85: 2017/04/19(水) 20:01:07.39 ID:nhXCd10e0
86: 2017/04/19(水) 20:03:12.46 ID:nhXCd10e0
九月、事務所。
「ただいまー! いやー、今日も未央ちゃんは頑張りましたよー。やっぱり美希さんはすごいね。ライブバトルの時はもうこわいくらいなんだけど、普段のお仕事の時はこわいくらいかわいいんだもん。ツバッティーがああなっちゃうのもわか……ん? みくにゃん、どうしたの?」
帰ってくるやいなや好きなことを好きなようにまくしたてる未央だったが、その時事務所にいたみくは未央に対して何も言わずにテレビを見ていた。そこに映っているのはアナスタシア。ちょうど歌い終わったところらしく、上気した顔でファンに手を振っている。
「お、ライブバトルの中継……最近のアーニャはよくライブバトルをしてるよね。『新星』アナスタシア……だっけ? そう呼ばれているみたいだし。でも、この名前、そのまま過ぎるよね。私の『パーフェクトスター』みたいなものを付けてあげればいいのに」
ライブバトル。それはアイドル同士の戦いである。アイドルが群雄割拠する昨今、それは非常に人気の高い催しとなっていた。
仕組みとしては単純。アイドルが交互にライブをして、勝敗を決める。
この『勝敗を決める』ということに対しては『趣味が悪い』などという否定的な意見もあったが、人気の高いイベントであることは確かであり、今のところは存続している。
未だ『ライブ』はアイドルのファンでもない人々にとっては親しみのないものではあるが、そういった人々にとっても『ライブバトル』という『勝敗がつく』ものに対する興味は大きかった。
その結果、今では全国ネットでテレビ中継されるなんてこともあるようになった。
と言っても、スポーツの試合などと同じく、全国ネットで中継されるのは『トップアイドル』クラスのアイドルがライブバトルをした時くらいだが。
「ライブバトルの結果は……アーニャの勝ち! いやー、さすが! もうあのランクじゃあ敵なし、って感じだね!」
そして、注目されてはいるがアナスタシアはまだ『トップアイドル』クラスのアイドルではない。
今、みくが見ている番組はアイドル専門チャンネルの番組である。それでも新人アイドルがテレビで中継されているというのはアナスタシアが注目されているからこそなのだが。
「……未央チャンが言うと嫌味みたいだけどね」
ぼそっとつぶやくようにみくは言った。「あ、やっと反応してくれた」と未央は笑う。みくは溜息を吐いた。
これだから、未央チャンは……。『パーフェクトスター』と呼ばれる彼女がそう呼ばれていることに納得するのはこういう時だ。
まあ、これに関しては『コミュニケーション能力の怪物』の方を思うべきなのかもしれないけれど。
「でも、みくにゃんも言えないと思いますよ? なんたってみくにゃんはウチの事務所でトップクラスに人気のある超人気アイドルですし」
「それも未央チャンが言える話じゃないでしょ……」みくは再度溜息を吐く。「というか、みくはそもそも『さすが』なんて言ってないもん。この短期間でここまでのパフォーマンス、っていうのはすごいと思うけどね」
「うんうん、本当にすごいよね」未央は笑う。そして言う。「それで、どうしてみくにゃんはそんなに不満そうなの?」
いきなりの核心を突くような質問にみくは一瞬ひるみ、しかしすぐに向き直った。みくは答える。
「アーニャンは……バラエティ番組とか、そういうのには、全然出ないよね」
「そうだね」未央はうなずく。「最近はライブバトルしてるかレッスンしてるか……あとはインタビューとか、そういうのしか見ないかな。それで?」
「それで……」みくはその先に続く言葉を言おうとして口を閉じた。それから数秒間言葉を探すようにして、それからまた口を開いた。「……未央チャンは、どう思う?」
「どう思う、か……」うーん、と未央はわざとらしく悩んでいるようなポーズをとる。「どういう意味かにもよるけど、まあ、そういうのもアリかなー、とは思うよ。ライブバトルで実力と人気を付けていく、っていうのはトップアイドルになるための近道だって思うし」
「近道だからって!」
思わず、みくは大声を出してしまう。未央は目を丸くする。そんな未央を見て、みくは自分が大声を出したことに気付いて、「……ごめん」と謝る。謝って、言う。
「でも……近道だからって、それで、いいのかな。ライブバトルばっかりして……それで、楽しいのかな」
「みくにゃんは楽しくないの?」未央は言う。「ライブバトルを、することが」
「そういうことじゃないけど……ううん、ごめん、みくの言い方が悪かったね。みくが言いたいのは、そういう意味じゃないの。今のアーニャンは――新人チャンは、効率だけを求めているみたいで……それが、なんだか、気になるの」
「新人くん、か」
