

次いで出現させた結界魔法をお姉さんと兵長さんにぶつけて弾き飛ばした。
 

777: 2015/09/27(日) 21:40:45.45 ID:jlSTxAdno

 「くそっ…くそっ、くそっ!」

お姉さんが歯ぎしりしながらそう吐き捨てる。

お姉さんだけじゃない。みんな、必氏だ。

「数が足りませんね…妖精様。竜娘様をお頼みします。私も加勢に参ります!」

サキュバスさんがそう言って、竜娘ちゃんを妖精さんに頼んだ。

「でも…サキュバス様…!」

「ためらっているときではありません…もし本当に私達だけ魔法を奪れれば、もう本当に抵抗する術がなくなってしまいます!」

そう言うが早いか、サキュバスさんは羽を広げて夜空へと舞い上がっていく。

 「止めろ…こいつを止めるんだ!」

お姉さんは、光の矢に射抜かれて血まみれになった体を起こすと再び空中に飛び出して鋭く剣を振りかざす。

勇者様は三度その剣を氷の刃でまるでなんでもないかのように受け止めて笑った。

「まだやるか…諦めろよ、いい加減」

「黙れ!例え世界があたしをどう思おうと、あたしをどう扱おうと!あたしは、あたしの約束を守る…!

 あたしが大切だと思うものを守る!

 あんたみたいな重圧に負けるような情けないやつに、あたしはやられたりなんかしない!」

お姉さんはそう叫ぶや、勇者様の胸ぐらを引っつかむと雷の魔法陣を勇者様の体に直接描き出した。

バシバシバシっと勇者様の体に稲妻が駆け巡り、ブスブスという音とともに煙が上がり始める。

「無駄なんだよ、その中途半端な紋章をいくら使ってもさ」

けれど、勇者様はニタリと笑って自分の周りに魔法陣を浮かび上がらせた。

つぎの瞬間、バシっという音とともに、お姉さんの両腕と両足が氷に閉ざされてしまう。

勇者様の前で、お姉さんは無防備に体の自由を奪われてしまった。

「魔王様!」

すぐさまサキュバスさんが風の魔法を勇者様に浴びせかけた。

旋風が幾重にも勇者様にまとわりついて鱗に覆われた皮膚を切り裂こうとしているけど、切り裂くどころか傷付いている様子すら見えない。

それどころか勇者様は腕をひと振りし、つぎの瞬間には、どこからか飛んできた大きな石がサキュバスさんの背中を捉えて、サキュバスさんがガクリと空中で力を失い落ちてくる。

私達のいる床の上に激突する寸前に、さっき結界魔法で弾き飛ばされた兵長さんが飛び出してきてそんなサキュバスさんを抱きとめた。
 
 「サキュバス!」

お姉さんの叫び声が聞こえる。

「あの女、管理者の末裔だな?それなら、大昔の恨みをあの女に晴らしても構わないな…楽には殺さないようにしよう」

「させない…あんたは、あたしが倒す!」

「そんなザマでよくそんなことがほざけるね?」

お姉さんの言葉に、勇者様は可笑しそうに笑って、その腕をクッと後ろに引いた。

「あなたを殺せば抵抗する気も起きなくなるだろうな」

そう言うと勇者様は、見たことのない魔法陣をその拳に展開させ始める。

「くそっ…!」

そう吐き捨てるように口にしたお姉さんは、氷をなんとかしようと空中でもがいているけれど、落ちてくることもなければ氷を破壊することもできない。

浮いているのはきっと勇者様がわざわざ支えているに違いない。
  

778: 2015/09/27(日) 21:41:40.08 ID:jlSTxAdno

あのままじゃ、お姉さんが危ない…

でも、十六号さんたちはさっきに光の矢で負った傷のせいで今すぐにはどうすることもできない。

サキュバスさんは気を失っているし、それを受け止めた兵長さんも、血をいっぱい流して床に座り込んでしまっている。

大尉さんすら、傷の回復に手一杯で戦闘への復帰はできそうにない。

 「さぁて、希望を失った人間がどんな顔になるのか、とくと拝見することにするよ」

勇者様はそう言うと、後ろに引いた拳にギュッと力を込めた。

「お姉さん!」

 そんなとき、地上から幾筋もの攻撃魔法が吹き上がってきて、お姉さんを狙っていた勇者様に直撃した。

炎の魔法も、氷の魔法も、風や、土、光の魔法もあった。

今の、何…?

いったい、どこから…?

私はそう思ってとっさにそれが飛んできた方に首を傾ける。

するとそこには、さっきの光の矢の直撃を免れた人間軍や魔族の人達が、勇者様を見上げている姿があった。

 お城の外の兵士さんたちが、お姉さんを助けてくれたの…!?

「手を緩めないで!あのバケモノが我らの敵です!」

そんなお城の外の人達の中に、そう叫ぶ人がいることに私は気が付いた。

それは、東部城塞でお姉さんを説得しようとしていた、お姉さんのかつての仲間の弓士さんだった。

「あぁ、クソっ…一体全体、どうなってやがる!」

そう別の声が聞こえたと思ったら、お姉さんの動きを封じ込めていた氷がバラバラに切り刻まれる。

そして、驚いた表情のお姉さんのすぐ隣にふわりと浮いて、剣士さんが姿を現した。

 「あんた…」

お姉さんは剣士さんを見やって、絶句している。

「なんでお前はこんなバケモノと戦ってやがるんだ…?お前は一体今まで、何をしようとしてやがったんだ…?」

剣士さんはまだすこし戸惑いの表情を浮かべながらも、その剣をまっすぐに勇者様に向けていた。

 人間軍や、魔族の人達…それに、弓士さんも、あの剣士さんも…勇者様と戦ってくれるんだ…

そうだよ、魔法が消えて困るのは私達だけじゃない。

魔族の人はもちろんだし、人間だって魔法で生活がなりたっているようなもの。

それに、魔法がどうとか関係なくなって、勇者様が世界を滅ぼそうとするなんてことを受け入れられるはずがない。

今、この場にいる誰もがお姉さんと同じことを考えずにはいられないだろう。

勇者様を倒さなければいけない、って。

「みんな…」

そう思った私は、ふとそう一言口に出していた。

とたんに、妖精さんが

「人間ちゃん!大丈夫!?」

と聞いてくる。

 あれ…?

そうだ、私…さっきまで動けなかったはず…しゃべることも、首を動かすことも出来なかったのに…

 そう気がついて、私はクッと体に力を込めてみる。

すると、私の意思通りに、手や足が動いてくれた。
 

779: 2015/09/27(日) 21:42:58.41 ID:jlSTxAdno

「妖精さん、私…」

「大丈夫、傷は塞いだよ!」

体の感覚が無くて分からなかったけど、妖精さんがいつの間にか私の傷を治してくれていたらしい。

だから、体も動くようになったのかな…?

でも、さっきまでの感覚は一体なんだったんだろう?

