1: 2010/10/10(日) 14:08:55.32 ID:wZdxA8Vm0
ほんの少し前までの話。僕の好きな人は神様だった。
この銀杏が葉を残していた頃まで、僕は彼女の事を殆ど盲信に近い所まで、信仰していた。そう、信仰。あの頃の僕の気持ちは、きっとそう呼ぶべきなのだろう。
世の中に絶対の神など居る訳はないと、彼はそう言い切ってそして、それを頑なに貫いたけれども。
僕は、彼のようには決してなれなかった。それは生い立ち、人生において歩んできた道が違うのだから仕方のない価値観の相違であるのかもしれない。
あの日。
神様が神様でなくなった日。
彼は彼の大切な少女を、信じぬいた。
世界崩壊の危険性を知りながら、彼は彼女を信じた。
彼女は失恋に、他者の恋の成就に、しかして決して世界を変革させず、その痛みを、受け入れると。
彼女……涼宮さんのその心根の部分に有るであろう優しさを信じた。
僕には、出来なかった。
僕は彼女を好いていながら、けれど僕は……けれどどこかで想い人を軽んじていたのです。
そんな事をすれば、世界が終わる。
涼宮さんの決氏の告白を、彼が無碍にする。それを止める側に、僕はあの頃回っていた。
今となっては、笑い話。
決して笑えない、笑うしかない、笑い話。

6: 2010/10/10(日) 14:16:59.51 ID:wZdxA8Vm0
「どうも、遅くなりました……っと、今日は長門さんだけですか」
文芸部室の扉を開けて、辺りを見回しても、人の気配は他に無い。僕は右手に持っていたコートを空のハンガに掛けながら、窓際を見つめた。
いつもと変わらず、本を読む少女の向こう側の窓は白く曇っている。そういえば、昨日の天気予報ではそろそろ雪が降り出してもおかしくないと、そう報じていたことを思い出した。
「最近、寒いですね」
「そう」
「長門さんは、寒くないのですか?」
「そこそこ」
「そこそこ、ですか」
人間臭い、曖昧な言い回しが彼女の口から発せられるのは、何度聞いても少し面白い。
「だから、電気ストーブは足元に置いてある……要る?」
「いえいえ。女性が体を冷やしてはいけません」
右目をだけ一つ、ウインクしてみせますが、きっと少女に意味は伝わっていないでしょうね。
「僕は、お茶を淹れますから」
「電子ポットのコンセントは、入れておいた」
「ありがとうございます。これで、凍えずに済みそうですよ」
「……古泉一樹」
「はい」
急須を片手に、呼ばれて振り向けば少女は本から目を離し、僕の方を見ていた。
「私の分も」
「心得ています」
僕は笑った。

8: 2010/10/10(日) 14:24:17.24 ID:wZdxA8Vm0
「ところで」
お茶の淹れ方は朝比奈さんの見よう見まねでしたが、目的は暖を取る事で有って味は二の次です。
とは言え、長門さんにもお出しするものなので少々、気は使いましたが。
「朝比奈さんは? いらっしゃいませんが、ご存知ですか?」
「朝比奈みくるは、友人宅で受験勉強」
「なるほど」
恐らく、鶴屋さんとご一緒なのでしょう。それならば、仕方がありません。SOS団で今年唯一の受験生である彼女の、邪魔は出来ませんし。
「そうですね。もう、センター試験まで二月を切っているのですから、ここが正念場でしたか」
「そう」
「しかし、朝比奈さんがこちらに残っていらっしゃるのは少々、意外でした」
少女の座っている、窓辺近くの机に湯飲みを置きながら、僕は聞いてみる。
「長門さんは、知っていらっしゃいましたか?」
「……」
「ああ、熱いので、気を付けて下さいね」
少女はコクリと頷くと、パイプ椅子に座ったままに僕を見上げた。
「その質問に、意味は無い」

9: 2010/10/10(日) 14:30:40.74 ID:wZdxA8Vm0
「意味が、無い?」
「そう。私たちが朝比奈みくるの未来を論じていても、そこに意味は生まれない」
「ふむ? 続けて下さい」
「簡単な事。貴方の未来を選ぶのは、誰?」
なるほど。言いたい事は、理解しましたよ。
「僕ですね。つまり、朝比奈さんの未来は、朝比奈さん本人が選ぶもの、だと」
「そう。そこに他者の思惑も未来予知も、不要」
「長門さんらしくない、言葉です。いえ、失礼。以前の貴女らしくはない、と。そう言い直させて下さい」
彼女から遠い席を、あの頃の指定席をわざと選んで腰掛ける。座席位置が無意識ではなくなっているのが少し、寂しかった。
「私は、変わった?」
「ええ」
僕は頷く。頷いて、湯のみの中に映り込んだ自分の顔を見つめた。
「とても、変わられました」
「そう」
長門さんはそっけなく相槌を打って、そしてまた膝元の本に視線を戻した。

11: 2010/10/10(日) 14:37:10.40 ID:wZdxA8Vm0
あの日を境に、僕らの関係は変わった。それは崩れた、という程大げさなものでもないし、しかし確実に変化をしていた。
宇宙人は、只の少女に変化し。
未来人は、未来を現在の延長だと理解した。
神様は、人のしあわせを祝福する術を知って神の座を空け。
神様の恋人候補は、その全てを受け入れた。
僕だけが、変わらない。
変わらずに、取り残されている。
超能力を失っても、それでも僕は、どこまでも、僕のままだった。
機関が解体しても、それでも僕は、どこにも、行けなかった。
僕の未来は、僕が選択するもの。長門さんにはそう答えたけれど。しかし、実際はどうだろう。
僕は選ぶ事をすら、放棄していた。

