151:10月8日、曇りのち雨 後編 2006/08/13(日) 23:08:28.63 ID:dFwNzeqg0


【涼宮ハルヒの憂鬱】10月8日、曇りのち雨【前編】

あらすじ産業

………あたしは、キョンが好きなんだ。
まず明日は…そーね。アイツの家に押しかけよう。
覚悟してなさい、キョンっ!

涼宮ハルヒの劇場 「涼宮ハルヒ」シリーズ (角川スニーカー文庫)

152: 2006/08/13(日) 23:10:16.09 ID:dFwNzeqg0

「……ぇ……起き……さいよ……」

寝ぼけた頭の中に誰かの声が聞こえてくる。

「…んぁー…? …あと…5分だけ寝かせてくれ……昨夜遅かったんだ……」

「あたしだって遅かったわよ」

「…そーなのかー…夜更かしは…いかんぞー…」

「コ、コイツ…誰と勘違いしてるワケ!?」

…今日は妹がうるさいな……。なんだかキンキンした声で……


ってちょっと待て。妹は病院だろ。

「起きないと…」

誰かがベットの上に乗って来た。
ソイツは俺の耳元に、冷たい声でそっと呟く。


「氏刑よ」


ハルヒ!?

「おま!? なんでここにっ!? って、ちょ、うわっ!!」

155: 2006/08/13(日) 23:11:13.42 ID:dFwNzeqg0

ドスッ


「…あんた、朝から何やってんの?」

俺はベッドからズリ落ちていた。
というか慌てすぎて転げ落ちた。

…腰が痛ぇ。

「ハルヒ!? お前、人の家で何やってるんだ!?」

見ればハルヒはキッチリと制服を着込み、いざ学校というスタイルだ。
ハルヒと、俺と、俺の部屋。
…なんだこのアンバランス加減は。

「何って、あんたを起こしてやったんじゃない。ありがたく思いなさい?」

「…朝から不法侵入とは将来盗賊にでもなるのか。末は忍者か」

いしのなかに いなきゃいいがな。

「不法侵入とは失礼ね。ちゃんと入れてもらったわよ」

「って誰に」

「あんたのお父さん。お母さんは妹ちゃんに付いて病院なんですって?」

156: 2006/08/13(日) 23:12:08.70 ID:dFwNzeqg0


………朝から頭が痛い。
俺は親父にどんな説明をすればいいというのだ。
というか親父も、こんな訳の分からないトンデモ娘を家に入れるな。

「…そもそも、お前、なんで俺の家の場所知ってるんだ」

「谷口に電話で聞いたのよ。あっさり教えてくれたわ」

ハルヒが自慢気に答える。
………頭の痛みが更にひどくなった。つか、激痛だ。
今日はなるべく谷口に会いたくない。
無理だろうが。

「勘弁…してくれ…」

俺は一瞬で海よりも深く、山よりも高く鬱った。

「で? 例のモノはドコ?」

俺が頭を抱えてベッドに突っ伏すも、ハルヒは容赦なく自分の意見を押し付けて来る。

誰かコイツに常識を教えるヤツは居なかったのか。
…いや、居たんだよな。きっと居たハズだ。
このままじゃいかんと何度もハルヒを更正させようとしたハズだ。
だが、残念ながらハルヒが全く聞こうとしなかった。そうだろ? そういう事だろ?
分かる、分かるぞ、その気持ち。今、正に俺がそんな気持ちだ。

158: 2006/08/13(日) 23:13:15.61 ID:dFwNzeqg0

「例のモノってなんだ…?」

「だから誕生日プレゼントに決まってるじゃない! あんた昨日のコトも忘れちゃったワケ?」

おい。
コイツは朝から自分へのプレゼントをせしめるために人の家まで乗り込んできたのか。
ゆうしゃだな。マジで。俺の家にちいさなメダルは隠して無いと思ったが。

「カバンの中だ。勝手に持ってけ…」

「ふーん。これね?」

ハルヒは机の上に置いてあった俺のカバンを手に取り、その中身をベッドにぶちまけた。

…俺は本気で友人を間違ったのかも知れん。
人の家に上がりこんで来たかと思ったら、人のベッドに人のカバンの中身ぶちまけてんですよ?
いや、ホントに。なんだこれ。おい。

「あったっ! これねっ?」

そーだろーさ、そーだろーさ。
お前は数Ⅰの教科書がプレゼントに欲しいのか。
いくらでもくれてやるぞ。なんなら世界史A 改訂版 学習ノートもセットでプレゼントしよう。

159: 2006/08/13(日) 23:14:03.76 ID:dFwNzeqg0

「ふっふーん、どれどれー?」

ハルヒはアクセサリー屋の袋を乱暴に開けると、中から小さな箱を取り出す。

「なんか…ちっちゃいわね…」

お前は「したきりすずめ」なら間違いなく妖怪つづらを選ぶタイプだな。

「文句なら中身を見てから言ってくれ…」

俺の言葉にハルヒがそれを開けた。

「…へぇー…ペンダント、ね。いいじゃない、なかなか!」

ハルヒは中身を摘みあげると、それを日の光にかざした。
ペンダントトップが鈍い光沢を放つ。

「これ、誰の趣味? みくるちゃん? それとも鶴屋さん?」

俺が選んだとは思わんのか。

「俺が自ら選んでやったんだ。ありがたいと思え」

「キョンが? …ふーん」

俺の言葉を聞いたハルヒは、じっとペンダントを眺めていた。
反射した光がハルヒの顔を照らす。

160: 2006/08/13(日) 23:15:21.88 ID:dFwNzeqg0
って、いつの間にかカーテンも全開になってやがる。
コイツはホントにこれを受け取るためだけに来たのか?
いくら暴走特急・涼宮ハルヒと言えど、線路の無い所を走るのはどーかと思うぞ。

「…ねぇ、キョン。あんたこれ、付けなさいよ」

ハルヒは俺を見下ろすとそう言った。

「…自分で付ければいいだろ」

「これはあんたからのプレゼントでしょ? だったらあんたが付けるのが当然じゃない! それが贈る側の義務ってもんだわ!」

ハルヒの理屈は常に全く意味が分からん。
そうして。ハルヒがそういう訳の分からん理屈を振り回す時は、反論しても無駄という事を身をもって知っていた。
…やれやれ。

「…ほら、寄越せ」

俺は立ち上がり、ハルヒからペンダントを受け取る。

「ん。お願い」

首を少し前に傾けるハルヒ。
俺はペンダントのチェーンを外し、ハルヒの首に腕を回した。
…って、無駄に接近するな、これ。

…というかアレだ。
はたから見れば俺がハルヒを抱きしめてるように見えないか?

…無いか。無いな。

161: 2006/08/13(日) 23:16:11.47 ID:dFwNzeqg0

「…中々難しいな」

ハルヒに接近しすぎ無いようにすると、手元の感覚がよく分からなかった。
チェーン同士は触れ合っているのだが、噛み合わせがうまくいかない。

「あ、髪、邪魔?」

ハルヒが両手で髪をふわっと上げた。

「別に髪はそんなに邪魔って訳でも無いんだ…が…」

俺がふとハルヒを見やると、思った以上に接近していた。
ハルヒが上目遣いに俺を見ている。
自然とその唇に視線が行った。

…って俺は朝から何を考えているんだ。
集中だ、集中。

「ねぇ、キョン…」

「な、なんだ?」

「…あんた昔、あたしが髪上げてた時、似合ってるぞ、とか恥ずかしいコト言ってたわね」

「…言ったかも知れんな」

「…そ」

急に何を言い出してるんだコイツは。髪を上げてたから、思い出したのか?

162: 2006/08/13(日) 23:17:23.60 ID:dFwNzeqg0


そうしてしばらくカチャカチャやっていたが、ようやくチェーンがはまった。

「…出来たぞ」

ふー…無駄に疲れた。
ハルヒは髪をサッと整えると、自分の胸のペンダントを持ち上げてニッと笑う。

「なかなかいいわね、気に入ったわ。あんたにしちゃやるじゃない」

そいつぁどーも。
それじゃあ用事も終わった事だし、さっさと出てってくれるかね。

「じゃ、さっさと着替えなさい」

なんですと。

「ハルヒ、単刀直入に言おう。帰ってくれ」

「なんでココまで来てわざわざ帰んなきゃなんないのよ。一緒に行けばいいじゃない。どーせ、あんただって学校行くんでしょ?」

そりゃそーだが。

163: 2006/08/13(日) 23:18:15.17 ID:dFwNzeqg0

「ほら、早く。後ろ向いててあげるから」

そういうとハルヒは後ろを向いた。
…本気だ。コイツは本気だ。
俺はしょうがなく制服に着替え……って、ねーよ。

「いいから、出て行け。家の前で待ってろ」

「ふん、分かったわよ。出てけばいいんでしょ、バカ」

ハルヒは素敵に意味不明な捨てゼリフを残すと俺の部屋から出て行った。
…さも、ここがお前の家かのような振る舞いだな。
つーか、アイツ、結局何しに来たんだ…。

俺は親父への言い訳を考えながら制服に着替えた。



164: 2006/08/13(日) 23:19:32.57 ID:dFwNzeqg0
「遅い。」

俺が玄関から出ると、ハルヒが相変わらず偉そうに腕を組んで待っていた。
…先に行ってりゃいいものを。

「知らん。いきなり人の家に押しかけといて遅いは無いだろ」

「待ってろって言ったのはあんたじゃない」

…それもそうだが。

「まぁ、いいわ。寛大なあたしは哀れなドンガメキョンを許してあげる」

俺はどうやら許されたらしい。
嬉しくって涙が出るね。マジで。


「…さっさと行くぞ」

「あ、ちょ、待ちなさいよっ! あんた自転車通学じゃ無かったの?」

「最近ぶっ壊れたんだよ。そのまま修理に出す余裕も無くてな」

「ふーん。…残念ね。今日はラク出来ると思ったのに」

おい。
お前を乗せてあの坂を登らせるつもりだったのか。
それは氏ねって言ってるのと同義だぞ、ハルヒ。

昨日あれだけ雨だった空は。アホみたいに真っ青だった。

165: 2006/08/13(日) 23:20:23.76 ID:dFwNzeqg0



そうして俺達は学校への道を一緒に歩く。
…そういえば通学路をコイツと一緒に歩くのは、あの不機嫌真っ盛りだった時以来だな。

しかし隣のハルヒを見れば、あの時の不機嫌さが嘘のようにニコニコ、もといニヤニヤしていた。
何度も胸元からペンダントを取り出しては眺めている。

…なんか悪いもんでも食ったのか?


「ねぇ、キョン。こんなに天気がいいと手、繋ぎたくならない?」


………突然ハルヒが故障した。
というか、ハルヒは言ってるそばから俺の手を握っていた。

166: 2006/08/13(日) 23:21:11.52 ID:dFwNzeqg0

「…何の真似だ」

辺りにはすでに北高の生徒が何人か居る。
こんな所見られたら、どんなウワサ立てられるか分かったもんじゃないぞ。

「何よ、こんな可愛いコと手繋いで一緒に登校出来るのよ? ありがたいと思わないの?」

「可愛いとか可愛くないとか、
 ありがたいとかありがたくないとかいう話じゃない。
 ハルヒ、気をしっかり持て。」

「…ふん。つまんないヤツね」

ハルヒはそう呟くと俺の手を離した。
…その表情が寂しそうに見えたのは明らかに俺の勘違いだろう。勘違いなハズだ。
あのハルヒが寂しそうて。
笑えるどころか、むしろ笑いどころが分からん。



167: 2006/08/13(日) 23:22:15.87 ID:dFwNzeqg0



そうしてようやく長い坂道を上り終え、校門に差し掛かった頃。辺りに陽気な声が響いた。

「おっ、キョン君、ハルにゃん、おっはよぅさーん!」

鶴屋さんだ。
パタパタと駆け寄って来る。

「鶴屋さん、おはようございます。…よくここで会いますね」

しかも毎度、ハルヒと一緒の時に。

「だんね、登校する時間が一緒なのかも。…そっれにしても、今日はご夫婦仲良く登校ですかなー?」

鶴屋さんが俺とハルヒを交互に見て、にっしっしと笑う。

「えーとですね、鶴屋さん。あまり不穏な発言は止めていただきた―――」

「ちょっと鶴屋さん聞いてくれるっ!?」

…えぇい、かぶってくるな、ハルヒよ。
というかお前は今の話を聞いて無かったのか。

「ぅおぅっ。きょ、今日のハルにゃんはめがっさ燃えてんね…」

確かに。今日のハルヒはやたら元気だ。無駄に。
鶴屋さんが軽く引いてるじゃないか。

168: 2006/08/13(日) 23:23:08.46 ID:dFwNzeqg0

「さっきコイツと手繋いであげたの。そしたら普通喜ぶでしょ? でもコイツったら嫌がったのよ? おかしいと思わない!?」

人を指差すな。
つか、お前は公道で何をホザいているんだ。
…えぇい、こっちをチラチラ見るな、学生ども。って俺もだが。



「ほっほーぅ…これは…来ましたなぁ」

「えぇ…来ましたね」

鶴屋さんの発言に呼応するように、突然真後ろから声が聞こえた。
かと思えば俺の肩に手が置かれる。

「って古泉!?」

驚いて振り向いたその先、そこにはいつもの爽やかスマイル古泉一樹が居た。

「皆さん、おはようございます」

「…お前、いつから居たんだ?」

「キョン君、ハルにゃん、おっはようさーんの辺りからですね」

ド頭からじゃねぇかよ。
つーか、お前がハルにゃん言うな。おぞましい。

169: 2006/08/13(日) 23:24:06.00 ID:dFwNzeqg0

「おっはよ。ねぇねぇ、古泉君もそう思うかい?」

「えぇ、そう思います」

鶴屋さんと古泉は頷き合うと、ニヤニヤとこちらを見てきた。
…二人してなんなんだ。その生あったかい視線は。

…1対2じゃ分が悪い。
助けを求めハルヒを見れば、ハルヒは手を顎に当て、しきりに何かを考えているようだった。

「おい、ハルヒ、お前も何か―――」

「キョンって…ゲOなのかしら…」

お前はお前で何をのたまわっているんだ。


…もー知らん。

170: 2006/08/13(日) 23:25:44.72 ID:dFwNzeqg0


俺は呆れ半分、やるせなさ半分で校舎に足を向けた。

「あっ、ちょっと待ちなさいよっ!」

ハルヒが追いかけてくる。


「春ですなぁ…」

「春ですねぇ…」

最後に見た鶴屋さんと古泉は、まだしみじみと頷き合っていた。
どう見ても秋です。ありがとうございました。







「キョ、キョンっ!」

昇降口に入った途端、俺を呼ぶ声が聞こえた。
…今度はお前か、谷口。
来るだろうとは思っていたが。

171: 2006/08/13(日) 23:26:50.65 ID:dFwNzeqg0

「お前、どういう事だっ?」

「妹なら無事だぞ。昨日メール返しただろ」

「いや、それは何よりだったが…それより、今朝の電話だっ!」

どうでもいいがツバ飛んでるんだが。
ハルヒといい、谷口といい、朝から元気な奴ばっかりだな。

「あ、谷口。今朝はご苦労だったわね」

そのハルヒが追い付き、昇降口に姿を現す。
ナチュラルに偉そうだ。

「す、涼宮…!」

谷口はハルヒの姿を確認すると、たたらを踏んだ。
…どうでもいいがビビりすぎだぞ、谷口。
もうすっかりハルヒ恐怖症だな。

「ちょ、ちょっとキョンを借りてくぞ…!?」

無駄にチカラ入りすぎだから。

「ん? いいけど、ちゃんと後で返しなさいよ?」

俺はいつからハルヒの所有物になったんだ?
いや、マジで。

172: 2006/08/13(日) 23:27:51.80 ID:dFwNzeqg0



「それで、どういう事だっ!?」

「質問の意図がさっぱりだ」

というか谷口、声がデカいぞ。
わざわざ人目の付かない場所に来ている意味が全く無いんじゃないか。

「あ、そうか…。…いや、だな。実は今朝、オレの携帯に涼宮から電話があって叩き起こされた」

だろうさ。だろうな。

「で、だ。お前の家への道順をこと細かく聞かれた。しかも朝5時にだ」

不憫な。

「これはどういう事だ? それに…見た感じ今日は涼宮と一緒に登校してきてるみたいに見えたが…」
先手谷口、中々鋭い観察眼。

「ハルヒとは、さっきそこで偶然会っただけだ」
後手俺、あっさり嘘。

「そ、そうか…」
先手谷口、あっさり騙される。

「まぁハルヒの奇行は今に始まった事じゃないだろ」
後手俺、一般論。

173: 2006/08/13(日) 23:28:32.18 ID:dFwNzeqg0

「言われてみればそうだな…」
先手谷口、ちょっと可哀想になってきた。

「そういう訳だ。授業中にでもたっぷり寝るんだな」
後手俺、教室行き王手。

「…ちょ、ちょっと待てキョン! 一つだけ聞かせろ!」
先手谷口、待った。

「何だ?」
後手俺、様子見。

「その…涼宮とは…ヤったのか?」
先手谷口、………埋めるぞ。

つか、

「埋めるぞ」
後手俺。埋める。



後日、谷口は地下11階にてオヤジ戦車にチクチクいじめられている所を助け出された。

嘘だが。

174: 2006/08/13(日) 23:29:09.91 ID:dFwNzeqg0


谷口との会話じゃないが、確かにその日のハルヒの奇行っぷりはハンパ無かった。
メシ時、休み時間、部活中と、何かと俺に寄って来て…なんというか。懐いている感じだ。

古泉は古泉で四六時中、俺とハルヒを生暖かい目で見てくる。
朝比奈さんは、そんなハルヒに驚きながらも新作である紅茶を淹れてくれた。ハルヒのカップだけやたら豪華なのは仕方なかろう。
長門は…いつもと変わらない。もしかしたら変わらないから長門なのかも知れん。

どうでもいいが、ハルヒ。
明日になったら故障は直ってるんだろうな?
頼むぞ、ガチで。超ガチで。

175: 2006/08/13(日) 23:29:50.34 ID:dFwNzeqg0



Θ 10月9日、雲ひとつない晴天 Θ


今日は朝からキョンの家に出向いてみた。
寝起きのキョンは思ったとおりボケボケ。
あたしの事、誰と間違えてたのかしら。
…妹ちゃん?

そこでキョンから一日遅れのプレゼントをもらった。
シンプルなデザインのペンダント。

やっぱり、嬉しかった。
誰かに相談したのかと思ったけど、一人で考えたみたい。
かなり可愛かったし、一目で気に入ってしまった。
なによりキョンが選んだってトコが嬉しい。
あのバカにもセンスとかあったのね。意外だけど。

肌身離さず身に付ける事にしよう。
キョンが側に居てくれる気がするから。
今もあたしの胸元で揺れている。

176: 2006/08/13(日) 23:30:39.73 ID:dFwNzeqg0

でも、付けてもらった時、キョンのヤツ、明らかに照れてた。
ちょっと至近距離になっただけであんなに照れるなんて、やっぱりあたしのコト好きなんじゃない。

…あたしが髪を上げてた時、あたしの唇を見てた。
…キスのコト、思い出してたの?

…ポニーテール萌え、か。
そーね。明日はそうしてあげよう。



でも許せなかったのは、せっかくこのあたしが手を繋いでやったってのにイヤがったって事。
本当に信じらんないわ!

もしかして本当にゲOなの?
ううん、いいわ、例えゲOだって。
そんなのあたしが直してあげればいいんじゃない!

…ってゆーか、ちょっと待って。
…ゲOって不思議で面白いかも知れない!

あ、でも、キョンがゲOのままだとあたしと付き合うってのは無理なのよね…
難しい問題。

相手は…やっぱり古泉君?

