483: 2012/12/05(水) 00:16:52.34 ID:RLjbm7yt0

前回:エルフ「……そ~っ」 男「こらっ!」【3】

さて、今から続きを載せていこうと思います。

484: 2012/12/05(水) 00:17:28.53 ID:RLjbm7yt0
曇天模様の空。寒気がする風が肌を撫で、鋭い音を奏でている。
人々の住む大陸。その一端で、僅かながら動くものがあった。
ガシャ、ガシャと甲冑を揺らす音が聞こえる。口からは瘴気とも思えるような煙が漏れ出ている。
その姿は人に近く、それでいて一目見れば何かが決定的に違うのだと誰もに思わせるものだ。

今はまだ……誰もその存在に気がつかない。深い深い、闇の中から這いずってくる闇の存在に……。
悠久の過去に忘れ去られた脅威に……。

485: 2012/12/05(水) 00:22:58.47 ID:RLjbm7yt0
――男の自宅――

男「なあ、一つ聞いていいか?」ハァ

エルフ「なんですか、男さん?」

女魔法使い「なんでしょう、先生」

男「僕の家に女魔法使いが来るのはいい。前回の件でそれについては了承したから。エルフがこの家にいるのも同居人だから当たり前だ」

エルフ「そうですけど、それがどうかしたんです?」
葬送のフリーレン(12) (少年サンデーコミックス)
486: 2012/12/05(水) 00:23:49.87 ID:RLjbm7yt0
男「うん、それ自体は問題じゃないね。でもね、朝食を食べ終わって久しぶりにゆっくり読書をしたいと思っているのに、君たち二人はどうして僕の両隣に座って読書に集中させてくれないのかな?」

エルフ「それは……その。私は男さんの……。もう、恥ずかしいから言わせないでください!」テレッ

男「あ~はいはい。そうだね、エルフは僕の恋人だね。まあ、理由として認めないこともないよ。それで? 女魔法使いはどうして?」

女魔法使い「言ったはずですよ、先生。私の目の黒いうちは不純な行動を取らせないと。しばらく観察して分かりましたが、そこのエルフは何かと理由をつけては先生の身体に接触しようと目論んでいます。
 天然を装って実は計算高いこの女のやり口は非常に悪質です。先生がその毒牙に犯されきらないうちに私がその接触を妨害するのです」

男「ああ、そう。妨害するって言ってる割に今女魔法使いが座っている位置はエルフの反対側だけどね」

487: 2012/12/05(水) 00:24:28.39 ID:RLjbm7yt0
女魔法使い「それは単に間に割って座るスペースがなかったからです。特に意味はありません」

男「そうか……。なんだか最近何を言っても女魔法使いには意味がないんだって諦め始めてきたよ」

エルフ「むむむ。女魔法使いさん! 男さんから手を離してください!」

女魔法使い「あなたこそ早く離れなさい。まあ、その身が消し炭になっても構わないなら別にいいですけどね」ニコッ

エルフ「はうっ! そ、そうやっていつも脅して……。でも、それも今日までですよ。昨日までの私とはもう違いますから」

女魔法使い「ほう、いいですよ。小ズルいエルフの策略。聞くだけ聞いてあげるとします」

エルフ「ふふっ。見て驚かないでくださいね……。必殺、男さんの背に隠れる!」グイッ

男「ぐえっ!? 急に首を引っ張らないでよ、エルフ。だいたいこんなことで女魔法使いが大人しくなるわけ……」

女魔法使い「な、なんて卑怯な手段を……。やはり悪い目は早めに摘み取っておくべきでした」ジロッ

エルフ「ぐぬぬぬ」ジーッ

アーダコーダ、アーダコーダ

488: 2012/12/05(水) 00:24:58.33 ID:RLjbm7yt0
男(はぁ……。毎日、毎日こんなんじゃゆっくり一人になることもできやしないよ。仕方ないな……)スクッ

エルフ「……? 男さん、どうかしました?」

男「ここじゃのんびり読書もできやしないから、一人でいられる場所に行くことにするよ。あ、一つ行っておくけど僕の後をついてきたりしたら駄目だから。もし、言うことを聞かなかったら……わかるよね、女魔法使い?」

女魔法使い「は、はいっ!? もちろんです、先生の言うことは絶対ですから!」

男「うん、分かっていればいいんだ。そうだ、僕がいないからって二人とも喧嘩するのも駄目だからね。文句を言い合うくらいなら別に止めないけど、手を出したら怒るから。それじゃあ……」テクテク

ギィィ、パタン

エルフ「……」

女魔法使い「……」

エルフ「行っちゃい、ましたね」

女魔法使い「……」

489: 2012/12/05(水) 00:25:27.30 ID:RLjbm7yt0
――旧エルフの墓――

男「うーん! やっぱりここは静かでいいな~」

男「ここ最近は女魔法使いがいるようになって周りも少し騒がしくなったし。でもまあ、エルフと言いあいをしながらも少しは打ち解け始めてきたようにも思えるなぁ……」

男「もし君が生きていたら二人を見て苦笑していたかもね。君って結構面倒見が良さそうだし……」ニコッ

男「な~んて、もしもの話をしてもしょうがないか……」ゴロリ

男「ちょっと、眠くなってきたかもな……。少しだけ、寝よう……」スースー

490: 2012/12/05(水) 00:26:01.35 ID:RLjbm7yt0
……



?「おーい、男。お~い」

男「……ん? ぅうん……」

騎士「よっ! ようやく、起きたか」

男「あれ? 騎士じゃないか。どうしてここに?」

騎士「ちょっとこっちに来る用事があったもんでな。んで、お前の家に行ったら出かけているって聞いてさ」


491: 2012/12/05(水) 00:26:27.85 ID:RLjbm7yt0
男「そうなのか。わざわざ悪いね、ここまで来てもらって」

騎士「気にすんな。お前にも話があったからな」

男「それで、その話ってなんなんだ?」

騎士「いや、少しの間女魔法使いを連れて行きたいんだけど、俺が言っても言うことをあまり聞かなさそうだからお前の手を借りようかと思ってな」

男「そうなの? もしかして、何か任務が入った?」

騎士「ああ、西の方で少し気になる噂が立っているみたいでな。調査隊を送ったんだが、なかなか帰ってこなくてな。
 もしかすると大事になるかもしれないから俺と女騎士と女魔法使いで調査に行くつもりなんだ。それで、女魔法使いを呼びにここまで来たってわけだ」

男「なるほどね。でも、その三人でいかないと行けないって結構大事なんじゃないの? みんな今は軍でそれなりの地位についているんじゃないの?」

492: 2012/12/05(水) 00:26:56.01 ID:RLjbm7yt0
騎士「まあな。でも地位が上がったからって何もしなくていいわけじゃないし。俺も最近は書類業務ばかりでたまには動きたいんだよ」

男「そういうこらえ性のないところは昔から変わらないね。騎士って考えるより先に手が出るタイプだし」

騎士「そうなんだよな。俺としては部屋にこもっているより現場に出てほかの兵士の意見を聴いたりしてたいんだけどさ」

男「書類業務も立派な仕事なんだし、頑張りなよ。それで、女魔法使いの説得だっけ? やるだけやってみるけど、あまり期待はしないでよ」

騎士「いや、そこは特に心配していないぞ。あいつはお前の言うことなら大抵聞くだろうし。じゃなきゃこんなこと頼まねーよ。さっきもお前の家に行ってエルフを前にして女魔法使いが大人しくしているのを見て驚いたところだしな。
 女騎士から聞いていたとはいえ、あの女魔法使いがああなるとは俺もさすがに予想していなかった」

493: 2012/12/05(水) 00:27:24.13 ID:RLjbm7yt0
男「最初はやっぱり驚くだろうね。でも、僕としてはようやく女魔法使いが前に進んでくれたから嬉しく思っているよ」

騎士「確かにいつまでもあのままじゃいられなかっただろうし。今回のことはいい機会だったのかもしれないな」

男「うん。でも女魔法使いが完全にエルフを受け入れられるかどうかはまだわからないから僕としては長い目で彼女を見守るつもりだよ」

騎士「そうか……。んじゃ、とりあえず戻るとするか。説得、任せたぞ」

男「頑張ってみるよ。でも、本当に期待しないでよ?」

騎士「はいはい。わかったってーの」

494: 2012/12/05(水) 00:31:22.56 ID:RLjbm7yt0
……



女魔法使い「ぜったいに、いや、です!」ダンッ

男「いや、ちょっと最後まで話を……」

女魔法使い「嫌ったら、嫌です! いくら先生のいうことでもそれは聞けません!」

騎士との再開後、自宅へと戻った男が待っていた女魔法使いに早速説得を試みた。最初からすんなりいくと思っていなかった男だが、予想以上に女魔法使いの反発が激しかったため少々面食らってしまった。

騎士「まあ、こうなるだろーとは思っていたけど、今回はやけにひどく拒否すんのな。やっぱりその子が原因か?」

495: 2012/12/05(水) 00:31:52.39 ID:RLjbm7yt0
チラリと視線をエルフに向け呟く騎士。その言葉にエルフは戸惑い、キョロキョロと視線を漂わせる。

女魔法使い「……そうですよ。ええ、そうです。今この状況で先生とこのエルフを二人にしておくと何があるかわかりません。わざわざ私が監視をしているから、何も起こらずに済んでいるのに……。
 なのに、どうしてこのタイミングで騎士さんは私と先生を引き剥がそうなんてするんですか!?」

騎士「いやな、俺だって別にわざとお前を男から引き剥がそうなんて思ってねーよ。ただ、今回はどうしてもお前の手が必要だと思ったからこうしてわざわざ出向いてきてるんだろ」

女魔法使い「それなら別にほかの人でもいいじゃないですか。どうして……」

騎士「ったく、我が儘言うなっての。お前はまだ軍に所属してんだから命令には従わないといけないの。それに、何か起こってからじゃ遅いだろ。お前だってあの時動いていればなんて後悔するのは嫌だろ?」


496: 2012/12/05(水) 00:32:22.30 ID:RLjbm7yt0
女魔法使い「それは……そうですけど」

騎士「だったら、今回は黙って言うことを聞く。安心しろ、用が済んだらすぐに返してやっから。それなら別に文句はないだろ」

女魔法使い「……わかりました。我が儘言ってすみません」シュン

騎士「ん。なら今すぐ準備しろ。準備ができ次第都市部に向かって女騎士と合流する予定だ」

女魔法使い「了解しました」トボトボ

男「なんだ、結局僕の説得は必要なかったじゃないか」

騎士「んなことねーよ。お前の前だから女魔法使いも意地を貼って面倒な奴だと思われたくなくて、ああした素直に引き下がったんだ。絶対あれ内心で怒ってるぜ。都市部に向かう間ずっと愚痴を聞かされんだろうな……」

男「まあ、そうならないように出る前に一言言っておくよ。騎士にはいつも苦労かけるね」

497: 2012/12/05(水) 00:33:03.99 ID:RLjbm7yt0
騎士「んだよ、そう思ってるなら戻ってこいよ」

男「何度も言うようだけど、それとこれとは話が別ってね」

騎士「……チッ。ホント上手い生き方してるよ、お前は」

男「あはは。褒め言葉をわざわざどうも」

騎士「嫌味か、このやろう!」

エルフ「あの~」

騎士「ん? どうした」

エルフ「いえ、女魔法使いさんの準備ができるまでの間、よかったらお茶でもどうでしょうか?」

498: 2012/12/05(水) 00:33:37.35 ID:RLjbm7yt0
男「だって? どうする、騎士?」

騎士「まあ、わざわざ用意してくれるってんだ。断る理由はないわな。それじゃあ、よろしくな」ポンポン

エルフ「あ、はい……。ありがとうございます」ニコッ

男「き~し~」

騎士「うおっ! 睨むなよ、別に色目使ってるわけじゃねーだろ」

エルフ「ふふっ。それじゃあ、少し待っててくださいね」トテテテ

騎士『お前いつからそんな嫉妬深くなったんだよ!』

男『なってないよ! 昔からこうだっただろ!』

騎士『いいや、違うね! 昔のお前はもっと根暗な奴だったからな! 一人でいるのがかっこいいと思ってたな、絶対!』

男『一体、いつの話をしているんだよ!』

アーダコーダ、アーダコーダ

エルフ「あははっ。騎士さんと男さんは本当に仲がいいですね」クスッ


499: 2012/12/05(水) 00:34:16.72 ID:RLjbm7yt0
……



女魔法使いの準備が終わり、男たちの元を騎士と女魔法使いが旅立ってから数日が経った。都市部へとようやくたどり着いた二人は待っていた女騎士と合流し、早速目的地である西の辺境の土地へと向かうことになった。

女騎士「久しぶり、女魔法使い。今回もよろしく頼むわね」

女魔法使い「お久しぶりです、女騎士さん。こんな任務さっさと終わらせて帰ってきましょう。どうせ、騎士さんの杞憂に付き合わされているだけでしょうから」

女騎士「ははっ。相変わらず厳しいこと言うわね。まあ、杞憂で済むならいいんだけどね……」

騎士「はい、はい。文句もあるだろうけど、一応これ正式な任務だから真面目にすること」


500: 2012/12/05(水) 00:35:02.53 ID:RLjbm7yt0
女騎士「あれ? いつの間に正式なものになったの? 騎士が個人的に調べたいっていう話だったと思ってたけど……」

騎士「いや、俺もそのつもりだったんだけど都市部に着いた時に上から正式な任務として依頼されてな。つーわけでこの依頼、気を抜くわけにはいかなくなったんだよ。まあ、元から気抜いてやろうとは思っていなかったけどな」

女騎士「そういうことなら、私たちも真面目に対応しないといけないな。いや、私も気を抜くつもりは無かったが……」

女魔法使い「さては、女騎士さん。この任務にかこつけて観光でも楽しもうかなんて思っていたんじゃないですか?」

女騎士「い、いや!? そんなことは……ないはず……かなぁ?」

女魔法使い「動揺しすぎです。はぁ、私がいなくなってから女騎士さんまでも騎士さんに似始めてしまって……。ただでさえ軍には騎士さんを尊敬して、騎士さんのマネをする人が多くてうっとおしいんですから」


501: 2012/12/05(水) 00:36:29.36 ID:RLjbm7yt0
騎士「お前、さりげなく俺だけじゃなく部下のことも馬鹿にしてるよな……。いや、まあいいや」

気心知れた相手だからこそできるような軽口を叩き合いながら、三人は進んでいく。文句を言いながらも、誰もその足を止めることなく日中は三人とも歩きづくめだった。やがて、日は沈み、空は黒一色に覆われた。
ぽつんと浮かび上がる月がやけに不気味で、遠くからは獣の鳴き声が聞こえる。広い平原の一角、都市部を出立する前に女騎士が用意していた食料や簡易野営用のテントを背負っていた荷物から取り出し、食事や寝床の準備を始める。

女騎士「ふむ……これくらいでいいかな? あ、女魔法使い火をもう少し強くしてもらえる?」

女魔法使い「はい。これくらいでいいですか?」ボォッ

女騎士「うん、ありがと。スープはこれくらいでいいとして、あとは騎士がテントの準備を終えるのを待つだけね」


502: 2012/12/05(水) 00:37:35.87 ID:RLjbm7yt0
女魔法使い「そうですね。はぁ、また戦争中のように騎士さんと同じテントの中で寝ないといけないんですね。襲われないか心配です」

女騎士「いや、それはないわね。騎士は奥手だし、そもそも襲うような度胸も持ち合わせていないわ」

女魔法使い「そうでした。それなら、安心ですね」

騎士「おい……人がいないのをいいことに、なんでもかんでも言いやがって……。しまいにゃ襲うぞ、お前ら」

女騎士「いいわよ、といってもこっちは腕っ節の立つ女と魔法に優れた女が相手だけどね」

女魔法使い「消し炭になる覚悟があるなら、いつでもどうぞ?」

503: 2012/12/05(水) 00:41:28.43 ID:RLjbm7yt0
騎士「ああ……今日ほど男の不在を恨んだ日はない。男より女の多い旅がこれほど辛いものとは……」

女騎士「そこは、ほら。もう諦めたほうがいいんじゃない?」

女魔法使い「ですね。だって騎士さん威厳ないですもん」

騎士「もう、お前ら遠慮の欠片もねえな!」

女騎士「いやいや。別に威厳がなくてもいいじゃない。それってある意味親しみやすいってことだし。まあ、威厳がないのは私も同意見だけどね」クスッ

騎士「フォローするならきちんとしろよ! 結局お前も傷口に塩塗りこんでるだけだろうが! はぁ、男……。軽く叩ける相手が欲しいぜ……」

女魔法使い「物思いにふけりながら先生の名前を呼ぶのは止めてください。男色の気があるように見えますから……」


504: 2012/12/05(水) 00:42:24.64 ID:RLjbm7yt0
騎士「ばっ! んなことねーよ! なんで、俺が男のやつと」

女騎士「もしかして騎士が女性との浮いた話がないのって男のせいなの……。ごめん、いくら私でもそれはちょっと……」

騎士「もう……どうにでもしてくれ」ハァ

一人気の沈む騎士をからかいながら食事を手渡していく女騎士。それに女魔法使いも乗じながら暖かなスープを口に運んでいく。
ゆらゆらと揺れる焚き火。女魔法使いの魔法によって薪に付けられた火は暗くなった周りを月明かりと混ざりながら照らしていく。
食事を終えた三人は交代で夜の番をとることになった。そして、もちろん多数決で最初の晩は騎士がすることになった。数の暴力は時に非情である。


505: 2012/12/05(水) 00:44:01.53 ID:RLjbm7yt0
騎士「くそっ……男の威厳なんてこんなものか。やはり、女の前では男は形無しだ……」

ぼやきながら焚き火の前に座り、番をする騎士。傍らには彼が愛用している剣がある。旅に危険はつきものとよくいうが、まさにそのとおりで旅の行商を狙う盗賊や魔物がいるなんてことは常識。それはただの旅人にも含まれるため、いつ危険が迫ってきてもおかしくないのだ。
もっとも、そういった危険から人々を守るため軍が各地に派遣した兵士が日夜敵と戦っているのだが……。

騎士「つっても、ここまで人一人見かけないとはな……。まあ、たまたまそういうこともあるだろうけど気になるな」

やはり事態は大事なのかもしれないと騎士が考えていると、彼から少し離れた位置に月明かりに反射してきらめく幾つもの瞳が暗闇から目を覗かせていた。

騎士「やれやれ、ゆっくりと休むことすらさせてもらえないのか」

506: 2012/12/05(水) 00:44:42.05 ID:RLjbm7yt0
腰を上げ、置かれていた剣を手に取り立ち上がる。力は適度に抜き、それでいて気配を鋭く研ぎ澄ませる。さきほど見えた瞳の数は十。敵の数は五と見える。しゃがんだ己と同じ目線にその瞳があったため、犬、狼系の魔物の類かと予想する。
目は既に暗闇に適応した。準備は万全、敵の姿も徐々に見えてきている。後ろの二人も異変に気づいて起きたようだ。

女騎士「せっかく眠れたところだったのに騎士がしっかりしないからこうなるのね」

女魔法使い「許しません」

騎士「その鬱憤は是非とも奴らに向かってぶつけてくれ。俺に非はない」

女魔法使い「そうですね、日頃溜まっていた鬱憤をこの際吐き出させてもらうとしましょう」

女騎士「獣相手に手加減する必要もないしね」

そう言って女騎士は剣を構え、女魔法使いは魔法紋を描いていく。

507: 2012/12/05(水) 00:45:12.97 ID:RLjbm7yt0
ジリジリと近づく互いの距離。獣の唸り声が夜風に乗って響き渡る。刹那、停滞を嫌った獣の一匹が群れから飛び出し三人に襲い掛かった。息をつく間も与えない速攻。狩りに特化した瞬発性、前へ前へと全身のバネを使って進んでいく。
獣側からすればこのまま為すすべもなく己の牙に肉を引き裂かれ餌となるはずの獲物たち。だが、そんな彼の期待は裏切られることになる。

騎士「遅せえよ……」

流れるような抜刀。己めがけて襲いかかる獣腹部めがけてなぎ払われたその一線は、まるで剣舞を見ているような美しい軌跡を描きながら獣の体を切り裂いた。
流れ出る血。赤黒いそれを刀身にまとわりつかせながらも月明かりに反射するその剣は美しくその身を輝かした。

女騎士「さすが、騎士。戦闘の時だけはホント惚れ惚れするような腕前ね」

女魔法使い「戦闘時の真剣さをもっと女性関係にも生かせればいいのですけどね。本当に残念な人です」

騎士「それを言うなよ。これでも気にしてんだからさ」

508: 2012/12/05(水) 00:46:09.41 ID:RLjbm7yt0
敵を前にして余裕を見せる三人。そんな彼らとは対照的に勢いよく飛び出し、その結果絶命した仲間を前にして獣たちは尻込みしていた。
どうする? どうする? この相手は普通じゃない。今まで自分たちが狩ってきた相手とは全く別の生き物だ。
彼らは気がついた、狩りをするために襲いかかった相手は己よりはるかに強大な力を持った生物で、ここでは狩りの対象は向こうではなく、むしろ自分たちが獲物なのであるということに。

騎士「おーおー。意気消沈しちまってるよ、あちらさん。このままなら自分たちの命がなくなるってことがわかるくらいには知性があるようだ」

女魔法使い「といっても、素直に逃すつもりはないですけれどね。私の睡眠をじゃました罪は重いです」

そう言いながら指を動かす女魔法使い。既に中にはいくつもの魔法紋が描かれている。文字を連ね、紋様を重ね合うその様はまるで匠の美術家が絵画を描いているようだ。

女騎士「あ~、女魔法使いがやる気なら私の出番はなさそうね。それじゃあ、あとは頑張ってね」

剣を鞘に収め、その後の成り行きを見守り出す女騎士。獣たちも今から起こることに対する不吉な予感を感じ取ったのか、一目散にこの場から逃げ出した。

女魔法使いの創造が終わる。敵の殲滅を目的としたそれは紋様を基点として、その姿を世に表す。
細長く、それでいて鋭く尖った槍。一切の無駄をなくし、敵を貫くための形状に整えられたそれは高熱を持って現れた。それもそのはず、その槍は現実には作ることの叶わない炎によって形作られていたのだ。
逆巻き、燃え上がる炎槍。無理やり形にハメられ、圧縮されたそれは内部で溜まった炎が暴れまわり、己の身を燃やす熱の温度を極限まで上げていく。

509: 2012/12/05(水) 00:46:44.98 ID:RLjbm7yt0
女魔法使い「私の眠りを妨げた罪、その身をもって思い知りなさい!」ブンッ

振り下ろされた女魔法使いの手を合図に、空中に待機していた炎槍は一斉に目標めがけて飛んで行った。全力で駆ける獣たちをあざ笑うかのようにその切っ先は一瞬にして彼らの身体を貫いた。

激痛に悶える獣もいれば、衝撃に耐え切れず意識を手放し絶命した獣もいた。前者は残り数秒の命、後者は言うまでもない。
だが、このあとに起こることを考えれば彼らは皆後者の選択をすべきだった。

女魔法使い「これで……終わりです!」グッ

そう言って女魔法使いは開いた拳をグっと握り締める。その動作に呼応するように獣の体に突き刺さった炎槍は爆散し、内部にあった炎を辺に撒き散らした。
生きながらにして内側から炎に包まれ燃やされるという地獄の苦痛を与えられた獣はついにその姿を欠片も残すことなく消し炭となり、消え去った。
この世に唯一形を残したのが一番最初に彼らに挑み、逃げることなくその命を散らしたものだとは、なんとも皮肉である。

騎士「終わったか。まったく、勘弁して欲しいぜ。おちおち休んでもいられない」

女騎士「そうね。というわけで、用は済んだから私と女魔法使いはまた寝るわね。その間の見張りよろしくね」

女魔法使い「あ、ちなみに次は襲撃があっても起きませんから騎士さん一人で対処してくださいね」キッパリ

騎士「お、お前ら……。二人とも寝ている間に敵に襲われて氏んじまえ!」

粗雑な扱いを受ける騎士の叫びが空へと虚しく響く。いくら地位が上がっても、昔の戦友の前では形無しの彼だった。

510: 2012/12/05(水) 00:47:20.55 ID:RLjbm7yt0
……



数日の旅を経て、ようやく三人は目的の場所にたどり着いた。だが、そこで彼らが見たものは想像もしていなかった光景だった。

騎士「なん……だ、これ」

瞳に映るのは荒れ果てた家屋。火の手が上がったのか、焦げ残った跡を残した地面や家。そして、その付近には先遣隊として派遣されていた軍の人間たちの氏体が無残に転がっていた。
氏後数日が立っているため、氏体は魔物たちに食い荒らされ、見るに耐えない形状になっており、腐敗臭も漂っている。
思わず現実から目を背ける一行。そんな中、ふと驚いたように女騎士が声を上げる。

