187: 2013/11/02(土) 14:21:02 ID:8Z/QAnKk

188: 2013/11/02(土) 14:22:13 ID:8Z/QAnKk

…砂漠地帯、三日目


男「…副隊長、水は保ちそうか」

月の副隊長「今、進んでいる方向に狂いが無ければ、オアシスの集落までは問題無いでしょう」

男「狂いがあった場合は?」

月の副隊長「…約120の干物が出来ますな」

男「そりゃいい肴になりそうだな…渇竜にとっての」

当たり前だが初めて訪れた砂漠、どんな所か話は聞いていたのに少々なめていたかもしれない。

歩きにくさもあってか、兵も下を向いて歩を進めている。それ故に幾分か隊列が乱れがちだ。

振り返るといつも俺のすぐ後ろに着いていたはずの女が、少し離れている。

男「女、できるだけ離れるな。砂に潜む魔物に狙われたらどうする…」

幼馴染「私が着いてるから大丈夫、気にしないで」

男「いや、お前も含めて隊列から外れるなよ」

女と幼馴染だけではない、時魔女とその副官も合わせて女性4人が隊列から外れ気味だ。

これを許せば隊の規範が乱れかねない。
葬送のフリーレン(1) (少年サンデーコミックス)
189: 2013/11/02(土) 14:22:54 ID:8Z/QAnKk

男「隊長命令だ、隊列に戻れ」

幼馴染「うるさい、大丈夫だからほっといて」

時魔女「男の鈍ちん」

なんだ、この言われようは。

いかに幼馴染は直接の部下では無いし、時魔女は本来なら俺と同列の立場であろうとも、ここはビシッと言わねばなるまい。

男「お前ら、身勝手な事を言うんじゃない!砂漠の行軍が大変なのは皆一緒なんだぞ!」

月の副隊長「隊長殿、察してやりましょうぞ」

男「副隊長まで…何を甘い事を」

月の副隊長「…失礼ながら、確かに鈍いかもしれませんな。隊長殿、砂漠に入ってから三日…風呂も行水もお預けなのですぞ」

…ああ、なるほど理解した。

臭いのか、俺も、皆も、彼女ら自身も。

男「…今日中にオアシスまで行けるか」

月の副隊長「微妙なところですな」

道理で昨夜、夫婦となってから初めて別々に寝ると言い出したわけだ。

190: 2013/11/02(土) 15:37:19 ID:8Z/QAnKk
……………
………


…その夜、オアシスの集落


男「砂漠の民の酋長殿、この度は宿の提供を感謝する」

酋長「何という事はありませぬ。数知れぬラクダを奪ってきた憎きヴリトラを征伐して下さるのであれば、こんな有難い事は無い」

小さなかがり火の灯るテントの中で、酋長の老人は言った。

酋長「ヴリトラは砂に潜み、砂を泳ぐ竜…砂漠で地震のような大地の震えを感じたら、注意召されますよう」

月の副隊長「砂に潜む…か、やりにくそうですな。酋長、どの辺りでよく現れるのか?」

酋長「いかに渇竜といえど、水も無くては生きていけませぬ故…このオアシスを中心とした半径10マイル以内に現れるのが殆どでございますな」

半径10マイルとは、出会うだけでも難しそうだ。

しかし砂に潜むという事は、逆に砂の無いところには現れないという事。

酋長「この集落は砂のすぐ下に厚い砂岩の岩盤があります故、ヴリトラに襲われる事は滅多とありませぬが…」

男「滅多に…という事は、時にはあるのか。岩盤があるなら砂を泳ぐ事はできまいに、どうやって」

酋長「年に数回の雨が降る日、ヴリトラは砂上に姿を現して這い回るのでございます。その時だけは集落を上げて見張りに努めなければなりませぬ」

191: 2013/11/02(土) 15:37:52 ID:8Z/QAnKk
………


月の副隊長「年に数回、半径10マイルの範囲のどこか解らないとなれば、雨を望み待つのも現実的ではありませんな」

男「そうだな…ラクダを囮に、半径10マイルを歩むしかないか」

オアシスの畔を歩きながら、俺と副隊長は討伐の作戦を練る。

男「砂を泳ぐ竜か…サーペントを仕留めた要領に習おうにも、砂を凍らせて固めるのは無理だろうな」

月の副隊長「時魔女殿の時間停止がどれだけ保つかが、鍵となりましょう」

ふと視界に、オアシスの水際に建てられた仮設のテントが目に入った。

テントの中にかがり火が焚かれているらしく、ほんのりと内側から照らされている。

192: 2013/11/02(土) 15:38:22 ID:8Z/QAnKk

その出入口には星の副隊長が佇み、番をしている風に見えた。

男「…副隊長、気を利かせようか」

月の副隊長「かたじけない」

我が副官は俺の元を離れ、彼女の方へ歩み寄ってゆく。

しかし、僅か手前で彼女から何かを告げられたと思うと、彼は慌ててこちらへ戻ってきた。

月の副隊長「隊長殿、戻りましょう。行ってはなりませぬ」

男「は…?」

どういう意味か解らずテントを見遣ると、その白い布に影が映り動いているのに気付く。

あれは…女だ。

それから幼馴染と、時魔女…か?

193: 2013/11/02(土) 15:39:01 ID:8Z/QAnKk

星の副隊長がテントの中に向かって何かを言っている。

男「………」

月の副隊長「見てはなりませぬ!行きますぞ!」

俺の様子に一段と慌てた風な副隊長、その雰囲気でようやく事を理解した。

テントに映る影は全員ハダカだ、行水しているのだろう。

しまった、シルエットだけどその身体のラインをしっかり見てしまった。

テントから時魔女が顔を出して何やら喚いている。

男「逃げるぞ、副隊長!」

月の副隊長「…御意!」

かがり火を中に入れるのが悪いんだ、俺たちは悪くない。

もし追求されたら、そう言おう。

194: 2013/11/02(土) 16:27:49 ID:r.NQjBHM
……………
………


…四日後、オアシスの東10マイル地点


オアシスを日々の拠点として、各方向への探査を繰り返し始めて四日目。

未だにヴリトラもワイバーンも影を見せない。

男「…そろそろ引き返さないと、オアシスに戻れなくなるな」

時魔女「なかなか出て来ないねー」

星の副隊長「これより南は砂岩の大地が多い地域ですので、竜が潜む可能性は低いでしょう」

仕方が無い、明日はもう一度北の方向へ探査を進めてみる事としよう。

幼馴染「まあ、いいわ…オアシスを拠点としてからは、ちゃんと水浴びもできるし」

時魔女「誰かさんが覗くけどねー」

男「覗いてねえ!」

195: 2013/11/02(土) 16:28:52 ID:r.NQjBHM

幼馴染「そういえば私、10歳くらいまでは男と一緒にお風呂入ってたのよー?」

男「余計な事まで言うな!」

時魔女「ひゃっほーう、女ちゃん妬けるー?」

女「子供の頃の事なんて、気にしませんっ」

砂漠の真ん中で、兵を引き連れて何を話してるんだか。

星の副隊長は別としても、女が三人寄れば姦しいのは当たり前なのかもしれない。

俺が呆れて目を逸らした、その時だった。

隊列の左手、緩い砂丘の肌がサラサラと崩れてゆく。

幼馴染「…地鳴り………!?」

次第に大きくなる大地の震え。

『…砂漠で地震のような大地の震えを感じたら、注意召されるますよう』

酋長の言葉が頭をよぎった、そして次の瞬間。

月の兵「うわああぁぁっ!」

隊列の最後尾でラクダを引いていた兵が叫ぶ。

振り返った先、そこで見たものは。

196: 2013/11/02(土) 16:30:06 ID:r.NQjBHM

男「ヴリトラだ…!総員、散開!決して固まるな…!」

渇竜は砂中から顎を露わにし、ラクダを飲み込んでゆく。

弓兵が後ろ歩きに散開しつつ、矢をつがえ構えた。

男「魔法隊、凍結魔法準備!弓兵…放てっ!」

ヴリトラはまだ動きを止めたまま、獲物を飲み込む事に専念している。

砂から覗けているのは頭の半分ほどだろう、ここで時間停止をしても有効な攻撃は出来そうに無い。

どちらが下か上かもよく解らない、その巨大な顎に数十本の矢がたつ。

しかし刺さるのはその内の数本、うまく鱗の隙間に食い込んだものだけで、後はバラバラと砂上に落ちた。

サラマンダー戦で知ってはいたが、やはり竜の鱗は固い。

僅かな痛みに怒ったのか、ヴリトラが砂中に隠していた残りの体躯を露わにする。

幼馴染「大きい!オロチと同じくらいはある…!」

197: 2013/11/02(土) 16:31:41 ID:r.NQjBHM

現れた黒い鱗を纏いし竜は、手も足も無い蛇のような姿だった。

胴体の太さは軽く10フィートを超え、体長はおそらく60ヤードに達するだろう。

男「時魔女!時間停止を!」

時魔女「了解…!魔力コンバート、時間停止モード…!」

しかし次の瞬間、ヴリトラは討伐隊の散開範囲を舐めるように見渡して、再度砂に潜ってしまった。

想像を遥かに超えるその潜行速度に、危機を直感する。

男「いかん!更に散開しろっ!足を止めるな…!」

女が俺の傍に駆け寄るが、兵だけでなく俺も止まっているわけにはいかない。

男「女、手を!走るぞ…!」

俺は女の手を左手で奪い、右手で剣を抜く。

その時、左前方の砂丘が盛り上がった。

星の兵「うわ…ああぁ…っ!」

姿を現す竜の顎、足を縺らせて転んだ兵がその牙にかかる。

198: 2013/11/02(土) 16:32:26 ID:r.NQjBHM

時魔女「くっそ…!思ったより速くてロックオンできない…!」

海から現れるサーペントと違い、全く透明度の無い砂に隠れているが故に、現れる場所に予想がつかない。

時魔女が時間停止を発動できないのも無理は無かった。

咄嗟に目の端で捉えた砂丘の向こう、砂岩の一枚岩が覗いている。

男「総員、あの岩まで走れ!急ぐんだっ!」

俺と女が100ヤードほど離れたその岩に辿り着くまでに、更に三度の襲来を受け五人の兵が顎に飲まれた。

岩の上で振り返ると、まだここに達せず走る兵の姿もある。

男「早く…!早くしろっ!」

月の副隊長「いかん…!」

その中の一人、最も遅れていた者が転ぶのが見えた。

その一人とは…

月の副隊長「くっ!…竜になど飲ませるものかっ!」

叫んだ彼は、倒れた星の副官の元へ走った。

彼女の直下、砂丘が揺れる。

199: 2013/11/02(土) 18:34:02 ID:r.NQjBHM

男「副隊長っ!回避しろ…!」

星の副官の周囲の砂が盛り上がり、竜の顎がせり出した。

駆け寄った我が副官が、星の副官を抱え逃れようとする。

閉じられんとする巨大な顎。

女「…させないっ!」

その寸前、竜の口の中に5フィート程の氷塊が生まれ、顎は完全に閉じきらなかった。

かろうじて2人はその牙を脱し、砂上に倒れ込む。

月の副隊長「星の副官殿!早く岩に…!」

星の副隊長「しかし!」

伏せたままの我が副官の周りの砂には、夥しい量の血が染みていた。

200: 2013/11/02(土) 18:34:41 ID:r.NQjBHM

ヴリトラは既に砂中に沈み、いつまた二人を襲うとも知れない。

最も近い位置にいた兵士数名が駆け寄り、負傷した副隊長を抱え上げた。

時魔女「座標、ロックオン!」

刹那、岩盤上から時魔女の姿が消える。

彼女の姿が移動したのは、副隊長らから5ヤードばかり離れたところ。

すぐにまた胸に手を翳して魔力を変換し始めているが、彼女はその場で立ち尽くし動こうとしない。

時魔女「空間跳躍モード、コンバート完了…座標よし!」

囮となった彼女の周囲で砂が弾ける。

201: 2013/11/02(土) 18:35:14 ID:r.NQjBHM

一瞬にして露になり、ばくん…と音をたてて閉じられる顎。

男「時魔女は…!?」

時魔女「ここにいるよー、ぎりぎりセーフ…」

俺のすぐ隣の岩盤上から、彼女の声がした。

副隊長も兵士に抱えられて、ようやく岩の上に運ばれる。

男「無茶な事を…、左足がズタスタじゃないか」

星の副隊長「申し訳ありません…!私が愚図な真似を…」

月の副隊長「何…そなたの上官殿がおらねば、命も無かったのだ」

男「時魔女、時間逆行は使えるか」

時魔女「連続して跳躍したから、少しの間は無理…何分かして試してみるから、ちょっと我慢して」

202: 2013/11/02(土) 18:35:48 ID:r.NQjBHM

ヴリトラは時おり頭を出しては周囲を窺い、また砂中へと消える。

いつ砂上を這って攻めてくるかもしれない、そして今はまだ時間停止で安全を確保する事もできない。

岩盤上にいたところで、いつまで凌げるものか。

男(どうする…何とかして竜を砂上に留め、動きを封じなければ)


…竜は砂中を泳ぐ。


男「女…凍結魔法で氷を作るのは、どの位の大きさまでいける…?」


唯一、竜が砂上を這うのは。


女「完全詠唱で、直径5ヤード程の球形を作ってみせます」

男「それを何度、作れるんだ」

女「…4回…いえ、5回は」


集落が竜に怯えるのは雨の日…酋長はそう言った。

203: 2013/11/02(土) 18:36:27 ID:r.NQjBHM

男「女、砂上に氷を作れ!球形じゃなく、できるだけ広い範囲に!できるだけ薄く…!」

女「…は、はい!」

彼女が完全詠唱に要した時間はおよそ20秒ほど、魔法隊のそれよりもずっと早い。

女「いきます!」

女が両手を砂漠に翳す。

耳の奥が凍りつくような甲高い音、砂漠の一部が厚さは3フィートほど広さは直径15ヤードに迫る円形の氷の板に覆われる。

男「魔法隊!火炎魔法を詠唱開始!合同ではなく、各自単体…!広い範囲を焼くつもりでいけ!」

魔法隊「はっ!」

男「幼馴染!あの炸裂の矢で氷を砕いてくれ!」

幼馴染「了解…っ!」

女「次!いきます!」

204: 2013/11/02(土) 18:36:59 ID:r.NQjBHM

俺の考えが正しければ雨の日に竜が砂上を這うのは、砂中の水分の影響に違いない。

濡れた砂は乾いたそれより、ずっと重く泳ぎ難いだろう。

幼馴染「あらかた砕いたよ!」

魔法隊「火炎魔法、発動できます!」

男「氷を溶かすんだ!放てっ!」


『いかに渇竜といえど、水も無くては生きていけませぬ故…』


生きるために水を必要とするなら、他の生物と同じように空気も必要なはず。

湿った砂の中で、思うように呼吸はできまい。

205: 2013/11/02(土) 18:37:30 ID:r.NQjBHM

氷を作っては砕き、溶かす。

最初の一地点の次は少し間を開けた地点に。

竜が顔を覗けた場所を取り囲むように、砂を濡らしてゆく。

足元に岩盤が露出しているという事は、竜のいる辺りも深くには同じ層があるのではないだろうか。

そうでなくとも砂丘の地下、集落のオアシス水面と同じレベルラインには、水脈があるに違いない。

だとすれば、竜の泳げる渇いた砂の範囲は既に無くなってきているはず。

女「…これで…最後です…っ!」

連続した完全詠唱の凍結魔法を繰り出し、女は限界に達していた。

最後の氷盤を砕いた幼馴染も片膝をつき肩で息をしている、やはり魔力を籠めた矢を射るのも負担は大きいのだろう。

火炎魔法を放つ魔法隊、彼らも同じなはずだ。

男「…ご苦労だった。岩盤の中央に寄り、息を整えろ」

206: 2013/11/02(土) 18:38:59 ID:r.NQjBHM

ここ数十秒、竜はその姿を現していない。

逃げたか…それとも。

時魔女「…砂が!」

星の副隊長「竜が浮上します!」

大きく盛り上がり、湿った砂を散らす砂丘。

その範囲は頭だけを露わにしていた時の比では無い。

男「苦しかったろう…息もできず、身動きもままならず」

最初に現れて以来、二度目…その全身を砂上に現した竜が俺を睨みつける。

その紅き右瞳は、怒りに満ちていた。

211: 2013/11/03(日) 03:18:24 ID:yUTTq.qc

男「弓兵、一斉掃射!」

矢の弾幕が放たれる。

真っ直ぐにこちらへ這い進ませてはいけない。

砂が濡れた範囲から出す事も許されない。

男「魔法隊!動ける者だけでいい、凍結魔法で周囲を塞げ!」

魔法隊兵長「我ら魔法隊、動けぬ者などおりませぬ!貴様ら、命を魔力に変えてでも放て!」

魔法隊「おおおっ!」

男「よくぞ言った…!槍兵、俺に続け…!討って出るぞ!」

砂上に現れた竜の動きは幾分か鈍い。

尾による打撃を受ければひとたまりもないが、直接の攻撃は不可能では無いだろう。

男「正面は矢の弾幕を休めるわけにいかん!両側から攻めるぞ!」

212: 2013/11/03(日) 03:19:52 ID:yUTTq.qc

竜の身体に剣撃を浴びせる。

男(やはり固い、切り裂く事はできないか…!)

