1: 2013/10/19(土) 12:42:18 ID:WEHvgTN6
切り立った岸壁の合間、けたたましい咆哮が響く。
男「火炎警戒!防御体勢!」
ありったけの大声で俺は叫んだ。
間も無く紅蓮の炎が周囲を総なめにする。
弓兵「うあぁぁぁ!熱…っ!熱いっ!」
男「魔法隊、消火!弓兵隊は一斉掃射だ!翼を狙え!」
兵士達「はっ!」
火炎の主、巨大なサラマンダーが大きく羽ばたき、矢の弾幕から逃れようとする。
男「馬鹿め、何のために谷間に誘い込んだと思ってやがる」
ジリ貧のような撤退戦を演じ、一番谷の幅が狭まるエリアまで誘い込んだのは、この巨体の動きを封じるためだ。
2: 2013/10/19(土) 12:43:10 ID:WEHvgTN6
副隊長「くっ!また火炎がきます!」
男「怯むな!諸君らの双肩にはこの戦いで既に散った英霊が宿るものと思え!あの醜き翼を切り裂き、竜を地にひれ伏させるのだ!」
恐怖を振るい、激しさを増す矢の掃射。
竜が息をする間を奪い火炎の吐出を防ぐには、この手を休める訳にはいかない。
男「よし!動きが止まった!魔法隊、雷撃魔法!略式詠唱だ、威力は低くてもいい!」
数秒の後、竜の頭上の空間に小さな黒雲が渦を巻く。
男「放て!」
俺が手を振り下ろすと同時に竜を襲う、青白い閃光。
詠唱の大半を破棄している分、威力は竜に大きなダメージを与えられる程のものでは無い。
狙いはその電撃によって竜の筋運動を阻害する事だ。
矢の掃射で既に穴だらけになった翼、その羽ばたきまで意のままにならなければ、もう巨体を浮かせておく事は出来ないだろう。
3: 2013/10/19(土) 12:43:47 ID:WEHvgTN6
副隊長「隊長!竜が堕ちます!」
男「この機を逃すな!槍兵隊は背後に回れ!弓兵隊、竜の脚を狙い歩ませるな!盾兵は前方で威嚇、火炎吐出を引き寄せろ!」
弓兵「男隊長殿、首は…!?」
男「首は、俺が獲る!」
竜の注意が目の前の盾兵隊に逸れた一瞬の隙をついて、俺は地に伏せられた翼を駆け上がる。
そのまま長い首を伝い、後ろ角を掴もうと手を伸ばす…その時、竜がぐるりと首を回し俺の方を睨んだ。
その紅き右眼に、俺の姿はどう映っただろうか。
男「よう、手間かけてくれたな」
腰からダガーを抜き、最も手近な竜の首部分の鱗の隙間に突き立てる。
そして俺はそれに足を掛け、竜の頭部めがけて跳んだ。
4: 2013/10/19(土) 12:44:25 ID:WEHvgTN6
竜が口を開け、周囲の空気を吸い込む。
男「遅いんだよ、火蜥蜴」
両手剣を前に構え、そのまま竜の顎へ。
口の中から上顎を貫く様に刃を立てて思い切り振り下ろし、内側から眉間を切り裂く。
その一撃は確実に急所を捉え、竜は火炎ではなく鮮血を散らせながら地に崩れた。
男「とどめを刺すぞ!魔法隊、凍結魔法!完全詠唱で心臓を狙え!」
魔法隊はすぐに詠唱を開始する。
およそ30秒を要する完全詠唱の凍結魔法、それを心臓に喰らえばもう生きてはいられまい。
副隊長「詠唱、完了します!」
男「よし総員退避!魔法隊………放てっ!」
刹那、周囲の空気が氷点下に変わる。今までに無いほど冴え渡る、魔法隊の渾身の鉄槌。
散った七つの御魂に報いたい、その想いが彼らに能力を超える程の力を与えていた。
5: 2013/10/19(土) 12:45:00 ID:WEHvgTN6
サラマンダーの巨体が力を失い、長い首が地面を打ち付ける。
大きく口を開き火炎を蓄えようとするも、もう周囲の空気を吸い込む事もできない。
最期の咆哮は弱々しく、狭い谷間を震わせる事すら叶わなかった。
弓兵「ざまぁみろ!隊長、やりましたよ!ついに憎きサラマンダーを仕留めた!」
盾兵「見ろ!火の大蜥蜴が凍りついてるぞ!」
討伐隊員達はみな肩を叩き合い、勝利を噛みしめている。
男「皆よく戦った。俺は今日この時、諸君らと共に戦えた事を誇りに思う。願わくばこの竜の断末魔が散りし英霊の鎮魂歌たらんことを!」
兵士達「おお、万歳!男隊長万歳…!」
6: 2013/10/19(土) 12:46:35 ID:WEHvgTN6
……………
………
…
…月の国、城内。謁見の間。
月王「いや、愉快じゃ!今宵の酒のなんと美味き事よ!」
王は空になった葡萄酒のグラスをもたげ、大きな声で笑った。
男「お言葉ですが、王。今回の討伐では勇敢な戦士7人の命が失われております。どうか今宵の酒は亡き者達を弔うためのものでありますよう」
月王「…うむ、そうであったな。しかし男よ、その事を自ら責めるでないぞ。お前の隊より以前では二百人の兵を送り、その全てが竜の顎に飲まれたのだ」
そこまで言って王は玉座から立ち上がり、俺の前まで歩み寄る。そして膝まづく俺の肩に手を置き、「顔を上げよ」と促した。
7: 2013/10/19(土) 12:47:05 ID:WEHvgTN6
月王「わしはお前がわずか五十の兵で討伐に向かうと聞いた時、その正気を疑った。しかしお前は見事、竜を討ち戻ってきた。わしは驚嘆しておる」
男「もったいなきお言葉」
月王「さあ宴じゃ。立たれよ、勇士殿」
王がぽんぽんと手鼓を打つ。
控えていた侍女達が赤い絨毯の上に白布を広げ、手際良く宴の準備が整えられた。
月王「男よ、我が国で初めてのドラゴンキラーよ、その武勇譚を話してくれ。散った戦士達がいかに勇猛であったかを」
男「…はっ」
8: 2013/10/19(土) 12:47:42 ID:WEHvgTN6
……………
………
…
…城内、男の部屋。
男「…ふぅ」
少々飲みすぎた。
俺の隣りに座った侍女が際限なく注いでくるのだから仕方が無い。
俺はベッドに腰掛け、石積みの壁にもたれかかった。冷たい石が酒に火照る背中に心地いい。
やはりああいう席は苦手だ。
そもそも俺は城みたいな堅苦しい所自体が好きじゃない。
まして本当の俺は、討伐隊隊長として兵を連れ歩くような男じゃあない。
この国の中でも辺境の村、そこで田畑を耕す農夫だったのだから。
9: 2013/10/19(土) 12:48:13 ID:WEHvgTN6
ただ自分でいうのもなんだが武芸に長けていた、それだけの事。
幼い頃、突然村に現れた竜に両親を殺された。その時からいつか仇を討つ事を誓い修練を絶やさずにいた。
そんな俺の噂がいつしか王の耳に届き、呼び寄せられたのだ。
そしてその王の目の前で、王国最強とうたわれた近衛兵長を打ち倒した。
王は俺に部隊を持たせ、竜討伐の任を命じた。俺はついに親の仇が討てると考え、それを受けた。
それが今回のサラマンダー討伐の成り行きだ。
10: 2013/10/19(土) 12:49:11 ID:WEHvgTN6
…とんとん
扉がノックされる。
男「どうぞ」
ベッドに座ったまま返答すると、きい…という音を軋ませて木の扉が開いた。
???「失礼いたします」
その扉の向こうに立っていたのは若い女性。
そういえば先の宴の席で王は、最初の約束だった金貨以外にも褒美をとらせると言っていたっけ。
それを持ってきた侍女…にしては少々身なりが良すぎる。
???「王より仰せつかりました」
男「…何を?」
見る限り彼女は何も手にしていない。
男「あー、…そういう事か」
11: 2013/10/19(土) 12:49:42 ID:WEHvgTN6
つまり彼女自身が褒美だ、と。
???「…はい」
男「んー、まあ…入りなよ」
女性は部屋に一歩入ると、木扉を静かに閉めた。
部屋の灯りに照らされ、より鮮明に浮かんだ女性の姿は素晴らしく美しいものだった。
この上なく整った顔立ち、清楚な立ち姿、派手過ぎずも煌びやかな装飾品と上品な白い絹の衣。
ふんわりとしたシルエットの服だが、彼女の魅惑的な身体の線は充分に見てとれた。
なるほど…これはすこぶる上等な褒美には違いない、けれど。
12: 2013/10/19(土) 12:50:15 ID:WEHvgTN6
男「えーとね、でも俺…そういうのはいいから」
???「そういうの、とは」
男「つまり、あれだろ?王は褒美として、俺に君自身を与えようと」
???「はい」
男「うん、だから…それは気持ちだけでいいんだ。なんなら朝まで部屋にいてくれてもいい。王には俺が大層喜んだと伝えてくれたらいいよ」
???「…そうはまいりません」
男「ほんと、気にしないで。俺からも王に礼を言っておくから。その…なんだ、夜伽はした事にしてさ」
その言葉を聞いて、女性は目を伏せた。
どうも居た堪れない。
俺はベッド脇のテーブルにある水瓶を手に取りぐい…と煽った。
13: 2013/10/19(土) 12:50:45 ID:WEHvgTN6
???「それでは…困るのです」
男「…なんでだ?」
???「王から仰せつかったのは、夜伽だけではないからです」
男「ん?」
???「私は、男様の妻とならなければなりません」
男「う…ぐっ!?」
あまり予想外の言葉に、水が気管に入りむせてしまう。
男「つ…妻って」
???「ですから、もし断られてしまうと私は居場所が無くなってしまいます」
男「いやいや、単に俺がまだ結婚する気はないからって言ったように伝えればいいんじゃないか?」
???「…一度婚姻の申し出を反故にされた皇女など、もうどこに嫁ぐ事ができましょう。どうしても私を要らぬと申されるならば、どうぞ男様の剣でひと思いに」
15: 2013/10/19(土) 12:51:28 ID:WEHvgTN6
男「ちょっと待て、今…皇女って」
???「はい、私は月の国第七皇女。名を『女』と申します」
…これは参った。
確かに他の国に出遅れ竜討伐の戦士、ドラゴンキラーを今まで有していなかったこの国にとって、俺の存在は大切なものなのだろう。
しかしだからといって、まさか王族に取り込もうとするとは。
男「……どうするかな」
女「男様が躊躇うのも無理はありません。先に申した通り私は所詮、第七皇女…皇后ではなく妾の娘に過ぎませぬ故」
男「そんな事を言ってるんじゃない、俺はまだ結婚なんて考えていないんだ。君が魅力的じゃないわけでなく、単に突然過ぎて…」
落ち込んだような彼女の瞳に、慌てて弁明の台詞を並べたてる。
しかしどうもそれが滑稽に思えて、自分で可笑しくなってしまった俺は言葉を途中で飲み込んだ。
16: 2013/10/19(土) 12:52:07 ID:WEHvgTN6
男「ふっ…はは…何を言ってるんだろうな、俺は。まさかこんな話をするとは、五分も前には考えていなかった」
女「私は真剣です、男様…」
男「ああ、解ってる…。君の事情も、なんとなく察せられるよ」
彼女は自分を妾の娘だと言った。
きっと王から俺の妻となる命を受けた以上、それにが叶わなかった場合は本当に居場所を失いかねないのだろう。
女「…では」
女は自らの纏う絹の衣の、腰まわりを結うリボンを解こうとした。
男「ちょっと待った、だからといって今夜の伽は不要だ」
女「しかし…」
男「君を妻とすれば、王の命は果たされるんだろう?…俺は舞踏会の色ボケした貴族のように、知り合ったばかりの女を抱くような趣味は無い」
と…いうか、女を抱いた事自体が無い。
まあそれは今、このタイミングでは言うまい。
17: 2013/10/19(土) 12:53:44 ID:WEHvgTN6
男「一応、形式上という事で王の厚意は受けよう。よろしく頼む…女」
女「はい…ありがとうございます」
男「何を礼を言う事があるんだ。本当は俺みたいな田舎農夫の妻になるようなつもり、無かっただろうに」
女「…それは否定はできません」
男「ははっ…言うじゃないか。いいな、そういう方が付き合いやすい」
ふと女を見ると、その頬を涙が伝っていた。
その透きとおった美しい青い瞳は、一層の輝きを湛えている
きっと突然の命に、よほど覚悟を決めてこの部屋を訪れたのだろう。
男「夫婦となるなら、互いを知らなきゃいけないだろう。今夜は俺が眠るまで、君の事を教えてくれないか。…俺も話すから」
女「は…い…」
男「うん…泣き止んでからで、構わないよ」
それから十分余り、彼女は少し肩を震わせながら泣いた。
18: 2013/10/19(土) 12:54:46 ID:WEHvgTN6
ひとまずここまでにします
22: 2013/10/19(土) 20:22:14 ID:pM78Uj06
……………
………
…
男「驚いたな…じゃあ君は皇女でありながら、この国で一番の魔導士だってのか」
女「国中で一番かは判りません。王都以外にどのような方がいるかも知れませんので」
それはそうだ。
魔導士と剣士の違いはあれど、現に俺自身がそうだったのだから。
男「ああ…まあね、でも少なくともこの王都では最強という事なんだな」
女「…男様は既に今後の命を受けておられるのですか?」
男「いや、まだ聞いていない。明日の朝また謁見するよう言われてるから、そこで何かあるかもな」
急に話題を変えられたようだが、おそらく違う。
この流れで、次に彼女が言う事はおよそ想像がついていた。
23: 2013/10/19(土) 20:23:01 ID:pM78Uj06
女「夫を支える事こそ妻の役目。今後の遠征、私も同行させて頂きます」
男「うーん…」
その魔力がいかに強大だとしても、やはり女性を遠征に連れ歩くのは躊躇われる。
でも先のやりとりから彼女の芯の強さは窺えた、だから多分。
男「駄目だ…と言っても、通じそうに無いね」
女「…察して頂いてありがとうございます」
男「仕方ない…ただし戦場では俺の命をきいてもらうぞ」
女「度々申しますが私は男様の妻、戦場にあらずとも己の誇りに背かない命であれば、何なりと従いましょう」
男「だからそれは形式上だって…」
しばらく話す内に夜は更けていた。
さすがに遠征から戻ったばかりで酒が入れば、いつもより早く眠気が襲ってくる。
24: 2013/10/19(土) 20:24:03 ID:pM78Uj06
男「…だめだ、もう眠い。君も部屋に戻りなよ」
女「私の寝所は今宵から男様の部屋です」
男「…だと思った」
おそらく俺がソファで寝ようとしても、彼女はそれを許さないだろう。
かといって皇女たる彼女をソファで寝かせるわけにもいかない。
男「どうりで部屋に入った時、前と違ってベッドが二人用になってると思ったんだよ…」
女「…失礼して、よろしいでしょうか」
男「どうぞ、何もしやしないよ」
女「夫が妻を求める事は当たり前と存じます。私の誇りに背く事ではありません」
男(…さっき安心して涙を零す姿を見ておいて、それを裏切るなんてできないだろ)
彼女は俺に背を向け、そっと隣で横になる。
その綺麗なうなじにハッと目を奪われた、その位は仕方が無いと思う事にしよう。
25: 2013/10/19(土) 20:24:33 ID:pM78Uj06
……………
………
…
『逃げろ、男!幼馴染ちゃんを連れて…!母さんを護れ!』
『来るぞ!…くそっ、こっちだ!この竜め!』
『父さん!おじさん!』
『よし…いいぞ!俺達に気付いた!』
『父様!やだ…父様も逃げようよっ!』
『くそっ…幼馴染!行こう!』
『父様っ…!』
『早く行け!男っ!』
『男君…!娘を頼むぞ!』
26: 2013/10/19(土) 20:25:17 ID:pM78Uj06
『男ちゃんと幼馴染ちゃん…可哀想にねぇ…』
『彼らの父親二人のおかげで被害はこの程度ですんだというのに』
『でもよりによって男ちゃんのお母さんまで亡くなるなんてなあ…』
『崩れる瓦礫から二人を庇っての事だったそうじゃないか』
『幼馴染ちゃんの家には元々お母さんがいなかったから…二人とも天涯孤独だなんて、神様も酷な仕打ちを…』
『生き残った我々で、あの子達を育てていくんだ。そうするしかないし、そうすべきだろう』
27: 2013/10/19(土) 20:25:52 ID:pM78Uj06
『くそっ!父さんに…母さんを護れって言われたのに…!』
『男…仕方がなかったよ…』
『忘れるもんか…あの竜の姿…』
『うん…』
『幼馴染…俺、強くなるよ。絶対にこの手で仇を討つ』
『…私も、負けない』
『村一番の剣士だった父さんの息子として、俺は誰よりも強くなるんだ』
『私だって、父さんの弓が残ってる』
『いつか必ず…俺達で』
『うん、絶対に…!』
28: 2013/10/19(土) 20:26:36 ID:pM78Uj06
……………
………
…
あの竜には翼があった。
サラマンダー討伐の命を受け、その姿を聞かされた時は仇の竜かと考えた。
けど、記憶の中の憎き竜は火を吐きはしなかった。
ましてあの竜はサラマンダーのような愚鈍な飛び方ではなく、その羽ばたきは瞬く間に山を超えてゆくほどだった。
遭遇した時、サラマンダーが仇の竜でない事は確信できた。
もっともその前から情報を推察するに、違うだろうと予想してはいたのだが。
29: 2013/10/19(土) 20:27:36 ID:pM78Uj06
この世界には七竜と呼ばれる強大な竜がいた。
ここ月の国の山岳に巣食っていた、火竜サラマンダー。
旭日の国の森に潜む、蛇竜オロチ。
落日の国の谷を徘徊する、多頭竜ハイドラ。
白夜の国の大洞窟を占拠する、洞窟竜クエレブレ。
月の国と星の国の間に横たわる大海を縄張りとする、海竜サーペント。
旭日の国と落日の国の間に広がる砂漠を根城とする、渇竜ヴリトラ。
そして未だはっきりとした住処が判らない、翼竜ワイバーン。
