304: 2014/05/03(土) 01:27:09 ID:ZAbQZ7bQ
【SS】こんな日が続けばいいのに【1】
【SS】こんな日が続けばいいのに【2】
【SS】こんな日が続けばいいのに【3】
【SS】こんな日が続けばいいのに【4】
【SS】こんな日が続けばいいのに【5】
【SS】こんな日が続けばいいのに【6】
【SS】こんな日が続けばいいのに【7】
【SS】こんな日が続けばいいのに【8】
【SS】こんな日が続けばいいのに【9】
【SS】こんな日が続けばいいのに【完】
◆01[Энергия]
カーステレオから、「デイドリームビリーバー」が流れ始めた。
うたた寝から目覚めるように、俺はぼんやりと意識を取り戻す。
まっすぐに伸びる田舎道を、車は走っていた。
うんざりするような田園風景。ずっと似たような景色が続いている。
俺は助手席に座っている自分に気付く。
歌っているのはモンキーズだった。
でも、この曲を聴くたびに、俺はタイマーズ版の日本語詞を思い出してしまう。
もう今は 彼女はどこにもいない
朝はやく 目覚ましがなっても
そういつも 彼女と暮らしてきたよ
喧嘩したり 仲直りしたり
その連想は俺の中の何か重大な記憶を静かにノックしはじめる。
けれど結局、その記憶がいったいいつの、どんなものなのか、分からずじまいだった。
意識がおぼろげで、自分が今どこにいるのか、何をやっているのか、分からない。
305: 2014/05/03(土) 01:27:41 ID:ZAbQZ7bQ
運転席には女が座っていて、進路をまっすぐに見据えながらハンドルを握っていた。
俺はその女が誰なのか、思い出せなかった。
たしかに知っているはずだ。そういう実感がある。
……でも、思い出せない。
「おはよう」と女は言った。
「……おはよう」と俺も返事をした。
ぼんやりとした俺の口調がおかしかったのか、彼女はけらけら笑う。
「今どこにいるか、ちゃんと分かる?」
「車の中」
「そう」と女は頷いた。
「それだけ分かってれば十分」
女はそれから自嘲するみたいに笑った。
306: 2014/05/03(土) 01:28:37 ID:ZAbQZ7bQ
「どこへ向かってるの?」
そう訊ねると、彼女は奇妙そうに首を傾げた。
「さあ?」
そんなことを自分が知るわけがない、とでも言うみたいに。
「わたしに分かるわけがないでしょ」
じゃあ誰なら知ってるんだよ、と俺は思った。
「とにかく車は走り続けるんだよ」と彼女は言った。
「あなたが走らせているんだろ?」
「どうだろう。実は関係なかったのかもしれない」
女はおどけたように笑ったけれど、その冗談はあまり面白くなかった。
「またつまんない顔してる」
307: 2014/05/03(土) 01:29:09 ID:ZAbQZ7bQ
「……そりゃ、つまらないから」
「せっかくのかわいい顔が台無し」
からかわれたのかと思ったけど、彼女の声音には、どこか寂しそうなものが含まれているような気がした。
道はただ延々と続いている。
景色が後ろへと、めまぐるしく吹き飛んでいく。似たり寄ったりの光景の中に。
「ねえ、どうして過去形なの?」
「なにが?」
「"関係なかったのかも"って。今も車は走っているのに」
「耳聡いなあ。……うん。その話をしようか」
そう言ったのはいいが、彼女はそれ以降、言葉を絞り出そうとするみたいに黙り込んでしまった。
なにか難しそうなことを考えているような顔。
308: 2014/05/03(土) 01:29:58 ID:ZAbQZ7bQ
「……うまく言えないや」
困ったように笑う女の顔は、なんだか混乱しているようにも見えた。
頭の中に脈絡もなく散らばってしまった無関係の思考。
それらを繋ぎ合わせることができずに、呆然としているみたいな。
それから俺は、ふと思い出して、口に出してみた。
「やっぱり俺は罰を受けたのかな」
「……なにが罰だって言うの?」
「覚えてるんだ、俺。……妹が、車の前に飛び出して、それで……」
「……」
「さんざん好き勝手しておいて、何も失わずにいられるほど、世界は都合よくできてないってことなのかも」
女は黙ったままだった。
うまく説明したいのだけれど、どこから説明すれば分からない、というふうに。
309: 2014/05/03(土) 01:30:58 ID:ZAbQZ7bQ
「好き勝手っていうのは、女の子たちのこと?」
「……」
「それとも、女の人の記憶のこと? 友達を、そうとは知らずに氏なせていたこと?」
「……全部だよ」
「どれも事故みたいなものでしょう」
「……でも、引き金は俺だ」
「……まあ、そうとも言えると思うけどね」
女は溜め息をついた。
「でも、罰なんてものはないよ。自分でそう言ってたんでしょ。
起きたことは起きたことで、そこに意図はない。受け手の解釈次第だって」
たしかに、そんなことも言った。でも……。
310: 2014/05/03(土) 01:31:43 ID:ZAbQZ7bQ
「あなた、誰?」
「……」
「どうして、俺のことを知ってるんだ?」
「……どうしてもなにも、それはもちろん、知ってる。なぜって、わたしはあなたの一部だから。
たぶんね。でも、どうかな? 本当のことは分からない。
それこそほら、好きなように解釈してよ。そういうの、好きでしょ?」
「……」
俺は、女のその言葉を深くは考えずに窓の外を見た。
景色はいったい、いつまで続くんだろう。
311: 2014/05/03(土) 01:32:13 ID:ZAbQZ7bQ
「……バカみたいだ」
「……なにが?」
「……ループは終わって、登場人物はみんな幸せになるんだ。
不幸になるのは、繰り返しを引き起こしていた悪者だけだ。
分かりやすい罰を食らって……物語は綺麗に終わる。ハッピーエンドだ」
「……つらくない?」
「なにが」
「そんな他人事みたいな言い方してたら。余計、つらいでしょ」
「……」
「それに、誰が幸せになれるっていうの? あなたの見た、その結末でさ。
あなたの友達も、そんな場面に出くわして、悪役をやっつけてハッピーエンドだって思えるの?」
「……」
312: 2014/05/03(土) 01:32:47 ID:ZAbQZ7bQ
「手を繋いでたら……」
と、女は言った。
「……なに?」
「手を繋いでたら、道路には飛び出さなかったかもね」
「……じゃあ、手を繋がなかったから、氏ぬことになったのか」
「……ねえ、だったら手を繋ぐべきだったって、思う?」
「……」
「手を繋がなかった自分の落ち度だって、それに気付かなかった自分の怠慢だって、思う?」
答えなかったけど、俺は、そう考えようとしていた。……たぶん。
313: 2014/05/03(土) 01:33:40 ID:ZAbQZ7bQ
「本当に、もう……」
女は呆れたみたいに溜め息をついた。
そして、咎めるみたいな鋭い口調で、口を開く。
「わたしに言わせれば、あなたに罪なんてほとんどない。
まったくないとは言わないけど、でもそんなの、事故みたいなものよ。
あなたはいつも、自分の行動を、ああすればよかったとか、こうすればよかったとか、そんなことばかり。