槍兵の攻撃は鱗の隙間を突き、小さくもダメージを与えている。

しかしこれではとどめを刺すには至らない、この巨体を相手に消耗戦など挑むべきでないのは明らかだ。

男(…剣がたたないまでも、刃こぼれをするほどじゃない。金剛石よりは弱かろうよ!)


《充填開始…10%…30%…50%》


握った剣に闘気の光が蓄えられてゆく。

「弓兵!掃射をやめろ!」

俺は竜の眼前を目指し、駆けた。

213: 2013/11/03(日) 03:21:17 ID:yUTTq.qc
………


月の副隊長「時魔女殿!隊長殿は一撃で決するおつもりです!時間停止の補助を…!」

時魔女「でも!今、時間停止を使ったら副隊長さんの足を治せなくなっちゃうよ!」

月の副隊長「私の足ごときと指揮官の命!どちらが重いかなど、比べるにも価せぬ事!早く…!」

時魔女「う…うう…ごめん、副隊長さん!魔力コンバート、時間停止モード!」

月の副隊長「それでいい…頼み申す」

時魔女「目標ロックオン…!」

214: 2013/11/03(日) 03:21:54 ID:yUTTq.qc
………



《…70%…90%…》


竜がその大顎を開く、俺に喰いかからんと咆哮をあげる。

しまった、竜が俺に相対する姿勢になるのが予想以上に早い。

剣を振るうのが間に合わないかもしれない、いったん間合いを取り直すべきか…そう考えた時だった。

前触れも無く、重力に対して不自然な体勢で動きを止める、渇竜。

時魔女「男!早く…!七竜を長くは止められないっ!」

男(時間停止か…!今しか無い、一撃で仕留める!)


《…100%、充填完了》


サラマンダーに対してそうしたように顎の中を貫くべきか。

しかし地に堕ちた際の火蜥蜴よりも、ヴリトラが地上を這い回るスピードは速い。

とどめを刺し損なえば、この竜は女達のいる岩盤に迫るだろう。

215: 2013/11/03(日) 03:23:09 ID:yUTTq.qc

ならば、狙うのは心臓だ。

男「頼むぜ…剣よ!」

開かれた竜の口の付け根に剣を振るい、刃をたてたまま胴を切り裂きつつ体躯の側面を駆ける。

男(いいぞ…切れる…!)

闘気の充填された剣は、その鱗を布のように切断した。

しかし巨体の三分の一ほどまで刃を進めた時、不意に切っ先が重くなる。

男(光が失われてる…剣から闘気が果てたのか…!)

同時に動きを取り戻し身を捩り始める竜、そして流動を得て吹き出す鮮血。

俺は剣を抜き、数歩ほど竜から離れた場所で砂上に膝をついた。

男(くそ…やはり動けん…!竜は…!?)

血を撒き散らしながら、竜は暴れている。

しかし、その動きは力を失ったものではない。

剣撃による傷は竜の心臓にまで達してはいなかったのだ。

216: 2013/11/03(日) 03:24:41 ID:yUTTq.qc

怒りでより紅く染まったかに見えるその右瞳が、動けない俺を捉える。

男「くそっ…!」

切り裂かれた胴の力を奮い、ヴリトラは鎌首をもたげた。

顎を開き、勝ち誇ったかのような咆哮をあげる。

それを見ながら、俺は逃げる事も叶わない。

幼馴染「男が近過ぎる…炸矢が射てない…!」

女「男さんっ!」

霞む視界の端、女が岩盤上から駆けてくるのが見えた。

男「いかん!来るな…!」

女「…嫌ですっ!」

数名の槍兵も事態に気付き、動こうとしている。

しかし間に合う程に近くはない。

時魔女「魔力コンバート!…くそぉっ!まだロード出来てない…!」

ヴリトラの牙が迫る。

217: 2013/11/03(日) 03:25:28 ID:yUTTq.qc

「男さん…!」

女が俺の身体を抱き庇おうとした時、不意に周囲が暗くなった。

竜の顎に飲まれたか…いや違う、日が遮られたのだ。

未だ渇竜の牙は俺達に届いていない。

男「うおっ…!?」

女「…きゃあっ!」

事態を理解出来ぬまま、今度は強烈な突風を受けてよろめく。

俺は女に支えられながら、砂上に陰を落とす主を見た。

そして俺は息を飲む、心臓が強く動悸を打つ、恐怖とは違う感情をもって身体が震う。

渇竜の首に喰らいつき、低い空中に留まるその姿は。

纏うは赤黒い艶を湛えた鱗。

サラマンダーのそれより、遥かに長く禍々しい六枚の翼。

そこにあったのは、忘れようもなく夢にすら見た…あの翼竜。

男「ワイバーン……!」

218: 2013/11/03(日) 10:09:29 ID:BGSTdDgI

俺の頭上に鮮血の雨が降る。

翼竜は首に喰らいついたまま自らの身体を捻り、ついにヴリトラの頭部を噛み千切ったのだ。

男(竜が竜を喰らうだと…!)

俺の指示を待たず、弓兵がワイバーンに矢を放つ。

俺は女と槍兵に肩を貸されながら、少しの間合いを確保した。

男「掃射を止めろ…!翼竜を刺激するな!」

本当なら今すぐにでも、この竜を地に堕としたい。

でもおそらくそれは叶わない、この状態で挑めば悪戯に兵を消耗するだけだ。

女「翼竜が飛びます…!」

男「くっ…!」

また襲いくる突風に砂が煽られ、まともに目が開けられない。

そうでなくとも剣撃以来、視界は霞んだままだ。

次の瞬間、既に翼竜の姿は遥か高みにあった。

219: 2013/11/03(日) 10:10:01 ID:BGSTdDgI

ヴリトラの首を咥えたまま、隊の上空を旋回する翼竜。

男(このまま去るのか…?)

