1: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 18:11:37.64 ID:nhXCd10e0
アイドルマスターシンデレラガールズ、アナスタシアとそのプロデューサーのSSです。



2: 2017/04/19(水) 18:12:10.40 ID:nhXCd10e0


第一話「観測」


4: 2017/04/19(水) 18:14:13.54 ID:nhXCd10e0

      *

「寒いな」

 白い息とともに吐き出された言葉が雪に消える。僕は肩に積もった雪を払い落とし、歩みを進める。

 三月中旬、北海道。
 東京ではもう春に入ろうと言うのに、この土地では未だに雪すら積もっている。
 地面は凍り、雪の道と言うよりは氷の道になっている。慣れない道に僕は何度も転びそうになってしまうが、周りの人はそうでもないようだ。
 お年寄りがすいすいと歩いているのを見ると、なんだか自分が情けなくなってくる。
 ……落ち込むな、僕。せっかくの北海道、楽しむべきだろう。

 こうして僕が北海道にいる理由。それは旅行……ではなく、仕事である。
 僕はCGプロという事務所に所属しているプロデューサーであり、アイドルをスカウトするためにこの地まで来た。

 だが、北海道でアイドルの原石を見つけるなど、僕には無理な話だ。
 こんなにも広大な土地でどうしてそんな人材が見つけられると言うのか。
 もしも見付けられたならば、それはもう運命や奇跡なんて言っても過言ではないだろう。

 いや、そもそも僕にスカウトの仕事をしろと言う方がおかしいのだ。僕がアイドルの原石を見付けられるような目を持っているとは思えない。

 僕は一応『プロデューサー』と名乗っているが、今までにそんな仕事をやってきた覚えはない。
 既に売れているアイドルのマネージャー業のようなものをやっていただけだし、その仕事も満足にこなせていたわけではない。
 当時担当させてもらったアイドルには「Pさん、よくこの仕事をやれてるね……」と呆れられたくらいである。
 僕自身、どうしてこの仕事をやっているのかはわからないのだが……『道を歩いていると声をかけられて採用された』などと言っても、信じてくれる人は少ないだろう。


5: 2017/04/19(水) 18:15:43.55 ID:nhXCd10e0

 ――一年前。近年は就職難の時代が続いているが、その例に漏れず僕も就職できないでいた。
 それに多少の危機感を覚えながらも何もせず、特別な理由もなく街を歩いていたその時、突然黒い男性が声をかけてきたのだ。

「君、ちょっといいかね? ……ふんふむ、そうか、うん、この感覚が、か」

 彼に対する僕の第一印象は『いきなり話しかけておいてぶつぶつと独り言を言い始めるなんて危ない人だな』である。
 僕は「すみません」と言ってその場から離れようとした。すると彼は「おっと、待ってくれ待ってくれ」と僕を引き止めた。

「そんな目で見ないでくれたまえ。いや、確かに君の反応は正しい。突然声をかけられても怪しいと思うのは当然だ。まずは私の身分を証明するところから、だな」

 そう言って男性は懐から取り出した名刺を僕に差し出した。

「私はこういう者だ。知って……いるかどうかはわからないが、知らないのならここで検索してもらっても構わん。すぐに出るはずだ」

 検索する必要はなかった。その名刺に書かれてあったのは、今世間を賑わせるアイドルたちが所属する事務所の名前だった。

「……CGプロの部長、ですか」

「ああ、わかってくれたかね。それは良かった。では、早速本題だが……我が事務所の『プロデューサー』になるつもりはないかね?」

「は?」

 突然過ぎて素で返してしまった。そんな失礼を彼は「はは」と笑い、

「いや、驚くのも無理はないが……冗談でもなんでもない。私は本気だ。君の職も何も知らない。地位も何も知りはしない。だが、私は君を『スカウト』したい。それだけだ。考えてくれるかね?」

