13: 2008/06/04(水) 01:19:42.27 ID:UXKTyyHt0


前回:ローゼンメイデン・アパートメント



 僕がアパートの扉を開けると、いきなり雛苺が抱きついてきた。

雛苺「ジュン、お帰りなの~。帰ってきてよかったの~」

 適当にあしらって、水銀燈の入った鞄をアパートの中へ引っぱりこむ。

 また真紅とぐだぐだするのも嫌だし、気を使われるのもごめんなので、一気に本題に
入るべく、真紅たちの前にどんと鞄を置いてしまう。

ジュン「いきなりだけど、こいつを見てくれ。こいつをどう思う?」

真紅「この鞄はローゼンメイデンの……これをどうしたのだわ、ジュン」
 少しだけ鞄を開けて、わずかな隙間から中の様子を伺う。水銀燈は眠っているようだ。
起きる気配も無い。

ジュン「おまえら、騒いだりするなよな」

 悪いな水銀燈。僕は他人のことにはがさつなんだ。

 一息に鞄を開けてしまい、中を真紅たちに見せる。三人は揃って口に手をあて、
驚きの声をのみ込んだ。

『水銀燈……!』

翠星石「ズタズタのボロ雑巾になってやがるですぅ……」

雛苺「お顔が傷んじゃってるの~」

真紅「いったいなにがあったの、ジュン?」


アリスゲーム

14: 2008/06/04(水) 01:21:12.92 ID:UXKTyyHt0
 僕は公園で水銀燈を発見してからの経緯を、三人に説明した。



ジュン「放っておけないし連れて帰ってきたんだけど、深くは考えてなかった。

    なんとか直してやりたいとは思うんだけど……」



真紅「めぐはこのことを知らないのね」

翠星石「頼まれてた見舞いにはひまなちび苺や金糸雀が行くことが多いですが、

    とりあえずは黙っていたほうがよさそうですかね。できますかちび苺?」

雛苺「嘘をつくのは翠星石のりょうぶんなの。ヒナ自信ないの……」

翠星石「なんですっておばか苺!」

真紅「めぐのことはそれでいいわね。問題は水銀燈をどうやって直すかよ」



 揉めてる場合じゃないので僕は翠星石を止めておいた。雛苺の言う通りだし。



 あらためて真紅たちと一緒に水銀燈を観察してみる。服や靴、長い髪、そして服に

覆われていない直接外気に接する部位の損傷が激しい。当然、顔も傷んでしまっている。



真紅「顔はドールの命、髪は女の命だというのに。……なんてことなのだわ」

翠星石「昏睡してるって感じで起きる心配はなさそうですね。

    服を脱がせて全部調べるです。もちろんジュンはここから立ち入り禁止です!」

ジュン「別にいいけどさ、僕は人形に 情したりしないぞ。本当だからな」


15: 2008/06/04(水) 01:23:39.56 ID:UXKTyyHt0
 僕は真紅たち3人から離れて、背を向けて座った。



雛苺「水銀燈は胸がふくらんでるのー。ヒナや真紅とちがうのね」

真紅「雛苺、最近は小さいほうがステータスなのよ。覚えておきなさい。

   服の下はどこもそれほど傷んでいないわね」

翠星石「ローザミスティカも無事です。だから体力的にはこのまま眠れば回復するはずです」



 程度の差こそあれ、お前らはお父様の趣味のおかげで全員ステータス抜群だよ。

 というか真面目にやれよな。



 僕たちは再び水銀燈を鞄の中へと戻した。

 こうしておけば水銀燈は体力的には回復する。でもドールとしては致命的なほど傷んで

しまっていた。服だけでなく、顔や髪にまで大きなダメージがある。



 僕は彼女を直してやりたいと思っている。でもそれを成しとげる力は僕には無い。

 ローゼンメイデンである水銀燈を直すということは、傷ひとつない完璧なドールとして

蘇らせることを意味する。あんなに損なわれてしまった人形や服を、何もなかったかの

ように修復しなければならないのだ。



 僕はかつて奇跡的に真紅の腕を直してやることができたが、あれはパーツ自体は損なわれて

いなかったし、服も今回のように全体が損傷してしまったわけではなかった


16: 2008/06/04(水) 01:26:23.94 ID:UXKTyyHt0
 水銀燈を直すためには、ローゼンメイデンをきちんと修理できるだけの技術があり、

かつローゼンメイデンを詳しく知っている人間が必要だ。



 でもそんな人間、製作者であるローゼン以外にいるわけがない。

真紅「やはり、こうなってしまってはお父様しか……」 

 このままあの気まぐれなローゼンを待つしかないのだろうか。水銀燈を直すことのできる

人間はいないのだろうか。



 水銀燈。3年前にはあんなに激しく争ったというのに。いまやその水銀燈をなんとかして

救いたいと思っているなんて。そういえば、僕が直した真紅の腕を引きちぎったのはあいつだった。

 昔のことを思い出していると、何かが僕の頭にひっかかった。

 なんだ。考えるんだ。真紅が水銀燈を倒したその後だ。あいつが現れた。そうだ、あいつだ。

 薔薇水晶。

 ローゼンメイデン第7ドールだと名乗った、偽のローゼンメイデン。真紅や翠星石のような、

本物のローゼンメイデンさえ騙されたほどの人形。最後の最後、決定的な何か以外はほとんど

ローゼンメイデンと同じだった人形だ。

 そんな薔薇水晶を作ったあの男、

ジュン「エンジュだ。槐なら水銀燈を直せるかもしれない」



63: 2008/06/04(水) 21:15:04.50 ID:mznKSBj50
 槐の名前を聞き、ドールたちはいっせいにジュンのほうに顔を向けた。



真紅「エンジュって……あの薔薇水晶の?」

ジュン「ああ。あの人の技術なら水銀燈を直せるはずだ。ローゼンメイデンのこともよく知ってる」

翠星石「あんなやつ信用ならねーです! だいいちあいつは消えちまったです!」

ジュン「あの時光の中に消えていったことが、エンジュの死や存在の消滅を意味したとは限らない。

    どこかへ飛ばされて生きているのかもしれない」

翠星石「居場所がわからねーんじゃ同じです」



 やはり、突拍子の無さすぎる考えだっただろうか。



雛苺「見つかったとしても、きっと水銀燈をばらばらにしちゃうの!」

翠星石「そうです。あいつは私たちを恨んでるに決まってます。薔薇水晶はぶっこわれたです。

    翠星石のローザミスティカを取ったりしたから自業自得ですけど、きっと逆恨みしてるです!」

ジュン「確かにエンジュがどう出るかはわからないんだけど……他に方法があるなら言ってくれ」



 雛苺や翠星石の言う通り、槐から復讐を受けるというのは十分ありえる話だ。他に妙案があるようなら

聞きたかった。


64: 2008/06/04(水) 21:17:32.37 ID:mznKSBj50
雛苺「じゃ、じゃあね、とにかく人形作りのうまい人に頼むの。普通の人形ってことにするの」

