43: 2017/04/19(水) 19:05:14.24 ID:nhXCd10e0
44: 2017/04/19(水) 19:07:07.57 ID:nhXCd10e0
アナスタシアの入学式には僕が出席することになった。
あのご両親ならば北海道からでも出席しに来るのではないかと思ったのだが、どうしても都合がつかなかったらしい。
アナスタシアは残念そうにしていたが、僕が行くということを知るとよろこんでくれた。
高校まで送り、校門で別れる。入学式の前に教室に、とのことだ。
自分の時はどうだったか……と思い出すが、あまり覚えていない。そこまで昔のことではないはずなのだが……。
入学式が始まるまで少し時間があったので、僕はこの学校の雰囲気がどんなものかを調べることにした。
今日が入学式だからということもあるかもしれないが、荒れてはいない。
もっとも、千川さんが荒れたような高校を薦めるはずもないので当然と言えば当然だが。
入学式は体育館にて行われる。体育館を覗くと既に大勢の保護者がいた。教師と思われる方の案内に従い席に座る。そして式が始まる時間になった。
入学式は滞りなく進んだ。保護者席ではアナスタシアのことと思われる話が少し聞こえたが、悪いものはなかったのであまり気にしないことにした。
そして式が終わり、保護者だけのちょっとした話があり、体育館を出た。校内でアナスタシアを待つかどうかは迷ったが、出ておくことにした。
アナスタシアに『終わったら連絡してくれ』とメールをして、待つこと数十分。アナスタシアからメールが来た。
そしてアナスタシアと合流し、帰ることにした。
「学校はどうだった?」僕は訊ねて、すぐに訂正した。「あー、つまり、学校の雰囲気とか」
「雰囲気、ですか」アナスタシアは言って、少し考える様子を見せた。「まだ、わかりませんね」
「それはそうか」僕は笑った。「クラスメイトや、友人は?」
「それもまだわかりません」アナスタシアはそう言ってから、しかしすぐに「でも」と続けた。「少し、話しました」
「そうか」僕は言った。「それは良かった」
そうしてアナスタシアの入学式は終わった。様々な準備もあるだろうと思ったのでその日のレッスンは休みの予定だったが、アナスタシアの希望により軽めのレッスンを行った。
終わった後、ルキちゃんと会ったので話してみると「アーニャちゃん、本当に真面目ですね」と言っていた。
「アーニャちゃん?」と僕が訊ねると「『アーニャと呼んで下さい』と言われちゃったので」と嬉しそうに笑っていた。「Pさんは『アーニャ』って呼ばないんですか?」
その質問には「そう言えば呼んでないな」としか答えられず、「そう言えば、ってなんですかー」と呆れられたが、本当に『そう言えば』と思ったことだった。
そう言えば、僕はアナスタシアのことを『アーニャ』とは呼んでいない。そう呼んだ方がいいのだろうか、とも思った。
しかし今更呼び方を変えるのにも違和感がある。僕はアナスタシアを『アナスタシア』と呼び続けることを決めた。
だがルキちゃんには「一度呼んでみればいいじゃないですかー」と言われた。僕は「気が向けば」と答えた。ルキちゃんは「ぶー」と頬を膨らませた。
口で言うな。
45: 2017/04/19(水) 19:08:11.22 ID:nhXCd10e0
*
事務所。
「ありがとうございます!」
僕は部長に頭を下げた。決して形式上のものではなく、本心から。
「私が頭を下げられることじゃあないよ」部長は言った。「今はまだ『曲』だけだからね。他のことに関してはまだだ」
「それは当然です。むしろ、これが許可されただけで今は十分過ぎるほどです。こんな、贔屓のような……」
「贔屓じゃあない」部長はくつくつと笑う。「私が君のプランを『良い』と思ったから手を貸しているだけのことだ。君以外でも『良い』と思うものを提示されたならば私はすぐさまそれに手を貸す。それだけのことだよ」
それは確かにそうだ、と思った。結局のところ、『何が自分にとっての利であるか』というだけなのかもしれない。
そして、それが『自分にとっても利である』と判断された場合にのみ、それは受け入れられる。
『これを受け入れたならば自分の利となる』と相手に思わせること。それが自分の要求を相手に呑ませるために最も重要なこと、なのかもしれない。
