653: 2013/05/07(火) 19:36:18 ID:En1tPSAQ

勇者「仲間募集してます」

勇者「仲間募集してます」【その2】

勇者「仲間募集してます」【その3】

女僧侶「ふぅー、やっと町に着きましたねぇ。」

勇者「やっぱり山を越えるのは大変なんですね。お馬さんのおかげです。」ナデナデ

白馬「…………」ブルルッ…

男武闘家「それじゃあ、俺はさっきの山賊の事を警吏に伝えてくるわ。」

男戦士「おう、じゃあ俺達は先に宿取っとくぜー。」

勇者「あ、宿を決めたら、また稽古をお願いできますか?」

男戦士「オーケー、任せて。多分、もうすぐレベル上がりそうな気がするしね。」

勇者「本当ですか!……よし、頑張ろう。」ニコニコ

女僧侶(控えめにガッツポーズする勇者くんかわいい……)ハァハァ


――――――――

――――――

――――

――
葬送のフリーレン(1) (少年サンデーコミックス)

654: 2013/05/07(火) 19:36:48 ID:En1tPSAQ
勇者「ありがとう、ございました……」ゼェゼェ

男戦士「はい、お疲れ様。」

女僧侶「さ、勇者くん、こっち来てください。回復しますからねー♪」

男戦士(……あれ? レベル上がらなかったな。)


日々の稽古や荷物持ちといった積み重ねで、最初に比べれば動きは確かに良くなっている。
しかし、よくよく思い返してみると、少し気に掛かる部分もある。

確かに速さや重さは増している。
だが、言ってみればそれだけなのだ。

あくまで基礎体力が向上しているだけで、短剣の扱いがそれほど良くなっている気がしない。
稽古に身が入っていなかったり、手を抜いているという話ではない。
勇者のやる気は向かい合えば充分に伝わってくる。

まるで――――そう、まるで何かが無意識的にブレーキをかけているかのような。
そのブレーキのせいで、初心者から経験者に移行する、レベル3に上がれないのだ。

伝えるべきか?
もしこれが勇者の内面の問題なら、男戦士にできる事は無い。
傷つくかもしれないが、これは伝えておくべきだろう。

655: 2013/05/07(火) 19:37:32 ID:En1tPSAQ
勇者「――――え?」

男戦士「いや、気を悪くしたらごめんね。でも、もしかしたら心当たりが無いかと思ってさ。」

男戦士「俺の見立てでは、もうレベル3になっててもおかしくないんだ。」

勇者「…………」

勇者(…………まさか、そんな。)

女僧侶「ゆ、勇者くん! 顔色が真っ青ですよ!?」

勇者(…………そこまで、するんですか。)

男戦士「お、おい、大丈夫か!?」

男戦士(トラウマ的なものだったのか……くそ、ミスった……!)

656: 2013/05/07(火) 19:38:06 ID:En1tPSAQ
勇者「……部屋に戻ります。」フラッ

女僧侶「ゆ、勇者くん私も――――」

勇者「……ひとりにしてください。」

女僧侶「そんな、今の勇者くんを一人になんて――――」

勇者「ひとりにしてください!!」

女僧侶「――ッ!」ビクッ


初めて向けられた、明確な拒絶の意志。
立ちすくむ女僧侶を背に、勇者は宿に戻っていった。

657: 2013/05/07(火) 19:38:50 ID:En1tPSAQ
男戦士(だが、自覚があるってのは悪い話じゃない……)


自分で原因が分かっているなら、それを乗り越えるのは不可能ではない筈だ。
それさえ乗り越えれば、勇者の向上心ならレベル3から先にもすぐに到達できるだろう。


男戦士(さて、この機会に……)


そろそろ自らが抱えている爆弾の威力を探っておくべきだ。
火を点けるつもりは毛頭ないが、予想外の事態というものは得てして起こってしまうものだ。


男戦士「まだ明るいし……一回手合わせしてみない?」

女僧侶「……え。」

男戦士「ほら、何だかんだ言って、勇者ちゃんとばっかり稽古してただろ?」

男戦士「女僧侶ちゃんの方が戦闘スキル高いから、ちょっと胸を貸して欲しいなーって。」


勇者について行くなら、自分ももっと腕を磨かなければならない。
自分で勇者を守るのなら、女僧侶に頼り切りという訳にはいかない。

658: 2013/05/07(火) 19:39:33 ID:En1tPSAQ
女僧侶「別に、良いですけど……」

男戦士(目に見えてヘコんでるが……いや、むしろ好都合か……)


勇者に拒否されたショックからまだ立ち直れていない。
だが、これくらいのハンデがあった方が良い勝負になるだろう。


男戦士「……剣術だけじゃ勝負にならないから、恩寵も使うけど大丈夫?」

女僧侶「はあ、良いんじゃないですか……」


口には出さないが、女僧侶が暴走した時に、現状の自分の戦力で止められるかどうかの実験でもある。
女僧侶には申し訳ないが、手を抜くつもりは一切ない。


男戦士「――――なら、行くよ!」

659: 2013/05/07(火) 19:40:18 ID:En1tPSAQ


勇者くんに拒絶された。

背中しか見えなかったけど、勇者くんは泣いていた。

泣いてしまうほど辛いのに、勇者くんが辛い思いをしているのに。

私は、傍にいる事もできない。




どうしてだろう。

私はこんなにも勇者くんの事を想っているのに。

泣いている勇者くんを支える事すらできない。

勇者くんがひとりでいたいと言うのだから。

660: 2013/05/07(火) 19:40:49 ID:En1tPSAQ


でも、どうして勇者くんがそんな事を言うのだろう。

どうして私を拒絶するのだろう。

―――― あれ?

そもそも、どうしてこんな事になったのだろう。




ああ、そうだ。

そうだった、そうだった。

そもそも、この人がいらない事を勇者くんに言ったからだ。

勇者くんが辛い思いをしているのは、こ の 人 の せ い だ 。

661: 2013/05/07(火) 19:41:29 ID:En1tPSAQ




この人が、勇者くんを傷つけたんだ。

ゆ る さ な い 。

ゆ る さ な い 。ゆ る さ な い 。

ゆ る さ な い 。ゆ る さ な い 。ゆ る さ な い 。

ゆ る さ な い 。ゆ る さ な い 。ゆ る さ な い 。ゆ る さ な い 。

662: 2013/05/07(火) 19:42:04 ID:En1tPSAQ
男戦士「――――ッ!?」


先に踏み込んだのは自分だった筈だ。
だというのに、女僧侶は剣の間合いを越え、目の前にいた。


男戦士「ぐっ!」


超至近距離から見舞われた頭突きを、咄嗟に腕で防御する。
防具越しだというのに、衝撃で痺れが走る。


女僧侶「ふ ふ ふ っ 」


防具の金具で切ったのか、女僧侶の額から血が流れている。
溢れる流血をものともせず、その口元を吊り上げる。


女僧侶「あ は は は は は は は は !」


喉を反らし哄笑を上げる。
血に塗れたその表情に、平時の人懐こさは微塵も存在しない。

これまで女僧侶に対峙した者が味わったであろう恐怖を、男戦士は全身で感じていた。

663: 2013/05/07(火) 19:43:26 ID:En1tPSAQ
男戦士(……接近戦は、無理だ。)


得物のリーチは戦力に直結する。
三十センチのメイスと七十センチの長剣。
どちらが有利か、考えるまでもない。

だが、対峙する相手は、数十センチ程度の有利ではとても足りない。
仮に男戦士の得物が長柄でも、間違いなく躊躇しただろう。

剣はあくまで牽制に徹し、恩寵で動きを止める。
恩寵のレベルだけは男戦士が確実に上回っている。
勝機はそこ以外にない。

664: 2013/05/07(火) 19:43:58 ID:En1tPSAQ
男戦士「――――ハッ!」


ぎりぎり届かないのは承知の上で、女僧侶の目線の高さで剣を水平に薙ぐ。
これはあくまで女僧侶の目線を誘導するための餌。


――――パキィィッ!


男戦士の目論見を見抜いているのか、それとも単なる反射か。
女僧侶にぎりぎり届かないという事は、女僧侶が手を伸ばせば届くという事。

リーチの短い側のセオリーである、『一撃をかわして懐に入る』を完全に無視した行動。
女僧侶はメイスで男戦士の長剣を打ち払ったのだ。


男戦士(……くそっ! いきなり武器破壊かよ!)


男戦士の長剣は、メイスの一撃により先端が破損している。
メイスの方がリーチが短いが、強度は明らかに上。

普通は何らかの形で動きを止めた得物を破壊するもので、真っ向から狙うものではない。
何故なら、失敗した時に自分が危険に晒されるからだ。

665: 2013/05/07(火) 19:44:44 ID:En1tPSAQ
女僧侶「あ は は は は は は !」


一気に間合いを詰めたりはしない。
散歩でもするように、ゆっくりと距離を詰めていく。
『斬ってこい』『突いてこい』と誘っているのは明らかだ。


男戦士「くっ!」


――――キィィィン!


またも得物同士が火花を散らす。
そして、またも男戦士の長剣が破損する。


――――キィン!


――――ギィィィン!


誘われているのはわかっていても、手を出さずにはいられない。
一歩、また一歩と距離が詰まるごとに、全身にのしかかる恐怖が倍増していくからだ。

666: 2013/05/07(火) 19:45:16 ID:En1tPSAQ
男戦士(……くそっ! 駄目だ、落ち着け! 落ち着け! 落ち着け!)


既に長剣は半分程度の長さしか残っていない。
もはやメイスのリーチとさほど変わらない。


男戦士(――――ここだ!)


必ず武器破壊を狙ってくる事がわかっていれば、相手のメイスの軌道も読める。
振り切った直後のタイミングを狙い、恩寵を発動させる。


女僧侶「……あれ?」ギチギチ


地面から伸びた蔓が、振り切った直後で動きを止めていたメイスに絡みついている。


男戦士(動きは止めた――――くらえっ!)


短くなった長剣で、袈裟がけに斬りかかる。

667: 2013/05/07(火) 19:46:00 ID:En1tPSAQ
女僧侶「じゃあ、いいや。」

男戦士「――――ガ、ハッ!?」 メキメキメキ


あっさりメイスを手放し、間合いを詰めた女僧侶の拳が男戦士の腹部を打ち抜いている。


男戦士「ゴホッ……グェェエ……ッ!」ゲボボッ


そのまま数メートル吹き飛んだ男戦士が、地面にのたうちながら吐瀉する。
吐瀉物に血が混ざっていないので、臓器に損傷はなかったようだ。


女僧侶「フンフフ~ン♪ フンフーン♪」 ドボッ!

男戦士「――――ッ!」メギッ


男戦士の横腹を鼻歌交じりに蹴り上げた。
またも数メートル吹き飛ばされ、男戦士が地面を転がる。

道中ではメイスでの暴虐が目立っていたが、女僧侶は体術も高レベルなのだ。
棍棒術も体術も、どちらも男戦士の剣術を上回っている。

668: 2013/05/07(火) 19:46:30 ID:En1tPSAQ
男戦士「――――ッ……」ゴボッ


またも胃の中身がこみ上げてきたが、今度は明らかに胃液以外に鉄の味が混じっている。


男戦士(お、おい……こ、ここまでやるか? 普通……)ゼェ…ゼェ…


見ているだけで恐ろしかったが、実際に対峙すればその比ではなかった。
戦闘レベルが、恩寵のレベルが、もはやそういう次元の話ではない。

相手は別に自分を頃すつもりは無いのだろう。
そのつもりなら、とっくに殺されていた筈だ。
だが、もはや生物として対等ではない程に力の差があるのだ。

人が昆虫を捕まえる。
その時に昆虫が氏んでしまっても、それは頃すつもりでやった訳ではない。

だが、捕まえるのに夢中で、『氏なないように』とまでは気が回らない。
氏んでしまったとしても、『別に良いや』という程度だろう。

実際に攻撃を受けてわかった。
女僧侶の身体能力は、明らかに異常だ。


男戦士(……氏ぬ気で……いや、『頃す』気で抵抗しなきゃ、本当に殺される……!)

669: 2013/05/07(火) 19:47:11 ID:En1tPSAQ
スイッチが入った女僧侶と対峙すれば、人も魔物も例外なく命を落としている。
逃亡すれば話は別だが、血反吐を吐くような体で逃げ切れるとはとても思えない。


女僧侶「フンフフーン♪」ズシャッ!

男戦士「――――ぐっ!」


またも蹴り上げようとした女僧侶の一撃を、かろうじて回避する。
空振りに終わったが、蹴りは地面を抉り、土埃を巻き上げている。


女僧侶「あは、まだ動けるんですねー。」~♪

男戦士「……くっ。」ゼェ…ゼェ…


マズい。
手から離れた長剣は女僧侶の足元に転がっている。


女僧侶「あはは、落し物ですよぉ♪」ポイッ

男戦士(……完全に遊ばれてる。こっちは命がけだってのに。)パシッ

670: 2013/05/07(火) 19:47:43 ID:En1tPSAQ
長剣を拾い、投げ渡された男戦士が唇をかむ。
年下の少女にここまで良いようにやられたのだ、普通なら屈辱と怒りを覚えるだろう。

だが、今男戦士が感じるのは恐怖以外の何物でもなかった。


男戦士(後の事なんかを考えてたら、俺が氏ぬ……!)


『樹の神』の恩寵は自然を操る事ができる。
動物を呼びせる事も出来るが、町中で呼び寄せるのは時間がかかる。

周囲に樹木が無いこの広場では、植物を操るといっても蔓を呼び寄せる事ぐらいだ。
樹木自体を発生させる恩寵もあるが、生育に時間がかかり過ぎる。

一つだけ、この状況を打開できる可能性がある術がある。
だが、それには女僧侶の前で数十秒無防備にならなければならない。


男戦士(賭けになるが……いや、この舐められた状況なら、いけるか……?)

女僧侶「ほらぁ、もっと遊びましょうよぉ♪」ユラァ

男戦士「――ハァッ!」


徒手相手に、水平に薙ぎ払う。
狙いは首。寸止めなどは考えてもいない。

671: 2013/05/07(火) 19:48:21 ID:En1tPSAQ
――――パァン!


握りの部分をあっさり裏拳で打ち抜かれ、長剣が宙を舞う。
殴られた指がひしゃげる感覚があったが、それに気を回す余裕は無い。


女僧侶「あははははぁ♪」

男戦士「――――ッ」


拳を引いた女僧侶に、男戦士が身構えて衝撃に備える。

―― 剣を弾かれるのは予想していた。
―――― 一撃を受けるのは覚悟していた。


女僧侶「――――ッ」ヒュッ


攻撃態勢に入っていた女僧侶が瞬時に身を屈める。


男戦士「なッ!?」


身を屈めた女僧侶の頭上を、振り下ろされた長剣がかすめた。
宙を舞う長剣を地面から伸びた蔓が絡め取り、背後から斬りかかったのだ。

672: 2013/05/07(火) 19:49:03 ID:En1tPSAQ
女僧侶「あはははは! 私って耳も良いんですよぉ♪」

男戦士(背後からの相打ち狙い……それすらも……!?)


長剣が空を切る音も、それを蔓が絡み取るのも、女僧侶は聞き分けていたのだと言う。
有り得ない。人間業では無い。だが、それを目の前でやってのけられた。


女僧侶「もうネタ切れですかぁ?」ニコニコ

男戦士「……いや、最後に『とっておき』がある。」ゼェ…ゼェ…

女僧侶「へぇ♪ 良いですねぇ、見せて下さいよ♪」


普通、切り札を宣言などしない。
だが、この場合は、切り札だと宣言する事で相手の気を惹く必要があった。
そうでなければ、このまま殴り殺されてしまう。


男戦士(――――【獣化転身・羆】)

男戦士「グッ……アァ……!」ミキミキミキ


男戦士の体が軋み、音を立てて変化していく。
骨格が変化し、伸びた体毛が毛皮へと変わり、筋肉が隆起していく。
身に付けたものも同様に変質し、身体の一部へと変化していく。

673: 2013/05/07(火) 19:49:39 ID:En1tPSAQ
女僧侶「おおぉぉ♪」パァァァ


今の男戦士は完全に無防備なのだが、女僧侶は目を輝かせて手出ししようとしない。
これを狙ってこその切り札の宣言だった。


男戦士『ガゥルルルル…』

女僧侶「ああ、そっか! 梟に変身できるんだから、クマさんにだって変身できますよねぇ!」


枝葉の勇者の術を見ていた女僧侶は、納得した様に頷いている。
無限の恩寵を持つ枝葉の勇者と比べれば、あまりに時間がかかったが、男戦士が発動したのも同じ恩寵。

――『樹の神』の恩寵、動物干渉系の最上位、獣化術。

男戦士は体長二メートルを優に超える、獰猛な羆へとその身を転化させていた。


男戦士(……俺の恩寵レベルなら、もって一分。)

男戦士(……その間に勝負をつける!)

男戦士『ガルァァァァ!!』

674: 2013/05/07(火) 19:50:18 ID:En1tPSAQ
ウェイトなら完全にこちらが上。
組みつけば、いくら女僧侶といえど抵抗できない筈だ。
小細工なしで、真っ向から襲いかかる。


女僧侶「わぁ♪ 毛皮がふかふかぁ♪」ギュゥゥゥ

男戦士『――グガッ!?』


掴みかかる両腕をあっさりくぐり、背後を取った女僧侶が首に手を回している。
一見すれば後ろから抱きついているようだが、その両腕に込められた力は羆の頸動脈を締め上げていた。

意識が遠のきかけるが、これはチャンスでもある。


女僧侶「おっととと、危ない危ない♪」パッ


首にまわした腕を引っ掻かれそうになり、慌てて女僧侶が手を離す。

675: 2013/05/07(火) 19:50:48 ID:En1tPSAQ
男戦士『ググ……グガァッ!』ゴフーッ ゴフーッ

女僧侶「ああ、ふかふかであったかくて……クマさんはかわいいです♪」


威嚇する男戦士にも動じず、女僧侶は先の毛皮のふかふか感の余韻に浸っている。
だが、爪から逃れたという事は、こちらの攻撃は通じるという事だ。

捕まえれば、勝てる。


女僧侶「あ、そうだ♪ ちょっともらって良いですよね?」


女僧侶が屈託の無い笑顔を浮かべる。
だというのに、何故か恐怖しか浮かばない。


女僧侶「 勇者くんにも“おすそ分け”しないと♪」


――――何を言っている?
そう訝しむ男戦士の前で、女僧侶から笑顔が消えた。

676: 2013/05/07(火) 19:51:23 ID:En1tPSAQ
女僧侶「――――ふっ!」

男戦士『ギッ!?』メキメキメキ


女僧侶の下段蹴りが、羆の膝裏に叩きこまれた。
これまでの鼻歌交じりの攻撃とは明らかに違う、渾身の一撃。

今の男戦士の身体は羆そのもの。
その強靭さは、人間とは比較にならない。
その身体が、バランスを失い崩れ落ちる。


女僧侶「うふふ、ちょっと痛いかもしれませんけど、我慢してくださいね~♪」


そう言って、前のめりに倒れた男戦士の背中の毛皮を掴む。

――『ちょっともらう』『おすそわけ』?
――――いや、おい待て! やめてくれ!
――――――まさか、そんな馬鹿な!


女僧侶「そぉぉ、れっ!」 …ブツッ!      ビリビリビリビリ!

男戦士『――――――――ッッッ!!!!』

677: 2013/05/07(火) 19:52:12 ID:En1tPSAQ
食い込んだ女僧侶の爪が毛皮を破り、そのまま一気に背から腰まで引き剥がす。
毛皮を引きちぎり、剥ぎ進むたびに返り血が女僧侶を染め上げるが、そんなものは意にも介さない。

生きたまま生皮を剥がれる激痛に、男戦士が言葉にならない悲鳴を上げる。


女僧侶「あははぁ!ふかふか、ふかふかだぁ♪」スリスリ スリスリ


引き剥がした毛皮を身体に巻き、女僧侶がうっとりとした表情を浮かべている。
毛皮の裏面はべっとりと血に塗れているのだが、そんな事は気にもしない。


男戦士『――――ッ』ビクンビクンビクン


動物の身体は人間と比べれば、遥かに苦痛に耐性がある。
だが、生きたまま背中の大半の皮を剥がれれば、動く事さえできない。

噴き出る血を感じながら、痙攣するのが精一杯だった。


女僧侶「ふかふかぁ……あ、あれ? あれれ?」


纏っていた毛皮の感触の変化に、女僧侶が戸惑いの声を上げる。
大きな毛皮は、小さな人間の背中程度の生皮に縮んでいた。

678: 2013/05/07(火) 19:53:01 ID:En1tPSAQ
つまらなさそうに溜め息をつき、生皮を放り投げる。
自分が求めているのは、もっとふかふかして暖かいものなのだ。


女僧侶「あれ、クマさんがいない……」キョロキョロ


周りを見渡しても、先程まで戯れていたクマの姿が無い。
代わりに、男戦士が気を失って倒れている。
その背中は赤黒く染まり、今この時も染みが広がっている。

679: 2013/05/07(火) 19:53:34 ID:En1tPSAQ
女僧侶「あれ……私、何をしてたんだっけ……?」

男武闘家「おーい、こんな所にいたのか。そろそろ明日の準備を――――」

男武闘家「おい、何だこれは!? 男戦士、しっかりしろ!」

女僧侶「えーと……クマさんがふかふかで……」

男武闘家「女僧侶ちゃん、何があった!? 勇者ちゃんは!?」

女僧侶「え? 勇者くんなら宿に戻ってます。私は……何してたんでしたっけ?」

男武闘家「これは、ひどい……背中の皮が剥がれてる……!」

女僧侶「はぁ。」

男武闘家「はぁ、じゃない! 急いで医者を呼ばないと!」

女僧侶「そうなんですね。じゃあ、呼んで来ます。」タタタッ


――――――――

――――――

――――

――

680: 2013/05/07(火) 19:54:07 ID:En1tPSAQ
『情報街』の中枢、『中央塔』。
その最上階で、重要な会談が行われようとしていた。


枝葉の勇者「御多忙の所、呼びかけに応えて頂き、ありがとうございます。」


『勇者』である枝葉の勇者が下手に出る程の相手。


樹の勇者「いや、重要な情報なんだ。足を運ぶのは当然だよ。」

根の勇者「魔王の情報なんぞ、そうそう聞けるもんじゃないからな。」


現『木の大国』領、最高レベルの『樹の勇者』。
明るい茶の髪、エメラルドグリーンの瞳、誰しもが見惚れるような凛々しい若者の姿。
強さと優しさを連想させるその姿は、まさに理想の勇者を体現したかのようだ。

そして、その樹の勇者に称号を譲った前代の樹の勇者、『根の勇者』。
濃い茶色の髪に瞳、そして鍛え上げられた、はち切れんばかりの筋肉を誇る無骨な姿。
髭を生やした木こりのような外見だが、歴戦の勇士の佇まいを見せている。

681: 2013/05/07(火) 19:54:42 ID:En1tPSAQ
海の勇者「国を越えて声をかけられる『ネットワーク』は大したものだ。いつも助けられているよ。」

潮の勇者「……感謝を。」


現『水の大国』領、最高レベルの『海の勇者』。
白髪交じりの灰色の髪と灰色の瞳、既に一線を退いたかのような壮年の男性だが、その姿には一分の隙もない。
平時は医者として、そして戦時は将軍として軍を率い、現存の全勇者の中で最大の勇者レベルを誇る、稀代の勇者。

隣に控えるのは、『水の大国』領で防諜を担当する『潮の勇者』
紫の髪と瞳、片目が髪で隠れた、魅惑的な体付きの若い女性。
勇者レベルこそこの中で一番低いが、それは衆目に見えない部分で行動している為で、その戦闘力は極めて高い。


枝葉の勇者(うう……緊張するなぁ……)


一応、『木の大国』と『水の大国』に属す全ての勇者に声をかけたのだが、実際に呼び掛けに応えたのはこの四人だけだった。
『魔王の情報の件』とは伝えていたが、『ネットワーク』以外にろくな実績がない枝葉の勇者の言葉故、軽んじられたのだろう。


枝葉の勇者(せめて……僕より年下の『花の勇者』とか……同じ裏方の『雨の勇者』とかがいてくれたら……)


『勇者』の中には、枝葉の勇者でも気兼ねなく接する事ができる者もいる。
それが、よりによって、危険の最前線で叩き上げられたような勇者ばかりが集まってしまった。
四人が無意識に醸し出す圧力で、枝葉の勇者の胃がきりきりと痛む。

682: 2013/05/07(火) 19:55:13 ID:En1tPSAQ
樹の勇者「黒髪、黒い瞳……そして青年の姿……」パラッ

根の勇者「ふむ……加えて戦闘時に赤く変色する白目、か……」パラパラッ

海の勇者「せめて、もう少し特徴があればと思うが……」パラッ

潮の勇者「…………」パラパラ


枝葉の勇者が用意した資料を読み、各々が感想を漏らす。
情報自体があまり多くない為、枝葉の勇者も答えは予想していた。


枝葉の勇者「そこで相談なんですが、人の記憶を描画するような方法を御存じないかと思いまして……」

樹の勇者「なるほど、それができれば手配書のように周知する事ができるね。」

根の勇者「しかし……そんな恩寵は聞いた事が無いが……大将はどうだい?」

海の勇者「済まないが、私も聞いた事が無い。」

潮の勇者「……同じく。」

枝葉の勇者「そ、そうですか……」ガックシ


そこで、海の勇者がふと思いついたように顔を上げる。

683: 2013/05/07(火) 19:55:59 ID:En1tPSAQ
海の勇者「『鉄の大国』領ならどうだろうか。あそこならば、もしかすれば……」

潮の勇者「しかし、将軍……あれをあてにするのは……」

樹の勇者「何か問題があるのかい? 私はよく知らないのだけれど。」

根の勇者「ああ……あの女か……確かに、あんまり関わりたくねぇな……」

枝葉の勇者「『鉄の大国』領の勇者は、確か一人だけなんですよね?」


『火の大国』領の南、『土の大国』領の西に位置する『鉄の大国』領。
様々な技術を研究・開発し、他国の生活の向上に役立てている。

何かとちょっかいをかけてくる『火の大国』領、色々と黒い噂が絶えない『土の大国』領と比べれば、善良な大国だ。
だが、そこの『勇者』は評判が芳しくない模様。


海の勇者「『鉄の大国』の『鋼の勇者』は、継承という形をとっているのだ。」

海の勇者「現『鋼の勇者』は、代々の『鋼の勇者』の知識・経験を受け継いでいる。」

枝葉の勇者「ええ!? そんな事ができるんですか!?」

684: 2013/05/07(火) 19:56:31 ID:En1tPSAQ
樹の勇者「凄いな……確かに、そんな事が可能なら、きっと良い知恵を持っているだろう。」

根の勇者「いや……言い換えれば、『鋼の勇者』は齢数百の人間って事でな。偏屈さが半端じゃないんだ。」

根の勇者「頼みごとなんぞ、素直に聞く訳がねぇ。別の手を考えようや。」

潮の勇者「……賛成です。あれには触れないのが一番です。」

枝葉の勇者(ひどい言われようだな……)タラリ

樹の勇者「十年前の記憶なら殆ど薄れてしまっているだろうけど、やはり一度本人に聞いてみてはどうだろう?」

根の勇者「そうだな……ところで坊主、この情報の出所は何処なんだ?」

枝葉の勇者「えーと、ですね。書いても信憑性が無いと思ったから書かなかったんですけど……」

枝葉の勇者「『北の勇者』です。実際に十年前の魔王の襲撃に立ち会ったらしくて。」

海の勇者「それは確かなのか!?」ガタタッ

潮の勇者「しょ、将軍……?」


椅子を引き、急に立ち上がった海の勇者に視線が集中する。
皆呆気にとられているが、海の勇者は気にせずに言葉を続ける。

685: 2013/05/07(火) 19:57:08 ID:En1tPSAQ
海の勇者「王宮には二人の『勇者』が居た筈だ! どちらが生きていたのだ!?」

枝葉の勇者「え!? どちらと言われても、ですね……女の子とは聞いてますけど……」

海の勇者「そ、そうか……良かった……足が不自由だったが、あの娘は助かっていたのか……」

枝葉の勇者「え、足が不自由? いや、そんな話は聞いてないですよ? 普通に旅もしてるみたいですし。」

海の勇者「何を馬鹿な……あの娘は生まれつき足が不自由で、車椅子での生活を余儀なくされていた。」

海の勇者「私が診察し、先天的な障害故に治療は不可能と診断を下したのだ。治るなどと……有り得ない。」

枝葉の勇者「そ、そんな事を言われても……あ、そうだ、ちょっと待って下さいよ……」ゴソゴソ


『ネットワーク』を介して作成した機関誌を取り出す。
開くのは『羊の町』で行われた、『北の勇者』による歌の公演のページ。

文字のみの情報の為、姿形はわからないが、それでも特徴はきちんと明記されている。

686: 2013/05/07(火) 19:57:42 ID:En1tPSAQ
枝葉の勇者「ほら、この娘です。僕の知人が同行してるので間違いないです。」

海の勇者「……薄桃色の、髪と瞳?」

枝葉の勇者「はい。知人曰く、とても愛らしいと。」

海の勇者「……これは、確かなのか? 薄青色の髪と瞳の間違いではないのかね?」

枝葉の勇者「え、えぇ!? いやいや、それは無いです! これを読んだ『羊の町』からも訂正の依頼が来てませんし!」

海の勇者「もしくは、その『少女』が……『少年』の可能性は?」

枝葉の勇者「そ、それは、何とも……身体検査をした訳ではないでしょうから……」

海の勇者「君は、その娘と面会したのか?」

枝葉の勇者「いえ、それが……拒否されてしまったらしく……会えませんでした。」

海の勇者「どういう事だ……薄桃色の髪と瞳は兄の方だ……妹が生きていたのなら、薄青色の髪と瞳の筈……」

枝葉の勇者「えーと、良くわかりませんけど、染めた、とか?」

海の勇者「いや、それでは足の件が説明できない。敢えてそれを無視しても、瞳の色を変えるのは簡単ではない。」

根の勇者「なんだ、大将、珍しく混乱してるな。坊主、そもそもその娘は本当に『北の勇者』だったのか?」

枝葉の勇者「ステータスの開示はあったそうなので、間違いない筈です。」

根の勇者「なら簡単な話だ。その娘は少女じゃない。少年ってこった。大将が言う、兄の方だな。」

687: 2013/05/07(火) 19:58:22 ID:En1tPSAQ
樹の勇者「しかし、いったい何のために? 道中の危険を避ける為に、女性が男装をするのはままありますが……」

根の勇者「やれやれ……これだから坊ちゃん育ちは……」

樹の勇者「どういう意味ですか。わかるように説明して下さい。」ムムッ

根の勇者「若い男と若い女、手段を選ばなけりゃ、手っ取り早く稼げるのはどっちだ?」

枝葉の勇者「あー、なるほど……そういう事か。」

潮の勇者「…………」ジロッ

根の勇者「おいおい、勘弁してくれ。単なる一般論だ。」

樹の勇者「同じ仕事をすれば同じ給金でしょう。男女、どちらでも変わらない筈だ。」

根の勇者「おっとと、これはこれは……坊ちゃんに理解させるには、少し時間がかかりそうだ。」

海の勇者「根の勇者の言わんとしてる事はわかった。」

海の勇者「確かに……国の支援が無いなら、そういう手段に頼らざるを得ないのかもな。」

根の勇者「まあ、大将は面識があるみたいだから思う所もあるんでしょうが、今考える事じゃないでしょう。」

根の勇者「で、どうするんです? この情報は信憑性ありとしますか?」

海の勇者「いや、腑に落ちない点がある以上、ここで留めておきたい。」

海の勇者「何とかコンタクトを取り、直接面会した上で真偽を判断したいと思う。」

688: 2013/05/07(火) 19:58:55 ID:En1tPSAQ
海の勇者「――――枝葉の勇者くん。」

枝葉の勇者「は、はい!」

海の勇者「君の『ネットワーク』を駆使して約束を取り付けて欲しい。面会は私が行おうと思う。」

枝葉の勇者「え!? 海の勇者さんが直接ですか!?」

海の勇者「ああ、頼めるかな?」

枝葉の勇者「も、勿論です!」

海の勇者「皆も構わないだろうか。」

樹の勇者「はい、異論ありません。」

根の勇者「構わないが、大将、そんな暇あるのかね。」

潮の勇者「……将軍に従います。」

海の勇者「それでは、次の議題に移ろう。」

枝葉の勇者「はい、それでは次の資料をご覧ください。」

689: 2013/05/07(火) 19:59:27 ID:En1tPSAQ
根の勇者「最近『煙の国』と『根の国』の国境付近で偵察兵らしきものが目撃されている……?」ペラリ

樹の勇者「またか……連中、懲りないな……」ペラッ

海の勇者「だが、妙だな……何故最近は仕掛けてこなかったのだ……?」パラパラ

潮の勇者「……言われてみれば、確かに。」ペラペラ

根の勇者「いつもなら、とっくに仕掛けてきている頃合いだよなぁ?」

樹の勇者「となれば……何かを待っている?」

海の勇者「内通者の線は?」

潮の勇者「……確実な事は言えませんが、今の所はそういった動きは。」

海の勇者「確かに、内通者がいるにしては、偵察兵の動きが腑に落ちない。」

根の勇者「やっぱり何かを待っているのか? だが、いったい何を……?」

枝葉の勇者「直接、偵察兵に聞くのが早いですかねー、なんて……」ハハハ

根の勇者「ふむ。坊主にしては良い発想だ。」

樹の勇者「ここで悩むよりは確実な方法ですね。」

枝葉の勇者「え、あ、その、冗談なんですけど……」

690: 2013/05/07(火) 20:00:00 ID:En1tPSAQ
海の勇者「では、『火の大国』の動きを探るのは、樹の勇者と根の勇者に任せよう。」

海の勇者「私と潮の勇者は『水の大国』に戻り、何時でも軍を動かせるようにしておく。」

潮の勇者「……御意。」

根の勇者「はは、大将の後詰が控えてるなら、連中が何を企んでようと怖くねぇな!」

樹の勇者「心強く思います。」

枝葉の勇者「えーと、それじゃあ、僕は何をすれば……」

海の勇者「君は、さっき依頼した『北の勇者』との会談を設けてくれ。」

海の勇者「……ああ、もしかして、君も前線で戦いたいのかな? もしそうなら部隊を預けても良いが。」

枝葉の勇者「い、いえ、結構です! 『北の勇者』との会談に向けて、 誠心誠意、頑張ります!」

根の勇者「ま、坊主に荒事は期待してねぇよ。」HAHAHA!