それ以外にも竜は存在するが、その力も大きさも七竜に遠く及ばない。
そして七竜には共通して、左目の色は様々だが右の瞳は紅を呈しているという特徴がある。
30: 2013/10/19(土) 20:28:59 ID:pM78Uj06
サラマンダーやオロチ、そしてハイドラはそれぞれの国の辺境に住むが、周辺の村を襲撃しては家畜を食い荒らし、それに伴って人間への被害も後を絶たなかった。
旭日の国と白夜の国を最短距離で結ぶ洞窟に潜むクエレブレをはじめ、サーペントやヴリトラはそれぞれ交通の要となる地点を障害していた。
故に各国で討伐が試みられ、ついに八年前落日の国でハイドラが倒されたのを皮切りに、五年前にクエレブレ、昨年にはオロチがそれぞれの国で倒される。
そして今年、星の国でサーペントが倒された後、ようやくこの月の国でもサラマンダーを討伐した。
あとはどの国の領地にも属さない砂漠に住むヴリトラと、情報の少ないワイバーンだけ。
しかし情報が少ないからといってワイバーンの被害が少ないというわけではない。
むしろその飛翔能力ゆえに神出鬼没で、最も甚大な被害をもたらしている主なのだ。
詳しい居場所の掴めないこの竜だが、最も面積の広大なここ月の国の果てに巣食っている可能性が高いという。
世界中で発生するワイバーンの被害を地図上に表せば、その中心が月の国西部の未開の台地になるからだ。
そしておそらく探し求める仇の竜は、翼を持つサラマンダーが違った今このワイバーンしかあり得なかった。
31: 2013/10/20(日) 15:44:04 ID:XrDTOfew
……………
………
…
女「…おはようございます」
俺が部屋で目を覚ますと、女は部屋のクローゼットに手を延べながらこちらを向いた。
女「ベッド、狭かったでしょう。よく休めましたか?」
男「ああ…おはよう。大丈夫、全然狭くなんかなかったよ」
女はクローゼットから俺の衣類の内、謁見に適するものを選んではソファの背もたれに掛けてゆく。
男「すまない、自分でやるよ」
女「これは妻の役目です。男様は他の身支度を整えていて下さいませ」
…どうも気恥ずかしい。
俺はぼりぼりと頭を掻きながら、部屋に備え付けられた洗面台へと向かった。
………
…
女「…おはようございます」
俺が部屋で目を覚ますと、女は部屋のクローゼットに手を延べながらこちらを向いた。
女「ベッド、狭かったでしょう。よく休めましたか?」
男「ああ…おはよう。大丈夫、全然狭くなんかなかったよ」
女はクローゼットから俺の衣類の内、謁見に適するものを選んではソファの背もたれに掛けてゆく。
男「すまない、自分でやるよ」
女「これは妻の役目です。男様は他の身支度を整えていて下さいませ」
…どうも気恥ずかしい。
俺はぼりぼりと頭を掻きながら、部屋に備え付けられた洗面台へと向かった。
32: 2013/10/20(日) 15:45:42 ID:XrDTOfew
月王「よく参った、男よ。昨夜はお前の話のおかげで過去に無い美酒に酔う事ができた、感謝しておるぞ」
男「…恐れいります」
月王「今日お前を呼んだのは二つの話があっての事だ。…女は一緒ではないのだな」
男「謁見を命ぜられたのは手前だけでありますれば」
月王「ふむ…して男よ、皇女を妻取ってはくれるものか?それによってはもう、我らは身内…そのような堅苦しい話し方は要らぬ」
そこを問うなら、せめて昨夜の宴席で問うべきではないかと思う。
そうでないという事は、やはり断る事は許されなかったのだろう。
男「…私などの妻にするには勿体なき姫君ではございますが、それを断る術も理由も持ちませぬ故」
月王「そうか!それはめでたい!…ならば皇女も同席すればよかったものを、今はどうしておる?」
男「部屋で待っているよう申しつけはしたのですが、この謁見の間の扉の前で待つ…と」
月王「なんと、ではそこにおるのではないか。おい、番兵…すぐに中に入るよう申せ」
33: 2013/10/20(日) 15:47:39 ID:XrDTOfew
番兵に招かれ、女はこの部屋に入ってくる。
女「おはようございます、お父上」
月王「よく参った皇女…いや、もはや我が娘であるより先に男殿の妻。女…と名で呼ぶべきであろうな」
「はい、よき妻となれるよう精進いたします」
女は俺がするように王に跪くではなく、姿勢良く直立して王に相対している。
その様に改めて彼女が末位に近かろうとも、やはり王族の者なのだと実感した。
月王「男殿はこの国にとって欠かす事のできぬ最高の剣士、その妻となれた事はそなたにとって誇るべき誉れと心する事だ」
女「もとより、承知しております」
月王「うむ…では大臣、あれを」
大臣「こちらに」
月王「男、そして女よ。これを受け取るがいい」
34: 2013/10/20(日) 16:04:21 ID:XrDTOfew
月王「昨日、男殿が持ち帰った竜の瞳を一晩かけて切り出し、職人に作らせたのだ。ドラゴンキラーたるそなたには相応しかろう」
王が手渡したのは真紅に輝く小さな石があしらわれた、一対の指輪だった。
月王「竜の瞳を切り出すのは骨が折れたと職人が申しておったそうだ。金剛石の刃をいくつも駄目にして作った至高の品だ、そなたらの婚儀の証として受け取ってくれ」
男「…ありがたき幸せ」
俺は二つの指輪を受け取ると一度立ち上がり、女の方を向き直って再度膝まづいた。
男「…女、左手を」
女は俯いた様子で、躊躇いながらその左手を差し出す。
やはり少なからず俺の妻となる事に抵抗があるのだろうか…そう思いながらも彼女の手をとった。
「…改めて、よろしく頼む」
薬指に小さい方の指輪を通す時、彼女の手が少し震えている事に気付く。
視線を上に遣り、窺った彼女の顔は…
男(…なんだ、そういう事か)
先の躊躇い、そしてぎこちない手の延べ方の理由はすぐに察せられた。
彼女の顔は茹で上がったロブスターのように真っ赤だったから。
思わず吹き出しそうになるも、王の眼前である事を踏まえて何とか堪える。
35: 2013/10/20(日) 21:13:17 ID:XrDTOfew
月王「さあ、もうひとつの話だ。話の方向性は察しがつこう?」
男「新たな討伐任務…でございますか」
月王「その通りじゃ、請けてくれような?」
男「…喜んで」
心がたぎった。
早く、俺に次の竜討伐の命を。
憎きワイバーンを倒すために、兵を伴わせると言ってくれ…俺は口には出さずにそう願う。
しかし王が告げたのは、違う任務の命令だった。
月王「この国の北東部にある港町へ赴き、付近より繰り返し町を襲っているサイクロプスを討伐して貰いたい」
男「………」
期待とは違う展開に、少し言葉に詰まってしまう。
月王「どうした、不服か?」
男「…滅相もない事でございます」
36: 2013/10/20(日) 22:26:30 ID:XrDTOfew
月王「早くワイバーンを討伐したい…そうじゃな?」
昨夜の宴でサラマンダーが仇の竜ではなかった事、そしてワイバーンこそがそうに違いないという事は話していた。
故に今の微妙な間に含まれた真意を、王は悟ったようだ。
男「…私は王より命を頂戴すれば、それを遂行するまで。己の誇りに背くもので無い限り、喜んで氏地にも赴きましょう」
咄嗟に出た取り繕う台詞は、一部を隣の女性の言葉に借りたもの。
月王「よい…その気持ちもよく解る。しかしこの任務は憎きワイバーンを討つ事に繋がる布石と考えて欲しい」
男「………?」
月王「…昨夜の宴の席で、そなた自身も申しておったな。現実にあの翼竜を討つ事の困難さを」
王は長い髭を触りながら、語り始めた。
月王「そなたの話においても、また各地よりの情報を元としても…あの翼竜の飛ぶ速さはサラマンダーの比ではない」
男「…その通りでございます」
月王「そのままでは矢もまともに当たらず、ましてや剣や槍が届くとも思えぬ。魔法もいかに略式詠唱を用いようとも狙いの定めようがあるまい」
それらは王の言った通り、昨夜の俺自身が言った事だ。
仇の竜を討つ事に気は急いても、現実的な討伐に向けた作戦や勝算の目処はついていない。
37: 2013/10/20(日) 23:28:16 ID:XrDTOfew
月王「やはりあの竜を討つなら、その速さをどうにかしなくてはならぬ。いかに男殿と言えど、何の見通しも無く挑めば勝機は薄い…違うか?」
男「…返す言葉もございません」
月王「しかしこの普通の方法では攻撃がままならない…という条件、ワイバーンだけに限った話ではないと思わぬか?」
たくわえた長い顎鬚に隠れその口元の表情は窺えないものの、おそらく王はそう言いながらニヤリと口の端を上げただろう。
俺は少し考えを巡らせ、導かれた答えを口にした。
男「海竜サーペント…でございますか」
月王「その通りじゃ。いかに雷撃の魔法を海に落としたところで、それだけでとどめを刺す事はできまい」
確かにそうだ。
では星の国のドラゴンキラーは、どうやってサーペントを海の藻屑としたのか。
月王「…実はその星の国のドラゴンキラーを、呼び寄せておる。今回の作戦はその者と男殿を引き合わせ、共同の戦線を張るための味利きと考えて欲しい」
38: 2013/10/21(月) 00:02:15 ID:aIy4nT2g
……………
………
…
…北東の港町へ続く街道
男「…よし、少し休もう。予定のペースよりは幾分かリードしている。星の国のドラゴンキラー殿は船で港町へおいでだ。そう到着が早まる事はあるまい」
副隊長「はっ」
街道の脇、草原に陣取った隊員はそれぞれ肩の荷物を降ろして休息をとる。
このペースで歩けば目指す港町へは、あと二日とかからないだろう。
男「女、足は大丈夫か」
女「平気です。ただ…私だけ何も荷物を持ちもせず、それが申し訳なくて」
初日は靴擦れに悩まされ、途中からは荷馬車の隅に腰掛けていた彼女も、三日目から再び自分の足で歩き始めた。
慣れない徒歩の旅に違いないだろうに、華奢な見た目に似合わず中々に芯が強い。
俺は彼女を連れて木陰に歩み、並んで腰を降ろした。
39: 2013/10/21(月) 00:11:33 ID:aIy4nT2g
男「…無理はするなよ」
女「自分から同行を申し出たのです、弱音など」
男「…足を出してみろ」
俺は隣に座る彼女の足を引ったくり、カリガの紐を緩めようとした。
女は俺の手を抑え、くぐもった声で「自分でやります」と言ってからぎこちなく紐を解いてゆく。
男「ずいぶん赤くなってるじゃないか」
女「そ、そんな事はありません!」
少し腫れた足を見て俺が言った言葉に対し、女は頬を手で抑え反対を向いた。
俺は最初その理由が解らなかったが、どうやら彼女が俺の言葉の意味を取り違えたらしい事に気づき、思わず笑ってしまう。
男「ははっ、違う違う。赤くなってるのは、お前の足の事だ」
女「え…!?」
驚き振り返る、女。
その頬が染まっているのは勘違いを恥じたせいか、その前からだっただろうか。
40: 2013/10/21(月) 00:49:28 ID:aIy4nT2g
男「そういえば王の前で指輪を君の指に通した時にも、見事なほど頬を染めてたな。あれも笑いそうになったよ」
女「…仕方が無いじゃないですか。あのような経験、あるはずがありません」
彼女は拗ねたように俯き、上目遣いに俺を見て零す。
その顔はまだあどけなさを残し、気丈に振る舞ういつもよりも可愛らしく俺の目に映る。
これが仮にも俺の妻だとは、改めて勿体ない事だ。
俺は荷物からまだ使っていない綺麗な拭き布を取り出し、水筒の水を染ませて絞り彼女の足に当てた。
女「あの、それも自分で」
男「いいから…それともこうされる事は、自分の誇りに背いてしまうのか?」
女「…意地の悪い事を」
気まずそうにしながらも、彼女はそれ以上の抵抗を諦めたようだ。
41: 2013/10/21(月) 01:02:09 ID:aIy4nT2g
女「…その指輪、男様は指に通しては下さらないのですか」
足を冷やされながら、彼女は俺の胸元を見て言った。
男「ん…?ああ…俺が指に通して持っていたら、すぐに傷まみれになって変形してしまうよ」
俺が首から提げたペンダントのトップは、彼女の指に光るものと一対のあの指輪。
俺はまだその指輪を、一度も正しい方法で身につけてはいない。
男「それと…俺は両親の仇を討つまでは、ずっと喪に服してるつもりなんだ。それもあってね…ひとまずは君との婚姻も、形式上のものとさせて貰いたい」
女「ではその翼竜を倒せば、私は男様の妻として認めて頂けるとあいう事なのですね」
男「変な言い方をしないでくれよ。君を認めるという話じゃない…ただの俺の中の拘りだ」
本音を言ったつもりだが、彼女は不服ありげに小さく溜息を落とした。
女「…同じです、私はまだ男様の妻になれてはいないのですね」
別に心からなりたい訳でも無いだろうに、そう思ったが言うと余計に機嫌を損ねそうだ。
俺は沈黙をもって返事に代える事にする。
42: 2013/10/21(月) 01:20:08 ID:aIy4nT2g
今、この束の間の休息をとる丘はなだらかだが、標高はかなり高いようだ。
木陰に入れば風は涼やかで、旅に疲れた身体を優しく冷ましてくれる。
草原は風が描く波模様に揺れ、その葉が擦れあう音も耳に心地良い。
このまま小一時間でも目を閉じて眠りに落ちれば、随分と癒される事だろう。
少し離れて休む兵達の中には、座ったままうつらうつらとしている者もいるようだった。
男「…眠いな」
女「眠っても構いませんよ」
男「そうもいかんだろう、俺が規範とならなければ」
ああ…故郷の田畑を耕していた時は、こんな日には仕事も半分に木陰で昼寝をしても誰も文句は言わなかった。
自ら望んで竜討伐の任を請けたとはいえ、それが懐かしく思えるのは仕方がない。
女「あとどのくらい休まれるのですか?」
男「三十分くらい…かな」
女「なら、ひと寝入りできるじゃありませんか」
44: 2013/10/21(月) 01:42:13 ID:aIy4nT2g
女「必要とあらば…ですが」
男「…なんだ?」
女はこちらを見ず、黙ったままで自らの膝をぽんぽんと叩いた。
男「………ああ、なるほど。ありがたいが、それこそ兵に示しがつかないよ」
ふう…と、女はまた溜息ひとつ。そして少し離れた隣の木陰に憩う副隊長に問いかける。
女「副隊長殿、男隊長は暫しの昼寝を所望されております。これは隊の規範を乱す事になり得るでしょうか」
男「ちょ…女っ」
女「…また、それを労う為に妻が膝を貸す事は?」
少しの間、副隊長はぽかんとしているようだったが、やがていかにも可笑しそうにからからと笑って答えた。
副隊長「…よろしいのではないですか?その方が兵も心置きなく休めましょう」
女「…との事です、男様」
そう言う彼女の目はどこか、してやったりという風に笑っているように思える。
男「参ったね…どうも」
女「…先ほど少々意地悪な事を言われましたので」
断る事は叶いそうもない。俺は照れ臭くも、その柔らかな膝に頭を預ける事にした。
45: 2013/10/21(月) 01:57:54 ID:aIy4nT2g
たぶん、彼女なりに俺に歩み寄ろうとしてくれているのだろう。
互いにあまりに突然の縁だった、ぎこちないのも無理は無い。
男「…女、ひとついいか」
ただ、とりあえず今…彼女に望む事は。
女「何でしょうか、男様」
男「それ、やめてくれ」
本当に俺は、ついこの間までただの農夫だったんだ。
女「それ…とは?」
男「その呼び方、だよ。いつまでも馴染まない」
王族を妻とし、そんなくすぐったくなるような呼び名が似合う男じゃない。
女「では…旦那様」
男「呼び捨て希望、無理なら『さん』付け。できるだけ話し方も砕いて、気を遣わないで」
女「…努力します」
そう言って彼女は、俺の頬をそっと触れた。
それが冷たくて心地よかったという事は、たぶん俺の顔は火照っているのだろう。
48: 2013/10/21(月) 10:12:40 ID:DIOdSezo
……………
………
…
…月の国、北東の港町
副隊長「星の国よりの船は夕方頃の着港になる模様です」
男「そうか、なら各自夕食までは自由に過ごして構わん。ただし今から羽目を外して酒を喰らわないよう、言い聞かせておいてくれ」
副隊長「それは無論ですな。今夜は懇親の宴席が予定されております故…こちらが既に出来上がっていては申し訳が立ちませぬ」
男「…まあ一杯欲しいのは無理もないが、俺も晩まで我慢するのだと皆に伝えろ」
副隊長は町の広場に整列する隊員達の元へ向かってゆく。
最初のサラマンダー討伐遠征の際には、いきなり隊長として湧いて出た俺を煙たがる者もいたが、無事その命を果たした事で今回は皆素直に言う事をきいてくれる。
そして二日前の草原での休息の際、照れ臭くも女の膝を借りる姿を見せてしまった事により、俺がさほど気難しい気質ではないと認知されてきたようだった。
女「…気持ちの良い潮風ですね」
女は風になびく長い髪を、さらりと手で梳きながら言った。
男「ああ、俺の故郷は海からは遠く離れていたからな…数えるほどしかこんな風の匂いを感じた事はないよ」
青く広がる水平線には、まだここを目指す船の姿は見えない。
………
…
…月の国、北東の港町
副隊長「星の国よりの船は夕方頃の着港になる模様です」