アナスタシアのプロデューサー。アナスタシアへのバラエティ番組の出演依頼をすべて断っているのは彼だ。
アナスタシアの活動について思うことがあるのならば、それはつまり、彼の仕事に思うことがあるということだ。
「新人チャンはそういうことをするような人じゃない、って思うけど……でも、今のままじゃ、アーニャンが……」
かわいそうだよ。その言葉をみくが口にすることはなかった。
「私は大丈夫だと思うよ」
未央が言った。みくは驚いたような顔をして未央を見た。
「みくにゃんが心配する気持ちもわからなくはないけど、うん、大丈夫だと思う。新人くんは新人くんで思うところがあるからそうしているんだと思うよ。だから大丈夫。みくにゃんがそこまで心配することじゃないよ」
未央のその言葉に、しかし、みくはまだ思うところがあった。確かにPはそうかもしれない。だけど……。
「アーニャンは、それでいいのかな」
みくは言った。
「新人チャンに考えがあるとしても……それで、アーニャンは、いいのかな」
その言葉は既に未央に向けたものではなかった。未央も自分に向けられた言葉ではないとわかっていた。だが、その上で彼女は答えた。
「それはアーニャにしかわからない、かな」
87: 2017/04/19(水) 20:07:21.11 ID:nhXCd10e0
*
九月。アナスタシアが通っている高校の夏休みは既に終わった。『夏休み』とは言っても、アナスタシアは普段以上に休まることのない生活を過ごしていたが。
夏休み中、アナスタシアには今まで以上に過酷なレッスンを受けてもらった。仕事も仕事でそこそこにあったが、それ以上にレッスンを積んでもらった。
サマーライブの時点で『新人らしからぬ』という評価を受けたアナスタシアだが、それでは足りない。
私はそう判断して、アナスタシアに夏休み中にしかできないようなレッスンを受けてもらった。
これはアナスタシアだけではなくルキちゃんにとっても過密なスケジュールだったが、彼女はしっかりとこなしてくれた。
曰く、「Pさんとアーニャちゃんが頑張っているのにわたしだけ休むわけにはいきません」とのこと。
「というか、わたしの心配をするよりも自分の心配をして下さい。アーニャちゃんはわたしがスケジュールも管理しているので気を付けられますけど、Pさんのスケジュールまでは管理できませんから」
それに対しては「僕もまったく休んでいないわけじゃないから大丈夫だよ」と言ったが、まったく信じてもらえなかった。
「とにかく、わたしの心配をするくらいなら自分の身体を気遣って下さい。わたしもアーニャちゃんも、Pさんとは違ってしっかり休んでいますから」
そこまで言われると私にはもう返す言葉もなかった。だからと言って本当に休めるかどうかはまた別の話だったが。
夏休み中、アナスタシアのスケジュールはルキちゃんが管理していた。仕事面まで含めると私の手がかかっていたが、それ以外ではルキちゃんに任せた。
これは日常生活にまで食い込むようなスケジュールであり、アナスタシアには厳しいものとなってしまうと思ったが、彼女は「これもプロデューサーは最初に言っていましたね? 大丈夫です。その覚悟はできています」と返してくれた。
まだ一五歳の少女にここまで言わせて、その言わせた当人が休んではいられないだろう。
食事の内容もレッスン内容も睡眠時間も、アナスタシアの生活は管理されていた。
休日は設けていたが、それでも夏休みのほとんどが管理された生活になっていた。
肉体改造……そう言ってもいいくらいには、アナスタシアには頑張ってもらった。
夏休みという期間でもなければ、このように大がかりなことをするのは難しい。
ステージでより良いパフォーマンスをするためには純粋に筋力を付ける必要があるが、無駄に筋肉を付けるわけにもいかない。アイドルにとって無駄な筋肉は『ぜいにく』も同じだ。
それを『売り』とするようなアイドルもいるが、それを『売り』にすることは難しくもある。
まだまだ経験も知識も足りない私にはできないし、そもそも、アナスタシアであってもそれは難しいだろう。アナスタシアの『個性』はそこにない。
ならば、より純粋に肉体を磨き上げることが最善の方法である、と判断した。
もはや『鍛錬』という言葉にも近いアナスタシアのレッスンは確実に成果を上げていた。
もとより美しかった肢体はさらに磨き上げられ、鍛え上げられ、鍛錬に鍛錬を重ねた名刀が美術品にすら勝る美しさを見せるのと同じで、ただ見るだけで息が漏れるようなほどのものとなっていた。
そんな生活の合間に残っていたお渡し会やインタビューなどを受けたりしてアナスタシアの夏休みは終わった。
88: 2017/04/19(水) 20:09:07.77 ID:nhXCd10e0
そして、九月。
私はアナスタシアにライブバトルをさせた。『させ始めた』と言ってもいい。