 そうは言うが、あまりにもいきなり過ぎる。しかも、あまりにも適当だ。胡散臭いにもほどがある。
 だから尋ねた。

「理由は、なんですか?」

「うん?」

「僕をスカウトした、理由は」

 まさか何の理由もないことはあるまい。しかし、何の理由にも心当たりがないこともまた事実である。
 だから、その口から聞きたかった。僕をスカウトした理由が、何か、あるのか。
 彼は答えた。

「理由……理由は、そうだね、先駆者の言葉を借りるならば、『ティンときた』からだ」

「は?」

 また素で返してしまった。『ティンときた』? 意味がわからない。
 きっと危ない人なのだろう。そう思った僕はそれからのやりとりを適当にこなした。これ以上関わっては危険だと思ったのだ。

 そして家に帰ったのだが、暇だったので彼の事務所のことを調べてみるとなかなかに好条件だったのですぐに電話をして事務所に向かって就職した。

6: 2017/04/19(水) 18:16:47.68 ID:nhXCd10e0

 これが僕が『プロデューサー』になった顛末である。
 就職難から逃げて就職したようなものだが、今のところは思ったよりも忙しい以外の文句はない。
 その忙しさからも今は解放されているので言うことなしだ。

『二週間で帰ってくること』との仰せだが、それでアイドルの原石が見つかるとは思えない。
 だからこれはもう北海道旅行をしていると考えることにした。したのだが……この雪である。こんな雪ではスカウトも旅行も難しい。

 おそらくは最も人が集まっている札幌で適当に道行く人を観察するだけしてみたが、この雪であるからそもそも道行く人がそこまで多いとは言えない。
 それでもそこそこにいるということには驚く他ないが、『アイドルの原石』は見られない。

 そもそも、街を歩く人を見ているだけでどうしてアイドルの原石なんてものを見付けられるのか。
 先輩方はそれでアイドルをスカウトしてきたらしいが……意味がわからない。
 僕ならあの渋谷凛や高垣楓であっても見逃す自信がある。そんな僕がスカウトをしようというところからして間違っているのだ。

 ……とりあえず、これで最低限の仕事はこなしたと言ってもいいだろう。あとは適当に、観光していくとしよう。


7: 2017/04/19(水) 18:19:38.42 ID:nhXCd10e0

      *

「あまりやることがないな」

 一週間どころか三日も経たずに僕は思った。しかし、まだまだ時間はある。
 どうしたものか……そう考えて、僕はとりあえず北海道という土地を巡ってみることにした。
 そのついでに道行く人を観察するだけしておいたが、やはりアイドルの原石などそう簡単に見付かるわけもない。

 そうしている内に一週間が過ぎた。もういつ帰ってもいいと思えてきた。
 仕事をやりたいわけではないが、あまりにもやることがないというのも嫌なものだ。

 僕の今の楽しみは道行く人を観察することだけになっていた。警察に不審者扱いされない程度に、道行く人を観察する。
 適当に歩いて、人を見る。いつの間にか、凍った道を歩くのにも慣れてきていた。
 しかしそんな僕を嘲笑うように暖かい日が続き、道の雪も解けてきた。
 せっかく習得した凍った道の歩き方はもう役に立たないものになっていた。

 そして、北海道にいられるのもあと三日となった。
 未だに何の進展もない。誰も見付けられない。
 無駄な二週間だった、かもしれない。
 いい息抜きになった、かもしれない。
 その両方が間違ってはいないように思える。
 ただ、思ったほど楽しくはなかったことだけが事実だ。おいしいものはおいしかったが、それくらいである。
 人との交流なんてものはなかったし、観光名所と言われるようなところも感動するほどは楽しむことができなかった。

 僕は歩いていた。この短い期間で道行く人を観察する癖が身についてしまったが、観察したところでアイドルの原石を見付けられるわけもない。
 ほとんど無意識で道行く人を観察し、すぐにやめて、前を向いていた。

 ――アイドル。

 それは、特別な存在だ。この職に就くまでは何も思っていなかったが、今ならわかる。
 彼女たちは僕たちのような人間とは違う存在だ。大人の女性もいるが、年端もいかない少女も多い。
 そう、少女だ。『少女』なのに、『アイドル』で居られる。それがどれほどの異常か……僕は、理解できていなかった。