男「そうか、なら各自夕食までは自由に過ごして構わん。ただし今から羽目を外して酒を喰らわないよう、言い聞かせておいてくれ」
副隊長「それは無論ですな。今夜は懇親の宴席が予定されております故…こちらが既に出来上がっていては申し訳が立ちませぬ」
男「…まあ一杯欲しいのは無理もないが、俺も晩まで我慢するのだと皆に伝えろ」
副隊長は町の広場に整列する隊員達の元へ向かってゆく。
最初のサラマンダー討伐遠征の際には、いきなり隊長として湧いて出た俺を煙たがる者もいたが、無事その命を果たした事で今回は皆素直に言う事をきいてくれる。
そして二日前の草原での休息の際、照れ臭くも女の膝を借りる姿を見せてしまった事により、俺がさほど気難しい気質ではないと認知されてきたようだった。
女「…気持ちの良い潮風ですね」
女は風になびく長い髪を、さらりと手で梳きながら言った。
男「ああ、俺の故郷は海からは遠く離れていたからな…数えるほどしかこんな風の匂いを感じた事はないよ」
青く広がる水平線には、まだここを目指す船の姿は見えない。
49: 2013/10/21(月) 10:14:13 ID:DIOdSezo
男「女も疲れただろう、宿の部屋へ行っていてもいいんだぞ?」
女「男様を…男さんを差し置いて私だけが休むわけにはまいりません。…それに」
彼女は俺の希望に従い、その呼び方を改めようとしてくれているが、まだ今ひとつ馴染まないようだった。
女「潮風の香りは、好きなので」
男「…なるほど、じゃあ波止の方へ散歩でもしてみるか」
波止までの歩道脇は露天市になっていて、たくさんの魚介を中心としたものが売られている。
調理しなければ食べられないような生鮮品が多いが、中には牡蠣を殻ごと網焼きにして売っている店など、食い歩きに適するものもあった。
見れば幾人かの隊員達も、そこで目ぼしい物を買っては賞味しているようだ。
男「あいつら、晩は宴席だと聞いているだろうに」
とはいえ見る限り酒を飲むなという言いつけは守っているようで、文句をつける筋合いは無い。
…それに。
女「でもいい匂いです、無理もないのでは?」
男「確かにな、女も食べたいか」
女「私は今まで買い食いなど、した事はありません」
訊いたのは食べたいか否か…だった筈、少しピントのずれた返答の真意はなんとなく察せられた。
50: 2013/10/21(月) 10:15:41 ID:DIOdSezo
男「…オヤジ、焼き牡蠣を二つだ」
屋台オヤジ「へい、ひとつ小銅貨一枚でさあ」
男「…安いんだな」
屋台オヤジ「この辺りは良く採れますんでね。サーペントも出なくなって、今年は大漁でさあ」
なるほど、星の国の活躍はこの国にも恩恵をもたらしているらしい。
向こうのドラゴンキラー殿に会ったら、この事も話題としようか。
木の皮を曲げて留めた使い捨ての皿に、大きな牡蠣を二つのせてオヤジは俺に手渡した。
殻の中にははち切れんほどの身と、天然の出汁が満ちている。
うっかりして零しでもしたら木の皮を染みて随分熱いに違いない。
男「向こうの木陰へ行こうか」
女「はいっ」
おや、随分と機嫌の良い声だ。
美味を前にすれば、身分は関係ないものなんだな。
51: 2013/10/21(月) 10:16:16 ID:DIOdSezo
隊員「おや、隊長殿も匂いの誘惑に耐えきれませんでしたか」
木陰では見慣れはじめた隊員数名も舌鼓を打っていた。
男「まあな…我慢しようと思ったが、お前らの美味そうに食う顔を見てたら、女が堪えきれなくなったららしい」
女「男さんっ!私は何も言ってません!」
男「ああ、二つ買おうとしても何も言わなかったな」
顔を赤くして似合わない大きな声をたてた女に、隊員達も笑いを頃しきれなかったようだ。
隊員「正解ですよ、明日には星の国の連中と合同で動くようになるんでしょうから、ウチだけ買い食いするわけにもいかない」
男「違いないな、でも程々にしておけよ」
俺は牡蠣の殻を持ってひとつ手に取ると、受け皿ごともうひとつを女に手渡す。
皿を手にとって物を手掴みで食べるなど慣れていないのだろう、女はぎこちなく戸惑いながらも目を輝かせて受け取った。
女「熱っ…!?」
男「当たり前だ、ナイフもフォークも無いぞ」
女「解っていますっ」
54: 2013/10/21(月) 12:51:48 ID:DIOdSezo
港の波止は丸太組の桟橋が長く延び、透き通った水の中には無数の小魚が見られる。
女「なぜ木でできた桟橋が、水に建てられても腐らないのでしょうか」
男「丸太を触って…小突いてみなよ」
女は言われた通り、緩く握った拳で桟橋を叩いた。
こんこん…という木特有の音には違いないが、その音程は通常よりずっと高い。
女「堅い…」
男「アイアンウッドとも呼ばれる木材だ。水より重く、普通よりずっと腐りにくい」
女「海から離れたところで暮らしておられたのに、詳しいのですね」
男「まあな…俺は田畑を世話する農夫だったが、俺の故郷は材木の産地でもあった。まさにその木が故郷の森を形づくっていたんだよ」
過去に海を訪れた数少ない経験の内、二度ほどはその木材を運ぶ手伝いを求められての事だった。
確かこの町にも故郷の木が運ばれた事があったはずだ。
女「…少しずつで構いません」
男「ん…?」
女「最初の夜、貴方の事を訊く時間はあまりありませんでした。また…話して頂けますか」
男「ああ、もちろんだ」
55: 2013/10/21(月) 12:53:21 ID:DIOdSezo
飽く事なく海を眺め、魚達の姿を愛でている内に空は少し橙色を帯びてきていた。
今いる桟橋は漁船をはじめとした小さな舟が着く施設だが、少し離れたところには石垣が積まれた大きな船着場がある。
見ればそこには、もうすぐ大きな旅客船が着くところだった。
男「あれが星の国の一団を乗せた船に違いないな」
女「出迎えますか?」
男「ああ、この国の無理をきいてわざわざ出向いてくれているんだ。礼を尽くさなければいけないだろう」
俺は腰掛けていたロープ留めの丸太から立ち上がり、女に手を差し出した。
僅かに躊躇ってから彼女はその手をとり、腰を上げる。
恥じらいがあるのか、少し目が泳いだ…そのせいだったのだろう。
彼女は足元の係留ロープに足をかけ、よろめいてしまう。
女「あっ…!?」
俺は握った手を引き寄せ、彼女を支えた。
図らずも彼女を胸に抱いた姿勢になった、その時。
女「………!?」
男(身体が…動かない…!?)
56: 2013/10/21(月) 14:49:44 ID:DIOdSezo
いや、正確には動く。
通常の動きの何分の一、いや何十分の一という早さでの事だが。
解せないのは俺の目に映る女の長い髪が揺れる早さまで、ゆっくりになっている事。
身体機能が麻痺しているのではない、何らかの要因で時間がほぼ止められている。
男(魔法…か?思考は通常の早さでできるが…)
???「はじめましてだねー」
男(誰だ…!?子供…いつからそこに…)
???「あんたがこの国のドラゴンキラーでしょ?ボクは星の国で同じく呼ばれてる」
驚いた、星の国のドラゴンキラーがこんな少年だったとは。
しかしその俺の驚きは少し的外れなものだった。
その、的を外した部分とは。
57: 2013/10/21(月) 14:50:17 ID:DIOdSezo
少年?「ボクの名は『時魔女』。挨拶にきてみたらイチャついてたから、ボクの力を知ってもらうためにも二人の身体の時間を止めさせてもらったよ」
少年…ではなかったらしい。
いや、今この状況において肝心なのはそこではない。
重要なのは彼女の台詞の後半、この少女は俺たちをどうするつもりなのかという事だ。
だがどうやら『力を知ってもらう』という言葉通り、悪戯な手段ではあっても他意は無かったらしい。
時魔女「そして時は動き出す…ってね?」
彼女は指をパチンと鳴らし、自らがかけた束縛を解く。
不意に胸に抱えた女の体重を受けてしまい、俺は情けなくも尻もちをついた。
女もまた、その俺の身体に覆い被さるように倒れ込む。
時魔女「ははっ、あれだけゆっくりさせてあげてもまだイチャつき足りなかったみたいだね?」
58: 2013/10/21(月) 15:10:15 ID:DIOdSezo
男「…随分なご挨拶だな、時魔女…星の国のドラゴンキラー殿。いつからそこに?」
時魔女「ボクは時空を操る魔女。そこの船から二人の姿が見えたから、ちょっと空間を飛び越えてきたよ」
時や空間を操る魔法など、聞いた事が無い。
時魔女はけらけらと笑いながら「ただしハッキリと視認できる所へしか飛べないけど」とつけ加えた。
男「女、大丈夫か?」
時魔女「ごめんごめん、ちょっと悪ふざけが過ぎたかな。敵意は全く無いの、ただこの力は口で説明してもなかなか信じて貰えないからね」
男「それはそうだろう。そんな魔法、今の現在まで知らなかった」
時魔女「今夜は懇親の食事会を開いてくれるって聞いてるから、詳しくはそこで話すよ」
少女らしいあどけない笑顔で、彼女は悪びれもせずに言う。
しかし直後、今度は表情を凛々しく変えて直立すると、敬礼の姿勢をとった。
時魔女「月の国のドラゴンキラー、男殿とお見受けします。私は星の国の時魔女。三十名の兵と共に貴殿の隊に合流したく、馳せ参じました」
男「…月の国、討伐隊々長の男だ。貴殿部隊の合流を許可する…ようこそ、時魔女殿」
時魔女「先の無礼をお許し下さい。それでは後ほど、ご機嫌よう…」
彼女はスカートの裾をつまんで一礼した後、風のように消えた。
61: 2013/10/21(月) 20:25:34 ID:qTfnW/ZA
……………
………
…
…その夜、懇親の宴席
副隊長「えー、この度は星の国よりの選抜隊ご一同には、ここまでのご足労を頂き誠に恐れいる次第であります。明日より開始いたします作戦は対ワイバーンに向けた前哨戦として…」
男「…副隊長、みんな喉がカラカラだ」
副隊長「ごほん…夜の闇を照らす星と月の輝きよ、永遠たれ!乾杯!」
星の国と我が月の国は古くからの同盟関係にあり、毎年のように合同での訓練演習も行われる関係だ。
それぞれの兵同士には競い合う想いこそあれど、共に作戦を遂行する事への抵抗は少ない。
上座も下座も無いように幾つかの円卓を広間に配し、その中央のテーブルに俺と女そして時魔女が座っている。
時魔女「うっわ、豪勢!港町での合流と聞いた時から期待はしてたんだよー!」
互いに隊を率いる者として、それなりに気を遣う事になるだろうと覚悟していただけに、彼女のざっくばらんな気質はとても有難い。
これなら明日からの任務も、気を置く事なく共闘していけるだろう。
男「遠慮なく、いくらでも食ってくれ。どうやら言葉にも気を遣う必要は無さそうだ」
時魔女「もちろんだよ。お互い竜の首を獲った同士、後でサラマンダー討伐の話を聞かせてね?」
62: 2013/10/21(月) 20:26:30 ID:qTfnW/ZA
男「しかし港での一件は驚いた、まさかあんな魔法が存在するとはな」
時魔女「うん…純粋な魔法じゃあ無いんだけどね」
女「そうでしょうね…私も魔導士としてあらゆる魔術書を学びましたが、あのような例は見た事がありません」
時魔女は食事の手を休め、「うーん」と声に出して何かを思案している。
時魔女「本当は内緒なんだけどね。どうせ共同戦線を張るんだから、ボクは知っておいてもらった方がいいと思うんだ」
男「何をだ?」
時魔女「それと後で男に試して欲しい事もあるしね…うん、もう話しちゃおう」
そう言って彼女は自分の服の胸元を解き、その両胸の間を見せた。
男「…それは」
そこに顔を覗けていたのは、青い水晶のような宝玉。
ただその結晶にはあまりに規則的な模様が刻まれていて、人工物であるように思われた。
男「どういう事だ?…その模様と色、まるで作り物みたいだ」
時魔女「ご名答、お目が高いね。…でも、女の子の胸を穴があくほど凝視するもんじゃないぞ、すけべ」
63: 2013/10/21(月) 20:27:03 ID:qTfnW/ZA
時魔女「星の国は資源に乏しい小国だから、機械と科学技術の発展に重きをおいてきたの。…そのひとつの究極形がボク、時空を操る人造の魔導士だよ」
時魔女は胸元の紐を結いながら、自分をそう表現した。
女「人造魔導士…」
時魔女「もちろん元はただの魔導士だけどね。その魔力を胸に埋めたコアで時空操作の力に変換してるの」
なるほど、よく解らない。
とりあえずその原理や方法の詳細を聞いたところで、俺にもこの月の国にも活かす術が無い事だけは解った。
男「どんな事ができるんだ?」
時魔女「時間の停止…厳密には時間の減速だけど。それから逆に時間の加速、それから条件は限られるけど少しなら時間の逆行もできるよ」
女「時間の減速は自ら味わいましたし、加速…というのも何となく解ります。時間の逆行とは…?」
時魔女「命ある有機生命体に限りだけど、その物質的な部分の状態を最大10分くらい巻き戻す事ができるの。つまり、怪我をしてもその前の状態に戻せるって事。すごく魔力を消耗するけどね」
男「それはすごい、無敵じゃないか」
時魔女「本当に疲れるんだよ…しかも自分には使えないの。自分がその魔法を使った事自体が無くなっちゃうから。あとは、さっきも見せた空間の跳躍かな」
68: 2013/10/22(火) 15:04:36 ID:HHl4ZHqA
時魔女「…はぁ、話し過ぎて疲れちゃった。とりあえず目の前のご馳走の続き、食べていいかな?」
男「ああ、すまなかった。あまりに聞き入ってしまったな」
俺は既に空になって久しい麦種のグラスを持ち上げて、係の者におかわりを催促する。
さすがにこの少女に勧める訳にはいかないだろうが、新たな仲間の増えた今宵は城での凱旋の際よりも酒が美味く感じられた。
女「男さん、明日からまた徒歩での遠征です。飲み過ぎてはなりませんよ」
男「解ってるよ…たぶん」
言いながらおそらく俺は今、目が泳いだと思う。
女は少し呆れたような眼差しで、小さく溜息をひとつ。
そんな俺たちの様子はきっと恋人にしては立ち入り過ぎで、夫婦としてはぎこちないものだったと思う。
だから…だろうか、少し首を傾げて時魔女は尋ねた。
時魔女「ところで、女ちゃんって男の…何?」
69: 2013/10/22(火) 15:05:07 ID:HHl4ZHqA
男「んー、話せば長くなるな」
女「妻です」
時魔女「ツマ…って、二文字じゃん。話しても長く無いよ?」
…手を握るだけで照れるくせに、そんな宣言をするのは何とも無いのだろうか。
少なくとも俺は大変に照れ臭いのだが。
女「…まだ認めて頂いてはいないようなのですが」
男「おい、そこまで言わなくていいから」
時魔女「え、男って隊長のくせに優柔不断?」
男「いいんだよ…そこが話せば長いところなんだ」
時魔女「長くてもいいから聞きたいなー、女の子にとっては興味深々な話題だよ?」
男「それはそうとサラマンダー討伐の話をだな」
時魔女「それは今度でいいでーす」
時魔女に絡まれる俺を見る女の目は、少し意地悪な気がした。
71: 2013/10/22(火) 19:50:03 ID:OOFB5JUY
……………
………
…
…宿泊所内、男と女の部屋
男「ふわ…また飲み過ぎた」
女「だから言いましたのに、明日は大丈夫なのですか?」
大丈夫だろうと無かろうと、俺の二日酔いのせいで星の国の兵まで足止めさせる事なんてできる筈がない。
男「水…くれないか」
女「もうさっきから持ってます。…どうぞ」
差し出されたグラスを受け取り、半分量ほど呷る。
ふう…とひとつ息を落とし、それをテーブルに置いてベッドに深く腰掛けた。
男「サーペント退治の話、興味深かったな。七竜の動きを時魔法で縛るとは」
女「それでもさすがに巨大な竜を相手には、十秒が限度だそうですね」
男「その間に百名の魔導士の凍結魔法で、周囲の海を凍らせて…あとは魔法と直接攻撃か。…よく考えたものだ」
72: 2013/10/22(火) 19:51:12 ID:OOFB5JUY
男「動きを縛る時魔法は、対ワイバーン戦でも大いに役立つだろう。…ただ、周囲に凍らせる海が無い以上、そのままの作戦は使えないな」
女「でも…サラマンダーをそうしたように、動きを止めた間に矢の攻撃で翼を奪い、雷撃によって堕とす…というのは有効では?」
彼女は言いながら少し口の端を上げて、不敵な笑みを見せた。
まだその様を見た事は無いが、彼女は月の国きっての魔導士。おそらく雷撃魔法にも絶対的な自信があるに違いない。
男「そうだな、ただ…時魔法を発動するには数秒の魔力変換…だったかな?…とにかく少しの時間が必要だと言った」
女「…はい。その間、術士の視界中央に標的を留め続ける必要があるとも」
男「『ろっくおん』…って言ってたっけ?…よく解らない言葉が多かったけど」
とにかく時魔女の話は所々でついていけない部分があった。
俺には機械とかいうものが何なのかさえもよく解らないのだから、仕方ない話だ。
とにかく標的に対して時魔法を発動するには、魔力を『こんばーと』する間に標的を『ろっくおん』して、視界から消えない内に『でぃすちゃーじ』しなければならないらしい。
うん、全く解らない。
73: 2013/10/23(水) 01:09:41 ID:o0yg593w
男「でも、それでも少しだけ…ワイバーン打倒の望みが見えてきた気がするよ」
女「ご両親の仇との事、悲願なのでしょうね」
悲願…その通りだ。