女騎士「二人とも、あそこで今何か動いたぞ」

511: 2012/12/05(水) 00:48:30.36 ID:RLjbm7yt0
女騎士の言葉に騎士と女魔法使いも視線を移す。その瞳は確かに人影と思わしきものが家屋の中に入っていく何かを捉えていた。

騎士「気になるな。よし、周りを警戒しながら向かってみるぞ」ザッ

騎士の言葉に二人は頷き、警戒を強めながら目的の家屋へと進んでいく。その間、彼らが見たのは先遣隊だけでなく、恐らくこの地に住んでいたと思われる人々の氏体の数々。それらを視界の隅に収めながら、一抹の悲しみを抱き、その場を後にするのだった。

騎士「ここ……か」

目的の家屋の前にたどり着いた三人は緊張した面持ちで扉の前に立っていた。騎士と女騎士は剣を抜き、既に構えている。女魔法使いも何が起こってもいいという状態になっていた。

騎士「行くぞ……。三、二、一……」

上げていた片腕を振り下ろし、騎士は扉を蹴り飛ばして中へと入る。それに続くように女騎士、女魔法使いも中にはいる。
だが、扉の先で三人を待っていたのはある意味で予想外の存在だった。

512: 2012/12/05(水) 00:48:58.92 ID:RLjbm7yt0
少女「……」

騎士「おんなの……子?」

予想外の存在の登場に驚く三人。確かに人影を見たと思っていたが、皆が考えていたのはこの事件を起こした正体不明の敵の仲間であり、外の有様から生き残っている人がいるとは予想もしていなかった。
少々面食らったが、すぐさま冷静さを取り戻した騎士が優しく少女に話しかける。

騎士「君、大丈夫か? 話せる?」

騎士の呼び掛けに、しかし少女は何の反応も見せない。瞳は虚ろで、視線が定まっていない。身体を縮こまらせて小さく震えている。

少女「――、――」

騎士「駄目か……」

513: 2012/12/05(水) 00:49:35.23 ID:RLjbm7yt0
少女の様子を見て騎士はここで何が起こったのかという情報が得られないと理解する。外の様子を見た限りでも悲惨な光景なのだ。その現場をもしこの少女が見ていたのならこのようにショックを受けてまともに話せない状況になってしまってもしかたがない。
ひとまずこの少女の保護を優先しようと騎士が判断を下し、家の外へ少女を連れ出そうと手を差し伸べた時、少女の口から小さく言葉が隠れ出ているのに騎士は気がついた。

少女「おか、あさん。おとう、さん」

騎士「……」ギリッ

少女の口から溢れ出た呟きを聞いて知らず騎士は己の身体に力が入った。恐らくこの少女の両親は先ほどの氏体の山の中に混じっているのだろう。もしもの話をしても意味はない。結果として騎士たちは先遣隊やこの地に住んでいた人々の命を守ることができなかったのだから。
だからこそ、救えなかったという事実がなおさら彼の両肩に重くのしかかる。

騎士「ごめん、助けることができなくてごめん……」

514: 2012/12/05(水) 00:50:19.58 ID:RLjbm7yt0
少女の身体を己の胸に抱き寄せ謝罪する騎士を女騎士も女魔法使いもただ黙って見守っていた。彼女らが抱いている思いも騎士と全く同じものだったから……。

しばらく少女を抱きしめたあと、騎士は彼女を己から離し、その手を引いて外に出た。

騎士「一度他に生存者がいないか確認しよう。それから、先遣隊や人々を襲った敵の痕跡があるのなら見落とさないように。こんなこと、ただ事じゃない。恐らく軍部が総出で取り掛かる自体になる可能性が高いからな。情報は少しでも多く持ち帰れる方がいい」

女騎士「わかった。じゃあ、私は生存者の確認を主として行うとしよう。魔術的な痕跡が残っているのなら私や騎士よりも女魔法使いの方が見つけられるだろうから、そっちの調査は任せるわ」

女魔法使い「わかりました。では、合流時間を決めておきましょう」

騎士「四半刻くらいだな。この状況を早く軍に伝えたほうが良さそうだしな。ひとまずここを合流地点とする。もし、重要な痕跡を発見したり、異変があったりした場合は即座に皆に知らせること。いいな?」

515: 2012/12/05(水) 00:50:46.43 ID:RLjbm7yt0
女騎士「了解。それじゃあ、後で」

女魔法使い「ええ、また後で」

女騎士は生存者の捜索、女魔法使いは何か痕跡が残っていないか調査、そして騎士は少女の手を優しく握りしめてその場から動かないでいた。

騎士「大丈夫。きっと、君の他にも生きている人がいるはずだから」

そう言って少女の頭を優しく撫でる騎士。虚ろな瞳のまま少女は己に触れる存在へと視線を移す。恐らく、心が麻痺しているため条件反射で目の前の人物を見ただけだろう。

騎士(この子を少しでも安心させるためこんなこと言っているけど、状況は絶望的だ。氏体の状態から少なくと事が起こったのは数日前と思う。もし生きている人がいたとしてその間この場所から動かないでいないはずがない。
 近くの村や街に逃げて状況を知らせるはずだ。でも、旅の途中に出会った行商人たちはそんなことを知っている様子はなかった。
情報が命ともいえる彼らが知らなかったということは、ここで起こったことを知ったのは恐らく俺たちが最初だろう。だとしたら他の生存者はもう……)

悔しさから顔を歪ませる騎士を少女は不思議そうに眺めていた。そんな少女の視線に気がついて騎士はすぐさま笑顔を浮かべる。

騎士「ごめんね、何でもないよ。もう少ししたらさっきの二人も戻ってくるから。そうしたら都市部に向かおうか」

516: 2012/12/05(水) 00:51:12.29 ID:RLjbm7yt0
それから四半刻が過ぎ、二人が騎士の元へと戻ってきた。結果は騎士の予想通り。生存者は他にいなかった。そして、僅かに期待していた敵に関する情報も何一つ手に入れることができなかった。

騎士「行こう。これ以上ここにいてもしょうがない」

そう言って少女の手を引いて都市部に向かおうとする騎士。だが、そのまま付いてくると思った少女がその場に立ち止まったままだったため、騎士は一旦足を止めた。

騎士「駄目だぞ。ここにはもう、誰もいないんだから……」

その言葉に納得したのか少女は振り返り、逆に騎士の手を引くようにして前へと進んでいく。

騎士「あ、おい……」

すぐさま、歩む速度を合わせる騎士。だが、少女の横に来た騎士が見たのはその頬を流れる一滴の涙だった。

騎士「……」

無言のままその場を後にする騎士一行。敵の正体は未だ不明。ただ一人の生存者を連れて彼らは都市部へと戻っていくのだった。

517: 2012/12/05(水) 00:51:45.91 ID:RLjbm7yt0
……



――遠く。

荒れ果て、氏体のたまり場になった場所から遠く離れた場所から未だ命のある四つの人影を眺めるモノたちがいた。
ガシャ、ガシャと甲冑が音を立てる。中には甲冑を身にまとうことなく、ボロ布一枚の格好をした者もいる。数十もの影が列を作って彷徨い歩く。初めは一。次に二。そして四と。徐々にその影は数を増やして歩いていく。
その最前列。始まりの一。全ての元凶。どのような素材で作られたかもわからぬ面を付け、口からは瘴気と思える煙を漏らしている。
古びた甲冑を身にまとい、それでいてその格好に似合わない名刀の類の輝きを見せる剣を腰に指している。その肉体は血の巡りがなくなってなお、強靭だったかつてをそのまま留めている。まるで、呪いのように。
そう、彼らは氏者。この世を彷徨い歩く亡者達。氏してなお、この世に身体を残し、ただ生ける者への憎しみだけを持って生まれ変わった人々の外敵。

……風が吹く。血と、腐敗を漂わせ、大地を赤く染め上げる戦乱の風が。

エルフ「……そ~っ」男「こらっ!」 after story 戦乱の予兆 ――完――

519: 2012/12/05(水) 00:55:18.04 ID:RLjbm7yt0
これで戦乱の予兆話は終わりです。次はエルフの過去話になります。
なんというか、話がかなり長くなってきて、しかもまだまだ本編に入る兆しが見えない。
以前に終わったのも過去編の途中でして、いったいどれくらい書いたのかな? と疑問に思ったので、先ほど文字数数えました。
そうしたら、全部で十六万字ありましたw ライトノベル一冊分より多かったです。
一応寝落ちしなければ今日で今までの分は全部あげようと思っておりますので、どうぞお付き合いください。
その後の更新は暇を見つけてという形でお願いします。

520: 2012/12/05(水) 00:56:41.31 ID:RLjbm7yt0
>>518
ありがとうございます。追いついていただいてなんですが、あと三話残っております。
多分文字数的には四万~五万ほどありますので、そちらをあげるのを待っていてください。

521: 2012/12/05(水) 00:58:06.19 ID:RLjbm7yt0
騎士が女魔法使いを連れて旅立った数日後。男とエルフはようやく完成したかつての家へと足を踏み入れていた。

エルフ「わぁっ! 我が家です。ようやく帰ってこれました!」ワクワク

男「随分と綺麗になったね。まあ、中の作りは変わっていないんだけど……」

エルフ「そうですね~。でも、変わってないので新しくなっていても落ち着きます」テクテク

ゴロゴロ ゴロゴロ

男「ご機嫌だね。でも、床を転がり回るのはどうかと思うよ」クスッ

522: 2012/12/05(水) 00:58:35.65 ID:RLjbm7yt0
エルフ「わかってます。わかっているんですけど、こうしたい気分になるんです」テヘッ

男「そんなもんかな~。よし、それじゃあ僕も」ゴロリ

ゴロゴロ ゴロゴロ

エルフ「どうです、男さん?」

男「うん、確かにエルフの言うとおりかも。なんか無性に転がっていたい気分になるね。新しい気の匂いもいいし」

エルフ「ですよね、ですよね! よかったぁ、男さんにもこの感じがわかってもらえて」エヘヘ

男「ふふっ。でも、こんなに木の匂いが室内に漂っているとまるで森の中にいるみたいだね」

エルフ「はい……。なんだか、昔を思い出します」


523: 2012/12/05(水) 00:59:04.69 ID:RLjbm7yt0
男「そういえば、僕のところにくるまでエルフがどんな生活をしてきたか聞いたことってなかったね。よかったら聞かせてもらえない?」

エルフ「えっ!? えっと……」

男「あ……話しづらいのならいいんだ。奴隷として売られてたってことは辛いこともあっただろうし。ごめん、やっぱり今の質問は……」

エルフ「いえ、話します。男さんがよければ聞いてもらえますか?」

男「いいの?」

エルフ「はい。男さんには聞いてもらいたいですから。私が昔どんな風に過ごしてきたのかを」

そう言ってエルフは起き上がり、ソファに座った。男もそれに続くようにしてエルフの横に腰掛ける。エルフはどう話を切り出そうか迷っているのか、もじもじとして何度も男に視線を移しては逸らしていた。
しばらくして、心の準備ができたのか、「よし」と一言呟き、エルフは己の過去を話し始めた。

エルフ「あれは、私がまだ森で過ごしていたころの話です……」

524: 2012/12/05(水) 00:59:48.63 ID:RLjbm7yt0
……



深い、深い緑に包まれた森の中。暖かく、くすんだ木漏れ日が木々の隙間から地面に向かって降り注ぐ。
ここはエルフの森。人々の目を逃れるため、森の奥深くにひっそりと建てられたエルフの楽園。
エルフたちはこの森に日々感謝し、動物を狩り、木の実を拾い、長い時を穏やかに過ごしていた。
だが、近年。森を荒らし、己の領土を増やそうとする人間に、とうとう我慢の限界が来たエルフたちが反旗を翻した。
血を嫌い、争いを嫌っていたはずの彼らはいつの間にか戦争の熱に浮かされ、エルフとしての誇りを持ちながらも人の殲滅に乗り出した。
各里の族長を務めるエルフはそのほとんどが人との戦いに同意し、戦火に身を投じた。そんな中、この里は他と違い、最後まで人との争いを拒んでいた。

525: 2012/12/05(水) 01:00:15.67 ID:RLjbm7yt0
若きエルフ「なぜですか! なぜ、我々は人との争いに参加できないのです。奴らは森を荒らし、獣を駆逐し、なんの感謝もなく木々を次々と切り倒していく野蛮人ではないですか!」

族長「そうかもしれないね。でも、だからといって争いを始めてしまったらそれが最後なのじゃよ。戦いは長引き、人もエルフも互いに傷つくものが出てくる。
 そうなったらお終いじゃ。憎しみが憎しみを呼び、和解への道は遠く険しいものとなってゆく。重ねられた手を振りほどくのは容易いが、再び手を取り合うことは難しいものだよ」

若きエルフ「それでもです。人を信じたところで、私にはこのまま彼らが素直に言うことを聞いて変わっていくとは思えません。奴らは貪欲で、どこまでも先へ先へとまるで生き急ぐように進化を求める。
 木々を切り倒すのもその進化のために必要だと世迷言を叫んでいる。彼らには我々の言うことは理解できないでしょう。きっと……」

族長「それはそうさね。人の一生は私たちに比べて非常に短いのだから。生き急ぐのも仕方の無いことじゃ。彼らはただ、自分が生きている間に少しでも存在していた証を立てようと躍起になっているだけなのだから」

526: 2012/12/05(水) 01:01:11.00 ID:RLjbm7yt0
若きエルフ「では! このまま彼らの蛮行を黙って見過ごすことしか我々には許されないのですか?」

族長「そうは言っておらぬ。ただ、感情に身を任せて短絡的な行動をとってはならぬと言っておるのじゃ」

若きエルフ「……わかりました。今は族長の判断を受け入れましょう。ですが、もし人がこの地に足を踏み入れ、我々の仲間に危害を加えるようであれば、その時は有志を募り、人への反旗を翻している仲間たちの力にならせていただきます」

族長「そうか……仕方があるまい」

若きエルフ「では、私はこれにて失礼いたします」サッ


527: 2012/12/05(水) 01:01:46.47 ID:RLjbm7yt0
シーン

族長「ふむ……。悪い流れじゃ。事態は実に悪い。ここ数十年、人とエルフとの交流は少なくなり、その縁は非常に薄まっておる。かつて互いの手を取り合って過ごしていた時代を知る者はもはやほとんどおらぬじゃろう。
 人とエルフの絆がこのままなくなっては、“あれ”が出てきた時の……」

エルフ「おばあさ~ん」コソッ トテテテ

族長「ん? おお~エルフじゃないか。どうかしたのかい?」

エルフ「なんでもないです。ただ、おばあさんの顔を見に来ただけです」ニコッ

族長「そうかい、そうかい。嬉しいねえ、最近は色々あってあまり会えなかったからね。ほら、こっちにおいで」

手招きをする族長エルフ。エルフは満面の笑みを浮かべて彼女の膝元へと走っていく。

528: 2012/12/05(水) 01:02:14.88 ID:RLjbm7yt0
エルフ「えへへっ。おばあさんの膝枕久しぶりです。相変わらず気持ちがいいです……」ゴロゴロ

族長「おやおや、甘えられてるねえ。よしよし」ナデナデ

エルフ「ほわぁ……」トローン

族長「ふふふっ。いい子だねお前さんは。そうだ、せっかく会えたのだ、聞いておこうか」

エルフ「どうかしました?」

族長「ここにお前さんが来てもう結構な月日が経つが、どうだい? この里は慣れたかい? 困っていることはないかい?」

エルフ「えっと……その……」

529: 2012/12/05(水) 01:02:47.26 ID:RLjbm7yt0
族長「ん? どうしたんだい。もしかして答えにくいことだったりしたのかい?」

エルフ「いえ! そんなことありません。この里に住むエルフはみんなよくしてくれます」ニコッ

族長「そうかい? なら……いいんだけどね」

エルフ「そうだ! おばあさん、よかったらいつものお話を聞かせてもらえますか?」

族長「あれかい? こんな堅苦しい昔話を喜んで聞いてくれるのはお前さんくらいだよ」

エルフ「……」ワクワク

族長「ふむ。そうさね、それじゃあ話してあげようか」

エルフ「やったっ!」

530: 2012/12/05(水) 01:03:15.43 ID:RLjbm7yt0
族長「古い、古い。それこそ私たちエルフと人がまだ手を取り合って暮らしていた時代のお話。
 当時、人とエルフは互いに足りない部分を補い合って生きていた。
 エルフは長寿で、古くから魔法や生活に必要な知識を蓄え、進化させてきた。ただ、その数は人に比べて明らかに少なかった。
 人は短命であったが、それ故にきっかけを与えれば数を集めて知恵を絞り、劇的な進化や変化をもたらせてきた。一人では無理なことも十人、百人と協力し合い成し遂げてきた。
 エルフと人。この二種族が互いに協力し合い、日々の暮らしを健やかに、快適なものへと当時はさせていた」

エルフ「ふむふむ。でも、今は人とエルフの仲はよくないんですよね。一体どうしてそうなったんですか?」

族長「そうだね、それについては今から話していくとしようかね。
 そうしてよき隣人として過ごしてきた人とエルフだったが、ある時大きな事件が起こったと言われているんだよ。
 それは人の集落をエルフが襲い、村人たちを虐頃したというもの。これに激怒した他の人々はエルフに対して怒りを露わにしたんだ。
 しかし、同時にエルフの方にも問題が起こった。それは、人の側と同じくエルフの集落に人が攻め込み、無残な氏体にされたというものだったのだよ。
 人に事件のことを話されたエルフたちもこの事件を話したが、信じてもらえなかった。そして、エルフもまた人の言うことを信じようとしなかったんだよ。
 お互いに相手が事件のことを誤魔化すために嘘をついているんだと思ったんだろうね。
 その件があってから、人とエルフは相手のことをあまり信用できなくなったのだよ。そして、その後も何度も同じような事件が起こった……」

エルフ「……」ブルブル

531: 2012/12/05(水) 01:03:41.77 ID:RLjbm7yt0
族長「互いの怒りが限界にまで達しようとしていた時、事件を生き延びた者が語った。『あれは、かつて氏んだはずの者だ』とね。
 そのことに気がついた一部のエルフがこっそりと人の代表に接触し、そのことを伝えた。そして、人の側にもそのことが本当なのか確認してもらったのだ。
 結果は……当たりだった。人を襲っていたというエルフはかつて事件によって氏んだはずの者の一部だった。
 氏体の数が足りないとは当時気がついていたようだが、連れ去られたか形がなくなるような無残な殺され方をされたかと皆思っていたからそのことに気がつくのが遅れたのだ。
 当然のことながら、誰も氏体が動くとは思っていなかったのだよ。
 そして、互いに不信感を抱えながら人とエルフは動く氏体について調査を始めた。結果、それはある魔物が起こしていることだということがわかったのだ」

エルフ「それは、一体……」

族長「うむ。それはな、“黄昏の使者”と呼ばれる魔物だった。どのように、どこから生まれるのか全く不明。神話の中にだけ登場するもので、氏した者を己の配下として操り、生けるもの全てをその手によって葬り去る存在だったのだ。
 その伝承はエルフ族にだけあり、対処法もかつては記されていたという。生者の側の光にも、氏者の側の闇にも属さないそやつや、その配下。
 エルフだけで対処するにはその頃には敵が増えすぎていて、数のある人はその対処方法を知らなかったんだよ。
 だから、エルフは人に協力を要請し、力を合わせて“黄昏の使者”をその配下も含めて殲滅したのだ。そうして、この世界に平和が訪れた……」

532: 2012/12/05(水) 01:04:09.06 ID:RLjbm7yt0
エルフ「ほわ~。何度聞いても面白い話です……。でも、そんなに協力した仲だったのに、どうして今私たちエルフと人は争うなんてことになっているんでしょう?」

族長「事態はそんなに簡単じゃなかったんだよ。突然現れた魔物。互いに被害が出ているとはいえ、エルフだけがその対処法を知っていたという事実。それが、人の側には変だと思えたんだろうね。
 元々の不信感も重なって、敵の殲滅が終わったあと、人々は『あれはエルフ達が野に放った魔物だ!』と言ったそうだ。
 当然エルフたちはそんなことをしていないため、反論したようだが、互いに譲り合わずとうとう人とエルフは袂を分かつことになったんだよ。
 そうして、長い月日が流れて今また人とエルフの争いが起こっている。これまでも何度か小さな争いはあったが、ここまで大きなものが起こってしまうと、もうどちらかが滅びるか降伏するかしないかぎりこの戦いは止まらないだろうねえ」

エルフ「そんな……。それじゃあ、お父さんとお母さん達は何のために……」シュン

533: 2012/12/05(水) 01:04:50.14 ID:RLjbm7yt0
族長「……今はそのことは忘れなさい。なに、きっとまた人とエルフが手を取り合って生きていけると気がくるさね。今は互いの誤解がきつく絡み合ってしまっているが、いつかきっと誰かがこの誤解という名の縄を解いてくれる時がくるはずだ。
 その時まで、我々は抵抗せず人との和解の道を探っていくしかないのだよ……」

エルフ「おばあさん……」

族長「ふむ、少し話しすぎたかね。ほら、もう日も暮れるはずだよ。そろそろ家にお帰り」

エルフ「はい、また近いうちに来ますね」トテテテッ

族長「……」

族長「本当に、そんな時が来てくれるといいんだがねえ……」ハァ

534: 2012/12/05(水) 01:05:18.14 ID:RLjbm7yt0
……



エルフ「おばあさん……元気なかったですね。やっぱり、みんなに人との交流を絶たないように説得して疲れているんでしょうか……」テクテク

エルフ「顔色もあまりよくなかったですし、大丈夫かな……」

……コツッ

エルフ「いたっ!?」サッ

エルフ「えっ……?」キョロキョロ

535: 2012/12/05(水) 01:05:57.76 ID:RLjbm7yt0
エルフA「やい、裏切り者の子。族長の孫だからっていい気になって! お前なんてとっととこの里から出てけ」ヒュッ

エルフ「痛っ! やめ、やめてください!」

エルフB「うるさい! 人間側についている裏切り者!」

エルフ「そんな……」

エルフC「知ってるぞ、お前の両親人間の味方して殺されたんだって? 俺たちを裏切ったから罰を受けたんだ!」

エルフ「お父さんとお母さんを悪く言うのはやめてください! それに、裏切ってなんていません。二人とも一生懸命和解の道を探っていたんです!」

エルフA「じゃあ、何でお前の両親は氏んだんだよ! いっくら頑張ったところで結局のところ人間に話なんて通じないんだよ! あいつらは野蛮な民族だからな」

536: 2012/12/05(水) 01:06:25.15 ID:RLjbm7yt0
エルフ「そんなことありません! ちゃんと話せばわかってくれる人だっています。一方的に決めつけるなんてよくないです」

エルフC「言い訳ばっかりで見苦しいぞ! 現にお前の親は人間の手によって氏んだじゃないか。それが何よりの証拠だ! 奴らに話し合いなんて通じない。若エルフさんの言うように俺たちには戦うしか選択肢はないんだよ!
 それともお前は俺たちエルフは黙って人間に殺されろとでもいうつもりかよ」

エルフ「違います! そうじゃないんです……」

エルフB「だいたい、族長も族長だ。なんで、人間との交戦にそこまで反対するんだ。今更そんなことをしたって無駄だっていうのに。これだから、頭の固い古いエルフは困るんだ……」

エルフ「……! 私のことを悪く言うのは構いません。でも、おばあさんのことを悪く言うのはやめてください!」

537: 2012/12/05(水) 01:06:55.04 ID:RLjbm7yt0
エルフA「……まあ、若エルフさんにも族長のことを悪く言うのは止められているしな。このくらいにしておくか。だがな、どっちの意見が正しいのかはすぐにわかるようになるさ。その時、人間の見方をしたお前に居場所はないと思っておくんだな」

エルフB「裏切り者はおとなしく家にでも篭ってるんだな」

エルフC「間違いないな」ハハハハハ

タッタッタ

エルフ「……」グスッ

エルフ(お母さん、お父さん。私、間違ったこと言っていないですよね。二人とも正しいことをしたんですよね?)