八月の頃より――正確にはもっと前から、これは決めていたことだった。八月中に実力をさらに付けさせて、それから、ライブバトルをさせる。
サマーライブで『新人らしからぬ』ということで注目されたアナスタシアだったが、その状態からさらに注目され続けるためにはさらなる成長が必要だ。
実力で注目されたのなら、それからも実力を示さなければならない。アナスタシアはまだ新人である。
その注目されている理由は『新人にしてはすごい実力』以上のものではない。まだ一過性のものでしかないのだ。
だが、一過性のものにするわけにはいかない。注目されている今のうちに、『アナスタシア』というアイドルの存在を示す必要がある。
だからこそ、ライブバトルだった。今、ライブバトルは非常に注目されているイベントである。
悪趣味だと言う者も居るが、それ以上に大衆は『勝負』を欲している。『はっきりと優劣がわかる』ということは人間にとっても気持ちのいいことなのだろう。
『スポーツの試合』や……そうだな、例えるなら『フィギュアスケートの大会』。ああいったものに近い。
ああいったものの人気を考えると、ライブバトルの注目も不思議なことではないだろう。
そしてそのライブバトルがどれほど注目されているか。それは『全国ネットで中継されることもあるほど』である。
最近、全国ネットで中継されるほどの高ランクのアイドル同士で行われたライブバトルでは『渋谷凛』と『本田未央』によるものが記憶に新しいだろうか。
同じ事務所に所属するアイドル同士だからと言ってライブバトルが行われないというわけではない。
他の事務所のアイドルと行うことも多いが、同じ事務所のアイドル同士でのライブバトルも決して珍しいことではない。
実際、渋谷さんと本田さんのライブバトルだけでもこれで三回目くらいだったはずだ。他にもアイドルは大勢存在することを考えればその頻度もまたある程度は予想できるだろう。
まあ、そのような話はまだ先のことだろう。今はアナスタシアのことについて話そう。
九月に入ってからのアナスタシアのライブバトルのスケジュール。それもまた過密なスケジュールだった。
現在、アナスタシアと同ランク帯のアイドルでアナスタシアに敵うような実力を持っているアイドルはほとんどいない。
それだからライブバトルに応じてくれるようなアイドルも少ない……かと言えば、そんなこともない。アナスタシアは現在注目されているアイドルである。
その注目されているアイドルとライブバトルをすれば自分もその恩恵を受けることができるし、そもそも、自分よりも上の実力を備えたアイドルとライブバトルをすることは確実に良い経験になる。
だから、多くのアイドルがアナスタシアのライブバトルを受けてくれたし、挑んでくれた。
そうして行われた数々のライブバトル。そのすべてにおいてアナスタシアはサマーライブの時とは比べ物にならないほどのパフォーマンスを見せた。
相手のアイドルも(単純な実力だけで言えば劣っているということはわかっていたとしても)最初から負けるつもりでライブバトルをするわけはなく、全員が全員、本気で『勝つ』気で向かってきてくれていた。全力でやってくれた。
そのことは確実にアナスタシアにとって良い影響をもたらしてくれた。良い経験になった。
もちろんアナスタシアも一度足りとも手を抜いたことはないだろうし、そもそも、ファンの目もあるような場所で手を抜くことなんて許されない。
会場まで足を運んで来てくれたファンに、最高のステージを届けるために……。
七月、八月のお渡し会。あれ以降、アナスタシアは変わった。ファンへの向き合い方も、ステージへの向き合い方も――アイドルへの向き合い方も。
どれだけレッスンを積んでも、それだけでは身につかないものが確かにある。私はそう考えていた。それは『気持ち』……心である。
気持ちさえ強ければ最高のパフォーマンスができる……なんて、そこまでの綺麗事を言うつもりはない。
しかし、それでも、『気持ち』がパフォーマンスに影響を与えていることは事実だ。
……『その時の精神状態がパフォーマンスに影響を与える』と言えば当然のことだが、それとはまた違う意味でも私は『気持ち』が重要だと思っていた。
それを言葉にするとなると難しいが……気持ちは届くと信じているから、なんて言うとクサいだろうか。
だが、私はそう信じている。
そういった日々の中、いつの間にかアナスタシアの誕生日も過ぎてしまった。
誕生日にはちょっとしたパーティーが開催されたが、私は参加できなかった。どうしても外せない仕事があったのである。
その日、私がアナスタシアと会うことができたのはパーティーが終わってからのことだった。
私は申し訳ないと謝ったが、アナスタシアは笑って許してくれた。「でもその代わり、プレゼントが欲しい、ですね?」彼女は言った。