177: 2006/08/13(日) 23:32:36.44 ID:dFwNzeqg0
ハルヒの故障は一過性のものだと思ったが、それはどうやら誤りだったらしい。
翌日になっても、その翌日になってもハルヒの故障は直らなかった。
何かあると俺に構い、無駄にテンションが高い。
最近ではよく髪を上げている。中途半端に。
…俺がポニーテール萌えだって言ったからか?
…まさかな。

周りも始めはハルヒの変わりっぷりにずいぶん戸惑っていたが、一週間もすれば慣れたらしい。
…俺は未だに慣れん事もあるが。

あのハルヒが、お弁当でも作って来てあげようか、とおっしゃったんだぜ?
毒入りか、さもなきゃ針でも入ってるのかと。

そうしてそのブッチギレっぷりは妹の病院。
その見舞いに皆で行った時、遺憾なく発揮された。
















ガラララッ


「やっほー、妹ちゃん、元気してる?」

「あー、ハルにゃん! みんなも来てくれたの?」

「………無事?」

「妹さん、ほんとに良かったですっ」

「お体の具合は如何ですか?」

今日は学校が終わった後、皆で妹の病院に見舞いに来ていた。

ハルヒが、
「今日の部活は市内の病院探索とします!」
と言い切ったからだ。
俺に気を遣ってくれたのかも知れん。
そもそも病院など探索した所で出てくるのは病人と怪我人と尿瓶くらいのものだ。
ハルヒが熱烈な尿瓶愛好家で無い限りは、やっぱり俺に気を遣ってくれたんだろうな。
…ハルヒもそんな気の遣い方が出来るんだなと驚いたのは内緒だが。





「ねぇねぇ、ハルにゃん」

「ん? なに?」

「この間はおたんじょうびおめでとっ。それと、あの時はありがとねっ!」

「…ヘ? こ、こちらこそありがとう…。…ってなんであたしがお礼言われてるワケ?」

なんてくだりもありつつ和気藹々と過ごしていたら、その内に看護婦さんが食事が持ってきてくれた。
病院の晩飯ってのはやたら早い。
それを受け取ると妹のベッドを起こし、机の上に広げてやる。
妹は渋々といった様子でそれを口に運んでいたが、すぐに箸を置いた。


「なんだ、もう食わないのか?」

「うん…、もういらな~い」

「こんなに残ってるじゃないか。ちゃんと食わないと体も治らないし、大きくなれないぞ?」

妹の経過は順調だった。
頭の包帯と、吊られた足はそのままだったが、日に日に元気を取り戻している。

「だってぇ~、あんまりおいしくないんだもん」

妹が口をヘの字に曲げダダをこねる。
…まぁ病院のメシはマズイのが一種ステータスだからな。

「それは分かるが。頑張って食え。な?」

「ふみゅ~…」


「…うふふっ」

食べさせようとする俺にダダる妹。
そんな俺達の様子に朝比奈さんが笑った。

「キョンくんはお兄ちゃん、ですねっ」

「…えぇ、そりゃまぁ。…これでも10年ほど経験がありまして」

凄い当たり前の事を、凄い微笑ましそうに言われたんだが。
…今、何かおかしかったか?

「う~…じゃあじゃあキョンくん。食べたら、わたしもみくるちゃんみたいになれる?」

「ふ、ふぇっ? わ、わたしみたいに?」

引き合いに出された朝比奈さんが驚く。
妹は明らかに朝比奈さんの胸を見ていた。
…コイツは。

「お前の質問がどういう意味か分からんが、可能性は残されていると言っておこう」

無くは無いよな。
そりゃ今は妹はペッタンコだが、もしかしたらもしかするかも知れん。
希望の芽を摘むのは俺の趣味じゃない。
というか妹の胸が朝比奈さんクラスになったらそれはそれで…

…って俺は何を考えているんだ。
ロリコンは病気です。
ついでに言えばシスコンも病気です。
コンプレックス、イクナイ。

「そーなの? う~ん。じゃあわたし、ちゃんとがんばって食べるねっ」

妹が再び食事を始める。
…あぁ、こぼれてる。こぼれてるから。

ふと病室を見渡せば、長門はいつのまにか病室の長椅子に陣取り、本を広げていた。
長門はどこでだろうと、いつ何時であろうと長門だな。
古泉は妹にせがまれベッドの側の丸椅子に腰掛けている。
…古泉に懐く辺り、妹の将来が多少心配だ。

「あの…、キョンくん。わたしみたいにってどういう意味なんですか?」

とは、朝比奈さんの言。
…どう答えたものか。

「いやぁ、朝比奈さんみたいに優しく豊かな女性になって欲しいという願望ですよ」

俺は嘘はついてないぞ。断じてついていない。
……言葉はちょびっとばかし足りてないかも知れんが。

「ひぇっ!? あ、ありがとうございますぅ…」

朝比奈さんが照れる。
顔を両手で押さえ、いやいやをするように体を揺らしていた。
やっぱりその質量も揺れた。
というか、腕で挟みこまれている状態なので更に強調されている。


プ、プリン・アラモードッ!





「…ねぇ、キョン」

それまでじっと俺達の様子を伺っていたハルヒが話し掛けて来た。

「何だ、ハルヒ」

最近ではハルヒに呼ばれるのもずいぶん慣れた。
くだらない雑用から、理不尽な要求、どうでもいい世間話、全てガシガシ俺に押し付けてくる。
さすがにジュース買って来いという旨を、校内放送まで使って連絡された時には消えてしまいたいと思ったが。

「あんたさ」

「だから何だと言うに」

ハルヒが長門の手を掴んだ。
長門は「何?」と言った表情でハルヒを見上げていたが、ハルヒが立たせようとしているのが分かったのか、本を閉じ、おとなしく立ち上がる。
そうしてハルヒは長門と朝比奈さんを並べると、二人の肩にパシッと手を置いて言った。


「有希とみくるちゃん、どっちが好き?」


「バッ! お、お前! 急に何を言ってやがるっ!?」

「す、涼宮さんっ!?」

「………」


なんなんだコイツは急に。
ちょっとおとなしかったと思ったら突然これか。
付いていけん。
…付いていきたいと思った事も無いが。

「ほほぅ。それは僕も興味がありますね」

古泉、どうでもいいがそのねっとりとした視線を止めてくれ。スライム古泉って呼ぶぞ。

「だから、単純な事よ。有希とみくるちゃん、どっちがあんたの好みなワケ?」

「そ、そんな事お前に関係ないだろっ?」

「いいから答えなさいよっ! 簡単でしょ!?」

簡単な訳あるか。
何故、俺がそんな事を公言せねばならんのだ。

「そんな事答える義理はないね。そもそもそんなの二人に失礼だろ」

「そーなの? ねぇ、有希、みくるちゃん。聞きたくない? 聞きたいでしょ? 聞きたいわよね?」

えぇい、その二人に振るな。
そんなの聞きたくないに決まってるだろ。

「えと、えーと…わ、わたしはちょっと…聞いてみたいなー…? なんて…思ったり…」

朝比奈さんがやたらとモジモジしている。
その顔は赤い。
…朝比奈さん、あなたまで俺を追い詰めるのですか。

「でしょ? ほら、有希は?」

長門は普段と変わりなく淡々としていた。
…聞いちゃいないのか?
ただ、その視線はじっと俺を捕らえている。

「…わたしも」

長門が、喋った。

「…興味がある」

…その背中にズオッとオーラが立ち上るのが見えた気がした。



おいおいおいおいちょっと待て。
なんだこの状況は。

「あー、キョンくん、うわきものさんだねっ。どろどろ? ねぇどろどろなの?」

「どうでしょうかねぇ。ここは彼の出方を見守りたい所です」

そこの実況妹と解説古泉、ちょっと黙ってろ。

「えー…と、だな」

なんて答えりゃいいんだ。

「あぁ、もうっ、はっきりしないわねっ! どっちが好きかってだけでしょ!?」

この状況ではっきり出来る奴はお前だけだと思うぞ、ハルヒ。

「じゃあいいわ。10秒あげるからその間に考えなさい。いいわね? じゃいくわよ。10………9………8………」

って勝手にカウントダウンを始めるな。



…長門と朝比奈さん。
どちらも嫌いな訳は無い。

朝比奈さんは萌えキャラであり、何より優しい。
癒し、というべきか。元気を分けてくれる。
もし世界が荒れ果てた荒野だとしても、朝比奈さんが居れば頑張れそうな気さえする。

長門は長門で鉄壁無愛想な奴だが、頼れる奴だ。
それに完璧に見えて抜けてる所もあるからな。
保護欲をかき立てられる時もある。

「7………6………5………」

朝比奈さんを見れば、モジモジしながらもチラチラと俺の方を伺っていた。
…ほんのり染まった頬が可愛らしい。

長門は俺をじっと見ている。俺の顔に穴が開きそうだ。
…そう言えば、命を救ってもらった事もあったな。

「4………3………2………」

というか。
何を俺はマジに考えてるんだ。
こんな質問、答えなんて出る訳ないだろ。
馬鹿馬鹿しい。

「1………0! ほら、キョン、答えなさい!」

「…答えは」

朝比奈さんがコクッとノドを鳴らす。
長門が一度だけ大きくまばたきした。

「答えは!?」

どうでもいいが無駄に声張りすぎだぞ、ハルヒ。
お前はどこの三流司会者だ。
病院なんだからちょっとは静かにしてくれ。

「二人とも、だ」

「はぁ~?」

どうやら俺の答えがハルヒはお気に召さなかったらしい。
大きく口を開け、ぶー垂れると全身で不満を表した。

「何よ、それ。二人とも同じくらい好きって事?」

「あー、もう、そういう事にしといてくれ」

まぁ実際、二人とも仲間ではあるしな。
好きって感情とは違うと思うが。

「うー…この、チキン。チキンキョン」

チキンでもポークでもいいが、そんな質問するお前の方がどうかと思うぞ。


「ねぇ、古泉くん、今の答えって男の人としてどうなのかな?」

「そうですねぇ。典型的なプレイボーイの返答だと思われます」

お前が言うなイケメン。妹もそんな事聞くな。

朝比奈さんを見ればホッとしたような残念なような、そんな表情をしていた。
長門は…いつもと変わらないようでいて、その顔には微妙な違和感を感じた。


「じゃあいいわ! 質問を変えてあげる!」

おい。まだ続くのか。

「今度は有希と妹ちゃん。それだったらどっちが好き?」

…蝶野ハルヒが実況席まで巻き込んだ。

「わ、わたし? どうしよう古泉くん。わたしとキョンくん、兄妹なのにぃ。こまっちゃうよ~」

「いえいえ、愛に決まった形などありません。大丈夫です」

古泉が微笑みながら無駄に優しく妹に囁く。
…古泉、頼むから妹に変な事を吹き込まないでくれ。


「この二人だったら? どっちなの?」

ハルヒが答えを急かす。
何がしたいんだコイツは。

「知らん。答えはさっきと一緒だ」

「くーっ! このミジンコ! ミジンコキョン!」

チキンどころか微生物になってしまった。
進化の系統樹を順調に遡っているな。
末はボルボックスかミトコンドリアか。
……ボルボックス・キョン。
…意外といいかも知れない。





クイクイ

俺がくだらない事を考えていると、そっと俺の制服の裾が引っ張られた。
そちらを見やればそこには長門。

「…血は水よりも濃い」

当然の事を当然のように呟く。

「…肉親を、大切にしてあげて」

その視線が強い。
って、何でお前までマジになってるんだ長門。



「じゃ、じゃあこれが最後の質問よ!」

しかし三流司会者ハルヒは長門の話など聞いちゃいない。
おーおー、ようやく終わりか。
さっさとしてくれ。


「…あ、あたしと古泉君だったら…どっちが好き?」


………真性のアホだ、コイツは。
何で古泉なんだ。
しかも何で照れてんだ。

「えー、どうするの古泉くん、れんあいって男同士でもいいの?」

「えぇ、先程も言いましたが、愛に決まった形などありません。大丈夫です」

全然大丈夫じゃねぇよ。
お前ら、完璧に楽しがってるな。



「なぁこの花、誰が持ってきたんだ?」

ハルヒに構わず聞く俺。

「あ、うん、おかあさんが昨日もって来てくれたの」

答える妹。

「ちょ、ちょっとキョン! 聞きなさいよ!」

キンキンわめくハルヒ。

「そうか。じゃあ水替えて来るわ」

花瓶を手に取る俺。

「あっ、そういう事ならわたしが…」

手伝ってくれようとする朝比奈さん。流石だ。

「いえ、いいんですよ、朝比奈さんは座ってて下さい」

ジェントル・ザ・ボルボックス。

「こらー! キョン! 答えなさーい!」

ギャンギャンわめくゲルググ。

「じゃあな。適当にやっててくれ」


ガラガラガラ


俺は病室から出た。
…それにしても。それにしてもだな。

「何がしたいんだアイツは…」

妹の病室の前で、花瓶を持ちながら妙にくたびれている自分に気付いた。














Д 10月17日、曇り Д


今日は妹ちゃんのお見舞いに行った。
元気そうで何より。
きっとヒマしてるだろうし、またお見舞いに行こう。
でもなんであたしが、お礼言われたんだろ?


そっれにしてもキョンの態度って何であんなにハッキリしないの!?
おっきいのが好きなのか、小さいのが好きなのかって思ったから、みくるちゃんと有希を引き合いに出したのに。
それじゃ答えられないって言うから、ユキと妹ちゃんの二択にしてあげたのに。

バカ。

…キョンはおっきいのと小さいの、どっちが好きなの?
キョンがどっちが好きかによって、鶴屋さんからもらった機械を使うかどーか決まってくるってのに。
ハッキリしなさいよね。
…あたしぐらいが一番好きっていうなら…、それはまぁ…嬉しいんだけど。


でも古泉君とあたし、どっちが好きかって聞いたら慌ててた。
逃げてっちゃったし。
キョンのクセにあたしを無視しようなんて百年早いのよ!

あんなに慌てるって事はホントにゲイなの?
あたしのライバルは古泉君ってコト?
うう~ん…これは強敵かも。


そーね。
今まではちょっと手ぬるかったかも知れない。
明日はもっと強攻策に出よう。

183: 2006/08/13(日) 23:37:36.32 ID:dFwNzeqg0
翌日の放課後。
俺は疲れきっていた。
中庭の木、その木陰に寝っころがり休む。

「はぁー…。しかし…今日のアイツはいったい何なんだ…?」

最近ずっとおかしかったが、今日は特にひどい。
完璧にどこかイカれちまったのか?





今朝、ハルヒは俺の家の玄関どころか、ベッドの中まで侵入してきた。

「さっさと起きないと死刑よ」

それぐらいで死刑にされたら毎朝、葬儀場は大儲けだ。
その後も通学路で手を握ってくる始末。
俺が離そうとすると、肉食獣のような目で睨んできた。

「離したら食い殺す」

その目は雄弁に語っていた。つーか脅していた。
やむなくそのまま登校、教室まで特攻。
クラスメイトからは散々ひやかされ、谷口などはアワを吹きそうだった。

授業中も後ろからビシバシと容赦なくノートの切れ端が飛んでくる。
それに書かれてあったのは、

「好きな食べ物は?」
「どんなコがタイプ?」
「おっきい胸と小さい胸どっちが好き?」

…お前はどこの梨本だ。

昼時になってもハルヒは絶好調故障中。
馬鹿でかい弁当箱を取り出すと、それを俺の机にバンッと叩き付け、

「あんたのために作って来てあげたのよ。ありがたく食べなさい!」

とのお言葉。
教室のひやかしは満員御礼最高潮。
コイツはクラスメイトをジャガイモか何かと思ってるんじゃないだろうな。
第一、そんなにも食えるか。
出来るだけ無理矢理詰め込み、午後の授業は唸る事になった。
…まぁ、美味かったが。
ちなみに針は入っちゃいなかった。

そうしてようやく辿り着いた放課後。
俺は南北国境地域のようなハルヒの監視を抜け出すと、部活をサボり、一人中庭に出ていた。








もしかしたら今もハルヒが腐った死体のように俺を探して校舎をうろつき回っているのかも知れん。
…勘弁してくれ。たまには一人にもなりたい。
その内、俺が男子トイレに居ても特攻して来そうな勢いだ。
……充分ありえそうで恐い。


…それにしてもハルヒか。

…それにしてもハルヒな。


アイツが故障しだしたのは…恐らくアイツの誕生日の次の日から。
その日の朝には俺の部屋を襲撃するという暴挙に出たからな。
…誕生日の夜にも随分と、かましてくれたが。


それに最近たまにハルヒが自分の胸を触っているのを見る。
…いや、性的な意味じゃなく。

胸元をぎゅっと握っている。
制服を握ってる…って訳じゃないだろうな。
…その制服の奥に何が揺れてるんだか。
……俺には全く心当たりが無い。あぁ、これっぽっちも無いね。





「こんな所で一体何をしてるんです? 涼宮さんが部室でお待ちなのでは?」

俺がハルヒイズムを考察していると突然声が降ってきた。
声のする方を見上げれば、そこには古泉。
部室に向かう途中で俺を見かけたのか。

「…お前か古泉。いや、後で行く。ちょっと…休ませてくれ」

俺は起き上がるのも億劫で寝そべったままに答える。

「これはこれは…お疲れですねぇ」

あれだけ追い掛け回されてみろ。
誰だって疲れるぞ。

「…そういえば。聞きましたよ?」

古泉がふっと特上爽やかに笑った。
愉快なのが抑えられないって感じだ。
…コイツがこんな表情の時は大体ロクな話じゃない。

「…何をだ」

「今朝、涼宮さんと仲良く手を繋いで登校なさったそうですね。学校中の噂になっていました」

…是が非でも聞きたくなかった情報だな。
ほらみろ、やっぱりロクな話じゃねぇ。

「どうですか? 今や時の人となってしまった心境は」

どうでもいいが、なんでお前はそんなに楽しそうなんだ古泉。

「…俺は永遠にひっそりとしていたかった」

元々涼宮ハルヒの名は校内に知れ渡っている。
そのとばっちりが俺に来る事は無いと思っていたのだが。
…甘かった。



「僕が言う事では無いのかも知れません。が…そろそろ年貢の納め時、なのでは無いですか?」

俺の頭上の木にもたれかかる古泉。
その葉の隙間からは細く、とても細く陽光が差していた。
絹糸のような光が俺と古泉を淡く照らす。

「…国民年金はまだ払わなくていい年だったと思うが」

「ふふっ。そうではありません。あなたも気付いているのでしょう? 涼宮さんの気持ちに」

…その表情は俺からは見えないが、絶対にニヤついているという確信があった。

「…何に気付いていると言うんだ」

「…おやおや。まぁ…今はいいでしょう。お二人の問題、ですからね」

古泉は肩を竦めると、スッと歩き出す。

「もう行くのか?」

「えぇ、あなたと僕が居ないと、涼宮さんがヤキモキしてしまうかも知れませんから。…それでは」

古泉は軽く右手を上げると颯爽と去っていった。
…なんだそりゃ。







古泉が立ち去った後、俺は古泉の言った意味を考えていた。
…ハルヒの気持ち。
…まぁ、あれだけアプローチというか何というか。
中には訳の分からない行動も沢山あったが、弁当を作ってきたり、手を繋ぎたがったりというのは…アレだろう。
流石に俺でも思い当たる。
でもな、あのハルヒだぞ?
アイツが誰かに惚れる…なんて事があるのか?
しかもその相手が………ってのはな。
天地がひっくり返ってもありえないような気がするが。

「…分かんね」

俺は考えるのも面倒になって、目を瞑る。

…暗闇に。ハルヒの顔が浮かんだ。










…柔らかい。
まず始めに思ったのはそれだ。
ふわふわと頼りなく、それでいて弾力がある。

次に思ったのは暗い。
あまりに暗い。真っ暗だ。
そりゃそうだ。俺は目を瞑っていたらしい。

それに気付いたのは、俺の体が意識の覚醒より早く、自然と目を開けた時。
辺りはすっかり夕暮れに染まっていた。



「……ん……。…寝ち…まってたのか…」

身を起こそうとした時、俺の頭を誰かがそっと抑えた。

「動かないで」

…すぐ頭上から声が聞こえた。
………ハルヒの声にやたら似てるな。

というか…。
ちょっと待て…?

…俺の頭を抑えた?
…なんか…おかしくないか…?

首を動かし頭上を見やると、そこには最近、特に見慣れたハルヒの顔があった。

あー……なんだ…?


「……なぁ、ハルヒ…。ひとつ聞きたいんだが…」

「起きたと思ったらすぐ質問? 一体何よ?」

「…これ、なんだ…?」

「これ? …膝枕の事?」

…そうか。これが伝説に聞く膝枕ってヤツか。
あー…これがなー………





って膝枕だと!?


「ちょ―――!」

「動くなって言ってんでしょ!?」

俺がガバッと体を起こそうとした時、ハルヒが俺の首根っこを真後ろから引っ張った。
起き上がりかけていた俺の体が、反動込みで勢いよく後ろに引き倒される。





ガツッ!