まるで隊を嘲笑うかのようにゆっくりと羽ばたき、やがて身体を真っ直ぐこちらに向けた。

明らかに俺のいる位置を目指している。

月の副隊長「隊長…来ますぞ…!」

見る間に大きくなるその姿、その速度を前に躱しようがないのは明らかだった。

《充填開始…5%…7%…》

剣のトリガーを握るも充填が遅い、俺に力が残っていないせいなのだろう。

男「くそおぉっ!」

眼前に迫る竜に成す術も無い。

しかしその憎むべき悪魔は攻撃を加える事なく、佇む俺と女の頭上をフライパスする。

そしてそのまま再度遥か上空へと昇り、やがて砂丘の向こうへと姿を消した。

220: 2013/11/03(日) 10:10:32 ID:BGSTdDgI


《…18%…20%…》


誰も声を発しない静寂の中、剣の人工的な音声だけが虚しく呟いていた。

トリガーを握ったまま、充填を続けるそれを砂に突きたてる。

男「くそっ…畜生おおおぉぉぉっ!」

俺は剣の柄に両手を掛け、膝を衝いて吼えた。

あの竜に救われるなんて。

ヴリトラから、そして翼竜自身から。

たった十数フィート、あと僅か低い高度を翼竜が通過していれば俺も女も弾き飛ばされ氏んでいた。

それは容易い事だったはずだ、なのに翼竜はそうしなかった。

男「頃すまでもないってのかよ…!くそがっ…!」

俺は、確かに見た。

七竜に挑もうとするちっぽけな人間を憐れむかのような、翼竜の瞳を。

その右瞳が紅ではなく、紫に光っていたのを。

227: 2013/11/04(月) 10:45:42 ID:ieB.IhW6
……………
………
…その夜、オアシスの集落


風も無く鏡のように月を映すオアシスの畔、俺は独り砂上に座っていた。

ヴリトラがこの砂漠からいなくなったのは確かとしても、決して胸を張れるような戦果ではない。

六名の兵士が散った。

そして本来なら今、隣に座り翼竜との再戦に向けた作戦を語り合うべき我が副官は、片足を失った。

討伐隊そのものの戦果は、疑う余地もない黒星と言えよう。

どの口が偉そうに二頭の竜を征伐して凱旋するなどと、それ以外の戦果は望まぬなどと兵に語ったのか。

ヴリトラにとどめを刺し損なった俺の斬撃、それを補助するために時魔女は時間停止を使った。

副隊長の足の治癒を差し置いて、俺の判断ミスとも言える行為のために。

副隊長の左足は止血のために縛られ、オアシスに帰る頃には壊氏していた。

だから俺はこの手で、それを斬り落としたんだ。

男「はっ…!何が…ドラゴンキラーだよ…」

…知らなかった。

俺の剣は竜を討つためでなく、部下の足を切るためにあるらしい。

228: 2013/11/04(月) 10:48:42 ID:ieB.IhW6

女「…ここに居られましたか」

背後から柔らかな声がした。

振り向かずともその主は判る、それほど耳に馴染んだ…そして情けなくも今、最も求めていた声。

誰にも告げずにこの場へ来た癖に、本当はただひとり彼女に傍に居て欲しい…気にかけていて欲しかった。

我ながら女々しい事だ。

女「今日は、ご苦労さまでした」

女は言いながら俺のすぐ隣に座り、少し体重を預けるようにして寄り添った。

男「…俺の苦労など…俺は時魔女に、副隊長に救われただけだよ」

女「いいえ…討伐隊の隊長として、あなたは誰よりも心を痛めたはずです」

男「心を痛めるだけで、亡き者に報いる事などできない。…今日の敗北は、間違い無く俺の責任だ」

俺達が渇竜から逃れるために上がった岩盤、戦いの後で気付けばそこから南側には似たような岩盤が数十ヤード毎に点在していた。

つまりあの時、ヴリトラから逃れ体制を立て直す事も出来たのだ。

最初の奇襲で命を落とした兵を救う事は叶わずとも、少なくとも副隊長が足を失う必要は無かった。

229: 2013/11/04(月) 10:49:20 ID:ieB.IhW6

男「まだロクに使いこなせもしない剣の力を…自身の力を過信して、俺は失策をとった」

女「ほんの僅か、あと一歩のところだったじゃありませんか」

男「例えあと一歩でも、届かなければ…意味など」

女「そんな事ありません。あなたがヴリトラをあそこまで追い詰めていなければ、翼竜もそれを喰らう事は出来なかったはず」

きっと彼女は俺を激励するためにそう言ったに違いない。

男「翼竜に救われるなど!…氏んだ方がましだ!」

それなのに捻くれた受け取り方しかできない今の俺は、声を荒げてしまう。

彼女の優しさは、解っているのに。

でも女は全く驚いた素振りさえ見せず、ただ少しだけ厳しい目で俺を見つめながら言葉を続けた。

女「あなたはあの時、私も共に氏ねば良かったと望まれるのですか」

男「馬鹿を言え、氏ぬのは俺だけでいい。…そもそもお前が俺の元へ来たから、お前まで危ない目に遭ったんだ」

女「同じです、私だってあなたの氏など望まない」

思わず視線を逸らす。

身勝手を口にしているのは俺だ、自分でもそれは解っている。

230: 2013/11/04(月) 10:50:21 ID:ieB.IhW6

女「…犠牲となった方の事は、決して忘れてはなりません。それは私も承知しております」

俺が自分の我儘を悔いた事を察したのか、彼女はまた柔らかな口調に戻った。

そして言い聞かせるように、間をとりながら言葉を紡ぐ。

女「それでも…私は、あなたが生きている事が何より嬉しいのです」

男「………」

…どうしてだ。

女「男さん…私達が結ばれたのは、あなたがドラゴンキラーの戦士だったからかもしれません」

俺が望み、でも求められなかった言葉を。

女「でも…私にとってあなたは、ドラゴンキラーである前に私の大切な夫です」

何故、お前は知っている。

女「だから…生きていてくれて、ありがとう…」

きっと俺は真に受けてしまう。

生きている事を恥じるより、再戦に備え、次こそは勝利すればいい…そう考えてしまう。

231: 2013/11/04(月) 10:51:39 ID:ieB.IhW6

女は座ったまま、俺を抱き締めた。

俺はそれに身を任せ、柔らかな胸に頬を埋め肩を震わせている。

涙が零れたかは知れない。

例え零したのだとしても、女はそれを自覚させないためにこうしてくれているのだろう。

だから、泣いてなどいない…そう思う事にした。

男「……すまん、女…」

女「何を謝る事があるのです」

彼女の手が、赤子にそうするように俺の頭を撫でる。

女「…出会った夜に言いました。夫を支える事こそ、妻の役目」

男「そう…だったな」

いつだったか、女に言った。

俺には君が必要だ…と、その時は寧ろ女を励ますために。

女「男さん、今更ですけど…私はあなたを、お慕い申し上げます」

世の男はこうして弱味を握られて、女房の尻に敷かれてゆくものなのだろう。

そしてそれは、この上無く幸せな事なのだろう。

232: 2013/11/04(月) 12:57:00 ID:ieB.IhW6
……………
………


…月の国、北東の港町


男「…副隊長、必ず戻ってくれ」

月の副隊長「言われるまでもなき事、何…すぐでありましょう」

我が副官は、星の副隊長と共に彼女の国へ渡る事となった。

その国における彼女に与えられた本当のポジションは、技術開発局長なのだという。

彼女は力強く凛とした眼差しで「生身にも勝る最高の義足を作ってみせる」と誓った。

形はどうあれヴリトラが消え、おそらくそれを狙って砂漠に出没していたのであろう翼竜を探すあてが無くなった今、月と星の合同部隊はいったん解散する事となる。

出港してゆく、星の一団と我が副官を乗せた船。

およそ30名の隊員は船尾に整列し、同じく港に整列した我々に向かって敬礼を続けた。

ただその中で、一人だけじっと下を向いている者がいる。

233: 2013/11/04(月) 12:58:15 ID:ieB.IhW6
………



時魔女「魔力コンバート、空間跳躍モード…」

星の兵A「た、隊長…っ!?」

星の兵B「どこへ跳ぶ気で!?…まさか!」

時魔女「副隊長、ごめん…」

星の副隊長「何を言っておられるのです。そんなに後ろ髪を引かれるなら、最初から船に乗らなければいいものを」

時魔女「うん…ありがとう」

星の副隊長「くれぐれも月の方々を困らせませんよう。…行ってらっしゃい、隊長」

月の副隊長「我が上官をよろしく頼み申す…!」

時魔女「座標ロックオン…いってきます!」

234: 2013/11/04(月) 12:59:17 ID:ieB.IhW6
………



男「…行っちまったな」

幼馴染「うええぇぇん…時魔女ちゃん…」

どうも幼馴染と時魔女は特別馬が合っていたらしい。

そういえば砂漠でも、一番どうでもいい会話で盛り上がっていたのは二人だった。

女「幼馴染さん、元気出して…」

幼馴染「なんか…妹みたいに思えて…うええぇぇぇん…」

時魔女「私だってお姉ちゃんみたいに思ってたよぅ…うわああぁぁぁん…」

幼馴染「ぐすん、時魔女ちゃん…また…会えるよね…」

時魔女「うん…今、会ってるよね…」

時魔女以外「……え?」

時魔女「ちゃお!」

235: 2013/11/04(月) 13:01:03 ID:ieB.IhW6

時魔女「ボク、男達と行く!どうせ翼竜との戦いでは時魔法が必要でしょ!?」

男「そんなの、自分で決められるのかよ」

仮にも星の討伐隊長であり、国の化学技術の粋を集めた唯一の時空魔導士…つまり人間兵器とも言うべき者が、そんな自由気ままでいいのか。

時魔女「大丈夫!星の王からは自国の不利益にならなければ、自分の判断で行動していいって言われてるから!」

男「お前が居なくなる時点で、国に不利益な気がするんだけど」

時魔女「おー、随分買ってくれるねー。じゃあ、男にとっても貴重な戦力って事じゃない?」

まあ、どうしても帰国が必要なら、彼女の国からの伝令が入るだろう。

それまでは彼女の言う通り、貴重な戦力として同行願うとしようか。

それに、ここで無理に時魔女を帰国させようものなら。

時魔女「お姉さまー!」
幼馴染「おうおう、妹よー!」

…たぶん、矢に射られそうな気がする。

236: 2013/11/04(月) 13:04:11 ID:ieB.IhW6
>>234
時魔女に「私」って言わせてしまった
「ボク」に変換して読んで

239: 2013/11/04(月) 16:40:52 ID:ieB.IhW6
>>238 サンクス
そのまま誤字脱字無視モードでコンバートを続行してくれ

240: 2013/11/04(月) 16:41:53 ID:ieB.IhW6
……………
………


…港町の宿


幼馴染「それで、これからはどうするの?いったん王都に帰る?」

男「うん…それについて、昼にこっちから月王宛の通信を伝令所に託しておいたんだ」

時魔女「何か考えがあるの?」

俺は予め荷物の中から取り出しておいた地図をテーブル上に拡げた。

大きすぎて少しテーブルからはみ出すその紙上には、月の国全域が描かれている。

男「今、この港町だ。そして王都がここ…」

幼馴染「ふんふん」

男「この地図には他の国は載っていないけど、世界中で発生する翼竜の被害…その箇所を線で結ぶと、およそその中央になると言われるのが…この辺りだ」

女「大陸の西部…未開の台地と呼ばれる地域ですね」

かなり詳細に描き込まれている筈の地図。

しかしそのエリアだけが空白となっている。

241: 2013/11/04(月) 16:42:28 ID:ieB.IhW6

幼馴染「故郷からはそう遠く無いところだけど…でもここは禁足地として定められてるはずよ」

男「…だからこそ今まで調査の手が入らなかった。でもここが翼竜の住処だという可能性は、かなり高い」

時魔女「じゃあ、月の国王に打診したのは…」

男「ああ…このまま、そこへ調査に行く事の許しを請うものだ」

それが何故なのかは解らないまでも、翼竜が砂漠に頻出していたのは渇竜の首を狙っての事だったに違いない。

だから討伐隊の手により渇竜が傷ついた、あの時を逃さなかった。

その目的が果たされた今、次に翼竜が現れる場所は見当もつかない。

仮にどこかの国を襲ったという情報があったとしても、次にまた同じところに現れるとは限らないのだ。

だとすればもはや住処を突き止める他に、万全の準備を期して翼竜を討つための手段は無い。

西部の台地が禁足地である事は解っている。

しかもそれは月の国に限った事ではなく、有史以前から世界中で語り継がれる様々な神話でも同じく描かれる、言わば人類にとっての禁忌。

それでも他に手が無い以上、月王も許さざるを得ないはず…そう考えた。

242: 2013/11/04(月) 16:43:01 ID:ieB.IhW6

…翌日


女「男さん、伝令文が返ってきました!」

男「…内容は?」

女「…それが……」


『我が国を挙げての部隊を禁足地へ向かわせる事は、周辺諸国との軋轢を生む火種となりかねず、承諾できるものではない。討伐隊は直ちに王都へ帰還せよ』


ぎりっ…という音が発つほど、奥歯を噛み締めた。

男(何故だ…王は本当に翼竜を討つつもりがあるのか)

国を挙げての部隊が赴く事が出来ないなら、俺が討伐隊を抜ければ良いのではないか。

そんな想いすら、脳裏にチラついた。

しかし一度こうして王から帰還の命を請けた以上、それに逆らえば反逆罪に問われかねない。

俺や幼馴染だけならそれでもいい、でも女や時魔女はどうなる。

例え不本意でも、今は命に従うしかなかった。

243: 2013/11/04(月) 17:27:52 ID:ieB.IhW6
……………
………


…数日後
…月の王都城内、謁見の間


男「…私に、砂漠を制圧せよと仰られるのですか」

月王「制圧とは穏やかでないな、言葉を選べ。開発部隊の援護をせよと命じたのだ」

砂漠に石油をはじめとした膨大な資源が眠るという話は、聞いた事がある。

しかしあの砂漠はどの国の領有地でもないはずだ。

月王「いかにとどめを刺す事は叶わなかったといえ、ヴリトラを亡きものとしたのはこの月の部隊の活躍があればこそ…砂漠の民とて我らの入植を拒む事はできまい」

最初から王はそのつもりだったに違いない。

砂漠に翼竜が出没する事にかこつけて、俺が遠征を承諾するように仕向けた。

星の国のドラゴンキラーまで呼び寄せ、さも翼竜を討たんとする気勢に見せかけて。

王が本当に倒したかったのは、渇竜ヴリトラの方だったのだ。

244: 2013/11/04(月) 17:31:13 ID:ieB.IhW6

男「…しかし、それは禁足地への踏入よりも遥かに強く諸国の反感を買う事となりかねないのでは」

月王「男よ、儂はそなたに戦士としての期待と信頼を寄せておるのだ」

男(…政治に口出しをするな、そういう事か)

そもそも開発部隊に援護が必要だと考える時点で、他国の反発は予想されているに違いない。

つまりこれから先の俺の仕事は…俺が剣を向けるべき相手は、竜ではないという事。

月の国の身勝手な振る舞いに異を唱えようとする他国の人間に対して、その剣を振るえという事だ。

月王「砂漠の開発は長きに渡る、そして婦女が過すに適した場所では無かろう。そなたの妻はこの王都に預け、安心して赴くがいい」

男「…それは……!」

血が逆流する想いだった。

それはつまり、俺が命に背かないよう女を人質にとるという事だ。

月王「退がるがよい。…砂漠の開発部隊を整えるには暫くかかる。旅立つまでに存分と妻を愛でる事だ。子でも成せば良かろうて」

245: 2013/11/04(月) 22:58:15 ID:ieB.IhW6
……………
………


時魔女「…フッざけんな!」

謁見から戻った俺の話を聞くなり、時魔女は息を荒げて吐き捨てた。

時魔女「女ちゃんを人質扱いで引き離すなんて…!許せないっ!」

男「時魔女…声が大きいぞ」

幼馴染「無理も無いよ…しかも仇の竜を討つ事もさせずに、男を砂漠に追いやろうなんて」

ここは城の中ではなく、城下の宿。

帰還の命を請けた時から少なからず王に対し疑念は抱いていたから、時魔女が未だ同行している事は明かさなかった。

しかしどうやら、それで良かったようだ。

月の国が強引にも砂漠の覇権を握ろうとしている、その事はまだ同盟国に対しても伏せておきたいに違いない。

246: 2013/11/04(月) 22:59:01 ID:ieB.IhW6

時魔女「男…どうすんの!?まさかワイバーン討伐は諦めるの…!?」

時魔女は俺の胸倉を掴まんとする勢いで詰め寄った。

男「諦めるつもりなんかねえよ。…機会は窺うさ」

時魔女「き…機会を窺うって!まさか砂漠への赴任を請けるつもり…!?」

幼馴染「…時魔女ちゃん、男だって悔しいんだよ」

悔しい…そう、間違っちゃいない。

だけど今の気持ちをより正確に表すなら、切ない…というのが近い。

サラマンダーを倒した代わりに、ドラゴンキラーの称号を得た。

称号を得たが故に、女という妻を手に入れた。

女を妻としたが故に、端くれとはいえ王族の一員となった。

王族となったが故に王の命に背く事はより難しく、女というかけがえの無い存在があるからこそ、それを裏切る事ができない。

きっと俺が王に背けば、彼女も裁かれる。

大きな何かを得るという事は、やはり引き換えに何かを失うという事なのだ。

247: 2013/11/04(月) 23:03:15 ID:ieB.IhW6

幼馴染「それで、女さんは…?」

男「城の俺の部屋にいる。まだ…何も伝えてないよ」

幼馴染「…どうするべきだろうね。例えどんな人であれ、王様は女さんの父親だもの…」

幼馴染は大きく溜息を零して、頭を抱える。

男「ひとまずは、アイツには何も言わないでおくよ。…悩ませるだけだと思うから」

チッ…と、わざとらしく時魔女が舌打ちをした。

時魔女「もういい、こんなじゃ…ボクが何のために男と一緒に動いてるのか解らない」

幼馴染「時魔女ちゃん…」

時魔女「男なんか砂漠でもどこでも行っちゃえ!…ただし女ちゃんを泣かすのだけは、許さないからなっ!」

そう言い残して時魔女は部屋を出て行く。

少し乱暴にドアが閉められて、それ越しに階段を駆け降りる音が聞こえた。

幼馴染「私、あの娘を追いかけるよ。男は女さんのところへ行ってあげて…」

男「ああ…悪い…」

そういえば謁見の後、日暮れを過ぎているというのに城から出るために、門兵に『一杯引っ掛けに行ってくる』と告げたんだった。

城に戻る前にせめて何杯かでも、酒を呷っておかなければいけない…それが自棄酒にならなければいいのだが。

248: 2013/11/05(火) 03:26:30 ID:L7GZLwEI
………



きい…と、重い音をたてて木のドアを開けた。

女「…お帰りなさい。随分、遅かったですね」

男「うん…ちょっとな」

俺は酒臭いのがバレはしないかと、警戒しながら声を発した。

女「それで、今後の動きはどうなりそうなんですか?」

今後の予定…命ぜられたままを表せば、およそ五日後に砂漠開発部隊の第一陣が整うという。

俺はその部隊と共に、再度砂漠を目指し…短くとも数ヶ月、長ければ数年は戻らない。

女はその間、ここで俺の帰りを待つ…という事になる。

249: 2013/11/05(火) 03:31:02 ID:L7GZLwEI

男「ああ…まだ、はっきりは決まらないんだ」

…そのままを伝えれば、彼女は苦しむ事になるだろう。

女「…じゃあ、しばらくゆっくり出来ますね。それはそれで、私は嬉しいです」

翼竜を討つという目標が、遠のく事。

他国が月の国に制裁を加えようとした際には、その兵を俺が殺さざるを得なくなる事。

長い間、俺たちが共に過ごせなくなる事。

そして俺がそれらを拒む事が出来ない理由が、彼女自身の安全のためだという事。

女「…どうかしたんですか?…なんだか、悩んでるみたい」

男「いや…そんな事無いよ」

どの部分を上手く掻い摘めば、彼女を悲しませる事なく納得させられるだろう。

今の俺には、皆目見当がつかなかった。

250: 2013/11/05(火) 09:26:11 ID:5X26iL1Y
……………
………


…四日後の夜
…城内、男の部屋


城からの外出もままならず、ほとんど幼馴染との連絡もとれていない。

二日前に僅かに話した際、時魔女の行方が解らない事だけは聞いた。

もしかしたら愛想を尽かして星の国へ帰ったのかもしれない。

そして肝心の話については…我ながら呆れている。

結局この五日間、俺は何一つ女に伝える事ができなかった。

明日には開発部隊の遠征準備が整うだろう。

出発はその日の内か、翌日か…とにかくもう時間は無いというのに。

女は今、湯浴みのために部屋を出ている。

男(戻ったら話そう…どう伝えたらいいかは解らないけど)

砂漠へ再赴任する…と、そしてすぐに戻ると言えば、せめてこの場は凌げよう。

後から真実を知れば、恨まれるかもしれないけれど。

251: 2013/11/05(火) 09:27:48 ID:5X26iL1Y

夜警兵「男殿っ!」

突然、ノックも無く部屋のドアが開かれた。

そこには息を切らせた、夜警の兵の姿。

男「どうした、ただ事では無さそうだな」

夜警兵「我が国の兵の一部が反乱を起こし、脱走しました…!」

男「…脱走?…戦時でもあるまいし、脱走するなら昼間にいくらでも機会はあろうに」

俺は軍人として国に迎えられはしたが、あくまで当初は竜討伐を目的とした抜擢だったはずだ。

男「やむを得ん…準備をして俺も向かう、退がってくれ」

砂漠進攻の援護部隊を持たされる羽目になったとはいえ、この国の内乱まで面倒をみる義理は無い。

何故そんな事を俺に言う必要があるのか。

反乱を起こしたのがごく一部の兵数だというなら、正規兵を多数派遣すれば鎮圧は造作もあるまい…しかし。

夜警兵「反乱兵は砂漠進攻に異を唱えており…!主張を受け入れさせるために人質をとっております!」

そこまでを聞いて、ようやく何故この兵が血相を変えて俺を訪ねたかを理解した。

そしてこの後、俺は兵装を整える余裕すら無く部屋を飛び出す事になる。

夜警兵「人質の中には女様が含まれます…!」

253: 2013/11/05(火) 11:24:37 ID:5X26iL1Y

………



夜の城内はやけに静かだった。

多くの兵が鎮圧のために出払っているのかもしれない。

部屋を訪ねた夜警の兵が俺を先導して、一気に城門まで駆け降りる。

夜警兵「反乱兵は城下東の旧城塞跡に立て籠もっているとの情報です!」

旧城塞までの道程には狭い森が横たわっている。

まだ王都へ来て日の浅い俺は、それを抜けるルートを知らない。

城門にはかがり火こそ焚かれているが、見張りの兵はいなかった。

男(…見張りさえ出払うとは、まだ反乱兵の総数も掴めまいに)

もしまだ沈黙を保ったままの反乱を内心に企てる者が城内に残っていたら、王の
首を狙うにこれほどの機会はあるまい。

でも砂漠への侵攻を快く思わないのは俺も同じ。

王が女の父親であろうとも、その娘を都合の良い物のように扱う王の身を案ずる
気にはなれなかった。

254: 2013/11/05(火) 11:26:07 ID:5X26iL1Y

男(しかし…おかしい、いくらなんでも兵の姿が少な過ぎる)

森を抜ける旧道へ駆け込んだ際、そこで松明を持った兵に出会い「やはり旧城塞
に立て籠もっているようだ」との情報は得た。

でもこの一大事だというのに、他にすれ違う兵すらいない。

そして森の旧道はさらにその荒れ具合を増してゆく。

旧城塞はあくまで跡地ではあるが、今でも見張り台としては使われているはずだ。

そこへ続く道が、これほど草と落葉に覆われているものだろうか。

男「…おい、本当に」

夜警兵「……………」

静か過ぎた城内、それは本当に兵が出払っていたからなのだろうか。

クーデターなど起こっていない、普段通りの平和な夜ならば当然の状態ではないか。

もし城門の身張りとこの夜警の兵が共謀して、何らかの理由で俺を誘い出しただ
けだったとしたら…?