真紅「ローゼンメイデンを修理できるだけの人間を探すのは大変よ。

   見つかっても、素直に修理してくれるとは限らない。私たちのことを知っていれば、

   『あのローゼンメイデンがこの手に』と邪な考えを起こすかもしれないのだわ」



翠星石「やっぱりお父様を待つしかねーです。待てば海路のひよこありです」

雛苺「でももしお父様が遅くて、傷ついたまま体力が戻ったりしたら、水銀燈はどうするなの?

   ヒナだったら、目覚めたらボロボロだったなんて嫌なの」

真紅「そうね。体力だけが戻ったら、傷ついてしまった自分を許せないかもしれない」



 なかなか全員の賛成を得られる意見は出ない。

真紅「『会議は踊る。されど進まず』ね」


65: 2008/06/04(水) 21:18:27.50 ID:mznKSBj50
翠星石「『真紅、君の意見を聞こう!』です」

真紅「私は……ジュンに賛成だわ。エンジュを探すのよ。確かに消え去ったからと言って存在が

   抹消されたとは限らない。nのフィールドを探せば会うことができるかもしれない。

   復讐されるかどうかは、結局会ってみないとわからないことだわ」



 そう言うと真紅は大鏡の前に向い、nのフィールドへの扉を開いた。



真紅「あの男の気配を探してくるのだわ。見つけたら引き返してくる。会えるものなら、会えるはずよ」

翠星石「ちょっと真紅、結論は出てねーですよ!」



 翠星石の声が届いたかどうか。すでに真紅はnのフィールドへと飛び込んでいた。



翠星石「どうも最近の真紅はひとりで突き進みがちです。いったいどうしたですか……」

ジュン「ラプラスの魔、以来かな。あいつの適当な言葉に踊らされてるんじゃなきゃいいけど」

 自分で提案したことながら、真紅があそこまで性急に動くとは僕自身も考えていなかった。


73: 2008/06/04(水) 23:04:54.97 ID:mznKSBj50
 約一時間後に、真紅はnのフィールドから帰ってきた。

真紅「行くわよ、ジュン。水銀燈の鞄を持ってきなさい」

ジュン「見つかったのか!? 真紅」



 いくらなんでも都合がよすぎる。

真紅「おそらくね。あの男のような気配を感じたわ。いえ、むしろ教えられたというべきかも」

 どういう意味なんだ。

真紅「やはりあなたなら会えるのだわ、ジュン」

 真紅のつぶやきは小さく、聞き逃してもおかしくはなかった。

 それは僕に聞かせるためのものではなかったはずだ。



 僕は一抹の不安を覚えたが、言い出したのはこっちだ。引くわけにはいかない。

ジュン「よし、行こう。こうなったら出たとこ勝負だ」

翠星石「待つです! いつエンジュに水銀燈を修理してもらうことに決めやがったですか! 危険です」



真紅「水銀燈なら、壊されないように一緒に修理する人間がいればいいのだわ。

   そうね、その人間には現実社会での用事がほとんど無くて、nのフィールドの先にある特殊な空間に

   入り浸っても特に問題が無いとなると、最高の逸材なのだけど」

ジュン「おいお前な」

真紅「エンジュがなにをしようと、あなたが水銀燈を守るのだわジュン。

   それが彼女を拾ってきたものの責任よ」

ジュン「……わかった。そもそもエンジュの名前を出したのは僕だからな」

翠星石「ジュンまで!」


75: 2008/06/04(水) 23:07:41.59 ID:mznKSBj50
 真紅が翠星石を振り返った。

真紅「あなたと雛苺にも来てもらうわよ。いざとなれば、戦いは数だわ、翠星石」

翠星石「真紅、あんたちょっと勝手すぎるです!」

 耳も貸さず、真紅はさっさと鏡の中へ飛び込む。

 僕もあわてて後を追った。

 翠星石と雛苺も、止めるのか追いかけるのかわからない形でついてきている。





 nのフィールドにある扉を抜けた先には、昔のぞかせてもらった槐のドールショップの

作業室と同じような部屋が、大きさだけ何倍にもなって広がっていた。



 もちろんそこでは、

槐「やあ……。来るのはわかっていたよ。こちらも僕を探している真紅の気配を感じていた」

 あの槐が僕たちを待ち構えていた。

 翠星石は如雨露を構え、雛苺も手を前に突き出す。

真紅「待ちなさい二人とも。こちらの要求は戦いではないはずよ」

槐「ほう。まさか真紅がただ僕に会いに来てくれたとも思えないな」



 僕は口を聞くことができないでいた。

 僕たちに突き刺さる数十もの視線のせいだ。

 僕らの全周囲を、かつて何体ものローゼンメイデンを倒したあのドールが、全く同じあの無表情で、

取り囲んでいた。


76: 2008/06/04(水) 23:10:15.65 ID:mznKSBj50
ジュン「薔薇水晶、こんなに……」

 翠星石と雛苺が警戒態勢を取ったのも当然である。

槐「あの日、光の中に消え去ってから、僕は気付いたらここに座っていた。それ以来、僕は薔薇水晶を

  作り続けている。毎日毎日ね。君たちの世界とは時間流れそのものが違うから、どれくらいの

  時間が経ったのかはわからないが」

 数十体もの薔薇水晶を、この男はただひたすら作り続けてきたというのか。

槐「それで、僕に何の用があるのかな」



 僕は意を決して前に歩を進めた。水銀燈の入った鞄を槐の前に押し出す。

槐「これは……」

 無言のまま、鞄を開けて中を見せた。

槐「第一ドール、水銀燈か……。かなり傷んでいるようだが」



ジュン「こいつを、直すのを手伝ってほしいんです。あなたの力を貸してください」

 槐はまったく表情を変えない。僕には彼の感情が読めなかった。

槐「あの日、僕の薔薇水晶は、僕の腕の中で崩れていった。僕は今でもあの感覚をすぐさま思い出せる。

  その僕に、この水銀燈を直すのを手伝えというのか?」



 槐が立ち上がった。それと同時に、数十もの人形の2つの瞳が一度に輝いたような気がした。



 槐はそのうちのいくつかに歩み寄る。

槐「僕はこの手に残るあの感覚とともに、薔薇水晶を作り続けた。中には特別な機能を

  高めたものもある。僕の唯一の客である君たちに、紹介してあげよう」


77: 2008/06/04(水) 23:12:41.98 ID:mznKSBj50
 槐はあるいは一体を撫で、あるいは抱き寄せて自分の人形について語り始めた。



槐「これは可変型薔薇水晶。飛行形態に変形することで様々な状況に対応することができる。

  砲撃戦用薔薇水晶。水晶弾の射程が長く威力も大きい。体中からの水晶弾の一斉射撃も可能だ。

  水中専用薔薇水晶。スペード社の新型水着を採用することによって水中ですばやく動ける。

  またスクール水着装備に換装することで、敵の油断を誘うこともできるようになっている」

 え? あるぇ、こういう展開になる話の内容だったっけぇ?



槐「若奥様風薔薇水晶。メイドさん風薔薇水晶。飲み屋の女将風薔薇水晶。

  これらは戦闘能力以外の

  強化に努めた人形だ。メイドさん風薔薇水晶はドジを踏む能力を、飲み屋の女将風薔薇水晶は

  晩酌のつまみを作る能力を高めてある。

  そして若奥様風薔薇水晶は……ふふっ」



 槐、貴様若奥様薔薇水晶の何をを強化したああああああああ。

 こんなやつ僕の知っている槐じゃない。エンジュだエンジュ。カタカナがふさわしい男だ。



槐「僕はこうやって何十もの薔薇水晶を作り続けた。しかしどれだけ作っても僕の手から、

  あの日の感覚は消えない。

  どれだけ精巧に、全く同じに作っても、あの日僕の腕の中で崩れていった、あの薔薇水晶には

  届かないんだ。技術なら、技術ならとっくにあの頃の僕を上回っているはずなのに」


89: 2008/06/05(木) 01:32:46.35 ID:EsRCcNSq0
 語るだけ語ると槐は再び椅子に腰掛け、そのまま黙り込んだ。



 数十秒の沈黙の間の後、僕は再び水銀燈の修復を頼んだ。

ジュン「直せるのはあなたしかいないんです。僕もなんでも手伝います。お願いします!」

槐「ローゼンはどうした? 彼が直せばいいだけだろう」

ジュン「それはそうなんですけど……あなたのことを見つけて……」



 いや、僕の意見があったとはいえ、真紅は最初からローゼンではなく槐のことを探すと決めていた。

槐「ま、いいさ。直そうか」

 唐突な答えに僕は耳を疑った。今、なんて。

槐「聞こえなかったかい? 僕が水銀燈を直すといったんだ。ただし条件がある。

  真紅を僕に調べさせてくれ。ローゼンメイデンの構造をよく知りたいしね。

  水銀燈はその後に直そう」

ジュン「し、真紅を調べるって、どのぐらい」

槐「隅々まで。ふたりきりで」

 お前はいったいなにを言っているんだ。

ジュン「そんなこと許せるわけ……」

真紅「乗ったわ。その条件」


90: 2008/06/05(木) 01:35:13.60 ID:EsRCcNSq0
 真紅。お前、

真紅「ただしこちらも条件を加えさせてもらうわ。あなたが調べるのは人形師としてよ。

   それ以外のことをしようとしたら、容赦なくあなたを攻撃するわよ」

槐「君に殺されるなら本望だが、了解しよう。もともとこちらとしてもそのつもりだ」

翠星石「真紅、こいつが約束を守る理由はないです! あなたを壊すための罠かもしれないです」



 そうだ。僕は水銀燈が破壊されないために来たんじゃないのか。なのに、

真紅「大丈夫。この人は私との約束は守るのだわ。そんな気がするの」

 そういうと真紅は槐の元へと歩み寄った。二人は別室へと消えていく。そんな気がするって……。

ジュン「ちょ、おま、待てよ!」



雛苺「真紅ぅー危なくなったらヒナたちをすぐよぶのよぉー」

 雛苺の声が間の抜けた感じに響いた。もちろん本人は大真面目なのだろうが。

 

