1: 2010/10/19(火) 21:51:39.98 ID:mBs2vxjQ0

9: 2010/10/19(火) 22:53:13.03 ID:pWPlSVdk0
それから俺たちは他愛のない会話をしながら、
ハルヒに指定された時間まで、河川敷沿いの道を歩き続けた。
不思議は見つからなかったが、その代わりに、朝倉に対する蟠りがいくつか溶けた。
曰く、朝倉の知能は平均的な女子高生よりも賢く周りから引かれない程度に設定されており、
性向に至っては「明るく親しみやすい」という基本方針の他は、
離散的計算モデルのごとき自由を与えられているそうだ。

「たまに『朝倉さんは何でも上手くこなしそう』って言われることがあるけど、
 そんなの、大間違い。わたしだってドジるときはドジるし、ポカるときはポカる。
 完璧な人がいないように、完璧なインターフェイスなんて存在しないわ」

そういう朝倉はどこか誇らしげだった。
涼宮ハルヒの憂鬱 ねんどろいど 朝倉涼子&拡張パーツセット (ノンスケールPVC&ABS塗装済み可動フィギュア)
13: 2010/10/19(火) 23:13:55.04 ID:pWPlSVdk0
「現国の時間は居眠りもするしな?」
「だって、あの先生の授業って信じられないくらい退屈じゃない」
「同感だ」

心境は些細な切欠でガラリとその様相を変える。
朝倉に親近感を覚える自分に腹が立っていた昨日までの俺が、
今ではこんなにも快く、朝倉との会話を楽しんでいる。

「座ろうぜ。少し歩き疲れた」
「うん」

公設のベンチに腰掛けると、朝倉は人ひとり分の距離を空けて座った。

「………」
「………」
「……詰めてもいい?」

座ってから訊くなら、最初から詰めて座ればいいと思う。
俺が頷くと、朝倉はおずおずとお尻を動かし、
すこし身じろぎすれば相手の体の柔らかさを知れる程度まで近づいてきた。

17: 2010/10/19(火) 23:27:39.62 ID:pWPlSVdk0
紳士的に紅葉を眺めていたのも束の間、
普遍的男子高校生に相応しいリビドーに突き動かされ、隣の朝倉を盗み見してしまう。
秋風に靡く長い黒髪。
神がのみを振るったとしか思えない美しい目鼻立ち。
薔薇色の頬。
桜色の唇。
つんと尖った顎。
豊かな胸の膨らみ。
短いフレアスカートから伸びる肉感豊かな太股。

「あんまり、見ないで……」

朝倉が恥ずかしげに目を伏せる。

「す、すまん」

頭をフルに回転させて、言い訳を捻出する。

「朝倉は、俺の従姉妹に似てる」

19: 2010/10/19(火) 23:40:20.40 ID:pWPlSVdk0
「キョンくんの従姉妹?」
「俺が小さいころに、よく遊んでくれたんだ。
 歳はかなり離れてたけどさ。
 俺が小学校に入る頃に、従姉妹は大学の卒論書いてたっけ」
「どんな人だったの?」
「優しくて、綺麗な人だったよ」

長い黒髪。
知的な目。
包容力のある身体。
朝倉との共通点は少なくない。

「従姉妹は、俺の初恋の相手だった」
「初恋……」
「叶うわけがなかった。
 でも、ガキの俺は、大きくなったら従姉妹と結婚できると信じてた。
 中学に上がる前に、従姉妹は俺の全然知らない男と駆け落ちしたよ」

23: 2010/10/19(火) 23:57:30.48 ID:pWPlSVdk0
朝倉は笑い飛ばしも安易な同情の言葉を口にしたりもせず、
妙に真面目くさった顔になって、

「わたしに、その従姉妹のかわりができたらいいのに」

絶句したね。
朝倉にこんな小っ恥ずかしい台詞を言わせるよう誘導したつもりはない。
しかし従姉妹に似てる女に「従姉妹の代わりができたらいいのに」と言われて悪い気がしないのは事実で、
ああ、二週間前の俺もこんな風に朝倉に惹かれていったのだろうかと思いつつ、
返す言葉を探していると、空気の読めないことにかけてはピカイチのハルヒが俺の携帯電話を鳴らした。
どうして電話に出る前からあいつからだと分かったかって?
団長様を待たせるとロクなことにならないという強迫観念が
あいつの着信音だけ別のものに差替させているからさ。

「どうした?」
「何か見つかった?」
「お前の興味を惹きそうなモンは何も」
「真面目に探してないから何も見つからないのよ。
 真摯な態度で不思議を求める者の前には、自ずと不思議がやってくるものなの」
「そういうお前はどうなんだ?」
「…………うるさい」

ハルヒのアヒル口が目に浮かぶ。

25: 2010/10/20(水) 00:17:32.20 ID:QtoGsezk0
「決めた」
「何をだ?」
「午後からはあたしとあんたで不思議を探すわ。
 あたしはきっと空回りしてるのね。
 やる気がありすぎてもダメなのよ。
 あたしとあんたを足して2で割って、ちょうどいいのよ」

ハルヒは自分を納得させるようにそう言って、

「集合時間に遅れたら、罰金だから!」

一方的に電話を切った。

「やれやれ」

いつもながら、嵐のような女だ。
それに慣れきってしまっている俺も俺だがな。

28: 2010/10/20(水) 00:55:11.99 ID:QtoGsezk0
「悪い。ハルヒからだった」
「涼宮さん、なんて?」

話すにも内容がくだらなすぎて、

「なんでもない」

と言った俺に、朝倉が切なげな顔をしたように見えたのは錯覚だろうか。

84: 2010/10/20(水) 19:51:47.92 ID:QtoGsezk0
午後からの団活模様は割愛する――つもりだったが一応話そう。
ハルヒの独断専行により午後いっぱい団長様の手と足となることを強いられかけた俺は、
しかしこれまでの経験を生かし、ハルヒの注意を巧妙に誘導することで事無きを得た。
具体的には、最近話題の3D映画を非現実世界の一資料として見聞し、
その後論攷を深めることで、今後の団活におけるより一層の質向上が望めるのではないかと進言したのである。

まあ要するに、

「映画観に行こうぜ」

と誘ったんだよ。ハルヒは二つ返事で了承した。
どうせ前々から気になっていて観に行きたかったんだろうさ。
映画の出来はまあまあで、視聴後は映画館近くのドーナツ屋でドーナツを食べながら、

「あそこのCGはリアルだった」とか「3Dというよりは奥行きのある感じだった」

などと感想を述べ合い、満腹になったところでこれまた近場のゲーセンに直行、
団長ご所望のぬいぐるみを立て続けに六つゲットしてやったあたりでギャラリーが湧き始め、
ハルヒもクマのぬいぐるみを抱いて嬉しそうにしていたので、俺はまんざらでもない気分だった。
親戚のガキどもに泣き付かれてUFOキャッチャーにへばりつき、
大金を叩いたあげく、やっとこさ目当てのぬいぐるみをとってやった記憶が蘇る。
履歴書には書けないが、これも立派なスキルのひとつだ。
二度目の集合時間が近づき、喫茶店までの道すがら、

