1:◆2/3UkhVg4u1D 2013/05/08(水) 21:11:35.96 ID:TsjP8uUw0


端的に言うならば、『教会のために魔道書を書くこと』。
それが、私の仕事、職業だった。

つまりは、『隠秘記録官(カンセラリウス)』。

この職業に就いた理由は、簡潔だ。
魔女の脅威から、人々を救うため。
魔術師が魔道書を読む時に、迷わないようにするため。

そして定めた魔法名は、『我が名誉は世界のために(Honos628)』。

薄い物ならば、不眠不休で。
分厚いものでも、なるべく睡眠時間を削って。

そうして必氏に書いていると、休むよう言われた。
基本的には流されない性格である自信はあったものの、周囲全員から言われては仕方がなく。
行き場所に彷徨った私は、近場の教会へと足を踏み入れた。
人々でごった返している喫茶店で休むよりも、余程気が休まるというものだ。

『聖なる、聖なる、聖なるかな』

透き通った声が聞こえる。
歌っているのは、先程口にされた言葉通りの題名。
有り体に言えば、讃美歌だった。

『三つにいまして ひとつなる』

三位一体の教理を定義した、一つの神聖な歌。

『神の御名をば 朝まだき
 おきいでてこそ ほめまつれ』

扉に手をかけた。
ひと思いに開ける。

そこには、少女が居た。

石をパンに変える聖女にして、人を石に変える魔女。

「……誰だ?」






彼女の、名前は―――――――――――

とある魔術の禁書目録 32巻 (デジタル版ガンガンコミックス)

3: 2013/05/08(水) 21:15:31.74 ID:phiyZibt0

「……、…」
「……気のせい、か?」

暫く黙っていると、彼女は勝手に納得したのだろうか、視線をそらした。
咄嗟に何も言えなかったのは、緊張していたからではない。
どちらかといえば、憧れのアイドルと初めて握手をしたファンに似ている。
それとも少し違うような気もする。言葉では上手く説明出来ない感覚だ。

彼女は、右方のフィアンマ。
『神の右席』という最暗部の、実質的なリーダー。
つまりは、ローマ正教の陰のトップだといえよう。
表向きはローマ教皇が最高権力者だが、彼女には勝てない。

「……やはり誰か居るな。何か答えたらどうなんだ」

むう、と不機嫌そうに彼女は言う。
美しく響く歌声とは打って変わって、その声は割と低いものだった。

「…呆然。私は今、驚愕と歓喜に満ちている」
「……、…『隠秘記録官』か」

6: 2013/05/08(水) 21:15:55.42 ID:phiyZibt0

フィアンマは、目が見えないにも関わらずアウレオルスの職業をピタリと言い当てる。
声と、聞かされていた情報からだ。
別に、特別な―――例えば、絶対記憶能力などは持ち合わせていないが、記憶力は良い方だ。
加えて、直感もなかなかに鋭い方だった。
彼女は神の子の像の足下に座っていたところを、立ち上がる。
夕焼けに照らされた彼女は、修道服を纏ってはいなかった。
正確には、修道服に少しだけ似せた、明らかな私服を纏っている。
が、見るものが見ればどれだけの防御霊装を纏っているか、すぐに分かる。
もっとも、彼女はたとえ一糸まとわぬ状態になろうと、特殊な力で自動防御が可能な訳だが。
腰に届くか届かないか、それ程に長い赤い髪を揺らし、彼女は錬金術師に近寄る。
段差は慎重に昇り、やがて彼の前に経った。

「驚愕と歓喜、といったな」
「当然、…私は、君に会ってみたかった」

『神の右席』。
それは、神の右側の席に座ることを目指し。
その更に上、『神上』を目指す、才能に恵まれた優秀な魔術師が所属する最暗部だ。
勿論キナ臭い案件は多いものの、最高権力組織であることは間違い無い。
しかしながら、アウレオルスが感動しているのはそこではない。

『神上』。
神を超えた存在。

それを目指すは、正にアウレオルスの学派『完全なる知性主義(グノーシズム)』の最高峰。
学生でいえば、真面目で勤勉な学生が志望する大学の教授に会ったようなもの。
つまりは、知的な興味、好奇心、感動である。

まして、相手が年下の少女なのだ。
尊敬は、年上に対するそれよりも大きく。

8: 2013/05/08(水) 21:16:55.76 ID:phiyZibt0

そんな小難しいことを沢山言われ(意味はわかる)。
特殊体質と特別な術式を持ち合わせる強大な少女は。
世界二○億を超える信徒を抱えるローマ正教の陰のトップは。

つまらなそうに話を遮った。

元より、彼女は目が見えない。
故に、耳に頼る生活をしている。
そんな中で、退屈な話をされるのは苦痛だ。
『よそ見』という事が出来ないからである。

「もういい」

話を遮った上で、彼女は続けて傲慢に言った。

「丁度、俺様もお前に用があったところだ。光栄に思え」
「漠然、用とは?」

細い腰に手をあて、彼女は自信たっぷりに言った。

「お前を、個人的に雇う」
「……は?」

アウレオルス=イザード。

今までの人生において目上に向かって「は?」と聞き返したのは、今回が初の経験であった。

17: 2013/05/09(木) 21:36:41.14 ID:VkABzR7o0

「…呆然、雇う…とは?」

アウレオルスの脳内に浮かんだのは、顧問の二文字。
『完全なる知性主義』を究めるにあたっては、優秀な頭脳を持つ同じ教派の人間が傍に居た方が良いのはわかる。
自慢はしないが、彼は実に優秀な人材だ。
『隠秘記録官』の中でも最速の筆記を誇る、優秀な錬金術師。
パラケルススの末裔たる、才能にも恵まれた魔術師。
確かに、『神の右席』が顧問錬金術師として雇い入れるには最適の人材だ。
仮にそうなら今手がけている魔道書だけは片付けてしまいたい、とアウレオルスは思った。
盲目の少女は、そんな彼の思慮をあっさりと遮る。実に気軽な声で。

「言葉通りの意味だが?」
「それはつまり、…『神の右席』の顧問錬金術師として…?」
「いいや。それならば"個人的に"という言葉は使わんよ」

だとするならば、専属の錬金術師だろうか。
知識と頭脳を金で買うという行為は、魔術師の世界では珍しいことでもない。
勿論、教会世界は弱みを握ったり、様々な策を講じて人を留める事が多いが。

「まあ、雇う目的を明確に言おうか」

ごくり。

何やら緊張してきたアウレオルスに、フィアンマは薄い笑みすら浮かべてみせた。

「俺様の友人になって欲しい」




その日、アウレオルス=イザードは人生初めて、ギャグ的にずっこけそうになった。

19: 2013/05/09(木) 21:37:31.21 ID:VkABzR7o0

「……漠然、友人とは。今先、雇うと口にされたのでは」

フィアンマとアウレオルスは、外へ出た。
夕暮れ時、赤い夕焼けは徐々に落ちていく。
やがて地平線を過ぎて消えれば、夜になることだろう。
輝く星々を見ることは決して叶わないフィアンマは、ゆっくりと足元に注意して歩く。
怖々と敬語を使う彼に、彼女はこくりと頷いた。

「ああ。確かに言ったぞ」
「喟然、ならば友人…とは、言い間違いを?」
「違うな。友人になれと言った、これを引き受けるお前に金を支払う。
 これは雇う、雇われるの関係で間違いないだろう?」

言い間違いでも言葉違いでもない、と彼女は言う。
アウレオルスは、首を傾げた。
確かに彼に、友人と呼べる人間はほぼ居ない。一人いるか居ないか程度。
しかしながら、それでも友人とは金を支払ってなってもらうものではないという常識はある。
確かに付き合いが長くなれば食事を奢るだとか、遊興費を請け負うなどはあるかもしれない。
チケットをプレゼントしたりだとか、そういった風にお金を使ってあげることは、親しい友人なら。
だが、それは給金という形で与えたり、与えられたりするものではないはずだ。
それは友人とは呼べない関係だ。契約の上に成り立っている関係など、何の意味もない。

「毅然、それは友人とは呼べない」
「………」

不愉快そうに、フィアンマは眉を潜める。
が、アウレオルスは続けた。

「貴方と友人になれるというのであれば、当然、光栄だ。
 顧問錬金術師として雇って頂けるのであれば、それもまた。
 しかし、その二つは相いれぬものと思われる」
「………」

むううう、とむすくれる彼女は寂しい人間だった。
金と権力、暴力と交渉でしか、人を留めておけない。
それは過去、とある少年と別れた事がきっかけだった。
錬金術師は、穏やかに続ける。

「俄然、どちらかに絞ってくださると言うのなら、」

私は貴女に仕える、友人として接する。

そんな申し出に、フィアンマは少しだけ迷ってから答えた。

「……そうか。なら、……友人になれ」

ちょっと不機嫌なまま、彼女はそう選択するのだった。

21: 2013/05/09(木) 21:39:52.85 ID:VkABzR7o0

そんな会話をしていると、気がつけば辺りは暗く。
ついでなので食事をしていこう、と彼らはカフェへと向かった。
差別的な扱いを受け易い赤毛だったが、きちんと手入れをしてあるそれは美しく。
長い髪は風に揺れ、その度に人の視線を集めた。
傲慢な態度―――つまり黙っていさえすれば、彼女は美少女だった。
絶世の美少女なのにどうしてこうも話し方が特殊なのだろう、とはアウレオルスは思わない。
そもそも魔術師とは一癖も二癖もある輩ばかりなのだ、不可抗力である。

「………」

店内は暖かく、暖房がそこそこに利いている。
別に科学サイドへの恨みはないアウレオルスやフィアンマは、何も思わない。
ただその場にある心地よさを享受するだけだ。
ローマ正教内、特に魔術を知る者には科学を嫌う人間も多く、些細な事でも文句を口にする。

「……お前は何を飲んでいるんだ」

その点で言えば、二人は相性が良かったかもしれない。
フィアンマは程よく砂糖を溶かしたミルクティーを啜りつつ、小首を傾げた。
アウレオルスはきょとんとした後に答える。

「決然、私はコーヒー派だ」
「ほう」

相槌を打ち。
フィアンマは手探りでソーサへカップを戻す。

23: 2013/05/09(木) 21:41:06.44 ID:VkABzR7o0

それから、光を宿さぬ瞳をきらきらと輝かせた。
思わずたじろぐアウレオルスに、彼女は問いかける。

「俺様はそれを口にしたことがないのだが、苦いのか?」
「……雑然、もしもこのコーヒーのことを言っているのであれば、苦くはない」
「ふむ」

じー。

見えない筈なのに、手元に視線が注がれている気がする。
別に、彼女は卑しい根性など持ち合わせてはいない。
金ならそれこそアウレオルス以上に持っているし、不自由はしない。

「………」

きらきら。
じっとり。

相反する二つの表現が似合う視線を受け。
彼は、そっとカップを差し出した。
自分が口をつけた部分をハンカチで拭いたのは、紳士的な気遣いである。

「洒然、…飲めば良い。人の口伝にて聞くよりも、一度の体験が一番理解を得る」
「……気が利くな」

無言の圧力をかけておきながらこの始末である。
彼女は上機嫌にカップの持ち手を手にし、上品に啜る。

砂糖は一切入れておらず、僅かに牛乳―――否、ポーションミルクを溶かし混ぜたコーヒー。

ブラック程のキツさはなく。
カフェオレ程のまろやかさはなく。

が、美味しい。
少なくとも、コーヒーの味がわかる人間であれば絶賛する程に。

25: 2013/05/09(木) 21:41:32.98 ID:VkABzR7o0

フィアンマは無言でカップの淵を拭う。
自分が口をつけた場所を丁寧に指と袖で拭いた後、カップを戻した。
次いで、探し当てたアイシングたっぷりのクッキーを口に含む。

「………」
「…漠然、味は」
「…悪く無い。悪く無いが、…俺様の口には合わなかったようだ」

もぐもぐ、とアイシングが彼女の口内へ消えていく。
苦かったのだろうか、とアウレオルスは思った。
別に不味いなどと貶された訳ではないので、気に障る事は何も無い。
フィアンマはクッキーを食べ終え、思い出したように言った。

「今日と同じように、俺様はあの教会にいる

それは、言外に会いに来いというメッセージでもある。
今日から彼女の友人となった人間であるアウレオルスは、穏やかに笑む。

「当然、理解した」
「まあ、もし居なければそのまま帰って良い」

端的に言って、彼女はクッキーを頬張る。
アイシングの無いココアの方だ。二枚目である。
手のひら程の大きさがあるクッキーを食べつつ、彼女は問いかける。

「お前は休暇を取っていないだろう」
「的然、私は隠秘記録官とし「いかんな。それは」……て」

実に良くない、と指を差す彼女だが、その指は若干見当違いの方向を向いている。
心優しき天才であるアウレオルスは、困ったような顔をした。
実際、休みを取らないのは良くない事ではある。が、自分には使命がある訳で。

27: 2013/05/09(木) 21:41:57.79 ID:VkABzR7o0

言葉を止めるアウレオルスに、フィアンマは言う。

「…隠秘記録官は一人ではないし、沢山書いたところで大勢の人が救われる訳ではない」
「………、…」

ローマ正教は、アウレオルスが思うような方針は持っていない。
人々を平等に救う、ということを信条にしておきながら、魔道書は秘匿するのだ。
機密性だ何だと、たくさんの理由はあって。正当性はあって。それでも、残酷な制限。
無駄なことだと思いながらも、それでも毎日魔道書と向き合っていた。
沈黙し、現実を再認識して落ち込むアウレオルスへ、フィアンマは慰めるでもなく言葉をかける。

「だから、休暇を取れ」
「しかし、」
「そして、俺様に付き合え。…何なら、無理やり休職させても良いんだぞ?」

ふふふ、と笑う彼女は魔女の如く。
どうせ権力を悪用するならもっと良い事に使って欲しい、と思い。
アウレオルスはふと、差し出がましいとは思いながらも、彼女の立場を鑑みてこう願ってみた。

「判然、貴女はローマ正教の最上位に君臨する」
「……そうだな」
「…ローマ正教の、魔道書の秘匿性をどうか、」

言いかける彼に、退屈だと言わんばかりの視線がそれとなく向けられる。

「秘匿を解いて多くを救おうとすれば、かえって犠牲者が増える」
「……、…」
「全のために一を切り捨てる。確実な方法だ」

その気になれば、彼女はいくらだってローマ正教の方向性を変えられる。
だけれど、それをしてどうなるか。
二手三手、いいや、更に千手先を考える彼女に見えるのは、破滅の未来だ。
良かれと思ってしたことがどこまでも状況を悪くすることを、彼女は知っている。

