74: 2017/04/19(水) 19:44:47.88 ID:nhXCd10e0
バンプレスト アイドルマスター シンデレラガールズ ESPRESTO Shining materials スターリーブライドのアナスタシア
75: 2017/04/19(水) 19:45:23.29 ID:nhXCd10e0

「今日のライブ、すごかったな」

「ほんとほんと。やっぱりCGプロのアイドルは良いよなー」

「あー……蘭子ちゃん、今日も良かった」

「お前そればっかりだな」

「仕方ないだろ。ファンなんだから」

「俺は加蓮ちゃんだなー……なんか、最近すごいと思うんだよ」

「トライアドプリムスの一人なんだからすごいのは当然だろ」

「いや、そうなんだけど……最近は特にというか」

「……まあ、俺も今回のは泣いたけど」

「うわ、後出しとかずりぃ」

「ずるいってなんだよ。お前は泣かなかったのか?」

「……泣いたけど」

「泣いたのかよ」

「でも、今日と言えば、やっぱりあの子だろ」

「あの子? ……ああ、そうだな」

「え? ちゃんみお?」

「そっちじゃねえ! いや、そっちもすごかったけどさぁ……」

「ごめんごめん。わかってるよ。新人の、あの子だろ?」

「わかってるなら変なこと言うなよ……」

「でも、本当にすごかったよなぁ」

「うん、すごかった」

「ライブ前から話題にはなっていたけど、まさか、あそこまでとはなぁ……」

「……あの子のこと、もっと知りたいよな」

「今日の曲のCD絶対買うわ」

「……リリイベとかやってくれないかなぁ」

「やったら絶対行くわ。と言うかやるだろ。新人だし」

「CGプロは割りとやってくれるところだしな」

「……俺、あの子、推そうかな」

「俺はまだ様子見かな。まだどんな子かわからないし」

「まあそうだよなー。良い子っぽいしパフォーマンスもすごかったけどな」

「はぁ……アナスタシアちゃん、これからもっと露出増えないかなぁ」

「増えるだろ。こんなライブをデビューライブにするってことは、CGプロも『推す』気だってことだと思うし」

「……だったらいいんだけど、な」


76: 2017/04/19(水) 19:47:34.89 ID:nhXCd10e0

      *

 ライブ後の軽い打ち上げを終えるとそのまま解散の流れとなった。
女子寮に住むアイドルたちはほとんどが集まって行動していたため、アナスタシアもそれに同行させた。
アナスタシアはまだ興奮冷めやらぬといった様子だったが、デビューライブの後だ。早く帰らせて休ませた方がいいと判断した。
「早く帰ってゆっくり休め」と言うと「……ダー」とどこか不満気に返された。
 アナスタシアの不満気な表情というのは珍しくて、私はこんな表情のアナスタシアもかわいいな、なんて思ってしまった。

 私はちょっとした雑用をしてすぐに事務所に帰った。
 ルキちゃんからは「今日くらい休めばいいのに……」と呆れられたが、そうもいかない。むしろ私の仕事はこれからなのだから。

 ネットの評判を見るとアナスタシアの話題が多く見られた。とりあえず、安心した。
 スタッフさんや他のプロデューサーからいくら「良かった」と言われても、ファンからもそう思われてなければ意味がないのだ。
 今調べた範囲でしかないが、とりあえずはファンからもアナスタシアのパフォーマンスは評価されているようで安心した。

 さて、安心したところではあるが、だからこそ、やるべきことは山積みだ。
 成功するという前提で進めてはいたが、それでもまだまだやるべきことは残っている。蒔いておいた種も芽吹いてくる頃だ。
 とにかく、目の前のことから一つずつ片付けていこう。

 ……とりあえずの目標は、仮眠をとれるだけの時間を確保すること、だな。


77: 2017/04/19(水) 19:48:23.41 ID:nhXCd10e0

      *

 一週間後。
 アナスタシアのCDが発売された。

 ライブの前に発売することも可能だったのだが、メーカーや関係各所と話し合った結果、この時期に出すべきであるという結論に至った。
 その理由はいくつかあるが、端的に言えば『この時期に発売することが最も利益となるだろう』と判断されたからである。

