800: 2014/03/13(木) 01:23:00 ID:UdxhWcCw

【SS】こんな日が続けばいいのに【1】
【SS】こんな日が続けばいいのに【2】
【SS】こんな日が続けばいいのに【3】
【SS】こんな日が続けばいいのに【4】
【SS】こんな日が続けばいいのに【5】
【SS】こんな日が続けばいいのに【6】
【SS】こんな日が続けばいいのに【7】


◆05-01[STALKER GOES TO BABYLON]


 混濁した情報の渦から解放された意識が、状況をしっかりと把握するまで、少し時間がかかった。 
 
 強烈な光の刺激は、けれど、普段感じているものと同質だった。
 ごく当たり前のはずの景色。それが攻撃的なほどの鋭さをもって、俺を刺激する。

 俺は自分が泣いていることに気付いた。
 
 何か少しの違いでありえたかもしれない世界。
 ありえたかもしれないけど、実際には起こらなかった出来事。
 一緒に登下校したときの、サクラの話。ユキトのテンポのズレた反応。
 
 あんな風景が有り得たのだと思うだけで、本当は身動きもとれなくなりそうだった。
三ツ星カラーズ8 (電撃コミックスNEXT)
801: 2014/03/13(木) 01:24:07 ID:UdxhWcCw

 サクラやユキトと、当り前のように過ごす日々。
 俺はそれを手放したかったわけじゃない。

 でも、にもかかわらず、俺はそれを自分から手放したのだ。
 溜め息さえ出ない。

 でも、どうしてだったんだろう? 俺はたしかに、ふたりと過ごす時間を大切に思っていたはずなのに。
 どうして、手放してしまったんだろう?
 
 問いに対する答えの代わりに、いつか聞いた、司書さんの言葉が浮かんだ。

 ――でも、たぶん、わたしは幸せになっちゃいけないんだ。

 その声の感触を思い浮かべるのと同時に、正常な感覚が蘇る。

802: 2014/03/13(木) 01:24:41 ID:UdxhWcCw

 俺はリビングに立っている。さっきまで、そうしていたのと同じように。
 タイタンの姿はない。シロの姿もない。

 誰もいない。沈黙が重くのしかかる。

 なにかをしなければならないはずだ、と、そう思った。
 俺はなにかをしなければならない。

 ふと、俺は妹の姿がないことに気付く。彼女はどこにいったんだろう?

 ……この状況はなんなんだろう。既に、俺の願いがなかったことになっているのだろうか?
 俺には繰り返しの記憶がある。……どういうことなんだろう。

803: 2014/03/13(木) 01:25:16 ID:UdxhWcCw

 俺は携帯を取り出して、もう一度(と、言えるのだろうか)妹に電話を掛けてみた。

 やはり、留守電に繋がる。

 俺は携帯を見る。日付は、さっきまでと同じだ。タイタンの願いが叶う前のものと同じ。
 時刻も、だいたい同じくらいだろうか。けれど、もう八時を回っている。

 俺は階段を昇り、妹の部屋へと向かった。
 扉を開けると、暗闇の中にかすかに家具のシルエットが浮かんだ。

 勉強机に並べられた教科書や辞書。ちょっと子供っぽいベッド。
 開けられたままのカーテン。窓の向こうの街並みに、半透明の俺の鏡像が重なって見えた。

 念の為に、トイレや洗面所、風呂場、自分の部屋、父親の部屋まで、すべての部屋を探した。
 妹の姿はない。

 段々と不安になってくる。

804: 2014/03/13(木) 01:25:48 ID:UdxhWcCw

 ――お兄さんの願いをなかったことにしたら、お兄さんは、最初に戻っちゃうんだよ?
 ――お兄さんは、他の可能性を覗いてみたくなるくらい、その世界のことがイヤだったはずなのに。
 ――現実で何が起こったのか、お兄さんは、ちゃんと思い出せていないんでしょう?

 シロの言葉が、まるですぐ傍からささやかれているようにはっきりと蘇る。

 タイタンの願いをシロが叶えたとするなら、この世界は、現実と同じ状況に進むはずだ。
 
 背中を嫌な汗が伝う。じわじわと、焦燥が俺の頭を掻き乱し始める。

 幻想から解放された現実。それがここだとしたら……。
 俺はひょっとしたら……。

 不安に耐えられなくなって、俺は灯りも消さずに玄関を飛び出した。
 
 とにかく今すぐに妹の姿を確認したかった。他の誰かのことなんてどうでもよかった。

805: 2014/03/13(木) 01:26:21 ID:UdxhWcCw

 シロは言っていた。俺の都合の良いように、世界を作り変えていたのだ、と。
 俺はそれを、俺にとって都合の良い世界を作っていた、と解釈していた。

 でも、ひょっとしたら、そうではなくて。
 俺に"都合の悪いことの起こらない世界"だったんじゃないのか?

 予感が言語化されて、頭の中で意味を持つと、漠然としていた不安ははっきりとした形になってのしかかってきた。
 
 妹の身に何かがあったんじゃないのか。
 俺はどこに向かえばいいのかも分からないまま、夜の道を走り回る。
 細くて狭い路地。夜空から月と星が俺を見下ろしている。飛行機が地上を嘲笑っている。
 呼吸が上手く出来ない。頭が正常に機能しない。

 いったい何が起こっているんだ? 
 俺は妹の名前を呼んだ。どこからも返事は聞こえない。
 それでも何度も繰り返す。どこからも返事は聞こえない。

806: 2014/03/13(木) 01:26:56 ID:UdxhWcCw

 ありとあらゆる考えが俺の頭を駆け巡る。
 近くにはいないんだろうか? 俺の声が届いていないんだろうか? それとも、俺の耳が悪いんだろうか? 
 そもそも、俺に……本当に妹なんていたんだろうか?

 俺は頭を振ってバカな考えを追い出す。
 携帯には、ちゃんと連絡先が入ってた。名前だって表示されてた。この世界に、彼女はたしかにいるはずだ。

 じゃあ、どうして電話に出ない?

 落ち着け、と俺は自分に言い聞かせた。
 俺はこの世界について、何も覚えていないんだ。今晩、ひょっとしたら妹は出かけているのかもしれない。
 友達と遊びにいっていて、俺の電話にも気付かなかっただけかもしれない。

 そういう可能性だってないわけじゃない。ちょっと出かけているだけなのかもしれない……。
 行くとしたら、どこだろう。コンビニくらいしか思いつかない。俺は不安をごまかすみたいに走った。
 コンビニの店内には何人かの客がいたが、妹の姿はない。汗まみれの俺の姿を、店員が怪訝そうに眺めた。 
 
 トイレまで確認したけれど、妹の姿はない。
 諦めてそのまま店を出掛けたところで、俺は息を整えて店員に声を掛けた。

807: 2014/03/13(木) 01:27:38 ID:UdxhWcCw

 妹の容姿を告げ、来なかったかどうかを確認する。
 俺と妹が近所の常連だからか、店員はすぐに誰のことを言っているのか察したみたいだった。

「いつも一緒にいらっしゃる方ですよね?」

「はい」

「一時間ほど前に見えられたと思いますよ」

 おいおい、と俺は思った。かろうじて声には出さなかった。
 一時間前? この店まで徒歩で十分と掛からないんだぞ。往復だって十五分くらいだ。
 一時間前にこの店を訪れたということは、妹は別にどこか遠くにいったわけじゃないはずだ。

 ……あるいは、もともと出掛ける予定があって、その前にコンビニに寄って、そのまま出掛けた?
 そうかもしれない。そうとも、考えられる。

 俺は店を飛び出して、家への道を辿る。さっき通ってきた道。いったい彼女はどこに行ってしまったんだ?

808: 2014/03/13(木) 01:28:43 ID:UdxhWcCw

「シロ!」と俺は気付けば叫んでいた。

 どこにいるんだ、シロ。すぐに姿を現せ。そしてこの状況について説明しろ。
 いったいどうなってるんだ? この不安はなんなんだ? この状況はいったいなんなんだ?

