299: 2013/05/26(日) 18:12:06.81 ID:UGVpjnff0
フィアンマ「暗闇の世界から」アウレオルス「当然、救い出す」【前編】
きっと、アウレオルスは自分を嫌いになった。
嫌いな人間の目を治す為に懸命に頑張る人間などいない。
なら、こんな瞳など存在したって何の意味もない。
禁書目録を本気で救おうと考えているのなら、彼はローマ正教から離反するだろう。
「…その時は、」
鉄臭い手。
フィアンマは、そんな自分の片手を見つめる。
見つめるといっても、そちらの方に視線を向けるだけだ。
その時は。
この手で頃す。
こうやって、彼の幸せを願えないから、自分はヒロインにはなれない。
決して聖女の類になんて分類されない、とフィアンマは小さく笑う。
「……」
こんなもの、えぐってしまおう。
指に力を込めたところで蘇るのは、アウレオルスの言葉だった。
『例え光がそこに在らずとも。君の瞳は、美しい』
301: 2013/05/26(日) 18:12:33.26 ID:UGVpjnff0
恐怖など無かったのに。
フィアンマは、自らの瞼に指を当てたまま、えぐることが出来なかった。
彼がせっかく褒めてくれたものを、ぐちゃぐちゃにすることなど出来なかった。
ひんやりと首元、肌に感じるのは、彼から貰ったネックレスの感触。
フィアンマは、静かに項垂れる。
ギィ、と。
ふと、扉がゆっくりと開いた。
「…誰だ」
「後方のアックアである」
「……お前か」
涙はとうに消えている。
顔を服の袖で拭き、よろよろと立ち上がった。
アックアはフィアンマの剥がれた爪や血液の散らばる惨状に僅かに眉を潜め。
それからテキパキと代わりに掃除をしてやり、彼女の細腕を掴んだ。
聖人の力でもって(彼女の実力的にありえないが)折ってしまわないよう、注意しながら。
「酷い怪我である。治療が必要だ」
「…わかっているさ。自分で歩ける」
アックアの手を払い、フィアンマは歩き出す。
じんじんと痛む手からは、ぼたぼたと血液が滴っていた。
303: 2013/05/26(日) 18:12:58.49 ID:UGVpjnff0
アックアの家に来たフィアンマは、手当をされていた。
消毒し、ガーゼをあてがい、丁寧に包帯を巻く。
じんじんと痛む部分は冷やしてやり、頬も冷やした。
「…喉が乾いた」
アックアは、余計な慰めの言葉はかけない。
そもそも寡黙な男であるし、女性の扱いには慣れない方だ。
それがかえって心地良く。
フィアンマは、差し出されたグラスを掴み、冷たい水を喉に流す。
「………ご苦労」
一言だけ労って、フィアンマは立ち上がる。
アックアに、必要以上に甘えるつもりなど無かった。
落ち着き自体は取り戻したが、自暴自棄な気分は消えることはない。
彼女はふらふらと歩みを進め、外へと出て行った。
305: 2013/05/26(日) 18:13:36.79 ID:UGVpjnff0
『無意識に惚気るなら、その赤髪の彼女に告白した方が良いんだよ』
一人になった聖堂で。
インデックスの言葉を思い返し、アウレオルスは仕事終わりの片付けをしていた。
きちんと危険物を封印し、ペンなどを定位置の場所へと戻す。
『あの女と身体の関係でも持ったか?』
フィアンマの嘲笑が、脳内に蘇る。
彼女自身気がついていない程、強い悪意を持っていた。
どうしても淫売などという単語の羅列が許せなくて、頬を張った。
自分は、きっと悪くはない。
確かに手を上げたことは悪いかもしれないが、人間としては間違っていなかったはずだ。
彼女の首元には、自分のあげたネックレスがあった。
大事に手入れをしてあったのか、綺麗に輝いていた。
そもそも、禁書目録に情報を伝えるという希望が何故叶ったのか。
旧体制を崩さぬローマ正教を急激に変えられる人間など、一人しかいない。
そんな、彼女の頬を。
どんな理由があったにせよ、感謝の言葉もなく。
追加要求を並べ立てた挙句、頬を張った。
307: 2013/05/26(日) 18:15:02.99 ID:UGVpjnff0
何と強欲で酷く、誠実さの欠片も無い人間なのか、と自責の念に駆られ。
たとえ嫌われたとしても、謝罪だけはしなくては。
アウレオルスは、片付けを終えて廊下に出た。
再び、フィアンマがいた聖堂へと走り出す。
もはやそこには、何の痕跡も無いことを知らぬままに。
フィアンマは、ため息橋にてぼんやりとしていた。
徐々に辺りは暗くなり始めていたが、フィアンマにとってはどうでもいいことだった。
ため息橋とは、16世紀に架けられたヴェネツィアの橋の1つ。
白の大理石で造られたこの橋には覆いがあり、石でできた格子の付いた窓が付けられている。
ため息橋からの眺めは、囚人が投獄される前に見るヴェネツィアの最後の景色であった。
ため息橋という名は。
独房に入る前、窓の外からヴェネツィアの美しい景色を見られるのが最後というので、囚人がため息をつくということから付いた。
言い伝えによれば。
恋人同士がこの橋の下で日没時にゴンドラに乗ってキスをすると、永遠の愛が約束されるのだという。
「…永遠の愛か」
そんなものはどこにも存在しないのに、とフィアンマはうっすらと笑う。
結局、誰を愛しても、こうして失敗するのだ。
「………俺様は、生まれてくるべきじゃなかったな」
ぽつり、と呟く。
「居ては、誰かを傷つけて。しないと言いながらも期待をして。
勝手に傷ついて、傷つけて。何が救いの象徴を体現する者、だ。
………俺様が氏んでも、ローマ正教は多少揺らぐだけだろう」
他の『右席』もいるのだし、自分は必要ないかもしれない。
こうして格子のついた窓に触っていると、昔を思い出す。
「当麻………」
何の生きがいも無いこんな人生に、何の意味があるというのか。
戻れるものなら、昔に戻りたい。
あの少年と笑い合って、頭を撫でられて、素直にはにかんでいた幸せな時間へ。
泣きそうな歪んだ笑みを浮かべ、フィアンマはボロボロの手で格子を掴む。
309: 2013/05/26(日) 18:16:06.59 ID:UGVpjnff0
そんな力無き手を、少年の手が優しく握った。
320: 2013/05/27(月) 21:19:55.05 ID:5OeZZErD0
懐かしい記憶を一切合切呼び起こす、手だった。
この手の感触には、きちんとした覚えがある。
この手にもう一度触れてもらうために、自分は生きてきた。
「フィアンマ、…だよな?」
ほとんど確信を得た。
それでも一応、といった調子の問いかけ。
声変わりの済んでいる少年の声だったが、声質というものは変化しない。
フィアンマは、のろのろと、怖がりながら、振り返る。
夢を見ているかのようだ。神様の思し召しというやつかもしれない。
「とう、ま?」
「…やっぱりフィアンマだ。久しぶり」
手を離し。
全ての幻想を頃し尽くす優しい右手が、フィアンマの頭を撫でる。
「ごめんな、長い間来られなくて」
ふるふる、と彼女は力なく首を横に振る。
口を開けば泣いたり叫んだりしてしまいそうで、何も言えないまま。
言いたい事は沢山あるのに、沢山あり過ぎて、言語としての表出化を拒絶する。
「助けに来たよ」
322: 2013/05/27(月) 21:20:43.78 ID:5OeZZErD0
フィアンマと上条は、並んで歩き、会話をしていた。
彼はフィアンマのことを気にかけ、この十年を過ごしてくれていたこと。
最近の近況を話し合い、上条はほっと安堵の笑みを浮かべてみせた。
「…何だ。じゃあ、逃亡先とかの手配無駄になっちゃったな」
「…すまない」
「いや、いい。…フィアンマが今無事で、自由なら、それでいいよ」
安心した、とぼやいて、上条はフィアンマの手を引いてゆっくりと歩く。
右席など踏み入った事は話さなかったが、今は自分の意思で好きな事を出来ることを伝えた、その反応だ。
先程までボロボロだった彼女にとって、彼の存在は日だまりのようなもの。
初めて自分を救い出そうとしてくれた、唯一の少年。
「…イタリアへはどうやって?」
「ああ、友達に手伝ってもらって、勉強して…一応は短期留学扱い。
といっても、もうすぐ帰らなきゃならないけど。相変わらずの不幸だよな」
「タイミングの悪さは仕方ないだろう」
「せめて住所とかわかってたらすぐ捜し当てられたんだろうけど。
…見つかって良かったよ。それに、無事で。……人間関係、最近はどうなんだ?」
「…当麻は?」
「俺?」
俺はー、と呟き。
上条は、空を眺める。
「友達も沢山出来たし、…それに」
「……それに?」
324: 2013/05/27(月) 21:21:20.49 ID:5OeZZErD0
「彼女が、出来たんだ」
326: 2013/05/27(月) 21:22:29.99 ID:5OeZZErD0
今度こそ、フィアンマは神を恨まざるを得なくなった。
会いに来てくれたのは嬉しい。
好意を伝えられなかった自分が悪いこともわかる。
上条が年頃の少年で、彼女が出来ていてもおかしくないことも。
それでも、理論では片付けられない程の失望感が、胸を満たす。
「…ま、最近付き合い始めたんだけど。
フィアンマとはまるで正反対の性格だけど、良い奴だよ。可愛いし」
「………、」
「…悪い。惚気ちゃうのクセでさ」
悪気なく笑う上条。
彼にとって、フィアンマは心配すべき、初恋の相手だ。
初恋は実らない。
接触の無かった初恋の相手など、淡い思い出で終わるのが普通の道理。
そうではなかったフィアンマの方が異常なのだ。
故に、彼は何の悪意も持たずにそう近況を告げた。
その事実がどれだけフィアンマを失望させるかなど、知るよしもなく。
フィアンマは、固まりかけた顔の筋肉を動かして、曖昧な笑みを形作ってみせる。
「俺様も、友人は何人か居るよ」
嘘だ。
「恋人も居る。まあ、この歳で居ないというのもかえって不自然だしな」
嘘だ。
「良かったじゃないか、当麻。そのまま幸せになれると良いな」
嘘だった。
全部、上条を心配させないための嘘。
虚偽に気づかないまま、上条は本当に、心から安堵してみせる。
「…そっ、か。友達とか、出来たのか。良かった」
「ああ、何も心配は要らない。久しぶり会えて良かった。
こればかりは我らが主に感謝せねばならんな」
328: 2013/05/27(月) 21:22:54.88 ID:5OeZZErD0
嘘をつき続け。
フィアンマは、やがて上条と別れた。
彼は今日の夜、飛行機に乗って日本へ帰るらしい。
もう、何もかもどうでもよかった。
世界が恨めしく感じられた。
一度希望を与え、さらなる絶望へ突き落とす世界など。
こんな幸運、必要無かった。
「…そうだな。ぜんぶ、」
アウレオルスにインデックスを引き合わせたのは自分の意思だ。
アウレオルスに好きだと告げなかったのも自分の落ち度。
上条へ接触しに行かなかったのは自分の臆病のせい。
誰にも愛されないのは、自分に魅力がないから。
魅力を身につける為の努力をしてこなかったから。
問題は、目が見える見えない、奇跡の力を持つ持たないではない。
「この俺様の人格性の問題だ」
何も努力しないのに、素敵な人生が送れるはずもない。
『天は自らを助くる者を助く』
自分が幸せになれないのは道理だろう。
何も努力をしていないのだから。
誰かを傷つけることしか出来ない人間であり。
そして、そんな人間なのだと言い訳をして努力しない怠惰な人間なのだから。
330: 2013/05/27(月) 21:23:27.61 ID:5OeZZErD0
「疲れた」
ぼやいて、彼女は、ゆっくり歩き進む。
海岸で、重い石を細い足首へと括りつけて。
ざざん、と一定のリズムで押し寄せる波の音が心地良い。
上条とはもう会う事もないだろう。
アウレオルスはインデックスの下へ行くだろう。
「…こんな思いをするくらいなら」
自分にはもう何も無い。
うっすらと笑って、彼女は見えない空を見上げる。
「最初から、恋などしなければ良かった」
誰かを好きにならなければ、誰かを憎まないで済んだのに。
神様の思し召しがこんなにも苦しく感じられる事もなかったのに。
彼女は自らの命を喪う事を条件に設定し、とある術式の準備を完了させる。
世界に破滅が訪れますように。
言葉にすれば簡単だが、これは彼女の体質によって酷い事態へ昇華される。
黙示録の風景そのままをこの世界に体現させてしまおう、と彼女はぼやく。
最後の最後まで自分を幸せにしてくれなかったこの世界など、もはや必要無い。
「……滅びたくないのなら。世界が、勝手に運命を決めるだろう」
もし自分の命と引き換えに壊されるのが嫌なら、足掻いてみせろ。
奇跡の一つでも起こして、自分を満足させてみろ。
世界に対してあまりにも身勝手な挑戦状を叩きつけ、彼女は海に沈む。
332: 2013/05/27(月) 21:23:59.69 ID:5OeZZErD0
「Il Signore non da una prova che non puo essere la persona di sopportare. Davvero ...?」
333: 2013/05/27(月) 21:24:23.53 ID:P4LsmtwU0
こぽり
342: 2013/05/28(火) 21:44:51.24 ID:PHYiSdju0
足首にくくりつけた重石が、文字通り足を引っ張る。
ぶくぶくと水に沈みゆく体。
口からは空気が溢れ出し、肺の中の空気がたたき出されていく。
当然、苦しくなれば、人の生存本能というものは強く刺激される。
じたばたと藻掻く体にどこか他人事な滑稽さを感じながら、彼女は目を瞑る。
結局、何の幸せなことなど無い人生だった。
自分が世界で一番不幸だ、などとは思わない。
それでも、つまらない世界だとしか思えなかった。
せめて告白位しておけばよかっただろうか、と思う。
どうせ、迷惑そうな顔をしたってわからないんだ。
アウレオルスのことだから、断るにしても優しい言い方をしてくれただろう。
いいや、そんな断り方をされては、結局未練が遺る。
何をどうしてもダメな人間だな、と小さく笑った。
徐々に呼吸ができなくなり、仕方がなく水を飲み込む。
「…アウ、レオルス、」
だいすき。
呟くと共に。
彼女の手が、男の手に握られた。
344: 2013/05/28(火) 21:45:35.92 ID:PHYiSdju0
先程までフィアンマが居た聖堂に戻り。
しかしながら、彼女の居た痕跡はまったくもって見つからなくて。
何処に行ったのか予測のつかない彼は、ふと机を見て。
アックアの掃除しそびれた、水滴に気がついた。
或いは、わざと見逃したのかもしれないが。
ともかく、アウレオルスは長机を濡らす水分に気がついた。
天井を見てみるが、雨漏りをしている様子は無い。
未だにぎこちない感触の遺る手。彼女の様子が、脳内に蘇る。
もしかしたら、泣いたのかもしれない。
打たれた頬が痛くて。
彼女はプロの魔術師だ。
それでも、頭が良いだけの女の子に過ぎない。
唯一の友人である大の男に打たれたら、痛いに決まっている。
身体も勿論、精神的にも痛かったに決まっているのだ。
自分としたことが、頭に血が上ってしまって、本当に何ということをしたのか。
アウレオルスは聖堂から出て、フィアンマを捜す。
イタリア中を走り回ってでも、彼女を見つけたいと願った。
346: 2013/05/28(火) 21:46:24.38 ID:PHYiSdju0
奇跡とは、決してありえない事が起きることではない。
可能性がほんのごく僅かにあり。
努力を最後まで惜しまぬ人間が祈り。
神様と呼ばれる何者かが気まぐれで与える出来事のことだ。
故に、アウレオルスはフィアンマを見つけた。
彼女は、幸せそうに笑っていた。
笑いながら、一人の少年と手を繋いでいた。
親しげに話し、同じペースで歩いていた。
ツンツン頭の、東洋人の少年だった。
きっと、彼女が語るところの『かつて待ち続けた彼』なんだろう。
ありえたことだ。
むしろ、彼女のことを考えれば、彼がイタリアへ来たことは喜ばしいことだ。
それなのに。
アウレオルスは、心臓が握りつぶされたかのように痛みを発している事に、気がついた。
その痛みはやがて息苦しさに変わり、脳を焼き尽すような嫉妬心へと変化する。
「っ、」
そして、理解した。
フィアンマの暴言と、嘲弄の真意を理解した。
彼女は、きっと嫉妬していたのだ。
この痛みは、インデックスと必要以上に親しくなった自分が、彼女に与えていたものだ。
それでも、身勝手でも。
この痛みは、耐え難い、と感じた。
彼女の『特別』を他の誰かが埋めるのは、こんなにも辛いことなのだと知った。
348: 2013/05/28(火) 21:47:37.73 ID:PHYiSdju0
やがて。
二人の会話の和やかさは、恐らくそのままに。
フィアンマの表情だけが、辛さを堪えたものへと変化していった。
彼らは別れ、フィアンマはそのまま、うつろな表情で歩いて行く。
辿りついたのは、海岸だった。
彼女はぼんやりと、石を自分の足首へ括りつけ、水へと足を踏み入れる。
ある程度の距離を取って追けていたのが、かえって仇となった。
アウレオルスは彼女の様子の異常さとその予想出来うる末路に気がつき、走り出す。
水に沈んでいきながら、彼女は笑っていた。
「Il Signore non da una prova che non puo essere la persona di sopportare. 」
神は、その人が耐えることのできない試練を与えない。
新約聖書の、-コリント人への手紙から抜粋されたものだった。
「Davvero...?」
本当に?