 ライブの翌日、アナスタシアのCD発売を記念していくつかのインストア・イベントが開催されることが発表された。
 ライブが終了した直後から、以前から企画されていたものだけではない多くのイベントの開催が持ちかけられていた。
 いくらかの調整が必要ではあったが、そのほとんどを受け入れた。

 ライブ前、ルキちゃんにインストア・イベントの話をすると、「どうしてライブの前じゃないんですか?」と訊ねられた。
 CDの発売がライブの後だとしても、ライブの前に小さなステージで一つでも多くのステージを経験するべきだ、という判断からだろう。

 私がその上でインストア・イベントをライブの後にしたことにはいくつかの理由がある。
 アナスタシアのデビューにできるだけ大きな『衝撃』を、というのもあったが、いちばんの理由は「後の方がファンにとって良いだろう」と思ったからだ。そしてそれこそがアナスタシアのためになるだろうと考えたからである。

 インストア・イベントで何をやるか。
 様々なことが想像されると思うが、私は必ず『ファンと直接話すことができる』ものにしたいと思っていた。
 ファンとアイドルが直接話すことができるイベントというと様々なものが想像されることと思うが、今回はお渡し会を中心にしようと思っていた。

 今回開催されるインストア・イベントの内容は基本的にはミニライブとお渡し会である。ちょっとしたトークと歌、それからお渡し会。簡単に言えばそれだけだ。

 ライブ前よりもライブ後の方がアナスタシアにとってもファンにとっても話すことは多いだろう。
 アナスタシアにとっては初めての単独イベントであるし……ファンにとっても、アナスタシアと接するのは初めてだ。
 互いに何も知らない状況よりは『ライブ』という大イベントの後の方がいいと判断した。

 ライブ後、インストア・イベント以外にも様々な仕事のオファーがあった。その中にはバラエティ番組なども多かった。
 本田さんや前川さんが出ている番組も多く、そういった関係から、というのもあるだろう。
 本田さんも前川さんもアナスタシアもそれを聞けば必ず「一緒に仕事がやりたい」と言うと思うが……私は断った。
 まだその時期ではない。そう判断してのことだった。

 まだアナスタシアのことを知らない人は多い。ワイドショーで取り上げられたりもしたが……そもそもあまり大きく取り上げられたわけではないし、それだけで日本中の誰もが知るようにはなったりしない。

 今、アナスタシアのことを知っているのは――つまり、アナスタシアのアイドルとしての姿を見たことがあるのはあのライブに来ていたファンだけだ。
 ライブ前、私はアナスタシアをバラエティ番組にあまり出したくないと言ったが、状況はその時とあまり変わっていない。
 要するにアナスタシアに『カタコト外人キャラ』というイメージが付くのを恐れて、ということだ。
 臆病……かもしれないが、実際にそうなってからでは遅いのだ。まずは『アイドル』としての地位を確立しなければならない。
 もっともっと知名度を上げて……それからなら、バラエティ番組に出ても変なキャラクター付けをされることはない、あるいは変なキャラクター付けをされても問題ない、と私は思う。

 他にもアナスタシアには様々な仕事のオファーが来ていたが、もちろんすべてを受けるわけにはいかない。とりあえずは保留させてもらって、ルキちゃんと相談しながら決めることにした。

 ここまで長々と述べたが、端的に言えば、アナスタシアの次の仕事はインストア・イベント、ということだ。

 ファンと実際に顔を合わせて話す初めての仕事、ということである。

78: 2017/04/19(水) 19:49:16.58 ID:nhXCd10e0

      *

「アナスタシア。君はアイドルにとって最も重要な存在はなんだと思う?」

 CDの発売日、その翌日。インストア・イベントを二日後に控えたアナスタシアに私は尋ねた。アナスタシアは答えた。

「ファン、ですね? アイドルはファンが応援してくれてこそのものです。だから、ファンの存在がいちばん大切です」

 満点の答えだな、と思った。うん、素晴らしい。本当にそう思っているのなら――いや、アナスタシアのことだ、本当にそう思っているのだろう。

 アナスタシアは既にライブも経験している。その前から既に知識としては知っていただろうし……アナスタシアの近くには、『アイドルとは何か』を教えるにあたって、私よりも詳しいかもしれないようなアイドルが居る。