 でもシロはどこからも現れなかった。
 俺の声に気付いたのか、付近の住宅の、二階の窓のカーテンが開かれた。軽蔑したような視線。
 俺はなにをどうすればいいのか分からないまま、逃げるようにその通りを抜けた。

 いつもの公園の入り口に通りかかったとき、俺は立ち止まった。
 ベンチの方を見たけれど、シロの姿はない。手がかりというものが何もなかった。

 俺はふと思いついて、携帯のメールボックスを開く。
 記憶にはないけれど、事実として、妹と何かのやりとりをしているのではないかと思った。

 たしかに記憶にないメールはあったが、取るに足らないことだった。
 今日という日について、何かの予定を話しているということはなさそうだった。

 もう一度電話を掛けてみる。心臓の音がうるさいくらいに響く。
 落ち着け、と俺は自分の心臓に言い聞かせた。何も起こっていないに決まっている。

809: 2014/03/13(木) 01:29:21 ID:UdxhWcCw

 コールしながら、息を整える。呼吸が整うのと同時に、俺の耳に何かの音が届いた。
 電子音だ。音楽? 音楽のように聞こえる。携帯の着信音みたいな……。

 着信音。

 俺は自分の携帯から耳を離して、息をひそめた。
 喉がひどく乾いている。

 耳鳴りのしそうな静寂を、楽しげな電子音が引っ掻いている。
 その音が、やけに毒々しく聞こえる。

 俺は、音の鳴る方へ、少しずつ近付いていく。

 公園の中だ。ベンチの向こう。

 この公園は、住宅に囲まれているせいで、どこか視界が悪く、空が狭い。
 遊べるものもそんなにないから、子供たちもあまり近寄らない。

 それでも、けっこうな広さがある。ベンチのそばには、花壇もある。

 そして、ベンチの後ろには、景観をごまかすみたいな木々が生えている。

810: 2014/03/13(木) 01:30:09 ID:UdxhWcCw

 鬱蒼とした木々と、草むら。夜になると、何かが這い出してきそうな気がするような、暗闇。
 音はそこから聞こえている。

 喉が渇いて、足の感覚がなくて、靄がかかったみたいに頭がぼんやりとしている。

 現実感がない。

 俺は、必氏に、足を動かして、音に近付こうとする。
 でも、粘液の中をもがいているみたいに、体はゆっくりとしか動かない。
 時間の流れが、止まろうとしているみたいに。

 それでも、ようやく、俺はその景色を見る。

"なにか"が、転がっている。

 少女の形をした、なにか。
 それは、氏体のように見えた。
 
 氏んでいるように見えた。

811: 2014/03/13(木) 01:31:08 ID:UdxhWcCw

 俺は、携帯の終話ボタンに指を当てた。
 もし、そのボタンを押しても、鳴り響く音が止まらなければ、別人なのかもしれない。
 でも、もし、音が止まってしまったら、それは……。

 俺は、終話ボタンを押しこむ。

 そして、音は止まった。

 表情は、暗くて、よく見えなかった。本当のことを言うと、どこが顔で、どこが顔じゃないのか、分からなかった。
 衣服は乱れている。四肢は、力なく投げ出されている。

 体を横たえたまま、身じろぎもしない。
 俺は、それでも、体を動かして、彼女の近くに膝をついた。

 呼吸の音が、かすかに聞こえた。
 生きている。でも、汚されてしまっている。"誰か"に。その誰かは、もうこの場にはいない。
"終わったあと"なのだ。
"起こってしまったこと"なのだ。

812: 2014/03/13(木) 01:31:53 ID:UdxhWcCw

「うそだ」

 何の物音もしない公園の中で、その声はどこか間が抜けて響いた。
 なぜだろう、俺は、笑ってしまった。

「うそだ」
 
 繰り返す声。でも、言葉に意味なんてなかった。

 耳鳴りを伴う、針のように尖った頭痛。
 それが俺の意識を鋭く奪う。

「うそだ」とそれでも俺は繰り返した。

 眩暈。妹は身じろぎもしなかった。
 視界が暗転し、感覚が消えていく。

 誰かが、俺のことを笑っていた。

813: 2014/03/13(木) 01:32:31 ID:UdxhWcCw



「ヒメ」

 誰かが、俺のことを呼んでいた。

「ヒメ」

 彼は、何度も繰り返している。俺は、その声に、気付く。
 気付いて、意識を浮上させる。

「ヒメ!」

 気付くと、俺は自宅のリビングの床に倒れ込んでいた。
 深い海の底から、水面に浮上したように、意識が切り替わる。
 
 俺を呼んでいたのは、タイタンだった。

「ヒメ……どうした?」

 タイタンは、俺の顔を心配そうな表情で覗き込んでいる。
 妙に心臓が暴れまわる。息がうまくできない。

 俺が意識を取り戻すのと同時、タイタンは安堵したような溜め息をついた。

814: 2014/03/13(木) 01:33:54 ID:UdxhWcCw

 俺は、今目にした光景を、うまく消化できずにいた。

「……今、何が起こった?」

 そう訊ねたけれど、タイタンは混乱した様子で首を横に振った。

「分からない。おまえが急に倒れたんだ」

「……俺が?」

「ああ。俺の願いを言った直後……」

 タイタンは俺から視線を逸らし、部屋の一点を睨む。俺はその視線を追いかける。 
 シロが、当り前のような顔で座ったまま、ココアを飲んでいた。

 部屋の掛け時計を見る。シロと話していたときから、時間はそんなに流れていない。

815: 2014/03/13(木) 01:34:52 ID:UdxhWcCw

「どういうことだ?」

 俺は、シロにそう訊ねた。彼女は肩をすくめた。

「さあ。悪い夢でも見てたんじゃない?」

「夢?」

 俺はなにを言えばいいのか、分からなくなってしまった。

「俺がさっき見た景色は、なんだったんだ?」

「知らない」

「シロ」

 強い調子ではっきりと名を呼ぶと、彼女は一瞬、怯えたみたいに震えた。
 それから、急に不機嫌な調子になる。

「べつに。からかっただけだよ」

816: 2014/03/13(木) 01:35:25 ID:UdxhWcCw

「……からかった?」

「なんでもいいでしょ」

「タイタンの願いを、叶えなかったのか?」

「……ねえ、お兄さん、さっき言ってたよね?
 わたしが暇つぶしをしたのは、わたしにとって何か想定外のことが起こったからじゃないか、って」

 彼女は短く溜め息をついて、ココアを飲み干す。

「あれ、正解だよ。この繰り返しの中で、わたしにとって想定外の事実がはっきりしちゃったの。
 だからね、言ってしまえば、わたしにはもう、願いを集める理由がなくなっちゃったんだよ。
 わたしはもう、世界が繰り返されようが、なんだろうが、どうだっていいの。だから、暇つぶし」

「じゃあ、タイタンの願いは、叶えなかったのか?」

「そう何度も、自分に都合よく世界を作り変えられると思わないでよ」

「俺は……」

「違うの? お兄さんは、自分に都合の悪い現実から目を逸らした。
 目を逸らしたあげく、これじゃ駄目だって言って、元に戻してってお願いしてるんだよ?
 そんなふうに自分勝手に世界を作り変えていたら、きりがないんじゃない?」

817: 2014/03/13(木) 01:36:33 ID:UdxhWcCw

 俺は答えられなかった。何も言えない。タイタンが、気まずげにこちらを見ているのが分かる。

「俺は……」

「じゃあ、質問なんだけど、お兄さん。さっき、わたしが見せてあげた景色なんだけど……。
 あれは、嘘。作り変えた世界でもない、ただ、見せただけの映像。
 でもね、もしあれが現実だったとしたら、お兄さんはどうする?」

「……どうする、って」

「つまり、もしもお兄さんの願いがなくなって、その景色が繰り返されるとしたら、お兄さんはどうするの?」

 俺は、答えに窮した。

「現実を歪めようとするでしょう? 自分に都合の良いように。どうにかして、あの景色をなかったことにしようとする。
 さいわい世界は繰り返されているから、お兄さんはしようと思えば、簡単に未来を変えられる。
 でも、お兄さんはさっき言ってたよね。世界は都合よく歪んだりしない。"それが自然だ"って。あれは嘘だってことだよね?」

818: 2014/03/13(木) 01:38:01 ID:UdxhWcCw

 つまり、お兄さんは逃げようとしているだけなんだよ。シロはそう言った。

「お兄さんは、つらいんでしょ。自分が、自分に都合の良いように世界を捻じ曲げてたって事実が。
 女の子たちの気持ちを歪めて、自分の欲望を満たして、そんなことを繰り返していたって事実が。
 だから、なかったことにしたいだけでしょ? 苦しんでいるシショさんのことなんてどうでもいい。
 このまま繰り返されていたら、"自分"がつらいから……また"自分"に都合の良い世界にしようとしてるだけ。
 自分のみすぼらしさを、惨めさを、みっともなさを、帳消しにして、忘れてしまいたいだけなんでしょ?」