『アイドル』という職業には、様々な拘束がある。
 華やかなだけではなく、その裏には想像を絶する拘束があるのだ。『枕』という意味ではない。
 少なくとも僕はそういうものを知らないし――あるいは、それだけならばまだ『マシ』なのかもしれない。
 むしろ、『そういうこと』が許されていないことにこそ、『アイドル』の過酷さはあるのではないだろうか。

 恋愛禁止を始めとして、アイドルには様々な拘束がある。
 私生活のすべてが拘束され、どういう風に振る舞うのかまで決められる。ウチの事務所はまだそういったことが控えめではあるが……それでも、ある程度は存在する。

 アイドルとは、偶像だ。故に、『偶像であること』を強要される。
『自分』を消して、『個人』を消して、『個性』をつくる。

 そのようなことを、年端もいかない少女がするのだ。笑顔を浮かべて、楽しそうに振る舞うのだ。
 それが、どれほどの異常か。『少女』であるまま、『偶像』でもある。だからこそ、彼女たちは異常なのだ。
 この業界に入って、僕はそれを痛感した。恐ろしい、とすら感じた。……しかし、同時に、憧れた。

 そんな存在の、原石。
 そんなもの、簡単に見付かるわけがない。

 ただ容姿が優れているだけの女性など何人もいる。この二週間でも両手の指で数えられない程度には『容姿だけなら芸能界でもそこそこ』の女性を見付けることができた。

 だが、僕は知ってしまっている。アイドルは容姿だけでできるものではない、と。むしろ、アイドルには『中身』こそが重要なのだ、と。
 そんなもの、どうやって外見だけで見分けろと言うのだ。少なくとも僕にはできない。外見だけで『アイドルの原石』を見付けろ、なんて無理な話だ。

 あるいは、実際に話しかけたりすればよかったのかもしれない。容姿が良い女性に声をかけて、少し話してみて……いや、少し話したところで、何がわかると言うのだ。何もわかりはしないだろう。

 僕はもう諦めていた。これはただの旅行だった。そう思うことにした。成果など最初から求めてはいなかった。ただ、思ったよりも暇だったから道行く人を観察していただけだ。それ以上の努力もしていないし、したとしても見付けられたとは思えない。これが、当然の結果なのだ。
 北海道でおいしい店をいくつか知ることができただけでよしとしよう。北海道のロケに来た時などに役立つだろう。そうだ、先輩方にも教えてやろう。北海道は広大だが、この二週間でなかなかに回ったとは思う。どのあたりを言われても一つ答えられる程度には知ることもできた。ふむ、そう思えば、今回の旅行は北海道グルメツアーと言ってもいいのかもしれない。こんなことを言えば千川さんにこってり絞られそうだが、僕にこんな仕事を任せた部長が悪い。まあ、千川さんにはおみやげでも買って帰ればいいだろう。そうと決まれば、調査に入ろう。インターネットで調べるのもいいが……せっかくだから、ここらで適当な店がないかを探そう。そこそこに店はあるようだから――

8: 2017/04/19(水) 18:21:30.87 ID:nhXCd10e0

 そう思って、顔を上げた、その瞬間。

 僕は、夢を見た。
 白銀の世界。白銀の光。サイリウムの光の中。
 星空のように輝くその世界の中心で、歌を歌う少女の夢。

 白銀の髪は白雪よりも美しく、宝石にも似たその目は空を落とし込んだかのように透き通った青い色をしている。
 白い肌は光を吸い込んでいるようで、スタイルも彫刻かと見まごうほどに整っている。

 ――美しい。

 そう溜息を漏らしてしまうほどに、その少女は美しかった。
 ふと、部長の言葉を思い出した。この感覚が……そうか、この感覚が、そうなのか。

 容姿を見るに日本人ではない。どうしてそんな少女が一人でこんなところを歩いているのか、なんてことを考えたが、今はそんなことはどうでもよかった。
 外国の……どこの国だろうか。ロシア人? そうかもしれないが、僕はロシア語を話せない。
 とりあえず、英語だ。くそっ、こんなことならしっかり英語の勉強をしておくんだった。
 話しかける時はなんて言えばいいんだ。うろ覚えだ。
 だが、そうこうしている内に彼女がどこかに行ってしまうかもしれない。今は、まず、とりあえず、話しかけろ。