ふふ、と笑い混じりにそう呟きを漏らす彼女は、神様に問いかけているように見えた。
事実、そうだったのかもしれない。
世界全てに絶望した人間の声だった。
誰の『特別』にもなれはしないのだと、悟った少女の嘆きだった。
350: 2013/05/28(火) 21:48:05.62 ID:PHYiSdju0
ようやっと、海へとたどり着く。
助ける側の大原則である上着を脱ぐことすら忘れて、アウレオルスは海へと足を踏み入れた。
下手をすれば自分が溺れ氏ぬ恐れも視野に入れ忘れ、彼は必氏に手を伸ばす。
濡れてスーツが重くなっても気にせず手を伸ばせば、どうにか手を掴んだ。
そのままぐいと引き上げようとするも、彼女の足首に結ばれた石が重くて仕方がない。
「っく…」
彼は、決して非力ではない。
だが、豪腕でもなければ、聖人のような特殊体質でもない。
ついでにいえば、厳密に言えば魔術師ですらない。
多くの魔道具に身を固めて、それでようやく一般の魔術師と争える程度。
故に彼は、彼女の身体を軽くする方法も、石を切り離す方法も所持していない。
「必然、…君を救えぬ人生になど、意味は無い――――っ!」
魔術にも科学にも道具にも頼れないのなら。
後は、知識と腕力に頼るのみ。
アウレオルスは懐から治療鍼を取り出し、自らの体に刺す。
集中力を高めることで、自らの身体のリミッターを一時的に外す事にしたのだった。
大の男が百%に近しい力を出せば、石を壊すことも、華奢な少女ひとりを抱えて泳ぐことも容易い。
352: 2013/05/28(火) 21:48:33.57 ID:PHYiSdju0
そうして、彼はフィアンマを掬い上げた。
砂浜で一般的な人工呼吸を行い、飲んでしまった海水を吐かせる。
げほげほとしょっぱい水を吐きだし、フィアンマはぼんやりとした表情でアウレオルスを見上げた。
「アウ、レオルス…?」
「…俄然。安堵した。…意識が戻ったようだな」
「…何故だ。お前は、禁書目録を救おうとしたのではなかったか」
「…当然、否定は出来ない」
「……く、は」
彼女の端正な顔立ちが、壮絶な恨みと憾みに歪む。
一般人であれば、その威圧感に怯えて逃げ出すことだろう。
だが、アウレオルスは逃げなかった。逃げようとも思わない。
「愛する女を否定されたのがそんなに気に食わなかったか?
氏ぬことさえ許したくなくなるほどに。なるほど、そうか。
人間は時としてどこまでも残酷になれる生き物だ。
氏ぬことすら許せぬ程の憎悪か。は、ははは。……ふざけやがって」
好意は転じて憎悪となり。
憎悪は転じて殺意と変貌する。
ロクに動かない体で、見えない目で、それでも、彼女は彼を睨みつける。
「恨み晴らしに俺様を助けている時間があるなら、あの女に宛てたらどうだ」
「フィアンマ、」
「もういい、絶交だ。元より友人とまともな関係など築ける筈もなかったんだ」
「…君は、勘違いをしている」
「勘違い? 何をだ? …禁書目録を本気で救うということは、世界を敵に回す覚悟があるんだろう?
ローマ正教から離反して! 隠秘記録官をやめて! ……、…、俺様からはなれて、…いくんだろう」
怒っているはずの彼女の顔は、徐々に歪みの意味合いを変えていく。
ぐしゃぐしゃに歪んだその表情は、泣き出す前の子供の顔だった。
354: 2013/05/28(火) 21:49:17.98 ID:PHYiSdju0
「……もういい。もういいから、…放っておいてくれ」
「………、…」
「話すことなど、何も無いだろう。お前は、あの女の名誉の為に俺様を打ったじゃないか。
それで、答えは決定したようなものだろう。俺様とお前は、もう友人になど戻れない。
お前には感謝していることもある。短い間だったが、思い出をくれてありがとう。もうこれでいいか。
もう、いいだろう。どこへなりとも行けば良い。引き止めはしない。何なら追わないよう下の者にも指示をする。
好きな女を愛して、好きなように生きて、好きなように、好きなものを救えばいい」
そして、その好きなものに自分は入っていない。
いないのなら、もう居なくていい。
どこかに行って欲しい、と彼女は言う。
怒りと恨みを口にすればする程、その言葉は裏返って聞こえた。
話したいことがある。
打たないで欲しかった。
自分を選んで欲しかった。
ずっと、一緒に居て欲しい。
すべてが裏返って、暴言の波となる。
フィアンマの腕が、弱々しくアウレオルスの胸元を押した。
『聖なる右』で気絶させ、或いは頃すことだって出来るのに、それはしない。
本当にただ怒っているだけなら、憎んでいるだけなら、殺せる筈だ。
アウレオルスは、水に濡れて顔にかかる自らの前髪をうざったそうに手で退けて。
そして、彼女の髪を優しく撫でて、すぅ、と息を吸い込んだ後、静かに告白した。
最初から、こうしておけばよかった。
遠回りなどしてきたから、こんなことになってしまったのだ。
「当然。私には、禁書目録を救うことは出来ない」
「…、」
「毅然、私が救うべきは、……君ただ一人だ」
「……、…お前は、」
「傷つけた私がこんなことを言うのは、当然、道理に違う。
だが、人の情と、本心から言おう。…すまなかった」
謝罪した後に、ほんの少しだけの間を空けて、彼は告げた。
遠まわしに、口に出さずに、怖がって、直接は伝えてこられなかった言葉だった。
356: 2013/05/28(火) 21:50:18.90 ID:PHYiSdju0
「君を、愛している」
366: 2013/05/29(水) 22:30:32.60 ID:GfxWmZup0
フィアンマは、耳を疑った。
というよりも、その言葉の意味が理解出来ないでいた。
一秒、二秒、三秒。
たっぷり十秒程かけて、ようやっと言葉を脳内で咀嚼する。
君を、とは。
即ち、自分のことで。
愛している、とは。
その言葉、そのままの意味。
だから、つまり、故に。
「………俺様を?」
「当然、君以外に誰が居ると」
「……本当に?」
「毅然、この状況で嘘をつくメリットが無い」
フィアンマはそう数度聞き返し。
得られた回答から、現状を導き出す。
そして、顔を真っ赤にした。
368: 2013/05/29(水) 22:31:00.82 ID:GfxWmZup0
熟しきったリンゴのように顔を赤くした彼女は、沈黙する。
海に沈む前に自分が放った言葉も、ついでに思い出したからである。
しばらく二人して黙りこくっていると、不意に体が冷えて。
「う、っくし、」
アウレオルスがくしゃみをした。
濡れたスーツは潮風に冷やされている。
このままでは風邪を引く、と判断したフィアンマは、顔の赤面は取れないままに促した。
「……場所を移動しよう」
フィアンマは彼のネクタイを軽く握る。
軽く握っただけなのに、びちゃあ、と海水がにじみだした。
必氏で助けてくれたのだ、とフィアンマは思う。
「画然、そうするべきだ」
同意して、アウレオルスは立ち上がる。
そして、彼女を抱えたまま、地道に進んでいくのだった。
370: 2013/05/29(水) 22:31:33.56 ID:GfxWmZup0
やって来たのは、いつも通りというべきか。
いつもの、フィアンマの別荘扱いの教会だった。
炎魔術でスーツとシャツを乾かしてやり、自分も服を乾かしつつ。
適当な着替えを貸し、自分も着替えて。
フィアンマは気まずそうにソファーへと腰掛ける。
心中を止められた上に全てが勘違いだった、加えて告白された。
気まずい、という言葉以外に、この状況を何と表現できようか。
「…アウレオルス」
「……何だね」
「……その、だな」
「…ふむ」
「……俺様も、」
「…君も?」
「おま、…えの、ことが」
華奢な人差し指同士を小突き合わせ。
うつむき、フィアンマはもごもごと言葉を出し渋る。
何となく言いづらい。しかしいつ言うのかといえば、今しかない。
「す、……すき、で。…だから、…その。…あの、女に、…嫉妬を。
……それで、…八つ当たりというか、……」
彼女にしては歯切れの悪い口調だ。
しゅん、と落ち込む彼女の髪をタオルで丁寧に拭いてあげながら、アウレオルスは小さく笑む。
372: 2013/05/29(水) 22:32:02.16 ID:GfxWmZup0
「断然、君の想いに気がつけず、自らの想いをきちんと伝えてこなかった私に非がある」
さっぱりとした物言いだった。
卑屈な響きはなく、意識的な発言である。
勿論自分に悪い部分があったことを理解しているフィアンマとしては、やや肩身が狭くなる思いなのだが。
「……確かに、友人は辞める必要があるだろう」
「……、…」
アウレオルスは、タオルを手放し。
そうして、フィアンマの手をそっと握った。
「こうして改まって言うのは少々羞恥心を刺激されるが。
だからといって言わない訳にもいくまい」
整髪剤が無い為に上げていないままの彼の髪が、フィアンマの肩へ僅かにかかる。
「もう一度言うが、…愛している。……このまま、恋人になってはくれないか」
「………良いだろう」
ややいつもの調子を取り戻し、わずかに傲慢な様子でそう応え。
それでもやっぱり恥ずかしかったので、フィアンマはアウレオルスの肩に顔を埋める事にした。
374: 2013/05/29(水) 22:32:47.27 ID:GfxWmZup0
やがて、夏がやって来た。
燦々と照りつける太陽は心地良くもあり、鬱陶しくもある。
それでも湿気が少ないだけまだマシか、などと思いつつ。
アウレオルスは久しく休暇を取り(正確には取得させられて)。
正真正銘の"彼女"となったフィアンマと共に、プールへとやって来ていた。
プールといっても、日本国で一般的な公営プールのようなものではない。
プールがメインのレジャー施設である。当然、遊ぶものも多い。
とはいっても、メインは大型、及びアトラクションプールであり。
目が見えないのに大丈夫なのだろうか、と心配するアウレオルスをよそに、フィアンマは彼の手を握っていた。
だいぶ機嫌が良さそうである。彼女には本日に限って秘策があるのだった。
「視界補助装置がある」
「…視覚補助装置? 疑然、どのようなものだ」
「名の通りだよ。本当に見える訳ではないが、多少は周囲がわかるようになる。
使い捨ての霊装に過ぎない上に、戦闘においては不向きそのものだが」
閉じたまぶたの裏で、物が動いているのが見える、という代物のようだ。
ひとまず、感覚を調整することですっ転ぶ事はないらしい。
元より彼女は盲目とは思えない程普通に生活しているのだが。
「という訳で、お互いここで一旦お別れだ」
手を離す。
更衣室前で、フィアンマはいつもよりもやや焦点の合った瞳でアウレオルスの顔辺りを見上げた。
「先に出ても、余所見をするなよ」
「截然。我が君に対してしか、女性には興味がない」
「そうか」
相槌を打ち、フィアンマは彼に背を向け、更衣室へ消えた。
アウレオルスはしばし考えた後、自分も着替える事にした。
384: 2013/05/30(木) 21:57:57.76 ID:PF37uDM90
男女の違いというものは様々ある。
一々論っていくと途方もない数になる程に。
その中の一つが、着替えにかかる時間の長さだ。
出かける前ならば女性は化粧が云々、と比較的理屈があるのだが。
服を脱ぐだけでも、女性の方が着込んでいるものは多かったりする。
そのため。
「………」
先に着替え終わったアウレオルスはというと、ぼんやり、かれこれ十分程一人だった。
別に人を待つのは苦ではない。遅刻というものは、国民性故か、イタリアでは日常茶飯事である。
そもそも待ち合わせ時間を決めていないので遅刻も何もないわけなのだが。
「……」
気まずい。
何が気まずいかというと、女性の視線が、である。
彼はさほど自覚していないが、かなりの美青年だ。
上下白のスーツという、ともすれば滑稽な服装をしていても似合ってしまう程に。
ましてや、いつもと違い、前髪は下ろしてある。
前髪を下ろすだけで凛とした印象から、やや年相応の印象となるため。
結果として、彼より上下の年齢の女性のツボにはまる抜群の容姿となっていた。
そんな彼が一人でぼんやりと立っているのだから、女性が見るのも仕方のないことである。
386: 2013/05/30(木) 21:58:47.47 ID:PF37uDM90
早く来てくれないものか。
そう思っていると、不意にひんやりとした指先が頬に触れた。
思わずびくついて視線を落とせば、そこには待っていた彼女が立っている。
いつの間に近寄ってきたのだろうか、足音一つ聞こえなかった。
「遅くなったな」
ちょっぴり申し訳なさそうな表情を浮かべ。
フィアンマは背伸びをやめ、アウレオルスの手を握る。
その身長差、実に22cm。
一見兄妹のように見えなくもない。
ないのだが、フィアンマの見目に似合わぬ威圧感故か、そのような印象はすぐ消える。
「…さて、どこから行くか」
実はノープランなのだと話し、彼女は歩き出す。
アウレオルスはフィアンマが転ばないよう最新の注意を払いつつ、共に歩き始めた。
388: 2013/05/30(木) 21:59:40.89 ID:PF37uDM90
上は、首の後ろでリボンを結ぶタイプ。
下は、フリルの腰元についた下着のような形。
色は赤。
要するにビキニなのだが、不思議と下品な感じはしなかった。
かといっていたく劣情を煽ることはないのは、彼女の身体の肉付き故だろう。
そこについて言及すれば天の国へ導かれることはわかっているため、アウレオルスは何も言わない。
そもそも彼女の見目に関しては彫刻の様に美しいと感じるだけで不満はないのだから。
金色の瞳。
忌まれ易い赤の髪。
青みがかった程に真っ白な肌。
ほっそりとした太もも、ふくらはぎ。
控えめが過ぎる胸。
華奢な手腕。
その全てが、アウレオルスにとっては魅力的だと思える要素だった。
好きになれば痘痕も靨、と古人はいったものである。
「ふむ」
フィアンマはふと立ち止まり。
海を再現したらしいプールの説明文を読む。
読むといっても文字を指でなぞり、解析するまでに時間が少しかかるが。
「海か。懐かしいな」
「…俄然、それ程昔の話でもないと思うが」
「そうだな」
自殺騒動を思い返し。
フィアンマは彼の手を引っ張る形で、プールに入った。
本当にプールを再現しているらしく、波の動きがある。
390: 2013/05/30(木) 22:00:45.07 ID:PF37uDM90
「…お前と行く場所は、どこでも楽しい」
「……、…フィアンマ、」