「お前の願いは、わからない訳ではない」

クッキーの欠片を指から舐めとり、フィアンマはため息を飲み込む。

「それでも、錬金術のように世界は働かないんだ」

一を犠牲にして一を得られる世界ではないのだから。

残酷な現実を口にして、彼女は以後黙り込む。
彼女だってローマ正教を上手く敷いているのだ、とアウレオルスは口を謹んだ。

きっと、いつか、幸福な世界になる。

そんな未来を目指し、今は自分が出来ることを自分なりにすれば良い。
アウレオルスがそう静かに結論を出したところで、フィアンマは話題を蒸し返した。

「で、休暇の話だが」
「勃然、休暇が何だというのだ」
「明日、お前は休みだ。俺様に付き合え」
「…ちなみに、付き合うとは何をすれば」

不可解そうに眉を寄せるアウレオルスに、フィアンマは先程の施政者としての顔を捨てて言った。

「そうだな、エスコートしてくれ」

要するに、デート<ひまつぶし>のお誘いなのである。

33: 2013/05/12(日) 14:58:22.93 ID:FBioGnLx0

翌日。
残念なことに、朝から雨が降っていた。
酷い雨だった。傘を差さねば三秒で下着まで濡れてしまいそうな大雨。

「……」

降りしきる雨音をゆるりと聞きながら。
フィアンマは退屈そうに、彼を待っていた。
時刻は午後三時。おやつ時である。
疲れが溜まっている彼の場合、一日寝ていてもおかしくない。
それならそれで仕方のないことか、とフィアンマはぼんやりと思う。

こうして長い時間人を待っていると、あの少年のことを思い出す。

『お、おれ、とうま=かみじょう。…きみは?』

"あの日"、別れ。

長い時間を待ち。
待って、待って、待って。
待って、待ち続け。
疲弊して、それでも待ち続けて。

執着心は、気付けば消えていた。
どうせ、助けになど来てくれないのだから、と諦めた。
そうして色んなことを諦めている内に臆病になっていって。
気まぐれとはいえ、自分から友人になってくれなどと言ったのは初めてだな、とフィアンマは思う。

「ッ!」

少年の、息切れした様子、息遣い、声。
フィアンマは神の子の像へ身体を向けたまま、問いかける。

「アウレオルスか?」
「当然、っはぁ、…申し訳ない」

コツコツコツ。

革靴の音が聞こえる。
その音は徐々に近寄ってきて。
それから、フィアンマの隣に座った。

35: 2013/05/12(日) 14:59:18.92 ID:FBioGnLx0

ぽたぴちゃ。

腰掛けていた椅子に置いていた彼女の手の甲に、水滴が落ちる。
雨の中全力疾走してきたのか、とフィアンマは首を傾げた。
ちなみに、待ち合わせ設定時刻から一時間程過ぎている。

「騒然、目が覚めたのが…。…二時間前だった」
「ほう」
「俄然、支度は順調だった。外へ出て、早速向かおうとしたのだ。
 …だが、生憎同僚に呼び止められ、資料について質問を受けていた。
 そうこうしている内に時間が経過して、同僚と別れたのが三十分前。
 以後歩いて移動していると、雨が増し、傘が破壊された。
 毅然、代替の傘を探し歩き回り、…時間を浪費した」

加えて電車が遅れたり。
せっかく買えた代替の傘も暴風雨にやられ。

弁解の合間に、彼は数度謝罪を挟んだ。
構わない、とフィアンマは応える。
百年にも感じられる十年間の孤独に比べれば、こんなもの。

「…本当に申し訳な「もういい」」

言葉を遮って、フィアンマは口元を僅かに緩めて言う。

「……それでも、お前は来てくれた。
 俺様とは昨日出会ったばかりなのに、不運に見舞われながらも来てくれた。
 どれだけ遅れようと、来てくれればそれで充分だ。充分過ぎる」

寂寥を滲ませて、彼女はそう言葉を放った。
アウレオルスは沈黙し、かえって罪悪感がこみ上げてきたことを自覚する。

「生憎の雨だ。ここは一つ、外に出るのではなく室内で遊ぶことにしよう」

言いながら立ち上がって。
フィアンマは、アウレオルスを促した。

37: 2013/05/12(日) 14:59:43.75 ID:FBioGnLx0

この教会は、半分程フィアンマの私物と化している。
どういうことかというと、彼女の別荘的物件なのだった。
隠し扉の向こうは、生活感が少なめな部屋となっている。
アウレオルスは彼女に促されるまま、そんな場所へとやって来た。
どうするべきか迷い、立ち尽くしたままの彼へ。
彼女は奥へ一度引っ込んだ後、タオルをもってきて差し出した。

「……何から何まで」

本当にすまない、と言葉を漏らしつつ、アウレオルスはタオルを受け取る。
清潔感のある乾いたタオルで、濡れた髪を拭いた。
濡れてしまったスーツのジャケットは脱ぎ、ネクタイと共に空いているハンガーを借りてかける。
スラックスは脱ぐ訳にはいかないのでそのままに。
濡れたワイシャツが空気にさらされ、シャツの向こう、透けた肌が異様に冷える。

「……」

ぶるり。

無意識に身震いするアウレオルスだったが、見る事の出来ない彼女はその様子に気付く事が出来ない。
しかしながら、彼の呼吸が浅く早めな事や、シャツを手で摩る摩擦音から何となく読める。

「寒いか」
「介然、問題はない」
「…本当に?」
「……」
「…少し待て」

フィアンマは手探りでチョークを探し。
それから、床に正確に陣を描いた。

盲目のピアニストが鍵盤を弾けるのと同じ。
感覚で慣れてしまえば、術式の行使に視覚は必要無い。

程なくして、空間自体が暖かくなってくる。
暖房は入れていない。暖房代わりが先程の陣だ。
燃える赤<フィアンマ>を名乗るだけあって、フィアンマは特に火の魔術に対して精通している。
温度を変化させることなど、造作もない事だった。

39: 2013/05/12(日) 15:01:48.47 ID:FBioGnLx0

『神の右席』は通常魔術を扱えないはずでは。
首を傾げるアウレオルスは、疑問を口に出さず内心に留める。
あまり機密を知り過ぎてはいけない。
『神の右席』という組織名を知っているだけでも、それは凄い事なのだから。

チョークをしまい、フィアンマは手を洗う。
それから手探りに冷蔵庫(氷を利用した古典的過ぎるものだ)を開ける。
その中から一枚の白い平皿を取り出した。
丁寧にかけてあったアルミホイルを剥がし、丸めて捨てる。

「……昼食は摂っていないんだろう」

ほら、と差し出される平皿。
その上には、彩のそこそこに良いサンドイッチが鎮座していた。
有り難くひと切れつまみながら、アウレオルスは彼女へ視線を向ける。

「漠然、これは貴女が?」
「まあ、料理の一つ位は出来るからな。
 …もっとも、これを料理と呼んで良いかは甚だ疑問が残るが」

中身はレタスと生ハム、クリームチーズ。
確かに子供でも出来る内容だが、料理と呼んで問題無いだろう。

「当然、これは料理だと思うが。…加えて美味だ」
「そうか」

相槌はそっけないものだった。
が、表情には照れが含まれている。
容姿が整っている事もあり、そうした様子でいれば常に愛らしいのに、とアウレオルスは思った。

41: 2013/05/12(日) 15:03:04.83 ID:FBioGnLx0

簡素な昼食を終え。
フィアンマは、アウレオルスと話をしていた。
正確には、アウレオルスが話してばかりだったが。
彼女が質問し、彼が応える。
その繰り返しは、会話と呼んでも良いものか、疑問が浮上するかもしれない。
理由としては、フィアンマは世間話のネタをあまり持っていないからだった。

昔から、ずっとそう。
塔の天辺、一人で暮らしていた頃から。
閉じ込められたままに成長した。
故に、今も外に対しては興味がさほどない。
唯一与えられた希望さえ、去ってしまった今では。

アウレオルスの話がひと段落ついたところで、雨がやんだ。
窓の外、雨音がしないことに気がつき、フィアンマは言う。

「行きたい所がある」
「晏然、共に向かおう」



行きたい所。
予想外にもそこは、猫カフェと呼ばれる場所であった。

43: 2013/05/12(日) 15:03:38.97 ID:FBioGnLx0

ごろごろと喉を鳴らす猫の顎下をくすぐり。
カフェで提供されているおやつ(有料)を与え、フィアンマは満足そうな表情を浮かべていた。
対してアウレオルスはというと、乾いたスーツに猫が擦り寄り、毛が纏わりつくことにしょっぱい顔をしていた。

「…憮然、強く擦り寄り過ぎている」
「なーん」
「獣は反省をしないものだからな」
「…貴女は猫が好きなのか」
「人に懐く生き物は大体好きだよ」

ただし蛇は除く、と彼女は付け加える。
首を絞められそうで恐怖を感じる、とのことだった。

「驚然、貴女にも怖いものがあったとは」
「俺様を何だと思っているんだ」
「当然、」
「いや、言わなくて良い。ここで口にするのも不味いだろう」

それはダメだ、と制止して、彼女は口ごもる。

「怖いものの一つや二つ、あって然るべきだろう」

自分は『人間』止まりなのだから。

そう呟く少女に、少年は薄い笑みを浮かべる。

「本然、君は愛らしいな」

珍しい赤毛の猫を膝に寝かせたまま、フィアンマは固まる。
それから、小さい声で問いかけた。
見えない目をきょろきょろと彷徨わせて。

「……ほんと、に?」

52: 2013/05/13(月) 21:31:52.72 ID:KJCCmY/B0

細々とした声。
常の傲慢な態度や、特殊な一人称からは考え難い様子だった。
こちらが素顔だったりするのだろうか、とアウレオルスは思う。
だとすれば、その面を表に出していれば人に愛され易いのに、とも。

「当然、嘘はつかない」
「…そうか」
「……貴女程の人物ともなれば、褒め言葉等慣れきってしまって世辞と一笑に伏されるかと思ったのだが」
「能力、財力、権力。これに擦り寄る馬鹿は多いが、俺様自身に何かを言う人間はほとんど居らんよ」

愛らしいと言われたのは初めてだ、と口ごもる。
彼女は細い指先で猫の耳裏をかき、その温かさと呑気な鳴き声に表情を和らげた。
物知らずな姫と思って接すれば、別に傲慢な物言いも腹が立たないものである。
そもそもアウレオルスにとっては目上なのだから、失礼なことを言う訳もなく。
かといって友人でもあるのだから、思った事が良い事ならば口にするというのは当然の道理であった。
ごろごろと喉を鳴らして甘える赤猫を愛で、フィアンマはゆっくりと息を吐き出す。

「…お前は、媚を売らないんだな」
「晏然、する必要が特に見当たらない」

友人なのだから、と彼は言う。
少女は薄く笑んで、今はただ、猫を愛でる事にした。

54: 2013/05/13(月) 21:32:21.14 ID:KJCCmY/B0

翌日から、アウレオルスは再び職務に戻った。
しかし、フィアンマの言葉を踏まえ、前程無理はしなくなり。
キリの良いところで仕事を切り上げ、彼はフィアンマに会いに行くようになった。
体調が悪く無い限りは、ほぼ毎日のように。
そこに理由や根拠はなく、ただ『会いたいから』の一言に尽きる。
会ったところで時間が時間であり、聖歌を聞いて、お茶をして終わり、なのだが。
そんな日々を一ヶ月、二ヶ月と重ねていけば、当然親密さは増していく。

「果然、貴女は歌が上手いな」
「聖歌隊に比べれば下の下も良いところだ」

彼女が歌うものは、賛美歌が多い。
神を讃え、運命を愛する、そんなもの。
実際のところは、正反対の人生を送り、感情を抱えているのに。

「……お前は、基本的に時間に正確で良いな」

そんなことをぼやいて褒めて。
フィアンマは、静かにミルクティーを口にする。

「当然、時間とは厳守されるべきものだ」
「まあ、それはそうだが」

砂糖の溶けた甘い液体が、温かく胃に染み込んでいく。
そろそろ体重を気にするべきだろうか、とフィアンマは思った。
管理される幼少時代を送った影響で、彼女は非常に少食である。
故に細身は変わらず、精一杯食べようとしても限界はあるのだが、そこは年頃の少女である。
多少なりとも体重は気にしてしまうものだ。
まして、自分の姿は鏡で見ても確認出来ないのだから。

「俺様は、一つ、約束をすっぽかされた経験がある」
「…漠然、約束とは?」

問いかけられ、彼女は口にした。

56: 2013/05/13(月) 21:32:50.08 ID:KJCCmY/B0

父親は産まれる前に消えていて。
母親は、彼女を産んだ日に氏んだ。
そうして物心がついた頃、彼女は既に塔の上へと幽閉されていた。

『神の如き者』の適性。
救世主の素質。
数百年振りの『右方のフィアンマ』の到来。

ありとあらゆる才能に恵まれた彼女は、何もかもを他者に奪われた。
ローマ正教によって塔上へ幽閉され、毎日を魔道書と一般学問に費やした。
そんなある日、彼女へ手を差し伸べてくれた不幸な少年が居た。

『俺、疫病神だから』

そう言う彼はとても優しく。
数日間を共に過ごし、友人となって。

『もどりたくない』

そんな自分の我が儘を叶えてくれようとして。
結果としては早々に捕まり、それ以来会えてはいない。

『きっと、おまえをたすけてみせるから』

そう言ってくれたのに、連絡は一つもなく。
再び会う事は出来ないまま、十年程の月日が過ぎた。

58: 2013/05/13(月) 21:33:31.20 ID:KJCCmY/B0

「俺様は、誰かに期待することをやめた。
 誰かと約束することが怖くなった。契約ばかりをするようになった。
 誰かを待つことに慣れた。今の俺様なら、きっと百年は笑顔で待てる」