プレゼント自体は用意していたからすぐに渡すことができた。だが、それに対してアナスタシアは「これだけ、ですか?」なんてことを言った。
プレゼントを渡されて『これだけ』なんてアナスタシアらしからぬ言葉だったので、私はやはりアナスタシアが怒っているのではないかと思った。
しかしそうではなかった。
「アイドルとしてのプレゼントは、ありませんか?」
そう言われてようやく私は彼女の言っていることの意味を理解した。私は今日とってきたばかりの仕事と、とある曲について話して、その曲のCDを渡した。
アナスタシアの新しい曲というわけではない。あるアイドルのCDだった。
アナスタシアが今までライブバトルで歌ってきた曲は彼女の持ち曲『You're stars shine on me』だけである。
どれだけ良い曲であっても、毎週のようにやっているライブバトルでこの曲だけ、というのは少しさびしいし、毎回のように来てくれている観客たちも飽きてくるかもしれない。
そう考えた私はアナスタシアがライブバトルで歌うことができるよう、ある曲について交渉した。結果としてそれは受け入れられた。
誕生日にまで新しい仕事と新しく歌う曲の話とは、と思うことがないわけではなかったが、私とアナスタシアの関係を考えれば、これこそが最も良いプレゼントだったのかもしれない。
「スパシーバ、プロデューサー」アナスタシアは言った。「私、頑張りますね」
それからすぐにその曲をライブバトルで披露することができるかと言えばもちろんそんなことはない。少なくとも九月中は『You're stars shine on me』だけのつもりだったし、実際そうした。
89: 2017/04/19(水) 20:11:24.89 ID:nhXCd10e0
そして、今日。
「今回の相手はすごかったな。何と言うか、面白かった。やっぱりああいうステージはああいうステージで面白いな」
ライブバトルを終えた私たちは会場から出て帰るところだった。空は既に暗く、しかし、星はほとんど見えない。
見える星もあるにはあるが……今、この空に見えている星はなんという名前なのだろう。アナスタシアに聞けばわかるだろうか。
そんなことを考えたが、しかし、それを口にしようとは思わなかった。私はライブバトルの話を続けることを決めた。
「ダー。あんなステージもあるんですね。勉強になりました。私も、いつか、あんなステージを……?」
「それは今のところはないから安心してくれ」
「……そうですか。少し、残念です」
「やりたかったのか」
私は笑いながら言った。アナスタシアは「何事も経験、ですね?」と微笑んだ。
「まあ、いつかはそういうのをやってもいいかもな」
「本当ですか!?」
私の冗談混じりの言葉に、アナスタシアは思ったよりもずっと嬉しそうな声で応えた。
アナスタシアも冗談半分だと思っていたのだが……そんなにああいったステージがやりたいのだろうか。
ああいったステージは信念があるからこそ輝くものだし、並大抵の人間ができることではない。
それを考えると、今日の相手だった彼女はいずれものすごいアイドルになるようにも思えるが……だからこそ、アナスタシアがやろうと思って簡単にできることではないだろう。
アナスタシアのことだから、やるとなれば本気で頑張りそうではあるが……。
しかしアナスタシアがここまで嬉しそうに言っていた理由はそういう意味ではなかった。アナスタシアは言った。
「あんな風に、ファンを楽しませることも大事、ですね? そうしたら、きっと、もっともっと……」
アナスタシアは胸の前でぎゅっと拳を握った。それはまるで、かたちのない何かを大切に握りしめるようで……その何かを私は既に知っていた。
その時、私の胸の奥でちくりと何かが痛んだ。
それが何かはわからなかったが、今はそんなことを気にかけている場合ではないと思った。
だから、私はそれを無視した。気付かないフリをすることにした。
それから私たちはレッスンのことやライブバトルのことを話しながら事務所に戻った。
アナスタシアは女子寮にまっすぐ帰らせてもよかったが、今日は事務所に寄りたい気分だったらしい。
私たちは一緒に事務所の中に入った。
加蓮がいた。
「久しぶり、Pさん、アーニャちゃん。今日もライブバトルだったんだっけ。お疲れ様。最近、アーニャちゃんはよくライブバトルをやっているよね。実力もかなり付いてきてるし……そう思ったから、今日はちょっとした提案をしに来たの」
加蓮は言った。
「ねぇ、アーニャちゃん。私とライブバトルしてみない?」
90: 2017/04/19(水) 20:13:21.20 ID:nhXCd10e0
*
加蓮とのライブバトルが決まった。
開催日は一ヶ月後。全国ネットで放送される。
加蓮と話した三日後にはこのことが発表され、それは大きな注目を集めた。
北条加蓮――彼女は現在、トップアイドルと言ってもいいほどのアイドルである。