「違う」と俺は声を絞り出したけれど、震えていて、説得力なんてかけらもなかった。

「もし本当に、世界を都合よく歪めるのが不自然だっていうなら、お兄さんはこの繰り返しを受け入れるべきだよ。
 これ以上、なにもせずに。そしてずっと、この繰り返しの中で苦しんでいるといい。
 わたしはその景色をずっと見ていてあげるから。だから……永遠に苦しみ続けてよ」

 俺は反論したかったけれど、できなかった。
 あの妹の姿を見た後、俺はたしかに思った。深い混乱の中、思考はたしかに導き出した。
「世界は繰り返されているんだ」と。
「この景色が現実だとしても、なかったことにできる」と。

819: 2014/03/13(木) 01:39:18 ID:UdxhWcCw

 シロは退屈そうな目でしばらく俺のことを眺めていたが、やがて小さくあくびをした。

「わたし、お風呂に入るね。今日は泊めてもらえるんでしょう?」

 俺は返事もできなかった。シロが俺を横切っていく。声を掛けることもできなかった。
 
「ヒメ」

 タイタンは、俺を呼んだ。俺は彼の顔を見れなかった。
 情けなさや、恥ずかしさや、惨めさ、申し訳なさ。
 ごちゃ混ぜになった自分勝手な感情の渦が、俺から言葉を奪った。
 
「……今日は、帰るよ」

 タイタンは、何が起こったのか、ちゃんと把握できていないはずなのに。
 俺の様子を見て、そう呟いた。やはりそれにも、返事はできなかった。

820: 2014/03/13(木) 01:39:54 ID:UdxhWcCw

 タイタンが去ってから一分もしない内に、玄関の扉がもう一度開いた。

「ただいま」という妹の声。

 返事もせずにいると、勝手に「ちょっとコンビニで立ち読みしてた」と説明してくれる。
 それから彼女はシロの靴に気付いて、「誰かいるの?」と訊ねてきた。

 俺は答えられなかった。何を言う資格も、自分にはないような気がした。

 分裂した俺の思考は、シロのさっきの言葉とは別に、こうも考えていた。
 もし、さっき見た景色が本当に、現実の世界だったとしたら……。
 俺は、"現実"になんて戻れなくていい、と。
 司書さんが苦しんでも、繰り返しがなくなったとしても、嘘の世界のままでいい、と。

 そんな気持ちでさえ、シロには嘲笑われてしまうだろう。
"大義名分が手に入ってよかったね"、と。

「お兄ちゃん? ……どうして泣いてるの?」

825: 2014/03/14(金) 02:31:06 ID:lZymy9po



 俺はリビングのソファに腰を下ろして、瞼を閉じた。
 それから深く息を吸って、吐き出した。頭の奥でジンジンとした熱が脈動している。

「どうしたの?」と妹は訊ねてきた。今はその声に答えられない。 
 目元を拭い、鼻の奥からこみあげてくる痛みのような感覚を抑えた。

 何が問題で何が問題じゃないのか。それが分からなかった。

 口を開く。でも、言葉が出てこない。何を言えばいいのか分からない。
 俺の口は欠陥品だから、ほしい言葉がいつも出てこない。

 それでも必氏に伝えようとしても、出てくる言葉は薄っぺらだ。
 気持ちの半分も、言葉では伝わらない。

 気持ち悪い虚脱感。地面が揺れている気がする。

826: 2014/03/14(金) 02:32:33 ID:lZymy9po

 妹はしばらく、何か訊きたそうにしていたけれど、結局何も訊いてこなかった。
 ただ黙って、俺のそばに立ち、それから、おそるおそる、というふうに、手を伸ばしてきた。

 頭に触れる、手のひらの感触。

 払いのけようとした。
 
 それなのに、できなかった。俺は黙り込んだまま手のひらで目元を抑えた。
 
「よしよし」、と妹は言った。からかうふうでもなく、かといって重苦しくもなく。
「おはよう」とか「おやすみ」とか、「いってらっしゃい」とか、「いってきます」みたいに。
 まるで当たり前みたいに。

 瞼を閉じると、さっき見せられた光景が生々しく蘇る。
 この世界では、彼女は無事だった。そのことすら喜ぶことができない。

 何を基準に、どう行動すればいいのか、それが分からない。

827: 2014/03/14(金) 02:33:34 ID:lZymy9po

 そのまま時間が流れた。流れた、ような気がする。たぶん、流れたのだろう。
 ずいぶんと長い間そうしていたという気もするし、ほんの少しの時間だったという気もする。

 とにかく、俺は頭の上に載せられた妹の手のひらを掴み、引き離した。
 何を言えばいいのか、やっぱり分からなかった。

 ありがとう、でも、ごめん、でもない。

「……おかえり」

「ただいま」

 彼女は、もう涙の理由を訊ねてはこなかった。

「でんわ」、と俺は言った。それは言葉というよりは、単なる音の連なりのように聞こえた。
 とても空疎だった。

「でんわ?」と繰り返してから、妹はポケットを探り、携帯電話を取り出す。
 画面を開いて、彼女はちょっと「しまった」という顔をした。

「ごめんなさい。サイレントになってた」

「うん」

 申し訳なさそうな顔をする妹に、俺が返せたのは頷きひとつだけだった。

828: 2014/03/14(金) 02:34:22 ID:lZymy9po

「……ひょっとして、心配かけた?」

「いや……」

 これは本当だった。俺はほとんど心配なんてしていなかった。
 タイタンやシロと話している間も、一応電話は掛けたけれど、それだけだ。
 
 何かあったのかもしれない、と考えながらも、心の中で、何も起こるはずがない、と思っていた。

「ごめんなさい。……それで落ち込んでたわけじゃないよね?」

「うん。少し違う」

「心配かけて、ごめんなさい。でも、ほら。何もなかったから」

 そういう問題じゃないんだ、と俺は頭の中だけで答えた。
『夜の来訪者』の一節を、俺は思い出す。

 ――でも、悲劇は起こったかもしれないのよ。

829: 2014/03/14(金) 02:35:51 ID:lZymy9po



 リビングは不自然な沈黙に埋め尽くされていた。
 俺と妹は互いに言うべき言葉を探していた。そのことに、お互い気付いていた。

 静寂を破ったのは、無遠慮な声だった。

「ねえ」というシロの声。妹は俺の方を見る。俺は妹の方を見る。

「誰の声?」と妹は言った。うまい説明が思いつかなかった。

「服を貸してもらえると助かるんだけど」

 シロの声は続く。
 さすがに黙っているわけにはいかなくなって、俺は妹に対して、シロのことを説明しようとした。
 でも、どう説明すればいい?

 帰る場所がないっていうから連れてきたんだ、とでも言えばいいのか?
 泊めてやると約束してしまったんだ、と? どう考えてもまともじゃない。
 
 でもそれが事実だ。

830: 2014/03/14(金) 02:36:49 ID:lZymy9po

 俺は覚悟して、説明しようとした。花火のときに顔は合わせているはずだし、状況を説明すればいいだけだ。
 と、口を開こうとしたところで、シロがリビングに姿を現す。

「ねえ!」

 バスタオル一枚を体に巻いただけの姿で。

 妹は唖然とした顔でシロの姿を見た。三秒ほど。その後、視線をこちらに移す。五秒くらい。

「……お兄ちゃん?」

 疑わしげな視線。

「帰る場所がないって言ってたんだ」

 我ながら言い逃れじみた言葉だ。拾ってきて隠していた捨て猫を家族に見つかったときのような。

「それで、連れてきたの?」

「……」

「……バカなの?」

 返す言葉もなかった。

831: 2014/03/14(金) 02:37:20 ID:lZymy9po



 妹は真正面からシロに向かい、家に帰るように説得しはじめた。
 しばらく口論とも言えないような言い合いが続いたが、折れたのは妹の方だった。

 シロは絶対に帰らない、と言った。
 警察に連絡する、と妹が言うと、「お兄さんに変なことをされたって言うけど、いい?」とシロが真顔で呟いた。
 本当は、シロならそんなことをしなくても逃げられるだろうけど、妹に対する言葉としてはこれが効果的だった。

