915: 2019/04/20(土) 04:48:18.93 ID:AncEZzLZ0

前回:北上「我々は猫である」83匹目
最初から:北上「我輩は猫である」

85匹目:猫と海猫








北上「相変わらず埃っぽい」

私以外訪れる者はいないであろう書庫はその静けさをしっかりと保っていた。

北上「本、好きだったんだなあ」

私がそうなのも飼い主に似たということなのだろうか。

それにまだハッキリとしていないことがある。

私の知ってる飼い主は麦畑の中にいた金髪のオッサンだ。

私の知らない飼い主は元提督で、提督の父親だ。

それにあの神社で見た黒髪のオッサンと金髪の女性。

未だにしっくりこない。

北上「日本人、なんだよね。英語の本ばっかりだけど」

提督に直接聞くのが早いんだろうけど、なんとなく憚られる。
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916: 2019/04/20(土) 04:49:17.96 ID:AncEZzLZ0
床に座り目の前に並ぶ本を眺める。

そういえば前に提督と閉じ込められたっけ。

一緒に本を見て、膝枕をしてもらったり。

北上「…」ムズ

なんだか無性にこそばゆい。

楽しい思い出なのに妙に体が熱くなる。

北上「…」

姿勢を変えたりしてみたがどうにも変な感じが治まらない。

ノミでもいるのか?

北上「猫じゃあるまいし」

谷風「いやいや立派な猫じゃあないか」ヒョコ
北上「うわっ!」

谷風「やあやあ喜んでくれたようで何よりだ。谷風さん冥利に尽きるね」

北上「そのまま尽き果ててしまえ…」

ちくしょう腰が抜けた。

脅かされるって結構ビックリするもんだな。人の振り見て我が振り直せか。やめないけど。

917: 2019/04/20(土) 04:50:25.54 ID:AncEZzLZ0
北上「なんでまたここに」

谷風「丁度ここに入ってく君が見えてね」

北上「やっぱりストーカーなの」

谷風「それは買い被り過ぎだよ」

北上「褒めてはないから」

谷風「まあ私の好きなのはつけまわす事じゃなくてお喋りの方だからね」

北上「…ひよっとしてstalkingと掛けてる?」

谷風「おいおいジョークは説明したらおしまいじゃあないか」

北上「それじゃあオヤジギャグと変わんないよ」

918: 2019/04/20(土) 04:51:02.85 ID:AncEZzLZ0
谷風「よっこらせ」

私の向かい側に私と同じように本棚を背に座る谷風。

北上「今日は何を話してくれるの?」

谷風「そうだねえ。でももう私が話すような事もないんじゃないかな」

北上「いや、話してもらうよ」

谷風「?」

北上「なんで嘘なんてついたの」

谷風「…」

北上「私に協力すると言ってくれた。それは決して嘘じゃあなかったけど正しくもなかった」

前の提督の事を知っていた。知っていて黙っていた。いや知らないと、言えないと嘘をついた。

北上「どうして?」

別に怒ってるわけじゃない。

ただ不思議だった。

919: 2019/04/20(土) 04:51:48.00 ID:AncEZzLZ0
谷風「もうそんなに色々と知ってるのかい。吹雪かな?彼女も、なんだかよく分からないよね。いや逆か。私と同じで」

北上「同じ?吹雪と」

谷風「正直に答えよう。だから君にも応えて欲しい」

真っ直ぐ見つめてくるその目は、私と同じ人間の目だった。

谷風「本当に君は帰ってくる気があるのかい?」


北上「…」


谷風「谷風さんはね、寂しいんだ。君が何処かへ行ってしまいそうで。私には姉妹がいる、仲間がいる。でも君とのそれは唯一無二なんだ。

失いたくない。行って欲しくない。

だから隠した。ごめんね。それについては謝るよ。でもだからハッキリと言おう。

行かないでおくれよ」


北上「…」



谷風「いやもっとハッキリと言おう。帰ってこないよ、君は。そういう目をしてる」

920: 2019/04/20(土) 04:53:25.12 ID:AncEZzLZ0
北上「私にもわからないよ」

谷風「ならハッキリとさせるべきだ。それとも頭の中では分かっていつつも言葉にはしないようにしていたのかい?