「今なら幸せだと、誰に対しても胸を張れる」
彼にしか聞こえない声で、彼女はそう呟いた。
まつ毛に付着した水滴が、きらきらと輝く。
金色の瞳も太陽の光を受けて、美しく煌めいた。
それでも、彼女には何も見えない。
「アウレオルス。…俺様は、」
何かを言いかけて。
そして、残念で素敵な出来事が起きた。
しゅるり、と結んでおいた紐がほどけ。
残念な事に後ろのボタン部分も外れてしまい。
肩幅がさほど無い事もあり、水に布が流れていく。
一瞬で心許なさを把握したフィアンマは、状況を判断し。
わずかに顔を赤くしながら、目の前の長身に抱きついた。
「……何とかしろ」
「…突然の出来事で、私にもうまく解決策が浮かばない」
言いながらも、アウレオルスは彼女の身体を強めに抱きしめる。
天地がひっくり返っても彼女の裸体を医者以外に見せるつもりはなかった。
392: 2013/05/30(木) 22:01:43.22 ID:PF37uDM90
「……アウレオルス」
じ、と見上げてくる整った顔。
ほんの僅か視線を下げれば、今ふにっと気持ち当たっている柔らかな部分を見てしまいそうで。
アウレオルスは内心心臓をバクバクと脈打たせながらも、さてどうするかと真面目に悩んでいた。
「……当然。こうしよう」
彼はフィアンマの身体を抱き上げる。
所謂抱っこ状態のまま、彼は歩き始め。
そうしてプール端に浮かんでいた布を掴みあげ、彼女に差し出した。
「…少し息苦しかっただろうか」
「まあ、少しだがね」
「すまない」
「いや、謝る必要はない」
フィアンマは彼の陰に隠れて再び着衣し。
それから、顔の赤い彼のことをわからないながらも、わずかな視線に気がついて指摘した。
「……えOち」
「………偶然。偶然だ。偶然だとも」
焦りながら、アウレオルスは視線を逸らす。
今一度精神を鍛えなおそう、と思う錬金術師であった。
401: 2013/06/02(日) 21:07:56.01 ID:epi4FKL+0
補助の道具を使用したとしても、フィアンマが盲目であることに変わりはなく。
そんな訳で、彼女はアウレオルスに常に手を引かれて行動していた。
温かく、長い指、大きな手の感触だけが、彼女の道標。
安心する、と口の中で呟く。彼だけが、今や、心の支え。
「ふむ。自然、ただ歩いているだけというのも面白みに欠ける」
「遊具のようなものは無いのか?」
うーん、とアウレオルスは視線をあちらこちらへと向け。
それから、大型水流滑り台<ウォータースライダー>へと、彼女を導いた。
二人まで同時に滑ることの出来る広さ。一般的なもの。
「…ん、こうか?」
「……当然、この様な体勢が適切だろう」
まず、アウレオルスが先に座り。
彼の脚の間にお尻を入れる形で、フィアンマが座る。
目が見える人間でさえ訳のわからぬ内に水に突っ込まれる遊びだ。
ごくごく軽い恐怖に、フィアンマはアウレオルスの手を握った。
そのまま手を引いて自分の薄い腹部に回させる。
やはりやめようかと気遣いの一言を放つか迷って、アウレオルスは彼女を抱きしめた。
ざぶん
勢いもあり、思い切り水に沈む。
楽しいものの、怖い側面もあるな、とフィアンマはうっすらと思いつつ。
どうにか水面から顔を出す。
スライダーの終着点は、波の出るプールだったようだ。
そして彼女は、とある事実に気がつく。
「…はぐれたか」
403: 2013/06/02(日) 21:08:27.42 ID:epi4FKL+0
着水の勢いが良すぎてはぐれた。
事実を確認し次第、アウレオルスは周囲を捜索していた。
フィアンマには、こういった泳ぎの経験が無い。
つまり、泳げる筈もないのだ。
幼い頃自転車の練習をした人間は、大人になっても自転車に乗れる。
逆を返せば、何も練習してこなかった人間にそういった技能は備わっていない。
溺れてしまっていたらどうしよう、という不安が彼の思考を支配する。
案の定というべきか。
水の冷えで足が攣ったか、うっかり水に沈んだのかは知らないが、彼女は確実に溺れていた。
アウレオルスの中で焦燥感と呼ぶべきものが渦巻き、ほとんど無意識で彼は動いた。
"あの日"、海で彼女を救った時のように、彼は彼女の身体を抱えて陸に上がる。
水を飲んでしまったのだろうか。息が無い。体温から考えて、氏んではいないようだが。
「……、」
数度胸元を押し、水を吐かせる。
全ての水を吐かせた後に、彼女の口から息を吹き込む。
それを数度繰り返せば、彼女はすぐに目を開け、自発的呼吸と意識を取り戻した。
「…目が覚めたようで何よりだ」
「……アウレオルスか?」
「いかにも」
「…ふ、…溺れた時に助けに来るのはいつもお前だな」
「…憮然。笑い事ではない」
フィアンマは恐らく、この世界のどんな人間よりも。
つまりは、聖人よりも、幸運だ。運の悪さで氏ぬことはない。
それは彼女が生まれながらにして『右方のフィアンマ』となることを定められるような体質だから。
それでも、愛する人間が溺れて、氏にかけて、気分の良い人などいない。
まったく、とやや呆れたように肩を落とすアウレオルスと対照的に、少女はしばし笑い続けたのだった。
405: 2013/06/02(日) 21:09:07.30 ID:epi4FKL+0
「お前を捜していたらうっかり転んでしまってな」
「……」
「で、水を飲み込んでしまい、空気を吐きだした。自然な流れとして溺れる」
「………」
「何か術式を使用しても良かったが、…何分一般人が多いからな」
「……」
「……いい加減機嫌を直したらどうだ」
機嫌を悪くしている、とはまた違うのだが。
アウレオルスは憮然としながら、冷たい飲み物を口に含んでいた。
彼女が普段から傲慢な言動や振る舞いであることは知っている。
しかしながら、溺れかけ、助けたときにお礼も謝罪もなく笑っているというのはよろしくない。
如何に愛する相手といえど、その辺りにはきっちりと情動を覚えるアウレオルス。
そういった訳で、彼はそう、直接的に言うならば、拗ねていた。
「…アウレオルス」
フィアンマの指が、アウレオルスの手の甲を突っつく。
こちらを向け、とばかりに、その指は抓るような動きをとった。
抓られて痛い思いをする前に、彼は彼女へ視線を向ける。
407: 2013/06/02(日) 21:10:08.44 ID:epi4FKL+0
「お前が求めているのならば、謝罪しよう。すまなかった。
……だが、俺様はお前が助けに来ると思っていた」
だからもがかなかったし、お礼を忘れた程、と彼女は言う。
予想通りの展開になったことに安堵して、それだけしか頭に無かったのだと。
「機嫌を直せ。……何なら、キスのやり直しでもするか?」
「…キ、…キスなどしていな、」
「しただろう。人工呼吸を」
「…あれは、…当然、医療行為だ」
キスには入らない、と視線を逸らすアウレオルス。
フィアンマはマイペースにアイスを食べ終え、彼のいる方を見やる。
じ、と見つめられ、アウレオルスは彼女へと視線を再び戻した。
キスをしていいから機嫌を直せ、ということなのだろう。
「……ん、」
そっと顔を近づけ。
でも、やっぱりキスをする勇気はなく。
彼は、彼女の唇端に付着した、白く甘い液体を舐めとった。
「………ヘタレめ」
「……憮然。事実無根だ」
むむむ、とむすくれるフィアンマであった。
409: 2013/06/02(日) 21:10:59.79 ID:epi4FKL+0
場内売店で浮き輪を買い。
空気を入れたそれを装着した彼女はというと。
人気の少ない広く浅めのプールで、アウレオルスに泳ぎを指導されていた。
といっても、水泳選手になりたい訳ではないのだから、プロ級の泳ぎの技能は必要ない。
必要なのは、今後またプールで溺れてしまわない程度の泳ぐ技術だけだ。
「こうか」
手を握り。
アウレオルスの方を見上げながら、彼女はゆるゆるとバタ足をする。
ちゃぷちゃぷちゃぽ、という水の音が耳に心地良い。
「そうだ。……当然のことだが、君はあまり水に浮かないな」
脂肪は水に浮き、筋肉は水に沈む。
フィアンマは両方共さほどなかったので、どちらかというと水に沈むのだ。
溺れてしまう理由も納得なものだ、とアウレオルスはため息を飲み込む。
「やはりもう少し肉をつけるべきか」
食べても食べても、わずかに胸に肉がついて、すぐ痩せて終わり。
胃袋がもう少し大きければ違ったのだろうな、とフィアンマは思う。
「まあ、来年の夏にもまた来れば多少は上達するだろう」
その発言は暗に、アウレオルスとまた来るということを確信していた。
嬉しく思いつつ、彼は目を細める。
「願わくば、もう救助行為に没頭する事態の無いことを。画然、心臓に悪い」
「気をつける」
411: 2013/06/02(日) 21:11:27.73 ID:epi4FKL+0
そうして、夜近くになり。
すっかりと陽が落ちた頃、アウレオルスはフィアンマを聖ピエトロ大聖堂まで送ってきた。
今宵は急な会議が入ったらしい。本来は休みだったようなのだが。
きっと格式張った会議に違い無い。だとすれば、始まる時間より更に前へ送り届けなければ。
焦り半分に真面目に考えて、彼女を送ったアウレオルスは。
現在。
狼男裁判に架けられていた。
「それで、今回はどのような流れだったのでしょうかねー」
「どうせだからぶっちゃけなさいよ。どこまでいったのか」
「…事の次第によっては、覚悟してもらうのである」
『神の右席』三名からの視線に、力なき錬金術師はピシリと固まっていた。
どうしてこうなった。どうしてこんな扱いを受けるのだろうか。
「…漠然、目立った事は……。…彼女が溺れた」
大槌が横になぎ、アウレオルスは咄嗟に身をかがめた。
槌を振るったヴェントはというと、じろ、と彼を睨んでいる。
「何で付き添いが居てフィアンマが溺れんのカナ?」
監督不行届。
冷や汗が流れ出るアウレオルスの様子はよくわからないながらも、フィアンマは思い出したように言った。
413: 2013/06/02(日) 21:11:54.01 ID:epi4FKL+0
「ああ。そういえば少し前から正式な付き合いを始めた。
当然のことだが、聖職者云々といった説教ならば聞かんぞ」
「正式に、ですか」
ふむ、と考える様子を見せるテッラ。
力量を測ってやるべきかとメイスに手をかけるアックア。
あ、これは氏ぬ。
アウレオルスは本能から発される危険信号に、ゆっくりと後ずさる。
獰猛な熊を前にして、殺されるまいと逃亡を図る無力な人間のように。
「優先する。――――人体を下位に、」
「ま、待ってくれ。私は誠実に彼女とお付き合いを、」
まるで昔の日本における父親と結婚相手の許可獲得用問答である。
悪くないにも関わらず謝罪と弁解をしようとするアウレオルスに小さく笑って。
テッラは冗談だと攻撃を引っ込め、ヴェントを伴って、アウレオルスを誘った。
彼らは、フィアンマを幸せにしてくれる人なら誰だって良いのだ。
「俺様は少し此処に残る」
「ええ、了解済みですねー」
「…毅然、何処へ?」
「いえ、少し貴男に話がありまして」
415: 2013/06/02(日) 21:13:30.81 ID:epi4FKL+0
ヴェント、テッラ、アウレオルスの出て行った聖ピエトロ大聖堂。
表の守衛はともかく、中にはアックアとフィアンマしかいない。
「……解決したのであるか」
彼女の涙のことを、彼はずっと気がかりに思っていた。
爪を剥がし、泣きじゃくり、絶望した彼女のことを、ずっと。
「問題無い」
さらりと。
何事も無かったかのように、フィアンマは答えて。
それから、もう既にだいぶ回復した自らの指先を撫でる。
「……あの日、お前が居なければ確実な自殺をしていただろうな」
「宗義に反しているな」
「これでも、残念ながら人間なものでな」
絶望したら氏にたくもなる、とぼやいて。
フィアンマは、机に上体をもたれた。
丁度、授業に飽きた生徒が眠るような格好だ。
アックアが初めて会った日も。
彼女は世界に絶望し、泣いて、嗤っていた。
運命を呪い、才能に潰された人生を嘆いていた。
そんな彼女を、一人の傭兵として守ってやろうと思った。
後方のアックアは、彼女を一人の姫のように感じていた。
そういった、関係だった。
「……言葉だけで感謝するというのもあれだしな」
フィアンマは懐から小さな金塊を取り出し。
アックアに渡すと、綺麗に微笑んだ。
「やはりお前は騎士に向いているよ」
「…貴様が何と思おうと、私はしがないただの傭兵である」
417: 2013/06/02(日) 21:14:42.03 ID:epi4FKL+0
認めてもらえた。
そもそも認可される必要などないのだが。
それでも、彼女との恋人関係を誰かに認めてもらえるのは、気分が良い。
アウレオルスは改めて彼女を彼女の家まで送ってきた。
手を繋いで、仲良く。
「今日は本当に愉快な日だった。数度、事件もあったが」
「来年こそは何もないことを願うがね」
家の前で。
フィアンマは、アウレオルスの前に立つ。
荷物をしっかりと持ち、もう反対の手で、彼女は彼のネクタイを掴む。
くい
強めに引き。
バランスを崩した彼の頬へ、彼女は口付ける。
「んっ」
「ん、」
唇を離し。
彼女は悪戯にはにかんで。
「それでは良い夢を」
言うなり、家の中へと消える。
アウレオルスは、施錠特有の音を聞きながら、ぼやく。
「……茫然。気まぐれな女<ひと>だ」
426: 2013/06/03(月) 20:47:22.65 ID:jIbR1cGD0
夏には珍しい、大雨だった。
夏には珍しい、激しい雨。
フィアンマは、そんな雨の中を、傘を差してゆっくりと歩いていた。
ざあざあと降りしきる、神様からの贈り物。恵沢の、雨。
「………」
音は心地良い、とフィアンマは思う。
思うのだが、傘の隙間から入り込んだ水滴が身体を濡らすのはいただけない。
「ふ…」
アウレオルスは近頃また忙しいようで、会えない。
近頃、といってもつい一週間前からの話。
別に、寂しいとは思わない。ようにしている。
だって、仕方のないことだ。何やら研究がまとまったらしいのだから。
それが彼のためになればいい、とぼんやり思いつつ。
水音を楽しみつつゆっくり歩いていると、後ろから声が飛んできた。
「うおおおおおお! どいてくれえええええ!!」
「…何、」
避けようとした瞬間、後ろからの衝撃。
どうにか倒れず踏みとどまりながら、フィアンマは背後を睨む。
「おい、」
「すまねえ! いや、ちゃんととどまったつもりだったんだが!!
