313: 2013/09/08(日) 20:43:09 ID:Wa4yaTTg

前回:エレン「チビ」 アニ「単細胞野郎」【前編】


怒声がキーンと右耳から左耳を貫いて、思わず携帯を放り投げそうになった。
衝動をぐっとこらえて、「なに」と不機嫌な声をわざとだす。


エレン「家出か!?」

アニ「……違う。別にただの気まぐれ」

エレン「意味わからん。あーもう、そこにいろよ。俺ん家近いからすぐ行く」

アニ「行く――え?」

こっちこそ意味が分からない。なんでエレンがここに来ることになるんだ。
来なくていい、むしろ来るなと答えたが時すでに遅し。通話は切れていた。

立ったまま、今の己の姿を確認した。
適当にひっかけてきた健康サンダルに、七分丈にまくったジャージ、色あせたTシャツ。
どうせこんな夜中だから、誰ともすれ違わないだろうと思って特に気にしなかったが……

客観的に見てもかなりのみすぼらしい格好だった。しかも髪までぼさぼさというオプションつき。
絶望的な状況だ。
進撃の巨人(34) (週刊少年マガジンコミックス)
315: 2013/09/08(日) 20:56:13 ID:Wa4yaTTg

もういっそ樹の影に隠れていようかと悩んでいるうちに、本当にエレンの家はここから近いらしく
ドッタバッタと石階段を駆け上ってくる音が既に迫ってきていた。

あっという間に階段を上りきって姿を見せたエレンは、さすがに体力を消耗したのか
ぜいぜいと息を切らしながら私を睨んだ。

エレン「あのな、こんな夜遅くに女一人でなにやってんだっ」

なにやっていたのかと聞かれても、ただここから街を眺めていただけだ。

エレン「じゃなくて、危ねぇだろ!? その、色々と」

アニ「いろいろ?」

エレン「だから……、いやちょっと待て。息整える……」


膝に手をついてせき込むエレンの姿も、私同様、結構ひどいものだった。
部屋着にパーカーをひっかけてきている点では、この肌寒い夜に半袖で出かけてきてしまった私より賢いと言える。
でも履物が右はスニーカー、左はサンダルでちぐはぐだ。よって同レベル。

316: 2013/09/08(日) 21:09:09 ID:Wa4yaTTg

アニ「そんなに心配してくれたの?」

エレン「はっ……!?」

揶揄のつもりで投げかけた言葉に、思った以上の反応を返されて逆にこっちが怯んだ。
ぎょっとした顔で固まったエレンに、私も内心ぎょっとして、暫く静寂が続いた。
口火を切ったのは向こうだった。

エレン「しっ、してねーよ!俺はただ昼間のお前の言動がどうしても気になったから、わざわざ訊きにきたんだ」

アニ「ふーん……」

エレン「なんであんなこと言ったんだよ。俺が無意識に癇に障ること言ったなら謝るから」

アニ「……」

まずい……。
あんまり覚えてないけど、夢にでてきたあんたに苛立った気がするから、八つ当たりをしたなんて
言いづらい感じになっちゃったな……。
正直軽口のつもりだったのだが。

317: 2013/09/08(日) 21:18:22 ID:Wa4yaTTg

1ヨクトくらいの申し訳なさまで感じてきた。
そのまま口を閉ざしていると、ますます正面のエレンが真剣味を帯びた双眸になってきて、
その分私の言いだしづらさも倍増するという負の螺旋。


10秒ほどで負けて、素直に全部話した。


エレン「………………夢ぇ?」

は?え?本当にそれだけ?え?夢!?と何度も確認した後

エレン「それ俺悪くないじゃん」

アニ「……本当にそうかな」

エレン「そうだよ!なに言ってんだ!?俺関係ねーじゃん!」


悩んで損した、とエレンは吐き捨てた。

悩んだのか。

318: 2013/09/08(日) 21:32:48 ID:Wa4yaTTg

エレン「……はぁ、なんか脱力した。もう帰ろうぜ。お前も気ぃ済んだろ」

アニ「そうだね……まあ」

流石にもうそろそろ家に帰らなくてはまずいし、これ以上外にいる気にもなれなかった。
両腕を抱きかかえると、風にさらされた皮膚の表面がひんやり冷たくなっているのが分かる。
階段を降りながら無意識に腕をさすっていると、エレンが上着を脱ぎだした。

もう一度言う。脱ぎだした。


アニ「ちょっと……なに脱いでんの、あんた露出狂?勘弁してくれない……?」

ありっっったけの軽蔑を込めて睨むと、エレンは渋面をつくった。

エレン「ちげーよ、アホ。これでも着とけ」


頭になにかが覆いかぶさって、木にひっかかったかと腕を上げると、布の感触。
ほんのり暖かい。エレンのパーカーだ。

「9月に入ると、もう夜は半袖じゃ寒いな!」階段を足早に下って行くエレンの背中が前にある。

319: 2013/09/08(日) 21:46:58 ID:Wa4yaTTg

アニ「は? ねえ、これ……」

エレン「早く行こうぜ。明日寝坊したら、お前もミーナに怒られんだろ。お前のクラスの実行委員、あいつだよな」


いつになく饒舌なエレンは、そのままとりとめのない言葉を紡ぎながら振り返らずにどんどん進んでいく。
返そうにも、受け取ってもらえそうにない。

アニ「……」

余計な気を使って、と腹立ち半分気恥ずかしさ半分でパーカーをはおった。
少し――いや大分――大きい。袖を何回もまくらなければならなかった。


……あったかい。のは、認めよう。
問題はなんというかその、嗅覚だった。別に臭いとかそういうのではなくて……落ち着かない。

ああもう。頭がこんがらがる。
らしくない。まったくもって私らしくない。

エレン「……で、その後ミカサとアルミンが来てさ、ジャンが……なぁ、聞いてるか?」

アニ「聞いてない」

エレン「聞けよ……」

320: 2013/09/08(日) 22:13:37 ID:Wa4yaTTg

階段の一番下の段まで辿りつくと、ようやく街灯の明かりが届く範囲にはいった。
私は自転車に跨ると、口早に告げる。

アニ「この上着、洗って返すから。……色々と、悪かったね。じゃ」

エレン「待てよ、どうせだから送ってく…………ってなんだその顔」


こいつは本当に私が知ってるエレン・イェーガーなのか、信じられない思いだ。
何か悪いものでも食べたのだろうか。

いきなり紳士的な態度をとられても、不気味なだけなんだけど。
なんというか、今日私が女子だということをはじめて知った、みたいな態度の変わりようだ。


エレン「いちいち腹立つなお前。……別に乗りかかった船ってやつだよ」

アニ「……じゃ、送らせてあげるよ」

エレン「送って頂きます、だろ?」

アニ「しっかり送り届けてよね」

減らず口め、と毒づく声は無視した。
照れると憎まれ口を叩いてしまうのは多分お互い様なのかもしれない。

322: 2013/09/08(日) 22:34:03 ID:Wa4yaTTg

E 23
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快晴だった。気温32度。湿度は分からん。
高校生活最後のイベント、文化祭初日の朝。早くも校門から他校の生徒や一般の人が入ってきていた。

既に俺たちのクラスにも客が集まっている。
女子生徒7割、男子生徒3割。例外なくカメラ(もしくは携帯電話のカメラ機能)を手にして笑っている。

「アルミン先輩!一緒に写真撮ってください!」
「ミカサ先輩とサシャ先輩超かっこいいッス!惚れるッス!」
「ジャン、コニー、エレン!こっち向けこっち!撮ってやるから!ブハハ!」

3人で苦虫を噛み潰したような顔を向ければさらに笑いの渦が巻き起こった。
あー……早く店番終わらないかな。
舌打ちしてると、男装もどきをしているミカサに諫められた。

ミカサ「エレン、笑顔が消えている」

エレン「こんな状況で笑えって方が無理だ」

突然ミカサが何故か、俺の肩をがっちりホールドした。

323: 2013/09/08(日) 22:42:11 ID:Wa4yaTTg
ミカサ「サシャ、今のうちに私とエレンの写真を撮ってほしい」

サシャ「合点!」

エレン「やめろ!おい、離せミカサ! ほら隅っこの客がオーダーだってよ!俺行くから!!」


こんな姿の写真撮られたら、ミカサに一生ネタにされるに決まってる。
本人にネタにしている自覚はなくとも。

視界の隅で誰かの片手が上がっている様を捉えたのを理由に、ミカサの手から逃れた。
今更だけど女装メイド喫茶なんてやろうと言いだしたの、一体どいつだよ。殴り倒したい。


エレン「いらっしゃいませ……注文は…………って」

メモを片手に隅のテーブルに近づくにつれ、足取りは重くなった。

エレン「帰れよ」

ライナー「っひ、ひでえな……くくく……客に向かってよ?」

ベルトルト「ははは……ごめんね」

324: 2013/09/08(日) 22:56:17 ID:Wa4yaTTg

エレン「男二人でむさっくるしいな、おい。頼む帰れ」

ベルトルト「え……。二人じゃないよ」

エレン「え?」

アニ「……どうやらあんたの視界には私の姿は映らなかったみたいだね」


あ。ライナーとベルトルトの影からアニがいたのに気付かなかった。
頬杖をついて、相変わらずの無表情だったが、時々口の端がぴくぴくしているのを俺は見逃していない。
こいつら……本当に冷やかしに来やがった。


散々無茶ぶりをしたり写真を撮ったり笑い転げた後、3人組は自分のクラスの店番の時間だと言って去って行った。
俺もその後店番を解かれたので、同じく自由の身になったミカサとアルミンとほかのクラスを見てまわることにした。

さっきの仕返しとばかりに隣のクラスに顔を出す。

328: 2013/09/08(日) 23:13:07 ID:Wa4yaTTg

クリスタ「あ、みんな。いらっしゃい」

にっこりと微笑みながらクリスタに迎え入れられた。


アルミン「おいしそうな匂いだね。僕なににしようかな」

ミカサ「教官おすすめチョコバナナ……なにこれ」

ユミル「うちの担任のお墨付き。うまいぜ?」

ミカサ「……キース先生の?」


「あんたら本当に来たんだ」
エプロンを身に付けたアニが、クレープの並べられたトレーを両手で持ちながら言った。


エレン「おすすめは?」

アニ「イチゴチョコホイップデラックスシュガーバターバニラ抹茶アイスクレープ」

エレン「は?なんかの呪文かそれ?」

値段を見ると一番高い商品だった。商魂たくましい奴め。絶対買わん。

329: 2013/09/08(日) 23:22:40 ID:Wa4yaTTg

アルミンとミカサと3人でお化け屋敷やらゲームやらしているうちに、あっという間に正午を過ぎた。
午後からはライナー・ベルトルト・アニの3人組も合流して校舎内を逍遥することになった。

ライナー「体育館の女装男装コンテストは、ナナバ先生とハンジ先生が同点で優勝したそうだ」

アルミン「あぁー……」

エレン「生徒押しのけて優勝か」


さすが、うちの学校。生徒に一切の遠慮をしないことに定評がある。
2階の廊下を歩いていれば、担任のリヴァイ先生とエルヴィン教頭を見つけた。
教頭の背が周りから頭一個分高いのですぐ目に入る。

エルヴィン「お。ここのクラスはなかなか気合入っているな!お化け屋敷に入ろう、リヴァイ」

リヴァイ「一人で入ってろ」

エルヴィン「命令だ、従え」

リヴァイ「ふざけんな」

358: 2013/09/16(月) 16:04:49 ID:nEZsE0bM

ピクシス「酒は売っとらんのか? む……」

リコ「中学校の文化祭で売ってるわけないじゃないですか」

イアン「たこ焼きいりますか、ピクシスさん」

マルロ「お前、他校の文化祭に来るのになんでそんなに露出度の高い服装なんだ」

ヒッチ「えー 別にいいじゃーん」


この昼時は文化祭の賑わいのピークなのだろうか。
だんだんと廊下にもそれぞれの教室にも人ごみができはじめ、通行も困難になってきた。
着ぐるみや何かの漫画?のコスプレをした生徒たちが看板を持って必氏に呼び込みをしている。


エレン「賑わってきたな」

アルミン「ちょっと休憩する?中庭にも出店あるよ」

というわけで中庭に移動することにした。
緑に囲まれた中庭は、嬉しいことにそんなに込み合っていなかった。
日陰にある少し錆びれたベンチを陣取る。

359: 2013/09/16(月) 16:06:03 ID:nEZsE0bM


ベルトルト「どこのクラスが売り上げ一位になるかな……」

ライナー「しばらくしたら集計の仕事に戻らなくちゃな」

エレン「なんだ、そんな仕事までするのか」

ミカサ「エレンも生徒会に入ればよかったのに」


何度も断ったろ、と言ってスプーンをさっき買ったかき氷にぶっ刺した。
まだまだ日中は暑いが、この氷と日陰のおかげで幾分緩和されている。

ふと視線を感じて横を見ると、アニが横目で俺の手元を見ていることに気がついた。
「なんだよ」と声をかけた途端にふいと逸らされる視線。


エレン「食べるか?」

かき氷が食べたかったのかと思って、屋台らしいプラスチックの器ごと差しだせば、
アニは何やらぎょっとしていた。といっても表情の変化は微々たるものだ。
俺もだんだんこいつの乏しい表情から感情が読み取れるようになってきたと思うと感慨深い。

360: 2013/09/16(月) 16:08:32 ID:nEZsE0bM
A 24
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なんとなく見ていただけなのだけど、差しだされてから拒絶するのもなんか変に意識しているみたいで癪だ。
無言でかき氷を受け取る。
スプーンは当然ひとつしかない。

でも回し飲みや回し食いなんてみんなしていることだし。
さっきだってベルトルトの食べ物、一口もらったし。

細かく砕かれた氷が木漏れ日にきらきらと光って私を誘っている。
スプーンに掬われたそれを手に、じっと黙っている私をエレンが不審そうに見た。

なにを躊躇っているんだろう、こんな一口くらいで。
でもこれって所謂ああいうことになってしまうんじゃないか。
間接なんとかとやらに――

!?
不意に背筋が凍った。エレンを挟んで向こう側からものすごい視線を感じる気がする。
そちらを見てはいけないと本能がけたたましく脳内でアラームを鳴らした。
これはただの高校生が醸し出せる“気”ではない、まるで軍人100人分のそれだ。

やれるもんならやってみろ……そんな風な意思をひしひしと感じる。
そこまで言われると何がなんでもやってやろうと思うのが人の性だ。

冷や汗が滲むがそんなこと気にしてられない。
いいよ、やってやろうじゃないか……


エレン「おい、溶けてんぞ」

361: 2013/09/16(月) 16:09:26 ID:nEZsE0bM


結局……かき氷は食べず仕舞いだった。それがよかったのか悪かったのかは分からない。
私は負けていない、不戦敗というやつだ。

各クラスの売上を集計しながら、いつの間にか眉間にしわを寄せていたらしく、
報告に来た生徒が涙目になって帰っていった。そこまで怖い顔をしていただろうか。


ライナー「この後は売上結果発表、それから後夜祭か。やっと俺たちの仕事も終わるな」

アルミン「みんなお疲れ様」

ベルトルト「もう僕たちがこの部屋に集まることもそうそうないだろうね……」

ミカサ「もう私たちは引退だから、この部屋も片付けないと」


そうだ、後輩の生徒会に部屋を引き継ぐためにまず片付けをしないといけないんだった。
暇な時にいつもやっていたトランプやボードゲームの類も持ち帰らなくては。
面倒だな、と思うのと同時に少しさびしい気持ちも湧いてきた。

多分、窓から差し込んでくる夕日のせいだろう。

363: 2013/09/16(月) 16:11:26 ID:nEZsE0bM

結果発表を放送室で済ませた後、後夜祭が校庭で行われた。こちらは自由参加である。
私は疲れたのでそちらには参加せず、帰宅しようかとも考えていたのだけど、
生徒会室にやってきたエレンとコニーとサシャに連れられて、なし崩しに参加することになってしまった。

コニー「おーやってるやってる」

サシャ「キャンプファイアーですね!」

校庭の真ん中では屈強な男子生徒たちがせっせと櫓を組んでいた。


アニ「毎年思うけど、なんでただでさえ暑い夏にキャンプファイアーなんてやるんだろ」

エレン「まあな」

アルミン「夜だとちょっと肌寒いしいいんじゃないかな。……正直雰囲気だよね。ちなみにエルヴィン教頭の提案で始まったらしいよ」

コニー「まじかよ」


やがて火が灯され、すっかり暗くなった夜の帳に真っ赤な光が立ち上った。
また定番と言うべきか、勝手にフォークダンスを踊っている男女の群れも見受けられる。
ジャンの組んでるバンドのライブのやかましい音と混ざってなかなか混乱極まる光景だった。

まあ、みんな楽しそうだからいいんだろう。

364: 2013/09/16(月) 16:12:52 ID:nEZsE0bM
>>362
ご丁寧にありがとうございます
こちらこそ遅筆すぎて申し訳ない

365: 2013/09/16(月) 16:14:02 ID:nEZsE0bM

火の周りでダンスなど私がするわけもなく、中心から離れた場所でひっそり見守ることにした。
ここからでは、誰も彼も火に照らされて黒々としたシルエットにしか見えない。
文化祭で騒いだ後にも関わらずみんなよくこれだけ元気にふるまえるものだ。

と、そこでひとつの影が群れから離れてこちらに近づいてきた。
影の形から、女子ではない。ライナーのようにがっしりともしていなければベルトルトのように長くもない。


エレン「こんな隅っこで、一人でなにしてんだ?」

アニ「……あんたか」

エレン「俺じゃ悪いか」

アニ「別に」


エレンは勝手に私の隣に腰を下ろした。どうやらこいつも休憩しに来たらしい。


エレン「クリスタがお前のこと探してたぞ。写真みんなで撮りたいとかなんとか」

アニ「ああ…うん」

ここからではどの影がクリスタなのかそうじゃないのか全然区別がつけられない。
後でぶらぶら歩いていればそのうちばったり会うだろう。

366: 2013/09/16(月) 16:15:04 ID:nEZsE0bM

自分からこっちに歩いてきたくせに、エレンはその後口をきかなくなった。
遠くから聞こえてくるざわめきだけが私たちの間を満たしていた。

あっちも無言でいられると、なんだか色んなことが気になってくる。
座っているベンチの狭さとか、ちょっと動かせば触れそうな私とエレンの膝とか。

放っておけばどんどん気になることが増えて狂いそうになってきそうだと思ったので、
私から先に口を開いた。


アニ「もうこの学校にいるのも……あと半年くらいだね」

エレン「ああ、早いもんだな」


エレンがため息をついた。珍しく物憂げな表情をしている。


エレン「もう夏も終わるな」

声色が暗いのは、夏が好きだからという理由だけじゃないだろう。
気づいていたけれどこの空気を吹き飛ばしたくてわざと茶化すように言った。

367: 2013/09/16(月) 16:15:40 ID:nEZsE0bM

アニ「終わってくれて助かるよ。夏なんて汗かくし、虫に刺されるし、いいことないね」

エレン「じゃあお前はなんの季節が好きなんだ」

アニ「……冬」

エレン「冬か」

アニ「冬」

エレン「俺は夏の方が好きだな。なんつーか生きてるって感じがする」

アニ「……意味わかんない」


「うるせえな」そう言うエレンの声はいつもと違って穏やかなものだった。


とりとめなく会話が続いていく。
蝉の声。藍色の星空。向こうで手を振ってるのは一体だれだろう。逆光になってて分からない。

368: 2013/09/16(月) 16:16:27 ID:nEZsE0bM

お互いに喧嘩腰じゃなかったからかもしれない。私はいつもより素直に考えたことを口にしていた。



アニ「でも確かにあんたは夏が似合うかもね」

エレン「そうか?」

アニ「熱血バカって言葉知ってる?」

エレン「……それお前、遠回しに俺が暑苦しいバカって言いたいのか」

アニ「さあね」


ふと突然既視感を感じた。似たような会話をどこかで誰かとしたような気がする。
確かそれは青空に入道雲が悠々と浮かんでいて、今とは比べ物にならないくらいの暑苦しさで。
熱気が質感を持っているような真夏日だった。……ような。


アニ「この会話、前にしなかった?」

エレン「……なに言ってんだお前」

アニ「……なんでもない。忘れて」

369: 2013/09/16(月) 16:17:31 ID:nEZsE0bM


確かに変な発言をしてしまった。それは認める。
でもエレンの「お前暑さで頭狂ったんじゃねーの」とでも言いたげな憐みの表情は見過ごせない。

隣を向いて睨むと、蹴られるとでも思ったのかエレンは慌てて身じろぎした。
頭の後ろで組んでいた両手を下ろす。
ベンチに置いていた私の右手の上にあいつの左手が重なった。