でも、時間を厳守してくれることは嬉しい。

理由があるのだ、と語って。
それから、彼女は首を緩く横に振った。

「お前にこんなことを言っても仕方がないな」
「………」

アウレオルスは、黙っていた。
黙って、色んなことを考えていた。
彼はまだまだ年若いが、天才にして秀才の錬金術師だ。

「……貴女の理想を。或いは、叶えられるかもしれない」
「……、」
「……屹然、実現は恐らく長らく先になるだろうが、」
「別に、良い」

遮って、フィアンマは首を横に振る。
誰かの為の優しい笑みを浮かべてみせて。

「もう、当麻が助けに来てくれることは諦めている」
「………」

今の夢はそうじゃない、と彼女は語る。

60: 2013/05/13(月) 21:34:07.08 ID:KJCCmY/B0

「俺様の夢は、」

彼女は手を伸ばし、アウレオルスの頬を撫でる。
華奢な指の感触に目を細める彼から少しズレた場所に、目を向けて。

「逃げ出す事だ。この、暗闇の世界から」

盲目であることだけは、諦めきれない。
目が見えるようになれば幸せになれると確定している訳ではない。
それでもアウレオルスと話していて、世界を見てみたいと思った。
十年程前のあの日と同じように、それ以上に、誰かが隣に居る世界を感じたいと。
若き錬金術師は、心から、憐れむべきこの少女を救いたいと思った。

「……まあ、医学的アプローチからでは、決して治せないと言われたがね」

物理を超越した奇跡でも起きなければ見えるようにはならない。

奇跡は自分の専売特許だというのに、と自嘲気味に笑って。
それから泣きそうになって手を引っ込める彼女の、その右手を。
アウレオルスは手をとり、彼女を見つめる。
たとえ視線が合わずとも、表情が伝わらずとも。
見据えられていることだけは判断出来、フィアンマは首を傾げる。
霊装としても機能する特別な右手を両手で優しく握り、彼は宣言した。

「約束しよう。君を、盲目の闇から」

はっきりと。
時間はかかれど見つかってはいる方法を、思い浮かべたままに。








「――――――当然、救い出す」

71: 2013/05/15(水) 19:47:53.78 ID:Ue4N1XLa0

手を握られたまま。
自分の手を握っている、存外立派で男性的な手の感触を脳内で処理しつつ。
フィアンマはどう言葉を返すべきなのか、どんな表情を浮かべれば良いのか浮かばなくて。
結果として、適当に茶化してしまうことにした。

「…何やらプロポーズのようだな?」
「な、」
「、っく…っくくくく…!」

あははは、とツボにはまった様子のフィアンマに、アウレオルスはがくりと項垂れる。
先程までとてつもなく真面目な雰囲気だったはずなのに、途端にこれである。
女心と秋の空、などと日本では言うが、女たらしでないアウレオルスに、女心はあまり読めない。
くすくすくす、と徐々に笑いの波は静まっていき。
握られた手は解かないまま、彼女は俯いてぽつりと言う。

「約束はしないし、期待もせんぞ」

希望を抱けば抱く程。
ルーレットに多くのコインを賭けるのと同じで。

負ければ、失えば、悲しくなる。

「約束など、する必要はない」

当然、と言ったのだから。
約束も何も必要はなく。
いつか自分が実現すると決めただけの目的なのだから、と彼は言う。

「随分と入れ込んでくれるな。あんな話で同情したのか?」

嘘かもしれないのに、と彼女は笑う。
そんな言葉を放つ事が、嘘ではないことを裏打ちしていた。

「憤然、私にも人を見る目位はある」

だから、助けたいのだ。

彼は、そうして手を離す。

73: 2013/05/15(水) 19:49:07.70 ID:Ue4N1XLa0

アウレオルスはフィアンマを教会まで送り届けた後、自宅へ帰ってきた。
職場で生活しているようなスタイルのため、家は生活感が少ない。
ついでに言えば少々ホコリをかぶっているものもある。
疲れはほとんど無い。今宵中に掃除をしよう、と彼は思い立つ。
埃の被った写真立てを丁寧にハタキでぬぐい、ボロいタオルで拭く。
写っているのは父親と、幼い頃の自分。母親は自分が産まれたときに氏んだ。

「………」

厳しい父親だった。
パラケルススの末裔として、英才教育を施された。
それでも、彼女に比べればマシな方だったのだな、と思う。
同情していたのか、と問われれば、きっと自分は彼女に同情している。
自分より遥かに目上の人間に同情というのもどうかとは思うのだが。

「……、」

同情という言葉だけでは言い切れない。
依存という言葉まではいかない。

ただ、少なくとも、彼女は自分にとって特別な立ち位置に移行しつつある。

75: 2013/05/15(水) 19:50:09.67 ID:Ue4N1XLa0

アウレオルスは無言で自分の両手を見やる。
思い出すのは、彼女の手を握っていた感触。
華奢な指に、真っ白な手の甲。
明らかに性別が違うとわかる、手指。
彫刻家が念入りに掘ったように整っていたように思う。
余計な肉はついておらず、かといって骨張っていた訳でもなく。
少女らしい手だったなあ、とそんなことを思って。

「……」

ぶんぶん、と彼は首を横に振った。
今は部屋掃除をしているのだから、そんなことを考えている場合ではない。

『…何やらプロポーズのようだな?』
『くく、っく…は、あははは!』

彼女には笑顔がよく似合う。
無理をして浮かべる優しい微笑よりも、少し意地悪な位の本心からの笑いが。

『お前が綴ったものを読んだが、的確な説明だったな。実に優秀だ』

真面目な話をしている時の表情も、決して嫌いではない。
あの金色の瞳に視力が宿り、こちらをきちんと見てくれたなら。
きっと心地良いだろうが、集中出来ないような気もする。

「……く、」

掃除掃除。

気分を無理やり切り替え、アウレオルスは水回りを片付ける事にした。

77: 2013/05/15(水) 19:51:19.20 ID:Ue4N1XLa0

それから、一ヶ月程は毎日やって来て。
術式の研究を始める、と宣言した彼は、ぱたりと会いに来なくなった。
職場でも職務の傍ら、理論をまとめたレポートのようなものを書いているらしい。

……と、風の噂で耳にした。
決して寂しくなったから調べたとかではない。

「…退屈だ」

別に、アウレオルスとは契約をしてない。
故に、彼に自分の下へ来る義務はないし、来いと言う権利も…なくはないが、ほとんど無い。
だからといって親を待つ子供のように職場まで突撃するつもりは毛頭ない。
自分のことを知っている下の者など非常に非常に限られるだろうが、そういう問題ではなく。
アウレオルスの研究内容がどういったものかは知らない。
自分に宣言してくれた『何か』かもしれないし、そうではないかもしれない。

「……退屈だ」


空腹を訴える子供のように、彼女はぼやく。
呟いてみたところで、求める王子様は来ない。

ぼんやりと点字の本を読んでいると、足音が耳に届いた。
徐々に近寄ってくる足音はやや早足で、かなり硬質。

「ヴェントか」
「ハロー、フィアンマ。相変わらずシけたツラ」

やけに上機嫌なようだ。
こちらは退屈に殺されそうだというのに、と彼女はぐたりと項垂れる。
そんなフィアンマに近寄り、小さな紙袋が手渡された。

79: 2013/05/15(水) 19:51:58.46 ID:Ue4N1XLa0

「何だこれは」
「マドレーヌ」
「ほう」

甘い洋酒の匂いがする。
少々ラムを入れてあるのだろうか。
芳醇で甘い香りが、フィアンマの鼻腔を擽る。
ヴェントは用事があるらしく、そのまま去っていく。
離れていく足音を聞きながら、わざわざご苦労な事だとフィアンマは肩を竦めた。
別にヴェントのことは好きでも嫌いでもない。ただの同僚だ。
性格的には微妙に合う程度だろうか、と適当に客観的な判断を下しながら、手探りで中身を取り出す。
中身のマドレーヌは紙で包まれていた。
市販品ならばフィルムで包んだものが一般的だと思うのだが、科学嫌いの彼女の買い物だ。
当然の事ながら、科学サイドの産物である透明フィルムなど嫌悪感が沸き起こるのだろう。

「……んー」

指先で数えてみる。
一、二、三、四。四つ。

机に落書きのように散りばめられている術式を応用して、現在時間を算出する。
午後三時。おやつ時だ。
隠秘記録官の仕事が、そろそろ終わる時間でもある。

「………」

右方のフィアンマは、退屈が嫌いである。

81: 2013/05/15(水) 19:52:29.02 ID:Ue4N1XLa0

隠秘記録官の仕事を終え。
だいぶ理論はまとまってきたような気がする、とアウレオルスはゆっくりと息を吐き出す。
気がつけば午後四時。仕事は既に終わりの時間である。

「我々は帰るが、貴様はどうする?」

同僚の隠秘記録官に問われ、アウレオルスは少しだけ考え込み。

「確然、まだやるべき事が残っている。先に出てくれ」
「了解した」

同僚達は連れたって帰って行く。
アウレオルスが職場に残ったのは、残業の為ではない。
フィアンマに視力を与える為、世界をも変貌する術式を研究しているのだ。

それ即ち、『黄金錬成』。

何百年、何千年とかければ世界を丸ごと掌握出来ると言われている最高の術式。
しかしながら、人の命は百年と少しが精々といったところ。
故に、どうやって『黄金錬成』実現可能に必要な呪文を短縮するか。
それが最大の命題にして、最後の難関。

「漠然、何か良い案は無いものか……」

考える。
考えて考えこんでみる。

しかし、名案は浮かばず。
一刻も早く彼女に視界を与えてあげたいのに、とアウレオルスはため息を吐きだした。

83: 2013/05/15(水) 19:53:05.60 ID:Ue4N1XLa0

コンコン。

控えめなノック。
何用だろうか、と首を傾げ。
恐らく修道女の誰かだろうとアタリをつけ、彼は返答する。

「画然、現在所在しているのは私だけだ。自由に入ってくれ」

ガチャリ、とドアが開いた。

「……」

若き錬金術師は、言葉を失った。
それから、目の前の光景に視線をさまよわせた。
あらぬところへ視線がいってしまい、これはいけないと自分を律する。

「唖然、どういうことだ……」

そこには、大天使がたっていた。
とはいっても、『天使の力(テレOマ)』で構成された本物ではない。

履き口にレースのついた白いオーバーニーソックス。
三段重ねのふんわりとした白いフリル。
上衣は黒、対比的にエプロンは赤く、ヘッドドレスも同じく赤色。
スカート丈は非常に短く、オーバーニーとの間、白い太ももが眩しい。
靴だけは黒であり、そこそこに太いストラップが華奢な足首を強調している。
長い赤髪は後ろにまとめられ、清楚に一本に結ばれていた。
それぞれの部分を挙げればやや下劣なコスプレなのだ。
が、色合い等、全体としては『神の如き者』のイメージを構成している。

一言で言うならば、大天使微工口メイドといったところだろうか。
一生懸命寄せて上げたと思われるAカップ程度の胸が薄いレース越しにほんのちょっぴりだけ主張している。
胸元が空いている事から、作業服としてのメイド服でないことは自明の理だろう。

彼女は声から算出したアウレオルスの方に身体を向け、謎の自慢げな態度で言う。






「光栄に思え。この俺様がわざわざ直々に数時間仕えてやる」

91: 2013/05/16(木) 20:23:24.53 ID:tdh1OymM0

アウレオルスは数分間沈黙した。
いけないとは思いながらも気づかれない事がわかっているため、ちょっと視線を右往左往させ。
眩しい真っ白な太ももと薄い胸、それから全体を思春期の少年らしく脳に焼き付け。
それから、社会人として怒る事にした。とはいえ、キツい言い方をする気は毛頭ない。

「…愕然、我が君よ。貴女は人に仕える様な立場にはない」
「……」

むう。

口にこそしないものの、そんな子供っぽい態度を取るフィアンマに、アウレオルスは小さく笑う。
馬鹿にしているということではなく、微笑ましいというだけのことである。
目のやり場に困るものの、生憎毛布やタオルケットの持ち合わせはない。
無いこともないのだが、洗濯をしていない不清潔なタオルケットを貸す訳にはいかない。

「…ところで、此処へはただその衣装を見せに?」
「いいや、差し入れだ。あくまでこの服装は特典に過ぎん」

差し出した紙袋の中から漂うのは、上品な洋酒の香り。
マドレーヌ、マフィン、或いはブランデーケーキの類か、とアウレオルスは予測する。

「……廓然、納得だ。わざわざ持ってきてくださるとは、有難い」

甘いものと眼福の光景が見られた為、アウレオルスはレポートを放置することにした。
仕事ではないし、彼女の為に書いているものなのだから、今は彼女とお茶をした方が道理に沿っている。

93: 2013/05/16(木) 20:24:04.69 ID:tdh1OymM0

「ふむ。紅茶を淹れよう」

腰掛けていて良い。

そんな気遣いの言葉を無視し。
フィアンマは紙袋をテーブルに置いて、アウレオルスに近寄る。
手を伸ばし、彼の袖を掴む。
アウレオルスは掴まれた袖とは反対の腕に小さめの薬缶を持ち、水を注ぐ。
カップを温める分も含めて多めに注ぎ、アルコールランプへ火を点けた。
職務従事中にあまり飲食をしないというのもあり、ガスコンロの類は無い。
隠秘記録官には科学嫌いがかなりの割合で居るから、という理由が大きいのだが。
何とも非効率な、とは思いつつも、意見する気にはなれないアウレオルスである。
無事ミニ薬缶を網の上へと置き、アウレオルスはフィアンマを見やる。
彼女はどこかふてくされた様子でこう言った。

「お前に下心というものはないのか」

揶揄のつもりなのか、女性として興味を持って欲しいのか。

そのどちらなのかはっきりしないため、アウレオルスは返答に迷った。

(…無いと言えば嘘になるが、有ると口にして警戒されるも辛い)

どう言葉を返すべきか。
視線を適当な方向へ向けた後、アウレオルスは視線を彼女の瞳に向けようとして。

95: 2013/05/16(木) 20:26:06.13 ID:tdh1OymM0

この時ばかりは、彼は彼女との身長差を恨んだ。
同身長であれば、見てはいけない(しかし見たくはある)部分を見ないで済んだだろう。
所謂ラッキースOベに遭遇するのは人生二回目である。
ちなみに一回目は幼い子供の頃に見た少女の透けブラが精々だ。

「ぐ、ううう……!」

鼻血が出たのは久しぶりだ。
もう年単位で出ていないのでは、と思う。
子供の頃に熱中症か何かで出した以来だ。
咄嗟に鼻を両手で押さえるアウレオルス。
しかしながら血液とは液体であり、手からこぼれ落ちるものである。
ぼたぼたぼた、と軽く音を立てて床に広がる赤い鮮血。
アウレオルスはよろよろとその場にしゃがみこんだ。

「……気分でも悪くなったか?」

そんなに似合っていなかったのか、と残念に思いつつ。
本質的には心優しい彼女は、心配そうに彼の方を向く。

「毅然、だ、だいじょ……」

言いかけ、顔を上げてしまう。
別に他意は無い。彼は人の顔を見てきちんと話す誠実な男であるだけだ。
故に、口の中へ流れ込む血液など無視してきちんと話そうとしただけなのだ。