「あぁーっ、疲れた!」

とハルヒは盛大に伸びをしつつ言った。

86: 2010/10/20(水) 20:09:01.20 ID:QtoGsezk0
背中に大小六つのぬいぐるみを背負った俺は「お前が疲れる場面がいつあったんだ」と言いたくなったが、
凡なツッコミは控え、「ああ、そうだな」とイエスマン古泉に倣い相槌を打つ。

「不思議、見つからなかったわねえ」

映画見てゲーセン行って、不思議が見つかりゃ奇跡だよ。

「映画はあんたが誘ってきたんでしょ!
 なんでもすぐに人のせいにするんだから。
 ま、あたしは楽しかったからいいけどね」

頬をふくらませ、俺の数歩先を行くハルヒ。
街の空気は暮色に満ち、ハルヒの影法師は長く長く伸びている。
童心がそれを踏めと囁きかけてくる……。

「あんたさあ、朝倉さんと付き合ってんの?」

足が縺れた。
俺は前のめりになる格好で、振り返ったハルヒとぶつかりかけた。

91: 2010/10/20(水) 20:55:19.00 ID:QtoGsezk0
朝倉がカナダから帰ってきた日、俺と朝倉はただのクラスメイトだった。
むしろ俺にとっては天敵だった。
それから日をおかずに、朝倉に対する誤解が解けた。
俺と朝倉は急速に親密になっていった。
朝倉に告白され、俺たちは隠れて付き合いだした。
それからしばらくして、朝倉がカナダから帰ってきてから二週間目の朝、俺はそれまでの記憶を喪った。
目の前にいた全裸の朝倉は、そのときの俺にとっては昔のように天敵で、
俺はその日のうちに交際の解消を求めでた。
朝倉は承諾し、記憶を喪った俺を責めようともせず、
俺に朝倉を受け入れる準備ができるまで待ってくれた。
もう一度あいつとやり直すのかどうかは、自分でも分からない。
朝倉は、俺にはもったいないくらいの女の子だ。
可愛くて、気立てがいい。驕らず、衒いがない。
そんな女の子に告白され、付き合っていたというのだからびっくりだ。
いや――もしも朝倉との間に非日常的な事情がなければ、俺は当たり前のように、朝倉とひかれあっていたのだろうか。

「………どうなのよ。黙ってちゃ分かんないじゃない。
 もしかして本当に、」
「んなわけねえだろ」

結局俺は否定した。
"今のところ"はそれが事実だ。

「それってつまり、」
「お前が想像してるようなことはねえってこった。
 あのなあ、俺と朝倉が付き合う?
 馬鹿も休み休み言え。
 どう考えたって釣り合わねえだろうが」
「あ、あんた今馬鹿って言ったわね!」

93: 2010/10/20(水) 21:27:05.68 ID:QtoGsezk0
「――なあ」
「なによ?」
「もしも俺と朝倉が付き合ったら、ハルヒはどう思う?」
「ど、どう思うって……どう思うも……なにも……」

声が消え入る。
ハルヒは
「恋愛にかまけるなんて言語道断よ!
 あれは精神病の一種なのよ!病気なの!」
と懐かしの高説を垂れることもなく、ぽつりと、

「勝手にすればいいじゃない」
「……そうか」

意外だな。

「な、なにニヤニヤしてんのよ。
 あんたがどこの誰と付き合おうが、あんたの勝手でしょ。
 あたしには全然関係ないことなんだから」

ぎゃあぎゃあ喚く団長様をあやしていると、ほどなくして、
喫茶店の前に朝倉、朝比奈さん、古泉の三人の姿が見えてきた。

99: 2010/10/20(水) 22:22:21.53 ID:QtoGsezk0
「わぁっ……かわいいぬいぐるみ……キョンくんがとったんですか?」

朝比奈さんが目を輝かせて寄ってくる。

「どれか気に入ったのがあればどうぞ」

ハルヒに独り占めさせるにはもったいない。
朝比奈さんは大袈裟に両手を振って、

「い、いいですよぉ」
「朝倉はどうだ?」

朝倉は微笑を浮かべて、首を横にふった。

「わたしもいいわ。
 それはキョンくんが、涼宮さんにとってあげたものでしょ?」
「…………」頷くしかない。

金を出したのは俺で、三つから先は単に面白がっていたような気がしないでもないがな。
俺は振り返り、唇を真一文字に結んでこちらを眺めていたハルヒの腕に、
バランスよくぬいぐるみを乗せていった。

「せっかくとってやったんだから、きちんと部屋に飾れよ?」
「言われなくてもそうするつもりだったもん」

それから簡単な結果報告を終えて、
お互いに収穫がなかったことを確認すると、その日は解散と相成った。

103: 2010/10/20(水) 23:13:44.77 ID:QtoGsezk0
日曜の次の日は月曜で、平日は学校に行くのが学生の務めだが、
気の持ちようで、あるいは何かを励みにすることで、
月曜朝の欝な気分を払拭できることを俺は知っている。
とっとっと。軽快な足音を響かせてやってきた女生徒は、
さも当然のように俺と歩調を合わせ、並びの良い白い歯を覗かせて、

「おはよう、キョンくん?」
「朝倉……おはよう」
「眠そうなかおしてるよ」

俺は目を擦りながら言ってやった。

「誰かさんのメールに付き合わされたせいでな」
「……わたしのせいにするんだ?」
「冗談だよ。なんだかんだいって、俺も返してたしな。
 途中で寝ちまったけど」

最後あたりは朦朧とした意識で打っていた気がする。
メールの話題は記憶の彼方だが、他愛もない内容だったことは確かだ。

「お前は眠くないのか?」
「平気」

快活に答えてみせる朝倉の目の下には、うっすらとクマができていて、

「嘘つけ。クマできてるぜ」

104: 2010/10/20(水) 23:24:41.23 ID:QtoGsezk0
「えっ」

いかにヒューマノイドインターフェイスといえども、
情報操作しない限り、体力は見た目どおりだ。
夜更かしすれば、クマもできる。
手鏡を取り出して必氏に確認している朝倉を見ていると、笑いがこみ上げてきた。
気にしすぎだろ。よっぽど近くでまじまじと見ないかぎりはバレねえよ。

「キョンくんに見られたのが問題なの。分かる?」

むくれ顔で憤慨された。
不機嫌な顔も可愛らしく、あるいは綺麗に見えるのは、本物の美人の証左だと思う――。

「よーっす、キョン、朝倉」
「おはよう、キョン、朝倉さん」

谷口と国木田が合流してきて、登校風景はにわかに賑やかになった。
間に谷口が割り込んできたせいで、俺と朝倉の距離は空いてしまったが、
頻繁に朝倉と目が合うように感じたのは、俺の自意識過剰だろうか?