意識だけが妙にはっきりしたまんまで、体だけが動かなくて…

 そんなことを考えていたら、不意に、すぐ近くでパッと何かが明るく光った。

「あ、あ、あなたは…」

妖精さんが息を呑むのが感じられて、私は妖精さんの顔を腕の中から見上げる。

「…あの空の巨大な魔法陣は…やはり、そうなのですね」

次いで別の方から声が聞こえたのでそっちに目をやると、そこには、どこかで見覚えのある黒いローブの中年の女の人が立っていた。

こ、こ、こ、この人、魔導協会の、オニババだ…

 「こ、こ、ここへ何しに来たですか!?」

妖精さんが私を床に投げ出し、私を庇うようにして身構える。

でもオニババはそんな妖精さんの様子に構わずにジッと空を仰ぎ見ていた。

夜空の大きな魔法陣の光に照らされていて、真っ青になっているのが分かる。

「基礎構文…まさか、このような形で存在しているとは思いも寄りませんでしたね…」

「り、理事長様…!」

不意に、零号ちゃんの声が聞こえた。

零号ちゃんはすぐさま私達のところに飛び込んできて、私と竜娘ちゃんを背中に庇う妖精さんとオニババとの間に立ちふさがる。

「零号ですか…いい表情になりましたね」

不意に、オニババは零号ちゃんを見やってそういった。

あまりの言葉に、零号ちゃんが戸惑っているのが分かる。 

でも、そんなことには構わず、オニババは妖精さんに聞いた。

「あのおぞましい姿をした者が、もしや、封じられし古の勇者様なのですか?」

「…そ、そうですよ」

妖精さんは言葉に詰まりながらもそう答える。

「基礎構文を己が身に移し替え、力を失った世界を滅ぼす…それが、古の勇者様の結論なのですか…?」

オニババは誰となしにそう言った。

お城の外にいた人達にもあの大声の宣言は聞こえたに違いない…だから、外の人達も攻撃をしてくれたんだ…

私はそう思いながら見つめた、オニババの体が震えていることに気が付く。

そんなオニババの姿が私には、世界が滅ぼされる、ってことよりも、むしろ勇者様がこんなことをしている、ってことに絶望しているように見えた。
 

780: 2015/09/27(日) 21:43:25.64 ID:jlSTxAdno

 「なにか止める方法はないですか!?あなた、神代の民の末裔って言ってたです!」

妖精さんがオニババに必氏になってそう尋ねる。でも、オニババは力なく首を横に振った。

「二つの紋章が揃ってしまった以上、抗うことなどできないでしょう…そのうえ基礎構文まで消滅してしまうとしたら…もはや我々には…」

基礎構文が勇者様に奪われてしまえば、確かにそうだ。

でも、違う。

その前にまだ、できることがある…!

さっきの私の疑問は、こんな形で真実になってしまった。

だけど、あの疑問が真実だったとしたら、きっとその方法があるに違いないんだ…!

「オニバっ…じゃない、理事長さん!」

私は、半分以上口から出そうになった呼び名を無理やり飲み込んで、オニバ…理事長さんに聞いた。

「勇者様を封印する方法があるはずなんです…!なにか、知りませんか!?

 勇者様はさっき言ってました。

 紋章を奪われてその力で封印された、って。

 だから、きっと勇者様を封じた誰かがいたはずなんです!

 何かの方法で勇者様から紋章を取り上げたはずなんです!

 もしかしたらその誰かっていうのが、魔導協会とサキュバス族の人達だったんじゃないんですか!?

 なんでもいい、何か、知ってることを教えてください…!」

私は必氏になって理事長さんにそう食い下がる。でも、理事長さんはすこし慌てたような表情になりながら

「そんな物はありえません…紋章は所持者の意思なく引き剥がすことなど出来る物ではないのです。

 腕を斬り落とされ、所持者の意思から離れれば別ですが、あんな絶対的な力を相手にそんなことは不可能です…」

と首を横に振る。

「そんなことない!絶対に何か方法があるんです!そうじゃないと、勇者様が封印されたって説明が付かないんですよ!」

それでも私は、理事長さんにそう迫った。

そうだ、きっとなにか方法があるんだ…あの紋章を奪う方法が…きっと…

「待ってよ幼女ちゃん、もし紋章を奪っても、あれはあの女の人しか使えないんでしょ!?

 お姉ちゃんにも、私にも、竜娘ちゃんだって本当の力を引き出せないってそう言ってた…」

不意に、そう零号ちゃんが私に言った。それに続いて、竜娘ちゃんも

「はい、零号さんの言うとおりです…仮に紋章を奪うことが出来たとしても、それを使って封印を行うことは出来ないと思います…

 ですが、どちらかを奪えば私達にも勝ち目がある…その方法を探しましょう…!」

と表情を引き締める。

だけど、私はなにか…得体のしれない違和感を覚えずにはいられなかった。
 

781: 2015/09/27(日) 21:44:17.32 ID:jlSTxAdno

 違う…違うよ。

何かがおかしい。

私は、そんな場合でもないのに口をつぐんで頭を回転させた。

 だって、そうでしょ…?

勇者様を封印するためには、紋章を奪ってさらには使えなきゃいけないんだ。

でも、もし、大昔に誰かが紋章を奪っていたとしても、勇者様はそのときはただの人間になってしまうはずだ。

ただの人間に戻った勇者様を、本来の力が出せない魔法陣を使ってまで封印しようとするものだろうか?

もしその当時に勇者様が紋章を取り上げられなきゃいけないようなことをしでかしていたのなら、封印なんてしないで頃してしまえば済む話だ。

それなのに、勇者様は言ってた。

自分は紋章を奪われて、その力で封印されてしまったんだ、って。

 だけどそうなると、今度は零号ちゃん達の言っていた問題が出てくる。

あの紋章はある一個人、つまり勇者様にしか完全に扱い切ることができない紋章なんだ。

紋章を奪った誰かに何かの理由があって勇者様を殺さずに封印しなきゃいけなかったとしても、

紋章の力を完全に扱うことができない状態でそんなことが可能だったのだろうか?

お姉さんですら、合わない魔王の紋章の力を出し切る前に体に拒否反応が出て戦いどころではなくなってしまっていたのに。

  それに、単純に奪い取る方法ってどんなことがあるんだろう?

今の勇者様は腕を切り落とすのだって難しい。剣の腕が一番だって言う兵長さんですら、鱗を弾いてその下の皮膚に薄っすらと血を滲ませただけ。

力づくで紋章を奪うような方法ではどうしようもない。

もしかしたらあの紋章の力を弱めたり、封じ込めたりする魔法があるんだろうか…?

 いや、でも、もしそんなことができるんなら、やっぱり勇者様を封印しなきゃいけない理由が分からない。

だって、勇者様は結果的に紋章を取り上げられているんだ。“封印する他に方法がなかった”わけじゃない。

紋章を取り上げて、勇者様を頃して、それで済んでしまう話なんだ。

どうしてその「誰か」は、勇者様から紋章を奪うことができたの?

どうして勇者様を殺さずに封印したの?

どうして扱いきれない紋章を使うことができたの…?

ダメだ…やっぱり、考えれば考えるほど、思考が同じところに戻ってきてしまう。

 もしかして勇者様は、何か嘘を言っているんだろうか…?

勇者様は私達を騙して利用して、紋章を自分の体に取り戻したんだ。そう考えると、今も嘘を言っている可能性は低くない。

あの紋章には私達の知らない弱点があって、それを隠すためにこんな矛盾する説明になってしまっているんだろうか…?

 もし勇者様の封印や紋章に関する話が嘘なら、その他の話はどこまでが本当のことだったの…?

大陸に伝わっている“古の勇者”の伝説は、どこまで本当なのだろう?

もしかつて勇者様が、今と同じように世界を滅ぼそうとして封印されたのなら、伝わっている物語も偽りだと考える他はない。

でも、そんなことをしたって何か良いことがあったんだろうか?

世界を滅ぼそうとした悪者を封印した、って話を語り継ぐ方がよほど良い気がする。
 

782: 2015/09/27(日) 21:44:57.42 ID:jlSTxAdno

 それに竜娘ちゃんが聞かせてくれた勇者様の日記のこともある。

あれは、少なくともあの伝説と大まかな内容は一致していた。

あの勇者様の日記はきっと本当に勇者様の心境が綴られていたのだろうか…?

でも、そうなるとやっぱり勇者様が封印された理由が分からない。

あんな日記を残すような人が、どうして紋章を奪われて封印されることになってしまったのだろう?

だけど…もしあの日記が嘘ってことになると、伝説自体も嘘ってことになってしまう。

 何度も聞いた伝説が嘘だ、って言うより、勇者様が当時に世界を滅ぼそうとしたって話の方が信じられない。

そうじゃないと、伝説や勇者様の日記が私の知っている形で伝わっている説明がつかないんだ。

 それなら、勇者様は封印されている間に世界を滅ぼそうと決めたってことになる。

確かあのとき、封印されてもどこか遠くで意識が残ってる、って話をしていた。

長すぎる時を過ごして、勇者様の心のどこかが歪んでしまったのだろうか…?