 彼女は長い溜め息をついてから俺の方をじとっと睨み、最終的にはシロの世話を買って出た。
 結局そうする以外に方法がないのだ。

 俺はシロの世話を妹に任せることにした。
 無責任だという気もしたが、もはや俺にとってシロは庇護の対象ではない。 
 シロの方も、今は穏やかにしているけれど、その気になれば何をするか分からないのだ。

 俺は自室に戻り、ベッドに腰掛けてしばらく考えごとに耽った。

832: 2014/03/14(金) 02:38:10 ID:lZymy9po

 世界は繰り返されている。世界は作り変えられている。
 現実の世界で何が起こったのか、俺は知らない。

 シロはもう、願いを叶えるつもりはないらしい。

 じゃあ、どうすればいいんだ? どうすることができるんだ?
 そもそも、この世界の繰り返しは、どんな願いから生まれているんだろう。

 繰り返しそのものが願いなのだとしたら、もう取り返しがつかない。
 願いそのものをなくすことでしか、繰り返しは止まらないことになる。

 でも、そうなのだろうか?
 シロはさっき、俺に『映像』を見せた。
 そして俺の願いは、「見てみたい」だった、とシロは言っていた。

 願いの言葉をそのまま受け取るなら、シロは俺に、可能性を映像として『見せるだけ』でもよかったはずだ。
 それなのに、彼女は世界を『作り変える』ことで俺の願いを叶えた。

 繰り返しという結果も、そのような歪みから生まれたものなのかもしれない。

833: 2014/03/14(金) 02:39:24 ID:lZymy9po

 そこまで考えて、俺は何かが引っかかるのを感じた。
「見てみたい」、というのが俺の願いだった、とシロは言っていた。

『“自分がこうじゃなかったら”って世界を見てみたい』

 彼女はたしか、そんなふうに言っていた。
 どうして、『見てみたい』だったのだろう。そういうふうに『してほしい』ではなく?

 考えて見たけれど、その理由は思いつかなかった。単なるニュアンスの違いだったのかもしれない。

 俺は溜め息をついてから、司書さんのことを考えた。
 彼女は、繰り返しの記憶を持っている。そして、その記憶に苦しめられている。

 司書さんは苦しんでいる。自分で自分を責めている。
 自分で自分に有罪判決を下し、自分で自分に罰を与えている。

 自己処罰。

834: 2014/03/14(金) 02:40:25 ID:lZymy9po

 シロに見せられた景色と、彼女の言葉のせいで、俺は自分がどうすればいいのか、分からなくなってしまった。
 
 世界を変えたのが俺のエゴだとしたら、世界を戻そうとするのも俺のエゴなのかもしれない。
 俺はそれを、分かりやすい大義名分で糊塗し、ごまかしていたのかもしれない。

 そう考えると、身動きがとれなくなった。

 司書さんは、苦しんでいる。
 でも、よくよく考えてみれば、それは“俺のせい”ではないのだ。

 そして、自分とは無関係の苦しみなんて、そこらじゅうにありふれている。
 掃いて捨てるほど。

 繰り返しの責任は、俺にはない。司書さんの記憶があるのも、俺のせいじゃない。
 記憶があるせいで司書さんが苦しむのも、俺のせいじゃない。

 ましてや、シロの言う通り、世界を元通りにしたら、俺にとって大切な人が、今度は苦しむことになるかもしれない。

 選択の余地が、どこにあるっていうんだろう。
 でも、だからといって、このままでいいはずがない……。

835: 2014/03/14(金) 02:40:58 ID:lZymy9po



 風呂に入ってから自室に戻って、そのままベッドに入った。
 明日も学校に行かなければならないのだと思うと不思議な気がした。 
 
 それどころではないことが、起こっているはずなのに。
 でも、学校を休むわけにはいかない。

 なぜなのかは知らない。でも、それがルールだ。

 どんな状況であれ、学校には行くべきだ。

 世界は無秩序を指向する。だから抗わなきゃいけない。取り戻すべき現実を見失わないために。

 俺は瞼を閉じたけれど、眠れなかった。いつも俺を悩ませていた気怠い眠気が、今ばかりはまったく降りてこない。
 そのまま三十分ほど、何かを考えるわけでもなく、ベッドの中で目を瞑っていた。

 不意に、ノックの音が聞こえた。返事はしなかった。
 それなのに、扉は勝手に開かれた。

 視線を向けると、パジャマ姿のシロが、落ち着かないような素振りで、こちらの様子を窺っていた。

838: 2014/03/15(土) 01:50:35 ID:gfyAAu/E



 目が合ったはずなのに、何も言葉を発さずに、シロは部屋の中へと入ってきた。
 何かに気を遣うみたいに足音をひそませて、彼女は扉を閉めた。

 こちらをじっと見つめたまま、彼女は黙り込んでしまう。

「どうした?」

 訊ねると、体をびくりとその場で震わせて、怯えたように顔を逸らした。
 どうしたというんだろう。

「べつに。……ねえ、灯りをつけていい?」

「もう寝ろよ」

「眠れないの」

 知るか、という気持ちと、いったいどうしたんだ、という気持ちが、綯い交ぜになっていた。
 シロの態度のなにもかもが、不自然に思える。

「暗いのは、怖いんだよ」

839: 2014/03/15(土) 01:51:08 ID:gfyAAu/E

 俺は仕方なくベッドを抜け出した。灯りをつける為に扉の方に向かうと、シロはビクビクと体を揺らした。
 彼女のすぐ傍の部屋の灯りのスイッチを押す。灯りがつく。
 
 シロはほっとしたように溜め息をついてから、悔しそうな顔でそっぽを向いた。

「いったいどうした?」

 その質問に彼女は答えなかった。何を言うでもなく、立ったまま部屋のあちこちを見回している。
 
 苛立ちや恐れすら感じなかった。あったのは、ただ戸惑いだけ。
 さっきまでとはまったくちがう彼女の様子は、なぜか俺を強く不安にさせた。

 さっきは、あんなにも堂々と、俺を責めてみせたのに。
 今は年相応の――見た目相応の、少女みたいな態度だ。
  
「眠れないの」とシロは繰り返した。

「……どうして?」

840: 2014/03/15(土) 01:51:48 ID:gfyAAu/E

「落ち着かない」

「それは、まあ、慣れない家で寝るのは落ち着かないかもしれないけど」

「そういうのとは違う」

「じゃあなに?」

「妹さん、わたしを同じ部屋で寝せようとしたんだよ」

「……はあ」

 俺は和室に布団を敷くつもりだった。そういえば。でも妹は、自分の部屋に眠らせるつもりだったのか。

「何か問題があった?」

「苦手なの」

「なにが」

「……女の子が」

841: 2014/03/15(土) 01:52:23 ID:gfyAAu/E

 その言葉になんとなく違和感を覚えたけれど、それがなんなのか分からなかった。

「男が得意ってわけでもないだろう?」

「でも、男の人は、だいぶ慣れたから。……やっぱり、気持ち悪いけど」

"慣れた"。変な言い回しだ。俺はあまり深く考えないことにした。
 
「普通は、女の方がマシだと思うけど」

「男の人の方がマシだとは言わないけど、その言い方だと、なんだかわたしが普通じゃないみたい」

 普通じゃないだろう、と考えかけて、ちょっと戸惑う。
 そういえば俺は彼女についてほとんど何も知らない。

"神様"の使い。"こども"。叶えたい願いがある、といつだか言っていた。だから神様を手伝っている、と。
 でも、願いを集めるのはやめた。そう言っていた。

842: 2014/03/15(土) 01:53:16 ID:gfyAAu/E

 シロは苦しそうに顔を歪めて、言葉を続けた。

「それに、誰かと一緒に寝るの、本当はあんまり好きじゃないんだよ」

「……どうして?」

「灯りが……」

「……」

「灯りが、つけられないから」

「……きみは、今まで、どんな生活をしてきたんだ?」

「答えたよ、その質問。野宿したり、親切な人に助けてもらったり……」

「野宿は平気なんだろ?」

「屋根がないから。でも、建物の中にいると、灯りがないと、どうしても……」

 どうしても、思い出しちゃうから。シロはそう言った。俺はベッドに腰を下ろした。

843: 2014/03/15(土) 01:54:09 ID:gfyAAu/E

「普段は、ちゃんと割り切ってるんだよ。誰かと眠るのも、暗いのも、気持ち悪いのも。
 でも、今日はそういうのとは違うから。もう、我慢したってどうにもならないから……」