でも、いつだって常に最善の行動をとれる人間なんて、どこにもいない。そうじゃない?」
「……」
「あなたが自分を責めるのは、結果論。
起こったあとに、ああもできた、こうもできたって考えてるだけ。
どんな状況でも、自分が正しい判断と行動を見失わなければ、悪いことは起きないなんて……。
それこそ、都合の良い妄想みたいなものよ」
「……」
「いいかげん、目を覚まして。あなたは物語の主人公じゃないの。
どんな状況でも過不足ない正確な情報が与えられるわけじゃない。
どんな状況でも公正な判断力を失わずにいられるわけじゃない。間違えるし、失敗する。
あなたは普通の人間なのよ。普通の人間なんだから……仕方ないことを、受け入れなさい」
314: 2014/05/03(土) 01:34:25 ID:ZAbQZ7bQ
ためらうような間をおいてから、けれどそれでも、女は言葉を続けた。
「……自分が過ちを犯しさえしなければ、誰も不幸にならなかった、なんて。
そういう考え方をね……傲慢って言うのよ」
女の声は、俺の耳から体の内側に入り込んで、静かに俺を傷つけた。
「……でも、俺は受け入れたくなかったんだ」
「……」
「仕方ないことだって、そんなふうに受け入れたくなかった。
ずっと悲しいんだ。もっとやれることがあったはずだって思うんだよ」
「……きっと、わたしのせいなんでしょうね」
315: 2014/05/03(土) 01:35:16 ID:ZAbQZ7bQ
でもね、と女は言う。
「わたしは後悔なんてしてない。わたしは、自分がやれる限りのことはしたって思う。
あなたたちにとっては勝手な話だったかもしれない。本当はずっと謝りたかった。
それでも、わたしはわたしなりに最善を尽くそうとしたのよ。その結果がどんなものであったって。
それに、そうすることで守れたものだってちゃんとあったんだから」
「……」
「そのあとのことは、わたしにはどうすることもできなかったから。
だから、あなたが落ち込むのも止められなかったし、あの人のことも……。
でも、もうそろそろ、そんなのはやめにしなさい。あの人のことも、ちゃんと叱っておくから」
「……」
「わたしがしたことで、あなたがそんなに苦しむとは思わなかった。
でも、体が勝手に動いたの。今のあなたなら、それが分かるでしょう?」
どういう意味だろう? それがよく分からなかった。
「きっとあの子は、自分のせいだって思う。だってあなたたちは兄妹だもん。
たぶん、父親に似たんでしょうね。……似なくてもいいところばっかり」
316: 2014/05/03(土) 01:35:58 ID:ZAbQZ7bQ
女は、不意に、ゆるやかにブレーキを踏んだ。
「さ、降りなさい」
「……え?」
どこかに着いたわけではない。
さっきまでと何も変わらない。長く伸びる道。退屈な田園風景。
誰もいない。何もない。そんな場所。
「残念だけど、わたしが一緒にいけるのはここまでなの」
「……こんなところに下ろされて、どうしろっていうんだよ」
女は勝手に助手席のシートベルトを外し、強引に扉を開けて、俺を車から追い出した。
317: 2014/05/03(土) 01:36:31 ID:ZAbQZ7bQ
「わたしだって、本当はもっと遠くまで、一緒に行きたかった。
一緒に見たい景色も、一緒にしたいことも、待ち望んでいたことも、たくさんあった」
ふと、思い出す。
デイドリームビリーバー。タイマーズの訳詩。あれは……。
本当かどうか知らないけど、あれは恋人との別れの話じゃなくて……。
「……でも、ごめんね」
「待ってくれよ! こんなところに放り出されて、どうしろっていうんだ?
俺は自分がどこへ行けばいいのかもまだ分かってないんだ。
何をすればいいのかさえ、分からないんだよ。急に置き去りにされたって……」
「……あなたがどこに向かえばいいかなんて、わたしには分からない」
「……そんなのってないだろ。だって、あんたが俺をここに連れて来たんじゃないか」
「自分で決めなきゃ」と女は言った。
「……そんなの、勝手だ。勝手な、押し付けだ」
「うん。……そうかもしれない。でも、引き受けてくれるでしょう?」
318: 2014/05/03(土) 01:38:24 ID:ZAbQZ7bQ
俺は頷きもしなかったけど、それでも彼女は満足そうに笑った気がした。
「ひとつ、訊きたいんだけど」
「なに?」
俺の言葉に、彼女はさっきまでよりは晴れ晴れとした表情で応じた。
「俺が見た、最後の景色。あれは、間違っているのか?」
「……つまり、あの子が車の前に飛び出して、そのあとどうなったかってこと?」
「……そう」
「それは、あなたが自分で確かめないと」
「……そっか。そうだよな」
319: 2014/05/03(土) 01:39:14 ID:ZAbQZ7bQ
「走れば……」
「え?」
「走れば、分かるかもね」
「どういう意味……」
問いかけの途中で、強い風が吹いた。
風は砂埃をあげて、俺の視界を覆う。
とっさに目を瞑り、風が通り過ぎるのを待つ。
再び瞼を開いたときには、さっきまでたしかにあったはずの車は、どこにもなかった。
320: 2014/05/03(土) 01:40:21 ID:ZAbQZ7bQ
ひとりぼっちになった俺は、とにかく、自分の居る場所を確かめようとした。
空は高くて青い。太陽がうるさいくらいの光をまき散らしている。
退屈な田園風景。でも、嘆くほど悪いものだとも思わなかった。ただ退屈だというだけだ。
放り出された俺は、どこに向かえばいいのかも、どこに向かうことができるのかも分からなかった。
俺に分かるのは、自分が今ここにいるということだけだ。
仕方ないか、と俺は思った。とにかく道は続いている。歩いてみよう。
そして、ふと、彼女の最後の言葉を思い出す。
立ち止まり、息をつく。それから、数字を数えた。
五、四、三、二、一……。
ゼロで、走り出す。
俺の身体が、空を切り裂く。
――視界が、鋭く歪んで見える。
――風を切る、音が聞こえる。
当たり前の感覚の中、走り続けるうちに、唐突に、ひかりが現れる。
俺の視界を、塗りつぶすみたいに、覆い尽くす。
世界が、真っ白になる。走っているのかどうかも、分からなくなる。
――ひかり。
324: 2014/05/07(水) 02:30:18 ID:94J2xK8E
◇01[Happy Birthday]
――クラクション。
痛みと共に、意識が浮上した。
誰かが俺を呼んでる。
誰か? 違う。この声は、妹の声だ。
「お兄ちゃん!」
そんな、必氏そうな呼び声。ついでに猫が唸る声が聞こえる。
瞼を開くと、夜空が見えた。飛行機が、視界を横切っていく。
体に何かが乗っているような重み。
体の上に視線を向けると、浴衣姿の妹が、俺の上にのしかかっていた。
俺と妹の身体の隙間で、猫がもがいている。
車が行き交う音。誰かの足音。
「大丈夫?」
サクラの声だ。……後ろの方から、近付いてくる。
325: 2014/05/07(水) 02:30:57 ID:94J2xK8E
「ふたりとも、大丈夫? 怪我、ない?」
「わたしは大丈夫ですけど……」
状況がまだつかめなかったけれど、妹が「大丈夫」というのを聞いて驚いた。
どうして無事なんだ?