エルフ「家に、帰りましょう……」トボトボ

538: 2012/12/05(水) 01:07:22.12 ID:RLjbm7yt0
――翌朝――

エルフ「う、うぅ~ん。今日もいい天気です。昨日は帰ってすぐに眠ってしまったので何も食べていません」グゥ~

エルフ「森の奥に行って果実を取りに行ってきましょう。あ、できればお魚も欲しいですね。帰りに川に寄って魚を採りましょう」

ギィィ、パタン

エルフ「行ってきます」

シーン

エルフ「……」タッタッタ


539: 2012/12/05(水) 01:08:21.01 ID:RLjbm7yt0
――森の奥――

エルフ「えっと、これは食べれるキノコで、これはダメ。あ、この果物虫食いがひどいですね……」

エルフ「よいしょ、よいしょ。籠をあらかじめ持ってきておいて正解でした。これだけ多いと手で運ぶには限界があります。あとはお魚を採れば……」テクテク

?「うっ……うぅ……」

エルフ「あれっ? なんでしょう?」テクテク

エルフ「あ!? 誰か、倒れています。……これは、人間?」ジッ

エルフ「ど、どうしましょう……。このまま見捨てる、なんてできないですし。かといって連れ帰ればまた……」

?「……」ガクッ

エルフ「あっ……」

エルフ「……」キョロキョロ

エルフ「……」ギュッ

タッタッタッ

540: 2012/12/05(水) 01:08:47.82 ID:RLjbm7yt0
……



?「うっ……ここ、は?」

エルフ「あ、気がつきましたか?」

?「君は……エルフ? そうか、それじゃあここはエルフの……うぐっ!」

エルフ「駄目です! まだ傷がちゃんと塞がっていないんですから無理しちゃ……」

?「すまない。傷の手当は君が?」

エルフ「いえ、それは私じゃなく……」

541: 2012/12/05(水) 01:09:46.26 ID:RLjbm7yt0
族長「そこからは私に話をさせてもらおうかねぇ」

エルフ「おばあさん!」

族長「よく様子を見ていてくれたね。ありがとう、お前さんはひとまず別室でゆっくりと休んでいなさい」

エルフ「で、でも……」

族長「なに、別にとって食うわけでもあるまい。少し話をするだけさね。信じておくれ」

エルフ「……はい、わかりました」ギィィ、パタン

542: 2012/12/05(水) 01:10:49.00 ID:RLjbm7yt0
族長「……ふむ、行ったようだね」

?「あなたは……?」

族長「私かい? 私はこのエルフの里の族長さね。そういうあんたはどうなんだい?」

?「私は、学者です。エルフと人との関係に調べているものです。もっとも、人の世からは厄介もの扱いされて学会からも居場所も奪われてしまいましたが……」

族長「なるほどねえ。それで、一体なんだってあんなところで傷ついて倒れていたんだい?」

学者「それは……」

族長「話せないような事なのかい? それともお前さんもエルフに対して悪意の偏見を持っているのかい?」

543: 2012/12/05(水) 01:11:51.58 ID:RLjbm7yt0
学者「……わかりました。では、お話させていただきます」

そう言って学者はポツリ、ポツリと森で倒れるまでの経緯を話し始めた。
彼は元々魔術関連の研究を行なっている一学者だった。しかし、敵対しているエルフが人よりも優れた魔術を身につけていることに関心を持ち、そこからエルフについての研究にも手を伸ばすようになっていったという。
最初は興味本位で調べ始めた事だったが、時が経つにつれて段々と本来の研究よりもエルフについての研究に没頭していくようになっていった。
そんな日々が幾年も過ぎ、エルフと人が何故こんなにも争うのか疑問を抱くようになった彼は、このような状況になった原因を調べ出した。
そもそも人の世界ではエルフは毛嫌いされ敵としてみなされているが、どうしてそのように感じるようになってしまったのかは詳しく説明されていなかった。
親から子へ、子から孫へ。
ただエルフは蛮族、人の敵ということだけが伝えられ続けたことによって、彼らに対する敵対心が刷り込まれ、争いに巻き込まれ被害を受けた者が憎悪を募らせることになり、結果としてエルフは倒すべき対象としてみなされていたのだ。
だが、そんな人々にそもそも何故エルフと人は争うようになったのか? と問いただしても昔からの敵だからという答えしか返ってこなかった。
不思議に思った彼は更に双方の関係を詳しく調べ、つい先日ようやくエルフと人が決別することになった真実に辿りついた。
冷静に考えればこれは人の側に非があるように感じた彼はこの事実を纏めた論文を学会に提出した。しかし、これが不味かった。
古くからの事実を知っていた一部の学会員たちはこのことが世に晒されて人々がエルフと戦うことに躊躇いが出るのを恐れ、この論文を焼却した。そして、このことが彼の口から他の者に伝わらないようにするために口封じとして暗殺者を放った。
このことに気づいた彼は必氏に逃げ、決氏の思いでエルフの住むと言われている森へと逃げ込んだのだ。一か八かの賭けではあったが、暗殺者も敵がいる場所へわざわざ足を踏み入れるわけにもいかない。
そして、森の奥深くまで逃げ切ったと思ったその時、彼の身体に激痛が走った。見れば、腹部の一部が裂け、血が流れていた。近づけなくとも遠くからなら。そう思った暗殺者が放った弓矢が彼の腹を裂いたのだ。
走る激痛、見慣れない血にショックを受けた学者は腹部を抑えながら歩いていき、森の奥で倒れた。そして、果実を採りに来たエルフに助けられ今に至るというわけである。

544: 2012/12/05(水) 01:13:02.52 ID:RLjbm7yt0
族長「なるほどねえ。それは災難だったね」

学者「いえ、自分もこの事実を知るまではエルフのことを毛嫌いしていましたから。ある意味では自業自得です。正直に話させてもらえば、今もあなたがたが得体の知れない存在として恐ろしいと思っている自分もいます」

族長「そりゃ、そうさね。今までろくに対話せず命を奪い合ってきた存在のいる場所に身一つで放り込まれているんだ。怖がっても仕方がないね」

学者「そう言っていただけるとありがたい」

族長「それはそうと、あんたこれからどうするつもりだい?」

学者「実はまだ何も考えれていません。命を守ることに必氏だったのでどうするかなんて考える余裕もなくて……」

545: 2012/12/05(水) 01:13:29.84 ID:RLjbm7yt0
族長「そうかい。でも厄介なことになったね。あたしはあんたがここにいようと別に構いやしないんだが。なにせ時期が時期だ。人とエルフとの戦いは激しくなる一方。特に若いエルフは今のあんたが話してくれた若い人間と同じように人を倒そうと躍起になってる。
 この里のエルフはまだ私が抑えているけれどそれもいつまで持つかわからないのが正直なところだねぇ。
 だからあんた。その傷が治ったらすぐにこの森を出たほうがいいよ。私も立場が立場なものだから見てみぬふりをするくらいしかできないけどねえ」

学者「いえ、今の人とエルフの状況を考えればそう考えて当然です。むしろ人とわかっていて殺さないでいただけるだけマシでしょう。その上手当までしていただいて。感謝しております」

族長「ひとまずはこの家から出ないことだね」

学者「わかりました。ご助言ありがとうございます」

546: 2012/12/05(水) 01:15:04.17 ID:RLjbm7yt0
族長「なに、これ以上厄介事が増えるのを防いでるだけだよ。私は争いが嫌いだからね」

学者「そうですね。戦争なんてものは互いに傷つくばかりです。生み出すのは相手に対する憎悪ばかり……。本当に早く戦いが終わって欲しいと願うばかりです」

族長「そうだね。でも、さすがに今回ばかりはどちらかが滅ぶか、それとも服従することになるか。行き着くところまで行かないと終わりそうになさそうだけどね」

学者「……できることなら、人とエルフが手を取り合っていけるような世界が出来上がればいいのですけどね」

族長「そう簡単に事が進むようならこんなに長い時間互いに争い続けたりはしていないさね」

学者「確かに、あなたの言うとおりですね……」

547: 2012/12/05(水) 01:15:37.60 ID:RLjbm7yt0
シーン

族長「さて、話はこの辺にしておこうかね。あんたもその状態でずっと起き続けているのは辛いだろうし。もう一眠りしておきな」

学者「確かに。実は先ほどから眠気がひどくて……」

族長「まあ、後のことはエルフに話しておくから。あんたはゆっくり休んで傷を治すことだね」

学者「あ、すみません。ひとつお願いがあるのですkが聞いてもらえないでしょうか?」

族長「なんだい?」


548: 2012/12/05(水) 01:16:49.66 ID:RLjbm7yt0
学者「あのエルフの少女にお礼の言葉を伝えてもらないでしょうか? 本当はさっき言っておきたかったのですが、伝える前に彼女は部屋を出て行ってしまったので……」

族長「それくらいなら構わないよ」

学者「ありがとうございます。もちろん目が覚めたらまた自分でも伝えておきますので」

族長「そうかい。それじゃあ」

ギィィ、パタン

族長「さて、この状況。どうしたもんかねえ……」

549: 2012/12/05(水) 01:17:18.50 ID:RLjbm7yt0
……



学者の男が療養を始めてから二日が経った。この間、特に何が起こるわけでもなく、エルフの看病を受けながら少しずつ彼は体力を取り戻し始めていた。

エルフ「あ、あの。これ……どぞ」

ベッドの上で上半身を起き上がらせている学者に向かってエルフがおずおずと果実を差し出す。今朝に森の奥で採ってきたばかりのものだ。

学者「ああ、ありがとう」ニコッ

学者はエルフからそれを笑顔で受け取るが、どうにも二人の間には微妙な空気が漂っている。
恐怖心はそこまでない。おそらくは人として学者はいい人の部類に入るであろうということもなんとなくエルフは悟っていた。しかし、これまでほとんど接点のない人と暮らすのは彼女にとっては急なことであり、戸惑ってしまっても仕方のない事態だった。
それとは別に彼女にはもう一つ距離感をつかめない理由があった。
それは、エルフの両親のことだった。

550: 2012/12/05(水) 01:17:46.75 ID:RLjbm7yt0
エルフ(この間のおばあさんとの話。気になってこっそり聞いちゃいましたけど、この人もお父さんとお母さんと同じように人とエルフの和解の道を考えているんですね……)

彼女の両親と同じ考えを持っている学者にだったらすぐに打ち解けてもよいとエルフも内心では思っていた。だが、彼が人であるということが彼女と学者との間を邪魔していた。

エルフ(お母さんも、お父さんも頑張って人とエルフとの仲を良くしようとしたのに……。周りからは裏切りもの扱いされて、里から追い出されて。最後は人との争いに巻き込まれて人の手によって氏にました……。
 この人に罪はないのはわかってますし、怒ったところで逆恨みです。そもそも、本当に嫌ならあのまま見捨てます。でも、そうしたらお父さんたちのしたことを私が否定してしまいます。
 ああ、もう。どうすればいいんでしょう。頭がごちゃごちゃして訳がわからないです)

考えが纏まらず黙り込んでしまうエルフ。こんな様子はこの二日の間に何度もあった。

551: 2012/12/05(水) 01:18:30.73 ID:RLjbm7yt0
学者「……やっぱり君も私が憎いかね?」

そんなエルフの内情をなんとなく察したのか学者は彼女に訪ねた。エルフが話を聞いていたと気づいていない学者は彼女が人に対して憎しみを抱いていると思ったのだ。

エルフ「……」

違います。
そう返事をしようとしたエルフだったが、何故か言葉が出てこなかった。

エルフ「また……後で来ます」

代わりにそれだけを学者に伝えてエルフは部屋を出て行った。

学者「本当に、人とエルフの間にある溝は深いものだ……な」

552: 2012/12/05(水) 01:19:32.31 ID:RLjbm7yt0
気まずい気分を胸に抱えたまま部屋を出たエルフは、己のうちにある複雑な感情を持て余していた。

エルフ(言い返したかった……。私は人を憎んでいないって……)

そう思っていた。それはエルフの本心である。人と仲良くして行きたい。

両親が語ってくれたように、人とエルフが共に手を取り合って行く未来を見てみたい。
自分もその関係を作り上げる者になりたいと。そう……思っていた。

だが、そのように明るい望みの裏側でふつふつと暗い感情が沸き上がるのを感じていた。

人は敵だ。ずる賢く、自分勝手で。手を差し伸べたところでその手を振り払う。

母エルフ『お行きなさい。あなただけでも……』

父エルフ『私たちはここに残るから。ほら、早く。おばあさんがきっと待っているよ』

不安を感じさせない笑顔を浮かべ、戦火の中娘を送り出した両親。彼らの遥か後ろにはこちらに向かってくる幾つもの人影があった。

今だから分かるが、あの時両親は氏ぬつもりだったのだ。しかし、せめて娘だけでもと思い、どうにかエルフを送り出した。
心配をかけまいと笑顔を浮かべて。

553: 2012/12/05(水) 01:20:06.52 ID:RLjbm7yt0
涙を浮かべ、エルフは戦火の渦中にある草原を駆け抜けた。振り向く事はできなかった。
迫り来るプレッシャー、振り向いた先にある凄惨な光景、そしてほんの僅かでも足を止めれば己の命も危ういのだと本能的に悟っていたからだった。

気づけばひとりぼっちで森の中を彷徨い歩いていた。涙を流し、無様に嗚咽を漏らしながら。
そして、森の奥から現れた同胞達によって保護され、祖母のいるこの里で暮らすようになった。
住む場所は変わったものの、生活自体はそれまでとあまり変わらなかった。

生きるために必要な最低限の食事を取り、森の奥で穏やかに過ごし、たまに祖母である族長エルフに昔話を聞かせてもらう。そんな毎日がずっと続いていた。

同胞のエルフ達からは彼女の両親が人との繋がりがあったことで裏切り者の子と罵られているが、それもあまりたいした事ではない。
族長の孫という事もあってか、他のエルフ達もそれほど手を酷く手を出してこない。

554: 2012/12/05(水) 01:20:38.38 ID:RLjbm7yt0
世話になっている祖母にも迷惑をかけまいと、毎日明るく、明るく振る舞ってきた。誰からも好かれるように、邪魔な存在だと思われないように。

息を頃し、まるで空気のように。その場に存在しても誰からも気づかれず、誰の迷惑にもならないように努めてきた。

心はずっと平静だった。そう、彼が来るまでは……。

エルフ「どうして……。どうして、私の前に現れるんですか……」

胸の内にある黒いもやもやは一向に腫れる気配がない。それどころか、日ごとにその量を増していっている。
昨日は平気だった学者の何気ない一言でも、今日には苛立の原因になってたりもした。


555: 2012/12/05(水) 01:21:08.00 ID:RLjbm7yt0
エルフ「私、このままじゃ人間のことが嫌いになっちゃいます。そんなことになっちゃ駄目なのに……。
お父さんとお母さんの言っていたことを裏切る事になっちゃう。
もしそうなったら、私には本当に何もなくなっちゃいます」

己に起こった変化を恐れ、その場にしゃがみこみ、エルフは己の体を抱きしめた。だが、そんな彼女を優しく癒してくれる存在は今この場には誰もいなかったのだった……。


556: 2012/12/05(水) 01:21:40.25 ID:RLjbm7yt0
……



エルフA「やっぱり言っていた通りです。あのエルフのやつ家に人間を匿ってます」

エルフB「本当です。ずっと見張っていましたけど窓から人間の男が家の中を動いているのが見えました。
ただ、どうも怪我しているみたいであまり体調がいいようではないみたいですけれど」

エルフC「それで、どうするんですか?」

若きエルフ「いや、今はまだなにもしないさ。もう少しだけ待とうか」

557: 2012/12/05(水) 01:22:07.49 ID:RLjbm7yt0
エルフB「そんな! みすみす人間を見逃せっていうんですか? あいつらに殺された同胞はたくさんいる……」

エルフA「やめろよ! 若エルフさんには何か考えがあるんだよ。そうですよね?」

若きエルフ「ああ。君たちの気持ちもわかる。人間を前にして流行る闘争心を必氏に抑えているのも……ね。
私だって君たちと同じだ。あの人間をこのまま逃すつもりはないよ。だけど、今は駄目なんだ。
 このままあの人間を捕まえて見せしめにして頃すのは簡単だ。
でも、我々は人間と違ってそんな野蛮な行為はしない。頃すなら後悔する暇も与えずに頃す。
 だけど、あの人間はまだ利用する価値がある。頭の硬い老人たちの目を覚まさせ、戦うことから目を背けて同法を見頃しにしているヤツらの口を黙らせるためのね。
 だから、私が許可するまではあの人間に手を出さないように。それと、あのエルフの少女にも」

558: 2012/12/05(水) 01:22:48.54 ID:RLjbm7yt0
エルフC「あいつにも手を出してはいけないんですか?」

若きエルフ「そうだよ。その理由も後で分かる。今は僕を信じてくれとしか言えないけれど……」

エルフA・B・C「……」

若きエルフ「やっぱり、無理なお願いだったかな」

エルフA「いえ! そんなことありません。自分は若エルフさんの言うことに従います」

エルフB「自分もです」

エルフC「あ……じ、自分もです!」

559: 2012/12/05(水) 01:23:14.80 ID:RLjbm7yt0
若きエルフ「そうか……。みんな、ありがとう。もう少し、もう少しだ。あと少しで私たちは他の里のエルフたちと同じように人間を滅ぼすための聖戦に参加できる。
その時まで、君たちには充分に力を蓄えていてくれたまえ」ニコッ

エルフA・B・C「はい!」

熱に浮かされたような声で三人の少年エルフは答える。彼らを導く若きエルフのその目に宿る狂気的な光に気がつくことなく。
いや、あるいはその光に魅入られ、引き寄せられるようにして少年エルフたちはそばにい続けるのかもしれない。

戦争がもたらす狂気的な熱。その余波は争いを避けようと望み続ける里にまで及び、腸を食い破る寄生虫のように内側からジワリ、ジワリと侵食を始めていた……。

560: 2012/12/05(水) 01:24:51.16 ID:RLjbm7yt0
……



――数日後――

その日は、とても穏やかな陽気だった。森は静かに息を潜め、そよ風が木々の間をすり抜けていく。まるで激動の前のひと時を思わせるような静けさだった。

そんな森にただ一人療養生活を送っていた人間がいた。数日前に負った傷はもうほとんど癒え、寝てばかりで動かしていなかった身体をほぐしている男が。

そして、そんな彼と同じ家に住んでいる少女が一人。種族の違うエルフが少し離れた位置で彼の様子を見ていた。

二人は結局この数日間互いの距離をつかむことができずに終わった。
エルフは自分の苛立ちを胸に抱えながらも、できるだけ表に出そうとせず男性の看護をし、男性はエルフの様子に気がつきながらもただ黙っているだけだった。

そして、今日。ようやくまともに歩けるようになった学者はこの森を出ることを決意していた。
そのことを昨晩エルフに話したが、エルフは喜ぶわけでも悲しむわけでもなくどこか曖昧な表情を浮かべてただ「そう……ですか」とだけ呟いた。

561: 2012/12/05(水) 01:25:46.67 ID:RLjbm7yt0
結局、人とエルフは分かり合うことはできないのだろうかと学者は考えていた。
かつて、人とエルフが共存していたのは幻のようなもので、それが実現すること等ありえないのだろうかと。
だが、己に問いかけたその質問に返ってきた答えは否だった。
まずは自分から、一歩踏み出す。そうしなければ何も変えることなどできない。
誰かが事を起こすのを待っているだけでは、この状況はきっといつまでも変わらないだろう……。
だからこそ、学者はここを旅立つ前に自分を看護してくれたエルフに伝えておくべきことがあった。内心でどう思われていようが、彼が少女に命を助けられ、こうして生きながらえているのは彼女のお陰なのだ。
チラリと視線を移すと、そっとこちらの様子を伺っているエルフの少女の姿があった。こちらを見ていることに気づかれて焦っているのか、あたふたとし、罰が悪そうに視線を彷徨わせている。

学者(きっと、この子に出会ったのはある意味で運命だったのかもしれないな)

そう思いながら、学者は人とエルフが共に歩んでいくための一歩を踏み出そうとしていた。

学者「よければ……少し話をしないか?」

学者のその提案に、エルフは少々戸惑ったが、しばらくしてコクりと小さく頷いた。

562: 2012/12/05(水) 01:26:44.19 ID:RLjbm7yt0
居間にあるテーブルを挟んで人と、エルフが向かい合っている。どこか落ち着かない様子なエルフの少女。
そんな彼女とは対照的に、人間の男の方は落ち着いた様子で話し始めた。

学者「まずは、お礼を言わせて欲しい。人の身でありながら命を救っていただいたこと、本当に感謝している。
きっと君がいなかったら私はあのまま野垂れ氏にしていただろう……」

エルフ「いえ、別にお礼を言われることじゃ……」

学者「お礼を言うことだよ。君たちエルフが人に対していい感情を抱いていないのは知っている。それがわかっていてもなお助けてくれたんだ。感謝してもし足りないくらいさ。だけど、同時に気になることがある。
 君だってエルフの一族だろう? なら人を助けたら自分が周りから何を言われるのかくらい想像が付くんじゃないか? それなのに、どうして助けようだなんて思ったんだ?」

これは学者がエルフに助けられてからずっと抱いていた疑問だった。
自分を助けて、そのことが周りに知れてしまえば、この少女は差別される。裏切り者の烙印を押され、爪弾きにされるだろう。
少女とはいえエルフだ。そのことがわからないはずがない。それなのにどうして自分を助けたのだろうか……と。
この問いかけにエルフはしばらく黙り込んで、返事をするべきか迷っているようだった。
やはり聞くべきではなかったかと学者が思い、その質問の返事をしなくてもいいと伝えようと口を開こうとした時、エルフが話を始めた。

563: 2012/12/05(水) 01:27:11.78 ID:RLjbm7yt0
エルフ「私には大事な、大事なお父さんとお母さんがいました。二人はずっと人と交流を持っていて、大きな戦争が始まる前から仲良くしていました。
戦争が始まっても二人は人との交流をずっとやめないで、他のエルフたちから非難されてもずっと笑顔で過ごしていました。
 何も悪いことをしていなかったのに、結局お父さんたちは裏切り者だと罵られ、里を追い出されて……。そして、最後には信じていたはずの人に……裏切られた」

学者「……」

エルフ「あんなに人のことを信じて、エルフと人が仲良くなるように頑張ってきた二人だったのに……。誰一人として二人のことを理解してくれませんでした。正直、人のことを憎いと思わないこともないです。
 でも、私が人のことを嫌いになってしまったら二人はきっと悲しんでしまいます。最後まで人とエルフの道を探して、私を命をかけて守ってくれたお父さんとお母さんを私が裏切ることになってしまいます」

学者「だから、助けたと?」

564: 2012/12/05(水) 01:27:41.15 ID:RLjbm7yt0
エルフ「そう……だと思います。理由なんてこんなものです。私は二人のためにあなたを助けたんです。
それに、裏切り者なんて烙印は私には昔からずっと押されています。あのままあなたを見捨てたところでそれが消えるわけでもありません。だったら、助けたほうがいいと思っただけです。
 どうです? 私は別に善意からあなたを助けたわけではないんです。ただ、二人のしてきたことを私自身が否定したくなくてやっただけなんですよ……」

そう呟くエルフの顔はとても悲しそうだった。

学者「……」

沈黙が続く。この場の雰囲気にそぐわない小鳥の陽気なさえずりが甲高く外から聞こえる。そのさえずりを遮るように学者は告げる。

学者「君は、我慢しているんだね……きっと。いいんだよ、もっと人を嫌いになっても。そうしても誰も君を責めることはないんだ。
君は、君だ。お父さんや、お母さんは確かに人を信じて亡くなったのかもしれないけれど、君がそれに縛られることはないんだ」

565: 2012/12/05(水) 01:29:37.81 ID:RLjbm7yt0
エルフは学者の言葉にハッとした。今まで誰もそんなことを言ってくれた者はいなかった。
誰かを嫌いになってもいいだなんて。自分にはそんな権利がないとずっと思っていたのだ。
しかも、それを告げたのはよりによって憎み、嫌うべき人間。

エルフ「やめて……ください。そんなことを今言われても困るんです……。私は、誰も嫌いになんてなっちゃいけないんです……」

学者「それは違うよ。君はもっと自由になるべきだ。誰かを好きになったり、嫌いになって分かることもあるんだ。
誰にでも同じ態度でいるってことは聞いている分はいいと思えることだけど、実際は誰に対しても興味を持っていないのと同じことなんだよ。
 本音で接して、それで初めて分かることもある。君のご両親は人に対して上辺だけの付き合いだけしていたかい?」