お嬢さん大丈夫か!!」
「…少し静かにしろ」
何やら暑苦しい男だ、とフィアンマは眉を寄せる。
「ケガしてないなら良いんだが、このまま立ち去るってのは根性無しだな。
よし、お詫びをさせてくれ!!」
「………」
何か厄介なのに絡まれてしまった、と思うフィアンマである。
428: 2013/06/03(月) 20:47:52.94 ID:jIbR1cGD0
アウレオルス=イザードはというと。
出来上がった理論をきちんと本にまとめ。
午後がら休暇を取り、とある大聖堂へとやって来ていた。
普通の聖歌隊を装って歌を練習しているのは、『グレゴリオの聖歌隊』。
ローマ正教の最終兵器たる魔術、及びそれを扱う者達だ。
3333人にも及ぶ修道士達をバチカンという世界最高の霊地に建てられた聖堂に集め。
聖呪(いのり)を集積することにより魔術の威力を激増させて放つことにより。
天上より何千何百にも束ねられた赤き火花が融合した強大な紅蓮の神槍が振り落ちて貫いたモノを破壊し尽くす―――人間兵器。
正にローマ正教の誇る数の暴力を体現したものだ。
何故、彼がそんな者達の所へやってきたのか。
破壊や殺戮を頼む為ではなく。
ただ単に、文字通り"人手が欲しい"その一言に尽きる。
「黄金錬成(アルス=マグナ)か。ふむ、それは興味深い。尽力したいのは山々だが……」
ローマ正教十三騎士の一人、パルツィバル。
彼は世界各地に赴き、戦ってきた歴戦の騎士であり、戦士だ。
アウレオルスと特別親しくはないものの、目の前で困っている同胞を助けたい気持ちは確かにある。
「しかしながら、イザードよ」
「疑然、何だ」
「仮に成功し、貴様が黄金錬成の力を獲れば、貴様はもはや隠秘記録官では居られんぞ」
つまりは。
力を持った者は、力を振るうことを必要とされる。
「……ふむ」
隠秘記録官。
パラケルススの末裔として、必氏に学び、目指してきて、ようやく就けた職業。
それをあっさりと配置転換させられ、戦地に赴く事になる。
「………」
黄金錬成が完成すれば、フィアンマの目を見えるようにしてあげられる。
だがそれは同時に、悪魔や神すら手足として使役する、無敵の戦士になることを意味する。
当然の事ながら、そんな自分の存在は武器としてローマ正教に酷使されるだろう。
そうそうフィアンマも権力にものを言わせる訳にもいかない。
「…少しだけ、時間をくれ。こちらから頼んでおいて申し訳ないが」
「構わん。応援しよう、我が同胞よ」
430: 2013/06/03(月) 20:48:21.76 ID:jIbR1cGD0
男。
少年の名前は、削板軍覇というらしい。
東洋人らしいが、イタリア語を扱える辺り頭は悪くないのだろうか。
現在は『根性試し』という名の世界一周マラソンを行っているらしい。
「ご苦労な事だ」
素っ気なく言い捨て、フィアンマはカフェモカを啜る。
チョコレートソースと生クリームがふんわりと乗ったそれはべたべたに甘い。
口周りがべたつく、とそれすらも心地良く思いながら、フィアンマは静かに飲み下し。
「それで、グンハといったか」
「おう、何だ」
「マラソンというのはハイペースで走るものではない」
「何?」
「早く走り過ぎては、ゆっくり走る辛さがわからんだろう。
変速的にペースを変更して走る事にこそ、その根性とやらが見いだせるんじゃないか?」
「な、なるほど!」
いちいち声が大きい男である。
今日は運が良いのか悪いのか、とため息をつき、フィアンマは奢りのカフェモカを啜った。
432: 2013/06/03(月) 20:48:56.59 ID:jIbR1cGD0
フィアンマを救いたい。
けれど、戦地へ投げ込まれるのは恐ろしい。
もし、もし仮に油断して自分が氏んだら。
今度こそきっと、彼女は絶望してしまう。
これは自惚れの類ではなく、経験した事実の話だ。
「…悄然、…困ったものだ…」
一長一短。
勿論、フィアンマの目を見えるようにしてあげたい気持ちは、とても強い。
彼女を幸せにしてあげたいし、共に居たいと思っている。心から。
故に、それだからこそ、悩んでしまうのだ。
武器として酷使される人生の終わりは、戦地での氏。
「……漠然。かといって、」
ローマ正教から彼女を連れ出して逃げ、黄金錬成を駆使しても。
世界二○億全て、いいや、強大な力を持つ二人故に、世界中を敵に回す事となる。
身体の表面を削ぎ落としていくかのような生活に、彼女を連れて行きたくはない。
やれやれ、と視線をとある喫茶店へ移したところで。
愛する彼女が、黒い髪の少年と親しげに話を、していた。
434: 2013/06/03(月) 20:49:25.27 ID:jIbR1cGD0
アウレオルスの胸が、ぎゅう、と苦しくなる。
心臓を握り潰されたかのような、嫉妬の強さ。
七つの大罪の内に含まれているだけあって、辛い。
あの少年かどうかはわからない。覚えていない。
だが、彼女の本当の好みはあちらなのかもしれない。
初恋の相手が理想の相手となるのはありがちな話だ。
なまじ彼女の過去と執着を知っているが故、苦しい。
「…く、」
やがて、少年が立ち上がった。
彼は店から出るなり、驚きの速さで走り出す。
続いて、ゆっくりとフィアンマが出てきた。
彼女はすんすんと周囲の雨の匂いを嗅いだ後に、アウレオルスの方へ近づいてくる。
「……あの少年は」
燃え上がる嫉妬の炎を暴言として吐き出すまい、と彼は堪える。
対して、フィアンマはアウレオルスの手を握って答えた。
「ああ。止まれなかった暴走機関車だ」
「は?」
442: 2013/06/04(火) 21:19:46.00 ID:no9Fzk4n0
詠唱を一人でやり遂げることを考えてみた。
どう考えても不可能だからこそ、思考は堂々巡り。
結局はグレゴリオの聖歌隊を頼る他なくて。
『俺様の夢は、』
『逃げ出す事だ。この、暗闇の世界から』
虚ろな瞳。
これだけは諦めたくないと語った彼女。
本当に愛しているのなら、救いたいのなら。
たとえ世界を敵に回しても、迷わずに取り組むべきだ。
解法と結末が見えているのなら、もはや突き進む他無い。
「…毅然。今やらねばいつ踏み出すというのか」
善は急げ。
アウレオルスは、そう無理矢理に答えを出した。
444: 2013/06/04(火) 21:20:14.61 ID:no9Fzk4n0
夏もそろそろ終わりに近づく頃。
フィアンマは、消息の絶たれたアウレオルスに困惑していた。
どう連絡をしようとしても、まったくもって繋がってくれない。
直属の部下等に調べを入れさせてみたものの、見当たらず。
情報がまったく入ってこない。隠秘記録官の方は長期休暇らしく。
「………」
自らの行動を振り返る。
確かに衝突は何度かあったが、きちんと謝った筈だ。
その度に彼はわかってくれたし、許してくれたように思う。
本当に?
ふと、疑問が首をもたげる。
彼の顔を見てもいないのに、何故そんなことがわかるのか。
声の調子、トーン、そんなものは理性で調整可能だ。
「……、…」
嫌われたかもしれない。
傲慢な態度は自覚しているところではあったが、生憎これは性分で。
だから、それを彼も理解して、付き合ってくれているのだと、そう思っていたのだが。
446: 2013/06/04(火) 21:20:38.29 ID:no9Fzk4n0
「…きら、われた?」
ぽつりと呟く。
自問自答。
自分で出した答えとしては、『そんなことはない』という希望的観測だけ。
そんな訳がない、と繰り返す。だって彼は、自分を愛していると言ったのだ。
確かにその口で。誰よりも愛していると、そう述べたのだから。
それでも。
もしかしたら、また心が動いたのかもしれない。
禁書目録のような聖女に出会ってしまったのかもしれない。
比較対象が居れば、自分という存在はあっという間に霞んでしまう。
「……」
彼は浮気性ではない。
理性は強い男だし、万が一はないだろう。
しかし、その一方で同情心の強い男だ。
「…アウレオルス」
448: 2013/06/04(火) 21:21:24.10 ID:no9Fzk4n0
イタリア国内のどこかに居るかもしれない。
そんな一抹の期待を胸に、彼女は国内を彷徨っていた。
連絡がつかない程、危険な目に遭っているのかもしれない、と。
希望的観測に妄想を重ね、彼女は歩き回っていた。
夏も終わりに差し掛かるとはいえ、まだまだ暑さはあり。
アウレオルスを捜す事に熱中していた彼女は、うっかり水分補給を忘れた。
如何に『神の右席』といえど、ベースはただの人間の体だ。
当然の事ながら、水分補給を怠れば、熱中症にも陥ってしまう。
「…ぐ、」
ふらり。
倒れかけ、壁に寄りかかる。
前方から、じゃりじゃりとした足音が聞こえた。
「……、」
「おい、なかなか美人が居るぜ」
「体調悪いのかね? チャンスか」
下卑た声だった。
男の二人連れか、とフィアンマは適当に判断する。
ここ一週間探し続けたが、彼は見つからない。
もうどうでもいい、と彼女は思う。
彼が居ないのなら、自分を捨てたのなら、そんな自分はもう必要無い。
450: 2013/06/04(火) 21:22:33.16 ID:no9Fzk4n0
ぐい、とやや乱暴に腕が引かれる。
痛みを感じる事もなく、フィアンマはぼんやりとしていた。
熱中症でとにかく体調が悪いのだ。うまく思考も出来ない。
「……、…ルス」
せめて、連絡がついたらいいのに。
ずっと待っているのに、言葉の一つもない。
自分が嫌になったのならそう言ってくれたらいい。
「あ? 何だおま、っぎ、」
「おいだいじょ、」
乱暴に掴まれていた腕。
解ける。再び掴まれたが、その触れ方は優しかった。
ほんの少しだけの期待を込めて、フィアンマは問いかける。
「……アウレオルス?」
「残念だけど、私は錬金術師ではないな」
男の手が、服についた汚れを丁寧に叩いて払う。
「熱中症でも起こしているのかな。早急に休憩が必要だろう」
「……一人で、大丈夫だ」
「大丈夫には見えなかったけど」
「……目の前で困っている人間が居ると見捨てられない性質か?」
「そんなようなものか。否定は出来ないね」
手を引かれて路地から出る。
何となく、アウレオルスに似た匂いがした。
「…名前は」
「私の名はオッレルス。……おっと、引っ捕えないでくれよ?」
「特別に見逃してやる。有り難く思う事だ」
手を引いていたのは、ありとあらゆる意味で自分と対極の立場に居る男だった。
463: 2013/06/06(木) 22:10:21.13 ID:DPX3UTXd0
涼しいジェラート店にて、フィアンマはジェラートを片手に飲み物を飲んでいた。
スポーツドリンクにバニラジェラートを乗せたそのフロートはとても甘く。
また、美味しさもさることながら飲み物部分は水分補給に最適だった。
ジェラートによって体温を下げ、ゆっくりとドリンクを飲みつつ。
フィアンマは目の前にいる、しかし決して見ることはないであろう男を見やった。
「よく生きていたものだな」
「逃げ続ける生活だけどね」
ジェラートを食べているらしい。
咀嚼音が聞こえる、とフィアンマはぼんやりと思った。
吹き付けてくる冷房の風が少し涼し過ぎる。
薄い上着の前を丁寧に留め、フィアンマはオッレルスについて振り返る。
「…お前はそんなヤツだったか?」
「正確には、君に言われて元に戻ったというべきか」
465: 2013/06/06(木) 22:10:52.20 ID:DPX3UTXd0
オッレルスと会ったのは、フィアンマが十歳頃の事だった。
ローマ正教十三騎士団全滅の危機ということで、暇だった彼女がわざわざ珍しく出向いたのだ。
対して、オッレルスは酷く荒んでいた。
自らが選んだこととはいえ、子猫を助けたが故、魔神の座を奪われて。
何もかもどうでもいいと自暴自棄な気分になったところで、ローマ正教の追っ手とぶつかった。
もはやどこかに属するつもりはなく、だからといって献体にされるつもりもなく。
魔神になれなかったなり損ないの男は、自らの衝動が促すままに暴力を振るった。
『……退いてくれないかな。流石に華奢な少女にまで手をかけるつもりはないんだけど』
『正当防衛とはいえ、酷い有様だ』
転がる人間の体。
氏ぬよりも酷い状態だ。
放っておけば氏ぬ程の内臓ダメージ。
かひゅ、と掠れた息遣いが、施術鎧越しに聞こえ。
本当に酷いものだなあ、と思いつつ、フィアンマはオッレルスを見据えた。
『ここまでやられて何も返さないというのも気が済まないものでな。メンツを守るためだ』
振るわれた聖なる右に、オッレルスの身体が吹き飛ばされ。
ダメージを軽減・回復しているところに、彼女が踏み込んできて。
467: 2013/06/06(木) 22:11:22.83 ID:DPX3UTXd0
『事情は知っている。同情もする。が、過剰防衛というのはいかがなものか』
力を持っているなら、それは弱者の安全と幸福の為に振舞われるべきだ。
そんな聖職者らしい言葉を放って。
それでいて、オッレルスより余程穢れた瞳で、彼女は力を振るっていた。
世界中の願いという名の身勝手を押し付けられた、救世主の幻想。
大きな組織の為に無理やり大義を押し付けられた、一人の少女。
ほんの僅かな間だけローマ正教の要職に着いていた彼は、彼女を知っていた。
彼女本人というよりは、彼女が"つくられた"経緯と目的を。
『君だって自らの境遇に自棄を起こした事だってあるだろう』
『あるとも。今だって世界中に復讐してやりたい気分でいっぱいだ』
『正当防衛だ。頃す権利はあるはずだろう』
『俺様が許さん』
見えぬ目で鋭く貫き睨み。
彼女は、オッレルスに向かってはっきりと言った。
『根っからの悪人でないお前に、罪を犯させる訳にはいかない』
だから、やりたくなくても立ちふさがる。
騎士達の前に立ち、これ以上は傷つけさせまいと自分を睨む盲目の少女の姿に。
いつか視た、自らの理想の姿を見た。
469: 2013/06/06(木) 22:12:06.81 ID:DPX3UTXd0
「……あんなやり取りで改心したと?」
「あんな、って酷いな。十歳程度の華奢な盲目の少女の発言に、行動だ。結構重いよ」
「ふん、差別的だな」
「いや、素直に尊敬しているだけだよ。邪念はない」
人頃しをさせまいと立ちふさがったその勇気と強さに。
全てを恨みながら、それでも傷つけさせまいと敵を愛する優しさに。
もぐもぐとジェラートを食べつつ、フィアンマは憮然とする。
発言に感動した、というならともかく、年齢や身体障害は関係ないはずだ。
むむむむ、と眉を寄せる彼女の様子に、オッレルスは小さく笑う。
「こうして見るとやっぱり普通の少女だね」
「まあ、人間だからなぁ」
肩を竦めるフィアンマは、飲み物を飲み終えて。
オッレルスと共に外に出ると、気分はすっかり良くなっていた。
やはり熱中症だったようだ。
「じゃあ、また」
「ああ。…この件で、数年前のアレは無効にしてやる」
「無効も何も、私はあの時攻撃していなかったはずだが―――」
言葉が切れる。
黄金の鏃が飛んできたためだ。
オッレルスは咄嗟にそちらを見やり、特殊な術式で落とした。
地に落ちたそれはわずかに石に触れ、路傍の石を黄金の液体へと変える。
鏃を飛ばしたのは、一人の男だった。
彼は目に嫉妬と憎悪の炎を燃やし、オッレルスを睨みつける。
「――――憮然。私の彼女に、手を出すな」
471: 2013/06/06(木) 22:12:39.91 ID:DPX3UTXd0
アウレオルス=イザード。
のように、思える。
オッレルスとしてはここに長く残る必要もないため、少しだけフィアンマを見やり。