151: 2010/10/21(木) 19:50:06.36 ID:078thLp70
しかし土曜の団活を境に、朝倉と絡む頻度が飛躍的に増えたのは紛れもない事実だった。
朝倉には俺が記憶を失ってから邪険に扱われた期間を埋める意図もあったのかもしれない。
休み時間然り、昼休み然り、団活然り、とにかく朝倉はよく喋りかけてきた。
世界史の時間、グループディスカッションを教師が提案し、
席の近いもの同士――俺、朝倉、ハルヒの三人――で顔を寄せ合った折に、気づいたことがある。

朝倉はハルヒとは対極を成す存在なのだ。
いや、感情の変化に忠実だった頃のハルヒが目指すべき人格の持ち主、と言うべきか。
古泉によると、今じゃハルヒの精神状態もかなり落ち着きを見せているという話だしな。
親しみやすく、社交性があり、常に笑顔を絶やさない。
朝倉が不機嫌そうにしていたところを見たことがあるか、とクラスメイトに聞けば、全員が全員、首を横に振るだろう。
そんな奴が男女問わず誰からも好かれるのは、
一般常識に照らし合わせるまでもなく当たり前の話で、
ましてやそいつから特別の好意を向けられて思い上がるなという方が無理な話であり――。

「なにぼーっとしてんの?
 どうせ工口いことでも考えてたんでしょ、この工口キョン!」
「ウトウトしてたみたいだけど、だいじょうぶ?」

顔を上げる。
かたや罵詈雑言の嵐を口に溜め込みぶすっとした表情でこちらを睨み付けているハルヒ。
かたや翠眉をハの字に傾け、わりと本気で俺の体調を気遣ってくれている様子の朝倉。
器量がいいのは共通だが、その性格の違いは如何ともしがたい。

155: 2010/10/21(木) 20:19:43.86 ID:078thLp70
「夜更かしが祟ってな。眠いんだ」

と言うと、ハルヒは間髪入れずに、

「夜更かしって何してたのよ?」
「メール」
「誰と?」

一瞬、朝倉と目配せし、

「誰とでもいいだろ」
「言いなさいよ」
「……中学の友達とだよ」
「あっそ」

途端に俺から興味をなくし、
生真面目にグループディスカッションを進行させようとしているハルヒに隠れて朝倉に流し目を送ると、
朝倉は口元だけに微笑みを浮かべて労ってくれた。癒されるね。
ハルヒに隠れて付き合うというのは、こんな感じだったのだろうか?
団活の際の台詞から、ハルヒに思うところが無かったわけでもないらしく、
昔の俺と朝倉は、微塵も「怪しい」と疑われないほど器用に立ち回っていたわけでもなさそうだが……。
畢竟、そんな気遣いは無用で、昔の俺は朝倉と付き合っていることがバレても良かったのだ。
ハルヒは言ったじゃないか。
『あんたが誰と付き合おうがあたしの知ったことじゃない』と。

158: 2010/10/21(木) 20:38:41.93 ID:078thLp70
初恋の従姉妹に似ていて、気立て、人となりがよくて、
ついでに価値観も合って、挙げ句の果てには好意を向けてくれる女の子と付き合って何が悪い。
むしろ付き合わない方がおかしいとも言えよう。
据え膳食わぬはなんとやら、だ。

その日の団活から、俺は朝倉にアプローチされるがままになっているのではなく、
自分からも少しは積極的に朝倉に話しかけるようになった。
それは朝倉が読んでいる本の題名を尋ねたり、
ボードゲームに誘ったりといった程度のものだったが、
朝倉にとっては感激に値したようで、顔を綻ばせて応えてくれた。

「よかった」

朝比奈さんとハルヒが出払い、古泉がイヤホンを耳栓に課題と苦闘している部室で、
朝倉は俯いた状態で、ぽそりと言った。

「わたしばっかりキョンくんに話しかけたり、メールして、鬱陶しいと思われてたらどうしようかと思ってたから」

お前みたいな奴に構われて嬉しくない奴は、よほどの捻くれモンくらいだろうよ。

「キョンくんはその捻くれ者じゃないの?」

悪戯っぽい問いかけに、

「俺はお前と喋ってると、楽しいよ」

と本心を打ち明けた。

162: 2010/10/21(木) 21:09:00.57 ID:078thLp70
俺の短い人生を回顧してみても、
朝倉ほど短期間で親密になった奴はいない。
国木田は根強い「キョンの好みは変な女」主義者だが、
本人の俺に言わせればあんなのは根も葉もない嘘っぱちで、
俺が好きなのは大和撫子然とした気の合う普通の女なのだ。

「わたしね……」

顔を上げ、右耳に髪をかけながら、朝倉ははにかむ。

「……ううん、なんでもない」

言葉の続きは、あえて聞かなかった。
レールの上を走っているという安心が、責任感を希釈していた。

後悔に苛まれたのは、数日後の朝、
下駄箱に入っていた手紙を見たときだ。
差出人の名前は無く、内容も「放課後教室で待つ」というシンプルなものだったが、
一目で誰が何のために出したものか理解できた。
これとよく似た手紙を、俺は一年の初めにもらっている。

165: 2010/10/21(木) 21:35:16.80 ID:078thLp70
本当ならこの手紙は、俺が出すべきだった。
女に気を遣わせてばかりで、ちっとも男らしくねえな。
いつもと変わらない朝倉を眺めつつ、手紙を手のひらの中で握り潰しつつ、身の入らない授業をやり過ごし、放課後。
空気が読めないことで有名なハルヒも、
今日ばかりは天からの啓示を受けたのか

「今日はなんか気分が乗らないから、団活はナシ!じゃねっ」

終礼が終わった途端に教室を飛び出していった。
団活を途中で抜ける言い訳はいくつか用意していたが、杞憂だったみたいだね。
朝倉を見ると、クラスの女子からの遊びの誘いを、やんわりと断っていた。
一瞬目があい、逸らされる。
たったそれだけの仕草で、緊張が伝わってきた。
喩えるなら、胃袋に石を詰め込まれたかのような。
俺は足早に教室を出た。

中庭で時間を潰すこと一時間。

日暮れは日々刻々と早さを増しているようで、
人気のない廊下には西日が充ち満ちて、閑散とした雰囲気を醸している。
自分の上靴が床と擦れる規則的な音を聞いていると、世界に一人だけ取り残されたような寂しさを感じた。
教室の前につき、ドアを開く。
果たして目の前には、あの日とそっくりの光景が広がっていた。

167: 2010/10/21(木) 21:51:49.50 ID:078thLp70
窓外の遙か彼方、山辺に触れかけた太陽は朱金色に輝き、
机、椅子、教卓、黒板――教室に存在するありとあらゆるものが紅に染め上げられている。
その真ん中に、朝倉がいた。
誰の物かも知れない机に腰を下ろし、所在なげに足を揺らしていた。

