2: ◆t7RUUQ/qaU 2012/09/14(金) 02:59:55.78 ID:icbozaIAO



もう十年も前になる。
当時新人プロデューサーだった俺は担当アイドルを送り届け、いざ自分も帰ろうとした夜道。
そこには兎みたいに小さく縮こまった、3~4歳の女の子がいた。

これが俺と「いおり」の出会いだった。
3: 2012/09/14(金) 03:08:23.58 ID:icbozaIAO
伊織「ほら朝よ、さっさと起きなさい」

2LDK、お世辞にも広いとは言えないこの空間が私の住むお城。

P「あー……おはよう伊織」

伊織「おはよう」

そして目の前にいる布団の中で冴えない顔をしているのが、私の……唯一の家族。

伊織「ご飯出来てるから、さっさと食べないと遅刻するわよ」

アイツは欠伸をしながら着替えを始めた。相変わらずデリカシーが無いと思いつつも、いちいち怒るのもめんどくさいので「変O」と呟いて部屋を出た。

4: 2012/09/14(金) 03:13:37.14 ID:icbozaIAO
少女は迷子だった。

幼いその言葉から得られる情報は少なく、名前は「いおり」で名字は不明。そして家族とはぐれて気づいたらここに居たとのこと。

夜遅く、交番や警察署も遠い。
なにより少女の身心は弱っており、俺はとりあえず自分の家で彼女にご飯を食べさせることにした。
朝になったら警察に行こう。

それで終わると思っていた。

5: 2012/09/14(金) 03:26:29.00 ID:icbozaIAO
P「おいおい、またパスタかよ……」

伊織「文句があるなら食べなければいいでしょ!安い、早い、旨いに文句があるならね!」

「「いただきます」」

アイツの向かいに座ってパスタを食べる――やっぱりいい出来じゃない、伊織ちゃんは今日も絶好調ね。
そういえば、あの日に食べたのもパスタだったわ。
今でも思い出すことができる――アイツに拾われて、アイツのパスタを食べて、アイツと一緒に寝て、アイツと一緒に警察へ行って……

P「じゃあ行ってくるな伊織、鍵ちゃんと閉めておけよ」

伊織「え!もう?」

見ると私の目の前にはこんもりのパスタ、そのさらに前には空っぽの皿。

ボーっとするなんて、私らしくないわね。

6: 2012/09/14(金) 03:30:57.30 ID:icbozaIAO
伊織に捜索願いは出されていなかった。
まだ家族も混乱しているのかもしれないと思い、警察に伊織を預けて会社へ行った。

少し早く退社した俺はもう一度警察へ足を運び、そこでまた泣いている兎を見つけるのだ。

警察「住所と連絡先は分かったので、そちらで預かっていてもらえませんか?」

一週間経っても、俺の家から兎が消えることはなかった。

7: 2012/09/14(金) 03:38:40.93 ID:icbozaIAO
伊織「……土曜日は暇ね」

掃除も、洗濯も終わるとやることがなくなる。学校の勉強は完璧なのでやる必要はない、趣味もない。

伊織「寂しい女ね……」

いや、寂しいことなんてない。
私は十分に満ち足りている。

あの時、施設に入れられそうだった私をアイツは引き取ってくれた。
見ず知らずの私を。

伊織「まあ、超絶可愛い伊織ちゃんだものね」

いや、アイツだから。アイツは優しいから。

伊織「……あ」

アイツは優しいけど、ちょっと抜けている。

伊織「伊織ちゃんお手製の弁当を忘れるなんて、何事よ」

8: 2012/09/14(金) 03:50:36.67 ID:icbozaIAO
引き取ってから数ヶ月、彼女の両親は見つからなかった。

引き取ってから一年、彼女の両親は見つからなかった。彼女は保育園の演劇で主役をやった。

引き取ってから二年、彼女の両親は見つからなかった。彼女は小学生になった。

引き取ってから三年、彼女の両親は見つからなかった。彼女は自転車に補助輪無しで乗れるようになった。

引き取ってから四年、彼女の両親は見つからなかった。彼女がインフルエンザがかかり一大事だった。

引き取ってから五年、彼女の両親は見つからなかった。彼女は合唱コンクールで金賞をとった。

引き取ってから六年、彼女の両親は見つからなかった。彼女は家事が上手になった。

引き取ってから七年、彼女の両親は見つからなかった。彼女は少し俺に厳しくなった。

引き取ってから八年、彼女の両親は見つからなかった。彼女は中学生になった。

引き取ってから九年、彼女の両親は見つからなかった。彼女は恋をしているようだ。

9: 2012/09/14(金) 04:00:36.65 ID:icbozaIAO
伊織「邪魔するわよ」

765プロ、子どもの頃から通っているけど、未だに事務所が大きくなることはない。

売れてないわけでは無いのに、不思議なものね。

小鳥「あら伊織ちゃん。パパなら今外に出てるわよ?」

伊織「知ってるわよ小鳥、ただ弁当届けに来ただけだから」

雪歩「あ、伊織ちゃん。今すぐお茶出しますね」

伊織「いいわよ雪歩、私すぐ帰るから」

春香「まあまあそう言わずに、クッキーもあるよ?」

伊織「……そこまで言われたなら、無碍にするわけにもいかないわね」

私はここで四番目の古株(社長、アイツ、小鳥、私)、先輩というかマスコット扱いなのは少々気に入らないけど……ま、アイドルじゃないし。

少し話をして、帰った。
アイツは結局外で食べたらしい、ムカついたから弁当を小鳥に施してやったわ。

10: 2012/09/14(金) 04:02:39.85 ID:icbozaIAO
彼女をどうするか。

















結論は出ている。

11: 2012/09/14(金) 04:08:06.37 ID:icbozaIAO
家に帰って再放送のドラマと、色彩効果バツグンのアニメと、765プロが誇るアイドル達の活躍を見た後。