「前川さん、か?」

 そんなわかりにくい質問に対してアナスタシアは「ダー」と答えた。

「みくは私に色んなことを教えてくれますね。ファンのことも、その一つです」

「そうか」私は言った。「感謝、しなくちゃな」

「ダー」

 アナスタシアは嬉しそうに言った。……本当に、前川さんにはよくしてもらっているみたいだな、と思う。

 だが、この様子を見ているとアナスタシアはまだ知らないのだろうと思う。
 ファンという存在が、どういうものなのか。
 彼らの存在は、アイドルにとって、どういうものなのか。

 知識として知っているかどうか、ではない。自分が、自分で、そう思わなければ意味がない。

 ……まあ、そのためのインストア・イベントだ。

 アナスタシアには知ってもらおう。

 アイドルという存在の辛く苦しい部分の逆――あるいは、アイドルという存在にとって、最も幸せかもしれない部分を。

79: 2017/04/19(水) 19:51:22.82 ID:nhXCd10e0

      *

 インストア・イベント、当日。

「アナスタシア、準備はいいか?」

 私たちはとあるレコード店に来ていた。
 あまり大きな場所というわけではないのだが、ここはデビューライブの前から、さらに言えばアナスタシアがサマーライブに出演すると決まる前からイベントの開催をしてくれる、と言ってくれていた場所だった。

 聞いた話ではここはCGプロが昔から世話になっている場所、らしい。あの高垣楓ですら今でもこの場所でイベントをするという話だ。
 CGプロのアイドルにとっては思い出深い場所、ということかもしれない。

「準備……」

 私の質問にアナスタシアはどこか呆けた様子で口を開いた。「アナスタシア?」心配になって名前を呼ぶとアナスタシアははっとしてこちらを向いた。そして、その顔に不安を浮かべた。

「……プロデューサー。私、何を話せばいい、ですか?」

 初めてのお渡し会、初めてのファンとの会話。アナスタシアはそれに複雑な思いを抱いているようだった。

「君の好きなように話せばいい」

 私がそう言うと、「それがいちばん、困ります」と答えられた。これはサマーライブの時よりも弱々しいかもしれないな、と思う。しかし、『好きなように』以外で何と答えればいいのか。私は考え……少し、表現を変えて言うことにした。

「そうだな、つまり、アナスタシアが伝えたいことを言えばいい。ファンに、自分が伝えたいことを」

「伝えたい、こと……」

 アナスタシアは私の言葉を反芻する。しかし、まだそれを消化することができていない。
 インストア・イベントの開催時間は刻一刻と迫っている。アナスタシアもそれを気にしている。その表情はまだ曇ったままだ。
 そんな彼女の表情を見て、私は思う。少々の自己嫌悪を抱きながら、この状況のことを思う。

 ……予定通り、だな。


80: 2017/04/19(水) 19:52:36.20 ID:nhXCd10e0

      *

 都内にある、とあるレコード店。
 ここはCGプロのアイドルがしばしばインストア・イベントを行うCGプロのファンの間ではそこそこ有名な店である。

 今、一人の青年がこの店に入店した。今日ここで開かれるとあるアイドルのインストア・イベントのためだ。

 彼は昔からCGプロのアイドルのファンだった。特定の誰かを応援している、と言うよりは『CGプロのアイドル』全体を応援している、という調子であり、そんな事情もあって、彼は今まで特定のアイドルのインストア・イベントのような小規模のイベントに参加することはなかった。
 彼はこの理由として『自分が行くことで本当に行きたい人の席が埋まってしまうかもしれない』というものを挙げていたが、言い換えれば、彼は特定のアイドルのインストア・イベントには『本当に行きたい』と思っていなかったのである。
 今までは『特定のアイドル一人』を特別応援する、ということはなかったのだ。
 CGプロのアイドルなら誰でも好きだしライブにも行くが、それだけだった。それ以上のことはしてこなかった、というわけだ。