そのために俺は十年以上にも渡って、剣術をはじめとした戦闘技術を磨いてきた。
男「ああ…俺と、幼馴染の…まさに悲願だな」
女「…幼馴染?」
男「うん、そいつも同じ時に父親を奪われたんだ。必ず仇をとろう…強くなろうって、互いに誓い合った」
女「あの、その…幼馴染さんって…どんな方なんですか」
男「あいつは弓使いだった。主に父親の遺した弓を使って修練を重ねてたな」
女「…だった?」
男「ああ、もちろん今もそうだと思うけどな。五年も前に旭日の国に無双の弓使いがいると聞いて、そこへ訪ねて行ったきり会ってないから」
74: 2013/10/23(水) 01:10:17 ID:o0yg593w
女「…やはりあの翼竜に大切な人を奪われた方は、多いのですね」
女は目を伏せ、ぽつりと呟いた。
男「なんとなく、他にも知ってるような言い方だな?」
女「…私が貴方の部隊への同行を申し出た、もう一つの理由…本当なら、その時に言うべきでした」
語り始めた彼女の口ぶりは、とても悲しげに感じられた。
女「でも『夫を支える事こそ妻の役目』なんて啖呵を切ってしまったから…言い出せなくて」
男「…聞こう」
女「翼竜は、私にとっても仇敵なのです。この世でただ一人、亡き母の血を分けた兄の仇…」
男「………」
女「私などよりはるかに優れた魔導士でした。七年前の当時は前年に竜討伐を成した落日の国に続いて、この国でも盛んに討伐任務が繰り返されてたんです」
男「君の兄も…?」
女「第六次討伐隊々長として、翼竜に挑み…そして帰らなかった」
女の拳は強く握られ、僅かに震えている。
俺は手を延べて、彼女を自分の隣に座るよう促した。
75: 2013/10/23(水) 01:12:26 ID:o0yg593w
女はベッドに座りつつも床を見つめ、口は一文字に結んだまま。
俺はその頭に手を置き「大丈夫だ」と囁いて、軽く髪を撫でる。
男「女…君にも誓おう、必ず仇は討つ」
女「はい…」
彼女を慰め、励ますつもりで口にした誓い。
でも彼女の返事は弱々しかった。
それはやはり、兄の無念を自らが晴らしたいという想いがあっての事に違いない。
男「最初の夜、君が切った啖呵は何も間違ってなんかいない」
彼女を慰めるのではなく、奮い立たせる為に必要な言葉は。
男「女、俺を支えてくれ。仇敵を討つ戦力としても、俺が氏ぬわけにはいかない理由を心に持つためにも」
女「男さん…」
男「俺には、君が必要だ」
今まで言った事も無い歯の浮きそうな台詞ではあったが、それでも効果はあったらしい。
女「…はいっ、承知しました」
その証拠に、彼女の顔には笑顔が戻ったから。
78: 2013/10/23(水) 12:44:54 ID:VzF7EZqM
深夜、身体を火照らせていた酒はもうすっかり中和されていた。
ベッドに横になっていても、時魔女のサーペント討伐の話を思い返しては目が冴えてしまう。
時魔法の効果をワイバーン戦にどう活かすか、そればかりを考えて眠るタイミングを逸し続けているのだ。
でも明日からの行軍を思えば、いい加減にしておかねばならない。
俺は頭を切り替えるつもりで、既に隣で微かな寝息をたてている女の横顔を見つめた。
男(…こいつにも、色んな過去のしがらみがあるんだろうな)
母親を亡くし、慕う兄までも失った後…王の正妻の子ではない女は、どんな肩身の狭い想いをしただろうか。
その兄だって王にとっては実の息子なはずなのに、今まで王とワイバーン討伐の話をした時に『息子の仇だ』という点に触れられた事はなかった。
つまり彼女が言った『所詮、妾の子』という言葉通り、兄もまた軽視されてきた存在だったのだろう。
79: 2013/10/23(水) 12:45:47 ID:VzF7EZqM
真偽は定かでないが、遠征への同行を申し出た理由の一番のものは、やはり妻としての務めだと彼女は言った。
その次が兄の仇討ちだとして、やはりその次には窮屈な環境から抜け出したいという想いがあったのではないだろうか。
男(自惚れかな…でも俺たちがこういう関係になったのは、結果としてはこいつにとって良かったのかもしれない)
そっとその横顔の、白い頬に触れてみる。
柔らかな肌の感触と温かさが俺の指に伝った。
僅かに、でも確かに胸が高鳴る。
男(いや、俺にとっても…かな)
…だめだ、意識を切り替えたつもりでもこれじゃ逆に眠れそうにない。
俺はもぞもぞと彼女に背を向け、心に芽生えようとする初めての気持ちに見えないふりを決め込んだ。
80: 2013/10/23(水) 19:42:04 ID:Ces6stes
……………
………
…
『兄上…どうしてみんな母上の弔いに来てくれないの?』
『…女、僕達はこれから強くならなくちゃいけない。そうしなければここには居られなくなってしまう』
『でも、兄上…私は強くなんかなれないよ』
『大丈夫だ、僕達は宮廷魔導士だった母上の子。絶対に優れた魔導士になれる力を持っているはずだ』
『…母上の…力…』
『大人達が皆、僕達を軽んじるなら…この国にとって無くてはならない存在になるしかない』
『うん…がんばる』
『そうだ、母上を蔑ろにした奴らを僕達で見返してやるんだ…』
81: 2013/10/23(水) 19:42:57 ID:Ces6stes
『兄上、お気をつけて…』
『ああ…だがもしもの事があったら、お前だけでも強く生きるのだぞ』
『そのような事を言わないで、私を独りにしないで下さい』
『女、お前はもうこの国で私に次ぐほどの魔導士となった。何も恐れる事は無いさ』
『私は兄上を失う事が怖いのです。だから…必ず戻って下さい』
『…ああ、きっと帰るよ。ドラゴンキラーの称号を得てな』
82: 2013/10/23(水) 19:43:43 ID:Ces6stes
『王はいつまであの卑しい情婦の娘を城に置くつもりなのかしらね』
『しっ…姉様、聞こえるわよ。他の情婦の子もいるわけだし、気にしても仕方が無いじゃないの』
『他の腹違い達は皆、私たち正当な王族には従順だわ。あの女だけよ…魔導士として優秀だか知らないけれど、目が生意気なのよ』
『どうせ最後は政略結婚に利用されるだけよ。その時に私たちが使われるよりマシだと思えばいいわ』
『それはそうね…休戦協定中の落日の国への人柱にでもされたら堪ったものじゃないし。…アレがそうなればお笑い種だわ』
『そうそう…そんな行く末を待つしかないんだから、哀れなものよねえ…』
83: 2013/10/23(水) 19:45:11 ID:Ces6stes
『女よ、そなたはサラマンダー討伐から凱旋する男殿の妻となるのだ』
『そんな、知りもしない殿方の妻などと!』
『男殿は我が国が求め続けたドラゴンキラー。王族の端くれにでも取り込まねば、他所の国に引き抜かれかねん』
『…なぜそこまで、ドラゴンキラーを欲するのですか』
『どの国の領土でも無い砂漠地域に巣食う竜、ヴリトラ…それを討伐すれば我が月の国は実質、砂漠を支配できる。あの大量の資源が眠ると言われる砂漠をだ』
『………』
『そこへ大義名分をもって兵を送るには、ドラゴンキラーの率いる部隊でなくてはならぬ。男殿は我が国に欠かす事のできん存在なのだ…女よ、解ってくれような』
『…せめて、僅かでもその方を知るための時間を頂けませんか』
『時間を得てどうする、まさか断るつもりでおるのか?…そなたは優秀な魔導士、ドラゴンキラー殿の妻として付き従うには申し分ない。…そなたしかおらぬのだ』
『しかし…お父上、男殿の方が私との縁を望まぬ可能性もあります』
『男殿が戻るその晩には祝賀の席を設ける。そなたはその後、部屋を訪ねるのだ』
『お父上!それは…!』
『何…美酒に酔った男が、一人部屋を訪れたそなたを受け入れぬはずがあるまい』
『そんな…』
『あくまでも男に身を委ねた後で素姓を明かすのだ。皇女の純潔を奪ったとあっては、婚姻を断るなどできまいて…』
84: 2013/10/23(水) 19:45:50 ID:Ces6stes
『あー、…そういう事か』
『それは気持ちだけでいいんだ』
『俺からも王に礼を言っておくから。その…なんだ、夜伽はした事にしてさ』
『君が魅力的じゃないわけでなく、単に突然過ぎて…』
『…俺は舞踏会の色ボケした貴族のように、知り合ったばかりの女を抱くような趣味は無い』
『一応、形式上という事で王の厚意は受けよう。よろしく頼む…女』
『俺みたいな田舎農夫の妻になるようなつもり、無かっただろうに』
『ははっ…言うじゃないか。いいな、そういう方が付き合いやすい』
『うん…泣き止んでからで、構わないよ』
『仕方ない…ただし戦場では俺の命をきいてもらうぞ』
『女、足は大丈夫か』
『その呼び方、だよ。いつまでも馴染まない』
『最初の夜、君が切った啖呵は何も間違ってなんかいない』
『俺には、君が必要だ』
86: 2013/10/24(木) 07:25:40 ID:s2pvoESU
……………
………
…
…サイクロプスの谷付近
石灰岩で形作られたカルスト台地の渓谷。
木もあまり生えていないこの谷が、港町を襲うサイクロプスの住処だという。
月の副隊長「…せり出した崖の先の見通しがききませぬな」
男「ああ…地形の深さからして、そろそろ警戒しておかねばならんだろう」
サラマンダー討伐での行軍においても、偶然一体のサイクロプスに遭遇した。
その際は不意に現れた巨人に先制攻撃を受け、先頭を務めていた兵一人が犠牲になってしまったという経験がある。
正々堂々と対面しての勝負など人間同士だから叶う話、魔物に通用する理屈ではない。
見通しのきかない地形は、そんな危険を孕んでいる。
87: 2013/10/24(木) 07:26:15 ID:s2pvoESU
時魔女「じゃあ、ボクが偵察に行くよ」
男「待て、一人じゃ…」
制止しようとした俺を気にもとめず、時魔女は自らの胸に左手を当てて風変わりな詠唱を始める。
時魔女「コンバート開始、空間跳躍モード…」
普通の魔導士が詠唱する古代言語もさっぱり解らないが、時魔法のそれもまた不可解な響きだ。
時魔女「位置確認、座標ロックオン…よーし、行ってきます」
そう言うが早いか、時魔女の姿が目の前から消える。
そして次の瞬間、彼女の姿は既に視界を塞ぐ原因である崖の上にあった。
見晴らしが良いであろうそこは、まともに声が届くほど近くはない。
時魔女はこちらを向いて両手で頭上に大きな○印を作り、安全をアピールする。
どうやらまだすぐにサイクロプスが潜んでいる事は無さそうだ。
男「時魔女…!上だ!」
サイクロプスは…だが。
月の副隊長「いかん、時魔女殿は気づいておられんようですぞ!」
こちらを向いた彼女の背後上空、切り立った崖の更に上に潜んでいたハーピー三羽が時魔女に迫っている。
88: 2013/10/24(木) 07:27:35 ID:s2pvoESU
男「くそっ!下しか見なかったな…!」
月の副隊長「弓兵!」
弓兵「無理です…!届きません!」
俺は大きく手招きをする動作で、彼女を呼び戻そうとした。
しかし彼女はまだ胸に手を当ててはいない、時魔法の準備時間を考えればとても間に合うはずが無い…しかし、その時。
女「…私が」
そう進言すると、女はその細い右腕を崖の上に向けて、すっ…と延ばした。
女「凍りつきなさい」
一瞬の事だった。ハーピー達が羽の動きを止めたかと思うと、キラキラと氷のつぶてを散らしながら墜落してゆく。
この距離で三羽同時に…しかも。
男「お前…今、詠唱してなかったよな」
女「あの程度なら、無詠唱で充分です」
男「お前…本当に凄いんだな」
女「…これなら男さんを支えられますか?」
充分過ぎるだろう、ちょっと妻が怖くなった。
89: 2013/10/24(木) 09:13:03 ID:s2pvoESU
星の副隊長「何をやってるんですか隊長…いきなり月の方々のお手を煩わせて」
星の国の副隊長…というよりも、さながら時魔女の世話係とも思える女性は、呆れたように自らの上官を窘めた。
なるほど、なかなかに綺麗な女性だ。ウチの副隊長が昨夜の宴席でわざわざ二人掛けの小テーブルを用意させたのも頷ける。
時魔女「いやー、格好つけて偵察したつもりがね…ごめんごめん」
男「まあ何事も無くて良かった。…女、よくやってくれた」
女「勿体無きお言葉です、討伐隊隊々長ドラゴンキラー殿」
男「よせよ、からかうな」
90: 2013/10/24(木) 09:13:38 ID:s2pvoESU
時魔女は崖の上から見えたこの先の様子を説明した。
暫くの区間に変わった様子は無いが、視界の果て辺りには不自然に折れた木が見えたと言う。
おそらくサイクロプスが潜むのは、その辺りと思われる。
時魔女「よっし、じゃあ…時の国、全兵に告ぐ!これより我が隊は月の国討伐隊の指揮下に入る!」
星の兵「はっ!」
時魔女「…男隊長、指令をどーぞ」
やれやれ…解ってはいたが、他国の兵の命まで預からねばならんとは。
自国と他国で命の重さが違うわけではないが、より肩に負う荷は重くなったような気がする。
91: 2013/10/24(木) 09:19:06 ID:s2pvoESU
男「…では全戦力に命じよう。先陣は月の盾兵隊、その後方に両国の槍兵を配置する。両国弓兵隊はその次に控え、サイクロプスの姿を視認次第、距離をもったまま目標周囲に散開せよ」
星魔女「ウチの弓兵はクロスボウ使いだから、射程は長いよ?」
男「…クロスボウなら大弓よりも有効射程は短いんじゃないのか?」
星魔女「ちょっと機械仕掛になっててね…圧縮空気を使うんだけど。とにかく大弓より30%位は飛距離が出るの。少し精度は落ちるけどね」
やはり星の国は機械を発達させたというだけの事はある。
精度が低くとも的の大きい巨人相手なら、射程の長さは有利に働くだろう。
男「では星の弓兵は月の弓兵の後ろ、標的距離については各自の判断で有効な配置をとってくれ」
時魔女「私と女ちゃんは魔法隊と一緒でいいよね?」
男「ああ…俺は盾兵に続くから、魔法隊はその後ろに控えてくれ。…では進軍を開始する、進みながら見通しの良い内に各自陣形を整えろ」
92: 2013/10/24(木) 10:04:05 ID:s2pvoESU
谷間が広く平原のようになったエリアで、布陣を整える。
その先、また少し谷が狭まり見通しに劣る地形に近づいた頃、先頭の盾兵が声をあげた。
盾兵「サイクロプス視認!11時方向、距離およそ300ヤード!まだこちらに気づいていません!」
男「時魔女、サイクロプスに時間停止は使えるか」
時魔女「もちろん。でも大きいから30秒停止を5回くらいで限度かな」
男「よし…おそらく標的は複数体いるだろう、最も近い個体を時魔法で止めて火炎魔法で攻撃。後方の個体は弓で足止めするんだ」
あまり身を隠せる物は無い谷間だ、最接近するよりは早く気づかれるだろう。
近付き過ぎて狭い谷あいに入るよりは、広いエリアで戦うべきとも思われる。
あと150ヤードというところか、弓や魔法の射程には充分に入ったところで、俺は時魔女に目配せをした。
時魔女「コンバート開始、時間停止モード…目標ロックオン、いつでもどーぞ」
男「魔法隊、詠唱準備!時魔女…巨人を止めろ!」
93: 2013/10/24(木) 10:04:37 ID:s2pvoESU
時魔女「いくよっ、時間停止!」
ゆっくりと歩んでいたサイクロプスが、動きを止める。
ほどなく詠唱を終えた魔法隊が火炎魔法を放つと、巨人は火に包まれた。
狭い谷の向こう、異変を察知した他の個体が地を震わせて姿を表す。
その数、現在4体。
男「弓兵、撹乱を狙え!もしサイクロプスの瞳を射抜き、一撃の下に倒した者には、あとでとっておきのバーボンをくれてやる!」
弓兵「そいつぁいい!総隊長、ちゃんと覚えてて下さいよ!?」
男「倒してから言え!…放てっ!」
矢の弾幕が上がる。
巨人はそれを逃れようとばらばらの方向に動き始めた。
火に包まれた最初の一体が、そのままで動き出すが、熱さに悶えて前進する事は叶わないようだ。
女「可哀想に、冷ましてあげましょう…」
刹那、その個体の瞳を氷の矢が貫いた。
94: 2013/10/24(木) 10:07:18 ID:s2pvoESU
巨体が膝をつき、ゆっくりと大地に崩れおちる。
男「…凍結魔法にそんな使い方があるとはな」
女「私にもバーボンを頂戴できますか?」
時魔女「魔力ロード完了、次…いくよっ」
いい調子だ。
七竜を狙うわけでもないこの前哨戦で、悪戯に兵を失うわけにはいかない。
このまま完全勝利を狙う…そう考えた時だった。
盾兵「隊長!さらに追加個体!」
男「くそっ、何体だ!?」
盾兵「それが…!多過ぎて、判りませんっ!」
谷間の向こう、そして気づかなかった鍾乳洞の入り口から、少なくとも20体以上のサイクロプスが現れる。
まずい、こんなにいるという情報は無かった。
月と星、双方あわせて60余名の兵で挑む規模など超えている。
95: 2013/10/24(木) 10:22:35 ID:s2pvoESU
男「いかん!後退しろ!こう多くては広いところで相手をするのは不利だ!弓で威嚇しながら退けっ!」
動きの鈍そうに思える巨人だが、その歩みの幅は大きい。
重装の盾兵が遅れ、追いつかれている。
男「盾兵!回避しろっ!」
巨人が引き抜いた木そのままのような、巨大な棍棒を振り上げる。
男(間に合わない!畜生…大事な兵を!)