樹の勇者「だが、情報の伝達に『ネットワーク』は必須だからね。期待しているよ。」

枝葉の勇者「はい!」

691: 2013/05/07(火) 20:00:33 ID:En1tPSAQ










樹の勇者「ところで、さっきの若い男女でお金が云々ってどういう意味だったんですか?」

根の勇者「お、興味ある? それなら、この後、実地で研修といっちゃう?」

樹の勇者「教えてくれるんですか? それなら是非――――」

潮の勇者「……樹の勇者。行けば私は貴方を軽蔑します。」

樹の勇者「え、えぇ……そんなに難しい話なのかい? 気になるけど、それならやめておくよ……」

692: 2013/05/07(火) 20:01:04 ID:En1tPSAQ
根の勇者「おいおーい、だったら俺一人で行っちゃうぜ?」

潮の勇者「……貴方はとうに軽蔑しているので、ご自由に。」

根の勇者「まじかよ……じゃあ、坊主で良いや。一緒に遊ぼうぜぇ。良いトコ教えてやっから!」

枝葉の勇者「えーと、その……」チラッ

潮の勇者「…………」ジロッ

枝葉の勇者「申し訳ないのですが、やめておきます……」シュン

海の勇者「――――若いな。」フゥ


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701: 2013/05/08(水) 21:17:24 ID:eyh81OGY
医者「いやはや……いったい何をしてたのかね。こんな酷い怪我は初めて見たよ。」

男武闘家「はぁ……」

医者「一番酷いのは背中だが、それ以外も左膝の靭帯の損傷、右手の五指骨折。胸骨骨折、肋骨骨折、内臓損傷……」

医者「言っておくが、痛みでショック氏していてもおかしくなかったからね?」

男武闘家「申し訳ない。」

医者「で、どうするかね? まともに動けるようになるまで、急いでも三日は必要だろう。」

医者「取り敢えず、三日間の入院という事で構わないかな?」

男武闘家「お世話になります。」

医者「それでは、君も今夜は帰りなさい。彼も明日にならないと目を覚まさないだろうしね。」

男武闘家「……わかりました。明日、また来ます。」


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702: 2013/05/08(水) 21:17:56 ID:eyh81OGY
女僧侶「あの、男戦士さんの容体は……」オロオロ

男武闘家「瀕氏の重傷だそうだ。まあ、峠は越えたので命に別状は無いそうだが。」

勇者「いったい、二人とも何をしてたんですか?」

女僧侶「え、と……私も、あんまり覚えてなくて……」オロオロ

女僧侶「クマさんがふかふかで、あたたかくて……その……」オロオロ

勇者「うん。」

女僧侶「勇者くんに喜んでほしくて、ふかふかを持って帰ろうと……」オロオロ

勇者「うん?」

女僧侶「でも、ふかふかがどこかにいってしまって、クマさんもいなくなってて……」オロオロ

勇者「う、うん……?」

女僧侶「それで、男武闘家さんが来て、気付いたら男戦士さんが倒れてて……」オロオロ

勇者「…………?」

男武闘家「いや、訳がわからないから。」

703: 2013/05/08(水) 21:18:31 ID:eyh81OGY
女僧侶「これって、やっぱり私が何かしてしまったんでしょうか……」オロオロ

勇者「そんな……いくら女僧侶さんでも、理由もなくこんな酷い事はしないよ。」ヨシヨシ

女僧侶「で、でも……私、ちゃんと覚えてなくて……」グスッ…グスッ…

女僧侶「勇者くんが部屋に戻るのを見届けた後から、よくわからなくて……」グスン…

勇者「大丈夫、落ち着いて、女僧侶さん。」ヨシヨシ

勇者「今日はもう休んで、明日みんなで男戦士さんのお見舞いに行こう?」ヨシヨシ

女僧侶「…………はい。」

男武闘家「そうだな、今日はもう解散にしよう。俺も部屋に戻るから、ゆっくり休む事。良いね?」

女僧侶「……はい。」

勇者「わかりました。」

704: 2013/05/08(水) 21:19:03 ID:eyh81OGY
勇者と女僧侶の部屋を後にし、男武闘家は自分の部屋に戻る。
女僧侶の証言から勇者は要領を得なかったようだが、男武闘家は大まかに察していた。

あの場では言わなかったが、あの広場に大型の動物――おそらく羆――の足跡が残っていた。
女僧侶の突飛な言葉は、記憶の混乱によるものではなかったのだ。

ならば、男戦士は羆に襲われたのか?
否、それはない。男戦士の背中は重傷だったが、衣服に破れは無かった。
羆がわざわざ上着をまくりあげて傷つけ、その後に元に戻す? 有り得ない。


男武闘家(いくらまともにやっても相手にならないからって、【獣化】までする必要がどこあった。)


そう、広場に現れた羆は男戦士が獣化したものだったのだろう。
恐らく、男戦士と女僧侶は、何らかの理由で手合わせをしていたのだ。

それを補強する材料として、男戦士が倒れている傍に、蔓に絡め取られた女僧侶のメイスがあった。
男戦士の長剣も、破損した状態で蔓に絡まっていた。


男武闘家(……【獣化】したんだよな? なら、なんで女僧侶ちゃんは無事なんだ。)


女僧侶は記憶の欠如に困惑こそすれど、その身体に怪我などの異常はないようだった。
まさか、獣化した男戦士を圧倒したとでもいうのか?

もし、そうだとすれば、さっきの証言も違う色を帯びてくる。

705: 2013/05/08(水) 21:19:41 ID:eyh81OGY

―― 女僧侶「クマさんがふかふかで、あたたかくて……その……」

羆の毛皮を女僧侶が気に入った。

―― 女僧侶「勇者くんに喜んでほしくて、ふわふわを持って帰ろうと……」

男戦士の背中から無理やり毛皮を剥ぎ取った。

―― 女僧侶「でも、ふわふわがどこかにいってしまって、クマさんもいなくなってて……」

意識を失い、【獣化】が解除された事で、羆は男戦士に戻った。

―― 女僧侶「それで、男武闘家さんが来て、気付いたら男戦士さんが倒れてて……」

そこに自分が駆け付けた。

706: 2013/05/08(水) 21:20:22 ID:eyh81OGY
男武闘家(……人間のやる事じゃない……いや、出来る事じゃない。)


しかも、男戦士の背中の傷は刃物でつけられたものではなかった。
回収したメイスにも返り血は付着していなかった。
つまり、この工程は素手で行われたのだ。

中身は男戦士なのだから、手加減し、結果後れを取る事はあるだろう。
だが、背中の皮を剥がされようとしているのに、手加減など出来る訳が無い。
純粋に屠られたのだ。メイスも使わずに、素手で。


男武闘家(……有り得ない。)


いつも人懐こい笑顔を浮かべ、勇者にまとわりついている女僧侶。
今後、今までと同じ目で見る事は出来そうになかった。

707: 2013/05/08(水) 21:20:53 ID:eyh81OGY




女僧侶「勇者くん……? まだ休まないんですか。」

勇者「うん。もう少し、これを読みたいんだ。女僧侶さんは先に休んでて。」パラッ…パラッ…

女僧侶「それ、野草図鑑ですよね。 ……あまり夜更かししちゃダメですよ。」

勇者「うん、わかってる。お休み、女僧侶さん。」パラッ…パラッ…

女僧侶「はい……お休みなさい……勇者くん……」スゥ…スゥ…

勇者「…………」パラッ…パラッ…


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708: 2013/05/08(水) 21:21:32 ID:eyh81OGY
男戦士「……え、何があったか?」

男武闘家「ああ、女僧侶ちゃんの記憶が曖昧でな。お前から聞いた方が早そうだと思って。」

女僧侶「あの、やっぱり、私が……やってしまったんでしょうか……」オロオロ

勇者「きっと大丈夫だよ、女僧侶さん。とりあえず、男戦士さんの話を聞いてみよう?」ヨシヨシ

男戦士「…………」

男戦士「――――えー、とね……」






男戦士「何があったんだっけ?」ハテ?

男武闘家「はぁ!?」

女僧侶「え?」

勇者「男戦士さんも覚えてないんですか?」

709: 2013/05/08(水) 21:22:32 ID:eyh81OGY
男戦士「いやぁ、ちょっと無理して恩寵を行使したからかな……俺も記憶があやふやで。」

男戦士「や、申し訳ない! すぐに怪我治すから、ちょっとこの町に滞在しててよ。」

男武闘家「はぁ……それじゃあ、二人はこいつの為に何か食い物買ってきてやって……」

男武闘家「先生の恩寵でもう傷は塞がってるんだろ? なら、後は体力つければ退院できるだろ。」

勇者「わかりました! 美味しそうなものを探してきますね。」

女僧侶「わ、私も頑張ります!」

710: 2013/05/08(水) 21:23:06 ID:eyh81OGY
勇者と女僧侶が買い出しに行くのを窓から見送ると、男武闘家が口を開いた。


男武闘家「――で、本当の所は?」

男戦士「女僧侶ちゃんにボコられた。冗談抜きで殺されるかと思った……」

男武闘家「なんで隠した?」

男戦士「いや、勝負をふっかけたのは俺の方だしさ。それに、あんな捨てられた子犬みたいな目を見ちまうと……」

男戦士(それに、ありのままを説明したら勇者ちゃんも引くだろうし……)

男武闘家「そんなものはただの外見だろう。中身は実際どうだか、わかったもんじゃないぞ。」

男武闘家「お前は、身を以ってそれを思い知らされたんじゃないのか?」

男戦士「それなんだけど……実はさ、【獣化】も使ったんだ……」

男武闘家「だと思ったよ。ただの手合わせにそこまでする必要があったのか。」

男戦士「使わないと殺されると思ったんだよ。結局、使っても一緒だったけど……」

男戦士「肌で実感してわかった。女僧侶ちゃんの身体能力は人間の域を超越してる。」

男戦士「少なくとも、羆程度の生物じゃ太刀打ちできない域にあった。」

男武闘家「冗談、には聞こえないな。お前の背中の傷を見た後じゃ特に……」

711: 2013/05/08(水) 21:23:37 ID:eyh81OGY
男戦士「女僧侶ちゃんって……もしかして、人間じゃないのかもな。」

男戦士「どう見ても、普通の女の子にしか見えないのに……」

男武闘家「……人間でも、『恩寵』の使い方次第で人間離れして見える事はある。」

男武闘家「素手で獣を屠れるからと言って、それが即“人間じゃない”事にはならないだろう。」

男戦士「だが、女僧侶ちゃんの恩寵はレベル1だぞ。」

男戦士「下手をすれば、そこらの子供以下の恩寵で、そんな無茶が出来るのか……?」

男武闘家「普通に考えれば、無理だ。人間業じゃない。」

男武闘家「いや、この話はやめよう……どう考えても、ろくな結論にならない。」

男戦士「……ああ、そうだな。」


人間業ではない。
それを行使できるのは人間ではない。
なら、人間ではないなら何か?

二人は幅広い知識を蓄えている。
故に、この議論の危うさを直感的に見抜いていた。

人間が同じ人間を“人間ではない”と断じる。
これは、とても恐ろしく危険な行為だと。

712: 2013/05/08(水) 21:24:09 ID:eyh81OGY
男戦士「ま、色々と酷い目にあったけど、丁度良かったかもなぁ。」

男武闘家「何が?」

男戦士「女僧侶ちゃんがいるんだから、俺は戦闘とは別の方向で貢献するべきだ。」

男戦士「一応、俺も男だからさ。やっぱり勇者ちゃんをこの手で守りたいと思ってたが、それは合理的じゃなかった。」

男戦士「女僧侶ちゃんの恩寵が伸びないなら、俺がそれをカバーする。その方が俺向きだし。」

男武闘家「……お前も、離脱した方が良いんじゃないか?」

男戦士「よせよ。それに、魔王を倒すなんて無茶な目標なんだから、女僧侶ちゃんくらい突き抜けてないとな!」

男武闘家「お前はもう少し頭が良いと思ってたが……」

男戦士「勇者ちゃんの為を思えば、そのくらいの危険、どうって事ないんだよ。」


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713: 2013/05/08(水) 21:25:45 ID:eyh81OGY

その日の夜。


勇者「男戦士さんも、思ってたより大丈夫だったみたいだね。」

女僧侶「…………」

勇者「男武闘家さんが言ってたんだけど、単なる怪我だけなら、それほど怖くないらしいよ。」

勇者「本当に怖いのは、何らかの恩寵で傷が汚染されてるようなケースなんだって。」

女僧侶「…………」

勇者「――女僧侶さん?」

女僧侶「は、はい!」ビクッ

勇者「そんなに驚かなくても……大丈夫?」

女僧侶「あ、あの……何のお話でしたっけ……」オロオロ

勇者「え、だから、男戦士さんの――――」

女僧侶「ご、ごめんなさい!」ビクッ

勇者「どうしたの、急にそんな……」

714: 2013/05/08(水) 21:26:15 ID:eyh81OGY

女僧侶「だ、だって、お、男戦士さん、酷い怪我を……」オロオロ

勇者「う、うん。でも、それも思ったより早く治り――――」

女僧侶「ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい!!」フルフルフル

勇者「お、落ち着いて! 女僧侶さん!」

勇者「男戦士さんもよく覚えてないみたいだし、誰も女僧侶さんを責めてないよ。」

勇者「多分、何か思いもよらない事が起こったんだよ。だから、そんなに――――」

女僧侶「でも!」

女僧侶「ふ、二人いて、一人が重傷で、一人がなんともなくて、どっちも記憶があやふやで……」オロオロ

女僧侶「そ、そんなの、もう一人が何かしたに決まってるじゃないですか!」オロオロ

勇者「それは……」

女僧侶「け、怪我なら、私がすればよかったんです! 私が傷つけばよかったんです!」

勇者「そんな事、誰も思ってないよ!」

715: 2013/05/08(水) 21:26:46 ID:eyh81OGY

女僧侶「だって、私なんて、いなくても困らないじゃないですか! 僧侶なのに、怪我も満足に治せないんですよ!?」

女僧侶「と、取り柄なんて、それこそ戦う事だけしかないのに! そんなの、傭兵でも雇えば同じじゃないですか!」

女僧侶「なのに、仲間を傷つけるなんて、よ、傭兵以下です! 仲間なのに……大事な仲間なのに!」

勇者「女僧侶さん……」

女僧侶「私は、お、お二人みたいに、知識もないし、出来る事なんて、何もないし……」

女僧侶「し、知らない事ばかりで、いつもお二人に助けてもらってるのに……あんな、酷い怪我を……」

勇者「…………」

女僧侶「怒って下さい! 叱って下さい! 叩いて下さい!」

勇者「女僧侶さん、落ち着いて!」


突然、ひれ伏すように女僧侶が身を屈めた。

錯乱気味の女僧侶を落ち着かせようと、勇者が肩に手を置く。
凍えるように、怯えるように、女僧侶は震えていた。

716: 2013/05/08(水) 21:28:05 ID:eyh81OGY

女僧侶「な、なんでもします……なんでもしますから……!」

女僧侶「だから、見捨てないでください……嫌わ、ないで……ください……」

勇者「…………」


うわ言の様に許しを乞う女僧侶を、無言でそっと抱きしめる。


勇者「ボクも、同じような事を言ったの……覚えてる……?」

女僧侶「…………」

勇者「あれからずっと、女僧侶さんは気を遣ってくれてますよね。」

勇者「着替えの時とか、湯浴みの時とか……」

女僧侶「…………」

717: 2013/05/08(水) 21:28:40 ID:eyh81OGY

勇者「それに、ボクの為にいつも怒ってくれてます。ちょっと、怒り過ぎな時もありますけど……」

勇者「ボクは女僧侶さんを信頼しています。大切に思っています。今回の事も、きっと何か事情があったんです。」

女僧侶「……ゥッ……ヒグッ……」

勇者「きらいになんか、なりませんよ……見捨てたりなんか、しませんよ……」

女僧侶「――――ッ!」


声にならない嗚咽を上げ、勇者の胸に顔をうずめる。
自分の胸で泣く少女を、勇者は慈しむように抱きしめていた。


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718: 2013/05/08(水) 21:29:26 ID:eyh81OGY

医者「ふむ……これだけ回復したなら、退院して良いでしょう。」

男戦士「お世話になりました。」

男武闘家「予定通り、三日の入院か。」

勇者「出発の準備は出来てますよ。」

男戦士「あれ? 俺の荷物は?」

女僧侶「わ、私が持ってます!」

男戦士「おう、ありがとね、女僧侶ちゃん。」スッ

女僧侶「……」

男戦士「……? いや、荷物貸して?」ススッ

女僧侶「え、いえ! わ、私が持ちますから!」  タタタタッ

男武闘家「別に走らなくても、馬はすぐそこなんだが。」

719: 2013/05/08(水) 21:30:00 ID:eyh81OGY

勇者(あの、男戦士さん……)ヒソヒソ

男戦士(どしたの、勇者ちゃん?)ボソボソ

勇者(女僧侶さん、色々と気にしてるみたいなので、好きにさせてあげてもらえませんか?)ヒソヒソ

男戦士(なるほど、そういう事ね。オーケー、わかった。合わせとくよ。)ボソボソ


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720: 2013/05/08(水) 21:30:32 ID:eyh81OGY

『木の大国』領、『水の大国』領の勇者会議から数日後。
会議の内容は『木の大国』領、『水の大国』領の勇者に『ネットワーク』を通じて届けられる。

ここ『花の国』の首都、『蘭の街』に居を構える花の勇者の元にもそれは届いていた。


花の勇者「――うーん、またじけんです。」

地の勇者「…………」イライラ


十歳そこらのあどけない少女が大きな執務机に向かい、屈強な青年と対面している。
一般的なサイズの執務机が、小柄な少女が座ると妙に大きく見える。

執務机で届いた手紙を読みながら、亜麻色の髪の少女は表情を曇らせる。
白の花冠とツーサイドアップの髪が可憐さを引き立たせ、ともすれば一国の姫君にも見える。

ただし、その服装は木綿の作業服という簡素な物であり、更には至る所に土汚れが目立っている。
初対面の人間なら、王族の姫と農家の少女という両極端な印象を受けるだろう。

その少女の前で、不機嫌さを隠そうともせずに頬杖をつく青年。
鍛え上げられた肉体、褐色の肌と金髪金眼、どう見ても『木の大国』領の人間には見えない。

721: 2013/05/08(水) 21:31:05 ID:eyh81OGY

花の勇者「…………」チラッ

地の勇者「…………」


花の勇者「…………」チラッ チラッ

地の勇者「…………」…イラッ




花の勇者「あの――――」

地の勇者「断るッ!」ダンッ!

花の勇者「――――っ」ビクッ!


青年が机に拳を叩きつけ、全力で拒絶の意を示した。
頑丈な執務机に、青年の拳型の亀裂が走る。

722: 2013/05/08(水) 21:31:43 ID:eyh81OGY

花の勇者「ふぇ……っ……」ジワァ

護衛兵1「花の勇者様!」ジャキッ!

護衛兵2「おのれ、貴様ァァ!」ジャキッ!

地の勇者「ああ!? ヤんのか、三下ァ!」


傍に控えていた護衛兵達が、ハルバートを青年に突きつける。
一瞥すらもせずに青年が吠えると、ハルバートは一瞬で錆びつき、ボロボロに崩れ落ちた。


護衛兵1「ぐっ……!」

護衛兵2「ぬぅぅぅ!」


青年の素性は護衛兵達も知っていた。
『土の大国領』最高レベルの勇者、『地の勇者』
その称号は伊達では無い。

723: 2013/05/08(水) 21:32:23 ID:eyh81OGY

地の勇者「餓鬼ィィ……お前の『お願い』のせいで、どれだけ俺が苦労したと思ってやがる……」

花の勇者「……えぐっ……っ……ひ、ひぐっ……」ポロポロ

地の勇者「『情報街で行方不明者が多いから解決して』とか簡単にほざきやがって……」

花の勇者「……えっ、ぐっ……ぐすっ……っ……!」ポロポロポロポロ

地の勇者「おかげで木と水の大国領をかけずり回る破目になったんだぞ! ふッざけんなァ!!」

花の勇者「うわぁあああああああん!! わぁあああああああああああん!!」ワーンワンワン! ビェェェェン!

地の勇者「勇者がガン泣きしてんじゃねェェェェ!!」

724: 2013/05/08(水) 21:32:57 ID:eyh81OGY

執務室に響き渡る少女の泣き声。
護衛兵達が慌ててご機嫌を取るべく駆け寄り、用意してあった甘いものを取りだす。


護衛兵1「ゆ、勇者様! ほら、今朝収穫されたばかりの新鮮な苺ですよ!」オロオロ

護衛兵2「数量限定のアップルパイもありますよ! あ、甘くて美味しいですよ!」オロオロ

花の勇者「えぇぇぇぇえええええん! うえええええええぇぇぇぇん!!」ビェェェェン! ビェェェェン!

地の勇者「チッ……おいこら三下ァ! さっさと何とかしろ!」

宝石の勇者「……ちょっと、どうかしたの? 外の廊下まで響いてるわよ。」


執務室の外まで届く大音量の泣き声に、もう一人の訪問者も入室してきた。
絹を頭に巻いて髪をまとめた、金髪金眼の褐色の肌の女性。


護衛兵1「ほ、宝石の勇者殿!」

護衛兵2「困ります、勝手に入って来られては!」

花の勇者「ああぁぁぁぁあああああん! うわあああああぁぁぁああああん!!」ビェェェェン! ビェェェェン!