P「ただいま」

アイツが帰ってくる時間。

伊織「おかえり」

自分が、孤独でないと感じる時間。私はやっぱり、満ち足りていて幸せだ。

そんなことアイツには絶対言ってやらないけど。

伊織「もうご飯できてるけど、どうするの?お風呂はすぐ用意……」

P「伊織」

なによ。

P「話がある」

12: 2012/09/14(金) 04:11:11.52 ID:icbozaIAO
いおり「ママ、どこいっちゃったの?」

……わからない。

いおり「ママ、私のこと嫌いになっちゃったの?」

……そんなことはない。

いおり「ママ、迎えにきてくれる?」

……ああ。

もちろんだ。

13: 2012/09/14(金) 04:29:12.94 ID:icbozaIAO
P「なあ伊織、本当の家族に会おう」

伊織「……嫌よ」

P「考えてきたんだ、伊織を家族に会わせる方法を!」

伊織「……嫌よ!家族ならいる!アンタがいる!アンタだけがいれば!」

伊織「あんな最悪な家族なんていらない!」

伊織「水瀬なんていらない!」

14: 2012/09/14(金) 04:40:38.75 ID:icbozaIAO
十年前。

私は水瀬を家出した。

好奇心だった、自分がいなくなったらあのパパとママはどんな顔をするだろうか。

泣きマネをして、不幸せそうな顔をした男を騙して、不味いパスタを我慢して、汚い寝床で休み、やたら長い道を歩いて警察まで行った。

ママ、ママと手を繋ぐ男を困らせるような質問をいくつもした。

親子感動の再開(しかもあの有名な水瀬家のお嬢様)をよりドラマチックにするための、ありとあらゆる準備をしたわ。

そして、私は人生に絶望した。

私に向けられていたのは愛ではなく、私は家族ではなかった。

私はアイツらの人生を華やかにするための飾りでしかなかったの。
そして私は、私がいかに無力かを、いかにアイツらに生かされていたかを知った。
孤独な私は、なにもできなかった――兎は寂しいと氏ぬ。

私は氏にかけていた。

15: 2012/09/14(金) 04:47:38.81 ID:icbozaIAO
私を救ってくれたのは。

P「すいません、あの子を引き取ることってできませんかね?」

アイツだった。

私は全部を話した。

なにもかもを、そして懇願した。

伊織「家族にしてぐだざい」

涙や鼻水やらで汚れた私の前に差し出されたのは。

P「とりあえず、食べなよ」

不味いけど、あったかくって、今でも私の大好物のパスタだった。

そして。

P「食べたら、服を買いに行こう。それから布団や、歯ブラシ……いっぱい必要になる」

私は満たされた。

彼だけが家族で、そして世界で、私のすべてになった。

だから――

16: 2012/09/14(金) 04:55:01.40 ID:icbozaIAO
伊織「私はあんな家族のとこへ戻りたくない!アンタだけがいれば――私は何にもいらない!」

告白した。

憎悪も、愛情も、包み隠さず。

P「伊織」

アイツは涼しい顔で私を見ている。

捨てられちゃうのかな。

嫌だな。

嫌だ――

P「俺だって、伊織を渡す気なんてないさ」

伊織「……え?」

P「十年間、家族を始めてから一度たりともお前を手放す気なんてない。嫁にも出さん」

そんな言葉に顔が赤くなる。

P「伊織」

アイツは鞄から紙を一枚取り出した。

P「復讐をしよう」

765プロダクションアイドル契約書。

伊織「これって――」

17: 2012/09/14(金) 05:00:28.99 ID:icbozaIAO
P「お前は自慢の娘だ」

P「そんなお前が、わざわざ会いに行く必要は無い」

P「後悔させて謝りに来させるんだ、水瀬を」

P「歴史上類を見ず、前人未到の域を超えるトップアイドルになった――伊織に」

P「俺が、プロデュースしてやる!」





最後の言葉はズルいんじゃない?

だって私――

18: 2012/09/14(金) 05:02:56.03 ID:icbozaIAO
伊織「アンタを、信じているから――」





引き取ってから十年、家族は見つからない。伊織はアイドルになった。


19: 2012/09/14(金) 05:07:50.62 ID:icbozaIAO
これは後に歴史に刻まれることなるアイドル伊織と、それを支えた家族の物語である。

「家無き伊織」完

30: 2012/09/19(水) 14:04:08.11 ID:szzxcdVFo

引用: P「企画名:アイドルマスター短編集」