97: 2013/05/16(木) 20:28:25.38 ID:tdh1OymM0

「…………」

きっと。
衝撃が波となって彼の身体を叩いたならば。
長身な彼の体は、ノーバウンドで数十メートルは吹っ飛んだに違い無い。
それ程までに彼は驚愕し、(悪い意味ではなく)ダメージを受けた。
余談だが、彼は硬派過ぎる誇り高き童Oである。
要するにこういったラッキースOベ的展開への免疫が無い。
ぼたびちゃびちゃ、とこぼれていく血液に、小説や漫画の世界でもあるまいし、と自嘲する。
ふふふ、と残念そうな笑い声すら漏らす彼は、しかしながら鼻血で血まみれである。
視覚の代わりに聴力と嗅覚の抜群に優れたフィアンマは、鮮血の匂いに気がつく。

「…怪我でもしたのか?」

きょと、と首を傾げるのは、彼女が自分の体に自信が無いからである。
揶揄の色が無い事にかえって罪悪感が首をもたげながら、アウレオルスは言う。

「自然、頼みがあるの、だが」
「頼み?」
「非常に、目のやり場に困ってしまう。…自然、着替えてきてはもらえないだろうか」

少なくとも普段着に移行して欲しい、と彼は頼んだ。
仕方ない、といった様子で、フィアンマは一旦部屋から出る。
アウレオルスがまずすべきは、鼻血を止め、床掃除をすることからだった。

99: 2013/05/16(木) 20:29:08.42 ID:tdh1OymM0

余談ではあるが、あのメイド服一式はヴェントが用意したものである。
『何かインパクトの強い服装』が、フィアンマが求めたもので。
人から悪意を向けられて生きる道を選択したヴェントは、悪戯心という悪意を込めて衣装を渡した。
それが巡り巡って血が流れる事態になったとは、夢とも思わないだろう。

ぺた。

『奥』にて下着姿のフィアンマは、自分の胸に触れた。
寄せて上げることをしなければ、真っ平らである。
一時期頑張って育てようと肉料理をひたすら食べたが、嘔吐して終了だった記憶がある。

「……」

む。

アウレオルスの反応をきちんと把握出来ていないフィアンマには、聴覚からの情報しかない。
故に、似合わな過ぎて何やら苦しめてしまった、という幻想だけである。

服は可愛かった。
当然の事ながら見た事はないが可愛い筈だ。
となると、服装が問題ではないのだろう。
仮に下着が見えていたとしても、汚れてはいなかったはずである。

となると。

「……なるほど」

消去法によって導き出される結論は、自分の容姿が劣っているということであった。
体が細いという自覚はあるので、そこに問題はないだろう。女としての魅力は少ないが。
顔立ちがそこまで悪いということなのだろうか、とフィアンマは考える。

「………」

このまま思考していては落ち込むだけだ。

そう無理やり結論を出し、彼女は着丈の長い赤いワンピースを纏う。

101: 2013/05/16(木) 20:30:20.22 ID:tdh1OymM0

フィアンマが戻ってきた頃に、丁度良く紅茶が入っていた。
マドレーヌもきちんと皿に並べられている。彼女は知らない事だが。
尚、彼女が着替えて思考していた三十分弱程の時間で彼は手を四回程洗った。
部屋掃除も済ませた為、鮮血の臭いは微塵も残ってはいない。

「果然、良いタイミングだ」
「…丁度淹れていたようだな」
「ああ」

アウレオルスは、彼女をサポートして座らせる。
フィアンマは落ち込みを隠しきり、微笑すら浮かべて座ってみせた。
温かな紅茶には僅かに牛乳が入っている。適度に混ぜられていた。

「……いただくとしようか」

告げて、彼女はカップの持ち手を握る。
じんわりと温かいのは、カップを一度温めたからだろう。
それなりの質の茶葉だが、良い匂いがする。
茶葉が良いに越したことはないが、紅茶とは淹れ方が重要な飲み物である。
静かに啜り、程よい温かさと牛乳の甘さを味わいつつ、マドレーヌを口にした。
紅茶の水分を吸い取ってほろほろと口の中で溶ける甘いお菓子。
気持ちは苦く、塩気が含んだままのもの。

103: 2013/05/16(木) 20:31:01.02 ID:tdh1OymM0

容姿。
目の見えないフィアンマが確認出来ないものの一つである。
故に、彼女は見た目で人を判断しないし、出来ないし、するつもりもない。
だがそれは同時に、自分の見た目を教えてもらわなければ知れないということである。
勿論怪我をしたかどうか等は、痛覚と触覚で把握出来る。
だが、顔立ちや色は記号的に記憶するだけで、実際のビジョンには繋がらない。

「………」

目を伏せ、彼女はカップを一旦ソーサへ置く。
ほとんど無意識レベルで、自分の顔に指先で触れる。
そんな彼女に、アウレオルスは首を傾げていた。

(化粧…否、していない。となれば気にしているのは汚れだろうか…?)

別に何も汚れは付着していないので、これは伝えてあげるのが優しさだろうと彼は考える。
しかし、どうも様子が違っているような気もする。
指先の動きはあくまでなぞるようで、顔の形を確かめているようだ。
一体何を確認しようとしているのだろうかと推し量る彼に、彼女は問いかける。

「世辞は抜きでも入れても良いのだが、質問に答えてもらえるか?」
「突然、質問とは?」
「十点満点…まあ、お前の好み、主観を加味して良い。
 俺様の容姿の良さを計測するとしたならば、何点だ?」
「当然、十点だろう。我が主観を加味しても良いと言うのならば」

間髪いれず、間を空けず、アウレオルスはきっぱりと回答する。
肉感的であるだとか、そういった基準がないのであれば、10点であると言える。
本心からの発言の為に声に震えは無いし、嘘をついている人間特有の無意識下の緊張もない。

「……」
「当然、嘘はつかない」
「………」
「言っただろう。君は、愛らしいと」

若干の照れと共に彼は言う。
フィアンマは、マドレーヌを口に含んだ。

105: 2013/05/16(木) 20:31:35.87 ID:tdh1OymM0

「……なら、お前は俺様の醜悪な見目と愛らしい衣装のギャップに吐いた訳ではないのか。
 となると、何が理由で吐血したんだ? まったく見当がつかんのだが」
「ぶっ」

綺麗に紅茶を吹き出した彼は、罪悪感と申し訳なさに隠そうとしていた真実を吐き出す羽目になったのだった。

114: 2013/05/18(土) 00:22:34.12 ID:n5x/fqYu0

『似合いの度合いも然ることながら色々と破廉恥な事態に陥っていた。
 自然、申し訳ないとは思いつつも性的興奮によって出血した有様だ。
 ……誤解を持たせ、その、すまない。本当に、申し訳無かった。当然、責任は取ろう』

アウレオルスの言葉を思い返しつつ。
フィアンマはゆっくりのんびりと、自らの住処とする教会へと戻って来た。
明日は雷雨だというので、外には出ずに大人しくしていよう、と決める。
『神の右席』は基本的に仕事の無い部署だ。
まして、実質右席でもトップを誇るフィアンマには、やるべきことが何も無い。
とはいっても研究すべき内容はあるし、やることも発掘はしているのだが。
いかんせん、具体的な発想が浮かばない限りは着手出来ない。
やる気がなければ動かないのが魔術師という生き物である。

「…責任?」

入浴を終え。
フィアンマはベッドへ横たわり、毛布を自らの体にかける。
もこもことした毛布に温かく包まれ、首を傾げた。
どの責任についてなのか、問いただすのを忘れていた。

胸や下着を見てしまったことなのか。
或いは、醜い容姿だと勘違いさせる原因を作ってしまったことなのか。
はたまた、その両方を合わせてだろうか。

いずれにせよ、責任を取る、というのはちょっぴり興味深い。
次に会った時に聞いてみようか、と思いながら彼女は目を閉じた。

116: 2013/05/18(土) 00:23:12.90 ID:n5x/fqYu0

部屋に戻って来た時の彼女の様子を思い返す。
顔を触っていたのは、結果として自分のせいだった。
視覚を持たぬ彼女には、鼻血と吐血の区別がつかない。
そこを考慮するならば、正直に羞恥を堪えて最初から真実を告げるべきだった。
彼女は何も気にしていないような顔をして、それでも傷ついたはずだろう。

加えて、彼女の下着や、あまつさえ胸まで見てしまった。

咄嗟に責任を取る、などという言葉を出してしまったが、具体案は無い。
しかし、少なくとも貞淑な女性を落ち込ませ、身体を必要以上に見たのだから、責任は取るべきだ。
そう考える彼は、誠実が行き過ぎて堅苦しい少年である。
家柄が高名で厳しく育てられたというのも、その埃を被った価値観に拍車をかけているのかもしれない。
最大の原因としては、彼が極端に女性との接触が少なかったということなのだが。
ともあれ、責任の取り方を四苦八苦して考えるアウレオルス。有言実行、言ったことは覆さない。

「……」

ごろり。

ベッド上で転がり、目を閉じる。
責任を取るとは如何なる事なのか。

仕事が失敗した場合なら、仕事を辞める事。
女性を孕ませたなら、父親になる事。
ペットを飼ったなら、氏ぬまで面倒を看る事。

責任を取る、という典型的事案を頭に思い浮かべ、アウレオルスは悩む。
悩んだまま、徐々に徐々に、夢の中へ導かれていった。

118: 2013/05/18(土) 00:23:48.38 ID:n5x/fqYu0

彼女と向かい合い。
そうして、彼女の目を見つめながら、想像した。

真っ暗な視界が、徐々に光に変わっていき。
やがてそれは、視力となる。
1.0。平均的な、健康な数値で良い。
視界全てのものを見渡せる、普通の視界。

彼女がその視界を得て、ものを見ることが出来る。
そんなイメージをきちんと想像しきれば、術式が発動された。
想像全てを創造する『黄金練成(アルス=マグナ)』が、履行される。

『……お前が。アウレオルス、なのか』

金色の瞳に、光が灯る。
彼女は、こちらを見つめてくる。
微笑んで、私は頷いた。

『当然、私がアウレオルス=イザードだ』

彼女は手を伸ばし。
もう、目が見えているにも関わらず。
確かめるように、触覚と視覚とで、答え合わせをする。

幸せそうに微笑んで、彼女は小首を傾げた。
さらさら、と長く美しい赤髪が揺れる。
細い手が私の手を握り込み、心から嬉しそうに、彼女は言った。

『ありがとう、アウレオルス』

120: 2013/05/18(土) 00:24:20.07 ID:n5x/fqYu0

『責任を取ってくれるんだろう?』

彼女は指先で小さな青い箱を弄んでいる。
とはいっても粗末な扱いではなく。
遊んでいるにせよ、それはそれは大事そうに。
その中には、ダイヤとトパーズのあしらわれた婚約指輪が入っている。
楽しそうな笑みを浮かべたままに、彼女は宝石箱を撫でる。

『毅然、それは君のものだ』
『まあ、返せと言われても返さんが』

きゅ、と軽く握り締め。
僅かに頬を染め、彼女は床を見つめる。

『……自信という自信は無いが。
 …お前となら、良い家庭を築けそうだ』

願望の色を滲ませる彼女の手元には、雑誌があった。
所謂プライダル雑誌と呼ばれるものだった。

私も読んでおくべきかと手を伸ばしてみて―――――

122: 2013/05/18(土) 00:24:52.80 ID:n5x/fqYu0

間抜けにも、手を伸ばした状態で目が覚めた。
このまま手を伸ばしたままでも、触れるのは電灯の紐だけである。
要するに今のは全て一切合切、アウレオルスの夢であった。

「………」

猛烈な羞恥に黙り込む。
恋する乙女であればともかくも。
自分の、直接ではないが上司、加えてただの友人に、一体何を妄想しているのだ。
黄金錬成で目が見えるようにしてあげられて感謝される、という内容はまだしも。

気付けば朝だったため、身支度を済ませる。
そうしてカレンダーを見てみて、ようやっと、今日は休日であったことに気がついた。

「……ぐ、」

別に休日出勤をしても良いのだが、流石に同僚から指摘されそうである。
となれば、彼女に会いに行くのがベストな選択だろう。
趣味という趣味を持たぬ彼は、身支度が終わっていたこともあって、そのまま外へ出た。

現在時刻は午前十時。
仕事だったとしても、遅めの起床であった。

124: 2013/05/18(土) 00:26:18.51 ID:n5x/fqYu0

一方、その頃。


フィアンマの(巧みな話術でそれっぽい言い方で言いくるめたが要は)我が儘により。
『神の右席』は現在、バーベキューもとい真昼間から飲み会の用意をしていた。
発案者本人は全く動かず、だるそうに準備の終了を待っている。
アックアは黙々と動き、文句を漏らしたヴェントはテッラが宥めた。
フィアンマが働いていないのは盲目のため物を落とす恐れが高い事、眠い事、この二点である。
そんな訳でぐうたらしつつ、彼女はアウレオルスに通信をかけていた。
本日彼は休日であると把握しているため、家には居ないと連絡しておこうと思った為だ。

「今日、俺様は家には居ない。戻るのは午後三時過ぎ程になるだろう」
『愕然、それは非常に残念だ』
「俺様としてもそう思うが、空腹には代えられん。
 …ん? そういえば、昼食はもう摂ったか?」
『? 確然、そろそろいただくべきかとは考えていたが』
「そうか」

相槌を打ち、彼女は手を伸ばし、ビスケットを口にする。

「好都合だ。特別に飲み会に招待してやろう」
『………飲み、会?』

131: 2013/05/18(土) 23:02:25.96 ID:fwKqvETP0

誘われるまま、訳もわからず。
ひとまずアウレオルスは、彼女が指定した場所へと足を運んだ。
教会の裏手、目立たない場所に居た四人は、彼女を含め目立っていた。

一人は、ガタイの良い寡黙そうな男性。
一人は、細身で顔立ちの整った気のキツそうな女性。
一人は、小柄で細い、修道服をきっちりと着込んだ男性。

最後の一人は、いつも通りのフィアンマ本人である。
彼女は足音を聞き分け、アウレオルスの方を見やる。

「来たか」
「…呆然、…来たは良いが、その、」

戸惑うアウレオルスへ、女性―――前方のヴェントが、視線を向けた。
彼女は観光土産でも見定めるようにアウレオルスを眺め、ニヤリと笑む。

「なるほど、アンタが執着するだけあって後ろ暗さが無いわね」

そうヴェントに言われ、フィアンマはそっぽを向く。
彼女は自らの立場と名称を明かし。
『神の右席』という名に恐れ慄く彼を放って、ヴェントは焼き作業に戻った。
代わりばんこ、という訳ではないが、小柄な男性がアウレオルスに近寄ってくる。