 分からない…でも、きっと封印に関わることについて、勇者様が困る事実が隠れているに違いない。

どう考えても、やっぱり、封印に関する部分に嘘があるとしか思えない。

そしてその嘘に隠された何かは、きっと勇者様の弱点なんだ…

 不意に、夜空から一際大きな破裂音が聞こえて、私はハッと上を見上げた。

そこには、真っ黒に体を焼かれた剣士さんがこっちに向かって真っ逆さまに落ちてくる姿あった。

「あのバカ野郎…!」

魔導士さんがそう歯噛みする。

「おいが!」

トロールさんがそう叫びながら私達の前に現れて、瞬く間に体をあの大きなトロールに変えて落ちてくる剣士さんを受け止めた。

 見渡せば、勇者様の周りには飛ぶ魔法を使える人間軍や魔族のたくさんの人達が飛び交い、弓士さんや魔導協会のローブの人の指揮で勇者様に攻撃を仕掛けていた。

それでも、次々に魔法や打撃、剣撃で地表へと叩き落とされている。

その合間を縫って魔道士さんや十六号さん達、お姉さんが強力な魔法で攻め立てているけど、勇者様にはまったくと言っていいほどに堪えていなかった。

 「まったく…大人しく氏ぬのが待てないのか…?」

勇者様がそう言って不気味に笑う。

「あんたの勝手にはさせない!」

お姉さんが、勇者様へと斬りかかった。

「何度も何度も、芸がないんだよ!」

そう叫んだ勇者様は、お姉さんの前に魔法陣を展開させると、そこから雷を迸らせてお姉さんの体を縫い上げた。

「ぐふっ」

お姉さんがそう声を漏らして減速し、空中でふらついて体勢を崩した。

「ま、魔王様!」

いつの間にか意識を取り戻していたらしいサキュバスさんが闇夜に飛び上がってその体を支えた。

「手を休めないで!」

弓士さんの号令で、人間軍と魔族の人達が再び勇者様に魔法を集中させるけど、それはほとんどなんの意味もなく勇者様にかき消されてしまう。

それどころか、勇者様の周囲に現れた渦巻きが近くにいた人達を切り刻み、吹き飛ばし、まるで小虫の群れのように散り散りにする。

魔導士さんや十六号さんたち、兵長さんに大尉さんが果敢に攻撃を繰り出すけど…そのどれもが勇者様には軽くあしらわれている。
 

783: 2015/09/27(日) 21:45:47.45 ID:jlSTxAdno

 もうみんな、ボロボロだ…

十六号さん達は、もう最初程の力で魔法を扱えていないのが分かる。

魔導士さんも、魔法陣を展開させる速度が徐々に遅くなっていた。

お姉さんも、体中に作った傷を治す暇さえない様子だし、

人間軍や魔族の人達はもう、地上にその体が積み重なるほどに犠牲を出している。

 そんな中で、勇者様が笑った。

そして、大きくおどろおどろしい声で、

「あははははは!もう終わりか…最初の一撃で決められなかったのが残念だったな!

 あたしも、これ以上は退屈しそうだ!」

と私達を嘲るように言うと、夜空に紋章の輝く両腕を突き上げた。

その途端、頭上を覆うように広がっていた基礎構文が急激に強い光を放ち始める。

「さぁ、見ろ!これがこの大陸を割った力だ…!」

ズズン、と、地響きがした。

いや、地響きなんてものじゃない。

地面が…揺れてる…!?

私はその揺れに、思わず体勢を崩しそうになって床の上にしゃがみこんだ。

妖精さんや零号ちゃん、竜娘ちゃん達も同じようにして床に這いつくばっている。

そんな中で、空中にいる人達の視線が、同じ方向を見ていることに、私は気が付いた。

その見つめる先を目で追って、私は、震えた。

 お城の東の方。

そこにそびえている中央山脈が、まるで…そう、パンの生地をならしているかのように、みるみるうちに平たく変形を始めていた。

降り積もっていた万年雪がまるで空に吹き上がる雨のように舞い上がって、空に光る基礎構文の灯りに照らされる。

あれだけの雪が溶けたら…周りの街は水に押し流されてしまうかもしれない。

この地面の揺れだけで、建物が壊れてしまっているかもしれない。

そこに住んでる、何百、何千って人達が…今、命を失おうとしている…

その原因を作っているのが、ただのひとり、勇者様…

分かってはいた。

それがどれだけ途方もない力か、だなんて。

でも、こうして目の当たりにしてしまうと、それだけで膝が笑って、全身から力が抜けてしまうような、そんな感覚に襲われる。

 「砂漠の街は…ダメかもしれないね…」

妖精さんが、揺れる床に足を取られる私と零号ちゃん、そして竜娘ちゃんを抱きしめながらそう言う。

「私は…なんということを…私は…」

竜娘ちゃんは頭を抱えて、ただ取り乱しておいおいと泣き続けている。

「お姉ちゃん…」

勇者の紋章を失い、戦うことのできない零号ちゃんは、唇を噛み締めて、夜空に浮かぶお姉さんを見つめていた。

 だけど、絶望はそれだけでは終わらなかった。
 

784: 2015/09/27(日) 21:46:38.03 ID:jlSTxAdno

見上げていた夜空から、フワリ、フワリと光り輝く雪のような何かが無数に舞い降り始めた。

それに呼応するように、夜空に広がっている基礎構文が、うっすらとその光を失いだす。

「そんな…」

妖精さんがポツリとそう口にした。

基礎構文が、消え始めてる…

ううん、消えかけているんじゃ、ない…

空から降る光の粒は、吸い寄せられるように集まっている。

あれはきっと、勇者様が基礎構文を自分の体に宿し始めているんだ。

私は、言葉も出せずにただ息を飲んだ。

 このままじゃ、私達は今のような些細な抵抗すらもできなくなる…

そうなったらもう、勇者様に滅ぼされるのをただ待つしかない…

そんなことって…あっていいの…?

 私は体から抜けた力が戻らずに、そんなことを考えながらただ呆然と空を見上げて妖精さんに抱きしめられているしかなかった。

もう、何も考えられなかった。何も、思い浮かべられなかった。

時間もない。

力もない。

戦う術もない。

もう、私にはどうすることもできない。

 「あぁ…」

魔導協会の理事長さんは、そう呻いて床に膝を付いた。

まるで祈りを捧げるように手を組んで、ガタガタと震えている。

 「おいおい…敵の様子がおかしいから来てみたら…どういう状況なんだよ、こりゃぁ…」

不意にそんな声がしたのでそっちをみやると、そこには隊長さん達の姿があった。

階下にいた六人と、そして黒豹さんが、呆然と空を見上げている。

「古の勇者様が、世界を滅ぼそうとしているです…」

妖精さんが、強ばった口元をなんとか動かして隊長さんたちにそう説明をする。

「なるほど…世界の危機、ってわけだ」

妖精さんの言葉に、そう応えた隊長さんは力なく笑った。それから

「あの空に浮いてやがるバカでかい魔法陣はなんだ?」

と聞いてくる。

「あれは、基礎構文と言うです。私達の魔力の源、らしいです…」

「ふむ…薄れて行くな…なるほど…要するに、あのバケモノを叩けばいいんだな?」

「無理です…あれは古の勇者様です…見てください、中央山脈がもう、半分もないですよ?」

「バカ言え。古の勇者だろうがなんだろうが、あそこで生きてやがるんだ。生きてるってことは、頃すことだってできらぁ」

隊長さんは、剣を握り締めて妖精さんにそう言い、笑った。

「雇い主が諦めてねえんだ。こっちが何もなしに戦いを投げたんじゃぁ、傭兵の名が廃る」

「傭兵に捨てる名があれば上等だ」

そんな隊長さんの言葉に、虎の小隊長さんが応えて空笑いをあげる。

そんな二人は、まっすぐな視線でサキュバスさんに支えられたお姉さんを見ていた。
 

785: 2015/09/27(日) 21:48:20.76 ID:jlSTxAdno

 お姉さんは、体中の傷を回復魔法で治療している最中だった。

その目は、まだ、するどく勇者様を睨みつけている。

隊長さんの言うとおりだ…お姉さんはまだ、諦めてない…

戦う気力を削がれていない…

「なんだ、その目は…?」

そんなお姉さんの視線に気付いたのか、勇者様は憎らしげに言った。

「まだやる気か?」

問いかけに答えないお姉さんに、勇者様はさらにそう問い立てる。

すると、お姉さんは微かに口元を緩めて見せた。

「あんたを叩きのめすまで、やめるつもりはない」

「ふふっ、あはははは!身の程をわきまえろ!」

お姉さんの言葉に、勇者様はそう言うが早いか魔法陣を展開させた。

「さぁ、本当の紋章の力を思い知らせてやる」

刹那、お姉さんとそれを支えるサキュバスさんの周囲に無数の氷の刃が現れて、そのすべてが二人に殺到した。

逃げる隙間もなかったお姉さん達は、体中をズタズタに切り裂かれて血しぶきを上げる。

「お姉ちゃん!サキュバスさん!」

零号ちゃんがそう声をあげたときには、お姉さん達は再び体勢を崩して、床へと激突していた。

 ダメ、ダメだ…やっぱり、このままじゃダメ…

考えて…考えなきゃ!