 この空間の時間がどう流れているかはわからない。時計も無い。だから真紅と槐が別室にいた

時間がどれぐらいかもわからないが、とにかくしばらくして二人はこの部屋に帰ってきた。



 僕と翠星石と雛苺は、そのあいだ中、数十の薔薇水晶(でいいのだろうか?)に囲まれて、

落ち着かない時間を過ごした。ただでさえ真紅が心配だっていうのに。



翠星石「うぅ……水晶に閉じ込められたのを思い出すですぅ……」

ジュン「大丈夫か、翠星石」

雛苺「ヒナも怖いの……」

 自然と僕らは身を寄せ合っていた。四面楚歌ってレベルじゃねーぞ。


91: 2008/06/05(木) 01:36:54.24 ID:EsRCcNSq0
 だから真紅が帰ってきたときは、ふたつの意味で心からほっとした。

翠星石「真紅、無事ですか!? あの変 野郎にへんなことされてねーですか?」

真紅「私なら大丈夫よ翠星石。危なかったけれど」

ジュン「は、裸にされたりとかは……」

真紅「それはあったけれど、あくまで人形と人形師のものだったし……」

 駄目だ! 僕の大事な人形がぁ。



 真紅はそんなことなんとも思っていないのか平静そのものだ。なんだよ、少しは気にしろよ。

真紅「さ、今度はあなたが約束を果たす番よ、エンジュ」



 槐は右わき腹を抑えながら、こくこくと頷いた。リバーをやられたか。

槐「……約束通り水銀燈を直そう。ただし監視はいらない。僕の人形師としての誇りにかけて誓おう」

 その肝臓のダメージはそれを捨てかけた証じゃないのか。



ジュン「僕にも手伝わせてください」

槐「いらん。邪魔だ。君に何かできるとは思えん」



 ここで引き下がってたまるか。ここまで好き勝手しやがって。

ジュン「真紅とあなたの約束には僕が手伝うことも入っていたはずだ」

槐「足手まといの助手はいらんと決めるのは職人の権利だ」

真紅「さっきのルール違反であなたはその権利を放棄したわ。許してあげるから、ジュンを使いなさい」

 この野郎いったいなにしてんだ。



槐「まあ真紅の頼みなら聞いてもいい。しかしそこまで僕を信頼できないなら、そもそも話をもって

  くるべきじゃないな」

ジュン「それだけじゃ、ないです」


94: 2008/06/05(木) 01:54:25.87 ID:EsRCcNSq0
 むしろそれより、

ジュン「僕は、僕は人形の直し方、作り方がわかりません。

    水銀燈だって、僕に人形師としての力があれば、この手で直してあげられたのに。

    もしも僕の人形である真紅や翠星石、雛苺たちが傷ついてしまうようなことがあっても、

    僕には自分の力で直してやることもできない。今度のことでそれを痛感したんです。

    だから、だからあなたから少しでも学びたいんです!

    あなたの力は本物です。薔薇水晶も、あのドールショップにあった人形も、みんな素晴らしかった。

    あなたから学んで、ちゃんと真紅たちを直せるようになりたいんです!」



翠星石「ジュン、そこまで考えてたですか……」



 槐はじっと僕の顔を見ていた。彼がきちんと僕の顔を見るのは、ここにきて始めてのような気がする。



槐「もし君と同じことを女の子や真紅が言ったなら、僕はそこの翠星石と同じように目を潤ませていることだろう。

  でも僕と君とは男同士だからな。

  『偉そうなこと言うだけ言ってなにもできません』ってやつが、一番頭にくる。

  君になにができる。言ってみろ」

 僕に、僕に少しでもできること。

ジュン「人形本体はすこしいじったことがあるぐらいで……でも、ドレス、服や靴なら力になってみせます!」

 槐は無言で水銀燈の鞄に歩み寄ると、ボロボロになった彼女のドレスを脱がせて僕の目の前に持ってきた。

槐「そこまで言うならこれを君の力で直してみろ。それができたら、君に人形作りを教えてやる」


130: 2008/06/05(木) 21:41:44.05 ID:axAbUbtd0
 僕は槐からドレスを受け取った。

槐「ワンピースにつけるコサージュだけでいい。この砂が全部落ちるまでに仕上げるんだ」

 テーブルに特大の砂時計が置かれる。僕の現実世界の時間でいえばゆうに

4時間はありそうだ。

槐「必要な道具は全部そこに揃っているから自由に使っていい。大事に扱ってくれ」

 そう言うと槐は若奥様風薔薇水晶をつれて他の部屋へと消えていった。



 まず潮風に傷んだドレス全てを慎重に洗剤量を調整した水で丁寧に手洗いする。

翠星石「ジュン! そのドレスはもう魔法でも使わなきゃ直せねーですよ! 

    それにあいつはどうせ難癖つけてジュンを追い出すつもりでいやがるです!」

 熱量に十分気をつけてドレスをドライヤーで乾かす。

ヒナ「もう布自体がぼろぼろなの。どんなに丁寧にやってもしかたないのジュン」

 それでも僕はドレス自体を、綺麗に洗ってやりたかった。



 ワンピースについている胸のコサージュは完全に傷みきっていて、デザインの参考に

するのが精一杯だ。

 材料である布も用意されている。自分の力で作ってもよいということだろう。

 砂は3分の1が落ちただけだ。今の僕の力を全部コサージュに注ぎ込むだけの時間は

十分あった。



 すべての砂が落ちきったとき、槐が僕たちのもとへ帰ってきた。

 僕のコサージュも、ちょうどそのときに完成した。


131: 2008/06/05(木) 21:44:29.99 ID:axAbUbtd0
 僕はコサージュを槐に手渡した。自分に作れる限りのものは作ったつもりだ。

 まじまじと見つめた後、槐は首を振った。

槐「……君はこんなものをローゼンメイデンの胸元に飾るつもりか?」



翠星石「なにを言うです! 最初から真面目に見るつもりもねーくせに!

    ジュンを追い返す作戦だってことは翠星石にはバレバレなんです!」

槐「不服ならこれを見ろ」

 槐は身に着けている作業用のエプロンから人形用の小さなショーツを取り出した。ピンク。

槐「あ、間違えた。今のとこカットしといて」

 できねーよ。



 槐は慌ててショーツを引っ込め、代わりに僕が作ったものと同じ箇所のコサージュを取り出す。

槐「僕が作ったものだ。比べてみろ」

 槐作のほうが技術的に優れていることはもちろん、僕のものには無い、内側から輝くような

何かがあった。

 僕はその場にへたり込んだ。比べる対象にすらなりはしない。


132: 2008/06/05(木) 21:46:19.82 ID:axAbUbtd0
翠星石「す、翠星石は認めねーですよ! お前みたいなやつが水銀燈を直しやがるのは!」