宝石の勇者「はいはい、その子が泣きやんだら出ていきますから。」

725: 2013/05/08(水) 21:33:31 ID:eyh81OGY

慌てる護衛兵を遮り、泣きじゃくる花の勇者を抱き上げる。
安心させるように背中をさすり、まずは泣きやむように落ち着かせる。


花の勇者「……ふぐっ……っ……っく……」グスッ…グスン…

宝石の勇者「ほら、良い子ねー。よしよし、えらいねー。」ナデナデ

宝石の勇者「どうして泣いてたのかなー? お姉さんに教えてくれる?」ヨシヨシ

花の勇者「あ、あの……ね……お、お兄ちゃんが、ね……」エグッ…エグッ…

宝石の勇者「うんうん。」

花の勇者「わたしの……机をドンッ、て……いきなり、ドンッ……て……っ……」ヒグッ…グスッ…

宝石の勇者「あー、ほらほら、泣かない泣かない。大丈夫だからねー。」イイコ イイコ

宝石の勇者「それで、なんであなたはそんな事した訳? うわ、机壊れかけてるじゃない……」

地の勇者「ああ!? その餓鬼がまた俺をパシらそうとしたからに決まってんだろうが!!」

花の勇者「――ひぅっ!」ビクッ

宝石の勇者「いちいち声を荒げないの。こんな小さな子相手に何やってるのよ、情けない。」

地の勇者「チッ! 知るか、ンなもん!」

726: 2013/05/08(水) 21:34:34 ID:eyh81OGY

宝石の勇者「護衛兵さん、私も同席した方が良さそうだけど、どうする?」


ようやく泣きやんだ花の勇者が、宝石の勇者の後ろに隠れるようにこちらを窺っている。
残念だが、護衛兵の無骨な全身鎧では、落ち着くものも落ち着かない。

他国の勇者二人と自国の勇者一人。
規則では、こういった不利な状況はあってはならないのだが、この場合は仕方ない。

攻撃的で粗暴な地の勇者と違い、宝石の勇者は柔和で理知的な、話が通じるタイプだ。
まだ幼い、弱冠十二歳の花の勇者から上手く話を聞いてもらえるなら、特別に許可するべきだろう。


護衛兵1「……では、今回に限り同席を許可とします。」

護衛兵2「ご協力に感謝します。」

地の勇者「……心配しなくても、こいつは俺にとっても必要だ。手出しなどするかよ。」

宝石の勇者「だったら、態度で示しなさいよ……まったく。」

花の勇者「お兄ちゃん……もう、おこってない……?」オズオズ

地の勇者「……別に最初から怒っちゃいねぇよ。」

宝石の勇者(いや、あなた普通にキレてたでしょうが……)

727: 2013/05/08(水) 21:35:07 ID:eyh81OGY

地の勇者「まぁ、その、なんだ…………怒鳴ったのは、悪かったな。」

花の勇者「――――!」パァァァァ

宝石の勇者(ふふ、かわいらしい笑顔ね。)

護衛兵1(役得 役得……)ハァハァ

護衛兵2(これで三日は抜けるな……)ハァハァ

花の勇者「それじゃあ、わたしのおねがい、聞いてくれるの!?」


純真で、屈託の無い笑顔。
向けられた方も頬が緩み、思わず何でも言う事を聞いてあげたくなる。
だが、それで既に大変な苦労を押し付けられた人もいる訳で。


地の勇者「――――ざッッけんな、このクソ餓鬼ィィィィ!!!!」


またも地の勇者の怒号が響き、花の勇者の泣き声が後に続いた。

728: 2013/05/08(水) 21:35:41 ID:eyh81OGY

――――――――

――――――

――――

――


『木の大国』領内の国で、『火の大国』領と国境を接する国は二つある。
一つは山岳地帯の『根の国』。そして、もう一つが平野の『花の国』であった。

山岳と平野。
どちらが侵攻し易いかなど、考えるまでもない。

何度となく『花の国』は演習の名のもとに侵攻され、その度に多額の退去料を巻き上げられていた。
だが、三年前、『土の大国』領所属の若い勇者が『火の大国』に一方的な通告を行った。

曰く、『花の国』に対して演習を仕掛ける事は自分が許可しない。
以後、演習を『花の国』に仕掛けるなら、その軍の安全は保障しない。

729: 2013/05/08(水) 21:36:14 ID:eyh81OGY

『火の大国』は、その通告を一笑に付した。

――名声目当ての大言壮語。

――――駆け出しの若造の誇大妄想。

――――――現実の厳しさを知らぬ夢想家。

『火の大国』領だけでなく、他の大国も似たような感想を抱いた。
当の『花の国』の人間ですら、僅かな期待もしていなかった。

そして、その通告から半年後、『火の大国』領の一つ『火口の国』が、兵士三千を率いて隣国の『花の国』に侵攻した。
いつも通り、圧倒的な戦力で攻め進み、幾つもの拠点を占拠した。

まだ『ネットワーク』の構築が完了していないこの時期、情報の伝達は早馬に頼るしかなかった。
花の勇者はまだ子供で戦力外、他の『木の大国』領所属の勇者達は誤情報に踊らされ、まったく違う場所を防衛していた。

――『火口の国』の兵士三千の侵攻から七日目の夜。
一晩で、兵士三千が忽然と姿を消した。

後に残されたのは無人の拠点のみ。
武具も兵糧も兵馬も、一切合切が忽然と姿を消していた。

驚いた『火口の国』は、調査の為に兵士一千を送り込んだ。
だが、その一千の兵も、現地に向かう途中で姿を消す事となった。

730: 2013/05/08(水) 21:36:51 ID:eyh81OGY

精兵四千を失い、『火口の国』は慌てて侵攻を引き上げた。
初めての勝利に『花の国』は首を傾げ、理解不能の事態に『火口の国』は青ざめた。

そこに、重ねて通告が行われた。

曰く、『花の国』に対して演習を仕掛ける事は自分が許可しない。
以後、演習を『花の国』に仕掛けるなら、その軍の安全は保障しない。

忘れ去られていた、皆が笑い飛ばした前回と全く同じ文面。
事情を察した『火の大国』は激昂し、すぐに『土の大国』に説明を求める使者を送りつけた。

『土の国』王都に呼び出しを受けた若い勇者は平然と答えた。

自分が結んだ友好国を保護するために行った事だ、なんら責められる覚えは無い、と。

『勇者』レベルが上がると、それに応じて様々な権利が国から認められる。
若い勇者はその時点でレベル5、これは、外交官としての権限が認められるレベルに達していた。

一般的な『勇者』がレベル5程度で生涯を終える事から考えると、僅か十七歳でレベル5というのは普通では有り得無い。
だが、実際にレベル5に達している以上、単独で同盟を結び、単独で防衛を行う権限を持つ。
『国』として、この勇者を咎める事は出来ない。

――――そう、少なくとも表向きは。

権限があるからといって、何をしても許されるという訳では無い。
表向き咎められないからといって、それで無罪放免とは限らない。

731: 2013/05/08(水) 21:37:21 ID:eyh81OGY

『火の大国』と『土の大国』、二つの大国の面子に泥を塗って、ただで済まされる訳が無い。


――『勇者』として勝手な振る舞いを許すわけにはいかない。

――――個人的な感情で兵四千の命を奪うなど、『勇者』として失格だ。


そのような口上を携え、『土の大国』領最高レベルの勇者、『地の勇者』がその若い勇者の元を訪れた。
若い勇者は自らが持つ外交権限を盾にしたが、同様に『地の勇者』の勇者レベルは彼を制裁する権限を持つ。

口上など建前にすぎない。
秩序を乱した者は、排除されなくてはならない。

三日三晩、二人は戦い続けた。
老いたとはいえ、経験豊富な地の勇者の勝利は確実だと思われていた。

だが、四日目の朝、立っていたのは若い勇者だった。

『土の大国』領最高レベルの勇者は、若い勇者の手により、その生涯を終えた。

国としては表向き処罰できない。
『勇者』の自由意思で制裁を下すのは可能だが、若い勇者は『地の勇者』を返り討ちにした。
後に続いて制裁をくわえる『勇者』は皆無だった。

若い勇者は、その手で無罪放免を勝ち取ったのだ。

732: 2013/05/08(水) 21:37:57 ID:eyh81OGY

――――――――

――――――

――――

――


花の勇者「じゃあ、お兄ちゃん……どうしても行ってくれないの……?」

地の勇者「俺がわざわざ行く話じゃねぇだろが。他の連中にやらせとけ。」


結局、お願いというのは『根の国』で『煙の国』の偵察兵が目撃されているから、その目的を探って欲しいというものだった。
どう考えても、『土の大国』領所属の自分が関わる理由は無い。

『花の国』とは自らの目的の為に同盟を結んだが、『根の国』に関してはどうでも良かった。
植物の品種改良に高い実績を誇る『花の国』だからこそ、自国に背いてまで身体を張ったのだ。

733: 2013/05/08(水) 21:38:58 ID:eyh81OGY

地の勇者「……そんな事より、俺が依頼してる件はどうなんだ。」

花の勇者「すぐにはむりだよぉ。そもそも『桜』をさばくで自生させるなんて、聞いたことないもん。」

地の勇者「簡単じゃねぇ事くらい、俺だってわかってんだよ。だからこそ、『花の国』に頭下げてるんだろうが!」

宝石の勇者「なら、ちゃんと頭下げなさいよ。まったく、あなたという人は……」

花の勇者「人造でいいなら、わたしがなんとかできるけど……それだと、いやなんだよね?」

地の勇者「当然だろうが。交配も接ぎ木で増やす事もできない人造の変異種なんぞ、『桜』とは認めねぇ。」

花の勇者「じゃあ、けんきゅうしゃさんにがんばってもらうしかないよ。」

花の勇者「わたしから交配のしじはするけど、結果がでるまではじかんがかかるし……」

地の勇者「チッ……気長にやるしかねぇか。わかってたけどよ。」

花の勇者「うん、でも、そうだね……お兄ちゃんにあまえてばかりじゃダメだよね……」

地の勇者「そうそう、わかれば良いんだ。お前はここで研究に精を出してりゃ――――」

花の勇者「わたしもじぶんでうごかないと、だよね!」

地の勇者「あ?」

734: 2013/05/08(水) 21:39:57 ID:eyh81OGY

花の勇者「ごえいへいさん、わたし『根の国』までおでかけするね。」

地の勇者「はぁ!?」

護衛兵1「お、お待ちを!?」

護衛兵2「い、いけません勇者様! 外は危険なのですよ!?」

花の勇者「だって、わたしだけなにもしないなんておかしいよ!」

地の勇者「いやいやいや、お前はこの街から出た事すら無いだろうが。ちょっとそこまでお遣いって話じゃねぇんだぞ!」

花の勇者「わたしも、もうこどもじゃないんだから! それくらい、だいじょうぶ!」

地の勇者「そういう事を自分で言ってる内は餓鬼って相場が決まってんだよ……」

地の勇者「おい、お前も何か言えよ。どう考えても無理だろうが。」

宝石の勇者「そりゃあ……私も無理があるとは思うけど。でも、仕方無いじゃない?」

宝石の勇者「お願いした相手が動いてくれないんだもの。自分で何とかする、って考えるのは当然でしょ?」

地の勇者「俺の……せい、かよ……」

花の勇者「『根の国』までなら、きっとおこづかいでなんとかなるよね! あ、おべんとうも用意しなきゃ。」

護衛兵1「地の勇者殿! 後生です、どうか! どうかお力を!」ドゲザ!

735: 2013/05/08(水) 21:41:13 ID:eyh81OGY

護衛兵2「お願いです、このままでは我が国の宝がァァ!」ドゲザ!


当然だが、枝葉の勇者からの手紙に、花の勇者に行動を促すような指示など書いていない。
子供ながらの正義感から、花の勇者が自分で行動を起こしているのだ。

そして、自発的だからこそ、言葉で説得して止まるものでは無い。


地の勇者「あ ぁ ぁ ぁ ぁ 、く そ が ぁ ぁ ぁ ぁ ……」ガリガリガリ


苛立ちのあまり、乱暴に頭を掻き毟らずにはいられない。

花の勇者の外見はただの子供だが、植物に関する知識と勘の良さに関しては他の追随を許さない。
通常ならば不可能な交配も、『樹の神』の恩寵を無限に行使できる花の勇者なら容易く行える。

無謀とも言える『桜』の品種改良。花の勇者の協力無しで上手くいくとはとても思えない。

736: 2013/05/08(水) 21:41:43 ID:eyh81OGY

地の勇者「俺が、行くから……お前はここで研究を続けてくれぇ……」


選択の余地が無い事を悟り、地の勇者は力なく項垂れていた。


――――――――

――――――

――――

――

743: 2013/05/09(木) 22:54:37 ID:b8E2mtrU

男戦士「おっと、これはまた古い橋だな。」

男武闘家「やれやれ……迂回した方が良いか?」


流れの速い川にかかった一本の橋。
かなり年季が入っているらしく、一目でわかるくらいに支柱が傷んでいる。


勇者「でも、轍の跡もありますし、今でも使われているんじゃ……」

女僧侶「幅もあんまり無いですし、渡るなら一組ずつですかねー。」


小型の馬車ならどうにか渡れる程度の幅はある。
現に、馬車が通った轍の跡が残っている。
馬車が通れるのなら、馬が通れない道理は無い。


男武闘家「どうする、勇者ちゃん?」

勇者「うーん……」


この橋を迂回するとなると、かなり時間を無駄にする事になる。
予定していたキャンプ地点に辿り着くのは不可能になるだろう。

744: 2013/05/09(木) 22:55:10 ID:b8E2mtrU

勇者「渡りましょう。でも、橋に負担をかけないように、一組ずつ。」

男戦士「了解。それじゃあ、俺と女僧侶ちゃんが先ず渡ってみようか。」

女僧侶「はい!」

勇者「ボク達が先の方が良くないですか? 多分、こっちの白馬の方が軽そうですし……」

男武闘家「……積荷を考慮すれば、まず間違いないな。」


筋肉質な黒馬と武具を装備した男戦士と女僧侶。
すらりとした白馬と、素手の男武闘家と短剣一本の勇者。

どちらが橋に負担をかけるかは明白だった。


男武闘家「ゆっくりで良いぞ。ゆっくり、落ち着いて歩くんだ。」

勇者「…………」ドキドキ


余計な負担をかけないよう、まっすぐ白馬を歩かせる。

745: 2013/05/09(木) 22:55:44 ID:b8E2mtrU

――――ビ キ ィ ィ


橋の真ん中あたりにさしかかった時、不吉な音が響いた。
音源は足元の支柱。音と共に橋が揺れたのを、橋の上の勇者と男武闘家は感じ取っていた。


女僧侶「い、今の音って……」

男戦士「静かに! 下手に動揺すれば白馬が怖気づく。」


緊迫した空気の中、白馬が慎重に歩を進める。


――――ギ ギ ギ ギ ギ ギ ギ ギ ギ


勇者「…………」ゴクッ

男武闘家(……くっ、戻るのは無理か。)


不気味な音を響かせ、橋全体が軋み始めるに至り、男武闘家は覚悟を決めた。

746: 2013/05/09(木) 22:56:15 ID:b8E2mtrU

男武闘家「ハッ!」 パシーン!

白馬「ヒヒーン!」 ダダダダダッ!


男武闘家が鞭を打つのと同時に、橋の支柱が崩壊し、橋が真ん中から崩れ始める。


女僧侶「勇者くん!」

男戦士「いや、大丈夫だ! 橋が崩れる前に鞭を入れた! これなら……!」


橋が崩落していくより早く、まだ崩れていない部分を白馬が駆け抜ける。


――――ズ ド ド ド ド ド ド ド ! !


古くなっていた橋は完全に崩壊し、両端の僅かな部分を残すだけになってしまった。


男武闘家「大丈夫、勇者ちゃん?」

勇者「は、はい……でもドキドキしました……」

747: 2013/05/09(木) 22:57:00 ID:b8E2mtrU

もしもの為に真っ直ぐ跨っていたのが功を奏した。
不安定な横座りだったら、途中で振り落とされていただろう。


男戦士「おーーーーい! 大丈夫かーーーー!!」

男武闘家「こっちは大丈夫だーーーー!」


橋の向かい側の男戦士に返事を返す。
無事だったのは何よりだが、問題はここからだ。

川は幅が広い上に流れもかなり激しい。
とても馬が渡れる距離では無い。

恩寵で蔓を張って即席の吊り橋を作るのも出来なくはないが、時間がかかる上に人間しか渡れない。
馬を失う上に、キャンプ地まで辿り着けずに危険に晒される事になる。

となると、選択肢は一つしかない。


勇者「え、ボク達だけで先に進むんですか?」

男武闘家「ああ、キャンプ地は安全だから、そこで二人を待つ。」

748: 2013/05/09(木) 22:57:34 ID:b8E2mtrU
分散してしまったのは痛いが、勇者が先に渡ったのは不幸中の幸いだった。
一番重要な勇者がキャンプ地に辿り着けるのなら、後はどうにでも出来るだろう。


男戦士「という訳で、俺と女僧侶ちゃんは、どこか適当な場所で野宿ね。」

男戦士「キャンプ地と違って獣と魔物の危険があるけど……まあ、女僧侶ちゃんなら大丈夫だろ。」

女僧侶「は、はい、頑張ります! 絶対に男戦士さんに危険が及ばないようにしますので!」

男戦士(頼もしすぎる。並みの魔物じゃ相手にならんし、獣でも屠れるのは身を以って知ってるし……)

女僧侶「あ……で、でも、勇者くんは大丈夫なんでしょうか。男武闘家さんだけじゃ……」

男戦士「ああ、森の中ならあいつは戦力三倍増しと思っていいよ。恩寵レベル高いからね。」

女僧侶「なら、私達は少しでも早く進んで、二人と合流しないとですね!」

男戦士「どんなに急いでも、合流できるのは明日の昼過ぎってとこだろうけどねー。」


――――――――

――――――

――――

――

749: 2013/05/09(木) 23:00:26 ID:b8E2mtrU

勇者「採ってきました!」

男武闘家「ああ、ありがとう。一応確認するから、そこに置いといて。」


キャンプ地まで無事に辿り着き、二人が野営の準備をしている。
役割を分担し、男武闘家がテントを設営し、勇者が近くの森で食料採取を担当。

既に周囲に魔物がいないのは確認済みの為、ある程度安心して過ごす事ができる。


男武闘家「……うん、危険なものは混じって無いね。じゃあ、獲っておいた鴨の中に詰めて蒸し焼きにしよう。」

勇者「はい!」


男武闘家のお墨付きをもらい、勇者が嬉しそうに炊事場に走っていった。

来る途中の水場で鴨を二羽、夕食として獲っておいた。
腹を裂き、その中に勇者が採ってきた茸や野草を詰めて蒸し焼きにする。

先程、男武闘家が確認したのは、勇者が採ってきた茸が安全な物かの確認だった。
野草図鑑を見ながら採取したとしても、似たような種類で危険な茸が混じっていないとも限らない。

750: 2013/05/09(木) 23:01:57 ID:b8E2mtrU

男武闘家「よし、テントは完成したし、俺も手伝――――」

勇者「大丈夫です。もう終わりましたので。」


手伝おうと男武闘家が炊事場に顔を出すと、既に詰め物がされた鴨が紐で縛られていた。
余計な骨は抜き取られてゴミとして纏められており、単純に詰めただけではない事が見て取れる。


男武闘家「へぇ、勇者ちゃん、料理出来たんだねぇ。」

勇者「はい。でも、お二人の方がお上手だと思いますけど……」


ここまでの道中、野営地点での炊事は男戦士か男武闘家が担当していた。
普段は二人の内どちらかがテントを設営し、もう片方が料理をしていたが、今日はそういう訳にはいかない。

751: 2013/05/09(木) 23:02:36 ID:b8E2mtrU

男武闘家「俺達は、長くやってるってだけだよ。勇者ちゃんの年齢で出来る方が立派だ。」

勇者「そうでしょうか。」

男武闘家「そうだよ。――あ、そう言えば、勇者ちゃんって、俺達に会う前ってどうしてたの?」

男武闘家「十年前の魔王襲撃から、ずっと旅をしてた訳じゃないだろ? 食事処で働いてたとか?」

勇者「――――ッ。」

男武闘家「あ……いや、別に無理に聞こうとは思わないけどね。」


過去の質問をした時、明らかに目を伏せ、表情が沈んだ。
慌てて男武闘家が話を変える。

752: 2013/05/09(木) 23:03:41 ID:b8E2mtrU

男武闘家「そういえば、後二、三日で俺達の故郷に着くんだ。」

男武闘家「『角笛の町』っていってね、静かで良い所なんだよ。」

勇者「そう、なんですね。」

男武闘家「うん。それで、俺と男戦士は知人の墓参りをしたいと考えてる。」

勇者「……はい。」

男武闘家「出来れば、その間、勇者ちゃんと女僧侶ちゃんは町に滞在してて欲しいんだ。」

男武闘家「一週間ほど時間を取りたいんだけど、その間ね。」

勇者「一週間、ですか……?」

男武闘家「ん、まあ……確かにちょっと長いと思うかもしれないけど、良い所もあるんだ。」

男武闘家「『角笛の町』には枝葉の勇者の為に寄贈された図書館があるから。そこで色々調べてみるのはどうだろう?」

勇者「そうですね、足を止めたくは無いですけど、お二人にはいつもお世話になっていますし……」

男武闘家(…………)ズキッ

753: 2013/05/09(木) 23:04:48 ID:b8E2mtrU

勇者「亡くなった方を偲ぶのも大切な事ですよね……ボク達の事は気にせず、お墓参りをしてきてください。」

男武闘家「ああ……勝手を言って、ごめんね。」

勇者「良いんです、お二人は大切な仲間なんですから! ……あの、そろそろ良いでしょうか。」

男武闘家「ははっ、お腹空いてきた? でも、もう少しおいた方が良いかなぁ。」


『角笛の町』で自分は離脱する。
二人きりになったこの機会に言っておくつもりだった。
だが、心から自分を信頼してくれている勇者に伝えるのは、どうしても躊躇われた。

断じて、一時の感情に流されるつもりは無い。
それなのに、このひたむきな少女を傷つけるかと思うと、どうしても口に出せなかった。


――――――――

――――――

――――

――

754: 2013/05/09(木) 23:07:17 ID:b8E2mtrU

男戦士「今日はこれ以上進むのは無理そうだなー。」

女僧侶「もう日が暮れそうですね……」


橋の崩落により、予定外の場所で夜を明かす事になってしまった。
魔物や動物、虫除けが施されたキャンプ地以外の場所で夜を明かすのは、様々な危険に満ちている。

山の中腹、広場のように開けた場所を選び、荷を下ろす。

755: 2013/05/09(木) 23:08:08 ID:b8E2mtrU

男戦士「炊事場も無いし、今日は干し肉あぶるくらいで我慢するか……」

女僧侶「わ、私が何か獲ってきましょうか!? 猪でも兎でも、探せばその辺に――――」

男戦士「駄目。慣れない山を甘く見ちゃいけない。すぐ日が暮れるとなれば尚更だ。」

女僧侶「で、でも、男戦士さんがお腹空くんじゃ……」

男戦士「別に一晩くらい、氏にゃあしないよ。」

女僧侶「じゃ、じゃあ私の分の干し肉もどうぞ! それなら少しは――――」

男戦士「良いって、二人で分けて食べよう。ただでさえ、女僧侶ちゃんはたくさん食べるんだから。」

女僧侶「そ、そんな事――――!」グゥゥゥ

男戦士「ね?」

女僧侶「…………っ」カァァァ(///

756: 2013/05/09(木) 23:09:02 ID:b8E2mtrU

女僧侶「で、でも、だって……」

男戦士「良いから良いから、別にキャンプ地に着かなかったのは女僧侶ちゃんのせいじゃないでしょ?」

男戦士「旅をしてれば、ああいうアクシデントは起こるもんだし。気にしない気にしない。」

女僧侶「こ、こんな時じゃないと、私がお役に立てる事なんて……!」

男戦士「え、いきなりどうしたの? 皆、女僧侶ちゃんを頼りにしてるよ?」

女僧侶「……お、怒って、ないんですか?」

男戦士(…………あー、そういう事か。まだ気にしてたんだな。)

男戦士「あれは、まあ……気にしなくて良いんじゃない?」

女僧侶「そんな! あんな酷い怪我で……下手をすれば、氏んじゃってたかも……」

男戦士「うっすらと、何があったか、思いだしたような気もするんだけどさ。」

女僧侶「――――ッ!」ビクッ

757: 2013/05/09(木) 23:09:52 ID:b8E2mtrU

男戦士「どうも……切っ掛けは俺が仕掛けたような気がするんだよねー。」

女僧侶「……え?」

男戦士「ちょっと力試し、みたいなね? それで、あっさり返り討ちされたような気がするんだよ。」

男戦士「いや、正直男としてはカッコ悪い事この上ないからさ。もう忘れてくれない?」

女僧侶「そんな……だったら何で、私が怪我してなかったんですか……!」

男戦士「いや、そりゃあ……」

女僧侶「そんなの、無抵抗の男戦士さんを、私が一方的に叩いたに決まってます!」

男戦士(ハハハ……ガチで戦って完封されたんですけど……)

女僧侶「ごめんなさい! ごめんなさい! 許して下さい! 何でもしますから!」


勢いよく頭を下げ、許しを乞う。
二人きりになった事で、抑えていた罪悪感が一気に噴出したのだろう。

758: 2013/05/09(木) 23:10:50 ID:b8E2mtrU

男戦士「……何でもする?」

女僧侶「何でもします! 何でも言って下さい!」

男戦士「……顔を上げて。」

女僧侶「は、はい……」


恐る恐る女僧侶が顔を上げる。
涙が滲み、目元は赤くなっていた。


男戦士「…………」ハァ

女僧侶「あ、あの……?」


男戦士の浮かべている表情に、女僧侶が戸惑いの声を上げる。
険しい表情で怒っているとばかり思っていたが、男戦士の表情はそれとは違った。

呆れたような、悩むような、苦々しい表情。

759: 2013/05/09(木) 23:11:29 ID:b8E2mtrU

男戦士「――目ェ閉じろ!」

女僧侶「は、はい!」ギュッ


僧侶が慌てて目を閉じると、男戦士が右手を真っ直ぐ上に掲げた。


男戦士「せいやッッ!!」     ゴチッ!

女僧侶「――――ふぎゃッ!」


全力で振り下ろされた手刀を脳天にお見舞いされ、女僧侶がうずくまって頭を押さえる。


男戦士「ふぅ、叩いた手が痛いな。……文字通りの意味で。」 ジンジンジン

女僧侶「うぅ……いきなり何するんですか……酷いです……」…ジワッ


さっきとは違う涙を目に浮かべ、女僧侶がうらめしそうに男戦士を見上げている。
まさか脳天にチョップされるとは思っておらず、流石に効いたのだろう。
帽子も手刀の形にヘコんでいる。

760: 2013/05/09(木) 23:12:18 ID:b8E2mtrU

男戦士「女の子が、軽々しく『何でもする』とか言っちゃダメ!」

女僧侶「ふぇっ!?」

男戦士「勇者ちゃんほどじゃないにしろ、女僧侶ちゃんもかわいいんだから!」

女僧侶「え、ええぇ!?」

男戦士「もう少し、女の子としての自覚を持ちなさい。色々な意味で! “色々な意味で”ね!」

女僧侶「え、ええ、ええええぇ!?」

男戦士「……それを心掛けてくれるなら、今回の件は水に流す。良いね?」


しゃがみ込んでいる女僧侶に手を差し出す。
男戦士は既に、いつもの陽気な笑顔を浮かべている。


女僧侶「……が、頑張ります。」


差し出された手を握り、女僧侶も弱々しい笑顔を浮かべた。

761: 2013/05/09(木) 23:12:58 ID:b8E2mtrU

――――――――

――――――

――――

――




男武闘家「よし、そろそろ良いかな。」

勇者「それじゃあ、ボクはこっちをもらいますね。」

男武闘家「ん? いや、勇者ちゃんはこっちの大きい方を食べなよ。」

勇者「え……いや、ボクは小さい方で良いですよ。」

男武闘家「駄目駄目、勇者ちゃんは成長期なんだから、たくさん食べないと。」

男武闘家「体力つけたいのなら、食べるのも鍛錬の内だよ。それに、いつもこれぐらいの量は食べれてるだろ?」

勇者「あの、それは……」

男武闘家「……なに、どうかした?」

763: 2013/05/09(木) 23:14:32 ID:b8E2mtrU

口ごもる勇者に男武闘家が首を傾げる。
自分に気を遣っているのだろうが、そんな必要は無い。
成長期の勇者がたくさん食べる方が理に適っているのだから。


勇者「実は、ですね……ボク、木の実が苦手で……」

男武闘家「うん。」

勇者「採り過ぎてしまった分を、大きい方に、その……」

男武闘家「……ああ、なるほど、そういう事か。」


恥ずかしそうに目を逸らす勇者に、男武闘家が意地悪な笑みを浮かべる。

764: 2013/05/09(木) 23:15:29 ID:b8E2mtrU

男武闘家「好き嫌いは良くないなぁ?」

勇者「あぅ……」カァァァ(///

男武闘家「でも、少し嬉しいかな。勇者ちゃんの年相応な所が見られてさ。」

勇者「女僧侶さんには内緒にしてください。きっと、からかわれちゃうので……」カァァァ(///

男武闘家「ハハ! からかうってより、克服させるために無理やり食わせそうだけど。」

勇者「うぅ……ちょっとなら食べれるんですよぉ……」グスン…

男武闘家「じゃあ、そのかわいい泣き顔に免じて、今日の所は俺が処理しておこうかな。」

勇者「ありがとうございます!」パァァァ

765: 2013/05/09(木) 23:16:38 ID:b8E2mtrU

しょぼんとした表情から、一転して輝かんばかりの笑顔。
妙に大人びている――というか、達観している――所があるが、食べ物の事で一喜一憂する姿は年相応の姿だ。

本音を言えば、勇者と旅をするのはとても楽しい。
頑張り屋で努力家の少女が前を向いて歩く姿は、見ているだけで胸が熱くなる。

だが、同時に、こうも思うのだ。
『あいつ』との旅が出来ていれば、それはどうだっただろうかと。

もはや決して叶わぬ望みなれど。
だからこそ、自分の気持ちに決着をつけなければならない。
それをしないと、自分の心はここから先に進む事が出来ないのだ。


――――――――

――――――

――――

――

778: 2013/06/10(月) 21:10:39 ID:9plRMj4A
今日はR指定です。

出先で見る際はご注意を。

779: 2013/06/10(月) 21:11:39 ID:9plRMj4A

町長「ううむ……やっぱり妙じゃのう……」

町人1「魔物の目撃数は増える一方です……やはり、何かの前触れでは……」

町人2「しかし、実際の被害は特にありませんし、気にする必要はないのでは?」

町人1「何を呑気な事を! 何かあってからでは遅いのだぞ!」

町人2「目撃数が増えているといっても、その内容はコボルトやテトラウルフといった珍しくないモノです。」

町人2「ようやく魔物も人間に対する恐怖を覚えてくれたのでしょう。」

町人1「確かに、目撃されているのは、昔からよく知られている獣型の魔物ばかりだが……」

町人2「下手に追い立てて、また人間に牙を剥かれてはそれこそ藪蛇です。」

町人2「実害が無い間は静観してはどうでしょうか。」


ここは『根の国』国境付近の『角笛の町』。
近況報告に来た町人と町長が、最近増加している魔物の目撃件数に頭を悩ませていた。

780: 2013/06/10(月) 21:12:53 ID:9plRMj4A

孫娘「皆さん、お茶はいかがですか?」

町長「すまんなぁ、わざわざ。」

町人1「お、おお! 孫娘さん! ありがたく頂きます。」

町人2「相変わらず綺麗だねぇ。喜んで頂戴するよ。」

町長「……問題は、目撃されている魔物が同じ個体かどうか、じゃな。」

町長「襲ってこないから討伐されず、結果、同じ魔物が何度も目撃されている……」

町長「これなら、何も問題は無いじゃろう。だが、そうでなかった場合は……」

町人1「魔物の個体数が増加している、という事になりますね……」

町人2「魔物の発生原因は未だ不明です……繁殖で増えるにしては、おかしな点が多すぎますし……」


倒した魔物を解剖し、生殖器官らしきものは確認できている。
だが、繁殖で増えるなら、必然的に確認される筈の幼い個体や妊娠している個体は発見されていない。
目撃されているのは全てが成体であり、そこに至るまでの過程や老いるかどうかすら謎に包まれていた。

人型のオークやゴブリンといった魔物に人間の女が襲われる事はあるが、それで魔物の子を宿したという報告も無い。
医学が発展した『水の大国』領でそれらのO液が分析されたが、人と交わる事は無いと結論が出ている。

勝ち目など度外視で人に襲いかかり、無意味な行為を強制する。
生物としての合理性が著しく欠如し、発生原因も行動目的も非論理的な存在。
まるで人間に迷惑をかける為だけに存在しているようにも見える。

781: 2013/06/10(月) 21:13:47 ID:9plRMj4A

町人1「となると、やはり調査だけでも行わなければなりませんね。」

町人2「ただ、目撃されているのは“あの”禁猟区付近です。果たして、志願者がいるかどうか……」

町長「うむ……それなんじゃが、後三日程で男戦士と男武闘家が戻ってくるらしいんじゃ。」


――――ガチャーン!