きっと何かあるはず…腕を斬る以外にも、勇者様から紋章を奪う方法が…!

 そう思って、私は勇者様の一挙手一投足をジッと見つめる。

空から降ってくる光の粒が集まるほどに、勇者様の両腕の紋章が光をましているのが分かる。

それに対して、お姉さんの紋章は基礎構文と一緒に徐々に光が鈍くなってもいた。

 時間はない。
  
勇者様は封印に関することで、何か嘘を付いているはずなんだ。

そうでもなければ、納得がいかない。

勇者様から紋章を奪うことは難しい。

奪えたところで、勇者様を殺さずに封印する意味も分からない。

もし封印する理由があったとしても、他の人はあの紋章の力をきちんと扱うことは難しい。

 そう考えれば、「誰かが勇者様を封印した」ということ自体が疑わしい。

だとするなら、やっぱり勇者様は自分で自分を封印したのだろうか…?

確かに、日記や伝説のことを考えればその方が納得が行く。

でも、そうなると勇者様が紋章を持っていないままに紋章を使って自分を封印した、っていう、最初の疑問に立ち返ってしまう。

それに、もしそうなら勇者様自身が「紋章を奪われた」と言っていたことが嘘ってことになってしまう。

そんな嘘を吐く意味があるの…?

そこに弱点があるから…?

自分で自分を封印しなきゃいけなくなるような、そんな弱点を隠している、っていうの…?



―――隠している…? 
  

786: 2015/09/27(日) 21:49:34.97 ID:jlSTxAdno

私は、自分の思考のその言葉に引っ掛かりを覚えた。

勇者様は、弱点を隠しているの?

ううん、違う。

勇者様は隠してなんかいない。

だって、勇者様が言ったんだ。

「自分は紋章を奪われて封印された」って。

それはつまり、そもそも自分には紋章を奪われるような弱点があるんだ、って言っているようなもの。

弱点を隠すつもりなら、そんなことを言うなんてことはしないはずだ。

でも、なんだろう…何か、変な感じがする…隠しているんじゃなければ、いったい、なんなの…?

 ダメだ…ますます分からない…あんまりにも情報が少なすぎて、時間がなさすぎて、過程が多すぎて、

決定的な何かを見つけ出せない…どうしよう…このままじゃ、みんな…

 私は、そんな強烈な焦燥感に身を焼かれるような感覚になって、思わず

「妖精さん!一緒に考えて!絶対に勇者様は何かを隠してる…!零号ちゃんも、竜娘ちゃんもトロールさんも…お願い!」

と、ひとかたまりになって瓦礫の影に身を潜めていた皆と、そばで弾け飛んでくる魔法を石の魔法で防いでくれているトロールさんにそう声をかけていた。

「で、でも、人間ちゃん…に、人間ちゃん…!?」

私の言葉に返事をしてくれようとした妖精さんが、私の方を向いて何故だか言葉に詰まった。

え…?なに…?

その表情があまりにも、その、なんていうか、怯えたような、驚いたような表情だったので、私も思わず身を固くしてしまう。

「幼女ちゃん…そ、そ、そ、それ…なに…?」

今度は零号ちゃんがそう言って、私を指さしながら声を震わせて言う。

それって…?なんのことを言ってるの…?

私は、それでも何かが変なのかな、と思って自分の腕に目を向けていた。

そして、息を飲んでしまった。

 私の腕に、何か、真っ白に光る筋が網の目のように浮かび上がっていたのだ。

魔法陣のような古代文字だったりって感じじゃない。

例えて言うなら…そう、まるで血管みたいに、本当に網目状に腕全体を覆っている。

ハッとして、私は袖をまくってみる。

光の筋は、腕の方から肩の方までずっと続いていた。

な、なんなの、これ…?

私はそう不安になりながら、来ていたシャツの襟を引っ張って、体の方も覗いてみる。

お腹も、胸にも、同じように光の筋が張り巡らされていた。

そして、その光の筋は…私の左の胸の辺りが出発点になっているようだった。

その出発点は、たぶん心臓のすぐ上で、それで、この場所は…

私は、片手で襟を抑えながら、さっき勇者様に魔法を打たれて服に空いた穴から指を入れて確かめる。

やっぱり、だ。

この光の筋の中心は、勇者様に魔法を打たれた場所だ。
 

787: 2015/09/27(日) 21:50:14.59 ID:jlSTxAdno

 勇者様が、これを…?

もしかして、呪いの一種…?

それとも、遅効性の攻撃魔法か何か…?

私、今度こそ氏んじゃうの…?

 一瞬にして自分に起こっている得体の知れない事態からの不安が込み上がる。

ドクン、と心臓が強く脈打った。

そしてつぎの瞬間には、私はその不安をぬぐい去った。

…これは、そういう物じゃない。

ドクンと、心臓が鳴る。

体の、心臓の辺りがポカポカと暖かくなる感覚を私は覚えた。

ドクンと、心臓がなる。

体の奥底から、何か得体の知れない力が込上がってくるのが感じられる。

こんな魔法は受けたことがないし、そもそもそれほど多くの魔法を知っているわけじゃない。

でも、私は今の自分の体に起こっていることが、悪いものではないっていう、根拠のない確信があった。

これ、勇者様がやったの…?

あのとき、私に魔法を放って傷つけるのと同時に、私に何かしていたって言うの…?

いったい、何のために…?