「エクスキューズミー!」

 彼女に向かって、大声で、僕は言った。合っているかどうかはわからないが、声をかける時は、たぶん、これだろう。たとえ間違っていても、ただ注意を引ければいい。とにかく、まずは彼女の足を止めなければ。

「? 私、ですか?」

 彼女は僕を見て首を傾げた。……日本語、喋れるのか。僕はほっとした。良かった。それなら、だいぶ楽になる。

「ああ。君だ。君に話しかけた。僕はこういう者だ」

 僕は彼女に向かって名刺を差し出した。「……プロ、デューサー?」と彼女は首を傾げた。僕はうなずき、

「ああ、プロデューサー。アイドルのプロデュース……あー、手助けのようなものをやっている」

「アイドル……アイドルって、何、ですか?」

「アイドルとは、か」

 そんな質問が来るとは思わなかった。日本語は喋れるが、日本の文化にはあまり親しくないのだろうか。
 思えば、喋り方も少したどたどしい。日本で生まれ育ったわけではないのかもしれない。いや、そんなことはどうでもいい。アイドルとは。その答えを言うんだ。

「……私、難しい質問、しましたか?」

 沈黙が長引いたことに、彼女は心配そうに尋ねてきた。優しい子だな、と思うとともにそんな彼女の気を煩わせてしまったことを申し訳なく思う。僕はすぐに答える。

「いや、そんなことは――違うな。確かに難しい質問かもしれない。だから、僕の答えも正確ではないかもしれない。そう思って、聞いてくれ」

「ダー」と彼女はうなずいた。ダー? と一瞬だけ僕が思いを巡らせると、彼女はすぐに「あ、Yes、ですよ」と言ってくれた。
 母国語が出てしまったのだろうか。何語かはわからないが。そんなことを考えるよりも前に、言わなければいけないことがある。

「アイドルというのは、芸能関連の仕事だ。歌を歌ったり、踊ったり……それだけじゃない、色んなことをする。バラエティに出ることもあれば、モデルのようなこともするし、女優のようなことをする場合もある」

「つまり、なんでも、ですか?」

「なんでも……」そう言われて、すっと腑に落ちる。「うん、そうだな。なんでも、だ」

「それが、アイドル……なんだか、とても楽しそう、ですね」

 彼女はくすっと笑った。どこか猫を連想させる、かわいらしい微笑み。僕はそれに見惚れてしまいそうになって、すぐに頭を振って意識を戻す。

「でも、その、アイドルの……プロデューサー? が、どうして私に声、かけましたか?」

 そう尋ねられて、一瞬だけ、どう答えるか迷った。だが、迷う必要はない。

「君をスカウトしたいと思ったからだ」

 僕は言った。ごまかす必要はない。ただ、本心をぶつけた。

「私を?」

 彼女は自分を指差して言った。僕はうなずいた。「君を、だ」

「どうして、ですか?」

「それは……」

 どう答えるか。どう答えるべきか。これで彼女がアイドルになってくれるかが決まるかもしれない。
 容姿を見て? そうじゃない。それはわかっている。
 中身を見て? 中身なんてわからない。この短時間でわかる方がおかしい。

 なら、何故だ。
 それは――


9: 2017/04/19(水) 18:22:08.64 ID:nhXCd10e0
「『ティンときた』から、だ」

「……ティン?」

 彼女は首を傾げた。僕の言葉の意味がわからなかったのだろう。僕が言われたってそう思う。
 実際、僕が部長に言われた時も意味がわからなかったのだから。

「……すまない。意味がわからないのかもしれない」だから、僕は謝り――しかし、続けた。「でも、理屈じゃないんだ。君を見て、僕は夢を見た。君がサイリウムの星空の中で歌っている光景がはっきりと見えたんだ。そして、僕はそれを実現させたいと思った。君を、この世界でいちばん輝く星にしたいって、そう思ったんだ。……それが、理由だ」