急いで部屋を出たから、俺は甲冑はおろか剣を提げるためのベルトすら身に着け
ていない。

故に左手で直接に鞘を握っていた剣の柄を、俺はそっと握った。

255: 2013/11/05(火) 11:27:33 ID:5X26iL1Y

不意に視界が開ける、まだ旧城塞には達していないはずだ。

辿り着いたそこは森の中にあってここだけ木立の無い、隠れた小さな草原だった。

幾つかの控えめなかがり火が焚かれており、その周囲にはぼんやりと照らされた人影が見える。

その数は二十名以上、いずれが纏っているのも、月の国の兵装。

城塞への突入を待つ鎮圧部隊にしては、数が少なすぎる。

男(…やられたな、女の名を出されて我を失うとは…俺も甘いな)

おそらく女が人質となっている事そのものが、狂言に違いない…そう考えた。

かがり火の中央に立っていた兵が、口を開く。

反乱兵「砂漠開発部隊の警備隊長…男だな?」

男「いかにも…貴様ら、何の目的で俺を誘い出した」

反乱兵「…ふん、自らの手でヴリトラを仕留めたわけでもあるまいに、砂漠の覇権を握ろうなど許されると思うか」

言葉の意味を思えば、反乱の理由そのものは夜警の兵が告げた通りのようだ。

その気持ちも解らなくもない…兵にしても自国が平和であるに越した事は無いはずだ。

砂漠へ侵攻し、余計な争いの火種をつくる事に異を唱える者がいるのも当然だろう。

256: 2013/11/05(火) 11:28:07 ID:5X26iL1Y

男「俺とて望んでその任につくのではない、しかし…」

反乱兵「国に妻を人質とされては仕方が無い…とでも言う気か?」

男「…なぜ、貴様がそこまで知っている」

上半身をローブに身を包んだ一人の反乱兵が前に出てくる。

先から話していた者は、親指でその兵を指して言った。

反乱兵「さあな…訊いてみたらどうだ」

歩み出た反乱兵がローブを脱ぐ。

右手に円月型の剣を持ち、どこか悲しげな青い瞳で俺を見るその姿は…


男「………女…!」


…見間違うはずも無い我が妻、女その者だった。

257: 2013/11/05(火) 12:48:21 ID:5X26iL1Y

甲高い金属音が響く。

決して上手い太刀筋では無いものの、その剣撃に迷いは見られない。

男「女っ!どういう事だ…!」

俺はただその刃を自らの剣で受け流し、女に声を掛け続けた。

男(操られているとでも言うのか…!?くそっ…)

女「……………」

仕方が無い、少々手に響くかもしれないがやむを得ん。

俺は斬りかかる女の剣を躱し、その刀身の元を上から叩きつけるように斬り落とした。

闘気の充填無しで鋼の刀身を切断するのは不可能だが、女の力ではそれを握ったままで耐えることは出来ない。

剣が地に落ち、女が無力化したと考えた俺は、他の兵の動きに目を光らせた。

しかし誰も動かない。

ただ俺達の方を見ているだけで、武器を手に取る様子すらない。

俺は失念していたのか、それとも操られている女にはその力が無いとでも錯覚したのだろうか。

女は数歩退がり、呟くように言った。

女「…凍りなさい」

258: 2013/11/05(火) 12:57:26 ID:5X26iL1Y

俺は動きを奪われた、両足と地面が氷塊に結ばれている。

男「くっ…操られていても魔法が使えるとはな」

万事休す、この場を切り抜けようと思えばもはや剣の特殊効果で薙ぎ払う位しか手は無い。

充填する時間を与えられるかは解らないが、反乱兵も女も区別無く光の刃で薙ぎ払えば一撃で終わる。

女「誰が操られていると言ったのです」

男「…何だと、お前…」

女「私は正気です」

愕然とした、本当に彼女が正気なのだとしたら、いつから俺は騙されていたのか。

心が通じていると…愛しいと感じた女は全て偽物だったというのか。

男「…殺せよ、今なら抵抗はできない」

項垂れた俺に、女が歩み寄る。

何故だ、それじゃ俺の剣の間合いに入ってしまう。

…そうか、解っているんだ。

例え騙されていたとしても、俺が彼女を斬る事など出来ないと。

そして彼女は、その魔力を宿らせたであろう右手を俺に翳した。

259: 2013/11/05(火) 14:36:33 ID:5X26iL1Y

鋭い音と共に、頬に焼けるような痛みが走る。

翳された女の手が放ったのは、炎でも雷撃でも無かった。

男「………ってぇ…何のつもりだ…うっ!」

もう一度、今度は反対の頬を彼女の平手が打つ。

周囲で見ていた反乱兵達が、噛み頃したような笑いを漏らしている。

いたぶって頃すつもりにしても、あまりに回りくどい。

不思議と兵達の失笑も、下卑たものとは思えなかった。

女「どの口が言ったのです」

男「………?」

女「あなたにとって私が必要な存在だと…そう言ったのはあなたじゃなかったんですかっ!」

260: 2013/11/05(火) 14:37:34 ID:5X26iL1Y

彼女は怒鳴りつけながら更に俺を叩く。

今度は頬を打つのではなく、それは駄々を捏ねた子供がするように、俺の胸を両手で何度も打った。

女「私にっ!何も話さずに…!砂漠へ発つつもりだったのですか…!このっ!馬鹿男っ!」

男「………女…」

周りの兵達は堪えきれないという様子で、けらけらと笑う。

俺は…騙されたのか、二重に。

女「許しません!そんな勝手な事…!絶対にさせないっ!」

男「…だからって、こんな…兵まで巻き込んで」

いつ彼女が事に気付いたのかは知れないが、小さな復讐劇にしてはあまりにも手が込んでいる。

兵達にしても、こんな茶番に付き合うほど暇では無いはずだ。

261: 2013/11/05(火) 15:47:04 ID:o256bGOo

???「本当の事、知りたい?」

そして並ぶ兵の中から現れた黒幕が、ついに真相を語り始める。

男「…お前」

幼馴染「女さんがこの事を知ったのは、ほんの30分前よ。この計画を企てたのは、私…そして」

時魔女「…ボクだよ。お風呂から出た女ちゃんを、巧みな話術で誘拐してみました」

なるほど…空間跳躍の力を使えば、城への侵入など容易い事だったろう。

男「この大勢の兵は…」

幼馴染「同志…とでも言おうかな?」

やはり集った兵にも思惑はあるようだ。是非、納得のいく理由を聞かせ願いたい…が。

男「もし長い話になるなら、まずはこの氷をどうにかしてくれ。…足が霜焼けてしまう」

幼馴染「どうする?女さん…」

女「じゃあ、燃やします」

男「え、ちょ…!」

拒否する間も与えられず、女は俺の足元に火炎魔法を放つ。

自由は戻ったが、服の裾が焦げてしまった。

262: 2013/11/05(火) 15:47:36 ID:o256bGOo

幼馴染「さて…兵士さん達の事は、直接話して貰った方がいいわ」

兵の内、最初に言葉を交わした者が前に歩み出る。

傭兵長「私は傭兵長と申します。…男隊長、まずは無礼をお許し願いたい」

男「企みの主は幼馴染達なんだろう、お前らを許すも何も無いさ」

傭兵長「かたじけない。…では」

そう言うと傭兵長は俺の前に片膝を衝き、残りの兵はその後ろに手早く整列した。

傭兵長「我ら月の国に雇われし傭兵15名および正規兵8名…貴殿の独立部隊への合流を願いたく、月の呪縛を逃れて参りました」

男「…貴様ら、何をしようとしているか解っているのか」

なるほどよく見ればどの顔にも見覚えがある…こいつら皆、討伐隊あがりか。

傭兵長「なに…総員共に家族も無ければ、故郷に未練もありませぬ」

男「逆賊となるんだぞ、それでもいいのか」

傭兵長「我ら戦士なれば、氏に場所くらいは手前で選びとうございます。濁雲に陰る月の袂で生き恥を晒すなど御免被る」

にたり…と傭兵長は笑んだ。

こいつらを前に、もう俺だけが心根を隠すなど許されまい。

俺は今、震えるほどに嬉しいのだから。

263: 2013/11/05(火) 23:10:14 ID:L7GZLwEI

だからと言って大の男がここで泣くわけにもいかない。

こういう連中と接するには、それなりの流儀があるというものだ。

男「なるほど…逆賊の名を冠するには相応しい悪たれ共が集まっているようだな」

傭兵長「滅相もない、これだけのゴロツキに囲まれて痴話喧嘩を演じる度胸など、誰も持ち合わせてはおりません」

全く、こきやがる。

随分とみっともないところを見せたものだ。

姿勢だけは丁寧に跪いているくせに、後ろの兵は笑いを噛み殺せていない。

男「ふん…そんな口の利き方も慣れたものではあるまいに、似合いもせん猫を被るな…裂けた口が覗いているぞ」

傭兵長「はっはっ…目が利きますな、やはりアンタは俺達が仕えるに相応しい…悪たれの頭領になるべき御仁だ」

264: 2013/11/05(火) 23:12:29 ID:L7GZLwEI

男「いいだろう、貴様らの覚悟は受け取った。…総員、立てっ!」

ざんっ…と、大地が鳴った。

憎々しくも雄々しい新たなる我が隊の面子が、俺の命令を待っている。

甲冑も外套も身に着けない頼りない俺を、挑発的な眼差しで睨みながら。

男「我が隊はこれより西の台地を目指す。そこに竜の姿があるかは知れぬ、だがいつか我々はこの手で翼竜を討つ…!」

全兵「「「Sir,Yes,Sir!」」」

男「命を預けろとは言わん!各自、己の肝っ玉は手前で大事に握っておけ。…いいか!」

全兵「「「Sir,Yes,Sir!」」」

男「よし、気に入った。俺が責任をもって氏に場所へ連れて行ってやる!…棺桶に名を彫っておけ」

これが新しい出発点だ。

甲冑も荷物も肩書きも、置いてきたものに未練は無い。

今宵、俺は23名の兵と一人の姫君を城から奪い、逆賊の長となる。

283: 2013/11/06(水) 13:40:53 ID:WqiSnDUQ

……………
………



その夜、俺達はそのまま王都を離れ北へ進んだ。

明日になり俺達の離脱が明るみとなれば、おそらく直接西へ向かうルートを中心に正規軍が捜索派遣されるだろうと考えたからだ。

深夜を超え、明け方を超えてなお足を止めずに、出来るだけ王都から離れる。

大した荷物があるわけでは無いが、馬車を持たない故に全て背に負っての行軍。

女性陣をはじめ、一同の疲労はピークに近づいていた。

284: 2013/11/06(水) 14:11:50 ID:WqiSnDUQ

傭兵長「隊長殿…アンタもし追っ手が来たら、それが罪無き人間でも斬れるのか」

それは昨夜からずっと俺が考えていた事だった。

竜や魔物を相手にするのとはわけが違う。

逆賊となった今…己の正義を信ずる人間と敵対し、斬り伏せる必要もあるかもしれない。

男「…お前達は、どうなんだ」

傭兵長「我らは戦を飯の種とする傭兵、金さえ積まれりゃ…まあオンナ子供は斬りたくはないが」

男「…そんな貴様らが金勘定無しに従ってくれているんだ。俺にその覚悟ができんでどうする」

傭兵長「本心なら大したもんだ。…しかし心配はしないで頂こう。我らは己の信念の下、竜を討とうとするアンタに惚れたんだ。汚れ役は引き受けよう」

彼の申し出はとても有難かった。

それでも自分で言ったように覚悟を決めなければいけない時は、いつか来るはずだ。

そしてその『いつか』は…


隊員「後方より接近する影あり!騎馬兵と思われます…!」


…もうすぐに、迫っているのかもしれなかった。

285: 2013/11/06(水) 14:26:33 ID:WqiSnDUQ

男「数は…!?向こうはもう、こちらに気づいているのか!?」

隊員「数は三人!真っ直ぐにこちらへ向かっています!」

傭兵長「三人とはチェイサーにしては少なすぎる。偵察かもしれませんな…ここは確実に潰さねば。隊長殿、号令を…!」

例え、自らの腕で剣を振るわなくとも。

男「…弓兵っ」

この隊の総員は、俺の手足に同じだろう。

男「掃射準備…!」

俺のこの号令が人の命を奪う、それは紛れもない俺の業だ。

女「男さん…」

幼馴染「………」

時魔女「男…」

…それでも、俺は退くわけにはいかない。

男「………放てっ!」

23名の内、10名の弓兵が矢を射る。

怒りでも憎しみでもなく、ただ我々の信ずる正義をのせて。

286: 2013/11/06(水) 19:53:08 ID:sl2TX8JY

しかし矢の第一波は的を捉え損ねたらしい。

敵騎馬兵は既に馬の蹄の音が聞こえる程に接近している。

そして現在、隊には魔導士は女と時魔女を除けばいない。

男(女達にまで人を殺めさせたくはない…接近戦になるか)

