130:ナガト 2006/07/29(土) 00:16:18.08 ID:K2GGKbvM0
1

 どうしてこんなことになったのか、俺にはさっぱり検討がつかない。いつものように
部室に顔を出し、いつものように朝比奈さんの淹れてくれた甘露に浸り、いつもの
ように騒々しい団長殿をお迎えしたところまでは覚えている。
 しかしその後、まるで坂から転がり落ちるように事は進んでしまった。何故いつも
こう俺の日常は唐突につまづいてしまうのか。理由は分かっている。

「キョン、いい加減吐きなさい。ネタは上がってるんだから」

 無論、この、まるで刑事ドラマのようなセリフを吐きながら俺のネクタイを締め上げ
問い詰める、涼宮ハルヒその人の所為である。
 いつだったか、こんなように締め上げられたのを思い出す、あれは俺がこいつと
出会って暫くのことだったか。こんなSOS団という訳の分からない団体が発足する、
その発端となった事件だ。

 まあ、それはさておき、例えば俺たちがごく普通の高校生だったら、こんな会話の
流れもまた、ごく普通なことなのだろう。
 しかしながら残念なことに、俺たちは一般的な高校生ではなく、宇宙人や未来人
や超能力者、そんなものとの関わり合いがある、或いは宇宙人や未来人や超能力
者そのものである、という奇天烈な集団であり、ましてその混沌の中心である涼宮
ハルヒがこんなごくごく普通のことに興味を持つ、というのも甚だ珍妙な話であった。

 故に、ただ一つ分かることがある。
 今直面しているこの状況は、俺にとって非常に拙いものだ、という確信にも近い
それだ。
 
涼宮ハルヒの劇場 「涼宮ハルヒ」シリーズ (角川スニーカー文庫)
112: 2006/07/29(土) 00:08:59.84 ID:K2GGKbvM0
何か間が悪かったくさいのでもっかい


以前長門スレに書いて半端にしてた長編投下していい?

125: 2006/07/29(土) 00:15:07.63 ID:K2GGKbvM0
>>115
>>116
>>120
ありがとう。んじゃ次レスから投下してきます。バーボン怖いけど

131: 2006/07/29(土) 00:16:49.60 ID:K2GGKbvM0
2

「ねえキョン、あんたはよく分かってないのかも知れないけど、これはSOS団の存続
に関わる問題だわ。だから正直に答えなさい。あんたの、本当のところを」
 ハルヒの顔は至って真剣だった。あたしの目を見て答えろ、と言わんばかりにそ
の大きな瞳は俺の両目をがっちりと捉えていた。

 その真剣な眼差しに気圧されたのか、それとも心を動かされたのか、どちらなの
かは分からない。或いは状況に流されただけかも知れない。
 普段ありえないことばかり体験している俺だ、不測の事態にはよくよく対処できる
ようになっているかと思えば、違っていたらしい。ありえないことに慣れすぎると逆に
普通の出来事が奇特に思えてしまうのか。

 ともかく、さんざハルヒに問い詰められた挙句、俺はとうとう、俺たちの非凡な日常
には最も相応しくないだろう言葉を、吐いてしまっていた。

「そうだな、お前の言うとおりかも知れない。どうやら俺は長門が好きらしい」

 繰り返して言おう。俺にはどうしてこんなことになったのか、さっぱり検討がつかない。
 

133: 2006/07/29(土) 00:17:21.59 ID:K2GGKbvM0
3

「……それは、どういう意味での好き、なのかしら」
 長い沈黙の後、ハルヒはそう切り出した。こころなしか、ハルヒは俺を睨んでいる
ようだった。ぴりぴりした空気が肌に痛い。
 暫く会話から取り残されていたメイド服姿の朝比奈さんもまた、その空気を感じ取
っているようだった。恐らくは俺たちの間に割って入ろうとして出来ずにいるのだろう。
おっかなびっくり足を伸ばし、そして戻すという動作を繰り返している。

「どういう意味でとはどういう意味だ?」
「友達として?それとも、一人の女の子として?」
 俺の禅問答みたいな返答に、ハルヒは即答で返してくる。どうにもその顔にむかっ
腹が立ってしまうのは何故だろうか。まあ、こんな理不尽な問い詰めをされれば誰
だって腹の一つや二つ、立てるものであるのか知らんが。

「さあてな。わからんよ。正直俺自身こうしてお前に問い詰められて初めて気が付い
たくらいだ。これがどういったものなのか、把握するには時間がかかりそうだ」
 半ばやぶれかぶれの心境で、俺は答える。下っ腹付近に蓄えられた重苦しい感
触もまた、恐らく言葉と共に出ていたことだろう。少々、強い口調になってしまった
かも知れない。別にフォローを入れようという意図があったわけではないが、俺は
ため息を一つ吐き、言葉を続ける。

「まあ、現時点でも俺が長門に好意を持っていることは確かだろうがな」
「……そうなんだ」
 ハルヒはつい数分前の嬉々とした表情が嘘のように憮然とした面持ちだった。
 なんなんだその態度は。お前が振った話だろうが。
「うっさいわね…、キョンのくせに」
 ハルヒはそんな何処ぞのガキ大将のようなセリフを吐くと、締め上げていた俺の
ネクタイを手離し、不機嫌そうな顔で団長机にどっかりと座った。
 

134: 2006/07/29(土) 00:17:58.67 ID:K2GGKbvM0
4

「今日はもう帰るわ」

 そう言い残してハルヒが部室を出たのは、それから一時間も経たない内だった。
その間、俺たちは終始一切の無言。またその間、ここを訪れた人間は誰一人とし
てなく、当然ながら現在、部室には俺と朝比奈さんだけが取り残された格好となっ
ている。
 ハルヒの気配が部室棟から消え、また戻ってくる気配もないことを確認した後、
朝比奈さんは俺に詰め寄った。

「キョンくん…!あなた、どうしてあんなこと言っちゃったの?これじゃ、また…」
「わかってます」
「わかってるって…!だったらどうして!取り返しのつかないことになってからじゃ
遅いんですよ!?」
「じゃあどうすればよかったんですか!」

 思わず、語気が強くなる。びくり、と朝比奈さんが肩を震わせた。
「……すみません。怒鳴ったりして」
 これじゃ八つ当たりしてるみたいじゃないか。最低だな、俺は。
「いえ…、あたしも、ちょっと、言いすぎました…。 でも、キョンくん…」
「ええ、とりあえず古泉たちが来たら相談してみようかと思います」

 もしかしたら古泉は来ないかも知れない。今頃閉鎖空間とやらがワゴンセールで
やってきているだろうからな。そんなことを思ったが、間もなく、古泉はいつもの通り
のエセ爽やかなツラを伴いやって来た。
「おや珍しい。今日は長門さんはお休みですか?」
 しかし、意図せず「"古泉たち"が」と言ってしまったのは、やはり長門を意識してし
まっているからなのだろうか。
 

135: 2006/07/29(土) 00:18:28.49 ID:K2GGKbvM0
5

「それは……、極めて忌々しき事態ですね」
 俺と朝比奈さんから事のあらましを聞くと、古泉はニヤケ面のまま、気取った口ぶ
りでそう言った。お前、随分と余裕そうだな。

「余裕?とんでもない。これでも内心焦っているのですよ」
「とてもそうは見えんが」
 むしろ楽しそうに見えるぞ。
「ああ、やっぱり分かってしまいますか。流石ですね」
「お前なぁ…」
 本当に一々ムカツク野郎だ。

「ふふ、誤解しないで下さい。僕が面白いと思ったのはこの状況ではなく、あなた
自身のことですよ」
 古泉はしたり顔でそう言うと、俺の顔を覗きこむように身を乗り出す。
「ねぇ。本当のところはどうなんです?」
「何がだ」
「とぼけないで下さいよ」

 一拍置いて放たれた古泉の問いに、俺は沈黙せざるを得なかった。






「あなたは本当のところ長門さんのことを、どう思っているのですか?」

 

136: 2006/07/29(土) 00:18:53.91 ID:K2GGKbvM0
6

 毎度のように長ったらしく回りくどい古泉の話が終わったのは、それから有に十数
分は経過した頃だろう。再び閉口してしまった俺に、古泉はいつもの調子で言った。

「まあ、ともかく、こちらでも今後を検討してみることにします。今のところ閉鎖空間
が現れたという連絡もありませんし。この話は長門さんには?」
「いや、まだだが」
「そうですか。なるべく早いうちに伝えておいた方が良いでしょうね。或いは既に知る
ところなのかも知れませんが―――さて」
 言葉を区切り、古泉は席を立つ。

「ちょっと早いですが今日はこの辺で退散させて頂きます。便りがないのが必ずしも
良い報せとは限りませんからね」
 そう言い残し、古泉は部室を後にした。

「あの、あたしも…、上の人の判断を貰いに行ってきます…」
 俺と古泉が話している間ずっと黙っていた朝比奈さんは、そう言って俺の顔を見る。
ああ、着替えるのですね。俺はその視線に頷くことで答え、廊下に出た。

 着替えが終わる間、俺は今日のハルヒの言動について考えていた。どうしてまた
あんな話を持ち出したのか、まったくもってその真意は測りかねる。
 仮に古泉が長々と語った妄言が真実だったとして、しかしどうしてまた長門なんだ?
確かに長門は頼りになる奴で、幾度となく俺の命を救ってくれた恩人だ。だから俺の
長門を見る目が違っているというハルヒの言い分も分からないではないが……、
 

138: 2006/07/29(土) 00:19:28.36 ID:K2GGKbvM0
7

「お待たせしました…」
 きぃ、とドアの開く音が聞こえ、制服姿の朝比奈さんが姿を見せる。これから起こ
ろうとしている騒動に、早くも心を痛めているのだろうか。項垂れ、消沈した様子だ
った。すぐ傍の壁に寄りかかっていた俺は壁から離れ、朝比奈さんに向き直る。

「大丈夫ですか?」
「あ…、はい…。 あの…、キョンくんは、今日はこれからどうするんですか?」
「とりあえず長門を待とうかと思います。古泉も言っていましたが…、早いところ、こ
の状況をあいつに知らせてやった方がいいでしょうし」
「そうですね…」

 朝比奈さんの顔色は優れない。やはり、ここは素直に謝るべきところだろうか?
ハルヒの横暴さは今に始まったことではないし、となればそれを受け流せなかった
俺に非の一旦はあるのだ。俺は今更ながらにあの無責任な発言を悔いる。

「すみません。朝比奈さん。俺がもう少し冷静に対応していれば…」
「いえ、あたしも…、あたしが、止めなくちゃいけなかったんです!ホントに…、あた
し、なんでこうなんだろう…」
「朝比奈さんのせいではありませんよ。悪いのはどう考えても俺なんですから」
「そんなことないです! キョンくんは…、キョンくんは…、…とにかく、悪いのはあた
しなんです!」

 どうしてこの人はこうも健気なのだろう。本当に愛しい人だ。
 

139: 2006/07/29(土) 00:20:04.57 ID:K2GGKbvM0
8

「じゃあ、そういうことにしておきましょう」
「ふぇ…っ?へっ?」
 戸惑う朝比奈さんに、俺はすかさず二の口を告げる。
「ですが俺はやっぱり俺が悪いと思います。つまり俺も悪いし朝比奈さんも悪い。
お互いに悪いので、お相子ですね」

 このセリフはちょっとキザ過ぎただろうか。けれど朝比奈さんは100万ドルの夜景
も霞んで見える笑顔を俺に向けると、こう言った。

「はい、お相子…です」

 ああ、可愛すぎるぜ、畜生。

 そうして朝比奈さんはそのまま下校していったわけだが、その帰り際、少々気にな
る出来事があった。当然ながら、そのとき俺は朝比奈さんの後姿を部室のドア前で
お見送りしていた。すると朝比奈さんは数歩歩いた後振り返り、
「あの…、キョンくん?」
「なんでしょう」
「えっと…、あの…、…ごめんなさい。なんでもないんです」

 まあ、それだけなのだが。

 さて、肝心の長門だが。この後俺は部室で独り、空腹が限界に達するまで粘った
ものの、とうとう現れることはなかった。
 

140: 2006/07/29(土) 00:21:19.06 ID:K2GGKbvM0
9

 翌日、登校した俺を出迎えたのはハルヒの退屈そうな横顔だった。

 昨日の今日だ、俺はどう接していいのか分からず、とりあえず「よう」とだけ声を
かけた。ハルヒは俺の顔を永久凍土のような目で睨むと、すぐさま視線を校庭に
戻してしまった。取り付く島もない。

 おいおい、勘弁しろよ涼宮ハルヒ。これじゃまるで出会った当時にタイムスリップ
したみたいじゃないか。時間旅行は朝比奈さんだけの専売特許にしといてくれ。
 などという妄言が頭をかすめるが、当然、それをハルヒに伝えられるわけもなく、
俺はため息をつきたい心地で、黙って席に着くことにした。

 さて、座ったはいいが何もすることがない俺は、頬杖をついて視線を中空に彷徨
わせ、担任である岡部の登場を今か今かと待っていた。HRさえ始まってしまえば
この窮屈な空間も緩和されるだろう。そんな打算的感情に基づく期待である。
 しかし、よりにもよってこんな日に限ってあのハンドボールバカは遅刻をしたらしい。
HRの時間になっても現れる気配のない担任、それは即ちクラス内の秩序が徐々に
崩壊していくことを意味している。

 次第に大きくなっていく若さと希望と未来溢れるクラスメートたちの談笑という名の
騒音は、自然と俺の視線を校庭へと向かわせた。クラスメートだろうがなんだろうが、
騒々しいものは騒々しいのだ。

 恐らくそのとき、後ろの席のハルヒもまた同じように校庭を眺めていたに違いない。
窓際最後尾から一二列、という絶好のポジションにいる二人が、揃いも揃って朝っ
ぱらから陰鬱な表情で人気のない校庭を眺めているわけだ。周囲からはさぞ異様
な光景に見えたことだろうな。
 

142: 2006/07/29(土) 00:21:45.80 ID:K2GGKbvM0
10

 それにしても朝の時間がこんなにも長く感じたのは、とんと久し振りのことだった。
果てさて、俺は昨日までこの朝の退屈な時間をどうやって過ごしていたんだっけな、
などと思いつつ、その永遠にすら思えたロスタイムは結局一時限目のチャイムが
鳴り響くまで続いた。
 一時限目の教科担当である数学教師は、岡部が季節外れの風邪で休んだことを
告げ、そのまま授業に入っていった。もう六月も半ばだと言うに、岡部も中々に残念
な奴である。

 放課後、クラスメートたちが次々と青春を謳歌しにいく中で、俺はと言うとまだ教室
にいた。部室に行こうか行くまいか、一人思案していたわけである。
 幸いにも本日終始不機嫌オーラ出しまくりだった我らが団長閣下は、終業のチャ
イムが鳴り響くと同時に何処へなりと消えてしまった。放課後になるなり盛大に文句
を言われるだろうと危惧していた俺は、内心拍子抜けした気分だ。
 とは言えあの万年高気圧見たいな奴がこうまでも静かであると、まさしく嵐の前の
静けさ、といったそら恐ろしさを感じざるを得ないわけだが。

 さて、そうやって一人悩んでいる内に日も暮れて、そろそろ下校のアナウンスが
流れ始める時間である。流石に時間を潰し過ぎたか。俺は教室を出ることにした。
 習慣というのは恐ろしいもので、帰巣本能に従う犬よろしく、俺の足は自然とSOS
団の拠点である文芸部室に向かっていた。まあ、長門に早いところこの状況を伝え
てやるという大義名分はあったわけだが。
 と言うのも昨夜、家に帰ってから長門に連絡を取ろうとしたのだが、何故か繋がら
なかったのだ。今まであいつに連絡が取れないなんてこと、なかったんだがな。

 ともあれ。もうこんな時間だ。誰もいないか、残っているとしても長門くらいだろう。
そんな穴だらけの皮算用を信用し、俺は意気揚々…とまではいかないが、まあそこ
そこには高揚した士気と共に、部室のドアを開けたのだった。
 

143: 2006/07/29(土) 00:22:48.07 ID:K2GGKbvM0


11

 しかしまあ、人生ってのはそうそう都合良くは出来ていないらしい。

「遅いわよ。バカキョン」

 そこには海洋上で勢力を増しつつある大型台風のような、涼宮ハルヒがいた。


 ハルヒはパソコンのディスプレイをどかした団長机に腰かけ、仏頂面で腕組みを
していた。ノブを掴んだまま動かない俺を睨みつけ、口を開く。
「なにボサッと突っ立ってんのよ。入るんならさっさと入りなさい」
「あ、ああ…、今日は、お前だけか?」
「そう。みくるちゃんも古泉くんも用事があるとかでお休み。たるんでるわね」
「そうか」

 無論、ここにいるのは俺とハルヒだけなのだから、朝比奈さんや古泉同様、長門
もまた休みだということになる。敢えて長門の名前を出さないのは罠を張ったつもり
なのだろうか。残念だがそんなものにひっかかってやるほど俺は子供でも大人でも
ない。
 何か反応があるものかと期待していたのだろうハルヒは、腕を組んだまま、人差し
指で腕章を叩き始めた。トン、トン、と一定のリズムで聞こえてくるそれがまるで氏神
の足音のように聞こえたのは、恐らく俺の聞き違いではない。

「ふん、まあいいわ。キョン、ちょっとこっちに座りなさい」
 ハルヒはすらりとした足を伸ばし、傍らに置いてあったパイプ椅子を指し示した。
 おい、行儀が悪いぞ。
 

144: 2006/07/29(土) 00:23:12.43 ID:K2GGKbvM0
12

 俺がハルヒの示した席に着くなり、ハルヒは居丈高に言った。
「あんた、昨日の言葉に嘘偽りはないわね」
 は?何の話だ?
「あんた…、最悪!昨日の今日でよくそんなことが言えるわ!」
「すまん、冗談だ」
「冗談でもそういうこと言うな!バカ!」

 当然だが、言葉どおりさっきのは冗談だ。怒鳴られながらも、俺は幾分か空気が
和らいだことに満足していた。正直、今朝からさっきまでの冷たい空気は精神的に
キツイ。まだいつものように怒鳴られた方がマシというものだ。
 まるで浮気がバレて背中を丸める亭主のような心境、とでも言おうか。いや、俺が
こいつの亭主だとかそんなことは断じて一切ないが。

「で、どうなの?事実なの?」

 俺は暫し考える。もしここで上手く誤魔化してしまえれば、今回の事件は何事もなく
終わるのではないだろうか。
 まあ、今現在として俺の身に迫るものはハルヒのじとりとした熱視線くらいでさした
る危機があるとも言い難いが、朝比奈さんや古泉がこの場にいないことを鑑みると、
そう楽観的に判断してしまうのは早計というものだ。何らかの事件が確実に起ころう
といるのだと、そう考えてしまっていいのだろう。

 しかし、だ。俺はどうしてか、その事件とやらが俺たちの身に危険を及ぼすような
ものじゃないような気がしていた。楽観視し過ぎだろうか?
 

145: 2006/07/29(土) 00:23:37.75 ID:K2GGKbvM0
13

 とかなんとか考えている内に、どうやら時間切れとなってしまったらしい。ハルヒは
腹筋運動の要領で、腕を組んだ体制のまま、ぴょん、と机から降りた。器用な奴だ。

「ふん、まあいいわ。どの道このままじゃSOS団の活動に支障をきたすのは明白。
あんたが有希に好意を持っているのは事実で、それはあたしとみくるちゃんの知る
ところになっちゃったわけだしね。でも、あんたは有希に対する自分の気持ちがど
んなものなのか分かっていない。まあ、当たり前よね。キョンだし」
 キョンだし、ってどんな理由だよ。という俺のツッコミを見事に無視したハルヒは、
うろつかせていた足を止め、恐らくは俺が部室に現れる前から今までずっと組んだ
ままだったであろう腕を解いてこう言った。

「てことで、あたしに協力させなさい!」

 ハレーションのような笑みを讃えたハルヒの制服、左腕。組んだ右手によって隠
されていたそれに、俺の口があんぐりと開いていく。
 いつもならばそこにあるのは「団長」と書かれた腕章であり、たまにその字面は
「超監督」だとか「名探偵」だとかに変わるが、今そこに書かれているのは俺の想
像を遥かに超えた単語だった。

『きゅーぴっど』

 マジかよ!
 

147: 2006/07/29(土) 00:24:17.29 ID:K2GGKbvM0
14

「マジも大マジ。あんたの本当の気持ちがどうなのか、あたしが確かめてやるって
言ってんのよ。言っとくけど特別よ?大サービスなんだから」
 なにが大サービスなのか心ゆくまで説明を願いたい。
 大体お前、前に「色恋にうつつをぬかしてる暇はない」とか、言ってなかったか?

「そうよ。だから大サービスなんじゃない。今回ばかりは特別。緊急事態。このまま
じゃいつSOS団が空中分解するか分からないわ。昼ドラよ昼ドラ」
 はあ、空中分解ねえ。まあ、なんとなく分からん気はしないでもないが…、相手は
あの長門だぞ?そんな安っぽいドラマみたいに話が転がって堪るものか。そんな
ことを思う俺を余所に、ハルヒは独りで盛り上がっていく。

「そう、ドロドロとした愛憎劇がすぐそこまで近づいてきているのよ! あ、具体的に
言えば嫉妬に狂ったみくるちゃんが鉈で有希の頭を―――」
「俺の朝比奈さんはそんなことはしない!」

 キレた。半ば本気である。

「ふん、冗談に決まってるじゃない」
「あのな、冗談でも言っていいことと悪いことがある」
「そのセリフ、一分前のあんたにそのまま返すわよ」
 ハルヒはそう言ってふんと鼻を鳴らすと、再び団長机に腰掛ける。

「で、どうするの?」
 

148: 2006/07/29(土) 00:24:42.18 ID:K2GGKbvM0
15

 どうするったってなぁ。こいつのことだし、どうせ断ったところで勝手に話を進めて
いくに違いない。ほぼ即決に近い形で俺は返答した。

「分かったよ。その申し出、ありがたく受け取ってやる」

 と、ハルヒの表情が僅かながら変化する。
 は、さては断られることを前提に提案してきたな。戸惑ってやがる。   ……ん?

「そ。なら決まりね。これから一週間。あたしがあんたたちの仲を取り持ってあげる。
その間にあんたは最終的な判断を決めなさい。言っとくけど、くれぐれも慎重にね。
なんたってSOS団の未来がかかってるんだから」
「ああ、わかってるよ」
 早口でまくしたてるハルヒの表情は、既にいつもの、騒動の中心たる涼宮ハルヒ
に戻っていた。一瞬、その顔が寂しそうに見えたのは、どうやら単なる目の錯覚だ
ったらしい。

「じゃ、早速だけれど、行くわよ」
「行くって?どこへだ?」
 俺はごく普通に湧いた疑問を口に出す。
 それに対するハルヒの返答は、口ぶりだけなら至って自然なものだった。

「決まってるでしょ?有希の家よ。さっき職員室行って聞いてきたんだけど、有希、
昨日から病気で学校休んでるらしいの」

 ……なんだって?
 

150: 2006/07/29(土) 00:24:59.07 ID:K2GGKbvM0
16

 ハルヒは自分がどれほどありえないことを話しているのか分かっていないだろう。
当たり前だ。分かる筈がない。ハルヒは長門の正体を知らないのだ。知っているの
は俺か朝比奈さんか古泉か、もしくはそれに関係する奴らだけだ。
 長門が病気?あの宇宙人製のヒューマノイド・インターフェースが病気?俺はいつ
ぞやの雪山のことを思い出す。まさか。

「そうなの。珍しいこともあるわよね」

 至って普通の声色で話すハルヒとは対照的に、次第、俺は焦りを感じ初めていた。
長門が病気。それが本当なら、俺は今の状況に対する理解を改めなくてはならない。
もしかしたらこれは楽観視していられる状況じゃあないのか?

「これまで休みらしい休みもなかったのに…。有希ってああ見えて体丈夫でしょ?
一日くらいなら分かるけど、でも流石に二日連続で休みだなんて、心配にもなるじゃ
ない。本当ならみんなでお見舞いに行きたかったんだけど…、みくるちゃんや古泉
くんはどうしても外せない用事があるって言うし」

 どうしても外せない用事。嫌な予感が徐々に現実化していくような恐怖が、その言
葉には込められていた。
 …なんなんだよこの胸騒ぎは!焦燥に駆られる俺を余所に、ハルヒはやはりなん
でもない顔で言葉を放つ。

「まあ、それはかえって好都合だったのかしらね」

 好都合?何がじゃい。
 

152: 2006/07/29(土) 00:25:16.56 ID:K2GGKbvM0
17

「決まってるでしょ?看病イベントよ!一枚絵獲得のチャンスよ!」
「はあ?」
 ハルヒは俺にはよく分からない世界の話をした。


 というわけで…、と言っても何が「というわけ」なのかごくごく一般的な感性の持ち
主である俺みたいな人間にはさっぱり分からない、誰か分かる奴がいたら教えて
くれ!などと叫びたい心地ではあったが、ともかく。数十分後、俺とハルヒは長門の
家を訪れていた。
 最早俺にとっては通い慣れた感すらある、駅に程近い分譲マンションの708号室
である。絨毯さえ敷いていないフローリングの床にこたつ机が一つ。相変わらず、
生活臭のない部屋だ。

 ハルヒは訪れた当初に長門の様子を確認し、その調子がいつもと変わりないこと
を知ると、ほっと安堵の表情を見せた。なんだかんだでこいつ、心配性だよな。
 そうした後、暫くハルヒは嬉しそうに部屋の中を物色していた。ここへ来るのも初
めてではないだろうに、難儀な奴だ。
 ちなみにハルヒの手がリビングと客間を繋ぐ襖にかかった一瞬、俺が思わず声を
上げそうになった、なんてこともあったりしたが、開け放たれた後、それは杞憂だと
知れた。そこにあったのは布団が一式、それだけである。まあ、そう頻繁にその客
間の厄介になられても困るわけだが。頼むぞ、未来の俺。
 そうして粗方の探索を済ませたハルヒは、今はキッチンを借り、道すがら買って
きた食材で粥を作っている。長門の様子が別段なんでもないことが分かってもメニ
ューを変えようとしないあたりがハルヒらしいと言えばハルヒらしい。

 そんなこんなで今現在、リビングのこたつ机には、俺と長門が二人きり、いつだか
のように対面に座しているわけである。
 

153: 2006/07/29(土) 00:25:46.21 ID:K2GGKbvM0
18

「具合はもういいのか」

 俺は長門に淹れて貰った玄米茶を啜り、言った。一応は病人である長門に茶を
出させるのは自分でもどうかと思うが、向こうが「いい」と言って聞かないのだから
仕方がない。
 しかし茶の種類が以前と違うのはどうしてだろう。てっきり長門のことだから、こう
いった嗜好品なんてものは一種類しかないものと思ったのだが。
 意外とお茶好きなのか。それともただの気まぐれか。俺としては後者であるよう
に思う。出会った当初の長門ならそんな気まぐれなんてものはなかっただろうが、
長門は、以前の長門とは確実に変化している。それはきっと長門にとって、そして
俺たちにとっても良いことに違いない。

 さて、長門のターンだ。俺の短い問いかけに答えるにはたっぷりすぎる時間を
かけて考え、長門は言った。
「へいき」
「そうか」
 なんとも簡潔ながらも力強いお言葉だ。

「して、何があった?お前が二日連続で学校休むなんて、ちょっとただ事じゃないぞ」
「…………」
 長門はキッチンにいるハルヒが気になるようだった。まずキッチンの方へ視線を
やり、それからその真っ直ぐな目で俺を見た。
「大丈夫だ。ここからじゃあいつには聞こえないさ」
 俺が言ってやると、長門は「そう」と呟き、自分の淹れた茶を啜った。
 

155: 2006/07/29(土) 00:26:39.51 ID:K2GGKbvM0
てか連投しすぎなきがする。そろそろ止めます
19

 事実、ここからキッチンまでの距離は結構あるし、長門のか細い声ならば、今も
聞こえてくるじゅうじゅうという油の爆ぜる音にかき消され、向こうには届かない筈
…ってちょっと待て、何を炒めてるんだアイツは。粥を作ってるんじゃなかったか?

 ともかく、長門は茶碗を置くと、静かに言葉を紡ぎ出した。

「わたしの主観時間で36時間24分前、わたしの自律プログラムに障害が発生した。
原因は不明。発生した障害は加速度的にその情報量を増大させていった。このま
まではわたしの情報結合に弊害が出ると判断、構成情報を一部を残し凍結、情報
統合思念体の判断を待つことにした」

 凍結…って、おいおい、それ、かなりやばかったんじゃないか?
「やばかった」
 長門は顔色一つ変えずに答え、更に言葉を続ける。

「障害の除去について通算287234通りの提案がなされ、内34298通りについて実行
が検討され、内16523通りを実行した。しかしどれも成果は得られなかった。そして
16524通り目の実行途中に涼宮ハルヒとあなたが現れ、障害は取り除かれた。
現在、わたしの自律プログラムは正常化されている」

 長門は一息に言うと、再度茶碗に口をつける。
「どういうことだ?その、一万…うんたら回目の方法を試してる途中だったんだろ?」
 長門は暫く黙まり込み、伏し目がちに言った。
「解らない。障害が除去された理由も、不明」

 やっぱり、そうなのか。
 

157: 2006/07/29(土) 00:27:43.38 ID:K2GGKbvM0
これで一旦やめ

20

 それにしても解らない、か。よもやまたこいつの口からこのセリフを聞くことになる
とはな。まあ、何となくの予感はあったが…。
 やはり、雪山のときと同じなのだろうか。長門や長門の親玉にとっての敵性勢力
が存在し、妨害を仕掛けてきたのだと、そう考えてしまっていいのか。
 心配の種は考えれば考えるほど撒かれてしまうようで、どうやらこれ以上の思考
のループは危険なようだった。

「なんにせよ。今はなんともないってことだな」
 こくり、長門は頷く。
「なら、今はそれでいい。とは言え、体面上お前は二日も学校を休んだ病人だ。
暫くはおとなしくしてるんだぞ」
 再び、長門はこくりと頷いた。

 まあ、こんな忠告をせずとも長門は普段からおとなしい。不審に思われることは
まずないだろうが、念には念を、という奴である。

「キョン!ちょっとキョン!聞こえてるー!?料理運ぶから手伝いなさいよー!」

 と、そうこうしている内に料理が出来たらしい。
 果てさて、粥以外に何を作ったんだろうな、あいつは。
 

165: 2006/07/29(土) 00:31:08.59 ID:K2GGKbvM0
じゃ再開。とりあえず長門スレに投下したとこまで。以前読んでくれた方でもリテイクしてるのでまた読み直してくれるとありがたいです

21

「―――ほう、そんなことになっていたんですか。いや、実に楽しそうな話だ。外せな
い用事があったとは言え、これはちょっと、残念なことをしたかも知れませんね」

 相変わらず癇に障る古泉の声は俺の憂鬱をいっそう倍化させるには充分だった。
多分こいつは俺の神経をすり減らす為だけに創られたんだろうな。恨むぞ神様。

「そう思うならどうか代わってくれ」
「遠慮しておきます。涼宮さんが興味があるのはあなた。僕ではありません。それに」
 それに?
「こういうのって、傍から見てる方が面白いじゃないですか」
 殴るぞ。
「冗談ですよ」

 俺はニヤリと笑う古泉の顔にツバでも吐きつけてやりたい気分だった。


 現状を説明しよう。

 あの、きゅーぴっど作戦第一回目、ハルヒ命名「女を落とすはまず優しさ、手厚い
看護で有希もメロメロ!」作戦(頼む、笑ってくれ)が決行された翌日、俺が放課後
になるなり部室を訪れると、今日こそ長門はそこにいて、一人、本を読んでいた。

 うむ、長門はやはりこうでなくてはいけない。こいつはこの部室の付属品か何かの
ように、一人黙々と本を読んでいなければ。そんなことを思いつつ、俺はここ数日
あった違和感が若干ながら和らいでいくのを感じた。
 

167: 2006/07/29(土) 00:32:07.04 ID:K2GGKbvM0
22

 そうして荷物と体を適当な椅子に預け、手持ち無沙汰を持ち余していた俺は、い
つものニヤケ面と共に現れた古泉のヤローに拉致られたわけだ。
 して、今現在。俺と古泉は草木生い茂る裏庭のログチェアに腰掛け、昨日の顛末
について話し終えたところである。

「ですが、もったいないことをしましたね。結局しなかったんでしょう?口移し」
「するわけがないだろう。大体長門は何ともなかったんだ。する必然がない」
 それに何が悲しゅうて見知った奴の目の前で見知った奴とそんなことせにゃなら
んのだ。むしろお前と口移しの方がまだ気が楽だろうよ。
「おや、それは楽しみですね」
 冗談だよ本気にするなよ気色悪い。ってか楽しみってなんだ。

「それはそうと、長門さんの件ですが」
 古泉は急に真面目な顔になると、押し頃した声でそう言った。
「こちらでも調べてみたのですが、原因はやはり不明です。…ああ、実を言いますと、
昨日の僕の『用事』というのはズバリそれだったのですよ」
 俺のじとりとした視線に気付いたのだろう。古泉は慌てて補足を入れる。まあ、俺
としても大方の予想はついていた。今更こいつがどこでどう暗躍していようと、最早
気にも留めないさ。

「長門さんが先日から学校を休んでいたことは元より、原因不明のエラーで休眠状
態に入っていることは『組織』の知るところでした。ですからその原因を探る為、アル
バイトに勤しんでいたわけです」
 …なんだと?
 