アウレオルスを探していた彼女が彼に攻撃されることはまずないだろうと判断して、その場から立ち去る。
彼が居なくなると共に、アウレオルス(?)は彼女の下へと近寄ってきた。
やや、というにはいささか語弊がある程に強く、彼女の手首を掴む。
「…君はまた、」
「…アウレオルス?」
フィアンマは乱暴に腕を掴まれながらも。
その指の感触と、眼前から感じる体臭とオーラに、彼であると判断し。
それから、とても嬉しそうに柔らかい笑みを浮かべて、彼に抱きついた。
あっけにとられ、アウレオルス(?)は硬直する。
「何処に、いっていたんだ」
寂しそうな声は、わずかに震えていた。
泣き出してしまいそうに、震えてしまっていた。
アウレオルス(?)は少しばかり視線を彷徨わせた後、彼女の髪を優しく撫でる。
「…す、すまない。…少し、色々とやる事があって、」
「何故連絡一つ無かったんだ?」
「…それは、」
「尋問させてもらおうじゃないか」
フィアンマはアウレオルス(?)のネクタイを引っ張り、じと、と睨みつける。
ぐいぐいと首を締め上げられ、彼はじたじたと身動いた。
そんな自分と彼女の姿を見つめて。
アウレオルス=イザードその人は、唇を軽く噛む。
そして、路地裏の闇へと姿を消した。
480: 2013/06/07(金) 22:55:05.83 ID:um1MLWlb0
アウレオルス=イザード。
フィアンマに接触した方の彼は、実は本人ではない。
基礎物質にケルト十字を用いた天使の力<テレOマの塊>。
生命ある、魔術人形だ。
とはいっても、体温もあれば意思もあり、食事もいたって普通に行う。
見目はアウレオルスそっくりであり、傍目にはまったく区別がつかない。
勿論、この人形自身は自らをアウレオルス=イザードだと思い込んでいる。
術者の本質をそのまま反映したのだから、当然のことながら、フィアンマを愛している。
"本物"との違いといえば、精々が扱う術式の程度と、理性の差だろう。
理知的な性格は引き継いでいるものの、我慢、というものが多少なりとも減っている。
それは良くも悪くも出るものだ。現に、オッレルスに瞬間錬金(リメン=マグナ)を振るったのだから。
そんな訳で。
彼は尋問されていた。
ほっぺたをぐいぐいと引っ張られる制裁つきで。
「ぐ、ぐぐ、やめ、いひゃみが、」
「何処にいた。何をしていた。洗いざらい吐け」
「むぐぐ、…っ」
掴まれていては話せない、とじたばた身動くアウレオルス。
フィアンマはほっぺたをふくらませ、彼を苛め続けた。
482: 2013/06/07(金) 22:55:23.92 ID:um1MLWlb0
赤く腫れてしまったアウレオルスの頬に氷を袋越しに当ててやり。
ひとまず人目が気になったフィアンマは、彼を自宅へと導いてきた。
いつも招いていた別荘の方ではない。
様々な防御結界の施された、本当の自宅―――教会の方だ。
元々は荒廃していた廃教会をフィアンマが買い取り、改装したものだ。
中は簡素ながらも赤を基調とした丁寧な内装がなされている。
絨毯などもよくよく見れば素材にこだわった豪奢なものだ。
聖職者の住処としては相応しくないことこの上ないが、彼女の育ちを考えれば妥当なものだろう。
あちこちに配置された家具に魔術記号が散りばめられており、結界が構成されていることがよくわかる。
とはいっても、魔術に精通していない人間が見たところで、何やら目に痛い空間だな、としか思えないのだが。
「これでも三年程異端審問官を務めていた時期があってな」
「当然、素直に話そう。だから武器を置いて欲しい」
掃除用のはたき(に見える魔術記号の綴られた棒)を持つフィアンマに恐怖するアウレオルス。
彼女は実に実に執念深く、それと同時に愛情深い人間でもある。
故に、自分の身体をバラバラにしたとしても、元に戻して愛するだろう。
理解している分、"どんなに腹が立っても愛する人間に手は出さないだろう"という常識は出てこない。
例え手を出されてもフィアンマに暴力の振るい返せないアウレオルスである。
過去一度彼女の顔を打った時以来、もう二度と彼女に手は挙げないと堅く誓っているのも理由の一部。
「それで、どこにいたんだ」
「…順を追って話すとしよう」
484: 2013/06/07(金) 22:55:40.72 ID:um1MLWlb0
曰く、隠秘記録官において長期休暇を取っていたのは、研究に没頭していたから。
その結果出来上がったのが『瞬間錬金』であること。
フィアンマはその時点で違和感を覚えたが、敢えて言わないでおいた。
「侵食を忘れて没頭していたが故に連絡出来なかった、と」
「……すまなかった」
「本当に悪いと思っているんだろうな?」
むすくれるフィアンマは、行儀悪く教壇に腰掛ける。
学校にあるようなものより、だいぶ背丈の高いものだ。
脚を組み、彼女は我侭な姫のように、彼を見下ろす。
「この侘びは高くつくぞ」
「……何をすれば君は私を許すというのだ」
「そうだな」
彼女は本日の日付を思い返しながら、彼を見つめる。
その視線の先はいつも通り少しブレてズレていたが、真っ直ぐだった。
「俺様と旅行しろ」
「……旅行?」
486: 2013/06/07(金) 22:56:06.28 ID:um1MLWlb0
アウレオルス=イザードは、黄金錬成の最終段階にまで進んでいた。
呪文同士をぶつけあって達成しようにも、まだまだ時間がかかる。
フィアンマと一緒に過ごしてはまた計画を先延ばしにしてしまう。
そんな危惧から、彼は直接接触せず、ダミーを彼女へと派遣していた。
本当は一切の接触を断つつもりではあったのだが、彼女の悲哀を想っての行動だ。
そして、ダミーを通し、彼女の様子を知りたかったから、という理由もある。
一応は自分と言えるダミーが相手であれば、嫉妬は起こらない。
ネット中毒者が携帯電話を気にして生活せざるを得ないように。
アウレオルスはいつダミーとの記憶を共有するか、術式を履行する間にも、彼女を気にかけていた。
何をしていても、誰といても。フィアンマが気になって、心配で。
それは親が子を心配する情愛に似ているが、それよりも深いものだ。
学問と魔術に占められてきたアウレオルスの人生において。
今は、フィアンマしか存在していない。禁書目録のことは覚えているが、彼女が覚えていないから。
「……旅行、か」
さて、自分と彼女はどこへいくのだろう。
アウレオルスはそわそわと浮き立つ心を押さえ込んで、術式執行に戻る。
488: 2013/06/07(金) 22:56:26.58 ID:um1MLWlb0
旅行に行きたい。
そう彼を誘った彼女が選んだ先はというと。
「日本が良い」
「…日本。日本か」
ツンツン髪の少年を思い返してわずかに苛立つアウレオルス。
あからさまな不機嫌オーラに反応するでもなく、フィアンマは続けて言う。
「衣服なのだが」
「…? 疑然、衣服とは?」
「ユカタなるものに興味がある」
それに付き合え、とそういうことらしい。
アウレオルスは首を傾げて提案した。
「自然、取り寄せれば良いではないか?」
「着る場所が無い。つまらん」
日本に行ったところで、日常的に着るものではないような。
眉を潜めるアウレオルスに、フィアンマはもごもごと告げる。
「……夏祭りというイベントに参加したい」
「祭り。…祭祀……俄然、儀礼的なものだろうか?」
「違う。……遊び的な側面が強いものだ」
行きたい行きたい行きたい。
口にこそ出していないものの、そんなアピールが放たれている。
アウレオルスはわずかに考え、頷いた。
「それで償いになるというのならば、当然、喜んで付き合おう」
仮に償いでなくても、彼女が行きたいというのなら一緒に行きたい。
フィアンマは満足そうに上機嫌な笑みを浮かべて。
教壇を蹴り降り、アウレオルスに抱きつくのだった。
495: 2013/06/09(日) 12:39:58.80 ID:elbuDb2J0
長期休暇を一旦とりやめ、数日出勤した後。
アウレオルスは再び長期休暇を申請し、荷造りを始めた。
旅行自体は職務上何度かしているし、珍しいことではない。
仕事仲間以外の同行者がいるのは、今回が初めてだ。
「……ふむ」
好きな女の前では格好良い大人でありたいのが男という生き物である。
とはいえ、残念ながらアウレオルスの手持ちの服はスーツばかり。
確かにそれでも問題はないし、そもそも彼女は盲目だ。
見目にばかりこだわってもどうせ彼女には見えないのだが、そういう問題ではなく。
「…自然、やはり衣服類を数点購入するべきか」
うーん、と考え込む魔術人形。
たとえ他者がどう言おうと、彼はアウレオルス=イザードである。
少なくとも、心から愛する少女の前では。
497: 2013/06/09(日) 12:40:24.24 ID:elbuDb2J0
旅行に行きたい、とフィアンマが言い出して数日後。
荷造りをすっかり終えたフィアンマは、バッグを手に飛行機のチケットを指先でなぞって読んでいた。
見えぬ代わりに、指で触れば文字は判別出来るよう、デフォルトの特殊術式を有しているので、点字である必要はない。
点字の方が好ましくはあるものの、全国家がバリアフリーに取り組んでいる訳ではないので、致し方ないだろう。
「やっぱり私もついていこうか?」
いざ出発せんとするフィアンマの手首を掴んだのはヴェントである。
弟を亡くし、失意と絶望に塗れていた彼女の心を救ったのは、フィアンマだった。
その年齢も相まって、彼女にとっては亡き弟と同じ様に愛おしい妹のようなものなのだろう。
飛行機に同乗することを考えて冷や汗をダラダラ垂らしつつ、彼女は問いかける。
「ナニがあるかわからないし。ね?」
「…飛行機は大の苦手ではなかったか?」
「じゃあ船で」
「現代の船は何だかんだと科学技術が用いられているが」
過保護が過ぎる、とフィアンマは首を傾げる。
別に心配されずとも、自分は『神の右席』を統べる程の力があるのだ。
その気になれば世界―――いいや、地球という惑星すら破壊出来る自分に、恐れるものなどほとんど無い。
実際にヴェントが心配しているのは貞操の危機の方なのだが、フィアンマはそこを視界に入れていないようだ。
「うぐ」
言葉に詰まるヴェントに、フィアンマは小さく笑った。
彼女を姉とまでは慕っていないが、それなりに大事には思っている。
「心配するな。今生の別れでもあるまい」
「ちゃんと帰ってきなさいよ?」
自分より背の低い相手に頭を撫でられるのも何だかな、と思うフィアンマであった。
500: 2013/06/09(日) 12:41:03.69 ID:elbuDb2J0
ようやく右席の面々の心配から抜け出したフィアンマは、空港までやって来た。
うーん、と辺りを見回し、サーチを使うべきかと小首を傾げる。
待合用の小さなソファーに腰掛けたところで、誰かが近づいてきた。
捜していた相手、アウレオルス=イザード(?)である。
「搭乗にはまだまだ余裕があるが、何かトラブルでも?」
「トラブルといえばそうかもしれんが、迷惑<トラブル>とは言い切れんな」
「……?」
「気にするな。…早かったな?」
「当然、詫びを兼ねているのだから当たり前のことだ」
相変わらずの誠実さである。
アウレオルスは彼女の隣に腰掛け、世間話をした。
魔術など一切関係の無い、日常的な話だ。
時折興味深そうに相槌を打ち、時々楽しそうに笑う。
アウレオルスが彼女を好きでいるのは、こういうところだ。
右方のフィアンマという立場に関わらず、表情が多彩で。
拗ねたり、傲慢に言い放ったり、寂しいと泣きそうになったり。
そんな普通の少女染みたところが、特に好きだった。
立場や名声で愛するようになったのなら、そんな恋人関係は長く続かないのだから。
「空腹だ。何か愉快な食物はないのか」
暗に物珍しいものを捜して買ってこいと強請り、フィアンマはアウレオルスの袖をくいくいと引く。
彼はしばし悩んだ後、周囲を見回して立ち上がった。
そして、メロンカツなるものを購入して、彼女の下へ戻る。
「…常識から少々外れたものを購入してきたのだが。当然、味の保証はしかねる」
「? 非常識な食べ物か。…まあいい」
興味を発揮し、彼女は箱を受け取る。
中身を口にし、首を捻った。
「……む…?」
美味しくない。
が、アウレオルスに買ってもらったものを捨てる訳にも吐き出す訳にもいかない。
不審がるような表情で食べていくフィアンマを、アウレオルスは心配そうに見つめるのだった。
502: 2013/06/09(日) 12:41:38.69 ID:elbuDb2J0
日本からイタリアまでは、実に12時間もの飛行時間を必要とする。
が、ファーストクラスの席を予約した二人にとって、エコノミー症候群というものは恐れるべきものではなかった。
当たり障りの無い味の機内食を頂き、サービスの飲みものを啜り。
いくら仲が良くとも会話を12時間もし続けていられる訳もなく、フィアンマはアウレオルスの肩へ軽く寄りかかった。
「…俺様は寝る」
うつらうつらとしながら、フィアンマはそう宣言した。
遠まわしに、お前の肩を枕にさせろという要求でもある。
異存は無いので、アウレオルスは無言で頷くのみにとどめた。
そんな彼の態度に安堵を覚え、フィアンマは目を閉じる。
しばらくして、静かな寝息が聞こえてきた。寝つきが良いのか、余程疲れていたのか。
「……、」
アウレオルスは、無言で彼女の顔を見る。
長いまつ毛、青みを感じる程に真っ白な肌。
唇は薄く、肉感的ではない。故に、彫刻のような美術品的側面を感じる。
色っぽいのではなく、純粋に綺麗な顔なのだ。
それはもう、実は人形なのですと言われても信じてしまう程に。
「…ん、」
が、寝息はあって、寝言もある。
夢は見るし、微笑も見せる。
その人間臭い変化が、彼女が芸術品ではなく人間であることを示していた。
504: 2013/06/09(日) 12:42:09.33 ID:elbuDb2J0
「……、」
「…すー…」
そっと、手に触れてみる。
彼女の手はしばし彼の手を触り返した後、握った。
握手のような握りから、思い出したように恋人つなぎへ。
絡ませた指の体温が、とても心地良い。
「んん……」
アウレオルス、と。
かすかなささやき声、寝言で自分の名を呼ぶ彼女が、とてつもなく愛おしくて。
彼女の笑顔と愛情を得る為なら、きっと世界でも敵に回せるであろうと、思う。
世界中から追われたとしても、彼女を守り、「ありがとう」と言われ。
そうして名前を呼んでもらえたのなら、何も怖くはないと。
「………、…フィアンマ」
世の中に存在している愛の言葉を幾千万と囁いても、思いを吐きだしきることは出来ないだろう。
我が儘を言われても何ら反感を覚えない時点で、自分はきっと彼女を心底愛しているのだから。
そんな小っ恥ずかしいことを考えつつ、アウレオルスは目を閉じる。
飛行時間はまだまだ残っているのだ。眠って、体力を温存するべきだろう。
511: 2013/06/10(月) 19:55:11.47 ID:WfX50zA50
眠り始めて、何時間経過したのだろう。
少なくとも、フライトが始まってから五時間は経過しているはずだった。
うつらうつら、やや意識が浮上してきたアウレオルスは、時計を見ようかと考えた。
懐に潜めてある懐中時計に手をかけたところで、男の怒鳴り声が響いた。
「テメェら全員手を挙げろ!」
怒声と共に、発砲音。
バリィン、という嫌な、ともすれば爽快な音がして、照明灯の一つが消えた。
乗客たちは泣き叫ぶも、高さを鑑みれば飛び降りて逃げ出すこともできない。
有り体に言えば、ハイジャックだった。
犯人達は集団であり、銃を突きつけ、乗客たちを拘束していく。