そんな彼女と、最近になって突如現れた新星――アナスタシア。彼女たちのライブバトルが注目されないはずもない。
実力を考えれば誰もが加蓮の圧勝と見られていた。
いくら新人らしからぬステージを見せるアイドルとは言っても、それはあくまで『新人としては』ということだ。
『トップアイドル』クラスのアイドルと競うことができるほどではない。
しかし、それはサマーライブでのアナスタシアだけを知っているものの評価だった。
お渡し会や今までのライブバトルを見てきた人々の中には『今の実力なら、もしかしたら』と言うような意見もいくつか見られた。
この短い期間でこれだけ成長したのだ。もしかしたら――そんな意見も決して少なくはなかった。
この意見にはもちろん『そうなれば面白い』といった期待も多く込められていると思われる。
もし新人アイドルがトップアイドルクラスのアイドルに勝つようなことがあったならば……それは非常に面白いことだろう。確実に話題になる。
『アナスタシアが勝つ可能性もある』と主張する意見は、ほとんどがそういった期待によるものだろう。
……私はどう思っているか?
そんなの、決まっているだろう。
そんな簡単に『トップアイドル』クラスのアイドルに勝てたら苦労しない。
十中八九、アナスタシアは負ける。
私はそう思っていた。
それなのにどうして加蓮とのライブバトルを受けたのか。それは確実にアナスタシアにとっても大きなメリットとなるからだ。
『トップアイドル』クラスのアイドルとライブバトルができる機会なんてめったにあるものではないし、『全国ネットで中継される』ということは、やはり大きい。
今のアナスタシアのパフォーマンスは、さすがに『トップアイドル』クラスのアイドルと比べれば見劣りするが、それでも相当のものである。
アナスタシアの実力をできるだけ多くの人に示すために、こういった場はこれ以上ないほどに理想的だ。
だから、もちろん全力で挑む。それは変わらない。
ただ、事実として、勝つことはできないだろうということだ。
それが現実だ。
何も特別なことはない、当然過ぎる、ただの現実。
……この時の私は、本気でそう思っていた。
そう思ってしまっていた。
――あの時までは。
91: 2017/04/19(水) 20:15:57.48 ID:nhXCd10e0
*
私は事務所の廊下を歩いていた。
加蓮とのライブバトルに備えてルキちゃんと話し合い、そこで決めたレッスン内容についてアナスタシアへ話しに行くためだった。
どうしてかルキちゃんは今回のレッスン内容には不服そうだったが、私はその理由を『無謀だから』だと思い、
「ルキちゃん。心配しなくても、アナスタシアが加蓮に勝てないだろうってことはわかってるよ。でも、それでも今回のライブバトルには確実に大きなメリットがあるんだ」
と言った。しかしそう言うとルキちゃんはむしろさらに不満そうに、何なら怒っているとも思われるような調子で、「……だから、嫌なんですよ」と言った。
何が『だから』なのか私にはわからなかったが、そんなこともあるだろう。そう思って私の方からそれ以上は追及しないことにした。
いつもならレッスン内容を伝えるのはルキちゃんがひとりでするか、もしくは私とルキちゃんの二人でするか、ということが多かったのだが、今回は「Pさんがひとりで伝えて下さい」と言われたのでそうすることにした。
その理由は聞いても答えてくれないような気がしたので聞かないことにした。
今の時間、予定通りならアナスタシアはレッスン室にいるはずだ。私やルキちゃんが居なくてもできるレッスンは多い。とりあえずは基礎トレーニングをしているはずだ。
そろそろレッスン室に到着する。CGプロは大きな事務所である。レッスン室も一つではない。
今から向かうのは第二レッスン室だが、普段仕事をしているような部屋からそこまで行くにはそこそこの時間を要する。
いや、まあ、近過ぎたら確実に通常の業務に支障をきたすだろうからこれでいいとも思うのだが……。
そしてアナスタシアがいると思われるレッスン室の前まで到着した、その時だった。
「アーニャンは、今のままでいいの!?」
前川さんの訴えるような声が聞こえた。その声に私は思わず固まってしまった。
前川さんがアナスタシアにそんな声を出すなんてことは私にとっては非常に衝撃的なことであり、咄嗟に行動することができなかったのだ。
そうしている内に私は入っていく機会を失ってしまった。アナスタシアは応える。
「何が、ですか?」
声を聞く限り、アナスタシアは本当に何のことかわかっていないようだ。ということは、喧嘩ではないのだろうか。
だが、それならどうして……私がそれについて考える前に、前川さんは答えた。
「……アイドル活動のこと、だよ」
「アイドル活動、ですか」
アナスタシアは不思議そうに言う。
私も不思議だった。どうしていきなりそんなことを?