盾兵「うわああぁぁぁ!…あ……あ?」
危機一髪のタイミングで、その巨人の瞳が貫かれた。
96: 2013/10/24(木) 10:23:07 ID:s2pvoESU
後ろのめりに倒れる巨体、その矢の主は。
男「誰だ…!?」
一人、崖の上に弓を構えた者の姿が見える。
この隊の兵では無い、あんなところに配してはいないはずだ。
???「バーボンを頂けるんだったかしら?」
独特のチェインメイルに身を包んだ弓使いは、逆光を背負いながら言った。
男「旭日の国の甲冑…!まさか…!?」
???「久しぶりね…でも話す間は無さそうよ」
男「幼馴染…!」
98: 2013/10/24(木) 19:15:26 ID:/gsuce/o
幼馴染「与一流弓術、追影…!」
彼女は崖の上から矢を放つ。
その矢は真っ直ぐにサイクロプスを目掛けた後、その手前で軌道を変えて顔前から瞳を貫いた。
男「矢が曲がるだと…!?」
幼馴染「不思議がってる場合じゃない!しっかりしなさい、男っ!」
言いながら幼馴染は連続で矢を射っている。
突然に懐かしい顔を見た事と、その主が放つ矢の不可解な軌跡に思わず思考が停止してしまった。
だが、ここは彼女の言う通り窮地を脱するのが先だ。
俺は弓兵の矢を受け、動きの鈍くなりかけた個体から討つつもりで剣を抜こうとした。
そこへ駆け寄る時魔女。
時魔女「男!これ使って…!」
彼女は俺に、一振りの風変わりな剣を差し出す。
99: 2013/10/24(木) 19:16:45 ID:/gsuce/o
男「これは…?」
時魔女「試作品だけど、普通の剣として使っても充分強いはず!」
受け取り鞘から抜くと、まずその軽さに驚いた。
柄の付け根には何か指を掛けるように細工され、可動する部分がある。
時魔女「今なら兵達が離れてるから、特殊効果も使えるかも…!男、トリガー握って!」
男「トリガーって…この指のところのか!?」
時魔女「そう!引いて、言うまで離さないで!」
彼女の言う通り、トリガーを人差し指で引いた。
すると刀身の中央に刻まれた模様が柄に近い方から青白く光り、次第に先の方へと伸びてゆく。
同時に剣から発せられる、妙な響きを伴った声。
《充填率30%…50%…70%》
100: 2013/10/24(木) 19:17:15 ID:/gsuce/o
時魔女「うそ…!?チャージがとんでもなく早い…!やっぱり男なら使いこなせるのかも!」
男「どういう事だよ…!?おい、サイクロプス来るぞ!」
もう一番近い巨人個体までは20ヤードと離れていない。
《100%…充填完了、加圧開始…110%…120%…》
時魔女「男!サイクロプスの群れに向かって薙ぎ払いながら、トリガーを放して!」
訳が解らない、でも時魔女にも考えがあっての事だろう。
言われるままに剣を両手に構え直し、横に薙ぎ払いつつトリガーを解放する。
男「こう…かっ!?」
101: 2013/10/24(木) 19:18:34 ID:/gsuce/o
目が眩むほどの青白い閃光、刀身全体が光ったかと思うと、その光が横一閃の帯となり前方十時から二時方向範囲に放出された。
光は一帯のサイクロプスを捉え、瞬く間に消える。
そして巨人達は。
月の副隊長「なんと…!」
時魔女「すごい…本当に使えた…!」
目の前の一体の胴が、ずるり…と横にずれる。
巨人は、光を受けた部位で切断されていたのだ。
今の一撃でサイクロプスの大半が倒れ、残るは7体ほど。
それも一体ずつ確実に、幼馴染の矢と女の魔法によって倒されていく。
その様を見ながら俺はぐらりと揺れ、地に片膝を衝いた。
先の一閃によるものなのだろう、突然すさまじい疲労に襲われたのだ。
102: 2013/10/24(木) 19:32:00 ID:/gsuce/o
男「くっ…倒れた巨人にも油断するな!槍兵隊は制圧された範囲から順に一体ずつとどめを刺して回るんだ!」
声を上げるだけで頭がくらくらとする。
肉体的な疲労というより、気力が失われたような倦怠感が強い。
男(この剣は何なんだ…凄まじい威力だが、これじゃ後が続かない)
月の副隊長「隊長、お見事でありました!あとは私にお任せを…!」
男「ああ…すまん、指揮を…頼む…」
大地が斜めに見える、俺は倒れようとしているのだろう。
時魔女「男…!ごめん、無理をさせて…!」
時魔女が小さな身体で俺を支える。
全身に力が入らず、それに甘えるしかない。
サイクロプスの最後の一体が倒れてゆくのが見えた、とりあえずもう心配は無さそうだ。
そう思うと同時に、俺は意識を手放した。
103: 2013/10/24(木) 19:54:31 ID:/gsuce/o
……………
………
…
『旭日の国へ行くって、お前…あてはあるのかよ』
『あては無いけど、どうしても行きたいの。無双の弓使いと呼ばれる人を探して、弟子入りするつもり』
『お前、冷静になれよ。オンナ独りでそんな当てずっぽうな事、させられないって』
『…大丈夫だよ、剣術だって男に習って一人前程度にはできるつもり。男もそう言ってくれたじゃない?』
『そうだけど…』
『お願い、男…解って。私はどうしても仇の竜を討ちたい。弓の力でそれを成すには、ただ闇雲に矢を射る訓練をするばかりじゃ駄目なの』
『なら魔法も覚えたらどうだ。お前、そこそこ魔力の適性もあるって…』
『うん、だからこそ…旭日の国の弓使いは、その魔力を矢に付与する技を使うって言うわ。私はそれを習得したい』
104: 2013/10/24(木) 19:55:57 ID:/gsuce/o
………
…
『…ありがとうね、港まで送ってもらって』
『本当に気をつけて行けよ。…どうしても入門できなかったら、帰って来い』
『うん、解ってる…竜を討つのは男と一緒にって、思ってるから』
『ああ…誓ったからな』
『男…私ね、男の事…好きだったよ』
『幼馴染…』
『…でも、もういいの。私を心配して引き止めてくれた男を、振り切って行くんだもの。一切の心残りなんか、連れて行かない』
『ああ…それがいいよ』
『だから、言うだけ言っておきたかった。でも気にしないで、私は貴方への恋心も捨てて行くから』
『上等だ、行って来いよ。…船、出るみたいだぞ』
『うん、行ってきます。…さよなら…男』
『…捨てたんだろ、泣くなよ』
…
『…ありがとうね、港まで送ってもらって』
『本当に気をつけて行けよ。…どうしても入門できなかったら、帰って来い』
『うん、解ってる…竜を討つのは男と一緒にって、思ってるから』
『ああ…誓ったからな』
『男…私ね、男の事…好きだったよ』
『幼馴染…』
『…でも、もういいの。私を心配して引き止めてくれた男を、振り切って行くんだもの。一切の心残りなんか、連れて行かない』
『ああ…それがいいよ』
『だから、言うだけ言っておきたかった。でも気にしないで、私は貴方への恋心も捨てて行くから』
『上等だ、行って来いよ。…船、出るみたいだぞ』
『うん、行ってきます。…さよなら…男』
『…捨てたんだろ、泣くなよ』
105: 2013/10/25(金) 01:05:14 ID:bPGwyeig
……………
………
…
男「………ぅ…うん…?」
時魔女「あ、起きた!幼馴染ちゃん、男が起きたよー!」
目を開けると、俺を覗き込む時魔女の顔が視界の中央にあった。
周りの景色は見えない、野営用のテントの中のようだ。
…という事は、かなり長く意識を失っていたのだろう。
幼馴染「おはよ、男…大丈夫?」
テントの入り口付近にいた幼馴染が、こちらに歩み寄る。
入り口から見えたテントの外は、既に暗くなっているようだった。
男「ああ…楽になってる」
上体を起こしてみても、もうフラつく感覚は無い。
106: 2013/10/25(金) 01:05:56 ID:bPGwyeig
時魔女「ごめんね…本当に無理をさせちゃった」
男「いいさ、あの剣の一撃が無かったらもっと苦戦してたかもしれない」
幼馴染「すごかったよね、ひと振りで十体以上は片付けてたもの」
本当に、その斬撃を繰り出した本人が一番驚いているほどだ。
…いや、それよりも驚いたのは。
男「お前…いつ戻ってたんだ」
幼馴染「二日前、男達がサイクロプス討伐に出た日だよ。あの港町に着いたの…それから後をつけてたんだ」
男「とりあえず礼を言おう。助かった、無駄に兵を減らさずにすんだよ」
幼馴染「どういたしまして、ドラゴンキラー殿」
男「よせよ、お前に言われるのが一番気恥ずかしい」
107: 2013/10/25(金) 01:06:58 ID:bPGwyeig
俺はテントの中を見回した。
しかし姿は見えない。誰の…とは言うまでも無いだろう。
時魔女「女ちゃんなら、外にいるけど…呼ぼうか?」
男「いや…行ってみるよ」
幼馴染「まだ立たない方がいいんじゃない?」
男「…大丈夫だ」
立ち上がると流石にまだ少し脚がおぼつかない。
できるだけそれを二人に悟られぬよう振る舞いながら、俺はテントの開口部をくぐる。
西の空はまだ幾分か夕焼けている、時刻は午後七時といったところか。
少し離れたところ、草地の中から顔を覗けた胸高ほどの岩の上に、女は腰掛けていた。
108: 2013/10/25(金) 01:07:30 ID:bPGwyeig
男「…女、心配をかけたか」
女「………私の夫は、あの程度で大事に至るような方ではありません」
彼女は視線を遠くに遣ったまま、控えめな声でそう答えた。
短い沈黙、そして小さな溜息に続いてこちらを振り返る。
女「…嘘です、心配しました」
男「すまん…」
女「何に対してです?」
男「………?」
質問の意図が読めず口ごもる俺に対し、女は人差し指を立てて言葉を続けた。
女「心配をかけた事ですか?まだバーボンを下さって無い事…?」
男「前者に決まってるだろ、バーボンなら後で…」
女「それとも、幼馴染さんが女性だとは言って下さらなかった事…ですか?」
109: 2013/10/25(金) 01:24:06 ID:bPGwyeig
男「…女、何か勘違いをしてないか」
女「勘違いなどしていません。幼い頃から共に過ごし、強くなる事…仇敵を討つ事を互いに誓い合い、数年も離ればなれになった女性でしょう?」
なんて意地の悪い言い方をしやがる、女も段々と地が出てきたらしい。
でも俺がおぼつかない脚を隠してまで女の元へ来たのは、確かにその点を言い訳するためだった気がする。
男「わざとらしい言い方をするなよ、あいつは兄妹みたいなもんなんだ」
女「…解っています」
すとん…と、岩から降りる女。
彼女の長い髪が揺れて、高くなり始めた月の明かりに照らされた。
女「こんな気持ち、不快です。胸が痛くて、熱くて…」
男「………」
女「私…嫉妬をしてるんだと思います」
112: 2013/10/28(月) 13:13:56 ID:mO4GwnEs
女の口から零された意外な言葉。
俺たちの関係はそもそも、突然に降って湧いた縁だったはずだ。
それでも日々を共に過ごす内、互いに歩み寄ろうとはしていた…それは解っている。
ただ、その歩みはとても緩やかなものだと思っていた。
だから俺は既に彼女の心に嫉妬という感情が芽生え得るなど、幼馴染の存在をそんな風に捉えるなどとは考えもしなかったんだ。
女「…ごめんなさい、困らせて」
詫びる女の表情はとても切なげに見えるけど、それを晴らすためにどんな言葉を選べば良いのかさえ俺には解らない。
こんな痴話喧嘩のようなやりとりなど、した事が無いから。
だから不器用にも、ただ言い訳を並べるしかできなかった。
男「…幼馴染がオンナだと話さなかったのは、話す必要性さえ感じなかったからなんだ」
…でもこの時、この言い方はまずかったらしい。
ただしそれは目の前の女に対してまずいのではなく。
幼馴染「それは酷いなあ」
俺はその女性が背後から憤慨の声を投げるまで、その接近に気付けていなかった。
113: 2013/10/28(月) 13:14:26 ID:mO4GwnEs
男「幼馴染…聞いてたのか」
幼馴染「そーですか、男にとって私はそんな存在だったのね」
腰に手を当てて、さも不服そうに彼女は言った。
幼馴染「…ま、仕方ないけどね。あんたへの恋心は捨てるって宣言しちゃったんだし」
男「おい、変な事を言うなよ」
幼馴染「…女さん、だったよね?時魔女ちゃんから聞いてはいるけど、貴女自身の口から聞かせて。…貴女は男の、何?」
知ってるなら敢えて訊かなくてもいいのに。
しかし女の返答は時魔女から同じ問いを受けた時とは、微妙に違うものだった。
女「妻です、ただし…形式上の」
幼馴染「…そんな言い方したら本当にそう認識させて貰うけど、それでいいの?」
女「事実ですから」
114: 2013/10/28(月) 13:15:44 ID:mO4GwnEs
男「幼馴染、それは俺が言った事なんだ。仇の竜を討つまではそういう事にしておいてくれって」
幼馴染「ふーん…じゃあ、やめといた方がいいんじゃない?こんな身勝手な人と結婚するのは」
男「…ひでえ言われようだな」
幼馴染「女さん、悪い事は言わないから形式上って言ってる内に、破棄しちゃった方がいいよ?」
身勝手なのは認めるが、何も俺は女との結婚を嫌がってるわけじゃない。
ただ、護るべき物を持てば氏地に赴く際の枷となる…そう考え、恐れただけ。
その事は女に話して、納得して貰っている。
だから女は幼馴染の発言に表情を変えた。
おそらく彼女は今、怒っている。
女「それは嫌です」
幼馴染「…どうして?聞けば貴女は月の国の皇女様で、男と引き合わされたのもついこの間の事なんでしょう?」
女「…そんな事は関係ありません」
幼馴染「男はね、皇女様に似合うほど大層な人間じゃないわ」
女「男さんはこの国に無くてはならないドラゴンキラー、逆に王族の末席たる私では釣り合わない程の御方です」
115: 2013/10/28(月) 13:16:40 ID:mO4GwnEs
女「幼馴染さん、今の男さんは貴女がよく知る昔の彼とは違うんです」
