832: 2011/04/10(日) 23:47:07.51 ID:ZnIrgOzs0
カラン、カラン、と。
ストローをくるりと回すと、溶けて小さくなった氷がぶつかりあう音がグラスの中で反響した。
注文したオレンジジュースはすでに空。
ヒンヤリとした冷たさとじんわりとした生温さが同居するグラスは、
曖昧に誤魔化しつづけた時間に酷似しているかもしれない、と思いながら、麦野沈利は視線を動かす。
ストローをもつ手とは逆の手で頬づきする彼女の向かえには、
挙動不審に目線を右へ左へと泳がす、いかにも怪しげな雰囲気をかもしだす金髪の男が居た。
「浜面、あんた動揺しすぎ」
男の情けない仕草に釘を刺すような言葉が口から漏れる。
「……んなこと言われてもさ」
仕方ねえだろ、慣れてねえんだ、こういうところ、と。
戸惑いを含んだ彼の声が耳に届いた。麦野は目を目を見開き、
「は? 滝壺と来たりしてんじゃないの? あのこ、こういうところ好きでしょう」
滝壺理后。
彼女の同僚にして彼のコイビトたる彼女は常にすっぴん、ピンクジャージ。
フォローせずに直球に言うとかなりいもくさい少女だ。
それでも、滝壺は元来なかなか可愛らしい部類の子なのだが、
若い女のオシャレに関するもの大抵を網羅している麦野の目にそう見えてしまうのは自然の流れ。
そんな失礼極まりない評価を麦野から賜る滝壺だが、彼女とて女の子に変わりなく少女らしさを放つ趣向の一つや二つはある。
その数少ない中の一つがイチゴケーキであり、今いるような場所を―洋菓子が美味しい喫茶店―滝壺は密かに好む傾向が実はある、のだが―――。
麦野の先程の発言に体を硬直させた浜面から察するに、
「アンタ、滝壺とこういうところ来たことないんだ」
意外ね。
そう、率直な感想を言っただけなのに浜面の両肩がビクリと跳ねた。
全くもって繊細のせの字も無さそうな男のどっかに刺さってしまっただろうか。
ヤバイなー、と思いつつ、思うだけで、彼女は呑気にストローを回した。
カラン、カラン、と。
風鈴のような高めの音が数度鳴り。
「……滝壺、こういうとこ好きなのか」
ようやく口を開いた浜面は、初耳だ、と乾いた笑いを浮かべた。
そうして、確かめるように、噛み締めるように。
「そっか、こういうところが好き、なんだな、アイツ」
と、目をほそめた。
ストローをくるりと回すと、溶けて小さくなった氷がぶつかりあう音がグラスの中で反響した。
注文したオレンジジュースはすでに空。
ヒンヤリとした冷たさとじんわりとした生温さが同居するグラスは、
曖昧に誤魔化しつづけた時間に酷似しているかもしれない、と思いながら、麦野沈利は視線を動かす。
ストローをもつ手とは逆の手で頬づきする彼女の向かえには、
挙動不審に目線を右へ左へと泳がす、いかにも怪しげな雰囲気をかもしだす金髪の男が居た。
「浜面、あんた動揺しすぎ」
男の情けない仕草に釘を刺すような言葉が口から漏れる。
「……んなこと言われてもさ」
仕方ねえだろ、慣れてねえんだ、こういうところ、と。
戸惑いを含んだ彼の声が耳に届いた。麦野は目を目を見開き、
「は? 滝壺と来たりしてんじゃないの? あのこ、こういうところ好きでしょう」
滝壺理后。
彼女の同僚にして彼のコイビトたる彼女は常にすっぴん、ピンクジャージ。
フォローせずに直球に言うとかなりいもくさい少女だ。
それでも、滝壺は元来なかなか可愛らしい部類の子なのだが、
若い女のオシャレに関するもの大抵を網羅している麦野の目にそう見えてしまうのは自然の流れ。
そんな失礼極まりない評価を麦野から賜る滝壺だが、彼女とて女の子に変わりなく少女らしさを放つ趣向の一つや二つはある。
その数少ない中の一つがイチゴケーキであり、今いるような場所を―洋菓子が美味しい喫茶店―滝壺は密かに好む傾向が実はある、のだが―――。
麦野の先程の発言に体を硬直させた浜面から察するに、
「アンタ、滝壺とこういうところ来たことないんだ」
意外ね。
そう、率直な感想を言っただけなのに浜面の両肩がビクリと跳ねた。
全くもって繊細のせの字も無さそうな男のどっかに刺さってしまっただろうか。