「ぐがっ!」

俺の後頭部にハルヒのヒザにクリーンヒットした。…いや、逆か。
…そんな事よりピヨピヨが見える。つか、痛ぇ。
とりあえず痛ぇ。
ボヤボヤしていた意識が一瞬で完全に凝り固まった。

「…あんた、何やってんの?」

痛みに悶えながらも頭上を見ればハルヒの呆れ顔。
…俺はお前に同じ事を小一時間、問い詰めたい。
この際、吉牛で無くてもいい。すき屋でも松屋でもいいから小一時間、問い詰めたい。

「…ッ…! 痛いんだよ…!」

「そ。あたしはあんまり痛くない。それにあんたが起きようとするから悪いのよ」

いや、全く意味が分からん。
ヒザと後頭部じゃ、その防御力に雲泥の差があるだろ。
その理屈も、マジで全然まったく何にもかもこれっぽっちも意味が分からん。

「そこじゃ硬いでしょ。ほら、もうちょっとこっち、来なさいよ」

痛がる俺を全く気にせず、ハルヒが俺の体をずり上げようとする。
かくして正座を崩した格好のハルヒのふとももに、俺の後頭部が納まった。
さっきヒザをもらった所がそっと包まれる感じだ。

…くそっ、暖かい。





「あー…ハルヒよ」

「また質問? 一回で終わらせなさいよ。今度は何?」

「どこから聞いたらいいのか分からんのだが。動くなと言うならとりあえず教えてくれ」

「だから何?」

「なんなんだ、この状況は」

中庭×夕焼け×膝枕。

確かに憧れた状況ではある。
けれどその相手は黒髪ロング・ポニーテールのおしとやかなお嬢様だったハズだ。
…今時、そんなヤツ居ないか。

「ココに来たらあんたがバカみたいに寝てたから。このあたしが膝枕でもしてやろうかって思ったの。感謝しなさい?」

……ハルヒは放課後になっても大絶賛故障中のようだった。
ふと疑問が湧く。

「…よくここに居るって分かったな」

「何言ってんの。ココ、部室から丸見えじゃない。それに古泉君があんたがココに居るって教えてくれたしね」

…俺を売ったな、古泉。

「…なるほど。それは分かった。理解した。…しかし、なんでまた膝枕なんてしようと思ったんだ」

「…それは……。したく…なったから。それじゃ悪い?」

ハルヒの声の調子が変わる。
その表情が気になったので頭上を見上げたが、ハルヒはそっぽを向いていてその顔はよく見えなかった。

「…まぁ別に…悪いって訳じゃないだろうが」

「それじゃ、おとなしくされてなさいよ。気持ちいいでしょ?」

あの。涼宮さんちのハルヒさん。
気持ちいいでしょ? とか嫁入り前の娘がそんなこと言うんじゃありません。
…が。残念ながらハルヒのふとももは、華奢に見えてその実、すこぶる柔らかかった。

「…そこそこ、な。この膝枕の意味は、分からんが」

「…そ。わかんないなら、わかんないでいいじゃない。
………うーーーんっと…っ! 風が、気持ちいいわね」

ハルヒが、両手を天に突き上げ背中を伸ばす。
ハルヒの髪を、穏やかな風がふわっと揺らした。
ハルヒが動くと、その柔らかいふとももが俺の後頭部や首筋に押し付けられる。

…つーか、あまり動かないでくれ。

ハルヒの髪を揺らした風は、俺をも薙いだ。
…確かに、いい風だ。







っておい。
なに俺はのんびり和んでんだ。

なんだこの空気。
なんだこの甘さ。
なんだこの状況。

恐らく。激しく恐らくだが、この光景を見た奴等は100人が120人、俺達が付き合ってると誤解するんじゃないのか。
ハルヒは何がしたいんだ。
キャラじゃないとかいう次元じゃないだろ。

…ちょっと待て。

「…お前、ホントにハルヒか? …古泉が化けてるなんてオチは無いよな?」

「…はぁ? あんた何言ってんの? そんなにさっきの打ち所悪かった?」

…思いっきり馬鹿にされましたとさ。
めでたし、めでたし。

…安心したぜ。心底。
ここまで来て、その路線は無いと思ってたが。
人を信じるってやっぱ大事だ。





「ねぇキョン。そんなコトより、よく眠れた?」

ハルヒはパッと俺を見下ろすとそう言った。
…そのニヤついた顔は言外に「あたしの膝枕が気持ちよかったから、よく眠れたでしょ?」と告げている。
……実際、気持ちよく寝ていたようだった。…えぇい、何か知らんが負けた気分だ。

「…まぁな」

「ふっふーん。あたしのおかげよ? 感謝し、敬い、へつらいなさい?」

へつらうってどういう意味だったか。
少なくともライジングニーを後頭部にブチ込むって意味じゃなかったよな。たぶん。
…まだ痛ぇ。

「俺、どれぐらい眠ってたんだ?」

「一時間ぐらいじゃない? 少なくともあたしが来てからは、それぐらいしか経って無いわね」


…一時間?

…OK、そうだろうさ。そうだろうな。
それぐらいなハズだ。
確か俺が眠りこけちまう前には、まだ太陽は白かったからな。
それが今は見事なオレンジ色に染まっちまってやがる。

しっかり起きたと思っていたが、どうやら多少ぼけていたらしい。
…ことの重大さに気付いて来た。

「…もしかしてお前、その間ずっとこの体勢だったのか」

「そうよ。通りかかる奴等がジロジロこっち見て来て、ウザイったらありゃしなかったわ」



…えええええーと、だな。

じょじょじょじょ状況を冷静に考えようううううか。
まままままっまままままぁ落ち着けけっけけけよ。

…主に俺が。


俺達は今、膝枕なんて似合わない事この上ない状況に置かれている。
それは間違い無い。
何故って柔らかいからだ。

で、だ。
普通そんな事は恋人、家族またはそれに順ずる関係で無い限りはしない。
何故って日本人は恥ずかしがり屋だからだ。

そうしてここは学校。
部活をしていない生徒は、その大体が帰る時間。
何故って授業は終わったからだ。人通りはそれなりに多かったハズ。


ここまでを、要するに。


………激しく認めたくないが、どうやら俺は学校内においてハルヒの彼氏って立ち位置が確定したらしい。

多数決の暴力。
民衆の総意。
立てよ国民。

…笑う所か? これは。
…むしろ、笑うしかねぇ。

「はは…ははは…」

自然と乾いた笑いが漏れた。

「…どーしたのあんた急に。壊れた?」

お前にだけは言われたくねぇよ、ハルヒ。


「…いや、なんでもない。それより、脚、痛くならなかったのか」

俺は悩める頭をなだめすかしながらも聞いた。
一時間も同じ体勢だったら脚以外も痛くなりそうなもんだが。

「…へ?」

ハルヒは意外そうな顔をした後、

「…いいわよ、そんな事。あんたが子供みたいに口開けて寝てる姿、傑作だったから」

…と答えた。

…そんなもん見てんなと。
……そんなに穏やかに笑うなと。
………こっちまで。安らかな、気分になるだろ。




















…いかん。いかんぞ。
空気に呑まれ過ぎているのが自覚出来る。
しっかりしろ、俺。

「ハルヒ。…最近おかしいぞ、お前」

この甘ったるい空気を打破するためにも、いい加減気になっていた事を聞いた。
ハルヒがおかしいのは出会った時からだが、最近の異常さは、それとはまた別だ。

「おかしいとは失ッ礼ね。……あ」

ハルヒの目が輝いた。
イタズラを思いついた子供みたいに。
…嫌な輝きだな、おい。

「そうね。おかしいって例えばどんな所が?」

「…例えばって…。えーと…だな…」

ここ最近のハルヒの行動。
…何やら思い出すのも恥ずかしいのだが。
俺がドモっていると、ハルヒの方から切り出した。


「手を握ったり…おべんと作って来てあげたり…」

突然俺の視界がハルヒの手に遮られる。
その手が俺の額にかかった髪をそっと払った。

「…膝枕、してあげたり?」

…視界を覆っていた手がどかされた時、ハルヒはニヤけてやがった。
……お前、絶対的に確信犯だな。



「…キャラじゃないだろ」

「あんた、まさか意識してるワケ?」

…コイツは。

「へぇー。そーなんだー。キョンはあたしのコト、意識してるんだー?」

…意識、ね。
…どっちがだよ。

「…別に意識してる訳じゃないが」

「ウソね。そんなコト言ってもあんたの顔真っ赤よ? 照れてるのがバレバレなんだから」

…お互い様だろ。







「それに…あの日だってあんた…、あたしにキスしようとしたじゃない」

ハルヒの声のトーンがからかうようなそれから、真剣なものに変わる。
空気が張り詰めた気がした。
手綱を握るのはハルヒ。

…あの日。
ハルヒの誕生日。
今まで俺もハルヒもその話題は口にしなかったが、確かに俺はあの日、ハルヒにキスしそうになった。
それも二度。神社の中、それと帰り道。

…あの時の俺は何を考えていた?

「答えなさいよ。キス…したかったんでしょ?」

ハルヒがぐっと俺を覗き込んで来た。その顔が……やたらと近い。


……くそ、静まれ。
…静まれ静まれ。頭が高い。ひかえおろう。
この方をどなたと心得る。
そんな事はどうでもいい。

…たかがハルヒだぞ。
毎日、顔、付き合わせてんだ。
その顔なんて飽きるぐらい見慣れてる。
確かに造詣は綺麗だと思う。人によっては可愛いとさえ勘違いする事があるかも知れない。

だが、あくまでハルヒ。
あのハルヒだ。
…その顔が近くに。
息がかかるほどに近くにあるからって。
……なんでこんなに胸が高鳴ってんだ。

「…お前だってしようとして無かったか?」

…帰り道はハルヒにからかわれただけだったかも知れない。
けれどあの神社の中で。俺達は確かに、それを望んでいた。

「…そうね。そうだったかも…知れないわね」

何やら甘い匂いがした。
それは恐らくハルヒの匂い。
あの神社の中でハルヒに貸したブレザー。
その後、返してもらったブレザーと同じ香りがした。


「…なんなら…今、…してみる…?」


―――ドクン

…ハルヒの言葉に、一瞬で血液が沸騰する。
ひどい耳鳴りがしていた。
緊張で全身がじっとりと汗ばむ。

…ダメだ。
流されるな。
気を…しっかり持て。

「…もし俺がしたいって言っても…どうせ、あの時みたいに…結局しないんだろ?」

…俺は、したいのかよ?

「…言われてみればそーね。今のあんたに…タダの団員のあんたに、団長であるあたしの唇はもったいないわね」

自然とハルヒの唇に視線が行く。吸い寄せられるように。


「…でも…あんたがもし…タダの団員じゃなかったら…。…そう。あんたの言うトクベツな存在だったら…してあげてもいいかも…ね」


…嫌な事を思い出させるなコイツは。
なんだその思わせぶりな言い方は。お前は古泉か。
…特別な存在って、何だよそれ。


ハルヒはそのままじっと動かず、極々至近距離のまま俺を見つめる。
…俺も何だか目が離せない。
目を離したら、ヤられる気がした。

夕暮れの学校。至近距離。延々と。見つめ合う。
…ハルヒよ。
なんでこんな事してるんだ俺達は?

…根っこ。
その根本を。
…問いたださなきゃならない。
そんな気がした。


「…ハルヒ、やっぱり聞かせろ。なんで膝枕なんだ」

「…キョンのクセにしつこいわね…。…したくなったからって答えじゃ満足しないの?」

「…無理ってもんだな」

間近にあるハルヒに朱が差していた。それは夕暮れのせいだけじゃない。

「…そ」

意思の強い眼差しが俺の心の奥底まで照らす。その目はヤケに潤んでいた。

「いいわ。そんなに言うなら教えてあげる…」

柔らかそうな唇が言葉を紡ぐ。普段とは違う、穏やかな、甘やかな響きで。

「…それはね?」

その様子はまるで。

「あたしがあんたを…」

まるで、ありふれた告白のワンシーン。





…けれどハルヒは。

「………ううん、やっぱり教えてあげない。
…ってゆーか、それぐらい自分で考えなさいよね。…哀れなドンガメキョンでも分かるハズだから」

そう挑発的に笑った。

「でも…これだけは言っとくわ」

俺は一生忘れないかも知れない。


「あんまり…待たせるんじゃないわよ? …バカ」


そう言った涼宮ハルヒは。壮絶に可愛かった。























「長門さん、お茶どうぞ」

長門さんの目の前に置かれた小さなテーブルに、お盆からお茶を移す。
今日は部室にわたしと長門さんの二人きり。
涼宮さんはキョンくんを探してどこかに行っちゃったし、古泉くんも用事があると言って帰っちゃいました。

「………(コクン)」

彼女は本から視線を外し、わたしを見て一度だけ頷いてくれた。
…ふふっ、なんだか可愛いな。
…あ、いけないいけないっ。
わたしがこんな事考えてるって知られたら怒られちゃうかも知れないです。

長門さんは色んなことが出来るすごいひと。
ほんとの事を言うと、少しだけ苦手っていうか…どうやって接したらいいのか分からない時もあるけど。
でもたまにふっと可愛い所を見せてくれるんです。
そんな所がわたしは好き。
ずっと見ていたくなるような、そんな感覚。

キョンくんも長門さんには優しい。
まぁ…キョンくんは誰にでも優しいんですけどね。
…キョンくんはそんな自分に気付いてないんだろうなぁ。


…それにしても、とっても静かな時間。
長門さんと二人だと本当に静か。
なんだか部室の時間軸だけがゆっくりになっているみたい。





でもでも、二人してずっと黙ってるってのも何か変ですよね…。
えーと、何か話したいけど…何を話せばいいんだろう?

んと…んと…。

…あ、そうですっ!

「…えと、今はどんな本読んでるんですか?」

わたしがそう聞くと長門さんはそっと本を持ち上げてその表紙を見せてくれた。

「ヴぃ…ヴぃり…ヴィリエ・ド・リダラン…? えっと、これは作者さんの名前かな?」

元は洋書みたい。
本のタイトルは未来のイヴ。

……未来のイヴ、かぁ…。

「…いつ頃に書かれたものなんですか?」

長門さんの読んでいた本はずいぶん古いものみたいでした。
表紙も所々はげている。図書館から借りて来たのかな?
あの赤いシールは…貸し出し禁止の本に張られてるものだった気もしちゃうんですけど。

「…1886年」

「せ、せんはっぴゃくねん?」

「…そう」

「ふぇ~…なんだかすごいですね…」

きっと何度も再販されたものなんでしょうけど、今から120年前に書かれた本。
それが今、ここにある。
そう考えると本というものもTPDDの一種なのかも知れない。
過去から未来へと渡されるメッセージ。
…なんだかとても神秘的。

「どんなお話なんですか?」

わたしがそう聞くと長門さんは大きな瞳をパチパチしました。
…何かを考えてるみたいにも見える。
…長門さんのそんな表情を見るのは初めてです。

「………代替品。その失敗作の話」

…代替品? …失敗作?
…どんなお話なんだろう…。

「面白い…ですか?」

「…興味深い」

長門さんはそう呟くと本に視線を戻してしまいました。
…その横顔がちょっとだけ寂しそうに見えるのは気のせいなのかな。
……うーん、私も今度機会があったら読んでみよう。
未来のイヴ、なんてちょっと気になっちゃいますよね。
あ、でも途中でくじけちゃわないようにしないとっ。



長門さんが本に目を戻した後、わたしは編み物の続きをするために席に戻ろうとしました。

でもその時、すごく夕焼けがきれいだったから。

思わず窓辺から外を眺めてしまった。

「……あ」

その時、見ちゃいました。


視界の端に映ったキョンくんと涼宮さん。
中庭の木の下で、涼宮さんがキョンくんを膝枕してあげてる。
…上からだとよく分からないけど…その距離がとても近く見える。
…もしかしたら、キス…、してるのかも知れない。

いつもケンカしたり、言い合ったりしてるキョンくんと涼宮さんだけど、そんなお二人は、やっぱりとてもお似合いで。
その空間だけ他から隔絶されてるようにも見えました。
まるで、一枚の絵画のように。
何人にも冒されざる、時間平面から切り取られた二人だけの空間。


「…そっか。そう…、…やっぱり…そうなんですよね」


その二人を見た時、わたしは色々な事に気付いてしまいました。

わたしがキョンくんをどう思っていたのか。
お二人が互いをどう想っているのか。
きっとそこには誰も入り込めないという事も。
…ましてや、いつか帰らなければならないわたしなど。

…恋の、終わる音が聞こえた。

ゆっくりと。でもそれは鮮烈に。
乱暴なまでにわたしの心を埋め尽くす。



…カタン カラカラカラ…

何かが落ちたみたいな音が聞こえる。
そちらを見ればお盆が転がっていました。
あぁ…わたしが落としたんですね。
…いけないいけない。
…なんだか…ボーッとしてます…。


「………」

わたしがお盆を眺めたままボーッとしていると、落ちたお盆を長門さんが何も言わずに拾い上げてくれた。
お盆を差し出して、わたしを見上げている長門さん。

何か…言わなきゃ。

「あり…ありがとうござい…ひっく…ございます…」

…あれ。
おかしいな。
なんだか…うまく言葉が出てこない。
なんだか息苦しい。
どうしちゃったんだろ…わたし…。


長門さんはそんなわたしを不思議そうに見ていたかと思うと、
窓辺に立ち、先程わたしが見ていた方を見下ろしました。
…きっと長門さんにも見えたはず。

「………」

長門さんは無表情で。
いつもと全く変わらないように見えた。
でも…、それは違ったみたいです。

「………そう」

それは何度も聞いたことのある台詞。
長門さんの口癖みたいなもの。
けれど今の言葉は…寂しい響きに満ちていた。

…長門さんも…そう、だったのかも知れません。

ダメだなぁ…キョンくん。
めっ、ですね…。

「…ひくっ…長門…さん?」

「…なに?」

でも振り返った長門さんは、やっぱりいつもと変わらず無表情で。
だから、わたしは思ってしまった。
…もしかしたら、長門さんは今の自分の気持ちに気付いていないのかも知れない。
…それはとてもとても寂しくて。
…とてもとても悲しい事。



「…長門…さん。…ひっく…突然…変なこと…言っちゃいますけど…。えくっ…抱きしめても…いいですか…?」

わたしは…そんな長門さんを抱きしめたくなってしまった。

「………」

長門さんはなんだか不思議そうにわたしをじっと見上げている。

「…えへ…へっ…抱きしめ…ひくっ…抱きしめちゃい…ますね…?」

笑おうとしたけれど、うまくいきませんでした。
そんな中途半端な笑顔のまま長門さんをきゅっと抱きしめる。
長門さんはじっとわたしのしたいようにさせてくれた。
わたしも小さい方だけど、長門さんはわたしよりも、もっと小さい。
その小柄な体が、切なくて。

…ううん、違う。
…寂しかったのは、きっとわたしの方。
…一方的な、共感。

「ひっく…えくっ…ふぇっ…」

あぁ…そっか。
わたしは、泣いてるんだ。
だから…こんなに…視界がぼんやりしてて…心が苦しいんですね。



「…よしよし」

…え?

…わたしが、長門さんを抱きしめたまま泣いていると、彼女はわたしの背中をそっと撫でてくれた。
すごく、すごく驚きました。
けれどその手は、暖かくて、優しくて、小さくて。
長門さんもきっと悲しいはずなのに。きっと寂しいはずなのに。

…わたしに、優しくしてくれる。
…その事に一瞬で感情が溢れ出す。

「ひっく…えくっ…うっ…ううっ…うぇぇぇぇぇん…!」

わたしはいつのまにか大きな声をあげて泣いていました。

「…よしよし」

泣きじゃくるわたしを長門さんはずっと撫でてくれた。
そんな彼女にすがるように、わたしはずっと泣き続けました。
おこがましい事かも知れないですけど…出来る事なら、長門さんの涙の分まで。
悲しみを洗い流すように。
きっとこの涙が枯れたらお二人を祝福できると思うから。
だから、今だけは。

…ごめんなさい、長門さん。
…それから、いっぱいいっぱいありがとう。


夕暮れは、いつもの部室をそっと包んで。
穏やかな時間は、優しくわたし達を見守ってくれていました。


















女 10月18日、晴れのち夕焼け 女


ダメね。
結論としてはやっぱり膝枕なんてするもんじゃない。
キョンを起こさないようにじっとしてたら体中が痛くなってしまった。

それにしてもぐっすり寝てた。バカみたいにポカーンって口開けちゃってさ。
あたしの膝枕がそんなに気持ちよかったの?
そうだとしたら…また今度してあげても…いいんだけど。

…その後起きたキョンはあたしの事を気遣ってもくれたしね。
…ホント、無駄な所だけ優しいのよ、アイツ。



…ううん。キョンが優しかったのはそれだけじゃない。
お弁当もほとんど食べてくれた。
…作りすぎちゃったから半分ぐらい食べてくれればって思ってたんだけど。
…きっと無理して食べてくれたのよね。
午後の授業、ずっと唸ってたから。…バカ。



でも、お昼前、授業中に聞いた質問にはつまんない答えしか帰って来なかった。

「好きな食べ物は?」って聞いたら「枝豆」
…オヤジ?