孫娘「す、すいません!」

町長「……ああ、気をつけなさい。」

町人1「孫娘さん、まだ男武闘家さんの事を……」ヒソヒソ

町人2「もう七年も経つってのに、健気な……」ヒソヒソ

町長「女狩人の墓参りがてらに、あの禁猟区の調査を行いたいと言ってきおった。」

町長「あの二人なら安心して任せられるからのぅ、ついでに調べてきてもらおうと思うんじゃが……」

町人1「そ、そうですね、あの二人なら……」

町人2「私もそれで構いません。」

782: 2013/06/10(月) 21:14:29 ID:9plRMj4A

――――――――

――――――

――――

――


男武闘家「夜の見張りは俺がやるから、勇者ちゃんは――――」

勇者「駄目です! ボクも交代でやります。」

男武闘家「……じゃあ、そうしようか。先に俺が担当するから、三時間ごとに交代ね。」

勇者「はい!」

男武闘家(軽く起こしてみて、起きなかったらそのまま寝かせておいてあげれば良いか……)


やると言っているのに、子供扱いして無碍にするのも良くない。
自分は一晩程度なら寝なくても問題無いのだが、こういった経験も勇者には必要だろう。

783: 2013/06/10(月) 21:15:32 ID:9plRMj4A


―――― ド ク ン


男武闘家「……?」


一際強く、鼓動が跳ねたような錯覚に陥る。
軽い眩暈に襲われ、目元を押さえてやり過ごす。


男武闘家「体温が少し高い……? 風邪、いや、こんな急に……」


首筋に手をあてて体温を測ると、微妙に熱っぽい気がする。
僅かだが、脈拍も上昇しているように思える。

風邪かと思ったが、それにしては身体はダルくない。
むしろ、芯から何かが湧き上がり、暴発しそうな感覚さえある。

身体の感覚に引きずられるかのように、視界が歪む。
周囲の景色が、遠のき、近付き、拡大と縮小を繰り返す。


男武闘家「……ぅぐッ……何だ、これ……まるで、強力な強心剤を打ったような……」

男武闘家「……まさか、さっきの食事の茸……俺が、見落とした……?」

784: 2013/06/10(月) 21:16:59 ID:9plRMj4A

一部の茸を口にした時に経験する、強烈な幻覚作用。
今の症状は、それに非常によく似ていた。


男武闘家(……マズイ……勇者ちゃんも、同じ物を食べた……早く処置しないと……)


一刻も早く胃の中身を吐きだし、鎮静剤を打たなければならない。
急いでテントへ向かうが、既に自分がまっすぐ歩いているかどうかさえ確かではない。

何を口にしたのかは分からないが、かなり強力な幻覚作用を含んでいたのは間違いない。


男武闘家「テントに、辿り着くのに……こんなに、苦労するとは……」


今自分が立っているのか倒れているのか、それすらもわからなくなってきている。
すぐそこに見えているテントまでの道のりが、果てしないものに思えた。


男武闘家「勇者、ちゃん……大丈夫――――」


テントの幕を開けると、中にいた勇者が慌てて背を向けた。
着替えをしていた最中なのか、髪はほどかれ、上には何も着ていない。

785: 2013/06/10(月) 21:18:05 ID:9plRMj4A

勇者「こ、声くらい掛けてくれても――――」アセアセ

勇者「――って、男武闘家さん!?」ハッ


頬を伝う汗と乱れた呼吸。
男武闘家の体調が優れないのは一目で見て取れた。

上に何か羽織る事も忘れ、勇者が男武闘家に駆け寄る。


男武闘家「まだ……症状は、出てないみたいだな……」


量を多く食べた自分に、先に症状が現れたのは不幸中の幸いだ。
ここで対処法を指示しておけば、勇者が中毒症状を発症する前に対処できるだろう。


―――― ド ク ン ド ク ン


勇者「男武―家―ん、大――なんで―か!?」


鼓動が更に跳ねあがる。
身体の熱も上昇し、意識が朦朧としてくる。

心配そうに覗き込み、声をかける勇者の言葉が上手く聞き取れない。
だが、鈍る聴覚とは対照的に、視界は艶やかに歪み、皮膚の感覚は鋭敏に研ぎ澄まされていく。

786: 2013/06/10(月) 21:19:29 ID:9plRMj4A

勇者「しっ――して―――い! 水―飲み――か!?」


勇者の表情から、自分を心配しているのはわかる。
だが、その言葉をきちんと認識する事が出来ない。


男武闘家「勇者―――は……なん――ない――……?」


駄目だ。
自分の言葉すらきちんと認識できない。

これでは、対処法を伝える事も――――


―――― ド ク ン ド ク ン ド ク ン


天井に吊るしたランタンがテント内を照らしている。

787: 2013/06/10(月) 21:20:29 ID:9plRMj4A

――自分を見つめる薄桃色の瞳。

――――ほどかれた勇者の薄桃色の髪。

――――――傷一つ無い、わずかに紅潮した白い肌。

――――――――垂れた髪の隙間から見え隠れする、慎ましい双丘と桜色の先端。

それらがゆらゆらと淫猥に揺らめき、身体の芯から赤黒い衝動が湧き上がってくる。


―――― ド ク ン ド ク ン ド ク ン ド ク ン


勇者「…………」


目があった勇者は言葉を失っている。
恐らく、自分の瞳に浮かぶ劣情を感じ取ったのだろう。

許されない衝動に、歯を食いしばって抗う。

788: 2013/06/10(月) 21:21:13 ID:9plRMj4A

――俺 は 何 を 考 え て い る ?

――――駄 目 だ 、 そ ん な 事 は あ っ て は な ら な い 。

――――――や め ろ 。そ れ だ け は 、 絶 対 に 駄 目 だ 。


勇者「…………男武―――ん、―――てくれ――――?」

勇者「――――っと――――――れると。」


なんだ?
いったい何と言った?


男武闘家「――、――す――。」


なんだ?
俺は、今何と答えた?

789: 2013/06/10(月) 21:21:45 ID:9plRMj4A


―――― ド ク ン ド ク ン ド ク ン ド ク ン ド ク ン


勇者の表情が見えない。
だが、もう、それで良い。
もう、何も考えられない。

華奢な体を抱き寄せ、欲望のままに組み伏せた。


――――――――

――――――

――――

――

790: 2013/06/10(月) 21:22:31 ID:9plRMj4A

険しい山の麓。
二つの影が言葉を交わしている。

偵察兵1「交代の時間だ。」

偵察兵2「助かった。退屈で氏にそうだったぜ。」


闇夜でも微かに見て取れる、赤みを帯びた髪。
『火の大国』領出身者によく見られる特徴だ。


偵察兵1「はは、交戦は控えるように言われてるからな。で、何か変わった事は?」

偵察兵2「“あいつ”、また魔物を呼び寄せたぞ。」

偵察兵2「配下の魔物を遠征させて、各地の魔物を引っぱって来させてるみたいだ。」

偵察兵1「へぇ、ならそろそろ頃合いだろう。」

偵察兵2「ああ、何時動いてもおかしくない。本隊にも準備させないとな。」

偵察兵1「既に本隊は何時でも仕掛けられる。心配無用だ。」

偵察兵2「そうなのか? 随分と段取りが良いな。」

偵察兵1「そりゃあそうさ。今回の演習は『勇者』も同行してるからな。」

791: 2013/06/10(月) 21:23:50 ID:9plRMj4A

偵察兵2「はは、それはまた、景気の良い話だな。ここ最近、退去料を取れてないからテコ入れか。」

偵察兵1「木と水の大国領の奴ら、何故か異常に情報伝達が早いからな。奇襲が上手く決まらねぇ。」

偵察兵1「あまり負けが込むと、定時の支援金も渋りだしかねん。ここらで力を見せつけてやらんと。」

偵察兵2「で、どの『勇者』が同行してるんだ? 立地的にも『煙』か『火口』か?」

偵察兵1「誰か、までは知らないが、国はかなり本気だ。なんせ複数の『勇者』を同行させてるからな。」

偵察兵2「おいおい、そりゃあ本当か? 複数の『勇者』が演習に同行するなんて初めてだぜ。」

偵察兵1「恐らく、“あいつ”の証拠隠滅も兼ねてるんだろうぜ。他所の国に余計な知恵をつけさせたくないんだろう。」

偵察兵2「なるほどな……化物だが、“あいつ”には同情するぜ。『勇者』に狩られるなんざ、俺なら御免だ。」

偵察兵1「ま、人語も話せぬ化物だが、捕獲でもされりゃあ面倒だからな。きっちり処分せにゃあ。」

偵察兵2「違いない。それじゃあ、“あいつ”の見張り、しっかり頼むぜ? いつでも処分できるようにな……」


――――――――

――――――

――――

――

799: 2013/06/10(月) 21:33:07 ID:9plRMj4A

勇者「男武闘家さん、男武闘家さん。」ペチペチ

男武闘家「…………」

勇者「起きて下さい、男武闘家さん。」ペチペチ

男武闘家「……ぅ……っ……」

勇者「朝ですよ、起きて下さーい。」ペチペチ

男武闘家「――――ハッ!」ガバッ

勇者「わっ!」ドテッ


勢いよく起き上った男武闘家と、それに驚いて尻餅をつく勇者。
焚火の火は消え、辺りには朝日が差し込んでいる。


男武闘家「――――俺は。」


意識のはっきりしない男武闘家が周囲に目をやると、そこは夜の番の為に座っていた焚火の前だった。

800: 2013/06/10(月) 21:33:41 ID:9plRMj4A

勇者「痛たた……急に飛び起きるなんて、びっくりするじゃないですか……」


尻餅をついた勇者がうらめしそうな瞳で男武闘家を見ている。


男武闘家(俺は……俺は、何て事を……ッ!!)

男武闘家「勇――――!」

勇者「はい、紅茶を淹れておいたので、どうぞ。砂糖は無しで良いんですよね?」

男武闘家「――――え、ああ。あり、がとう……?」


なんだ、これは?
何故、そんな対応ができる?
力づくで、その身を穢した相手に何故?

801: 2013/06/10(月) 21:35:23 ID:9plRMj4A

勇者「すみません、昨日寝る前に交代するって言ってたのに……」

男武闘家「……え?」

勇者「三時間で起きようと思ってたのに、起きれませんでした……」シュン

男武闘家「……何を、言っている?」

勇者「何って、夜の番ですよ。ボクが起きてこないから、男武闘家さんがやってくれたんでしょう?」

男武闘家「……夜の、番。……え?」

勇者「でも、せめて声くらい掛けてくれても良いじゃないですかぁ……ボクもやる気はあったのに……」


勇者は拗ねたように口を尖らせている。

どう言う事だ。
まさか、あれは、『夢』だったとでも言うのか?


男武闘家「――――ッ!」


男武闘家は目の前の光景が信じられず、言葉を失う。
袖をまくった勇者の手首には痣など何処にも無かった。
歯型や痣をつけた筈の首筋も同様だ。

802: 2013/06/10(月) 21:36:17 ID:9plRMj4A

あれほど酷かった痣が、一晩で治る筈が無い。


男武闘家(…………夢、だったのか?)


あの行為そのものが、幻覚作用に見せられた幻だったという事なのか。
とてもそうとは思えぬほどにリアルだったが、そう考えるしかない。


男武闘家(……そ、そうだよな。でなければ、勇者ちゃんがこんな態度な訳が無い。)

勇者「ん、あれ? でも、さっき男武闘家さんが居眠りしてたって事は……」ムム?

勇者「さては、男武闘家さんも寝過ごしちゃったんですね!」

男武闘家「あ、ああ……どうやら、そうみたいだね……」

勇者「なら、仕方ないですね。痛み分けですね。」ウンウン

男武闘家「ははは……お詫びに何か獲ってくるよ。朝ご飯は食べたのかい?」

勇者「いえ、まだなので、お腹を空かせて待っておきます。」ニコニコ

男武闘家「うん、期待に応えられるよう頑張るよ。」

803: 2013/06/10(月) 21:37:15 ID:9plRMj4A

あれは、夢だ。
茸の幻覚作用が見せた、悪い夢だ。
だから、この疲労感も、単なる中毒症状の後遺症だ。

あんな事が、現実な訳が無い。
自分が、あんな欲望を抱いている訳が無い。


男武闘家(そうだ……俺が、あんな事を……する訳が無い。)


鉛のような体を引きずりながら、男武闘家は悪夢の残滓を頭から振り払った。


――――――――

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811: 2013/07/08(月) 01:04:11 ID:9X2hou/M
男戦士「ふぅ、あの後はトラブルもなく順調だったな。」

男武闘家「ああ、ようやく我らが故郷、『角笛の町』に到着だ。」

女僧侶「あ、あそこ! 羊ですよ、勇者くん!」

勇者「本当だ、たくさんいるねー。」

男戦士「枝葉の勇者を送りだした町だからね、そこそこ景気は良いんだよ。」

男武闘家「あいつ自身も、ちょくちょく町に仕送りしてるらしいからな。」

男戦士「宿は俺の家を使おうか、どうせ誰も居ないから遠慮しなくて良いし。」

男武闘家「そうだな。図書館からも近いし、お前の家の方が便利かもな。」

女僧侶「御家族の方とかは留守なんですか?」

男戦士「ああ、俺もこいつも、身内はいないからね。」

女僧侶「そ、そうだったんですね……すいません……」

男武闘家「何言ってんの、女僧侶ちゃんも勇者ちゃんも同じだろ? 気にしなくて良いよ。」

勇者「そうですね……」

女僧侶「こんな世の中ですし……」

男戦士「はいはい、そう暗くならない! ちゃっちゃと行くよ!」

812: 2013/07/08(月) 01:05:01 ID:9X2hou/M

町を進んでいると、行きかう人々が親しげに話しかけてき、男戦士と男武闘家が挨拶を返している。
見慣れぬ勇者と女僧侶の姿に興味を惹かれる住人はいたが、二人の連れという事で警戒される事は無かった。

『情報街』のような華々しさは無いが、町人は皆穏やかで、不満など無いように見える。
生活に余裕があるからだろう、『角笛の町』は落ち着いた空気に包まれていた。

位置的には国境付近にあたるが、険しい山々が防壁となっている為か、その手の緊張感は感じられない。

そうこうする内に、一行は男戦士の家に到着した。
それほど大きくは無いが、二階建ての綺麗な家屋。
小さな厩舎も備え付けられており、一人で住んでいるにしては贅沢な気もする。


女僧侶「わぁ、凄いじゃないですか! 男戦士さん、お金持ちだったんですね!」

男戦士「昔、この町の『森守』って役職についてたからねー。結構儲かってたんだよ。」

男武闘家「……男連中呼びこんで馬鹿騒ぎする為だけに、借金してまで建てたんだよな。」

男戦士「お、おい! ちゃんと女の子も呼んでただろ!? 誤解されるだろうが!」

勇者「へぇ……」ジー

女僧侶「それはそれは……」ジー

男戦士「あれ!? 二人の目が冷たい!?」ナゼ!?

男武闘家「自業自得だ。」アホカ

813: 2013/07/08(月) 01:05:34 ID:9X2hou/M

――――――――

――――――

――――

――


女僧侶「あれ? 誰も住んでなかった割には随分と綺麗ですね。」

男戦士「人に頼んで、ちょくちょく掃除とかしてもらってるからね。」

勇者「意外と物が少ないですねー。もっと、こう……ゴミゴミしてるかと。」キョロキョロ

男戦士「勇者ちゃんも、言うねぇ……」ズーン

男武闘家「それじゃあ、俺達は町長に挨拶に行くけど、二人はどうする?」

勇者「あ、それならボクも一緒に。少しの間滞在する訳ですし、挨拶しておかないと。」

女僧侶「あれ? すぐに国境に向かわないんですか?」

勇者「うん、お二人はお墓参りをするそうなので、一週間くらいここで過ごすよ。」

勇者「女僧侶さんも、別に構わないよね?」

女僧侶「勇者くんが良いなら、私もそうですよ!」

814: 2013/07/08(月) 01:06:07 ID:9X2hou/M

男戦士「悪いね、どうしてもやっておかなきゃいけないからさ。」

男武闘家「…………」

勇者「良いんです、お二人にはいつもお世話になってますから。ね、女僧侶さん。」

女僧侶「そうです! この町はお二人の故郷ですし、たまにはゆっくり休んでもらわないと。」

男武闘家「……そう言ってもらえると、助かるよ。」


――――――――

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――――

――

815: 2013/07/08(月) 01:07:02 ID:9X2hou/M

町長「これはこれは、よくお越し下さいました、勇者様。二人から話はうかがっております。」

勇者「え、いや、そんな! ボクなんかに頭を下げないでください!」アワアワ

町長「はは、聞いていた通り謙虚な方のようですな。ささ、どうぞお入りください。」

女僧侶(うん、町長さんは良い人ですね!)ニコニコ

男戦士(事前に手紙を送っておいたからな、女僧侶ちゃん対策は万全よ!)

男武闘家(町人全員に通達するように言っておいたから、勇者ちゃんに難癖つけるバカはいない筈……)

男武闘家(ま、そうでなくとも、この町の人間は元々『北の国』には同情的な人間が大半だったしな。)

町長「今は夕食の準備中でしてな、もし宜しければ、召し上がっていかれませんか?」

勇者「え、いえ、そんな!」

男戦士「俺達は町長と話す事があるから食ってくよ。二人も一緒に食べようよ。」

男武闘家「こいつの家に戻っても、食い物は用意されてないからね。今から買い出しも大変だろ?」

女僧侶「うぅ、何だか良い匂いが漂ってきてますよ。」スンスン

勇者「あはは……それじゃあ、ありがたく頂きます。」

816: 2013/07/08(月) 01:07:57 ID:9X2hou/M

町長「孫娘や、お二人の分も用意しておくれ。」

孫娘「はい、おじい様。ゆっくりしていって下さいね、勇者様。」ニコリ

女僧侶「おぉ、優しそうな方ですね。」

町長「私の孫娘でしてな。色々と手伝ってくれとるんですよ。」

町長「そろそろ、身を固めてくれないものかと思っておるんですがのぅ……」チラッ

男武闘家「…………」

勇者「綺麗な方ですし、男の人が放っておかないと思うんですけど。」

男戦士「ま、その辺は色々と思う所があるんじゃないかな?」チラッ

男武闘家「…………」

男戦士「そうだ、俺と男武闘家は墓参りの件で町長と話す事があるから、二人は居間でゆっくりしててよ。」

勇者「はぁ……」

女僧侶「わかりました……」


体よく追い払われた気もするが、墓参りに関しては自分達は部外者だ。
何となく釈然としないものを感じつつも、素直に居間で待つ事にする。

817: 2013/07/08(月) 01:08:36 ID:9X2hou/M

女僧侶「とはいえ、する事が無いというのも落ち着かないですね。」

勇者「うん。それに、何もせずに御馳走だけしてもらうのもちょっと……」

勇者「そうだ! 孫娘さんのお手伝いをしよう。」

勇者「大人数の料理を用意するとなると、色々と手がかかる筈だし。」

女僧侶「なるほど! それは良い考えですね。では早速調理場に向かいましょう。」




孫娘「あら、勇者様。どうかされたんですか?」

孫娘「――あ! あの人達、勇者様にお茶もお出しせずに……!」ハッ

勇者「あの、そうではなくて……何かお手伝いできないかと思って。」

孫娘「ええ!? そ、そんな、勇者様の手を煩わせる事なんてできませんよ!」

勇者「邪魔にはならないと思うんですけど……駄目でしょうか……?」ウワメヅカイ

孫娘「え、ええと、その……」ドキッ

女僧侶「ほら、やっぱり『働かざる者食うべからず』って言いますし。」

女僧侶「何もせずに待つのは、ちょっと落ち着かなくて。」

818: 2013/07/08(月) 01:09:06 ID:9X2hou/M

勇者「調理の下ごしらえですよね? お野菜の皮むきとかお手伝いしますよ。」

勇者「人数が多い方が早く終わると思いますし……あの、やっぱり、お邪魔ですか……?」ウワメヅカイ

孫娘「い、いえ!? そんな事ないですよ!?」カァァ(///

孫娘「そ、それでは……せっかくですので、お願いして良いですか?」

勇者「はい!」パァァァ

女僧侶「まかせて下さい!」パァァァ


――――――――

――――――

――――

――

819: 2013/07/08(月) 01:09:40 ID:9X2hou/M

男戦士「やっぱり、ここでもか。」

男武闘家「……いや、むしろここが一番目立ってないか?」

町長「と言うと、他の町でも同じ事が起こっておるのか?」

男戦士「ああ、獣型の魔物の目撃数の増加は『枝葉の国』でも確認されていた。」

男武闘家「国境に近付くにつれ、増加が比例して伸びていたが……ここは特に目立つぞ。」

町長「なんと……」

男戦士「なんだ? この周辺に、魔物を呼び寄せるような原因があるってのか?」

男戦士「―――― いや……おい、まさか……」

男武闘家「……“あの”禁猟区、か?」

町長「確かに七年前にも似たような現象が報告されとったが、“あの後”はぷっつりと途切れたんじゃが……」

町長「言われてみれば、あの時の状況によく似ておるのか……」

男戦士「いや、これはかえって都合が良いか?」

男武闘家「ああ、あの時と同じ状況なら、真相に近付ける可能性は低くない筈だ……」

町長「おぬしら、何を言っておるんじゃ?」

820: 2013/07/08(月) 01:10:20 ID:9X2hou/M

男武闘家「“あの”禁猟区を徹底的に捜索する。あいつの仇討だ。」

男戦士「あいつの氏は、事故じゃなかったのかもしれない。それを俺達で明らかにする。」

男武闘家「その為に、俺達は戻ってきた。悪いが、規則がどうであろうと、あの地に踏み込ませてもらう。」

町長「それで、もし、原因が分かったとして……それが、何者かによるものだったとして……」

町長「お主らは、いったいどうするつもりなんじゃ?」

男武闘家「―――― ぶち頃す。言っただろ、あいつの『仇討』だと。」

町長「お主……」

男戦士「町長、俺達が調査している間、勇者ちゃんと女僧侶ちゃんを見てやっててもらえない?」

男戦士「どうせ禁猟区の調査は必要なんだろ? その対価としてさ。」

町長「確かに、そのつもりじゃったが……お主ら、変わったのぅ。」

男戦士「そうか?」

町長「お主は、随分落ち着いたのぅ。浮ついた性根がこうも変わるとは。」

821: 2013/07/08(月) 01:11:07 ID:9X2hou/M

町長「……もしや、嫁でも見つけたのか?」

男戦士「ああ、なるほど……確かに、命を懸ける理由はできたな。」

男武闘家「良かったな。これでようやく真人間の仲間入りだ。」

男戦士「るせーよ!」

町長「……男武闘家よ、お主は……焦っておるのか?」

男武闘家「どういう意味だよ。」

町長「いや、すまんな……じゃが、何かに追い詰められているように見えるんじゃが……」

男武闘家「それは、あるかもな……あいつの氏の真相を知るのは、これが最後のチャンスかもしれない。」

男戦士「……なぁ、お前の気持ちはわかるよ。俺だって、同じだ。」

男戦士「けど、全てが明らかになったとして……その後、お前はどうするつもりなんだ?」

男武闘家「それは……」

男戦士「お前がここで離脱するとしても、それは良いんだ。お前が決めた事なんだから。」

822: 2013/07/08(月) 01:11:39 ID:9X2hou/M

男戦士「……ただ、この町に残るんなら、そろそろあの娘の気持ちに応えてあげたらどうなんだ?」

男戦士「あいつはもう氏んだんだ。それは……どうあっても、変わらない事実だ。」

男戦士「あれから七年……あの娘は、孫娘ちゃんは、ずっとお前を待っててくれたんだぞ……?」

男武闘家「…………」

町長「お主が旅をやめ、町に残るというなら、きっとあの娘は喜ぶじゃろう……」

町長「わしからも頼む……あの娘のためにも、一度考えてやってくれんか……」

男武闘家「……わかった。それについても、考えておく。」


――――――――

――――――

――――

――

823: 2013/07/08(月) 01:13:03 ID:9X2hou/M

女僧侶「へぇ、皆さんは一緒に育ったんですねー。」

孫娘「はい。男戦士さんと男武闘家さんは御両親を早くに亡くされたので……」

孫娘「他に身寄りも無かったそうで、おじい様が経営する孤児院に引き取られたんです。」

孫娘「私も孤児院のお手伝いをしていたんですけど、枝葉の勇者様を巻き込んで、いつも大人の人を困らせてましたっけ。」

勇者「そう言えば、枝葉の勇者さんもここの出身とか。」

孫娘「はい。枝葉の勇者様もよく孤児院に遊びに来ていましたね。ふふ、毎日遅くまで森で遊んでたんですよ。」

女僧侶「そう言えば、お二人のお墓参りって、誰のでしたっけ? 御両親ですかね?」

孫娘「あ……多分、それは女狩人さんだと思います……」

勇者「山で亡くなったっていう、あの……?」

孫娘「ええ……お二人と一緒に孤児院に引き取られた方だったんですけど、七年前の事故で……」

孫娘「小さい頃は、年下の枝葉の勇者様、年上の三人と、兄弟のように遊んでもらっていました……」

孫娘「皆さん、町を出てしまったので……少し寂しいですね。」

女僧侶「孤児院かぁ……私も似たような生活だったなぁ。」

孫娘「女僧侶さんも、御両親が……?」

女僧侶「そうなんですよねー。父は魔物に殺されてしまったそうで、母はお産の時に。」

824: 2013/07/08(月) 01:14:12 ID:9X2hou/M

女僧侶「町の神父様に引き取られたんですけど、ほとんど僧侶学校の寄宿舎で過ごしてましたねー。」

女僧侶「おかげで食べるのには困らなかったので、感謝してますけど。」

女僧侶「――――と、もう皮むきも終わっちゃいましたね。」

孫娘「お二人ともとてもお上手で、凄く助かりました。」

女僧侶「あはは、寄宿舎でいつもやらされてましたからねー。」

勇者「手先は器用だって、よくいわれるんですよ。」

男戦士「――――おお、勇者ちゃん。こんな所にいたのか。」

勇者「あ、男戦士さん、どうかしたんですか?」

孫娘「――ッ! も、申し訳ありません! 勇者様にこのような事を――――」

男戦士「え、別に良いんじゃない? 勇者ちゃんから言いだしたんでしょ?」

勇者「はい。」

女僧侶「『働かざる者食うべからず』ですよ。」エヘン!

男戦士「ちょっと俺と男武闘家は出かけるから、夕飯までここで時間潰しといてもらえるかな。」

825: 2013/07/08(月) 01:14:47 ID:9X2hou/M

男戦士「孫娘ちゃん、悪いんだけど、二人についててもらえる?」

孫娘「はい、そういう事でしたら。」

男戦士「ちなみに、今日の献立は…………おや、これはこれは……」


下ごしらえを終えた食材から、料理の内容を推測した男戦士がにやりと笑みを浮かべる。


男戦士「孫娘ちゃん、妙に男武闘家の好きな物に偏ってるけど、気のせいかなぁ?」ニヤニヤ

孫娘「え!? そ、そん、そんな事ないですよ!? ぐ、偶然です! そう、偶然!」アセアセ

女僧侶「おやおや、これはもしかして。」

勇者「孫娘さん、頬が真っ赤だね。」

孫娘「うぅ……」(///

男戦士「相変わらず、わかりやすいねー。それじゃ、また後で。」

826: 2013/07/08(月) 01:15:58 ID:9X2hou/M

女僧侶「――で、孫娘さん、男武闘家さんが気になるんですか?」

孫娘「え、と……その…………はぃ」(///

勇者「男武闘家さん、しっかりしてて頼りがいあるもんねー。」

女僧侶「何だかんだ言いながらも、男戦士さんのサポートをきっちりやってますよねー。」

孫娘「でも、良いんです……あの人が見ているのは私じゃないので……」

勇者「……そう、なんですか?」

孫娘「だから、私の事は、気にしてもらわなくても良いんです……ただ、無事でいてくれるなら……」

女僧侶(孫娘さん、こんなに綺麗で優しいのに……男武闘家さん、もしかして“そういう趣味”の人なんでしょうか……)

女僧侶(――ハッ! まさか男戦士さんと!? 夜の番とかいつも二人で交代でやってましたし……)

勇者「女僧侶さん。」

女僧侶「――ッ!」ドキッ

勇者「それは無いから、安心して良いと思うよ。」

孫娘「?」

女僧侶「え、えぇ!? い、いや、私は別に!」アワアワ

827: 2013/07/08(月) 01:16:31 ID:9X2hou/M







男戦士「」ゾクッ

男武闘家「」ゾワッ

男戦士「……今、何か凄く失礼な事を言われた気がする。」

男武闘家「……奇遇だな。俺もだ。」


――――――――

――――――

――――

――

828: 2013/07/08(月) 01:17:37 ID:9X2hou/M

人の手が入らぬ荒涼とした山岳地帯。
天には月の光を遮る分厚い雲、地には大小様々な影が蠢いている。

影は二足で歩く者と多足で地を這う者が雑多に混ざりあい、歪な軍勢となっていた。
姿形こそ不揃いで歪だが、対照的にその動きは統制が取れ、一糸乱れぬ動きで集団を維持している。

影達は皆一様に同じ方向を向き、先頭を進む者の後に続く。
集団の先頭、他より一際大きな、筋肉の発達した二本の足で歩く個体。

分厚い雲が途切れ、月明かりが差し込み影達を照らした。
薄明かりの下に浮かびあがったその姿は、どれもが禍々しく不自然に見える。

イヌ科の獣と人間を合成したような半獣人、姿は狼だが四つの瞳を持つ四足獣、一見イタチのようだが胴の長さと脚の数が倍の八足獣。
他にも多種多様な姿が見えるが、どれもが既存の獣を歪めた悪趣味な外見を持つことに変わりは無い。

だが、先頭を進む一体だけは他とは毛色が違っていた。
獅子の頭部を持った半獣人という意味では他と同じだが、その姿や立ち居振る舞いにはどこか気品の様な物を感じさせる。
他の個体がだらしなく口を開き、荒い息を吐きながら涎を垂らすのとは対照的に、しっかりと閉じられた口元には知性すら窺えた。

金色のタテガミ、筋骨隆々の肉体を包む薄茶色の獣毛、その雄々しい姿は彫像の如く均整がとれている。
ただ、胸に刻み込まれた大きな火傷の痕と、閉じた右目に折れた黒い矢のような物が突き刺さっている事を除けば。

行進する軍勢は歩を進めるごとに大きくなっていく。
四、五体でまとまった小隊が、次々に合流しているからだ。

829: 2013/07/08(月) 01:18:11 ID:9X2hou/M

山頂に辿り着くと、獅子頭の魔物が軍勢に振り向いた。
膨れ上がった軍勢の総数は、既に数え切れない程になっている。
数が増えたせいだろう、新たに合流した一部の魔物達は統制から外れかけ、周囲の魔物と小競り合いを始めていた。

それに気付いた獅子頭の魔物は、他の魔物達を見下すように鼻を鳴らす。


獅子頭「オオオオォォォォォォ!!」


突如、狼の遠吠えの如く、獅子頭の魔物が天を仰ぎ咆哮を響き渡らせた。
その凄まじい音量は大気を震わせ、まばらに生えていた枯れ木は亀裂が入り、次々に崩れ落ちていく。

それを浴びた魔物達は、二足のモノは跪き、多足のモノは地に平伏した。
即座に示した服従の姿勢とは裏腹に、魔物達の姿は恐怖に囚われているようには見えない。
まるで兵士が将に従うかの如く、統制が取れた機械的な動きだった。