幼馴染「ううん、私にとっては変わらない。五年前、好きだと告げた男のままよ」
女「いいえ、変わってるんです。だって先日、仮にも私と結婚しましたから」
幼馴染「仮にも、形式上…ね?」
女「仮でも形式上でも、私は彼の妻です。だから夫を貶める言葉は見過ごせません」
そこまでで二人は言葉を切り、睨み合うようにして数秒を過ごす。
俺にとってその僅かな時間は、とんでもなく長い沈黙に感じられた。
…それを破ったのは。
116: 2013/10/28(月) 13:17:58 ID:mO4GwnEs
見張り兵「敵襲!敵襲…!サイクロプスの生き残りが来たぞ!」
かがり火の向こう、谷の奥側を見張っていた兵が声をあげる。
まだ巨人は宿営地には達していないらしい、よくこの暗さで手前から気付いてくれたものだ。
だが多くの兵士はその身の兵装を解き、すぐに戦える者は少ない。
兵装にこだわらず戦闘が可能な隊に頼るしか無いだろう。
男「魔法隊っ!急げ!」
見張り兵「サイクロプス、現在3体!」
幼馴染「視界さえきけば、目を射抜いてやるのに…!」
女「…言いましたね?」
女は短く魔法詠唱を経て、手を翳す。
かがり火の向こう、夜空をバックとしたシルエットで見えていた木立が火に包まれ、その向こうを照らした。
女「これで見えるでしょう、外さないで下さい?」
幼馴染「なめないで、単身異国に渡って修練を重ねたのは伊達じゃないわ」
幼馴染が背に負ったままにしていた大弓を構える。
つがえた矢は三本、まさか同時に放つつもりか。
117: 2013/10/28(月) 13:19:24 ID:mO4GwnEs
幼馴染「追影、複式…!」
三本の矢が放たれる。それらは独立した弧を描きながら、三体の巨人の瞳を目指した。
幼馴染「…女さん、意地悪を言ってごめんなさい」
一体ずつ、地に伏してゆく巨人。
防衛線を張ろうとしていた兵達が感嘆の声をあげている。
幼馴染「貴女の気持ちが知りたかっただけなの。いくら自ら男に決別を告げたとは言っても、少しは悔しくもあったから」
女「いえ…謝るのは私です。幼馴染さんの存在を知っていたとしても、どうする事もできなかったとはいえ…」
幼馴染「じゃあ、決まりね。悪いのは男、という事で」
女「はい、それで結構です」
男「え…!?」
どういう事だ、さっき女は俺を庇ってくれたのに。俺がどんな悪い事をしたというのか。
五年前、幼馴染は一方的に俺に想いを告げて、一方的に別れを告げた。俺はそれに対して特に答えなかった。
女と結ばれる流れになった時、そんな過去の事を気にしなかった。だから女には話もしなかった。
そして幼馴染との間には何のしがらみも無い事を女に告げ、間抜けにもそれを本人にまで聞かれた。
うん、悪いな。俺が悪い。
118: 2013/10/28(月) 20:25:16 ID:mO4GwnEs
……………
………
…
ごとん…と少し強めに陶器のグラスをトレーに置いて、同時に彼女は「それで?」と不機嫌に訊いた。
男「ええと…とにかくこの国はドラゴンキラーの肩書きを持つ俺を、手放したくなかったんだと思うんだよ」
幼馴染「それは解ってるの。それで女さんと結婚させて王族の端くれにでも加えようとしたんでしょ?」
今は俺と幼馴染、顔を突き合わせて二人でバーボンを呷っている。
幼馴染の希望により、女も時魔女もテントの外。
たぶん声が届かない程度、さっき女がいた辺りまで離れているのだろう。
119: 2013/10/28(月) 20:26:42 ID:mO4GwnEs
幼馴染「そうじゃなくて、その成り行きなら女さんも最初はアンタとの結婚なんて望んで無かったでしょ?」
男「そりゃそうだろうな、今だって納得なんかしてない…」
幼馴染「それはない。女さんは後々からだろうけど、アンタを気に入ってる。今さら彼女にそんな事言ったら、私が引っ叩くよ?」
どうもさっきの一件から立場が弱い。
女と時魔女に席を外してもらう際には『ちょっとつもる話があるから』と断ったが、これじゃ完全に俺が説教されている状態だ。
男「じゃあ何が訊きたいんだよ」
幼馴染「アンタはどうなの?」
男「どうって」
幼馴染「女さんとの結婚、ちゃんと望んでるの?女さんを妻にするって覚悟はきちんとあるの?」
男「…覚悟は、翼竜を倒すまでは持てない。俺はあの竜を倒す為なら代償としての氏も、厭わないつもりだからな」
120: 2013/10/28(月) 20:27:45 ID:mO4GwnEs
幼馴染「じゃあ、その後は」
男「…ここで、その時にならないと解らないなんて言ったら」
幼馴染「私の矢でアンタを殺せるかしら、試そうか?」
ただの例え話としての表現のようだが、彼女は目が笑ってない。
男「だよな…解ってる、冗談だ。幼馴染、もう歯に衣着せず言うぞ?」
幼馴染「…うん」
男「俺も最初は結婚なんて望んで無かった。でも今はそうでもない、いや…これで良かったと思ってる」
幼馴染「………」
男「五体満足、無事に翼竜を討つ事が叶ったら…俺は必ず、本当の意味で女を妻取るつもりだ」
できるだけ堂々と言ったつもりだ。
でも言い終われば少々どころでなく照れ臭い。
俺はまだ半分ほども残っていたバーボンのグラスを一気に呷った。
121: 2013/10/28(月) 20:28:56 ID:mO4GwnEs
幼馴染「…そっか」
対面の彼女は一気に声色を落とし、視線を逸らす。
なんとなく気まずく、なんとなく申し訳ない気分に襲われた。
男「…幼馴染、でもな」
まして今から言おうとする事はもしかしたら言わない方がいい、残酷な事なのかもしれない。
男「五年前、港でお前を見送った時。…お前の気持ちを聞いたあの時の俺は」
だけど伝えておきたかった。
男「たぶん、お前の事…好きだったよ」
幼馴染「…うん」
後から『たぶん』なんて付けなきゃ良かったと思う。
自分の記憶だ、間違いようがない。
あの時、俺は旅立つ彼女の枷にならぬよう想いを捨てた。
あの日、俺達は互いにその幼い恋心を捨てあったんだ。
122: 2013/10/28(月) 20:29:30 ID:mO4GwnEs
それから幼馴染は少しの間、泣いたようだった。
そして息が落ち着きはじめてから、旅立った後の事をぽつりぽつりと話し始めた。
旭日の国の弓使いに弟子入りするために、八日間休まず訪れては一日中その門の前に立った事。
入門すると意外と女性の弟子も多くて安心した事。
髪色や言葉遣いの違いから、最初は仲間内で異端と見られ避けられた事。
でも実力はすぐに認められ、仲間達と切磋琢磨する内に次第に馴染めた事。
師匠その人こそが旭日の国のドラゴンキラーとなった人で、その討伐の際には副隊長を務めた事。
俺がサラマンダーを討った噂を聞いて、帰国の為に師匠に破門を願い出た事。
師匠がそんな彼女に、破門でなく免許皆伝の旨を告げた事。
そして港町で隊を率いる俺の傍に女の姿を認め、その場で声を掛けられなかった事。
123: 2013/10/28(月) 20:30:35 ID:mO4GwnEs
幼馴染「…よし、吹っ切れたよ」
全てを話し終えて、彼女は自らに言いきかせるようにそう言った。
幼馴染「実はね、私も一度だけ色気のある話があったの」
男「…どんな?」
幼馴染「白夜の国のクエレブレ討伐は、主導は向こうだったけど旭日の国との共同作戦だった」
男「ああ…知ってる、白夜と旭日は同盟国だからな。お前、あの作戦にも参加したのか」
幼馴染「うん、まだ新米だから矢の補給兵的な役目だったけど。…そこで向こうの隊長さんに求婚された」
ちょうど口をつけていたバーボンを思わず零しそうになる。なんていきなりな話だ。
男「…そりゃ、すげえな」
幼馴染「すっごく良い人で、すごく人望も厚くて。私に一目惚れしたって…でも私、まだ師匠に習いたい事だらけだったから」
白夜の隊長という事は、つまりその彼もドラゴンキラーという事だ。
男「そりゃ…何だか惜しいような話だな」
幼馴染「何言ってんの、アンタも月のドラゴンキラーでしょ?…でもアンタに振られるなら、受けとけば良かったかな」
そう言って笑う彼女の表情は複雑そうに映るけれど、俺はそれに気付かないふりをするしかなかった。
124: 2013/10/28(月) 23:38:25 ID:zBUXI6mE
最後にグラスにもう半分程のバーボンの水割りを作って、俺と幼馴染はやっと再会の乾杯を交わした。
思えば彼女と酒を飲む事自体が初めての行為で、その事実こそが二人を隔てていた時間と距離を物語っているように思う。
男「…お前、強くなったよな。驚いたぜ」
幼馴染「ああまでして異国へ渡ったんだもの、強くならなきゃ帰れないよ」
いや、強くなっただけではない。
決して口には出さないけれど、あどけなかったあの頃よりもずっとオンナらしく綺麗になった。
きっと女の存在が無ければ、想いを捨てた事を後悔してしまう位に。
でも女がいなかったら、もしかして…そんな今更あり得ない未来を少しだけ想像してしまったのは、また酒が過ぎたせいなんだろう。
この後、女がテントに戻った時に飲み過ぎを咎められなければいいなと思った。
127: 2013/10/29(火) 13:03:18 ID:i83WYtN.
……………
………
…
…翌日、港町への帰路
時魔女「身体どうー?」
男「ああ、すっかり大丈夫だ」
やはりあの剣技による疲労は肉体的なものではないのだろう。
気を失うほどの体力を使ったのなら、翌日こうも身体が楽になるわけがない。
時魔女「あの特殊効果は、いざという時にしか使えないね。でも、初めてだったんだよ?チャージ率が100%に達したのは」
128: 2013/10/29(火) 13:04:14 ID:i83WYtN.
男「それはどういう意味だ?」
星の副隊長「恥ずかしながら我が国ではその剣を試作したものの、それを使いこなせる闘気を持つ者がいなかったのです」
時魔女「闘気っていうのはまだ研究段階だから仮称だけど、つまり精神力と肉体的な技量を併せたような力。単純にその人の強さだと思っていいよ」
相変わらず星の国の人間が言う事は端々が解らない。
ただ月の国で最強の称号を得た俺は、星の国でも並ぶ者がいないという事なのだろう。
正直なところ、気分は良かった。
幼馴染「顔、緩んでるよ」
男「うるせえな」
129: 2013/10/29(火) 13:05:17 ID:i83WYtN.
男「それはどういう意味だ?」
星の副隊長「恥ずかしながら我が国ではその剣を試作したものの、それを使いこなせる闘気を持つ者がいなかったのです」
時魔女「闘気っていうのはまだ研究段階だから仮称だけど、つまり精神力と肉体的な技量を併せたような力。単純にその人の強さだと思っていいよ」
相変わらず星の国の人間が言う事は端々が解らない。
ただ月の国で最強の称号を得た俺は、星の国でも並ぶ者がいないという事なのだろう。
正直なところ、気分は良かった。
幼馴染「顔、緩んでるよ」
男「うるせえな」
131: 2013/10/29(火) 13:09:17 ID:i83WYtN.
時魔女「でも本当の事だよ、男は強いんだね。闘気の充填率が100%に達すると、あの斬撃を出す事ができるの」
星の副隊長「もちろん刀身に闘気を溜めたまま切りつける事も可能です。その場合は充填率によって威力が変わる事になります」
時魔女「あの時は130%位まで加圧されてたけど、理論上は150%で金剛石でも砕けるはず。限界が何%なのかは未知数ね」
金剛石を砕くとはとてつもない話だが、あの時で後に気を失うならそれ以上だと氏を覚悟しなければいけない気がする。
ただ対翼竜戦においての命を賭けた一撃としては、使えるかもしれない。
男「でも、俺が持ってていいのか?これは星の国の兵器だろ」
時魔女「試作品だからね。使いこなせる人に使って貰って、こっちはデータが欲しいところだから」
俺にしか使いこなせない剣とは、まるで神話上の勇士にでもなったような気分だ。
さっき幼馴染に指摘されたが、どうしても顔が緩む。
女「…男さん、気を良くしているところ申し訳ないのですが。それは実験台という意味ですよ」
男「女まで言うか」
星の副隊長「おや、ばれてしまったようですね。あはは…」
132: 2013/10/29(火) 13:10:13 ID:i83WYtN.
星の兵士「魔物です!コボルドとオークの混成群!数、およそ50以上!」
先頭を行く兵からの声が響く。
そう強い魔物ではないが五十体以上とはなかなかの規模だ、混戦は避けられまい。
男「弓兵隊と魔法隊は手を出すな!同士討ちになりかねん!盾兵は弓兵と魔法隊の周囲で擁護しろ!槍兵隊、俺に続け!」
幼馴染「私も行くわ!」
男「弓の修練にかまけて剣の腕が落ちてないなら、来い。女は時魔女と一緒に魔法隊と同じくしろ」
女「でも…!私は魔法で仲間を巻き添えになどしません!」
女は強い口調で異を唱えた。
たぶん俺が幼馴染の参戦を認めたからなのだろう。
男「最初の約束だったはずだ、戦場では俺の命に従え」
少しずるい気もしたが、こう言えば彼女も逆らえない。
まだ不服ありげな表情ではあるものの、女は小さく「解りました」と答えた。
133: 2013/10/29(火) 15:38:01 ID:i83WYtN.
男「槍兵、各自散開!殲滅しろ!」
俺は剣を抜き、駆け出した。
右側にコボルド三体、その向こう左側にオーク一体。
駆け抜けるならここだ、一気に群れの後方まで回って魔物を撹乱してやる。
男「街道の旅人を脅かす雑魚共め!我が隊と出会ったのが運の尽きだ!」
最初のコボルドが粗末な槍を大ぶりに翳すが、振り下ろす間も与えない。
その胴を真二つに切り裂きながら、目は次の個体に向ける。
やはりこの剣は軽い、無意識に片手持ちをしてしまうが長さは両手持ちの大剣に迫るほどだ。
それを片手で振り回せるのだから、よりリーチは長く、斬撃はより速い。
闘気の充填などせずとも、通常の剣よりはるかに強いのは間違いない。
男(強度はどうだ…!?)