「どんなコがタイプ?」って聞いたら「一般人」
一般人じゃないコってどんなコよ? 紹介して欲しいぐらいね。

「おっきい胸と小さい胸どっちが好き?」って聞いたら「普通」
普通ってどれぐらいかってのを聞いてるってのに。 あたしは…普通に含まれてるの?



…きっとバレただろうな。
あたしがキョンの事をどう思ってるか。
ってゆーか、あそこまでして気付かなかったら鈍感を通り越して不感症よね。

…そう。バレちゃったんだ。

…なんだかどんどんキョンの事を好きになっていくのが自覚出来る。
今日一日で、ずっと気持ちが強くなってしまった。
キョンをメロメロにさせてやるって思ってたのに…あたしが好きになってどーするのよ!

明日っからどんな顔してキョンに会えばいいんだろ。
…なんか変なキモチ。
…これが不安っていうの?
……恋って結構疲れるもんなのね。


ホントに…あんまり待たせるんじゃないわよ。
…バカキョンのクセに。

28: 2006/08/13(日) 16:50:25.54 ID:Hx2l8/Pv0
人の口に戸は立てられないとはよく言ったもんだ。
膝枕事件の翌日には既に俺とハルヒは学校公式に付き合っている扱いになっていた。

新聞部にはインタビューされるわ、クラスからは祝福を受けるわ。
仕舞いには見ず知らずの上級生からまで、
「ほら…あの人が…」「あぁ…あの涼宮の…」「普通そうなのに…すげぇよな…」
などとヒソヒソ囁かれる始末。

俺はその噂を沈静化するのを諦めていた。
どーせすぐ飽きるだろう。
…いたたまれないのは確かだが。

そんな俺だったが…最近、ハルヒの夢をよく見る。…むやみやたらと。
…その意味はあまり深く考えないようにしていた。


膝枕事件の事は耳に入っているハズだろうに、古泉と長門は何も言わなかった。
長門はともかくとして、古泉は何か言ってくるかと思ったがそれも無し。
ただ朝比奈さんには「頑張ってくださいねっ」と極上笑顔で言われてしまった。
…何を頑張れってんだ?

当のハルヒはと言えば、新聞部のインタビュアーをぶっ飛ばした後はおとなしくしている。
というか、最近の故障っぷりから考えればおとなしくしすぎだった。
俺が話し掛けても心ここに在らずといった様子。
部室でもいつもの席に座り、パソコンをイジっているだけだ。
たまにチラチラと俺の方を伺っているのが激しく気になるが、俺が目を合わせると慌てて視線を逸らしてしまう。
…何がしたいんだかね。




















† 10月23日、くもり †


なんなの?
なんだってのよ!
なんであたしがこんなにキョンごときを意識しなきゃなんないワケ!?

…でも、しょーがないじゃない。
…キョンが側に居ると、落ち着かなくてしょうがないんだから。
どうしてもアイツの事が気になってしまう。
…キョンの事ばかり考えてしまう。
キョンが散々キャラじゃないって言ってたけど、あたしだってそう思うわよ。バカ。


…あたしらしく、しなきゃね。

…キョンはあの時、あたしのコト、トクベツな存在だって言った。
たぶん、そういう意味。

だったら、あたしはあたしでいたい。
キョンがトクベツと言ってくれた、あたしで在りたい。


…って、こんな事考えてる時点であたしらしくないじゃない!
もっとこう、ガーッていって、バーンッてすればいいのよ!
どーせキョンだってあたしの事が好きなんだろうし。

うん、明日っからまたキョンをユーワクしてやるんだから。


























ハルヒの故障はもはや末期的なものになっていた。
おとなしいと思ったのはここ数日だけで。



ある日の朝、家を出てすぐの通学路でハルヒを見かけた。

「キョ、キョンじゃない。久しぶり、奇遇ねっ!」

久しぶりと言ったが、おもっくそ前日も会っていた。
それに奇遇と言うがハルヒの家は、全然別の方向だったハズだ。

「なんなら…一緒に学校行く?」

流石に断る理由も無かったので、並んで歩いていると、

「…あんたが繋ぎたいっていうなら手、繋いであげてもいいわよ?」

との言葉。
…そっぽを向いていたが照れてるのがバレバレだった。
…そんな事言われたら、握らない訳にはいかないだろうが。
俺が黙ってその手を握ってやれば嬉しそうな横顔。
…なんなんだろうね、これは。



別の日の昼飯時。

「…ねぇ。キョン。これ、ちょっと作り過ぎちゃったんだけど。良かったら食べる?」

…差し出された弁当箱は前の時と全然量が変わっていなかった。
ちょっと作り過ぎてあの量が出来上がるなら、この世に貧困なんて言葉は存在しないだろう。

クラスからは相変わらずのひやかし。…谷口が挙動不審なのも相変わらず。
だが、違った事がひとつだけ。

「う、うるさいわね! あんた達!」

…ハルヒがクラスメイトに反応した。
クラスの連中はそんなハルヒに一瞬だけ静かになったが、その後は更にひやかされていた。
…火に油を注ぐようなもんだ。

しかしハルヒも、クラスの目を気にするようになったんだなと感心した。
先日、俺の机に弁当を叩き付けたハルヒとはまるで別人だ。


…正直に言えば。

…あえて言えば。強いて言えば。どっちかと言えば。
最近、そんなハルヒの事が可愛いんじゃないかと錯覚する時がある。
……俺もずいぶん病んで来ているのかも知れない。



そんな、ある日の事。















ガチャ


部室の扉を開けるとそこには朝比奈さんと長門、古泉が居た。
…ハルヒはまだ来ていないらしい。

「あ、キョンくん。今日は遅かったんですね」

「えぇ…ちょっとホームルームが長引いたもので」

編み物をしていた朝比奈さんが立ち上がり、コートを脱ごうとしていた俺を手伝ってくれた。
…あぁ、やっぱり朝比奈さんは気の付くいい奥さんになるだろうな。
毎日帰ってくると、おいしい料理とあったかい風呂と朝比奈さんが待っていてくれる。
朝比奈さんと結婚する奴からは良妻税を取るべきだ。

それにしてもハルヒは部室に居ると思ったがな。
ハルヒの指定席は空だった。
アイツが部室に居る時は大体起動しているパソコンも電源が落とされたまま。

「あ…。…ふふっ」

俺のコートを椅子にかけながら、朝比奈さんが急に微笑んだ。
…俺の顔に何か付いてるってのか?

「どうしたんですか? 急に」

「…今、キョンくん、涼宮さんの事考えてたでしょ?」

朝比奈さんの指が軽快に揺れる。

…えーと、だな。なんで分かったんだろう。
まさか朝比奈さんにも隠された新たな能力が!?
…って、そんなにホイホイ隠された能力が出て来てたまるか。
蟲寄市じゃあるまいし。

「図星、ですか?」

俺が黙っていると朝比奈さんがイタズラっぽく言う。
…隠すのもアレか。

「えぇ…まぁ。ハルヒはホームルームが終わると同時に扉を蹴破る勢いで出て行きましたから。
てっきり先に部室に来てると思ったんですが。というか、何で分かったんですか?」

「えへへっ。それはね? キョンくんが涼宮さんの席をあっつーい視線で見てたからですっ」

…熱い視線て。

「でも…、わたし達が居るのに、やっぱり涼宮さんが居ないと寂しいんですね…」

朝比奈さんが悲しそうに眉をひそませる。

「って何でそうなるんで―――」

「ねぇ、古泉くん、聞きました? 涼宮さんが居ないとキョンくんは寂しいんだそうですよっ?」

かと思えば楽しそうに朝比奈さんが古泉に話を振る。
なんだか今日の朝比奈はヤケにテンションが高いな。
その表情が変声期のカメレオンみたいに変化する。
…つーか、俺はドン無視ですか。そうですか、そうですね。

「嗚呼…それは悲嘆すべき事態ですね…。ですが、やはり学校公認のお二方。片時も離れて居たくは無いのでしょう」

古泉も古泉でニヤニヤしながら、大袈裟に芝居がかった口調でホザく。
その目の前の机にはチェスの板が広げられていた。
…お前はゲームの相手が欲しかっただけじゃないのかと。

「…あつあつ」

…あまつさえ、あの長門までもが本に視線を落としたままポソッと呟いたが、ありがたく聞き流す事にした。



「あの、何か誤解してるようですけど。俺とハルヒはそんなんじゃありませんから」

朝比奈さんに向けて。ひいては長門と古泉にも向けての言葉。

「そんな、隠さなくてもいいじゃないですかっ!」

えーと。俺が何を隠してるっていうんでしょうか。

「えぇ。もう事は学校全体にまで知れ渡っているのですから。
あなた方は……いえ。特にあなたは、もう少し自分に素直になられた方が良いのでは?」

したり顔の古泉の援護射撃。
…聞いた所によると、やたら爽やかなイケメンがその噂をせっせと助長してるって話もあるらしいんだがな。

「…俺のどこが素直じゃないっていうんだ」

椅子に座りながら憮然と答える。

「それです。あなたが素直で無いという事をあなた自身が認識していない。これはいけません」

古泉が間髪入れず反論してきた。
…まるで答えが用意してあったかのようだ。
俺はかなりの勢いで自分の気持ちに素直に生きていると思っていたがな。
平々凡々、日々平穏。それが俺のモットーで。
…そのモットーは最近、全くと言っていいほど役に立っちゃいないが。

「いいじゃないですか、涼宮さんにあなたの本当の気持ちを伝えてあげれば。
きっと彼女も喜ぶと思いますよ?」

…俺の本当の気持ちって何だそりゃ。

「…お前はよっぽど俺とハルヒをくっ付けたいらしいな」

「いえいえ、僕個人がではありません。学園全体の総意として、ですよ」

サラッと髪を払う古泉。
…余計タチが悪いわ。



「…あ」

俺と古泉の会話を立ったまま聞いていた朝比奈さんが俺の顔を見て、何かに気付いたように呟いた。
いや、正確には俺の胸辺りを見て言った。
なんだ? 胸毛でも漏れてるか?
…ってどんな剛毛だ。俺はミスターサタンか。

「朝比奈さん、どうしました?」

「ほら、ここ…、ボタンがほつれちゃってます」

朝比奈さんが俺の制服のブレザー、そのボタンの一つを指差す。
見ればそのボタンは確かに外れかけ、ブラブラしていた。

「あぁ…」

「えへへっ、ちゃっちゃと直しちゃいますねっ」

朝比奈さんは、部室に備えられた朝比奈さん専用裁縫道具箱をカチャカチャと鳴らし出す。

「いえ、いいですよ、これぐらい。外れてる訳じゃないし」

「いいえ、だーめですっ!」

俺は軽い気持ちで言ったのだが、パッと振り返った朝比奈さんに強い口調で返されてしまった。

「やっぱり身だしなみというのは大切だと思うんですっ。
涼宮さんも彼氏さんがだらしない格好してたら、げんなりしちゃうと思いますし」

……誰が、誰の彼氏ですって?
今、俺の耳がおかしくなっていなければとんでもない発言が聞こえたような気がするんですが。
しかし朝比奈さんはそんな俺に構わず、道具箱から針と糸を取り出すと、椅子を引き寄せ俺の隣に腰掛けた。

「あのー…朝比奈さん?」

「じっとしてて下さいね? すぐに済みますから」

朝比奈さんは俺の制服を手に取り、有無を言わさずスッとボタンに針を通した。

…あー…なんだこれは。
…なんというか。マジで新婚さん気分だ。
朝比奈さんのきめ細かい指が踊り、リズミカルに表へ裏へと針を通す。
その度にボタンはしっかりと留められていく。

「…えーと、すみません。こんな事して頂いて」

「ふふっ、いいんですよー。キョンくんにはかっこいいキョンくんで居て欲しいですからっ」

…近距離みくるビームが眩しいっす。
それにしても、かっこいい俺とはどういった意味なんでしょうか。
何やら深読みしてしまうんですが。
というか。ボタンをちゃんと付けてるとかっこよさが上がるのでしょうか。
まほうのじゅうたんとかもらえちゃうんでしょうか。
むしろ、俺のかっこよさはボタン一つで左右されるものなのでしょうか。
それって微妙じゃないっすか?
ソイツってホントにかっこいいんすか?


…つか。そんな事よりも。近い。
繊細な仕事をしているのだから、その距離が近いのは当然なのだが、朝比奈さんの睫毛の数まで数えられそうだった。
しかも朝比奈さんは多少前傾姿勢になっているので、そのメイド服と相まって朝比奈さんの身体的特徴が暴力的なまでに強調されている。


…パ、パイレーツ・オブ・カリビアンッ!


…海賊がどうしたってんだ。








ガチャッ!


「みんな、遅れてゴッメー…! ………ン」

俺が朝比奈さんの体の一部に目を奪われていると、部室の扉が勢いよく乱暴に開かれた。
この扉をそんな開け方をする人間を俺は一人しか知らない。

ハルヒだ。
マズイ。



………って何がマズイんだ?

……別に何もマズくない…ハズだ。
…なんで俺は今、マズイだなんて思ったんだ?
だが、すぐ側に居た朝比奈さんは目に見えてうろたえていた。

「す、涼宮さんっ、これはその、ち、違うんですっ!」

朝比奈さんが慌てて俺から体を離す。通されたままの糸が俺の制服を引っ張った。

「…みくるちゃん。何が違うの?」

ハルヒが扉に手をかけたまま、そう言った。
…なんというか、その顔が恐ろしく無表情だった。
…あまり見ないな。ハルヒのこんな顔は。

「あのっ、これは、ボタン、そうっ、ボタンをっ!」

「…それぐらい見れば分かるわよ。キョンのボタン、付けてあげてたんでしょ?」

あたふたする朝比奈さんとは正反対にハルヒが淡々と答える。
…その声にもあまりにも抑揚が無かった。声に感情が無い。
まるで長門のような喋り方をする。
コイツの中ではものまねでもブームなのか。
ぶっちゃけ似てないぞ。

「ハルヒ、遅かったな。てっきり俺より先に来てるもんだと思ってたが」

俺がそう言うとハルヒは「…ちょっとね」とだけ答え自分の席に着き、パソコンの電源を入れた。
CPUファンが低い唸り声をあげる。

「えと、あの、そのっ」

朝比奈さんはそんなハルヒと俺を交互に見やり、ずいぶんと慌てている。

「…朝比奈さん? どうしたんですか?」

俺が声をかけると朝比奈さんは、

「えぇと…そうだっ、あの、涼宮さん、か、代わりますかっ?」

ハルヒの方に針を差し出しそう言った。
というか朝比奈さん、伸びてる、伸びてるんですが。

…つか、代わるって何をだ?
…ボタン付けか?
…どうしてだ?

「…いい。あたしよりみくるちゃんの方が上手いと思うし」

しかしハルヒは、朝比奈さんの方を見もせずにパソコンの画面を凝視したまま、その提案をあっさりと断った。
…たぶん、まだ立ち上がってないと思うんだがな。

「…朝比奈、さん」

それまで黙って俺達の様子を伺っていた古泉が声を発した。
先程までと違い、その表情が険しい。
朝比奈さんが弾かれたように古泉の方を見ると、古泉は「早く」とでも言うかのように彼女の手元に視線を移した。

「じゃ、じゃあ、すぐ付けちゃいますねっ」

古泉の視線に触発されるように朝比奈さんがボタン付けを再開する。

「あ、あれ? えと、えっと…」

だが、先程引っ張ったせいか糸が絡まり、その作業は、はかどらないようだった。




カチカチカチカチカチカチカチカチ


…静かな部室にハルヒのクリック音だけが響く。
…というか。
なんだってこんなに静かなんだ。

長門はいつもの事としても、古泉も何も言わずにチェスの駒をなぶっていた。
朝比奈さんはあぁでもないこうでもないと必死になってボタンを付けてくれている。…そんなに慌てなくても良かろうに。

そうして。
部室で常に騒がしくしているハルヒが今日は異常におとなしい。
ハルヒが部室に来てから恐らく15分程度。入ってきた時に喋ったっきり黙りこくったまま、パソコン画面と睨めっこをしている。
…状態異常(黙)にでもかかってんのか?


「なぁ、ハル―――」

カチッ!

…沈黙に耐え切れず俺がハルヒに話しかけようとした時、叩くようなクリック音が響いた。


「…ハ―――」

カチッッッ!!!

…打てば響く。まるで返事のようにタイミングよくクリックが返って来る。しかも左クリックがぶち壊れそうな勢いだ。
恐らく、そのクリックの意味は「話し掛けるな」か「黙れ」。
…どっちも似たようなもんだが。
…やれやれ。何をそんなに苛立ってるんだか。
その内、ESCキーどこいった!? なんて言い出すんじゃねぇだろうな。


つか、空気が重い。
…いや、重いんじゃないか。
やたらと乾いている。

指先がチリチリする。
口の中はカラカラだ。
目の奥が熱いんだ。
クックックッ……黒マテリア。


「…帰る」

あまりの居たたまれなさに脳内ソルジャーごっこで遊んでいると、ハルヒが来たばかりだというのにスクッと立ち上がった。

「…古泉君。電源、落としといて」

ハルヒが伝える。
…やはりその声にはまるで感情が見えない。

「…御意に」

古泉も短く端的に返す。
その内ハルヒが荷物をまとめ、カバンを手に取り、扉を開けた。



「…ハルヒ」

その背中は明らかに話し掛けるなと言っていたが、俺は思わず話し掛けてしまっていた。

「…何?」

ハルヒが振り返らないまま機械的に返事をする。
…ってちょっと待て。
俺は、なんで引き止めたんだ?
…帰るっていうなら帰らせればいい。
…帰らせればいいハズだ。
……何も、おかしい所なんか、無い。

「…いや、何でもない」

「…そ」

ハルヒは短くそう言い、結局振り返らないまま部室を出て行った。

…なんだこの後味の悪さは。



「ひぇぇぇん! ど、どうしましょう!?」

ハルヒが扉を閉めた途端、朝比奈さんがヤケに慌て出した。
顔の回りに汗マークが出るほどの焦りっぷりだ。

「あ、朝比奈さん?」

「ご、ごめんなさいっ、キョンくん! わ、わたし…わたしぃ…」

…なんで俺が謝られてるんだ?
朝比奈さんの目には涙が浮かんでいた。

「と、とにかく落ち着いてください、朝比奈さん」


…ヴーッ…ヴーッ…ヴーッ…

俺が朝比奈さんを慰めようとした時、携帯の震える音が聞こえた。
振動しているのはどうやら古泉の携帯らしい。
しかし古泉は鳴りっ放しの携帯を見ようともしないまま「ふぅー…」と大きく溜息を吐き、天井を仰いだ。

「…これは…参りましたね」

…そこに先程のニヤけ面は欠片も残っちゃいなかった。
あるのは苦悩。
……何が参ったっていうんだ?