弓兵「次を放ちます…!」

傭兵長「…待て、様子がおかしい」

見れば三人の騎馬兵は右腕を横に伸ばして掌を向け、首を垂れている。

あれは諸国間の協定による『交戦の意思無し』を表した姿勢だ。

しかも近付いてみると、チェイサーにしては馬が提げる荷物がやけに大きい。

男「総員、交戦姿勢のまま待機しておけ…向こうの出方を見るぞ」

やがて眼前にまで達した騎馬兵は、すぐに馬上から降りて自らの剣を鞘のまま地に置いた。

287: 2013/11/06(水) 19:55:06 ID:sl2TX8JY

騎馬兵「…男殿とお見受けいたす」

男「しらばっくれても無駄だろう…お前達は、チェイサーではないのか」

当然だが、三名とも月の兵装に身を包んでいる。

少なくとも討伐隊で見た顔ぶれではない。

騎馬兵「その任務を請けた者には違いございませぬ。…しかし、我々は貴殿との交戦は望まない」

男「それは、何故だ」

語る騎馬兵の瞳は濡れている。

騎馬兵「貴方がたこそが真の月の誇りだと知るが故…」

自らの誇りと自由にならない境遇の狭間で、彼等の魂は燻っているのだろう。

騎馬兵「…貴殿部隊に、我らの誇りを託しとうございます」

そして彼等は自らの手綱を差し出した。

騎馬兵がその愛馬を託すなど、並の想いで出来る事では無いだろう。

男「…貴様らの誇り、この双肩に預かり受けよう。いつか…必ず返させてくれ」

騎馬兵「ありがたき…幸……せ…」

288: 2013/11/06(水) 20:28:47 ID:sl2TX8JY

騎馬兵の話によれば、砂漠開発部隊の編成が始まった当初から士官を含む多くの兵が、砂漠への派兵を強行する月王に懐疑的になっているとの事だ。

そしてそれと正反対に、翼竜を討つという大義に従って動こうとする我々を敵視する者は少ないという。

現在も、そしてこれからも秘密裏にこの部隊への参入呼び掛けは続けられてゆくらしい。

彼等は我が隊の全員と固い握手を交わし、我々を見送った。

馬の提げた大きな荷袋には、全員には足りないまでも数基のテントや幾つものシュラフ、毛布などが詰められていた。

毛布には全て、個人名が記されている。

これは軍から配給された兵達の私物なのだろう。

そして俺に手綱を託された一頭の荷袋の奥底には。

男「…傭兵長、この北回りのルートは貴様が進言したが、誰かに伝えていたのか」

傭兵長「察しが良いですな。…隊に参入は出来ぬまでも、涙を浮かべて悔やしがっていた者がおりましたのでね」

男「討伐隊だった者か」

傭兵長「如何にも…心当たりが?」

男「少々、そいつらに恨みがあってな。なに…飲み負けたというだけだが」

俺は荷袋から取り出したバーボンのボトルを開け、ひと口だけ呷った。

295: 2013/11/07(木) 15:10:41 ID:YGo/EYxs

それからは女性陣がそれぞれの馬の背に乗り、少しペースを上げて北への進路を歩んだ。

午後の四時を回る頃、街道から少し外れた森に入り、立木の薄いところを選って野営地とする。

男「暗くなれば灯りは控えねばならん。各自日没までに食事を摂り、その後は三交代で見張りを行う」

傭兵長「承知、森の中故に魔物が出るやもしれませぬしな」

男「食糧は限られている。少ないメシで我慢を強いるが…皆、堪えてくれ」

テントは四人用が三基、三つの班に分けるにしても休むニ班の全員が収まるわけではない。

ただシュラフを併用すれば頭数には足りる。

男「装備が落ち着くまで、雨が降らなければいいがな」

幼馴染「そればっかりは神様の気分次第ね」

296: 2013/11/07(木) 15:11:46 ID:YGo/EYxs

テントの内のひとつを俺と女、幼馴染と時魔女の四人が使う事にした。

隊員「羨ましいですな。カラダがもたなければ一人お預かりしますぜ?」

男「馬鹿を言え…貴様は魔法と矢、動きを封じられての拷問のどれで殺されたいのだ?」

隊員「はっはっ…おっかない話だ。全部、隊長殿にお任せしますよ」

隊員達は皆、口も育ちも悪いが気のいい奴等だと思う。

幼馴染「失礼しちゃうわ」

女性陣はその軽口に少し不満気ではあるが。

時魔女「もっとイケメンじゃなきゃ相手しないもんねー」

幼馴染「ねー」

男「お前らの軽口もなかなかのもんだぞ」

幼馴染「バッカじゃない、アンタにも言ってんのよ。乙女を危険人物みたいに言わないで」

おっと、矛先が変わりそうだ。

今は男独りで分が悪い、余計な事は言わないようにしよう。

297: 2013/11/07(木) 15:12:48 ID:YGo/EYxs

少しの野菜と干し肉を鍋の中に焚いた火で炙って、簡素な食事とする。

僅かな量をできるだけ味わって食べるように、ちびちびと摘まんでは話をして気を紛らわせた。

男「しかし幼馴染はどうやって兵に話を回したんだ?」

幼馴染「討伐隊は皆お酒が好きだったみたいだから。城下の酒場で様子を見てたら、案の定…見た顔が次々とね」

男「そいつらに、時魔女が同行してる事は…?」

幼馴染「ぬかりないよ、口止めはしてる」

時魔女の同行を知っているのは討伐隊の者だけ、その中に俺たちを裏切る者がいるとは考え難い。

298: 2013/11/07(木) 15:13:37 ID:YGo/EYxs

そしてたまたま彼女の名前が出たところで、時魔女は次の話を切り出した。

時魔女「…あの…ごめんなさい、黙ってたんだけど。ボク、副隊長とは時空魔法で連絡がとれるんだ」

時魔女は懐から手帳ほどの大きさの革ケースに納められた金属板を取り出した。

ブロンズのような色をした艶の無い板に、彼女の胸にあるものと似た結晶があしらわれている。

男「連絡…?」

時魔女「うん、副隊長が造った特殊なパッドとインクでね。お互いの手元にあるパッド同士が座標登録されてて、書いた文字を交換できるの」

男「今までずっと、連絡をとってたのか?」

時魔女「うん…港で副隊長と別れてからは。ごめん…本当、なんかスパイみたいな事してる気がして、言い出せなかった」

なるほど、時魔女の単独行動が許される理由が少し解った気がする。

おそらく定時連絡という形で、文書を交換しているのだろう。

299: 2013/11/07(木) 15:14:49 ID:YGo/EYxs

男「何も謝ることは無いさ、情報を利用して戦争を仕掛けようってんじゃないんだろ?」

時魔女「うん…でも月の国が砂漠へ派兵を検討してるって事は、やっぱり星の軍の一員として黙っておけなかった」

彼女の口調は重い。

でも今の俺は、それを咎めるべき月の国の軍人ではないのだ。

それに砂漠を占拠せんとする月の振舞いに対して、他国が相応の準備を施すのは当り前の事。

あの副隊長は聡明な女性だと思えたし、ましてや星の国は五大国の中でも穏健派として通っている。

事態が悪い方に転がるような事はあるまい。

…ふと、月の副隊長の事を思い出す。

港でこちらから王都へ送った伝言で負傷した副隊長を星の国へ送るとは伝えたけれど、この事態となって彼に帰る場所があればいいが。

いかにも頑固で己の正義を貫かんとする彼の事だ、きっと月軍の現状には憤慨するに違いない。

それとも愛しの星の副官殿に毎日構って貰って、鼻の下を伸ばしているのだろうか。

その様子を想像して思わず口元で笑んでしまった…が、どうやらその笑みがマズかったらしい。

300: 2013/11/07(木) 15:15:26 ID:YGo/EYxs

女「…何が可笑しいのです」

突然、今までずっと沈黙を保ってきた女が言葉を発した。

しかも大層に機嫌の悪い声で。

女「幼馴染さん、時魔女さん…およそ話と食事は終わりましたでしょうか」

幼馴染&時魔女「う、うん…」

あれ、おかしい。

女が喋らないのは、夜通しの行軍の疲れがきているからなのだろうと思っていたのに。

これは違うっぽい、そして俺の予感が正しければ…

女「…じゃあ、昨夜の話を煮詰めましょうか」

…うん、正しいみたいだ。

幼馴染「じゃあ、ちょっと席を外すね!」

時魔女「ごゆっくりー」

301: 2013/11/07(木) 15:16:58 ID:YGo/EYxs

それから三十分に渡り、こんこんと説教を受ける。

『本当に置いて行く気だったのか』

『寂しくて氏ねというのか』

『そもそも黙ったままとは、どういう了見だ』

『剣を払われた時、手が痛かった』

『お詫びの抱擁も口づけも無い』

概ね内容はこんなところ、終わりの二つを除けば返す言葉も無い。

302: 2013/11/07(木) 15:17:41 ID:YGo/EYxs

男「悪かったって…俺だって置いて行きたくは無かったけどよ」

女「そうしたくも無いのに『仕方ない』と思えるのが、一番腹立たしいのです!」

男「ごめん…」

ちなみに彼女が剣を振るう際、その切っ先に一切の迷いを感じなかったのは『本気だったから』だそうだ。

幼馴染から『絶対に当らない』と言われ、時魔女からは『万一斬れても時間逆行で治す』と言われていたらしい。

女「首を落とすくらいの覚悟で斬りつけましたので」

男「時間逆行って、生きてる奴にしか使えないんじゃなかったっけ」

女「………そういえば、そうですね」

…怖えよ、嫁。

303: 2013/11/07(木) 19:38:49 ID:4MH/fj1I

詫びの印として一度、柔らかく口づけを交わした。

相変わらず彼女はその後少しの間、俺の胸に顔を埋めて表情を見えなくする。

だけど今日はそれも短めに。

俺は無言のまま彼女をそっと胸から引き離すと、立ち上がった。

いい加減に幼馴染達をテントに入れてやらないと、昨夜からの不眠の行軍で疲れ果てているはずだ。

女はまだ少し頬を赤らめたまま、俺を見上げて小さく微笑んだ。

ひとまず機嫌は直してくれたらしい。

俺は幼馴染達を呼びに、テントの外へ歩み出た。

男「おーい」

幼馴染&時魔女「…あっ」

テントのすぐ側面、二人は屈んだ姿勢でこちらを向いた。

男「お前らっ…!」

…こいつら、聞き耳立ててやがったな。

306: 2013/11/07(木) 22:18:01 ID:glC8EJzQ

……………
………


…五日後の夕刻
…月の国、北西の山麓


丘陵の向こうから、旅人の姿をした二人の男が歩んで来る。

少し後ろを振り返り、誰もついて来ていないかを気にしながら。

男「…ご苦労だった、村の様子はどうだった?」

隊員「月の兵の姿はありません。酒場で聞き込んでも、我々部隊の噂は入っていないようです」

二人は旅人を装わせた隊員達だ。

様子見に向かわせたのは、他ならぬ俺と幼馴染の故郷の村。

王都から消えた俺を捜索するなら、早い段階で手を回す可能性がある場所だ。

逆にそれが為されていないという事は、あまり本腰を入れた捜索は行われていないのかもしれないと考える事もできる。

渇竜ヴリトラに一矢を報い、紛いなりにも砂漠進出の口実を得た今、俺の存在価値はもうさほどありはしないのだろう。

307: 2013/11/07(木) 22:19:50 ID:glC8EJzQ

砂漠開発の助力という任務を放棄し、二十余名の兵を連れて逃げたとはいえ、その目的は王の暗殺や国家の転覆ではない。

現にこの五日間、あの騎馬兵達を除いてチェイサーに遭遇する事も無かった。

禁足地への侵入に対してはどれほどの妨害があるかは知れないが、今すぐは追っ手の影に怯える必要は少なそうだ。

男「さすがに食糧も底を尽いてきている、装備を整えるためにも村に入るべきだろうな」

傭兵長「我々の足跡を知る者を作れば危険は増しますが…やむを得んでしょう」

男「まあ住民の数も少ない小さな村だ。しかも全て顔見知り…伏せておいてくれという願いは通じよう」

幼馴染「やった、五年以上ぶりの帰省ができるんだね!お隣の赤ちゃん、大きくなったんだろうなあ…」

傭兵長と真剣な協議をしているというのに、幼馴染は随分とマイペースな事を言っている。

昔からこんな奴だったというのは、誰よりも俺がよく知っている事だけど。

それに俺だって故郷への帰還が嬉しくないわけじゃない。

…友人に女を紹介するのが、少々気恥ずかしいと思うだけだ。

308: 2013/11/07(木) 22:20:43 ID:glC8EJzQ

……………
………


…故郷の村周囲の農地


男友「おい…!嘘だろ、お前…帰ってきたのか!」

男「久しぶりだな、元気だったか」

男友「馬鹿やろ、身体悪くしてる余裕なんか無えよ。お前の畑まで世話してんだぞ」

村に入る前から友人に捕まった。

いや、捕まったとは言葉が悪すぎるか…昔から親友として付き合ってきた仲だ。

俺が管理していた農地は殆どこいつが引き継いでくれている。

男「すまん、面倒をかけるな」

男友「よせよ…慈善でやってんじゃない。お前の畑で穫れる作物も、俺の収入源になるんだ」

男「ああ、今年もいい出来だ。…お前に任せて良かった」

309: 2013/11/07(木) 22:21:51 ID:glC8EJzQ

男友「ところで、噂は聞き及んでるぜ」

一瞬、ぎくりとする。

しかし彼が聞いた噂は、独立部隊の事では無かったらしい。

男友「お前が竜退治の戦士、ドラゴンキラー様とはねえ…俺も鼻が高いってもんだ」

男「ああ…お陰さんでな、こうして部隊も引き連れてるよ」

男友「これ全部お前の部下か、偉くなったもんだなあ…。あっ、幼馴染ちゃんじゃねえか!」

幼馴染「久しぶりね!私は男の部下ってわけじゃないけど」

俺はこの時、順序を間違えたと思った。

彼に幼馴染を見つけられるより先に、女を紹介すべきだったんだ。

男友「解ってるって、とうとう男も観念したかー。五年ぶりに再会すりゃ、ハッキリしないお前らも流石に良い仲になったんだろ?」

男「ちょ…おい!…それが…よ」

男友「はぁ?お前らまだ恋仲になってねえの?何やってんだよ、幼馴染ちゃんが旅立った後、暫く落ち込んでたくせに…」

ああ…もう、何でそんな余計な事を。

幼馴染は隣でニヤニヤしながら「そうだったんだー」と状況を楽しんでいる。

左後頭部がチリチリと痛い気がするのは、たぶんひどく睨まれているからに違いない。

310: 2013/11/07(木) 22:22:51 ID:glC8EJzQ

………


…村長の家


男「…協力頂けますか」

村長「…何を水臭い事を、断るはずが無かろう」

木の香りが満ちた天井の高い部屋、パイプを咥え紫煙を燻らせながら村長である老人は答える。

村長「テントなら林業の泊り込み用の物が幾つもある、必要なだけ用意させよう。毛布も各家から集めれば揃おうよ」

俺は彼に現在までの経緯を話し、必需品や馬車の提供を願った。

先の通りそれは快諾され、食糧や衣類なども揃う限り持たせてくれるという。

村長「お前がサラマンダーを討った後、報酬の金貨を村に送ってくれた…それがどれほど有難かったか。テントなど百でも二百でも新しく作れてしまうわい」

男「感謝します、村長…」

村長「…すっかり男らしくなりおって、しかし立派なだけでは寂しいのお」

村長は椅子から立ち上がると歩み寄り、小さな子供に接するように俺の頬に掌をあてた。

311: 2013/11/07(木) 22:24:41 ID:glC8EJzQ

いつの間に軍人としての振舞いや、城での言葉遣いが染み付いてしまったのだろう。

ほんの半年前に村を出た日の俺は彼を『村長』などとは呼ばなかった。

両親を失った俺をずっと育ててくれた彼を、俺は親しみを込めて呼んでいたはずだ。


男「うん…ありがとう、じっちゃん…ただい…ま…」


在りし日の自分を取り戻すと同時に、己の内に溜め込んでいた様々な想いが溢れ出す。

兵の命を預かる重責、討伐隊々長として背負う期待、逆賊となって着た罪。

強く装う自分を見せたいが故に、女にもその全ては晒せない己の弱さ。

年老いた彼だけはそんな俺の全てを知っている、見てきてくれた存在だから。

村長「よく…来てくれた…よく戻った…。おうおう…いい大人になっても、変わらんのう…」

彼の皺だらけの手で頭を撫でられて、妻さえも迎えた大人の男が涙を零すなど。

この姿、隊員達にはとても見せられたものじゃない。

きっと今、隣の家で幼馴染も同じように涙を見せているのだろう。

今夜は懐かしいあのベッドで眠ろう。

天窓に降る星を数えて、大時計の振り子が刻む音を確かめながら。

318: 2013/11/08(金) 08:55:22 ID:FaFtMyCM

…翌朝


木の階段を駆け上がる音、遠慮も無く開けられる部屋のドア。

幼馴染「おっはよーう」

知っている、この挨拶の後はきっと無理に肌掛けた毛布を取り払われるはずだ。

そしてそれは予想の通りとなる。

幼馴染「いつまで寝てんの。おじいちゃん、もう朝食できたって言ってたよ」

男「おぅ…おはよ」

実に五年ぶりとなる、それまでは当たり前だった習慣。

俺は毎朝繰り返されるこのやりとりを、当時は疎ましく感じながら気に入ってもいたと思う。

319: 2013/11/08(金) 08:56:00 ID:FaFtMyCM

幼馴染「これからどう動くの?」

男「荷馬車やテントの準備は今日一杯かかるって聞いてるから、もう一泊ここに滞在する事になるだろ。傭兵長にもそう伝えて、交代で周辺の見張りは頼んであるよ」

幼馴染「よかった。せっかくの故郷だもの、すぐに出発は寂しいと思ってたの。じゃあ、今日は懐かしいところ回ろうよ」

俺がこの村を離れていたのは、僅か半年ほど。

さほど村に変わった所など無いだろうが、彼女にとってはさぞ懐かしく新鮮に映るに違いない。

男「そうだな…じゃあ、女や時魔女も案内しようか」

幼馴染「…あの、どうしても嫌ならいいんだけど」

不意に彼女の口調がくぐもったものになったように感じられる。

少し俯いて、上目遣いに俺を見て。

幼馴染「今日だけ…ううん、午前中だけでもいいから、二人で過ごしたい」

…ちょっと困った。

でも俺の心の中にも少しだけ、それを望む想いがある。

きっと時魔女達を連れていては、出来ない話もたくさんあるだろうと思ったから。

322: 2013/11/08(金) 12:23:48 ID:gXvHTkT.