「それは、願いを集めるのをやめた理由と、同じ話?」

 シロは一瞬、息を呑んだ気がした。

 彼女はきっと疲れている。
 だから、花火をしながら涙を流した。さっきから、ときどき怯えた視線を寄越す。
 
「きみは、たしか、叶えてほしい願いがあったから、神様に協力していた、って言ってた。
 いつだったかは、覚えてないけど、たしかにそう言ってた。叶えられるようになるかもしれないから、って」

「本当によく覚えてるね。花丸あげる」

 おどけたような言葉にも、どこかびくびくした響きが宿っていた。
 彼女の様子はあきらかにおかしかった。

844: 2014/03/15(土) 01:54:58 ID:gfyAAu/E

「つまり、きみの願いは、叶わなかったってことか?」

「……まあ、そう、だね。そういうことになるんだと思う。
 つまり、わたしのやってきたことは、まったくの徒労だった、ってことで」

 俺は少し迷ったけれど、結局、訊ねた。

「きみの願いって、なんだったんだ?」

 彼女は答えなかった。少しの沈黙の後、柔らかに溜め息をついて、苦しそうに微笑む。
 それから静かにこちらに向かって歩いてきて、俺の隣に腰を下ろした。

「お兄さん、覚えてる? 森の中の廃墟で会ったときのこと」

 頷く。先輩……部長と一緒に、森を歩いたこと。 
 シロと、着物姿の少女。先輩と一緒に食べたサンドイッチの味でさえ克明に。
 いっそ忘れていたかったと思うくらいはっきりと。

「わたしの友達がね、あそこで氏んでしまったの。もうひとり、知らない子もいたけど。
 両方とも、あそこで氏んじゃった。わたしたちは、あそこに閉じ込められていたの。
 長い時間、わたしたちはあそこにいたんだけど、でも、あるとき、わたしだけ抜け出すことができた」

「……なあ、それって」

845: 2014/03/15(土) 01:56:53 ID:gfyAAu/E

「わたしは森を抜けて、電話ボックスから警察に連絡したの。
 小銭はね、友達が拾って、隠してたのをくれた。
 抜け出す機会があったとき、助けを呼ぶのに使えるかもしれないから、取っておいたんだって。
 バス停が近くにあったから、場所を伝えるのは難しくなかった。でも……」

 シロは瞼をぎゅっと閉じた。彼女の膝の上で、小さな拳がぎりぎりと震えている。

「抜け出したことが、急に怖くなったの。黙ってそこで待っていれば、何もかも終わってくれたかもしれないのに。
 それでね、わたしは……戻ったの。元来た道を。置いてきた友達がどうなっているのか、急に心配になったの。
 でも、走って走って建物に辿り着いて、忍び込んで、部屋を覗き込んだときには、もう手遅れだった」

 氏んじゃってた、とシロは言った。淡々とした調子で。そういうふうにしか話せないみたいに。

「……あの男の人は、すごく動揺して、混乱してるみたいだった。荒く息を吐いて、体がかすかに震えてた。
 その場に蹲っていてね、必氏になって状況を理解しようとしてるみたいだった。
 わたしも、すごく混乱して、声をあげたかったけど、かろうじてこらえてた。
 怒っていたのか、悲しかったのか、怖かったのか、自分でもよく分からない。
 でも、男の人がいつもわたしたちを脅かすのに使ってたナイフが、傍に落ちていたの。結局彼は使わなかったみたいだけど」

 それで、わたしは、とシロは続ける。

「わたしは、ナイフを拾い上げて、それから……」

 それから、と、そこで言葉が途切れた。テレビの電源が落ちたみたいに、続く言葉は失われてしまった。

846: 2014/03/15(土) 01:58:22 ID:gfyAAu/E

 俺はしばらくなんの言葉も発せなかった。

 さらわれた女の子は三人で、見つかった氏体は、犯人のものを含めて三つだった。
 最後の一人は、行方不明。

 犯人の氏体には、刺突の痕がいくつも残っていた。
 行方不明になった女の子は、今でも見つかっていない。

「わたしが逃げ出さなければ、あんなふうに殺されなかったはずなんだよ」

 シロの声は震えていた。

「わたしのせいで氏んだの。わたしのせいなのに、わたしが生き残ったんだよ」

 そんなわけがあるか、と俺は思った。もし今の話がすべて事実だとしても、シロのせいじゃない。
 強い混乱の中で、俺はたしかにそう思った。でも、きっと、そういう問題ではないのだろう。
 自分で自分に下した有罪判決ほど、覆しがたいものはない。

「そんなの間違ってるって思った。でも、現実に氏んでしまっていたんだ」

847: 2014/03/15(土) 01:59:26 ID:gfyAAu/E

 それからのことは、もうよく覚えていない。シロはそう言った。

「でも、そのあとだったはずなの。“神様”と会ったのは」

「……神様」

「うん。神様は、わたしに言ってくれたの。神様は、わたしと同じような目に遭ったんだって言ってた。
 だから、わたしのような人間の為に、力を使いたいんだって。不思議な力があるんだって言ってた。
 わたしは、だから、間違いを正してもらおうと思った。ふたりを生き返らせてって」

「でも、それはできなかった」

「……うん。現に起こったことを変えてしまうのはすごく難しいんだって言ってた。
 もっともっと大きな力が必要になるって。ひょっとしたら、無理かもしれないって。
 そのあと、お兄さんが知ってる通り、わたしは願いを集めるようになった」

 言葉の中に引っかかりを覚える部分があったけれど、情報を整理するのに精一杯で、訊き返すことはできなかった。

848: 2014/03/15(土) 02:00:40 ID:gfyAAu/E

「最初は、願いを集めるのに、抵抗なんてなかった。
 誰かの願いを叶えることで力が溜まっていくんだから、それはすごくいいことだって思った。
 でも、段々と分かってきたの。みんな自分勝手な欲望を満たしてるだけなんだって。
 いろんなことをしたし、いろんなことをされた。でも、仕方ないって思った。
 どれだけ苦しい目に遭ったって、当り前なんだって。だって二人はわたしのせいで氏んだんだから」

 むしろ、苦しくて当たり前なんだって思った。わたしは苦しむべきなんだって。

 俺は溜め息をついた。

「なあ、きみは、生きているんだよな? 今の話だと、氏んでいないはずだ。
 でも、きみの体は? あの事件は五年くらい前に起こったんだろ。どう考えたっておかしい」

 シロは静かに頷いてから、答えてくれた。

「神様と協力するって決めたとき、神様の力を借りるかわりに、こうなったの。
 肉体は成長を止めて、人々の記憶から、わたしという人間が薄れていくって。
 事実の形も、少しずつ歪んでしまうって。だから、家族に会ったって、誰もわたしに気付けないの」

 シロはそのまま黙り込んでしまった。俺はなにを言えばいいんだろう。
 何を言えるんだろう。

 この話を、俺は信じるのか? 荒唐無稽な、でたらめみたいな話を。
 でも、もしこの話のぜんぶが嘘なら……いま、シロの頬を流れている涙も、やっぱり嘘なんだろうか。

854: 2014/03/17(月) 03:04:53 ID:4R28lbaQ



 シロの体は俺のすぐ隣にある。それはたぶん事実だ。
 空気を伝って彼女の温度が分かるような気さえする。

 彼女はたぶん泣いていたんだけど、目を向けるともう涙の跡すら残っていなかった。
 目が合うと、彼女は微笑んだ。俺は自分がどんな表情を見せるべきなのか決めかねてしまった。

 何かを言いたい気がして口を開いたのに、不思議と何も思いつかなかった。 
 
 うまく整理がつかない。彼女の話が、現実に起こったことと連結してくれない。

 ――でも、もし生きているとしたら、ヒメくんと同い年くらいになりますね。

 俺にとってあの事件は、一時的に割り込んできた非日常でしかなかった。
 近隣で起こったから、多少は不安にだってなったけど、実際に自分の身に降りかかったことではない。
 