獅子頭の魔物は、その一糸乱れぬ動きを前にしても、つまらなさそうに鼻を鳴らすだけだった。


――――――――

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――――

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830: 2013/07/08(月) 01:19:10 ID:9X2hou/M

男戦士「いやー、ご馳走さま! 相変わらず美味かったよ。」

勇者「ごちそうさまでした、孫娘さん。」

女僧侶「久しぶりにちゃんとしたお料理を頂けました。」

女僧侶「ね、男武闘家さん。」

男武闘家「……ああ、美味かったよ。」

孫娘「!」 パァァァァァ

勇者「ところで、お二人はどちらに行かれてたんですか?」

男戦士「ああ、さっきの外出? 情報収集と明日の準備だよ。」

男戦士「そうそう、明日の早朝から“禁猟区”に出向くんだった。孫娘ちゃん、二人をよろしくね。」

孫娘「はい!」

男武闘家「とりあえず、図書館には行っておいた方が良い。色々と勉強になるだろうから。」

勇者「わかりました。」

女僧侶「それで、その“禁猟区”って何処なんですか?」

男戦士「うーん、そうだなぁ……説明するより見た方が早いかな。」

男武闘家「地図を出すか。」 ガサゴソ

831: 2013/07/08(月) 01:20:10 ID:9X2hou/M

男戦士「この町から山一つ越えた先にある“ここ”だよ。」

勇者「あれ……ここだけ随分標高が高いみたいですね。」

男武闘家「そうそう、だから山に慣れた人間じゃないと辿り着くのも難しいんだ。」

男戦士「ま、俺たちなら余裕だけどね!」 ドヤッ

孫娘「でも、本当に気をつけて下さいね……魔物の目撃件数も増えてますし……」

女僧侶「そう言えば、道中でもそんな話を聞きましたっけ。」

男戦士「ちゃんとその辺も調査してくるから、勇者ちゃん達は安心して待っててよ。」

男戦士「もし魔物がちょっかいかけてきても、多少の襲撃ならこの町はびくともしないしね。」

男武闘家「しかも今は女僧侶ちゃんも滞在してるんだ。並の魔物じゃ相手にならない。」

孫娘「そ、そうなんですか?」

男戦士「ああ、そこらの傭兵じゃ相手にならない程の凄腕だぜ。」

男武闘家「でも僧侶としては殆ど役に立たないから。その辺は注意してくれ。」

女僧侶「そんなッ!?」 ガーン

勇者「あはは……」

832: 2013/07/08(月) 01:20:59 ID:9X2hou/M

――――――――

――――――

――――

――


『根の国』と『煙の国』国境地点。
全身鎧を纏った警備兵が、訪れた二人の勇者に頭を下げていた。

一人は凛々しい若者の勇者。
もう一人は、はち切れんばかりの筋肉を誇る無骨な勇者。


警備兵「お待ちしておりました!」

樹の勇者「ご苦労様です。状況はどうなっていますか?」

警備兵「ハッ! こちらが偵察兵が目撃されている箇所と件数になります!」


警備兵は懐から地図を取り出し、二人に指し示した。

833: 2013/07/08(月) 01:22:04 ID:9X2hou/M

根の勇者「ふむ……なかなか広範囲だが、殆どはダミーだろうな。」

警備兵「同感であります!」

樹の勇者「となると、本命はどれでしょう。ここは根の勇者さんの地元ですが、何か心当たりは?」

根の勇者「正直、どれも『火の大国』の連中が興味を示すような場所じゃねぇぞ……」

根の勇者「仮に少数の部隊に占拠されたとしても、大して痛くもねぇ場所なんだよな。」


根の勇者が顎ヒゲをこすりながら首を傾げている。


樹の勇者「では、これらは全てダミーで、奴らの本命は別にある、と?」

根の勇者「いや、人の庭で完全に痕跡を消せる訳がねぇ……山は俺達の領域だ、素人相手に見落とさねぇよ。」

警備兵「ハッ! ありがとうございます!」


自分達の仕事を信頼する言葉を受け、警備兵が誇らしげに胸を張った。


樹の勇者「そうなると、これはどういう意味なのでしょうか。」

根の勇者「山が俺達の領域なように、戦は奴らの領域だ……全くの無意味って事はありえねぇだろう。」

樹の勇者「私もそう思います。」

834: 2013/07/08(月) 01:23:04 ID:9X2hou/M

根の勇者「なら、逆算だな。奴らの大部隊が山岳地帯を抜くのに必要な策は何か……」

樹の勇者「補給のための荷馬車などを考慮に入れて、大部隊が通れそうなルートとなると――――」


樹の勇者が赤のペンで地図上の路にマークをつけていく。


樹の勇者「――――これくらいでしょう。」

根の勇者「お、良いねぇ。かなり絞り込めた感じだ。」


十か所以上あった偵察兵の目撃箇所だが、赤のラインに沿うポイントは三点だけだった。


樹の勇者「この三か所周辺で、何か変わった事は起きていませんか?」

警備兵「そうですね……この『角笛の町』の周囲で魔物の目撃数が増えているという報告なら受けていますが……」

根の勇者「これが報告書か? どれどれ……――む。」

樹の勇者「これは……」


報告書に目を通すと、二人は揃って眉を寄せた。

835: 2013/07/08(月) 01:24:08 ID:9X2hou/M

樹の勇者「各地で魔物の目撃数が増えているという話は聞いていましたが……これはいくらなんでも……」

根の勇者「だな。ここだけ突出してやがる……もしや、ここに原因があるのか?」

警備兵「し、しかし、それでは『火の大国』は魔物を操る事が出来ると!?」

根の勇者「落ち着けって。まだそうとは限らねぇし、ぶっちゃけ俺達もそんな事が出来るとは思っちゃいねぇ。」

警備兵「し、失礼致しました!」

樹の勇者「ただ、何らかの理由で魔物が集まっているとして……これは危険な状態ですね。」

樹の勇者「意思の疎通が不可能な魔物とはいえ、使い方次第で『火の大国』を利する事に繋がる。」

根の勇者「ああ……集まった魔物を刺激してやれば、大群が一斉に周囲に散らばるだろう。」

根の勇者「その混乱に乗じて軍を進めれば、遥かに有利に戦いを進められる。」

樹の勇者「こちらからすれば、前方の軍勢、後方の魔物という話ですからね。」

根の勇者「普段ならとっくに攻めてくる頃合いなのが、一向に動く気配がなかったのはこれが理由か。」

樹の勇者「ええ、恐らく、魔物が集まるのを待っていたのでしょう。」

警備兵「そ、そんな……!」

836: 2013/07/08(月) 01:25:16 ID:9X2hou/M

根の勇者「ま、そうビビるなって。集まった魔物は俺達が掃除して来てやるからよ。」

樹の勇者「これも『勇者』の職務ですからね。安心して下さい。」

警備兵「それでは、さっそく隊を組織して――――」

根の勇者「ん、いらんいらん。この程度なら俺達だけで十分だ。」

警備兵「しかし、報告の内容から察するに、魔物の数は千近くの可能性も――――」

樹の勇者「大丈夫。千でも二千でも、山で戦う以上、私たちの勝利は揺るぎませんよ。」


穏やかな笑みと共に告げられた信じられない言葉。
一瞬、警備兵は言葉を失ったが、すぐに平静を取り戻し敬礼の姿勢を取る。


警備兵「了解いたしました! どうか、御武運を!!」

根の勇者「おう、こっちに異常があればすぐに戻るからな。何かあれば知らせてくれよ。」

837: 2013/07/08(月) 01:25:51 ID:9X2hou/M

この二人は今までも幾度となく『火の大国』領の侵攻を防いできた一騎当千の英雄なのだ。
『神』の現し身たる彼らの戦力は常人の理解の外にある。

ならば、自分にできる事は彼らを信じ自らの職務を全うする事のみ。
勝利と帰還を願い、警備兵は力強い敬礼で二人の背中を見送った。


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846: 2013/07/18(木) 23:55:39 ID:WCXZkPfs

女僧侶「わぁ! すっごいたくさん本があるんですねー!」

勇者「女僧侶さん、『図書館ではお静かに』って書いてあるよ。」

女僧侶「わ、わわわ……すいません……」 シュン…

孫娘「ふふ、大丈夫ですよ。旅の途中で立ち寄られた方は、皆さん同じような反応をされますし。」


男戦士と男武闘家は早朝から“禁猟区”へ出発し、勇者と女僧侶は孫娘の案内で図書館を訪れていた。
枝葉の勇者の為に寄贈されただけあり、質・量ともに国境付近の山間部の町とは思えないほど揃っている。
この町で育った男戦士と男武闘家が博識なのは、この図書館の恩恵に違いない。

円形の室内は、中心に読書スペース、それを囲むように高い本棚が並べられている。
本の種類は多岐にわたり、誰でも楽しめる一般的なものから、専門性の高い物まで、あらゆる種類が取りそろえられている。


女僧侶「それでは私は動物図鑑を見てみようと思います。」

孫娘「あら、女僧侶さんは動物がお好きなんですか?」

女僧侶「はい。でも本物には怖がられちゃうので、せめて図鑑でも眺めようかと。」

孫娘「なるほど、動物には臆病な子が多いですからね。図鑑ならたくさんあるので、きっと気に入って頂けると思いますよ。」


苦笑いを浮かべ、困ったように頭をかく女僧侶に、孫娘が優しい微笑みを返す。
前日、男武闘家達から女僧侶が凄腕だと聞かされていたが、とてもそうは見えなかった。

847: 2013/07/18(木) 23:56:33 ID:WCXZkPfs

勇者「ボクは旅に役立ちそうな本を探してみようと思います。孫娘さんはどうされますか?」

孫娘「そうですね……では、私はお料理の本でも探してみようかと。」

勇者「孫娘さん、お料理上手だよねー。」

女僧侶「まったくです。昨日は御馳走様でした。」

孫娘「うふふ、今夜も腕によりをかけますので、期待して下さいね。」

勇者「え、そんな……流石にそれは……」

孫娘「良いんですよ、気になさらないで下さい。お二人やおじい様からも言われてますし。」

女僧侶「…………」 ソワソワ

勇者「……そうですね、それでは御厚意に甘えさせて頂きますね。」

女僧侶「…………!」 パァァァァァァ

勇者(女僧侶さんはわかりやすいなぁ。) クスクス

848: 2013/07/18(木) 23:57:47 ID:WCXZkPfs




本来なら数百人が収容できる規模の図書館だが、実際に訪れている人間はまばらで閑散としている。
『角笛の町』の住人も、何か調べ物がある時だけしか利用していないのだろう。

愛らしい動物達の描画に頬を緩ませている女僧侶、料理の新たな知識を得る為に真剣な表情の孫娘。
そして、各国の成り立ちや現状、授けられた恩寵の内容や種類が載った図鑑を手当たり次第に運ぶ勇者。

女僧侶と孫娘がじっくりと頁を進めるのとは対照的に、勇者はパラパラと読み飛ばすかのように頁を進めていく。
ピンと伸びた背筋で微動だにしない姿とは裏腹に、その薄桃色の瞳は素早く頁をなぞっている。

決して雑に読み飛ばしているのではない。
人間離れした速読が、傍から見れば飛ばし読みに見えてしまっているのだ。

二人とは離れた場所に席を取った為、勇者の動きに女僧侶と孫娘は気付いていない。

849: 2013/07/18(木) 23:58:48 ID:WCXZkPfs

【木の大国領】

樹の神の本殿と王都がある『木の国』。
そこに『枝葉の国』『根の国』『幹の国』『果実の国』『草の国』『花の国』の六国が属する。

樹の神の恩寵を授かる、大陸の中央に位置する農業大国。
林業や牧畜・農耕が盛んな国で、気候にも恵まれ人心は穏やか治安も良好。
『西の最果て』以外の全ての国と接しているため、様々な物が流通している。


樹の神の恩寵
攻撃:○(木の大国領内)
防御:○(木の大国領内)
回復:△(木の大国領内)
補助:◎(木の大国領内)

概要:植物や動物を操る術が多いため、戦場の環境次第で大きく変動。
周囲の環境に依存する術が多いため、厳しい環境下では力を発揮する事が難しい。
自然が豊富な木の大国領内ならどこでも力を発揮できる。

◎:得意分野
○:ある程度使える
△:苦手
×:使えない

850: 2013/07/18(木) 23:59:49 ID:WCXZkPfs

――――“個”として見るなら能力はそこまで高くないが、使い方次第で“群”を形成できます。
国民性でしょうか、積極的に“恩寵”を戦闘に活用しようとする人間は少数派です。
動物や植物に干渉できる特性は、もっぱら農業・畜産・林業などに活用されています。


――――ただし周囲の環境を手足に出来るため、その潜在能力は決して低くありません。
戦闘力は“恩寵”そのものより、発想や戦術など、使用者の素質に大きく左右されます。


――――生産活動と“恩寵”の相性が良い為、ほとんどの国民が生活に困っておらず、総じて友好的です。
よって、彼らの繋がりを得る事は容易いですが、“群”を生じさせる“恩寵”では魔王と戦えません。
安定を望む人間が多く、危機感も薄いです。


――――現状、既にある程度の数は揃っているので、繋がりの優先度は低いですね。

851: 2013/07/19(金) 00:02:06 ID:mxQrmmkg

【水の大国領】

海の神の本殿と王都がある『水の国』。
そこに『雨の国』『潮の国』『霧の国』『波の国』の四国が属する。

海の神の恩寵を授かる、大陸の北西部に位置する水産大国。
大陸における国土はそれほど広くないが、北西の海上に広がる群島を『波の国』として全て管轄している。

医術や回復術が発展しているため、命の大国崩壊後は、ここが聖職者の新たな拠点として機能している。
基本的に、水産物の加工や輸出で生計を立てている穏やかな国。

他にも海に面した国はあるが、造船技術が未熟なため、水の大国ほど漁が盛んではない。
また、海には大陸の北は波が穏やかで南は波が荒いという特徴がある。
加えて、北東の海は漁業資源が少なく、北西の海は豊富になっている。

波が荒い南の海だけに面する『鉄の大国』領以外の大国は、どこも何かしらの航海手段を持つ。
だが海軍としての能力に限れば、軍事国家の『火の大国』領を差し置いて『水の大国』領の一強である。


海の神の恩寵
攻撃:△
防御:○
回復:◎
補助:○

概要:破壊以外の分野で高い安定性を持つ。
特に回復能力が高く、魂の帰還こそ使えないが、それ以外の回復術なら最高峰。
力を発揮するには“水”が必要だが、空気中から取り出す事も出来る為、非常に安定している。

852: 2013/07/19(金) 00:03:09 ID:mxQrmmkg

―――― 一般的には“回復の為の恩寵”とみなされがちですが、実際は非常に広い範囲の応用性を兼ね備えています。
本来戦闘向きの“恩寵”ではないですが、水を介して万物に干渉する力があり、その戦闘力は個人の資質に左右されます。
肉体に作用する事での身体強化。空気中の水分に作用する事で、姿を隠す、景色を歪ませる、幻影を生じさせる、等々。


――――使い方次第で“個”としての戦闘に幅を持たせられますが、術者に攻撃に応用するという発想が乏しい為、あまり広く知られていません。
一部の使い手は様々な技巧を使いこなしますが、大半の術者は回復に使う事しか頭にありません。
故に、応用技は秘術として隠匿され、表に出る事はありません。


――――医術を生業にする者も多く、繋がりを得る事は容易いです。
“個”を強化する“恩寵”は魔王と対峙する際も有効です。


――――既に十分な数は揃っていますが、応用術の知識を得なければなりません。

853: 2013/07/19(金) 00:04:19 ID:mxQrmmkg

【火の大国領】

焔の女神の本殿と王都がある『火の国』。
そこに『煙の国』『火口の国』『陽炎の国』『炉の国』『燐の国』『焼土の国』の六国が属する。

焔の女神の恩寵を授かる、大陸の西側に位置する軍事大国。
各都市に強力な警備部隊を擁し、そのおかげで治安は良好だが、どこも堅苦しい空気。
特にこれと言った産業が無いが、『西の最果て』の防波堤として他国から支援をさせているため財政は潤沢。

戦闘向きの“恩寵”という事もあり、徴兵制が採用され、老若男女を問わず国民皆が兵士として戦える。
『西の最果て』と対峙する、人類の矛としての役割を担っている。

ここからさらに西に進むと魔族が支配する『西の最果て』に辿り着く。
火の大国領の最も西に位置する『焼土の国』は、“国”と呼ばれてはいるが殆ど人間の営みは行われていない。
広大なその土地は、魔物達から奪い取った領域を便宜上“国”と呼んでいるだけであり、中身は焼け野原となっている。

魔物と国境を隣接する国のため、他国と比較して軍事力が突出している。
同じく魔物と国境を隣接する鉄の大国と同盟関係にあり、交易も盛ん。


焔の女神の恩寵
攻撃:◎
防御:○
回復:×
補助:○

概要:直接的な攻撃を得意とする
破壊術だけでなく、自分の命を燃やす事で身体能力を一時的に高める事もできる
破壊や戦う事にかけては他の追随を許さないが、それ以外にはほぼ対応していない

854: 2013/07/19(金) 00:04:55 ID:mxQrmmkg

――――炎や爆発といった直接的な攻撃手段を豊富に持ちます。
それに加え、肉体の熱量を高め、身体能力を爆発的に向上させる事も出来ます。
単純な破壊活動に限れば、他の“恩寵”の追随を許しません。


――――魔王との戦闘において、決め手となり得る“恩寵”です。
即時発動が可能で、他の“恩寵”と比べ、事前準備の少なさも戦闘向きと言えるでしょう。


――――術者も“恩寵”の特性をよく理解しており、傭兵として他国で働いています。
攻撃的な“恩寵”の影響か、粗野で乱暴な術者が多く、繋がりを得る事は容易いでしょう。


――――魔王を倒す為、火力は大きいに越した事はありません。
機会があれば積極的に繋がりを得ましょう。

855: 2013/07/19(金) 00:05:45 ID:mxQrmmkg

【土の大国領】

地の神の本殿と王都がある『土の国』。
そこに『宝石の国』『油の国』『金の国』『銀の国』『平原の国』『農地の国』『砂の国』の七国が属する。

地の神の恩寵を授かる、大陸の南部から東部にかけてを支配する資源大国。
非常に広大な領土を持ち、大規模農業により(木の大国領と比較すれば質が劣るが)安価で多量の食料を各国に輸出している。

領土が非常に広大なため、場所ごとに気候もバラバラで、治安も差が激しい。

安価な食料に加え貴重な鉱石などの資源も輸出しているため、各国との関係も深い。
大規模農業や資源採掘を効率良く運用するため、奴隷制が法の下許可されている唯一の国。







地の神の恩寵
攻撃:○(陸限定)
防御:○(陸限定)
回復:○(陸限定)
補助:○(陸限定)

概要:大地を媒介に術を発動するため、大半の場所で安定して力を発揮できる。
突出した得意分野を持たないが、苦手分野も無く、どんな状況にも対応できる術を備えている。
ただし、海上や空中では殆ど役立たずとなる。

856: 2013/07/19(金) 00:06:48 ID:mxQrmmkg

――――大地を媒介に発動する“恩寵”で、鉱石や水晶を操る事が出来ます。
焔の女神の恩寵を“矛”とするなら、地の神の恩寵は“盾”といった所でしょうか。
防御だけでなく、攻撃や拘束にも応用できる、非常に使い勝手の良い“恩寵”です。
最古の“恩寵”なだけはありますね。


――――術者は基本的に自国から出ようとしない者が多く、他国で繋がりを得る機会は少ないでしょう。
しかし幸いな事に、土の大国領を後にするまでに十分な数の繋がりを得ています。


――――他国で活動する者の中には、犯罪に手を染めている者も多いようです。
見かけても、あまり関わり合いにならない方が良いでしょう。


――――彼らが使役する奴隷ですか?
言いたい事はわかりますが、私達の目的が果たされれば、それも解決に向かうでしょう。
彼らを解放する為にも魔王を倒さねばならない。わかりますね?

857: 2013/07/19(金) 00:09:01 ID:mxQrmmkg

【鉄の大国領】

鋼の女神の本殿と首都がある『鉄の国』。
そこに『盾の国』『杖の国』『剣の国』『鎧の国』の四国が同盟を組むという形で連合している。

鋼の女神の恩寵を授かる、大陸の南西側に位置する工業大国。
他の大国領と違い、王政が廃止されており、民間から選ばれた『鋼の勇者』が統治を行っている。
『鋼の勇者』が氏ぬと、“鋼の女神”の“恩寵”を持つ者の中から次代の『鋼の勇者』が選出される。
次代の『鋼の勇者』はこれまでの『鋼の勇者』の知識を全て継承し、それを基に統治を行う。

五国の連合はある価値観によって結ばれており、そこに上下は無い。
ただし鋼の女神の本殿がおかれているため、便宜上、『鉄の国』が首都となっている。
“知識と創造”、彼らにとってそれだけが真理であり、それ以外の事は無価値と考えられている。

魔族と国境を隣接する国のため、火の国の次に軍事力が強い。
鉄鋼分野の技術が進んでおり、各国で流通している高品質の道具は大半がここの製作物。

火の大国と同盟を結んでいるが、それ以外の国とも関係は良好。
各国の有識者と組み、共同で研究に当たる事も多い。

鋼の女神の恩寵
攻撃:△
防御:△
回復:×
補助:△

概要:何かを製作・研究する際に力を発揮する術が多く、単体では殆ど役に立たない
恩寵をどう活用するかは各個人のセンスや知識によるため、個人ごとの能力の差も激しい
様々な道具を生み出す事ができるが、それにも各自で研究時間が必要なため、非常に癖が強い性質

858: 2013/07/19(金) 00:09:54 ID:mxQrmmkg

――――二番目に若い“恩寵”という事もあり、未だ発展途上の感は否めません。
この“恩寵”は、自らの専門的な知識と組み合わせる事で真価を発揮するものです。
どれだけ高レベルの“恩寵”であっても、使い手に専門的な知識がなければ意味をなしません。


――――彼らは研究に生涯を捧げる為、必要に迫られなければ他国に出向こうともしません。
ですが、幸運な事に“土の大国領”に稀少鉱石の研究に来ていた幾人かと繋がりを得る事が出来ました。
ただ、直接魔王との戦いに役立つものではありませんので、これ以上の繋がりは不要でしょう。


――――彼らの創り出す道具には革新的なものが多く含まれます。
武具により“個”を強化する事は、魔王との戦いにおいても有効です。
“人”そのものより、“武具”を得る事を念頭に置いて行動しましょう。

859: 2013/07/19(金) 00:10:59 ID:mxQrmmkg

【西の最果て】

大陸の西部を占める、魔物が跋扈する領域。
未だに詳細は一切不明だが、魔物に支配された領域とだけ明らかになっている。
数百年もの間、魔王によって支配されており、人間の住む領域を虎視眈々と狙っている。

“火の大国領”の軍勢が、徐々にだがその領域を削り取っている。
各国を荒らし回る魔物の発生要因は不明だが、この『西の最果て』に謎の鍵が隠されていると考えられている。




――――そう、この地に潜む魔王を倒す事。
それこそが、全てを失った私達に残された最後の目的です。
魔王の存在ある限り、この世界に安寧は決して訪れないのですから。


――――魔王と魔物の関係ですか?
そうですね……説明しても良いのですが、きっと今のあなたでは理解が難しいでしょう。
『西の最果て』の光景を実際に見れば理解もし易いでしょうから、その時に全てを教えてあげましょう。


――――ただ、その前に一つだけ。
『西の最果て』にはあなた達に害なす“魔物”は存在せず、代わりに益をもたらす“精霊”が存在しています。
つまり、あなた達は『西の最果て』の地に住まう者を“魔物”と呼んでいますが、彼らは“魔物”ではないのです。


――――彼らは“魔物”よりも遥かに力を与えられた存在……彼らをあなた達が何と呼んでいるのかはわかりませんが……
彼らと敵対する必要はありません。私達の目的は、あくまで“魔王の討伐”なのですから。

860: 2013/07/19(金) 00:12:22 ID:mxQrmmkg




勇者「――…………ッ」 パチッ

女僧侶「あ、起きちゃったんですか。」

勇者「……女僧侶さん?」


目を開いて最初に飛び込んできたのは、すぐ隣で自分を覗き込むようにして見ていた女僧侶の姿。
普通なら驚いて声を上げてしまいそうなものだが、すでに耐性がついているので怪訝な表情を浮かべるにとどまっている。


勇者「……ごめんなさい、少し眠ってしまってたみたいです。」 コシコシ

女僧侶「あ、目をこすったら駄目ですよ。赤くなっちゃいます。」

孫娘(なんだか微笑ましいなぁ……) クスクス

女僧侶「色々と難しい本を読んでたみたいですし、眠くなっちゃうのは仕方ないですね。」 ウンウン

861: 2013/07/19(金) 00:13:02 ID:mxQrmmkg

女僧侶「それより勇者くん、そろそろお昼ですよ。お腹すきませんか?」

勇者「うん、そうだね。どこかに食べに行こうか。」

女僧侶「はい! それじゃあ、本を棚に戻してきますね。」

勇者「それならボクが――――」

女僧侶「本もこれだけ分厚いと結構な重さですからね。私が戻しておきますよ♪」 ヒョイ ヒョイ ヒョイ

孫娘「お、女僧侶さん、力持ちなんですね……」

女僧侶「いえいえ、これくらいどうって事ないですよ!」~♪


軽々と何冊もの百科事典を抱え上げる女僧侶に孫娘が驚きの色を浮かべるが、当人は涼しい顔で棚へと歩いて行った。


――――――――

――――――

――――

――

862: 2013/07/19(金) 00:14:26 ID:mxQrmmkg

男武闘家「…………」

コボルト1「」 ビクン ビクン…

コボルト2「」 ビクン ビクン…

コボルト3「」 ビクン ビクン…

コボルト4「」 ビクン ビクン…


樹に吊り下げられたコボルトが小刻みに身を震わせているが、それは単なる氏後の反射に過ぎない。
“恩寵”で操った蔓で抵抗できないよう吊り上げ、それから首の骨を締め潰されたのだ。

樹木が生い茂った森の中は、“樹の神”の“恩寵”の独壇場だった。
枝が、蔓が、幹が、根が、全てが天然のトラップへと姿を変えるのだから。


男戦士「やっぱり、明らかに魔物の数が多いな。」

男武闘家「ああ、しかもお前が言ってた通りだった。」

男戦士「人間を見ても襲って来ないなんてな……明らかに通常の魔物の行動じゃない。」


二人は“禁猟区”に向かう途中、既に何度も魔物と遭遇していた。
だが、どの魔物も、二人を見ても襲いかかるどころか、遠巻きに距離を取って離れて行った。

863: 2013/07/19(金) 00:15:32 ID:mxQrmmkg

人を襲うよう本能に組み込まれている筈の魔物が人を襲わない。
それでは、まるで――――


男武闘家「魔物に統率者が存在する……? だが、そんな話は聞いた事がない。」

男戦士「だよな。だいたい、魔物を支配できるのなんて……」

男武闘家「いや……そんな、まさか……」


魔物を統べる者。
つまり、魔物の“王”。

そんなものが存在するとしたなら、それは――――


男武闘家「ここに、魔王が……?」 ゾクッ

男戦士「い、いや、有り得ないだろ……『西の最果』てから『火の大国』領を横切って、こんな場所にいる訳がない。」

男武闘家「あ、ああ……そうだな。とりあえず、こいつらを解体して妙な点が無いか調べてみよう。」

男戦士「おう、そのために出来るだけ原形を保ったまま仕留めたんだからな。」


二人は解体用の道具を取り出すと、宙に吊り下げられたコボルトへと向き直った。

864: 2013/07/19(金) 00:16:50 ID:mxQrmmkg

――――――――

――――――

――――

――


偵察兵1「……退屈だ。」 スパー


樹に背を預け、赤毛の男が紫煙をくゆらせながら天を仰いでいる。
足元には吸殻が散らばり、既に長い時間をこの場で過ごしている事が見て取れた。

短く刈り込んだ髪、隙の無い面構え、よく鍛えられた体付き。
その佇まいは、男が場数を踏んだ手練れの兵士である事を窺わせる。


偵察兵1「――ッ!」 ピクッ


何かに反応したのか、男が腰に差した短剣に手を伸ばした。


偵察兵2「おい、落ち着け。俺達だ。」

865: 2013/07/19(金) 00:17:39 ID:mxQrmmkg

頬に走った大きな古傷が目立つ長身の男。
特に目立つ頬以外にも、全身の至る所に古傷が残されている。


偵察兵3「お勤めご苦労さん。」


髪をオールバックにし、薄笑いを浮かべた男。
顔立ちは整っているが、どことなく軽薄な印象を漂わせている。


偵察兵4「……煙草吸いすぎ。余計な足を残してどうするのよ。」


背中まで伸びたストレートヘアの女。
冷たい印象を与える切れ長の瞳に、起伏の少ないしなやかな体付きをしている。

煙草をくわえた男の前に、三人は音も無く姿を現した。
誰もが赤い髪に赤い瞳、この場の四人は全て同じ国の人間なのだ。


偵察兵1「……ッせーな。そんなヘマする訳ないだろ。」 パチン


女偵察兵の小言を受け、短髪の男が苛立たし気に指を鳴らす。

866: 2013/07/19(金) 00:18:29 ID:mxQrmmkg


―――― バシュッ!