…何もおかしい所なんて無い。
……無い、ハズだろ?
なのに。
…なんだってんだこの焦燥感は。



パタン

…長門が、本を閉じた。




















◆ 10月31日、曇天 ◆


気付いた。

部室の扉を開けた時、その時のキョンとみくるちゃんを見たら気付いてしまった。
キョンはあたしと居る時にあんな顔をしない。

…だからってベツにキョンはみくるちゃんが好きってワケでも無いと思う。
そんなに短絡的なおめでたい頭は持ち合わせてない。

ユキと一緒に居る時にしか見せない顔もあるんだと思う。


あの時キョンが言った、トクベツって言葉。

でもそれはたぶん、みんながトクベツって意味。
あたしも、みくるちゃんも、ユキも、古泉君も、鶴屋さんも、妹ちゃんも、あたしの知らない誰かも。
キョンにとってはそれぞれが、それぞれのトクベツ。
…イヤになるほどアイツらしい。


だから、気付いてしまった。

キョンは…あたしのコトが好きってワケじゃないのかも知れない。
…自惚れじゃなく、良くは思ってくれてると思う。
けれどそれは、きっと恋愛って感情じゃない。

舞い上がってたのは、あたしだけ。
…つまんない。



















あの日からハルヒの故障は更に進化したようだった。
…いや、むしろ修理されたのかも知れない。

俺や、他の誰かが話し掛けてもひどく淡々とした態度。
ハルヒの方から話し掛けてくる事は皆無。
…その様子はハルヒと出会ったばかりの頃と似ていた。
あの頃と違う所があるとすれば一つ。ハルヒは俺の目を見なくなった。

あの頃のハルヒはそりゃ不躾に、まるで射殺すかのように俺の目をガッツリ睨んで来たが、今ではその目を合わせようとしない。
ただの一度たりとも。
…その横顔からは何も読み取れなかった。

部室でも重たい空気。
長門は普段と変わりなかったが、朝比奈さんも何やらいたたまれないようだった。
…俺だってそうだ。
あれだけ騒がしかったハルヒが終始無言なんだからな。
古泉はと言えば、その出席率が異常なまでに低下していた。
一週間に一度、姿を見ればいい方だ。

だが古泉は古泉で様子がおかしい。
たまに学校に来て、部室に顔を出したかと思えば、何も言わずにただじっとそこに居る。
その視線がヤケに鋭い。そうしてそれは時に俺を射抜いた。
…何か、言いたい事でもあるのだろうか。
古泉はひどく疲れた顔をしていた。
…あのハルヒの様子を見れば古泉が何をしてるのかは簡単に予想がついたが。


…なぁ、ハルヒ。お前は何をそんなに苛立ってるんだ。
…俺に、何か出来る事は無いのか。

















■ 11月10日、たぶん雨 ■


キョンの目が見れない。
キョンはあたしのコトが好きって思ってた時は何も考えずにどんどん突っ込んでいけたのに。
ブレーキが掛かる。

何だかうまく話せない。
肌の裏側がザラザラする。

キョンと話したい。


最近よくキョンからもらったペンダントを触っている自分に気付く。

…絆。


…あたしらしさって、なんだっけ。
よく分からなくなって来ている。


キョンと、話がしたい。

29: 2006/08/13(日) 16:50:36.90 ID:uptbadaW0
さて。

「…鬼が出るか、蛇が出るか」

俺は階段を上りきった踊り場、屋上への扉の前で立ち止まっていた。

一度目は未知との遭遇。
二度目は生命の危機。
三度目はホクロの刺激。
四度目は何だ? 三大魔法学校対抗試合にでも出場すればいいのか?

呼び出しの手紙、その送り主は誰だ。
長門でも朝倉でも無いし、朝比奈さんの字はもっと丸い。

…まさかハルヒか?
普段のハルヒならこんな回りくどい事はしないだろうが、今のハルヒは何を考えてるかイマイチ分からないからな。
こんな事をしないとも限らない。


…って。考えててもラチが開かないか。
…果てさて、ラチの鍵はどこにあるのやら。

俺は扉に手をかける。
そうして妙に重たいその扉を開けた。





ビュオオオオオオオオオッ…!


…風。

扉を開けてまず感じたのはそれ。
やたらと強い風が勢いよく踊り場に流れ込み、俺は目を開けていられなかった。

「くっ…!」

…今日はこんな強風だったのか。
俺は腕で目をかばい、風に逆らいながら何歩か進む。

踊り場から出ると風は少し落ち着いた。
腕を下ろした先には、夕暮れに染まった屋上が広がっている。
そうして、そのフェンスに体を預けていた人物は。


「………古泉」

そこにいたのは古泉一樹。
…意外だった。

「…お久しぶり、です」

強風が古泉の髪を逆巻かせる。
その色素の薄い髪は夕暮れの日差しの中で金色に見えた。
…なにやらやたら絵になるな。
何かのポスターみてぇだ。

俺も古泉と同じようにフェンスにもたれかかる。
フェンスが俺の重みでギシッと揺れた。

「お前、だったのか」

「…意外そう、ですね。手紙の差出人が僕だとは思いませんでしたか?」

「そりゃそうだろ。つか、お前、何日振りの学校だよ」

古泉の姿を最後に見たのは先週だったハズだ。

「約10日ぶり…になりますか」

「今日は朝から来てたのか?」

「…いえ、実は一時間ほど前に来たばかりです」

こんな所に呼び出された訳が分かった。
授業に出ていないのに学校に来ている所を教師に見付かったら、何かとうるさいからだろう。

すぐ横の古泉を見れば、少し痩せたようだった。
そうして。何か現実感というか、存在感というか、そういうものが希薄に感じられた。
久しぶりに会ったからか? ここが空に近いせいか?

…いや、違うな。
古泉のその表情のせいだ。
いつもの爽やか微笑ではなく、さっきから妙に無表情だった。…ここ最近のハルヒのように。

「そうか。…忙しいんだな」

「えぇ、そりゃもう。貧乏暇無しって奴でして」

…お前のバイトに貧乏かどうかは関係無いと思うが。

「…それで? 部室にも顔を見せず、俺をここに呼び出した理由は?」

……なにやら古泉の様子が少しおかしい。
…何かあるからだろう。
古泉がフェンスから体を起こし、振り返った。



「………いい景色、ですね」

古泉は俺の質問に答えない。
その視線は眼下の坂の向こうの街に注がれていた。

「…この学校は無駄に高い所にあるからな。おかげで毎日アスレチックだ」

「いいじゃないですか。健康的で」

健康のためにってよりは、強制労働な気分だが。

「…あなたは。この街が好きですか?」

…古泉は何が言いたいんだ?
俺も肩越しに後ろの方を見やる。
フェンスの向こうには、田舎でも無く都会でも無い、中途半端な俺達の街が広がっていた。

「…別に嫌いって訳じゃないがな」

「…そうですか。…僕はこの街が好きです」

淡々と話す古泉。
…最近は長門の真似が流行ってるんだろうか。



「……けれど、この街は軋んで見える」

…何だって?

「この街だけじゃない。世界が、悲鳴を上げている」

「…何を言ってるんだ、古泉」

古泉の話は全く要領を得ない。

「……あなたの耳にはこの悲鳴は届かないのでしょうね…」

…古泉が呆れたように呟き、空を見上げる。
太陽が沈み、辺りが暗闇に塗り潰される前の、鈍色の紅。
その紅が俺達を染め上げていた。

「…おや。こんな時間だと言うのに、もう月が見える…。今日は三日月ですか」

古泉の視線の先には、細い月が浮かんでいた。

「…これはいい。まるで軋む世界に振り下ろされる死神の鎌のようだ」

…様子がおかしいと思ったのは気のせいじゃないらしい。

…古泉が月を見上げて薄く哂った。
その笑みはいつもの爽やかな微笑では無く、ひどく酷薄な、人を蔑んだ笑み。
…こんな古泉は初めて見る。

「月は常にそこにあるのに、我々にはそれが感知出来ない。…本当に大切な物は目には見えないのかも知れませんね」



「…さっきから一体何を言ってるんだ。お前の話は相変わらず回りくどい。もっとはっきり話せ」

「…いいでしょう。簡潔に申し上げます」

古泉が俺を正面から見据える。
…その視線が妙に鋭い。
そして、古泉はキッパリと言い放った。


「……あなたは、臆病者だ」


………。

「…何だと?」

「…鈍感なだけで無く耳まで悪いとは、お可哀想に。
…ならばもう一度言いましょう。あなたは臆病者だと言ったんです」

古泉の言葉にヤケにトゲを感じる。
…違う。トゲなんてモンじゃない。それはハッキリとした悪意。

「…俺のどこが臆病者だって言うんだ」

「…逃げているじゃありませんか。世界から、そして涼宮さんから」

古泉が俺を睨む。その視線は冷たい。見る者を凍てつかせるような摂氏0度の視線。

「…意味が分からん」

「そうですか。これでもまだ分からないとおっしゃるつもりですか。…いいでしょう、言い方を変えます」

その口調はまるで俺を責めるそれだ。
…たぶん、そのつもりなのだろう。

「世界と、涼宮さん。どちらかを選べと言われたら、あなたは何と答えますか?」

…古泉が病院でのハルヒのような事を言い出した。
ただ、そのスケールのデカさはケタ違いだ。

「…何言ってるんだお前」

「答えて下さい」

「…そりゃ世界だろ」

「そう。それが正しい。涼宮さんと世界を計りにかけた時、全世界の人間が世界に重きを置くでしょう」

当たり前だ。

「けれど。あなたは。涼宮さんと答えなければならない」

「…何でだよ」

「あなたが涼宮さんに選ばれた鍵だからですよ。そうして、世界と涼宮さんの重要性は等価値に他ならない」

…またハルヒが神だとかって話か。

「…ですが、あなたは涼宮さんからも、世界からも逃げ出している」

「…俺のどこが逃げてるってんだ!」

俺の口調も自然と強くなる。
その俺の言葉に古泉が肩を竦めた。
…馬鹿にするように。

「…恐らくあなたはずっと以前から、涼宮さんの気持ちに気付いていた筈だ。
それを延々と誤魔化し、気付かない振りをして来た。そう、自らの気持ちにすらも」

…古泉の言葉がヤケに耳に障る。

「今まではそんな、ぬるま湯のような関係でも良かった。けれど、賽は既に投げられた後です。
それなのに。事は動き出しているというのに。その出た目からもあなたは目を逸らし続けている」

………。

「それを臆病者と言わずして、何と言いましょうか。…卑怯者、の方がよろしかったですか?」

…ダメだ。
段々と、体が熱を持っていくのが分かる。

「…古泉。いくらお前でも怒るぞ」

「…苛立ちますか。…けれどそれは事実だからでしょう」

古泉は止めない。

「今までの距離感が心地よかったから。それを認めてしまえば今までのような関係には戻れなくなるから」

遠慮の無い言葉が、俺の心を泡立たせる。
…なんで俺はこんなに苛立ってる。
…つか、なんなんだよ、これは。
何で俺達はこんな風に言い合ってんだ。

「環が壊れるのが恐かったんですか? けれどそれは優しさでは無い。ただの傲慢だ」

「勝手に決め付けるなッ!」

気付けば叫んでいた。
胸のモヤモヤを吐き出すように。

「…決め付けではありません。あなたの様子を見ていれば分かりますよ。それこそ小さな子供でも」

「…古泉ッ!!」

俺は思わず古泉の胸倉を掴んでいた。

「図星を指されて激昂とは。子供なのはあなたの方でしたか?」

けれど古泉は涼しい顔で。
その視線は酷く冷たく、俺を哀れんでいるようだった。
…誰だよ、コイツは。
…なんでそんな目で俺を見る。



「…あぁ。それとも」

古泉が俺に掴まれたまま何かに気付いたように話し出す。

「実は朝比奈みくるや長門有希の方が好みだったからですか?」

…何を言い出してんだコイツは。

「そうですか。それは済みません。あなたも…ずいぶん変わった人種が好みなんですね」

何を勝手に納得してやがる。

「ですが…それだと困った事になりますね。
あなたが涼宮ハルヒを受け入れないとすると…、…やはり彼女は機関の方で捕縛、監禁した方が世界の為でしょうか」

…古泉は冷徹に。まるで今日の昼飯を決めるような気軽さで言う。

「…それともいっそ彼女の精神を破壊してしまった方が確実ですかね。
危険は伴いますが…、機関にはその手の事に長けた人材もおりますし」





「…やめろ」

「…何故です? 彼女が居なくなれば世界は平和になる」

違う。

「いいじゃないですか。その後でいくらでも朝比奈みくるや長門有希と仲良くすればいい」

違う。

「誰もあなたを責めたりはしない」

そんなのは関係無い。

「そうですね…今夜辺りにでも、拉致する事に致しましょうか」

「…ハルヒに、手を出すな」

「……涼宮ハルヒがどうなろうと、あなたには関係ないのでは?」

違う。

「…関係無い訳ねぇだろ」

「……あなたにとっての涼宮さんは、どのような存在なのですか?」

…ハルヒ。
…俺にとってのハルヒは。

「ハルヒは…俺の…!」





………ってちょっと待て。
俺は今、何て言おうとした?
…えーと、だな。

「…ハルヒは、俺の。なんです?」

…古泉は。俺に掴まれながら笑ってやがった。
いつもの穏やかな微笑で。
……その顔を見た時、瞬時に理解した。

…コノヤロウ。わざと俺を怒らせやがった。

「………おのれ、謀ったな古泉」

「ふふっ、あなたの父上が悪いのですよ」

古泉は悪びれず微笑む。
その視線も見慣れた柔和なもので。
なんて野郎だ。…とんでもねぇ。とんでもねぇよ。

ぐったりと古泉の胸倉から手を離す。
…それにしても、まんまと煽られた。熱くなってた俺が馬鹿みてぇじゃねぇか。
…いくらなんでも演技派すぎる。

「…お前、俺の親父と面識ないだろ」

「それはそうですがね」

ニヤニヤと笑う古泉は、呆れるぐらい、いつもの古泉だった。



「…趣味が悪いぞ、古泉」

「済みません。僕もあまりこんな事はしたくなかったんですが。どうにも切羽詰まって来たもので」

嘘つけ。
ノリノリだったクセに。
…つか、ちょっと本心混じってたんじゃねぇのか?
いや、かなり混じってような気がするんだが。
…あんまり深く考えない方がいいな。

「…そんなに、マズい事になってるのか?」

「えぇ…毎日発現する閉鎖空間に我々も必死で対応していますが…、機関の人間も疲弊しきっています」

…毎日、ね。毎日あんな巨人の相手してたら疲れるわな。

「ですが、それは構いません。何故ならそれが我々の使命だからです。
涼宮さんに託された力、それを我々は誇りに思っている。それを奮う事に何の躊躇いも無い」

そりゃまたずいぶん自己犠牲に根ざした秘密結社だ。

「…けれど、空間の中に居ると感覚出来るんですよ。
…涼宮さんの不安や恐れが。彼女は今、初めて感じるそれらに押し潰されそうになっている」

古泉が俺を見る。
その見慣れた視線は、深い優しさをたたえていた。


「…我々にはこの世界を守る事しか出来ません。…涼宮さんを守るのは、あなたの役目です。」


…やれやれ。
…相変わらずキザったらしいな。
その方法も手段も相変わらず、ずいぶんと回りくどい。

…だが。おかげでようやく気付けた。
…情け無い話だな。本当に。

「…あぁ。嫌ってほど分かったさ。…どっかの演劇部のおかげでな」

俺の皮肉に古泉は浅く笑う。

「役者にでもなった方がいいんじゃないのか?」

「ははっ、興味が無い訳ではありませんがね」

オスカーだって狙えるぜ。
知らんが。








ピリリリリッ


そうこうしている内に古泉の携帯が鳴り出した。

「…呼び出しか?」

「えぇ…残念ながら、そのようです。学生気分に浸れるのはまだまだ先のようですね」

古泉が携帯を確認しながら言う。

「……期待させてもらって、構いませんか?」

古泉は携帯をしまうと、俺に向き直ってからそう言った。

…その言葉の意味は理解出来た。
…正直に言えば自信は無い。
…けれど。

「…なんとかしてみるさ。つか、なんとかするしかねぇんだろ?」

「ご理解頂けて何よりです。それに…個人的な話で恐縮なのですが、これ以上欠席が続くと留年してしまいそうなんですよ」

そう自嘲気味に笑う古泉。
…そりゃオオゴトだ。

「…実は今度、アイツと遊ぶ約束をしててな。まぁ…その時にでも、話してみるさ」

古泉を後輩にする訳にもいかんしな。

「…良い結果を期待していますよ。機関の一員としても、世界の一員としても。…あなた方の友人としても、ね」

…やっぱりキザだなコイツは。
…俺はいい友人を持ったんだろう。



古泉が足早に屋上を立ち去った後、俺は一人、佇んでいた。
ふと視線を下ろせば中庭が見える。

…夕暮れと夕闇の境目の中で、そこに立つは、一本の木。
否が応にもアイツの事が思い出される。


…なぁ、お前は今、何を考えているんだ?

…ハルヒ。お前に会いたい。


























▲ 11月16日 晴れ、強風 ▲


今日、キョンに遊びに誘われた。
嬉しかった。
キョンはあたしの事を気に掛けてくれる。
それは嬉しい。

でも。

たぶん、キョンはあたしじゃなくてもそう言った。
みくるちゃんでも、有希でも。
あたしが普段と違うから。
それはただの心配。
ベツに卑下してるワケでも悲劇のヒロインぶってるワケでもない。
そんなのやってられないわ。
それはただの事実。


キョンが優しくしてくれる度に、あたしはキョンのトクベツで無い事を気付かされる。
薄っぺらい優しさが、人を傷付ける事もあるとキョンは知らない。
そんなのあたしだって知らなかった。

胸が痛いなんてよくある表現だけど、本当に痛むとは思ってなかった。
疼くようにズキズキと。抉るようにグリグリと。あたしの胸を突き刺す。
キョンからもらったペンダント。
そこから根を下ろすように痛みが広がる。


…さっき届いたキョンからのメールには、他のみんなは今度の休みは忙しいって書いてあった。
二人で遊ぼうと。
だから、たぶん、今度の休み。
あたしは笑う。
楽しくも無いのに。


…気に入らない。
最ッ高に最低だわ。


今まで自分の好きにやってきたつもりだけど、人の気持ちがこんなにも思い通りにいかないなんて思わなかった。
自分の気持ちさえも。
人に好かれる事がこんなに難しい事だとは知らなかった。


…どうせなら、誤魔化したままでいればよかった。
キョンへの気持ちに気付かなければ、こんな気持ちになる事も無かった。
そうでなければ、あの時、キスしてしまえば良かった。
誕生日の帰り道。
…そうすれば今とはきっと違っていたハズ。
…出来る事ならやりなおしたい。



…キョン。

…あんたが、見えない。

30: 2006/08/13(日) 16:59:52.81 ID:/os3TJE/0
…硬い。
まず始めに思ったのはそれだ。
ジャリジャリとしていて、それでいて妙に冷たい。

次に思ったのは暗い。
あまりに暗い。真っ暗だ。
そりゃそうだ。俺は目を瞑っていたらしい。

それに気付いたのは、俺の体が意識の覚醒より早く、自然と目を開けた時。



だが。

目を開けた先も。

薄暗い灰色の空間だった。





…おいおいおいおいおいおい。

「………マジかよ」

その光景に瞬時に頭が冷える。
思わず額に手をやり、再び目を閉じてしまった。

…頼む。夢なら覚めてくれ。
…夢だっつっても一級品の悪夢だけどな。

肌に感じるのは冷たいのか暖かいのかも分からないような空気。
音がまるっきり聞こえない。
世界から隔絶された空間。

しかし、目を開けても頬を叩いても灰色の世界にそびえる校舎は消えなかったし、俺の制服姿も変わらなかった。

…やれやれ。
…こんな所に何度も来るハメになるとはな。
10泊11日、閉鎖空間ツアー。

「…ボンビラス星の方がまだマシだな」

確かに俺は寝ていたハズだ。それは間違いない。
歯を磨いた事も覚えているし、妹が歯磨き粉をこぼした事も、寝巻きに着替えベッドに入った事も覚えている。
が。現に今、俺は制服を着て、学校の敷地内のコンクリートの上に寝っ転がっていた。

「…あの馬鹿」

身を起こしながらも、この冗談みたいな空間の主へと向けて、自然と悪態が口をついて出た。
デートにしちゃ気が早いぞ。今度の休みって言っただろ?
それにもう少し雰囲気のある場所が良かったね。お前の場所選びのセンスは最悪だ。
つか、地ベタに俺を置いておくな。せめて保健室のベッドとか何かあったんじゃねぇのか。


…って、そんな事思ってても始まらんな。
…少なくともハルヒはこの空間に居るハズだ。

……居るよな?
…俺だけがこの空間に放り出されたとか、ガチで笑えないぜ?