133: 2013/05/18(土) 23:03:23.57 ID:fwKqvETP0

「『隠秘記録官』のアウレオルス=イザード、ですねー。お噂はかねがねお伺いしていますよ」
「………当然、恐縮です」

緊張した様子で言葉を返すアウレオルス。
男性―――左方のテッラはもう一人の男性(即ち後方のアックア)の紹介も含めつつ素性を明かす。
ますます緊張を高める彼の様子に小さく笑って、テッラは一度焼き網の下へ戻る。
誘われるままアウレオルスも近寄り、居心地の悪さから自然とフィアンマの隣へと移動した。
彼女は優雅に木製の椅子に腰掛け、よく焼かれた塩コショウ味の鶏肉をもぐもぐと食べている。
ヴェントから差し出された肉串を手に、アウレオルスは緊張を抑え込んでいた。
フィアンマはもごもごと食べ、指先で串をなぞり、食べ終わったことを確認してからゴミ袋へ押し込む。
緊張した様子の彼の袖を引っ張り、そのことでやや緊張が解けた彼に、彼女は悪戯気にこう言った。

「…食べさせてくれないのか?」
「……食べさせ、…」
「………」

焦点の合わぬ瞳が、アウレオルスを捉えているように、見える。
彼女の無言の訴えに弱い彼は、しばしまごまごした後に、慎重に串の先端を彼女の口に含ませた。

そう、そうだ。
彼女は目が見えないのだから、食べさせてあげるのは親切心なのだ。

そんなことを自分に言い聞かせつつ。

もぐもぐもぐ、とよく火が通った牛肉を食べつつ、彼女はアウレオルスの顔の辺りを見つめる。
その姿はどこか小動物的にも見えたし、どこか口淫を彷彿とさせる淫猥さを含んだものでもあった。

「急に呼び立ててすまなかったな」
「俄然、それは構わないが」
「そこまで緊張しなくて良い。俺様の同僚だが、実質的には部下だからな」

気軽に言って、彼女は立ち上がる。少し離れた場所まで歩き。
何やら思い出した事があるのか、真面目な表情でアックアに話しかけ始めた。
ひとまず手に持っている残りの肉を食べていると、アウレオルスの隣りに男性が腰掛ける。
左方のテッラだった。彼は野菜を口にしつつ、アウレオルスへグラスを差し出す。
グラスの中に浮かぶ炭酸。色は白。スパークリングワインの白であることは明白だった。
少しだけ躊躇した後、彼は有り難くいただくことにしてみた。

135: 2013/05/18(土) 23:04:20.14 ID:fwKqvETP0

「貴男は、彼女が好きですか」
「な、」

食べ終わり、酒をちびりと飲んだところで。
そんなことを急に問われ、アウレオルスは思わずグラスを取り落としそうになった。
好きではないと言えば当然嘘になるが、どういった意図での質問かがまず問題だ。
口ごもる彼に笑いを零し、テッラは視線を空へと向ける。
そして、常よりも遥かに上等な辛口のワインをちびりと口にした。

「否定も肯定もしなくても構いませんが、…貴男は彼女の孤独を埋める事の出来る貴重な人物です」
「否然、私は、……」

謙遜しようとするアウレオルスに、テッラは緩く首を横に振る。
辛口のワインのキレに目を細め、葡萄味の吐息と共に語りを零した。

「私は、彼女から大切なものを奪いました。沢山のものを。
 彼女が求めたものを、ローマ正教のために」
「………」

アウレオルスが思い出したのは、フィアンマの育ちの話だった。

『俺様は、才能に未来を潰された』
『俺様は、誰かに期待することをやめた。
 誰かと約束することが怖くなった。契約ばかりをするようになった。
 誰かを待つことに慣れた。今の俺様なら、きっと百年は笑顔で待てる』

隣りに居る男が、彼女を閉じ込めたのなら。
それは憎らしい事だ、とアウレオルスは思う。
知らず知らず手に力が入り、グラスへ僅かに亀裂が走る。

137: 2013/05/18(土) 23:06:12.76 ID:fwKqvETP0

ローマ正教のために。
組織的に彼女を閉じ込め、右方のフィアンマへなるべく一人の少女を仕立て上げ、育て上げた。
その時に大きな貢献をしたのが左方のテッラであり。
しかし、彼女を救おうとした異教徒の少年を引き剥がしたことを。
外の世界をロクに教えず、彼女が欲しがったものを結果的に全て奪い続けたことを。
左方のテッラは後悔し続けた。そして数年前、彼女に許しを乞うた。

『お前が今更後悔して謝った所で、俺様が奪われたものは戻ってこない。
 俺様を愛してくれるはずだった少年も帰ってこない。
 俺様が欲しかったものは何一つ手に入らない。俺様が過ごした空白の十数年は埋まらない』

そう泣き叫ぶ彼女を抱きしめ何度も謝ったことを、テッラは思い出す。
そしてその日に、彼女を大切に思う心を遺し、好いている気持ちは消した。

139: 2013/05/18(土) 23:07:06.64 ID:fwKqvETP0

「今の彼女は、貴男に執着しています。救いと、恐らくは愛情を求めて。
 …羨ましいですが、嫉妬は大罪ですしねー」

そう言葉を結んだ彼は、酒を飲み終わり。
立ち上がって、ヴェントへと近寄って歓談する。

自由。
未来。
人権。

それらを組織と才能に奪われた盲目の監禁生活の中で。
彼女はどれだけ絶望し、救いに現れる王子様を待ち焦がれたのか。
一度現れた王子様を奪われ、二度と会う事もなく過ごしてきた最近までの生活を。

『俺様の友人になって欲しい』

金銭、雇用。
そんな言葉で片付けられる関係でまでも、彼女は自分を引きとめようとした。

『約束はしないし、期待もせんぞ』

視力を贈りたいと述べた時、彼女は、泣きそうな様子だった気がする。
茶化して、俯いて、期待はしない、と返してきていた。
握った華奢な白い手を思い出す。救世の右手。
思い返すのは今朝の夢。それから、彼女と過ごしてきた、まだ短い時間。

それでも、自覚する。

141: 2013/05/18(土) 23:08:25.41 ID:fwKqvETP0

「…確然、そうか」





錬金術の最高峰、黄金錬成。神や悪魔すら手足として使役する力。
世界をも変革出来る恐ろしい力を手にしてでも自分を見て欲しいと思う程に。
こんな短期間なのに、感情というものはここまで勝手に揺れるものだったのか。

彼は気がつく。
この事実に、思わず気の抜けた笑みがこぼれでた。







自分は、友情の枠組みを遥かに越えて、彼女を愛しているのだ――――と。

155: 2013/05/19(日) 16:41:07.98 ID:QjUZ63Ky0

ふと思い出した片付いていない仕事の話を終え。
フィアンマはアックアに野菜を焼かせ、食べていた。
そんな彼女へ、一人の女が近づく。
言うまでもなく前方のヴェントであった。
彼女は僅かな悪意を滲ませ(揶揄のそれだ)、フィアンマへ話しかける。

「アンタ、あの男とはどこで会ったワケ?」
「ん? 教会だが。至って普通だろう」
「そ。で、"そういう"好き?」

グラスを落としそうになりつつ。
フィアンマは、僅かに顔を赤くして首を横に振った。
横に振った、といっても、曖昧な振り方だが。

「別に、そういう訳では、……」

ない、と言い切らない辺りに好意が透けて見る。
のだが、彼女の場合精神構造にちょっとした異常があるため、執着だけとも取れる訳である。
まごまごとする彼女を見やり、アックアは冷静に言葉を放った。

「矜持は重要だが、自らに素直になれないというのも問題であるな」
「………ふん」

ふい、と顔を逸らし、フィアンマはグラスの中身、甘口の赤ワインを煽った。

157: 2013/05/19(日) 16:41:28.64 ID:QjUZ63Ky0

恋情を自覚して。
アウレオルスは、戻って来たテッラに勧められるまま、酒を口にした。
恋情を自覚した後の美酒はなかなかに甘く感じられる。
そういえば自分は酒が強い方だったか弱い方だったか。
そんなことを思い返している間にも、グラスには酒が注がれていき。
気がつけば若き錬金術師は、有り体に言ってすっかり酔っ払っていたのだった。
彼はおもむろに腰掛けていた椅子から立ち上がり、グラスをテーブルに置き。
そうして、ややふらつきつつも、彼女に歩み寄った。

「…ん?」

近づいてくる足音。
いつもとは少し違うが、恐らくはアウレオルスだろう。
そう見抜いて、彼女は彼の方を見やる。
空っぽのグラスをテーブルへ手探りで置き、放置していた詫びを入れようとして。

159: 2013/05/19(日) 16:42:28.24 ID:QjUZ63Ky0

「………」
「……」

沈黙。
思考停止する少女の身体を、長い腕が抱きしめる。
密着した肌、衣服越しとはいえ、体温を感じられた。
すん、と特に意味もなく、通常の呼吸において息を吸い込む。
強い酒の臭いと、いつも通りのアウレオルスの匂いがした。

「……、…アウレオルス?」
「…毅然、私は、君のことが、」

すぅ、と息を吸い込む音。
何を言われるのだろう、とフィアンマは戸惑った。
予想は出来ていないが、何やら恐怖を感じる。
緊張の色合いを帯びる恐怖に、フィアンマは僅かに後ずさる。
絶望と失望を繰り返してきた彼女にとって、唐突な変化は基本的に好ましいものではない。

「私は―――」

言いかけて。
彼はアルコールによる眠気に襲われ、ほとんど気を失うように眠った。
体重がかかり、フィアンマは困惑の後、彼の体を支える。

161: 2013/05/19(日) 16:43:08.35 ID:QjUZ63Ky0

「…飲ませたのはテッラか」
「ついつい悪戯心が働いてしまいまして。すみませんねー」
「悪いと思っておらんのなら謝罪しなくても良い」

やれやれ、とため息を吐きだし。
片付けを三人に任せ、フィアンマはアウレオルスを半ば引きずるような形で移動する。
転移術式で消えた二人を見送り、アックアは無言のままに、あの男とうまくいけば良い、と思った。
もう少しからかっておくべきだったかなどと思いつつ、ヴェントは軽くゴミを片付ける。
テッラは僅かに薄く笑み、少しだけ残念そうに目を伏せた。


それぞれの反応を知ることもなく。
フィアンマは自らの別荘―――つまりはアウレオルスとサンドイッチを食べた教会奥までやって来た。
アウレオルスをベッドへ横たわらせ、欠伸を咬み頃す。
酔いも手伝って、何となく体が熱く感じられた。
決して抱きしめられた照れなどではない、とどこかの誰かに言い訳しつつ。
アウレオルスが眠っていることを良い事に、フィアンマはシャワーを浴び、服を着替えた。
昼から準備を始めて、行ったということもあり、現在時刻は午後四時半。
フィアンマは眠るアウレオルスの様子を推し量り、ネクタイや上着を脱がせる。
皺にならないようハンガーへと掛け、キツいだろうと気を使い、ベルトも引き抜いた。
それも同じくハンガーにかけ、フィアンマはアウレオルスの身体を押してスペースを空ける。
彼女が細身、アウレオルスが標準体型の細さであることも手伝い、どうにか二人共一つのベッドへ収まった。

「……おやすみ」

あまりにも無防備に男へ寄り添いつつ。
フィアンマは目を閉じ、アウレオルスの頬を指先でつっつく。

163: 2013/05/19(日) 16:43:36.93 ID:QjUZ63Ky0

「…俺様のことが、……何だろうな」

聞きたいような聞きたくないような。
言われるなら良い言葉がいい、と思いつつ。
フィアンマは目を閉じ、毛布で身体をくるんだ。





目を覚ました少年が驚愕に壁へ頭を打ち付けるのは、自明の理である。

169: 2013/05/19(日) 23:50:23.81 ID:izCWPjQR0

アウレオルス「そういえば」

フィアンマ「ん?」

アウレオルス「君は杖は使わない主義なのか」

フィアンマ「そうだな。大体聴覚と直感で把握出来る」

アウレオルス(漠然、女の勘は鋭い、というヤツだろうか)

フィアンマ「ついでに言えば」

アウレオルス「?」

フィアンマ「杖がなければ、お前が手を引いてくれるからな」

アウレオルス「っ、」

フィアンマ「人に迷惑をかけるのが趣味だからなぁ」

アウレオルス(…確然。彼女は私に甘えてくれている、のか。……私だけに)

フィアンマ(……杖、か。そろそろ迷惑をかけないようにしなければ、な…)

175: 2013/05/20(月) 21:14:25.36 ID:mqGS7Hmk0

酔いが残ってしまったのかもしれない。
覚えているのは、彼女に告白しようと勢いで言いかけたこと。
途中で意識が途絶えた彼は、そう自らを振り返っていた。
若干の頭痛を覚えつつ、目を開ける。見えたのは、天井だった。
家というものにはそれぞれの生活の匂いというものがあり。
ああここは彼女の家なのだなあ、と悟り、アウレオルスは起き上がろうとした。

そして。
ふと。

自分の右二の腕に、温かさがあることに気がついた。
ついでにいうと、右腕を抱きしめている何者かの存在にも。

「……」

恐る恐る、視線を向ける。
そこには、一人の少女が眠っていた。
自分の腕を抱き枕代わりにして眠る、細身の少女だった。
白い肌に赤い長髪、長いまつ毛。見覚えがあり過ぎる。

177: 2013/05/20(月) 21:15:42.10 ID:mqGS7Hmk0

それから、自分の服装を見た。
ネクタイは無し。ボタンは三つ程空いている。
上着は脱いだ状態で、壁にかけられている。
ズボンはベルトが抜かれ、それもまたかけられていた。

隣りで眠る彼女は薄手のネグリジェを纏っており。
自分の衣服はやや乱れていて。
漂うのは、入浴後の石鹸の良い香り。

『酔った勢いでヤってしまった』

そんな一文が、アウレオルスの脳内を駆け巡った。
これが行きずりの顔も知らぬ女であれば、反省と単なる落ち込みで済む。
済むのだが、よりにもよって本当に心から愛し、大切にしようと考えている少女が相手である。