ヒナ「ジュンのだってなかなかかわいいのよ、ジュン……」

 なぐさめられると、泣きたくなる。

槐「僕は作業にかかる。真紅、邪魔だからこいつらを連れて帰ってくれないか」



真紅「ええ。それじゃエンジュ、ジュンをよろしくね。あなたに任せるのだわ。

   ただしそんなのでも私の下僕。なにかあった場合はただじゃおかないのだわ」

 え? 真紅、お前今なんて……。

 僕ははっと顔をあげた。

槐「君とただならぬ関係になれるなら、それもひとつの手段か……」



 槐は僕のほうを向くと、水銀燈のドレスを手に取った。

槐「こいつに免じて君を僕の徒弟にしてやる。

  だがこのドレスはもう駄目だ。一から作り直す。破損が大きく修復不可能な部位もだ。

  僕の工房に来たからには、僕のやり方でやらせてもらうぞローゼン。

  それぐらいの権利はあるはずだ」



 槐は斜めに顔を上げ、天井をにらみつけた。それから視線を僕に戻す。

槐「とっとと立て。君の時代ならいざ知らず、昔なら徒弟修行を始める齢はもうとっくに

  すぎている。言っておくが、僕には男をちやほや甘やかす趣味は無い」


143: 2008/06/06(金) 00:12:52.54 ID:5RphqnGl0
始めの一週間、僕は作業場の管理や道具の扱いを徹底的に叩き込まれた。文字通り叩かれる

こともあった。槐曰く、

槐「お前は促成栽培だからな。ぐずぐずしている暇は無いぞ」

ということだ。



 僕は正の字を書いて眠った回数を数えている。こうしておけば朝も夜もないこの空間でも

日にちの感覚を保っておくことができる。時間の計り方には砂時計を用いていた。

 水銀燈は仮死状態で眠り続けていた。槐によるとこの数年で生み出したドールを眠らせる秘薬らしい。

薔薇水晶の改良などで何度も使っているから大丈夫だと言う。僕は信じるしかない。



 槐は水銀燈自身を参考に陶土を使って頭部と腕の型を取る。これらの箇所以外は損傷が少なく

修復可能だ。軽く焼いた後に水の中で目を切り大きさを整える。水の中で研いで磨く。そして焼成する。

後は絵付けをして再び焼成する。



槐「お前にも手伝わせるが、各部やドレスや靴の洗練された技術を要するところは僕が作っていく。

  ただし身体もドレスも、最後にはお前が組み立てろ」

ジュン「僕が……? あなたがやるんじゃないんですか?」

槐「お前がやるんだ。そのためにも学べ。そんな腕では水銀燈をよみがえらせることなどできん」


144: 2008/06/06(金) 00:15:12.14 ID:5RphqnGl0
 人形のことだけを、人形師として成長することだけを考えて暮らす時間は瞬く間に過ぎていく。

もう2週間が過ぎた。作業は進んでいく。今日はドレスの各部を作っていた。

槐「よし今日はここまでだ。飲み込みは早いようだが悪い癖が抜けていない。修練しろ」



 作業が終わると、僕は疲れきって自分のベッドに倒れこんだ。

食事を作ったり家事をしたりは色々なタイプの薔薇水晶がやってくれるのが救いだ。

 メイド風薔薇水晶が僕に紅茶を運んできてくれる。転んでカップを割った。

薔薇水晶「ごめんなさいジュン……すぐ代わりを入れてくる。修行、頑張ってね……」



 これで僕がここにきて三度目だ。槐はこれを繰り返されて面倒にならないのか。しかし人形とはいえ

励まされると嬉しい自分がいたりもする。



 3週間目。身体の各部の修復と、新しく作った腕の仕上げが終わった。後は頭部にウィッグをつけて

あの長い髪を作ってやれば身体のパーツはすべて出揃う。



 そういえば最近は槐に叩かれたり怒鳴られたりすることも少なくなった気がする。それに最近作業を

終えて休まなければならないのが惜しい。いつまでも人形を作っていられるような気持ちになるのだ。

ああ、最近一番怒られたのはそれだ。きちんと休息を取ること。


145: 2008/06/06(金) 00:17:02.25 ID:5RphqnGl0
 4週間が過ぎた。僕がこのワンピースにコサージュをつければ水銀燈のドレスと靴が完成する。

ヘッドドレス、チョーカー、ワンピース、パニエ、ドロワーズ、タイツ、フリルブーツ。精巧な技術を

要するところは主に槐が作ったが、部品を組み合わせてそれぞれの服を縫い上げたのは僕だ。

 この2週間、僕は人形の部品やドレスに触りたくて仕方がなかった。触れば触るほど上達するのが

自分でわかるのだ。



 コサージュをしっかりと縫い付けて、よしこれでワンピースもできた。僕はほっと息を吐いた。

 傍らにいる槐が細部まで出来をしっかりと確認する。



槐「……問題ない。まったくお前には驚かされる。……男子一夜会わざれば、か。

  ただ、駄目になるのは一瞬だ。成長と違って壁も限界もない。ひたすら落ちていく。

  それにたとえ技術が成長し続けても、思い上がりすぎればあの日の僕のようになる。

  いいな、決して忘れるな」

 僕は頷いた。あの日のことは、僕だって忘れることが出来ない。



 これで水銀燈のパーツとドレスと靴のすべてを揃えることができた。あとは身体を組み立てて

ドレスを着せてやるだけだ。


154: 2008/06/06(金) 02:03:59.81 ID:5RphqnGl0
 慎重に各部を組み合わせ、球体間接の噛み合わせをチェックする。ローゼンメイデンは