「と言っても、大変なのはこれからだ。君にとっても、私にとっても、ね」
「問題ありません」僕は答えた。「アナスタシアならば、きっと」
そんな僕の言葉に、一瞬、部長は目を丸くした。しかしすぐに笑い始めて、
「そうか。なら、問題ないな」
と言った。
僕ははい、と答えた。
46: 2017/04/19(水) 19:09:21.89 ID:nhXCd10e0
*
一ヶ月が経過した。
アナスタシアのレッスンは順調だった。ルキちゃん曰く、「もうどこに出しても恥ずかしくありません」とのことだ。「アイドルアルティメイトでも?」と訊ねると「うっ……そ、それは、さすがに……」としどろもどろになっていた。
そんな彼女の様子を見て笑うと、「あ! からかいましたね? もー!」と言ってぽこぽこと叩かれた。痛かった。
アイドルアルティメイトはさすがに冗談だったが、ルキちゃんがそこまで言うということはアナスタシアの実力は相当なものに仕上がっているのだろう。
実際、僕に目から見てもアナスタシアは『新人アイドル』と言うにはふさわしくないほどの実力を身に付けていた。しかし……。
「まだ足りないな」
アナスタシアのレッスンを見て、僕は言った。「え」とルキちゃんは固まり、そして、言った。「アーニャちゃん、今まで、本当に頑張ってくれたんですよ? それなのに……!」
「わかりました」
しかし、アナスタシアはそう言った。息が切れ、レッスン着を汗でびっしょりと濡らしながらも、その目には強い光が灯っていた。
「プロデューサー、あなたがそう言うのなら、私はもっと頑張りますね」
「ああ。頼む」
僕は答えた。ルキちゃんは「そんな……」とどこか落ち込んでいる様子を見せていたが、やがて「あーもー!」と声を上げた。
「わかりました! もう、どこまでも付き合いますよ!」
どこか投げやりな調子の言葉だったが、その言葉が本気であることはわかった。「ありがとう、ルキちゃん」僕は言った。「スパシーバ、ルキ」アナスタシアは言った。
「……どういたしまして」
呆れたようにしてルキちゃんは言った。
47: 2017/04/19(水) 19:12:58.27 ID:nhXCd10e0
*
アナスタシアのレッスンは過酷だった。新人アイドルとは思えないほどに高密度のレッスンを受けていた。
基礎の基礎からみっちりと……その言葉通り、基礎トレーニングを重点的にしながらも、歌やダンスのレッスンも怠らない。学校以外の時間はほとんどレッスンと言っても過言ではないだろう。
レッスン、レッスン、レッスン、レッスン……そんな日々。もちろん、休みがないわけではない。
アナスタシアはそれでもレッスンをしようとしたこともあったらしいが、ルキちゃんに「休むこともレッスンの内です!」と怒られてからはしなくなったようだ。
しかし、それでも前科があるので、アナスタシアのレッスンが休みの日はしばしば監視役として僕が一緒に過ごすことになっていた。
それははたして休みなのか、と思ったが、自主トレーニングをやられるよりはマシらしい。
都合があった時は前川さんや神崎さん、本田さんと遊んだりもするらしく、それが理想とのことだが……三人とも人気アイドルであり、そう都合よくはいかない。
よって、アナスタシアの休みの日は僕と一緒に過ごすことが最も多いという不思議なことになっていた。
しかし、僕とアナスタシアの二人ですることなどあまりない。近況を話す程度である。
同年代の女子ならばまだしも、僕なんかと話しても楽しくはないだろうと思ったが、アナスタシアは「楽しいですよ?」と言ってくれた。
しかし、気を遣ってくれているようにしか思えない。やっぱり僕と過ごさない方がいいのではないだろうか……そう考えているのだが、それはルキちゃんが許してくれない。
となれば、アナスタシアにより良い休日を提供できるように努めるしかないわけで……学生の頃、もっと女性経験を積んでいれば良かった、と僕は思った。女性をよろこばせる方法なんて、僕にはわからない。
48: 2017/04/19(水) 19:13:24.65 ID:nhXCd10e0
「――みくはすごいですね。しっかりしてます。私、アイドルにとって大切なこと、色々と教えてもらっています」
アナスタシアは言った。アナスタシアは他のアイドルとも仲良くしているようだった。
まだデビューすらしていないが、女子寮やレッスン室では他のアイドルともよく会うようで、そんな時にはよく話すらしい。