12: 2010/10/10(日) 14:46:15.77 ID:wZdxA8Vm0
「長門さん」
少女の意識が本から湯飲みに移った瞬間を見計らって、僕は声を掛ける。
「何?」
「少し、質問を。よろしいでしょうか?」
何も答えず、ただ首を数ミリ動かす、その仕草はあの頃と変わらない。だがそれは、彼女の変化とは無関係だ。
「宇宙人ではなくなった時、貴女はどのような気分でしたか?」
彼女の答えは、僕の答えとはなりえない。それでも僕は聞いておきたかった。期待される返答のどこかに、共感を得たかったのかもわからない。
「何も」
少女の唇から、期待されていた、言葉は出てこなかった。
「何も、思わなかった」
予想外の返答に、驚いている内心を隠し、続けて問い掛ける。
「何も? そんな筈はないでしょう。貴女にとって宇宙人という属性は、言葉は悪いかも知れませんがとても大きなもので、それが貴女自身と言い換えても過言ではないものではありませんでしたか?」
「先ほどから貴方は、考え違いをしている。古泉一樹。外側から見た長門有希という個体には、それは不可欠なファクタであったかも知れない。しかし、それは私には意味の有る事では、無い」
長門さんは本に栞を挟んでそれを閉じると、僕を見つめた。
そして、言った。静かに、ゆっくり。そして、はっきりと。
「私は、私。宇宙人であろうと、なかろうと」

15: 2010/10/10(日) 14:53:56.64 ID:wZdxA8Vm0
僕は、僕。
古泉一樹は他の者には、成り得ない。超能力者であろうと、なかろうと。そんな事は理解していた。
理解している、つもりだった。
けれど、現実はどうでしょう?
僕は、過去に引き摺られて、未来から目を背けてばかりでは、ありませんか。
「貴方は、考え過ぎ」
「考え過ぎ、ですか?」
「今を受け入れる、ただそれだけでいいと、私は彼に教えられた」
「……彼らしい、言葉ですね」
「古泉一樹」
「はい」
「貴方は、昔の私に似ている」
その言葉の真意を僕が理解しようと、努める間もなく、部室の扉がノックされる。
「ノックしてもしもーし」
彼の、お出ましです。
「開いてますよ。どうぞ」
崩れそうだった顔に、一度笑顔を意識して作り直して、そう廊下に投げかけた。

17: 2010/10/10(日) 15:02:49.86 ID:wZdxA8Vm0
「長門と古泉だけか。なんか、最近、このパターン多いな」
頭を掻きながら入室する彼に合わせて、僕は立ち上がる。
「緑茶で、いいですか。二番煎じですけれど」
「いや、構わんさ。寒くて指先が凍傷を起こしそうだったんだ。助かる。悪いな、古泉」
「いえいえ。滅相も無い」
言って彼に背中を向けたのは、どことなく今の表情を見られたくはなかったのでしょう、きっと。
「涼宮さんは?」
「遅れてくるってよ。ま、真意は……俺とあまり顔を合わせたくないんだろうな」
「でしょうね」
席替えで廊下側最前列になった、彼。窓際最後尾を動かなかった彼女。
それは願望実現能力の最後の一欠けらが作り出した、彼女にとっての矜持だったとするのが機関での見解でした。
「罪作りですね、貴方は」
「……笑えない冗談だな、お前が言うと」
「笑い事では、ありませんから。……熱いので、気を付けて下さい」
「さんきゅ」
彼はふうふうと、湯飲みの中身に吐息を掛けると、それにちびりと口を付け、そして苦い顔をした。
「おい、これ濃いぞ」
「ええ、故意です。涼宮さんに代わって、少しばかりの意趣返しというヤツですよ」
僕は、笑った。心は、隠して。

19: 2010/10/10(日) 15:13:22.01 ID:wZdxA8Vm0
「……お前さ」
「はい?」
「ハルヒに、言わないのか?」
「何をでしょう?」
惚けてみせる。何を訊ねられているのかは、この部屋に居る全員が分かっていましたが。
それでも惚けたのは、その話は止めませんか、という僕なりの婉曲な意思の表明でした。
「……いや、お前がそれで良いって言うんなら、これはもう、俺が口を出す事じゃねえけどさ」
「良くない訳、ないでしょう。ですが……ああ、貴方はもうご存知ですよね。僕は臆病者なのですよ」
「知ってる」
少年は苦笑した。
「もう半月か。あの時のお前は、確かにチキンだったさ」
「言い訳しようもありませんよ。ですが、貴方の受け答えに世界が乗っていた。それを守る立場だった僕の心境も、少しは鑑みて貰えたら、助かりますね」
どうか、涼宮さんの告白に、答えてあげて下さい。
そう、口にしなければならなかった気持ちの十分の一でも、彼は知っているだろうか? いや、そんな事に共感を求めるのは、これは、甘えですね。
「なあ、古泉」
「はい」
「なら、お前は、俺やハルヒの心境をあの時、慮ってくれていたか?」
湯飲みを握る右手に、知らず、力が篭っていた。
「出来なかっただろ?」
「……ええ」
そんな余裕なんて、無かった。

20: 2010/10/10(日) 15:23:51.58 ID:wZdxA8Vm0
「面目次第も、有りません」
「いやな。責めてる訳じゃないんだ」
彼は苦いお茶を飲みつつ、言う。
「俺もあん時は、自分と佐々木の事で手一杯だったしさ。人の事は言えねえ、ってヤツだ」
「そう、でしたね」
「ただな。人の事を言えないのは、お前も同じだよな、って。ああ、こんなんじゃ何を言いたいのか、分からんよな。スマン。自分でも発言の趣旨がサッパリ分からん」
「なんとなく。ニュアンスで良いのなら感じ取りましたから、大丈夫です。ええ。僕には貴方に何を言う資格も有りません」
一瞬、部室に沈黙が流れる。気まずいというのとも何か違う、しかし心地良い訳ではない、独特の距離感とでも言うべきそれ。
打破したのは、じっと僕らの会話を横で聞いていた長門さんだった。
「仕方の無いこと」
「ん?」
「半月前の私たちは、互いが互いに重要な案件を抱えていた。誰もが、大切に感じているものが違った。だから、摩擦は仕方が無かった」
「……そっか。そうだな」
「ですね」
彼と顔を見合わせて、溜息を吐く。話に一段落、オチが付いたかなと思っていた所で、しかし、長門さんは更に言葉を続けた。
「けれど」
コトリ、と湯飲みを机に置く音がやけに大きく部室に反響する。
「過去の話は過去。未来の話はまた別のもの。古泉一樹」
「はい」
「貴方は、涼宮ハルヒに想いを打ち明けるべき」
果たして誰が、長門さんがこんな台詞を口にする日が来る事を予想しえたでしょうか。