生きたドール。身体が満足に動かせないなど決してあってはならない。よし。これならちゃんと

動けるはずだ。



 それにしても、僕からすれば驚かされるのは槐のほうだ。

 この球体間接の出来はどうだ。どうすればここまでのものを作れるようになる。

 自分が成長できればできた分だけ、槐の技術の凄まじさ、僕との格の違いを痛感する。

4週間前までの僕は、彼の凄さをまったく理解できていなかったのだ。



 槐の師であるローゼンは彼を超える技術を持っているのだろうか。これ以上がありえるなんて

信じられない。

 しかし、そんな人だからこそローゼンメイデンを作れたのだ。



 タイツ、ドロワーズ、パニエ、ワンピース、フリルブーツと水銀燈にドレスを着せていく。



 そういえば、ここに来る前に水銀燈の胸を見るとか見ないとか言ってたな。まるで遠い昔のことに

思える。真紅が人形と人形師としてなら槐に裸を見せたのも、今なら理解できるような気がした。

 とにかくもこれでようやく服を着せてやれたわけだ。怒らないでくれよな。そっと髪を撫でると、

その感触に鳥肌が立った。これも槐が作ったのだ。



 ヘッドドレスとチョーカーを付ける。少し手が震えた。

 水銀燈が、ついに完成したのだ。


156: 2008/06/06(金) 02:05:39.22 ID:5RphqnGl0
 部屋の中央に椅子を引き出してきて、そこに水銀燈を座らせてやる。

槐「この砂時計の砂が落ちきる頃には、眠り薬の効果も切れる」

ジュン「そうしたら、動き出しますよね」

 槐は答えてはくれなかった。



 砂が落ちきってからしばらくして経っても、水銀燈は動き出すそぶりさえ見せなかった。

 静かに、椅子に座ったままだ。まるで永遠にそうしていることが彼女にはふさわしいような。

ジュン「どうして……。なにか、なにか間違っちゃったんでしょうか、僕は」

槐「お前は完璧に彼女を組み立てた。間違えなどなかった」



 なら、どうして動かないんだ。椅子に座らせたときから感じていた違和感。見た目は全く同じに

作ったはずなのに、どこか水銀燈らしくなく思えた。輝き。4週間前の僕と槐のコサージュの違い。

 僕の組み立てた水銀燈は、動くことができないのか……?