余計なことをされないようにか、添乗員にも同じように拘束を施した。
アウレオルスは視線を巡らせ、手中に持てる武器を再確認する。
黄金の鏃。
瞬間錬金は他の乗客を頃してしまう恐れが高い。
断頭剣。
これもまた、狭い機内では実用的ではない。
ジギタリスの猛毒を秘めし小瓶。
論外だ。
何だこれは、とアウレオルスは思う。
自分が持っている武器のことごとくが、使用不可ではないか。
加えて、錬金には材料が必要であり。
猛毒の小瓶以外は、使用に何らかの犠牲を必要とする。
こと、この状況ではどの武器も使用できない。絶対に。
513: 2013/06/10(月) 19:55:36.35 ID:WfX50zA50
そうこうしている間に、男の一人が近寄ってくる。
ホルダーには拳銃が収まっているし、手には機関銃を持っていた。
どのようにして持ち込んだのかは、まったくもって不明。
が、一つだけわかることがある。
彼らは魔術師だ。
拳銃を使う魔術師は非常に珍しい。
つまり、魔術を武器としての一つとしてしか解釈していないのだろう。
銃のささっているホルダーには特殊な文字が記されている。
それは所謂ルーン文字で、魔力を流せば爆発するものだった。
拳銃の弾が完全に切れたら爆弾として使用するつもりなのだろう。
魔力を流し込むことで足を吹っ飛ばしてやろうかと思うアウレオルスだったが、手を伸ばしても触れられない絶妙な位置にある。
「おい、手を挙げろ」
「……、」
仕方なしに手を挙げるアウレオルスだったが、眼光は鋭く。
せめて態度だけは毅然として彼女を守ろうとする彼だったが。
「……触るな」
寝起きながらも、アウレオルス以外の男の手だと感知したフィアンマが、挑発的に言う。
その態度が気に障ったのか、男は乱暴に彼女の身体を引きずり上げた。
拳銃を頭に突きつけ、眉を寄せる。
それから、何か良いことでも思いついたかのようにニヤリと笑った。
「おい、女。見せしめにテメェから氏ぬか?」
「………」
「ッ、」
アウレオルスが動いた。
彼がフィアンマを取り返す前に男が一歩下がり、アウレオルスの腹部に膝蹴りを強く入れる。
元より体育会系でもなければ格闘術にも長けぬアウレオルスは、苦痛に息を吐きだし、力なく項垂れた。
彼女はさながら魔女裁判で有罪と認められた魔女の如く、男に引っ張られ、前の方へ連れて行かれる。
515: 2013/06/10(月) 19:56:15.28 ID:WfX50zA50
上条当麻は、今日も今日とて不幸だった。
本当はフィアンマと会った日に帰る筈が、飛行機が欠便となり。
その後も天候不良であったり、実は未提出だったレポートが発見されたりで。
結局学園都市に戻れないまま、今日までの日にちをイタリアで過ごしてしまった。
「はー、やっと帰れる」
深い深いため息を吐きだし、上条は飛行機に乗った。
後は眠っていれば、順当に十二時間後には日本へ到着出来る筈だ。
「疲れた……」
まさかこんなにも長引いてしまうとは、人生最大の不幸かもしれない。
恋人である少女とはメールを交わしていたが、やや冷められてしまったようだ。
長い間離れ、実際のところ、その留学の目的が他の少女を救うため。
そりゃあ呆れられてしまっても仕方がないよなあ、と上条は思う。
思うのだが、悲しい出来事には変わりない。
さっさと寝て色々と忘れてしまおう、と目を閉じる。
数時間後、上条当麻は男の怒声で目を覚ました。
「テメェら全員手を挙げろ!」
怒声と共に、発砲音。
バリィン、という嫌な、ともすれば爽快な音がして、照明灯の一つが消えた。
乗客たちは泣き叫ぶも、高さを鑑みれば飛び降りて逃げ出すこともできない。
有り体に言えば、ハイジャックだった。
犯人達は集団であり、銃を突きつけ、乗客たちを拘束していく。
余計なことをされないようにか、添乗員にも同じように拘束を施した。
上条は驚きと焦りと恐怖を覚えながらも、冷静に状況を観察する。
今までも、こうした大きい事件には何度も巻き込まれてきた。
その度に不幸を嘆き、他者を巻き込んだ責任を取ろうと戦ってきたものだ。
517: 2013/06/10(月) 19:56:47.99 ID:WfX50zA50
(自爆テロじゃなきゃ勝機はあるはずなんだ…)
普通の男子高校生とは思えない思考をする上条。
だが、彼が持っているのは、異能を打ち消す右手のみ。
となると、周囲から武器を選択して戦わねばならない。
前の方で、何か騒ぎが起きている。
やがて、一人の少女が、主犯格らしき男に手を掴まれ、引っ張り出された。
前髪に隠れた向こうが金色の瞳であることを、上条当麻は、知っている。
「……、」
一瞬にして、諦念にも似た救助願望が、ガラリと色を変えた。
自分を救ってくれた彼女を救うためなら、手段は選ばない。
「おい、わかってんだろうな。妙な動きをしたら、」
男の拳銃の銃口が、フィアンマの側頭部にあてがわれる。
ギリギリ、と上条は歯軋りをした。
そろり、と席から飛び出す。あちらが自分を撃つなら万々歳だ。
「コイツみてえにな「待てよ」…あ?」
上条当麻は、恐れを知らぬ者のように立ち上がる。
本当は足を震わせて逃げ出したい気持ちもある。
あることにはあるのだが、勇気が、生存本能の悲鳴を押さえつける。
上条の手には、コーヒーカップが握られていた。
中身は熱湯に近しい紅茶で、触れただけでやけどは確実だった。
519: 2013/06/10(月) 19:57:24.03 ID:WfX50zA50
「……当、麻…?」
ぼんやりとした表情で、フィアンマは首を傾げる。
思考がうまくいっていないのだろうか。
「邪魔すんなガキ、」
男の拳銃が、こちらを向く。
真っ直ぐに伸ばされた腕を見やり、上条はコーヒーカップの中身をぶちまけた。
"幸運にも"その熱湯は、フィアンマにはかからず、男の腕と拳銃にかかる。
「あッ、がァアアアアアアアアアアアアアアア!!!」
銃を撃ち慣れなかったのかもしれない。
照準をしっかり定めるために伸ばされていた腕は、とっさの回避が遅れた。
熱湯は服の繊維の隙間から男の肌を焼き、灼けた肌に服が張り付く。
故に少量熱湯が溜まり、男の肌をいつまでたっても苛め続ける。
最悪なことに、ここに氷水などの類はない。冷やすものがない以上、痛みは加速していく。
「大丈夫か!?」
英語で仲間の男が焦ったように言い、その片手間で上条を数度撃つ。
鳴り響く銃声音に、乗客たちは泣きながら耳を塞いだ。
もう何もしないでくれと言わんばかりの大勢の視線を受け、それでも少年は揺るがない。
521: 2013/06/10(月) 19:58:04.99 ID:WfX50zA50
数度撃たれ、上条は回避もしなかった。
正確には回避出来る訳もなかったのだ。
銃弾は素早く跳び、上条の右太ももを正確に貫く。
「っぐ、」
呻き、上条は隠れられる場所へ隠れこんだ。
そこには、緑髪の男が腹部を押さえ、獣のような目で男たちを睨んでいた。
彼の隣りだけ、座席に人が居ない。全ての席は埋まっていた筈だ。
つまり、彼の隣に座っていたのはフィアンマで間違い無いだろう。
「…なあ、あんた」
「…何だ」
上条を視界に捉え、苛立ちを覚えるアウレオルスだが、背に腹は代えられない。
「もしかしたらだけど、フィアンマの友達か?」
「…毅然、恋人だ」
「そっか。……何かぼんやりしてて抵抗できないみたいなんだ。
打開策とか浮かばないか?」
上条の言葉を受け、アウレオルスは考える。
優秀なその頭脳は、十秒程で結論を叩き出した。
「一人が先程貴様の勇行によって怪我をしている。よって残るは手当をしている人間を差し引き二人」
「一対二ならともかく、二対二ならまだ勝機は見込めるな」
「……だが、」
「? 何だよ」
「私には、…悄然、武術の心得がない」
そして、魔術の腕はフィアンマに劣る。
知識はともかく、あの男達にも劣るかもしれない。
そんな自分が出て行っても、彼女を助けられないのでは。
犯人を無意味に刺激して、彼女を傷つける事を許してもらうだけなのでは。
土壇場において、理性の弱さが裏目に出る。
523: 2013/06/10(月) 19:59:50.51 ID:WfX50zA50
上条は、アウレオルスを見つめた。
それから、少しだけ言葉を出した。
「…俺、あの子を助けたかったんだ。
そのために嫌いな勉強をして、嫌いな暴力を振るわれて学んで、強くなったんだ」
「………」
「俺は、あんたとフィアンマがどんな風に出会って、仲良くなって付き合ったのかは知らない。
でも、無駄かもしれなくても足掻くこと位は出来るだろ。よく考えてみろよ。
……力があるから人を助けなきゃならないのか? それとも、助けたいから力を振り絞るのか。
俺が絶対の正義なんて言うつもりはねえ。けどな、後者の勇気さえあれば、大抵の不幸なんざ乗り越えられる」
それは、多くの不運と不幸を生き抜いてきた男だからこそはっきりと言える一言だった。
「じゃあ、こうする。俺があっちに飛び込んであいつらをぶん殴る。
その間にあんたはフィアンマを連れて脱出してくれ。後は何とかする」
「…少年。それでは貴様が、」
「俺は、どうだっていいんだ」
上条は、全ての異能を打ち消す右手を握り締める。
「俺は、フィアンマに救ってもらった。多分、彼女と出会ってなかったら氏んでた。
これまでだって何度も氏ぬチャンスはあって、氏にたい瞬間はあって。
それでも彼女にもう一度笑って欲しくて、助けてあげたくて、必氏に生きてた。
仮にあの子を助ける為に氏んだとしても、別に仕方ないと思ってる。
でも、俺が氏んだら、多分フィアンマは悲しむから。氏なないつもりでいるけどな」
どちらがフィアンマの恋人なのか、わからなくなるような発言。
視線を落とすアウレオルスに、上条は告げる。
「時間が無い。あの主犯が復活する前に、俺は行くぞ」
言うなり、上条は再び座席の影から飛び出す。
アウレオルスと会話をしながらも、彼は服の袖を引きちぎり、太ももを縛って止血していた。
525: 2013/06/10(月) 20:00:22.39 ID:WfX50zA50
「さっきのガキか。ちょろちょろ逃げやがって、ぶっ頃してやる」
男の一人が、拳銃ではなく、何事かを呟く。
唐突に空中に炎の塊が生まれ、上条へと襲いかかった。
上条は咄嗟に右手を突き出し、魔術によって生み出された炎は掻き消える。
「な、」
「っ、」
驚く男の下へ、上条が走り、踏み込んだ。
そのまま蹴りを入れてバランスを崩させ、右拳で顔面を殴りつける。
軽い脳震盪にその場に膝をつく男から機関銃を取り上げ、上条は放り投げた。
ガシャン、と嫌な音を立てて、機関銃は床に落ちる。
「チッ」
舌打ちをして、手当役の男が上条を睨む。
彼は自らの手腕でもって相手を叩き潰すことを得意としたのだろうか。
直接上条に殴りかかり、胸ぐらを掴み、蹴り、床へと叩き伏せる。
「っ、早く!!」
上条が叫んだ。
ダメージは消えたが、アウレオルスの足がすくんでうまく動かない。
主犯の男は、先程熱湯で火傷させられたのとは反対の腕で、銃を持っている。
「それ以上何もするんじゃねえぞ。こいつの頭が吹っ飛ぶことになる」
フィアンマは、それでも動かなかった。
魔術を秘匿するため。それから、撃たれても氏なないとわかっているため。
アウレオルスは男を睨み、黄金の鏃を取り出す。
527: 2013/06/10(月) 20:00:49.49 ID:WfX50zA50
上条が熱湯を投げた時、男とフィアンマはやや離れていた。
今回はほぼゼロ距離。
だが、転がっている男を材料に黄金の鏃を投げ、主犯に当てることは可能だろう。
しかし、避けてしまったら。それは、フィアンマに直撃してしまう。
それだけじゃない。男にだけ当たって溶けたとして、その黄金が飛行機までをも溶かしてしまったら。
そもそも。
いくら彼女が幸運だからといって、当たるかもしれない武器を向けていいのか。
当たらないだろうから、きっと大丈夫だろうから。
幸運だから。強いから。
助けなくたって、自力で逃げてくれるだろう。
そんな考えが、彼女の人生を地獄に突き落としてきたのではないのか。
フィアンマが抵抗しない理由は、何となくわかっている。
彼女自身がそういう扱いをされてきたから、『どうせ氏なないから逃げない』、そんな行動を生み出している。
「必然。私は、」
アウレオルスは、断頭剣を手にする。
重いそれは、人を材料にしなければ手軽に機能しない。
だが、武器として振り回すことは出来る。
「君を助ける」
迷っている場合などではなかった。
そんな迷いや下らない考えが、いつだって彼女を不幸にしてきたのだから。
529: 2013/06/10(月) 20:02:06.37 ID:WfX50zA50
腕力のみで、断頭剣を振るう。
おお振りだが、当たればまず氏ぬ一撃に、男は腕の中の人質も忘れてわずかに後ずさった。
指がトリガーにかかり、自然と引き金を引こうとする。
ガキャキャ、という硬い音がして、引かれなかった。
横から、やや不遜ともいえる少年の声が聞こえる。
「熱膨張って知ってるか?」
「…何?」
「さっき、あんたの拳銃には大体熱湯がかかってた。
気づかなかっただろうけど、その飛沫は腰元のホルダーにささった拳銃にも確実に飛んでた。
急激に熱された拳銃の細かいパーツはいくつか歪む。歪んだ機構が正しく働く訳ねえだろ」
「なん、」
「当然―――ハッタリだ、愚鈍な豚」
ただ単に。
拳銃の安全装置がちゃんと外れていなかっただけなのだが。
上条の言葉に騙され、動揺してしまった男の顔面は。
断頭剣の堅く重い木製持ち手によって、殴られ、歪んだのだった。
531: 2013/06/10(月) 20:02:36.64 ID:WfX50zA50
事件に無事幕が下り。
アウレオルスはフィアンマの腕を優しく摩りながら、上条を見やった。
「……時に少年。自然、暴発ならばともかく、熱膨張で拳銃が発射できなくなるということはないのだが」
「やめろよ! 俺拳銃なんて詳しくないし、適当に言っただけなんだから…!!」
フィアンマは大人しくさすられつつ。
どこか、怒られる事を察知した子供のように二人を見やる。
見やる、といっても、正確には視線をその辺りへ向ける、というだけだが。
「……別に、撃たれても氏にも傷つきもしなかったのだが。
わかっていただろう。何故助けた。他の乗客ならば、まだ理解出来るが」
彼女を詳しく知らぬ上条にとっては、それは幸運体質のことで。
アウレオルスにとっては、それは魔術的防護のことで。
恐らく大丈夫だろうとわかっていても戦おうと思った理由は、シンプルだった。
二人の男は彼女に精神的に救われ、大切に思ったものを救いたかっただけだ。
「「フィアンマは、"普通"の、目の見えない女の子だ」」
魔術師だろうが、異常な幸運を有していようが。
守る対象であったり、大事であることには代わりないと、そう暗に告げられて。
「…………あり、がとう」
ローマ正教二○億を統べる最暗部のリーダー兼救世主系ヒロインは、消え入りそうな声で返すのだった。
533: 2013/06/10(月) 20:03:47.63 ID:WfX50zA50
「それにしても、少年。その右腕は…自然、どのようなものだ?」
新しく用意された飛行機に乗り移り(上条は学園都市で能力開発を受けているため、『外』の病院では応急処置しかできない)。
疲れたらしいフィアンマが再び眠り。
アウレオルスは、上条の右手に興味を示していた。
魔術によって生み出された炎を、有無も言わさず消した右腕。
さぞ特別な仕掛けでもあるのだろう、と勘ぐる錬金術師だったが。
「へ? 右腕? あー…」
上条は、自分の手を見やり。