168: 2006/07/29(土) 00:32:38.16 ID:K2GGKbvM0
23

「ちょっと待て。お前、それを知っていてなんでハルヒを止めなかった?」

 昨日、もし仮に長門がこれまた原因不明の理由で障害から解放されなければ、
俺とハルヒは休眠状態の長門と対面することになっただろう。
 休眠状態というのがどんなものか、俺は知らん。だが恐らく、氏んでいるに近いに
違いない。その後の騒動、そしてハルヒの動揺は俺にでも容易に想像が出来ること
だ。この考えすぎ超能力者が想像できなかった筈はない。

「止めても無駄だと思いましたしね。それに、いくらなんでも友人の見舞いに行くなだ
なんて無粋な忠告は出来ませんよ。ですので、色々と事前策は取らせて頂きました。
結果的にそれらは全て無駄になってしまったわけですが」
 備えというのは使わないに越したことはないですし。と古泉は付け加える。
 ちっ、一々もっともだなこいつの話は。腹立たしいったらねえ。

「おや、何かお気に召しませんでしたか?」
「ああ、召さんね。お前の正論は聞いてて不愉快になる」
 ふん、と俺は鼻から息を抜いた。

「で、長門が回復した理由は?何か知らないか」
「それは現在調査中です。まあ、恐らくは不明であると」
 古泉はそこで言葉を区切ると、低く、強い声で主張した。

「ただ、僕としてはやはり、涼宮さんが原因ではないかと考えているんです」

 やっぱりか。お前はいつもそれだな。
 

169: 2006/07/29(土) 00:33:04.58 ID:K2GGKbvM0
24

「ああ、勿論、後者の方、つまり障害の排除についてのみですよ。流石に涼宮さん
が長門さんが病気であれ、と願ったとは考えにくい。ですが後者は別です。お見舞
いに行く道すがら、涼宮さんは長門さんの身の安全を願っていた筈です。ならば奇
跡は起こっておかしくない。考えても見てください。長門さんでもその上司でも対処
不能の症状を、他に誰が治せると言うのです?無論、涼宮さんしかいません」

 長々とした語りを終え、古泉は満足そうな表情をこちらに向けた。
 わかったわかった。わかったからその暑苦しい目で俺を見つめないでくれ。


 互いの情報を交換した俺たちは、とりあえず部室に戻ることにした。その途中、
俺はもののついでに聞いてみる。

「ああ、そうだ、古泉。朝比奈さんの『用事』も、お前と同じなのか?」
「いえ、恐らく朝比奈さんは違います。単に今回の件についてまだ協議中だったの
でしょうね。それとも今回は静観するつもりなのか知れません。『既定事項』という奴
ですか。我々がこうやって右往左往しているのも全てそれに含まれていると考えると、
少々怖気を感じてしまいます」
「そうか、ならいい」

 本人のいないところでこんな話をするのは失礼だと重々承知している。だが、多分
朝比奈さん本人に聞いたところで『禁則事項です』と言われて終わってしまう気がし
たのだ。そして、それはきっと朝比奈さんを傷付ける。
 これ以上、朝比奈さんに要らぬ心労は与えたくない。あの二月の事件を思い返し
ながら、俺は先を行く古泉の後を追った。
 

170: 2006/07/29(土) 00:33:31.76 ID:K2GGKbvM0
25

 部室に戻った俺たちを出迎えたのは、ピーカン照りのハルヒの罵倒だった。左腕
にはやはり『きゅーぴっど』と記された腕章。嫌な予感が編隊を組んでやって来る。

「遅いわよキョン!古泉くんも!団員は団長よりも早く来る!それが世界社会の縮
図たるSOS団の本懐でしょうが!」
 俺たちはいつから世界社会の縮図になったのだろうな。と言うかここにいるのは
俺を除いて全て一般的社会とはかけ離れた存在であって、とても縮図とは言えん
のだが。
「何を言っているのですか。あなたももう充分当事者ですよ」
 うるさい古泉。独り言に突っ込みを入れるな。

「何わけわかんないこと言ってんのよ。ともかくキョン、あんたこっち来て座りなさい。
ほら、さっさとする!」
 言われたとおり席に座ると、ハルヒはガラガラとホワイトボードを引き、団長机の
前で止まる。そしてズイ、と肩肘胸を張った格好で宣言した。
「今日から我がSOS団は恋愛強化週間に入ります!!」
 あ、やっぱそうなりますか。

「と言っても実は昨日から始まってたんだけどね。だから今日は二日目。ま、それは
いいとして。まずは今に至る経緯と、それから現在の活動状況をまとめるわね」
 そう言うとハルヒはマーカーを取り出しホワイトボードになにやら棒人間らしきもの
を書き、頭の上に『キョン』と付け加えた。続いてその棒人間から幾分か空白を置い
た隣に、スカートを履いた、これまた棒人間を書くと、その上に『ユキ』と付け加える。

 ああ…、眩暈がしてきた。
 

171: 2006/07/29(土) 00:33:55.79 ID:K2GGKbvM0
26

「さて、ここに描いたのはそこにいるキョン、それから有希ね。まあ、みくるちゃんは
現場にいたから知ってるでしょうけど古泉君は知らないわよね、なんと!そこのアホ
ヅラ下げたキョンは有希のことが好きらしいのよ」
 ハルヒは棒人間俺から棒人間長門に向かう矢印を引き、その上にハートマークを
書きやがった。それを見聞きし、古泉がほう、とわざとらしい声を上げる。どこまでも
ムカツク野郎だ。

「それが発覚したのが一昨日の放課後。あたしは考えたわ。このままではSOS団が
ダメになる。実際男女混合の団体が瓦解するのは恋愛による仲のこじれによるとこ
ろが多いわけだしね」
 ハルヒはハイテンションのまま続ける。
「でもそういう場合、隠れてこそこそしてるから大っぴらになったとき問題になるのよ。
そこで思ったわ。なら最初から大っぴらにしてしまえば何の問題もないじゃない!」

 ハルヒの言葉に、古泉の太鼓持ちがいつものセリフで同意しているのが聞こえる。
 古泉、俺はようやく理解したよ。お前は俺の敵だ。

「で、どうせ大っぴらにするなら盛大に応援してやろうってわけ。幸いにもそこのバカ
キョンは『自分でも自分の気持ちが本当か分からない』なんてふざけたセリフ吐いて
るし。ならその気持ちが確かなのかどうか。あたしたちで確認しちゃえばいいのよ!」

 朝比奈さんのうるうるとした目が「ごめんなさい、あたしのせいです」と訴えている。
だから気にしなくていいんですよ朝比奈さん。全てはこの点火されたマグネシウム
みたいな奴のせいですから。
 

172: 2006/07/29(土) 00:34:54.74 ID:K2GGKbvM0


27

「で、更に幸運なことにね。有希には昨日、お見舞いに行ったときに事情を話したん
だけど、そのとき思い切って聞いてみたの。キョンのことどう思ってるかって、そした
らなんて言ったと思う?『わりと好き』なんだって!」

 ハルヒは棒人間長門から棒人間俺に矢印を引き、その上に『わりと好き』と書いた。
つーかなんで長門のときは文字で俺のときはハートマークなんだよ!最悪だ!
 それとなハルヒ。事実を曲解して伝えるなよ。あれはお前が好きかどうか聞いて、
それに対する長門の答が「わりと」だったんだぞ?自発か返答かじゃ受け取る側に
は雲泥の差があるってこと、理解してるか?

 俺はやり場に困った視線を長門に向けた。当たり前だが長門はこの状況下にお
いても平然と読書に勤しんでいた。その平静さの万分の一でいい。俺に別けてくれ。
俺はもう顔から火が出そうなんだ。
「なら、話は簡単よね。これはもう、自明のことと言っていいくらいだわ」
 そんな俺を余所に話を進めるハルヒは、そこで一旦言葉を区切り、バン、と勢い
よくホワイトボードを叩く。

「我がSOS団の総力をもって、キョン×有希のカップリングを支援しましょう!!!」

 俺はハルヒの威勢の良い声を聞きながら、頼むから隣室に聞こえていないでいて
くれ、とそれだけを祈った。
 

369: 2006/07/29(土) 08:57:42.01 ID:K2GGKbvM0

28

 光陽園駅前公園の夕暮れは、まあなんとも寂しいものであった。俺たち以外に人
は居らず、虫や木々の声、遠く車道から聞こえてくるエンジン音、どっかの小学校の
チャイム、そんな環境音だけが響いている。
 俺は何処よりか飛来した鳩がぐるっぽーぐるっぽーと芝の上を闊歩しているのを
眺めながら、早く寝床に帰らないとお前ら鳥目だから野良猫に狩られるぞ、などと
ありがたい忠告を心の中でくれてやったりしていた。

 この駅前公園もなんだかんだで馴染み深い場所である。中でも強く印象にあるの
は、やはり長門に呼び出されたときのことか。思えばあれから始まったんだよな。
ここ最近の俺の数奇な日常も。

 しかしてなんでまた俺たちがこんなところにいるのかと言えば、無論ハルヒの思い
つきが所業である。「初めてのデートと言えばやっぱ公園よね。定番だけど王道って
のは王道が故にそれなりの趣があるものなのよ」とかなんとか。

 まあ、つまるところ。

「……楽しい?」
「あ、ああ」

 冒頭の『俺たち』とは、人気のない公園のベンチに腰掛ける、俺と長門の二人だけ
のことだったりする。

 実際にはこの公園内の敷地内にはハルヒを筆頭に、朝比奈さん、古泉の三人が
潜伏しているので、まあそれらを含めてしまえれば、結果SOS団の全員がこの公園
にいることになるわけだが。…ああ、言うまでもなく、ハルヒの指示だ。
 

371: 2006/07/29(土) 08:58:32.09 ID:K2GGKbvM0
29

 せめてあいつらが近くにいれば少しは空気が軽いのだがなぁと思うが、それはそ
れで事ある毎にハルヒの奴が俺と長門にちょっかいを出してきそうだしな。

「ま、たまにはこういうまったりしたのも悪くないもんだ」

 それは間を持たせる為に言ったセリフだったのだが、言ってみて存外、俺自身の
心情を的確に表していることに驚く。まあ、一昨日以来なんだかんだ気の休まること
がなかったわけで、言ってみれば小康状態のようなものだろうか。

「そう」
「お前は?楽しいか?」
「……わりと」

 沈黙が場を占拠しているものの、俺の心はなんとなく軽かった。






 …とは言え、そうそう長時間の沈黙には耐えられないのが平均的男子高校生た
る俺である。長門はというと、どこに焦点が合ってるのだか分からないような目で、
ときに中空を見つめ、ときに遠くの建築物を眺めていたりした。どうやら暇潰しの
才能は長門の方が上であるらしい。

 仕方なく、することもなく見るものもない俺は、なんとなく、一昨日古泉と交わした
やり取りを思い返していた―――
 

372: 2006/07/29(土) 08:59:25.92 ID:K2GGKbvM0
30

 「あなたは長門さんのことを、本当はどう思っているのですか?」
  どうって。長門は俺たちの仲間だし命の恩人だ。
  好きか嫌いかで言えばそりゃ好きの部類に入るだろう。
 「そういうのを聞いてるんじゃありませんよ」
  ふん、それ以外にどう答えりゃ良いってんだよ。

 「あなたはこれまで身を焦がすような恋に堕ちた経験がない。それはいつぞやの
 私小説からも分かるところですが…、普段のあなたを見ていても、とても女性の
 扱いに慣れているとは言い難い」
  なんか盛大に馬鹿にされている気がするんだが。
  というか古泉、俺はあれを私小説と認めたつもりはないぞ。

 「失礼。この言い方はちょっと語弊がありましたね。ですが少なくともあなたの普段の
 振る舞いはとても恋を経験したことのある人間のするものではないように思えます。
 或いはその逆で、何か苦い経験をしたことがあるとか…、そんな経験がおありで?」
  いや、そんなもんはない。
  っていうか話が脱線していないか?俺の恋愛経験なぞどうでもいいだろうが。

 「いえいえ、それこそが今回のキーポイントなのですよ」

  古泉は人差し指を立ててそう言って、くすりと笑う。
  なんでこいつはいつもこんなに自信満々なんだ?
 

373: 2006/07/29(土) 08:59:56.01 ID:K2GGKbvM0
31

 「いつぞやの私小説のときは、涼宮さんはあなたの過去の恋愛模様に興味を持っ
 ていた。恐らく今回、涼宮さんがそんな話をあなたに振ったのは、あなたの恋愛
 経験そのものに興味を持ったからなのではないでしょうか?」
  あん?
 「つまり、あなたと長門有希の恋愛、それを見てみたいと思った」

  ……は、あのハルヒがか?
  頭のネジが15本くらいぶっとんだようなことにしか興味のない女だぞ?ありえん。

 「まあ、これはあくまで僕の想像です。それにもし本当に涼宮さんがそんなことを思
 っていたなら直接あなたに言うなんて回りくどいことをしなくても自然とあなたと長門
 さんは相思相愛の恋人同士になっていたでしょうし。…ふふ、自分で言っておいて
 なんなのですが、色んな意味で破綻していますね」

  ……なら、その妄想はそこで終わりだろう。

 「だからこそ、あなたの気持ちが重要なんですよ」

  もう一度聞きますよ。そう言って古泉はにこやかに笑った。

 「あなたは長門さんのことを、本当はどう思っているのですか?」

  …………。
 

375: 2006/07/29(土) 09:01:20.94 ID:K2GGKbvM0

32

 ―――そんな、やり取りだった。

 まあ、俺としては半分本気、半分意地で反論したのだが、こうなってみると古泉の
推論もあながち間違いではないような気もしないではなくなっていた。しかしあのハ
ルヒが他人のとは言え恋愛に興味を持つ…、ねぇ。…ダメだな。やはり信じられん。

 ああ、ちなみにハルヒの提案したこのとんでもない企画の概要はこうだ。
 俺と長門は互いに好きではあるが、双方共に、それが恋愛感情であるかどうか
量りかねている。故にそれを確かめる為、二人きりの時間を多く作り、互いの気持
ちを確かめ易くする。過度の触れ合いは禁止。二人が行動を共にしている間、常に
一人以上の監視者をつけることとする。期限は一週間。その間に確かめることが
出来なければ、今後一切、友人以上の付き合いを禁ずる。以上。

 聞かされるだけでなんとも全身がむずがゆくなる凄惨な企画内容なのだが、それ
をやらされる俺は尚悲惨なことだろうと、近い未来の自分に同情する俺であった。
心から、適当なところでハルヒが飽きてくれることを祈るばかりだ。

「…………」

 と、不意に長門が声を上げたような気がして、そちらを見る。

 そう言えば、長門はどうなのだろうな。長門はこの状況をどう思っているのだろう。
汲み取ってみようとするも、その表情からはなんとも解りようがない。あのコンピ研
とのゲーム勝負のときのような、分かりやすい対象があれば別なんだが…。
 

377: 2006/07/29(土) 09:02:22.80 ID:K2GGKbvM0
33

 長門は何か動く物体を目で追っているようだった。興味を引かれ、俺もそれに追
随する。見ると、茶トラの野良猫がずんずんとこちらに歩いてきているところだった。
そいつは長門の足元まで来ると、軽やかにジャンプ。図々しくも長門の膝の上に寝
転び、丸くなってしまった。

「…………」
「頭でも撫でてやったらどうだ」
 そう言ってやると、長門はじぃっ、とこちらを見つめ、また視線を猫に戻す。そして
馬鹿正直に野良猫の頭をさわさわと撫で始めた。

「シャミセンのときといいそいつといい、お前にゃ猫と通ずる何かがあるのかね」
「…わたしとこの種の愛玩動物との身体的類似性は皆無。恐らく、何もない」
「いや、そういうんじゃなくてだな」
 なんとなくだが…、物腰とかそういったものが長門は猫っぽい気がするんだよな。
となれば朝比奈さんは大人しい小型犬で、ハルヒはキャンキャンうるさいバカ犬か。

 くっくっ、と俺の口から笑いが漏れた。それが聞こえたのだろうか、それともじゃれ
つく猫をどうにかして欲しいのか、長門が俺を見る。とりあえず、前者だということに
しておこう。
「いや、すまない。猫と戯れる長門なんてあまり見られない光景なんでな。つい」
 俺がそう言ってやると、長門は真っ直ぐに俺の目を見てその薄い唇を動かした。

「……楽しい?」
「ああ、わりとな」

 まあ、そう同情されるような未来でもないのか知れないな。と俺は思った。
 

378: 2006/07/29(土) 09:04:51.49 ID:K2GGKbvM0


34

 それからの数日は取り立てて何事もなく過ぎていった。

 ハルヒは何やら雑誌を持ち込み、事ある毎にそこに記されたデートコースを俺に
つきつけ、長門を連れていくようまくし立てた。断る理由もなければ、むしろ適当に
合わせておかなければ後が怖いのは明白である。長門に日頃の恩を返す良い機
会だ、というのもあったしな。俺は二つ返事で了解、それらのデートプランを着実に
こなしていった。

 平日は学校があるので午後から遊べる場所に限られるが、色々な場所へ行った。
映画館にも行ったし、ゲームセンターにも行ってみた。野山を散策に行ったりだとか、
ウィンドウショッピングなんてのもあったな。
 何処へ行こうと長門の様子は相変わらずだったが、特別嫌なわけでもない、そん
な顔をしていたように思う。ゲームセンターに行ったときなんては楽しそうだったくら
いだ。
 まあ、試しに対戦格闘をさせたら連戦連勝、挙句現れたその店のチャンプらしい
男性にあっさりパーフェクト勝ちしてしまい、騒ぎになりかけた為そう長くは遊べなか
ったわけだが。
 ああ、映画のときも若干楽しそうではあったようだ。しかしながら、俺は途中で寝て
しまった為よく覚えていない。おかげで観了後の感想を聞かせあうといったデートら
しいこともせず、解散となった。我ながら情けない話である。

 そんなこんなで平穏な日々が過ぎていったわけだが、その所為か俺はどうやら忘
れてしまっていたらしい。あの、長門が病気だと聞いたときに感じた酷い胸騒ぎを。

 事態が転じたのは企画の期限である一週間後のその前日、日曜日のことだ。
 

941: 2006/07/29(土) 23:34:49.95 ID:K2GGKbvM0

35

 土曜日の夕方、ハルヒから電話があった。内容はやはり長門とのデートについて。

「とりあえず日曜は午前中から遊びまわりなさい。行く場所はあんたが決めていい
わ。ただし、午後三時半になったら北口駅前の喫茶店に来ること。わかった?」

 そう一方的に言い渡され、切られた。まあ、こいつが一方的なのは今に始まった
ことでもないし、反論したところで無駄なのは既に了解済みだ。なるようになるだろう。
そんな気分である。
 ただ少々気になるのは今日まで全ての行き先を決めていたハルヒがこと日曜に
限り俺たちに選択の自由を与えたことか。

 ともかく、俺は考えた。今日まで足を運んだ場所の中で最も長門の興味を引いた
のはやはりゲームセンターだ。とは言え、再び行く気にはならない。また騒ぎになり
そうだしな。他にあるとすれば映画か。しかしこれもまた俺が寝てしまいそうだ。

 まあ、何もここ数日で行った場所に限る必要はない。それにこんな短いスパンで
同じ場所にまたぞろ繰り出すというのも微妙だろう。そう判断した俺は、長門が行
きたかろう場所を想像することにした。

 長門が行きたそうな場所。当然、考えるまでもなく決まっているのだが。
 

945: 2006/07/29(土) 23:35:28.66 ID:K2GGKbvM0
36

 というわけで日曜日。昼を過ぎ、午後に差しかかろうという時間帯、駅前の図書館
には、俺と長門の姿があった。
 開館時間から昼食時を差し引き、俺たちはずっとここで読書に励んでいた。とは
言っても励んでいたのは主に長門であり、俺は軽めの文庫本を読み、時折長門の
様子を見に行くくらいであったが。

 まあ、無難な選択だろう。ここからなら北口駅はすぐそこであるし、何より長門の
ニーズに最大に応えられる場所だ。その分俺がほんの少し我慢しなくてはならない
が、そんなものはなんとでもなる問題だった。
 幸いなことに、適当に取った文庫本は中々に面白く、俺はそれほど退屈を感じず
首尾よく時間を潰すことができた。

 約束の時間の三十分前になり、俺は長門に声をかけ、喫茶店に行く旨を伝えた。
頷いた長門の手を引き、読んでいた分厚い本を以前作った貸し出しカードで借りて
やる。そうして駅前に到着すると、丁度約束の時間ぴったりくらいだった。
 以前は本を借りる作業に手間取ってハルヒに怒鳴られたからな。人間とはこうし
て日々進歩していることを実感していくものなのだ。

 喫茶店に入り、窓際の席に案内される。メニューを開き、俺はレモンスカッシュを
頼んだ。長門は暫くメニューとにらめっこをし、長い時間をかけて「カモミール」と呟
いた。
 程なく、先程のウェイトレスさんが伝票と飲み物を持って現れる。俺と長門のそれ
ぞれにオーダーの品を配膳すると、ごゆっくりどうぞという声と共に去って行った。
 

946: 2006/07/29(土) 23:36:14.12 ID:K2GGKbvM0
37

 さて、約束の場所に来たはいいが、ハルヒたちの姿はない。大方ここ数日と同様
にどこからか監視をしているのだろうが、流石は何事もそつなくこなすハルヒと言う
べきか、周りにいる客たちの中に、そして外に見える景色の中に不審に思えるもの
はない。だとすれば残るは厨房か…。いやいや、いくらなんでも。まさかな。

 これから何が起こるのか不安で少々落ち着かない気分である俺に対し、長門は
至って冷静である。たなびく湯気を立てているカモミールをちびりちびり、香りを味
わうようにして喉に落としている。俺は自分の分には手もつけず、暫くその仕草を
眺めていた。

「…………」
 視線が気になったのだろう、長門は抗議の目をこちらに向けてくる。とりあえず、
誤魔化すことにする。

「悪い、なんでもないんだ。ただ、猫舌じゃあないんだよなぁって思ってな」
「熱いのはわりとへいき。あなたがどうしてそう思うか、不明。説明を要する」
「いや、それこそなんでもないんだ。忘れてくれ」
 誤魔化しきれたのかそうでないのかは分からない。しかし長門がそれ以上食い下
がってくることはなかった。…ふぅむ。

「なぁ、長門」

 呼びかけた一瞬、俺は賭けをしてみたくなったのだと思う。

 長門は決して自分を出さない。俺たちを困らせることをしない。それは長門の美
徳なのかもしれないが、俺にはそれがなんだか物寂しい。だから、問う。
 

949: 2006/07/29(土) 23:37:00.90 ID:K2GGKbvM0
38

「一週間、お前と色んなところに行ったわけだが、正直、お前はどうだった?」

 普段の俺ならこれに加えて、楽しかったか?と続けるだろう。そして長門はこう答
える。わりと。それじゃダメなんだ。それは、長門の意思であるのだろうが、長門の
言葉じゃない。

「どう、とは」
「この一週間がお前にとってどうだったか、ってことだ。お前が感じたままに言って
くれていい」
 案の定、長門は質問の意図を図りかねているようだった。俺はそんな長門に最低
限度の助け舟を渡してやり、長門の答えを待つ。

「…………」
 押し黙ってしまった長門の顔は傍目にはいつもの平然としたそれであるが、俺に
は返答に困っているように見える。
 まあ、仕方ないのかもしれないな。長門はどうしても自分の立場を捨てることがで
きない。もしかしたら、こいつの中ではあの冬の事件が尾を引いているのだろうか。
あの、俺の周囲の世界が消失してしまった、あの冬の事件。

 …いや、違うな。俺は覚えている。消失した世界が元に戻り、帰ってきた俺に長門
が言ったあの言葉を。だから、こいつは答えてくれる筈なんだ。

「楽しかった」

 ほうら、ね。
 

951: 2006/07/29(土) 23:37:40.24 ID:K2GGKbvM0
39

 しかしまあ、こんな感想ひとつを言わせるだけなのに、よくもこうまでやきもきとさ
せてくれる。意思表示が苦手な長門が悪いのか、それとも俺が心配しすぎなのか。
なんにせよ、長門が自分の意思をはっきり語ってくれたことが、俺は嬉しい。
 長門はこちらを見つめていた。一般に言う怪訝そうな目という奴を一万分の一く
らいに薄めた目で、俺を見ていた。どうやら俺が笑っているのが気になるらしい。

 正直に言おう。俺はこのとき目の前にいるこいつを、ちょっとだけ可愛いと思って
しまっていた。

「あなたは?」
 長門は簡潔に問いかける。俺は考える素振りだけすると、口を開いた。
 答えなぞ、元から決まっている。

「そりゃ、もちろんたのs―――」
「お、お待たせしましたぁ!じゃ、ジャンボデラックスパフェになりますぅっ!」
 突如割り込んできたウェイトレスさんの声に、俺は違和感を覚える。はて、パフェ
ですか。そんなもの頼んでませんけどね。というのがまず一つ。しかしそれ以上に
巨大な違和感がそのウェイトレスさんのその声その姿に存在した。

 あ、あの。何をやってらっしゃるのですか?朝比奈さん。

「キョ、キョンくん…」
 そこには文化祭のときに用いられたのと同じウェイトレスの衣装を身に纏った、
朝比奈さんがいた。
 

953: 2006/07/29(土) 23:38:39.35 ID:K2GGKbvM0
40

 『何故朝比奈さんがここに』という問いは既に意味をなさないだろう。ハルヒの指令
があった時点で、ここにSOS団の面々が集まっているだろうことは予測済みである。
 問題は、彼女がどこから現れたか、そしてどうしてこんな格好ででっかいパフェを
載せたトレイなんぞを運んでいるかだ。それが何を表すのか。懸命なる諸兄には既
にお分かりのことだろう。

 即ち、どんな手を使ったのか知らないが、この店の厨房は既にハルヒの手に堕ち
ている、という悪夢のような事実である。

 朝比奈さんは何故だろうか、蹴り足を構えるような動作で右足を一歩引くと、申し
訳なさそうな顔で俺を見た。そのとき無性に感じた嫌な予感を、俺はもっと信じてい
ればよかったんだろうな。だがこのときの俺にできたのは、久し振りに見た朝比奈
さんのウェイトレス姿を瞼に焼き付けることくらいだ。

「キョ、キョンくん…、ご…、ごめんなさいっ…!」

 そんな悲鳴にも聞こえる謝罪の言葉と共に、朝比奈さんは盛大にすっ転ぶ。無論、
支えを失った銀のトレイは宙を舞い、同じく空中に投げ出されたジャンボパフェは、
まるで狙い定めたかのように俺の顔目掛けて飛んでくる。
 次の瞬間、俺は「ああ、お約束ってこういうことなのね」などと思いながら、その
甘ったるい匂いのする物体を、見事顔面で受け止めていた。

「そう!そうよみくるちゃん!ドジっ娘属性はそうでなくてはいけないわ!うんうん!
作戦終了よ!戻ってらっしゃいみくるちゃん!」
 何処からか、具体的には厨房の方から、ハルヒのハイテンションボイスが聞こえて
くる。クリームまみれの俺の心地が憤慨に染まることに、それ以上如何ほどの理由
が必要だろうかいやない。
 

954: 2006/07/29(土) 23:40:37.15 ID:K2GGKbvM0
ここまで。そろそろストックがなくなってきた。今日一日で進めるはずだったのになぁ

41

 しかしまあ、俺も大概にガマン強い。怒りに任せ叫びそうになるのをぐっと堪え、
目の部分に付いたクリームを拭い、うるうるとした目を向ける朝比奈さんを視界に
捉え言ってやったさ。

「戻れって言ってますよ…? 戻った方がいいんじゃないですかね…?」

 俺の顔は恐らく、かなーり素敵な笑顔になってたことだろう。朝比奈さんはごめん
なさいごめんなさいと繰り返し、厨房へと去っていった。

 あ、できれば布巾とかお願いします。


 さて、顔面から胸元までいびつにデコレートされてしまった俺は、最後の防波堤で
ある股間が汚れていないことを確認すると、二次災害を防ぐ為、まず襟元に引っか
かっていたソフトボール大のアイスクリームをパフェの容器に移した。
 それから紙ナプキンで顔のクリームを粗方拭き取る。しかし服はどうしようもない。
新たに紙ナプキンを数枚とるが、衣類を拭くにはなんともまあ頼りなかった。加えて
言えば周囲の客の好奇の視線が肌に痛い。ならば対処法はひとつしかないだろう。

「長門、ちょっと待っててくれ。洗ってくる」
 そう言って俺は席を立とうとする。だが、
「待って」
 長門が、俺の手を掴んでいた。
 

964: 2006/07/29(土) 23:45:49.70 ID:K2GGKbvM0




 長門は俺の手をひっぱり、引き寄せる。どうした、長門。俺は早く洗面所に行きた
いんだが。という俺の言い分を無視し、長門は更に俺を引き寄せた。なんだ、どう
した長門。距離が近いぞ。てか、おい、なんだこの体勢は。
「じっとしてて」
 離れようとする俺の抵抗も虚しく、俺の頭は長門の両手によってがっちりとキャッチ
されてしまっていた。ホント、この細っこい体のどこにこんな力があるんだ。てか長門
さん?近い、近いよ?いや、だからなんで顔を近づける―――

「キョンくん、あの、おしぼりを―――」
 朝比奈さん。あなたはどうしてこうもタイミングの悪い。

 気付けば周囲からざわざわとしたどよめきが起こっていた。彼らの気持ちは非常
に分かる。俺だって彼らと同じ立場なら同様に困惑し、思わず声を上げたに違いな
い。だが、今この場で最も困惑しているのは俺である。…何故かって?そりゃあ。

 長門が俺の頭を捕まえ、その短い舌で俺の頬を舐めているからだ。

 いや、正確には拭き取れていなかったクリームを舐め取っていたのだがそんな
瑣末な違いはどうでもいい。問題はそれが周囲にどう見られるか、だ。
 年頃の男女が公共の場で密着し、頬に舌を這わせるというこの光景を見て、人は
どう思うだろう。人それぞれに思うところは違うのか知れないが、しかして本心からの
言葉とすれば、恐らく老若男女等しく答えは決まっている。
 即ち、『このバカップルが…!』だ。

 やめてくれ長門!この仕打ちはあんまりに恥ずかしすぎる!

 俺のひた向きな想いが通じたのか、長門は一旦距離を置くと、囁くように言った。
「教わった。こういった状況下における一般的な対処法と理解、実行した」
 教わった?誰にだよ。
「涼宮ハルヒ」

 なんだって…?

 俺がハルヒと出会って以来、このときほどあいつに対し怒りを覚えたことはなかっ
たね。はっきり言って最悪だと思った。

 まあそれはともかく、今は状況を打開することが先決だ。俺は必死の思いで長門
を説得する。
「長門。それは違う。ハルヒは嘘をついたんだ。普通はこんなことしない」
「涼宮ハルヒがわたしに嘘をつく理由がない」
 だから長門、そりゃ違うんだって。てかやめなさい。やめて。

 抗議も虚しく、長門の舌は再び、獲物を狙う肉食獣のようにゆっくりと俺の顔に
近づいてきた。
「まだついている」
 囁いた長門の視線は、俺の顔のある一点に向けられていた。

 マズイ、この狙いは…、唇!

 それだけはダメだ。何がダメなのかよく分からないが、とにかくダメだ!なんとか
身を捩って狙いを外そうとするも、俺を捕まえている長門の手は揺らぎさえしない。
 一体俺はどうすればいい?…そうだ。長門の狙いがクリームを舐め取ることなら
先んじて自ら舐めてしまえば…、いやいやいやもし万が一タイミングが悪くて俺の舌
と長門の舌が触れちまってみろ。俺はその瞬間から谷口以下の存在に成り下がる。
だが大人しく待っていたところで待っているのはほぼ同じ結末……。

 ならばどうする、俺。考えろ。想像しろ。必ず活路はある筈なんだ。考えろ。考える
んだ、俺。……そう、そうだ。逆に考えるんだ。



―――――発想を、『逆転』させるんだ!!!



 そう、確かに今俺の置かれている状況は最悪かも知れない。しかし考えようによ
っては天国、むしろ後先考えなくていいならこのままこの誘惑に溺れてしまうのが
男子としての本懐であり或いは俺は全神経を体の前半面に集中させておもうさま
この青い果実を存分に堪能すべきところでいやしかし長門って実はそんなにナイ
わけではなく案外着やせするタイプ……………、





 ってバカー!俺バカー!
 考えるのはそういうことじゃないだろう!?何想像してやがんだよ!!


 いや、いやいやいや。そりゃあ俺だって健康な若い男だ。性欲を持て余したりも
するさ。しかし一時の劣情で面倒ごとを背負い込むほどバカじゃあない。
 さあ落ち着こう。こんなときは谷口の顔を思い浮かべるんだ。谷口は女を作ろう
として失敗し続ける馬鹿な男。俺に勇気を与えてくれる…………、よし。

 ようやく心と体を落ち着けた俺は、ひとまず長門との距離を測……近っ!もうこん
な距離かよ!近っ!

「だ、だめですーっ!」

 こ、この声は朝比奈さん?どうやら長門に掴みかかっているらしい。
 ああ、朝比奈さん。無理しなくていいですよ。俺は半ば人生を諦めながら、胸中で
朝比奈さんに語りかける。だが、長門の後ろに見え隠れしている朝比奈さんの様子
は、いつものおっとりしたそれとは違いまるで別人だった。

 その瞳に宿る意思は固く、その顔は至って真剣そのもの。前に突き出されたその
手にしても、いつもならばおっかなびっくり恐る恐る伸ばしていたに違いないが、しか
し今に限っては力強い。まるで戦女神のような凛々しさだ。
 これは、ひょっとしたらいけるのかも知れない。俺は心の中で、朝比奈さんに最後
の頼みの綱を渡す。普段なら、それは万引き少年に本屋の店番を任すような愚行
であるのか知れない。しかし今の朝比奈さんならばなんとかしてくれる。俺にはそん
な予感があった。

 頑張ってください、朝比奈さん。俺の進退はあなたの双肩にかかっているのです。
 朝比奈さんは長門の襟首を掴み―――後方へ思い切り引っ張った。

「うーっ!ふぅーっ!うーっ! …はぁ、はぁ、 ふぅーっ!」

 びくともしなかった。
 ま、まあ…、そうですよね。

 最後の頼みの綱がティッシュで作ったこよりよりも役に立たなかった今、もう俺に
打てる手立ては残っていない。後は運命を甘んじて受け入れるのみ、だ。長門の唇
はあと数ミリというところまで迫っている。

 最早これまで、か。 俺は覚悟を決めて目を閉じた。




 その一瞬。俺の体は物凄い勢いで後方へ飛んだ。頭部に急激にかかる慣性力と
喉下への圧迫が、誰かに襟首を引っ張られたのだと悟らせる。
 助かった…のか?
 しかし勢いがありすぎた。受身を取る暇すらなく後頭部を床に激突させると、俺は
猛烈な痛みに頭を抱えながら、このどうにもならない状況を打破してくれた人物で
あり、そしてこの猛烈な痛みを与えたであろう人物を仰ぎ見る。

「何してんのよバカキョン!」
 誰あろう涼宮ハルヒその人だ。ハルヒは床に転がった俺の目の前に仁王立ちし、
まくし立てる。
「言った筈よね。過度の触れ合いを禁ずるって。それが一体どういうこと?仮にも
公衆の面前で恥ずかしくないの?いきなりあんな…、あんな…、この変態!」

 あのなハルヒ。お前怒る方間違ってないか?
 大体長門に変なこと吹き込んだのはお前じゃないか。お前の撒いた種だろうが。
「うっさいわよ変態!バカ!バカキョン!」
 ハルヒは俺に罵倒の言葉を浴びせながら、蹴りを入れてきやがった。うお、ちょっ
と待て。かなり痛いぞ。てか本気だろこれ。

「バカ!変態!変態!!」
 理不尽なハルヒの蹴撃に耐えながら、俺はこいつが何故ここまで怒っているのか
理解できずにいた。なあ、ハルヒ。お前は俺と長門がくっつくことを望んでたんじゃ
ないのか?