と思ったら次の瞬間にはもうなくなっていた。

エレン「うわっ! わ、悪いな」

アニ「いや……平気だけど」

エレン「……」

アニ「……」

エレン「……」

アニ「……クリスタ探しに行ってくる」

エレン「お、おう」

370: 2013/09/16(月) 16:19:53 ID:nEZsE0bM

慣れない空気にいたたまれなくなって、私は立ちあがった。
口実があって助かった。

エレン「……気悪くしたなら謝る。すまん」

私が火の方へ一歩踏み出してから、声に降り向いて見下ろすと、
またしても珍しく殊勝なエレンが真っ直ぐにこっちを見上げていた。

一瞬どういうことだか分からなかったが、どうやら私が気分を害してクリスタを口実に立ち去ろうとしたのだと思ったらしい。


アニ「……馬鹿だねあんた」

エレン「ばっ……いや、そうだな」


そう素直に謝られると、こっちもいつもの調子を崩されてしまう。


アニ「夏は嫌いだけど、あんたはそこまで嫌いじゃないよ」

それだけ言って私はクリスタを探しに歩いて行った。

371: 2013/09/16(月) 16:21:19 ID:nEZsE0bM

クリスタ「あ、アニ。もうどこにいたの?探したよ」

適当に歩いているとクリスタがひょっこり現れた。
後からユミルがのっそりついてきている。


クリスタ「写真撮ろう。卒業アルバムに載せる写真なんだ」

アニ「……」

ユミル「すっげぇ変な顔。おいクリスタ、今がシャッターチャンスだぞ」

アニ「変な顔、してる?」

思わず訊き返せばユミルは驚いたようだ。
クリスタのように私がユミルのとりとめない軽口に付き合うのは稀だ。

ユミル「変っつーか、まあ、写真撮られたくなさそうな顔はしてるな」

アニ「……そう」

クリスタ「アニお願い!最後の文化祭だし写真いっぱい撮りたいの!」

アニ「いいよ」

クリスタ「えっ いいの!?」

372: 2013/09/16(月) 16:23:31 ID:nEZsE0bM

ユミル「おお、珍しいね。お前って自分が写真撮るのはよくやってるけど、撮られるの嫌そうだもんな」

クリスタ「あそこにいるジャンとマルコもいれようか」


近くでゲラゲラ笑っているジャンとマルコをクリスタが呼びに行った。
私はその間に、携帯を取り出してエレンが今も座っているベンチの方角に向ける。
軽やかなシャッター音にユミルが振り向いた。


ユミル「なに撮ったんだ今? ……ん?あそこに座ってる奴だれだ?」

アニ「さあ、ね」

ユミル「おいおいなんだよ、教えろよアニ」

クリスタ「二人ともお待たせ!ジャンとマルコ連れてきたよ」


タイミングよくクリスタが現れてユミルの追及を逃れることができた。
ユミルが言う通り、写真にもただぼんやり人影が写っているだけで誰なのかは判別できない。

まあ、誰かに見せるための写真でもない。
私だけが知っていれば、それで、いいのだ。

390: 2013/10/02(水) 02:08:47 ID:iAh0879U

* * *


「はあああああー」ミーナが肺の中の空気を一気に吐き出した。
それがため息だと気づくのに数秒を要した。

アニ「……なに」

頭を下げたまままんじりともしない姿が哀愁を物語っている。十代女子が醸し出していい空気ではない。


放課後に訪れた公立図書館で、私たちは教科書とノート相手に格闘していたところだった。
平日の閉館間近の図書館では閑古鳥が鳴いている。小声なら少しくらい話してもいいだろう。

よくぞ聞いてくれましたとでもいうようにミーナががばりと顔を上げた。


ミーナ「もう、ね、数学なんてこれから生きる上で何の役に立つのかな。今後絶対こんなの使わないって私、誓えるもん」

アニ「あっそ……」

ミーナ「冷たいなぁ。 あーあ、文化祭も終わっちゃったし、つまんないなぁ」

アニ「文句言う暇あるなら、次の問4解きなよ」

ミーナ「うう、ひどい」

391: 2013/10/02(水) 02:09:35 ID:iAh0879U


気分転換に雑誌を持ってくる、と席を立ったミーナは何故か手に何も持たずにすぐに戻ってきた。
そして必要以上の小声で「左の方のテーブル見てみて」とささやいてくる。

促された通りに見てみるが、別段変わったところはない。
ただ自分たちのように自習用の机で勉強をする学生や、新聞を読む老人の姿が連なる光景だけだ。


と思ったが、よくよく目をこらせばどことなく知っている人物に似ている、金髪ひとつと黒髪ふたつ。


ミーナ「ミカサとアルミンとエレンだね。勉強しに来たのかな。ね、ちょっと行ってみようよ」


このミーナ、完全に勉強に飽きている。


アニ「私はいいよ。一人で行ってくれば」

ミーナ「えぇ……そんなぁ。あの3人っていっつも一緒にいる幼馴染だし、私一人じゃちょっと入りにくいよ」


なら無理して行かない方がいいんじゃないの。
と言い返そうとしたとき、背を向けていたはずのミカサが不意に振り返った。

かなり小声で話していたし、距離もあったので気づかれるはずはなかったのだが。
……あいつは野生の動物か。山育ちか。

392: 2013/10/02(水) 02:10:18 ID:iAh0879U

結局私が折れる形になった。


アニ「ミカサ……あんた卒業したら狩人にでもなれば」

ミカサ「アニが何を言っているのか分からない」

ミーナ「どっちかって言うと、サシャの方が向いてない?」


アルミン「ミーナとアニもここにいたんだ。全然気付かなかったな」

エレン「おー」


背筋を伸ばして腰かけているアルミンに対して、エレンはぐったりと頬杖をついたまま気だるげに片手を上げた。
ミーナと同じく詰め込み教育に疲弊している様子だ。

席の配置的に、エレンはアルミンとミカサの二大教師に交互に、あるいは同時に勉強をサポートしてもらっていたのだろう。
贅沢なのか不運なのか……私には答えられない。
私は、二人が、なかなかのスパルタ教育を施すということを知っている。

393: 2013/10/02(水) 02:11:15 ID:iAh0879U

ミーナ「いいなー。私もアルミンとミカサに教えてほしいな」

アニ「やめときな」

ミーナ「え、なんで?」

エレン「なんなら代わるか?成績が上がる代わりに色んなものが削られていくけどな」


アルミンとミカサは、ぐっと親指を立てた。「歓迎するよ」
ミーナはすぐに一歩引いた。「やっぱ遠慮する」


アニ「って、あんた勉強してないじゃん」

エレン「こ、これは別に息抜きだよ、息抜き」

ミカサ「エレン……」

エレン「なんだよちょっとだけだろ、少しくらい休ませてくれよ」


エレンは広げていた本を、伸びてくるミカサの手からさっと退けた。
反対側にいた私がそれをエレンの手から引きはがした。

エレン「あっ、おい!」

394: 2013/10/02(水) 02:12:37 ID:iAh0879U


ミーナ「わー、写真がいっぱい。きれいだね。私も外国に旅行に行きたいなー」

エレン「だろ? つーかアニ、勝手にとるなよな」


ぱらぱらと適当にページをめくれば、国外国内問わず様々な土地の風景が色鮮やかに目の前を舞った。
ふーん。こういう本が好きなのか。


アニ「さぼらないで真面目にやりなよ」

アルミン「だってさエレン、アニもそう言ってるよ」

ミカサ「エレン」

エレン「こういうときだけ真面目ぶりやがって……恨むぞアニ」


無視してまた写真を眺める。ふと目を奪う光景があった。
南極に立ち上る蜃気楼。遠くに望む氷山が、蜃気楼に歪められて橙や青に色分かれしている。
蜃気楼って砂漠だけに発生するものではなかったのか。


エレン「ああそれ、すげぇよな。ほかにも南極には、虹色の雲や楕円型の太陽もあるんだぜ。ほらこのページ」

アニ「……CG技術じゃないの」

ミーナ「いやいやいや……」

395: 2013/10/02(水) 02:16:28 ID:iAh0879U



エレン「んなわけねーだろ。信じられなくても、この世には見た事のない景色がたくさんあるんだ」


やたらと熱の入ったエレンの言葉は留まることを知らない。
アルミンとミカサも、横で微笑んでいた。きっと何回も聞いた話なのだろう。


エレン「鏡面みたいな塩原、生きる化石の住む世界最古の熱帯雨林、謎に包まれた空中都市遺跡……」

エレン「炎の水、氷の大地……」


「砂の雪原、だろ?」とアルミンが口をはさんだ。エレンが口の端を吊りあげる。


エレン「そうだ。全部実在するんだ、この世界には。まだ誰も目にしたことのない景色だってあるかもしれない」

エレン「俺は全て、この目で、見たいんだ」

396: 2013/10/02(水) 02:17:31 ID:iAh0879U

E 25
-----


この世界に生まれたのだから、その全てをこの目に焼き付けたい。
余すことなく、全て。


アニ「……全部、って。一生かかっても無理でしょ。大体写真で十分だと思うけどね」

エレン「写真じゃだめなんだよ」


こいつはなんつー夢のないことを言うんだ。ミーナも横で苦笑している。

まあこんな反応が返ってきそうだとは思っていたが。
それでもどういう風に生きてきたらそこまで現実主義になれるんだ、と疑問を抱かずにはいられない。


エレン「写真じゃ、だめなんだ」

397: 2013/10/02(水) 02:18:51 ID:iAh0879U


望めば世界の裏側でさえ写真でも動画でも見れる時代だ。なんだって見れる。なんだって聴ける。
でも俺はそんな薄っぺらいものじゃ満足できない。
だって俺は知識を得たいがために世界の全てを見たいんじゃないんだ。

もっと別の何か……大げさに言えば生まれた意味を知るための何かをずっと探し求めている。
喉から手が出るほどほしいもの、俺が求めているものがきっとこの世界のどこかにはある。


ミーナ「エレンは探検家になりたいの?」

エレン「え? あぁ……そうだな」

ミーナ「へぇ、すごいね。もう自分の将来を決めてるなんて」


それはなんとなく避けたい話題だった。
タイミングよく閉館の音楽が館内に流れ始めたので、俺らは荷物をまとめて帰途についた。

外に出ると、いつの間にか蝉の代わりに鈴虫が鳴いていた。
雨上がりのような湿った匂いが鼻孔を掠める。もうすっかり秋だった。

404: 2013/10/05(土) 03:17:25 ID:9Vgrkteg


ミーナ「じゃっ、私ここで。また明日ね」

ミーナの背を見送りながら、アルミンが「そういえば」とあごに手をあてた。


アルミン「アニとライナーとベルトルトも、××高校志望だよね?」

アニ「……そうだけど」

アルミン「じゃあ僕たちと一緒だね。みんなで一緒の高校いけるといいなあ」


「みんな、ね……」アニが俺に憐みの目を向ける。
何を考えているのか手をとるように分かった。この野郎。

エレン「言っとくがな、俺もお前らと一緒のところ目指してるから」


アルミンとミカサに比べればまだまだ合格圏内ではないが、
二人の協力のおかげで徐々に成績は伸びつつある。
机にかじりつくよりは外で体を動かしている方が性に合っているのだが、こればっかりは仕方ない。

母さんの顔が脳裏によぎる。
やりたいことばっかりできる世の中じゃないのよ、エレン。

それはきっと真理だ。

405: 2013/10/05(土) 03:19:39 ID:9Vgrkteg


アニ「あんたが?……本当に?」

エレン「なんだよその顔……。そんなに信じられないのか。どーせ俺は馬鹿だよ」

ミカサ「この調子でいけば、エレンも絶対合格できる」

アルミン「うん、僕もそう思うよ」


二人からのお墨付きは嬉しくないと言えばうそになるが、
特にミカサは俺に甘い節があるのであまり真に受けてはいけない。


エレン「やるからには絶対入ってやるからな」


俺は、何故かまだ釈然としていない様子のアニの額を小突いた。いや小突こうと、した。
その寸前でアニの手に捕まえられて、俺の指は今まさにあらぬ方向に捻じ曲げられようとしている。


エレン「いっててて!! 離せアニ!!」

アニ「……ん? 何か言った?」

ミカサ「アニ」

アニ「はいはい、分かったよ」

406: 2013/10/05(土) 03:22:28 ID:9Vgrkteg



なんで俺の制止の声は無視するのに、ミカサの言葉にはすぐ反応するんだ。
こいつら意外と仲いいのか。これだから女子は分からん。

ひねられた指がじんじん痛む。一切の容赦もない。
このゴリラ女……絶対入試の点でお前を抜いてやる。覚えてろ。

今のは俺から先に手を出したとも言えるのでここで引き下がるが、
恨みをこめてアニの後頭部を睨んでると急にこいつが振り返ったので、思わずびくりとしてしまった。

まさか心の中で言ったつもりが実は口に出ていたとか?


アニ「あのさ」

エレン「いやゴリラなんて思ってないぞ!?あれは言葉の綾でだな……」

アニ「は? ゴリラ? なんのこと……ちがくて。私も勉強教えてあげようか」

エレン「……誰に?」

アニ「あんたしかいないでしょ」

エレン「お前が?」

407: 2013/10/05(土) 03:23:46 ID:9Vgrkteg


アニが微かに笑った気配があった。

俺はその弧を描いた唇に目を奪われながらも
アルミンとミカサのスパルタ教育で、ただでさえ心身共に疲労困憊している中に
このアニが加わった図を想像した。

真っ先に地獄絵図という言葉が浮かんだ。
飴と鞭なんてもんじゃない、鞭三本だ。それも棘つき。


アニ「あんたがどうしてもって言うんなら、脳みそ鍛えてやってもいいけど?」

エレン「やだよ。お前って厳しそうだし」

アニ「……」

エレン「……」

アルミン「……」

ミカサ「……」

秋にしては冷たすぎる一迅の風が、俺たちの間をすり抜けていった。


――遠慮なんかしなくていいって。

――ちょっ待て……。

408: 2013/10/05(土) 03:25:12 ID:9Vgrkteg




背中に違和感を感じながら、自室の机の前に移動する。
もう痛みはない。アニと出会ってから受け身ばかりうまくなっている自分だった。

何故俺が帰って早々また机に向かったかと言うと、明日提出の宿題を思い出したからである。
すっかり忘れていた。しかもよりによってあのハンジ先生の宿題だ。
一問でも空欄があったらそれを口実に人体実験されそうな予感があるので、やっておくに越したことはない。

いくらあの人でもそこまでマッドサイエンティストじゃないとは思うが……
なんでだろう、たまに眼鏡の奥の瞳が変な風に光っている気がするのだ。
思い出すと背筋が冷える。宿題に専心しよう。


エレン「……」


――教えてやってもいいけど?


綺麗とは言えない字をつらつらとひたすらノートに綴っていく。
何も考えず、ただ黙々と。

――あんたがどうしてもって言うんなら。

誰がどうしてもなんて言うか。お前の勉強の教え方なんて、どうせ問題間違えるごとにキックが飛んでくるんだろ。
俺をからかうお前だけが楽しいだろうが。

409: 2013/10/05(土) 03:27:18 ID:9Vgrkteg

エレン「って違ぇ。そうじゃなくて……えぇとここはどの公式使うんだっけか」


余計なことを考えている暇はない。宿題のほかにもやることはたくさんあるのだから。
部屋が無音なせいだろうか?さっきから全然集中できない。

俺は何か集中して取り組みたいときは静かな環境でやりたいタイプだ。
音楽をかけないと集中できないとジャンあたりは言っているが。

時計の針の音だけが部屋に反響する。家の外を通る車の走行音が気まぐれに訪れては遠のいて行く。
しかしいつもそんな雑音は全く気にならなくなって、ひたすら自分は脳と目と手を動かすのだ。

なのに、今日に至っては全てままならない。俺は頬杖をついた。
なんでアニのことばっかり考えているんだろう。
あいつは俺に何か恨みでもあるのか。こんな時にまで邪魔しやがって。


「夏は嫌いだけど」

ああ確かに。あいつって夏は嫌いそうだ。終わってよかったな。

「あんたは好きだよ」

……ん?

エレン「いやあいつそんなこと言ってねぇよ!“嫌いじゃない”って言ったんだよ!なに考えてんだ俺は馬鹿か!?」

410: 2013/10/05(土) 03:27:49 ID:9Vgrkteg



カルラ「さっきから何一人で騒いでるんだい、エレンったら……ご飯できてるのに」

グリシャ「年ごろなんだろう」

カルラ「エレンー? 暴れてないで下に降りてらっしゃい、ご飯だよ」

415: 2013/10/06(日) 00:24:53 ID:A0TbUVPk
お舞たせしました

416: 2013/10/06(日) 00:25:57 ID:A0TbUVPk



A 26
-----

最近楽しそうだな、と父に言われた。
マカロニを沸騰した湯に入れようとした手を止める。

アニ「そう?」

父「なんだ、彼氏でもできたか?」

アニ「か」


にやけた顔から察するにただの冗談だ。
なのに言い返そうとした言葉が喉に張り付いて口から出てこない。

アニ「……くだらないこと言ってないで手伝ってよ。皿並べて」

父「え……その反応まさか……え?いや違うよな?アニ?」


無視してマカロニを茹でる。あと10分。
ソースはもう出来ているし、サラダもスープも用意してある。あとはこれだけだ。

父「だれだ!?言ってみなさい!ライナーくんか?ベルトルトくんか!?それともほかの男か!?」

アニ「うっさい」

417: 2013/10/06(日) 00:27:21 ID:A0TbUVPk



食事中、何度否定しても信じない父の追求から逃れるのに苦労した。
仕舞いには勝手に結婚式の想像までし始めてうっすら涙を浮かべる様子には正直引いた。

そんなんじゃないって言ってるのに。
しかもなんでライナーとベルトルトの名前がそこで挙がってくるんだ。

そしてなんで私はあのときあいつの顔を思い浮かべたんだ。

――あんたのことは嫌いじゃないよ。


アニ「…………あーーもうやだ」

父「どうしたアニ。顔を手で覆って」


なんであんなことを言ってしまったんだろう。
文化祭ということで少なからず私も浮かれていたに違いない。普段なら絶対言うもんか。

嫌いじゃなくない。嫌いだ。あんなデリカシーのない男なんか。
今日だってせっかくの親切心からの提案をバッサリ切り捨てられたし。

418: 2013/10/06(日) 00:28:30 ID:A0TbUVPk



私は将来の夢だとか目標だとか、そんなもの一切持ってないけれど、
エレンはやりたいことがもう明確に決まっているらしい。

世界を見たいとやたらスケールのでかい夢を語るあいつの目を見れば、その真剣さが見て取れた。
金色の虹彩に宿る光は、馬鹿らしいと一蹴するには眩しすぎた。

だから私も手伝ってやろうと思ったのに。
これじゃ私の方が馬鹿みたいだった。


そう。大体あんな悪人面の単細胞野郎なんか私の理想から遠いにも程がある。
例え亀に毛が、兎に角が生えたとしても、これだけは断固として言える。

あいつなんかを好きになるわけがない。

419: 2013/10/06(日) 00:29:45 ID:A0TbUVPk


* * *


ライナー「一番奥だな」

ベルトルト「………………左の手前の子かな」

ライナー「お前本当タイプわかりやすいな」

ベルトルト「う、うるさいな。ライナーこそ」

アニ「あのさ、仮にも女の子がいる前でそういう会話やめてくれない」


昼過ぎのファーストフード店は賑わいを通り越して喧々囂々たる有様だった。
それにあやかって、奥のテーブルで喋っている女子グループを盗み見て何やら意見を交わす二人を
私は飲み物にストローを勢いよく挿しつつ、じっとりと睨んだ。

ベルトルトはすぐに降参したが、ライナーは怯まない。


ライナー「アニもそう思うだろ?こいつ、小学校の頃にもああいう子に初恋し」

ベルトルト「わあああ!もういいだろその話は!!やめろ!!」


私をも巻き込んでその話を続けようとするので、会話から外れてひたすら食べることに集中する。
ベルトルトいじめに加担してもおもしろそうだが、私に飛び火してはたまらないからだ。

420: 2013/10/06(日) 00:30:53 ID:A0TbUVPk



安っぽい……実際安いハンバーガーを咀嚼していると、後ろの席の話し声が耳に入ってきた。


「聴いて聴いて。昨日○○くんと帰り道偶然会ってね、送ってもらっちゃったの」

「へえ、よかったね。ていうか早く告白しなよ。じれったいなあ」

「こ、告白なんてできないよ。昨日だって、なんか○○くんのことばっかり考えちゃってあんまり寝れなくって

……。
 そしたらなんか急に意識しちゃって、まともに彼の顔も見れなくなっちゃってどうしよう。どうしたらいいか

な?」
 
「だからさあ、告白しなよ」


……よかった。
私は誰かのことを考えて不眠になったこともないし、顔を見れなくなったこともない。

やっぱりこれは恋ではなかったのだ。

知ってたけど。

421: 2013/10/06(日) 00:32:38 ID:A0TbUVPk




ライナー「で、お前は? アニ」

急に切っ先を向けられて我に返る。どうやらベルトルトの初恋は既に話題から退いていたらしい。
「なにが?」と訊き返せば、ライナーは「この間の模試の結果」と端的に答えた。


アニ「ああ……。A。 あんたらは?」

ライナー「俺らもA判定だ。このまま順調にいけば、来年の春には揃って同じ制服を着れそうだな」

ベルトルト「確かアルミンとミカサも同じところだよね?
      地元から離れて遠い高校に行く人も多いのに、これだけ揃うっていうのも珍しいなぁ」
      
ライナー「あんまり卒業って感じしないよな。そういやエレンの奴は?」

アニ「……エレンも、同じところだってさ」

ベルトルト「えっ、そうなんだ。初めて聞いたよ。じゃあ僕ら6人とも一緒の高校か」

ライナー「よかったな、アニ」

アニ「は? どういう意味?」

422: 2013/10/06(日) 00:34:11 ID:A0TbUVPk




聞き捨てならない。身を乗り出して尋ねてもライナーは飄々と視線を躱した。


ライナー「別に変な意味じゃねぇって。喧嘩相手がいてよかったなって話。照れると恐い顔するのやめろ。顔赤

いぞ」

アニ「照れてないし赤くなってもないんだけど?
   あんたの部屋の本棚の裏に隠してあるアレのこと、クリスタにばらすよ」
   
ライナー「み、見たのかお前!?」

ベルトルト「ライナー声大きいよ……。それにしても、少し意外だな」


エレンのこと。と長い足を窮屈そうにテーブルの下に折りたたみながらベルトルトは言った。
私とライナーはなんのことだろうと不思議に思う。


ベルトルト「なんとなくだけど、エレンはどこか遠くに行っちゃいそうだなって思ってたんだ」

アニ「遠く?ここじゃなくて、都会とかそういうこと?」

ベルトルト「うーん。そうかもしれないし、そうじゃないかも」

要領を得ない話し方だったが、なんとなく気になった。

423: 2013/10/06(日) 00:36:39 ID:A0TbUVPk



ベルトルト「僕たちが高校に進学する理由って、単に勉強を続けたいからとかそういうのもあるだろうけど、
      世間の一般的な人生のコースに高校が通過点として含まれているから……じゃないかと思うんだ」
      