「遅いよ」

その台詞で、たったその一言を聞いただけで、俺は朝倉の意図を読み取った。
朝倉はプリーツスカートが捲れないよう気を遣いながら机を降り、

「入ったら?」

誘うように手を振る。

「お前か」
「そ。意外だった?」
「何の用だ?」

わざとぶっきらぼうに訊く。正直、ここが俺の限界だった。
朝倉は彩度を増す夕陽を半身に浴びながら、

「用があることは確かなんだけど……少し訊きたいことがあるの。
 人間はさあ、よく『やらなくて後悔するよりも……」

ここで朝倉も堪えきれなくなったようだ。

「ふふっ、あははっ」

同時に笑い出す。
まさかあの悪夢のようなイベントを、こんな風に振り返る日が来るとはな。

172: 2010/10/21(木) 22:13:06.02 ID:078thLp70
「よく台詞まで覚えてたね?」
「忘れるわけないだろ。
 たとえば、忠実に再現するなら、お前はあのとき教壇の上にいたよな」
「さっきまではあそこで待ってたよ。
 でもキョンくんがなかなか来ないから、足が疲れちゃって」

一頻り笑い、静寂が訪れる。
思い詰めたような表情の朝倉を見ながら、思う。
俺にとっては二度目のこの場面も、朝倉にとっては三度目だ。
記憶を失う前の俺は、今し方の俺と同じように、あの日の再現を楽しんだのだろうか。
朝倉は髪を指先で弄りつつ、

「わたしがキョンくんを呼び出した理由は、もう分かってるでしょ?」
「ああ」

ここで真顔で首を横に振るほど、俺は鈍感じゃない。
朝倉は舌で唇を湿らせ、

「じゃあね……ううん、やっぱりちゃんと言わなきゃ……」

小さな歩幅で、距離を詰めてくる。
目の前に、夕陽に縁取られた朝倉の瓜実顔があった。
朝倉は白い喉を震わせ、まっすぐに俺を見つめて言った。

「わたし、キョンくんのことが好きよ」

175: 2010/10/21(木) 22:29:30.49 ID:078thLp70
その瞬間、時間の流れが止まった――ような錯覚がした。
学校屈指の美少女から、夕暮れの教室に呼び出され、告白される。
おそらくこの先の人生で、こんなシチュエーションは二度とないだろう。
平凡な顔、平凡な性格に生まれた俺に訪れた、最初で最後、一度限りの奇跡だ。
であるならば、選択肢は決まっているも同然だった。
・Yes
・No
・保留
ここで下二つを選ぶ奴は頭がどうかしている。
精神病院への強制入院が必要だと言っても過言ではない。
一番上を選べばどうなるのか、俺は知っている。
俺は朝倉と世間一般のカップルと似たような手順を大幅に省略し、睦み、愛し合うようになる。
記憶を失う前の俺が、そうしたように。
夢のような話だった。

「俺も、朝倉のことが好きだ」

でも所詮、それは夢で。

「でも、朝倉とは付き合えない」

179: 2010/10/21(木) 22:46:47.15 ID:078thLp70
ちょっとようじ

191: 2010/10/22(金) 00:24:43.78 ID://v7B1WT0
陳腐な喩えだが、無限にも思える、しかし実際には数秒程度の時が流れた。
朝倉は強張った笑みを浮かべたまま、今し方の発言が何かの間違いで、
訂正の機会を与えようとしているかのように黙りこくっていたが、
やがて俺が何も弁解しないことで意を決したのか、

「なん……で……?」

肩が小刻みに震えている。
瞳からは光彩が失せ、かわりに透明の液体が膜を張りつつあった。

「ごめん」
「ごめんじゃ分からないよっ……!」

一筋の涙が、頬を伝う。
朝倉を泣かせているのは誰だ。
朝倉をこんなに哀しませているのは誰だ。
俺は自問自答する。他の誰でもない、この俺だ。

「どうして?わたしたち、付き合ってたんだよ?
 キョンくんが記憶を無くす前は付き合ってたんだよ!?」

194: 2010/10/22(金) 00:42:25.37 ID://v7B1WT0
「ごめん」

俺はひたすらに謝るしかない。
理由が説明できるなら、説明したい。
言い訳できるなら、言い訳したい。
だが、できないものはできない。
俺はどうして朝倉の告白を無下にフッちまったのか、自分で理解できていなかった。
事実、今朝下駄箱で手紙を読んだときは、あからさまに告白を期待していた。
朝倉と薔薇色の青春ライフを送る気でいた。
記憶を失う前の俺がそうしたように。
それがいざコクられてみれば……この有様だ。
何をやってんだ。
お前は世界でも指折りの大馬鹿野郎だ。
いっぺん氏んだほうがいいぞ。
心の裡からそんな声が聞こえてきたが、勝手に言ってろ、と思う。
千載一遇のチャンスを棒に振ったことに対する後悔は生まれてこなかった。
やり直す機会を与えられても、きっと俺は朝倉に「No」を突きつけるだろう。
何度でも。

「……さんのせいなの?」

手のひらで頬の涙を拭い、洟をすすりながら朝倉は言った。

「涼宮さんがいるから、わたしとは付き合えないの?」

待った。どうしてここで脈絡なくハルヒが出てくるんだ?

235: 2010/10/22(金) 19:36:16.57 ID://v7B1WT0
朝倉は泣き顔から真顔に、真顔から辛そうな作り笑顔になって、

「やっぱり気づいてないんだ。
 じゃあ、わたしが教えてあげる。
 キョンくんはね、涼宮さんのことを誰よりも大切にしてるんだよ」

馬鹿なことを言うのはやめろ。
確かに古泉に諭されたこともあって、俺はあいつの気を逆撫でしないようにそこはかとなく気を配ってる。
だが、それはあくまでもあいつが宇宙的未来的その他もろもろの超常存在から注目を集める超重要人物であり、
その機嫌が損なわれたとき、この平穏な世界が消滅の危機に瀕するからで――。

「それは建前でしょう?
 キョンくんはいつでも涼宮さんを気にかけてる。
 涼宮さんが傷つかないようにしてる。
 たとえば、わたしとメールしてることを、涼宮さんに隠したのはなぜ?
 友達同士が夜にメールをするのは、そんなにいかがわしいことなの?」

朝倉は畳みかけるように言った。

「わたしが――ううん、わたしだけじゃない。クラスの女の子の誰でも――キョンくんに話しかけると、
 涼宮さんがいないときは楽しそうに話してくれるのに、涼宮さんがいる前では、途端に素っ気なくなるよね。
 それって、涼宮さんに他の女の子に気がある風に思われたくないからでしょ?」
「俺は別に、そんなつもりは……」
「そんなつもりがなくても、そうしてるの。涼宮さんだって、同じよ。
 いくら鈍感なキョンくんでも、涼宮さんが、だんだんクラスの子たちに接するのに慣れてきたことには気づいてるよね?」

頷く。

「じゃあ、涼宮さんが最近、同じ学年や三年の男の子たちから告白されてることは知ってる?」

265: 2010/10/23(土) 01:33:23.92 ID:DYYAfwWn0
知らなかった。
ハルヒは今まで微塵もそんなそぶりを見せなかったし、
流言飛語の発信地にして受信地である谷口も、一切そんな話題を振ってこなかった。