エルフ「そんなわけありません! 二人とも真剣に人と交流をしていました!」

566: 2012/12/05(水) 01:30:05.02 ID:RLjbm7yt0
学者「そうだろうね。だからこそ、二人とも最後まで人との道を探っていたんじゃないかな? 本音で彼らと付き合っていたからこそ、周りから非難されようともずっとその交流を断つことはなかったんじゃないかな?
 人にだって、悪い者はいくらでもいる。中には救いようのない者だって……ね。
でも、分かって欲しい。そんな中にもいい人だっているんだ。だからこそ、せめて君にだけは本音で接して欲しいと思う。
 君が嫌だと思う人もいるだろう。そんな人は嫌ってもいい。でも、同時に君が好きだと思える人には真摯に向かい合って欲しいんだ」

エルフ「……」

学者「これがただのお節介だっていうのは分かっている。でも、君がどう思おうと命を救ってもらって私は感謝している。それがたとえただの義務感だったとしてもね」

エルフ「……」

伝えられた言葉を噛み締めるようにエルフはうつむき、何かをじっと考え込んでいた。その様子を学者は静かに眺めていたが、やがて席を立ち、

学者「本当にお世話になった。夕方までにはここを出て行くよ」

エルフにそう伝えて、自分にあてがわれていた部屋に戻っていった。

エルフ「私……は」

残されたエルフは、何をするわけでもなくその場に居続けるのだった。

567: 2012/12/05(水) 01:30:43.99 ID:RLjbm7yt0
……



日も沈み始め、夜が森に訪れようとしていた。朝方の明るい雰囲気はいつの間にかなりを潜め、不気味な暗がりが森に広がっていく。

風に揺られざわつく木々。その様子が森に漂う不穏な空気をより一層濃くしていく。

学者「よし、行こうか」

周りに他のエルフが居ないことを確認して、学者は家を出る。最後に別れの挨拶をしておこうとエルフの部屋をノックしたが、返事がなかった。

568: 2012/12/05(水) 01:31:13.67 ID:RLjbm7yt0
学者(やはり、余計なことをしてしまったかな……。後味の悪い別れにはなるが、むしろこの方がいいのかもしれないな。
 彼女は直ぐに変わることは無理だろう。でも、もし彼女がこの森を出て人と出会うことがあったなら、いい人と出会うことができたのなら、きっと今と違って自由になることができるだろう……)

彼女のこれからが良いものになればいいと思いながら学者は森を出るために先へ先へと進み始める。だが……。

若きエルフ「すみませんが、あなたにこの森を出て行かれては困るんですよ」

唐突に背後から聞こえてきた声に驚き、振り向く。見れば、二十代ほどの外見のエルフを先頭に幾人ものエルフたちが彼の後ろに立ち並んでいた。

学者(彼らは いや、そんなことよりこの状況はマズイ……)


569: 2012/12/05(水) 01:31:50.90 ID:RLjbm7yt0
突然己の前に現れたエルフに驚くが、学者は意外にも冷静だった。
こんなにもたくさんのエルフがまさに森を出ようとするこのタイミングで現れたということは、以前から自分がこの森に滞在しているということが彼らにはわかっていたということだ。

一瞬、族長かエルフの少女が自分のことを彼らに密告したかという考えが思い浮かんだが、エルフの少女はほかのエルフからつまはじきにされていると聞いていたし、族長もそんなことをする者とは思えなかった。

学者(そもそも、こんなに大勢のエルフがいるのだ。殺害が目的ならとっくに殺されているだろう。なら、何か別の理由が……)

エルフたちの目的に考えを巡らせていると、彼らの先頭に立っている若いエルフが学者に向けてこう告げた。

若きエルフ「では、始めましょうか。世代の交代を……」

彼の言葉に合わせて数名のエルフが学者を取り囲む。なす術なくエルフに捕らえられた学者を見て若きエルフの口元が歪む。

古い時代はここに終わり、若き者たちの変革が始まりだした。

570: 2012/12/05(水) 01:32:34.39 ID:RLjbm7yt0
一方、部屋の窓から事態を見つめていたエルフは焦っていた。

エルフ(なんで、あんなに他のエルフが……。それもですけれど、あの学者さんが連れて行かれました)

一体、今この森で何が起こっているのか? そして、彼らは学者をどうするつもりなのか。それを考えたとき、エルフは己の身に迫る危機を感じた。
エルフ(このままじゃ、私も……)

そう理解した瞬間、家の扉が壊されて開く音が聞こえた。数名の同胞が己に視線を向けている。裏切り者とその瞳は確かに彼女に向かって語っていた。

エルフ(逃げないと……)

迫り来る同胞を前にして、エルフは窓から身を投げ出し、全速力で走り出した。それを見て同胞たちも彼女を追いかけていく。

571: 2012/12/05(水) 01:33:00.42 ID:RLjbm7yt0
エルフ(怖い、怖い……こわい)

走っても走っても離すことのできない相手との距離。捕まったらどうなるのか、それがわからないわけではない。
今までは間接的に付けられていた裏切り者の烙印を直接その身に刻まれ、皆の前に無様な姿を晒すことになる。そして、最後は……。

エルフ(氏にたく……ないです)

父と母が今までしてきたことを否定されたくない。ここで自分が殺されてしまえば、それこそ彼らのやってきたことは本当に無駄になってしまう。
そう思ったからこそ、エルフは走り続けた。暗い、暗い森をたった一人で。
だが、悲しいことに彼女を追いかけているのは成熟したエルフ。それも戦闘に長けた者たちだった。
大人と子供ではいくら頑張ったところでその身体能力には差が出る。まして、それが訓練されたものとそうでないものであるならばなおさらだ。

徐々に、徐々に差は縮まり。ついに、エルフは……。

572: 2012/12/05(水) 01:33:28.35 ID:RLjbm7yt0
エルフ「いやっ! 離して、離してください!」

捕まってしまった。彼女の手をつかみ、動きを止めたエルフの顔には怒りが宿っていた。

エルフ兵「仮にも同胞であるお前が、我ら一族を裏切り人に手を貸すとは。
やはり、裏切り者の子は裏切り者でしかないということか……。その罪、衆目に晒して命を捧げることによって注ぐが良い」

力強く、腕を握り締めエルフを引っ張っていこうとする兵士。だが、突如その力が弱まる。

エルフ兵「な、なんだ? 力……が」

彼のその言葉をきっかけに、エルフの周りを囲んでいた他のエルフたちが力なく倒れていく。

573: 2012/12/05(水) 01:34:27.29 ID:RLjbm7yt0
エルフ「えっ……えっ?」

突然の出来事に、何が起こっているのか分からず、戸惑うエルフ。だが、戸惑う彼女を叱咤する声が辺りに響き、彼女は冷静になった。

族長「何ぼさっとしているんだい。いいから、早く逃げな」

見ればエルフから離れた場所に彼女の祖母である族長が立っていた。

エルフ「おばあさん!」

族長を見て安心したのか、エルフは彼女の元へと駆け寄り飛びついた。だが、顔を上げて彼女の表情を見た瞬間、一瞬浮かべた笑顔が再び凍りつく。
どこか、諦めた表情で、優しく諭すようにエルフの肩に手をかけて族長は伝える。

574: 2012/12/05(水) 01:35:13.35 ID:RLjbm7yt0
族長「行きなさい。ここにいてはいけないよ。お前さんはもう、ここで生きていけないんだ」

その言葉、雰囲気にエルフは氏んだ両親の最後を族長に重ねた。

エルフ「いや……。いや、です。だって、私。全然おばあさんと過ごしていません。これからだって、もっとずっとおばあさんと一緒に暮らしていきたいんです」

知らず、エルフの頬を涙が流れる。そんな彼女のわがままに族長は、

族長「お前さんはまだ若い。これからの世の中に必要な存在なんだよ。私はもう、長いこと生きすぎたみたいでね。周囲からは反発され、家族を亡くした。
もうお前さんしか残っていないんだよ。だから、頼むよ。生きておくれ。
 そして、できるならば人を、エルフの同胞を恨まずにいておくれ」

いくらエルフでも、ここまで言われてはわかってしまった。この老婆とはもうここで別れてしまえば二度と会うことができないのだと。

575: 2012/12/05(水) 01:35:42.09 ID:RLjbm7yt0
エルフ「どうして……どうしてみんな私を置いていってしまうんですか? 私、みんなと一緒にいたいだけなのに……」

族長「そう願っているのはお前さんだけではないよ。誰だって、好きな人とずっと一緒にいたいはずさ。でも、今の世の中ではちょっとしたすれ違いからそうすることが皆できないんだよ。
 でもね、いつかきっと。誰もが笑って、種族なんてものを気にしないで手を取り合って生きていく時が訪れるはずさ。
 私はお前さんにそんな世の中を見てもらいたいんだ。だから……生きておくれ」

拭っても、拭っても溢れ出る涙。少女の瞳から落ちてゆくそれを老婆はそっと取り払う。

族長「さて、これで本当にお別れだ。あんたが来てから苦労は確かにしたけれど楽しい毎日だったよ。孫の顔が見れて本当に幸せものさ」

族長はエルフの元を後にし、森の奥へ奥へと進んでいく。己の傍を去っていく老婆にエルフは必氏に手を伸ばすが足がすくんでその場から動けなかった。

576: 2012/12/05(水) 01:36:08.21 ID:RLjbm7yt0
エルフ「おばあさん、おばあさん! おばあさあああああああああああああああああん」

喉が裂けるほど大きな声を張り上げる。だが、老婆は一度として振り返ることなく森の闇に飲み込まれていった。

エルフ「う、うぅぅっ。ひっぐ、えぐっ。おばあ……さん……」

一通り泣き終わり、ようやく涙も枯れ始めた。だが、それと同時に気絶していた兵士たちがわずかに動き出しているのにエルフは気づいた。

エルフ(行かなきゃ……。この森をでなきゃ……。おばあさんの言ったことを守らないと。私は……生きないといけないんだ)

そして、再びエルフは駆けていく。森を出て、この先の未来にある何かを経験するために。

577: 2012/12/05(水) 01:36:35.76 ID:RLjbm7yt0
……



エルフ「そうして、私は森を出ました。でも、森を出たところで行く先も、生き方も知らなかった私はすぐに奴隷商人に捕まって奴隷になりました。
 そして、戦争が終わるまで奴隷として生きるための術を教えられて、私を買い取ってくれる人を探してこの街に来たんです」

男「そして、僕と出会った……」

エルフ「はい。男さんと出会えたのは私にとって本当に幸いでした。こんなにもいい人が私のことを引き取ってくれて、今こうしてあなたの傍にいることができる。
 今の私にとって、これが一番嬉しいことです」

男「……そういうことは真顔で言わないでくれ。それで、エルフのおばあさんとその学者のその後は……」

エルフ「わかりません。でも、きっと二人とも生きてはいないと思います。おばあさんはきっとあの時自分が氏ぬことがわかっていて私を逃がしてくれたんだと思います」


578: 2012/12/05(水) 01:37:13.70 ID:RLjbm7yt0
男(……若いエルフたちによる変革か。やっぱり、戦争っていうのは何もかもおかしくさせるんだろうな。おばあさんはただ、平和に暮らしたかっただけだろうに……。
 でも、僕もその戦争の熱に浮かされていた一人だ。そう考えると彼女がこんな風に家族を亡くして過ごさないといけなくなった責任は僕にもあるんだ……)

エルフ「奴隷になった時はやっぱり辛かったです。頼れる人は誰もいなくって、嫌なこと、悲しいことばかりが頭の中を占めて……」

男「エルフ……」

エルフ「でも、そのおかげで男さんと出会うことができたんです。辛いこともたくさんありましたけど、私は今幸せです。ですから……」

次の言葉を紡ごうとするエルフを男はそっと胸元に抱き寄せ、その口を閉じさせる。

男「うん、そうだね。今エルフが幸せなら僕も嬉しい。だから、これからの毎日も楽しく、笑って過ごしていけるものにしていこう」

エルフ「……はい」


過去は変わらない。それでも誰もが前へと進んでいく。暗く、悲しい出来事を糧にして。その先にある明るい未来をその手に掴むために……。

エルフ「……そ~っ」男「こらっ!」 before & after episode 「エルフ、その始まり」


579: 2012/12/05(水) 01:38:04.73 ID:RLjbm7yt0
ひとまず、これでエルフの過去編は終わりです。次は男の過去~少年編~になります。

581: 2012/12/05(水) 17:28:58.21 ID:RLjbm7yt0
今からは男の過去~少年編~となります。どうかお付き合いください。

582: 2012/12/05(水) 17:31:26.44 ID:RLjbm7yt0
>>580
ありがとうございます。続きの方もよろしくお願いします。

583: 2012/12/05(水) 17:32:11.20 ID:RLjbm7yt0
あなたのことが……好きでした。

嫌われても、自分の存在を気にかけてもらえなくても。それでも……。

この想いが届くことは一生ないと。そう、思っていました。

だから、最後に、私のために涙を流してくれたときは本当に胸が張り裂けそうになるほど嬉しかった。
これで終わりなのに、もう駄目なのに。まだ、生きていたい。あなたとずっと一緒にいたいと思ってしまうほど……。

私の知らないあなたの過去を知りたいだなんて願ってしまった。

でも、私はもうあなたの傍にはいられない。それが、どうしようもなくもどかしくて、悲しい。

溢れる涙をこの手で拭き取ってあげたいのに力が入らない。

今もあなたの胸の内から血を流すその傷を癒したかった。

瞼が重い……。段々と視界が暗く染まっていく。

ごめんなさい、男さん。私は……


584: 2012/12/05(水) 17:34:31.93 ID:RLjbm7yt0
……





……

――旧エルフの墓――

男「それにしても、エルフの奴にあんな過去があったなんて……。あの子の前じゃ少し格好付けちゃったけど、こんなことならもっと早く話を聞いてあげるべきだったな……」

いつも傍らにいる少女を連れずに男は一人旧エルフの墓前に座り込み、つい先日エルフから聞かされた話を思い出していた。僅かな興味で聞いた話だったが、聞き終わってみると色々と考えさせられる事があった。
当時は考える事すらなかったが、戦争の被害を受けていたのはなにも人間に限った話ではないのだ。エルフだって犠牲を払い、戦いに参加していないただの住人が無慈悲に殺される。あの頃はそれが当たり前の毎日だった。
ただ生きるため、そのために剣を振るい、槍を突き、魔法を紡ぐ。狂乱の宴に参加した哀れな役者達は一瞬にして舞台裏に下がる事もあれば、時に主役を張ることもあった。
 結果的にエルフは負け、人間の勝利に終わった戦争。だが勝利の代償に、得たものは少なく、それよりも失ったものの方が多かった。
男はふと己の手のひらをジッと見つめた。何もないはずのそこにはいつの間にか鮮血が滴り落ちていた。

男(ははっ……。エルフの話を聞いたからかな。久しぶりに嫌な光景が浮かんだよ)

585: 2012/12/05(水) 17:35:37.44 ID:RLjbm7yt0
何人も、何人ものエルフを友の、家族の、大事だった人たちの仇だと憎み、その手で葬ってきた。戦場で己が生き残るため、皆の仇を討つために……。
だが、

男「でも、僕があの時選んだ道は結局……」

脳裏に思い浮かぶのは怯えた目でこちらを見つめる幼い容姿のエルフの兄妹。その瞳に映る己の姿は冷酷な顔をし、一切の容赦なくその命を奪おうとするものだった。
それを見た男は、かつて、まだ何も知らずに家族とともに穏やかに過ごしていたころの自分を思い出した。
ああ、あの時の自分もこんなように怯えていたんだったと。
それを悟った時、目の前のエルフの兄妹の命を奪う事ができなくなってしまった。結局、そのエルフたちを見逃して男はその場を後にしたのだった。

男(あの時、僕があのエルフの兄妹を頃してしまっていたら今こうして穏やかに暮らしている事はできなかっただろうな……)

おそらくは今もまだ戦いの日々に明け暮れ、身体に染み付いて離れない血の匂いを纏って生き続けていただろう。
過去を思い出し、暗くなりだした男の心とは対照的に空はどこまでも澄み渡り、明るい日射しが大地を照らしていた。

586: 2012/12/05(水) 17:36:07.23 ID:RLjbm7yt0
平和だ……。

そう感じてしまうからこそ、男はこれまで誰にも話したことなかった己の過去の全てを口に漏らしたくなったのだろう。それも、話しかけても何も問題のない相手に。

男「ねえ、旧エルフ。聞いてもらってもいいかな。僕が今までどんな風に生きて、何をしてきたか。エルフに話す事のできない醜く、残酷だった僕の罪を……」

彼の問いかけに答える言葉は当然ない。過去を思い返すなら一人だけでもできる。だが、男はどうしても語っておきたかったのだ。彼の最愛だった少女に。今も彼の心に残り続ける存在に。
問いかけてからしばし男は黙り込んでいた。だが、じっと待ち続ける彼に答えるように一陣の風が吹いた。
優しく、柔らかいその風はそっと男の肩を撫でた。男には何故かそれが彼女の了承のように思えた。
了承を得た彼は一度大きく息を吸い込んだ。思い返そうとするともうずいぶんと昔の事のように思える。それほど彼の始まりは古かった。

そう……あれは彼がまだ家族と共に過ごしていた頃。まだ、魔法も何も使えず、ただの力なき少年として過ごしていた時のことだった。

587: 2012/12/05(水) 17:36:48.20 ID:RLjbm7yt0
雲が静かに空を流れて行く。様々な大きさ、形をしたそれを見て、上を見上げる子供達がはしゃぐ。

少年A「すっげぇ! 見ろ、見ろ。あの雲めちゃくちゃぐるぐるしてっぞ!」

少年B「うわっ! ホントだ。でっけえなぁ……」

子供特有の無邪気さを全く隠すことなく、ただ本能のままに騒ぐ少年達。そんな彼らの中にひっそりと混じる一組の兄妹がいた。

妹「もう……みんな騒ぎ過ぎだよ。水汲みの帰りなのにこんな風に油売ってていいのかな……」

男「いいんんじゃない? もう水は汲んだわけだし、水桶も僕たちが預かってるから零してまた取りに行くようなこともないだろうからね」

588: 2012/12/05(水) 17:37:23.96 ID:RLjbm7yt0
妹「そもそも、お兄ちゃんが『あ……大きな雲だな』なんて言わなかったら、みんな足を止めないで家に帰ってたんだから! 早く、みんなを連れて帰ろうよ~」

男「ええ~。僕のせいになるんだ、この状況。でも、あんまり遅くなってもいけないし、確かにそろそろ帰った方がいいかもね」

妹のお願ごとには弱い兄は、しかたないなと苦笑まじりの笑みを浮かべながら、雲を見上げる少年達の元へと混じっていく。そして、すぐに彼らを連れて一人待つ妹の元へと戻った。
そして、子供達の中でも一番小さく力のない少女が持つ、水桶の取っ手を半分持って男は先に歩き始めた。
少女は気遣われた事を申し訳なく思いながら、それでも兄が自分を思ってやって行動してくれたことに照れていた。そんな彼女を見て少年は満面の笑みを浮かべながら歩き出した。その彼に置いて行かれないように少女もまた歩き出す。
一組の仲のいい兄妹。まだこの先の未来に何が起こるのかも分かっていない男とその妹はただ笑顔を浮かべて日々を過ごしていた。

589: 2012/12/05(水) 17:37:53.51 ID:RLjbm7yt0
道草を食うのを終えた数人の子供達は一列に並んで家へ向かって歩いていた。
鼻歌を歌ったり、元気に腕を振ったり、時にはよそ見をして足を止めたり。
日はまだ空高くにあり、つい先日降り終わった雨で溜まった水たまりを消すように少しずつ蒸発させていた。
むしむしとした暑さが漂っていたが、それでも子供達は元気だった。
辺境の地にある小さな村。そこに住む人は数えられるほどで、そこに住む大人達の大半は少し離れた場所にある街へと出稼ぎへと出かけている。
必然、その村に残るのは女、子供。それから土地を耕すために残された少しの男勢。
ただでさえ、人手が足りてないこの村はやれることであれば子供達にも手伝いをさせている。互いに助け合い、生きて行く。人の少ない村ならではの生活だった。

少年A「あ~あ。早く父ちゃん帰ってこねーかな。俺もう二ヶ月も会ってねーよ」

少年B「え~。お前はいいじゃん。街のお土産買ってきてもらえるんだもん。こっちはなんにも貰えないんだぜ」

590: 2012/12/05(水) 17:38:38.09 ID:RLjbm7yt0
少年A「でも、お前の父ちゃん月に一度は帰ってきてるじゃんか」

少年B「ああ、あれ? うちの父ちゃんさ、母ちゃんに会えねえのが寂しくて毎月帰ってきてるんだよ。もう帰ってきた日なんて家にいずらくてさ。二人だけの空間? そんなんできちゃって、逆に帰ってこなくていいって思うくらいだよ」

少年A「そ、そうなのか……お前も大変だな~。そう考えると男の家が一番いいかもな。だっていつも家にいてくれるんだし」

少年B「そうそう! 男ん家はいいよな~。父ちゃんも母ちゃんも優しいし。俺、こないだお前の母ちゃんから菓子貰ったんだぜ」

それまで二人だけで盛り上がっていた会話に突然自分が組み込まれて、男はどう反応していいものか困っていた。
家族が褒められるのは嬉しいが、それを素直に表に出すのはなんだか気はずかしい年頃であったのである。

591: 2012/12/05(水) 17:39:05.68 ID:RLjbm7yt0
男「そんなことないよ。ウチなんて全然……。優しいって言っても父さんなんて家の中じゃホントに威厳がなくていつも母さんに叱咤されてるし。
母さんだってうっかりしているところがあって料理を作りすぎちゃうことがあるだけだよ」

少年A「……って言ってるけど実際のとこどうなの妹ちゃん」

妹「確かにお兄ちゃんの言ってることは本当だけど……。でも、お父さんもお母さんも私にとって尊敬できる立派な人たちです。
厳しめなこと言ってるのは、お兄ちゃんが恥ずかしがり屋なところがあるからです」

男「ちょっ! 妹……」

少年B「うわ~男ってば妹にフォローしてもらってる。だっさ!」

男「う、うるさいなぁ」

少年A「つまり、男は家族大好きだけどそれを素直に認められない照れ屋さんなんだな」

593: 2012/12/05(水) 17:39:37.51 ID:RLjbm7yt0
からかうのにちょうどいい相手を見つけた二人の少年はすぐさま男を茶化した。
男も初めは彼らの言葉をただ黙って聞いているだけで、反論も何もしなかったが、あまりにも少年たちがからかいの言葉を投げかけたせいか、とうとう我慢の限界が来て大声を上げて反抗した。

男「だあああああぁぁぁっ! もう、この話終わり! 次に変なこと言ったら怒るから!」

息を荒くしている男を見て、その場の誰もがもう怒っているではないかと思ったが、それを指摘してしまうとますます男の怒りの度合いが強くなりそうだったため、みんな何も言うことなく黙ることにした。
羞恥から赤くなった顔を見られたくないのか、一人先に進んでいく男。そんな彼の様子を見て、後ろにいる少年たちは顔を合わせて苦笑するのだった。
しばらくして、ようやく村へと辿りついた男たちはそれぞれの家に帰っていった。
男はまだからかわれたことを気にしているのか別れ際若干不機嫌そうにしていたが、妹になだめられて家に着く頃には普段の男へと戻っていた。
村の一角にある小さな一軒家。家の材料が木々だけという素朴ながらも頑強な作りのその家が男と妹の家だった。
持っている水桶を一度下に置き、入口の扉を開ける。


594: 2012/12/05(水) 17:40:05.33 ID:RLjbm7yt0
男「ただいま~」

帰宅の言葉を口にして家の中へと入る男。扉を開けてまず最初に感じたのは食欲を唆る香ばしい匂い。奥からはグツグツとスープを煮込んでいる音が聞こえてくる。

母「おかえりなさい、二人とも。疲れたでしょ? もう少しでご飯できるからゆっくりして待ってなさい」

スープの味を確かめながら、お使いから返ってきた二人の子供をねぎらう女性が一人。男と妹、二人の母親がそこにはいた。

妹「お母さん、汲んできた水はもう水釜に入れておく?」

母「う~ん、どうしようかしら。一つはたぶん今日で使っちゃうだろうから一つ分だけ入れておいて」

妹「わかった!」

595: 2012/12/05(水) 17:40:49.09 ID:RLjbm7yt0
元気良く返事をして妹は家の隅にある水釜へ汲んできた水を流し込んだ。男もまた置いていた水桶を手に取り水釜の横へと置いた。

男「そういえば父さんの姿が見えないけれどもしかしてまだ畑にいるの?」

母「そうよ。でも、そろそろ帰ってくると思うわ。お父さんが帰ってきたらご飯にしましょう」

男・妹「は~い」

ひと仕事終えた二人は、食事になるまで待っていようと自分たちの自室に戻った。二人は一部屋を一緒に使っているのだ。
部屋に入って左右それぞれにあるベッドに横たわった二人。男が寝転がったまま天井を見上げていると、身体を起こしてベッドに腰掛けた妹が声をかけてきた。