ベルトルト「マジョリティの意見や無難さ、勿論そういうの関係なしに進路を考えてる人もいるだろうけど。
      少なくとも僕は、みんなが高校に行くから、『高校に進まない』という選択肢は考えてなかった」
      

ベルトルトの言っていることは私も分かる。
私も高校進学における明確な理由なんてもの、持ち合わせていない。
最小労力で最大幸福を得るためのただの通過点としか思ってない。


ベルトルト「でもエレンは違う気がする。
      やりたいことがあったら、僕たちが気にしていること全て、存在すら知らずに手放して」
      
ベルトルト「僕なんかには手が届かないほど遠くに、あっという間に行ってしまいそうだなって」


だから、エレンも僕たちと同じ高校に行くって聞いて少し驚いたよ。とベルトルトは締めくくった。

424: 2013/10/06(日) 00:38:03 ID:A0TbUVPk



アニ「……」

ライナー「それは分かるな。ま、でも何かを目指すにしろ何にしろ、高校を出てからでも全く遅くはないってこ

った」

ライナー「エレンもそう思ったからこそ、俺たちと同じ道を選んだんだろう」

ベルトルト「そうだよね」


私たちは食事を終えて雑音で満ちる店内を後にした。
秋晴れのパステルブルーに吹いたら消えてしまいそうな鱗雲がかかっている。


アニ「ブレザー忘れた」

ライナー「そんな寒いか?まだ暑いような」

私はあんたみたいに服の下に分厚い筋肉を着ていないんだ。一緒にするな。


ベルトルト「幼稚園、小学校、中学校……それから高校まで一緒って、考えてみたらすごいよね」

アニ「腐れ縁って言うんだよ、それ」

ライナー「と考えると……俺たちは15年の人生のうち、ほとんど一緒に過ごしてきたんだな」

425: 2013/10/06(日) 00:39:21 ID:A0TbUVPk


気色悪いことを言うな。

商店街のガラスウィンドウに、私たちの姿が映されているのが偶然目に入った。
相変わらず不均等でアンバランスで凸凹な三人組だ。
外見だけじゃない、性格だって、こうして今も一緒に歩いていることが不思議なくらいバラバラで。

出会った瞬間はどんな風だったのかは、既に忘却の彼方だ。

いつから……一緒にいたんだっけ。


ベルトルト「15年……か。光陰矢の如しだね。時が過ぎ去るのは早いなぁ」

「違うぜ、ベルトルト」ライナーがもったいぶって言った。


ライナー「時が過ぎ去るんじゃない。俺らが過ぎ去っているんだ」


……誰の言葉だっただろう。

426: 2013/10/06(日) 00:41:13 ID:A0TbUVPk



夢を見た。

あの不気味で意味の分からない夢じゃない。

高校の制服を着た私とライナーとベルトルトが、見たことのない教室で

ひとつの机を囲んで何かを話している。

私たちのほかには誰にもいない。……いや、いま前方の扉が開けられた。

笑っているアルミン。その後ろに、今より髪が短いミカサ。

それからエレン。

少し背が伸びている。目つきの悪さは健在だ。

あまりにも鮮明な夢だったので、もしかしたら予知夢というやつかもしれない。

いつか訪れる平穏で暖かい、ただの一日の一場面。

私はそれなりに幸せだった。

427: 2013/10/06(日) 00:42:47 ID:A0TbUVPk


E 27
-----


カルラ「あ、待ちなさいエレン。進路希望書はもう出したの?」

靴を履いて、玄関の戸に手をかけたとき、台所から母さんがでてきた。
もう出した、と答えるとホッとしたように腕を組む。


カルラ「ミカサとアルミンと一緒のところに行くって決めたのね?」

エレン「ああ、うん」

カルラ「そう……よかった。昔と違って聞きわけがよくなってくれて母さん嬉しいよ」

エレン「昔は聞きわけがなくて悪かったな」


このままだと小言が始まりそうだったので早々に家を出た。
アルミンとミカサとの待ち合わせ場所に向かおうとして、
今日は二人が用事で先に登校していることを思い出す。

一人で道を歩いていると、いつもより街の色んな部分が目に入る。
屋根の上で丸くなっている猫、庭先を掃除している爺さん、葉の色が変わり始めている銀杏の木……

428: 2013/10/06(日) 00:44:19 ID:A0TbUVPk



以前、寝坊して一人で登校している時に、アニとぶつかりそうになった路地はもうすぐだ。
そこでひったくり犯に出会うという嘘みたいな本当の出来事もついでに思い返される。

また偶然会う確率ってどんなもんだろう。
さすがにないか。ご都合展開が過ぎるってもんだ。


エレン「……って、なんで本当にいるんだ」


前方に見たことのある金髪の背中があった。
走って追いつくのも癪というか、誤解されそうなので
早歩きで追い付いて、偶然遭遇したという体を装うことにしよう。


エレン「……よ、よお。偶然だな」

アニ「……今日は遅刻じゃないんだ」

エレン「お前こそ早いな」

429: 2013/10/06(日) 00:46:25 ID:A0TbUVPk



アニは眠そうに片手で両目をこすっている。
そして突然「早く冬休みが来ればいいのに」と言い放った。

夏休みが終わったばかりの時期でそれを言うか。


アニ「11月くらいから冬休みが始まればいいのに」

エレン「ほとんど学校ねーじゃねぇかよ。やる気ないな」

「元からそんなのないよ」とあくびをかみ頃した後の、聞きとりにくい声でアニは言った。


エレン「そんな態度で俺より成績がいいのって、なんか腹立つな」

アニ「あんたは満遍なく力を入れすぎなんだ。抜けるところには手を抜いた方が合理的だよ」

アニ「ま、そんな器用なことできるわけないか……あんたに」

エレン「う……うるせえな! 別にそんなことしようとも思ってねぇよ」

アニ「一応褒め言葉のつもり」


嘘をつけ、嘘を。とってつけたようなフォローはいらねーんだよ。

430: 2013/10/06(日) 00:47:57 ID:A0TbUVPk



アニ「あんた、それで寒くないの?」


アニはカーディガンの上にブレザーを羽織っているが、俺はカーディガンだけしか身につけていない。
昼を過ぎればこれで丁度いいくらいだと思うが、早朝の今は少し肌寒いかもしれない。


エレン「少し寒い。……はあ、もう衣替えの時期か」

エレン「今年も海に行かないで終わっちまった」


海?とアニが訊き返してくる。

もうすぐ学校が見えてくる頃だ。進むほどにちらちらと制服姿の生徒の数が増えていく。


アニ「海、好きなんだ」

エレン「ああ、好きだ。行ったことないんだけどな」

アニ「行ったことないのに、なんで好きって分かるんだ」

431: 2013/10/06(日) 00:49:42 ID:A0TbUVPk


エレン「それは……そうなんだが」

言葉に詰まる。
胸の中にある海への曖昧模糊として歪な、海への憧憬をうまく表現できるだけの言語能力が俺にはない。


アニ「じゃあ質問を変えるよ。なんで行かないんだい」

エレン「それは……」


それは。後に続く言葉はなんだろう。自分でもよく分かっていない。

はっきりとした輪郭と、分かりやすい色をもっていない気持ちを
理解してかみ砕いて、無理やり言葉という枠に押し込めて、相手に伝えるという行為は
時として果てしなく道のりの長い工程に思えてしまう。


エレン「海に行っても、その先には行けないから……か?」

アニ「私に訊かないでよ」

エレン「……えーと」

口を動かしながら、自分の気持ちを手探りで調べて行く。
適当にごまかすこともできたが、俺はそれをしたくなかった。
誰かに聞いてほしかったのかもしれない。誰かというか……まあ、いま隣にいる奴に。

432: 2013/10/06(日) 00:52:38 ID:A0TbUVPk



エレン「海の向こうには俺の見た事のない世界が確かに広がっている。俺はそれを見に行きたい」

エレン「でも、俺はまだ子どもで……それを見に行くためには金や知識だって必要で」

エレン「だから俺は、まだ……どこにも行けないんだ」

エレン「きっと海を見てしまったら、世界に繋がる入り口を目にしてしまったら」


きっとその入り口は美しいに違いない。
水平線で隔てられた海と空の青が、羽ばたく?の呼ぶ声が、波が浜辺に寄っては離れるその様が
きっと俺を感嘆させるだろう。

でも、その青の向こうに世界が広がっているという現実が、海の前の俺を打ちひしぐ。
無情で世知辛い現実という名の壁が、俺を取り囲んで影を落とすのだろう。
お前はどこにも行けないと。

物理的障壁はどこにもない。でも、壁はないわけじゃない。


エレン「俺たちは自由な筈なのに、……いや、そもそも自由ってなんだ?俺は、俺たちは本当に自由なんだろう

か」

エレン「それすら分からなくなってくる。だから、海へは、」

アニ「なにそれ」

433: 2013/10/06(日) 00:53:42 ID:A0TbUVPk



アニの自転車のブレーキが軋む甲高い音が響いた。


エレン「……アニ?」

アニ「なにそれ?」

エレン「いや、だから」

アニ「あんたがそんなこと言うのは……許さない」


自転車を180度方向転換させてから、アニはこちらを見た。
その矮躯のどこから出してるんだと思えるほどの威圧感を感じ、俺は戸惑いを禁じえない。


アニ「乗って」

エレン「ア、アニ? お前なんでそんな怒ってんだよ?」

アニ「さっさと乗れ」

乗らなきゃ頃すぞと言わんばかりに睨まれたからには、言われた通りにするしかない。
……百歩譲って乗るのはいいが、俺が後ろっておかしくないか。

434: 2013/10/06(日) 00:55:05 ID:A0TbUVPk



エレン「つーか、なんで逆走してんだよ!? 学校反対側だろ!?」

アニ「駅に行くんだよ」

エレン「はぁ!? いや今から行ってたら授業始まるって……駅になんの用事があるんだ?」


すれ違う生徒が、学校から遠ざかる俺たちを不思議そうな目で見ている。
アニは流石に俺を後ろに載せているときついのか、立ちながらペダルを漕いでいた。
体の揺れに合わせて、決して長くはないスカートの裾が翻るので、視線の置きどころに困ってしまう。


エレン「お、おい。いきなりなんなんだよっ!?」

アニ「あんたがあんまりうじうじしてるから――腹が立った」


アニは一瞬だけ振り返って、海の青さに似たその瞳で俺を見据える。
初めて会った時にも惹きつけられたその色。


アニ「今から行くよ。海に」

461: 2013/10/16(水) 17:38:04 ID:0k.0eTLE

自分の耳を疑った。
何故平日の朝から、制服のままで、電車で何時間かかるか分からない海へと行くのだろう。


なんでだ、とか、どういうつもりだよ、とか、授業どうするんだよ、とか
何度も道中アニに問いかけたが全て無視された。
アニは無言で駅の駐輪場に自転車を停め、一番高い切符を2枚購入し、
改札を通り抜け、丁度停車した下り電車に悠々と乗車した。


ホームの向かい側に止まっていた上り電車はそこそこ混んでいたが、下りのこの電車はそれほどでもない。
アニは適当に空いている席に腰を下ろすと、「いつまで突っ立ってんの」といけしゃあしゃあとのたまった。
数人分の間を空けて俺も座る。


エレン「…………俺たち一応受験生なんだぞ?『大事な時期』に無断欠席して遊びに行くなんて、成績優等生のお前がやっていいのかよ」

アニ「1日くらいどうってことない。今日の分の授業はミカサやアルミンに聞けばいいよ」

アニ「下手な教師より教えるの上手いだろうし」

エレン「本当に海に行くのか」

アニ「しつこい。行くったら行くよ」


夕暮れまでには着くでしょ、とアニは窓の外の流れる景色を眺めながら言った。
引き返す気は毛頭ないらしい。

462: 2013/10/16(水) 17:39:08 ID:0k.0eTLE


だんだんと建物が減り始め、田園風景が広がり始めた窓の外を眺めながら、
しばらく俺たちは電車に揺られていた。


下車する人たちが増えてきて、乗車する人たちが減ってきた。
制服姿で電車に乗り続ける俺たちのことを、時々不思議そうな目で見る人がいたが、何も言われなかった。


何時間電車に乗っていたんだろう。
数回乗り換えをしてからは、俺はざわつく胸をおさえるのに苦労した。
もうこのまま一直線、数十分すれば目的地に辿りつくらしい。


アニ「変な顔してるよ」

エレン「お前なあ、俺がどんな気持ちで……」

アニ「知らないよ、あんたの事情なんて」

エレン「この野郎」

アニ「野郎じゃないし」


俺とアニは寂れた田舎の駅に降り立った。
午後3時23分。
風は、潮の香りを含んでいた。

466: 2013/10/16(水) 18:02:33 ID:0k.0eTLE
俺がずっと見たかった海がこの町にある。
鼓動が高鳴って落ち着きがなくなった。アニに鼻で笑われた。


エレン「うるせぇよ!」

アニ「何も言ってないし」

エレン「お前のその顔が言ってんだよ!『馬鹿じゃないの』ってな!」

アニ「被害妄想も大概にしてよ……あ、見えてきた」

エレン「え……」


海だった。海が遠くに広がっていた。

まるで生き物みたいに蠢いている。とてつもなく大きな青い怪物みたいだった。
立っては消える白波が輝いて眩しかった。


……動きを止めた俺のシャツの裾が不意に引っ張られる。


アニ「ここからじゃまだ遠いよ。せっかく来たんだから、もっと近くに」


返事をしようと発した言葉が思いのほか掠れていて、自分でも笑ってしまった。

471: 2013/10/19(土) 10:45:42 ID:VV6/HE.A


A 28
-----

エレンが読んでいた本に載っていた写真ほど、きれいな海ではなかった。
色は僅かに濁った青緑、しかも今は夏じゃないからどことなく漂う寂寥感。
海岸を歩いてみれば、捨てられたペットボトルや半分砂に埋まった花火の燃えかすが目につく。

それでもエレンは海に魅入られたように、ずっとひたすら水平線を見つめていた。
瞬きをする暇さえ惜しいというように目を見開いて、唇を結んで、
潮風で前髪が煽られるのも気にせず、隣に私がいることも忘れて、
ただ、ずっと海だけを見ていた。


私はエレンから離れて海岸を少し散歩してみた。
カニとかヤドカリとかいるかなって思ったけど、見当たらなかった。
ザザン、ザザンと絶え間ない波の音は思考を奪っていく。
しばらくすると、ゴミにまじって貝殻を見つけた。小さな巻貝だ。

こんな海岸で貝殻が拾えるとは驚きだった。
せっかくなのでぼけっと海を見てるあいつにも見せてやろうと思い、エレンの元へ戻ると
なんかすごい驚いた顔をされた。


エレン「……いや、別に。お前の存在を忘れていたとか、そういうのじゃないぞ」


…………へえ。ふーん。そう。

472: 2013/10/19(土) 10:46:46 ID:VV6/HE.A


エレン「海って、本当に大きいんだな……うそみたいだ」

何故かエレンは何かに打ちのめされたような表情をしていた。
思いだしたみたいに瞬きをして、こう言った。


エレン「ずっと見てみたいと思ってた」

エレン「生まれる前から、ずっと」

473: 2013/10/19(土) 10:47:34 ID:VV6/HE.A


エレン「そうやって見ると水は透明なのに、たくさん集まると青く見えるってのも不思議だよな?」

ローファーと靴下を脱いで、ズボンの裾をひざ丈に捲ってから、エレンは波打ち際に近寄った。
両手に掬った海水は透き通っていて冷たかった。

アニ「神様が青色が一番好きだからじゃない」

エレン「……」

アニ「……」

エレン「……」

アニ「……いや、知ってるよ。青色の波長の太陽光が海に吸収されずに深いところまで進むんだ。
   つまり最も海の中で青色が反射されるってことだから、私たちの目に青い光が多く届くってこと」
   

「冗談なのか本気なのか分かりづれぇよ。反応に困っただろうが」とエレンは眉をしかめた。
たまに軽口を叩けばこれだ。嫌になってくる。


エレン「……うぇ!なんだこれ、塩辛い!つーか不味い!!」

アニ「なにやってんの……」

エレン「もっと海水っていい味かと思ってたのに……舌がびりびりする」

498: 2013/11/04(月) 04:45:02 ID:/DPl/vdg


気がつけば空も海もオレンジ色に染まっていた。
どうやら随分長い間海で遊んでいたらしい。

足元を気にしていなかったのか、エレンのズボンの裾は濡れないように裾を捲っていたはずなのに
しとしとと滴を垂らしていた。つまり無駄な努力だったというわけだ。

それを指摘してやると、エレンは無言で私のスカートを指さした。
まさかと思いながら裾を触ってみると濡れていた。
ミニのスカートにまで海水が飛ぶとは……


エレン「髪ぼさぼさだぞ」

アニ「あんたなんか、シャツまで少し濡れてるし……」


海の中で立ちつくす私たち。この姿で電車に乗ってこれから帰るのか……。
なんだか全てが面倒くさくなった。我に帰ってみると、なんでこんなことをしたのだろうという思いが全身を駆け巡る。


アニ「帰るか」

エレン「だな。……あー、楽しかった」


でも後悔はしていない。

499: 2013/11/04(月) 04:50:21 ID:/DPl/vdg



みすぼらしい格好のまま電車に乗った私たちだったが、
時間帯がよかったのかなんなのか、車内には私たちのほかに誰もいなかった。

広い空間に私とエレンだけ乗せている、塗装の剥げかけた古い電車が夕焼けの中を静かに走っていく。

体が妙にだるく、電車の振動に身を任せているうちに睡魔が襲ってきた。
目を閉じると瞼の裏に夕日のオレンジ色が透けて見えてきれいだと思った。

隣でエレンが何か喋っている気がするけれど……海の底にいるみたいでよく聞こえない。
ありがとう、だとかなんとか……言っているような。
いっつもそのくらい素直ならいいのにね。







エレン「おいアニ。起きろ。ついたぞ」

アニ「……ん」

肩を揺すられて目を覚ました。
頭の左側にあたたかいものがある。

眠っているうちに、エレンの右肩に頭をもたげかけていたようだ。
ひそかに動揺しながら体を真っ直ぐに起こした。

500: 2013/11/04(月) 04:51:41 ID:/DPl/vdg

頭がよっかかってきた時点で起こしてくれればよかったのに。
そう言いたかったけれど、もういっそなかったことにしようと思って口にしなかった。


エレン「もう暗いな……ってうわ!携帯にミカサとアルミンからめちゃくちゃ着信がある」


見知った最寄り駅の改札を抜け、街灯が点々と続く線路沿いの道を二人で歩いた。
カラカラと、私の押す自転車のタイヤが回る音と、
たまに電車が私たちを追い抜かす騒がしい音だけしか聞こえない。


エレン「今日は……その……悪かったな」

アニ「何が?」

エレン「いろいろと。確かに俺らしくなかったなって」


エレンはポケットに手をつっこみながら、やけに晴れやかな顔をしていた。
つきものが落ちたような……なんて言ったら失礼か。

エレン「俺決めたよ。海見たらなんか吹っ切れた」

エレン「ミカサとアルミンと……アニと、同じ高校目指すって言ってたけどやめる」

アニ「は」

足を止めた。

501: 2013/11/04(月) 04:52:46 ID:/DPl/vdg



私の数歩先でエレンも足を止めて振り返った。
金色の眼だけが暗闇に浮かびあがっている。黒猫みたいだと場違いに思った。


アニ「行かないって、じゃあ、どうするの」

エレン「外国の学校に行く。父さんの知り合いが外国で地球工学を教えてるみたいで、前に話を聞いたんだ。よかったらそっちで勉強してみないかって」

エレン「……小さいときから冒険家とか探検家になって世界を旅してみたかった。誰も見たことがない景色を一番に俺が見てみたかった」

エレン「でももう今の時代って宇宙以外に未開の地ってあんまりないよな。で環境科学とか地球工学とかの話を聞いてみて」

エレン「新しいものを発見するのもいいけど、いまあるきれいな海とか……山とか……そういうのがきれいなままでずっと存在できるように研究するのもおもしろそうだなって思った」


アニ「……外国に行かなくても……そんなの、高校は無理でも大学でいくらでも学べるでしょ」

私がそう言うとエレンは破顔した。
母さんと同じこと言うんだな、と。


エレン「ああ、分かってるよ。でも俺はいま勉強したいし、いま、ここじゃないどこかの景色を見てみたい」

アニ「……そう……」

502: 2013/11/04(月) 04:53:38 ID:/DPl/vdg
   


エレン「そう決められたのもお前のおかげ……と言えなくもないかもしれない……な」

エレン「……ま、ありがとな」

アニ「…………別にいいよ」


なんだか胸に穴が開いて、息を吸うたびに穴から空気が漏れていくようだった。
ミカサなら。
あいつならきっと。

この場ですぐ「私もついて行く」と即答するのだろうと、ぼんやり思った。

ばからしいな、と内心毒づいてから再び足を踏み出した。
エレンを追い抜いて自転車を押していく。



アニ「……置いてくよ?」


いつまで経っても続く足音が聞こえないので、今度は私が振り返った。
エレンは立ち止まったままだ。

503: 2013/11/04(月) 04:54:37 ID:/DPl/vdg



電車が近付いてくる。カーブを曲がって黄色いライトがエレンの背中を照らしだす。
喧しい走行音の合間に、エレンが私の名前を呼ぶ声がかろうじて聞こえた。

エレン「あのさ」

アニ「なに?うるさくて聞こえないんだけど……」

エレン「俺、」


そのときちょうど電車が私たちの真横を通過して、エレンの言葉は掻き消されてしまった。
一瞬だけ強い風が巻き起こって、暴れそうになった髪をおさえている間に、もう電車は遠くに行っている。

再び静寂だけがこの場に残っていた。もう蝉も鳴いていない。夏は終わったのだ。


アニ「……で、なに?」


エレンは片手で顔を覆っていた。


エレン「……やっぱいい」

527: 2013/11/22(金) 17:35:25 ID:ERcY.3H.