「それで、ハルヒは?」

中学校時代のハルヒは見境なしに男と付き合っていたと聞く。
俺の知らないところで、ハルヒは中学校のときと同じように、
告白してきた男たちと付き合っていたのだろうか……。

「ふふっ、安心して。涼宮さんは全部断ったらしいから」

自分の気持ちに嘘はつけない。朝倉の言葉に、俺は安堵した。

「涼宮さんはね、SOS団が大切だから、何よりキョンくんのことが好きだから断ったのよ」

ハルヒが俺のことを好いていると聞かされて、驚いたと言えば嘘になる。
古泉はことあるごとにその可能性を仄めかしていた。
朝倉は元々近かった距離をさらに詰めて、

「相思相愛なら、付き合っちゃえばいいのに。
 どうして関係を変えようとしないの?それって、おかしいよ。
 涼宮さん以外の女の子に興味がないなら、どうして他の女の子にも優しくするの?
 わたしがキョンくんの彼女になれる可能性は、ほんの少しもないの……?」

胸に顔を寄せてくる。
華奢な肩を抱き寄せるのは簡単だ。
涙に濡れる顎先をつかみ、口づけ、愛の言葉を囁く――そんな選択肢もあった。
が、俺は鉄の理性で朝倉を押し退けた。

269: 2010/10/23(土) 02:06:38.03 ID:DYYAfwWn0
「どうしても、ダメなんだ?」
「すまん」

告白が失敗したとき、告白された側に課せらる義務は、
告白した側のショックや悲しみを、できるかぎり和らげてやることだ。

「俺は朝倉とは付き合えない。
 でも、勘違いしないでくれ。
 朝倉のことが気に入らなくて、それで付き合えないってわけじゃないんだ。
 前にも言ったとおり、俺は朝倉と一緒にいると楽しいよ。
 ただ、朝倉と付き合う自分が、どうしても想像できないだけで……。
 なあ朝倉、こんなことを言うのは身勝手だと思うが、友達のままでいてくれないか」

朝倉は俯き、嗚咽混じりの声で言った。

「ただの友達じゃダメなのっ……。
 ひくっ……また……、フラれちゃった……。
 どうして……えぐっ……わたしはキョンくんの……ひくっ……特別になりたかったのに……」

参ったね、どうも。
超常現象関連の修羅場は何度か経験している俺だが、こういった修羅場にはまったく耐性がない。
はて、どうやって朝倉を宥めようかと思索を巡らせていると、
ワンテンポ遅れて、朝倉の発言の矛盾が露わになった。
"また"フラれちゃった?
記憶を失う前の俺は、朝倉と隠れて付き合う選択肢を選んでいたはずだ。
それなら、朝倉の告白を失敗させたのは、これが初めてのはずで……。

271: 2010/10/23(土) 02:15:10.66 ID:DYYAfwWn0
混乱が加速する。
朝倉に直接確かめようとしたそのとき、教室のドアが音もなく開いた。
なぜ俺が振り返ることができたのか、と訊かれれば、懐かしい気配を感じたからだ、と言う他ない。
ショートの和毛に琥珀色の瞳、滅多に開かない薄紅色の唇、
北高指定の制服にまだ少し季節外れの黒いカーディガンを羽織った長門がそこにいた。


292: 2010/10/23(土) 12:43:43.40 ID:DYYAfwWn0
夕暮れの教室のこの面子。
しかし弾丸のような早さで鋭利な鉄棒が飛び交う情報合戦を覚悟したのは俺だけだったようで、
長門は滑稽に身を縮こまらせる俺の傍を通り過ぎ、泣き崩れる朝倉の眼前に立つと、

「……あなたの役割は終わった」

朝倉は諦観の表情で、長門を仰ぎ見た。

「……当該対象の情報連結を――」
「待った!待ってくれ、長門!」

そりゃないだろ。
いきなり戻ってきて、いきなり朝倉を消そうとするな。

「あなたには後で説明する」

冷淡な声音。
気圧されそうになる自分を鼓舞し、

「今してくれ。
 何の説明もなしに朝倉をどうこうするのは、俺が許さない」
「キョンくん……」

朝倉が諦めているのだ、俺が「許さない」と言ったところで大した――否、ちっとも抑止力にならないのは分かってる。
だが長門は詠唱をやめてくれた。そして俺に向き直り、二、三度瞬きして、

「朝倉涼子はわたしの代替インターフェイス。
 わたしが主任務への復帰を果たした今、朝倉涼子は不要」

298: 2010/10/23(土) 14:13:42.80 ID:DYYAfwWn0
「朝倉は今じゃ、SOS団の一員なんだぜ?」
「涼宮ハルヒの精神は極めて安定している。
 朝倉涼子がまた転校することになっても、重大な影響はない」

ああもう、どいつもこいつも、脈絡なくハルヒの名前を出しやがって。

「ハルヒのことはどうでもいい。
 いいか、朝倉がいることに慣れちまった人間の中には、俺も含まれてるんだよ。
 そいつが目の前で消されるところを、黙って見てられるわけがねえだろうが」

一年前とはえらい心境の変化だと思う。
あのとき――朝倉が細かい砂塵と化したとき――俺は命の危険が無くなったことにひたすら安堵していた。
長門が情報連結を解除するのを、黙って見守っていた。

「長門が戻ってきて、朝倉が長門の代わりをする必要がなくなったのは分かるさ。
 けどな、一年前、朝倉が俺を殺そうとする前は、普通にお前の……なんだ、バックアップだかなんだか知らんが、
 そういう役割を与えられて、普通に生活してたじゃないか。
 朝倉はもうあんなことはしないと約束してくれた。
 だから、わざわざ転校させなくたって、」
「朝倉涼子が消去されるのは、初めから決まっていたこと。
 それに朝倉涼子はわたしの代替を務めている期間中、重大な規約違反を犯した」
「規約違反?朝倉が何をしたっていうんだ?」

まさか俺に告白したのが規約違反だったとでも言うんじゃないだろうな。
長門は無表情な瞳に、一瞬、怒りの色を滲ませて、

「あなたの記憶を消去した」

307: 2010/10/23(土) 14:44:58.33 ID:DYYAfwWn0
双眸を泣き腫らした朝倉と視線が合う。
長門の話はマジなのか。
お前、言ったよな。俺の記憶喪失とお前は関係ないって。
あれは嘘っぱちだったのかよ。
朝倉は目を伏せ、視線を外した。

「……ごめんなさい」

どうしてそんなことをした?