 こんな理由を聞いて、誰が付いて来たいと思う。言った瞬間に後悔した。訂正するべきだろうか。
 いや、もう手遅れだろう。『危ない人』だと認定されて、逃げられる……僕はそう思った。

 だが、

「……あなたの言うこと、よく、わかりません」

 彼女は、『笑った』。

「でも、心は、伝わりました。……詳しい話、聞いてもいい、ですか?」

10: 2017/04/19(水) 18:23:48.10 ID:nhXCd10e0

      *

「そう言えば、君の名前を聞いていなかったな」

「確かに、そうですね。……ミーニャザヴート、アーニャ。アーニャは、ええと……ニックネームです。私はアーニャ……アナスタシアです。よろしく、プロデューサー」


11: 2017/04/19(水) 18:24:45.44 ID:nhXCd10e0

     *

「……で、ここは、どこだ?」

「私の家です」アナスタシアは言った。「アイドルになるのなら、パパとママにも話、しないといけませんね? 詳しい話を聞くなら、そうした方がいいと思いました」

「……そうか」

 そこまで本気にしてくれているということは嬉しいが、いきなり家族と、か……さすがに緊張する。
 道中、アナスタシアは様々なことを話してくれた。
 自分は日本人とロシア人のハーフであるということや、一〇歳までロシアにいたということ。
『アーニャ』というニックネームは母親が付けてくれた、といったことまで……こんな短期間で信頼されていることは嬉しいが、そんな簡単に個人情報を話していいものだろうか。
 事務所に所属しようとしまいと気を付けた方がいいとは言っておくべきかもしれない。

「プリヴェート……ただいま、です」

 そう言ってアナスタシアは家に入って行った。僕は少し外で待っているつもりだったのだが、アナスタシアが不思議そうに「入ってこないのですか?」と言ってきたものだから、入らせてもらうことにした。「お邪魔します」

 そうしていると、スタ、スタ、と足音が近付いてきて、とても綺麗な女性が顔を出した。

「おかえりなさい、アーニャ……って、その方は?」

 十中八九アナスタシアのお母様だろう。僕はすぐさま「初めまして。突然ですがお邪魔させていただきます。僕は――」と自己紹介しようとしたのだが、彼女は「あらあらまあまあ」と嬉しそうに微笑み、「アーニャもそんな歳になったのね……うんうん、そうよね。あの人に教えなきゃ……あ、あなた、上がって上がって♪ えーと、お名前は?」

「え、その、Pです」

「Pさん♪ じゃあ、Pさん、すぐに上がって、おくつろぎになって?」

 お母様は僕を引っ張るようにして応接室と思われる場所に連れ込んだ。いやいやまだ自己紹介もできていない。相手のペースに飲み込まれずに、早く切りださなければ――

「あのですね、お母様。僕は――」

「『お母様』ですって♪ それじゃあ、私はあの人に連絡するから、若いお二人で……ね?」

「いや、だから」

「では、ごゆっくり~♪」

 バタン、とドアが閉まった。

「……あの」

「プロデューサーはゆっくりしていて下さい。私、お茶を入れてきますね。プロデューサーはコーヒーと紅茶ならどっちが好き、ですか?」

「え? ……それは、コーヒー、だけど」

「わかりました。では、淹れてきますね。待っていて下さいね?」

「あ、はい」

 そうしてアナスタシアまで出て行ってしまった。

「……どうしろって言うんだ」

 何もできることができず、僕は独りごちた。とりあえずわかったことは、アナスタシアの性格はお母様譲りのものかもしれない、ということだ。

12: 2017/04/19(水) 18:25:17.46 ID:nhXCd10e0

     *

 アナスタシアの淹れてくれたコーヒーを飲みながら『どうしたものか……』と考えていると、ドタドタドタ、と大きな足音が近付いてきて、バン! とドアが開いた。

「君が、アーニャの連れて来た男か……!」

 美形のロシア人の男性。確実にアナスタシアのお父様だろう。面影がある。というかこわい。どうして僕は睨まれているのだ?