159: 2008/06/06(金) 02:08:37.50 ID:5RphqnGl0
 うちひしがれる僕に、槐は

槐「寝るぞ」

とだけ短く告げ、寝室へ向けて歩き出そうとした。



ジュン「でも水銀燈は」

槐「このまま待っていても、彼女が起き上がる確立は0.000000001%あるかどうか。

  オーナインドールとはよく言ったものだ」

 絶対今までに誰も言ってない。



槐「お前と僕は完璧な器を作った。あとは父親の仕事だ。彼女は、ローゼンメイデンなんだ」

 ローゼンメイデン。



槐「そうだ。真紅たちをよんでおけ。明日、僕らが目覚めたときに間に合うようにな。

  今呼んで来るのがいいだろう。鞄があれば寝床には困らないはずだ」



 寝室に続く扉の前、槐は立ち止まると肩越しに僕を振り返った。

槐「ジュン、よくやったな」

 僕はしばらくその場に立ち尽くしていた。

 そのことに気付くと、僕は慌てて真紅たちを呼びにいった。





 私は……初夏の鮮やかな陽ざしに包まれている……。新緑の匂いがする……。

 かつて、私はここにいたような気がする……。

 やさしい声が耳をなでる……。わたしの頬に触れている手の温かさ。私は、私はこの温かさを知っている……。

 逆光で、お顔が見えない。ああ、それでもわかる。あなたは、私の……。


167: 2008/06/06(金) 03:23:59.82 ID:5RphqnGl0
 身体が震え、まぶたがかすかに持ち上がった。長い睫毛が揺れている。

 今まさに、水銀燈が動き出そうとしている。

 僕、槐、真紅、翠星石、雛苺。全員が固唾を飲んで見守る。

槐「……」



 朝――といっても眠って起きた後を便宜上そう呼んでいるに過ぎない――、僕が目を覚ましてから見た

水銀燈は、昨日の水銀燈とは明らかに違っていた。

 身体中が輝いているかのような圧倒的存在感は、間違いなく椅子から立ち上がることを予感させた。



 神秘なる究極の人形ローゼンメイデン。第一ドール、水銀燈。彼女だった。



雛苺「あ、動くの! 水銀燈が椅子を降りるの!」 

 水銀燈は椅子から降りて2、3歩歩くと、まっすぐに体を伸ばして立った。まぶたが上がる。

翠星石「立ったです! 水銀燈が立ったですぅ!」

 目を開けた水銀燈はあっけに取られたことだろう。彼女が初めて目にしたものは、飛びついてくる雛苺と

翠星石だったのだから。

 驚くことも出来ず、水銀燈は立ちすくんでいる。真紅が微笑んだ。

真紅「お帰りなさい、水銀燈」


168: 2008/06/06(金) 03:25:07.08 ID:5RphqnGl0
水銀燈「……真紅……私はいったい」

 水銀燈は自分の手やドレス、鏡に映った自分の姿を何度も見直した。

翠星石「ジュンとエンジュが直してくれたです」

水銀燈「え……直した。私を?」

雛苺「そうなの。それもすっごく早くよ。一週間で直したのよ」



 槐が水銀燈に説明する。

槐「ジュンや真紅たちから君を直してくれと頼まれた。頭部と髪、腕、ドレスや靴は損傷が激しかった

  ために、僕とジュンで新しく作ったものだ」

水銀燈「そんな……」



 水銀燈は戸惑っていた。ローゼンメイデンである彼女が、ローゼン以外の人間に直されたのだ。

しかも髪、頭部、腕、ドレスはすべて新調されている。



真紅「水銀燈、ショックを受けるのはわかるわ。でもジュンとエンジュはね、彼らに出来る限りのことを

   あなたにしてくれたのだわ」

水銀燈「そう。でもごめんなさい。こういうとき、どんな顔をすればいいのかわからないの」

槐「笑えばいいと思うよ」

 この状況でどう笑えというんだ。


170: 2008/06/06(金) 03:26:39.96 ID:5RphqnGl0
翠星石「とりあえず、私たちのアパートに帰るです」

真紅「そうね。そうしましょう、水銀燈」

 水銀燈は黙って頷いた。



 nのフィールドへの扉を開き、ひとりずつ飛び込んでいく。

翠星石「エンジュ、お前のことは今でも信用ならねーと思っていますが、今回に関しては翠星石が

    悪かったです。お前に感謝してやるです」

雛苺「水銀燈を直してくれてありがとなの」

水銀燈「そうね、お礼を言うなくっちゃね……。ありがとう」



 真紅と僕が、最後に残った。

ジュン「槐さん、本当にお世話になりました」

槐「常に人形に触れるのを怠るなよ。お前は世界で最も恵まれた人形師だがな、それでも慢心すれば、

  そこまでの人間になる」

ジュン「はい。ありがとうございます」

 僕は頭を下げた。こんなふうに人に頭を下げるのは、いつ以来だろう。


171: 2008/06/06(金) 03:31:15.27 ID:5RphqnGl0
 真紅は先程から何かを考えていたが、決心したように槐の顔を見た。

真紅「槐、ありがとう。あなたは本当に素晴らしい人形師よ。

   お礼になるかどうかわからないけれど、私からひとつ言わせて欲しいのだわ。

   あなたがあの日崩れてしまった薔薇水晶に届かないのは、あなたの技術のせいでも

   なければ、あなたに人形を作る心がかけているからでもない。

   理由はただひとつ。完全に失われてしまったものは戻りはしない。

   そういうことじゃないかと思うのだわ。

   あの子は、薔薇水晶はあの日失われたあの子だけの存在なのよ。

   だから槐、今度あなたが作る子には、新しい名前を与えてあげて頂戴」



槐「真紅、ひとつといったわりには話が長すぎる。3行で頼む」

ジュン「今の話にその答えはねーよ!」

 まったく最後までこれかよ。ついに口に出して突っ込んでしまった。


172: 2008/06/06(金) 03:33:29.05 ID:5RphqnGl0
ジュン「それじゃあ、もう会うこともないかもしれませんけど、一応、またってことで」