21: 2010/10/10(日) 15:33:44.88 ID:wZdxA8Vm0
僕が涼宮さんを好きな事は、涼宮さん本人以外のSOS団メンバにとって、公然の秘密でした。そう、それはあたかも彼に向ける涼宮さんの恋心と同様に。
果たして今まで、誰も口には出してはきませんでしたけれど、彼も、朝比奈さんも、僕の想いには気付いているのだろうな、という、そういった空気はずっと感じ取っていました。
目の前の少年と違って、そこまで鈍感な、つもりもありません。
けれどそれは、僕の立場を考えてでしょう、誰も口には出さないでいてくれていました。
その、立場というものが。
半月前の失恋劇をもって幕を下ろした以上。口に戸を立てる必要は確かになくなっていましたけれど。
しかし。
確かに世界から一人の少女が引き起こす危機は去ったとは言っても。それでも、僕は誰も口にしないでいてくれるのだろうなと思っていました。
楽観、なのでしょうね。
まさか、長門さんが口火を切るとは夢にも思わなかった僕です。
反射的に下を向いてしまった顔を少し上げ、チラリと彼の方を覗き見れば、こちらは僕と同じく顔を俯けていらっしゃいます。
恐らく、考えている事は似たり寄ったりなのではないでしょうか。
「古泉一樹」
「えっと……はい、なんでしょう」
「SOS団の一員として、貴方の友人として、私は告げる。貴方はそろそろ過去を見る事を止めるべき」
素直な彼女の素直な言葉は、どんな頑強な槍よりも鋭く、僕の胸を抉りました。

23: 2010/10/10(日) 15:45:05.98 ID:wZdxA8Vm0
「……長門さん」
「何?」
顔を上げれば、彼女の瞳は揺ぎ無く、僕を見つめていました。目を逸らしたくなる、この罪悪感は何が原因なのか、僕には分からない。
「そんなに簡単な、ものではないのです。仮に、僕が涼宮さんを好きであったとしても」
「違う」
「何がですか?」
「問題を一人で、勝手に、複雑にしているのは、貴方。複雑にして、逃げ出す理由を探している、だけにしか私には、見えない」
ぐうの音も、戯言も出ない。ここまで的確に、言い当てられては。
湯飲みの中には、情けない、男の瞳が映っている。
「……それでも僕は、告げません」
「なぜ?」
「我が侭だから、ですよ」
臆病者なのは、知っていた。自分はヒーローにはなれない事なんて、分かり切っていた。
神様少女の成長と優しさを信じた、彼のようにはなれない。
彼の決断を創造主を捨ててまで支援した、彼女のようにもなれなくて。
未来よりも現在の選択に価値を見た、彼女のようにも。

大切な人のしあわせを自分のしあわせより優先させた、僕の大切な大切な誰かのようになんてまさか、まさかなれるわけが無い。

「我が侭だから、僕はゲームの卓に着く事すら、放棄します」
僕だけが、あの頃から何も、成長していない。

25: 2010/10/10(日) 16:01:04.71 ID:wZdxA8Vm0
「僕は嫌われるのも、この関係を失うのも、嫌なのですよ」
「……古泉」
彼が何かを僕に伝えようとするけれど、僕はそんな言葉なんて聞きたくはなかった。
「このままで、いいんです」
「貴方はきっと、後悔する」
「でしょうね。ですが、後悔の無い人なんて居ますか? 僕はですね、長門さん。やって後悔するよりも、やらずに後悔する方が良いと思っているのですよ」
「おい、古泉」
「卑怯で、卑屈だと、思われるかも知れませんが。それが僕の処世術です。十七年間、生きてきて出した、僕なりの結論です。誰にも文句は、言って頂きたくはありません」
こう言えば。誰も何も言わなくなるだろう。誰も何も、言えない筈です。これは、そもそもが僕の問題で、僕は問題にすらしていないのですから。
お門違いで、筋違い。
筋。
縁。
結論から言えば、僕はSOS団をすら、甘く見ていたのでしょう。女神を軽んじていたように。
まったく、学習しない。進歩しない。これでは葦の仲間を名乗る事すら出来なさそうです。
「古泉一樹。貴方は、涼宮ハルヒに恋愛感情を抱いていても、それを告げる事はしないつもり?」
「その通りですよ、長門さん」
その時の、長門さんの表情を、僕は忘れない。
無表情の、その裏にもなぜか「してやったり」と宣言しているような、その唇の上昇三ミリを、僕はきっと忘れないだろう。

「今の発言内容は、録音した。これから、涼宮ハルヒに聞かせようと思う。許可を」
「よくやった! 長門! よし、やっちまえ!!」
世界を大いに盛り上げる涼宮ハルヒの団。略してSOS団。
どうやら、今回盛り上げる対象は、僕のようで。そして対象者は有無を言う事すら許されないのです、いつもどおりに。

何も変わってなど、いなかった。
それが、嬉しい。

などと言っていられる状況ですか、これが!?

26: 2010/10/10(日) 16:13:43.63 ID:wZdxA8Vm0
誰ですか、元宇宙人(ナガトサン)に携帯電話の使い方をレクチャーしたのは? ああ、僕ですね。僕でした。僕でしたよ?
これが、飼い犬に手を噛まれる、恩を仇で返す、というものですか。なるほど。また一つ僕は現実の理不尽さを学習しました。ありがとうございます。
「ですから、長門さん。その録音データを消して下さい」
「拒否する」
「消すなよ、長門! 絶対に消すな!」
彼が笑いながら叫びます。室内は冬に相応しく二桁を辛うじて保っている、そんな温度だったはずなのですが、体感は上昇の一途を辿っている。
「意味が分かりません。そんな事をして、貴女に何の得が有るのですか、長門さん?」
「損得ではない」
「では、何が貴女にそんな行動を取らせるのです」
「一概にこれとは言えない」
少女はそう言うとチラリ、彼の方を一瞬見ました。彼が気付かない内に僕へと視線を戻し、言葉を続けます。
「あえて言うなら、後悔」
「後悔? 長門さんが?」
「そう。私は、友人に同じ後悔をして貰いたくない。させたくない。これは私の」
それは、元宇宙人の。

