29: 2009/02/05(木) 21:00:44.41 ID:y7MVz3Jj0
動くはずのないものが動いているという現実と向き合おうと必氏に頭を働かせている
少年の前で、少女は静かにそう言った。作り物とは思えない唇で。作り物とは思えない声で。
頭の横で揺れる金色の髪。薔薇のように紅い服。全てを見通すようで、それでいて優しさをはらんだ青い瞳。

見れば見るほど、それは美しく、そして見れば見るほど――まぎれもなく、それは"人形"だった。

「……あの」

首をかしげ、視線をまっすぐこちらに向けてくる。
先ほどよりも少し不安そうな色を含ませて、人形は遠慮がちに繰り返した。

「あなたが巻いてくださったのですか?」

少しずつ、目の前の光景に慣れてくる。
自身の声に不安さを返事にじませないようにすることに少年は集中した。

「あ、うん……」

ようやく出てきた言葉がこれだった。
肯定。伝えられたのはそれだけ。


しかし少女は、微笑んでくれた。
ローゼンメイデン 愛蔵版 1 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL)
33: 2009/02/05(木) 21:15:52.13 ID:y7MVz3Jj0
「ありがとうございます」

嬉しそうに、そう言った。言葉には、優しさが溢れていた。
長らくまともに他人と触れ合っていなかった少年にとって、その声が、その表情が、
――存在そのものが、あまりにもまぶしかった。


十九世紀のイギリス。産業革命の風が街のすみずみまで吹き渡り、
労働者たちは日夜劣悪な環境の中で過酷な労働を強いられていた。
少年が鞄を見つけた時も、長い労働を終えて、家と呼ぶのにためらいを覚えるような、
お世辞にも綺麗とはいえない住処に帰ってきたところだった。

「お名前を教えていただけますか?」

人形が喋るという事実を受け入れつつ、家に謎の鞄と生きた人形が届くような心当たりを必氏で探していると、
少女が問いかけてきた。

「あ、うん。エ、エリック」

とぎれがちに自身の名を告げる。

「エリックさんですね」
「うん」

まるで初めて自分の名前を呼ばれたような感覚を覚えながら、少年は首肯した。

34: 2009/02/05(木) 21:26:39.36 ID:y7MVz3Jj0
「あの……君の名前は?」

聞きたいことは他にも山ほどあったが、エリックはとりあえず
自分が聞かれたことを聞いておくことにした。

「私は真紅。ローゼンメイデンの第五ドールです」
「シンク……」

訳の分からない単語が聞こえた気がしたが、ひとまずその名を胸に刻む。

「エリックさんは……」
「あ、あのさ、エリックでいいよ」

敬称で呼ばれることに嫌悪感を覚える。普段そんなに丁寧に名を呼ばれたことがなかったから、というのもあるが、
彼女とはもっと親しく話してみたいと、なぜかそう思ったのだ。

「そう。エリック、ここはどこですか?」
「ここ?……ここは、うん、僕の家だよ」

求められているのがそんな答えでないことは分かっていた。

「いえ、そうではなくて……」

その後エリックは、自分の身の上や現状などを話した。
"楽しい"と、思った。久しぶりにきちんと話をしたような、そんな気がした。

35: 2009/02/05(木) 21:41:38.07 ID:y7MVz3Jj0
「それでさ、そろそろ君のことを聞かせてほしいんだけど」

あらかた話し終えたあと、エリックは出会った時から気になっていたことを聞くことにした。
少女は、少しの間を置いて、驚いたように口に手を当てて答える。

「ああ……。……ごめんなさい。なにぶん久しぶりなもので……」

何が久しぶりなのかは気にしないことにする。

「私はローゼンメイデン。ローゼンメイデンは、お父様であるローゼンが創りだした七体の人形のことです」
「ローゼン……?」

聞いたことのない名前だった。
どのみち人の名前などほとんど聞く機会もないのだが。

「お父様が創りだした七体の人形は、私も含めてみな究極の少女である"アリス"になることが夢なんです。
 そのために私たちが行うのが、アリスゲームです」
「アリスゲーム?」
「はい。私たち姉妹は、みなアリスになるために戦っているのです。そうしてただ一人勝ち残ったドールが、
 究極の少女、"アリス"になれるんです」

七体の人形。アリスゲーム。究極の少女。耳に残る単語を並べてみても想像はつかない。
どれも、工場で働く生活をしている分には一生聞くことのなさそうな言葉だった。

36: 2009/02/05(木) 21:59:38.61 ID:y7MVz3Jj0
「アリスになると何かいいことがあるの?」
「もちろんです!」

真紅は興奮したように体を前に出す。
夢見るような目つきでエリックを見つめ、言葉を続けた。

「アリスになれば、そのドールはお父様と会うことが出来るのです」

金、財宝、はたまた浴びるほどの食べ物か。純粋に自分ならどんなものが欲しいかと
考えていただけに、その答えにエリックはいささかの失望を禁じえなかった。

「えーと、……それだけ?」

特に他意はなかったのだが、真紅にとっては信じられないような言葉だったらしい。
まるで一生分の食料を与えてあげたのにさらに金まで要求されたと言わんばかりに、真紅は叫んだ。