 しかし、今日、彼は初めてインストア・イベントに来ていた。
 それはつまり、彼が初めて『特別応援したいアイドル』ができた、ということだった。

 そのアイドルの名前は『アナスタシア』。
 最初、彼が彼女を知った時の感想は『この子はいかにもって感じだなあ』というものだった。
 日本人とロシア人のハーフであり、芸能界でもなかなか見ないほどの美形。
 オールスターライブにも近いサマーライブがデビューライブで、しかも、ここまで騒がれているとは……明らかに事務所から推されているような子だな、という印象だった。

 この子は確実に人気が出るな、という思いとともに、自分はそうなるとは限らないけれど、とも思っていた。
 こうもあからさまに事務所から推されているようなアイドルに対しては色々と考えてしまうものなのである。
 青年は自分で面倒くさい性分だなと思ってはいたが、だからと言って、その思いが簡単に拭えるものではない。

 要するに、青年のアナスタシアに対する第一印象はそこまで良いものではなかったのだ。
 本田未央や前川みく、神崎蘭子と言ったアイドルたちがその名前を出す度に『良い子』なんて言っている時にはちょっと気になりはしたが、まだ本人を見ていないのに判断することなんてできない、とすら思っていた。意固地になっていたと言ってもいい。

 そして、サマーライブ。万が一、アナスタシアがひどいステージをしたならば……彼はそんなことすら考えていた。
 間違いなく褒められるものではないし、悪いファン、と言ってもいいだろう。青年も普段はそういう思いを抱くタイプではないし――逆に言えば、CGプロのアイドルに対してそこまで強い思いを抱いたことは初めてだった。
 その時の青年はまだそのことに気付いていなかったが、つまりはそういうことだった。

 アナスタシアがステージに出ている時、彼は常にアナスタシアを目で追っていた。最初の全体曲、『お願い!シンデレラ』の時から彼はアナスタシアに注目していた。
 青年はその時点では悪くないな、と思っていた。だが、それだけで認めようとはしなかった。青年は意固地になっていた。ソロのステージを見なければわからない。そう思っていた。

 結果――青年は魅了された。
『You're stars shine on me』。
 あの曲が終わる頃には、涙で前が見えなくなっていた。涙を手で拭うことすらできなかった。

 そして、気付いた。
 これが他のみんなが言っていた感情か、と。
 これが『ファン』になるということなんだ、と。

 それまでも、青年はCGプロのアイドルのファンであった。
 だが、今思えば、それは『なんとなく好きだった』というくらいの感情に近かった。
 CGプロは今をときめくアイドル事務所である。『流行』と言ってもいい。
 それまでも青年は心からCGプロのアイドルを応援しているつもりだったし、それは確かに事実ではあった。
 だが、その思いの強さがどれほどのものだったかと言えば……。

 今、青年はアナスタシアのファンである。
 今でもCGプロのアイドルのことは好きだ。それは変わらない。

 変わったことは、一つだけ。

 特別好きな、特別応援したいアイドルができたということ。

 青年がアナスタシアというアイドルを応援しているということである。

81: 2017/04/19(水) 19:56:18.13 ID:nhXCd10e0

      *

 青年は緊張していた。
 アイドルのライブなどに参加するようになってから数年になっていた青年であったが、実際にアイドルと会話するのは初めてだったのである。

 インストア・イベントはもう始まろうとしている。幸運かどうかはわからないが、青年は整理券の番号で一番が割り振られていた。
 最前でステージを見ることができるが、アナスタシアとのお渡し会も最初であるため、他の人がどのように話しているかなどを見ることができない。
 こういったイベントは今回が初参加となる青年にとっては複雑な心境であった。