「………」

そっと腕を抜き。
彼はベッドから出て、ふらふらと立ち上がり、壁に手をついた。

「…愕然、私という男は………ッ、」

何と不甲斐ないことか。
酒に自制心を奪われ、よりにもよってこのような事態を招くとは。
真面目で堅物である分、彼は自責の念も強く持っている。

179: 2013/05/20(月) 21:16:23.80 ID:mqGS7Hmk0

もうこれは氏んだ方が良いレベルの失態だ。

ガンッ、と壁に頭を打ち付ける。
こうでもしなければ、あまりの辛さに泣いてしまいそうだった。

確かに、いつかはこういうことになっただろう。
恋愛をして成就すれば、こういった行為は自然なことだ。
しかしながら、まだ告白すらもきちんと成就していないのに。

結婚どころか婚約すらしていない自分。
彼女を穢してしまった、と落ち込むのは、彼の思考パターンからして当然だった。

告白。
逢瀬。
婚約。
結婚。

段取りを踏んでいこうと考えていた彼にとって、現状は痛手だ。
ゴンゴン、と数度ぶつけていると、その音でフィアンマが目を覚ました。

「…喧しい」

一体何事だ、と起き上がり。
ぽすぽすとベッドを叩き。
それから、フィアンマはアウレオルスの方を向いた。

181: 2013/05/20(月) 21:17:17.08 ID:mqGS7Hmk0

「…何かしているのか?」
「……すまない」
「何の話だ」
「確然、貞淑なる君の純潔を穢してしまったことだ」
「…純潔?」

確かに自分は処Oだが、と思い返した後。
それから、不可解そうに首を傾げて思考に三秒。
そして、アウレオルスが何を考えているか理解した。

「安心しろ。別に性行為に及んだ訳ではない」
「………何?」
「だから、」

勘違いさせてしまった、とフィアンマは慌てずに説明する。
衣服を脱がせたのはより良質な睡眠を摂取させるため、だとか。
ソファーで寝るのは身体が痛いから一緒に寝ていただけだ、だとか。
いろいろと説明を受け、納得し。
アウレオルスは安堵すると共に、その場へ崩れ落ちた。

「俄然……あ、安心した…」
「……すまん」

謝罪しつつ、フィアンマはアウレオルスの頭を撫でる。
苦い笑いが零れ出つつ、彼女は優しく誘った。

「…ひとまず、食事にしよう。二日酔いは大丈夫か?」

183: 2013/05/20(月) 21:18:00.29 ID:mqGS7Hmk0

朝食。イコール軽食。
フィアンマが作ったのはジャムサンドだった。
既製品のバタークッキーに林檎ジャムを塗って挟んだものだ。
飲み物はポーションタイプのアイスティーを水で割った甘い朝食。
女性とはいつもこんなものばかり食べているから甘い匂いがするのか、などと思いつつ、少年は食を進める。
フィアンマは無表情で食べ進めつつ、アウレオルスを見やった。
ちなみに彼は壁に頭をぶつけ過ぎて出血した為、治療をしてある。
簡単な応急処置であり、頭に包帯を巻いてある程度なのだが。

「昨日」
「?」
「…何でもない。気にするな」

何を言いかけていたのか、と問い詰めかけて。
やはりやめよう、とフィアンマは続きを飲み込んだ。
誤魔化すようにもぐもぐとクッキーを頬張り、紅茶を飲み下す。

「……仮に」
「…仮に?」
「酔いの勢いで俺様を抱いていたとしたら、どうしたんだ? 
 まさかあのまま氏のうと思っていたのか」
「……、」

否定出来ないアウレオルスである。
フィアンマは唇端に付着したジャムを舐め、やや低い声で言う。

「責任を取って俺様と結婚する位なら氏ぬ方がマシという訳か」

手を伸ばし、生のりんごを掴み取る。
怨念の篭った独白と共に、赤い果実がグシャアと弾けた。
思わずビクリとしながら、アウレオルスは本心からぶんぶんと首を横に振る。

残念ながら、首を振るだけでは彼女に何も伝わらないのであった。

191: 2013/05/21(火) 21:10:44.63 ID:lpRj6DCK0

そして、数ヶ月が経過して。
今度はアウレオルスではなく、フィアンマが忙しい時期となった。
即ち、それは聖夜祭。クリスマスである。
儀式の用意、世界各地での動向と信仰心を確かめるには絶好の機会。
そんな訳で、フィアンマは情報収集のための手はずに追われていた。
11月頃から忙しくなったため、アウレオルスには一ヶ月近く会っていない。

「……クリスマス、か」

クリスマスの過ごし方は多々あるが、多くは三つに分けられる。

一つ、家族と過ごす。
一つ、神に祈り、眠る。
一つ、友人や恋人と過ごす。

この内、アウレオルスが選べない選択肢は一つ目だ。
しかしながら、他の二つは十分に可能であり、可能性が大きい。
二番目であれば共に過ごすよう誘うのは迷惑ではないのだろうが。

「……、」

仮に、三番目であった場合。
それも、後者だった場合は。

「………」

きっと不愉快な思いをする、とフィアンマは思う。
踏み出せずにうじうじと、数時間考え続ける少女である。

193: 2013/05/21(火) 21:11:08.95 ID:lpRj6DCK0

一方。
アウレオルス少年は、とある生理現象に苦しんでいた。
正確に、有り体に言ってしまえば成長痛というやつである。
急激に身長が伸びた弊害で骨が軋み痛むという症状だ。
ぐう、とベッドで唸りつつ、彼はカレンダーを見つめていた。

もうすぐ、クリスマスがやって来る。
昨年は仕事に追われ、自らを仕事に追い立てていた。
日付の感覚が消える程に年末まで仕事をし、毎日を無理に充実させていた。

今年は違う。
毎日でも共に過ごしたい―――今はまだ友人の、大切な少女が居る。
しかし、彼女は仕事に追われ、忙しく過ごしていて。
当然、誘いなどかけられる訳もなく、自分も仕事へ打ち込んでいた。

「……、ぐ」

それにしても背骨が痛い。
ふらふらふら、と立ち上がり、ため息を吐き出す。
一晩に何センチも伸びてしまうせいで、服のサイズが合わなくなってきた気がする。
成長期とは厄介なものだなあ、と別段嬉しくなく思うアウレオルスであった。

195: 2013/05/21(火) 21:11:47.70 ID:lpRj6DCK0

十二月半ば。
フィアンマとアウレオルスは、ようやく再び会った。
近くのカフェはまわり尽くしてしまったので、今日はフィアンマの家(もとい別荘扱いの教会)での逢瀬だった。
彼女はチョコレートがけのプレッツェルの箱を彼に差し出す。
若干サイズが合わないスーツに不快感を催していたアウレオルスだが、きょとんとした表情にかき消される。

「極東の国の文化で」
「ふむ」
「これを両端から咥え、食べ進むという遊戯がある」
「……遊戯」

一体何が楽しいのだろう、とアウレオルスは首を傾げ。
彼女の唇を見やり、想像する。
それから、箱を突き返そうかものすごく迷った。

「…偶然、唇が触れ合う恐れが、」
「そのスリルを味わうものなんだろう、恐らく」

彼女の形の良い右手が、アウレオルスの袖を掴む。
見えない鎖で縛り付けられたように、彼は視線を彷徨わせて。

それから一本取り出し、口に含んだ。

197: 2013/05/21(火) 21:12:12.50 ID:lpRj6DCK0

ぽりぽり。
こりこり。

兎が餌を食べるような音だけが、部屋に響き、遺る。
フィアンマはそもそも目が見えないため、どれだけ顔が近づいているかわからない。
故に、ドキドキとしているのは、どちらかといえばアウレオルスの方だった。

徐々に近づいてくる顔。
化粧はしていないのだが、人形のように整っている。
真っ白な肌は、血管が透けてしまいそうな程で。

「………」

ごくり。

飲み込んだのは甘い菓子か、緊張の生唾か。
見えていないことはわかっていても、金色の瞳は開いている。
じっと見つめられ、キスをねだられているかのようで。
落ち着かなさを消すため、アウレオルスはスラックスを指先で撫でる。
吐息がお互いの唇にかかる、距離。

199: 2013/05/21(火) 21:12:49.94 ID:lpRj6DCK0

「………、…」
「…折れたな」

くすくすくす。

魔女の如く笑って、フィアンマは首を傾げる。
唾液を纏った舌が、唇端に付着したチョコを舐め取った。
アウレオルスが酷く残念に思うと共に、部屋を沈黙が支配した。
黙った空気の舵取りをするついでに、アウレオルスは勇気を出す。

「毅然、聖夜のことなのだが」
「……クリスマスがどうかしたのか」

一緒に過ごすことは出来ないと言われるだろうか。
実は恋人がいるのだ、と宣言されるだろうか。

そう言われてしまったら、耳を塞いでも遅い。
しかし、彼の言葉を遮る気にもなれない。
余裕気な笑みを浮かべつつも緊張している少女の様子に気がつく様子もなく、彼は言った。

「もし予定が空いているのであれば、共に過ごしてくれないか」
「………喜んで」

舞踏会に誘われた一夜の姫のように、彼女は微笑んだ。

201: 2013/05/21(火) 21:13:57.73 ID:lpRj6DCK0

クリスマス。
どこぞの国では性夜(笑)などと称されるイベントだが、ここバチカンでは宗教的に立派で重要な催し事である。
フィアンマは適度に仕事を片付け、適度に仕事を押し付け、やるべきことを終えた。
儀式というものは金がかかり、手間がかかり、得るものの少ないことばかりである。
魔術と違い短縮出来ないのが面倒だ、とぼんやりと思いながら、フィアンマはゆっくりと歩く。
はあ、と吐きだした息はどこまでも真っ白で、晒された手がかじかんでいる。

「……、」

こんな右手などなくなれば良い。

ふと、そんな昏い想いが首をもたげた。
待ち合わせ場所の細い時計塔に寄りかかり、フィアンマは空を見やった。
雪が降ってきそうな空模様だが、当然、何も見えない。
術式によって現在時刻を算出してみると、待ち合わせ時間ちょうど。

「……は、」

彼は来る。
すっぽかしたりしない。
そう無条件で信じられる程の実績が、彼女達の間にはある。

「今日は冷えるな…」

フィアンマ以外にも彼氏や家族の迎えを待つ少女は多くおり。
各々、そわそわとしながら待ち、或いは届いた連絡の内容に落胆したりしている。

203: 2013/05/21(火) 21:15:27.42 ID:lpRj6DCK0

かさり。

紙のような、セロハンのような。
そんな聞き覚えの少ない音に、フィアンマは首を傾げる。

「遅れてしまって申し訳ない。一分の遅刻だ」
「気にするな。俺様も今先に来た所だしな」

定型句を交わし。
それから、フィアンマは目の前のセロハンのようなものを撫でた。
触れている何かは柔らかく、薄い。力をこめれば破れてしまいそうな。

「…花束、…花束か?」
「如何にも」
「俺様に?」
「当然、君を想って買ってきた」

フィアンマは俯いて僅かに笑みを口元に浮かばせ。
それから丁寧に受け取ると、触ってみて、首を傾げた。
匂いを嗅いでみて、判別を試みる。

「薔薇か。…色は?」
「………自然、青だ。店頭にあったもの、だからな」

アウレオルスは少しだけ間を空けて、嘘をついた。
薔薇の色は炎のような真紅である。

花言葉は『氏ぬほど恋焦がれています』。

が、見る事の出来ない彼女は、青薔薇と解釈する。
花言葉での告白をする勇気は、振り絞れなかった。

205: 2013/05/21(火) 21:16:03.43 ID:lpRj6DCK0

「青い薔薇。…『奇跡』、『神の祝福』、『夢がかなう』だったか」
「当然、君に似合いの花だ」
「…添えてあるのは…アイビーか」
「俄然、今宵は聖夜<クリスマス>だからな」

アイビーの花言葉は三つ。
花言葉は、『友情』『氏んでも離れない』『永遠の愛』。
或いは恋慕に気づかれるだろうか、と僅かに緊張する少年に対し。
フィアンマはアイビーを指先で突っつき、首を傾げた。

「花言葉は…友情、だったか」
「………ああ」

落胆と安堵、両方の感情を持ちつつ、アウレオルスは頷く。
フィアンマは内容を(一部虚偽だが)確認し、花束を撫でる。
それから、嬉しそうに抱きしめた。

「……ありがとう」

幸せそうな笑みを浮かべ、彼女は花束を抱きしめて離さない。
そんな彼女の笑みに嘘をついた罪悪感を僅かに刺激されながら、アウレオルスは穏やかに笑むのだった。

215: 2013/05/22(水) 21:21:33.01 ID:dUmB5kwk0

今日のフィアンマは珍しくワンピースタイプの服ではない。
上は赤いブラウスに、下は黒いシフォン素材のスカート。
そこに白いトレンチコートを着、腰元でリボンが結ばれている。

別に普段の服装のセンスが悪いという意味ではなく、今日の彼女はおしゃれだった。

自分のために、或いはお洒落をしてきてくれたのだろうか。

そんな、ある種傲慢な考えが浮かび、アウレオルスは首を横に振る。
彼女はアウレオルスと共にレストランへ向かう道すがら、真っ白な息を吐きだした。

「今夜、共に過ごす相手は他に居なかったのか」
「憮然、何故そのような質問を?」
「ふと気になっただけだ」

深い意味などない、と言う彼女の表情は僅かに寂し気だったが、アウレオルスにはよく見えなかった。
口にした通り多少憮然としながら、彼は告げる。

「当然、私にとっては君が一番親しい友人だ。
 家族もなく、祈りに費やす時間ならば共に過ごしたいと考えるのは道理だろう」
「………そうか」

気分を良くして、彼女は花束を数度握る。
やや硬質な靴音を立て、二人は歩いて行った。

217: 2013/05/22(水) 21:23:06.54 ID:dUmB5kwk0

レストランでごく一般的なコースメニューを食し。
デザートがいまいち食べ足りない、とぼやく彼女の為に、場所を移動した。
クリスマスというだけあり、夜が更けるにつれ、開いている店も徐々に減ってくる。
もぐもぐ、と甘い苺のショートケーキを頬張りつつ、彼女は紅茶を啜った。