E 29
-----


ミカサ「私もついていく」

エレン「だからそれはだめだっつってんだろ」

ミカサ「どうして?私がどこの高校に進学しようが私の勝手」


この押し問答を何回繰り返したやら、俺には分からない。
ミカサは頑として俺と同じ外国の高校に行くと主張した。
こういうことになるかもしれないと薄々思っていたが、やはり舌戦では俺の圧倒的不利。

頼みのアルミンも今ここにはいない。
ミカサは首に巻いたマフラーに手をかけて、瞼を伏せて言った。

ミカサ「エレン一人で外国に行くなんて心配。もし遠く離れた地でエレンに何かあったらと思うと……夜も眠れない」

ミカサ「すぐに駆けつけられる距離でないといけない。そうじゃないと、だめ」

エレン「お前の進路なんだから、ちゃんと考えろよ。そんな、俺がいるかいないかで決めるな」

ミカサ「ちゃんと考えてる」


これは説得に骨が折れそうだ。俺はため息を漏らした。

528: 2013/11/22(金) 17:37:26 ID:ERcY.3H.
A 30
-----

生徒会室の私物をすべて紙袋に詰め込み終わると、一気に殺風景になった。
この部屋からの眺めを見るのも、今日で最後になるだろう。ついに私たちの生徒会は解散の日を迎えた。

アニ「終わった?ミカサ」

ミカサ「待って、もう少し」


ゴソゴソと棚を漁っているミカサに声をかける。
終わるまで突っ立っているのも疲れるので、テーブルに腰かけて待つことにした。

アニ「そのマフラー、1年のときからしてるね。前から聞きたかったんだけど、子ども用じゃないの」

ミカサ「ああ、これは……エレンに小さい頃もらったものだから」


不意にミカサの唇から飛び出たその名前にぎくりとしてしまう。
いや、むしろミカサがエレンの名前を口にすることほど自然なことはないだろうが。
口数の多くないミカサが発する言葉の3つにひとつは、その名前が含まれている気がする。


ミカサ「小さい時……近くの森で迷子になっていた私を、エレンが見つけてくれた」

ミカサ「そのときにもらった」

アニ「ふうん」

529: 2013/11/22(金) 17:39:29 ID:ERcY.3H.



一瞬だけ柔らかくほほ笑んだミカサの表情を見て、何かに心臓を突き刺された心地がした。
やはりミカサはエレンのことが。
幼いころにもらった、ほつれの見える赤いマフラーをいまだに身につけるほど……


アニ「……あんたはどうするんだ」

ミカサ「どうって、なにが?」

アニ「高校」


ミカサは作業する手すら止めずに、まるで1+1は2という小学生でもできる簡単な問に答えるように、平然と言ってのけた。


――エレンが外国に行くなら、私はエレンについていく。


アニ「……………………そう」


私の敗北だと思った。

530: 2013/11/22(金) 17:41:10 ID:ERcY.3H.



相手は勝負だとは微塵も思っていないだろうが、いま確かにミカサは勝って私は負けた。
私はミカサみたいに即答できない。あいつが遠く離れた地に行くからと言って、なら私もついていこうなんて絶対言えない。

いや、ちがう。言いたくないんだ。
負け惜しみにしか聞こえないと自分でも思うけれど、どうせ負けなら最後に噛みついてやる。


アニ「あんたには、自分の意志ってもんがないの?」

ミカサは揺るぎない真っ黒の瞳でこちらを見た。
挑発をしたこちらがかえって萎縮してしまいそうになるが、それを押し隠して続けた。

アニ「エレンが行くからって、あんたも同じところに行くなんてさ。
   もうそろそろ幼馴染離れした方がいいんじゃないの」

アニ「はっきり言って異常だよ。あんたの中身ってエレン以外なにもないの?空っぽ?」

ミカサ「意思はある。ちゃんと自分の意思が」


アニに言われたくない、とミカサが言った。


ミカサ「エレンと一緒のところに行きたいと私自身がそう思ったから、私はこの進路を選んだ。これはまぎれもなく私の意思。
    アニ、あなたこそ自分の意思はあるの?何故その進路を数ある中から選んだの?」

アニ「……」

531: 2013/11/22(金) 17:41:56 ID:ERcY.3H.



相手は勝負だとは微塵も思っていないだろうが、いま確かにミカサは勝って私は負けた。
私はミカサみたいに即答できない。あいつが遠く離れた地に行くからと言って、なら私もついていこうなんて絶対言えない。

いや、ちがう。言いたくないんだ。
負け惜しみにしか聞こえないと自分でも思うけれど、どうせ負けなら最後に噛みついてやる。


アニ「あんたには、自分の意志ってもんがないの?」

ミカサは揺るぎない真っ黒の瞳でこちらを見た。
挑発をしたこちらがかえって萎縮してしまいそうになるが、それを押し隠して続けた。

アニ「エレンが行くからって、あんたも同じところに行くなんてさ。
   もうそろそろ幼馴染離れした方がいいんじゃないの」

アニ「はっきり言って異常だよ。あんたの中身ってエレン以外なにもないの?空っぽ?」

ミカサ「意思はある。ちゃんと自分の意思が」


アニに言われたくない、とミカサが言った。


ミカサ「エレンと一緒のところに行きたいと私自身がそう思ったから、私はこの進路を選んだ。これはまぎれもなく私の意思。
    アニ、あなたこそ自分の意思はあるの?何故その進路を数ある中から選んだの?」

アニ「……」

532: 2013/11/22(金) 17:42:56 ID:ERcY.3H.



言い返そうとして言葉がでなかった。
さすがミカサと言うべきか、ムカつくくらい痛いところを突いてくる。
完全に藪蛇である。下手なこと言わなきゃよかった。


アニ「……はいはい……変なこと言って悪かったね」
  
ミカサ「アニはエレンが好きなんでしょ?」

アニ「片付けが済んだならさっさと帰るよ。もう下校時間だ…………、え?」

ミカサ「エレンが好きなんでしょ?」

アニ「…………」

アニ「…………」

アニ「…………」

ミカサ「……私は言葉の裏を読むことが得意じゃないから、アニの言葉通りに受け取る。
    そのことをよく考えて、ちゃんと答えて」

ミカサ「……あ……これは別に脅迫じゃないから安心してほしい」


知ってるよ。どんな前置きだ。

533: 2013/11/22(金) 17:43:55 ID:ERcY.3H.


アニ「あんたは……」

ミカサ「……私は……私は、エレンが好き……だと思う」

ミカサ「ずっとエレンと一緒にいたいと思うこの感情は、恋という名前が一番近しいと……そう感じる」


恥じらうミカサ。
私の何倍もの時間をエレンと過ごしたミカサ。
おそらく一途にずっとあいつを想っていたミカサ。
外国でも地球の裏側でも、あいつが行くなら自分もついていくと即答できてしまうミカサ。

ああ……。それに比べて私は……
負け戦にもほどがある。


アニ「私は」

アニ「好きじゃない」

ミカサ「……」

アニ「この話は終わり。帰るよ」

ミカサ「本当に……?アニ」


うん。本当。

538: 2013/11/22(金) 23:14:41 ID:ERcY.3H.

E 31
----

俺はいま担任のリヴァイ先生に深々と頭を垂れているところだった。


リヴァイ「てめえ、こんな時期に進路変更しやがって。もっと早く言え」

エレン「すいません!」


頭の上から降ってきた舌うちに心底びびりながら職員室を出ると、ペトラ先生が肩を叩いてきた。


ペトラ「あんなこと言ってるけど、本当は嬉しいのよ。教え子が高い目標持ってくれて」

エレン「は、はぁ……」

ペトラ「頑張ってね」

539: 2013/11/22(金) 23:15:52 ID:ERcY.3H.



教室に戻ると、放課後のクラスは無法地帯と化していた。
ペトラ先生とは程遠い乱暴な手つきで肩をバシンと叩いてきたのは馬……ジャンだった。


ジャン「バッカだなぁ~お前!留学なんて高校でするもんじゃねえよ、大学でだろフツー」

エレン「んだよ、うるせえな!!俺の勝手だろ!!」

マルコ「それにしても驚いたな。いつから向こうに行くんだ?」


もしも試験に合格できたら、卒業式を終えた後そのまま電車で空港に向かうことをマルコに告げた。
隣で馬鹿笑いしているジャンとコニーの尻は蹴った。
サシャはよだれを垂らして外国の料理に夢を馳せていた。

540: 2013/11/22(金) 23:17:03 ID:ERcY.3H.


そして俺の家でアルミンとミカサと再び勉強会である。
なんかしれっとアルミンは推薦入試で合格していた。というわけで勉強会と言っても頭をひねるのは俺だけの勉強会だった。


アルミン「びっくりしたなあ。エレン全然相談してくれないんだもの。てっきり僕と同じ高校に行くんだと思ってたのに」

エレン「迷いはあったけどそのつもりだったよ。急に気が変わったんだ」


母さんを説得するのは大変だったが、父さんが俺に味方してくれたので助かった。
試験への勉強に加え、入学までに語学力も養わなければならなくなったので、
むしろ以前よりハードルは高くなったが後悔はない。


エレン「それよりアルミン、ミカサを説得してくれよ。俺と同じところに進学するって言って聞かねえんだ」

アルミン「ミカサは環境工学に興味があるの?」

ミカサ「勉強しているうちに興味がでてきた」

アルミン「じゃあ、いいんじゃないかな。きっかけはなんであれ、興味を持った学問を勉強しに行くんだからさ」


まさかのアルミンの反逆だった。

541: 2013/11/22(金) 23:18:03 ID:ERcY.3H.



思わずテーブルに拳を打ちつけて腰を上げると、麦茶の入ったコップが倒れそうになって慌てる。

エレン「なんでだよ!!全然よくねーだろ!絶対こいつ俺の世話焼きたいだけだっつの」

ミカサ「そう」

エレン「ほら肯定しちまってんじゃねーか!」

アルミン「ミカサのお父さんとお母さんはなんて?」

ミカサ「ミカサの好きにしなさいと。だから好きにする」

エレン「だから!お前のやりたいことできる学校に進めって!!」

ミカサ「ちゃんとそうしてる」


暖簾に腕押しとはこのことか。
同じ言語を使ってコミュニケートしているはずなのにどうしてこうも伝わらないのか。
俺はミカサのためを思って言っているのに。


エレン「お前さ、高校を卒業後は大学も、就職先も、そんで老人ホームとか墓場まで俺と一緒のところ選ぶつもりかよ?」

542: 2013/11/22(金) 23:18:48 ID:ERcY.3H.



ミカサは口ごもった。
思いのほかきつい口調で問い詰めてしまったことを少し後悔したが、謝りはしなかった。

「ああーっ!」気まずい沈黙をアルミンが突如吹き飛ばした。


エレン「な、なんだよ」

アルミン「ごめんエレン、ミカサ!僕……おじいちゃんに帰りにおつかい頼まれてたの忘れてたよ!じゃあ帰るね!」

エレン「ええっ?」


おじゃましましたー!と台風のごとく俺の家を飛び出していったアルミンに俺もミカサも目が点になった。
あんなに躍動感溢れるアルミンはレアかもしれない。


チラリと横目で見てみると、ミカサは俯いて長い黒髪で表情を隠してしまっていた。
まずい。落ち込んでいる。

俺は茶を飲んで喉を潤すと、ミカサに比較的明るめの声をかけた。

544: 2013/11/22(金) 23:20:04 ID:ERcY.3H.



エレン「あー、お前は……料理とか好きだろ!栄養士とかいいんじゃねえの。あと農業とか。いまバイオ技術やらなんやらで注目されてる分野だろ」

ミカサ「……料理も野菜作りも好きだけど……」

エレン「あとはなんだ?やっぱり、好きなものから将来を考えてった方がいいと思うぜ。
    俺は海とか世界の冒険とか好きだからあの学校を選んだんだ」

ミカサ「……料理と野菜作りと……あとは、編み物も好きかもしれない」


着物を着るのも。花を育てるのも。洗濯物を畳むのも。髪の手入れをするのも。
あとは長ったらしい数式を解くのも頭がすっきりして好きだとミカサが言った。
俺には理解できない感性だ。


エレン「なんだ、いっぱいあるじゃねーか。ならやっぱりお前の好きなことを勉強できるところに行けよ」

ミカサ「でも……だめ」

エレン「なんでだよ?」

ミカサ「……」

545: 2013/11/22(金) 23:21:13 ID:ERcY.3H.



ミカサ「だって……私はっ」


パタンと。びっしり外国語の単語が連ねられたノートが閉じられた。
ミカサの手は節々が赤くなって震えていた。


ミカサ「私はエレンがいちばん、…………」

546: 2013/11/22(金) 23:22:27 ID:ERcY.3H.

A 32
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ライナー「クリスマスが……今年も……やってきたぁ……」

ベルトルト「楽しかった……出来事を……消し去るように……」

ライナー「そんな歌詞だったか?」

ベルトルト「さあ……」

アニ「あーーーっ 人の部屋で辛気臭いったらないね。いきなり押し掛けて何のつもり、帰ってよ」


メリークリスマス!七面鳥の代わりに唐揚げ買ってきたから一人身三人寄り添ってパーティしようぜ!
と玄関の扉を開けた瞬間にクラッカー鳴らしてきたバカノッポとクソゴリラのアホ面に、
今すぐテーブルの上のショートケーキをぶちまけたい。

大体なんだ、クリスマスパーティと銘打っているくせに、近所のスーパーで1ピースワンコインの安い萎びたショートケーキなんて私は認めない。
鎮座しているいちごが栄養失調で今にも倒れそうなショートケーキなんてショートケーキじゃない。


アニ「帰って。帰れば? 帰れ」

ライナー「アニ怒りの三段活用発動だな…… だが俺は帰らん」

547: 2013/11/22(金) 23:23:57 ID:ERcY.3H.


ベルトルト「機嫌悪いね……アニ。何かあった?」

アニ「何も」


私は別に特定の宗教を信仰しているわけではないけど、何が悲しくてクリスマスをこいつらを過ごさなくてはならないのだろうか。
横でライナーが、クリスタは今日は誰かと過ごしているのかどうかを気にしていて苛立ち7割増しだ。


アニ「さっさと二人とも彼女作りなよ……本気出せば簡単にできるでしょ」

ベルトルト「できるわけないよ、僕なんか」

ライナー「へへ、そうか?」

アニ「クリスタは無理だろうけど」


ライナーが雄たけびを上げる前に、奴の口にケーキを突っ込んだ。

548: 2013/11/22(金) 23:24:46 ID:ERcY.3H.


ライナー「げえっほ、ごふっ」

ベルトルト「ところでアニはどうなんだい?」

ライナー「がほ、オイ、アニ、てめえ、」

アニ「何が」

ベルトルト「だから……告白とかしないの?卒業式もうすぐだよ、一応」

ライナー「げほごほッ、変なとこ入った、おえっ!水……」

アニ「……」


ライナーが手を伸ばした先にあったコップをとると、中のお茶を一気に飲み干して、ベルトルトの問いは聞かなかったフリをした。


ベルトルト「アニ…… 本当にそれでいいの?」

アニ「しつこいね……どうだっていいでしょ」


ベルトルトはライナーがとろうとしたペットボトルを横から攫うと、飲み干してから言った。

549: 2013/11/22(金) 23:25:47 ID:ERcY.3H.



ベルトルト「卒業式の日にエレンは向こうに行っちゃうんだよ?」

アニ「……。例えばの話だけど」


例えば私とベルトルトが焼肉屋に一緒に食べに行くとする。


「おい、なんだそのたとえ話」「いったッ」
ライナーがベルトルトを殴りつけてから言った。


アニ「2人前頼んで、お互い自分で食べる肉は自分で焼くっていうルール。
   あんたが席についてからじっくり手塩にかけて焼き育ててた骨付きカルビがあったとする」

ベルトルト「僕タン塩が一番好きなんだけど……」

アニ「その骨付きカルビがやっと焼け終わって、いざ食べようとしたときに
   横から私がそれを取って食べたらどう思う?」

ライナー「これ、何のたとえ話だ?」

ベルトルト「アニのセンスには時々脱帽だよ」

550: 2013/11/22(金) 23:27:01 ID:ERcY.3H.



ベルトルト「でもさ、骨付きカルビには心がないじゃないか」

ライナー「深いな」

ベルトルト「エレンは人間だよ。アニ」


そんなことは言われなくても知っている。


冷静に考えると、聖夜にこんなごつい男どもと恋の話をしている自分が憐れで仕方なくなってきた。

あいつは今、誰と過ごしているのだろうか。
もう冬休みに入ってしまったので、年が明けるまでは顔を合わせることもないだろう。

年が明けて、冬が去って、春が来て、花が咲き乱れる頃には、もうエレンはこの地を遠く離れているだろう。
……いや、エレンとミカサは。

ケーキの上の朽ち果てそうなイチゴを摘まんで口に放り込んだ。
強すぎる酸味が口腔内に広がって、吐き気をこらえるのに涙が出そうだった。

やっぱり安物のケーキはだめだ。

576: 2014/01/08(水) 07:29:21 ID:h2plkQRY


冬休みはほぼ自室にこもっていた。
ひきこもりと言ってしまえばそれまでだが
受験生としてはむしろあるべき姿のような気がする。

ただひたすら試験勉強をしていれば、
なにも考えなくて済むのでそっちの方が楽だった。

そのことに気付いて朝も昼も夜も風呂に入っている間も食事をしている時も、
ずっと問題集のことを脳内で反芻していたので
私の成績はうなぎのぼり、ライナーとベルトルトの成績も抜いた。
正直すごいことになった。

そんな感じで大みそかを過ごし、元旦も餅を食べながら問題集をめくり
(横で父が「元旦くらい家族でゆっくり過ごそうよ」と半泣きだったのを無視して)
気づけば明日が入学試験当日である。

577: 2014/01/08(水) 07:31:49 ID:h2plkQRY



外に出ると冷気が肌を刺した。マフラーを強く巻きなおして、気合いを入れて一歩踏み出す。
冬はつとめて。雪は降っていないが、冬の早朝は日差しが半透明で
何もかも儚く感じられる。

通りに人がいなさすぎて自分の足音がやけに大きく聞こえた。
まるで知らない街を歩いている気分だ。
ライナーとベルトルトが白い息を吐きながら
コートのポケットに突っ込んでいた手を引っこ抜いて「よう」「おはよう」と言った。


「おはよ」と言った自分の息も白く揺れながら宙に消えた。


受験票を忘れた、とかありきたりなハプニングもなく、
そのまま電車に乗って第一志望の高校に向かった。


アニ「私は受かるの決まってるけど、あんたら落ちないように頑張って」

ライナー「お前……ちょっと成績上がったからって調子のるなよ!」

ベルトルト「緊張してきた……」

578: 2014/01/08(水) 07:33:11 ID:h2plkQRY



視界の隅に、黒髪の丸い頭が見えて心臓が嫌な音をたてたが
振り向いてみると全然違う顔だった。

あれからエレンにもミカサにも会っていない。
会うのが少し、怖い。


高校に辿りついて、暖房の効いた試験室に入室すると、
コートマフラー手袋などの頑強な装備を身から外していった。
早めの時間に家を出てきたので、試験開始まで十分余裕がある。

教室内には、ノートや参考書をめくって試験に備えている他校の生徒がまばらに席についていた


私も彼らの仲間入りしようと、指定された席でカバンを開いた。

579: 2014/01/08(水) 07:45:27 ID:h2plkQRY



アニ(どの教科やろうかな)

ミカサ「……」

アニ(なんでもいいけど)