……やべ、何か不安になってきた。
ちょ、頼む。マジで居てくれ、ハルヒ。

だが、俺の目に見える範囲にはその姿は確認出来なかった。


「…ハルヒッ!!」

とりあえずデカい声で呼んでみる。
音の無い世界に俺の声だけがこだました。

…しばらく待ってみるも、返事は無し。
…つか、何か俺、馬鹿みたいじゃないか?

小さい頃、友達の家に行ってソイツの名前を大声で呼んだら、ソイツの母親が出て来て「息子は出かけちゃってるの」とか言われた気分だ。
…分かりづれぇよ。俺。



「…ん?」

そんなくだらない事を考えていた時、ふと何か違和感を感じた。

…って違和感って何だよ。
違和感もクソも、この世界は違和感まみれだ。
どこも正しい所なんかありゃしねぇ。

…だが、この前来た時とは決定的に何かが違う。
…なんだ? …俺は何が気になってるんだ?



…分からん。
しばらく辺りをさまよってみたが違和感の正体は突き止められなかった。
…ハルヒの姿も無い。

…どこだ。
どこに居るんだ。ハルヒ。

…俺はお前に、会わなきゃいけない。





















ガチャ


誰も居ない暗い校舎を歩き、とりあえず部室に来てみる。
…だが、扉を開けた先は無人だった。

「…くそ」

てっきりここに居るもんだとばかり思ってたが。
…ハルヒが居ない事を理解するとジワッと妙な汗が滲んで来た。

…OK、落ち着けよ、俺。
ハルヒが居ない訳無いだろ。

…だが…もしも。もしもだが…この空間に俺一人だとして、どうなる?
…そんなの決まってる。…答えは緩やかな死。
どっかに飲み水や食う物はあるかも知れない。
だが、それもいつかは尽きる。
つーか、こんな空間に俺一人なんてくたばる前に気が狂っちまう。


…いいから落ち着け。
そんな事考えるなよ。
ハルヒはこの空間のどこかに居る。居るハズだ。

この空気のせいかも知れない。
そう思い気を紛らわすために部室の窓を開けてみたが、風は皆無だった。
…いや、どうやら大気の対流自体存在していないらしい。
…相変わらずとんでもねぇ世界だ。



………前は、ここで古泉が現れたんだっけな。
…あの時、古泉は何て言っていた?

…通常の閉鎖空間じゃないとか言ってたな。
それに後は…ハルヒが世界に絶望したとかなんとか…。

…ダメだ。これ以上思い出せん。
「生めや増やせでいいじゃないですか」とかそんなフザけた言葉しか覚えてねぇ。
俺の記憶力が悪いのか。それとも古泉の回りくどい話し方が悪いのか。
…どっちもか。



「…そうだ」

古泉が小さくなって丸い球みたいになって消えたその後に、長門がパソコンからメッセージをくれたんだった。
…スマン、長門。やっぱり俺は結局お前にどっかで頼ってるんだな。

しかし。
天の助けだと思ったパソコンは電源すら入らなかった。

「…くそっ!」

…電源が入らないんじゃどうしようもねぇ。
腹立ち紛れにディスプレイを叩く。



…後は…何か無いか。思い出せ…思い出せ。
…なんでもいい。どんな小さな事でもいい。

そうして大事な事に気付く。

「…当たり前すぎて忘れてたな」

ハルヒの誕生日の夜、古泉と携帯で話した事を思い出す。
こんな当然な事を忘れてたなんて、どれだけ慌ててるかって事のいい証拠だな。
俺は胸ポケットから携帯を取り出し、ハルヒの番号にかけてみる。

…けれど、その通話口からは発信音すら聞こえなかった。

…なんでだよ。
…なんでなんだよ。
あの時は閉鎖空間に居た古泉と話せたじゃねぇか。



……マズイ。
…焦るな。
落ち着け。考えろ。慌てるな。臆するな。
…方法はある。きっとあるハズだ。
ハルヒが俺だけをこんな所に閉じ込める訳が無い。
そんな事してアイツにどんなメリットがあるってんだよ。

しかし現実問題として、ハルヒは居ない。
そうして古泉は現れない。長門とも連絡が取れない。朝比奈さんからの伝言も無い。


…俺はまさか…ここで…一人で…?




最悪の結末が頭をよぎる寸前、目の前がブワッと明るくなった。途端に部室が光に包まれる。

…感じるのは確固たる戦慄。

「…くそっ…始まりやがった…!」

地面からヌメッと馬鹿みたいにデカく、淡い光を放つ青い巨人が立ち昇る。

…何度見ても慣れねぇ。
アイツら何食って生きてんだ?
…そもそもアレって生きてんのかよ。

って。そんな事悠長に考えてる場合じゃねぇ。
逃げなければ。
あの巨人の気が向いて部室を潰されたらひとたまりもないぞ。
…ハルヒ、お前が選んだデートコースはやっぱり最悪だ。



















「はぁっ、はぁっ…はぁっ!」

階段を駆け下り、外に飛び出し、校庭をひた走る。
逃げながら振り返れば、巨人が校舎をガシガシとブン殴っていた。
…とんでもない光景だが、アレがハルヒのストレスの権化だって言われると、どっか納得しちまうから不思議だ。
校舎を破壊している巨人以外にも、湧き出す巨人が見えた。旧館の方にも、街の方にも、まるで地面から生えてくるように。
ハリウッドもビックリの大スペクタクルだ。

だが、残念ながらこれは映画でも無ければ夢でもらしい。
巨人が歩く度、揺れる地面がそれを如実に物語っていた。


…あの時は隣にハルヒが居たんだよな。
俺はアイツの手を握って、今みたいに逃げて。
でもアイツは俺の手を振り払って…、…それから俺はアイツに。

…思えば、あの時から俺は【そう】だったんじゃないのか?
…いや、違うか。本当はもっと以前から。俺は。




ズズゥゥン…!!

「な、なんだっ!?」

鈍い重苦しい爆音と共に地面が大きく揺れ、思考を中断される。
俺は反射的に姿勢を低くし、必死にバランスを取ろうとした。
後ろを振り返れば、どうやら校舎を叩き壊していた巨人が校舎の一部をブン投げたらしい。
校庭にその残骸が叩き付けられた衝撃が俺の足元を揺らす。

…おいおい。シャレになってねぇぞ。
あんなのが空から降ってきた日にゃ、一瞬でペチャンコじゃねぇか。

逃げなければいけないのは分かる。
…だが、どこに逃げりゃいいってんだ!?

どうする。どうすりゃ、いい。
ハルヒ、お前はどこに居るんだ。



ズズゥゥゥンッ…!!!

再びの衝撃。今度は校舎の三階らしき物が校庭に降ってきた。
つかよ。三階が降ってきたって何だそりゃ…!

「…ぐっ…!」

激しく揺れる地面に立っている事すらままならず、倒れこむ俺。
校庭の土が制服を汚し、口の中に砂が入った。
…くそったれ。砂うめぇ。口の中がジャリジャリして気持ち悪くなるぐらいにな。

…あぁっ、もう、なんなんだよ、これはっ!?
なんでこんな訳の分かんねぇ世界で俺は一人、土に塗れてんだよっ!?


…くそ。分かってる。分かってるって言ってんだろ。
俺は冷静だ。
そんな事を言ったって始まらない事ぐらい分かってる。
今、一番大事なのはすぐに立ち上がって逃げる事だ。















そうして。

気付いた。

立ち上がろうと上を見た時。

それはそこにあった。

灰色の景色。
青い巨人。
破壊される校舎。

それらを全て煌々と照らし出す。


真円の月。







「…なんだよ、ありゃ…」

…同時に今まで感じていた違和感に気付く。
……妙に明るすぎたんだ。辺りには柔らかな月光が降り注いでいる。
以前来た時は、ぼんやりと空が光っているだけで月も太陽も存在しなかった。
けれど、今はそこにそれがある。

…どういう事だ。
古泉の言葉を信じるならこの空間はハルヒが作り出した物。
…ハルヒが、望んだから? …ハルヒが月を創ったってのか? …それなんて弾けて混ざれ?

…フザけてる場合じゃねぇ。

…分かった。認めよう。認めてやろうじゃねぇか。
ここは閉鎖空間で。
今、巨人達は通勤ラッシュの真っ最中だ。
そして、満月。



…ちょっと待て。
…満月?

昨日見た月は…古泉が見上げた月は、確か三日月だったハズだ。

…じゃ、アレは何だ?
俺は何を見てるってんだ?

……よし、落ち着け。
この世界に来てから自分に言い聞かせるのが何度目か分からんが、とにかく落ち着け。

……月は自分で輝いてる訳じゃない。
月の満ち欠けが起きるのは、太陽に照らされる部分が変化するからだ。
…そうして、それが変化する条件は場所。それともう一つ。

暦。



素早く携帯を取り出す。
先程はよく確認しなかった。

…そうして、そこに表示されていた時刻は。


………10月、8日。23時52分。


「………いつから俺はマイケル・J・フォックスになった」

頭の中が真っ白になる。

…俺は確かに11月中盤を生きていた。それは間違いない。
それがどうして過去に戻って来ちまったんだ?
…どうなってやがる。何もかもがデタラメだ。
…訳が分かんねぇ。

…あー…ダメだ。なんか、考えるのとかめんどくさくなって来た。
いくら考えたって分かんねぇ事だらけじゃねぇかよ、ちくしょう。















…ピリリリリッ


…なんだよ?
何の音だ?
ほっとけよ、くそ。
めんどくせぇんだよ。
つか、どっから鳴ってんだよ。
俺の携帯の音じゃねぇ。
誰か、電話鳴ってんぞ。
…誰かって誰だよ。
この世界にゃ俺しかいねぇんだろ?
なのになんだよ、この音は。
明らかに電話の着信音じゃねぇか。
しっかも初期設定とは恐れ入るぜ。
よっぽど機械に疎い人間か、それともそんなのどうでもいい人間の携帯なんだろうな。


………つか。待てよ?
…どーやら俺のズボンのポケットから鳴ってやがる。
…なんでそんな所から?
俺の携帯はここにあるぞ?
………って携帯?

【………気をつけて】

頭の中に、声が聞こえた。

「…長門!」

ズボンのポケットから携帯を取り出す。
それは俺の物じゃない。今日…いや、正確には昨日の、つか一ヶ月以上後の、そんな事はどうでもいい。
とにかく長門から預かった物。

ディスプレイを覗けば、着信・朝比奈みくる。


ピッ


「もしもしッ!!」

『ひくっ、キョ、キョンくんですかぁ!? えくっ、ぶ、無事で良かっ、良かったですぅ!』

長門の携帯から聞こえる涙交じりの朝比奈さんの声。
…電話がこんなにもありがたいと思ったのは初めてだ。
マジさんきゅー、グラハム。

「朝比奈さん、今どこに居るんですか!?」

『キョンくん、落ちつい、えくっ、落ち着いて聞いてね? ひくっ、今、は一ヶ月前、えくっ、過去で…!』

………あの。すみません、朝比奈さん。
全く意味が分からないんですが。



『………失礼』

電話口の向こうから、かすかに朝比奈さんとは別の声が聞こえた。
かと思えば、妙にガサガサした音が聞こえる。その数瞬後、

『…どうですか? そちらの調子は』

電話口から聞こえるスカした声。
…あぁ、コイツの声を聞いてこんなに安心する日が来るとは。晴天の霹靂ってのはこういう事をいうのか。
つか、コイツ、朝比奈さんから電話を奪いやがったな。
その証拠に遠くで朝比奈さんの慌てる声が聞こえた。

「古泉、これはどうなってやがる!?」

『まぁまぁ。とりあえず、落ち着いて下さい』

無茶言うな。

『…三度目の閉鎖空間は如何ですか?』

「…何度来てもロクなもんじゃないな」

『そうですか? そこはそこで僕は結構気に入っている所もあるのですが…残念ですね』

そんな変態はお前だけだ、古泉。


「…今、どこに居るんだ?」

もしかして古泉達もこの空間に来ているかと思ったが、どうやらそれは甘かったようだ。

『我々も学校に居ますよ。ただし、その空間とは全く別の次元。
…そしてあなたが居る時間軸からは一ヶ月後の、ですが』

…やっぱり、か。

「…らしいな。さっき気付いた」

『…おや。あまり驚いていませんね』

電話口からは古泉の意外そうな声。
…驚いてるさ。充分に。

「…お前だけでも、こっちには来れないのか?」

『…えぇ…済みません。前回もそうでしたが、今回の空間もまた非常に特殊なものでして。
…仲間の力を借りても入り込む事さえ出来なかったんですよ』

申し訳なさそうに答える古泉。
…マジかよ。

「…つーことは、だ。…前、ここに連れてこられた時よりも更に状況は悪いって事か?」

『…そう…ですね。ある意味ではそうとも言えます。ですが、それは心のベクトルが問題なのでしょう』

…心のベクトル?
心をユークリッド空間にたとえてみようってか?

『あの時の涼宮さんは、現実世界に退屈し、絶望し、悪戯に全てを作り変えようとしていた。
言うなれば閉鎖空間は、世界を一から構築する為の彼女の砂場だったんですよ』

とんでもねぇお遊戯だな。

『…でも、今回はそうじゃない。今の閉鎖空間は…差し詰め彼女の、殻とでも申しましょうか』

「…殻?」

『えぇ。全てを遮断し、全てを廃し、全てを断絶する為の比類無き鉄壁の防壁としてその空間は存在します。
…ですが、そんな空間でさえも、あなただけは再び必要とされた。
拒絶しつつも欲する。そんな相反した感情が彼女の中でせめぎ合っているのでしょう』

……全く似合わない事してるな、ハルヒ。
つか。

「…そのハルヒは? ハルヒはここに居るんだろ?」

『…恐らく、ですが。
調べた所、彼女はあなたと同じ様に、今こちらの世界に存在していない。
そうなれば、そちら側に居ると考えるのが自然です』

…助かった。
ハルヒはこの世界のどこかに居る。
それを考えると妙に気持ちが安らかになるのが分かった。

…つかさ。
よく考えれば閉鎖空間に来た事も、過去に来た事も前にもあったじゃねぇか。
それでも俺達は【今】に戻れたんだ。

この空間に俺一人なんて言われたらどうしようも無いかも知れない。
でも、この灰色の世界のどこかにハルヒが居る。
それを思えばきっと何とかなる。…なんくるないさ。





『………あまり時間が無い。急いで』

古泉以外の淡々とした声が聞こえる。
それは朝比奈さんの声じゃない。

「…長門もそこに居るのか?」

『はい。この通話自体が長門さんの持つ次元と空間に干渉する能力、それと朝比奈さんの持っていた時間軸に関連するデバイスに因るものです。
…詳しい話は…僕に聞かれてもちょっと困りますが』

「…いや、いい。どーせ聞いても全く分からん」

俺がそう言うと古泉は「僕もです」と、少しだけ笑った。
それから咳払い。

『…こほん。…端的に申し上げます。…彼女の心を占めているのは恐らくは後悔。その感情が時間跳躍に至る原因となったものと思われます』

…後悔、か。

『あなたにも覚えがありませんか? あの時、あぁしていれば良かった。あの時、こうしていれば良かったと思うような事が』

そりゃいくらでもあるさ。

『彼女の中でその気持ちが膨れ上がり、不安や苛立ち、それらと混ざり合い、その空間を形成した。
…あなたなら理解なさっているのでは? 何故、あなた方が再びその日に舞い戻ったのかを』

………なるほどな。月は象徴、みたいなもんか。

『…屋上で話した事を覚えているでしょうか』

…嫌ってほどに。

『…恐らく、それが答えです。あなた方が再びこちらの世界に戻るには、それしか方法は無い』

…分かってる。分かってるさ。



「…なぁ、古泉」

『…はい、なんでしょう』

「今、そっちは何時だ?」

学校に居るとか言ってたけどな。

『時刻…ですか? 午前二時を回った所ですが』

「そうか。…ちゃんと二人を送ってやれよ?」

俺がそう言うと古泉はふっと笑った。
顔は見えない。見えないが、いつもの爽やかスマイルがそこにあるであろう事は容易に想像出来た。

『…あなたも、しっかりと涼宮さんを送り届けて下さい』

やっぱりキザだコイツは。
…だが。俺はそう言われたかったのかも知れん。

「…あぁ。家出娘を必ず連れて帰るさ」

…俺もキザになったもんだな。古泉の影響かね?

『…お待ちしています。………どうかご武運を』

それにしてもコイツはどうにもそういう言い回しが好きだね。



その後、長門に代わってくれるよう伝えた。
しばらくして電話口から落ち着いた声。

『…わたし』

長門の声。
なんだかずいぶん久しぶりに聞いたような気がするな。

「…長門。ハルヒはあそこに居るのか?」

10月8日、長門との電話。
そこから導き出される答えは一つ。

『次元断層が不安定になり過ぎている。時間偏差焦点のずれが正しい座標を認識させない』

…えぇい、朝比奈さんとは違った意味合いで全く意味が分からん。

「スマンが簡単に教えてくれ。…出来るならお前の言葉で」

…俺がそう言うと長門は少し黙った。
その細い息遣いが電話口から聞こえてくる。
そうして長門は…淡々と、だが力強く答えてくれた。

『…恐らくあなたの考えている場所。そこに彼女は居る』

…長門、最高の答えだっぜ。



『…少し待って』

突然、長門がそんな事を言い出した。
…待つ? …何をだ?

『あ、あのっ! キョンくんっ!? ひくっ、ぜったいに、絶対に戻って来てくださいねっ!
わたし、信じてますからっ! 絶対に涼宮さんとキョンくんが戻って来てくれるって、えくっ、信じてますからっ!
そ、そう、おいしい紅茶が手に入ったんですっ! せかんど…ふらっしゅって言う珍しい…ひくっ…葉っぱなんですよ?
だから、あったかい紅茶を用意しておきます…からっ! ひぇ…あ、紅茶に合うようにケーキも焼い、焼いちゃいますっ!
だから…っ…えぐっ…だからぁ…、おねが…ぐすっ…お願い…しますぅ…っ…!』

考えるまでも無く、電話口から朝比奈さんの必死な声が溢れる。
……胸があったかくなるのを通り越して熱くなった。
…ハルヒを連れて絶対に、戻ります。

『…聞こえた?』

朝比奈さんの涙声が聞こえたかと思えば、今度は冷静な長門の声。
…どうでもいいがすげぇ温度差だな。おい。



『…ザー…わたし個人も戻って来て欲しいと…ザ…思っている…』

突然聞こえる妙なノイズ。

「長門?」

『…ザ…時間が……ザー…』

時間切れ。そう聞こえた。

「長門ッ!」

『……来年…ザザ…わたし…ザー…誕生……』

…誕生日?

『二人にも…ザー……祝って……ザザ……だから…ザ…………』

…約束する。

「お前の誕生日、きっと俺とあのワガママ娘と、皆で。必ず祝ってやる!」

『………ザザ……待………ザー……る………プツッ』



電話はプツリと切れてしまい、その後も発信音が聞こえる事は無かった。
…けれど最後に聞こえた長門の声。
…ノイズ交じりの優しい長門の声。

…長門だけじゃない。皆の言葉が俺に力を与えてくれるようだった。
皆の言葉に報いる為にも、俺自身の為にも、必ずハルヒを連れて戻らなきゃならない。

…きっとハルヒは神社に居る。
10月8日、ハルヒの誕生日。
俺達はずっとそこで寄り添っていた。
自然とハルヒの暖かさが思い出される。



…それにしてもよ。
こっから神社まで走るのか。
あのさ。
分かる。分かるぜ。
空気とか流れとかブチ壊しなのは分かる。
でもよ。
…ぶっちゃけ遠くね?

あの時は病院からだったから何とかなった。
けれど学校からは神社ってのは激しく遠い。
…いやいや、アレだよ。
疲れるのが嫌だとか、走るのがめんどくさいとか、そういうんじゃないんだ。
やっぱりハルヒを長い間、一人っきりにするのはジェントルロードに反するだろ?

…って俺は誰に言い訳してんだ。


…車か?
…この世界が偽物だとしても、駐車場に行けばたぶん誰かの車がありそうだ。
…いや、ダメだ。鍵が無い。
そもそも免許が無い。
警察は居ないだろうが、運転に全く自信が無かった。
こんな誰も居ない世界で対物事故とか情けなさ過ぎる。

…他に何か移動手段は無いか?
何か…何か。


…待てよ。
……俺は普段どうやって学校に来ていた?