槐「ああ、またな」

真紅「さようなら、槐」

 僕と真紅は槐に別れを告げ、nのフィールドに飛び込んだ。僕にとっては4週間ぶりの帰宅になる。



 僕はこの4週間を、僕の初めての師と過ごした日々のことを、この先どんなことがあっても決して忘れない。





 槐は、水銀燈が座っていたその椅子に座り込んだ。両手を見る。あの日の感覚が蘇る。

槐「ああ、君の言う通りだよ真紅。わかっていたさ。わかっていて、僕には作り続けるしかなかったんだ」

 彼の人形たちが、涙をこぼす彼を心配して近寄ってくる。

『お父様……?』

 槐は彼女たちをだきよせた。

槐「すまない。お前たちは、お前たちは……」

 彼の人形たちには、お父様が泣く理由がわからなかった。


177: 2008/06/06(金) 04:53:32.34 ID:5RphqnGl0
 4週間ぶりに帰ってきたアパートはなんだか懐かしくて、部屋に戻った途端、

大きく安著のため息をついてしまった。いよいよ僕もこのアパートになじんできちゃったな。



 部屋にある時計を見ると、午後8時すぎだった。

のり「きゃぁあああジュン君おかえりなさぁああい。一週間もどこ行ってたのぉおお」

 僕の姿を認めた途端、いきなりのりが抱きついてきた。すかさず振り払う。

ジュン「ちょっと大切な用事だよ! ええいくっつくな!」

 こっちでは一週間しか経っていないのか。ちょっとどころじゃないことばかりだった。



のり「きゃああああこの子かわいいいいいいいいい」

水銀燈「えぇぇ、ちょっとぉ、何するのよぉ」

 やつのターゲットは水銀燈に移ったようだ。僕たちが作ったばかりの顔に頬ずりされている。

真紅「あら、のりには紹介してなかったかしら。第一ドールの水銀燈よ」

のり「そう、銀ちゃんっていうのぉ」

水銀燈「……その呼び名、やめてくれるぅ?」

 さっきまで落ち込んでいた水銀燈の事情もなんのその。完全にやつのペースだ。



 この日、銀ちゃんこと水銀燈は、真紅の勧めもあってうちに泊まっていくことになった。

やはり自分の身に起こったことを整理しきれていないようで、のりが話しかけても黙って

いることが多かった。

 のりは、

のり「銀ちゃんはシャイな子なのね~」

などとほざいていたが。


182: 2008/06/06(金) 05:00:29.00 ID:5RphqnGl0
 



 僕は今までの疲れが出たのか、気付けば机に突っ伏して寝入っていた。

目覚めたのは午前3時。背中にはのりのカーディガンがかけてある。

固まっていた体をほぐして、大きくあくびをした。



 さて、僕はこれからどうしようか。

 僕は自分の手を見てみた。力が溢れてくるような気がする。

ジュン「やっぱり、ドレスを作ってみるかな」

 今なら作れる。それも間違いなく今まで最高のドレスが。


183: 2008/06/06(金) 05:01:04.78 ID:5RphqnGl0
真紅「私もそうするべきだと思うわ」

 声に振り向くと、真紅が僕の座っている椅子のすぐ後ろまで来ていた。



ジュン「お前起きてたのか」

真紅「あなたの気配に起こされたのよ。狭い部屋だしね」

 そんなにうるさくはしてないはずだけどな。

ジュン「あ、それと言っておくけどな、ドレスを作るからって、前に真紅が言っていた

    僕が天才だとか運命がどうとか、あんなの受け入れるつもりはないからな」



真紅「かまわないわ。それよりもジュン、ドレスの具体的な構想は決まっているの?」

ジュン「いや、まだだけど」

真紅「なら私の注文を聞いてくれる?」

ジュン「どういうことだ」



 真紅はいかにも令嬢然とした態度で言う。

真紅「私があなたにドレスの製作を依頼するのよ。ドレスを作る理由として、おかしなことではないでしょう?」

ジュン「確かにそうだけど。うん、真紅のドレスか」

真紅「いいえ、違うわよジュン。私は、翠星石にあなたのドレスを作ってあげてほしいの」

 僕と真紅はそのまま5秒ほど見つめあっていた。



206: 2008/06/06(金) 21:27:55.35 ID:mvcoW/U90
 それから真紅は部屋の隅にあるダンボール箱を指差した。

 僕はみんなを起こさないように、わずかな灯りを頼りにその中をのぞいてみた。

 何かが箱いっぱいにつまっている。手に取ってみると、造花だった。

真紅「その箱に入っている造花はね、全部翠星石が作ったのだわ」



 真紅は造花をひとつ手に取ると、愛でるように撫でた。

真紅「彼女は私より色々と器用よ。造花を作るのも丁寧で速いし、ずっと口を一緒に動かして

   いるのだわ。この一週間はあなたのことばかり。毎日何十回も心配だと言っていたわ。

   その度に私が責められたから、嫌でもよく覚えているの」



 真紅は戯れに、造花を自分のドレスの色々なところに飾ったりする。

真紅「本当にあれは拷問だったわ。一緒に仕事をする私の身が持たないのだわ」

 ツーテールにまとめられた金髪が、左右に振られて暗がりに揺れる。

真紅「ジュンはあの子のことを思い出せる? この部屋にいる翠星石のことを」



 僕は胸を突かれた。

 それはいつも同じ光景だ。机の前に座って造花を作る翠星石。

 僕がドレスを作れずに悩んでいたときも、この部屋を飛び出したときも、僕の知らない

この一週間も。

 あいつはこの部屋でずっと造花を作っていたんだ。

 あの翠星石が、僕に一度の文句も言わずに。