「我が侭」

失恋の苦い記憶。
僕が彼に淹れた、お茶よりも余程苦い苦い、苦々しい記憶。
ああ、そうか。
彼女は、同志なのか。
片想い、同士。

28: 2010/10/10(日) 16:26:13.62 ID:wZdxA8Vm0
「我が侭か。長門も言うようになったな。そうは思わないか、古泉?」
子の心、親知らず。なんてだらしの無い顔で笑っているのですか、貴方は。……けれど、なのに。なぜ、貴女はそんなに嬉しそうなのですか、長門さん?
僕には、分からない。いや、違います。そこは、僕の領分だった筈なのです。片想いの相手の笑顔を見て、そして微笑んでいるのは。僕の立ち位置だった筈なのに。
いつの間に取っていかれたのですか、貴女は?
「ええ、そうですね」
「我が侭なら、これはもう、仕方ないよな、古泉。観念、しちまえよ」
その言葉で場を濁そうと試みた、僕にとって予想外のカウンターパンチ。
「……これを涼宮ハルヒに聞かせない事を選択しても、いい」
「しかし、条件が有る、って感じですね。ええ。皆まで仰らなくても結構ですよ。僕本人が涼宮さんに告白すれば良いのでしょう?」
「そう」
「ま、妥当だな」
彼が二、三度と頷く。少女はスカートのポケットに携帯電話を仕舞い込むと僕を見た。
「もう一度言う。貴女は、涼宮ハルヒに想いを伝えるべき」
目を瞑る。彼が、彼女が、どんな想いで僕にこの選択を強要しているのか、その心情を鑑みて、出来る限りトレースして、そして結論を出しました。
「お断りします」
それでも、浅ましい僕は、僕自身の保身を、優先する。

30: 2010/10/10(日) 16:38:16.70 ID:wZdxA8Vm0
「どうぞ、その録音内容を涼宮さんにお聞かせ下さい。それで、僕は構いませんよ」
「古泉、お前?」
「勘違いなさっているようなので、言っておきます。前提をお忘れになっているようでしたので、一度整理しましょうか」
口に出すのも、憚られる、真実。現実。
「涼宮さんが好きなのは、貴方なのですよ。今もって、なお」
目を、瞑り直す。目蓋を開けば、彼を感情の限りに睨み付けてしまいそうだったから。
「つまり、僕のこの気持ちは、俗に言う『横恋慕』というものに他なりません。そうでしょう? でしたらば、普通に考えたならば、どうでしょう?」
結論は、最初からはっきりしているのです。僕のこの気持ちの行き先は、一方通行の行き止まり。
「告白を断るのに一番良く使われる文句をご存知ですか? それはこういうものです。他に好きな人が居ますから、とね。ええ、これ以上無い定型句でしょう。そして、僕の想いは」
知らず、溜息が、こぼれ出していた。
「その類なのです」
「だから、最初から、告白を諦めるの?」
「はい。それで、僕は納得しています。例え今の会話を彼女に聞かせたとしても、僕から彼女への対応は、何も変わりません。
涼宮さんは聡い方ですから、問い詰めるというような事はなさらないでしょう。ああ、そう考えたら満更でもないかも知れませんね。気持ちは、届くのですから」
彼女は優しいから。
きっと、何も言わない。それで、いい。
「ハッピーエンドと。言って言えない事も、ありません」
そんなエンディングで、僕の物語は、それで、十分です。

32: 2010/10/10(日) 16:54:00.18 ID:wZdxA8Vm0
「それは……」
彼が言いよどむ。ええ、分かっています。こんなもの、只の詭弁だと。ハッピーエンドなどとは、どこをどう取っても呼べはしないと。
そんな事は、誰よりも僕が、一番よく分かっているのです。
「貴方の気持ちは分かった。古泉一樹」
「はい。なんでしょう?」
「私たちは、何?」
「僕たち? 僕たちは……ええと、縁有って集まった愉快な仲間たち、といった所でしょうか?」
「違う」
「では……ふむ?」
首を捻る僕に向けて、温くなったお茶を一息に呷った彼が口を開く。
「俺たちは、SOS団だ」
「そう。私たちはSOS団」
世界を、大いに、盛り上げる。

人知れず世界を危機から救った、ヒーロー&ヒロインの五人組。
「貴方のSOSは、受け取った」
スーパーヒロインは、そう言って立ち上がる。
「後は俺たちに任せとけ」
メインヒーローは、ニヒルに笑う。

「貴方の」「お前の」
「「その世界を盛り上げる」」

僕は、苦虫をかみ頃したような表情で、それでも下手に笑っていたのだろう。

34: 2010/10/10(日) 17:06:13.83 ID:wZdxA8Vm0
「一体、何をする気なのですか、貴方達は?」
「そうだな。それは今から考える、だろ、長門?」
彼が顎を擦りながら少女に話を振……ろうと視線を窓側に移した時、既にその場に長門さんはいらっしゃいませんでした。
まさしく、脱兎。疾風の如く。背後からドアの閉じる音がして振り向いても、そこには誰もいない。
「……あ」
「……え?」
最悪のシナリオが脳内のCPUを全速回転させて仮想構築されていきます。それは彼も同じだったようでして、僕らは三秒ほどフリーズした後に我に返りました。
「ああっ!?」
「ちょっと!? マジですか!?」
我先に、と部室を飛び出す男性二人。この時のシンクロニシティは、恐らく過去に類を見ません。
「もしかして、長門さんは?」
「ああ、もしかして、じゃねえ! ハルヒのトコに走っていきやがった!」
まさかのノープラン。猪突猛進は涼宮さんの専売特許ではなかったのですか?
「涼宮さんは? 今、どこに?」
「知らん! どこで時間を潰してるのか、なんてアイツを振った立場の俺が知ってる訳ないだろ!!」
「なら、推理して下さい! 貴方は彼女の一番の理解者なのですから!」
「言ってて悔しくないのか、その台詞!?」
「悔しいですよ! これ以上なく、ね!」
喧々囂々。叫びながら僕らは並んで、校舎内を疾走する。