特に前川さん、神崎さん、本田さんの三人と仲が良いらしく、最も話題に出ることが多い。
前川さんは女子寮では隣の部屋だから。神崎さんとは純粋に気が合うようだ。
本田さんは女子寮には入っていないはずなのだが、本田さんだからそうなのだろう。
ある人曰く、『本田未央はコミュニケーション能力の怪物』。
そしてその通り、本田さんの交友関係の広さは異常とも言えるほどで、誰と親しくしていてもおかしくはない。
たとえ女子寮には入っていなくとも、まだデビューしてないアイドルと仲が良くても意外ではない。
なぜなら、彼女は本田未央なのだから。
「ファンの人の前ではちゃんと日本語を使うべきですね、プロデューサー」
前川さんの教えからか、あるいは自分で考えていたことなのか、アナスタシアはそんなことを言った。
それはそうだな、と僕は思った。少なくとも僕が考えているプロデュースでは、そうした方がいいだろう。
『カタコト外人キャラ』というのは確かに存在しており、テレビなどでは貴重な人材である。
アナスタシアはハーフではあるが、一〇歳までロシアにいた影響もあって、ロシア語なまりのようなものがあり、話している時、たまにロシア語が出てくる。
いわゆる『カタコト外人キャラ』の条件は満たしているし、そもそも、テレビの視聴者からすれば『外見が外国人』であればそれだけで十分『外人』と見なされることが多いのだ。
『カタコト外人キャラ』という立場、それにアナスタシアのようなキャラクターの持ち主であればすぐに様々な番組から引っ張りだこになるだろう。
純粋無垢で素直。尋常ではない美形であり、さらにはまだ一五歳。日本の常識にはそこそこ疎く、しかし頭が悪いわけではなく、むしろ聡い。
……そう、『バラエティ』には、すぐに引っ張りだこになるような人材なのだ。
バラエティに出ることが悪いとは言わない。いわゆる『バラドル』というバラエティ番組での活動を主にするアイドルはウチの事務所にも数多く存在している。
しかし、アナスタシアが目指しているところは『そこ』ではない。
『カタコト外人キャラ』としての地位を確立しても意味はなく、むしろその地位を『確立』してはいけないのだ。
その地位を確立してしまったならば、その印象を払拭することは非常に難しくなってしまう。
『人気タレント』になるためにはそれが最短の道なのかもしれないが、僕の目指す『トップアイドル』になるためには遠い遠い回り道になってしまう。
だから、回り道のように見えたとしても、そういったキャラクターを演じることなく、正統派アイドルとしての道を一歩ずつ進んでいくことが『トップアイドル』への最短の道だ、と僕は思う。
もしかすると、僕よりも実力のあるプロデューサーならばそんなことはないのかもしれない。まずは知名度を上げることを優先して、それからバラエティでの印象を払拭することも可能なのかもしれない。
しかし、僕にはそんな実力はない。……実力が足りないとわかっているからこそ、色々と策を講じているのだが。
そうして僕はアナスタシアの『ファンの人の前ではちゃんと日本語を使うべきですね』という言葉に対して色々と考えていたのだが、アナスタシアの言葉にはまだ続きがあった。
アナスタシアは言った。
「だから、私はランコに色々な日本語、教えてもらっていますね。闇に飲まれよ、とか」
「それはやめてくれ」
僕はすぐにそう言った。さすがにそれは本気でやめてほしかった。
しかし、アナスタシアは不思議そうに首を傾げた。
「どうしてですか?」
……ちゃんとした日本語ではないからかな。
僕は思った。
49: 2017/04/19(水) 19:14:13.89 ID:nhXCd10e0
*
五月中旬、事務所。僕は言った。
「アナスタシア。ある人に君のレッスンを見学してもらうことになった。問題ないか?」
「ダー。問題ありません」
ある人とは誰なのか、といったことを尋ねることもなくアナスタシアは言った。まあ、それはそれでアナスタシアらしいか。僕は思い、その『ある人』に連絡した。
翌日、その人と一緒に僕はアナスタシアのレッスンを見学した。アナスタシアはあまり緊張していないようだったが、ルキちゃんが緊張していた。カチコチだった。
僕は彼女をレッスン室の外に呼び出した。
「どうして君が緊張しているんだ……」