596: 2012/12/05(水) 17:42:24.04 ID:RLjbm7yt0
妹「ねえねえおにいちゃん」

男「ん? どうかした?」

妹「私さ……エルフ見ちゃったかも!」

男「えっ!? どこで!」

妹の突然の発言に驚きを隠せない男。そんな彼の様子に気づきながらも妹は話を続ける。

妹「さっき水汲みに行った時。ちらっとだけど耳の長い人が見えたんだ~。エルフってもっと怖いものだと思ったんだけど、全然そんな風じゃなかったよ。むしろ格好よかったかも」

子供だからとはいえエルフについて知らない二人ではない。いくら田舎といえど、いや田舎だからこそ昔から言い伝えられてきたことが親から子へと伝わっていく。
だから、エルフがどんな種族でどれだけ恐ろしいのかということは知っていたのだ。それが正しいことかどうかはともかくとして……。
大人ならばここですぐに軍へと報告し、確認を急ぐ。自分たちの身近に命を脅かす存在がいては誰だって落ち着かないからだ。
だが、この二人はまだ子供だったため怖いもの見たさや、親から伝えられた話が本当なのか確認したいという思いがあった。

597: 2012/12/05(水) 17:42:50.79 ID:RLjbm7yt0
男「そうだとしても、もし本当にエルフがいるんだとしたら危ないよ。今人とエルフは戦争をしているんだ。もしかしたらこの村だって襲われるかもしれない」

妹「大丈夫だって。チラッと見えただけだから向こうは私たちに気づいていないだろうし。
それに、エルフって誇り高い一族らしいから、いきなり村を襲ったりなんてしないんじゃないかな。あと、私が見たのが本当にエルフなのかもわからないし」

男「う~ん、だとしてもやっぱり父さんと母さんに話しておいたほうがいいよ。外出は控えられるかもしれないけれど、もしもってこともあるし……」

外出が控えられるという単語を聞いて妹の表情に初めて焦りの色が浮かんだ。

妹「そ、それはだめ! ただでさえ面白いことがないのに、外に遊びに出かけるのまでダメになっちゃったら退屈すぎて氏んじゃう! 
お願い、お兄ちゃん。このことはもうちょっと内緒にしておいて」


598: 2012/12/05(水) 17:43:21.65 ID:RLjbm7yt0
必氏に頼み込む妹を見て男は困り果ててしまった。どうしたものかと考えながら、チラリと妹の様子を盗み見るが、瞳を潤ませている妹のお願いはどうにも断りづらかった。

男(でもな~、もし何かあったら怒られるだけじゃ済まなさそうだしな……。どうしよう……)

考えに考えた結果、男の脳裏にある案が浮かんだ。

男「そうだ。それじゃあ、明日僕と一緒にもう一度森に行ってみようか。
それで、妹が言っているエルフがいなかったら見間違いだったってことで。いたらいたで父さんたちにその話をするってことでいいかな?」

兄の提案に妹は少しだけ不満そうにしていたが、やがて渋々と納得の返事をした。

妹「うん……わかった」


599: 2012/12/05(水) 17:44:06.05 ID:RLjbm7yt0
そうして二人だけの話し合いが終わると同時に、部屋の外から母が呼ぶ声が聞こえた。

母「二人とも~。お父さん帰ってきたわよ、ご飯にしましょう」

男「わかった、今行く!」

そう言って部屋を出ようとする男。そんな彼の後ろをピッタリとひっつきながら付いていきながら妹が小さく呟く。

妹「ホントのホントに内緒だからね」

どこまでも心配症な妹を見て、わずかに微笑みながら男は答える。

男「わかったよ」

妹の頭をクシャりと撫でて二人は居間へと向かうのだった。


600: 2012/12/05(水) 17:44:38.46 ID:RLjbm7yt0
居間に着くといつの間にか帰っていた父親が先に席に座って二人が来るのを待っていた。

父「お、ようやく来たな」

男「お帰り、父さん。仕事の方は一段落したみたいだね」

父「まあな。それよりも水汲み大変だったろ。今日は暑いからな、父さん畑を耕しながら倒れそうになっちゃったよ」

男「それは勘弁してよ。うちの稼ぎ手は父さんだけなんだから……」

父「はっはっは! それもそうだな。まあ、もし倒れたら男を代わりに働かせて父さんはのんびり母さんと過ごそうかな」

男「やめてよ。それ、ただ単に父さんが母さんと一緒にいたいだけじゃんか。僕そんな理由で働きたくないよ」

601: 2012/12/05(水) 17:45:04.92 ID:RLjbm7yt0
父「むう、たまにはいいじゃないか。なあ、母さん」

母「そうね、お父さんがそんな軽口を叩けないくらい懸命に働いて倒れたならいいかもしれないわね」

父「あれ? それだと僕のんびりできなくない?」

母「あら、のんびりできるわよ。看病されている間は何もしなくて済むじゃない」

父「そんな解釈ののんびりは嫌だなぁ……」

楽をしたい考えを恥ずかしげもなく子供の前で曝け出す父親に呆れているのかため息をつきながら母は辛辣な言葉を口にする。
そんな二人のやりとりを見て、妹が男にこっそり耳打ちする。

602: 2012/12/05(水) 17:45:46.06 ID:RLjbm7yt0
妹「お兄ちゃん、お兄ちゃん」コソコソ

男「なんだ?」

妹「何度見ても不思議なんだけど、お母さんのあれって怒ってるわけじゃないんだよね?」

男「うん……まあ。あれって、実は母さんなりの父さんへの愛情表現なんだよね。少々というかかなり歪んでるけどさ」

妹「端から見たらお父さんに愛想を尽かして文句言ってるようにしか見えないよね」

男「だよね。僕は未だにこの二人がどうして結婚したのかわかんないよ」

変な形の愛情を互いに示し合う両親を眺めながら、二人は静かに食事をはじめるのだった。

603: 2012/12/05(水) 17:46:26.29 ID:RLjbm7yt0
――森――

夜が訪れた。男たちの村から少し離れた場所にある森。その中を流れる小川に一つの人影があった。人影はバシャバシャと大きな音を立てながら何度も何度も水を掬い、強く顔に押し付けていた。
その顔には頬を抉る横一文字の深い切り傷が残っている。まだ傷は新しく、傷口が塞がってもなお熱を帯びていた。

傷エルフ「痛い……痛い……」

もう痛みはそんなにしないのに、頬を切られた時の痛みが幻痛となって残っているのだ。

傷エルフ「なんで、どうしてこんなことに。ただ、普通に暮らしてきただけだったのに」

604: 2012/12/05(水) 17:47:22.95 ID:RLjbm7yt0
種族が違うというだけで迫害され、話し合いをする場も与えられず、誇りを汚され理不尽な暴力を浴びせられて命を狙われた。
一緒に逃げ出した家族や友人は途中で捕まり、ある者は目の前で殺され、ある者は絶望から命を絶った。
そして、最後に残ったのは己と数名の同胞たち。人の少ないこの森へと逃げ込み、ひっそりと隠れていた。
彼らの種族の象徴ともいえる長い耳をローブをかぶることで隠していた。人とは違うもう一つの種族、エルフ。

住処を失い、友を失い、家族を失い。大切な存在も、誇りさえも汚された彼らは今、変わろうとしていた。

傷エルフ「俺たちが何をした……。住む場所を譲り、ひっそりと暮らしてきた。横暴な人の行動も黙って見過ごし、長い時を耐えてきたはずだ。
 奪いに奪って、好き勝手に生きてきて、それでもまだ足りないというのか……」

水に浸していた顔に爪が食い込んでいく。皮を削ぎ、血を垂れ流し、痛みを感じながらも奥へ、奥へと食い込んでいく。

605: 2012/12/05(水) 17:48:06.22 ID:RLjbm7yt0
傷エルフ「許さない、許さない。人は存在するべきでない。奴らはただいるだけで害悪だ。
 誇りがなんだ! そんな物がなんの役に立った。
 女子供は見逃せ、自分たちから手を出してはならない。必要最低限以外の争いは避けなければならない。
 こんなくだらない、古臭いしきたりのせいで俺の家族は、恋人は、友は氏んだ! なぜだ! なぜ彼らは氏ななければならなかったのだ!」

彼の叫びは森中に響き、天にこだました。いつの間にか周りには生き残った他のエルフたちが立っていた。
悲しみにくれ、そして今怒りをさらけ出している仲間の決断を彼らは見守っているのだ。

傷エルフ「奴らは、滅びなければならない……」

俯いていた傷エルフが顔を上げる。木々の隙間を縫って差し込んだ月明かりが彼の顔を照らす。
そこにいたのは人とエルフの争いが生んだ修羅だった……。

傷エルフ「知らしめてやろう、奴らにも。大切なものを奪われる痛みを……」

そう言って傷エルフが見つめるのは昼間彼が森の中で見かけた子供たちが去っていった先だった……。

606: 2012/12/05(水) 17:50:47.95 ID:RLjbm7yt0
朝日が窓から射し込む。日の光によって自然と目が覚めた男は、眠気眼を擦りながら掛け布団を引きはがした。大きな欠伸をしながら横を見れば、そこにはまだ静かに寝息を立てて眠っている妹がいた。
妹を起こさないように足音を抑えて部屋の外へ出る。そのまま家の外へと出て全身に光を浴びる。

男「う~ん。いい天気だ」

周りの家を見渡せば、男と同じように外に出てくる人がちらほらといた。寝ている間に固まっていた身体を動かす事によってほぐし、再び家の中へと戻った。

母「もう起きてたの? 今日は早起きね」

中へ入ると朝食の準備を始めようとしている母が立っていた。男が起きていると思っていなかったのか、少しだけ驚いた様子で彼を見ていた。

男「おはよう、母さん。なんだか目が覚めちゃってさ」

母「珍しい事もあるものね。普段は遅めの起床なのに、これは雨が降るかもしれないわね」

607: 2012/12/05(水) 17:51:48.18 ID:RLjbm7yt0
男「そんなこというなんて、息子に対する信頼が低いんじゃないかな」

母「冗談よ。それよりもせっかく早起きしたんだからお願いごと頼まれてくれない?」

男「どうかしたの?」

母「実は料理に使う火を熾すための薪が尽きちゃってね。ちょっと森に行って取ってきてほしいのよ」

男(森か~。昨日の妹の件もあるし、妹を起こして、ついでに森に行っておこう。一人で行くと文句を言われそうだしな)

男「一人で行くのもなんだし妹を連れて行ってもいい? 二人なら持って来る薪の数も増えるし」

608: 2012/12/05(水) 17:52:57.68 ID:RLjbm7yt0
母「いいけれど、あの子まだ寝ているんじゃないの?」

男「うん。だから起こして連れて行く」

母「あなたって時々とんでもないことをする子よね。どこかで育て方を間違えたのかしら……」

己の息子の成長ぶりを喜ばしく思いながら、同時にその奇抜さに頭を抱える母。そんな母の心境などしるよしもなく、男は自室へと戻り、未だ眠っている妹を起こし始める。

男「妹。起きて、薪拾いに行くよ」

妹「……うぅん。ん?」

男「あ、起きた? 料理に使う薪拾いに行くから起きてね」

妹「何で私が……。それよりもまだ早朝でしょ? もうちょっとねかせ……て」

男「あ、こらっ! 寝ないでよ。もう、しょうがないな」

609: 2012/12/05(水) 17:53:51.95 ID:RLjbm7yt0
一向にベッドから抜ける気配がない妹。起こしにきたときよりも深く掛け布団を被り、日の光が自分に当たらないようにしている。誰でも、気持ちのよい朝を無理矢理奪われるのは嫌なものである。
男も当然そうである。だが、わざわざ一日に二度も森に行きたいと思うほど、男の心は広くなかった。

男「そう……それじゃあ僕だけで森に行っちゃうからね。妹は夜に一人で森に行ってエルフがいないかどうか確認してね」

男のその言葉を聞いて妹は先程までの態度が嘘のようにしっかりと目を覚まし、布団から起き出たのだった。

妹「一人は……いやっ! お兄ちゃんの意地悪!」

イーッと歯を重ね合わせて顔をしかめると、妹は男を部屋から押し出し始めた。

610: 2012/12/05(水) 17:55:15.00 ID:RLjbm7yt0
男「えっ!? え? 結局行かないの……?」

戸惑いの声を上げる男を部屋の外に出し終え、妹は強い口調で告げる。

妹「着替えるの! しばらくそこで待っててよ!」

バタンと勢いよく扉が閉まる音が聞こえて妹の姿は消えてしまった。家族とはいえ妹も女の子である。男が家族の事を素直に認められない年頃のように、妹もまた素直になれない年頃なのだった。
だが、まだ男女の仲など詳しく知らない年頃である男は妹の癇癪にため息を吐き、彼女が着替え終わって外に出てくるのを待つ事しかできないのだった。


611: 2012/12/05(水) 17:56:06.30 ID:RLjbm7yt0
しばらくして着替え終わった妹が出てきたが、未だ不機嫌なのには変わりなかった。それを見て男は妹に見られないようにこっそりとため息を吐いた。
子供らしい意地の張り合い。どちらとも折れるわけではなく、母に出かけると伝え、二人とも外に出た。
妹の言っていたことが本当なのか確かめるために二人は森へ向けて歩き出す。しかし、横に並ぶのではなく妹は男の一歩後ろを歩く。
意地を張っていてもやっぱり妹のことが気になるのか、男はチラチラと何度も後ろを盗み見てはきちんと妹が付いてきているか確認していた。
必然、前を向く妹と視線が交わる。突然の事に互いに身体が硬直する。しばらくの沈黙の後、男が折れる形で妹に話しかけた。

男「ねえ、もうそろそろ機嫌直してよ」

妹「別に私機嫌悪くなんてないもん」

男「じゃあ、何でそんなに素っ気ないんだよ。だいたい、森に行こうって言ったの妹だろ? 起こしてあげたんだから怒る理由はないでしょ」

妹「言ったもん……」

男「……え?」

妹「だって、お兄ちゃん私に一人で森に行けって言ったもん。私が夜に一人で歩けないの知ってるくせに」

612: 2012/12/05(水) 17:56:34.89 ID:RLjbm7yt0
言われてみれば確かに妹は夜に出歩くのを苦手としていた。だが、まさか拗ねている理由がそんな事だとは思わなかったため、男は拍子抜けしてしまい、ほんの少し呆れてしまった。

男「ま、まさかそんな理由で拗ねてたの……?」

妹「い、いいじゃん! 私結構傷ついたんだから!」

プイッと顔をそらしてそっぽを向く妹。その様子を見てなんだか意地を張るのも馬鹿らしくなった男は歩く速度を緩めて妹の横に並び、妹の手をそっと握りしめた。

男「ごめん、ごめん。今度からはそんな事言わないから、兄ちゃんの事許してくれないか?」

妹「……むぅ」

613: 2012/12/05(水) 17:57:29.26 ID:RLjbm7yt0
しばらくは顔を背けて男の方を見ようとしなかった妹だったが、やがて少しずつ視線を移し、再び男の瞳と妹の瞳が交わり、

妹「一人でどこかに行けって言わない?」

男「言わない、言わない」

妹「……それじゃ許してあげる」

握られた手をキュッと力を込めて握り返す妹。いつも通り、仲のよい兄妹に戻った二人はそのまま森に向かって歩いて行く。

男(はぁ~。ようやく機嫌が直ってくれたか。ホント、何でこんな事で妹は怒ったんだろうな?)

614: 2012/12/05(水) 17:58:39.65 ID:RLjbm7yt0
妹のコロコロ変わる気持ちについて不思議に思いながら、機嫌が良くなったからどうでもいいかと男は思い、笑顔を浮かべていると、その横を数名のローブを被った者達が通り過ぎた。
不意に身体のそこから沸き上がる怖気。息をするのも忘れて、男は彼らを見つめた。ローブの隙間からは見る者を萎縮させる血走った目が見える。そして、その目が己を見つめている男の瞳を捕らえると、ほんの僅かに彼らの口元が釣り上がった気がした。

妹「お兄ちゃん、どうかした?」

その場に立ち止まって動かない兄を不審に思ったのか、妹がグイグイと手を引っ張った。そこでようやく男は正気に返った。

男「いや、なんでもないよ」

妹にそう告げて男は再び歩き出す。最後に一度だけ後ろを振り返ったが、先程感じた怖気はもうしなかった。

男(気のせい……だったのかな?)

胸に残るかすかな不安を抱きながら男は先へと進むのだった。

615: 2012/12/05(水) 18:00:25.09 ID:RLjbm7yt0
歩いて、歩いてようやく森へと辿り着いた二人。一般的に見てあまり広くないこの森も、小さな子供二人からしてみれば広大な魔窟。その魔窟にいるかもしれない、噂だけの存在のエルフ。それ探しに森の中へと二人は今まさに踏み入ろうとしていた。

妹「よ、よしっ! エルフを探すよ! 準備はいい? お兄ちゃん!」

家を出るまでの態度はどこへ行ったと言わんばかりに元気よく声を張り上げる妹。道中でつないだ手はそのままに、妹に引きずられるようにして男は森の中へと入って行った。
中に入ってすぐ、男は森に漂う不穏な様子に気がついた。いつもと違う、張りつめた空気。森の中に隠れ住み、普段は声も上げない動物達のざわめき。ピリピリとした空気が男の周りに絡み付く。

妹「お兄ちゃん? どうかしたの?」

幸いというべきか、妹は男が感じているものに気がついていないようだった。それを悟らせないように気を配りながら、男は告げる。

616: 2012/12/05(水) 18:00:56.60 ID:RLjbm7yt0
男「どうもしないさ。ただ、エルフを探すのは少しだけにして早めに家に帰ろうか。ちょっと約束があったの思い出した」

咄嗟に口から出た嘘だったが、エルフの探索に付き合ってもらっている手前強く言う事ができない妹は、

妹「わかった……もうちょっとしたら帰ろっ」

と同意した。

それから半刻ほど森の中を二人で手分けして歩き回ったが、エルフがいるという痕跡は何一つ見つける事ができなかった。そろそろ妹に声をかけようかと男が思っていると、いつの間にか己のすぐ横に来ていた妹の方から帰りの提案をするのだった。

妹「やっぱり、見間違いだったかも。付き合ってくれてありがと、お兄ちゃん」

口にしてもどこか納得しきれていない様子の妹だったが、いないものは仕方がない。二人は森を出て村へと戻り始めた。


617: 2012/12/05(水) 18:01:35.13 ID:RLjbm7yt0
男「ねえ、もしエルフが森にいて会う事ができたらどうするつもりだったの?」

帰り道、話す事も特になくなり、無言のまましばらく歩いていた二人。隣でぼんやりと空を見上げながら歩く妹に男はそんな質問を投げかける。

妹「えっとね。もしエルフに会う事ができたら私は噂について聞いてみたかったの」

男「噂?」

妹「うん! 本当にエルフは私たち人間の事が嫌いなのかって。だって、実際に会った事もないのに噂だけで酷い奴だって決めつけるのも悪いじゃないかって思って。もし会うことができたなら、話をしてみる。いいエルフだったら友達になれるかもしれないでしょ?」

妹のその言葉に男は少なからず驚きを覚えた。村の大人達の誰もがエルフは敵だと伝える中、妹は伝聞ではなく実際に彼らに会う事でその噂の真実を確かめようとしたのだ。考えた事もない妹のその発言に、男は不意を突かれて驚かされたのだった。

618: 2012/12/05(水) 18:02:42.44 ID:RLjbm7yt0
男「妹は……すごいな~。僕はそんな風に考えたことなかったよ」

妹「えへへ~。そ、そうかな?」

男「うん。もしかしたら妹は将来すごい事をする大人になるかもしれないね」

男が素直に褒めると、照れくさいのか妹は顔を赤く染めて恥ずかしそうにそっぽを向きながら頬を掻いていた。

妹「も、もう! そう言う事をサラッと言わないでよ……」

照れ隠しに繋がった手にグッと力を込める妹。そんな可愛らしい反抗に対抗するように男もまたそっと力を込める。固く、固く繋がれた二人の手はそのままずっと離れる事はないと思われた。

だが……。

619: 2012/12/05(水) 18:03:09.93 ID:RLjbm7yt0
男「えっ……」

村が視界の彼方にぼんやりと見えるようになった時、男と妹は異変に気がついた。村の方角の空に黒煙がいくつも昇っていたのだ。風に乗って二人の方へと運ばれる黒煙。
すす臭いそれに混じって二人の鼻に届くツンとした刺激臭。吐き気をもよおすその中には、血と肉が焦げる匂いがした。

妹「お、おにいちゃん……」

嫌な予感を感じたのか妹の表情が暗いものに変わる。男もまた同じように不安を感じ妹の手を引いて村へと駆け出した。

息が切れるのも、体力がなくなるのも構わず二人は全力で走った。少しずつ近づく村。鮮明になる建物。そして、黒煙の元や血の匂いの正体が村に辿り着いた二人の前に姿を現す。

男「あっ……。ああっ……」

620: 2012/12/05(水) 18:04:54.12 ID:RLjbm7yt0
声にならない言葉が零れる。それもそのはず、目の前に現れた受け入れがたい現実をどう言葉にしていいのか男には分からなかったのだ。
黒煙を上げていたのは村の家屋。そして、血と肉の焦げる匂いを漂わせていたのは男達の友人や……家族だった。

妹「…………」

妹もまた、男と同じように目の前で起こっている現実を受け入れる事ができず呆然とただその場に立ち尽くしていた。

男「な、なんで。みんなが……おかしいよ。どうして、こんな……」

突然の出来事に戸惑い、嘆く男。そんな彼の視線の先にローブを被った人影が幾つも現れる。彼らは男達の前にまで向かって来るとローブを外し、その姿を現した。

傷エルフ「遅い帰りだったな。見ての通り君の村の住人はみんな氏んでしまったよ」

621: 2012/12/05(水) 18:06:46.81 ID:RLjbm7yt0
ローブを被っていたのはエルフだった。特徴的な長く、鋭い耳。人とは違い、神秘的な雰囲気を醸し出す存在。話にしか聞いた事がなく、男達が探していた存在が目の前にいた。

男「エルフ……?」

予想外の出来事の連続に男の思考が停止する。何故ここにエルフがいるのか。どうして村のみんなが氏んでいるのか。そして今から自分たちはどうなるのか……。その答えを知るのが恐ろしくて男は考える事を止めたのだった。

傷エルフ「二人……か。さすがに子供といえど今がどういう状況かくらいわかるだろう。先に教えておいてやるがこの村で生き残っているのはもはやお前達二人だけだ」

傷のあるエルフが告げる言葉に思わず男と妹の喉が鳴る。極度の緊張状態から口の中の水分は消し飛び、身体は硬直する。心臓の音がやけに鮮明に聞こえ、視線はキョロキョロとせわしなく動く。


622: 2012/12/05(水) 18:07:21.74 ID:RLjbm7yt0
傷エルフ「俺たちはお前達人への復讐を果たすために動き出した。憎き人を頃すためならば我らはもはや何もためらいはせぬ。だが、皆頃しにしてしまっては意味がない。この憎しみを他の人間共にも知らしめる必要がある。
そのために、一人だけこの村の住人を生かす事に俺たちは決めた。
そして今、この村で生き残った住人はお前達二人だけだ。さあ、選べ。己か、もう一人か。どちらを生かすのかを」

理不尽な、しかし避けようのない選択を突きつけられて男は泣き出しそうになった。自分か、妹か。生き残れるのは一人。確実にどちらかは氏ぬ事になる。
家族や友人の氏を悲しむ暇もなく、命の秤をどちらか一方に傾けなければならないのだ。

男(いやだ……いやだよ。なんで、こんなことになるんだ。僕たちが何したっていうんだよ!)