36: 2010/10/10(日) 17:16:42.17 ID:wZdxA8Vm0
僕だって、望んでいない訳では、決してないのです。
彼女の恋人になれたのなら、と。そんなの、人に恋をした方ならば、皆抱く思いですよね?
僕もその、例外ではないのです。
ただ、僕の好きな人は少々特殊で。いえ、そんな事に何の意味も有りませんね。少女が神様であろうと、なかろうと。
そんなものは、問題の本質には何の関係も有りません。
少女には、好きな少年が居た。
その相手は、僕ではなかった。
そして、その事実を僕は痛いほど、知っていたのです。
ただ、それだけ。
ただ、それだけの、よくある話。
そこで想いを伝える事も無く、諦めるというのも、それはそれでよくある話でして。
人間という生き物は、総じて浅ましい故に、もっとも自分が傷付かない選択肢を選んで生きていくものです。
けれど、僕の友人たちは。
僕が二年間、付き合ってきた隣人は。
涙が出るくらいお人よしで。
残酷なくらい優しくて。
そして、僕はそんな彼らの仲間である事を、誇らしく思っているのもまた、事実なのです。
よくある、話。
でも、そんな彼らが背中を押してくれるから。
けど、そんな彼らが背中を押してくれるなら。
卑屈で。卑怯で。卑小で。卑劣な。
こんな僕も、優しいお人よしになれるのかもな、なんて。
そんな。
希望。

37: 2010/10/10(日) 17:29:06.46 ID:wZdxA8Vm0
「ダメだ! 教室には居ない!」
「長門さんもですよ……一体、どこへ行ってしまったのでしょう」
肩で息をしながら辺りを見回しますが、しかし、廊下にはまばらに下校する生徒が歩いているだけで、そのどこにも二人を見つけ出すことは出来ません。
「古泉」
「何ですか?」
「信じて貰えるかどうかは分からんが、俺は長門を今日ばかりは止めるつもりで居る」
「本当だと、ありがたいですね」
「疑うなよ。ノープランは流石に俺もどうかと思ってるだけだ。ご利用は計画的に、って言うだろ?」
借金の相談と同レベルで考えて貰いたくは無いのですが……いえ、いいでしょう。緊急事態ですし、噛み付くのは後に回す事にします。
「なら、どうするんです?」
「二手に別れる。長門を見つけたら電話してくれれば、俺から長門を説得する!」
「分かりました。では、貴方が先に見つけられた場合は」
「取り合えず長門を止めてから電話する」
「首尾よく、頼みますよ」
それだけ言って、僕は彼に背を向けて弾かれたように走り出す。目指すは……下駄箱です。
まだ学校に居るのか、居ないのか。それだけでもターゲットの居場所はかなり絞れます。
階段の手すりに左手を引っ掛けるようにして、そこを軸に遠心力で体を回し。全段飛ばしで階下の踊り場へと着地する。そして勢いを殺さずに同じ事をもう一度。
この辺りは昔取った杵柄。機関の訓練は、張子ではありません。
僕は、廊下は走るなの標語を足蹴にして、一目散に駆け抜ける。

38: 2010/10/10(日) 17:46:41.41 ID:wZdxA8Vm0
二年五組の下駄箱に辿り着いた僕は、そこで背の高い少女に出会いました。彼女は……ええと、涼宮さんの友人で。名前は……。
「そんなに慌てて、どうしたのね、古泉くん?」
「ああ、その、少し火急の用件で涼宮さんを探していまして……えっと、阪中さん?」
「何なのね?」
そうです。去年、犬と宇宙生命体絡みでSOS団に依頼を申し込んできた、彼女でした。
「涼宮さんの、居場所を知りませんか?」
「えーっと。つい十分くらい前まで一緒に居たの。なんだか、教室でポツンとしてたからついお話しちゃって」
「それはそれは」
要らない情報をどうもありがとうございます。
「それでね。そろそろ部室に行かなきゃ、って。別れ際そう言ってたのね」
「なるほど。助かりました」
「いいのね。これくらい、SOS団のみんなにお世話になった事に比べたら」
「では、僕はこれで」
言うが早いか、踵を返す。文芸部室。入れ違いに……なりましたか。長門さんから宇宙的捜査能力がなくなっていなければ、完全にアウトでしたね。
しかし、逆に言うならば、つまり後は単純な数の利であり、それはこちらに有るとの事に他なりません。
長門さんの健脚を考慮に入れても、それだって今となっては僕と互角でしょう。
まあ、兎にも角にも、長門さんよりも早く文芸部室に居る、ないし向かっている涼宮さんを確保しなければ。
走りながら、僕が通ってきた道とはまた別の文芸部室へのアクセス経路を弾き出し、疾走する。
道すがら、涼宮さんにも長門さんにも出会う事は無く、文芸部室へと到着した時に、扉の前で待っていたのは、僕の知らない女性だった。
いや、知りえない、女性だったと、そう言うべきでしょうか。
彼女は、開口一番に、こう言いました。
「久し振り。元気だった、古泉くん?」
朝比奈みくる、そっくりの顔で。

39: 2010/10/10(日) 18:00:44.80 ID:wZdxA8Vm0
「……貴女は?」
「あれ? 分からない?」
いいえ、分からない訳ではないのです。しかし、彼女が彼女であるという、背理証明とでもいうようなその現象に、その女性に、僕は今まで会った事が無かっただけで。
「……朝比奈さん、ですね? 未来から、いらっしゃった」
「ふふっ。やっぱり。そうですよね。分かりますよね。なんだか、嬉しいな。大人になっても、私が私だって気付いて貰えるのは」
「その存在は、散々聞かされていましたから。ですが、こうして会うのは、初めてですね」
しかし、なぜ?
「はい。でも、初めまして、なんてやめて下さいね」
「分かりました。では……いえ、挨拶は抜きにしましょう。何を、なさっているのですか?」
朝比奈みくる。未来人。涼宮さんが神でなくなった後も、その属性を失わなかった、唯一の勢力。その彼女が、こんな所に、こんな場面で、なぜ、現れるのでしょう?
「驚かない、んですね、古泉くんは」
「ええ、まあ。その可能性も、こちらも聞いていましたから」
未来は、世界が神を失った後も、存在する。タイムマシンが涼宮さんの能力による創造物でなかった場合、その「不思議」だけは世界に残る。
知らず、僕は身構えていた。
「それで。未来勢力が今更、何をしに来たのですか?」
神に纏わる僕らの話は一応の決着を見た。それが半月前。既にこの時空の涼宮さんは願望実現能力を失っていらっしゃいますし、未来が揺らぐ事もないと、こちら側の朝比奈さんからは聞かされていた。
後は、消化試合。朝比奈さんがこの時代に留まっているのはバカンスのようなもの、らしい。にも関わらず。
一抹の、危惧を抱く。
もしも、この「今」が、消化試合ではなく、サドンデスであるのだとしたら……!?
「歴史を、変えに、来たのですか?」
「そう、言えるかも知れません」
朝比奈みくるは、そう言って、僕に向けて微笑んだ。
「残っている規定事項を、満たしに来ました」