僕は呆れながら言った。いや、本当に呆れるしかない。アナスタシアは緊張している様子を見せていないのに……。
「だ、だって……」ルキちゃんは言い訳を言う時の子どものような調子で言う。「こんなこと、初めてなんですもん!」
「アナスタシアも初めてだよ……ルキちゃん、君、アナスタシアより何歳上だった?」
「うっ……」ルキちゃんは呻くようにして言った。「……が、外見では、年下?」
「それを自分で言うのか……」
僕は溜息を吐いた。気持ちがわからないわけではないが……さすがに呆れる。
「そ、そんな目で見ないで下さい」ルキちゃんは言った。そして一度大きく深呼吸をして、「……わかりました。Pさん、わたし、頑張ります!」と覚悟を決めた様子で言った。
頑張るのはアナスタシアの方だ、と僕は思った。
50: 2017/04/19(水) 19:15:06.25 ID:nhXCd10e0
*
ルキちゃんを連れてレッスン室に戻るとアナスタシアと僕が呼んだ女性が話していた。
「プロデューサー、ルキ、話は終わりましたか?」
「ああ。……すみません、お待たせして」
僕は女性に向かって頭を下げた。「いえ、むしろアナスタシアさんと話せてよかったです」そう言って女性は笑ってくれた。僕は安堵した。
それからダンスレッスン、ボーカルレッスンをした。ボーカルレッスンでは女性がアナスタシアにアドバイスをしてくれていた。
その間、ルキちゃんは「あの人、歌の講師さんですか?」と訊ねてきた。「違うよ」と言うと、「えぇ……それじゃあ、結局、誰なんですか……」と頭を悩ませている様子だった。
レッスンが終われば言うよ。僕は思った。
「今日はありがとうございました。……アナスタシアさん、良い歌手に――いえ、良い、アイドルになると思います。私も、応援させていただきますね」
そう言って女性は帰っていった。僕は頭を下げて彼女を見送った。
ルキちゃんは最後まで「あの人は結局誰だったんですか……」と悩んでいる様子だった。レッスンが終われば教えるつもりだったが、まだいいかな、と僕は思った。
どうせ教えるのならば驚かせたいと思うものだ。
「……声を、活かして」
女性を見送った後も、アナスタシアは彼女に教えてもらったことを反復していた。
これは予想していなかったが、彼女との話はアナスタシアにとっても良い経験になったらしい。
早くも彼女に感謝しなければならないことができてしまったな、と僕は思う。
しかし、本番はこれからだ。
51: 2017/04/19(水) 19:16:31.49 ID:nhXCd10e0
*
三日後、レッスン室。
「アナスタシア。君の曲ができた」
アナスタシアとルキちゃんを前にして、僕は言った。「えっ」ルキちゃんが声を上げた。「わ、わたし、聞いてないんですけど……」
「……それは本当にすまない。僕が想像していたよりずっと早くできたから、連絡するのが遅れた」
僕はルキちゃんに頭を下げた。
曲ができたということはレコーディングをしなければならないということであり、それに合わせてレッスンの内容も変更しなければならないということである。
さすがにそれをサプライズで言おうとは思っていなかったのだが……まさか、ここまで早く上がるとは。
誤算だった。曲の制作自体は進行していたので、もっと早くに伝えることもできたのに……完全に僕のミスだ。謝るしかない。
「あ、頭を下げないで下さい」ルキちゃんは慌てて言った。「確かに驚きましたが……問題ありません。レコーディングはいつですか?」
「いや、まだ決まってない」僕は言った。「二週間以内にはやらなければならないが」
「二週間、ですか」ルキちゃんは腕を組んで考え始める。「……十分です。アーニャちゃんなら問題ありません。初めてのレコーディングなので、ある程度の時間は欲しいですが……時間がとれるだけ幸運です。曲をもらってその翌日レコーディング、ということも珍しくはないので」
そうなのか、と僕は思った。やはり僕はまだまだ疎い。こういう時はルキちゃんが頼りになる。業界に入ったのは僕と同じ時期ではあるが、こういうことはルキちゃんの方が詳しいのだ。
「……私の、曲」
アナスタシアは呟いた。誰に向けたものでもなく、ただ、僕の言葉を咀嚼するためのつぶやきのように思えた。
「あっ」ルキちゃんは慌てて声を上げた。「ご、ごめんね、アーニャちゃん。アーニャちゃんの曲なのに、わたしばっかり騒いじゃって……」