一応、俺一人だけで宿に立ち寄り、昨夜二人同室で過ごした女と時魔女に『午前中は会っておきたい人のところを回るから』とだけ伝える。

笑顔で『いってらっしゃい』と送ってくれる女、なんとなく後ろめたく感じて『いってきます』が言えない俺。

その後、村の外れの牧場で幼馴染と落ち合う。

幼馴染「牛、少し減ったね」

男「ああ、ここにはな。少し離れた丘陵地に新しい施設を作ったから」

幼馴染「そうなんだ、すぐに行けるなら行ってみたいな」

男「ちょっと遠いな…でも明日、出発したら近くを通ると思うよ」

牧場から農地の畦道を抜けて、昔よく遊んだ小川の畔へ。

足を浸すには少し時期が遅い、確か少し下流に歩けば跳んで渡る事ができる岩場の淵があったはず。

幼馴染「あそこ、渡れるよね」

男「ああ…昔、お前あそこで落ちたよな」

幼馴染「もうっ…覚えてるんだ」

323: 2013/11/08(金) 12:25:17 ID:gXvHTkT.

少し大きな岩がせり出した川の淵、そこから点在する石を跳び渡れば対岸に行ける。

男「よっ…と」

幼馴染「あー、懐かしいな…いつもこうやって男が先に渡ってたっけ」

それも覚えてる、そして先に渡った俺はいつも。

男「…ほら、大丈夫か?」

こうして彼女に手を延べていた。

幼馴染「ありがと…」

昔と同じ仕草で、少し昔とは違うぎこちなさをもって幼馴染は俺の手をとり、ひとつ目の岩を跳んだ。

ふたつ目、みっつ目…ひとつずつを順番に手を貸しながら、渡ってゆく。

そしてよっつ目、対岸までの間で最後のひとつが少し小さいのも覚えている。

ここで彼女は落ちたんだ。

確か暑い時期だったから、その後は服を着たまま水遊びに興じたと思う。

男「今度は落ちるなよ」

幼馴染「わかってますよーだ」

324: 2013/11/08(金) 12:26:45 ID:gXvHTkT.

また俺の手を握り、彼女が岩を蹴る。

決して下手な跳び方はしていないのに、幼い頃と比べれば俺達の身体は思う以上に大きくなっていたらしい。

幼馴染「わ…!狭いっ!」

小さな岩の上は今の二人が楽に立てるほどの広さは無く、幼馴染がよろめく。

男「危ねえっ」

無意識に手を引き寄せ、抱きとめるように彼女を支えた。

直後、我にかえって状況のまずさに気付く。

幼馴染「…さ、先に次に行ってよ」

男「こんな狭くちゃ跳べねえよ…お前を落としちまう」

抱き合った姿勢で数秒。

無いとは思うけど、こんなところを女に見られたら比喩でなく雷を落とされかねない。

男「同時に跳ぶしかねえか、残りは大した川幅じゃないし」

幼馴染「……………」

なんで黙るんだ、気まずい事この上無い。

325: 2013/11/08(金) 12:28:43 ID:gXvHTkT.

彼女は俯いたまま、俺の胸に鼻先を当てて寄り添った。

それは口づけた後に女がする仕草に似ていて、俺の中に弱からぬ罪悪感を生む。

男(…まずいって)

本当は、朝に起こされた時から気付いていたんだ。

兵装を解いて村娘の服に身を包んだ幼馴染、その姿に目を奪われた事。

男「…行こう。いち、に、さん…で同時に跳ぶぞ」

幼馴染「あ…」

男「せーの、いち、に…」

彼女の返事を待たずにカウントを始めて、それでも二人は対岸へ着地した。

強引にそうしたのは後ろめたさに耐えられなかったから。

そしてあのままでは、胸の早鐘を彼女に悟られそうだったから。

326: 2013/11/08(金) 13:43:25 ID:gXvHTkT.

対岸は少し切り立った岩山の裾で、そう高くはないが見晴らし台までの岩を削った階段の登山道がある。

二人とも毎朝この道を駆け足で登って往復しては、体力を鍛えたものだ。

その道を今は、ゆっくりと歩いて登る。

幼馴染「あ、やっぱり咲いてる」

途中にある、日当りが良く少しなだらかになった斜面。

そうだった、昔からこの時期には群生する野生のセージが咲き誇るんだ。

男「お前、たくさん摘み過ぎて『手からセージの匂いがとれない』って困った事あったな」

幼馴染「なんでそんな人の失敗談ばっかり覚えてるかなー」

…それは違う、失敗談くらいしか面白可笑しく語る事ができないだけだ。

そうでない思い出話はたくさんあるけど、あまりそれを掘り起こすと別の感情まで目を覚ましそうだから。

せっかく懐かしい場所を巡っているというのに、お前だって妙に口数が少ないじゃないか。

きっと同じ事を考えている癖に。

327: 2013/11/08(金) 13:45:09 ID:gXvHTkT.

見晴らし台からは村が一望できる。

遠すぎて判るはずも無いのに、俺は宿の窓から見えるのではないかと少し心配になった。

麦の畑は黄金色に近付き、風に穂を揺らして脈を打っている。

幼馴染「あ、見て…旗が変わったよ」

村の中央の広場にある掲揚台には、今まさに赤色の旗が昇らされていくところだった。

畑からも見えるその台には、午前中は白、午後は赤い旗を掲げる事になっている。

男「正午になったんだな…そろそろ戻るか」

幼馴染「…うん」

俺は立ち上がり、ズボンについた埃を掃った。

彼女もそれに倣い立ち上がるが、来た道へ向かおうとはしない。

少し悩んだ風に間をとって、小さく頷いて。

幼馴染「…男、聞いてくれる?」

そして彼女は視線を村に向けたまま、ぽつりぽつりと話し始めた。

328: 2013/11/08(金) 13:54:10 ID:gXvHTkT.

一つずつ、敢えて触れてこなかった思い出話を彼女の口は紡いで。

幼馴染「私…やっぱり男の事、好き」

そしてやがて、その言葉は核心に触れる。

幼馴染「五年前に捨てたつもりだったけど、少しだけ捨てきれてなかった。でもその分も再会した夜にふっきれたと思った…」

男「…そう言ってたな」

幼馴染「でも、それも…まだ残ってたみたい」

何と答えたらいいだろう。

将来的には正式に女を妻とするつもりだ…その意思は、あの日はっきりと告げたはずだ。

それを覆すつもりも無いし、幼馴染だって忘れているわけでは無いだろう。

だから、繰り返す意味も無い。

329: 2013/11/08(金) 13:57:40 ID:gXvHTkT.

幼馴染「ねえ、ここ…覚えてる?」

見晴らし台という場所の存在を忘れていたわけは無い、だから彼女が問うのはここでの出来事の記憶だろう。

幼馴染「…いくつ位の時だったっけ」

…覚えて無い。

幼馴染「確か、竜に父親を奪われた…その少し後」

覚えて無いって、そんな事。

幼馴染「お互いに親を亡くしたのに、やっぱり私は男より弱くて…泣いてばっかりだった」

男「そうだったかな」

幼馴染「そうだったよ…だから男は私を励まそうとしてくれた」

互いに隣り合った家に引き取られて、その家の人は充分な愛情を注いでくれたけど。

どうしたって埋められない穴は、二人の心に確かに穿いていた。

幼馴染「男、ここで言ってくれたよ。俺が家族だから、お前は独りじゃないから…って」

330: 2013/11/08(金) 13:58:10 ID:gXvHTkT.

その言葉を忘れるわけは無い。

だから『そうだっけ』と、しらばっくれる事はできなかった。


幼馴染「その後…本当に子供だったのにね。男、一回だけキスしてくれた」

男「……………」

幼馴染「女さんがいなかったら…なんて恨みがましい事は言いたくないの。だから、もし私が五年前に男の傍から離れなかったら」

男「…今更だよ」

幼馴染「うん、解ってる。…でももしそうだったら、男…私と本当に家族になってくれた…?」


彼女は問いながら俺に振り返った。

その頬に伝う雫に、気づかないふりをするのは難しい。

331: 2013/11/08(金) 14:00:07 ID:gXvHTkT.

幼馴染「私、目を瞑っとくから。答えが『ならなかった』なら、そのまま男だけ村に戻って」


彼女が目を閉じる、その瞼からまた一筋の涙が落ちる。


幼馴染「もし『なってた』と思ってくれるなら、たった二度目…でも最後のキスをください」


竜が現れなければ。

もし、あの日彼女が旅立たなかったら。


幼馴染「…どっちにしても、それでおしまい。それだけで私達の恋は…終わりにするから」


様々な『…たら』や『…れば』を使えば、いくらでも未来を想定する事はできる。

でもその中で選ばれてゆくのは一つだけ。

あとの選択肢は胸の中にだけ描く事を許された、憧れに似た物語。

この日、俺と幼馴染が選ぶかもしれなかった未来は本当に幻と消えた。

336: 2013/11/08(金) 16:30:07 ID:gXvHTkT.

…翌日朝


充分な大きさの荷馬車を手に入れ、隊員達の荷物も軽く街道を順調に進みはじめた。

時魔女「これで旅が楽になったねー」

幼馴染「ほんと、テントも荷馬車も必要数揃ったし、あの惨めな食事ともおさらばできるよ」

昨日、午後からは顔を合わせなかった幼馴染も、すっかり吹っ切れた表情をしている。

俺は心の内で、ホッと胸を撫で下ろした。

時魔女「腹が減っては!」

幼馴染「お肌が荒れる!」

もうひとつ安心したといえば、午前中の出来事を女に怪しまれる事は無かった事。

これについてもビクビクしていただけに、大きく安堵した。

時魔女「お肌が荒れたら!」

幼馴染「王子様が逃げる!」

なんでこいつら、こんなに気が合うんだ。

本当に姉妹なんじゃなかろうか。

337: 2013/11/08(金) 16:30:45 ID:gXvHTkT.

男「あ…ここだ。おい、幼馴染…ここが昨日の朝に話した新しい牧場だよ」

幼馴染「おー、広いねー。どうりで、向こうに牛が少なかったわけだね」

男「な?…あのまま行くにはちょっと遠い…だ…ろ…」

…しまった、これはしまった。

女「…昨日、逢っておきたかった方とは、どなたの事だったんです…?」

男「…えーと」

女「おかしいと思ったんです。私と時魔女さんも村をあちこち散歩したのに、お二人とも一度も会いませんでしたものねえ…」

時魔女が胸に手を翳す、嫌な予感に襲われる。

女「時魔女さん!男さんを止めて下さい!」

時魔女「了解!時間停止発動っ!」

男「ちょっ…!」

時間停止を味わうのは二度目、今度は命の危機だ。

女「男さん、完全詠唱の魔法は炎と氷と雷…どれがお好みです?」

傭兵長「ここが隊長殿の氏に場所だったのですな…どうぞ安らかに」

視界の端で、荷馬車の幌に隠れようとする幼馴染が見えた。

342: 2013/11/08(金) 19:40:58 ID:gXvHTkT.

……………
………


…四日後
…月の国、北西の海岸


時魔女はその後も、内容を一々俺に告げながら星の副隊長との交信を続けていた。

そしてそれは我々にとって、良い方向に事態を進展させる事となる。

時魔女「あ、あの船だと思うよ!」

星の国の計らいにより、物資を乗せた船が海岸に近付く。

積荷は食糧を始め、予備の武器や当面を凌ぐに足る金貨などという話だ。

男「星の副隊長には感謝しきれないな」

時魔女「そっちの副官さんの事、副隊長も責任感じてるんだよ…遠慮なく役立ててあげて」

通信によれば本当なら魔法隊をはじめとする人員も送りたかったそうだ。

しかしそれは同盟国が無許可で月の国に派兵するという事になるため、さすがに叶わなかった。

傭兵長「さあ、船が接岸しますぞ。月の監視船に見つからぬ内に、手早く荷下ろしを」

343: 2013/11/08(金) 19:41:29 ID:gXvHTkT.

船員と隊員の共同作業により、荷下ろしはものの10分ほどで完了する。

船には詳細な位置を相互に確認するため、星の副隊長も乗り込んでいた。

星の副隊長「時魔女様、月の隊長…いえ今は違いますね、男様を困らせてはいませんか?」

時魔女「困らせてなんかないよ!私がいなきゃダメって位、役立ってんだから」

男「そういう事にしとくよ」

星の副隊長「男様、どうかよろしくお願いします」

せっかくの再会だが、長居はできない。

星の副隊長は足早に船に乗り、離れゆく船尾から何度も手を振った。

月の副隊長の義足は既に試作段階を過ぎ、日々それに慣れるための訓練が行われているという。

彼と再会できる日も、遠くはないかもしれない。

344: 2013/11/08(金) 19:42:02 ID:gXvHTkT.