40: 2010/10/10(日) 18:13:30.39 ID:wZdxA8Vm0
「残っている、規定事項……ですか?」
歴史は、もう確定したのではなかったのですか? いいえ、彼女がここに居る以上、それはまだ不安定?
「簡単に言えば、私もお節介が好きなSOS団の一員だって事ですよ」
「……もう少し、僕にも分かるように説明して頂けたら、助かるのですけれど、ね」
「すぐに、分かりますよ」
「そんな言葉で誤魔化されては堪りません。僕は、既に機関は解散してしまったと言え、それでも世界を守る立場に自分はまだ在ると思っています」
彼女は僕の言葉に一度大きく頷いた。
「そうですね。なら、世界を守らなければ、いけませんよね」
「……何が、言いたいのです」
「古泉くん。貴方の世界の主役は、キョン君じゃないの。涼宮さんでもない。長門さんでもなくて、私とも違う」
僕は、自分はずっと脇役だと思って生きてきた。
僕は「世界の脇役」という立ち位置に甘んじて生きてきた。
僕の「世界」には「僕」という人格が、存在してこなかった。
「貴方の世界を守りに来ました」
彼女は、聖母に受胎を告げる天使のように、僕にはそう、見えた。
「お節介焼きな貴方の友達です」
ああ、誰も彼も。
僕を仲間外れには、してくれそうにない。
それは取りも直さず。
僕も。
紛れも無い。
SOS団の一員だから。

41: 2010/10/10(日) 18:29:44.96 ID:wZdxA8Vm0
促されるままに、部室に入る。そこには、彼女が居た。
僕が知っている顔よりも、少しだけ大人びた、けれど、その面影を色濃く残した、眉目秀麗なその顔立ち。
見間違える、筈も無い。
息を呑む。声なんて、出る道理も、無い。
「ふーん、なるほどね。こういう事だったんだ。ようやく納得したわ」
僕が恋焦がれる、彼女。
「ずーっと、不思議だったのよ。うん。だって、あの古泉くんが、よ? あんだけ、言っちゃなんだけどしつこいのはオカしいと思ってはいたのよ」
変わらない。変わった。そんな事すら僕はもう、判別する事が出来ないくらいに頭は働かない。
こんなのは、違う。
こんな扱いは、卑怯だ。
こういうのは、僕の領分じゃない。彼の、領分で。
「まあ、いいわ。出番みたいだし、こういうのって、嫌いじゃないから乗ったげる。みくるちゃん、貸し一つよ?」
「私じゃなくて、古泉くんに払って貰えばいいじゃないですか、涼宮さん」
「あー。それもそうね」
こんな、まるで主人公みたいな展開は、僕には待っていない。
待っていないと、そう思っていたのに。
「さて、古泉くん」
彼女は胸を張って、僕に向き直る。
「アタシはこの時の為に、散々出待ちさせられたのよ? この時代のみんなに会わないようにみくるちゃんと二人でこそこそこそこそ!」
「忍者ごっこみたいで、ちょっと楽しかったですよね」
「しゃらっぷ、みくるちゃん!」
「ひゃいっ!」
ぴしゃり、叱咤した彼女は、僕に向かって挑発的に、言う。
「そんなアタシに、何か言う事が有るんじゃないの?」

僕の世界の。
主役は。
僕でしか。
有り得ないのだと。
知る。

42: 2010/10/10(日) 18:32:40.26 ID:wZdxA8Vm0

「僕は、君が、好きです」
溢れ出した。

「僕は、君が、好きです」
零れ出した。

「僕は、君が、好きです」
吐き出した。

「僕は、君が、好きです」
噴き出した。

優しいお節介に。
塞き止めていた感情が。
「僕は、涼宮さんが、好きです」
止まらなかった。

49: 2010/10/10(日) 18:57:29.38 ID:wZdxA8Vm0
「知ってるわよ。このアタシはね」
涼宮さんは言う。
「でも、こっちに居るもう一人は違うわ。今日、古泉くんから、告白されるの。そうよね、みくるちゃん?」
「はい。今日で合っています」
「つまり、アタシはただの練習台。でもね、自分で言うけどこれ以上ないくらいサイッキョーの練習台よ」
涙で茫洋とする視界で、彼女がどんな顔でそんな台詞を言っているのか、なんて事は分からなくなっていた。
「古泉くん。貴方の告白が上手く行くのか、どうなのかなんて、そんな事は教えてあげない」
カツン、靴音。リノリウムの床に、反響する。
「それは貴方が自分で知る事だから。そうでしょ? それを知るのは、ルール違反だわ。それこそ、卑怯じゃない」
「そう……ですね」
「分かれば良いわ。でも、一つだけ、教えてあげる。いっちばん、大切なコトを」
まるで女神。いや、そのもの。
僕の、信じる、女神の言葉。
「アタシは、古泉くんの告白に、すっごいドキドキした」
僕は。僕なんかでも。彼女を楽しませる事は、出来るのだと、そう知る。
「いい? いつも言ってるでしょ、アタシ。古泉くんたちの仕事はね。アタシを楽しませることよ!」
傲慢。豪腕。剛毅で。豪華。
「分かったら、楽しませなさい。落胆させたら」
ふわり、包まれる。右の腕が、僕の背に。左の腕が、僕の背に。
耳元で。
「氏刑だから」
氏刑宣言。
彼女らしい、彼女にしか出来ない、これ以上ないほど、最高の、頃し文句。
ああ、言葉通りに。
僕は、骨抜き。