ミカサ「……」

アニ「……」

ミカサ「……」

アニ「……」

ミカサ「……」

アニ「……!?」

580: 2014/01/08(水) 07:46:09 ID:h2plkQRY



アニ「ミカサっ?」

ミカサ「おはよう」


隣の席にミカサが座っていた。
あまりの驚きに、今まで頭に詰め込んでおいた受験用の知識が吹っ飛びそうになった。

何故ミカサがここにいるのだろう。


アニ「だってあんた……エレンと同じところに行くんじゃなかったの」

ミカサ「色々あって」

アニ「色々って……」

ミカサ「色々」


ミカサが、ふうとため息をついた。
寂しげな、それでいてどこか慈母のような横顔に、それ以上問いかけることはできなかった。

581: 2014/01/08(水) 07:47:11 ID:h2plkQRY



ミカサ「試験、がんばろう。アニ」


黒い瞳が僅かに揺らいだ気がしたが、ミカサの珍しい微笑ははっとするほどきれいだった。

試験……あ、そうだ、これから入試だった。
もうびっくりしすぎて正直それどころではなかったが
受けない訳にもいかない。


ああ、とそれだけやっとのことで発声して、
あとは貝のように私たちは口をつぐんだ。

582: 2014/01/08(水) 07:47:57 ID:h2plkQRY



* * *


試験の出来はまあ……多分大丈夫だろう。といった感じだった。
とりあえずの解放感に身を委ねつつも、
やはり何かに追われているような息苦しさを感じていた。

子どもすら遊んでいない寒空の下の公園で、
制服のままホットココアを飲む女子がベンチに二人。


ミカサ「コーンポタージュはどんな飲み方をしても最後にコーンが残ってしまうから
    あんまり缶では飲みたくない」

アニ「分かる」

ミカサ「だからいつもココアを買ってしまう」

アニ「ああ…… ってそういう話するために連れてきたの?」


帰っていいかな。
寒いんだけど。

583: 2014/01/08(水) 07:48:48 ID:h2plkQRY



ミカサ「振られちゃった」

アニ「え」

ミカサ「二回目。エレンにはもっと小さい頃にも一回言ったことがある。
    今回もだめだった……」


それは初耳だった。
そもそもミカサとこういう話するのも初めてだった。

どうして、と尋ねていいのだろうか。
傍から見ていてもエレンとミカサの二人のやり取りは、
長年寄り添った夫婦のそれというか、もしくは母と息子のそれというか

いつ恋人同士に発展してもおかしくない、幼馴染の距離感だと
私も周りの連中も思っていた。


ミカサ「ミカサは一旦俺から離れて、自分の大切なことを見つけた方がいいって
    ずっといっしょにいたから俺しか見えてないだけだって」

584: 2014/01/08(水) 07:50:08 ID:h2plkQRY



ミカサ「……言われちゃった」

アニ「……」


静かすぎる公園に、ミカサの言葉がぽつりぽつりとゆっくり落ちていった。
私はなんて言えばいいのか分からなくて、
ミカサだけが横でずっと言葉を落とし続けていた。


ミカサ「ちゃんと好きだった。それは本当だったけど
    エレンに言われると……そうだったのかもしれないと少し思い始めて」

ミカサ「でも、例えそうだとしても別に構わないって思った。思ったのだけれど」

ミカサ「結果的にそういう私の考えがエレンを苦しめてしまっているのに気づいて」

ミカサ「どうしたらいいのか分からなくなって……」

ミカサ「……試験なんかより、ずっと難しい」


成績優秀なミカサが言うくらいなのだから、それは相当な難問なのだろう。

591: 2014/01/10(金) 23:13:34 ID:XmnC18T6


ミカサ「色々考えて……私はこちらに残ることにした」

アニ「……そう」


「馬鹿だね、あいつ」それからしばらくして、私は付け加えた。
「エレンは馬鹿じゃない」すぐにそう返ってきた。ミカサらしい返答だった。


そして二人とも、思いだしたように温くなったココアを口元に運んだ。
甘いはずのそれは何故かほろ苦かった。
なんでもやればすぐ完璧にできて、どこか自分たちとは違う超人のように感じていたミカサの
乏しい表情の中にあるほんのわずかな悲しみと寂しさを察して、

見てはいけないものを覗き見してしまったような心苦しさと罪悪感とともに
私たちの間には何の隔たりもないのだと。
ミカサも普通の女の子なんだと。
化け物じみた能力を持っていようがなんだろうが、彼女も傷ついたり悩んだりする
一般的な女子なんだと……

そういうことがすとんと胸の底に落ちて、そのままじんわりと溶けていった。


ミカサ「……それだけ。じゃあ」


私たちは公園の出口で、言葉少なに別れた。

592: 2014/01/10(金) 23:19:38 ID:XmnC18T6



別れた後に、ミカサがこちらを振り返ってこう一人ごちたことを
私は知らなかった。



ミカサ「……アニ」

ミカサ「エレンは……最後にこう言ったの」

ミカサ「…………好きな人が、いるって……」

ミカサ「……」

ミカサ「あとはあなた次第だから」

593: 2014/01/10(金) 23:20:51 ID:XmnC18T6



E 33
----



ハンネス「もうお前らも卒業かあ。 あっという間だな」


卒業式の予行練習のために学校にアルミンと話しながら向かっていると、
近所に住んでいるハンネスさんが声をかけてきた。


ハンネス「お前ら無事、進路決まったみたいじゃないか。おめでとう!
     しっかし、アルミンは心配いらねーが、エレン、お前は大丈夫なのか?」


「外国に行くんだって?騙されねーよう気ぃつけろよ」とハンネスさんは言うが
俺は飲んだくれのあんたの方が心配だ。

とりあえず彼が今日は朝から飲んでいないことに、俺とアルミンは安心した。



アルミン「そう言えばさ」

アルミンが凍った水たまりをローファーでぱきんと割りながら切り出した。

594: 2014/01/10(金) 23:22:20 ID:XmnC18T6



アルミン「ライナーたちも合格したって。みんな」

エレン「そうか」


ということは、アルミン、ライナー、ベルトルト、ミカサ、……アニは
春から同じ高校に通うことになる。
わりかし有名な進学校なのでいろいろと大変だろうが、
真面目だったり要領がいい奴揃いなのですぐ馴染むだろう。

俺もなんとか目指す学校の試験は突破できた。
住むところの手続きやらビザ取得やら、勉強以外の処理の方に今は追われている。


エレン「じゃあ高校でも、成績優秀者はお前らで独占するんだろうな」

アルミン「あはは、いくらなんでもそれは無理だって……あ」

アルミン「噂をすれば、ほら、アニ。あそこに」


アニが自転車置き場の方からこちらに向かってくるのが見えた。
寒さからなのか、いつもの倍は早歩きだ。

595: 2014/01/10(金) 23:23:19 ID:XmnC18T6




アルミン「アニ、おはよう」

エレン「……よう」


アニは一瞬だけ俺の顔を見てすぐに逸らした。
そして空耳かと思うくらいの声量と、怒ってるのかと思うくらいの低さで
「おはよ」と三文字だけ発音するとそのままのスピードで立ち止まることなく去って行った。


……。
無言でいると、アルミンが俺の様子を窺っている気配がしたので、ハッとして続けた。


エレン「なんだ、あいつ。感じわっるいな。おっかねえ顔しやがって」

アルミン「……エレン、アニと喧嘩でもしたの?」

エレン「俺は何もしてねえよ! あっちが勝手に……」


あっちが勝手に俺を避けているだけだ。
俺は何もしてない……はず。

596: 2014/01/10(金) 23:26:52 ID:XmnC18T6



アルミン「本当に?」

エレン「……」


した、と言えばしたかもしれない。

海に行った帰りに、なにをトチ狂ったのか俺はあることをアニに伝えた。
ちょうど列車が俺たちの横を通過して、アニには聞こえなかったみたいだが。

でももしあれが聞こえなかったフリで、アニには実は聞こえていて、
そのうえでアニが俺を避けているならば、
……きっとそういうことなのだろう。


なかったことにしたいと、アニは思ったのだろう。


エレン「本当だ」


まだ疑っているようなアルミンを置いて先に校舎に足を踏み入れた。

597: 2014/01/10(金) 23:28:47 ID:XmnC18T6


久々に履いた上履きも、久々に座る自分の席も、久々に顔を見たクラスメイトたちも
何もかも懐かしく、だから今日と言う日は楽しいものだと胸を張って言えるはずだったのに

まるでまだ自分が北風吹きすさぶ曇天の下、コートの襟を立てて、無心で
修行僧みたいに終わりのない道をどこに行けばいいのかも分からず
一人さ迷っているような……そんな途方もない気持ちを胸の片隅で感じていた。


コニーとサシャの掛け合いにあげた自分の笑い声が
あまりにも空虚で驚いた。
「どうかしたのか」とマルコに心配されたが、理由なんて言えるわけない。

失恋なんて口に出そうものなら、熱があるんじゃないかと保健室に連れて行かれるか、
氏ぬほど笑われるかのどちらかだろう。
俺だって笑えるくらいなのだから。

……俺が言えたことではないが、ミカサも今、俺と同じこの空しい気持ちを味わっているのだとしたら。
そう考える度に、横隔膜がひっくりかえったような嫌な感覚を腹に覚える。

598: 2014/01/10(金) 23:55:56 ID:XmnC18T6



ミカサと話したあの日から、最初は少し気まずかったが、
今では普通に言葉を交わすようになった。

教室の隅で、アルミンと話しているミカサを盗み見る。
背中に垂れる長い髪に、ジャンがこっそり視線を向けていることに気付く。


エレン「……」


何とも言いがたい気持ちを噛みしめているうちに、誰かが声を上げた。


「おーいみんな、もう体育館に移動だってさ!」

599: 2014/01/10(金) 23:58:06 ID:XmnC18T6

* * *


夕食を食べながら、パイプ椅子が並べられた体育館の光景を思いだしていた。
そこに椅子と同じくずらっと整列する生徒たち。見知った顔もいればそうじゃない奴もいる。


人の頭を棒グラフみたいに線で繋いだら、いきなりガクンと落ち込む位置にいる、前列の金色の頭。

それは一度も後ろを振り返ることはなかった。


カルラ「エレンももう卒業ね」

エレン「えっ? あ、あー、おう」

カルラ「好きな女の子のひとりやふたり、いないのかい?告白とかするの?」


スープをむせたおかげで、父さんの注目まで集めてしまって慌てた。


エレン「しねえよ! 別に関係ないだろ!?」

カルラ「まあ……」

グリシャ「おや……」

エレン「なんだよっ!」

600: 2014/01/11(土) 00:00:01 ID:4McPZfYc



カルラ「エレン、あんたも私の息子なら、当たって砕けてきな」


砕けること前提なのか。
すでに砕け散った後だが。


グリシャ「まあ……エレンの場合、いい返事をもらえても遠距離になってしまうからね……」

エレン「……」

グリシャ「若い子だったら難しいのではないかな」

カルラ「例えそうだとしても、あんた男ならちゃんと自分の気持ち伝えな!いいね、エレン!」

エレン「うるせーな!どうだっていいだろっ! ごちそうさまっ」

カルラ「なんだいその態度、こら、エレン待ちなさい!全く……」


カルラ「これが反抗期ってやつかしら」

グリシャ「思春期じゃないかね」

601: 2014/01/11(土) 00:00:43 ID:4McPZfYc



ある日

アルミンに「言わないのか」と訊かれた。

何を、とは訊き返さなかった。
誰に、とも言わなかった。

「言わない」と答えた。


二度目の告白はしないことに決めた。
あの夏の思い出とともに、すべてここに置いてくことに決めた。

602: 2014/01/11(土) 00:01:43 ID:4McPZfYc



A 34
----



卒業の日の朝は、まだ息がかすかに白むくらいの気温だった。

まだ桜は咲いていなかった。

でも春がすぐそばまで歩いてきている気配がそこかしこにあった。

私の横を通り過ぎる人も、追い越す人も、それを感じ取っていたのか

みな晴れ晴れとした表情をしている。


私はいつも通り、全てのものに冷めた視線を送りながら、ただ時が過ぎるのを待っていた。

603: 2014/01/11(土) 00:03:01 ID:4McPZfYc




フランツ「え?僕たち?」

ハンナ「勿論一緒の高校よ?」

ベルトルト「予想内」


ミーナ「クリスタとユミルは一緒に女子高なんだぁ」

ユミル「悪い虫がつかなくていいだろ?」

ライナー「おい何故俺を見る」

クリスタ「女子高に行ったら、ユミルはもてそうね……」

ユミル「えっ?」



式自体は滞りなく終わった。
卒業証書の入った筒は思ったより軽い。きっとすぐ引きだしの肥やしになるだろう。

安っぽいピンクの花を、みな一様に制服の胸に挿して
笑顔と涙を教室という四角い箱の中で混ぜ合わせていた。

604: 2014/01/11(土) 00:05:24 ID:4McPZfYc



笑ったらいいのか泣いたらいいのか迷っているような表情で、クリスタは言った。


クリスタ「もうこの教室で、みんなでこうしゃべるのも、今日で最後なんだね。
     なんだか私、まだ実感わかなくて……」

ユミル「なんだよ、やめてくれよ。そういう湿っぽい話はなしにしようぜ」

ミーナ「泣いちゃう?泣いちゃうのユミル?」


ユミルがミーナにフェイスロックを決めている横で、ライナーが言った。


ライナー「でも集まろうと思えばいつでも集まれるだろ」

ミーナ「ギブギブギブギブ、ユミル、ギブギブギブ」

ベルトルト「そうだよね」

クリスタ「……うん、絶対またみんなで遊ぼうね」

605: 2014/01/11(土) 00:06:44 ID:4McPZfYc



ライナー「ああ、そういや、この後エレンの奴の見送りに駅まで行くんだが」

ミーナ「イタタ……あ、うん行く行く」

クリスタ「もちろん、行くよ」

ユミル「ああ……あいつはどっか行っちゃうんだっけ?」

ベルトルト「アニも……行くよね?」


アニ「私は用事があるから、行かない」


窓の外を眺めながらそう言うと、一斉に上がる声を無視するために耳を塞いだ。
クリスタとミーナが信じられないという風に詰め寄ってくるのをかわす。


ミーナ「なんでなんで?」

クリスタ「その用事、今日じゃないとどうしてもだめなの……?」

ユミル「やめとけよ、用事なんてどうせ嘘なんだから」

アニ「嘘じゃないし」

606: 2014/01/11(土) 00:08:23 ID:4McPZfYc



二人の追及と、ユミルの皮肉と、男二人組のなにか言いたげな視線を受け流して
「私の分もよろしく言っといて」と全て丸投げした。


私たちは教室を出て、昇降口に向かった。
廊下の掲示とか、階段の踊り場の鏡とか、見る度に立ち止まって
「あのときはこういうことがあって」と思い出を皆話しだすので、とても時間がかかった。


一階の渡り廊下に差しかかると、私は一瞬だけ足を止めた。


クリスタ「……?アニ?」

アニ「いや……」


中庭に通じている渡り廊下。
あの日ここで図書室に忘れてきた本を差しだして、
私を初等部の生徒なんかと間違えやがったあの野郎。

今でも不愉快な思い出である。

607: 2014/01/11(土) 00:11:06 ID:4McPZfYc


思えばあいつとは最初から喧嘩ばかりで、馬鹿馬鹿しくて下らない話ばっかりしていた。
あいつが好きだと言った夏が私は嫌いだ。不愉快な思い出しか残っていない。

でもなんでだろう。

中庭の樹から聞こえる蝉時雨とか
日陰と日なたのハッとするほど強烈なコントラストとか
じっとりと重くうだるような午後の暑さとか


なんだか全て懐かしくて
できれば少しだけまたあの夏に戻って

先のことなんて何も考えずに、ただ暑さに文句を言ったり
喧嘩したり、怒ったり、怒られたり、
そんな日を過ごしてみたいと、思わないこともない。


アニ「なんでもないよ、行こう」


また夏が来る頃には、私もあいつも誰も彼も、この校舎にはいない。
そして私たちは3年過ごした学び舎を旅立った。

616: 2014/01/17(金) 22:49:06 ID:GGo7USvU

* * *

帰宅したはいいが、ひとり自室にいるのもなんとなく落ち着かなくて
着替えもせずにまた外に飛び出した。

財布と携帯電話だけを手に、特に行き先を思い浮かべることなくふらふらと歩いていただけだったが
無意識に駅から離れるように私の足は方向を選択していた。
そのままどこかの商店街の寂れた本屋――こんな時間だからか、それともいつもなのか、店には店主しかいなかった――の扉を開けた。

瞬間、埃臭いが暖かい空気に身を包まれてほっとする。
買う気もない、一昔前の小説をぱらぱらと捲っていた。
カウンターの正面に飾ってある大きな時計の針は、ずっと見ないようにして。

617: 2014/01/17(金) 22:54:33 ID:GGo7USvU



もうそろそろ、行ってしまった後だろうか。

きっともう行ってしまっただろう。

「でもこれでよかった。」小説の主人公がぽつりと言った。
そうだ、これでよかった。どうせ何もできないのだから。
本の内容はちっとも頭に入ってこないくせに、その台詞だけが目に飛び込んできた。

そのとき、BGMすらかかっていない静かな店内に、携帯電話のバイブの籠った振動音が鳴り響いた。
客は私しかいないので、もちろん私のだ。
どきりとしながらポケットをまさぐると、


ライナー『お前今どこにいるんだ?』


ライナーの声の後ろで風がびゅうびゅう唸っているのと、
ベルトルトが何やら喋っているのが聞こえた。

618: 2014/01/17(金) 22:59:22 ID:GGo7USvU



居場所を告げると、『なんでそんなところにいるんだ!?』と返ってきた。
あまりの声の大きさに、店主がこちらを睨んだ気がして、その居心地の悪さに私は店を出た。
軒下で「どこにいようが私の勝手でしょ」と応酬する。

ためいき。わざとらしい。
言外に「馬鹿だな、お前」と言われているようだった。


ライナー『ついさっき、行っちまったぞ』

アニ「あっそ」

ライナー『全く……エレンも寂しがってたぞ』

アニ「なに?風が強くて聞こえないよ」


本当ははっきり聞こえていたけれど、私はそう言った。
早く電話を切りたかった。
マフラーを家に忘れてきてしまったから外の冷気は身に堪えたし、
とにかくエレンのことは今耳にいれたくない話題ナンバーワンだった。

誰とも話したくない。会いたくない。放っておいてほしい。

619: 2014/01/17(金) 23:02:33 ID:GGo7USvU


アニ「もう切っていい?用がないんなら」

ライナー『待て。お前、これで本当によかったのか』

アニ「…………いいに決まってるよ」

ベルトルト『ねえ、アニなんだって!?』

ライナー『まだ面倒くさいこと言ってやがる!』

アニ「ねえ、聞こえてるんだけど。誰が面倒くさいって?」


ゆっくり、ゆっくり、牛歩の歩みで頭の上を雲が滑っていく。
霞みがかったように白い空は、建物に切り取られて、電線に区切られて、とても小さい。
ライナーとベルトルトの腹の立つ会話を聞きながら手持無沙汰に空を見ていた。


ライナー『誰が面倒だって?お前だ、アニ。あのなぁ、もどかしいんだよ、お前ら見てると』

620: 2014/01/17(金) 23:05:37 ID:GGo7USvU


ライナー『好きなら好きとそう言えばいいだろ?
     別に言わなくたって、最後に顔見て別れを告げるくらいしてやれ。
     お前、最近エレンのこと避けてただろ』
     
アニ「なんで私があいつのこと、好きって前提で話進めてるのか全然わからないんだけど」

ライナー『お前の面倒くさくて、ひねくれた性格は昔から知ってるが、
     エレンは俺の友達でもあるからな」
     
アニ「無視するな」

ライナー「もうこれで訊くのは最後にするぞ。だから正直に答えろ。いいな?」


お前、エレンのことどう思ってるんだ。

私は通話終了ボタンを、機械が壊れそうな勢いで押した。

621: 2014/01/17(金) 23:07:05 ID:GGo7USvU


アニ「うるっさいな……」


どいつもこいつも、人事なんだから放っておいてくれればいいものを。
ライナーが私の面倒くさい性格に小さいころから辟易したとすれば、
私だって奴の世話焼きな性格に昔からいらついていた。

誰も世話を焼いてくれだなんて頼んでいない。
ライナーだけじゃない。みんなみんなみんな、勝手に私の心をかき乱して嫌になる。

どうせ何も変わりはしない。私は何もできない。
こんな私に期待しないでほしい。何もできない、できない、できない。

頭上の小さな空を否定したエレンは、遠く彼方に旅立って、あいつは確かに何かを為した。
あいつと私は違う。私は、何も。

622: 2014/01/17(金) 23:09:03 ID:GGo7USvU



アニ「それに」

もし、もし何かが私なんかにできるとしても

アニ「もう……あいつは行っちゃったんだから……」

もう、会えないのだから。

アニ「言いたいことが、あったとしても……無理なんだ」










「言いたいこと、あるんだな?」
「やっぱりあるんじゃないか……全く、アニ、君って奴は」

キキッ、と。ブレーキの軋む音が右から聞こえた。
ライナーとベルトルトが息を切らして、自転車に跨って立っていた。

623: 2014/01/17(金) 23:25:09 ID:GGo7USvU


アニ「なんで、あんたら」

ライナー「文句でも憎まれ口でも告白でもなんでもいい、エレンに言いたいことあるんだな?」

ベルトルト「最初からそう言ってくれればいいのにさ……まあアニの性格は知ってるけど」

ライナー「おい?お前自転車はどうした?さっさと乗れ」

アニ「は? いや歩きだけど」

ベルトルト「なんで!?」

ライナー「なんでだよ!? ああもういい!俺の後ろに乗れ!乗り心地が悪くても文句言うなよ!ほら行くぞ!」


全く状況が飲みこめない。
「どこに行くの」かろうじてそれだけ訊くと、二人は苛立ったように口をそろえて言った。

「エレンのところに決まってるだろ!?」

624: 2014/01/17(金) 23:27:37 ID:GGo7USvU


ああもうなんでよりにもよって徒歩でここまで来てるんだよ、馬鹿かお前。
え?……いや重いぞ普通に。人一人乗せてるんだからしょうがねえだろ!
これでも頑張って全力で漕いでんだよ!