それともう一つ、星の副隊長から伝えられた気になる情報がある。

まだあやふやな情報ではあるが、白夜の王都に翼竜が現れたというのだ。

そしてその襲撃により、既に高齢で天寿を全うするのも近いと噂されていた白夜王が亡くなったという。

白夜は既に世継ぎも定まっていたから国政に大きな乱れは無いだろうが、なぜ翼竜は遠く白夜の王都を襲ったのか。

家畜を多く飼う田舎の村などを襲うのは納得できる。

しかし王都…まして高齢で遠征など行うとは考え難い白夜王が命を落としたという事は、その城の中枢を襲ったという事なのだろう。

星の国は月の国だけでなく白夜とも同盟を結んでいる。

だからこの情報もいち早く伝わったのだろうが、まだそれ以上の詳細は判らないとの事だった。

345: 2013/11/08(金) 19:42:58 ID:gXvHTkT.
……………
………


…更に二日後
…月の国、西の山岳地


傭兵長「…偵察に行かせた者の情報によると、やはりこの先の関所を防衛線として多数の兵を配置しているとの事…強行突破は難しいかもしれませんな」

男「追っ手が無いから期待したが、やはり西の台地へは近寄せないつもりか…」

傭兵長「追っ手にしても派兵はしておるのかもしれませんな。ただ月の兵が我々に寛容であるために本気で捜索をしないのでしょう」

西の台地までは、本来ならあと二日とかからない距離だ。

しかし現在地と禁足地であり半島の地形を呈したその場所への間には、越えるに現実的でない険しい山と監視船が多数浮かぶ海が隔たっている。

山岳地に三箇所ほどある通行可能な谷には全て関所が設けられ、海岸線もまた軍港を兼ねた施設が置かれており、隙は無い。

故郷の村と星の国の計らいで物資と装備は整った我が隊だが、絶対的な兵数の不足は如何ともし難い問題だった。

いかに月の兵の我々に対する敵意が薄くとも、直接の指揮官がいる大隊となれば邂逅すれば交戦せざるを得まい。

もしも上手く関所を突破できたとしても、今度こそ多勢の追撃を受ける事となるに違いない。

そうなればまさにジリ貧、いかに隊員達が優秀であろうともこれ以上に数が減れば竜討伐どころではなくなる。

346: 2013/11/08(金) 19:43:32 ID:gXvHTkT.

男「ひとまず少し道を戻って、山間に入った所で今日は野営を張ろう。ここは関所に近過ぎる」

傭兵長「もしかしたら、そこで長く凌がねばならぬかもしれませんな。兵が薄くなるにどれだけかかるか…」

男「食糧はまだ二週間はもつだろう。確か今朝方に湖の畔を通った。その近辺…水の補給が可能な位置に陣取るのが良かろう」

歩んだ道を後進し、湖の畔へ着く頃には夕方が近付いていた。

しかし湖畔その場所ではいけない。

水場の直近はこうして野営を張るに適しているが為に、警戒も強いはずだ。

そのまま湖畔を周り、森がある所を選って水場から30分ばかり離れる。

見通しは無いが少し開けた場所を探し当て、野営地を決する頃には日が落ちようとしていた。

352: 2013/11/09(土) 09:12:40 ID:vyvPHclo

一時を思えば随分と隊の備品は充実していると思う。

水が充分確保できる時は、盥に湯を汲み荷馬車の幌の中で軽い湯浴みもできる。

そのおかげで、女性陣のストレスも少ない。

女「…先にお湯を頂戴しました。男さんも汗を流されては?」

男「ああ、そうする」

涼しい気候だからか、隊員達は数日に一度ほどしか湯浴みをしないようだ。

俺も自身としてはそれでも良いのだけど、女と寝床を共にする事を思えば一日の垢を拭わなければ落ち着かない。

相変わらず口の悪い隊員に、いつも『しっかり洗っておかないとマナー違反ですよ』などと冷やかされるが、気にしない事にした。

充分な数のテントが確保されているから今は俺と女、幼馴染と時魔女はそれぞれ二人ずつで一基が割り当てられている。

だからといって、隊員達が思うような不純な行為はしていない。

でもあまりそれを言い張ると今度は俺のカラダの機能を疑われかねないから、そこについても主張するのはやめた。

353: 2013/11/09(土) 09:13:12 ID:vyvPHclo

俺がテントの方へ戻ると、女は外で星空を眺めていた。

見上げれば確かに満天の星屑が、落ちてきそうなほどに近い。

男「…綺麗だな」

女「はい…王都の空より、ずっと」

王都では夜通し何かしら城や城下の灯りがあったから、こうも星は見えなかった。

俺は昔から故郷の村でこれに近い星空を見てきたから珍しくもないが、彼女の目にはまだ新鮮に映るのだろう。

女「あ…流れ星!…男さん、見ました?」

男「いや、気付かなかったな」

女「願い事をするような間は無いものですね。せめていつ流れるか判っていれば、できるかもしれませんけど」

ふと、もし願う事ができるなら、彼女は何を唱えるのだろうと気になった。

この旅を無事に終える事か、それとも不穏な陰りをみせる祖国の安定だろうか。

俺なら…やはり翼竜を討つ事を願うだろうな。

354: 2013/11/09(土) 09:13:43 ID:vyvPHclo

そして夜空にはまた、一筋の星が尾を引く。

女「………ますようにっ」

それに間に合ったかは解らなかったが、その時に彼女が早口で唱えた言葉は先に思ったいずれでも無かった。

言った後から彼女は口元を押さえ、俯き加減に横目遣いで俺を見る。

男「随分、照れ臭い事を言ってくれるな」

女「…言葉そのままの意味だけではありません」

…なるほど、確かに色んな意味を含むだろう。

旅の無事、翼竜の打倒、身の上の安定など…その全てが叶わなければ、彼女の望みは満たされない。

男「まあ…待っててくれよ」

女「…浮気が心配ですけど」

男「しない…してないって。テント入ろう、湯冷めしてしまう」

女「はい」

女が先にテントに入り、その後に続こうとした。

355: 2013/11/09(土) 09:14:15 ID:vyvPHclo

その時、星明かりに照らされた周囲の照度が、一瞬落ちたように感じて空を見る。

男(…あれは、飛翔魔獣だな。このまま飛び去ってくれればいいが)

この山岳地には飛翔能力を持つ魔物が多く巣食う。

小さなものではハーピーやバルチャー、更に大型のガルーダが生息すると聞いた事もあった。

例えガルーダであったとしても勝てない程の相手ではないが、夜間の戦闘は面白くない。

男(…鳥型の魔物なら夜目はきくまい、向こうから襲ってはこないと思うが)

その予想は正しかったようで、空を舞う影は真っ直ぐ山の向こうへと消えていった。

女「…どうされたのです?」

男「ん…いや、先に休んでおいてくれ。ちょっと傭兵長に、見張りの増員を頼んでくる」

女「そんな事を言って、幼馴染さんと逢引するつもりじゃないんですか」

男「馬鹿言え、もう勘弁してくれよ…」

357: 2013/11/09(土) 11:54:34 ID:vBYxDnHs

…四日後、同じ野営地


連日、数名の隊員を偵察に送っているが、関所が手薄になった様子は無いとの報告しか上がってこない。

幸い今のところ野営地には魔物の襲撃は多くなく、二日目にハーピー数羽が近付いたが、交戦前に向こうから逃亡した。

そのハーピー達が仲間を引き連れて再来する可能性は否定できないが、野営地を変更するほどの理由にはならない。

そうして四日目の正午も過ぎようとしていた頃の事。

先の僅かな危惧は、現実のものとなったのだ。

見張り兵「魔物襲来!ハーピー多数、大型の鳥型魔獣もいます!」

男「くそ…本当に来るとはな。弓兵、出番だ!腕を鈍らせてはおるまいな…!」

弓兵「へっ!隊長は眺めてるだけしか出来ますまい、まあ指でも咥えてて頂きましょう…!」

全く、イキのいい隊員が揃ったものだ。

見るにハーピーは20羽以上、恐らくガルーダと思われる大型の鳥獣も二体見える。

358: 2013/11/09(土) 11:55:47 ID:vBYxDnHs

幼馴染「へっへーん、ちょっと腕を振るうのも久しぶりだもんね。かかってきなさいっての!」

男「調子に乗るな、ハーピーはともかくガルーダは気を付けなければ喰われるぞ」

ガルーダは鳥型魔獣としては最大の魔物、個体数は少ないがこの月の山岳地を主な生息地とする。

渡り鳥としての性質もあるらしく、寒くなるこの後の季節はあの砂漠の方面へと移動するらしい。

蛇の姿をしたヴリトラの存在があったからだろうか、砂漠ではガルーダは蛇を喰らう神鳥として畏敬の対象であるという。

その巨鳥にとって今は、砂漠への移動に向けた喰い溜めの時期に当たる。

女「魔法の使用許可を…!」

男「ああ、任せた!」

女が火炎魔法の詠唱を始める。

俺も傭兵長も、数名の隊員と共に見守るしかできない。

矢を受けた魔物が地に墜ちでもすれば出番もあろうが、地味な役割だ。

359: 2013/11/09(土) 11:57:45 ID:vBYxDnHs

弓兵の活躍により、ハーピーの個体数は目に見えて減ってゆく。

幼馴染「…炸矢っ!」

女「業火に焼かれて貰いましょう…!」

そして彼女らの活躍により、ガルーダも飛ぶ速度と高度を落とし始めていた。

勝利は見えた、被害はありそうに無い…誰もが油断したその時。

傭兵長「いかん…!幼馴染殿、背後です!」

幼馴染「えっ…!?」

別の角度から滑空し密かに接近していた三体目のガルーダ、避ける間も無くその爪が幼馴染に迫る。

幼馴染「しまった…!ああぁっ…!」

男「幼馴染っ…!」

巨鳥は彼女を攻撃するのではなく、その足に捕らえて飛び去ってゆく。

彼女に当たる可能性を思えば、矢も魔法も放つ事はできない。

既に高度は100フィートを超えている、彼女自身が抗って解放されても地上に叩きつけられてしまうだろう。

群れの他の個体も彼女を捕らえたガルーダと共に飛び去ってゆく。

巣に持ち帰り、彼女を喰らうつもりなのだ。

362: 2013/11/09(土) 12:59:40 ID:vBYxDnHs

男「時魔女!」

時魔女「解ってる!時間停止…!」

対象の個体が動きを止める。

しかしそれだけだ、時間稼ぎにしかならない。

男「時魔女…もし幼馴染が落ちたとしたら、地上近くでアイツの時間を止める事はできるか…!?」

時魔女「時間停止を解いたら同じ落下速度を取り戻すから、意味が無いよ…どうしたらいいの…!」

俺は飛び去る他の個体がどの方向に行くかを覚えようとした。

男(くそっ…だからどうなるってんだ!)

鳥が数十分で飛ぶ距離を歩めば一日もかかるだろう。

巣を探したところで出来るのは彼女の骨を拾う位の事だ。

男「畜生…打つ手が無い…!」

未だ彼女を掴んだまま止まっている巨鳥を睨む。

その時、俺の視界は更なる魔物の姿を捉えた。

363: 2013/11/09(土) 13:00:11 ID:vBYxDnHs

傭兵長「あれは…!」

男「嘘だろう…獲物を横取りに来たってのか!」

ガルーダを凌ぐ巨体、鷲の頭と翼、そして獅子の身体。

本来、月の国にいる筈のないこの魔物が何故ここに。

女「グリフォン…!」

数は八体にも及ぶグリフォンの群れは、V字編隊から散開して巨鳥を襲う。

しかしそれと同時に、幼馴染を捕らえていたガルーダが閃光に包まれた。

時魔女「幼馴染ちゃんが…!」

喰われる位なら堕ちて果てた方がましだと考えたのか、囚われの彼女自身が炸裂の矢を放ったのだ。

宙に投げ出され、見る間に落下速度を上げてゆく幼馴染の身体。

ずっとガルーダの動きを封じていた時魔女には、すぐに幼馴染の時間を縛る事もできない。

男「幼馴染っ…くそおおおぉぉぉっ…!」

一体のグリフォンが落下する彼女に向かうのが見えた。

喰われる相手が変わるだけか、それとも地面に叩きつけられるか。

いずれにしても絶体絶命の彼女を、救う術は無かった。

364: 2013/11/09(土) 13:01:23 ID:vBYxDnHs

時魔女「男…違う…!」

時魔女が何かに気付く。

接近したグリフォンが幼馴染を捕らえた。

時魔女「あのグリフォンは…!」

目を凝らす。

そうだ…グリフォンの脚は獅子のものに同じ、人間を掴めるようなつくりではない。

彼女を捕らえたのは、その魔獣の背だ。

その背には…

男「鞍がある…人が乗っている…!」

話に聞いた事はあった。

グリフォンを駆る、誇り高き一団の存在を。

その名は…

時魔女「白夜の騎士団…!」

.