「それだけですって!?私たちにとって、お父様とお会いすることは最高の誉れなんですよ!?
 それ以上のことを望むなんておこがましいことは出来ません!」

言い終えて、大きく深呼吸した真紅は、少し恥ずかしそうに、

「……すみません。少し熱くなってしまいました」

突然の気迫に圧倒されていたエリックは、いつのまにかあとずさって手を後ろについていた
ことに気づき、慌てて座りなおした。

37: 2009/02/05(木) 22:02:09.51 ID:y7MVz3Jj0
「ご、ごめん」
「いえ、こちらこそすみません」

お互い詫びを述べる。話づらい空気が場を支配した。
エリックにはまだまだ聞きたいことがあった。

38: 2009/02/05(木) 22:07:03.49 ID:y7MVz3Jj0
「さっき姉妹っていったよね?」
「はい」
「ってことはみんな女の子なの?」
「はい。私も含めて全員」
「そっか……」

納得できないものを、エリックは胸のうちに抱えていた。口を固く結んで俯く。
真紅はそんな彼を不思議そうに見つめる。


「それってさ、悲しいよね」


小さな呟きが、真紅の心を穿った。

41: 2009/02/05(木) 22:21:24.13 ID:y7MVz3Jj0
「……」
「僕はさ、君達がどれほどお父様に会いたいと思っているかなんて分からないし、
 君達がどれほどアリスっていう存在に憧れているかなんて分からない。
 でも、家族が、しかも女の子が、そのことのために戦い合ってるっていうのは、悲しいことだと思うよ」

純粋な気持ちだった。エリックには兄弟姉妹がいない。だからこそその大切さも知っている。
姉妹で戦い合うなんてことは、たとえその先にどんな栄誉があろうとも、とても出来そうにないことだった。

膨れる疑念は収まらず、少年はなおも続ける。

「君たちのお父様は、本当にお父様なの?」

言ってしまってから、また真紅が怒るのではないかと考える。
しかし、真紅は俯いたまま、何も言おうとはしなかった。

エリックはなおも続ける。

「君達がその人をお父様と呼ぶのなら、君達はその人にとって娘なんでしょ?
 子供を戦い合わせる父親なんて、父親と呼べるのかな?」

44: 2009/02/05(木) 22:34:09.15 ID:y7MVz3Jj0
沈黙が染み渡る。重い空気で場が淀む。
もう真紅は、自分と口を聞いてくれないんじゃないか、そんな一抹の不安を頭の隅に抱えながら、
それでもエリックは自分が間違ったことを言っているとは少しも思っていなかった。

「……私は」

静謐を破ったのは、真紅だった。

「それなら私は、これからどうやって生きていけばいいの?」

今度は少女が溢れ来る言葉を抑えきれなくなる番だった。
聞きたくない、しかし決して間違っていないその言葉の網が、
ローゼンメイデンとしての自分の心を絡めとっていくような気がした。

「お父様……なんのために……」

なぜ生まれたのかなんて考えたこともなかった。
答えはまぶしすぎるくらいに、最初から見えていたから。

なぜ生きていくのかなんて考えたこともなかった。
自分の存在意義と生存意義は、同じだと思っていたから。


――強いていうのなら、


お父様に会うために生まれたのだと思っていた。

お父様に会うためにこれからも生きていくのだと思っていた。

46: 2009/02/05(木) 22:45:02.71 ID:y7MVz3Jj0
少年も驚いていた。
自分の心の動きに。自分が放った言葉に。

今まで、他人どころか自分の人生さえ深く考えたことはなかった。
工場で働き、この住処で食べて、寝て、そしてまた翌日に働く。
そうやって、退屈だとか自らの存在意義とかなんて考えることなく、氏ぬまでこの街で
生きていくんだと思っていた。


でも、目の前にいる少女は、明らかに自分の何かを変えてしまった。

それは人生観なのか。
はたまた運命なのか。

他人に干渉するなど、初めてかもしれない。


自分の前で悩んでいる少女を見て、少年は思う。
この人形は、自分にとても似ていて、そして全く違う存在なんだと。


でも、僕もこの子も――生きている。

48: 2009/02/05(木) 22:57:01.94 ID:y7MVz3Jj0
「君はさ、今までどう生きてきたの?」

気づいたら口が動いていた。
聞いてみたかった。少女がどんな歩みを経てきたのか。
初めて、他人のことを知りたいと思った。

「私が……?」
「うん。聞かせて欲しいんだ。シンクが、何を見て、何を思うようになったのか」

造りの荒い家の窓が、夜風を受けて時折音をたてる。
真紅はうっすらとにじんでいた涙をぬぐい、エリックの方に向き直ってゆっくりと話し始めた。

「ローゼンメイデンは、自分のねじを巻いてくれた人、マスターのもとで暮らし、ときに力を借りながら
 生きていきます。エリックの前に私のねじを巻いた人は、大きな町の貴族でした。
 それがいつなのか、どこなのかは分かりません。
 その人は、私を最後まで自分の屋敷から出してくれませんでしたし、何も教えてくれませんでした」