 そう思考を走らせたとき、私は、まるで頭の中でパツン、と何かが弾けるような、そんな衝撃にも似た閃きを覚える。

 あぁ、そうか…

私は、全身に溢れ出る力に後押しされたように、自然とその答えに導かれた。

もしかしたら、何かの魔法でそう気付かされたんじゃないか、って、そう思うくらいに考えもしなかったことだった。

 でも辿り着いてみたら、今はもう他の可能性なんて考えられないくらいに、私はその答えに確信を持っていた。

 そう、それなら、すべてが納得行く。でも、それなら、その役目は私じゃない…

 私はすぐさま立ち上がって駆け出し、サキュバスさんと一緒に床に崩れ落ちていたお姉さんを助け起こした。

 「お姉さん、大丈夫?」

「大丈夫だ、だから下がってろ…あたしが止める…あんなやつの思い通りになんてさせない…!」

そう言いながらも、お姉さんはすでに力が入らないのか剣を杖のように床に突き立てて、それにすがりながらでないと立ち上がれないような有様だった。

 そんなお姉さんに、私はそっと手を当ててあげた。そして、意識を集中させて、回復魔法を練習したときのように体に沸き起こる力をお姉さんへと送る。

光が消えかかっていたお姉さんの紋章に再び光が戻り始めた。

 そのときになって、お姉さんはようやく私を振り返って、そして引き攣った笑みを浮かべる。

「おい、なんだよ、それ…?魔法陣、なのか…?なんて言うか…血管みたいな…」

「何かは分からない…でも思い当たることはある。後で説明するよ…だから、今は戦わなきゃ」

私はお姉さんにそう伝えて全身の魔力をお姉さんに注ぎ込んだ。その途端に、お姉さんの腕の紋章が今まで見たことないくらいに輝き始める。

体を穿っていたあちこちの傷が、目を見張る速さで塞がっていく。

「あぁっ…なんだこれ…」

お姉さんは動揺しながらも、すでに私の魔力をうまく扱えているようだった。

剣を力強く握りしめ、つい今まで立つのでも精一杯だったお姉さんは、力強く床を踏みしめて上空の勇者様を見上げた。
 

788: 2015/09/27(日) 21:50:48.37 ID:jlSTxAdno

「もう、時間がない…これを最後の一撃にする…あんたの力、あたしが使わせてもらうよ」

「うん、きっとそれがいい。私がやっても、きっとうまくやれないだろうし…」

私がそう答えたら、お姉さんは傍らで二人に回復魔法を掛けていた十六号さんの剣用のベルトをピッと引っ張り抜いて、

それから私を背負いあげると体が離れないように固定した。

 「トロール、妖精ちゃん、サキュバス。残ってるのはあたしらだけだ…掩護を頼む」

お姉さんは、そう言って三人を振り返った。

「おいも、まだやれる。今度こそ何とかするべき」

「や、やれと言われれば精一杯やりますけど、だ、大丈夫です…?」

「この身は魔王様の物。魔王様が行くと言うのなら、例え地獄への扉でも修羅が住まう世界でも、どこへなりともお供します」

三人はお姉さんに三人三様の返事を返した。

 お姉さんはそれにコクっとうなずいて、そして再び勇者様を見上げる。

勇者様は、基礎構文から降ってくる光の粒をさらにたくさん取り込みながらこっちの様子を伺っていた。

 そんな勇者様に向けて、お姉さんは空を蹴って一気に上空へと飛び上がった。

 私は魔力をお姉さんに送りながら、お姉さんの背中に魔法を使って、手探りしながら一対の翼を顕現させた。

右の翼は天使の翼、そして右の翼は、サキュバスさんと同じあのコウモリのような翼だ。

 「だぁっ!」

お姉さんは、急な加速で勇者様の懐に入り込むとその剣を下から切り上げた。それは、勇者様の氷の刃に簡単に弾かれてしまう。

でも、お姉さんは、続けざまに短剣を引き抜くと勇者様の喉元目掛けて振り下ろした。

「甘いんだよ!」

勇者様は、それを軽々躱してフワリとお姉さんから距離を開けた。

そしてニンマリと笑うと、黙って二つの氷の刃を一つにまとめ、長い槍のような形状に作り変えた。

「そんな強化魔法は見たことがないな…あなた達、何をした…?」

勇者様は、そう戸惑っているかのような嘯くような表情を浮べている。

そんなお姉さんに辺から行く本もの光の筋が降り掛かった。

これは、妖精さんの光魔法だ…!

 勇者様は、その攻撃を身を翻して回避する。だけど、その先にはトロールさんが固めた石の塊が在って、それが一斉に勇者様へと叩き付けられる。

一瞬、石の隙間から見えた勇者様の表情は驚きに満ちていた。私が目にしたくらいだ。お姉さんがそれを見逃すはずがない。

 お姉さんは紋章を真っ青に光らせて、私が背中の羽を羽ばたかせて勇者様へと突っ込んだ。今度は斜め下から勇者様を切り上げようとする。

しかし、その剣もまた、勇者様が氷の魔法で作った防壁に阻まれ、ガキンと動きを制される。

さらに勇者様は高笑いしながら無数の魔法陣を辺りに展開し、飛び込んで来た私とお姉さんに狙いを付ける。

ギクッと、思わず体を怖ばらせたその時だった。

 「何でもいい…とにかく撃て!」

そう叫ぶ魔道士さんが強力な雷魔法で勇者様の魔法陣を撃って掩護してくれる。

そしてそれに応えるように十六号さん達や大尉さんや兵長さん、隊長さんに外にいた兵士さん達が一斉に魔攻撃法を勇者様に向けて放った。
 

789: 2015/09/27(日) 21:52:24.17 ID:jlSTxAdno

 勇者様はさらに身を翻そうとするけど、そんな一瞬の隙にお姉さんが展開させた結界魔法に進行方向を遮られて動きを止めた。

魔法への対処が出来なかった勇者様は、強烈な無数の魔法をボコボコと言う音をさせながら全身に浴びてしまう。

 そして初めて、勇者様の体がグラッと揺れた。

「でやぁぁぁぁぁ!」

それを見逃さなかったお姉さんは私が送った魔力のすべてを剣にまとわせて、そして一気に勇者様の胸元に突き出した。

 その切っ先はあの、どんな攻撃も寄せ付けなかった勇者様の胸に突き立った。

ほんの、ほんの少しだったけど…

 その剣の刃を勇者様は、ぎゅっと握った。手に力を込め、突き立った剣を押し込もうとしているお姉さんをグイグイと押し返していく。

「くそっ…これもダメか…!?」

お姉さんがそう呻いたとき、バッと目の前にサキュバスさんが現れて、お姉さんの握った剣に手を添えた。

「魔王様…!」

サキュバスさんはそうつぶやき一緒になって剣を勇者様の体へと押し込む。

「力なら任せろ!」

「魔王様!人間ちゃん!!」

そこに、トロールさんと妖精さんも駆けつけてくれる。

トロールさんは剣に手を添え、妖精さんはお姉さんの肩を支えて風魔法で大気を蹴る。

 剣を抑える勇者様の腕がブルブルと震えている。もう少し…あと、少しだ…!

「小癪な…この程度の力で…この程度で…!」

勇者様は、剣の刃を握って堪えながら苦悶の表情でそう繰り返す。

 剣は、ズブリ、ズブリと少しずつ深く深くに刺さり込んで行く。

「一気に行くぞ…これで終わりだあぁぁぁぁぁぁ!」

お姉さんは合図とともにまるで青い太陽なんじゃないかってほどに紋章を光らせて全身に力を込めた。

 ズブ、ズブブッと言う湿った感触があった直後、

「バッ…バカな…こんなことが…」

と勇者様が呻いた。

 そしれ、ズシャッと言う軽い衝撃とともに勇者様の体の向こうへと刃が抜けた。

 それでも、お姉さんは安心しない。

「トロール、サキュバス、妖精、離れろ!」

そう言うや否や、お姉さんは両腕に青く光る雷の魔法陣を展開させると、剣伝いに雷を勇者様の体内に送り込んだ。

「ふぐっ…あぁっ…ぐああああああああ!」

勇者様が低いザラッとした声で絶叫する。

勇者様は、ゲフっと口から血を吐きながら、それでも、お姉さんの剣の刃に手を添え直し、そして食いしばった歯を開いて叫んだ。

「おのれ…おのれ…!このままで…このまま生かしてはおかない…あたしと、基礎構文の道連れにしてやる!」 

勇者様は、そう言うが早いか、私とお姉さんごと自分を卵のような丸い魔力の塊に飲み込んだ。

 その光の魔力の中は、なぜか静かだった。雷のような電撃が来ると思っていたから、全身に力が入ってしまっていたけど、自然とそれを緩めてしまう。

この塊は結界の一種だろうか?