なら私がしよう。

君は提督、君の言うところの飼い主の元へ行くつもりだ」

北上「…」

谷風「勿論それだけじゃあないだろうさ。ここに残りたい気持ちがまさかないとは思わないよ?

でもそれでも今のままなら君はきっと行ってしまう。そう断言しよう。この谷風さんが」

北上「…」

谷風「なんとなくそんな気はしてたんだ。話し相手が欲しい、そう言ったろ?私の願いはそれだけさ。

君を応援したい、協力したい。その気持ちは真実だよ。でもそれはそれだ。単純で複雑な話さ。君もそうだろ?それはそれとして、願いがある」

あぁ、そうか。そうだね。その通りだ。

ここは好きだ。でもそれ以上に私はあの人に会いたい。

でも、やっぱりなにか引っ掛る。

喉に魚の骨でも引っかかったような違和感が。

北上「まだ、まだ分からないよ。でも谷風の言ったことはその通りだ」

谷風「だろうね」ハハ

なんて事ない風に笑う。

921: 2019/04/20(土) 04:54:58.90 ID:AncEZzLZ0
谷風「私は寂しいんだ」

北上「気づかなかった」

谷風「君は一途だからね。いい事さ」

北上「ゴメンね。でも私はやっぱりまだわからないや」

谷風「いいよ。ハッキリとさせる気はあるんだろ?」

北上「うん」

谷風「ならいいよ。言ったろ?君に行って欲しくないのは確かだ。でもそれはそれとして君の願いが叶う事を、やっぱり望んでもいるんだ」

北上「ややこしいね」

谷風「ややこしいんだ。それが人だよ」

北上「艦娘でしょ?」

谷風「人さ。船も人も、海猫も猫も、人が想うから船であり人なんだ。人を想うなら、海猫も猫も人と変わらないんだ。

例えば君は私から見れば猫だ。

でも君の姉妹から見れば君は妹だったり姉だったりする。他にも友人や同士やら。提督から見れば、なんだろうね。

君にはそれだけの君がいるんだ。人は人でできている。君を見る人の数だけ君がいる。

皆提督一人しか知らないから勘違いしているんだよ。私達艦娘は、十二分に人だよ」

922: 2019/04/20(土) 04:56:24.36 ID:AncEZzLZ0
人。そんな話をまさか海猫からされるとはおもわなかった。

谷風「艦娘の中には様々な思いが宿っていると言うけど、それは人もそうだよ。矛盾した色々な自分を抱えて生きているのさ。

別にいいんだ。矛盾してたって、どれかを選ばなくたって。

でも選ばなくっちゃあいけない時がある。今がそれだよ。君は決めなくっちゃあならないんだよ」

北上「分かってるよ。それは分かってる」

谷風「それは重畳」

よく喋る口がようやく落ち着いた。

北上「色んな自分かあ。多分そうなんだろうね。私の中に私がよくわからない自分がいる。それが問題なんだ」

谷風「きっと大変だろうけど、大いに悩むといい。私達がこうして人だから出来ることだよ、それは」

人だから。そうなんだろう。あまり考えた事はなかったけれど、今の私の想いもこうしてこの体になれたからあるものだ。

猫の時にはこんなにもしっかりとした想いはなかっただろう。

でも

北上「ねえ谷風」

谷風「なんだい」

北上「自分はここに居るべきじゃない、と感じた事はある?」