あわあわと申し訳なさそうにするルキちゃんだったが、アナスタシアはそれに対して何の反応もしない。ただただ呆然としている。
「アナスタシア」
僕はアナスタシアの名前を呼んだ。アナスタシアはゆっくりと僕の方に目を向ける。
「聴いてみるか?」
微笑みとともに、僕は言った。アナスタシアは目を少しだけ見開き、すぐに目を閉じて……また開いて、柔らかな微笑みを浮かべた。
「ダー」
52: 2017/04/19(水) 19:17:27.50 ID:nhXCd10e0
*
僕とアナスタシア、そしてルキちゃんの三人で、僕たちはアナスタシアの曲を聴いた。アナスタシアのイメージに沿ったメロディ。冬の星空のようなバラード。
「クラスィーヴィ……」
アナスタシアは言った。ロシア語だ。僕も少しは勉強したが、それは付け焼刃でしかなく、ほとんど覚えていない。
だが、そんな僕でもアナスタシアの表情を見ていればなんとなくの意味はわかる。
「この声……」
ルキちゃんが言った。仮歌は既に収録されており、それを聴いて何かに気付いたらしい。
……あの人がコーラスを担当するとは聴いたが、仮歌も、か。本来の担当は作詞だけだったはずなのだが、どうしてこうなったのか。
非常に感謝はしているのだが、ルキちゃんは勘違いしそうだな。
そして、曲が終わる。これから何度も聴くことになるだろう曲の、一度しかない、最初の一回。それが、終わる。
曲が終わっても、僕は何も言わなかった。ルキちゃんも。僕たちはただアナスタシアの方を見て、彼女の言葉を待っていた。
「……スパシーバ、プロデューサー」
アナスタシアは言って、しかしすぐに首を振って、訂正した。
「ううん、バリショーエスパシーバ。……とても、ありがとう。あなたがくれた、初めての曲。私、大切にしますね」
そう言って、笑った。
53: 2017/04/19(水) 19:18:18.01 ID:nhXCd10e0
*
アナスタシアの曲は正統派のバラード。
まさしく僕の理想としているような曲だったが、それ故に難しい曲でもあった。少なくとも新人アイドルがいきなり歌わされて完璧に歌えるような曲だとは思えない。
この曲は勢いで押し通すことができない。ノリと勢いで歌唱力の不足を誤魔化すことができないのだ。良くも悪くも、歌唱力がそのまま出てしまう曲と言える。
だが、だからこそ、その実力を見せつけるにはうってつけの曲とも言える。
小細工なしに真正面からぶつかるしかできない曲であれば、その素の実力をそのまま見せつけることができる。
『アナスタシア』というアイドル。そのありのままをぶつけることができる。
……さて、さすがにそろそろルキちゃんには言っておかなければならないな。
アナスタシアのデビュー。
それに関する、重要な話を。
54: 2017/04/19(水) 19:18:45.80 ID:nhXCd10e0
*
六月。
「アナスタシア。二週間後、あるライブのオーディションがある。君にはそれに出て、あの曲を歌ってもらいたい。ダンスもある。……と言っても、あの曲だからな。激しい振り付けはない。だからこそ、勢いで誤魔化すこともできないが、まあ、これは歌と同じことだな。……歌も振りも、ノリと勢いで誤魔化すことなく、君のありのままを出してくれ。――アナスタシア。君の輝きを見せてくれ」
僕は言った。アナスタシアはまっすぐに答えた。
「ダー。任せて下さい、プロデューサー」
55: 2017/04/19(水) 19:20:19.89 ID:nhXCd10e0
*
CGプロ主催のサマーライブ。そのオーディションこそ、アナスタシアの出るオーディションである。
既に出演が決まっているアイドルは『ニュージェネレーション』や『トライアドプリムス』、前川みくや神崎蘭子、双葉杏、高垣楓といったCGプロでもトップクラスの実力を持つアイドルばかり。ある意味で『オールスターライブ』と言ってもいい。
そこに新人枠などというものはない。本来であれば、アナスタシアのようなまだデビューもしていないアイドルが参加することはできない。
だが、そこに話題性があれば? ……CGプロも一つの企業である。そこに利益が発生するならば、新人アイドルであっても選考対象となり得る。
今回のオーディションは、つまり、それのプレゼンテーションだ。