「お兄ちゃん、大丈夫?」
俺は背中や後頭部にざらついた痛みがあることに気付く。
「……痛い、けど、たぶん平気」
何が起こったのか分からない。
いったい何がどうなって、こんな状況になったのか分からない。
326: 2014/05/07(水) 02:31:30 ID:94J2xK8E
「びっくりしたよ、急に車の前に飛び出すんだから」
「……ごめんなさい」
「ホントに、びっくりしたんだからね」
サクラはほっとしたような溜め息をついた。
妹は、どこかしゅんとした表情のまま、こちらを見下ろしている。
浴衣姿の女の子に見下ろされるっていうのはなんか気分がいい。
と、意識がぼんやりしているせいか、そんなことを考えた。気の迷いだ。
頭が痛い。
内部じゃなくて、外部が。鋭く痛い。
327: 2014/05/07(水) 02:32:09 ID:94J2xK8E
「……ここ、どこ」
と、出した声は、自分のものながら、なんだか眠たげで、気だるげで、間抜けだった。
そんな声だったのに、妹は緊張の糸が切れたみたいに泣きそうな顔をしていた。
「……お兄ちゃん」
「ヒメ、頭打ったりした?」
「……わかんない。なんか、猫が轢かれそうになって……」
「うん。それを追いかけて、しいちゃんが……」
しいちゃん。そうだった、と思った。サクラだけが、そんなふうに妹のことを呼んだ。
「で、しいちゃんを追いかけて、ヒメが飛び出してって……」
……俺が、飛び出した?
328: 2014/05/07(水) 02:33:04 ID:94J2xK8E
「しいちゃんが猫を抱き上げて、猫を抱き上げたしいちゃんを、ヒメが間一髪で歩道に引き戻して……」
その勢いで、地面にドン、と……。
サクラの説明は大雑把だったが簡潔だった。
「大丈夫? 起きられる?」
「ごめんね」と妹は謝った。
謝るなよと俺は思った。言ってしまえば俺が不注意だったのだ。
こういうことが起こりうるって分かってて、こいつを連れてきてしまったんだから。
……と、考えるのも、なんだか今は馬鹿らしかった。
「……じゃあ、生きてるのか」
「氏ぬかと思った?」
サクラがちょっと意地悪く笑うと、ユキトが「冗談になってないよ」と不機嫌そうに呟いた。
「本当に危なかったんだぞ。道路に飛び出すなんて……」
ユキトは大真面目な顔で言った。
……でも、こいつだって飛び出してた。
あれも俺のせいだっけ? ……これが結果論ってことなんだろうか?
329: 2014/05/07(水) 02:34:11 ID:94J2xK8E
「……ごめんね、お兄ちゃん」
緊張したのだろうか。怖くなったのだろうか。
妹は、謝りながら泣きそうな顔をした。
「泣くなよ」と俺は言った。
「でも、危うく……」
なおも言葉を続けようとする妹に、俺は言葉をぶつけた。
ほとんど考えもせずに、言葉は溢れてきた。
「無事だったんだ。結果的にはだけど。結果的にはだけど……全部いい方向に動いたんだよ」
「……」
「猫だって氏ななかったし、車だって誰も轢かずに済んだ。
俺だっておまえを見頃しにせずに済んだし、おまえだって猫を見頃しにせずに済んだ」
これはほとんど、奇跡みたいなものだ。
少し、疑わしいほどに。
330: 2014/05/07(水) 02:35:53 ID:94J2xK8E
妹はまだ納得がいかないような顔をしていた。
俺はなんとなくあたりの様子を見回すけれど、傍には誰もいなかった。
「誰かに助けてもらったような気がする」
ユキトが、不思議そうに首を傾げた。
「誰かって誰?」
「分からないけど……」
本当は分かっているような気がしたけど、口に出したら途端に嘘っぽくなりそうだったから、やめた。
もしそうじゃないとしても、今はそういうことにしておきたい。
妹はしばらくあっけにとられたような顔で俺を見ていたが、やがて息苦しそうな溜め息をついて、
「わたしを助けてくれたのは、お兄ちゃんだよ」
と、小さく呟いた。
331: 2014/05/07(水) 02:36:33 ID:94J2xK8E
「立てる?」
とユキトが俺たちに訊ねた。
俺が立ち上がらずにいると、妹は心配そうにこちらを見た。
「どこかぶつけたの?」
真剣な表情に、おかしくなる。
「……おまえが避けてくれないと、立てない」
妹ははっとしたような顔になり、咳払いをしてから、平静を装って立ち上がった。
追うように、俺も立ち上がる。
体を動かしてみる。手足は擦りむいているみたいだったし、頭は地面に軽くぶつけたらしく、痛みがある。
でも、無事だった。
……奇妙なことだ、と俺は思う。
そんな都合の良いことがあるのか? と。
明らかに、間に合うような距離ではないと感じたのだけど。
332: 2014/05/07(水) 02:37:43 ID:94J2xK8E
「ほんと、危なかったね」
サクラが、心底ほっとしたように溜め息をついた。
猫が、静かに走り去っていった。
足を引きずったまま。
またあいつが車に轢かれそうになったらたまったもんじゃないと思ったけど、とっさに追うことはできなかった。
逃がしてしまった。
「本当にね」とユキトが言った。
「よりにもよって、こんな日に危ない目に遭わなくてもいいのに」
「……こんな日?」
俺が問いかえすと、ユキトは気まずそうにサクラと視線を交わした。
「……だから、せっかくのお祭りなのにってこと」
あえて問い詰めることはせずに、俺は猫を抱いた。
それから、不意に――ひかりのことを思い出した。
思い出せる自分に気付いた。
333: 2014/05/07(水) 02:39:18 ID:94J2xK8E
◇
祭りからの帰り道を、俺たちは四人で歩いた。
ふわふわと浮かんでいるような気分だった。
夢の中にいるような気分。
ひょっとしたら本当に夢の中なのかもしれなかった。
「なあ、ヒメ」
ユキトが、半歩後ろを歩いていた俺に声を掛けてきた。
俺はなんだか夢心地で、本当にこれが現実だという実感が湧かなくて、困っていた。
「一応、報告」
「……ああ、うん」
何の話なのか、とっさに思い出せなかった。
今日と昨日の繋がりも、一時間前と今との繋がりも、今の俺には曖昧だ。
「俺、サクラと付き合うことになったから」
334: 2014/05/07(水) 02:39:53 ID:94J2xK8E
「あ、うん」と頷きを返そうとしたところで、サクラが「ちょっと」と声をあげた。
「今言うの?」
「ダメだった?」
「ダメじゃないけど……」
ふたりの表情はなんだかぽわぽわしていた。たぶん浮かれているのかもしれない。
特にサクラの表情は、普段だったら絶対に見せないような戸惑いを浮かべていた。
ユキトがその表情を見て、なんだか嬉しそうに笑う。
妹がちらりと俺の方を見た。俺は溜め息をついてから、
「おめでとう」
と仕方なく祝福した。その態度に、ふたりがむっとした表情を見せる。
335: 2014/05/07(水) 02:40:48 ID:94J2xK8E
「なに? 何か言いたいことでも?」
サクラが妙に強気につっかかってくるが、たぶん気恥ずかしいのをごまかす照れ隠しなんだろう。
あるいは、自分の表情からユキトの注意をずらしたかったのかもしれない。
「まさか」と俺は言った。
「心の底からおめでとう」と俺は言った。
べつに皮肉のつもりもなかったけど、なんとなく皮肉っぽい言い方になってしまった。
サクラは何か言いたげに口を開いたけれど、結局すぐに閉ざした。
「……とにかくそういうことだから」
「うん。それならよかった」
本気で言ったんだけど、サクラはまだ、からかわれているときみたいな顔で拗ねていた。
照れているのかもしれない。
「よかった」と俺は繰り返した。ユキトは不思議そうに笑った。
俺たちはそのまま家までの道を一緒に歩いた。
妹がサクラの家に着替えを置いてきていたらしかったので、俺たちはそのまま彼女の家へと向かった。
336: 2014/05/07(水) 02:41:18 ID:94J2xK8E
「こうしてると、なんか、懐かしいね」
そんなふうに、サクラが言う。