チラリと妹の様子を見ると、妹は既に顔面蒼白になり、唇が震えて恐怖に取り込まれていた。あれでは返事をすることすらままならないだろう。


623: 2012/12/05(水) 18:08:41.24 ID:RLjbm7yt0
男(僕が、決めるしかない。このままじゃ二人とも殺されちゃう)

究極の選択を前にして男は決断した。それは……

男「僕が……」

傷エルフ「ん?」

男「僕が……代わりになります。だから妹を。妹の命だけは取らないでください。お願いです……」

我慢の限界が来たのか、男の瞳からは涙が溢れ出す。己の命を差し出すという決断を下した事で、それまで必氏に抑えていた恐怖がとうとう限界を超えたのだ。

傷エルフ「自分の命はいらないと?」


624: 2012/12/05(水) 18:09:30.43 ID:RLjbm7yt0
男「ぼく……は、兄です。妹を……まもら、ないと、いけないん、です。お母さんにそう……言われたから……」

嗚咽を漏らしながらエルフの質問に答える男。それを見て何故かエルフは感心したように頷いた。

傷エルフ「ほう、この状況で俺が言っている事が嘘でないと分かっていてなお己の身を差し出すのか。面白い……」

エルフは腰に下げていた短剣を鞘から抜き出した。それを見て、男は自分が氏ぬときが来たのだと悟る。

妹「お兄ちゃんっ!」

625: 2012/12/05(水) 18:09:58.18 ID:RLjbm7yt0
覚悟を決めて目蓋を閉じようとした時、張り裂けるほどの声を上げて自分の名を呼ぶ妹の声が聞こえた。彼女の顔はやはり男と同じように涙に塗れ、くしゃくしゃに歪んでいた。
妹を心配させまいと、最後に残った力で必氏に笑顔を作ろうとする。

男「だ、だいじょうぶ……にいちゃんは……だいじょうぶだから」

引きつって上手く笑う事ができない男。そんな彼を見てますます涙を流す妹。そして、運命は決した。

傷エルフ「氏ね、人の子よ」

咄嗟に目を閉じ、男は己に降り掛かる氏を受け入れた。

626: 2012/12/05(水) 18:10:28.87 ID:RLjbm7yt0
……



だが、いつまで経っても己に来るはずの痛みや氏の感覚は訪れなかった。

おそる、おそる目蓋を開ける。まず目に入るのは己の両手。傷も何もなく、無事だ。
視線を上げる。先程まで目の前にいた傷エルフがいない。
横を向く。
赤い。
血溜まりができている。
妹の、喉が、切り裂かれて、いる。
その瞳が、虚ろに、なって、いる。

男「……なん、で」


627: 2012/12/05(水) 18:11:31.07 ID:RLjbm7yt0
理解できない。本来ならば生きているはずの妹が目の前で氏んでいた。傷エルフが妹の前に立ち、喉を切り裂いていた。血が、血が、血がダラダラと、ドクドクと、溢れている。
笑う傷エルフ。倒れる妹。そして、男はその場に力なく崩れ落ちた。

傷エルフ「どうだ? 命よりも大事な者を奪われる苦しみは。これが、俺たちが味わってきた痛みや、苦しみだ」

短剣を仕舞い、そのまま傷エルフは男の横を通り過ぎる。他のエルフ達も彼に続くようにその場を後にする。
どれだけ時間が経っただろう。燃え盛る炎は勢いを増し、俯いていた男はようやく顔を上げ、力なく妹の氏体へと近寄った。

男「妹……妹。ほら、帰るよ。母さんと、父さんが待ってるよ」

628: 2012/12/05(水) 18:11:57.12 ID:RLjbm7yt0
ゆさゆさと妹の肩を揺らし、何度も声をかける男。だが、その言葉に妹が応えることはなかった。

男「だめ、だよ。こんなところで寝てたら怒られるよ。あんまり遅くまで外にいると家の中に入れてもらえないんだから」

既に燃え尽きている自宅を眺めながら男は呟く。だが、妹は応えない。

男「うっ……ううっ……。いやだ、いやだ。こんな……みんな……とうさん……かあさん……いもうと……。やめてよ、ぼくをひとりに……しないでよ」

止める事のできない涙をひたすら流しながら男は氏体に声をかけ続けた。それはこの異変に気がつき、街に出稼ぎに出かけていた大人がこの村に帰ってきて男を見つけるまでずっと続いていたのだった。


629: 2012/12/05(水) 18:12:35.69 ID:RLjbm7yt0
――施設――

虚ろな瞳で、表情の変わらない少年がいた。身寄りをなくし、行き場のない子供達の集まる施設。その施設で他の子供達がそれぞれ身体を動かして遊んでいる中、ただ一人少年だけが彼らの輪に混じることなく一人でいた。
その瞳に宿るのは己の大切の者達を奪っていった者へ対する憎悪。そして、果てしない喪失感。
彼の頭にあるのはただ、復讐のみ。
そんな少年の視線の先、軍部へと向かう軍人達の姿が目に映る。合法的にエルフと戦う事ができ、復讐をするのにもっとも都合のいい職業。
施設を抜け、少年は彼らの後を追う。失われた存在の代行者として、エルフを頃すために。
こうして、全てを失った少年の物語は始まりを告げる。エルフと人の争い。その果てに何があるのかこの時、彼はまだ何も知らない。

エルフ「……そ~っ」男「こらっ!」 before days 「男の過去~少年編~」

630: 2012/12/05(水) 18:14:09.66 ID:RLjbm7yt0
ひとまずこれで男の過去~少年編~は終わりになります。次で今あるストックは最後になります。
話としては途中で止まっていますが、その続きは今日の時間がある限りは書いていこうと思います。
男の過去~喪失編~です。よろしくお願いします。

631: 2012/12/05(水) 18:24:21.68 ID:RLjbm7yt0
全てを失ったあの日から一年が経った。復讐のため、男は何度も、何度も軍部の門を叩いた。だが、子供のすることをいちいち相手にするほど軍の人間も暇ではなく、いつも門前払いを受けて施設へと男は帰らされるのだった。
しかし、追い返されても毎日居座り続ける男に門番もとうとう観念したのか、男が門の前で何かする分には文句を言わなくなった。

門番「なあ、そろそろ帰る時間だぞ」

男「……」

門番「今日も返事はなし……と。聞きたくないけど、お前いつまでこんな事続けるつもりだ? いくら軍に入りたいからってここに居座ったところでまだお前は子供なんだから軍には入れないんだぞ」

男「……」

632: 2012/12/05(水) 18:24:58.00 ID:RLjbm7yt0
門番「それにな、軍に入ったとしても厳しい訓練があるし命を落とすなんてそれこそ一瞬なんだ。お前みたいな子供達を守るために、今俺たち軍部の人間は頑張っているんだからその行為を無駄にするような事をしないでもらえると嬉しいんだがな」

男「……のちなんて」

門番「ん?」

男「僕の命なんて……エルフの奴らを頃し尽くせるのなら幾らでもくれてやる。頃してやるんだ、絶対に……」

門番「……はぁ、聞く耳持たないか。もういいや、とりあえず俺は何も見ていないから問題だけは起こさないでくれよ」

そう言って門番の兵士は男の側を離れて定位置へと戻る。男は門のすぐ傍にジッと座って、兵士達が中に入って行くのを見続けていた。

633: 2012/12/05(水) 18:25:26.46 ID:RLjbm7yt0
しばらくして、男に声をかけた兵士が交代の時間になり、他の兵士と入れ替わろうとしようとした時、軍部にある分隊が訪れた。

女隊長「みんな~軍部に着いたよ!」

明るく、張りのある声を響かせるまだ若い女性。数名の集団からなる分隊の隊長と思われる彼女の言葉に続くように、兵士達が安堵の声を上げる。

男剣士「ようやくかよ。もう腹へって氏にそうだ」

男弓使い「同感だな。報告最優先ってことで食事をする暇も惜しんでここまできたんだ。これで腹一杯食事ができなかったら俺は女隊長を弓の的にでもしよう」

女槍士「まあ、まあ。女隊長がこうなのはいつものことでしょ? 満足いく食事が出なくても許してあげなって」

634: 2012/12/05(水) 18:26:09.84 ID:RLjbm7yt0
男槌士「いいや、許さん。ワシはこやつの隊に就く条件に飯をたくさん食えることを保証するということで契約したのだ。他の者が飯を食えんくても、ワシだけは腹一杯になる権利がある」

女魔法士「男槌士さんは、意地汚いと思います……」

女剣士「そ~そ~。いざとなったら他の隊の飯奪ってくりゃいいんだって」

女隊長「はい、はい。みんな不満があるようだけど、食事はちゃんとお腹いっぱい食べられま~す! それよりさ~、せっかく無事に帰って来れたんだからご飯以外の話は何かないわけ?」

男剣士「ないな」

男弓使い「ないね」

男槌士「ないのう」

女槍士「う~ん、お風呂?」

女魔法士「え、えっと……できれば新しい服が欲しいかな~って」

女剣士「やっぱりご飯でしょ!」

635: 2012/12/05(水) 18:26:44.27 ID:RLjbm7yt0
女隊長「大半はやっぱりご飯なのね。確かにお腹減ってるけど、もっと大事な事があるでしょ」

男剣士「例えば?」

女隊長「え~……コホン。この度も我が隊は一人も氏傷者を出すことなく任務を遂行する事ができました! みんな、お疲れ! よく生き残ってくれた! みんなと一緒にこれからもまた過ごせると思うと私は嬉しいよ。ついでにご飯も食べれて嬉しいよ!」

男剣士「うわっ……こいつよく恥ずかし気もなくこんなことを満面の笑みで言えるな」

男弓使い「そうですね、この状況で他人にフリができないのは厳しいです」

男槌士「お前さんは馬鹿なのか?」

女槍士「あ、え~っと、私も嬉しいよ?」

女魔法士「恥ずかしい……」

女剣士「なんだかんだ言ってるけど、あんたも結局飯食いたいんじゃん」

女隊長「協調性の欠片がまるでない!? うちの隊大丈夫かなぁ……」


636: 2012/12/05(水) 18:27:10.89 ID:RLjbm7yt0
みんなで一人の女性をからかいながら門の前に歩いて行く。その様子を見つめていた男は知らず強く唇を噛み締めていた。あの日以来、誰かが楽しそうにしているのを見ると無意識に苛立ってしまうのだ。
笑顔を浮かべあう彼らを自然と睨みつける男。そんな男の視線に気がついたのか、女隊長が気まずそうに他の隊員に告げる。

女隊長「ど、どうしよ。ちょっと騒ぎすぎたかな……。あの子ものすごい形相で私たちを睨んでるよ」

おろおろと慌てふためき、隊長らしからぬ行動をとる彼女に他の兵士達は告げる。

男剣士「そりゃ、あんだけ騒いでりゃ普通はうるさいもんだろ」

男弓使い「まあ、そうだな。それにしてもあの子は浮浪児か?」


637: 2012/12/05(水) 18:27:36.62 ID:RLjbm7yt0
男槌士「いや、そうではないんじゃないかのう。ほれ、服が綺麗だし」

女槍士「じゃあ、何であんなとこに座ってるんだろう。もしかして誰か待ってるとか?」

女魔法士「ど、どうなんでしょう?」

女剣士「こういう時は本人に直接聞いてみりゃいーんだって」

そう言って女剣士が隊から離れて男の傍に駆け寄った。そして、男の目線に合わせるようにしゃがみこんで、声をかけた。

女剣士「やっ! 少年。こんなところで一人で座ってな~にしてんだ?」

男「……」

638: 2012/12/05(水) 18:28:06.02 ID:RLjbm7yt0
女剣士「な、なんだよぉ。無視すんなよ……。お姉さんちょっと傷ついたぞ」

あまりにも無反応な男に女剣士は地味に傷つき、とぼとぼと隊のみんなの元に帰って行った。

男剣士「なんだよ、やけにあっさり帰ってきたな」

女剣士「いや、あの子は強敵だよ。何の反応もしてくれないのは予想外だった」

男弓使い「気難しい子なんじゃないかな? なんにせよ、僕等には関係ないんだし、早く中に入ろうか」

女剣士「あ、うん……」

女隊長「……」

639: 2012/12/05(水) 18:28:50.88 ID:RLjbm7yt0
女魔法士「どうかしました? 女隊長さん」

女隊長「い、いやっ! 何でもないよ~。みんなお腹減ってるもんね! 早く報告済ませて食事にしちゃおっか」

男槌士「そうじゃ、そうじゃ。はよせんか馬鹿者ども」

男槌士に促されるように隊員達は門を通って中へと入って行く。そんな中、それまで先頭を切っていた女隊長が最後尾へと回り、その場から全く動こうとしない男に視線を向けていた。

女隊長(あの子、なんだか気になるなぁ……)

女槍士「女隊長、早く行くよ~」

女隊長「ごめん、ごめん。今行く~」

男「……」

隊員達が門を通り、その場を過ぎ去るまで、男はずっと黙ったままその背を見続けた。そして、この出逢いが後に彼を変えて行く事になる出逢いとなるのだった。

640: 2012/12/05(水) 18:29:30.34 ID:RLjbm7yt0
任務の結果報告を終えた女隊長一行は、施設にある食事場に来ていた。久方ぶりの豪勢な食事に隊員達は皆心踊らせて、各々好きなものを好きな量だけ頼んで食事にありついていた。
戦場では簡易食だったり、食事をろくにとれなかったこともあり、隊員達の食事への欲求は凄まじかった。一口、一口じっくりと味を噛み締めるように食べる者もいれば、次から次へと料理を胃へと流し込む者もいた。

男剣士「あ~っ! うまい飯にありつけると生き返った気分になるぜ」

女剣士「同感。あっちじゃマトモなものが出た試しがないからね。戦闘の休止中に森なんかで野生の動物を捕って食べるのが極上の食事なんだからさ」

女槍士「というか、これじゃあ私たちご飯のために頑張っているみたいよね……」

641: 2012/12/05(水) 18:29:57.84 ID:RLjbm7yt0
女魔法士「あながち間違いでもないのが悲しいです。うぅ、私の人生どうしてこうなったんでしょう」

男槌士「泣くでない、愚痴なら男弓使いが酒場で幾らでも聞いてくれるからのう」

男弓使い「ちょっと待て。どうしてそうなる」

一時の安らぎに心委ねて束の間の休息を堪能する隊員達。戦場での張りつめた空気はそこにはなく、ただただ笑顔だけが彼らの表情に浮かんでいた。ただ一人を除いて……。

女隊長「……はぁ」

そう、女隊長を除いて。

642: 2012/12/05(水) 18:30:50.44 ID:RLjbm7yt0
他のみんなが歓談している中、女隊長は一人窓際の席にてじっと外を見つめていた。軍部の三階に存在する食事場の窓からは施設に入る前からずっと門の前に座り続けている少年の姿が目に入る。
まるでこの世界から拒絶され、たった一人で絶望を抱え込んだような目をした少年。それでいて、その瞳の奥深くには鋼鉄のような堅い意思が感じられた。
見るものを引き込む、燃え上がるような熱い意思。見覚えのあるその眼差しに女隊長は不覚にも魅入られた。
幼いながらにして世の中に絶望してしまう人は確かに存在する。それ自体はそう珍しい事はない。しかし、絶望を抱きながらも諦めず、目標を見定め前に進もうとしている者をあの年頃の子供で見たのは初めてだった。
だからだろうか、女隊長は初めて会ったばかりの、それも言葉すら交わしていない少年の事がやけに気になってしょうがなかった。

女隊長「……はぁ」

そんな彼女の様子に気がついていて敢えて何も言わなかった女槍士だったが、ここに来てとうとうその我慢にも限界が来た。

643: 2012/12/05(水) 18:31:36.29 ID:RLjbm7yt0
女槍士「ちょっと、女隊長。しっかりしてよ! そんなにあの子が気になるのならちゃんと話してきたらどう?」

女槍士の言葉に、それまでそれぞれ会話を繰り広げていた各自の口が塞がり、両目が一斉に女隊長の元を向いた。

女隊長「べ、べつに気になってるわけじゃ……」

女槍士「はいはい。そういう建前はいらないから。ここにいる大半のメンツはあなたが今みたいな状態になって、最終的には連れ込んでるんだから。今更違うって言われても嘘にしか聞こえないわよ」

女隊長「ぐぬぬ」

女槍士にやり込まれながらも、中々自分の心に素直になろうとしない女隊長。そんな彼女を見て、思わず男剣士が声をかけた。

644: 2012/12/05(水) 18:32:14.02 ID:RLjbm7yt0
男剣士「遠慮なんてらしくねーぞ。だいたい、お前あの男の子が気になって全然飯進んでねえじゃねえか。
うちの食事は明るく、楽しくがモットーだろ? そんな悩まれても飯が不味くなるから、とっととあの子のところに行ってこい」

そう言って、男剣士は女隊長の腕を掴んで部屋の外へと連れ出した。拒絶の言葉を男剣士に投げかける女隊長だったが、抗議も虚しく、ずるずると部屋の外へ放り出されてしまった。

男剣士「お前、目的が達成されるまで帰ってくるの禁止な」

ピシャリと勢い良く扉を閉め、男剣士の姿が消える。そして扉の向こうからは再び歓談の声が沸き上がる。食事場から追い出されてしまった女隊長に残された道は、門の前にいる少年の前に向かう事だった。

女隊長「よ、よしっ」

気合いを入れて女隊長は廊下を歩いて行く。そんな彼女の後ろ姿を僅かに空いた食事場の扉の隙間から、他の隊員達が覗き込んでいるのだった。

645: 2012/12/05(水) 18:32:40.48 ID:RLjbm7yt0
男剣士「まったく、相も変わらずうちの隊長はよ~」

男弓使い「なんと言うか、変なところで優柔不断で」

男槌士「強情というかなんというか」

女槍士「自分の気持ちに素直にならないし」

女魔法士「一癖も二癖もあるような人を見つけては拾ってきますし」

女剣士「とりあえず言える事は……」

そう言って一度それぞれの言葉が途切れた後、今度は全員一斉に同じ言葉を呟く。

隊員達「世話の焼ける隊長だな~(のう~)」

646: 2012/12/05(水) 18:33:18.98 ID:RLjbm7yt0
日が徐々に暮れ始め、周りを歩く人々が帰路につき始める。手を繋いで明るい笑みを浮かべる親子もそんな人々の中にいた。そんな親子を座り込んだまま虚ろな瞳で男はジッと見つめていた。
知らず、あの日に枯れ果てたはずの涙が身体の奥底からにじみ出そうになるのを感じた。もう取り戻す事のできない懐かしい日々を思い出して、自然と身体が反応したのだろう。
弱いままでいたくなくて、何もできずに涙を流す事しかできない自分が嫌だった。変わりたいと思ってこの一年身体を鍛えたり、こうして軍部の前に居座り続けたが己は何か変わったのかと自問する。
だが、答えは返ってこない。変わったといわれれば一年前に比べて少しは筋力も付いただろう。だが、それだけなのだ。エルフ達と戦う力などまだまだない。それどころかそのエルフ達と戦うための場に出る事すらもできていない。
結局、自分は一年前から変化していない。子供だからという理由で守られて、虚勢を張り続けてきた。そして、心のどこかでその理由に甘えてきた。
変化が欲しい。本当にエルフ達と戦えるくらいの力を手に入れたい。男はそう……願っていた。願い続けて、いた。
涙が一滴、頬を伝う。それを隠そうとして膝に顔を埋めた。そんな時だった……。

女隊長「ねえ、君もしかして泣いてるの?」


647: 2012/12/05(水) 18:33:56.21 ID:RLjbm7yt0
不意に頭上から声がかけられた。それは少し前にこの軍部の中に入っていった女性の声だった。陽気で、緊張感なんてまるでなく、へらへらと笑っていた女性。女隊長という名で呼ばれていた女性だ。
先程と同じく無視をしようかと男は思った。しかし、一向に己の傍を離れる気配のない女性に苛立ち、つい荒っぽい返事をしてしまった。

男「泣いてない! 僕の事は放っておいてどっかいってくれよ」

顔を俯けたままいっても説得力はなかったが、男は女性を拒絶するしかなかった。家族、友人、知人をなくしてから優しさを向けられるのがずっと怖かったからだ。
大切な人を作ってしまったら、またあのエルフ達に奪われるんじゃないか? そんな悪夢を何度も見続けてきた。だから施設で自分を心配してくれる人たちの元を離れて、優しさが届かないようにした。朝と夜遅くだけ施設に帰り、それ以外はこの場所へと。
だが、ここに来ても門番や兵士達は自分の心配をするばかりだった。子供だから、守るべき対象だから。そう言って……。
結局、自分のことを本当に理解してくれる人はいないのだろう。子供は子供らしく、昔を忘れて新しい人生を生きろということなのだろう。
だが、男は自分にそれができるとは思わなかった。あのエルフを[ピーーー]までは、家族達の復讐を遂げるまでは先に進めるとは思わなかったのだ。

648: 2012/12/05(水) 18:34:25.36 ID:RLjbm7yt0
女隊長「ねえ、顔あげてよ。君はどうしてこんなところにずっと座り込んでるの?」

拒絶してもなお傍に居続ける女性に嫌気がさし、顔をあげて睨みつける男。そんな彼を見て女性はクスリと笑みを浮かべた。

女隊長「ほら、やっぱり泣いてる。どうしたの? 私でよければ話を聞くよ?」

そっと頬を伝った涙の残滓に手を伸ばし、男の顔に触れる女隊長。すっと心の隙間に入り込むように己に触れた女隊長に男は驚いた。すぐにその手を振り払おうとするが、女隊長の余りにも穏やかな表情を見てしまい、毒気を抜かれてしまう。

女隊長「あ~、あ~。こんなに傷ついちゃって。見てて痛々しいなぁ。自分で、自分を傷つけて。そのくせ差し伸べられる手は振り払ってきたんだね」

驚きはそれだけに留まらなかった。あろうことか、目の前の女性は今まで男が誰にも明かした事のなかった胸の内を把握して、それを口にしたのだ。

649: 2012/12/05(水) 18:34:59.78 ID:RLjbm7yt0
男「なんで、わかるの?」

不思議そうにする男に女隊長は、

女隊長「ん? それはね……」

男の口元に人差し指を当てて答える。

女隊長「内緒だよ」

えへへと気の抜けた笑みを浮かべる。そんな彼女を見て男は気を張るのが馬鹿らしくなったのか、肩の力を抜いて笑い返した。

男「ははっ」


650: 2012/12/05(水) 18:35:53.26 ID:RLjbm7yt0
女隊長「あっ! やっと笑った。さっきまでの顔より今の方が君にはずっと似合ってるよ」

そう言って女隊長は顔に当てていた手を引き、男の前に差し出した。

女隊長「私は女隊長っていうんだ。君の名前は?」

男「僕の名前は……男」

差し出された手を握り、男は立ち上がる。握りしめた手は温かかった。

女隊長「そっか、男って言うんだ。ねえ、男。よかったら私たちと一緒に食事でもしない? 男さえよかったらどうしてここにずっと座り続けていたとか話してほしいんだ」

男「うん」

己より大きな手に引かれて男は軍の門を超えて行く。今日、この日をもって男は停滞の日々に終止符を打ち、新たな一歩を踏み出した。
だが、それが更なる悲劇の始まりだという事にこの時の彼はまだ気づくことはなかったのだった。

651: 2012/12/05(水) 18:36:40.76 ID:RLjbm7yt0
荒れ果てた土地、やせ細り、人々によって踏みあらせれたその場所には幾つもの簡易テントが立てられていた。負傷者の一時治療所、補給部隊の待機地点、そして戦場から経過報告を告げるために戻ってきた兵士たちが身体を休めるための場所がここだ。
ここから遥か先では巻き上がる砂埃の中に轟音や火花を散らし争っている人々がいる。飛び散る罵声や血潮、そして肉片。殲滅目標であるエルフ達との戦いだ。
早急にでも戦いを終わらせて家族の元に帰りたい兵士達。そんな彼らに殺されまいと必氏に抵抗し、敵を倒そうとするエルフ達。
仲間を頃し、殺され、双方ともに争いを終わらせるため、憎い敵を討つために争いを続けていた。その表情にもはや慈悲も遠慮も何もなく、あるのは憎悪と敵を討ち取った際の達成感。
そして、一時とはいえ戦場を離れたこの場所にいるものたちの表情に浮かぶのは虚無感。
長い時を経てもなお終わらない戦争は泥沼化し、戦場に立つ者の精神を可笑しくさせていた。それは己が可笑しくなったと誰もが理解できないほどに。

女隊長「偵察任務……ですか?」

補給地点にて前線の状況を伝えるために戻ってきた女隊長はそこで上官から新しい任務の話を聞かされる事になった。


652: 2012/12/05(水) 18:37:12.19 ID:RLjbm7yt0
上官「ああ、そうだ。どうにも西の山岳付近でエルフたちが集団で移動しているという報告を受けた。はぐれなのか、そう偽っている向こうの戦力の一部なのかはわからないが、何か事が起きてからでは遅いと思ってね。
 君の所の隊は連携も取れているし、戦力も申し分ない。それになにより兵の帰還率が100%というのが一番大きい。こういった偵察任務では一人でも生き残りがいれば任務が達成される。目標の目的が何かは未だにわからないが、それがなんであろうとエルフは人にとって害敵だ。
 何も知らないただのはぐれならすぐさま殲滅。万が一向こうの兵力だった場合はこれを捕らえて拷問、目的を吐かせてもらいたい。ただし、接触はなるべく最小限に。捕らえる事が不可能で、手に負えないようなら戦闘は回避して帰還したまえ」