ヤバイなー、と思いつつ、思うだけで、彼女は呑気にストローを回した。
カラン、カラン、と。
風鈴のような高めの音が数度鳴り。
「……滝壺、こういうとこ好きなのか」
ようやく口を開いた浜面は、初耳だ、と乾いた笑いを浮かべた。
そうして、確かめるように、噛み締めるように。
「そっか、こういうところが好き、なんだな、アイツ」
と、目をほそめた。
834: 2011/04/10(日) 23:49:01.07 ID:ZnIrgOzs0
彼は、浜面は。
滝壺の好きなことを知らない自分にショックをうけている。
麦野はいいきみだと思ったから顔面で遠慮なく笑う。
反面。
彼は、浜面は。
滝壺の好きなことを知ることができて喜んでいる。
麦野は……馬鹿みたいと悔しくなったから内面で笑う。
こんな裏表な日々がはじまったのはいつだったか。
喜びと悲しみ。
幸せと不幸せ。
氷のように鋭利でひやっこいのに、温もりに溶かされる感触は嫌いじゃなかった。
それは、まるで手元にある中途半端な温度を保つグラスのような日々で。
強いていうなら、
覚めないでほしい夢だった。
けれども、夢はいつか覚め朝が来る。
グラスのオレンジジュースは空となり、甘い甘い果実の味は遥か彼方へと飛んでいった。
馬鹿で無器用で一人しか選べない男なのだ。永久に曖昧を求めてはいけない、と。麦野沈利は。
でも、なんで滝壺は俺とはこないのだろう。なんて無意味な悩みを彼が開始する前に、
「ま、あの子、最近ダイエットしてるみたいだし」
彼女は先手でフォローした。意味ありげなように視線を軽く動かし、暗に『アンタに気に入られるためじゃないの?』と無言で付け足す。
らしくない行為をしている自分自身が少しおかしいけれど、たまに「イイ女」気取るのもおつではないか、と言い訳して。
「そうなのかな?」
俺のために、というお決まりの、それでいて破壊力のあるフレーズのせいでにやけた顔を晒す浜面を、
これまた少しだけ見ることができず、さりげなく視線を落とす。
あの子を想い、くしゃりと目尻に皺を寄せてにししと笑う彼。
その顔が自分に向けられたものだったら。
本当は、今も片隅の心で思う麦野は、強がりばかりの小心者。
――けれども。
視線の先に見えたグラスの中の氷が、崩れる様が視界に広がる。
カラン、カラン、と。
崩れるそれは、麦野の想い。
滝壺の好きなことを知らない自分にショックをうけている。
麦野はいいきみだと思ったから顔面で遠慮なく笑う。
反面。
彼は、浜面は。
滝壺の好きなことを知ることができて喜んでいる。
麦野は……馬鹿みたいと悔しくなったから内面で笑う。
こんな裏表な日々がはじまったのはいつだったか。
喜びと悲しみ。
幸せと不幸せ。
氷のように鋭利でひやっこいのに、温もりに溶かされる感触は嫌いじゃなかった。
それは、まるで手元にある中途半端な温度を保つグラスのような日々で。
強いていうなら、
覚めないでほしい夢だった。
けれども、夢はいつか覚め朝が来る。
グラスのオレンジジュースは空となり、甘い甘い果実の味は遥か彼方へと飛んでいった。
馬鹿で無器用で一人しか選べない男なのだ。永久に曖昧を求めてはいけない、と。麦野沈利は。
でも、なんで滝壺は俺とはこないのだろう。なんて無意味な悩みを彼が開始する前に、
「ま、あの子、最近ダイエットしてるみたいだし」
彼女は先手でフォローした。意味ありげなように視線を軽く動かし、暗に『アンタに気に入られるためじゃないの?』と無言で付け足す。
らしくない行為をしている自分自身が少しおかしいけれど、たまに「イイ女」気取るのもおつではないか、と言い訳して。
「そうなのかな?」
俺のために、というお決まりの、それでいて破壊力のあるフレーズのせいでにやけた顔を晒す浜面を、
これまた少しだけ見ることができず、さりげなく視線を落とす。
あの子を想い、くしゃりと目尻に皺を寄せてにししと笑う彼。
その顔が自分に向けられたものだったら。
本当は、今も片隅の心で思う麦野は、強がりばかりの小心者。
――けれども。