「は、はい。そう、ですが……」

「……初めて会ったのは」

「え?」

「初めて君とアーニャが会ったのは、いつだ?」

 いつ、と言われても……。「今日、ですが」

「今日!?」

 お父様は大変驚いた様子だった。こわい。それと、アナスタシアよりも日本語が流暢……正確には、訛りがほとんど感じられない。お母様とは日本で知り合ったのだろうか。

「……どんな言葉で」

「え?」

「どんな言葉で、娘をたぶらかしたんだ!」

 そう言ってお父様がずんずんと近付いてきた。
 え? いや、たぶらかす? まあ確かにアイドルにスカウトするなんて『たぶらかす』と言っても違いはないのかもしれないがそれにしてもこの反応は……!

「パパ。ちょっと、待って下さい」

 アナスタシアが口を開いた。その言葉にお父様は足を止め、アナスタシアの方を見る。「だが、会って一日も経たずにそのような仲になるなど、騙されているとしか……」

「……パパ、何か勘違いしていませんか?」

「勘違い……?」

 お父様が眉をひそめた。そこを、とととと、といった足音とともにお母様が現れて、「あなたったら、そこまで急がなくても……あら? どうかしましたか?」とこの場で何が起こっていたかの問いを発した。

 僕が聞きたい。


13: 2017/04/19(水) 18:27:26.92 ID:nhXCd10e0

      *

「アイドルの」

「プロデューサー!?」

「はい」驚くご両親に僕はうなずいた。「アナスタシアさんをスカウトしたい、と思い声をかけたところ、それではご両親にも話をしなければならない、ということでお邪魔させていただいております」

「……恋人では、ないの?」

 お母様が尋ねる。「違います」「ニェット」僕はアナスタシアと同時に言った。
 ニェット? とアナスタシアの方を見ると、「あ、違います、です」と言ってくれた。前に言っていたことと合わせて考えると、『ダー』が『はい』で『ニェット』が『いいえ』ということか。

「そうか。そうだったのか……」

 お父様がほっと安心したように肩を下ろした。そういうことか……確かに、恋人だと思っていたのだとすると先程のような反応になってもおかしくはない。
 こんなにも綺麗で可憐な娘が見も知らぬ男、それも今日が初対面だという男を連れて来たのだ。焦らない方がおかしいとすら言えるだろう。

「僕が所属している事務所はここです」僕は名刺を差し出し、CGプロの名前を指差す。「渋谷凛や高垣楓、神崎蘭子が所属しているプロダクション、と言えば通じるでしょうか」

「あ、楓ちゃん!」お母様が両手を合わせる。「ということは、えっと、杏ちゃんやきらりちゃんも?」

「はい、そうです」

「きゃー♪」お母様が嬉しそうに声を上げて隣に座るお父様の背中を叩く。「みんなとっても有名よ? しっかりしたところみたい」

「……確かに、私も名前を聞いたことがあるほどだな」

 お父様が言う。しかし、その表情はお母様とは対照的で、厳しい。

「しかし、だからと言ってそう簡単に決めるわけにはいかない。アーニャは、どう思っているんだ?」

 お父様はアナスタシアの方を見て尋ねる。アナスタシアはその視線から目を逸らすことなく答えた。

「まだ、わかりません」

「わからない?」

「ダー」お父様の言葉にアナスタシアはうなずく。「私は、アイドルになってもいいと思っています。でも、私はまだ、アイドルのこと、よくわかりません。プロデューサーが教えてくれましたが、それでも、まだ……。だから、まずはアイドルのこと、知りたいです」