炎を握りつぶして火傷一つ無い非凡な右手を、ぐーぱーと数度握ったり開いたりする。
「俺の右手は幻想頃し(イマジンブレイカー)っていって、」
曰く、全ての異能の力を打ち消す。
曰く、不幸の元凶。
曰く、彼女と出会えたきっかけ。
学者として非常に興味がそそるアウレオルスだったが、我慢する。
少年を解剖したいのは山々だが、本当にする訳にはいかないだろう。
ましてや、フィアンマがかつて心から求めた少年であるのだから。
「…毅然、少し触れても良いだろうか」
「不幸になってもいいなら構わないけど、普通の手だぞ?」
普通の人間だと思い込んでいるアウレオルスは、興味の向くまま、彼の手に触れた。
パキリ
何かが壊れた音がして。
アウレオルスは、体の中を巡った一瞬の激痛に眉を寄せた。
「お、おい大丈夫かよ?」
「…無論、当然、……問題無い」
取り返しのつかない何かが壊れたことを、誰も、まだ知らない。
540: 2013/06/10(月) 22:38:08.94 ID:WfX50zA50
「じゃあ、またな」
今度こそ、無事に空港へと到着して。
上条は、そう軽く二人に別れを告げた。
フィアンマは手を伸ばしかけ、悩み、引っ込める。
そんな彼女の様子に、上条は小さく笑った。
「お幸せに、な」
ほんの少しの寂しさと共に、上条はそう言った。
彼女自身の口から『恋人』という単語が出てきた時。
恋人の話題は自分から言い出したことなのに、ほんの少しだけ苦しくなった。
だが、自分は彼女を救えなかった。実際に救い出したのは、恋人と名乗った彼だろう。
一度目で救い出す事の出来なかった自分が、今更何を出来るというのだ。
幼かったから。
力が無かったから。
そんなことは理由にはならない。
一緒にどこまでも逃げようと手を引いて、結局彼女に夢を見させただけの自分は、畜生にも劣る。
彼女は、きっと。
自分と一緒に逃げようと告げられた時。
涙が出る程嬉しかったに違い無いのだ。
あんな暗い場所に閉じ込められ、絶望していた日々に光が射したと。
期待させるだけさせておいて、結局は救えなかった。
自分は、彼女の隣に立つだけの資格が無い。
上条当麻は、最後まで笑みを浮かべたまま、歩き去っていった。
542: 2013/06/10(月) 22:38:43.65 ID:WfX50zA50
フィアンマは暫く黙って。
上条の姿が見えなくなった頃、アウレオルスの手を握った。
「…予定は崩れてしまったが、行こうか」
アウレオルスは、数度深呼吸をする。
びりびりと残る身体の痛みが、幾分か薄れてくれたようだ。
「当然、行こう」
彼は、彼女の手を引いててくてくと歩き出す。
何も無かったのだ、自分は平気だと、行動によって言い聞かせるように。
暫く歩いて、旅館へと到着した。
旅館側もトラブル情報を入手していたのか、宿泊期間は適切に伸び。
フィアンマとアウレオルスは、一旦休憩することにした。
祭は明日のため、今日はゆっくり温泉に浸かってご飯を食べ、眠るだけにしようと決める。
544: 2013/06/10(月) 22:39:10.64 ID:WfX50zA50
「夕飯を食べた後、時間がある」
お風呂に入る準備をしながら、フィアンマはふとそう言った。
余った時間を何かに使いたいのだろうか、とアウレオルスは小首を傾げる。
フィアンマはしばし言いよどんだ後、おずおずと、彼女にしては珍しく控えめな言い方でねだった。
多少なりとも、飛行機の中で手間をかけさせた事に対し、申し訳なさを感じているのかもしれない。
「…明日に着る浴衣を選んで欲しいのだが」
入浴、夕飯。
その両方を終えても、近くの店が閉まるまで、ゆうに三時間は残っている。
快諾する男に安堵し、フィアンマは笑みを浮かべ、部屋から出る。
一時間程の入浴を終えて戻ってくると、既に食事の準備が終わっていた。
仲居にでもしてもらったのだろうか。
フィアンマは長い髪を一つにまとめ、上の方で留めてある。
日本人的価値観の持ち合わせはないアウレオルスだったが、晒された項はどこか色っぽく思えた。
うっかり欲情してしまわないよう視線を逸らし、彼は食事に目を向ける。
「…いただくとしよう」
「そうだな」
賛同し、フィアンマはアウレオルスの隣に座る。
地べたに座るのは育ち上慣れてはいるらしい。
やや彼にしなだれかかるように隣へ座り、箸を持つ。
「……ん?」
「…俄然、何でもない」
見とれていた、とバカ正直に言う訳にはいかないので、アウレオルスは誤魔化す事にした。
546: 2013/06/10(月) 22:40:52.84 ID:WfX50zA50
夕食のお刺身が怖いだとか、煮付けらしき豆が掴めないなどといった話は割愛するとして。
何だかんだで楽しい夕食を終えた二人は、外に出、近くのショッピングモールへとやって来た。
三階の呉服店にて、目の見えぬ彼女はアウレオルスの元来持ち合わせているセンスに頼り切る。
「……似合いそうなものにしてくれ」
「当然、そうするつもりだが」
アウレオルスに女装趣味は無い。
そして、職業上女性の服などロクに選んだこともない。
日本の服、浴衣については多少の見聞きしかしておらず。
が、店員に相談するのは、何となくプライドが許さない。
「………」
彼女に似合う色。
普通に考えれば赤色だ。
瞳の色を考えれば金、黄色も似合うだろう。
きめ細やかな肌だから、白に透けても美しい。
「……む…悄然、難解だ…」
恐らく赤系であるピンクを着ても、少女らしさが引き立って愛らしいだろう。
昔ながらの布のものでも似合うだろうし、ドレス風のものでも良いかもしれない。
ぐるぐるぐるぐる。
錬金術師は、思考する。
「……それとも、どれも似合わんものか」
「いいや、そんなことはない。君は何を着ても、着ていなくても愛らしい。
画然、そのことだけは確約しよう。我が名に懸けても」
結局どれにするのかはまだまだ決まらないまま、時間は、過ぎていく。
553: 2013/06/11(火) 22:22:08.37 ID:J05hxd8p0
彼は悩み迷った後に、一つの浴衣を手に取った。
汚れてしまわないようビニールに包まれたそれは、帯などもセットになったものだ。
黒地に、真紅のバラの花が全体的に咲いた浴衣である。
長身の女性でも問題ない丈の長さ。故にお値段は悲惨な程お高い。
「………」
ちょっぴり。
そう、ほんのちょっぴりだけだが、お財布が心配になるアウレオルス。
だったが、ここで彼女に払わせるというのは、何だかプライドが許さない。
別に生活に困る訳でもない、と自分に言い聞かせ、アウレオルスは彼女を見やった。
そっと彼女の体に布地をあてがってみて、判断してみる。
問題など何も無かった。よく似合っている。髪をアップにすれば尚更だろう。
腕の良い画家と写真家を呼び立てて記録に残したい程だ、とぼんやり思ったりして。
無言で何かをしているアウレオルスの様子が気になったのか、フィアンマは不思議そうに首を傾げる。
「…あったのか? 良いものが」
「確然、見つけた。サイズの合致度も申し分ない。少し待っていてくれ」
言って、彼は店員に話しかける。
テキパキと動き、店員は大きな紙袋へ浴衣とハンガーを揃えていれた。
「皺にならないようお気をつけください」
ありがとうございました、と丁寧に頭を下げる店員を背後に、アウレオルスは彼女の手を再び握った。
ゆっくりと歩いて出た外の空気は蒸し暑かったが、気分は悪くない。
「どんなデザインのものだ」
「布地は黒。薔薇があしらわれたものだ」
「薔薇の色は」
「深紅だ。…浴衣というのは居心地の悪そうな衣服だな」
感想を漏らし、彼は浴衣を見やる。
下着らしき白い長襦袢も入っているのだが、それにしても機能的ではない。
そう思ってしまうのは自分が産まれてからずっと快適な服装ばかり選択してきからだろうか。
少なくとも、オシャレの為に一生懸命非機能的な服装を着用した覚えはない。
ともすれば非難にも聞こえそうな彼の言葉に、しかしてフィアンマは反論しなかった。
「だが、仮に熱中症になったとしても助けてくれるんだろう?」
ふふ、と笑むその姿はどこか小悪魔的だが、その言葉は健気ともいえるものだった。
依存心と言ってしまえばそれまでだが、彼女はアウレオルスを頼って生活している。
自分の愛する女が自分に頼ってくれているのに、嫌な男などいない訳で。
「当然だ」
この頭痛は、きっと気のせいで、暑いからだ。
アウレオルスは自分をそう鼓舞して、こくりと頷く。
555: 2013/06/11(火) 22:22:42.00 ID:J05hxd8p0
翌日。
フィアンマは頼る相手に迷った結果、仲居にやってもらうことにした。
この手の着付け依頼などは慣れているらしく、テキパキとやってくれる。
アウレオルスは浴衣を着ないので、先に出てもらっていた。
出てもらうといっても、恐らく休憩所でぼんやりしていることだろう。
彼の体調が芳しくないのはきっと時差ボケか何かなのだろう、とフィアンマは思う。
色々と不審点はあるが、彼がアウレオルス=イザードであることは疑わない。
「出来上がりです」
「ん、…感謝する」
帯飾りを整え、出来上がり。
黒い生地とは逆に帯は薄いピンクで、リボンは赤。
フィアンマには見る事は出来ないが、きっと可愛らしいか、あるいは美しいのだろう。
浴衣に詳しくはなくとも芸術にはそれなりに詳しい彼が選んだのだ。
センスは優れたものなのだろう、と思うことにする。
「待たせたな」
「ふむ。結構な時間が経過したが君は疲れてい、……」
アウレオルスは振り向いて、彼女を視界に入れる。
それから黙って、彫刻を眺めるように、しばし彼女の姿を見つめた。
僅かにもじつくような動きを見せ、フィアンマはぼそりと問いかける。
「…お前の見立ては確かだとは思っているのだが。……似合う、か?」
「………当然だ」
絵本の中のお姫様でも見るような視線を向け。
それから、彼は笑みを浮かべ、彼女の手を取った。
手の甲へ軽く口づけ、エスコートの姿勢を見せる。
「さて、向かうとしよう」
この時間はきっと一生忘れられないものになるだろう、と二人は思った。
557: 2013/06/11(火) 22:23:09.96 ID:J05hxd8p0
「何を食べるか、それが問題だな」
目の見えぬフィアンマは、彼に歩調を合わせてもらいつつ、出店を説明してもらった。
一般的なお祭りなので、屋台はちょっとした街の路地のように長く続く。
「…コットンキャンディー?」
「そのようだが」
「……味は違いそうだな?」
わたあめ屋さんの前で立ち止まり。
甘い匂いを嗅ぎながら、フィアンマは考える。
「……メロンの匂いがする」
「メロン味のようだが」
「いただこうか」
頷いて、フィアンマは購入する。
五百円の代償は、安っぽく甘ったるい香料の、薄緑の飴。
ふわふわとしていて存外大きいそれをちぎり、フィアンマは口の中に含む。
柔らかなそれはあっという間に口の中で溶け、砂糖へと戻る。
本国で発売しているコットンキャンディーよりも、幾分か優しい口当たりだ。
もぎっ、と小さくちぎり、フィアンマはそれを彼の口元へと運ぶ。
「……」
「……食べろというのかね?」
綿のようでも実情は砂糖の塊。
そんなものを直接舐めるのは抵抗があるのか、アウレオルスはやや引き気味に問う。
対して、フィアンマは童女のように首を傾げてみせた。
「あーん」
「む」
食べるしかなかった。
559: 2013/06/11(火) 22:23:38.97 ID:J05hxd8p0
あれが食べたい、これが食べたい。
彼女の要望に添うように歩き回り、ついでにアウレオルスも食べてみたいものを食べ。
幸運にも不味いものは引かないで済み、時間は過ぎていく。
遊ぶ系統のものも沢山あったのだが、盲目者に射的や輪投げは楽しめないだろう。
同様の理由で金魚掬いなるものも出来なかった。したところで飼えないのだが。
「…気がつけば夜、か」
夕方と呼べる時間帯など、とうに終わっていた。
午後七時を時計の針が告げると共に、ドン、という大きな音がした。
驚いた声や、嬉しそうな声。頭上で鳴り響く爆音は、花火の音だった。
フィアンマは最後の食べ物のゴミをゴミ箱へ放ると共に、空を見上げた。
現在地は人気のほとんど無い陰。花火を見るには絶好の穴場なのに。
「……銃声にしか聞こえんな」
ぼやくその横顔が、悲しい。
アウレオルスは、自分の無力さに視線を落とす。
同じものを見ることが出来ない。感じ方も異常な程差異が出てしまう。
「……、」
ふと、名案が浮かんだ。
彼は彼女に一言告げて少しだけ離れ、コンビニに寄り、元の場所へ戻る。
「空の景色はともかく、手元の感覚ならば楽しめるだろう」
買ってきたのは、線香花火だった。
561: 2013/06/11(火) 22:24:05.96 ID:J05hxd8p0
大きな花火の方は、さほどストックがなかったらしい。
線香花火をする準備をしている間に、花火は終わっていた。
ぞろぞろと遠くを人が歩いて帰る気配を感じつつ、二人はしゃがみこむ。
「……ふー」
フィアンマは場所を確かめ、ろうそくに息を吹きかける。
たったそれだけの事なのに、火が点った。
右方のフィアンマと名乗るだけあって、フィアンマに『火』関連の術式に対する不可能はない。
勿論、魔力を使用した炎が元手であれば目が見えずとも感知出来る。
「……」
じゅわ、と赤い光が溜まる。
じわじわと棒を侵食して燃えていく火は、やがて火花へと変化する。
十字教徒である二人に線香は縁が薄いものだが、知識位はあり。
確かにこの僅かに燃え灯る火種の様子は線香だ、と思った。
「……アウレオルス」
「何だ?」
「今夜は、楽しかったか?」
「勿論だ」
即答して、彼はゆっくりと火を見つめる。
ばちばちと散らばる火花は、ぽとり、という音にならぬ音と共に消えた。
消化されたかどうかを確認してから、ゴミ箱へと捨てる。
今日の感想を言い合いながら、線香花火は次々と消化されていった。
563: 2013/06/11(火) 22:24:47.85 ID:J05hxd8p0
「……そろそろ戻るか」
午後九時頃。
すっかり遅くなってきたな、とフィアンマは思い。
立ち上がって一度深呼吸をした後にそう呼びかけた。
アウレオルスは立ち上がるも、返事をしない。
「…どうかし、」
たのか。
言い切らない内に、アウレオルスは腕を伸ばし、彼女を抱きしめた。
後ろから覆いかぶさるように長身の男に抱きしめられ、フィアンマは不可解そうな表情を浮かべる。
「ん?」
「……限界だ」
「…何の話だ」
ともすれば性的なそれだろうかと思うフィアンマだったが、違った。
彼の手に触れて気がつく。ぼろぼろと、木屑のように、彼の指が崩れ、こぼれていく。
動揺を隠せぬまま、彼女は問いかけた。
「どういう、ことだ? この手は何だ?」
「君に、言わなければならないことがある。…聞いて欲しい」
抱きしめたまま、彼は言う。
例え目が見えたとしても、フィアンマに彼の表情はわからなかっただろう。
徐々に崩れゆく身体を自覚しながら、アウレオルスはそれでも満足していた。
自分が何者であるかを知覚してしまったのに、気が狂うような恐怖には襲われなかった。
「私は、………断然。……人形だ」
「…人、形?」
「構成は不明だが、……君を孤独にさせないために、本人<オリジナル>が創造した、」
ホムンクルス。
途切れとぎれに紡がれる単語には、聞き覚えがあった。
フィアンマは沈黙して、彼の言葉の続きを待つ。
565: 2013/06/11(火) 22:25:28.78 ID:J05hxd8p0
「記憶も、何もかもがオリジナルと同様のものだろうとは、思うのだが」
「……」