51: 2010/10/10(日) 19:17:13.22 ID:wZdxA8Vm0
僕を放して、彼女は笑う。大輪咲きの、季節外れの向日葵みたいに、煌びやかに笑う。僕の目玉に掛かった分厚い涙のカーテンも、簡単に通り過ぎる百万Wの笑顔。
「氏刑は、嫌でしょう?」
ええ、ご免ですよ。
「だったら、やる事は一つよね」
「どうせ、それが規定事項なんでしょう? だったら、仕方が有りません。まさか僕の我が侭で未来を変えてしまう訳にも、いきませんし」
「ええ。それはちょっと困ります。だから頑張って下さい、古泉くん」
未来人が二人揃ってのエールなんて、どれだけ、どこまでゴージャスなんですか、たかが僕一人の、為に。
どこまで貴女たちSOS団は、僕を甘やかせば気が済むのですか?
「ああ、そうそう、古泉くん。アタシはね、諦めるって言葉が嫌いなの。大嫌いなのよ。キョンがしあわせそうだから、アタシの場合は仕方なかったけど」
彼女は言いながら、僕の腕に何かを巻きつける。
「でも、それはアタシのSOS団に『諦める』って事を許容した訳じゃ、決して無いわ」
腕章に書かれているのは「超団長代行」。なんの冗談ですか?
「それを巻いた以上、今日は一日アタシの代わりなんだから、絶対に諦めちゃダメなんだからねっ!」
なるほど。上手い言い回しだと、感心せざるを得ません。
僕が逃げ出す事は、団長が、またSOS団が逃亡した事と、同義になる訳ですか。
それは……困りましたね。
僕は、彼女も、彼も、彼女も、彼女も。
これでも、大好きなのですから。
「仰せ、つかりました」
僕はそう言って、深々と、頭を下げたのでした。

54: 2010/10/10(日) 19:34:14.74 ID:wZdxA8Vm0
さて、これから先の話は、最早蛇足と言うべきなのかも知れませんが、一応。
僕は二人に別れを告げると、聞かされた涼宮さんの現在の居場所へと急ぎました。
屋上は、今にも雪が降りそうな曇り空で。
「……なんで、こんな所に居るの、古泉くん?」
「さあ、なんででしょうね。運命の悪戯……いえ、お節介さんが僕らの周りには多過ぎるから、ではありませんか?」
「屋上に続くドアは鍵を掛けた筈なんだけど」
「ですから、二人は貴女に辿り着けなかったのでしょうね」
「二人? ううん、それよりも、どうやったの? 鍵はアタシが持ってる一つしかないのに」
本当の事を言ってしまっても、それはそれで面白いでしょうか。そんな事を考えてしまっているのは、きっと今日が不思議に満ち溢れた日だから、でしょう。
だから、不思議のお裾分けを、君に。
「未来から、拝借しました」
「何、それ? 古泉くんにしてはつまらない冗談ね」
「冗談では、ないのですけれど。いえ、そんな事を議論していては、怒られてしまいそうなので……この話題は切り上げましょうか」
苦笑する、僕の制服の右袖に着けられた腕章を目敏く見つけた涼宮さんは指を差した。
「……超、団長代行?」
「はい。今日だけ、ですけれど」
「ははーん、キョンの仕業ね。アタシが今日、部室に顔を出してないから! ダメよ、古泉くん。どうせ笑っている間に押し付けられたんでしょう?」
「いえ、そのような事は……」
「アタシはね。一つの組織の長である以上、そこに所属する部下にはきちんとした教育をしなきゃ、って常々思ってるの。古泉くんの場合は、アレね。ノーと言える日本人になりなさい!」
いつも通りの、彼女の語勢。けれど、僕は知っている。それは見せ掛けだけだという事。
いつも通りなどでは、ない。仕方が無いことだと思います。半月前に、失恋したのですから。二週間。それを長いと見るか、短いと見るかは、人それぞれですが。
「では、涼宮さん。聞きづらい事を、聞いてもよろしいですか?」
「む……いいけど、答えるかどうかはアタシが判断するわよ」
「それで構いません」
冬の澄んだ空気でもって、深呼吸を一つ。
「貴女は、こんな所で何をしているのですか?」

55: 2010/10/10(日) 19:51:12.69 ID:wZdxA8Vm0
「……何でも、良いでしょ?」
そう回答するだろうな、とは思っていましたが。まさか、失恋でセンチメンタルになっていて、一人になろうと屋上に来ていた、なんて言えませんよね。
でも、その返答は、折込済みの質問なんですよ、涼宮さん。
「いいえ、良くはありません。本意ではないとは言え、団長代行を任された身としては、団員のメンタルヘルスも、仕事の内ですので」
「……団長は、アタシよ。古泉くんは、代行!」
「なら、なぜ部室に顔を出す事を躊躇うのです?」
僕らが彼女の失恋を知っている、その事を涼宮さんは察して、知っている。けれど一度としてその事実は彼女と彼の口からは聞いてはいない。
つまり、これは意地の悪い質問。
ですが、こういうやりとりこそが僕の真骨頂のような気も、しないではありません。
「……古泉くんには、関係ないわ」
「薄情ですね」
僕は白い、溜息を一つ。
「もしも、僕や長門さんが今の貴女の立場であったのなら、涼宮さん、貴女はそれで納得しますか?」
僕は涼宮さんの隣三メートルに位置取ると屋上の柵に背を預けた。右目だけをもって、彼女を見つめる。
「納得、出来ないでしょう?」
「……何が、言いたいの?」
「さて、なんでしょうね。いえ、ここで言葉を濁すのはルール違反でしょうか。貴女に本音を語って貰いたい以上、僕も本音を吐露するのが、筋です」
空を、見上げた。晴れ間の無い空はもう、暗く。夕暮れという言葉すら忘れてしまっているようでした。
「僕はね、心配なんですよ。涼宮さん、貴女の事が」
いつの日にか、なりたいと思っていたお節介焼きに、感染してしまっていたようだ。いつの間にか。