 そしてインストア・イベントが始まった。このイベントを回すための司会役の男性が出てきて、何かを話す。
 青年の耳には彼の言葉のほとんどが届いてこなかった。

「――それでは、アナスタシアさんに登場してもらいましょう。大きな拍手とともにお迎え下さい!」

 男性が言った。青年ははっとしてステージを見る。
 周囲から拍手の音が聞こえて、青年は一歩遅れて拍手を始める。
 パチパチパチパチ……拍手が鳴り響き、そして。

 アナスタシアが姿を現す。

 その瞬間、拍手の音がいっそう勢いを増し、青年の背後から「ふー!」といった声が上がり始める。
 それはアナスタシアがマイクを口に近付けると自然に沈静化する。

「アー……初めまして、みなさん。今日は、よろしくお願いしますね」

 アナスタシアのその言葉に、また「ふー!」といった声や「よろしくー!」といった声が上がる。
 アナスタシアはそういった反応に少々驚いている様子だった。しかし不快だとは思っていないようで、「はい、お願いします」と微笑んだ。

 それから司会の男性がまた話し始める。アナスタシアに上手い具合に質問をして、アナスタシアがそれに答える、といった調子だ。
 サマーライブの時のことに触れながらも、サマーライブに参加できなかった人のことも考えたMC。
 アナスタシアの方はアナスタシアの方で初々しい、新人アイドルらしい受け答えをしていた。
 サマーライブでの新人らしからぬステージからは想像できなかったが、実際に見るとまだまだ新人の少女なんだな、と思わされた。
 しかしそれは彼女の魅力を損なうわけではなく、むしろ身近な存在として、青年の目にはより魅力的な存在として映っていた。

 そしてトークパートは終わり、ライブパート。

 ――【You're stars shine on me】

 サマーライブの時よりも遥かに近い距離で見るアナスタシアのステージを見ていると、それだけでこみ上げるものがあった。
 アナスタシアの表情が、仕草が、その一挙手一投足がどれだけ細かなもので構成されていたのかがサマーライブの時よりも強く強く感じられる。
 これだけで来てよかった、と思えるステージだった。青年は泣かなかったが涙ぐみはした。

 歌い終わると、アナスタシアはステージからいったん離れて、お渡し会の準備が始まった。机とお渡し会で渡すサイン入りのCDが準備される。
 それから司会の男性が場を繋ぎながら、お渡し会の説明をする。


82: 2017/04/19(水) 19:57:53.91 ID:nhXCd10e0

「お渡し会の時、アナスタシアさんと話すことになると思いますが、あんまり長く話しているとはがしちゃいますから注意して下さいね? どれくらいの時間なら長いかって? 今回は一人につき三〇秒くらいですね! 短い? いやいや、三〇秒は割りと長いんですよ? ラジオだったらメールを読めます。と言っても、アナスタシアさんは新人アイドルですからね、そこらへん百戦錬磨の皆さんにはよーく気を付けてもらいたいと思います。……さて、準備ができたようです。皆さん、節度を守りながらもアナスタシアさんに熱い思いをぶつけちゃって下さい!」

 そうして、アナスタシアとのお渡し会が始まった。
 青年の緊張が一気に大きなものとなる。心臓の鼓動が聞こえる。何を話せばいいのか。
 一応は考えていたはずのそれをまったく思い出すことができない。せっかくアナスタシアに自分の気持ちを伝えられる場所なのに、何を言えばいいのかわからない。

 最初は自分だ。だから、いきなり自分の番だ。
 スタッフに促されて、青年はアナスタシアの前に立つ。
 めちゃくちゃ綺麗だ。青年は思う。ハーフだとかそういうのは関係ない。見ているだけでドキドキしてしまう。息を呑むような美しさ、というのは彼女のことを言うのだろう。
 長いまつ毛、大きな目。宝石のように透き通った美しい青の目と雪のように白い肌。もう、見ているだけで満足してしまいそうだ。

