430: 2009/01/12(月) 14:31:51 ID:evKLsJwb

人気のない肌寒い廊下に佇んで、見上げたのはチークのドアだった。
光沢を失い、所々亀裂が目に付く寂れた小さなドアである。
そこは五○一統合戦闘航空団の図書室だった。
静寂が支配した。緊張して息を頃すと、荒波のような鼓動が耳に響く。
自慢のブロンドを手櫛で梳いて、端正な眉を指の腹で撫でる。
乾いた唇を擦り合わせ艶を出すと、眼鏡を古くから家に伝わる紋章の刺繍が入った
桜色のハンカチで丹念に磨きあげ、最後に服装を念入りに整えて完成だ。

坂本少佐は今日も来ていらっしゃるのかしら

ごくりと溜った唾を飲み込んで、音を立てないよう、そっとドアを押した。
古書の黴臭い匂いが流れ出た。今はなき城の主が勉学のために造成したものを、軍が咀嚼したのがこの部屋である。
だけども、少し前までは私の他には誰も利用しなくて、ひっそりと忘れられた空間になっていた。

将来は貴族の子女として、またガリア空軍の将校としても人の上に立ち、人々を導いて行かねばならぬ身であるから
日々図書室に通い、物事の見識や造詣を深めていたのであった。
それが、先週から坂本少佐もここに通うようになったのだ。
なんでも、後進に自らの空戦技法を伝えるためだとか。
実に素晴らしいお考えで、その理念には感嘆するばかり。
そうして、坂本少佐が大小様々な書籍を広げ、筆を片手に机に向かうのは、決まっていつも夜中のことだった。
それからというもの、読書なんてすっかり手に付かなくなって
今では本の陰に隠れて少佐を盗み見る毎日である。

中を覗くと見慣れた風景が視界に入る。二方の壁と、部屋の中央に位置する八つの本棚に
天井から吊された、一つの大きな古びた電球と、カチカチと、ときを刻む古風な振り子の付いた柱時計。
そのどれもこれもが大好きだった。
本棚に囲まれた奇妙な圧迫感も、仄暗い電灯も、黴臭い空気すら。
それが、私と坂本少佐をつなぐものなのだから
汚い部屋も不快ではなく、むしろ、心地好い気持ちになってくる。
だって、最近の坂本少佐ときたら、御自身が扶桑から連れて来た宮藤さんとばかり過ごすのですもの。
訓練だって、少し前までは私がお付き合いをしていましたのに
今ではとんと、宮藤さんに付きっきりで御指導なされて、なんとも寂しい限り。
ストライクウィッチーズ
431: 2009/01/12(月) 14:33:12 ID:evKLsJwb
斯くして私の心に暗雲が立ち籠めて、意気消沈していた、そんな時に、颯爽と坂本少佐が現われて
それがとても嬉しくて、初めは、幻覚では? なんて訝しんだりしたものだ。

来て居るのなら、窓辺の閲覧席である。狭小な図書室には、その円卓一つしか、この部屋に机は存在しないのだ。
手を胸の前に出して、若干前屈みになりながら、そこに目を澄ますと…
――いた
いたいた。いました。
小躍りするのをどうにか抑えて、確かめるよう、何度も目を瞬かせた。
恐る恐る後ろ手で、把手に手を掛けると、躊躇いながらも漸くにドアを閉めた。
慎重に手近な本棚まで足を進め、身が隠れると気が緩んだのか、どっと息が漏れた。
適当に書物を繕うと、坂本少佐の差し向かいの席に腰をおろした。
自然に装うために、大して興味のない大判の本を開いてみる。
適度にページを捲るものの、耳に響く筆の走る軽快な音に堪らず目線を上げた。
窓から差し込む月明りに照らされたその姿に、思わず息を呑んで、うっかり見惚れてしまう。
長くさらさらした後ろで結った緑の黒髪、艶艶の桜色の唇、吸い込まれてしまいそうな漆黒の瞳。
ああ、どうして貴女はここまで私を魅了しますの…
「…なあペリーヌ。私の顔に何かついているのか?」
「へっ。あっ、いや、な、何でもありませんわ!」
「そうか。ならいいんだ」
素早く本の陰に顔を隠す。頬が熱い。穴があったら入りたい気分。
本当になんたる醜態ですこと。ガリア貴族として面目が立ちませんわ。

はしたなく口角を流れる涎を拭い、多少の居心地の悪さを感じながらも、心は既に夢見心地。
性懲りもなく盗み見てる間にも、夜はどんどん更けていく。

いつの間にか寝入ったペリーヌを見て私は、またかと、そっと嘆息を吐いた。
でも、本を開きながら幸せそうに寝息をたてる姿を見てると
まるで子どもみたいで心底可愛らしくて、自然に笑みを零してしまう。
仕方ないな。そう心中で呟くと、卓上に散らばった書籍を纏め、本棚に返していく。
自身の外套をペリーヌに被せると、起こさないようにおんぶして
背中越しに温もりを感じながら部屋を出た。

432: 2009/01/12(月) 14:35:10 ID:evKLsJwb
すやすやと、耳をくすぐる柔らかな吐息を聞きながら、月夜の廊下を緩歩する。
彼女の部屋に着くと、いつものようにそっと、天蓋の付いたベッドにゆっくり降ろす。
ふと、突然に欠伸が一つ漏れた。何気なく時計を見ると短針が二時を指していた。
時を認識した瞬間、途方もない睡魔が私を襲い、視界が朧になってきた。
微睡んだ意識の中で、自室に戻るという選択は億劫になっていて
堕落した精神は、いつか聞いた諦めの言葉とともに私を振り返えらした。
「今日だけだからな」
そう言って瞰下のベッドに突っ伏すと、温かな眠気にこの身をゆだねた。


おわり




QB1eHhb+でした。
近所の図書館で本を読んでいたら
ふと閃いたので稚拙なのを承知して書きました。
他の作者様の様に心理描写を巧く書けないのが悩み。

それはそうと、保管庫管理人様に御一つ頼みごとを。
続カレワラの方を削除していただきたいのです。
公式と設定が乖離していて、これ以上やると薮蛇になりそうなので。
多分続きはもう書かないので、面倒だとは思いますがどうかよろしくお願いします。

では、失礼しました。

引用: ストライクウィッチーズpart17