谷風「そりゃまた、随分後ろ向きな考えだね」

北上「明石から聞いたんだ。艦娘は色々な人の魂で出来てる。そして時折その記憶やらが混ざる時があるって。だから私の猫の記憶は不純物なんじゃないかって。

だって猫の私がいるから北上は北上でなくなってる。たまたま混ざった私のせいでこんな事に巻き込まれて、私は随分我儘をしてるなって」

923: 2019/04/20(土) 04:57:08.97 ID:AncEZzLZ0
谷風「ふむ、そうだねえ。さっき私は艦娘も人も変わらないと言ったよね」

北上「まあ、そんな感じのことだったね」

谷風「実際のところ違いが一つある」

北上「それは?」

谷風「艦娘は人より人らしい」

北上「それはよく分からない」

谷風「例えるなら、そう、ニセモノなのに本物よりホンモノらしく見えるって話に近い」

北上「んーまだ分かんないや」

谷風「なら本で例えよう。とても有名な作家がいる。その人は独特な書き方の本を数冊出していて世界中で人気になった」

北上「実際に思い当たるものがあるね」

924: 2019/04/20(土) 04:58:05.70 ID:AncEZzLZ0
谷風「ところが次に出した本が売れなかった。次もその次も。何故かな」

北上「何故って、そんなヒントもなしに」

谷風「今出た情報の中にしか答えがないとしたら」

北上「独特な書き方が変わったとか?」

谷風「そう、変わった。最初の数冊はたまたまその書き方になっただけだった、という事にしよう。

さてその売れなくなった作家はショックで隠居した。ところがどういうわけか世間にその作家の復活作品として一冊の本が出回った。それも昔のような人気で」

北上「隠居したのに?」

谷風「隠居したのに。まして文章なんて庭先に貼ったペットの糞は持って帰れの張り紙を書いたのが最後なのにだ」

北上「その情報いらないでしょ絶対」

谷風「ジョークだよ。さてではその謎の本は何故売れたのかな」

北上「誰が書いたのか、とかじゃないんだね」

谷風「そこは誰でもいいんだ。谷風さんという事にしておくかい?」

北上「じゃあそうしよう贋作者め」

925: 2019/04/20(土) 04:59:01.59 ID:AncEZzLZ0
谷風「で、答えは?」

北上「独特な書き方を真似たから」

谷風「そう。それもこれ以上なくこってりと、昔よりもマシマシ濃いめにした。

結果世間はそれをホンモノにした」

北上「あー。本物よりホンモノらしく、か」

谷風「そういうことさ」

北上「でもそれが、艦娘は人より人らしいに繋がるの?」

谷風「人は人になろうとして人にはならないのさ。まっさらな赤ん坊として産まれて、色々な人を取り込んで自分ができるんだ。

艦娘もほぼそうだ。環境によって大きく変わる。でも一つ違いがあるよね」

北上「…まっさらじゃない」

谷風「そう。私達には元がある。大元が。谷風なら谷風が、北上なら北上が。そうあれかしと人々が望んだ、人となるための人となりがね」

926: 2019/04/20(土) 05:02:43.52 ID:AncEZzLZ0
確かにそうだ。私もあの鎮守府の北上も大小差異はあれど根本的には北上に違いない。