「…………」

緘黙する朝倉。俺は長門に訊いた。

「俺の記憶を元に戻せるのか?」
「復元というと誤謬がある。
 あなたの脳は朝倉涼子によって、記憶に関連する四つの機能のうち、
 "想起"の最初のプロセスである"再生"に、限定的な禁制処理を施されている。
 それを解除することは可能」

頭が痛くなる。
要するに俺は記憶を思い出せるようになるんだな?
長門はコクリと頷き、腕を伸ばして指先で俺の額に触れた。
高速詠唱が始まり、終わる。
高熱に苦しんでいるときに貼ってもらった冷却シートのような爽快感が、
額のすぐ下の頭蓋骨をすり抜けて脳髄の奥まで浸透し、
それまで思い出そうとすればするほど頑なに再生を阻んでいた白い霧のようなものが、
たちどころに消えていく感覚があった。

「思い、出した」

310: 2010/10/23(土) 15:38:02.91 ID:DYYAfwWn0
朝倉が復活する前日、俺は長門から、
しばらく別の任務のためにハルヒの観測の任を解かれると聞かされ、
その代わりに朝倉が復活する旨を聞かされた。そのとき、長門はこう付け加えた。
『復活した朝倉涼子に危険はない。
 でも、あなたがどうしても認めないと言うなら、情報統合思念体に別の案を打診する』と。
俺は言った。
『長門がいなくなるのは、長くて一ヶ月程度のことなんだろ?それくらい我慢するさ。
 それに、お前のお墨付きがあるんだ、朝倉に襲われる心配はしてねえよ』
翌日学校に行くと、予告通り朝倉はカナダから帰国して、改めて北高に転校してきていた。
しかも席はハルヒの隣、俺の斜め後ろだ。
長門の短期留学をハルヒも寂しく感じていたのだろう、
三日と経たずに朝倉はSOS団に編入する運びとなった。
必然的に朝倉との接点は増え、
元々常識的な性格を持つ朝倉と俺は、話が合うことも手伝って、すぐに打ち解けていった。
団活、日曜のデートを通じて親交は急速に深まり、
週明けのある日、放課後の教室に呼び出された俺は朝倉に告白される。

ここまでは、朝倉の話と同じだった。
ここからが、朝倉の話と違っていた。

記憶の中で、俺はさっきそうしたように、朝倉の告白を拒絶していた。
俺は朝倉に「友達のままでいてくれ」と頼み、朝倉は涙ながらに頷いた。
それから記憶が消されるまで、俺は朝倉と手を繋いだことも、キスしたことも、寝たこともない。

344: 2010/10/24(日) 01:19:08.97 ID:pq4NpO5F0
記憶を失う前の日の夜、朝倉は俺に夕食に誘われ、
一度家族の前で帰るフリをした後でこっそり俺の部屋に戻り、
そのまま朝まで過ごしたと言ったが、それも記憶と食い違っている。
朝倉はそもそも、俺の家に来ていないのだ。
次の日、朝目が覚めて隣にいた朝倉と、朧気ながら朝倉とまぐわった記憶を総合して、
俺は自分が朝倉と寝たと断定してしまったが……。
朝倉にとってみれば、記憶を部分的に思い出せなくさせるついてに、
都合の良い淫夢を見せることなど朝飯前だったことだろう。
朝倉の目的は、記憶を奪うことで俺と朝倉の関係を初期化し、
事後を演出することで強烈な印象を与え、
加えて『記憶を失う以前俺が朝倉と付き合っていた』という情報を与えることで
俺に『これから朝倉と付き合うのは当然のこと』だと錯覚させることにあった。
ここまで推理した後は、
「朝倉はそこまでして俺と付き合いたかったのか、男冥利に尽きるとはこのことだぜ」
と単純に結論付けたいところだが、悲しいかな、
話がもう少し複雑で、真実があまり俺にとって幸せなものでないことを、
長門の静謐な瞳は物語っていた。

「……朝倉涼子はあなたにとっての特別な存在になろうと画策していた」
「何のために?」

ここで長門が「彼女になるため」と言えば吹き出す自信がある。

「この世界での存在理由を獲得するため。
 朝倉涼子はあなたに特別視されることで、
 わたしが復帰した後も、存続が許可されると考えた」

長門の背後に視線を転じる。
朝倉は怯えたような目で俺を見返し、ふるふると首を横に振った。

348: 2010/10/24(日) 01:44:59.18 ID:pq4NpO5F0
「確かに、最初はキョンくんを利用するつもりだった。
 長門さんがキョンくんにとって代替不可能な存在であるように、
 わたしもキョンくんにとって掛け替えのない存在になることで、この世界に留まろうとしてた。
 あなたに好かれるために、色々な工作をしたわ。
 あなたの好みの女の子の性格を分析して真似たり、
 できるだけあなたと一緒にいる時間が長くなるよう情報操作したり……」

スカートの裾を掴み、真正面から俺を見据えて、

「でもね、ある時気がついたのよ。
 いつの間にか手段と目的が入れ違ってた。
 わたしは本気で、キョンくんのことが好きになってたの。
 キョンくんの記憶を消したことも、嘘をついたことも、許してもらえるとは思ってないよ。
 でも、これだけは信じて。――わたしは、キョンくんのことが好きよ」

涙をぽろぽろと零しながら、精一杯の笑顔を浮かべてみせ、

「二度もあなたを頃しかけて、ごめんなさい。まだきちんと謝ってなかったよね?
 キョンくんは人が良すぎるよ。普通の人なら、自分を二度も殺そうとした相手に、こんなに優しくできないよ」

長門を一瞥し、

「SOS団のみんなと……、キョンくんと一緒に過ごせた時間は、楽しかったわ。
 ねえ、涼宮さんによろしくね。それから、少しは涼宮さんにも優しく接してあげてね。
 彼女、どうしてもあなたの前では、強気で弱みを見せない女の子を演じちゃうみたいだから」
「朝倉、お前ちょっと黙れ」
「え……」

いいか、俺は心底うんざりしてる。
お前のその数十秒後にはこの世界から消えてなくなることが前提の喋りにな。

351: 2010/10/24(日) 02:08:47.17 ID:pq4NpO5F0
お前はどうしてこの世界に残りたいと思ったんだ?
んなことは訊くまでもねえよな。
「楽しい」と思ったからだ。
普通に学校に通って、クラスメイトと喋るだけでも楽しいのに、
ハルヒにSOS団に誘われたら、そりゃもう楽しくて仕方ねえに決まってる。
俺がそうだったんだから間違いない。
なあ、朝倉。
俺に特別視される努力なんて回りくどいことはしないで、ただ一言、言えばよかったのさ。
この世界に残りたい、消えたくない、ってな。

「長門、朝倉をこの世界に留まれるよう、お前の親玉に掛け合ってくれないか」

長門は首を微かに傾げ、

「推奨できない」
「こればっかりは、俺の我が儘だ。
 一年前の冬、お前がエラーでおかしくなっちまった事件で、
 お前が正常に戻った後、俺が言ったことを覚えてるか?」
「もしも情報統合思念帯がわたしを処分したら、あなたは暴れると……
 あなたがジョン・スミスであることを涼宮ハルヒに伝える……と言ってくれた」