「……そうか」

 お父様は考えこむようにして目を閉じて、開いた。そして僕の方を向いて、

「では、聞かせてもらおうか。教えてくれ。私にも――アナスタシアにも。アイドルというものが、何なのか」

 ……アイドルとは、か。
 先程も答えたが、求めているのはそれとはまた別の答えなのだろう。
 どう答えるべきか……迷って。考えて、僕は言った。


14: 2017/04/19(水) 18:27:52.41 ID:nhXCd10e0

「アイドルとは――アナスタシア、先程君が言った通り『なんでもする』職業だ。歌を歌えば、ダンスも踊る。バラエティ番組にも出るし、モデルや女優業なんてものもする。……だが、それはただの仕事内容だ。本質じゃなかった」

「本質?」とアナスタシアが首を傾げる。「ああ」と僕はうなずいて、

「アイドルの本質は、僕は『夢』だと思っている。『希望』と言ってもいいかもしれない。ファンに、自分を応援してくれる人に――いや、違うな。応援してくれる人だけじゃない。自分の姿を見るすべての人に、夢を、希望を与える職業。僕はそう思っている」

「メチタ……ナジェージダ……」

 メチタ? ナジェージダ? ロシア語だろうか。そう思いながら僕は続ける。

「しかし、だ」

 ここからが、重要なことだ。今からスカウトしようと言うのに、あまり言うべきことではないのかもしれないが、これを言わないことはそれこそ騙していることになるし……これを理解した上で、でなければ意味がない。

「アイドルはそういった華やかなだけの存在ではない。楽しいことも多いだろうが、きっと、同じくらい辛いことも苦しいこともある。芸能界は、厳しい世界だ。あるがままの自分で居られるわけではないし……『アイドル』という言葉の通り、『偶像』で在る必要がある。『夢』と『希望』を与えるための『偶像』……『理想』と言い換えてもいいかもしれないな。そういった存在であることを強いられる」

「……それは、『枕』なんてものを指しているのか?」

「それは違います」お父様の言葉を僕は即座に否定する。「そんなことはさせません。もしこの約束を破ったのならば、僕をどうしてくれてもいい。逆に『枕』のようなことはできないと考えてもらった方がいいでしょう。つまり、恋愛は禁止されると考えて下さい。それだけではない、普段の生活にまで様々な制約が付きます。様々な拘束を強いられます。本当に『嫌なこと』は断ってもらっても構いませんが、それでも、『嫌なこと』もさせられる可能性はあると考えて下さい」

「矛盾していないか?」

「断っても構いませんが、程度によります。その基準は難しいですが……そうですね。アイドルがどう思うかによります。『どうしても嫌』なのか、『頑張ればできる』なのか」

「曖昧だな」

「はい。ですから、『嫌なことはさせない』などと約束することはできません。辛いことも苦しいこともさせます。アイドルは、そういう存在です」

「……勧誘しようと言うのに、ずいぶんとネガティブなことばかり言うんだな」

 お父様は呆れたように笑った。自分でもそう思う。だが、

「これを理解した上で、でなければ意味がありませんので」

 僕は言った。そうだ。これくらいはわかってもらわなければ困る。あとで逃げられては意味がないのだ。相応の覚悟がなければ意味がない。少なくとも、僕はそう思っている。

 ――しかし、もちろん、『それだけ』でもない。

「……その上で、言わせてもらいます」

 僕はお父様に言って――アナスタシアの方を向く。

「アナスタシア。僕は君が欲しい。君をアイドルにしたい。君ならトップアイドルになれると、世界でいちばん輝く星になれると信じている。僕がそうする。辛いことも苦しいこともある。厳しい世界だ。理不尽にさらされることもある。納得できないこともある。しかし、それでも、その上で――世界でいちばん幸せにすることを誓う。世界でいちばん辛く苦しい道を歩むかもしれないが、世界でいちばん幸せな存在になることができると約束する」