ああ、エレンは行ったんじゃなかったのかって?……いや嘘は言ってない。
確かにあいつは電車に乗って行っちまった、空港までな。
ここは田舎だからな、次の電車は1時間後だ、電車で追いかけるのは無理だ。


アニ「じゃあ無理じゃないか」

ライナー「最後まで話を聴け!」


ただ数十キロ先に大きな駅があるだろ、そこまで行けば電車があるはずだ。
それで空港まで行くぞ。上手く行けばそこであいつと話せる時間があるかもしれねえだろ。

625: 2014/01/17(金) 23:29:36 ID:GGo7USvU



私は思った。
何言ってんだこいつ、と。


アニ「自転車で追い付けるとは思えないんだけど」

ライナー「お前のせいだろーが!お前がギリギリまで駄々こねるから!」

ベルトルト「でも……言いたいこと、あるって、さっき言ったよね?アニ」

ライナー「くそっ! また赤信号か」


耳元で唸りをあげる風が止んだ。
二人は忌々しげに信号をにらむ。
私は自転車を漕いでいないのに、体の芯が熱くなるのを感じた。

626: 2014/01/17(金) 23:36:39 ID:GGo7USvU



暑い。まるで、夏みたいだ。


アニ「……ああ、あるよ。ある。言いたいこと、本当は、ずっと昔からあったんだ」

アニ「ずっと……」


赤信号が消えて、緑色に変わった。
隣の車と並ぶくらいのスピードで二人の自転車は走りだす。
私たちの異様な姿に、視界にちらと入った親子連れが目を丸くしているのが見えた。


アニ「……私はエレンに言いたい。言いたかったことが……ある」

ライナー「ちゃんと伝えろよ」

ベルトルト「やっと認めたね」

アニ「……あんたらがこんな必氏になるのを見たら、さ」

ライナー「好きなんだろ?エレンが」

627: 2014/01/17(金) 23:37:32 ID:GGo7USvU

アニ「…………多分」

ベルトルト「多分って」

アニ「……あいつって、何考えてるのか全然わからない。
   直情的で何も考えてないかと思ったら意外にちゃんと考えてるし、
   でもやることなすこと急すぎるし言ってること滅茶苦茶だし
   現実性度外視してること普通に言うし、でもそれを実行しようとするし」
   
アニ「ムカつく」

ライナー「っはあ!?」

アニ「本当考え方が私と違いすぎて、脳みそに何が詰まってるのか見てみたいレベルだね。
   ……だから……もっと……ちゃんと知りたい、とは……思う」
   
アニ「……知りたかった。もしかして、いずれこの感情が好きっていうのに繋がったのかもしれないけれど」


エレンが遠くに行ってしまうと言うから。
私はそれごと全部消そうとしたのかもしれない。

628: 2014/01/17(金) 23:38:16 ID:GGo7USvU


ライナー「なんでもいいさ。なんだって。全部あいつに言ってやれ」

ベルトルト「どんなことでもいいんだ。アニが伝えたいことなら」

アニ「……そ」




らしくもないことを言っている自覚はあったし、
らしくもないことをしている自覚もあった。

いずれこの選択を後悔する時が来るだろうか?
……それでもいいと、今思っていることすら、後悔に変わってしまうだろうか。

629: 2014/01/17(金) 23:39:46 ID:GGo7USvU
ベルトルト「ライナー、もっと速く!」

ライナー「しょうがねえだろ、こっちにはアニが乗ってるんだから!
     アニ、今何時だ!?」
     

携帯のディスプレイには13:27とある。
ライナーがスピードを上げた。がくんと振動が全身に響く。景色が一段と速く切り替わっていく。


ベルトルト「タクシーでも通りかかればいいんだけど……!」

ライナー「くそっ」

アニ「……ねえ」

ライナー「何も言うな!!俺たちにまかせろ!」

アニ「……」


自転車で追いかけようなんて、無理なんじゃないかとか
ドラマや小説みたいに上手く会えるわけないとか
そんなことは全て胸の奥にしまっておいた。

アニ「……ちゃんとあいつの元まで私を送り届けてよね」

ライナー「はっ。やっとお前らしいふてぶてしさが戻ってきたな」

ベルトルト「ははは……」

630: 2014/01/17(金) 23:52:56 ID:GGo7USvU


何としてでも、今日、あいつに会う。
どんな結果になったとしても後悔はしない。
言いたいことは全て言ってしまおう。

そうしたら、私だって変われる気がする。
こんな私でも。あいつみたいに。

頬をなぶっていく風は、今では冷たさが心地いいくらいだ。
私は唇を噛みしめた。

遅すぎるかもしれないけれど……


言おう。

私の気持ちを。

631: 2014/01/17(金) 23:53:31 ID:GGo7USvU



「そんなこと言う資格、あんたにあると思ってんの?」

632: 2014/01/18(土) 00:01:34 ID:0lUUQaMA



アニ「……は?」

アニ「……ライナー?……ベルトルト?」


私は、二人とともに自転車で道路を疾走していたはずではなかったか。
いつの間に室内にいたのだろう。

天井も壁も全て透明な水晶のようなものでできている奇妙な部屋で
私は私と向き合っていた。


「そんな資格、あんたにないよ。残念ながら」目の前の女は言う。私と同じ声色で。
声だけではない。髪も、目の色も、顔も、背丈も、何もかも私と一緒だった。
例外は服装で、女は丈の短いオレンジ色のジャケットに白いパンツを身にまとっていて、
体中に巻きついている黒いベルトが異彩を放っていた。

壁と同じく透明な素材でできた、冷たそうなテーブルの向こうにある椅子に女が腰掛けた。
それらと同じく、女の言葉は口から出た瞬間凍って落ちそうなほど冷たく、また鋭かった。

633: 2014/01/18(土) 00:02:46 ID:0lUUQaMA



アニ「ここは……どこ」

「さあね」

壁の向こうにも、天井の向こうにも、薄暗い闇が広がっている。
この奇妙な空間で、女と私の姿だけがテーブルの上のろうそくの炎に照らされて揺らめいていた。


アニ「あんた、だれ?」

「アニ。アニ・レオンハートさ。あんたと同じくね」

アニ「……そんなわけない」

「あんたが認めようが認めまいが関係ない。事実なんだから」

アニ「……分かった。夢でしょ。ここから出して。自分としゃべる気味悪い夢なんて見たくない」

「あんたが……言うのをやめるのならば、出してあげるよ」

634: 2014/01/18(土) 00:03:57 ID:0lUUQaMA



アニ「…………嫌だ。私は言う。そう決めたんだから」

「だからさ。言いたいこと全部言える資格なんて、あんたにはないの。全部諦めてくれる?」


自分と同じ顔をした人間と話すのは心底気味が悪かった。
……いや、この女は本当に「人間」なのだろうか。

夢のはずなのに、私ははっきりとした意識を持っているし
変に現実感があって、時間が経てば経つほど本当に夢なのか疑わしくなってくる。



アニ「資格がない、ってどういうこと? あんたに私の何が分かるって言うのさ」

「全部分かるよ。言っただろ?私はあんたなんだから……。
 知りたいのならば教えてあげるよ。平和ボケしてるあんたには、刺激が強すぎるかもしれないけどね……」

635: 2014/01/18(土) 00:04:57 ID:0lUUQaMA


「そこの扉、開けなよ」

アニ「扉なんてない……、……? さっきはなかったはずなのに」


振り返ると、壁になかったはずの扉が私を見つめていた。
扉だけが水晶でなく木でできていて、向こうが見えない。
装飾は一切なくて金属でできたドアノブだけが光っていた。


アニ「なに、これ」

女は答えない。自嘲じみた笑みを微かに口の端に浮かべていた。
なんだか嫌な気配を扉から感じて、思わず後ずさると
何故か足元から水の跳ねる音がした。

ろうそく一本しか光源がないので気がつかなかったが、
そこで初めて私は、扉の下から黒い液体が染み出ているのを知った。


アニ「……なに……これ」


さっきと同じ質問を、女に言うわけでもなく口に出すと、
今度は答えが返ってきた。


「血」

636: 2014/01/18(土) 00:06:43 ID:0lUUQaMA



女が血だという液体は扉からにじみ出て床に広がって行く。
嫌な汗が噴き出るのを感じた。

ドンッ!
誰かが向こう側から扉を叩いている。

ドンッ! ドンドンッ!! ダンッ!!
女は絶望的に笑っている。
血は広がっていく。


いやだ、開けたくない。
そう思っているのに、私の右手は震えながらドアノブに伸びていく。

ひんやりとした金属の冷たさを期待していたのに、
ドアノブはまるでついさっきまで誰かに握られていたかのように生温かく、人肌の温度だった。
それが妙に気持ち悪かった。

私の意志に反して、指はドアノブを握り、そして、ゆっくりと捻っていく。

637: 2014/01/18(土) 00:07:29 ID:0lUUQaMA



カチリ、と音がした。
そして、扉がゆっくりと開きだした。


アニ「あ……」

「『アニ』は戦士になり損ねて……何にも出来なかった半端者だ。
 その目で見て、思い出して。全部全部私たちの罪なのさ」
 
アニ「嫌だ……」


扉は勝手に開いていく。
向こうの世界が、だんだんと、視覚と聴覚と嗅覚でもって、
私に何かを、伝えようとして


アニ「見たくない……思い出したくない……知りたくない……」

アニ「……い」

アニ「いやだ……っ」

638: 2014/01/18(土) 00:08:39 ID:0lUUQaMA







――キキキイィーーーーーーーーーーーッ!!!



「こらーーーっ!!二人乗り禁止っ!!なにやってるの!?」

ベルトルト「うわあ!?」

ライナー「うおっ!! ……せ……先生」

アニ「………………え?」


甲高いブレーキ音が耳を劈いたかと思うと、私は再び空の下、
ライナーの大きな背中を目の前にして自転車に跨っていた。

何が何やら理解できないが、さっきのは白昼夢ということでよかったのだろうか。
それにしては現実感がありすぎた。
長距離を全力疾走した後みたいに、私は全身に汗をかいていた。
ごくりと唾を飲むと、驚くほど口の中が乾いていて、ただ茫然としていた。

639: 2014/01/18(土) 00:09:46 ID:0lUUQaMA



ペトラ「うちの生徒の制服着てる男女が二人乗りしてるなって思ったら、あなたたちだったのね」

オルオ「卒業した途端はしゃぎやがって、ガキめ……」

エルド「まあ警察に見つからないうちにやめとけよ」

グンタ「なんでそんなに急いでるんだ?」

ライナー「俺たち、あと15分で××駅まで行かなくちゃいけなくて!!」

ベルトルト「後で謝るので今だけ二人乗り見逃してくれませんか!?」

オルオ「15分で自転車でその駅まで行けるわけねえだろ。お前ら阿呆か」

ベルトルト「そ、それでも、行かなくちゃいけないんだ」

ライナー「こいつを……送るために」

640: 2014/01/18(土) 00:11:41 ID:0lUUQaMA



ペトラ「え……なに、訳あり?」

グンタ「よく分からんがとりあえず、エルドの車がワゴンでよかったな」

エルド「だからいつも言ってるだろ?大は小を兼ねるってさ」


車のドアが横にずれていくのを、私たちはぽかんと眺めていた。


エルド「俺の愛車だからな――汚すんじゃないぞ。車検持ってったばっかりなんだからな。
    ……なにしてんだ?さっさと乗れよ」
    
ベルトルト「え?……え?」

エルド「急いでんだろ?」

エルド「送っていってやるよ」

641: 2014/01/18(土) 00:20:55 ID:0lUUQaMA



エルド「え?なんだ、空港まで行くのか?じゃあ駅まで行かずにこのまま車で行っちまった方が速い!
    もしかして誰かの見送りか?…………エレンの?飛行機の時間は?」
    
エルド「なにっ!?じゃあ急がねえとな……!おい全員シートベルトしっかり締めてるな?」

エルド「舌噛むなよ。とくにオルオ」


言うが早いが私の体は座席に押しつけられて、一瞬で肺の空気が全て抜けた。
ベルトルトは窓に頭をぶつけていた。「み゛ッ」オルオ先生の口から血が噴き出した。


ペトラ「ああああああああっ! ちょっとエルド安全運転心掛けてよね!?生徒の前なんだからっ」
    
エルド「その生徒のためなんだから仕方ないだろ!?」

グンタ「勘弁してくれよ……うおえッ! 酔いそうだ」

642: 2014/01/18(土) 00:22:11 ID:0lUUQaMA


窓の外を景色が飛ぶように過ぎ去っていくのを、目が回りそうになりながら見ていた。
吐きそう。


ペトラ「それにしても、空港までエレンを追いかけるって、もしかしてもしかする展開なの?」

エルド「しゃべるな!舌噛むぞ!!」

ペトラ「空港で告白なんてロマンチックね……!」

オルオ「ペトラはそういうのに憧るぇ゛ッッ」


車の運転が原因ではない気持ち悪さが胃のあたりに渦巻いているのが分かった。
さっきの白昼夢が忘れられなくて、まだ心臓が変に脈打っている。


アニ「……でも私に、そんな資格…………ないんじゃないかって」

ベルトルト「? アニ、何言っているんだ?」

アニ「……」

643: 2014/01/18(土) 00:23:56 ID:0lUUQaMA


ペトラ「資格なんて、いらないでしょ?」


助手席から身を乗り出したペトラ先生が、バックミラーに映るエルド先生が、
振り返ったグンタ先生と、口元をハンカチで拭っているオルオ先生が、にやりと笑った。
見たこともないほど楽しそうな様子で。


オルオ「お前らみてぇなガキはガキらしく何も考えずにやりたいことやりゃいいんだよ……」

アニ「……」

グンタ「俺もそんなドラマみたいなことしてみたかったぜ。
    好きな女の子追っかけて空港に走る! いいねえ」
    
エルド「そんなこと言ってないでグンタはさっさと彼女作れよ」

644: 2014/01/18(土) 00:24:35 ID:0lUUQaMA



言っていいのだろうか。
私が……
アニが。


ペトラ「当たり前でしょ?」

ペトラ「ていうか、今言わなくていつ言うの!」

ペトラ「言わなくちゃ。アニちゃん」

ペトラ「大丈夫。あなたならちゃんと言えるよ」


アニ「……」

「……はい」私は頷く。
拳をぎゅっと握りしめる。

645: 2014/01/18(土) 00:26:40 ID:0lUUQaMA






――――――――――――――――




「……ハァ。行っちゃった」


液体はどんどん扉から溢れて小さなその部屋を満たす。
女の膝から下は既に液体に飲みこまれていた。
いずれこの部屋全て満たされることだろう。


「……まあいいか」

「それなら……私が、ここにいる私が全て、背負うよ……」

「あんたは……言えばいい。あいつに、全部さ」

646: 2014/01/18(土) 00:28:40 ID:0lUUQaMA



燭台は血に流され、ろうそくが倒れて灯りは消えた。
ただ水音に耳をすませて女はその青灰色の瞳を閉じた。


「あーあ」

「……羨ましいな」

「私もあんな風に生きてみたかったよ」

「言いたいことは言って、隠しごともしないで、使命なんて持たないで
 戦士にも兵士にもならなくて、どうでもいいことに真剣に悩んだりして」
 
「……誰かを好きになって……」

「そんな風にさ…………」

「まあいいや。全部、そういうのは、あいつにくれてやろう。あいつも一応私なんだから」

「私は、ここで…………」


液体は女を全て飲みこんだ後、あっという間に部屋を全て満たした。
それから、静寂が訪れた。
――――――――――――――――――――――

663: 2014/01/26(日) 22:21:26 ID:f46u7HkY



私たちを乗せた車は急発進と急停車を繰り返し、
阿鼻叫喚の様を車内に展開させながら
違反ギリギリのスピードで灰色のコンクリートの上を滑走し続けた。
エルド・ジン、彼は実に楽しそうだった。

それからシートベルトの有難みを身をもって体験する時間が何十分経過しただろうか。
「ついたぞ!!」運転手が鬨の声を上げたがその4文字がぐるぐる頭の中で回るだけだった。

ツイタゾ……って……なんだっけ



オルオ「だめだこいつらグロッキーだぞ」

グンタ「ペトラ、ビンタ!」

エルド「ギリギリ間に合った! ほら行って来い!」


礼を口からなんとか排出して、地獄と書いて車と読む箱の中から飛び出す。
人々に引かれて、通路をガラガラ鳴きながら流れて行くトランクケースを飛び越え飛び越え、
(吐き気と戦いつつ)私たちは駆けて行った。

664: 2014/01/26(日) 22:25:45 ID:f46u7HkY

―――――――――――


グンタ「あいつら間に会ったか?どう思う」

エルド「間に会ってるといいけどな。なんだか3人とも具合悪そうだったし、少し心配だな」

オルオ「言っとくが……百パーセントお前のせいだぜ、エルド」

ペトラ「こういうのは間に会うって相場が決まってるのよ。間に合わなきゃ嘘よ、嘘」

グンタ「なんだそりゃ」

ペトラ「いいわね、若いって。青い春ねぇ」

オルオ「……ふん……馬鹿言え。春どころじゃねぇ。青い夏だ。気をつけねぇと火傷しちまうぜ



ペトラ「……」

オルオ「おい。なんとか言え。せめて反応しろ」

665: 2014/01/26(日) 22:27:17 ID:f46u7HkY



グンタ「オルオの言ってることがよくわからんが、まあ、なんだ。とりあえず、急いで戻ろうぜ。俺たちの用事が……」

ペトラ「……あっ!そうだった、私たちも急いで帰らないと!」

エルド「……!!まずい!もうこんな時間かっ……!! よし歯ぁ食いしばっておけよ!!!!!!!」

ペトラ「ちょっもしかしてまた……あーーーーーーーーー……………………」


――――――――――――

666: 2014/01/26(日) 22:28:36 ID:f46u7HkY


走るうちに煩わしくなったマフラーを引きちぎりそうな勢いで首から外して
はずむ息を抑えながら、視線を巡らせる。

もうこの先へは見送りをする人が立ち入ることはできない。
人とトランクがひしめくだだっ広いロビーで、エレンの姿を探した。
いない。いない。どこにも見当たらない。

あいつの馬鹿でかい声を聴こうと耳もそばだてたが、一向に効果はない。
いっそ誰かと喧嘩でもしてくれてたら見つけやすいのに。


ライナー「文明の利器を使おう」

つまり携帯電話のことだが、確かに一理ある。21世紀を生きる我々がこの便利な機械に頼らない術はない。

ライナー「つながらん!あいつ電源切ってやがる!気が早い奴だな!!」

何が文明の利器だ。この役立たずの鉄くずめ。肝心な時に。

667: 2014/01/26(日) 22:30:39 ID:f46u7HkY



ベルトルト「じゃあミカサとアルミンは?二人は空港まで見送りに行くと言ってたはず。かけてみるよ!」

そうだ、二人なら電源を切るわけがない。私とライナーはほっと一安心する。

ベルトルト「……なんか全然繋がらないな!?電源は切ってないみたいなんだけど、着信に気づいてないのかも」

なるほど、機械なんぞに頼った私たちが馬鹿だった。ノーモアセルフォン。シット。


アニ「あんたら背が無駄にでかいんだから遠くまで見えるでしょ?」

ライナー「いや俺たちだって探してるが……」

ベルトルト「こんなに広いんじゃあ……」


ふざけるな、覚悟決めてここまで連れてきてもらったのに、言わずにすごすご帰ることなんてできるか。
仇敵を見つけ出すつもりで目を皿にした。こうなったら何が何でもエレンに会う。会ってやる。
ざわざわとまるで一つの生き物みたく蠢く周囲の雑音に急かされるようにして、ロビー中を探しまわった。

668: 2014/01/26(日) 22:32:04 ID:f46u7HkY


一分、また一分と時が過ぎていく。焦りはつのる。怒りもつのる。
このままではエレンに会った瞬間、思わずうっかりたまたま偶然蹴り飛ばしてしまいそうだ。

エレンの乗る飛行機が離陸する時間を、ライナーとベルトルトは知っていた。
出国する者はセキュリティチェックやら出国審査やら諸々の手続きのため、
大体1時間くらい前には向こうのゲートを越えなくてはならない、らしい。

間もなくその1時間前の時刻が迫ろうとしていた。
ロビーの人は減るどころかどんどん増えていき、ますます人探しをするのが困難になっていく。

1時間をきった。
やがて50分前になり、さらに45分前。
もうこうなれば最後に顔を見て「元気で」とか「頑張れ」とかそんな一言だけでも言えればいいやと思い、
ゲートの前で待機してみたりもしたが、一向にエレンは現れなかった。

出発30分前……時計は慈悲もなく進んでいく。昨日や明日と同じように。
もう絶望的だと言ってもよかった。

669: 2014/01/26(日) 22:33:26 ID:f46u7HkY



それでもなおエレンを探そうとするライナーとベルトルトの二人に「もういい」と言った。
何気なく、いつも通り素っ気なくと心掛けたつもりだったが、言葉尻が微かに震えてしまった。
恥や無念や後悔や憤懣や自棄で二人の顔を見上げることができなかった。

まったく情けないったらありゃしない。


アニ「もういいよ……もう行っちゃってたんだ、あいつ。…………ありがとね。ここまで付き合ってくれて」

ベルトルト「アニ……」

アニ「こんな風になっちゃったのも、全部私が悪かったんだから、自業自得さ」


もっと早く私が決断していたら、こんな無様な結末を迎えずに済んだのである。
二人を巻き込んで、四人に手助けしてもらって、なのに何も伝えられなかった。
沈黙する二人に耐えきれず「帰ろう」と言おうとしたが、妙に喉の音がツンと痛くて
腕を引っ張ることでその意思を示した。二人は何も言わずついてきた。

670: 2014/01/26(日) 22:34:34 ID:f46u7HkY



体の芯は燃えるように熱いのに、表面はじっとりと冷たくて
泣きたくもあるし謝りたくもあるし怒りたくもあるし
我ながら変な身体・精神状態にあるなと思った。

あーあ。
だめだったよ。
ごめんなさい。
最悪。


アニ「…………離陸する飛行機だけでも見ていい?」

かなり未練たらしい女だと自嘲する。でももうそれだけでいい。
二人は頷いた。神妙な顔をしていたので尻を蹴ってやる。勿論手加減をして。せめてもの優しさだ。
絶対痛くないはずなのに二人はおおげさに声を上げた。


アニ「……飛行機を見たら、帰ろう」

今度は声を震わせずに、言えた。

671: 2014/01/26(日) 22:36:48 ID:f46u7HkY



方向転換するために、まず右足を半歩引く。
それから自分のローファーのつま先に視線を落としながらターンした。
前髪が微かな風圧でふわりと浮いて、景色が180度回転した後、無事に元の位置に戻る。
視界の両端に金のカーテン、それがいつも私が見ている世界だ。

その世界のど真ん中に、エレンが立っていた。


エレン「……お前らこんなところで何やってんだ?」

瞬きの合間にジロジロと不躾に投げつけられる視線。
私たちも目の前にいる男が夢幻の類ではないかと、疑惑と不信を思いっきりぶつける。

大きな黒色のトランク。エレンの後ろから顔を覗かせたミカサとアルミン。本物だ。


アニ「なんで……あんたこそ、ここにいるの」

エレン「なんでって、今日あっちに行くから、飛行機に乗るために空港に来た」

アニ「そうじゃない!」

672: 2014/01/26(日) 22:38:34 ID:f46u7HkY



けろっと応えるエレンの姿を見た瞬間、言い知れぬ怒りがフツフツと沸いてきて地団太を踏んだ。
床にやつあたりしているとアルミンが察したのか、
この「何故かエレンが飛行機に乗っておらずまだロビーに悠々と居座っている現象」の説明をしてくれた。


アルミン「あー、エレンの乗る予定だったフライトだけ、ちょっといま出発時刻が遅れているんだ。
     予定進路の天候があんまりよくないみたいで」
     
アルミン「だから僕たちとエレンのおじさんとおばさんで、近くの店で食事してたんだ。
     で、今ロビーに帰ってきたところ」
     
ライナー「そういうことだったのか」

ベルトルト「なんだ……」


もう怒りを通り越して脱力の域にきていた。
私は笑った。力ない空笑いだった。

673: 2014/01/26(日) 22:40:08 ID:f46u7HkY



「なんで3人が3人とも電話にでないんだ」これだけは文句を言ってやりたかったので、そう不平を述べると

彼らは携帯電話のディスプレイを見て「あ、着信がある」と異口同音あーーーーあんたらほんっともーーーなんなの馬鹿なのこちとらどんな思いで私が馬鹿みたいじゃないかそうだ私が一番馬鹿だ笑え畜生この野郎「あはは、全然気付かなかったや」「俺なんて電源切ってたわ」じゃないんだよ朗らかに笑うなムカつくミカサも横でほほ笑むなあんたもだあんたも同罪だこのズッコケ3人組が……!