外の様子が見えない。音も聞こえない。

まるで光り輝く不思議な空間に包まれているような、そんな感じがする。
 

790: 2015/09/27(日) 21:55:18.79 ID:jlSTxAdno

 これが攻撃や何かでないっていうのを理解した私は、はたと勇者様の考えに気づいた。

だから私は、まだ勇者様の体に雷魔法を送り続けていたお姉さんと私をつなぎとめていたベルトを外して、お姉さんから体を離した。

 途端に、出力を失ったお姉さんはガクリと膝が落ちそうになる。

そんなお姉さんをとっさに支えたのは、剣を刺されたままの勇者様だった。

その顔には、ほぐれた笑顔を浮かべていた。

あの日と同じ、お姉さんと良く似た悲しげな瞳をたたえたままの…

「おい…な、何してんだ…?」

お姉さんが私にそう聞いてくる。

「うん、お姉さん…私、勇者様に聞かなきゃいけないことがあるんだ」

私は、驚いた表情を浮べているお姉さんに笑いかけて、そのまま勇者様の前にすすみでた。

「勇者様…これで、良かったのかな…?」

すると勇者様は、鱗に覆われその下には獣人族のような巨大な筋肉を膨らませていた腕を私に伸ばしてきて、

そして、その手のひらだけを人間の姿に戻すと、クシャッと私の頭を撫でてくれた。

「本当に、あなたは頭の良い子だ…おかげで三文芝居がしやすかったよ」

そう言った勇者様の表情は、とっても優しい顔つきだった。

「途中はもうだめなんだって思いましたけど…」

「申し訳なかったけど…そう感じてくれてたのなら良かった」

「おい…何の話だよ…?何が、どうなってんだ…?」

お姉さんが目をパチクリさせながら私と勇者様に聞く。

私は、私からではない方がいいかな、と思って勇者様に視線を向けたら、勇者様は小首を傾げてなにかを考えるような仕草を見せてから、またクスっと笑って

「いろいろ話はしたいけど、もう時間がない。基礎構文が崩壊する前に決着を付けよう」

勇者様はそう言うと、別の魔法陣を無数に周りに張り巡らせた。そして、

「爆破と同時に結界魔法で身を守れよな」

と、今度は自分に剣を突き指しているお姉さんの髪を梳く。

「待てよ…何、言ってるんだ…?」

「本当に頑張ったな、これまで…」

戸惑いを隠せないお姉さんの、今度は頬を愛おしそうにつまんだ勇者様はそう言って、それから穏やかな口調で付け加えた。

「この世界はきっと荒れる。だから、あなたが居てくれて良かった。あなたと仲間たちとでこの大陸の光となってくれよ…あなた達なら、きっと出来る!」

そうして勇者様は優しく微笑んだ。
 
 バシバシと、辺りの魔法陣が音を立て始める。

私はまたお姉さんに飛びついて

「お姉さん、結界魔法!早く!」

と急かした。

「えっ…あ、あぁ…」

お姉さんはワケが分からない、って顔をしてたけど、お姉さんはすぐさま結界魔法を展開させる。

勇者様が自分に突き立った剣を握っていたお姉さんの手に、自分の手を添えて言った。

「ごめんな、そして、ありがとう。本当はもっと姉らしくしてやりたかったけど、状況が許さなかったからな」

突然、ポ口リと勇者様の目から涙がこぼれる。

お姉さんは相変わらず身を固めてしまったままだ。
  

791: 2015/09/27(日) 21:56:13.76 ID:jlSTxAdno

「もし…この先もう一度会えたら、その時は…」

勇者様は、そこまで言うと、ハッとして顔を上げた。

「…時間だ…それじゃぁね」

そう、落ち着いた様子で言った勇者様は、自分に突き立った剣をギュッと握りしめ、そして、それを手にしていたお姉さんを力一杯に蹴り飛ばした。

 次の瞬間、私達は、またあの夜空の元に飛び出していて、そんな私達を激しい爆発の炎と風圧が飲み込んだ。

ぐるぐると体が振り回され落下していく中で、私は、剣が突き刺さったままの勇者様の体が、まるで魔法で出来た翼やトロールさんの体が消えていくのと同じように、

光る霧のようになって消えながら地上に墜ちて行くのを見た。

「くっそ、魔力がもう空だ!おい、さっきの力、もう一回送ってくれ!」

風の音に混じって、お姉さんがそう叫ぶのが聞こえる。私達だって、落下中だ。魔法で着地をしないと、無事では済まない。

 私は、お姉さんの体にへばりついて意識を集中させる。体の奥底から湧いてくる力をお姉さんに送り込…めない。

 あ、あれ…おかしいな…焦ってる?集中が足りないのかな…?でも、もう一度試してみるけど、やっぱりさっきのような力が出せない。

ハッとして私は自分の体を見やった。そこのは、あの真っ白に光る不思議な模様は跡形もない。あの日に勇者様にもらった魔法陣も消えてしまっている。

 も、も、ももしかして…?!

私は夜空に目をやった。そこにはもう、あの輝く大きな魔法陣はない。基礎構文ももう、跡形もなく消え去っていた。

 そっか、もう魔法は使えないんだね…じゃぁ、これ、今、すっごいまずい状態じゃない…!?

「お姉さん、私も出来ない…!」

「何ぃぃぃ!?」

そう言っている間にお城の床がグングンと迫ってくる。

「おい、受け止めろ!」

下で隊長さんがそう叫んで、女戦士さん達が私とお姉さんの落下点に駆けつけた。

私は空中でお姉さんにギュッと抱きしめられた瞬間、ドスンと言う強烈な衝撃が体に走るのを感じた。

全身がガクガクして、頭もクラクラとする。

周りには、私達と一緒に倒れ込んでいる女戦士さん達の姿があった。
 
「あぁ、なんだよ…どうなってんだ?」

女戦士さんが打ち付けたらしい肩をさすりながら不思議そうにそう言い

「力が、入らない…?」

と女剣士さんも、自分の手を見て呟く。

「あっ…痛ってぇぇぇぇ!」

お姉さんが腕を抑えながらそんなうめき声を上げた。見ると、お姉さんの左腕がおかしな腫れ上がり方をしている。

お、お、お姉さん、それ、骨が…?

私がそう青ざめていたら、そこへ十六号さんが駆け寄ってきた。

「大丈夫か、二人共…?じゅ、十三姉、それ腕折れてんじゃないか!」

十六号さんはそう言うなりお姉さんの腕に両手を掲げて、しばらくしてから、

「あぁ、そうか…」

と口にして、夜空を見上げた。
 

792: 2015/09/27(日) 21:57:07.47 ID:jlSTxAdno

 「…間に合わなかったって言うべきか…何とか間に合ったって言うべきか、悩むところだな」

そんな十六号さんに、お姉さんは笑ってそう言い、そのまま腕をかばいながら床にごろっと横たわった。

そして、安堵のため息をついてから、静かな声色で言った。

「終わった…終わっちゃったよ…」

ポ口リと、お姉さんの目から涙がこぼれた。でも、そんなお姉さんはあの悲しい顔をしてはいなかった。かと言って、嬉しいんでも、喜んでいるんでもない。

ただ、その表情は私には、どこか清々しく見えるような、そんな気がした。

 「魔王様!」

そう声が聞こえて、私は、ふと顔を上げた。そこには、サキュバスさんがいた。でも…なんだか違和感がある。

それもそのはず、サキュバスさんには、あの頭に生えていた角がない。尖った耳も、背中の翼もない。

そこにいたのは、栗毛色の長い髪をした、人間のサキュバスさんだった。

「あぁ…サキュバス…だよな?」

「はい、私です…魔王様、よく、よく、ご無事で…」

サキュバスさんはそう言うなり、お姉さんの手を取って泣き出してしまった。

 基礎構文が消えてしまったら、魔族は魔族の姿を保っていられなくなってしまったんだ。

それを思い出して私は、辺りを見回した。

ソファーの部屋だった場所の隅に、見知らぬ男の人が二人に、それからたぶん鬼族の戦士だった女の人と、鳥の剣士さんだった二人の姿があった。

見知らぬ二人は、軽鎧の方が黒豹さんで、ゴテゴテした鎧にたくましい体をしている方が虎の小隊長さんだろう。

 お姉さんの言葉の通りだった。

戦いは終わった。

世界も、終わってしまった。

お姉さん先代様と交わした魔族達に平和をもたらす約束は、ついに叶わなかったんだ。

だからあんな表情で涙を流していたんだ。

でも、これで終わりじゃない、って、お姉さんはきっと分かってくれているんだろう。
 

793: 2015/09/27(日) 21:58:10.84 ID:jlSTxAdno

「みんな…聞いてくれ」

お姉さんはすぐに、仰向けに寝転んだまま、駆け寄ってきていたみんなに向けてそう声を掛けた。

「ケガ人の手当てをする。あたし達の手当てが終わったら、その次は外の連中だ。

 重傷者がかなりいるはずだからなるだけ急いで指揮を取って、重傷者から優先的に罠用に作っておいた広間に引き入れて治療をさせてくれ」

そんなお姉さんの言葉に、みんなもようやく、一様に安堵の息をホッと吐いてみせた。

「まったく、人使いの荒さは変わってねえな」

「おし、アタシらが表の偵察してこよう。触れて回らなきゃいけないし」

「十六姉ちゃんは東を頼むよ。俺は西に行く」

「よし、西にはうちの剣士を付けよう」

「それなら私が東の方に着いて行きます」

「あぁ、頼むぞ鬼戦士」

「虎だった旦那は、兵長の意識が戻るまではここの指揮を頼む」

「わ、私も何かするよ!」

「零号様は私と一緒にお湯を沸かすのを手伝ってくださいますか?」

「私は…医療品と薬草を持って出します」

「確か倉庫に山ほどあったねぇ、あたしもそっちかな」

「おいも、手伝う」

みんなが口々にそう役割を確かめ合ったのを聞いて、お姉さんはクスっと嬉しそうに笑ってみせた。

「まったく…本当に休む間もないよな」

お姉さんはそう言いながらも、私の顔を見やって

「さっきの話は、後回しだ」

なんて満面の笑みで笑いかけてくれた。




 