足元に散らばった吸殻が一瞬で灰となった。
後は風が吹けば全て消えてなくなるだろう。


偵察兵1「交代が一人じゃなくて複数って事は、ようやくこの退屈な任務は終わりなのか?」

偵察兵3「ああ、その通り。やっとあの化け物を処分して良いんだとさ。」

偵察兵2「あれを消せば、集まった魔物は統制を失い一斉に周囲に散らばるだろう。」

偵察兵2「本隊は既に国境へと進んでいる。魔物が引き起こす混乱に乗じ、一気に攻め落とす算段だ。」

偵察兵1「この退屈な任務が終わるなら、何でも良いさ。」

偵察兵3「同感だ。女も買えないような任務なんざ、生き地獄だぜ。さっさと終わらせて国に帰ろうや。」

偵察兵4「……相変わらず下劣な男だ。」

偵察兵3「安心しろよ、俺はお前みたいなヒスは苦手なんでな。やっぱ女は従順なのに限るぜ。」

偵察兵4「氏にたいのか?」

偵察兵3「面白ぇな。誰が誰を頃すって?」

867: 2013/07/19(金) 00:20:11 ID:mxQrmmkg

女が冷たい眼差しで腰の短剣へと手を伸ばした。
軽薄な男も、薄笑いを浮かべているが、何時でも短剣を抜けるように構えている。
短髪の男は我関せずといった様子で腕を組んでいる。


偵察兵2「――やめろ。遊びが過ぎるぞ、お前ら。」


古傷の男が低い声で制すると、不服そうな表情を浮かべながら女は短剣から手を離した。
軽薄な男もそれ以上挑発する事無く、黙って構えを解いた。

この場における力関係は、古傷の男を頂点に、その下に三人が並ぶ形になっているようだ。


偵察兵2「相手は“魔人”だ。気を引き締めろ。」

偵察兵1「……その“魔人”ってやつは“魔物”とどう違うんだ?」

偵察兵1「動きを追っていたが、外見こそ珍しいものの、そこらの“魔物”と変わらなかったぞ。」

偵察兵3「俺達下っ端には詳しい事情なんざ教えてもらえないからなぁ。」

偵察兵4「何であっても構わない。どうせ首を落とせば同じだろう。」

868: 2013/07/19(金) 00:20:52 ID:mxQrmmkg

偵察兵2「俺も詳しい情報は与えられていないが……そうだな、一言で説明するなら……」

偵察兵4「“恩寵”を使いこなす知性を持った“魔物”。そう言えば、事の重大さがわかるか?」


古傷の男の言葉に、三人の纏う空気が一変した。
先程までの余裕を見せた空気ではなく、隙の無い張り詰めた空気。


偵察兵4「しかし、“魔物”が“恩寵”を使うといっても、いったいどの“神”の“恩寵”を……?」

偵察兵3「“魔物”なんぞに力を与える“神”がいるとは思えんが。」

偵察兵1「どこかの本殿に出向いて“恩寵”を授けられたとでも言うのか? ……有り得ないだろ。」

偵察兵2「悪いが、そこまでの情報は俺も与えられていない……とにかく、油断せず一瞬で勝負を決めるぞ。」

偵察兵2「頃して灰にしてしまえば、“魔物”も“魔人”も変わらんのだからな。」


――――――――

――――――

――――

――

869: 2013/07/19(金) 00:21:29 ID:mxQrmmkg

孫娘「それでは、夕飯の準備をしますので居間でお待ち下さいね。」

女僧侶「えー、ただ待つだけなんて退屈ですよー。」

勇者「ご馳走になるんだし、お手伝いしないと。」

孫娘「え、その……流石にそれは……」 オロオロ

女僧侶「……」 ニコニコ

勇者「……」 ニコニコ

孫娘「…………」 ハァ…

孫娘「……それじゃあ、下準備をお願いしますね。」

勇者「はい!」

女僧侶「任せてください!」

孫娘(……ちゃんと断らないと駄目なのに、あんな顔されたら断れないです。) トホホ…


―――― バ ァ ン !


村人「ま、孫娘ちゃん! 村長はいる!?」 ハァ…ハァ…!

870: 2013/07/19(金) 00:22:35 ID:mxQrmmkg

孫娘「ど、どうしたんですか、そんなに慌てて……おじい様なら集会所にいる筈ですけど……」

村人「そ、そっか! 挨拶するなら集会所の方が良いよな……偉い人も集まってるだろうし……」

孫娘「挨拶……? 誰かお客様がいらしたんですか?」

村人「そうなんだよ! 勇者様が二人も来られてるんだ!」

村人「先代『樹の勇者』の『根の勇者』様と、現『樹の勇者』様だよ!」

孫娘「まぁ……!」

村人「何かあったのかな!? こういう時って、どうしたら良いんだ!?」

孫娘「と、とりあえず、おじい様の所に案内しましょう。きっと大事なお話があるんでしょうし……」

村人「わ、わかった! ひとまず集会所に案内するよ!」 タッタッタッタ

女僧侶「ふわー、聞きました、勇者くん? 『勇者』様が複数で行動してるなんて、珍しいですよね。」

勇者「……………………」 サァァァァァァ

女僧侶(ッ! そうだった……勇者くんは他の『勇者』様と会うのを嫌がってた……)

871: 2013/07/19(金) 00:23:30 ID:mxQrmmkg

女僧侶「私達には関係ないですし、男戦士さんの家に戻りましょうか。ね、勇者くん!」

勇者(……村長さんから、ボクがこの町にいるのは伝わってしまう筈……姿を隠すには遅すぎる。)

勇者(……そもそも何の理由でこの町に? ……ボクを追って、とは思えない。わざわざ『勇者』を使う理由がない。)

勇者(となると、偶然はち合わせになっただけだろう……最悪、女僧侶さんがいれば逃げる時間くらいは稼げる筈……)

勇者(そうだ……下手に姿を隠せば、余計な興味を惹いてしまう事になりかねない……)

勇者「ううん、ボク達はここで夕飯をいただこう。孫娘さんと約束したんだし。」

女僧侶「い、いいんですか? そりゃあ、私も夕飯は楽しみですけど……」

勇者「うん、大丈夫……きっと、ボク達には関係ないから……」

勇者(このままやり過ごそう……木の大国領の『勇者』なら、そんなに危険じゃない筈だし……)


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――――

――

872: 2013/07/19(金) 00:26:19 ID:mxQrmmkg

松明の灯りの下、取り出されたコボルトの臓物が照らされている。


男戦士「あー、別に目立っておかしな点はないぞ。そっちはどうだ?」

男武闘家「こっちもだ。見た所、中身におかしな点はない。」


コボルトの解体を終えた二人だが、これは徒労に終わったようだ。
臓器の種類や外見などは、これまで確認された物と変わりない。

少なくとも、このコボルトと今までのコボルトは同種のモノという事になる。


男戦士「まあ、あんまり期待してなかったが……となると、やっぱり頭の中か。」

男武闘家「だが、いくらなんでも頭の中がどうなってるのかはわからないぞ。」

男戦士「だよなー。でも同種なのは明らかになった訳だし、統率者の線が濃くなったな……」

男武闘家「それを念頭に置いて動くしかないか……なら、斥候を飛ばすか?」

男戦士「あれをやると疲労がキツいんだが、そうするしかないな。じゃあ俺が飛ばすから、警戒は任せるぞ。」

男武闘家「ああ、任せろ。」


男戦士が指笛を鳴らすと、二人を遠巻きに見ていた梟が飛来し、肩へと止まった。

873: 2013/07/19(金) 00:27:44 ID:mxQrmmkg

男戦士「【獣身接続・意識同調】」 …ガクッ

梟「ホー! ホーホー!」 バサササササ

男武闘家「行ったか……周囲に不穏な気配は無いし、とりあえず戻るのを待つか。」


男戦士の意識は梟へと乗り移り、自在に夜空を駆ける事が出来る。
闇夜を見通す目を持つ梟は、これ以上なく優秀な斥候だろう。

術者の意識が本体から抜けてしまうのが欠点だが、身を守る仲間がついているなら問題ない。

梟の意識と同調した男戦士は、まっすぐに“禁猟区”へと羽ばたいて行った。


――――――――

――――――

――――

――

874: 2013/07/19(金) 00:28:33 ID:mxQrmmkg

女僧侶「ご馳走様でしたー!」

勇者「お休みなさい、孫娘さん。」

孫娘「気をつけてお戻りくださいね。」 ニコリ


夕飯を済ませた勇者と女僧侶は、孫娘に礼を言い村長宅を後にしていた。


女僧侶「そう言えば、村長さん戻ってきませんでしたねー。」

勇者「そうだね。きっと話が長引いたんだよ。」


何処となく安堵したように見える勇者の横顔に、女僧侶は自分の推測は正しかったのだと判断していた。
理由は不明だが、勇者は他の『勇者』と出会う事を極端に恐れている。

ならば自分のやる事は決まっている。
たとえ相手が何であろうと、勇者が忌避するのなら全力で遠ざけるまでだ。





女僧侶「あ、男戦士さんの家が見えてきましたよ――――」 ピクッ

勇者「……女僧侶さん?」

875: 2013/07/19(金) 00:30:00 ID:mxQrmmkg

何かに気付いた様子で急に立ち止まった女僧侶に勇者が首を傾げる。


女僧侶「……勇者くん少し下がって下さい……そこの木陰に誰かいます。」 ヒソヒソ

勇者「え……?」 ビクッ


動こうとしない二人の前に、二人の男が姿を現した。

一人は濃い顎ヒゲを生やした、屈強な肉体の大男。
もう一人は、均整のとれた体付きの凛々しい青年。


樹の勇者「こんばんは。私は『樹の勇者』、こちらの彼は『根の勇者』と申します。」

根の勇者「よろしくな、お嬢ちゃん!」

樹の勇者「あなたが戻るのをお待ちしていました。少しお話を伺いたいのですが、よろしいですか? 『北の勇者』殿。」


柔和な笑みを湛えた青年の言葉。
それを見せられれば、きっと誰もが警戒を解いただろう。

876: 2013/07/19(金) 00:31:22 ID:mxQrmmkg

勇者「…………」 ジリッ


だが勇者は怯えた表情を浮かべ、一歩後ずさった。
それを契機に、女僧侶の意識が戦闘時のそれへと切り替わる。


根の勇者「しっかし、大したもんだな。俺達がここで待ってる事に気付いたんだろ?」

根の勇者「本気で気配を消してた訳じゃないが、良い勘してるじゃないか。」


屈強な大男が遠慮の無い様子でずかずかと歩を進めた。
女僧侶が勇者を守るように一歩前に出たが、それを気にする素振りも無い。


根の勇者「……ん? そういや、お嬢ちゃんじゃなくて小僧なんだっけか?」

根の勇者「いやー、とてもそうは見えねぇな! どっから見ても可愛いお嬢ちゃんだ!」


驚きの色を浮かべながら、じろじろと無遠慮に勇者を見ている。


根の勇者「ま、なんだ。その容姿ならいくらでも客が取れるだろうし、別に男でも女でもどっちでも――――」

877: 2013/07/19(金) 00:32:05 ID:mxQrmmkg


―――― ヒ ュ ン !


黙らせるかのように放たれた、女僧侶の一撃が空を裂く。
根の勇者は素早く飛び退き、感心した様に口笛を吹いた。


根の勇者「おっとと、悪い悪い。ちょっと品が無かったな。謝るから勘弁してくれ。」


慌てて根の勇者が先程の非礼を詫びるが、女僧侶は既に戦闘態勢に入っていた。


女僧侶「あ は は は は は は は ! !」


喉を反らせて哄笑を上げる女僧侶。
勇者は既に何度も見た光景だが、こうなると人も魔物も区別なく命を散らされている。


女僧侶「これが『勇者』? これが!? そこらの山賊と変わらないじゃあないですか!!」

勇者「お、女僧侶さん、落ち着いて!?」

女僧侶「勇者くんを侮辱した報い、その血で贖ってもらいましょうかぁ!!」 ニィィィィィ

樹の勇者「…………」 スッ

878: 2013/07/19(金) 00:33:05 ID:mxQrmmkg

根の勇者「おい、やめろ。一般人に『勇者』が二対一じゃカッコ付かないだろうが。下がってろ。」

樹の勇者「ですが……」

根の勇者「ちょっと相手するだけだって。武器も使わないから、俺にやらせろよ。」

女僧侶「あなたは勇者くんを侮辱した訳じゃないですからねぇ。手を出さないなら見逃してあげますよぉ?」

根の勇者「こいつは大したお転婆娘だな……って、おいおい、瞳孔開いちまってるぞ……大丈夫なのか?」


―――― フ ォ ン !


根の勇者の軽口が終わろうかというその刹那、瞬時に間合いを詰めた女僧侶のメイスが振り抜かれた。
隙の無い動きでそれをかわすと、根の勇者が丸太のような足で女僧侶を蹴り上げた。

攻撃後の硬直を狙った一撃を回避する事が出来ず、女僧侶が宙を舞う。
だが、その打撃音は軽く短いものだった。


根の勇者「俺の蹴りに乗るとは……お嬢ちゃん、軽業師か何かか?」


かわせないと悟った女僧侶は、根の勇者の蹴りに飛び乗る形で後方へ退いたのだ。
蹴りの威力でかなりの高さまで飛び上がったが、あっさりと宙返りからの着地を決め、再度根の勇者へと向き直った。

879: 2013/07/19(金) 00:33:44 ID:mxQrmmkg

――この男は強い。

――――これまで相手にした何者よりも。


ほんの一合で根の勇者の力量を見抜き、女僧侶の鼓動が速くなる。
だが、恐怖や焦りは微塵も感じなかった。

そんなものよりも、勇者を侮辱された事による怒りが大き過ぎた。


――この男に報いを!

――――勇者くんへの侮辱は許さない!!

―――――――許さない! 許さない!! 絶対に、許さないッ!!


腰を落とし、背中を丸めるように前のめりに身を屈める。
両手が地面に着きそうなほどに姿勢を低くして、根の勇者を睨みつける。


根の勇者(かわいい顔して、なんてぇ殺気だよ……それにあの姿、まるでケダモノだぜ……)


二十にも満たないであろう少女から放たれる殺気に、根の勇者が冷や汗を拭う。
猫科の猛獣のように低く構えた体勢もハッタリとは思えない。

880: 2013/07/19(金) 00:34:42 ID:mxQrmmkg

油断すれば、瞬時に首をへし折られかねない。
そう思わせるだけのプレッシャーが女僧侶から放たれていた。


―――― ゴ キ ン ! !


根の勇者「うぉッ!?」 ガクン!


超低空を女僧侶が疾風の如く駆け抜け、鈍い音が響き渡った。
狙ったのは根の勇者の脛。先ずは動きを止めるのが狙い。


女僧侶「ああぁぁぁあ!!」


―――― バ キ ィ ! !


根の勇者「ちぃ……!」


足を打たれ、膝をついた根の勇者に追撃が放たれる。
今度は頭の高さに跳ねた女僧侶が、宙で身体を捻り頭部を狙ったのだ。

咄嗟に根の勇者が腕で防いだが、かすった頭部から鮮血が飛び散った。

881: 2013/07/19(金) 00:35:30 ID:mxQrmmkg

根の勇者が油断したのではない。
万全の状態で待ち構えていたが、女僧侶の動きが想定よりも遥かに速かったのだ。
先程、根の勇者は女僧侶を獣に例えたが、その速度は比喩でも何でもなく獣のそれだった。


女僧侶「次で決める――――!」


本来なら今の一撃で決まっていた筈だった。
確実に脳漿をぶちまけられるだけの速度と重さだった。
だが、それを防がれた。


――この獲物は手強い。

――――これで決められなければ、ひっくり返されてしまう程に。


決氏の覚悟で再度の跳躍を――――


勇者「駄目です、女僧侶さん! もうやめてください!!」 ガシッ!

女僧侶「――ッ!? ゆ、勇者くん!?」 ガクン!


跳躍の瞬間に勇者がしがみついていた。
タイミングが狂った女僧侶が勇者と共に地面を転がる。

882: 2013/07/19(金) 00:36:47 ID:mxQrmmkg

女僧侶「……ッ!」


我に返ると、女僧侶と勇者を根の勇者が見下ろしていた。


女僧侶「勇者くん!」


咄嗟に勇者に覆いかぶさり、根の勇者の攻撃から身を呈して盾となる。


女僧侶「…………?」


だが、覚悟していた攻撃はいつになっても仕掛けられない。
恐る恐る目を開くと、自分達を見下ろす根の勇者と目が合った。


根の勇者「やるなぁ、お嬢ちゃん!」 ニカッ!


満面の笑みで根の勇者が手を差し伸べている。
頭部からの出血はまだ止まっていないが、そんなものは些細な事だと言わんばかりだ。


根の勇者「ほら、もう終わったんだから、お前も剣をしまえって。」

883: 2013/07/19(金) 00:37:56 ID:mxQrmmkg

女僧侶「ッ!」 ハッ

樹の勇者「…………」


いつの間にか女僧侶の背後で、樹の勇者が宝石で飾られた刺突剣を抜いていた。
いったいどのタイミングで背後に回っていたのか、全く気付けなかった。

もし、勇者が止めに入っていなければ――――


樹の勇者「…………」

女僧侶「…………ッ」 ゾクッ


自分を見下ろす樹の勇者の眼差し。
エメラルドグリーンの瞳は見惚れる程に美しいが、同時に恐ろしく冷徹だった。
羊を狩る鷲のような、強者が弱者を見る、絶対的な捕食者の瞳。


根の勇者「おい、聞こえなかったのか。俺は剣をしまえと言ったんだ。」

樹の勇者「…………わかりました。」


先輩勇者から強い口調で命じられ、ようやく鞘を手に取った。
刺突剣をしまうその瞬間まで、樹の勇者の瞳に浮かぶ冷徹な輝きが消える事はなかった。

884: 2013/07/19(金) 00:38:54 ID:mxQrmmkg

――――――――

――――――

――――

――


男戦士(冗談だろ……何て数だよ……百や二百じゃない、下手すりゃ千近くはいやがる……)


梟の視界の先に群がる魔物の軍勢。
この地が人の立ち入りを禁じた“禁猟区”だったのが仇となり、今まで誰も気付く事が出来なかった。


男戦士(後手に回った……魔物が手を出してこないのなら、こちらから手を出す事も無かったから……)


調査に来るのが遅すぎたのだ。
これだけの数の魔物に対処するなら、それこそ軍隊規模の戦力が必要だ。


男戦士(人間側の行動を見越してたのか? ……だからこの辺の人間は襲われなかった。)


魔物の目撃数は増えていたが、人に危害が出ていないから本格的な調査は行われなかった。
魔物達はそこまで計算に入れていたのだろうか。
だとすれば、間違いなく統率者が存在する事になる。

885: 2013/07/19(金) 00:39:29 ID:mxQrmmkg

こんな事が偶然に行われる筈がない。


男戦士(まさか、こいつら食事が必要ないのか……こんな荒れた土地じゃあ獲物なんかロクにとれないぞ……)


“禁猟区”はさっきまで男戦士がいた森と違い、殆ど樹木が生えていない。
おかげで魔物の群れが蠢く様子をしっかり目視できているのだが、それだけにわからない事がある。

千もの軍勢を維持するには、通常なら莫大な糧食が必要になる。
ほとんど獲物がいない“禁猟区”でそれを賄える訳がないのだ。
“禁猟区”から出て周囲の森に入れば話は別だが、森の獲物が減少したという報告も届いていない。

断崖の崩落や薄い空気などを考えても、まともな生態系に属するなら“禁猟区”にとどまれる理由がない。
信じ難いが、魔物達は食事や水が無くても問題がないという事になる。


男戦士(魔物は生き物じゃないってのか……? だが消化器官は備えている……食事とは別に生命維持の方法が……?)


何処を見下ろしても、魔物の群れしか見えてこない。
森と違って隠れる事も出来ない以上、ここに踏み込む事はできそうになかった。


男戦士(だが、これじゃあ“禁猟区”に近付くことさえできないぞ……どうしたものか……)


撤退もやむなしかと考え始めた時、視界の隅におかしなものが映った。

886: 2013/07/19(金) 00:40:12 ID:mxQrmmkg

男戦士(コボルトが猪を運んでいる……いや、魔物は食事を必要としない筈じゃ……いったい何の為に……?)


足を縛られ、そこに棒を通された猪がコボルト四匹に運ばれている。
引きずって運べばもっと楽な筈だが、あえて人手のかかる方法で運んでいるように見える。


男戦士(運ぶ姿も、何処となく恭しく見えるような……よし、猪をどうするのかだけでも見届けよう……)


あまり時間がかかるようだと自分の“恩寵”の限界が訪れ、肉体に意識が戻されてしまう。
すぐに理由が明らかになる事を祈りつつ、梟に意識を宿らせた男戦士は力強く羽ばたいた。


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――――――

――――

――

887: 2013/07/19(金) 00:42:02 ID:mxQrmmkg

偵察兵1「……気付かれないのはわかってても、落ち着かんな。」 ガッチャ ガッチャ

偵察兵2「安心しろ。“魔物”は“魔人”に敵対行動を取れない。」 ガッチャ ガッチャ

偵察兵3「いや、勿論わかっちゃいるが……」 ガッチャ ガッチャ

偵察兵4「流石に千もの軍勢に紛れこむとなるとな……」 ガッチャ ガッチャ


魔物の群れの隙間を縫うようにして、偵察兵達が歩を進める。
戦闘用の鎧の上から、更に蟲の装甲のようなものを身に付けている。

若干動き辛そうにしているが、何故か魔物の群れの真っただ中だというのに、どの魔物も彼らに反応すらしていない。
襲いかかるどころか、魔物によっては道を譲るような仕草をする者も中にはいた。


偵察兵2「本隊は今頃、国境の関所に夜襲を仕掛けているだろう。我々も今夜中に片をつけるぞ。」

偵察兵1「最近の木と水の大国領の情報伝達速度はやけに速いからな、あまり時間はかけたくないか……」

偵察兵3「そういうこったな。どんな手を使ってるのか知らないが、厄介な事この上ないぜ。」

偵察兵4「狼煙というわけでも無いようだしな……恐らく何らかの“恩寵”によるものなのだろうが……」


余計な消耗はしないが、だが決して遅くは無い速度で四人は険しい山を登り進んで行く。
既に何年も“目標”の観察は続けてきたのだから、この険しい山岳地帯の地理・地形はとっくに理解している。

“目標”が、魔物を寄せ付けない自分だけの領域を山頂に築いている事も、当然彼らは知っているのだ。

888: 2013/07/19(金) 00:42:35 ID:mxQrmmkg

――――――――

――――――

――――

――


根の勇者「ま、夜も遅いしな。あんまり時間を取らせるのは気が引ける。」

根の勇者「話の前に、一応こっちの身元を確認しといてもらおうか。」 ステータス開示


―――――――――――――

根の勇者(38)
【神の恩寵】
樹の神 Lv∞ 


【戦闘スキル】
勇者    Lv6
斧術    Lv8
体術    Lv5

―――――――――――――

889: 2013/07/19(金) 00:43:26 ID:mxQrmmkg

樹の勇者「でしたら、私の方も確認を。」 ステータス開示


―――――――――――――

樹の勇者(30)
【神の恩寵】
樹の神 Lv∞ 


【戦闘スキル】
勇者    Lv6
刺突剣術  Lv7

―――――――――――――


勇者「…………」

女僧侶「ほ、本当に勇者様が二人も……」

根の勇者「どうした嬢ちゃん、急に借りてきた猫みてぇになって。」

女僧侶「す、すいませんでした! 私、勇者様になんて失礼な事を……!」

根の勇者「おいおい、先に口を滑らせちまったのは俺の方だろ? 頭を上げなよ、嬢ちゃん。」

女僧侶「で、でも、私……怪我までさせてしまって……!」

890: 2013/07/19(金) 00:44:18 ID:mxQrmmkg

根の勇者「こんぐらい、唾つけときゃ治るって。いや、それにしても驚いたぜ。」

根の勇者「さっきの嬢ちゃんの動きは並みじゃなかったからなぁ。法衣なんか着てるが、本当は武闘家なのか?」

女僧侶「ち、違います!」

根の勇者「そうなのか? なら、盗賊か? それとも狩人? 意外な所で速度重視の戦士とか?」

女僧侶「なんで皆さんそう言うんですか!? 私は僧侶ですから!」 ステータス開示


―――――――――――――

女僧侶(18)
【神の恩寵】
樹の神 Lv1 
海の神 Lv1

【戦闘スキル】
棍棒術   Lv6
体術    Lv5
―――――――――――――


根の勇者「……………………」

樹の勇者「……………………」

女僧侶「ね!?」

891: 2013/07/19(金) 00:45:00 ID:mxQrmmkg

根の勇者「ないわー。」

樹の勇者「詐欺です。」

女僧侶「ひどい!?」 ガーン

勇者「あはは……」

根の勇者「だが、嬢ちゃんの髪色と瞳の色からして……木と水のハーフかい?」

女僧侶「ええ、まあ……そうみたいですね。両親とは早くに氏別してしまったので記憶に無いんですけど。」

根の勇者「そうなのか……その体術は水の大国領で学んだのか? 木の大国領でそんなの教えてる所は無い筈だが。」

女僧侶「え? 私は特に何も。と言うか、私は僧侶なんですって! 僧侶学校以外どこも通ってませんから!」

根の勇者「ふーん、そうなのか……」

樹の勇者「……………………」

根の勇者「ま、嬢ちゃんの事は置いといて……お前さんが『北の勇者』で間違いないんだな?」

勇者「…………はい。」 ステータス開示

892: 2013/07/19(金) 00:46:09 ID:mxQrmmkg

―――――――――――――

勇者(15)
【神の恩寵】
無し Lv- 

【戦闘スキル】
勇者    Lv1
短剣術   Lv2

―――――――――――――

根の勇者「“恩寵”を持たない勇者……北の国出身で間違いないな。」

根の勇者「悪いが、大将――――じゃない、『海の勇者』がお前さんと話がしたいそうなんだ。」

根の勇者「ちょいと時間を作ってもらいたいんだが、構わないか?」

勇者「…………お断りします。」

根の勇者「そうか、こいつは困ったな……」

樹の勇者「……あなたの連れが先程何をしたかは理解していますね?」

勇者「ッ!」 ビクッ!