 だから、時間が経てば忘れることだってできた。話の輪郭だって、今はぼんやりとしか思い出せなかった。

 でも、シロにとってその事件は終わってなんかいない。
 世界はその日の地続きだった。
 
 そういうことが、この世のどこかで、いつも起こっている。そのくらいのこと、俺だって知っていたはずなのに。

855: 2014/03/17(月) 03:05:25 ID:4R28lbaQ

 ただでさえまともに動いていなかった俺の頭は、シロの話を聞いてよりいっそう凍てついていく。
 空気が段々と粘ついて、肺から吐き出すことが難しくなる。 
 
 静かに、深く、溜め息をつく。
 
 そして調子を取り戻そうとする。冷静になろうと試みる。
 俺の身に降りかかった出来事ではないんだ、と俺は考えてみる。
 彼女は俺じゃない。物語の中で起こった出来事みたいなものだ。

 そう思わないでどうして生きていけるだろう。
 みんな苦しんでいる。いろんな形で。いちいちその苦しみに共感している余裕なんて誰にもない。
 どこかで折り合いをつけないといけない。

 俺の身に起こったことじゃない。……俺の身に起こったことじゃない。
 
 でもどうしても割り切ることができなかった。どろどろとした何かが胸の内側で溜まっていく。
 だからといって、それをどうこうできるというわけでもない。
 言葉にしてしまうのも、涙にしてしまうのも無責任だ。だって俺は当事者じゃないんだから。

 ただ静かに降り積もっていく。

856: 2014/03/17(月) 03:06:12 ID:4R28lbaQ

「なあ、シロ」

 俺はごく当たり前のような調子で言った。彼女は普段とは違う、わずかに沈んだ声音で返事をする。

「なに?」

「きみの願いは、氏んでしまったふたりを生き返らせたい、だって言ったよな」

「……そう」

「こうも言ってた。"想定外の事実が判明して、願いを集める意味がなくなった"って。
 それって、つまり、きみの願いが叶わないってことか? 願いが叶わないと分かったって意味なのか?」

 シロはもう何かを隠すつもりもないようで、俺の質問に簡単そうに頷いた。

 訊かれれば答えるし、訊かれなければ何も言わない、というような態度。
 億劫そうな、気だるげな仕草。彼女はフローリングの一点を意味もなさそうに見つめていた。
 べつに特別な興味があるわけじゃないんだけど、かといって他の何かを見ていたいわけでもないから、というふうに。
 
 視線すら、居場所を失っているみたいだった。

857: 2014/03/17(月) 03:07:43 ID:4R28lbaQ

「でも、それっておかしくないか?」

「……なにが?」

「きみは言ってた。"俺にとって都合の良いように、世界を作り変えていた"って。
 世界を作り変えるなんてことができるなら、神様の力はとっくに、氏人を蘇らせられるくらいに集まってたんじゃないのか」

「残念だけど」と彼女は静かに首を振って、ばかばかしそうに笑った。

「世界を作り変えたって言い方をすると、たしかにそういうふうに聞こえるかもしれないけどね。
 厳密に言うと少し違う。わたしに変えることができたのは、いくつかの事実と、あとは認識だけ」

「……認識?」

「つまりね、感情や心理を改変する方が、事実を歪めるより簡単なの。
 たとえば、お兄さんが犬を飼っていたという事実を作るのは、それだけですごく難しい。
 犬そのものを作り上げないといけない。ほとんど不可能に近いくらい、難しい。ズルをすればできなくもないけど」

「……じゃあ、認識っていうのは?」

「つまり、"お兄さんは犬を飼っていた"という認識を、お兄さん自身に植えつけるのはすごく簡単なの。
 たとえばこの世界でその認識をお兄さんに植えつけていたとしたら、お兄さんは犬がいないことを不自然だと感じていたはず」

 ……うまく理解できないが、聞いただけの印象で考えてしまうと、本当にこの世界は信用ならないようだ。

858: 2014/03/17(月) 03:08:34 ID:4R28lbaQ

「でも、逆に言ってしまえばね、わたしはこの世界について、事実を変えることはほとんどしていないの。
 ただ、いろんな人の認識をちょっとずついじくったり、順序を変えたり、そういうことしかしてない。
 この世界でお兄さんの友達ふたりがお兄さんと仲良くできたのも、わたしがそういう認識を植え付けたからなの。
 つまり、お兄さんとお友達は仲直りした、というふうに」

「……じゃあ、たとえば、アメや、先輩や、ヒナのことは、事実じゃなくて認識をいじっていたってことか?」

「そうなる。ショック?」

「それはね。でも、ショックを受けるのも勝手な話だろ」

「でも……」

 シロはそこで、何かを言いかけたのに、結局何も言わなかった。

「なに?」

「言わないでおく。本当は意地悪のつもりだったんだけど、いま聞いても、戸惑うだけだろうから」

「……まあ、いいけど。でも、じゃあ、きみが歪めた事実っていうのは、なんだったんだ?」

859: 2014/03/17(月) 03:09:29 ID:4R28lbaQ

「本当にささやかな、いくつかの事実だけだよ。自転車の鍵とか、冷蔵庫の中身とか。
 他のことはほとんど何も変えてないんじゃないかな、と思うけど、思い出せないだけかも」

「自転車の鍵って、アメの……」

「そう」

「じゃあ、やっぱり、俺は自転車の鍵を探すのを手伝ったりしてなかったわけだ」

「ん……」

 シロは言いにくそうに唇を歪めた。どう言おうか、というふうに。

「あのね、それ、逆」

「え?」

「お兄さんは本当は手伝ったんだよ。ごく当たり前に」

「……でも、そんな記憶ないけど」

「……それね、わたしはいじってないから、単にお兄さんが忘れてるだけだと思う」

 緊張の糸が微妙に緩んだ。シロは一瞬困った顔をしてから、静かに咳払いをする。

860: 2014/03/17(月) 03:11:04 ID:4R28lbaQ

「つまり、わたしに変えられる事実なんて、自転車の位置くらいだったわけ。
 それ以外は全部、認識を変えて、その後の世界を変えていたんだよ」

「でも、じゃあ、"自転車の鍵探しを手伝わなかった"世界をわざわざ作ったわけだよな? どうしてそんなことをしたんだ?」

「いろんな可能性を見てみたいって言われたから。最初の頃は、変えられる範囲でやってみようと思ってたんだよ。
 でも……まあ、なんていうか、けっこう体力いるし、面倒だし、認識だけでもなんとかなりはじめたから」

 面倒と言われてしまうと身も蓋もない。

「逆を言えば、きみは“事実”に関しては、ほとんど手を加えていないってこと?」

「うん。……そうなるね」

 そこまで訊いてから、俺はなんとなく違和感を覚えた。また。何度も同じようなところに引っかかる。
 けれど、その違和感については一度保留し、俺はいいかげん話を進めることにした。

「まあ、とにかく、きみにも氏んだ人を蘇らせることまではできなかった、っていうわけか」

 だから、シロは願いを集めるのをやめてしまった。神様の願いを集めても、結局成し遂げられないと悟った。

861: 2014/03/17(月) 03:12:15 ID:4R28lbaQ

 ……あれ?

 それっておかしいよな、と俺は思った。なにか、おかしい。
 氏んだ人を生き返らせることができない?
 ……でも、“世界は巻き戻っている”。

「なあ、何度も言うようだけど、この世界は繰り返されているんだよな? 巻き戻っている」

「……うん」

「じゃあ、どうして氏んだ人を生き返らせることができないんだ?
 時間を巻き戻せるなら、事実を変えるのも簡単だって感じるんだけど」

「それは、願いが混ざっちゃって、事実がいろいろと作り変えられてるから、そう感じるだけ。
 本当は、同じ出来事、同じ世界が、何度も繰り返されているだけだったんだよ。事実を変えることなんてできなかった」

「いや、俺が言いたいのは、つまり……今のきみは、巻き戻しの直後でも、記憶を失っていないじゃないかってことなんだよ。 
 時間を巻き戻して、きみが何かの行動をとれば、誰かが氏んだって事実を変えることはできるんじゃないのか?」

 シロは溜め息をついた。俺は自分の言葉を後悔した。それができるなら、彼女がここにいるわけがない。

862: 2014/03/17(月) 03:12:55 ID:4R28lbaQ

「わたしと出会った当初、神様は世界を巻き戻すことができなかった。
 だから、氏んだ二人を生き返らせることはできなかった。この数年で願いを集めて、ようやく巻き戻せるようになった。
 でも、巻き戻せるのは、ほんの短い期間だけ。二週間から三週間……そのくらい」