『アナスタシアを選んでくれれば今回のライブをさらに盛り上げることができる』ということを証明するためのプレゼンテーション。
もちろん、実力が不相応だと思われたならばその時点で不合格。今回のライブ出演は見込めない。
ライブを台無しにされるわけにはいかないのだから、今回のライブに出演する他のアイドルと比べてあまりにも見劣りするような実力であれば無理なのだ。
まだ事務所に所属して二ヶ月のアイドルが、既に人気アイドルとして活躍しているアイドルたちと比較しても問題ないようなパフォーマンスを見せなければならない。
見劣りしないとまでは言わないが、あまりにも無様な姿を見せられると困る、と。つまりはそういうことである。
もちろん、これは非常に難しいことである。普通の神経をしていれば無理だと思う方が自然だ。僕も自分でそう思う。
しかし同時に、こうも思う。
アナスタシアが目指しているものはトップアイドルだ。
この世界の頂点。この世界で最も輝く星なのだ。
――それならば、これくらいは乗り越える必要があるだろう。
だから、僕はアナスタシアにこのライブのオーディションを持ってきたのだ。
本来ならばまだデビューもしていないアイドルには出ることすら叶わないこのオーディションに出られるように、交渉し、交渉し、交渉し、交渉したのだ。
そして、何とかチャンスをもらった。『それが本当にウチの利益となるのかどうか』を証明するための場を設けてもらうことができた。
オーディションに関して、僕にできることはここまでだ。
歌と、場。
僕に用意できるものは、それだけだ。
あとは――アナスタシア。君に、任せた。
56: 2017/04/19(水) 19:21:44.79 ID:nhXCd10e0
*
オーディションまで二週間。オーディションのための特別レッスンは基礎トレーニングの比率を低くした集中レッスンだった。
これまでのものも新人アイドルが受けるものとは思えないほどの過酷なレッスンだったが、それをさらに過酷にしたようなレッスンだった。
そんな過酷なレッスンにも耐えることのできる肉体ができていたという点では、この二ヶ月間行ってきたレッスンの成果は既に出ていたと言ってもいいだろう。
基礎トレーニングの比率を低くしたとは言っても、毎日のランニングと筋力トレーニングは怠らない。
その量はそれだけでへとへとになってもおかしくないほどの量だった。実際、最初はそれだけで何もできなくなっていたらしい。
しかし今のアナスタシアはそれをこなした後に、さらにオーディションに向けてのレッスンをこなすだけの肉体を持っていた。
さて、ここでアナスタシアが行っている……と言うよりは、この事務所で行っているレッスンについて話そう。
この事務所で行われているレッスンの内容は大きく三つに分けられる。ボーカルレッスンとダンスレッスンとビジュアルレッスンである。
その中から、今回はビジュアルレッスンを重点的に行っていた。
ビジュアルレッスンとは、つまり『魅せ方』。どれだけ素晴らしい歌唱力や運動能力を持っていても、それを『魅せる力』がなければ意味がない。
そして、アイドルにとってはそれこそが最も重要な力だと僕は思う。
圧倒的なまでの歌唱力やダンスの技術があればビジュアルが低くともそこそこのパフォーマンスをすることもできるのかもしれないが、その力を最大限に引き出すためには、ビジュアルという『魅せる力』が必要不可欠だ。
そして、『魅せる力』は極めれば自分の持つ力を実際のもの以上のものに昇華することすら可能だ。
それが、ビジュアル。『魅せる力』だ。僕はそう考えている。
アナスタシアの歌唱力、ダンスの技術は既に新人アイドルとは思えないほどのレベルにまで達している。ならば、あとはそれをどれだけ出すことができるかだ。
アナスタシアはそのために最大限の努力をしてくれている。
一方、僕は次の一手を打つために奔走していた。オーディションに通った後の、次の一手を。
57: 2017/04/19(水) 19:24:13.11 ID:nhXCd10e0
*
オーディション当日、朝。
オーディション会場には既に数多くのアイドルが集まっていた。
オーディションは実際のライブなどでも使われるような会場であり、それをオーディションだけのために使うとは贅沢な、と思わないでもない。
もちろん、小規模な会場ではあるのだが。