「……あの、大丈夫、ですか?」

 アナスタシアが心配するように尋ねた。青年はハッとした。

「だ、大丈夫です!」

 なんてことをしているんだ。時間は限られている。それなのに……青年はそんなことを思うが、そんなことを思っている暇はない。
 今すぐ何かを伝えなければならない。何を? 自分の気持ちを。そうだ、自分の気持ちを伝えるんだ。そのために来たんだ。青年は言う。

「あ、あの! アーニャちゃ――アナスタシアさん!」

 青年の突然の気迫にアナスタシアは驚きながらも、「アーニャでいいですよ?」と言ってくれる。青年はその言葉に、「じゃあ、アーニャちゃん!」と言い直す。

「俺、いや、僕は、その――アーニャちゃんのファンです! 前のサマーライブで、あのステージで、ファンになりました! そして、今日も、その、とても楽しかったです! アーニャちゃんはめちゃくちゃかわいいし綺麗だしこんな近くで話せるしあんな近くで歌が聴けるし――いや、そうじゃなくて、そういうことが伝えたいわけじゃ、いや、それも伝えたいんだけど、それがいちばん伝えたいってわけじゃなくて――」

 青年はもうなにがなんだかわからなくなってきていた。想いだけが先行して、言葉が付いてきていなかった。
 そんな青年を見て、アナスタシアはふっと気が抜けた様子で――安心した様子で微笑み、言う。

「そんなに焦らなくても大丈夫です。落ち着いて下さい」

 そんなことを、言われて……青年は一度言葉を止めて、それから、自分のいちばん言いたいことを言った。

「――アーニャちゃん!」

「はい」

「俺、いや、僕は、アーニャちゃんを応援してます! これから、ずっと、必ず――アーニャちゃんの、ファンになったから! ファンに、なれたから! それから、その……変かもしれないけど、本当に、ありがとう。アイドルになってくれて、ありがとう。それだけは、伝えたくて」

 そう言った青年の目は、どうしてか、涙ぐんでいた。色々な思いが溢れていたから、かもしれない。

 そして、それを受け取る、アナスタシアは――

「……ありがとう、ございます」

 その目の端に光るものを溜めながらも、満面の笑みを浮かべて、そう言った。

 ……そうして終われば綺麗に終わったのだが、現実はそう綺麗にはいかない。それから青年は帰ろうとしたのだが、彼はあるものを忘れていた。
「あの、CD、忘れていますよ」スタッフにそう言われて青年は慌てて戻って、「すみません、忘れてました!」とアナスタシアに頭を下げるようにして謝った。
 しかし、そんな彼にアナスタシアは「実は、私もです」と茶目っ気溢れる笑みを浮かべながらCDを渡して、「また、来て下さいね」と言った。

 そんなことをされて惚れないわけがない。絶対また来よう……。青年は誓った。

83: 2017/04/19(水) 19:58:49.10 ID:nhXCd10e0

      *

 インストア・イベントは終わりを迎えようとしていた。
 私は裏から見ているだけだったが、今回のイベントは大成功と言っていいだろう。

 心配だったお渡し会も、始まる前はひどい緊張と不安が見られたが、最初の一人と話してからは一気に良くなったように見えた。あの人には感謝しなければならないな、と思う。
 それ以外のファンもアナスタシアには良く接してくれているようで、こういったイベントに慣れているファンなんて、むしろアナスタシアを笑わせていたようにすら思える。
 とにかく、アナスタシアにとってもファンにとっても非常に良いイベントになったようで何よりだ。

 お渡し会が終わると、アナスタシアが帰ってきた。
 サマーライブの時とはまた異なる表情。『出し切った』と言うよりは『たくさんのものをもらった』といった表情。
 そのもらったたくさんのものを、大切に大切に抱いているかのような表情だった。