二体目を袈裟懸けに切り伏せる。
幾つもの骨を切断したはずなのに、刃こぼれはおろか刀身が震える感触すらない。
134: 2013/10/29(火) 15:39:51 ID:i83WYtN.
男「こいつはすごいな…!」
目に捉えた三体目のコボルドは手にした槍を振りかぶり、投げつけてきた。
魔物にしては見事な投撃だ、槍は俺の胸目掛けて真っ直ぐに飛来する。
俺は剣の側面でそれを叩き除けて、得物を無くした個体を睨んだ。
そのコボルドの向こう、俺が一連の攻勢で最後に捉えようと考えていたオークの首が、血飛沫を上げて飛ぶのが見えた。
幼馴染「やるじゃない、ドラゴンキラーは伊達じゃないわね!」
男「余計な事すんじゃねえよ!」
俺は三体目のコボルドを仕留めながら、オークを倒した凶刃の主に悪態をつく。
彼女が振るうのはカタナと呼ばれる、旭日の国で使われる独特な形状の剣だ。
女性の力でやすやすとオークの首をはねるとは、その切れ味は聞きしに勝るものに違いない。
男(…後で見せて貰おう)
135: 2013/10/29(火) 15:40:29 ID:i83WYtN.
振り返れば槍兵も奮闘している、群れの中央後方が大きく空いた。
そこに陣取っているのは、他の個体よりふた回り程も大きな威厳あるオーク。
あれが群れの長に違いない。
男「奴は俺がとる!横槍入れるんじゃねえぞ!」
幼馴染「女さんが観戦に徹してるからって、張り切ってんじゃないの」
男(うるせえ、ちょっとは格好つけさせろ)
狙う巨躯に近付く間に、おまけで二体のコボルドを切り落とす。
長の危機を感じとったか、傍に控えていた他とは身体つきの違うコボルドが立ちはだかる。
恐らく群れの副リーダーなのだろうその個体は、低級な魔物とは思えない速さで俺に切りかかった。
…しかし。
男「さすがだ…副隊長」
月の副隊長「…出過ぎました。格好をつけたいのは私も同じ故、お許しを」
ニヤリと笑う三十路越えの男は、俺の目にはなかなか精悍に映る。
あとは、あの星の副隊長が惚れてくれればいいのだが。
136: 2013/10/29(火) 18:37:56 ID:i83WYtN.
………
…
時魔女「男、強いねー」
女「………」
時魔女「…女ちゃん、もしかして機嫌悪い?」
女「…そんな事ないです」
時魔女「置いてけぼりされたから?」
女「………」
時魔女「幼馴染ちゃんもがんばってるもんねー」
女「…あのくらい」
時魔女「…意外と可愛い性格してるよね」
女「………あっ」
時魔女「大丈夫だと思うよ?男…ほらね、後ろに目がついてるのかってくらい隙が無いもの」
女「…何も言ってません」
時魔女「本当、可愛いなー」
137: 2013/10/29(火) 18:39:25 ID:i83WYtN.
………
…
オークがその豪腕を振るう。
敢えて槍や棍棒のような得物を持っていないのは、粗末な武器などより自らの巨躯こそが凶器だと解っているからだろう。
高等な知能は無くとも、この怪物は幾多の争いを勝ち抜く中でそれを悟ったのだ。
男「たかがオーク…そうは思わん、貴様の全力を切り伏せてやる」
恐らく喰らえばダメージは重い。
俺は慎重に間合いを取り、その隙を窺った。
次にオークが繰り出したのは、それは今までよりも少し大振りな一撃。
ここまでの打撃が紙一重で空を切ってきた事に苛ついたのか、また俺を捉え損なったその惰力で巨躯が背中を見せる。
138: 2013/10/29(火) 18:39:57 ID:i83WYtN.
男「…貰った!」
俺はオークの背後に回り、そのままでは刃の届かないその首目掛けて跳躍した。
サラマンダー戦でそうしたようにダガーを巨体の背に突きたてる。
しかし硬い竜の鱗とは違い、足を掛けられる程の支持力は得られない。
ダガーを握った左手一本で懸垂をする要領で、自らの身体をあと数フィート高く持ち上げた。
男「届いたぞ、バケモノ」
その肩口から斜めに深く、剣を突く。
身をよじるオーク。
俺は刺した剣を支点に巨躯の前方に身を翻すと、後ろ手のままその身体を引き裂き地に降りる。
数秒ほどの間をもって、背後の地面が揺れた。
俺は自らの頬に散った返り血を拭い、剣を鞘に収める。
残り数体のコボルドも、槍兵の奮戦によって倒されようとしていた。
150: 2013/10/30(水) 21:08:36 ID:HKG/Ie9M
時魔女「男、幼馴染ちゃん、お疲れ様!乱戦ではボクあんまり役に立たなくて、ごめんねー」
時魔女は水に濡らした拭き布を渡しながら、俺達を迎えた。
男「何言ってんだ。七竜戦では時魔法が要になるんだから、役割はそれぞれでいいんだよ」
幼馴染「そうそう。私だってサイクロプスみたいに弱点のはっきりした相手じゃなかったら、地味に矢を射るしかできないんだから」
時魔女「でも幼馴染ちゃんの接近戦も格好良かったよ!あ、もちろん男もね!」
兵に負傷者こそあるが、時魔女の時間逆行を必要とするような重傷を負ったのは片目をやられた一名のみ。
それも数分以内の事なので、彼女の力で無かった事にできた。
戦果は良好、快勝と言っていいだろう。
ただ接近戦でオークを相手にすると、浴びる返り血がひどい。
今夜は是非とも川か湖があるところで野営したいところだ。
女「拭き布を」
男「ああ…大丈夫、自分でするよ」
女「背中は思うように拭けないでしょう?…貸して下さい」
女はちょっと強引に俺から布を奪った。
151: 2013/10/30(水) 21:10:17 ID:HKG/Ie9M
ごしごしと背中に浴びた返り血や泥を拭ってくれているが、少し力が強すぎやしないか。
男「おい、腕とかは自分で拭けるって」
女「今は戦時ではありません。やめろと言われても、命に従う義務は無いかと」
男「…誇りに背かない命ならいつでも従うんじゃなかったか」
女「夫の身嗜みを整えるのは、妻の役目と考えておりますので」
昨夜からどうも機嫌が悪い、まあ理由は解っているけれど。
気だて良く振る舞い、夫の心の安らぎとなる事は妻の役目じゃないのか…とは思っても言わない。
何故ならそれは、本心じゃない。
男「格好つけたつもりだったんだけど」
女「お望みの言葉は、今日は言いません」
男「…お前の性格、見えてきた気がするよ」
少なくとも結婚してから言う台詞ではないな…言った後からそう考えて苦笑する。
でもそんな女の性格と振る舞いを、俺は気に入っているんだろう。
最初、気を遣うばかりでぎこちなかった二人の関係は、いつしか俺にとって心安らぐものになっていた。
152: 2013/10/30(水) 21:12:14 ID:HKG/Ie9M
……………
………
…
…月の国、北東の港町
月の副隊長「総員、整列!」
無事に帰還した60余名全員の兵が、足を鳴らして広場に整列する。
サイクロプス討伐成功の報告をもって凱旋した港町、夜には自治体の振る舞いによる宴が催される事になった。
海からサーペントが消え、断続的に町を襲うサイクロプスの脅威も無くなった事で、港町の民の生活は格段に安定したものとなる。
それを成した星の国の一団と我々に対するせめてものもてなしだと、町長は顔を綻ばせて言ってくれた。
男「討伐隊全員、各自夕刻までは思い思いに過ごすがいい。ただし…」
月の副隊長「宴まで羽目を外すな…ですな」
男「そういう事だ、なんだかこの町に入る度に言ってるな。…あと明朝には町の伝令所に今後の命についての指示が入る事になっている」
国内の主な拠点までは数マイル毎に中継所が設けられ、日射鏡を使った信号による通信網が整備されている。
それは月の国と星の国のように同盟を結んだ国家同士にも巡らされ、実質のところ月・星・旭日・白夜の四か国は一日程度のラグはあれど相互に通信する事が可能だ。
男「いつ号令をかける事になるか解らん、明日の午前中は宿泊所で待機せよ」
153: 2013/10/30(水) 21:13:34 ID:HKG/Ie9M
月の副隊長「午前中だけでよろしいので?」
男「午後になってから急な指令など入っても、この大所帯がすぐに発てるものか。それにこの美しい海を前に一日中待機など、俺が耐えられん」
一同が失笑した。
月と星の混成部隊だが、随分馴染んできたと思う。
男「…総員、素晴らしい活躍だった。宴では貴様ら勇士が俺に杯で挑んでくる事を期待している。では、解散!」
やはり俺は討伐隊々長には向いていない。
号令に従い、生き生きとした顔で解散してゆく隊員達が、親しい友人のように思えてしまう。
いつか彼等を氏地に送る号令を掛ける事になるかも知れないというのに。
154: 2013/10/31(木) 19:22:12 ID:wvXawXYo
……………
………
…
…翌朝
男「う…うぅ…午前中は待機って言っといて良かった…」
頭が割れそうに痛い、胸の辺りは火がついたように熱い。
女「連日飲み過ぎです、お身体の事も考えて下さい」
男「だってあいつら順番に挑んでくるんだもんな…」
女「自業自得です。…お水、要りますか?」
男「頼む…」
女は呆れた溜息をつくと「氷を貰ってきます」と言い残し、部屋を出ていった…
…と、思った。
………
…
…翌朝
男「う…うぅ…午前中は待機って言っといて良かった…」
頭が割れそうに痛い、胸の辺りは火がついたように熱い。
女「連日飲み過ぎです、お身体の事も考えて下さい」
男「だってあいつら順番に挑んでくるんだもんな…」
女「自業自得です。…お水、要りますか?」
男「頼む…」
女は呆れた溜息をつくと「氷を貰ってきます」と言い残し、部屋を出ていった…
…と、思った。
155: 2013/10/31(木) 19:24:10 ID:wvXawXYo
しかしドアは閉まる途中で止まり、その陰から再度顔を覗かせる女。
女「覚えて無い…みたいですね」
呟くようにそう言った彼女は頬を赤らめ、どこか拗ねている風に目に映る。
男「…え?」
そして彼女の姿は部屋の外に消え、ドアは閉じられた。
男「………え?」
しばし頭が真っ白になった後、急に嫌な汗が吹き出す。
男(ちょっと待て、何だそれ!俺…昨夜、何かしたのか!?)
だって今朝、俺は二日酔いに苛まれながらもいつも通り二人同じベッドで目覚めた。
いや、女は俺より早く目覚めてはいたけど…とにかく寝床は共にしてたんだ。
156: 2013/10/31(木) 19:24:43 ID:wvXawXYo
つまり昨夜、酒に飲まれた俺は彼女に『しようと思えば何でもできた』事になる。
男(何にも覚えて無えよ…どうやって部屋まで帰ったかさえ解らないんだぞ)
とりあえず今いるベッドに掛けられている薄手の毛布を払い除け、シーツの状態を確認。
…そう著しく乱れてはいない。
男(そりゃそうだろ!だって俺、服着てるものな!)
少なくとも真っ白な彼女を赤く染めるような事には、至っていないものと思われる。
ホッと胸を撫で下ろした。
157: 2013/10/31(木) 19:26:16 ID:wvXawXYo
さて、じゃあ俺は何をした。
彼女の純潔を完全に奪うまでの事はしていないとして、その一歩手前とかはありえないか?
つまり彼女を押し倒したり、ひん剥いて…こう…ほら、もにょっと…
女「…何の手つきです?」
男「うぉっ!?…も、戻ったのか」
女「氷を頂きに行っただけですから…そんなに驚かれるとは思っていませんでした」
男「驚いてない、ぜんぜん」
女は氷水のグラスを差し出して、俺の額に手を当てた。
ひやりと冷たい、白く細い指。
女「まだ火照ってるんじゃないですか…?」
さっきまでの疚しい考えを引きずっているのか、どうもその言葉が意味深に思えてならない。
男「なあ、さっきの…どういう意味だ?俺、昨夜…何かしたのか」
女「本当に覚えてませんか」
男「すまん、さっぱり解らん」
158: 2013/10/31(木) 19:27:09 ID:wvXawXYo
女はまた拗ねた風な顔を作り、ぷい…と横を向く。
その横顔を暫く見つめていると、彼女は口籠もらせながら言った。
女「唇を…奪われましたのに」
…頭を整理する。
これは、なんて事をしてしまったと後悔すべきか、その程度で良かったと思うべきなのか。
男「本当かよ…すまない…」
女「別に謝らずとも構いません。…でも」
でも、覚えていないなんて失礼極まりないだろう。
男「女、昨夜は本当に酒でどうかしてたんだと思う。覚えてもないなんて…俺だって気がすまない」
女「………」
男「無かった事にはしてくれないか?…それで、その…」
形式上でも妻だ、不貞を働いたわけではない。
…だから、せめて。
男「今、しよう。もう一度…これが初めてって事で」
159: 2013/10/31(木) 19:28:15 ID:wvXawXYo
女「…承知しました」
男「ちょ…ちょっと、口を濯いでくるから」
俺はベッドから立ち上がると、早足に洗面台に向かう。
途中で軽く足が縺れてフラついた、いかん…焦っている。
男(ああ…きっと今日は酒臭いはずなのに。いや、昨夜はもっと酷かったか…)
荒い粒子の磨き粉を指に取り、念入りに口内を磨く。
肉桂のフレーバーをできるだけ擦り込み、丁寧に口を濯いで。
…これで大丈夫、多分。
女はさっきと変わらずベッドの脇に佇み、こちらに背を向け俯いている。
一歩ずつ歩み寄る、それに従い俺の胸は次第に早鐘を打ち始めた。
もう二十代も半ばに差し掛かろうとする、いい大人だというのに。
ずっと剣術の鍛錬に明け暮れて、こういう点では少年にすら劣る自分が情けない。
160: 2013/10/31(木) 19:29:44 ID:wvXawXYo
男「………女…」
その肩に手を掛けると、彼女はゆっくりとこちらに振り返った。
頬を朱に染め、目は俺を見ているようで少し焦点が定まっていない風に見える。
男「昨夜、すまなかった。…これは誇りに背きはしないよな?」
女「…妻ですから」
細い両肩を持ち、軽く引き寄せた。
抵抗することなく、俺の胸に身体を預ける女。
彼女が上を向き、目を閉じた。
俺はその艶やかな桜色の唇に吸い込まれるように、顔を近づけ…
時魔女「おっはよー!伝令文きたよー!」
慌て弾けるように身を離す。
部屋のドアの開く向きが逆なら、目撃されていたに違いない。
時魔女「あれ?…もしかしてタイミング最悪だった?」
男「ぜんぜん!」
女「………」
161: 2013/10/31(木) 19:30:58 ID:wvXawXYo
月王からの伝令、そこに記された新たな任務は旭日の国と落日の国の間に広がる砂漠へ赴く事だった。
砂漠に巣食うのは七竜の一、渇竜と呼ばれるヴリトラ。
伝令文のそこまでに目を通し、翼竜討伐でない事に落胆する。
しかし文の続きには、こう記されていた。
『昨今、砂漠上空における翼竜の目撃が頻発。点在するオアシス近隣の居住地への被害報告も在り。ヴリトラ討伐は元より、二頭の竜を一掃する事を期待する』
…心臓が大きく脈打った。
ついに、あの翼竜を討てるかもしれない。
俺は胸に手を当て、その昂りを確かめてみる。
怖れなど無い。今、この胸に打つのは奮いの鼓動だ。
自然と口の端が上がる、拳を握り固める。
男(墜つべき時が来たぞ、翼竜…!)