 ふと、蹴りの雨が止む。
 見ると、長門がハルヒの手に触れその行為を制していた。


「彼はなにもしていない。非があるとしたらわたし」
 長門はいつもの抑揚のない声でハルヒに告げる。
「あなたから先程の対処法を教わる際、情報の伝達に齟齬が生じた。悪いのは
わたし。彼は悪くない。非難されるべきなのは、わたし」

 ハルヒは驚いているようだった。それもその筈。俺だって驚いている。長門がこい
つにこうまではっきりと意見したことなど、あの夏の孤島での冗談のような一幕を除
き、今までなかったのだから。
 長門は本意が伝わったのかどうか不安なのだろう、休まず言葉を続ける。

「先程の対処法は公共の場での対処法としては第一ではない。恐らく、彼が当初に
とったナプキンで拭うという行為が」
「…もういいわよ」
 長門を遮るハルヒのその声は、何故だろう、俺には何かを諦めたような声に聞こ
えた。こいつが何かを諦める?いやいや。そんなことがあるわけがない。こいつが
何かを諦めるときなんてのは、それこそ世界の終わりのときだ。

「わかった」
 ハルヒは苦虫を噛み潰したような、眉間にしわを寄せた表情で低く呟く。わかった
って、何がだよ。そう言った俺にハルヒは大きく息を吸い込み、



「あんたたちが好き合ってるのはもう充分わかったって言ってんのよ!」



 ―――意識を失するような衝撃を、俺は感じた。






 その感覚は、例えるならふと頭をよぎったフレーズが何という曲の一節だったか
思い出せない、そんなものに近い。覚えている筈なのに思い出せない。解っている
筈なのに解らない。そんなものに近い。
 或いはそれは忘れてしまったものだったか。いつからか傍観者のふりをしていた
俺が、どこかに置き忘れてしまったものだったか。それが今更になって見つかった
ものだから、俺は戸惑っているのだろう。


 ハルヒは不機嫌そうな顔はそのまま、言葉を続ける。

「そう、もう充分ね!はっ、これ以上あんたたちの恋愛ごっこに付き合ってなんかい
らんないわ!あたしたちにはまだ見つけてない不思議を探すっていう大事な使命が
あるんだから!こんなところで時間潰してる暇なんてないのよ!」
 ハルヒはそこで一旦区切り、表情を明るめに作り直すと、パンパン、と手を叩きな
がら、
「はいはい終了!終了日には一日早いけど、これ以上何かを聞くこともないでしょ?
さっきのでもう充分アツアツぶりは見せ付けられたわけだし」
 そう言って、まるで汚い物を見るかのような顔で、俺を見る。

「ってことでこれにてSOS団恋愛強化週間は円満終了!キョンと有希はめでたくカッ
プルになりました!あ、でも目の前で今みたいにイチャイチャされても目障りだから
…、そうね、別れるまで無期限でSOS団の活動に参加することを禁じます!これ、
団長命令ね。さて、そうと決まればみくるちゃん、古泉くん。今からでもあたしたち
だけで不思議パトロールに―――」

 俺には分からない。さっぱり、分からない。
 これは、なんだ?一体全体、何の冗談だ?

 ハルヒの声が意識から消える。聞こえない。聞いていたくない。
 こんな不快な音は、騒音と呼ぶことさえおこがましい。


 置き忘れていたそれは、低く重く、俺の一番深いところまで沈んでいく。どろりとし
た不快感が俺の腹でのたくった。
 ああ、こんな思いをするくらいなら傍観者などではなく、いっそ道化になっていれば
良かった。忘れるのではなく、失くしてしまえば、きっとこんな思いをすることもなかっ
た筈だ。ふと、そんな甘言に惑わされそうになる。

 違う。絶対に違う。

 置き忘れていたそれは、人が決して失くしてはならないもの。傷付けること、傷付
けられること、それらを同時に内包したそれは、つまるところ人そのものだ。それを
失くしてしまったものは、そんなものは、最早道化ですらなく、人でさえない。

「―――――――よ」
「……ん?あんた、今なんか言った?」

 開かれた俺の口から漏れ出た声は、音だけをとれば小さなものだ。けれどそれは
たらたらと続いていたハルヒの語りを絶ち、場に重苦しい残滓を残す。


 俺は、再び口を開く。



















「―――なんなんだよ、お前」





 俺の声、そして瞳に宿るのは、いつか何処かへ忘れていた感情。
 いつもの、乾いたそれではない。

 熱を帯びた、心からの怒りだった。

970: 2006/07/29(土) 23:48:22.40 ID:K2GGKbvM0

「全くもって意味がわからねえ。なあ、さっきからのこりゃあなんなんだ?この性質の
悪い冗談はなんなんだよ」

 ぐるぐると唸る獣のような声が、俺の口から放たれる。いつもの余裕ぶった口ぶり
なんぞは遥か彼方に消え失せていた。

 おいおいちょっと待てよ俺。お前はそんな熱血キャラだったか?つーか何をそんな
に怒ってんだよ。ハルヒの気まぐれは今に始まったわけじゃなし、別にそこまでキレ
るようなこ――――黙れ。
 自身の気楽な部分が上げる非難の声を一息に掻き消し、俺はハルヒを睨みつけ
る。ハルヒは若干狼狽えたようだが平静な顔を作り、

「何って。あんたたちの恋のお手伝いに決まってるじゃない。よかったわね?上手く
いって。ま、あんたたちに任せてたらきっとこうはならなかったでしょうね。あたしに
感謝なさいよ?あ、でもさっき言ったのは本気だから。あんたたちが付き合ってる」

 付き合ってる限りはSOS団部室の敷居は跨がせない、とでも続けるつもりだった
のだろうか。しかしそれは再び吐き出された俺の呻きに遮られた。

「ふざけんな」

 ハルヒの顔がかつて見たことのないような表情に彩られる。もしかしなくても、その
表情の意味するところは怯えに他ならない。どうしてだろうか。普通ならば二の口を
浴びせるのを躊躇してしまうようなその顔は、しかしことハルヒに限っては俺の苛立
ちを加速させていく。

 なあ、どうしちまったってんだよ涼宮ハルヒ。
 そんな言動も、ツラも、ちっともお前らしくないだろうが。


 俺は多分、傍からは怒りの矛先と温度をこれ以上ないくらいに間違えているように
見えるのだろうな。自分でもそれは分かっていた。
 けれど俺にとってこれは必要な怒りだ。万事流されているような俺にだって、どうし
ても譲れないものがある。これはそれを守る為の、魂の咆哮だ。

「もしかしたら俺も悪いんだろう。お前が突拍子もないことをする奴だって知りつつ、
放っておいたんだ。それがお前の暴走を招いたってんなら、俺はお前に詫びる必要
がある」
 俺は少し言葉腰を柔らかくして続ける。

「だがなハルヒ、俺は後悔なんぞしちゃいない。なんだかんだで、俺はその突拍子
もないことが好きだったからな。お前が今度は何を仕出かすのか、どんな馬鹿な
ことを企んでやがるのか、楽しみで楽しみで仕方なかった」

 これは、紛れもない本心からの俺の言葉だった。なんだかんだあっても、俺は毎
日が楽しかった。こいつの馬鹿に付き合わされる日常が、堪らなく好きだったんだ。
でも、それが―――

「―――それが、なんなんだよ今日のは。ちっとも楽しくなければ面白くもねえ。お前
はどうだ?楽しかったか?赤っ恥をかく俺と、お前の吐いた出鱈目を鵜呑みにする
長門は。滑稽だったか?愉快だったか?楽しかったかよ。なあ、どうなんだ」

 吐き捨てるような俺の言葉に、ハルヒはハッと顔色を変える。
 ようやく気付いたか。だがな、もう遅い。

「ち、違う…。あたしは、そんなつもりじゃ―――」
「違わないね。それにお前がどんなつもりだったかなんて端から問題じゃない。問題
なのはお前が今日、人として最低の行動を取ったってことだ」

 いつものハルヒなら、絶対にこんな真似はしない。そりゃあ、どうしようもなく自分
勝手で自己本位で猪突猛進、周りの迷惑を考えない奴だけど、誰かを傷付けるよ
うな真似が出来る奴じゃない。

 そんな奴じゃ…、なかったのに。 …畜生。

「俺はいい。どう扱われようがな。どうせ普段から何をしてるわけでもない。たまの
不遇な扱いが俺の役回りってんなら、俺は甘んじてそれを受け入れるさ」

 溢れ出る言葉は止められそうにない。止める気だって毛頭ない。

「だが長門はそうじゃない。長門は俺なんかとは違っていつもお前やSOS団のこと
を最優先にしてくれている。その為に最善の努力をしてくれている。それこそ我が
身省みず、身を粉にしてだ。それを…、お前はなんだ?騙して、嘲笑って。それで
立場が悪くなりゃ団長様でございってか。ふざけるのも大概にしろよ」

 罪状を読み上げる裁判官のような心地で、俺は言った。

「もしお前が俺をムカつかせたいだけで今日のこれを仕組んだんなら、褒めてやる。
最悪だよ。クソッタレ。反吐が出る。正直、顔も見たくねえ」





 ぱしん、という乾いた音が店内に響く。左頬がひりひりと痛み、やがてじんわりと
した熱を持つ。誰かに引っ叩かれたのだと理解するのに、時間など万分の一秒も
必要なかった。
 俺は目の前に立ち塞がった人物を見る。まさかこの人に平手打ちをされ、あまつ
さえこんな目で睨まれる日がこようとはな。

 見間違えようもない。ウェイトレス姿の朝比奈さんだ。

「キョンくん…!そんな言い方…、あんまりです!涼宮さんは…!」

 朝比奈さんは叩いた掌も痛むだろうに、その手を押さえるような仕草ひとつ見せ
ないでいる。怒って…、いるのか。小さな肩を震わせ、燃えるような意思をその瞳
に湛えていた。

「朝比奈さん。すいませんが黙っていてください」
「黙りません」
 俺はなるべく冷たく聞こえるように言い放つ。だが、朝比奈さんは怯まない。俺の
目を真っ向に見据えると、静かな口調で語りだした。

「涼宮さんは…、そんなこと思ってない。あなたや、長門さんを馬鹿にするつもりな
んてない。それは、結果的にそうなっちゃったのはよくないことですけど…、でも、
涼宮さんはそんなこと、絶対に望んだりしていません!そんなこと…、絶対…」

 その弁明は、押し黙ってしまったハルヒの代わりのつもりなのか。朝比奈さんの
声が、俺の胸に重苦しく圧し掛かる。…でも、違うんだ。

 確かに、ハルヒはたとえどんな腹積もりがあったにしても、SOS団の誰かを貶める
ような真似はしない。だが…、『結果的にそうなった』?それは絶対に在り得ないんだ。
 あいつの企みがあいつの意図しない結果になるなんて絶対に在り得ない。それは
俺たちが一番良く知っていることで、朝比奈さんも理解している筈だ。それで敢えて
俺を止めようなんてのは、そんなのは……、


 俺の肩を掴んでいたのは、いつの間に現れたのだろう、古泉の手だ。
 なんだよ古泉。お前もかよ。

「あなたの憤りは分からないではありませんが、怒りに任せて物を言ってもどうとな
るものではないでしょう。激流は木板を破壊しますが、水滴は静かに穴を穿ちます。
どうか、冷静になって下さい」

 古泉の顔つきも、朝比奈さん同様真剣そのもの。だが…、

「俺は至って冷静だがな」
「ご冗談を。でしたら何故そんな物の言い方をするんです。感情をぶつけるだけでは
人間関係は成り立ちません。感情を抑え、相手の心情を理解してこその人間でしょう」

 古泉の正論は、いつもならば胡散臭いほどに、それが一々ムカつくってくらいに
納得できるのに、どうしてか、今日はいつもほどのキレがなかった。既に俺がこれ
以上ないくらいにムカついてるからか?いや、そうじゃない。

 その言葉に、一切の余裕がないからだ。

 古泉の顔を真っ直ぐに見据える。その目の奥に見え隠れする焦りを、俺は見逃さ
ない。…そうか。そういうことかよ。俺は胸中吐き捨てる。もしかしたらそれは、とう
の昔に気付いていたことだった。

「なあ古泉。回りくどい言い方しないではっきり言ったらどうだ?」
 古泉は、俺の台詞に思うところがあったのだろう。分かりやすくその顔色を一変
させた。俺はすかさず言葉を繋げる。
「お前がはっきり言えないってんなら、俺が代わりに要約してやる」
 間違っていたら言ってくれ。そう付け加え、俺は一旦口を結ぶ。そして問うべき言
葉を反芻し、再度口を開いた。


「お前は、何も事を起こしたくなければここは黙っていろと、俺に言っているんだよな?」


 その言葉が何を意味しているのか、古泉には分かる筈だ。だから俺は、できるこ
とならそれを否定して欲しかった。……信じたかった。
 古泉は目を瞑り、暫く考えるような素振りを見せた後、俺の目を見て、答える。

「…ええ、その通りですよ」

 もしかしたら。ひょっとすると。頭の片隅に淡く思い描いていた幻想が、その台詞
と共に消え失せる。俺はそのまま、努めて表情を変えないようにしながら、朝比奈
さんの方へと向き直った。

「朝比奈さんも、古泉と同意見ですか?」
「……、ぁ……、……ぇ……、と、」
 朝比奈さんは小さな声を漏らすだけで答えない。だが、その居た堪れない表情は、
暗に肯定の意を示すもの。朝比奈さんもまた、古泉と同じなのだ。

 理解した瞬間、俺は目の前が真っ暗になるような感覚を味わった。朝倉に刺され
たときも、こんな感じだったか。生きる気力や活力といったものが全て消え失せてし
まったような、体から力が抜け落ちていく感覚。

 或いは、分かっていた筈のことだ。古泉も、朝比奈さんも、自分たちの帰属する
世界を守る為、任務としてここにいるのだと。それを、俺は知っていた筈だった。
 だが、信じたかった。それでも俺は信じたかったんだ。こいつらは俺の仲間なんだ
と。こいつらは任務なんかじゃなく、自分の意思でここにいるんだと。

 それが今、こうして裏切られた。


 だってそうだろう?

 ハルヒが必要だから。自分たちの勢力に涼宮ハルヒの力が必要だから。
 たとえそれがどんな涼宮ハルヒでもそれでいいと、こいつらはそう言ってるんだ。

 俺に、こんなハルヒを受け入れろと言っているんだ。


「冗談じゃねえぞ…」
 呻き、俺は傍らで立ち尽くしている長門に視線を向ける。
「…長門は?お前も同じなのか?」
 最早、すがるような心境だった。

 長門はいつもの顔で俺の視線を受け止め、言う。

「……解らない。でも、感情に任せて全てを決めるのは、とても危険なこと。これ以
上の不和を起こすのは、得策ではない」








「そう、か」

 ぽつりと漏れた声に誰よりも驚いたのは、恐らく俺自身だ。世の中の全てに絶望
した人間はこんな声を上げるだろう、そんなことを思わせるような、全てを諦め切っ
た響きがそこにあった。同様に、表情もまた酷いことになっていることと思う。

 俺は息を一つ吐くと、瞼をぎゅうと閉じる。何故だろう、たったそれだけのことで、
打ちのめされた俺の心は平静を取り戻していった。こんなときにこんな声も、こんな
顔も似合わない。そんな思いがあったのだろうか。
 ともかく、再び瞼を開いたとき視界に映ったのは、各々少なからず動揺している
SOS団の面々。俺はやけに穏やかな気分でそれを眺め、皮肉っぽく笑った。

「分かったよ。お前らがそう言うなら、仕方ない」

 誰よりも先に反応したのは朝比奈さんだった。朝比奈さんは俺の笑みと言葉の
意味を、多分好意的に受け取ったのだろうな。ぱぁっと顔を明るくさせると、

「それじゃあキョンくん…!」
「ええ、交渉決裂です」

 俺は、たった一言でそれを否定する。そして黙ったまま床を睨み続けているハル
ヒへと視線をやり、乾いた言葉を口にする。



「というわけだ、ハルヒ。たった今をもって、俺はSOS団を辞めることにした」








 何を言っているのか分からない。ようやく面を上げこちらを見たハルヒは、そんな
顔をしていた。ハルヒだけではない。その場にいる面々は皆が皆、同じような顔を
していた。俺は一つため息をつき、心情をそのまま言葉にする。

「後はお前らで好きにやってくれ。あと長門の無期限団活動停止も白紙だな。俺と
付き合ってなきゃ別にいいんだろ?長門はどうせ俺とは付き合わん。だから問題
なしだ。こいつとは今まで通りの付き合いをしてやってくれ」
 正直、自分がここまで薄情な人間だったなんてのは思ってもみなかったね。こん
な台詞を吐きながら、俺は心の底から平静としていやがった。今後もうこいつらと
顔をつき合わせることもないだろうなぁなんて、そんなことまで考えながら、だ。

「キョンくん!あなた、自分が何を言っているのか分かっているの?」
 ええ、他ならぬ俺のことです。誰よりも理解しているつもりですよ。朝比奈さんの叱
責に、俺はそんな言葉を返す。この人の出してくれるお茶を飲む機会ももうないの
かと思うと酷く残念な思いに駆られるが、それも仕方のないことだ。

「ふざけないで下さい。ここでそんな選択をして、それがどういった結果を生み出す
のか。あなたは知っている筈です」
 横から声を上げたのは古泉だ。食ってかからんばかりのその様子が可笑しくて、
思わず鼻から息が漏れた。なあ古泉。お前にはやっぱいつもの余裕ぶった顔の方
が似合ってるよ。喉元まで出かかったそんな台詞を、俺は飲み込む。

 長門は視線こそ俺に向けるものの、相変わらずの無表情だ。まあ、そうだろうな。
俺がいなくなろうがこいつの存在意義になんら影響は与えない。だからその瞳が俺
への非難を、そして悲しげな色を帯びているように見えるのは、多分気のせいだ。

 そして、ハルヒは。

 ハルヒは、もうこちらを見ていなかった。再び視線を床に落とし、その表情は前髪
に隠れて分からない。何かしら小煩い反応でもあるかと思っていたのだが…、まあ、
いいさ。なんとなく期待外れな気分で、俺は視線を古泉と朝比奈さんに向ける。

「ああ、知っているさ」
「でしたら…」「だったら…」
 俺の返答に、二人は全く同時に言葉を返す。思わず、声に出して笑いそうになる
が、なんとか苦笑を浮かべるだけに留められた。
 俺は顔に張り付く笑みを消し、それから一般に『ばつの悪い顔』と呼ばれるような
顔を作る。そしてそれすらも消して、出来るだけ真面目な顔と声で二人に告げた。

「あのな、古泉、朝比奈さん」

 思えばこいつらとの付き合いも、まだたった一年と少しでしかない。だというのに、
なんだか昔からずっとこうしていた気がするのは、きっと俺にとってこいつらと過ご
してきた時間が、何物にも替えがたい夢のような時間だったからだ。

 ……でも、それももう終わってしまった。なら、さっさと終演にしてしまおう。

「俺はもうどうなろうと知ったこっちゃねえんだよ。どうせ、こんなつまらんお前らしか
いない世界だ。潰れるなら、さっさと潰れちまえばいい」

 閉幕を伝えよう。たった一人の観客たる、俺自身に。

「がっかりだよ。失望した。この世界にも。お前らにも。そこの涼宮ハルヒにもな」

 楽しい夢はもう、終わってしまったんだ。




 ………ん?


 その音を俺の耳が拾えたのは、有体に言って奇跡とか呼ばれるような現象の類
か知れない。そんなことを思ってしまう程、『そいつ』が発した声は小さく、やけに頼
りなかった。

 或いは単に俺の耳が長門のか細い声に慣れていたおかげだろうか。何れにせよ、
それを聞き取ることが出来なかったら俺はさっきの言葉を捨て台詞にこの場から
立ち去っていたに違いない。

「なんか言ったかよ」

 俺は『そいつ』を真正面に見据え、吐き捨てる。『そいつ』は体さえこちらに向けて
はいたが、自分の靴に何か用事でもあるかのように俯いたまま、俺の顔を見ては
いなかった。

 途切れ途切れの『そいつ』の声が、俺の鼓膜を揺する。ぶつぶつと断続的な音で
しかないそれは、やがて声量が増していくと共に言葉としての意味を持ち始める。

「あたしは…、ただ、確かめたくって…。だって、あんたは流されやすいし、だから、
つきたくない嘘までついて、確かめようって思って…、それだけ、ホントにそれだけ
だった…、なのに、なんで…?」

 はっきりしねえな。もっと要点まとめて言えよ。それからな。人と話すときはちゃん
と目ぇ見て喋れ。そんなぼやきのような俺の声が聞こえたかどうかは分からない。
だが、『そいつ』はがばりと顔を上げると俺の顔を睨みつけ、

「なんであんたが辞めるとか言い出してるのよ!!わけわかんないわよ!!!」

店中の窓ガラスが割れるんじゃないかってくらいの大音声で叫んだ。


 耳の奥で旅客機が轟音を撒き散らし飛んでいく、そんな状態であるのは恐らく俺
だけではあるまい。見れば古泉は同様に顔を顰め、朝比奈さんに至ってはそのま
んま耳を押さえていた。
 俺もそれに習いびりびりと痛む鼓膜を労わってやりたかったが、そうもいかない。
何せ、閉幕に気付いてない観客がもう一人いたのだからな。いや、気付いてないど
ころか降りた幕をめくって中を覗き込み、あまつさえ続きを要求してやがる。

 だが、もう無理だ。残りの観客は全て引き上げ、役者たちも舞台から降りた。俺
のいるSOS団という公演はもうとっくに終わっている。再演の予定はない。

 なら、やはり俺が告げなくてはいけないのだろう。


「さっきも言っただろう。お前がどういうつもりだったかは問題じゃない。お前が何を
したかが問題なんだ」
 反論の隙を与えるつもりはなかった。俺は矢継ぎ早に言葉を紡ぐ。

「俺は、それに我慢がならない。直せるもんなら是非直してもらいたいが、古泉や
朝比奈さんはそのままでいいんだそうだ。どうやら二人と俺とは根本から考え方が
違うらしい。こりゃあ直せる直せない以前の問題だよな。だから俺は辞める。異論
はないよな」
 一息に口にし、『そいつ』の反応を待つ。まあ、待つ暇なんてあるわけないのは、
分かっていたが。

「あるに決まってんでしょ!?勝手に辞めるだなんて団長のあたしが許さないわ!」

 期待通りと言うべきか、『そいつ』はまるで脊椎で考えたような速度で、脊椎で考え
たような言葉を返してくる。はっ、団長ねえ。親の仇でも見るようなその視線を受け
流し、俺は言った。
「こんなときまで団長様か。まったくいいご身分だ」
「なっ……!」

 『そいつ』は絶句し、歯を食いしばる。歯軋りの音が聞こえそうな程だ。

「返す言葉もないってか。自分がどれほど横暴か、少しは自覚があったらしいな。
正直驚きだ。ま、だからってお前が横暴なことにはなんの変わりもないが」
「くっ…、」
 またも反論はなし、か。ふん、クソ面白くもねえ。


 俺に文句があるなら言えばいいだろうに。少なくとも、今までこいつが俺にモノを
言うのを躊躇したことなどなかった筈だ。はっきりしない『そいつ』の態度に、俺は
苛立ちを感じていた。だから、だろうか。つい、口が滑ってしまう。

「まあいいさ。お前はいつまでもそうやって我侭放題に喚いていればいい。そんで
そこにいるご機嫌取りどもと、せいぜい仲良くやるんだな」

 けして言うつもりはなかった言葉。汚らしい憎悪の言葉だ。それが、零れる。

「ご機嫌取り…?あんた、それ本気で言ってる…?」

 唖然とした声と表情が胸に刺さる。…いや、いいさ。言ってしまったのだから仕方
がない。心のどこかでそう思っていた事実には変わりない。
 それに、お前らを本気で仲間だと思っていたのは、結局俺一人だけだったんだ。
なら最後くらい、こんな台詞吐いたって構やしないだろう?

「ああ。本気だ。仲間の間違いも正せないようなフヌケどもだ。それ以外にどんな
形容の仕方があるってんだ?」

 『そいつ』は口をぱくぱくと開けたまま、言葉を吐き出せないでいた。その内に苦々
しく口を閉じる。話は、そこで終わりのようだった。


 気付いたことが一つある。先ほどこいつに言った台詞、『自分がどれほど横暴か』
って話だ。どうやら、俺もまたなんだかんだでそれに当てはまっているらしい。こんな
状況を自分で作っておきながら、俺はまだ全てを終わらせる言葉を吐けないでいる。


 …ああ。そうだな。もう、終わらせよう。もう、充分だ。

 俺は『そいつ』に、涼宮ハルヒに、別れの言葉を告げ――――










「…じゃあな、ハルh――――ぃんぐぉ、」


 ――――ようとして、殴られた。




 首から上がなくなりそうな衝撃に、俺の体は無様にも再び床に転がる。咄嗟に身
を起こし、叫んだ。

「いってぇな!なにしやが……!」
 言葉を途切れさせてしまったのは、仰ぎ見た俺の視界にとんでもないものが映っ
ていたから。それは夢か幻か、はたまた殴られた衝撃で俺の目がいかれてしまった
とでも言うのか。少なくとも俺にとってその光景は、到底真実味のあるものではない。

「あんた、最低よ…」

 わなわなと肩を震わせるハルヒは、ぽつり、怨嗟の声を零す。ぽろぽろとその両
目から零れるものが何なのか。いくらなんでも見紛えようはなかった。

 あのハルヒが、泣いていた。

「あんたは、腐ってもそんな奴じゃないって、信じてたのに…」

 ハルヒは零れ落ちる涙を拭おうともせず、足元に転がる俺を見下ろす。俺はその
言葉の意味を、理解できずにいた。


 信じてた?何を言ってるんだ?こいつは。
 だって、信じてたのは。お前らを信じてたのは俺の方だろう?
 俺だけがお前らを信じていて、お前らは俺を裏切った。
 だから、さよなら、もう終わり。そうだろう?

 違う…、のか?



 ………あれ?…、なんだ? なんで、こんな、苦しいんだ?



 ハルヒの放った棘が、俺の胸に風穴を空ける。言葉で人を殺せるなら、俺はもう、
とっくに死んでいたのか知れない。そんなことを思ってしまうほどに、俺は平静を失
っていた。

 ハルヒは、涙点から流れ込むのだろう、鼻をすすると、一声に言う。

「辞めたければ勝手に辞めればいいわ!こっちだってもう知ったこっちゃないわよ!
もう顔も見たくない!このボケナス!アホンダラ!大っ嫌い!死ね!死んじゃえ!」

 ぐらり、目の前の世界が揺れた。



 言葉で人を殺せるなら。さっき俺が考えたことだ。そんなものはただの言葉遊びか、
妄言の類に過ぎないと分かっている。けれど、ことハルヒの発言に関しては、果たし
て言葉通りの意味になり得る。勿論、ハルヒが心底それを望んでいれば、だが。
 俺はハルヒの顔を見る。怒りと、失望に充ちたその表情は、俺に"それ"を理解さ
せるには、充分だった。

 そうか。俺は死ぬのか。

 ついさっきまでの俺なら、何を思うでもなくそれを受け入れていたかも知れない。
どうせつまらない世界だと、むしろその早めの退場を喜びさえしただろう。

 どうしてだろう。今の俺は、酷く残念な思いでいっぱいだった。このままここで死ん
でいくことが、堪らなく残念で仕方がなかった。それがどうしてなのか。上手く言葉に
表すことが出来ない。


 なんで…、俺はこんなに…


 揺れ動いていた世界が、ゆっくりとその鳴動を弱めていく。

 もう、時間はないらしい。
 腹の内にある後悔は、最早役には立ちそうになかった。

 俺は、覚悟を決める。
















 世界の揺れがおさまった後、俺は、何故か五体満足でその場にいた。けれど。
 助かったのか?どうして?そんなことを思う余裕などなかった。

 どさり、とやけにあっけない音。
 長門が、床に倒れこんだ音だった。

974: 2006/07/29(土) 23:50:49.78 ID:K2GGKbvM0
誰よりも早く動いたのは、やはりハルヒだった。

「有希っ!?」

 流れるに任せていた涙を拭うと床に倒れ伏せる長門へ駆け寄り、その華奢な体を
抱き起こす。見開かれた目は赤く充血していたが、それ以上に、溢れんばかりの心
配の色が見て取れた。

「―――っ!すごい熱……、有希?ちょっと大丈夫?苦しいの?有希っ!」
 耳元で聞いたら鼓膜が破れるのではないか。そんなことを思わせるようなハルヒ
の声。しかし、長門は反応を見せない。ぐったりと垂れた頭が、その身を揺らされる
度に右へ左へぐらぐらと振れる。

「ええ、お願いします。北口駅前の喫茶店……」
 古泉は携帯を片手に、俺たちにわざと聞かせてるんじゃないかってくらいの声量
で話していた。場所と状況を電話越しに伝えるとそれを切り、ハルヒに駆け寄る。
「いま、救急に連絡を取りました。すぐにこちらへ向かうとのことです」

 朝比奈さんは暫くの間、何故か左耳を手で押さえながら、びっくりしたような表情
で長門を見つめていた。かと思うと急に悲しげな顔を見せ手を離す。そして嫌な想
像でも打ち消すかのようにふるふると首を振ると、

「あの、あたし。お店の人に言って氷を用意してもらってきます」
 誰に言われるでもなく小走りに厨房へ向かう。あたふたと何も出来ずにいるかと
思われた朝比奈さんのその行動に、俺は少なからず困惑する。


 朝比奈さんの様子だけではない。古泉の電話についてもだ。俺の記憶が確かで
あれば、先程の電話は長門が倒れた瞬間に何処からか掛かってきたものだった筈。
それがいつから救急に繋がったことになったのか。
 まあ、普通に考えて、『組織』との連絡とハルヒへ向けた芝居を一緒くたにしただ
けの話なのだろうが、そのときの俺は「ああ、最近の救急はサービスがいいな」だ
なんて的外れなことを考えていやがった。

「すいません。事情は見ての通りです。皆さん、ご協力をお願いします」

 そう前置きした古泉が周囲にいた客や従業員にてきぱきと指示を出す。咄嗟の
ことだ。何のことか分からないだろうに。そんなことを思う俺を尻目に、しかし彼らは
即座に頷き、その指示に従う。その内に朝比奈さんが戻ってきて長門の額に氷袋
が当てられる。

 俺だけが、何も出来ずただ呆けるように突っ立っていた。
 俺だけが、状況を全く理解できていなかった。

 立ち尽くし、ただその光景を眺める。まるで出来の悪い再現VTRを見ているような
気分で、雪山のときとまるで同じ状況ながら、大いに違いすぎるその光景を。

 古泉や朝比奈さんが即座に状況を把握できている、周りにSOS団以外の誰かが
いる、そんなことは大した差異じゃない。ただ一つ。一つだけだ。その光景には、
あの雪山のときとはあまりにも違いすぎる点が一つだけ存在している。

 長門が、苦しそうに顔を歪め、喘いでいる―――

 或いは、俺は悪い夢でも見ているのか。
 長門に呼びかけるハルヒの声が、何故か遠く聞こえた。






 五分もしない内にやってきた救急車に乗り、俺たちは病院に向かった。その間は
勿論、病院に着き、緊急搬送用の治療室の前で立ち尽くしているたった今でさえも、
俺はこの状況を理解できずにいた。

「涼宮さんは長門さんの親族の方に連絡を取ってください。こちらが連絡先です」
 古泉はそう言って紙切れをハルヒに渡す。
「分かったわ。電話は…」
「受付に一台、公衆用のものがあった筈です」

 分かった。そう言ってハルヒは受付へと早足に去っていく。何故古泉が長門の親
族の連絡先なんぞを知っているのか。そんなことは疑問にも思わなかったらしい。

「あなたは…、こちらへ。朝比奈さんも一緒に」
 そう言って古泉は俺と朝比奈さんを治療室へと促す。当たり前だが、その中には
長門がいて、今まさに治療を受けている最中か、それとも…、

「…なあ、古泉。長門の親族って」
「心配要りません。我々の仲間が電話越しに迫真の演技を披露する手筈になって
います。それより、急いで」
 …やっぱり『組織』か。口を衝いて零れそうになった言葉を飲み込み、俺は頷いた。
古泉と朝比奈さんの後に習い、治療室への敷居を跨ぐ。

「信じられない…、こんなことって…」
「ええ、僕も信じられません。まさか、ここまで…」
 扉が締まると同時に、ぽつり、呟くように放たれた二人の声は、これ以上ない程に
悲壮な色を呈していた。

 こんなこと?ここまで?一体どういうことだ?
 俺の散漫な問いかけに、朝比奈さんが答える。

「詳しくは禁則にかかるので言えませんが…、過去から未来まで、全ての時間平面
において、情報統合思念体の消失が確認されました。四年前…、あたしたちの技術
では涼宮さんが引き起こした時間断層を越えることは出来ない。だからそれ以前の
過去の情報は読み取れませんけれど…」
 途切れた朝比奈さんの言葉を繋げるように、古泉が言葉を紡ぐ。

「ええ、それ以前に存在していただろうそれらも、恐らく消失してしまったでしょうね。
全く、なんてことだ。一人の人間があの超自然的存在を細部まで把握し切ってしま
うだなんて。これを無意識にやってしまうというのですから、まさに脱帽ものですよ」

 ここまではっきりとした言葉を伝えられながら、俺は未だ事態を理解できずにいた。

 お前ら、さっきからなんの話だ。情報ナントカ体って長門の親玉だろ?
 それが消失?どういうことだ?

「キョンくん、落ち着いて?統合思念体が消えたからってすぐにそれが――――」
「そうです。落ち着いて下さい。かの存在と長門さんとの関連は未だ――――」

 ふざけるな。これが落ち着いていられるかよ。なあ、どうなったんだ。
 長門は、長門はどうなったんだよ。親玉が消えたんだろ?なら、長門は……、

「―――っ、長門!?」

 俺は、見た。……いや、見てしまった。

 医師はおろか俺たち以外に誰一人いない治療室。その寝台の上、横たわる長門
の体。波にさらわれた砂の城のようにさらさらと崩れかけているその体は―――

 ―――――まるで、あのときの朝倉と同じじゃないか。




「長門!」
 俺は咄嗟に駆け寄り、消えかけた長門の体に触れ―――――冷たい。文字通り
体温を司る情報を失ってしまったかのような冷たさだ。

 くそ!何がどうなってやがんだよ!なんでこいつが消える?なあ、おい!消えるな
ら俺だろうがよ!ハルヒは俺に『死ね』と言った!なら、消えるのは俺の筈だ!なん
で、なんでこいつがこんな目にあわなきゃいけない?なんでだ?全く意味が分から
ない!なあ、ふざけんなよ!こんな不条理があって堪るか!