371: 2013/11/09(土) 19:52:55 ID:vBYxDnHs

幼馴染を受け止めた一騎はこちらを目指し、残りの七騎はガルーダとハーピーを驚く程の早さで一掃せんとしていた。

俺達の前に舞い降りる、幼馴染の救世主たる騎士。

雄々しく巨大なグリフォンの背に、白銀の甲冑を纏った男が幼馴染を抱きながら跨っている。

男「幼馴染…!」

幼馴染「…ごめん、男が気をつけろって言ってくれたのに」

騎士の腕が解かれグリフォンが首を下げると、彼女はその背から地に降り立った。

ガルーダの鋭い爪に掴まれた事により、その肩は鮮血に染まっている。

男「時魔女、時間逆行は間に合うか?」

時魔女「うん、あと少しでロードできると思うから、充分間に合うよ」

幼馴染「だ、大丈夫…大した事ないよ」

時魔女「いいから、あっち座ろうよ」

時魔女に呼ばれ、幼馴染はちらちらと後ろを振り返りながら俺の横を通り指差された方へ向かう。

その際に見た彼女の顔は、些か紅潮して見えた気がした。

372: 2013/11/09(土) 19:53:50 ID:vBYxDnHs

男「…白夜の騎士とお見受けする。まずは礼を言わせてくれ、本当に助かった」

???「礼には及びませぬ。…私個人の想いとしても、幼馴染殿を救えてよかった」

男「…あいつを知っているのか」

そこまで尋ねた後から、俺はハッとした。

幼馴染から聞いた、五年前の白夜と旭日の共同作戦だった洞窟竜討伐の時の話を思い出す。

???「私は元・白夜の騎士団の長を務めていた『騎士長』と申す者…お見知り置きを」

つまり彼こそが幼馴染にプロポーズをした主、白夜のドラゴンキラーその者なのだ。

なるほど、幼馴染が頬を染めていたのはそれ故か。

騎士長がグリフォンの背から降りようとした時、彼の後ろに次々と他の七頭が集う。

この僅かな時間で魔物を殲滅したのだろう。

騎士長は他の騎士団員が地上に降り立つのを待って、改めて俺に正対した。

373: 2013/11/09(土) 19:59:06 ID:vBYxDnHs

騎士長「元・月の国討伐隊隊長、男殿とお見受けする」

男「いかにも…だが何故『元』という点を知っておられるのだ」

騎士長「星の国を経由し、貴殿の情報を得ました故。…先ほどはグリフォンの背、高いところからの挨拶となり申し訳なかった。ご容赦のほど願いたい」

男「気にしないで頂こう。今の俺は貴方が改まって話さなければならないような立場には無い…ただのゴロツキの長なのでね」

俺の後ろに纏まり無く立つ頼もしい隊員達が、くっくっ…と抑え切れない笑いを漏らす。

どっちが優れているなど考える必要も無いが、少なくとも向かう騎士団の面子の方が上品なのは間違いない。

男「まあ、そういうわけだ…言葉を砕いていこう。先ほど騎士長殿も『元』騎士団長と言ったと思うが、どういう事なのか」

騎士長「では、私も気を楽にさせて頂く。まあ…はっきり申せば、白夜王が崩御される際の遺言で任を解かれた…つまりクビになったのだ」

男「クビ…?国にとって大事なドラゴンキラーをか」

騎士長「白夜では騎士という称号に比べれば、ドラゴンキラーなどという肩書きに大した意味などない。亡き我が主君も若かりし日には騎士王であった」

男「…なるほど。では、なぜこの国…しかもこのような辺境に?」

騎士長「知れた事…何のために星に情報を仰ぎ、数日もかけて男殿の部隊を探したと思われるか」

374: 2013/11/09(土) 20:00:34 ID:vBYxDnHs

そして騎士長とその部下達は再度姿勢を正し、思いもしなかった言葉を告げた。

騎士長「我々を男殿が率いるゴロツキの部隊の一員として、雇って頂きたい。それを願うために馳せ参じた次第だ」

どういう事だ、なぜ俺が白夜の騎士を率いる事になど。

しかし信じて良いものなら、これほど心強い申し出はない。

まして空を駆けるグリフォンの力があれば、関所を越えるにこれほど確実な方法は無いだろう。

男「…雇うために必要な見返りは、何を求めるのか」

騎士長「我が主君の仇を討つ、それ以上の報酬はありますまい」

男「…騎士がゴロツキ連中とつるんだのでは、主君の名折れになるのでは?」

今度は騎士団の方から笑いが漏れる。

しかしそれは我々を蔑むようなものではない。

騎士長「先ほどは男殿の言葉を借り、ゴロツキなどと申したが…今、貴殿の部隊が何と呼ばれているかご存知か?」

男「いや…知らん、月の逆賊とでも?」

騎士長「星の国で聞き申した。濁った月の光を避けながら、勇敢にも竜に挑もうとする誇り高き部隊がある…と」

我々自身が知り及ばないところで囁かれ始めていた、この部隊の呼称。

騎士長「誰が名付けたかは知れぬ…が、貴方がたは今や『月影の師団』と呼ばれている」

375: 2013/11/09(土) 20:39:01 ID:vBYxDnHs

…その夜


男「…実際のところ、噛み砕いて教えてくれないか。何故、この隊との合流を望んだ?」

小さな焚火に鍋をかけ、いつもより少しだけ豪華な食事を囲む。

今夜は俺と傭兵長、そして騎士長の三人で顔を突き合わせていた。

騎士長「…私は祖父の代から白夜王に使える騎士の一族だ。王が氏ぬ前に言った…次の主君は自分で決めろと」

男「…世継の王を主君とはしないのか?」

騎士長「白夜にグリフォンの騎士は百に迫るほどもいる。新王には皇太子の頃から直属の騎士があったのだよ」

傭兵長「なるほど、それでお役御免というわけか」

男「傭兵長、言い方が悪過ぎるぞ」

思わず焦って器から肉のスープを溢しそうになる。

やはりこいつらには、ゴロツキの呼び名の方が相応しいのではないだろうか。

376: 2013/11/09(土) 20:40:18 ID:vBYxDnHs

騎士長「はははっ…いや、言われる通りだ。しかし私はまだ、亡き先代に忠義を誓っているつもりでもある」

男「仇敵を討つまで…か」

騎士長「そういう事だ。次の主君はその後に決める…いや、あては無くも無いのだが」

傭兵長「ほう…天下に五人しかいないドラゴンキラー殿が仕えるを望む御仁とは、どのような方なのですかな」

傭兵長の問いに騎士長は少し思案して、ふう…と小さく溜息をついた。

騎士長「それは…またの機会に話そう。今はまだ公言するにも時期尚早だ」

傭兵長「ほう…それは口にするのも躊躇われる程に、止ん事無き御方という事で?」

男「…傭兵長、あまり詮索をするな」

傭兵長「はっはっ…そうですな。自ら望んでゴロツキなどに交わろうとする騎士殿というものに興味が尽きぬもので、失礼をした」

だめだ…今までそうまでも思わなかったが、とにかくこいつらはやはり品が無い。

いや、今まで思わなかったという事は、俺もそうなのかもしれないが。

382: 2013/11/10(日) 17:31:57 ID:H0xt12JE

………



女「…明日にも関所を越えるのですか?」

テントの中、自らの敷布に座った女が尋ねる。

男「ああ、明日…といっても夜間の事になるだろうが」

俺は剣にクローブ油を塗りながら、彼女の方を向く事無く答えた。

星の国の技術を結集したこの剣はやはり優れたものだ。

ここまでの戦いでも刃こぼれのひとつも見られない。

女「ついに翼竜の巣へ向かうのですね…」

男「…西の台地が巣だとは限らないがな。可能性は高いと思うけど」

383: 2013/11/10(日) 17:32:57 ID:H0xt12JE

白夜の騎士団が駆るグリフォンの背に着けられた、単座の鞍。

その後方、獅子の腰まわりに当たるところには、馬に着けるものを大きくしたような左右一対の皮の荷袋が装備されている。

その荷袋の内布は非常に厚く大きな生地で出来ており、平常は余分な大きさの部分は折り畳んで荷袋の底敷きとなっているそうだ。

しかしそれを左右共に広げてベルトで結ぶと、グリフォンが提げて飛ぶ事のできる大きな布のバスケットとなる。

大人の男性で四人から五人も乗る事が可能で、その重量の負担を受けても一度に20分程度は飛行出来るそうだ。

男「まさか空から関所を越える事になるとはな。船酔いのようにならなければいいが…」

女「そんな経験ができるとは、思っていませんでした」

男「ああ、本当は昼間に乗せて貰えば眺めも素晴らしいんだろうけどな」

空から地上を見下ろすなど滅多にある機会ではない、女も楽しみにしていたりするのだろうか。

しかし彼女の方を見ると、その横顔は憂いを秘めている風に映る。

男「…どうした?」

女「もうすぐに、翼竜と戦う事になるかもしれないのですね…」

言葉を紡ぐ口調も重く、視線は燭台に揺れる蝋燭の炎にぼんやりと向けられていて。

男(…何故、そんな悲しげな顔をするんだ)

翼竜は彼女にとっても兄の仇敵、ついにそれを討てるかもしれないというのに…何故。

384: 2013/11/10(日) 17:35:20 ID:H0xt12JE

それとは正反対に、俺はすぐには寝付けないのではないかというほど気が昂ぶっている。

もはや両親の仇を討ちたいという想いだけではない。

ヴリトラとの連戦となった砂漠での敗北、その借りを返す。

それを成さければ、いつかあの世で砂漠に散った兵達に再会する時、顔向けが出来まい。

男「必ずあの竜を地に伏せてやる。この十数年間、それだけを心に誓って過ごしてきたんだ」

女「……でも」

男「理由は解らないが、白夜が翼竜に襲われた。…生かしておけば、これからもあの竜は幾多の悲しみを齎し続ける」

俺は剣に残った余分な油を拭き取り、曇りが無い事を確認して鞘に収めた。

これで今夜の内に準備しておく事は無いはずだ。

あとは明日、日中に魔物が襲来すれば交戦は止むを得ないが、総員共に出来るだけ休息をとり鋭気を養う。

日没と共に関所越えを開始し、翌日…つまり今夜から数えて明後日の夜明けと共に翼竜を探し始める予定だ。

そして遭遇次第、決戦を挑む。

385: 2013/11/10(日) 17:35:58 ID:H0xt12JE

砂漠での戦いに比べれば兵数は少なく、魔法隊も持たない。

その代わり空からの攻撃が可能な騎士団が加わり、砂漠での邂逅の際のような隊が疲弊した状態でも無い。

現在の持てる力を振り絞った、まさに総力戦となるだろう。

男「時魔女の力と騎士団の機動力があれば、翼竜を地に堕とす事はきっと叶うはずだ」

地上に降り立った翼竜が、どれほどの戦闘能力を持つかは知れない。

だが、それは関係ない。

どんな力を持っていようとも、畏れるものか。

男「この剣が届くところまで翼竜が堕ちれば、あとは何としても仕留めるさ。…例え…」

女「…言わないで下さいっ!」

不意に言葉を遮られる。

そして彼女は俺の心の昂揚に対し、真逆の事を言った。

女「…怖いのです、翼竜と戦うのが」

386: 2013/11/10(日) 17:37:02 ID:H0xt12JE

男「な…何を言うんだ、あの竜はお前にとっても…」

何故ここまで来て怖気づくのか、俺には理解出来なかった。

しかし彼女が怯えていたのは、戦闘の恐怖そのものに対してではなかったらしい。

女「もう失いたくないのです!…あの竜に、大切な人を奪われるのは…もう嫌…です…」

男「……女…」

女「…貴方はきっと、私を隊列の後方に置くでしょう…?もし貴方が氏んだら…私だけが遺されたら…私は、どうしたら…」

消えてしまいそうな声で、彼女は訴えかける。

だからと言って魔導士である彼女を隊列の前方に置くわけにもいかない、それは彼女自身も解っているだろう。

零れてこそいないものの彼女の青い瞳は涙を湛えていて、俺は言葉を詰まらせた。

女「それでも…貴方を止める事など、できないから…だから、せめて言わないで欲しいのです」

男「…解ったよ」

心にだけ誓おう、俺は必ず翼竜を仕留める。

そう…例え、この命に代えても。

388: 2013/11/10(日) 22:06:01 ID:AAUpi6K6

それから後、女は無口だった。

蝋燭の灯りを消し、それぞれの寝床で横になる。

サイクロプス討伐の行軍の頃に比べれば季節も変わり、標高も高い所にいる為かなり寒い。

テントを二人で共にしても、毛布は一人用のものしかない。

例え背中合わせにでも一つの毛布の下で寄り添って眠る事は、王都を捨てたあの日からできていなかった。

男「…女、まだ起きてるか」

女「……はい」

ヴリトラとの戦いにおいても、氏は眼前にまで迫った筈だ。

男「氏なない…と、約束できなくて…すまない」

口先だけでそんな約束をしても何の意味も無い事は、彼女だって解っているだろう。

389: 2013/11/10(日) 22:09:27 ID:AAUpi6K6

明日の夜はグリフォンによる移動を行う事になる。

慎重に…でも要所と定めた部分は速やかにパスしなければ。

果たして部隊の全てが安全に関所の向こうへ渡る為に、どの位の時間を要する事になるのか。

そして侵入した先がどのような地形条件なのか、それらは何も解らない。

女「……男さん…そっちに行っても、いい…?」

だから…だったのか。

もしかしたら、二人で過ごすのは今夜が最後になるかもしれない…彼女はそう思ったから、こんな申し出をしたのだろう。

男「…毛布、小さいから風邪ひいちまうぞ」

女「二枚をずらして重ねれば、平気です…」

言いながら、もう彼女は自らの毛布を握って俺の隣に跪いている。

男「…いいよ、おいで」

390: 2013/11/10(日) 22:10:07 ID:AAUpi6K6

久しぶりに女の髪の香りが鼻をくすぐる。

そして女は背合わせではなく俺の側を向いて横になると、初めて自ら俺に口づけをした。

今までの数度よりも長く唇を併せ、その後はやはり俺の胸に顔を埋めて表情を誤魔化して。

数分して、ようやく顔を上げた彼女に『どうせ暗いから見えないのに』と言うと『ああするのが好きなんです』と、頬を膨らませて答えた。

男「…女、俺は…まだ言ってなかったな」

女「何をです…?」

男「俺を慕ってくれているんだろう?…俺もだ、お前を愛してる」

今度のはどうなんだろう、表情を隠しているのか…否か。

とにかく彼女は再度、俺の胸に顔を埋めた。

そしてその夜、俺達は初めて互いに向き合いながら、彼女を抱き寄せたまま眠りについたんだ。

393: 2013/11/11(月) 12:31:59 ID:wZ6m/ZOw

………



傭兵長「総員、整列!」

翌日の日没前、野営地の中央で傭兵長の号令が響く。

月の部隊23名と白夜の騎士8名、幼馴染や時魔女をあわせて30余りという小規模だが精鋭が集った我が隊の面子が俺に正対した。

男「…これより関所を越え、西の台地へと向かう。多くは無い兵数だが、諸君らは一騎当千の強者であると俺は信じる」

七体のグリフォンが既に人員の搭乗準備を整えて待機している。

残り一体のグリフォンとそれを駆る騎士一名は、この野営地に残してゆく備品や馬を管理しながら待機させる事とした。

万一、関所近辺で何か大きな動きがあった場合の伝令役も兼ねての役目だ。

394: 2013/11/11(月) 12:32:32 ID:wZ6m/ZOw

男「西の台地の地形はおろか、どのような魔物が存在するかも不明だ。翼竜が潜むとすれば、それもいつ遭遇する事になるかも知れん」

多くの装備品を持っていくつもりは無い。

関所を越え地に降りても暗闇の中だ、恐らく野営を張る事はできまい。

男「しかし、今まで翼竜が夜間にどこかを襲撃したという例は無い。その頭上を飛ぶような事が無ければ、今夜の内に戦う事にはならないだろう…」

複数人が搭乗し負荷をかければ、グリフォンの一度に飛べる時間は20分程度。

夜間の内に幾度かの休息を経て、できるだけ関所から離れた安全性の高い場所を探して、夜明けまで待機する事となる。

もっともそのような場所があるかどうかも解らないのだが。

男「決戦は明日の朝以降となろう。だが決して気を抜くな、これより先は常に翼竜の顎が眼前にあると思え!」

あの速さを誇る竜に出会えば、そこで悠長に作戦命令を伝える事などできない。

俺は傭兵長と騎士長と共に決めた戦闘における体制を、部隊の各員に今この時点で命じてゆく。

395: 2013/11/11(月) 12:33:04 ID:wZ6m/ZOw

遭遇した時点でグリフォン隊が翼竜を包囲、遠巻きに威嚇しつつ可能な限り動きを阻害する。

射程高度に翼竜を降ろす事が叶えば、弓兵と幼馴染による矢の掃射と女の魔法攻撃を開始し、その翼を弱体化。

翼へのダメージが蓄積し、動きが鈍ったところを時間停止で縛り、グリフォン隊による直接攻撃で翼を完全に潰す。

おそらく翼竜の鱗も堅い、しかし蝙蝠のそれのような鱗をもたない翼を騎士団の槍で裂く事は叶うはずだ。

そして翼竜を地に落とせば、地上部隊で包囲攻撃をしつつ俺が剣で止めを刺す。

ヴリトラ戦のような失敗はしない、何としてもこの手でその心臓を裂いてみせる。

男「…基本的な作戦は以上だ。しかし想定外の事態も在り得る、その際は諸君ら各自の判断に任せる事となろう」

描いた通りに進まない可能性はあるが、それでも翼竜を相手とするに相応しい手勢は揃っている。

勝算は相応にあるはずだ。

396: 2013/11/11(月) 12:33:39 ID:wZ6m/ZOw

男「…成したところで誰が讃える事も無い戦いかもしれん。しかし、我々が翼竜を討つのは賞賛や褒賞を求めての事では無い」

俺の両親、幼馴染の父親、女の兄、そして白夜王の仇を討つ事。

男「諸君らの武勇は全てこの俺が見届けよう。その勇姿は生き残った者の胸に刻まれ、語られるだろう」

そして今まで翼竜が齎してきた悲しみに報い、もう二度と繰り返させない事。

男「讃えられる事は無くとも、いつか人々が伝えよう…翼竜を討ちし、勇猛なる隊があったと」

そのために俺達は、竜を堕とす。

男「その名は、月影の師団…我々の名だ。決して忘れるな、あの世で同じ名の元に集おう。…騎士長、グリフォンは」

騎士長「…いつでも」

男「では、征こう」

俺は傭兵長に目を遣った。

彼が強く頷く、そして。

傭兵長「総員、グリフォン搭乗!臆するな…!目指すは我らが望んだ氏に場所ぞ!」

月影は今宵、地上に在らず。

それは紺碧の空に舞う。

397: 2013/11/11(月) 12:35:18 ID:wZ6m/ZOw

引用: 農夫と皇女と紅き瞳の七竜