 アナスタシアの目をまっすぐに見据えて、僕は言った。

「だから、アナスタシア。僕と一緒に、アイドルへの道を、歩いてくれないか」

 すると、「まあ」とお母様が口を抑えて、「む……」とお父様が口を噤んだ。だが、アナスタシアだけは、ただ、僕の目を見ていた。

「……パパ、ママ」

 ぽつり、とアナスタシアはこぼすようにして両親を呼んだ。

「私、アイドルになりたいです。……この人を信じて、付いて行きたい」

 その言葉に、また、お母様は「まあまあ」と口を抑えた。お父様は数秒間、じっくりと考えるように沈黙して、僕を見た。

「……君の本気は伝わった」

 そしてお父様は立ち上がり、僕の前まで歩いてきた。何をされるのだろうか……僕はこわくなってきていた。『そんなものに娘をさせるわけにはいかない』と思われただろうか。
 いや、普通に考えればそうだ。僕はどうなるのだろう。だが、どうしてもらっても構わない。
 アナスタシアをアイドルにすることができるのであれば、僕の身なんて、どうなっても構わない。さあ、何が来る……!

 そう覚悟を決めた、その瞬間。
 お父様は、僕に向かって頭を下げた。

「娘を、よろしく頼む」

 その言葉には、深い、深い思いがこもっていた。
 だから、

「はい」

 僕もまた、そのすべてを受け止める覚悟をもって応えた。

「任せて下さい。必ず、彼女を幸せにしてみせます」


15: 2017/04/19(水) 18:29:11.91 ID:nhXCd10e0

      *

「では、詳しい手続きに関しては明日、資料をまとめて持って来ることにさせていただきます。今日はありがとうございました」

 そう頭を下げて、Pはアナスタシア宅を後にした。扉が閉まった後も、アナスタシアはどこか呆けたようにして、扉を見つめ続けていた。
 そんな様子を見て、アナスタシアの母親はくすりと笑い、父親は複雑そうに表情を歪めていた。

「アーニャ。そんなに見つめていても、Pさんはそこに居ないわよ。アイドルになると決めたのだから、することもあるんじゃないの? ほら、東京に行くことになるんだし……色々、ね」

「……それも、そうですね。では、少し、自分の部屋に戻ります」

 母親の言葉に、アナスタシアは熱に浮かされたような状態のまま、ふらふらと自分の部屋に戻っていった。
 アナスタシアが自分の部屋に入って行ったことを確認すると、アナスタシアの母親はすぐに「ふふっ」と微笑んだ。

「これは恋人よりも大変だったかもしれませんね、あなた」

 しかし、その言葉に夫は答えない。答えたくないからだろう。そんな彼の様子もおかしくて、彼女は笑みを深めてしまう。
 昔から彼はこうだった。素直じゃなくて、不器用で。アナスタシアとは正反対だ。
 アナスタシアは素直な良い子だ。少し頑固なところはあるが、親の言うことをきちんと聞く『良い子』の見本のような存在だ。

 だが――ふと、リビングに飾ってある写真が目に入る。北海道に来てすぐ、家族で撮影した写真だ。……この頃から彼女は良い子だった。わがままを言わない良い子だった。

 だからこそ、こう思う。

「あの子が、あんなにはっきりと『なりたい』って言うなんて」

 それは彼らにとって驚くべきことだった。そして、同時に。

「……それについては、感謝している」

 夫の言葉に、彼女は微笑む。そう、今回のことは驚くべきことだったが、同時に感謝するべきことでもあったのだ。

 アナスタシアは良い子だ。わがままを言うことは滅多になく……しかし、それは親からすれば心配の種でもあった。彼女はしたいたいことやなりたいものについて、ほとんど話すことがなかったのだ。
 だから、もう少しわがままを言ってくれたら、と以前から思っていた。それは二人とも同じ気持ちだった……の、だが。

「しかし……アイドルとは、な」

 父親としては複雑なところなのだろう。彼は深く溜息をつく。

「あの人なら、大丈夫そうでしょう?」

「……もしも何か問題があれば、すぐに連れ帰る」

 つまり、今は問題がないということだ。彼女がくすくすと笑うと、彼はますます顔を難しくさせる。

「でも、アーニャへの、あの言葉。……本当、どれだけ熱いプロポーズなのかしら」

 彼女のその言葉に、しかし、彼は何も答えなかった。

 もちろん、答えたくなかったからだ。


第二話「アイドル」

引用: アナスタシア「Сириус」