 溢れ出した感情が、俺の中で暴れまわる。もし『それ』に気付かなかったら、俺は
そのまま体裁なく喚いていたことだろう。

 長門の手が、俺の手に触れている。

「…長門!?目を覚ましたのか?なあ、分かるか?今お前大変なことになって……」

 俺は問いかけながら長門の顔を見た。長門は目をぱちりと瞬かせると、ゆっくり、
首を左右に振る。そしてその意味を俺が理解するよりも早く、口を開き、断定する
ような口調で言った。

「情報結合の解除が開始された。もう時間がない。わたしという情報はいずれ消える。
その前に、わたしに残された処理能力でこの肉体を再構成、凍結する」

 再構成はいいとして…、凍結…?どういう…、ことだよ……。
 長門の言っていることが、理解できない。

「この肉体はわたしの活動停止後も暫くは保存される。わたしは死んだことに出来る」

 言葉に、ならなかった。



「なんでそこまで…、後のことなんて考えなくていいんだよ…。お前は今生きること
だけ考えりゃいいんだ!なんとかなるんだろ?いつもみたいに!なあ、長門!」
「…もう遅い。どうにもならない」

 長門はいつもの無表情でそう言うと、早口で何か呪文のようなものを呟く。霧散し
かけていた長門の体が、まるでビデオの巻き戻し再生でも見ているかのように見る
間に元通りになっていく。
 本来ならば喜ぶべきその光景は、けれど、あんな言葉を聞いてしまった今となって
は、俺の目には悲痛なものにしか映らなかった。


 そのときの俺はどんなツラをしていたのだろうな。多分、誰が見ても気の毒に思う
ような情けないツラだったんだろう。長門の手が、俺の頬に伸びる。

「最後にひとつだけ」


 呟いた長門の顔を、俺は多分、一生忘れない。
 長門は俺の顔を真っ直ぐに見据え――――――小さく、微笑ったんだ。


「あなたと、涼宮ハルヒを、信じる」


 俺の頬を撫でていた冷たい手が、はたりと落ちる。
 傍らにあった心電計が、無情な電子音を響かせた。








 気付けば、傍らには古泉と朝比奈さんがいて、どんな顔をしていいのか分からな
い、そんな表情で突っ立っていた。鳴り続けていた心電計はいつの間に止められて
いたらしい。治療室の中は一切の静寂に包まれている。
 位置からして、止めたのは古泉だろうか。…いや、そんなことはどうでもいいか。

 頬に感じる感触は、何故かひんやりとしていた。ひょっとすると、俺は泣いていた
のか知れない。俺はシャツの袖で顔をぐしぐしと拭う。それから味気ない天井を見
上げ、目を閉じた。
 どうしてそんな行動を取ったのかは分からない。ただ、もしかしたら、天にもすがる
ような気持ちだったのだろうかと、そんなことを思う。

「なあ、古泉、朝比奈さん。ひとつだけ教えてくれ」

 俺は運命なんぞ信じちゃいない。けれど仮にそんなものがあるとしたら、俺たちの
日常に似つかわしいそれはきっと、こんな悲惨なものじゃない。そう、信じたかった。
 晴らして欲しかった。このすっきりとしない心の靄を。俺が抱えているあらぬ疑いを、
掻き消して欲しかった。

「長門の親玉を消したのは、誰だ?」

 俺の問いに、古泉はあまりにあっけなく答えた。

「考えたくありませんが、涼宮さんしか在り得ません」

 聞きたくなかった台詞。
 それでも俺は、『ああ、やっぱりか』と思ってしまった。




「僕は『組織』の仲間に連絡を取ってきます。涼宮さんが来たら……、いえ、涼宮さ
んには僕から説明しておきましょう。あなたには少々時間が必要のようだ」

 そう言って古泉は治療室を後にした。こいつに気を遣われるくらいだ。俺はさぞか
し酷いツラをしているらしい。だが、それを直す気すら起きない。

「キョンくん…、あの、元気を出してください…。長門さんは…」

 誰かの声が聞こえて、俺は視線を向ける。暫く眺めても、それが誰なのかが分か
らない。その内に、ああ、朝比奈さんかと至極当然の結論に至る。
 朝比奈さんは気落ちした表情で、何か言葉を発していた。けれどどうしてだろう、
俺の耳に確かに届いている筈のその声は、意味を伴わない音の羅列のようだった。
例えばその音の羅列に名を持たせるなら、『慰めの言葉』とでもなるのだろうが。

「あなたは、行かなくていいんですか?」

 咄嗟に口から出たのは、そんな一言だった。途端、朝比奈さんの口から発せられ
ていた音の羅列が止む。俺はこれ以上、惨めな気分になんぞなりたくはなかった。
だから、言葉を続ける。

「長門の親玉が消えたんです。あなたも上司とやらと今後の対応を検討しなければ、
ではないんですか?」
「……ぁ、……ぇ、と」
 俺の八つ当たり染みた言葉に朝比奈さんは口ごもり、瞳を潤ませる。その挙動ひ
とつひとつが、堪らなく俺の胸を締め付ける。だが、俺はそれを甘んじて受け入れ
なくてはならない。

 そう、だ。俺は惨めな気分になりたくないんじゃない。
 逆だ。もっと、惨めになりたかった。

「それとも、検討する必要もないことだと?いつだかもありましたね。規定事項がど
うのと。これもそうなんですか?長門がこんな目に遭うのは既に決まっていたことだ
と、あなたの未来に必要なことだと、あなたはそう言うんですか?」

 分かっている。こんな言葉をぶつけたって何にもなりはしないってことは。未来人
の意図がどうあれ、朝比奈さんがそれを語る術を持たないことを、俺は知っていた。
 でも、だからこそ俺は言わなくてはいけない。最低の俺は、最低に似つかわしい
姿で在らなくてはならない。


 それが、長門をこんな目に遭わせてしまった俺に出来る、唯一つの償いなのだから。


「ぁ…、あの……、あたしは…、……ぁ、」
 ぽたり、頬を伝う涙が雫となって床に落ちる。締め付けられた胸は、もう限界だと
言っている。……いや、まだだ。俺はまだ、最低に堕ちちゃいない。

「すいません、朝比奈さん。暫く独りにしてください。これ以上あなたといても、俺は
あなたを傷付けるだけだ」
 それは、言葉だけを取れば、相手を思いやったような台詞。けれどその実そこに
あるのは明確な拒絶だ。それに気付いたのだろう、朝比奈さんは、

「ぅ……、ひっ……ぅ、ご、ごめんなさい……っ!」
 朝比奈さんは、ぽろぽろと涙を零しながら、駆け足で部屋から出て行った。


 これでいい。これでいいんだ。胸の痛みを堪えながら、俺は自分に言い聞かせる。
やり遂げた達成感などはない。当たり前だ。

 俺の所為で、長門はこんな目に遭ってしまった。
 俺の所為で、長門はいなくなってしまった。

 こんな痛みなんて、長門が感じたそれの何億分の一に満たない。自分が消えてい
く感覚ってのがどんなものか、俺は知らない。けれど、手の施しようのない患者が末
期に見る感覚に近しいものなんだと思う。苦しみながら、ゆっくりと死んでいく。それ
に近しいものなんだと思う。だからこそ、俺は理解できない。

 畜生…、なんでだよ。なあ、なんでだ、長門。
 なんでお前、あのとき微笑ったんだよ。

 俺の所為だと一言罵ってくれれば、俺はこんなにも自分を惨めに思うこともなかっ
たのに。こんな状況にあっても、未だ現実を受け入れられない俺を、どうして……。

 本当に?本当にそうなのか?
 本当に?ハルヒがこんなことを望んだというのか?
 本当に?

 俺の頭の中にあったのは、そんなありもしない妄想だった。長門と長門の親玉を
消すだなんて、そんなことハルヒ以外の奴に出来るわけがないのに。なのに、俺は。

 この場に自動小銃でもあれば俺は自分の頭を撃ち抜いていただろう。妄想を掻
き消す気力もない。もう、うんざりだった。








 どれくらいの時間が経ったか分からない。一時間か、数時間か。いや、実際はも
っと短くて、精々数分かそこらだったろうが、俺には永遠に思えたくらいに長い時間
が過ぎた後、俺は扉を開け中に入ろうとしている古泉の姿に気がついた。

「廊下で朝比奈さんが泣いていたようでしたが…、何かあったのですか?」
 開口一番触れられたくない話題を持ち出す辺り、流石は古泉と言ったところだ。
が、生憎とそれに対応できる気力は今の俺にはない。

「…お前には関係ない」
 呻き声のような俺の声に、しかし古泉は何ともなしに言葉を返す。
「そうですか。ところで朝比奈さんにも聞いたのですが、涼宮さん、こちらへ来てい
ませんか?探したのですが見つからないんですよ」
「いや、来てないな」
「…ふむ。そうですか」

 なんなんだ。俺は古泉のはっきりしない発言に苛立ちを覚える。大体廊下にいた
朝比奈さんに聞いたなら俺に聞く必要もないだろう、などとは思ったが、口には出さ
ない。出す気力もない。しかし古泉は頼まれもせず言葉を繋げる。

「いえ、もしかしたら朝比奈さんが見落としている可能性もありましたので。何せ酷く
落ち込んでいたものですから」

 …こいつ、喧嘩でも売っているのか?

「……さっきからなんなんだ。俺は独りにして欲しいんだがな」
「ああ、それは失礼。ですがもう暫く我慢してください。実は聞いて欲しいお願いが
ありまして」
 そう言うと、古泉はこちらへと歩み寄りながらいつもの口ぶりで話し始めた。

「現在、かつてない勢いでかつてない規模の閉鎖空間が発生し続けています。我々
の仲間が総出で対応に当たっていますが、侵攻を推し留めることも叶わない状況
です。このままではこの世界全てが呑まれるのも時間の問題でしょう」
 はっきり言って絶望的ですね。古泉はそんな台詞を言いながら、にこやかに笑う。

「そうなったらどうなるのか、今はまだ分かりませんが、恐らくはあのとき…、あなた
と涼宮さんがこの世界から消えたときのように、世界全体が切り離されてしまうのか、
或いは全く新しい世界が生まれるのか、どちらにせよ、我々はそこに存在しない」
 『お願い』と前置きしながらいつもの推理になっていることからして、長ったらしい
こいつの話はまだまだ続くようだった。

「ですが問題はそんなことではありません。以前お話ししましたが、閉鎖空間の発生
は涼宮さんの精神活動に著しく関係しています。そして今回の発生は規模も頻度も
今までの非ではない。最も不安定だった頃を上回るペースで巨大な閉鎖空間が発
生している。僕が何を言わんとしているか、もうお分かりですよね」

 そこで言葉を区切り、掌をこちらに向け差し出す。反応を待っているのか。暫く、
古泉は口を閉じて俺を見ていた。しかし黙ったままの俺に業を煮やしたのだろう、
ため息をつくと、急に真面目な顔を作り、言った。

「涼宮さんのところへ行ってあげて下さい。あなたにはそうしなければならない責務
がある。違いますか?」

 まあ、そんなことだろうとは思っていた。こいつが俺に何かを頼むなんざ、どれも
ハルヒ絡みのことだ。それにしても『責務』とはね。ふざけた話だよな全く。
「古泉、俺はな。あいつの保護者じゃあないんだ」
 かすれた声で、俺は言う。

「俺があいつのところに行って、それで何がどうなる?それにお前の話じゃもう世界
は終わりなんだろ?そんなのは俺にはどうしようもない話だ。こんな状況で俺に一
体何が出来るってんだ?ああ、仮に何かが出来たとしよう。だがな、古泉。もう無理
だ。俺にはもう何かしようって気力なんざ残っちゃいない」

 だってそうだろう?俺がのうのうと生きてるこの世界に、長門はもういないんだ。
なら、このまま黙って消えていこう。それが俺の仕出かしたことなら尚のこと、だ。
 それに……、そう。多分、これが一番の理由なんだろうな。この世界をハルヒが
望んだと言うのなら、もう、俺に出来ることはない。出来ることは……ない、筈だ。

 俺は頭に浮かぶ妄想を振り払い、古泉に告げる。

「言ったよな、古泉。俺はもうこの世界がどうなろうと知ったこっちゃない。消えるなら、
消えてくれりゃあいいさ。その方がなんぼかマシだ」




 古泉は、俺の言葉をただ黙って聞いていた。だが、その顔に張り付いた妙な表情
が、俺の琴線に触れる。

 古泉は、呆れたような笑みを見せていた。

「…何が可笑しい」
 俺の口から押し殺した声が漏れる。古泉は肩を竦めるような仕草を見せると、
「やれやれ、今度はこちらがあなたに失望する番のようですね」
 言うが早いか真っ直ぐにこちらへ踏み込み、そして――――


 気付けば、俺は仰向けに床に転がっていた。左頬がじんじんと痛む。衝撃が脳を
揺らしたのか耳の奥がちりちりと鳴る。火薬臭い匂いがぐらぐらと揺れる思考を煮
立たせていく。口腔に広がるのは、鉄の味だった。
 ハルヒのときとはまるで違う重い拳。その感触を知覚して、ようやく俺は古泉に殴
られたことを理解する。……クソッ、まるで見えなかった。

「くっ…、何しやがる」
「これは、涼宮さんの分ですよ」
 よろよろと身を起こしながら悔し紛れに呻く俺に、古泉は至って真面目な顔でそん
なことをのたまった。

「…あん?何言ってんだ?お前」
「ですから、涼宮さんの分です。それに加えてあなたの不用意な発言の所為で活動
を停止してしまった長門さんの分、同様の理由で零れ落ちた朝比奈さんの涙、つい
でに、明らかに勝ち目のない戦いに挑んでいる『組織』の仲間や、僕の心労の分も
加えておきましょうか」
 冗談のつもりだろうか。ふざけた台詞を続ける古泉のツラは、しかし笑みすら浮
かんでいない。

「普通…、そういうのは一個一個別に殴るもんだろうが」
 立ち上がり、調子を確かめるように首をぐるりと回しながら、俺は言う。殴られた
衝撃も痛みも未だ抜けきっていないが、それでも、

「嫌ですよ。殴る方だって痛いんですから。一回で済ませられれば済ませたいじゃ
ないですか。それともあなた、殴られたいとかいう特殊な性癖を」

 古泉が言い終わるのを待たずに拳を握り、軸足を踏み込む。こんなふらふらの
状態でまともな打撃が繰り出せるわけはない。恐らく簡単に避けられるか悪ければ
そのまま反撃に遭うだろう。だが、そんなことはどうでもいい。

 このままじゃ、俺の腹の虫が治まらねえ。

「―――寝ぼけたことぬかしてんじゃねえよ色男!」

 叫ぶと共に突き出した拳は、やけにあっさりと古泉の顔面を捉えていた。




 なるほど、これは痛い。古泉の談も頷けると言うものだ。じんわりと熱を持ち始め
る右拳に、俺はそんなことを思う。
 しかし驚いたのは、古泉が倒れることなく二三歩たたらを踏むだけで留まっていた
ことか。拳に感じた衝撃も痛みも、かなりの手ごたえを感じさせた。なのにこいつが
こうして立っているということは、こいつが人並み外れて頑丈なのか、それとも、

「なんだ。殴る気力くらい、あるんじゃないですか」
「お前…」
 わざと、避けなかったのか?言いかけた台詞を口に溜まる血液と共に飲み込む。
そうだ。来ると分かっている打撃なら、避けるのはまだし耐えるのはそう難しいこと
ではない。

古泉は口の端から垂れる血を拭い、まるで俺の心を読んだかのような言葉を吐く。

「僕も、涼宮さんの様子がどこかおかしいことに気付いていました。それでも僕には
帰属する『組織』がある。だからどうしても穏便に済ませようとしてしまった。情けな
い話です。つい先日、あんな大見得を切ったばかりだというのに。ですから、これは
それの償いだとでも思って下さい」

 あんな大見得、というのはいつだかお前が言っていた、『一度限り、『組織』の意向
に背いてでもSOS団に味方する』とかいう内容のそれか。……確かに、そんなことを
言っていたな。でも、それは果たされなかった約束だ。

「ええ、僕は約束を破った。それを否定しませんし否定する気もありません。けれど、
だからこそ僕は今、あなたを涼宮さんのもとへ行かせようとしている。それが、僕に
できるたったひとつの償いですから」












 ……………、え?



 心臓の鼓動が、止まりそうだった。
 息が、苦しい。上手く、吸えない。吐けない。苦しい。

 たったひとつの……、償い? なんで、お前がそんな台詞……、

「だから…、なんだってんだよ…。今更俺があいつの所に行って、何になる……?」

 俺はどくどくと煩い心臓を頭の中で鷲掴みにし、途切れ途切れの言葉を吐く。古
泉は俺を、まるで心の中まで覗き込むようにして俺を見ると、静かに言い放った。

「あなたは、逃げるのですか?」
「……なんだと?」


「そうやって償いもせず、あなたの罪から逃げるのですか?」


 お前、何を言って……、――――――
 俺は、だって長門が……、――――――う
 それが、おれの償いで……、――――――違う
 俺が、あいつをあんな目に……、――――――そうじゃない


 だから、俺は、全てを諦めようって……、――――――ふざけるな!




 きぃ、と小さな音が聞こえる。音のした方向に視線を遣ると、所在なげにこちらを
見ている小さな影。

「朝比奈さん……」
 呼びかけると、朝比奈さんはびくりと肩を震わせた。まあ、無理もない。ついさっき
の出来事を思い返し、俺は心底後悔した。……後悔した?いや、違う。俺は。あれ
は、望んでやったことで。だから、後悔なんてするわけがない。違う、違うんだ。

「あの、あたし、中から大声が聞こえて…、キョンくん、独りにしてって言ってたけど、
でも……、物音とか、して、気になって……」
 朝比奈さんは身を震わせながらもそんな健気な台詞を吐いて、

「あたしからも……、あたしからもお願いします。キョンくん。涼宮さんのところへ
行ってあげてください」

 真っ直ぐに俺を見据える。その肩は、もう震えていなかった。


 俺はもう、何がなんだか分からなくなっていた。俺は、償いをしているつもりだった。
けれど古泉はそれを違うと言った。それは償いではないのだと。
 俺は、もしかしたら間違っていたのだろうか。朝比奈さんに酷い台詞を吐いてまで、
最低に堕ちようとした。そうあるべきだと思ったから。なのに、なんでだ?

 なんで、こんなにも後悔の念が押し寄せる―――――

「それは、未来からの指示ですか?」

 ――――――バカヤロウ!!バカヤロウ!!バカヤロウ!!


「あなたは!どこまで腐れば……!」
 古泉が俺の襟元を掴み、捻り上げる。抵抗はしない。殴りたいなら殴れ、というよ
りか、殴って欲しいとさえ俺は思っていた。殴られれば、多分このどうしようもなく惨
めな気分も、幾らか楽になるだろうから。

 ……あれ?俺は確か、惨めになりたかったんじゃなかったっけか。
 ああ、もうどうでもいいや。早く楽になりたい。早く、楽にしてくれよ。頼むから。




 けれど、いつまで経っても古泉の拳は飛んでこなかった。見ると、今にも振り下ろ
さんとしているその握り拳を、朝比奈さんが制していた。

「待って。古泉くん。あたしに話をさせて」
 穏やかな声でそう言う朝比奈さんに、古泉は手を離し、無言で一歩退く。朝比奈さ
んは一歩前に出ると、こう切り出した。

「涼宮さんは、きっと寂しかったんです。あなたが、遠くに行っちゃいそうだったから」

 朝比奈さんは毅然とした態度で続ける。

「あたしには分かります。分かるんです。だって、さっきあなたが『辞める』って言った
とき、凄く、つらかった、悲しかった。目の前が真っ暗になって…、きっと、涼宮さん
はあたしの何倍も、ずっとずっとつらくて、悲しかったと思うんです」

 朝比奈さんは一度目を閉じ、開く。そして俺の罪をはっきりとした口調で告げた。


「それこそ、この世の終わりだと思うくらいに」


 そうだ。それは俺が気付いていながら、見過ごしていたこと。
 分かっていながら、俺は、無視していた。

「ごめんね、キョンくん。もっと言いたいことはいっぱいあるのに、上手くまとめられ
ないの……。でも、これだけは言わせて?」

 朝比奈さんはおずおずとこちらへ歩み寄り―――――――俺の頬を、引っ叩く。

「あんまり馬鹿にしないで…!あたしが未来人だからとか、小泉君が超能力者だか
らとか、涼宮さんの力とか、そんなの関係ない!あなたには分からないの!?」

 つん、と鼻の奥が痺れるのは、頬の痛みだけに起因するものではない。


「涼宮さん、あんな悔しそうな顔で泣いてたんですよ……?」


 心情をそのまま吐露するように、朝比奈さんの瞳から、ぼろぼろと涙が零れ落ちる。
 その姿に、あのときのあいつの姿が重なった。






 俺は、俺の罪に、ようやく気付く。
 俺は、何よりもまずあいつに、謝らなくちゃいけなかったんだ。




 俺は、自分を許せなかった。
 だから、自分を貶めて、嘲って、独り悦に入っていた。

 何が、長門の為に出来る唯一の償い、だよ。
 そんなのはただ、自棄になっただけじゃねえか。

 自分が許せないなら、許せるようになればいい。
 その為の努力すらしない人間に、どうして償いなんてできるものか。

 なあ、俺よ。長門はなんて言った?
 『信じる』と言ったんだぞ?俺を。あいつを。

 だったら、お前が信じてやらなくちゃだろうが。
 長門の言葉を。俺自身を。そして、ハルヒを。


 それこそが本当の、償いだ。

 ―――――――そうだろ?長門。






 俺の脳裏に、あのときの長門の微笑みが浮かぶ。






「だから、行ってあげてください…、お願い…、あなたじゃなきゃ、ダメなの…」

 朝比奈さんはぐずぐずと鼻を鳴らしながら、俺の胸元を掴んでいた。俺はその手
に触れ、口を開く。

「朝比奈さん……」

 俺は、随分と長い間、進むべき道を間違えていたようだ。
 ――――――もう、迷うつもりはない。


「俺、ハルヒのところへ行ってきます。行って、なんとかしてみせます」


 朝比奈さんはぱぁ、と顔を明るくさせると、

「……、はぃ………!」
 頷いて、大粒の涙を零した。










 朝比奈さんは暫くしても泣き止まなかった。本人曰く、嬉し涙らしい。まあ、言葉通
りに受け止めて素直に喜んでおくべきところなのだろうが、子供みたいにわんわん
と泣かれると、流石に居た堪れないものがあった。

「色々…、酷いこと言ってすいませんでした。……俺、どうかしてた」
 ようやっと落ち着いた朝比奈さんに、俺は謝罪の言葉を述べる。その声のトーン
からまた俺がヘコんだとでも思ったのか、朝比奈さんは慌てふためき、

「い、いいんです!あたしも、あなたにひどいこと、言っちゃったし…、それに……」
 と、俺の頬をちらちらと見る。
「ごめんなさい!…、あの、痛かった…でしょう?」
「ご心配なく。こう見えて俺、頑丈ですから」

 まあ、本当のことを言えば朝比奈さんに引っ叩かれハルヒに殴られ古泉に殴られ、
そして再び朝比奈さんに引っ叩かれた左頬は、ほんのちょっぴり感覚がおかしなこ
とになっているのだが、それはまあ敢えて語るまい。
 ああ、ちなみに先の言葉に「それに、朝比奈さんに叩かれるならむしろ本望ですよ」
と続けようとして飲み込んだことは禁則事項だ。この人、そういう冗談は通じないしな。

 俺はそんなことを思いながら傍らの古泉に視線を向ける。古泉はまるで微笑まし
いものを見るかのようなツラで、ニヤニヤと俺と朝比奈さんを眺めていた。なんだよ
そのツラは。気色悪い。

「古泉も、なんつーかすまんかったな」
 まあ、そのツラに思うところはあったものの、俺はそんな心境をおくびにも出さず、
ぞんざいな口調で謝った。

「気にしないで下さい。あなたに理解してさえ貰えれば、それで結構ですよ。それに、
僕も考えさせられたことは多々ありましたし。文字通りの痛み分けということで」
 そう言って古泉はくつくつと声に出して笑う。自分の発言でツボに嵌るなんざ、まだ
まだこいつも精進が足りんな。

「…ふふ、それにしても拳で語り合うなんてアナクロニズム、まさか今のこの時世に
体験できるだなんて夢にも思いませんでしたよ」
「ああ、全くだ」
 それも仲裁役の美少女のオプション付きだ。そう付け加えると、涙の痕を一生懸
命拭っていた朝比奈さんが顔を真っ赤にして「え?え?」という顔でこちらを見る。
思わず、噴出してしまった。

「ふぇ?な、なんですかー? なんでキョンくん、笑ってるの?」

 古泉もつられて笑っているようだ。暫く完熟トマトのように膨れていた朝比奈さんも、
次第、くすくすと声に出して笑い出す。気付けば三人が三人とも、大声で笑っていた。


 ―――なんて、こった。
 たったこんだけの時間で、ささくれ立っていた俺の心はすっかり元通りだ。

 ああ、そうか。
 そういう、ことだったのか。
 俺は、なんて、馬鹿野郎だったんだ――――――


 俺は喫茶店でのやり取りを思い返し、どうやら自分が酷い思い違いをしていたら
しいことに気付く。
 あれは、『あのハルヒ』に感じた怒りは、確かに俺にとって必要な怒りだった。けれ
どそれをぶつけるだけぶつけて、こいつらがそれに同意しないからって、俺は全て
を諦めようとしていた。

 なんて、愚かしさだ。

 俺は多分、これから一生忘れることはないだろう、掛け替えの無い仲間って奴に
出会って、その所為か、いつか大切なことを忘れていたんだ。仲間って言葉に踊ら
されていた。仲間だから、こいつらはいつだって俺のことを絶対に理解してくれると、
信じきっていた。それが叶わないから、裏切られたと思い込んでしまった。

 違う。そうじゃない。人間誰しもが誰かと顔をつき合わせ、共に時間を過ごしていく。
時にはすれ違うこともあるだろう。だが、それで終わりじゃない。自分が折れるつもり
がないのなら、俺はこいつらを分からせなきゃいけなかったんだ。

 そうだ。俺は話をするべきだったんだ。たとえ一言で分かってくれなくとも、二言目
には。それでも理解してもらえなくとも、三言目には。そうして言葉を重ねればいつ
かは分かってくれる。

 こいつらは、絶対に俺を信じてくれると。
 何よりそれを、俺は信じなくちゃいけなかったんだ。

 こいつらがどんな都合でここにいるかなんて、端から問題じゃなかった。俺はこい
つらを信じている。本当の仲間だと思っている。そして、こいつらだって、俺を。なら、
あのときだって絶対に分かり合えたんだ。

 現に今、俺の目の前にいる二人は――――――いや、みんなは、俺を立ち戻ら
せてくれたじゃないか!




 ああ、そうか、これが仲間って奴だ。
 あの大馬鹿野郎が作り上げた、SOS団って奴なんだよな。

「古泉、朝比奈さん」

 そして、長門。
 心の中で付け加え、込み上がってくるものをそのまま、俺はみんなに告げた。


「――――――ありがとう」


 何か可笑しなことでもあったのだろうか。古泉と朝比奈さんはきょとんとした表情で
互いに顔を見合わせる。そして再び俺の方へ視線を戻すと、少し恥ずかしそうに、
はにかんだような顔で微笑った。



 さて、役者は揃った。客席も満員御礼だ。
 幕を上げろ。ブザーを鳴らせ。手を叩いて盛り上げろ。

 さあ、再演といこうじゃないか。


 俺のSOS団の、復活だ。

991: 2006/07/29(土) 23:57:02.97 ID:K2GGKbvM0
 どうしてまたこんな所へ足を運んだのか。その理由を明示せよと問われると、少
しばかり困ったことになる。と言うのも俺自身、その理由を理解していなかったから
だ。
 言葉にすれば「自然と足が向かったのだ」とでもなるのか。第六感だとか虫の知
らせだとか、そういった類の超自然的な某かが作用していたとしか考えられそうに
ない。

 果たして、そんな超能力染みた奇跡なんぞ望むべくもなければ信じてもいない俺
であるが、このときばかりはそんな胡乱な子供騙しもちょっとくらいは信じてみても
いいかな、なんてなことを考えていた。

 例えば古泉の奴に言わせれば、俺がここへ足へ運んだことも、こうしてその背中
を拝むことが出来たのも、その周囲に誰一人他者の存在がないというこの状況も、
ひいては『古泉が会えなかった』という事実でさえ、あいつが望んだからそうなった
のだとでも言うのだろうな。

 それの意味する所が如何なるものか。無論その絵空事が真実であれば、だが。
俺はなんとなくは理解をしていたものの、それを言葉にするのは憚られた。

 折角の決意が甘えで揺らいでしまうのが嫌だったからか。
 それとも、単に柄になく照れていただけか。


 まあ、ともかく。


 何かに誘われるように訪れた屋上。そこへ通じる扉を開けた瞬間俺の目に飛び
込んできたのは、赤々と染まる世界にぽつんと佇むハルヒの後ろ姿だった。

「よう」

 その寂しげな背に近づきながら俺は声をかける。案の定返事はなく、呼びかけた
余韻だけがただただ乾いた音色を響かせたに過ぎない。その残響が遺されている
内に歩を進め、俺はハルヒの隣に立った。

「聞こえてるか?俺は挨拶してるんだが」

 転落防止用のフェンス越しに見える街並みは、どうしてか、いつものそれと違って
いるように思えた。ひょっとすると小泉の危惧していたような世界の改変が既に始
まっているのか?いやいや、目の錯覚だと思いたい。でなけりゃ夕暮れ時の風の
匂いやクツワムシだかの鳴き声が、そんな勘違いを誘っただけだろうさ。

 そんなこんなを考えながら、俺は横に視線を向けた。勿論、その視線の先にいる
のは我らが団長閣下だ。薄ら寂しい街並みをただ黙って睨んでいるハルヒの横顔
は、唇は尖り眉根は寄せられていて、まるで叱られた子供のようだった。

 或いは、親とケンカしたガキ大将のような、だろうか――――そんなことを思った
のは、次の瞬間、そのつい、と突き出された唇から吐き出された台詞とその音色が
あまりにそれらしかったからだろう。

「ふん、何しに来たのよ。顔も見たくないとか言ってたくせに」

 無論だが、この上なく不機嫌そうな声色である。けれど内心、ひょっとすると口も
聞いてくれないかも知れないと思っていただけに、俺の表情筋は無意識の内に緩
んでしまっていた。



 ……うん?

 と、俺は我がことながら正気を疑う。
 俺は、ハルヒの声を聞けてホッとしている…、のか?