脱力を通り越して再び怒りに戻ってきた。忙しいメーターである。


ミカサ「……それで、3人はなにをしに空港へ?」

ミカサが問う。私が答える。

アニ「ちょっとこのボンクラに話があって」

エレン「ボンクラって、誰だ」

アニ「あんたのほかに誰がいる」

674: 2014/01/26(日) 22:42:18 ID:f46u7HkY



エレンの顔を真正面から見つめ、またエレンの視線を真正面から受け止めたのは久々だった。
それはペトラ先生が言うように「ロマンチック」なものでは全然なく、
むしろ宣戦布告の緊張感を孕んだ殺伐としたものだったが
それでも、……まあ……強いて表現するなら嬉しかった。

いや、素直に、ただ嬉しかった。

言うと決めたことを自由に言えることが、
人への思いを言葉に乗せて届けられることが、その権利が、
そしてそんなことをしたいと思える誰かが私にいることが
とても幸福なことだと思った。

675: 2014/01/26(日) 22:43:50 ID:f46u7HkY

―――――――――――――――

ミカサ・アッカーマンとアルミン・アルレルトは予想と髪の長さについて話し合う。


ミカサ「……来るだろうとは思っていた」

アルミン「そうかい?僕はまさか空港に来るとは思ってなかったなぁ」

ミカサ「きっとこうなるって私は思ってたよ」

アルミン「……ミカサはすごいね」

ミカサ「ううん。…………髪を……切ろうかと思うのだけど、どのあたりまで切ればいいと思う?」

アルミン「えっ、切ってしまうの?」

ミカサ「なんとなく、そうしたい気分」

アルミン「そう。……うん、いいんじゃないかな。短いのも似合うと思うよ。肩くらいまで切ってみたら?」

ミカサ「そうする」

アルミン「もうすぐ、暖かくなるしね。春らしくて似合うよ。きっとみんな、驚くだろうな」

ミカサ「そうだね。……もう少しで、春になる」

ミカサ「……春に」

676: 2014/01/26(日) 22:45:29 ID:f46u7HkY


ライナー・ブラウンとベルトルト・フーバーは夢を見ている。



ライナー「なんとか……間に合ってよかったな」

ベルトルト「本当にね。なんだかどっと疲れてしまった。主に精神的に」

ライナー「ハハ。まあ、でも、楽しかったな」

ベルトルト「楽しいもんか。エレンに会えたからよかったものの」

ライナー「全く嘘みたいな偶然だったな、飛行機が遅れてたなんてよ。
     本当嘘みたいで……」
     
ライナー「……」

ベルトルト「ライナー?どうしたんだ」

ライナー「たまによ、全部夢なんじゃないかって思う時があるんだよな」

ライナー「朝起きて学校に行って授業を受けて、飯食ってお前らと冗談言いあって
     なんてことのない普通の生活が全部夢で、いつか目が覚めるときを待ってるんじゃないかって」

677: 2014/01/26(日) 22:47:08 ID:f46u7HkY



ライナー「……ははは、なに言ってんだろうな俺は」

ベルトルト「これが夢なんだとしたら一体誰の夢なんだい」

ライナー「さあな。俺のかもしれないし、お前のか、アニのかもしれん。
     ひょっとしたら俺たち全員が見ている夢なのかもな」
     
ライナー「は……笑ってくれていいぜ。俺も自分が何言ってるか分かってないんだ」

ベルトルト「笑ってやるよ。馬鹿だな、ライナー。変なこと言いださないでくれ。
      これが夢だなんてあるわけないだろ。僕たちはいつでも、帰りたい場所に帰れるんだ……」
      
ライナー「故郷に」

ベルトルト「そう、僕たちのあの街に」

ライナー「だな。世界中どこだって行けるんだ。エレンの奴みたいにな」

ベルトルト「そうさ」

678: 2014/01/26(日) 22:48:33 ID:f46u7HkY


ベルトルト「それにさ、僕は思うんだ」

ベルトルト「夢だったとしても、いいじゃないか? 楽しい夢なら」

ライナー「……そうだな。夢も現実も大して変わりゃしない」

ライナー「どっちだろうが生きるだけだ」
     


――――――――――――――――――

679: 2014/01/26(日) 22:51:05 ID:f46u7HkY



さっきまでかけずり回っていたロビーが陽とするならば
今私とエレンがいる自動販売機と簡素な連結ソファーだけが佇むこの場所は陰だ。

心なしか照明も暗い。ロビーとはそんなに距離が離れていなかったが、
こんなじめっとしたところで別れの前の言葉を交わしたがる連中もそういないだろう。

まあこんなところを告白の場に選ぶ私のセンスもなかなかのものだった。


エレン「で、なんだよ、話って」

アニ「……。あんたさ、もっと色々察してくれる?普通分かるでしょ」


私が私ならエレンもエレンだった。そんな喧嘩腰で切りだされたらこっちも喧嘩腰でやり返したくなる。
「わかんねーよ」エレンが歯をむき出した。本当に分かってない様子。

私はエレンのそういう礼儀に期待するのを止めた。見限った。
なんでこんな奴のこと、ここまで追いかけてきたんだか。私も馬鹿だ。こいつも馬鹿だ。

680: 2014/01/26(日) 22:52:40 ID:f46u7HkY


E 35
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人気のないスペースで俺とアニはソファーに腰をおろしていた。
自動販売機の稼働するブーンという音が嫌に耳につく、と考えていたのだが
実を言うと数秒前から己の心臓が活発に活動している音で、そんなものは優にかき消されていた。


アニ「……。あんたさ、もっと色々察してくれる?普通分かるでしょ」


まさかな、と一瞬思い浮かべた言葉を嗤う俺が脳みそにいて
まさか?と無謀にもアニの台詞に期待めいた感情を持ってしまった俺が心臓にいる。

隣のクラスの連中まで見送りに来てくれた駅で、アニがいなかったことに落胆を感じなかったと言えばうそになる。
でも、まあ、仕方ないなと納得していた。というか前日から予想していた。
予想が的中しただけのこと。

681: 2014/01/26(日) 22:55:17 ID:f46u7HkY


だけどアニとライナーとベルトルトが空港のロビーにいることは予想できなかった。できるわけなかった。
しかも今まで俺を避けていたアニが前みたいに真っ直ぐ俺の目を見て話していて、
なら俺も今まで通り普通に話せばいいだけなのに、それが久しぶりすぎて以前の自分がどう話していたかが思いだせなかった。

……どう話すも何も、何にも飾らず思ったことを言えばいいだけだろ。普通に。
ただそれだけのことがどうにもままならない(とりあえず喧嘩腰だった気がするのでそうした)。
むしろアニの目を見つめ返すことすら、この二人と自動販売機しかない空間では難しい。

こんな女々しい俺が俺の中にいたのかと思うと無性にあっちの窓ガラスに頭を打ちつけてやりたくなる。
そうすればこの訳の分からない状態も収まるだろうか。


エレン「そういえば、高校合格したんだってな」

アニ「まあね。……おかげさまで」

アニの付け加えたことがよく分からなかったが、それはともかく「おめでとう」と言った。
珍しく素直に「……ありがと」と返ってきたので目を剥く。

682: 2014/01/26(日) 22:56:59 ID:f46u7HkY



エレン「お前、そんなしおらしかったっけ? 毒でも飲んだか」

アニ「今すぐあんたを空港の医務室に運んでやってもいいんだよ」

エレン「や、やめろ。冗談だ。マジになんなって」

アニ「……あんたも、おめでとう。受かったんだ。やればできるじゃないか」


喉の奥でくぐもった声が、というより音が鳴った。
裏もなく純粋にそう褒められると、憎まれ口も喧嘩腰も効力を失い、
ただもごもごと「まあな」とか「そうだな」とかはっきりしない返事をするしかない。

くそ、調子狂うな。これならいっそアニに一発蹴りを入れてもらった方がよかったのかもしれん。
チラリとアニを盗み見るとちょうどアニもこちらを窺ってたようで
音が鳴りそうなくらいばっちり視線がかちあった。

脊髄反射ばりの速度で俺は視線を逸らす。アニも同様に俺から目を離――
――いや離さ……ない!? 貫通するんじゃないかってくらいの視線を顔の左半分全体に感じる……!?

683: 2014/01/26(日) 22:58:38 ID:f46u7HkY


左半身だけ異様に体温が上がり汗をかいている、気持ち悪い状態の俺
そしてアニが俺を見て、俺は向かいの直立不動で立っている自動販売機を仕方なく睨み上げているという気持ち悪い構図

一体何が起きているというのだ、この暗い空港の片隅に。
なんだよ逸らせよなんなんだよ!?アニの目力は半端じゃない。
この圧迫感といったら俺の表現力では到底描写できない。


「あんたとこうして話すのも、なんか久しぶりだなって思ってさ」
声のトーンが少しだけ高い。それから吐息がひとつ。笑ったのだろうか。


エレン「……お前が避けるからだろ」

アニ「悪かったって思ってるよ。でも私だって色々考えてたんだ」

エレン「いや、アニが謝ることじゃないな。……俺か」


そりゃ友人未満の男に、あんなこといきなり言われたら誰だって避けたくもなるか。
俺は生憎デリカシーというものを持って生まれてこなかったようだから、そういう機微に疎いのだった。
その点は昔から何回も言われているので自覚はある。
やっと自動販売機から視線を剥がして、アニに向ける。そして謝った。

684: 2014/01/26(日) 23:01:12 ID:f46u7HkY


何が、と訊かれたので答えた。


エレン「あの時、海に行った帰りのことだけど、本当は聞こえてたんだろ?俺が言ったこと」

気持ち悪いだとかウザイだとかそういう罵倒も甘んじて受けてやろうと、
神妙に、けれども精神にダメージが行きすぎないよう腹に力を入れて待っていた。

しかし降ってきたのはアニのあっけらかんとした声で、


アニ「……?……ああ、あのとき。いや、聞こえてなかったけど。そういえばなんて言ってんたんだい」

エレン「もういいって、ここに来てそんな演技しなくていい。思ったこと全部言っていい、俺もその方がすっきりする。
    大体お前、相手のこと考えて言葉にしないとかそういうタイプでもないだろ」
    
アニ「は、だから聞こえてなかったんだってば。思いだしたら気になってきた。教えてよ」

エレン「だからもういいんだって!!いっそひと思いにやってくれた方がいいって言ってるだろ!?」


とことん強情なままのアニに俺もイライラしてくる。
なんでそこまで意地を張る?嫌いだから俺のことを今まで避けていたんだろう。
白黒はっきりつけないままで異国へと旅立つのは嫌だった。きちんと言ってほしい。それで全部諦める。

685: 2014/01/26(日) 23:04:25 ID:f46u7HkY



エレン「言えよ!別に怒らないから――言えって!」

アニ「じゃあ言うよ!」


アニは目じりを怒った猫の尻尾みたいにピーンと釣りあげると、ソファーからさっと立ちあがった。
俺は激情燃え盛るアニの瞳に見下ろされて固まった。まさか立つとは思わなんだ。

姿勢を整えたということは蹴り……もしくはビンタ……もあり得る。警鐘が鳴った。
――が、もういい、全部受けてやる、何でも来い。警鐘のスイッチを切った。


アニ「よく聴け。一度しか言わないよ」

エレン「おう、来いっ!!」


上からガシリと両手で肩を押さえこまれる。肩の筋肉に指が食い込んだ。
これはサンドバックも視野に入れなくてはならない。

686: 2014/01/26(日) 23:06:12 ID:f46u7HkY



アニ「あんたのことが…………」


アニは鬼のような怒りの表情でその言葉を続けた。
ちょうど鼻先5cmのところにある唇が、そしてその奥に並ぶ白い歯が、赤い舌が強張る。

それらは一度だけ戸惑うように震えた後、再び歪み、冷たいナイフを生み落とそうとしていた。
俺は凶器が心臓に突き刺さる瞬間を、息を飲んでじっと待ちうける。

しかし、いつまで経っても血が出ない。
引き裂かれる痛みも、ズンと重い押しつぶされるような痛みもない。
ただあったのは衝撃と混乱だった。


アニ「好き」





……ん?

687: 2014/01/26(日) 23:07:42 ID:f46u7HkY


呆然。瞬き。理解。疑問符。
……瞬き。


エレン「……?……??」

アニ「好き。あんたが。それを言いにここまで来た」

エレン「え?いやお前……冗談よせよ。なに言ってるんだ。……本気か?」

アニ「本気じゃなかったら、こんなところまで追いかけてきたりしないし。そこまで暇じゃない」

エレン「だってお前、あのとき俺がお前のこと好きだなんて言ったからドン引きして、あれから俺のこと避けたんじゃなかったのかよ!?」

アニ「違うけど…… え。あんた私に告白してたの? いつ」

エレン「!?」


俺は悟る。アニは演技などしていない。本当にあのとき、電車の音でアニの耳に俺の声は届いていなかったのだ。
つまりどういうことかと言うと……端的にまとめると……全部俺の早合点だったということだ。

688: 2014/01/26(日) 23:09:36 ID:f46u7HkY



じゃあ俺は嫌われてなどいなくて、勝手に一人で納得して落ち込んで開き直っていたのか。
むしろその逆で、今アニは俺になんと言った?

想像してみてほしい、裸で氷水に投げ込まれようとしている奴が、今か今かと待ち受けていたら
次の瞬間その身を包んでいたのが温水だった気持ちを。

驚愕なんてもんじゃない。


エレン「じゃあなんであんなに俺のこと避けてたんだよ!?」

アニ「……それは」

エレン「待て、ちょっと一旦離れろ」


驚愕が理解に変わったとき、遅ればせながら俺の顔面の神経が機能し始めたらしい。
顔どころか体中あちこち熱をもったように火照っている俺とは対照的に
アニはほんのり頬を赤らめているが、歴戦の戦士のように毅然としている。

おかしい。普通立場が逆ではないだろうか。

689: 2014/01/26(日) 23:11:09 ID:f46u7HkY


「ここに来るまでに散々苦労したんだ。覚悟なんかその中でとうに決まってた」
アニはきりっとした表情で俺を見下ろす。だから逆だと。


アニ「あんたを避けてたのは……まあ私なりに葛藤があったってことだね。あんたのこと好きだなんて認めたくなかったし」

エレン「てめえ……俺だってな、好きでアニのこと好きになったんじゃ――、……ん?」

アニ「本当はもっと早く気づいていればよかったよ。とにかく今日は、あんたの返事は本当どうでもいいから、
   私がこのことを言いたかっただけだったんだけど」
   
アニ「……けっこう、嬉しいもんなんだね。同じ気持ちを返してもらえるっていうのはさ……」

アニ「ありがとね」

エレン「……いや、俺にもちゃんと言わせてくれよ」


アニに負けじと立ちあがる。身長差が逆転して一気にアニが小さくなる。
チビだなんて言って怒らせたときも、蹴り倒されたときもあった。今ではいい思い出だ。

690: 2014/01/26(日) 23:17:43 ID:f46u7HkY



エレン「俺もアニのことが好きだ」

エレン「……あー、アニもそう思ってくれてたって知ってすげぇ嬉しかった」

アニはゆっくり頷いた。
再び顔が上がるのを見届けて、続ける。


エレン「……でも、俺、知ってると思うけどあんまり器用じゃないんだ。
    一つのことに夢中になったらそのことしか頭にないっつーか」
    
エレン「要領がきっと悪いんだな。二つ同時に進められないんだ。どっちが大切かっていうんじゃなくってさ」

エレン「……だからごめん。アニ」

俺は右手をアニに差し伸べた。
友人として握手で終わりにしようと思って。

691: 2014/01/26(日) 23:19:17 ID:f46u7HkY



アニはじっとその手を見たのち、力強く握ってきた。
体温が伝わる。暖かく小さな手だった。
ただ、何故かだんだん握られる力が増していってるような気がする。


アニ「そんな風に言うとは思わなかった。あんたにしちゃ……まともな決断だね。
   知ってるよ、あんた単細胞だもんね」
   
エレン「いってえよっ!!離せ、握手だっつってんだろ!!」


右手の五指があらぬ方向に曲げられようとしている。
前にもこんな体験をしたことがあるが、まさか二度目があるとは思わなかった。


アニ「……でもこっちだって、あんたにそんな期待してないから。
   むしろそのままでずっといればいい……んじゃないの……?」
   
エレン「え?」

アニ「あんたのそういうところがいいなって思ったし、そういうところ見て
   私も……何かしてみようかなって気になったから」

692: 2014/01/26(日) 23:20:50 ID:f46u7HkY


アニ「世界はそう簡単に変えられないし、多分ずっとこのままなんだろうけど」


遠くから俺の名前を呼ぶ声がする。父さんだろうか、アルミンたちだろうか。
飛行機の離陸準備が整ったらしい。もう搭乗できるとのことだ。


アニ「でも自分は変われるんじゃないかって……あんた見ててそう思ったから。
   だからあんたはずっとそのままでいればいいよ」
   

投げやりにかけられた言葉が、旅立ちのほんのわずかな不安や寂しさを溶かした。
これから行くところがどんなところだとしても、俺は今のこの気持ちを思い出してなんとかやっていこうと思えた。

693: 2014/01/26(日) 23:24:33 ID:f46u7HkY



「私、変われると思う?」アニが問う。
ロビーのアナウンスと人々の足音が背後で音量を増している。そろそろ行かなくてはならない。

「お前が変わりたいんならいつでも変われるだろ」俺は頷いた。
アニは一瞬目を細めた。


エレン「……頑張れよ」

アニ「あんたもね」


一拍置いたのち、アニは我に返ったように視線を逸らした。

アニ「なんか……らしくもないことばっかしてる気がする。……ハァ」

エレン「じゃあ最後くらい俺たちらしくするか」

694: 2014/01/26(日) 23:26:57 ID:f46u7HkY


アニが唇の端をちょっと上げて笑う。俺もつられて笑った。
「そうだね、湿っぽいのなんて性に合わない」


アニ「じゃあね、単細胞野郎。せいぜい頑張んな。こっちで応援しといてあげるよ」

エレン「じゃあな、チビ。俺もお前がやりたいこと、あっちで応援してやるよ」


パシンと右手と右手の平を打ちつけ合って、それが別れの合図だった。

足取りは軽く、衣料や生活品がつまったトランクさえも羽毛のように感じられた。
大きなガラスの向こうの滑走路に、そしてその果てに広がる、気の遠くなるほど広大な宇宙に思いを馳せる。
それに比べたらなんて小さな自分がここにいることだろう。

でもそんな自分を応援してくれている奴がいるのだから、
俺は、俺が矮小だろうが無力だろうが馬鹿だろうが単細胞野郎だろうが、
それでも我武者羅に頑張ってみようと思えるのだった。

695: 2014/01/26(日) 23:29:10 ID:f46u7HkY


A 36
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白い飛行機が蒼穹を割って進んでいく。
地平線の遠く、まだ私が見たことのない異国の地へ颯爽と。
彼が右手に持っている夢はそこで何色に輝くのだろうか。


いや、彼だけではない。
空の下、轟音とともに離陸した飛行機を仰ぎ見ている彼らの手にだってそれはあるのだろう。
ミカサ、アルミン、ライナー、ベルトルト、そしてこの場にいない奴らにだって。