谷風「私達は最初から表面上だけ見栄えがいいようになってるのさ。でもやっぱり中身はからっぽ。そこから何を経験してどうなるかは艦娘それぞれだよ。

経験とは記憶だ。君や私の場合、前世の記憶がある、その経験によって皆とは少し違う価値観を持ってる。とまあ私はそう考えてるよ。あくまで谷風さんはね」

北上「経験かあ。言い得て妙だね」

でも全部納得は出来なかった。筋は通ってるようだし説得力もある。でも納得出来ない。

それは猫の時の私の気持ちや想いを捨ててしまうような気がしたから。

谷風「腑に落ちないって顔だね」

北上「そんなに顔に出てた?」

谷風「そりゃもうとびきり湿気た顔してたね。自分で焼いた秋刀魚を自分で食べてみた時の磯風みたいな顔だったよ」

北上「どんな顔だ」

想像に難くないけど。しかし姉妹の事を話す谷風を見て思った。

私も球磨型の皆の事を話す時こんな顔をしてるのだろうか。

きっとそうなのだろう。私はその時、確かに球磨型軽巡洋艦の三番艦、北上でいるのだろう。

927: 2019/04/20(土) 05:03:20.47 ID:AncEZzLZ0
北上「猫の私も今の私も、確かに私なんだけどね」

谷風「船だったという昔の私達も、この身にある沢山の魂とやらも、全部私達なんだよ」

北上「でも最近の私は、猫じゃなくて少し北上に近いかもしれない」

谷風「どうしてだい?」

北上「わかんない。わかんない私がいるから、そうなのかなって」

谷風「なるほど」

北上「谷風は今、どの谷風なの?」

谷風「私かい?そりゃあ勿論君の友人だよ。秘密の友達さ」

北上「読書仲間?」

928: 2019/04/20(土) 05:03:48.29 ID:AncEZzLZ0
谷風「読書かぁ。生憎と私ゃぁ本はあんまし読まないからねえ」

そう言いながら背もたれにしている本棚から無作為に本を一冊取り出す。

谷風「ん、これ読みかけかい?」

北上「読みかけ?」

谷風「栞が挟まってるから」

北上「どれどれ」

読みかけの本をここにしまった覚えはない。その本自体も私の知らないものだ。

谷風「ほらこれ」

北上「んー見たことない栞、栞?あー、ん?あっ!?」

谷風「ぉお?なんだい素っ頓狂な声上げて」

929: 2019/04/20(土) 05:04:41.85 ID:AncEZzLZ0
栞に書いてあった妙な模様、マークに見覚えがあった。

以前に提督とここに閉じ込められた時にも同じ栞を見たのだ。

いやそれよりも、

北上「ここって」

以前見た栞より随分状態が良いおかげが、下の方に文字が書いてあるのが分かる。

谷風「住所だね。えぇっと、ん、地名はここと同じか。艦だからね、地理はサッパリだけどそう遠くは無さそうだ」

北上「これには心当たりがある」

谷風「ほおほお」

北上「この前近くに古本屋を見つけたんだ」

谷風「近くにかあ。なるほど外には出てみるものだね」

北上「もしそこで買っていたなら、提督の事が聞けるかもしれない」

谷風「行くのかい?」

北上「当然」

930: 2019/04/20(土) 05:09:50.74 ID:AncEZzLZ0
谷風「なら私はここで祈っておこう。君にとって何かいい未来が待ってるようにさ」

北上「止めないの?」クスッ

祈る、という単語がおかしくて意地悪な質問をしてみる。

谷風「止めないよ。雛は一度巣立てば後は自分で飛びものだからね」

北上「そういうものなの?」

谷風「そういうものなのさ。寂しくても、見送らなくっちゃあね」

北上「そっか。なら、行ってくるよ」

谷風「その背中を追うことは出来ないけど、帰りはしっかり待っててあげるから安心して行ってくるといいよ」

北上「粋だねえ海猫さん」

谷風「行くのは君だよ猫さん」ニカッ

楽しそうに笑う海猫。前にもこんな会話をしたなあ。

谷風にとって大切な、唯一無二だというこの関係を、私は断つ事になるのかもしれない。

後ろ髪を引かれる思いだが、見送ってくれた友人のためにも淀みない足取りで壊れた扉から書庫を出た。

931: 2019/04/20(土) 05:14:40.71 ID:AncEZzLZ0
由良シューが一番好き

艦娘とはなんなのか、のような話。
もし想いや魂の集まりなら例えばそこに猫の魂が混ざったら?というのが書き始めたきっかけだった気がします。
次スレにすべきかは悩むところ。しかしまさか三つも立てることになるとはよもやよもや…


引用: 北上「我々は猫である」