「うん」とユキトが頷いた。
妹は何も言わずに俺たち三人の顔を見比べた。
俺は答えなかった。たしかに、懐かしい。
でも、まだ俺は不安だった。
今にまた何かが起こって、いろんなことが台無しになるんじゃないか。
すべてが駄目になってしまうのではないか。
そんな不安が消えてくれない。
337: 2014/05/07(水) 02:41:48 ID:94J2xK8E
それが顔に出ていたのかもしれない。
「どうしたの、ヒメ?」
問いかけてきたのは、サクラだった。
「……え?」
「なんか怖い顔してる」
俺は自分の顔に手をあてて、そのまま頬を指先でつまんで揉んでみた。
その様子を見て、三人は笑う。
「最近はずっとそんな顔ばっかり」
サクラの声はすごく自然だった。
ユキトも、妹も、笑っていた。笑えていなかったのは俺だけだったのだ。
俺は、今、三人と一緒に、同じ道を歩いている。
そう思った瞬間、今まで俺の心の奥の方で凝り固まっていたものが溶け落ちた気がした。
巨大な岩のような予感。……それは、岩ではなくて氷だったんじゃないか。
338: 2014/05/07(水) 02:42:21 ID:94J2xK8E
「いつか」、「どこか」のことは分からない。
でも、「今」、「ここ」で、少なくとも俺たちは、一緒にいる。
それなら、「いつか」「どこか」のことよりも。
「今」、「ここ」のことを考えればいいんじゃないのか。
自分が何か見当違いのことを考えていたような、そんな直感と納得。
そんなことに気付いて、思わず声をあげそうになるくらいびっくりして。
それからそれが、すごく当たり前のことなんだと気付いた。
だから思わず笑ってしまった。
ばからしくて。
三人は、夜道でひとり笑い始めた俺を見て、あっけにとられたような顔をする。
「……どしたの、ヒメ。頭、やっぱり強く打ったの?」
そんなことまで言い始める始末だった。
それすらもおかしくて、俺は更に笑ってしまった。
341: 2014/05/08(木) 01:27:29 ID:2EThNLeI
◇
日付が変わる。
342: 2014/05/08(木) 01:28:06 ID:2EThNLeI
◇
ノックの音で、目をさました。
「朝だよ」、と妹の声がした。
俺は目をさましてから、自分が眠っていたことに気付く。
そして、目をさましたことに気付くと同時に、枕元に置きっぱなしだった携帯の画面を見る。
日付は変わっている。
夏祭りの翌日に。
「……今日は何日?」
と俺は妹に訊ねた。
「ハッピー・バースデー」
と妹は言った。
「……は?」
「……分かってて言ったんじゃないの?」
「……なにを」
「今日はお兄ちゃんの誕生日だよ」
当たり前のような顔で、彼女はそんなことを言った。
343: 2014/05/08(木) 01:28:46 ID:2EThNLeI
◇
日付が進んだということは、繰り返しは終わったということだ。
ユキトは氏なず、世界は元通り、回転し続ける。
神様の言葉を信じるなら、サクラの願いもすぐに効力を失うだろう。
司書さんと俺の中に、記憶が残るだけで。
当たり前のように、世界は回り出す。
何もなかったみたいに。
そのせいで、俺はただ、自分が一人で妙な夢を見ていただけなんじゃないかという気さえした。
本当は繰り返しなんてことはまったくなくて。俺の意識が奇妙な妄想に悩まされていただけで。
何もなかったんじゃないか、と。
344: 2014/05/08(木) 01:29:26 ID:2EThNLeI
◇
夏祭りの翌日は、部活がある日だった。
だから俺は妹に起こされたあと、制服に着替えて部室に向かった。
まだ夢を見てるんじゃないか。そんな気がした。
現実感が薄いというより、何かが変わったという実感が湧かなかったのだ。
それでも制服に袖を通すことはできたし、朝食だって作った。
時計の針に耳を傾けることも、朝の天気予報を見ることもできた。
繰り返しの中でもできたこと。
だからきっと、あれはたしかに現実で起こったことなんだろうと思った。
夢なら記憶が薄れるけれど、この記憶は簡単には薄れてはくれない。
もちろん、そうあるように望んだのは、俺自身なんだけど。
345: 2014/05/08(木) 01:30:03 ID:2EThNLeI
◇
部室には誰もいなかった。
あまりにも人気がなかったせいで、俺は自分が日にちを間違えているんじゃないかとすら思った。
それでも携帯を開けばたしかに日付は進んでいる。
……少し早く来すぎてしまっただけなのかもしれない。
いろいろなことがあったせいで、どうもちょっとした変化に気を取られてしまう。
ふと思い出して、俺は例のリレー小説のノートを手に取ってみた。
さまざまな氏に方と、それに対する嘆き。
あまりに都合のよすぎる物語かもしれない。
巧拙で語るなら、稚拙かもしれない。
妄想めいていて、破綻しているかもしれない。
でも、そこにあるものがすべてだったのだという気がした。
この話はきっと、当然に起こりうる理不尽な悲劇の中で、ひとりの女の子が、
永遠ではないと分かり切っている幸せを、少しでも引き伸ばそうと努力するだけの物語だ。
その努力は報われてほしい。
だからこの結末でよかったんだ。
俺が書いたものよりずっと良い。……あんな愚痴みたいなものよりは。
そう思うと恥ずかしくなった。次はもっとましなものを書こうと、そう思った。……当たり前みたいに。
346: 2014/05/08(木) 01:30:48 ID:2EThNLeI
ノートを所定の位置に戻すとき、ふと、テーブルの上に茶色い手帳が置かれていることに気付く。
何気なくそちらに目を向けると、ページが開かれたままだった。
だから、見るつもりはなかったけど、俺はそこに書かれた文字を覗いてしまった。
最初の五秒は事故で済んだけど、残りの三十秒は故意で盗み見た。
断片的な書き込み。丁寧な字。
「チョコレートに対する軽蔑」
「解決した物語は他人事になる」
「幻の銃弾にあっさりと撃ちぬかれてしまったぼく・わたしたちは、
誰ひとり傷つけずに自分の世界を革命する方法について考えるのを、
いつまで経ってもやめることができない。今もやめることができない」
謎めいたルールで記述された詩みたいな言葉。
あるいは、思う様に吐き出したかっただけの、気持ちの痕跡なのかもしれなかった。
347: 2014/05/08(木) 01:31:34 ID:2EThNLeI
その最後に書かれた文章は、俺の目にはひときわ綺麗に見えた。
「ことばは氏んだ
口にされたと時、
という人がいる。
わたしはいう
ことばは生き始める
まさにその日に。」
それはとても意味深い啓示のように、俺の頭をしばらくのあいだ包み込んだ。
だから頭から抜け落ちていた。
その手帳が誰のもので、それがここにあるというのがどういうことなのか、ということを。
「あっ」と部室の入口から声が聞こえて。
「ああああ」という悲鳴めいた声が続いて。
あわただしい足音が近付いてきて。
俺の眼前からさっと手帳が消えた。
348: 2014/05/08(木) 01:32:12 ID:2EThNLeI
「……は、やかったですね」
と、十秒くらいの沈黙の後、部長は顔を真っ赤にしながら言った。
あっけにとられて、俺は相槌しか返せなかった。
「……ええ、まあ」
「……なにか見えましたか?」
「チョコレートが」
「……忘れてください」
「……いえ、そうじゃなくて。その、手に持ってる奴」
言われて、はっとしたみたいな顔で、部長は自分の右手を見た。
「チョコレートが入ってますよね?」
349: 2014/05/08(木) 01:32:49 ID:2EThNLeI
ああ、と部長は頷いた。
それから困ったみたいな顔をして、右手に持っていた袋をこちらからは見えないように隠した。
「……これは、その」
「はい」
「……お察しの通り、チョコレートです」
「……はあ」
「板チョコです。七枚あります」
「……食べるんですか? 板チョコ」
「食べません」
……食べないのになんで買ったんだ?