 五年、願いをかき集めて、やっと三週間。

「時間は絶えず流れ続けるから、願いを集めて、長い時間遡れるようになっても、必要な量はどんどんと増えていく」

 だから追いつけない。ずっと。

「……でも、きみはこうも言ってた。“願いを集めるのに、繰り返しは支障がなかった”って。
 じゃあ、繰り返しの中で願いを集めれば、そこに遡ることができるんじゃないのか?」

 話しているうちに、俺は段々と混乱してきた。いったい自分が何を言っているのか、よくわからなくなってきた。

「うん。遡ることはできる。でも、無駄なんだよ」

「どうして?」

863: 2014/03/17(月) 03:15:24 ID:4R28lbaQ

「繰り返しの中でも、願いを集めることはできた。実際、他の力に関しては、徐々にできることも増えていった。
 巻き戻る期間は、たぶん願いを叶えたタイミングで決まってるんだろうね。ずっと二週間から三週間くらい。
 でも、"巻き戻し"っていうのは、結局"巻き戻る"だけなの。
 今日から一週間前に巻き戻ったとしても、今日までのまったく同じ一週間が繰り返されるだけ。
 わたしや神様も、そこからは逆らえない。同じ本を読み返すみたいに、同じ光景が流れ続けるだけなの。
 今は自由に動いているように見えるかもしれないけど、それはあくまで……お兄さんの願いによって、変化が生まれてるからってだけ」

 だから、もしこの繰り返しの中で願いを集めて、過去のある地点まで戻れたとしても、過去を変えることはできない、と。
 俺はどう答えればいいのか分からなかった。シロの言っていることには、なんとなく納得できなかった。
 理不尽な現象を、理屈で理解しようとしても、無駄だというだけかもしれないけれど。

「でもね、それ以上の理由があるの」

 シロは俺の方を見上げて、かすかに微笑んだ。綺麗な微笑。子供みたいな微笑。
 不器用そうな笑顔。

「五年で二週間なら、十年で一ヵ月。じゃあ、六十年で六ヵ月。百二十年でやっと一年。
 わたしはこの何週間かの日々を、そのくらい繰り返さなきゃいけない。繰り返して、誰かの願いを叶え続けなきゃいけない。
 記憶を持っているお兄さんも、司書さんも、それだけの日々を繰り返さなきゃいけない。
 ねえ、お兄さん。わたしが言いたいこと、分かる?」

864: 2014/03/17(月) 03:16:14 ID:4R28lbaQ



 俺たちはしばらく黙り込んでいた。目も合わせなかった。
 ただどろどろとした沈黙だけが部屋を澱ませていく。

 息の詰まる居心地の悪さをごまかすみたいに、俺は口を開いた。
 何かを言わずにはいられなかった。
 
「なあ、シロ」

「なに?」

「そもそも、世界はどうして巻き戻ってるんだ?」

「分からない?」

「……」
 
 本当はなんとなく、想像できていた。誰が願ったのかは分からないけれど、内容は。
 そうでなければ、シロはこんなふうにはならなかったはずだ。

865: 2014/03/17(月) 03:16:58 ID:4R28lbaQ

「……誰かが誰かを生き返らせようとしたんだな」

 シロは頷いた。

「その結果、巻き戻しが起こった」

「そう」

「つまり、誰かの氏を否定するために、世界は巻き戻されている。
 巻き戻すことでしか、生き返らせることができなかった」

 シロはまた頷いた。

「でも、それは"巻き戻される"だけで、事実が変えられるわけじゃない」

「そう」

「巻き戻しが起こっても、本来なら、何度も同じ景色が繰り返されるだけだった。そこに変化がうまれたのは……」

「うん。お兄さんと、シショさんの願いの影響。お兄さんの願いを経由して、わたしは世界を変化させることができた。
 シショさんも、記憶の重なりを原因に、少しずつ行動が変えてしまって、かすかに世界に影響を与えている」

 逆を言えば、こうした重なりが起こらないかぎり、シロの願いは叶わないということなのだろう。
 巻き戻したところで、変化はしないのだから。
"氏の事実を覆したい"という願いを叶えた結果、巻き戻しが起きた。だからこそ、シロは自分の願いが叶わないだろうことを知った。

869: 2014/03/18(火) 03:05:52 ID:Mil6fbu.



「……訊いてもいいか?」

 シロは静かに頷いた。

「どうして、その話をする気になったんだ?」

「べつに。ただ、わたしにはもう――」

 ――何もかもが面倒になって。シロはそう言って笑った。

 俺は静かに溜め息をついた。それから、どういう言い方をするべきだろう、と考える。
 
「きみには、巻き戻しを止めることはできないのか?」

 彼女は静かに頷いた。

「できない」

「きみが起こしたのに?」

「誰かが願えば別だけどね」とシロは言った。

870: 2014/03/18(火) 03:07:01 ID:Mil6fbu.

「わたしが自分の思うままに誰かの願いをなかったことにできたら、それは危険だからって神様が言った。
 だからわたしには、最初からその権限は与えられていなかった。話がややこしくなるからって。
 どの願いを叶えるのかを決めることはできたけど……」

「……でも、俺の願い事に関しては、結構いろいろ細工してたんだよな?」

「うん。でも、巻き戻しに関してはできない。お兄さんのお願いは、結局、"見せるだけ"だったから。
 それに、それぞればらばらに細工をしていたわけで、願いそのものをなかったことにしたりはしなかった」

 その点も不思議だったけれど、俺はそれについては何も言わずに言葉を続けた。

「つまり、巻き戻しの願いは、シロの制御下にはなかった?」

「そう。巻き戻しは、勝手に起こったことなの。願いを叶えた結果。
 あの願いの結果、どうなるかはわたしにも分からなかった。叶わないんじゃないかってわたしは思ってた」

「神様の力じゃ、人を生き返らせることはできなかった。
 だから、その"誰か"が生きている時間まで、世界を巻き戻すことで、願いを叶えた。
 それがそういう結果になるなんてことは、きみにも予想できていなかった。こういうこと?」

871: 2014/03/18(火) 03:08:38 ID:Mil6fbu.

「うん、そういうこと」

「……なあ、シロ」

「なに?」

「おかしくないか?」

 俺と目が合うと、シロは戸惑ったように目を逸らした。

「巻き戻しには、シロや神様だって逆らえない。さっきそう言ってた。
 じゃあ、どうしてシロは俺の願いを叶えることができたんだ? 世界に細工することができたんだ?」

「それは……」

「きみはこう言ってた。巻き戻しの"ついで"に俺の願いを叶えたって」

872: 2014/03/18(火) 03:09:41 ID:Mil6fbu.

 シロは諦めたみたいに溜め息をついた。

「たしかに、わたしたちは、記憶を引き継いでる。だから、繰り返しの最中、違う行動をとることもできる」

「それっておかしいよな?」

「……」

「だったら、シロの願いだって、叶えられるはずだ。願いを集めるのに、途方もない時間が掛かるとしても。
 本当なら不可能だったかもしれないけど、いま、世界は繰り返しているし、繰り返しの中で願いを集めることもできた」

「無理なんだよ」とシロは首を振った。

「わたしはね、自分の願いを叶えてもらうまで、神様に協力する。そういう約束だったの。
 だから、わたしの願いが叶えられてしまえば、わたしは神様の力を失って、記憶を引き継ぐこともできなくなる。
 期間はもう関係ないんだよ。氏を覆す願いが、"巻き戻し"という願いで叶えられてしまうと分かった時点で、もうどうしようもないの」

「……でも、神様には記憶が残ったままだ。だったら」

 シロは短く首を横に振った。

「たぶん、無理だと思う。神様は、願いをきいて、それを叶えたら、おしまい。 
 わたしの願いは、たぶん神様の中では、巻き戻しだけで"叶った"ことになる。
 神様は自分の力を信仰してるの。だから、力が一度出した結果以上のことはしようとしない。
 でも、それは事実でもあるの。わたしや神様は、繰り返しの中で起こっていることに、ほとんど影響を与えられない」

873: 2014/03/18(火) 03:13:53 ID:Mil6fbu.