207: 2008/06/06(金) 21:28:36.39 ID:mvcoW/U90
 真紅は翠星石の眠っている鞄を見つめている。

真紅「今のあなたが一番にドレスを作ってあげるのは、あの子であるべきよ」

ジュン「お前は、それでいいのか」 

真紅「私が頼んでいるのよ、ジュン」

ジュン「わかった。必ず僕の最高のドレスをつくってやる」

 見えなくても、真紅が微笑んだのがわかった。

真紅「翠星石には内緒よ。この一週間のお返しにびっくりさせてやるのだわ」



 その日の朝から、僕は翠星石のためのドレスを作り始めた。まずイメージを

ラフスケッチに起こす。



 あいつのためのドレス。それは僕にとって初めてのことだった。

 僕は今まで売るためのドレスしか作ったことがなかった。

 かなり歪んだ道筋を通ってきたと自分でも思うけれど、僕の人形のためにドレスを作るのは

これが初めてなのだ。真紅と雛苺にもまだ作ってやったことがない。



 翠星石のことを想ってみる。前の僕ならもっと恥ずかしがっていたような気がするな。

 僕は何個か浮んだアイディアの中から、白を基調にしたプリンセスラインのデザインを採用した。

 翠星石のあの長い髪と、綺麗な赤と緑の瞳にとても似合うように思えたから。


208: 2008/06/06(金) 21:31:41.66 ID:mvcoW/U90
 ジュンが翠星石のためのドレスをスケッチに起こしているとき、同じアパートの屋根の上では、

水銀燈が真紅に背を向けて立っていた。



水銀燈「真紅、私はもう、ローゼンメイデンではないのかもしれない。だってそうでしょう?

    私はあまりにも多くのものをお父様以外の人間に作られてしまったわ」



 真紅は一歩前に踏み出す。

真紅「かつてお父様はあなたをローゼンメイデンと認めたとき、あなたにローザミスティカを

   与えられたわ。もしお父様があなたをローゼンメイデンにふさわしくないとお思いなら、

   今度はローザミスティカをとりあげられるはず。けれど、ローザミスティカは今でも

   あなたと共にあるのだわ」



水銀燈「でも私は……」

真紅「水銀燈! あなたは、あなたはローゼンメイデンよ」

 水銀燈は真紅を振り返った。

水銀燈「真紅……」

 水銀燈は胸が震えて一瞬言葉が出なくなった。


210: 2008/06/06(金) 21:32:08.98 ID:mvcoW/U90
 震えがおさまるまで待ってから、再び話し出す。

水銀燈「真紅、私、この身体に違和感を感じないの。お父様以外の人間に作られたと

    わかっているのに。髪もドレスも以前から私のものだったように馴染んでいる。

    本当よ。もし少しでも違うと感じていたなら、迷うこともなかった。

    すぐに自らこの身体を罰していたわ」



 それに、と水銀燈は遠い空を眺めるようにして続けた。

水銀燈「この身体で目覚める前、私はお父様にお会いしたような気がしているの。

    お父様の手がこの頬に触れた感触を私は覚えている」



真紅「お父様はきっとあなたを祝福してくださったのだわ。お父様がローゼンメイデンだと

   認めてくださったのを疑うなんてよくないわよ、水銀燈」

 真紅はたしなめるように笑い、それから水銀燈の手を取った。



真紅「私たち、同じね」

水銀燈「同じ?」

真紅「ええ。二人ともジュンに直してもらったのだわ」

 水銀燈は少しだけ目を伏せて微笑した。

水銀燈「あなたの腕は私のせいだったわね」

真紅「痛かった。あれは痛かったのだわ」

 二人して笑った。


211: 2008/06/06(金) 21:33:35.54 ID:mvcoW/U90
真紅「さあ、水銀燈。あなたには行かなければならない場所があるはず。もうこれ以上

   なやんでいる時間はないのだわ」

 水銀燈ははっと息を詰めて真紅の顔を見る。

水銀燈「そうよ、めぐはどうしたの!?」

真紅「大丈夫。病状が安定して一般病棟に戻っているのだわ。いつものあの病室にね。

   枕元にいつもあなたの贈った海の砂をおいているのよ」

 水銀燈は安著のため息をついた。

水銀燈「よかったわぁ」



真紅「ただ、あの子の性格は問題ね。いつも看護婦を困らせているし、今だに死への憧れなんて

   ことを話し出すし……」

水銀燈「ちょっとぉ、しょうがないじゃない! めぐは病室からなかなか出られないんだからぁ。

    家族間の問題だってあるのよ」

真紅「そ、そう」

 あっけに取られる真紅を見て、水銀燈も我に返った。

水銀燈「ま、まぁ基本的には真紅の言うとおりだけどねぇ、めぐにはまだ時間が必要なだけよ。

    ひとりひとり歩む速度は違うってことよぉ」


213: 2008/06/06(金) 21:34:31.99 ID:mvcoW/U90
 水銀燈はゆったりと翼を広げた。翼も以前と同じに感じる。何の問題も違和感もない。

水銀燈「そろそろ行くわ。……真紅、またね」

真紅「ええ。また会いましょう水銀燈」

 水銀燈は空に舞い上がり、めぐの病院へと飛び去っていく。



 真紅はその後姿を見えなくなるまでみつめていた。

真紅「お互いすっかり忘れていたけど、屋根に上ったのは水銀燈に抱えられてだったのだわ。

   鞄は置いてきているし、どうやって部屋に帰ればいいのかしら」

 真紅は人工精霊を呼び出した。オーダーはオンリーワン。

真紅「なんとかしなさい、ホーリエ」


ローゼンメイデン・アパートメント3

引用元: ローゼンメイデン・アパートメント2