「アナスタシア」

 そんな彼女に、私は声をかける。「プロデューサー……」アナスタシアは私の方を見て、つぶやく。そして、口を開く。

「……プロデューサー。あの人たちが、ファン、なんですね」

「ああ」

「あの人たちが、私を、応援してくれているんですね」

「ああ」

 アナスタシアはぽつりぽつりと溢れる思いをこぼすように言葉を紡ぐ。そして、はっきりとした意志をもって、私を見る。

「プロデューサー」

「なんだ? アナスタシア」

「私、もっと……もっと、輝きたいです。あの人たちのために……あの人たちからもらったものを、少しでも、返すために。私の思いを、伝えるために」

 アナスタシアは言った。今までもアナスタシアは……私は、『この世界でいちばん輝く星に』と言っていた。だが、それとはまた意味が違う。こもっている思いが違う。

 ……今日、こうなることは私の狙い通りだった。アナスタシアがファンと接して、ファンがどういう存在なのかを知る。
 それがアナスタシアの姿勢に良い影響を与えれば……と、『それ自体』は狙い通りだった。

 しかし、その内容に関してはまた別だ。
 それからアナスタシアがどう思うか、どうしたいと思うかは、アナスタシアが自分で思ったこと。アナスタシア自身が、ファンから受け取ったものだ。
 私の狙いは関係ない。私のような汚い大人の思惑は関係ない。

 今、アナスタシアは自分の意志で『そうなりたい』と願った。ファンと接して、ファンから大切なものをもらって……『輝きたい』と願った。

 それならば、プロデューサーである私がするべきことは一つだろう。

「……最初に言っただろう? アナスタシア」

 私はアナスタシアに向かって言った。

「プロデューサーは、アイドルの手助けをする仕事だ。……君の手助けをさせてくれ、アナスタシア」

 私はアナスタシアに向かって手を差し出す。アナスタシアはその手を見て……私の顔を見て。

「……スパシーバ、プロデューサー」

 アナスタシアは微笑み、その手をとった。

 ……さて、今日のイベントはこれだけではない。
 次の会場に向かおうとしよう。

84: 2017/04/19(水) 19:59:48.88 ID:nhXCd10e0

      *

「――断られたぁ!?」

 同日、テレビ局。
 番組の収録後のちょっとした世間話の場で、前川みくは信じられないような話を聞いていた。

「そうなんだよー。あのライブの後、確実に『来る』って思ったからオファーしたんだけどね。いやぁ、まさか断られるとは思わなかったよ」

 あっはっは、と笑いながらとあるバラエティ番組のディレクターは言った。ゴールデンタイムに放送され、視聴率も上々。
 そんな、すべての芸能人にとっては出演すること自体が『大きなチャンス』となるような番組だ。
 新人にとってはその機会なんて喉から手が出るほど欲しいはずで……断るなんて、意味がわからない。

「でも、アーニャちゃん、絶対にバラエティにも向いてると思うんだよね。私の勘は当たるし……みくちゃんの話を聞いている限り、そんな感じだしねー」

 ディレクターは笑いながら言うが、みくはほとんどその話を聞けていなかった。
 アナスタシアが――正確には、そのプロデューサーであるPだが――この仕事を断るということが、信じられなかったのだ。

「どう、して……」

 みくがやっとのことで発することのできた言葉はそれだけだった。ディレクターは言った。

「アーニャちゃんのプロデューサー曰く、『まだ』出演できないって話だし、時期が悪い、っていうことかな。この番組だけじゃなく、バラエティ番組の出演依頼はだいたい断っているみたいだし……アイドルのことはよく知らないけど、うん、理解できないことはないよ。私なら絶対に出演させるけどね」

 一つを除いて、みくも同じ意見だった、みくなら、こんな仕事は断らない。絶対に出演させるだろう。

 そして、除かれた一つこそが重要だった。
 アナスタシアのプロデューサーが、Pが、この仕事を断った意味。
 それが理解できなかったのである。 

 ――あるいは、理解したくなかっただけなのかもしれないが。



第七話「信頼」


引用: アナスタシア「Сириус」