…そう。ここは偽物の世界だ。
ハルヒが作りだした偽物の世界。
…もしかしたら、あるかも知れない。

















学校の校門を飛び出し、長い坂を一気に走り降りる。
ヒザがカクカクと笑うが今はそんな事、気にしちゃいられない。
巨人はゆっくりと、だが着実に数を増やしていた。
…その内、この街が巨人に埋め尽くされるのかもな。
別にこの街が好きって訳じゃない。
じゃないが、生まれ育った街が破壊されるのは見てて気持ちのいいもんじゃないからな。
その前にケリを付けなきゃならない。

坂を降り終えれば、そこには橋。
水は流れていなかった。枯れた川ってのはどーにも不気味だね。

橋の向こうにはちょっとした階段。
真っ暗だったら危なっかしくて降りられなかったかも知れない。
けれど今は月光が俺の足元を照らしてくれていた。
ハルヒよ、月まで召還したのはいい仕事だったな。

階段を二段飛ばしで降りれば信号。
そして、車の通る事の無い信号を渡った先。


「あった…!」


そこにそれはあった。
自転車預かり所、管理ナンバー4番。
乗り慣れた俺の愛車。

…昔、一度だけハルヒを後ろに乗せて帰った事があった。
つか、アイツが無理矢理、乗って来たんだが。
夕暮れの坂をハルヒを後ろに乗せて駆け下りたあの日。
ハルヒはとてもいい顔で笑っていた。

…ハルヒはあの日の事を覚えていてくれた。
だからこの自転車がここにある。
その自転車は俺がここに居てもいいと言ってくれているようだった。
必要としてくれている、その実感。

何やら古びた自転車が誇らしく見えた。
今の俺にとっちゃ、どんな外車や高級車よりお前の方が頼もしい。


自転車に飛び乗る前、もう一度携帯を確認したが23時52分から一分たりとも経っていなかった。
それはアイツを家に送り届けた時間。
そこにある後悔。思い当たる事はたった一つ。

「……あのツンデレがッ!」

勢いよく自転車を漕ぎだす。
待ってろ、ハルヒ。
今、迎えに行ってやるから。

31: 2006/08/13(日) 17:12:45.64 ID:3GPl+1V10
≪God knows...≫


誰も居ない街を自転車を駆り、ひた走る。
存在しないと思った風は確かにそこに在った。
動き出さなきゃ、何も感じられない。
話さなければ、何も伝わらない。
昔、果報は寝て待ってちゃいけないとか言ってたよな。
今ならお前の言う事にも頷けそうだ。

ハルヒ。会いたい。会いてぇよ。
理由なんかねぇ。そんな事に理由なんか要るかよ。

景色が次々と流れていく。
長い坂、踏み切り、市民グラウンド、駅前。
その全てにハルヒが居た。
俺達はこんなにも長い間一緒に居たのに。
お前に話したい事が、伝えなきゃならない事が山ほどある。





「はぁっ…はっ…くっ…はっ…はぁっ…!」

ガシャッ!!

自転車を乗り捨てる。スマン愛車。
肩で息をする俺の目の前にはそびえ立つような神社の階段。
…前に来た時、二度と登る事は無いと思ってたんだが。
また今度があったじゃねぇか、ちくしょう。

足が棒みてぇだ。感覚が鈍い。
ここまで正に全力疾走。俺は競輪選手になれるかも知れない。
ならんが。

だけど、こんな所で休んでる訳には行かない。
神殿への長い長い階段。それを立ち止まらず、振り返らず、一気に駆け抜ける。


「ゲホッ! はぁっはっ…はぁっ…!」

ノドが乾き、張り付く。
呼吸がおかしい。
筋肉が悲鳴をあげやがる。
だが、そんな事よりも俺の頭は一つの事で一杯だった。

ハルヒ。

お前は何を考えていた?
何を思い、何を考え、こんな馬鹿でかい空間に閉じこもりやがった?
話せば良かったんだ。
俺に何でも言ってくれれば良かった。
どうでもいい事はペラペラと次から次へと話す癖に、大事な事は語ろうとしやしねぇ。
お前が何か悩みを抱えてるなら力になりたかった。痛みを分かち合いたかった。
お前が話したくないってんなら、それでもいい。
何も出来ないかも知れない。それでも、お前の側に居てやりたい。






ダンッ!

「はぁっ…げふっ…ゴホッゴホッ! ゲホッ! …はぁっ…はぁ…!」

勢い良く階段を上りきる。
神社はあの日と全く変わっていなかった。
巨人もここまでは現れていないようだ。

つか。死ねる。マジでくたばる5秒前。

自転車を飛ばして、階段を走り抜けて。
全身から滝のように汗が流れていた。
心臓は破裂寸前。
…致死量の運動量だぜ、クソが。

だが、それももうすぐゴールだ。

最後の力を振り絞り、境内を駆け抜ける。
そうして、たどり着いた扉。
神社の本殿への扉を、パンッと開け放つ。



「ハルヒっ!」

…そこに、居た。
暗い神社の中、その壁際に、体操座りで。
あの日、隣に俺が居た場所に。ハルヒは一人っきりで。

「キョ、キョンっ!?」

ハルヒの驚いた顔。
あぁそうだ。
俺だ。そうしてお前だ。
会いたかった。

「なんであんたここに居るのよっ!?」

お前が勝手に引っ張って来たんだろうが。
そんな事はどうでもいい。
今は。ただ。

「はぁっ…はぁっ…! ハルヒ、聞いてくれ、俺は…!」

止められない。止めたくねぇ。
けれどハルヒは。

「…やめて。…聞きたくない」

俯く。
その表情は見えない。

「ちょっと待てよ、俺は、お前に!」

「…聞きたくないって言ってんでしょっ!」

そうかと思えば、神殿の中から俺を押しのけるように飛び出すハルヒ。
賽銭箱を踏み台にすんのはどーかと思うぞ。

「ハルヒ! どこ行くんだっ!」

その姿が真っ直ぐ境内を突っ切り、階段に消えて行くのが見えた。

………おいおい。マジか。
……降りろって?
…今、必死に登ってきたばかりなんすけど。
ヒザとかガクガクしてんすけど。

………あの馬鹿。



「くそっ…はぁっ…はっ…!」

ハルヒを追いかける。
階段の上から見下ろせば、階段を駆け下りるハルヒ。
そんなに俺と話したくねぇってのかよ。
…上等だぜ。追いかけりゃいいんだろ。追いかけてやる。

誰も居ない灰色の世界で、ハルヒとの追いかけっこ。
ハルヒの制服だけが白く輝いて見えた。
見失う訳にはいかない。
死んでも、食らい付いてやる。

「なんで、逃げんだよ!」

階段を駆け下りながら叫ぶ俺。

「付いてくんな、バカっ!」

意味が分からん。
付いてくんなとか何だよ。
じゃあ、そんな顔で振り返んなよ。
明らかに付いて来いって言ってんじゃねぇかよ。
…そんな顔のお前を一人で放っておけるかよ!



「はぁっ…はぁっ…! ハルヒは…!?」

転げ落ちるように階段を駆け下り、素早く左右を見渡す。
住宅街をひた走るハルヒの背中はやたらに遠かった。
…あのアホが。なんでそんなに足速いんだ。
俺の体力なんてもうカケラも残っちゃいないんだが。

……迷ってる場合じゃねぇ。
ぶっちゃけダッシュで追いつける自信が欠片も無い。
さっき捨てた自転車を引き起こす。
女一人追っかけるのにどーかと思うが、これぐらいのハンデはいいだろ?







「待てよっ! ハル、ヒっ!」

「…ッ!? あんた、自転車なんて卑怯だと思わないのっ!?」

走りながら振り返るハルヒ。

思わねーよ。
つか、お前の足が速すぎるのが悪い。
…そう言えば、あの日、この道を二人で帰ったんだったな。

「ハルヒ、止ま、れっ!」

逃げるハルヒと追う俺。
スピードはかなりのものになっていた。

「なんなの!? なんなのよこの世界は! なんで誰も居ないの!? なんでまたココに来たの!?」

…そんな事、簡単に説明出来るか。
俺だってよく分かんねぇよ。つか、止まれっての。


やっぱり自転車と走りの違いで。
その内、ハルヒの背中に追いつく。
だが、こっからどーする。
ハルヒは止まりそうに無い。

「はぁっ…はっ…はぁっ…はぁっ…!」

…それこそ迷ってる場合じゃねぇ。
そんなに漕ぎ続けてられる自信が無い。
疲労は極限を超え、俺の全身に重たくのしかかっていた。

…やるしか、ねぇ。
バランスを取り自転車のペダルの上に立つ。
そのまま自転車を捨てて、ハルヒに飛びついた。


ガシャンッ!!!

主を失った自転車が派手な音を立てて、後ろに吹っ飛んでいく。



ゴロゴロゴロ…!


「くっっっ!」

「キャァッ!」


ハルヒともつれ合うようにして地面を転がる。

…痛ぇ。…流石に無茶が過ぎた。こりゃどっかから血が出てるな。
咄嗟にハルヒの頭を抱えたがケガとかさせてないだろうか。
ハルヒの様子を確認しようと、地面に手を着き身を起こす。


………つか、なんだこれ。
気付けば俺がハルヒを押し倒しているという構図が出来上がっていた。
…はたから見たら俺がハルヒを襲ってるな、こりゃ。
…それでもいいか。そんな事はどうだっていい。

「…はぁっ…はぁっ…なんで…逃げ…んだよっ…!」

全力で呼吸するもうまく喋れない。
今の俺の体は声を発するよりも何よりも酸素を欲しがっていた。

「…ッ…! あんた何考えてんのよ! 痛いでしょ、バカ!」

…そりゃそーだ。走ってる自転車から飛び降りた人間と、走ってる人間同士がぶつかったら痛いわな。
つか、俺だって痛ぇよ。

「はぁっ…はぁっ…お前が…逃げるから…だろ…!」

「逃げてなんか…ないわよ」

………俺に押さえつけられたハルヒは、それでも顔を背け、俺の目を見ようとしなかった。

「…はぁ…はぁ…。…嘘つけ。思いっきり逃げたじゃねぇかよ」

「………あんたが追っかけるからでしょ」

ハルヒは俺の目を見ない。…言い知れぬ不安。苛立ち。


「…ハルヒ、嘘はやめろ。お前らしく無い。俺の目を見ろ」



俺がそう言った瞬間。
ハルヒがギンッと俺を睨んだ。
久しぶりに見たハルヒの視線は怒りに満ちていた。…むしろ、殺気立っていた。
…地雷?


瞬間、ハルヒが俺の腕を払う。

マズイ、倒れる。

そうかと思えばハルヒが素早く体を捻り、倒れこむ俺の体を避けると、強制的に俺の体をひっくり返しそのまま地面に叩き付けた。


ガツッ!

「ぐふっ!」

…背中に強い衝撃。
ハルヒと俺の体勢は一瞬で真逆になっていた。
俺の上に馬乗りになるハルヒ。月光の逆光。

「………なによ…、…なによなによなによなによなによ!
あたしらしさって何!? あんたに何が分かるってのよ!!」

久しぶりに見たハルヒの視線。
それは怒りに震えていた。

「あんたはいいわよね、一人だけいつもと変わんなくて!
あたしが、どれだけ、どんだけあんたのコト考えてたと思ってんのよっ!!」

……その烈火の瞳に、大粒の涙が浮かぶ。
…誰だよ。コイツを泣かせた奴は。
俺がぶっ飛ばしてやる。

「手を繋いだ時だって、おべんと食べてくれた時だって! あたしがどれだけ嬉しかったか、あんたに分かる!?」

…いや、違うな。コイツを泣かせたのは俺だ。
スマン、谷口。約束、破っちまった。

「膝枕だって脚が痺れたけど…でもあんたと一緒に居たかったからっ!!」

初めて見るハルヒの涙。

「ペンダントだってスゴク、スゴク嬉しかったっ…!」

その瞳から涙がこぼれ、俺の胸に落ちる。
一筋の熱い雫。

「でもあんたが…何考えてるか…分かんなくて…!」

涙に歪むハルヒの顔。そうして絶叫。

「…あんたが遠いの…こんなに近くに居るのに…っ…! なのに、あんたが遠い…、遠いのよッ!!!」



…あぁ。そうか。
俺は馬鹿だ。
ハルヒは、こんなに。
それなのに俺はずっと気付かない振りをして。自分をごまかし続けて。
こんなにもハルヒを傷付けて。

初めて触れる、むき出しのハルヒ。
その魂はささくれ立っていた。
俺が踏み荒らしたその心。
その傷跡をなぞるように、ハルヒを抱きしめる。

「………キョ…ン…?」

ハルヒの動きが止まる。

「…ハルヒ」

今までずっと言えなかった。
俺がチキンだから。俺がミジンコだから。
でも。もう逃げる訳にはいかない。
だから。今、全てを。


「…好きだ。」


お前と過ごして来たこの半年。
なんだかんだで、楽しかったんだ。
お前が居たから。居てくれたから。
もう迷わない。









俺の言葉を聞いたハルヒは抱きしめられたまま石化したかのように固まっていた。

「…ハルヒ?」

…リアクションが無いと凄まじく恥ずかしいんだが。


「…遅い。」

その内、ポソッと呟くハルヒ。
…そうしてそれは、ゆっくりと嗚咽に変わる。


「……おそい………おそい……おそいおそいおそい…!
ホント遅いのよ…このドンガメ…! バカ…バカぁ…っ…!」


ハルヒはぎゅっと俺の服を掴み、俺の胸に顔を埋めた。
細い肩が震えている。その指先は白くなるほどに力が込められていた。
…ハルヒの気持ちが切実に伝わる。

「…スマン、今まで、待たせて」

「…バカキョンのクセに…あたしを…待たせるなんて…ぐすっ…千年…早いんだから…!」

ハルヒの顔は見えなかった。
…けれど涙声。
…本当にゴメンな。

謝罪と愛しさと。
その気持ちだけでハルヒを強く、強く抱きしめる。
ハルヒもそんな俺に答えてくれた。

二人だけしか居ない灰色の世界。
ごまかし続けた時間を取り戻すため、乱暴に抱き合う俺とハルヒ。
月は俺達を祝福するかのように淡い光を放っていた。

…なぁハルヒ。
…俺達、ずいぶんと遠回りだったな。
けれど、やっぱりお前は、暖かい。










































そのままハルヒは俺の胸に顔を押し付けたまま、声も無く泣いていた。
…何故分かるかって、俺の胸が濡れているからだ。
それにしても重い。…つか、柔らかい。ハルヒの体が完全に俺と密着していた。
……なんかこのままだと変な気分になってきそうだ。
…間近にあるハルヒの髪からは甘い匂いがする。

「…ハルヒ? 落ち着いたか?」

しばらく経った後、声をかけてみる。

「…うん」

力ない声。
…やれやれ、急にしおらしくなりやがって。

「じゃあ、どいてくれ」

……この状況に照れてるって訳じゃないぞ。
正直な話、このままで居るってのはかなり問題があるんだ。
…性的な意味で。

「ヤダ」

間髪いれず答えるハルヒ。

「なんでだよ」

「…今、あんたに顔見られたくない」

…そりゃひどい事になってるだろうからな。

「…それに、もうちょっとだけ、こうしてたい。
…今までずっと我慢して来たんだから。…少しぐらい、甘えさせなさいよ」

……そう言うとハルヒは子猫が甘えるように、俺の胸に顔を擦り付けた。
…くすっぐたいっす。
…つか、あの。…お前誰だよ。
…ハルヒか。…ハルヒだな。…まごう事なきハルヒだ。
何やら可愛すぎる気もしたが。どーやらハルヒらしい。

「…なんか…こーしてるとキョンに抱っこされてるみたいね」

みたいじゃねぇよ。
実際そーなんだよ。

「まぁ…いいけどな…」

出来るだけ優しく、ハルヒの髪を撫でる。

「…それ、好き」

「…ん? 何がだ?」

「…髪、撫でてくれるの。…もっと、して?」

…あの、涼宮さん。
もっと、して? とか甘えた声で言わないで頂きたい。
ただでさえ、お前がモゾモゾ動くもんだから、その下半身の柔らかさがダイレクトに伝わるってのに。
…いや、ふとももとかって意味だぞ? …他に変な意味なんて無いんだからな?
…って俺は誰に言い訳してんだ。

………つか、ヤバイ。俺のジョニーが覚醒しそうっす。
……バレたら間違いなくボコボコにされるな。
…静まれ。俺。









「ねぇ、キョン?」

俺が内心の青春と戦っていると、ふと思い付いたようにハルヒが話し始めた。

「…なんだ?」

「あんた…その…いつからだったの?」

いつから?

「…何の話だ?」

「だから、あんた、いつからあたしのコト…好きだったの?」

………なんだその質問は。






rァ羞恥プレイの星の加護

すてる

それをすてるなんてとんでもない!






えぇい、もはや懐かしいんだよ、くそが。
つーか、俺はまだそれを装備してたのか。

それにしても…だな。
…なんて答えりゃいい。

「…答えなさいよ」

ハルヒがようやく顔を上げて俺の顔を見た。
その瞳はやたらと潤んでいる。…そりゃそうだろうが。

「…少なくとも、結構前からだったぞ」

「結構前っていつよ」

ハルヒの追求がやたら厳しい。

「そう…だな。お前の誕生日には、もう…そうだったのかもな」

…本当はもっと以前から。そんな気もするが。
…わざわざ自分から恥ずかしい事を言い出す事もあるまい。

「…そうって何? ちゃんとハッキリ言いなさいよね」

…その顔を見ればハルヒは上気した頬でニヤけてやがった。
…このヤロウ。無駄に言わせようとしてやがるな。

「だから…」

「…だから?」

「誕生日の頃にはもうお前の事………ふぃきだったよ」



ハルヒが('A`)って顔をした。

「……今かんだ。ちゃんと言いなさいよ」

……いや、かんだ訳じゃないんだ。
何やらうまく口が回らない。
さっきは頭に血が登っていたから素直に言えたが、冷静になるとどれだけこっ恥ずかしい事を言ったのかが自覚出来る。
…それに告白なんて何度もするもんじゃないだろ。それを分かってくれないかハルヒよ。

「えーと…だな。…お前が、うぃきだ」

自分で編集も出来るぜ。

「……あんた、バカにしてんの?」

違う、違うんだ。
その、だな。なんつーか、うまく喋れん。

「…そういうお前はどうなんだよ」

ハルヒの追求を逃れるために同じ質問を返してみる。

「…あたし? あたしは………。
…ううん、やっぱり教えてあげない。だってあんた、言ってくれないもの」

そう言い挑発的に笑うハルヒ。
…膝枕事件を思い出す笑顔だった。
…そう言えばあの時と状況が似てるな。
膝枕か馬乗りかって違いだけだ。

「…俺が言ったら、教えてくれるのか?」

「いいわよ? ヘタレなあんたが言えるなら、ね」

…コイツ、馬鹿にしてやがるな。
よし、分かった。言ってやる。いくらでも言ってやるぜ。
…別にハルヒに好きって言われたいからって訳じゃないが。
…本心だからな。…しょうがねぇ。

「…出会った時から、お前が好きだ」

俺がそう言った途端、ハルヒが俺の胸をきゅっと掴んだ。

「………さ、さっきと言ってるコトが違うじゃないっ」

そっぽを向く、その顔は真っ赤だ。
…照れるぐらいなら言わすなよ。



「…で? お前は?」

ただ言わされたんじゃたまらねぇ。
…そもそも俺はハッキリお前の口から聞いてないぞ。そんな訳で。
俺のターン!
ブラックマジシャンを攻撃表示で
以下どうでもいい。


「あたしはっ…その…」

ハルヒは俺の上で何だかモジモジしている。
…なんつーか。似合わない仕草だな。

「なんだ? 言ってくれないのか? 俺が言ったら、お前も言うって言ったのに。
そーかそーか、神聖で高貴なるSOS団・団長様が嘘を付いたのか」

…俺も意地が悪いね。

「ウ、ウソなんかじゃないわよっ!」

「じゃあ言えよ」

「…う…。…分かった。言うわよ。言えばいいんでしょ。
一回しか言わないんだからね? 耳かっぽじってよーく聞きなさいっ?」

お前は俺に二度も言わせた癖に自分は一回しか言わないつもりか。
流石SOS団・団長様だな。格が違ぇ。

「あー、あー、こほんっ」

団長様は喉の調子をお整えになると、俺の上でモゾモゾと動き、その顔をグイッと近付けて来る。
…近い。つか、近い。…デコがくっ付きそうなんだが。

……俺の視界を埋め尽くすハルヒは、何かを覚悟したかのような顔をしていた。



「…あたしも。」

震える唇。

「あんたが…好き。ずっと前から。」

甘い囁き。



…ずっと前ってのがいつの事かが気になったが、今はこの際どうでもいい。
そんな事は後で聞こう。
今、俺の頭はそんな事を考えてられる余裕が無い。

…何故って、ハルヒの唇が俺のそれに近づけられているからだ。
…その目はしっかりと閉じられていた。


………俺も、目を瞑った方が、いいよな。














…しかし。しかしだな。
俺が目を瞑った瞬間ハルヒが声をあげた。

「…なーんかこぅ、しっくり来ないわね」

…俺が目を開けた時、ハルヒは既に俺の顔すら見ちゃいなかった。
身を起こし、明後日の方を向いて、顎に手をやり、何かを考えている。
…つか、俺の上で体を起こすな。…当たる。当たるから。
…何がかは口が裂けても言えんが。