マスター。その響きが特に耳に残った。
自分も、やっぱりマスターということになるのだろうか。
続く真紅の話に耳を傾けつつ、少年はそんなことを考えていた。

50: 2009/02/05(木) 23:18:01.35 ID:y7MVz3Jj0
「エリック、あなたや今話した貴族を含めても、私がマスターとして契約した人の数はまだ十人もいません」

「いつ契約したっけ?」とエリックは思ったが、質問はあとですることにした。

「ローゼンメイデンは年をとることはなく、寿命が尽きて氏ぬこともありません。
 そうやって長い年月をかけて、アリスゲームを戦っていくのが私たちの使命なんです」

ずしりと重いものが胃を落ち込ませたような感覚を覚える。
さっき聞いたばかりだというのに、もう、アリスゲームという言葉が嫌いになってきているのが分かった。

真紅はそれからも様々なことを話した。
最初のマスターは優しかったこと。そのあとのマスターにもいろいろなことを教えてもらったこと。
エリックの前のマスターはほとんど自分を気にかけてくれなかったこと。

「一番最初の人はいい人だったんだね」
「そうなの。あの人は今まで契約した人のなかでも一番のマスターだったわ」

もっとも、エリックのことはまだわからないけれど、と付け加えて、真紅は微笑む。
エリックはそんな真紅を見て、笑顔で返した。

「やっぱりシンクはさ、敬語なんて使わないほうが楽しそうだよ」
「え?そ、そう?」

高揚すると敬語を忘れる。でも、そんな真紅のほうが、なぜかずっと自然なような気がした。

51: 2009/02/05(木) 23:28:28.92 ID:y7MVz3Jj0
「楽にいこうよ。僕も真紅にそんな風には喋ってないだろ?」

真紅は微笑み、エリックも笑った。
壁がまた一枚消える。
寝る前まで、話は楽しく続いた。


「エリック、あなたにお願いがあるの」
「その契約とやらかい?」

エリックが先に答えを言う。
真紅は驚いたような、悲しいような複雑な顔で答えた。

「そう。他のドール達と戦うためには、力の媒介が必要。
 あなたには、いざというときに力を貸してくれるミーディアムになって欲しいの」

力を分け与える。痛いかもしれない。苦しいかもしれない。
無理強いはしない。そういったことを真紅は続けて話していたが、
エリックが気にかけていたのはそこではなかった。

戦い。そのための力。
戦って欲しくないと思っているのに、戦いのために力を貸していいものだろうか。

53: 2009/02/05(木) 23:36:26.05 ID:y7MVz3Jj0
でも、とエリックは思う。

たとえ自分が真紅に戦って欲しくなくても、きっと他のドールはそんなことは気にかけずに
アリスゲームを挑んでくるんだろう。
自分が力を貸さなかったばかりに、真紅が傷ついてしまったら?
そんな光景は見たくなかった。


「……僕はアリスゲームを認めるつもりはないよ。
 でも、それ以上にシンクに傷ついて欲しくない」
「……ありがとう、エリック。ではこの指輪に、誓いの口付けを」


きっとこういう運命だったのさ。
少年はかすかに微笑んで、差し出された小さな手を取った。


「――喜んで」

55: 2009/02/05(木) 23:59:37.46 ID:y7MVz3Jj0
黒くすすけた街で、二人は生きていく。
工場でエリックが働いている間、真紅は本を読んですごした。
労働時間が終わってから寝るまでの短い時間を話して過ごすのが、二人のなによりの
楽しみになっていった。

ある時は、真紅がエリックに勉強を教えた。
マスターについた経験は少ないものの、長い時代を生きてきた真紅の知識は
エリックにとって面白いものであったし、有用なものでもあった。

またある時は、エリックが真紅にお茶を振舞った。
工場でたまたま支給されたものをエリックが持ち帰り、二人でささやかなティータイムを楽しんだ。

「結構貴重なんだ。味わって飲んでよ」
「紅茶……。今まで飲んだことのない味だわ」
「紅茶を知らないのかい?」
「食べ物に余り関心がなかったし……」

お世辞にも満足のいく食生活ではなかったゆえに、真紅は今まであまり関心のなかった食事に
大いに関心を抱くようになった。少ない食べ物を、味わって食べることの大切さを知った。

そしてまた、ある時――

「エリック、今日はあなたをある場所に連れて行きたいと思ってるの」
「ある場所?」
「そう。とても不思議で、とても静かで、とても大切な場所」

この街にそんあ神秘的な所があるんだろうかと思いつつ、真紅に連れられるまま、エリックは鏡のある場所へと向かった。

56: 2009/02/06(金) 00:00:53.90 ID:df2+Gvlo0
おしまい

57: 2009/02/06(金) 00:01:26.31 ID:v0RvI1uKO
エリックがパズーで再生される

59: 2009/02/06(金) 00:35:49.14 ID:9tY2Vp4b0
これは萌える真紅ですね

引用: 真紅「あなたが巻いたのですか?」