「記憶を引き継いでも、わたしは本当に、世界に影響を与えられないんだよ。
 何かしようとしても、自分たちの力じゃどうしようもない。"繰り返し"の原因には、影響を与えられない」

 彼女は小さく首を横に振った。

「それに、わたしの力っていうのは、願いを叶えるためだけにしか使えないの。
 自分のためには、ほとんど使えない。誰かの願いを叶えるためにしか、使えない」

「……それも、やっぱり変だよな?」

「……」

「きみが、さっき俺に見せた映像は、じゃあ、どんな願いの影響で見せたんだ?
 それに、もっと苦しめと言って、俺に繰り返しの記憶を戻したのは、誰の願いを叶えるためなんだ?」

 シロは何も言わなかった。

「きみはこう言ってた。願いは三つ重なってるんだって。逆を言えば、三つだけだ。
 司書さんの願いは、記憶に関するものだけだ。あの人自身もそう言ってた。
 じゃあ、残りのどちらか二つの願いだよな。俺の願いか、もう一人、誰かの願いか」

「……」

874: 2014/03/18(火) 03:15:39 ID:Mil6fbu.

「俺の願いは、俺自身が思い出せていないからきみの言葉を信じるしかないけど……。
 きみの言葉を信じるなら、たしか、『自分がこうじゃなかったらって世界を見てみたい』、だったはずだ。
 この願いに対して、俺の記憶を蘇らせてしまうのはおかしい。
 べつに矛盾するわけじゃないけど、そんなことをするまでもなく、『世界を見る』ことはできてたから」

「……お兄さん」

「だとすると、俺の記憶を蘇らせたのは、もうひとつの願いのためってことになる」

「お兄さん、わたしは……」

「つまり、この巻き戻しを引き起こした願い。誰かを生き返らせる願い。
 それを叶えるために、きみは俺の記憶を刺激してるんじゃないのか?」

「……」
 
 シロは黙り込んだ。彼女はさっき、「繰り返しの原因に対しては影響を与えられない」と言っていた。
 つまり彼女は、繰り返しの原因に対して影響を与えようと、試みたことがあるのだ。
 
「……神様にはね」

 俯いたまま、シロは口を開いた。

875: 2014/03/18(火) 03:17:08 ID:Mil6fbu.

「神様には、諦めた方がいいって言われたの。繰り返しが起こるって分かったときにね。
 さっき言ったように、神様は自分の力を信じてるから。
 願いを集めてそういう結果になったということは、それ以上はできないんだって」

「……どういうこと?」

「でも、わたしは、できるはずだって思ったの。だってわたしはちゃんと記憶を引き継いでるんだから。
 だから過去を変えられるはずだって。でも、できなかった。わたしが干渉しようとしても、できなかったの。
 どうしてかは分からないけど、いつも、氏んでしまうの。結果だけは変えられないの」

 だから……、と言いかけたところで、彼女は口を噤んだ。

「……だから?」と俺は続きを促す。

「……だから、つまり、わたしの願いが叶っても、そうなるだろうって分かってしまったわけね。
 そうである以上、わたしにはもう、願いを集める理由なんて、本当はなかった。
 だから、嫌気がさして、お兄さんに皮肉や意地悪を言ったりもした。たくさんね。
 自分本位な願いを叶えていい気になってる人なんて、もっともっと苦しめばいいって思った」

876: 2014/03/18(火) 03:17:48 ID:Mil6fbu.

 まず最初に、繰り返しが起こる。シロはそれによって"誰か"の願いを叶えようとした。
 でも、シロはそこに介入できず、俺の願いを叶えるようになる。……いや、違うか。

 ――お兄さんはまったく無関係の、巻き込まれちゃっただけの、赤の他人だから。
 ――でも、同じ時期に叶えちゃったから、一応様子見してるだけ。

 願いを叶えたのは"同時期"だった。思い出してみれば、奇妙な言い回しだ。今の情報と話が食い違ってる。
 つまり、ああいう言葉が「皮肉」だったという意味か。
 たしかに、彼女はやけに攻撃的だった。最初の頃は。

 でも、途中で変わった。
 単に言葉や態度で俺を攻撃するだけではなく、力を使うようになった。

「たぶん、もう推測できたと思うけど、わたしがお兄さんの記憶を刺激したのは……」

「……三人目の願いを叶えるため?」

 長い沈黙の後、彼女は小さく頷いた。

「わたしには無理だったけど……他の誰かなら、助けられるかもしれないって思った。
 信じてくれるかは分からないけど、わたしだって別に、誰かを不幸にしたかったわけじゃないんだよ」

877: 2014/03/18(火) 03:18:57 ID:Mil6fbu.

 シロは顔をあげて、こちらを見た。彼女は苦しそうだった。
 話は半分も理解できない。仕組みも、状況も、まったくといっていいほど読み取れない。

 分かるのは、彼女に支配できる領域と、できない領域がある、ということだけだ。

「さっきタイタンが、俺の願いを無効にするように願おうとしたよな。あれを拒んだのは、どうしてなんだ?」

「……お兄さんの願いが無効になったら、お兄さんは巻き戻しの影響を直に受けるんだよ。
 それでも、お兄さんに記憶を植え付けるくらいのこと、わたしにはできるけど……。
 でも、そういうやり方はもう試した。結局ダメだった。"願い"が重複しているからこそ、うまくいく可能性があるの」

 言葉の意味が掴めなかったが、とにかく、質問を重ねた。
 
「……どうしても分からないんだけど、なんでそんな回りくどい手段をとる必要があったんだ?」

 彼女は小さく溜め息をついた。何か言ってくれるかと思ったけど、何も言ってくれなかった。

878: 2014/03/18(火) 03:19:57 ID:Mil6fbu.

「その"誰か"がどんな氏に方をするかは分からないけど、俺の力で歪められるっていうことは、だ。
 つまり、病氏なんかではないってことだよな。なにかの事情で突発的に氏ぬってことだ」

「……そう、だね」

「じゃあ、きみは俺に、それを阻止するような認識を植え付けてしまえばよかったんじゃないのか?
"何か"が起こるその場に居合わせるようにしてしまえばよかったんじゃないのか?」

 彼女は頷く。

「だから、やったよ」

「……そんな記憶、ないけど」

「この世界で」と彼女は言った。

「この世界で、お兄さんは、たぶんその場に居合わせることになると思う。
 でも、本当は直接的なやり方は避けたかった。いくつかの理由で」

「……どうして?」

 彼女は答えてくれなかった。沈黙が続く。ひっそりとした静寂が、なぜだかいつもよりよそよそしく感じられる。

879: 2014/03/18(火) 03:20:31 ID:Mil6fbu.

「なあ、シロ。ひょっとして、三人目っていうのは、俺の知ってる奴なのか?」

「……」

「そうだとしたら、繰り返しによって守られてる奴も、俺の知ってる奴なのか?」

 シロは黙り込んだまま、俯いている。肯定、なのだろうか。
  
「シロ」

 縋るような、少し強い調子でそう言ってみる。
 すると彼女は、

「な、なに?」

 と急に顔をあげて、目をぱちぱちさせた。

「……」

「えっと、なんだっけ……?」

「今、ひょっとして寝てた?」

 彼女は気まずそうな顔で俺を見上げた。

880: 2014/03/18(火) 03:21:37 ID:Mil6fbu.

「……とりあえず、今日は寝るか」

 なんとも緊迫感のない話だったけど、時計を見るともうだいぶ時間が経っていた。
 話をやめると、シロは途端に船を漕ぎ始め、やがてベッドに倒れ込んだ。

 俺は彼女の体をちゃんとベッドに寝かせ、タオルケットと薄い毛布をかぶせた。
 それから部屋を出る。扉をしめる直前、電気を消しかけて、結局つけたままにした。

 そのまま階段を降り、キッチンへ向かい、水を飲んだ。

 情報が多すぎて整理しきれない。

 でも、分かったことはある。

 この繰り返しの原因は、ある人物の氏にある。
 逆を言えば、その人の氏さえ避けられるなら、繰り返しは終わる。
 繰り返しさえ終わってしまえば、司書さんも、妙な記憶に苦しめられることはなくなる。

 そこまで考えてから、俺は自分の手が震えていることに気付いた。 
 シロの言葉が正しいなら、近々、俺の目の前で、誰かが氏ぬことになるかもしれないのだ。

881: 2014/03/18(火) 03:22:07 ID:Mil6fbu.

引用: こんな日が続けばいいのに