「あ、いや、食べるんです。食べるんですけど……」
350: 2014/05/08(木) 01:33:33 ID:2EThNLeI
部長はしばらくそのままむっとした表情で俯いていた。
俺はなんだか自分が悪いことをしたような気分になって(というか実際したのだが)黙り込んだ。
彼女は拗ねたみたいな顔をしたままそっぽを向いていたけれど、やがて溜め息をついた。
落ち込んでるというよりは、開き直ったみたいな溜め息。
ごそごそとビニール袋の中に手を入れたかと思うと、彼女はそこから一枚チョコを取り出した。
しばらく自分の手の中にあるそれを真剣そうにじっと眺めていたが、やがて、
「……食べますか、これ」
と、そう言って俺に差し出した。
「……はあ」
俺は状況がつかめなくて、そんな生返事しか返せなかった。
「食べないならいいです」
「……そう、なんですか?」
351: 2014/05/08(木) 01:34:09 ID:2EThNLeI
「……嘘です」
「……すみません、よくわかんないんですが」
「食べてください」
「……え?」
「甘いもの、嫌いですか? それとも、食べたい気分じゃないですか?」
「……いや、甘いものは、だいたい好きですよ。シュークリームも、ケーキもチョコレートも」
ただ、縁がないだけで。
「……受け取ってください」と彼女は言った。
「これはとても個人的な儀式みたいなものなんです。付き合わせて申し訳ないんですけど……」
「……儀式?」
352: 2014/05/08(木) 01:35:30 ID:2EThNLeI
「わたしも、変わらなきゃいけないって思ったから」
彼女はそこで首を横に振った。
「……変わりたいって思ったから」
「……そう、なんですか?」
「……うん。たぶん」
「はい」じゃなくて、「うん」だった。
意味を見出そうとするのは、浅薄かもしれない。
それでも俺は、
「じゃあ、いただきます」
と言って、差し出されたチョコレートを受け取った。
彼女はほっとしたみたいに息をつく。
どうでもいいが、板チョコというあたりが、不器用な感じでなんとも彼女らしい。
353: 2014/05/08(木) 01:36:11 ID:2EThNLeI
◇
部活を終えて部室から出るとき、何気なく携帯を開くと、メールが何通か来ていた。
一つ目はサクラから。
二つ目はユキトから。
三つ目は、タイタンから。
内容は全部一緒だった。
みんな当たり前のように祝福してくれていた。
笑えばいいのか、泣けばいいのか分からなかった。
安心したのか、恥ずかしくなったのか、うれしかったのか、自分でも分からない。
ただ、俺はその三通のメールをしばらくじっと眺めていた。
だからなおさら、分からなくなってしまった。
354: 2014/05/08(木) 01:37:08 ID:2EThNLeI
◇
校舎から出ると、昇降口にミソラが立っていた。
「やあ」と彼女は言った。「やあ」と俺も応えた。
「誰かを待ってるの?」
訊ねると、彼女は頷いた。
「でも、晴くんのことを待ってたんじゃないよ」
「そっか」
そうだろうなと思っていた。彼女は俺の反応を見てつまらなそうな顔をした。
「友達を待ってたの」
「……喧嘩した友達?」
「うん。仲直りしたから」
そういえば、そう言ってた。俺は当たり前みたいに、彼女の横を通り抜けようとした。
355: 2014/05/08(木) 01:37:39 ID:2EThNLeI
「……ねえ」
と、後ろから呼び止められた。
「なんか、浮かない顔してるね。何かあった?」
当たり前みたいに。
俺のくだらない浮き沈みを、敏感に感じ取る。
きっと、彼女のような人間の方が、俺みたいな奴の数倍、察しやすいんだろう。
答えるかどうか、迷った。でも、結局話すことにした。
「良いことがあったんだよ」
「……ふうん?」
「それで、ちょっと」
「……いいことがあって、困ってるの?」
356: 2014/05/08(木) 01:38:15 ID:2EThNLeI
「違う。困ってるんじゃないよ。前までの俺だったら、困ってたけど。
ちょっと悔しいだけなんだ」
「……そっか」
「ミソラのおかげだよ」と、俺は彼女の名前を呼んでみた。
彼女は戸惑ったみたいな顔で、視線をあちこちにさまよわせる。
「わたし?」
「今までの俺だったら、後悔だけで止まってたよ。過去形で物を言ってた。
でも、今は違う。きみが言ってくれた通り、どうやら俺にもまだ未来ってものがあるみたいだから」
「……」
「……夢を見てるみたいなもんだと思ってたんだ」
「……なにが?」
357: 2014/05/08(木) 01:39:13 ID:2EThNLeI
「ありえたかもしれない可能性を考えること。
ああすればよかったとか、こうできればよかったとか、そんなことを考えるのは。
夢を見るようなもので、結局そこには何の意味もないんだって。そう思ってても、やめられなかった」
「……今は、違うの?」
「どうかな。……たぶん、違う。違うと思いたい。
いつも、悪い夢をみたり、良い夢をみたり、あるいは、物語を読んだりして、それを今の自分と比べて落ち込んだりするんだ。
でも、そこで止まらないで、その夢から何かを持ち帰ることができたら、夢を見ることは無意味じゃないのかもしれない」
よくわからない、というふうに、ミソラは首を傾げた。
けれど、いくら彼女自身が忘れているとはいえ、そんなふうに繰り返しの出来事を片付けるのは……。
……無神経だったかもしれない。
それから少し、たわいもない世間話を交わしたあと、彼女はあっさりと去って行った。
俺はその背中を見送ってから、少しの間、繰り返しの中での出来事について考えた。
俺がしたこと。俺が見た景色。誰もが忘れてしまったこと。
俺はそれを覚えている。覚えているなら、そこから学ぶことだってできる。
きっと。たぶん。俺はそう願っている。
358: 2014/05/08(木) 01:40:20 ID:2EThNLeI
◇
校門を出たとき、ふと気になって、うしろを振り返った。
夏休みの校舎は、蝉の鳴き声の中で奇妙な静けさをたたえていた。
俺は屋上を見上げようとする。
もちろん、そこに何があるかなんてわからない。
それでも、なんとなく、ヒナがそこにいるような気がした。
たぶん、ただの錯覚。誇大妄想。でも……。