アナスタシアも同じ疑問を抱いたようで、その疑問をそのまま前川さんにぶつける。
「……みくはどうして、そんなことを聞きますか? 私、楽しくなさそうに見えましたか?」
「それは……ううん、そんなことはないよ。アーニャンは楽しそうに……前よりも楽しそうにすら、見えるけど」
前川さんは言う。自分の気持ちを伝えるために懸命に言葉を探しているような言い方で、アナスタシアはそんな彼女の言葉を急かすことなく待っている。
「でも……でもね、バラエティ番組とかには出ないし、みくたちと一緒に仕事をすることも、ほとんどないし。アーニャンはこんなに……こんなに、かわいくて、良い子なのに、みんなはアーニャンをミステリアスで、かっこいい、美人さんって……それは正しいけど、それだけじゃ、ないのに」
……それは私がアナスタシアというアイドルに定めた方針だ。
アナスタシアの人柄を知っているのはアナスタシアと実際に接したことのある者だけだ。
業界人ではない、一般の人たちの中でアナスタシアの人柄を知っているのはインストア・イベントなどに来てくれるようなファンくらいのものだろう。
前川さんは続ける。
「アーニャンが活動しているのは、ライブバトルとか、インタビューとか、そんなのばっかりで……まるで効率だけを求めているみたいに見えて、それが、なんだか……」
前川さんは言葉を濁す。……その先にある言葉は、なんとなくわかる。
「しかも、加蓮チャンとのライブバトル、なんて……そんなの、おかしいよ。アーニャンは確かにすごいよ? でも、それでも加蓮チャンには勝てないよ。そんなライブバトルを受けるなんて……新人チャンは、おかしいよ。加蓮チャンとライブバトルをする時のメリットだけを考えて、アーニャンのことを、何も、考えていないみたいで……」
そして、前川さんは言う。
「……新人チャンは、まるで、アーニャンを『トップアイドル』にするための道具だと思っているみたいだよ」
92: 2017/04/19(水) 20:18:40.95 ID:nhXCd10e0
……その言葉は。
その言葉を受けて、私は、反論できる言葉が思い浮かばなかった。
私が効率だけを求めている……その通りかもしれない、と思う。
私はアナスタシアをトップアイドルにすることしか考えていなかった。そのための最短の道だけを考えてきていた。
……そこに『アナスタシアの気持ち』を考慮していたかどうかは、わからない。
私はアナスタシアを『道具』だと思っていたのだろうか。
アナスタシアを自分の理想を叶えるための道具だと……自分の考える『トップアイドル』という『偶像』をつくるための『道具』だと、そう思っていたのだろうか。
……そうかもしれない。
もしかしたら、そうだったのかもしれない。
アナスタシアと初めて会った時に見た『夢』――あの『夢』を現実のものとするためだけに、私は今までアナスタシアをプロデュースしてきた。アナスタシアのことを大切に思っていたつもりだった。
だが、それは本当に『アナスタシアのため』なのか?
『アナスタシア』という少女のことを考えていたのか?
『アナスタシア』という自分勝手な理想を押し付けた『アイドル』のことだけしか考えていなかったのではないか?