「…何がしっくり来ないってんだよ」

「うーん…そーね…。やっぱりムード! ムードが足りないのよ!」

…おい。
この甘々空気ですら足りないってのか。
これ以上甘くなったら糖尿病になるぞ。

「ね、キョン」

ハルヒが俺の肩をガッと押さえ見下ろす。
…背中のコンクリが痛ぇよ。

「あんた、あたしの好きな所、10コ言いなさい」


………コイツの頭は杏仁豆腐で出来てるのかも知れない。

「…なんで俺がそんな事を言わなければならんのだ」

「いいじゃない、減るもんじゃないし。…それとも………」

ハルヒが俺の唇にそっと触れる。

「………あたしとキス、したくないの?」

舌を出して自分の唇をペロッと舐めるハルヒ。
その唇が魅惑的な柔らかさで揺れた。

………あぁっ! さっきからなんなんだコイツは!?
…いくらなんでも小悪魔すぎる。

……分かった。分かったよ、言えばいいんだろ。
…したいさ。そりゃしたいに決まってるだろーが。くそったれ。



「…そう、だな。…顔は好き、だ。…結構。…あとは……えーと…だな…。……スタイル、いい、よな」

「それから?」

何この屈辱感。何この負け犬気分。
ハルヒが腫れた目でニヤニヤ笑ってやがる。

…なんだかその顔を見ていたら、素直に言うのが馬鹿らしくなってきた。


「…あと超絶ワガママな所。すぐにキレる所。
あまりにも気分屋。都合の悪い話は耳に入らない。
他人をブンブン振り回す所。自己中オブ自己中。
気に入らない奴には速攻ドロップキック。コスプレの趣味。
…これで10個か?」

言い終えた時、ついさっきまでニヤニヤしていたハルヒは途端にキレそうな顔をしていた。
…つか、俺の肩にハルヒのツメが食い込んでるんですが。
…我ながら的確だな、俺。

「…あんた、あたしを怒らせたいワケ?」

…ダメだな。
ハルヒを相手にするとどーにも素直になれん。…まぁ、それはコイツも一緒か。
…ゆっくり時間をかけて素直になっていきゃいいさ。…お互いに。
…とりあえずは、一つ、素直になるとしようか。

「……そんなお前の全部をひっくるめて、好きって事だ」

…何言ってんだかね俺は。古泉菌にでも感染したのかも知れない。

「…ッ…! …バッカじゃないの。…自分で言ってて恥ずかしいと思わない?」

…あぁ、俺もそう思う。
けど、まぁ…いいじゃねぇか。
…お前のそんな照れた顔が見れたんだからな。



「…お前も、言えよ」

「…あんたの、好きな所?」

「…あぁ」

…ハルヒに好きって言われると背筋がゾクッとするな。
…これは永遠に慣れないかも知れん。

「…そーね」

ハルヒの瞳がイタズラに輝く。



「まずバカな所でしょ、それからアホな所」

純然たる悪口じゃねぇか。
…反撃のつもりかね。

「それからヘタレ。それとエっローな所」

…エロい所が好きってどーなんだ。
つか、エロくねぇよ。

「それと…鈍感な所に…、…あたしを気にかけてくれる所」

…甘くなるハルヒの声。その体がくてっと俺にしなだれかかる。
ハルヒの重さが心地よかった。…いや、そんなに重くないが。…やっぱり華奢だよな。
…というか。何か胸に当たるんですけど。
…コイツ、わざと当ててんじゃねぇだろうな。

「…イザって時には助けてくれる所。…あたしを好きでいてくれる所」

間近にあるハルヒの唇がゆっくりと囁く。
…その声を聞いていると何だか頭の芯がボーッとしてくる。

「…素直じゃない所…」

お前にだけは言われたくねぇよ…。

「あと…バカな所ね」

…バカ二回目。





「…ねぇ、キョン? 責任、取りなさいよね。…もうあんたじゃなきゃ…ダメなんだから…」

…奇遇だな、ハルヒ。俺もそう思う。

溢れる気持ちそのままに、その細い体をぎゅっと抱きしめる。
ハルヒの華奢な体はやたらに抱き心地が良かった。
ぴったりと、はまる感覚。

…ダメだ。ぶっちゃけ、もう、離したくねぇわ。

俺の気持ちが伝わったのか。
ハルヒの瞳がスッと閉じられる。

それはまるで誕生日の夜、その焼き増し。
けれど、あの時とはハッキリと違う事が一つ。
今はしっかりとハルヒとの気持ちの繋がりを感じた。



「…ハルヒ」

「…ん」

欲望のまま。ハルヒの頭をそっと引き寄せる。



…ここまで長かったよな。
本当に俺達、遠回りばかりでさ。
帰ったら、皆に礼を言わなきゃいけねぇな。

けれど、今は。何よりお前に、ありがとう。

お前が生まれて来てくれて。
お前に会えて、嬉しい。
心から、そう思うぜ。





そうして。

誰も居ない灰色の世界で。

俺とハルヒの距離はようやく0になる。







その瞬間、世界は急速に色付き、混ざり合い、そして収束していった。
…なんだ、天と地がひっくり返る事なんて、ザラにあるじゃねぇかよ。

…こんな簡単な事だったのにな。
俺達はわざわざこんな灰色の世界くんだりまで来て、ドタドタ走り回って、ギャーギャー騒いで。

…まぁ。それもまぁ、俺達らしいっちゃ…らしいか。


…な、ハルヒ―――。

32: 2006/08/13(日) 17:22:43.10 ID:oMAoQ0FAO
「…ねぇ、キョン。ずーっと思ってたんだけど。これは夢なの?」

「…夢…っつーか、現実っつーか。その間みたいなモンだな。俺にもよく分からん。詳しい事は古泉に聞け」

「なんでそこで古泉君が出てくるのよ?」

「色々あるらしいぞ。俺には分からんが」

「…ふーん。…じゃあもしかして、あんた今日のコト覚えて無いの?」

「いや、覚えてるさ。…前にここに来た時の事、お前だって覚えてたろ?」

「…あ。じゃあポニーテール萌えなんだ、とか恥ずかしいコト言ってたの、アレも夢じゃなかったのね?」

「……そうなるな」

「…あの後もあんた、あたしにキスした」

「…う。あれは…だな。そうしなきゃならなかったっつーか…なんつーか」

「いいわよ、慌てなくて。…あたしだって、嬉しかったんだし」

「…光栄だね」

「でも…良かった。せっかくこうなれたのに無かった事にされちゃたまんないわ」

「…俺だってそうだ」



「じゃあ約束して?」

「何をだ?」

「明日の朝、あんた、あたしにキスしなさい」

「…は? …なんだそりゃ」

「そうしたら、あんたもあたしもこれが夢じゃないって分かるでしょ?」

「…いや…それはそうかも知れんが。…他に何か無いのかよ?」

「それが一番分かりやすいじゃない。…それともあんたはあたしとキスするのイヤ?」

「…嫌って訳じゃないが」

「…あたしは好きよ。あんたとキスするの。なんか…とろけそーになる」

「……分かった。分かったから。キスすりゃいいんだろ。だからそれ以上、刺激的な事を言わないでくれ」



「へっへー。分っかればいいのよ。…それと。刺激的で思い出したけど。あんたさっき………おっきくしてたでしょ」

「ななななななんの話かね、涼宮さん」

「……当たってた」

「…それは…だな………生理的なものっつーか…お前が…あまりにも…だな…」

「…こーふんしたの?」

「……好きな女にベタベタくっ付かれてキスして。…それで平然としてる男なんて居ないと思うぞ」

「へー? そーなんだー? キョンはあたしとえっちしたかったんだー?」

「…勘弁して下さい」

「…なんならついでにしちゃえば良かったかもね。ここならナマでもナカでも大丈夫そーだし」

「………お前は鼻血が出そうな事を平然と言うな」

「…まぁ、それは現実に取っておくとしましょ。…あたしの初めてなんだから、大事にしなさいよね?」

「………サー、イエッサー」



「…あ、それからキョン。…一つ、言い忘れてたわ」

「まだ何かあるのか? そろそろ時間切れっぽいぞ」

「これだけはハッキリさせとかなきゃいけないの!」

「分かった分かった。だから暴れるなっての。…んで? ハッキリさせとかなきゃいけない事ってなんだよ?」

「…えと…あ、あたしと付き合いなさいよっ」

「……なんだかね。…順序が逆になっちまったな」

「なによ。あんたが言い出さないからでしょ? ってゆーか、フツーこういう事って男が言い出すもんじゃないの?」

「…そうかもな」

「ホンットあんたってヘタレよね」

「…なんだよ。なんならやり直すか?」

「あ、いいわね、それ。ほら、あんたから言いなさいよ」



「あー…と、だな。…その。…えーと」

「………」

「…悪かったよ。だからそんな顔すんな」

「………ぶー」

「……可愛い可愛い子豚さん。どうか俺と付き合ってもらえませんかね」

「…ぶーぶー♪」





































☆ 10月8日、曇りのち雨、ところにより満月 ☆


…この日付の日記を書くのはこれで二回目。
なんだかスゴク不思議な気分。
でも神社の中でキョンに掛けようとした携帯には、確かに10月8日って出てた。


…あれは夢? あの空間はなんなの?
灰色の世界がぐるぐるってなって、キョンと溶け合うみたいになって…。
…気付いたらベッドの上に居た。フツーに考えたら夢って事なんだろーけど…。

…ううん、夢じゃないわよね。
キョンの唇の感触がまだ残ってるから。


好きって言ってくれた。
なによ。やっぱりキョンだってあたしの事好きだったんじゃない。
しかも出会った時からとか、恥ずかしい事まで言ってたし。

…好きで居てくれたんだ。

それにしてもホンットここまで長かった。
キョンがチンタラしてるから悪いのよ。
ずっと好きだったなら、もっと早くに言ってくれても良かったんじゃないの?
…ホント素直じゃないんだから。バカ。


けど、やっと。
伝えられた。
その事が、嬉しい。


…明日、どうなるかな。
キョンは、してくれるのかしら?

…ううん。どーせあのヘタレの事だから自分からなんて出来ないハズ。
いいわ、あたしからしてやるんだから!

もう悩むのはヤメ。

感じるままに感じることだけをしよう。
答えはいつも、私の胸に。


































翌日の朝。

眠い目を擦りながら玄関から出ると、ハルヒがそこに居た。
相変わらず偉そうに腕を組んで。

「遅い。」

…やれやれ。こんな所まで焼き増しか?
今朝は待ってろって言った覚えは無いんだが。
…けどよ。そう言われたら、こうやって返すしかねぇよな。

「…でも、寛大なお前は哀れでドンガメな俺を許してくれるんだろ?」

だが俺がそう言うと、ハルヒは。

「…ううん、許してあげないっ!」

「…ッ…!?」

ハルヒが、俺の腕の中に飛び込んで来た。
思わず抱きとめる。
つか、抱きとめるしか選択肢が無いだろ。

「…あのな。…お前、朝から何してんだ?」

「…なによ。あんた、昨日のコト、覚えて無いの?」

…腕の中のハルヒの不安そうな上目遣い。
…覚えてる。覚えてるさ。

訳の分からない空間に引っ張り込まれて、馬鹿でかい巨人どもに追っかけ回されて。
駆けずり回って、逃げられて、押し倒して、押し倒されて、告白して、キスして、もう一度告白させられて。

…忘れようったって、忘れられるかよ。…忘れる訳ねーだろ。
昨夜だって長門や朝比奈さん、古泉にどうやって昨日の事を話そうかと、そればっか考えてて一睡も出来てねぇ。

「…いや、覚えてるが」



俺がそう答えた途端。

「…ッ…!?」

ハルヒの顔がパアッときらめいたかと思えば、俺の頭がガッと引き寄せられ、唇に甘い感触が押し付けられた。

…おい。
……なんだこれ。
………家の玄関から出たら突然唇を奪われたんだが。

…顔が赤くなっているのを自覚出来る。
…唇を離したハルヒの顔も、やっぱり赤かった。


「…何してくれてんだ、お前。…ずいぶんと積極的じゃねぇか」

「へっへー。あんたの事だからどーせ出来ないと思って気を遣ってあげたのよ」


俺の腕の中のハルヒ、その挑発的な笑顔。
昨夜、月光に照らされていたその笑顔は陽光の下で更に輝いて見えた。
……ダメだ、コイツ。
…可愛すぎる。かも知れない。

「三度目の…ファーストキスね」

ハルヒは自分の唇を触ると、照れたようにそう言った。
…恥ずかしいセリフ禁止だっつってんだろ。

「…でもあたし、三って数字キライなの」

そう言うと。
ハルヒは、目を閉じた。
顔を少しだけ、上に向けて。
その唇を、捧げるように。

…あの、だな。
こんな朝っぱらから自宅の目の前でイチャイチャしてる俺達ってどーなんだ?
それにしたとしてだな。今度は「四って数字キライなの」とか言い出すんじゃないのか?


………いや。…それも、まぁ…いいか。

…つか、キスしたくて。
…しょうがねぇわ。



今度は俺からたっぷりと口付ける。

…舌とか入れたら殴られるかね。
…そういうのは、もう少し後の方がいいか。
これから腐るほど時間はあるんだ。ゆっくりと積み重ねていきゃいい。

ハルヒの唇はやっぱり甘く、柔らかく。
その抱き心地も、無くしたパズルのピースがはまるように、ぴったりと。

…愛しい。その実感がここにある。


そして唇が再び離れた時、ハルヒは俺の背中に回した手にぎゅっと力を込め、囁いた。


「…恋するあたしは、世界一のワガママなんだから。
こんなあたしに選ばれるなんて、あんたはきっと世界一の不幸者。
…だから…感謝しなさいよね?」


やっぱりその理屈は全くもって意味不明で。

けれど。それでも。
俺はコイツを守ろう。側に居よう。
それは境界の曖昧な世界で。唯一、確かな事。














































「…おぉ?」

校門の辺りでキョン君とハルにゃんを見掛けた。
…なーんかやたら仲良さそうに手ぇ繋いでるっさ。

最近、ハルにゃんが元気無いってみくるから聞いてたけど…元気になったのっかな?
ってゆーか、めがっさ幸せそー。
…二人の周りだけピンク色に見えるのはあたしの気のせいかい?

「んやっ、キョン君、ハルにゃん、おっはよぅさーん!」

「あ、鶴屋さん。おはようございます。…ホントによく会いますね」

「ってちょっとキョン…!」

見ればハルにゃんがキョン君と繋いだ手を離そうとしてる。
…むっふふー、あたしに見られて恥ずかしいのかな? ちょっとからかってみよっか!

「今日もアッツアツですなぁ?」

「鶴屋さん!? そ、そんなんじゃないんだから!」

あっはっはっ、ハルにゃんが必死で慌ててるよ。かーぃぃな、もう。
…んでも、おっかしいなぁ。
いつもはキョン君が慌てる側なのに、今日のキョン君は、

「…それなりに」

とだけ。
…おろろ? キョン君…なんかいつもと違う。

「おんやー? …もしかして、何かあった?」

なーんか変な感じにょろ。
いつもは周りの目なんか気にしないーって風なハルにゃんが今日は慌ててて、
いつもはそんなハルにゃんに振り回されてるキョン君が今日は何だか堂々としてる感じ。

「…まぁ、色々と」

とはキョン君の言葉。
…その視線はハルにゃんに向けられてるんだけど、妙に優しい感じ。



…これはもしや!?

「あー! もしかして二人、付き合う事になったとか?」

まっさかねー。キョン君にそんな甲斐性があるとは思えないし。
んでも。その答えはめがっさ意外だった。

「…はい。昨日の夜に」

「うにょッ!?」

……あっちゃー…思わずおっきな声出しちゃったよ。
みんながこっち見てるなぁ。
…でもでも、そんな事よりっ!

「マジ!? ほんっとーのほんっとーに付き合う事にしたのかい!?」

「ちょ、ちょっと鶴屋さん、声がおっきいってば!」

ハルにゃんは慌ててるけど…キョン君はやっぱり何だかみょーに落ち着いてる。

「…はい。コイツを守るって、決めたんで」



…なんですと?

「…あっりゃー…こいつぁ、驚いたねぃ…」

ねぇ、聞いた? 聞いたかい今の。
キョン君がすっごいシブく決めちゃってるんだけど。
…ウカツにも、ときめいちゃいそーだよ。

「…ッ…! バ、バッカじゃないのっ!? あんた、急に何言ってんのよっ!!」

…あ。ハルにゃんのケリがキョン君の足に入った。結構マジんこ気味に。キョン君、いったそー。

「痛ぇッ! なにしやがんだお前!」

「あんたが朝っぱらからバカな事言いふらしてるから悪いんでしょ!?」

んでもハルにゃん、顔真っ赤だね。
うっれしそーにしちゃってさ。
…ってゆーか、夫婦漫才を見てる気分だね、こりゃ。

…うーん、それにしても。それにしてもだよ。



「…何か、キョン君、カッコ良くなったじゃないかっ。なんなら今度…あたしとデートしてみるかい?」

「え!? いや…その…!」

あたしがウィンク混じりにそう言うと、キョン君は分っかりやすくドギマギした。
あっはは、こんな所は変わってないんだ。
んでも、そんなキョン君より遥かにハルにゃんは慌ててた。

「つ、鶴屋さんっ? コイツは…その………ダメ…なんだから」

「えー、なんでさー? いいじゃん、ちょっとぐらい貸してくれてもー」

なぁんかこんなハルにゃん見てるとちょっと困らせたくなっちゃうよねー。



「うー…ダメ! ダメったらダメなの! ほら、キョン、行くわよっ!」

そう言うとハルにゃんはキョン君を連れて足早に校舎の方に向かって行く。

「お、おい、待てよ、ハルヒ! つ、鶴屋さん、それじゃ!」

キョン君がハルにゃんに引きずられながらも手を振ってくれた。

「はいはーい。おっしあわせにー!」

あたしもそれに答える。

そっれにしても、しっかりと手を握り合って指なんか絡めちゃってさ。
アツアツどころかホントにラヴラヴだねぃ。





ビュウウウウッ…!

「うっおー、さっみぃー…!」

今朝は風が冷たいなぁ。
あたしのお気に入り、ベージュのコートがパタパタと揺れる。
道に溜まった落ち葉が秋の空に舞ってキレイ。

「うー…ブルブル。最近寒くなって来たっさー」





風が止み、ふと前を見れば。
キョン君がハルにゃんと繋いだ手を自分のポケットに入れてあげてた。
…うっわー…あっためてあげてるよー…。

…なーんだかっねー。
ずーっとハッキリしないままだったから、こうなっておめでとさんって気持ちはあるんだけど。
イザ目の前でそんなに仲良くされちゃうと、こぅ、クルものがあるねぃ。

あてられちゃうってゆーか、羨ましいってゆーか。
体も寒けりゃ、心も寒いってゆーかね。

「いやはや。…あたしも彼氏でも作ろーかなぁ」

ま、いい男が居れば、の話なんだけどっさ。
とりあえずこの胸のモヤモヤはみくるのメロンでも揉んで晴らすとしよっと。





空はどこまでも高くて。
季節はもう11月。
気付けば冬の足音がすぐそこまで近づいて来ていた。にょろ。

















10月8日、曇りのち雨


引用: ハルヒ「ちょっとキョン!あたしのプリン食べたでしょ!?」