根の勇者「おい、やめろ。」

女僧侶「え……それって私の事ですよね……?」

893: 2013/07/19(金) 00:47:17 ID:mxQrmmkg

樹の勇者「他国の勇者に対し、仲間を使って害をなした……こちらも相応の対応を――――」

根の勇者「俺はやめろと言ったぞ。『樹の勇者』の称号を譲ったからといって、俺のやり方まで譲るつもりはない。」

女僧侶「そ、そんな! さっきのは私が勝手にやった事です! 勇者くんには関係ありません!」

根の勇者「わかってるって。さっきのを理由に無理やりどうこうするつもりはねぇよ。」


ニッと陽気な笑みを浮かべ、女僧侶の頭を撫でてやる。
頭からの出血も、布で拭っただけなのに既に止まっていた。


根の勇者「だが、坊主……十年前の惨劇から今日まで生き残ってきたんだ。お前さんも馬鹿じゃあるまい。」

根の勇者「この状況で我が儘を言った所で、それが叶わん事ぐらいはわかるな?」

勇者「…………ッ」

女僧侶(このままじゃ勇者くんが……でも、どうしたら……) オロオロ

根の勇者「お前さんが嫌がっても、向こうから来たら同じだろう……それとも、会えない理由でもあるのか?」

根の勇者「海の勇者はお前さんと面識があるそうじゃないか。何か理由があるなら、俺の判断で処遇を決めてやる。」

勇者「そ、それは……」

根の勇者「お前さんが静かに余生を送るならともかく、今は魔王を倒す為に旅をしてるんだろ?」

894: 2013/07/19(金) 00:48:42 ID:mxQrmmkg

根の勇者「復讐は立派な動機だ。他人がどうこう言った所で、止める事は出来んだろうし、そもそも筋違いだ。」

勇者「……………………」

根の勇者「だが、氏地に向かう前に、持ってる情報は吐き出してもらわなきゃ困るんだよ……わかってくれるな?」

勇者「わかり、ました……でも、一つだけ条件を出して良いですか……?」

根の勇者「何だ? 出来る限り協力するぞ。」

勇者「会って話をするのは、海の勇者さん一人だけにして下さい。一対一で話ができるなら、ボクはあなたに従います。」

根の勇者「? ……まあ、それくらいなら構わんだろう。その内容で話をつけておく。」

勇者「……絶対ですよ?」

根の勇者「ああ、約束だ。おい、お前も聞いたな? お前が証人だぞ。」

樹の勇者「まったく……本来なら、あの方は私達が対等に接する事が出来るような相手じゃないんですよ……」

根の勇者「おいおい、大将はあれで結構気さくなんだぞ。杓子定規に規則を気にするタイプじゃねぇよ。」

樹の勇者「しかし、潮の勇者さんが聞いたら何と言うか……私は知りませんからね。」

根の勇者「お、お前! そこはちゃんとフォローしてくれよ! あの姐ちゃん怒らすと怖いんだから!」

女僧侶(もしかして……『勇者』様って意外と面白い人達なんでしょうか……) ムムム…

895: 2013/07/19(金) 00:49:16 ID:mxQrmmkg

根の勇者「ま、まあ、なんだ……俺達もここには別の用事があってきたからな。」

根の勇者「坊主には、それが終わるまでここで待っててもらう事になる。」

勇者「用事、ですか?」

樹の勇者「はい、この周辺で大量の魔物が目撃されています。それの駆除ですよ。」

根の勇者「同じ『勇者』だが、坊主に手伝ってもらおうとは考えてないからな。明日の夜には終わるから、大人しく待っててくれや。」

女僧侶「一日がかりですか……ちなみに、どれくらいの量の魔物が?」

根の勇者「ん? ……そうだな、ざっと千近くって所か。」

女僧侶「え!? この近くに千も魔物がいるんですか!?」

根の勇者「心配すんなって。明日の内に終わらせるから。」

勇者「いえ、そうではなくて……ボク達の仲間が“禁猟区”にいる筈なんです……」

根の勇者「そうなのか……村長から先遣隊がいるとは聞いたが、男武闘家と男戦士だったか。」

女僧侶「お二人の事を知ってるんですか?」

樹の勇者「ええ……情報網の整備、生態系調査、経済の指標の議論など、彼らの貢献は政務に携わる人間なら誰でも知ってますから。」

女僧侶「そ、そんなに凄い人達だったんですね……」

896: 2013/07/19(金) 00:50:20 ID:mxQrmmkg

根の勇者「うちのじいさんも、いずれ正式に雇い入れたいって言ってたしな……」

女僧侶「おじいさんですか?」

根の勇者「ん? ああ、悪い。じいさんってか『根の国王』だ。」

女僧侶「ッ!?」

根の勇者「結構いい歳いってるから、ついな。俺の祖父って意味じゃねぇよ。」

勇者「そんな人間が、どうして冒険者なんか……」 ボソッ

樹の勇者「? ……今、何か言いませんでしたか?」

勇者「いえ、別に何も…………」

根の勇者「ま、あの二人なら、魔物の群れに気付けばすぐに引き返してくるだろう。」

樹の勇者「確かに……目先の手柄に目がくらむような性格ではない筈ですし……」

根の勇者「取り敢えず、朝一でその“禁猟区”とやらに出向くとするか。」

根の勇者「さて、立ち話が長くなってすまなかったな。必要な事は話したから、後はゆっくり休んでくれ。」

勇者「…………お休みなさい。」

樹の勇者「今日はもう遅いですし、海の勇者殿との面会の予定についてはまた明日話しましょう。」

897: 2013/07/19(金) 00:51:02 ID:mxQrmmkg

―――― 根の勇者と樹の勇者。宿への帰り道。


根の勇者「ふぅ……相手の了承も得られたし、取り敢えず良しとするか。」

樹の勇者「しかし北の勇者殿はあれで大丈夫なのでしょうか。“恩寵”の加護も無い上に、戦闘スキルも一般人レベルでしたが……」

根の勇者「いやいや……話のネタにするべきはそこじゃねぇだろ。」

樹の勇者「そうですか?」

根の勇者「性別を偽れるだけあって、えらくかわいらしい面だったよなぁ。どう見ても女にしか見えなかったぜ。」

樹の勇者「それは確かに……彼は“彼”で良いんですよね? 正直、どう見ても女の子にしか……」

根の勇者「大将が言ってた事から推測すりゃそうなるだろ。薄桃色の髪と瞳が“兄”で、薄青色の髪と瞳が“妹”らしいんだからよ。」

樹の勇者「見た所髪や瞳の色に不自然な所は無かったですし……あれが地の色で間違いないでしょう。」

根の勇者「俺も同感だ。だから、あの坊主が“兄”ってこった。前もって聞いてなきゃ、間違いなく嬢ちゃんだと思ったろうけどな。」

根の勇者「ま、あれだけのルックスなら金には困らんだろ。俺もその気は無いが、あれはちょっとヤバかったぐらいだし……」

樹の勇者「ヤバい……? 私は、彼が危険だとは思わなかったのですが……」

根の勇者「わかんねーなら良いよ。一から説明するのも面倒だしな。」 ケッ

898: 2013/07/19(金) 00:52:53 ID:mxQrmmkg

樹の勇者「しかし、あの女僧侶はあのままで良かったのですか? 何らかの処罰を――――」

根の勇者「お前は相変わらず頭が硬いなぁ……当事者が問題ないっつってんだから、良いんだよ。」

根の勇者「……だが、多少気にはなる。」

樹の勇者「と言うと?」

根の勇者「あの嬢ちゃん……体術レベルが5になってたが、俺と同じレベルとは思えないんだよな……」

根の勇者「俺の蹴りを完璧にいなした事を考えると、本当は1か2は上なんじゃないか?」

樹の勇者「では、ステータス画面を偽っていると? そんな事が出来るとは聞いた事がないのですが。」

根の勇者「んなもん俺だって同じだよ。だから今はまだ“多少気になる”程度の話ってこった。」

根の勇者「いやそれにしても、結構ヒヤッとしたんだぜ? まさか腕と足を折られるとは思わなかったからな。」


その言葉とは裏腹に、根の勇者の足取りは軽く、陽気な笑みを浮かべていた。
呆れながらも、樹の勇者が突っ込みを入れる。


樹の勇者「……武器も“恩寵”も使わないでおいて、そんな事を言われても。」

根の勇者「そういうお前は少しは加減しろっての。俺が止めなかったら何するつもりだったんだ?」

樹の勇者「別に私もやり過ぎたりしませんよ……手足の一本でも使えなくすれば十分でしょうし。」

899: 2013/07/19(金) 00:53:45 ID:mxQrmmkg

事もなげに言い放ったその言葉に、根の勇者がこれみよがしに溜め息をついた。


根の勇者「それがやり過ぎだって言ってんだよ……ちったぁ女の扱い方を覚えろよな。」

樹の勇者「……? 男女問わず、罪人の制圧は貴方に劣らないと自負してますが。」

根の勇者「そういう意味じゃねーんだよ。まあ良いや……宿に戻ったら一杯付き合えよ。」

樹の勇者「あんまり飲み過ぎないでくださいよ。明日は重労働になりそうですし。」


――――――――

――――――

――――

――

909: 2013/08/03(土) 20:57:19 ID:wzK9O0do

男戦士「ん? なんだあれ……あんな魔物見た事ないぞ……?」


猪を運ぶ四匹のコボルト。
意識を梟に移した男戦士がそれを上空から見下ろしている。
上空からの視野はかなり広い。コボルト達とは別のルートで山頂を目指す魔物の姿に気がついた。

赤黒い甲虫のような姿だが、二本足で歩いている。
外見も異様だが、おかしいのはそれだけではない。

甲虫らしき魔物は四体が並んで進んでいるが、進む先で山道にたむろする魔物達が道を開けているのだ。
まるで魔物の上位存在のように振る舞っているが、その歩き方や外見から察する骨格は人間にしか見えない。


男戦士「あっちを監視するべきか……? いや、やつらも山頂に向かっているようだ。」


なら山頂を見張るのがベストだろう。
そう判断して監視を続けるうちに、コボルト達が先に山頂に辿り着いた。

梟に意識を移してから、そろそろ一時間が経とうとしている。
自分の“恩寵”レベルではもうすぐ限界になる筈だ。


男戦士「もうちょいなんだから、もってくれよ……――って、あれは!?」


猪を届けたコボルト達が姿を消すと、一体の魔物がそれを取りに現れた。

910: 2013/08/03(土) 20:58:20 ID:wzK9O0do

月下に輝く金色のタテガミ。
均整のとれた、彫像の如き肉体を包む薄茶色の獣毛。

胸に火傷の痕が刻まれた獅子の頭を持つ勇士。
この地で生まれ育ち、動物も魔物も含めて、全てを知りつくした筈の男戦士が初めて見る種類の魔物だった。

人では無いのだから相手は魔物で間違いない。
だが、その姿には神々しさすら感じさせる。
とても愚鈍な魔物と同じ種とは思えない程に。


男戦士「――ッ!」 ハッ


見惚れかけていた男戦士だったが、獅子の右目の傷に気が付き、我に返った。
閉じた右目には、折れた黒い矢のような物が突き刺さっている。


男戦士「おま、えが……ッ!!」

911: 2013/08/03(土) 20:59:06 ID:wzK9O0do

――あの日、あいつが氏んだあの時。

――――女狩人が最後に放った黒矢。


――探しても見つからなかったあの矢がここに。

――――そして、女狩人を手にかけたのが、この獅子の魔物。


討つべき仇は、やはりこの地に潜んでいたのだ。


激昂しかけた男戦士だったが、視界の先ではさらなる動きがあった。
さっき見かけて気になっていた、赤黒い甲虫達。
甲虫達も山頂に到着し、四方から獅子頭の魔物に近付いていたのだ。
それも、相手に気取られぬよう、身を潜めながら。

獲物を狙う猫のような足運び、物音ひとつ立てぬ身のこなし。
どう見ても訓練を受けた兵士のそれだった。

912: 2013/08/03(土) 21:00:26 ID:wzK9O0do








偵察兵1(ちっ……ろくな遮蔽物も無いか。気付かれずに接近するのは無理だな。)

偵察兵2(その程度は予想していた。四人がかりで抵抗の暇も与えなければ良いだけだ。)

偵察兵3(事前情報の通り、山頂に魔物は近付かねぇから護衛もいねぇ。四対一でやれるとはありがたいぜ。)

偵察兵4(首を落とし、骨も残さず灰にしてやる……命令に従い、こいつの存在は抹消しなければならない……)


山頂はほとんど岩も無い平坦な地形。近付く者がいればすぐに気取られてしまう。
甲虫の装甲を纏った偵察兵達は、獅子頭の魔物に気付かれるのを覚悟していた。

既に気付いているのだろう。
獅子頭の魔物も、運ばれてきた猪に手を付けない。
立ちあがり、腕を組んだ姿勢で彼らの接近を待ち構える。


偵察兵1(やはり気付かれてるな……なら、さっさと始末させてもらうか。) ガチャ ガチャ


偵察兵達が、擬態のために纏っていた装甲を脱ぎ捨てる。
魔物の群れを突破する為のものなのだ。戦闘においては無用の長物だった。

913: 2013/08/03(土) 21:01:17 ID:wzK9O0do

偵察兵2(加減はするなよ。最大火力で焼き払ってやれ。)


隊長格の男の手に赤い輝きが宿る。
それに倣い、他の偵察兵たちも同様に“恩寵”を発動させた。


偵察兵3(【紅玉爆破】……溜め次第で岩盤もぶち抜く威力だ。木っ端微塵になりやがれ。)

偵察兵4(さて、向こうはどう出る……? 何もしないなら、それはそれで楽で助かるがな。)


準備を終え、攻撃のタイミングを計る偵察兵達。
その時、獅子頭の魔物が低く唸り声を上げた。


獅子頭「グルルルルルゥ…………」


威嚇とは違う、静かな唸り声。
だがそんな事に構う偵察兵達では無い。

914: 2013/08/03(土) 21:02:05 ID:wzK9O0do

偵察兵2「言葉も話せぬ“魔人”風情が。何か言いたい事でもあるのか? まあ、聞いた所で理解できんがな。」

獅子頭「ゴルルゥ…………」

偵察兵2「……貴様は良い働きをしてくれた。礼と言っては何だが、せめて苦しませずに逝かせてやろう。」


それを契機に、偵察兵達の手から光球が放たれた。
高速で飛来したそれは、彼らの中心で轟音と共に凄まじい爆発を引き起こした。







――――その少し前。男戦士の視点。
闇夜を見通す梟の視界の先で、甲虫達がその装甲を脱ぎ捨てていた。


男戦士(やっぱり中身は人間か! だが、あの赤毛……恐らく、『火の大国』領の兵士……!)


何故に敵国――厳密には戦争状態にある訳ではないが――の兵士がこんな場所に。
戸惑う男戦士をよそに、兵士達は攻撃用の“恩寵”を発動させている。

915: 2013/08/03(土) 21:03:00 ID:wzK9O0do

兵士達の手に宿る、エネルギーを凝縮した光の球。
攻撃や破壊行為に特化した“焔の女神”の“恩寵”だ。
理由は不明だが、兵士達はあの獅子頭の魔物を消し去ろうとしている。

兵士達はあの獅子頭の魔物の正体を知っているのか?
いや、そもそも、どうやってあの魔物の群れを突破してきたのか?
魔物の群れを統率しているのは獅子頭の魔物なのか?
もしそうなら、奴が消えれば統率を失うのでは?

脳裏にいくつもの疑問が浮かび上がり、答えの見えない謎に翻弄される。
だがその時、耳慣れぬ言葉が男戦士の耳に届いた。


獅子頭『この匂い……覚えがあるぞ。貴様ら、私を捕らえたあの小娘と同じ種類の【力】を使うようだな……』


空耳などでは無い。
言葉を話さぬ筈の魔物が、呟くように言葉を紡いでいる。
いや、正確には、『言葉』のような言語ではなかったのだが、その意味を理解する事が出来た。


唖然とする男戦士に、追い打ちをかけるように兵士の一人が口を開いた。


偵察兵2「言葉も話せぬ“魔人”風情が。何か言いたい事でもあるのか? まあ、聞いた所で理解なぞ出来んがな。」

916: 2013/08/03(土) 21:03:51 ID:wzK9O0do

“魔人”とは何だ? この兵士はいったい何を言っている?
いや、それ以前に、何故か獅子頭の言葉が兵士には聞こえていないようだ。
何故自分には言葉が理解でき――――

そこまで考えた所で、男戦士はある事に気付き息をのんだ。
“樹の神”の“恩寵”は動物を使役し意識を通わす事が出来る。
この梟には意識そのものを移して身体を借りているが、そこまでせずとも意志の疎通で事足りる場合もある。
意志の疎通――つまり動物に対する通訳能力。それが獅子頭の魔物の言葉に適用されているのだ。

だが、この通訳能力も魔物には適用されない。
それが魔物と動物を区別する一つの基準なのだが、今こうして獅子頭の魔物の言葉を解読している。

これは、つまりどういう事だ?
これではまるで、あの獅子頭の魔物が“魔物”では無いかのような。


獅子頭『戦場で氏ねず、このような地に打ち捨てられた屈辱……相応の血であがなってもらおう……』

獅子頭『所詮は人形だが、千を越す兵士を揃えた。今宵、貴様らを引き裂いた後、かの地へと進軍しようぞ!』

偵察兵2「……貴様は良い働きをしてくれた。礼と言っては何だが、せめて苦しませずに逝かせてやろう。」

獅子頭『ふん、獲物の分際で一人前の捕食者気取りか。身の程を教えてやろう!』

917: 2013/08/03(土) 21:04:32 ID:wzK9O0do

次の瞬間、兵士達が光球を放ち、轟音と共に凄まじい衝撃が巻き起こった。


男戦士(し、しまっ――――!!)


梟が飛ぶ夜空には、衝撃を遮る物が何も無い。
兵士達の会話を聞こうと接近していたのが仇となった。
熱と衝撃が梟に襲いかかり、身体を失った男戦士の意識は強制的に元の体へと戻されてしまった。


――――――――

――――――

――――

――

918: 2013/08/03(土) 21:05:29 ID:wzK9O0do

――ドンドンドン!


孫娘「すいません、勇者様! 女僧侶さん!」


――ドンドンドン!


孫娘「起きて下さい、勇者様! 女僧侶さん! 緊急事態なんです!」


―― ガ チ ャ


女僧侶「どうしらんれすかぁ……こんな朝はやふに……」 ファァァ…


寝惚けた顔の女僧侶が、目をこすりながら扉を開いた。
女僧侶から少し遅れ、勇者も同じように眠そうな顔で二階から下りてきた。

時間はまだ早朝。
ぎりぎり朝日が昇ろうかといった時間だ。
町の空気もまだ寝静まっているように見える。

919: 2013/08/03(土) 21:06:58 ID:wzK9O0do

孫娘「そ、それが、国境から報せが……! と、とにかく、急いで身支度をして集会所へ。樹の勇者様と根の勇者様がお待ちです!」


慌てる孫娘と、二人の『勇者』からの呼び出し。
ただならぬ気配を感じ取り、一気に眠気が吹き飛んでいた。







―――― 集会所。


急いで集会所へ駆けつけると、険しい表情の根の勇者と、何かの書簡に目を通している樹の勇者。
二人から少し離れて、町長や町の重役も揃っている。そして、ソファーの上に横たわる、毛布にくるまれた何か。

孫娘が二人を連れてきたのを見ると、根の勇者が深刻な顔で口を開いた。


根の勇者「……朝早くからすまんな。だが、少々厄介な事になった。」

樹の勇者「これをどうぞ。」


樹の勇者から書簡を手渡され、その内容に目を通すうちに、勇者と女僧侶の表情も強張っていく。

920: 2013/08/03(土) 21:08:23 ID:wzK9O0do

根の勇者「昨夜、『火の大国』領の軍が国境に侵入してきた。既に国境線は突破され、恐らく今夜にでもこの町に押し寄せるだろう。」

根の勇者「お前達も町の住人と一緒に避難してくれ。俺と樹の勇者で足止めをするが、全部を止められるとは限らんからな。」

勇者「足止め、って……相手は少数なんですか?」

根の勇者「いや、数は三千といった所らしい。」

女僧侶「さ、三千って! そんなの二人で足止め出来る訳ないじゃないですか!!」

根の勇者「――出来る。」

女僧侶「ッ!」 ビクッ


低く、力強い根の勇者の返答。
それは決して威圧するようなものではなかったが、思わず女僧侶は身を竦めていた。
根の勇者の表情に、昨夜に見せたような陽気さは欠片も無い。


勇者「で、でも……どうやってその情報を? 国境からここまで、馬で急いでも一日近くかかるんじゃ……」

町長「隼に転身した兵士どのが、命をかけて届けてくれたのです……」


そう言って、ちらりと視線を送った先には毛布にくるまれた何かが。
勇者がそっと毛布をめくると、若い兵士が眠るように穏やかな表情で横たわっていた。

921: 2013/08/03(土) 21:09:20 ID:wzK9O0do

根の勇者「馬鹿野郎が……『何かあれば知らせろ』とは言ったが、命を使い果たすほど無理しやがって……!」


その兵士は、根の勇者と樹の勇者が国境で別れた警備兵だった。
【獣化転身】は普通の術者には多大な負荷をかける高等術だ。

警備兵は書簡を抱え、隼の速度で国境からここまで全速で飛翔してきた。
通常なら数分程度で限界が来る術を、一時間以上もの間維持した。
その代償として、全てを使い果たしてしまったのだ。


町人「た、大変です、町長!」

町長「どうしたんじゃ、そんなに慌てて。」


混乱を避ける為、まだ町人達にこの事は知らされていない。
町長も平静を装い、飛び込んできた町人に対応している。


町人「山から……あの“禁猟区”から、大量の魔物が……!」

町長「なんじゃと!?」

町人「数え切れぬほどの大群がまっすぐ町に向かって来ています! ど、どうすれば!?」

922: 2013/08/03(土) 21:10:23 ID:wzK9O0do

重役1「なんという事だ……もう、この町はおしまいだ……」

重役2「魔物に殺されるか、『火の大国』領の軍に蹂躙されるか……ああ、何故こんな事に……」


避難しようにも、魔物が溢れかえっていたのでは不可能。
魔物の襲撃を防げたとしても、夜には『火の大国』領の軍隊が押し寄せるのだ。
どうあがいても絶望しかない状況に、皆うなだれ諦めの言葉を口にしている。


根の勇者「……状況はわかった。俺が敵軍を、樹の勇者が魔物を。それぞれ相手にする。」


その言葉に、集会所が静まり返った。
皆、唖然とした表情で言葉を紡げないでいる。


根の勇者「得意な“恩寵”の質を考えても、この方が都合が良いだろう。お前も文句ないな?」

樹の勇者「そうですね。私も魔物相手の方が効率が良いでしょう。」

根の勇者「よし、なら後はこの町の住人を避難させないとな。町長さん、悪いが――――」

女僧侶「待って下さい!!」


根の勇者の言葉を遮り、女僧侶が声を上げた。

923: 2013/08/03(土) 21:11:47 ID:wzK9O0do

女僧侶「一人で軍を相手にするなんて、そんなの出来っこ無いじゃないですか!!」

女僧侶「魔物だってどれだけいるかわからないんですよ!? 一人で相手するなんて自殺行為です!!」

根の勇者「なあ、嬢ちゃん。」

女僧侶「は、はい……」

根の勇者「あいつの表情を見て、どう思う?」


そう言って根の勇者が指したのは、命を落とした警備兵。


女僧侶「えと、静かに眠ってるみたいに見えますけど……」

根の勇者「ああ、俺も同感だ。きっとあいつは最後にこう思いながら逝ったんだろう。」

根の勇者「『根の勇者と樹の勇者に伝える事が出来た。だから、きっと何とかなる。』ってな。」

根の勇者「『一人で軍隊を相手にするなんて出来っこない』? 知ったこっちゃねぇんだよ、ンな事ぁ……」

根の勇者「そいつは命をかけてまで情報を伝えてくれたんだ。受け取った俺達が命かけねぇでどうするんだ。」

根の勇者「出来るかどうかじゃねぇ……やるんだよ。」

女僧侶「…………ッ」

924: 2013/08/03(土) 21:12:34 ID:wzK9O0do

根の勇者の言葉に込められた、揺るぎない覚悟。
不可能としか思えないのに、それをまるで感じさせなかった。


女僧侶「で、でも、それなら……みんなで魔物と戦って、安全を確保してから避難すれば……!」

根の勇者「いや、それじゃあ駄目だ。避難を優先しなければ、敵軍に追いつかれる。」

根の勇者「奴らにしてみれば目的は金だ。捕虜の身代金も目的の一つなんだよ。見逃す訳がねぇ。」

女僧侶「そ、そうですよ! 相手は別に戦争を仕掛けて来てるんじゃないんですよね!?」

女僧侶「確か……そう、退去料! これが目的なら、むやみに町の人を傷つけたりしない筈――――」


以前に男武闘家達から聞いた事があった。
『火の大国』領は演習という名目で侵攻し、退去料を徴収して去っていくと。
身代金は人質が生きていないと意味が無い。ある意味、街の住人の安全は保証されていると言えるのではないか。


根の勇者「お嬢ちゃん。それ、本気で言ってんのか?」

女僧侶「は、はい……」

根の勇者「そうか。それじゃあ聞くが、町を占拠した『火の大国』領の連中がお行儀よくしてくれると思うのか?」

孫娘「…………」

925: 2013/08/03(土) 21:13:40 ID:wzK9O0do

根の勇者「愛する妻が、娘が、孫が。どういう目にあうか、それがわからないのか?」

根の勇者「『妻も娘も、何なら自分のケツの穴も差し出します。だからどうか命だけは。』 本当に、それで良いのか?」

女僧侶「そんな……ッ」

根の勇者「俺は御免だ。そんなものを見過ごすようなら、そいつは『勇者』失格だ。」

勇者「…………ッ」

町長「いえ、もう一つ手があるのではないでしょうか。」


皆の視線が町長に集まる。


町長「……私達の事は構わず、お二人が援軍を呼んで下さればいいのです。」

町長「『勇者』であるお二人であれば、魔物と遭遇しても問題ないでしょう。ですから――――」

根の勇者「つまり、俺と樹の勇者に逃げろと言いたい訳だ。」

町長「い、いえ、そういう訳ではないのです。我々も“樹の神”の“恩寵”を授かった身です。籠城ぐらいなら……」

重役1「そ、そうです! 山は私達の領域です。軍が相手とはいえ、身を守る事ぐらい!」

重役2「私達の事は心配せず、どうかお二人は援軍を! もちろん、女子供は護衛をつけて隣町に避難させますから!」

926: 2013/08/03(土) 21:14:31 ID:wzK9O0do

町長「私達でも魔物から逃げる事くらいは出来るでしょう。ささ、どうか私達の事は気にせず、援軍を。」

樹の勇者「……確かに私と根の勇者さんは『勇者』ですが、だからと言ってあなた方の命が私達の下にあるという訳ではないんです。」

樹の勇者「ただ、与えられた役割が違うだけなんです。だから、私達は私達の役割を果たさなければならない。」

樹の勇者「魔物は私が、敵軍は根の勇者さんが。責任を持って留めておきます。皆さんが無事に隣町に辿り着くまで、決して通しはしません。」

根の勇者「敵軍の足止めをしなければ他の町が犠牲になるだけだからな。なに、勝つのは難しいだろうが、時間を稼ぐだけならなんとかなる。」


二人の言葉に、町長達が涙をこぼして嗚咽を上げる。

町長も重役達も、本気で籠城ができると考えていた訳ではない。
火を操る“焔の女神”と、植物を操る“樹の神”。両者の相性は絶望的に悪いのだ。
『勇者』レベルともなると色々とやり方もあるのだろうが、常人レベルにおいてはその差は絶対だった。

だが、それでも彼らは『勇者』の身を案じた。
“神”の現し身たる『勇者』は、ある意味“神”と同等に信仰されているのだ。

927: 2013/08/03(土) 21:15:04 ID:wzK9O0do

根の勇者「さて、それでだ。坊主と嬢ちゃんは町の住人と一緒に避難してくれ。隣町に迎えを寄越す手筈になっている。」

根の勇者「海の勇者との面談が済めば後は自由の身だ。しばらく不便だろうが我慢してくれ。」

勇者「…………わかりました。」

根の勇者「よし、それじゃあ町長さん達は町の住人の避難にかかってくれ。パニックを起こさせないように気を付けてくれよ。」

樹の勇者「魔物に関しては大半が私に惹き寄せられる筈ですが、油断はしないように。」


――――――――

――――――

――――

――

928: 2013/08/03(土) 21:16:02 ID:wzK9O0do

男戦士「…………ッ」

男武闘家「おお、目が覚めたか。フィードバックで気絶したみたいだが、どうかしたのか?」

男戦士「ああ、何から話したものか……」


痛む頭を押さえながら、男戦士が身を起こした。
【獣身接続・意識同調】は意識を移していた相手が氏傷すると、術者に多大なダメージが発生する。
辺りはうっすらと明るくなっているが、まだ朝日は顔を出していない。

男戦士は自分が見てきた情報を、男武闘家にありのまま伝えた。


男武闘家「どういう事だ……?」


ついに女狩人の仇を発見したのだ。
復讐心を滾らせたかったが、他の情報があまりに大き過ぎて戸惑いの方が強かった。


“魔人”とは何だ?
どうして『火の大国』領の兵士が?
何故、獅子頭の魔物の言葉が理解できたのか?

929: 2013/08/03(土) 21:16:44 ID:wzK9O0do

兵士達を片付けた後、“かの地”へ進軍と言っていた。
つまり、あの魔物の大群がどこかへと突き進むという事か。

だが、“かの地”とは何処の事を指すのだろうか。
『捕らえられた』『戦場』とも言っていた。恐らくこれの事ではないか。

あくまで推測だが、得られた情報を整理すると次のようになる。
獅子頭の魔物はどこかの戦場で“焔の女神”の力を使う女に捕らえられ、この地に打ち捨てられた。

『火の大国』領の兵士と魔物が争う戦場となると一つしかない。
魔物が棲む『西の最果て』と『火の大国』領の紛争地帯。通称『焼土の国』。

獅子頭の魔物は雑多な魔物を引き連れてここに舞い戻るつもりらしい。


男武闘家「おい、ちょっと待て……これが正しかったとすると――――」


突然、地鳴りのような物が鳴り響いた。


男戦士「くそ……嫌な予感が当たっちまったか……」


二人が轟音の発生源――“禁猟区”の方へと目をやると、荒れた山肌を駆け下りる魔物の大群が目に映った。
この大群が『焼土の国』へと突き進むという事は、先ず混乱が起こるのはここ『根の国』だ。

930: 2013/08/03(土) 21:19:05 ID:wzK9O0do

男戦士「……どうする?」

男武闘家「……そうだな。その獅子頭の魔物は自分を『将』と言ってたんだよな?」

男戦士「やっぱり、それに賭けるしかないか。」


『将』である獅子頭の魔物を排除できれば、あの大群もバラけて散り散りになるかもしれない。
『火の大国』領の兵士達がどうなったのか気になるが、ああして動き出した以上、獅子頭の魔物は健在なのだろう。
それを裏付けるように、魔物達は一方向に向かって突き進んでいる。
方角から考えて、向かう先は『焼土の国』で間違いない。


男武闘家「だが、相手は並みの魔物じゃないらしい。お前は町に戻っても良いんだぞ。」

男戦士「それも良いんだけどなー。やっぱ、『勇者』パーティーの一員としちゃ、見過ごせんでしょ。」


明確な理由がある男武闘家と違い、男戦士が仇討ちに付き合う必要性は薄い。
むしろ、いち早く町に戻って勇者と合流したいくらいだろう。

しかし男戦士は仇討ちに付き合う事を選んだ。
勇者の仲間として生きると決めた以上、平和を脅かすような存在を見過ごす訳にはいかないのだ。

931: 2013/08/03(土) 21:19:57 ID:wzK9O0do

男武闘家「―― 男戦士、俺は……」

男戦士「いいって、みなまで言うな……そのかわり、ちゃんと幸せにしてやれよ。」

男武闘家「ああ、わかってる。仇を討って区切りがつけば……俺も新しい生き方が出来る筈なんだ……」


互いの戦う理由を確かめ合うと、二人は“禁猟区”へと向かって駆け出した。
狙うは獅子頭の魔物の首ただ一つ。それさえ取れば、魔物は統制を失うのだから。


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932: 2013/08/03(土) 21:20:58 ID:wzK9O0do

孫娘「…………」

町長「何をしておるんじゃ、早くお前も避難の準備に取りかかりなさい。」

孫娘「あの、おじい様……私はここでお二人が戻られるのを待とうかと……」

町長「な、なにを言いだすんじゃ! お前のような若い娘が捕まれば、何をされるか!」

孫娘「でも、皆が避難してしまったら、お二人に事情を伝える事が出来ないではないですか!」

勇者「……ねえ、孫娘さんが言ってるのは男武闘家さんと男戦士さんの事ですよね。」

孫娘「は、はい……」

勇者「孫娘さんは、本当は二人に冒険者をやめて欲しいんですよね。」

勇者「冒険者なんて危険な事はやめて、この町で穏やかに暮らして欲しい……そう考えてるんですよね。」

孫娘「わ、私は……そんな……!」


孫娘は言葉を詰まらせた。
心にも無い指摘だったからではない。
決して表には出すまいと努めていた、本心に他ならなかったからだ。

だが頷く訳にはいかない。
何故なら、冒険者を否定するという事は、旅を続ける勇者の行動をも否定する事になってしまう。

933: 2013/08/03(土) 21:22:12 ID:wzK9O0do

勇者「良いんですよ。孫娘さんが正しいんです。」

勇者「大切な人と共に過ごせるように願う。それこそが人としてあるべき姿なんです。」

勇者「スリルや快楽を追い求め、それに命をかける冒険者……そんなの本当は存在しちゃいけないんです……」

女僧侶「ゆ、勇者くん……?」

勇者「みんなが孫娘さんみたいに考えてくれてたら……世界はこんな風には……」

孫娘「あ、あの……勇者様……?」

町長「だ、大丈夫ですか……?」

勇者「……………………」


沈んだ表情でうわ言の様に呟く勇者の姿に、近くの人間が呆気に取られている。
普段の勇者が纏う柔らかい木漏れ日のような気配。それが一転して夜の墓場の如く重く冷え切っていた。