 いやいや、まさか。俺がこいつの声に安心するだなんて、そんなことがあろう筈が
ない。そりゃあ確かにハルヒが反応をくれたのは嬉しかったが、それはあくまで話の
端を切り出せたことに対してのものであって、こんな世が世なら魔王になってるかも
知らん横暴と我欲の権化のような女の言葉に心落ち着けるなんざ、まかり間違って
もあるわけがない。そうだろう?そうだよな?誰かそうだと言ってくれ。

 ……いや、もうやめるかこんなのは。

 いい加減、俺も学習しなきゃならん。それに俺はハルヒに謝るためにここへ来た
わけで。謝るってのはつまり、自分の気持ちに素直になることだ。

 だからこの場合、真に正解たる心象描写ってのはこうなる。


 俺は、ハルヒの声を聞けて、心底から安堵していた―――――とな。



「すまん。それは撤回だ。そのしょぼくれたツラを見てたらそんな気は失せた」

 俺は浮かんでいた薄らにやけた笑みをなんとか噛み殺し、ハルヒの横顔へ向けて
言葉を放った。

「何それ?」
「いや、お前のそんなツラ、滅多に見れたもんじゃないしな。よぉく眺めることにした
んだよ。この場にカメラがないのが残念だね。あれば激写して額にでも飾ってやろ
うかってくらいの、えらいふぬけヅラだ」
 敢えて煽るような台詞を吐いたのは言うまでもないが、しかしてハルヒの反応は
薄い。やれやれとでも言いたげに肩を竦めると、依然視線は外したまま、

「…は、ウザ。てか寄って来ないでくれない?あんたなんかに構ってるほど、あたし
は暇じゃないの」
 取り付く島もない、という奴である。ハルヒはフェンスから手を離し、俺から遠ざか
る方へと歩き出す。その背を呼び止めようか逡巡するも、そのゆっくりとした足取り
は、しかし数歩もしない内にはたと止まった。

 かくも不機嫌そうなハルヒであったが、どうやら話をするつもりもないという訳では
ないらしい。その場から立ち去るつもりもまた、ないようだった。そんなハルヒの後ろ
姿とその向こうに見える夕日に目を細め、俺は話を続ける。

「ふぅん?なるほど暇ではない、と」
 しかしハルヒよ。俺の基準じゃ夕暮れ時の病院の屋上でぼうっと景色を眺めてる
奴なんてのはどう考えても暇人でしかないんだがな。

「うっさいな。あたしの基準じゃ暇じゃないの。それにあたしが何処で何してようと、
あんたには関係ないでしょ?あんたもう団員じゃないんだから」
 そう言ってハルヒは後ろ髪を鬱陶しげに払った。

「関係なくはないな。まだお前とはクラスメイトという繋がりが残ってたりする」
「そんなの知ったこっちゃないわよ。あたしは普通の人間には興味ないの」
 ハルヒが吐き捨てるように言い放ったのは、そんな、なんだか懐かしさすら覚える
ような台詞だ。

 果たして。俺はあの麗かな春の日に執り行われたこいつによる甚だ意図不明な
宣言を、今でも一字一句漏らすことなく、まるで昨日のことのように思い出せる。

 ただの人間には興味ありません――――――か。

 くつくつと漏れ出そうになる笑いを押し留め、俺は呆れたような声を返す。



「成る程。しかしそうなるとSOS団は普通じゃないということになるな」
「そうよ。あたしが作った団なんだから普通なわけないじゃない」
 その返答にもなんとなくデジャビュを感じながら、俺はオウム返しのように、

「そうかい。…なら、団員ならいいんだよな?だったらさっきの辞めるって奴、それも
撤回だ」
「…はあ?何言ってんのあんた」
 ハルヒはそう言って肩口にぱっぱと後ろ手を振った。

「あたしさっき言ったわよね?辞めたけりゃ勝手にどうぞって。あんたの退団申請は
既に受理されたわ。今更撤回しようったって、そんなのもう無理に決まってんでしょ」

 こちらからはその顔を窺うことは出来ないが、その声色からハルヒが今どんな表
情をしているのか、俺には容易に想像できる。なんなら賭けてもいい。まず間違い
なく、出来の悪い学生を相手にしている数学教諭のような、呆れ顔の筈だ。

「ほう、SOS団は口頭での退団手続きが可能なのか」
「ええ、団長の許可がある場合に限りね」
 軽口交じりの俺の台詞に、ハルヒはどうでも良さそうな声色で答える。期待通りの
その答えに俺は内心にやりと笑い、すかさず言葉を継いだ。

「なら、入団手続きが出来ないって道理はないよな。ってことで、俺は今ここで再入
団しようと思う。入団試験とかあったら遠慮なく言ってくれて構わないぞ」

 くどいようだが、俺の位置からハルヒの顔は見えない。だがしかしその表情が如
何なるものか。俺は手に取るように理解できた。どうやら出来の悪い学生の相手
も、いい加減疲れてきた頃合のようである。

「…あんた、ひょっとしてあたしをバカにしてる?」
「ようやく気付いたかこのスカタン」
「……っ!」
 息を呑む音が聞こえる。と同時に肩が強張るのも見て取れた。そろそろか、と俺
は心持ち身構える。そろそろ、こいつの短すぎる導火線に火がついてもいい筈だ。

 そもそもがおかしな話だったのだ。今日これまでのこいつと俺とのやり取りを鑑み
れば、こうして面をつき合わせて…はいないが、普通の声量で充分に声の届く空間
に俺がいて、それでいてハルヒの口から文句のひとつも出ない、なんて状況は有り
得る訳がない。それぐらいのことを、俺はやっちまった筈なんだからな。

 ならば、ハルヒは何故かは知らんがそんな文句を吐けない程にヘコんでいる、と
いうことになるわけだ。何を思って沈んでるのかは知らんが、早いところいつもの調
子に戻して、話はそれからだ。そう思っての俺の言動だったわけだが……、




 しかしながら今日のこいつの導火線は、どうにも湿気っちまっていた。

「あたしなんかほっといて戻りなさいよ…。愛しの有希が待ってるわよ」

 頭を垂れ、まるで何かを我慢しているかのような、漬け物石になるんじゃないかっ
てくらいのトーンで、ハルヒは言った。
 思わず、俺はため息をつく。やれやれ、またそれかよ。どうやら謝罪の言葉を述
べる前に、まずはそこらへんの疑問と違和感を解消しなければならないらしい。

「なあ、ハルヒ」
「なによ」
 呼びかけた声に、ハルヒは振り向きもせず反応を返す。

 しっかし、こいつはいつまでそっぽ向いてるつもりなんだろうね。人と話すときは相
手の顔を見て話しましょうと小学生のときに習わなかったのか?まあ単に、あの喫
茶店での自らの台詞に、ガキみたいな意地を張っているだけなのかも知れんが。

 ともかく、俺はその背に言葉を投げかける。

「この際だから聞くが、どうしてそんなに俺と長門に拘るんだよ」

 長門に対するあらぬ他意なんぞを読み取られないよう、なるべくぶっきら棒に聞こ
えるように言葉を発した俺だったが、応答を返す側であるハルヒが黙ってしまっては
その努力も水泡である。…こういう沈黙は地味にキツイな。

 こういうのも無言のプレッシャーというのだろうか。過ぎ去ってゆく非常に気まずい
時間に根を上げ、俺が再び口を開きかけたそのとき、ハルヒがぽつりと呟いた。

「わかんないわよ…」

 はあ?自分のことだろう?なんでだよ。

「自分のことだからって、わかんないものはわかんないわよ!」

 なんだそりゃ、逆ギレか?―――と、喉元まで出かかったそんなツッコミを飲み下
してしまったのは、ハルヒの肩がわなわなと震えているのが目に入ったからだ。

 どうやらこいつは、本当に分からないらしい。どうして自分がこんな瑣末なことに拘
るのか、その理由が分からない理由さえ分からない。ああ腹が立つ。ああいまいま
しい。いまいましい―――その心情を代弁すれば、そんなところになるのだろうか。

 まあ、そんなのを論じたところで詮無いことであるし、分からんというのがハルヒの
答えならばそれはそれでいいとしよう。今日一日でこれだけ引っ掻き回されたんだ。
出来れば知っておきたい気持ちはあったが、これ以上問い詰めたところで出てくる
のは、どうせ同じ答えだろうしな。

 ならば、とばかりに俺は次の質問を口にする。

「…じゃあ、質問を変えるぞ。お前、なんでまた長門に、あんな嘘をついた」

 いや、むしろこれが本題だった。

 ずっと、喫茶店で長門に事の真相を聞かされたときから気になっていた。ちょっと
前のこいつならいざ知らず、だ。どうしてまた今になってあんな真似を仕出かしたの
か。それがどうしても分からない。

「さっき喫茶店で言ってたな。『俺が流され易いからつきたくない嘘までついた』って。
俺にはそれがどういう意味なのかさっぱり分からんのだ。俺が流され易いのは事実
であるか知らんが、それと長門に嘘を教えることにどんな関係があるってんだ?」

 俺が半眼で訊ねると、ハルヒは少しばかり考えて、それからこんなことを言った。

「…あんた、あのとき『好きかもしれない』って言ってたわよね」
「あのとき?月曜の話か?」

 俺の脳裏に自らの口から出た薄ら寒い台詞が蘇える。自分で自分の気持ちが分
からない、とかいった要旨の奴だ。今思うとよくもあんな台詞が言えたものだなあと
いったところであるが、あのときはつい、何と言うか…、何と言うんだろうな、こう…、

「あれって本気だった?『売り言葉に買い言葉』って奴だったんじゃない?」

 ズバリ、ハルヒが正解を口にする。そうだな。まさにその通りだ。全く以ってその通
りなのだが、そう答えるのもいけ好かん。

「まあ、そんなもんかも知らんが…」
 俺はとりあえず肯定はしたものの、言葉を濁した。
 しかしまあ、問い詰めた本人がそれを言うのかね。

「そう、それがあんたなのよ。余裕ぶってるくせに状況に流されやすい。ちょっと可愛
い女の子が言い寄ってきたら、すぐにコテっていっちゃいそうな、ね」

 喋っている口元にかかるのだろう、風になびく髪を抑えながらハルヒは続ける。

「だから、答えを決めるのは有希だと思った。有希はあんたとは逆で、なんていうか、
こうと決めたら一途なところがあるから。有希が本気であんたのことが好きなら、そ
れで決まりだなって。どうせあんたはそれを拒まないでしょうし」
「…まあ、否定はせんがな」
「だから、有希の気持ちを確かめようと思ってあんな嘘までついたのよ。衆目の真
っ只中であんなこっ恥ずかしい真似、本気じゃなかったらできるわけないもの」

 成る程、あの『確かめたくって』ってのは、そのことだったわけか。

「そ。まあ結果は最悪だったけど」

 ハルヒはそう言って、力なく笑う。



「正直、あんたがあそこまで怒った理由が、あたしには分からなかった。そりゃ、確
かにあたしが有希に酷いことしたのは認めるけど、でも、なんでそこまで?って。
それくらい怖い顔で、あんたは怒ってた」

 そこで一旦言葉を区切り、ハルヒは俺から遠ざかる方向へまた数歩、足を進めた。

「だから、ずっと考えてたわ。あんたが怒った理由。色々言いたいことはあったけど、
ずっと黙ってね。…そしたらあんた、いきなり『辞める』とか言い出して、みくるちゃん
や古泉くんにまで当たり散らして、自棄になった自殺志願者みたいなこと喚いてるん
だもの。流石に我慢も限界だった」

 自棄になった自殺志願者ね。まあ、あながち間違いではあるまい。

「止めようと思った。発端はあたしにあるってことくらい、分かってたしね。でも、あん
たは聞く耳持たなかった。それどころかみくるちゃんや古泉くん、あまつさえ有希の
ことさえご機嫌取り呼ばわりして、あげつらった。あたしは気付いた。あんたはもう
話をするつもりもないんだって。あたしたちで作ったSOS団を勝手に見捨てて、勝手
に終わらせようとしてるんだって、そう思ったら…」

 そう思ったら、なんだ?口を衝いて出かけた言葉を飲み込み、俺は考える。

 あのときこいつは泣いていた。なら、それに続く言葉は一体なんだ?悲しかった?
寂しかった?いやいや、相手は腐っても涼宮ハルヒ。そんな生っ白い台詞が吐か
れるわけはなく、となれば答えはこれしかあるまい。

「……ムカついたか?」
「ええ。ムカついたわよ。すっげえムカついた。あんまりムカついたからつい殴るの
忘れちゃうくらいムカついた。結局殴ったけど」

 そりゃまたえらいムカつきようだな。

「だから、気付いたのよ。…まあ、あのときはそれどころじゃなかったから、気付い
たのはついさっきのことだけどさ」
 そう言ってハルヒはまた一歩二歩、俺から遠ざかる。
「気付いた?何にだよ」
 俺はその後ろ姿に向けて、言った。ハルヒは振り返らない。

「あんたがあんなに怒った理由」

 病院の側壁を駆け昇ってきた風がふわり、その黒髪を巻き上げる。

「あのとき、あんたに自分のことを馬鹿にされても、そんなに腹は立たなかったわ」

 嘘つけ。めっちゃ悔しそうな顔してたじゃねえか。

「うっさいわね。そりゃ、まあ、少しはムカついたけど。あんたが言ってることも半分
は事実だったしさ。なんとか我慢できたわよ。でも、どうしてかしらね。みんなのこと
を馬鹿にされて、あんたがみんなを捨てようとしてるのに気がついて、あたしは我慢
できなくなった」

 そこでようやく、本当にようやく、ハルヒは振り返り、俺の顔を見た。……いや、ど
うなんだろうな。丁度逆光線のシルエットになっている為、分からない。その表情や
ら視線やらは自らの作る影に包まれて、振り返って尚、俺からは確認できない。

「あんたも、それと同じだったんでしょ?」

 ただ、そう言ったハルヒの声がやけに穏やかだったこと。それだけが妙に印象的
に耳に残った。

「それで、分かったの。ようやく理解した。自分のやったことがどれだけ愚かしいこと
かって。有希は、有希は……」
 言葉を詰まらせ、ハルヒは俯く。



 途切れてしまった台詞のその後、こいつはなんと続けるつもりだったのだろう。
文脈から察するに、まず間違いなく長門に対する何かしらの形容である筈だが。

 こいつにとって長門有希とは、あるとき曰く、SOS団に不可欠な無口キャラであり、
またあるとき曰く、SOS団随一の万能選手、である。

 しかし、だ。そんな褒めてるんだか貶してるんだか分からない形容を吐く状況でな
いことは俺も重々理解していたし、何より、そんな淡白で面白みもない台詞よりも、
もっとこの場に相応しい言葉が存在することを俺は知っている。

 なるほどな、と俺は独り納得し、苦笑する。そして再び閉口してしまったハルヒへ
と近づきながら、こんなことを言ってやった。

「なあ、覚えてるか?前にも似たようなことがあったよな。お前の発言に俺がキレて。
文化祭で映画を作ったときのことだ。お前は忘れちまったかも知れないが…、」

 あの、鶴屋邸での出来事。こいつは常日頃以上に朝比奈さんを不遇に扱い、あま
つさえ、あろうことか自分のオモチャ呼ばわりしやがった。あんときも俺は大概にぶ
ち切れた―――それこそいっぺんぶん殴ってやろうかってくらいにぶち切れたもん
だが、果たしてそれはハルヒにとっても同じことらしかった。

「…覚えてるわよ。あんときもしこたまムカついたから」
 そうだろうさ。お前は執念深いからな。そういうことは忘れなさそうだ。
 まあ、ありゃ逆ギレにも程があるが。
「で、それがなんなの?」
「今でも、朝比奈さんはお前のオモチャだと、そう思ってるか?」

 再び、会話が止まる。俺は尚も足を進めながら、

「…違うよな?」

 ハルヒは答えない。その首が傾げたのが一瞬、首肯したようにも見えたのだが、
単に俯いただけのようだった。

 ハルヒは肯定も否定もせず、ただ無言のまま。けれど、その沈黙の意味するとこ
ろがなんなのか、なんとなく俺には理解できた。……いや、なんとなく、じゃないな。
それ以外に考えようなどないのだから。

 足を止めたとき、俺とハルヒとの距離は手を伸ばせば届くところまで近づいていた。

「…お前は気付いたんだろ?なら、謝ればいいだけのことだ。俺もさっき朝比奈さん
と古泉に謝った。二人とも笑って許してくれたよ。だから、長門だってきっと…」

 許してくれるさ、と続けて、俺はハルヒの反応を待つ。

 太陽は既に山向こうに隠れ、その周囲に浮かぶ雲に、赤というより朱色に近い光
を映しているのみだった。最早、辺りは薄暗い。
 けれど元々が逆光であった為か、むしろ丁度よい光度になったと見え、或いは単
に距離的な問題かも知れないが、ともかく。差し向かうハルヒの顔は、以前よりか
よくよく見えるようになっていた。

 けれどそれは弱々しい、いつものオーラを全て失ったような、覇気のない表情だ。

「キョン…、」

 呟くと、ハルヒはその表情を苦々しく変化させる。そして、





「ふざけんな…!」

 呻くようなかすれた声とともに、俺はシャツの胸元を掴まれる。屈むような形で引
き寄せられた俺の眼前に、苛立たしげに歪んだハルヒの顔があった。

「あんた…、どこまで無神経なのよ…! 謝る?どうやって?あんた、あたしが何も
知らないとでも思ってるの?」

 目の周りが、うっすらと赤く腫れている――――互いの吐息の感触が分かる程の
距離になってようやく、俺はそれに気づき、理解する。こいつが、あれほどまで頑な
に俺に背を向けていたのは、何も自分の言った『顔も見たくない』なんて発言にガキ
みたいな意地を張っていたからじゃない。

 それを、その涙の痕を、俺に見せたくなかったから―――――なのか。

「今更気付いたって、有希はもう……、」

 消え入りそうな声で呟いて、ハルヒは引き寄せた俺の胸に、顔を埋めた。

「知って…、たんだな」

 考えてみれば当たり前の話だった。連絡の電話なんざそう何分も時間のかかる
もんじゃない。だってのにこいつは受付に走っていったきり戻らなかった。…いや、
戻ってきたのだろう。戻ってきて、俺たちが廊下にいないから治療室の中に入ろう
として……、聞いたんだ。あの電子音を。

 そのとき、こいつが何をどう思ったのかは分からない。ただ、少なくとも長門の死
をそのまま受け入れちまったのは事実だ。でなきゃ、こいつがこんな屋上なんぞで
たそがれていたことに理由がつかない。

 ハルヒは泣きっ面に蜂でも食らったかのように、俺の胸元に顔を押し付け、微か
な嗚咽を漏らしている。こんなにも弱っているこいつを見るのは、初めてだった。


 俺はその背中に手でも回してやりたくなる衝動に駆られる。そうして項垂れる頭を
撫でてやり、慰めの言葉でもかけてやりくなる。そのくらい、俺の鼻先、ほんの数セ
ンチ先にいるハルヒは小さく、まるでただの女の子のようだった。

 ―――――けれど。

 俺はぐっと堪え、背中に回そうとしていた左手を、頭を撫でようとしていた右手を、
それぞれハルヒの肩にやる。そして、その体を引き離した。離れる瞬間、俺の視線
がハルヒの恨めしげなそれとぶつかり、胸が張り裂けそうなほどに痛む。

 ―――――だがな。

 こいつが認めちまったこの世界を、長門のいないこの世界を、俺は絶対に認めち
ゃならない。認めたくないんだ。だから、俺はハルヒを慰めない。無神経だろうが無
責任だろうが、知ったこっちゃあるか。

 ―――――わりぃな、ハルヒ。俺はまだ、諦めちゃいないのさ。

「行くぞ、ハルヒ」
 ハルヒの両肩から手を離し、俺はハルヒの手を取った。そしてそのまま、開け放し
のままになっている屋内の入り口へとその手を引っ張り歩き出す。

「行くって、どこによ…」
「決まってるだろう」
 背後から聞こえてくるか細い声に、俺は振り返ることなく行き先を告げた。

「長門のところだ」

113: 2006/07/29(土) 00:09:15.20 ID:9WPp3UY00
 軋むような扉の閉まる音。元々殺風景であった治療室内は、殊更寂しくなったよ
うに感じられた。たった二人、その場からいなくなっただけだというのに、その空間
は異様なまでにがらんとしてしまったように思える。

 中にいた古泉と朝比奈さんに席を外して貰い、今、このがらりとした手狭な部屋
には俺とハルヒ、そして長門の三人きりしかいない。
 物言わぬ長門の姿に改めて動揺を隠しきれないのだろうハルヒが俯いたまま時
折擦れた喘ぎを漏らすのが、俺の心地を酷く落ち着かなくさせていた。

 俺はゆっくり、深呼吸の要領で息を吸い、腹に力を込めて全身に活を入れる。

 このままハルヒとともに陰鬱に沈むのはごめんだった。それに元より、今この場で
悲しみに浸る理由なんてのは――――俺にはないのだから。

 俺は横たわる長門に近づき、その、眠っているだけのような顔を覗き込む。そして
もう一度ゆっくりと息を吸い込み、吐き出すとともに背中のハルヒへと言い放った。

「お前も、そんなとこに突っ立ってないでこっちに来たらどうだ」

 案の定、返事はない。予想通りの無反応に、ついさっきも同じような状況で、同じ
ような台詞を吐いたな、なんてなことを考えながら、俺は再び口を開く。

「なあ、聞こえてるか?」
「聞こえてるわよ…」と、ハルヒ。酷く弱々しい声だ。

「なら、返事ぐらいしろよ」

 ぞんざいな俺の返しにカッときたのか、ハルヒはじろりと俺を睨み付けると、

「…あんた、なんでそんな平気にしてられるの…?あんたには血も涙もないの!?」

 一昔前まで冬眠中の爬虫類みたいに冷血だったお前には言われたくないな…、
なんて減らず口が頭をよぎるが、口に出すのは止めておく。今は、そんな冗談にも
ならないことを言うときではない。今、俺がその問いの答えとして語るべき言葉は、
ひとつだけだ。

 それは、気づいた、とでも言うべきなんだろうか。それとも、思い出した、なのだろ
うか。どちらにせよ随分と余計な回り道をした気がする。…いや、余計ではないか。
こうしてたらたらと回り道をしたお陰で、俺はようやくそれと向き合えるようになった
のだから。


 ……答えなんて、初めから分かっていた筈なのにな。


「そりゃあ、俺がまだ諦めちゃいないからさ」

 ハルヒは俺の言葉の真意を掴みかねているようで、目を白黒とさせて俺を見てい
た。僅かに、その顔に色が戻ったような気がするのは気のせいだろうか。

 俺はそんなハルヒのツラを眺め、そして再び視線を長門に落とす。

「…綺麗な寝顔だよな。これで死んでるだなんて、俺には到底信じられそうにない」
 恐らく、ハルヒはその台詞を現実を見ないガキの台詞と受け取ったのだろうな。
一瞬、輝きを取り戻したかに見えたその表情は、すぐさま失望の色に彩られる。

「…でも、死んでるんでしょ?」
 その口から簡潔に放たれた言葉は、そんな、突き放すような冷たい響きを持って
いた。嫌な想像が現実のものになる感覚に、俺は歯噛みする。

 やっぱり、こいつは認めちまっているのか。長門の……、死を。

「ああ。確かに心臓は止まってるし、体も冷たい。 ――――けどな」

 事実、俺はガキかもしれない。諦めの悪いガキかもしれない。けれど。

「…けど、何よ」
 詰まってしまった言葉の、その先を促すようにハルヒは問う。俺は暫し話す内容を
考え、そしてこう切り出した。

「なあ、ハルヒ。お前にとって、長門はどういう存在だ?」
「……は?」

 一足飛びに変化する話に咄嗟についていけないのか、ハルヒは素っ頓狂な声を
上げた。しかし俺の表情から何らか読み取ったのか、怪訝だったその顔は次第、
真剣みを帯びていく。

「長門だけじゃない。古泉は、朝比奈さんは。今のお前にとって、どういう存在だ?」

 その問いの意図するところは、多分、ハルヒにも分かっている筈だった。



 例えば屋上からの道すがら、俺は殆ど嫌がらせにも近い速さでハルヒの手をぐい
ぐいと引っ張ってきた。だってのにとうとうこいつの口からは非難の言葉の一つも出
やしなかった。
 つまり、ハルヒはどう考えても、今までに見たことないくらいの憂鬱に沈んでいるっ
てことで。そしてそれは、それだけ長門の死が与えたダメージってのが、こいつの中
で大きかったってことだよな?

 先の、屋上で台詞に詰まってしまったときも同じことだ。理解はしていてもそれを
認めてしまうのが……、怖いんだ。恐らくはこいつにかつて、『そんな形容』で表さ
れる他人の存在なんてなかった筈だからな。

 他人はあくまで他人であり、自分にとってそいつが面白いか否かだけがその価値
を測る判断材料。そしてこいつが面白いと思うような対象なんてのは所謂普通の世
間一般というものに在る訳がなく、つまるところ面白いことを求めてる自分と面白く
もなんともない他人―――――
 そんな鬱病一歩手前みたいな二極化した世界が少なくとも高校入学当初の、あの
退屈そうだった涼宮ハルヒの頭にはあったのだろう。

 だが、どうだい。SOS団の活動を始めてからこの方のこいつは。そりゃあ、たまに
酷い浮き沈みはあるにしてもだ。毎日が楽しくて楽しくて仕方がない、そんな生き生
きとした顔をしているように俺には思えるのだがね。

 勿論、自分の好き勝手なことが出来てそれが楽しいってのはあるのか知らんが、
けれど谷口らから伝え聞くこいつの中学時代の話によれば、当時も十分好き勝手
なことをしてたわけで。

 しかしながら例えば、奇しくも俺が関わっちまったあの七夕の夜の校庭落書き事
件なんてのがあるが、あのときのハルヒの渋面は到底楽しいなんて感情が読み取
れるようなもんじゃなかった。

 ならその表情の違いってのはどこから来るんだろうねと考えたとき、出てくる答え
なんてのは結局のところこれしかない。


 その周囲に『そんな形容』で表される他人の存在が、あるか否か。


 最初はそれこそただ適当に集めただけの団員。体を成せばそれで用済みの、云
わば数合わせのような存在だった。けれどその存在は、いつの間にかこいつの中
で大きくなり、そしてこいつは今更ながらにそれに気付き戸惑っている。

 けどな、ハルヒ。戸惑うことなんてないんだよ。中学からこの方まともに人付き合
いもしてこなかったお前はもしかしたら忘れちまってるのかも知れないが。こんだ
け毎日顔をつき合わせてりゃそうならない方が不自然てもんなんだ。

 なあ、ハルヒ。お前が恥ずかしくて言えないってんなら俺が代わりに言ってやる。
いやまあ、俺だって流石に口に出しては言えないが、せめて推し量ってやるくらい
のことはできるからな。



 今のお前にとって長門は、朝比奈さんは、古泉は、『大切な仲間』って奴なのさ。



「俺は、信じたいんだ。……いや、信じてる。俺やお前が願う限り、みんなは絶対に
俺たちの前から消えたりしない」

 そうさ。俺は信じてる。
 お前にとってみんなが、今や掛け替えのない存在になっていることに。

 今こいつが見せている悲痛な表情ってのが、一体何を物語っているかなんてのは、
敢えて言葉に出すまでもない分かりきったことだろう?

 こいつは長門の死なんか望んじゃいない。今は勿論長門が倒れたあの瞬間も。

 そもそもが、だ。こいつが涼宮ハルヒである限り一億分の一秒たりとも長門の死
を望むわけなんかないんだよ。

 だから今のこの状況は、長門が死んじまった世界なんてのは、きっとなんかの間
違いって奴だ。それ以外に考えようなどない。

 なあ、そうだろう?ハルヒ。
 お前が流した涙はその理由になっていい筈さ―――――



 だから俺は信じない。長門の親玉を消し、長門をこんな目に遭わせたのがお前だ
なんて絶対に。長門が倒れたあのときも。古泉に、ハルヒの仕業でしか有り得ない
と、そう言われたあのときも。捨て切れなかった疑念はやはり、正しかったんだと。

 信じる。俺は、それを信じている。

 ガキみたいだと笑わば笑え。だが俺は何があろうと絶対に認めねえぞ。仮にお前
が認めちまったってんなら、無理やりにでもその間違いを正させてやる。

「―――――だから、」

 俺は言葉を区切り、ハルヒを見る。その自信を失った不安そうなツラは、いつもの
こいつを知っている奴なら我が目を疑うようなものだ。とてもじゃないが見れたもん
じゃないそのツラを、けれど、だからこそ俺は深く見据える。

 確かにな、長門が倒れ伏せその体温がなく、返事どころか心音すら感じられない
という状況は、お前が絶望するには充分なのかも知れない。けれどお前はまだこの
現状に対して何もしちゃいないだろう?まだやれることはいくらだってあるだろうに。

 泣き寝入りなんてらしくない。いつものお前なら医者の首根っこ引っ掴んで、「有希
を生き返らせなさい!五秒以内で!」くらいの横暴は言ってのける筈だろうが。

 そうさ。お前はまだ何もしちゃいない。何もせず諦めて現状に甘んじるなんてのは
俺の役割だ。俺に任せとけばいい。そんな、どこにでもありふれた無気力さの対岸
にいるのがお前だった筈だ。

 だから俺は信じるのさ。
 お前はこんなところで終わるような奴じゃない。

「信じてくれ、ハルヒ。 長門は、必ず戻ってくる」

 このまま――――――終わる筈がない。






 ……どうしてだろう。たった二言三言話しただけだってのに、俺の口はからからに
渇いていた。ごくりと固い唾を飲み込んだ音は、もしかしたらハルヒにも聞こえてしま
ったかも知れない。

 すっかり口を閉じてしまった後で、言葉が足りなかったかも知れないとか、もっと
論理的に話すべきだったとか、愚痴のような後悔が押し寄せてくる。
 おいおい随分と俺は小心者だったんだな。なんてことを思うが、しかしこんな目で
睨まれたら誰だって後悔もしたくなるってもんだ。

 そう、まるで親の仇を見るような殺気立った目で、ハルヒが俺を睨んでいた。

「まったく…、おめでたいにも程があるわね…、」

 怒りを押し殺したような声。…いや、『ような』じゃないな。ハルヒはまず間違いなく
怒っている。何故だ?とは思わない。むしろ至極当たり前のことか知れない。
 そりゃそうさ。あんだけ言葉の足らないふわふわとした夢想論を、しかも上から目
線で語られて、こいつが黙ってハイそうですかなんて納得するわけがない。

「…信じる?…願う? そんなもんでなんとかなるなら、どうして今、有希は起きない
の? どうして、返事もしないの?」

 ハルヒはつかつかとこちらに歩み寄り、左手で俺の胸倉を引っ掴む。捻り上げ、
自由な右手はぎりぎりと音がしそうなほどに固く、握り拳をつくっていた。

「答えなさいよ………、 ……答えろって言ってんでしょ!?」

 叫ぶとともに大きく振り上げられた拳は、しかし次の瞬間、とすん、と。俺の胸に
力なく打ちつけられる。

 その衝撃は本当に、まったくもって小さなものだったが、それでも―――――


「なんなのよバカキョン…!あたしがそう信じたって、どれだけ願ったって…、有希が
生き返るわけないじゃない……っ!!」


 打ちつけた側であるハルヒの、その両目になみなみと溢れていた涙を零すには
充分すぎた。




 ああ――――と。あまりにも慣れすぎて半ば忘れていた認識が頭をもたげ、思い
知らされるような心地で俺は真正面にそれを見据える。ぼろぼろと涙を零している、
その顔を。

 そうだったよな、お前は。どうしようもなく自分勝手で自己本位で猪突猛進、周りの
迷惑とか考えなくて、宇宙人とか未来人とか超能力者とか異世界人とか、そんなも
のの存在を本気で信じているようなぶっとんだ奴だけど。

 それでも常識的な部分が捨てきれない、そんな奴だったんだよな。

 涙を流すに任せているハルヒの肩を両手で掴み、俺は言った。

「ハルヒ。 聞いて欲しいことがある。 …大切な話だ」

 立ち位置やら体勢やらが似通っているからだろうか。デジャビュのように思い出す
のは、あのときのことだ。…いや、似通ってるのはそれだけではない。

「……なによ」

 ハルヒの不機嫌そうな声も、融通の利かないこいつをなんとか宥めすかそうとして
いるという状況も、まるであのときと同じだった。

 ひょっとすると、俺はこの時点で何か幻覚でも見させられていたのかも知れないな。
でなけりゃこの俺があんなこっ恥ずかしい真似が出来るわけがない。
 ……と、後になって湧き上がるのはそんな後悔のような感情ばかりであるが、しか
しながらこのときの俺にそれを危惧させるのは、果たして不可能に近かった。

 簡単に言えば『ハイになっていた』という奴だろう。俺はそんなハイになった気分に
任せ、押さえつけるように掴んだハルヒの肩を軽く揺らし、その視線を俺の目に合わ
せさせる。丁度、互いに見つめ合うような形である。

 ほんの数センチ先にあるハルヒの顔が、急に赤みを差したように思えるが、恐ら
く気のせいだ。泣き腫らした目元のせいでそう見えるだけだろう―――――と。

 ちょっと引っかかるものはあったものの俺はそう思うことにして。
 引っ叩かれるのを覚悟で、二の口を告げた。






「俺は、長門が好きだ」

 まあ、まさかまたグーで殴られるとは思ってなかったわけだが。



 ずがん、と脳髄が重い衝撃を受ける。しかしまた今日はよく殴られる日だ。俺は
そんなことを考えながら、けれど覚悟していたお陰か今度こそ無様に転げることな
く踏み止まることができた。
 殴られた左頬はすぐにも熱をもって痛み出すかと思われたが、しかし今日一日で
幾度となく殴られたせいだろうか、最早痛みを通り越して感覚が麻痺している。それ
がちょっぴり恐ろしい。

 ここが病院であったことに、俺は感謝すべきだったのかも知れないな。歯科医院
だったらもっとよかったような気もする。

 ともかく、たたらを踏んだものの転げることのなかった俺は、殴った反動そのまま
転進するハルヒの手をなんとか捕まえることができた。

「最低…っ!なんなのよ…!…この!離しなさいよ!」
「離さん。俺は確かに最低か知らんが泣いてる女の手を放せるほど腐っちゃいない」

 ハルヒはぶんぶんと手を振って俺の手を離そうとする…だけでなく、俺の脛にげし
げしと、…いや、ずどんばきんと一発一発丁寧に腰の入ったローキックをお見舞い
してきやがった。

 おいおい。いくらなんでもこういう状況で蹴りを入れるか?しかもすっげえ痛ぇし。

 ハルヒの凶暴な反応に苦笑しかける己を抑えようと思ったが、無理だった。むや
みやたらとハイな気分も普通ならこの鮮烈な痛みで醒めるというものなのだろうが、
増して楽しくなってすらくる。
 別に俺が特殊な趣味を持ってるってワケじゃない。だがこれで笑うなと言う方が
不条理ってもんだろう。この、身に有り余る横暴さ。


 ――――――そうだよ。それでこそ涼宮ハルヒだ。


「はーなーせ! 離せって言ってんで―――――ぅわぁっ!」

 俺は笑みを浮かべながら、ぎっちりと掴んでいたハルヒの手をぐいっと引き寄せ、
勢いあまってぶつかってきたその華奢な体を抱きとめた。

「ちょっ…、ちょっとキョン何してんのよ! 離れなさい!離れろってば! …ぐぇ」

 ハルヒの意に反し、俺は背中に回した腕でがっちりとホールドする。抱きとめてい
ると言うよりは『さば折り』のような形であるが、だからと言ってどうということはない
だろう。ハルヒが簡単に逃げられなくなった、という意味ではどっちも同じことだ。

「嫌だね。 離したらお前、逃げるだろうが」
「逃げないから! と…、とにかく離して! 痛いんだって!」

 マジに痛そうな顔をするハルヒに俺は腕のホールドを解くと若干身を離すが、しか
し先程と同様、その両肩をがっちりと掴むのを忘れない。逃げないと言ったハルヒ
の顔はとても嘘を言ったようには思えなかったが、またいつ心変わりするか分から
ない。こいつを逃がさないようにする為には、これが最大限の譲歩という奴だ。

 しかしこいつ、ますます顔が赤いように見えるが、吹きっ晒しの屋上にずっといた
せいで、風邪でもひいたんじゃなかろうか。俺がそう言ってやるとハルヒは、

「うっさいわね!」

 と若干キレ気味で返してきた。折角心配してやってるのに。意味が分からん。

 しかし後々になって思うのは、恐らくこれが最後の分岐点だったのだろうというこ
とだ。つまり、ここで俺がもう少し冷静だったなら、あんな恥ずかしい真似はせずに
すんだかも知れない―――という論拠のない仮定の話である。

 ただ少なくとも、あと2デシベルくらい俺のテンションが減衰していれば、俺はもう
ちょっと危険の少ない策を取っていただろうし、体が密着するくらいの距離になって
初めて気づく思春期の女子特有の甘い匂いなんぞに騙されたりはしなかった筈だ。

 だが果たして、このときの俺はそこまで回る頭を持っていなかった。
 まあ、無理もない。

 文化祭の、あの映画撮影を思い出す。部室でぶうたれていたハルヒに柄にもない
ことを言っちまったあのときと同じくらいに、いや、あのとき以上に―――――

 俺は、最高にハイってヤツだった。






「ハルヒ、もう一度はっきりと言うぞ。俺は長門が好きだ」

 ハルヒの目を正面から見据え、俺はもう一度同じ台詞を吐いた。何故かハルヒの
表情が悔しそうに歪み、その視線が斜め下を向くが、俺は気にせず言葉を続け、

「長門だけじゃない。朝比奈さんも好きだし、古泉もまあ、好きだな。それからアホ
の谷口も、国木田も、鶴屋さんも、みんな好きだ」

 正面に捕らえたハルヒの瞳が、微かに、驚いたように震えたのが分かる。上目遣
いでこちらを見るその瞳は、「あんた…、何言ってんの?」……と、そう言っているか
に見えた。


 それを見届けて、俺は末尾を結ぶ。


「―――――そこに、消えちまった朝倉を含めてもいい」


 ハルヒの目が見開かれる。口も同様に、ぽかんと半開きになる。その表情は恐ら
く驚愕という形容で言い表されるものに違いない。

 俺はそれを眺め、苦笑染みたため息をつく。

 実を言えば、俺は自分でも自分の発言が理解できていなかった。このときの俺は
ただ思いつくままに言葉を吐き出していたに過ぎない。ましてあのときのことを再現
しようなどこれっぽっちも思っちゃいなかった。

 だと言うにそんな台詞を吐いてしまったのは、ただ単に勢いに任せただけか、そ
れともデジャビュとともに思い出したあの忌々しい出来事がいつの間にか俺の言動
を支配していたのか。
 どちらにせよ、最早俺に言葉を止めるつもりはない。ここまで来ちまったんだ。後
はもう、思いつくに任せ言葉を吐き出していくのみだ。

 と、ヤケクソ気味に決意しながら、俺はもう一度笑いを漏らすようにため息をつく。


 昨日までの俺は、きっとガキだったんだろうな。気恥ずかしさ、或いは己の臆病さ
に負けて、逃げに走っていた。だが不幸にもそれが間違いだったと気づいてしまい、
そのせいで俺は前よりずっとガキになった。

 誰かを信じるということ。誰かと共にいたい思うこと。大切だと思うもの。大切だと
思う人。大切なものを大切だと大声で言えるのがガキの特権なら、俺はガキでいい。

 思えば…、そうだな。俺が文字通りのガキの頃に憧れた、アニメ的特撮的マンガ
的ヒーローなんてのは、その戦う理由は数あれど、そういった大切なものを守る為
に戦ってたんじゃなかったっけか。そして俺は、そんなものになってみたいと本気で
思ってたんじゃなかったっけか。

 まあ、俺にはそんな子供たちの憧憬の対象になるような宇宙的な知識もなければ
未来的技術力もないし、超能力なんてもっての他である。当たり前だ。俺はごくごく
普遍普通のイチ男子高校生なんだからな。
 それに現実そんなものを持っている奴らがやってることなんてのは、正義の味方
なんて畏まったものでなく、夏休みの宿題みたいな観察日記なのである。これでは
夢を持つ方が馬鹿らしいってものだ。

 いやいや、問題はそんなことじゃないな。分かってる。顔も知らない誰かの為に戦
うヒーローなんてのは、所詮虚構の中でしか存在できない有形無形の偶像で、現実
にあるのはその模造品のような偽善だけで、けれど元よりそんな献身的精神なんぞ
持ち合わせちゃいない俺には、その模造品にすらなれない。

 ……いや、だからってどうということもないな。それならそれでいい。

 俺が願うのは、世界平和だとかそんな大仰なもんじゃなくていい。俺の周りにいる
人だけでいい。俺が好きだと、大切だと思う人たちの幸せを、共に過ごす時間を守
りたい。それだけなのだから。

 都合のいい話だとは分かってる。虫のいい話だと理解している。それは全と一を
天秤にかけて、一が勝る矛盾だ。

 だがな、俺にはそれが精一杯なんだよ。俺にはお前と違って世界を相手に背負い
投げかませるような器量もなければ力もない、ただの一般人だ。情けない話だがそ
の願いを叶える為に俺に出来るのは、せいぜいお前を説得するくらいのことだしな。

 ああ、そうだな。説得するしか出来ないってんなら、俺はお前が首を縦に振るまで
なんべんだって説得する。罵られようが声が枯れようが知ったことか。もしも説得な
んて言い草が気に食わんのなら、頼みということにしてやってもいい。プライドが鼻
につくってんなら地べたにでも這いつくばってやるよ。

 だからさ、そんなちっぽけな願いくらい、叶えてくれたっていいだろう?
 なあ、ハルヒ――――――――



「なあ、ハルヒ。俺は今日、色んなことを学んだよ。その中で、俺はこの世界が前よ
りかずっと好きになった」

 笑みを崩さないまま、俺はハルヒのツラを正面に見据え、言う。いつもならあと数
歩は後ずさるだろう、軽く曲げた腕のリーチ分しかない距離も気にならない。
  俺を見るハルヒは何故か呆けたようなマヌケ面で、まるで今の俺の姿に別の何か
を重ねてみているような、そんな様子だった。

「でも、そこには長門がいて欲しい。朝比奈さんがいて欲しい。古泉がいて欲しい。
俺たちの周りにいる、みんながいて欲しい。 誰が欠けても嫌なんだよ。俺が好き
な世界には、みんなが必要なんだ」

 そこで言葉を区切ったのは、息を吸い込むためだけではない。いくら思いつくまま
に言葉を発しているとは言え、流石にこの二の口を吐くのは躊躇いがあった。

 だが、その躊躇いも一瞬さえもたず、俺は勢いに任せたまま結句を――――





「そして、その中心にはな、ハルヒ。お前がいる」





 結んで、一瞬も経たない内に俺は激しい後悔に見舞われた。

 何故だろうかね。言ってしまった後で、まるで夢から覚めたように急に現実に引き
戻されたわけさ。
 先程ハルヒに殴られてこの方のおかしなテンションが、サーッと音を立てて退場し
てゆく。即ち、「うわぁ、何言っちゃってんだよ俺」……と。

 猛烈な気恥ずかしさが俺の身を震わせる。発熱していく右頬と、殴られたせいで
元から熱を持っていた左頬の温度が、コンマ秒足らずで等しくなった。それから幾
許もしない内に、もしかするとあれから今まで殴られた衝撃で頭をどうにかしていた
のだろうかと、そんなことを思ってしまうくらいには冷めた俺が戻ってくる。

 だが、冷め切ってないのが問題だった。こういう中途半端が一番よくない。つーか
まずい。この状況でこのテンションは非常にまずい。

 俺は身を切るような激しい恥辱に気が遠くなりそうになりながら、かつ自らの台詞
の青臭さに逆流しようとしている胃液を押さえ込みながら、なんとかフォローの言葉
を探し……、

「お、俺はさ。俺が好きな世界を、もっとお前にも好きになって欲しいんだよ」

 フォローになってねえよ!つーかダメ押しだ!?