視線の先に見えたグラスの中の氷が、崩れる様が視界に広がる。
カラン、カラン、と。
崩れるそれは、麦野の想い。
835: 2011/04/10(日) 23:51:02.40 ID:ZnIrgOzs0
―
女の子ばかりの喫茶店。
やはりまだ所在なさげな雰囲気を隠せない彼は、いつも通りに馬鹿で無器用だ。
そんな彼だから嫌いになりたかったし、そんな彼だからやっかいな感情を抱いてしまった、と。麦野は懐かく振り返る。
グラスのふちについていた水滴がツーっと垂れる。
テーブルの上にいくつかある水滴の残骸も、すぐに蒸発して空気へと消えるだろう。
だから、きっと。大丈夫だといい聞かせる。
だから、きっと、この崩れいくものの残骸もいつかは空気へ溶けていくから。
だから。
窓から差す光が眩しく麦野は目を微かに閉じぎみにして、ようやく言いたかった言葉を口にする。
「ねえ、浜面」
「なんだ?」
アンタは知らないと思うけど。
「私さ、恋をしちゃってたんだ」
「……へ? 恋?」
「そうよ。なに、似合わないって?」
「いや、んなことねーけど」
「意外だったか」
「……おぅ」
豆鉄砲くらう鳩のような顔を浜面がおかして仕方なくて、つい吹き出しそうになる。
何度も何度も思う。想いしらされる。やっぱアンタは馬鹿で無器用で一人しか選べない、
「恋を、していたのよ」
「浜面」
「アンタに」
私の、初恋のひと。
女の子ばかりの喫茶店。
やはりまだ所在なさげな雰囲気を隠せない彼は、いつも通りに馬鹿で無器用だ。
そんな彼だから嫌いになりたかったし、そんな彼だからやっかいな感情を抱いてしまった、と。麦野は懐かく振り返る。
グラスのふちについていた水滴がツーっと垂れる。
テーブルの上にいくつかある水滴の残骸も、すぐに蒸発して空気へと消えるだろう。
だから、きっと。大丈夫だといい聞かせる。
だから、きっと、この崩れいくものの残骸もいつかは空気へ溶けていくから。
だから。
窓から差す光が眩しく麦野は目を微かに閉じぎみにして、ようやく言いたかった言葉を口にする。
「ねえ、浜面」
「なんだ?」
アンタは知らないと思うけど。
「私さ、恋をしちゃってたんだ」
「……へ? 恋?」
「そうよ。なに、似合わないって?」
「いや、んなことねーけど」
「意外だったか」
「……おぅ」
豆鉄砲くらう鳩のような顔を浜面がおかして仕方なくて、つい吹き出しそうになる。
何度も何度も思う。想いしらされる。やっぱアンタは馬鹿で無器用で一人しか選べない、
「恋を、していたのよ」
「浜面」
「アンタに」
私の、初恋のひと。
836: 2011/04/10(日) 23:52:10.95 ID:ZnIrgOzs0
恋をしていた。
麦野は。
浜面に。
彼女は賢かったから知っていた。
浜面が好いているのは滝壺で、浜面は滝壺しか視界に入れていなくて、自分は、そんな彼に想いを寄せている。
麦野は知っていて悟っていた。
ずいぶんと前から。
もしかしたら、恋に落ちたその時から。
それなのに。
微かな果実に似た甘い味にこがれつづけた彼女は「多分」と自己防衛をしつづけた。
一本の細い糸よりも脆弱な可能性にすらすがりたいと願った彼女を、誰がせめることができるだろうか。
「好きだったよ、浜面」
もう迷うことは嫌だから、麦野はあえて一つの嘘をつく。
この崩れいくものが過去になるのは本当はもうしばらく先。
けど、もうグラスの中は空だから、甘いジュースは飲めないから、温くて冷たいグラスはもうたくさんだから。
麦野は早めの終止符を選択したのだ。
あんぐり、と顎をはずして固まる浜面。
きっと、今この時だけは彼の脳裏は麦野一色のことだろう。
あの、えっと。と、どもる浜面をしり目に、
「まぁ、こんな形とはいえ、一瞬でも自分だけに出来たんなら、悪くない結果よね」
彼には聞こえない声で、麦野は満足げにぽつりとつぶやいた。
837: 2011/04/10(日) 23:53:33.71 ID:ZnIrgOzs0
終り。お邪魔しました



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