二日酔いの不調など、どこかへ失せていた。
162: 2013/10/31(木) 19:33:53 ID:wvXawXYo
………
…
港町の外れ、砂浜を女と二人で歩く。
竜討伐の命に気は急くものの、伝令文の更に続きには増援の兵を送るために数日この町で待機の指示が記されていた。
もしかしたら七竜との連戦になる可能性もある、確かに増援は必要だろう。
男「さっきは参ったな、結構いい雰囲気だったんだけど」
女「すみません…部屋に戻った時に鍵を下ろしておけばよかったものを」
男「お前のせいじゃないよ、別に時魔女が悪いわけでもないし」
話しながらゆっくりと、足は砂浜の端に見える岩場に向いていた。
そこへ歩むのは無意識か、それともわざとか…その岩場なら人目につかないところもあるだろう。
女もそれを察しているかもしれない。
海岸、波の音、潮の香り、人目につかない岩場…狙い過ぎだろうか。
163: 2013/10/31(木) 19:34:25 ID:wvXawXYo
…しかし辿り着いた岩場には。
月の兵A「あ、隊長殿!」
月の兵B「散歩ですか、待機継続ですものね」
こいつらの顔、見覚えが強い。
昨夜、俺に順番に挑んできた最後の二人だ。
男「…お前ら、ここで何を?」
男二人で人目につかない岩場って、理由によっては隊の在り方を考えなければならない。
まあ二人が提げた麻袋をみれば、およそ察せられるが。
月の兵B「この岩場、栄螺や雲丹が採れるんですよ」
月の兵A「さっきなんか小振りですが鮑を拾いました、晩酌が捗りますよ」
兵が開いた袋の口を覗いてみると、ごろごろと型の良い栄螺が重なっている。
男「…なるほど。だがこの町の漁師はそれらで生計をたてているんだ、程々にしろよ」
月の兵A「自分らの晩酌のアテになれば充分ですから、もうここまでにします」
月の兵B「隊長殿も拾ってみては?…ああ、さすがに今日はもう酒は召されませんかね」
164: 2013/10/31(木) 19:35:54 ID:wvXawXYo
男「まあ昨夜さんざん飲んだ…いや、飲まされたからな。…他でも無い貴様らに」
月の兵A「覚えておいででしたか…確かに自分らのせいですが、大変でしたよ。隊長殿を部屋まで運ぶのは」
月の兵B「引きずってベッドに寝かせても、いっさい目を覚ましませんでしたからね」
男「俺は酒に酔って寝たら起きない事で有名なんだ。まあ、一応すまなかった…と言っておこうか」
兵士二人は軽く会釈をして、すぐに岩場を離れてゆく。
たぶん女を連れた俺に気を遣ったのだろう、これで本当に人の目は無くなった。
…少し雰囲気は失われてしまったように思うが。
男「…あれ?」
女「………」
そこで俺は、ある事に気付く。
先の兵士の言葉が正しければ…
男「兵に引きずられて…ベッドに…?」
165: 2013/10/31(木) 19:37:07 ID:wvXawXYo
女「か…帰りましょう、男さん!」
男「…いっさい目を覚まさずに?」
女「そうだ!また波止場の近くの露天で牡蠣を食べませんか!?」
急にあたふたと挙動を乱す女。
俺の中に芽生えた疑念が、確信に近付く。
さあ、どうする…?
女「この間の焼き牡蠣、美味しかったです!食べたいですっ!」
いかにも普段らしくない女の態度からして、おそらく俺の予想は違わない。
女「そう、今度は時魔女さんも誘いましょう!それがいいです!」
でも、ここでそれを糾弾するのは無粋じゃないか、女に著しく恥をかかせる事になる。
女「ええと…あの、あの…!」
俺は女が望む通り露天市に行こうと考え、その旨を言おうとした。
男「じゃあ」
女「ごめんなさいっ…!」
166: 2013/10/31(木) 19:38:20 ID:wvXawXYo
しかし、少し間に合わなかった。
突然の謝罪、彼女の方が罪の意識に負けてしまったらしい。
女「だって!だって、仕方なかった!突然に幼馴染さんが現れて…彼女は昔、男さんの事が好きで…!」
男「女、もういいから…」
恥ずかしさのせいなのか、彼女は顔を真っ赤にして目を潤ませている。
女「私よりずっと男さんの事、よく知ってて…一緒に過ごした時間は比べものにならなくて…」
ひと滴、ついに涙は頬を伝う。
俺は疑念を抱いた時に、それを口にしてしまった事を悔やんだ。
女「私は男さんの妻なのに…それは形式上の事で…夫婦なのに、口づけすらした事…無くて…」
そもそも悪いのは俺だ。
婚姻を形式上の事にしたのも、夫婦だというのに彼女の手さえ握らなかったのも。
167: 2013/10/31(木) 19:38:53 ID:wvXawXYo
男「女、顔を上げろ」
彼女がそれに従うより先に、俺はその背中に手を回して華奢な身体を抱き寄せた。
女「………!」
驚いて上を向いた女、その唇を強引に奪う。
彼女の身体が強張り、やがてその力を抜く。
数秒の口づけを終えて、俺より小さなその身体を解放しようとした時、今度は俺が彼女の細腕に抱き締められた。
俺の胸に顔を埋めて、ぐいぐいと首を横に振る。
きっと涙を拭いたんだろう。
そして今は顔を見るな…という事なんだろう。
171: 2013/11/01(金) 17:45:48 ID:chjj9IH6
……………
………
…
…三日後
月の副隊長「総員、整列!」
昨夜、月の増援部隊が合流して総勢120名を越す規模となった討伐隊。
その全員が普段は運輸物資の集積場所となっている港の広場に整列した。
目の前には隊の専用艇として確保された三隻のキャラック船が出港の時を待っている。
これまで以上に本格的な部隊を率いる事となった今、元々の軍人ではない俺は些かの気後れを覚えていた。
男「合流部隊諸君、長旅ご苦労だった。…しかし参ったな、こんな大所帯の指揮など慣れるものじゃない」
元々の討伐隊、既に気の知れた仲間達が小さく失笑する。
きっと笑いは噛み頃したのであろう増援部隊の面子も、この部隊の隊長たる俺が最近まで農夫であった事くらいは知っているだろう。
男「まあ…今は気楽に聞いてくれ。これより我が隊は海を超え、旭日と落日の間に広がる砂漠を目指す。…長い旅になるだろう」
天候が良くて航海が六日、そこから砂漠までの行軍も十日ではきかない。
男「おそらく戻る頃には季節すら変わろう。それほどの時を共に過ごし氏線を超える我々は、国も故郷も越えて一つの絆で結ばれるべきだと思う」
………
…
…三日後
月の副隊長「総員、整列!」
昨夜、月の増援部隊が合流して総勢120名を越す規模となった討伐隊。
その全員が普段は運輸物資の集積場所となっている港の広場に整列した。
目の前には隊の専用艇として確保された三隻のキャラック船が出港の時を待っている。
これまで以上に本格的な部隊を率いる事となった今、元々の軍人ではない俺は些かの気後れを覚えていた。
男「合流部隊諸君、長旅ご苦労だった。…しかし参ったな、こんな大所帯の指揮など慣れるものじゃない」
元々の討伐隊、既に気の知れた仲間達が小さく失笑する。
きっと笑いは噛み頃したのであろう増援部隊の面子も、この部隊の隊長たる俺が最近まで農夫であった事くらいは知っているだろう。
男「まあ…今は気楽に聞いてくれ。これより我が隊は海を超え、旭日と落日の間に広がる砂漠を目指す。…長い旅になるだろう」
天候が良くて航海が六日、そこから砂漠までの行軍も十日ではきかない。
男「おそらく戻る頃には季節すら変わろう。それほどの時を共に過ごし氏線を超える我々は、国も故郷も越えて一つの絆で結ばれるべきだと思う」
172: 2013/11/01(金) 17:46:24 ID:chjj9IH6
行軍の間には雑多な魔物との交戦もあるだろう。
環境の違いに身体を悪くする者もいるかもしれない。
その時に長たる俺が気後れなどしていてどうする。
男「家族にも似た絆だ。俺は諸君らの全てを率き連れて戻りたい。…問おう、俺に命を預けられるか」
全兵「「「サー、イエッサー!」」」
男「諸君らにもそれぞれの家族があろう。しかし今これからは我々部隊がその代わりだ。家族を護るように、隣に立つ仲間を庇い、護ると誓えるか」
全兵「「「サー、イエッサー!」」」
男「ならば我ら家族の想いは一つだ。必ず竜を討ち、全員が生きて帰り、祝杯を交わす。…それ以外の戦果は望まん!」
全兵「「「サー、イエッサー!」」」
男「目指す栄光は海原の向こうにある。…総員、乗船せよ!」
173: 2013/11/01(金) 17:47:28 ID:chjj9IH6
………
…
…一時間後
男「うええぇぇぇぇぇ」
幼馴染「船酔いなんて情けないなあ…」
仕方ないだろう、こんな大きな船に乗った事なんて無い。
大きな船の方が揺れは少ないと言うけれど、そもそも波の無い川でカヌーより少し大きい程度の運搬船にしか乗った経験は無いのだ。
男「うぅ…この大きな間隔の揺れが、氏ぬほど気持ち悪い…」
幼馴染「はぁ…演説は格好良かったのに、見る影も無いね」
うるせえ、罵るだけならどっか行け。
俺には口づけも交わし絆を深めた女がいる…
女「………くっ」
男「今、笑ったよな」
もういい、ほっといてくれ。
…
…一時間後
男「うええぇぇぇぇぇ」
幼馴染「船酔いなんて情けないなあ…」
仕方ないだろう、こんな大きな船に乗った事なんて無い。
大きな船の方が揺れは少ないと言うけれど、そもそも波の無い川でカヌーより少し大きい程度の運搬船にしか乗った経験は無いのだ。
男「うぅ…この大きな間隔の揺れが、氏ぬほど気持ち悪い…」
幼馴染「はぁ…演説は格好良かったのに、見る影も無いね」
うるせえ、罵るだけならどっか行け。
俺には口づけも交わし絆を深めた女がいる…
女「………くっ」
男「今、笑ったよな」
もういい、ほっといてくれ。
174: 2013/11/01(金) 17:48:14 ID:chjj9IH6
見張り兵「9時方向の島嶼より飛来する影あり!数は10…いや、12です!」
男「副隊長…頼む」
女「しっかりなさって下さい、副隊長殿は二番艦にご搭乗です!」
男「じゃあ時魔女…」
幼馴染「時魔女ちゃんは三番艦」
そうか、そうだった。
見張り兵「敵影はバルチャー!かなり大型です…!」
男「…どうせ剣も槍も届くまい。弓兵…魔法隊、応戦せよ。…うえええぇぇぇ…」
幼馴染「どの口がさっき隣の兵を護れって言ったのよ」
男「…今は俺を護ってくれ」
不服を垂れながらも幼馴染は弓を構える。
女「ふふ…私は嬉しいです。たまには夫に頼られないと」
男「…よろしく」
175: 2013/11/01(金) 17:50:36 ID:chjj9IH6
幼馴染「与一流、炸矢…!」
鋭く矢を射る幼馴染。緩い弧を描き怪鳥を目指す矢は、相手の回避によって目標を捉え損なったように見えた。
しかし矢がその怪鳥の翼下をくぐろうとする時。
幼馴染「そんなに小さく躱しても意味は無いわ」
閃光と共に矢が炸裂する。
つがえていた矢は普通の鏃に見えた…という事は、これも魔力を籠めた旭日の弓術なのだろう。
女「…翼を焼き払います」
ほんの数秒、略式にしても短い程の詠唱を経て女が手を翳す。
一瞬にして火に包まれる翼、なす術無く堕ちる巨鳥。
幼馴染「惜しげも無く魔法使ってたら、魔力がもたないわよ?」
女「あら、ここは海の上ですから…矢こそ大事にしないと回収できませんよ」
幼馴染「…言うじゃない」
女「ライバル視してますから」
互いに憎まれ口のような言葉を交わしながらも、最初の夜のように深刻な雰囲気ではない。
関係はどうあれ、二人は馬が合う存在らしい事は解ってきていた。
鋭く矢を射る幼馴染。緩い弧を描き怪鳥を目指す矢は、相手の回避によって目標を捉え損なったように見えた。
しかし矢がその怪鳥の翼下をくぐろうとする時。
幼馴染「そんなに小さく躱しても意味は無いわ」
閃光と共に矢が炸裂する。
つがえていた矢は普通の鏃に見えた…という事は、これも魔力を籠めた旭日の弓術なのだろう。
女「…翼を焼き払います」
ほんの数秒、略式にしても短い程の詠唱を経て女が手を翳す。
一瞬にして火に包まれる翼、なす術無く堕ちる巨鳥。
幼馴染「惜しげも無く魔法使ってたら、魔力がもたないわよ?」
女「あら、ここは海の上ですから…矢こそ大事にしないと回収できませんよ」
幼馴染「…言うじゃない」
女「ライバル視してますから」
互いに憎まれ口のような言葉を交わしながらも、最初の夜のように深刻な雰囲気ではない。
関係はどうあれ、二人は馬が合う存在らしい事は解ってきていた。
176: 2013/11/01(金) 17:52:23 ID:chjj9IH6
他の兵士の活躍もあり、バルチャーの襲来は被害無く乗り切る事ができた。
このまま沖へ進み、周りに島などが無い辺りになれば水中に棲むもの以外の魔物は現れなくなると思われる。
水中の魔物にしてもサーペントのいない今、この大きさの船を襲える者などそうはいまい。
男「おえええぇぇぇ…」
後の悩みはいつ俺が落ち着くか、それだけだ。
男「女…水、頼む」
女「なんだか私、飯炊き女ならぬ水汲み女みたいですね」
口づけを交わして以降、当たり前だが女との仲はより親密になったと思う。
もう最初のように気を遣う事も無く、こうして冗談すら言ってくれる程だ。
女「はい、どうぞ…あ、ちょっと待って下さい」
女は渡そうとした器を左手に持ち直し、右掌を胸の前で上に向けると何かを小さく唱えた。
きんっ…という音と共に、その掌の上に現れる氷塊。
女「あら、少し大き過ぎました…器に入りきっていないので、気をつけて飲んで下さい」
男「…便利なもんだな」
冷えた水を喉に通すと、幾分か胸がすっきりした気がした。
177: 2013/11/01(金) 17:53:10 ID:chjj9IH6
………
…
船旅も三日目になると、すっかり船酔いもしなくなった。
でもそれは今回に慣れただけで、帰りがけの船ではまた発症するのだろうか。
男(七竜に挑むんだ、帰りの心配をするのは早いか…)
俺は遠い水平線を見遣りながら、迫る戦に想いを馳せる。
七竜、特にワイバーンに対しては命を賭して挑むつもりだ。
兵に対する伝令では総員生きて帰る旨を語ったが、サラマンダー戦でも七人が散った事を思えば難しい話なのは解っている。
人の命は皆、平等な筈だ。
この隊の全てが家族だ…そう兵達にも告げた、それは嘘じゃない。
でも誰よりも、隣に佇む女を氏なせたくないと思うのは仕方のない事だろう。
女「…水平線の景色は素敵ですけど、こうも毎日それしか見えなければ退屈ですね」
男「まあな…俺は落ち着いて眺められるようになったのは、今朝くらいからだけど」
女「あはは…そうでしたね」
このごろ女は、よく笑うようになったと思う。
…
船旅も三日目になると、すっかり船酔いもしなくなった。
でもそれは今回に慣れただけで、帰りがけの船ではまた発症するのだろうか。
男(七竜に挑むんだ、帰りの心配をするのは早いか…)
俺は遠い水平線を見遣りながら、迫る戦に想いを馳せる。
七竜、特にワイバーンに対しては命を賭して挑むつもりだ。
兵に対する伝令では総員生きて帰る旨を語ったが、サラマンダー戦でも七人が散った事を思えば難しい話なのは解っている。
人の命は皆、平等な筈だ。
この隊の全てが家族だ…そう兵達にも告げた、それは嘘じゃない。
でも誰よりも、隣に佇む女を氏なせたくないと思うのは仕方のない事だろう。
女「…水平線の景色は素敵ですけど、こうも毎日それしか見えなければ退屈ですね」
男「まあな…俺は落ち着いて眺められるようになったのは、今朝くらいからだけど」
女「あはは…そうでしたね」
このごろ女は、よく笑うようになったと思う。
178: 2013/11/01(金) 17:53:52 ID:chjj9IH6
女「あら…?幼馴染さん、船尾で何をされているのでしょう…」
見ると幼馴染が船尾の低くなったところで、何かごそごそと弓を弄っている。
男「何してるんだー?」
幼馴染は声に気付き、こちらを振り返った。
そして弓を高く掲げて「まあ見てて」と大きな声で告げた。
遠目で判りにくいが、弓には弦が張られていないように見える。
幼馴染「てーい!」
彼女が海に向かって振りかぶる、その仕草でピンときた。
男「釣り…か、アイツも暇だったんだな」
179: 2013/11/01(金) 17:54:24 ID:chjj9IH6
女「楽しそう、見に行きましょう」
言うより早く女は船尾に向かって歩き出した。
皇女という立場にあった彼女だ、こういう俗な遊びを見るのは初めてなのだろう。
男(竜を討ち、全てが終わったら…二人で色んな所に旅をするのも悪くないかもな)
ついさっき帰りがけの心配をする事さえ早いと考えたばかりの筈なのに。
本当に命を賭して竜に挑む気があるのかと、自分で可笑しくなる。
俺はもう一度水平線に目を遣り、自分に言い聞かせるように迫る氏闘を心に描いた。
180: 2013/11/01(金) 17:55:24 ID:chjj9IH6
181: 2013/11/01(金) 18:08:11 ID:RLEwn27s
乙
引用: 農夫と皇女と紅き瞳の七竜
コメントは節度を持った内容でお願いします、 荒らし行為や過度な暴言、NG避けを行った場合はBAN 悪質な場合はIPホストの開示、さらにプロバイダに通報する事もあります