「だから…、俺を信じてくれ…?」

 なんで疑問系なんだろうね。

 …ダメだ。どう思考を巡らそうとドツボに嵌っていくような、膠着円盤が如き台詞し
か思い付かない。考えすぎとストレスで胃がきりきりと痛み出し、頭はどうにかなり
そうだ……。

 なんだろう。今まで必死に作り上げてきたシリアスな雰囲気というものがガラガラ
と音を立てて崩れていっている気がする。いや、別にそれが問題ってわけじゃない
が、それにしたってこれはあまりに情けなさすぎる。

 あー、どうしてこんなときに素に戻るかね。以前朝比奈さんや長門と、まあ現状ほ
どじゃないが似たようなシリアスな状況に置かれたときは、もう少しマシな対応がで
きた筈なんだが………、何故だ?




 ともかく、この状況はまずい。何しろ俺はさっきからまともにハルヒの顔を見れて
いないのだ。息もかかるくらいに接近してるってのに顔以外に何を見るって話で、
しかもかあまりの窮地に吃驚したのか俺の両手は固まってしまっていて、ハルヒの
肩を掴んだまま、動かそうと思っても動かせないってのに。

 前狼後虎。蛇に睨まれた何とやら。そんな心地でちらりちらり、俺はハルヒの顔を
伺い見る。なんでまたそんな自らを死地に追い込むような真似をしたのかは我がこ
とながらまったく不明だが、丁度ハルヒがこちらから顔を隠すように身を屈めた瞬間
だったようで、視線がぶつかるという最悪の事態は免れた。

 …と、そこで一つ疑問が生じる。俺が目を逸らすのは分かるとして、ハルヒが顔を
背けるのは何故だ?また陰鬱な気分に囚われたか?いやいや、この状況でそれは
ないだろう。だとしたら……、そうか。こいつも俺と同じように恥ずかしがって―――


 なんて、そんなことがあるわけがなかった。


「…っく、…ぶふっ、……くく、……っ、………ぎゃーっはっはっは!!ぶひゃーっ!」

 大爆笑である。

 湾曲させていた体を瞬時に起こしたハルヒは、勢いあまって後ろにぶっ倒れそう
になるくらいに、それこそ俺の両手がその肩を掴んでいなかったら確実に倒れてた
だろうくらいに反り返り、天を仰いで爆笑という名の雄叫びを上げた。

 噴き出されたつばきが雨のように俺たちに降り注ぐ。
 あのなぁハルヒ、きたねえよ。

「…っく、……大真面目に何を言うのかと思ったら…、…ぷっ、あはははは!」

 ハルヒは両腕で腹を抱え、抱腹絶倒をそのまま体現するような形で息も絶え絶え
呻き声を漏らし、時折思い出したように爆笑する。そんな様子にちょっぴりムカつい
てきた俺がその旨を伝えると、

「…いや、…だって、…っく、あんた自分で言った台詞反芻してみなさいよ。…っく、
あははは!…ぶっ、ぐふぉっ、ダメだ…、お腹…、お腹痛い……っ、ひっ」

 ……訂正。ちょっぴりではない。俺は今猛烈にムカついている。

「一応な。あれでもこっちは真剣だったんだ。そうやって茶化されるのは気分悪い」
「い、いや…、別に……、っ、茶化してるわけじゃなくて……、ブフィーッ!」

 盛大に噴かれたしぶきが俺の顔面を真正面に捕らえ、ぐっしょりと濡らした。

 それにしてもこのハルヒ、ノリノリである。ってふざけんな。

 いっそこいつ、穴でも掘って埋めちまうか?だが埋める場所を探すのは苦労しそ
うだな。なにせハルヒである。的確な処理を行った後完膚なきまでに埋めたにせよ
周囲の生態系に及ぼす悪影響は常識では計り知れないだろう。
 とかなんとか考えていると、ささくれ立った気分も少しは収まってきた。こんな根暗
な妄想で苛立ちを紛らわすなんざ我ながら情けないとは思うが、腹を立てたままで
いることによる精神的肉体的苦痛を思えば、その方がマシってものだ。

 とは言えこのまま何も言わず黙っているのも癪である。だから、「茶化してるんじゃ
なかったら、なんだよ」と、そんな意図不明の問いに見せかけた減らず口を俺が吐
いたのは、まあ自然といえば自然だった。

 ただ…、しかしなぁ…。こんな答えが返ってくると知っていたら、そんな言葉は吐か
なかったんだがね。まあ、それを言えばあの分岐点で選んじまった選択をやりなお
せたらという話なのだが。

「だって…、さっきのあんた…、っ、『みんなだいすき』っ…、なんて、子供みたいなこ
と言ったかと思えばっ、…っぷ、…その舌の根も乾かない内にプロポーズ紛いの台
詞吐いてんだもん……っ。そりゃっ、笑う、でしょ……、ぷっ、あははははは!」

 苦しそうに笑いながら途切れ途切れに紡がれたその言葉に、俺は絶句した。



 なんだって?プロポーズ?ハルヒの意味不明の言動に、俺は先程吐いたばかり
の台詞を思い出そうとする。その作業途中、あれから時間なんて殆ど経っていない
ってのに過去の忌まわしい記憶を呼び起こすような苦痛を強いられたのは―――
――それはつまり、そういうことらしかった。

 いやいやいや違うぞ確かにそうと受け取れなくはないかも知れないが俺はそんな
つもりで言ったんじゃないし第一いろんな手順とか段階とか一足飛びにしすぎだろ
そもそもなんで俺がお前にプロポーズなぞせにゃならんのだ先ずそこをはっきりさ
せて貰おうか。
 と、やたらと早口になってしまった俺の弁解を聞いていたのかいないのか。いや
さこの距離だ。耳にはきっちり届いていたに違いないハルヒは、しかし「ようやく落
ち着いた」とばかりに呼吸を整える溜め息をふうと吐くと、穏やかにこう言った。


「なんていうのかな。 …そうね、あたしは今、すっごく嬉しいかも」


 なんと言えばいいのだろう。そのときハルヒが見せたのは…そうだな。まるで台風
が過ぎ去った後の晴れ晴れとした空を見上げた時のような、満足げな表情だった。

 それを目に収めた瞬間、これまで俺を包んでいた気恥ずかしさやら照れたような
感情、困惑やら焦りなんてのが、灰燼となって消え失せる。

 どうしてかは分からん。これが毒気を抜かれるという奴なのか。はたまた呆気に
取られただけかも知れないが、まあ下らないことに執着してる自分が堪らなく馬鹿
らしくなったってことだけは紛れもない事実だった。

 気づくと、俺はくつくつと声に出して笑っていた。ハルヒもつられてくつくつと笑う。
そして肩を掴んだままの俺の手に自らの手を添え、半歩ほど俺に近づく。

「ねえ、キョン」

 なんだよ。

「あんたがみんなを好きで、一夫多妻制かつ同性愛支持者なのは分かったけどさ」

 とんでもないことを言い出しやがる。

 俺がそういう意味で言ったんじゃないってことはこいつも理解してるだろうに、それ
で敢えてそんなことを言うのだからまったく始末の悪いことこの上ないが、なんだか
否定するのも億劫な俺は、「ああ」と軽く相槌を打つ。

 ハルヒは何が可笑しいのか、くすりと笑ってこんなことを言った。

「あたしは?あたしについては、何も言ってなかったわよね?」

 悪戯盛りの子どものようなその表情に、俺はなんて言葉を返せばいいのだろうね。
とりあえず、そらとぼけることにしようか。

「………いや?俺は言ったはずだが?」

 ハルヒは格好だけ怒ったような素振りを見せながら、

「うそつき。とぼけようったってそうはいかないんだから」
「いーや、確かに言ったね。聞き漏らしたってんならそりゃお前の――――」

 再びそらとぼけようとした俺の口を、何やら柔らかいものが塞ぐ。お陰で告げよう
とした言葉は尻切れである。

 なんだろう。マシュマロというには硬いし、グミというには柔らかい。…そうだな、例
えばパスタ生地なんかの指標になる耳たぶくらいの固さってところだろうか。…いや、
それよりはもう少し柔らかいかも知れん――――

 なんてな。いくらなんでもそのとぼけかたはない。理解しがたいことではあったが、
理解できないわけじゃあない。難儀なことであるのは事実だが、それを勝手に都合
よく曲解しちまうのは、はっきり言って最低だろう。

 それに、実を言うとそんなに悪い気分でもない。

 俺の口を塞いでいる柔らかいものは、深呼吸二つ分くらいの時間をそうして過ご
すとあっけなく離された。それを名残惜しく思ってしまったのは、恐らく俺の人生の
中で一二を争うだろう不覚だ。

 こういうところだけは素直なのだから、我ながら困ったものだと言うべきか。

 しかしながらそれ以上に困ったのは、次に何を言うべきか、だった。

 不用意な発言をすればこいつのことだ。今度こそ気絶し兼ねない容赦のない一撃
を見舞ってくるかも知れないし、たとえ手加減をしてくれたとして度重なる衝撃でぐら
ついている俺の奥歯は今度こそ彼方へと旅立っていくに違いない。

 そんな戦々恐々とした気分を抱えながら、しかし俺は嗜めるように言ってやったさ。

「…あのなハルヒ。ものには順序ってのがあってだn――――」

 またかよ。

 呆れたような台詞を吐く俺の口を、再度柔らかいものが塞ぐ。今度は深呼吸一つ
と少しくらいですぐに離れた……と、文字通り目と鼻の先にあるハルヒの目が、じろ
りとこちらを睨んでいることに気づく。

 なるほど。どうやら先の質問の答え以外はこうやって言葉の端から潰しちまうつも
りらしい。



 なんというか、目的の為には手段を選ばないというか、手段のために目的を選ば
ないというか、相も変わらず突拍子のないことをする奴である。きっとこいつの思考
回路は、思いつきだけで出来てるんだろうな。
 しかし、だ。この手法は意味があるのだろうか。この問答が延々とくり返されて得
をするのは、果たしてこの俺だろうに。

 長引かせられるだけ長引かせようか、そんな不埒なことを考えるが、やめておく。
煩悩をかき消すように、コホンと一つ、咳払いをした。

「あー…、そうだな。 …なんつーか、こういう状況でこういうこと言うのはマヌケだと
は理解してるんだが……」

 そんな前置きをしたのは精神的逃げ道を作る為と発言の途中で笑っちまわない
よう心構えを改めようとした為なのだが、しかしどうにも俺の表情筋はその意に反し
て笑みの形を造ろうとばかりする。

 まあ、無理もないか知れないな。
 苦笑を隠そうとして隠せないまま、俺は言った。





「俺、実はポニーテール萌えなんだ」




 にやり、ハルヒが不敵な笑みを見せる。


 ハルヒも俺も、似たような表情を貼り付けた顔を見合わせていた。くつくつと笑い
ながら、ハルヒは「それで?」と返してくる。俺もまたその相槌に苦笑しながら言葉を
継ぐ。

「いつだったかのお前のポニーテールはそりゃもう反則なまでに似合ってたぞ」

 ハルヒはふん、とそれを一笑に付し、「それ答えになってないわよ」と呟くと、ゆっく
り両の目を閉じて、つい、と上向き加減に顔を突き出す。


 「そうかもな」と答えを返し、俺は――――


 あのときは初めから目を閉じちまってたから分からなかったが、もしかしたらこい
つは、あんときもこんな顔をしてたのかな。と、そんなことを思いながら、俺はその
態度の割には小さな体に覆い被さるように体を曲げる。






 そして三たび、俺の唇はその柔らかいものに―――――ハルヒの唇に、触れた。

114: 2006/07/29(土) 00:10:12.91 ID:+OXbdELjO

 翌日。即ち最早そんなのもあったなぁと思ってしまうようなあの企画の期限であっ
た月曜日、ハルヒは何処ぞより手に入れた予知夢について書かれた本を読み耽っ
ていた。しかし半日で飽きたのだろう、放課後にはその本は長門に譲渡されること
となる。どんなことが書かれていたのか気になるな。今度借りてみようか。


 まあ、しかしだ。なあ、ハルヒよ。興味の対象でない物事については深く考えない
というその性質はいい加減どうにかした方がいいと思うぞ?そんなんだから長門が
生き返ったことについても、『仮死性心停止睡眠症候群』なんて医学書のどこにも
載ってないような病気の存在と、胡散臭い古泉の説明を信じちまうんだよ。


「いいではないですか。涼宮さんにとっては病名やその症例がどんなものか、なんて
ことより長門さんが生き返った事実の方が重要なのですよ。終わりよければ、とね」


 とは古泉の談だが、果たしてそんなことでいいのだろうか?どうも腑に落ちん。


 ああ。腑に落ちない繋がりで思い出す。その日のハルヒが見せた、俺への態度
である。あんなことがあった翌日だってのに、いつもと何ら変わらない相変わらず
の手下……いや、下僕扱いだ。前より酷いか知れない。
 別にそれがどうってわけではないのだが、やはりどうも腑に落ちん。もう少し何か
こう、あってもいいんじゃないか?と思ってしまうのは俺の修行が足らんのだろうか。


 まあいいか。そうやって普通に接してくれた方が俺としては正直気が楽だし、その
態度から察するに、ハルヒもまたあのときのことは若さ故の過ちとしてなかったこと
にしようとしているのだろうし、俺はそれに一切の異論を挟むつもりはない。


 なんだかんだありましたが元の鞘に納まりました、と。結局のところそれが一番な
のさ。


 さてその月曜日であるが、放課後になると俺たちSOS団の面々は形ばかりの入
院中である長門の居する病室へと足を運んだ。


 場所は違えどハルヒの行くところ、全ては支部になりにけり、というわけで「SOS団
緊急会議(番外編)」と銘打たれたその日の活動は長門の病室で行われることと相
成った。番外編の使い方が日本語として大きく間違ってる気がするが、敢えて疲れ
たくない俺は突っ込みはしない。


 して、その議題であるが、勿論あの企画について。


 ハルヒがいつものよく分からない理屈をなんやかやと持ち出し、古泉がいつもの
ように全肯定で相槌を打ち、朝比奈さんが話がよく分からないといった顔でぽーっ
としながら長門は相変わらずの無表情、頭を抱える俺。


 結局、「先日色々とハプニングはありましたが都合この一週間で結論を出すには
充分な情報は得られたと言っていいでしょう。…結論、双方に友愛以上の感情なし。
なれば今後も友人として仲良く過ごすとよいでしょう。言っとくけど、これ特別裁量だ
からね」というのが団長の独断かつ満場一致で可決された。


 これまた日本語として大きく間違っているしそもそも企画の趣旨は俺と長門に結
論を出させるんじゃなかったのか?つーか端から企画倒れなんだよ。なんてなこと
を思いながらも既に口を挟む気力もない俺は、自分が吐いたため息の数を数える
くらいしかできなかった。


 計23回。この僅かな時間だけで23個もの幸せが俺から逃げていったわけだ。
 なんともまあ、……憂鬱だ。






 しかし、そんな憂鬱な気分を払拭するイベントがその日の内にやって来てくれたの
は身に余る僥倖というものだったか知れない。俺にも運が向いてきたのか、はたま
た今日一日の運は全てこの為だけに取って置かれていたのだろうか。


 朝比奈さんが、帰りにちょっと二人でお話しませんか、と誘ってきたのだ。


 無論断る理由もない俺は二つ返事でOKし、病院からの帰り道、ハルヒや古泉と
別れた後、朝比奈さんと再び合流。こうして二人いつだかの桜並木を歩いている。


 夏至も過ぎ、夏の足音が聞こえ始める今日のよき日。並木は当然全て葉桜となっ
てしまっていたが、夕暮れ時を朝比奈さんと二人歩いているというシチュエーション
だけで満開の花びらが咲き誇る情景が目に浮かぶようだった。


「終わった今だから言えますけど…、」


 並木沿いのベンチに隣り合って腰を下ろした後で、朝比奈さんはそう切り出した。


 なんでも今回の事件について未来からの指示は一切なく、唯一長門が倒れた理
由だけは情報として与えられたものの、それ以外、つまりどうしてそんなことになっ
たかとかその後の対応策だとか、そういったものに関する指示や命令の類は一切
なかった――――たどたどしい説明を掻い摘むと、つまりそういうことらしかった。


 だが、なんでまた朝比奈さんはそんなことを言い出したのだろう。その表情を鑑み
るに、それは今回に限ったことではないのだろう。だとしたら尚更それを俺に言う理
由が分からない。

 俺は思わず馬鹿正直に、どうしてまたそんなことを俺に?なんて言いそうになり、
慌てて口を噤む。恐らくそれは俺が激情に任せ朝比奈さんにぶつけた発言のせい
に違いないのだ。


 申し訳ない気分でいっぱいになるが、ここであのときの発言を蒸し返しても朝比奈
さんはまた落ち込むだけかも知れない。そう思い、俺は「そうだったんですか」とだけ
答えることにした。


 朝比奈さんは「ええ」と頷き、微笑んでくれた。




 それから暫く、二人とも黙ったままでいた。こうして無言でいると、夕暮れ時の環境
音―――雑多に混ざったの虫たちの鳴き声やら、遠くから聞こえる小学校のチャイ
ム、帰宅途中の子どもたちの声やらが、とてもよく響いているのが分かる。


 なんとなく物寂しい気分になり、俺はぼーっと空へ向けていた視線を朝比奈さんの
方へと向けた。朝比奈さんは何故だろう、少し浮かない顔で膝の上で組んだ自分の
手を見つめている。そうして突然意を決したように顔を上げると、


「キョンくん、先週の月曜のこと、覚えてますか?」


 と、そんなことを言った。


 ええ、と頷きながら思い返す。まあ、今回のなんだかんだは結局のところ、あの日
俺が言っちまった不用意な発言から始まったのだから、忘れろというのが無理な話
だ。そのようなことを冗談っぽく俺が言うと、朝比奈さんは何故だかそわそわとした
様子でその身を揺らした。

「ごめんなさい…、キョンくん。本当はあのとき、あたしは止めようと思えば止められ
たの。 何度も何度も、止めようとしたんです。でも、」


 と、そこで言葉を区切り、何やら頬を赤らめながらこちらをちらりちらり伺って、


「あたしも、キョンくんの本当の気持ちが知りたくて…、だから…、」


 ああ、と思う。あの日、帰ろうとする朝比奈さんが言いかけた言葉は……、そうい
うことだったわけか。


 朝比奈さんが俺にしたかった話ってのは、つまる所そのことだったらしい。そんな
可愛らしい謝罪をわざわざしてくれたことは勿論、その内容にも大きく胸を打たれた
俺は内心感涙に咽び泣きそうになりながら、しかし努めて平静な声で言った。


「いいんですよ。朝比奈さん。あのとき止めてたって何かが起きなかった保証はない。
色々ありましたけど今は元通り、それなら何も問題なしじゃないですか」


 どういうわけか、きょとんとした顔の朝比奈さん。


「元通り…、ですか?」
「ええ」


 そう。変わってることなんては長門が入院してるくらいのことで、それもまあ数日も
様子を見れば十分だろうし、ならばなんやかんやはあったにせよ、結局全ては元通
り……、そうじゃないんですか?

 朝比奈さんは小さく笑う。


「ええ。元通り、じゃないですよ」

 朝比奈さんは戸惑う俺をよそに「…うん、そう」と一人納得するような呟きを漏らし、
そしてもう一度「元通り、じゃありません」と力強く断定した。


「今回のことで、きっとみんな、前よりもっともっとキョンくんのことを好きになったと
思います。そして、みんなのことも」


 だから、元通りじゃないんです。そう付け加えて、朝比奈さんはうふ、と笑う。


「わたしも、もっともっと好きになっちゃいました。キョンくんのこと。涼宮さんのこと。
長門さんのこと。古泉くんのこと。鶴屋さんや、みんなのこと」


 その言葉に、なんだか嫌な汗が背筋を伝う。ねえ、ひょっとして……朝比奈さん?


「も、もしかして…、聞いてたんですか……?」
「ええ、聞こえちゃいました」


 やはり、朝比奈さんの台詞はあんときの俺の流用だったらしい。ぐあ、と呻き、小
さくかぶりを振る俺。
 あのとき朝比奈さんがいたのは俺たちから扉一つ隔てただけのところで、普通に
考えて聞こえないわけはないのだが…、しかしそれを改めて確認させられてしまうと
堪らなく恥ずかしい。


 って待てよ?つーことは俺がハルヒと致しちまったことも、もしかしたらばっちりと
知られちまっているのか?それに朝比奈さんに聞かれていたってことは古泉にも
聞かれていたっておかしくないわけで……、
 成る程。確かに朝比奈さんの言うとおりだ。なんもかんも元通り、というわけには
いかなかったらしい……。



 しかし…、まずいぞ。これをこのまま放置するのは非常にまずい。


「いや、朝比奈さん、あれはですね……、なんというか、その、勢いに呑まれたと言
いますか……、雰囲気にやられたと言いますか……」


 赤面しながらなんとか弁明をする俺だったがその努力も空しく、朝比奈さんはくす
くすと笑い、絶対に分かっていない顔で「ええ、分かってますよ。キョンくんの気持ち
はぜーんぶ」なんてことをおっしゃった。


 どうやらこの場はもう、取り繕うことすら不可能になってしまったようである。まあ、
いいか、この誤解は後々訂正していけばいい……なんて、楽観的に思考を落ち着
け、俺はやれやれとため息をついた。


 と、その頃には辺りもすっかり群青色に染まってしまい、そろそろ帰路へと着かな
ければ本格的に夜になりそうだ。朝比奈さんと俺は示し合わせたように立ち上がり、
並木道を抜け出す。とりあえず駅前までは一緒に歩こう、ということになった。




「なんだかあたし、未来に帰りたくなくなっちゃいました」


 思い出したように朝比奈さんが言ったのは、もうすぐ駅前に着こうという頃合であ
る。俺が、帰らなければいいじゃないですか、なんて軽く答えると、横を歩く朝比奈
さんはふるふると首を振って、



「ごめんなさい。今のは冗談。あたしは、いつか自分の時間に帰らなくちゃいけない。
それは仕方のないことだから」


 朝比奈さんは柔らかな微笑みを俺に向ける。


「あたし、頑張ろうと思います。多分、上が何も教えてくれないのは、きっとあたしに
何かを知らせたらもっと事態が悪くなっちゃうって、そういう判断があるんだと思う」


 いつだか、似たようなことを打ち明けられたのを思い出す。あの時と同様にその
不安を否定しようと口を開けたところで、しかし。言葉はなくとも息を呑んだ空気だ
けで分かってしまったみたいで、朝比奈さんはふるふる、と首を振ってくれた。

「もしかしたら…、そうじゃないのかもしれないけど、とりあえず、そう思うことにした
んです。 ………だから、もっともっと頑張らなきゃって」


 あのときのような沈んだ空気が、今の朝比奈さんからは感じられなかった。むしろ
その顔は自信に満ち溢れているようにも見える。


 朝比奈さんはととと、と駆け足で俺の前に歩み出ると振り返り、


「それに、あなたの好きな世界だもの。もっともっと楽しい世界になるんだろうなって。
そう思ったら、ガゼンやる気出てきちゃいました。だってそうでしょう?」


 問いかけの形で言葉を切り、とても晴れやかな顔で笑う。そして、言った。


「あなたが好きだと言う現在を、あたしの帰る未来に繋げる為に、あたしは今、ここ
にいるんだから」



 今回は何もお手伝い出来ませんでしたけどね、などと言葉を繋ぎ、朝比奈さんは
ぺろりと舌を出す。その姿がいつになく頼もしく見えたのは俺の錯覚ではあるまい。


 ひょっとしたらだが、こんなことを思う。今回もそうだが、朝比奈さんが大切なことを
何も知らされないままでいるというのは、知らせることによる未来にとっての不利益
がどうのとかそんな話じゃ元からなくて、その成長を望むちょっと未来の自分自身か
らの激励のメッセージなのではないか――――などと。

 まあ、考えすぎかも知れないがな。


 しかし、何もお手伝い出来なかったと朝比奈さんは言ったが、そんなことないって
俺は思うね。あのときこの人が俺を立ち戻らせてくれなかったら、俺はこうして再び
訪れようとしている日常へ帰ってくることは出来なかっただろうからな。


 あのときの朝比奈さんの言葉は、禁則だとか未来からの指示だとかにとらわれな
い、この人の本心からの言葉だった。俺はそれに背中を押されただけだ。
 それなのに俺って奴はよく分からん抽象論しか語れずただハルヒを怒らせただけ
で、その内に事態は勝手に収拾しちまった。つまるところ俺はいつものように流され
てただけに過ぎないわけだ。むしろ何も出来なかったのはこの俺だろう。


 俺が自嘲気味にのたまうと、朝比奈さんはふるふると首を振ってそれを否定する。


「ううん。そんなことない。とってもかっこよかったですよ、キョンくん」


 そう言ってふわりと髪を揺らし、にっこり、笑った。


「――――まるで、マンガのヒーローみたいに」






 廊下でばったりと出くわした古泉に、少しお時間を頂けませんか、とそんなことを
言われたのは、そのまた翌日の昼休みのことだった。


「さて、涼宮さんが望めば世界は変わる。けれど涼宮さんが本心でそれを願わなけ
れば世界は変わらない。 つまり今回、涼宮さんの中で障害になったのはその心の
内にある『死んだ人間は生き返らない』という常識的な部分だったわけです」


 草木生い茂る裏庭のログチェア。つい先週もこうして対面に座したそれに腰掛け
るなり、古泉はそんな唐突な切り出し方をした。


「それを見事、あなたは取り払った。恐らくは、あなたと涼宮さんが体験した―――
あの閉鎖空間を再現することでね」


 古泉は人差し指をくるりと回す、という気障った仕草をしながらそう言って、ふふ、
と薄く笑った。素敵にムカつく笑顔である。


 と言うかこいつはどっからその情報を仕入れてきたんだろうな。あの忌まわしい出
来事について俺は誰にも話しちゃいないし、ハルヒもまたあれを夢だと思っていただ
ろうから、そちらから漏れ出ることもまずないだろう。なれば当事者二人が漏らして
いないのだから、あれはけして表に出ることはない筈なのだが。


 とは言えその話の出所を聞いたところで詮無いことであるし、一々反応するのも
下らない。俺がため息混じりに「それで?」とだけ返すと、古泉はくすりと笑い、


「つまり『夢が現実になるような世界なら、ひょっとしたら奇跡は起こるかもしれない』
……と、涼宮さんの思考は恐らくそのようなところに落ち着いたのでしょう。いやはや、
素晴らしい手際ですね。本当に見事という他にない」
「買いかぶるな。そこまで考えちゃいねえよ」


 それにそんなのはお前の勝手な想像に過ぎんだろうが。俺がぶっきら棒に言葉
を返すと、古泉は再度、くすりと笑う。


「だとしても、ですよ。僕としては正直なところ、あの状況であなたに遺された手は…、
やはり全てを打ち明ける。つまり、『あの切り札』しかないと思っていましたので」


 あの切り札…、ジョン・スミスのことか。あれは使っちまったら最後、全てが壊れ
かねない諸刃の剣だからな。ちょっとした綻びを直すにはでか過ぎる針だ。なるべ
くなら使いたくないんだよ。


「そうですね。であれば僕らは長門さんに感謝しなくてはなりません。彼女の機転が
なければ、それこそ手は『あの切り札』しか残っていなかったのですから」


 舌も上手く回り上機嫌になってきたのか、古泉は大仰な手振りを加えながら言葉
を続ける。


「もし、仮に長門さんの肉体が消滅してしまっていたら。それを涼宮さんに見られて
しまったら。流石にその正体を隠し通すことは叶いません。つまり、全てを打ち明け
る他に長門さんを救う手立てがなくなるわけです。ですから長門さんは賭けに出た。
自分の肉体を残すことだけに力を注ぎ、あなたと涼宮さんを信じた」


 自らの淀みない語りに満足したのだろう。古泉はテーブルに肘をつくと、指を組み
合わせこちらを見やる。


「まあ、それもあなたの尽力があればこそ。今になって言える結果論ではありますが」

 苦笑しながらそんなお世辞のようなことを言ったのは、俺が不機嫌そうにしていた
からだろうか。長門ばかり褒められるのは気分が悪い――――であるとか、そんな
感じに俺の不機嫌な表情を理解したのかも知れない。だとしたら…、アホか古泉。


 俺が不機嫌そう…、と言うか事実不機嫌であったのは、単に先日の出来事をやっ
かまれているようなこの状況が堪らなく不愉快だったから、それだけだ。


「しかし本当にあなたには驚かされます。或いはトリガーは涼宮さんの中の常識的
な部分と言うより…、」


 そんな心地を知ってか知らずか、古泉は掌を上に向けてこちらに差し出すといっ
たジェスチャをしながら、話を一旦締めるようにこう続けた。


「もしかしたら、あなたそのものなのかもしれませんね」



 丁度、タイミングよく午後一番の予鈴が鳴る。


「おや、少々長話をし過ぎてしまったようです。戻りましょう」


 当前だが、その提案に異論はない。俺は昼休みの残り10分を最大限に活用すべ
く立ち上がり、その足を校舎へと向ける。そしていざ歩み出そうとしたところで、


「ああ、そうだ――――二つほど、謝らなければいけないことを思い出しました」


 と、古泉がそんなことを言った。

「謝る?俺にか?」

 顔だけをそちらへ向けて言ってやると、古泉は「他に誰がいると言うのですか?」
とでも言いたげな表情で、「ええ」と頷いて見せた。


「ひとつは…、あなたを騙していたこと。先日の喫茶店は覚えていますよね?」


 まあ、一昨日の今日だ。忘れる道理がない。古泉は、「或いはあなたも気づいて
いたかも知れませんが…、」などと緩衝材を挟んでからこう告げた。


「あの日、あの場所にいた人間は全て『組織』に関わりのあるエキストラです。完全
貸切だったわけですよ。従業員含め、ね」


 古泉の告白は…、まあ、なんとなくの予想はついていた内容だった。そうでもなけ
りゃこいつらがあの日厨房に隠れていたことに辻褄が合わないしな。そんなことを
思っていると古泉は急に真面目な顔を作り、


「…いくら涼宮さんに頼まれたとは言え。結果、今回のような事態を招いてしまった。
何より、あなたの気分を酷く害した」


 一呼吸置いて、本当に申し訳ないことをしたと思っているのですよ、と続ける。


「そうかい」と、俺。
「許して頂けますか?」と爽やかに古泉。


 許すも何もなぁ。結局のところ、こいつはいつものようにハルヒの我侭に付き合っ
てやってただけの話で、なら別に俺に詫びる必要はないだろうに。



 そりゃまあ、確かにあんときの気分は最悪だったか知らんが…、そんなのは必要
経費みたいなもの、もっと的確に表現すれば税金みたいなものだ。あいつと関わっ
ちまった時点で、俺にはそんなハルヒ税を支払う義務が生まれていたというわけさ。


 或いはローン返済だろうか。ハルヒローン。なんだかアクション俳優を目指したけ
どダメでしたみたいな滑稽な響きを持つ単語だが、よくよく考えると空恐ろしい。
 年に何十回あるか分からん返済期限は気まぐれで、かつ債権者たる俺には明か
されない。それでいて期限を一秒でも過ぎるとエライ目に遭う。そもそもが何を借り
たかもさっぱり分からないのだ。これほど恐ろしいものもあるまい。


 まあ、地道に返済していくしかないんだろうな。こんな焦げ付いた不良債権、一生
かかって返せるかどうかも分からんが―――――


 と、冗談交じりに言ってやった後で、


「だからお前が謝る必要はないな。いつもいつも、お前はよくやってると思うよ」


 いろんな意味でな。皮肉たっぷりにそう続けると、古泉は初め何故だかぽかんと
口を空けていた。そして数秒の後にそれを崩すと、可笑しくて堪らないといった様子
でくつくつと笑い出す。


「なんだ?」
「…いえ、なんでもありませんよ。ただあなたの言い草が少々可笑しかったもので」


 くつくつと笑い続ける古泉。冗談を言った手前笑ってもらえるのはありがたいが、
然程可笑しいことを言ったつもりでもない俺としては、そこまで笑われるのもなんだ
かなぁという気分である。



 …まあ、いいさ。


 俺は釈然としないものを感じながらも、「それで、もうひとつは?」と話を流した。


「あ、ええ。これは謝罪と言うよりはお願いに近いのですが…、」


 古泉は取り繕うように表情を直し、言葉を繋ぐ。

「いつぞやの台詞をなかったことにさせて頂きたいのですよ。あれは失言でした」
「いつぞやのセリフ?何だっけ?」


 覚えがなかった俺は簡潔に疑問を返す。本当に覚えがない。と言うかこいつの発
言を一々記憶するような無駄スペースは俺の脳にはない。


 古泉は掌をひらりと翻すと、イヤに爽やかな笑みを俺に見せた。


「覚えてらっしゃらない?あなたに恋愛経験がない、というアレですよ」


 そのツラと声色でアレとか言うな、気分が悪くなる。


「いや、中々どうして。あなたも隅に置けないではないですか。これは僕も認識を改
めた方が良さそうだ。ひょっとするとあなたのような男性の方が或いは…、とね」
「お前の言ってる意味がさっぱりわからん」
「おや、もしかして照れているのですか?」


 俺が閉口したのを図星を指された為と判断したのか、古泉は、こいつにしては珍
しく、いつになく快活に高らかに、あっはっはと声を上げて笑った。






 さて、そうして古泉の論点のよく分からない事後説明を受け流し、午後の退屈な
授業をやり過ごした放課後、ハルヒ以下SOS団の面々と共に、俺は再び長門の見
舞いに行くこととなった。どうやら長門が入院している間、この個室がSOS団の活動
拠点となるようである。


 ただ、SOS団の活動、と言ってもハルヒが何か剣呑なことを思いつかない限りそ
の内容は至って平和なもので、言ってしまえばただの暇つぶしだ。
 パソコンも古泉のゲームコレクションもないこの病室はハルヒにとっていたく退屈
だったらしく、小一時間程で根負けすると「じっとしてるのはやっぱつまんないわね。
明日は何か遊び道具でも持ってきましょう」などと言い放ち、その鶴の一声で今日
はお開きとなった。


 帰り際、看護士の代わりに「ここは遊び場じゃないんだぞ」と言ってやったのだが、
ハルヒは聞いていないようだった。やれやれと思うが、まあ流石に病院内で大声で
騒ぐほど常識のない奴じゃないだろうし、それ以上言うのは止めておいた。


 ………大丈夫、だよな?