794: 2015/09/27(日) 21:58:46.36 ID:jlSTxAdno




 「おーい、誰かこっちに手を貸してくれ!」

「重傷者は二階の大広間へ!手当てがまだの軽傷者は、中庭の救護所が空いているので、そっちへ回って!」

「待たせたな、炊き出しだ!まだの連中にどんどん回してやってくれ!」

「おぉい、誰か責任者の所在知らんか?追加の輸送隊がついたんだ」

長かった夜が開けた。

 昨日の晩まで、人間軍と魔族の人達に埋め尽くされていた城壁の外には軍隊の駐留用のテントが張られて、あちこちが仮設救護所に成り代わっていた。

昨日まで武器を持っていた人達は、今日は包帯や固定具、止血の薬草なんかを持ってあちこちを駆け回っている。

魔王城の中の台所にも人が詰めかけ、残りの食糧を全部供出した炊き出しだも行われている。

それだけでは足りないけれど基礎構文が消えたあとのことを想定していて、

大尉さんが手を回していた救援隊の物資が時間を置いて馬車数台ずつ到着しては、食糧や医薬品を運んできてくれていた。

どうもこの救援隊を指揮しているのは、あの竜族将さんらしい。

大尉さんがどう頼んだかは分からないけれど、竜族将さんはこの物質輸送にかなり積極的に協力してくれているらしかった。

 お城も開放して、特に安静が必要な人達に休んでもらう場所になっている。

そう指示を出したのは、もちろんお姉さんだった。

私はお手伝いの合間の僅かな休憩時間に、昨晩に吹き飛んでしまったソファーの部屋まであがって、そこからお城の内外で動き回る人達を眺めていた。

そこには、土の民も造の民もない。ただの人間達が、傷付いた仲間のために行き交う姿があった。

 「よう、大丈夫か?」

不意にそう声がしたので振り替えると、そこにはお姉さんがいた。

お姉さんはあちこちに包帯を巻き、当て布を貼り付けられている。右腕はやっぱり骨折していて、首から三角布で吊り下げていた。

「うん、平気。お姉さんは?」

私がそう聞いてみたら、お姉さんは苦笑いを浮かべて

「いやぁ、あちこち痛くって…ケガが治らないなんて、初めてのことだからな」

なんて言って肩をすくめた。

 基礎構文が消えた。私達の世界にはもう、魔法が存在しない。

骨折も切り傷も火傷も、治るまでには長い時間がかかってしまう。

それを不便がり、やっぱり絶望を感じる人達もいるようだけど、そもそも生き物っていうのはそういう存在なんじゃないか、って私は思う。

畑で作物がゆっくり育つように、人の成長も、傷の治癒だって、本来はきっとそういうものだろう。

もし今を不便だと思うのなら、それはきっと、魔法の力に甘え過ぎてしまった結果だ。

 「ごめんねお姉さん。私を床にぶつけないようにしてくれたんだよね」

「あぁ、まぁ…うん、いいよ」

私がお礼を言ったら、お姉さんはそう言って照れ笑いを浮かべながらポリポリと頬を掻いた。

「外の人達の被害は分かった?」

「あぁ、氏んだ奴はそう多くないみたいだ。地上にいた奴らはケガだけ。

 氏んじゃったのは、上空から叩き落とされた連中で、着地をやれずに打ちどころが悪かったやつらだ。

 今のところは、八十九人…」

「そんなに…」
 

795: 2015/09/27(日) 21:59:32.13 ID:jlSTxAdno

「いや、総数三万八千の中で、氏んだのが八十九人だ。ケガした奴らはもっと膨大だけど、氏者の数だけみたら、被害なんてなかったに近い」

そうか…あれだけの数の人達が勇者様に挑んだんだ。

勇者様にはそうするつもりがなくても、あの高さからお城じゃなく地面に落ちてしまえば助からない人がいたんだろう。

ううん、逆に、光の矢や、氷の刃を散々に降らせたのに、誰ひとり氏んだ人がいないというのなら、勇者様にはそうする意思が本当になかったんだ。

…やっぱりそうだったんだね。

私が内心、勇者様の行動に納得していたら、ややあって表情を引き締め直したお姉さんが私に聞いてきた。

「教えてくれないか、昨日のこと」

あぁ、うん、そうだね…

あれからは、混乱する戦場を治めてケガ人の救護を組織立てるために、忙しく動いて、あの話をゆっくりとする時間なんてなかった。

「うん、分かった」

私はそう返事をして、お姉さんに向き直る。そして私は、勇者様が考えたのだろう物語をお姉さんに聞いてもらった。

「昔々ある大陸では、終わることのない戦いが続いていた。

 果てのない戦いによって人々は疲弊しきっていて、心の内の憎しみや怒りを見つめ直す余裕すらなく、ただ武器を取り敵を傷付けていた。

 ある日、戦いの最中に、世界を繰り返す憎しみと怒りに突き落とした“古の災い”が蘇って、大陸を滅ぼそうと暴れまわった。

 たくさんの人々が傷付いた…けれど、その憎しみと怒りが満ちた大陸でそんな感情に飲まれずに、

 平和を夢見た人とその仲間達が多くの人達の前に立って災いと戦い、遂にはこれを討ち破った…」

私の話に、お姉さんは真剣な表情で首を傾げて

「なんだよ、それ?」

と聞いてくる。そんなお姉さんに、私は笑って答えた。

「これから先、この大陸に伝わって行く…ううん、勇者様が、この大陸に伝えて行って欲しい、って、そう願った物語だよ」

「あいつが…?」

お姉さんは、なおも怪訝な表情で首を傾げている。

「うん…私達の見込みは、きっと甘かったんだと思う。基礎構文を消さなきゃ、紋章を扱えなかったお姉さんと私達は、人間軍と魔族の人達には勝てなかった。

 だから基礎構文を消して世界を壊して、人間と魔族の差異をなくして、新しい世界を紡いで行くしかないってそう思った。でも、勇者様は知っていたんだと思う。

 世界を飲み込んだ怒りや憎しみが、そんなことでは消えないってこと。

 悪くしたら、基礎構文が消えたあともその感情だけが残って、“古の勇者”様が現れる以前の世界に以上のひどい状態になる可能性だってあった」

お姉さんは意味を掴みかねている様子で私をジッと見つめながら話を聞いてくれている。

「…争い合う二つの人達がいるところにもっと強い恐ろしい何かがやって来たから、二つの人達が手を取り合ってその恐ろしい何かを討つ…良く出来た物語だよね」

私は、いつだったか十六号さんが言った言葉をなぞってそう言った。その言葉に、お姉さんの表情が曇る。

「…そう、それは、お姉さんが引き受けていた役目だった。魔導協会に押し付けられた役目、かな。

 大陸を滅ぼす悪として、大陸中の怒りと憎しみを背負う“生け贄のヤギ”…」

「待てよ」

不意に、お姉さんはそう言って私の話を止めた。曇った表情のままに、お姉さんは私に聞いてくる。

「それじゃあ、あいつは…あたしの代わりにそう言う悪い感情を引き受けて、進んで“生け贄のヤギ”になったってのか?」
 

796: 2015/09/27(日) 22:00:28.30 ID:jlSTxAdno

「うん、そうだったんだと思う」

私は、お姉さんに頷いて見せてから、話を続けた。

「勇者様は言ってた。今の世界を作ってしまったのは、勇者様自身だって。正直、私もそう思うところがあった。

 それしか方法がなかったとしても…世界を2つに分けるなんてことは、悪い感情を放置して悪化させてしまうだけのものだったんじゃないかな、って。

 だから勇者様は、私達を騙して裏切って…世界を滅ぼそうとした。

 大陸中の悪い感情すべて背負って、それと一緒に世界から消えることが、自分の役目だって、そう考えたんだと思う…」

私がそう答えたら、お姉さんは

「そんな…」

と呟いて、力なくその場にへたり込んだ。私は、それでも話を続けた。