彼女がそこにいるとしても、俺が会いにいくことはない。
こういう場合でも、やっぱり身勝手は身勝手なんだろう。
繰り返しの中だったとはいえ、一時は俺だって、彼女のことを好きだったはずなのだ。
それはおそらく、繰り返しの中で唯一歪められた、作為による感情だった。
……傍にいられて嬉しかったのは嘘じゃない。彼女が忘れてしまっているとしても。
それでも、今の俺には、会わなければいけない相手がいる。
そして、それは彼女ではないのだ。
359: 2014/05/08(木) 01:41:01 ID:2EThNLeI
◇
いつもの公園のベンチに、女の子が座っていた。
膝の上に、怪我をした白い猫をのせて。
それはすごくバカげた光景に見えた。
ありふれた住宅街の中の、面白みもない公園。
申し訳程度に植えられた花壇の花々が、いっそう寂しさを強めているような気がする。
女の子は景色には不似合いの綺麗な着物を身にまとっていた。
なんとなく、彼女は俺を待っていたのだという気がした。
「……うまく、いったん、ですよね?」
俺が歩み寄ると、彼女はこちらを見上げることもなく、視線を猫に向けたまま、そう訊ねてきた。
「……たぶん。一応はね」
「そうですか」
軽い溜め息を、彼女はついた。表情に動きがないから、何を考えているのか、分からない。
360: 2014/05/08(木) 01:41:48 ID:2EThNLeI
「いろいろ、面倒なことをして、悪かったな」
そう謝る。謝らなければならない、と思った。
「……べつに、かまいません。そもそもは、わたしがしたことですから」
猫が、少女の膝の上で尻尾をぱたぱたと揺らした。心地よさそうに。
傷なんてないみたいに。
「わたし、思ったことがあるんです。たぶん、なんですけど」
「……なに?」
「あなたのこと」と、彼女は俺とまっすぐに目を合わせた。
「……あなたは繰り返しの中で、いつも混乱していた。
何を求めていたのか、自分でもよく分かっていなかった。そうじゃ、ないですか?」
「……どうなのかな。よくわからない」
「その理由。……こじつけめいているかもしれないけど、つまり、あなたは、忘れていなかったんじゃないですか?」
361: 2014/05/08(木) 01:42:49 ID:2EThNLeI
「……どういう意味?」
「あなたは、"誰か"を求めてたんだと思う。だから願いはああいう形になった。
それは、あの子の解釈が原因じゃないんだと思います。
単に、その願いを、あのときのわたしは、叶えることができなかった。
だから、代わりの"誰か"が与えられた。でも、あなたが求めていたのは、他の"誰か"じゃなかった」
「……よく分からない」
「あの子のこと、思い出せましたか?」
俺は、頷いた。
「たぶん、そういうことなんだと、思う。
あなたは、頭では忘れていた。わたしのせいで、記憶は歪められていた。
でも、からだで覚えていたんじゃないかと思う。自分の記憶に"誰か"がいたこと。
その"誰か"が、あなたの日常から欠落しているということ。
だからあなたは、ずっと、自分が何を求めているのか、分からなかったのかもしれない」
「……やっぱり、きみの話はよく分からない」
362: 2014/05/08(木) 01:43:35 ID:2EThNLeI
「わたしは、あの子を解放しました」
「……解放?」
「このままいつまでも続けても、同じことの繰り返しに、なるだけだと思ったから。
わたしは、あの子との約束、守れないと思ったから。
だから、あの子を……。あの子はそれを、望んでいなかったかもしれない。
また、つらい思いをするだけかもしれない。分からなかったけど……」
「じゃあ、そのおかげで、俺の記憶が戻ったってことなのかな」
「……他の人たちも、段々と、思い出すことになると思う。
それは悲しいことかもしれない。この数年間の、存在しなかった時間は、空白のまま残ってしまう。
適当な、それらしい記憶で、上塗りされるかもしれないけど」
「……」
「わたしは、あの子との約束、守れませんでした。だから、せめて、あなたは約束を守ってあげて」
363: 2014/05/08(木) 01:44:08 ID:2EThNLeI
どうなんだろう。
それは、勝手な押し付けなのかもしれない。
彼女はそれを待っていないのかもしれない。
不意に、目の前の少女の手のひらが、鈍い光を帯びたような気がした。
その光が、膝の上で丸くなっていた猫を、柔らかく包み込む。
少しの間、辺りに散っていた光のかけらは、やがて跡形もなく消え去る。
そのあとには、当り前のような景色だけが、何事もなかったかのように続いていた。
猫は、今起こったことに戸惑うように首をきょろきょろさせた後、怯えたように彼女の膝から飛び降りた。
「わたしの力を、あなたはどう思いますか」
「……どうって?」
「気味が悪い、でしょうか。それとも、変えられてしまいそうで、怖い、ですか」
「……どうかな。気味が悪いとは、思わないけど。たしかに、怖いかもしれない」
そうでしょうね、と少女は溜め息をついた。
364: 2014/05/08(木) 01:44:44 ID:2EThNLeI
「……本当はこんな力、間違ってるのかもしれない」
「……どうして?」
「さっきの、あの猫の怪我、わたしが、治しました。あのままでは、つらすぎるから。
でも、そんなのはおかしなことで、本当は、するべきじゃないのかもしれない。
あの猫は、あの怪我を自分で引き受けて、生きていくべきだったかもしれない」
「……」
「……でも、あんまりだと思ったから」
「……たしかに、怖いことは、怖いかもしれない。きみは、他の人にはできないことができるから。
でもさ、その力は、きみが持っていたものなんだろう?
俺に手があって、足があるように、きみにはその力があったってだけだ。
俺だって同じ力を持っていたら、きみのように行動するかもしれない」
「……そう、でしょうか」
彼女は、承服しがたい何かを受け入れようとするみたいに、苦しげに俯いた。
365: 2014/05/08(木) 01:45:39 ID:2EThNLeI
「それに、きみは俺のことも助けてくれたんじゃないのか」
「……」
「あの事故。……本当は、もっとおそろしい結果になってたんじゃないのか?