勇者「……ごめんなさい、おかしな事を言っちゃいましたね。」


少しの沈黙の後、顔を上げた勇者の表情はいつもの穏やかなものに戻っていた。

934: 2013/08/03(土) 21:23:08 ID:wzK9O0do

勇者「男戦士さんと男武闘家さんの事はボクに任せてもらえませんか?」

勇者「これから“禁猟区”に出向いて二人と合流しようと思います。」

孫娘「本当ですか!?」

町長「し、しかし……それでは根の勇者様との約束を違える事に……」

勇者「大丈夫ですよ。大切な仲間を迎えに行くだけですから……あの人達にそれを邪魔する権利は無いです。」

勇者「ね、女僧侶さん?」

女僧侶「は、はい……私は勇者くんに従います……」


勇者の笑顔を向けられ、女僧侶が小さく身体を震わせた。
いつもと同じかわいらしい笑顔の筈が、何かが違って見えた。


勇者「それじゃあ、ボク達は馬に荷物だけ積んで出発しましょう。二人と合流でき次第隣町に向かいます。」

女僧侶「わかりました! 何があろうと、勇者くんは私がお守りしますので!」

孫娘「あ、あの――――!」


呼び止められ、勇者が振り返る。

935: 2013/08/03(土) 21:24:01 ID:wzK9O0do

孫娘「男武闘家さんを……お二人をお願いします……」

勇者「わかってます。なので、孫娘さんも早く避難を……孫娘さんに何かあれば、男武闘家さんが悲しみますよ。」

孫娘「はい!」


女僧侶はそっと勇者の横顔を覗き見る。
勇者の表情や仕草は平時と変わらないように見える。
だが、根の勇者や樹の勇者と対面してからの勇者は、どこか張り詰めているように思えた。


女僧侶(……たとえ勇者くんが何を考えていたとしても、私は勇者くんの味方なんですよ。)


微かに湧き上がる不安を拭い去るように、女僧侶は自らの決意を新たにしていた。


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936: 2013/08/03(土) 21:25:01 ID:wzK9O0do

『木の大国』領に属する一つの国、『幹の国』。
この国は名前が示す通り、『木の大国』領の根幹をなしていた。

国における根幹とは何か?
物差しは状況によって変わるだろうが、国が国として機能する為に絶対に必要な物がある。
それは共通の“法”。『幹の国』は『木の大国』領の司法を担っているのだ。

現在『樹の勇者』と呼ばれている青年だが、勇者としての素質が明らかになると、この国に引き取られ育てられた。
かつては『幹の勇者』を名乗り、法に則り罪人に刑を下す日々を送っていた。

『樹の勇者』と呼ばれるという事は、『木の大国』領における最高の勇者という事になる。
しかし、勇者レベルは知名度や社会への貢献度に比例する為、本来なら処刑人という日陰の仕事で有名になる訳が無い。

『幹の勇者』が有名なのには理由があった。
『勇者』には様々な特権が与えられる。『幹の勇者』はその特権を他の『勇者』とは違う方向に活用した。
特権と“恩寵”を駆使して貴族や王族といった特権階級の不正を暴き、その腐敗を白日のもとに晒して来たのだ。

罪人となった特権階級の人間にも、他の庶民と同様、法に則り刑を下す。
いかなる権力にも屈せず、法の正義の名の下に断罪の刃を振り下ろす。
『幹の勇者』は、大半の国民――法を守り真面目に生活する者――から英雄として扱われていた。

937: 2013/08/03(土) 21:26:28 ID:wzK9O0do

もしこれが『勇者』以外の人間であったなら、早々に謀殺されていただろう。
――だが、『幹の勇者』は違った。

頭角を現し出した頃は、彼を甘く見た貴族連中による妨害が後を絶たなかったが、次第にそれも無くなっていった。
自らの特権にあぐらをかいているような者は、それ以上の特権と能力に対して抗する手段も気概も持ち合わせていないのだ。
清廉潔白な『幹の勇者』にはいかなる賄賂も通用せず、程なく権力者たちにとって最悪の勇者と恐れられるようになった。

たとえ一部の権力者に疎まれようと、大半の国民が彼の働きに歓声を上げ、順調に勇者レベルは伸びていた。
その頃の『樹の勇者』――現『根の勇者』――と同じ勇者レベルになると、相手から称号移譲の申し出があり、『幹の勇者』もこれを受け入れた。

939: 2013/08/03(土) 21:28:23 ID:wzK9O0do

樹の勇者「法を知らぬ魔物は法によって守られる事も無い……民の平和を脅かすなら、害とみなし排除するまで。」


集会所にあった地図を確認した、この周囲の地理は把握している。
“禁猟区”と呼ばれる地はかなり険しい地形のため、集団がまとまって通れる場所は限られている。
その場所さえ押さえれば、相手がどれだけの数であっても取り逃がす確率は激減する。

樹の勇者が意識を集中させて“恩寵”を発動させる。
次の瞬間、茶色の羽根が舞い散り、一羽の鷲が大空へと飛翔した。

【獣化転身】は枝葉の勇者だけの専売特許ではない。
これまで、不正を暴くために幾度となく潜入操作を行ってきた。
樹の勇者も【獣化転身】は得意とする術だ。

険しい山も深い森も、猛禽の翼を阻む事など出来はしない。
冷徹な瞳の鷲が、魔物の大群を狩り尽くすべく力強く羽ばたいた。


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946: 2013/08/12(月) 23:42:16 ID:q1wZsufM

偵察兵3「クソがっ……! クソックソックソッ!!」


急な斜面を転げ落ちるように駆け下りながら、男が悪態をついていた。
頭からは血を流し、オールバックに整えていた髪は乱れ、垂れさがっている。


偵察兵3「聞いてねぇぞ! あんな化けモンどうしろってんだよ……!」


心臓の鼓動が破裂寸前まで高まっている。とてもこれ以上は走れそうにない。
男は一度立ち止まり、身体を休めながら周囲の様子を窺う。

少し先を魔物の集団が移動する気配がするが、自分から遠ざかる動きなので気にする必要は無い。
何かが自分に近づいてくる気配は無い。“魔人”は別方向に離脱した仲間を追ったのか? それは不明だが、とりあえず危機は脱したようだ。


偵察兵3「油断した訳じゃねぇ……だが、あんな動きをする“魔物”がいたなんて……あれが“魔人”の力だってのか……!?」


頭の傷の応急処置をするが、その間も身体の震えが止まらない。
出血のショックや疲労によるものではない。先程刻みつけられた恐怖が頭から離れないのだ。

947: 2013/08/12(月) 23:44:43 ID:q1wZsufM





四人が放った【紅玉爆破】の閃光と衝撃が夜の闇を引き裂いた。
一体の魔物に仕掛けるにはあまりに過剰な威力。並みの魔物なら肉片を残す事すら不可能だろう。


偵察兵1「それくらいはやってくれないとなぁ……!」


短髪の男が不敵な笑みを浮かべる。
視線の先では獅子頭の魔物が自身に向けて跳躍していた。
魔物は【紅玉爆破】の着弾を待つ程鈍く無かった。


偵察兵1「【紅蓮武装・剣】……!」


男の持つ短刀に焔が走り、紅の長剣へと変化する。
“恩寵”そのものを固形化した武装。それは並みの既製品などとは比較にならない力を持つ。

948: 2013/08/12(月) 23:46:00 ID:q1wZsufM

偵察兵1「【熱量転換】!」


魔物と切り結ぶ瞬間、さらに“恩寵”を発動させる。
熱量そのものを筋力に加算する身体強化術。肉体への負荷が凄まじいが、戦闘においては絶大な優位性を手に入れられる。

空中から襲いかかる形の獅子の魔物は軌道を変える事が出来ない。
鋼以上の硬度を持つ紅蓮の刃が魔物に迫る。


偵察兵1「…………ッ!」


男は愕然とした表情で自身の武器を見ていた。
獅子頭の魔物の爪と真っ向からぶつかり合った紅蓮の剣は、硝子の如く砕け散っていた。

首を切り裂かれた男が膝から崩れ落ちる。
砕かれた紅蓮の刃は焔へと変化し、男の沈む血溜まりを妖しく照らした。


残された兵士達に緊張が走る。
【紅玉爆破】をかわされるのは想定の範囲内だった。
だが、強化術式をかけた短髪の男が瞬時に屠られようとは一顧だにしなかった。

偵察兵や斥候と聞けば、非戦闘員のイメージがあるかもしれない。
だが、彼らは違う。単独での行動が許される程、その力を認められた精鋭なのだ。
その精鋭が必殺のタイミングで繰り出した攻撃が一蹴された。
相手の実力はそこいらの魔物とは比べ物にならない。

949: 2013/08/12(月) 23:48:16 ID:q1wZsufM

偵察兵2「【紅蓮武装・槍】!」


頬に古傷がある男が即座に“恩寵”を発動させて獅子頭の魔物に迫る。
リーダーを任されるだけあり、想定外の事態からでもすぐに立て直せる強靭な精神力。
残りの兵士二人も補佐するべく慌てて古傷の男に続く。


偵察兵2「ふっ!」


長槍型に“恩寵”を具現化し相手の間合いの外から攻める。
槍撃は紅い閃光となって闇夜を貫く。

襲いかかる連撃を最小の動きでかわす獅子頭の魔物。
古傷の男も馬鹿では無い。相手の氏角である潰れた右目側から仕掛けているのだが、それでも当てる事が出来ない。

僅かに強く踏み込んだ瞬間、紅蓮の槍をかわした魔物が間合いを詰めて貫手を放つ。
大振りな、知性の無い力任せな一撃ではない。小さく引き絞る動きで最短距離を射抜く一撃。


偵察兵2(【熱量転換】!)


だがこれは古傷の男の誘いだった。
瞬間的に身体能力を高め、相手の一撃を皮一枚で回避する。
槍の持ち手を調節して回避不能の間合いからカウンターを放つ。

950: 2013/08/12(月) 23:49:46 ID:q1wZsufM

偵察兵3(あえて隙を見せる事で懐に呼び込んだのか……! 流石だぜ!)

偵察兵4(――ッ! 左手を犠牲にして止めた!? 馬鹿な、どう考えても魔物の動きじゃない……!)


超至近距離で古傷の男と獅子頭の魔物が睨み合う。
腹を狙った一撃は魔物が左手で掴むようにして防いでいた。
貫かれた手の平から肉が焼ける音と匂いが立ち上る。


偵察兵2(俺の攻撃を回避した足運びといい、さっきの貫手といい……どう見ても訓練を受けた動き……――――ッ!)


魔物の拳を両腕で防いだ古傷の男が吹き飛ばされた。
痛みを意に介さず、魔物は無事な右拳を打ち込んできたのだ。
超至近距離で肩と腕の力しか使えなかったにもかかわらず、軽々と男を吹き飛ばす一撃。


偵察兵3「オラァッ!!」


オールバックの男が溜めの無い【紅玉爆破】を発動させる。
狙うのは獅子頭の魔物の足元。だが機動力を奪えるだけの威力は無い。

951: 2013/08/12(月) 23:52:33 ID:q1wZsufM

獅子頭『――!』


ダメージにならぬ威力の爆風でも土煙を巻き上げるには十分。
今の内に視界の外から狙い撃ちといきたいが、すぐに煙幕は晴れてしまう。
“溜め”の時間にはとても足りない。


偵察兵3(左右からの同時攻撃……!)

偵察兵4(かわせるものならかわしてみろッ!)


熱を操る“恩寵”を応用する事で生物の体温を察知する事が出来る。
二人は煙幕の中であっても相手の動きを読み取れた。

左右から襲いかかる二人。手にしたのは【紅蓮武装】で威力をはね上げた二本の短刀。
短刀のサイズに凝縮する事で、触れただけで肉が炭化する熱量をその刀身に宿らせている。


獅子頭『――――オオオオオオォォォォォォォォ!!!!』


大気を震わせる凄まじい雄叫びが響き渡った。
小規模な爆発の如き吠え声は瞬時に煙幕を吹き飛ばす。

952: 2013/08/12(月) 23:54:10 ID:q1wZsufM

偵察兵3「なんだとッ!?」

偵察兵4「馬鹿な!!」


煙幕の優位など大した事では無い。
それが失われた程度で動揺するほど二人は青くない。
二人が焦り、声を上げたのはもっと別の理由だった。


偵察兵3「“恩寵”が消え――――オゴッ!?」


獅子頭の魔物蹴りがオールバックの男の腹部を打ち抜いた。
受け身も取れずに地面に叩きつけられゴロゴロと転がって行く。


偵察兵4「おのれ!!」


背後から首筋に突き立てんと女兵士が短刀を振り下ろす。
蹴りの直後の硬直を逃さず、刀身はその首を捉えた。返り血が女兵士の顔を朱に染める。

953: 2013/08/12(月) 23:56:05 ID:q1wZsufM

偵察兵4「くそ……何故だ! 何故“恩寵”が……!!」


――――が、獅子頭の魔物の分厚い筋肉を貫く事は出来ず、致命傷には程遠い。

女兵士はその端正な顔を歪ませ歯を軋ませている。
本当なら、今の一撃で勝負は決していた筈だった。

いくら筋肉が分厚くても、【熱量転換】で強化した肉体で【紅蓮武装】を叩き込めば容易く両断出来た筈なのだ。
なのに、その発動させていた“恩寵”がさっきの雄叫びで霧散してしまった。
微細な“何か”に侵食されるかの如く、二人の“恩寵”は分解され消失させられていた。


偵察兵3「あ、がっ……」


血反吐を吐きながらオールバックの男がどうにか身体を起こす。
地面に叩きつけられた際に頭を打ち、とめどなく血が流れている。

攻撃の直前に動揺したのが幸いだった。
踏み込みをためらったおかげで完全なカウンターを取られる事は防げた。
咄嗟に後ろに飛び退く事で、衝撃を逃がし致命傷を回避する事に成功していた。


偵察兵4「あり得ない……! どうして“恩寵”が発動しないの……!?」

954: 2013/08/12(月) 23:57:54 ID:q1wZsufM

女兵士は振り向いた獅子頭の魔物に見下ろされ、今にも命を奪われようとしていた。
だが、わが身に降りかかったあまりに不可解な事態に、冷静さを失い逃げる事すら忘れているようだ。


偵察兵2「――――ガッ!?」


音も無く背後に忍び寄っていた古傷の男だったが、背後から飛びかからんと間合いに入った瞬間、獅子頭の魔物に食らいつかれていた。


―――― ゴ リ ッ


首をへし折った音ではない。
今響いたのは、容易く噛みちぎられた首が地面に落ちた音。


偵察兵3「あ、ああ……あああああああああ!?」

偵察兵4「いやああああああああ!!」


二人はこの瞬間理解した。
自分達はこの魔物を狩るつもりで出向いたが、むしろ獲物は自分達の方であったと。
軍の厳しい訓練も、生まれ持った根源的な恐怖を消す事は出来なかった。
任務を忘れ、恥も外聞も捨て、二人は脱兎のごとく駆け出していた。

955: 2013/08/13(火) 00:00:02 ID:akC.JcUU

逃げる二人の背中を見ながらも、獅子頭の魔物は追おうとはしない。
自身もそれなりの傷をつけられた筈なのだが、むしろ満足気な表情を浮かべている。

それはまるで、久しぶりの闘争の余韻を味わうかのようだった。








偵察兵3「クソッたれ……! 任務を放棄した以上、軍には戻れねぇ!」


どんな理由を付けようと、自分が目標を仕留める事が出来なかった事実は変えられない。
素直に戻った所でろくな扱いを受けないだろう。

情報を得たとは言っても、上の人間が既知の物では意味が無い。
上の人間はあれを“魔物”ではなく“魔人”と呼んでいたらしい。
つまり、あれの特殊性を知っていたのだ。自分が得た程度の情報では保身には使えないと考えるべきだろう。


偵察兵3「まあ良い……最悪、傭兵でもやれば食ってく事は出来る。いや、意外と悪くないかもしれねぇ……」


そうだ。傭兵なら厳しい軍規に縛られる事も無い。
もっと自由に女を抱く事もできるだろう。

956: 2013/08/13(火) 00:01:18 ID:akC.JcUU

偵察兵3「しばらくは賊でもやって凌ぐか。ああ、そうさ……『木の大国』領の女なら力でいくらでも……」


先程刻みつけらた氏の恐怖のせいだろうか。
女が欲しくて仕方が無い。

オールバックの男は歪んだ笑みを浮かべ、再び山を駆け下りていった。


――――――――

――――――

――――

――

960: 2013/08/19(月) 22:29:02 ID:z9uJVMcg

女僧侶「遠くから聞こえる地鳴りみたいなのって……」

勇者「うん……魔物が移動する音だね……」


女僧侶は黒馬に、勇者は白馬にまたがり“禁猟区”への道を走らせている。
“禁猟区”に入るには山をひとつ越える必要があるが、二人の乗馬技術は既に必要十分なだけ習得していた。

そして“禁猟区”に向かうという事は、この地鳴りの原因である魔物の群れに近付く事を意味する。


女僧侶「魔物の群れは樹の勇者さんが何とかするって言ってましたけど……本当に大丈夫なんでしょうか。」

勇者「……………………」

女僧侶「魔物が相手じゃ話も通じませんし……いくらなんでも一人で相手するなんて不可能なんじゃ……」

勇者「……………………」

女僧侶「正直な話、あの人がどうなっても良いんですけど……下手をすると私達が魔物の群れに巻き込まれる事に……」


今の女僧侶は熱くなっていない。
その状態で、千を超す魔物と本気でやりあえると思う程、女僧侶は狂っていなかった。

961: 2013/08/19(月) 22:30:31 ID:z9uJVMcg

勇者「…………大丈夫だよ。あの人は負けないと思う。」

女僧侶「でも、もともと根の勇者さんと二人で対処する筈だったのに、樹の勇者さん一人だけなんですよ……」

勇者「もしあの二人が戦えば、根の勇者さんの方が“強い”と思う……でも、“怖い”のは樹の勇者さんの方だよ……」

勇者「あの人は、一見まともだし話も通じるけど……中身は……血が通ってないから……」

女僧侶「勇者くん……?」


それっきり勇者は黙り込んでしまった。

今思い返してみれば、勇者が怯えていたのは樹の勇者に対してではなかったか。
荒っぽい外見と言葉遣い、おまけに自分と一戦交えた根の勇者に怯えるなら分かるが、何故か勇者は樹の勇者を警戒していたのだ。

勇者は二人と殆ど会話を交わしていない筈なのだが、何故そこまで言いきれるのだろう。
釈然としない物を感じながらも、女僧侶は樹の勇者が上手くやってくれる事を神に祈っていた。


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962: 2013/08/19(月) 22:32:10 ID:z9uJVMcg

一羽の大鷲が峠の頂上に静かに舞い降りた。
大鷲は、明るい茶色の髪とエメラルドグリーンの瞳を持つ青年へと姿を変える。

峠から周囲を見下ろすと、魔物の大群が砂埃を巻き上げ、峠を登り始めていた。
青年は双眸に怜悧な光を宿し、宝石で装飾された刺突剣を抜き放つ。


樹の勇者「……【二重螺旋・生命創造】」


動物や植物に干渉できるのが“樹の神”の“恩寵”としての特性。
これは、それを更に突き詰め、自分のデザインした生命をゼロから創り出す最高難度の“恩寵”。
常人では精神力の摩耗が激し過ぎて発動させる事すらできない、まさに『勇者』のみに許された至高の“恩寵”だった。


樹の勇者「……食らい尽くせ、緑の落とし子……血をすすり、肉を溶かし、汚らわしき者共を大地の糧とせよ……」


荒れた山肌を突き破り、人すら飲み込む大きさの食虫植物が次々と姿を現していく。
それは一見ハエトリグサのようだが、本来のそれとの明確な違いとして、脈動する触手を幾つも備えていた。
粘着質な粘液に覆われた触手は、獲物を求めてせわしなく蠢く。

凶暴な食虫――いや、食獣と呼ぶべきか――植物は広範囲に出現し、山一つを飲み込み魔物の軍勢を取り囲んだ。

963: 2013/08/19(月) 22:35:17 ID:z9uJVMcg

樹の勇者「……ゴボッ!」


突然、樹の勇者が血反吐を吐いて膝をついた。
額には脂汗が浮かび、その表情に余裕は無い。

常人は精神力を媒介に“恩寵”を発動させる為、限界を越えれば気を失ってしまう。
いわばそれが安全装置なのだが、情報を伝えた兵士が命を落としたように、無理をすれば命にかかわる。

『勇者』は精神力を必要としないが、その代わりに生命力を使って“恩寵”を発動させている。
故に、限度を超えて無茶な“恩寵”を行使すれば肉体へのダメージとなって直接跳ね返ってくる。
常人には発動させる事すらできない超難度の“恩寵”を、千を超す魔物を取り囲む規模で行使したのだ。
その反動は生半可なものではなかった。

だがそれは樹の勇者も承知の上だった。
当然、それを見越した準備もしてある。

懐から粉末状の薬物を取りだすと、それを鼻から一気に吸い込んだ。
劇薬レベルの効力を持つ強力な鎮静剤。それを利用し、無理やり身体を動かせる状態にまで整える。


樹の勇者「これで魔物の逃げ場は無くなった……後は、この手で駆逐するのみ……!」


創り出した食獣植物の群れは、あくまで魔物を逃がさぬ為の下準備。
『角笛の町』の住民が自分を信じて避難しているのだ、一匹たりともここを通しはしない。

964: 2013/08/19(月) 22:37:13 ID:z9uJVMcg

コボルト『オオオオオオオオオ!!』

テトラウルフ『ガルルルルァァァァアア!!』


遂に魔物の軍勢が樹の勇者が待ち構える峠まで押し寄せてきた。
だが坂道を一気に駆け上がれば、いくら魔物といえど当然動きは鈍くなる。
それを見越してのこの位置取りだった。


樹の勇者「ハッ!!」


刺突剣が煌めき、疲労で動きを鈍らせた魔物達を次々に貫いていく。

魔物は強い“力”に引かれる性質があり、その最たるものが『勇者』だ。
目の前に現れた樹の勇者に、魔物達は疲労も忘れて襲いかかった。

喉元に食らいつこうとする獣を、かわしざまに刺突剣が胴体を貫く。
鈍器を振り上げた獣人は、振り下ろす暇も無く眉間を貫かれる。

先の先、後の先、どちらをとっても舞うように魔物の間をすり抜け、貫かれた魔物が次々に倒れていく。
輪舞曲を踊るかの如く、決して一所に留まる事の無い歩法術。
血飛沫が飛ぶような派手さは無いが、その戦い方は芸術的なまでに完成していた。

965: 2013/08/19(月) 22:39:18 ID:z9uJVMcg

刺突剣の性質上、両断する事は出来ないが、額や心臓といった急所を確実に射抜き魔物の動きを封じていく。

いくら狭い山道とは言え、一人で全ての魔物を止める事は出来ない。
何体かの魔物が樹の勇者の脇を抜けていくが、その先に待つのは凶暴で巨大な食獣植物。
粘り気のある触手は無慈悲に魔物を絡め取り、無数の棘が生えた葉で容赦なく挟み潰した。

速さに重点を置き、移動を繰り返す刺突剣の戦法は乱戦と相性が良い。
しかしそれにも限度がある。たった一人で千を超す軍勢を相手に出来るものではない。
加えて、魔物の生命力は強靭だ。急所を貫いても、それだけで仕留める事は出来ない。

条件の悪さを理解しつつ、視界を埋め尽くす魔物の群れに取り囲まれようと、樹の勇者の心は揺らがない。
四方から飛びかかられても、冷徹な瞳で見据え、断罪の刺突剣を突き入れる。

どれほどの達人であっても、心が乱れていたのではその力を発揮する事は出来ない。
樹の勇者以上の刺突剣の技量。それを持つ者は探せば幾らでもいるだろう。
だが、戦場における精神の揺らぎの無さで樹の勇者を越えられる者はそういない。

幼少の頃より処刑人として育った樹の勇者は、“頃し”の場でこそ精神が澄み渡るのだ。


コボルト『グァルルルァア!!』

樹の勇者「――ぐッ……!」


倒れた魔物に足を取られ、鈍器の一撃をかわしそこなった。
よろけた樹の勇者に一斉に魔物達が襲い掛かる。

966: 2013/08/19(月) 22:40:07 ID:z9uJVMcg

だが――――


コボルト『ギャン!?』


樹の勇者の背後から襲いかかった魔物は通り過ぎ、正面から襲いかかっていた魔物を殴りつけた。
そして、それはこの魔物だけではない。あちこちで魔物が同じ種類の魔物に襲いかかっている。

仲間割れを始めた魔物は、全て樹の勇者に刺突された後に起き上がった者ばかりだ。

魔物が人間の味方をするなど、絶対に無いと断言できる。
本来ならあり得ない光景が目の前で繰り広げられているのだが、樹の勇者は気にする素振りも無い。
造反した魔物を当てにする訳でもなく、それどころか、必要なら造反した魔物ごと刺し貫いていく。




――ある種のカビは昆虫に寄生する事で繁殖する性質を持つ。

――――興味深いのは、寄生された昆虫がカビの繁殖に適した行動を取るようになる点だ。

――――――驚くべき事に、寄生したカビは昆虫の脳内に化学物質を発生させ、その行動を操っているのだ。

967: 2013/08/19(月) 22:41:27 ID:z9uJVMcg

根の勇者は『魔物の相手なら樹の勇者の方が都合が良い』と言っていた。
魔物との戦いに向かない刺突剣を使うのもこれが理由だ。

樹の勇者の得意とする“恩寵”。
それは傷口から感染し、血管を経由して脳内で繁殖するカビを創り出すものだった。
傷を負わせた相手を操り狂わせる、恐るべき“恩寵”。

あまりに非人道的な為、敵兵であっても人間に使うのは躊躇われるが、魔物が相手ならば遠慮はいらない。
操った魔物を媒介に、カビは傷口から侵入して別の魔物に感染していく。

刺突剣を飾る宝石も、ただの見栄えの為に付けられている訳ではない。
宝石に事前に“恩寵”を封じておく事で、何も消費せずにその“恩寵”を発動させる事が出来るのだ。
前もって準備する必要があるため、状況の変化に対応する事は出来ないが、カビを創り出す【二重螺旋・生命創造】を仕込めばそれだけで事足りる。

一対千で始まった戦闘は、いつしか魔物が共食いを繰り返す地獄へとその姿を変えていた。


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974: 2013/09/03(火) 00:13:25 ID:6mWNrF3.

偵察兵4「何なのよ、これ……」


眼前の光景が信じられず、呆然と女偵察兵は立ち尽くしていた。
前触れもなく地表を突き破って現れた巨大な植物の群れ。

粘り気のある触手、無数の棘で獲物を挟みつぶす双葉。
植物の知識に疎い女兵士でも、これが獰猛な食獣植物であることは一目で理解できた。


偵察兵4(――ッ! まさか、『木の大国』領の『勇者』が!?)


こんな馬鹿げた規模で“恩寵”を行使できる存在は他にいない。

ここに『勇者』がいるのは偶然か、それとも何か理由があってか。
現状ではその判断すらできない。


偵察兵4「くそッ……本隊に合流するにはかなりの回り道が必要か……」


食獣植物によって魔物の群れと分断されたのは幸運だったが、道を塞がれこのままでは本隊と合流できない。
火力で突破する事は不可能ではないだろうが、それでは近くにいるであろう『勇者』に察知される恐れがある。
ここは多少回り道をしてでも、下手に刺激しないのが得策だろう。

通常の兵士ならともかく、表に出せない作戦を担当するような特別兵に任務失敗は許されない。
作戦を放棄した罰は受けるだろうが、“魔人”の情報を持ち帰れば何とか厳罰は免れるだろうと女偵察兵は判断していた。

975: 2013/09/03(火) 00:14:23 ID:6mWNrF3.

偵察兵4「だが、何故『勇者』がここに……? やはり、我々の行動は察知されていたのか……」


隠密行動の訓練は受けているが、それでもやはり山中は“樹の神”の庭のようなものだ。
完全に痕跡を消す事は難しかったのだろう。


偵察兵4「情報が欲しい……地元の住人に聞けば何かわかるかもしれないな……」


そう言えば、近くに町があった。
そこに向かい、適当な人間を拉致して締め上げれば何かしらわかるだろう。

魔人に抱いた恐怖は心の奥底に封じ、やるべき事を見出した女偵察兵は『角笛の町』へと足を向けた。


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976: 2013/09/03(火) 00:15:04 ID:6mWNrF3.

四人の偵察兵を容易く退けた獅子頭の魔物は、悠然と森を歩いていた。
魔物の群れを進軍させたが、自らがそれと歩調を合わせるつもりは無いらしい。

先の戦闘で傷ついた首元が赤黒く汚れているが、その出血は既に止まっている。
貫かれた左手はまだ血が滴っているが、特にかばうような動きもなく平然としている。

獅子頭の魔物の耳がぴくりと動いた。


―――― ヒュン!


氏角から飛んできた投げ槍(ジャべリン)を難なく掴み止める。
木を削っただけの簡単なものだが、まともに食らえば肉を貫くだけの速さと重さがあった。

飛来してきた方角に人の気配は無い。


一陣の風が吹き抜け、枝葉がこすれあいざわざわと音を立てる。
不意に、獅子頭の魔物が跳躍した。

次の瞬間、その場所に岩石が飛来し、地面を抉った。


獅子頭『ッ!』


空中の魔物に、またもジャベリンが襲いかかる。
今度のジャベリンは複数、しかも大きさがバラバラだった。

977: 2013/09/03(火) 00:16:09 ID:6mWNrF3.

速度は遅いが重いジャベリンを叩き落とし、速いが軽いものは甘んじてその身で受け止める。
大きさや速度をばらけさせる事で混乱を誘ったのだろうが、獅子頭の魔物は冷静に対処していた。


獅子頭『風の音にまぎれての投石……そして、そこからの追い討ち……』


数本のジャベリンが肉体に刺さっていたが、分厚い筋肉を貫くほどではない。
あっさり抜きとると、束にしたジャベリンを握りつぶす。


獅子頭『面白い……先程とは違い、なかなか頭の切れる兵士のようだな……』


周囲に人の姿は無く気配もない。
だが、この森は自分への殺気に満ちている。

姿を隠した刺客に向け、獅子頭の魔物は不敵な笑みを浮かべていた。



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勇者「仲間募集してます」【その4】

引用: 勇者「仲間募集してます」