「……そろそろ深夜になりそうだな」
「そうだな。当然、送っていこう」
「……アウレオルス」
「…何だ?」
「泊まって、いかないのか?」
「ぶぐ、っげほ、」

アウレオルスは飲んでいたコーヒーを床にぶちまけそうになった。
慌ててカップを元の位置に戻し、視線を彷徨わせて動揺する。

「…宿泊の必要性が無い」
「交通機関がほとんど無いぞ」
「当然、我が転移術式に間違いはなし」
「………」

じ、と視線が注がれる。
体に穴が空いてしまいそうだ、と感じつつ、アウレオルスは沈黙した。
彼女は紅茶を飲みきり、つまらなそうに呟く。

「まあ、それでも構わん。好きにしろ」

投げやりなその声には、失望が含まれているように、彼は感じた。
既に彼は理解しきっていることだが、彼女は寂しがり屋である。

219: 2013/05/22(水) 21:23:53.56 ID:dUmB5kwk0

外に出て。
彼女は、アウレオルスの服の袖を掴んだ。

「見えないから、手を引いてくれ」

彼女は一人でも歩ける。
それでもこうして介助を求めるのは、一種の甘えであり。
自分以外の誰かにもしているのだろうか、とアウレオルスはうっすら考え。
そして、そんな自らしてしまった無駄な想像に苛立った。
フィアンマは手を彼と手を繋いで歩き、ふととある事実に気がつく。

「…身長、伸びたか?」
「確然、その通りだ。近頃、成長痛が酷くてな」
「参考までに聞くが、今の身長は」
「199cmだ」
「ほう」

感心したように相槌を打って。
それから、ぽつりと呟いた言葉が、風に音を僅かに消される。

「お前を見る事が、出来たら」

221: 2013/05/22(水) 21:24:45.38 ID:dUmB5kwk0

そうして、二人はフィアンマの家へやって来た。
最近は自宅よりもこちらでの生活頻度が増えているような、と彼女はうっすら思う。

「どうせ帰るにしても、上がっていけ」
「………では、お邪魔しよう」

フィアンマは家へ入り、花束を丁寧に解体する。
それから花瓶を取り出して水を注ぎ、活けた。
見えはしないものの、無碍に捨てるようなことはしない。
アウレオルスを生真面目過ぎると時折揶揄する彼女自身も、なかなかに真面目な性格であった。

「……君に渡すものがある」
「ん?」

思い出したように、彼は懐から小さい箱を取り出した。
首を傾げつつ、フィアンマは受け取るべく両手を差し出す。
両手で作られたお椀にそっと箱を置き、ぱかりと開けた。

「…自然、君へのクリスマスプレゼントだ」

フィアンマは首を傾げたままに、箱の中身を指先でなぞった。
少しだけ考え込んで、結論を出す。

「ネックレスか」

把握した後に、着けて欲しいと強請り。
着用した後、彼女は笑みを浮かべて礼を告げた。
彼女も同じく思い出したように、棚を漁る。

そして、一つの紙袋を差し出した。

223: 2013/05/22(水) 21:25:32.25 ID:dUmB5kwk0
紙袋の中身。
手渡されたのは五分を計測出来る砂時計と、ブランド物の腕時計だった。

前者は、休憩をしっかり取って欲しいが為に。
後者は、仕事の始まりと終わりに間違いのないように。

職業人間をいまいち脱しきれていないアウレオルスには最適な贈り物だった。

「あまり良い物が思い浮かばなかったんだ」

言い訳のような言葉を漏らして、彼女はソファーへ深く腰掛ける。
彼は薄く笑みを浮かべたままに、紙袋を手元に置いたままにした。

「いいや、素敵な贈り物だ。感謝する」
「……そうか」

それは良かった、とぼやき、彼女はソファーへ指を這わせた。

「…毅然、それではそろそろ失礼しよう」

"万が一"にはまだ早すぎる。
理性の強いアウレオルスはそう考え、紙袋を手に立ち上がった。
彼女の方を向き、優しく言葉をかける。

「来年も宜しく頼む」
「……ああ。…こちらこそ」

言葉を返し、フィアンマは僅かに遺る寂しさを、唾液と共に飲み込んだ。

232: 2013/05/23(木) 22:50:06.26 ID:yLKRWifL0

クリスマスにもらったネックレス。
錆びないよう、純銀で作られたチェーン。
それにぶら下がるは、ルビーとトパーズのあしらわれた四葉のクローバー。
クローバーといっても、シロではなく、アカツメクサの方だ。

花言葉は「勤勉」「実直」。
ルビー、つまり濃赤は「華美でなく上品」。
四葉は「幸福」―――そして。

「私のものになって、か」

いやいや、それは考え過ぎだろう。

ふふふ、と笑いを零し、フィアンマはそう自分に言い聞かせた。
目が見えず、女性としての魅力もない自分を愛する人間など居ない。
仮に居たとしても、いつか落胆させる日がやってくる。
そう思うと憂鬱になり、彼女はゆっくりと息を吐きだした。

234: 2013/05/23(木) 22:50:29.15 ID:yLKRWifL0

一月。
寒い時期になってようやく、アウレオルスの身体の変化はきちんと終わりを告げた。
成長痛に耐えて耐えて耐えて、得た身長は実に199cm。随分な長身だ。
スーツを新調したため、もう窮屈さはどこにもない。不快感を催す要素がない。
そんな訳で新年早々緩やかに職務を全うしていたところ。

「貴様に通達があったぞ」

同僚から手紙を渡された。
私用のものではなく、職務上の通達。
住居を変えろ、とのお達しであった。
要するに出張のようなものである。
短期とはいえ住み込みのものだ。疲れは甚大だが、給金は高い。
仕事なのだから仕方がないと考え、アウレオルスは素直に従うのみだった。

236: 2013/05/23(木) 22:51:24.41 ID:yLKRWifL0

そうして、彼はとある広い敷地の、大きめの教会にやって来て。
多くの防衛機構を備えた抜群の環境で、魔道書と向き合う。
内容を書き写す訳ではないものの、"侵食"されないよう対策は必要だ。
酷く疲れるがやりがいのある仕事でもある、と彼はぼんやり思いつつ。
残りの仕事は明日に回そう、と適度に見切りをつけ、封印を整えて部屋を出た。
と、一人の女性とぶつかりそうになり、寸前でギリギリ避ける。

「俄然、失礼し……」
「どこかで見た顔ね」
「む、」

視線が合う。
黄色い髪を持つ、やや中性的な女性だった。
黒い修道服を纏っている体は細く。
どこかで見覚えがあるような、とアウレオルスは考え。
結論を出す前に、彼女は軽く言った。

「そうそう、入浴は午後三時から午後六時までが男の時間だから。
 入るなら急いだ方がイイと思うケド?」

その口調に、彼は彼女が誰なのかをすぐさま思い返す。
振り返った時にその姿は既になく、急いでいたのか、と首を傾げた。
次いでフィアンマからもらった腕時計を見、焦る。

現在時刻、午後五時十分。

238: 2013/05/23(木) 22:52:30.39 ID:yLKRWifL0

一日位入浴せずとも、健康的にどうということはない。
けれども、一仕事を終えた後には、普通は入浴したいものだ。
そんな訳で、アウレオルスはやや急ぎ気味で脱衣所へ足を踏み入れた。
さっさと入って時間内に上がらなければ、入れない時間になってしまう。
その焦りが、普段の彼の冷静沈着さを失わせていた。

余談だが、午後一時から午後五時までが男性の担当、もとい許可時間である。

ノックもせずに開けた先。
そこには、たった一人だけが居た。
赤く長い髪をどう結わえようか悩む、一人の下着姿の少女だった。

「んー…ん?」
「あ、………」

石のように固まるアウレオルス。
対して、少女は―――フィアンマは、僅かに不愉快そうに眉を潜める。

「……誰だ」
「…唖然、いや、その、予想がつかな、だから、…」

言い訳のようなことを繰り返す声。
その聞き覚えが強くある声に、フィアンマは不愉快そうな表情をやめた。

「……んん。殺さなくて済みそうだ」

そして、そんな不穏なことを言ったのだった。

249: 2013/05/24(金) 22:29:04.19 ID:Ny77t6Jd0

状況にそぐわぬフィアンマの落ち着きようにつられて落ち着きそうになり。
はたと気がついて、アウレオルスはやや慌て気味に言った。

「当然、今すぐに出る。非礼を詫びよう」

すまなかった、と謝罪するアウレオルス。
対して、フィアンマは髪留めを手にしたまま彼へ近づいた。
これはビンタされても仕方ない、と諦めに目を閉じる彼の頬へ、ぺたりと触れる。
それから、やや無邪気とも呼べる明るい声音で誘った。

「一緒に入ろう」
「…は、」

童女のような声に、アウレオルスはぽかんとする。
確かに彼女からは自分の裸が見えないだろうが、それにしても。
自分が年頃の少女であるという自覚がないのだろうか、とあっけにとられ。
放っておけば小一時間困惑していそうな彼の袖を引き、彼女は再度言った。

「どうせ、俺様には何も見えないんだ。…加えて、これから人も来ない時間でもある」

恥ずかしがる必要も遠慮する必要もない、と誘って。
それから、彼女は何事も無かったかのように、髪を結び始める。

251: 2013/05/24(金) 22:29:36.11 ID:Ny77t6Jd0

まずは髪をやや高い位置で一本に結び。
それから丁寧に髪を分けていき、編み上げる。
最後に髪留め数本を差し込んで止めれば、貴婦人のような髪型が出来上がる。
これでお湯には濡れないだろう、とフィアンマは一人満足し。
フェミニンなデザイン、上下揃えの白い下着を脱いでバスタオルを巻き。
それから、アウレオルスを放り置いて浴室の中へと消えた。
少年はしばし悩み、考え、迷い迷って、結果、服を脱いだ。
脱衣所の鍵をかけ、服を脱いで、一応腰にタオルを巻いてから、中へと足を踏み入れた。
彼女はお湯にスポンジを浸し、もこもこと泡立てている。

「後ろを向け」
「む、」

促されるまま、後ろを向いたアウレオルスの体にお湯がかかり。
肌触りの良い泡まみれのスポンジと、僅かに指が触れた。
居心地が良いような悪いような微妙な感覚のまま背中を洗われるアウレオルスに対して、フィアンマは思い出したように問いかける。

「…お前は、好きな女は居ないのか」
「…突然、何故そのようなことを?」
「ふと気になっただけだよ」
「…れ、…んあいに。…毅然、かまけている暇など無し」
「仕事人間か。真面目で良い事だな」

ふふ、と笑う声が少し寂しげで。
今告白しておけばよかったか、とアウレオルスは一人悔いる。

253: 2013/05/24(金) 22:30:03.64 ID:Ny77t6Jd0

シャワーを浴び、身体を清め。
日本式にお湯の張られた浴槽へ、二人は浸かっていた。
バスタオルで隠れた胸元に視線を向けそうになり、アウレオルスは堪える。
華奢な肩が、二の腕の側面へぴたりと触れた。ひんやりとしている。
体温が低めだったか、と思いながら、アウレオルスは慣れぬ湯船に息を吐き出す。
彼女が隣りに居ることも相まって、今にものぼせて倒れてしまいそうだった。

「日本国ではこの状態で酒を飲むそうだ」
「確然、すぐさま酔いが回るだろう」
「だろうな。まあ、冷酒は美味らしいぞ?」

飲酒はさほど好まないが、とぼやき。
フィアンマは、ヘリに手をついて立ち上がった。

「ああ、そうだ」
「…?」

首を傾げる彼に、彼女は言う。

「明日から、イギリス清教の魔道書図書館がお前のサポートをする」

覚えておけ、と告げて。
彼女は、静かに浴室を出て行った。

255: 2013/05/24(金) 22:30:31.32 ID:Ny77t6Jd0

翌日。
酷い大雨の中、アウレオルスはいつも通り魔道書と向き合い、丁寧に仕事をしていた。
昨日のフィアンマのことを思いだし、僅かに集中が途切れかける。
どうせ集中が切れてしまうのなら食事をしようと考えて。
廊下に出ようとしたところで、白い修道服を纏った少女が入ってきた。

「あなたがアウレオルス=イザードで合ってるのかな?」
「? 当然、我が名こそアウレオルス=イザードに相違ない」
「そっか。良かった。ええと、お話は聞いてもらえてるかな?」

腰にまで届く長く美しい銀の髪。
愛らしい顔立ちに、丸っこい碧眼。
口は小さく、華奢で小動物的なスタイル。

フィアンマとはまた違う、過酷な過去と運命を背負った少女。

即ち。

「私は、イギリス清教から派遣された魔道書図書館」

一○万と三千冊もの魔道書、邪教悪本を収納した生ける魔道書図書館。

「Index-Librorum-Prohibitorum。―――インデックスって、いうんだよ」

257: 2013/05/24(金) 22:30:59.05 ID:Ny77t6Jd0

そう名乗った彼女は、早速魔道書を読み始める。
既に防衛機構が体に設置されているのか、『汚染』に苦しむ様子はない。
彼女は丁寧にめくり、読み、その絶対記憶能力でもって覚えていく。
その読む速度も速読と讃えて然るべき素早さ。
ぱたん、と彼女は本を閉じ、封印を元に戻して。

ふと。

くきゅるる、と音が聞こえた。
インデックスはぴくっと反応し、アウレオルスを見上げる。
そして、にへら、と柔らかな笑みを浮かべた。

「一緒にごはん食べよう」

彼女は、無邪気にアウレオルスの手を引く。
困惑しながら、アウレオルスは彼女に連れられ、歩き始めるのだった。

259: 2013/05/24(金) 22:32:00.18 ID:Ny77t6Jd0




「………い、たい…」
ローマ正教最暗部『神の右席』―――右方のフィアンマ




「アウレオルスには、大事な人がいるんでしょ?」
イギリス清教魔道書図書館通称『禁書目録』―――インデックス




「これ以上、彼女への嘲弄を許す訳にはいかな………」
ローマ正教『隠秘記録官』―――アウレオルス=イザード



264: 2013/05/25(土) 22:40:36.15 ID:BQcyfcyn0

フィアンマちゃんがヤンデレスレスレのヤキモチ焼きさんになっている。
>>1の定形パターン程酷くはないです。
ちょっと痛い描写があるので気をつけてください。


















投下。

266: 2013/05/25(土) 22:41:41.79 ID:BQcyfcyn0

フィアンマと会っている時以外の単調な時間。
つまりは仕事に没頭すべき時間に、楽しさが加わった。
魔道書を書き記し、『隠秘記録官』として仕上げた一級品を彼女へ手渡す。
彼女は、インデックスはそれを受け取り、丁寧に読む。
イギリス清教と交わされた契約期間は一年。
その間に少しでも彼女に魔道書を読んでもらえれば、覚えてもらえれば。
或いは、イギリスで、魔女に対する対策を民衆に伝えてもらえるかもしれない。
自分の綴る魔道書がそんな素敵な現実を打ち出すと信じ、彼は仕事をする。