「…ふ、自業自得だ。…あの少年の手に興味を持ってしまったが故だろう。
天罰か、あるいは…。"好奇心は猫をも頃す"などとは、くく、よく言ったものだ……」
「……なるほど」
フィアンマは、彼の崩れゆく手の甲を撫でる。
基礎物質にケルト十字や実際の物質が色々と混ざっているが、天使の力の塊だ。
人間が溜め込んだにしては異常な量の天使の力が濃厚に封入されている。
いいや、実際には、それは過去のこと。幻想頃しに触れ、削られたのだから。
瞬間錬金などという"結果"を誇った時点で彼らしからないとは思っていたのだ。
本来のアウレオルスであるならば、黄金錬成などの"過程の集大成"を誇るのだから。
「そうか」
フィアンマは、それでも彼を突き放さない。
自分が泣いていることも気づかず、フィアンマは目を閉じて薄く微笑んだ。
「それでも、今宵、俺様はお前と過ごし、愉快で、幸福だった。
その事実には何の変わりもない」
「…君を騙してしまったな」
「騙されてなどいないさ」
誰も悪くない。
何も悪いことなどなく。
恐らく最初から、こうなるべきで、これが最善の終わり方。
フィアンマは手を伸ばし、後ろ手でアウレオルスの首筋を撫でる。
「お前は、アウレオルス=イザードだろう」
「……、…」
自分の正体が魔術人形であったことに気づき、ひっそりと悲しんでいた彼は、目を見開いた。
彼女は泣いて、微笑んで、言葉を続ける。
「世界中の誰もがお前を認めなくても。俺様にとって、今宵までのお前は、確かにアウレオルスだった。
俺様を愛し、俺様が愛し、……そんな男であったことに間違い無い」
世界中の人があなたを人間でないと認めても、私は人間だと反論する。
そう告げて、フィアンマは彼の存在が徐々に消えていくことを感知して。
567: 2013/06/11(火) 22:26:04.83 ID:J05hxd8p0
「本人にも直接色々と言うつもりではあるが、……ありがとう」
助けてくれて。
一緒に居てくれて。
愛してくれて。
遊んでくれて。
幸せな時間を、ありがとう。
文字通りの壊れ物な彼を抱きしめて、フィアンマはそう言った。
彼"も"アウレオルス=イザードだと認めた上で、さよならをした。
「毅然、…最期に一つ、頼みがある」
「最期、か。嫌な響きだな。…何だ?」
服ごと崩れ、壊れ逝く体。
声帯が消えてしまう前にと、アウレオルスはやや早口で願う。
「歌を、歌ってくれないだろうか」
「……、」
初めて出会った時に歌った歌を。
あれは鎮魂歌ではないのに、と思いながらも、フィアンマは震える唇で、それでも歌声を紡いだ。
涙に濡れて、お世辞にも透き通った声とは言えないけれど、それでも、彼には充分だった。
569: 2013/06/11(火) 22:26:44.48 ID:J05hxd8p0
『聖なる、聖なる、聖なるかな』
透き通った声が聞こえる。
歌っているのは、先程口にされた言葉通りの題名。
有り体に言えば、讃美歌だった。
『三つにいまして ひとつなる』
三位一体の教理を定義した、一つの神聖な歌。
『神の御名をば 朝まだき
おきいでてこそ ほめまつれ』
『……誰だ?』
懐かしい、と思ってしまう。そんなに昔のことではないのに。
歌が終わると、ほぼ同時。
アウレオルス=ダミーは―――――――この世から、消えた。
579: 2013/06/13(木) 21:44:12.14 ID:PusaXlv20
フィアンマは、暫くしゃくりあげるのを我慢していた。
誰も見ていないとはいえ、そんな風に泣くのは、あまりにも子供染みていて。
アウレオルス本人は氏んでいないだろうとわかっていても、誰かがいなくなるのは悲しいことで。
「……、」
我慢する。
声こそ我慢出来ているが、涙自体はなかなか止まらない。
おかしいなあ、とフィアンマは思う。
自分は世界二○億の頂点に立つ魔術師で、すごく強い人間の筈なのに。
アウレオルス本人と同様の魔術人形が壊れただけなのに、どうしてこんなに悲しいんだろう。
「……」
ぐしぐし、と目元をこする。
ひとまず、旅館に戻れるのは自分だけだ。
彼がいなくなったことを行方不明事件として扱われれば大事になる。
言い訳するよりは誤認識を利用した術式を用いてしまうのが手っ取り早いだろう。
フィアンマは手探りで、灰の中からケルト十字のアクセサリーのようなものを手にする。
アウレオルス=ダミーの"核"を成していたもの。
既存の知識でも、きっと彼は"何度でも""自分でも"創造することは出来るだろう。
だが、しようとは思わない。また同じ思いはしたくない。それに、必要のないことだ。
彼女は静かに霊装十字<アクセサリー>へ軽く口づけてから、ひと思いに燃やした。
目下のところ、帰国したらこれだけはやっておこうと思う。
「あの野郎。ぶん殴ってやる」
右方のフィアンマにしては珍しく、暴力的な発言だった。
581: 2013/06/13(木) 21:44:43.54 ID:PusaXlv20
『黄金錬成』は無事完成し、完結した。
アウレオルス=イザードが全能の力を手に入れて最初に行ったことは、記憶の消去だった。
黄金錬成に協力してもらった人間から、黄金錬成についての一切の記憶を消す。
そうして全員を持ち場に帰し、アウレオルスは一人になり。
人の身にも関わらず得てしまった禁忌の全能感に、ゆっくりと息を吸い込み、吐きだした。
「……当然、成功させねば」
彼が思うのは、この力を誇示するだとか、そんな下らない事ではない。
元より戦闘狂でもなければ、望んで無敵になった訳でもないのだ。
彼がここまでしたのは、たった一人、愛する少女の目を見えるようにしてあげるため。
医術に頼ろうが魔術に頼ろうが絶対に正常な視界は手に入れられない彼女の悲願を叶える為。
「…しかし、あの少年の右手、」
疑問に思うのは、上条の持つ幻想頃し。
が、気にしてはならない、と自分に言い聞かせる。
何だかあれと必要以上に関わると破滅するような気がするのだ。
そう思うのは、おそらく自らの創り出したダミーが壊されてしまった事に起因するのだろうが。
「……戻るとしよう」
彼女のところへ。
愛する恋人の、待ってくれている場所へ。
583: 2013/06/13(木) 21:45:26.99 ID:PusaXlv20
そうして。
アウレオルス=イザードは、晴れてフィアンマの下へやって来た。
幾つかの手土産を手に来たのだが、やっぱり怒っているかもしれない。
少なくともダミーを送ったことはバレてしまったのだから。
最後の記憶共有によれば、彼女はダミーが完全に壊れていく中泣いていたようだ。
自分が氏んだとしたらあんな風に泣いてくれるのかと思うと、少し嬉しいような。
自分のことで彼女を泣かせてしまったことが申し訳ないといえば、そうでもあり。
「……」
「…毅然。久しいな」
コンコン、とノックをすると、フィアンマが出てきた。
彼女は無表情で、アウレオルスの手元を触る。
手土産で、且つ中身はケーキであることを伝えると、彼女は箱を受け取る。
彼が差し出した貢物(お怒り緩和用)を的確に片付け、整理し。
無言のまま、彼女は『座れ』とばかりにソファーの方向へと顎で指示をした。
座るかどうか迷う彼の前に立ち、フィアンマは手を伸ばし。
そっと彼の頬を数度なでながら、首を傾げた。
「酷いな。偽物を送るとは」
「…すまない」
「それならば連絡に反応すれば良かっただろう」
「研究に没頭すべきだと思った次第だ」
「俺様が怒っている理由は、説明した方が良いかな?」
「……否然。…理解済みだ」
「そうか」
相槌を打ち。
フィアンマは暫く考える素振りを見せた後、ほとんど不意打ちで彼の頬を張った。
バチィン、と痛々しい音がして、思わずバランスを崩す錬金術師。
ふん、と鼻を鳴らし、フィアンマはそっぽを向く。
585: 2013/06/13(木) 21:46:23.55 ID:PusaXlv20
痛む頬を摩り。
それから思い出したように、痛みが消えていくイメージを想像する。
彼はため息を飲み込み、そっぽを向いたままの彼女の髪をそっと撫でた。
「……君に贈るものがある」
「…先程の貢物ではなく、か?」
「それなら先刻渡している」
こちらを向いて欲しい、と告げられ。
フィアンマはアウレオルスの方を再び向く。
彼は手を伸ばし、彼女の両瞼へ、手のひらをかぶせた。
イメージする。
彼女の目が見えるようになり、彼女が喜ぶことを。
後半については彼女の感情操作になってしまうので、堪える。
そして、そっと手を離した。
これまでの彼女の生涯を覆っていた昏い障害を取り除くように。
「目を、開けてみてくれないか」
「……?」
良くも悪くも、心臓がドキドキと強く脈打つ。
彼女はぼんやりとした表情で、首を傾げた。
不思議そうに、手を伸ばし、アウレオルスの頬をぺたりと触る。
その感触から、目の前の男がアウレオルスであるときちんと判断出来たらしい。
少し驚いて、泣きそうに表情を歪めて、我慢して。
587: 2013/06/13(木) 21:47:02.27 ID:PusaXlv20
「みえる」
彼女は、ぽつりと呟いた。
子供が初めてつかまり立ちを出来た時のように。
驚きと、嬉しさと、困惑と。
様々な感情が入り混じって言葉にならないのか、彼女は同じ言葉を呟いた。
「見える、」
アウレオルスの頬を、首を、手を、愛おしそうに撫でる。
手で確かめてきた感触がそのまま視覚にも認識されて。
「……見えるよ、アウレオルス」
「……、…」
「お前の姿が、きちんと、わかるよ、」
彼女の目が完全に見えるようになる確率は、一般人が宝くじに当たる確率よりも低かった。
与えられた奇跡に、彼女はただ、かつて神の子に悪霊から救われた女のように喜ぶ。
そろそろと腕が伸び、フィアンマはアウレオルスを抱きしめる。
彼の首元にすりついて、彼女にしては珍しく、子猫のように甘えながら言った。
「ありがとう、アウレオルス」
それは、かつて彼が見た夢と酷似した、幸福そうな笑顔だった。
597: 2013/06/14(金) 21:18:34.61 ID:Uuas/yrU0
目が見えるようになったのだから、と。
フィアンマは彼を誘って、夜空の下へ出てきた。
夕飯、入浴と引き止められ、アウレオルスは今宵彼女の家に宿泊することになりそうである。
「……」
彼女は無言で、アウレオルスの手を握って、空を見つめる。
1.0。
平均的な視力。
彼女が憧れていた、凡庸な視界。
だが、それはずっと求めてきたものだ。
焦がれ、与えられなかった生を恨む要因になったものだ。
星を見る、たったこれだけのことに、彼女はどれだけ幸せを感じているのか。
五体満足で産まれ、今まで特別何かに焦がれた経験の少ないアウレオルスには、わからない。
わからないが、彼女のその顔に浮かんだ微笑みから、その幸せを多少は共有出来る。
「…綺麗だな」
星空を眺め。
幸運にも満天の星、暗く美しい夜空は、彼女の機嫌を良くしていた。
楽しそうに言い、彼女はアウレオルスの手をやんわりと数回握る。
599: 2013/06/14(金) 21:19:10.64 ID:Uuas/yrU0
「何となく、お前がいつか、こうしてくれるような気がしていたんだ」
自分の夢を、叶えてくれるような気がした。
そう言って、幸福そうな笑みを絶やさずに、彼女はアウレオルスに軽くもたれる。
彼は同じく笑みを浮かべ、言葉を発さぬまま、彼女の髪を撫でた。
そうだ。こんな笑顔が、ずっと欲しかったのだ。
彼女が笑ってくれているだけで、世界がとても素敵なものに見えてくる。
自分はそれだけ彼女のことを愛し、愛せているのだな、と錬金術師はひっそりと思った。
「…ああ、そうだ」
彼女は思い出したように、彼の手を引いて丘を上がる。
高いところまでくると、いっそう夜空が近く感じられた。
「?」
不思議そうに眉を潜める彼を見上げ、彼女は懐から小さな宝石箱を取り出す。
601: 2013/06/14(金) 21:19:39.85 ID:Uuas/yrU0
パカ、と中身が露出された。
中に入っていたのは、シンプルに見える指輪だった。
ちょうど、男性用の結婚指輪といったところか。
相方があると思われる。ハートの半分のような形状のリングだった。
「……判然としないが、これは?」
何かの霊装、あるいはお守り。
それともプレゼントか、自慢か。
何にせよ不愉快ではないだろうと思いながら、アウレオルスは問いかける。
対して、フィアンマはその場に片膝をついた。
体調が悪いだとか、怪我をしただとか、そういう訳ではなく。
身を低め、彼女はアウレオルスの左手を握ったまま、自分の口元へ寄せた。
囁くような声は、誰も居ない夜空がハウリングさせてくれる。
静かで、ボリュームが大きいとは決して言えない声は、それでも彼の耳へ届いた。
「アウレオルス=イザード」
フルネームで呼ばれ。
男は、僅かに緊張する。
603: 2013/06/14(金) 21:20:14.75 ID:Uuas/yrU0
「………毅然。……何だ」
聞き返し、緊張を押さえ込む。
彼女はそんな彼の様子に小さく笑って、彼の手の甲へ口づけた。
王子様がお姫様に求婚するように、片膝をついたまま、優雅に。
その一連の動作に思わず見とれたアウレオルスを見上げて、告げた。
「俺様と、結婚してくれないか」
「……」
驚愕に沈黙するアウレオルスに、言葉がかけられる。
「俺様の目を見えるようにするために研究を続けてくれた事。
俺様の身勝手に振り回されながらも許容し、愛し続けてくれた事。
全てをこの身で賄うには少々足りないが、……一生、お前を守ると約束しよう。
だから、結婚してくれないか」
きっと、幸せにするから。
これから先も、隣に居て欲しい。
声音こそ優しいものの、毅然としたプロポーズ。
女性からするものではないと思っていたアウレオルスであったが、ときめくものは確かにあった。
「当然、」
605: 2013/06/14(金) 21:20:44.75 ID:Uuas/yrU0
心臓の半分を象るシンプルなシルバーリングが、彼の指にはまった。
男は彼女の分の指輪も受け取り、彼女の薬指へとはめる。
二つの指を合わせれば、それは一つの心臓のイメージを彷彿とさせる一つの芸術品となる。
お互いにとってお互いが欠けては息絶える心臓の半分と見倣す、そんな指輪だ。
呪いの類はかけられていない。が、それで、これで、充分だった。
そもそも、二人にとってお互いは重要で、特別で、代替者など居ない、世界に唯一の存在なのだから。
「私は、君を愛している」
「俺様も、お前を愛しているよ」
「だから、今回の指輪は別として、改めてプロポーズさせて欲しい」
氏が二人を別つとも。
想いは氏して離れぬことを。
星の下にて誓い、彼は言う。
「―――――確然。君に、幸福の有り余る人生を贈ると、約束する」
606: 2013/06/14(金) 21:21:58.15 ID:mo30lfjb0
felice fine.
607: 2013/06/14(金) 21:23:17.86 ID:Uuas/yrU0
「憮然。ただし、君を守るのは私の役目だ」
「俺様が守ってやると言っているんだ。お前は俺様の後ろに居れば良い」
「だから、……まったく」
「……ふ、ふふふ」
609: 2013/06/14(金) 21:25:34.31 ID:qarNQdNmo
あ、乙
610: 2013/06/14(金) 21:47:06.20 ID:rHSgwJaao
乙でした
コメントは節度を持った内容でお願いします、 荒らし行為や過度な暴言、NG避けを行った場合はBAN 悪質な場合はIPホストの開示、さらにプロバイダに通報する事もあります