予想通り、オーディション会場にいるアイドルたちはほとんどが知っている顔ばかりだった。
デビューもしてないアイドルどころか、新人アイドルですらほとんどいないのではないだろうか。
選考方法は一人一曲、ステージでパフォーマンスをする。それだけである。パフォーマンスの方法は問われていない。
合格者は一応の上限が決められてはいるが、『ふさわしいと判断されたなら何人でも』とのことだ。
それを初めて聞いた時は『また適当な』と思ったものだが、それこそがウチの事務所らしいとも思う。
どんなものであっても良いものならば取り入れる。それがウチの事務所の方針だ。
だから多種多様なアイドルが所属していて、多種多様な活動をしているのだ。懐が広いとも言えるが、僕は単に貪欲なだけだと思う。
まあ、その方針のおかげで自由にさせてもらっているところもあるのだが。
選考の順番は既に発表されている。アナスタシアの出番は後半。途中に休憩が挟まれるので、前半は比較的ゆっくりできる。
他のアイドルの出番を見学することは自由に許可されていた。アナスタシアに見学するかどうかを尋ねると「見たいです」と答えられたので、僕たちは準備をしなければならない時間まで他のアイドルのステージを見学することにした。
僕たちと同じこと考えているアイドル、プロデューサーは多いようで、観客席はそこそこに埋まっていた。
また、既に出演が決まっているようなアイドルたちもいた。「お! 新人くん、アーニャ! やっほー!」なんて手を振っているのは本田さんだ。
隣にいた渋谷さんがそれを注意して、島村さんはそんな二人を見て笑っている。……『ニュージェネレーション』。これだけ見ていると、まるで普通の女子高生のようだ。
ライブ会場と同じとまではいかないが似たような状況だ。僕は思う。数多くの視線にさらされるこの状況をつくるための自由見学なのだろうか。
オーディションが始まるまで、会場はがやがやと騒がしかった。
今日参加するはずのアイドルたちの中ですら緊張とは無縁のように振舞っている人もいるほどだ。しかしもちろんそんなアイドルばかりではなく、ひどく緊張している様子を見せるアイドルも見られた。
アナスタシアもまた緊張しているアイドルの一人だった。無理もない。アナスタシアにとっては初めてのステージとも言えるのだ。ほとんど身内しかいないとは言っても、新人であるアナスタシアからすれば『身内』という意識も薄いだろう。
「アナスタシア」
僕は言った。アナスタシアはこちらを見た。不安が見える。手が微かに震えている。
「プロデューサー……」
アナスタシアは言った。その声は微かに震えている。
「手を」
僕は手を差し出した。アナスタシアはその手を見て、それから僕を見た。どういう意味か……数秒間逡巡してから、彼女は僕の手に自らの手を置いた。
僕はその手を自らの胸に押し当てた。アナスタシアは驚いたようにほんの少しだけ目を見開かせた。
「……伝わったか?」
僕は笑みを見せて尋ねた。アナスタシアなら、それだけで伝わると信じていた。
「……ダー」
そう言ってアナスタシアは笑った。握った手は震えている。どちらの手も。
『それでは、オーディションを開始します。まずは――』
そんなアナウンスが流れた。
オーディションが始まった。
58: 2017/04/19(水) 19:24:46.30 ID:nhXCd10e0
*
わかっていたことだが、やはりこのオーディションのレベルは高かった。アイドルとして既に活躍しているような者ばかりが参加しているのだ。
当然と言えば当然で……そんな中で一際輝いていた者だけが合格する。そんな、オーディション。
アナスタシアは既に着替えを終えていた。
今はアナスタシアの前のアイドルのステージ。それが終われば、次はアナスタシアの番だ。
「プロデューサー」
前のアイドルのステージが終わり、アナスタシアの名前が呼ばれる直前。
アナスタシアは僕を見て言った。それだけで思いは伝わった。
「……ああ。君の輝きを、見せてこい」
だから、僕は言った。アナスタシアは既に前を向いていた。
「ダー」
アナスタシアの名前が呼ばれた。
そして――
第五話「デビュー」
引用: アナスタシア「Сириус」



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