 して、その後。皆が散り散りに帰ったのを確認してから、俺はと言えば長門の病
室へと戻ってきていた。
 コンコン、と扉をノックするものの返事はない。入るぞ、と告げてから中に入ると、
窓際に据え置かれたベッドの上に先程とまったく変わらない長門の姿があった。


 ハルヒが用意したパジャマ(可愛らしくデフォルメされた乳牛が無数にプリントされ
ている、という個性的な柄である)を着込み、身を起こしクッションに背を預けた体制
で、ハードカバーの分厚い本を読んでいる。

 …しかし、こいつもまあ恐ろしく病院のベッドが似合う奴だな。色も白いし線も細い、
幼い頃から難病で長期入院しているのだと言われればそのまま信じてしまいそうだ。


 と、長門がちらり、視線を手元の本から外し、こちらを一瞥する。


「よう、加減はどうだ?」


 俺がつい一時間前にも言ったばかりの社交辞令的な言葉をかけると、長門はぱ
ちりと瞬きをして、


「平気。 ただ、この場所は少し落ち着かない」


 それは、暗に早く退院させろと言っているのだろうか。だが俺としてはもう少し、せ
めて一週間は様子を見て欲しいところだった。
 とは言え長門の親玉が復活したというのは聞いていたし、既に長門自身が全快
していることも知っている。従ってこの場合に見るのは長門の様子ではなく、ハルヒ
の様子なのだが。


「わかっている。涼宮ハルヒに不審を抱かせない為には、わたしはもう暫くここに逗
留しなければならない」


 何故だろうか、そう言った長門の様子がまるで飼い主に遊んでもらえなくてシュン
としてる犬みたいに見える。まあ、気の迷いだな。



 俺がここへわざわざ戻ってきたのは、ひょっとすると長門も何かしら俺に話があ
るんじゃなかろうかと思ったのと、俺としても長門に尋ねてみたいことがあった為な
のだが、どうやら前者は当たりだったようである。
 ベッドの脇に放置したままになっていた椅子に近づき、長門の了承を得てからそ
れに座ると、長門は読んでいたハードカバーに栞を挟みこちらを見据え、


「わかった」

 と一言。相変わらず話の下手な奴である。わかったって、何がだよ。その問いに
答える形で長門が語ったのは、恐らくは長門からあるのだとすればこういった類の
話だろうと思っていた想像に正解を告げるものだった。


「わたしに生じた障害、及び情報統合思念体の消失の起因するところが、わかった」


 長門と長門の親玉を消そうとした奴が誰なのか…、既に長門は知っている。そし
て長門が「わかった」と言った以上、その『知っている』というのは『そうかも知れな
い』などという当て推量などではなく暦とした事実に他ならないのだ。


 数秒の逡巡の後、俺はぐっと固唾を飲み込み、意を決して尋ねる。


「…やっぱり、ハルヒがやったのか?」


 押し殺した声で問う俺に、しかし長門はきっちり一往復分だけ首を振り、涼やかな
声でそれを半分肯定、半分否定した。


「直接的な原因は涼宮ハルヒ。けれどそれは彼女の意思ではない」

 分かり難い返答だったが数秒を置いて理解する。同時に、俺は安堵の息をついた。


 整理すると、長門の親玉を消したのはハルヒの力だが、それはハルヒの意思に
よるものではない。ということはつまるところ――――


「そう仕向けた奴がいるってことか」
「そう」


 長門はあっけなく頷く。改めて安堵の息をつくと同時に、脳裏には新たな疑問が
浮かび上がるのを感じた。当然の疑問、即ち、「誰だ?」である。
 それをそのまま言葉にして問いただすが、長門は答えない。何やら適切な言葉を
考えているようだった。


 沈黙が静寂を生み、静寂はチッチッと鳴る時計の音を意識させる。


 その音が十数回は聞こえた頃だろうか、ようやく口を開いた長門が発したのは、
俺の予想だにしなかった名前だった。


「朝倉涼子」


 ………は?

 素っ頓狂な声が俺の口から漏れ出る。ある意味では懐かしく、しかし精神衛生上
あまり思い出したくないその名前。だがあいつはもうこの世にいない筈だろう。去年
の五月、他でもない長門が消したのだから。


 なら、どうして、今ここで朝倉の名前が出てくるんだよ?



 困惑する俺を見て、だろうか。長門は閉じた口を再度開き、先の言葉を訂正する。


「正確には、朝倉涼子の構成情報の残骸」


 …………ゴメンな、長門。 言い直して貰ってもさっぱり分からん。


 置いてけぼりを食らう俺を尻目に、長門は淡々と説明を開始する。


「朝倉涼子の残骸は去年の戦闘時以来わたしを構成する情報内に長く潜伏してい
た。気付けなかったのは情報統合思念体内の異なる派閥による情報操作によるも
の。それが突如障害となるほどに肥大したのも彼らの仕業。それを解消させなかっ
たのも同様――――」


 長門が言うには、その派閥と言うのはかつてこいつが語った急進派とかいう奴の
ことらしかった。派閥があるとは言え情報統合思念体は全が一。故に主流派の行
動に多少なりと制限を設けることも可能であるらしい。


 またインターフェースである長門は本来情報統合思念体からは完全ならずとも独
立した存在である為、帰属する主流派以外の派閥による操作等は受け付けない筈
だったのだが、急進派は長門を構成する情報内に混在したジャンク情報、即ち朝倉
の構成情報の残骸を媒介することでその制限を越境する。

 つまり内外両面からの情報操作により、あの戦闘以降今日に至るまで長門は朝
倉の情報の残骸が己の身の内にあったことに気づけなかった。というわけだ。


 なるほど、トロイの木馬みたいなものか。そう言ってやると、長門はこくりと頷く。


「あの日、わたしの中で肥大していた朝倉涼子の残骸は涼宮ハルヒに乗り移った。
その時点よりわたしは障害から解放され、新たに宿主となった涼宮ハルヒの精神
は徐々に不安定化、今回の情報フレアを引き起こすに至った」


 この頃になると、いくら長門の回りくどい説明でもその概要を素早く把握できるよ
うになっていた。


「つまり長門の中に潜んでいた朝倉がハルヒに乗り移り、ハルヒの力を勝手に使っ
ちまった――――と、そういうわけか」


 俺が発したその台詞は何の気なしの、ただ情報を自分なりに事件を整理する為
の発言だったのだが、それを口にした瞬間無表情な長門の顔にミクロン単位の感
情が浮かんだ。


 俺にしか分からないくらいの表情の動きだが、それは一般的な言葉で置き換えれ
ば『悲しみ』として表現されるものの筈だ。


 ……ああ、そうか。お前も以前、同じことをやっちまったわけだからな。

「…スマン。無神経な発言だったな。忘れてくれるとありがたい」
「いい。気にしなくて、いい」


 長門は首を振りそう言ってくれたが、俺はどんな顔をしていいのか分からなかった。
長門に申し訳ないことをした気持ちも勿論だが、それだけじゃなく。


 何を血迷っているのかと思われるか知れないが、俺は朝倉を哀れんでいたのだ。



 かつて長門が同様に、ハルヒの力を使って世界を改竄したとき叶えたのは、普通
の人間として生きたいというささやかな願いだった。…だが、今度の事件で朝倉が
望んだのは……、


「朝倉は…、自分を切り捨てたお前らを、恨んでたのかな……」


 朝倉が望んだのは、仲間だった長門や自分自身を生んだ親を、この世界から消
し去ることだった…、のか?


 だとしたら…、あんまりだ。あまりに、救いがなさ過ぎる。


 長門は俺の感情を読み取るように、暫く、俺の顔を見つめていた。そして小さく首
を振り、言った。


「それは違う」

 断定的な、いつもの長門らしからぬ強い口調だ。


「あの存在に意思はなかった。朝倉涼子は既に消失している。あれは朝倉涼子で
はなく別の情報体。ただ涼宮ハルヒに近づきその能力を探ろうとする、それだけの
存在。通俗的な用語を用いて言い換えると―――」


 長門は淡々と並べていた言葉を区切ると、ぽつり、言い放つ。


「朝倉ウィルス」


 ぐっ、と思わず呻く。耳に届いた一瞬に脳裏に浮かんだのはわらわらと血中を泳
ぐミニ朝倉の大群だ。それぞれが「死んで?」だとか、「ねえ、あきらめてよ」だとか
普通の朝倉より1オクターブは高い声できゃいきゃいと騒いでいる。


 きっと「なにしてんすか朝倉さん」などと自らの妄想に突っ込んだのが敗因だった
に違いない。堪えきれず、「ブフッ!」と小さく噴出してしまった。


 やばい……。この想像はちょっと……、っく、面白すぎるだろ……。


「…っ、なら、なんでまたお前やお前の親玉を消そうとしたんだよ」


 笑い転げようとする己をなんとか律し、捩れそうになる腹をなんとか抑えて、俺は
努めて落ち着いた声でそう言った。


 にしても…、長門。いつもは冗談とも本気とも分からない、それでいて笑えない冗
談を言うお前が今日に限ってとんでもない爆弾用意しやがって……と、恨みがまし
い目で長門を見るも相変わらずの無表情である。


 ひょっとしたら本気で言ってたのか?そんなことを思うが、息も絶え絶えに酸欠に
なりかけた頭では確かめようもなかった。



 ようやく、一息をつく。もしかしたら、待っていてくれたのだろうか、


「恐らくはわたしとの戦闘の際、わたしを敵性と判断した情報が残されていた為」


 長門は俺が充分に落ち着いた頃合になってようやく、先の問いに淡々と答えてく
れた。続けざま、また淡々と言葉を繋ぐ。


「本来ならばあの情報体は情報統合思念体からわたしとわたしの属する主流派の
みを消し去るつもりだった。しかし涼宮ハルヒの力を制御し切れず、存在する全て
の情報思念を消失させたのだと推測される」


 なるほどなぁ、と。確かに辻褄は合っているその説明に相槌は打ったものの、俺
にはどうしてか長門が嘘を言っているように思えてしまう。長門が俺に嘘をつく筈が
ない。それは分かっている。分かっているんだが……、どうしてなんだろうな。


「まあ、その急進派…だったか?そいつらもこれで懲りただろうな」


 釈然としない思いを飲み込んで言った俺に、長門は微かに首を振った。


「急進派を含む情報統合思念体の大部分は、今回涼宮ハルヒによって引き起こさ
れた情報フレアに大いに満足している」


 は?なんだそりゃ?てめぇらが消されかけたってのに懲りない野郎どもだな。それ
じゃ何か?また第二第三の朝倉が―――――長門は再び首を振る。


「多分、暫くは満足している」


 なるほど。そういうことか。





 それから俺たちは雑多なことを話して時間を潰した。この一週間の話だとか病院
食の味だとか、夏休みになったら何をするか、なんて益体もない話ばかりである。
 別にそんな話をしたかったわけではなく、タイミングを逸したというかタイミングを
計っているというか、俺にはまだ長門に尋ねてみたいことが残っていて、それをど
う切り出したものか分からず、結果ずるずると居座っているのだ。


 数十分か十数分か数分か…、いや、数十秒だろうな。話のタネも尽きたところで、
長門が脇に置いていたハードカバーを手にする。栞の位置でそれを開き、ぺらりぺ
らりとめくり始めた。


 文章を目で追う横顔が、「今日はもう店じまい」という意思表示に感じられてならな
い。だが、どうしてもここで聞いておかないといけないようなそんな気がして、俺はな
んとか捻り出した問いかけをその横顔にぶつけた。


「なあ、長門。 朝倉はまだハルヒの体にいたりするのか?」
「いない。既に確認済み」


 ハードカバーに目を落としたまま長門は答える。その答えに、少々疑問を感じる。


「確認しただけか?事が終わってからお前が何か対処してくれたんじゃないのか?」


 それをそのまま言葉にして尋ねると、長門はやはりページをめくりながら、


「わたしが倒れたとき、つまり情報統合思念体が消失しようとしているとき、わたし
に対する急進派の妨害もまた消失した。その際涼宮ハルヒの観察を行ったがあの
情報体の存在は確認出来なかった。既に消えていたものと思われる」
「そう、か」



 じっくり、長門の答えを頭の中で反芻する。出てきたのは、こんな答えだった。


「なあ、長門。俺はその存在はウィルスなんかじゃなく、やっぱり朝倉だったんじゃ
ないかと思う。ただ、思うように動けなかっただけのな」


 あいつは、朝倉涼子は…、なんと言えばいいのか、二度も殺されかけた(二度目
は朝倉本人じゃないが)俺が言うのもなんなのだが、凄い奴だ。そりゃ長門の同類
なんだから凄いのは当たり前だが…、ちょっと、他の誰とも毛色が違うというか。


 少なくとも暴走する前の朝倉は文武両道、でもそれをひけらかさない。誰にでも気
さくに、親身に接する根っからの委員長タイプで、まさに完璧超人だった。……そう
だな。物腰が柔らかい社交的ハルヒ、とでも言えばぴったりかも知れない。


 そうなんだよな。ほんの少しだけど、あいつはハルヒに似てたんだ。


 そんなあいつだ。プライドは人一倍だったろうと思う。あいつが暴走した理由にも、
まあ色んな思惑はあったにせよ、長門のバックアップという役不足に対する不満な
んてのもあったんじゃなかろうか。


 だとしたらやはり、長門は嘘を言っている。
 長門がウィルスと呼んだその存在は、朝倉涼子そのものだ。


 長門の口調が僅かながら変化する前の発言を思い出す。本来、情報ナントカ体
からは完全ならずとも独立した存在である長門が急進派の情報制御下に落ちてし
まっていたのは、その身に取り込んだ朝倉を媒介とされていた為。


 それが何を意味するのか。なんとなくだが、からくりが見えてきた気がする。



 俺の思うところはこうだ。


 ひょっとすると、ハルヒもまた長門と同様に、完全ではないにせよ急進派とやらの
制御化にあったのではないか。だとすれば今回のその情報フレアだかなんだかを
引き起こしたのは朝倉ではなく、その急進派である可能性も否定できなくなる。


 筋書きはこう。急進派は長門や長門の親玉の派閥を消し去ってそのナントカ体
の実権を握ろうとしていた。しかし勢い余って失敗。自分たちまで消えてしまった。
この辺は長門の説明どおりだろう。


 だが、これではあまりにお粗末だ。いつだか長門が語った「超越的な叡智」だとか
「蓄積された知識」の片鱗すら見せていない。ならば、ひょっとしたらと考える。


 そしてつい先程の長門の言葉だ。時系列順に要約すると、


 1.ナントカ体が消え始める。
 2.長門への妨害が消える。
 3.長門、ハルヒを観察するも、朝倉の存在は既になかった。


 となる。もし、3.の時点で、或いは朝倉が消えると同時に急進派が消えていたな
らば話は別だが、そうでないなら。


 ここで話を戻す。朝倉は急進派の情報操作の為の端末だった。ならば、例えば1.
の時点で朝倉が存命であったなら、それを消失させるような愚を、長門曰くの「超越
的な叡智」を持つナントカ体の一派である急進派が犯す筈はない。危機の最中は
勿論、それを脱した後もハルヒに取り付いた端末である朝倉は極めて有用な筈。



 であれば、その急進派にも何らか妨害があったのだと考えるのが妥当ではない
だろうか。つまり急進派による改変の途中で何者かがそれを妨害、消失させる対
象を急進派を含むナントカ体全てに変更し、以降の制御が出来ないよう朝倉を消
した。そういうことだ。


 もっともこの筋書きはその『何者か』が誰なのかがあやふやなままでは意味を持
たない。


 まず、考えられるのは古泉の属する『組織』。だがこれは長門が倒れたときの古
泉の言葉を思い出すと否定できる。曰く、『一人の人間があの超自然的存在を細
部まで把握し切ってしまうだなんて』と。何かを完全に消すにはそれを完全に把握
していなくてはならない。当然の道理だ。


 ならば朝比奈さんの属する未来人はどうか。上の古泉の発言があった際、朝比
奈さん自体はともかく、上はそれを把握できているような口ぶりだった。だが、彼ら
には朝倉という端末に接触し、それを操作する技術がない。


 他に考えられるのはナントカ体の別の派閥となるが、それでは本末顛倒である。
彼らが彼ら自身の消失を望む理由はなく、或いはこれは防衛策の末のアクシデン
タルな結果で、彼らの意図しないものだっただけかも知れないが、それでは先述の
通り「超越的な叡智」もナントヤラである。


 即ち、条件は3つ。


 1.朝倉という端末を使えて、(手段の所持)
 2.ナントカ体についてその存在を細部まで全てを把握し、(目標の理解)
 3.ナントカ体が消えても困らない存在。(動機の無矛盾)



 他に心当たりがあるとすればハルヒを取り巻く三すくみの頂点に立つ三者、その
それぞれに対しその存在が確認されている宇宙的、未来的、超能力的の三つの
敵対勢力だが…。しかし、彼らにもまた『組織』や未来人たちと同様、朝倉を接触
し操作し得る技術はないだろう。


 宇宙的敵対勢力にだけはそれを行うだけの技術はあるのか知れないが、だが
それで行うのがナントカ体の消失だけ、というのはどうも解せない。雪山のときを
考えれば、もっとどうにもならないような事態にまで発展させていただろうとは容
易に想像がつく。


 たとえ他の二者がその技術をもっていたとしても同様である。朝比奈さんをさらう
なんてラディカルなことを仕出かす連中だ。ナントカ体が消えた程度(これも勿論オ
オゴトだが)で済まされるわけがない。もっとオオゴトになっていてもおかしくない。


 そもそもが彼らが妨害した『何者か』だとするなら、三すくみの他の二者が消え去
らなかったこと自体が大きな矛盾だ。


 ならばハルヒか?これも違うね。


 まあ確かにあいつは頭をやられちゃいるがその出来はいいし、例えば古泉なら、
「涼宮さんなら或いは可能でしょう」なんてことを言うかも知れないが、いくらなんでも
無意識にナントカ体を全て把握するってのは不可能だろう。それにあいつは長門が
宇宙人だってことも、その親玉がどんなもんかも知らないんだ。無理に決まってる。


 なら、その『何者か』は誰なのか。これまでそれに該当するだろう者たちが次々と
否定されているのだ。つまるところそんな奴はいない、ということなのか?

 いやいや、違うさ。一人だけ、たった一人だけだ。三つの条件に当てはまり、急進
派の妨害が可能だった奴がいる。


 ――――――朝倉涼子、本人だ。



 朝倉について三つの条件を考える。まず1.については問題ない。何せ本人だ。
これ以上なく巧みに扱えるだろう。


 2.についても同様だが、長門や朝倉といったインターフェースがその親玉につい
てどこまでのことを知っているか、というのは少々疑問の残るところだ。
 しかしあのとき急進派は朝倉に消失の対象である主流派の情報を送り続けてい
た筈だ。それを利用してその範囲をナントカ体全てに変更するのは、あのときの朝
倉には造作もないことだったろう。何せ万能の力がすぐ傍にあったわけだからな。


 ただ、3.については勝手が違う。動機ってのは本人の口から語られない限り明
かされないもので、推理なんて出来はしない。出来るのは当て推量だけだ。だから、
ここからは俺の勝手な想像になる。

 朝倉はほんの少しだがハルヒに似ている奴だった。そんな朝倉がたとえかつての
操り主だったとは言え、それこそ本当の端末、道具として扱われることを何の抵抗
もなく受け入れたのだと果たして言い切れるだろうか。そんな筈はないと俺は思う。


 ただ、世界を創り替えられるくらいの力があって、それでやったことが親を消して
自分も消えることだなんて、あまりに切な過ぎるが……、それでも。俺は思いたい。
 あいつが長門を完全に消さなかったのは、やっぱりハルヒに似ているあいつの、
ハルヒによく似た捻くれたお節介だったのではなかろうか――――と。


 まあ、思いたいだけなんだが。



 だが、そんな状況証拠だけで打ち立てた穴だらけの机上の空論は、勿論口には
出さない。それにこれは長門の話に嘘があったという仮定を前提にしたものだ。長
門が俺にそんな嘘をつく理由があるとは到底考えられない。長門の言っていること
は正しいのだ。


 だから俺は黙ったまま先の言葉に対する長門の返しを待っていた。長門はぱら
ぱらとページをめくりながら、たっぷりと時間をかけて「そう」と一言。ハードカバー
に向けていた視線をこちらへ遣すと、


「あなたがそう思いたいならそう思うといい」


 そう言って再びハードカバーに目を落とした。


「ああ。そうするよ」




 見れば、窓の外はもう随分と薄暗い。だいぶ長居してしまったようだった。これ以
上居座るのも気が引けた俺は、さてと立ち上がり、踵を返そうとしたところで思い出
した。


 そう言えば、大事なことを忘れていた。


「あ、そうそう。もうひとつ質問があったんだよ」
「なに」

 長門は再び目線を俺にくれる。何度も読書を中断させて悪いとは思ったが、致し
方あるまい。そもそも俺がここへ戻った理由の一つに、この質問をする為というも
のがあったのだ。このまま帰ってしまっては画竜点睛を欠くというものだろう。


 それに、俺にとってその質問はあんな込み入った事後説明を聞くことなんかより、
遥かに大切な用事だったわけだしな。


 何度も読書の邪魔してすまんな、と断ってから、俺はその質問を口にした。


「あのとき…、つっても分からんか。 お前が消えちまうかもしれないってときさ。
お前、笑ったよな? あんな状況だってのに、なんでまたお前笑ったんだ?」



 あのとき、確かに長門は俺を見て、微笑んだ。見間違いでもなければ幻覚でもな
い。あれは長門の笑顔だった。改変された世界の長門が見せた笑顔とは違う、本
当の長門の笑顔だったのだと、俺は思う。


 だから、知りたかった。自分が消えるかも知れないってときになってどうして、こい
つはあんな顔で笑ったのか、その答えを。


 長門は、黙ったきり答えなかった。返答に困っていると言うよりかむしろ、何を聞
かれているのか分からない、そんな表情で俺を見ていた。

 まあ、しょうがないのかも知れないな。自分の存在が消える瀬戸際だ。もしかした
らあのときのことは記憶にないのか。なら、残念だが、仕方がない。
 覚えてないんならいいんだ、忘れてくれ。そんな台詞が口を衝いて出ようとしたとき、
黙っていた長門が口を開き、唐突に話し始める。

「わたしが機能を停止していたとき、わたしはとても興味深い体験をした」


 長門はハードカバーをぱたりと閉じると、それを膝に置いてこう続ける。


「夢を、見た」


 ぱちり、瞬いた両の目が、俺を捉えた。


「肉体以外の全情報を消失していた筈のわたしが何故そのような体験をしたのか、
またどうしてそのような体験をしたという記憶があるのかは、不定」


 長門はそう断定し、「元よりわたしが夢を見ることはない。夢という概念は有機生
命体が睡眠時に行う記憶の整理に伴い、その記憶の断片が半休眠中の意識化に
現れる精神行為のことを指し、それは我々のような情報生命体にとって――――」
だとか、小難しい言葉を用いて延々自分が夢を見る理由がないことを説明すると、


「けれど。恐らくはそれが、先程の問いに対する解答と思われる」


 と、末尾を結ぶ。どうやら、それで終いらしかった。



 ううん、と唸る。どうにも哲学的な答えであるそれは、サルトルでもなければフーコ
ーでもない俺には少々どころかまったく理解できない。だが、それでいいかなと思う。


 長門の目を見れば分かった。その答えはきっと、長門なりに俺の質問に対し真摯
に受け止め、考えて答えてくれたものに違いないのだ。


 なら、理解は出来ずともそれでいいかなと思う。


「そっか」
「そう」


 呟いた相槌に、長門は律儀にも返してくる。


 或いは俺はその簡潔なやり取りを最後に、そのまま帰っても良かったのかも知れ
ない。しかしいつまで経っても膝に落としたハードカバーを手に取ろうとしない長門を
見るにつけ、俺は本日最後の質問のつもりでこんな問いかけを口にした。


「夢の内容は、覚えているのか?」


 長門の見る夢がどんなものか多少なりと興味があった、というのも勿論だが、そ
れ以上に。何故か、長門がその質問を待っているような、そんな錯覚を覚えたのだ。


「覚えている。でも」


 長門は言葉を区切り、その目はぱちりと瞬く。


 その「でも」という否定接続詞に続いた言葉に、俺は不謹慎ながらほんの少しだけ
笑ってしまう。それはその言葉があまりに長門らしくなかった為か、或いは俺は、
それが嬉しかったのかも知れなかった。



 長門はいつものように必要最小限の大きさで口を動かし、俺にこう告げた。


「ひみつ」






 それから数日が過ぎ、今年もまた七月七日がやってきた。


 誰の望み通りの結果なんだろうね、日に日に晴れ渡っていく夜空を見上げながら、
日に日に暗雲立ち込めていく憂鬱な気分を抱え、俺はその日を迎えたわけさ。


 かつてただのおまじないイベントに過ぎなかった七夕がこうまで俺を陰鬱な気分に
させるに至ったのは、言うまでもなくハルヒのせいに他ならない。
 別に昨年の七夕…、いや、四年前の七夕に自身が取った行動を後悔しているわ
けではない。あのときはああするしかなかったしな。


 ただ、俺の奇矯な日常の全ての始まりが実はあの日にあったのだと知った今年、
七夕が近づくにつれ俺は今までの様々な事件やら出来事をどうしても思い出してし
まっていた。もしあのときああしてなかったら、こんな事件やら出来事には遭遇せん
かっただろうなぁ、と。
 そしてそんなとき思い出すのは限って疎ましい事件やら忌々しい出来事なのであ
るから、これで憂鬱になるなというのが無理な話であった。


 その元凶たるハルヒはと言うと、昨年のメランコリー状態とは打って変わってむや
みやたらにハイテンションだった。去年はあんだけ煤けていた七夕当日にも長門の
退院祝いも兼ねた七夕パーティーを行うことに決めてしまったくらいだ。


 どうやら風邪と同様に、憂鬱な気分も人に伝染せば直るものらしい。はた迷惑な。


 しっかし期末考査も近いというに、そんなことをしていて大丈夫なのかねぇと赤色
の混じりかけた中間の答案を見返してため息をつくが、ハルヒの決定に異を唱えて
も無駄なことは、そのにこにこと喜色満面なツラを見れば分かりきったことだった。



 放課後になり、教師の目を盗んで食材やら何やらを構内に運び込むと、俺たちは
一路SOS団の拠点である文芸部室に向かった。


 粗方のものは前もって運び込み、備品の冷蔵庫内にしまっておいた為、荷物は鞄
等にしまうことが出来、これといって危険はなかった筈なのだが、それでも誰かに見
つかるかもと、どうにもワクワクとしてしまったのは我ながら青い。ランドセルを卒業
しても教師に隠れて何かをやるというのは、中々どうして抗い難い魅力があった。


 ああ。ここ数日の、主に長門の病室でのSOS団の活動についても少しだけ語ろう。


 ハルヒが出入り禁止を食らいました。以上。


 ……これ以上、何を語れと言うのか。あのヤロウ、あまつさえ人を共犯扱いだ。
車椅子は人を轢く為のものじゃないって俺は止めた筈なんだがな?脳みそか耳
か、或いはその両方が腐ってるんだな。多分。


 結局ハルヒだけではなく俺たち全員が出入り禁止の宣告を受けたわけだが、懲り
ないハルヒは長門の個室を夜襲する算段を立て始めやがった。流石にどう止めよ
うか迷っていたのだが丁度長門の退院が決まり、俺は心底ほっとしたものだ。


 本当ならもう二三日様子を見る予定だったのだが、恐らくは古泉が手を回してくれ
たのだろう。流石のあいつも最近のハルヒの高気圧振りにはついていけないようだ。
笑みに若干の疲れが見え隠れしている。


 古泉同様毎日疲れっぱなしでこの数日は生きた心地がしなかった俺としては正直、
長門が帰ってきてくれたのが非常にありがたい。身内ならまだいいが、これ以上よ
そ様に迷惑をかけるのは俺の精神がもちそうにない。



 して、七夕パーティーである。それも何故だか暖房器具が大量に揃った、七夕パ
ーティーである。窓辺に飾られた横断幕には本当にどうしてだろうなぁ、『ガマン大
会』なんて書かれているんだこれが。本当になんでかなぁ。


 ……いや、現実逃避は止めにするか。…受け入れよう。紛れもなく今年の七夕は、
ガマン大会なのだ。はぁ……、一生のうちで夏に鍋を囲む機会なんて都合何度ある
んだろうね。また谷口に笑われそうだ。


 しかし前もって聞かされてたとは言え本当にやるとはなぁ。まあ、実を言えばあい
つがこれを言い出したときに本当にやるのか?と俺が問うた、それに対する返答を
聞いた時点で、諦めはついていたのだが。


 宴も酣になると、流石のハルヒもぐったりとしてきて、俺は暫くぶりに馬鹿みたいな
テンションでない普通のハルヒを拝むことが出来た。なんでまた最近のこいつがあん
なハイテンションを持続してたのかは分からんが、出来ればそのまま大人しくしてて
欲しいね。俺の身が持たん。


 暖房を止め窓を開けると、初夏の暑さもむしろ涼しいほどだった。朝比奈さんが
淹れてくれた水出しのお茶を飲みながら外から入ってくる風に身を委ね、暫くのん
びりと一服する。

 周りを見ると皆同様に、のんびりと過ごしている。皆が皆、一様に大汗をかいて
いるという光景も、どこか滑稽で笑いを誘った。


 そうしてひと段落着くと団長閣下の号令の下、本日のメインイベントが始められる。
今年も団長じきじきに採ってきた(正しくは学校裏の竹林から盗ってきた、だが)笹
竹に、それぞれの願いを吊るすのだ。


 俺が昨年の今日に書いた内容は最早記憶の底であるが、確か16年後の自分に
向けた願いだったという趣旨は覚えている。


 しかし気まぐれなハルヒのことである。「今年は今年の分の願いを書きなさい!」
と開口一番そう宣言した。やれやれ、あのとき披露したうんちくはなんだったのか
ねぇ。そう思いながら、俺は今年の分の願いを書いた。


 まあ、俺としてはこの願いの持続期間は今年だけじゃなくてもいいんだがな。




 朝比奈さんの短冊にはちまちました可愛らしい文字でこう書かれていた。


『みんなで元気に楽しくいられますように』


 古泉のはこう。これは本人のイメージに合わない乱筆である。


『今年もみなさんと共に、平穏無事に過ごしたいものですね』


 続いて長門。いつだかの七夕のときには気付かなかったが、宇宙人が星に願い
をかけるというのも中々にロマンチックな話ではないか。俺はそんなことを考えなが
ら、笹竹に吊るされた短冊に躍る流麗な長門の文字を眺める。


『みんな、いっしょ』


 こうまで同じような願い事が揃うと、最早顔を綻ばせるなという方が間違いだ。恐
らく俺は顔面の神経が緩みまくったような顔でそれらを見ていることと思う。それで
いて周りも皆、いつもの無表情である長門と仏頂面のハルヒを除いて似たような顔
をしているのだから、全くもって幸せな奴らだ。


 さて、残るハルヒの短冊は最後まで見せて貰えなかった。でもその口元に浮かぶ
照れたようなへの字からして、多分朝比奈さんや古泉や長門たちと似たような文句
がそこには載っている筈だ。
 まったく、『今年の分の願いを書け』なんて言った時点でこうなることは予想……、
いや、期待してただろうにな。本当にこいつは、根っからの天邪鬼だ。


 ああ。それとな、ハルヒ。そんなこと敢えて言わなくても、たとえ16年後の願いだっ
たとしても、この短冊に書かれたものは然程変わりゃしなかっただろうぜ?