「アウレオルスはお仕事早いね。私の知る中でも最速かも」

お腹が空いた、とぼやきつつ、彼女はそんなことを言い。
のんきにお菓子の袋を開封し、クッキーを一枚渡してくる。
自分は要らないから君が食べれば良いと返して。
アウレオルスはやや照れたように柔らかな笑みを浮かべた。

「否然、この程度ではまだまだ」
「頑張り屋さんだね」

愛らしい顔立ちにそぐう、愛らしい笑み。
小さく華奢な体で魔道書図書館としての仕事を行う様は凛々しく、哀愁が漂うものでもある。

「…知る中でも、といっても」

彼女はぼんやりと呟いて。
そして、寂しそうに視線を落とした。

「私が知る人は、すごく、少ないんだけどね」

268: 2013/05/25(土) 22:42:20.42 ID:BQcyfcyn0

彼女の人生には。
つまり、禁書目録としての役目には。
後ろ暗い因習が、一年毎について回る。
通常、魔神ですら魔道書は50000冊か60000冊、或いは更にもう少し多く。
が、氏なずに目を通せる程度はそれ位のものだ。
通常、人間はそこまで魔道書を読み込んでしまえが、脳をやられる。
当然、インデックスの体も、脳も、心も、魔道書の毒が。
強すぎる知識の毒が、蝕んでしまっていた。
放りおけば氏んでしまうのは当然のこと。何しろ、一○万三○○○冊もの魔道書の毒だ。
通常の毒物で説明するならば、1mlでも人によっては致氏量の毒物を、103000倍もの量を摂取しているということ。
どれだけ安全対策をしていたにせよ、苦しめられるのは道理。
故に、彼女は一年毎にエピソード記憶を消去し、毒に殺されてしまわないようにしている。
毒もそうだが、魔道書の膨大な知識が彼女の脳を圧迫し、頃してしまわないように。

科学の観点からいえば、実に馬鹿馬鹿しい話。
情報を詰め込み過ぎて頭がパンクするなど、パソコンならともかく、人間ならありえないとすぐに分かる。

だが、彼らは魔術師だった。
科学の「か」の字も知らぬ人種だった。
故に、この情報をそっくりそのまま信じている。

インデックス自身としては、勿論、嫌だ。
同僚が話しているのを盗み聞きしてしまったこの情報が、怖くてたまらない。

270: 2013/05/25(土) 22:43:22.09 ID:BQcyfcyn0

少女が、一つの宗教組織に苦しめられている。
運命を閉ざされ、苦しい中、笑顔を繕って。

フィアンマと重ね合わせ。
アウレオルスは再び憤怒すると共に。
彼女を見据えて、青い瞳に魂を宿し、言おうとする。

「断然、それは許されざる事だ」
「……でも、仕方がないことだよ」

自分は、そのために生きていくしかない。
絶対記憶能力を活かせる職業に就いたことを喜ぶべきだ。
そう言って笑う彼女の微笑みは、聖女そのもので。

「…うん、暗い話は終わり。ごめんね」

うやむやにして、彼女は休憩の終わりを告げる。
釈然としないままに、彼は仕事を再開するのだった。

272: 2013/05/25(土) 22:43:54.19 ID:BQcyfcyn0

インデックスと仕事を始めて早半年。
アウレオルスは黄金錬成へ至る研究を進める傍ら。
どうにかインデックスのことも救えないものかと、努力をしていた。

人体について調べ、調べ、調べ尽くし。
けれど、その文献自体が古く、科学的でないことにも気づけぬまま。

記憶を保管する術式について考え、考え、考え尽くし。
しかし、現実性をいまいち確立出来ないままに。

学者として、天才として。
優秀な頭をフルに活動させて、アウレオルスは努力を続けた。

そうして。
その結果。

風邪を引き、熱を出して倒れたのである。

274: 2013/05/25(土) 22:44:28.72 ID:BQcyfcyn0

全ての境界線が曖昧な夢の中。
錬金術師の少年は、文字通り夢を見る。

そこには、自分を『先生』と慕ってくれる白い少女が居て。
心から大切に思っている、赤い少女も居て。

二人共、苦しい事を自分の手によって解放され、救われて。
もう誰かの為に、何かの為に無理をして笑わなくても良くなっていて。
運命はどこまでも開けていて、世界の食物になどされなくて良くて。

親しそうに名前を呼んでくれて。

自分が救った世界を噛み締めて、自分も生きられる。

『我が名誉は世界のために(Honos628)』。

自分に課した使命。
自分に架した目的。

世界の人々を自分の仕事で救う前に、まずはこの二人の少女を救わなければ話にならない。
自分は、大切なものをそんなに多くは抱えていないのだから。
今抱えているたった二人の哀れな少女を、この非情な現実から救い出してあげたい。

276: 2013/05/25(土) 22:45:26.83 ID:BQcyfcyn0

「すー……」
「………」

フィアンマは、アウレオルスの見舞いに来ていた。
この病室、もとい病院は非常に親切なもので。
ナンバープレートの下に点字で号室名が示されているため、迷わずにこられた。

過労、ストレス。

アウレオルスが倒れた、高熱の原因はこれだと言われている。
元々勤勉な性格で仕事に没頭しすぎる傾向があったため、隠秘記録官は皆仕方がないと笑っていたそうだ。
退院して職場に戻っても、手篤く歓迎、及び心配されることだろう。

フィアンマは持ってきた細い花束の花を、花瓶へと生ける。
禁書目録がローマ正教へ来たのは、彼女の取り計らいだった。
アウレオルスがかつて口にした『自分の仕事の成果を世界の人々の為に』という意見を尊重したのだ。
禁書目録が覚えれば、当然それはイギリス清教の手に渡る。
自分達の切り札にすべきだと喚く枢機卿達を時に脅迫で、時に甘い報酬で誑かし、フィアンマは彼女の来訪を実現させた。
その結果が彼の過労に繋がってしまったのなら詫びるべきかな、と彼女は思う。

「んん……」

彼の寝言に耳を澄ませる。
いつも見ている訳ではないが、彼の寝言は結構単純なものだ。

もう食べられない。
これで出来上がりだ。

そして。
時々、自分の名前を呼んでくれる。

どんな夢を見ているかは知らないし、聞き出そうとも思わない。
でも、アウレオルスが自分の名前を呼んでくれると、寝言だったとしても心が温かくなる。
その瞬間だけは、自分が彼の"特別"を独占しているような気がして。

278: 2013/05/25(土) 22:46:00.15 ID:BQcyfcyn0

「当然、私は。…私は、…インデックス。君の、ことを…」









右方のフィアンマは、窓ガラスに爪を立てた。

280: 2013/05/25(土) 22:48:17.58 ID:BQcyfcyn0

時間が過ぎ去るのは早いもので。
契約期間の一年(実際には365日より多少短い年度制だ)は、訪れる。
結局今日に至るまで、アウレオルスはインデックスを救う事は出来なかった。
黄金錬成はもはや具体的な現実策を打ち出すのみとなっている。

アウレオルスは落胆のままに、フィアンマと会っていた。
いけないとはわかっているし、自分の私利私欲のための最低な密会。
禁書目録引き受け契約期間をもう少しばかり伸ばしてはくれないか、という交渉だった。

「…当然、この頼み事がごく私的であることはわかっている。だが、」
「ほう」

彼女にとって。
アウレオルスの頼みは。
 
恋情からきているものとしか思えなかった。

インデックスが好ましいから、もっと一緒に居たい。
現実にはそうでなくとも、そうとしか思えなかった。

故に、単調で無感動な返答をして。

彼女は、彼に近づいた。
項垂れる彼の顔の辺りを見つめて言う。

「あの女に惹かれたか?」
「……毅然、彼女は誠実で真面目な少女だ」
「一年毎に記憶を消される安全策については、俺様も知っている」
「ならば、」

自分が彼女を救いたいと思うこともわかるだろう。

そう言わんばかりの彼に。
わかる、と頷きつつ、彼女は吐き捨てる。

282: 2013/05/25(土) 22:48:47.17 ID:BQcyfcyn0

「あの女と身体の関係でも持ったか?」
「な、」

驚愕に目を見開く彼へ、続けて言う。

「あの女は誰にでも媚を売り、誰にでも愛される。
 お前もその魅力にやられたのだろうが…私的な願いを俺様に言う程に。
 基本的にはよくよく考えてから発言するお前を身勝手な方向へ促す程の魅力。
 まあ、普通に考えて身体の関係だろう。淫売の様な振る舞いを心得ているし、」

言葉が、切れた。

ぱん

破裂音が、聖堂に響き渡る。
アウレオルスは、自分が彼女の顔を打った事すら理解していなかった。
ただ、激昂のまま、自分の大切な『生徒』を侮辱されたことに対して怒る。

「唖、然。ふざ、けるな!!」

フィアンマは、ひりひりとする自らの左頬に触れる。
その感覚は熱さに変化し、徐々に痛みとなった。

「当然、貴様が想像しているような関係などどこにも存在し得ない!
 これ以上、彼女への嘲弄を許す訳にはいかな………」

言葉が途中で消えた。

アウレオルスは、自らの右手の平が異常に熱く痺れていることに気がついた。
そして、フィアンマの白い頬が赤く染まっている事にも気がついた。
それも、羞恥や嬉しさによる紅潮ではなく、暴力を受けた結果として。

284: 2013/05/25(土) 22:49:19.57 ID:BQcyfcyn0

「………」
「あ……わ、たしは、……」

自分の仕出かした事の重大さに気がついて。
しかし、いくら好きな相手といえど言っても良い事と悪い事があって。

フィアンマが何故あのような暴言を吐いたのか。

その真意や意図に気づけないまま、アウレオルスは床へ視線を落とす。

「……私と彼女は、あくまで生徒と教師役の関係だ。
 私は、彼女の現状に納得がいかなかった。
 確かに、君の立場を利用しようと、結果としてこのような頼みことをしてしまった。
 ………君が思っているようなことは、本当に、…どこにも、……存在、しない」

それだけを言って。
アウレオルスは耐え切れずに、静寂を保ち始めた聖堂から逃げ出した。

ぎぃ  ばた、  ん

古臭い扉が閉まる。
鈍痛、疼痛を放つ頬に触れたまま、フィアンマは椅子に腰掛けた。

「………い、たい…」

ぽたぽた、と透明な雫が零れ、深い茶色の長机を濡らす。

「痛い……いた、い、痛い、…」

反撃も防御も何もなく。
彼女の心を、痛みが支配していた。

ここに遺る事実は、アウレオルスがインデックスの為に自分へ暴力を振るった事。

同調して欲しかった訳じゃない。
関係を否定してくれればそれで良かった。

それだけなのに。

286: 2013/05/25(土) 22:49:45.91 ID:BQcyfcyn0

これが、誰か他の人物だったならば。
仕返しに反撃し、或いは頃しても良かった。
社会的に抹頃してやっても良かったし、現実的に殺害しても。

だが、よりによってアウレオルスだ。

世界中から見捨てられた、フィアンマの感情はこれに等しい。
たった一つ、闇の中で久しく見つけた柔らかな光、希望の少年。

目を見えるようにしてあげたいんだ、と言ってくれた。
救い出してあげよう、と宣言してくれた。

その彼が。
一年毎に記憶を消去されるにせよ。

愛される人に囲まれ。
何もかもに満たされ。
目が見える。

そんな少女に奪われた。

288: 2013/05/25(土) 22:50:33.28 ID:BQcyfcyn0

「ひくっ、…ぅ、…ひっく……う、ぅ。
 う、うう。…ううううううう…ぐすっ、う、うあああああああ!!」

才能"しか"ない自分。
才能"も"あるインデックス。

狡い、という言葉が、脳内を埋め尽くす。
純正な聖女(ヒロイン)は、誰にでも愛されるものだ。
そういう才能を持って、彼女は生まれてきている。
それに比べて、自分には本当に何も無い。

愛嬌もない。
華奢はともかく、小柄でもない。
五体不満足な出来損ない。
完全な救世主でなく。
魔道書の知識は、到底彼女には届かない。

こうやって比較してみたならば。
アウレオルスがインデックスに惹かれるのは、当然の事だ。

「っ、う、うう、…!!」

長机を引っ掻く。
切り忘れていたやや長めの左手の爪が剥がれ、露出した中の肉が触れる。
激痛が走ったが、その痛みで頬の熱さが紛れていく。

「………」

血でぬるつく手。
フィアンマは、ゆっくりと息を吐き出し。

完全に自暴自棄な気持ちのまま、自分の片瞼に指を当てた。

290: 2013/05/25(土) 22:51:05.25 ID:BQcyfcyn0

「どうせ見えんのなら、こんなモノ、」
   

292: 2013/05/25(土) 22:52:31.71 ID:BQcyfcyn0

アウレオルスは、逃げ出したままに。
職場の方の聖堂へとやって来た。
途中から走っていた彼は、息切れをしており。
インデックスは退去準備をする手を一旦止めて、冷たい飲み物を彼に差し出した。

「はい、お水。…何かあったの?」

心配そうに眉を潜めるインデックスからコップを受け取り。
一気に冷たい水を煽った後、アウレオルスは視線を彷徨わせてから首を横に振った。

「断然、問題はない」
「…本当に? 何か悩み事があるなら話してくれていいんだよ」

今日でお別れなんだから、とさみしげに微笑んで。
インデックスは、片付けを再開する。

「…時々、君を訪ねよう」
「ううん。…全部忘れちゃったら、会っても苦しくなるだけかも」
「だが、」

食い下がろうとするアウレオルスへ。
インデックスは、彼を見つめて優しく言った。

「アウレオルスには、大事な人がいるんでしょ?」

だったら、その人だけを特別にしてあげるべきだよ。

インデックスはそう言って。
アウレオルスの袖を掴み、軽く揺らしてにこりと笑む。

「無意識に惚気るなら、その赤髪の彼女に告白した方が良いんだよ」

頑張ってね、と最後に告げて。

さよなら。

銀髪の少女は荷物を詰め込んだ鞄を手に、教会から出て行った。

世界にはどうしたって救えないものがあるのだと、アウレオルスは知った。
そして彼女を救える人間は、救うべき人間は自分でないことも、思い知った。

294: 2013/05/25(土) 22:54:33.79 ID:BQcyfcyn0

今回はここまで。
シリアス…ではないはずです、多分
また二人はいつものように戻れるはずです

フィアンマ「暗闇の世界から」アウレオルス「当然、救い出す」【後編】

引用: フィアンマ「暗闇の世界から」アウレオルス「当然、救い出す」