長門の表情に、数ピクセルの暖色が混じる。

「あのときと同じだ。
 いいか、朝倉を転校させるのは俺が許さない。
 もしも朝倉が消えれば、朝倉が復活するまで暴れてやると伝えろ」

368: 2010/10/24(日) 09:01:51.40 ID:pq4NpO5F0
「……わかった」

長門は数秒瞼を閉じ――それで交信が完了したのだろう、
朝倉を見下ろし、

「朝倉涼子の存続が認可された。
 あなたは涼宮ハルヒの観測任務におけるわたしのバックアップとして動いてもらう」
「長門さん……ありがとう……」

朝倉は口に手を当て、声を頃して泣いていた。
これで、なにもかも丸く収まったわけだ。
朝倉は消えずに、長門が戻ってきて、部室はよりいっそう賑やかになることだろう。
長門は寡黙だから、帰ってきたところであまり変わりがないって?気分だよ、気分。

「長門、あともうひとつお願いがあるんだが、聞いてくれるか?」
「……言って」
「今日、ここでの顛末の記憶を消してくれ。
 お前流に言うなら、俺の脳みその機能を縛って、思い出せないようにしてくれ」
「…………」

黒洞々たる夜空のような瞳に、困惑の翳りが浮かぶ。
なぜ、と訊かれたような気がしたので、俺は言った。

「俺は今日のことを覚えたまま、明日からうまくやってく自信がねえんだ」

朝倉を見て、

「別に朝倉を責めてるわけじゃないが、知りたくないことも知っちまったしな」

あやふやにしておきたかった物事が、急に白黒付けられるのは、結構な精神の負担になる。

372: 2010/10/24(日) 09:47:09.94 ID:pq4NpO5F0
ハルヒと俺が相思相愛だと朝倉は言ったが、実際のところ、
「ハルヒが好きだ」なんて気持ちを明確に抱いたことは……ないし、
あいつを誰よりも大切にしているという自覚も……ない。
俺とあいつの距離は、今のくらいが丁度いいのだ。

「………」

長門は躊躇していた。
カーディガンの袖に半分包まれた小さな手をとり、額に当てる。

「頼むよ」
「………後悔しない?」
「ああ。それと、明日会っても、今日のことをわざわざ俺に教えるのはナシだぜ。
 朝倉も、普通に俺に接してくれよな」

朝倉が頷く。
長門は観念したように目を瞑り――、
高速詠唱が聞こえた次の瞬間、俺の意識は暗転した。

382: 2010/10/24(日) 12:42:22.52 ID:pq4NpO5F0
家を出ると、ブレザーの中にセーターを着込んでいるというのに肌寒かった。
吐いた息は白く凍りかけ、蒼穹は秋晴れのそれよりも寂しげな青色をしている。
季節は冬に移り変わろうとしている。
そういや朝のニュースで、同じことを天気予報士が言ってたっけ。
愛用自転車を駐輪し、お馴染みの電車に乗り込むと、
人いきれと暖房のおかげで、眠気が襲ってきた。
睡魔と戦うことしばらく、なんとか学校最寄りの駅で降車し、急勾配の通学路を歩く。
一人で登校するのも慣れたものだが、やはり道連れがいると気分が違う。
駅から百メートル程度歩いたところで、
俺は顔見知りと思しきシルエットを見つけた。

スラッとした長身に、鳶色の細い髪、適度に制服を着崩したそいつは、
俺が女子生徒なら『一緒に登校しませんか』と誘いかけたくなるくらいの美形の持ち主で、
しかし同じ性別の平凡な顔の男ども代表の俺にとっては、鼻持ちならない気障野郎だった。
とりあえず挨拶代わりに肩を殴る。

「うわっと……あなたでしたか。驚かせないでくださいよ」

古泉は平気な顔で振り返った。
こぶしにジンジンと痛みが走る。
バイトで鍛えられてるせいで、こいつの体が見た目の2.5倍くらい硬いことを忘れてた。
俺は古泉と肩を並べ、

「昨日、ちょっといいことがあってな」
「ほう。どんなことです?」
「記憶が戻った」
「…………」
「お前、なんか俺に言うことがあるんじゃねえのか?」

383: 2010/10/24(日) 13:09:45.19 ID:pq4NpO5F0
古泉は顎をさすり、元々細い目をさらに細め、

「はて。あなたの記憶が戻ったことは純粋に喜ばしいことですし……。
 ここは有り体に、おめでとうございます、ですかね」
「とぼけるのも大概にしろよ。
 お前は俺に、嘘をついただろ」
「嘘?」
「本当になんのことか分かってないのか?
 俺と朝倉が付き合ってるとかいう、デタラメだ」

古泉は「ああ」と遠い過去の記憶を読み返すように溜息をつき、

「そんなこともありましたね。あれは僕の勘違いでした」
「しれっと言うな」

頭を叩く。セットが崩れた?
俺の知ったことか。お前の顔面偏差値なら、坊主でも女子ウケするだろうさ。
古泉は手櫛で髪を整えながら、

「朝倉さんが転校されてから一週間ほど経った日に、
 あなたが彼女に、放課後の教室に呼び出されたことがありましたよね。
 あの日、機関の監視員は教室での一部始終を記録できませんでした。
 朝倉さんが教室を覆うように、遮蔽フィールドを展開したからです。
 監視員は大慌てで教室への侵入を試みました。なにしろ、前例がありますからね。
 しかし監視員の努力も虚しく、あなたは無傷で教室から出てきました。
 傍らに、涙に暮れる朝倉涼子を伴って……。
 それからあなたと朝倉さんの仲は、さらに深まったように見えました。
 報告を受けた機関上層部は、あなたが朝倉涼子と交際を開始した可能性を視野に入れ、
 その情報は当然、末端の僕の耳にも届きました」

386: 2010/10/24(日) 14:28:44.95 ID:pq4NpO5F0
古泉はホワイトニングされかのような真っ白な歯を覗かせて、

「正直なところ、僕は半信半疑だったんですよ。
 いかに朝倉さんが見目麗しい美少女で、あなた好みの常識的な性格を持ち合わせているにせよ、
 こんな短期間で、あなたが彼女に対する警戒を解き、交際するに至るとは考えにくいと思っていました。
 しかし記憶を失ったあなたは、僕にこう言いました。
 『俺と朝倉が付き合うことは、古泉や朝比奈さんに反対されなかったのか』とね。
 その台詞を聞いた瞬間、僕はやはりあなたが朝倉さんと交際していたのだという、間違った確証を得てしまったわけです。
 少々話がややこしくなってしまいましたが、理解していただけましたか?」

なんだか上手く言いくるめられてしまった気がして、釈然としない。
何か難癖付けて言い返そうとしたそのとき、

「なーんの話してーんのっ!?」

激しい衝撃が背中を襲った。
肺の中の空気が強制排出され、喉の奥から変な音が漏れる。
振り返るまでもなく、誰の仕業か分かった。
ハルヒよ、お前は加減てモンを知らねえのか。
俺は食道に物詰まらせた爺さんじゃねえぞ。

「おはよ、古泉くん」
「おはようございます」

そこ、何事も無かったように挨拶交わしてんじゃねえ。

「あはは……大丈夫ですかあ、キョンくん?」

MyAngelVoiceが耳朶を打つ。
おはようございます、朝比奈さん。今日も可憐ですね。

388: 2010/10/24(日) 14:49:45.03 ID:pq4NpO5F0
「鶴谷さんは一緒じゃなかったんですか?」
「今朝はお家の用事があって、お昼から登校するみたいで……。
 涼宮さんとは、駅で偶然、一緒になったんです」