前川さんの言葉を聞いて、私は一気にそんなことを考え始めた。……いや、違う。ずっと前から、気付いていた。
『バラエティに出さない』というのも自分勝手な方針だ。アナスタシアが出たがっていることをわかっていたのに出さなかったのは私だ。
『変なイメージが付くと困る』から? それは私のわがままだろう。
アナスタシアという少女が自分の理想から外れることを許さなかっただけだ。
自分の考える『アイドル』の理想像から外れることを許さなかっただけなのだ。
私にとって、アナスタシアは理想だった。だが、それはただの勘違いだった。私は、ただ、押し付けていただけだ。
ただの一六歳の少女に、自分の理想を押し付けて、それを彼女も望んでいると勝手に思い込んでいた、救えない存在――それが、私だ。
そう認識した瞬間、私は強い吐き気を覚えた。自分自身がどうしても許せなかった。
自己嫌悪なんてしても、私が今までアナスタシアに強制してきたことは何も変わらないのに、自分勝手にも、自分の今までの行動に吐き気なんて覚えていたのだ。
今までそうしてきたのなら割り切ればいい。それがアナスタシアへのせめてもの誠意だろう。
それなのに、『自分の今までの行動は間違いだった』なんて考えて、自分のことを責めて……そんなの、勝手過ぎる。
そんなのは、ただの、自己満足だ。アナスタシアに対して、失礼過ぎる。
ふと、自分が持っている紙の束が目に入った。……こんなもの。私は思う。
ようやく、ルキちゃんが怒っていた理由がわかった。ルキちゃんが不機嫌そうにしていた理由がわかった。
……私はどこまで愚かなんだ。あれだけわかりやすく教えてくれていたのに、それなのに……。
……このレッスンの計画は白紙だ。加蓮とのライブバトルも、もう、白紙にした方がいいだろう。
そう思って、私が踵を返そうとした、その時だった。
「……みくは、優しいですね」
アナスタシアが言った。
「でも、大丈夫です。私は、プロデューサーを信じているから」
93: 2017/04/19(水) 20:20:24.63 ID:nhXCd10e0
私は踵を返そうとしたその足を止めた。いや、違う。動けなかった。アナスタシアの言葉に、止められた。
「トップアイドルは……みくの言う通り、最初は、あの人のメチタ……夢、だったかもしれません。私の夢じゃない、あの人がくれた夢……でも、今は違いますね」
優しげな声で、大切なものを抱く時のような声で、彼女は言う。
「始まりは、あの人の言葉です。でも、決めたのは、私です。アイドルは、ファンのみんなの、ナジェージダ……希望、ですね? そのためなら、私はどんなレッスンも、お仕事もします」
アナスタシアは……私の担当アイドルは、続ける。
「みくも、言っていましたね? アイドルには、辛くて苦しいこともあるって……プロデューサーも、言っていました。辛く苦しい道を歩むことになるかもしれない。でも、それでも……その先にあるもののために、私たちは、頑張っている。……みくも、そうですね?」
アナスタシアは言う。
「だから、私は大丈夫です。カレンとのライブバトルも……難しいことは、わかっています。でも、トップアイドルになるためなら、いつかは超えなければいけない相手、ですね? それなら、私は超えてみせます。それが、私とプロデューサーの、メチタ……夢、だから。プロデューサーと、私となら、できるって……そう、信じているから」
……その言葉に。
もう一度、私は自分自身にバカかと言った。
自分はアナスタシアに理想を押し付けている? 彼女にやりたくもないだろうことを強制してきた?
それこそ、彼女をバカにしている思いだろう。
アナスタシアが自分と同じことを望んでいる……そう、思い込んでいた?