女隊長「了解しました。我が隊はこれよりエルフ一行の偵察、及び殲滅任務に就かせていただきます」

上官から新しい任務を承った女隊長はそのままその場を後にしようとする。背を向け歩き出そうとする女隊長に上官がふと思い出したように声をかけた。

上官「そういえば、一つ聞いておこうと思っていたことがあったな」

653: 2012/12/05(水) 18:37:55.17 ID:RLjbm7yt0
声をかけられた女隊長はその場に留まり振り返る。

女隊長「なんでしょう?」

上官「君の隊にいるあの少年だが、一体いつまで傍に置いておくつもりだね。はっきり言わせてもらうが彼はどちらかといえばこの場には不要な人間だ。負傷兵の治療や食料の配給など手伝いをしてくれている点は認める。
 だが、戦力にはならない。人手が足りていないのは確かだが、かといってあのような幼子をこの場に出すのは私も心苦しい。
 彼のような若い世代が笑って暮らせるようにこうして我々が戦っているというのに、ここで現実を見せて心に癒えることない傷をつける必要もないだろう。いい加減安全な街に置いて行ったらどうだね?」

容赦ない上官の言葉に、女隊長は視線を逸らさず、まっすぐに目を向けて返答する。

女隊長「いえ、それは必要ないと思います。私たちに付いて来る判断をしたのはあの子自身です。戦力がないのは百も承知、私たちの知識や戦闘技術を空いている時間に教えたりもしています。
 戦う力はない、でも邪魔になりたくはないとわかっているからこそあの子は自分にできる事をやっています。人手が足りていないこの状況なら使えるものはたとえ子供でも使うべきかと。
 それに、彼はあなたが思っている以上に現実を見て傷を負っています。それでも私たちについて来ると決めてこの場所にいるんです。なら、私たちがこれ以上何かを言うことはできません」

654: 2012/12/05(水) 18:38:23.31 ID:RLjbm7yt0
上官「……そう、か。わかった、彼に関してはもう何も言わないでおこう」

女隊長「ありがとうございます」

普段の頼りなく、明るい女隊長はそこになく、ただただ冷静で大人な女兵士がいた。普段の彼女とはまるで正反対な、女隊長。そう、ここは戦場。一歩そこに立てば必然的に人も変わる。コインの表と裏が切り替わるように。
だが、彼女の表は果たして普段の明るい性格が本当のものだったのだろうか……。

女隊長「要件はこれで以上でしょうか? では、失礼させていただきます」

再び、上官に背を向けて仲間の元へと歩き出す女隊長。そんな彼女の姿が見えなくなると同時に上官はぼそりと呟く。

上官「君はそうやって理由をつけてあの少年を置きたがるようだが、実際は氏んだはずの弟と姿を重ねているんじゃないのかね」

その問いかけに答える者は誰もおらず、代わりに新しい報告書が彼の元に運び込まれるのだった。

655: 2012/12/05(水) 18:39:00.33 ID:RLjbm7yt0
女隊長が上官の元へと報告へ向かっている間、分隊の一同は円を組み、ある出来事をジッと見守っていた。
空き場の地面に埋められた三つの立て板。その先端部に丸い円を書いた的を少し離れた位置から一人の少年が見つめていた。
高鳴る鼓動を意識しないようにし、深く息を吸い込んで呼吸を落ち着ける。緊張はかなりしていたが、それでもこれまでの努力を見せる時だと己を奮い立たせる。

女魔法士「大丈夫? 無理ならまた今度でいいんだよ?」

彼の師匠の一人でもある女魔法士が心配そうに少年を見る。だが、そんな彼女にきっぱりと少年は告げる。

男「大丈夫、練習は今までもしてきたし。たぶん……できる」

目を閉じ、暗闇に包まれた中、己の頭に今から行うことを想像する。目標は前方に存在する三つの的。それに向かって魔法を放つ。教えてもらった魔法の紋様を思い浮かべ、暗闇を照らす光としてそれを脳内に描いていく。
脳内でイメージ通りに描ききれたところで少年は目を開けて目標の的を再び見据えた。

656: 2012/12/05(水) 18:39:41.66 ID:RLjbm7yt0
男「いくよっ!」

口にすると同時に男は指先で紋様を描き出す。それは魔法を発動させる際に必要な動作だ。優れた魔法使いになれば魔法紋を描かずとも魔法を発動させる事ができるようになるが、余程強くイメージを保たない限り、魔法は発動しない。
紋様を描くのはその魔法のイメージを強めると同時に、確実に魔法を発動させるための補助的要素があるのだ。
指先から宙に描き出される光の紋様。ミスは許されない。身体を巡る魔力を意識し、それを指先へと流して行く。
描き、描き、そしてついに紋様が完成される。イメージした魔法が紋様の補助によってその姿を形作り、顕現する。
光の紋様が消えると同時に三つの火の玉が宙に浮かび上がった。

男剣士「おっ!」

女剣士「おお~」

657: 2012/12/05(水) 18:40:25.60 ID:RLjbm7yt0
この状況を見守っている者の中から思わず声が上がる。だが、まだ終わりではない。

男「あとは、これを的にぶつける……」

意識を集中し、三つの的に向かって男は火の玉を投げつけた。

勢い良く加速し、目標へ向かって飛びかかる火球。高温の熱を内にその身に秘めたそれはそのまま的へと衝突すると思われた……。

男槌士「むっ……」

男弓使い「あれ?」

しかし、三つの火球の内二つが的へぶつかる直前でその軌道を変え、横へとそれてしまった。結果、一つは的へと直撃し木の板を爆散させた。残った二つのうち一つは的にかすったものの、全体をぶつけることができず、最後の一つに至っては的に触れる事すら叶わなかった。

658: 2012/12/05(水) 18:40:51.27 ID:RLjbm7yt0
女槍士「あ~っ! 惜しい!」

一連の結果を見届け、誰もが口を閉ざしている中、第一声をあげた女槍士。そして、彼女の言葉を皮切りに、他の隊員達が口火を切り始める。

男剣士「あとちょっとだったな~。でも、この年で火球を三つも出せる時点ですげえと思うぞ」

男槌士「そうじゃ、そうじゃ。自分なんて魔法なぞ使う事すらできんからのう」

男弓使い「そうだな。でもこれってどう判断すればいいんだろう」

男弓使いの言葉に他の隊員達は顔を合わせて悩みだす。そう、これは男の魔法の特訓でもなんでもなく、ある試験を彼に行わせていたのだ。
それは、火球を生み出す魔法を使い、三つの火球を生み出し、その内の二つを的に命中させるというものだ。

659: 2012/12/05(水) 18:41:23.07 ID:RLjbm7yt0
女魔法士「一応、的には当たっていますし……合格でいいんじゃないですか?」

女槍士「私もそう思うけどさ、でもちゃんとは当たってないんだよね。ここで甘やかしたら駄目なんじゃない? 一応大事な試験だし」

女剣士「う~ん、別に合格でいいと思うけどね~。実際これだけの腕があったら普通に戦えると思うし」

肯定的な意見が次々と上がり、それまで少し不安そうな表情を浮かべていた男に笑顔が現れだす。

男「じゃ、じゃあっ!」

もしかしたらと溢れ出る喜びを抑えられず、身を乗り出す男。そんな彼に女槍士が問いかける。

660: 2012/12/05(水) 18:42:00.11 ID:RLjbm7yt0
女槍士「一応もう一度だけ聞いておくけれど本当にいいの?」

男「いいさ、いいに決まってる! 僕はこのためにずっとみんなと一緒に居続けたんだ。確かに、最初はエルフに復讐する事ばかり考えて戦場にでていたよ。
 でも、実際に戦場に出て自分に力がないのがわかって、エルフ達がどれほど恐ろしい存在かもわかった。それからみんなの力も。
 今の僕じゃやれる事も限られているけどそれでもみんなの力になりたいんだ。僕に魔法を教えてくれて、エルフを倒す力をくれた。危険な戦場での生き方や対処法を教えてくれて、僕を守ってくれたみんなの力に。
 だから、お願い。僕をみんなと一緒に戦わせて!」

頭を下げ、真摯に仲間達に訴える男。そんな彼を見て隊員達は笑顔を浮かべる。

男剣士「ったく、ここまで頼み込まれちゃ仕方ねえよな」

男弓使い「まあ、無茶しそうになったら俺たちが止めればいいんだし」

男槌士「年少者の面倒を見るのは年上の義務だしのう」

女魔法士「男くん、ずっと頑張ってきてましたしね」

女剣士「ま、みんながいいっていうんならいいと思うけどね」

女槍士「ということだけど、どう? 女隊長」

661: 2012/12/05(水) 18:42:46.66 ID:RLjbm7yt0
気がつけばいつの間にか隊員達の背後に女隊長が立っていた。苦い表情を浮かべ、仲間達の意見を聞いている女隊長。最後の決断を任せられた彼女は困ったように男を見ていた。そして男また彼女に自分を認めてもらおうと説得の言葉を口にする。

男「お願い、女隊長。僕を戦いに参加させて! 絶対に、役に立ってみせるから!」

強い眼差しで己を見つめて来る男に女隊長は困ってしまう。こういった目をした人を自分が止める事はできないとわかっているからだ。

女隊長「……一つ、約束して。絶対に無茶はしないって」

真剣な女隊長の言葉に男は無言で頷いた。

女隊長「そう。それがわかっているならこれ以上私が何か言う事はないかな……。男、今日から君は私たちの隊の支援役として一緒に敵と戦ってもらうね。
 試験は合格。以上……だよっ」

女隊長がその言葉を口にすると、それまで静かにこの成り行きを見守っていた他の隊員達が一斉に歓声を上げた。

662: 2012/12/05(水) 18:43:37.82 ID:RLjbm7yt0
男剣士「いよっしゃああああああああ! やったな、男! これでお前は正式に俺たちの仲間だぜ!」

男弓使い「こら、そんな言い方だと今までが正式な仲間じゃなかったみたいだろうが。でも、まあおめでとう男。これから頼りにしてるよ」

男槌士「よかったのう、男。でも、これで満足してはいかんぞ。これからも鍛錬を続けてより強くなれるようにするんじゃぞ」

女魔法士「男くん……。よかっだでずねえぇっ……」

女剣士「うわっ! 女魔法士のやつ泣き出した。鼻水垂らしてこっちこないでよ、ばっちいなぁ」

女槍士「まあ、まあ。女魔法士は男の師匠でもあるんだから、みんなよりも感動もひと際大きかったんでしょ。それにしても、よかったね男。これからもよろしくね」

男「みんな……ありがとう。僕、これからもみんなの役に立てるように頑張れるよ……」

663: 2012/12/05(水) 18:44:17.61 ID:RLjbm7yt0
男剣士「おいおい。男たるものこの程度で泣いてるんじゃねーよ。女々しいと思われるぞ」

男弓使い「とかなんとか言って、自分だって目尻に涙浮かべて必氏に泣くのを我慢してるくせに」

男剣士「ばっ! ちげえよ、これはだな……そう! 汗だよ、汗。緊張して見てたから汗かいたんだよ」

男槌士「なんとも見苦しいいいわけじゃのう。まあ、めでたい事じゃし泣こうが別にいいんではないか?」

男剣士「だから、ちげえってば!」

喜びを分かち合う仲間達を一歩距離を置いて眺めている女隊長。今まで男を戦闘に参加させず、今回も試験を課して少し厳しい事を言ってきた女隊長だったが、その胸の内は隊員達と同じように喜びに溢れていた。

664: 2012/12/05(水) 18:45:32.35 ID:RLjbm7yt0
女隊長(よかったね、男。ホント、これまでずっと頑張ってきた成果が出て私も嬉しいよ)

仲間達の喜びの輪に入らずにいた女隊長だったが、そんな彼女に今回の主役の男が気がついた。そして、幾つもの手にもみくちゃにされている中を飛び出して、女隊長の元へと駆け出した。

男「女隊長!」

勢いよく女隊長の胸へと抱きついた男。急に抱きしめられた女隊長は突然の事に戸惑い、同時に驚いた。

女隊長「あっ、えっ!? えと、男? どうしたの?」

男「ううん。ただ、お礼を言いたくて……。いつも僕の練習を手伝ってくれて。僕の事に気をまわしている余裕もなかったのに」

女隊長「私は何もしてないよ。男がただ、頑張っただけなんだから」

男「それでも、お礼を言いたいんだ。あの日、女隊長が僕に声をかけてくれなかったらきっと僕は今でもあの門の前で立ち止まったままだった。そんな僕を外の世界に連れ出して、戦争の恐ろしさを、そしてそこでの生き方を教えてくれた。
 だから、今の僕があるのはみんなの……女隊長達のおかげだ」

男の感謝の言葉に照れてしまったのか、女隊長は顔を赤くし、視線を男から背けている。

665: 2012/12/05(水) 18:46:10.63 ID:RLjbm7yt0
女隊長「あの……ね、男。そろそろ離れてくれないと私……」

そう言いつつそっと男の背中に腕をまわして優しく抱きしめる女隊長。互いに抱きしめ合う状況がしばらく続いた。

男「……」

女隊長「……」

見つめ合う男と女隊長。甘い空気がその場に漂い始めたその時、二人だけの世界に割って入ったのはこういう状況に頼もしい女槍士だった。

女槍士「……こほん。あの、そろそろいいかな二人とも?」

その言葉を聞いてようやく我に返ったのか、はっとした女隊長が男を己から引き離した。

666: 2012/12/05(水) 18:46:42.76 ID:RLjbm7yt0
女剣士「いや~、女隊長に少年趣味があるとは思わなかったな~」

女魔法士「年下の男の子と大人の女性の恋愛……。ありですね……はぁ、はぁ」

男剣士「男め……うらやま。いや、けしからん」

男弓使い「羨ましいなら素直にそう言えばいいのに」

女槍士「まあ、とりあえず自分よりも一回りほど年下の少年に手を出すのは……。まあ、趣味は人それぞれだけど、後二年くらいは待ってあげなよ」

女隊長「な、な、ななっ! 違うよ! そんなんじゃなくてっ! だって、急に男が抱きついてきて、その無理に突き放すのもかわいそうだし、だから……えっと」

男槌士「そのわりには男を離すまいとしっかり抱きしめ返しておったようじゃったがのう」

女槍士「うん、うん」

女魔法士「私も師匠として一緒に魔法の練習したのに……」

667: 2012/12/05(水) 18:47:30.94 ID:RLjbm7yt0
みんな男の行動や女隊長の行動に特に深い意味はないと分かって入るもののからかうのは止めない。いつも通りの展開になった仲間達を見て男は笑顔を浮かべる。
新しい家族とも呼べる仲間達ができたことによって浮かべる事ができるようになった笑顔を。

男「みんな、そんなにからかったら女隊長がかわいそうだよ!」

再び仲間達の輪に入る男。戦場で誰もが傷つき、壊れて行く中、この仲間達は堅く強い絆で結ばれていた。


いつだったか、誰かがこんな事を口にしていた。
別れは本当に予期せず、一瞬にして訪れる。だからこそ、自分たちは後悔をしないように今を精一杯生きて、繋がりので来た人と人との関係を大事にしていくのだと。
それを聞いて子供心になるほどと男は思った。確かに人との縁というものは大事だと。今一緒にいる分隊のみんなと出会った事で、自分の心は確かに救われ、彼らの力になりたいと思うようにもなった。
素晴らしい出逢いに感動し、心揺さぶられ、笑顔を取り戻した。だからこそ、気づかないうちに彼は浮かれて大事な事を忘れていたのだ。
別れは訪れる。それは、早いか遅いかの違いだけで、必ず起こるのだ。そして、命を賭け合う戦場ではそれがどれほど早くなるか。そんな大事な事を、今まで運良く隊の誰とも別れを経験しなかった彼は……忘れていたのだ。

668: 2012/12/05(水) 18:47:56.60 ID:RLjbm7yt0
エルフ一行の偵察の任を受けてはや一週間が過ぎようとしていた。エルフ達が目撃された地点は既に過ぎ、そこに残された僅かな痕跡を辿って男達はエルフ達を追跡していた。
しかし、己の存在を相手に気取られてはいけない偵察任務では行進は慎重にならざるをえず、その歩みは遅く、更には木々やでこぼことした獣道が進行速度をより遅れさせていた。
そして、それとはまた別に彼らの行く手を阻む存在も。

男剣士「気をつけろ、猪型の魔物だ! 男、女魔法士援護頼む! 火の魔法は目立つから極力使うなよ」

男「わかった!」

女魔法士「了解です」

669: 2012/12/05(水) 18:48:30.26 ID:RLjbm7yt0
視線の先に存在するのは普通の猪より一回り大きな体躯の魔物。鼻横から生えている二つの牙は長く、鋭い。突き刺さればそのまま絶命するだろう。
山奥に現れた久方ぶりの大物な獲物を見て興奮しているのか、猪は鼻息を荒げてこちらを地面を何度も踏みつけ、こちらを睨みつけていた。
そんな猪に対して剣を構え、牽制をするのは男剣士。彼の後ろには、援護をするため魔法紋を描き始めたのは男と女魔法士。
宙に描かれる幾何学模様の魔法陣や文字の羅列。その一つ、一つに意味の込められた常人には理解できない魔法起動のためのプロセス。
単体では効力のないそれを全て描き終えた時、魔法は発動し、その効力を真に発揮する。
そして、それを行うには魔法紋を途中で中断させることなく描き終えなければならないのだ。
この間、男剣士の役割は彼らの潤筆が終わるまで盾となり、時間を稼ぐ事だった。
しかし、獰猛な魔物が彼らの考えを読み取って待ってくれるかと言われればそんなはずもなく、目の前に現れた獲物めがけて己の武器である鋭い牙を突き刺すため突進してきた。

女魔法士「行きます!」

670: 2012/12/05(水) 18:49:11.79 ID:RLjbm7yt0
まず最初に魔法を発動させたのは女魔法士だった。魔法紋からは目には見えない渦巻く風の刃がいくつも宙に浮かび、轟音を上げて周りの葉や砂を巻き上げている。
それを見た男が次に魔法を発動させる。魔法紋からは光が発せられ、離れた場所に立つ猪の足下から太い蔓が生え、その足に絡み付き動きを止める。男の援護を確認すると女魔法士は宙に留めていた風の刃を一斉に解き放つ。
凄まじい速度で猪の元へと飛んで行く風の刃。まるで抜き身の名刀がいくつも飛び交うようなそれは猪の身体を容赦なく切り刻み、その身体から大量の血を吹き上がらせた。
絶叫を上げる猪。だが、そんなことで情けをかける男達ではなく、男剣士は剣を横に水平に構えて猪の顔の正面に突き込むために駆け出した。

男剣士「くたばりやがれえええええええええ!」

そのまま猪の顔に突き刺さると思われた剣は、しかし猪の最後の抵抗によって足に絡み付いていた蔓を無理矢理引きはがし、己の牙で男剣士の愛剣を空中へ弾き飛ばした。
その瞬間、その場にいた誰もが凍り付いた。解き放たれた狂獣、訪れる命の危機、仲間の氏。それを想像し、叫び声を上げる事もできず、ただ冷や汗が己の額から地面に落ちるのをゆっくりと感じるだけだった。

男剣士「あっ……」

己の命が終わる事をどこかで予感し、男剣士が口にしたのは何とも気の抜けた一言だった。この世への未練など考えている余裕もなく、ただ状況を理解して、驚きと諦めの反応を口にすることしかできなかった。

だが……。

671: 2012/12/05(水) 18:49:43.72 ID:RLjbm7yt0
男槌士「どっせぇい!」

突如近くから野太い声が聞こえたと思うと、男の眼前にいた猪が何か大きな飛来物によって吹き飛ばされていた。苦痛の叫びを上げ、地を転げ回り、先程切り刻まれた傷口からは増々血を吹き散らす猪。
急な出来事に何が起こったのかと男達が思っていると、いつの間にか男剣士のすぐ横に男槌士が立っていた。

男槌士「全く、最後の最後で油断するなぞお前さんもまだまだ未熟者だの」

弾き飛ばされ、地面に突き刺さった男剣士の剣を抜き、手渡す男槌士。

男剣士「そっちは別の場所の探索中だろ。なんで、ここにいるんだ?」

男槌士「こっちはもうとっくに終わっておるわい。それで先に合流地点に戻ろうと思ったら、こっちから轟音が聞こえたもんでのう。こうして駆けつけたというわけじゃ」

男剣士「そりゃ、どうも。おかげで助かった」

男槌士「礼には及ばん。それに、一人だけじゃないしのう」

672: 2012/12/05(水) 18:50:10.91 ID:RLjbm7yt0
男槌士がそう言うと、地を力強く踏みしめ、早足で駆け抜ける音が聞こえてきた。そして、黒い影が二つ眼前を通り過ぎたと思うと、未だ大地に倒れふしている魔物に向かって襲いかかった。

女槍士「てえええええええい!」

女剣士「はぁっ!」

ダメージの抜けきっていない猪に対して女槍士と女剣士の二人が剣と槍を同時にその巨体に突き刺した。断末魔の叫びを空に向かってあげる魔物。そして、とうとう力つきたのか、そのまま倒れ伏したのだった。

男剣士「やれやれ。一時はどうなるかと思ったが、これで一安心だな」

女魔法士「心臓に悪いですよ、本当にもう」

673: 2012/12/05(水) 18:51:02.71 ID:RLjbm7yt0
男槌士「がっはっは! これで貸し一つじゃな。町に戻る事になったら酒をたらふく奢ってもらうかの」

男剣士「ちっ、しょうがないな。その代わりに財布の中身がすっからかんになるまで飲むのは勘弁くれよ」

男槌士「わかっておるわ。がっはっは!」

危機を乗り越え、安堵の表情を浮かべて軽口をたたき合う仲間達。そんな中、ただ一人男だけが浮かない表情をしていた。その事に気がついた女槍士が彼の元へと近づき声をかける。

女槍士「どうしたの、男? もしかして、怖かった?」

そういえば男は本当の意味での実践はこれが初めてだったということを思い出し、予想していたよりも怖い思いをしたのではないかと心配する女槍士。

男「ううん、違うよ。大丈夫、ちょっと緊張しただけ」

674: 2012/12/05(水) 18:51:34.79 ID:RLjbm7yt0
 何でもないように男は返事をし、皆の輪に入っていく。その様子に違和感を感じながらも、女槍士はそれ以上男に何かを聞く事はなかった。
 しばらくして、別の場所を探索していた女隊長と男弓使いが合流し、それぞれの成果を報告し合う。

女隊長「みんなお疲れ! どう、なにか手がかりになるようなものは見つかった?」

女剣士「こっちは何も。そっちはどうだった?」

男弓使い「いや、手がかりになるようなものは見つからなかったな。連中も馬鹿じゃないらしい」

男槌士「ふむ……それは困ったのう。このままじゃ追跡は難しくなる。連中の狙いが何かもハッキリしておらんし、早いところ捕まえて尋問でもしたいところなんじゃがの」

女槍士「そうはいっても、焦ってこっちのことをエルフ達に気づかれても厄介だしね。もどかしいわね……」

これからの事を考え、途方に暮れる一行。だが、それも男剣士の一言によって打ち破られる。

675: 2012/12/05(水) 18:52:12.31 ID:RLjbm7yt0
男剣士「いや、そう決めつけるのは早いぜ。見ろよ」

そう言って彼が指を指したのは一見すると何もない獣道。

男弓使い「……何もないが?」

皆の疑問を代弁する形で男弓使いが問いかける。

男剣士「いや、俺もさっきまでそう思っていたんだけど、女魔法士に魔法を使った形跡がないか調べてもらったんだ」

そう言って女魔法士に目配せする男剣士。

女魔法士「はい。実はですね、この道々に魔法を使った痕跡がわずかにですけれど残されていたんです。確証はないので断言できませんけれど、おそらくエルフ達が自分達が通った跡を残さないように使った魔法の残滓と思われます。
 もしかしたら罠かもしれないですけれど、この先の道をエルフ達が進んだ可能性は高いですね」

女剣士「だってさ。どうする、女隊長?」

女隊長「罠だっていう可能性があったとしても、私たちは進むしかないんだよね。……よし、みんな周囲に気を配りながらこの先に進もう!」

その一言で分隊の進むべき道は決まった。隊列を組み、一同が進んで行く中、最後尾を歩く男だけが未だ浮かない顔をしているのだった。

676: 2012/12/05(水) 18:52:41.81 ID:RLjbm7yt0
行進を続ける事数時間。空は暗くなり、夜が訪れた。周りの安全を確認し、小さな火を熾し、一同は交代で仮眠を取っていた。
パチパチと燃える薪に目を移しながら、男は見張りの番についていた。周囲に意識を張りながらも、ジッと膝を抱え込み、何かを深く考え込んでいる様子だ。
そんな彼の元に一つの影が近づいていた。男に気づかれないようにそっと近づき、一気に距離を詰めてその背に抱きつく。