「でも…勇者様のおかげで世界は、大陸が二つに分けられる前の姿に戻った。

 中央山脈がなくなって、魔法がなくなって…長い間に歪んでしまった、いびつな悪い感情も消えた。

 勇者様は、そのために“生け贄のヤギ”を買って出たところもあるんだよ、きっと。

 勇者様はお姉さんに言ってたでしょ?世界の光になってやってくれ、って」

あるいは、もしかしたらそれが一番の理由かも知れなかった。

怒りや憎しみを奪い去っても、一つの大陸に住む、二つの違った文化を持つ民はそのままだ。放っておけば、いつまた衝突が起きるか分からない。

そしてその衝突にちょうど良い落としどころを付けられるかどうかは、勇者様には分からなかったんだ。

でも、勇者様はお姉さんの話を聞いて…お姉さん自身の言葉を聞いて、お姉さんなら二つの民の衝突を治められると感じたんだと思う。

もしかしたら、二つの民を融和することだって出来るんじゃないか、って感じたのかもしれない。

何しろ、私達は人間も魔族もなくお姉さんと一緒にいて、お姉さんを助けていたから。

 勇者様が“生け贄のヤギ”になったのは、勇者様自身が責任を取りたかっただけじゃない。

お姉さんを、大陸の未来に生きていて欲しかったからなんだ。勇者様もお姉さんと同じで、この大陸の平和をずっと望んで来た人だったはずだから…

「なんで、そう思ったんだ?」

「だって、そう考えるしか理屈が合わなかったんだ。

 どう考えたって、勇者様から紋章を奪う方法なんてない。

 だから、それ自体が嘘なんじゃないかな、って、そう思った。

 勇者様は、最初に封印から出たときにはもう、今回の事を計画していたんだと思う。

 封印の事を私が聞いて、紋章の受け渡しが上手く行かないと困るから、魔法で私を黙らせた。

 でも、代わりに私に、勇者様を討つ役割りをさせるために、あのおかしな紋章みたいなものも一緒に埋め込んだんだ。

 たぶん、だけど、あれは…基礎構文の一部だったんだと思う。

 消え始めた基礎構文を勇者様自身と私とに分けて、力を与えてくれたんじゃないかな。

 あの結末を迎えるために」

私は、お姉さんにそう言った。

直接確かめたわけじゃなかったし、想像によるところも大きい。

でも、不思議と私は、それが間違いなんじゃないか、とは思えなかった。
 

797: 2015/09/27(日) 22:01:48.78 ID:jlSTxAdno

「それが本当だったら…」

お姉さんはポツリと口を開いた。

「あたし、あいつに随分とひどいこと言っちゃったな…」

「それで良かったんだと思う…勇者様が私達を裏切ったのはそのためだったんじゃないかな。

 恨みとか憎しみとか、そう言うのを背負うためには本当に私達を傷つけるくらいの気持ちじゃないといけなかったんだと思う。

 だって、そうじゃないとお姉さんは勇者様ですら助けようってそう思ったでしょ?」

私がそう言ったら、お姉さんは「あー」なんてうめき声をあげて

「まぁ、そうだよな…そんな話を事前にされたら…あたし、また傷付けるのを避ける方法を探してたと思う」

と納得してくれたようなことを言った。でも、それでもお姉さんは

「でも…やっぱり、そうと知ってたら…もっと何か、感謝とかそういうことを伝えられたんじゃないかな、とも思うよな」

なんてぼやく。

「きっと伝わってるよ」

「そうだと良いけど…」

お姉さんはそう応えて、「よっ」という掛け声とともに体を起こした。何かな、と思ったら

「さて…お呼びかな?」

とお姉さんが振り返ってそう言う。

お姉さんの視線を追うとその先には、サキュバスさんに妖精さん、トロールさんがいた。

 「魔王様、サボりはダメですよ!」

妖精さんがそんなことを言って笑う。

「魔王様、とお呼びするのも今更なんだか違う気が致しますね」

妖精さんの言葉に、サキュバスさんがそう笑顔を見せた。

「会議室で魔導士が呼んでる」

トロールさんは、いつもの様子でお姉さんにそう言う。

そしたらそれを聞いた妖精さんが

「魔法が使えないのに魔導士様、っていうのも、なんだかおかしいね」

なんて言ってまた笑った。

 そんな様子を見て、お姉さんはふぅ、と溜め息を吐きながら両肩をすくめて

「ほんと、勇者でも魔王でなくても、楽は出来ないな」

なんて言って笑った。
 

798: 2015/09/27(日) 22:02:16.62 ID:jlSTxAdno

 勇者様が言った通り、竜娘ちゃんが想像した通り、この先のことも、きっと簡単じゃないだろう。

今はこの戦いの終わった戦場で、みんなが手を取り合って助け合おうとしている。

でも、魔法が消えたこの世界がどうなっていくのか、まだ誰にも分からない。

人間界の王国はこれからどうなって行くんだろう?

魔族から人間の姿に戻ってしまった魔族の人達の暮らしはどうなっていくんだろう?

まだまだ心配しなきゃいけないことはたくさんある。

私達は、基礎構文を消した当事者として、勇者様に願いを託された者として、それを考えていかなきゃいけない。

 それはもしかしたら、お姉さんが勇者や魔王をやっているとき以上に大変なことなのかもしれない。

でも、私は以前ほどそのことに心配はしていなかった。

だって、これからはもう、勇者や魔王なんかに何かを押し付けることなんてできないからだ。

これからは、みんなひとりひとりがその責任を負っていかなきゃいけなくなる。

お姉さんが全てを背負っていた頃とは違う。

戦いがすべてだった頃とも違う。

そこには、私に出来ることもきっとあるに違いないからだ。

 「魔王様、急ぐですよ!」

「ケガ人の扱いじゃないよなぁ、まったく」

妖精さんの言葉に、お姉さんがそう言って笑う。

「ケガをされていても政務ができますからね」

「そもそもあたしに政務って向いてないんじゃないのか?兵長とあんたが居れば十分だろ?」

そう言ったサキュバスさんに、お姉さんは、わざとらしい嫌そうな顔をして応えた。

「救援隊の物資の振り分けも頼みたいと言っていた」

「それこそ、兵長あたりがやればいいだろ!」

トロールさんの情報にお姉さんは笑いながらそう文句を言う。

 「ほら、お姉さん!お仕事お仕事!」

私もそう言って、お姉さんの服を引っ張った。

「あぁ、もう!分かった分かった!行くよ、行けばいいんだろ!」

お姉さんは私に引っ張られて、そんな事を言いながら立ち上がる。

 「ほんとにまったく…楽じゃないよ!」

お姉さんはそんなことを言いながら、満面の笑顔で笑ってみせた。

 そして私達は、荒れ果てたソファーの部屋を揃って後にした。

これから始まるのは誰も知らない新しい世界。

その世界を、私達は作っていかなきゃいけないんだ。

止まってる暇も、迷っている暇も、怯えて不安になっている暇もない。

私達は歩いていくんだ。

何が起こるかわからないけれど、きっと私達は大丈夫。

だって、私達はひとりじゃない。

いつだって、困ったときにはそばにいてれる仲間がいる。

だからきっと、私達は大丈夫!



 

799: 2015/09/27(日) 22:02:58.83 ID:jlSTxAdno

以上です。

お付き合い、大変ありがとうございました!
 
 幼女とトロール【完結】

800: 2015/09/27(日) 23:48:19.56 ID:ESbCDjFK0
おつ!!!

813: 2015/09/30(水) 19:59:51.15 ID:580958XWO
盛大におつ
幼女にどんだけ苦労させるんだ!と思ったけど
結果面白かったです

引用: 幼女とトロール