 して、俺の願いが書かれた短冊だが、今は俺の手元を離れ、団長閣下の握り締
められた手の中にあった。

 なんとかして中身を盗み見ようとしていたハルヒの視線から、俺は鉄壁のディフェ
ンスでその願いごとを守り通していたのだが、ちょっとばかり目を離した隙にまんま
と奪われてしまったというわけだ。


 俺は取り返そうとハルヒを追いかけるものの、そのちょろちょろとすばしっこい動
きに取り返すどころか完全に遊ばれている状況だった。はぁ、ホントこいつのこの
パワーはどっから湧いて来るんだろうな。


 まあ、そんなこんなで短冊の中身を確かめるくらいの余裕は充分にあるハルヒな
のだが、何故か奪い取った短冊は握り締めたまま見ようとさえしていない。


 その理由はもしかしたら、単に追いかけっこがしたいだけで短冊の中身には興味
がない、などという微笑ましいものなのか、はたまた存分にいたぶった後、動けない
俺の目の前で見るつもり、なんて悪趣味なものだとか、色々と想像は出来るが。


 くるりと振り返ったハルヒの、その照れ笑いのようなツラを見ながら、とりあえずの
ところ俺はこう思うことにした。




 そこに書かれた俺の願いが――――きっと、見なくても分かるからだろうな、と。






 fin.

258: 2006/07/29(土) 02:27:02.57 ID:5eh6QRC00

氏亡遊戯と言うものを、皆さんはご存知だろうか?
昔々、どのくらい昔かって言うと、中国がまだ何十もの国に別れていたころの話だ。
その数々の国の一つにてあるゲームが開発された。そのゲームはあまりの面白さから、瞬く間に民衆に広まり、やがて民衆は国のために働くことを忘れ、次第にその国は衰えていき、遂にはその国は滅んでしまった、と言う話である。


さて、ここで懸命なる読者の諸君の脳裏には、つい先日、まだ夏休みだったころ、俺たちが2日目に無人島の地下で遊んでいた『そのゲーム』のワンシーンが浮かんでいることであろう。


一国を滅亡させたその遊戯にとって、SOS団部室はまさにうってつけであった。
放課後に行けば必ずそろっている面子、加えて、一般人にとっては理解不能な活動内容ゆえ、近寄りがたい部室。そこ、チクるなよ。


俺たちがしばしの間、その遊戯に熱中したのは、ある種、必然だったのかもしれない。
そう、俺たちは、この時期、ただ遊ぶために学校に登校していたといってもあながち間違いでは無かったのだろう。世間一般的に見れば激しく間違いだが。


そして、あの猪突猛進なハルヒがあんなことを言い出し、そして、その発言をきっかけに、あんなことになるのもまた、今思えば、全て必然だったのかも知れない。

259: 2006/07/29(土) 02:27:49.33 ID:5eh6QRC00
9月4日、金曜日、晴れ。
俺らはいつものように放課後の暑さを、麻雀に没頭することで、過ごしていた。

「・・・ロン。イッツー・ドラ1。7700。」

「あー!!またやられた!ダマって何よ!嫌らしいわね!」

・・・おいハルヒ、お言葉だが、東パツ、先制リーチなしのイッツードラ1のペン七万待ちなんて、普通リーチかけないぞ。

「うっさいわね!あたしはリーチが好きなの!」

だからって、毎回ノミ手愚形リーチのオンパレードはどうかと思うぞ。

260: 2006/07/29(土) 02:28:12.97 ID:5eh6QRC00
「キャー来たわ!リーチ♪・・・・」

「・・・ロン。清一色。18000。ラスト。」

「これで長門さんの七連勝ですか。まったく、強いですね・・・」

オイ、古泉、目が笑ってないぞ。
ハルヒもハルヒだ。言わんこっちゃ無い。少しは長門の捨て牌見とけよ。どんな手だよ・・・あーまたドラ単か・・・
つーか、お前、この手からピンズ切ったのか!?

「う、うっさいわね!ここが暑くてちょっといつもより頭の回転がいつもより鈍ってるだけよ!」

暑さのせいにしやがった。この女。

「・・・そうだわ!」

東1局で長門に飛ばされて不機嫌だったハルヒが突然極上のスマイルを浮かべて叫びだした。
なんだ、お前のその上家のニヤケ野郎の0円スマイルに匹敵する不吉さの顔は。

261: 2006/07/29(土) 02:28:49.16 ID:5eh6QRC00
「みんな!今日は雀荘に行くわよ!」

おいハルヒ、遂に暑さでSOS団雑用に見捨てられるまで、頭がイカレちまったか。
先生に見つかったら停学もんだぞ。

「だって!牌積むのめんどくさいし、向こうは涼しいし・・・それにほら!あたし達SOS団としては、たまにはそういうところの見回りも必要だと思うのよね!」

ハルヒ、素直に一度行ってみたかったとか、悔しいんだとか、言ったらどうなんだ?

「うっさい!」
「ねえ古泉君?そう思うでしょ?」

「まったくその通りかと。」

時々、ハルヒが古泉を副団長にした理由は、古泉のこんなところにあるのかと、思ってしまう。
まったく。お前も少しは反対したらどうなんだ。

「副団長もこう言っていることだし。決定!今すぐ帰って着替えてあの場所集合!じゃあ一時解散!」

やれやれ。


そんなわけで、俺はいま、公園に着いたところだ。

262: 2006/07/29(土) 02:29:14.59 ID:5eh6QRC00
「遅い!罰金!」

・・・この宇宙人、未来人、超能力者、およびその元凶の集まりの早さに、俺がいつか勝てる日が来るのだろうか?毎度毎度そう思わされる。

俺は罰金として、団員にジュースをおごることを命ぜられたが、今回ばかりは、俺の財布は窮地を救われることになった。
俺はハルヒに雀荘はジュースが飲み放題なことを伝えると、ハルヒは俺に代わりの罰を与えることもなく
「じゃあ早く行きましょ♪」
と言って、まるで3段跳びのようなスキップをしながら出発してしまった。

そんなわけで俺たちは大人への扉の玄関に立ってしまった。

263: 2006/07/29(土) 02:29:32.94 ID:5eh6QRC00
「ここが雀荘ね・・・なんか、そこいらから負のオーラを感じるわね・・・」

実も蓋もないことを言い出した。

「キョン君、怖いですうぅ・・・」

ホレ見ろ。朝比奈さんなんか、すっかりびびってしまっているじゃないか。

「・・・ユニーク。」

「まあいいわ、ホラあれ!ウイーンっての!全自動卓!一度触ってみたかったのよね~」
「さ。入るわよ、みんな。」

オイ、待てって!

「いらっしゃいませー」

「す、す、す、すいまっせーん♪た、卓貸してくださ~い♪」

こいつでも、緊張しているのだろうか。鶴屋さんと朝比奈さんが合体したようなテンションになりだした。

「学生5名さまですか?只今の時間でしたら、1卓1時間600円となっておりますよ。」

「うんうん!それ!それで!」

やれやれ。

264: 2006/07/29(土) 02:30:05.01 ID:5eh6QRC00
喉本過ぎればなんとやら。
卓に案内された俺たちは、緊張も解け、5人で交代交代ですっかりマイペースで遊んでいた。
まあ、これがフリーだったらそうもいかなかっただろうが。

「ちょっと喉が渇きましたね。皆さん、コーヒーでも飲まれますか?」

「さっすが古泉君!気が利くわね!」
「お願いします。」
「頼む。」
(・・・こくん)

「砂糖、ミルクは入る、ということで、宜しいですね?」

俺はこの後耳を疑った。

265: 2006/07/29(土) 02:30:27.71 ID:5eh6QRC00
「アリアリ5つー!」

「ハイ、喜んでー!」

「あ、あとアツシボも1つお願いしますね。」

「ハイ、喜んでー!」

「・・・古泉君、いまなんて言ったんですか?」

朝比奈さんの頭に?マークが2つくらい浮かんでいるのが見える。
ひとつは、言葉に対して、もうひとつは古泉のキャラに対してであろう。

「ああ、今のは、コーヒーの『砂糖・ミルクあり』を5つに、『熱いおしぼり』を1つと頼んだんですよ。」

「古泉君って、物知りなんですね~」

「ははは。」

何が『ははは』だ。古泉、お前ってやつは。
・・・と、若干1名、マイペース過ぎるやつもいたが、そんなこんなで、俺たちはいい環境で思う存分麻雀を楽しんでいた。

あの後、あんなことになるなんて、思いもよらずに。

424: 2006/07/29(土) 11:49:31.53 ID:5eh6QRC00

確かに。
あえて俺らを雀荘内で目立っていたか目立っていなかったかでくくるとすれば、確かに俺たちは目立っていた。
それは別に、俺たちが宇宙人、未来人、超能力者だから、というわけではない。
美少女3人を含む、どう見ても高校生の5人組が雀荘で麻雀を打っているのなんて、なかなか見られない、光景だ、という意味だ。
そんな珍しい5人組を見かけたら、別に俺らがそんな軍団とは知らずとも、チョッカイを出してくる輩が、雀荘には、“ごく”たまにはいるのかもしれない。俺らは運悪く、たまたま最初の1回目に、そういった輩に出会ってしまった、そういうことなんだろう。恐らくは。

425: 2006/07/29(土) 11:50:39.06 ID:5eh6QRC00

「ロン!メンタンピン三色ドラ2裏1!16000は16600!」

「・・・」(チャリ)

「長門さんが倍満打つなんて、ずいぶん久しぶりですね」
(ギロッ)
「・・・ヒッ!ごめんなさいごめんなさい~」

朝比奈さん、非常に恐縮ですが、それ、一言多いです。

「私のこの一打の期待収支点数が、期待損失点数よりも上回った。だから打った。ただそれだけ」

長門、ひょっとして、悔しいのか?お前も好きなんだな、麻雀。

「これは確率のゲーム。オセロや将棋と違って、大きく“運”が作用するため、展開が私にも解析不可能。故に、私という固体も、興味を持っている。」

確かに、俺が長門に勝てるものといったら、この麻雀くらいだろう。それも、ごくたまにだが。

「ハハ、長門さんの能力でも、全勝不可能なゲームですか。」

古泉、お前なら、下手したら全敗なら可能だとは思うぞ。

426: 2006/07/29(土) 11:51:02.10 ID:5eh6QRC00
俺らが何故ハルヒに聞かれたら長門の情報操作に頼るしかないような会話をしているかといえば、それは勿論ハルヒが抜け番で、いないからであった。
何故どっか行ったのかは・・・まあ深く考えないでいてあげよう。一応レディだしな。


「ツモ。300-500、ラストだな。」

「キョン君も、なかなかやるようで。」

フリー慣れしているお前に言われると、なんか腹がたつのは気のせいではないだろう、古泉よ。

「ところで、遅いですね。涼宮さん。番なのに。」

「お腹でもこわしたんでしょうかね?」

だから朝比奈さん?先ほどから一言多い気がしますよ?
まあ、流石に俺も、少し心配になってきた。
5分で戻る、そう言って俺は、店を出てすぐそこにあるトイレに行くついでに、外を見ることにした。

427: 2006/07/29(土) 11:51:27.21 ID:5eh6QRC00
外へ出ると、2人の俗にいうイケメン大学生らしき男が、なにやら女の子を囲んで話していた。ナンパだろうか。

「だからさあ、おじょうちゃん。俺らが、教えてやるって。麻雀。」
「そうそう、あんなツレの男じゃ、下手糞すぎてちっとも上手くならないからさ。」

時々、思うのだが、イケメンというのは、なんで大概のことが許されるのだろうか。
テニスやサーフボードといった、スポーツならまだしも、麻雀をネタにしてナンパなんて、俺がやったら、ただのギャグにしかならないだろう。

そんなことを思いながらトイレに行こうとした次の瞬間俺は本日またもや自分の耳を疑った。

「うっさいわね!なに?どうせあんたらなんて、彼女のいなくて寂しいから雀荘にいるんでしょ!ナンパなら別のところでやりなさいよね!」

どうやら図星らしい。男2人の眉が、ピクッと動いた。長門の表情が分かる俺にとってはこんなの朝飯前だね・・・ってそんなことはどうでもいいんだ!!あの馬鹿!!!

「まあ、そう言わずにさ・・・」

男はハルヒの肩を掴んだ。そして―

パシッ

ハルヒのビンタが、男の頬に直撃した。

428: 2006/07/29(土) 11:51:51.44 ID:5eh6QRC00
「この女!」

男が拳を振り上げる。俺は、咄嗟に、ハルヒの前にでた。
ああ、終わったな、俺。って、痛くない。アレ?

「やめろよ。」

そう言って、気性の荒い男を止めたのは、以外にも、もう一人の男だった。


「君、この子の彼?」

「いや・・・えっと・・・友人、です。」

「そうか。まあね。今のは俺らも悪かったし、おあいこってことにしようよ。」

「はあ・・・」

「でもさ、こいつがこのままじゃ済ましたくないって言うんだ。」

嫌な予感がした。今考えると、本当にやばいのはこっちの男のほうだった。

429: 2006/07/29(土) 11:52:15.75 ID:5eh6QRC00
「ここは雀荘だろ?麻雀で決着付けようじゃない。」

「君等が勝ったら、俺らが謝るよ。好きにしてくれ。」

「・・・負けたら?」

「なーに、レートの額だけ、金をもらうだけさ。何、彼女の話では、君も結構強いんだろ?」

「あったり前でしょ!」

オイ、俺の後ろから出てくんな!話がややこしくなる!

「で、幾らなのよ?」

「こっちも4人いるんだ。2対2のチーム戦で、勝ったほうが10万、ってのはどうかな?あ、ないなら体で払ってもらっても構わないよ。」

止めろ!今の頭に血が上ったハルヒにそんなことを言うのは止めてくれ!

「・・・上等じゃない。」

何が『一時の感情や気の迷いで面倒事を背負い込むほどの馬鹿じゃない』だ、バカヤロウ。
しかし、こうなってしまったハルヒを止めることは、もうどうやっても不可能であった。

430: 2006/07/29(土) 11:52:45.22 ID:5eh6QRC00
「・・・と、言うわけだ。すまない、長門、古泉。」

「・・・最善を尽くすが、運ばかりは、我々のテリトリーの範囲外。できるだけの事をやるしかない。」

「まったく。あなたという者がついていながら。」
「ハッキリ言いましょう。これは今までで、世界にとっての最大の危機です。」
「もし我々が敗北してしまった場合、涼宮さんのプライドは大きく傷つき、同時に世界も大きく変わってしまうでしょう。」

古泉は、頭を抱えていた。
・・・そうなのだ。
今回ばかりは、長門のインチキも使えず、勿論古泉の超能力も、現実空間では役立たず。
おまけに負けたら今回ばかりは確実に世界が崩壊する、というおまけつきだ。
世界の運命は、俺たちの雀力と運に委ねられてしまったのである。
随分安くなっちまったな、世界。

「とにかく、我々に残された道は勝つしかありませんね。」
「大丈夫です。僕も出ましょう。」

余計心配だ。

431: 2006/07/29(土) 11:53:07.52 ID:5eh6QRC00

勝負は2対2、を2卓の麻雀勝負。25000点持ち30000返しアリアリ。ウマは10-30.チームの合計点が多いほうが勝利となる。
クジ引きでチームを決めた結果、ハルヒと古泉がやつらの連れ2人の卓、
俺と長門がさっきの2人の卓に入ることになった。

「キョン!?あんた絶対勝ちなさいよ!負けたら全部払って、そのあと氏刑100回だからね!」

世界が消滅する前に俺が消滅しそうだ。
そんなハルヒの叱咤激励をうけ、俺と長門は卓についた。

下家が気の短いほうの男、上家が勝負を提案した男だ。下品な笑いを浮かべている。
長門にばかり頼れない今、結局俺がなんとかするしかないんだ。
集中しろ、俺よ。奴等の顔なんて見るな。卓上の牌だけを追え。世界を、ハルヒを守ることだけに、今は集中だ。


かくして、10万とプライドを、もとい、世界を賭けた麻雀勝負が始ってしまったのである。

432: 2006/07/29(土) 11:55:45.09 ID:5eh6QRC00
以上、第2部でした。次は起承転結の”転”を執筆中です。
いよいよ次は戦牌シーン。
麻雀分からん人も楽しめるように書こうと思う。

591: 2006/07/29(土) 16:53:57.05 ID:5eh6QRC00

「ツモ。ツモ・タンヤオ・イーペー・ドラ1で、4000オールだ。」

「・・・チッ。」

読者諸君の予想とは、裏腹に、おれはツイていたのかもしれない。俺は起家で、良い配牌をもらい、4000オールをあっさりとツモることに成功。勝負の性質上、どうしても相手方からの直撃が欲しいところだったが、まあ4000オールならまったく問題ないだろう。
続く1本場の配牌はとても悪かったのだが―

「・・・イーソー、ポン。」

「・・・ウーピン、チー。」

えーと、長門さん!?あなたは何をしてらっしゃるのですか?

「・・・」(チラッ)

俺は長門のわずかな表情から、長門の手を瞬時に読み取った!そして!
・・・ああ、これか。ほらよ。

「・・・ロン。西のみ。1300。」

順風満帆。俺は見事に差し込みを成功させ、うまく場を流した。そこ、普通だとか言うなよ。
ともかく、こんな感じに、まずは東1局だけで、実に16000もの差をつけることに成功したのである。
こっちの卓は問題ないかもしれないな。問題は向こうの卓だが―

592: 2006/07/29(土) 16:54:21.49 ID:5eh6QRC00
「ロン!リーチ・1発・ダブ東で8000!いやー1発目からこんな生牌出してくれるとはね。」

「あーもう!何で字牌であたんのよ!」

ハルヒ、たまには降りろ。一発で12000放銃。だめだこりゃ。
はっ、どうやらとんだお荷物を背負っちゃったようだぜ。
俺たちが何とかするしかなさそうだな、長門。

(・・・こくん)



「ロン!チートイ・赤!3200!」

「・・・ツモ。2000オール。」

「チッ・・・」

向こうは―
「ロン!タンピンドラ赤!8000!」

「油断しましたね・・・」

向こうから聞こえてくる不吉な言葉もなんのその。俺たちは、最初の流れにうまく乗り、終始好調のまま、適当なリードを保ちつつ、早、南2局を終わった。一方あいつらは、いまからオーラスを迎えようとするところだった。
相方のチームの点を見るために、俺らの卓は勝負を一時中断して、あちらの卓の観戦に移った。

593: 2006/07/29(土) 16:54:45.34 ID:5eh6QRC00
「41200」
「45200」
「・・・12300です。」
「・・・1300、ね・・・」

点棒確認も終わったようだ。って、オイ!弱すぎるぞ、お前ら!特にハルヒ!

「・・・」

長門の眉がぴくっと動いた。あの長門ですら、呆れることがあるらしい。

「うっさい!私はラス親なのよ!こんくらいの点差、屁でもないんだからね!」

ハイハイそうですか。
はー。ハルヒたちは3-4位か。今のうちにトイレでも行っておこう。
長門、戻ってきたら、点数報告してくれよ。

(こくん)

本日17杯目のコーラを飲んで観戦している長門に、おれはそう言うと、トイレに走った。



さて、俺たちは後何点取ればいいのだろう?俺らが1-2位フィニッシュをすれば、取り敢えず順位点はチャラになるから、素点勝負だ。たしか75000点くらいだったな。
あと30000くらいか。・・・きっついぜ。次の長門の親番が鍵だな。
用を足しながら、そんなことを考えていた。

しかし、トイレから戻った俺を待っていた光景は、おれの皮算用を根底から覆すものであったのだった。

594: 2006/07/29(土) 16:55:05.39 ID:5eh6QRC00
「ツモ!」

戻ってきた俺が見たものは、ハルヒが力一杯牌を叩きつけている光景だった。

「キョン!どこ言ってたのよ!?私のアガリの時くらい、ちゃんと見てなさいよね。」

よしよし、どうせいつものリーヅモのみの1000オールなんだろうが、4000点差を縮めたことは大いに評価してやろう。その調子で、1本場も、もう少し頑張ってくれよ。

「馬鹿ね、そんなチャチなアガリじゃないわよ。」

ハルヒは牌を倒した。

「リーヅモ、トイトイ、3暗刻、6000オールよ、6000オール。」

その瞬間―
場の空気が、凍った。

595: 2006/07/29(土) 16:55:23.34 ID:5eh6QRC00
―お前、それは――!

「涼宮さん、それ役満・四暗刻で16000オールです。」

俺が言いたかったのに。古泉。

「僕が飛んで終了ですが、こちらはまあ我々の勝利なので、良しとしましょう。」



こうして、ハルヒたちの卓は、

ハルヒ:49300
古泉 :-3700
相手A:25200
相手B:29200

という結果で、順位点も含めると、俺たちは、実に16200点のリードをもらったことになる。役満ツモっといてそれは少なすぎる気もしないではないが。

さて、こちらも後2局、リードも貰ったことだし、さくっと流して終わるぞ、長門。
流れが変わってしまったのは、恐らく間に時間を置いた、この時だったんだろう。
出来ることなら、この時間に戻りたい。
このとき俺は、この楽勝ムードに、この勝負で賭かっているものの大きさを、すっかり忘れてしまっていた。

596: 2006/07/29(土) 16:55:42.43 ID:5eh6QRC00
勝負再開。
南3局。長門の親のこの局に、俺はかなり満足のいく配牌を貰った。なんだこれ。

①①①④⑤2223456發 {ドラ①}

ダブリーまであるイーシャンテン。リーチをかければ満貫確定である。しかも最高形ならば、5面待ち。とどめのとどめのとどめの一撃だ。

―しかし―

くそっ!

違う!お前なんかじゃない!

・・・まあそんなうまくいくはずも無く、俺は7順連続でマンズやら字牌やらを引き当て、少しイライラしていたのもあったのだろう。ツモ切った中が下家に鳴かれたことなど、気にも留めていなかった。

そして、8順目。

①①①④⑤2223456發 ツモ:⑥

念願の⑥を引き当てることに成功。
俺は有無を言わず、發を切ってリーチを宣言した。

「ポン。」

下家は俺が牌を置くよりも早く、ポンを宣言し俺が捨てた發を奪い取った。
長門の表情が、凍りついた。
しまった!今になって俺はようやく気付いた。
もしこの時、俺にもう少しの慎重さと、自制心が在ったならば、あんな事にはならなかったのだろう。

597: 2006/07/29(土) 16:55:58.54 ID:5eh6QRC00
「・・・どうした?お前のツモ番だぜ。」

怖い。俺はツモった牌の絵柄を見ずに、そっとその絵柄を親指で撫でてみた。
麻雀の上級者ともなれば、点字のように、表面をなぞっただけで、その絵柄が分かるという。これを盲牌という。
もちろん俺は、上級者ではないし、盲牌など出来はしない。
ただ、一つの牌を除いては。
そして、俺にはその牌が「それ」であることは、直ぐに分かってしまった。



俺は、叩きつけるように、その牌を河に置いた。
そして、下家の手牌が、開かれた。

「ロン!役満・大三元!32000!」

俺は、大馬鹿だ。

598: 2006/07/29(土) 16:57:17.15 ID:5eh6QRC00
第3部終了。
ちょっと麻雀分からんときつかったかな?反省している。
現在クライマックス執筆中。

672: 2006/07/29(土) 19:25:30.45 ID:5eh6QRC00
「コラ!バカキョン!何やってんの!!負けたら氏刑よ!氏刑!」

後ろでハルヒが騒いでいる。果たしてハルヒはこの状況が如何に絶望的かを理解しているのだろうか。さっきみたいなことがまた起こるとでも思っているのか、コイツは。


今は、オーラス。
状況を大雑把ではあるが整理してみる。
俺の大ポカのおかげで、素点では大幅に差をつけられてしまった。

現在の得点は:
俺  : 2300
長門 :26100
下家 :53500
上家 :18100

結局のところ、この状況を逆転するには、
・1位を取り、順位点を叩く。
・素点の大きいアガリをする
の2択しかなく、つまるところ俺は役満をツモるか3倍満を直撃する位しか、道は残されておらず、長門もまた、下家からの倍満直撃か、3倍満以上をツモるしかないのである。
しかも、親は上家。これをたった一局で、だ。
やるしかない。
俺は意を決して、配牌を空けた―

673: 2006/07/29(土) 19:25:51.74 ID:5eh6QRC00
24589一五七八③⑤東西 ドラ:發

こんな手で、何をしろと言うんだ?俺は絶望した。スマン、世界。そしてハルヒ。

「負けたら氏刑よ!し・け・い!」

ああ、もっと詰ってくれ。今すぐ氏刑にしてくれ。どの道、おれはもう直ぐ世界中の生命を絶滅させた史上最大の凶悪犯さ。

(ちらっ)

長門、お前も俺を軽蔑するのか。そりゃそうだよな。

タンッ

長門は俺の目を見てから、意を決したように第1打に赤⑤を切り出した。

長門、お前・・・
長門の目には、まだ光が宿っていた。

-国士無双-

長門の狙いは明らかであった。
・・・スマンな、長門、いつも頼ってばっかりで。
俺は救助を待つ難民のような気持ちで、何とか振り込まないことだけを念頭に、ゲームを進めようと決意した。
・・・お前に任せた。頼むぞ。

674: 2006/07/29(土) 19:26:13.45 ID:5eh6QRC00
この局、俺らにとって幸いだったのは、相手の手の進行が、遅かったことであろう。
長門、急いでくれ!!

6順目。長門はまだ、手から不要な牌を切っている。

1筒。9筒。1万、9万、1索、9索。白。發。中。東。南。西。北。

長門の命とも言える、その1つ1つが河に放たれたり、俺の手に来るたびに、俺の胸は締め付けられそうになる。
一体、お前に足りない牌は何なんだ?


残り、8順。長門の手から遂に1筒が出てきた。もう少しだろう。
そして残り2順。長門はツモった牌を手に入れると、手から西を1枚切った。

長門が一瞬こちらを見る。
その目を見て、俺は確信した。

―張った―!!!

676: 2006/07/29(土) 19:26:45.14 ID:5eh6QRC00
残り、2順。この間に、長門が最後のパズルの1ピースを引けるかどうかで、世界の命運が決まってしまう。さて、俺に出来ることは何なんだろう?何も無いな。後は俺は、ただそれを見守るだけさ。そう思って、俺は牌をツモろうとした。
・・・ちょっと待て、あるじゃねえか。長門のためにしてやれること。
長門のツモ回数を、1回でも多くすること。

「チー。」

俺は残り少なくなった牌山に伸ばした手を引っ込め、上家の切った牌を鳴いた。後1回だ。後1回鳴けば、長門のツモは1回多くなる。
長門、ツモってくれ。

タンッ

長門の手から3筒が放たれた。

ちっ・・・
仕方ない。上家、頼んだぞ。

俺の狙いに気付いた上家は熟考の末、俺の現物の2索を切った。

「チー!」

俺も必氏だ。出来面子を崩して、長門のツモに賭ける事にした。
これで、俺のすべき事は終わった。
長門のツモは後、2回。
長門!ツモってくれ!
しかし、俺の祈りも空しく、長門の手から放たれたのは、またもや西であり、長かったこの勝負も、いよいよ残り1順となった。
そして、ここで俺は知る事になる。いかに自分は役立たずであるかを。
さっきの自分の気配りが、いかに余計なものであったのかを。

678: 2006/07/29(土) 19:28:10.96 ID:5eh6QRC00
最終順目。

俺の上家は、ほっとした様に、西を合わせ打つ。
畜生、降りやがって。どうすりゃ良いんだよ。くそっ。
何も出来ない俺は、3順振りに、本来、俺が鳴かなければ、長門の最後のものであったはずの牌を先ほどと同じように撫でてみた俺は、絶句した。このときの牌の感触を、俺は一生忘れはしないだろう。

そこにいたのは、世界の崩壊を示すサイン、
すなわち、場に、2枚切れ、表示牌に1枚使われの、最後の長門のアガリ牌。
4枚目の白であった。


俺は、なんて役立たずなんだろう。

828: 2006/07/29(土) 21:57:22.43 ID:5eh6QRC00

バカ、アホ、ドジ。氏ね。そんな罵倒の言葉で済むなら、幾らでも言ってくれ。
殴ってすむのなら、幾らでも殴ってくれ。
俺は、世界と、ハルヒを守れなかった。
長門と、古泉と、ハルヒの頑張りに、答えることが出来なかった。

その後のことを少しだけ語ろう。
ハルヒはあいつ等に連れて行かれ、三日三晩、奴等の相手をさせられた後、
路上でボロボロになっている姿で、発見された。昏睡状態から回復したハルヒは、病院で、遺体となって発見された。地球に突如現れた隕石が衝突する、その一週間前であった。


・・・ってな事にでもなるのだろうか。これから。

829: 2006/07/29(土) 21:57:58.80 ID:5eh6QRC00
これからのことを考え、気付くと俺は4枚目の白を伏せ、代わりの切る牌を持ったまま、手を震わせて、すっかり固まってしまっていた。

この牌を切ったとき、全ては終わってしまう。

すまない。みんな、本当にすまない。
長門、ごめんな。

(にこっ)

長門は、笑っていた。

「切って。」

「しかし・・・」

「早く」

どういうことだ?混乱した俺は言われるがままに手にした七万を切った。

830: 2006/07/29(土) 21:58:33.40 ID:5eh6QRC00
「終わりだな。白か東だろ?この状況で国士なんざ、ツモれる訳ねえ。」

下家がニヤニヤしながら七万を切る。ツモれるだと?可能性があったらどれだけ良かったことか。もう、白は山には無いんだ。


ハイテイ。気がつくと、長門の後ろには、店の客全員が張り付いていた。
美少女が打ってるだけでもアレなのに、更に役満のハイテイなんて、注目されないほうがおかしいからな。本当は世界の危機だなんて、こいつらが知る由もないだろうが。
長門は、ゆっくりと山に手を伸ばし、さっきの俺のように、牌の絵柄も見ずに、親指で、盲牌をした。


長門の動きが、親指を残して、止まっている。まるで受験に失敗した受験生が何度も何度も自分の番号を確認するように、何度も、何度もその牌をなぞった。


「どうした?見る勇気もないのか?なら俺が―」


「いい。」
「私たちの勝ち。」

男が長門の牌を見ようとしたその時。長門はその牌を、自分の元に叩き付けた。
俺は目を疑った。

832: 2006/07/29(土) 21:58:57.86 ID:5eh6QRC00
「ツモ。役満・国士無双。8000-16000。ラスト。」


あるはずの無い、五枚目の白が、其処にはあった。
一体何故?場から拾った形跡もないし、俺の手牌にももちろん白は偉そうに存在している。別に卓下に手を伸ばして、持ち込んだ牌とすりかえた訳でもない。
何故だ?そんなことはどうでも良い。
ハルヒは、救われた。その事実だけで、十分じゃないか。


俺は黙って、手を伏せ、こっそりと、さっきの白をポケットに入れた。

833: 2006/07/29(土) 21:59:19.88 ID:5eh6QRC00
「有希~っ!!」
「さっすが、あたしが見込んだSOS団団員ね。」


「ふえーん。長門さん・・・よかった・・・」


「いい」


「も~水臭いわね~!よし!今日は戦利品で有希の為に鍋やりましょう!」


(こくん)
ハルヒにもみくちゃにされ朝比奈さんに抱きつかれ、ちょっと髪の乱れた長門は、意外とまんざらでもなさそうだった。

834: 2006/07/29(土) 22:00:20.78 ID:5eh6QRC00
「長門、助かったよ。」
正直、何がなんだかよく分からんが。


「いい。」
「貴方のおかげ。」


俺の?
まてまてまて、俺はお前の足なら存分に引っ張らせてもらったが、お前を助けた覚えは無いぞ。


「最後のあなたのツモ。わたしは最後の白がどこにあるかを把握できなければ、あの手はアガれなかった。」


だが、俺が下手に気をきかせて鳴いたりしなければ、お前は普通にツモアガリできたんだぞ。


「それは確率の問題。仕方が無い」
「ありがとう。」


こちらこそ。

835: 2006/07/29(土) 22:00:40.26 ID:5eh6QRC00
「あ!ちょっとあんたたち!」


「ひっ!」


「別に謝んなくてもいいけどさ、あたしたちのほうが強いってわかったんでしょうから。」
「でもね。」
「約束のものは、置いていきなさいよね。」



「ふざけんな!納得いかねえ!」

そんな下家を止めたのは、やっぱり上家のやつだった。

「おい、止めろ。俺たちの負けだ。」

気がつくと、俺たちの後ろには、さっき長門の後ろで見ていたギャラリー全員が立って、四人組を睨んでいた。

「クソ!覚えとけよ!」

「いつでも相手になるわ!」

そういって、やつらは金を置いて、とっとと退散してしまった。

837: 2006/07/29(土) 22:01:08.77 ID:5eh6QRC00
それからが大変だった。
客、店員両方に気に入られちやほやされたハルヒたちは、結局、フリーで打つことになり、点5という、俺たち高校生にしては破格のレートで、ハルヒは2万、朝比奈さんは1万ほど戦利金を消耗した。やれやれ。

他の3人はといえば、長門は疲れたのか、熟睡してしまい、俺と古泉はハルヒたちが終わるまで「あの」卓で2人麻雀をやっていた。


「しかし妙ですね。」


「ああ、そういやお前だけは俺の後ろで見てたっけ。」


「そうです。あの5枚目の白は一体―」
「あ。ツモです・・・ん?」

838: 2006/07/29(土) 22:01:25.31 ID:5eh6QRC00
「どうした古泉?符がわからんのか?」


「いえ、この白、なんか立体的というか、その、表面が、抉れている気が・・・」


俺たちは顔を見合わせ、その後、隣で熟睡している長門の方を見た。


「・・・クー、クー・・・クシュン!!・・・・クー・・・」


今くしゃみしたぞ、こいつ。


「・・・クスッ」
クックック・・・あ~っはっは!


長門、お前は本当に、大したやつだよ。

839: 2006/07/29(土) 22:01:49.24 ID:5eh6QRC00
一週間後

残った七万で、俺たちは部室にクーラーを買って、今日も麻雀をしている。
あの一軒以来、すっかり麻雀にハマってしまったハルヒは今度は地元の大会に出ると言い出し、今は、その練習というわけだ。

「あ!それロン!リーチトイトイ3暗刻!満貫、8000!出上がりだと役満じゃないのが残念ね。」


お、やられたな。お前も、少しは勉強したんだな。


「ふふん。まあね。」


「・・・ん?」

840: 2006/07/29(土) 22:02:06.94 ID:5eh6QRC00
どうした?


「キョン、ゴメ~ン!純チャンもあったわ。倍満で16000ね。」


お前、それは―


「涼宮さん、それ役満・清老頭それに1本場で32300です。」


・・・うん。だめだな、こりゃ。
親指に絆創膏を巻いた長門とともに、俺は大きく溜息をついた。

ナガト~彼方から来た天才~(仮) 完

841: 2006/07/29(土) 22:04:31.59 ID:wlH2U1lz0
GJ
しかし最後までトリックがわからない俺がいる

引用: ハルヒ「ちょっと キョン!あたしのプリン食べたでしょ!」