違う。それは『思い込んでいた』のではない。『信じていた』と言うべきだ。
アナスタシアは私のことを信じてくれていた。
私の夢を、信じてくれていたのだ。
……信じていなかったのは、私の方だ。
信じ切れていなかったのは、私の方だ。
アナスタシアは私の道具なんかじゃない。アナスタシアも、そんなことは思っていない。
最初は私が強制したことだったかもしれない。アナスタシア自身の意志ではなかったのかもしれない。
でも、それは最初だけだ。アナスタシアはそんな弱い少女ではない。アナスタシアは、自分の意志で――自分自身で、決めたのだ。
今までも、それはわかっているつもりだった。でも、それは『つもり』でしかなかった。私はアナスタシアのことを信じ切れていなかった。
前川さんの言葉で簡単に揺らぐ程度しか、アナスタシアも自分と同じ思いを抱いていると――私の言葉に仕方なく従っているわけではないと思うことができていなかった。
だが、今――アナスタシアの言葉を直接聞いて、ようやく、私は信じることができた。
ここまでされるまで信じられないなんて……自分でもそう思う。私は、ここまでされなければ、信じることができなかった。その程度の人間だ。
でも、今はそんなことを思い悩んでいる時間はない。
しなければいけないことが、できたから。
94: 2017/04/19(水) 20:21:00.22 ID:nhXCd10e0
「……そっか」
そう思った私がルキちゃんのところに戻ろうとした時、前川さんの声が聞こえた。私は足を止めた。
前川さんは言う。
「アーニャンがそう言うなら、そうなんだね。……どうやら、余計なお世話だったみたいだにゃ」
その言葉を言った前川さんの様子は先程までとはまったく違うものだった。優しげな笑みが混じった、優しい声音……。それに対してアナスタシアは「ダー」と笑い、「でも、心配してくれてありがとうございます」と言った。
「……アーニャンは本当に良い子だね」前川さんはそう言って、「だから、ついつい心配になっちゃうのかも」
「みくにはデビュー前からお世話になっていますからね。それもあって、かもしれません」
「あ、それはそうかも。みくにとってアーニャンはかわいい妹みたいな存在にゃ」
「つまり、みくお姉ちゃん、ですか?」
「んっ! ……そ、それ、ちょっと破壊力ありすぎにゃ」
「破壊力?」
「あー……つまり、かわいすぎる、っていうことかな」
「そう、ですか……私、みくお姉ちゃんのこと、大好きです」
「ふにゃっ!? ま、まさかアーニャンがこんなにあざとい技を使ってくるなんて……」
「ふふっ……私はみくに色々なこと、教えてもらいました。これも、その一つです」
「ふっ、成長したね、アーニャン……もう、みくがアーニャンに教えることは何もない、にゃ……」
……いったい何の漫才をしているんだ。そう思いながらも、私は自分の顔に浮かぶ笑みを抑えようとも思わなかった。
これなら、もう何の心配もないだろう。私はレッスン室を背にして歩き始めた。
今、するべきことは先程立てたばかりのレッスンプランの変更。『北条加蓮に勝つため』のレッスンプランを立てること、だ。
加蓮に勝つことは難しい。単純に実力からしてアナスタシアは劣っている。それは事実だ。アナスタシアを信じるとか信じないとかそんなレベルで語るべき話ではない。重要なことは『その上で』どうするべきか、ということだ。
そのための『策』だ。
そのために『プロデューサー』は存在している。
私はプロデューサーとしての経験はあまりない。実力も大したものではないだろう。しかし、それでも、相手が『北条加蓮』なら別だ。
一年前、私は彼女のプロデューサーだった。彼女にいちばん近い場所で、ずっと、彼女のことを見続けてきたのだ。
加蓮のことなら、私は他のプロデューサーよりも知っている。
加蓮に限って言えば、私は他のどんなプロデューサーよりも知っているという自信がある。
それでも、アナスタシアが勝つことは難しいだろう。それはわかっている。私にできることは少しでも勝つ確率を上げることだけ。『勝てる可能性』を上げることだけだ。
そして、その後は――アナスタシアを、信じるだけだ。
……さて、まずはルキちゃんに謝ろう。
謝って、それから、付き合ってもらおう。
北条加蓮に勝つための、レッスンプランの組み立てを。
95: 2017/04/19(水) 20:21:29.92 ID:nhXCd10e0
*
それから一ヶ月。
「逃げなかったんだね、Pさん、アーニャちゃん」
ライブバトル当日。
ライブバトルが行われる会場の前で、加蓮は言った。
「逃げるわけがないだろ、加蓮。……僕たちは、必ず、君を倒す」
「私を倒す? ……ふふっ。それは無理だよ、Pさん。この一ヶ月で、どれだけ実力を伸ばしたのかはわからないけど……それでも、私に勝てるわけがない」
余裕たっぷりに、加蓮は言った。自分の勝利を確信している。……まあ、それはそうだろう。加蓮の立場からしてみれば、そう思うのは当然だ。
だが。
「……カレン。ここで話していても、何も、わかりません」
アナスタシアは言った。
「証拠は、ステージで見せます。だから……」
「……そうだね、アーニャちゃん。ここで話していても、平行線、か」
加蓮は微笑み、そして、私たちに背を向けた。
「それじゃあ、行こうか。私たちの、戦場に」
第八話「敗北」
引用: アナスタシア「Сириус」
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