よく見れば、こんな気温だと言うのに、
朝比奈さんの肌はしっとりと汗に濡れている。
おおかた俺と古泉を発見したハルヒに引っ張られ、全力疾走させられたのだろう。
可哀想に。でもそう考えると、ハルヒと朝比奈さんの接近に気づけなかったことが悔やまれるね。
少しでも早く振り返っていれば、朝比奈さんのたわわに実った胸が揺れる様を――。

「あ! あれって有希と朝倉さんじゃない?」

ハルヒが指さした先には、確かにその二人らしき後ろ姿がある。
しかし俺たちと二人の間には結構な距離があり、
よもやここから走って追いつくつもりではあるまいなと横目でハルヒを伺った矢先、

「有希ーっ! 朝倉さーんっ! そこで待っててねーっ!!」

近所迷惑も顧みず、ハルヒが叫ぶ。
近場の通行人の注目を一挙に集めたのは言わずもがなだ。
歩みを止めた二人に追いつくと、ハルヒはほとんどジャンプしながら長門を抱きしめ、

「もう、帰ってきたら、すぐに連絡してって言ってたじゃない!
 短期留学、どうだった?あっちの人たちはよくしてくれた?
 有希が大人しいのをいいことに、いじめられなかった?」

丸っきり保護者のノリだ。
長門は髪をくしゃくしゃにされながら、助けを求めるような目で俺を見た。
まあ、しばらくはハルヒのやりたいようにやらせてやれよ。
こいつもお前がいなくて寂しかったんだからさ。

402: 2010/10/24(日) 19:35:30.46 ID:KoGFkIr50
「お久しぶりです、長門さん」
「おかえりなさい」

古泉と朝比奈さんが、抱き合うハルヒと長門の傍に寄っていく。
自然と、俺と朝倉はみんなと距離を置く形で、隣同士になった。

「…………」
「…………」
「……記憶が、元に戻ったよ」

ぴくり、と朝倉の肩が震える。
その些細な仕草だけで、俺はこの記憶の消滅と復元に、朝倉が関わっていたことを知る。
昨日、俺は誰かに、放課後の教室に呼び出された。
西日の差し込む廊下を歩き、教室に到着し――記憶はそこで途切れ、
気づくと俺は教室の真ん中で一人、茫然と立ち尽くしていた。
また記憶喪失かよ、とこめかみのあたりを押さえたそのとき、
俺は新たな半時間程度の記憶喪失の代わりに、
それまで行方不明だった二週間の記憶が思い出せるようになっていることに気がついたのだ。
そして同時に、推測できてしまった。教室で『朝倉』と何を話し、どんな決断を下したのか……。
全ての決着がついた上で、俺は教室での遣り取りの記憶を消すように、朝倉に頼んだに違いない。
だから、朝倉が俺の記憶を消した理由とか、
その後で色々と嘘をついたりした理由とかについて、蒸し返すつもりはない。

「ただ、ひとつだけ訊きたいことがあるんだ。
 俺と朝倉は、今でも、その……友達、だよな?」

他のどんな質問を想像していたのか、朝倉は目をぱちくりとさせて、顔を綻ばせた。

「友達じゃなかったら、何なの?」
「それは……」

404: 2010/10/24(日) 19:56:52.19 ID:KoGFkIr50
俺が返答に窮していると、
朝倉はその柔らかそうな唇を俺の耳許に近づけてきて、

「あのね、わたしはまだ、キョンくんのこと諦めてないよ」
「あ、朝倉?」

ウインクされた。耳たぶに残る吐息の感触に、体が火照ってくるのが分かる。
不意打ちをしかけてきた朝倉も、だんだん羞恥が体に回ってきたのか、
寒さを言い訳にできないくらい、頬を林檎色に染めてはにかんでいる。
甘い雰囲気が流れかけたそのとき、

「キョーンー、あんた、有希におかえりなさい言った?」
「ん、まだだが」
「じゃあ、今すぐ言いなさい」

うるさい奴だな、お前らが言い終わるまで待っててやったんだよ。
よっ、おかえり、長門。

「……ただいま」

ははっ、久しぶりに会った気がしないのはどうしてだろうな。

「…………」

長門はふいと視線を逸らす。今朝はあまり機嫌がよろしくないご様子だ。
そのワケを尋ねる暇もなく、団長様は「そいじゃ、出発ね!」と号令をかけて歩き出した。
わずかに遅れて、団員が続く。
ハルヒの右脇に俺と古泉が、左脇を朝倉、朝比奈さん、長門が固める陣形で。

408: 2010/10/24(日) 20:52:42.71 ID:KoGFkIr50
「ね、あたし思ったんだけど、朝倉さんとか、涼宮さんて他人行儀な呼び方、やめない?
 せっかくSOS団の仲間になったんだから、名前で呼びあいましょ」
「じゃあ、ハルヒ?……なんだか恥ずかしいな」
「すぐに慣れるわよ。朝倉さ……じゃなくて、涼子?」

左隣から聞こえるたどたどしくも微笑ましい会話に気分を和ませつつ、
俺は朝倉がSOS団の一員になったことを――、
長門が帰ってきたことでやっとSOS団のメンバーが揃ったことを再確認する。
振り返れば、六つの影。
団員が全員揃った日には、さぞかし文芸部室が手狭に感じられることだろう。

俺に変わらぬ好意を向けてくれる朝倉と、これからどう付き合っていくべきなのかは、今のところは分からない。
ただひとつ言えるのは、今の俺にとって朝倉は、loveではなくlikeの対象だということだ。
恋愛強者の谷口に言わせれば、女友達と恋人は紙一重らしいが……。
再び左隣の会話に耳を澄ましてみれば、
ハルヒはクリスマスパーティについて――気が早いというツッコミは無粋だ――案を募っている。
今年のクリスマスパーティがどんなものになるのかは分からないが、

「去年よりも数倍賑やかになりそうですね」

とわかりきっていることを古泉が言った。



朝倉涼子の陰謀 了

412: 2010/10/24(日) 20:57:58.99 ID:KoGFkIr50
はい、この先の展開は想像にお任せしますENDです
長々と続けてしまってすみません
朝倉とのイチャイチャを期待していた人にはもっとすみません
スレを立ててくれた人たち、保守してくれた人たちには本当に感謝してる
ありがとう

413: 2010/10/24(日) 20:59:50.29 ID:rlMlLoCBP
お疲れ様!楽しませてもらいました

417: 2010/10/24(日) 21:05:01.93 ID:KoGFkIr50
>>414
宣伝になるけど
パー速でポケモンSS書いてます

ピカチュウ「昔はよかった」
http://www19.atwiki.jp/wktkwktk/

暇な人は読んであげて下さい
ではでは

引用: 朝倉「キョンくん起きて、はやく服着ないと妹ちゃん来ちゃうよ」