そこに、きみが、手をくわえてくれたんじゃないかって、そう思ってたんだけど」
「……さっきも言った通り、わたしは約束を守れませんでした。
守られない約束ばかりだというのは、悲しいことだと思ったから。
だから、わたしの都合で、あなたを助けました。あの子を、悲しませたくなかったから」
「……きみは、これからどうするの?」
俺の質問に、彼女は首を傾げた。
「これから?」
「……うん。これから。今までのように、誰かの願いを叶え続けるの?」
彼女は首を横に振った。
分からない、というふうに。
366: 2014/05/08(木) 01:46:30 ID:2EThNLeI
「わたしはもう、どこにも行くことはできないんです。
わたしは、あなたたちの前から、姿を消します。あなたも、わたしのことをきっと忘れるでしょう。
でも、わたしは"ここ"に居続けるんです。いつまでもここに留まり続ける。
そしてときどき、ふとした瞬間に、姿を変えて、あなたの前に現れるかもしれない。
夕方のニュースや、動物の氏体や、あるいはもっと日常的な風景の一部として。
空気に混じった塵のように、いろんなものに形を変えて、わたしは世界に存在し続けるのだと思います」
俺は彼女に対して、何も言うことができなかった。
夏の真昼の太陽は、ただ他人事のように世界を照らし続けている。
そこに善悪の区別はない。
日の当たる場所と日の当たらない場所があるだけだ。
367: 2014/05/08(木) 01:47:18 ID:2EThNLeI
「ひとつだけ」と彼女は言った。
「……わがままを、言おうと思うんです」
「……誰に?」
「この世界に」
「……どんな?」
「……すごく、勝手なことなのかもしれないんです。
でも、あの子はわたしに優しくしてくれたから。
世界が暗くて、冷たいものだけでできているわけじゃないって、教えてくれたから。
だからわたしも、あの子に、そういう世界を知ってほしい。そういうふうに、世界を見てほしい」
368: 2014/05/08(木) 01:48:10 ID:2EThNLeI
「きっと、俺がきみにしてあげられることなんて何もないんだろうな」
「……そう、でしょうね。わたしはもう、終わってしまった存在だから。
それがただ、こんな形をとっているだけだから」
「……きみが生きた世界は暗くて、冷たくて、そのまま終わってしまったのかもしれない。
苦しみとか痛みとか、そういうもので埋めつくされてしまったのかもしれない。
そのあとに暖かさに出会っても、それは結局、手遅れなものだったのかもしれない。
でも、それでも俺は、きみが安らかであることを願ってしまうんだ」
「……」
「他人事だからこんなことが言えるのかもしれない。自分が恵まれてるからそう思うのかもしれない。
何の役にも立たないし、勝手な自己満足にすぎないのかもしれない」
「……」
「でも俺は、きみのことを忘れないと思う。きみのような人がいたことを、いつも覚えていたいと思う。
覚えていることが何かのためになるってこともないんだろうけど……」
「ありがとう」と彼女は言ったけど、俺にはその言葉は気休めのようにしか聞こえなかった。
369: 2014/05/08(木) 01:48:58 ID:2EThNLeI
「わたしの時間は、わたしが生きることをやめたそのときに、止まってしまっているから。
だからわたし、変化することが、できないんです。変化というのは、時間の流れがもたらすものだから。
……変化するのは、生きている人の特権なんです。
今は、あなたの言葉や、あの子がしてくれたことを感じることができる。受け取ることができる。
でも、わたしはきっと、すぐに忘れて、憎しみの塊のようなものに戻ってしまうと思う。
わたしの時間は、そこで止まっているから。そのあとのことは、今のわたしには、よく分からない」
「……」
「でも、あなたと話ができてよかった」
そう言って、彼女は笑った。
小さな子供みたいに。
「なあ、知ってるなら、教えてほしい。あいつは今、どこにいるんだ?」
「……会いに、いくんですか?」
「うん。きっと、待ってなんかいないと思うけど」
「……そうなのかもしれない」
「でも、俺が会いたいんだ」
370: 2014/05/08(木) 01:49:41 ID:2EThNLeI
彼女は、隣町にある病院の名前を教えてくれた。病室の番号も一緒に。
そして、俺は彼女と別れた。
公園を出るとき、何かの気配のざわめきのようなものを感じて、後ろを振り返った。
そのときにはもう、彼女の姿はどこにもなかった。
木々が太陽に照らされ、木漏れ日の影を揺らしている。
使われなくなった遊具は何かのモニュメントみたいにそびえ立ったままだ。
もう今は、動物たちの声さえ聞こえない。
花壇に植えられた花々は、それでも咲いている。
弔いのように。祈りのように。
しばらくの間、何を思うわけでもなくその様子をじっと見つめていた。
それから、俺は前を向き直り、家への道のりを歩いた。
371: 2014/05/08(木) 01:50:30 ID:2EThNLeI
◇
家に帰ると、妹が縁側で横になって昼寝をしていた。
俺は声を掛けずに自分の部屋へと向かう。
そして、デスクの引き出しのいちばん下の段を開けた。
そこには十何通かの手紙が入っていた。
送り主はいつも同じ。
俺が返事をしたのと同じ数だけ、この引き出しには手紙が入っている。
あるとき返事が来なくなった。それとほとんど同時に、俺は手紙の主のことを忘れてしまった。
でも、俺はずっと書き続けるつもりだったのだ。
372: 2014/05/08(木) 01:51:08 ID:2EThNLeI
◇
俺はバスに乗って、隣町まで出掛けることにした。
自分の足で見知らぬ場所に行くというのは久々のことだった。
奇妙な――あるいは、懐かしい――緊張と不安。
その感覚は俺の心臓の鼓動を早くさせた。
バスの窓から街並みを見下ろしていると、並木道を歩く人々の中に、見知った人の姿を見つけた。
図書室でしか、会うことのなかった女の人。
彼女は、俺の知らない男の人と一緒に歩いていた。買い物袋を持って、楽しそうに笑いながら。
きっと、それはそう見えるというだけなのだろう。
それでも彼女は笑っていた。たぶんまだ、いろんなものを胸の内側でぐるぐると渦巻かせたまま。
373: 2014/05/08(木) 01:52:10 ID:2EThNLeI
しばらくバスに揺られたまま、何かを考えることもなくぼんやりとしていた。
気持ちは不安なままだった。
無事会えるだろうか、という不安。
会ってくれるだろうか、という不安。
自分の手と足で、誰かに会いにいくことが、これほど怖いことだとは思わなかった。
バスに揺られながら、俺は金魚のことを思い出した。
昔、母さんの祭りに行ったとき、金魚すくいのサービスでもらった。
俺と妹は喜んだ。次の日に母さんと一緒に金魚鉢を買いに行った。
餌を与えて、何が楽しいわけでもないのに泳ぐ様子を眺めて、名前まで付けた。
二週間後に金魚が氏んだとき、俺と妹は一緒になってわんわん泣いた。
俺たちにできることなんてそれくらいだった。きっと、今だってそうだ。
374: 2014/05/08(木) 01:53:43 ID:2EThNLeI
バスを降りたとき、ポケットの中で携帯が震えた。
未読メールが二通。片方は妹から。もう一通は、父親から。気付かなかっただけで、結構前に届いていたらしい。
俺は緊張しながらそのメールを開いた。
なんてことのない内容だった。ただ、子供の誕生日を祝うだけのメール。
そっけない文面の最後に、謝罪の言葉が加えられていた。
俺は謝ってほしくなんてなかった。
「今日は帰ってくるよな?」と、そう返信した。
返事は、すぐにはこなかった。
375: 2014/05/08(木) 01:54:29 ID:2EThNLeI
ポケットに携帯をしまい直して、自分が立っている場所に意識を集中した。
人々は俺のことなんて気にも留めずに街中を歩いている。
俺が知らない場所からきて、俺が知らない場所に行くんだろう。
