1: 2014/07/03(木) 22:59:31 ID:jCVODrYo
このスレは僕がふと思いついたssを投下する場にしたいと思います

6: 2014/07/04(金) 12:35:59 ID:jCVODrYo
「primitive」

俺はボーカルをやめたい。

もともと、自分の声が嫌いだった。
バンドメンバーと録音した演奏を聴くときも、耳を覆いたくなる。
それでもメンバーたちは凄い凄いと僕をほめそやす。
そこで、こんなのもまあいいかな、と思ってしまう俺も悪い。
だが俺はボーカルをやめたい。

俺ができる楽器といえば、タンバリンぐらいのものだ。
お遊戯のように振ったり叩いたりしながら歌う。
ある時ライブで曲と曲の合間に、ふと、もはや歌わなくてもいいんじゃないか、という気がして、次の曲ではタンバリンだけを叩いた。
俺が歌詞を忘れたのかと勘違いして、ギタリストが歌い始めた。
だがそのうち歌わなくなった。

この演奏が、中々好評だった。
そうだ、俺はタンバリンだけを叩くバンドマンになりたい。
江戸前エルフ(1) (少年マガジンエッジコミックス)
7: 2014/07/04(金) 12:37:50 ID:jCVODrYo
俺はメンバーに悩みを打ち明けていない。

彼らにとって俺がボーカルを務めることは当然だろうし、はまり役で俺自身にもその自負があると思っているのだろう。
もちろん、ファンの皆もそうだ。

俺たちはそれなりに成功しているインディーズバンドだ。
俺たちを褒めたたえる声を阻害する気はない。
俺の意思を尊重するなら、このバンドはタンバリンバンドになってしまうだろう。

8: 2014/07/04(金) 12:39:32 ID:jCVODrYo
「一体これは何だと言うのか」ある日俺は借しスタジオでいきなり叫んだ。

「俺は歌う。けれどボーカリストじゃない。おいギター、お前は本当にギタリストなのか?」

ギタリストは言った。

「俺は、俺はギターをこれまで弾いてきた。ギターが弾ける自分を誇りに思った。俺にはギターしかない。けれど、俺はギタリストではないかもしれない!」

ベースとドラムも頷いた。
そこで俺たちは録音機を回した。

9: 2014/07/04(金) 12:41:14 ID:jCVODrYo
はじめは誰も、微動だにしなかった。

みながみな、気づいたのだ。
俺たちはここで、それぞれ担当楽器を演奏してはいけない。

おもむろに、ギタリストがドラムセットの椅子に座った。
どんちゃんどんちゃん叩き始めた。

俺は、俺はどうしよう? 
俺はボーカリストだ。
だからタンバリンを演奏してはいけない。

でゅでゅでゅでゅでゅでゅでゅでゅと、ドラマーがルート弾きを始め、ベーシストは俺の手からタンバリンをぶんどって誇示するようにぱんぱんぱんぱん叩いた。
俺はギターを手に取り、全く鳴らないFのコードだけを8ビートで弾き始めた。
ドラムスは4ビートである。
間違いない。
これはこれでいいのだ。

さあ、誰か歌え。
いや、誰も歌わなくてもいい。
この空間が、この音がいいのだ。

10: 2014/07/04(金) 12:44:00 ID:jCVODrYo
5分ほどそうしていた。

その状態を破ったのはベーシスト、いや、かつてベースを弾いていた、いや、ベースに弾かれていた人間だった。
オーディオインターフェイスに、マイクが繋がっていなかった。
つまり録音はされていない。

「ああ、楽しかった!」俺は言った。

ベーシストは機材をいじり、録音ができるようにセッティングした。
それから俺たちは、もとの担当楽器を弾き始めた。
爽快な気分で俺は歌った。
なんと気分がいいのだろう! 
ドラムスはメリハリのある8ビートを奏で、ベースの重低音がスタジオを揺さぶり、歯切れのよいカッティングでギターが応じた。

俺はその上に、ただ赴くままに声を重ね、タンバリンを振った。
タンバリンに、俺の血が通っているかのように感じた。

しかし、それ以上に曲と俺の出す音色が一体化していた。
このとき俺は、確かにボーカリストだった。

11: 2014/07/04(金) 12:45:23 ID:jCVODrYo
そのとき録音したデモを元に、曲をブラッシュアップした。

この曲がきっかけで、俺たちはメジャーデビューすることになる。

名声と金を手に入れた。
でも俺はやっぱり、ボーカルをやめたくなることが時たまある。
そういうときには、また無音の曲を作る。
みんな、俺と考えていることは同じだった。

俺たちはいつだって、担当楽器をやめられる。
幼稚園児のように何もかも忘れて、心の底から楽しむことができる。


おわり





引用: 人の間の、へんな生き物【個人ssスレ】