私も、いつか。私だけのそれを、拾い上げるために。
何分今まで虚無主義を生きていたから、少しは苦労するかもしれないけど、

次エレンに会う時にあいつばっかり大成していたら腹が立つので
私もそこそこ頑張ってみようかと、ようやく重い腰を上げたところである。


そうだ、まだまだこれから。これから何かが始まるのだ。

696: 2014/01/26(日) 23:33:23 ID:f46u7HkY


Last
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ついさきほど驟雨が上がったばかりだと言うのに、もう路地では子どもたちがふざけ合って遊んでいた。
アニ・レオンハートは自分のそれとは少しだけ違う子どもたちの肌の色に目を止める。

数着の着替えと最低限のグッズを適当に放りこんで、
整理整頓をすることもなく蓋をしめたトランクを、彼女は後ろにゴロゴロと引き連れていた。

子どもたちの一人が、路地を震わせるその音に気付いてアニを注視する。
もう一人は彼女のことなど気にとめた風もなく、改良に改良を重ねた自慢の紙ヒコーキを宙に飛ばしていた。


――と、突風が吹き、それはアニのさらけ出された白い膝小僧のあたりまで流される。
まだ湿っている地面に墜落する前に彼女の手がそれを救った。


「ありがとう!」

「どういたしまして」まだ発音しなれてない異国語でそう返した。
ついでとばかりに、道を尋ねる。すると子どもたちが目的地まで案内してくれることになった。

697: 2014/01/26(日) 23:38:55 ID:f46u7HkY



「じゃあお姉さんは本物のヒコーキに乗って、ここまで来たの?」

「すっげー」


ここの夏はあちらと違って、カラッと乾いた陽気が心地いい。
その分日差しがきついと聴いていたので、空港で適当にキャップを購入しといて正解だった。

燃える太陽に透き通る海が映えている。
アニは子どもたちに連れられて、遠くに息づく海に視線を馳せると眩しそうに目を細めたのだった。

698: 2014/01/26(日) 23:41:56 ID:f46u7HkY


* * *


アニは高校生になった。
まだ固いシャツに、紺色のブレザーとスカート、それからソックスを身につけて
朝ごはんを食べて駅まで行って、電車に揺られて改札を出て、学校に登校する。

中学校より遠いので起床の時間は早まった。が、遅刻はいまのところしていない。


初めは新しい環境に気疲れもしたものだったが、数カ月もすればそれなりに慣れる。
なんてことはない、前と同じルーチンワークだ。

だがそれでも順風満帆な高校生活を送れているかと問われると、アニは即答できない。
悩むときもある。苛立つ時もある。傷つく時も。窮屈さに息がつまりそうな時もある。

この四角い真っ白な箱の中で、悩みの種は見つけようと思えば五万と見つけられる。

699: 2014/01/26(日) 23:48:15 ID:f46u7HkY



そんなときアニは屋上に上がる。誰かが壊した鍵を見て見ぬふりをして。
そしてエレンと行ったあの石階段の上の丘を思い出すのだった。


青色の透き通った天井の下で、誰よりも高い場所から小さな家や建物や人を見下ろして
しばらくしてからふうと一息つけば、どんな悩みもなんとかなるか、と思えるのだった。

馬鹿と煙は高いところが好きだと言うが、それならもうアニは馬鹿でいいと開き直る。


たまに空を横切る飛行機や、それに連なる雲を見ては、あの日のことを思い出す。
アニが町を眺めているときに、誰かが屋上の錆びついて恐ろしげな音をたてる扉を開けることもあった。

700: 2014/01/26(日) 23:49:56 ID:f46u7HkY


ミカサの風になびく短い黒髪。
アルミンが小説や哲学書のページをめくる音。
ライナーとベルトルトの間を行き来する白い野球ボール。

アニがカメラを取り出して、そんな彼らの姿をフィルムにおさめることもある。

この学校では部活動に属することが決まりとなっていたので、アニは写真部に入ることにした。
大体部活動が面倒な生徒は、活動がほとんどないとされる家庭科部とか茶道部に入る。
アニもそっちにしようかと考えていたのだが、掲示板で写真部のチラシを見たときに、やめた。

写真を撮るのが好きかどうか。自分に問いかける。
嫌いではない。好きだろうか?……好きだ。写真をとりたい。
その日のうちに写真部を訪れて入部届けを出した。

楽な流れに身をまかせるのではなく、好きだからやりたいことをやるというのは
単純なようでアニにとっては照れくさく、どれぐらい照れくさいかというと
それを知ったアルミンが「へえ、写真部か、楽しそうだね」と至って普通のコメントをして笑っただけなのに
「なに笑ってるんだ蹴りあげるぞ」と睨んで彼を竦みあがらせてしまったほどである。

701: 2014/01/26(日) 23:52:34 ID:f46u7HkY



写真に限らず、アニは自分の好きなものややりたいことを探している途中だった。
教科、色、食べ物、スポーツ、どのジャンルにおいても
そりゃあアニも人間なので好き嫌いはあったが、自覚がなかった。
だから彼女にとっては自分の心との確認作業を行っているようなものだった。

やりたいことも少しずつ見つけて、自分から働きかけることを心掛けるようにした。
部活動入部はその一歩だった。
まだ将来の夢は見つけられていない。リストアップの最中である。

いつも眠りに落ちる前のほんの僅かな時間の中で、アニは目を閉じて暗闇に数年後の自分を思い描く。
どんなことをしていたいか。何のために頑張りたいのか。

そのイメージはまだ不確かなもので、はっきりとする前に眠りに落ちてしまうこともしばしばある。
だけどそうすることでちょっとずつ変われたらいいとアニは思っている。

702: 2014/01/26(日) 23:55:13 ID:f46u7HkY


アニが物心ついたときから考えていたように
社会は重厚で、信じられないくらい絡まり合っていて、途方もなく固い。
でもきっとそんなことはみんな知っている。


電車の中でばったり会った、制服を着崩したジャン
対照的にきっちりかっちり制服を着こなすマルコ
会う度いつも頬いっぱいに食べ物を詰め込んでいるサシャ
同じく常に牛乳パックのストローを口に差しているコニー
運動部に入って、少し日焼けしたミーナ
学業の傍らバイトを始めて店の看板娘になったクリスタ
女子高でやたら同性に告白される、と困り果てているユミル(アニは鼻で笑ってやった)


多分みんなそんなこととっくに知っていながらも
でもやっぱり自分が大人になったらほんのちょっとだけ、自分の周りくらいは変えられるんじゃないかと
淡い希望と夢だけを武器にこの息苦しい世界の水底を生きているのだ。
多分。

703: 2014/01/26(日) 23:56:03 ID:f46u7HkY



きっと大丈夫だとアニは思う。
こらえ切れなくなったら数段浮上して息を吸いにここに来ればいい。
ただそれだけのことだ。


フィルムカメラではなく、携帯のカメラで皆がふざけ合っているところを撮影した。
時差は考えずに、本文が空欄のままエレンに送信する。

返事は、帰ってこない。
ここ最近電話もメールも返事がなかった。

704: 2014/01/26(日) 23:57:26 ID:f46u7HkY



「ねえ、ちゃんと携帯見てる?」

「一文字でいいから送ってよ。」

「おい。蹴りに行くよ。」

「ふつー全部無視とかあり得る?毎日メールしてる訳でもないのに。」


以上のメール全て返信なし。
アニは壁に携帯電話を叩きつけようとして、ちょっと考えて、ベッドに思いっきり投げつけた。
機械は鈍い音をたててはずむ。

確かにアニは空港で別れ際に、エレンに「そのままのエレンでいろ」とか
「別に私に構わなくていい」とかそのようなことは言った。
でもこれはあんまりじゃないのか。一文字返信する手間さえ惜しいのか、あいつは。

エレンの性格は知っているはずだったが、いい加減怒りを抑えるのに苦労するレベルまで来ていた。
アニはこれでも我ながら我慢強く耐えた方だと自負する。
窓の外を見た。小雨が朝からずっと降り注いでいる、じめっとした7月初旬。

「いいよ、あんたがその気ならこっちだって……」
ガラスに映った自分の顔に向けて、アニはフンと鼻を鳴らした。

705: 2014/01/27(月) 00:00:46 ID:RI/tKz9Q



物置の奥から、昔一度使ったきりのトランクを引っ張り出す。
もう少し大きめのがよかったが、まあ別にいい。

アニはそれから傘をさして近くのコンビニへ向かい、
店内においてある求人誌をめくった。短期バイト欄に目を滑らせる。
7月中旬に期末試験があるが、学業とバイトを両立させることなんてアニにとっては容易い。

試験が終われば、夏休みだ。
今はまだ雨ばっかり降っているが、これからどんどん暑くなるに違いない。

そう、また夏が来る。
アニはサンダルの底をカツンと打ちならした。

706: 2014/01/27(月) 00:03:09 ID:RI/tKz9Q



ライナー・ブラウンはアルミン・アルレルトと偶然学校の廊下で顔を合わせた。
試験期間がつい先ほど終了し、廊下でも教室でも、むしろ校舎の至るところで
教科書とノートと参考書から解放され浮かれまくる学生たちが歓喜の雄たけびを上げているところだった。

叫びはしないが二人も例にもれず、解放感でいっぱいだった。
表情にも声にも嬉しさが滲んでいる。


「夏休みだし、みんなでエレンのところに遊びに行かないかい?」

「いいな、それ」ライナーはアルミンの誘いに二つ返事で答えた。


資金調達のためにバイトでもしようか、エレンへの土産は何にしようか、
ミカサとベルトルトも合流して話はさらに盛り上がる。

詳しい話は、アニも入れて、後日またすることにした。
このとき4人はアニが放課後の学校にいないことを不思議に思うことはなかった。

707: 2014/01/27(月) 00:04:51 ID:RI/tKz9Q


数日後、ライナーは首をかしげた。
先日アルミンたちと約束した夏休みの計画について、アニも誘いたいのだが
これがなかなかどうしてアニが捕まらない。
あいつまで携帯を携帯しない病に罹患してしてしまったのかと苦笑する。


「……もしもし」
3回目の電話でやっと聞こえてきたアニの声に安堵する。

「やっと出たか。なあ、夏休みのことなんだけどよ、
 みんなでエレンのところに遊びに行かないかって話してて……お前も行くだろ?」

「そのことで一度集まって色々話そうと考えてるんだが、お前いつ暇だ?」


あと携帯には出てくれよ、と忘れずに念を押す。
アニは、あーとか、うーとか珍しく言い淀んでいた。
なんだ、俺の知らないうちにエレンと喧嘩でもしたのかとライナーは怪訝に思う。


しかし予想は大きく外れて、
ライナーは次のアニの言葉に手に握っていた携帯電話をポ口リと地面に落として、液晶画面に傷をつくることになる。



「悪いね。今から行くとこなんだ。エレンのところ」

708: 2014/01/27(月) 00:06:25 ID:RI/tKz9Q


* * *


エレン・イェーガーは吐きそうだった。
文句を、ではなく、実際の胃の中のあらゆるものを口から出してしまいそうだった。


このところアホみたいな量の課題に追われてまともな食生活をしていなかったことが所以である。
もともとそんなに上等なものを食べていたわけではなかったが、
さすがに賞味期限を無視しすぎたな、とエレンは舌打ちした。


体調不良に加え、おまけとばかりに携帯電話を池に落として壊してしまった。
直しに行かねばと思いつつも目先の課題に気をとられて、早数週間。

だが最後に残ったレポートも先ほど提出してきたばかり、
ようやくエレンは課題地獄から抜け出せ、人間界に帰ってくることができたのだった。



高く聳える校舎を見上げる。
最初は聴くのも話すのもぎこちなかった外国語も、半年ここで過ごせば大体慣れた。

709: 2014/01/27(月) 00:07:28 ID:RI/tKz9Q



もともと留学生が多い学校だったので、エレンの国籍が特に注目を浴びることはなかった。
浴びたとすればその気性の荒さと負けん気である。
エレン本人に言わせれば喧嘩はしていないし、粛々と過ごした方だったが、
拳を奮わなくても内に秘めたる激しい気性は隠し切れてはいなかった。


自分が不正だと思えば上級生だろうが教師だろうが、目をつりあげて食ってかかっていく。
犯罪者と書いて「人間に似てる獣」と読む。


クラスメートはエレンのことを「なんかすげー奴きたな……」と最初こそ遠巻きに見ていたが
徐々に彼と打ち解けていった。


もうひとつ彼には特筆すべきことがあって、それは目的のために努力を惜しまないという点である。
ひたむきに努力する様は勉強熱心なこの学校の生徒に好感を与えた。

710: 2014/01/27(月) 00:09:36 ID:RI/tKz9Q




エレンがこの学校に入学して驚いたことと言えば、課題の多さだ。
毎日毎日毎日毎日、課題は片づけても片づけてもどんどん机にたまっていく。


「なんだこれは」エレンは嘆いた。このままでは衰弱が待っている。


そして彼は気づいた。自分の要領が悪いだけなのだと。
器用な学生は自分と同じ量の課題でも、自分より早く終わらせている。

エレンはその器用さを見習い、要領よく課題を片付けようとした。
彼は頑張った。効率性を重視してみた。

そしてその結果が今の自分である。
エレンは廊下で出会った友人と肩を組みながら空笑いする。


全く己の不器用さと言ったら筋金入りもいいところだ。
鏡に映ったエレンの顔は隈がひどく、髪はボサボサ、眉間に皺が寄っていた。


こんな姿、あの小柄な青い目の彼女には絶対見せたくない。

711: 2014/01/27(月) 00:13:34 ID:RI/tKz9Q



しかしどんなに課題に忙殺されようが、エレンは満足だった。



エレンが住むアパートは、学校からは遠く離れるが海の近くにあった。
朝日に輝く海を見ながら登校し、夕日が水平線に沈むのを見ながら帰宅する。

海に限らずこの世界のきれいなものを、百年後も二百年後もきれいなまま残せるように
彼が初めて海を見たときのあの感情を、自分のずっと後の世代の子どもも持てるように
エレンは今、この地で勉強している。


海岸沿いを歩いて、故郷に繋がる空を眺めれば、疲労困憊でも何度だって立ち上がることができた。

要領は悪いし、頭だってそんなによくはないが、それを努力で補えば
きっと何かできるはずだと、自分を叱咤激励する日々だった。

712: 2014/01/27(月) 00:14:57 ID:RI/tKz9Q



海岸沿いを歩きながら、今日はこのまま携帯電話を直しに行こうかと考える。
もうエレンの学校も長期休暇に入っているし、幼馴染たちが通う学校もそろそろだろう。

エレンは夏季休暇中に帰省するつもりだった。
そのことで家族に連絡をとらなければならなかったし、友人たちにも会うために連絡をしたかった。

それからアニにも。

高校で写真部に入ったと言うアニに渡すために、エレンの部屋の壁には一枚の海の写真が飾ってある。
こっちに来てできた、カメラが趣味の友人に撮ってもらった、
エレンのアパートから見える海辺のフォトグラフ。


帰省するときに忘れずに壁から剥がさなくては。


荷づくりの段取りを頭に思い浮かべながら、額の汗をぬぐう。
故郷に比べてこっちの夏は湿気が少ないが日差しが強烈だ。
ペットボトルをぐいっと呷っていると、
堤防に沿って向こうから歩いてくる二人の子どもと少女の姿が視界に入る。

713: 2014/01/27(月) 00:15:56 ID:RI/tKz9Q


その瞬間エレンは唖然とした。
ペットボトルのキャップを閉めることを忘れ、その少女だけを見ていた。


「この海辺をね、まっすぐ行くんだ」子どもたちがはしゃいで言った。

「……あ」少女の目が帽子の鍔から覗く。


「……もう道案内はここでいいよ。ありがとね、助かった」



彼らが笑い声を響かせながら、もつれ合って道の向こうに小さくなっていくのを呆然と見まもっていた。
それから、信じられない思いでエレンは少女の名を呼ぶ。


「アニ?」


聞いたことのないチームの野球キャップに金髪を押し込めて、
ショートパンツからすらりと白い足を伸ばしたアニが、
ここにいるはずのない彼女が、エレンの手にある忘れかけていたペットボトルを奪うと
一気に飲みほして、その空容器で


エレンの左頬を思いっきり殴りつけた。

714: 2014/01/27(月) 00:17:16 ID:RI/tKz9Q



「いってええ!!?」

普通に殴っても痛くないはずのモノで、これだけの威力が出せるのかと
叫びつつエレンは感心した。


「あんた、なにしてんの」アニは怒りの形相をあらわにした。彼は困惑した。

「なにしてんのって……お前が何してるんだよ!? なんでここにいるんだっ!? 連絡くらいよこせよ!」

「連絡がつかなかったからこうして来たんでしょ!?あんた携帯電話って知ってる?使い方分かってる?」

「はっ!?……あ……ああ!!」


エレンは携帯電話がお亡くなりになったことと、彼の命日について説明した。


「……はあーーー……そんなことだろうと思ってたけど」


アニが長い長い溜息をついたので、エレンはばつが悪くなる。

715: 2014/01/27(月) 00:18:42 ID:RI/tKz9Q



アニは目の前の男のひどい有様をジロジロと不躾に眺めた。


「……言うな。自覚してる」エレンは先回りして言う。

「課題がやっと全部終わったところだったんだよ。くそっ、なんでよりによって今日……
 つーか連絡がつかないからって突然来るか!?今日だってここで会ったのも偶然だったのに」

「会えたんだからいいでしょ」アニはケ口リと言ってのけた。

「お前、そんな楽観的な性格だったっけ」

「さあね。でもあんたに似たのかも」

「なんだそれ」

「あんたと同じように、私も行きたいところに行っただけ」


なんか文句ある?と訊き、彼女は腕を組んだ。
そう言われるとエレンも黙るしかない。

717: 2014/01/27(月) 00:19:57 ID:RI/tKz9Q



「その分だと、結構頑張ってるみたいだね」

「……まあな。……アニはどうなんだよ」

「あんたには負けてないよ」


アニはエレンから海に視線を移した。
二人の身を包んだ潮風は、学校をさぼってアニが無理やり連れ出したあの日の海の匂いによく似ていた。


「いいところだね。あんたにはもったいない」

「うるせー。でもいいだろ。きれいだ」


エレンは、部屋の壁の、写真のことを思い浮かべる。

渡す前に、本物を見られちまったな。

718: 2014/01/27(月) 00:22:05 ID:RI/tKz9Q



「あちー……」


手で日よけをつくっているエレンに、アニが自分の帽子を脱いでかぶせようとする。
空港で適当に買ったので、彼女には少しばかりサイズが大きかった。

エレンの頭に手を伸ばしている時に、彼の背が伸びたことにアニは気づいた。


「うわ、なにすんだよ」
アニの身長は去年の健康診断から伸びていない。
腹立ち紛れに帽子を目深にかぶせてやる。


「おい、ア……」

それでもまだ彼女は腹立たしかったので、ついでにもう一歩彼に近寄ると、
両方の踵をクイと上げて背伸びをした。


先ほどベットボトルで殴られ、まだジンジン疼くエレンの左頬に
何か柔らかいものが押しつけられる感触。

彼は驚き、急いで帽子の鍔を上げてアニを見た。
アニは背を向けてトランクを引き摺りだしたところだった。

719: 2014/01/27(月) 00:23:58 ID:RI/tKz9Q



「お、おい。お前今何を」

「何にもしてないよ。暑さでボケたんじゃないの」


あり得る。エレンは昨日と一昨日、睡眠をとっていなかった。

ガラガラ。ガラガラ。彼は真っ赤なトランクを追いかける。



「どこに行くつもりだ?」

「ホテルにチェックインしに」

「段取りがいいな」

「あんたの家に転がり込むわけにはいかないでしょ」

「ふーん……」

「なんか、汚そうだし」


反論しようとして、口を閉じた。
アニは予想が的中していたことに、「やっぱり」と冷ややかにエレンを見た。

720: 2014/01/27(月) 00:24:51 ID:RI/tKz9Q




これ以上痛いところを突かれないために、エレンは慌てて話題を逸らす。
しかし新しい会話の糸口が見つからず、結局「……暑いな」と話題とは言えない一言を漏らすだけになった。


「そうだね」

「ああ」


また今年も夏が始まる。
彼と彼女が出会った季節がまた巡ってくる。
ここには生息していないはずの蝉の鳴き声がどこからか聞こえてくるようだった。

海風があの街から運んできてくれたのかもしれない。

721: 2014/01/27(月) 00:26:23 ID:RI/tKz9Q



二人はどちらからともなく手を繋いで、海辺の道を歩んでいく。
ミッドサマーに向けて輝きを増す太陽が、一つになったその影を地面に映した。
風が追いすがっていくエレンとアニの背中は、どこまでも自由だった。



見つけた?と彼女が訊く。
いいや、まだだ。彼が首を振る。

探しに行こう、と彼が笑う。
彼女も目を細めて頷いた。


きっと自分たちなら見つけられるはずだ。

722: 2014/01/27(月) 00:26:55 ID:RI/tKz9Q



行こうか。二人は前を見た。
果てのない世界がそこに広がって、彼らを待っていた。



終わらない夏を探しに、二人で、どこまでも。

723: 2014/01/27(月) 00:27:26 ID:RI/tKz9Q


おわり

726: 2014/01/27(月) 00:29:37 ID:RI/tKz9Q
いろいろ長すぎワロタ……
遅筆放置すみませんでした
最後まで読んでくれた方、支援してくれた方、どうもありがとうございました。

受験生の方は、いまの時期SSなんて読んでる人いないと思いますが
受験頑張ってください。

引用: エレン「チビ」 アニ「単細胞野郎」