56: 2010/10/10(日) 20:03:11.37 ID:wZdxA8Vm0
「……要らないわ、心配なんて」
強がる貴女は、それはそれでとても素敵だけれど。けれど、僕は強がりじゃない、素直な涼宮さんの方が、好きです。だから。
「僕も、ずっと、そう思っていました。心配とか、お節介とか。実を言えばそれほど好きではありませんでした。でも、今はそうでもありません」
目を閉じて、二年間を、思い出しながら。
貴女に選ばれてから始まった、五年間を、思い起こしながら。
「貴女に出会ったからです、涼宮さん」
「……ふえ?」
僕を変えるものは、いつだって貴女から始まっている。
今日だって。今までだって、ずっと。首に縄を付けられて、いつからか、君に首っ丈。
「いいですか。心配も、お節介も。そういったもののやり方は全部、この高校に入ってから貴女に教わった事なんですよ」
だから、ああ、そうか。
なるほど。
間違いない。
それで僕は「超団長代行」に選ばれたのか。
「だから、僕は貴女にお節介を焼きます。貴女を心配します」
優しい君に、卑屈な僕から。
卑怯で遠回りな、婉曲迂遠な、アイラブユー。
「僕にとって貴女が、そうするに値する人だからです。無関心では、いられない関係でありたいからです」
練習は、十分。十二分。
心よ、伝われ。

「僕は、君が、好きです」

心よ、伝われ。

58: 2010/10/10(日) 20:13:01.37 ID:wZdxA8Vm0
「まるでデートですね。緊張します。何と言っても、初デート、ですから」
毎週行われる不思議探索。今回は珍しく、僕と涼宮さんがペアとなりました。どんな話からこんな話題になったのかは覚えていません。ですが、会話とはそんなものでしょう。
CPUに真似出来ないのは思考の広がり。話題のジャンプ。関連性が無いようでしっかりと有る、そんなウィットに富んだ会話が出来る事こそ、有機生命体が情報生命体に唯一勝る部分だと思います。
「あら、古泉君は自然体で付き合える女の子が好みなの? ちょっと意外ね」
意外、ですか? 自分では革新的とは程遠い思考の持ち主だと思っているのですが。
「涼宮さんは違うのですか?」
少女はバーガーショップのシェイクをずるずると飲み干すと顔を上げて、満面の笑みで言いました。
「あたしは思いっきりドキドキさせてくれる男としか付き合わないのよ!」
なるほど、納得です。
「……それはまた、ハードルが高そうですね」
全く、この人を満足させられる地球人類なんて、そうザラに居るものでは無いでしょう。
「だから、基本的にアタシと古泉君は合わないのよ」
「おや、手厳しいですね」
「たまにはその笑顔取っ払って迫ってみたら、って言ってるんだけど?」
彼と言い、涼宮さんと言い、なんでこうも僕の笑顔を見抜くのが上手いのでしょうか。しかし、ですね。
「気付いてませんか? コレはもう僕の素の顔になりつつ有るんですよ」
「そうなの?」
ええ。
「好きな女性と二人で居るのに眉間に皺が寄る、その理由が僕には分かりかねますが」
「……む」
「ですので、貴女の可愛らしい額が波打っているのを見ると『自分では役者が不足しているのではないか』と不安に思ってしまう訳です。丁度、今の様に」
呟いてコーヒーに口付ける僕を見て、涼宮さんが怪訝そうに皺を深めます。

60: 2010/10/10(日) 20:22:04.29 ID:wZdxA8Vm0
「……どこまで本気?」
「どこまででしょう?」
思わず笑みが零れた。こんなやり取りが、とても楽しい。
「うーん……ミステリアスな仕草が鼻に付くくらい似合うのは合格点をあげても良いんだけどね」
ありがとうございます……と、褒められているんですよね?
「どうかしら。ま、素材は良いんだから、後は育成メニュー次第よね。任せておいて! 古泉くんの為にばっちり考えておいたから!」
……育成、ですか?
「そう! 育成!」
言いながら少女が懐から紙を取り出して、僕に見せ付ける。
この内容……冗談、ですよね?
「本気よ、本気。本気と書いてマジ」
「……えっと……ご説明頂きたい部分が多々見受けられるのですが」
「取り合えず、古泉君には後二年の内に超能力に目覚めて貰うわ! でもって、あたしに世界一の不思議を提供するの! あ、コレは決定事項だから変更は利かないわよ?」
……返答に困ります。
「アタシの彼氏に立候補したんだから、当然これくらいは義務よね、義務!」
ああ、色々と告白した時点で腹を括っていたつもりでしたが、まだまだ覚悟が足りなかったようですね。
「出来なかったら世界一周不思議探索ツアーを用意して貰うから! それも一ヶ月間は有る、とびきりスペシャルなのを!」
そっちなら……なんとか。……なるほど。僕がこれまでコツコツと溜め込んできたバイト代はこの為のモノだったのでしょうね。
「ガイドとかは要りますか?」
「は? 何言ってんの?」
心底拍子抜けしたような顔で少女が僕を見ています。どうでもいいですが、涼宮さんは見ていて飽きませんね。
くるくると表情が変わって。僕はその一々に見惚れてしまう。これが惚れた弱み、とやらでしょうか。
「その場合、古泉君には超能力に目覚められなかった罰ゲームとして、通訳で同行して貰うんだから!」

61: 2010/10/10(日) 20:25:34.57 ID:wZdxA8Vm0
まるで新婚旅行の相談ですね、なんて事は口が裂けても言えなかった。
もしも言葉にしてしまったら、その素晴らしい提案を少女は撤回してしまいそうだったから。
だから、ただただ、笑ってみせる。
「それは楽しみですね。なら僕は、今から語学の勉強をしなくてはいけません」
目の前の少女がどんな顔をして世界を見て回るのか。そんな事を夢想しながら飲むコーヒーは、少しだけ海の匂いがした。
カフェのウィンドウの向こうで、白い雪が降り出す。それをキラキラとした眼で見る、君に見蕩れて僕は戯れに、口に出す。
「貴女の世界を盛り上げる為に、僕は居るんですよ」
「え? 古泉くん、何か言った?」
「いいえ、なにも」
君を見て、微笑みながら僕は思う。

僕の世界の主人公が僕で、ヒロインがもしも君なら、こんなに嬉しい事はないのでしょうね、なんて。


62: 2010/10/10(日) 20:26:25.22 ID:i/1qO54y0

引用: 古泉「僕は、君が、好きです」