女隊長「お~と~こ! どうしたの、浮かない顔して。もしかして結構疲れが溜まってる?」

不意を突く形で現れた女隊長に驚くと同時に半ば呆れる男。はぁ、と一度ため息を吐き抱きつく女隊長に告げる。

男「女隊長こそどうしたの? 交代にはまだ早いよ」

男の次の見張り番は女隊長であったものの、男自身つい先程女槍士と交代したばかりなのだ。交代時間はだいたい一刻が過ぎたらと決まっているのでまだまだ先は長い。にもかかわらず、女隊長は男の元へと訪れた。これは交代以外になにか用があるのだろうと彼は思った。

677: 2012/12/05(水) 18:53:28.82 ID:RLjbm7yt0
女隊長「ん~それは分かっているんだけどね。ちょっと、眠れなくて。それに、男を一人にしておくにはちょっと心配だったから来たんだ」

男「もう……また子供扱いして」

女隊長「ごめん、ごめん。嫌だった?」

男「そりゃ、嫌かって聞かれればあんまりいい気はしないかも。僕だってみんなと対等な立場でいたいし……」

ちょっぴり不機嫌になり、むくれる男。そんな彼の様子を見て女隊長はくすりと微笑む。そして、男はそれを見逃さなかった。

男「あっ! 笑わないでよ」

女隊長「しまった! 男、ごめんね。拗ねないで~」

678: 2012/12/05(水) 18:54:13.62 ID:RLjbm7yt0
男「いいよ、もう。女隊長が僕のこと手のかかる子供って思ってるの知ってるし」

女隊長「う~ん、どっちかと言えば手のかかる弟かな?」

男「対して変わらないじゃんか」

すっかり機嫌を損ねて拗ねる男の背から離れて、その隣に座る女隊長。それからしばらく二人の間に言葉はなく、ただ木々が燃える音のみが周りに響いた。
そんな中、沈黙に耐えきれなくなったのか男が言葉を漏らした。

男「ねえ、女隊長……」

女隊長「ん? なに、男?」

男「僕……さ、本当にみんなの役に立ててるかな」

679: 2012/12/05(水) 18:54:43.08 ID:RLjbm7yt0
胸の内に抱えていた不安を少しずつ曝けだす男。そんな彼に女隊長は優しく問いかける。

女隊長「急にどうしたの? もしかして昼間の件で怖くなっちゃった?」

男「ううん、別に怖くなったとかじゃないんだ。みんなと一緒に行動してもう結構な月日が経つよね。その間、みんながどれだけ強いかを直に見てきたんだ。だから、自分がどれだけ力が足りないかも知っている。
 だから、この間の試験で合格できたのはすごく嬉しかったんだ。やっと、みんなと肩を並べて戦えるって思えたから。
 でもさ、今日の実践で僕の魔法さ、魔物に破られちゃったんだ。そのせいで男剣士が氏ぬかもしれなかった。もし、男槌士たちが来てくれなかったらと思うとゾッとしちゃって」

女隊長「男……」

680: 2012/12/05(水) 18:55:14.00 ID:RLjbm7yt0
男「もしかしたら僕はまだみんなと一緒に行動するほど力がないんじゃないかって思ったんだ。あの時の試験だってギリギリだったよね。本当は駄目だってどこかで思ってた。
 女隊長は合格だって言ってくれたけど……本当はって思っちゃって」

本当の実践を経験し、自分が努力して覚えてきた魔法が簡単に破られた事、そしてそれによって仲間を窮地に立たせてしまった事が余程ショックだったのだろう。日中男が浮かない顔をしていたのはそれが原因だった。
自分はまだ皆と共に戦える力はなく、情けで戦いに参加させてもらっているのではないだろうか? そんな考えばかりが浮かんでしまっていたのだ。

女隊長「思い詰め過ぎだよ。男はよくやってる。ちゃんと頑張ってるし、みんなの力になってるよ。私が男の歳の頃なんてこんなに強くなかったもん」

男「そう……かな。たとえ女隊長の時がそうだったとしても僕は今みんなと一緒に戦っているんだよ。強くなくちゃならないよ」

681: 2012/12/05(水) 18:55:44.64 ID:RLjbm7yt0
再び訪れる沈黙。すれ違うそれぞれの意見。少し口を出しすぎたと男が後悔をし始めた頃、今度は女隊長が話を始めた。

女隊長「私ね、弟がいたんだ」

男「えっ?」

唐突に別の話を始めた女隊長に驚きながらも、男はその話に耳を傾ける。

女隊長「私が男くらいの歳の頃かな。小さな町で弟とお母さんと一緒に暮らしていたの。あ、お父さんは私が小さい時に亡くなっちゃってて、周りの人に助けてもらいながらどうにか生活していたんだ。
 決して恵まれた生活じゃなかったけれど、それでも私には幸せな毎日だった。お母さんが笑ってご飯を作って、弟はちょっとやんちゃで手がかかったけど、それでも楽しかった。
 でもね、ある日私たちの町がエルフに襲われたの。お母さんは私と弟を逃がした際に流れ矢に当たって氏んじゃって。弟二人で必氏に逃げた」

男「……」

682: 2012/12/05(水) 18:56:14.31 ID:RLjbm7yt0
女隊長の話を聞いて男は自分に似ていると感じた。そして、今彼女の隣にその弟の姿がないことからも、この先に待ち受けている結末にも勘づいてしまった。

女隊長「でもね、子供がいつまでも逃げられるわけもなくてね、私と弟は途中でエルフに捕まったんだ。
 それまで、私はずっと弟の手を繋いでた。どこに行くのにも、なにをする時も。私がお姉ちゃんなんだから弟を守ってあげなきゃって思ってたんだ。
 だけど、いざ氏を目の前にした時に私は怖くなったんだ。氏にたくない、氏にたくないって思った。そして、繋いでたその手を……離しちゃったんだ」

男「それから……どうなったの」

女隊長「……弟はすぐに氏んじゃった。私は後ろで叫び声を上げて助けを求める弟を一度も振り返る事逃げ続けた。
 逃げて、逃げて、逃げて、町に駆けつけた軍の人に助けてもらった。
 男も会ってるよね、ここに来る前補給地点にいた上官が私を助けてくれた人なの。あの人に助けてもらってしばらくは施設に入ってた。
 でも、毎晩毎晩夢に出てくるの弟の叫び声が、エルフ達の顔が。それを消したくて、私は軍の前に毎日通った。毎日、門の前にしゃがみ込んで軍に入れてもらえるように頼み込んだ。
 でも……まだ幼かった私は軍に入る事はできなかったんだ」

683: 2012/12/05(水) 18:56:47.67 ID:RLjbm7yt0
それを聞いて、男はハッとした以前軍部の前に座り込んでいた自分の心情を言い当てた女隊長に理由を尋ねたことがあった。あの時は内緒とはぐらかされていた。だが、そうではなかったのだ。
彼女は自分だったのだ。だからこそあの時の自分の心情が手に取るように分かったのだと男は思った。

女隊長「それからは頑張って軍に入れるまでの間自分にできることをやって、こうして今軍に所属している。今の私にはもったいないくらいの仲間にも恵まれた。もちろん、男もね。
 強くなくたっていいんだよ、一人でできることなんて限られているんだから。だからこそ、仲間がいるんだしね。男は今できることを頑張るだけでいいんだよ。もしそれで失敗しても、私たちが助けてあげるから。それが、仲間でしょ?」

男「……うん。そう、だね。ありがとう、女隊長」

照れくさそうに下を向いてお礼を述べる男。ようやく暗い顔を無くした男を見て満足そうに微笑む女隊長。

684: 2012/12/05(水) 18:57:16.34 ID:RLjbm7yt0
女隊長「あ、でも私男に一つ謝らないといけない事があるんだ」

男「なに?」

女隊長「実は私ね、男のこと何度か弟と重ねてた。特に、隊に入った当初は。今の男の歳が近いって言うのもあったからなおさら、ね。だから無意識のうちに子供扱いしちゃったりしたりもしたと思う。
 それを男が負担に思っていたのならごめんなさい」

 頭を下げて謝る女隊長に男は焦った。

男「そ、そんな謝らないでよ。僕は女隊長に感謝こそすれ文句を言う事は何も無いんだ。だって、女隊長が僕の手を引いてくれなかったらずっと僕は燻ったままだったんだから。
 だから、いいんだ。子供扱いされるのは実際に僕がまだ子供なんだから。でも、いつかそんな風に思わないように立派になってみせるから」

グッと拳を握りしめて決意を固める男。そんな彼を見て女隊長は無言のまま男を見つめた。

685: 2012/12/05(水) 18:57:51.78 ID:RLjbm7yt0
女隊長「うっわぁ……男って本当に母性本能をくすぐるね」

うずうずと身を震わせる女隊長を見て男は不思議に思う。別段変な事を言ったつもりはなかったのだが、何か気を悪くさせただろうかと心配になる。
それから女隊長は唐突に立ち上がり、周りを見渡し、起きているものが誰もいない事をいないことを確認すると、再びしゃがみ込み、先程よりも更に男との距離を縮める。

女隊長「じゃあ、男がそんな立派になってくれることを期待するのと、子供扱いしていた謝罪を込めて」

そう言って女隊長は男の頬にそっと手を当て、唇を重ねた。
触れ合う、肌と肌。ねっとりとした自分以外の人の一部が己の中に入ってくるのを感じ、男は言葉にできない異様な感覚に襲われた。
数秒はそうしていただろうか。突然訪れた未知の出来事に男は惚け、そんな彼の初めてを奪った女隊長は照れくさそうに視線を彷徨わせた。

686: 2012/12/05(水) 18:58:17.42 ID:RLjbm7yt0
女隊長「そ、それじゃあお休み男! 見張りよろしくね!」

止める間もなく去って行く女隊長。男の意識は未だ現実に戻っておらず、別の次元へと旅立っていた。無意識のうちに視線が空へと向かう。満点の星々がそこには煌めいていた。
しばらくして、ようやく己が女隊長にキスをされたのだと理解した男。初めてのキスを感覚に戸惑い、同時に感動しながら悶々とする。当然、見張りに集中できるはずも無かった。
そして、本能のまま男に対して行動を移した女隊長も気づいていなかった。やってしまった! という思いからすぐさま男の元から離れた彼女だったが、次の見張り番のために男が彼女の元にくることをすっかり忘れていたのだ。
結局、交代の時間が訪れ、彼女の元を男が訪れた時にはなんとも気まずい空気が流れたのだった。

692: 2012/12/05(水) 23:31:28.05 ID:RLjbm7yt0
翌朝、何とも言い難い妙な空気に包まれながらエルフの探索を続ける一行。その原因は
言うまでもなく女隊長のしでかした昨夜の一件にあるのだが、仮眠をとっていたほかの隊員たちがそのことについて知っているはずもなく、男と女隊長二人のあいだに漂う気まずい雰囲気からなんとなく事情を察するのだった。

女剣士「ねえ、これもしかして……」

先頭を歩く女隊長、並びに最後尾を歩く男に聞こえないように声を潜め、当事者でない他の隊員たちは話を始める。

女槍士「うん、みんな多分予想しているだろうけど、たぶん女隊長は昨日男を食べちゃったね」

女魔法士「や、やっぱりそうなんでしょうか……。でも、二人の様子を見たところ、何かがあったのは間違いなさそうですし」

やはり、こういった男女の関係が臭う話題には女性の方が食いつきがいいらしく、普段はみんなを律する立場にある女槍士も今回ばかりは積極的に会話に混じっていた。

693: 2012/12/05(水) 23:32:01.79 ID:RLjbm7yt0
男剣士「おいおい、待てよ。んじゃ、あれか? 昨日俺たちが気抜いて寝てるあいだに男のやつは一人いい思いしてたってことか?」

男槌士「そうみたいじゃのう。ふっふっふ、男め可愛い顔をしておるくせに中々やるやつじゃのう」

男弓使い「というか、みんな男と女隊長がヤったっていう方向で話進めてるけど、実際男がそんなことすると思う?」

男弓使いの一言で、一同は話すのをやめ、深く考え込む。そして、皆同じ結論に達する。

男剣士「いや、やっぱそりゃねえ。男のやつはまだ女の身体とかに興味なさそうだし」

女剣士「そういえば、以前水浴びをしているところに男が来たけど、顔真っ赤にしてすぐにその場を去ってったっけ」

694: 2012/12/05(水) 23:32:50.30 ID:RLjbm7yt0
女槍士「となると、手を出したのは……」

そう女槍士が呟くと同時に全員の視線が一斉に女隊長の背中に集まる。

女隊長「な、なに? どうしたの、みんな。そんな怖い顔して」

隊員たちの視線に気がつき、振り返った女隊長であったが、自分を見るみんなの目がとても冷たいものであることを察する。
昨晩の件を怪しまれていると思った彼女は、どうにかその件をごまかそうと、慌ててみんなに別の話を持ち出した。

女隊長「そ、そういえばさ。みんな今回の任務が終わったら何かしたいことないの?」

無理やり話題を変えた女隊長を見て、隊のみんなは思わずため息を吐き出す。しかし、あまりいじめてもかわいそうなので、この辺りで何があったのか探るのをやめるのだった。

695: 2012/12/05(水) 23:33:21.76 ID:RLjbm7yt0
女剣士「ご飯! なんといってもご飯が食べたい!」

女魔法士「そうですね。一度ゆっくりと羽を休めたいですね。読書をしたりしてのんびりと数日過ごせれば……」

女槍士「う~ん、こんな時で不謹慎かもしれないが観光なんてしてみたいな。もっとも、行ける場所も限られているだろうけど」

男剣士「そうだなあ。かわいい子とたくさん遊びたいな……」

そう男剣士が言った途端、女性陣の周りの空気が一気に下がった。

696: 2012/12/05(水) 23:33:53.39 ID:RLjbm7yt0
女剣士「まあ、確かにやりたいこととはいったけどさ」

女槍士「もうちょっと、まともな意見があると思うんだけどね」

女魔法士「男剣士さん、そういったことをいうのは時と場合が……」

女隊長「ま、まあ。素直なのはいいことだと思うよ」

男剣士「なんだよ! いいじゃねえか、俺だっておいしい思いをしたいんだよ!」

男弓使い「まあ、まあ。男剣士がモテないのはいつものことだし、願望を口にするくらいはいいじゃないか。もっとも、それが叶うかどうかは別だけど。
 あ、ちなみに俺はゆっくり寝たい。安心して眠れる空間で好きなだけ眠りに就きたいな」

697: 2012/12/05(水) 23:34:40.05 ID:RLjbm7yt0
男槌士「なんじゃ、なんじゃ。みんなつまらんのう。どうせなら酒場の酒を飲み尽くすくらい言わんかい」

男剣士「それをしたいと思うのは男槌士くらいだろ」

女剣士「うん、うん。間違いないね」

この場にいる男を除いた全員がそれぞれの願いを口にする。ただ、こんなことを口にするのは何も理由がないわけではない。
 エルフの偵察任務が始まってから、もうだいぶ日数が過ぎた。分隊とはいえ、人数が少ないわけではない。食料はすでにかなり減っており、持ってあと二、三日。
狩りをしながらであれば、帰還分は持つが万が一帰還中に予期せぬ事態が発生した場合、食料は枯渇する。
 そうなった先に待っているのは空腹からの思考の停止、動きの鈍りなどといった悪循環。そんな状況でもしエルフや魔物に遭遇することになれば命が失われる危険も大きくなる。
 そうなると、捜索のリミットは今夜一杯。元々相手の動向を伺うのが任務であり、戦闘は二の次。なにも無理に命を危険にさらす必要はない。
 そして、女隊長のが皆に問いかけた質問。それは、帰還するイメージを強め、皆のやる気を起こさせるためのものであったのだ。

698: 2012/12/05(水) 23:35:21.86 ID:RLjbm7yt0
女魔法士「そういえば、男くんはこの任務が終わったら何がしたいの?」

言われてみれば、まだ男の願いを聞いていなかったことに全員が気がつく。そして、尋ねられた男はといえば……。

男「……あ、ごめん。聞いてなかった。えっと、なんて言ったの?」

上の空であった。任務中であるにもかかわらず、ボーッとし、心はどこか遠くへと旅立ってしまっている。本人は普通にしているつもりなのであろうが、端から見たら思わずため息を吐きたくなる腑抜けっぷりだ。

男剣士「重症、だな」

女槍士「うん、そうみたいだね。……で、女隊長。みんなここまであえて触れてこなかったけど、昨晩男に何したの?」

女隊長「え!? あ……うぅっ……そのぉ……」

699: 2012/12/05(水) 23:36:21.66 ID:RLjbm7yt0
その時のことを思い出しているのか、女隊長の顔は真っ赤に染まり、前へと進めていた足を止め、もじもじとその場で身体をくねらせていた。そして、男も昨夜の出来事をみんなに知られていると勘違いしたのか、長風呂でもしていたかのように顔を火照らせ、下を俯いていた。

男弓使い「はぁ。まだ汚れを知らない男の子に手を出すなんて女隊長も中々やるね」

男槌士「まあ、人様の性癖にとやかくいうつもりはないがのう。女隊長、責任はとるのじゃぞ」

女槍士「あと二年は待ちなよって、つい数日前にいったはずなんだけどなぁ」

女隊長「だ、大丈夫! まだキスだけだから!」

隊員達『まだ!?』

女隊長「あ、うん。ごめん、間違えた。もう、キスまでしちゃいました……」

700: 2012/12/05(水) 23:46:15.89 ID:RLjbm7yt0
とうとう観念して昨晩の出来事を白状した女隊長。みんなの予想よりも遥かにかわいらしい行動であったが、当人としてはよっぽど恥ずかしかったのか、意識的に男から顔を背けていた。
 まるで、年頃の乙女が初恋に目覚めたかのようなその様子にまたしても一同は呆れ返った。

男剣士「まあ、なんだ。あれだ、あれ。男と女隊長は帰ったら今後の話し合いだな」

女魔法士「そうですね。私たちに構わずじっくりと二人の未来について話しあってください」

二人の初々しい態度を見て、胸焼けを起こした男剣士以下一同。とりあえず、いつまでもこのままというわけにもいかないため、この辺りで二人にはいつものように戻ってもらうことにした。

女隊長「そうだね。みんなごめんね、もう大丈夫だから。よし、それじゃあ改めてエルフの捜索を頑張ろう!」

ようやく普段の調子を取り戻した女隊長。そんな彼女に男剣士たちは苦笑する。そして、昨日と同じように二手に分かれてエルフの捜索を開始するのだった。

701: 2012/12/06(木) 00:23:19.42 ID:ULshItii0
二手に分かれた片方、女槍士、男弓使い、女魔法士と共に男はエルフを捜索していた。すでに、捜索を開始してから数時間が経過しており、日も高く昇り始めていた。
今は四人でそれぞれ担当した部分の捜索を行っており、男の周りには誰もいない。あたりを見渡せば、森の中に連なっている木々の隙間から溢れる木漏れ日が空から射している。

男「ふう……ちょっと、疲れたな。ここで一休みしようかな」

木の一つ背を預け、一息つく男。大きく息を吸い込めば新鮮な森の空気が肺の中に広がっていく。風によってたなびく葉は、心地よい音を奏でる。
こんな状況だというのに心は穏やかになり、顔に手を当ててみれば頬が緩んでいるのがわかる。

702: 2012/12/06(木) 00:45:35.38 ID:ULshItii0
男(僕、笑えている。いや、本当は任務に集中しなきゃいけないからこんな気持ちじゃダメなんだけど……。
 でも、笑えているんだ……)

 家族を失ってからというものの笑顔を失くしていた男にとって今いる分隊は新しい居場所だった。
 血のつながりもない、年齢も、性別も違う人々の集まり。けれども、彼にとってこここそが新しい自分の居場所であり、そこにいるみんなが新しい家族とも呼ぶべき存在だった。
 もう二度とそんなものを手に入れることはないと思っていた。そして、笑うことなんてできないとも。
 でも、今自分が笑顔を浮かべられているという事実に気がつき、男の胸中は温かな気持ちでいっぱいだった。
 このまま、いつまでもみんなと一緒に……。それこそが、今の彼にとっての願いだった。

703: 2012/12/06(木) 00:46:36.43 ID:ULshItii0
女隊長『そ、それじゃあお休み男! 見張りよろしくね!』

そして、昨晩の女隊長との一件。思い出すだけで顔が熱くなる男にとって初めての異性との接触。今まで感じたことのない感覚に戸惑い、それでも身体の中から湧き上がる形容し難い衝動を感じた。知識としてはああいったことを男女でするというのは男も知っていた。だが、実際にそれをしてみると知識だけではわからなかったたくさんのこともわかったのだ。
 もっと、もっと、触れ合いたい。彼女のすべてを感じていたい。自然とそんな気持ちが今の彼の中にあった。
 そう、今の男の頭は女隊長のことで一杯だったのだ。

男「また、街に戻ったらあの続きができるかなぁ……」

 そんな想像をして気を緩めている男。だが、そんな彼の緩んだ気を引き締めるほど強大な敵意を持った気配がすぐ近くから唐突に感じられた。


704: 2012/12/06(木) 00:47:17.28 ID:ULshItii0
男(な、なんだっ!)

 咄嗟にその場にしゃがみこみ、木を背にして身体を隠して周りを警戒する男。隠す気もないむき出しの敵意が周囲に漂っている。暗く、深く、重いそれは、油断しているとすぐにでも相手に自分の気配を探られ、居場所を察知されてしまうほど凶暴なものだった。
 ドッドッドッと心臓が早鐘を鳴らす。呼吸は乱れ、全身の毛穴が開き、冷や汗が溢れ出す。

男「はっ、はっ、はっ、はっ」

 まともに息を吸うことができず、男は思わず口を手で押さえこんだ。このままでは悲鳴をあげてしまいそうだったからだ。
 無理やりにでも心を落ち着け、男剣士や男槌士に習った気配の察知方法を試す。すると、先程までぼんやりとしか感じられなかった敵の気配が収束していく。
 耳を澄ませかすかに聞こえる足音や話し声に注意する。敵の数は三人。
 それを理解すると、男は入隊試験の時のことを思い出していた。あの時も的は三つだった。その時は的のひとつを外した。しかし、今ならどうかと考える。
 息を深く吐き出し、冷静になるよう務める。
 選択は二つ。不意をついて敵を倒すか、このまま息を潜めてやり過ごすか。

705: 2012/12/06(木) 00:48:01.16 ID:ULshItii0
女隊長『……一つ、約束して。絶対に無茶はしないって』

 だが、脳裏には女隊長の言葉が蘇る。無理はするなと、そう忠告された時のことが。悩んだ末、男は決断を下す。

男(だめだ、やり過ごそう。女隊長との約束がある……)

そう思った男はせめて相手の特徴が掴めればこの後の行動に役立つと考えた。そして、木の陰に隠れ敵の姿を確認することにした。
 結果として、それは男にとってしてはならない行動だった。

男「あっ……ああっ」

 木の陰から覗いた先、 そこにいたのは男たちが探しているエルフであった。だが、今の男にとってそんなことを気にする余裕はない。
 三人のエルフの内の一人、ローブをその身に纏った男が一人、男の目に焼きついて離れない。
 そう、そこにいたのはかつて男の村を襲い、彼にとっての家族や友人、大切な存在であった全てを奪い去ったエルフだったのだ。
 それを理解した瞬間、男の内から底なしの闇が溢れ返った。

706: 2012/12/06(木) 00:48:34.79 ID:ULshItii0
男「……」

 先程までの動揺は一瞬にして消え去り、殺意だけが男の脳裏を占めた。女隊長との約束は既に彼方へと消え去り、今の彼は傷のエルフに対する復讐心で一杯だった。

男「見つけたぞ……。父さん、母さん、妹、みんな。今、仇を取る……」

 素早く、それでいて正確に魔法紋を描いていく。そして、描き終わると同時に宙に炎の玉が浮かび上がる。

男「頃して、やる」

 そう呟き、男はエルフたちに向かって炎の球を投げつけた。そして、同時に腰にかけていた短剣を抜き放ち、彼らに向かって飛び込むのだった。

707: 2012/12/06(木) 00:49:13.06 ID:ULshItii0
今日はここまでで。おやすみなさい。

エルフ「……そ~っ」 男「こらっ!」【5】

引用: エルフ「……そ~っ」 男「こらっ!」