いい天気だ、と俺は思った。嘘みたいに暖かな光。
それから、今が夏なのだということを思い出した。
外は良い天気なんだ。暗い部屋でカーテンを閉め切っていたら、分からないことかもしれない。
善悪はない。それだって、ひとつの立ち向かい方だ。
絶望するには十分すぎるくらい、彼女は生きることを奪われてきた。
俺には、その痛みを帳消しにすることはできない。きっと誰にもできない。
でも俺は、今日はこんなにもいい天気なんだってことを、彼女にも知ってほしかった。
彼女にも、俺と同じものを、同じふうにじゃなくてもいい、感じてほしかった。
それが俺のエゴなのだとしても、俺は彼女と一緒に生きたい。
太陽の光は街を照らしている。青空を飛行機雲が切り裂いている。
それだけのことなのかもしれないけど、今は、それだけのことを、鮮やかに感じていたかった。
376: 2014/05/08(木) 01:55:09 ID:2EThNLeI
◆03[Beatiful morning with you]
――まっくらな場所にいる。たぶん、まっくらな場所にいるのだと思う。
でも、本当はまっくらではないのかもしれない。よくわからない。
自分の目が光をとらえているのかどうか、それがわからない。
いま、目を閉じているのか、開いているのかも、分からない。
意味が、見つからない。
目の前に物があるとして、それが"なんなのか"ということが、うまく認識できない。
色も、形も、音も、匂いも、すべてがどろどろと混じりあっていて。
物と物との区別が曖昧になって、すべてが溶け合ってしまっている。
何も聞こえない。聞こえたとしても、それがなんなのか分からない。
言葉が失われた混沌。
暗いような気がするけれど、暗いのかどうかも分からない。
寒いような気もするけれど、寒いのかどうかも分からない。
あるのはただ、濁り、汚れ、混じり、溶けた、そんな曖昧な感覚だけ。
そんな、箱のような場所に、わたしは閉じ込められている。
377: 2014/05/08(木) 01:55:49 ID:2EThNLeI
あらゆる感覚が鈍麻して、手足がどこにあるのかさえも分からない。
音も、光も、感触も、すべてが遠く、本当にそこにあるのかも分からないほどに不確かだ。
時間の感覚からさえ見放されたそんな状況で、ときどき、不意に景色が意味を持つことがある。
現に起こったことなのか、そうでないのかも分からない、曖昧な情景。
その景色だけが、わたしの意識に、痛みのような、かすかな刺激をもたらす。
わたしは、その情景が浮かび上がるたびに、必氏に目をそらそうと試みる。
そして、すぐに忘れてしまおうと努める。どうしてその情景を拒んでいるのかは、分からない。
わたしはとにかく、思い出しては忘れ、忘れては思い出す、ということを繰り返した。
どうしてなのかは、考えないことにしていた。
考えるのは、あまりにつらいことだったから。
378: 2014/05/08(木) 01:56:21 ID:2EThNLeI
◆
「……どうして泣くんだ?」
――だって、お別れしなきゃいけないから。
「……べつに、違う世界に行くわけでもないだろ」
――でも、もう会えないかもしれない。
「会おうと思えばいつだって会えるよ」
――きっと、わたしのことなんて、すぐ忘れちゃうよ。
「……そんなことないよ」
――本当?
「本当」
――本当だったら、うれしい。
379: 2014/05/08(木) 01:57:03 ID:2EThNLeI
「おまえは泣いてばっかりだな」
――……ごめんなさい。
「べつに、謝ることじゃない。泣きたいなら、泣いたっていい」
――本当は、不安なんだよ。
「……なにが?」
――みんなと離れること。
――だってわたしは、みんながいなきゃ、何もできない。
――新しい場所に一人で行かなきゃいけないのが、怖い。
「仕方ないよ。俺たちは子供なんだから」
――……。
380: 2014/05/08(木) 01:57:48 ID:2EThNLeI
「……手紙を書くよ」
――手紙?
「……ダメか?」
――ダメじゃないけど、どうして手紙なの?
「形に残るだろ」
――……。
「それを見れば、思い出せる。
俺たちがどこか遠い世界にいるんじゃなくて、少し離れた場所にいるだけなんだって。
俺たちがちゃんと、同じ時間に生きてるんだって。
そういうものが、もしかしたら、必要なんじゃないかって思うんだよ」
――……面倒になったり、しない?
「……どうかな」
――……。
381: 2014/05/08(木) 01:58:18 ID:2EThNLeI
「泣くなって。ごめん、面倒になったり、しないよ」
――……。
「……おまえのことが好きなんだ」
――……。
「面倒になったりしない」
――……ほんとうに?
「うん」
――……ありがとう。
「……それに、俺たちだってずっと子供ってわけじゃないよ。
あと何年もしない内に、自分たちの意思で会うことだってできるようになる。
外国に行くわけじゃないんだ。その気になれば、いつだって会いに行ける距離だ」
――……。
「そしたら、会いに行くよ。おまえが住んでる街まで」
382: 2014/05/08(木) 01:58:55 ID:2EThNLeI
――本当?
「そのときまで、そっちが嫌になってなければな」
――……そんなこと、絶対にないよ。
「……それでも、まだ、不安?」
――……うん。
「会いに行く。手紙も書く。忘れたりしない」
――……。
「……だったら、約束するよ」
――約束?
「俺はたぶん、大人になってもおまえのことが好きだから。
だから、ずっと後になるかもしれないけど、必ず、おまえにプロポーズしにいく」
383: 2014/05/08(木) 01:59:26 ID:2EThNLeI
――……。
「……今、笑ったか?」
――……ごめんなさい。
「……いや、笑ってくれた方がいい」
――……。
「約束するよ」
――……うん。
――じゃあ、待ってるね。
384: 2014/05/08(木) 02:00:07 ID:2EThNLeI
◆
記憶だけが、わたしの心を揺さぶっている。
それ以外の物はすべて、濁って、薄れて、暗闇に溶けている。
音は空気の震えであって。
景色は光のかけらであって。
そこに意味なんてものはなかった。
箱の中。
わたしは、何かの音を聞く。でも、その音がなんなのかは分からない。分かろうとしない。
記憶だけが、わたしを苦しめる。
音が、繰り返される。
――その音は、わたしの心の中の何かを、静かに掻き立てる。
わたしの耳は、その音を聞いている。わたしの心が、その音の正体を求めている。
385: 2014/05/08(木) 02:00:45 ID:2EThNLeI
何の音だろう……? この音。
無機質なはずなのに、なぜか穏やかな。
静かなはずなのに、それでも暖かな。
この音は……そうだ。
扉をノックする音だ。わたしは、意識を手繰り寄せる。その音の正体を、たしかめようとする。
誰かがわたしのドアをノックしているのだ。
まどろみの中で聞いた音。
懐かしいような、胸が締め付けられるような、泣きだしたくなるような、音。
意識が、少しずつ引きずり上げられる。
光の束が意味を持ち、音が、言葉の連なりになる。
夢なのかもしれない。幻なのかもしれない。
たしかめるのは、少し怖い。
でも……そこにはたしかに誰かがいて、わたしはそれを待っていたのかもしれない。
わたしは、それを願っていたのかもしれない。
だから、わたしは――
386: 2014/05/08(木) 02:01:26 ID:2EThNLeI
◇
――ノックの音で、目をさました。
387: 2014/05/08(木) 02:02:01 ID:2EThNLeI
おしまい
389: 2014/05/08(木) 02:21:51 ID:uIHHOwIY
お疲れ様
391: 2014/05/08(木) 02:44:18 ID:70fk89b.
おつおつ
引用: こんな日が続けばいいのに.
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